『修身要領』 明治33年2月、当時の塾生の質問に答えるために、福澤先生門下の高弟6名が起草し、 明治憲法が制定された後に作られたものですが、 表紙
表紙---文字は福澤先生の自筆 上掲の資料は昭和26年5月に刊行され、日吉の高等学校で配布されたものです。 日本の憲法も世界の情勢も当時とは変わりました。 当時の経済状況から、原印刷の紙質は低く、文字が大変読みにくいので、 修身要領 文明日新の修身処世法は如何なる主義に依り如何なる方向に進む可きやとは、今の青年学生の大いに惑う所にして、 先輩に対しては屡ば質問を起すものあり。福澤先生之に答ふる為にとて、生等に嘱して文案を起草せしむ。即ち先生 平素の言行に基き、其大要を述べて先生の閲覧を乞ひ、之を修身要領と名け学生に示すこと左の如し。 明治三十三年二月紀元節 慶應義塾社中某々誌 修身要領 凡そ日本国に生々する臣民は、男女老少を問わず、万世一系の帝室を奉戴して其恩徳を仰がざるものある可らず。 此一事は満天下何人も疑を容れざる所なり。而して今日の男女が今日の社会に処する道を如何す可きやとふに、古来 道教の教一にして足らずといえども、徳教は人文の進歩と共に変化するの約束にして、日新文明の社会には自から其 社会に適するの教なきを得ず。即ち修身処世の法を新にする必要ある所以なり。 1、人は人たるの品位を進め智徳を研きますます其光輝を発揚するを以て本文と為さざる可らず。吾党の男女は独立 自尊の主義を以て修身処世の要領と為し、之を服膺して人たるの本分を全うす可きものなり。 2、心身の独立を全うし自ら其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と言ふ。 3、自ら労して自ら食ふは人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人たらざる可らず。 4、身体を大切にし健康を保つは人間生々の道に欠く可らざるの要務なり。常に心身を快活にしてかりそめにも健康を 害するの不養生を戒む可し。 5、天寿を全うするは人の本分を尽くすものなり。原因事情の如何を問はず、自ら生命を害するは、独立自存の旨に反 する背理卑怯の行為にして、最も賎しむ可き所なり。 6、敢為活発堅忍不屈の精神を以てするに非ざれば、独立自尊の主義を実にするを得ず。人は進取確守の勇気を欠く可らず。 7、独立自尊の人は一身の進退方向を他に依頼せずして自から思慮判断するの智力を具へざる可らず。 8、男尊女卑は野蛮の陋習なり。文明の男女は同等同位、互に相敬愛して各その独立自尊を全からしむ可し。 9、結婚は人生の重大事なれば配偶の選択は最も慎重ならざる可らず。一夫一婦終身同室相敬愛して互に独立自尊を犯さ ざるは人倫の始なり。 10、一夫一婦の間に生るる子女は、其父母の他に父母なく其子女の他に子女なし。親子の愛は真純の親愛にして之を傷け ざるは一家幸福の基なり。 11、子女も亦独立自尊の人なれども、其幼時に在ては父母これが教養の責に任ぜざる可らず。子女たるものは父母の訓誨 に従て孜々勉励、成長の後独立自尊の男女として世に立つの素養を成す可きものなり。 12、独立自尊の人たるを期するには、男女共に成人の後にも自ら学問を勉め知識を開発し徳性を修養するの心掛を怠る可らず。 13、一家より数家次第に相集りて社会の組織を成す。健全なる社会の基は一人一家の独立自尊に在りと知る可し。 14、社会共存の道は人々自権利を護り幸福を求めると同時に、他人の権利幸福を尊重して苟も之を犯すことなく、以て 自他の独立自尊を傷けざるに在り。 15、怨を構へ仇を報ずるは野蛮の陋習にして卑劣の行為なり。恥辱を雪ぎ名誉を全うするには須らく公明の手段を択む可し。 16、人は自から従事する所の業務に忠実ならざる可らず。其大小軽重に論なく苟も責任を怠るものは独立自尊の人に非ざるなり。 17、人に交わるには信を以てなす可し。己を人を信じて人も亦己を信ず。人々相信じて始めて自他の独立自尊を実にするを得るべし。 18、礼儀作法は敬愛の意を表する人間交際上の要具なれば苟めにも之を忽にす可らず。只その過不及なきを要するのみ。 19、己れを愛するの情を拡めて他人に及ぼし、其疾苦を軽減し其福利を増進するに勉むるは博愛の行為にして人間の美徳なり。 20、博愛の情は同類の人間に対するに止まる可らず。禽獣を虐待し又は無益の殺生を為すが如き人の戒む可き所なり。 21、文芸の嗜は人の品性を高くし精神を娯ましめ、之を大にすれば社会の中和を助け人生の幸福を増すものなれば、 亦是れ人間要務の一なりと知る可し。 22、国あれば必ず政府あり。政府は政令を行い軍備を設け一国の男女を保護して其身体生命財産名誉自由を侵害せしめざるを任務と為す。 是を以て国民は軍事に服し国費を負担するの義務あり。 23、軍事に服し国費を負担すれば、国の立法に参与し国費の用途を監督するは、国民の権利にして又其義務なり。 24、日本国民は男女を問わず国の独立自尊を維持するが為には生命財産を賭して敵国と戦ふの義務あるを忘る可らず。 25、国法を遵奉するは国民たるものの義務なり。単にこれを遵奉するに止まらず進んで其執行を幇助し、社会の秩序安寧を 維持するの義務あるものとす。 26、地球上立国の数少なからずして各その宗教言語習俗を殊にすのいえども、其国人は等しく是れ同類の人間なれば、 之と交わるには苟も軽重厚薄の別ある可らず。独り自ら尊大にして他国人を蔑視するは独立自尊の旨に反するものなり。 27、吾々今代の人民は先代前人より継承したる社会の文明福利を増進して、之を子孫後世に伝ふるの義務を尽さざる可らず。 28、人の世に生るる智愚強弱の差なきを得ず。智強の数を増し愚弱の数を減ずるは教育の力に在り。教育は即ち人に独立自尊の道を 教へて之を躬行実践するの工夫を啓くものなり。 29、吾党の男女は自此要領を服膺するのみならず、広く之を社会一般に及ぼし、天下満衆と共に相率いて最大幸福の域に進むを期する ものなり。 後記 此の修身要領の起草に当った先生門下の人々は小幡篤次郎を中心として福沢一太郎、鎌田栄吉、門野幾之進、石河幹明の五名、 それに後になって日原昌造が加わり、都合六名であった。 起草に着手したのが明治三十二年の暮、小幡邸に連夜参集して原案を得たが、更に当時山口県長府に在った日原の出京を促がし、 日原の草案をも合わせて協議の末、条文を作成して仮に之を「修身綱領」と名づけて福沢先生に示した。 先生は之れに対して重要な点に就いて二三の注意を与へ、「綱領」を「要領」と改めて、明治三十三年二月十一日に発表した。 即ち先生死去の前年のことであった。 尚ほ起草者の経歴を簡単に記すと次の通りである。 小幡篤次郎は塾長たること再度、先生の生前は副社頭、死後は社頭。 福沢一太郎は先生の長男、永く社頭。鎌田栄吉は塾長たること二十五年。 門野幾之進は教頭(今の学務理事)、副社頭。 石河幹明は先生の死後永らく時事新報主幹、「福沢諭吉伝」(四巻)「正続福沢全集」(十七巻)の編纂者。 日原昌造はその思想議論に於て常に先生に信任され、「先生の思想を伝へたる者は日原昌造、文を伝へたる者は石河幹明と称された人。 これ等六名の人は皆な物故した。 |