近思録(朱子学をはじめて学ぶ人のための入門書 )翻訳   [戻る]   近思録(原文・読み下し文)近思録(読み下し文)

(「近思録」の読み方)検索 お薦め本

 近思録・・・朱子学をはじめて学ぶ人のための入門書

 
近思録・・・朱子学をはじめて学ぶ人のための入門書
 解説、  (朱熹/朱子)
 本編
 朱熹のまえがき  まえがきです
 巻1・道体  宇宙や人間についての朱子学の考え方
 巻2・為学大要  学ぶとはどういうことか
 巻3・格物窮理  物事の道理をきわめること
 巻4・存養  心の根本を養い育てること
 巻5・改過遷善克己復礼  過ちを改め、善をめざし、人欲を去り、天理に復すること
 巻6・斉家之道  家庭をきちんと整える方法
 巻7・出所進退辞受之義  正しい出処進退のしかた
 巻8・治国平天下之道  国をきちんと治めて天下を太平にする方法
 巻9・制度  社会制度の整備
 巻10・君子処事之方  君子の物事の処理のしかた
 巻11・教学之道  教育の方法
 巻12・改過及人心疵病  過ちと人の心の悪い点を改めること
 巻13・異端之学  異端の教学を弁別すること
 巻14・聖賢気象  聖人や賢人のようす
 呂祖謙のあとがき  あとがきです
 朱熹/朱子  授業と学習のヒント

第一巻 道体~宇宙をつかさどる道理の正体

(1)
 濂渓先生は、次のように言っています。
 無極(無限)であって太極(根本)です。(それが理です)。
 太極が動いて陽が生まれます。動きがきわまると、静かになります。静かになって陰が生まれます。静かさがきわまると、また動きます。動いたり、静かになったりすることが、互いに原因となって、陰に分かれ、陽に分かれて、陰陽の二気が成立します。
 陽が変化をうながし、陰が合成をうながして、水・火・木・金・土という五行の気が生まれます。その五行の気が順調にめぐりめぐることによって、四季がうつりかわります。
 五行の気は、一つの陰陽です。陰陽の気は、一つの太極です。太極は、もともとは無極です。五行の気が生まれるにあたって、それぞれが独自の法則をもっています。
 無極という真実のもの(理)と、陰陽・五行という精純なもの(気)とが、融合して凝結します。このとき、乾道(拡散する作用)は男性的なものを成立させ、坤道(収斂する作用)は女性的なものを成立させます。その男性的なもの(陽)と女性的なもの(陰)とが、交じりあって働きあって、万物を生み出します。万物は次から次に生まれてきて、変化にきわまりがありません。
 ただ人だけが、すぐれた気(材料)を得ており、万物の霊長となります。(すぐれた気を得て)生体が生まれると、心が発動して知覚するようになります。五行の本性(気質の性)が刺激されて動いて、善事をなしたり、悪事をなしたりして、あらゆる行為となります。聖人は、みずからの行為をきちんと定めるために、仁(やさしさ)・義(ただしさ)・中(過不足のないこと)・正(是非をわきまえること)を用い(本註:聖人の道は、仁・義・中・正だけです)、しかも主静(心を静かに保つ工夫)をして(本註:欲に心を奪われることがないので、静かなのです)、人極(人として当然のあり方)を確立します。
 ですから、聖人は、天地とその徳を同じくし、日月とその明るさを同じくし、四季のうつりかわりとその秩序を同じくし、鬼神とその吉凶を同じくするのです。
 君子は、仁・義・中・正や主静を修めて、幸運にめぐまれます。小人は、仁・義・中・正や主静を軽んじて、不運にみまわれます。ですから、『易経』「説卦伝」に「天の道を立てて、陰と陽と言う。地の道を立てて、柔と剛と言う。人の道を立てて、仁と義と言う」とあり、さらに『易経』「繋辞上伝」に「始めをたずねて、終わりにかえる。ゆえに死生の説が分かる」とあるのです。
 『易経』というものは、まったく大いなるものですねえ。これは、その至りです。

(2)
 誠は、無為(あるがまま)です。心の動き始めが、善悪の分かれ目です。(心の動きが誠だと、善になります。反対に心の動きが誠からはずれると、悪になります)。
 徳(人間が生まれながらに備えている良さ)は、愛することを仁と言い、よろしいことを義と言い、理にかなっていることを礼と言い、道理に通じていることを智と言い、守ることを信と言います。
 性(本当の自分)のままに安んじること、それを「聖=すぐれている」と言います。もと(本当の自分)に戻ってそれをなくさないこと、それを「賢=賢い」と言います。
 確かに存在するのですが、(見たり、聞いたりなど)感覚的にとらえることのできないもの。しかも、すべてに行き渡っているのですが、きわめることができないもの。それを「神=神妙」と言います。

(3)
 伊川先生が言いました。
『中庸』に「喜怒哀楽といった情がいまだ発していない状態、これを中と言う」とあります。その「中」とは、『易経』で「ひっそりと静まりかえっていて動かない」と言われているものです。ですから、『中庸』で「天下の大本」と言われているのです。
『中庸』に「情がすでに発していても(感情的になることなく)ほどよさを保っている状態、それを和と言う」とあります。その「和」とは、『易経』で「感じてついに通じる=直感的に物事の本質がわかる・以心伝心」と言われているものです。ですから、『中庸』に「天下の達道=時と所に関係なく普遍的に通用する道理」と言われているのです。

(4)
 心は一つです。
 ある人は、その本体(性)を指して言います。(本註:『易経』で「ひっそりと静まりかえって動かない」と言われているのが、これです)。
 他の人は、その作用(情)を指して言います。(本註:『易経』で「感じてついに天下のことに通じる」と言われているのが、これです)。
 ただ心を見る観点が違うだけです。

(5)
 乾と天とは同じです。天は、乾の体です。乾は、天の心です。乾とは、健やかであることです。健やかにして弱まらないもの、それを乾と言うのです。
 そもそも天は、まとめて言えば、道です。『易経』の「乾」の説明にある「天ですら違わない」というのが、これです。分けて言えば、その体を天と言い、その主体を帝と言い、そのすぐれた作用を鬼神と言い、その神妙な作用を神と言い、その心を乾と言います。

(6)
 四徳(元・亨・利・貞)の元は、ちょうど五常(仁・義・礼・智・信)の仁のようなものです。分けて言うと四つのなかの一つにすぎませんが、まとめて言うと四つ全部を内にふくみます。

(7)
 天が与えるという点からすると、(本性は)天命となります。物が受け取るという点からすると、(天命は)本性となります。(つまり本性と天命は同一のものです)。

(八)
 鬼神とは、天地万物を生み出すはたらきのあらわれのことです。

(9)
『易経』にある「剥(はがれること)」は、六つある陽のうち五つが剥がれ落ちてなくなっていて、いちばん上にある一つの陽だけが残っている形です。これは、たとえば、よく熟した果実が食べられずに残っていて、(それが地面に落ちて種となり)そこからいずれまた芽が出るといった道理のようなものです。いちばん上にある陽が変化すれば、完全に陰である形になります。しかしながら、陽がまったくなくなってしまう(そして二度と現れない)といった道理はありません。上で変化すれば、下に生まれてきます(たとえば、下に落ちた果実から、再び芽が出てくるように)。そこには一息つく暇もありません(上でなくなれば、次の瞬間、下に現れてきます)。聖人は、こういった道理を明らかにして、陽と君子(りっぱな人)の道は決して滅びることがないことを示したのです。
 もちろん、こういう人もいるかも知れません。
「陽が剥がれ落ちてしまえば、陰ばっかりになるではないか。どうして、そこに陽があると言えるのか」
 それに答えましょう。
「剥は、月に配当すると、十月(完全に陰である月)に相当します。気の消息で言うと、陽が剥がれると坤となり、陽がやって来ると復になります。いまだかつて陽がつきはてたことはありません。上で剥がれ落ちてなくなれば、下にまた生まれてくるのです。ですから、十月は(完全に陰である月であるにもかかわらず)陽月と呼ばれるのです。それは陽がなくなってしまうと誤解されることを心配したからです」
 陰も(陽と)同様です(まったくなくなってしまうことはありません)。ただ聖人が言わなかっただけです。

(10)
 陽の復活は、天地が万物を生む心です。先輩の儒学者たちはみんな、「(動ではなく)静に天地の心が見てとれる」としました。思うに、動き始めこそが天地の心であることを知らないのです。道(道理)を分かっている人でなければ、どうしてこのことが分かるでしょうか。

(11)
 仁(やさしさ)は、世界でいちばん公(公正)なもので、善のもとです。

(12)
「感(外からの働きかけ)」があれば、必ず「応(内からの応答)」があります。一般的に言って、動きがあれば、そのすべてが「感(作用)」となり、その「感(作用)」に対しては必ず「応(反応)」があります。その「応(反応)」がさらに何ものかへの「感(作用)」となり、その「感(作用)」がさらに何ものかの「応(反応)」を引き起こします。そのため、やむことがありません。
 このような「感通の法則」は、道(道理)を知っている人が、暗黙のうちに観察することのできるものです。

(13)
 世の中の道理として、終わればまた始まるものです。そのために長続きして、行き詰まることがないのです。長続きするとは、一定の形におさまることではありません。一定の形におさまれば、長続きしません。その時その時の状況に応じて変わること(臨機応変)こそ、長続きの方法です。天地自然において常に通用する道(道理)、人間社会において常に通用する理(道理)は、道(道理)を知っている人でなければ、どうして分かるでしょうか。


(14)
質問。
 人の本性(性)は、もともと善です。それなのに善くならない人(悪人)がいるのは、いったいどうしてでしょうか。
解答。
 人の本性について言えば、みんな善です。しかし、その才能について言えば、『論語』で「善くならない下愚」と呼ばれている、とてつもない愚か者がいます。そんな「下愚」には、二種類あります。それは『孟子』で「自暴=やけくそ」「自棄=あきらめ」と呼ばれているものです。
 人がもし善(人間が本来もっている善性)によって自分で自分を治めたならば、善くならない人はいません。どうしようもない愚か者でも、じょじょに自分に磨きをかけて進歩向上することができます。
 ただ、「自暴=やけくそ」の人は、善を拒んでそれを信じません。「自棄=あきらめ」の人は、善を捨ててそれを行いません。聖人といっしょにいたとしても、感化をうけて(人間が本来もっている善を回復し)善人になることができません。これが孔子の言っている「下愚」です。
 しかしながら、世の中の「自暴」「自棄」の人すべてが、必ずしもどうしようもない愚か者であるとはかぎりません。なかには狂暴ながら、人なみすぐれた才能や力量のもちぬしもいます。たとえば、暴君だった紂王がそれです。聖人は、そんな人たちがみずから善を捨てている点で、そんな人たちを「下愚」と呼んでいるのです。しかしながら、その人たちが結果的にどうなるかを考えたなら、(自分で自分をダメにしていくわけですから)まったく愚かだとしか言いようがありません。
質問。
「下愚」と言われるほど愚かな人でも、人前ではとりつくろって善く見せようとするのは、いったいどうしてでしょうか。
解答。
 心では善い生き方を捨てているとはいえ、威光を畏れて道理に反した行為を少なくしようとする点について言えば、ふつうの人と同じなのです。ふつうの人と同じなのですから、人が「下愚」になることに関し、本性には何の罪もないということが分かります。

(15)
 存在にあるものが理です。存在をとりさばくのが義(ただしさ)です。

(16)
 動静の変化には限界がありませんし、陰陽の変化には最初がありません。(いずれも無限なものです)。道(道理)を知っている人でなければ、いったいだれがそのことを分かるでしょうか。

(17)
 仁(やさしさ)は、世界でいちばん正しい道理です。その正しい道理を失えば、秩序がなくなり、調和しなくなります。

(16)
 明道先生が言いました。
 天地が万物を生じるにあたって、それぞれに不足があるといった道理はありません。よく思うのですが、世の中には、君主と臣下の関係、親と子の関係、兄と弟の関係、夫と妻の関係において、十分に本分をつくしていない人が少なからずいます。

(19)
 忠信(正直)は、徳を進める方法です。朝から晩までうまずたゆまず努力して、君子(りっぱな人)は「遠く天にあるもの(天理)」にこたえるべきです。
 思うに、「上天のこと(天理)」は、声もなければ、匂いもない、感覚的にはとらえられないものです。天の様子のことを易と言い、天の法則のことを道と言い、天の機能のことを神と言います。天の人への命令、これを性と言います。性に従うこと、これを道と言います。道を修めること、これを教えと言います。孟子はそれに加え、さらに「浩然の気=①宇宙全体に満ちている正々堂々とした元気で、人の活力の源泉。②大らかな気分」を明らかにしました。十分に言いつくせています。
 それで『中庸』では、「神様は、上にいるようでもあるし、左右にいるようでもある」と大事なことを説いて、ただ「誠がおおいかくせないのは、このようなものだなあ」としめくくっているだけなのです。上から下まで、このようにすぎません(すなわち、この世にあるものすべてに理があります)。
『易経』に「形而上のものを道(理)となし、形而下のものを器(気)となす」とありますが、道と器とは分けることのできない一体となっているものなのですから、「道もまた器であり、器もまた道である」と言わなければいけません。ただ道(道理)だけが、「現在」と「未来」といった時間的な区別や、「自分」と「他人」といった空間的な区別にとらわれることなく、時空をこえて存在しています。

(20)
 医学書では、手足のマヒのことを「不仁=仁ではない」と言っています。この言葉は、とてもうまい表現です。
 仁である人は、天地万物をもって一体だとします。すべてが自分なのです。すべてが自分なのですから、すべてを思いやることができます。もし天地万物をもって一体だとできなければ、おのずとすべてが自分とは無関係になります。まさに手足のマヒのようになります。マヒのために、それはもともと自分のものなのだけれども、自分のものではないようになります。ですから、ひろく施し、みんなを救うことができるのは、(天地万物一体の境地に達している)聖人のすぐれたはたらきなのです。
 仁とは、とても説明しにくいものです。ですから、『論語』では、「自分が立ちたいときに人を立てる。自分が達成したいことを人に達成させる。(たとえば、自分があの人だったら、どうされたら嬉しいだろうか、どうされたら嫌だろうかというように)自分にひきかえて人のことを考える。以上が仁を行う方法だと言える」と言うにとどまっているのです。このようにして仁を観察させて、仁の正体についてよく分からせて身につけさせようとしたのです。

(21)
「生まれつき」が「性」の意味です。「性(精神)」は「気(生体)」であり、「気(生体)」は「性(精神)」であるのが、生まれつきです。(人間は精神と生体が一つになって生まれてきます)。
 人が生まれたときには気稟(生まれ方の違い)があるわけですが、そこには当然のこととして善と悪があります。しかしながら、性(本性)のなかにもとから善と悪がそなわっていて、それらがおもてに出てくるわけではありません。幼いときから善い人もいれば、幼いときから悪い人もいます(本註:后稷が、幼いときからとても才知にすぐれていたこと。若敖氏に子越椒が生まれるや、その一族のある人が「その子は必ず若敖氏を滅ぼすだろう」と分かったこと。そういった類いです)。それは気稟があるがためにそうなるのです。
 善は、もちろん性(生まれつき)です。しかしながら、悪もまた性(生まれつき)だと言わざるをえません。というのも、「生まれつき」が「性」の意味だかです。性(本性)については、「人が生まれたときからもっている静なるもの(生きている人にある不動のもの=心の本体)」と説くよりほかにありません。少しでも「気質の性=本能」について説くなら、それは「本然の性=本性」ではありません。
 一般的に人が性を説くのは、『易経』に言う「これを継ぐものは善である」ということを説いているのです。孟子が「性は善だ」と言っているのも、これと同じです。
 そもそも「これを継ぐものは善である」とは、ちょうど水が流れて下っていくのと同じです。(流れ始めた水も、流れ終わった水も)すべてが水です。海に流れつくまで、まったく濁らずにすむ水があります。このときには、水をきれいにするために、人が手を加える必要はありません。また、流れ始めてまもないうちに濁り始めているものもあれば、遠くまで流れていってようやく濁り始めるものもあります。とても濁るものもあれば、少ししか濁らないものもあります。清濁の違いはあるものの、どれも水であることには変わりがありません。
 このようであるならば、人は、濁りをきれいにして、もとの水に戻すことができます。当然、濁りをきれいにするための努力がすばやければ、それだけ早くきれいになります。反対に、濁りをきれいにするための努力がのんびりしていると、それだけ遅くきれいになります。もちろん、きれいになったときには、どちらの場合も同じです。もとの水に戻ったにすぎません。当然のことながら、どこからかきれいな水をもってきて、濁った水ととりかえたわけでもなければ、水の濁った部分を捨て去って、濁っていない部分だけを残したわけでもありません。以上で言う「きれいな水」とは、「性が善であること」のたとえです。ですから、性のなかに善と悪があって、それらが交互におもてに出てくるわけではないのです。
 以上の道理は、天命です(すなわち、だれかが手を加えてそうしたのではなく、もとから自然とそうなっているのです)。すなおに天命に従うこと、それが道です。道に従い、道を修め、それぞれが自分に適した居場所におちつくこと、それが教えです。以上の天命から教えまで、私が自分勝手につけ加えたものもなければ、減らしたものもありません。これは、たとえば「舜は天下の王となったが、それは舜が王になりたかったからではなく、なるべくしてなったのだ」というのと同じです。

(22)
 天地が万物を生む様子を観ます。(本註:周濂渓が看ました)。(すると、そこに仁のはたらきが見てとれます。仁は、生をつかさどっています)

(23)
 万物の生き生きと成長する力がもっとも観察しやすく、これが『易経』で「四徳(元・亨・利・貞)の元は、善の長である」と言われているもので、それがいわゆる仁です。

(24)
 からだ全体が惻隠(思いやり)の心です。(仁は生をつかさどるもので、人間のからだが生まれるのも、もちろん仁によります。そして、惻隠の心も、人間のからだと同じく、仁を起源としています。ですから、「人間のからだ=惻隠の心」となると言えます)

(25)
 天地万物の道理として、たった一つ単独で存在するものはなく、必ず相対するものがあります。(たとえば「寒い」があれば、「暖かい」があります。また、「わたし」がいれば、「あなた」がいます)。すべて自然にそうなっているのです。だれかが手を加えて、わざわざそうなるように仕向けたわけではありません。夜中にそのことを思うたびに、思わず心が楽しくなってしまいます。

(26)
「中」は、「天下の大本」であり、「この世にあって、まっすぐでかたよりがない」といった正しい道理です。「中」からはずれると、よくありません。敬(しっかり)して「中」を失わないようにするのがベストです。
(中=やりすぎることもなく、やり足らないこともなく、ちょうどよいこと。自分の場合で言うと、自分以上でもなければ、自分以下でもなく、本当の自分であること)

(27)
 伊川先生が言いました。
「公(公正)」であると、みんなと一つになります。「私(利己的)」であると、てんでバラバラになります。人の心が顔のように同じでないのは、それが私心だからです。

(28)
 一般的に言って、存在には本末があります。(本=理や本質など。末=気や現象など)。本と末を分けて、それらを別々のものとしてはいけません。掃除や応接(末)がそうあるとすると、必ずそうあるべき理由(本)があるものです。

(29)
 個人主義者の楊子は、(たとえ人のためになるからと言われても)髪の毛一本ぬくことすらしませんでした。
 博愛主義者の墨子は、(人のためになるのなら)頭のてっぺんから足の先まですりへらしました。
 それらはみんな、「中(過不足のない適当な状態)」からはずれています。子莫が中をとる場合にいたっては、楊子と墨子のまん中をとろうとしています。しかし、私には分かりません。いったいどうすれば両者のまん中がとれるのでしょうか。
 本当のことが分かれば、すべてがそれぞれに、生まれながらにして自分にみあった「中」をもっていることが分かります。(自然にそうなっているのであって)別に人がわざわざ手を加える必要はありません。人がよけいな手を加えたときには、もはやそれは「中」ではありません。

(30)
質問。
「時に応じて中(ほどよく)する」とは、いったいどういうことなのですか。
返答。
「中」というのは、とても分かりにくいものです。各人が各人なりに考えて、各人なりに納得することが大切です。まあしかし、とりあえず試しに説明してみましょう。
 部屋の場合で言うと、部屋の中央が「中」です。家の場合で言うと、部屋の中央は中ではなく、表座敷が「中」です。国の場合で言うと、表座敷は「中」ではなく、国の中央が「中」です。このようにして類推していけば、「中」とは何かについて見えてくるでしょう。
 たとえば、仕事をしていて、家の前を通りかかることがあっても家に立ち寄らないのは、仕事のある人の「中」です。仕事のある人が、家にひきこもって、外を歩きまわらないのは、「中」ではありません。家にひきこもって、外を歩きまわらないのは、不遇な人(自分の才能を発揮するチャンスにめぐまれていない人)の「中」です。不遇な人が、家の前を通りかかることがあっても家に立ち寄らないのは、「中」ではありません。

(31)
 でたらめのないこと、それを誠と言います。(自分や他者を)あざむかないことは、その次のことです。
(本註:李邦直が言うには、「あざむかないことを誠と言う」そうです。すなわち、あざむかないことを誠としているのです。徐中車が言うには、「やまないことを誠と言う」そうです。『中庸』には、「至誠はやむことがない」とありますが、やまないことで誠を解しているわけではありません。以上のことに関して、ある人が先生に質問しました。先生は、ここの本文のように言って、李邦直と徐中車の説を否定しました。)

(32)
 理は、ひっそりしていて、とらえどころがありません。(しかし、宇宙に存在する、ありとあらゆるものが、すべてそこに備わっています)。(理は、時空をこえているので)そこに先後の区別はありません。
 これは、たとえば大きな木で言うと、根っこと枝の先とでは、両者は確かに違うものですが、しかし、同じ大きな木の一部であることには変わりがないようなものです。
 そんな理は、形もなければ、きざしもないものの、人の作為によって万物の基準となっているものではありません。理は、万物の基準としてもとからあるものであり、基準は基準でも唯一の基準です。

(33)
 自分自身についてみてみると、あらゆる道理がすでに自分の身にそなわっています。
 たとえば「物は、必ず生まれて成長し、衰退して死滅する。しかし、またそこから何かが生まれる」という屈伸往来の法則が、私たちの呼吸にみられます(すなわち、息を吸うことで大きくなり、息をはくことで小さくなりますが、しかし、次にはまた息を吸って大きくなります)。この屈伸往来(すなわち「……→生→死→生→死→……」というサイクル)は、つまりは道理です。あるものの死から、またそれと同じものが生まれると考える必要はありません。このような万物が次から次に新しく生み出されるといった道理は、自然にそうなっている、やむことのないものです。
 たとえば『易経』にある「復(復活)」の説明に、「七日目に(衰退していた)陽が復活する」とあります。陽の衰退と復活の間には、当然のことながら、とぎれはありません(すなわち「……→陰→陽→陰→陽→……」と連続しています)。陰になっても、そこから必ず陽が復活してきます。「窮すれば通ずる」ものです。その理(道理)は、以上のようになっているのです。生があれば、必ず死があるものですし、始まりがあれば、必ず終わりがあるものです。

(34)
 明道先生が言いました。
 天地の間には、ただ感応があるだけです。さらに何があるでしょうか。(感=外からの働きかけ。応=内からの応答)

(三十五)
質問。
 仁とは何ですか。
伊川先生の返答。
 これはみなさんが自分自身で考えることです。聖人や賢人が仁について語っているところについて、それらを集めてかんがみて、体認するようにすることです。
 孟子は「惻隠の心は仁のあらわれだ」と言っています。後の学者は愛を仁だとしています。しかし、愛は心の作用で、仁は心の本体です。そうである以上、どうして愛だけを仁とすることができるでしょうか。孟子は「惻隠の心は仁のあらわれだ」と言っているのです。すでに「仁のあらわれだ」と言っている以上、それをそのまま仁と言うことはできません。
 韓退之(韓愈)は「ひろく愛すること、これを仁と言う」と言っていますが、それはまちがいです。仁である人は、もちろんひろく愛します。しかしながら、ひろく愛することを仁とするなら、それはいけません。

(36)
 質問。「仁と心は、どのように違うのですか」
 返答。「心は、たとえば穀物の種のようなものです。仁は、その種の秘めている生命力です。情は、その生命力によって、その種が実際に芽を出すことです」

(37)
 義(ただしさ)を解釈すると、宜しいということです。(「宜しい」とは、「道理にかなう」です)。
 礼(ほどよさ)を解釈すると、別というです。(自分にとってほどよいことと、他者にとってほどよいこととは、おのずから別なものです)。
 智(ちえ)を解釈すると、知るということです。(人間には智があるので、いろいろと知ることができます)。
 では仁(やさしさ)を解釈すると、何になるのでしょうか。「目覚めていること」いう解釈をくだす人もいれば、「人」という解釈をくだす人もいますが、どれもまちがいです。孔子や孟子が仁について言っているところを総合して、そこから考えていくべきです。仁を分かるのに二、三年かかったとしても、遅くはありません。

(38)
 性は理です。(「性=人間の本性・本当の自分」と「理=宇宙の根本・万物の根源」とは同一のものです)。
 世の中にある理(道理)は、その根本にまでさかのぼって探求していけば、不善がありません。喜怒哀楽といった情がいまだ発していない状態(心の本体である性)に、かつて不善があったことがあるでしょうか。情がすでに発していても(感情的になることなく)ほどよさを保っていれば、いつでもどこでも善でないことはありません。
 ですから、善悪を言うときには、すべて善を先に言って、悪を後に言っているのです。また、吉凶を言うときには、すべて吉を先に言って、凶を後に言っているのです。また、是非を言うときには、すべて是を先に言って、非を後に言っているのです。
(本註:程伊川著『易伝』に、こうあります。「完成することがあって、はじめて壊れることがあります。壊れることは完成の前にあるものではありません。また、獲得することがあって、はじめてなくすことがあります。何も獲得していないのに、いったい何をなくすというのでしょうか」)

(39)
質問。
 心に善悪はあるのですか。
返答。
 天にあるときには命となり、物にあるときには理となり、人にあるときには性となり、一身をつかさどるときには心となります。(このように、その呼び方はさまざまですが)それらは実際には同じものです。心はもともと善です。しかし、何かを考えたり、思ったりするときには、善もあれば、不善もあります。
 ただし、もし何らかの思いや考えが発しているときには、それを情と言うべきで、それを心と言うことはできません。たとえば、水のようなものです。水はあくまでも水ですが、それが流れて支流となって、東へ行ったり、西へ行ったりするようになると、(もはや水とは言われずに)流れと言われるようになります。

(40)
 本性は天にもとづいていますし、才能は気にもとづいています。気が清らかであると、その才能も清らかなものとなります。気が濁っていると、その才能も濁ったものとなります。才能には、善もあれば、不善もあります。本性には不善はありません。

(41)
 性(本性)は、もともとから徳を完全に備えていて、欠けたところがありません。信は、このように性が徳をもっていることを言い表しているにすぎません。ですから、四端を言うときには、信に関しては何も言われないのです。
(四端とは、惻隠、羞悪、辞譲、是非の四つの情のことです。「性→情」という図式で表すと、「仁→惻隠」「義→羞悪」「礼→辞譲」「智→是非」「信→なし」となります。)

(42)
 天地の心というものは、本来、万物を生かすものです。こういった心があるからこそ、万物が生まれてくるのです。惻隠(思いやり)の心は、人間なりに万物を生かすものです。

(43)
 横渠先生が言いました。
 気は、宇宙いっぱいに満ち満ちていて、のぼったり、くだったり、飛びまわったりしていて、休まることがありません。これが、虚実・動静のきっかけで、陰陽・剛柔の始まりです。
 上昇するものは陽気の清らかなもので、下降するものは陰気の濁ったものです。それらがばったり出会って感じあい、集まって合わさって、風や雨となったり、霜や雪となったりします。
 万物の発展も、山や川の形成も、つまらないカスも、焼けのこりも、すべてが何らかの教えをくれます。(すなわち、すべてに道理があるのですから、どんなものからでも学べます)。

(44)
 いろんな気がいり乱れていて、それらが結合して物質を形成するわけですが、それは人や物といったいろんなものを生み出します。陰と陽の二気は、陰から陽になったり、陽から陰になったりというように循環してやむことがありません。そして、それは天地の大いなる法則を確立します。

(45)
 天は、すべてのものにあって、もれはありません。それは、ちょうど仁がすべてのものにあって、もれがないようなものです。礼法の大綱である礼儀は三百あり、礼法の細目である威儀は三千あるにしても、仁(やさしさ)からはずれたものは一つもありません。(どんな礼儀作法も、相手にいやな思いをさせないための方法です。そして、もし人間にやさしさがなければ、相手にいやな思いをさせたくないとは思わないでしょう)。
『詩経』に、こうあります。「天はここに明らかである。君が外出するときには、天もいっしょに外出する。天はここに明らかである。君が遊びに行くときには、天もいっしょに遊びに行く」。
 天とともにないものは一つもありません。

(46)
 鬼神とは、陰陽二気の良能(すぐれた作用)です。

(47)
 人や物が生まれると、その体を構成するために必要な気が毎日やってきて、成長していきます。(私たちは、成長するにつれて、だんだんと気力が強まるものです)。
 人や物が十分に育つと、今度はその体を構成している気が日に日に散じていって、ついには死滅してしまいます。(私たちは、年をとるにつれて、だんだんと気力が弱まるものです)。
 このとき、気がやってくること、すなわち気が伸びることを言い表したのが、鬼神の神です。また、気が散じていくこと、すなわち気が帰っていくことを言い表したのが、鬼神の鬼です。

(48)
 本性(性)は、万物の唯一の根源で、自分だけがもっているものではありません。(本性においては、自分とみんなとが一つになっています)。ただ大人(人格者)だけが、そんな道理を十分に分かっていて、それを十分に行動に生かすことができます。
 そういうわけで、大人(人格者)は、立つときには必ずみんなといっしょに立つし、知るときには必ずすべてをもれなく知るし、愛するときには必ずみんなを愛するし、人格が完成するときには自分だけが完成することはないのです。
 あの「みずから蔽い塞いで自分の本性に従うことを知らない人(自暴自棄の人)」は、どうしようもありません。

(49)
 一つだからこそ、思いもよらない不思議なはたらきをするのです。(参考:「万物一体」「理一分殊」)。
 これを人の体にたとえて言うと、手も足も一つの自分のものです。ですから、手足に何かが触れると、そのことがすぐに分かるのです。心から手足の先までわざわざ使者を行かせて、その使者が心に帰ってきて手足のことを報告してはじめて、手足に何かが触れたことが分かるわけではありません。
 これは『易経』に言うところの、「感じてついに天下のことに通じる」ということで、また「行かなくても至る」ということで、また「急がなくても速やかになる」ということです。
(人間は、本性として、あらゆる道理をもとから備えています。ですから、外から道理を教わらなくても、内なる道理に気づくことで、道理を知ることができます)。

(50)
 心は性と情を統べています。(心は性と情からなっていて、性は心の本体で、情は心の作用です)。

(51)
 一般的に言って、性(本性)のないものはありません。通じていたり、蔽われていたり、開いていたり、塞がっていたりといった違いが気稟(生まれ方の違い)にあるので、人や物といった違いがあるのです。また、厚かったり、薄かったりといった違いが蔽われ方にあるので、智者と愚者といった違いがあるのです。
 塞がっているものは堅くて開くことができません。蔽われ方の厚い人は、開くことはできるものの、開くのには困難があります。蔽われ方の薄い人は、たやすく開くことができます。開くことができたなら、だれもが天道に達し、聖人になれます。
(通蔽とは、言わば、気質的な違いです。すぐれた気質の聖人は、道理に通じています。劣った気質のもちぬしは、道理に蔽(くら)い人です。開塞とは、言わば、構造的な違いです。人にはだれしも聖人になる道が開かれていますが、物の場合、物は人ではないし、人にはなれないので、当然のことながら、聖人になる道は塞がれています)

第二巻 為学大要~学問をするにあたっての大事な要点

(1)
 濂渓先生が言いました。
 聖人は、天のようになりたいと思います。賢人は、聖人のようになりたいと思います。志のある人は、賢人のようになりたいと思います。
 殷王朝を創始した湯(とう)王(おう)のすぐれた部下の伊尹や、孔子の門人の顔(がん)回(かい)は、大賢人です。
 伊尹は、自分の仕えている王様が堯(ぎょう)や舜(しゅん)といった名君のようではなかったり、一人でも自分の居場所をみつけることができずフラフラしている人がいたりすると、まるで町のまん中でムチ打ちの刑をうけているかのように、その人のために何もできない自分を恥ずかしく思いました。
 顔回は、やつあたりをすることがなく、同じ失敗は二度とくりかえさず、三カ月もの長きにわたり仁(やさしさ)をなくさずにいることができました。
 伊尹が志したようなことを志し、顔回が学んだようなことを学んだなら、①二人をおいこすと聖人になれますし、②二人においつくと賢人になれますし、③二人においつけなかったとしてもよい評判をなくすことはありません。

(2)
 聖人の道は、耳に入って心に残るものです。これをつめば徳行となり、これを行えば偉業となります。かの言葉だけですませる(何も実践しない口先だけの)人間は、とるにたらない人物です。
(りっぱな人は、重厚なので、聞いたことをそのままうのみにしたりなどせず、それについてじっくり考えます。ですから、心に得るところがあります。反対に、くだらない人は、軽薄なので、聞いたことをそのままうのみにして、すぐに口から出します。ですから、心に何も残りません。)

(3)
 ある人の質問。
 聖人の孔(こう)子(し)には、三千人の門人がいましたが、ただ顔(がん)回(かい)だけが「学問を好いている」と言われました。そもそも『詩経』『書経』「六芸(礼法・音楽・弓術・馬車術・読み書き・算術)」について、三千人の門人は、習って分かっていたはずです。それならば、ただ顔回だけが好んだ学問というのは、いったいどんな学問なのですか。
 伊川先生の返答。
 学んで聖人になるための方法です。
 質問。
 聖人には、学んでなれるのですか。
 返答。
 はい、なれます。
 質問。
 その学問の方法は、どんなものですか。
 返答。
 天地は清純な気をたくわえ、五行の気のすぐれたものを得たものを人とします。
 人の性(本性)は、本体という点からすると、真にして静ですし、喜怒哀楽といった情が未だ発していない状態という点からすると、仁(やさしさ)・義(ただしさ)・礼(ほどよさ)・智(ちえ)・信(しんじつ)という五性をそなえています。
 人が(気をうけて)体をもつにいたったとき、外のものが体に触れると、心を動かします。心が動くと、喜び・怒り・悲しみ・恐れ・溺愛・憎悪・欲望という七情が出てきます。そんな情が盛んになり、ますますしまりがなくなると、性はダメにされてしまいます。
 そういうわけで、道理の分かった人は、そんな情をとりまとめて中(ほど)よくさせて、心を正し、性(心の根本)を養います。愚か者はと言うと、情をコントロールすることが分からず、情のおもむくままに流されて邪まで偏ったものとなり、性をしばりつけてダメにしてしまいます。
 そこで学問の方法としては、必ずまず以上のことを心によく分かり、どんな自分になるべきなのか(よりよい自分とは何か)について知り、そのうえで努力してよりよい自分になれるようにします。これが『中庸』に言う「道理に明るくなることによって誠になる」ということです。
 誠になるための方法は、道(道理)を信じることがあつい点にあります。道(道理)を信じることがあついと、(どんな困難があろうとも)道(道理)を思いきりよく行えるようになります。道(道理)を思いきりよく行えるようになると、(どんな妨害があろうとも)道(道理)を固く守ることができるようになります。
 仁(やさしさ)・義(ただしさ)・忠(まごころ)・信(しんじつ)の四つをなくさないようにし、あわただしいときにもそれにのっとり、とっさの場合にもそれにのっとり、社会に出るも出ないも、語るも黙るも、それにのっとります。長いことそのようにしていると、道(道理)を無理なく行えるようになって、起居動作や出処進退は礼(ほどよさ)にあたるようになり、邪まで偏った心もおのずと生じないようになります。
 ですから、顔回は「礼から外れているのなら、見たり、聞いたり、言ったり、したりしないようにすること」に努力し、それを見た孔子は「顔回は、一つ善いことが分かると、それを大切にしてなくさないようにする」と言い、また「顔回は、やつあたりをしないし、同じ失敗は二度とくりかえさないし、自分に不善があれば必ず気づけるし、自分の不善に気づけば二度と行わない」と言ったのです。
 以上が顔回の好んだ学問で、聖人になるための方法です。
 しかしながら、聖人は、別に考えなくても(おのずと)道理をわかり、別に努力しなくても(おのずと)道理を行えます。それと違って顔回は、必ず考えてはじめて道理をわかり、必ず努力してはじめて道理を行えました。顔回は、聖人になるまで、あと一歩のところにいました。顔回が聖人になれなかったのは、ただ聖人の教えを守るだけで、聖人と化すことができなかったからです。しかし、学問好きな顔回のことですから、もし顔回が早死にすることがなければ、短い期間のうちに聖人になることができたでしょう。
 後世の人は、こういったことが分からず、聖人は生まれながらにして道理のわかっている人であり、学んでなれるようなものではないと誤解してしまいました。そして、聖人になるための学問の方法もついに失われ、本当に大切なことを自分自身に求めずに外に求めるようになり、「博聞強記(何でもかでもむやみやたらに暗記すること)」や「巧文麗辞(文章をうまくし言葉をかざること)」を目指し、言うことはりっぱでも、道に至ることのできる人はほとんどいなくなりました。
 つまり、今の学問は、顔回の好んだ学問とは違っています。

(4)
 明道先生は、横渠先生から、次のように質問されました。
 性(本性)を安定させようとしているのですが、どうしても動いてしまいます。このように、なおも外(げ)物(ぶつ)(よけいなもの)にわずらわされてしまうときは、いかにすればよいものでしょうか。
 明道先生は、これについて、次のように答えました。
いわゆる安定とは、動いているときにも安定し、静かなときにも安定することです。将(ゆく)迎(くる)といった時間的な区別もなければ、内(うち)外(そと)といった空間的な区別もありません。
 もし外物を自分に関係ないものとみなし、自分がそれに従うとするなら、これは(性においては万物が一体になっているにもかかわらず)自分の性に自他の区別があるとすることになります。なおかつ性が外物に従うとなると、性が外にあるときに、何ものが内にあるというのでしょうか。これは外物の誘惑をなくすことにばかりに気をとられていて、性に内外の区別がないといったことが分かっていないのです。内(自分)と外(他者)を別物としてしまうと、安定を言うことはできません。
 そもそも天地が恒常で安定しているのは、その心が万物にあまねくいきわたり、私心がないからです。また、聖人が恒常で安定しているのは、その心が万事とうまく調和していて、私情にとらわれないからです。ですから、君子(りっぱな人)として学ぶべきことは、天地や聖人のような、広くてとらわれのない公正な心をもち、万事万物をあるがままに受け入れることのできる度量をもつことにあります。
『易経』に、こうあります。
「心が定まっていれば、吉であり、悔いはなくなる。どっちつかずでふらふらしていると、君についてくるものは同類だけになる」
 もし外物の誘惑をのぞくことにこだわっていると、一方で外物の誘惑をのぞいても、他方で新たな外物の誘惑が生まれているでしょう。時間がいくらあっても足りないだけでなく、思うに、外物は無限にあるので、完全にのぞくことはできないでしょう。
 人の情(心の動き)には、おのおの不完全なところがあります。(たとえば、感情的になると、まちがいやすくなるものです)。ですから、道理にかなったことができないのです。
 おおむね病根は、「自私(自己中心であること)」と「用智(こざかしいこと)」にあります。「自私」であると、あらゆることにおいて偉業をなしとげることができません。また、「用智」であると、自分が本来もっているすばらしい知恵を自然なものにすることができません。今、外物を憎む心で、外物のない境地を心にうつしだそうとするのは、鏡をひっくりかえして、何かをうつそうとするようなものです。(どだい無理なことです)。
『易経』に、こうあります。「(客観的に判断して)とどまるべきところにとどまっていれば、大丈夫だ」
『孟子』に、こうあります。「知恵の悪い部分は、(物事をきちんと客観的に考えずに)無理矢理こじつけるところにある」
「外を悪いもの」「内をよいもの」とするよりは、内外の区別を忘れることです。区別を忘れれば、心はすっきりして平穏無事になります。心が平穏無事になると、安定します。心が安定すると、性(本性・本当の自分)がハッキリしてきます。性(本性)がハッキリすれば、(性においては「みんなが自分」なのですから)どうして外物に応じることをわずらわしく感じたりするでしょうか。
 聖人が喜ぶときには、(客観的にみて)喜ぶべき「もの」を喜びます。聖人が怒るときには、(客観的にみて)怒るべき「もの」を怒ります。これは、聖人の喜怒は、心にかかっておらず、「もの」にかかっているということです。このようである以上、どうして聖人が外物に応じないことがあるでしょうか。となると、どうして外に従うことをまちがいとし、内にあるものを求めることを正しいとすることができるでしょうか。今、「自私」と「用 智」による喜怒を、聖人の喜怒の正しさにくらべてみると、それはいかがなものでしょうか。(正しいと言えるでしょうか)。
 そもそも人の情というものは、発しやすくてコントロールしにくいものですが、そのなかでも怒りがもっともはなはだしいものです。ただ怒りが発したときに、とりあえず一息おいて怒りをおさめ、「怒るべきか」「怒るべきでないか」を客観的に判断するようにすれば、これまた外物の誘惑など憎むにたりないということが分かり、道(道理)とはどんなものかについてもそれなりに分かるようになるでしょう。

(5)
 伊川先生が朱長文に答えた手紙に、次のようにあります。
 聖人や賢人の言葉は、(後世に名を残すためにではなく)やむにやまれぬ理由から書かれたものです。思うに、言葉になっていると、理(道理)がはっきりするものです。言葉になっていなければ、世の中にある理(道理)があいまいになってしまいます。たとえば、日常生活用品が一つでも欠ければ、日常生活にさしさわりが出ます。それと同じように、聖人や賢人の言葉も、やむにやまれぬ必要に応じてなされたものなのです。その聖人や賢人の言葉は、世の中にある理(道理)をとらえつくしていて、またとてもよくまとまっています。
 ここ最近の人は、はじめて書物を手にするときには、(その真意ではなくて)その文章を学びます。その人たちが日ごろ書いていることは、おうおうにして聖人よりも多くなりがちです。しかしながら、それらの著作があったとしても、別に何の参考にもなりませんし、それらの著作がなかったとしても、別に何も困りはしません。つまり、それらは無用の長物なのです。しかも、無用の長物であるだけでなく、そこに書いてあることは要点からズレているので、(それらを読むと)真実から離れ、正しさを失い、かえって道(道理)を学ぶにあたっての害になります。
 あなたの手紙には「後世の人たちに、自分が善く生きることを忘れなかったということを示したい」とありますが、それはまさに世人の私心です(聖人の公心ではありません)。
 そもそも孔子が「世を没して、名の称せられないのをにくむ」と言ったのは、「死ぬまでに、みんなから称賛されるくらいの善行をしたいものだ」ということで、「有名になって後世に名を残したい」ということではありません。
 名声は、人格的にみて中くらい以下の人の励みにはなりますが、君子(りっぱな人)が気にすべきことがらではありません。

(6)
 忠信(正直)を心がけることは、徳を進める方法です。きちんと善し悪しをわきまえて発言し、熱心に志すのは、業(すべきこと)をまっとうする方法です。
 到達すべきもの(何を知るべきか)を知って、それに到達するのは、知(ちえ)を致(のば)すことです。到達すべきものを知ってから、それに到達します。知ること(認識)が先にあるので、「ともにきざしが分かる」のです。いわゆる「条理を治めるのは、智者のことだ」(『孟子』)ということです。
 達成すべきこと(何を行うべきか)を知って、それを達成するのは、力(つと)めて行うことです。達成すべきことを知っていれば、それを熱心に進めて達成します。守ること(実践)が後にあるので、「ともに義をなくさずにいられる」のです。いわゆる「条理を終えるのは、聖人のことだ」(『孟子』)ということです。
 以上が学問の終始です。(学ぶことは、物事の道理を知ることに始まり、そうして知った物事の道理を行うことで終わります。いわゆる「先知後行」です)

(7)
 君子は、敬(しっかり)を中心にすえて心をまっすぐにし、義(ただしさ)を守って行動をきちんとします。敬(しっかり)が確立すると、心がまっすぐになります。義(ただしさ)が形になると、行動がきちんとなります。義は自分から外に形(あらわ)すもので、自分の外にあるものではありません。
(義とは、たとえば善いものは善いとして好み、悪いものは悪いとして嫌うというようにして、みずから善し悪しのけじめをきっぱりつけ、筋を通すことです。たとえば宗教の教えなど、外から私たちに一方的に与えられる徳目は、義ではありません)。
 敬と義が確立すると、徳(自分が本来もっている良さ)は盛んになり、大きくしようとしなくてもおのずと大きくなります。徳はちっぽけなものではなく、①それを使用したなら、何をしても(おのずと)理にかなうようになりますし、②それを実行したなら、何をしても(おのずと)みんなのためになるようになります。だれがこのことに疑いをもつというのでしょうか。(これは疑いようのないことです)。

(8)
 天理のおもむくままに動くこと、それを无妄(まこと)と言います。人欲のおもむくままに動くこと、それを妄(でたらめ)と言います。无妄(まこと)には重大な意義があります。
 邪心がなくても、もし理にかなっていなければ、それは妄(でたらめ)であり、それがすなわち邪心(悪い心)です。(たとえ本人に悪気がなくても、人に危害を与えていれば、それは悪いことであり、そのように客観的にきちんと善し悪しを判断できない心は、未熟な心であり、その点では邪心(悪い心)です)。すでに无妄(まこと)であれば、よけいに動かないことが大切です。よけいに動けば、(无妄からはずれて)妄になってしまいます。
 ですから『易経』にある「无妄」の説明に、「正しくない動機で動くと、わざわいにみまわれる。何をしても、よい結果にならない」とあるのです。

(9)
 人の「蘊蓄(考えの深さや人格の成熟度)」は、学ぶことによって大きくなり、そのためには昔の聖人や賢人の言葉や行いについて多く聞くことです。
 すなわち、①聖人や賢人の生き方について考えて、その効用のほどをみたり、②聖人や賢人の言葉について理解して、その心を求めたりします。そして、それらを心にきざんで徳(自分が本来もっている良さ)をじっくりと熟成させるのです。

(十)
 『易経』にある「咸(感=はたらきかけること)」の全体説明(卦辞)に、こうあります。「君子は、心をからっぽにすることで、あるがままに人を受け入れる」
 それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。「心に我執(とらわれ)がなければ、感じて通じないことはなくなります。受け入れ限度をもうけて相手を受け入れたり、自分にあったものだけを選んで受け入れたりすることは、聖人がやっている、感じて通じるというやり方ではありません」(感じて通じる=感通=①直感的にわかること、②思いが相手の心に通じること)
 また、『易経』にある「咸」の部分説明の四番目(四爻)に、こうあります。「貞であれば、吉であり、悔いはなくなる。どっちつかずでふらふらしていると、君についてくるものは同類だけになる」
 それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。「感じるとは、人の動きです。ですから、咸では、人の身体を例にとって説明してあるのです。四番目の説明は、人の心に相当しています。そこにおいて「その心に感ず」と言われないのは、感じるのが心だからです。感の本来のありかたとしては、通じないことはありません。我執(とらわれ)があれば、感じて通じることの害となります。これが「悔い」です。
 聖人が天下のみんなの心を感じ入らせるのは、たとえば寒暑や晴雨のようなものです(自然現象が人間の生活に影響を与えずにはおかないように、聖人は必ず人々に何らかのよい影響をおよぼします)。このように、みんなに通じないこともなければ、みんなが応じないこともないのは、「貞」だからです。「貞」とは、心がさっぱりしていて、我執(とらわれ)がないことです。
 どっちつかずでふらふらしていて、ちっぽけな私心で相手を感じ入らせようとしても、自分の影響下にある人間なら感じ入らせて動かすことができるでしょうが、自分の影響下にない人間を感じ入らせることはできません。とらわれのある私心をもって、一方にこりかたまったり、一つのことにこだわったりしていると、どうして広くさっぱりした心をもち、すべてに通じることができるでしょうか」

(11)
 君子は、困難や障害に直面すると、必ず「自分にどのような過失があったから、このような困難や障害をまねいたのだろうか」というように考えて自分自身を反省します。そして、①自分にいまだ善くない点があれば、それを改めますし、②自分に不満足な点があれば、さらに努力を加えます。すなわち、徳(自分が本来もっている良さ)をみずから修めていくのです。

(12)
 何をすべきか明らかでなければ、無目的に動くことになります。(冥行=でたらめ)。
 動かなければ、せっかく明らかになったものを実用できません(空明=からぢえ)。

(十三)
 ①自習するとは、かさねがさね自習することです。時間をとってくりかえし自分で考え、心にしっくりするようになると、うれしくなります。②(そうして分かった)善いことを人におよぼすと、信じてくれる人が多くなるので、楽しくなります。③人におよぼすことを楽しんでいても、人から「それは善いことだ」と思われないことがあります。しかし、悶々とすることはありません。それが、いわゆる君子です。
(以上は、『論語』にある次の文章の解説です。「①学んだことをおりにふれて自習する。なんとよろこばしいことではないか。②同じことを学んでいる仲間が(自分の評判を聞いて)遠方からたずねてくることがある。なんと楽しいことではないか。③人に分かってもらえなくてもうらんだりしない。なんと君子ではないか」)

(14)
『論語』に「昔のりっぱな学ぶ人は、自分のためにした」とあります。学問を身につけようとしていたのです。
『論語』に「今のダメな学ぶ人は、人のためにする」とあります。学問で有名になろうとしているのです。
(自分のためにする学問とは、自分をよりよくするためのものです。人のためにする学問とは、人にいばるためのものです。ちなみに、儒学では、「昔」を善い時代、「今」を悪い時代としています)。

(15)
 伊川先生が、方道輔に対して、次のように言いました。
 聖人の道は、大通りのように平坦です(すなわち、だれもが通れる道です)。心配なのは、学ぶ人たちにその入り口が分からないことだけです。その入り口が分かれば、たとえ聖人になるというゴールまで遠い道のりであったとしても、たどりつけないことはありません。その入り口からなかに入りたければ、儒学のテキストによることです。
 現在、儒学のテキストを学んでいる人は、これまた多くいます。しかしながら、「櫃を買いて珠を還す(外側のりっぱさばかりに心をひかれ、内側の真価に気づかないこと)」という故事のようなまちがいを、そのだれもが犯しています。(すなわち、儒学のテキストの表面的な意味しか分かっておらず、そこに秘められた真意が分かっていません)。儒学のテキストは、道(道理)を表現するための手段です。そこに書いてある言葉を暗唱し、そこに書いてある字句を解釈するだけで、道にたどりつけなければ、それは役に立たないカスにすぎません。(無意味なことです)。
 どうかあなたは、儒学のテキストを通して道(道理)を探求し、努力に努力をかさねてください。すると、他日、目の前に立つ高くすぐれたものに出会えるでしょう(すなわち、道理を自得できるでしょう)。そうなると、思わず心が楽しくなり、別に努力しなくても、おのずと学ぶことをやめることができなくなります。

(16)
 明道先生は、次のように言っています。
『易経』にある「言葉を修めて、その誠を確立する」ということに関しては、詳しく分かることが大切です。そこで言っているのは、「(たとえば「自分の言葉にいつわりはないだろうか」というように)自分の言葉を反省できることは、誠を確立するかなめだ」ということです。
 もし(たとえば「どう言えば相手を感心させることができるだろうか」というように)自分の言葉を飾ることだけ考えるなら、それはまちがいなくいつわりをなすことになります。しかし、もし自分の誠の心を確立するために言葉を修めるならば、それは「敬(しっかり)して心をまっすぐにし、義(ただしく)して行動をきちんとする」という実のあることを、自分自身が身をもってよく分かることになります。
 道(道理)とは、とってもひろびろしたものですから、どこから手をつければいいのか分かりません。ただ誠を確立しさえすれば、自分の足場が定まります。自分の足場が定まれば、学問を修めることができます。
『易経』にある「朝から晩まで努力すること」は、とても大切なことです。これをひるがえって言うと、①「忠信(正直)は、徳(自分が本来もっている良さ)を進める方法である」ということを努力する内容とし、②「言葉を修めて、その誠を確立する」ということを学問を修める内容とするということです。
(言葉を修めるとは、ニュアンス的には、たとえば、変なこじつけをしたりせず、論理的であるようにするということです)。

(17)
 伊川先生が言いました。
「道を志すのに熱心であることは、もちろん意(心の動き)を誠にすることにつながりますが、もしあせって理(道理)からはずれると、かえって誠ではなくなってしまいます(不自然になってしまいます)。
 思うに、当然な道理として、おのずから「緩やかなもの」もあれば「厳しいもの」もあるし、おのずから「遅いもの」もあれば「速いもの」もあるものです。あせってはいけません。天地の変化を観察すれば、そのことを知ることができます」

(18)
「孟子は高い才能のもちぬしなので、学びの手本にしようにも、しようがありません。学ぶ人は、顔回を手本にして学ぶといいでしょう。聖人になるのに近くなりますし、努力のしようがあります」
 さらに、こう言いました。
「学ぶ人は、まちがいたくなかったら、顔回に学ぶことが大切です」
(本註:標準があります。(顔回の学び方の標準は、たとえば本巻の「3」にあります))

(19)
 明道先生が言いました。
「しばらくは外事(習慣や作法など)を忘れなさい。ただ善を明らかにすれば、誠の心が育ち、言動が、必ずしもりっぱだとは言えないにしても、悪くはなくなります。自分を律するためのルールが簡単でないと、ゴチャゴチャとわけが分からなくなって、何の効果もあがりません」
(儒学は性善説の立場に立っています。ですから、何が善であるのかの答えは自分自身のなかにあるということになるので、学ぶ人は自問自答して善を自得することが必要となります。)

(20)
 学ぶ人が仁(やさしさ)について深く分かり、それをまちがいなく自分の身につけるためには、義理(道理)で心を養い育てることが必要です。たとえば儒学のテキストの真意について探求することなどが、その心を養い育てることにあたります。

(21)
 昔、周濂渓に教えてもらっていたとき、いつも「孔子やその門人の顔回の楽しんだことは何でしょうか」と質問されていました。いったい何を楽しんだのでしょう。(あなたは、どう思いますか)。
(たとえば「貧にいて道を楽しむ」という言葉があります)。

(22)
「所見(何かについての自分の具体的な意見)」も、「所期(自分がしようと考えていること)」も、ともに遠大でなければなりません。
 しかしながら、それらを行うにあたっては、自分の力量に応じて、じょじょにその実現へと向かっていくことが大切です。
 志が大きくて心が疲れたり、力が小さいのに任務が重大であったりすると、おそらくは結果的に失敗することになるでしょう。

(23)
 友人どうしお互いに議論しあって学習するときには、さらにお互いに相手の善いところを見習う努力を多くするようにするのがベストです。

(24)
 大切なことは、心を大きくし、広くさせることです。たとえば、九階だてのタワーを建てるようなものです。土台がしっかりしていて、はじめて完成させることができます。

(25)
 明道先生が言いました。
「舜は、もとは貧農でしたが、艱難辛苦をのりこえて、名君となりました。また、百里奚は、もとは貧民でしたが、艱難辛苦をのりこえて、名政治家となりました。その人たちのように成熟したければ、その人たちのように艱難辛苦を体験することが大切です」(「艱難、汝を玉にす」)

(26)
 孔子の弟子の曾参は、魯鈍であることによって、本当に大切なことを会得できました。(のろまな人は、かえって他にふりまわされないですむので、その心が散漫にならないのだそうです。心が散漫だと、まさに「心ここにあらざれば、視れども見えず」で、本当に大切なことは見えてこないものです)。

(27)
 明道先生は、「記誦博識(なんでもかんでも暗記してひろく知っていること)」を「玩物喪志(地位や名誉や財産など、表面的な華やかさばかり必要以上に求めて、自分の志を見失うこと)」とみなしました。
(本註:あるとき、儒学のテキストの要点をまとめて、一冊の書物を作りました。すると鄭轂が言いました。
「かつて謝顕道先生に会ったのですが、そのとき先生が言いました。「私が首都で学んでいたとき、古人の善行の話ばかり集めて、一冊の書物を作りました。それを見た明道先生は、玩物喪志だね、と言いました」
 思うに、「心の中につまらぬものをためこむべきでないよ」と言いたかったのでしょう」
 また、胡安国が言いました。「謝顕道先生は、いろんな知識を多く暗記することが学問であると考え、自分を物知りだと自負していました。そして、明道先生に対して、歴史書に書いてあることをまるごと全部、一字ももらさず暗唱してみせました。
 それに対して明道先生は、こう言いました。「あなたは、とても多くのことを覚えているけれど、玩物喪志になっていると言えますね」
 謝顕道先生は、そう言われて、とても恥ずかしくなり、赤面しました。ところが、謝顕道先生は、明道先生が歴史書を読むにあたって、行をおってすらすらと読んでいって、(歴史的背景の解説を参照せずとも)一字もつっかかることがないのを見て、(先生だって歴史的背景を覚えているからこそ、すらすらと読めるのではないかと)はなはだ不服に思いました。
 しかし、その後、謝顕道先生は、反省して自分のまちがいに気づきました。そして、この自分の体験談を話の糸口にして、いろんな知識を暗記している人たちを正しいほうへと教え導きました」
(覚えるために学ぶのではなく、学ぶために覚えるわけです)。

(28)
 礼節と音楽については、礼節だけ重んじて気難しくなったり、音楽だけ重んじて怠惰になったりしないようにすれば、心が正常な状態になります。(礼節は心をひきしまらせ、音楽は心をリラックスさせます)。
(原註:以上はすべて明道の話)。

(29)
 父と子の関係や君主と臣下の関係は、世界共通の定理で、この世にいるかぎり逃れることのできないものです。「天分(天から与えられたもの・天理)」に安んじることができ、「私心(主観や欲望にとらわれた心・人欲)」がなければ、一つでも理に反するようなことをしたり、一人でも罪のない人を殺したりすることはありません。ちょっとでも私心があれば、もはや王者たることはできません。

(30)
 性(精神)を論じて 気(肉体)を論じなければ、不備です。気(肉体)を論じて性(精神)を論じなければ、不明です。性(精神)と気(肉体)を二つに分けて考えるのは、正しくありません。

(31)
 学問を論じるなら、理(道理)を明らかにすることが必要です。政治を論じるなら、根本を分かることが大切です。
(儒学で言う政治における根本とは、たとえば、浮華を去って質実につくことや、流通業(商業)よりも生産業(農業)を重んじることなどです)。

(32)
 孔子の門人の曾點と漆雕開は、すでに道理をあらかた分かっていました。ですから、聖人孔子は、二人の意見に賛同したのです。
(曾點は、理想として、親しい人たちと仲良く楽しく暮らすことをあげた人です。また、漆雕開は、自分に厳しかった人です)。


(33)
 まず根本(本心や本性)を培い養うことが大切です。そうしてはじめて進むべき方向を定めることができます。進むべき方向が定まれば、その到達度の「深い」「浅い」は、本人が努力するか、しないかにかかっています。
(本心や本性を培い養うには、主静・存養・静坐などをするのが有効です)。

(34)
「敬(しっかりすること)」と「義(ただしくすること)」をともに実践することによって、まっすぐ向上していきます。天徳に達するのも、これによります。

(35)
 なまける心が少しでも生じれば、それはまさに自暴自棄です。

(36)
 学ばなければ、老衰します。

(37)
 人の学びが進まないのは、ただ勇ましさが不足しているからです。

(38)
 学ぶ人は、そのときそのときの気分に負けたり、世間一般のならわしに流されたりするようなときには、ただ自分の意志の弱さを責めることができるだけです。(他のせいにすることはできません)。

(39)
 内(こころ)が重厚であれば、外の軽薄なものに勝てます。
 物事の道理を深く分かっていれば、どんな誘惑もちっぽけに見えます。

(40)
 董仲舒は、こう言っています。
「何が正しいことであるかをきちんとわきまえ、利益をはからない(利益よりも正義を重んじる)。どうするのが正しいやり方であるかを明らかにし、成功をくわだてない(成功よりも正道を重んじる)」
 孫思?は、こう言っています。
「胆は大きいほうがいいし、心は細やかなほうがいい。知はまろやかなほうがいいし、行はきちんとしているほうがいい」
 それらはともに模範とすることができます。

(41)
 一般的に、学ぶにあたり、黙って自然と心に分かること、それを「自得(自分で考えて会得すること)」と言います。(こじつけるなどして)あれこれよけいな作為をほどこせば、それはもはや自得ではありません。

(42)
 見たり、聞いたり、思ったり、考えたり、動いたり、為したりするのは、すべて天然自然なことです。人は、それらのなかで、「真(ほんとう)」と「妄(でたらめ)」を見分けることのできることが必要です。

(43)
 明道先生は、次のように言っています。
 学ぶにあたっては、ただ力をつくして勉め励んで深奥へと迫っていき、自分にあったことをすることが必要なだけです。ですから、『論語』に「切実に調べて身近に考えれば、仁はそのなかにある」と言われているのです。
『論語』に「言うことが忠信(正直)で、行いが篤敬(誠実)であれば、まったく見知らぬ異民族の国に行っても、うまくいく。反対に、言うことが不忠信(不正直)で、行いが不篤敬(不誠実)であれば、よく知っている地元でも、うまくいかない。つまり、忠信(正直)と篤敬(誠実)とが、立っているときには自分の目の前にいるようだし、馬車に乗っているときには馬のところにいるようだというくらい、しっかりと身についていてこそ、うまくいくのだ」と言われていますが、これこそが学びです。
 すぐれた資質のもちぬしは、こういったことをよく分かることができ、自分の悪さもすぐに解消して、天地や万物と一体の境地に達します。(すなわち、聖人になれます)。それに次ぐ資質のもちぬしでも、ただ荘(どっしり)し、 敬(しっかり)して、自分を修養していれば、結果的にはすぐれた資質のもちぬしと同じく天地や万物と一体の境地に達することができます。
(○荘=むやみに他人の意見に従ったり、軽率に言動したりしないこと。○敬=自分をしっかり保ち、自分に主体性を確立すること)。

(44)
 忠信(正直)は、徳を進める方法です。言葉を修めて誠を確立することは、業をまっとうする方法です。(言葉を修めて誠を確立することに関しては、本巻の「十六」を参考にされてください)。以上は「乾道(アクティブなやり方)」です。
 敬(しっかり)して心をまっすぐにし、義(ただしく)して行動をきちんとします。以上は「坤道(落ち着いたやり方)」です。


(45)
 一般的に言って、学び始めたばかりの人は、(学ぶにあたって)どこに力をいれればよいかを知ることが大切です。(たとえば、自分に切実なことを学ぶこと)。
 すでにかなり学んでいる人は、(学ぶことによって)どんな力がつくかを知ることが大切です。(たとえば、聖人になれること)。

(46)
 畑仕事をしている人がいて、知力をつくして一所懸命にはたらいていました。それに感心した先生が、門人たちに言いました。
「『易経』にある「蠱」の説明に、「君子は、民を励まし、徳を育む」とあります。君子が努めるべきことは、ただその二つだけです。他にはありません。それらは修己治人の道です」
(修己治人=自分がよくなることで、人を感化して、その人もよくすること)。

(47)
『論語』に「幅広く学んで熱心に志し、切実に調べて身近に考えると、仁はそのなかにある」とありますが、仁に関して、どうしてそのようなことが言えるのでしょうか。学ぶ人は、自分で考えて、そのことが分かることが必要です。そのことが分かれば、上から下まですべて分かります。

(48)
 心が広くても、芯が弱ければ、(主体性がないので)自立できにくくなります。芯が強くても、心が狭ければ、(みんなに嫌われるので)居場所がなくなります。(本註:本巻の「八十九」に収録されている『西銘』は、心の広さについて述べています)。

(49)
 伊川先生は、次のように言っています。
 昔のりっぱな学ぶ人は、ゆったりしていて心によゆうがあり、順序よく着実に学びを深めていくことができました。(「高きに登るには卑きよりす」「下学上達」)。今のりっぱでない学ぶ人は、それとは反対に、(たとえば試験の前の日にする一夜づけのように急いで頭につめこんで)学びをその場限りの話にして、(身近なことをバカにして)「高遠なこと」につとめるだけです。
 私は、杜元凱の言葉を好いています。それは、「海の水が大地にしみこむように、めぐみの雨が大地をうるおすように、ゆったりと着実に学んだならば、疑問は氷がとけるように消えてなくなり、楽しい気分で理にかなうようになる。そのようになってこそ会得できたと言える」という言葉です。
 今のりっぱでない学ぶ人は、おうおうにして孔子の門人の子游や子夏を学ぶに足りない人物だとみなします。(子游や子夏は、学芸にすぐれていました)。しかしながら、その二人の言動は、そんな評価とは反対に、すべて実のあることがらです。近ごろの学ぶ人は、「高遠なこと」を好みますが、それは、たとえば、心を遠くの地で遊ばせながら、体はいぜんとしてここにあるようなものです。(非現実的なことです)。

(50)
 修養によって長生きできること。善政によって国運が増すこと。ふつうの人が聖人になること。それらはすべて、きちんと努力しさえすれば、必ず実現できることです。

(51)
 忠恕は、公平のもとです。徳(自分が本来もっている良さ)が成熟すると、おのずと忠恕になります。それが完成すると、公平になります。(忠は真心、恕は思いやり、忠恕は真心をつくし、相手を思いやることです)。

(52)
 仁の道は、その要点をまとめて一言で言えば、公(公正)ということです。しかし、公(公正)は仁のもとであるので、公(公正)をそのまま仁であるとみなすことはできません。人が公(公正)を身につけるので、仁となるのです。公(公正)とは、単に「自分」と「他者」を同等に見ることにすぎません。ですから、仁であると、恕すること(思いやること)ができるようになるし、愛することができるようになるのです。恕(思いやり)は仁の発露で、愛は仁の効果です。

(53)
 今の人の学び方は、山に登るようなものです。なだらかなところではとても元気がいいのですが、難所にさしかかったとたん、急に元気がなくなります。大切なのは、勇猛果敢に進むことです。

(54)
 人は「つとめて実践することが必要だ」と言います。しかし、それはあさはかな意見にすぎません。自分の本当にすべきことが分かれば、別にわざわざ意志しなくても、おのずとそれをつとめて行うようになるものです。わざわざ「~しよう」と意志することは、よけいな作為にもとづく私心です。(無為すなわち誠ではありません)。さて、そのような無理は、一体いつまで続くでしょうか。

(55)
「それ」を知れば、必ず「それ」を好きになります。「それ」を好きになれば、必ず「それ」を求めます。「それ」を求めれば、必ず「それ」を得ます。(それ=学ぶべきことがら)。
 古人のこういった学びは、生涯にわたってなされたものです。とっさの場合にも、今にも危ないという場合にも、いついかなるときにも、そのように学ぶことができれば、どうして道理を得られないことがあるでしょうか。(必ず道理を自分のものとすることができます)。

(56)
 昔(聖人や賢人の活躍していた時代)の学は一種類で、今(聖人や賢人のいなくなった時代)の学は三種類です。仏教や道教などの異端の学については、ここでは論外です。
 今の学の一つ目は、「(うまい文章を書くことを目指す)文章の学」です。二つ目は、「(書物の字句の解釈にこだわる)訓詁の学」です。三つ目は、「(本当に大切なことを分かるための)儒者の学」です。聖人の道を進もうと思うなら、「儒者の学」をすてることはできません。

(57)
 質問。「文章を作る勉強は、道の害となりますか」。(文章を作る勉強とは、読みやすい文章を書く練習ではなく、人を感動させる文章を書く練習のことです)。
 返答。「害になります。一般的に言って、文章を書くにあたっては、そこに専心しなければ、うまい文章は書けません。もし、そこに専心すれば、心がその一点のみに縛られてしまいます。それでどうして天地と同じくらい大きな心をもてるでしょうか。『書経』に「物をもてあそんで志を喪う=玩物喪志」とありますが、文章を書くのもまた、その「物をもてあそぶこと」にあたります。
 呂与叔の詩に、こうあります。
「学問は、杜元凱のようだと、言葉の解釈にうるさくなる。文章は、司馬相如のようだと、俳優のように人に見せるためのものとなる。ただ孔子の門人たちには、そのように一芸にひいでたものはいない。しかし、(杜元凱も、司馬相如も)孔子の門人の顔回の至った境地にはかなわない」
 この詩は、とてもいいものです。昔の学ぶ人は、ただ心を養うことだけにつとめて、その他のことは学びませんでした。今の文章を書く人は、うまい文章を書くことに専念して、人の目や耳を喜ばせています。人を喜ばせているのですから、俳優以外のなにものでもありません」
 質問。「では、昔は、(昔の聖人たちはりっぱな文章を書き残していますが)文章を書く勉強をしなかったのですか」
 返答。「人は、聖人の書き残した『六経』(儒学のテキスト群)をみて、「聖人もまた、文章を作る勉強をしたに違いない(あれだけりっぱなことを書いているのだから)」と思っています。しかし、聖人は、ただ心のなかに暖めていた深い考えを述べただけで、それがおのずとりっぱな文章になったにすぎません。人は、そのことを知らないのです。いわゆる「徳のある人は、必ずりっぱなことを言う」(『論語』)というわけです」
 質問。「孔子の門人の子游や子夏が「文学」と称せられたのは、どうしてですか(文を学んだのではないのですか)」
 返答。「どうして子游や子夏が、わざわざ筆を手にして、文章を作る勉強をしたりするでしょうか。たとえば「天文をみて時変を察し、人文をみて天下を化成する」(『易経』)という場合の「天文」や「人文」の「文」は、「文章」の「文」と同じでしょうか」

(58)
 心の根本を養うためには、敬(しっかりすること)を用いることが大切です。
 学びを進めたければ、知(ちえ)を致(のば)すことです。

(59)
「(自分はたいした人間ではないから)いちばん大切なことは人にゆずって、さしあたり次に大切なことをしよう」と思ってはいけません。少しでもそのように思えば、それは「自棄(あきらめ)」です。「仁(やさしさ)にいて義(ただしさ)によること」のできない人間とは同じではないにしても、自分で自分をちっぽけなものにしている点では同じです。(仁にいること=仁をなくさないこと。義によること=義にのっとること)。学問に関して言えば、道(道理)を志すようにし、人間に関して言えば、聖人を志すようにすることです。

(60)
 質問。「何かあって、それに対処しなければならないときにも、敬(しっかりすること)を用いればよいのですか」。
 返答。「敬(しっかりすること)とは、心の根本を養うためのものです。何かあって、それに対処しなければならないときには、「義(ただしさ)の積み重ね(積善=善い行いを多く実践していくこと)」を用いることが大切です。ただ敬を用いることを知っているだけで、義を積み重ねること(積善)を知らなければ、かえってすべてをだいなしにすることになります」
 質問。「義とは、理にかなっていることではないのですか」。
 返答。「理にかなっているのは、それぞれのものです(すなわち、万事万物に理があります)。義とは、自分の心がけのことです(すなわち、理にかなったことをしようと努めることです)」

(61)
 質問。「敬(しっかりすること)と義(ただしくすること)は、どう違うのですか」。
 返答。「敬とは、ただ自分をしっかり保つための方法です。義とはつまり、善し悪しをわきまえ、理に従って行動することで、これが義となるのです。もし、ただ敬を守るだけで、義を積み重ねること(積善)を知らないなら、これはかえってまったく何もしていないのと同じです。(訳者註││敬は意識の問題で、義は実践の問題です)。
 たとえば、こういうことです。もし孝行をしようと思うならば、「孝行」というスローガンを心に誓うだけでは、孝行はできません。「どうすれば両親の世話ができるだろうか」とか、「どうすれば両親にほどよい温度の生活環境を提供できるだろうか」とかいうように、その実現方法が分かっていてはじめて、孝行の道をつくせるようになるものです」

(62)
 学ぶ人は、実のあること(本当に大切なこと)につとめることが大切です。名をあげることばかり求めなければ、まちがうことはありません。名をあげることばかり考えていれば、(それは中身のよさよりも見た目のよさを重んじることですから)いつわりをなすことになります。そんな人は、根本がすでに失われているのに、さらにいったい何を学ぼうというのでしょうか。名をあげるためにするのと、利を得るためにするのとでは、確かに清濁が違っています。しかしながら、利心の点では、どちらも同じです。

(63)
 孔子の門人の顔回は、三カ月もの長きにわたって仁であることができました。つまり、私意(エゴ)にとらわれることが、まったくなかったのです。少しでも私意があれば、それはもはや仁ではありません。

(64)
『論語』にあるように「仁である人(聖人)は、困難にたちむかうことを優先し、利益はあとまわしにする」ものです。成果をあげることばかり考えて行うのは、すべて利益を優先しているのです。昔のりっぱな人は、ただ仁の実践だけを考えていました。今のりっぱでない人はみんな、利益を優先しています。

(65)
 聖人になろうという志があってはじめて、ともに学ぶことができます。①学んでよく考えてはじめて、ともに道へと向かうことができます。②考えて心に得るものがあってはじめて、ともに道に立つことができます。③道と一つになれてはじめて、ともに何事にも臨機応変に正しく対処することができようになります。
(ここの文章は、『論語』にある次の文章に関したものです。「①ともに学べるからといって、ともに道へと向かえるわけではない。②ともに道へと向かえるからといって、ともに道に立てるわけではない。③ともに道に立てるからといって、ともに何事にも臨機応変に正しく対処できるわけではない」)。

(66)
 昔のりっぱな学ぶ人は、自分のためにしました。(たとえば、自分をよりよくするために学ぶこと)。そして、最終的には、他者の徳(良さ)をも開花させました。
 今のりっぱでない学ぶ人は、人のためにします。(たとえば、人に自分のえらさをひけらかすために学ぶこと)。そして、最終的には、自分をなくしてしまいます。

(67)
 君子の学びは、日に日に自分を新たにしていくものです。日に日に新しくなっていく人は、日に日に進歩していきます。日に日に新しくならない人は、日に日に退化していきます。進歩がなくて退化しない人はいません。ただ聖人の道だけは、進歩も退化もありません。それは、(時間と空間をこえた、普遍的な)究極点にまで到達しているからです。

(68)
 明道先生が言いました。
「性の静かな人(なにものにも動じることなく、つねにおちついている人)は、きちんと学ぶことができます」

(69)
 心が広くても、芯が強くなければ、だらしなくなります。(たとえば、やさしくできても、厳しくできない人は、優柔不断になりがちです)。
 芯が強くても、心が広くなければ、偏屈になります。(たとえば、厳しくできても、やさしくできない人は、自分勝手になりがちです)。

(70)
 本性が善であるということを知り、忠信(正直)を根本とするのが、『孟子』に言う「まず、その大なる者を立てる(芯をしっかりさせる)」ということです。

(71)
 伊川先生が言いました。「人は、ゆったり、どっしりしていると、学びがしっかりしてきます」
(ゆったり=心が安らかで、おちついているさま。どっしり=むやみに他人の意見に従ったり、軽率に言動したりしないさま)。

(72)
 ①ひろく学び(博学)、②疑問点はほうっておかず(審問)、③よく考え(慎思)、④きちんと判断をくだし(明弁)、⑤熱心に実践します(篤行)(『中庸』)。それら五つのうち一つでも欠けると、それはもはや学問ではありません。

(73)
 張思叔が質問したのですが、それはとても「高遠なこと」でした。
 伊川は、その質問には答えず、少し間をおいてから、こう言いました。
「高いところに達するためには、必ず低いところから登り始めるものです」

(74)
 明道先生が言いました。
「人が学問をするにあたっては、先に基準を設定したりなどしてほしくないですね。もし順序よく、うまずたゆまずやっていれば、おのずと到達すべきところに到達するものです」

(75)
 尹彦明は、伊川と会見してから半年後、はじめて『大学』と『西銘』をみせてもらえました。
(『大学』とは、自己修養のための方法論を述べた儒学のテキストです。また、『西銘』とは、張横渠の書いた論文で、本巻の「89」にあります)。

(76)
 ある人が、「無心(心を無にすること)」を説いていました。
 伊川は言いました。「無心とするのは、正しくありません。ただ「私心を無くする」と言うべきでしょう」

(77)
 謝顕道が、伊川に会いました。
 伊川が言いました。
「最近、どうですか」
 謝顕道は答えました。
「『易経』に言う、「天下、何をか思い、何をかおもんぱからん(天下に何の思いわずらうことがあろうか)」といったところです」
 伊川は言いました。
「まあ、確かにそういった道理もありますが、君が口にするには、まだまだ早すぎますよ」
 伊川は、(厳しい人ですから)すぐに人を必ず鍛練します。そう言ったあと、さらにこう言いました。
「無理のない、自分にあった努力をしてください」

(78)
 謝顕道が言いました。
「私は、明道先生に教えてもらっていたころ、先生に教えられるままにするだけでした。明道先生は、そんな私に、こう言いました。
「君と話していると、まるで酔っぱらいの相手をしているようだよ。むこうに倒れかけているので、こちらに助け起こしてあげると、今度はこちらに倒れてくるしね」
 教えられるがままではいけませんね」

(79)
 横渠先生が『易経』の文章を解説して言いました。
「①「義を精しくし神に入る(道理をよく分かり神の域に達する)」とは、我が心に先の事を見通し(先見の明をもち)、我が身を社会に役立てようとすることです。
 ②「用を利し身を安んじる(社会に役立ち一身を安泰にする)」とは、ふだんから我が身を社会に役立て(社会貢献をし)、我が心を養っていくことです。
 ③「神を窮め化を知る(自然の摂理をきわめ自然の変化を知る)」とは、心を十分によく養えるとおのずとそうなるのであって、無理して考えることで達成できるものではありません。
 ですから、君子(りっぱな人)は、徳(自分が本来もっている良さ)を大切にすること以外のことを、場合によっては考えないのです」

(80)
 身体には「気質の性(本能)」があります。しかし、うまく「気質の性」を自分のコントロール下におくことができれば、「天地の性(人間性)」をなくすことはありません。ですから、君子(りっぱな人)のなかには、「気質の性」を本性とはみなさない人もいるのです。

(81)
 徳(良心)が気(本能)に勝てなければ、気(本能)が「性命(自分の中心)」となります。徳(良心)が気(本能)に勝てば、徳(良心)が「性命(自分の中心)」となります。
 理(道理)をきわめつくし、性(本性)をきわめつくせば、「性命」の「性」は天徳となり、「性命」の「命」は天理となります。(すなわち、天人合一の境地に達します)。気(本能)のなかでどうしようもないのは、生死や寿命だけです。
(もともと人間は善であり、だれもが徳をもっているのですが、気の向くままに流されて生きると、理にかなった生き方も、性にあった生き方もできず、せっかくの徳をだいなしにしてしまうことになります)。

(82)
 すべては天から生まれたものです。(ですから、この世にはもとから悪いものは存在しません)。陽気で明るい心が勝てば、徳性(人間が生まれながらにもっているりっぱな本性)が生かされます。陰気で濁った心が勝てば、物欲のままに行動します。悪さ(物欲)を治めて、善さ(徳性)をまっとうするためには、学びによることが必要です。

(八十三)
 心を大きくすると、万物一体の境地に達します。一体となっていないものが何かあれば、それは心が何かをしめだしているのです。世間の人の心は、見聞や経験といった狭いものにとどまっています。聖人は、性(本性=道理)をきわめつくし、見聞や経験などで心をしばりつけたりしません。
(性すなわち理は、時空をこえた普遍的なものです。これとは反対に、私たちが見聞したり、経験したりできるのは、全時空からみて、時間的にも、空間的にも、そのごく一部にすぎません。ですから、心は、性にのっとると大きくなり、見聞や経験にのっとると狭くなるのです)。
 聖人にとって世界は、自分以外のなにものでもありません。(「すべて」が「自分」なのです)。そういうわけで、『孟子』に「心をきわめつくせば、性が分かり、天が分かる」と言われているのです。
 天は大きくて、すべてをつつみこんでいます。ですから、何かをしめだすような心では、天の心と一つになることはできないのです。

(84)
 孔子が「意」「必」「固」「我」の四つを捨て去ったということは、学びを始めてから徳の完成にいたるまで、そのすべてに適用される教えです。
「意」とは、よけいなことを考えることです。
「必」とは、何か見返りを期待することです。
「固」とは、自分だけが絶対に正しいと信じ、他人の意見にまったく耳をかさないことです。
「我」とは、自他を差別することです。
 それらの一つでもあれば、天地と調和しなくなります。
(朱子によると、「意=私意(わがまま)」「必=期必(きたい)」「固=執滞(とらわれ)」「我=私己(エゴ)」です。「期必」とは、見返りなどを期待することです)。

(85)
『論語』にある「上達」とは、天理に戻ることで、「下達」とは、人欲に従うことなのかもしれません。(天理を存して人欲を去れば、「上達」できます)。

(86)
 知(ちえ)が高いとは、まさに天であり、形のないものです。宇宙の表も裏もすべて知っているなら、その知は高いですが、知がそこまで高まっても、礼によってそれを身につけなければ、自分のものにできているとは言えません。(知=理を知ること。礼=理にかなった行いをすること)。
 ですから、知と礼とが完全に身についてから、道義(道理)が出てくるのです。これはたとえば、天と地とが定まってから、いろんな変化が起こるようなものです。(天と地のどちらか一方でも欠ければ、世界は不安定になるように、知と礼のどちらか一方でも欠ければ、人間は不安定になります)。

(87)
 困難が人を進歩向上させるのは、困難に出会うと、徳(自分が本来もっている良さ)がはっきりするし、すぐさま心がゆさぶられるからです。そういうわけで、『孟子』に「すぐれた徳性(人間が生まれながらにもっているりっぱな本性)やたくみな知恵のある人は、必ず過去に何らかの困難を経験している」と言われているのです。

(88)
 ①言うことにはりっぱな教えがふくまれていること。
 ②行動は人の手本となりえるようにすること。
 ③昼間は実践につとめること。
 ④夜は静かに考えて得るところがあること。
 ⑤一息の間にも心を養うこと。
 ⑥一瞬も自分を見失わないこと。


(89)
 横渠先生の書いた『西銘(訂頑)』に、次のようにあります。
 乾(天)は父で、坤(地)は母です。自分というちっぽけな存在は、そのなかに混然として存在しています。(自分は天地の一部なのです)。
 ですから、天地の間に充満している気は、自分の身体そのものです。天地をコントロールしている理は、自分の本性そのものです。人は、自分の兄弟です。物は、自分の仲間です。皇帝は、わが父母たる天地の長男です。その大臣は、わが家の執事です。
 世間の高齢者を大切にすることは、わが家の高齢者を大切にすることです。世間の弱者を慈しむことは、わが家の弱者を慈しむことです。聖人とは、わが父母たる天地と同じ徳をもった人です。賢者とは、わが父母たる天地のようにすぐれた人です。およそ世間にいる身体障害者や天涯孤独な人はみんな、苦境をうったえることのできない、わが兄弟です。
 自分を大切にするのは、わが父母たる天地に対する子のつつしみです。人生を楽しみ逆境を気にしないのは、わが父母たる天地に対する子の純粋な孝行です。わが父母たる天地の本性である理に反することを、背徳と言います。わが父母たる天地の心である仁を害することを、犯罪と言います。
 悪いことをする人は、わが父母たる天地のできの悪い子供です。善いことをする人は、わが父母たる天地によく似たできのいい子供です。
 天道を知ることは、わが父母たる天地の事業を完成させることです。天徳をきわめることは、わが父母たる天地の意志を継承することです。「たとえ神様に見られても恥ずかしくない」と言える人は、わが父母たる天地に恥ずかしい思いをさせないりっぱな子供です。本心を保ち、本性を養う人は、わが父母たる天地によくつかえているりっぱな子供です。
 酒におぼれると人間をダメにしてしまうという理由でうまい酒を遠ざけるのは、禹王がした孝行のようなりっぱな行いです。英才を育てるのは、とても孝行者だった潁考叔がまわりの人を感化して孝行者を増やしたようなりっぱな行いです。舜に功があったことには、舜はダメな父に一所懸命につかえ、ついにはダメな父をよい父に変えました。申生が恭(きちんと)していたことには、申生は親から無実の罪に問われても逆らうことなく、それに甘んじて死を選びました。親(父母たる天地)からもらった体を死ぬまで大切にする人は、まるで曾子のような孝行者です。親(父母たる天地)から与えられた命令をすべて遂行するようにつとめる人は、まるで伯奇のような孝行者です。
 富貴や幸運は、わが父母たる天地が自分を応援してくれているのです。貧賎や悲運は、わが父母たる天地が自分を鍛えてくれているのです。生きているときには、わが父母たる天地に逆らうことなくつかえ、死ぬときがくれば、安らかに死んでいきます。
(本註:明道先生が言いました。
「『西銘』に書いてあることは、とても味わい深くて、洗練されたものです。秦王朝や漢王朝の時代以来、ここまで到達できた人はいません」
 さらに、こう言いました。
「『西銘』という論文は、文句のつけようがないくらい十分な内容のもので、それを読めば仁とは何かについて分かります。学ぶ人は、その内容を体認して、自分自身のものとすることができれば、高い境地に到達します。そして、高い境地に達すると、『西銘』から一味ちがった印象をうけとることができます。しかし、高遠なことに心をはせてはいけません。そんなことをしていると、道の理解において何の役にも立ちません」
 さらに、こう言いました。
「『西銘』をよく読んで心をりっぱにすると、天徳に達することができます」
 さらに、こう言いました。
「游酢は、『西銘』を手に入れて読むと、氷がとけるようにさっと理解して、「これは『中庸』の根本的な部分について述べている」と言いました。游酢は、行間を読み、その真意を分かることができています」)
(本註②:楊中立が質問しました。
「『西銘』では、理論的なことについて述べていても、その具体化について考えていません。おそらく、あのままいくと、単なる墨子の博愛主義になってしまうでしょう。これに関して、どう思われますか」
 伊川先生は言いました。
「横渠の書いたもので、いきすぎがあると言えるのは、『正蒙』です。『西銘』は、物事の道理をおしはかった意義のあるもので、聖人がほのめかすだけで言わなかったことをハッキリさせたものです。それは、孟子の性善説や養気説と同じくらいの業績です。どうして墨子なんぞと比べることができるでしょうか。
『西銘』は、「理一にして分殊=理は一つであり分は異なること」を明らかにしています。墨子の場合だと、「二本にして無分=もとは二であり区分がない」です。分殊のもつ弊害は、私心が勝って仁を失うことにあります。無分のもつ罪過は、区別なく愛して義をだいなしにすることにあります。万物それぞれにある理から根本的な一つの理を推察して、私心が勝つのをとどめるのは、仁を行う方法です。区別せずに博愛に迷い、親を捨てるに至るのは、義をそこなうものです。
 あなたが『西銘』を墨子の博愛主義とくらべ、『西銘』の主張と墨子の主張は同じだとするのは、まちがいです。『西銘』の主張は、そこに書いてあることを人に行わせて、それを具体化しようとしています。それにもかかわらず、具体化について考えていないと言うのは、おかしなことではないでしょうか」)。

 また、横渠先生の書いた『東銘(?愚)』に、次のようにあります。
 つまらぬ発言は、あれこれ思うことから生まれますし、たわけた行動は、あれこれ謀ることから生まれます。そして、そのつまらぬ発言は、自分の声として出てくるものですし、そのたわけた行動は、自分の手足の動きとして出てくるものです。それにもかかわらず、(自分のまちがいを認めずに)「それは自分のせいではない」と言うのは、どんなものでしょう。そんな人は、人から信じてもらおうとしても、どだい無理です。もちろん、過った発言は、心からのものではありませんし、過った行動は、誠のものではありません。それにもかかわらず、それら言動の過失を「それが本当の自分だ」と言うのは、自分をいつわっているのです。また、他人を自分の考えに従わせようとするのは、その他人をいつわらせることです。
 ある人(A)は、本気の言動を、みんなからまちがっていると非難されたために、「あれは単なるたわむれだ」と言って、責任逃れをします。また、ある人(B)は、その言い方や行い方がまずかったために誤解されたにすぎないのに、(自暴自棄になって)「それが自分の本心だ」と言って、自分をいつわります。そのような人は、心からまちがっていることが本当に悪くて、表面的なまちがいは本当に悪いわけではないということを知らないのです。しかも、それだけでなく、前者(A)は傲慢さを増長させ、後者(B)は過失をつらぬきます。これ以上はなはだしい愚か者は、はたしているでしょうか。
(本註:横渠の教室の西側の窓のところに『訂頑=かたくなな連中を正すこと』という論文を掲示し、東側の窓のところに『?愚=愚か者を治療すること』という論文を掲示していました。
 伊川は、「いずれ争いのもとになるにちがいない」と考えて、『かたくなな連中を正すこと』を『西銘』と改名し、『愚か者を治療すること』を『東銘』と改名しました)。
(伊川が横渠の論文の題名を変えた理由として、次のような説があります。①その題名が過激なので、他の学派との争いのたねになると考えられたから。②もとの題名をみる限りでは、両方の論文が同じ内容のものに見えるので、それを学ぶ人たちが両者は同じことを述べているのか、両者は違ったことを言っているのかで争う恐れがあるから)。

(90)
①自分をりっぱな人にしたいと思うのなら、必ずまず重厚にして、自分をしっかり保つことです。(重厚=むやみに他人の意見に従ったり、軽率に言動したりしないこと)。
②重厚にし、学ぶことを知れば、徳(自分が本来もっている良さ)が進み、かたくなでなくなります。
③忠信(正直)が徳を進めます。
④ただ、すぐれた古人の教えに友のように親しみ、今のすぐれた人に教わることです。
⑤すぐれた人と親しくなりたければ、自分にまちがいがあったときには、ためらうことなくそれをすなおに改めるようにすることが大切です。
(『論語』に、こうあります。「①君子は、重厚でなければ、威厳がありません。②学べば、頑固ではなくなります。③忠信を第一にし、④自分より劣った人を友人としてはなりません。⑤まちがったなら、ためらうことなく改めなさい」)。

(91)
 横渠先生が、范巽之に言いました。
「私たちがりっぱな古人におよびもつかないのは、いったいどこが悪いからだと思いますか」
 范巽之は、分からないので教えてほしいと言いました。
 先生は言いました。
「これは分かりにくいことではありません。私がこのような質問をしたのは、学ぶ人たちに、このことを念頭において、忘れないようにしてほしいと思ったからです。できれば、そのことについて自分で考えてみてください。そうすれば、いずれハッキリと分かり、まるで深い眠りからめざめたような、すがすがしい気持ちになれるでしょう」

(92)
 心を定めることについて、まだよく分かっていないときには、つまらぬよけいなことを考え、いろんな疑念が生まれてくるので困ります。どこにどう心を定めればよいのかについて、すでによく分かっていても、講治(学問をして身を修めること)の粗雑さが気になって困ります。しかしながら、講治の粗雑さを気にすることは、それへの熱心さを高める役に立つので、別に悪くはありません。
 人が「本当に正しいこと」を知りたがるのは、心の迷いや悩みを解消したいからです。心の迷いや悩みが解消すると、川の水が堤防をつきやぶって流れ出すように、人生を勢いよく進めるようになります。
『書経』に、「高ぶる気持ちをおさえてへりくだり、不断の努力をしていると、身の修まり方がまちがいなく向上する」とあります。ですから、孔子のようなすぐれた才能のもちぬしでも、(自分のすぐれた才能を誇ったりせず)きちんと努力して「本当に正しいこと」を探求したのです。それなのに現在、昔の偉人の足もとにもおよばない才能しかもっていないくせに、何もせずになりゆきまかせにしている人がいます。しかし、それでりっぱになったという話は、聞いたことがありません。

(93)
 善を明らかにすることが(学ぶにあたっての)根本です。そうして明らかになった善をしっかりと守っていけば、自立できます。その善をたんねんに伸ばしていけば、偉大になります。その善を軽視すれば、小者になります。偉大になるか、小者になるか、すべては本人次第です。

(94)
 今はただ、「①徳性(人間が生まれながらにもっているりっぱな本性)を尊ぶこと=心を養うこと」と「②学問をすること=物事の道理をきわめること」に心がけてください。③そして、毎日、「学問のやり方において、よくないところはないだろうか」とか、「徳性の促進において、なまけているところはないだろうか」とかいうように、自問自答してください。こういうこともまた、『論語』にある「博文約礼=ひろく学んで理をきわめ、その理を体現してしめくくること」や「下学上達=身近なことを学んで、高遠な境地に達すること」などといった君子の学び方の一種です。このようにして自分をいましめ、努力します。一年くらいそのようにしていると、どうして人格的に成長しないことがあるでしょうか。
 ①大切なことは、毎日、少しでも進歩向上することをめざすことです。(自分自身をふりかえってみて)自分のいたらない点を知り、それを改善して、よくない点を少なくしていきます。これが徳性を進めるのに役立ちます。
 ②書物(古典)を読んで義理を探求します。そして、大事なところを書きとめたノートを作るにあたっては、要点をまとめることについてよく分かっていることが大切で、あれこれと多くの言葉を書きとめすぎてはいけません。また、昔の偉人たちの言葉や行動についても学びます。これが学問を進めるのに役立ちます。
 ③少しの時間もむだにしてはいけません。毎日、以上のように努力したなら、三年もすれば、進歩していることでしょう。

(95)
 ①天地のために心を立てます。
 ②人々のために道を確立します。
 ③今はなき聖人のために断絶した学問を復興します。
 ④万世のため太平を開きます。
(以上は、学ぶ人の心意気です。)

(96)
 私(張横渠)が学ぶ人にまず礼法を学ばせるのは、礼法を学ぶと、身にまとわりついた世間のつまらぬ慣習から自由になれるからです。
 たとえば、木にまとわりついたツル草をとりのぞくと、その木はスイスイと大きく育つことができるものです。もし、世間のつまらぬ慣習から自由になることができたなら、その人は、おのずとすっきり、さっぱりします。また、礼法を学ぶと、自分をしっかり保つことができます。(なにものにも動じることはありません)。

(97)
 大切なことは、心のとらわれをなくし、ゆったりさっぱりし、公平であるようにし、そうしたうえで道(道理)を探求することです。すると、道(道理)について分かります。もちろん、徳性(人間が生まれながらにもっているりっぱな本性)がもとから広大であることは、言うまでもありません。
『易経』に「自然の摂理をきわめ、自然の変化を知るのは、徳(自分が本来もっている良さ)の盛んな状態だ」とあります。あさはかな心で、どうして会得できるでしょうか。

(98)
 多くの人は、年上になると、年下の人にたずねて教えてもらうことができません。ですから、分からずじまいで一生を終えることになります。また、先覚者だと思われている人は、分からないことがあっても「分からない」と言うことができません。ですから、後輩にたずねて教えてもらうことができません。たずねて教えてもらおうとしないので、場合によっては知ったかぶりをして、他人や自分をだますこととなり、けっきょく一生を分からないままで終わります。

(99)
 いくら多く経験したとしても、天下のことをすべて知りつくすことはできません。もし経験だけで天下のいろんな出来事や事件に対処しようとすると、かつて経験したようなことなら、もちろん経験だけで対処できますが、いまだかつて経験したこともないことに出会ったときには、ゆきづまってしまいます。

(100)
 学ぶことによる大きなメリットは、みずから気質の偏ったところをほどよい状態へと変化させようとする点にあります。(気質の偏ったところをほどよい状態へと変化させる=たとえば、自分の主観的な見方を捨てて客観的な見方ができるようになる)。
 そうでなければ、すべて『論語』に言うところの「人のためにする(地位や名声を得るために学問をする)」という弊害におちいってしまい、けっきょく何も心に得るところがないままで終わり、聖人の達した奥深い境地を知ることができません。

(101)
 文(文章、文芸、装飾、法度など)は、細かく見きわめることが必要です。
 心は、大きく解き放つことが必要です。

(102)
 何の疑問も生じないのは、ちゃんと学んでないからです。ちゃんと学んでいれば、必ず何らかの疑問が生じるものです。実際にやってみて、なかなかうまくいかないこと、それが疑問となるべきことです。

(103)
 心が大きいと、あらゆるものすべてとの関係がうまくいきます。
 心が小さいと、あらゆるものすべてとの関係がぎくしゃくします。

(104)
 人は、忙しくて学ぶ時間がなくても、学ぶことを心に忘れてはいけません。もし学ぶことを心に忘れなければ、たとえ日常の仕事であっても、それがそのまま学びの実行となり、道(道理)から離れていくことはありません。もし学ぶことを心に忘れたならば、たとえ一生ずっと学問をしていても、それは単なる俗事にすぎません。

(105)
 主客を合一し、自他を公平にします。そこに道(道理)のあらましをみてとれます。(道すなわち理は、渾然一体なものです。ですから、道に到達した人は、「すべてが自分だ」という境地に達し、公平無私になります)。

(106)
 学んでいて、成功することを第一に考えたなら、それは学ぶことの害となります。成功することを第一に考えていると、あれこれ無理なこじつけをしたり、新奇なアイデアを出そうとしたりして、いろいろとめんどうなことを引き起こします。徳(自分が本来もっている良さ)が十分に成熟していないときに、成功をおさめようとばかりするのは、大工にかわって木を切るようなもので、必ず痛い目にあいます。

(107)
 こんなことが心配です。孔子や孟子の死後、いろんな儒学者がそれぞれ説を立てて、うるさく論争しています。しかし、それらはすべて、要点をとらえることも分かっていなければ、根源をきわめることも分かっていません。自分の説を立てることばかりに勇み、たいした資質のもちぬしではないにもかかわらず、後世に名を残すことばかり考えています。
 しかし、道理の分かった人からみれば、(いくら口できれいごとをならべたとしても)そんなことは一目瞭然です。そんな人たちは、たいていの場合、自分の力量を分かっていません。そんな弊害はさっさとなくして、「自分の誠(自分の本来の姿=本当の自分=本性=道理)」をもくもくと養うことです。
 ただ心配なのは、(人生が短くて)日数が不足して、それをなしとげることができないかもしれないということです。

(108)
 学びがまだ十分に深まっていないのに、臨機応変の対応について好んで語る人は、必ずや最後には大失敗をしでかすことになります。
 思うに、臨機応変の対応は、軽々しく論じることのできないものです。もし学び始めたばかりの人がいきなり臨機応変の対応について語るのなら、その人はすでに学び方をまちがっています。
(朱子学では、道理に精通すれば、うまく臨機応変の対応をできるようになるとします)。

(109)
 およそ中身をかくして見せないのは、進歩向上を求めないからです。道理に関して自分の会得したことや自分の到達したことについて何も言わない人がいますが、それではその人の中身が分かりません。それは(自分の理解があさはかだったときに恥をかくのが嫌なだけであって)人の教えに謙虚に学ぼうとしているわけではありません。

(110)
 外に気をとられて、外事(よけいなこと)にかかずらっている人は、実のところ、だらけていて、自分で自分を治めていないのです。そのような人は、人の善し悪しを言うだけで、反躬(はんせい)することができません。
(反躬=自分自身の悪い点をきちんと反省して、それを改善して、自分で自分を高めていくこと)。

(111)
 学ぶ人は、①志が小さかったり、②気持ちが軽々しかったりしてはいけません。
 ①志が小さいと、満足しやすくなります。満足しやすいと、(困難をのりこえて)前進する力が弱くなります。
 ②気持ちが軽々しいと、知らないことでも、すでに知っているつもりになったり、学んでいないことでも、すでに学んだつもりになったりします。

第三巻 格物窮理~物事の道理をきわめる

(1)
 伊川先生が朱長文に答えた手紙に、こうあります。
 心が道(道理)に精通すると、たとえば計量器を使って重さをはかるときのように、きちんと是非を判断することができます。『孟子』に「言を知る(その人の言葉を聞くと、その人の是非が分かる)」とありますが、これはそのことを言っているのです。
 心が道(道理)に精通していないのに、古人の是非を判断しようとするのは、まさに計量器を使わずに重さをはかるようなものです。目をこらし、知能をふりしぼれば、ときにはピッタリと言い当てることができるかもしれません。しかし、それは、古人が「おもんぱかれば、しばしばあたる」(『論語』)と言っていることでして、君子が重んじるべき方法ではありません。

(2)
 伊川先生が、門人に答えて言いました。
 孔子や孟子の門人たちが、みんながみんな、どうしてすぐれた人だったと言えるでしょうか。とうぜん凡人もたくさんいました。凡人の観点から聖人や賢人をみると、(凡人はまだまだ考えが浅いので)聖人や賢人について分からないことがたくさんあります。ですから、ひとまず自分の考えをわきにおいて、(聖人や賢人の真意を知っている)先生の言うことをあるがままに受け入れることです。そして、それについてじっくりと考えたなら、聖人や賢人の真意について分かるでしょう。
 今、みなさんは、私の意見がみなさんの意見と少しでもくいちがうと、そのままほうってしまいます。ですから、お互いに意見の一致をみないままで終わってしまうのです。(食わず嫌いで)すぐにほうってしまわずに、それについて考えて(味わって)みてください。それが知(ちえ)を致(のば)す方法です。
(知を致すとは、自分の知恵をとことんまで伸ばすことです。人間には知恵があるので、いろんなことを知ることができます)。

(3)
 伊川先生が、横渠先生に答えて言いました。
 論じているところには、その全体にわたり、苦心し努力しているようすはありますが、大らかさも穏やかさも感じられません。知恵にもとづいて自然に判断をくだしているのではなく、無理に理屈をつけて結論に到達しているので、主張がしばしば偏り、論理があちこちでゆきづまり、やや理にかなっていないところがときどき出てくるのです。(本註:知恵にもとづいて自然に判断をくだすとは、たとえば目で見て、それを細かいところまで詳しく分かるようなものです。無理に理屈をつけて結論に到達するとは、たとえば物におおよその見当をつけ、そのだいたいのところをあらかた見るだけのようなものです。まちがわないことがあるでしょうか)。
 願わくば、考える力を十分に養い、義理(道理)にだんだんとなじんでいってください。そうすれば、いずれ心がのびのびしてくるでしょう。(そして、おのずと知恵も伸びてくるでしょう)。
(知恵とは、物事の道理や善悪や真偽などをわきまえ知る能力で、人にもとから備わっています)。

(4)
 自分が本当に分かったかどうかを知りたければ、心のようすを観察してみることです。
 考えることによって分かり、心のなかがほがらかで、ゆったりとして余裕があれば、本当に分かっています。
 考えることによって分かっても、心が疲れて元気をなくしているのであれば、本当に分かっていません。むりやりおおよその見当をつけているにすぎません。
 以前に「このごろ、道(道理)を学んで考えすぎたので、心が衰弱した」と言う人がいました。しかし、それはまちがいです。人の体には、もちろん衰弱や亢進があります。聖人や賢人ですら、病気にならないことはありません。しかし、昔から、「聖人や賢人が、道を学んだために心が病気になった」という話は、聞いたことがありません。
(中国医学では、病気の原因の一つとして虚実をあげています。虚とは、足りないことです。実とは、多いことです。たとえば、栄養が足りないと栄養失調で体を害しますし、栄養が多いと肥満で体を害します。なお、ここでは、便宜上、「虚=衰弱」「実=亢進」と訳してあります。)

(5)
 現在、人々が怪しげなオカルト話をすぐに信じてしまうのは、まず理(道理)にもとづいて判断しないからです。
 もし、それらのオカルト話をいちいち実際に検証して判断を下すなら、その手の話はつきることがないので、きりがありません。
 大切なことは、ただ学びを通して「それが理にかなったことであるかどうか」を考えて判断を下すことです。

(6)
 学ぶことは、考えることにもとづきます。

(7)
 いわゆる「月に一回は仁を実践できること」と、「三カ月もの長きにわたって仁を実現できたこと」とは、表面的には(ともにそれなりに仁を実現できているのですから)どちらも同じようなものです。しかし、その中身のあり方はまったく違います。心をこらして考え、それの言わんとしていることを黙って心に分かることが大切です。久しく思索していれば、自得できるでしょう。
 学ぶ人は、まあ本人が聖人になるために学ぼうとしなければそれまでですが、そうでなければ、聖人の生き方について調べ、考えてみることです。(人の意見をそのままうのみにしてしまうような)単なる言葉のうえだけの理解であってはいけません。それは(たとえば「A」「B」「C」「D」というように)ただ単に文字について話しているのと同じです。(まったく無意味です)。

(8)
 質問。「忠信(正直)によって徳を進めることは、もちろん努力できます。しかしながら、知(ちえ)を致(のば)すことは、難しいものです。どうしたものでしょう」
 伊川先生の返答。「もちろん、学ぶ人は努力して当然です。しかしながら、まず知ってこそ、はじめて行うことができるものです。もし知らなければ、ただ昔の名君の堯のようすを見て、その見た目をまねるだけになります。(こうして意味のない行動をすることになります)。心に堯のような聡明叡知が豊かになければ、どうして堯のように、「何をしても 礼 にかなっている」ということができるようになるでしょうか。(まず無理です)。
 君の言っていることは、外から何か行動の規範となるものをもってきてそれをかたく守るということであって、内にもとからそれがあるわけではありません。まだ知(ちえ)を致(のば)していないのに、意(心の動き)を誠にしようとするのは、順序がでたらめです。無理して行ったとしても、はたして長続きするでしょうか。
 ただ理(道理)にもとづいて判断することがよく分かれば、おのずと理(道理)に従うのが楽しくなるものです。性(本性)はもともと善なので、理(道理)に従って行うのです。これは、理にかなうようにすることは、もともと難しいことではないということです。ただ人は知らないので、あれこれよけいな作為をしてしまい、そのため「難しい」と言うのです。
 もちろん、知ることには、方法の違いもあれば、深さの違いもあります。しかし、学ぶ人にとって大切なことは、本当に知ることです。本当に知ることができたときには、ゆったりと無理なく行えるようになります。
 私は、二十歳のときに、儒学のテキストの解釈をしたのですが、そのときの理解は今でも変わっていません。しかし、その理解の深さに関しては、そのときとはおのずと違ってきています。(かなり本当に知ることができているようです)」

(9)
 先生の話。
「およそ一つの物(事物)には、一つの理(道理)があります。大切なことは、その理(道理)をきわめられるだけ十分にきわめることです。理(道理)をきわめる方法には、いろいろあります。
 たとえば、「書物(古典)を読んで本当に大切なことを探求すること」や、「古今の人物の是非について判断すること」や、「何か事件が起きたとして、そのときにどのように対処するのが人として正しいかを考えること」なども、すべて理をきわめるための方法です」
 ある人の質問。
「格物(考察)するにあたっては、一つ一つの物(事物)それぞれについて格物(考察)すべきなのですか。それとも、ただ一つの物(事物)についてだけ格物(考察)すれば、(理にはいろんな種類のものがありますが、それらいろんな理も「理一分殊」と言われるようにもともとは一つのものですから)その他すべての理(道理)についても分かるのですか」
(格物とは、物事の道理をきわめることです。これにより知恵に磨きがかけられます)。
 先生の返答。
「どうしていきなりそのような「一つの物(事物)について格物(考察)するだけで、その他すべての理(道理)にも精通するようになる」という高度な認識ができるでしょうか。孔子の門人のなかでも特にすぐれていた顔回でさえ、そのようなやり方はしていません。
 大切なことは、今日はAについて格物(考察)し、明日はBについて格物(考察)するというように、着実に格物(考察)していくことです。そのようにして訓練をかさねていけば、いずれ心がすっきりして、おのずとあらゆる理(道理)に精通するようになるでしょう」
(本註:さらに、こうも言いました。
「理(道理)をきわめることにつとめるというのは、万事万物の理(道理)をすべてもれなくきわめてしまえるようにするということではありません。もちろん、一つの理(道理)をきわめるだけですませていいわけでもありません。
 要するに、いろんな理(道理)をきわめていっていれば、おのずと分かるようになるということにすぎません」)。

(10)
『書経』にある「思に睿という」というのは、考えることを長いことやっていると、おのずと叡智がめばえてくるということです。もし一つのことについて考えてみて分からなければ、しばらくは別のことについて考えるようにします。一つのことにとらわれていてはいけません。というのも、人の思考のはたらきは、一つのことにとらわれると、いくら無理して考えたとしても、本当のことに通じることはできないからです。

(11)
 質問。「熱心に学ぼうとしているのですが、物事の道理をわきまえ知ることが蔽固(へたくそ)で、力量が不足である人の場合、一体どうすればいいのでしょう」
 返答。「ただ知(ちえ)を致(のば)すことです。もし考え知るはたらきに曇りがなくなれば、力量はおのずと高まるものです」

(12)
 質問。「先生は「外物をみて、自分を察する」とおっしゃていますが、それは、外物の理(道理)を認識することによって、その理(道理)がすでに自分自身のなかに備わっているということを確認することですか」
(「性=理」ですから、物事の道理はすべて人間の本性に備わっています)。
 返答。「必ずしもそういうわけではありません。外物も、自分も、もともと一つの理です。ですから、あちらがハッキリすれば、こちらが分かるということです。これは『中庸』に言う「内外を一つにする道」のことです」
(参考:「理一分殊」「万物一体」)
 質問。「では、(事物の理をきわめるために)知(ちえ)を致(のば)すにあたって、それを四端(心の動き)に求めるのはどうですか。(よろしいですか)」
 返答。「それを性情(心)に求めるのは、もちろん自分にあったやり方です。(悪くはありません)。しかしながら、草も、木も、それぞれ理を有しています。大切なことは、それぞれについて明らかにしていくことです」(ただ頭の中で考えるだけで、実物について観察しなければ、たいていの場合、まちがった認識をもつようになってしまうものです。要注意です)
(本註:さらに、こう言いました。
「自分自身のなかにあるものから、万物それぞれにある理にいたるまで、よく知ることのできたものが多くなれば、おのずと心の曇りがパッと晴れて理に精通するようになります」)

(13)
 『書経』に「考えると、内に叡知がめばえる。内に叡知がめばえると、聖人となる」とありますが、きちんと考えていくというのは、たとえば井戸をほるようなものです。初めのうちは濁った水しか出てきませんが、しばらくすると、きれいな水が出てきます。人の考えるはたらきも、初めのうちは濁っていてよく考えまちがいをするものですが、しばらくすると、おのずとまちがうことなく明快に考えることができるようになります。

(14)
 質問。「『論語』にある「身近に考える」とは、どういうことですか」。
 返答。「類推することです」。
(類推とは、すでに自分の知っていることにもとづいて、他のことを考えることです。たとえば、「自分は、なぐられると、とても痛く感じる。だからAさんも、なぐられると、とても痛く感じるだろうな」と考えることなどが、類推にあたります)。

(15)
 学ぶ人は、まず疑問点について分かることが必要です。

(16)
 横渠先生が、范巽之に答え、次のように言っています。
 おたずねの妖怪変化などといった超常現象に関してですが、これは語りにくいことではありません。しかし、たとえ語ったとしても、なかなか世間から信じてもらえないでしょう。(世間には迷信深い人が多いですからね)。
『孟子』に「性(本性)を知り、天(天理)を知る」とありますが、学びが天を知るまでに深まれば、万物が生まれてくる根源について、つねにおのずと分かるようになります。万物が生まれてくる根源について分かれば、それが「本当にあるのか」、それとも「本当にないのか」について分からないことはありません。説明をまつまでもなく分かるようになります。
 みなさんが論じるときにあたっては、このような態度を守って失わないようにし、あやしげな話をする異端におびやかされないようにし、正道を進みに進んでいってください。そうすれば、その超常現象は本当かウソかを検証するまでもなく、異端は攻めるまでもなく、私たちのやり方の前に敗北するでしょう。
 もし「世の中にはいろんなことがあるからなあ」とか、「世の中には分からないこともあるからなあ」とかいうように考えると、学びは疑惑のためにゆがみ、内なる叡智はよけいなものにくらまされ、あやしい話が次から次にやってきて、ついには自分を見失ってしまい、オカルト話におぼれてしまうことになるでしょう。

(17)
『論語』に「子貢は、「孔子が性や天道について言っているのを聞くことができていません」と言った」とあります。「孔子が言っている」と言っている以上、ふだん孔子はそれらについて話していたのでしょう。聖人である孔子の門下の学ぶ人たちは、仁を体現することを自分の任務としていて、単に知るだけでは分かったとはしませんでした。そして、心の底から深く分かることを「聞く」としていました。ですから、このような子貢の発言がなされたのです。

(18)
「義理の学(聖人になるための学問)」は、じっくり味わってこそ効果が出てきます。インスタントに会得できるものではありません。
(インスタントな方法とは、たとえば試験の前日にする一夜づけの勉強法のようなもののことです)。

(19)
 学んでいながら物事の道理をきわめることができないのは、心が粗雑だからにすぎません。顔回が、聖人まであと一歩のところにいながら、けっきょく聖人になれなかったのは、やはり心が粗雑だったからです。
(粗雑=細かい点にまで注意がゆきとどかないこと)。

(20)
 ひろく書物で学んでいる人は、『易経』の「習坎(次々と困難にみまわれること)」の説明のところにある「心とおる」の真意について分かることが必要です。というのも、人は、険阻艱難を経験してこそ、その心が道理に精通するようになるからです。
(朱子学における学びは、理論を通しての学びと実践を通しての学びの二つからなっています)。

(21)
 義理(物事の道理)について何か疑いが生じたならば、これまでの見解をさっさとすてて、新たに考えなおすことです。心に何か得るところがあれば、それをすぐさまノートにでも書きとめておきます。何も考えなければ、心はどんどんゆきづまるばかりです。
 さらに友人の助けをかりるといいでしょう。たった一日でも友人とお互いに話しあえば、考え方が少しは違ってくるものです。日々このように話しあうことが大切です。そうしてしばらくすると、おのずと進歩していることに気づくでしょう。

(22)
 きちんと考えていたにもかかわらず、(考えがゆきづまってしまい)どうしても説明できないことにぶつかってしまった場合には、はじめからまた考えなおして、それをハッキリさせることができるようにすることです。それがよく学ぶということです。
 孟子から批判された告子などは、分からないことがあれば、そこですぐに考えることをやめて、二度と探求しようとはしません。(しかし、それではいけません)。

(23)
 伊川先生が言いました。
「一般的に、書物を読む場合には、まずそこに書いてある文章の意味が分かることが大切です。そうしてはじめて、それを書いた著者の真意について考えることができます。そこに書いてある文章の意味も分からずに著者の真意の分かる人は、まずいません」

(24)
 学ぶ人は、(教えられたことをそのままうのみにするのではなく)自得することが必要です。『六経』(『書経』『詩経』『礼経』『楽経』『易経』『春秋』)は、質も、量も、ともに膨大なので、そう簡単にすべてを知りつくせるものではありません。ですから、しばらくは、それぞれのテキストのあらすじが分かったならば、各人、自分なりのテーマを立てて、それにそって自宅で学習するといいでしょう。

(25)
 先生の話。「一般的に、文章を理解するにあたっては、自分の考えはとりあえずわきにおき、その文章をあるがままに読んでいけば、そこにどのような理(道理)が表されているのか(そこに書いてあることの真意は何か)についておのずと分かります。その理(道理)は、しょせん(自分と同類の)人の理(道理)なので、(たとえば物理の法則などのような自然の理とくらべ)とても分かりやすいものです。その分かりやすさは、たとえば一本の平坦な道路を進むようなものです。『詩経』にある「周国の道はといしのように平らで、そのまっすぐさは矢のようだ」という言葉は、このことを言っているのです」
 質問。「聖人の言葉は、(高遠なものですから)身近に考えることはできないのではないでしょうか」
 返答。「聖人の言葉には、おのずから身近なものもあれば、おのずから高遠なものもあります。身近なものを、わざわざ難しくして高遠なものにしたてあげる必要があるでしょうか。楊子は「聖人の言葉は天のように高遠で、賢人の言葉は地のように身近だ」と言っていますが、私は、みなさんのために、この言葉をこう言い換えましょう。「聖人の言葉は、天のように高遠で、地のように身近だ」と」

(26)
 学ぶ人は、書物を読む場合、①そこに書いてある内容を無視すると、その書物に対して自分勝手な解釈をすることになります。②反対に、そこに書いてある内容にこだわりすぎると、著者の真意について分からなくなります。
 ①たとえば、孟子は、将軍に任命された子濯孺子が、敵となったかつての師匠をおいつめながらも、最後には殺さずに見逃した話を通して、ただ師弟関係について語っているにすぎません。しかし、人は、そこから主君につかえる道を理解することが大切だとします。
 ②また、孟子の弟子の万章が「舜が倉庫を修理し、井戸を掃除したこと」について孟子に質問したとき、孟子はそのおおよそについて答えただけでした。しかし、人は、「舜は、井戸の掃除中に生き埋めにされかけたとき、どうやって助かったのか」とか、「舜は、修理のために屋根にあがっていたとき、はしごをはずされ、放火されたのに、どうやって屋根からおりたのか」とかいうようなことを解明することが大切だとします。
 以上①、②のような学び方は、いたずらに心を疲れさせるだけです。

(27)
 一般的に、書物を読むときには、「表現が同じなら、その意味も同じだ」としてはいけません。そうしなければ、ゆきづまってしまいます。話の流れや上下の文意をみて、その意味を考えることです。
 たとえば、『孟子』にある「充実せる、これを美という」の「美」と、『詩経』に出てくる「美」とは、(同じ表現でも)同じ意味ではありません。
(漢字は、一つの字に多くの意味があり、その字がその文章において何を意味しているかは、文脈によって変わってきます)。

(28)
 質問。「陳瑩中は、かつて文中子(王通)という学者のファンで、文中子の書いた『中説』にある、「ある人が『易経』の学び方について問うたとき、文中子は、「終日、乾乾としていたらよろしい(朝から晩まで、うまずたゆまず努力しなさい)」と言った」という言葉について、「この言葉は、十二分なものだ。名君の文王が偉大な聖人になれたのも、このようにしていたからだ」としていますが、これについて、どう思われますか」
 返答。「確かに、一般的に言って、儒学のテキストを読み解いていくときには、もし、すみずみにわたって、順序よく、十分に考えるというように努力していけば、その真意を知りつくすことができるものです。
 しかし、「終日、乾乾とする」という言葉は、『易経』全体の真意を十分に言い当てているとは言えません。この言葉は、『易経』の「乾」の項目の部分説明の三番目(三爻)の真意を考えるのに役立つだけです。
 もちろん、「乾乾とは、永続していることだ。永続しているのは、道(道理)だ」というように、じゅんじゅんに推論していくのなら、おのずと『易経』を知りつくすことができるでしょう。
 もっとも、それは、理の当然としてそのようになっているわけではありませんがね」

(29)
 先生。「孔子は、川辺に立って、「ゆくものは、かくのごときかな」と言いました。それは、道(道理)の本体はどんなものであるかを、川の流れにたとえて言ったのです」(道の本体=宇宙の根本。)
 張繹。「つまり、(川の流れがとまらないように)道の本体も無限だ、ということですね」
 先生。「もちろん、無限であることを言っています。しかし、どうして無限という一言で、道(道理)の本体を言いつくすことができるでしょうか」


(30)
 今の人は、書物をきちんと読めません。たとえば、『論語』に、「うまい政治のやり方の参考になる『詩経』の詩を多く暗記しているが、政治をやらせてもヘタだし、外交をやらせても一人では何もできない。これでは、多く覚えていても、何の役に立つのか」とあります。
 大切なことは、「『詩経』を読む前は、政治も外交もヘタだった。しかし、それを読んだ後は、政治も外交もうまくなった」というようになることです。このようになってはじめて、『詩経』を読んだと言えます。
 また、同じく『論語』に、「人でありながら、『詩経』にある周南と召南を読まなければ、壁に向かって立つようなものだ」とあります。大切なことは、「周南と召南を読む前は、壁に向かって立っているようでした。しかし、周南と召南を読んだ後は、壁に向かって立っているようではなくなりました」というようになることです。このようになってはじめて、効果があった(きちんと読めた)と言えます。
 一般的に、書物を読む場合には、以上のようにすることです。たとえば『論語』を読むにしても、読む前も、読んだ後も、何も変わらないのなら、それはきちんと読めていないのです。
(周南と召南には、家庭を治めることの大切さについて述べてあります)。

(31)
 一般的に、文章を読む場合には、(さっと読み流したりせず)たとえば『論語』で言えば、聖人の「七年の計画」「三十年の計画」「百年の計画」など、それらはどのように実践すればいいのかについて考えることが大切です。そうすれば学びを進める役に立ちます。
(「七年の計画」→孔子が言いました。「善人が人々を七年も教育すれば、戦争に従事させることができます」)
(「三十年の計画」→孔子が言いました。「もし王者がいれば、必ず三十年後に仁にあふれた社会を実現できます」)
(「百年の計画」→孔子が言いました。「善人による統治が百年も続けば、どんな乱暴者も善くなり、みんなが善くなるので刑罰は必要なくなります。この言葉は、本当ですよ」)

(32)
 一般的に、儒学のテキストを理解する場合、最重要点の理解は同じでなければいけませんが、その他は別にそれぞれ違っていてもかまいません。

(33)
 私は、伊川先生のところに入門したばかりのころ、伊川先生に学問のやり方について質問しました。そのときの先生の答えは、こういうものでした。
「君は、学問のやり方を知りたいのなら、書物(儒学のテキスト)を読むことが大切です。書物は、必ずしも多く読む必要はありません。「その書物の真意や要点はどこにあるのか」について、じっくり読んで探求してください。書物を多く読んでいても、その真意や要点について分かっていないのなら、それはまさに(書物を多くとりそろえているだけの)本屋です。私は、若いとき、多くの書物をむさぼり読んだのですが、今ではすっかり忘れてしまっています。
 大切なことは、聖人の言葉をじっくり味わい、それを心にとどめ、そして、それを日々の実践に生かすことです。そうすれば、おのずと何か得るところがあるでしょう」

(34)
 学び始めたばかりの人が徳(自分が本来もっている良さ)を伸ばすための出発点としては、『大学』に勝るものはありません。その次としては、『論語』や『孟子』に勝るものはありません。

(35)
 学ぶ人は、まず『論語』と『孟子』を読むことが大切です。『論語』と『孟子』をきわめることができれば、おのずと(儒学の)要点について分かります。それを基礎にして他の儒学のテキストを読めば、少ない労力でその真意を理解することができます。『論語』と『孟子』は、「ものさし」や「はかり」のようなものです。それらを使って事物をみれば、その長短や軽重について自然に分かります。

(36)
『論語』を読む人は、門人の孔子への質問を、まさに自分の質問としてイメージし、それに対する孔子の返答を、実際に自分が聞いているものとしてイメージすると、おのずと何か得るところがあるでしょう。もし『論語』と『孟子』で、そのようにして、その真意を深く求め、その内容をじっくりと味わえば、いずれは心の根本が十分に養われて、りっぱな気質のもちぬしになれます。

(37)
 一般的に、『論語』と『孟子』をみる場合には、しばらく熟読してじっくり味わい、「聖人が自分に向かって言っている」と思えるくらいに身近にとらえることのできることが大切です。(さっと読み流すなどして)単なるその場限りの話にしてはいけません。その二冊だけでも自分に身近にみることができれば、人生にとても役立つでしょう。

(38)
 人は、『論語』を読み終わった後、四種類に分かれます。
 ①まったく何も得るところがない人。
 ②一つ、二つ気に入った言葉をみつけて喜ぶ人。
 ③『論語』を好きになる人。
 ④うれしくて、どうしようもなくなる人。

(39)
 学ぶ人は、『論語』と『孟子』を基本とすることです。『論語』と『孟子』の真意がきちんと分かれば、『六経』の真意についても、それらを別に読むまでもなく分かります。(なぜなら、『六経』の要点はすべて、『論語』と『孟子』に含まれているからです)。
 書物(儒学のテキスト)を読む人は、「どうして聖人はいろんなテキストを書いたのか。その真意は何か」、「聖人の秘めたる思いは何か」、「聖人はどうして聖人になれ、自分はどうして聖人になれないのか」などについて考えてみることが必要です。このことを一句一句について探求し、昼は読んで味わい、夜は読んで味わったことについて静かに思索し、心をおちつけ、気をやわらげ、疑わしいところは(あれこれ穿鑿せずに)そっとしておきます。そのようにすれば、聖人の心について分かるでしょう。

(40)
『論語』や『孟子』を読んでも、道(道理)について分からなければ、まさに「多く読んだとしても、いったい何の役に立つのか」(『論語』)ということになります。

(41)
『論語』と『孟子』は、ただ十分すぎるほど十分に熟読すれば、おのずとその真意が分かります。ですから、学ぶ人は、じっくりと味わうことが大切です。もし文字面だけから理解するなら、その真意はよく分かりません。
 私は、はじめ、それら二書の注釈書を書いたのですが、今から思えば、よけいなことをしたものです。ただ先輩の儒学者に誤解があったときには、(その誤解を正すために)きちんと整理してあげる必要があります。

(42)
 質問。「さしあたり『論語』と『孟子』の最重要点だけ読むというのは、どうですか」
 伊川の返答。「もちろん、かまいません。しかしながら、何か得るところがあっても、それだけでは十分ではありません。というのも、儒学のやり方は、仏教のやり方とは違って、「ちょっと見ただけで、パッと悟りが開ける」といったものではないからです」

(43)
『論語』に言う「詩に興る」とは、心に感じ思うところを詩にあらわし、道徳(道理と徳性)のなかにひたりきりのびのびして喜び動くことです。そこには、孔子が、その門人たちの理想を聞いたとき、曾点の「親しい人たちと仲良く楽しく暮らしたい」という返答を聞いて、「私は曾点に賛成だ」と言ったのと同じような雰囲気があります。
(本註:また、こうも言いました。「「詩に興る」とは、人の善い心をふるいたたせることです。心を広く大きくすることは、すべてこの意味です」)。

(44)
 謝顕道は、次のように言っています。
「明道先生は、うまく詩を語ることができます。先生は、詩をバラバラにしていちいち解説をしたりせずに、ただじっくりと詩を味わい、あるときは声を高く、あるときは声を低くして吟詠します。そのようにして、それを聞く人に何か得るところがあるようにします。
 たとえば、「月日のうつりかわりをながめていると、はるかな思いに私はかられます。道はここに遠く離れていて、いつになったら帰ってくるのでしょう」と詠んで、「夫を思う心が切実なのです」と言いました。また、その詩の終わりにおよんでは、「多くの君子たちは、徳行を知っています。人を害せず、むさぼり求めなければ、どうしてよくないことがあるでしょうか」と詠んで、「正しい状態に戻ったのです」と言いました」
「明道先生は、詩の話をするときには、決して言葉の意味を解釈したりなどしません。ときどき(聞く人が分かりやすいように)二、三字ほど言葉を言い換えて、ほどよく吟詠しました。そうして聞く人に詩をじっくりと味わわせて、その真意を自得させました」
「以上のようなことは、直接、先生に教えてもらわなければ分からないことです。ですから、昔のりっぱな学ぶ人たちは、尊敬する人と実際に交際して、直接その教えを受けることを尊んだのです」

(45)
 明道先生が言いました。
「学ぶ人は、『詩経』をみないわけにはいきません。『詩経』をみることは、その人の人格を一段と成長させます」

(46)
『孟子』に「文によって辞をそこなわない」とあります。その「文」とは、「文字」の「文」のことです。「単語」は「文」で、「文章」は「辞」です。
『詩経』にある詩を読むとき、(「文章」全体の意味からみて)ふつりあいな「単語」があれば、「文章」全体の意味にあった形で解釈することです。
 たとえば、「有周不顕(周の徳は明らかだ)」の場合、もともと文の作り方として、そうなるのが当然なのです。
(「有周不顕」は、そのまま読むと「周の徳は明らかならず」と否定の形になります。しかし、そうなると、徳のあった周王朝がまるで徳がなかったかのようになり、意味が通じなくなります。そこで、「周の徳は明らかならざらんや」と反語の形に読まなければいけません)。

(47)
『書経』を読む場合には、二帝三王の政治のやり方についてみることが必要です。(二帝とは、堯と舜という二人の名君のことです。三王とは、夏王朝の禹王、殷王朝の湯王、周王朝の文王と武王といった、三つの王朝の名君のことです。なお、『書経』は歴史書です)。
 たとえば、『書経』の「二典」のところでは、堯が民を治めた方法や、舜が堯につかえた方法について探求します。(「二典」とは、堯の事跡について述べた「堯典」と、舜の事跡について述べた「舜典」の二つです)。

(48)
『中庸』という書物は、孔子学派の人たちに代々うけつがれてきたもので、子思と孟子の手によって完成されました。『中庸』は、いろんなことを雑記しているとはいえ、精粗を分けずにまとめて説明しています。(精=高遠なこと・根本。粗=身近なこと・末節)。今の人は、道を語るにあたって、その多くが、高遠なことを説いて身近なことを忘れ、根本を説いて末節を忘れています。

(49)
 以下は、伊川先生の書いた『易伝』の序文です。(『易伝』は、『易経』の解説書です。『易経』は、朱子は占いの本としていますが、ここでは人生の手引書とされています)。
 易とは、変化のことです。時とともに変化して、道に従うことです。
『易経』は、あらゆることをもれなく示唆しています。そして、本性や天命といった理(道理)に従い、表に現れたものから裏に隠されたものまでそのすべてに精通し、万事万物の実情を知りつくし、そうして開物成務する方法について示しています。(開物成務=①天命を知らせ、人生を成功させること。②人知を引き出して伸ばし、偉業を達成させること)。(そんな『易経』を、聖人は書き残してくれたのですから)聖人の後世への配慮は、まったくいたれりつくせりです。
 現在、聖人たちの生きていた時代からみて、かなりの時間がたっていますが、『易経』は今なお残っています。しかしながら、先輩の儒学者たちは、その真意が分からず、ただ言葉だけを伝えました。そして、後進の学者たちは、その言葉を暗唱するだけで、味わうことを忘れています。秦王朝の時代よりこのかた、その真意が伝えられていないようです。私は、聖人たちのいた時代からみて千年後に生まれたわけですが、聖人の学問がダメになっていくのを残念に思い、後世の人たちが『易経』を読んで道理を探求できるようにしようと思いました。そこで、この『易伝』を執筆することにしたのです。
『易経』には、聖人の道が四つあります。①何か言うときには、『易経』にある「辞(ことば)」を尊びます。②何かするときには、『易経』にある「変(へんか)」を尊びます。③何かを製作するときには、『易経』にある「象(かたち)」を尊びます。④何かを占う場合には、『易経』にある「占(うらない)」を尊びます。(以上の四つが聖人の道です)。吉凶消長の原理や進退存亡の方途は、辞に示唆されています。辞を推察し卦について考えれば、変について知ることができます。象と占は、その変のなかにあります。(『易経』は、全部で六十四の項目にわかれていて、それぞれの項目のことを卦と言います。その卦にある説明のことを「辞」と言います。その辞には、一つの全体説明(卦辞)と六つの部分説明(爻辞)とがあります)。
 君子(りっぱな人)は、何事もないとき(無事)には、その象をみて、その辞を考えます。また、何事かあったとき(有事)には、その変をみて、その占を考えます。言葉は分かっても、その意味が分からないことはありますが、そもそも言葉が分からないのに、その意味が分かることはありません。
 とてもとらえどころのないものは、理(法則)です。とてもはっきりしているものは、象(現象)です。(たとえば、現象は目で見ることができますが、法則は目で見ることができません)。しかし、体用一源ですし、顕微無間です。(すなわち、理と象とは、確かに異質なものですが、別物ではなく、分けることのできない一体のものです)。理を分かり、理にかなった形をとることができるようにするための方法については、辞に示唆されています。
 ですから、よく学んでいる人は、自分の身にひきあてて『易経』の言葉を考えるのです。自分の身にひきあてて考えることを軽んじる人は、『易経』の言葉を分かる人ではありません。私が解説しているのは、そんな辞についてです。その辞からどんなことを学びとるかは、みなさん次第です。
(「『易経』の言葉には、それを読む人がこれからすべきことについて示唆してある」とされているので、その言葉が何を意味しているかを知るためには、自分の身にひきあてて考えることが必要となってくるわけです。したがって、同じ言葉でも、それが何を意味しているかは、人によって解釈が異なってきます。たとえば、これは『易経』とは関係のない言葉ですが、「大きいほうがよい」という言葉は、家を建てる人にとっては「家は大きいほうがよい」という意味になりますし、作家にとっては「壮大なスケールの話のほうがよい」という意味になります。『易経』では、このように解釈することが必要とされています)

(50)
 伊川先生が張?中に答えた手紙に、こうあります。
『易伝』をいまだ公表しないのは、(かなり年をとったものの)まだまだ元気なので、できればもう少し考えを深めたいからです。お手紙に「『易経』の内容は、数(形の組み合わせ)にもとづいている」とありますが、それはまちがいです。理があってはじめて象があり、象があってはじめて数があるものです。『易経』では、象が理を明らかにしており、その象を通して数を知らせています。『易経』の意味が分かれば、象や数についてもおのずと分かります。(本註:理には形がありません。ですから、象を使って理をハッキリさせるのです。理が辞として表現されれば、辞によって象を観ることができます。(象を観るとは、『易経』で占った結果をよくみることです)。ですから、『易経』の意味が分かれば、象や数についてもおのずと分かるとされるのです)。「象の裏に隠されたもの」や「数の細かな点」について必ずきわめようとして(本質に目を向けず)末流へと目を向けるのは、(形の組み合わせで予言をする)術家の尊ぶことで、(普遍的なものを探求する)儒家のつとめるべきことではありません。

(五十一)
 時を知り、勢いを分かるのが、『易経』を学ぶときの要点です。

(五十二)
『易経』にある「大畜(大いに蓄えること)」の部分説明の最初(初爻)と二番目(二爻)は、陽そのもので剛健なのですが、前進するだけの力がありません。四番目(四爻)と五番目(五爻)は、陰であり柔弱なのですが、よくとどまることができます。時の盛衰や勢いの強弱は、『易経』を学ぶ人が必ず深く分からなければならないことです。

(53)
 すべての卦に共通して言えることですが、部分説明(爻辞)の二番目(二爻)と五番目(五爻)は、お互いに「正」の関係になかったとしても、「中」にあるので、たいてい「美」とされます。
(①それぞれの卦の部分説明は、「最初~三番目」「四番目~最後」という二つの組に分かれています。ですから、部分説明の二番目と五番目は、いつもそれぞれの組のまん中にあることになります。②卦においては、最初と四番目、二番目と五番目、三番目と最後が、それぞれ関係するというきまりになっています。そして、その関係には「正応」と「不応」があります。各卦の記号(象)は陰と陽の組み合わせによって表されるわけですが、たとえば最初に陰がきて四番目にも陰がきた場合(もしくは最初に陽がきて四番目にも陽がきた場合)、その関係は「正応」とされます。また、最初に陰がきて四番目には陽がきた場合(もしくは最初に陽がきて四番目には陰がきた場合)、その関係は「不応」とされます)。
 三番目(三爻)と四番目(四爻)は、「正」の関係にあっても、「中」ではないので、「過」とされます。「中」はつねに「正」よりも重要なのです。というのも、「中」はたいてい「正」しいとされますが、「正」の関係が必ずしも「中」にあるとは限らないからです。世界に通じる道理として、「中」より善いものはないのです。それは、二番目(二爻)と五番目(五爻)の「不応」の関係にみることができます。(それぞれの卦の部分説明の内容は、「中」であれば、その関係が「正」でなくても、よくなっています)。

(54)
 質問。「胡先生は、『易経』の各卦の部分説明(爻辞)の四番目(四爻)という位置を解釈して、太子の位置だとしています。しかし、それは卦の本来の意味ではないのではないでしょうか(なぜなら、部分説明(爻辞)の四番目(四爻)という位置は、もともとは天子の位にあたるからです)」
 返答。「そう解釈しても別にかまいません。ただどのように使われているか、それをみることです。皇太子にあたるときには、皇太子とします。部分説明(爻辞)の四番目(四爻)が君主に近い人物を象徴しているときには、皇太子と解釈してもさしつかえありません。ただし、一つの意味にとらわれてはいけません。もし一つの意味にとらわれて、融通がきかなくなると、『易経』全体で三百八十四ある全体説明(卦辞)は、単に三百八十四の出来事にしかすぎなくなって、解釈の幅が狭くなり、万事万物に通じることができなくなります。(時と場合に応じて柔軟に解釈することが大事です)」

(55)
 先生の話。「『易経』をみるには、まさに時を知ることが必要です。一般的に、部分説明(爻辞)には、(時と場合に応じた)人それぞれの解釈があります。聖人には聖人なりの、賢人には賢人なりの、一般人には一般人なりの、学者には学者なりの、君主には君主なりの、臣下には臣下なりの、自分にあった解釈があります。つまり、『易経』は、だれにでも応用がきくのです」
 質問。「では、「坤(母なる大地)」のところでは臣下の道が説かれていますが、君主も使えるのですか」。
 返答。「どうして使えないことがあるでしょうか。「厚い徳によって、万物を下からささえる」といったことなど、どうして君主が用いないことができるでしょうか」

(56)
『易経』では、ただ反復したり、往来したり、上下したりについて述べているにすぎません。
(反復、往来、上下は、陰陽のいろんな変化のことを言っています。『易経』では、陰陽の変化によって、森羅万象を説明しています)。

(57)
『易経』のどこを読んでも、その内容は、天地幽明から、昆虫草木、微小の物に至るまで、すべてと調和しています。

(58)
 今の人は、『易経』を読んでも、そのだれもが『易経』のなんたるかを分かっていません。ただ『易経』の文字面にとらわれて、あれこれ穿鑿(せんさく)しているにすぎません。もし、その真意について分からなければ、何かよけいな言葉を付け加えたとしても、反対に必要な言葉を取り去ったとしても、そのことに気づけないでしょう。
 たとえば、イスについて知らないようなものです。イスの脚を一本ほど減らしたとしても、反対にイスの脚を一本ほど増やしたとしても、そのことが分かりません。もしイスについて知っていたら、おかしいことに気づけるでしょう。

(59)
 游定夫が、「陰陽不測、これを神という」とは何かについて、伊川に質問しました。それに対して伊川は、こう言いました。
「君は、これに疑問が生じたから質問しているのですか。それとも、難しそうなことを選んで質問しているのですか」

(60)
 伊川先生が、その著書『易伝』を門人たちにみせて、こう言いました。
「この本は、『易経』の七十パーセントほどしか説明できていません。後進のみなさんは、(私の『易伝』をそのままうのみにして暗記するのではなく)さらに自分で深く研究して自得することが大切です」

(61)
 以下は、伊川先生の書いた『春秋伝』の序文です。(『春秋伝』は、『春秋』の解説書です。『春秋』は、歴史書です)。
 天が人々を生むわけですが、そのとき必ず人なみすぐれた才能のもちぬしが現れて、指導的立場に立ちます。その人が治めると、争いごとがなくなります。その人が導くと、人々の生活が安定します。その人が教えると、倫理が明らかになります。そうして、人道が確立し、天道が完成し、地道が平穏になります。
 二帝(堯と舜という二人の名君)が現れるより前の時代、聖人や賢人が次々に現れ、それぞれの時代の要求に従っていろんなものを作り出しました。その人たちは、正しい風俗に従い、天の意志に反しないやり方で人々を教え導き、時宜にかなった政治を行いました。二帝より後の時代、(夏王朝→殷王朝→周王朝の)三つの王朝が次々に出現し、三つの重要なことがらが確立し、子→丑→寅という正しい暦法が施行され、忠→質→文という正しい道徳が尊ばれるようになりました。(①夏王朝は、暦法的に寅〔一月〕を正月と定め、道徳として忠を重んじました。②殷王朝は、暦法的に丑〔十二月〕を正月と定め、道徳として質を重んじました。③周王朝は、暦法的に子〔十一月〕を正月と定め、道徳として文を重んじました。○質とは内面が充実していることで、文とは外見がととのっていることです)。それによって、人道は完備し、天道は順調になりました。
 しかし、その後、聖王は生まれず、為政者たちは昔の名君にならおうとしましたが、結局は私意的なダメな政治しかできませんでした。秦王朝は正月の定め方をまちがうという(天運にさからう)過ちを犯し、漢王朝は(人徳ではなく)知力で天下を支配するという正道に反する過ちを犯しました。どうして昔の聖王の道を知っていたと言えるでしょうか。
 孔子は、周王朝末期の人ですが、聖人が再び生まれず、天にのっとった時宜にかなった政治がいっこうに復活しないので、『春秋』という書物を書いて、りっぱな政治の手本としました。それは、いわゆる「昔の名君のやり方にてらしあわせてみてもまちがっておらず、天地自然とも順応しており、鬼神(神様)にも正しいと判断され、百世代も後の聖人にみられても恥ずかしくないようなもの」(『中庸』)と言えるものです。
 先輩の儒学者は、「子游や子夏といった孔子のすぐれた門人たちでさえ、『春秋』の制作には賛助できなかった」と言っています。つまり、『春秋』の真意を知ることは、なかなか難しいということです。その真意については、ただ顔回だけが聞き知っていました。「夏王朝のような人にふさわしい暦を施行し、殷王朝のような質素で長持ちする車を使用し、周王朝のような儀礼にふさわしい礼装を採用する。音楽は、善と美をつくしている韶舞にする」(『論語』)というのが、その標準です。
 聖人たちのいた時代より後の時代では、『春秋』をごくふつうの歴史書としてみて、「『春秋』では、善をすすめて、悪をいましめている」と言っているだけです。そこに天下を治めるための手本があることをまったく知りません。『春秋』の要点は数十あって、それらには重大な意義があるのですが、それらは光り輝く太陽や星のようなもので、とてもみつけやすいものです。ただ、行間にこめられた思いや、時に応じたうまい対処の仕方などについては、なかなか分かりにくいでしょう。(なお、それらは、次のようなものです)。①抑圧したり自由にしたりする話を通して、理にかなったやり方が分かります。②与えたり奪ったりする話を通して、正しい褒賞の仕方が分かります。③進んだり退いたりする話を通して、寛大さと勇猛さの正しい使い分け方が分かります。④微妙であったり顕著であったりする話を通して、公平な是非判断の方法が分かります。以上は、事(物事)を制する際の規準で、道(道理)を定める際の模範です。
 そもそも、いろんなものをみてこそ、天地創造の神妙なはたらきが分かるものですし、いろんな資材が集まってこそ、家造りに役立つと分かるものです。具体的な話や内容をたった一つ知っただけで、聖人の心までをもうかがい知ろうとするのは、上智(聡明叡知な人)でなければ、どだい無理なことです。ですから、『春秋』を学ぶ人は、じっくりと味わい、ひとり静かに考えて自得してはじめて、その真意について分かることができます。
 今の王様(指導者)も、『春秋』の真意について分かれば、禹王や湯王ほどのすぐれた才能のもちぬしではなくても、昔の聖王のようにりっぱな政治を実現することができるでしょう。秦王朝の時代よりこのかた、そういった学問は伝わっていません。しかし、私は、そのようにかつての聖人の志が後世に明らかにされないのを残念に思いました。そこで、この『春秋伝』を書いて、それを明らかにしようと思ったのです。そして、後の人が、この『春秋伝』を読んで『春秋』の真意を探求し、その真意を分かってそれを実用すれば、かつてのりっぱな政治を今の世に復活できるでしょう。
 この『春秋伝』は、聖人の到達した奥深い境地を完全にきわめつくしているとは決して言えませんが、『春秋』の入門書としては最適でしょう。

(62)
『詩経』と『書経』は、道を表現した書物で、『春秋』は、聖人が道を実践したことの記録です。たとえば、『詩経』と『書経』は、薬の処方箋のようなもので、『春秋』は、処方された薬を使って実際に病気を治療することのようなものです。聖人のなした事業と、それにともなう功績については、すべて『春秋』に記録されています。いわゆる「実際にあった具体的なことを通して述べることほど分かりやすいことはない」(『史記』)というわけです。『春秋』には、征伐や同盟などに関して、重複して述べてあるところもあります。それは、思うに、編集するにあたって、そうするほうが自然だったからでしょう。ですから、同じような話があれば、まったく違った解釈をしてはいけません。ただし、一言でも違っていたり、上下の文が違っていたりすれば、その内容はまったくの別物です。

(63)
『五経』に『春秋』があるのは、ちょうど法律のなかに判例があるようなものです。法律には一般的なことが書いてあるだけで、判例をみてはじめて、その具体的な使い方が分かります。
(『五経』=『礼経(儀礼・周礼・礼記)』『書経』『詩経』『易経』『春秋』)

(64)
『春秋』を学ぶのもまたよいことです。『春秋』は、一つ一つがそれぞれ具体的な話になっているので、是(ただしい)と非(まちがい)がとても分かりやすくなっています。『春秋』を学ぶのも、理(道理)をきわめるための大事な方法です。
 もちろん、その他の儒学のテキストも、理(道理)をきわめるのに役立ちます。ただ、『春秋』以外のテキストが(道理を)一般的かつ抽象的に論じているのに対して、『春秋』は実際にあった具体的な話を通して是(ただしい)と非(まちがい)を明らかにしています。ですから、(『春秋』を学ぶことは)理(道理)をきわめるための大事な方法となるのです。
 かつて学ぶ人に対して、こう言ったことがあります。
「まずは『論語』と『孟子』を読み、続いて他の儒学のテキストを何か一冊読んでから、『春秋』を読むことです。まず道理について分かってはじめて、『春秋』を読むことができます」
『春秋』を読むにあたっての基準としては、『中庸』に勝るものはありません。『中庸』を理解したいのなら、権(はか)ることが最適であり、それにはその時その時の状況に応じて中(ほど)よいことをすることが大切です。たとえば、「手足にマメができるくらい、一所懸命に働くこと」と「家に閉じこもって、まったく外出しないこと」との間をとることは、中ではありません。「手足にマメができるくらい、一所懸命に働くこと」が必要なときには、そのようにし、反対に「家に閉じこもって、まったく外出しないこと」が必要なときには、そのようにすること、それが中です。(中=過不足なく適当であること)。
 権という言葉の意味は、「はかりの重り=はかるときの基準」です。なにものが中であるための権(基準)となるかと言えば、義と時です。ただそれらは、(その時その時の状況に適した方法を用いなければ、当然のことながら理にかなったことはできないので)義の一言にまとめて言うことができます。しかし、それ以上は何も言うことができません。(なぜなら、何が理にかなったことであるかは、時と場合によってまったく異なるので、その内容を私が勝手に一定の形で決めることはできないからです)。それ以上は各人がそれぞれ自分で判断することが大切です。
(動詞の「権」=うまくいくようにするためにはかること。臨機応変の対処をすること。名詞の「権」=はかりの重り。)

(65)
『春秋』は、「伝」が解釈で、「経」が本筋です。(『春秋』の本文を「経」と言い、それを解釈したものを「伝」と言います。「伝」には、「左氏伝」「公羊伝」「穀梁伝」の三つがあります)。(本註:程先生はまた、次のようにも言っています。「私は、二十歳のときに『春秋』を読んだのですが、そのとき黄聲隅から「『春秋』はどのように読めばよいのか」について質問されました。そこで私は「伝を通して経にのっている話について考え、経を通して伝の真偽をハッキリさせる」と答えました」)。

(66)
 一般的に、歴史書を読むにあたっては、いたずらにいろんな事件や出来事を暗記することは必要ではありません。大切なことは、「どうして安定できたのか」「どうして混乱したのか」「どうして安全を保てたのか」「どうして危険にみまわれたのか」「どうして繁栄したのか」「どうして衰退したのか」「どうして生き残れたのか」「どうして滅亡したのか」など、治乱・安危・興廃・存亡の理由について分かることです。
 たとえば、『漢書』の「高祖本紀」を読む場合には、「漢王朝がどうやって始まり、どうして終わったのか」や「どうやって治まり、どうして乱れたのか」などについて分かることが大切です。これもまた学問です。

(67)
 先生は、歴史書を読む場合、とちゅうまで読むと、本をとじて思索し、その成功失敗について考えてから、また続きを読みました。納得のいかないところがあると、さらにまたくわしく考えました。歴史には、運よく成功した例もあれば、運悪く失敗した例もあります。ところが今の人は、「成功しているものは正しくて、失敗しているものは正しくない」とします。「成功しているものでも正しくなく、また、失敗しているものでも正しい」ということがあることを知らないのです。

(68)
 歴史書を読むときに大切なことは、聖人や賢人が書き残してくれた「治乱のきっかけ」や「賢人や君子の出処進退」についてみることです。それも格物(考察)です。(格物=物事の道理をきわめること)。

(69)
 元裕年間(西暦一〇八六~一〇九四年)に、伊川に会いにきた客がいました。そのとき、伊川の机のうえには、世間に出回っていた『唐鑑』がただ一冊あるだけでした。伊川が言うには、「最近、はじめてこの本を読んだのですが、三代(夏王朝・殷王朝・周王朝の時代)以来、これほどの議論はありません」とのことでした。

(70)
 横渠先生が言いました。
「聖人は『易経』の卦(項目)の配列の順序に重きを置いていないと言うことはできません。何かを大切に置こうとする場合には、どのように置けばよいのかをまずきちんと考えてから置くものです。聖人による『易経』における卦の並べ方も同じです。そこには、きわめて深い意味がなくても、必ず何らかの意味があります。聖人の著作(いろんな儒学のテキスト)を読む場合には、全体にわたってまんべんなく読むことが大切です。たとえば、たとえどんなにすぐれた大工でも、そのオノの使い方をみただけでは、その力量を知ることはできないものです」

(71)
「天官(宰相)の役職は、心を大きくもってはじめて分かります。というのも、(天官の役職というものは)その規模がきわめて大きいからです。もし、こういった大きい心をもたず、万事にわたって細かいことにいちいちこだわっていると、心を大きくしようとしても、決してできません。仏教は天地をちっぽけなものだとみます。その点では大きいと言えます。しかしながら、実際に大きなことをしなければ、何の役にも立ちません。もし仏教を信奉する人に一銭というちっぽけなものを与えたなら、その処置の仕方に困ってしまうでしょう」
 さらに、こう言いました。
「太宰(宰相)という官職は、分かりにくいものです。というのも、その仕事の範囲が広いので、すべてをつつみこめるくらいに広い心がなければ、「こっちを覚えれば、あっちを忘れる」ということになるからです。そのうえ、次から次に起きる天下のいろんな問題は、たとえば竜や蛇をとらえ、虎や豹をしばるときのように真剣(慎重)になってはじめて分かるものです。その他の五つの官職は分かりやすいものです。なぜなら、一つの官職につき一つの仕事しかないからです」
(『周礼』に記されている大臣クラスの役職は、天官(太宰)・地官(司徒)・春官(宗伯)・夏官(司馬)・秋官(司冠)・冬官(司空)の六つです。そのうち、太宰とは、いわゆる総理大臣です。司徒とは、教育をつかさどる役職です。宗伯とは、礼法や祭祀をつかさどる役職です。司馬とは、軍事をつかさどる役職です。司冠とは、裁判や警察など治安維持に関する役職です。司空とは、土地や人民をつかさどる役職です)。

(72)
 古人で詩を分かることができていたのは、ただ孟子だけです。(孟子が詩を分かることができたのは)詩人と同じ心持ちになって(あるがままに)その詩を受け入れたからです。そもそも詩人の心は、とても分かりやすいもので、あれこれ難しく考えて知ろうとする必要はありません。(人としてあたりまえに考えればいいのです)。今、あれこれ難しく考えて詩を解釈しようとすると、詩にこめられた本当の思いが失われます。本当の思いが失われているのに、どうして詩人の心を分かることができるのでしょうか。
(本註:詩人の心は、温厚で、平易で、老成です。(老成=内に深い考えを秘めていること)。詩人は、もともとふつうなことを言っています。それなのに今、詩人の心を知るために詩人の心を難しく考えて、詩人の心を分かるよりも先に自分の心が狭くかたくなになってしまうなら、詩人の心が分かることはありません。詩人の情というのは、もともと楽しく安らかなものです。そんな詩人は、ただ時と場合に応じて、詩を通して自分の気持ちを表現しているだけです)。

(73)
『書経』は難解な書物です。というのも、そこに表されている聖王の広い心くらいに自分の心を広くするのは、難しいことだからです。(狭い心で広い心を理解しようとするのは、たとえば「針の穴から天をのぞく」ようなもので、どだい無理な話です)。ただ、文面上の理解なら、難しくはありません。

(74)
 書物(儒学のテキスト)を読むことが少なければ、はかり考えて「義(ただしさ)の本質」(つまり道理)について分かろうにも分かりようがなくなります。思うに、書物は、心をささえるのに役立ち、一時でも読むのをやめれば、それだけ徳性(人間が生まれながらにもっているりっぱな本性)もおろそかになります。書物を読むと、心がぼーっとすることがありません。書物を読まなければ、しまいには義理(道理)をみても、それが分からなくなります。

(75)
 書物(儒学のテキスト)は、(さっと読み流すのではなく)頭に残るようなかたちで読むことが大切です。じっくりと考えるのは、(書物を読んでいるときではなく)たいてい夜中か、もしくは何もせずに静かに座っているときです。頭に(それが)残っていなければ、そもそも(それについて)考えることはできないものです。ただ、根本に精通すると、書物を覚えやすくなります。書物を読むのは、自分のもっている疑問点を解消し、いまだ自分の分かっていないことを分かるようにするためです。書物をよく読み、そのたびに理解が深まれば、学問が進歩します。これまで疑問にも思わなかったことに対して疑問をもつようになれば、そのとき、学問は進歩しています。

(76)
『六経(詩経・書経・礼経・楽経・易経・春秋)』は、(1→2→3→4→5→6→1→2→3→……というように)順回しに循環させて読んで理解していくことが大切です。儒学のテキストに述べられている教えは、まったく無限なものです。自分が一段と成長すれば、見方がそれまでと違ってきます。

(77)
『中庸』の文章は、一句一句について理解していき、句どうしがお互いに相手の内容を明らかにするというようにすることが大切です。

(78)
『春秋』は、(世間では孔子より前の時代からあった書物だと信じられていますが)孔子が書いた書物で、それ以前にはありませんでした。ただ孟子だけが、そのことを知っていました。『春秋』は、理(道理)が明らかに分かっており、義(ただしさ)が詳しく分かっているのでなければ、学ぶことができないものです。これまでの儒学者は、以上のことが分からないまま、この書物を学んでいました。ですから、その説にはまちがいが多いのです。


第四巻 存養~心の根本を養う

(1)
 ある人。「聖人は、学んでなれるのですか」
 濂渓先生。「なれます」
 ある人。「要領はありますか」
 濂渓先生。「あります」
 ある人。「教えてください」
 濂渓先生。「一が要領です。一とは無欲のことです。(無欲=人欲に心を奪われないこと)。
 無欲であれば、①静かなときには、心がさっぱりしますし、②動くときには、心がまっすぐになります。
 ①静かなときに心がさっぱりしていると、聡明になります。聡明なら、よく分かります。
 ②動くときに心がまっすぐだと、公正になります。公正なら、広くゆきわたります。
 以上のように、聡明でよく分かっており、公正で広くゆきわたっていれば、聖人に近いですね」

(2)
 伊川先生が言いました。
 陽(活力や活気)の生まれ始めは、まだまだその勢いが微弱です。(あれこれよけいなことをしたりせずに)安静にしていてはじめて、よく成長させることができます。
 ですから、『易経』にある「復(陽が復活すること)」の説明には、「昔のりっぱな王様は、陽が復活し始める冬至の日には関所をとじて静かにした」と述べてあるのです。

(3)
 動いているときは節度をなくさないようにし、休んでいるときは気持ちをのびのびさせるようにすることで、生命を養います。
 飲食と衣服で、身体を養います。
 堂々とした態度と正しい行いで、徳(自分が本来もっている良さ)を養います。
 相手のことを考えて人に対応することで、人を養います。

(4)
 言葉を慎重にして徳(自分が本来もっている良さ)を養います。(たとえば、むちゃなことを言ったり、デタラメなことを言ったりなどしないこと)。
 飲食を調節して体を養います。(たとえば、暴飲暴食をしたり、無理なダイエットをしたりなどしないこと)。
 とても身近なことでありながら、大きな影響力をもっているのは、言葉と飲食です。それ以上のものはありません。

(5)
『易経』にある「震」の説明に、「カミナリのとどろきは、四方八方を驚かす。しかし、カミナリにあっても、大事な祭器をおとさない」とあります。
 人を恐れさせるような大事件に出会っても、心安らかなままで自分を見失わないでいることができるのは、ふだんから誠(本来の自分)をなくさず、敬(しっかり)しているからにすぎません。これが「震(突発的な事件)」に対処するための方法です。
(誠をなくさず、敬していると、心の根本が養われます。心の根本が養われると、芯が強くなります。芯が強くなると、何事にも動じなくなります)。

(6)
『易経』にある「艮(とどまること)」の説明に、「その背にとどまる。その身を獲ず。その庭に行きて、その人を見ず。とがめなし」とあります。これは、こういうことです。
 人が(とどまるべきところに)とどまっていられないのは、人欲に動かされるからです。人欲にひっぱられているのに、(とどまるべきところに)とどまろうとしても、それはできません。ですから、「艮」本来のあり方としては、「その背にとどまる」ことが大切になってくるのです。目は前に向いていますが、背はうしろに向いています。背後にあるものは見ることができません。そのように人欲に背を向け、それに目を向けなければ、人欲のために心を乱されることはありません。そうなれば、(とどまるべきところに)とどまることは簡単です。
「その身を獲ず」とは、その身が見えないことです。つまり、我執(とらわれ)のないことを言っているのです。我執(とらわれ)がなければ、(とどまるべきところに)とどまることができます。我執(とらわれ)があると、(とどまるべきところに)とどまろうにもとどまりようがありません。
「その庭に行きて、その人を見ず」とあります。家の庭というものは狭いものですが、「それ」に背を向けていれば、たとえ狭くても「それ」は見えません。つまり、よけいなものを無視することを言っているのです。よけいなものは無視し、心のなかに人欲がめばえないようにします。そのようにして(とどまるべきところに)とどまるなら、正しいとどまり方が分かっていると言えます。ですから、とどまることにおいて「とがめなし」とされるのです。
(とどまるべきところ=天理・至善・理にかなった状態・性にあった状態など)

(7)
 明道先生が言いました。
「もし存養することができなければ、すべては口先だけのことになります」
(存養=本心をしっかりとつかまえてなくさないようにし、本性を大切にしてダメにしないようにすること。要するに、本心や本性を養い育てること。そうすることで心の健康を増進して芯を強くします)。

(8)
 聖人や賢人のいろんな言葉は、要するに、散漫になってしまった心をとりまとめ、もとに戻して再び身につけること、それが人にできるようにさせようとしているにすぎません。自分で自分の本心を探求して向上していけば、それはいわゆる「下学して上達すること=身近なことを学んで高遠な境地に達すること」(『論語』)になります。
(朱子は「聖人や賢人のいろんな言葉は、ただ人がその本心を失わないことを求めているにすぎません」と言っています)。

(9)
 李?の質問。「何らかの出来事や事件に出会うたびごとに操存(心をなくさないようにすること)をする意味については、分かりました。しかし、別にこれといったこともないときには、どうやって存養(本心や本性を養い育てること)をすれば、十分なことができるのでしょうか」。
 返答。「昔のりっぱな人は、耳で音楽を聞くにしろ、目で礼儀を見るにしろ、日常生活をいとなむにしろ、ともあれ何をするにしても、日常生活用品には必ず名言や訓戒が記してあったので、つねに心を養うことができました。今では、そのようなことはまったくありません。ただ理(道理)をなくさず義(ただしく)することで心を養うことがあるだけです。ただそういった涵養(心の根本を養うこと)をしようという意志を失わないことです。そうしていれば、おのずと心が成熟していくでしょう。敬(しっかり)して心をまっすぐにすることが、涵養の内容です」。

(10)
 かつて呂与叔が、こう言いました。
「雑念が多いことを悩んでいるのですが、それをなくすことができません」
 先生は言いました。
「これはちょうど、ぼろぼろの家のなかにいて、盗賊の侵入を防ごうとしているようなものです。東からやってきた盗賊をおいはらえないうちに、西から新たな盗賊が侵入してきます。左右前後、どこからでも侵入してきて、完全においはらう暇がありません。思うに、ぼろぼろの家は、四方のかべがくずれているので、盗賊が侵入しやすく、その家の主として盗賊からその家を守ろうにも、守りようがないものです。からっぽの容器を水のなかに入れると、容器のなかに自然に水が入ってくるようなものです。もし、すでに水の入った容器であれば、水のなかに入れたとしても、よけいな水は入ってきません。思うに、なかに主がいれば充実し、充実すれば外患が入ってくることはなく、自然に無事になるものです」

(11)
 先生が?和叔に言いました。
「私たちは、精力(物事をやりとげる力)を大事に養うことが大切です。精力が少しでも欠けると、だらけます。何をするにしても無理していやいやすることになって、誠の心をなくします。ふだんの人との接し方にもまた、そのような不十分さがみられるようになります。ましてや、重大な出来事への対処など、とうていできません」

(12)
 明道先生が言いました。
「学ぶ人は、心を完全にわがものとしなければいけません。(少しも放心してはいけません)。学びがまだ不十分であっても、何かあれば、それに対処しないわけにはいきません。ただ自分にふさわしいやり方で対処するなら、完璧だとは言えないにしても、悪くはなくなります」
(放心=他のことに気をうばわれてぼんやりすること。このときには主体性をなくしています)。

(13)
『論語』に「ふだん家にいるときには恭(きちんと)し、何か仕事をするときには敬(しっかり)し、人といっしょにいるときには忠(まごころ)であるようにします」とありますが、これは上から下まですべてに通じる話で、聖人はもともと上下を区別したりなどしません。

(14)
 伊川先生が言いました。
「学ぶ人は、敬(しっかり)して心を守ることが大切です。あせってはいけません。深く厚く心を養い育てるべきで、そのことにじっくりと専念して、はじめて自分で心に悟ることができます。ただ効果をあせって求めることは、それは私意であって、いつまでたっても道(道理)に到達することはできません」

(十五)
 明道先生が言いました。
「『詩経』に「思い邪(よこしま)なし(思いが純粋である)」とあり、『礼記』に「敬せざるなかれ(つねに敬(しっかり)せよ)」とありますが、この二つの言葉を守って生きていれば、まずまちがうことはありません。まちがうのはすべて、敬(しっかり)せず、正しくないことによるのです」

(十六)
 今の学ぶ人は、敬(しっかり)していても、何も得るところもなければ、心が安らかになることもありません。それは、①心が未熟だからであり、②また、敬を何か重大なものとかんちがいしているからです。その②は、『論語』に言う「恭(きちんと)していても、礼(ほどよさ)がなければ、疲れる」ということです。
 ここで言う「恭」とは、意図的にそうすることです。(たとえば、規則に定められているから、困っている人を助けること)。また、ここで言う「礼」とは、一定の形にはまるものではなく、自然にそうなるようになっていることです。(たとえば、自分本来の良心からほうっておけないので、困っている人を助けること)。
 ただ意図的に見た目をよくしようとするだけで、自然にそうなるようになっていることをなさないので、疲れるばかりで、ぎこちなくなるのです。(一般的に言って、不自然なことをしていれば、疲れるし、ぎこちなくなるものです)。大切なことは、『論語』に言う「見た目が恭(きちんと)していて、しかも心が安らかである」ことです。(要するに、中身と見た目の調和が大切ということです)。
 今、外見をきちんとし、言葉を正しくするのは、そうすることによって自分をりっぱに見せ、人からよく思われたいからではありません。ただ自然なあり方として、そうなるのが当然だからです。(すなわち、自分本来の善さが表に現れることによって、表面がおのずとよくなるようになっているのです)。もとから(たとえば作為して自分の見た目をりっぱに飾りたてようとする意図などの)私意はありません。ただ理(道理)に従っているだけのことです。(人の理は、特に性と呼ばれます)。

(17)
 現在、義理(道理)に志していながら、心に安らかさと楽しさがないのは、どうしてでしょうか。それは、まさに「苗の成長を早めようとして引っぱったために、かえってその苗をダメにしてしまった」という故事(助長)のような余計なことをしているからです。
 確かに心は、しっかりとつかまえていればなくならないし、ほったらかしにしていれば失われるものです。しかし、心を保つことにこだわりすぎるなら、それは「自分をよりよくする努力をしつつも、効果をあげることばかり考えている」のであり、これまたしばらく余計なことをしていくことになります。
 以上のような人は、ただ徳(自分が本来もっている良さ)が縮こまっているのです。しかし、徳は縮こまったものではなく、必ず膨らんでいくもので、徳が成熟すると、おのずと順調になり、すべてから学べるようになります。

(18)
 敬(しっかり)して自分をなくさずにいるときは、喜怒哀楽といった情がいまだ発していない状態(心が静かに保たれている状態)にあり、そんな状態のことを中(ほどよい)と言います。
 しかし、敬と中とは同じではありません。敬(しっかり)して自分をなくさずにいるのは、中(ほどよい)であるための方法です。
(中=過不足なく適当であること。自分の場合で言うと、自分以上でもなければ、自分以下でもなく、本当の自分であること)。

(19)
 司馬子微は、かつて「(心が乱されないようにするために)何もかも忘れること」を主張しました。しかし、そんなことが必要になるのは、心におちつきがないからにすぎません。(すなわち、心におちつきのある人は、わざわざ何かを忘れる努力をしなくても、余計なことに心が乱されることはありません。何か作為してよくなるのではなく、自然によくなることが大切です)。

(20)
 明道が、昔、長安に住んでいたときのことです。明道は役所の倉庫のなかに座って、長い廊下の柱の数を数えてみたことがありました。数えたあと、その結果に納得していたのですが、また数えてみました。すると、最初に数えた数とは違った数になりました。そこで、やむをえず、人に一本一本、声を出して数えさせました。結果は、最初の数と同じでした。これによって明道は、心というものは、何かに執着すればするほど、その信頼性が低下することを知りました。(数にこだわるのは、神経症の一種です)。

(21)
 人が心の主人となって定まることができないのは、たとえば、水車が水に流れされてグルグル回って、まったく停止することがないようなものです。いろんなことが心にやってきたとき、自分が主人となっていなければ、どうしようもありません。(それに盲目的に流されて動かされるだけです)。
 張天祺は、その昔、「私は自分で年数を決めて、その間、ベッドに入ってからは何も考えられないようにした」と言っていました。何も考えなくする以上は、無理に心をつかんで縛りつけるか、何らかの形象のなかに心をはめこむかしなければなりません。しかし、それらはすべて自然なことではありません(不自然なことです)。
 また、司馬光は、「私はいい方法を会得した。ひたすら心のなかに「中」の字を思うのだ」と言っていました。しかし、これもまた「中」の字で心を無理に縛りつけているだけです。それに「中」の字を思うと言っても、それはどんな形象(イメージ)なのでしょう。
 心のなかにつねに二人の人がいるような人がいます。たとえば、「善いことをしよう」と思っても、悪意がそれを邪魔したり、「悪いことをしよう」と思っても、善意がそれを阻止したりする、というような人です。しかし、そのような人も、もともと自分のなかに二人の人間がいるわけではありません。(心の本体は、あくまでも一つだけです)。それは、善意と悪意という二つの相反する心の動きがぶつかりあっているにすぎません。
 そこで、志をしっかり保ち、気が乱されないようにすれば、おおいに効果があがるでしょう。結局のところ、聖人や賢人は、心のわずらいに悩まされることがありません。

(22)
 明道先生が言いました。
「私は、字を書くとき、とても敬(しっかり)します。それは、きれいな字を書きたいからではなく、そうすることも学びだからです」
(あせる気持ちをなくせるように訓練するわけです。朱熹の書いた『童蒙須知』にも、同じような教えがあります)。

(23)
 伊川先生が言いました。
「聖人は、わざわざ記憶しようとはしません。そのために、よく記憶することができます。今の人が忘れやすいのは、わざわざ記憶しようとするからです。記憶することができず、対処の仕方がまずいのは、すべて心の養い方が不完全であることに原因があります」

(24)
 明道先生は、地方の長官をしていたとき、橋の修理をしました。そのとき、ちょうどいい材木が一本、どうしてもみつからなかったので、ひろく民間に求めました。それ以来、外出してよい材木をみつけるたびに、「橋作りに使えるかな」と、つい考えてしまう癖がついてしまったとのことでした。明道先生は、その話をしては、「心が何か一つのことにとらわれてはいけませんね」と言って、学ぶ人を戒めました。

(25)
 伊川先生が言いました。
「道(道理)に到達するためには、敬(しっかり)することが最適です。知(ちえ)を致(のば)せている人は、必ず敬(しっかり)するようになります。(知者になると、低俗ではなくなるので、おのずとしっかりしてくるものです)。
 今、人が、心の主人となって定まることができず、心をまるで恐ろしい盗賊のようにみなしてうまくコントロールすることができないのは、その人の心がいろんなことにわずらわされているからではなく、その人の心がいろんなことをわずらっているからです。(自分の心が乱れる原因を安易に自分以外のもののせいにするような人は)世の中には一つとして不必要なものもなければ、一つとして憎めるものもないということを知らなければなりません」

(26)
 人には、かけがえのない天理があります。それにもかかわらず、それをなくさないようにすることができません。さて、いったいどんな人になるのでしょう。(天理をなくさないためには、敬が有効です)。

(27)
 人があれこれと思い悩み、心が安らかになれないのは、ただ心の主人となって定まることができないからにすぎません。心の主人となって定まりたければ、事にとどまることです。「人民の指導者となったときには、(指導者らしく)仁にとどまる」といったことなどが、それです。
 たとえば、名君の舜が「四凶」と呼ばれる四人の悪者を罰したのは、「四凶」がすでに悪いことをしていたから罰したのです。(善は本来、ほめられるべきものです。また、悪は本来、罰せられるべきものです)。舜の主観は、まったく関係ありません。(事にとどまるとは、それぞれの場合にふさわしいことをすることです。たとえば、相手が「悪人」なら、相手は「悪人にふさわしい処遇」を受けるのが当然です。また、自分が「大人」なら、自分は「大人にふさわしい行動」をするのが当然です。これにより、物事の本来あるべき姿がきちんと保たれます)。
 人が「それ」の本来あるべき姿を重んじることができないのは、「それ」をとりあつかうにあたって、「それ」を「それ」らしくさせないからです。「それ」を「それ」らしくさせれば、「それ」を本来あるべき姿にさせることができます。しかし、だからといって、反対に自分が「それ」になれば、今度は自分の本来あるべき姿が失われます。「物があれば、必ずそれ固有の本来あるべきあり方がある」ものです。大切なことは、そういったそれ固有の本来あるべき姿を重んじることです。(つまり、犬を犬らしくさせ、人を人らしくさせ、自分を自分らしくさせるというように、理にかなったことをすることが大切なのです)。

(28)
 人を動かすことができないのは、ただ誠が十分ではないからです。何かしているとき、それが嫌になりあきてしまうのは、すべて誠からはずれたことをしているからです。

(29)
 心が安らかになってから万物を見れば、おのずとすべてが生き生きとして見えます。

(30)
 孔子は、仁の説明としては、ただ「外出したときには、会う人みんなをとても大事な客のようにみる。民衆に仕事をしてもらうときには、大祭を行うときのように慎重にする」と言っているだけです。
 仁である人(聖人)の様子はというと、心はひろびろ、体はのびのびしており、何をするにもぴったりと礼(ほどよさ)にかなってまったく自然です。ただ独りを慎むことこそが、仁をなくさないための方法です。(独りを慎むこと=たとえ一人でいて、だれにも見られる心配がなくても、みずからの良心に従い、決して悪いことをしたりしないこと)。
 聖人は、敬(しっかり)することによって自分自身を修養し、そうしてみんなを安らかにします。上に立つ者がとても恭(きちんと)していてはじめて、天下は太平になるのです(修己治人)。上の者から下の者まで、そのだれもが恭(きちんと)し、敬(しっかり)していれば、天地はおのずと安定し、万物はおのずと育まれ、和気が世界をつつみ、めでたいまえぶれである四霊(竜・鳳・麟・亀)もやってきます。
 以上が信頼を身につけ、万物と調和する方法です。聡明叡知もまた、以上の方法によって身につきます。こうして、天帝につかえるのです。(天帝=宇宙の根本。天帝につかえる=天にのっとって生きる)。

(31)
 存養(本心や本性を養い育てること)が十分にできてから、ゆったりとよゆうをもって実践していけば、進歩があるでしょう。

(32)
「たとえ神様に見られても恥ずかしくない」と言えるようにすれば、心は安らかになり、体はのびのびします。

(33)
 心は一身のなかにあることが大切です。(すなわち、「心ここにあらず」という状態になって、自分を見失ってはいけません)。

(34)
 外に向かって心に少しでもスキがあると、心はどこかへ走り去ってしまいます。(たとえば、集中力がなければ、注意散漫になります。)

(35)
 人の心は、つねに生き生きしようとしていれば、きわまりなくスムーズに機能して、かたすみで滞ってよどんだりなどしません。

(36)
 明道先生が言いました。
「『易経』に「天地の位置が安定して、そのなかでいろんな変化が行われる」とありますが、それは天地が敬しているにすぎません。人も敬していれば、間断がなくなります」

(37)
 つねに敬(しっかり)していなさい。そうすれば上帝に会うことができます。(上帝とは、言い換えれば、万事万物の根拠となっている理のことです)。

(38)
 敬(しっかり)することは、多くの邪悪に打ち勝ちます。

(39)
 敬(しっかり)して心をまっすぐにし、義(ただしく)して行動をきちんとするのは、仁(よいこと)です。しかし、心をまっすぐするために敬を用いるならば、心はまっすぐになりません。自分をよりよくする努力をしていても、早く効果をあげようとすることがなければ、心はまっすぐになります。(作為して善くするのではなく、自然に善くなることが大切です)。

(40)
 涵養(心の根本を養うこと)をすると、自分は一です。(一=他に心を奪われないこと=心に主体性が確立すること。)

(41)
 孔子は川辺で「ゆくものは、かくのごときかな。昼夜をおかず」と言いましたが、この言葉について、漢王朝の時代以来、儒学者はみんな、その意味について分かっていません。
 この言葉は、「聖人の心は、純粋そのものであり、また無限なものである」ということを表現しているのです。純粋にして無限なものは、天徳です。天徳を身につけることができれば、王道について語ることができます。天徳を身につける要領は、独りを慎むことにあります。
(独りを慎むこと=たとえ一人でいて、だれにも見られる心配がなくても、みずからの良心に従い、決して悪いことをしたりしないこと)。

(42)
『易経』にある「蒙(道理に暗いこと)」の部分説明(爻辞)の三番目(三爻)に、「身を保たない。いいことはない」とあります。それは、こういうことです。
 自分が確立していなければ、良いことをしようとしていても、外物にとらわれてしまいます。どうしてなにものにも動じないでいることができるでしょうか。自分が確立していると、おのずとすべてにうまく対応できるようになります。(外物=自分の心身以外のもの。利益、名声、地位など)。

(43)
 伊川先生が言いました。
「学ぶ人は、心が乱れて安らかになれないのを気に病んでいます。こういったことは、世間一般に共通した病気です。学ぶ人は、ただ自分の心を定めることが必要なだけです。そうしてはじめて物事をはかり考えることができます」
(心がしっかり定まっていれば、つねにおちついてよく考えることができるものです)。

(44)
 邪(よこしま)が外から自分のなかに入ってくるのを防げば、おのずと誠が保たれます。これは、外から何か一つ誠と言えるようなものをもってきて、それを心になくさないようにするということではありません。今の人は、自分をとりまく外の世界にある不善に苦しめられながらも、そんな不善のなかから何か善をみつけだしてきて、それを心にしっかり守ろうとしています。しかし、このようであれば、どうして本当に善くなることができるでしょうか。ただ邪が外から自分のなかに入ってくるのを防げば、おのずと誠が保たれるのです。
 それで孟子は「性善説」を説いて、善なるものはすべて自分の内面から出てくるとしているのですが、それは私たち自身のなかにもともと誠があるからにすぎません。邪が外から自分のなかに入ってくるのを防ぐためには、いったいどのような努力をすればいいのかと言うと、それにはただ容貌をきちんとし、思慮を整えさえすれば、おのずと敬(しっかり)してきます。(容貌をきちんとすること=たとえば軽挙妄動をしないようにすること。思慮を整えること=たとえば物事をすじみち立てて冷静に考えるようにすること)。
 敬(しっかり)するとは、ただ一を主とすること(心が散漫にならないようにすること)にすぎません。一を主としていれば、東にかたよったり、西にかたよったりすることがないのですが、そのようであるなら、それは中にほかなりません。(中=過不足なく適当である状態・本当の自分である状態)。また、こっちふらふら、あっちふらふらすることがないのですが、そのようであるなら、それは内にほかなりません。(内=心がここにある状態・自分を見失っていない状態)。この中と内とをなくさないようにすれば、天理はおのずと明らかになります。学ぶ人は、敬(しっかり)して心をまっすぐにすることによって、自分の心を養うことが大切です。心をまっすぐにすることが根本です。
(本註:尹彦明が言いました。
「敬とはどんな感じのものかと言えば、ただ(主体性を確立するために)心身をひきしめることにすぎず、それが一を主とするということです。たとえば、人が神様を祀っているほこらに行って敬虔な気持ちになったとき、その心はひきしまります。そんなときには、心が散漫になることがない以上、一を主としていると言わずして、何と言うことができるでしょうか」)。

(45)
 邪(よこしま)が外から自分のなかに入ってくるのを防ぐときには、もちろん自分は一です。しかしながら、一を主とすること(心が散漫にならないようにすること)をすれば、わざわざ邪が外から自分のなかに入ってくるのを防ぐことは必要ありません。
 その際、「一とは分かりにくいもので、どのように努力すればいいのか分からない」と言う人がいるかもしれません。一とは、ほかでもなく、外見がきちんとしていて、中身がしっかりしていることです。そのようであれば、心は一です。(すなわち、心は散漫になることなく、心に主体性が確立します)。心が一であれば、邪悪なものにおかされることはありません。
 以上のように心がけて心の根本を養っていくことを久しく続けていれば、天理がおのずと明らかになります。

(46)
 質問。「心の動きがないとき(たとえば、ぐっすりと眠っているとき)には、心はどこに宿っているのですか」。
 返答。「『孟子』にあるように、心は、しっかりつかまえていれば存するし、ほったらかしにしていれば失われるもので、どんな動きをするのか予測のつかないもので、どこに住んでいるのか分からないものです。それなのに、さらに、どこに宿っているのかを探すことができるでしょうか。私たちにできるのは、ただ心を保持することだけです。心を保持する方法は、敬(しっかり)して心をまっすぐにすることです」
(心を保持していると、心をなくさずにすむので、心ある人になれます)。

(47)
 敬(しっかり)していると、おのずと心がさっぱりし、静かになります。しかし、心がさっぱりし、静かであることを、敬(しっかり)しているとすることはできません。

(48)
 学ぶ人がまず努めるべきことは、もちろん心のことです。しかしながら、①「(心を無にするために)見たり、聞いたり、知ったり、考えたりすることを除去したい」と言うことがあるなら、それは「すぐれた知恵をたちすてる」ことです。また、②(心を無にするために)考えたり、思ったりすることを除去しようとしながらも、つい余計なことをあれこれ考えたり、思ったりして心が乱れてしまうことを悩んでいるといったことがあるなら、異端の教えにならって「坐禅入定」するほかありません。(私はそんなことはしませんがね)。(坐禅入定=雑念を去って無念無想の境地に入ること)。
 たとえば、ここにきれいな鏡があったとします。そのきれいな鏡は、いろんなものを映します。そのようにいろんなものを映すのが、鏡本来のあり方であって、鏡に「ものを映すな」と言ったとしても、それはどだい無理な話です。これと同じく、人の心も内外のいろんな刺激を受けとり、それに応じていろいろ考えたり、思ったりするもので、心に「考えたり、思ったりするな」と言ったとしても、それは無理な話です。
 もし余計なことをあれこれ考えたり、思ったりして心が乱れてしまうことをなくしたいのなら、心に中心をあらせることです。何を心の中心とするかと言えば、それは敬(しっかり)することです。心に中心があれば、心は虚(さっぱり)します。ここで言う虚(さっぱり)とは、邪まなものが心のなかに入りこめないことです。反対に、心に中心がなければ、心は実(ごたごた)します。ここで言う実(ごたごた)とは、よけいなものに心が奪われることです。
 一般的に、心というものは、同時に二つのことをすることができないもので、あることに集中していれば、他のあることに注意を奪われることはないものです。このように何かを心の中心にすえるだけで、心は乱れなくなるのですから、ましてや敬(しっかり)することを中心にすえた場合、どうして心が乱れたりするでしょうか。
 いわゆる敬(しっかり)するとは、一を主とすること(心が散漫にならないようにすること)です。いわゆる一とは、ゆくことなきこと(他に心が奪われないようにすること)です。しばらくは一を主とすることの意味にじっくりとひたることです。一でなければ、二になり、三になり(余計なことをあれこれ考えたり、思ったりして、心が乱雑になっていき)ます。「ウソをつかないようにすること(正直であること)」「なまけないようにすること(実力を出すこと)」「たとえ神様に見られようとも、まったく恥ずかしくないと言えるようにすること(みずからの心の声をあざむかずに生きること)」、それらもすべて敬することの仲間です。

(49)
 威厳あることや厳格であること(など、見た目のしっかりさ)は、敬(しっかり)することの本来の姿ではありません。ただし、敬(しっかり)しようとするなら、そのように自分に厳しくすることから始めることが大切です。

(50)
 聖人君子の舜は、せっせと善いことをしました。しかし、何もないときには、いったいどのようにして善いことをしたのでしょうか。それは、敬(しっかり)することを中心にしていたのです。そうすることが、善いことをすることになるのです。この点からみると、聖人の生き方というものは、(「君子は黙して語らず」とよく言われますが)ただ黙っているだけで、何も考えていないというわけではないことが分かります。
(何もないときの敬は、主静、存養、静坐などで、簡単には心の根本を養い育てることです。何かあったときの敬は、省察、察識、慎独などで、簡単にはみずからの心の声の命じるままに行動することです)。

(51)
 質問。「人がくつろいでいるとき、その外見がだらしなくても、その心さえしっかりしていれば、それでいいでしょうか」。
 返答。「だらしなく座っていながら、心がしっかりしている人など、はたしているでしょうか。(たとえば、酔っぱらいは、だらしなくて、しかも心神喪失状態にあります)。
 かつて呂与叔が、あの暑い六月に、わざわざ遠くから訪問してきてくれました。私は、呂与叔が一人でくつろいでいるとき、何度かそのようすをそっとのぞいてみたのですが、いつも(だらけることなく)きちんと座っていました。まったくまじめな人だと言えます。
 学ぶ人は、恭(きちんと)し、敬(しっかり)していることが大切です。ただし、あまり無理して窮屈になってはいけません。無理して窮屈にやっていれば、まず長続きしないものです」

(52)
 質問。「もし、あれこれ考えたり、思ったりすることが多くても、それらがすべて正しいことであれば、害はないでしょうか」。
 返答。「たとえば、墓地にいるときには敬(しっかり)するようにし、朝廷にいるときには荘(おもおも)しくするようにし、軍隊をひきいるときには厳しくするようにします。そのようにすることは、正しいことです。(時と場合にあったことをすることが大切です)。もし、どんなことを考えるにしろ、どんなことを行うにしろ、それが時宜にかなったものではなく、乱れた節度のないものであれば、正しいことをしていても、結果的には悪くなります」。

(53)
 蘇季明の質問。「(『中庸』に「喜怒哀楽といった情が未だ発していない状態、これを中という」とありますが)喜怒哀楽といった心の動き(情)が起きる前に、「中」を求めることは可能ですか」。(中とは、過不足なく適当であることです。自分の場合で言うと、自分以上でもなければ、自分以下でもなく、本当の自分であることです)。
 先生。「それはできません。すでに「心の動きが起きる前に中を求めよう」と思っていますが、そう思うこともまた、心の動きです。(本註:心の動きには、喜怒哀楽だけでなく、考えることもあります)。心が動いているとき(に、ほどよくあること)は「和」であって、「中」ではありません」
 蘇季明。「呂与叔は、「喜怒哀楽といった心の動きが起きる前に求めるべきだ」と言っていますが、これはどうなのですか」
 先生。「もし「喜怒哀楽といった心の動きが起きる前に存養をする」と言うのなら、それは悪くはありません。(存養=本心や本性を養い育てること)。しかし、もし「喜怒哀楽といった心の動きが起きる前に中を求める」と言うのなら、それはいけません」
 蘇季明。「学ぶ人は、喜怒哀楽といった心の動きが起きた場合、もちろん(たとえば感情的にならないようにしたり、悪い心を抑え善い心を伸ばしたりなどして)心の動きをうまくコントロールすべきです。しかし、そういった心の動きがまだ何も起きていないときには、いったいどのような努力をすればよいのですか」
 先生。「喜怒哀楽といった心の動きが起きる前においては、(心の動きがない以上、そのときには、ぐっすりと眠っているときと同じで、意識がないのですから)何もしようがありません。ただ、ふだんから涵養(心の根本を養うこと)をしていれば、それで十分です。涵養を長いことしていれば、喜怒哀楽といった心の動きはすべて、おのずと時宜にかなったほどよいものになります。(たとえば、怒るべきときに怒り、喜ぶべきときに喜ぶようになります)」
 蘇季明。「中であるときには、(無意識なのですから)耳では何も聞くことができず、目では何も見ることができないのでしょうか」
 先生。「耳で聞くことや、目で見ることはできないにしても、そういった見聞を成り立たせている原理といったものはあります。君は、心の動きのない静の状態(意識のない無意識の状態)のとき、どんな状態にありますか」
 蘇季明。「何かものがあるとは言えませんが、何かを認識するはたらきはあります」
 先生。「何かを認識するはたらきがあるのなら、それは動(意識のある状態)です。どうして静(意識のない状態)だと言えるでしょうか。人は、『易経』にある「復はそれ天地の心を見る」という言葉の説明として、「至って静かなる状態(無意識の状態)になると、天地の心を見ることができるのだろう」と言っています。しかし、それはまちがいです。「復」は、動です。(なぜなら、「復」とは、陽の復活してくることだからです)。それなのに、どうしてそれを静と言うことができるでしょうか」
 それを聞いていた、ある人の質問。「これは動(意識)のうえにおいて、静(無意識)を探求することではないでしょうか」
 先生。「もちろん、そのとおりです。しかしながら、それはとても難しいことです。仏教では「定(坐禅入定)」を説きますが、儒学では「止(本来あるべき状態にとどまること)」を説きます。たとえば、「人民の指導者(君主)となったときには、仁にとどまり、全体の奉仕者(臣下)となったときには、敬にとどまる」と言うときの「止」です。『易経』にある「艮」の説明は、その「止」の意味について説明しています。すなわち「止」とは、「そのとどまるべきところにとどまること」です。多くの人は、そのように「(自分の本来あるべき状態に)とどまること」ができていません。というのも、万事万物にはそれぞれ、それ固有のよさがあるものですが、人にはそういった万事万物の固有のよさをみぬく能力があるので、何かに出会うたびに、そのよさを知り、(自分本来のよさを忘れて)それに気を引かれてしまうからです。(たとえば「隣のボタモチは大きく見える」ものです)」
 ある人。「先生は、喜怒哀楽といった心の動きが起きる前の説明として、静を用いますか、それとも動を用いますか」
 先生。「静と言えば、いいでしょう。しかしながら、静のなかに把握できるものがあるようにして始めて分かります。このことは、なかなか分かりにくいことです。ともあれ学ぶ人は、なによりもまず敬(しっかり)することを理解し、会得することです。敬(しっかり)することができれば、そのことが分かるでしょう」
 ある人。「敬(しっかり)するためには、どのようにすればいいのですか」
 先生。「一を主とすること(心が散漫にならないようにすること)が一番です」
 蘇季明。「私は、思慮が定まらないことをいつも悩んでます。たとえば、あることを考えていても、それを考え終わらないうちからすぐに、他のよけいなことを考えてしまいます。(こんな散漫な心を)どうしたらいいでしょう」
 先生。「いけませんね。それは誠ではなくなる原因になります。(誠ではなくなると、心が不自然になって、ゆがんでしまいます)。大切なことは、(心が散漫にならないように)何度も訓練することです。何度も訓練して、つねに一であることができるようになれれば、よくなります。(一=他に心を奪われないこと)。何を考えるにしても、何を行うにしても、つねに一であろうとすることが必要です」

(54)
 人は、寝ているときに見た夢を通しても、自分の学問の進みぐあいの「深い」「浅い」をうかがい知ることができます。たとえば、いやな夢を見た場合には、心が定まっておらず、操存が十分ではないのです。(操存=心をなくさないようにすること)。

(55)
 質問。「心が何か善いことにとらわれていて、夜、寝ているときにそれを夢に見ることは、害がありますか」
 返答。「たとえ善いことであったとしても、心が定まっていないことには変わりがありません。一般的に、何かの起こるまえぶれとして夢に見るのなら、まったく害がありません。それ以外の場合は、すべて心が妄動しているのです。人の心は、定まっていることが大切です。Aと思うべきときにAと思うのなら、心は正しい状態にあります。今の人はみんな、心まかせにしています。(それはいけないことです)」
 質問。「心を働かせるにあたり、何を中心とすればいいのですか」
 返答。「主体性をもって心を働かせるといいでしょう。人の心は、ほったらかしにしていれば、ダメになってしまいます」

(56)
『孟子』にある「意志を持(たも)ち、気力を暴(そこ)なうな」とは、内(心)と外(体)とがお互いに養いあうことです。

(57)
 質問。「『論語』に言う「辞気を出す(言葉つきをよくする)」を実践するにあたり、言葉のうえで努力することはないのですか」
 返答。「大切なことは、自分の内面を養い、おのずと言葉が理にかなうようにすることです。(もし、うまいことを言うために言葉を飾る努力をするなら、それは無意味なことです)。ただし、言葉を慎重にして、デタラメなことを言わないようにすることに関しては、そうする努力をすることが大切です」

(58)
 先生が言いました。
「私は生まれつき体が弱く、三十歳になってようやく強くなり、四十から五十歳くらいになってはじめて、人なみの健康体になれました。今や七十二歳となりましたが、今の筋骨を若いころとくらべてみても、まったく老けてはいません」
 私(張繹)は言いました。
「先生は、生まれつき体が弱かったので、十分に養生に努められていたのですね」
 先生は、しばらくしてから言いました。
「私は、生きることを忘れて、欲望のおもむくままになることを、とても恥ずかしいことだと思っています」

(59)
 一般的に、心をしっかり定めて乱さないことがきちんとできない人は、みんな不仁の人(ひどい人)です。(心を保てない人は、心ない人、すなわち不仁の人になります)。

(60)
 伊川先生が言いました。
「知(ちえ)を致(のば)すにあたっては、養う方法があります。知(ちえ)を養うためには、欲を寡(すく)なくすることが一番です」
(欲を寡なくすること=欲を人間らしくコントロールして、欲のおもむくままに流されないように注意すること)。

(61)
 心の安定している人は、その言葉が的確で、ゆったりしています。
 心の安定していない人は、その言葉が浅はかで、せかせかしています。

(62)
 明道先生が言いました。
「人には四百四もの多くの病気がありますが、どれも自分の思いどおりになりません。しかし、心は自分で管理することが大切です」

(63)
 謝顕道は、扶溝というところで、明道先生に学んでいました。
 ある日、明道先生が(その門人たちに)言いました。
「みなさんは、ここで私に学んでいますが、ただ私の言葉を学んでいるだけです(深く学べていません)。ですから、みなさんの学びは、「心に思うこと」と「口で言うこと」とがくいちがってしまうのです。どうして学んだことを実践しないのですか」
 謝顕道は、どうすればいいのかを質問しました。
 明道先生は、言いました。
「しばらく静坐をなさい」(静坐=心の根本を養うために、ひとり静かに座ること)。
 伊川は、人が静坐をしているのをみかけるたびに、「よく学んでいるなあ」と感心しました。

(64)
 横渠先生が言いました。
「学び始めたばかりの人にとって重要なことは、『論語』にある「三カ月もの長きにわたって仁であったこと」と、「月に一日ほど仁であること」との違い、すなわち、「前者は仁が主人として内にいるのであり、後者は仁が客として外からやってきているのである」ということを知り、仁が主人として内にいるようになるように努力をおこたらず順々とやっていき、それをやめられないようにすることです。これを過ぎれば、これといった努力をしなくても、おのずと進歩していくようになります」

(65)
 心がスッキリしているときは少なく、心がゴチャゴチャしているときは多いものです。心がスッキリしているときは、見るときにはあらゆることを見分けることができ、聞くときにはあらゆることを聞き分けることができ、身体は、別に無理しておさえつけなくても、おのずと恭謹(きちんとした状態)になります。心がゴチャゴチャしているときには、それとは反対になります。
 このようになるのは、どうしてでしょうか。思うに、心の用い方が未熟で、雑念が多くて定まった心が少なく、俗習にとらわれており、本心がいまだ完成されていないからです。
 人はまた、心を強くする必要があります。心が弱いと、真に自立することはできません。世間には、生まれたときから喜怒の感情をもてないほど心が衰弱している人もいます。そのような人もまた、心を強くする必要があります。心が強いと、自分をしっかり保つことができて邪悪なことにおちいることがなくなり、勇敢に道(道理)をめざしていけます。私(張横渠)は、人間一般からみて、勇ましさが人よりも多くあります。

(66)
 たわむれふざけることは、いろいろと害のあるものですが、志をも気の向くままに押し流してしまいます。たわむれふざけることを慎むこともまた、気をしっかり保つ方法です。
(気の向くままに生きていると、「性にあった生き方」「理にかなった生き方」ができません)。

(67)
 心を正しくする出発点は、自分の心を(信じて)厳格な先生のようにみなすことです。そうすると、何をするにしても(「心の声」を厳格な先生の話を聞くときのように真剣に聞くようになり)気をつけるべき点について分かります。このようなやり方を一、二年ほどかたく守っていけば、心はおのずと正しくなります。


(68)
 心が安定してから、はじめて光明になれます。(光明=心に曇りがなく、心が明るく晴れわたっている状態。要するに、道理に精通している状態)。もし心がつねにふらふらしていて安定しなければ、どうして光明を手に入れることができるでしょうか。『易経』では、「艮」を「止」と解釈しています。そこには、「とどまることができてはじめて光明になれる」とあります。ですから、『大学』では、「安定してから、よく考えることができるようになる」としているのです。人の心が安定せず散漫だと、光明とは無縁になります。

(六十九)
『易経』に、「動静がその時を失わなければ、その道は光明である(何かするにしろ、何もしないにしろ、その動静が時宜にかなうようにしていれば、道理に明るくなる)」とあります。学ぶ人は、「動くべきときには動き」「静かにすべきときには静かにする」というようにしていれば、道理というものが、隠れて見えなくなることがなくなり、明らかに見えるようになります。今の人が、長いこと学んでいるにもかかわらず、なんら進歩も向上もしないのは、「すべきとき」と「せざるべきとき」とが分かっていないからです。他人が何かごたごたしていると、こちらに関係のないことであるにもかかわらず、こちらの修養もゆるんでしまいます。そのような人は、聖人になるための学問の観点からみると、とても愚かですし、ぐうたらしています。そして、そのまま一生を終わってしまうわけですが、はたしてそれで「光明(道理に明るい)」と言えるでしょうか。

(70)
 敦篤(誠実)と虚静(虚心)とは、仁のもとです。敦篤とは、軽率であったり、妄動したりなどしないことです。虚静とは、心にとらわれがあったり、心が曇っていたりなどしないことです。このことは、(言葉で分かっても)すぐさま深く理解するのが難しいことです。もし、それを知りたければ、道(道理)に長いこと関わって、それを十分に体得することが大切です。そうしてはじめて、その味わいが分かり(深く理解することができ)ます。『孟子』にあるように、「仁もまた成熟させることが大切だ」というわけです。

第五巻 改過遷善克己復礼~心の動きを正す

(1)
 濂渓先生は、次のように言っています。
『易経』の「乾」の説明にあるように、君子は、うまずたゆまず努力して、誠をなくさないようにします。しかしながら、次のような二つのことをしてはじめて、誠をなくさずにいることができます。
 ①一つは、『易経』の「損(減らすこと)」の説明にあるように、怒りに我を忘れたり、欲望のおもむくままに流されたりなどしないように、十分に気をつけることです。(つまり、自分のよけいな怒りや欲望を減らすわけです)。
 ②もう一つは、『易経』の「益(増すこと)」の説明にあるように、善を見ればそれを見習い、過失があればそれを改めることです。(つまり、自分の足りない部分を増すわけです)。
「乾」の使い方としては、これほど善いものはありませんし、「損」と「益」の大事さとしては、これ以上のものはありません。聖人の考えには、まったく深いものがありますね。(私たちの本性は善そのものですが)動くときには吉(幸運になる)・凶(不運になる)・悔(後悔する)・吝(いきづまる)が出てきます。ああ、善いものである吉は(四つのなかの)一つだけです。動くときに慎重にしないでいいでしょうか。

(2)
 濂渓先生が言いました。
「孟子は、「心を養うには、欲を少なくすることよりもいいことはない」と言っています。しかし、私の場合、欲を少なくすればそれでいいとは思いません。というのも、少なくしていくことで、最終的には無くしてしまえば、①誠が確立し、②聡明となりよく分かるようになるからです。①誠が確立しているのは、賢人です。②聡明でよく分かっているのは、聖人です」

(三)
 伊川先生の話。
 顔回が「克己復礼(人欲を去って天理に復すること)」の細目を質問したとき、孔子は「礼(ほどよさ)から外れているのであれば、見たり、聞いたり、言ったり、したりしないようにしなさい」と答えました。
 視・聴・言・動の四つは、身体のはたらきです。心が視・聴・言・動に影響を及ぼすわけですが、視・聴・言・動をコントロールするのは心を養う方法です。(ほどよい視・聴・言・動を保つには、つねに心をしっかりさせていなければならないので、心が鍛われます)。顔回は、その孔子の言葉どおりに努力しました。ですから、聖人への道を進むことができたのです。
 私たち後世の学徒は、このことをよくよく大事にして守ることが必要です。そこで、このことにちなんで戒めの言葉を作り、自分を戒めることにします。(克己復礼するには、省察、察識、慎独が有効です)。
 ①視(見ること)の戒めの言葉。
 心は本来さっぱりしたもので、外からの刺激に対して反応しますが、とらえどころがありません。そんな心をなくさないようにするためには、視ることに節度を保つことです。魅惑的なもの(欲望をかきたてるもの)が目の前に現れると、私たちの心は動かされてしまいます。そこで、そんな余計なものに目を向けないようにし、そうして内面を安らかにし、克己復礼していれば、そのうちに誠になります。
 ②聴(聞くこと)の戒めの言葉。
 人が正しさをなくすまいとするのは、天性にもとづいています。(性善説)。しかし、知(ちえ)が外物に惑わされ、心が物欲にとらわれたなら、天性の正しさは失われてしまいます。すぐれた先覚者は、本来あるべき状態にとどまることを知っていて、心が安定しています。外から邪(よこしま)が心のなかに入ってくることを防ぎ、誠をなくさないようにし、礼に反したことであれば聞いてはいけません。
 ③言(言うこと)の戒めの言葉。
 人の心の動き(喜怒哀楽や思考など)は、言葉によって表現されます。言葉を発するにあたって、あわてふためいて言ったり、でたらめなことを言ったりしないようにしているときには、心はおちついています。もちろん、言葉は重要なもので、戦争の原因になったり、友好の手段となったりします。幸運や不運も、栄誉や恥辱も、言葉いかんにかかっています。言葉は、簡単すぎると要点がぼやけますし、繁雑すぎると要点が分かりません。自分勝手なことを言えば、相手は反発しますし、ひどいことを言えば、ひどい言葉が返ってきます。「理にかなったことでなければ、言わない」。この戒めの言葉を守りなさい。
 ④動(動くこと)の戒めの言葉。
 道理の分かった人は、心のかすかな動き(善意や悪意の生じ始め)を敏感にとらえ、(みずからの心の声に従って善意を伸ばし悪意を抑えて)心の動きが誠になるようにします。志の高い人は、(みずからの心の声の命じるままに)りっぱな行いをするように努力して、決して道理に反したことをしないようにします。私たちは、理に従うときには、ゆったりします。(人の理を性と言い、性とは本当の自分のことです)。反対に、欲に従うときには、危うくなります。どんなときにもよく考え、気をひきしめて自分をしっかり保ちます。何度も練習してそれが身につけば、聖人や賢人になれます。

(4)
『易経』にある「復(もとに戻ること)」の部分説明(爻辞)の最初(初爻)に、「(陽が失われてから)遠からずして復する。悔いにいたることはない。おおいに(善くて)吉」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「陽は、君子(りっぱな人)の道です。ですから、「復」とは、善に戻るという意味です。(儒学は、性善説の立場に立っています。ですから、自分が悪になっているときには、それは自分本来の善を失った結果なのだから、自分本来の善に戻ることが必要だとします)。
 この復の説明の最初は、いちばん先にあるということで、これは失われてからすぐにもとに戻るということを表しています。何であれ、失われるからこそ、復するということが可能になるものです。何も失われていないときには、いったい何が復するというのでしょうか。(たとえば、病気になって健康が失われることがあるからこそ、健康の回復があります。健康が失われていなければ、回復もありません)。
 しかし、何かが失われることがあったとしても、すぐに復することができれば、「悔いにいたること」はなく、まさに「おおいに善くて吉」です。(たとえば、ふつう病気になって健康を失ったとしても、そのままほったらかしにしたりせず、すぐさま治療をすれば、大事にいたることはありません)。たとえば、顔回に目に見えて大きな過失がなく、孔子が「顔回は聖人に近い」と言ったのは、顔回には「悔いにいたること」がなかったということです。(つまり、顔回は、何か失敗をしても、それをほったらかしにしたりせず、すぐに改善策を講じたので、すぐに失敗を回復できたということです)。過失が周囲に大きな悪影響をおよぼす前に、その過失を改善できる以上、どうして「悔いにいたること」があるでしょうか。
 なお、『中庸』に言う「別に努力しなくても、その行為がすべて中よいものとなる」ということができたり、『論語』に言う「何を欲しても、そのすべてが理にかなったものになる」ということができたりしなければ、それは過失があることになります。しかしながら、「復」の説明の最初は、その性質上、聡明にして剛強なので、「ひとたび自分に過失があれば、それに気づける。自分の過失に気がつけば、それをすぐさま改めることができる」ということを表しています。ですから、「悔いにいたること」がなく、「遠からずして復する(すぐに回復する)」ことができるのです。
 つまり、学問のやり方とは、ほかでもなく、ただ自分に不善があることを知れば、それをすぐさま改めて善に従うようにすることだけです」

(5)
『易経』にある「晋(進むこと)」の部分説明(爻辞)の最後(上爻)に、「自分のツノを前に進ませる。自分の住む土地の治安を守るために武力を用いるのは、厳しいけれども、吉であって、とがめはない」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「人が自分で自分を治める場合、「剛(芯の強さ)」を極点にまで高めると、道を守る意志がますます堅くなります。また、「進(やる気)」を極点にまで高めると、善に向かうスピードがますます速くなります。「晋」の説明の最後は、その「剛」と「進」について述べているのですが、そのようにして自分で自分を治めることは、きびしすぎるかもしれませんが、吉であって、とがめはありません。(剛=ツノ。進=前に進ませること)。厳しさは、安和(おだやか)にするやり方とは違っていますが、自分で自分を治めるにあたっては、とても有効なものです。しかし、自分で自分を治めるのに有効であっても、それは中和(ほどよく)するという徳(よさ)からはずれています(厳しさにかたよりすぎています)。ですから、「正しいことをしていても、よいやり方ではない」とされるのです」

(六)
『易経』にある「損(へらすこと)」とは、①過ぎたる状態を減らして、中を重んじるようにしたり(中=多すぎることもなければ、少なすぎることもなく、ちょうどよいこと)、②表面的なことを減らして、本質的なことを重んじるようにしたりすることです。世の中にある害悪というものはすべて、本末関係で言うところの「末」が勝つことによって生まれてきます。(本=本質的なこと・中よい状態。末=表面的なこと・過ぎたる状態)。
 たとえば、家をりっぱに見せるために屋根を高くしたり、華美な装飾をほどこしたりすることも、もともとは(生活に必要な)家を建てることから始まっています。また、贅沢きわまりない食事も、もともとは(生活に必要な)飲食をすることから始まっています。また、無慈悲すぎたり、残酷すぎたりする極刑も、もともとは(治安を守るために必要な)刑罰を施行することから始まっています。また、何でも武力でかたづけようとしたり、武力を誇ったりすることも、もともとは(治安を守るために必要な)征伐をすることから始まっています。
(以上のことからも明らかなように)一般的に、人欲という過ぎたるものは、すべて生活の安定をはかることから始まっています。そして、人欲に流されて天理から遠く離れてしまうと、いろんな害悪を生じるようになります。
 昔のりっぱな王様が「本」を重んじたのは、天理です。今のりっぱでない人が「末」に流れるのは、人欲です。つまり、「損」の意義は、人欲をへらして、天理に戻ることにあるのです。
(たとえば、人間に性欲があるのは、正常なことです。しかし、性欲が度をこして強くなり、性欲に流されて強姦するなら、それは異常なことです)。

(7)
 そもそも人は、心が正しく、意(心の動き)が誠であれば、中(ほど)よく正しくするという良いやり方をきわめることができて、内には徳が充実し、外には徳が光り輝くようになります。(心が正しいこと=感情的ではなく理性的であること。意が誠であること=みずからの心の声をいつわらないでいること)。
 もし(私利私欲をはかる心などの)不純な動機があって、理(道理)に反したやり方で事を決したりするならば、たとえそれをしたときに、中(ほど)よく正しくあるという良いあり方をなくさずにすみ、「とがめがなし」になったとしても、中道をそれ以上に大きくすることはできません。というのも、人の心というものは、少しでも欲にとらわれていれば、道(道理)から離れていってしまうものだからです。
 ですから、『易経』にある「夬(決すること)」の部分説明(爻辞)の五番目(五爻)に、「小人が、(陰濁から)きっぱりと決別する。中が行われて、とがめなし」とありながらも、そこの解説には、「中が行われて、とがめなしとは、中がいまだ大きくないのだ」とあるのです。孔子がここにおいて人に示している意味には、深いものがあります。


(8)
 喜ばしいことがあっても、喜びすぎて有頂天になったりせず、適度な喜びにとどめておくのが、節するということです。

(9)
『易経』にある「節(節すること)」の部分説明(爻辞)の二番目(二爻)は、正しくない節について述べてあります。
 正しい節とは、「剛(芯の強いこと)」「中(過不足なく適当であること)」「正(きちんと是非をわきまえること)」のことです。それは、たとえば、「怒りに我を忘れたり、欲望のおもむくままに流されたりなどしないようにすること」や「過ぎたるものを減らし、余計なものを抑えること」などです。
 正しくない節とは、たとえば、「ケチで生活に必要なものまで節約すること」や「臆病なために行動すべきときにも(それを節約して)何もしないこと」などです。

(10)
 人のなかで、「克(人に勝ちたがること)」「伐(いばりたがること)」「怨(腹を立てること)」「欲(欲ばること)」をなくすことができるのは、ただ仁である人だけです。
 克・伐・怨・欲をほったらかしにしたままで、自分の心の動きをうまくコントロールして克・伐・怨・欲をしないようにしようとしても、それは難しいことです。しかし、克・伐・怨・欲をなくすことを仁と言うならば、それはまちがいです。
 ですから、孔子は、原憲から「(仁である人は、難しいことを先にするものですが)克・伐・怨・欲をしないようにすれば、仁になれますか」という質問を受けたときに、「確かに、そうすることは難しいことです。しかし、そうすることが仁にあたるのかどうか、私には分かりません」と答えたのです。
 聖人の言葉には、深い意味がこめられています。

(11)
 明道先生が言いました。
「義理(天理)と客気(人欲)とは、つねにお互いに争っています。どちらが優勢になるかによって、君子(りっぱな人)と小人(つまらない人)の別が決まります。(義理が勝てば、その人は君子となり、客気が勝てば、その人は小人となります)。義理がだんだん優勢になっていけば、客気が消散してだんだん減少していくのが、おのずと分かります。客気が消えつくすと、その人は大賢人になります」
(天理を勝たせるための方法としては、敬が有効です)

(12)
 ある人が言いました。
「人はだれでも、和(なごやかであること)・柔(やわらかであること)・寛(おおらかであること)・緩(ゆったりしていること)が大切だと分かっています。しかし、いざとなると、その意に反して、思わずあらあらしくなったり、はげしくなったりするものです」
 それに対して先生は、こう言いました。
「そうなるのは単に、自分の意志が、そのときそのときの気分に負けているからにすぎません。そのときそのときの気分のままに、その心が動かされているのです」
(そのときそのときの気分に流されたりせず、自分の意志で動く人は、主体的な人です)。

(13)
 人が「よけいな思い」や「つまらぬ考え」を取り除くことができないのは、けちくさいからにすぎません。けちくさいので、浩然の気がないのです。
(浩然の気=①天地にみなぎる正々堂々とした元気で、人の活力の源泉。②大らかな気分)

(14)
 怒りの感情をうまく治めるのは、難しいものです。しかし、利己心に打ち勝つことができれば、怒りの感情をうまく治めることができます。
 また、恐怖心をうまく治めるのも、難しいものです。しかし、理(道理)に明るければ、恐怖心をうまく治めることができます。

(十五)
 邵康節が、『詩経』にある「他山の石は、玉を磨くことができる」という言葉を解説して、次のように言っています。
「宝玉というものは、やわらかなものです。ですから、二つの宝玉をこすりあわせたとしても、うまく磨くことはできません。うまく磨くためには、どこかよそからゴツゴツした石をもってくることが大切です。そうしてはじめて、うまく磨くことができます。
 これと同じように、君子(りっぱな人)と小人(つまらない人)がいっしょにいた場合、君子は小人によって磨かれます。すなわち、小人が周囲におよぼす悪影響にさらされた君子は、次の三つのことをするのです。
①自分自身を反省しつつ修養して、小人から悪い影響を受けずにすむようにすること。
②心をひきしめて、欲望にふりまわされないように自重すること。
③自分の欠点がなくなるように努力して、小人のように悪くならないように気をつけること。
 以上のようにしていれば、道理についておのずと分かります」
(邵康節は、周濂渓、張横渠、程明道、程伊川にならぶ、北宋王朝の時代の中国の有名な哲学者です)。

(16)
 尖ったものを目にすると怖くなるといった精神病(尖端恐怖症)は、そのままほったらかしにしていてはいけません。そういった恐怖心がなくなるようにすることです。そのとき大切なことは、部屋のあちこちに尖ったものを置いて、「尖っているからといって、必ずしも目を刺してくるとはかぎらないのだから、そんなに怖がる必要はない」という理にかなったことを分かることによって、尖ったものへの恐怖心に打ち勝つことです。
(要するに、「神経質はさっさとなくそう」ということです)。

(17)
 明道先生が言いました。
「上の者を責め、下の者を責めながら、中間の自分だけ大目に見るような人に、どうして自分のなすべきことをなすことができるでしょうか」

(18)
 我をおさえて人に学ぶことは、とても難しいことです。我は自分のもっているもので、いくら我をおさえようとがんばってみても、やはり我を通そうとしてしまいがちになり、人に学ぶことを軽んじてしまう恐れがあります。

(19)
 九徳は、とてもよいものです。
(九徳=①寛大だけど、威厳がある。②柔軟だけど、独立している。③素朴だけど、粗野でない。④指導力があるけど、いばらない。⑤おとなしいけれど、芯がしっかりしている。⑥心がまっすぐだけど、ゆうずうがきく。⑦大ざっぱだけど、要所はおさえている。⑧剛毅だけど、心が豊かである。⑨猛々しいけれど、理に反したことはしない。)

(20)
 空腹になったときには何か食べ、のどがかわいたときには何か飲み、寒い冬には革で作られた暖かい服を着用し、暑い夏にはくずで作られたすずしい服を着用します。もし少しでも偏屈な心があれば、天から与えられた職務(自然なあり方)をダメにすることになります。

(21)
 私(程明道)が、「昔は狩猟(ハンティング)が好きでしたが、いつのまにやら好きではなくなりました」と言うと、周濂渓は、こう言いました。
「口ではそんなことを言っていても、ただ心の奥深くで眠っているだけですよ。それが目覚めたなら、また前と同じようになるでしょう」
 それから十二年が経過しましたが、人が狩猟をしているのを見たとき、周濂渓の言うとおりだと分かりました。(私的な好みというのは、そう簡単にはなくならないものですね)。
(本註:明道は、十六、七歳のころ、狩猟が好きでした。それから十二年後の年末に故郷に帰ったとき、狩猟をしている人を見て、思わず心が楽しくなりました)。

(22)
 伊川先生が言いました。
「だいたい人間には身体がある以上、(この身かわいさから)自私(わがまま)になるのもあたりまえです。道(道理)からはずれないようにできにくいのも、うなずけますね」

(23)
 自分に過失があれば、それをすなおに認めて、自分を責めることは大切なことです。しかしながら、そのことをいつまでも心にとどめて、後悔し続けてはいけません。

(24)
 何か欲したとしても、それが必ずしも心を溺れさせるとはかぎりません。欲するままに動くこと、それが欲です。
(人に食欲や性欲があるのはあたりまえですが、食欲や性欲をほしいままにして主体性をなくせば、その人は「ケダモノ」になります。)

(25)
 明道先生が言いました。
「孔子の門人の子路もまた、(粗野な人でしたが)のちのちまで師とあおぐにたる人物です」
(本註:子路は、人から自分の過失を指摘されると、「自分をよりよくする、ちょうどいいチャンスだ」と、それを喜んで聞きました。)

(26)
 質問。「人がせっかちに話すのは、気質が安定していないのではないでしょうか」
 返答。「そのとおりですから、そんな人もまた、そんな気質を変化させることができるように、聖人の教えにもとづいて練習しなければなりません。練習して、別に意識せずとも自然にゆったりするようになれば、気質は変化しています。聖人になるための学問は、気質を変化することができて、はじめて効果があったと言えます」
(気質変化=自分の気質のよくないところがよくなるようにすること。)

(27)
 質問。「『論語』に「怒りを移さず、過ちを再びせず(やつあたりをせず、同じまちがいを二度とくりかえさない)」とありますが、それは、どういうことですか。先生の『語録』には「Aを怒ったときに、関係のないBまで怒ったりしないこと」とありますが、そのことですか」
 伊川先生の返答。「そのことです」
 質問。「それなら、とても簡単なことではないですか。どうして、孔子の門人のなかで、ただ顔回だけしか、それができなかったのですか」
 先生の返答。「ただ大ざっぱに説明したにすぎないので、みなさんは簡単なことだと言いますが、しかし、これは難しいことではないでしょうか。大切なことは、なにゆえに怒りを移さずにすんだのか、そのことについてよく考えることです。
 たとえば、聖人の舜が「四凶」と呼ばれる四人の悪者を罰したとき、(「四凶」はすでに悪事をなしていたのですから)怒りの原因は「四凶」にありました。どうして舜に怒りの原因があったと言えるでしょうか。思うに、(客観的にみて)怒るべき理由があったからこそ、怒ったのです。(聖人は、自分が怒りたいから怒るのではなく、怒るべきだから怒るのです)。聖人の心には、もともと怒りはありません。聖人の心は、たとえば、きれいな鏡のようなものです。善いものがきたときには、それを善いものとして見ますし、悪いものがきたときには、それを悪いものとして見ます。鏡にどうして好き嫌いがあるでしょうか。(鏡は公平に物事を見ます)。
 世間には、家でだれかを怒った場合、その怒りの気分のまま、イライラしながら町にでかけてくるような人がいます。そんな人は、たとえば、Aさんを怒ってから、そのあとにBさんと話をするときに、怒りによるイライラした気分をなくして(おおらかな心で)話をすることができるでしょうか。Aさんを怒ったとしても、Bさんにまで怒りをぶつけない人もいますが、そのように自分の感情をうまくコントロールできる人は、すでに義理(道理)を知っているのです。聖人のように客観的(理性的)に怒り、感情的(主観的)に怒らないということは、とても簡単なことでしょうか。
 君子(りっぱな人)は余計なものをコントロールし、小人(つまらない人)は余計なものにコントロールされます。最近は、喜ぶべきことや怒るべきことがあると、それに対して自分の主観や感情をくっつけて喜んだり、怒ったりします。しかし、これまた、よけいなことです。(怒るのが正しい場合でも、怒るときに少しでも私情をまじえれば、その怒りはもはや正しくない怒りです。たとえば、自分の好きなAさんが理に反したことをしたときにはやさしく怒り、自分の嫌いなBさんが同じく理に反したことをしたときにはひどく怒るのは、正しくない怒りです)。聖人の心は、いわゆる止水のようなものです。(まったく静かで、とても澄みきっています)」

(28)
 視ることが、克己復礼(人欲を去って天理に復すること)の最優先課題です。 礼(ほどよさ)からかけ離れたものに目を向けると、まさに「目を開いたとたんにまちがう」ということになります。視ることの次は、聴くことです。聴くことの次は、言うことです。言うことの次は、動くことです。このように、克己復礼には先後の順序があります。人は、克己(人欲を去ること)ができると、心がひろびろし、体がのびのびし、天地に恥じないようになります。それがどんなに楽しいことであるか、あなたにも分かるはずです。克己復礼に努めることをやめると、心に物足りなさを感じるようになります。
(人欲を去って天理に復するとは、今風に言うなら、ウソの自分をやめて本当の自分に戻ることです。)

(29)
 聖人(すぐれた人)は、自分の他者に対する言動の善し悪しを問題にしても、他者の自分に対する評価の善し悪しを問題にしたりしません。
(聖人は、たとえば善い行いをする場合、「自分は本当に善い行いができているかどうか」を問題にしても、「他人が自分の善い行いに感謝しているかどうか」を問題にしたりしません。)

(30)
 謝顕道は、伊川先生と別れてから一年後、伊川先生と再会しました。
 伊川先生。「別れてから一年になりますが、どんな学問の工夫をしましたか」
 謝顕道。「ただ自慢心をなくす努力をしていました」
 伊川先生。「どうしてですか」
 謝顕道。「自分をくわしく点検してみたのですが、自分の悪さの病根は自慢心にあると分かりました。そこで、もし自慢心をやっつけて、なくすことができたなら、より一層の進歩があるだろう、と思ったからです」
 伊川先生は、うなずくと、同席していた門人たちに言いました。「この人の学び方こそ、まさしく『論語』にある「切実に調べて身近に考える」というものです」

(31)
 張思叔が、馬車の運転手を、ひどい言葉でしかりつけていました。それに対して伊川は、言いました。
「どうして良心を奮い立たせ、性格を我慢強くしないのですか」
 張思叔は、そう言われ、恥じ入って謝りました。

(32)
『論語』に「すぐれた人(賢者)をみたら、自分もその人と同じようによくなりたいと思う」とありますが、偉業をなせる人もまた、そのように思うものです。
『論語』に「すぐれていない人(愚者)をみたら、自分自身をふりかえって反省する」とありますが、思うに、自分にも他人にあるのと同じような欠点があるものです。

(33)
 横渠先生が言いました。
「重厚であり純粋であるのが、気の本体(本然の性)です。次から次に欲を出して満足することを知らないのが、気の欲望(気質の性)です。口や腹が飲食を欲したり、鼻がいい香りを欲したり、舌がいい味を欲したりするのは、すべて気質の性です。徳を知っている人は、適当なところで満足します。嗜欲(好きなだけ欲を満たそうとする心)によって心をわずらわせたりはしません。小事にとらわれて大事を害したり、末節にとらわれて根本を失ったりしないだけです」

(34)
 ちょっとした悪い点でも必ずなくそうとすれば、善が完全に身につきます。悪い点を見つけながら、それをなくさなければ、たとえ善であっても、それは必ず粗雑なものになります。
(人間の本性が善でも、みずからの良心に忠実でなければ、その人は悪人になります。悪をなくし善をのばすには、察識、省察、慎独などが有効です)。

(35)
 不仁(ひどい)を憎むことは、不善(わるい)が分かることです。もし仁(やさしさ)を好むだけで、不仁(ひどい)を憎まなければ、何か「よいこと」に習熟しても、どうしてそうあるべきなのか、その理由がよく分かりませんし、何か「よいこと」を実践しても、どうしてそうすべきなのか、その理由がはっきりしません。
 そういうわけで、ただ善を好むだけでは、必ずしも義をつくすことができないし、ただ正しくするだけでは、必ずしも仁をつくすことができないのです。仁を好んで不仁を憎んでこそ、仁義の道をつくすことができます。
(仁を好むことは、本人の心がけの問題です。不仁を憎むことは、本人の行動の問題です。両者を通して、主体的にも、客観的にも、ともによくなります)。

(36)
 自分を責めて反省することのできる人は、「この世の中には、あたりまえのこととして、もとからまちがっているものなど一つもない」ということが分かります。ですから、何でもすぐに人のせいにしたりしないようになるまで学びが深まれば、その人の学問は十分に進んでいます。

(37)
 道(道理)について心静かにうちこんで考えていても、ついぼんやりとなって他の思いに心を奪われることがありますが、それは気のためにそうなるのです。(気のむくままに流されて生きていると、理にかなった生き方もできなければ、性にあった生き方もできません)。一身にまとわりついた昔からの習慣からサッパリと自由になれなければ、何をやっても結局は無意味になります。ただ(惰眠をむさぼって)昔からの習慣を楽しむだけです。
 昔のりっぱな人は、仲間、音楽や楽器、書物など(心を元気にしてくれるもの)を手に入れて、それらを心の友にしたいと思いました。ただ聖人(孔子)は、それら三つのなかで、仲間から得るところが多いのを知っていました。ですから、(『論語』に「仲間が遠くからやってくる。これまた楽しいことではないか」とあるように)仲間がやってくることをうれしく思ったのです。

(38)
 軽薄さがあれば矯正し、怠惰にならないように警戒します。

(39)
 仁が実現されなくなってから、もう久しくなります。人々は、それぞれの主観的な好き嫌いにとらわれて、「好むべきものを好み」「好むべきでないものは好まない」というあたりまえのことができていません。というのも、人間には(良心だけでなく)利心があって、それが学びの妨害をしているからです。そこで、学ぶ人は、欲を少なくすることが大切です。
(欲を少なくすること=たとえば、私利私欲にふりまわされたり、主観にとらわれたり、感情に流されたりなどしないようにすること)。

(40)
 君子(りっぱな人)は、必ずしも他人の評判を恐れて、とても柔弱になったりしません。その目つきにまで節度があるにすぎません。(君子は、まさに外柔内剛で、外見はやんわりしていて、中身はしっかりしているわけです)。視線には上下がありますが、視線が上だと気持ちが高ぶり、視線が下だと心が安らかになります。ですから、『礼経』に「一国の指導者を見るときには、その人の腹のあたりに視線をもっていく」といった規定があるのです。学ぶ人にとってまず大切なことは、その血の気の多さを静めることです。血の気の多い粗暴な人は、わざわざ自分を向上させようとはしません。『論語』にも「子張は、堂々としているが、いっしょに学べる相手ではない」とあります。
 思うに、目というものは、人がつねに用いるものです。しかも、そこには、その人の心のようすが表現されます。(「目は口ほどにものを言う」)。しばらく視線を上下してみて、このことを試してみてください。自分の敬虔さや傲慢さが、必ず視線に表されるでしょう。自分の視線を下にしようとする理由は、自分の心をやわらかにしたいからです。心がやわらかになれば、他人の言葉を聞いたときに、その言葉を盲信したりとか、その言葉を無視したりとかすることがなくなります。(すなわち、まずは相手の言葉について自分でしっかりと十分に考えてみたうえではじめて、信用できるなら信用するし、信用できなければ信用しないというようになります)。
 人に友人があるのは、くつろぎ楽しむためではなく、お互いに人間らしくあれるように励ましあうためです。今の友人関係では、自分にいいことばかり言う不誠実な人間を選んで仲良くし、肩をたたいて、たもとをつかんで、気があうとします。少しでも意見がくいちがうと、すぐに怒ってケンカします。友人関係というものは、お互いに相手のよいところに学べるような関係であってほしいものです。そこで、友人関係において敬(しっかり)することを重んじていれば、お互い日に日に親密になっていき、人間的成長のスピードが増すでしょう。
 孔子はかつて、こう言いました。
「私は、ある子どもが大人ぶって、いばって大人といっしょにいるのを見ました。その子供は、大人に学ぼうとしているのではなく、はやく大人になろうとしているのです」
 つまり、学ぶ人は、(効果をあせったり、自分をよく見せようとしたりせず)温柔であることが大切です。温柔であれば、学びを進歩させることができます。(儒学で言う学ぶこととは、人格的成長をうながすために学ぶことを言います)。
『詩経』には「おだやかな、きちんとした人は、徳のもとだ」とあります。思うに、温柔(おだやか)であることは、自分の人格的な成長に有益だからでしょう。


(41)
 世間では聖人になるための学問が教えられておらず、男も女も幼いころから傲慢となったり、怠惰となったりしてダメになってしまい、そして成長するにつれて、ますます凶悪になったり、ねじけていったりしています。子供になされるべき教育が、いまだかつてきちんとなされていないので、親しい者に対してすら心のへだたりをもち、(いばるだけで)へりくだろうとしません。これでは、本人を悪くする病根は、いつまでたってもなくなりません。
 さらに(傲慢や怠惰といった)病気は、本人のいる位置に応じて成長し、死ぬまでなくなりません。子供のときには、掃除や応接をきちんとすることができません。友人との関係においては、友人のよいところを見習うことができません。上司になると、他の上司に謙虚に学ぶことができません。大臣になると、世間の賢者に謙虚に教えを請うことができません。はなはだしい場合には、私意(人欲)のままに行動し、義理(天理)をまったくなくしてしまいます。そうなってしまうのは、ただ病根が、いつまでたってもなくならず、本人のいる位置や本人の接するものに応じて成長するからにすぎません。
 人は、いろんなことにおいて(傲慢や怠惰といった)病気を着実になくしていくことに専念することが大切です。そうすれば、つねに義理が勝つようになります。
(病根が本人のいる位置や接するものに応じて成長するとは、たとえば、芯がしっかりしていないので、周囲からの悪影響をもろに受けやすい状態にあり、そのために成長するにつれてどんどん悪くなっていくということです。)

第六巻 斉家之道~家庭をきちんと整える方法

(1)
 伊川先生が言いました。
「若い人は、まず自分のつとめるべきことをして、余力があったならば、書物を学ぶことです。自分のつとめるべきことをせず、先に書物を学ぶなら、それは自分の人間的な成長のためにする学問ではありません」
(若い人のつとめるべきこととは、『論語』によると、「家では孝、外では弟、何か行うときには普通なことを行い、何か言うときには本当のことを言い、ひろく人々を愛し、仁である人に親しむこと」です。○孝とは、朱子によると「父母によくつかえること」で、つまり親に孝行することです。○弟とは、朱子によると「兄長によくつかえること」で、つまり目上に謙虚であることです。悌とも書きます)。

(2)
 孟子は、「親につかえるにあたっては、(親の体だけでなく、その心まで大切にした)曾子のようにしたならば、よい」と言っていますが、曾子の孝行を十分すぎるほどに十分なものだとはしていません。というのも、子どもの立場としては、(その親に対して)自分ができることをすべてするのは当然だからです。

(3)
『易経』にある「蠱(有事)」の説明に、「母のまちがいを正す場合、きびしくしてはならない」とあります。
 子が母を諌める場合、おだやかにへりくだって母を助け導き、母が正しくなるようにすべきです。あからさまに母に逆らって、何らかの失敗をまねいたときには、それは子の罪です。自分の心をゆったりさせて、母の心をあるがままに受け入れることができたならば、どうして母のまちがいを改めさせる方法がないでしょうか。
 もし自分の考えを強引におしとおすといった剛毅で積極的なやり方をおしすすめて、いきなり母に反対するならば、恩愛を傷つけ、多大なる害を発生させてしまいます。どうして母に分かってもらえるでしょうか。
 母をよくするためには、ただ自分をおさえて心を静め、おだやかにへりくだって母の意を酌んだうえで、母の身が正しくなり、母のまちがいがまるくおさまるようにすることです。他にはありません。
 このことは、剛毅で積極的な臣下が、柔弱な君主につかえる場合も、まったく同じです。

(4)
『易経』にある「蠱(有事)」の部分説明(爻辞)の三番目(「父のまちがいを正す。多少の悔いはあるが、大きなとがめはない」)は、陽が剛の位置にあるので、中ではありません。剛が強すぎるのです。(つまり、父のまちがいを積極的に正そうとして、父にまっこうから対立するのはいけないということです)。
 しかしながら、「巽(へりくだること)」の形のなかにあるので、柔順さがないわけではありません。(「蠱」を表す記号は、上部が「艮」を表す記号で、下部が「巽」を表す記号で構成されています)。柔順さは、親につかえる方法の根本です。それに陽は位置的には正しい位置にあります。ですから大きなとがめはないのです。しかしながら、多少の悔いがあるのですから、十分に親につかえるものではありません。
(『論語』に「父母につかえるにあたって、父母に何かまちがいがあったときには、やんわりと諌めることが大切です。それを父母が分かってくれなくても、やけくそになったり、あきらめたりせずに自分をしっかり保って孝行につとめ、喜んでもらえたらまた諌めます。一所懸命に心をこめて父母を諌めたのに、父母が怒って喜ばず、ひどい叱責を受けたとしても、それを恨んだりせず、自分をしっかり保って孝行につとめます」とあります。なお、この『論語』の訳文は、朱子の註にもとづいて訳しています。)

(5)
 倫理(人としての道)を正し、恩愛(いつくしみの心)を厚くするのは、家族の本来あるべき姿です。

(6)
 家にいるとき、家族の間においては、たいてい情が礼(ほどよさ)に勝ち、恩が義(ただしさ)をだいなしにします。ただ剛直(まっすぐ)な人だけが、(情や恩などといった)私的な愛情のために理(道理)に反するといったことがありません。ですから、『易経』にある「家人(家族)」の説明では、剛を善としているのです。

(七)
『易経』にある「家人」の部分説明(爻辞)の最後(上爻)に、「家庭を治めるためには、そこの主人に威厳がなければならない」とあります。孔子は、さらに「主人はまず自分自身に厳しくしなければなりません」と戒めています。
 まず自分に厳しくすることなく、ただ人に厳しくするだけなら、人は恨むだけで心服しないものです。

(8)
『易経』にある「帰妹(結婚)」の部分説明(爻辞)の二番目(二爻)は、上品でおちついたようすで貞節を守り、夫婦がつねに正しい関係にあることを示しています。
 世間の人は、互いになれなれしいことを夫婦のふつうの関係としています。ですから、つつしみのある夫婦関係をおかしなこととみて、それが永遠不変の正しいあり方であることを知らないのです。

(9)
 世間の人は、婿選びには慎重ですが、嫁選びはゆるがせにしています。もちろん、実際 問題として婿の善し悪しは分かりやすいものですが、嫁の善し悪しは分かりにくいものです。しかし、嫁を選ぶのも、婿を選ぶのと同様、一家の盛衰のカギを握っているのですから、どうして慎重にしないでいいでしょうか。

(10)
 人は、両親がすでに死んでいれば、自分の誕生日ごとに自分を生んでくれた両親を偲(しの)んで悲しくなるはずです。どうして酒を飲んだり、音楽を演奏したりして楽しむことができるでしょうか。両親ともに健在ならば、楽しむことができます。

(11)
 質問。「明道先生の伝記に「本性をきわめつくし天命を知るに至ることは、必ず孝悌から始まる」とありますが、いったいどうして「孝悌」が、「本性をきわめつくし天命を知るに至ること」につながるのですか」
 返答。「最近の人は本性や天命を、何か特別なものとして説いています。本性や天命と、孝や悌とは、一連のことがらです。孝や悌をなくさずにいることで、本性をきわめつくし天命を知るに至ることができるのです。
 掃除や応接と、本性や天命との関係などもまた同じで、両者は一連のことがらです。そこには、本末といった区別もなければ、精粗といった区別もありません。
 それなのに最近の人ときたら、本性や天命を何か特別なものとして説明します。ですから、明道が孝や悌をあげたのは、そうすることで本性や天命を身近に理解できるようにしようとしたのです。
 もちろん、現在、孝や悌につとめている人はたくさんいます。それにもかかわらず、本性をきわめつくし天命を知るに至ることができないのは、孝や悌のなんたるかを知らないからです」
(たとえば、「高きに登るには卑(ひく)きよりす」とあるように、高遠なことばかりにかかずらって、身近なことをバカにしているようでは、高遠なことを本当に分かることはできません。なお、本性や天命は高遠なことで、孝や悌や掃除や応接は身近なことです)。

(12)
 質問。「第五倫は、自分の子どもの病気を見舞うのと、兄の子どもの病気を見舞うのとでは、 その見舞い方に違いがありました。そのことについて第五倫自身は、「これは「私(人欲)」にもとづく行いだ」としていますが、どうなのですか」
 返答。「安眠できた、安眠できなかったを言うまでもなく、まったく起きなかったり、10回ほど起きたりしたのは、まさに「私」にとらわれているのです。つまり、親子の愛情は、もともと「公(天理)」なのですが、それに何らかの作為を加えると「私」になるのです」
(本註:『後漢書』「第五倫伝」に、こうあります。ある人が第五倫に対して「あなたには「私」がありますか」とたずねると、第五倫は、こう答えました。「かつて私の兄の子どもが病気になったことがありました。そのときには、一晩に10回も起きてそのようすを見に行ったのですが、戻ってくるとぐっすりと安眠することができました。しかし、自分の子どもが病気になったときには、1回もそのようすを見に行かなかったのですが、まったく安眠することができませんでした。そのようである以上、どうして「私」がないと言えるでしょうか」)
 質問。「自分の子どもをみるのと、兄の子どもをみるのとでは、その見方に違いがあるのでしょうか」
 返答。「聖人の教えに「兄弟の子は、わが子と同じようなもの」とありますが、これは兄弟の子も自分の子と同様にみることを欲しているのです」
 質問。「自分の子どもに対するのと、親戚の子どもに対するのとでは、その愛情の深さに違いがあるのが天然自然なことです。ですから、愛情の施し方に違いがあるのも当然だと思うのですが」
 返答。「ただ今の人は、私心で物事をみるから、そのように思うにすぎません。孔子は「親子のあり方は天然自然なものだ」と言っていますが、それはただ孝行について述べたにすぎません。ですから、「親子のあり方は天然自然なものだ」と言ったのです。君主と臣下の関係、兄と弟の関係、客人と主人の関係、友人どうしの関係などにも、それぞれに天然自然なあり方があるものです。今の人は視野が狭く、根本的なことが分かっていないので、君のようなことを考えるのです。自分の子どもと兄の子どもとの間には、いったいどのような違いがあるのでしょうか。兄も自分も、ともに同じ両親から生まれてきました。ただ兄弟は身体が別なので、古典では兄弟を「言わば一つの身体から別々に出ている手足のようなもの」とみなしているのです。世間の人は、兄弟の身体が別だからといって、兄弟の子どもよりも自分の子どもをかわいがりますが、それは正しいことではありません」
 質問。「孔子は、公冶長が南容に劣っているので、自分の娘を公冶長に嫁がせ、兄の娘を南容に嫁がせていますが、これはどうしてですか。(「孔子は、自分の娘をかわいく思ってすぐれた人に嫁がせ、兄の娘を劣った人に嫁がせたのだ」と評判され、疑われることを気にしたからではないのですか)」
 返答。「これもまた自分の私心で聖人をみているにすぎません。(すなわち、聖人のことが真に分かっていません)。一般的に人が他人の評判を気にして嫌疑を避けようとするのは、心がしっかりしておらず自信がないからです。聖人は、もともととても公正です。ですから、どうしてわざわざ他人の評判を気にして嫌疑を避けようとする必要があるでしょうか。一般的に、娘を嫁がせる場合には、その娘に見合った婿を選ぶものです。兄の娘が劣っていれば、劣った婿を選び、自分の娘が優れていれば、優れた婿を選びます。このとき、わざわざ他人の評判を気にして嫌疑を避けようとする必要があるでしょうか。孔子の場合、年齢がつりあわなかったのか、それとも嫁がせるべき時期に先後の違いがあったのか、そのへんの事情は私には分かりません。しかしながら、孔子が他人の評判を気にして嫌疑を避けようとしたとするのは、まったく正しくありません。他人の評判を気にして嫌疑を避けようとすることは、聖人の次にりっぱな人である賢人ですらしません。ましてや聖人の孔子ならば、なおさらのことです」

(13)
 質問。「未亡人を娶るべきではないようですが、どうなのですか」
 返答。「そのとおりです。一般的に、妻にするということは、自分の伴侶とすることです。もし、節操を失ったものを娶って自分の伴侶とすれば、自分まで節操を失うことになります」
 質問。「その未亡人がとても貧しくて、頼れる親戚もいない場合には、娶ってもいいのではないのですか」
 返答。「昔の聖人たちが活躍していた時代からみて後世の人たちは、餓死することを恐れたので、そういった説を出してきたのです。しかしながら、節操を失うことに比べれば、餓死など小さなことです」
(参考までに紹介しておきますと、たとえば、宋弘は、皇帝の姉との結婚を皇帝からすすめられたのですが、「苦労を共にしてきた妻を裏切るわけにはいきません」と言って、出世のチャンスともなりえる縁談を断りました。また、陳孝婦は、若くして夫に先立たれたのですが、夫に義理の父母のことを頼まれていたので、義理の父母から「若いのだから、別の人と再婚しなさい」と言われても、夫との約束を果たすために再婚話を断り、義理の父母を養いました。これが夫婦の節操と言えるでしょう)。

(14)
 病気になっている家族をヤブ医者に診察させるのは、不慈、不孝です。家族という親しい者たちとつきあう場合には、医療についても心得ていなければいけません。
(不慈=子どもをかわいがらないこと。不孝=親を大切にしないこと。それらはともに、家族の一員として、してはならないことです)。

(15)
 程先生が父の葬式をするとき、門人の周恭叔に弔問客の世話役をしてもらいました。弔問客が酒を欲したので、周恭叔がそのことを喪主の程先生に伝えました。
 それに対して程先生は、「人を悪におとしいれてはいけません。(葬式で飲酒するのは礼に反したことなのですよ)」と言いました。

(16)
 乳母を雇うのは、やむをえない場合だけにすることです。たとえば、自分の母乳を与えることができなければ、人に与えてもらうしかありません。しかしながら、自分の子どもの母乳を確保しようとして、そのためにその乳母の子どもに十分な母乳が与えられずに、最悪その乳母の子どもを死なせるのは非道です。
 どうしても必要な場合には、「二人の乳母が、三人の子どもに母乳を与える」といった形になるように工夫することです。そうすれば、いろんな不慮の事故から子どもたちを守ることができます。たとえば、乳母が一人、病気になったり、死んだりしたとしても、すぐさま子どもたちが困るというようなことはありません。また、二人の乳母が三人の子どもに母乳を与えるわけですから、母乳の不足もなくなり、自分の子どものために他人の子どもを殺すというようなこともなくなります。
 ただ、費用がかさむかもしれません。しかし、子どもを殺人者にすることに比べたら、ちっぽけな損害にすぎません。

(17)
 亡くなった父(程伊川の父)は、過去に五回ほど自分の子弟を役人として推薦できる機会を政府から与えられたのですが、自分の家族にかぎらず一族の者のなかから公平に適当な者を推薦しました。
 親戚のなかで早くに両親を失った娘を嫁がせる場合には、必ず力をつくしました。手に入れた給料は、貧しい親戚にも分け与えました。伯母の劉氏が未亡人になったときには、その生活を十分に助けました。その娘の夫が死んだとき、父はその娘の子どもをひきとって、わが子と同じように教育し、養いました。従姉妹が未亡人になったときには、父はその悲しみを心配して、その従姉妹をつれかえって再婚させました。
 当時、父は役職地位が低くて、給料が少なかったのですが、それでも人欲に流されずに、義を実践しました。それを見た人々は、そうするのは容易なことではないと思いました。
 父は、寛大であるのと同時に、威厳がありました。ふだん幼い子どもたちや、心が未熟な人たちといっしょにいるときには、相手の心を傷つけまいと注意していました。しかし、ひとたび相手が道理に反したことをした場合には、遠慮なくとがめました。
 使用人たちについては、その生活状況について、いつも気にかけていました。
 父は侯氏から妻を娶りました。その亡くなった母は、祖父母によくつかえて「孝勤」と評判され、父に接するときにはとても丁寧でした。父は、母の内助にささえられ、母にとても感謝していました。
 母は、謙虚ですなおな心をもち続け、小さなことであっても、自分一人で決めたりせずに、必ず父に相談してから決めました。
 母は、やさしく心の広い人でした。父の側室の子どもでも、わが子と同じようにめんどうをみました。家庭の治め方はきちんとしていて、厳しくしなくても、整っていました。
 使用人をムチ打ってしかることを好まず、子どもの使用人をわが子と同じようにみていました。母の子どものなかで、子どもの使用人をしかりつける者がいれば、必ず「地位は違っても、人間であることには変わりがないのですよ。あなたは、これくらいの年のときに、よくこのことをすることができましたか」としかりました。また、父が使用人たちに対して何か怒っているときには、父をなだめました。
 ただ子どもたちに何か過失があったときには、それをかばいたてたりしませんでした。母はいつも「子どもが悪くなるのは、母親がその過ちを隠して、父親に知らせないからです」と言っていました。
 母には六人の男の子がいたのですが、そのなかで成人できたのは二人だけでした。(程明道と程伊川の二人)。二人の子どもにそそぐ愛情は、十分なものでした。
 しかしながら、子どもの教育については、少しの仮借もありませんでした。私がわずか数歳のとき、歩いていてころんだのですが、そのとき、使用人たちが「泣いては大変だ」と、すぐに抱き起こしてくれました。しかし、母は、「あなたは、もう少しゆっくり歩けば、ころんだりせずにすんだのですよ」としかりました。
 食事のときには、いつも子どもたちを近くに座らせました。子どもたちが料理の味見をしていると、しかってやめさせました。母が言うには、「幼いときから自分の好みを通していれば、どんなわがままな人間に育つかしれたものではありません」とのことでした。
 また、母は、たとえわが家の使用人に対してであれ、私たちが悪口を言って人を罵ることを許しませんでした。母が言うには、「忍耐力がないのは心配ですけど、人を打ち負かせないのは心配ではありません」とのことでした。
 私たちがやや成長すると、よい先生や友人たちと交際させてくれました。家が貧乏でも、私が知人を家に招いたときには、喜んでもてなしの準備をしてくれました。
 母は、まだ七、八歳のころ、古くからある詩を読みました。それは「女の子は夜に外出しない。夜に外出するときにはあかりをもって行く」というものでした。その詩を読んで以来、母は、夜になると外出しませんでした。
 大きくなると文章を好んで読んだのですが、文章を書いたりはしませんでした。世間の婦女が筆をとって何か書いているのを見ると、それはよくないことだと思いました。

(18)
 横渠先生がかつて言いました。
「親につかえることや、祖先の祭りをすることを、どうして人にまかせることができるでしょうか」

(19)
 舜が親につかえながら、親に喜ばれなかったのは、実父は頑迷で、継母は愚鈍で、両親ともに人間らしい心を欠落させていたからです。(舜は孝行息子だったのですが、実父と継母は、二人の間に生まれた弟の象を溺愛し、舜を疎んじ、事あるごとに舜を殺そうとしていました。しかし、それでも舜は孝行を続けました)。
 両親がふつうの人で、あたりまえな愛憎の感情をもちあわせていれば、さしあたり両親の気持ちを必ず尊重することです。親の古くからの友人で、とても大事にしている友人がいれば、その友人を手厚くもてなして、親の心を喜ばせることです。一般的に、親の招いた客の接待は、できるだけりっぱにして、家の財産の有無を考えないことです。
 しかしながら、親を養うにあたっては、家が財政的に苦しいことを親にさとられないようにする必要があります。なぜなら、もし親が家の財政難を知ったなら、親の心が不安になるからです。

(20)
『詩経』の「斯干篇」にある詩に、「兄と弟と、もっと相い好みし、猶することなかれ」とあります。その意味は、「兄弟はお互いに仲良くすべきであるが、お互いに相手をまねる必要はない」ということです。「猶」とは、「似る」です。
 人情のつねとして、人に何かしてやっても、その人から何の報いもなければ、すぐにやめてしまいます。しかし、それは困ったことです。そんなことだから、恩愛の情が長続きしないのです。お互いに相手をまねる必要はありません。兄弟はお互いに何かしてやり続けるだけです。

(21)
『論語』に「人でありながら『詩経』にある周南や召南を読まなければ、壁に向かって立つようなものだ」とあります。このことについてつねに深く考えるのですが、まったくそのとおりです。そこに書いてあるようにしなければ、ゆきづまってしまいます。というのも、とても身近なことでありながら、これ以上に重大なことはないからです。ですから、そこから始めるのがよいのです。

(22)
 採用されたばかりの使用人というものは、もともと一所懸命に頑張ろうという敬(しっかり)した心をもっています。もし主人が使用人を雇って用いるようになったとき、主人がしっかりやっていれば、その使用人もますますしっかりします。しかし、主人がなまけていれば、その使用人のもともとのやる気もなえてしまい、その使用人はなまけ癖を身につけてしまうでしょう。
 ですから、公務員(パブリックサーバント=公共の使用人)は、きちんとした職場に入れば、だんだんと自分に磨きがかかっていって、徳(よさ)が日に日に向上していきますが、乱れた職場に入れば、だんだんと自分が蝕まれていって、徳(よさ)が日に日におとろえていくのです。
 つまり、使用人の善し悪しは、その人の上にいる人物が学ぶにたるりっぱな人物か、それともつまらない人物か、それによって決まってくるのです。
(つまり、家庭の使用人も、公務員という公共の使用人(公僕)も、その善し悪しは上にいる人物によって決まってくるので、上にいる人物はりっぱな人物になれるように努力することが大切だということです)。

第七巻 出処進退辞受之義~正しい身の処し方

(1)
 伊川先生が言いました。
「賢者は、能力があるにもかかわらず大衆のなかに埋もれていたとしても、自分で自分を推薦して上の人に採用を求めたりはしません。もし自分から採用を求めれば、(それは野心家のするようなことですから)信じて採用されることはありません。
 昔のりっぱな人が、必ず上の人が丁重に自分を招いてくれてから、はじめてその人のもとについたのは、みずから尊大にかまえていたからではありません。思うに、『孟子』にあるように、上の人が徳を尊び、道(道理)を楽しむ心をこれほど強くもっていなければ、いっしょに偉大なことをすることができないからです」

(2)
 君子(りっぱな人)は、自分が活躍すべき時をまつ場合、心を安らかに静かにして自分を保ちます。時をまつ気持ちがあるにしても、別にあせることなく、「このまま一生を終えてもかまわない」といったようすです。すなわち、普通にやれているのです。
 どうにかして自分を活躍させようとしてあくせく動きまわることがなくても、心に少しでもあせる気持ちがあれば、普通であることができなくなってしまいます。

(3)
『易経』にある「比(親しむこと)」の説明に、「比は吉である。たずねはかって元、永、貞ならば、問題はない」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「人々が親しみあうにあたっては、必ず本来あるべき正しいやり方があります。もしそのやり方を無視すれば、後悔したり、まちがったりします。ですから、親しむべき相手をよく考えてから、親しむことです。親しむ相手が「元」「永」「貞」であれば、問題はありません。「元」とは、指導者たるにふさわしいことです。「永」とは、節操のあることです。「貞」とは、正しい道を行くことです。上の人が下の人に親しむ場合、それら三つのことを身につけていることが必要です。また、下の人が上の人につく場合、上の人にそれら三つのことを求めることが必要です。そのようにすれば、問題はありません」

(4)
『易経』にある「履(履行すること)」の部分説明(爻辞)の最初(初爻)に、「飾らず、ありのままでやっていく。進んで行っても、とがめはない」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「そもそも人は、貧賎という身一つの飾り気のないありのままの状態に安んじることができなければ、仕事につく場合、貪欲に出世することばかり考えて行動し、貧賎から逃れようとするだけです。偉大なことをしようとすることはありません。そのような人は、昇進することができると、その地位を誇って傲慢になります。ですから、進んで行くと、とがめがあるのです。
 賢者の場合、飾り気のないありのままの状態に安んじて生きます。そして、抜擢されずにいるときには気楽にして英気を養いますし、抜擢されたときにはその機会を生かして偉大なことをしようとします。ですから、昇進することができると、その地位をぞんぶんに活用して偉大なことをしようとすることはあっても、その地位を悪用して不善をなしたりすることはないのです。
 もし、富貴になろうとする心(人心)と、道を行う心(道心)とが、自分のなかで争うなら、どうして飾り気のないありのままの状態に安んじて生きることができるでしょうか」

(6)
 大人(人間のできた人)は、八方ふさがりでゆきづまっていても、正しく節操を守り、小人たちに仲間入りして乱れたりしません。すなわち、たとえ一身は八方ふさがりでゆきづまっていても、道の実践はうまくいくのです。
 ですから、『易経』にある「否(八方ふさがりの状態)」の説明に、「大人は否にしてとおる」とあるのです。道(道理)を無視して一身がうまくいくようにする場合には、今度は道(道理)の実践が八方ふさがりでゆきづまってしまいます。

(6)
 人が何かに従う場合、正邪のうち正を得れば、邪から遠ざかりますし、是非のうち非に従えば、是をなくします。当然のこととして、善と悪の両方に従うことはできません。
『易経』にある「随(従うこと)」の部分説明(爻辞)の二番目は、(五番目と関係するのがふつうなのですが)一番目とまちがって関係すれば、五番目との正しい関係をなくします。ですから、二番目に「両方と仲良くすることはできない」とあるのです。
 つまり、「人は、正しいものに従うときには、それのみに専念すべきだ(まちがったものには目もくれるな)」と戒めているのです。

(7)
 君子が貴ぶところは、世俗が恥ずかしいと思うことです。世俗が貴ぶところは、君子が卑しいと思うことです。
 ですから、『易経』にある「賁(飾ること)」の説明に、「その足を飾って、車を捨てて歩いていく(修養につとめて足もとから自分を美しくし、道理に反してまで出世しようとはせず、高い地位を捨てて自分の足で歩いていく)」とあるのです。(「車」とは、高い地位のシンボルです)。

(8)
『易経』にある「蠱(有事)」の部分説明(爻辞)の最後(上爻)に、「王侯につかえず、一身を高潔に保つ」とあり、その解説には「王侯につかえない、そんな志は手本にできる」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』には、こうあります。
「世の中が乱れていて、小人(つまらない人)の勢力が増しているときに、りっぱな人が一身を高潔に保つに方法には、いろんな方法があります。たとえば、次のような方法があります。
①道徳を胸にいだいて、不遇であっても、高潔にして自分を守ること。
②欲ばったり、やり過ぎたりせずに、今ある境遇に満足して、引きこもって自分を保つこと。
③自分の才能をみきわめ、自己の本分をわきまえ、名声を求めずに安らかに生きること。
④愚か者と仲良くすることよりも孤立することを選んで自分を守り、乱れた世の中から離れて、ひとり孤独に一身を清くすること。
 それらの方法は、効果のほどはそれぞれ違うにしても、すべて「一身を高潔に保つ」方法です。解説に「そんな志は手本にできる」とあるのは、出処進退がすべて理(道理)にかなっているということです」

(9)
『易経』にある「遯(逃避)」は、陰が成長し始めたことを表しています。
 君子(りっぱな人)は、あらゆる微かな兆候を敏感に感じとって先を読むことができるので、世の中が悪くなり始めたときには、もちろん当然のこととして深く警戒します。しかし、聖人の配慮は、ただ警戒するだけで終わったりはしません。ですから、「時に応じて行い、慎重にやっていれば少しはいい」という教えがあるのです。
 聖人や賢人は、世の中のありさまに対処するとき、道(道理)が今まさに廃れようとしているのに、どうして何もせずにそれを見ていることができるでしょうか。非道が成長してしまわないうちに必ず一所懸命に努力して、衰えゆく正道を盛り返し、非道の成長をくいとめ、一時的ながらも安定をはかります。
 もし、私たち一般人にそのようなことをすることができたならば、孔子や孟子が「そうするのが正しい」としていたことをできたことになります。このことは、その昔、王允が漢王朝の時代にしたことや、謝安が東晋王朝の時代にしたことと同じようなことです。
(王允は、弱体化した漢王朝を盛り返すためにがんばった人。謝安は、東晋王朝をよく守った人)。

(10)
『易経』にある「明夷(日没)」の部分説明(爻辞)の最初(初爻)は、「害悪がまだ顕著ではないので、それに対処することがとても難しい。きざしを明確にとらえることのできる者でなければ、それはできないことだ」ということを表しています。(きざし=何かが起ころうとしているのだが、それがまだ表面に現れていないので分かりにくい状態にあること)。
 そのようであれば、君子(りっぱな人)が先を読んだ早めの対処をするとき、きざしに対して鈍感なために先を読むことができない世間の人たちは、君子の早めの対処を「あいつはおかしなことをしている」として疑い怪しむでしょう。
 しかしながら、君子は、世間の人たちに疑い怪しまれるからといって、行動をためらったりはしません。世間の人たちが分かってくれるまで待っていれば、自分にまで害悪が及んできて、もはやどうしようもなくなってしまいます。

(11)
『易経』にある「晋(日の出)」の部分説明(爻辞)の最初(初爻)は、「最下位にいて、進み始めたばかり」ということを表しています。
 採用されたばかりの人が、どうしてすぐに上の人から信じてもらえるでしょうか。もし、まだ上の人から信じてもらえていないのなら、中(ほど)よくやって自分をしっかり保ち、心によゆうをもってゆったりとかまえておくことです。上の人から信じてもらおうとして、あせってはいけません。もし、信じてもらおうとしてあせると、せかせかして節操を失うか、イライラして正義に反するかするだけです。ですから、「進むにしろ、退くにしろ、進退の決め方が正しければ、吉である。信じてもらえなくとも、ゆったりとかまえていれば大丈夫」とあるのです。
 しかしながら、聖人(『易経』の著者)は、それを読む人が「ゆったりとかまえること」の真意を分からず、就職していながら、職務をほっぽりだし、節操をなくして、それがゆったりとかまえるということだと誤解してしまうことを心配しました。ですから、六つある部分説明(爻辞)の最初(初爻)にだけ「ゆったりとかまえていれば大丈夫」と述べることで、採用されたばかりで、まだ何も役割を与えられていない状態を示しているのです。もし、何か役割を与えられているにもかかわらず、上の人から信じてもらえなくて、ろくに仕事ができないときには、そこに一日もいてはいけません。
 しかしながら、こういったことは、一概に言うことができません。そこにとどまってしぶとくがんばり続けるか、それともすぐさま退くか、それは時によって違います。また、それを決めなければならないときには、それを決めるのに役立つ何らかの兆候が現れるはずです。

(12)
 正しくない結びつきは、必ず近いうちに離れます。結びつくときに正道を用いるなら、最初はうまくゆかなくても、最後にはおのずと通じ合えるようになります。(「至誠、天に通ず」)。ですから、①賢者は、理(道理)に従い、ゆったりと行うし、②智者は、きざしを知り、しっかりと守るのです。

(13)
 君子(りっぱな人)は、困難におちいったとき、困難におちいることがないように細心の注意をはらっていたにもかかわらず、それを防げなかったのであれば、それは天命であり、そのときには天命をよく理解し、志をつらぬきとおすべきです。「天命として、そうなるようになっているのだ」と分かれば、(天命はもともと自分のためになるようになっているのですから)どんな窮塞(くるしみ)にも、どんな禍患(わざわい)にも、まったく動揺することはなく、自分が心から正しいと思うことをするだけです。
 もし天命を知らなければ、険阻艱難に恐れおののき、閉塞状況に悩み苦しみ、自分をしっかり保つことができなくなります。それでどうして「善いことをしよう」という志をつらぬきとおすことができるでしょうか。
(性善説の立場に立つなら、人は本来「善いことをしよう」という意志をもっているということになります)。

(14)
 貧乏な夫につかえる妻や、弱小国家につかえる役人は、それぞれ節操をなくさないようにしなければいけません。もし(自分がつき従っているものに勢いがなくなるたびに見限って)節操なく勢いあるものにくらがえしたりしていれば、それはとんでもない悪で、みんなに嫌われます。

(15)
『易経』にある「井(清水をたたえた井戸)」の部分説明(爻辞)の三番目(三爻)は、「せっかく井戸をさらって、きれいな水が出るようにしたのに、だれにも飲んでもらえない」という状態を表しています。すなわち、人が、才能や知恵が十分にあるにもかかわらず、だれにも採用してもらえないために、それらの才能や知恵を発揮できず、憂い悲しんでいるのです。
 思うに、三番目は、剛(つよ)いのですが、中(ほど)よくないので、何とかして才能や智恵を発揮しようとあせっているのです。しかし、それは、「採用されれば出ていってがんばるし、採用されなければ引きこもって英気を養う」(『論語』)といった、道理にかなった出処進退のやり方ではありません。

(16)
『易経』にある「革(変革)」の部分説明(爻辞)の二番目(二爻)は、「中(ほど)よく正しいので、偏りもなければ、心の曇りもない。知性あふれているので、物事の道理が分かる。上の人の意を受けているので、権力と勢力を獲得する。性格がひねくれていないので、害悪となることがない」ということを表しています。
 機も熟し、地位も申し分なく、才能もたっぷりあります。ですから、変革をなすのに、もっともよい状態です。あとは上と下から信頼されるのをまつだけです。
 ですから、「すべてが整った日に、変革を実施する」とあるのです。このようであれば、旧弊を改善する計画を進めて変革を実施すべきです。そうすれば、「吉にして、とがめなし」になります。しかし、旧弊を改善する計画を進めなければ、時を失ってしまい、(変革すべきときに変革しないのですから)「とがめあり」になります。

(17)
『易経』にある「鼎(三本足のかま)」の説明に言う、「三本足のかまのなかに中身がつまっている(三拍子そろっている)」とは、すぐれた能力のある人のことを表しています。
 このときには、自分の進路を慎重に決めなければいけません。自分の進路を決定するときに慎重にしなければ、進む方向を誤ってそのまま非道におちいってしまいます。
 ですから、「三本足のかまのなかに中身がつまっている。(途中でつまずいて、中身をこぼしてダメにしてしまわないように)進むときに慎重にする」とあるのです。

(18)
 士(中流階級の人)は、高い役職地位にいる場合、(その高い影響力を駆使して)上の人をまちがいから救うことはしても、(上の人のまちがいに目をつぶって)上の人に追従したりしません。
 低い役職地位にいる場合、(上の人をまちがいから)救うべきときもあれば、(チームワークを乱さないようにするために)従うべきときもあります。ときには、(自分が非力であるために)どうしても救いようがなくて、やむをえず従う場合もあります。

(19)
『易経』にある「艮(とどまること)」の説明に、「君子(りっぱな人)は、自分の位からはずれたことは考えない」とあります。ここで言う「位」とは、そのいる位置に応じた身の程のことです。(たとえば、自分のいる位置が「大人」なら、その身の程は「大人らしくすること」になります)。
 どんなことにも、それぞれに適当な位置があります。(たとえば、人ならば人らしくあるべきであり、それが人にとっての「適当な位置」です)。適当な位置を得られたなら、そこにとどまって安んじます。
 行くべきときにとどまったり、急ぐべきときにのんびりしたり、はたまたやり過ぎたり、やり足らなかったりするのは、すべて「自分の位」からはずれています。ましてや、身の程知らずであったり、よりどころとすべきでないものをよりどころとしたりするのは、なおさらです。(身の程=今の自分がもっている能力や地位などの程度)。

(20)
 人が何かにとどまる場合、それを長続きさせることは難しいものです。ですから、晩年には節操をなくしたり、終わりにはだらしなくなったり、時間がたつにつれて仕事をなまけるようになったりするのです。これは人間共通の欠点です。『易経』にある「艮(とどまること)」の部分説明(爻辞)の最後(上爻)は、「最後までまっとうできることが、最善のとどまり方だ」ということを表しています。ですから、「艮(とど)まるに敦(あつ)くして吉」とあるのです。

(21)
『易経』にある「中孚(信)」の部分説明(爻辞)の最初(上爻)に「よく考えれば吉である」とあり、その解説に「心変わりしていない」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「何かを信じ始めるにあたり、追随しようとする心がなく、何を信じるべきかをよく考えれば、正しく信じることができます。ですから、吉となるのです。追随しようとする心があれば、それは心変わりしやすいということであり、いくらよく考えたとしても、正しく信じることはできません」
(追随=他人の言動を無批判にまねること)。

(22)
 賢者は義(ただしさ)を心得ているだけで、運命はそのなかにあります。(正しいことをしている人は幸運にめぐまれ、正しくないことをしている人は不運にみまわれます)。
 しかし、心の成熟度が真ん中より下の人は、運命まかせにすることを義(ただ)しいことだとします。すなわち、「求めるにあたっては正しいやり方がある。(たとえば、魚を釣りたければ、釣り具を使うのが正しいやり方だ)。しかし、獲得できるかどうかには運命がある。(たとえば、釣り具を使ったとしても、必ずしも魚が釣れるとはかぎらない)。これは、求めたところで獲得には役立たないということだ」などと言うようなもので、運命とは求めたところでどうなるものでもないと心得ているので、求めないことにするのです。(こうして努力をおこたるようになるわけです)。
 しかし、賢者の場合、正しいやり方を通して求めます。(決して「目的のためには手段を選ばない」といった、非道なことをしません)。そして、義(ただしさ)を通して獲得します。(自分のやっていることが正しいことであれば、必ず報われます)。運命を口にする必要がありません。(人事をつくさずに天命をまつのは、まちがいです)。

(23)
 悩まされるくらいの困難に直面した場合には、とりあえずそれに対して何らかの処置をほどこすことです。このとき、人として考え得るかぎりのことをしたなら、後はゆったりとかまえていつもどおりに暮らすことが大切です。
 なかには、悩まされるくらいの困難に出会うと、いつまでもそのことを気にする人がいます。しかし、そんなことをして、けっきょく何の役に立つのでしょうか。
 もし何らかの処置をほどこした後で、それを気にせずにいることができなければ、それは義(ただしさ)をだいなしにし、天命をだいなしにすることになります。(「人事をつくして天命をまつ」)

(24)
 太学(首都にある国の最高学府)に在学中の先生の門人が、故郷に帰って国家公務員採用試験を受けようとしていました。
 先生がその理由をたずねると、その門人は、こう答えました。
「私の故郷の蔡に住んでいる人は、『礼記』の勉強をしていないので、受験に有利だからです」
 先生は言いました。
「君のような心がけでは、もはや聖人の道を進めません。(孔子の門人の子貢は、とても金儲けのうまかった人ですが)そもそも子貢ほどの高い見識をもった人が、どうして利益を得ることに心を奪われたりするでしょうか。子貢はただ、貧富を気にしないことができなかっただけです。それに第一、貧富には天命があります。子貢は貧富を気にし、聖人の道を信じていないようすでした。ですから、聖人の孔子は、「子貢は天命を受け入れない」と言ったのです。聖人の道を進もうとする人は、そんな利害得失にこだわる心を捨て去るべきで、それでこそ「ともに聖人の道の話ができる」ようになります」(人事をつくすだけで天命を無視するのは、まちがいです。)

(25)
 人は、もし「朝に道(道理)を聞けたなら、夕方に死んでもかまわない」(『論語』)という心意気をもっていれば、一日として安らげないところに安んじたりなどしないはずです。いや、一日どころか、一瞬たりとも安んじたりなどできないはずです。たとえば、孔子の門人の曾子は、命の危険をもかえりみずに、自分が正しいと信じることをして死んでいきましたが、そのようにしてこそ、安んじることができます。(安らげないところ=正しくない状態。安らげるところ=正しい状態)。
 人が命がけで正しいことをしようとしないのは、ただ実理(真実の道理)を分かっていないからにすぎません。実理とは、是(ただしき)を本当に分かることができ、非(まちがい)を本当に分かることができることです。
 ふつう、実理(真実の道理)を心に得ると、おのずと以前とは変わってきます。(すなわち、実理を心に得る前は悪い人でも、実理を心に得た後は善い人になります)。もし耳で聞いて、それをそのまま口に出して言うのなら、心から分かっていません。もし分かっているのなら、決して安らげないところに安んじたりなどしないはずです。
 人にはそれぞれ「これだけは絶対にしない」というものがあるものの、それ以外のことはしないともかぎりません。たとえば、名のある人の場合、「強盗をはたらかなければ、殺すぞ」と脅されても、決して強盗をはたらいたりなどしませんが、その他のこともしないとは言いきれません。
 知識人などにいたっては、道徳の大切さを説くことを知らない人はいません。また、有力者などにいたっては、そのだれもが「地位や名声などは重要ではない」と言います。しかし、そんな知識人や有力者たちも、利害得失がからんでくると、義理(道理)を重んじるどころか、それとは反対に利得を重んじます。
 以上のような人たちは、正しいことを口に出して言えるというだけで、正しいことを本当に分かっているわけではありません。たとえば、いざ水や火に入るとなると、(水にとびこめば溺れる危険があり、火にとびこめば火傷をする危険があるので)すべての人がそれを避けようとします。それは、水や火の危険性を本当に分かっているからです。
 大切なことは、「不善を見ては湯を探るようにする(熱湯をさわるときに気をつけるように、不善に対して気をつける)」(『論語』)といった心(悪をひどく嫌う心)をもつことです。そうすれば、おのずと以前とは変わってきます。
 昔、虎に襲われたことのあるAさんという人がいました。あるとき、ある人が、虎の恐ろしさについて、みんなに話しました。小さな子供たちを含め、それを聞いていた人たちはみんな、虎の恐ろしさについて分かりました。しかし、Aさんのように顔色が悪くなったり、ふるえたりして、本当に恐ろしく感じた人はいませんでした。それは、Aさんだけが虎の恐ろしさについて本当に分かっていたからです。
 実理(真実の道理)を心に得るとは、徳(自分が本来もっている良さ)を身につけているということであり、努力は必要ありません。(なぜなら、もともと徳のない人などいないからです)。しかしながら、正しく生きるために学ぶ人ならば、そんな実理を分かる努力をすることが大切です。(なぜなら、生まれながらに実理をもっていても、本人がそれを自覚していなければ、実理を生かすことができないからです)。
 昔の人たちのなかには、正しいことをするために身をなげうったり、命をなくしたりした人たちがいました。その人たちは、もし実理(真実の道理)を本当に分かっていなかったなら、どうしてそのようなことができたでしょうか。
 大切なことは、生よりも義のほうが重く、死よりも生のほうが不安なものだということを本当に分かることです。ですから、「身を殺して仁をなす」(『論語』)とありますが、それは単に是(ただしき)をなしとげることを優先しているにすぎないのです。

(26)
 孟子は、「聖人の舜」と「泥棒の跖」との違いをあげて、「ただ義と利の間にあるにすぎない」としています。「間」とは、距離が近くて、違いが毛の先ほどしかないことを指しています。「義」と「利」の違いは、「公」と「私」の違いにすぎません。少しでも「義」からはずれると、すぐさま「利」ということになります。
 損得勘定で行動をする人は、利害得失を気にしているのです。もし利害得失を気にしていなければ、どうして損得勘定で行動したりするでしょうか。利害得失を気にするのは、人ならだれもがもっている共通の人情です。人はだれでも、利益があればそちらへ動き、損害があればそれを避けることを知っています。
 しかし、聖人(すぐれた人)ならば、わざわざ利害得失を論じたりせずに、ただ「義」の観点からして「そうすべき」なのか、それとも「そうすべきではない」のかを考えるだけです。天命はそこに存在します。(善いことをしていれば善い結果に終わり、悪いことをしていれば悪い結果に終わります)。

(27)
 すべての儒学者(儒学を通じて正しい生き方を探究している人)に対して、道(道理)に深く精通することを望んだりはしません。
 しばらくは、ただ次の3つのようにすることです。
①自分のあり方を正しくする。
②善悪をきちんとわきまえる。
③正直で欲張らず、恥を知るようにする。
 そのような人が多くなれば、世の中はだんだんとよくなっていくでしょう。

(28)
 趙景平の質問。「『論語』に「先生は、たまに利の話をする」とありますが、そこで言う「利」とは、どんな利のことですか」
 返答。「ただ利潤の利だけではありません。一般的に、利心(欲望)があれば、もはやダメです。たとえば、何かをするときに、(他者のことは考えずに)自分につごうがいいようにしようとするのは、すべて利心です。聖人(すぐれた人)は、義を利とします。義の観点からしておちつけるところ、それを利とするのです。仏教の教えは、(たとえば「いいことをすると、極楽へ行けますよ。だから、いいことをしたほうが得ですよ」というように)すべて利にもとづいています。ですから、正しくないのです」

(二十九)
 門人の質問。「?和叔は長いこと先生のもとで学んでいましたが、思うに、まったく知りも、分かりもしていません。いずれ困り果ててしまうでしょうね」
 先生の返答。「まったく知らないと言うことはできません。(なぜなら、もともと知(ちえ)のない人はいないのですから)。ただ義理(天理)が利欲の心(人欲)に勝つことができていないので、あのように悪くなってしまっているのです」
(?和叔は、腹黒い政治家の仲間となって、いっしょに悪事をなしました。)

(三十)
 謝湜は、故郷の蜀(四川省)から首都へと向かう途中、洛陽の程先生のところに立ち寄りました。
 先生はたずねました。
「首都に何をしに行っているのですか」
 謝湜は答えました。
「教員採用試験を受けに行くのです」(当時、教員になる方法には、①りっぱな人だという理由で政府から指名されて教員になる方法と、②試験に合格して教員になる方法とがありました。謝湜は、②を選んだわけです)。
 先生は何も言わず、黙っていました。
 そこで、謝湜は続けて言いました。
「どんなものでしょうか」
 先生は言いました。
「私は昔、使用人を雇うにあたって、ある娘を試験してみようとしたのですが、その母親は怒って、試験することを許してくれませんでした。その母親が言うには、「うちの娘はもとからすぐれているのに、いまさら試験なんか必要ではありません」とのことでした。君は今、人の師となろうとしながら、みずから進んで人に試験されようとしています。きっとその母親に笑われるでしょう」
 謝湜は、首都に行くのをやめました。

(31)
 先生が昔、皇帝の先生をしていたとき、関係省庁が先生への給料の支払いを忘れていたのですが、先生は給料の請求をしませんでした。先生がいつまでたっても給料の請求をしなかったので、諸公はそれをみかねて、ついに関係省庁に対して給料の不払いを問いただしました。そこで関係省庁は、先生に対して職歴書の提出を求めてきました。それに対して先生は、「私は、民間の出ですので、職歴書はありません」と言いました。(本註:昔の慣例として、はじめて中央の役人になった人は、これまでもらっていた給料の額を記した書類を提出していました。しかし、先生は、給料の請求をしませんでした。その理由は、おそらく、先生が「政府が自分を皇帝の先生に起用したのは、食糧庫の管理人が穀物をきらさないようにし、調理人が食肉をきらさないようにするようなものだ(すなわち、自分のすべきことは、皇帝を教育することであって、給料を請求することではない。それに第一、給料がきちんと支給されるようにするのは、出納係のすべきことであって、自分のすべきことではない)」と考えていたからでしょう)。そして、ついには、関係省庁にわざわざ新しい職歴書を作らせました。
 また、先生は、政府に願い出れば役人の妻のための特別の称号をもらえたのですが、そんな称号を求めたりしませんでした。范純甫がその理由を問うと、先生は「私は民間の出であり、これまで何度も任官をことわってきました。しかし、どうしてもというので今回、任官しました。それなのに、妻のために称号を求めるのは、理にかなっていません」と答えました。「今の人は特別待遇を願い出ますが、それは正しいのでしょうか。人々はみんな、それを当然のことと考えていますが」と質問すると、先生は「今の役人は、特別待遇を願い出ることに慣れているので、なにかにつけすぐに願い出るのです」と答えました。それに関して「父や先祖のための称号の授与を願い出るのはどうですか」と質問すると、先生は「そのことは話が別です」と答えました。そこで、その詳しい説明を教えてくださいと何度も頼んだのですが、先生はただ「この話をしていると長くなるので、また別の機会にしましょう」と答えるだけでした。

(32)
 漢王朝の時代の公務員採用試験の受験者は、人の推薦によりました。たとえば、公孫弘などは、むりやりに受験させられました。後世の公務員採用試験の受験者ともなると、自分から推薦されることを求めています。もちろん、もし「皇帝に直接お会いして、天下の大事を言上したい」というのなら、それはりっぱなことです。しかし、もし富貴を望んでいるのなら、①成功すれば、おごり高ぶり、好き勝手なことをするだけですし、②失敗すれば、むなしくなり、悲しくなるだけです。

(33)
 伊川先生が言いました。
「多くの人が、私が人に試験勉強をさせないと言います。しかし、私は別にそんなことはしていません。もし、試験勉強をせずに、及第することを望むとしたら、それは「すべてを運まかせにして、何の努力もしないこと(人事をつくさず天命をまつこと)」になります。
 ただ試験勉強は、及第できる程度でやめることです。もし、それ以上に試験勉強をして、必ず高い地位や名誉を得ることができるようにしようとするのなら、それは惑いです」

(34)
 質問。「家が貧しくて、親も年をとっているので、(相手が自分を買ってくれる前に、こちらから進んで)試験を受けて任官を求めようと思うのですが、採用されるかどうか心配でなりません。どのような修行をすれば、このような心配からまぬがれることができるでしょうか」
 返答。「それは、意志が気分に勝てていないからにすぎません。もし意志が気分に勝っていれば、そのような心配はおのずとなくなります。家が貧しく、親も年をとっているのなら、任官を求めることが大切です。しかしながら、任官できるかどうかには、天命があります(すなわち、任官することが天職であれば、必ずうまくいきます)」
 質問。「任官できなかったとき、自分としては大丈夫なのですが、親のためにはどうすればよいのでしょうか」
 返答。「自分のためにするのであれ、親のためにするのであれ、結局は同じことです。任官に失敗すれば、それは天命で、どうしようもありません。孔子は「天命を知らなければ、君子にはなれない」と言っています。天命を知らない人は、①苦難や困難に出会うと、すぐにそれから逃げようとします。②成功失敗がからんでくると、すぐに心が動揺してしまいます。③利益があると、すぐさまそちらに走っていってしまいます。それでどうして君子(りっぱな人)となれるでしょうか」(人事をつくして天命をまつ。)

(35)
「受験のための勉強は、自分のための勉強をダメにする」という人もいますが、それは違います。たとえば、一月のうち、十日を受験のための勉強にあて、残りの日は自分のための勉強にあてるというようにすれば、十分に自分のための勉強をすることができます。
 しかしながら、人の心は、こちらに向かなければ、あちらに向くものです。ですから、受験のための勉強には、自分のための勉強をダメにする心配はなく、ただ心を奪ってしまう心配があるだけなのです。

(36)
 横渠先生が言いました。
「王者は、功労者を記録し、人徳者を尊重し、それらの人たちを寵愛し厚遇するだけでなく、そんな特別待遇がずっと続くことを示すために、功労者や人徳者たちに代々にわたって受け継がれる特権という栄誉を与えるのです。
 そんな特権階級の家に生まれた後継者は、当然のこととして、①職務を楽しんで功績があるようにとがんばり、そうして職責を果たすべきであり、②また、正直で欲張らないことを重んじて私利私欲にはしらないようにし、そうしてりっぱな家風を受け継ぐべきです。
 ところが、最近の後継者たちときたら、ぶらぶらしている連中とつきあったり、詩歌作り(道楽)にうつつをぬかしたり、役人たちに自分の名を売ったりしています。しかも、それだけでなく、なりふりかまわず自分から任官を求めることは理に反したことだということが分からず、あろうことか理にかなったことをすることを恥じてバカにしたり、先祖のりっぱな行いの恩恵を今に受け継ぐことができていることは栄誉なことだということが分からず、あろうことか高位高官を得ることがよい後継者のなすことだと考えたりしています。いったいどういう心づもりなのでしょう」
(ノーブレスオブリージュ=貴族や高位高官などの特権をもっている者には、それに相応した重い義務や責任があるとする考え方)。

(37)
 相手の力量(知力や腕力や能力など)に頼らず、相手の所有(地位や財産や名声など)を利用しなければ、相手に圧倒されることはなくなります。

(38)
 人は、よく「(富貴は気にせず)貧賎に安んじる」と言います。しかし、そう言っているのは、実は、ただ(富貴になりたくても)いい考えが思いうかばず、力量が不足し、才能がとぼしくて、どうしようもできないからにすぎません。もし少しでも(富貴のほうへと)動くことができるのであれば、おそらく貧賎に安んじたりなどはしないでしょう。
 大切なことは、義理(天理)に従うことが、利欲(人欲)に従うことよりも楽しいことなのだということを本当に分かることです。そうすれば、貧賎に安んじること(富貴を気にしないこと)ができます。(天理に従い、人欲に従わないようにするためには、省察や察識や慎独などが有効です)。

(39)
 世の中のことで、とても心配なことは、人が他人からそしられたり、あざけ笑われたりすることを恐れることです。馬車や馬といったステータスシンボルをもてず、安いものを食べ、粗末な服を着て、貧相な暮らしをしていると、そのだれもが他人からそしられたり、あざけ笑われたりすることを恐れます。しかし、そのような人は、生くべきときには生き、死すべきときには死に、今日は高給でも明日には失脚し、今日は富貴でも明日には飢える、そうなっても憂えたりせずに、ただ義(ただしさ)にのっとって生きていくだけであるということが分かっていないのです。

第八巻 治国平天下之道~国を治め、天下を太平にする方法

(1)
 濂渓先生が言いました。
 天下を治めるには、根本があります。それは一身のことです。
 天下を治めるには、手本があります。それは家庭のことです。
 根本(一身)は、正しくある必要があります。根本を正しくするには、心を誠にするだけです。
 手本(家庭)は、善くあることが必要です。手本を善くするには、親しい人たちを和するだけです。
 家庭のことは困難で、天下のことは簡単です。なぜなら、家族は親近ですが、天下は疎遠だからです。
 家族の離反は、婦人から起こります。(たとえば、嫁と 姑 の確執など)。ですから、『易経』においては、「家人(家族)」に関する説明の次に、「背き離れること(?)」に関する説明を載せているのです。「二人の女性が同居していて、心が離れている」から、家庭の和が乱れるのです。
 堯が二人の娘を舜に嫁がせたのは、舜が帝位をゆずるのにふさわしい人物かどうか、それを見定めようと思ったからです。それは、その人が天下を治めることができるかどうかは、その人の家庭を観察すれば分かるし、その人が家庭を治めることができるかどうかは、その人の一身を観察すれば分かるからにすぎません。
 一身が正しいとは、心が誠であることです。心を誠にするためには、心の善くない動きをもとに戻す(本来の良心をとりもどす)だけです。善くない動きは、妄(でたらめ)です。妄(でたらめ)がもとに戻れば、無妄(まとも)になります。無妄(まとも)であれば、誠になります。ですから、『易経』においては、「もとに戻ること(復)」に関する説明の次に「信実であること(無妄)」に関する説明が載せられ、「先王は、時に順応して万物を育んだ」と述べてあるのです。なかなか深みがありますね。

(2)
 かつて明道先生が、神宗皇帝に対して、次のように言いました。
 天理にぴったりあい、人の道の頂点をきわめるのが、堯舜の道(王道)です。私心のままに行動し、人々の心をつかむために見せかけだけの仁(やさしさ)と義(ただしさ)を行って人々をだますのは、霸者の事業(覇道)です。
 王道は、といしのように平らかで、人間らしい心にもとづき、礼(ほどよさ)と義(ただしさ)から出発していて、大通りを歩いて行くように、よこしまでねじれているところがありません。
 霸者は、曲がった小道のなかで行き悩み、そりかえりゆがんでしまい、ついに王道を進むことができません。
 ですから、心を誠にして王者たらんとすれば、王者になれます。反対に表面だけとりつくろってよく見せかけて霸者たらんとすれば、霸者になれます。
 両者は(ともに表面的には、いい人そうに見えますが)進む方向がまったく違っています。出発点をよく考えるのが大切です。『易経』に言う「たとえ最初は小さな違いでも、千里も行けば大きな違いになる」とは、出発点をよく考えないわけにはいかないと言っているのです。
 ただ陛下が、昔の聖人たちの言葉についてよく考え、人の世の道理を見抜き、王道を進むにたるすばらしい素質がすでに自身に備わっていることを知り、自分自身を反省して自分を誠にし、それを天下におしおよぼしてくだされば、万世にわたる大変な幸せです。

(3)
 今の世においてなすべき仕事として、何よりも先にしなければならない仕事が三つあります。それは①立志(大志をいだくこと)、②責任(職責を果たすこと)、③求賢(賢者を採用すること)の三つです。
 今、指導者たる皇帝によい考えを教えたり、りっぱな計画を伝えたりしたとしても、まず皇帝に立志がなければ、どうしてそれを聞き入れてもらえるでしょうか。また、皇帝がそれを聞き入れてくれても、その補佐役たる宰相たちが無責任であれば、はたしてだれがそれを受けて行うのでしょうか。また、皇帝と宰相たちとが一丸となってがんばっていても、部下として賢者が採用されておらず、無能な部下たちばかりであれば、はたしてそれを天下に実施していくことができるでしょうか。
 立志、責任、求賢といった三つのことは、根本原則です。実際にいろんなことを正しく処理するのは、その応用です。それら三つのうちで、(指導者の)立志が大本です。
 立志というのは、①誠になり心が散漫にならないようにし、②道の実践を自分の任務とし、③古典に残されている聖人の訓戒を信頼し、④理想的な政治は必ず実現できるとの信念をもち、⑤現行の規則になずんだり、とらわれたりせず、⑥人々の言うことに左右されたり、惑わされたりせず、⑦理想的な社会を必ず現実のものとしようと堅く心に誓うことです。

(4)
『易経』にある「比(親しむこと)」の部分説明(爻辞)の五番目(五爻)に、「比を明らかにする。王は、狩りのときに三方だけを囲って、前へ逃げていく獲物は追わない」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「指導者が天下万民に親しむ方法としては、その正しい親しみ方を(みずから実践して)ハッキリと示すのが当然です。指導者が天下万民に親しむ正しい方法は、意(心の動き)を誠にして、(すっきりした心で)他者を待ちうけ、自分を恕(ゆる)めて、(ゆとりある心で)他人にはたらきかけ、よい政治を行い、仁(やさしさ)を広め、天下にその恵沢がもれなくゆきわたるようにすることです。そのようでなければ、天下万民のなかの一体だれが指導者に親しんだりするでしょうか。
 もし指導者が、いい指導者だと思わせるために見せかけだけの仁政(良心的な政治)を行い、道(道理)にはずれたことをしてまで評判を高めようとし、天下万民が自分に親しむように仕向けようとするなら、それは偏狭なやり方です。それで天下万民が親しんだりするでしょうか。
 王者が正しい親しみ方を(みずから実践して)ハッキリと示すと、天下万民は自然に集まってきて、その王者に親しむようになります。王者は、やって来てくれる者は大切にしますが、相手を何か物で釣るなどして、こちらから親しんでもらおうとはしません。これはまさに、狩りのとき、逃げて行くものは追わず、やって来るものがあれば取るようなものです。これが王道の大なるものですが、そのため、人々は安全に暮らしていながら、それがだれのおかげなのかを知らないのです。(政治の力を人々が忘れてしまっているのは、よい政治が行われている証拠です)。
 このような親しみ方は、ただ指導者が天下万民に親しむ場合だけでなく、一般に人々がお互いに親しむ場合にも適用されます。たとえば、部下が上司に対する場合には、部下は、忠と誠をつくし、才能と力量を出し切るようにします。そうすることが、上司との正しい親しみ方を(みずから実践して)ハッキリと示すことになります。部下を採用するかどうかは、上司が決めることです。
 口先だけうまいことを言ったり、愛想笑いをしてみせたり、自分の信念を平気で曲げて従ったり、いいかげんな気持ちで賛成したりして、相手が自分に親しんでくれるのを求めてはいけません。そのことは、故郷の親類に対しても、世間の人々に対しても、同じことです。
 以上が「狩りのときに三方だけを囲って、前へ逃げていく獲物は追わない。(来るものは拒まず、去るものは追わず)」ということの意味です」

(6)
 聖人たちが活躍していた古きよき時代においては、上流階級から庶民にいたるまで、その職業地位がそれぞれの徳にみあっていました。(たとえば、徳の高い人は大臣や社長などといった高い地位につき、徳の低い人は小役人や平社員などといった低い地位につきました。また、政治が得意な人は政治の世界に入り、経済の得意な人は経済の世界に入りました)。人々が生涯その職業地位にいることができたのは、自分に適当な位置を得ていたからです。職業地位がその人の徳にみあっていない場合、指導者はその人をとりあげて、その人にふさわしい職業地位につけました。
 官僚をめざす中流階級の人たちは、自分の人格的向上のための学問をし、指導者は、その学問の効果が出てからその人たちを採用しました。自分のほうから採用を求めたり、昇進を求めたりするのは論外でした。農民も、工員も、商人も、それぞれ(その適性に応じた職業地位についていたので)自分の仕事に精を出し、自分にみあった収入を得ていました。ですから、だれもが安定した心をもっていて、天下万民の心は一つになっていました。
 聖人たちのいた時代よりあとの時代ともなると、官僚の卵から高級官僚にいたるまで、そのだれもが毎日、出世することばかりを考えるようになりました。また、庶民は、そのだれもが毎日、金儲けのことばかり考えるようになりました。このように天下万民の心はそれぞれ私利私欲に走り、天下は紛然と乱れました。それでどうして天下万民の心を一つにすることができるでしょうか。乱れないようにしようとしても、難しいでしょう。

(6)
『易経』にある「泰(泰平)」の部分説明(爻辞)の三番目(三爻)に、「荒(けがれ)をつつみ、馮河を用いる(あらゆる汚れをつつみこむ度量をもち、大河を船なしで渡るような剛勇果断さを用いる)」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「人の心がわがまま気ままだと、政治はたるんで、法律が守られなくなり、あらゆることにおいて節度がなくなります。それを治す方法としては、清濁あわせのむ度量が必要です。それがあれば、その行為はゆったりし緻密になり、弊害は改善され、事はスムーズに運び、そして人々は安心して暮らせるようになります。
 もし、すべてをつつみこめるほど広い度量がなく、悪を決して許さない生真面目さがあれば、深く遠くまで見通せる思慮(深謀遠慮)がなくなり、暴動が起きたり、混乱が生じたりする心配が出てきます。(「水清ければ魚棲まず」)。前からあった弊害がなくならないうちに、新たな問題が起きてしまうことになります。ですから、世の中を泰平にするための鍵は、「荒を包む(あらゆる汚れをつつみこむ度量をもつ)」にあるのです。
 昔から泰平の世も必ずしだいに衰えていくのは、思うに、安逸になれて危機感がなくなることによって、旧習になずんで惰眠をむさぼってしまうからです。気力が強くて決断力のある指導者か、優秀で積極果敢な補佐役でなければ、一人ぬきん出て奮発して弊害を改革することはできません。ですから、「馮河を用いる(大河を船なしで渡るような剛勇果断さを用いる)」と言われているのです。
 もちろん、ここでこういう疑問をもつ人もいるかもしれません。それは、「上の句の「荒を包む」とは、消極的な包含寛容のことである。しかし、下の句の「馮河を用いる」とは、積極的な奮発改革のことである。だから、両者は矛盾しており、両立し得ないのではないか」という疑問です。
 しかし、そんなことを言う人は、「広大な度量をもって勇猛果敢に行うことこそ、聖人や賢人のやり方である」ということを知らないのです」

(7)
『易経』にある「観(静観すること)」の説明に、「祭祀において、手を洗い清めたが、まだお供え物をする段階にまで至っていない。誠があって、荘厳さにあふれている」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「君子が上にいて天下の模範となり、手を洗い清めるときのようにとても荘(どっしり)し、敬(しっかり)し、お供え物をした後のように少し気がぬけて誠の心を欠けさせてしまうことがないようにすれば、天下万民は誠をつくすようになり、自分たちのよき見本として君子を仰ぎ見るようになるでしょう」

(8)
 およそ天下から一国、一家に至り、万事に至るまで、和合しないことがあるのは、すべて間(へだたり)があるからです。間がなければ、合わさるものです。天地万物の生成は(たとえば陰陽二気が合わさって天地万物が生成されるように)すべて合わさることによってできあがっています。(つまり、和合するのは自然なことで、和合しないのは不自然なことです)。
 一般的に、合わさっていないのは、すべて間があるからです。たとえば、君主と臣下の関係、父と子の関係、親類どうしの関係、友人どうしの関係などにおいて、お互いに離れ背いたり、恨んで不和になったりすることがあるのは、思うに讒言(悪口)や邪心が、それらの関係に間を作っているからです。そんな間隔をなくして合わせれば、必ず和してうまくいくものです。
 このように、『易経』にある「噛み合わせること(噬?)」という教えは、天下を治めるにあたって大いに使えるものです。

(9)
『易経』にある「大畜(大きな蓄え)」の部分説明(爻辞)の五番目(五爻)に、「去勢した猪の牙、吉」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「物にはその中心となる本質的な点があり、事にはその命運を決める大切な点があります。聖人(すぐれた人)は、そういった物事のかんじんかなめの点をとらえることができるので、天下万民の無数の心を見る場合、それらをまるで一つの心を見るかのようによく分かることができます。
 そんな聖人が天下万民を導けば天下万民は動きますし、そんな聖人が天下万民をとどめれば天下万民は静まります。ですから、(聖人が政治をすると)労せずして天下が治まるのです。
 そのやり方は、あたかも「去勢した猪の牙」のようです。猪は気のあらい動物ですから、その牙をむりやり押さえつけようとすれば、とんだ苦労をするだけで、押さえつけることはできません。しかし、もし猪を去勢すれば、牙は残っていても、気のあらさはおのずとなくなります。(このときには、簡単に押さえつけることができます)。
 君子(りっぱな人)は、この「去勢した猪の牙」という例え話の真意にならって、「天下の害悪というものは、力づくで押さえつけることはできない」ということを分かっているので、害悪をなくそうとする場合、そのカラクリを明らかにし、そのかなめのところをとらえて、害悪の根本原因を塞いで絶ってしまいます。ですから、厳しい刑罰や厳しい法律に頼らなくても、害悪はおのずとなくなるのです。
 たとえば、窃盗行為をなくそうとする場合について考えてみましょう。人々には(良心だけでなく)欲心があって、利を見るとそちらに動きます。もし人々への教育がなされておらず、人々が飢えや寒さに襲われた場合、為政者は毎日のように死刑を実施したとしても、人々の数億、数兆もの利欲の心に勝てるでしょうか。
 聖人ならば、窃盗行為をなくすための方法が分かっています。恐ろしい刑罰は尊ばず、政治や教育をきちんとするのです。そして、きちんとした政治を通して人々がきちんと生業につけるようにして生活に困らないようにし、きちんとした教育を通して正直に生き恥を知ることの大切さを人々に分からせるのです。そうすれば、ほめたとしても、窃盗行為などしたりしません」

(10)
『易経』にある「解(問題の解消)」の説明に、「①西南の方角がよろしい。②行くところがない場合、戻ってくると吉。③行くところがある場合、早くすれば吉」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「①「西南の方角」は、八卦で言うと、坤にあたります。坤(母なる大地)の姿は広大で平易です。(たとえば戦乱などの)天下の困難が解消したばかりのとき、人々は艱難辛苦から解放されたばかりです。このとき(人々はとても疲弊しているので)繁雑で厳格なやり方で人々を統治することはできず、寛大で簡易なやり方で人々を救済するのが当然であり、それでこそ「よろしい」状態になります。
②困難が解消して平安無事になっていること、これが「行くところがない場合」ということです。そうなれば、政治機構を修復し、根本法規を正しくし、法律制度を明らかにして、進んで昔の名君が実現したようなりっぱな治世の復活をはかるのが当然です。これが「戻ってくる」ということです。それは、世の中を正しい状態に戻すことを言っているのです。
 昔から、聖王(すぐれた指導者)が天下の難儀を救い、天下の混乱を静めるにあたって、最初のうちは(目の前の問題に追われて一時的な対処しかできず)すぐさま遠い先のことまで視野に入れた永続的な政治を行うよゆうがありません。しかし、世の中が安定したなら、遠い先のことまで視野に入れた永続的な政治を行うものです。
 ところが、漢王朝の時代よりこのかた、為政者は、時間的にも空間的にも広い視野に立つ政治をなさず、事あるたびに場当たり的なやり方でその場しのぎをして体制を維持するだけです。ですから、りっぱな治世を実現することができないのです。思うに、「戻ってくる」の意味について分かっていないのでしょう。
③「行くところがある場合、早くすれば吉」とは、「解決すべき問題がある場合には、早くそれを処理すれば吉だ」ということを言っています。すなわち、解決すべきなのにまだ解決してしまえていない問題は、早く除去しなければ、いずれまた力を盛り返してくることでしょう。また、再び生じてきた解決すべき問題は、早く処理しなければ、だんだんと大きな問題に発展していくことでしょう。ですから、「早くすれば吉」なのです」

(11)
 そもそも「物があれば、必ずそれ固有の本来あるべきあり方というものがある」ものです。
 たとえば、父親は(父親らしいあり方として)慈愛にとどまり、子供は(子供らしいあり方として)孝行にとどまり、指導者は(指導者らしいあり方として)良心的であることにとどまり、部下は(部下らしいあり方として)みずから率先して事にあたることにとどまります。(たとえば、人ならば人らしく人間性をなくさないようにするのがあたりまえのあり方です)。
 このように、万事万物は、それぞれ自分にふさわしいあり方をもっています。自分にふさわしいあり方ができれば、安らぎます。自分にふさわしいあり方をなくすと、ぎこちなくなります。聖人(すぐれた人)が世の中をうまい具合に治めることができるのは、相手のために相手の本来あるべきあり方を作ってあげることができるからではなく、ただ相手をその相手にふさわしいあり方にとどめるからにすぎません。
(たとえば、犬をむりやりに猫のようにさせようとしたりせずに、ただ犬らしくあらせること。また、Aさんの生き方をこちらで勝手に決めたりせずに、ただAさんらしくあらせること。それが聖人のやり方です)。

(12)
『易経』にある「兌(喜び)」の説明に、「喜んで正しくあれる」とあります。これは、上は天の理に従い、下は人の心に応えるという、喜び方のもっとも正しくて、もっとも善いものです。
 たとえば、あの「道にはずれたことをしてまで評判を高めようとする」ようなことは、かりそめの喜び方です。「道にはずれたことをする」のは、天の理に従うことではありませんし、「評判を高めようとする」のは、人の心に応えることではありません。それらは、かりそめに一時的な喜びをもてるだけで、君子(りっぱな人)の正しいやり方ではありません。
 君子のやり方は、天地の恵みのように、おのずと人々に喜ばれるものです。そんな君子のやり方に人々は、心を動かされ、厭うことなく喜んで従います。

(13)
 天下の事は、進まなければ退くもので、一定するようにはなっていません。事が終わりまでいくと、それ以上は進まず、そこで止まってしまいます。(たとえば、料理作りも、料理ができてしまえば、することがなくなります)。
 しかし、ずっとそのままの状態であり続けることはありません。そのままでいれば、必ず衰退や混乱がやってくるものです。(たとえば、できあがった料理も、そのままにしておけば、いずれは腐ってダメになってしまいます)。というのも、行き着くところまで行って、行き詰まってしまっているからです。
 ここで、「こんなとき、聖人(すぐれた人)はどうするのだろう」と疑問に思う人がいるかもしれません。それに答えましょう。聖人ならば、そもそも、そのような事態を招いたりはしません。なぜなら、ただ聖人だけが、事が行き詰まってしまう前に、それをよい方向に方向転換させて、行き詰まってしまわないようにすることができるからです。(たとえば、できあがった料理を、それが腐ってしまう前に食べて、自分のエネルギーに変換します)。堯や舜といった名君がしたことが、これです。ですから、終わることはあっても、乱れることはないのです。

(14)
 人々のために指導者(為政者)を立てるのは、人々の生活を安定させるためです。人々の生活を安定させる方法は、民力を大切にすることにあります。(民力=人びとのもつ経済力)。民力が足りていれば、生活が安定します。生活が安定すれば、教育して人々の善なる本性を養うことが可能となり、風俗がよくなります。(たとえば、「衣食足りて礼節を知る」と言われるように、まず経済的な安定がなければ、実効的な道徳教育はできないものです)。ですから、政治を行うにあたっては、民力が重要となってくるのです。
『春秋』には、指導者によって民力が使われた場合、そのことを必ず記録してあります。民力の使い方が時期的に悪くて、理(道理)に反している場合には、当然のことながら指導者の罪として記録してあります。民力の使い方が時期的によくて、理(道理)にかなっている場合にも、ちゃんと記録してあります。それは、民力を使うことがいかに重大なことであるかを示すためです。後の指導者がそういった記録の真意について分かれば、民力を使うときにいかに慎重にしなければならないかが分かるでしょう。
 しかしながら、民力を大いに使っていながらも、記録していないことがあります。それは、聖人の教訓の仕方が奥深いからです。たとえば、僖公が諸侯のための学校を修復し、宗廟を再建したことなどは、それらに民力が使われなかったわけではないのですが、記録されていません。なぜなら、それら二つの事業は、昔の名君たちが実現したようなりっぱな治世を復活し、荒廃した今の世を復興するための大事な事業であり、国を治めるための最優先課題であるので、民力が使われて当然だったからです。(官僚が悪ければ善い政治は実現できないので、官僚を善くするための教育施設が必要となります。また、天下万民の心がバラバラになれば世の中は乱れてしまうものですが、儒学では宗廟には天下万民の心を一つにする機能があると考えています)。
 指導者が、以上に述べたことの真意について分かれば、政治を行うにあたっての先後や軽重について分かるでしょう。

(15)
①身を修め、家庭をきちんとし、そして天下を太平にすることは、政治の筋道です。(『大学』によると、「自分自身がよくなると、自分に身近な家族が感化され、家族もよくなる。家族がよくなると、縁遠い天下の人々が感化され、天下の人々もよくなる。こうして天下太平が実現される」ということになります)。
②政治の綱領を作り、さまざまな役職地位にともなう職権(権利)と職責(義務)とを明確にし、年間行事がとどこおりなく行われるように暦に気を配り、そして法律制度を創立して天下のいろんな事件をうまく処理することは、政治の方法です。
 聖人が天下を治めるやり方は、ただ以上の二つだけです。

(16)
 明道先生が言いました。
「昔の名君の治世では、道(道理)によって天下が治められていました。それ以後の時代の暗愚な為政者の治世では、ただ法によって天下がつかまれているにすぎません」
(よい為政者は、心ある政治を行って天下万民を満足させ、それによっておのずと天下が治まるようにします。悪い為政者は、体制を維持するために、利で天下万民を誘導したり、力で天下万民を押さえつけたりします)。

(17)
 政治を行うにあたっては、ぜひとも大綱(ハード)と細目(ソフト)がなければなりません。(法律や制度などのハード面と官僚や人材などのソフト面との先後を言えば)官僚たちのことが先で、地方の官僚たちは人々に法を読んで聞かせたり、公衆道徳を説いたり、物価の安定をはかったり、公正な取引を守ったりするようにします。それらはどれも欠くことのできないものです。(では、りっぱな仕事のできる優秀な人物を得るためにはどうすればいいのでしょうか)。人は、それぞれ自分の近くにいる親しい人と親しくすることができてこそ、遠くにいる親しくない人とも親しくすることができるものです。これは『論語』にある話ですが、仲弓が「どうすれば賢い才知のある人物を挙げることができるでしょうか」と質問したとき、孔子は「君の知っている人物を挙げなさい。そうすれば、君の知らないりっぱな人物がいたときには、他の人たちがほうってはおかないでしょう」と返答しました。ここには、凡人の仲弓と聖人の孔子との心づかいの大小が示されています。この話から考えていくと、為政者の心のあり方いかんによって、国を滅ぼすこともできれば、国を盛んにすることもできるということが分かります。それはただ心が「公」であるか、それとも「私」であるかの違いにすぎません。(公=私心がなく、公正であり、客観的であること。私=公正でなく、私心があり、主観的であること)。

(18)
 政治の方法についてもまた、①根本面から言うこともあれば、②事象面から言うこともあります。
 ①前者は、ただ指導者の心の非を正すことにすぎません。指導者の心を正しくして政府を正しくし、政府を正しくして官僚たちを正しくします。(政治を本末関係で言うと、儒学では、人材など、政治のソフト面が本になります。)
 ②後者の場合、弊害をほったらかしにして政治をよくしないのならそれまでですが、政治をよくすべき場合には、必ず変革すべきです。大きく変革すれば、効果も大きくなります。小さく変革すれば、効果も小さくなります。(政治を本末関係で言うと、儒学では、制度など、政治のハード面が末になります。)

(19)
 唐王朝は天下を統一し、天下をよく治めたと言われています。しかしながら、野蛮な気風をもっていました。三綱(君主と臣下の関係、父と子の関係、夫と妻の関係という三つの人間関係)は正しくなく、君主も臣下もなく、父も子もなく、夫も妻もありませんでした。その原因は、太宗にあります。(太宗は、唐王朝の二代目皇帝で、皇帝の位につくために父と兄を力づくで排除しました)。ですから、その子孫はみんな、皇帝としてうまくリーダーシップを発揮することができなかったのです。君主は君主らしくなく、臣下は臣下らしくありませんでした。ですから、地方の豪族は中央を無視し、中央の有力者は権勢をほしいままにし、唐王朝はしだいに衰えて、五代十国時代とのちに呼ばれる乱世を招いたのです。
 漢王朝の政治は、唐王朝の政治よりもすぐれていました。漢王朝は大綱(人々の気風・政治のソフト面)が正しく、唐王朝は細目(法律制度・政治のハード面)が整っていました。わが宋王朝は、大綱は正しいのですが、細目は不十分です。

(20)
 人を教えるにあたっては、人の良心を養うようにします。かくして、悪はおのずと消えてなくなります。
 人を治めるにあたっては、敬(しっかり)していて謙虚であるようにと人を導くようにします。かくして、争いはおのずとやんでなくなります。

(21)
 明道先生が言いました。
「『詩経』にある「関雎」や「麟趾」に示された心があってはじめて、理想的な周王朝の時代に行われたりっぱな法律制度を復活できます」
(ここで言っているのは、要するに、上に立つ人がまずりっぱでなければ、りっぱな政治は行えないということです。なお、「関雎」は、名君だった文王の奥さんがりっぱな人だったことを詩にあらわしたもので、また「麟趾」は、文王の子孫に正しい心根のあることを詩にあらわしたものです。文王は、周王朝を創始した武王の父です)。

(22)
 指導者が仁(やさしさ)を重んじれば、仁を重んじない人はいなくなります。指導者が義(ただしさ)を重んじれば、義を重んじない人はいなくなります。天下が治まるのも、乱れるのも、すべては指導者が仁・義であるか、それとも不仁・不義であるかにかかっています。
 指導者が是(ただしき)から離れて非(まちがい)となれば、不仁・不義がその心に生じ、そのとたんにその政治をダメにします。心に生じた不仁・不義を外に行うのをまつまでもありません。
 その昔、孟子は三度も斉王と会見しながらも、本当に大切なことを何も言いませんでした。孟子の門人は、そんな孟子の行動に疑念をいだき、その理由を孟子に問いました。孟子が言うには、「私はまず王様の悪い心を攻めたのです」とのことでした。
 心が正しくなってはじめて、天下のいろんな事件は、その正しい心によってうまく処理できるようになるものです。そもそも「政治や行政における過失」や「人材の採用におけるまちがい」は、知恵者によって改められ、正直者によって諌められます。
 しかし、指導者に悪い心があれば、最初のうちは指導者の「過失」や「まちがい」を知恵者や正直者が修正できたとしても、そのうち、悪い心をもつ指導者によって次から次になされる「過失」や「まちがい」に、知恵者や正直者の修正が追いつかなくなるでしょう。指導者の悪い心を正し、不正がないようにさせるのは、大人(人間のできた人)でなければ一体だれにできるでしょうか。

(23)
 横渠先生が言いました。
「『論語』では、地方政府の政治の方法に関して、礼楽や刑政などについては何も言わず、「倹約し、人を愛し、民衆を徴用するときには時宜にかなうようにする」と言っています。ここで言わんとしていることは、そのようにできていれば、ルールがよく守られるようになるが、そのようにできていなければ、ルールは少しも守られなくなり、礼楽も刑政も単なる名目だけのものになる、ということです」
(ここで言っているのは、要するに、そもそも為政者がちゃんとやっていなければ、どんなに倫理道徳や法律制度を整えたとしても、世の中をうまく治めることはできないということです)。

(24)
 聖人の教えにならった法律制度が確立され遵守されれば、上に立つ人の人徳はずっと失われませんし、上に立つ人の功業は大きくできます。
 淫猥なものや口先のうまい人は、為政者をダメにしてしまいます。ですから、淫猥なものから離れ、口先のうまい人を遠ざけるのです。

(25)
 横渠先生が范巽之に答えた手紙に、次のようにあります。
 政府は、「(人としての理想を追求する)道学」と「(現実問題に取り組む)政治」とを、まったくの別物だと考えています。これはまさしく昔から問題視されてきたことです。
 巽之よ、考えてもみなさい。もし孔子や孟子が今の世に現れたとしたら、自分の学び得たものをおしおよぼして天下に行おうとするのでしょうか。それとも、自分の学んでいないものを無理に天下に行おうとするでしょうか。(必ずや自分の学び得たものを天下に行おうとするでしょう)。
 たいてい政府の上層部は、天下万民の父母たることを王道としています。(そして、その人たちは、天下万民の父母たることを自任しています)。しかし、実際には、父母の心を天下万民におしおよぼせていません。これが王道と言えるでしょうか。
 父母の心というのは、ただ言葉に表すだけでなく、天下万民を実際にわが子のように見ることを必要とします。もし天下万民をわが子としていれば、その政治のやり方は、秦王朝や漢王朝などのように恩情に欠けたものになったり、乱世の霸者たちのように偽善的なものになったりなどしないはずです。
 あなたは政府のために、こう言ってください。
「人材の採用におけるまちがいは責めるほどのものではありませんし、政治や行政における過失は非難するほどのものではありません。我々の指導者が天下万民を赤ん坊を愛するように愛したならば、①政治のすばらしさは日に日に高まっていき、②りっぱな人が役人となるようになり、③今日の政治は、体制を改変したりせずとも、りっぱなものとなり、④道学と政治とは、わざわざ心構えを別にしなくとも、一つの心でともにきわめることができるでしょう」

第九巻 制度~よりよい制度を整備する

(1)
 濂渓先生が、次のように言っています。
 昔、聖王(すぐれた指導者)は、(だれもが自分にふさわしいことができるようにするために)礼法を制定し、(だれもが自分にふさわしいことが分かるようにするために)教化を整備しました。おかげで三綱(人間関係)は正しくなり、九疇(政治方法)はきちんとなり、万民はとても和(やわ)らぎ、万物はすべて生き生きしました。
 そこで音楽を作って、調和的な演奏を広め、天下万民の心を平穏にしました。ですから、その音色は、さっぱりしていて心を傷つけず、やんわりしていて心を失わせませんでした。そして、耳に入ると心を感じ入らせ、人々を必ずさっぱりやんわりさせました。
 さっぱりすれば、欲ばりな心は静まってなくなりますし、やんわりすれば、おちつきがない心は溶けてなくなります。やさしくて、やわらかくて、おちついていて、中(ほど)よいのは、徳(よさ)が盛んである証拠です。天下万民が感化されて中(ほど)よくなるのは、よく治まっている証拠です。これを「政道が天地とつりあっている」と言います。昔の聖王の政治のやり方のすばらしさの極致です。
 聖王たちの時代より後の時代ともなると、礼法はむちゃくちゃになり、政治も刑罰も厳しくでたらめになり、為政者は欲望をほしいままにして規則を無視するようになり、天下万民は困苦するようになりました。
 しかも、「昔の聖王たちの作った音楽は聞くにたりない」と言って、音楽をどんどんと新しいものに変えていきました。その新しい音楽は、なまめかしく、淫(みだ)らで、憂いに満ち、うらみがましいもので、欲望を誕生させ、悲愁を増長し、自制心をなくさせます。ですから、指導者を害したり、親を捨てたり、生命を軽んじたり、倫理を破ったりする、どうしようもない連中が出てくるのです。
 ああ、音楽は、昔は心を平安にしていたのに今では欲を助長し、昔はよい影響を広めていたのに今では不平不満を伸長させます。昔の礼法を復興し、今の音楽を改変することがなければ、よく治めようとしても無理でしょう。
(精神医学によると、音楽にはリラクセーション効果があるそうです。社会がストレスだらけだと、その社会はおのずと悪くなってしまうものなので、その点からすると音楽も世の中をよくするのに役立つと言えます)。

(2)
 明道先生が政府に、こう進言しました。
 天下を治める根本は、風俗を正しくし、人材を獲得することにあります。近くにいる相談役の先生たちやいろんな役人たちにきちんと命令して、熱心によい人材を探させるのがよろしいでしょう。
 よい人材とは、人徳も学問も申し分なく、みんなの模範となるに足る人物や、それにはおよばないものの、大志があり、好学で、よい素質をもち、行いのきちんとした人物などのことです。
 そんなよい人材を、礼をつくして招くか、地方の役人に命じて丁重に迎えにあがらせるかして、首都に集めます。そして、いっしょに朝な夕な正しい学問(聖人になるための学問)の本質を研究させ解明させるのです。
①正しい学問のやり方は、必ず人道にもとづき、物理を明らかにします。
②正しい学問の教育は、小学における掃除や応接の勉強に始まり、それ以降は、孝(親に孝行)・悌(目上に謙虚)・忠(真心)・信(真実)を修め、礼楽(モラル)にかなった立ち居振る舞いをすることへと進みます。そのときに生徒を指導し激励し、その人格をじょじょに磨いて完成させる方法には、段階や順序があります。
③正しい学問の要点は、悪いことをせず善いことをして自分自身を修養して自分をりっぱにしていき、自分がりっぱになることによって天下万民を感化して天下万民もりっぱになるようにしていくことにあります。(修己治人)。それは凡人から聖人になることができる方法です。
 学びや行いが以上の①~③に適合している人は、「成徳(モラリスト)」と呼ぶにふさわしい人です。資質的にも識見的にもすぐれていて、善くなることまちがいなしの人物をスカウトしてきて、その「成徳(モラリスト)」の授業を受けさせます。
 そして、正しい学問がよく分かり、しかも人徳が高い人を選んで、国の最高学府である太学の教員とします。それに次ぐ人は、地方の学校に派遣して、そこの教員とします。
 学校にはりっぱな人を選んで入学させるわけですが、県の学校から優秀な生徒を州の学校に進ませ、その州の学校から優秀な生徒を推薦して特別待遇で太学へと送り出します。太学では各地から送られてきた生徒を集めて教えます。そして、そのなかから毎年、政府で議論して「賢者(えらい人)」「能者(できる人)」を選定して採用し、それぞれにふさわしい役職、地位を与えます。
 一般的に、りっぱな人を選ぶ方法は、次の基準に見合った人を選ぶことです。
①精神面からみても、行動面からみても、ともによいこと。
②日常生活においては、孝であり、悌であること。
③正直で、恥を知り、行動が理にかなっており、でしゃばりでないこと。
④正しい学問に精通していること。
⑤政治の方法についてよく分かっていること。
 以上の五つです。

(1)
 明道先生が十の提言をしました。
①教師について。
②官僚について。
③土地政策について。
④地方の政治について。
⑤人材の育成について。
⑥兵役について。
⑦食糧の備蓄について。
⑧雇用の問題について。
⑨天然資源について。(本註:昔は山や川を保全する役人がいました)。
⑩分数について。(本註:分数とは、職業地位に応じて冠婚葬祭・車服器用などに違いを設けることです)。
 それから、こう言いました。
「昔と今、平和と混乱の別なく、天下万民の生活を保障できなくなれば、聖王の制定した法律制度でも改めてかまいません。天下万民の生活を保障するために思い切った改革をすれば、大いに治まります。部分的な弊害を除去するだけの小さな改革であれば、小康を保てる程度です。このことは歴史上、明白な事実です。
 もし古き伝統にこだわって今となっては役に立たないことをしたり、形式にとらわれて実質をダメにしたりするなら、それはまさにヘボ学者の見解であって、それでどうして政道について語ることができるでしょうか。
 しかしながら、「今と昔とでは人間の心はまったく違っている」とか、「昔の名君のなしたようなりっぱな政治を現代に行うことなど無理な話だ」とか言って、目先の利益に走り、高尚にして遠大な理想につとめないのであれば、それもまたおそらく実りある議論とはならず、現今の大きな弊害を解決する助けにはならないでしょう」

(4)
 伊川先生が、まだ子供だった哲宗皇帝に提出した上書に、こうあります。
「夏王朝、殷王朝、周王朝と続く三代のころ、天下万民の指導者である君主には、師官、傅官、保官という三種の役人がついていました。師官は君主を教訓で指導し、傅官は君主が徳(よさ)と義(ただしさ)を伸ばす手助けをし、保官は君主の健康管理をしました。
 それから後の時代ともなると、政府が仕事をするにしても根本がなく、また、臣下たちは、君主に対してりっぱな治世を求めることを知っていても君主の心を正すことを知らず、君主に対して過失を責めることを知っていても君主の徳を養うことを知りません。君主が徳(よさ)と義(ただしさ)を伸ばせるように手助けする仕事は、うやむやになってしまっていますし、君主の健康を管理する仕事も、それがあるという話を耳にしたことがありません。
 私が思いますに、傅官の任務は、君主の見聞のまちがいを防ぎ、君主の道楽が度をすぎないように節することにあります。保官の任務は、君主がきちんとした日常生活を送るように注意し、君主が慎重さをなくさないように注意することにあります。
 現在、傅官も、保官も、ともになくなっています。そうであれば、傅官や保官が負うべき職責は、師官たる、この私にあります。そこで願わくば、皇帝陛下の宮中での言動や衣食のすべてを私にお知らせください。また、皇帝陛下に悪ふざけがありますれば、私は事に従ってお諌めいたしましょう。修養の方法にまちがいがありますれば、私は時に応じてお諌めいたしましょう」
(本註:先生の残した書き物のなかに、こうあります。
「私はかつて、皇帝陛下に進言して、皇帝陛下が一日のうち、賢者や紳士たちに親しむ時間を多くもち、宦官や女官たちに親しむ時間を少なくもつようにしようとしました。それは、皇帝陛下の気質を涵養し、皇帝陛下の徳性を薫陶するためです」)

(6)
 伊川先生が「太学・律学・武学の三つの中央の学校に関する法律」を点検して言いました。
「従来の制度では、年1回の試験である公試と、月1回の試験である私試とがあり、試験のない月はありません。学校では、そこは礼(ほどよさ)と義(ただしさ)が重んじられる場であるはずなのに、試験によって学生どうしを争わせています。しかし、それは、決して人を教え養う方法ではありません。そこで、どうか次のようにしてください。
①試験(成績)中心のやり方をやめ、課程(学習)中心のやり方に改めること。
②学生に未熟な点があれば、教師がその学生を呼んで教えること。
③学生のランクづけなどしないこと。
④尊賢堂(学校関係者以外のりっぱな人を招いて、その人に教育してもらうための施設)を作って、社会にいる道徳的にみてりっぱな人を招くこと。
⑤待賓斎(行いのりっぱな人を招いて学ぶ教室)や吏師斎(政治のやり方に精通した人を招いて学ぶ教室)を設置すること。
⑥エリートたちの行いの善し悪しを取り調べる制度を確立すること。
 以上です」
 さらに、こう言いました。
「元豊の改革以来、(たとえば中央の学校の学生は公務員採用試験で有利になるようにするなどして)利によって人を中央の学校へと誘う法律制度を設けて、中央の学校の定員を500人に増やしました。そのため、首都にやってくる人は、かなりの数となり、父母の孝養を捨て、親族兄弟の愛情を忘れ、道路を往来し、故郷を捨てて他所に宿るようになりました。人の性情は薄情となり、人の気風は軽薄となりました。
 そこで、今、中央の学校の定員を100人にして、残りの400人は定員の少ない地方の学校にふりわけるようにしてほしいと思います。そうすれば、人々はおのずと故郷にねづき、家族への孝愛の心も養われ、あちこちせわしく動き回って流浪するおちつきのない心も静まり、風俗も少しずつよくなっていくでしょう」
 さらに、こう言いました。
「太学において、外舎から内舎へ、さらに内舎から上舎へと、試験(公試や私試など)と調査書(賞罰や学業成績を記した書類)によって進級していく制度である、いわゆる三舎の法は、全体にわたって、学生の文才を通してその能力を測り、規則(校則)に違反していないかを調べるものです。しかし、それは、役人に対する評価の仕方であって、学校で人材を育成したり、すぐれた人物を選んだりする方法ではありません。
 思うに、政府は法律を制定するわけですが、その法律は必ずいちばん下の役人にまでゆきわたります。(上意下達)。長官は、法律を守って、何もすることができません。(形式主義や羈束行為)。これは、法律の具体的な実施はすべて下の役人にまかされることになって、下の者が上の者をコントロールできるということです。以上が、聖人たちの活躍していた時代より後の時代、りっぱな治世が出現しなかった理由です。(つまり、人材育成がきちんとなされなければ、法律をうまく活用して時と場合に応じた最善の施策をすることのできない、法律に形式的に従うだけの無責任な役人が増えて、ろくでもない行政がなされることになるというわけです)。
 なかには、こう言う人もいるかもしれません。「長官や次官にりっぱな人が就任していたならば、長官や次官に大幅な裁量権を与えることはよいことだ。しかし、長官や次官にりっぱな人が就任しなかった場合のことを考えて、あらゆる場合を想定した細かな法律を完備して、それをきちんと守らせたほうがもっとよい」
 しかし、そう言う人は、「たとえ聖人の制定した法律でも、りっぱな人が得られてはじめてうまく機能する」ということを知らないのです。「りっぱな人が得られなかったのに、法律がうまく機能した」という話など、いまだに聞いたことがありません。
 もし、学校長をふくめて長官や次官にろくでもない人物が就任し、教育の何たるかを知らず、いたずらに内容のない詳細なだけの法律規則を守るだけなら、はたして人材を育成することができるでしょうか」

(6)
 明道先生の伝記に、こうあります。
「先生は、山西省晋城県の県知事をしていたとき、なにか用事があって県庁所在地にやってくる人がいれば、その人に必ず孝(親に孝行)・悌(目上に謙虚)・忠(真心)・信(真実)、すなわち、家では父兄につかえる方法、外では先輩や上司につかえる方法についての話をしました。
 町や村においては、その遠近を考えて相互扶助組織を組織させ、労働には助けあわせ、困難にみまわれたときにはいたわりあわせて、虚偽のつけいるすきがないようにしました。
 およそ孤児、未亡人、病弱者などについては、その親戚や地域の住民にめんどうをみさせて、浮浪しなくてすむようにしました。
 管轄地域を行く旅人については、病気になったときには療養させてあげました。
 どの町にも学校を設置し、ひまなときには自分からでかけていって、そこの父老たちといっしょに話をしたり、児童が書物を読む場合にはみずからその句読を正してあげたり、教師が悪ければ交替させたり、優秀な児童を集めて教えたりしました。
 地域住民が祭りのときに集会(宴会)を開くときには、地域住民のためにきまりを作ってやり、善悪の基準をハッキリさせ、善につとめて悪を恥じるようにさせました。

(7)
『易経』にある「萃(集めること)」の説明に、「王は宗廟をもつようになった」とあります。(宗廟とは、祖先を祭るための祭祀施設のことです)。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「(宗廟があると)①天下万民はその数がとても多いものの、その心のよりどころを一つにすることができます。②人の心はその所在が定かではないものの、だれもが敬虔な気持ちになることができます。③鬼神はその存在がよく分からないものの、それを身近に感じることができます。(儒学では、人は死ぬと鬼神になるとしています)。
 天下において、みんなの心を結集し、みんなの志をまとめあげる方法は、一つだけではありません。しかし、宗廟よりも大きな効果のある方法はありません。ですから、王者が天下万民を結集する方法として宗廟をもつようになれば、萃の道をきわめていると言えます。
 祭祀を実施して祖先の恩に報いるのは、人の心にもとづいています。聖人(すぐれた人)は、ただ祭祀を実施するために必要な礼法を制定して、そんな徳(よさ)の成就を手伝うだけです。
 ですから、『礼記』に「晩秋にヤマイヌは獣を祭り、初春にカワウソは魚を祭る」とありますが、それは(教えられたからそうしているのではなく)生まれつきそうするようになっているのです」

(8)
 昔、国境警備兵は、二年で帰還しました。今年の春の暮れに国境警備に行き、夏に国境地帯に到着します。そして、次の年の夏に交替がやってきます。
 しかし、前任の国境警備兵は、そのまま秋の終わりまでとどまって、十一月がすぎてから帰ります。また、翌年の春に新たな国境警備兵が派遣されます。
 そうすると、秋から冬の初めにかけて、通常の二倍の兵力が国境地帯にあることになります。つまり、今で言うところの「防秋」です。
(秋から冬にかけて国防に気をつかう必要がある理由は、次の二つです。①秋になると寒い北方では牧草が枯れてしまうので、北方の遊牧騎馬民族が牧草を求めてどっと南下してくる可能性があるから。②秋になるとすずしくなるので、北方の人たちにとっては南での軍事行動がやりやすくなるから)。

(9)
 聖人は、何をするにしても、必ず天地自然の動きにしたがって行います。ですから、「冬至の日(陰が窮まり、陽が回復し始める、陰が最大で、陽が最小の日)」には関所を閉じるのです。

(10)
 韓信が、漢王朝を創始した劉邦から「どれくらいの兵を指揮することができるか」と問われたとき、「多ければ多いほど、うまく指揮できます」と答えたのは、組織化することについて、よく分かっていたからです。

(11)
 伊川先生が言いました。
「人を統率するのにもまた、やり方というものがあるものです。ただ厳しくするだけでは、うまくいきません。今、1000人の兵隊を率いるとして、ちょうどいい時間に食事をとらせるという、たったそれだけのことをうまくできる人は、一体どれくらいいるでしょうか。
 以前、こんな話をしました。昔の話ですが、野営中の軍隊内で夜中に騒ぎが起きました。しかし、その司令官の周亜夫はベッドからわざわざ出て行ったりなどしませんでした(周亜夫は、漢王朝の将軍で、呉楚七国の乱を鎮圧するという手柄をたてた人です)。出て行かなかったのは(司令官らしく堂々としていて)よいにしても、しかし、夜中に騒ぎを起こさせるのはどういうことでしょう。この人もまた統率が十分ではなかったのです」

(12)
 天下万民の心をとりまとめ、親族のつながりを強め、社会の風潮を情に厚いものとし、人にそれぞれの祖先を忘れないようにさせるには、系図をハッキリさせ、同世代の親類どうしの横のつながりを強化し、宗法を確立することが大切です。(本註:このことは、毎年毎年のつみかさねが大切です)。
(宗法=本家のあととりを一族の長とし、その長を中心にして一族がまとまり、代々にわたって一族のつながりを維持する制度)。

(13)
 宗法(一族のつながりを維持する制度)が壊れると、人はみずからのルーツが分からなくなり、そして(まさに根無し草となって)あちこちに流転していき、ともすれば親族でありながらもお互いに知らないというようになります。
 今、試しに2、3の高官の家で宗法を行う場合、そのやり方としては、一族のつながりをしっかり守っていくことが必要です。大切なことは、唐王朝の時代になされたように一族の先祖を祭るための廟を作り、それによって先祖伝来の財産が分割相続されないようにし、一族のなかの一人にそれを管理させることです。

(14)
 一般的に、家法としては、1カ月に1回、集会を開いて(近くにいる)一族を集めることが大切です。昔、韋氏の家には、花の咲いた木の下で一族が集まるという家法がありましたが、それを見習うことです。
 一族のだれかが遠くからやってくるたびごとにもまた、集会を開くようにします。冠婚葬祭などで集まったときには、お互いにきちんとしたあいさつをかわし、親しみの気持ちをこめて交流することが大切です。
 親しい者どうしが日に日に疎遠になっていくのは、ただお互いに会わず、心が触れ合わなくなっているからにすぎません。

(15)
 冠・婚・葬・祭は大事な儀礼なのに、今の人はまったく分かっていません。ヤマイヌやカワウソでさえも祖先に感謝することを知っているのに、今の士大夫(エリート)の家の多くでは祖先への感謝をゆるがせにしています。生きている両親は大切にしても、死んでしまっている祖先を大切にしないのは、とてもよくありません。
 私は、かつて六礼(冠・婚・葬・祭・郷飲酒・士相見の六つの儀礼)を学び、そのあらましをまとめたことがあります。
 祖先を祭ることに関して言えば、次のようになっています。
 家には必ず廟を置きます。(本註:一般人の場合は、影堂を設けます)。廟には必ず位牌を置きます。(本註:先生は「高祖(自分より五代前までの祖先)以上の祖先については、別にまとめて祭らなければなりません」と言っています。位牌の形式については、先生の文集にあります。また、「今の人は、故人の肖像画を位牌のかわりに祭っていますが、ひげ一本、かみの毛一本でも故人と違っているところがあれば、それはもはや別人を祭ることであり、とてもよくありません」とも言っています)。
 月の始まりの日には、その月の旬の食べ物をお供えします。(本註:その月の旬の食べ物は、まず祖先にお供えしてから食べるようにします)。
 春夏秋冬にそれぞれ一回ずつ行われる季節ごとの祭祀には、各季節のまん中の月を用います。(本註:そのとき祭るのは、高祖だけです。高祖の兄弟のなかで、祭ってくれる子孫のいない人がいれば、その人の位牌の置き場を廟のなかに別に設けていっしょに祭ります)。
 冬至には始祖を祭ります。(本註:冬至は陽の始まりです。始祖とは史上初めて人を生んだ祖先です。その位牌はなく、廟のなかの正位に置き場を作って、死んだ父母の位牌をあわせて祭ります)。
 立春には先祖を祭ります。(本註:立春はいろんなものが生じる始まりです。先祖とは、始祖から高祖の間にいる祖先のことであり、一人というわけではありません。これまた、その位牌がありません。二つの置き場を設けて、死んだ父母の位牌を別々に分けて祭ります)。
 季秋(陰暦の九月)には亡父を祭ります。(本註:季秋とは、物を成すときです)。
 命日には位牌を家の表座敷に移して祭ります。
 以上のように、死んでしまっている祖先につかえるための祭礼は、生きている両親を大事に養うことよりも手厚くすべきようになっています。
 各家庭が以上のいくつかのことを継続して行えたなら、小さな子供にもだんだんと人のふみ行うべき礼法について分からせることができます。

(16)
『孝経』に言う「その宅兆を卜する」とは、墓地の善し悪しを選定することです。土地がよければ、祖先の霊は安らかになり、その子孫は繁栄します。
 では、どんな土地がよい土地なのでしょうか。土の色につやとうるおいがあり、草木が元気よく育っているのが、よい土地である証拠です。
 ところが、迷信深い人は、惑って、土地の方位を選んだり、日の吉凶を決したりします。はなはだしい人は、死んだ人のための墓地であるということを忘れ、どのようにして墓地を選定すれば子孫の利益となるかを考えます。これは親の喪に服する者が親の柩を安置するときに注意すべきことではありません。
 ただ、次の五つのわざわいに関しては、注意することが必要です。すなわち、他日、その土地が、①道路にされること、②城壁にされること、③堀にされること、④有力者に奪われること、⑤田畑にされること、以上の五つです。
(本註:別の文献によると、五つのわざわいは、①城壁にされること、②みぞにされること、③道路にされること、④村落にされること、⑤井戸や陶器を焼くかまどにされること、というようになっています。)

(17)
 伊川先生が言いました。
「私の家では、葬式をするときに仏教のやり方を用いず、儒学のやり方を用います。私が故郷の洛陽に住んでいたときにも、一つ二つの家が、うちのやり方に影響されて、仏教のやり方から儒学のやり方に改めました」

(18)
 現在、本家の後継者を定める慣習(宗法)がないので、政府に親子代々にわたってつかえる役人が出てこないのです。(政府に親子代々にわたってつかえる役人は、それだけ政府に親近感をもつようになるので、より懸命に公務に励むようになります)。もし宗法を確立したならば、人は祖先を尊び、根本を重んじることを知るようになります。人が根本を重んじるようになれば、天下の根本である政府の威光もおのずと高まります。
 昔は子弟が父兄に従ったものですが、今では父兄が子弟に従っています。それは根本を知らないからです。昔の例をあげてみると、漢王朝の創始者である劉邦が秦王朝に反抗するために沛の町を占領しようとしたとき、劉邦は沛の父老たちに投降するように求める手紙を渡しただけですが、父老たちは子弟を率いて劉邦のもとに投降してきました。また、司馬相如が皇帝の使節として蜀に行ったとき、司馬相如は蜀の父老たちに手紙を送って蜀の人たちの命令違反を責めただけですが、そうすると子弟たちもまた命令違反をしないようになりました。つまり、ただ尊属と卑属、目上と目下などといった序列があるだけで、人々は順調に従って乱れなくなるのです。(同じ集団でも、組織だっている集団は動きがスムーズですが、そうではない「烏合の衆」の場合にはまとまりが悪くなるものです)。もし人々をつなげる法がなかったなら、どうしてうまくいくでしょうか。
 それに、宗法を確立するのは、天理でもあります。たとえば、木などは、根からまっすぐ伸びている幹があり、その幹には多くの枝がついているものです。また、川などは、いくら遠くても必ず源流があるものですし、必ず本流からわかれて支流となるところもあるものです。それらは自然にそうなっていることです。(ここで言っているのは、要するに、いろんな枝も一つの幹につながっているし、支流も本流ももともとは一つの源流から始まっているように、血のつながりのある一族が一族の長を中心にして一つにまとまることは自然なことだということです)。しかしながら、枝が大きくなって幹となることもあります。ですから、古典にも記載されているように、「昔は天子が建国し、諸侯は領地を与えられて地方の王となった」という事実があるのです。

(19)
 ?和叔が明道先生のことを述べて、こう書いています。
「先生は、堯帝、舜帝、三代の王様などといった名君の政治がとても偉大で、天地と調和している理由について、すでに黙識していて、聖人たちの死滅とともに廃れてしまった礼楽や制度などの作法を復興するに至りました。(黙識=①何も言わずに心にとどめておくこと、②何も言わなくても心に分かること)。
 上は以上のような文政に関することから、下は軍隊の指揮方法や兵力の活用方法などの兵法に至るまで、研究していないことはなく、その研究はどれも十分なものでした。それ以外には、周辺諸民族の情勢、地勢や道路のようす、国境の警備状況や防衛施設やスパイ活動などの国防の要についても、よく知らないことはありませんでした。
 役人としての先生は、仕事の処理の仕方も、公文書の記載の仕方も、すべてよくゆきとどいていました。先生のような人を、万事に通じた儒学者、まったき才能のもちぬしと言うのです」

(20)
 王安石は、「『刑統(刑法とその解説)』は、全体の8割だけ正しい書物だ」と言っていますが、よく分かっています。
(儒学では「本当に犯罪を防止するためには、ただ刑罰を厳しくするのではなく、教育をきちんとすることが大切だ」と考えているのですが、王安石は「『刑統』は教育のことが不十分だから不十分な書物だ」としました。)

(21)
 横渠先生が言いました。
「聖人(すぐれた人)は、兵謀(兵法・軍事作戦・軍事行動)や師律(軍法・戦時立法・有事立法)をやむをえない場合にのみ用います。その方法については、三王の記録や歴代王朝の命令書にみることができます。(三王=夏王朝の禹王、殷王朝の湯王、周王朝の文王と武王、といった昔の名君たち)。
 志士(世を正しくしようとしている人)や仁人(本当に大切なことの分かっている人)は、軍事のもつ意味について分かっており、ふだんから有事(いざというとき)に備えて軍事をなおざりにしたりしません」
(儒学は、文武を本末関係に分けて言うと、文を本とし、武を末としています)。

(22)
 今の死刑のなかに肉刑(むち打ちなどの身体を傷つける刑罰)を含めれば、民衆の死をゆるめることができます。これ以上は、「為政者が道にはずれたことをしているので、長いこと人々がでたらめになっているのだ」(『論語』)ということについて思うべきです。

(23)
 呂与叔の書いた横渠先生の伝記に、以下のようにあります。
 先生は、かなりの情熱をもって昔の名君の治世のことを思っていました。そして、政治の最優先課題を論じるときには、いつも経界(井田法)のことを論じていました。
(井田法とは、周王朝の時代に行われていた、次のような土地制度のことです。一里四方の農地を井の字の形に九等分し、まんなかの一つの土地を公田とし、周辺の八つの土地を私田とします。面積はそれぞれ百畝ずつで、全体で九百畝あります。一畝は、約1.82アールです。八つある私田は八つの家で一つずつ分け、公田は八つの家で共同管理します。私田の収穫物は各家のものとし、公田の収穫物は税として政府におさめます。儒学では、この井田法を実施すれば、だれもが自分の農地をもて、小作人がいなくなるので、みんなの生活が向上して、教育が行いやすくなると考えます。)
 かつて、こう言いました。
「仁政(良心的でやさしい政治)は、必ず土地の区分から始まるものです。貧富の差があり、教育がきちんとしていなければ、政治のことを論じても、すべて空論になってしまいます。井田法の実施に否定的な人は、「井田法を実施するためには、すみやかに金持ちから土地を奪い取って、それを均等に貧乏人に与えなければならない」ということを理由にします。しかしながら、井田法が実施されたとき、それを喜ぶ人の数は多いものです。(なぜなら、現在、少数の大地主のもとで、多数の小作人たちが苦しめられているからです)。もし、井田法を実施するための計画をきちんと立て、数年の時間をかければ、一人も罰することなく、井田法を復活できます。問題があるとすれば、それは上の人の不作為だけです」
 それから、こう言いました。
「たとえ井田法を全国に実施できなくても、一地方で試験的に行うことはできます。すなわち、学者といっしょに昔の名君のやり方を研究し、共同で四千畝の田畑を購入し、それを井田法が実施できる形に区画整理します。そして、政府の税制に違反しないように気をつけながら、自分たちで①土地の区分をきちんと行い、②宅地を分け、③税を集めるルールを確立し、④貯蓄を広め、⑤学校を設置し、⑥きちんとした風俗を作ります。さらに、災害にあった人を救済し、病気になった人を援助し、根本を重視し、末節を軽視します。そうすれば、「昔の名君の残してくれたりっぱな政治の方法論をおしはかって、それを今の世に行うことは不可能ではない」ということを明らかにすることが、十分にできます」
(参考までにあげておきますと、儒学は、経済政策に関して言うと、重商主義ではなく、重農主義をとっています。つまり、生産業が根本で、流通業は末節ということです。そうする理由は、物を流通させるだけで、物を生産することがなければ、いずれは物不足となって貧困(飢餓)に苦しみ、多くの人命が失われることになるおそれがあるからだとしています)。
 先生は、以上のことをすべて実現しようとしていたのですが、ついに達成できずにこの世を去りました。

(24)
 横渠先生は、雲巖県の県知事をしていました。そのときの先生の政治は、根本的なことを重んじ、社会の風俗を善くすることを優先していました。
(根本的なことを重んじること=浮華をしりぞけ質実をたっとぶこと・生産業をすすめることなど。社会の風俗を善くすること=悪をこらしめ善をすすめること・教育をととのえることなど)。
 毎月1日には酒や料理を準備し、地域の高齢者を県庁の庭に招き、先生みずから親しく酒をすすめ、老人を養ったり先輩につかえたりすることの意味を人に知らしめました。そのついでに、住民の生活に何か困ったことはないかを聞いたり、子弟を教え導くための心がけについて話したりしました。

(25)
 横渠先生は、次のように言っています。
 昔の親族は、その居住地に、東宮をもち、西宮をもち、南宮をもち、北宮をもっていました。親族は、家族ごとに住居を別にしながらも、財産を共有していたのです。こういった礼法もまた、行うことができます。
 昔の人は、遠い先のことまでよく考えています。今のところは親類どうしがお互いに疎遠になっているように見えますが、実際にはそのようにしてはじめて末長く親類どうしがお互いに親しくつきあうことができるのです。というのも、数十人から100人くらいの大家族ともなると、おのずと衣服や飲食が一つになりにくくなるからです。(要するに、同居人の数が多くなればなるほど、みんなの意見をまとめることが難しくなるので、まとまりが悪くなってしまうということです)。
 また、親族が家族ごとに住居を別にするようにしてはじめて、子はプライベートな愛情を伸ばせるようになるので、子が自己中心になることを避けられます。子が親にプライベートな愛情をもてなければ、子たることはできないものです。(子が、その親に対して、他人に対してするのと同じようによそよそしくするなら、それはふつうではありません)。
 昔の人は、人情をよく心得ており、きっと住居を同じくしていたことでしょう。しかし、叔父や伯父がいっしょにいれば、子たる者は自分の親だけを大切にできないものですし、親たる者は自分の子だけをかまうことができないものです。(ですから、親族が同居するときには、部屋を別にするのです)。
 親と子が住居を別にするのは、役職地位のある場合です。役職地位が高くなればなるほど、住居を別にすることを厳格に守らなければならなくなります。
 ですから、親族が家族ごとに住居を別にするというのは、たとえば家族の構成員が年齢順に自室をもつようなもので、親族の縁を切って他所で他人のように暮らすことではありません。(ここで述べられているような住まい方を「累世同居」と言います)。

(26)
 天下を治めるにあたって、井田法によらなければ、結局は太平をもたらすことはできません。(すなわち、井田法の実施という一種の農地改革を行わず、大地主がのさばり小作人が苦しんでいるのを放置するなら、りっぱな治世は実現できません)。理想的な周王朝のやり方では、土地が均分されていました。

(27)
 貧民を救済できる井田法は、かつてのように封建制(地方分権制)になってはじめて安定します。
(一般的に言って、中央集権制よりも地方分権制のほうが、地域に密着したよりよい地方政治を実現しやすくなるものです。ちなみに、宋王朝は州県制(中央集権制)でした)。

第十巻 君子処事之方~りっぱな人の物事の処理の仕方 

(1)
 伊川先生の上申書に、こうあります。
「そもそも鐘は、怒った気持ちで打てば猛々しく響きますし、悲しい気持ちで打てば物悲しく響きます。誠の心が、その鐘にうつっているのです。人に何かを告げる場合も同じです。(心をこめれば相手の心に伝わりますし、心をこめなければ相手の心に伝わりません)。ですから、昔の人は、まず心身を清めてから、君主(指導者)に何かを告げたのです。
 私は前後二回ほど、皇帝陛下を教育する機会を得ることができました。そのときにはいつも、あらかじめ心身を清め、深くじっくりと思索し、誠をなくさないようにし、皇帝陛下のお心を感動させることができるようにしようと思いました。
 もし雑事にばかり奔走し、思慮を乱雑なままにして、なんの準備もせずに皇帝陛下の前に出ていって、その場でうまいぐあいに言葉を飾って、いたずらに口先だけで喜ばせようとするなら、これまたなんとも浅はかなことではないでしょうか」

(2)
 伊川は、人から頼まれてその上申書の草稿を添削し、次のように言いました。
 あなたの意見をみるに、反乱の恐ろしさに主眼を置いています。(すなわち、「困っている民衆を救済せずにほったらかしていると、民衆の反乱が起きます。そうなると、政府にとって大きな損害となります。ですから、政府は、困っている民衆を救済したほうが得です」と主張しています)。私は、あなたが(あなたの上申書において)、民衆を愛することを第一とし、多くの人々が飢えて今にも死にそうであることを力説し、政府の慈悲を求めること望みます。そのついでに(困っている民衆を救済しなければ)反乱が起きるだろうと言って政府を恐れさせるのなら、かまいません。ただ君主(指導者)に対して意見する方法がそのようであるだけでなく、事のなりゆきに対してもそのようにすることです。(儒学では、利害で動くのではなく、良心で動くことを尊重しています)。
 あなたは困っている民衆を救済するために政府から資金を調達しようとしています。このとき(たとえば、「多くの民衆が飢えて苦しんでいるというのに、みなさんは人としてそれを黙ってみていていいのでしょうか」と言って)仁愛(やさしさ)をもって指導者側に援助を求めれば、指導者側は金銭を軽んじて民衆を重んじるようになります。反対に(たとえば、「困っている民衆を救済せずに反乱をまねけば、政府は大損しますよ」と言って)利害をもって指導者側を脅せば、指導者側は金銭を頼みにみずからを保全しようとするでしょう。
 聖人(すぐれた人)たちのいた時代では、民衆に慕われると天下の指導者となれたものです。しかし、聖人たちのいなくなった後世では、武力で民衆を制圧し、金銭で家来を集めます。そして、「金銭をかせげる人間こそが、治安を維持できるのだ。民生の安定を第一に考える人間は、世間の実情を知らないのだ」とします。しかし、大切なことは、ただ誠の心によって指導者側を感動させて、指導者側が思いやりの心を発揮してくれるように願うことです。

(3)
 明道が県を治めていたとき、民事行政に関しては、「法律にしばられているので何もできない」と言っている人たちが多くいました。しかしながら明道は、人ができないと言っていることでも平気でやってのけ、しかも法律とまっこうから対立することはありませんでした。人もまた、このことをそれほど驚きませんでした。
 これを「明道は(権威を恐れることなく)思いのままに行動できた」と言うのなら、それはまちがいです。よりよい行政を行うために法律をうまいぐあいに使うことができたことなら、今の為政者のだれよりも格段に勝っています。
 人は明道のことを、変わっていると思っても、狂人あつかいしたりはしませんでした。明道のことを狂人と言う人がいるとすれば、それは大変な驚きです。ただ誠をつくして事を行って、それが受け入れられなければ、そこから立ち去るだけです。どうして(「法律のせいで何もできない」と)文句を言ったりする必要があるでしょうか。

(4)
 明道先生が言いました。
「いちばん下の役人でも、もし万物を愛することを心がけていれば、人に対して必ず何らかの貢献ができるものです」

(5)
『易経』にある「訟(争いごと)」の説明に、「天は上に、水は下にというように、天と水とが違い行くのは訟です。君子(りっぱな人)は、何か事をなすにあたって、始めを謀ります」とあります。それに関して伊川先生が、こう言いました。
「君子は、「天と水とが違い行く」姿をみて、人情の常として争いごとがあるようになっているのだということを知ります。ですから、何かを始めるにあたっては、必ず最初によく考えます。最初にあとあとの争いごとの原因となりうるものを除去しておけば、争いごとは起きようがありません。「始めを謀る」の意味は広いものです。たとえば、人との交際を慎重にしたり、売買契約の証書をきちんと作ったりすることなどが、この「始めを謀る」にあたります」

(6)
『易経』にある「師(軍隊)」の部分説明(爻辞)の二番目(二爻)に「軍隊にいて中であれば、吉であり、とがめはない」とありますが、それは軍隊の指揮官のことを言っています。
 断固として自分の思うままに権力をふるっていると、一国の指導者の部下としては失格です。しかし、断固として自分の思うままに権力をふるわなければ、当然のことながら部下を率いてもうまくいきません。ですから、中(過不足なく適当であること)を吉としているのです。
 一般的に言って、軍隊の指揮官のあり方としては、威厳(かたさ)と和順(やわさ)とを両立させることができれば、吉となります。

(7)
 周王朝を創始した武王の弟であり、その部下でもあった周公を祭るのに、周公の子孫が周王朝の王様から特別の許しを得て「王様を祭るための礼法」や「王様を祭るための音楽」を用いたことについて、世間の儒学者たちは、こう言っています。
「武王の部下として働いていた周公は、周王朝の設立にあたって、ふつうの部下にはできないような、すばらしい功績を残したので、王様のための礼法や音楽を周公を祭るために使うことが許されたのだ」
 しかし、そんなことを言うのは、部下としてのあり方を知らないのです。人はだれでも、周公と同じ位置にいれば、周公と同じことをするものです。その位置にいることによってできることはすべて、その位置にいる者が当然なすべきことです。(たとえば、人ならば人らしくし、大人ならば大人らしくするのは、あたりまえです)。周公は(別に何か特別なことをしたわけではなく)自分のいる位置に応じて自分の当然なすべきことをしたにすぎません。

(8)
『易経』にある「大有(たくさん保有(もちもの)していること)」の部分説明(爻辞)の三番目(三爻)に、「諸侯が天子に通す。小人にはできない」とあります。これに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「その三番目は、たくさん保有(もちもの)しているときにあたり、諸侯の地位にいて、その財物(財力)の豊かさを保って、必ず天子にいきつくようにすることを表しています。これは諸侯の保有(もちもの)を天子の保有(もちもの)にすることを言っているのです。このことは、臣下にとって常識的なことです。
 もし小人(つまらない人)が諸侯の地位にいたなら、その豊かな財物(財力)をまったく私物化して私腹を肥やします。公人らしく私欲をすて公益を考え天子に奉ずるやり方を知りません。ですから、「小人にはできない」のです」
(諸侯とは、今風に言えば地方自治体の長のことです。諸侯は、天子によって任命されます。諸侯は地方をまるごとまかされているので、その点からすれば保有(もちもの)がたくさんあると言えます。しかし、地方は天子のもちものなのですから、天子につかえる者は、地方のもつ財物や財力を私物化して私腹を肥やしてはならず、天下万民の親たる天子の名を汚さないように公益をはからなければなりません。ここで言っているのは、そういうことです)。

(9)
 人の心が従うのは、たいてい自分の好いているものです。ふつうの人の心情として、それが好きであればそれの美点(長所)を見るし、反対にそれが嫌いであればそれの欠点(短所)を見るものです。ですから、愛する妻や子の意見であれば、たとえそれがまちがったものであっても、それに従ってしまいがちとなり、反対に憎たらしい者の意見であれば、たとえそれが正しいものであっても、それを悪いものとしてしまうのです。もし自分の好感を基準にして自分の従う相手を決めるとしたら、それはまさに私情であって、どうして理()にかなうことができるでしょうか。ですから、『易経』にある「随(従うこと)」の部分説明の最初(初爻)に、「門を出でて交際すれば、すなわち功あり(自分の立場にこだわらずに交際すれば、よい成果を得られる)」とあるのです。

(10)
『易経』にある「随(従うこと)」の部分説明(爻辞)の五番目(五爻)に、「誠意をもって善きに従うのは吉である。それは、その位置が正であり中であるからだ」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「従うときには、中(過不足なく適当である状態)にあることを善とします。従うときに気をつけなければならないことは、過剰です。というのも、心から喜び従っている場合、従い過ぎが分からなくなるからです」

(11)
『易経』にある「坎(困難や苦境におちいること)」の部分説明(爻辞)の三番目(三爻)に、「飾り気のないそぼくな方法を用いる。相手の分かりやすいところから意見を述べる。最終的には、とがめなし」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。                     
「これが言っているのは、「臣下(部下)は、忠(真心)と信(信実)にもとづく善導によって君主(上司)に心から分かってもらうにあたっては、必ず君主のハッキリとよく分かっているところから話を始めるようにすると君主を納得させることができる」ということです。
 人の心には、覆われたところ(不明瞭でよく分かっていないところ)もあれば、通じたところもあります。通じたところというのは、ハッキリとよく分かっているところのことです。当然、相手がハッキリとよく分かっているところから話を始めて、相手に自分の言っていることを信じてもらおうとするなら、信じてもらうのが容易になるものです。ですから、「相手の分かりやすいところから意見の述べる」とあるのです。そのようにすることができれば、たとえ自分が危険な立場にあったとしても、とがめられることはありません。
 たとえば、君主の心が頽廃的な歓楽によって覆われている場合、その弊害として頽廃的な歓楽になじんでしまうだけです。いくら熱心に頽廃的な歓楽のまちがいをとがめたとしても、君主の反省のなさをどうすることもできません。そこで、君主の覆われていないところ(君主のハッキリとよく分かっているところ)から筋道を立てて話していき、君主のハッキリとよく分かっていないところに行き着くようにすれば、君主を悟らせることができます。
 昔から、君主を諌めることのできる人は、必ず君主のハッキリとよく分かっているところから始めたものです。ですから、君主を諌めるにあたって、「訐直強勁なる人(相手の悪をあばきたてて善人ぶり、強気で相手の悪を責め立てる人)」は、たいてい君主から逆らわれる結果に終わり、「温厚明弁なる人(温厚な性格で、道理をハッキリとわきまえている人)」は、たいてい君主に受け入れられるのです。
 以上のようなことは、ただ君主に意見する場合だけでなく、人を教育する場合にもあてはまります。そもそも教育は、必ず人の長じているところから始めるものです。長じているところとは、ハッキリとよく分かっているところのことです。教育では、相手のハッキリとよく分かっているところから話を始めて、そこから相手のハッキリとよく分かっていないその他のことに話を進めていくものです。孟子の言う「徳を成し、財を達す(その人が本来もっている良ささを完成させ、その人の才能を伸びるところまで伸ばさせる)」とは、このことを言っているのです」

(12)
『易経』にある「恒(つねに変わらないこと)」の部分説明(爻辞)の一番目(初爻)に「原則にこだわっている。正しい意図をもっていても、よくない」とあり、その解説に「原則にこだわるのがよくないのは、はじめから人に対して原則に従うように求めることが深いからだ」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「『易経』における各説明の配置の仕方のルールからみて、一番目と四番目とは、正しい関係にあり、原則として相互に応じあうものです。しかし、「恒」の場合、内容的にみると、一番目は柔弱で下位にあり、四番目は剛健で上位にあります。また、一番目と四番目との間には二番目と四番目があり、一番目と四番目は隔絶しています。ですから、一番目と四番目とは応じあえなくて当然なのですが、一番目はいぜんとして四番目が応じてくれることを求め望んでいます。これは「常(原理原則)」を知っていても、「変(臨機応変)」を知らないのです。世間の人のなかで、前からの原則に違わないことを厳しく求めて、結果的に後悔したり、失敗したりしてしまうことになるような人は、すべて「原則にこだわる」の人です」

(13)
『易経』にある「遯(逃れること)」の部分説明(爻辞)の三番目(三爻)に、「つなぎとめられている。病気になったように危険である。男女の使用人を雇うのには吉である」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「私的な恩情で相手を自分につなぎとめること(すなわち、相手をかわいがることで、その相手が自分になつくようにすること)は、男女の使用人を自分になつけさせるための方法です。ですから、「男女の使用人を雇うのには吉」なのです。しかしながら、君子の小人への対応の仕方は、そのようではありません」

(14)
 『易経』にある「?(背き離れること)」の説明のところに、「君子は、同じであり、異なっている」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「聖人や賢人の生き方は、時と所に関係なく人としてつねに大切なことについては、協調的にみんなと同じ道を進みます。しかし、みんなが人として恥ずべきことをしているときには、ひとり孤独にみんなとは異なった方向へ進みます。(時と所に関係なく人としてつねに大切なことについて)協調的にみんなと同じ道を進むことができない人は、平和な日常を乱し、理(道理)に反する人です。(みんなが人として恥ずべきことをしているとき)ひとり孤独にみんなとは異なった方向へ進むことのできない人は、迎合的で、人の尻馬に乗って平気で悪事を行う人です。大切なことは、同じであって、しかも異なることができることです」

(15)
 これは、『易経』にある「?(背き離れること)」の部分説明(爻)の最初(初爻)に関する話です。背き離れる雰囲気があり、徳を同じくする者(りっぱな人たち)どうしは仲良くしているものの、小人(つまらない人)にはお互いに反目しあっている者たちがたくさんいます。
 そんな小人たちを突き放したりするのは、天下の人間すべてを君子(りっぱな人)の敵にまわすようなものです。このようであれば、君子らしい広い心を失ってしまい、凶咎(わざわい)をもたらすことになります。さらにどうして不善の者を感化し、君子の同類とさせることができるでしょうか。
 ですから、「悪人を見れば、とがめなし」なのです。(ここで言う「見る」とは「仲間として受け入れる」ということです)。昔の聖王が姦凶(わるもの)を感化して善良(よいもの)となし、仇敵(敵)を変革して臣民(味方)となすことができたのは、突き放したりすることがなかったからなのです。

(16)
 これは、『易経』にある「?(背き離れること)」の部分説明(爻辞)の二番目(二爻)に関する話です。ふつう君主(指導者)と臣下(部下)とは心をあわせることができるのですが、この場合には背き離れる雰囲気があり、いまだ君主の心が臣下の心にあわさっていません。すぐれた臣下は、目立たないところにいて、力をつくし、誠をつくして君主のもとで働き、君主から信頼されようと願っているだけです。①誠をつくして君主の心を動かし、②力をつくして君主を支え助け、③義理(物事の道理)を明らかにして君主の知(ちえ)を致(のば)し、④蔽惑(心を曇らすもの)をとりはらって君主の意(心の動き)を誠にします。このように事細かにして、指導者と心をあわせることができるようにしようとするのです。「遇(あう)」とは、道理をまげてへつらうことではありません。「巷(みち)」とは、ズルして近道すべきものではありません。ですから、二番目の解説に「主に巷で遇うとは、いまだ道にはずれていないのだ」とあるのです。

(17)
『易経』にある「損(へらすこと)」の部分説明(爻辞)の二番目(二爻)に、「こちらを損なうことがなければ、相手を益する」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「自分の剛(つよ)さと貞(ただ)しさを損なうことがなければ、自分の上司を益することができます。もし自分の剛(つよ)さと貞(ただ)しさをなくして柔順と迎合を用いるなら、それはまちがいなく相手を損なうことになります。世間の愚か者は、邪心はないものの、ただ力をつくして上司に対して柔順であることを「忠」だとしています。思うに、「こちらを損なうことがなければ、相手を益する」の意味が分かっていないのです」
(自分を曲げて上司にこびへつらう部下よりも、自分を曲げることなく正直に上司を諌める部下のほうが、上司にとって貴重な存在となるものです。もっとも「忠言、耳に逆らう」ものなので、上司は部下の諌言をけむたがるかもしれませんが)。

(18)
『易経』にある「益(増すこと)」の部分説明(爻辞)の最初(初爻)に「大事業を行うのによい。大吉であって、とがめなし」とあり、その解説に「大吉であってとがめがないのは、下が厚事に手を出さないからだ」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「下にいる人は、もともと厚事に手を出さないものです。厚事とは、重大事のことです。下にいる人は、上にいる人から任されたからこそ、大事を担当するのです。そのときには、必ず大事をなしとげて大吉の結果をもたらすことができてはじめて、「とがめなし」となります。大吉の結果をもたらすことができたならば、上にいる人は、仕事を任せることによって有能な人材を発掘できたことになりますし、下にいる人は、仕事に当たることによって自分の能力を発揮できたことになります。そうでなければ、上にいる人も、下にいる人も、みんな「とがめあり」になります」

(19)
 改革してあまり効果がなければ、後悔してしまうものです。ましてや改革して反対に害悪をもたらしてしまった場合には、なおさらのことです。ですから、古人(昔のすぐれた人)は、すべてを新たに作り直すことに対して慎重な態度をとったのです。
(儒学は、革新主義でもなければ、保守主義でもなく、漸進主義をとっています。漸進主義というのは、じょじょに社会をよくしていこうとする主義のことです)。

(20)
『易経』にある「漸(じょじょに変化すること)」の部分説明(爻辞)の三番目(三爻)に、「悪を防ぐのによろしい」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「君子(りっぱな人)と小人(つまらない人)とが一緒にいるとき、君子が自分をしっかり保つために正しいことをすることは、ただ君子が自分をしっかり保てるだけでなく、小人を非道に陥らないようにさせることもできます。これは、道(道理)に従うことで互いに自分を保ち、悪くなるのを防止するということです」

(21)
『易経』にある「旅(旅行すること)」にある部分説明(爻辞)の最初(初爻)に、「旅のさなか、こせこせしている。それはわざわいを招くもとになる」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「心がけの卑しい人は、旅をしていて困ったことになると、ひわいなこと、せこいこと、何でもかんでも平気でやってのけます。それはまさに後悔や恥辱をもたらしたり、災難や非難をまねいたりする原因となります」

(22)
 旅をしているときに、いばりちらして高慢な態度をとることは、困難や災難をもたらすことになります。

(23)
『易経』にある「兌(喜ぶこと)」の部分説明(爻辞)の最後(上爻)に「引いて喜ぶ」とあり、その解説に「いまだ光らず」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「喜びは終息へと向かい始めているのに、さらに喜びを引き延ばしています。心の喜んでいる状態は続いたとしても、客観的には喜ぶべきではなくなっていて、しかも、実際に喜ばしいこともなくなっています。
 事が盛んなときには光輝(かがやき)があります。(たとえば「がんばっている人は輝いて見える」といった類いのことです)。しかし、すでに終息へと向かい始めているのに、それをむりやりに引き延ばすのは、とても無意味なことです。どうして光輝(かがやき)があるでしょうか」

(24)
『易経』にある「中孚(内に誠があること)」の説明に、「君子(りっぱな人)は裁判をして死罪をゆるくする」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「君子は、次の二つのようにします。①訴訟の内容を審理するときには、忠(まごころ)をつくすだけです。(すなわち、自己の良心にのっとって理にかなった審理を進めます)。②死刑の判決を下すときには、惻(あわれみ)をつくすだけです。(すなわち、どう考えても死刑判決を下さざるをえないので死刑判決を下すのです)。君子は、何をするにしても忠をつくさないことはありませんが、「裁判をして死罪をゆるくする」場合には、特にそうします」

(25)
 物事には、時にいつもよりもやり過ぎるのがちょうどいい場合があります。(たとえば、ラストスパートをかけること)。それは時宜にかなうようにするためです。
 しかしながら、大いにやり過ぎてはいけません。たとえば、(行動において)いつもよりきちんとすること、(葬式において)いつもより深く悲しむこと、(消費において)いつもより倹約することなどの場合、大いにやり過ぎるのはよくありません。(きちんとしすぎると窮屈となるし、深く悲しみすぎると無気力となるし、倹約しすぎるとケチとなるものです)。
 ですから、(『易経』にある「小過〔少し過ぎること〕」の説明では)少しやり過ぎることを時宜にかなうこととしているのです。時宜にかなうことができれば、大吉です。

(26)
 小人(つまらない人)の害を防ぐ方法は、まず自分を正しくすることです。

(27)
 りっぱな補佐役だった周公は、とても公正で私心がなく、出処進退が道理にかなっていて、利欲に心を曇らされることがありませんでした。
 身を修めるにあたっては、つつましくして、つねに恭(きちんと)し、畏(ようじん)するように心がけました。(恭=外見をきちんとすること。畏=心がダメにならないように用心すること)。
 誠をなくさないようにするにあたっては、ゆったりとかまえて、神経質にならないようにしました。
 ですから、疑惑をもたれて窮地に立たされても、聖人らしさをなくさずにいることができたのです。『詩経』では、そんな周公のことをこう言っています。
「自分の地位を鼻にかけたり、自分の美点をひけらかしたりせず、ふるまいがきちんとしていて、おちついている」
(周公は、周王朝を創始した武王の弟で、武王をよく補佐しました。そして、武王の死後、武王の子で、まだ幼かった成王を補佐しました。しかし、「周公は王位を奪おうとしている」と思われて、いろいろと苦労しました)。

(28)
 採察(民情の調査)や求訪(人材の発掘)は、使臣の大事な任務です。
(使臣=指導者が、天下万民が困っていないかを知ったり、有能な人材を得たりするために各地に派遣する使者)。

(29)
 明道先生は、王安石の学問のまちがいについて、呉師礼と論じあいました。そして、呉師礼に、こう言いました。
「お手数ですが、ここでした話をすべて、王安石に伝えてください。私も自分の意見が絶対に正しいとは思っていません。もし王安石に意見があるなら、意見の交換をしたいのです。これは客観的に論じるべき問題で、相手とか自分とかいった主観にとらわれるべきものではありませんからね。もし(お互いに非難しあうのではなく客観的に論じあうことで)事の是非をハッキリさせることができたなら、王安石のためにならないときには、必ず私のためになるでしょう」

(30)
 竹林を管理する役所の所長をしていた張天祺(張横渠の弟)は、いつも一人の管理職の役人をかわいがっていました。
 人事異動のとき、張天祺は、その管理職の役人が工芸用の竹の皮を盗んでいるのを見ました。しかし、張天祺は、その管理職の役人をきちんと罰して罪をつぐなわせ、見て見ぬふりなどしませんでした。
 しかし、罪をつぐなわせたあとには、その管理職の役人をこれまでどおりにかわいがり、過去に犯した罪のことは少しも気にしませんでした。
 張天祺の人徳や度量は、このようなものでした。(「罪を憎んで人を憎まず」)

(31)
 あるとき、「何かものを言おうとしながら、ためらってなかなかはっきりと言わない」という話が出たついでに、次のような話がなされました。
「言うべきときなら、たとえ相手の首を要求するのであっても、はっきりと言うべきです。(本註:たとえば、荊軻が、始皇帝の暗殺に向かうとき、始皇帝を油断させるために樊於期の首をもっていこうと思って、樊於期に「首をくれ」と言ったようにします)。大切なことは、「その言葉を聞くと、ハッキリと言い切っている」(『論語』)というようにすることです」

(32)
 大切なことは、(たとえば実践などを通じて)具体的に学べることです。たとえば、『易経』にある「蠱」の説明に「民を救い、徳を養う」とありますが、具体的にどうすればよいかを知ることができてはじめて、そのようにすることができるものです。書物を読むことだけが学問ではありません。

(33)
 先生は、ある学者(学生)がせわしくしているのを見て、その理由をたずねました。すると、その学者(学生)は、こう答えました。
「多くの仕事をかたづけたいからです」
 それに対して先生は、こう言いました。
「私は、仕事をさぼりたいわけではありませんが、いまだかつてあなたのようにせわしくしたことはありませんよ」

(34)
 胡安定(胡?)のところにいる門人たちは、「古典に学ぶこと」や「民を愛すること」をつねに忘れません。そうである以上、うまく政治を行うことができるでしょう。

(35)
 門人の質問。「①人と一緒にいて、その人のまちがいに気づいたとき、それを言って教えてあげなければ、なんだか心がおちつきません。②しかし、言って教えてあげても、相手が受け入れてくれないときには、一体どうすればいいのでしょうか」
 先生の返答。「①人と一緒にいて、その人のまちがいを言って教えてあげないのは、忠ではありません。②そして、言って教えてあげる以前から、誠の心をなくさずに相手と交際するようにしていれば、相手は自分の言うことを信じるようになるでしょう」
 さらに、先生はこう言いました。「正しいことをするように相手に求めるにあたって、誠を多くし、言葉を少なくするようにすれば、言われた相手にとっては(すなおに悪い点を改善できるようになるので)益がありますし、言った自分としては(せっかくの忠告を無視されずにすむので)恥をかかずにすみます」
(「忠言、耳に逆らう」ものですが、しかし「至誠、天に通ず」るものです)。

(36)
 自分の職務としてなすべきことは、たくみにずるけてはいけません。

(37)
「その国にいるときには、その国の有力者の悪口は言わない」といった理屈は、なかなかいいものです。

(38)
 小事に励むのは、かなり難しいものです。

(39)
 重大な任務をうけもつにあたって大切なことは、他者への思いやりがあり、しかも誠実であることです。

(40)
 一般的に、人に意見する場合、理性的であれば事がハッキリします。しかし、感情的であれば相手を怒らせます。

(41)
 今という時代に生きていて、今の法令に安んじないのは、正しくありません。政治について論じる場合、政治にかかわらないのなら話は別ですが、もし政治にかかわるのなら、今の法律の範囲内において当を得た処置のできることが大切であり、そうしてはじめて正しいと言えます。もし今の法令を改めてから行動するようにするなら、それに一体どんな意味があるのでしょうか。

(42)
 最近の中央政府から地方政府に派遣される監察官は、地方政府との協力体制をとれていません。監察官はただ地方政府の不正を探り出そうとするだけですし、地方政府はただ監察官に実態を知られないように隠そうとするだけです。誠の心を発揮して「ともに協力しあって、よりよい地方政治を実現していこう」とすることなど、まったくできていません。
 監察官は、地方政府に不十分な点があれば、教えられることは教え、正せることは正し、そして監察官の命令に地方政府側が従わないということになったときには、命令違反のひどい者を選び出して一人、二人を免職処分に処して、役人たちを十分に戒めるようにするといいでしょう。

(43)
 伊川先生が言いました。
「人は、処理しなければならない俗事が多くて忙しいことを嫌がります。人によっては、そのために憂鬱になります。しかし、俗事が多いといっても、それらはすべて人のなすべきことです。人のなすべきことを人にさせないのなら、いったいだれにさせるのでしょうか」

(44)
 感情的になって命をなくすのは容易です。しかし、ゆったりとかまえて義(ただしさ)にのっとって生きるのは難しいものです。

(45)
 人があるとき、地位の高い人に対して礼を加えることを先生にすすめました。それに対して先生は、こう答えました。
「どうしてあなたは、礼をつくすことではなく、礼を加えることを私に求めるのですか。礼というものは、つくせばそれで十分です。どうして加える必要があるでしょうか」
(「自分のすべきことをすること」を「礼をつくす」と言い、「相手にこびを売ること」を「礼を加える」と言います)。

(46)
 ある人の質問。「主簿(書記官)は県令(県知事)の補佐役です。主簿のしたいと思うことを県令が承認しないときには、一体どうすればいいでしょうか」
 先生の返答。「誠の心によって県令を動かすことです。(至誠、天に通ず)。もし県令と主簿の仲が悪いとしたら、それはお互いに私意でぶつかりあっているにすぎません。県令は県の長です。そこで父兄につかえるのと同じやり方で県令につかえるようにして、過失があれば自分の責任とし(①)、善政があれば県令の功績とします(②)。こんなふうに誠の心をつみかさねていれば、どうして人(県令)を動かすことができないことがあるでしょうか」
(文中の①は、「県令を補佐すべき立場にある自分が補佐役らしく県令をきちんと補佐できなかったからこそ、このような過失をまねいたのだ」と自分を反省することです。
 文中の②は、「県政を指導すべき立場にある県令が指導者らしく県政をきちんと指導できたからこそ、このような善政を実現することができたのだ」と県令を立てることです。
 このように良心的にふるまうのは、儒学の考えによるなら、人間の本当の心にあっています。なぜなら、人間の本当の心は、悪心ではなく良心だからです(性善説))。

(47)
 質問。「人は、議論しているとき、たいてい自分の意見が正しいとしたがり、相手の意見を受け入れる気がありません。これは気質が平らかではないからでしょうか」。
 返答。「もちろん気質が平らかでないのですが、度量の小ささもあります。
 人の度量は見識が高くなるにつれて大きくなっていくものですが、見識は高いのに度量は小さい人もいます。それは(表面的には見識が成熟しているように見えても)実際には見識が未熟なのです。(ここで言う見識が高いとは、道理(天理)がよく分かっていることを指します)。
 たいてい見識と度量以外のことは、何とか無理がきくものです。しかし、見識と度量だけは、どうにも無理がききません。(見識や度量があるふりをしても、すぐにぼろが出てしまいます)。
 現在、茶碗の度量の人、お釜の度量の人、釣鐘の度量の人、大河の度量の人などがいます。大河の度量ともなると、大きなものです。しかしながら、大河にも限りというものがあります。限りがあれば、ときには満杯になることもあります。
 ただ天地の度量だけは、満杯になりません。ですから、聖人は、天地の度量なのです。聖人の度量は、道理(天理)です。一般人の度量は、生まれつきです。生まれつきの度量は、有限なものです。たいてい私たちがもって生まれてくるちっぽけな身体には、それに応じたちっぽけな力量しか備わっていないものです。限界がこないようにしようとしても、それはできません。
 たとえば、その昔、魏王朝につかえていた鄧艾は、70歳のときに政府の重職についたのですが、そのふるまいはとてもよいものでした。ところが、蜀漢国を打ち破ることに成功すると、それまでとはうって変わって悪くなってしまいました。
 また、東晋王朝につかえていた謝安は、知人と囲碁をしていたとき、おいの謝玄が苻堅のひきいる前秦国軍を撃退したという報告を聞いたのですが、これといって特に喜んだりしたりなどしませんでした。ところが、部屋に戻るときに思わずウキウキして不注意となり、ゲタの歯を折ってしまいました。最後まで無理を押し通すことができなかったのです。
 さらに例をあげると、酒に酔えば酔うほど(人に迷惑をかけないようにと)ますます慇懃(つつましい)になる人は、いつもと変わってしまっています。酔うと無礼(だらしない)になる人とは違うにしても、酒に動かされている点では同じです。
 また、位が高くなれば高くなるほど(人に威圧感を与えないようにしようと)ますます謙虚になる貴公子は、いつもと変わってしまっています。地位が高くなると傲慢になる人とは違うにしても、地位に動かされている点では同じです。
 しかしながら、道理(天理)を知っている人だけは、おのずと度量が広大になり、無理をしなくても広大な度量のもちぬしとしてふるまうことができます。最近の人が偏見をもっているのは、ほかでもなく、これまた見識や度量が不足しているのです。(偏見をもっているとは、たとえば学閥や宗教団体に所属する人たちのように、自分たちの立場からしか物事を見ようとせず、相手の意見にまったく耳を貸さないことです)」

(48)
 人に少しでも「公正にしよう」という意志があれば、それはもはや私心です。(自然にせず、作為すると、誠ではなくなります)。
 かつて政府で人事の仕事をしていたAさんは、自分の子供が人事異動の対象となったときには、その決定にまったく関わらないようにしました。(つまり、Aさんは、「自分が人事異動の決定に関与していて、自分の子供の昇進が決定したときには、人から「Aは自分の子供が昇進できるように便宜をはかったに違いない」と疑われる心配がある。そして、そんな心配があると、人事異動の決定に際して公正にふるまいにくくなる。だから、自分の子供の人事異動の決定には関わらないようにしよう」と考えたわけです)。これこそがまさに私心です(Aさんには、あれこれよけいな心配をするという作為があります)。
「昔は、「まっすぐなことをし、人から疑われる心配をしない」ということができた。しかし、今ではそうではなくなった」という人がいますが、これはそうする人がいないというだけで、時代には関係のないことです。
(本註:この話のついでに「少師が身内とか他人とかいった区別にとらわれずに人事異動の決定に関わっていたこと」や、「程明道は政府に人材を推薦するにあたって、弟の程伊川を推薦したこともあったこと」などについても話がなされました)。

(49)
 司馬光が、かつて先生にたずねて言いました。
「給事中(皇帝の秘書官)を一人ほど採用したいのですが、だれか適当な人物はいませんか」
 先生は言いました。
「初めにもし人材について広く全体にわたって論じるのでしたら、言うことができました。しかし、今、あなたからそのような話を聞いた以上、私が適任者を知っていたとしても、その名を言うわけにはいきません」
 司馬光は言いました。
「あなたの口から出て、私の耳に入るだけですから、別にかまわないでしょう」
 しかし、先生は結局、何も言わないままでした。

(50)
 伊川先生が言いました。
「韓持国ほど義(ただしさ)に忠実な人は、なかなか得られません。
 ある日、私は、韓持国や范夷叟たちと一緒に、潁昌にある西湖で船遊びをしていました。まもなく取次役の人がやって来て、范夷叟に会いたいという役人が来たと伝えました。私は、何か緊急の公用ができたのだろうと思っていたのですが、その役人は自分を売りこみに来ただけでした。
 私が范夷叟に「あなたが高い地位にいて、別に人材を求めていないのに、むこうから自分を求めさせようとするというのは、一体どういう了見なのでしょう」と言うと、范夷叟は「ただあなたが道理にこだわりすぎているだけですよ。自分を売りこんで推薦状を求めるのは、ありふれたことですからね」と答えました。
 そこで私は「それはまちがっています。(たとえ有能な人間であっても)求めない者には与えないし、(たとえ無能な人間であっても)求める者には与えるといった不条理なことをしていたから、ついに人をそのようにしてしまったのです」と言ったのですが、すると韓持国は私に賛成しました」

(51)
 話のついでに先生が言いました。
「私は現在、本庁の職員をやっていますが、あのことだけは決してできません。すなわち、本庁の役人は(支庁にいる高級官僚に気兼ねして)本庁から支庁へも上申書を出していますが、私はそのような公文書に署名することなどで        きません。
 本庁は中心で、支庁は周辺です。支庁に何かあれば、支庁から本庁へと上申書を出すべきであって、本庁から支庁へと上申書を出す道理はありません。これまでの人が、ただ利害を考えるだけで、物事の本質(組織の秩序)を考えないから、このようなことになってしまったのです。
 大切なことは、『論語』にある話のなかで聖人(孔子)が名を正そうとしたところをみて、聖人(孔子)が「名が正されないときには、礼楽は盛んにならない」と言ったことについてきちんと理解することです。(名を正すこと=たとえば父は父らしく、子は子らしく、人は人らしくというように、「らしさ」を大切にして、各人に自分にふさわしいことをさせること)。そうすれば、おのずと従来どおりではありえなくなります」
(たとえば、上司が部下のようにふるまい、部下が上司のようにふるまうなら、その政府機関の秩序はむちゃくちゃになって、結果、その治世もむちゃくちゃになってしまうものです。そうなれば、天下万民は困苦してしまいます。)

(52)
 学ぶ人は、世の中のことに通じていなければなりません。天下のことは、たとえば家事のようなものです。自分がしなければ相手がしますし、AがしなければBがします。(すなわち、だれかが必ずしなければなりません)。

(53)
 人は、「遠い先のことを考えていなければ、近く憂いにみまわれる」(『論語』)ものです。思慮は、現象をこえていなければなりません。
(現象をこえるとは、「今」「ここ」にある一時の現象に惑わされずに、「今」「ここ」にとらわれない時間的にも空間的にも広い視野をもつことです)。

(54)
 聖人(すぐれた人)が人を責めるときには、つねにゆるやかです。すなわち、聖人は、事の正しいことを望むだけで、人の過失や悪事をあばきたてる気はもうとうないのです。

(55)
 伊川先生が言いました。
「今の地方公共団体の長は、民衆の財産をコントロールすることはできません。しかし、その他のことは、現行の法律の範囲内において、いろいろと行うことができます。心配なのは、役人がしようとしないことだけです」
(民衆の財産をコントロールすること=たとえば大地主から土地を収用したり、小作人に土地を配分したりなどして、人々の生業を安定させること。つまり、経済政策)。

(56)
 明道先生が県知事をしていたとき、明道先生が座るところにはどこにも、「民をみること、傷むがごとし(病人を看護するように民衆をいたわる)」という言葉が書いてありました。そして、明道先生はいつも、こう言っていました。
「私は、この言葉をみるたびに恥ずかしく思うよ」

(57)
 伊川は、門人たちがその先輩たちの短所について話しているのを見かけるたびに、「君たちは、そんなことをするよりも、その長所を取りなさい」と言いました。


(58)
 劉安礼が言いました。
「王安石は、政治の実権を握ると、法律を改変しました。反対派は、それに対して力の限り反抗していました。
 明道先生はかつて、招集を受けて中堂で開かれた会議に出席したことがありました。王安石は、反対派に対して怒っていたので、厳しい顔色で反対派に属する先生に対応しました。
 それに対して先生は、ゆるやかに言いました。
「天下の問題は、私的な問題ではありません(公的な問題です)。どうか気を平らかにして(私的な感情をおさえて)聞いてください」
 そう言われた王安石は、恥じ入りました」

(59)
 劉安礼が、役人として民衆を治める方法について質問すると、明道先生は、こう答えました。
「民衆が役所の上層部に対していろんな請願をすることができるようにすることです」
 続いて、上司として役人を統べる方法について質問すると、こう答えました。
「自分を正しくすることで相手を感化して相手を正しくすることです」

(60)
 横渠先生が言いました。
「一般的に、人の上につくことは簡単ですが、人の下につくのは難しいものです。しかしながら、人の下につくことができなければ、下の人を使うこともできないものです。それは、下の人の実情がよく分からないからです。たいてい人を使う場合、それ以前に自分がそれを経験していれば、人を使うことができます」

(61)
『易経』にある「坎(苦しみが次々とやってくること)」の説明には、「心に曇りがない」ので、「進んで行けば成功して人々の尊敬を受ける」といったことが述べてあります。
 困難だらけの状態にあって次から次に困難にみまわれたとしても、もしそんな状況のなかにいて心に曇りがなく迷いがなければ、どんなに難しくても必ずのりこえることができ、(どんな困難にもめげずにまっすぐに)進んで行って成功します。
 今、水がとても高い山のてっぺんにあるとして、その水を下らせようとすれば下っていきますし、それを邪魔するものは何もありません。それと同じように、ただ義理(道理)をもちつづけるだけだということを知れば、どうして困難を避けたりなどするでしょうか。ですから、心に曇りがないのです。

(62)
 人が自分をつらぬけないのは、①それに何か難しい点があると(その難しさを克服するための努力をせずに)なまけるし、②それがみんなと違っている場合には、たとえ簡単なことであっても、恥ずかしがってしりごみするからです。
 ただ心が広ければ、人からあざけ笑われても気にせず、向かうところは義理(道理)だけです。天下のどこを見渡してみても、その人の生き方を変えることができるものはありません。
 しかしながら、自分をつらぬいたとしても、人が必ずしも変に思うとはかぎりません。自分において義理(道理)が勝っていないときには、怠惰(なまけ)と羞恥心(はずかしがり)といった病気が消えれば、(人は本質的に善なので)義理(道理)が伸長しますが、怠惰(なまけ)と羞恥心(はずかしがり)が消えなければ、病気のままで、心がこせこせして、何もできません。
 昔、勇気と節操のある人は、死を覚悟して何かをすることがありました。その行いは必ずしも理(道理)にかなってはいませんでしたが、しかし、気概のある人でなければできないことです。(柔弱な連中にくらべると、よっぽどましです)。ましてや私たちは義理(道理)に明るい以上、どうして何もしないでいられるでしょうか。

(63)
 『易経』にある「?(油断大敵)」の部分説明(爻辞)の最初(初爻)に、「疲れた豚。本当はとびはねてまわりたい」とあります。
 豚は、疲れているときには動けるだけの力がありません。しかしながら、本心ではとびはねてまわりたいと思っていて、その思いを実現できるときには実現します。
 たとえば、李徳裕は、宦官たちを処置するにあたり、宦官たちがひれふしているかどうかばかりに気を取られて、宦官たちが心のなかでは自分たちの勢力を盛り上げようと考えていることへの注意をおこたりました。真相を明確にみぬくことが十分にできなければ、大事が起きる兆候を見落としてしまうものです。
(李徳裕は、唐代末期の宰相で、衰退化していた唐国の力の回復に貢献するという功績をあげましたが、宦官と結んだ牛僧孺一派との党争に敗れて失脚しました。なお、当時の唐王朝では、宦官が権勢をほしいままにしており、そのことが政治に多くの弊害をもたらしていたそうです)。

(64)
 子供を教えることは、教える本人にとっても有益です。
①子供を教えるときには、ぶらぶらとほっつき歩かなくてすむので有益です。
②子供に(書物を使って)教えることが何度もあれば、自分もまた書物の内容を完全にマスターできるので有益です。
③子供に対するときには、自分は服装をきちんとし、目つきをよくするので有益です。
④自分のせいで子供の才能がダメになりはしないかと心配していれば、なまけ心の生じる余地がなくなるので有益です。

第十一巻 教学之道~教育の方法

(1)
 濂渓先生が言いました。(ここでの発言の前提として、次のことがあります。すなわち、人の気質は陰と陽によって構成されていて、陽は剛の性質をもち、陰は柔の性質をもっています)。
①剛の善いところは、正義感となり、正直さとなり、決断力となり、毅然たる態度となり、意志の強さとなります。
②剛の悪いところは、獰猛さとなり、偏狭さとなり、乱暴さとなります。
③柔の善いところは、慈しみの心となり、素直さとなり、謙虚さとなります。④柔の悪いところは、柔弱さとなり、優柔不断さとなり、ずるさとなります。
⑤ただ中だけは、ほどよい状態であり、節度にかなっており、時と所に関係なくつねに通用する普遍的な道理であり、聖人(すぐれた人)のあり方です。
 ですから、聖人が教育する場合、人がみずから悪を改善し、みずから中に到達できるようにさせるだけなのです。
(中とは、過不足なく適当であることで、自分の場合で言うと、自分以上でもなければ、自分以下でもなく、本当の自分であることです)。

(2)
 伊川先生が言いました。
「古人は、子どもが生まれると、食べ物を食べることができ、言葉を話すことができるようになってから、子どもを教育しました。大学(聖人になるための学問)の教育方法は、前もってすることを第一としています。(子どもが悪くなってから元どおり善くしようとするのではなく、子どもが本来の善さをなくして悪くならないように前もって予防線をはっておくわけです)。
 幼い子どもには、まだ自分なりの知恵もなければ、自分なりの思考もありません。そこで「格言=正しい生き方を短い言葉で表現したもの」や「至論=道理にかなっている意見」を毎日のように話して聞かせます。
 その意味が子どもにはまだよく分からなくても、とりあえず十分すぎるほど十分に話して聞かせて、耳に満ち、腹に満ちるようにさせます。そうしてしばらくすると、子どもは格言や至論におのずと慣れ親しんで、格言や至論を生まれながらにして知っていたかのようになります。そのときには、だれかが他説(格言でもなければ至論でもない邪説)で子どもを惑わそうとしても、その子どもの心に入りこむことはできません。
 もし子どもが悪くならないようにするための教育を前もってしなければ、ちょっと成長したころには、私意(わがまま)や偏好(好き嫌い)のほしいままとなり、衆口(うわさ)や弁言(おせじ)にのせられるようになります。子どもに純粋(ピュア)で、完全(パーフェクト)な人に育ってほしいと思っても、まず無理でしょう」

(3)
『易経』にある「観(静観すること)」の部分説明(爻辞)の最後(上爻)に「自分の言動を観察して君子(りっぱな人)らしければ、とがめはない」とあり、その解説に「自分の言動を観察するとは、いまだ心がおちついていないのだ」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「君子は、たとえ何の地位もなくても、みんなの手本となるべき存在なので、自分の言動を慎重にして反省しなければなりません。自分の言動を観察して、つねに君子らしさをなくすことがなければ、人々は手本をなくさず、感化されて君子になります。何の地位もないからといって、ぐうたら気ままにして何もしないのはよくありません」(教師は率先垂範が大切です)

(4)
 聖人(すぐれた人)の道は、たとえば天のように高遠で、一般人の認識とはとてもかけ離れています。門人や子弟たちは、聖人に親しく教えてもらうことによって、ますます聖人の道の高遠さを知ります。しかし、もし一般人が「聖人の道には、自分はとうていおよびもつかない」と思うようになれば、一般人は聖人の道を進もうというやる気をなくしてしまいます。ですから、聖人が教えるときには、つねに相手のレベルにあわせて教えるのです。
 たとえば、目上につかえたり、葬式にのぞんだりするにあたって、努力せずにいないのは、君子(りっぱな人)のふだんの行いです。酒を飲んでも乱れたりしないのは、君子のふだんの行いのなかでも特に身近なものです。
 こうして君子みずからが身近なことをすることで、①資質の低い人は、よく考えて聖人の道にたどりつくことができるようになりますし、②才能の高い人は、身近なことをバカにして軽んじたりなどしないようになります。

(6)
 明道先生が言いました。
「若い人が軽薄さのためにせっかくの才能をダメにしているのを心配するなら、ただ若い人を教育するにあたって、経書(『四書』『五経』などの儒学のテキスト)を学ばせ、古典を読ませるようにし、うまくものを書く訓練をさせないようにします。
(うまくものを書くようにするというのは、その意味よりもその表現を重んじることなので、形式にとらわれて内容をダメにするくせを若い人につけさせてしまう危険性があります。そうなると若い人は、質実(中身のよさ)よりも浮華(見た目のよさ)を大切にするようになります。そんな人は、まさに軽薄な人です)。
 若い人のいろんな道楽は、すべて志を奪います。(若い人は、たいてい主体性がまだ完成していないので、たとえば流行にのせられやすいなど、「玩物喪志」になりやすいものです)。ものを書くことは、儒学者のすることにもっとも近いことです。(なぜなら、儒学者も、手紙を書くなど、ものを書くからです)。しかしながら、そればっかり好き好んでやっていると、これまた志を失ってしまいます。
 たとえば、王羲之、虞世南、顔真卿、柳公権などといった書家たちは、本当に好ましい人物であった以上、大志をもっていたことでしょう。しかし、「うまくものを書ける人は、道を知っている」ということが、これまでにあったでしょうか。(ものを書くのがうまいからといって、必ずしも道を知っているとはかぎらないものです)。
 ふだんの精力をそこにのみ用いるのは、ただ時間の浪費になるだけでなく、道においても妨害となります。志を失うことは言うまでもありません」

(6)
 胡安定(胡?)は、湖州にいたとき、治道斎(政治の実務を専門に学ぶ教室)を設置しました。政治の方法について学びたい人は、その治道斎で民事、軍事、水利、算術などを学びました。かつて「治道斎で学んだ劉彝は水利がうまい」と言いましたが、その後も劉彝は政治にたずさわり、水利を盛んにして功績をあげました。

(7)
 一般的に、後世の戒めとなるようなりっぱな言葉を述べるには、内容を豊かにして、徳(よさ)の分かっている人を厭わせたり、徳(よさ)の身についていない人を惑わせたりしないようにすることが必要です。

(8)
 人を教育するにあたり、学問の内容のおもしろさを生徒に分からせることができなければ、生徒は必ず学ぶことを楽しめません。そこでとりあえず歌(ソング)や舞(ダンス)を通して教えようと思います。(歌ったり、舞ったりするのは楽しいものですからね)。
 たとえば『詩経』にある古詩三百篇などは、すべて古人の作ったものですが、そこにある「関雎」などは、家庭を正しくする始まりとなるものです。ですから、これを地域住民に用い、国全体に用いて、毎日、人々に聞かせます。
 ただし、『詩経』にある古詩三百篇は、内容の深さに比べて表現が簡単すぎるので、今の人には理解しにくいものです。そこで、別に詩を作り、児童に教える内容である、掃除するときの作法、応接するときの作法、目上の人につかえるときの作法などを大まかに述べて、朝に夕にそれを歌わせたいものです。必ずや教育の助けとなることでしょう。

(9)
 張横渠が学ぶ人に礼法を教えているのは、とてもよいことです。学ぶ人にまず行動の規準をもたせています。(たとえば、ビジネスでも、ビジネスマナーを身につけてこそ、いっぱしのビジネスパーソンになれるものです)。

(10)
 教師自身がまだよく理解できていない理(道理)を生徒に教えると、それを聞いた生徒は、その理(道理)を深く理解できないだけでなく、反対にその理(道理)を軽視するようになります。(理=意味・内容・道理など。)

(11)
 舞いを舞ったり、弓を射たりするときには、人の誠があらわれます。(心をこめなければ、舞踊も、弓術も、上達しないものです)。昔は、人を教えるにあたって、各人に誠によって自分を完成させるようにさせました。誠であることによって、掃除や応接などという身近なことから、聖人のことという高遠なことに到達することができます。(「高きに登るに卑きよりす」「下学上達」)

(12)
「幼児には、つねに正しいことをして見せて、ウソをつかないことの大切さを教える」といったこと以外には、聖人のことを教えます。

(13)
『論語』に「「先には伝えるが、後には嫌になる」ということがあろうか」とあります。君子(りっぱな人)が人を教えるときには、順序があります。先に小さいことや身近なことを教えて、その後で大きいことや高遠なことを教えます。「先に小さいことや身近なことを教えると、(後はそのままほったらかしにして)その後に大きいことや高遠なことを教えない」というわけではありません。

(14)
 伊川先生が言いました。
「(書物を通して考えさせるのではなく)書物の字句や内容について説明するのは、決して昔の聖人たちがやっていた教育方法ではなく、人をますます薄っぺらなものにしてしまいます。学ぶ人(生徒)は、じっくりとよく考え、ゆったりと心の根本を養い、そうして道理を自得することが大切です。
 現在、一日ですっかり説明し終わるのは、たいした教育をしていないからです。(すなわち、ただ書物に書いてあることをそのまま説明して覚えさせるだけで、書物を通して考えさせていないからです)。「漢王朝の時代、儒学者の董仲舒は、とばりをおろして、その向こう側で生徒に教えるために音読した」という話もあるものの、それは必ずしも書物の字句や内容について説明したとは限りません」

(15)
 聖人たちの活躍していた時代では、8歳で小学に入学し、15歳で大学に入学しました。大学入学に関しては、大学教育に向いた人を選んで入学させ、不向きな人は田舎に帰らせて農業に従事させました。というのも、役人にならなければ農民となり、農民とならなければ役人となったからです。(ここで言う大学は、りっぱな役人を養成することを目的としています。ですから、役人に向いた人を大学に入学させ、農民に向いた人は田舎に帰らせたのです。なお、役人とは政治をになう人の代名詞、農民とは経済をになう人の代名詞、そう考えると、より分かりやすいかもしれません)。
 大学に入学した人は、もはや農業(経済活動)に従事することはありませんでした。こうして、役人と農民とが分かれました。(つまり、本人の資質に応じて進路が決定されていたわけです)。
 在学中の生活費は、中流階級の子弟の場合には何の心配もありませんが、貧乏な庶民の子弟には政府から支給されました。
 当時の役人は、15歳で大学に入学して、40歳になってはじめて任官しました。25年もの間、大学で学んでいたのです。さらに、その間には私利私欲のはかりようがありません。(大学在学中は何の地位も権限も与えられないので、出世をめざしたり、賄賂をもらったりなどの私利私欲をはかる行為はできないものです)。とすれば、その人たちが何を志していたか、それが分かるというものです。必ずや善くなろうとしていたに違いありません。つまり、そうして徳(自分が本来もっている良さ)を完成させたのです。
 聖人たちの活躍していた時代からみて後世の人は、幼いときから休みなく私利私欲をはかろうとする心があります。これでどうして善くなることができるでしょうか。ですから、古人は、必ず40歳になってから任官させたのです。そうしてはじめて志が定まります。(40歳になるまでの長きにわたって学ぶことによって、良心が欲望に負けないくらいに強くなっているので、りっぱな役人になれるということです)。
 ただ生活必需品を求めるだけなら(それは自分を生かすために必要なものなので)害はありません。しかし、金銭や地位の誘惑は(本心を曇らせてしまうので)もっとも人に害があります。
(本註:人は、生活費に困らなくなってはじめて、学問に本腰を入れることができるものです)。

(16)
 天下には才能ある人がたくさんいるのですが、ただ道(道理)が天下に明らかになっていないので、その才能をなしとげられずにいます。そのうえ、昔は「まず名詩によって奮い立ち、続いて礼法によってしっかりと自立し、最後に音楽によって完成した」(『論語』)ものですが、今の人などはそのことが分かっていません。(名詩は、感動的な言葉であり、人々の良心を呼び覚まして励まします。礼法は、理にかなった行動の基準であり、どのように行動すべきかを示して教えます。音楽は、楽しいものであり、心をやわらげて健全にします)。
 古人にとっての名詩とは、今の人にとっての流行の歌や曲と同じものでした。(それほど昔は、格言に満ちた名詩が身近にあったのです)。村里の子どもたちですら、その名詩が言っていることを習い聞いていて、その内容をよく分かっていました。ですから、名詩によって奮い立つことができたのです。今では、学者や先生ですら、その意味を分かることができていません。どうして生徒を責めることができるでしょうか。(教師ですら善いことが分かっていないのだから、生徒が善いことを分からなくても仕方ありません)。つまり、名詩によって奮い立つことができないのです。
 昔のりっぱな礼法はすでに廃れ、人の道は明らかにされず、そして家庭をよくすることにいたるまで、すべて無秩序になっています。つまり、礼法によってしっかりと自立することができないのです。
 古人は、歌って心を養い、聞いて感性を養い、舞って血のめぐりを養ったものです。しかし、今では、それらはすべてありません。つまり、音楽によって完成することができないのです。
 このように、昔は才能を完成させるのが容易だったのですが、今では才能を完成させるのが困難になりました。

(17)
 孔子は、人を教えるにあたって、次のようにすると言っています。
「相手が「分かりそうで分からない。何とかして分かりたい」と、いらだたしく感じることがなければ、何も説明しない。また、相手が「意味は分かっているのだけれど、どう表現すればいいのか分からない」と、もどかしく感じることがなければ、何も言わない」
 思うに、教える人が、相手の「分かりたいけれど分からないためのいらだたしさ」や「表現したいけれど表現できないためのもどかしさ」をまたずに教えれば、相手はしっかりと理解しません。しかし、相手の「分かりたいけれど分からないためのいらだたしさ」や「表現したいけれど表現できないためのもどかしさ」をまって教えれば、相手は目からウロコが落ちるような感じでよく分かります。ですから、そのようにするのでしょう。
 学生にとって大切なことは、まず深く考えることです。教師は、学生がいくら考えても分からなくなってから、教えてあげることです。
 ただし、学び始めたばかりの学生に対しては、教師がその学生のために(学びの要領を)説明してあげることが大切です。そうしなければ、学び始めたばかりの学生は、理解できないだけでなく、人間の「問うことを好む心(たとえば探求心や好奇心など)」も失ってしまいます。

(18)
 横渠先生が言いました。
「恭(きちんと)し、敬(しっかり)し、?(つましく)し、節(ほどよく)し、退(ひかえめ)にし、譲(けんきょ)にして、そうして礼の何たるかをハッキリと示すのは、仁(最高の道徳)のいたりであり、道(道理)を愛することのきわみです。みずからがつとめて礼の何たるかをハッキリと示さなければ、人はついてきませんし、道(道理)は広まりませんし、教育は成立しません」

(19)
『礼記』「学記篇」に、こうあります。「進めるだけで生徒が納得できたかどうかをかえりみず、生徒を誠ではなくさせ、生徒の才能を発揮させる教育ができない」
 生徒がまだよく納得できていないのに先に進め、生徒がまだよく理解できていないのに次の話をし、いたずらに生徒の心をゴチャゴチャさせ、生徒にその才能を発揮させず(生徒の才能を抑圧し)、生徒に自分が納得できているかどうかをかえりみさせず(生徒の内面への配慮をおこたり)、生徒を誠にさせない(生徒を不自然にさせる)のは、すべてデタラメな教育のやり方です。
 教育というのは、とても難しいものです。必ず生徒の才能を発揮させてこそ、生徒に生き方(進路)を誤らせずにすみます。生徒の才能の到達可能点(その生徒は何を実現できる才能をもっているか)をよく観察してから、生徒を教えるようにします。聖人のもつ明察力は、たとえば優秀な料理人が牛をさばくとき、その牛自身のあり方に沿ってさばいていき、その他は見ないようなものです。(つまり、りっぱな教育者でもある聖人は、その生徒に適したやり方でその生徒を教育していくということです)。
 生徒の才能は、偉業を十分になしとげられるほどのものです。ただ、生徒を誠にさせないので、そんな生徒の才能を発揮させることができないのです。もし「(スパルタ教育式で)生徒をむりやりにがんばらせるのだ」と言うのなら、どうして生徒を誠にさせることができるでしょうか。(生徒を不自然にし、ゆがませてしまうだけです)。

(20)
 昔の児童は、物事を慎重にすることができました。年長者に手を引いてもらうときには、(畏敬の念をあらわして)両手で年長者の手をささげもちました。また、年長者に質問するときには、(口臭に気をつけて)口を手でおおって話しました。
 思うに、少しでも物事を慎重にしないということは、とりもなおさず誠になろうとしていないということです。ですから、児童を教えるときには、おちつくこと、よく配慮すること、きちんとすること、しっかりすることをまず教えるのです。

(21)
『孟子』に、「人材の採用におけるまちがいは、とがめるほどのものではない。政治や行政における過失は、非難するほどのものではない。ただ大人(人間のできた人)だけが指導者の心の非を正すことができる」とあります。
 しかし、大人は、ただ指導者の心の非を正せるだけではなく、友人や学者(学生)に対してもそうすることができます。大人は、相手の考えが自分の考えと同じであろうが異なっていようが、自他の考えの優劣を考え比べようとしたりなどしません。(大人は、心が広いので、考えの違いにこだわりません)。ただ相手の心を整理してあげて、それを本来の正しい状態に戻させるだけです。どうして小さく補ったりするでしょうか。
(性善説に立つ儒学は、「善くない人も、もともとは善いのだから、別に他人から善を補ってもらわなくても、心をもとどおり健康にすれば、おのずと善くなる」と考えます。朱子は「聖人や賢人のいろんな言葉は、ただ人がその本心をなくさないように求めているにすぎません」と言っています。なお、性悪説に立つ場合、人を善くするためには、「善い教え」を外から人におしつけるという方法をとります。)

第十二巻 改過及人心疵病~過失と心の欠点を改善する

(1)
 濂渓先生が言いました。
「子路は、人から自分の過失を指摘されると、(自分の過失を改善できるちょうどよいチャンスだと)それを喜んで聞きました。そのよい評判は、きわまりないものです。
 今の人は、自分に過失があっても、それを人から注意されるのを喜びません。これは、たとえば病気を大切にし、医者を嫌うようなものです。かえって身を滅ぼすことはあっても、悟ることはありません。あぁ(困ったものです)」

(2)
 伊川先生が言いました。
「日に日に徳行や善行を積んでいれば、日に日に幸福が高まっていきます。徳行や善行の度合いが、幸福の度合いよりも高ければ、すでに十分に幸福であっても、それは幸福の最高点ではありません。(まだまだ幸福になっていきます)。昔から、隆盛をほこっているもののうちで、道を失わずに滅んだり、敗れたりしたものはありません。(非道をなしていたものが、滅んだり、敗れたりしたものです)」

(3)
 人は、遊び楽しんでいるときには、心が喜びに満たされます。ですから、ぐずぐずして遊び楽しむことから離れられず、ついにはそれにのめりこんでしまい、それをやめることができなくなってしまいます。(たとえば、ばくち)。
『易経』にある「予(楽しむこと)」の部分説明の二番目(二爻)に、「中よく正しくすることによって自分を保つ。その節操の堅さは、石のようだ。遊び楽しむことから速やかに離れることは、日没をまたないくらいだ。ゆえに、正しくて吉だ」とあります。
 遊び楽しんでいる場合、それに気を許しそれを長いこと続けたりなどしてはいけません。(遊び楽しむことについては、つねに警戒し、きりよくやめれることが大切です)。遊び楽しむことを長いこと続けていると、それに溺れてしまいます。
 先にあげた説明などは、「何かが起きる兆候を敏感にとらえて、すぐさまそれに対処するための行動にうつること」(『易経』「繋辞上伝」)と言えます。思うに、中(ほど)よく正しくしているので、かたく自分を保て、早く是非を判断できたり、速やかに遊び楽しむことをやめることができたりするのです。

(4)
 指導者が危険や衰亡をまねく道筋は、一つではありませんが、歓楽(娯楽や道楽など)にうつつをぬかすことによるものが最多です。

(5)
 聖人が戒めを行うのは、必ず隆盛なときです。しかし、隆盛なときには、ふつうなかなか戒めることが分かりません。
 ですから、①平安や富裕に慣れると(戒めがないので)驕り高ぶり、②自由や奔放を楽しむと(戒めがないので)秩序を壊し、③災難や戦乱を忘れると(戒めがないので)禍を芽生えさせるのです。
 これは、安逸にひたりふけっている(惰眠をむさぼっている)ために、混乱のやってくることが分からないのです。
(「安くして危うさを忘れず、存して亡ぶるを忘れず、治まりて乱るるを忘れず」)

(6)
『易経』にある「復(もとに戻ること)」の部分説明(爻辞)の三番目(三爻)は、「弱々しくておちつきのない性格で動きのきわみにいる。復(もど)ることが何度もあって、復(もど)った状態のままでいることができない」ということを表しています。
 復(もど)ることにおいては、復(もど)った状態に安んじてそこに腰をすえることが尊ばれます。しかし、しばしば復(もど)って、しばしば失うのは、復(もど)ることに安んじていないのです。善に復(もど)ることができながらも、その善をしばしば失うのは、危険なことです。(儒学は性善説なので、人が善くなることを言う場合、悪から善に改まるといったニュアンスの表現は用いず、悪から善に戻るといったニュアンスの表現を用います)。
 聖人は、人々が善へと向かう道を開き、人々が善に復(もど)ることを助けて、人々が善をしばしば失うことを危ぶみます。ですから、「危険だけれど、とがめはない」と言われているのです。
 しばしば善を失うからといって、「もう善に復(もど)るな」と言うことはできません。しばしば善を失うことは危険ですが、しばしば善に復(もど)ることは別に悪くはありません。過失は、失うことにあるのであって、復(もど)ることにはありません。
(本註:劉質夫が言いました。「とめどなく復(もど)ったり、失ったりをくりかえすなら、ついには迷って復ることができなくなってしまいます」)

(7)
 背き離れることに関してですが、①反目が行き着くところまで行って行き詰まると、反発しあって合同できにくくなります。②強さが行き着くところまで行って行き詰まると、あらあらしくなって細かいところまで神経がゆきとどかなくなります。③明晰さが行き着くところまで行って行き詰まると、ささいなことまで気にして疑いをもちやすくなります。
『易経』では、どんなものにも必ず関係するものがあって、決して孤立することはないということを表しています。しかし、①~③のような性格をもっているなら、自分のほうから背き離れて孤立することになります。
 たとえば、Aさんは、親しい仲間をもっているのですが、自分のほうから相手を疑ってかかり、みだりに背き離れる人です。そんなAさんは、たとえ家族や親しい仲間のなかにいたとしても、つねに孤独なものです。(「疑心暗鬼を生ず」。)

(8)
『易経』にある「解(問題が解決すること)」の部分説明(爻辞)の三番目(三爻)に、「小人(つまらない人間)が高位にいる。賊に襲われる結果になる。行いが正しくても、いやしまれる」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「小人でありながら高位を盗み取るなら、たとえがんばって正しいことをしたとしても、小人は気質が卑下であり、もともと上位にいるべき人間ではないので、結局はよくありません。
 これに関して、こう質問する人もいるかもしれません。
「もし、とても正しいことをできるのなら、どんなものだろう。別に小人が高位にいてもいいのではなかろうか」
 しかし、とても正しいことは、陰湿で柔弱な性質をもった小人にできることではありません。もし、それができるとしたら、その人は(もはや小人などではなく)君子(りっぱな人)に変化しているのです」

(9)
『易経』にある「益(増すこと)」の部分説明(爻辞)の最後(上爻)に、「こちらの利益をはかるな。場合によってはこちらを攻撃する者が出てくる」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「理(道理)とは、世界でいちばんきわめて公なるものです。利とは、みんなが同じく欲しがるものです。(公=私心がなく、公正であり、客観的であること)。
 もし、こちらが心を公にし、その正しき理(道理)を失わなければ、こちらはみんなと利を分かちあい、人の利を侵害することなく、人もまたこちらと利を分かちあいたいと思います。
 もし、こちらが利を求めることに熱心で、心を自私(エゴ)におおわれ、こちらを益そうとして人を害するならば、人もまたこちらと力の限り争おうとするでしょう。ですから、こちらを益そうとする人はいなくなって、反対にこちらを攻撃して、こちらから利を奪おうとする人が出てくるのです」

(10)
『易経』にある「艮(止まること)」の部分説明(爻辞)の三番目(三爻)に、「じっとして腰を動かさない。背骨が裂けるような痛みに襲われる。危うさが心を焦がす」とあります。それに関して、程伊川著『易伝』に、こうあります。
「そもそも正しい止まり方としては、止まるべきときに止まるようにすることが大切です。
 もし、「行くにしろ、止まるにしろ、時宜にかなった柔軟なやり方をせずに、一定の原則に固執する」というように、とても頑固だと、生き方が社会と真っ向から対立し、他者とそりがあわずに交際が断絶することになります。それはとても危険なことです。
 人は、頑固に一定の原則に固執し、だれからも賛同してもらえなければ、苦しんだり、悩んだり、いらだったり、おびえたりして、心を焼かれて乱されます。(いわゆる焦燥感にとらわれます)。どうして心安らかにゆったりとすることができるでしょうか。「危うさが心を焦がす」とは、どうしようもない不安が心を焼いて乱すことを言います」

(11)
 たいていの場合、喜びうかれて行動していると、正しさを失います。

(12)
 男女には尊卑の秩序があります。(男女の仲には節度があることが大切です)。夫婦には倡随の理屈があります。(夫婦は仲良くすることが大切です)。これはつねに変わらぬ道理です。(倡随とは、夫が唱えて妻が従うことで、夫婦の仲が良いことを表しています)。
 もし、感情に流され、欲望になびき、ただ快楽のためにだけ行動し、男は欲にひかれて強さを失い、女は喜びになじんで素朴さを失うなら、凶であって、何もよいことはありません。

(13)
 舜ほどの聖人(すぐれた人)でも、巧言令色を恐れました。(巧言令色=相手の気に入られようとして、口先だけうまいことを言ったり、ニコニコと愛想よくして見せたりすること)。このように、人をうまく喜ばせて惑わすことは、心に入りこみやすくて恐るべきことなのです。

(14)
 治水工事は、天下の大任です。とても公正な心をもち、謙虚であることができ、みんなの意見を十分に汲むような人でなければ、大任を成功させることはできません。上からの命令を無視したり、仲間をうらぎったりするような人が、どうして大任を成功させることができるでしょうか。
 堯から治水工事を任された鯀は、9年かかっても治水工事を成功させることができませんでした。しかしながら、その仕事のうまさは、他のだれよりもずばぬけてすぐれていました。ただ、治水工事の成功がほぼ確実となってきたので、自負心がますます強くなり、命令違反や仲間へのうらぎりがますますひどくなりました。みんなの意見は聞かれなくなり、みんなの心は離れていきました。つまり、その悪いところがますます顕著になって、ついに大任を成功させることができなかったのです。

(15)
 君子(りっぱな人)は、敬(しっかり)して心をまっすぐにします。微生高のついたウソは些細なものであっても、正直さを害した点では重大です。
(『論語』に「だれが微生高を正直だと言うのでしょうか。微生高は、ある人が酢を借りにきたとき、となりの人から酢を借りてきてその人に貸しました」とあります。つまり、微生高は、酢を借りにきた人に「家には酢がない」と言わなかったので正直さを害したというわけです)。

(16)
 人は、欲があれば、芯の強さがありません。芯の強さがあれば、欲に屈することはありません。(欲=本当に必要である以上のものを欲すること・人欲)。

(17)
 人がまちがう場合、その人の属する人間のタイプの種類に応じてまちがいます。
 君子(りっぱな人)は、いつも人情に厚いことによって失敗します。小人(つまらない人)は、いつも人情に薄いことによって失敗します。
 また、君子は愛情によってまちがい、小人は残忍によってまちがいます。
(たとえば、政治家に分類される人は、政治家らしいまちがいをします。運転手に分類される人は、運転手らしいまちがいをします。政治家が運転手らしいまちがいをしたり、運転手が政治家らしいまちがいをしたりすることはないものです。)

(18)
 明道先生が言いました。
「財産の多さや地位の高さで人をバカにするのは、もちろん善いことではありません。学問で人をバカにするのも、その害は少なくありません」

(19)
 人は、これから先にどういうことが起きるかをあらかじめ考えることを賢明だとすると、あっという間に「人にだまされるのではないか」とか、「人から疑われるのではないか」とか思うようになっていきます。
(要するに、かんぐりすぎるのはよくないということです)。

(20)
 人は、自分の生活に用いる外物については、その一つ一つについてりっぱであることを求めます。(外物=自分の心身以外のもの。たとえば、名声、利益、衣服、食事、住居など)。それとは反対に、自分のかけがえのない心身に関しては、そのりっぱさを求めません。
 しかし、そんなことをしていると、外物のりっぱさが得られたときには、かえって心身のほうは悪くなってしまっています。(すなわち、身は修まっていませんし、心は正しくなっていません)。外物のりっぱさだけを求める人は、そういうことが分かっていないのです。

(21)
 人が天理に暗いのは、ただ嗜欲(思うぞんぶんに欲望を満たそうとする心)によって乱されているからにすぎません。荘子は「嗜欲の深い者は、天機(天理が発動するきざし)が浅い」と言っています。この言葉は、まったく正しいものです。

(22)
 伊川先生が言いました。
「機事(はかりごと)に長いこと関わっていると、機心(はかる心)が必ず生じます。というのも、機事に関わっているときには、心は必ず機事を喜び、心が喜べば、機心の種をまいたように機心が芽生えてくるからです」

(23)
 疑(うたぐ)り深い人は、まだ何事も起きていないうちから、まず心のなかに疑おうとする気持ちをもっています。
 欲ばりな人は、まず心のなかに抜け目なくしようとする気持ちをもっています。
 それらはすべて病気です。

(24)
 たとえば「これは大事だ」とか、「これは小事だ」とかいうように、事の大小を比べることの弊害は、『孟子』にある「尺を枉げて尋を直くす(小さいものを抑えて、大きいものを伸ばす)」という功利的なことをすることにあります。

(25)
 小人(くだらない人)や小丈夫(つまらない人)でも、その人たちを「小な連中だ」と評価するだけで終わってはいけません。その人たちも根っからの悪であるわけではありません。(性善説)

(26)
 だれもが「公」だと思うことであっても、もし私意でそれを行うなら、それは「私」です。
(たとえば、困っている人を助ける場合、人間本来のやさしさから「かわいそうだなあ」と思って助けるのは「公」ですが、世間体を考えて「助けないと自分の評判が下がるからなあ」と思って助けるのは「私」です。同じ善行でも、本人の意識によって公私が変わってくるわけです)。

(27)
 役人になることは、人の志を奪います。

(28)
 驕り高ぶりとは、気勢が満ちていることです。けちとは、気勢が足りないことです。人がけちなときには、財産のうえでも不満をもち、物事のうえでも不満をもちます。およそすべてのことに不満をもって、必ず不満そうな顔をするものです。

(29)
 まだ道(道理)について分かっていない人は、酔っぱらいのようです。人は、酔っぱらったときには、どんなことでもしますが、酔いがさめたときには、(そのあまりの愚かさに)それを恥ずかしく思います。
 まだ学び(聖人になるための学問)について分かっていない人は、自分には欠点がないと思います。しかし、学びについて分かってから、昔の自分の行いを思い返すと、(そのあまりの愚かさに)思わずぞっとしてしまいます。

(30)
 ?和叔が「私は一日に三回、反省しています」と言うと、明道先生は言いました。
「かわいそうに。その他の時間には、いったい何をしているのですか」
 思うに、『論語』に「曾子が言った。「私は日にわが身を三省する。うんぬん」」とありますが、それをまねようとして失敗したのです。ふだんから十分な努力をしていないことが分かります。
 また、?和叔は、人の顔色をうかがっては、その人に意見をあわせていました。明道先生がそのことを責めると、?和叔は「そうしないと、何も言うことができません」と言いました。そこで明道先生は言いました。
「何も言うことができないのなら、言わずにすませることはできないのですか」

(31)
 横渠先生が言いました。
「学ぶ人が礼(ほどよさ)と義(ただしさ)を捨てるなら、たらふく食べてぐうたらと一日をすごし、よく考えて行動することなく、くだらない連中と同じになります。努力することと言えば、衣服(ファッション)や食事(グルメ)に関することか、宴会や遊興を楽しむことくらいで、それ以外のことはしません」

(32)
 悲哀に満ちた「鄭の国や衛の国の音楽」は、人の心をずるずると引き留めます。また、怠け心を生じさせることによって、心を驕った淫らなものにしてしまいます。人を魅了しがちな珍品も、これほどひどく人の心を惑わすことはありません。そういうわけで、そんな音楽を聞いた人は、貪欲になってしまいます。ですから、孔子は「そんな音楽を遠ざけなさい」と言ったのです。聖人(孔子)も、そんな音楽を経験したことがあったのでしょう。ただ聖人は、(主体性が確立しているので)そんなものにふりまわされることがなかったにすぎません。
(鄭の国や衛の国の音楽とは、要するに、みだらなものの代名詞です)。

(33)
 孟子が、わざわざ郷原(偽善者)の話をしてから、つねに変わらぬ真理にたちかえることを言っているのは、郷原は大なるものがまず立っていないからです。(第二巻の「七十」にあるように、大なるものが立っている人は、本性が善であるということを知っており、忠信を根本としています)。そんな郷原は、まったく主体性がありません。つまり、ただまわりのようすをうかがい、人に気に入られるようにふるまい、みんなと違うまいとするだけなのです。一生そのまま変わりません。(「郷原は徳の賊」)


第十三巻 異端之学~聖人の教えに反した学問

(1)
 明道先生が言いました。
「楊子・墨子の害は、申不害・韓非子よりひどいものです。仏教・道教の害は、楊子・墨子よりひどいものです。
 楊子は個人主義者ですが、義(ただしさ)の観点からすると疑わしい点があります。墨子は博愛主義者ですが、仁(やさしさ)の観点からすると疑わしい点があります。
 申不害・韓非子ともなると、考え方が浅はかなので、そのまちがいをみつけるのは簡単です。(儒学では、法家の申不害と韓非子は人の心を軽んじ、法律で人を縛れば必ず天下太平になるとしている点でまちがっていると考えています)。ですから、孟子は、ただ楊子・墨子だけを論破したのです。その人たちの思想が世間をひどく惑わしていたからです。
 仏教・道教ともなると、その教えは一見すると理にかなっているようにみえます。また、その教説のたくみさは、楊子・墨子などとは比べものになりません。これが、仏教・道教の害がもっともひどい理由です。
 楊子・墨子の害は、すでに孟子によって論破されので、すっきりさっぱりしました」
(『近思録』が作られた時代の儒学は、仏教や道教に対して批判的でした)。

(2)
 伊川先生が言いました。
「儒学者は、正道について心静かにうちこんで考え、正道からズレてはいけません。最初はちょっとしたズレでも、そのまま進んでいけば最後には救いようがないくらい大きくズレてしまいます。
 たとえば、『論語』に「子張はやり過ぎているし、子夏はやり足りない」という話があります。この場合、聖人が用いる何事も中(ほど)よくするやり方からみて、子張はわずかに人情に厚すぎるだけですし、子夏はわずかに人情が足りないだけです。
 しかし、人情に厚すぎると、だんだんと墨子の博愛主義になりますし、反対に人情が足りないと、そのまま楊子の個人主義になります。過不足が同じ儒学者のなかから出ても、最終的には楊子の個人主義や墨子の博愛主義に至ってしまうのです。
 楊子の個人主義や墨子の博愛主義などに至ってしまったとしても、まだ(仏教のように出家して)社会生活を無視するまでには至っていません。しかし、孟子は「楊子の個人主義や墨子の博愛主義をつきつめていくと、結局は社会生活を無視するようになる」と言っています。というのも、最初はちょっとしたズレでも、いずれは必ず大きなズレになるからです」

(3)
 明道先生が言いました。
「道(道理)からはずれた物(事物)はありませんし、物(事物)からはずれた道(道理)はありません。(体用一源・顕微無間)。つまり、この世界には、どこにいっても道(道理)でないものはないのです。
 父と子の関係について言うと、道(道理)は父と子がともに親しむところにあります。君主と臣下の関係について言うと、道(道理)は君主と臣下がともに厳しくするところにあります。さらに夫と妻の関係、目上と目下の関係、友人どうしの関係に至るまで、そのすべてに道(道理)があります。
 以上が、『中庸』にも言われているように、だれもが道(道理)から少しの間も離れることができない理由です。
 そうであるなら、(仏教の教えに従って)出家して社会を無視し、瞑想して肉体を無視するのは、道(道理)から遠くはずれています。ですから、「君子(りっぱな人)が世の中で生きていくときには、とらわれたりすることもなければ、反対につっぱねたりすることもなく、義(ただしさ)につきしたがう」(『論語』)のです。(君子は、主観的にならず、ただ理にかなったことを重んじるだけです)。
 もし、とらわれたり、つっぱねたりするなら、道(道理)との間にへだたりがあるということになります。(仏教は肉体にとらわれ、社会をつっぱねています)。しかし、それは自然なあり方ではありません。(道と一つになっているのが、天地自然のまったき姿であり、まともなあり方です)。
 かの仏教の教えは、「敬(しっかり)して心をまっすぐにすること(個性化)」に関して言うと、それをもっています。しかし、「義(ただしく)して行動をきちんとすること(社会化)」に関して言うと、それをもっていません。
 ですから、心のカチカチな人は生気がなくなり、心のヤワヤワな人は自分勝手になるのです。これが、私が「仏教の教えは偏狭だ」とする理由です。
 私たちの道(道理)は、そうではありません。『中庸』にあるように、「本性にしたがう」だけです。(本性にしたがうこと=性にあった生き方をすること)。この理屈については、聖人が『易経』においてつぶさに述べています」
(本註:また、こうも言いました。「仏教には「悟りを開く」という理屈があって、「敬(しっかり)して心をまっすぐにすること」ができます。(瞑想や座禅)。しかしながら、「義(ただしく)して行動をきちんとすること」はありません(仏教徒は出家して社会を捨てるのですから、社会化することはありません)。もっとも、「心をまっすぐにする」点も、とどのつまり、これまた根本的には正しくありませんがね」)

(4)
 仏教は、もともと死生を恐れて、私利のために修行します。(仏教は、「この世は苦しみに満ちている」として生を恐れ、「極楽往生できずに悪い境遇に生まれ変わったらどうしよう」として死を恐れ、そんな恐れから逃れるために解脱という自分ひとりの利益をめざします)。それでどうして公道(時間・空間をこえてつねに正しいとされる道)と言えるでしょうか。
 仏教は、ただ「高遠なこと(形而上のこと・理想)」に達することにつとめるばかりで、「身近なこと(形而下のこと・現実)」を学ぶことがありません。(しかし、「高きに登るは卑(ひく)きよりす」るもので、「高遠なこと」に達するためには、「身近なこと」を軽んじることはできないものです)。そうであるなら、仏教が語る高遠なことが、どうして正しいと言えるでしょうか。(仏教の教えは、しょせん「砂上の楼閣」や「空中楼閣」にすぎません)。仏教の教えにおいては、もとから両者(「高遠なこと」と「身近なこと」)が連続しておらず、両者の間にはただ断絶があるだけですが、そんなものは道(道理)なんかではありません。
 孟子は「その心をきわめつくす者は、その性を知る」と言っていますが、仏教でそれに相当するのは、「心を識(し)り、性を見る」です。しかし、「本心を存し、本性を養う」といったことになると、仏教にはありません。
 仏教はもともと「出家してひとりわが身を善くするのだ」と言いますが、そこには道そのものにおいておのずと足りないところがあります。(たとえば、出家して社会生活、とりわけ家族を捨てるのは、人の道からはずれています)。
 ある人が、こう言いました。
「仏教で地獄の話をするのは、すべて性根の腐った連中を改心させるためです。地獄の話で相手を恐れさせて、相手に善を行わせるのです」
 それに対して先生は、こう言いました。
「天地をつらぬくほどの至誠をもってしても、なかなか改心しない人がいるというのに、ウソの教えなんかで、どうして人を改心させることができるでしょうか」

(5)
 学ぶ人は、仏教を「心を惑わす淫らな音楽」や「心を悩ます美しい容姿(肉体)」のようにみなして、それを遠ざけることが大切です。そうしなければ、あっという間に仏教にとりこまれてしまいます。(なぜなら、仏教の教えは一見すると理にかなっているようにみえるので、人はそんな外見のよさに惑わされて、中身を見誤ってだまされてしまう危険性があるからです)。
 顔回が政治の質問をしたとき、孔子は、政治の手本とすべき昔の名君たちの事績について話し、さらに鄭声(みだらなもの)を捨て去り、佞人(口先のうまい人)を遠ざけるように戒めてから、「鄭声は淫靡だし、佞人は危険だ」と言いました。その佞人というのは、ただ口先うまくへつらうにすぎません。しかし、自分にとっては危険です。佞人は人をおだてて自分の思いどおりに動かすので、危険なのです。
 禹王の言葉に「なんぞ巧言令色を畏れん」とありますが、「巧言令色」という言葉に対して、ただちに「畏れん」という言葉が出てきています。(巧言令色=相手にうまくとりいるために、口先うまくお世辞を言ったり、愛想よくニコニコして見せたりすること)。それは、いくら「巧言令色」に対して注意していても、やはり「巧言令色」に害される恐れがあるからです。
(名君の禹王ですら、「巧言令色」と言えばすぐに「畏」を連想するように、「巧言令色」と「畏」とを結び付けて考えているのだから、ましてや禹王ほどにしっかりしていない私たちが「巧言令色」を「畏」れなければならないのは、あたりまえだ、ということです)。
 仏教に関しては、さらに「つねに警戒せよ」と言うまでもありません。自分を信じるようになれれば、仏教も自分を乱すことはできません。

(6)
 万物が一体であるとする理由は、すべてが理(道理)をもっていて、その理(道理)からすべてが生まれてきているからにすぎません。きわまりなく次から次に生まれてくること、これを易と言います。生まれるときには同時に生まれ、そのすべてがそれぞれに理(道理)をもっています。人の場合は、そんな理(道理)をおしはかることができます。人ではない物の場合は、物質体の作りが人間ほど精密ではなくて、そんな理をおしはかることができません。しかし、「人間以外のものには人間とは違って理がないのだ」と言うことはできません。
 人は、ただ「私(エゴ)」にとらわれて自分のちっぽけな身体の観点から物事を考えるだけなので、(たとえば「針の穴から天をのぞく」ようになってしまい)道理を確認しても、それをちっぽけなものとして確認してしまうのです。自分の身体にとらわれないようにして、万物のなかにとけこんでいって客観的に物事をみるなら、とても心がすっきりします。
 仏教は以上のようなことを知らないので、自分の身体の観点から物事を考えます。そして、自分の身体をどうすることもできないので、身体を嫌悪し、感覚することをなくそうとします。そして、心の根本が定まっていない(心が動じやすい)ので、(そんな心の動きをむりやり押さえこむために座禅をくんで)枯れた木や冷えた灰のようになろうとします。しかしながら、生きながらにして枯れた木や冷えた灰のようになるといった道理はなく、それを実現したいのなら、もはや死ぬほかありません。
 仏教は、(身体を毛嫌っていますが)実のところ、身体に愛着をもっていて、身体にとらわれないようにすることができないのです。それは、たとえば、背中にものをのせる習性のある負版という虫が、すでに立ち上がれなくなるくらいに背中にものをのせているのに、さらにものをひろって背中にのせるようなものです。また、石をだきかかえて川に飛びこんで、石の重みのためにどんどん沈んでいっているのに、石を捨てることを考えずに、ただ石の重たいことだけを悩むようなものです。(つまり、仏教は、なんとも変なことをしているのです)。

(7)
 道教でやっている導気(寿命をのばして長生きをするための術)を語る人が、先生にたずねました。
「君にも何か術がありますか」
 それに対して先生は、こう答えました。
「私はいつも、暑い夏にはすずしい服装をし、寒い冬には暖かい服装をし、空腹になれば食べ、のどが渇けば飲み、嗜欲を節制し、心気を安定させます。(つまり、自然にすること)それだけです」

(8)
 仏教は、陰陽・昼夜・死生・古今などといった形而下のこと(身近なこと)について分かっていません。どうして形而上のこと(高遠なこと)についての考えが聖人と同じであると言えるでしょうか。
(仏教は、形而下の世界を軽んじ、形而上の世界にばかり目を向けているので、「空中楼閣」や「砂上の楼閣」にすぎない、と言うことです)。

(9)
 仏教の教えについて、その教えの内容を理解しつくしてから、それを取捨選択しようとするならば、教えの内容を理解しつくす前に、こちらは仏教に洗脳されて仏教信者になってしまうことでしょう。しばらくは、その具体的な方面についてだけ考えることです。すなわち、「具体的なことである教えの立て方はこのようだが、その原理的なことはどうなっているのだろう」というようにね。
 当然のことながら、原理的なことだけ取って、具体的なことを取らないのは、難しいことです。原理的なことがあれば、それに対応する具体的なことがあるものです。(体用一源・顕微無間)。王通(文中子)は「原理的なことと具体的なことは別々のものである」と言っていますが、それはまちがった主張です。
 ですから、しばらくは、具体的な方面から聖人の教えとあわない点を判断して決めるにこしたことはありません。(具体的なことのほうが分かりやすいものです)。仏教の教えに聖人の教えにあうものがあれば、それはすでに私たちの儒学にあることです(わざわざ仏教に教わる必要はありません)。あわないものがあれば、もちろんそれは取り入れません。(そうしなければ邪説によって惑わされてしまいます)。
 このようにして立場を定めていけば、仏教の教えを取捨選択するのは簡単です。

(10)
 質問。「道教には神仙(修行によって超能力を得た仙人)の話がありますが、そういったことは実際にありますか」
 返答。「修行が完成すると白日が飛翔するといったような(オカルト的な)ことなら、それはありません。しかし、山林に住み、身体を大切にし、英気を養い、そして長生きするといったことなら、それはあります。たとえば、火鉢の火のようなものです。風あたりの強いところにおけば、すぐに燃えつきますが、風のないところにおけば、長く燃え続けます。これと同じ理屈です」
 質問。「揚雄は「聖人が仙人を師としてあおがないのは、その術が異なるからだ」と言っていますが、儒学にも寿命をのばす術があるのでしょうか」。
 返答。「そのようなことをするのは、この天地自然に対する一種の窃盗行為です。(私たちの寿命は天地自然のはたらきによって定められるのですから)天地自然が万物を創造化育するはたらきを盗まなければ、どうして寿命をのばすことができるでしょうか。聖人にそれをする意志があれば、周公や孔子などもそれをしたことでしょう(しかし、二人ともそれをしていません)」

(11)
 謝顕道が、仏教と儒学の教えの共通点を列挙して、伊川先生に質問しました。
 先生は言いました。「そのように共通点が多くても、仏教は根本がまちがっている以上、すべてが儒学とは違っています」

(12)
 横渠先生は、次のように言っています。
 仏教は、天性(本性)についてデタラメに考えていて、天性が宇宙をほどよく運用するはたらきをしていることを知らず、それどころか「私たちは、私たちのちっぽけな心理作用によって、宇宙があるかのように思いこまされているにすぎない」とします。仏教徒は、認識能力が不十分なので、真実をごまかして、天も地も、太陽も月も、宇宙のすべてが幻想にすぎないとするのです。
 仏教は、身体というちっぽけなものに心の働きをとらわれたり、虚空というでっかいものに心の動きを溺れさせたりしています。そのため、大を語るにしても、小を語るにしても、見当違いな方向に流れていって、中過不足なく適当である状態)を失うのです。
 仏教は、大きすぎることには、宇宙をゴミくずのようにみなしますし、小さすぎることには、人の世を夢か幻かのようにみなします。しかし、それで理(道理)をきわめている(物事の道理を認識している)と言うことができるでしょうか。理(道理)をきわめること(物事の道理を認識すること)について分かっていないのに、本性をきわめつくしていると言ったり、知らないことはないと言ったりすることができるでしょうか。
 宇宙をゴミくずのようにみなすということは、無限な宇宙を有限なものとしてとらえることです。人の世を夢か幻かのようにみなすということは、認識能力が人の世の根源を見極めることができないということです。(つまり、仏教の認識はまちがっています)。

(13)
 大いなる『易経』では、有と無に関しては何も言っていません。有と無について語るのは、諸先生の見識のせまい発言です。
(たとえば「有るものは有るし、無いものは無い」わけで、有るものが無かったり、無いものが有ったりするのは、理にかなっていません)。

(14)
 仏教は、霊魂を明らかにするにあたって、「人間は、その肉体は死んで滅んでも、その霊魂は滅びずに生まれ変わり、輪廻転生をくりかえすが、最終的には輪廻転生の苦しみから逃れようとする(解脱することをめざす)」と言っています。しかし、これで霊魂を知っていると言うことができるでしょうか。
 また、仏教は、人の生を虚妄だとみなしています。しかし、これで人を知っていると言うことができるでしょうか。
 また、仏教は、天と人とはもともと一つなのに、「人は死ぬと、天に昇るか、人として再生するかにわかれる」としています。しかし、これで天を知っていると言うことができるでしょうか。
 孔子や孟子の言う「天」は、仏教で言う「道」です。惑っている人は、『易経』にある「遊魂は変を為す」という言葉をさして、「それは輪廻転生のことを言っているのだ」とします。その人は、『易経』について、まだよく分かっていないのです。(人間の心にあって精神をつかさどるものを魂と言い、肉体をつかさどるものを魄と言います)。
 儒学では、当然のこととして天徳(天理)を知ることを優先します。天徳が分かれば、聖人についても分かりますし、鬼神についても分かります。
 現在、仏教は、極論した結果として、必ず「輪廻転生からは、道(道理)を会得しなければ逃れられない」と言います。しかし、これで道(道理)を理解していると言うことができるでしょうか。
(本註:道(道理)を理解すれば、正義を失わず、天命を失わず、死生一如の境地に達し、天人合一の境地に達します。そこからおしはかると、自然の循環を知り、陰陽の変化に通じ、道を身につけて他にくらべるものがないほどのすぐれものになります)。
 仏教の教説が盛んにわが国に伝わって以来、学者は、儒学の入り口すら見ることもできないうちに仏教にひきずりこまれ、仏教に沈み溺れて、「仏教こそが大道だ」と言うようになりました。そして、そんな仏教を尊ぶ風潮が世の中に蔓延し、善人も、悪人も、知者も、愚者も、男の使用人も、女の使用人も、だれもかれも仏教を信奉するようになりました。
 英才や豪傑など、すぐれた素質をもった人たちは、生まれると、仏教の教えを耳に聞かされ、目に見せられて、それに慣れ親しまされました。そして、成長すると、仏教を尊ぶダメ学者のもとで学ばせられて、ついには何も分からないまま衝動にかられて行動するようになりました。それによって、すぐれた素質をもった人たちですら、「修養しなくても聖人になることができる(努力なんてバカらしい)」とか、「学問しなくても大道を知ることができる(学問なんて不要だ)」とか言うようになりました。
 ですから、人は、聖人の心を知らないうちから「聖人の事績を研究する必要はない」と言ったり、君子の志を見ないうちから「君子の学を学ぶ必要はない」と言ったりするのです。
 以上が、人の道や物事の道理が明らかでない理由であり、政治がおそまつになる理由であり、徳(自分が本来もっている良さ)がメチャクチャになる理由です。
 異端の教え(邪説)がひんぱんに耳に聞こえてきても、上にはそのいつわりを防ぐための礼法がなく、下にはその害を考え正すための学問がありません。ですから、昔から「偏った意見」「しまりのない意見」「よこしまな意見」「言いのがれの意見」がまとめて盛んでしたが、それらはすべて仏教から出てきていて、千五百年もそのままにされているのです。独り立ちして恐れず、心を純粋にして自分を信じ、だれよりもすぐれた才能をもっている人でなければ、どうして仏教の蔓延した世の中に立って、仏教と儒学の是非を弁別したり、仏教と儒学の優劣を判定したりすることができるでしょうか。

第十四巻 聖賢気象~聖人や賢人のありよう

(1)
 明道先生が言いました。
「堯と舜との間には、なんら優劣の差がありません。湯王(殷王朝の創始者)や武王(周王朝の創始者)となると、堯や舜とは違っています。
 孟子は、人間を「生まれながらにしてそうである」と「もとに戻ってそうなる」とに分類しました。古来、このように説いた人はいませんでした。孟子が初めてそのような分類をしたのです。すなわち、堯と舜は生まれながらにして道理を知っていて、湯王と武王は学んで道理を知ることができたのです。
 文王(武王の父)の徳となると、それは堯や舜のそれに似ています。また、禹王(夏王朝の創始者)の徳となると、それは湯王や武王のそれに似ています。
 とどのつまり、その人たちはみんな聖人です」
(堯、舜、禹王、湯王、文王、武王は、いずれも古代の名君で、儒学では聖人としてあつかっています)。


(2)
 孔子は、あらゆる気の根元となっている気といった感じの人です。顔回は、ものを生じる春の気といった感じの人です。孟子は、ものをそぐ秋の気がすっかり表に出ているといった感じの人です。
 孔子は、すべてをつつみこむ人です。顔回は、「まるで愚か者であるかのように、師の教えにまったく忠実だ」といった学び方を後世に示し、自然の和気があり、何も言わずにりっぱになる人です。孟子は、その才能をハッキリと現しています(かなりの自信家です)。思うに、時勢によるのでしょう。
 孔子は、天地のような人です。顔回は、なごやかな風、めでたい雲のような人です。孟子は、石がごろごろしている山のような人です。その人たちの主張をみれば、それらのことが分かります。
 孔子は、かどがありません。顔回は、ややかどがあります。孟子は、かどがありまくっています。
 孔子は、とても明快な人です。顔回は、とてもゆったりした人です。孟子は、とても雄弁な人です。

(3)
 孔子の門人の曾子は、「聖人の学」を伝えました。曾子の徳(よさ)は、晩年には、はかりきれないくらいに高まりました。どうして聖人になれなかったと分かるでしょうか。(もしかすると聖人になれたのかもしれません)。
 たとえば、曾子が「私は正しさを得て死ぬのだ」と言ったことなど、しばらくその言葉について思案するのはやめて、ただ(そう言った)曾子の気性のりっぱさについてみるといいでしょう。曾子の言葉が注目されすぎていますからね。
 聖人たちが活躍した時代よりも後の人は、その言葉はりっぱであっても、その気性がいやしいがために、道(道理)にそぐえずに終わっています。

(4)
 儒学のテキスト(聖人の学について記した本)を伝承するのは、難しいものです。聖人の没後わずか百年で、その伝承が違ってしまいました。(すなわち、文章を読むことはできても、その真意が理解できず、その内容を誤解してしまう、そんな儒学者だらけになってしまったのです)。「聖人の学」は、もし子思や孟子がいなければ、消えてしまっていたことでしょう。しかし、道(道理)がどうして消えたりするでしょうか。ただ人が道(道理)にのっとらなくなるだけです。道(道理)は滅びたりしません。暴君だった幽王や厲王などは、道にのっとらなかったのです。

(5)
 荀子は、才能は高いのですが、その説にはまちがいが多くあります。(荀子は「性悪説」を唱えました)。
 揚雄は、才能は低いのですが、その説にはまちがいが少ししかありません。(揚雄は、「人間の本性には善と悪が混在している」と説きました)。

(6)
 荀子は、とても偏っていて矛盾だらけです。性悪説を説いた時点で、大本がすでにまちがっています。
 揚雄は、まちがいは少ないものの、本性について分かっていません。どんな道理について論じるつもりなのでしょう。

(7)
 董仲舒は、こう言っています。
「何が正しいことであるかをきちんとわきまえ、利益をはからない(利益よりも正義を重んじる)。どうするのが正しいやり方であるかを明らかにし、成功をくわだてない(成功よりも正道を重んじる)」
 これが、董仲舒が同時代の儒学者たちにぬきんでてすぐれている理由です。
(董仲舒は、漢王朝の武帝の時代の儒学者です。)

(8)
 漢王朝の時代の儒学者に関して言うと、毛萇や董仲舒などが、聖人や賢人の心をもっともよく分かっています。しかしながら、道(道理)の認識があまりハッキリしていません。二人から下ると揚雄に至るわけですが、揚雄の場合、規模がさらにすぼまってせまくなっています。
(毛萇は、儒学の重要なテキストの一つである『詩経』を後世に伝えるのに貢献したので、儒学にとっては重要な役割をはたした人物だとされています)。

(9)
 林希は、揚雄のことを「禄隠(社会のなかで自分の才智をつつみかくしてひけらかさずに生きている人)」と言ってほめています。
 後の人は、ただ揚雄の著書をみるだけで、揚雄のことをほめるべき人物と評価しようとしますが、どうして揚雄のことをほめることができるでしょうか。(揚雄は、漢王朝の簒奪をした王莽のもとで働いたのですから、ほめられた人間ではありません)。

(10)
 諸葛孔明には、王者の補佐役としての心はありましたが、道理に関しては認識がまだ不十分でした。王者は、私心のない天地のように、何か義(ただしさ)に反することをしてまでも天下を得ようとはしないものです。
 諸葛孔明は、劉備を必ず成功させようとして、劉備に劉璋の治める益州を占領させました。しかし、聖人ならば、このときは成功を捨てます。それは、なすべきことではありません。(聖人は、侵略のための戦争はしません)。
 劉表の息子である劉琮の治める荊州が霸者の曹操に併合されそうになったとき、諸葛孔明が、劉備に荊州を取らせて、劉氏をもりたてようとしたことなどは、してもかまいません。(聖人は、秩序回復のための戦争はします)。
(諸葛孔明は、三国時代の有名な軍師で、蜀王朝のもとで漢王朝の復興、秩序の回復をめざしました)。

(11)
 諸葛孔明は、儒学者の気風をもっています。

(12)
 諸葛孔明は、礼楽(モラル)を再興できる人物です。

(13)
 文中子(王通)は、もともと世間から逃れて隠れ住んでいる君子の一人でした。文中子に関係ある人たちは、文中子から手に入れたいろいろな意見をまとめ、それに自分たちの意見を付け加えて、『中説』という書物にしました。その『中説』には多くの格言があります。荀子や揚雄などは、それに及びもつきません。(王通は、隨王朝の時代の思想家です)。

(14)
 韓愈もまた、近世の豪傑なる人物です。その著書『原道』に述べられている意見には欠点もありますが、しかし孟子が死んで以来、これほどの見識をもって道を探求した人は、ただ韓愈だけです。
 韓愈は、「孟子はまったく思想に濁りがない」と言ったり、「荀子や揚雄は、道を精選できてもいなければ、道を詳述できてもいない」と言ったりしています。もし韓愈が道について分かっていないのであれば、(孟子が死んで聖人の学問の継承が途絶えてから)千年あまりも後に、どうしてこのように断言することができたでしょうか。
(韓愈は、唐王朝の時代の文豪です)。

(15)
 学ぶこととは本来、徳(自分が本来もっている良さ)に磨きをかけることです。そして、「人徳のある人には必ず善言があるが、善言のある人が必ずしも人徳のある人であるとはかぎらない」(『論語』)ものです。(人徳が先で、善言は後です)。
 しかし、韓愈の学び方は、それとは反対でした。すなわち、りっぱな文章を学ぶことによって、日に日に自分の足りないところを探求していき、ついには心に得るところがあったのです。
 たとえば、韓愈は、「孟子が死ぬと、聖人の学が伝えられなくなった」と言っています。そのような言葉は、前人の言葉をまねた言葉でもなければ、何の根拠もなしに単なる思いつきで言った言葉でもありません。必ず何か所見があってのことです。もし何の所見もなかったのなら、孟子に至るまで代々にわたって伝えられてきた聖人の学とはいったい何であったのか、それについて何も言うことができなかったはずです。

(16)
 周濂渓は、物事にこだわらないさっぱりした心のもちぬしで、それはまるでうららかな暖かい風や、雨あがりの曇りのない月のようでした。
 役人として政治にたずさわっているときには、細かいところにまで注意して手落ちがないようにし、厳しさとやさしさをかねそなえ、つとめて理にかなったことをしていました。

(十七)
 伊川先生の書いた明道先生の伝記に、以下のようにあります。
 先生は、その生まれつきからしてすでに人とは異なっていて、しかも修養のやり方が道理にかなっていました。
 先生の心は、まるで純金のように純粋で、まるで宝玉のように温潤でした。先生の性格は、寛大でしたが(なあなあですませたりしない)厳しさももっていましたし、協調性がありましたが(周囲に流されることのない)主体性ももっていました。先生の忠(真心)と誠(誠意)は、鉱物をつらぬくほどでした。先生の孝(親への孝行)と悌(目上への謙虚さ)は、神様に通じるほどでした。先生の人柄に関して言うと、春の日の暖かさのように温厚な態度で人に接しました。先生の言葉に関して言うと、ほどよいときに降る雨のように人々の心に自然に入っていきました。先生の胸のうちは、何のとらわれもなく、何の隠すところもありませんでした。先生の蘊蓄はどのくらいかと言うと、大海のように広いものでした。先生の徳性はどのくらいかと言うと、どんな言葉をもってしても言い表せないほどでした。
 先生の生き方としては、つねに敬(しっかり)するように心がけ、何かするときには恕するようにしました。(恕=相手のことを思いやること)。何か善行を見ると、それをまるで自分のことのように喜びました。自分がされて嫌なことは、決して他人に対してしませんでした。仁(やさしさ)をなくさず、義(ただしさ)を行いました。言葉には真実があり、行動には節度がありました。(ウソをついたり、でたらめなことをしたりすることはありませんでした)。
 先生が本格的に学び始めたのは、15~16歳のときからです。周濂渓が道(道理)について論じているのを聞いてから、試験のための勉強を嫌うようになり、ためらうことなく道(道理)を探求する決意を固めました。しかし、そのときにはまだ、その要領をハッキリと知りませんでした。そのため、いろんな学者の説を広く学んだり、仏教や道教に出入りしたりすることが、10年近く続きました。その後、もとに戻って儒学のテキストに道(道理)を求めたのですが、そうすると道(道理)を会得することができました。こうして先生は、物事の道理に明るくなり、人の道に通じるようになり、高遠なことを本当に分かるためには身近なことから学び始めることが必要だということが分かりました。(すなわち、本性をきわめつくし天命を知るに至るという高遠なことは、孝悌という身近なことにもとづいてますし、自然の摂理をきわめ自然の変化を知るという高遠なことは、忠信という身近なことから始まります)。そして、先生は、正しそうに見えて実は正しくない異端を批判し、長いこと払われずにいた惑いに突破口を開きました。秦王朝・漢王朝の時代以来、こういった道理に到達できた人はいませんでした。
 そんな先生は、「孟子が死んで以来ずっと、儒学が正しく伝えられていない」と言って、真の儒学を復興することを自分の使命としました。
 先生は、こう言っています。
「道(道理)が明らかにされていないのは、異端が道(道理)を害しているからです。昔の異端の害は、その教えが身近で単純だったので、素人にも分かりやすかったのですが、今の異端の害は、その教えが複雑で巧妙なので、素人には分かりにくくなっています。
 昔、異端が人を惑わすときには、人の迷暗に乗じていましたが、現在、異端が人の心に入るときには、人の高明にはたらきかけます。異端は、「自然の摂理をきわめ、自然の変化を知っている」とみずから言っていますが、開物成務することはできません。(開物成務=①天命を知らせ、人生を成功させること。②人知を引き出して伸ばし、偉業を達成させること)。異端の言っていることは広きにわたっているのですが、その正体はと言うと、人の道からはずれています。異端は、深遠なことを究明し、微細なことをつきつめていますが、堯舜の道(聖人の道)に入ることができません。
 現今、世間の学問が、つまらなくて活気のないものになるのでなければ、必ず異端(宗教)に走るのは、道(道理)が明らかではないからです。そのため、でたらめな説やあやしげな説が次々に現れ、人々の耳や目をぬりつぶし、天下を精神的な汚濁のなかに溺れさせています。(耳をぬりつぶすとは、人の話に耳を貸さなくさせることです。目をぬりつぶすとは、人を盲目的にさせることです。両者は要するに人を偏狭にさせることです)。どんなにすぐれた人でさえ、(異端の教説にとらわれて)まちがった見聞をもち、なすことなくボンヤリと一生をおくり、自分で自分の真価に目覚めることがありません。
 以上はすべて正しい進路(正道)をさえぎるものであり、聖なる学問(儒学)への入り口をふさぐものです。それらを取り去ってはじめて、道に入ることができます」
 先生は、社会的には人々のなかに眠っている人徳を目覚めさせようとし、個人的には書物を通して道を明らかにしようとしました。しかし、不幸にも早死にしてしまい、すべては未完に終わりました。先生の道(道理)に関する詳細な研究のなかで、現在いくらか公表されているのは、先生のところで学んでいた人たちに伝えられたものだけです。
 先生のところには、多くの学ぶ人たちが集まってきました。先生の話は簡単で分かりやすく、賢者であれ、愚者であれ、その話を聞くだれもに何らかの収穫がありました。それは、たとえば、多くの集団が川で水を飲んで、それぞれが自分に必要なだけの水分を補給するようなものでした。(すなわち、先生のところでは、だれもが過不足なく、自分にちょうどよく学ぶことができました)。
 先生が人を教えるときには、(何の教育課程もなしに思いつきで教えるのではなく)きちんとした順序にのっとっていました。それには、たとえば、①「致知=自分の知恵をとことんまで伸ばすこと」から「知止=自分にふさわしい居場所を知ること」に至ること、②「誠意=みずからの心の声をいつわらないこと」から「平天下=天下を太平にすること」に至ること、③「掃除や応接」から「理をきわめつくし性をきわめつくすこと」に至ることなどがあります。
 そして、世間の学者(学生)が、近いところを捨てて遠いところに心をはせたり、低いところにいながら高いところにのみ目を向けたりして、そのために軽々しく自分を過大評価して、何の得るところもなく終わっているのを憂慮していました。(「高きに登るには卑きよりす」「下学上達」)
 先生は人に接する場合、客観的に相手の善悪をわきまえましたが(主観的な好みで相手を好いたり嫌ったりすることなく)だれとでもわけへだてなく交際し、感通することができました。(感通=①直感的に物事の本質をみぬくこと。②相手を感じ入らせて自分の気持ちが相手の心に通じること)。先生に教えられた人は、それにすなおに従いましたし、先生に怒られた人は、それをうらんだりしませんでした。先生は、賢者であれ、愚者であれ、善人であれ、悪人であれ、相手がだれであろうがその心をつかみました。先生の前では、ずるい人も誠(誠実)になりましたし、乱暴者も恭(丁寧)になりました。遠くで先生のうわさを聞いた人は本当に敬服し、近くで先生の人徳を見た人は心から尊敬しました。政治の中枢にいた、つまらぬ人たちは、先生と方針が違っていたので、ときに自分たちの利害を考えて先生を排斥することがありました。しかし、そんなつまらぬ人たちでも、退任して先生の私生活を見たとき、先生をりっぱな人だと思わない人はいませんでした。
 先生は、役人として政治にたずさわっていたとき、以下のようにしました。
①悪人を処罰するときには、その悪人がもとに戻って善くなれるようにはからいました。
②わずらわしい仕事をしていても、心にゆとりをなくしませんでした。
③政府からやってくる法令がややこしすぎる場合にも、先生は一般の役人たちのように法令を形式的に処理して責任のがれをしようとしたりなどしませんでした。
④他の役人たちが「法律に縛られているので何もできない」とぼやいているときでも、先生はよゆうしゃくしゃくでいろんな問題を処理しました。
⑤だれもが「それをするのは難しいことだ」と心配していることでも、先生はあっさりとそれをやってのけました。
⑥どんなにあわただしいときにも、先生はあわてふためいたりしませんでした。
 監察官が厳しい監察を行うときにも、先生に対しては、たいていそのだれもが寛大で温厚な態度で接しました。しかも、監察官たちが何かしようとするときには、かえって先生を頼りにしました。(それほど先生には信用があったのです)。
 先生が作った法律は、(これといって特別なものではなく)だれもがまねして作れるものです。しかし、人々を指導すればついてくるし、人々を動かせば協調するし、人々にこちらから求めなくても人々のほうから率先してやってくれるし、人々に信頼されようとしなくても人々に信頼されてしまうなどといったことになると、人はだれ一人として先生に及びもつきません。


(18)
 明道先生が言いました。
「周濂渓の家に行くと、窓の前の草がのびほうだいでした。その理由を聞くと、「私の心と同じで、生き生きしているんですよ」とのことでした」
(本註:張横渠は、ろばの鳴き声を聞いたとき、同じようなことを言いました)。

(19)
 張横渠は、皇太子が生まれると、(まるで自分のことのように)とても喜びました。
 また、餓死した人を見ると、(もうしわけなくなって)何を食べてもおいしくありませんでした。

(20)
 程明道はかつて、張横渠と興国寺で朝から晩までお互いの研究成果について話しあったことがあったのですが、そのとき、こう言いました。
「これまでに、ここでこのような話をした人があったでしょうか」

(21)
 謝顕道が言いました。
「明道先生は、一人で座っているときには泥人形のようにとっつきにくい人ですが、人と接するときには一団の和気で、人当たりが柔らかくて親しみやすい人です」

(22)
 侯師聖が言いました。
「朱光庭は、汝州で明道先生と会ったのですが、帰ってきてから「私は春の風のなかに一カ月いました」と言いました。
 また、游定夫と楊中立とが、はじめて伊川先生に会ったときのことです。伊川先生は二人と会って、静坐しました。二人は、そんな伊川先生のそばにかしこまって控えていました。伊川先生は目をあけて二人のほうを見ると、こう言いました。
「みなさんはまだ、ここにいたのですか。日も暮れたことですし、帰って休みなさい」
 二人が外に出ると、雪が一尺もつもっていました」
(程明道は春のように暖かい性格の人で、程伊川は冬のように厳しい性格の人であったそうです)。

(23)
 劉安礼が言いました。
「明道先生は、徳性が充実し完成していて、純粋で温和なようすが全身にあふれていました。楽しく柔らかで、人に対する思いやりの大きい人でした。私は30年も先生のもとで学んでいたのですが、いまだかつて先生が怒ってかっかしているところを見たことがありません」

(24)
 呂与叔の書いた明道先生の追悼文に、以下のようにあります。
 先生は、とてもすぐれた才能をもっていて、聖人になるための学問の要点をよく知っていました。広く学んでいろんなことを知っていて、知識をみずから実践して認識を深めました。人の道や物の理を明らかにして、それらの根源を探求していき、ついには心のしこりがさらりと解消し、道理の根本について見通すことができるようになりました。
 先生は、学んだことの要点をまとめることで、どんな事変に出会っても、それに対処できる能力を自分の心はもっているということを知り、また、世の中にはいろんな道理があるにしても、どんな道理も自分のなかに生まれながらに備わっているのだということを知りました。(『孟子』に、「人が学ばなくてもできること、これを良能と言います」「人が考えなくても知っていること、これを良知と言います」とあります。『孟子』では、そんな「良知」「良能」を、人間は生まれながらにして有しているとしています)。
 先生の主体的な生き方は、異端が一斉に攻撃しても曲げられないし、聖人が再び現れても変わらないでしょう。(先生の生き方は、聖人にひけをとるような生き方ではないので、つまらぬ異端ごときが曲げられるものでもなければ、聖人の前に恐縮してしまうようなものでもありません)。
 先生は、修養の結果、温和な雰囲気に満ちあふれていて、声や姿にそれが現れていました。しかし、遠くから見ると、崇高さにあふれていて、あなどりがたい雰囲気がありました。そして、何かあるとよゆうをもって処理し、あせったりなどしませんでした。しかし、「誠の心」と「親切心」については、それをなくさないようにしました。
 先生のもつ使命感は、とても強いものでした。そのため、聖人になるために学んでいるのになかなか聖人になれなくても、一つの善行で有名になろうとはしませんでした。(すなわち、名声を得ることを軽んじ、人徳を高めることを重んじたのです)。また、一人でも恵沢を受けていない人があることを憂慮しても、一時的に利することを自分の功績としようとはしませんでした。(すなわち、その場しのぎを軽んじ、遠大であることを重んじたのです)。
 先生は、とても自分を信じていて、自分の志を実現できるのであれば、そこから離れようとはしませんでしたし、自分の正義感が満足できるのであれば、たとえ低い地位についたとしても職務に精を出して励みました。

(25)
 呂与叔の書いた横渠先生の伝記に、以下のようにあります。
 康定年間(西暦1040~1041年)、敵国である西夏国との戦争があったとき、先生は18歳でしたが、「よし、軍隊に志願して戦場で活躍してやるぞ」と思いました。そこで、先生は、その旨を手紙にしたため、関係者の范文正(范仲淹)に会いました。
 范文正は、先生が将来性のある有望な人物であることをみぬき、その才能を開花させてあげたいと思いました。そこで、范文正は、「儒学者にはりっぱな教えがあるのに、どうして軍隊なんぞに入隊しようとするのか」と先生を戒め、先生に『中庸』を読むようにすすめました。
 先生は、すすめられた『中庸』を読み、もちろんそれを気に入ったのですが、何か物足りませんでした。そこで、さらに仏教や道教に関係した書物に心を満たしてくれるものを求め、数年かかってそれらを研究しつくしました。しかし、何の得るところもないと分かったので、もとに戻って儒学のテキストに心を満たしてくれるものを求めました。
 嘉祐年間(西暦1056~1064年)の初めのころ、先生は首都で程明道と程伊川に会い、ともに道学(儒学)の要点について語りあいました。その結果、先生は、心にひっかかっていたもの(何か物足りない感じ)がさらりと解消し、自分を信じて「自分の道は、自分の外に求めるべきものではなく、自分で自分にもたらすべきものだ」と言いました。ここにおいて先生は、異端の学問をすべて捨て、すっきりさっぱりしました。
(本註:尹彦明が言いました。
「横渠先生は、首都に住んでいたとき、虎の皮の上に座って『易経』を講義していました。とても多くの人が、その講義を聞きに来ていました。ある晩、明道先生と伊川先生がやってきて、横渠先生と『易経』について論じあいました。その翌日、横渠先生は虎の皮をとりはらって、こう言いました。
「私がこれまでにしてきた『易経』の説明は、すべてまちがっていました。明道先生と伊川先生の二人がやって来ましたが、二人は『易経』とは何であるかについて深くよく分かっていて、私なんぞ二人にとうてい及びもつきません。みなさんは、これからは二人を先生とするといいでしょう」」)
 晩年、先生は、病気を理由に辞職すると、故郷に帰りました。引退してからの先生は、朝から晩まで一室にきちんと座り、書物を左右において、俯しては読み、仰いでは考え、何か得るところがあればそれを書き留めました。ときには、夜中に起き、明かりをつけて書き物をしたりすることもありました。先生は、道(道理)をめざしてくわしく考えることを、まったく弱めることもなければ、まったく忘れることもありませんでした。
 学ぶ人に学問について質問されることがあれば、たいてい「知と礼とが十分に身につくようにし、気質を変化する方法」「学ぶことは聖人になれるまで終わらないこと」などについて話しました。その話を聞いた人は、そのだれもがやる気を起こしました。
 先生は、かつて門人に対して、こう言ったことがあります。
「私の学び方は、こうです。心に何か得るところがあると、それをうまく言葉で表せるように努めます。うまく言葉で表せるようになってから、それにもとづいて事の判断をします。事の判断がまちがいなくできるようになってから、私は心から満足できます。義理(道理)を詳しく分かり、神の域に達するには、(考えなしに行きあたりばったりで行動したりせず)先を読んで行動するようにすることです」
 先生は、気質が剛毅で、人徳があふれていて、容貌がいかめしい人でした。しかしながら、人といるときには、その人といっしょにいる時間が長ければ長いほど、そのぶんだけ多くその人と親しくなりました。(つまり、先生は、見た目は親しみにくそうでしたが、実際は親しみやすい人でした)。
 家庭をよくしたり、人と交際したりするにあたっては、基本的に自分を正しくして人を感化するようにしました。(修己治人)。人に信じてもらえないときには、自分自身をふりかえって信じてもらえない理由をよく考えましたが、人には何も言いませんでした。人に分かってもらえなくても、気にせず行動して悔いを残しませんでした。
 ですから、先生のことを知っている人も、知らない人も、先生のうわさを聞くと畏敬しました。それで人々は、先生に対して理に反したことを少しも加えませんでした。

(26)
 横渠先生が言いました。
「程明道と程伊川の二人は、14~15歳のときから、だれよりも熱心に聖人の学を学ぼうとしていました」




解説
 親愛なる読者のみなさんへ
 みなさん、こんにちは。みなさんが手にしておられるこの本は、中国の有名な古典の一つである『近思録』の翻訳です。『近思録』は、儒学の入門書です。
 儒学と言えば、孔子や孟子などで有名な学問ですが、宋王朝の時代(西暦九六〇~一二七九年)に思想的に大きな飛躍をとげました。それを宋学と言います。それは別名、道学、理学、生理学、義理の学、理気学などとも言います。
 宋学は、形骸化した儒学を批判して、聖人の精神の復興をめざしました。つまり、形式よりも内容を重んじる儒学をめざしたのです。そして、その推進役として大きな役割を果たしたのが、周濂渓(周敦頤│西暦一〇一七~一〇七三年)、張横渠(張載│西暦一〇二〇~一〇七七年)、程明道(程│西暦一〇三二~一〇八五年)、程伊川(程頤│西暦一〇三三~一一〇七年)の四人の哲学者(儒学者)たちです。性格的には、周濂渓は物事にこだわらないさっぱりした人で、、張横渠は豪傑な人で、程明道は温和な人で、程伊川は厳しい人だったそうです。ちなみに、程明道(兄)と程伊川(弟)の二人は兄弟です。
 さて、それら四人の哲学者たちの言葉のなかから要点を選び出して編集されたものが、『近思録』です。編集者は、あの朱子学で有名な朱子(朱熹│西暦一一三〇~一二〇〇年)と、その友人の呂祖謙(西暦一一三七~一一八一年)です。二人は、世間には初心者向けの儒学(宋学)のテキストがないけれど、それでは初学者にとって不便だろうということで、『近思録』を編集することにしたそうです。
 その『近思録』は、内容的には、全部で十四の部門に分けられています。それは、次のようになっています。「第一巻(道体)」では、儒学の世界観について述べられています。「第二巻(為学大要)」では、学問(学ぶこと)とは何であるかについて述べられています。「第三巻(格物窮理)」では、物事の道理をきちんと認識するための能力を育成することについて述べられています。「第四巻(存養)」では、本心や本性を養い育てることについて述べられています。「第五巻(改過遷善克己復礼)」では、一時の気の迷いによって生じる悪い心をなくし、人間本来の善い心を伸ばすことについて述べられています。「第六巻(斉家之道)」では、正しい家族生活を実現するための方法論について述べてあります。「第七巻(出処進退辞受之義)」では、君子(りっぱな人)たるにふさわしい出処進退の仕方について述べてあります。「第八巻(治国平天下之道)」では、政治の根本は何であるかについて述べてあります。「第九巻(制度)」では、世の中をまるくおさめるためにはどのような社会制度が必要であるかについて述べてあります。「第十巻(君子処事之方)」では、君子はどのように物事を処理すべきかについて述べてあります。「第十一巻(教学之道)」では、生徒を教えるにはどのようにすることが大切かについて述べてあります。「第十二巻(改過及人心疵病)」では、自分に欠点があればすぐにそれを改善すべきであることについて述べてあります。「第十三巻(異端之学)」では、人の心を惑わす異端の学問とはどんなものであるかについて述べてあります。「第十四巻(聖賢気象)」では、儒学を学ぶ人が手本とすべき聖人や賢人とはいったいどんな人であるのかについて述べてあります。
 以上のような構成になっている『近思録』ですが、基本的には「修己治人」をめざしています。「修己治人」とは、「まず自分をりっぱにしよう。そして、自分のりっぱさで人を感化して、人もりっぱにしよう」ということです。そして、その「修己治人」は、これからの時代の我が国にとって、かなり重要なことです。なぜなら、最近の我が国では、人々の「モラル」の低下が心配されているからです。
 そのような事情から、『近思録』を読むことは、現代において、けっこう有用なことだと思われます。それに『近思録』には古人たちの人生の知恵もたくさんつまっているので、考えるヒントやきっかけにもなるでしょう。
 しかし、現在、世間に出回っている『近思録』は、どちらかと言えば「教養ある市民」向けであって、私たち庶民向けではありません。たとえば、これまでのものは言葉が難しくて、私たち庶民には理解しにくいものになっています。それはまさに「宝の持ち腐れ」であって、もったいないことです。ですから、論者は、『近思録』を私たち庶民向けのものとするために、このような翻訳をしたわけです。
 ところで、宋学は、朱子によって総合化され、体系化されて完成されました(それを朱子学と言います)。そのため、のちに『近思録』は、朱子学の入門書としてあつかわれるようになりました。ですから、本書でも『近思録』を朱子学の入門書としてとりあつかっています。ちなみに、朱子学は儒学史上、最高の理論体系なので、「儒学とは朱子学であり、朱子学とは儒学である」と言っても決して言いすぎではありません。
 なお、本書は、あくまでも朱子学(儒学)の初心者向けのものです。ですから、朱子学や『近思録』の理解をさらに深められたい人は、いろいろな参考書や研究書や注釈書などを読まれることをおすすめします。
 最後に、本書を完成させるにあたり、いろんな『近思録』の注釈書や朱子学関係の本のお世話になりました。しるして感謝の念を表したいと思います。

 平成十年(西暦一九九八年)二月九日 翻訳者にして解説者 謹んで記す。

朱熹のはしがき
 淳煕二年(西暦1176年)の夏、東莱の呂祖謙が、東陽県から、私の個人経営の小規模な学校である寒泉精舎にやって来ました。呂祖謙はうちに十日ほど滞在していたのですが、その間に二人でいっしょに周先生、程先生、張先生たちの著書を読みました。そして、お互いに「とても規模が広大すぎて、いくら川を進んでも向こう岸にたどりつけないような感じだなあ」と感じて、「これでは初めて学ぶ人は、どこから手をつけたらいいのか、まったく分からないのではないだろうか」と心配になりました。
 そこで、周先生、程先生、張先生たちの言葉の要点のなかから、日々の学習に役立つようなものを選んで、この『近思録』を編集しました。全部で六百二十二条の文章を、十四巻に分けて収録しています。内容的には、「根本的なことを探求する方法」「学問の仕方」「身を修める方法」「人を治める方法」の要点と、「異端の教えを見分けること」「聖人や賢人を概観すること」の大凡について、ほぼすべてそのあらましを示していると思います。
 へんぴなところに住んでいる儒学の素人で、聖人になるために学びたいのに、いい先生や友人にめぐまれていない人でも、この『近思録』をよく読んで、じっくり考えれば、聖人になるための学問の基礎が身につくでしょう。そのあとで周先生、程先生、張先生たちのすべての著書に聖人になるための学問の方法を求めて、じっくりとよく考え、ゆったりと心ゆくまで味わい、全体をまんべんなく理解し、その要点をまとめれば、どんなに豪華な廟堂にも、どんなに莫大な財宝にも、決してひけをとらないくらいのすごい成果を得ることができるでしょう。
 もし「聖人になるために学ぶことを安簡にするために、この『近思録』だけを読めば十分だ」とするのであれば、それは今回この『近思録』を編集した意図ではありません。

淳煕二年(西暦1176年)5月5日 新安の朱熹 謹んで記す。



呂祖謙のはしがき

『近思録』が完成しました。これに関して、「第一巻に収録されている、陰陽の変化や万物の本性についての説は、初めて学ぶ人にとっては分かりにくいことなのに、どうしてそれを最初に収録したのだろう」と疑問に思っている人もいるそうです。私はかつて、編集の意図を朱熹に聞いたことがあります。それによると、こういうことだそうです。
「確かに儒学を学び始めたばかりの素人には、儒学の諸理論の根本となっている義理(物事の道理)の大本について、分かりやすく説明することはできません。しかし、根本について何も知らなければ、どこにどう学問の足場を定めればいいのか、まったく見当がつかなくなってしまいます。ですから、最初にあのような内容のものを置いて、義理に関する重要語句の意味について分からせて、見通しがつくようにさせようとしたのです」。
 それ以外の巻に収録した「学問を研鑽する方法」や「ふだん実践する中身」などについては、すべてに順序があります。第二巻から第十四巻まで、じゅんじゅんに読み進んでいって、身近なことから高遠なことへと向かっていけば、編集の意図からはずれずにすむでしょう。
 もし、身近なことをバカにして高遠なことばかりに心をはせ、段階や順序を無視したり道教や仏教などの空虚な教えに流されたりして、学問の足場をなくしてしまえば、どうして『近思録』の表題の一部である「近く思うこと(身近に考えること)」をすることができるでしょうか。この『近思録』を読むにあたっては、そのことについて十分に知っていることが必要です。

 淳煕三年(西暦1177年)4月4日 東莱の呂祖謙 謹んで記す。


朱熹/朱子(授業と学習のヒント)

南宋の儒学者で、宋学を大成した、朱子。
 朱熹(しゅき)が名前で、朱子は尊称。12世紀の南宋の儒学者で宋学(朱子学)を大成した、中国思想史上の最も重要な人物朱熹は福建省に生まれ、科挙に合格したが、その新思想が当時は受け入れられず、ほとんどを地方の下級官僚ですごした。その間思索を深め、北宋の周敦頤に始まる宋学を体系的な宇宙哲学として完成させた。そこで宋学を「朱子学」ともいう。「朱子学」の内容は大きく四つに分かれる。
・存在論:程頤、張横渠の説を発展させた理気二元論。万物は理と気からなるというもので、それまでの儒教に欠けていた宇宙観、物質観を組み立てた。
・倫理学:人間の生き方を論じる。「性即理」の説。人間の本性と宇宙の根源を一致させた生き方によって聖人たることを目指した。
・方法論:聖人になる方法を説くことで、窮理(理を窮める)の説という。朱子は『大学』からとった格物致知をその方法論とした。
・古典注釈学:『四書集注』で、『大学』『中庸』『論語』『孟子』を四書として儒教の新しい基本文献とした。また、『資治通鑑綱目』で大義名分論を強調した。
 他にも科挙の改正や、社会政策論などでも多面的に議論を展開している。 → 宋代の文化
 朱子の学問である朱子学は、朝鮮王朝(李朝)に伝えられ、朝鮮の儒教に強い影響を及ぼし、16世紀の李退渓・李栗谷などの学者が現れた。このうちの李退渓は理気二元論に対して、「理」を重視する一元論展開し、藤原惺窩や林羅山の日本の儒学にも影響を与え、朝鮮においては両班の政治理念・生活規範として定着し、日本においては江戸幕府の封建的身分制社会のイデオロギーとなっていった。


TOP

[戻る]

引用文献

江守孝三(Emori Kozo)