葬儀
通夜喪主謝辞
 この様な急な事態に、多くの皆様方がお忙しいなかを、お集まりいただきまして、本当にありがとうございます。またご丁寧にもお心遣いをいただきまして、生前のご厚情ともども厚く御礼申し上げます。故人もさぞかし、喜んでいることと存じます。  なお、ささやかではありますが、別席をご用意いたしましたので、お時間の許しますかぎり、故人を偲ぶお話などお聞かせいただければ、ありがたく存じます。 (弔問客が帰り易くなるためのあいさつ)  本日はお忙しいところを、おいでいただきましてまことにありがとうございました。夜もかなり更けてまいりました、皆様の明日のお仕事に差し支えてもいけませんので、ここら辺でひとまずお開きにさせていただきます。お通夜はお見送りをしないものと聞いておりますので、ここで失礼いたします。  なお告別式は明四日午後三時より、この場で行います。もし、お時間がございましたら、皆様のお見送りを賜りますようお願い申し上げます。  夜も更けてまいりました、どうかお足元にお気をつけてお帰りくださいますよう。  本日はどうもありがとうございました・
通夜弔問客あいさつ
看病後亡くなる
 ご丹精の甲斐もなく、とうとうお亡くなりになられたそうで、さぞお心落としのこととお察し申し上げます。  このたびは、御愁傷様でございました。お悔やみの言葉もございません・
急逝
 突然お亡くなりになられたそうで、さぞお心落としのことでしょう。ついこの間お会いしたばかりで、とても信じられない思いでございます。  ご無念をお察し申し上げます。  このたびは、誠に御愁傷様でした・
通夜遺族あいさつ
 何かとお忙しいなかを、わざわざどうもありがとうございました。残念なことですが、残されたものは元気にしておりますのでご安心ください。なお、ご丁寧なお供物をありがとうございました・
告別式出棺時喪主または遺族代表あいさつ
 喪主として遺族を代表いたしまして、ご会葬の皆様に一言ごあいさつ申し上げます。 本日は、故松井植雄儀告別式に際しまして、ご多忙のところこの様に多くの方々のお見送りをいただきまして、まことにありがとうございました。故人もさだめし、皆様のご厚情に深く感謝していることと存じます。  また、故人の生前は何かと温かいご厚誼をいただきまして、本当にありがとうございました。  今後は、遺族一同、故人の遺志を継いで、皆様のご期待に背かぬよう頑張っていきたいと思いますので、この上も相変わりませず、ご指導、ご協力の程よろしくお願い申し上げます・
精進落とし喪主あいさつ
 本日は、ご多用にもかかわりませず、亡父のために、お心遣いいただきまして、まことにありがとうございました。お蔭をもちまして、滞りなく葬儀一切を済ませることができました。故人もいまは安らかに彼岸へまいったと信じております。  皆様におかれましては、まことに長時間、いろいろとお手伝いくださいまして、さぞかしお疲れでございましたでしょう。  ささやかな席ではございますが、お口汚しの用意をいたしましたので、どうかおくつろぎの上、精進落としをしていただきたいと存じます。  本日は、どうもありがとうございました・
精進落とし招待客謝辞
 本日は、まことに御愁傷様でございました。私どもとしては、突然のこと故、何もお手伝いすることは出来ませんでしたが、日頃の感謝を込めて、お亡くなりになった松井植雄様へのご恩返しの一端と存じ、会葬させていただきました。にもかかわりませず、この様なご丁寧なご用意までしていただきまして、却って恐縮している次第でございます。しかしながら、精進落としとのお言葉でございますので、遠慮なく頂戴いたします。どうもありがとうございます。  なお、ご遺族の皆様方におかれましては、ご心痛余りあることとお察し申し上げますが、どうかお心丈夫に持たれて、お疲れがでませんようお祈り申し上げます・
逮夜喪主あいさつ
 本日は、お忙しいにもかかわりませず、亡父初七日の逮夜法要にお出でくださいまして、その上お心遣いまでいただきまして、まことにありがとうございます。そろそろ和尚様のお支度も整いましたので始めさせていただきたいと存じます・
逮夜訪問客あいさつ
 本日は、もう初七日とかで、まことに月日の早い思いがいたします。お逮夜のお知らせをいただきましたので参上いたしました。次第に寂しくもなりましょうが、どうかお力落としなく、お元気にお過ごしいただきたく存じます。本日はありがとうございました・
忌明け喪主あいさつ
納骨あいさつがある場合
 本日は、ご多用のところわざわざお越しくださいまして、また、ご丁寧にもお供物まで頂戴いたしまして、お心遣いまことにありがとうございます。葬儀よりこの方、皆様には本当に色々とお世話になりました。お蔭様で、本日で滞りなく亡父の忌明けとなりました。あらためて厚く御礼申し上げます。どうか今後とも相変わりませず、ご交誼、ご指導の程、よろしくお願い申し上げます。  なお、皆様から頂戴いたしました、お心遣いの数々は、故人の遺志を尊重いたしまして、供養のため社会福祉施設に寄付いたしました。お心遣いいただいたご趣旨とは異なる向きもお在りかと存じますが、なにとぞご快諾いただけますようお願い申し上げます。  法要の終わりましたのちに、ささやかではありますが、忌明けの用意をしております。精進落としのつもりでございます、場所を変えまして、どうかおくつろぎいただきたいと存じます。後ほどご案内をいたしますので、よろしくお願いいたします。本日は、どうもありがとうございました。  なお、納骨の儀は三月五日に菩提寺の方で、身内の者だけで済ませるつもりでおります。不便なところでもございますので、ご報告のみ申し上げます・
忌明け法要招待客謝辞
 本日は、もう七七日とかで、まことに月日の早い思いがいたします。ご法要のお知らせをいただきましたので参上いたしました。次第に寂しくもなりましょうが、どうかお力落としなく、ご遺族の皆様のお姿を拝見して安心はしておりますが、お元気にお過ごしいただきたく存じます。本日はありがとうございました・
十三回忌法要施主あいさつ
 本日は、お忙しいにもかかわりませず、亡父の十三回年忌法要にお出でくださいまして、その上お心遣いまでいただきまして、まことにありがとうございます。そろそろ和尚様のお支度も整いましたので始めさせていただきたいと存じます。  法要の終わりましたのちに、ささやかではありますが、酒肴の調えをしております。精進落としのつもりでございます、場所を変えまして、どうかおくつろぎいただきたいと存じます。後ほどご案内をいたしますので、よろしくお願いいたします。本日は、どうもありがとうございました・
七回忌法要招待客謝辞
 佐々木春男様の、第七回忌とかで、まことに月日の経つのが早いという思いがいたします。ご法要のお知らせをいただきましたので参上いたしました。ご遺族の皆様のお姿を拝見して安心はしておりますが、ますますお元気にお過ごしいただきたく存じます。  本日はお招きにあずかりありがとうございました・
悼辞
個人が恩師の場合
 夏の終わりをヒグラシの声に聞く八月の夕べでした。「林先生 ご逝去」の報せを受けました。余りに突然の知らせで、一瞬、頭の中は真っ白になりました。「なぜ、どうして 先生が……」。言葉にならない言葉を繰り返すぱかりでした。二週間程前に、秋の研究大会を楽しみにしているとお便りを戴いたばかりでしたのに。「何かの誤りでは…… 誤りであって欲しい」と虚しい心の中で自問自答したのでした。  思えば、先生に初めてお目にかかったのは、今から三十年前のことです。箱根で開かれた同人グループ懇親会の席上でした。かねてからご著書お作品等を通して、先生のご研究の足跡、また、戦中戦後のロマン溢れる作品の数々、先生を輝く星のように憧れ、敬慕しておりました。  その先生にご拝眉できたあの日の感激は、今も鮮明に私の心のアルバムに残っており、忘れることができません。  酒宴の幕を閉じたその日の夕べのことでした。ホテルの庭園を散策していらっしゃる先生のお姿をお見かけしました。「一度でいい、先生と直接お話をしたい。」。失礼をも省みず「先生、山本です。」と、やっとの思いの一言。「ああ、浜松の山本君……」。その優しく気さくなお言葉。若輩未熟者の私の名前を覚えていて下さったのです。  「人の名前は、その人の命」  常々、先生はそうおっしゃっていました。そしてまた、人の作品に対しても、同じ思いで接していらっしゃいました。  突然の先生のご他界によって、秋の研究大会には あのお元気なお姿、お声を拝することができなくなりました。しかし、私たち同人一人ひとりの胸中に、先生は永遠に生きていらっしゃいます。先生の歩まれた大きな足跡を魂に刻み、ご高恩に応えなくてはならないと一同心に固く誓うものです。  生前、先生がご提言なされ、生涯のお仕事となさっていた「日本わらべうたの採集・集成」については微力ではありますが、私たちは心を合わせて継承してまいります。先生、どうぞご安心くださいませ。彼岸より変わらぬご指導お導き賜りますようお願い申し上げます。  今、こうしてお写真の前に立ちますと、先生の眼鏡の奥からいつもと変わらぬ微笑み、明るいお声が聞こえてきます。「常に青春であれ。志あれ。」。私たちは忘れません、そのお言葉。  どうぞ安らかにお休み下さいませ。さようなら。                                       合掌   2000年11月4日                                     山本 忠・
故人を見舞ったことがある場合
 先日、病院へお見舞いに参りました時、病状も快方に向かっているので、来週あたりには退院できると大変明るい表情をしていらっしゃいました。それなのに、数日も経たない今日、このような悲しい別れになろうとは、なんという天のいたずらでしょうか。痛恨やるせない思いで一杯であります。  新しい町づくりの青写真もでき、ご高覧いただけるのを夢みていた矢先のこと、その大黒柱を失い、途方にくれる私たちであります。それにもまして、退院の日を心待ちにして、連日連夜、看病に当たっていらっしゃいました奥様はじめご家族の皆様方のお哀しみを拝察するとき、慰めの言葉もなく涙に濡れるぱかりであります。  永年、町の文化振興・スポーツの普及に 私事を顧みず献身的にご尽力なされてこられたご功績は、多くの人の知るところであります。  「文化センターの建設、開館」「スポーツの殿堂、広大な体育館の建築」等々、新しい町づくりのヴィジョンの実現に取り組みなさいました。その実現までの道のりには幾多の障害難題もありましたが、町を思い、町民を思う、ひたすらな情熱により一つ一つ解決して、計画を軌道に乗せていかれたのであります。  先生は、利を求め、地位安泰を望む現代の趨勢からは、およそかけ離れた所に生涯の夢を託していらっしゃいました。私たちは、その崇高な探究態度、精神にどれほど多くの触発影響を受けたことでありましょうか。  「足を使え、手を使え、耳を生かせ」のお言葉が、今も耳にありありと焼きついています。ご一緒にあちらこちらと採訪した日々も再び帰らず、あのお元気だったお姿にもお逢いすることができなくなりました。なんという無念。人生の無常。痛惜に耐えません。しかし、先生が残された文化・スポーツセンターは、活発に活動しております。そこに収められた数々の民謡・民話は、心の宝として町民の胸深く刻まれていくものと信じています。  遙か彼岸より、いついつまでも私たちの活動をご覧になっていてくださいませ。お優しい微笑み、温かい眼差しのご遺影を拝するとき、万感胸にせまりて言葉に表すこともできません。  ご冥福をお祈り申し上げます。                 さようなら。                                        合掌  2000年9月15日                                     木村 義・