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孟子 (朱熹集註)

国立国会図書館 書籍 (孟子一) (二) (三) (四)

 孟子 (孟子序説~告子章句下)

孟子序説     梁惠王章句上     公孫丑章句上     滕文公章句上離婁章句上     萬章章句上     告子章句上    
盡心章句上盡心章句下

 

孟子序説 

史記列傳曰、孟軻、趙氏曰、孟子、魯公族孟孫之後。漢書注云、字子車、一說、字子輿。
【読み】
史記列傳に曰く、孟軻は、趙氏曰く、孟子は、魯の公族孟孫が後なり。漢書の注に云う、字は子車、一說に、字は子輿なり、と。

騶人也。騶、亦作鄒。本邾國也。
【読み】
騶[すう]人なり。騶は、亦鄒に作る。本邾[ちゅ]國なり。

受業子思之門人。子思、孔子之孫、名伋。索隱云、王劭以人爲衍字。而趙氏注及孔叢子等書亦皆云、孟子親受業於子思。未知是否。
【読み】
業を子思の門人に受く。子思は、孔子の孫、名は伋。索隱に云う、王劭人を以て衍字とす、と。而して趙氏の注及び孔叢子等の書も亦皆云う、孟子親しく業を子思に受く、と。未だ是なるか否かを知らず。

道旣通、趙氏曰、孟子通五經、尤長於詩書。程子曰、孟子曰、可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速。孔子聖之時者也。故知易者莫如孟子。又曰、王者之跡熄而詩亡。詩亡然後春秋作。又曰、春秋無義戰。又曰、春秋天子之事。故知春秋者莫如孟子。尹氏曰、以此而言、則趙氏謂孟子長於詩書而已、豈知孟子者哉。
【読み】
道旣に通じて、趙氏曰く、孟子五經に通じ、尤も詩書に長ず、と。程子曰く、孟子曰く、以て仕う可きときは則ち仕え、以て止む可きときは則ち止み、以て久しかる可きときは則ち久しく、以て速やかなる可きときは則ち速やかにす。孔子は聖の時なる者なり、と。故に易を知る者は孟子に如くは莫し。又曰く、王者の跡熄[き]えて詩亡ぶ。詩亡びて然して後に春秋作る、と。又曰く、春秋に義とする戰無し、と。又曰く、春秋は天子の事なり、と。故に春秋を知る者は孟子に如くは莫し。尹氏曰く、此を以て言えば、則ち趙氏謂う、孟子は詩書に長ずのみとは、豈孟子を知る者ならんや。

游事齊宣王。宣王不能用。適梁。梁惠王不果所言。則見以爲、迂遠而闊於事情。按史記、梁惠王之三十五年乙酉、孟子始至梁。其後二十三年、當齊湣王之十年丁未、齊人伐燕。而孟子在齊。故古史謂、孟子先事齊宣王、後乃見梁惠王・襄王・齊湣王。獨孟子以伐燕爲宣王時事、與史記・荀子等書皆不合。而通鑑以伐燕之歳爲宣王十九年、則是孟子先游梁、而後至齊見宣王矣。然考異亦無他據。又未知孰是也。
【読み】
游んで齊の宣王に事う。宣王用うること能わず。梁に適く。梁の惠王言う所を果たさず。則ち見て以爲えらく、迂遠にして事情に闊[さか]れり、と。史記を按ずるに、梁の惠王の三十五年乙酉、孟子始めて梁に至る。其の後二十三年は、齊の湣王の十年丁未に當たり、齊人燕を伐つ。而して孟子齊に在り、と。故に古史に謂う、孟子先ず齊の宣王に事え、後に乃ち梁の惠王・襄王・齊の湣王に見ゆ、と。獨[ただ]孟子燕を伐つを以て宣王の時の事とするは、史記・荀子等の書と皆合わず。而して通鑑燕を伐つの歳を以て宣王の十九年とするは、則ち是れ孟子先ず梁に游び、而して後に齊に至りて宣王に見ゆとすればなり。然れども考異も亦他の據りどころ無し。又未だ孰れか是なるを知らず。

當是之時、秦用商鞅、楚魏用吳起、齊用孫子・田忌、天下方務於合從連衡、以攻伐爲賢。而孟軻乃述唐虞三代之德。是以所如者不合。退而與萬章之徒序詩書、述仲尼之意、作孟子七篇。趙氏曰、凡二百六十一章、三萬四千六百八十五字。韓子曰、孟軻之書、非軻自著。軻旣沒、其徒萬章・公孫丑相與記軻所言焉耳。愚按、二說不同、史記近是。
【読み】
是の時に當たりて、秦には商鞅を用い、楚魏には吳起を用い、齊には孫子・田忌を用い、天下方[みさかり]に合從連衡を務めて、攻伐を以て賢なりとす。而して孟軻は乃ち唐虞三代の德を述ぶ。是を以て如[ゆ]く所の者合わず。退いて萬章が徒と詩書を序[つ]いで、仲尼の意を述べて、孟子七篇を作る。趙氏曰く、凡て二百六十一章、三萬四千六百八十五字なり、と。韓子曰く、孟軻の書は、軻自ら著すに非ず。軻旣に沒し、其の徒萬章・公孫丑相與に軻の言う所を記すのみ、と。愚按ずるに、二說同じからず。史記是に近し。

○韓子曰、堯以是傳之舜、舜以是傳之禹、禹以是傳之湯、湯以是傳之文・武・周公、文・武・周公傳之孔子、孔子傳之孟軻。軻之死不得其傳焉。荀與揚也、擇焉而不精、語焉而不詳。程子曰、韓子此語、非是蹈襲前人、又非鑿空撰得出、必有所見。若無所見、不知言所傳者何事。
【読み】
○韓子曰く、堯は是を以て之を舜に傳え、舜は是を以て之を禹に傳え、禹は是を以て之を湯に傳え、湯は是を以て之を文・武・周公に傳え、文・武・周公は之を孔子に傳え、孔子は之を孟軻に傳う。軻が死してより其の傳を得ず。荀と揚とは、擇んで精しからず、語りて詳らかならず、と。程子曰く、韓子の此の語は、是れ前人を蹈襲するに非ず、又鑿空して撰び得て出すに非ず。必ず見る所有り。若し見る所無くば、傳うる所の者何事と言うを知らず、と。

○又曰、孟氏醇乎醇者也。荀與揚、大醇而小疵。程子曰、韓子論孟子甚善。非見得孟子意、亦道不到。其論荀揚則非也。荀子極偏駁。只一句性惡、大本已失。揚子雖少過、然亦不識性。更說甚道。
【読み】
○又曰く、孟氏は醇乎として醇なる者なり。荀と揚とは、大醇にして小疵あり、と。程子曰く、韓子の孟子を論ずること甚だ善し。孟子の意を見得たるに非ざれば、亦道[い]うに到らず。其の荀揚を論ずること則ち非なり。荀子は極めて偏駁なり。只一句の性惡、大本已に失せり。揚子は過少なしと雖も、然れども亦性を識らず。更に甚[なん]の道を說かん、と。

○又曰、孔子之道大而能博。門弟子不能徧觀而盡識也。故學焉而皆得其性之所近。其後離散分處諸侯之國、又各以其所能授弟子。源遠而末益分。惟孟軻師子思、而子思之學出於曾子。自孔子沒、獨孟軻氏之傳得其宗。故求觀聖人之道者、必自孟子始。程子曰、孔子言參也魯。然顏子沒後、終得聖人之道者、曾子也。觀其啓手足時之言、可以見矣。所傳者子思・孟子、皆其學也。
【読み】
○又曰く、孔子の道は大いにして能く博し。門弟子徧く觀て盡く識ること能わず。故に學んで皆其の性の近き所を得。其の後離散して諸侯の國に分處し、又各々其の能くする所を以て弟子に授く。源遠く末益々分かる。惟孟軻のみ子思を師として、子思の學曾子に出づ。孔子沒してより、獨[ただ]孟軻氏の傳のみ其の宗を得たり。故に聖人の道を觀んことを求むる者は、必ず孟子より始む、と。程子曰く、孔子言う參や魯、と。然れども顏子沒して後、終に聖人の道を得る者は曾子なり。其の手足を啓く時の言を觀て、以て見る可し。傳うる所の者は子思・孟子、皆其の學なり、と。

○又曰、揚子雲曰、古者楊・墨塞路。孟子辭而闢之、廓如也。夫楊・墨行正道廢。孟子雖賢聖不得位。空言無施。雖切何補。然賴其言、而今之學者尙知宗孔氏、崇仁義、貴王賤霸而已。其大經大法、皆亡滅而不救、壞爛而不收。所謂存十一於千百。安在其能廓如也。然向無孟氏、則皆服左衽而言侏離矣。故愈嘗推尊孟氏、以爲功不在禹下者、爲此也。
【読み】
○又曰く、揚子雲曰く、古者[いにしえ]は楊・墨路を塞ぐ。孟子辭[ことば]して之を闢いて、廓如たり、と。夫れ楊・墨行われて正道廢る。孟子賢聖なりと雖も位を得ず。空言施すこと無し。切なりと雖も何ぞ補わん。然れども其の言に賴りて、今の學者尙孔氏を宗[たっと]び、仁義を崇[あが]め、王を貴び霸を賤しむことを知るのみ。其の大經大法、皆亡滅して救われず、壞爛して收まらず。所謂十一を千百に存するなり。安くにか在る、其の能く廓如たること。然れども向[さき]に孟氏無かりせば、則ち皆服衽を左にして言侏離たらん。故に愈嘗て孟氏を推し尊んで、功禹の下に在らずと以爲えること、此が爲なり、と。

○或問於程子曰、孟子還可謂聖人否。程子曰、未敢便道他是聖人。然學已到至處。愚按、至字、恐當作聖字。
【読み】
○或ひと程子に問うて曰く、孟子は還[また]聖人と謂う可けんや否や、と。程子曰く、未だ敢えて便ち他は是れ聖人なりと道わず。然れども學已に至處に到る、と。愚按ずるに、至の字、恐らくは當に聖の字に作るべし。

○程子又曰、孟子有功於聖門、不可勝言。仲尼只說一箇仁字。孟子開口便說仁義。仲尼只說一箇志。孟子便說許多養氣出來。只此二字、其功甚多。
【読み】
○程子又曰く、孟子聖門に功有ること、勝[あ]げて言う可からず。仲尼は只一箇の仁の字を說く。孟子は口を開けば便ち仁義を說く。仲尼は只一箇の志を說く。孟子は便ち許多[そこばく]の養氣を說き出し來る。只此の二字、其の功甚だ多し、と。

○又曰、孟子有大功於世、以其言性善也。
【読み】
○又曰く、孟子世に大功有るは、其の性善を言うを以てなり、と。

○又曰、孟子性善・養氣之論、皆前聖所未發。
【読み】
○又曰く、孟子性善・養氣の論、皆前聖の未だ發せざる所なり、と。

○又曰、學者全要識時。若不識時、不足以言學。顏子陋巷自樂、以有孔子在焉。若孟子之時、世旣無人。安可不以道自任。
【読み】
○又曰く、學者全く時を識らんことを要す。若し時を識らざれば、以て學を言うに足らず。顏子陋巷にして自ら樂しめるは、孔子在ますこと有るを以てなり。孟子の時の若きんば、世旣に人無し。安んぞ道を以て自ら任せざる可けんや、と。

○又曰、孟子有些英氣。才有英氣、便有圭角。英氣甚害事。如顏子便渾厚不同。顏子去聖人只豪髮閒。孟子大賢、亞聖之次也。或曰、英氣見於甚處。曰、但以孔子之言比之、便可見。且如冰與水精。非不光。比之玉、自是有温潤含蓄氣象、無許多光耀也。
【読み】
○又曰く、孟子些[すこ]しきの英氣有り。才かに英氣有れば、便ち圭角有り。英氣甚だ事を害す。顏子の如きんば便ち渾厚にして同じからず。顏子聖人を去ること只豪髮の閒なり。孟子は大賢、亞聖の次なり。或ひと曰く、英氣甚[なん]の處に見[あらわ]る、と。曰く、但孔子の言を以て之に比せば、便ち見つ可し。且つ冰と水精との如し。光らざるには非ず。之を玉に比すれば、自ら是れ温潤含蓄の氣象有り、許多[そこばく]の光耀無し。と。

○楊氏曰、孟子一書、只是要正人心。敎人存心養性、收其放心。至論仁義禮智、則以惻隱・羞惡・辭讓・是非之心爲之端、論邪說之害、則曰、生於其心、害於其政。論事君、則曰、格君心之非。一正君而國定。千變萬化、只說從心上來。人能正心、則事無足爲者矣。大學之脩身齊家、治國平天下、其本只是正心誠意而已。心得其正、然後知性之善。故孟子遇人便道性善。歐陽永叔卻言、聖人之敎人、性非所先。可謂誤矣。人性上不可添一物。堯舜所以爲萬世法、亦是率性而已。所謂率性、循天理是也。外邊用計用數、假饒立得功業、只是人欲之私。與聖賢作處、天地懸隔。
【読み】
○楊氏曰く、孟子の一書、只是れ人心を正しうせんことを要す。人に心を存し性を養のうて、其の放心を收むること敎う。仁義禮智を論ずるに至っては、則ち惻隱・羞惡・辭讓・是非の心を以て之が端と爲し、邪說の害を論ずるときは、則ち曰く、其の心に生りて、其の政に害あり、と。君に事うることを論ずるときは、則ち曰く、君心の非を格す。一たび君を正しうして國定まる、と。千變萬化、只心上より說き來る。人能く心を正しうするときは、則ち事するに足る者無し。大學の身を脩め家を齊え、國を治め天下を平かにする、其の本只是れ心を正しうして意を誠にするのみ。心其の正しきことを得て、然る後性の善なることを知る。故に孟子人に遇っては便ち性善なりと道う。歐陽永叔卻って言く、聖人の人を敎うる、性は先んずる所に非ず、と。誤りと謂いつ可し。人性上一物を添う可からず。堯舜萬世の法と爲る所以も、亦是れ性に率うのみ。所謂性に率うとは、天理に循う、是れなり。外邊に計を用い數を用いて、假饒[たと]い功業を立て得るとも、只是れ人欲の私なり。聖賢の作處と、天地懸隔す、と。

 

孟子卷之一

梁惠王章句上 凡七章。

梁惠王章句上1
孟子見梁惠王。梁惠王、魏侯罃也。都大梁。僭稱王。諡曰惠。史記、惠王三十五年、卑禮厚幣以招賢者。而孟軻至梁。
【読み】
孟子梁の惠王に見う。梁の惠王は、魏侯の罃[おう]なり。大梁に都す。僭[ひところ]いて王と稱す。諡を惠と曰う。史記に、惠王の三十五年、禮を卑しんじ幣を厚くして以て賢者を招く。而して孟軻梁に至る、と。

王曰、叟、不遠千里而來。亦將有以利吾國乎。叟、長老之稱。王所謂利、蓋富國彊兵之類。
【読み】
王曰く、叟、千里を遠しとせずして來れり。亦將に以て吾が國を利すること有らんとするか、と。叟は、長老の稱。王謂う所の利は、蓋し國を富ましめ兵を彊くするの類なり。

孟子對曰、王何必曰利。亦有仁義而已矣。仁者、心之德、愛之理。義者、心之制、事之宜也。此二句乃一章之大指。下文乃詳言之。後多放此。
【読み】
孟子對えて曰く、王何ぞ必ずしも利を曰わん。亦仁義有るのみ。仁は、心の德、愛の理。義は、心の制、事の宜なり。此の二句は乃ち一章の大指なり。下文は乃ち詳らかに之を言う。後多く此に放[なら]え。

王曰何以利吾國、大夫曰何以利吾家、士庶人曰何以利吾身、上下交征利而國危矣。萬乘之國、弑其君者、必千乘之家、千乘之國、弑其君者、必百乘之家。萬取千焉、千取百焉、不爲不多矣。苟爲後義而先利、不奪不饜。乘、去聲。饜、於豔反。○此言求利之害、以明上文何必曰利之意也。征、取也。上取乎下、下取乎上。故曰交征。國危、謂將有弑奪之禍。乘、車數也。萬乘之國者、天子畿内、地方千里、出車萬乘、千乘之家者、天子之公卿、采地方百里、出車千乘也。千乘之國、諸侯之國、百乘之家、諸侯之大夫也。弑、下殺上也。饜、足也。言臣之於君、每十分而取其一分、亦已多矣。若又以義爲後、而以利爲先、則不弑其君而盡奪之、其心未肯以爲足也。
【読み】
王何を以てか吾が國を利せんと曰い、大夫何を以てか吾が家を利せんと曰い、士庶人何を以てか吾が身を利せんと曰わば、上下交々利を征[と]って國危うけん。萬乘の國、其の君を弑す者は、必ず千乘の家、千乘の國、其の君を弑す者は、必ず百乘の家ならん。萬に千を取り、千に百を取る、多からずとせず。苟し義を後にして利を先にするをせば、奪わずんば饜[あきた]らじ。乘は去聲。饜は於豔の反。○此れ利を求むるの害を言いて、以て上文何ぞ必ずしも利を曰わんの意を明らかにするなり。征るは取るなり。上下に取り、下上に取る。故に交々征ると曰う。國危うしは、將に弑奪の禍有らんとするを謂う。乘は、車の數なり。萬乘の國は、天子の畿内、地方千里、車萬乘を出し、千乘の家は、天子の公卿、采地方百里、車千乘を出すなり。千乘の國は、諸侯の國、百乘の家は、諸侯の大夫なり。弑は、下として上を殺すなり。饜は足るなり。言うこころは、臣の君に於る、每に十分して其の一分を取るも、亦已に多し。若し又義を以て後と爲して、利を以て先と爲せば、則ち其の君を弑して盡く之を奪わずんば、其の心未だ肯えて以て足るとせざるなり、と。

未有仁而遺其親者也。未有義而後其君者也。此言仁義未嘗不利、以明上文亦有仁義而已之意也。遺、猶棄也。後、不急也。言仁者必愛其親、義者必急其君。故人君躬行仁義而無求利之心、則其下化之、自親戴於己也。
【読み】
未だ有らず、仁あって其の親を遺[わす]るる者は。未だ有らず、義あって其の君を後にする者は。此れ仁義の未だ嘗て利あらずんばあらざることを言い、以て上文亦仁義有るのみの意を明らかにするなり。遺るは猶棄つるのごとし。後は急にせざるなり。言うこころは、仁者は必ず其の親を愛し、義者は必ず其の君に急にす。故に人君躬ら仁義を行いて利を求むるの心無きときは、則ち其の下之に化し、自ら己を親しみ戴く、と。

王亦曰仁義而已矣。何必曰利。重言之、以結上文兩節之意。○此章言、仁義根於人心之固有。天理之公也。利心生於物我之相形。人欲之私也。循天理、則不求利而自無不利。徇人欲、則求利未得而害已隨之。所謂毫釐之差、千里之繆。此孟子之書、所以造端託始之深意、學者所宜精察而明辨也。○太史公曰、余讀孟子書、至梁惠王問何以利吾國、未嘗不廢書而歎也。曰、嗟乎、利誠亂之始也。夫子罕言利、常防其源也。故曰、放於利而行、多怨。自天子以至於庶人、好利之弊、何以異哉。程子曰、君子未嘗不欲利、但專以利爲心、則有害。惟仁義則不求利、而未嘗不利也。當是之時、天下之人惟利是求、而不復知有仁義。故孟子言仁義而不言利、所以拔本塞源、而救其弊。此聖賢之心也。
【読み】
王亦仁義を曰わんのみ。何ぞ必ずしも利を曰わん、と。重ねて之を言いて、以て上文兩節の意を結べり。○此の章言うこころは、仁義は人心の固より有るに根ざす。天理の公なり。利心は物我の相形[あらわ]るるに生ず。人欲の私なり。天理に循うときは、則ち利を求めずして自ら利あらずということ無し。人欲に徇うときは、則ち利を求めて未だ得ずして害已に之に隨う。謂う所の毫釐の差[たがい]、千里の繆[あやまり]なり、と。此の孟子の書の、端を造し始めを託する所以の深意、學者宜しく精しく察して明らかに辨[わきま]うべき所なり。○太史公曰く、余孟子の書を讀み、梁の惠王の何を以て吾が國を利せんと問うに至り、未だ嘗て書を廢てて歎ぜずんばあらず。曰く、嗟乎[ああ]、利は誠に亂の始めなり。夫子罕[まれ]に利を言うは、常に其の源を防がんとすればなり。故に曰く、利に放[よ]って行うときは、怨多し、と。天子より以て庶人に至るまで、利を好むの弊、何を以て異ならんや、と。程子曰く、君子未だ嘗て利を欲せずんばあらず。但專ら利を以て心とするときは、則ち害有り。惟仁義なれば則ち利を求めずして、未だ嘗て利あらずんばあらず。是の時に當たり、天下の人は惟利のみを是れ求めて、復仁義有るを知らず。故に孟子仁義を言いて利を言わざるは、本を拔き源を塞ぎ、而して其の弊を救う所以なり。此れ聖賢の心なり、と。


梁惠王章句上2
○孟子見梁惠王。王立於沼上、顧鴻鴈麋鹿曰、賢者亦樂此乎。樂、音洛。篇内同。○沼、池也。鴻、鴈之大者。麋、鹿之大者。
【読み】
○孟子梁の惠王に見う。王沼の上[ほとり]に立てり、鴻鴈麋鹿[びろく]を顧みて曰く、賢者も亦此を樂しむか、と。樂は音洛。篇内同じ。○沼は池なり。鴻は、鴈の大なる者。麋は、鹿の大なる者。

孟子對曰、賢者而後樂此。不賢者、雖有此不樂也。此一章之大指。
【読み】
孟子對えて曰く、賢者にして而して後に此を樂しむ。不賢者は、此れ有りと雖も樂まず。此れ一章の大指なり。

詩云、經始靈臺、經之營之。庶民攻之、不日成之。經始勿亟、庶民子來。王在靈囿、麀鹿攸伏、麀鹿濯濯、白鳥鶴鶴。王在靈沼、於牣魚躍。文王以民力爲臺爲沼。而民歡樂之。謂其臺曰靈臺、謂其沼曰靈沼。樂其有麋鹿魚鼈。古之人與民偕樂。故能樂也。亟、音棘。麀、音憂。鶴、詩作翯。戶角反。於、音烏。牣、音刀。○此引詩而釋之、以明賢者而後樂此之意。詩、大雅靈臺之篇、經、量度也。靈臺、文王臺名也。營、謀爲也。攻、治也。不日、不終日也。亟、速也、言文王戒以勿亟也。子來、如子來趨父事也。靈囿・靈沼、臺下有囿、囿中有沼也。麀、牝鹿也。伏、安其所、不驚動也。濯濯、肥澤貌。鶴鶴、潔白貌。於、歎美辭。牣、滿也。孟子言、文王雖用民力、而民反歡樂之、旣加以美名、而又樂其所有。蓋由文王能愛其民、故民樂其樂、而文王亦得以享其樂也。
【読み】
詩に云く、靈臺を經始して、經[はか]り營む。庶民攻[おさ]まり、日あらずして成んぬ。經始して亟[すみ]やかにすること勿けれども、庶民子のごとく來れり。王靈囿[れいゆう]に在す、麀鹿[ゆうろく]の伏す攸[ところ]、麀鹿濯濯たり、白鳥鶴鶴たり。王靈沼に在す、於[ああ]牣[み]ちて魚躍れり、と。文王民力を以て臺を爲り沼を爲る。而るを民之を歡樂す。其の臺を謂うて靈臺と曰い、其の沼を謂うて靈沼と曰う。其の麋鹿魚鼈有ることを樂しむ。古の人民と偕[とも]に樂しむ。故に能く樂しめり。亟は音棘。麀は音憂。鶴は、詩に翯[かく]に作る。戶角の反。於は音烏。牣は音刀。○此れ詩を引いて之を釋し、以て賢者にして後此を樂しむの意を明らかにす。詩は大雅靈臺の篇、經は、量り度るなり。靈臺は、文王の臺の名なり。營は、謀り爲すなり。攻は治むなり。日あらずは、日を終えずなり。亟は速やかなり、言うこころは、文王戒むるに亟やかにすること勿かれを以てす、と。子來は、子の來るに父の事に趨くが如きなり。靈囿・靈沼は、臺の下に囿有り、囿の中に沼有り。麀は牝鹿なり。伏は其の所に安んじ、驚動せざるなり。濯濯は肥澤の貌。鶴鶴は潔白の貌。於は歎美の辭。牣は滿つなり。孟子言うこころは、文王民力を用うと雖も、民反って之を歡び樂しみて、旣に加うるに美名を以てして、又其の有る所を樂しむ、と。蓋し文王能く其の民を愛するに由りて、故に民其の樂しみを樂しみて、文王も亦以て其の樂しみを享くることを得るなり。

湯誓曰、時日害喪。予及女偕亡。民欲與之偕亡、雖有臺池鳥獸、豈能獨樂哉。害、音曷。喪、去聲。女、音汝。○此引書而釋之、以明不賢者雖有此不樂之意也。湯誓、商書篇名。時、是也。日、指夏桀。害、何也。桀嘗自言、吾有天下、如天之有日。日亡吾乃亡耳。民怨其虐。故因其自言而目之曰、此日何時亡乎。若亡、則我寧與之倶亡。蓋欲其亡之甚也。孟子引此、以明君獨樂而不恤其民、則民怨之、而不能保其樂也。
【読み】
湯誓に曰く、時[こ]の日害[いつ]か喪びん。予女と偕に亡びん、と。民之と偕に亡びまく欲せば、臺池鳥獸有りと雖も、豈能く獨り樂しまんや、と。害は音曷。喪は去聲。女は音汝。○此れ書を引いて之を釋し、以て不賢者は此れ有りと雖も樂しまざるの意を明らかにするなり。湯誓は、商書の篇の名。時は是れなり。日は、夏の桀を指す。害は何なり。桀嘗て自ら言う、吾天下を有[たも]つこと、天の日有るが如し。日亡ぶれば吾乃ち亡ぶのみ、と。民其の虐を怨む。故に其の自ら言うに因りて之を目ざして曰く、此の日何れの時か亡びん。若し亡びなば、則ち我寧ろ之と倶に亡びん、と。蓋し其の亡びんことを欲するの甚だしきなり。孟子此を引いて、以て君獨り樂しみて其の民を恤[あわ]れまざるときは、則ち民之を怨みて、其の樂しみを保つこと能わざることを明らかにするなり。

梁惠王章句上3
○梁惠王曰、寡人之於國也、盡心焉耳矣。河内凶、則移其民於河東、移其粟於河内。河東凶亦然。察鄰國之政、無如寡人之用心者。鄰國之民不加少、寡人之民不加多何也。寡人、諸侯自稱。言寡德之人也。河内・河東皆魏地。凶、歳不熟也。移民以就食、移粟以給其老稚之不能移者。
【読み】
○梁の惠王曰く、寡人が國に於ける、心を盡くせるのみ。河内凶なるときは、則ち其の民を河東に移し、其の粟を河内に移す。河東凶なるときも亦然す。鄰國の政を察するに、寡人が如き心を用うる者無し。鄰國の民も少なきをことを加えず、寡人が民も多きことを加えざること何ぞ、と。寡人は、諸侯自ら稱す。言うこころは、德の寡なき人なり。河内・河東は皆魏なり。凶は、歳熟さざるなり。民を移して以て食に就け、粟を移して以て其の老稚の移ること能わざる者に給す。

孟子對曰、王好戰。請以戰喩。塡然鼓之、兵刃旣接、棄甲曳兵而走。或百歩而後止、或五十歩而後止。以五十歩笑百歩、則何如。曰、不可。直不百歩耳、是亦走也。曰、王如知此、則無望民之多於鄰國也。好、去聲。塡、音田。○塡、鼓音也。兵以鼓進、以金退。直、猶但也。言此以譬鄰國不恤其民、惠王能行小惠、然皆不能行王道以養其民。不可以此而笑彼也。楊氏曰、移民移粟、荒政之所不廢也。然不能行先王之道、而徒以是爲盡心焉、則末矣。
【読み】
孟子對えて曰く、王戰を好む。請う戰を以て喩えん。塡然[てんぜん]として之に鼓うち、兵刃旣に接[まじ]わるとき、甲を棄て兵を曳いて走[に]ぐ。或は百歩にして後に止まり、或は五十歩にして後に止まる。五十歩を以て百歩を笑わば、則ち何如、と。曰く、不可。直[ただ]百歩ならざるのみ、是も亦走ぐるなり、と。曰く、王如[も]し此を知らば、則ち民の鄰國より多からんことを望むこと無かれ。好は去聲。塡は音田。○塡は鼓の音なり。兵は鼓を以て進み、金を以て退く。直は猶但のごとし。此を言いて以て鄰國其の民を恤れまず、惠王能く小惠を行えども、然れども皆王道を行いて以て其の民を養うこと能わず。此を以てして彼を笑う可からざるに譬うなり。楊氏曰く、民を移し粟を移すは、荒政の廢れざる所なり。然れども先王の道を行うこと能わずして、徒[ただ]是を以て心を盡くすとするは、則ち末なり、と。

不違農時、穀不可勝食也。數罟不入洿池、魚鼈不可勝食也。斧斤以時入山林、材木不可勝用也。穀與魚鼈不可勝食、材木不可勝用、是使民養生喪死無憾也。養生喪死無憾、王道之始也。勝、音升。數、音促。罟、音古。洿、音烏。○農時、謂春耕夏耘秋收之時。凡有興作、不違此時、至冬乃役之也。不可勝食、言多也。數、密也。罟、網也。洿、窊下之地。水所聚也。古者網罟必用四寸之目。魚不滿尺、市不得粥、人不得食。山林川澤、與民共之、而有厲禁。草木零落、然後斧斤入焉。此皆爲治之初、法制未備、且因天地自然之利、而撙節愛養之事也。然飮食宮室所以養生、祭祀棺槨所以送死、皆民所急而不可無者。今皆有以資之、則人無所恨矣。王道以得民心爲本。故以此爲王道之始。
【読み】
農時に違わずんば、穀勝[あ]げて食らう可からず。數罟[そくこ]洿池[おち]に入らずんば、魚鼈勝げて食らう可からず。斧斤時を以て山林を入らば、材木勝げて用う可からず。穀と魚鼈と勝げて食らう可からず、材木勝げて用う可からざれば、是れ民をして生を養い死を喪して憾[うらみ]無からしむなり。生を養い死に喪して憾無きは、王道の始めなり。勝は音升。數は音促。罟は音古。洿は音烏。○農時は、春耕し夏耘[くさぎ]り秋收むるの時を謂う。凡そ興作有るに、此の時を違わず、冬に至りて乃ち之を役するなり。勝げて食らう可からずは、多きことを言う。數は密なり。罟は網なり。洿は、窊下[わか]の地。水の聚まる所なり。古は網罟は必ず四寸の目を用う。魚尺に滿たざれば、市粥[う]ることを得ず、人食らうことを得ず。山林川澤は、民と之を共にして、厲禁有り。草木零落して、然して後に斧斤入る。此れ皆治を爲すの初めにて、法制未だ備わざれども、且く天地自然の利に因りて、撙節愛養するところの事なり。然れども飮食宮室は生を養う所以、祭祀棺槨は死を送る所以にて、皆民の急にする所にして無くんばある可からざる者なり。今皆以て之を資[たす]くること有れば、則ち人恨む所無し。王道は民の心を得るを以て本とす。故に此を以て王道の始めとす。

五畝之宅、樹之以桑、五十者可以衣帛矣。雞豚狗彘之畜、無失其時、七十者可以食肉矣。百畝之田、勿奪其時、數口之家可以無飢矣。謹庠序之敎、申之以孝悌之義、頒白者不負戴於道路矣。七十者衣帛食肉、黎民不飢不寒、然而不王者、未之有也。衣、去聲。畜、許六反。數、去聲。王、去聲。凡有天下者、人稱之曰王、則平聲、據其身臨天下而言曰王、則去聲。後皆放此。○五畝之宅、一夫所受。二畝半在田、二畝半在邑。田中不得有木。恐妨五穀。故於牆下植桑以供蠶事。五十始衰。非帛不煖。未五十者不得衣也。畜、養也。時、謂孕子之時。如孟春犧牲毋用牝之類也。七十非肉不飽。未七十者不得食也。百畝之田、亦一夫所受。至此則經界正、井地均、無不受田之家矣。庠序、皆學名也。申、重也。丁寧反覆之意。善事父母爲孝、善事兄長爲悌。頒、與斑同。老人頭半白黑者也。負、任在背、戴、任在首。夫民衣食不足、則不暇治禮義。而飽煖無敎、則又近於禽獸。故旣富而敎以孝悌、則人知愛親敬長而代其勞、不使之負戴於道路矣。衣帛食肉、但言七十、舉重以見輕也。黎、黑也。黎民、黑髮之人。猶秦言黔首也。少壯之人、雖不得衣帛食肉、然亦不至於飢寒也。此言盡法制品節之詳、極財成輔相之道、以左右民。是王道之成也。
【読み】
五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者以て帛を衣る可し。雞豚狗彘[こうてい]の畜[やしない]、其の時を失うこと無くば、七十の者以て肉を食らう可し。百畝の田、其の時を奪うこと勿くば、數口の家以て飢うること無かる可し。庠序の敎を謹んで、之に申[かさ]ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者道路に負戴せじ。七十の者帛を衣て肉を食らい、黎民飢えず寒からず、然して王たらざる者、未だ之れ有らず。衣は去聲。畜は許六の反。數は去聲。王は去聲。凡そ天下を有つ者、人之を稱して王と曰うときは、則ち平聲、其の身の天下に臨むに據りて言いて王と曰うときは、則ち去聲。後皆此に放え。○五畝の宅は、一夫受くる所なり。二畝半は田に在り、二畝半は邑に在り。田の中に木有るを得ず。五穀を妨げるを恐るればなり。故に牆下に於て桑を植えて以て蠶事に供す。五十始めて衰う。帛に非ざれば煖かならず。未だ五十ならざる者は衣ることを得ざるなり。畜は養なり。時は、子を孕むの時を謂う。孟春犧牲に牝を用うること毋かれというの類の如し。七十にしては肉に非ざれば飽かず。未だ七十ならざる者は食らうことを得ざるなり。百畝の田も、亦一夫の受くる所なり。此に至れば則ち經界正しく、井地均しく、田を受けざるの家無し。庠序は、皆學の名なり。申は重ぬるなり。丁寧反覆の意なり。善く父母に事るを孝と爲し、善く兄長に事るを悌と爲す。頒は斑と同じ。老人の頭半ば白黑なる者なり。負は、任背に在り、戴は、任首に在るなり。夫れ民の衣食足らざるときは、則ち禮義を治むるに暇あらず。而して飽煖にして敎無ければ、則ち又禽獸に近し。故に旣に富みて敎うるに孝悌を以てせば、則ち人親を愛し長を敬するを知りて其の勞に代わり、之を道路に負戴しめざるなり。帛を衣て肉を食らうに、但七十とのみ言うは、重きを舉げて以て輕きを見[あらわ]すなり。黎は黑なり。黎民は、黑髮の人。猶秦に黔首と言うが如し。少壯の人、帛を衣て肉を食らうことを得ずと雖も、然れども亦飢寒に至らざるなり。此れ法制品節の詳を盡くし、財成輔相の道を極め、以て民を左右[たす]くことを言う。是れ王道の成れるなり。

狗彘食人食而不知檢。塗有餓莩而不知發。人死、則曰、非我也、歳也。是何異於刺人而殺之、曰非我也、兵也。王無罪歳、斯天下之民至焉。莩、平表反。刺、七亦反。○檢、制也。莩、餓死人也。發、發倉廩以賑貸也。歳、謂歳之豐凶也。惠王不能制民之產、又使狗彘得以食人之食、則與先王制度品節之意異矣。至於民飢而死、猶不知發、則其所移、特民閒之粟而已。乃以民不加多、歸罪於歳凶、是知刃之殺人、而不知操刃者之殺人也。不罪歳、則必能自反而益脩其政、天下之民至焉。則不但多於鄰國而已。○程子曰、孟子之論王道、不過如此。可謂實矣。又曰、孔子之時、周室雖微、天下猶知尊周之爲義。故春秋以尊周爲本。至孟子時、七國爭雄、天下不復知有周、而生民之塗炭已極。當是時、諸侯能行王道、則可以王矣。此孟子所以勸齊梁之君也。蓋王者、天下之義主也。聖賢亦何心哉。視天命之改與未改耳。
【読み】
狗彘[こうてい]人の食を食めども而も檢することを知らず。塗[みち]に餓莩[がひょう]有れども而も發[ひら]くことを知らず。人死するときは、則ち曰く、我には非ず、歳なり、と。是れ何ぞ人を刺して之を殺して、我には非ず、兵なりと曰うに異ならん。王歳を罪すること無くば、斯[すなわ]ち天下の民至らん、と。莩は平表の反。刺は七亦の反。○檢は制するなり。莩は、餓死した人なり。發は、倉廩を發きて以て賑貸するなり。歳は、歳の豐凶を謂うなり。惠王民の產を制すること能わず、又狗彘をして以て人の食を食むことを得さしめば、則ち先王の制度品節の意と異なり。民の飢えて死するに至るも、猶發くことを知らざれば、則ち其の移す所は、特[ただ]民閒の粟のみ。乃ち民多く加わらざるを以て、罪を歳の凶に歸すは、是れ刃の人を殺すを知りて、刃を操る者の人を殺すを知らざるなり。歳を罪すること無くば、則ち必ず能く自ら反りて益々其の政を脩め、天下の民至らん。則ち但鄰國より多きのみならじ。○程子曰く、孟子の王道を論ずる、此の如きを過ぎず。實と謂う可し、と。又曰く、孔子の時、周室微なりと雖も、天下猶周を尊ぶことの義爲るを知る。故に春秋周を尊ぶことを以て本とす。孟子の時に至り、七國雄を爭い、天下復周有るを知らずして、生民の塗炭已に極まれり。是の時に當たり、諸侯能く王道を行えば、則ち以て王たる可し。此れ孟子の齊梁の君に勸むる所以なり。蓋し王は天下の義主なり。聖賢も亦何の心あらんや。天命の改むると未だ改まらざるとを視るのみ、と。


梁惠王章句上4
○梁惠王曰、寡人願安承敎。承上章言。願安意以受敎。
【読み】
○梁の惠王曰く、寡人願わくは安んじて敎を承[う]けん、と。上章を承けて言う。願わくは意を安んじて以て敎を受けん、と。

孟子對曰、殺人以梃與刃、有以異乎。曰、無以異也。梃、徒頂反。○梃、杖也。
【読み】
孟子對えて曰く、人を殺すに梃[つえ]と刃とを以てするは、以て異なることを有りや、と。曰く、以て異なること無し、と。梃は徒頂の反。○梃は杖なり。

以刃與政、有以異乎。曰、無以異也。孟子又問、而王答也。
【読み】
刃と政とを以てするは、以て異なること有りや、と。曰く、以て異なること無し、と。孟子又問うて、王答うるなり。

曰、庖有肥肉、厩有肥馬、民有飢色、野有餓莩。此率獸而食人也。厚斂於民以養禽獸、而使民飢以死、則無異於驅獸以食人矣。
【読み】
曰く、庖[くりや]に肥肉有り、厩に肥馬有り、民に飢色有り、野に餓莩[がひょう]有り。此れ獸を率いて人食ましむるなり。厚く民を斂して以て禽獸を養いて、民を飢えて以て死なせしむるは、則ち獸を驅って人を食ましむるに異なること無し。

獸相食、且人惡之。爲民父母行政、不免於率獸而食人。惡在其爲民父母也。惡之之惡、去聲。惡在之惡、平聲。○君者、民之父母也。惡在、猶言何在也。
【読み】
獸相食むすら、且つ人之を惡む。民の父母と爲りて政を行い、獸を率いて人を食ましむることを免れず。惡んか在る、其の民の父母爲ること。惡之の惡は去聲。惡在の惡は平聲。○君は民の父母なり。惡んか在るは、猶何ぞ在らんと言うがごとし。

仲尼曰、始作俑者、其無後乎。爲其象人而用之也。如之何其使斯民飢而死也。俑、音勇。爲、去聲。○俑、從葬木偶人也。古之葬者、束草爲人以爲從衛。謂之芻靈。略似人形而已。中古易之以俑。則有面目機發、而太似人矣。故孔子惡其不仁、而言其必無後也。孟子言、此作俑者、但用象人以葬、孔子猶惡之。況實使民飢而死乎。○李氏曰、爲人君者、固未嘗有率獸食人之心。然徇一己之欲、而不恤其民、則其流必至於此。故以爲民父母告之。夫父母之於子、爲之就利避害、未嘗頃刻而忘於懷。何至視之不如犬馬乎。
【読み】
仲尼曰く、始めて俑を作る者は、其れ後無からんか、と。其の人に象って之を用うるが爲なり。如之何[いかん]ぞ其れ斯の民をして飢えて死なしめん、と。俑は音勇。爲は去聲。○俑は、葬に從う木の偶人なり。古の葬は、草を束ね人を爲り以て從衛と爲す。之を芻靈と謂う。略人の形に似るのみ。中古之に易えるに俑を以てす。則ち面目有りて機發して、太人に似る。故に孔子其の不仁を惡みて、其れ必ず後無からんかと言うなり。孟子言う、此の俑を作れる者の、但人に象りて以て葬に用うるをしも、孔子猶之を惡む。況や實に民を飢えて死せしむることをせんや、と。○李氏曰く、人の君爲る者は、固より未だ嘗て獸を率いて人を食ましむの心有らず。然れども一己の欲に徇いて、其の民を恤れまざるときは、則ち其の流れは必ず此に至る。故に民の父母爲るを以て之に告ぐ。夫れ父母の子に於る、之が爲に利に就き害を避け、未だ嘗て頃刻[かたとき]も懷に忘れず。何ぞ之を視ること犬馬に如かざるに至らんや、と。


梁惠王章句上5
○梁惠王曰、晉國天下莫強焉、叟之所知也。及寡人之身、東敗於齊、長子死焉。西喪地於秦七百里。南辱於楚。寡人恥之。願比死者一洒之。如之何則可。長、上聲。喪、去聲。比、必二反。洒與洗同。○魏本晉大夫魏斯、與韓氏・趙氏共分晉地。號曰三晉。故惠王猶自謂晉國。惠王三十年、齊擊魏、破其軍、虜太子申。十七年、秦取魏少梁。後魏又數獻地於秦。又與楚將昭陽戰敗、亡其七邑。比、猶爲也。言欲爲死者雪其恥也。
【読み】
○梁の惠王曰く、晉國は天下焉[これ]より強きは莫きこと、叟の知る所なり。寡人が身に及んで、東齊に敗られて、長子死んぬ。西地を秦に喪うこと七百里。南楚に辱めらる。寡人之を恥ず。願わくは死者の比[ため]に一たび之を洒[すす]がん。如之何[いかん]してか則ち可ならん、と。長は上聲。喪は去聲。比は必二の反。洒は洗ぐと同じ。○魏は本晉の大夫魏斯、韓氏・趙氏と共に晉の地を分く。號して三晉と曰う。故に惠王猶自ら晉國と謂う。惠王の三十年、齊魏を擊ち、其の軍を破り、太子申を虜とす。十七年、秦魏の少梁を取る。後魏又數々地を秦に獻ず。又楚の將昭陽と戰って敗れ、其の七邑を亡う。比は猶爲のごとし。言うこころは、死者の爲に其の恥を雪がんと欲す、と。

孟子對曰、地方百里而可以王。百里、小國也。然能行仁政、則天下之民歸之矣。
【読み】
孟子對えて曰く、地方百里にして以て王たる可し。百里は小國なり。然れども能く仁政を行うときは、則ち天下の民之に歸さん。

王如施仁政於民、省刑罰、薄稅斂、深耕易耨、壯者以暇日脩其孝悌忠信、入以事其父兄、出以事其長上、可使制梃以撻秦楚之堅甲利兵矣。省、所梗反。斂・易皆去聲。耨、奴豆反。長、上聲。○省刑罰、薄稅斂。此二者仁政之大目也。易、治也。耨、耘也。盡己之謂忠、以實之謂信。君行仁政、則民得盡力於農畝、而又有暇日以脩禮義、是以尊君親上、而樂於效死也。
【読み】
王如し仁政を民に施し、刑罰を省き、稅斂を薄くし、深く耕し易[おさおさ]しく耨[くさぎ]り、壯者は暇日を以て其の孝悌忠信を脩め、入っては以て其の父兄に事り、出ては以て其の長上に事えば、梃を制[つく]って以て秦楚の堅甲利兵を撻たしむ可し。省は所梗の反。斂・易は皆去聲。耨は奴豆の反。長は上聲。○刑罰を省き、稅斂を薄くす。此の二つの者は仁政の大目なり。易は治むるなり。耨は耘[くさぎ]るなり。己を盡くすを忠と謂い、實を以てするを信と謂う。君仁政を行うときは、則ち民力を農畝に盡くすことを得て、又暇日には以て禮義を脩むること有り。是を以て君を尊び上に親しみて、死を效[いた]すを樂しむ。

彼奪其民時、使不得耕耨以養其父母。父母凍餓、兄弟妻子離散。養、去聲。○彼、謂敵國也。
【読み】
彼其の民時を奪って、耕耨[こうどう]して以て其の父母を養うことを得ざらしむ。父母凍餓し、兄弟妻子離散す。養は去聲。○彼は、敵國を謂うなり。

彼陷溺其民。王往而征之、夫誰與王敵。夫、音扶。○陷、陷於阱。溺、溺於水。暴虐之意。征、正也。以彼暴虐其民、而率吾尊君親上之民、往正其罪、彼民方怨其上、而樂歸於我、則誰與我爲敵哉。
【読み】
彼其の民を陷溺す。王往いて之を征[ただ]さば、夫れ誰か王と敵せん。夫は音扶。○陷は、阱[おとしあな]に陷る。溺は、水に溺るる。暴虐の意なり。征は正すなり。彼其の民を暴虐するを以て、吾君を尊び上に親しむの民を率いて、往いて其の罪を正さば、彼の民方に其の上を怨みて、我に歸することを樂しみ、則ち誰か我と敵とせん。

故曰、仁者無敵。王請勿疑。仁者無敵、蓋古語也。百里可王、以此而已。恐王疑其迂闊。故勉使勿疑也。○孔氏曰、惠王之志、在於報怨、孟子之論、在於救民。所謂惟天吏則可以伐之、蓋孟子之本意。
【読み】
故に曰く、仁者は敵無し、と。王請う疑うこと勿かれ、と。仁者は敵無しは、蓋し古語ならん。百里にして王たる可しは、此を以てのみ。王其の迂闊なるを疑うを恐る。故に勉[し]いて疑うこと勿からしむるなり。○孔氏曰く、惠王の志は、怨に報いるに在り。孟子の論は、民を救うに在り。所謂惟天吏なれば則ち以て之を伐つ可しは、蓋し孟子の本意ならん、と。


梁惠王章句上6
○孟子見梁襄王。襄王、惠王子。名赫。
【読み】
○孟子梁の襄王に見う。襄王は惠王の子。名は赫[かく]。

出語人曰、望之不似人君、就之而不見所畏焉。卒然問曰、天下惡乎定。吾對曰、定于一。語、去聲。卒、七沒反。惡、平聲。○語、告也。不似人君、不見所畏、言其無威儀也。卒然、急遽之貌。蓋容貌辭氣、乃德之符。其外如此、則其中之所存者可知。王問、列國分爭。天下當何所定。孟子對以必合於一、然後定也。
【読み】
出でて人に語げて曰く、之を望むに人君に似ず、之に就いて畏るる所を見ず。卒然として問うて曰く、天下惡んか定まらん、と。吾對えて曰く、一に定まらん、と。語は去聲。卒は七沒の反。惡は平聲。○語は告ぐなり。人君に似ず、畏るる所を見ずは、其の威儀無きを言うなり。卒然は、急遽の貌。蓋し容貌辭氣は、乃ち德の符なり。其の外此の如くなれば、則ち其の中の存する所の者知る可し。王問う、列國分かれ爭う。天下當に何れか定まる所なるべし、と。孟子對うるに、必ず一に合して、然して後に定まらんことを以てす。

孰能一之。王問也。
【読み】
孰か能く之を一にせん。王問うなり。

對曰、不嗜殺人者、能一之。嗜、甘也。
【読み】
對えて曰く、人を殺すことを嗜[たの]しまざる者、能く之を一にせん、と。嗜は甘[この]むなり。

孰能與之。王復問也。與、猶歸也。
【読み】
孰か能く之に與[くみ]せん。王復問うなり。與は、猶歸するのごとし。

對曰、天下莫不與也。王知夫苗乎。七八月之閒旱、則苗槁矣。天油然作雲、沛然下雨、則苗浡然興之矣。其如是、孰能禦之。今夫天下之人牧、未有不嗜殺人者也。如有不嗜殺人者、則天下之民、皆引領而望之矣。誠如是也、民歸之、由水之就下。沛然誰能禦之。夫、音扶。浡、音勃。由當作猶。古字借用。後多放此。○周七八月、夏五六月也。油然、雲盛貌。沛然、雨盛貌。浡然、興起貌。禦、禁止也。人牧、謂牧民之君也。領、頸也。蓋好生惡死、人心所同。故人君不嗜殺人、則天下悦而歸之。○蘇氏曰、孟子之言、非苟爲大而已。然不深原其意而詳究其實、未有不以爲迂者矣。予觀孟子以來、自漢高祖、及光武、及唐太宗、及我太祖皇帝、能一天下者四君。皆以不嗜殺人致之。其餘殺人愈多、而天下愈亂。秦晉及隋、力能合之、而好殺不已。故或合而復分、或遂以亡國。孟子之言、豈偶然而已哉。
【読み】
對えて曰く、天下與せずということ莫けん。王夫の苗を知れりや。七八月の閒旱するときは、則ち苗槁[か]る。天油然として雲を作[おこ]し、沛然として雨を下すときは、則ち苗浡然[ぼつぜん]として興[お]く。其れ是の如くば、孰か能く之を禦[ふせ]がん。今夫れ天下の人牧、未だ人を殺すことを嗜しまざる者有らず。如し人を殺すことを嗜しまざる者有らば、則ち天下の民、皆領[くび]を引[の]べて之を望まん。誠に是の如くば、民の之に歸せんこと、由[なお]水の下[ひく]きに就くがごとけん。沛然として誰か能く之を禦がん、と。夫は音扶。浡は音勃。由は當に猶に作るべし。古字借用す。後多く此に放え。○周の七八月は、夏の五六月なり。油然は、雲盛んの貌。沛然は、雨盛んの貌。浡然は、興起の貌。禦は禁止するなり。人牧は、民を牧[やしな]う君を謂うなり。領は頸なり。蓋し生を好み死を惡むは、人心の同じき所。故に人君人を殺すことを嗜しまざるときは、則ち天下悦んで之に歸せん。○蘇氏曰く、孟子の言、苟くも大いなるのみには非ず。然れども深く其の意を原[たず]ねて詳らかに其の實を究めざれば、未だ以て迂とせざる者有らず。予孟子以來を觀るに、漢の高祖より、及び光武、及び唐の太宗、及び我が太祖皇帝まで、能く天下を一にする者四君。皆人を殺すことを嗜しまざるを以て之を致す。其の餘は人を殺すこと愈々多くして、天下愈々亂る。秦晉及び隋は、力能く之を合すれども、殺すことを好みて已まず。故に或は合して復分かれ、或は遂に以て國を亡ぼせり。孟子の言、豈偶然のみならんや、と。


梁惠王章句上7
○齊宣王問曰、齊桓・晉文之事、可得聞乎。齊宣王、姓田氏、名辟彊。諸侯僭稱王也。齊桓公・晉文公、皆霸諸侯者。
【読み】
○齊の宣王問うて曰く、齊桓・晉文の事、得て聞いつ可けんや、と。齊の宣王、姓は田氏、名は辟彊。諸侯僭[ひところ]いて王と稱す。齊の桓公・晉の文公は、皆諸侯に霸たる者なり。

孟子對曰、仲尼之徒、無道桓・文之事者。是以後世無傳焉。臣未之聞也。無以、則王乎。道、言也。董子曰、仲尼之門、五尺童子羞稱五霸。爲其先詐力而後仁義也。亦此意也。以・已通用。無已、必欲言之而不止也。王、謂王天下之道。
【読み】
孟子對えて曰く、仲尼の徒、桓・文の事を道う者無し。是を以て後世傳うること無し。臣未だ之を聞かず。以[や]むこと無くば、則ち王か、と。道は言うなり。董子曰く、仲尼の門、五尺の童子も五霸を稱することを羞ず。其れ詐力を先にして仁義を後にするが爲なり、と。亦此の意なり。以・已は通用す。已むこと無きは、必ず之を言わんと欲して止まざるなり。王は、天下に王たるの道を謂う。

曰、德何如、則可以王矣。曰、保民而王、莫之能禦也。保、愛護也。
【読み】
曰く、德何如してか、則ち以て王たる可き、と。曰く、民を保んじて王たらば、之を能く禦ぐこと莫けん、と。保んずは、愛し護るなり。

曰、若寡人者、可以保民乎哉。曰、可。曰、何由知吾可也。曰、臣聞之胡齕。曰、王坐於堂上。有牽牛而過堂下者。王見之曰、牛何之。對曰、將以釁鐘。王曰、舍之。吾不忍其觳觫、若無罪而就死地。對曰、然則廢釁鐘與。曰、何可廢也。以羊易之。不識有諸。齕、音核。舍、上聲。觳、音斛。觫、音速。與、平聲。○胡齕、齊臣也。釁鐘、新鑄鐘成、而殺牲取血以塗其釁隙也。觳觫、恐懼貌。孟子述所聞胡齕之語而問王。不知果有此事否。
【読み】
曰く、寡人が若きは、以て民を保んず可けんや、と。曰く、可なり、と。曰く、何に由ってか吾が可なることを知れる、と。曰く、臣之を胡齕[ここつ]に聞けり。曰く、王堂上に坐[いま]す。牛を牽いて堂下を過ぐる者有り。王之を見て曰く、牛何くんか之[ゆ]く、と。對えて曰く、將に以て鐘に釁[ちぬ]らんとす、と。王曰く、之を舍け。吾其の觳觫[こくそく]として、罪無くして死地に就くが若くなるに忍びず、と。對えて曰く、然らば則ち鐘に釁ることを廢てんか、と。曰く、何ぞ廢つ可けん。羊を以て之を易えよ、と。識らず、有りしや諸れ、と。齕は音核。舍は上聲。觳は音斛。觫は音速。與は平聲。○胡齕は、齊の臣なり。鐘に釁るは、新たに鐘を鑄て成りて、牲を殺し血を取りて以て其の釁隙に塗るなり。觳觫は恐懼の貌。孟子胡齕に聞く所の語を述べて王に問えり。知らず、果たして此の事有りや否や、と。

曰、有之。曰、是心足以王矣。百姓皆以王爲愛也。臣固知王之不忍也。王見牛之觳觫、而不忍殺、卽所謂惻隱之心、仁之端也。擴而充之、則可以保四海矣。故孟子指而言之、欲王察識於此而擴充之也。愛、猶吝也。
【読み】
曰く、之れ有り、と。曰く、是の心以て王たるに足れり。百姓皆王を以て愛[お]しめりとす。臣固[まこと]に王の忍びざることを知れり、と。王牛の觳觫たるを見て、殺すに忍びざるは、卽ち所謂惻隱の心にして、仁の端なり。擴めて之を充たせば、則ち以て四海を保つ可し。故に孟子指して之を言い、王此を察識して之を擴め充てまく欲するなり。愛は猶吝[お]しむのごとし。

王曰、然。誠有百姓者。齊國雖褊小、吾何愛一牛。卽不忍其觳觫、若無罪而就死地。故以羊易之也。言以羊易牛、其迹似吝。實有如百姓所譏者。然我之心、不如是也。
【読み】
王曰く、然り。誠に百姓のごとき者有り。齊國褊小なりと雖も、吾何ぞ一牛を愛しまん。卽ち其の觳觫として、罪無くして死地に就くが若くなるに忍びず。故に羊を以て之に易えたり、と。言うこころは、羊を以て牛に易えたるは、其の迹は吝しむに似たり。實に百姓の譏る所の如き者有り。然れども我が心、是の如きにあらず、と。

曰、王無異於百姓之以王爲愛也。以小易大。彼惡知之。王若隱其無罪而就死地、則牛羊何擇焉。王笑曰、是誠何心哉。我非愛其財、而易之以羊也。宜乎百姓之謂我愛也。惡、平聲。○異、怪也。隱、痛也。擇、猶分也。言牛羊皆無罪而死。何所分別而以羊易牛乎。孟子故設此難、欲王反求而得其本心。王不能然。故卒無以自解於百姓之言也。
【読み】
曰く、王百姓の王を以て愛しめりとするを異[あや]しむこと無かれ。小を以て大に易う。彼惡んぞ之を知らん。王若し其の罪無くして死地に就くことを隱[いた]まば、則ち牛羊何ぞ擇[わか]たん、と。王笑って曰く、是れ誠に何の心ぞや。我其の財を愛しむに非ずして、之に易うるに羊を以てせん。宜なるかな、百姓の我を愛しめりと謂うこと、と。惡は平聲。○異は怪しむなり。隱は痛むなり。擇は猶分かつのごとし。言うこころは、牛羊は皆罪無くして死す。何の分別する所ありて羊を以て牛に易えん、と。孟子故[ことさら]に此の難を設けて、王の反り求めて其の本心を得んことを欲す。王然ること能わず。故に卒に以て自ら百姓の言を解くこと無きなり。

曰、無傷也。是乃仁術也。見牛未見羊也。君子之於禽獸也、見其生、不忍見其死、聞其聲、不忍食其肉。是以君子遠庖廚也。遠、去聲。○無傷、言雖有百姓之言、不爲害也。術、謂法之巧者。蓋殺牛旣所不忍、釁鐘又不可廢。於此無以處之、則此心雖發、而終不得施矣。然見牛、則此心已發而不可遏、未見羊、則其理未形、而無所妨。故以羊易牛、則二者得以兩全而無害。此所以爲仁之術也。聲、謂將死而哀鳴也。蓋人之於禽獸、同生而異類。故用之以禮、而不忍之心、施於見聞之所及。其所以必遠庖廚者、亦以預養是心、而廣爲仁之術也。
【読み】
曰く、傷[そこな]うこと無かれ。是れ乃ち仁術なり。牛を見て未だ羊を見ざればなり。君子の禽獸に於る、其の生を見て、其の死を見るに忍びず、其の聲を聞いて、其の肉を食うに忍びず。是を以て君子は庖廚に遠ざかれり、と。遠は去聲。○傷うこと無かれは、言うこころは、百姓の言有りと雖も、害を爲さず、と。術は、法の巧なる者を謂う。蓋し牛を殺すは旣に忍びざる所にて、鐘を釁るも又廢つ可からず。此に於て以て之を處すること無くば、則ち此の心發すと雖も、終に施すことを得ず。然れども牛を見るときは、則ち此の心已に發して遏[とど]むる可からず、未だ羊を見ざるときは、則其の理未だ形[あらわ]れずして、妨ぐ所無し。故に羊を以て牛に易えるときは、則ち二つの者以て兩つながら全くして害無きを得。此れ仁を爲す所以の術なり。聲は、將に死せんとして哀しみ鳴くことを謂うなり。蓋し人の禽獸に於る、生を同じくして類を異にす。故に之を用うるに禮を以てして、忍びざるの心、見聞の及ぶ所に施す。其の必ず庖廚に遠ざかる所以の者も、亦以て預[あらかじ]め是の心を養いて、仁を爲すの術を廣むるなり。

王說曰、詩云、他人有心、予忖度之、夫子之謂也。夫我乃行之、反而求之、不得吾心。夫子言之。於我心有戚戚焉。此心之所以合於王者何也。說、音悦。忖、七本反。度、待洛反。夫我之夫、音扶。○詩、小雅巧言之篇。戚戚、心動貌。王因孟子之言、而前日之心復萌、乃知此心不從外得。然猶未知所以反其本而推之也。
【読み】
王說んで曰く、詩に云く、他人心有り、予忖[はか]り度[はか]るとは、夫子を謂うなり。夫れ我乃ち之を行って、反って之を求むれども、吾が心を得ず。夫子之を言う。我が心に於て戚戚焉たること有り。此の心の王に合う所以の者何ぞ、と。說は音悦。忖は七本の反。度は待洛の反。夫我の夫は音扶。○詩は、小雅巧言の篇。戚戚は心動くの貌。王孟子の言に因りて、前日の心復萌し、乃ち此の心外より得ざることを知る。然れども猶未だ其の本に反って之を推す所以を知らざるなり。

曰、有復於王者曰、吾力足以舉百鈞。而不足以舉一羽。明足以察秋毫之末、而不見輿薪。則王許之乎。曰、否。今恩足以及禽獸、而功不至於百姓者、獨何與。然則一羽之不舉、爲不用力焉。輿薪之不見、爲不用明焉。百姓之不見保、爲不用恩焉。故王之不王、不爲也。非不能也。與、平聲。爲不之爲、去聲。○復、白也。鈞、三十斤。百鈞、至重難舉也。羽、鳥羽。一羽、至輕易舉也。秋毫之末、毛至秋而末銳。小而難見也。輿薪、以車載薪。大而易見也。許、猶可也。今恩以下、又孟子之言也。蓋天地之性、人爲貴。故人之與人、又爲同類而相親。是以惻隱之發、則於民切、而於物緩。推廣仁術、則仁民易、而愛物難。今王此心能及物矣、則其保民而王、非不能也。但自不肯爲耳。
【読み】
曰く、王に復[もう]す者有りて曰く、吾が力以て百鈞を舉ぐるに足れり。而も以て一羽を舉ぐるに足らず。明以て秋毫の末を察するに足れども、而も輿薪を見ず、と。則ち王之を許さんか、と。曰く、否、と。今恩以て禽獸に及ぶに足れども、而も功百姓に至らざることは、獨[こと]に何ぞや。然るときは則ち一羽を舉げざるは、力を用いざるが爲なり。輿薪を見ざるは、明を用いざるが爲なり。百姓の保んぜられざるは、恩を用いざるが爲なり。故に王の王たらざるは、爲さざるなり。能わざるには非ざるなり、と。與は平聲。爲不の爲は去聲。○復は白[もう]すなり。鈞は三十斤。百鈞は、至って重く舉げ難し。羽は鳥の羽。一羽は、至って輕く舉げ易し。秋毫の末は、毛秋に至りて末銳し。小にして見難し。輿薪は、車を以て薪を載す。大にして見易し。許は猶可のごとし。今恩以下は、又孟子の言なり。蓋し天地の性、人を貴しと爲す。故に人と人とは、又同類を爲して相親し。是を以て惻隱發すれば、則ち民に於て切にして、物に於て緩し。仁術を推し廣めれば、則ち民を仁[いつく]しむこと易くして、物を愛[あわ]れむこと難し。今王此の心能く物に及べば、則ち其の民を保んじて王たることは、能わざるに非ざるなり。但自ら肯えて爲さざるのみ。

曰、不爲者與不能者之形、何以異。曰、挾太山以超北海、語人曰、我不能。是誠不能也。爲長者折枝、語人曰、我不能。是不爲也。非不能也。故王之不王、非挾太山以超北海之類也。王之不王、是折枝之類也。語、去聲。爲長之爲、去聲。長、上聲。折、之舌反。○形、状也。挾、以腋持物也。超、躍而過也。爲長者折枝、以長者之命、折草木之枝。言不難也。是心固有、不待外求。擴而充之、在我而已。何難之有。
【読み】
曰く、せざる者と能わざる者との形、何を以てか異なる、と。曰く、太山を挾んで以て北海を超えんこと、人に語げて曰く、我能わず、と。是れ誠に能わざるなり。長者の爲に枝を折ること、人に語げて曰く、我能わず、と。是れせざるなり。能わざるに非ざるなり。故に王の王たらざるは、太山を挾んで以て北海を超えるの類に非ざるなり。王の王たらざるは、是れ枝を折るの類なり。語は去聲。爲長の爲は去聲。長は上聲。折は之舌の反。○形は状なり。挾は、腋を以て物を持つなり。超は、躍りて過ぐなり。長者の爲に枝を折るは、長者の命を以て、草木の枝を折る。難からざるを言うなり。是の心固より有り、外に求むるを待たず。擴めて之を充たすは、我に在るのみ。何の難きことか之れ有らん。

老吾老、以及人之老、幼吾幼、以及人之幼、天下可運於掌。詩云、刑于寡妻、至于兄弟、以御于家邦。言舉斯心加諸彼而已。故推恩足以保四海、不推恩無以保妻子。古之人所以大過人者無他焉、善推其所爲而已矣。今恩足以及禽獸、而功不至於百姓者、獨何與。與、平聲。○老、以老事之也。吾老、謂我之父兄。人之老、謂人之父兄。幼、以幼畜之也。吾幼、謂我之子弟。人之幼、謂人之子弟。運於掌、言易也。詩、大雅思齊之篇。刑、法也。寡妻、寡德之妻。謙辭也。御、治也。不能推恩、則衆叛親離。故無以保妻子。蓋骨肉之親、本同一氣、又非但若人之同類而已。故古人必由親親推之、然後及於仁民、又推其餘、然後及於愛物。皆由近以及遠、自易以及難。今王反之、則必有故矣。故復推本而再問之。
【読み】
吾が老を老として、以て人の老に及ぼし、吾が幼を幼として、以て人の幼に及ぼさば、天下掌に運らす可し。詩に云く、寡妻に刑[のり]し、兄弟に至りて、以て家邦を御[おさ]む、と。言うこころは、斯の心を舉げて諸を彼に加うるのみ、と。故に恩を推すときは以て四海を保んずるに足り、恩を推さざるときは以て妻子を保んずること無し。古の人大いに人に過[こ]えたる所以の者は他無し、善く其のする所を推せるのみ。今恩以て禽獸に及ぶに足れども、而も功百姓に至らざること、獨に何ぞや。與は平聲。○老は、老を以て之に事えるなり。吾が老は、我が父兄を謂う。人の老は、人の父兄を謂う。幼は、幼を以て之を畜うなり。吾が幼は、我が子弟を謂う。人の幼は、人の子弟を謂う。掌に運らすは、易きことを言う。詩は大雅思齊の篇。刑は、法るなり。寡妻は、寡德の妻。謙辭なり。御は治むなり。恩を推すこと能わざれば、則ち衆叛き親離る。故に以て妻子を保んずること無し。蓋し骨肉の親は、本同じ一氣にて、又但人の類を同じくするが若きのみに非ず。故に古人は必ず親を親しむより之を推して、然して後に民を仁しむに及び、又其の餘を推して、然して後に物を愛れむに及ぶ。皆近きより以て遠きに及び、易きより以て難きに及ぶ。今王之に反くは、則ち必ず故有らん。故に復本を推して再び之を問う。

權然後知輕重。度然後知長短。物皆然。心爲甚。王請度之。度之之度、待洛反。○權、稱錘也。度、丈尺也。度之、謂稱量之也。言物之輕重長短、人所難齊、必以權度度之而後可見。若心之應物、則其輕重長短之難齊、而不可不度以本然之權度、又有甚於物者。今王恩及禽獸、而功不至於百姓、是其愛物之心重且長、而仁民之心輕且短、失其當然之序、而不自知也。故上文旣發其端、而於此請王度之也。
【読み】
權して然して後に輕重を知る。度して然して後に長短を知る。物皆然り。心を甚だしとす。王請う之を度れ。度之の度は待洛の反。○權は稱の錘なり。度は丈尺なり。之を度るは、之を稱量するを謂うなり。言うこころは、物の輕重長短は、人の齊しくし難き所にて、必ず權度を以て之を度りて後に見る可し。心の物に應ずるが若きは、則ち其の輕重長短齊しくし難くして、度るに本然の權度を以てせずんばある可からざること、又物より甚だしき者有り、と。今王の恩禽獸に及びて、功百姓に至らざるは、是れ其の物を愛しむの心重く且つ長くして、民を仁しむ心輕く且つ短く、其の當然の序を失いて、而も自ら知らざるなり。故に上文旣に其の端を發き、此に於て王之を度らんことを請うなり。

抑王興甲兵、危士臣、構怨於諸侯、然後快於心與。與、平聲。○抑、發語辭。士、戰士也。構、結也。孟子以、王愛民之心所以輕且短者、必其以是三者爲快也。然三事實非人心之所快、有甚於殺觳觫之牛者。故指以問王、欲其以此而度之也。
【読み】
抑々王甲兵を興し、士臣を危ぶめ、怨を諸侯に構[むす]んで、然して後に心に快きか、と。與は平聲。○抑は發語の辭。士は戰士なり。構は結ぶなり。孟子以[おも]うに、王の民を愛しむの心輕く且つ短き所以の者は、必ず其れ是の三つの者を以て快しとすればなり。然れども三つの事は實に人心の快しとする所に非ずして、觳觫の牛を殺すよりも甚だしき者有り。故に指して以て王に問い、其の此を以て之を度らんことを欲するなり。

王曰、否。吾何快於是。將以求吾所大欲也。不快於此者、心之正也。而必爲此者、欲誘之也。欲之所誘者、獨在於是。是以其心尙明於他而獨暗於此。此其愛民之心所以輕短、而功不至於百姓也。
【読み】
王曰く、否。吾何ぞ是[ここ]に快からん。將に以て吾が大いに欲する所を求めんとすればなり、と。此を快よいとせざるは、心の正しきなり。而して必ず此をするは、欲之を誘えばなり。欲に誘う所の者、獨[ただ]是に在り。是を以て其の心尙他に明らかにして獨此に暗し。此れ其の民を愛しむの心輕短にして、功百姓に至らざる所以なり。

曰、王之所大欲、可得聞與。王笑而不言。曰、爲肥甘不足於口與。輕煖不足於體與。抑爲采色不足視於目與。聲音不足聽於耳與。便嬖不足使令於前與。王之諸臣皆足以供之。而王豈爲是哉。曰、否。吾不爲是也。曰、然則王之所大欲可知已。欲辟土地、朝秦・楚、莅中國而撫四夷也。以若所爲求、若所欲、猶緣木而求魚也。與、平聲。爲肥・抑爲・豈爲・不爲之爲、皆去聲。便・令、皆平聲。辟、與闢同。朝、音潮。○便嬖、近習嬖幸之人也。已、語助辭。辟、開廣也。朝、致其來朝也。秦・楚、皆大國。蒞、臨也。若、如此也。所爲、指興兵結怨之事。緣木求魚、言必不可得。
【読み】
曰く、王の大いに欲する所、得て聞いつ可けんや、と。王笑って言わず。曰く、肥甘口に足らざるが爲か。輕煖體に足らざるか。抑々采色目に視るに足らざるが爲か。聲音耳に聽くに足らざるか。便嬖[べんねい]前に使令するに足らざるか。王の諸臣皆以て之を供するに足れり。而るを王豈是が爲なりや、と。曰く、否。吾是が爲ならず、と。曰く、然らば則ち王の大いに欲する所知んぬ可からくのみ、と。土地を辟き、秦楚を朝せしめ、中國に莅[のぞ]んで四夷を撫でまく欲するなり。若[しか]くする所を以て、若く欲する所を求むるは、猶木に緣りて魚を求むるがごとし、と。與は平聲。爲肥・抑爲・豈爲・不爲の爲は皆去聲。便・令は皆平聲。辟は闢くと同じ。朝は音潮。○便嬖は、近習嬖幸の人なり。已は語助の辭。辟は、開き廣むるなり。朝は、其の來朝を致しむるなり。秦・楚は皆大國なり。蒞は臨むなり。若は此の如くなり。する所は、兵を興し怨を結ぶ事を指す。木に緣りて魚を求むるは、必ず得可からざるを言う。

王曰、若是其甚與。曰、殆有甚焉。緣木求魚、雖不得魚、無後災。以若所爲、求若所欲、盡心力而爲之、後必有災。曰、可得聞與。曰、鄒人與楚人戰、則王以爲孰勝。曰、楚人勝。曰、然則小固不可以敵大、寡固不可以敵衆、弱固不可以敵彊。海内之地、方千里者九。齊集有其一。以一服八、何以異於鄒敵楚哉。蓋亦反其本矣。甚與・聞與之與、平聲。○殆・蓋、皆發語辭。鄒、小國。楚、大國。齊集有其一、言集合齊地、其方千里、是有天下九分之一也。以一服八、必不能勝。所謂後災也。反本、說見下文。
【読み】
王曰く、是の若く其れ甚だしきか、と。曰く、殆ど焉より甚だしきこと有り。木に緣りて魚を求むるは、魚を得ずと雖も、後の災無し。若くする所を以て、若く欲する所を求め、心力を盡くして之をせば、後必ず災有らん、と。曰く、得て聞いつ可けんや。曰く、鄒人と楚人と戰わば、則ち王孰れか勝たんと以爲[おも]える、と。曰く、楚人勝たん、と。曰く、然らば則ち小は固[まこと]に以て大に敵す可からず、寡は固に以て衆に敵す可からず、弱は固に以て彊に敵す可からず。海内の地、方千里なる者九つ。齊集めて其の一つを有[たも]つ。一つを以て八つを服せんこと、何を以てか鄒の楚に敵するに異ならんや。蓋し亦其の本に反れ。甚與・聞與の與は平聲。○殆・蓋は皆發語の辭。鄒は小國。楚は大國。齊集めて其の一つを有つは、言うこころは、齊の地を集め合わせば、其の方千里、是れ天下の九分の一を有つ、と。一つを以て八つを服せば、必ず勝つこと能わず。所謂後の災なり。本に反るは、說下文に見ゆ。

今王發政施仁、使天下仕者皆欲立於王之朝、耕者皆欲耕於王之野、商賈皆欲藏於王之市、行旅皆欲出於王之塗、天下之欲疾其君者皆欲赴愬於王。其若是、孰能禦之。朝、音潮。賈、音古。愬、與訴同。○行貨曰商、居貨曰賈。發政施仁、所以王天下之本也。近者悦、遠者來、則大小強弱非所論矣。蓋力求所欲、則所欲者反不可得。能反其本、則所欲者不求而至。與首章意同。
【読み】
今王政を發[おこ]し仁を施さば、天下の仕うる者をして皆王の朝に立たまく欲し、耕す者をして皆王の野に耕さまく欲し、商賈をして皆王の市に藏[かく]れまく欲し、行旅をして皆王の塗に出でまく欲し、天下の其の君を疾[にく]まく欲する者をして皆王に赴[つ]げ愬[うった]えまく欲せしめん。其れ是の若くば、孰か能く之を禦がん、と。朝は音潮。賈は音古。愬は訴と同じ。○行[あり]きて貨[う]るを商と曰い、居て貨るを賈と曰う。政を發し仁を施すは、天下に王たる所以の本なり。近き者悦び、遠き者來れば、則ち大小強弱は論ずる所に非ざるなり。蓋し力めて欲する所を求めるときは、則ち欲する所の者反って得る可からず。能く其の本に反るときは、則ち欲する所の者求めずして至る。首章の意と同じ。

王曰、吾惛、不能進於是矣。願夫子輔吾志、明以敎我。我雖不敏、請嘗試之。惛、與昏同。
【読み】
王曰く、吾惛[くら]くして、是に進むこと能わず。願わくは夫子吾が志を輔けて、明らかに以て我に敎えよ。我不敏なりと雖も、請う之を嘗試[しょうし]せん、と。惛は昏と同じ。

曰、無恆產而有恆心者、惟士爲能。若民、則無恆產、因無恆心。苟無恆心、放辟邪侈、無不爲已。及陷於罪、然後從而刑之、是罔民也。焉有仁人在位、罔民而可爲也。恆、胡登反。辟、與僻同。焉、於虔反。○恆、常也。產、生業也。恆產、可常生之業也。恆心、人所常有之善心也。士嘗學問、知義理。故雖無常產、而有常心。民則不能然矣。罔、猶羅網。欺其不見而取之也。
【読み】
曰く、恆の產無くして恆の心有ること、惟士のみ能くすることを爲す。民の若きんば、則ち恆の產無ければ、因って恆の心無し。苟も恆の心無ければ、放辟邪侈、せざるということ無からまくのみ。罪に陷るに及んで、然して後に從って之を刑[つみ]なうは、是れ民を罔[あみ]するなり。焉んぞ仁人位に在る有りて、民を罔すること爲す可けん。恆は胡登の反。辟は僻と同じ。焉は於虔の反。○恆は常なり。產は生業なり。恆產は、常に生ず可きの業なり。恆心は、人の常に有る所の善心なり。士は嘗て學問して、義理を知る。故に常の產無しと雖も、而して常の心有り。民は則ち然ること能わず。罔は猶羅網のごとし。其の見えざるを欺きて之を取るなり。

是故明君制民之產、必使仰足以事父母、俯足以畜妻子、樂歳終身飽、凶年免於死亡、然後驅而之善。故民之從之也輕。畜、許六反、下同。○輕、猶易也。此言民有常產、而有常心也。
【読み】
是の故に明君民の產を制して、必ず仰いで以て父母に事るに足り、俯して以て妻子を畜うに足り、樂歳には身を終うるまでの飽[あき]あり、凶年には死亡に免れしめて、然して後に驅って善に之かしむ。故に民の之に從うこと輕[やす]し。畜は許六の反、下も同じ。○輕は猶易しのごとし。此れ民に常の產有りて、常の心有るを言うなり。

今也制民之產、仰不足以事父母、俯不足以畜妻子、樂歳終身苦、凶年不免於死亡。此惟救死而恐不贍。奚暇治禮義哉。治、平聲。凡治字、爲理物之義者、平聲、爲己理之義者、去聲。後皆放此。○贍、足也。此所謂無常產、而無常心者也。
【読み】
今民の產を制するに、仰いでは以て父母に事るに足らず、俯しては以て妻子を畜うに足らず、樂歳には身を終うるまで苦しみあり、凶年には死亡を免れず。此れ惟死を救うだも贍[た]らざらんことを恐る。奚んぞ禮義を治むるに暇あらんや。治は平聲。凡て治の字、物を理むるの義爲る者は平聲、己に理まりたるの義爲る者は去聲。後も皆此に放え。○贍は足るなり。此れ所謂常の產無くして、常の心無き者なり。

王欲行之、則盍反其本矣。盍、何不也。使民有常產者、又發政施仁之本也。說見下文。
【読み】
王之を行わまく欲せば、則ち盍[なん]ぞ其の本に反らざる。盍は、何不なり。民に常の產有らしむるは、又政を發し仁を施すの本なり。說は下文に見ゆ。

五畝之宅、樹之以桑、五十者可以衣帛矣。雞豚狗彘之畜、無失其時、七十者可以食肉矣。百畝之田、勿奪其時、八口之家可以無飢矣。謹庠序之敎、申之以孝悌之義、頒白者不負戴於道路矣。老者衣帛食肉、黎民不飢不寒、然而不王者、未之有也。音、見前章。○此言制民之產之法也。趙氏曰、八口之家、次上農夫也。此王政之本、常生之道。故孟子爲齊梁之君各陳之也。楊氏曰、爲天下者、舉斯心加諸彼而已。然雖有仁心仁聞、而民不被其澤者、不行先王之道故也。故以制民之產告之。○此章言、人君當黜霸功、行王道。而王道之要、不過推其不忍之心、以行不忍之政而已。齊王非無此心、而奪於功利之私、不能擴充以行仁政。雖以孟子反覆曉告、精切如此、而蔽固已深、終不能悟。是可歎也。
【読み】
五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者以て帛を衣る可し。雞豚狗彘[くてい]の畜い、其の時を失うこと無くば、七十の者以て肉を食らう可し。百畝の田、其の時を奪うこと勿くば、八口の家以て飢うること無かる可し。庠序の敎を謹み、之に申[かさ]ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者道路に負戴せじ。老者帛を衣肉を食らい、黎民飢えず寒からず、然して王たらざる者は、未だ之れ有らず、と。音は前章に見ゆ。○此れ民の產を制するの法を言うなり。趙氏曰く、八口の家は、上農夫の次なり。此れ王政の本、常に生ずるの道なり。故に孟子齊梁の君の爲に各々之を陳ぶる、と。楊氏曰く、天下を爲むる者は、斯の心を舉げて諸を彼に加うるのみ。然るに仁心仁聞有りと雖も、民其の澤を被らざるは、先王の道を行わざるが故なり。故に民の產を制することを以て之に告げり、と。○此の章言うこころは、人君當に霸功を黜[しりぞ]け、王道を行うべし、と。而して王道の要は、其の忍びざるの心を推して、以て忍びざるの政を行うに過ぎざるのみ。齊王此の心無きに非ずして、功利の私に奪われ、擴充して以て仁政を行うこと能わず。孟子の反覆曉告、精切なること此の如きを以てすと雖も、蔽固已に深く、終に悟ること能わず。是れ歎ず可し。


梁惠王章句下 凡十六章。

梁惠王章句下1
莊暴見孟子曰、暴見於王、王語暴以好樂。暴未有以對也。曰、好樂何如。孟子曰、王之好樂甚、則齊國其庶幾乎。見於之見、音現。下見於同。語、去聲。下同。好、去聲。篇内並同。○莊暴、齊臣也。庶幾、近辭也。言近於治。
【読み】
莊暴孟子に見うて曰く、暴王に見[まみ]ゆ。王暴に語ぐるに樂を好むことを以てす。暴未だ以て對うること有らず。曰く、樂を好むこと何如、と。孟子曰く、王の樂を好むこと甚だしくば、則ち齊國は其れ庶幾[ちか]からんか、と。見於の見は音現。下の見於も同じ。語は去聲。下も同じ。好は去聲。篇内並同じ。○莊暴は齊の臣なり。庶幾は近きの辭なり。治まるに近からんことを言う。

他日見於王曰、王嘗語莊子以好樂、有諸。王變乎色曰、寡人非能好先王之樂也。直好世俗之樂耳。變色者、慚其好之不正也。
【読み】
他日王に見えて曰く、王嘗て莊子に語ぐるに樂を好むことを以てすること、有りしや諸れ、と。王色を變じて曰く、寡人能く先王の樂を好むに非ず。直[ただ]世俗の樂を好めるのみ、と。色を變ずるは、其の好むことの正しからざるを慚じてなり。

曰、王之好樂甚、則齊其庶幾乎。今之樂由古之樂也。今樂、世俗之樂。古樂、先王之樂。
【読み】
曰く、王の樂を好むこと甚だしくば、則ち齊は其れ庶幾からんか。今の樂は由[なお]古の樂のごとし、と。今の樂は世俗の樂なり。古の樂は先王の樂なり。

曰、可得聞與。曰、獨樂樂、與人樂樂、孰樂。曰、不若與人。曰、與少樂樂、與衆樂樂、孰樂。曰、不若與衆。聞與之與、平聲。樂樂下字、音洛。孰樂、亦音洛。○獨樂不若與人、與少樂不若與衆。亦人之常情也。
【読み】
曰く、得て聞いつ可けんや、と。曰く、獨り樂して樂しむと、人と樂して樂しむと、孰れか樂しき、と。曰く、人と與にするに若かず、と。曰く、少と樂して樂しむと、衆と樂して樂しむと、孰れか樂しき、と。曰く、衆と與にするに若かず、と。聞與の與は平聲。樂樂の下の字は音洛。孰樂も亦音洛。○獨り樂しむは人と與にするに若かず、少と樂しむは衆と與にするに若かず。亦人の常の情なり。

臣請爲王言樂。爲、去聲。○此以下、皆孟子之言也。
【読み】
臣請う、王の爲に樂を言わん。爲は去聲。○此れ以下は、皆孟子の言なり。

今王鼓樂於此、百姓聞王鐘鼓之聲、管籥之音、舉疾首蹙頞、而相告曰、吾王之好鼓樂、夫何使我至於此極也。父子不相見、兄弟妻子離散。今王田獵於此、百姓聞王車馬之音、見羽旄之美、舉疾首蹙頞、而相告曰、吾王之好田獵、夫何使我至於此極也。父子不相見、兄弟妻子離散。此無他。不與民同樂也。蹙、子六反。頞、音遏。夫、音扶。同樂之樂、音洛。○鐘鼓管籥、皆樂器也。舉、皆也。疾首、頭痛也。蹙、聚也。頞、額也。人憂戚、則蹙其額。極、竆也。羽旄、旌屬。不與民同樂、謂獨樂其身而不恤其民、使之竆困也。
【読み】
今王此に鼓樂せんに、百姓王の鐘鼓の聲、管籥[かんやく]の音を聞いて、舉[みな]首を疾ましめ頞[ひたい]を蹙[しわ]めて、相告げて曰わん、吾が王の鼓樂を好む、夫れ何ぞ我をして此の極まりに至らしむる。父子相見ず、兄弟妻子離散す、と。今王此に田獵せんに、百姓王の車馬の音を聞き、羽旄[うぼう]の美を見て、舉首を疾ましめ頞を蹙めて、相告げて曰わん、吾が王の田獵を好む、夫れ何ぞ我をして此の極まりに至らしむる。父子相見ず、兄弟妻子離散す、と。此れ他無し。民と樂しみを同じうせざればなり。蹙は子六の反。頞は音遏。夫は音扶。同樂の樂は音洛。○鐘鼓管籥は、皆樂器なり。舉は皆なり。首を疾むは頭痛むなり。蹙は聚むなり。頞は額なり。人憂戚あるときは、則ち其の額を蹙む。極は竆むなり。羽旄は旌の屬。民と樂しみを同じうせずは、獨り其の身を樂しましめて其の民を恤れまず、之を竆困せしむるを謂うなり。

今王鼓樂於此、百姓聞王鐘鼓之聲、管籥之音、舉欣欣然有喜色、而相告曰、吾王庶幾無疾病與。何以能鼓樂也。今王田獵於此、百姓聞王車馬之音、見羽旄之美、舉欣欣然有喜色、而相告曰、吾王庶幾無疾病與。何以能田獵也。此無他。與民同樂也。病與之與、平聲。同樂之樂、音洛。○與民同樂者、推好樂之心以行仁政、使民各得其所也。
【読み】
今王此に鼓樂せんに、百姓王の鐘鼓の聲、管籥の音を聞いて、舉欣欣然として喜色有りて、相告げて曰わん、吾が王庶幾[ほとん]ど疾病無きか。何ぞ以て能く鼓樂す、と。今王此に田獵せんに、百姓王の車馬の音を聞き、羽旄の美を見て、舉欣欣然として喜色有りて、相告げて曰わん、吾が王庶幾ど疾病無きか。何を以てか能く田獵する、と。此れ他無し。民と樂しみを同じうすればなり。病與の與は平聲。同樂の樂は音洛。○民と樂しみを同じうするは、樂を好むの心を推して以て仁政を行い、民をして各々其の所を得さしむるなり。

今王與百姓同樂、則王矣。好樂而能與百姓同之、則天下之民歸之矣。所謂齊其庶幾者如此。○范氏曰、戰國之時、民竆財盡、人君獨以南面之樂自奉其身。孟子切於救民。故因齊王之好樂、開導其善心、深勸其與民同樂。而謂今樂猶古樂。其實今樂古樂、何可同也。但與民同樂之意、則無古今之異耳。若必欲以禮樂治天下、當如孔子之言、必用韶舞、必放鄭聲。蓋孔子之言、爲邦之正道、孟子之言、救時之急務。所以不同。楊氏曰、樂以和爲主。使人聞鐘鼓管弦之音而疾首蹙頞、則雖奏以咸・英・韶・濩、無補於治也。故孟子告齊王以此、姑正其本而已。
【読み】
今王百姓と樂を同じうせば、則ち王たらん、と。樂を好みて能く百姓と之を同じうせば、則ち天下の民之に歸さん。謂う所の齊は其れ庶幾からんは此の如し。○范氏曰く、戰國の時、民竆し財盡きて、人君獨り南面の樂を以て自ら其の身に奉ず。孟子民を救うに切なり。故に齊王の樂を好むに因りて、其の善心を開き導き、深く其の民と樂しみを同じうせんことを勸む。而も今樂は由古樂のごとしと謂う。其の實は今樂古樂、何ぞ同じかる可けん。但民と樂しみを同じうするの意は、則ち古今の異なること無きのみ。若し必ず禮樂を以て天下を治めんと欲すれば、當に孔子の言の如く、必ず韶舞を用い、必ず鄭聲を放つべし。蓋し孔子の言は、邦を爲むるの正道、孟子の言は、時を救うの急務なり。同じからざる所以なり、と。楊氏曰く、樂は和を以て主とす。人鐘鼓管弦の音を聞いて首を疾ましめ頞を蹙めしめば、則ち奏するに咸・英・韶・濩を以てすと雖も、治むるに補い無からん。故に孟子齊王に告ぐるに此を以てして、姑く其の本を正さんとするのみ、と。


梁惠王章句下2
○齊宣王問曰、文王之囿方七十里、有諸。孟子對曰、於傳有之。囿、音又。傳、直戀反。○囿者、蕃育鳥獸之所。古者四時之田、皆於農隙以講武事。然不欲馳騖於稼穡場圃之中。故度閒曠之地以爲囿。然文王七十里之囿、其亦三分天下有其二之後也與。傳、謂古書。
【読み】
○齊の宣王問うて曰く、文王の囿方七十里ということ、有りや諸れ、と。孟子對えて曰く、傳に之れ有り、と。囿は音又。傳は直戀の反。○囿は、鳥獸を蕃育する所。古は四時の田、皆農隙に於て以て武事を講ず。然れども稼穡場圃の中を馳騖するを欲せず。故に閒曠の地を度りて以て囿と爲す。然して文王七十里の囿は、其れ亦天下を三分して其の二を有つの後ならんか。傳は古書を謂う。

曰、若是其大乎。曰、民猶以爲小也。曰、寡人之囿方四十里、民猶以爲大、何也。曰、文王之囿方七十里、芻蕘者往焉、雉兔者往焉。與民同之。民以爲小、不亦宜乎。芻、音初。蕘、音饒。○芻、草也。蕘、薪也。
【読み】
曰く、是の若く其れ大いなるかな、と。曰く、民猶以て小[すこ]しきなりとす、と。曰く、寡人が囿方四十里、民猶以て大いなりとすること、何ぞ、と。曰く、文王の囿方七十里、芻蕘[すうじょう]者も往き、雉兔者も往く。民と之を同じうす。民以て小しきなりとするも、亦宜ならずや。芻は音初。蕘は音饒。○芻は草なり。蕘は薪なり。

臣始至於境、問國之大禁、然後敢入。臣聞、郊關之内有囿方四十里、殺其麋鹿者如殺人之罪。則是方四十里、爲阱於國中。民以爲大、不亦宜乎。阱、才性反。○禮、入國而問禁。國外百里爲郊、郊外有關。阱、坎地以陷獸者。言陷民於死也。
【読み】
臣始め境に至りしときに、國の大禁を問うて、然して後に敢えて入る。臣聞く、郊關の内に囿有り方四十里、其の麋鹿[びろく]を殺す者は人を殺すの罪の如し、と。則ち是れ方四十里、阱を國中に爲る。民以て大いなりとするも、亦宜ならずや、と。阱は才性の反。○禮に、國に入りて禁を問う、と。國の外百里を郊と爲す。郊の外に關有り。阱は、地に坎[あなほ]り以て獸を陷れる者。言うこころは、民を死に陷れる、と。


梁惠王章句下3
○齊宣王問曰、交鄰國有道乎。孟子對曰、有。惟仁者爲能以大事小。是故湯事葛、文王事昆夷。惟智者爲能以小事大。故大王事獯鬻、句踐事吳。獯、音熏。鬻、音育。句、音鉤。○仁人之心、寬洪惻怛、而無較計大小強弱之私。故小國雖或不恭、而吾所以字之之心、自不能已。智者明義理、識時勢。故大國雖見侵陵、而吾所以事之之禮、尤不敢廢。湯事見後篇。文王事見詩大雅。大王事見後章。所謂狄人、卽獯鬻也。句踐、越王名。事見國語・史記。
【読み】
○齊の宣王問うて曰く、鄰國に交わるに道有りや、と。孟子對えて曰く、有り。惟仁者のみ能く大を以て小に事うることを爲す。是の故に湯は葛に事え、文王は昆夷に事う。惟智者のみ能く小を以て大に事うることを爲す。故に大王は獯鬻[くんいく]に事え、句踐は吳に事う。獯は音熏。鬻は音育。句は音鉤。○仁人の心は寬洪惻怛[そくだつ]にして、大小強弱を較計するの私無し。故に小國或は恭しからずと雖も、而して吾之を字[やしな]う所以の心、自ら已むこと能わず。智者は義理を明らかにして、時勢を識る。故に大國に侵し陵がるると雖も、而して吾之に事うる所以の禮、尤も敢えて廢てず。湯の事は後篇に見ゆ。文王の事は詩の大雅に見ゆ。大王の事は後の章に見ゆ。所謂狄人は卽ち獯鬻なり。句踐は越王の名。事は國語・史記に見ゆ。

以大事小者、樂天者也。以小事大者、畏天者也。樂天者保天下。畏天者保其國。樂、音洛。○天者、理而已矣。大之字小、小之事大、皆理之當然也。自然合理、故曰樂天。不敢違理、故曰畏天。包含徧覆、無不周徧、保天下之氣象也。制節謹度、不敢縱逸、保一國之規模也。
【読み】
大を以て小に事うる者は、天を樂しむ者なり。小を以て大に事うる者は、天を畏るる者なり。天を樂しむ者は天下を保んず。天を畏るる者は其の國を保んず。樂は音洛。○天は理のみ。大の小を字い、小の大に事うるは、皆理の當然なり。自然に理に合う、故に天を樂しむと曰う。敢えて理に違わざる、故に天を畏るると曰う。包み含み徧く覆い、周徧せざること無きは、天下を保んずるの氣象なり。節を制し度を謹み、敢えて縱逸せざるは、一國を保んずるの規模なり。

詩云、畏天之威、于時保之。詩、周頌我將之篇。時、是也。
【読み】
詩に云く、天の威を畏れて、時[ここ]に之を保んず、と。詩は周頌我將の篇。時は是なり。

王曰、大哉言矣。寡人有疾。寡人好勇。言以好勇、故不能事大而恤小也。
【読み】
王曰く、大なるかな言えること。寡人疾有り。寡人勇を好む、と。言うこころは、勇を好むを以て、故に大に事えて小を恤れむこと能わず、と。

對曰、王請無好小勇。夫撫劍疾視曰、彼惡敢當我哉。此匹夫之勇、敵一人者也。王請大之。夫撫之夫、音扶。惡、平聲。○疾視、怒目而視也。小勇、血氣所爲、大勇、義理所發。
【読み】
對えて曰く、王請う、小勇を好むこと無かれ。夫れ劍を撫[おさ]え疾[にく]み視て曰く、彼惡んぞ敢えて我に當たらんや、と。此れ匹夫の勇、一人に敵する者なり。王請う、之を大いにせよ。夫撫の夫は音扶。惡は平聲。○疾み視るは、目を怒らして視るなり。小勇は、血氣の爲す所、大勇は、義理の發する所なり。

詩云、王赫斯怒。爰整其旅、以遏徂莒。以篤周祜、以對于天下。此文王之勇也。文王一怒、而安天下之民。詩、大雅皇矣篇。赫、赫然怒貌。爰、於也。旅、衆也。遏、詩作按。止也。徂、往也。莒、詩作旅。徂旅、謂密人侵阮徂共之衆也。篤、厚也。祜、福也。對、答也、以答天下仰望之心也。此文王之大勇也。
【読み】
詩に云く、王赫として斯に怒る。爰に其の旅[もろもろ]を整えて、以て徂[ゆ]く莒[もろもろ]を遏[とど]む。以て周の祜[さいわい]を篤うし、以て天下に對う、と。此れ文王の勇なり。文王一たび怒って、天下の民を安んず。詩は大雅皇矣の篇。赫は、赫然として怒るの貌。爰は於[ここ]なり。旅は衆なり。遏は詩に按に作る。止むなり。徂は往くなり。莒は詩に旅に作る。徂く旅は、密人の阮を侵して共に徂くの衆を謂うなり。篤は厚きなり。祜は福なり。對は答うるなり、以て天下仰ぎ望むの心に答うるなり。此れ文王の大勇なり。

書曰、天降下民。作之君、作之師、惟曰其助上帝、寵之四方。有罪無罪、惟我在。天下曷敢有越厥志。一人衡行於天下、武王恥之。此武王之勇也。而武王亦一怒而安天下之民。衡、與橫同。○書、周書大誓之篇也。然所引與今書文小異。今且依此解之。寵之四方、寵異之於四方也。有罪者我得而誅之、無罪者我得而安之。我旣在此、則天下何敢有過越其心志而作亂者乎。衡行、謂作亂也。孟子釋書意如此。而言武王亦大勇也。
【読み】
書に曰く、天下民を降す。之が君を作[な]し、之が師を作し、惟[こ]れ曰[ここ]に其れ上帝を助け、之を四方に寵す。罪有るも罪無きも、惟れ我在り。天下曷[いずく]んぞ敢えて厥の志を越ゆること有らん、と。一人天下に衡行するも、武王之を恥ず。此れ武王の勇なり。而して武王も亦一たび怒って天下の民を安んず。衡は橫と同じ。○書は周書大誓の篇なり。然れども引く所と今の書文とは小しく異なれり。今は且く此に依りて之を解く。之を四方に寵すは、之を四方に寵異するなり。罪有る者は我得て之を誅し、罪無き者は我得て之を安んず。我旣に此に在れば、則ち天下何ぞ敢えて其の心志を過越して亂を作す者有らん。衡行は亂を作すを謂うなり。孟子書の意を釋すこと此の如し。而して武王も亦大勇なりしことを言う。

今王亦一怒、而安天下之民、民惟恐王之不好勇也。王若能如文武之爲、則天下之民、望其一怒以除暴亂、而拯己於水火之中、惟恐王之不好勇耳。○此章言人君能懲小忿、則能恤小事大、以交鄰國、能養大勇、則能除暴救民、以安天下。張敬夫曰、小勇者、血氣之怒也。大勇者、理義之怒也。血氣之怒不可有。理義之怒不可無。知此、則可以見性情之正、而識天理人欲之分矣。
【読み】
今王亦一たび怒って天下の民を安んぜば、民惟恐るらくは王の勇を好まざらんことを、と。王若し能く文武の爲すが如きときは、則ち天下の民、其の一たび怒って以て暴亂を除[はら]い、己を水火の中に拯[すく]われんことを望みて、惟王の勇を好まざらんことを恐るるのみ。○此の章言うこころは、人君能く小しき忿を懲らすときは、則ち能く小を恤れみ大に事えて、以て鄰國に交わり、能く大勇を養うときは、則ち能く暴を除い民を救い、以て天下を安んず、と。張敬夫曰く、小勇は、血氣の怒なり。大勇は、理義の怒なり。血氣の怒は有る可からず。理義の怒は無くばある可からず。此を知るときは、則ち以て性情の正しきことを見て、天理人欲の分を識る可し、と。


梁惠王章句下4
○齊宣王見孟子於雪宮。王曰、賢者亦有此樂乎。孟子對曰、有。人不得、則非其上矣。樂、音洛、下同。○雪宮、離宮名。言人君能與民同樂、則人皆有此樂。不然、則下之不得此樂者、必有非其君上之心。明人君當與民同樂、不可使人有不得者、非但當與賢者共之而已也。
【読み】
○齊の宣王孟子に雪宮に見う。王曰く、賢者も亦此の樂しみ有りや、と。孟子對えて曰く、有り。人得ざるときは、則ち其の上を非[そし]る。樂は音洛、下も同じ。○雪宮は離宮の名。言うこころは、人君能く民と樂しみを同じうするときは、則ち人皆此の樂しみ有り。然らざれば、則ち下の此の樂しみを得ざる者は、必ず其の君上を非る心有り、と。人君は當に民と樂しみを同じうすべく、人をして得ざる者有らしむ可からず、但當に賢者と之を共にすべきのみに非ざることを明かにす。

不得而非其上者、非也。爲民上而不與民同樂者、亦非也。下不安分、上不恤民、皆非理也。
【読み】
得ずして其の上を非る者も、非なり。民の上と爲りて民と樂しみを同じうせざる者も、亦非なり。下分に安んぜず、上民を恤れまざるは、皆理に非ざるなり。

樂民之樂者、民亦樂其樂、憂民之憂者、民亦憂其憂。樂以天下、憂以天下、然而不王者、未之有也。樂民之樂而民樂其樂、則樂以天下矣。憂民之憂而民憂其憂、則憂以天下矣。
【読み】
民の樂しみを樂しむ者は、民も亦其の樂しみを樂しみ、民の憂えを憂う者は、民も亦其の憂えを憂う。樂しむに天下を以てし、憂うるに天下を以てして、然して王たらざる者は、未だ之れ有らず。民の樂しみを樂しんで民も其の樂しみを樂しむときは、則ち樂しむに天下を以てするなり。民の憂えを憂えて民も其の憂えを憂うるときは、則ち憂うるに天下を以てするなり。

昔者齊景公問於晏子曰、吾欲觀於轉附・朝儛、遵海而南、放于琅邪。吾何脩而可以比於先王觀也。朝、音潮。放、上聲。○晏子、齊臣。名嬰。轉附・朝儛、皆山名也。遵、循也。放、至也。琅邪、齊東南境上邑名。觀、遊也。
【読み】
昔者[むかし]齊の景公晏子に問うて曰く、吾轉附・朝儛[ちょうぶ]に觀[あそ]び、海に遵いて南し、琅邪に放[いた]らまく欲す。吾何を脩めてか以て先王の觀びに比す可けん、と。朝は音潮。放は上聲。○晏子は齊の臣。名は嬰。轉附・朝儛は皆山の名なり。遵は循うなり。放は至るなり。琅邪は、齊の東南の境上の邑の名。觀は遊ぶなり。

晏子對曰、善哉問也。天子適諸侯曰巡狩。巡狩者巡所守也。諸侯朝於天子曰述職。述職者述所職也。無非事者。春省耕而補不足、秋省斂而助不給。夏諺曰、吾王不遊、吾何以休。吾王不豫、吾何以助。一遊一豫、爲諸侯度。狩、舒救反。省、悉井反。○述、陳也。省、視也。斂、收穫也。給、亦足也。夏諺、夏時之俗語也。豫、樂也。巡所守、巡行諸侯所守之土也。述所職、陳其所受之職也。皆無有無事而空行者。而又春秋循行郊野、察民之所不足、而補助之。故夏諺以爲王者一遊一豫、皆有恩惠以及民、而諸侯皆取法焉。不敢無事慢遊、以病其民也。
【読み】
晏子對えて曰く、善いかな問えること。天子諸侯に適くを巡狩と曰う。巡狩とは守る所を巡るなり。諸侯天子に朝するを述職と曰う。述職とは職[つかさど]る所を述ぶるなり。事に非ずということ無し。春耕すを省て足らざるを補い、秋斂むるを省て給[た]らざるを助く。夏の諺に曰く、吾が王遊ばざれば、吾何を以てか休[いこ]わん。吾が王豫[たの]しまざれば、吾何を以てか助からん。一遊一豫、諸侯の度[のり]と爲る、と。狩は舒救の反。省は悉井の反。○述は陳ぶるなり。省は視るなり。斂は收穫なり。給も亦足るなり。夏の諺は、夏の時の俗語なり。豫は樂しむなり。守る所を巡るは、諸侯守る所の土也を巡行するなり。職る所を述ぶるは、其の受く所の職を陳ぶるなり。皆事無くして空しく行く者有ること無し。而して又春秋に郊野を循行して、民の足らざる所を察して、之を補い助く。故に夏の諺、以て王者の一遊一豫、皆恩惠以て民に及ぶこと有りて、諸侯皆法を取るとす、と。敢えて事無く慢り遊びて、以て其の民を病ましまざるなり。

今也不然。師行而糧食。飢者弗食、勞者弗息。睊睊胥讒、民乃作慝。方命虐民、飮食若流。流連荒亡、爲諸侯憂。睊、古縣反。○今、謂晏子時也。師、衆也。二千五百人爲師。春秋傳曰、君行師從。糧、謂糗糒之屬。睊睊、側目貌。胥、相也。讒、謗也。慝、怨惡也。言民不勝其勞、而起謗怨也。方、逆也。命、王命也。若流、如水之流無竆極也。流連荒亡、解見下文。諸侯、謂附庸之國、縣邑之長。
【読み】
今は然らず。師行きて糧食す。飢ゆる者食らわず、勞[くる]しむ者息[いこ]わず。睊睊[けんけん]として胥[あい]讒って、民乃ち慝[うらみ]を作[おこ]す。命に方[さか]い民を虐げ、飮食すること流るるが若し。流連荒亡して、諸侯の憂えと爲る。睊は古縣の反。○今は晏子の時を謂うなり。師は衆なり。二千五百人を師と爲す。春秋傳に曰く、君行きて師從う、と。糧は、糗糒[きゅうび]の屬を謂う。睊睊は目を側むるの貌。胥は相なり。讒は謗るなり。慝は怨み惡むなり。言うこころは、民其の勞しみに勝えずして、謗怨を起こす、と。方は逆らうなり。命は王命なり。流るるが若しは、水の流れて竆極無きが如きなり。流連荒亡は、解は下文に見ゆ。諸侯は、附庸の國、縣邑の長を謂う。

從流下而忘反、謂之流。從流上而忘反、謂之連。從獸無厭、謂之荒。樂酒無厭、謂之亡。厭、平聲。樂、音洛。○此釋上文之義也。從流下、謂放舟隨水而下。從流上、謂挽舟逆水而上。從獸、田獵也。荒、廢也。樂酒、以飮酒爲樂也。亡、猶失也。言廢時失事也。
【読み】
流れに從って下って反ることを忘る、之を流と謂う。流れに從って上って反ることを忘る、之を連と謂う。獸に從って厭くこと無き、之を荒と謂う。酒を樂しんで厭くこと無き、之を亡と謂う。厭は平聲。樂は音洛。○此れ上文の義を釋す。流れに從って下るは、舟を放って水に隨いて下ることを謂う。流れに從って上るは、舟を挽き水に逆いて上ることを謂う。獸に從うは、田獵なり。荒は廢たるなり。酒を樂しむは、酒を飮むことを以て樂しみと爲すなり。亡は猶失うのごとし。時を廢て事を失うことを言うなり。

先王無流連之樂、荒亡之行。行、去聲。
【読み】
先王流連の樂しみ、荒亡の行無し。行は去聲。

惟君所行也。言先王之法、今時之弊、二者惟在君所行耳。
【読み】
惟君の行わん所のままなり、と。言うこころは、先王の法、今時の弊、二つの者惟君の行う所のままに在るのみ、と。

景公說、大戒於國、出舍於郊。於是始興發補不足。召大師曰、爲我作君臣相說之樂。蓋徴招角・招是也。其詩曰、畜君何尤。畜君者、好君也。說、音悦。爲、去聲。樂、如字。徴、陟里反。招、與韶同。畜、敕六反。○戒、告命也。出舍、自責以省民也。興發、發倉廩也。大師、樂官也。君臣、己與晏子也。樂有五聲。三曰角、爲民。四曰徴、爲事。招、舜樂也。其詩、徴招・角招之詩也。尤、過也。言晏子能畜止其君之欲、宜爲君之所尤。然其心則何過哉。孟子釋之以爲、臣能畜止其君之欲、乃是愛其君者也。○尹氏曰、君之與民、貴賤雖不同、然其心未始有異也。孟子之言、可謂深切矣。齊王不能推而用之。惜哉。
【読み】
景公說んで、大いに國に戒[つ]げて、出でて郊に舍[やど]る。是に於て始めて興發して不足を補う。大師を召[よ]んで曰く、我が爲に君臣相說ぶの樂を作れ、と。蓋し徴招・角招是れなり。其の詩に曰く、君を畜[とど]むるも何の尤あらん、と。君を畜むるは、君を好みんずるなり、と。說は音悦。爲は去聲。樂は字の如し。徴は陟里の反。招は韶と同じ。畜は敕六の反。○戒は告命なり。出舍は、自ら責めて以て民を省るなり。興發は、倉廩を發くなり。大師は樂官なり。君臣は、己と晏子となり。樂に五聲有り。三を角と曰い民と爲す。四を徴と曰い、事と爲す。招は舜の樂なり。其の詩は、徴招・角招の詩なり。尤は過なり。言うこころは、晏子能く其の君の欲を畜止すれば、宜しく君の尤むる所爲るべし。然れども其の心は則ち何の過あらんや、と。孟子之を釋して以爲えらく、臣能く其の君の欲を畜止するは、乃ち是れ其の君を愛する者なり、と。○尹氏曰く、君と民と、貴賤同じからずと雖も、然も其の心は未だ始めより異なること有らず。孟子の言、深切なりと謂う可し。齊王推して之を用うること能わず。惜しいかな。


梁惠王章句下5
○齊宣王問曰、人皆謂、我毀明堂。毀諸、已乎。趙氏曰、明堂、太山明堂。周天子東巡守、朝諸侯之處。漢時遺址尙在。人欲毀之者、蓋以天子不復巡守、諸侯又不當居之也。王問、當毀之乎、且止乎。
【読み】
○齊の宣王問うて曰く、人皆謂う、我に明堂を毀[こぼ]て、と。毀たんや諸れ、已んなんや、と。趙氏曰く、明堂は、太山の明堂。周の天子東に巡守して、諸侯を朝するの處なり。漢の時遺址尙在り。人之を毀たまく欲するは、蓋し天子復巡守せず、諸侯も又當に之に居るべからざるを以てなり。王問う、當に之を毀つべきか、且[また]止んなんか、と。

孟子對曰、夫明堂者、王者之堂也。王欲行王政、則勿毀之矣。夫、音扶。○明堂、王者所居、以出政令之所也。能行王政、則亦可以王矣。何必毀哉。
【読み】
孟子對えて曰く、夫れ明堂は、王者の堂なり。王王政を行わまく欲せば、則ち之を毀つ勿かれ、と。夫は音扶。○明堂は、王者居る所にて、以て政令を出す所なり。能く王政を行うときは、則ち亦以て王たる可し。何ぞ必ずしも毀たんや。

王曰、王政可得聞與。對曰、昔者文王之治岐也、耕者九一、仕者世祿、關市譏而不征、澤梁無禁、罪人不孥。老而無妻曰鰥。老而無夫曰寡。老而無子曰獨。幼而無父曰孤。此四者、天下之竆民而無告者。文王發政施仁、必先斯四者。詩云、哿矣富人、哀此煢獨。與、平聲。孥、音奴。鰥、姑頑反。哿、音可。煢、音瓊。○岐、周之舊國也。九一者、井田之制也。方一里爲一井。其田九百畝、中畫井字、界爲九區。一區之中、爲田百畝。中百畝爲公田、外八百畝爲私田。八家各受私田百畝、而同養公田。是九分而稅其一也。世祿者、先王之世、仕者之子孫皆敎之、敎之而成材、則官之。如不足用、亦使之不失其祿。蓋其先世嘗有功德於民。故報之如此。忠厚之至也。關、謂道路之關。市、謂都邑之市。譏、察也。征、稅也。關市之吏、察異服異言之人、而不征商賈之稅也。澤、謂瀦水。梁、謂魚梁。與民同利、不設禁也。孥、妻子也。惡惡止其身、不及妻子也。先王養民之政、導其妻子、使之養其老而恤其幼。不幸而有鰥寡孤獨之人、無父母妻子之養、則尤宜憐恤。故必以爲先也。詩、小雅正月之篇。哿、可也。煢、困悴貌。
【読み】
王曰く、王政得て聞いつ可けんや、と。對えて曰く、昔者[むかし]文王の岐を治めしときに、耕す者九一、仕うる者祿を世々にし、關市譏[み]そなわして征せず、澤梁禁無く、人を罪なうこと孥[ど]までにせず。老いて妻無きを鰥[かん]と曰う。老いて夫無きを寡と曰う。老いて子無きを獨と曰う。幼[いとげな]くして父無きを孤と曰う。此の四つの者は、天下の竆民にして告ぐること無き者なり。文王政を發[おこ]し仁を施すに、必ず斯の四つ者の先んず。詩に云く、哿[よ]いかな富める人、哀しいかな此の煢獨[けいどく]、と。與は平聲。孥は音奴。鰥は姑頑の反。哿は音可。煢は音瓊。○岐は周の舊國なり。九一は井田の制なり。方一里を一井とす。其の田九百畝、中に井の字を畫し、界して九區とす。一區の中、田百畝とす。中百畝を公田とし、外八百畝を私田とす。八家各々私田百畝を受けて、同[とも]に公田を養う。是れ九分にして其の一を稅するなり。祿を世々にすは、先王の世は、仕うる者の子孫は皆之を敎えり。之を敎えて材成るときは、則ち之を官す。如し用うるに足らざるときも、亦之に其の祿を失わざらしむ。蓋し其の先世嘗て民に功德有り。故に之に報うること此の如し。忠厚の至りなり。關は、道路の關を謂う。市は、都邑の市を謂う。譏は察するなり。征は稅なり。關市の吏、異服異言の人を察して、商賈の稅を征せざるなり。澤は瀦水[ちょすい]を謂う。梁は魚梁を謂う。民と利を同じくして、禁を設けざるなり。孥は妻子なり。惡を惡むこと其の身に止まりて、妻子に及ばざるなり。先王の民を養うの政、其の妻子を導き、之に其の老を養い其の幼を恤[めぐ]ましむ。不幸にして鰥寡孤獨の人有りて、父母妻子の養い無きときは、則ち尤も宜しく憐恤すべし。故に必ず以て先と爲すなり。詩は小雅正月の篇。哿は可なり。煢は困しみ悴けるの貌。

王曰、善哉言乎。曰、王如善之、則何爲不行。王曰、寡人有疾。寡人好貨。對曰、昔者公劉好貨。詩云、乃積乃倉。乃裹餱糧。于橐于囊。思戢用光。弓矢斯張、干戈戚揚、爰方啓行。故居者有積倉、行者有裹糧也。然後可以爰方啓行。王如好貨、與百姓同之、於王何有。餱、音侯。橐、音托。戢、詩作輯。音集。○王自以爲好貨。故取民無制、而不能行此王政。公劉、后稷之曾孫也。詩、大雅公劉之篇。積、露積也。餱、乾糧也。無底曰橐、有底曰囊。皆所以盛餱糧也。戢、安集也。言思安集其民人、以光大其國家也。戚、斧也。揚、鉞也。爰、於也。啓行、言往遷於豳也。何有、言不難也。孟子言、公劉之民富足如此。是公劉好貨、而能推己之心以及民也。今王好貨、亦能如此、則其於王天下也、何難之有。
【読み】
王曰く、善いかな言えること、と。曰く、王如し之を善しとせば、則ち何爲[なんす]れぞ行わざる、と。王曰く、寡人疾有り。寡人貨[たから]を好む、と。對えて曰く、昔者公劉貨を好む。詩に云く、乃ち積み乃ち倉にす。乃ち餱糧[こうりょう]を裹[つつ]む。橐[たく]に囊に。戢[あつ]めて用[もっ]て光[おお]いにせんことを思う。弓矢斯に張り、干戈戚揚、爰に方[はじ]めて啓き行く、と。故に居る者積倉有り、行く者裹糧[かりょう]有り。然して後に以て爰に方めて啓き行く可し。王如し貨を好んで、百姓と之を同じうせば、王に於て何か有らん、と。餱は音侯。橐は音托。戢は詩に輯に作る。音集。○王自ら以爲えらく、貨を好む。故に民に取ること制無くして、此の王政を行うこと能わず、と。公劉は、后稷の曾孫なり。詩は大雅公劉の篇。積は、露積なり。餱は乾糧なり。底無きを橐と曰い、底有るを囊と曰う。皆以て餱糧を盛る所なり。戢は、安んじ集むるなり。言うこころは、其の民人を安んじ集めて、以て其の國家を光大にせんことを思う、と。戚は斧なり。揚は鉞[えつ]なり。爰は於[ここ]なり。啓き行くは、往いて豳[ひん]に遷るを言うなり。何か有らんは、難からざるを言うなり。孟子言うこころは、公劉の民の富み足ること此の如きは、是れ公劉貨を好んで、能く己の心を推して以て民に及ぼせばなり。今王貨を好むこと、亦能く此の如くせば、則ち其れ天下に王たるに於て、何の難きこと有らん、と。

王曰、寡人有疾。寡人好色。對曰、昔者大王好色。愛厥妃。詩云、古公亶甫、來朝走馬、率西水滸、至于岐下。爰及姜女、聿來胥宇。當是時也、内無怨女、外無曠夫。王如好色、與百姓同之、於王何有。大、音泰。○王又言此者、好色則心志蠱惑、用度奢侈、而不能行王政也。大王、公劉九世孫。詩、大雅綿之篇也。古公、大王之本號。後乃追尊爲大王也。亶甫、大王名也。來朝走馬、避狄人之難也。率、循也。滸、水涯也。岐下、岐山之下也。姜女、大王之妃也。胥、相也。宇、居也。曠、空也。無怨曠者、是大王好色、而能推己之心以及民也。○楊氏曰、孟子與人君言、皆所以擴充其善心、而格其非心。不止就事論事。若使爲人臣者、論事每如此、豈不能堯舜其君乎。愚謂、此篇自首章至此、大意皆同。蓋鐘鼓苑囿遊觀之樂、與夫好勇好貨好色之心、皆天理之所有、而人情之所不能無者。然天理人欲、同行異情。循理而公於天下者、聖賢之所以盡其性也。縱欲而私於一己者、衆人之所以滅其天也。二者之閒、不能以髮、而其是非得失之歸、相去遠矣。故孟子因時君之問、而剖析於幾微之際。皆所以遏人欲而存天理。其法似疏而實密、其事似易而實難。學者以身體之、則有以識其非曲學阿世之言、而知所以克己復禮之端矣。
【読み】
王曰く、寡人疾有り。寡人色を好む、と。對えて曰く、昔者大王色を好む。厥の妃を愛す。詩に云く、古公亶甫、來って朝[つと]に馬を走[は]せ、西水の滸[ほとり]に率[したが]って、岐の下[ふもと]に至る。爰に姜女と、聿[そ]れ來って胥[あい]宇[お]れり、と。是の時に當たって、内に怨女無く、外に曠夫無し。王如し色を好んで、百姓と之を同うせば、王たるに於て何か有らん、と。大は音泰。○王又此を言うは、色を好むときは則ち心志蠱惑し、用度奢侈にして、王政を行うこと能わず。大王は公劉九世の孫。詩は大雅綿の篇なり。古公は大王の本號。後に乃ち追い尊びて大王と爲す。亶甫は大王の名なり。來って朝に馬を走すは、狄人の難を避くなり。率は循うなり。滸は水涯なり。岐の下は岐山の下なり。姜女は大王の妃なり。胥は相なり。宇は居るなり。曠は空しきなり。怨曠無きは、是れ大王色を好んで、能く己の心を推して以て民に及ぼせばなり。○楊氏曰く、孟子人君と言うこと、皆其の善心を擴充して、其の非心を格す所以なり。止[ただ]事に就いて事を論ずるにあらず。若し人臣爲る者、事を論ずるに每に此の如くせしめば、豈其君を堯舜にすること能わざらんや、と。愚謂えらく、此の篇首章より此に至るまで、大意皆同じ。蓋し鐘鼓苑囿遊觀の樂しみと、夫の勇を好み貨を好み色を好むの心とは、皆天理の有る所にして、人情の無きこと能わざる所の者なり。然れども天理人欲は、行なわるるは同じく情は異なり。理に循いて天下に公なるは、聖賢の其の性を盡くす所以なり。欲を縱にして一己に私するは、衆人の其の天を滅ぼす所以なり。二つの者の閒は、髮を以てすること能わずして、其の是非得失の歸は、相去ること遠し。故に孟子時君の問いに因りて、幾微の際を剖析す。皆人欲を遏[とど]めて天理を存する所以なり。其の法疏[うと]きに似て實に密、其の事易きに似て實に難し。學者身を以て之を體せば、則ち以て其の學を曲げ世に阿るの言に非ざることを識り、己に克って禮に復る所以の端なることを知ること有らん。


梁惠王章句下6
○孟子謂齊宣王曰、王之臣有託其妻子於其友、而之楚遊者。比其反也、則凍餒其妻子、則如之何。王曰、棄之。比、必二反。○託、寄也。比、及也。棄、絶也。
【読み】
○孟子齊の宣王に謂って曰く、王の臣其の妻子を其の友に託[よ]せて、楚に之いて遊ぶ者有らん。其の反るに比[およ]んで、則ち其の妻子を凍餒[とうたい]せば、則ち如之何、と。王曰く、之を棄[た]たん、と。比は必二の反。○託は寄すなり。比は及ぶなり。棄は絶つなり。

曰、士師不能治士、則如之何。王曰、已之。士師、獄官也。其屬有郷士・遂士之官、士師皆當治之。已、罷去也。
【読み】
曰く、士師士を治むること能わざれば、則ち如之何、と。王曰く、之を已めん、と。士師は獄官なり。其の屬に郷士・遂士の官有り。士師は皆當に之を治むべし。已は罷め去るなり。

曰、四境之内不治、則如之何。王顧左右而言他。治、去聲。○孟子將問此、而先設上二事以發之。及此而王不能答也。其憚於自責、恥於下問如此、不足與有爲可知矣。○趙氏曰、言君臣上下各勤其任、無墮其職、乃安其身。
【読み】
曰く、四境の内治まらざれば、則ち如之何、と。王左右を顧みて他を言う。治は去聲。○孟子將に此を問わんとして、先ず上二事を設けて以て之を發す。此に及んで王答うること能わず。其の自ら責むることを憚りて、下問に恥じること此の如くなれば、與にすること有るに足らざることを知る可し。○趙氏曰く、言うこころは、君臣上下各々其の任を勤め、其の職を墮すこと無くば、乃ち其の身を安んず、と。


梁惠王章句下7
○孟子見齊宣王曰、所謂故國者、非謂有喬木之謂也、有世臣之謂也。王無親臣矣。昔者所進、今日不知其亡也。世臣、累世勳舊之臣、與國同休戚者也。親臣、君所親信之臣、與君同休戚者也。此言喬木世臣、皆故國所宜有。然所以爲故國者、則在此而不在彼也。昨日所進用之人、今日有亡去而不知者、則無親臣矣。況世臣乎。
【読み】
○孟子齊の宣王に見うて曰く、所謂故國とは、喬木有るの謂を謂うに非ず、世臣有るの謂なり。王親臣無し。昔者[きのう]進むる所、今日其の亡[に]ぐるをも知らず、と。世臣は、累世勳舊の臣、國と休戚を同じくする者なり。親臣は、君の親信する所の臣、君と休戚を同じくする者なり。此れ言うこころは、喬木世臣は、皆故國宜しく有るべき所。然れども故國爲る所以の者は、則ち此に在りて彼に在らず。昨日進め用うる所の人、今日亡げ去ること有りて知らざるは、則ち親臣無きなり。況や世臣をや、と。

王曰、吾何以識其不才而舍之。舍、上聲。○王意以爲、此亡去者、皆不才之人。我初不知而誤用之。故今不以其去爲意耳。因問、何以先識其不才而舍之邪。
【読み】
王曰く、吾何を以てか其の不才を識って之を舍[す]てん、と。舍は上聲。○王の意以爲えらく、此の亡げ去る者は、皆不才の人なり。我初め知らずして誤りて之を用う。故に今其の去るを以て意とせざるのみ、と。因りて問う、何を以てか先ず其の不才を識って之を舍てんや、と。

曰、國君進賢、如不得已。將使卑踰尊、疏踰戚。可不愼與。與、平聲。○如不得已、言謹之至也。蓋尊尊親親、禮之常也。然或尊者親者未必賢、則必進疏遠之賢而用之。是使卑者踰尊、疏者踰戚、非禮之常。故不可不謹也。
【読み】
曰く、國君賢を進むること、已むことを得ざるが如し。將に卑しきをして尊きに踰え、疏きをして戚[した]しきに踰えしめんとす。愼まざる可けんや。與は平聲。○已むことを得ざるが如しは、謹みの至りを言う。蓋し尊きを尊び親しきを親しむは、禮の常なり。然れども或は尊者親者未だ必ずしも賢ならざるときは、則ち必ず疏遠の賢を進めて之を用う。是れ卑しき者をして尊きに踰え、疏き者をして戚しきに踰えしむれば、禮の常に非ず。故に謹まずんばある可からず。

左右皆曰賢。未可也。諸大夫皆曰賢。未可也。國人皆曰賢。然後察之、見賢焉、然後用之。左右皆曰不可。勿聽。諸大夫皆曰不可。勿聽。國人皆曰不可。然後察之、見不可焉、然後去之。去、上聲。○左右近臣。其言固未可信。諸大夫之言、宜可信矣。然猶恐其蔽於私也。至於國人、則其論公矣。然猶必察之者、蓋人有同俗而爲衆所悦者、亦有特立而爲俗所憎者。故必自察之、而親見其賢否之實、然後從而用舍之、則於賢者知之深、任之重、而不才者不得以幸進矣。所謂進賢如不得已者如此。
【読み】
左右皆曰く、賢なり、と。未だ可ならず。諸大夫皆曰く、賢なり、と。未だ可ならず。國人皆曰く、賢なり、と。然して後に之を察し、賢なるを見て、然して後に之を用う。左右皆曰く、不可なり、と。聽くこと勿かれ。諸大夫皆曰く、不可なり、と。聽くこと勿かれ。國人皆曰く、不可なり、と。然して後に之を察し、不可なるを見て、然して後に之を去[す]つ。去は上聲。○左右は近臣なり。其の言固より未だ信ずる可からず。諸大夫の言は、宜しく信ず可し。然れども猶其の私に蔽われんことを恐るるなり。國人に至りては、則ち其の論公なり。然れども猶必ず之を察するは、蓋し人俗に同して衆に悦ばれんとする者有り、亦特[ひと]り立ちて俗に憎まれんとする者有り。故に必ず自ら之を察して、親しく其の賢否の實を見て、然して後に從いて之を用舍するときは、則ち賢者に於ては之を知ること深く、之に任ずること重くして、不才なる者は幸を以て進むことを得ず。謂う所の賢を進むること已むことを得ざるが如しは此の如し。

左右皆曰可殺。勿聽。諸大夫皆曰可殺。勿聽。國人皆曰可殺。然後察之、見可殺焉、然後殺之。故曰、國人殺之也。此言非獨以此進退人才。至於用刑、亦以此道。蓋所謂天命天討、皆非人君之所得私也。
【読み】
左右皆曰く、殺す可し、と。聽くこと勿かれ。諸大夫皆曰く、殺す可し、と。聽くこと勿かれ。國人皆曰く、殺す可し、と。然して後に之を察し、殺す可きを見て、然して後に之を殺す。故に曰く、國人之を殺す、と。此の言、獨[ただ]此を以て人才を進退するのみに非ず。刑を用うるに至りても、亦此の道を以てす。蓋し所謂天命天討は、皆人君の得て私する所に非ざるなり。

如此、然後可以爲民父母。傳曰、民之所好好之、民之所惡惡之。此之謂民之父母。
【読み】
此の如くして、然して後に以て民の父母爲る可し、と。傳に曰く、民の好む所之を好み、民の惡む所之を惡む、と。此を民の父母と謂う。


梁惠王章句下8
○齊宣王問曰、湯放桀、武王伐紂、有諸。孟子對曰、於傳有之。傳、直戀反。○放、置也。書曰、成湯放桀于南巣。
【読み】
○齊の宣王問うて曰く、湯桀を放[お]き、武王紂を伐つということ、有りや諸れ、と。孟子對えて曰く、傳に之れ有り、と。傳は直戀の反。○放は置くなり。書に曰く、成湯桀を南巣に放く、と。

曰、臣弑其君可乎。桀紂、天子。湯武、諸侯。
【読み】
曰く、臣其の君を弑すこと可なりや、と。桀紂は天子なり。湯武は諸侯なり。

曰、賊仁者謂之賊。賊義者謂之殘。殘賊之人謂之一夫。聞誅一夫紂矣。未聞弑君也。賊、害也。殘、傷也。害仁者、凶暴淫虐、滅絶天理。故謂之賊。害義者、顛倒錯亂、傷敗彝倫。故謂之殘。一夫、言衆叛親離、不復以爲君也。書曰、獨夫紂。蓋四海歸之、則爲天子、天下叛之、則爲獨夫。所以深警齊王、垂戒後世也。○王勉曰、斯言也、惟在下者有湯武之仁、而在上者有桀紂之暴則可。不然、是未免於簒弑之罪也。
【読み】
曰く、仁を賊[そこな]う者之を賊と謂う。義を賊う者之を殘と謂う。殘賊の人之を一夫と謂う。一夫紂を誅することを聞く。未だ君を弑することを聞かず、と。賊は害うなり。殘は傷[やぶ]るなり。仁を害う者は、凶暴淫虐にして、天理を滅絶す。故に之を賊と謂う。義を害う者は、顚倒錯亂して、彝倫を傷敗す。故に之を殘と謂う。一夫は、衆叛き親離れ、復以て君爲らざるを言うなり。書に曰く、獨夫紂、と。蓋し四海之に歸すときは、則ち天子と爲り、天下之に叛くときは、則ち獨夫と爲る。深く齊王を警[さと]して、戒を後世に垂るる所以なり。○王勉曰く、斯の言、惟下に在る者に湯武の仁有りて、上に在る者に桀紂の暴有るときのみは則ち可なり。然らざれば、是れ未だ簒弑の罪を免れざるなり、と。


梁惠王章句下9
○孟子見齊宣王曰、爲巨室、則必使工師求大木。工師得大木、則王喜、以爲能勝其任也。匠人斲而小之、則王怒、以爲不勝其任矣。夫人幼而學之、壯而欲行之。王曰姑舍女所學而從我、則何如。勝、平聲。夫、音扶。舍、上聲。女、音汝。下同。○巨室、大宮也。工師、匠人之長。匠人、衆工人也。姑、且也。言賢人所學者大、而王欲小之也。
【読み】
○孟子齊の宣王に見うて曰く、巨室を爲[つく]らば、則ち必ず工師をして大木を求めしめん。工師大木を得ば、則ち王喜んで、以て能く其の任に勝えたりとせん。匠人斲[けず]って之を小[すこ]しきにせば、則ち王怒って、以て其の任に勝えずとせん。夫れ人幼[いとげな]くして之を學び、壯[さか]んにして之を行わまく欲す。王姑く女が學べる所を舍[お]いて我に從えと曰わば、則ち何如。勝は平聲。夫は音扶。舍は上聲。女は音汝。下も同じ。○巨室は大宮なり。工師は匠人の長。匠人は、衆[もろもろ]の工人なり。姑は且くなり。言うこころは、賢人の學ぶ所の者大にして、王之を小にせまく欲するなり、と。

今有璞玉於此。雖萬鎰、必使玉人彫琢之。至於治國家、則曰姑舍女所學而從我、則何以異於敎玉人彫琢玉哉。鎰、音溢。○璞、玉之在石中者。鎰、二十兩也。玉人、玉工也。不敢自治而付之能者、愛之甚也。治國家、則徇私欲而不任賢、是愛國家不如愛玉也。○范氏曰、古之賢者、常患人君不能行其所學。而世之庸君、亦常患賢者不能從其所好。是以君臣相遇、自古以爲難。孔孟終身而不遇、蓋以此耳。
【読み】
今璞玉[はくぎょく]此に有らん。萬鎰なりと雖も、必ず玉人をして之を彫琢せしめん。國家を治むるに至っては、則ち姑く女が學べる所を舍いて我に從えと曰わば、則ち何を以てか玉人に玉を彫琢することを敎うるに異ならんや、と。鎰は音溢。○璞は、玉の石中に在る者。鎰は二十兩なり。玉人は玉工なり。敢えて自ら治めずして之を能者に付すは、愛の甚だしきなり。國家を治むるに、則ち私欲に徇いて賢に任ぜざるは、是れ國家を愛すること玉を愛するに如かざるなり。○范氏曰く、古の賢者は、常に人君の其の學ぶ所を行うこと能わざらんことを患う。而して世の庸君は、亦常に賢者の其の好む所に從うこと能わざらんことを患う。是を以て君臣相遇うこと、古より以て難しとす。孔孟身を終うるまで遇わざるは、蓋し此を以てのみ、と。


梁惠王章句下10
○齊人伐燕、勝之。按史記、燕王噲讓國於其相子之、而國大亂。齊因伐之。燕士卒不戰、城門不閉、遂大勝燕。
【読み】
○齊人燕を伐って、之に勝つ。史記を按ずるに、燕王の噲、國を其の相の子之に讓りて、國大いに亂る。齊因りて之を伐つ。燕の士卒戰わず、城門閉じず、遂に燕に大勝す、と。

宣王問曰、或謂寡人勿取、或謂寡人取之。以萬乘之國伐萬乘之國。五旬而舉之。人力不至於此。不取必有天殃。取之何如。乘、去聲。下同。○以伐燕爲宣王事、與史記諸書不同、已見序說。
【読み】
宣王問うて曰く、或ひと寡人に取ること勿かれと謂い、或ひと寡人之を取れと謂う。萬乘の國を以て萬乘の國を伐つ。五旬にして之を舉ぐ。人力は此に至らじ。取らざれば必ず天殃[てんよう]有らん。之を取ること何如、と。乘は去聲。下も同じ。○燕を伐つことを以て宣王の事とするは、史記諸書と同じからざること、已に序說に見ゆ。

孟子對曰、取之而燕民悦、則取之。古之人有行之者。武王是也。取之而燕民不悦、則勿取。古之人有行之者。文王是也。商紂之世、文王三分天下有其二、以服事殷。至武王十三年、乃伐紂而有天下。張子曰、此事閒不容髮。一日之閒、天命未絶、則是君臣。當日命絶、則爲獨夫。然命之絶否、何以知之。人情而已。諸侯不期而會者八百、武王安得而止之哉。
【読み】
孟子對えて曰く、之を取って燕の民悦びば、則ち之を取れ。古の人之を行う者有り。武王是れなり。之を取りて燕の民悦びざれば、則ち取ること勿かれ。古の人之を行う者有り。文王是れなり。商紂の世、文王天下を三分して其の二を有ち、以て殷に服事す。武王十三年に至りて、乃ち紂を伐ちて天下を有てり。張子曰く、此の事閒に髮を容れず。一日の閒も、天命未だ絶えざるときは、則ち是れ君臣なり。當日命絶えたるときは、則ち獨夫爲り。然れども命の絶えるや否やは、何を以て之を知らん。人情のみ。諸侯期せずして會する者八百、武王安んぞ得て之を止めんや、と。

以萬乘之國伐萬乘之國、簞食壺漿、以迎王師。豈有他哉。避水火也。如水益深、如火益熱、亦運而已矣。簞、音丹。食、音嗣。○簞、竹器。食、飯也。運、轉也。言齊若更爲暴虐、則民將轉而望救於他人矣。○趙氏曰、征伐之道、當順民心。民心悦、則天意得矣。
【読み】
萬乘の國を以て萬乘の國を伐つ。簞食壺漿して、以て王の師[もろもろ]に迎う。豈他有らんや。水火を避けんがためなり。如し水益々深く、如し火益々熱くば、亦運らまくのみ。簞は音丹。食は音嗣。○簞は竹器。食は飯なり。運は轉なり。言うこころは、齊若し更に暴虐をせば、則ち民將に轉りて救いを他人に望まんとするなり、と。○趙氏曰く、征伐の道、當に民心に順うべし。民心悦ぶときは、則ち天意得るなり、と。


梁惠王章句下11
○齊人伐燕取之。諸侯將謀救燕。宣王曰、諸侯多謀伐寡人者。何以待之。孟子對曰、臣聞七十里爲政於天下者。湯是也。未聞以千里畏人者也。千里畏人、指齊王也。
【読み】
○齊人燕を伐って之を取る。諸侯將に燕を救わんことを謀らんとす。宣王曰く、諸侯寡人を伐たんと謀る者多し。何を以てか之を待たん、と。孟子對えて曰く、臣七十里にして政を天下にする者を聞く。湯是れなり。未だ千里を以て人を畏るる者を聞かず。千里にして人を畏るるは、齊王を指すなり。

書曰、湯一征自葛始、天下信之。東面而征西夷怨、南面而征北狄怨。曰、奚爲後我。民望之、若大旱之望雲霓也。歸市者不止、耕者不變。誅其君而弔其民、若時雨降、民大悦。書曰、徯我后、后來其蘇。霓、五稽反。徯、胡禮反。○兩引書、皆商書仲虺之誥文也。與今書文亦小異。一征、初征也。天下信之、信其志在救民、不爲暴也。奚爲後我、言湯何爲不先來征我之國也。霓、虹也。雲合則雨、虹見則止。變、動也。徯、待也。后、君也。蘇、復生也。他國之民、皆以湯爲我君、而待其來、使己得蘇息也。此言湯之所以七十里而爲政於天下也。
【読み】
書に曰く、湯一[はじ]め征すること葛より始め、天下之を信ず。東面して征すれば西夷怨み、南面して征すれば北狄怨む。曰く、奚爲[なんす]れぞ我を後にす、と。民之を望むこと、大旱の雲霓を望むが若し。市に歸[おもむ]く者も止まらず、耕す者も變[うご]かず。其の君を誅して其の民を弔うに、時雨の降るが若くに、民大いに悦ぶ。書に曰く、我が后[きみ]を徯[ま]つ。后來らば其れ蘇らん、と。霓は五稽の反。徯は胡禮の反。○兩たび書を引くは、皆商書仲虺之誥の文なり。今の書と文は亦小しく異なり。一め征すは、初めて征するなり。天下之を信ずは、其の志民を救うに在り、暴をせざることを信ずるなり。奚爲れぞ我を後にすは、言うこころは、湯何爲れぞ先ず來りて我の國を征せざらんや、と。霓は虹なり。雲合うときは則ち雨ふり、虹見るときは則ち止む。變は動くなり。徯は待つなり。后は君なり。蘇は復生きるなり。他國の民、皆湯を以て我が君と爲して、其の來りて、己を蘇息することを得せしめんことを待つなり。此れ湯の七十里にして政を天下に爲す所以を言うなり。

今燕虐其民。王往而征之。民以爲、將拯己於水火之中也。簞食壺漿、以迎王師。若殺其父兄、係累其子弟、毀其宗廟、遷其重器、如之何其可也。天下固畏齊之彊也。今又倍地而不行仁政、是動天下之兵也。累、力追反。○拯、救也。係累、縶縛也。重器、寶器也。畏、忌也。倍地、幷燕而增一倍之地也。齊之取燕、若能如湯之征葛、則燕人悦之、而齊可爲政於天下矣。今乃不行仁政而肆爲殘虐、則無以慰燕民之望、而服諸侯之心。是以不免乎以千里而畏人也。
【読み】
今燕其の民を虐す。王往いて之を征す。民以爲えらく、將に己を水火の中に拯[すく]わん、と。簞食壺漿して、以て王師を迎う。若し其の父兄を殺し、其の子弟を係累し、其の宗廟を毀ち、其の重器を遷さば、如之何してか其れ可ならん。天下固[まこと]に齊の彊きを畏る。今又地を倍して仁政を行わず、是れ天下の兵を動かせり。累は力追の反。○拯は救うなり。係累は縶縛[ちゅうばく]なり。重器は寶器なり。畏は忌むなり。地を倍すは、燕を幷せて一倍の地を增すなり。齊の燕を取る、若し能く湯の葛を征するが如きときは、則ち燕人之を悦びて、齊は政を天下に爲す可し。今乃ち仁政を行わずして肆[ほしいまま]に殘虐をせば、則ち以て燕の民の望みを慰めて、諸侯の心を服すこと無し。是を以て千里を以てして人を畏るることを免れず。

王速出令、反其旄倪、止其重器、謀於燕衆、置君而後去之、則猶可及止也。旄與耄同。倪、五稽反。○反、還也。旄、老人也。倪、小兒也。謂所虜略之老小也。猶、尙也。及止、及其未發而止之也。○范氏曰、孟子事齊梁之君、論道德、則必稱堯舜、論征伐、則必稱湯武。蓋治民不法堯舜、則是爲暴。行師不法湯武、則是爲亂。豈可謂吾君不能、而舍所學以徇之哉。
【読み】
王速やかに令を出だして、其の旄倪[ぼうげい]を反し、其の重器を止め、燕の衆に謀って、君を置いて後に之を去らば、則ち猶止むるに及ぶ可し、と。旄は耄と同じ。倪は五稽の反。○反は還すなり。旄は老人なり。倪は小兒なり。虜略する所の老小を謂うなり。猶は尙なり。止むるに及ぶは、其の未だ發せずして之を止むるに及ぶなり。○范氏曰く、孟子齊梁の君に事えて、道德を論ずるときは、則ち必ず堯舜を稱し、征伐を論ずるときは、則ち必ず湯武を稱す。蓋し民を治むるに堯舜に法らざれば、則ち是れ暴をするなり。師を行うに湯武に法らざれば、則ち是れ亂をするなり。豈吾が君能わずと謂うて、學ぶ所を舍てて以て之に徇う可けんや、と。


梁惠王章句下12
○鄒與魯鬨。穆公問曰、吾有司死者三十三人、而民莫之死也。誅之、則不可勝誅。不誅、則疾視其長上之死而不救。如之何則可也。鬨、胡弄反。勝、平聲。長、上聲。下同。○鬨、鬭聲也。穆公、鄒君也。不可勝誅、言人衆不可盡誅也。長上、謂有司也。民怨其上。故疾視其死而不救也。
【読み】
○鄒と魯と鬨[たたか]う。穆公問うて曰く、吾が有司死する者三十三人、而して民之に死する莫し。之を誅するときは、則ち勝[あ]げて誅す可からず。誅せざるときは、則ち其の長上の死を疾[にく]み視て救わず。如之何してか則ち可ならん、と。鬨は胡弄の反。勝は平聲。長は上聲。下も同じ。○鬨は鬭いの聲なり。穆公は鄒の君なり。勝げて誅す可からずは、人衆[おお]くして盡く誅す可からざるを言うなり。長上は、有司を謂うなり。民其の上を怨む。故に其の死を疾み視て救わざるなり。

孟子對曰、凶年饑歳、君之民老弱轉乎溝壑、壯者散而之四方者、幾千人矣。而君之倉廩實、府庫充。有司莫以告。是上慢而殘下也。曾子曰、戒之戒之。出乎爾者、反乎爾者也。夫民今而後得反之也。君無尤焉。幾、上聲。夫、音扶。○轉、飢餓輾轉而死也。充、滿也。上、謂君及有司也。尤、過也。
【読み】
孟子對えて曰く、凶年饑歳には、君の民老弱は溝壑に轉[まろ]び、壯者は散じて四方に之く者、幾千人。而して君の倉廩實[み]ち、府庫充てり。有司以て告[もう]すこと莫し。是れ上慢[おこた]りて下を殘[そこな]うなり。曾子曰く、戒めよ戒めよ。爾に出づる者は、爾に反る者なり、と。夫れ民今にして後に之を反すことを得たり。君尤むること無かれ。幾は上聲。夫は音扶。○轉は、飢餓輾轉して死すなり。充は滿つなり。上は、君及び有司を謂うなり。尤は過なり。

君行仁政、斯民親其上、死其長矣。君不仁而求富。是以有司知重斂、而不知恤民。故君行仁政、則有司皆愛其民、而民亦愛之矣。○范氏曰、書曰、民惟邦本、本固邦寧。有倉廩府庫、所以爲民也。豐年則斂之、凶年則散之、恤其飢寒、救其疾苦。是以民親愛其上、有危難則赴救之、如子弟之衛父兄、手足之捍頭目也。穆公不能反己、猶欲歸罪於民。豈不誤哉。
【読み】
君仁政を行わば、斯ち民其の上に親しみ、其の長に死なん、と。君不仁にして富を求む。是を以て有司斂を重くすることを知りて、民を恤[めぐ]むことを知らず。故に君仁政を行わば、則ち有司皆其の民を愛して、民も亦之を愛さん。○范氏曰く、書に曰く、民は惟れ邦の本、本固ければ邦寧し、と。倉廩府庫有るは、民の爲にする所以なり。豐年には則ち之を斂め、凶年には則ち之を散じ、其の飢寒を恤み、其の疾苦を救う。是を以て民其の上を親愛して、危難有るときは則ち赴いて之を救うこと、子弟の父兄を衛り、手足の頭目を捍[まも]るが如し。穆公己に反ること能わずして、猶罪を民に歸せまく欲す。豈誤らずや、と。


梁惠王章句下13
○滕文公問曰、滕、小國也。閒於齊・楚。事齊乎。事楚乎。閒、去聲。○滕、國名。
【読み】
○滕の文公問うて曰く、滕は小國なり。齊・楚に閒[はさ]まれり。齊に事えんか。楚に事えんか、と。閒は去聲。○滕は國の名。

孟子對曰、是謀非吾所能及也。無已、則有一焉。鑿斯池也、築斯城也、與民守之、效死而民弗去、則是可爲也。無已、見前篇。一、謂一說也。效、猶致也。國君死社稷。故致死以守國。至於民亦爲之死守而不去、則非有以深得其心者、不能也。○此章言有國者當守義而愛民、不可僥倖而苟免。
【読み】
孟子對えて曰く、是の謀吾が能く及ぶ所に非ず。已むこと無くば、則ち一つ有り。斯の池を鑿[ほ]り、斯の城を築いて、民と之を守り、死を效[いた]して民去らずんば、則ち是れ爲[し]つ可し。已むこと無きは、前篇に見ゆ。一は一說を謂うなり。效は猶致すのごとし。國君は社稷に死す。故に死を致して以て國を守る。民も亦之が爲に死守して去らざるに至るは、則ち以て深く其の心を得ること有る者に非ざれば、能わざるなり。○此の章言うこころは、國を有つ者は當に義を守って民を愛すべく、僥倖にして苟も免るる可からざるなり、と。


梁惠王章句下14
○滕文公問曰、齊人將築薛。吾甚恐。如之何則可。薛、國名。近滕。齊取其地而城之。故文公以其偪己而恐也。
【読み】
○滕の文公問うて曰く、齊人將に薛に築かんとす。吾甚だ恐る。如之何してか則ち可ならん、と。薛は國の名。滕に近し。齊其の地を取りて之に城[きず]く。故に文公其の己に偪[せま]るるを以て恐る。

孟子對曰、昔者大王居邠、狄人侵之。去之岐山之下居焉。非擇而取之。不得已也。邠、與豳同。○邠、地名。言大王非以岐下爲善、擇取而居之也。詳見下章。
【読み】
孟子對えて曰く、昔者大王邠[ひん]に居り、狄人之を侵す。去りて岐山の下に之いて居れり。擇んで之を取るに非ず。已むことを得ざればなり。邠は豳と同じ。○邠は地名。言うこころは、大王岐の下を以て善しとして、擇び取って之に居るに非ざるなり。詳らかに下章に見ゆ。

苟爲善、後世子孫必有王者矣。君子創業垂統、爲可繼也。若夫成功、則天也。君如彼何哉。彊爲善而已矣。夫、音扶。彊、上聲。○創、造。統、緒也。言能爲善、則如大王雖失其地、而其後世遂有天下。乃天理也。然君子造基業於前、而垂統緒於後、但能不失其正、令後世可繼續而行耳。若夫成功、則豈可必乎。彼、齊也。君之力旣無如之何、則但彊於爲善、使其可繼、而俟命於天耳。○此章言、人君但當竭力於其所當爲、不可徼幸於其所難必。
【読み】
苟[も]し善をせば、後世子孫必ず王者有らん。君子は業を創[はじ]め統を垂れて、繼ぐ可きことをす。夫の成功の若きは、則ち天なり。君彼を如何がせんや。善をすることを彊[つと]めんのみ、と。夫は音扶。彊は上聲。○創は造す。統は緒なり。言うこころは、能く善をすれば、則ち大王の如く其の地を失うと雖も、而して其の後世遂に天下を有たん。乃ち天理なり。然れば君子基の業を前に造し、統緒を後に垂れて、但能く其の正を失わず、後世に繼續して行う可らかしむのみ。夫の成功の若きは、則ち豈必とす可けんや、と。彼は齊なり。君の力旣に如之何すること無ければ、則ち但善をすることを彊め、其れ繼ぐ可からしめて、命を天に俟つのみ。○此の章言うこころは、人君は但當に力を其の當にすべき所に竭くすべく、幸を其の必とし難き所に徼[もと]むる可からず、と。


梁惠王章句下15
○滕文公問曰、滕、小國也。竭力以事大國、則不得免焉。如之何則可。孟子對曰、昔者大王居邠、狄人侵之。事之以皮幣、不得免焉、事之以犬馬、不得免焉、事之以珠玉、不得免焉。乃屬其耆老而告之曰、狄人之所欲者、吾土地也。吾聞之也。君子不以其所以養人者害人。二三子何患乎無君。我將去之。去邠、踰梁山、邑于岐山之下居焉。邠人曰、仁人也、不可失也。從之者如歸市。屬、音燭。○皮、謂虎豹麋鹿之皮也。幣、帛也。屬、會集也。土地本生物以養人。今爭地而殺人、是以其所以養人者害人也。邑、作邑也。歸市、人衆而爭先也。
【読み】
○滕の文公問うて曰く、滕は小國なり。力を竭くして以て大國に事うれども、則ち免るることを得ず。如之何してか則ち可ならん、と。孟子對えて曰く、昔者大王邠に居り、狄人之を侵す。之に事うるに皮幣を以てすれども、免るることを得ず、之に事うるに犬馬を以てすれども、免るることを得ず、之に事うるに珠玉を以てすれども、免るることを得ず。乃ち其の耆老[きろう]を屬[あつ]めて之に告げて曰く、狄人の欲する所の者は、吾が土地なり。吾之を聞けり。君子は其の人を養う所以の者を以て人を害わず、と。二三子何ぞ君無きことを患えん。我將に之を去らんとす、と。邠を去って、梁山を踰え、岐山の下に邑して居れり。邠人曰く、仁人なり。失う可からず、と。之に從う者市に歸[おもむ]くが如し。屬は音燭。○皮は虎豹麋鹿の皮を謂うなり。幣は帛なり。屬は會集するなり。土地は本物を生じて以て人を養う。今地を爭いて人を殺すは、是れ其の人を養う所以の者を以て人を害うなり。邑は邑を作るなり。市に歸くは、人衆くして先を爭うなり。

或曰、世守也。非身之所能爲也。效死勿去。又言、或謂、土地乃先人所受而世守之者。非己所能專。但當致死守之。不可舍去。此國君死社稷之常法。傳所謂國滅君死之正也、正謂此也。
【読み】
或ひと曰く、世々の守りなり。非身の能くせん所に非ず。死を效[いた]して去ること勿かれ、と。又言う、或ひと謂う、土地は乃ち先人の受くる所にして世々守る者なり。己の能く專らにする所に非ず。但當に死を致して之を守るべし。舍て去る可からず、と。此れ國君の社稷に死すの常法。傳に謂う所の國滅びれば君之に死すは正なりとは、正に此を謂うなり。

君請擇於斯二者。能如大王則避之。不能則謹守常法。蓋遷國以圖存者、權也。守正而俟死者、義也。審己量力、擇而處之可也。○楊氏曰、孟子之於文公、始告之以效死而已。禮之正也。至其甚恐、則以大王之事告之。非得已也。然無大王之德而去、則民或不從而遂至於亡。則又不若效死之爲愈。故又請擇於斯二者。又曰、孟子所論、自世俗觀之、則可謂無謀矣。然理之可爲者、不過如此。舍此則必爲儀・秦之爲矣。凡事求可、功求成。取必於智謀之末而不循天理之正者、非聖賢之道也。
【読み】
君請う、斯の二つ者を擇べ、と。能く大王の如くならば則ち之を避けよ。能わざれば則ち謹んで常法を守れ。蓋し國を遷して以て存せんことを圖るは、權なり。正しきを守りて死を俟つは、義なり。己を審らかにして力を量り、擇びて之を處すれば可なり。○楊氏曰く、孟子の文公に於る、始め之に告ぐるに死を效すを以てするのみ。禮の正しきなり。其の甚だ恐るるに至りて、則ち大王の事を以て之に告ぐ。已むことを得るに非ざるなり。然れども大王の德無くして去るときは、則ち民或は從わずして遂に亡ぶるに至る。則ち又死を效すを愈れるとするに若かず。故に又請う、斯の二つの者を擇べ、と。又曰く、孟子論ずる所、世俗より之を觀るときは、則ち謀無しと謂う可し。然れども理のす可き者は、此の如くなるに過ぎず。此を舍[お]いては則ち必ず儀・秦の爲[しわざ]をせん。凡そ事は可なることを求め、功は成らんことを求めて、必ず智謀の末を取りて天理の正しきに循わざるは、聖賢の道に非ざるなり、と。


梁惠王章句下16
○魯平公將出。嬖人臧倉者請曰、他日君出、則必命有司所之。今乘輿已駕矣。有司未知所之。敢請。公曰、將見孟子。曰、何哉、君所爲輕身以先於匹夫者、以爲賢乎。禮義由賢者出。而孟子之後喪、踰前喪。君無見焉。公曰、諾。乘、去聲。○乘輿、君車也。駕、駕馬也。孟子前喪父、後喪母。踰、過也。言其厚母薄父也。諾、應辭也。
【読み】
○魯の平公將に出でんとす。嬖[へい]人臧倉という者請うて曰く、他日君出でるときは、則ち必ず有司に之く所を命ず。今乘輿已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢えて請う、と。公曰く、將に孟子に見わんとす、と。曰く、何ぞや、君の身を輕んじて以て匹夫に先んずることをする所の者、賢なりと以爲[おも]えるや。禮義は賢者より出づ。而るに孟子の後の喪、前の喪に踰えたり。君見うこと無かれ、と。公曰く、諾、と。乘は去聲。○乘輿は君の車なり。駕は馬を駕すなり。孟子前に父を喪し、後に母を喪す。踰は過ぐなり。其の母に厚く父に薄きを言うなり。諾は應うる辭なり。

樂正子入見曰、君奚爲不見孟軻也。曰、或告寡人曰、孟子之後喪、踰前喪。是以不往見也。曰、何哉、君所謂踰者。前以士、後以大夫、前以三鼎、而後以五鼎與。曰、否。謂棺槨衣衾之美也。曰、非所謂踰也。貧富不同也。入見之見、音現。與、平聲。○樂正子、孟子弟子也。仕於魯。三鼎、士祭禮。五鼎、大夫祭禮。
【読み】
樂正子入って見えて曰く、君奚爲[なんすれ]ぞ孟軻に見わざる、と。曰く、或ひと寡人に告げて曰く、孟子の後の喪、前の喪に踰えたり、と。是を以て往いて見わざるなり、と。曰く、何ぞや、君の所謂踰えたりとは。前に士を以てし、後に大夫を以てし、前に三鼎を以てして、後に五鼎を以てするか。曰く、否。棺槨衣衾の美を謂えり、と。曰く、所謂踰えたるに非ざるなり。貧富同じからざればなり、と。入見の見は音現。與は平聲。○樂正子は孟子の弟子なり。魯に仕う。三鼎は士の祭禮。五鼎は大夫の祭禮。

樂正子見孟子曰、克告於君。君爲來見也。嬖人有臧倉者。沮君。君是以不果來也。曰、行或使之、止或尼之。行止非人所能也。吾之不遇魯侯、天也。臧氏之子、焉能使予不遇哉。爲、去聲。沮、慈呂反。尼、女乙反。焉、於虔反。○克、樂正子名。沮・尼、皆止之之意也。言人之行、必有人使之者。其止、必有人尼之者。然其所以行、所以止、則固有天命、而非此人所能使、亦非此人所能尼也。然則我之不遇、豈臧倉之所能爲哉。○此章言、聖賢之出處、關時運之盛衰。乃天命之所爲、非人力之可及。
【読み】
樂正子孟子に見えて曰く、克君に告[もう]す。君爲に來り見わんとす。嬖人臧倉という者有り。君を沮[とど]む。君是を以て來ることを果たさず、と。曰く、行くも之をせしむること或り、止まるも之を尼[とど]むること或り。行止は人の能くする所に非ず。吾が魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏が子、焉んぞ能く予をして遇わざらしめんや、と。爲は去聲。沮は慈呂の反。尼は女乙の反。焉は於虔の反。○克は樂正子の名。沮・尼は、皆之を止むるの意なり。言うこころは、人の行くに、必ず人之をせしむる者有り。其の止まるに、必ず人之を尼むる者有り。然れども其の行く所以と止まる所以は、則ち固より天命に有りて、此れ人の能くせしむる所に非ず、亦此れ人の能く尼むる所に非ざるなり。然れば則ち我が遇わざるは、豈臧倉の能くする所ならんや、と。○此の章言うこころは、聖賢の出處は、時運の盛衰に關わる。乃ち天命のする所にして、人力の及ぶ可きことに非ず、と。

 

孟子卷之二

公孫丑章句上 凡九章。

公孫丑章句上1
公孫丑問曰、夫子當路於齊、管仲晏子之功、可復許乎。復、扶又反。○公孫丑、孟子弟子。齊人也。當路、居要地也。管仲、齊大夫。名夷吾。相桓公、霸諸侯。許、猶期也。孟子未嘗得政。丑蓋設辭以問也。
【読み】
公孫丑問うて曰く、夫子路に齊に當たらば、管仲晏子が功、復許[あ]ててす可けんや、と。復は扶又の反。○公孫丑は孟子の弟子。齊人なり。路に當たるは、要地に居るなり。管仲は齊の大夫。名は夷吾。桓公を相け、諸侯に霸たり。許は猶期のごとし。孟子未だ嘗て政を得ず。丑蓋し辭を設けて以て問うなり。

孟子曰、子誠齊人也。知管仲晏子而已矣。齊人但知其國有二子而已。不復知有聖賢之事。
【読み】
孟子曰く、子は誠に齊人なり。管仲晏子を知るのみ。齊人但其の國に二子有るを知るのみ。復聖賢の事有るを知らず。

或問乎曾西曰、吾子與子路孰賢。曾西蹵然曰、吾先子之所畏也。曰、然則吾子與管仲孰賢。曾西艴然不悦曰、爾何曾比予於管仲。管仲得君、如彼其專也。行乎國政、如彼其久也。功烈、如彼其卑也。爾何曾比予於是。蹵、子六反。艴、音拂。又音勃。曾、並音增。○孟子引曾西與或人問答如此。曾西、曾子之孫。蹵、不安貌。先子、曾子也。艴、怒色也。曾之言則也。烈、猶光也。桓公獨任管仲四十餘年、是專且久也。管仲不知王道而行霸術。故言功烈之卑也。楊氏曰、孔子言子路之才曰、千乘之國、可使治其賦也。使其見於施爲、如是而已。其於九合諸侯、一匡天下、固有所不逮也。然則曾西推尊子路如此、而羞比管仲者何哉。譬之御者、子路則範我馳驅而不獲者也。管仲之功、詭遇而獲禽耳。曾西、仲尼之徒也。故不道管仲之事。
【読み】
或ひと曾西に問うて曰く、吾子と子路と孰れか賢れる、と。曾西蹵然[しゅくぜん]として曰く、吾が先子の畏るる所なり、と。曰く、然るときは則ち吾子と管仲と孰れか賢れる、と。曾西艴然[ふつぜん]として悦びずして曰く、爾何ぞ曾[すなわ]ち予を管仲に比する。管仲君を得ること、彼が如く其れ專らなり。國政を行うこと、彼が如く其れ久し。功烈、彼が如く其れ卑し。爾何ぞ曾ち予を是に比する、と。蹵は子六の反。艴は音拂。又は音勃。曾は並音增。○孟子曾西と或人との問答を引くこと此の如し。曾西は曾子の孫。蹵は不安の貌。先子は曾子なり。艴は怒色なり。曾の言は則ちなり。烈は猶光りのごとし。桓公獨り管仲に任ずること四十餘年、是れ專ら且久しきなり。管仲は王道を知らずして霸術を行う。故に功烈之れ卑しと言うなり。楊氏曰く、孔子子路の才を言いて曰く、千乘の國、其の賦を治めしむる可し、と。其の施し爲めさせしめば、是の如きのみならん。其の諸侯を九合して、天下を一匡するに於ては、固より逮ばざる所有るなり。然れば則ち曾西子路を推し尊ぶこと此の如くして、管仲に比すを羞ずるは何ぞや。之を御者に譬うれば、子路は則ち範して我馳驅して獲ざる者なり。管仲の功は、詭遇して禽を獲るのみ。曾西は、仲尼の徒なり。故に管仲の事を道わず、と。

曰、管仲、曾西之所不爲也。而子爲我願之乎。子爲之爲、去聲。○曰、孟子言也。願、望也。
【読み】
曰く、管仲は曾西がせざる所なり。而るを子我が爲に之を願[のぞ]めるか、と。子爲の爲は去聲。○曰くは孟子の言なり。願は望むなり。

曰、管仲以其君霸、晏子以其君顯。管仲・晏子猶不足爲與。與、平聲。顯、顯名也。
【読み】
曰く、管仲は其の君を以て霸たり。晏子は其の君を以て顯[あらわ]す。管仲・晏子も猶するに足らざるか、と。與は平聲。顯は名を顯すなり。

曰、以齊王、由反手也。王、去聲。由、猶通。○反手、言易也。
【読み】
曰く、齊を以て王たらんこと、由[なお]手を反すがごとし、と。王は去聲。由は猶に通ず。○手を反すは、易きことを言うなり。

曰、若是、則弟子之惑滋甚。且以文王之德、百年而後崩。猶未洽於天下。武王・周公繼之、然後大行。今言王若易然、則文王不足法與。易、去聲。下同。與、平聲。○滋、益也。文王九十七而崩。言百年、舉成數也。文王三分天下、纔有其二。武王克商、乃有天下。周公相成王、制禮作樂。然後敎化大行。
【読み】
曰く、是の若きなるときは、則ち弟子の惑い滋[ますます]甚だし。且つ文王の德を以て、百年にして後に崩ず。猶未だ天下に洽[あまね]からず。武王・周公之に繼いで、然して後に大いに行わる。今王を言うこと易然なるが若きは、則ち文王も法るに足らざるか、と。易は去聲。下も同じ。與は平聲。○滋は益々なり。文王九十七にして崩ず。百年と言うは、成數を舉ぐるなり。文王天下を三分して、纔かに其の二を有てり。武王商に克ち、乃ち天下を有つ。周公成王に相として、禮を制し樂を作る。然して後に敎化大いに行わる。

曰、文王何可當也。由湯至於武丁、賢聖之君六七作。天下歸殷久矣。久則難變也。武丁朝諸侯有天下、猶運之掌也。紂之去武丁未久也。其故家遺俗、流風善政、猶有存者。又有微子・微仲・王子比干・箕子・膠鬲皆賢人也。相與輔相之。故久而後失之也。尺地莫非其有也。一民莫非其臣也。然而文王猶方百里起。是以難也。朝、音潮。鬲、音隔、又音歴。輔相之相、去聲。猶方之猶、與由通。○當、猶敵也。商自成湯至於武丁、中閒太甲・太戊・祖乙・盤庚皆賢聖之君。作、起也。自武丁至紂凡九世。故家、舊臣之家也。
【読み】
曰く、文王は何ぞ當たる可けん。湯より武丁に至るまで、賢聖の君六七作[おこ]る。天下殷に歸すること久し。久しきときは則ち變じ難し。武丁諸侯を朝し天下を有つこと、猶之を掌に運[めぐ]らすがごとし。紂が武丁を去ること未だ久しからず。其の故家遺俗、流風善政、猶存する者有り。又有微子・微仲・王子比干・箕子・膠鬲[こうかく]皆賢人なり。相與[とも]に之を輔相す。故に久しうして後に之を失う。尺地も其の有に非ずということ莫し。一民も其の臣に非ずということ莫し。然して文王方百里に猶[よ]りて起こる。是を以て難し。朝は音潮。鬲は音隔、又音歴。輔相の相は去聲。猶方の猶は由と通ず。○當は猶敵するのごとし。商は成湯より武丁に至るまで、中閒太甲・太戊[たいぼう]・祖乙[そいつ]・盤庚皆賢聖の君なり。作は起こるなり。武丁より紂に至るまで凡て九世。故家は、舊臣の家なり。

齊人有言曰、雖有智慧、不如乘勢、雖有鎡基、不如待時。今時則易然也。知、音智。鎡、音茲。○鎡基、田器也。時、謂耕種之時。
【読み】
齊人言えること有りて曰く、智慧有りと雖も、勢に乘るには如かず、鎡基[じき]有りと雖も、時を待つには如かず、と。今の時則ち易然なり。知は音智。鎡は音茲。○鎡基は田器なり。時は耕種の時を謂う。

夏后・殷・周之盛、地未有過千里者也。而齊有其地矣。雞鳴狗吠相聞。而達乎四境。而齊有其民矣。地不改辟矣、民不改聚矣、行仁政而王、莫之能禦也。辟、與闢同。○此言其勢之易也。三代盛時、王畿不過千里。今齊已有之。異於文王之百里。又雞犬之聲相聞、自國都以至於四境、言民居稠密也。
【読み】
夏后・殷・周の盛んなること、地未だ千里を過ぐる者有らず。而して齊其の地有り。雞鳴狗吠[くばい]相聞えて、四境に達す。而して齊其の民有り。地改め辟[ひら]かず、民改め聚めず、仁政を行って王たること、之を能く禦ぐこと莫けん。辟は闢くと同じ。○此れ其の勢の易きを言うなり。三代の盛んなる時さえ、王畿千里に過ぎず。今齊已に之を有つ。文王の百里に異なり。又雞犬の聲相聞こえ、國都より以て四境に至るまで、民居稠密なるを言うなり。

且王者之不作、未有疏於此時者也。民之憔悴於虐政、未有甚於此時者也。飢者易爲食。渴者易爲飮。此言其時之易也。自文武至此七百餘年、異於商之賢聖繼作。民苦虐政之甚、異於紂之猶有善政。易爲飮食、言飢渴之甚、不待甘美也。
【読み】
且[また]王者の作[おこ]らざること、未だ此の時より疏[うと]きこと有らず。民の虐政に憔悴すること、未だ此の時より甚だしきこと有らず。飢えたる者には食を爲し易し。渴えたる者には飮を爲し易し。此れ其の時の易きを言うなり。文武より此に至るまで七百餘年、商の賢聖の繼ぎ作るに異なり。民の虐政に苦しむことの甚だしき、紂の猶善政有るに異なり。飮食を爲し易しは、飢渴の甚だしきは、甘美を待たざることを言うなり。

孔子曰、德之流行、速於置郵而傳命。郵、音尤。○置、驛也。郵、馹也。所以傳命也。孟子引孔子之言如此。
【読み】
孔子曰く、德の流行、置郵して命を傳うるよりも速やかなり、と。郵は音尤。○置は驛なり。郵は馹[じつ]なり。以て命を傳うる所なり。孟子孔子の言を引くこと此の如し。

當今之時、萬乘之國行仁政、民之悦之、猶解倒懸也。故事半古之人、功必倍之、惟此時爲然。乘、去聲。○倒懸、喩困苦也。所施之事、半於古人、而功倍於古人、由時勢易而德行速也。
【読み】
今の時に當たりて、萬乘の國仁政を行わば、民の之を悦びんこと、猶倒懸を解くがごとけん。故に事古の人に半ばして、功必ず之に倍せんこと、惟此の時然りとす、と。乘は去聲。○倒懸は、困苦を喩う。施す所の事、古人に半ばして、功古人に倍するは、時勢易くして德行速やかなるに由る。


公孫丑章句上2
○公孫丑問曰、夫子加齊之卿相、得行道焉、雖由此霸王不異矣。如此、則動心否乎。孟子曰、否。我四十不動心。相、去聲。○此承上章、又設問。孟子若得位而行道、則雖由此而成霸王之業、亦不足怪。任大責重如此、亦有所恐懼疑惑而動其心乎。四十強仕、君子道明德立之時。孔子四十而不惑、亦不動心之謂。
【読み】
○公孫丑問うて曰く、夫子に齊の卿相を加えて、道を行うことを得ば、此によって霸王たると雖も異[あや]しまざる。此の如くなるときは、則ち心を動かさんや否や、と。孟子曰く、否。我四十にして心を動かさず、と。相は去聲。○此れ上章を承けて、又問いを設く。孟子若し位を得て道を行うときは、則ち此によりて霸王の業を成すと雖も、亦怪しむに足らず。任大いにして責重きこと此の如くなれば、亦恐懼疑惑して其の心を動かす所有らんや、と。四十は強仕、君子道明らかにして德立つの時なり。孔子四十にして惑わずは、亦心を動かさざるの謂なり。

曰、若是、則夫子過孟賁遠矣。曰、是不難。告子先我不動心。賁、音奔。○孟賁、勇士。告子、名不害。孟賁血氣之勇。丑蓋借之以贊孟子不動心之難。孟子言告子未爲知道、乃能先我不動心、則此亦未足爲難也。
【読み】
曰く、是の若くば、則ち夫子は孟賁に過ぎたること遠し、と。曰く、是れ難からず。告子我より先に心を動かさず、と。賁は音奔。○孟賁は勇士。告子、名は不害。孟賁は血氣の勇なり。丑蓋し之を借りて以て孟子の心を動かさざるの難きを贊す。孟子言うこころは、告子未だ道を知ることを爲さずして、乃ち能く我より先に心を動かさざれば、則ち此れ亦未だ難きとするに足らざるなり、と。

曰、不動心有道乎。曰、有。程子曰、心有主、則能不動矣。
【読み】
曰く、心を動かさざるに道有りや、と。曰く、有り。程子曰く、心に主有るときは、則ち能く動かさず、と。

北宮黝之養勇也、不膚撓、不目逃、思以一豪挫於人、若撻之於市朝。不受於褐寬博、亦不受於萬乘之君。視刺萬乘之君、若刺褐夫。無嚴諸侯。惡聲至必反之。黝、伊糾反。撓、奴效反。朝、音潮。乘、去聲。○北宮姓、黝名。膚撓、肌膚被刺而撓屈也。目逃、目被刺而轉睛逃避也。挫、猶辱也。褐、毛布。寬博、寬大之衣。賤者之服也。不受者、不受其挫也。刺、殺也。嚴、畏憚也。言無可畏憚之諸侯也。黝蓋刺客之流。以必勝爲主、而不動心者也。
【読み】
北宮黝[ほくきゅうゆう]が勇を養えること、膚撓[たわ]まず、目逃[まじろ]がず、一豪を以て人に挫[はずかし]めらるることを思うこと、市朝に撻[むちう]たるるが若し。褐寬博にも受けず、亦萬乘の君にも受けず。萬乘の君を刺[ころ]すを視ること、褐夫を刺すが若し。嚴[おそ]るる諸侯無し。惡聲至れば必ず之を反す。黝は伊糾の反。撓は奴效の反。朝は音潮。乘は去聲。○北宮は姓、黝は名。膚撓むは、肌膚刺されて撓屈するなり。目逃ぐは、目刺されて睛を轉じて逃避するなり。挫は猶辱めのごとし。褐は毛布。寬博は寬く大いなる衣。賤者の服なり。受けずは、其の挫めを受けざるなり。刺は殺すなり。嚴は畏れ憚るなり。言うこころは、畏れ憚る可きの諸侯無し、と。黝は蓋し刺客の流なり。必ず勝つことを以て主として、心を動かさざる者なり。

孟施舍之所養勇也、曰、視不勝猶勝也。量敵而後進、慮勝而後會、是畏三軍者也。舍豈能爲必勝哉。能無懼而已矣。舍、去聲。下同。○孟、姓。施、發語聲。舍、名也。會、合戰也。舍自言其戰雖不勝、亦無所懼。若量敵慮勝而後進戰、則是無勇而畏三軍矣。舍蓋力戰之士。以無懼爲主、而不動心者也。
【読み】
孟施舍が勇を養う所は、曰く、勝つまじきを視ること猶勝つがごとし。敵を量りて後に進み、勝つことを慮りて後に會するは、是れ三軍を畏るる者なり。舍豈能く必ず勝つことをせんや。能く懼るること無からまくのみ、と。舍は去聲。下も同じ。○孟は姓。施は發語の聲。舍は名なり。會は合戰なり。舍自ら言う、其の戰勝つまじきと雖も、亦懼るる所無し。若し敵を量り勝つことを慮りて後に進み戰わば、則ち是れ勇無くして三軍を畏るるなり、と。舍蓋し力戰の士なり。懼るること無きを以て主として、心を動かさざる者なり。

孟施舍似曾子。北宮黝似子夏。夫二子之勇、未知其孰賢。然而孟施舍守約也。夫、音扶。○黝務敵人、舍專守己。子夏篤信聖人、曾子反求諸己。故二子之與曾子・子夏、雖非等倫、然論其氣象、則各有所似。賢、猶勝也。約、要也。言論二子之勇、則未知誰勝、論其所守、則舍比於黝、爲得其要也。
【読み】
孟施舍は曾子に似たり。北宮黝は子夏に似たり。夫の二子の勇、未だ其の孰れか賢れることを知らず。然れども孟施舍は守ること約なり。夫は音扶。○黝は務めて人に敵し、舍は專ら己を守る。子夏は篤く聖人を信じ、曾子は諸を己に反り求む。故に二子と曾子・子夏とは、等倫に非ずと雖も、然れども其の氣象を論ずれば、則ち各々似る所有り。賢は猶勝るがごとし。約は要なり。言うこころは、二子の勇を論ずるときは、則ち未だ誰が勝れるかを知らざれども、其の守る所を論ずるときは、則ち舍は黝に比して、其の要を得たりとす、と。

昔者曾子謂子襄曰、子好勇乎。吾嘗聞大勇於夫子矣。自反而不縮、雖褐寬博、吾不惴焉。自反而縮、雖千萬人、吾往矣。好、去聲。惴、之瑞反。○此言曾子之勇也。子襄、曾子弟子也。夫子、孔子也。縮、直也。檀弓曰、古者冠縮縫、今也衡縫。又曰、棺束縮二衡三。惴、恐懼之也。往、往而敵之也。
【読み】
昔者曾子子襄に謂って曰く、子勇を好むや。吾嘗て大勇を夫子に聞けり。自ら反って縮からずんば、褐寬博と雖も、吾惴[おど]さじ。自ら反って縮くば、千萬人と雖も、吾往かん、と。好は去聲。惴は之瑞の反。○此れ曾子の勇を言うなり。子襄は曾子の弟子なり。夫子は孔子なり。縮は直なり。檀弓に曰く、古は冠を縮[たて]に縫う。今は衡[よこ]に縫う、と。又曰く、棺束は縮に二衡に三、と。惴は之を恐懼するなり。往は往いて之に敵するなり。

孟施舍之守氣。又不如曾子之守約也。言孟施舍雖似曾子、然其所守乃一身之氣、又不如曾子之反身循理、所守尤得其要也。孟子之不動心、其原蓋出於此、下文詳之。
【読み】
孟施舍が守りは氣なり。又曾子の守り約なるに如かず。言うこころは、孟施舍曾子に似ると雖も、然れども其の守る所は乃ち一身の氣にして、又曾子の身に反り理に循うが、守る所の尤も其の要を得たるに如かざるなり。孟子の心を動かさざる、其の原は蓋し此に出づ。下文之を詳らかにす。

曰、敢問夫子之不動心、與告子之不動心、可得聞與。告子曰、不得於言、勿求於心。不得於心、勿求於氣。不得於心、勿求於氣、可。不得於言、勿求於心、不可。夫志、氣之帥也。氣、體之充也。夫志至焉。氣次焉。故曰、持其志、無暴其氣。聞與之與、平聲。夫志之夫、音扶。○此一節、公孫丑之問、孟子誦告子之言、又斷以己意而告之也。告子謂、於言有所不達、則當舍置其言、而不必反求其理於心。於心有所不安、則當力制其心、而不必更求其助於氣。此所以固守其心而不動之速也。孟子旣誦其言而斷之曰、彼謂不得於心而勿求諸氣者、急於本而緩其末、猶之可也。謂不得於言而不求諸心、則旣失於外、而遂遺其内。其不可也必矣。然凡曰可者、亦僅可而有所未盡之辭耳。若論其極、則志固心之所之、而爲氣之將帥。然氣亦人之所以充滿於身、而爲志之卒徒者也。故志固爲至極。而氣卽次之。人固當敬守其志。然亦不可不致養其氣。蓋其内外本末、交相培養。此則孟子之心、所以未嘗必其不動、而自然不動之大略也。
【読み】
曰く、敢えて問う夫子の心を動かさざると、告子が心を動かさざると、得て聞いつ可けんや、と。告子曰く、言に得ざれば、心に求むること勿かれ。心に得ざれば、氣に求むること勿かれ、と。心に得ざれば、氣に求むること勿かれというは、可なり。言に得ざれば、心に求むること勿かれというは、不可なり。夫れ志は、氣の帥なり。氣は、體の充なり。夫れ志は至れり。氣は次げり。故に曰く、其の志を持[たも]ち、其の氣を暴[そこな]うこと無かれ、と。聞與の與は平聲。夫志の夫は音扶。○此の一節、公孫丑の問いに、孟子告子の言を誦して、又己が意を以て斷じて之に告ぐなり。告子謂う、言に於て達せざる所有るときは、則ち當に其の言を舍て置いて、必ず其の理を心に反り求めざるべし。心に於て安からざる所有るときは、則ち當に其の心を力め制して、必ず更に其の助けを氣に求めざるべし、と。此れ固く其の心を守りて動かざるの速やかなる所以なり。孟子旣に其の言を誦して之を斷じて曰く、彼の心に得ずして諸を氣に求むること勿かれと謂うは、本に急にして其の末に緩[ゆるが]せなれば、猶可なり。言に得ずして諸を心に求めずと謂うは、則ち旣に外に失いて、遂に其の内に遺[わす]る。其の不可なるや必なり。然れども凡そ可なりと曰うは、亦僅かに可にして未だ盡くさざる所有るの辭なるのみ。若し其の極を論ずれば、則ち志は固より心の之く所にして、氣の將帥爲り。然れども氣も亦人の身に充滿して、志の卒徒爲る所以の者なり。故に志は固より至極爲り。而して氣は卽ち之に次げり。人固[まこと]に當に敬して其の志を守るべし。然れども亦其の氣を養うことを致さずんばある可からず。蓋し其の内外本末、交々相培養す、と。此れ則ち孟子の心、未だ嘗て其の動かさざることを必とせずして、自然に動かさざる所以の大略なり。

旣曰、志至焉、氣次焉。又曰、持其志無暴其氣者。何也。曰、志壹則動氣、氣壹則動志也。今夫蹶者趨者、是氣也。而反動其心。夫、音扶。○公孫丑見孟子言志至而氣次、故問。如此則專持其志可矣。又言無暴其氣何也。壹、專一也。蹶、顚躓也。趨、走也。孟子言、志之所向專一、則氣固從之。然氣之所在專一、則志亦反爲之動。如人顚躓趨走、則氣專在是而反動其心焉。所以旣持其志、而又必無暴其氣也。程子曰、志動氣者什九、氣動志者什一。
【読み】
旣に曰く、志は至れり、氣は次げり、と。又曰く、其の志を持[たも]ち其の氣を暴うこと無かれとは、何ぞ、と。曰く、志壹[もっぱ]らなるときは則ち氣を動かし、氣壹らなるときは則ち志を動かせばなり。今夫の蹶[つまず]く者趨[はし]る者は、是れ氣なり。而れども反って其の心を動かす、と。夫は音扶。○公孫丑孟子の志至りて氣次ぐと言うを見て、故に問う。此の如くば則ち專ら其の志を持つ可し。又其の氣を暴うこと無かれと言うは何ぞや、と。壹は專一なり。蹶は、顚躓[てんち]なり。趨は走るなり。孟子言う、志の向かう所專一なるときは、則ち氣は固より之に從う。然れども氣の在る所專一なるときは、則ち志も亦反って之が爲に動く。人の顚躓趨走するが如きは、則ち氣專ら是に在りて反って其の心を動かす。旣に其の志を持ちて、又必ず其の氣を暴う所以なり、と。程子曰く、志氣を動かす者什に九、氣志を動かす者什に一なり、と。

敢問、夫子惡乎長。曰、我知言。我善養吾浩然之氣。惡、平聲。○公孫丑復問、孟子之不動心、所以異於告子如此者、有何所長而能然。而孟子又詳告之以其故也。知言者、盡心知性、於凡天下之言、無不有以究極其理、而識其是非得失之所以然也。浩然、盛大流行之貌。氣、卽所謂體之充者。本自浩然、失養故餒。惟孟子爲善養之以復其初也。蓋惟知言、則有以明夫道義、而於天下之事無所疑。養氣、則有以配夫道義、而於天下之事無所懼。此其所以當大任而不動心也。告子之學、與此正相反。其不動心、殆亦冥然無覺。悍然不顧而已爾。
【読み】
敢えて問う、夫子惡くんか長ぜる、と。曰く、我言を知る。我善く吾が浩然の氣を養う、と。惡は平聲。○公孫丑復問う、孟子の心を動かさざるの、告子に異なる所以此の如くなるは、何の長ずる所有りて能く然る、と。而して孟子又詳らかに之を告ぐるに其の故を以てす。言を知るは、心を盡くし性を知り、凡そ天下の言に於て、以て其の理を究め極めて、其の是非得失の然る所以を識ること有らざること無し。浩然は、盛大にして流行するの貌。氣は、卽ち所謂體の充つる者なり。本自ら浩然にて、養いを失う故に餒ゆ。惟孟子のみ善く之を養いて以て其の初に復ることを爲す。蓋し惟言を知るときは、則ち以て夫の道義を明らかにすること有りて、天下の事に於て疑う所無し。氣を養うときは、則ち以て夫の道義を配すること有りて、天下の事に於て懼るる所無し。此れ其の大任に當たりても心を動かさざるの所以なり。告子の學は、此と正に相反す。其の心を動かさざること、殆ど亦冥然として覺ること無し。悍然として顧みざるのみ。

敢問、何謂浩然之氣。曰、難言也。孟子先言知言。而丑先問養氣者、承上文方論志氣而言也。難言者、蓋其心所獨得、而無形聲之驗、有未易以言語形容者。故程子曰、觀此一言、則孟子之實有是氣可知矣。
【読み】
敢えて問う、何をか浩然の氣と謂う、と。曰く、言い難し。孟子先に言を知るを言う。而して丑先に氣を養うを問うは、上文方に志氣を論ずるを承けて言うなり。言い難しは、蓋し其の心獨り得る所にして、形聲の驗無く、未だ言語を以て形容することの易からざる者有り。故に程子曰く、此の一言を觀るときは、則ち孟子の實に是の氣有ることを知る可し、と。

其爲氣也、至大至剛。以直養而無害、則塞于天地之閒。至大、初無限量、至剛、不可屈撓。蓋天地之正氣、而人得以生者。其體段本如是也。惟其自反而縮、則得其所養、而又無所作爲以害之、則其本體不虧而充塞無閒矣。程子曰、天人一也。更不分別。浩然之氣、乃吾氣也。養而無害、則塞乎天地。一爲私意所蔽、則欿然而餒、卻甚小也。謝氏曰、浩然之氣、須於心得其正時識取。又曰、浩然是無虧欠時。
【読み】
其の氣爲る、至大至剛なり。直きを以て養いて害うこと無きときは、則ち天地の閒に塞がる。至大なれば、初めより限量無く、至剛なれば、屈撓す可からず。蓋し天地の正氣にして、人の得て以て生じる者なり。其の體段本より是の如し。惟其の自ら反りて縮きときは、則ち其の養う所を得、而して又作爲を以て之を害う所無きときは、則ち其の本體虧かずして充ち塞がりて閒[へだて]無し。程子曰く、天人一なり。更に分別あらず。浩然の氣は、乃ち吾が氣なり。養いて害うこと無きときは、則ち天に塞がる。一も私意に蔽わるる所と爲るときは、則ち欿然として餒え、卻って甚だ小しきなり、と。謝氏曰く、浩然の氣は、須く心の其の正しきを得る時に於て識取すべし、と。又曰く、浩然は是れ虧け欠くの時無し、と。

其爲氣也、配義與道。無是餒也。餒、奴罪反。○配者、合而有助之意。義者、人心之裁制。道者、天理之自然。餒、飢乏而氣不充體也。言人能養成此氣、則其氣合乎道義而爲之助、使其行之勇決、無所疑憚。若無此氣、則其一時所爲雖未必不出於道義、然其體有所不充、則亦不免於疑懼、而不足以有爲矣。
【読み】
其の氣爲る、義と道とに配す。是れ無きときは餒う。餒は奴罪の反。○配は、合いて助け有るの意。義は、人心の裁制。道は、天理の自然。餒は、飢乏して氣の體に充たざるなり。言うこころは、人能く此の氣を養い成するときは、則ち其の氣道義に合いて之の助けを爲し、其の之を行うこと勇決にして、疑い憚る所無からしむ。若し此の氣無きときは、則ち其の一時のする所未だ必ずしも道義に出でざることあらずと雖も、然れども其の體充たざる所有れば、則ち亦疑い懼るることを免れずして、以てすること有るに足らざるなり。

是集義所生者、非義襲而取之也。行有不慊於心、則餒矣。我故曰、告子未嘗知義。以其外之也。慊、口簟反。又口劫反。○集義、猶言積善。蓋欲事事皆合於義也。襲、掩取也。如齊侯襲莒之襲。言氣雖可以配乎道義、而其養之之始、乃由事皆合義、自反常直、是以無所愧怍、而此氣自然發生於中。非由只行一事、偶合於義、便可掩襲於外而得之也。慊、快也。足也。言所行一有不合於義、而自反不直、則不足於心而其體有所不充矣。然則義豈在外哉。告子不知此理。乃曰仁内義外、而不復以義爲事、則必不能集義以生浩然之氣矣。上文不得於言勿求於心、卽外義之意。詳見告子上篇。
【読み】
是れ集義の生[な]す所の者、義襲って之を取るに非ず。行って心に慊[こころよ]からざること有るときは、則ち餒う。我故に曰く、告子は未だ嘗て義を知らず。其の之を外にするを以てなり。慊は口簟の反。又口劫の反。○集義は、猶善を積むと言うがごとし。蓋し事事皆義に合わんことを欲するなり。襲は掩い取るなり。齊侯莒を襲うの襲の如し。言うこころは、氣以て道義に配す可しと雖も、其の之を養うの始めは、乃ち事皆義に合い、自ら反って常に直くするにより、是を以て愧じ怍ずる所無くして、此の氣自然に中より發生す。只一事を行い、偶々義に合うによりて、便ち外より掩い襲って得る可きに非ず、と。慊は快いなり。足るなり。言うこころは、行う所一つも義に合わずして、自ら反りて直からざること有れば、則ち心に足らずして其の體充たざる所有り。然れば則ち義豈外に在らんや。告子此の理を知らず。乃ち仁は内義は外と曰いて、復義を以て事と爲さざれば、則ち必ず義を集めて以て浩然の氣を生ずること能わざるなり、と。上文の言に得ざれば心に求むること勿かれは、卽ち義を外にするの意なり。詳らかに告子上篇に見ゆ。

必有事焉而勿正。心勿忘。勿助長也。無若宋人然。宋人有閔其苗之不長、而揠之者。芒芒然歸。謂其人曰、今日病矣。予助苗長矣。其子趨而往視之、苗則槁矣。天下之不助苗長者寡矣。以爲無益而舍之者、不耘苗者也。助之長者、揠苗者也。非徒無益、而又害之。長、上聲。揠、烏八反。舍、上聲。○必有事焉而勿正、趙氏・程子以七字爲句。近世或幷下文心字讀之者、亦通。必有事焉、有所事也。如有事於顓臾之有事。正、預期也。春秋傳曰、戰不正勝。是也。如作正心、義亦同。此與大學之所謂正心者、語意自不同也。此言養氣者、必以集義爲事、而勿預期其效。其或未充、則但當勿忘其所有事、而不可作爲以助其長。乃集義養氣之節度也。閔、憂也。揠、拔也。芒芒、無知之貌。其人、家人也。病、疲倦也。舍之不耘者、忘其所有事。揠而助之長者、正之不得、而妄有作爲者也。然不耘則失養而已。揠則反以害之。無是二者、則氣得其養而無所害矣。如告子不能集義、而欲強制其心、則必不能免於正助之病。其於所謂浩然者、蓋不惟不善養、而又反害之矣。
【読み】
必ず事有って正[あてて]すること勿かれ。心忘るること勿かれ。長ずることを助くること勿かれ。宋人の若く然すること無かれ。宋人其の苗の長ぜざることを閔[うれ]えて、之を揠[ぬ]きんずる者有り。芒芒然として歸る。其の人に謂って曰く、今日病[つか]れぬ。予苗の長ずることを助けつ。其の子趨って往いて之を視れば、苗則ち槁[か]れぬ。天下の苗の長ずることを助けざる者寡なし。以て益無しと爲して之を舍つる者は、苗を耘[くさぎ]らざる者なり。之が長ずることを助くる者は、苗を揠きんずる者なり。徒に益無きのみに非ずして、又之を害う、と。長は上聲。揠は烏八の反。舍は上聲。○必有事焉而勿正を、趙氏・程子七字を以て句と爲す。近世或は下文の心の字を幷せて之を讀むも、亦通ず。必ず事有りは、事とする所有るなり。顓臾に事有りの事有りの如し。正は、預め期すなり。春秋傳に曰く、戰は勝つことを正せず、と。是れなり。心を正するに作るが如きも、義は亦同じ。此れ大學の所謂心を正すとは、語の意自ら同じからざるなり。此れ言うこころは、氣を養う者は、必ず義を集むるを以て事として、其の效を預め期すこと勿かれ。其の或は未だ充たざるときは、則ち但當に其の事有る所を忘るること勿くして、作爲して以て其の長ずることを助く可からざるべし。乃ち義を集め氣を養うの節度なり、と。閔は憂うなり。揠は拔くなり。芒芒は無知の貌。其の人は家人なり。病は疲れ倦むなり。之を舍て耘らざる者は、其の事有る所を忘るるなり。揠いて之が長ずることを助く者は、之を正して得ず、而して妄りに作爲すること有る者なり。然して耘らざるは則ち養を失うのみ。揠くは則ち反って以て之を害う。是の二つの者無きときは、則ち氣其の養を得て害う所無し。告子の義を集むること能わずして、強いて其の心を制せんと欲するが如きは、則ち必ず正助の病を免るること能わず。其の所謂浩然なる者に於ては、蓋し惟善く養わざるのみならずして、又反って之を害うなり。

何謂知言。曰、詖辭知其所蔽。淫辭知其所陷。邪辭知其所離。遁辭知其所竆。生於其心、害於其政。發於其政、害於其事。聖人復起、必從吾言矣。詖、彼寄反。復、扶又反。○此公孫丑復問、而孟子答之也。詖、偏陂也。淫、放蕩也。邪、邪僻也。遁、逃避也。四者相因、言之病也。蔽、遮隔也。陷、沈溺也。離、叛去也。竆、困屈也。四者亦相因、則心之失也。人之有言、皆出於心。其心明乎正理而無蔽、然後其言平正通達而無病。苟爲不然、則必有是四者之病矣。卽其言之病、而知其心之失、又知其害於政事之決然而不可易者如此、非心通於道、而無疑於天下之理、其孰能之。彼告子者、不得於言、而不肯求之於心、至爲義外之說、則自不免於四者之病。其何以知天下之言而無所疑哉。○程子曰、心通乎道、然後能辨是非。如持權衡以較輕重。孟子所謂知言是也。又曰、孟子知言、正如人在堂上、方能辨堂下人曲直。若猶未免雜於堂下衆人之中、則不能辨決矣。
【読み】
何をか言を知ると謂う。曰く、詖辭は其の蔽わるる所を知る。淫辭は其の陷る所を知る。邪辭は其の離るる所を知る。遁辭は其の竆まる所を知る。其の心に生って、其の政に害あり。其の政に發して、其の事に害あり。聖人復起こるも、必ず吾が言に從わん、と。詖は彼寄の反。復は扶又の反。○此れ公孫丑復問いて、孟子之に答うなり。詖は偏陂なり。淫は放蕩なり。邪は邪僻なり。遁は逃避なり。四つの者相因りて、言の病なり。蔽は遮り隔つなり。陷は沈み溺るるなり。離は叛き去るなり。竆は困[くる]しみ屈むなり。四つの者も亦相因りて、則ち心の失なり。人の言有るは、皆心より出づ。其の心正理に明らかにして蔽わるること無く、然して後に其の言平正通達して病無し。苟し然らずとするときは、則ち必ず是の四つの者の病有り。其の言の病に卽いて、其の心の失するを知り、又其の政と事とに害あること決然として易う可からざる者此の如きなるを知るは、心道に通じて、天下の理に疑い無きに非ざれば、其れ孰か之を能くせん。彼の告子は、言に得ざれば、肯えて之を心に求めずして、義外の說を爲るに至れば、則ち自ら四つの者の病を免れず。其れ何を以てか天下の言を知って疑う所無からんや。○程子曰く、心道に通じて、然して後に能く是非を辨ず。權衡を持ち以て輕重を較ぶるが如し。孟子謂う所の言を知るは是れなり、と。又曰く、孟子の言を知るは、正に人堂上に在りて、方[はじ]めて能く堂下の人の曲直を辨ずるが如し。若し猶未だ堂下衆人の中に雜ることを免れずんば、則ち辨じ決すること能わず、と。

宰我・子貢善爲說辭、冉牛・閔子・顏淵善言德行。孔子兼之。曰、我於辭命則不能也。然則夫子旣聖矣乎。行、去聲。○此一節、林氏以爲皆公孫丑之問。是也。說辭、言語也。德行、得於心而見於行事者也。三子善言德行者、身有之。故言之親切而有味也。公孫丑言、數子各有所長、而孔子兼之。然猶自謂不能於辭命。今孟子乃自謂我能知言、又善養氣、則是兼言語德行而有之。然則豈不旣聖矣乎。此夫子、指孟子也。○程子曰、孔子自謂不能於辭命者、欲使學者務本而已。
【読み】
宰我・子貢は善く說辭を爲[つく]る。冉牛・閔子・顏淵は善く德行を言う。孔子之を兼ねたり。曰く、我辭命に於ては則ち能わず、と。然るときは則ち夫子は旣に聖なるか。行は去聲。○此の一節、林氏以て皆公孫丑の問いと爲す。是なり。說辭は言語なり。德行は、心に得て行事に見す者なり。三子善く德行を言うは、身に之れ有り。故に之を言うこと親切にして味わい有り。公孫丑言うこころは、數子各々長ずる所有りて、孔子之を兼ぬ。然れども猶自ら辭命すること能わずと謂う。今孟子乃ち自ら我能く言を知る、又善く氣を養うと謂えば、則ち是れ言語德行を兼ねて之を有つ。然れば則ち豈旣に聖ならざらんか、と。此の夫子は孟子を指す。○程子曰く、孔子自ら辭命すること能わずと謂うは、學者をして本を務めしめんことを欲するのみ、と。

曰、惡是何言也。昔者子貢問於孔子曰、夫子聖矣乎。孔子曰、聖則吾不能。我學不厭、而敎不倦也。子貢曰、學不厭、智也。敎不倦、仁也。仁且智。夫子旣聖矣。夫聖、孔子不居、是何言也。惡、平聲。夫聖之夫、音扶。○惡、驚歎辭也。昔者以下、孟子不敢當丑之言、而引孔子・子貢問答之辭以告之也。此夫子、指孔子也。學不厭者、智之所以自明、敎不倦者、仁之所以及物。再言是何言也、以深拒之。
【読み】
曰く、惡[ああ]是れ何と言うことぞ。昔者子貢孔子に問うて曰く、夫子は聖なるか、と。孔子曰く、聖は則ち吾能わず。我は學んで厭わず、敎えて倦まず、と。子貢曰く、學んで厭わざるは、智なり。敎えて倦まざるは、仁なり。仁にして且智あり。夫子は旣に聖なり、と。夫れ聖は、孔子だも居らず。是れ何と言うことぞ。惡は平聲。夫聖の夫は音扶。○惡は驚歎の辭なり。昔者より以下は、孟子敢えて丑の言に當たらずして、孔子・子貢の問答の辭を引いて以て之に告ぐ。此の夫子は孔子を指すなり。學んで厭わずは、智の自ら明らかなる所以、敎えて倦まずは、仁の物に及ぶ所以なり。再び是れ何と言うことぞと言いて、以て深く之を拒む。

昔者竊聞之。子夏・子游・子張皆有聖人之一體。冉牛・閔子・顏淵則具體而微。敢問所安。此一節、林氏亦以爲皆公孫丑之問。是也。一體、猶一肢也。具體而微、謂有其全體、但未廣大耳。安、處也。公孫丑復問、孟子旣不敢比孔子、則於此數子欲何所處也。
【読み】
昔者竊かに之を聞けり。子夏・子游・子張は皆聖人の一體有り。冉牛・閔子・顏淵は則ち體を具えて微[すこ]しきなり、と。敢えて安[お]る所を問う。此の一節、林氏亦以て皆公孫丑の問いと爲す。是なり。一體は猶一肢のごとし。體を具えて微しきは、其の全體有りて、但未だ廣大ならざるのみを謂う。安は處るなり。公孫丑復問う、孟子旣に敢えて孔子と比せざれば、則ち此の數子に於て何れの處る所ならんと欲するか、と。

曰、姑舍是。舍、上聲。○孟子言且置是者、不欲以數子所至者自處也。
【読み】
曰く、姑く是を舍け、と。舍は上聲。○孟子且く是を置けと言うは、數子至る所の者を以て自ら處ることを欲せざればなり。

曰、伯夷・伊尹何如。曰、不同道。非其君不事、非其民不使、治則進、亂則退、伯夷也。何事非君、何使非民、治亦進、亂亦進、伊尹也。可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速、孔子也。皆古聖人也。吾未能有行焉。乃所願則學孔子也。治、去聲。○伯夷、孤竹君之長子。兄弟遜國、避紂隱居。聞文王之德而歸之。及武王伐紂、去而餓死。伊尹、有莘之處士。湯聘而用之、使之就桀。桀不能用、復歸於湯。如是者五、乃相湯而伐桀也。三聖人事、詳見此篇之末及萬章下篇。
【読み】
曰く、伯夷・伊尹は何如、と。曰く、道を同じうせず。其の君に非ざれば事えず、其の民に非ざれば使わず、治まるときは則ち進み、亂るるときは則ち退くは、伯夷なり。何れに事うとしてか君に非ざる、何れを使うとしてか民に非ざる、治まるにも亦進み、亂るるにも亦進むは、伊尹なり。以て仕う可きときは則ち仕え、以て止む可きときは則ち止み、以て久しかる可きときは則ち久しく、以て速やかなる可きときは則ち速やかなるは、孔子なり。皆古の聖人なり。吾未だ行うこと有ること能わず。乃ち願う所は則ち孔子を學びん、と。治は去聲。○伯夷は孤竹君の長子。兄弟國を遜り、紂を避けて隱居す。文王の德を聞いて之に歸す。武王紂を伐つに及んで、去って餓死す。伊尹は、有莘[ゆうしん]の處士。湯聘して之を用いて、之を桀に就けしむ。桀用うること能わずして、復湯に歸る。是の如くすること五たび、乃ち湯に相として桀を伐てり。三聖人の事は、詳らかに此の篇の末及び萬章下篇に見ゆ。

伯夷・伊尹於孔子、若是班乎。曰、否。自有生民以來、未有孔子也。班、齊等之貌。公孫丑問、而孟子答之以不同也。
【読み】
伯夷・伊尹の孔子に於る、是の若くに班[ひと]しきか。曰く、否。生民有りしより以來[このかた]、未だ孔子有らず、と。班は齊等の貌。公孫丑問うて、孟子之に答うるに同じからざるを以てす。

曰、然則有同與。曰、有。得百里之地而君之、皆能以朝諸侯有天下。行一不義、殺一不辜、而得天下、皆不爲也。是則同。與、平聲。朝、音潮。○有、言有同也。以百里而王天下、德之盛也。行一不義、殺一不辜、而得天下、有所不爲、心之正也。聖人之所以爲聖人、其本根節目之大者、惟在於此。於此不同、則亦不足以爲聖人矣。
【読み】
曰く、然るときは則ち同じきこと有りや、と。曰く、有り。百里の地を得て之に君たらば、皆能く以て諸侯を朝し天下を有たん。一つの義あらざるを行い、一つの辜[つみ]あらざるを殺して、天下を得ることは、皆爲さじ。是れ則ち同じ、と。與は平聲。朝は音潮。○有りは、同じきこと有るを言うなり。百里を以てして天下に王たるは、德の盛んなり。一つの義あらざるを行い、一つの辜あらざるを殺して、天下を得ることは、爲さざる所有りは、心の正しきなり。聖人の聖人爲る所以、其の本根節目の大いなる者は、惟此に在るのみ。此に於て同じからざるときは、則ち亦聖人とするに足らず。

曰、敢問其所以異。曰、宰我・子貢・有若、智足以知聖人。汙不至阿其所好。汙、音蛙。好、去聲。○汙、下也。三子智足以知夫子之道。假使汙下、必不阿私所好而空譽之。明其言之可信也。
【読み】
曰く、敢えて其の異なる所以を問う、と。曰く、宰我・子貢・有若は、智以て聖人を知るに足れり。汙[くだ]れりとも其の好[よ]みんずる所に阿るに至らじ。汙は音蛙。好は去聲。○汙は下なり。三子の智以て夫子の道を知るに足れり。假い汙下ならしむとも、必ず私の好ずる所に阿りて空しく之を譽めず。其の言の信ず可きを明らかにするなり。

宰我曰、以予觀於夫子、賢於堯舜遠矣。程子曰、語聖則不異、事功則有異。夫子賢於堯舜、語事功也。蓋堯舜治天下。夫子又推其道以垂敎萬世。堯舜之道、非得孔子、則後世亦何所據哉。
【読み】
宰我曰く、予を以て夫子を觀れば、堯舜に賢れること遠し、と。程子曰く、聖を語るときは則ち異ならず、事功は則ち異なること有り。夫子堯舜より賢れりとは、事功を語るなり、と。蓋し堯舜は天下を治む。夫子又其の道を推して以て敎を萬世に垂る。堯舜の道、孔子を得るに非ずば、則ち後世亦何の據る所あらん。

子貢曰、見其禮而知其政。聞其樂而知其德。由百世之後、等百世之王、莫之能違也。自生民以來、未有夫子也。言大凡見人之禮、則可以知其政、聞人之樂、則可以知其德。是以我從百世之後、差等百世之王、無有能遁其情者、而見其皆莫若夫子之盛也。
【読み】
子貢曰く、其禮を見て其の政を知る。其の樂を聞いて其の德を知る。百世の後より、百世の王を等[しなじな]するに、之を能く違[のが]るること莫し。生民より以來、未だ夫子有らず、と。言うこころは、大凡人の禮を見れば、則ち以て其の政を知る可く、人の樂を聞けば、則ち以て其の德を知る可し。是を以て我百世の後より、百世の王を差等するに、能く其の情を遁るる者有ること無くして、其れ皆夫子の盛んなるに若くは莫きことを見るなり。

有若曰、豈惟民哉。麒麟之於走獸、鳳凰之於飛鳥、太山之於丘垤、河海之於行潦、類也。聖人之於民、亦類也。出於其類、拔乎其萃、自生民以來、未有盛於孔子也。垤、大結反。潦、音老。○麒麟、毛蟲之長。鳳凰、羽蟲之長。垤、蟻封也。行潦、道上無源之水也。出、高出也。拔、特起也。萃、聚也。言自古聖人固皆異於衆人。然未有如孔子之尤盛者也。○程子曰、孟子此章、擴前聖所未發。學者所宜潛心而玩索也。
【読み】
有若曰く、豈惟民のみならんや。麒麟の走獸に於る、鳳凰の飛鳥に於る、太山の丘垤[きゅうてつ]に於る、河海の行潦に於るも、類なり。聖人の民に於るも、亦類なり。其の類を出で、其の萃[あつ]まれるに拔んでたること、生民より以來、未だ孔子よりも盛んなるは有らず、と。垤は大結の反。潦は音老。○麒麟は毛蟲の長。鳳凰は羽蟲の長。垤は蟻封なり。行潦は、道上の源無きの水なり。出は高く出るなり。拔は、特起なり。萃は聚まるなり。言うこころは、古より聖人は固[まこと]に皆衆人に異なり。然れども未だ孔子の尤も盛んなるが如くなる者有らず、と。○程子曰く、孟子の此の章、前聖の未だ發せざる所を擴む。學者宜しく心を潛めて玩び索[もと]むべき所なり、と。


公孫丑章句上3
○孟子曰、以力假仁者霸。霸必有大國。以德行仁者王。王不待大。湯以七十里、文王以百里。力、謂土地甲兵之力。假仁者、本無是心、而借其事、以爲功者也。霸、若齊桓・晉文、是也。以德行仁、則自吾之得於心者推之、無適而非仁也。
【読み】
○孟子曰く、力を以て仁を假る者は霸なり。霸は必ず大國有り。德を以て仁を行う者は王なり。王は大いなるを待たず。湯は七十里を以てし、文王は百里を以てす。力は、土地甲兵の力を謂う。仁を假るは、本是の心無くして、其の事を借り、以て功を爲す者なり。霸は、齊桓・晉文の若き、是れなり。德を以て仁を行うときは、則ち吾の心に得る者より之を推して、適くとして仁に非ざること無し。

以力服人者、非心服也。力不贍也。以德服人者、中心悦而誠服也。如七十子之服孔子也。詩云、自西自東、自南自北、無思不服、此之謂也。贍、足也。詩、大雅文王有聲之篇。王霸之心、誠僞不同。故人所以應之者、其不同亦如此。○鄒氏曰、以力服人者、有意於服人、而人不敢不服。以德服人者、無意於服人、而人不能不服。從古以來、論王霸者多矣。未有若此章之深切而著明者也。
【読み】
力を以て人を服する者は、心服するに非ず。力贍[た]らざればなり。德を以て人を服する者は、中心悦んで誠に服す。七十子の孔子に服せるが如し。詩に云く、西より東より、南より北より、思いて服せずということ無しとは、此を謂うなり、と。贍は足るなり。詩は大雅文王有聲の篇。王霸の心、誠僞同じからず。故に人の之に應ずる所以の者も、其の同じからざること亦此の如し。○鄒氏曰く、力を以て人を服する者は、人を服するに意有りて、人敢えて服さずんばあらず。德を以て人を服する者は、人を服するに意無くして、人服さざること能わず。古より以來、王霸を論ずる者多し。未だ此の章の深切にして著明なるが若き者有らざるなり、と。


公孫丑章句上4
○孟子曰、仁則榮。不仁則辱。今惡辱而居不仁、是猶惡濕而居下也。惡、去聲。下同。○好榮惡辱、人之常情。然徒惡之、而不去其得之之道、不能免也。
【読み】
○孟子曰く、仁なるときは則ち榮う。不仁なるときは則ち辱めらる。今辱めを惡んで不仁に居るは、是れ猶濕を惡んで下[ひく]きに居るがごとし。惡は去聲。下も同じ。○榮えを好み辱めを惡むは、人の常情なり。然れども徒[ただ]之を惡んで、其の之を得るの道を去[のぞ]かざれば、免るること能わざるなり。

如惡之、莫如貴德而尊士。賢者在位、能者在職。國家閒暇、及是時明其政刑、雖大國必畏之矣。閒、音閑。○此因其惡辱之情、而進之以強仁之事也。貴德、猶尙德也。士、則指其人而言之。賢、有德者。使之在位、則足以正君而善俗。能、有才者。使之在職、則足以脩政而立事。國家閒暇、可以有爲之時也。詳味及字、則惟日不足之意可見矣。
【読み】
如し之を惡まば、德を貴んで士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り。國家閒暇あり、是の時に及んで其の政刑を明らかにせば、大國と雖も必ず之を畏れん。閒は音閑。○此れ其の辱めを惡むの情に因りて、之を進むるに仁を強[つと]むるの事を以てす。德を貴ぶは、猶德を尙ぶのごとし。士は、則ち其の人を指して之を言う。賢は德有る者。之を位に在らしめば、則ち以て君を正しうして俗を善くするに足れり。能は才有る者。之を職に在らしめば、則ち以て政を脩めて事を立つるに足れり。國家閒暇ありは、以てすること有る可き時なり。詳らかに及の字を味わえば、則ち惟れ日足らずの意を見る可し。

詩云、迨天之未陰雨、徹彼桑土、綢繆牖戶。今此下民、或敢侮予。孔子曰、爲此詩者、其知道乎。能治其國家、誰敢侮之。徹、直列反。土、音杜。綢、音稠。繆、武彪反。○詩、豳風鴟鴞之篇。周公之所作也。迨、及也。徹、取也。桑土、桑根之皮也。綢繆、纏綿補葺也。牖戶、巣之通氣出入處也。予、鳥自謂也。言我之備患詳密如此。今此在下之人、或敢有侮予者乎。周公以鳥之爲巣如此、比君之爲國、亦當思患而預防之。孔子讀而贊之、以爲知道也。
【読み】
詩に云く、天の未だ陰[くも]り雨ふらざるに迨[およ]んで、彼の桑の土[ね]を徹[と]りて、牖戶[ゆうこ]を綢[まと]い繆[まと]う。今此の下民、予を敢えて侮ること或らんや、と。孔子曰く、此の詩を爲る者は、其れ道を知れるか、と。能く其の國家を治めば、誰か敢えて之を侮らん。徹は直列の反。土は音杜。綢は音稠。繆は武彪の反。○詩は豳[ひん]風鴟鴞[しきょう]の篇。周公の作れる所なり。迨は及ぶなり。徹は取るなり。桑土は、桑の根の皮なり。綢繆は、纏綿補葺なり。牖戶は、巣の氣を通じ出入する處なり。予は、鳥自ら謂うなり。言うこころは、我の患えに備うるの詳密なること此の如し。今此の下に在る人、或は敢えて予を侮る者有らんや、と。周公鳥の巣を爲ること此の如きを以て、君の國を爲るも、亦當に患えを思い預め之を防ぐべきことに比す。孔子讀んで之を贊え、以て道を知れりとす。

今國家閒暇。及是時般樂怠敖。是自求禍也。般、音盤。樂、音洛。敖、音傲。○言其縱欲偸安、亦惟日不足也。
【読み】
今國家閒暇なり。是の時に及んで般樂怠敖す。是れ自ら禍を求むるなり。般は音盤。樂は音洛。敖は音傲。○言うこころは、其の欲を縱にして安きを偸むこと、亦惟れ日足らざるなり、と。

禍福無不自己求之者。結上文之意。
【読み】
禍福は己より之を求めざるという者無し。上文の意を結ぶ。

詩云、永言配命、自求多福。太甲曰、天作孼猶可違。自作孼不可活。此之謂也。孼、魚列反。○詩、大雅文王之篇。永、長也。言、猶念也。配、合也。命、天命也。此言福之自己求者。太甲、商書篇名。孼、禍也。違、避也。活、生也。書作逭。逭、猶緩也。此言禍之自己求者。
【読み】
詩に云く、永く言[おも]うて命に配し、自ら多福を求む。太甲に曰く、天の作[な]せる孼[わざわい]は猶違[さ]く可し。自ら作せる孼は活[い]く可からず。此を謂うなり。孼は魚列の反。○詩は大雅文王の篇。永は長いなり。言は猶念うのごとし。配は合うなり。命は天命なり。此れ福は己より求むる者なるを言う。太甲は商書の篇の名。孼は禍なり。違は避くなり。活は生きるなり。書に逭に作る。逭は猶緩のごとし。此れ禍は己より求むる者なるを言う。


公孫丑章句上5
○孟子曰、尊賢使能、俊傑在位、則天下之士皆悦、而願立於其朝矣。朝、音潮。○俊傑、才德之異於衆者。
【読み】
○孟子曰く、賢を尊び能を使い、俊傑位に在るときは、則ち天下の士皆悦んで、其の朝に立てんことを願う。朝は音潮。○俊傑は、才德の衆に異なる者。

市廛而不征、法而不廛、則天下之商皆悦而願藏於其市矣。廛、市宅也。張子曰、或賦其市地之廛、而不征其貨、或治之以市官之法、而不賦其廛。蓋逐末者多則廛以抑之、少則不必廛也。
【読み】
市廛[てん]して征せず、法して廛せざるときは、則ち天下の商皆悦んで、其の市に藏れんことを願う。廛は市宅なり。張子曰く、或は其の市地の廛に賦して、其の貨を征せず、或は之を治むるに市官の法を以てして、其の廛に賦せず、と。蓋し末を逐う者多きときは則ち廛して以て之を抑え、少きときは則ち必ずしも廛せざるなり。

關譏而不征、則天下之旅皆悦、而願出於其路矣。解見前篇。
【読み】
關譏[みそな]わずして征せざるときは、則ち天下の旅皆悦んで、其の路に出でんことを願う。解は前篇に見ゆ。

耕者助而不稅、則天下之農皆悦、而願耕於其野矣。但使出力以助耕公田、而不稅其私田也。
【読み】
耕す者助して稅せざるときは、則ち天下の農皆悦んで、其の野に耕さんことを願う。但力を出して以て公田を助け耕さしめて、其の私田に稅せざるなり。

廛無夫里之布、則天下之民皆悦、而願爲之氓矣。氓、音盲。○周禮、宅不毛者、有里布。民無職事者、出夫家之征。鄭氏謂、宅不種桑麻者、罰之使出一里二十五家之布、民無常業者、罰之使出一夫百畝之稅、一家力役之征也。今戰國時、一切取之。市宅之民、已賦其廛、又令出此夫里之布、非先王之法也。氓、民也。
【読み】
廛に夫里の布無きときは、則ち天下の民は皆悦んで、之が氓[たみ]爲らんことを願う。氓は音盲。○周禮に、宅毛せざる者は、里布有り。民に職事無き者は、夫家の征を出す、と。鄭氏謂う、宅に桑麻を種えざる者は、之を罰して一里二十五家の布を出さしめ、民に常業無き者は、之を罰して一夫百畝の稅、一家力役の征を出さしむ、と。今戰國の時は、一切之を取る。市宅の民に、已に其の廛に賦して、又此の夫里の布を出さしむるは、先王の法に非ざるなり。氓は民なり。

信能行此五者、則鄰國之民、仰之若父母矣。率其子弟、攻其父母、自生民以來、未有能濟者也。如此、則無敵於天下。無敵於天下者、天吏也。然而不王者、未之有也。呂氏曰、奉行天命、謂之天吏。廢興存亡、惟天所命、不敢不從。若湯武、是也。○此章言能行王政、則寇戎爲父子、不行王政、則赤子爲仇讎。
【読み】
信[まこと]に能く此の五つの者を行わば、則ち鄰國の民、之を仰ぐこと父母の若けん。其の子弟を率いて、其の父母を攻めんに、生民より以來、未だ能く濟[な]す者有らじ。此の如くなるときは、則ち天下に敵無し。天下に敵無き者は、天吏なり。然して王たらざる者、未だ之れ有らじ、と。呂氏曰く、天命を奉じ行う、之を天吏と謂う。廢興存亡は、惟天の命ずる所にして、敢えて從わずんばあらず。湯武の若き、是れなり、と。○此の章言うこころは、能く王政を行うときは、則ち寇戎も父子と爲り、王政を行わざるときは、則ち赤子も仇讎と爲る、と。


公孫丑章句上6
○孟子曰、人皆有不忍人之心。天地以生物爲心。而所生之物、因各得夫天地生物之心以爲心。所以人皆有不忍人之心也。
【読み】
○孟子曰く、人皆人に忍びざるの心有り。天地は物を生ずるを以て心とす。而して生ずる所の物も、因って各々夫の天地の物を生ずるの心を得て以て心とす。人皆人に忍びざるの心有るの所以なり。

先王有不忍人之心、斯有不忍人之政矣。以不忍人之心、行不忍人之政、治天下可運之掌上。言衆人雖有不忍人之心、然物欲害之、存焉者寡。故不能察識而推之政事之閒。惟聖人全體此心、隨感而應。故其所行、無非不忍人之政也。
【読み】
先王人に忍びざるの心有れば、斯[すなわ]ち人に忍びざるの政有り。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行わば、天下を治むること之を掌上に運[めぐ]らしつ可し。言うこころは、衆人人に忍びざるの心有りと雖も、然れども物欲之を害い、存する者寡なし。故に察識して之を政事の閒に推すこと能わず。惟聖人のみ全く此の心を體し、感ずるに隨いて應ず。故に其の行う所、人に忍びざるの政に非ずということ無し、と。

所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子將入於井、皆有怵惕惻隱之心。非所以内交於孺子之父母也、非所以要譽於郷黨朋友也、非惡其聲而然也。怵、音黜。内、讀爲納。要、平聲。惡、去聲。下同。○乍、猶忽也。怵惕、驚動貌。惻、傷之切也。隱、痛之深也。此卽所謂不忍人之心也。内、結。要、求。聲、名也。言乍見之時、便有此心、隨見而發。非由此三者而然也。程子曰、滿腔子是惻隱之心。謝氏曰、人須是識其眞心。方乍見孺子入井之時、其心怵惕、乃眞心也。非思而得、非勉而中、天理之自然也。内交、要譽、惡其聲而然、卽人欲之私矣。
【読み】
人皆人に忍びざるの心有りと謂う所以は、今人乍[たちま]ちに孺子の將に井に入らんとするを見れば、皆怵惕惻隱の心有り。交わりを孺子の父母に内[むす]ぶ所以に非ず、譽れを郷黨朋友に要[もと]むる所以に非ず、其の聲[な]を惡んで然するに非ず。怵は音黜。内は讀んで納とす。要は平聲。惡は去聲。下も同じ。○乍は猶忽ちのごとし。怵惕は驚き動く貌。惻は、傷むことの切なり。隱は、痛むことの深きなり。此れ卽ち所謂忍びざるの心なり。内は結ぶ。要は求む。聲は名なり。言うこころは、乍ち之を見る時、便ち此の心有りて、見るに隨いて發す。此の三つの者に由って然するに非ざるなり、と。程子曰く、滿腔子は是れ惻隱の心、と。謝氏曰く、人須く是れ其の眞心を識るべし。乍ちに孺子の井に入らんとするを見る時に方[あた]り、其の心怵惕するは、乃ち眞心なり。思いて得るに非ず、勉めて中るに非ず、天理の自然なり。交わりを内び、譽れを要め、其の聲を惡んで然するは、卽ち人欲の私なり、と。

由是觀之、無惻隱之心、非人也、無羞惡之心、非人也、無辭讓之心、非人也、無是非之心、非人也。惡、去聲、下同。○羞、恥己之不善也。惡、憎人之不善也。辭、解使去己也。讓、推以與人也。是、知其善而以爲是也。非、知其惡而以爲非也。人之所以爲心、不外乎是四者。故因論惻隱而悉數之。言人若無此、則不得謂之人。所以明其必有也。
【読み】
是に由りて之を觀れば、惻隱の心無きは、人に非ず、羞惡の心無きは、人に非ず、辭讓の心無きは、人に非ず、是非の心無きは、人に非ず。惡は去聲、下も同じ。○羞は、己の不善を恥ずるなり。惡は、人の不善を憎くむなり。辭は、解いて己を去らしむなり。讓は、推して以て人に與うなり。是は、其の善を知りて以て是とするなり。非は、其の惡を知りて以て非とするなり。人の心とする所以は、是の四つの者に外れず。故に惻隱を論ずるに因りて悉く之を數えあぐ。言うこころは、人若し此れ無くば、則ち之れ人と謂うを得ず、と。其の必ず有ることを明らかにする所以なり。

惻隱之心、仁之端也。羞惡之心、義之端也。辭讓之心、禮之端也。是非之心、智之端也。惻隱・羞惡・辭讓・是非、情也。仁・義・禮・智、性也。心、統性情者也。端、緒也。因其情之發、而性之本然可得而見。猶有物在中、而緒見於外也。
【読み】
惻隱の心は、仁の端なり。羞惡の心は、義の端なり。辭讓の心は、禮の端なり。是非の心は、智の端なり。惻隱・羞惡・辭讓・是非は情なり。仁・義・禮・智は性なり。心は性情を統ぶる者なり。端は緒なり。其の情の發するに因りて、性の本然得て見る可し。猶物有りて中に在り、緒外に見[あらわ]るるがごときなり。

人之有是四端也、猶其有四體也。有是四端而自謂不能者、自賊者也。謂其君不能者、賊其君者也。四體、四肢。人之所必有者也。自謂不能者、物欲蔽之耳。
【読み】
人の是の四端有るは、猶其の四體有りがごとし。是の四端有りて自ら能わずと謂う者は、自ら賊う者なり。其の君能わずと謂う者は、其の君を賊う者なり。四體は四肢。人の必ず有る所の者なり。自ら能わずと謂う者は、物欲之を蔽うのみ。

凡有四端於我者、知皆擴而充之矣、若火之始然、泉之始達。苟能充之、足以保四海。苟不充之、不足以事父母。擴、音廓。○擴、推廣之意。充、滿也。四端在我、隨處發見。知皆卽此推廣、而充滿其本然之量、則其日新又新、將有不能自已者矣。能由此而遂充之、則四海雖遠、亦吾度内、無難保者。不能充之、則雖事之至近而不能矣。○此章所論、人之性情、心之體用、本然全具、而各有條理如此。學者於此、反求默識而擴充之、則天之所以與我者、可以無不盡矣。○程子曰、人皆有是心。惟君子爲能擴而充之。不能然者、皆自棄也。然其充與不充、亦在我而已矣。又曰、四端不言信者、旣有誠心爲四端、則信在其中矣。愚按、四端之信、猶五行之土、無定位、無成名、無專氣、而水・火・金・木、無不待是以生者。故土於四行無不在、於四時則寄王焉。其理亦猶是也。
【読み】
凡そ我に四端有る者、皆擴めて之を充つることを知れば、火の始めて然え、泉の始めて達するが若し。苟[も]し能く之を充つれば、以て四海を保[やす]んずるに足れり。苟し之を充てざれば、以て父母に事うるに足らず、と。擴は音廓。○擴は推し廣むるの意。充は滿ちるなり。四端我に在れば、處に隨いて發見す。皆此に卽いて推し廣めて、其の本然の量を充ち滿たすことを知るときは、則ち其れ日に新たに又新たにして、將に自ら已むこと能わざる者有らんとす。能く此に由りて遂に之を充つるときは、則ち四海遠しと雖も、亦吾が度内、保んじ難き者無し。之を充つること能わざるときは、則ち事之れ至近と雖も能わざるなり。○此の章の論ずる所、人の性情、心の體用、本然全く具わりて、各々條理有ること此の如し。學者此に於て、反求默識して之を擴充するときは、則ち天の我に與うる所以の者、以て盡くさざるということ無かる可し。○程子曰く、人皆是の心有り。惟君子のみ能く擴めて之を充つるとす。然ること能わざる者は、皆自ら棄つるなり。然れば其の充つると充てざるとは、亦我に在るのみ、と。又曰く、四端信を言わざるは、旣に誠心有りて四端とすれば、則ち信は其の中に在り、と。愚按ずるに、四端の信は、猶五行の土の、定位無く、成名無く、專氣無くして、水・火・金・木是を待ちて以て生ぜざる者無きがごとし。故に土は四行に於て在らざること無く、四時に於ては則ち寄王なり。其の理亦猶是のごとし。


公孫丑章句上7
○孟子曰、矢人豈不仁於函人哉。矢人唯恐不傷人。函人唯恐傷人。巫匠亦然。故術不可不愼也。函、音含。○函、甲也。惻隱之心人皆有之。是矢人之心、本非不如函人之仁也。巫者爲人祈祝、利人之生。匠者作爲棺槨、利人之死。
【読み】
○孟子曰く、矢人豈函人よりも不仁ならんや。矢人は唯人を傷[そこな]わざらんことを恐る。函人は唯人を傷わんことを恐る。巫匠も亦然り。故に術愼まずんばある可からず。函は音含。○函は甲なり。惻隱の心人皆之れ有り。是れ矢人の心、本より函人の仁に如かずということ非ず。巫は人の爲に祈祝して、人の生を利とす。匠は棺槨を作爲して、人の死を利とす。

孔子曰、里仁爲美。擇不處仁、焉得智。夫仁、天之尊爵也。人之安宅也。莫之禦而不仁、是不智也。焉、於虔反。夫、音扶。○里有仁厚之俗者、猶以爲美。人擇所以自處而不於仁、安得爲智乎。此孔子之言也。仁義禮智、皆天所與之良貴。而仁者天地生物之心、得之最先、而兼統四者。所謂元者善之長也。故曰尊爵。在人則爲本心全體之德。有天理自然之安、無人欲陷溺之危。人當常在其中、而不可須臾離者也。故曰安宅。此又孟子釋孔子之意、以爲仁道之大如此、而自不爲之、豈非不智之甚乎。
【読み】
孔子曰く、里は仁なるを美[よ]しとす。擇ぶとして仁に處らずんば、焉んぞ智を得ん、と。夫れ仁は、天の尊爵なり。人の安宅なり。之を禦ぐこと莫けれども而も不仁なるは、是れ不智なり。焉は於虔の反。夫は音扶。○里は仁厚の俗有れば、猶以て美しとす。人以て自ら處る所を擇ぶに仁に於てせざれば、安んぞ智たりとすることを得ん。此れ孔子の言なり。仁義禮智は、皆天の與うる所の良貴なり。而して仁は天地生物の心、之を得ること最も先にして、四つの者を兼ね統ぶ。所謂元は善の長なり。故に尊爵と曰う。人に在るときは則ち本心全體の德爲り。天理自然の安きこと有りて、人欲陷溺の危きこと無し。人當に常に其の中に在りて、須臾も離れる可からざるべき者なり。故に安宅と曰う。此れ又孟子孔子の意を釋して、以爲えらく、仁道の大いなること此の如くして、自ら之をせざるは、豈不智の甚だしきに非ずや、と。

不仁不智、無禮無義、人役也。人役而恥爲役、由弓人而恥爲弓、矢人而恥爲矢也。由、與猶通。○以不仁故不智。不智故不知禮義之所在。
【読み】
不仁不智、無禮無義なるは、人役なり。人役にして役爲ることを恥ずるは、由[なお]弓人にして弓を爲[つく]ることを恥じ、矢人にして矢を爲ることを恥ずるがごとし。由は猶と通ず。○不仁なるを以て故に不智なり。不智なるが故に禮義の在る所を知らず。

如恥之、莫如爲仁。此亦因人愧恥之心、而引之使志於仁也。不言智禮義者、仁該全體。能爲仁、則三者在其中矣。
【読み】
如し之を恥じば、仁をするに如くは莫し。此れ亦人の愧恥の心に因りて、之を引いて仁に志さしむるなり。智禮義を言わざるは、仁は全體を該[か]ねればなり。能く仁をするときは、則ち三つの者其の中に在り。

仁者如射、射者正己而後發。發而不中、不怨勝己者、反求諸己而已矣。中、去聲。○爲仁由己。而由人乎哉。
【読み】
仁者は射るが如し。射る者己を正しうして而して後に發[はな]つ。發って中らざれば、己に勝つ者を怨みず、反って諸を己に求むのみ、と。中は去聲。○仁をするは己に由る。而して人に由らんや。


公孫丑章句上8
○孟子曰、子路、人告之以有過則喜。喜其得聞而改之。其勇於自脩如此。周子曰、仲由喜聞過、令名無竆焉。今人有過、不喜人規、如諱疾而忌醫、寧滅其身而無悟也。噫。程子曰、子路、人告之以有過則喜。亦可謂百世之師矣。
【読み】
○孟子曰く、子路、人之に告ぐるに過有るを以てするときは則ち喜ぶ。其の聞いて之を改むるを得んことを喜ぶ。其の自ら脩むるに勇めること此の如し。周子曰く、仲由過を聞くを喜び、令名竆まり無し。今人過有りて、人の規すことを喜ばざること、疾を諱み醫を忌み、寧ろ其の身を滅ぼして悟ること無きが如し。噫[ああ]、と。程子曰く、子路、人之に告ぐるに過有るを以てするときは則ち喜ぶ。亦百世の師と謂う可し、と。

禹聞善言則拜。書曰、禹拜昌言。蓋不待有過、而能屈己以受天下之善也。
【読み】
禹善言を聞くときは則ち拜す。書に曰く、禹昌言を拜す、と。蓋し過有るを待たずして、能く己を屈して以て天下の善を受くるなり。

大舜有大焉、善與人同。舍己從人、樂取於人以爲善。舍、上聲。樂、音洛。○言舜之所爲、又有大於禹與子路者。善與人同、公天下之善而不爲私也。己未善、則無所繫吝、而舍以從人。人有善、則不待勉強、而取之於己。此善與人同之目也。
【読み】
大舜は焉[これ]より大いなること有り。善人と同じうす。己を舍てて人に從い、人に取って以て善をすることを樂しむ。舍は上聲。樂は音洛。○言うこころは、舜のする所、又禹と子路とより大いなる者有り、と。善人と同じうすは、天下の善を公にして私にせざるなり。己未だ善ならざるときは、則ち繫吝する所無くして、舍てて以て人に從う。人善有るときは、則ち勉め強いることを待たずして、之を己に取る。此れ善人と同じうするの目なり。

自耕稼陶漁以至爲帝、無非取於人者。舜之側微、耕于歴山、陶于河濱、漁于雷澤。
【読み】
耕稼陶漁より以て帝爲るに至るまで、人に取るに非ずということ無し。舜の側微たりしとき、歴山に耕し、河の濱[ほとり]に陶し、雷澤に漁れり。

取諸人以爲善、是與人爲善者也。故君子莫大乎與人爲善。與、猶許也。助也。取彼之善而爲之於我、則彼益勸於爲善矣。是我助其爲善也。能使天下之人皆勸於爲善。君子之善、孰大於此。○此章言、聖賢樂善之誠、初無彼此之閒。故其在人者、有以裕於己、在己者、有以及於人。
【読み】
諸を人に取って以て善をするは、是れ人の善をすることを與[たす]くる者なり。故に君子は人の善をすることを與くるより大いなるは莫し、と。與は猶許すのごとし。助くなり。彼の善を取りて之を我にするときは、則ち彼益々善をすることを勸む。是れ我れ其の善をすることを助くるなり。能く天下の人皆善をすることを勸めしむ。君子の善、孰れか此より大いなることあらん。○此の章言うこころは、聖賢善を樂しむの誠、初めより彼此の閒無し。故に其の人に在る者、以て己を裕にすること有り、己に在る者、以て人に及ぶこと有り、と。


公孫丑章句上9
○孟子曰、伯夷非其君不事、非其友不友。不立於惡人之朝、不與惡人言、立於惡人之朝、與惡人言、如以朝衣朝冠坐於塗炭。推惡惡之心、思與郷人立、其冠不正、望望然去之。若將浼焉。是故諸侯雖有善其辭命而至者、不受也。不受也者、是亦不屑就已。朝、音潮。惡惡、上去聲、下如字。浼、莫罪反。○塗、泥也。郷人、郷里之常人也。望望、去而不顧之貌。浼、汙也。屑、趙氏曰、潔也。說文曰、動作切切也。不屑就、言不以就之爲潔、而切切於是也。已、語助辭。
【読み】
○孟子曰く、伯夷は其の君に非ざれば事えず、其の友に非ざれば友[ともな]わず。惡人の朝に立たず、惡人と言わず。惡人の朝に立ち、惡人と言うこと、朝衣朝冠を以て塗炭に坐するが如し。惡を惡むの心を推すに、思えらく、郷人と立って、其の冠正しからざれば、望望然として之を去らん。將に浼[けが]さんとするが若し、と。是の故に諸侯其の辭命を善くして至る者有りと雖も、受けず。受けざること、是れ亦就くことを屑[いさぎよ]しとせざるのみ。朝は音潮。惡惡は、上は去聲、下字の如し。浼は莫罪の反。○塗は泥なり。郷人は、郷里の常人なり。望望は、去って顧みざるの貌。浼は汙るなり。屑は、趙氏曰く、潔しなり。說文に曰く、動作切切なり、と。就くことを屑しとせずは、言うこころは、之に就くことを以て潔しとして、是に切切とせず、と。已は語助の辭。

柳下惠不羞汙君、不卑小官。進不隱賢、必以其道。遺佚而不怨、阨竆而不憫。故曰、爾爲爾、我爲我。雖袒裼裸裎於我側、爾焉能浼我哉。故由由然與之偕而不自失焉。援而止之而止。援而止之而止者、是亦不屑去已。佚、音逸。袒、音但。裼、音錫。裸、魯果反。裎、音程。焉能之焉、於虔反。○柳下惠、魯大夫展禽、居柳下而謚惠也。不隱賢、不枉道也。遺佚、放棄也。阨、困也。憫、憂也。爾爲爾至焉能浼我哉、惠之言也。袒裼、露臂也。裸裎、露身也。由由、自得之貌。偕、並處也。不自失、不失其正也。援而止之而止者、言欲去而可留也。
【読み】
柳下惠は汙君を羞じず、小官を卑しんぜず。進むに賢を隱さず、必ず其の道を以てす。遺佚すれども而も怨みず、阨竆すれども而も憫[うれ]えず。故に曰く、爾は爾をし、我は我をす。我が側に袒裼[たんせき]裸裎[らてい]すと雖も、爾焉んぞ能く我を浼さんや、と。故に由由然として之と偕[とも]にして自ら失わず。援[ひ]いて之を止むるときにして止まる。援いて之を止むるときにして止まること、是れ亦去ることを屑しとせざるのみ、と。佚は音逸。袒は音但。裼は音錫。裸は魯果の反。裎は音程。焉能の焉は於虔の反。○柳下惠は魯の大夫の展禽、柳下に居りて惠と謚す。賢を隱さずは、道を枉げざるなり。遺佚は、放ち棄つるなり。阨は困しむなり。憫は憂うなり。爾爲爾より焉能浼我哉に至るまでは、惠の言なり。袒裼は臂を露すなり。裸裎は身を露す也。由由は自得の貌。偕は、並び處るなり。自ら失わずは、其の正しきを失わざるなり。援いて之を止むるときにして止まるは、言うこころは、去らんと欲して留むる可し、と。

孟子曰、伯夷隘。柳下惠不恭。隘與不恭、君子不由也。隘、狹窄也。不恭、簡慢也。夷・惠之行、固皆造乎至極之地。然旣有所偏、則不能無弊。故不可由也。
【読み】
孟子曰く、伯夷は隘なり。柳下惠は不恭なり。隘と不恭とは、君子由らざるなり、と。隘は狹窄なり。不恭は簡慢なり。夷・惠の行いは、固より皆至極の地に造[いた]れり。然れども旣に偏る所有れば、則ち弊無きこと能わず。故に由る可からざるなり。


公孫丑章句下 凡十四章。自第二章以下、記孟子出處行實爲詳。
【読み】
公孫丑章句下 凡て十四章。第二章より以下、孟子の出處行實を記すこと詳らか爲り。

公孫丑章句下1
孟子曰、天時不如地利、地利不如人和。天時、謂時日・支干・孤虛・王相之屬也。地利、險阻、城池之固也。人和、得民心之和也。
【読み】
孟子曰く、天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。天の時は、時日・支干・孤虛・王相の屬を謂うなり。地の利は、險阻、城池の固きなり。人の和は、民心の和を得るなり。

三里之城、七里之郭、環而攻之而不勝。夫環而攻之、必有得天時者矣。然而不勝者、是天時不如地利也。夫、音扶。○三里・七里、城郭之小者。郭、外城。環、圍也。言四面攻圍、曠日持久、必有値天時之善者。
【読み】
三里の城、七里の郭、環らして之を攻むれども勝たず。夫れ環らして之を攻めば、必ず天の時を得る者有らん。然れども勝たざること、是れ天の時地の利に如かざるなり。夫は音扶。○三里・七里は、城郭の小しきなり。郭は外城。環は圍むなり。言うこころは、四面攻め圍みて、日を曠[むな]しくして久しく持てば、必ず天の時の善きに値[あ]う者有らん、と。

城非不高也、池非不深也、兵革非不堅利也、米粟非不多也。委而去之、是地利不如人和也。革、甲也。粟、穀也。委、棄也。言不得民心、民不爲守也。
【読み】
城高からざるには非ず、池深からざるには非ず、兵革堅利ならざるには非ず、米粟多からざるには非ず。委[す]てて之を去るは、是れ地の利人の和に如かざるなり。革は甲なり。粟は穀なり。委は棄つなり。言うこころは、民心を得ざれば、民爲に守らざるなり、と。

故曰、域民不以封疆之界、固國不以山谿之險、威天下不以兵革之利。得道者多助、失道者寡助。寡助之至、親戚畔之。多助之至、天下順之。域、界限也。
【読み】
故に曰く、民を域[かぎ]るには封疆の界を以てせず、國を固むるには山谿の險[さが]しきを以てせず、天下を威すには兵革の利を以てせず。道を得る者は助け多く、道を失う者は助け寡なし。助け寡なきが至りは、親戚之に畔く。助け多きが至りは、天下之に順う。域は界限なり。

以天下之所順、攻親戚之所畔。故君子有不戰。戰必勝矣。言不戰則已、戰則必勝。○尹氏曰、言得天下者、凡以得民心而已。
【読み】
天下の順う所を以て、親戚の畔く所を攻む。故に君子は戰わざること有り。戰えば必ず勝つ。言うこころは、戰わざるときは則ち已み、戰うときは則ち必ず勝つ、と。○尹氏曰く、言うこころは、天下を得るは、凡て民心を得るを以てなるのみ、と。


公孫丑章句下2
○孟子將朝王。王使人來曰、寡人如就見者也。有寒疾、不可以風。朝將視朝。不識可使寡人得見乎。對曰、不幸而有疾、不能造朝。章内朝、並音潮。惟朝將之朝、如字。造、七到反。下同。王、齊王也。孟子本將朝王。王不知而託疾以召孟子。故孟子亦以疾辭也。
【読み】
○孟子將に王に朝せんとす。王人をして來らしめて曰く、寡人就いて見[あ]わんが如き者なり。寒疾有り、以て風す可からず。朝に將に朝を視んとす。識らず寡人をして見うことを得せしむ可けんや、と。對えて曰く、不幸にして疾有り。朝に造[いた]ること能わず、と。章内の朝は並音潮。惟朝將の朝は字の如し。造は七到の反。下も同じ。王は齊王なり。孟子本より將に王に朝せんとす。王知らずして疾に託して以て孟子を召す。故に孟子も亦疾を以て辭せり。

明日出弔於東郭氏。公孫丑曰、昔者辭以病、今日弔。或者不可乎。曰、昔者疾、今日愈。如之何不弔。東郭氏、齊大夫家也。昔者、昨日也。或者、疑辭。辭疾而出弔、與孔子不見孺悲、取瑟而歌同意。
【読み】
明日出でて東郭氏に弔す。公孫丑曰く、昔者[きのう]辭するに病を以てして、今日弔す。或[もし]くは不可ならんか、と。曰く、昔者は疾めり、今日は愈えぬ。如之何ぞ弔せざらん、と。東郭氏は齊の大夫の家なり。昔者は昨日なり。或者は疑いの辭。疾に辭して出でて弔すは、孔子の孺悲に見わずして、瑟を取りて歌うと同じ意なり。

王使人問疾、醫來。孟仲子對曰、昔者有王命、有采薪之憂、不能造朝。今病小愈。趨造於朝。我不識能至否乎。使數人要於路曰、請必無歸、而造於朝。要、平聲。○孟仲子、趙氏以爲孟子之從昆弟、學於孟子者也。采薪之憂、言病不能采薪、謙辭也。仲子權辭以對、又使人要孟子、令勿歸而造朝、以實己言。
【読み】
王人をして疾を問い、醫をして來らしむ。孟仲子對えて曰く、昔者王命有り、采薪の憂え有りて、朝に造ること能わず。今病小しき愈えぬ。趨って朝に造る。我識らず、能く至れるや否や、と。數人をして路に要[た]えしめて曰く、請う、必ず歸ること無くして、朝に造れ、と。要は平聲。○孟仲子は、趙氏以て孟子の從昆弟、孟子に學ぶ者とするなり。采薪の憂えは、言うこころは、病みて薪を采ること能わず、と。謙辭なり。仲子權辭以て對え、又人をして孟子を要えしめ、歸ること勿くして朝に造らしめ、以て己が言を實にせんとす。

不得已而之景丑氏宿焉。景子曰、内則父子、外則君臣、人之大倫也。父子主恩、君臣主敬。丑見王之敬子也。未見所以敬王也。曰、惡、是何言也。齊人無以仁義與王言者、豈以仁義爲不美也。其心曰、是何足與言仁義也。云爾、則不敬莫大乎是。我非堯舜之道、不敢以陳於王前。故齊人莫如我敬王也。惡、平聲。下同。○景丑氏、齊大夫家也。景子、景丑也。惡、歎辭也。景丑所言、敬之小者也、孟子所言、敬之大者也。
【読み】
已むことを得ずして景丑氏に之いて宿す。景子曰く、内は則ち父子、外は則ち君臣、人の大倫なり。父子は恩を主とし、君臣は敬を主とす。丑王の子を敬することを見る。未だ以て王を敬する所を見ず、と。曰く、惡[ああ]、是れ何と言うことぞ。齊人仁義を以て王と言う者無し。豈仁義を以て美[よ]からずとせんや。其の心に曰く、是れ何ぞ與に仁義を言うに足らん、と。爾か云うは、則ち不敬是より大いなるは莫し。我堯舜の道に非ざれば、敢えて以て王の前に陳べず。故に齊人我が王を敬するに如くは莫し、と。惡は平聲。下も同じ。○景丑氏は、齊の大夫の家なり。景子は景丑なり。惡は歎ずる辭なり。景丑言う所は、敬の小しき者なり。孟子言う所は、敬の大いなる者なり。

景子曰、否、非此之謂也。禮曰、父召無諾。君命召不俟駕。固將朝也。聞王命而遂不果。宜與夫禮若不相似然。夫、音扶。下同。○禮曰、父命呼、唯而不諾。又曰、君命召、在官不俟屨、在外不俟車。言孟子本欲朝王、而聞命中止。似與此禮之意不同也。
【読み】
景子曰く、否、此を謂うに非ず。禮に曰く、父召すときは諾すること無し、君命じて召すときは駕を俟たず、と。固[まこと]に將に朝せんとす。王命を聞いて遂に果たさず。宜しく夫の禮と相似ざるが若く然るべけん、と。夫は音扶。下も同じ。○禮に曰く、父命じて呼ぶときは、唯して諾せず、と。又曰く、君命じて召すときは、官に在りては屨を俟たず、外に在りては車を俟たず、と。言うこころは、孟子本より王に朝せんと欲して、命を聞いて中止す。此れ禮の意と同じからざるに似れり、と。

曰、豈謂是與。曾子曰、晉楚之富、不可及也。彼以其富、我以吾仁。彼以其爵、我以吾義。吾何慊乎哉。夫豈不義而曾子言之。是或一道也。天下有達尊三。爵一、齒一、德一。朝廷莫如爵、郷黨莫如齒、輔世長民莫如德。惡得有其一、以慢其二哉。與、平聲。慊、口簟反。長、上聲。○慊、恨也、少也。或作嗛。字書以爲口銜物也。然則慊亦但爲心有所銜之義。其爲快、爲足、爲恨、爲少、則因其事而所銜有不同耳。孟子言、我之意、非如景子之所言者。因引曾子之言、而云。夫此豈是不義而曾子肯以爲言。是或別有一種道理也。達、通也。蓋通天下之所尊、有此三者。曾子之說、蓋以德言之也。今齊王但有爵耳。安得以此慢於齒德乎。
【読み】
曰く、豈是を謂わんや。曾子曰く、晉楚の富は、及ぶ可からず。彼は其の富を以てし、我は吾が仁を以てす。彼は其の爵を以てし、我は吾が義を以てす。吾何ぞ慊[うら]みんや、と。夫れ豈義あらずして曾子之を言わんや。是れ或は一道ならん。天下達尊三つ有り。爵一つ、齒一つ、德一つ。朝廷は爵に如くは莫し。郷黨は齒に如くは莫し。世を輔け民に長たるには德に如くは莫し。惡んぞ其の一つ有りて、以て其の二つを慢ることを得んや。與は平聲。慊は口簟の反。長は上聲。○慊は恨むなり、少なしとするなり。或は嗛に作る。字書に以て口に物を銜[ふく]むとす。然れば則ち慊も亦但心に銜む所有るの義とするのみ。其の快いとし、足るとし、恨むとし、少なしとするは、則ち其の事に因りて銜む所同じからざること有るのみ。孟子言う、我が意、景子の言う所の如き者に非ず、と。因りて曾子の言を引いて云う。夫れ此れ豈是れ義あらずして曾子肯えて以て言を爲さんや。是れ或は別に一種の道理有らん、と。達は通ずるなり。蓋し天下に通じて尊ぶ所、此の三つの者有り。曾子の說は、蓋し德を以て之を言うなり。今齊王は但爵有るのみ。安んぞ此を以て齒德を慢ることを得んや。

故將大有爲之君、必有所不召之臣。欲有謀焉、則就之。其尊德樂道、不如是不足與有爲也。樂、音洛。○大有爲之君、大有作爲、非常之君也。程子曰、古之人所以必待人君致敬盡禮、而後往者、非欲自爲尊大也。爲是故耳。
【読み】
故に將に大いにすること有らんとするの君は、必ず召さざる所の臣有り。謀ること有らまく欲するときは、則ち之に就く。其の德を尊び道を樂しむこと、是の如くならざれば、與にすること有るに足らざればなり。樂は音洛。○大いにすること有らんとするの君は、大いに作爲すること有る、非常の君なり。程子曰く、古の人必ず人君敬を致し禮を盡くすを待ち、而して後に往く所以の者は、自ら尊大爲らまく欲するに非ず。是が爲故なるのみ。

故湯之於伊尹、學焉而後臣之。故不勞而王。桓公之於管仲、學焉而後臣之。故不勞而霸。先從受學、師之也。後以爲臣、任之也。
【読み】
故に湯の伊尹に於る、學んで後に之を臣とす。故に勞せずして王たり。桓公の管仲に於る、學んで後に之を臣とす。故に勞せずして霸たり。先ず從いて學を受け、之を師とす。後に以て臣として、之に任ず。

今天下地醜德齊、莫能相尙。無他。好臣其所敎、而不好臣其所受敎。好、去聲。○醜、類也。尙、過也。所敎、謂聽從於己、可役使者也。所受敎、謂己之所從學者也。
【読み】
今天下地醜[たぐ]いし德齊[ひと]しうして、能く相尙[こ]ゆること莫し。他無し。其の敎うる所を臣とすることを好んで、其の敎を受くる所を臣とすることを好まざればなり。好は去聲。○醜は類なり。尙は過ぐなり。敎うる所は、己に聽き從い、役使す可き者を謂うなり。敎を受くる所は、己の從って學ぶ所の者を謂うなり。

湯之於伊尹、桓公之於管仲、則不敢召。管仲且猶不可召。而況不爲管仲者乎。不爲管仲、孟子自謂也。范氏曰、孟子之於齊、處賓師之位。非當仕有官職者。故其言如此。○此章見賓師不以趨走承順爲恭、而以責難陳善爲敬、人君不以崇高富貴爲重、而以貴德尊士爲賢、則上下交而德業成矣。
【読み】
湯の伊尹に於る、桓公の管仲に於るは、則ち敢えて召さず。管仲すら且つ猶召す可からず。而るを況や管仲をせざる者をや、と。管仲をせざるは、孟子自ら謂えり。范氏曰く、孟子の齊に於る、賓師の位に處る。當に仕うべき官職有る者に非ず。故に其の言此の如し。○此の章、賓師は趨走承順することを以て恭とせずして、難を責め善を陳ぶることを以て敬とし、人君は崇高富貴を以て重しとせずして、德を貴び士を尊ぶことを以て賢とするときは、則ち上下交わりて德業成ることを見すなり。


公孫丑章句下3
○陳臻問曰、前日於齊、王餽兼金一百。而不受。於宋餽七十鎰。而受。於薛餽五十鎰。而受。前日之不受是、則今日之受非也。今日之受是、則前日之不受非也。夫子必居一於此矣。陳臻、孟子弟子。兼金、好金也。其價兼倍於常者。一百、百鎰也。
【読み】
○陳臻[ちんしん]問うて曰く、前日齊に於て、王兼金一百を餽[おく]る。而るを受けず。宋に於て七十鎰を餽る。而るを受く。薛に於て五十鎰を餽る。而るを受く。前日の受けざるが是ならば、則ち今日の受くるは非ならん。今日の受くるが是ならば、則ち前日の受けざるは非ならん。夫子必ず一つに此に居らん、と。陳臻は孟子の弟子。兼金は、好き金なり。其の價常に兼倍する者なり。一百は百鎰なり。

孟子曰、皆是也。皆適於義也。
【読み】
孟子曰く、皆是なり。皆義に適うなり。

當在宋也、予將有遠行。行者必以贐。辭曰、餽贐。予何爲不受。贐、徐刃反。○贐、送行者之禮也。
【読み】
宋に在るに當たって、予將に遠く行くこと有らんとす。行く者には必ず贐[じん]を以てす。辭に曰く、贐を餽[おく]る、と。予何爲れぞ受けざらん。贐は徐刃の反。○贐は、行く者を送るの禮なり。

當在薛也、予有戒心。辭曰、聞戒。故爲兵餽之。予何爲不受。爲兵之爲、去聲。○時人有欲害孟子者、孟子設兵以戒備之。薛君以金餽孟子爲兵備。辭曰、聞子之有戒心也。
【読み】
薛に在るに當たって、予戒むる心有り。辭に曰く、戒めを聞く。故に兵の爲に之を餽る、と。予何爲れぞ受けざらん。爲兵の爲は去聲。○時の人孟子を害せんと欲する者有り、孟子兵を設けて以て之を戒め備う。薛君金を以て孟子に餽りて兵備とす。辭に曰く、子の戒む心有るを聞く、と。

若於齊、則未有處也。無處。而餽之、是貨之也。焉有君子而可以貨取乎。焉、於虔反。○無遠行戒心之事。是未有所處也。取、猶致也。○尹氏曰、言君子之辭受取予、惟當於理而已。
【読み】
齊に於るが若きは、則ち未だ處すること有らず。處すること無し。而るを之に餽るは、是れ之に貨[たから]するなり。焉んぞ君子にして貨を以て取[いた]す可きこと有らんや。焉は於虔の反。○遠行戒心の事無し。是れ未だ處する所有らざるなり。取は猶致すのごとし。○尹氏曰く、言うこころは、君子の辭受取予は、惟理に當たるのみ、と。


公孫丑章句下4
○孟子之平陸謂其大夫曰、子之持戟之士、一日而三失伍、則去之否乎。曰、不待三。去、上聲。○平陸、齊下邑也。大夫、邑宰也。戟、有枝兵也。士、戰士也。伍、行列也。去之、殺之也。
【読み】
○孟子平陸に之いて其の大夫に謂って曰く、子が持戟の士、一日に三たび伍を失わば、則ち之を去[す]てんや否や、と。曰く、三たびを待たじ、と。去は上聲。○平陸は齊の下邑なり。大夫は邑の宰なり。戟は、枝有る兵なり。士は戰士なり。伍は行列なり。之を去つは之を殺すなり。

然則子之失伍也亦多矣。凶年饑歳、子之民老羸轉於溝壑、壯者散而之四方者幾千人矣。曰、此非距心之所得爲也。幾、上聲。○子之失伍、言其失職、猶士之失伍也。距心、大夫名。對言、此乃王之失政使然。非我所得專爲也。
【読み】
然るときは則ち子が伍を失えること亦多し。凶年饑歳には、子が民老羸[ろうるい]は溝壑[こうがく]に轉じ、壯者は散じて四方に之く者幾千人、と。曰く、此れ距心が得てする所に非ず、と。幾は上聲。○子が伍を失うは、言うこころは、其の職を失えること、猶士の伍を失うがごとし、と。距心は大夫の名。對えて言う、此れ乃ち王の政を失うによりて然らしむ。我が專らにすることを得る所に非ざるなり、と。

曰、今有受人之牛羊而爲之牧之者、則必爲之求牧與芻矣。求牧與芻而不得、則反諸其人乎。抑亦立而視其死與。曰、此則距心之罪也。爲、去聲。死與之與、平聲。○牧之、養之也。牧、牧地也。芻、草也。孟子言、若不得自專、何不致其事而去。
【読み】
曰く、今人の牛羊を受けて之が爲に之を牧[か]う者有らば、則ち必ず之が爲に牧と芻とを求めん。牧と芻とを求むれども而も得ざれば、則ち諸を其の人に反さんか。抑々亦立って其の死するを視んか、と。曰く、此は則ち距心が罪なり、と。爲は去聲。死與の與は平聲。○之を牧うは、之を養うなり。牧は牧地なり。芻は草なり。孟子言う、若し自ら專らにすることを得ざれば、何ぞ其の事を致[かえ]して去らん、と。

他日見於王曰、王之爲都者、臣知五人焉。知其罪者、惟孔距心。爲王誦之。王曰、此則寡人之罪也。見、音現。爲王之爲、去聲。○爲都、治邑也。邑有先君之廟曰都。孔、大夫姓也。爲王誦其語、欲以諷曉王也。○陳氏曰、孟子一言而齊之君臣舉知其罪。固足以興邦矣。然而齊卒不得爲善國者、豈非說而不繹、從而不改故邪。
【読み】
他日王に見えて曰く、王の都を爲むる者、臣五人を知る。其の罪を知る者は、惟孔距のみ、と。王の爲に之を誦す。王曰く、此は則ち寡人が罪なり、と。見は音現。爲王の爲は去聲。○都を爲むは、邑を治むるなり。邑に先君の廟有りて都と曰う。孔は大夫の姓なり。王の爲に其の語を誦すは、以て王を諷し曉さんと欲するなり。○陳氏曰く、孟子一言にして齊の君臣舉[みな]其の罪を知る。固[まこと]に以て邦を興すに足れり。然れども齊の卒に善國と爲ることを得ざるは、豈說んで繹[たず]ねず、從って改めざる故に非ざらんや。


公孫丑章句下5
○孟子謂蚔鼃曰、子之辭靈丘而請士師似也。爲其可以言也。今旣數月矣。未可以言與。蚔、音遲。鼃、烏花反。爲、去聲。與、平聲。○蚔鼃、齊大夫也。靈丘、齊下邑。似也、言所爲近似有理。可以言、謂士師近王、得以諫刑罰之不中者。
【読み】
○孟子蚔鼃[ちあ]謂って曰く、子が靈丘を辭して士師を請うは似たり。其の以て言う可きが爲なり。今旣に數月。未だ以て言う可からざるか、と。蚔は音遲。鼃は烏花の反。爲は去聲。與は平聲。○蚔鼃は齊の大夫なり。靈丘は齊の下邑。似たりは、言うこころは、する所理有るに近く似たり、と。以て言う可しは、士師王に近くして、以て刑罰の中らざることを諫むることを得るを謂う。

蚔鼃諫於王而不用、致爲臣而去。致、猶還也。
【読み】
蚔鼃王を諫めて用いられず、臣爲ることを致[かえ]して去る。致は猶還すのごとし。

齊人曰、所以爲蚔鼃則善矣。所以自爲、則吾不知也。爲、去聲。○譏孟子道不行而不能去也。
【読み】
齊人曰く、蚔鼃が爲にする所以は則ち善し。自ら爲にする所以は、則ち吾知らず、と。爲は去聲。○孟子道行われずして去ること能わざるを譏るなり。

公都子以告。公都子、孟子弟子也。
【読み】
公都子以て告ぐ。公都子は孟子の弟子なり。

曰、吾聞之也。有官守者、不得其職則去。有言責者、不得其言則去。我無官守、我無言責也。則吾進退、豈不綽綽然有餘裕哉。官守、以官爲守者。言責、以言爲責者。綽綽、寬貌。裕、寬意也。孟子居賓師之位、未嘗受祿。故其進退之際、寬裕如此。尹氏曰、進退久速、當於理而已。
【読み】
曰く、吾之を聞けり。官守有る者は、其の職を得ざるときは則ち去る。言責有る者は、其の言を得ざるときは則ち去る、と。我官守無く、我言責無し。則ち吾が進退、豈綽綽[しゃくしゃく]然として餘裕有らざらんや、と。官守は、官を以て守りとする者。言責は、言を以て責めとする者。綽綽は寬かなる貌。裕は寬かなる意なり。孟子賓師の位に居て、未だ嘗て祿を受けず。故に其の進退の際、寬裕なること此の如し。尹氏曰く、進退の久速は、理に當たるのみ、と。


公孫丑章句下6
○孟子爲卿於齊、出弔於滕。王使蓋大夫王驩爲輔行。王驩朝暮見。反齊滕之路、未嘗與之言行事也。蓋、古盍反。見、音現。○蓋、齊下邑也。王驩、王嬖臣也。輔行、副使也。反、往而還也。行事、使事也。
【読み】
○孟子齊に卿と爲って、出でて滕に弔す。王蓋[こう]の大夫の王驩[おうかん]をして輔行爲らしむ。王驩朝暮に見ゆ。齊滕の路を反るまでに、未だ嘗て之と行事を言わず。蓋は古盍の反。見は音現。○蓋は齊の下邑なり。王驩は王の嬖臣なり。輔行は副使なり。反は往いて還るなり。行事は使いの事なり。

公孫丑曰、齊卿之位、不爲小矣。齊滕之路、不爲近矣。反之而未嘗與言行事何也。曰、夫旣或治之、予何言哉。夫、音扶。○王驩蓋攝卿以行。故曰齊卿。夫旣或治之、言有司已治之矣。孟子之待小人、不惡而嚴如此。
【読み】
公孫丑曰く、齊卿の位、小しきなりとせず。齊滕の路、近しとせず。之を反るまでにして未だ嘗て與に行事を言わざるは何ぞ、と。曰く、夫れ旣に之を治むること或り、予何ぞ言わんや、と。夫は音扶。○王驩蓋し卿を攝[か]ねて以て行く。故に齊卿と曰う。夫れ旣に之を治むること或りは、言うこころは、有司已に之を治めり、と。孟子の小人を待する、惡しからずして嚴かなること此の如し。


公孫丑章句下7
○孟子自齊葬於魯。反於齊、止於嬴。充虞請曰、前日不知虞之不肖、使虞敦匠事。嚴虞不敢請。今願竊有請也。木若以美然。孟子仕於齊、喪母、歸葬於魯。嬴、齊南邑。充虞、孟子弟子。嘗董治作棺之事者也。嚴、急也。木、棺木也。以、已通。以美、太美也。
【読み】
○孟子齊より魯に葬る。齊に反るときに、嬴[えい]に止まる。充虞請うて曰く、前日虞が不肖を知らずして、虞をして匠事を敦[おさ]めしむ。嚴[いそが]わしうして虞敢えて請わず。今願わくは竊かに請うこと有らん。木以[はなは]だ美[うるわ]しきが若く然り、と。孟子齊に仕うるときに、母を喪い、魯に歸り葬る。嬴は齊の南邑。充虞は孟子の弟子。嘗て棺を作る事を董治する者なり。嚴は急なり。木は棺の木なり。以は已に通ず。以美は太だ美しなり。

曰、古者棺槨無度。中古棺七寸、槨稱之。自天子達於庶人。非直爲觀美也。然後盡於人心。稱、去聲。○度、厚薄尺寸也。中古、周公制禮時也。槨稱之、與棺相稱也。欲其堅厚久遠。非特爲人觀視之美而已。
【読み】
曰く、古は棺槨度無し。中古には棺七寸、槨之に稱[かな]う。天子より庶人に達す。直[ただ]觀ることの美しきことをするのみに非ず。然して後に人心を盡くす。稱は去聲。○度は、厚き薄きの尺寸なり。中古は、周公禮を制するの時なり。槨之に稱うは、棺と相稱うなり。其の堅厚にして久遠ならんことを欲す。特[ただ]人の觀視することの美なるが爲のみに非ず。

不得、不可以爲悦、無財、不可以爲悦。得之爲有財、古之人皆用之。吾何爲獨不然。不得、謂法制所不當得。得之爲有財、言得之而又爲有財也。或曰、爲當作而。
【読み】
得ざれば、以て悦びを爲す可からず、財無ければ、以て悦ぶを爲す可からず。之を得て財を有りとすれば、古の人皆之を用う。吾何爲[なんす]れぞ獨り然らざらん。得ざるは、法制の當に得べからざる所を謂う。之を得て財有りとするは、言うこころは、之を得て又財有りとするなり、と。或ひと曰く、爲は當に而に作るべし、と。

且比化者、無使土親膚。於人心獨無恔乎。比、必二反。恔、音效。○比、猶爲也。化者、死者也。恔、快也。言爲死者不使土親近其肌膚、於人子之心、豈不快然無所恨乎。
【読み】
且つ化者の比[ため]に、土をして膚に親[ちか]づかしむること無し。人心に於て獨り恔[こころよ]きこと無けんや。比は必二の反。恔は音效。○比は猶爲のごとし。化者は死者なり。恔は快いなり。言うこころは、死者の爲に土を其の肌膚に親近しめざるは、人子たるの心に於て、豈快然として恨む所無きにあらざらんや、と。

吾聞之、君子不以天下儉其親。送終之禮、所當得爲而不自盡、是爲天下愛惜此物、而薄於吾親也。
【読み】
吾之を聞けり。君子は天下の以に其の親に儉ならず、と。終わりを送るの禮、當にすることを得べき所にして自ら盡くさざるは、是れ天下の爲に此の物を愛惜して、吾が親に薄きなり。

公孫丑章句下8
○沈同以其私問曰、燕可伐與。孟子曰、可。子噲不得與人燕、子之不得受燕於子噲。有仕於此、而子悦之、不告於王、而私與之吾子之祿爵、夫士也、亦無王命而私受之於子、則可乎。何以異於是。伐與之與、平聲。下伐與・殺與同。夫、音扶。○沈同、齊臣。以私問、非王命也。子噲・子之、事見前篇。諸侯土地人民、受之天子、傳之先君。私以與人、則與者受者皆有罪也。仕、爲官也。士、卽從仕之人也。
【読み】
○沈同其の私を以て問うて曰く、燕をば伐つ可きか、と。孟子曰く、可なり。子噲人に燕を與うることを得ず、子之燕を子噲に受くることを得ず。此に仕うるもの有りて、子之を悦び、王に告[もう]さずして、私に之に吾子が祿爵を與え、夫の士も、亦王命無くして私に之を子に受けば、則ち可ならんや。何を以てか是に異ならん、と。伐與の與は平聲。下の伐與・殺與も同じ。夫は音扶。○沈同は齊の臣。私を以て問うは、王命に非ざるなり。子噲・子之が事は前篇に見ゆ。諸侯の土地人民は、之を天子に受け、之を先君より傳う。私を以て人に與うれば、則ち與うる者受くる者皆罪有り。仕は官に爲るなり。士は卽ち仕に從う人なり。

齊人伐燕。或問曰、勸齊伐燕、有諸。曰、未也。沈同問、燕可伐與。吾應之曰、可。彼然而伐之也。彼如曰孰可以伐之、則將應之曰、爲天吏則可以伐之。今有殺人者。或問之曰、人可殺與。則將應之曰、可。彼如曰孰可以殺之、則將應之曰、爲士師則可以殺之。今以燕伐燕。何爲勸之哉。天吏、解見上篇。言齊無道、與燕無異。如以燕伐燕也。史記亦謂孟子勸齊伐燕、蓋傳聞此說之誤。○楊氏曰、燕固可伐矣。故孟子曰、可。使齊王能誅其君、弔其民、何不可之有。乃殺其父兄、虜其子弟、而後燕人畔之。乃以是歸咎孟子之言、則誤矣。
【読み】
齊人燕を伐つ。或ひと問うて曰く、齊を勸めて燕を伐たしむること、有りや諸れ、と。曰く、未だし。沈同問わく、燕をば伐つ可きか、と。吾之に應えて曰く、可なり、と。彼然りとして之を伐てり。彼如し孰か以て之を伐つ可きと曰わば、則ち將に之に應えて曰わん、天吏爲らば則ち以て之を伐つ可し、と。今人を殺す者有らん。或ひと之に問うて曰く、人殺す可きか、と。則ち將に之に應えて曰わん、可なり、と。彼如し孰か以て之を殺す可きと曰わば、則ち將に之に應えて曰わん、士師爲らば則ち以て之を殺す可し、と。今燕を以て燕を伐てり。何爲れぞ之を勸めんや、と。天吏は、解は上篇に見ゆ。言うこころは、齊の無道は、燕と異なること無し。燕を以て燕を伐つが如きなり。史記に亦孟子齊に勸めて燕を伐つと謂うは、蓋し此の說を傳え聞くところの誤りなり。○楊氏曰く、燕固[まこと]に伐つ可きなり。故に孟子曰く、可なり、と。齊王能く其の君を誅して、其の民を弔せしめば、何の不可なることか之れ有らん。乃ち其の父兄を殺し、其の子弟を虜にして、而して後に燕人之に畔く。乃ち是を以て咎を孟子の言に歸するは、則ち誤りなり、と。


公孫丑章句下9
○燕人畔。王曰、吾甚慙於孟子。齊破燕後二年、燕人共立太子平爲王。
【読み】
○燕人畔く。王曰く、吾甚だ孟子に慙ず、と。齊燕を破りて後二年、燕人共に太子平を立てて王とす。

陳賈曰、王無患焉。王自以爲與周公孰仁且智。王曰、惡、是何言也。曰、周公使管叔監殷。管叔以殷畔。知而使之、是不仁也。不知而使之、是不智也。仁智、周公未之盡也。而況於王乎。賈請見而解之。惡・監、皆平聲。○陳賈、齊大夫也。管叔、名鮮、武王弟、周公兄也。武王勝商殺紂、立紂子武庚、而使管叔與弟蔡叔・霍叔監其國。武王崩、成王幼。周公攝政。管叔與武庚畔、周公討而誅之。
【読み】
陳賈曰く、王患うること無かれ。王自ら以爲えらく、周公と孰れか仁にして且智ある、と。王曰く、惡[ああ]、是れ何と言うことぞ、と。曰く、周公管叔をして殷を監せしむ。管叔殷を以[ひきい]て畔けり。知って之をせしめば、是れ不仁なり。知らずして之をせしめば、是れ不智なり。仁智は、周公だも未だ之を盡くさず。而るを況や王に於てをや。賈請う、見うて之を解かん、と。惡・監は皆平聲。○陳賈は齊の大夫なり。管叔は名は鮮、武王の弟、周公の兄なり。武王商に勝って紂を殺し、紂が子武庚を立てて、管叔と弟蔡叔・霍叔とをして其の國を監せしむ。武王崩じて、成王幼し。周公攝政す。管叔武庚と畔き、周公討じて之を誅せり。

見孟子問曰、周公何人也。曰、古聖人也。曰、使管叔監殷。管叔以殷畔也、有諸。曰、然。曰、周公知其將畔而使之與。曰、不知也。然則聖人且有過與。曰、周公、弟也、管叔、兄也。周公之過、不亦宜乎。與、平聲。○言周公乃管叔之弟、管叔乃周公之兄。然則周公不知管叔之將畔而使之、其過有所不免矣。或曰、周公之處管叔、不如舜之處象何也。游氏曰、象之惡已著、而其志不過富貴而已。故舜得以是而全之。若管叔之惡則未著。而其志其才、皆非象比也。周公詎忍逆探其兄之惡而棄之耶。周公愛兄、宜無不盡者。管叔之事、聖人之不幸也。舜誠信而喜象、周公誠信而任管叔、此天理人倫之至、其用心一也。
【読み】
孟子に見うて問うて曰く、周公は何人ぞ、と。曰く、古の聖人なり、と。曰く、管叔をして殷を監せしむ。管叔殷を以て畔けること、有りや諸れ、と。曰く、然り、と。曰く、周公其の將に畔かんとすることを知って之をせしめたるか、と。曰く、知らざるなり、と。然らば則ち聖人だも且つ過有るか。曰く、周公は、弟なり、管叔は、兄なり。周公の過、亦宜ならずや。與は平聲。○言うこころは、周公は乃ち管叔の弟、管叔は乃ち周公の兄なり。然れば則ち周公管叔の將に畔かんとするを知らずして之をせしむるは、其の過免れざる所有り、と。或ひと曰く、周公の管叔を處すること、舜の象を處するに如からざるは何ぞ、と。游氏曰く、象の惡已に著れ、而して其の志は富貴に過ぎざるのみ。故に舜是を以てして之を全くするを得たり。管叔の惡の若きは則ち未だ著れず。而して其の志と其の才は、皆象の比に非ざるなり。周公詎[あに]逆[あらかじ]め其の兄の惡を探って之を棄つるに忍びんや。周公の兄を愛すること、宜しく盡くさざる者無かるべし。管叔の事は、聖人の不幸なり。舜誠に信じて象を喜び、周公誠に信じて管叔を任ず。此れ天理人倫の至り、其の心を用うること一なり、と。

且古之君子、過則改之。今之君子、過則順之。古之君子、其過也、如日月之食。民皆見之。及其更也、民皆仰之。今之君子、豈徒順之、又從爲之辭。更、平聲。○順、猶遂也。更、改也。辭、辯也。更之則無損於明。故民仰之。順而爲之辭、則其過愈深矣。責賈不能勉其君以遷善改過、而敎之以遂非文過也。○林氏曰、齊王慙於孟子、蓋羞惡之心、有不能自已者。使其臣有能因是心而將順之、則義不可勝用矣。而陳賈鄙夫。方且爲之曲爲辯說、而沮其遷善改過之心、長其飾非拒諫之惡。故孟子深責之。然此書記事、散出而無先後之次。故其說必參考而後通。若以第二篇十章・十一章、置於前章之後、此章之前、則孟子之意、不待論說而自明矣。
【読み】
且古の君子は、過つときは則ち之を改む。今の君子は、過つときは則ち之を順[と]ぐ。古の君子は、其の過、日月の食の如し。民皆之を見る。其の更[あらた]むるに及んで、民皆之を仰ぐ。今の君子は、豈徒[ただ]之を順ぐのみならんや。又從うて之が辭を爲[つく]る、と。更は平聲。○順は猶遂ぐのごとし。更は改むるなり。辭は辯なり。之を更むれば則ち明を損すること無し。故に民之を仰ぐ。順げて之が辭を爲るときは、則ち其の過愈々深し。賈其の君を勉むるに善に遷り過を改むることを以てすること能わずして、之に敎うるに非を遂げ過を文[かざ]るを以てすることを責む。○林氏曰く、齊王孟子に慙ずるは、蓋し羞惡の心、自ら已むこと能わざる者有らん。其の臣をして能く是の心に因りて之に將順すること有らしめば、則ち義勝[あ]げて用う可からず。而して陳賈は鄙夫なり。方に且之が爲に曲げて辯說を爲りて、其の善に遷り過を改むるの心を沮み、其の非を飾り諫めを拒むの惡を長ず。故に孟子深く之を責む。然れども此の書の事を記すは、散出して先後の次無し。故に其の說は必ず參[まじ]え考えて後に通ず。若し第二篇十章・十一章を以て、前章の後、此の章の前に置かば、則ち孟子の意、論說することを待たずして自ら明らかなり、と。


公孫丑章句下10
○孟子致爲臣而歸。孟子久於齊、而道不行。故去也。
【読み】
○孟子臣爲ることを致[かえ]して歸る。孟子齊に久しけれども、道行われず。故に去る。

王就見孟子曰、前日願見而不可得。得侍同朝甚喜。今又棄寡人而歸。不識、可以繼此而得見乎。對曰、不敢請耳、固所願也。朝、音潮。
【読み】
王就いて孟子に見うて曰く、前日見わんことを願いつれども而も得可からず。侍することを得て同朝甚だ喜ぶ。今又寡人を棄てて歸る。識らず、以て此に繼いで見ることを得可けんや、と。對えて曰く、敢えて請わざらくのみ。固[まこと]に願う所なり、と。朝は音潮。

他日王謂時子曰、我欲中國而授孟子室、養弟子以萬鍾、使諸大夫國人皆有所矜式。子盍爲我言之。爲、去聲。○時子、齊臣也。中國、當國之中也。萬鍾、穀祿之數也。鍾、量名、受六斛四斗。矜、敬也。式、法也。盍、何不也。
【読み】
他日王時子に謂って曰く、我中國にして孟子に室を授け、弟子を養うに萬鍾を以てし、諸大夫國人をして皆矜式[きょうしょく]する所有らしめまく欲す。子盍ぞ我が爲に之を言わざる、と。爲は去聲。○時子は齊の臣なり。中國は、國の中に當たるなり。萬鍾は、穀祿の數なり。鍾は量の名、六斛四斗を受く。矜は敬なり。式は法なり。盍は何不なり。

時子因陳子而以告孟子。陳子以時子之言告孟子。陳子、卽陳臻也。
【読み】
時子陳子に因って以て孟子に告げしむ。陳子時子が言を以て孟子に告ぐ。陳子は卽ち陳臻なり。

孟子曰、然。夫時子惡知其不可也。如使予欲富、辭十萬而受萬。是爲欲富乎。夫、音扶。惡、平聲。○孟子旣以道不行而去、則其義不可以復留。而時子不知、則又有難顯言者。故但言、設使我欲富、則我前日爲卿、嘗辭十萬之祿。今乃受此萬鍾之饋、是我雖欲富、亦不爲此也。
【読み】
孟子曰く、然らん。夫の時子惡んぞ其の不可なることを知らん。如使[も]し予富を欲せば、十萬を辭して萬を受く。是れ富を欲すとせんや、と。夫は音扶。惡は平聲。○孟子旣に道の行われざるを以て去れば、則ち其の義以て復留まる可からず。而して時子知らざれば、則ち又顯らかに言い難き者有り。故に但言う、設使[も]し我富を欲せば、則ち我前日卿爲るときに、嘗て十萬の祿を辭せり。今乃ち此の萬鍾の饋を受くは、是れ我富を欲すと雖も、亦此をせざるなり。

季孫曰、異哉子叔疑。使己爲政不用、則亦已矣。又使其子弟爲卿。人亦孰不欲富貴。而獨於富貴之中、有私龍斷焉。龍、音壟。○此孟子引季孫之語也。季孫・子叔疑、不知何時人。龍斷、岡壟之斷而高也。義見下文。蓋子叔疑者嘗不用、而使其子弟爲卿。季孫譏其旣不得於此、而又欲求得於彼、如下文賤丈夫登龍斷者之所爲也。孟子引此以明道旣不行、復受其祿、則無以異此矣。
【読み】
季孫曰く、異[あや]しいかな子叔疑。使[も]し己政をして用いられざるときは、則ち亦已んなん。又其の子弟をして卿爲らしむ。人も亦孰か富貴を欲せざらん。而るを獨り富貴の中に於て、私に龍斷すること有り、と。龍は音壟。○此れ孟子季孫の語を引くなり。季孫・子叔疑は、何れの時の人か知らず。龍斷は、岡壟の斷ちて高きなり。義は下文に見ゆ。蓋し子叔疑なる者は嘗て用いられずして、其の子弟をして卿爲らしむ。季孫其の旣に此に得ずして、又彼に得ることを求めんと欲すること、下文賤丈夫の龍斷に登る者のする所の如きなるを譏る。孟子此を引いて以て、道旣に行われず、復其の祿を受くるは、則ち以て此に異なること無きことを明らかにするなり。

古之爲市者、以其所有易其所無者。有司者治之耳。有賤丈夫焉、必求龍斷而登之、以左右望而罔市利。人皆以爲賤。故從而征之。征商、自此賤丈夫始矣。孟子釋龍斷之說如此。治之、謂治其爭訟。左右望者、欲得此而又取彼也。罔、謂罔羅取之也。從而征之、謂人惡其專利。故就征其稅。後世緣此遂征商人也。○程子曰、齊王所以處孟子者、未爲不可。孟子亦非不肯爲國人矜式者。但齊王實非欲尊孟子。乃欲以利誘之。故孟子拒而不受。
【読み】
古の市をすること、其の有る所を以て其の無き所に易うる者なり。有司者は之を治むるのみ。賤丈夫有り、必ず龍斷を求めて之に登り、以て左右に望んで市の利を罔[あみと]りす。人皆以爲えらく、賤し、と。故に從うて之を征す。商を征すること、此の賤丈夫より始まれり、と。孟子龍斷を釋するの說此の如し。之を治むは、其の爭訟を治むるを謂う。左右望むは、此を得て又彼を取らんと欲するなり。罔は、罔羅して之を取るを謂うなり。從うて之を征すは、人其の利を專らにするを惡む。故に就いて其の稅を征[と]るを謂う。後世此に緣りて遂に商人より征るなり。○程子曰く、齊王の孟子を處する所以の者は、未だ不可と爲さず。孟子も亦國人の矜式と爲るを肯ぜざる者には非ず。但齊王實に孟子を尊ばんと欲するに非ず。乃ち利を以て之を誘わんと欲す。故に孟子拒みて受けず。


公孫丑章句下11
○孟子去齊、宿於晝。晝、如字。或曰、當作畫。音獲。下同。○晝、齊西南近邑也。
【読み】
○孟子齊を去って、晝に宿す。晝は字の如し。或ひと曰く、當に畫に作るべし、と。音は獲。下も同じ。○晝は齊の西南の近き邑なり。

有欲爲王留行者、坐而言。不應、隱几而臥。爲、去聲。下同。隱、於靳反。○隱、憑也。客坐而言、孟子不應而臥也。
【読み】
王の爲に行くを留めまく欲する者有り、坐[い]て言う。應えずして、几[おしまずき]に隱[よ]りて臥す。爲は去聲。下も同じ。隱は於靳の反。○隱は憑るなり。客坐て言い、孟子應えずして臥すなり。

客不悦曰、弟子齊宿而後敢言。夫子臥而不聽。請勿復敢見矣。曰、坐。我明語子。昔者魯繆公無人乎子思之側、則不能安子思。泄柳・申詳、無人乎繆公之側、則不能安其身。齊、側皆反。復、扶又反。語、去聲。○齊宿、齊戒越宿也。繆公尊禮子思、常使人候伺、道達誠意於其側。乃能安而留之也。泄柳、魯人。申詳、子張之子也。繆公尊之不如子思。然二子義不苟容。非有賢者在其君之左右維持調護之、則亦不能安其身矣。
【読み】
客悦びずして曰く、弟子齊宿して後に敢えて言[もう]す。夫子臥して聽かず。請う、復敢えて見うこと勿けん、と。曰く、坐[お]れ。我明らかに子に語げん。昔者魯の繆公[ぼくこう]子思の側に人無きときは、則ち子思を安んずること能わず。泄柳・申詳、繆公の側に人無きときは、則ち其の身を安んずること能わず。齊は側皆の反。復は扶又の反。語は去聲。○齊宿は、齊戒して宿を越ゆるなり。繆公子思を尊び禮し、常に人をして候伺して、誠意を其の側に道達せしむ。乃ち能く安んじて之に留まるなり。泄柳は魯人。申詳は子張の子なり。繆公之を尊ぶこと子思に如かず。然れども二子義として苟も容れられず。賢者其の君の左右に在りて、之を維持調護すること有るに非ざれば、則ち亦其の身を安んずること能わざるなり。

子爲長者慮、而不及子思。子絶長者乎。長者絶子乎。長、上聲。○長者、孟子自稱也。言齊王不使子來、而子自欲爲王留我。是所以爲我謀者、不及繆公留子思之事。而先絶我也。我之臥而不應、豈爲先絶子乎。
【読み】
子長者の爲に慮って、子思に及ばず。子長者を絶つか。長者子を絶つか、と。長は上聲。○長者は孟子自ら稱す。言うこころは、齊王子をして來らしめずして、子自ら王の爲に我を留めまく欲す。是れ我が爲に謀る所以の、繆公の子思を留むるの事に及ばず。而れば先ず我を絶つなり。我の臥して應えざるは、豈先ず子を絶つと爲さんや、と。


公孫丑章句下12
○孟子去齊。尹士語人曰、不識王之不可以爲湯武、則是不明也。識其不可、然且至、則是干澤也。千里而見王、不遇故去。三宿而後出晝。是何濡滯也。士則茲不悦。語、去聲。○尹士、齊人也。干、求也。澤、恩澤也。濡滯、遲留也。
【読み】
○孟子齊を去る。尹士人に語げて曰く、王の以て湯武爲る可からざることを識らざるは、則ち是れ不明なり。其の不可を識れる、然も且つ至らば、則ち是れ澤を干[もと]むるなり。千里にして王に見い、遇せざるが故に去る。三宿して後晝を出づ。是れ何ぞ濡滯する。士は則ち茲を悦びず、と。語は去聲。○尹士は齊人なり。干は求むなり。澤は恩澤なり。濡滯は遲留なり。

高子以告。高子、亦齊人。孟子弟子也。
【読み】
高子以て告ぐ。高子も亦齊人。孟子の弟子なり。

曰、夫尹士惡知予哉。千里而見王、是予所欲也。不遇故去、豈予所欲哉。予不得已也。夫、音扶。下同。惡、平聲。○見王、欲以行道也。今道不行。故不得已而去。非本欲如此也。
【読み】
曰く、夫の尹士惡んぞ予を知らんや。千里にして王に見うは、是れ予が欲する所なればなり。遇せざるが故に去るは、豈予が欲する所ならんや。予已むことを得ざればなり。夫は音扶。下も同じ。惡は平聲。○王に見うは、以て道を行わまく欲すればなり。今道行われず。故に已むことを得ずして去る。本より此の如きを欲するに非ざるなり。

予三宿而出晝。於予心猶以爲速。王庶幾改之。王如改諸、則必反予。所改、必指一事而言。然今不可考矣。
【読み】
予三宿して晝を出づ。予が心に於て猶以爲らく、速やかなり、と。王庶幾[こいねが]わくは之を改めんことを。王如し諸を改めば、則ち必ず予を反さん。改むる所は、必ずや一事を指して言わん。然れども今考う可からず。

夫出晝而王不予追也。予然後浩然有歸志。予雖然、豈舍王哉。王由足用爲善。王如用予、則豈徒齊民安。天下之民舉安。王庶幾改之。予日望之。浩然、如水之流不可止也。楊氏曰、齊王天資朴實、如好勇、好貨、好色、好世俗之樂、皆以直告而不隱於孟子。故足以爲善。若乃其心不然、而謬爲大言以欺人、是人終不可與入堯舜之道矣。何善之能爲。
【読み】
夫れ晝を出づれども而も王予を追わず。予然して後に浩然として歸志有り。予然りと雖も、豈王を舍てんや。王由[なお]用[もっ]て善をするに足れり。王如し予を用うれば、則ち豈徒[ただ]齊の民安きのみならんや。天下の民舉[みな]安けん。王庶幾わくは之を改めんことを。予日々に之を望む。浩然は、水の流れて止む可からざるが如きなり。楊氏曰く、齊王天資朴實、勇を好み、貨を好み、色を好み、世俗の樂を好むが如き、皆直を以て告げて孟子に隱さず。故に以て善をするに足れり。若し乃ち其の心然らずして、謬って大言を爲して以て人を欺けば、是の人終に與に堯舜の道に入る可からざるなり。何ぞ善を之れ能くせん。

予豈若是小丈夫然哉。諫於其君而不受、則怒悻悻然、見於其面、去則竆日之力、而後宿哉。悻、形頂反。見、音現。○悻悻、怒意也。竆、盡也。
【読み】
予豈是の小丈夫の若く然らんや。其の君を諫めて受けざるときは、則ち怒ること悻悻[こうこう]然として、其の面に見[あらわ]れ、去るときは則ち日の力を竆めて、而して後に宿せんや、と。悻は形頂の反。見は音現。○悻悻は怒る意なり。竆は盡くすなり。

尹士聞之曰、士誠小人也。此章見聖賢行道濟時、汲汲之本心、愛君澤民、惓惓之餘意。李氏曰、於此見君子憂則違之之情、而荷蕢者所以爲果也。
【読み】
尹士之を聞いて曰く、士は誠に小人なり、と。此の章聖賢の道を行い時を濟うことの、汲汲たるの本心と、君を愛し民を澤するの、惓惓たるの餘意を見る。李氏曰く、此に於て君子憂えれば則ち之を違[さ]るの情、而して蕢を荷ぐ者の果爲る所以を見るなり。


公孫丑章句下13
○孟子去齊。充虞路問曰、夫子若有不豫色然。前日虞聞諸夫子。曰、君子不怨天、不尤人。路問、於路中問也。豫、悦也。尤、過也。此二句實孔子之言。蓋孟子嘗稱之以敎人耳。
【読み】
○孟子齊を去る。充虞路にして問うて曰く、夫子不豫の色有るが若く然り。前日虞諸を夫子に聞けり。曰く、君子は天をも怨みず、人をも尤めず、と。路にして問うは、路中に於て問うなり。豫は悦ぶなり。尤は過なり。此の二句は實に孔子の言なり。蓋し孟子嘗て之を稱して以て人に敎うるのみ。

曰、彼一時、此一時也。彼、前日。此、今日。
【読み】
曰く、彼一時、此れ一時なり。彼は前日。此は今日。

五百年必有王者興。其閒必有名世者。自堯舜至湯、自湯至文武、皆五百餘年而聖人出。名世、謂其人德業聞望、可名於一世者、爲之輔佐。若皐陶、稷、契、伊尹、萊朱、太公望、散宜生之屬。
【読み】
五百年に必ず王者興ること有り。其の閒必ず世に名ある者有り。堯舜より湯に至り、湯より文武に至るまで、皆五百餘年にして聖人出づ。世に名ありは、其の人の德業聞望、一世に名ある可き者の、之の輔佐と爲るを謂う。皐陶・稷・契・伊尹・萊朱・太公望・散宜生の屬の若し。

由周而來、七百有餘歳矣。以其數則過矣。以其時考之則可矣。周、謂文武之閒。數、謂五百年之期。時、謂亂極思治、可以有爲之日。於是而不得一有所爲。此孟子所以不能無不豫也。
【読み】
周よりして來[このかた]、七百有餘歳。其の數を以てするときは則ち過ぎたり。其の時を以て之を考うるときは則ち可なり。周は、文武の閒を謂う。數は、五百年の期を謂う。時は、亂極まりて治を思い、以てすること有る可きの日を謂う。是に於て而も一つもする所有ることを得ず。此れ孟子の不豫無きこと能わざる所以なり。

夫天未欲平治天下也。如欲平治天下、當今之世、舍我其誰也。吾何爲不豫哉。夫、音扶。舍、上聲。○言當此之時、而使我不遇於齊、是天未欲平治天下也。然天意未可知、而其具又在我。我何爲不豫哉。然則孟子雖若有不豫然者、而實未嘗不豫也。蓋聖賢憂世之志、樂天之誠、有並行而不悖者、於此見矣。
【読み】
夫れ天未だ天下を平治せまく欲せず。如し天下を平治せまく欲せば、今の世に當たって、我を舍いて其れ誰ぞ。吾何爲れぞ不豫ならんや、と。夫は音扶。舍は上聲。○言うこころは、此の時に當たって、我を齊に遇せしめざるは、是れ天未だ天下を平治せんと欲せざればなり。然れども天の意未だ知る可からずして、其の具は又我に在り。我何爲れぞ不豫ならんや。然れば則ち孟子不豫有ること然りとする者の若しと雖も、而して實は未だ嘗て不豫ならざるなり。蓋し聖賢の世を憂うるの志と、天を樂しむの誠は、並び行われて悖らざる者有ること、此に於て見ゆ。


公孫丑章句下14
○孟子去齊居休。公孫丑問曰、仕而不受祿、古之道乎。休、地名。
【読み】
○孟子齊を去って休に居れり。公孫丑問うて曰く、仕えて祿を受けざるは、古の道か、と。休は地名。

曰、非也。於崇吾得見王。退而有去志。不欲變。故不受也。崇、亦地名。孟子始見齊王、必有所不合。故有去志。變、謂變其去志。
【読み】
曰く、非なり。崇に於て吾王に見うことを得たり。退いて去る志有り。變ぜまく欲せず。故に受けざるなり。崇も亦地名。孟子始めて齊の王に見うとき、必ず合わざる所有り。故に去る志有り。變は、其の去る志を變ずるを謂う。

繼而有師命、不可以請。久於齊、非我志也。師命、師旅之命也。國旣被兵、難請去也。○孔氏曰、仕而受祿、禮也。不受齊祿、義也。義之所在、禮有時而變。公孫丑欲以一端裁之、不亦誤乎。
【読み】
繼いで師命有り、以て請う可からず。齊に久しきは、我が志に非ざるなり、と。師命は師旅の命なり。國旣に兵を被り、去ることを請い難きなり。○孔氏曰く、仕えて祿を受くるは、禮なり。齊の祿を受けざるは、義なり。義の在る所、禮時として變ずること有り。公孫丑一端を以て之を裁せまく欲するは、亦誤りならざらんや、と。

 

孟子卷之三

滕文公章句上 凡五章。

滕文公章句上1
滕文公爲世子、將之楚、過宋而見孟子。世子、太子也。
【読み】
滕の文公世子爲りしとき、將に楚に之かんとして、宋を過ぎて孟子に見う。世子は太子なり。

孟子道性善、言必稱堯舜。道、言也。性者、人所稟於天以生之理也。渾然至善、未嘗有惡。人與堯舜初無少異。但衆人汨於私欲而失之。堯舜則無私欲之蔽、而能充其性爾。故孟子與世子言、每道性善、而必稱堯舜以實之。欲其知仁義不假外求、聖人可學而至、而不懈於用力也。門人不能悉記其辭、而撮其大旨如此。程子曰、性卽理也。天下之理、原其所自、未有不善。喜怒哀樂未發、何嘗不善。發而中節、卽無往而不善。發不中節、然後爲不善。故凡言善惡、皆先善而後惡。言吉凶、皆先吉而後凶。言是非、皆先是而後非。
【読み】
孟子性善なりと道って、言必ず堯舜を稱す。道は言うなり。性は、人の天に稟けて以て生ずる所の理なり。渾然と至善にして、未だ嘗て惡有らず。人と堯舜と初めより少しき異なること無し。但衆人は私欲に汨[みだ]されて之を失う。堯舜は則ち私欲の蔽無くして、能く其の性を充てるのみ。故に孟子世子と言うときは、每に性善なりと道って、必ず堯舜を稱して以て之を實にす。其の仁義を外に求むることを假りず、聖人も學んで至る可きことを知って、力を用うることに懈らざらんことを欲してなり。門人悉く其の辭を記すこと能わずして、其の大旨を撮ること此の如し。程子曰く、性は卽ち理なり。天下の理、其の自る所を原[たず]ぬれば、未だ善ならざること有らず。喜怒哀樂の未だ發せざるときは、何ぞ嘗て善ならざる。發して節に中るときは、卽ち往くとして善ならざること無し。發して節に中らず、然して後に善ならずとす。故に凡て善惡を言うときは、皆善を先にして惡を後にす。吉凶を言うときは、皆吉を先にして凶を後にす。是非を言うときは、皆是を先にして非を後にす、と。

世子自楚反、復見孟子。孟子曰、世子疑吾言乎。夫道一而已矣。復、扶又反。夫、音扶。○時人不知性之本善、而以聖賢爲不可企及。故世子於孟子之言不能無疑、而復來求見。蓋恐別有卑近易行之說也。孟子知之。故但告之如此、以明古今聖愚本同一性、前言已盡、無復有他說也。
【読み】
世子楚より反って、復孟子に見う。孟子曰く、世子吾が言を疑うか。夫れ道は一ならくのみ。復は扶又の反。夫は音扶。○時の人性の本善なることを知らずして、聖賢を以て企て及ぶ可からずとす。故に世子孟子の言に於て疑い無きこと能わずして、復來りて見うことを求めり。蓋し恐らくは別に卑近にして行い易きの說有らん、と。孟子之を知る。故に但之に告ぐること此の如くして、以て古今の聖愚は本同一の性なること、前言已に盡き、復他說有ること無きことを明らかにす。

成覵謂齊景公曰、彼丈夫也。我丈夫也。吾何畏彼哉。顏淵曰、舜何人也。予何人也。有爲者亦若是。公明儀曰、文王我師也。周公豈欺我哉。覵、古莧反。○成鷳、人姓名。彼、謂聖賢也。有爲者亦若是、言人能有爲、則皆如舜也。公明、姓、儀、名。魯賢人也。文王我師也、蓋周公之言。公明儀亦以文王爲必可師。故誦周公之言、而歎其不我欺也。孟子旣告世子以道無二致、而復引此三言以明之。欲世子篤信力行、以師聖賢、不當復求他說也。
【読み】
成覵[せいけん]齊の景公に謂って曰く、彼も丈夫なり。我も丈夫なり。吾何ぞ彼を畏れんや、と。顏淵曰く、舜は何人ぞ。予は何人ぞ。すること有る者は亦是の若し、と。公明儀曰く、文王は我が師なり、と。周公豈我を欺かんや、と。覵は古莧の反。○成鷳は人の姓名。彼は聖賢を謂うなり。すること有る者は亦是の若しは、言うこころは、人能くすること有るときは、則ち皆舜の如きなり、と。公明は姓、儀は名。魯の賢人なり。文王は我が師なりは、蓋し周公の言ならん。公明儀も亦文王を以て必ず師とす可しとす。故に周公の言を誦して、其の我を欺かざらんことを歎ずるなり。孟子旣に世子に告ぐるに道に二致無きを以てして、復此の三言を引いて以て之を明らかにす。世子の篤く信じ力めて行い、以て聖賢を師とし、當に復他說を求むるべからざらまく欲すればなり。

今滕絶長補短、將五十里也。猶可以爲善國。書曰、若藥不瞑眩、厥疾不瘳。瞑、莫甸反。眩、音縣。○絶、猶截也。書、商書說命篇。瞑眩、憒亂。言滕國雖小、猶足爲治。但恐安於卑近、不能自克、則不足以去惡而爲善也。○愚按、孟子之言性善、始見於此、而詳具於告子之篇。然默識而旁通之、則七篇之中、無非此理。其所以擴前聖之未發、而有功於聖人之門。程子之言信矣。
【読み】
今滕長きを絶って短きを補えば、將に五十里ならんとす。猶以て善國爲る可し。書に曰く、若し藥瞑眩せざれば、厥の疾瘳[いえ]ず、と。瞑は莫甸の反。眩は音縣。○絶は猶截[た]つのごとし。書は、商書說命の篇。瞑眩は、憒[くら]みて亂るる。言うこころは、滕國小なりと雖も、猶治を爲すに足る。但恐らくは卑近に安んじ、自ら克つこと能わざれば、則ち以て惡を去りて善をするに足らざるなり、と。○愚按ずるに、孟子の性善を言う、始めて此に見れて、詳らかに告子の篇に具わる。然れども默して識り之に旁[あまね]く通ずれば、則ち七篇の中、此の理に非ずということ無し。其の前聖の未だ發せざるを擴めて、聖人の門に功有る所以なり。程子の言信[まこと]なるかな。


滕文公章句上2
○滕定公薨。世子謂然友曰、昔者孟子嘗與我言於宋、於心終不忘。今也不幸至於大故。吾欲使子問於孟子、然後行事。定公、文公父也。然友、世子之傅也。大故、大喪也。事、謂喪禮。
【読み】
○滕の定公薨ず。世子然友に謂って曰く、昔者[さき]に孟子嘗て我と宋に言いしとき、心に於て終に忘れず。今不幸にして大故に至れり。吾子をして孟子に問わしめて、然して後に事を行わまく欲す、と。定公は文公の父なり。然友は世子の傅なり。大故は大喪なり。事は喪禮を謂う。

然友之鄒問於孟子。孟子曰、不亦善乎。親喪固所自盡也。曾子曰、生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮。可謂孝矣。諸侯之禮、吾未之學也。雖然、吾嘗聞之矣。三年之喪、齊疏之服、飦粥之食、自天子達於庶人、三代共之。齊、音資。疏、所居反。飦、諸延反。○當時諸侯、莫能行古喪禮、而文公獨能以此爲問。故孟子善之。又言、父母之喪、固人子之心所自盡者。蓋悲哀之情、痛疾之意、非自外至。宜乎、文公於此有所不能自已也。但所引曾子之言、本孔子告樊遲者。豈曾子嘗誦之、以告其門人歟。三年之喪者、子生三年、然後免於父母之懷。故父母之喪、必以三年也。齊、衣下縫也。不緝曰斬衰、緝之曰齊衰。疏、麤也。麤布也。飦、糜也。喪禮、三日始食粥。旣葬、乃疏食。此古今貴賤通行之禮也。
【読み】
然友鄒に之いて孟子に問う。孟子曰く、亦善からずや。親喪は固[まこと]に自ら盡くす所なり。曾子曰く、生けるときは之に事うるに禮を以てし、死せるときは之を葬むるに禮を以てし、之を祭るに禮を以てす。孝と謂いつ可し、と。諸侯の禮、吾未だ之を學びず。然りと雖も、吾嘗て之を聞けり。三年の喪、齊疏[しそ]の服、飦粥[かんじゅく]の食、天子より庶人に達し、三代之を共にす、と。齊は音資。疏は所居の反。飦は諸延の反。○當時の諸侯、能く古の喪禮を行うもの莫くして、文公獨り能く此を以て問とす。故に孟子之を善しとす。又言う、父母の喪は、固に人子の心自ら盡くす所の者なり、と。蓋し悲哀の情、痛疾の意、外より至るに非ず。宜なるかな、文公此に於て自ら已むこと能わざる所有ること。但引く所の曾子の言は、本孔子樊遲に告ぐる者なり。豈曾子嘗て之を誦して、以て其の門人に告げんか。三年の喪は、子生まれて三年、然して後に父母の懷を免る。故に父母の喪は、必ず三年を以てす。齊は衣の下の縫いめなり。緝[つむ]がざるを斬衰[ざんさい]と曰い、之を緝ぐを齊衰と曰う。疏は麤いなり。麤布なり。飦は糜[かゆ]なり。喪の禮は、三日始めて粥を食す。旣に葬むりて、乃ち疏食す。此れ古今貴賤通じ行うの禮なり。

然友反命。定爲三年之喪。父兄百官皆不欲。曰、吾宗國魯先君莫之行。吾先君亦莫之行也。至於子之身而反之、不可。且志曰、喪祭從先祖。曰、吾有所受之也。父兄、同姓老臣也。滕與魯倶文王之後、而魯祖周公爲長。兄弟宗之。故滕謂魯爲宗國也。然謂二國不行三年之喪者、乃其後世之失。非周公之法本然也。志、記也。引志之言而釋其意。以爲所以如此者、蓋爲上世以來、有所傳受、雖或不同、不可改也。然志所言、本謂先王之世舊俗所傳、禮文小異、而可以通行者耳。不謂後世失禮之甚者也。
【読み】
然友命を反す。定むらく、三年の喪をせん、と。父兄百官皆欲せず。曰く、吾が宗國魯の先君も之を行うこと莫し。吾が先君も亦之を行うこと莫し。子が身に至って之に反かんこと、不可。且志に曰く、喪祭は先祖に從う、と。曰く、吾之を受くる所有りとなり。父兄は同姓の老臣なり。滕と魯とは倶に文王の後にして、魯の祖周公長爲り。兄弟之を宗とす。故に滕魯を謂って宗國とす。然れども二國三年の喪を行わずと謂うは、乃ち其れ後世の失なり。周公の法本より然るに非ざるなり。志は記なり。志の言を引いて其の意を釋す。以爲えらく、此の如き所以の者は、蓋し上世以來、傳え受く所有るが爲に、或は同じからずと雖も、改むる可からざるなり。然れども志の言う所は、本より先王の世の舊俗傳うる所の、禮文小しく異なりて、而して以て通行す可き者を謂うのみ。後世禮を失うことの甚だしき者を謂うにあらず。

謂然友曰、吾他日未嘗學問、好馳馬試劍。今也父兄百官、不我足也。恐其不能盡於大事。子爲我問孟子。然友復之鄒問孟子。孟子曰、然。不可以他求者也。孔子曰、君薨、聽於冢宰。歠粥、面深墨。卽位而哭。百官有司、莫敢不哀。先之也。上有好者、下必有甚焉者矣。君子之德風也。小人之德草也。草尙之風必偃。是在世子。好・爲、皆去聲。復、扶又反。歠、川悦反。○不我足、謂不以我滿足其意也。然者、然其不我足之言。不可他求者、言當責之於己。冢宰、六卿之長也。歠、飮也。深墨、甚黑色也。卽、就也。尙、加也。論語作上。古字通也。偃、伏也。孟子言、但在世子自盡其哀而已。
【読み】
然友に謂って曰く、吾他日未だ嘗て學問せず、馬を馳せ劍を試むることを好む。今父兄百官、我を足れりとせず。恐らくは其れ大事を盡くすこと能わじ。子我が爲に孟子に問え、と。然友復鄒に之いて孟子に問う。孟子曰く、然らん。以て他に求む可からざる者なり。孔子曰く、君薨ずれば、冢宰に聽く。粥を歠って、面深[はなは]だ墨[くろ]し。位に卽いて哭す。百官有司、敢えて哀しまずということ莫し。之に先んずればなり。上好む者有れば、下必ず甚だしき者有り。君子の德は風なり。小人の德は草なり。草之に風を尙[くわ]うれば必ず偃[ふ]す。是れ世子に在り、と。好・爲は皆去聲。復は扶又の反。歠は川悦の反。○我を足れりとせずは、我を以て其の意滿ち足れりとせざるを謂うなり。然らんは、其の我を足れりとせざるの言を然りとす。他に求む可からずは、言うこころは、當に之を己に責むべし、と。冢宰は六卿の長なり。歠は飮むなり。深だ墨しは甚だしく黑い色なり。卽は就くなり。尙は加うなり。論語は上に作る。古字通ず。偃は伏すなり。孟子言うこころは、但世子自ら其の哀しみを盡くすに在るのみ、と。

然友反命。世子曰、然。是誠在我。五月居廬、未有命戒。百官族人可謂曰、知。及至葬、四方來觀之、顏色之戚、哭泣之哀、弔者大悦。諸侯五月而葬。未葬、居倚廬於中門之外。居喪不言。故未有命令敎戒也。可謂曰知、疑有闕誤。或曰、皆謂世子之知禮也。○林氏曰、孟子之時、喪禮旣壞。然三年之喪、惻隱之心、痛疾之意、出於人心之所固有者、初未嘗亡也。惟其溺於流俗之弊。是以喪其良心、而不自知耳。文公見孟子而聞性善堯舜之說、則固有以啓發其良心矣。是以至此而哀痛之誠心發焉。及其父兄百官皆不欲行、則亦反躬自責、悼其前行之不足以取信、而不敢有非其父兄百官之心。雖其資質有過人者、而學問之力、亦不可誣也。及其斷然行之、而遠近見聞無不悦服。則以人心之所同然者、自我發之、而彼之心悦誠服、亦有所不期然而然者。人性之善、豈不信哉。
【読み】
然友命を反す。世子曰く、然り。是れ誠に我に在り、と。五月廬に居り、未だ命戒有らず。百官族人可[みな]謂って曰く、知れり、と。葬むるに至るに及んで、四方來って之を觀ば、顏色の戚[いたみ]、哭泣の哀しみ、弔する者大いに悦ぶ。諸侯は五月にして葬る。未だ葬らざるときは、倚廬[いろ]して中門の外に居る。喪に居るときは言わず。故に未だ命令敎戒有らざるなり。可謂って曰く知れりは、疑うらくは闕誤有らん。或ひと曰く、皆世子を禮を知れりと謂えり、と。○林氏曰く、孟子の時、喪禮旣に壞れり。然れども三年の喪の、惻隱の心、痛疾の意、人心の固より有る所より出づる者にして、初めより未だ嘗て亡びざるなり。惟其れ流俗の弊に溺る。是を以て其の良心を喪いて、自ら知らざるのみ。文公孟子に見って性善堯舜の說を聞けば、則ち固より以て其の良心を啓發すること有り。是を以て此に至りて哀痛の誠心發こる。其の父兄百官皆行なわまく欲せざるに及び、則ち亦躬に反り自ら責めて、其の前行の以て信を取るに足らざるを悼みて、敢えて其の父兄百官を非とするの心有らず。其の資質人に過ぎたる者有りと雖も、而して學問の力も、亦誣ゆ可からざるなり。其の斷然として之を行うに及びて、遠近見聞いて悦び服さざること無し。則ち人心の同じく然りとする所の者、我より之を發するを以て、彼が心に悦び誠に服することも、亦然りと期せずして然る所の者有り。人性の善なること、豈信[まこと]ならずや。


滕文公章句上3
○滕文公問爲國。文公以禮聘孟子。故孟子至滕、而文公問之。
【読み】
○滕の文公國を爲めんことを問う。文公禮を以て孟子を聘す。故に孟子滕に至りて、文公之を問う。

孟子曰、民事不可緩也。詩云、晝爾于茅、宵爾索綯。亟其乘屋。其始播百穀。綯、音陶。亟、紀力反。○民事、謂農事。詩、豳風七月之篇。于、往取也。綯、絞也。亟、急也。乘、升也。播、布也。言農事至重、人君不可以爲緩而忽之。故引詩言、治屋之急如此者、蓋以來春將復始播百穀、而不暇爲此也。
【読み】
孟子曰く、民の事緩[ゆるが]せにす可からず。詩に云く、晝は爾于[ゆ]いて茅[ちか]り、宵[よる]は爾索綯[なわな]え。亟[すみ]やかに其れ屋に乘れ。其れ始めて百穀を播[し]かん、と。綯は音陶。亟は紀力の反。○民の事は農事を謂う。詩は豳風七月の篇。于は往いて取るなり。綯は絞[な]うなり。亟は急なり。乘は升るなり。播は布くなり。言うこころは、農事至って重ければ、人君以て緩せにして之を忽せにす可からず、と。故に詩を引いて言う、屋を治むるの急此の如きは、蓋し來春將に復始めて百穀を播かんとするときは、而して此をするに暇あらざるを以てなり。

民之爲道也、有恆產者有恆心、無恆產者無恆心。苟無恆心、放辟邪侈、無不爲已。及陷乎罪、然後從而刑之、是罔民也。焉有仁人在位、罔民而可爲也。音義、並見前篇。
【読み】
民の道爲る、恆の產有る者は恆の心有り、恆の產無き者は恆の心無し。苟し恆の心無きときは、放辟邪侈にして、せざるということ無からまくのみ。罪に陷るに及んで、然して後に從って之を刑[つみ]なうは、是れ民を罔するなり。焉んぞ仁人位に在る有りて、民を罔することす可けん。音義は並前篇に見ゆ。

是故賢君必恭儉禮下、取於民有制。恭則能以禮接下、儉則能取民以制。
【読み】
是の故に賢君は必ず恭儉にして下に禮あり、民に取るに制有り。恭なれば則ち能く禮以て下に接し、儉なれば則ち能く民に取るに制を以てす。

陽虎曰、爲富不仁矣、爲仁不富矣。陽虎、陽貨。魯季氏家臣也。天理人欲、不容並立。虎之言此、恐爲仁之害於富也。孟子引之、恐爲富之害於仁也。君子小人、每相反而已矣。
【読み】
陽虎曰く、富をすれば仁あらず、仁をすれば富まず、と。陽虎は陽貨。魯の季氏の家臣なり。天理人欲、並び立つことを容れず。虎の此を言うは、仁をするが富に害あらんことを恐れてなり。孟子之を引くは、富を爲すが仁に害あらんことを恐れてなり。君子小人は、每に相反するのみ。

夏后氏五十而貢。殷人七十而助。周人百畝而徹。其實皆什一也。徹者、徹也。助者、藉也。徹、敕列反。藉、子夜反。○此以下、乃言制民常產、與其取之之制也。夏時一夫授田五十畝、而每夫計其五畝之入以爲貢。商人始爲井田之制、以六百三十畝之地、畫爲九區。區七十畝、中爲公田、其外八家各授一區。但借其力以助耕公田、而不復稅其私田。周時一夫授田百畝。郷遂用貢法、十夫有溝。都鄙用助法、八家同井。耕則通力而作、收則計畝而分。故謂之徹。其實皆什一者、貢法固以十分之一爲常數。惟助法乃是九一。而商制不可考。周制則公田百畝、中以二十畝爲廬舍。一夫所耕公田、實計十畝、通私田百畝、爲十一分而取其一。蓋又輕於什一矣。竊料商制亦當似此、而以十四畝爲廬舍、一夫實耕公田七畝。是亦不過什一也。徹、通也。均也。藉、借也。
【読み】
夏后氏は五十にして貢す。殷人は七十にして助す。周人は百畝にして徹す。其の實は皆什一なり。徹は、徹なり。助は、藉[しゃ]なり。徹は敕列の反。藉は子夜の反。○此より以下は、乃ち民の常產を制すると、其の之を取るの制を言うなり。夏の時は一夫田五十畝を授けて、夫每に其の五畝の入を計りて以て貢とす。商人始めて井田の制を爲り、六百三十畝の地を以て、畫して九區とす。區七十畝、中を公田として、其の外八家各々一區を授く。但其の力を借りて以て公田を助け耕しめ、復其の私田に稅せず。周の時は一夫田百畝を授く。郷遂には貢法を用い、十夫に溝有り。都鄙には助法を用い、八家井を同じくす。耕すときは則ち力を通じて作り、收むるときは則ち畝を計りて分かつ。故に之を徹と謂う。其の實は皆什一なりは、貢法固より十分の一を以て常數とす。惟助法のみ乃ち是れ九一。而して商の制は考う可からず。周の制は則ち公田百畝、中二十畝を以て廬舍とす。一夫耕す所の公田は、實に計れば十畝にて、私田百畝と通じて、十一分にして其の一を取るとす。蓋し又什一よりも輕し。竊かに料るに商の制も亦當に此に似て、十四畝を以て廬舍とし、一夫實に公田七畝を耕すべし。是れ亦什一に過ぎざるなり。徹は通なり。均しいなり。藉は借なり。

龍子曰、治地莫善於助。莫不善於貢。貢者校數歳之中以爲常。樂歳粒米狼戾、多取之而不爲虐、則寡取之。凶年糞其田而不足、則必取盈焉。爲民父母、使民盻盻然、將終歳勤動、不得以養其父母。又稱貸而益之、使老稚轉乎溝壑。惡在其爲民父母也。樂、音洛。盻、五禮反。從目從兮。或音普莧反者非。養、去聲。惡、平聲。○龍子、古賢人。狼戾、猶狼藉。言多也。糞、壅也。盈、滿也。盻、恨視也。勤動、勞苦也。稱、舉也。貸、借也。取物於人、而出息以償之也。益之、以足取盈之數也。稚、幼子也。
【読み】
龍子曰く、地を治むるは助よりも善きは莫し。貢よりも善からざるは莫し。貢は數歳の中を校[かんが]えて以て常とす。樂歳には粒米狼戾して、多く之を取れども而も虐とせざるに、則ち寡なく之を取る。凶年には其の田に糞[つちか]うだにも而も足らざるに、則ち必ず取り盈つ。民の父母と爲って、民をして盻盻[げいげい]然として、將に歳を終えなんとするまでに勤動すれども、以て其の父母を養うことを得ざらしむ。又稱貸して之を益し、老稚をして溝壑に轉ぜしむ。惡にか在る、其の民の父母爲ること。樂は音洛。盻は五禮の反。目に從い兮に從う。或ひと音を普莧の反とするは非なり。養は去聲。惡は平聲。○龍子は古の賢人。狼戾は猶狼藉のごとし。多きを言うなり。糞は壅[つちか]うなり。盈は滿つなり。盻は恨み視るなり。勤動は勞苦なり。稱は舉ぐなり。貸は借るなり。物を人より取って、息を出して以て之を償うなり。之を益すは、以て取り盈つる數に足すなり。稚は幼子なり。

夫世祿、滕固行之矣。夫、音扶。○孟子嘗言、文王治岐、耕者九一、仕者世祿。二者王政之本也。今世祿滕已行之、惟助法未行。故取於民者無制耳。蓋世祿者、授之土田、使之食其公田之入、實與助法相爲表裏。所以使君子野人各有定業、而上下相安者也。故下文遂言助法。
【読み】
夫れ祿を世々にすることは、滕固より之を行う。夫は音扶。○孟子嘗て言う、文王の岐を治むるに、耕す者九一、仕うる者祿を世々にす。二つの者は王政の本なり。今世祿は滕已に之を行えども、惟助法のみ未だ行わざる。故に民に取る者制無きのみ。蓋し世祿は、之に土田を授け、之に其の公田の入を食わしめば、實に助法と相表裏を爲す。君子野人各々定業有らしめて、上下相安んずる所以の者なり。故に下文に遂に助法を言う。

詩云、雨我公田、遂及我私。惟助爲有公田。由此觀之、雖周亦助也。雨、于付反。○詩、小雅大田之篇。雨、降雨也。言願天雨於公田、而遂及私田。先公而後私也。當時助法盡廢、典籍不存。惟有此詩、可見周亦用助。故引之也。
【読み】
詩に云く、我が公田に雨ふって、遂に我が私に及べ、と。惟助のみ公田有りとす。此に由って之を觀れば、周と雖も亦助するなり。雨は于付の反。○詩は小雅大田の篇。雨は、雨を降らすなり。言うこころは、願わくは天公田に雨ふって、而して遂に私田に及べ、と。公を先んじて私を後にするなり。當時助法盡く廢れ、典籍存せず。惟此の詩有れば、周も亦助を用うること見る可し。故に之を引くなり。

設爲庠序學校以敎之。庠者、養也。校者、敎也。序者、射也。夏曰校。殷曰序。周曰庠。學則三代共之。皆所以明人倫也。人倫明於上、小民親於下。庠以養老爲義、校以敎民爲義、序以習射爲義。皆郷學也。學、國學也。共之、無異名也。倫、序也。父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信。此人之大倫也。庠序學校、皆以明此而已。
【読み】
庠序學校を設[た]て爲[つく]って以て之を敎う。庠は、養なり。校は、敎なり。序は、射なり。夏は校と曰う。殷は序と曰う。周は庠と曰う。學は則ち三代之を共にす。皆人倫を明らかにする所以なり。人倫上に明らかにして、小民下に親しむ。庠は老を養うを以て義と爲し、校は民を敎うるを以て義と爲し、序は射を習うを以て義と爲す。皆郷學なり。學は國學なり。之を共にすは、異名無きなり。倫は序なり。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り。此れ人の大倫なり。庠序學校は、皆以て此を明らかにするのみ。

有王者起、必來取法。是爲王者師也。滕國褊小、雖行仁政、未必能興王業。然爲王者師、則雖不有天下、而其澤亦足以及天下矣。聖賢至公無我之心、於此可見。
【読み】
王者起こること有らば、必ず來って法を取らん。是れ王者の師爲り。滕國褊小[へんしょう]なれば、仁政を行うと雖も、未だ必ずしも王業を興すこと能わず。然れども王者の師爲らば、則ち天下を有たずと雖も、其の澤亦以て天下に及ぼすに足れり。聖賢至公無我の心、此に於て見る可し。

詩云、周雖舊邦、其命惟新、文王之謂也。子力行之、亦以新子之國。詩、大雅文王之篇。言周雖后稷以來、舊爲諸侯、其受天命而有天下、則自文王始也。子、指文公。諸侯未踰年之稱也。
【読み】
詩に云く、周は舊邦なりと雖も、其の命惟れ新たなりとは、文王を謂えり。子力めて之を行わば、亦以て子が國を新たにせん。詩は大雅文王の篇。言うこころは、周は后稷以來、舊き諸侯爲りと雖も、其の天命を受けて天下を有つは、則ち文王より始む、と。子は文公を指す。諸侯未だ年を踰えざるの稱なり。

使畢戰問井地。孟子曰、子之君將行仁政、選擇而使子。子必勉之。夫仁政、必自經界始。經界不正、井地不均、穀祿不平。是故暴君汙吏必慢其經界。經界旣正、分田制祿可坐而定也。夫、音扶。○畢戰、滕臣。文公因孟子之言、而使畢戰主爲井地之事。故又使之來問其詳也。井地、卽井田也。經界、謂治地分田、經畫其溝塗封植之界也。此法不脩、則田無定分、而豪強得以兼幷。故井地有不均。賦無定法、而貪暴得以多取。故穀祿有不平。此欲行仁政者之所以必從此始、而暴君汙吏則必欲慢而廢之也。有以正之、則分田制祿、可不勞而定矣。
【読み】
畢戰をして井地を問わしむ。孟子曰く、子が君將に仁政を行わんとして、選擇して子を使わす。子必ず之を勉めよ。夫れ仁政は、必ず經界より始まる。經界正しからざれば、井地均しからず、穀祿平かならず。是の故に暴君汙吏は必ず其の經界を慢る。經界旣に正しきときは、田を分き祿を制すること坐[い]ながらにして定む可し。夫は音扶。○畢戰は滕の臣。文公孟子の言に因りて、畢戰をして井地を爲[おさ]むる事を主[つかさど]らしむ。故に又之をして來りて其の詳らかなることを問わしむ。井地は、卽ち井田なり。經界は、地を治め田を分き、其の溝塗封植の界を經畫するを謂うなり。此の法脩まらざれば、則ち田に定分無くして、豪強以て兼ね幷すことを得。故に井地均しからざること有り。賦に定法無くして、貪暴以て多きを取ることを得。故に穀祿平かならざること有り。此れ仁政を行わまく欲する者の必ず此に從いて始むる所以にして、暴君汙吏は則ち必ず慢りて之を廢せまく欲するなり。以て之を正しくすること有らば、則ち田を分き祿を制して、勞せずして定む可きなり。

夫滕壤地褊小、將爲君子焉、將爲野人焉。無君子莫治野人。無野人莫養君子。夫、音扶。養、去聲。○言滕地雖小、然其閒亦必有爲君子而仕者、亦必有爲野人而耕者。是以分田制祿之法、不可偏廢也。
【読み】
夫れ滕は壤地褊小なれども、將[ほとん]ど君子爲らん、將ど野人爲らん。君子無きときは野人を治むること莫し。野人無きときは君子を養うこと莫し。夫は音扶。養は去聲。○言うこころは、滕地は小しきなりと雖も、然れども其の閒亦必ず君子と爲りて仕うる者有り、亦必ず野人と爲りて耕す者有り。是を以て田を分き祿を制するの法、偏廢す可からざるなり、と。

請野九一而助、國中什一使自賦。此分田制祿之常法、所以治野人使養君子也。野、郊外都鄙之地也。九一而助、爲公田而行助法也。國中、郊門之内、郷遂之地也。田不井授、但爲溝洫、使什而自賦其一。蓋用貢法也。周所謂徹法者、蓋如此。以此推之、當時非惟助法不行、其貢亦不止什一矣。
【読み】
請う、野は九一にして助し、國中は什一にして自ら賦せしめよ。此れ田を分き祿を制するの常法、野人を治めて君子を養わしむる所以なり。野は、郊外都鄙の地なり。九一にして助すは、公田を爲りて助法を行うなり。國中は、郊門の内、郷遂の地なり。田井を授けず、但溝洫[こうきょく]を爲り、什にして自ら其の一を賦せしむ。蓋し貢法を用うるならん。周の所謂徹法は、蓋し此の如し。此を以て之を推せば、當時惟助法のみ行われざるに非ず、其れ貢も亦什一に止まらざるなり。

卿以下必有圭田。圭田五十畝。此世祿常制之外、又有圭田。所以厚君子也。圭、潔也、所以奉祭祀也。不言世祿者、滕已行之。但此未備耳。
【読み】
卿より下は必ず圭田有り。圭田は五十畝。此れ祿を世々にするの常制の外、又圭田有り。君子を厚くする所以なり。圭は潔しなり。祭祀を奉ずる所以なり。祿を世々にすと言わざるは、滕已に之を行う。但此れ未だ備わざるのみ。

餘夫二十五畝。程子曰、一夫上父母、下妻子、以五口八口爲率、受田百畝。如有弟、是餘夫也。年十六、別受田二十五畝。俟其壯而有室、然後更受百畝之田。愚按、此百畝、常制之外又有餘夫之田、以厚野人也。
【読み】
餘夫は二十五畝。程子曰く、一夫上は父母、下は妻子、五口八口を以て率ねとし、田百畝を受く。如し弟有れば、是れ餘夫なり。年十六にして、別に田二十五畝を受く。其の壯にして室有るを俟ちて、然して後に更に百畝の田を受く。愚按ずるに、此の百畝、常制の外に又餘夫の田有るは、以て野人を厚くするならん。

死徙無出郷、郷田同井、出入相友、守望相助、疾病相扶持、則百姓親睦。死、謂葬也。徙、謂徙其居也。同井者、八家也。友、猶伴也。守望、防寇盜也。
【読み】
死徙[しし]郷を出づること無く、郷田井を同じうし、出入相友[ともな]い、守望相助け、疾病相扶持するときは、則ち百姓親睦す。死は葬ることを謂うなり。徙は其の居を徙[うつ]すことを謂うなり。井を同じくする者は、八家なり。友は猶伴うのごとし。守望は寇盜を防ぐなり。

方里而井。井九百畝、其中爲公田。八家皆私百畝、同養公田。公事畢、然後敢治私事。所以別野人也。養、去聲。別、彼列反。○此詳言井田形體之制。乃周之助法也。公田以爲君子之祿、而私田野人之所受。先公後私、所以別君子野人之分也。不言君子、據野人而言。省文耳。上言野及國中二法、此獨詳於治野者、國中貢法、當時已行、但取之過於什一爾。
【読み】
方里にして井す。井ごとに九百畝、其の中を公田とす。八家皆百畝を私にして、同じく公田を養う。公事畢わって、然して後に敢えて私事を治む。野人を別く所以なり。養は去聲。別は彼列の反。○此れ詳らかに井田の形體の制を言う。乃ち周の助法なり。公田は以て君子の祿として、私田は野人の受くる所なり。公を先んじ私を後にするは、君子野人の分を別つ所以なり。君子を言わざるは、野人に據りて言う。文を省くのみ。上に野及び國中の二法を言いて、此は獨[ただ]野を治むることを詳らかにするは、國中の貢法、當時已に行われ、但之を取ること什一に過ぐのみなればなり。

此其大略也。若夫潤澤之、則在君與子矣。夫、音扶。○井地之法、諸侯皆去其籍。此特其大略而已。潤澤、謂因時制宜、使合於人情、宜於土俗、而不失乎先王之意也。○呂氏曰、子張子慨然有意三代之治。論治人先務、未始不以經界爲急。講求法制、粲然備具。要之可以行於今。如有用我者、舉而措之耳。嘗曰、仁政必自經界始。貧富不均、敎養無法、雖欲言治、皆苟而已。世之病難行者、未始不以亟奪富人之田爲辭。然茲法之行、悦之者衆。苟處之有術。期以數年、不刑一人而可復。所病者、特上之未行耳。乃言曰、縱不能行之天下、猶可驗之一郷。方與學者議古之法、買田一方、畫爲數井、上不失公家之賦役、退以其私正經界、分宅里、立斂法、廣儲蓄、興學校、成禮俗、救菑卹患、厚本抑末、足以推先王之遺法、明當今之可行。有志未就而卒。○愚按、喪禮經界兩章、見孟子之學、識其大者。是以雖當禮法廢壞之後、制度節文不可復考、而能因略以致詳、推舊而爲新、不屑屑於旣往之迹、而能合乎先王之意。眞可謂命世亞聖之才矣。
【読み】
此れ其の大略なり。夫の之を潤澤するが若きは、則ち君と子とに在り。夫は音扶。○井地の法、諸侯皆其の籍を去[す]つ。此れ特[ただ]其の大略のみ。潤澤は、時に因りて宜しきを制し、人情に合い、土俗に宜[かな]わしめて、先王の意を失なわざることを謂うなり。○呂氏曰く、子張子慨然として三代の治に意有り。人を治むるの先務を論ずるときは、未だ始めに經界を以て急とせずんばあらず。法制を講求するときは、粲然として備[つぶさ]に具われり。之を要むれば以て今に行う可し。如し我を用うること有れば、舉げて之を措くのみ。嘗て曰く、仁政は必ず經界より始む。貧富均しからず、敎養法無くば、治を言わまく欲すと雖も、皆苟[かりそめ]にするのみ。世の行われ難きを病[うれ]うる者は、未だ始めに亟[すみ]やかに富人の田を奪うを以て辭とせずんばあらず。然れども茲の法行わるれば、之を悦ぶ者衆し。苟[まこと]に之を處するに術有り。期するに數年を以てせば、一人も刑せずして復す可し。病うる所は、特上の未だ行わざるのみ、と。乃ち言って曰く、縱[たと]い之を天下に行うこと能わざれども、猶之を一郷に驗す可し。方に學者と古の法を議し、田一方を買い、畫して數井とし、上公家の賦役を失わず、退いては其の私を以て經界を正し、宅里を分き、斂法を立て、儲蓄[ちょちく]を廣め、學校を興し、禮俗を成し、菑[わざわ]いを救い患えを卹[あわ]れみ、本を厚くして末を抑えれば、以て先王の遺法を推し、當今に行う可きことを明らかにするに足る、と。志有りて未だ就くさずして卒す、と。○愚按ずるに、喪禮經界の兩章、孟子の學、其の大いなる者を識ることを見る。是を以て禮法廢壞するの後に當り、制度節文復考う可からずと雖も、能く略に因りて以て詳を致し、舊きを推して新しきと爲し、旣往の迹に屑屑とせずして、能く先王の意に合う。眞に命世亞聖の才と謂う可し。


滕文公章句上4
○有爲神農之言者許行、自楚之滕、踵門而告文公曰、遠方之人、聞君行仁政。願受一廛而爲氓。文公與之處。其徒數十人、皆衣褐、捆屨織席以爲食。衣、去聲。捆、音閫。○神農、炎帝神農氏。始爲耒耜、敎民稼穡者也。爲其言者、史遷所謂農家者流也。許、姓、行、名也。踵門、足至門也。仁政、上章所言井地之法也。廛、民所居也。氓、野人之稱。褐、毛布。賤者之服也。捆、扣椓之欲其堅也。以爲食、賣以供食也。程子曰、許行所謂神農之言、乃後世稱述上古之事、失其義理者耳。猶陰陽醫方稱黄帝之說也。
【読み】
○神農の言を爲むる者許行有り、楚より滕に之き、門に踵[いた]って文公に告げて曰く、遠方の人、君仁政を行うことを聞く。願わくは一廛[てん]を受けて氓[たみ]爲らん、と。文公之に處を與う。其の徒數十人、皆褐を衣、屨を捆[う]ち席[むしろ]を織って以て食とす。衣は去聲。捆は音閫。○神農は、炎帝神農氏。始めて耒耜[らいし]を爲り、民に稼穡を敎うる者なり。其の言を爲むる者は、史遷の所謂農家者流なり。許は姓、行は名なり。門に踵るは、足門に至るなり。仁政は、上章言う所の井地の法なり。廛は民の居る所なり。氓は野人の稱。褐は毛布。賤者の服なり。捆は、之を扣椓して其の堅きことを欲するなり。以て食とすは、賣って以て食に供するなり。程子曰く、許行謂う所の神農の言は、乃ち後世上古の事を稱述して、其の義理を失う者のみ。猶陰陽醫方の黄帝の說を稱するがごとし、と。

陳良之徒陳相、與其弟辛、負耒耜而自宋之滕曰、聞君行聖人之政。是亦聖人也。願爲聖人氓。陳良、楚之儒者。耜、所以起土。耒、其柄也。
【読み】
陳良が徒陳相、其の弟辛と、耒耜を負うて宋より滕に之いて曰く、君聖人の政を行うと聞く。是も亦聖人なり。願わくは聖人の氓爲らん。陳良は楚の儒者。耜は土を起こす所以。耒は其の柄なり。

陳相見許行而大悦。盡棄其學而學焉。陳相見孟子、道許行之言曰、滕君則誠賢君也。雖然未聞道也。賢者與民並耕而食、饔飧而治。今也滕有倉廩府庫、則是厲民而以自養也。惡得賢。饔、音雍。飧、音孫。惡、平聲。○饔飧、熟食也。朝曰饔、夕曰飧。言當自炊爨以爲食、而兼治民事也。厲、病也。許行此言、蓋欲陰壞孟子分別君子野人之法。
【読み】
陳相許行に見って大いに悦ぶ。盡く其の學を棄てて學ぶ。陳相孟子に見って、許行が言を道うて曰く、滕君は則ち誠に賢君なり。然りと雖も未だ道を聞かず。賢者は民と並び耕えして食らい、饔飧[ようそん]して治む。今滕倉廩府庫有るときは、則ち是れ民を厲[や]ましめて以て自ら養うなり。惡んぞ賢なることを得ん、と。饔は音雍。飧は音孫。惡は平聲。○饔飧は、食を熟すなり。朝を饔と曰い、夕を飧と曰う。言うこころは、當に自ら炊爨[すいさん]して以て食を爲り、而して民事を兼ね治むべし、と。厲は病むなり。許行の此の言、蓋し陰[ひそ]かに孟子の君子野人を分別するの法を壞[やぶ]らんと欲するならん。

孟子曰、許子必種粟而後食乎。曰、然。許子必織布而後衣乎。曰、否。許子衣褐。許子冠乎。曰、冠。曰、奚冠。曰、冠素。曰、自織之與。曰、否。以粟易之。曰、許子奚爲不自織。曰、害於耕。曰、許子以釜甑爨、以鐵耕乎。曰、然。自爲之與。曰、否。以粟易之。衣、去聲。與、平聲。○釜、所以煮。甑、所以炊。爨、然火也。鐵、耜屬也。此語八反、皆孟子問而陳相對也。
【読み】
孟子曰く、許子必ず粟を種えて後に食らうか、と。曰く、然り、と。許子必ず布を織りて後に衣るか、と。曰く、否。許子褐を衣る、と。許子冠するか、と。曰く、冠す、と。曰く、奚[なに]をか冠す、と。曰く、素を冠す、と。曰く、自ら之を織るか、と。曰く、否、と。粟を以て之に易う、と。曰く、許子奚爲[なんす]れぞ自ら織らざる、と。曰く、耕すに害あり、と。曰く、許子釜甑[ふそう]を以て爨[かし]ぎ、鐵を以て耕すや、と。曰く、然り、と。自ら之を爲るか。曰く、否。粟を以て之に易う、と。衣は去聲。與は平聲。○釜は煮る所以。甑は炊く所以。爨は火を然[もや]すなり。鐵は耜の屬なり。此の語の八反、皆孟子問うて陳相對うるなり。

以粟易械器者、不爲厲陶冶。陶冶亦以其械器易粟者、豈爲厲農夫哉。且許子何不爲陶冶。舍皆取諸其宮中而用之、何爲紛紛然與百工交易。何許子之不憚煩。曰、百工之事、固不可耕且爲也。舍、去聲。○此孟子言而陳相對也。械器、釜甑之屬也。陶、爲甑者。冶、爲釜鐵者。舍、止也。或讀屬上句。舍、謂作陶冶之處也。
【読み】
粟を以て械器に易うること、陶冶を厲ましむとせず。陶冶も亦其の械器を以て粟に易うること、豈農夫を厲ましむとせんや。且つ許子何ぞ陶冶をせざる。皆諸を其の宮中に取って之を用うることを舍[や]めて、何爲[なんす]れぞ紛紛然として百工と交易する。何ぞ許子が煩[むずか]しきことを憚らざる、と。曰く、百工の事、固[まこと]に耕して且[また]す可からず、と。舍は去聲。○此れ孟子言うて陳相對うるなり。械器は釜甑の屬なり。陶は甑を爲る者。冶は釜鐵を爲る者。舍は止むなり。或は上句に屬[つら]ねて讀む。舍は陶冶を作る處を謂うなり。

然則治天下獨可耕且爲與。有大人之事、有小人之事。且一人之身、而百工之所爲備。如必自爲而後用之、是率天下而路也。故曰、或勞心、或勞力。勞心者治人。勞力者治於人。治於人者食人。治人者食於人。天下之通義也。與、平聲。食、音嗣。○此以下皆孟子言也。路、謂奔走道路、無時休息也。治於人者、見治於人也。食人者、出賦稅以給公上也。食於人者、見食於人也。此四句皆古語、而孟子引之也。君子無小人則飢、小人無君子則亂。以此相易、正猶農夫陶冶以粟與械器相易。乃所以相濟、而非所以相病也。治天下者、豈必耕且爲哉。
【読み】
然るときは則ち天下を治むること獨[こと]に耕して且す可けんや。大人の事有り、小人の事有り。且つ一人の身にすら、而も百工のする所備わる。如し必ず自ら爲して後に之を用いば、是れ天下を率いて路するなり。故に曰く、或は心を勞し、或は力を勞す、と。心を勞する者は人を治む。力を勞する者は人に治めらる。人に治めらるる者は人を食[やしな]う。人を治むる者は人に食わるる。天下の通義なり。與は平聲。食は音嗣。○此れより以下は皆孟子の言なり。路は、道路を奔走して、時として休息無きを謂うなり。治於人は、人に治めらるるなり。人を食らうは、賦稅を出して以て公上に給するなり。食於人は、人に食わるるなり。此の四句は皆古語にして、孟子之を引くなり。君子は小人無くば則ち飢え、小人は君子無くば則ち亂る。此を以て相易うるは、正に猶農夫陶冶の粟と械器とを以て相易うるがごとし。乃ち相濟[な]す所以にして、相病ましむ所以に非ざるなり。天下を治むるは、豈必ずしも耕して且せんや。

當堯之時、天下猶未平、洪水橫流、氾濫於天下。草木暢茂、禽獸繁殖。五穀不登、禽獸偪人。獸蹄鳥跡之道、交於中國。堯獨憂之、舉舜而敷治焉。舜使益掌火。益烈山澤而焚之。禽獸逃匿。禹疏九河、瀹濟漯、而注諸海、決汝漢、排淮泗、而注之江。然後中國可得而食也。當是時也、禹八年於外、三過其門而不入。雖欲耕得乎。瀹、音藥。濟、子禮反。漯、他合反。○天下猶未平者、洪荒之世、生民之害多矣。聖人迭興、漸次除治。至此尙未盡平也。洪、大也。橫流、不由其道而散溢妄行也。氾濫、橫流之貌。暢茂、長盛也。繁殖、衆多也。五穀、稻・黍・稷・麥・菽也。登、成熟也。道、路也。獸蹄鳥跡交於中國、言禽獸多也。敷、布也。益、舜臣名。烈、熾也。禽獸逃匿、然後禹得施治水之功。疏、通也。分也。九河、曰徒駭、曰太史、曰馬頰、曰覆釜、曰胡蘇、曰簡、曰潔、曰鉤盤、曰鬲津。瀹、亦疏通之意。濟・漯、二水名。決・排、皆去其壅塞也。汝・漢・淮・泗、亦皆水名也。據禹貢及今水路、惟漢水入江耳。汝泗則入淮、而淮自入海。此謂四水皆入于江、記者之誤也。
【読み】
堯の時に當たって、天下猶未だ平かならず、洪水橫流して、天下に氾濫す。草木暢茂し、禽獸繁殖す。五穀登[みの]らず、禽獸人に偪[せま]る。獸蹄鳥跡の道、中國に交わる。堯獨り之を憂え、舜を舉げて敷き治めしむ。舜益をして火を掌らしむ。益山澤を烈[もや]して之を焚く。禽獸逃げ匿る。禹九河を疏[とお]し、濟漯[せいとう]を瀹[とお]して、諸を海に注ぎ、汝漢を決[さく]り、淮泗を排[ひら]いて、之を江に注ぐ。然して後中國得て食らいつ可し。是の時に當たって、禹外に八年、三たび其の門を過[よぎ]れども而も入らず。耕えさまく欲すと雖も得んや。瀹は音藥。濟は子禮の反。漯は他合の反。○天下猶未だ平かならずは、洪荒の世、生民の害多し。聖人迭[たが]いに興り、漸次除き治む。此に至って尙未だ盡くは平かならざるなり。洪は大いなり。橫流は、其の道に由らずして散り溢れて妄りに行くなり。氾濫は橫流の貌。暢茂は長盛なり。繁殖は衆多なり。五穀は稻・黍・稷・麥・菽なり。登は成熟するなり。道は路なり。獸蹄鳥跡中國に交わるは、禽獸の多きを言うなり。敷は布くなり。益は舜の臣の名。烈は熾すなり。禽獸逃げ匿れて、然して後に禹水を治むるの功を施すことを得。疏は通すなり。分かつなり。九河は、徒駭を曰い、太史を曰い、馬頰を曰い、覆釜を曰い、胡蘇を曰い、簡を曰い、潔を曰い、鉤盤を曰い、鬲津を曰う。瀹も亦疏通するの意。濟・漯は、二つの水の名。決・排は、皆其の壅塞を去るなり。汝・漢・淮・泗も、亦皆水の名なり。禹貢及び今の水路に據れば、惟漢水江に入るのみ。汝泗は則ち淮に入りて、淮自ら海に入る。此の四水皆江に入ると謂うは、記者の誤りなり。

后稷敎民稼穡、樹藝五穀。五穀熟而民人育。人之有道也、飽食、煖衣、逸居而無敎、則近於禽獸。聖人有憂之、使契爲司徒、敎以人倫。父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信。放勳曰、勞之來之、匡之直之、輔之翼之、使自得之、又從而振德之。聖人之憂民如此。而暇耕乎。契、音薛。別、彼列反。長・放、皆上聲。勞・來、皆去聲。○言水土平、然後得以敎稼穡、衣食足、然後得以施敎化。后稷、官名、棄爲之。然言敎民、則亦非並耕矣。樹、亦種也。藝、殖也。契、亦舜臣名也。司徒、官名也。人之有道、言其皆有秉彝之性也。然無敎、則亦放逸怠惰而失之。故聖人設官而敎以人倫。亦因其固有者而道之耳。書曰、天敘有典、敕我五典。五惇哉、此之謂也。放勳、本史臣贊堯之辭。孟子因以爲堯號也。德、猶惠也。堯言、勞者勞之、來者來之、邪者正之、枉者直之、輔以立之、翼以行之、使自得其性矣、又從而提撕警覺以加惠焉。不使其放逸怠惰而或失之。蓋命契之辭也。
【読み】
后稷民に稼穡を敎えて、五穀を樹藝す。五穀熟して民人育す。人の道有る、食に飽き、衣を煖かにし、逸居して敎うること無きときは、則ち禽獸に近し。聖人之を憂うること有りて、契をして司徒爲らしめて、敎うるに人倫を以てす。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り。放勳曰く、之を勞い之を來し、之を匡[ただ]し之を直くし、之を輔け之を翼[たす]けて、自ら之を得せしめ、又從うて振[ふる]い德[めぐ]め、と。聖人の民を憂うること此の如し。而して耕すに暇あらんや。契は音薛。別は彼列の反。長・放は皆上聲。勞・來は皆去聲。○言うこころは、水土平かにして、然して後に以て稼穡を敎うることを得、衣食足りて、然して後に以て敎化を施すことを得、と。后稷は官の名、棄之を爲す。然れども民に敎うと言えば、則ち亦並んで耕すには非ざるなり。樹も亦種なり。藝は殖うるなり。契も亦舜の臣の名なり。司徒は官の名なり。人の道有るは、言うこころは、其れ皆秉彝の性有るなり、と。然れども敎うること無きときは、則ち亦放逸怠惰にして之を失う。故に聖人官を設けて敎うるに人倫を以てす。亦其の固より有る者に因りて之を道[みちび]くのみ。書に曰く、天有典を敘し、我が五典を敕す。五つながら惇くせよは、此れを謂うなり。放勳は、本史臣の堯を贊するの辭。孟子因りて以て堯の號とするなり。德は猶惠むのごとし。堯言うこころは、勞する者は之を勞い、來る者は之を來らせ、邪なる者は之を正し、枉れる者は之を直くし、輔けて以て之を立たせ、翼けて以て之を行わせて、自ら其の性を得せしめ、又從うて提撕警覺して以て惠みを加えよ。其の放逸怠惰にして或は之を失わしめざれ、と。蓋し契に命ずるの辭ならん。

堯以不得舜爲己憂。舜以不得禹・皐陶爲己憂。夫以百畝之不易爲己憂者、農夫也。夫、音扶。易、去聲。○易、治也。堯舜之憂民、非事事而憂之也。急先務而已。所以憂民者、其大如此、則不惟不暇耕、而亦不必耕矣。
【読み】
堯は舜を得ざるを以て己が憂えとす。舜は禹・皐陶を得ざるを以て己が憂えとす。夫の百畝の易[おさ]まらざるを以て己が憂えとする者は、農夫なり。夫は音扶。易は去聲。○易は治むるなり。堯舜の民を憂うること、事事にして之を憂うるに非ず。先務を急にするのみ。民を憂うる所以の者、其の大いなること此の如くなれば、則ち惟耕すに暇あらざるのみならずして、亦必ずしも耕さざるなり。

分人以財、謂之惠。敎人以善、謂之忠。爲天下得人者、謂之仁。是故以天下與人易、爲天下得人難。爲・易、並去聲。○分人以財、小惠而已。敎人以善、雖有愛民之實、然其所及亦有限而難久。惟若堯之得舜、舜之得禹・皐陶、乃所謂爲天下得人者、而其恩惠廣大、敎化無竆矣。此其所以爲仁也。
【読み】
人に分かつに財を以てする、之を惠と謂う。人に敎うるに善を以てする、之を忠と謂う。天下の爲に人を得るは、之を仁と謂う。是の故に天下を以て人に與うることは易く、天下の爲に人を得ることは難し。爲・易は並去聲。○人を分かつに財を以てすは、小しき惠みのみ。人に敎うるに善を以てすは、民を愛するの實有りと雖も、然れども其の及ぶ所も亦限り有りて久しくなり難し。惟堯の舜を得、舜の禹・皐陶を得るが若きは、乃ち所謂天下の爲に人を得る者にして、其の恩惠廣大、敎化竆まり無し。此れ其の仁を爲すの所以なり。

孔子曰、大哉堯之爲君。惟天爲大。惟堯則之。蕩蕩乎民無能名焉。君哉舜也。巍巍乎有天下而不與焉。堯舜之治天下、豈無所用其心哉。亦不用於耕耳。與、去聲。○則、法也。蕩蕩、廣大之貌。君哉、言盡君道也。巍巍、高大之貌。不與、猶言不相關。言其不以位爲樂也。
【読み】
孔子曰く、大いなるかな堯の君爲る。惟天のみ大いなりとす。惟堯のみ之に則る。蕩蕩乎として民能く名づくること無し。君なるかな舜。巍巍乎として天下を有って與らず、と。堯舜の天下を治むること、豈其の心を用うる所無けんや。亦耕すに用いざるのみ。與は去聲。○則は法るなり。蕩蕩は廣大の貌。君なるかなは、君道を盡くせることを言うなり。巍巍は高大の貌。與らずは、猶相關せずと言うがごとし。其の位を以て樂しみとせざることを言うなり。

吾聞用夏變夷者。未聞變於夷者也。陳良、楚產也。悦周公・仲尼之道、北學於中國。北方之學者、未能或之先也。彼所謂豪傑之士也。子之兄弟事之數十年、師死而遂倍之。此以下責陳相倍師而學許行也。夏、諸夏禮義之敎也。變夷、變化蠻夷之人也。變於夷、反見變化於蠻夷之人也。產、生也。陳良生於楚、在中國之南。故北遊而學於中國也。先、過也。豪傑、才德出衆之稱。言其能自拔於流俗也。倍、與背同。言陳良用夏變夷、陳相變於夷也。
【読み】
吾夏を用いて夷を變ずる者を聞けり。未だ夷に變ぜらるる者を聞かず。陳良は、楚の產なり。周公・仲尼の道を悦んで、北のかた中國に學ぶ。北方の學者も、未だ之に先[こ]ゆること或ること能わず。彼所謂豪傑の士なり。子が兄弟之に事うること數十年、師死して遂に之に倍[そむ]く。此より以下は陳相の師に倍きて許行に學ぶを責むるなり。夏は、諸夏禮義の敎なり。夷を變ずは、蠻夷の人を變化するなり。夷に變ぜらるるは、反って蠻夷の人に變化さるるなり。產は生まるるなり。陳良は楚に生まれ、中國の南に在り。故に北遊して中國に學ぶなり。先は過ぐなり。豪傑は才德衆に出たるの稱。言うこころは、其の能く自ら流俗より拔きんでるなり、と。倍は背くと同じ。言うこころは、陳良は夏を用いて夷を變じ、陳相は夷に變ぜらるるなり、と。

昔者孔子沒、三年之外、門人治任將歸。入揖於子貢、相嚮而哭、皆失聲。然後歸。子貢反、築室於場、獨居三年、然後歸。他日子夏・子張・子游、以有若似聖人、欲以所事孔子事之。彊曾子。曾子曰、不可。江漢以濯之、秋陽以暴之。皜皜乎不可尙已。任、平聲。彊、上聲。暴、蒲木反。皜、音杲。○三年、古者爲師心喪三年。若喪父而無服也。任、擔也。場、冢上之壇場也。有若似聖人、蓋其言行氣象有似之者。如檀弓所記、子游謂有若之言似夫子之類、是也。所事孔子、所以事夫子之禮也。江漢水多。言濯之潔也。秋日燥烈。言暴之乾也。皜皜、潔白貌。尙、加也。言夫子道德明著、光輝潔白、非有若所能彷彿也。或曰、此三語者、孟子贊美曾子之辭也。
【読み】
昔者[むかし]孔子沒して、三年の外、門人任を治めて將に歸らんとす。入って子貢を揖[ゆう]して、相嚮[む]かって哭し、皆聲を失う。然して後に歸る。子貢反って、室を場に築いて、獨り居ること三年にして、然して後に歸る。他日子夏・子張・子游、有若が聖人に似れるを以て、孔子に事うる所を以て之に事えまく欲す。曾子に彊ゆ。曾子曰く、不可。江漢以て之を濯い、秋陽以て之を暴[さら]す。皜皜乎として尙[くわ]う可からざらくのみ、と。任は平聲。彊は上聲。暴は蒲木の反。皜は音杲。○三年は、古は師の爲に心喪三年す。父を喪すが若くして服無し。任は擔なり。場は、冢上の壇場なり。有若聖人に似るは、蓋し其の言行氣象之に似る者有らん。檀弓に記す所の、子游有若の言は夫子に似ると謂うが類の如き、是れなり。孔子に事うる所は、以て夫子に事うる所の禮なり。江漢は水多し。濯って潔きことを言うなり。秋日は燥烈なり。暴して乾くことを言うなり。皜皜は潔白の貌。尙は加うるなり。言うこころは、夫子の道德明著、光輝潔白にして、有若の能く彷彿する所に非ざるなり、と。或ひと曰く、此の三つの語は、孟子の曾子を贊美するの辭なり、と。

今也南蠻鴃舌之人、非先王之道。子倍子之師而學之、亦異於曾子矣。鴃、亦作鵙。古役反。○鴃、博勞也。惡聲之鳥。南蠻之聲似之。指許行也。
【読み】
今南蠻鴃舌[げきぜつ]の人、先王の道に非ず。子子が師に倍いて之に學ぶは、亦曾子に異なり。鴃は亦鵙[げき]に作る。古役の反。○鴃は博勞なり。惡聲の鳥。南蠻の聲之に似る。許行を指すなり。

吾聞出於幽谷遷于喬木者。未聞下喬木而入於幽谷者。小雅伐木之詩云、伐木丁丁、鳥鳴嚶嚶。出自幽谷、遷于喬木。
【読み】
吾幽谷を出でて喬木に遷[のぼ]る者を聞けり。未だ喬木を下って幽谷に入る者を聞かず。小雅伐木の詩に云う、木を伐ること丁丁、鳥鳴くこと嚶嚶たり。幽谷より出でて、喬木に遷る、と。

魯頌曰、戎狄是膺、荊舒是懲。周公方且膺之。子是之學、亦爲不善變矣。魯頌、閟宮之篇也。膺、擊也。荊、楚本號也。舒、國名。近楚者也。懲、艾也。按今此詩爲僖公之頌。而孟子以周公言之、亦斷章取義也。
【読み】
魯頌に曰く、戎狄是れ膺[う]ち、荊舒是れ懲らす、と。周公だも方に且つ之を膺てり。子是を學ぶこと、亦善く變ぜずとす。魯頌は、閟宮の篇なり。膺は擊つなり。荊は楚の本の號なり。舒は國の名。楚に近き者なり。懲は艾[か]るなり。按ずるに今此の詩は僖公の頌とす。而して孟子周公を以て之を言うは、亦章を斷ち義を取るなり。

從許子之道、則市賈不貳、國中無僞。雖使五尺之童適市、莫之或欺。布帛長短同、則賈相若、麻縷絲絮輕重同、則賈相若、五穀多寡同、則賈相若、屨大小同、則賈相若。賈、音價。下同。○陳相又言許子之道如此。蓋神農始爲市井。故許行又託於神農、而有是說也。五尺之童、言幼小無知也。許行欲使市中所粥之物、皆不論精粗美惡、但以長短輕重多寡大小爲價也。
【読み】
許子が道に從うときは、則ち市賈[しか]貳つならず、國中僞無し。五尺の童をして市に適かしむと雖も、之を欺くこと或ること莫し。布帛長短同じきときは、則ち賈[あたい]相若[し]き、麻縷絲絮輕重同じきときは、則ち賈相若き、五穀多寡同じきときは、則ち賈相若き、屨大小同じきときは、則ち賈相若く。賈は音價。下も同じ。○陳相又許子が道を言うこと此の如し。蓋し神農始めて市井を爲れり。故に許行又神農に託して、是の說有り。五尺の童は、幼小にして知無きを言うなり。許行市中に粥[う]る所の物、皆精粗美惡を論ぜず、但長短輕重多寡大小を以て價と爲さしめまく欲するなり。

曰、夫物之不齊、物之情也。或相倍蓰、或相什伯、或相千萬。子比而同之、是亂天下也。巨屨小屨同賈、人豈爲之哉。從許子之道、相率而爲僞者也。惡能治國家。夫、音扶。蓰、音師、又山綺反。比、必二反。惡、平聲。○倍、一倍也。蓰、五倍也。什伯千萬、皆倍數也。比、次也。孟子言、物之不齊、乃其自然之理、其有精粗、猶其有大小也。若大屨小屨同價、則人豈肯爲其大者哉。今不論精粗、使之同價、是使天下之人皆不肯爲其精者、而競爲濫惡之物以相欺耳。
【読み】
曰く、夫れ物の齊[ひと]しからざるは、物の情[せい]なり。或は相倍蓰[ばいし]し、或は相什伯し、或は相千萬す。子比[つ]いで之を同じうせば、是れ天下を亂るなり。巨屨小屨賈を同じうせば、人豈之をせんや。許子が道に從わば、相率[ひき]いて僞をせん者なり。惡んぞ能く國家を治めん、と。夫は音扶。蓰は音師、又山綺の反。比は必二の反。惡は平聲。○倍は一倍なり。蓰は五倍なり。什伯千萬は皆倍數なり。比は次ぐなり。孟子言う、物の齊しからざるは、乃ち其れ自然の理にて、其の精粗有るは、猶其の大小有るがごとし。若し大屨小屨價を同じうせば、則ち人豈肯えて其の大いなる者をせんや。今精粗を論ぜず、之れ價を同じうせしむるは、是れ天下の人をして皆肯えて其の精なる者をせず、競って濫惡の物をして以て相欺かしむるのみ。


滕文公章句上5
○墨者夷之、因徐辟而求見孟子。孟子曰、吾固願見。今吾尙病。病愈、我且往見。夷子不來。辟、音壁、又音闢。○墨者、治墨翟之道者。夷、姓、之、名。徐辟、孟子弟子。孟子稱疾、疑亦託辭以觀其意之誠否。
【読み】
○墨者夷之、徐辟に因って孟子に見わんことを求む。孟子曰く、吾固[まこと]に見わんことを願う。今吾尙病めり。病愈えば、我且[まさ]に往いて見わんとす。夷子來らざれ、と。辟は音壁、又音闢。○墨者は、墨翟が道を治むる者。夷は姓、之は名。徐辟は孟子の弟子。孟子疾と稱すは、疑うらくは亦辭に託して以て其の意の誠否を觀んとなるべし。

他日又求見孟子。孟子曰、吾今則可以見矣。不直、則道不見。我且直之。吾聞、夷子墨者。墨之治喪也、以薄爲其道也。夷子思以易天下。豈以爲非是而不貴也。然而夷子葬其親厚、則是以所賤事親也。不見之見、音現。○又求見、則其意已誠矣。故因徐辟以質之如此。直、盡言以相正也。莊子曰、墨子生不歌、死無服。桐棺三寸而無槨。是墨之治喪、以薄爲道也。易天下、謂移易天下之風俗也。夷子學於墨氏而不從其敎。其心必有所不安者。故孟子因以詰之。
【読み】
他日又孟子に見わんことを求む。孟子曰く、吾今は則ち以て見う可し。直[ただ]さざれば則ち道見[あらわ]れじ。我且つ之を直さん。吾聞く、夷子は墨者なり、と。墨が喪を治むること、薄きを以て其の道とす。夷子以て天下を易えんと思う。豈以て是に非ずとして貴びざらんや。然れども夷子其の親を葬むること厚きは、則ち是れ賤しむ所を以て親に事うるなり。不見の見は音現。○又見わんことを求むるは、則ち其の意已に誠なり。故に徐辟に因りて以て之を質すこと此の如し。直は、言を盡くして以て相正すなり。莊子曰く、墨子生きても歌わず、死しても服無し。桐棺三寸にして槨無し、と。是れ墨が喪を治むるに、薄きを以て道とすればなり。天下を易えるは、天下の風俗を移し易えるを謂うなり。夷子墨氏に學びて其の敎に從わず。其の心必ず安んぜざる所の者有ればなり。故に孟子因りて以て之を詰[なじ]れり。

徐子以告夷子。夷子曰、儒者之道、古之人若保赤子。此言何謂也。之則以爲愛無差等。施由親始。徐子以告孟子。孟子曰、夫夷子信以爲人之親其兄之子、爲若親其鄰之赤子乎。彼有取爾也。赤子匍匐將入井、非赤子之罪也。且天之生物也、使之一本。而夷子二本故也。夫、音扶。下同。匍、音蒲。匐、蒲北反。○若保赤子、周書康誥篇文、此儒者之言也。夷子引之、蓋欲援儒而入於墨、以拒孟子之非己。又曰、愛無差等。施由親始。則推墨而附於儒、以釋己所以厚葬其親之意。皆所謂遁辭也。孟子言人之愛其兄子、與鄰之子本有差等。書之取譬、本爲小民無知而犯法、如赤子無知而入井耳。且人物之生、必各本於父母而無二。乃自然之理。若天使之然也。故其愛由此立、而推以及人、自有差等。今如夷子之言、則是視其父母、本無異於路人。但其施之之序、姑自此始耳。非二本而何哉。然其於先後之閒、猶知所擇、則又其本心之明、有終不得而息者。此其所以卒能受命而自覺其非也。
【読み】
徐子以て夷子に告ぐ。夷子曰く、儒者の道、古の人赤子を保んずるが若くすといえり。此の言何と謂うことぞ。之は則ち以爲[おも]えらく、愛に差等無し。施すこと親より始む、と。徐子以て孟子に告ぐ。孟子曰く、夫の夷子信[まこと]に人の其の兄の子を親しむこと、其の鄰の赤子を親しむが若しとすと以爲えるか。彼取ること有って爾り。赤子匍匐して將に井に入らんとするは、赤子の罪に非ざればなり。且天の物を生[な]す、之をして本を一つにせしむ。而るを夷子本を二つにするが故なり。夫は音扶。下も同じ。匍は音蒲。匐は蒲北の反。○赤子を保つが若しは、周書康誥の篇の文にて、此れ儒者の言なり。夷子之を引くは、蓋し儒を援[ひ]いて墨に入れて、以て孟子の己を非るを拒[ふせ]がまく欲すればなり。又曰く、愛に差等無し。施すこと親より始む、と。則ち墨を推して儒に附して、以て己が其の親を厚く葬る所以の意を釋す。皆所謂遁辭なり。孟子言う、人の其の兄の子を愛するは、鄰の子と本より差等有り。書の譬えを取るは、本小民無知にして法を犯すこと、赤子の無知にして井に入らんとするが如きのみ。且人物の生ずること、必ず各々父母を本にして二つ無し。乃ち自然の理なり。天の之を然らしむるが若し。故に其の愛此に由って立ちて、推して以て人に及ぼすときは、自ら差等有り。今夷子の言の如きは、則ち是れ其の父母を視ること、本より路人に異なること無し。但其の之を施すの序、姑く此より始むるのみ。本を二つにするに非ずして何ぞや、と。然れども其の先後の閒に於て、猶擇ぶ所を知れば、則ち又其の本心の明、終に得て息まざる者有り。此れ其の卒に能く命を受けて自ら其の非を覺る所以なり。

蓋上世嘗有不葬其親者。其親死、則舉而委之於壑。他日過之。狐狸食之、蠅蚋姑嘬之。其顙有泚、睨而不視。夫泚也、非爲人泚。中心達於面目。蓋歸反虆梩而掩之。掩之誠是也、則孝子仁人之掩其親、亦必有道矣。蚋、音汭。嘬、楚怪反。泚、七禮反。睨、音詣。爲、去聲。虆、力追反。梩、力知反。○因夷子厚葬其親而言此、以深明一本之意。上世、謂太古也。委、棄也。壑、山水所趨也。蚋、蚊屬。姑、語助聲、或曰、螻蛄也。嘬、攢共食之也。顙、額也。泚、泚然汗出之貌。睨、邪視也。視、正視也。不能不視、而又不忍正視。哀痛迫切、不能爲心之甚也。非爲人泚、言非爲他人見之而然也。所謂一本者、於此見之、尤爲親切。蓋惟至親故如此。在他人、則雖有不忍之心、而其哀痛迫切、不至若此之甚矣。反、覆也。虆、土籠也。梩、土轝也。於是歸而掩覆其親之尸。此葬埋之禮所由起也。此掩其親者、若所當然、則孝子仁人所以掩其親者、必有其道、而不以薄爲貴矣。
【読み】
蓋し上世嘗て其の親を葬らざる者有り。其の親死するときは、則ち舉げて之を壑[たに]に委[す]つ。他日之を過[よぎ]る。狐狸之を食らい、蠅蚋姑[ようぜいこ]之を嘬[く]らう。其顙[ひたい]泚[せい]たること有り、睨[ながしめ]して視ず。夫の泚たること、人の爲に泚たるに非ず。中心より面目に達す。蓋し歸って虆梩[るいり]を反[こぼ]して之を掩えり。之を掩うこと誠に是なるときは、則ち孝子仁人の其の親を掩うことも、亦必ず道有り、と。蚋は音汭。嘬は楚怪の反。泚は七禮の反。睨は音詣。爲は去聲。虆は力追の反。梩は力知の反。○夷子厚く其の親を葬るに因りて此を言い、以て深く本を一つにするの意を明らかにす。上世は太古を謂うなり。委は棄つなり。壑は山水の趨く所なり。蚋は蚊の屬。姑は語助の聲。或ひと曰く、螻蛄[ろうこ]なり、と。嘬は、攢[あつま]りて共に之を食らうなり。顙は額なり。泚は、泚然と汗出るの貌。睨は邪視なり。視は正視なり。視ざること能わずして、又正視するに忍びず。哀痛迫切にして、心爲ること能わざるの甚だしきなり。人の爲に泚たるに非ずは、言うこころは、他人の之を見るが爲に然りとするに非ず、と。所謂本を一つにするは、此に於て之を見れば、尤も親切爲り。蓋し惟至親故に此の如し。他人に在るときは、則ち忍びざるの心有りと雖も、其の哀痛迫切、此の若きの甚しきに至らざるなり。反は覆すなり。虆は土籠なり。梩は土轝[どよ]なり。是に於て歸って其の親の尸を掩覆す。此れ葬埋の禮の由って起こる所なり。此の其の親を掩う者、若し當に然るべき所なるときは、則ち孝子仁人の其の親を掩う所以も、必ず其の道有りて、薄きを以て貴しとせざるなり。

徐子以告夷子。夷子憮然爲閒曰、命之矣。憮、音武。閒、如字。○憮然、茫然自失之貌。爲閒者、有頃之閒也。命、猶敎也。言孟子已敎我矣。蓋因其本心之明、以攻其所學之蔽。是以吾之言易入、而彼之惑易解也。
【読み】
徐子以て夷子に告ぐ。夷子憮然として爲閒[しばらくあり]て曰く、之に命[おし]えり、と。憮は音武。閒は字の如し。○憮然は、茫然自失の貌。爲閒は、頃[しばら]くの閒有るなり。命は猶敎のごとし。言うこころは、孟子已に我に敎えり。蓋し其の本心の明に因りて、以て其の學ぶ所の蔽を攻む。是を以て吾の言入り易くして、彼の惑い解け易きなり。


滕文公章句下 凡十章。

滕文公章句下1
陳代曰、不見諸侯、宜若小然。今一見之、大則以王。小則以霸。且志曰、枉尺而直尋。宜若可爲也。王、去聲。○陳代、孟子弟子也。小、謂小節也。枉、屈也。直、伸也。八尺曰尋。枉尺直尋、猶屈己一見諸侯、而可以致王霸、所屈者小、所伸者大也。
【読み】
陳代曰く、諸侯に見わざるは、宜しく小しきなるが若く然るべし。今一たび之に見わば、大いなるときは則ち以て王たらん。小なるときは則ち以て霸たらん。且[また]志に曰く、尺を枉げて尋を直[の]ぶ、と。宜しくす可きが若くなるべし、と。王は去聲。○陳代は孟子の弟子なり。小は小さき節を謂うなり。枉は屈むなり。直は伸ぶるなり。八尺を尋と曰う。尺を枉げて尋を直ぶは、猶己を屈めて一たび諸侯に見えば、以て王霸を致す可く、屈む所の者小にして、伸ぶる所の者大なりというがごとし。

孟子曰、昔齊景公田。招虞人以旌。不至。將殺之。志士不忘在溝壑、勇士不忘喪其元。孔子奚取焉。取非其招不往也。如不待其招而往、何哉。喪、去聲。○田、獵也。虞人、守苑囿之吏也。招大夫以旌、招虞人以皮冠。元、首也。志士固竆。常念死無棺槨、棄溝壑而不恨。勇士輕生。常念戰鬭而死、喪其首而不顧也。此二句、乃孔子歎美虞人之言。夫虞人招之不以其物、尙守死而不往。況君子豈可不待其招而自往見之邪。此以上告之以不可往見之意。
【読み】
孟子曰く、昔齊の景公田[かり]す。虞人を招くに旌[はた]を以てす。至らず。將に之を殺さんとす。志士は溝壑に在らんことを忘れず、勇士は其の元[こうべ]を喪わんことを忘れず。孔子奚[なに]をか取れる。其の招きに非ざれば往かざることを取れり。如し其の招くを待たずして往かば、何ぞや。喪は去聲。○田は獵なり。虞人は苑囿を守る吏なり。大夫を招くに旌を以てし、虞人を招くに皮冠を以てす。元は首なり。志士は固より竆す。常に死して棺槨無く、溝壑に棄つるも恨みざらんことを念う。勇士は生を輕んず。常に戰鬭に死して、其の首を喪いても顧みざらんことを念うなり。此の二句、乃ち孔子虞人を歎美するの言なり。夫れ虞人すら之を招くに其の物を以てせざれば、尙死を守って往かず。況や君子豈其の招きを待たずして自ら往いて之に見う可けんや。此より以上は之に告ぐるに往いて見う可からざるの意を以てす。

且夫枉尺而直尋者、以利言也。如以利、則枉尋直尺而利、亦可爲與。夫、音扶。與、平聲。○此以下、正其所稱枉尺直尋之非。夫所謂枉小而所伸者大則爲之者、計其利耳。一有計利之心、則雖枉多伸少而有利、亦將爲之邪。甚言其不可也。
【読み】
且夫れ尺を枉げて尋を直ぶとは、利を以て言えり。如し利を以てせば、則ち尋を枉げ尺を直べて利あることをも、亦す可けんか。夫は音扶。與は平聲。○此より以下は、其の稱する所の尺を枉げ尋を直ぶるの非を正せり。夫の謂う所の枉ぐること小にして伸ぶる所の者大なれば則ち之をするは、其の利を計るのみ。一つも利を計るの心有るときは、則ち枉ぐること多く伸ぶること少なしと雖も利有れば、亦將に之をせんや。甚だしく其の不可なることを言うなり。

昔者趙簡子使王良與嬖奚乘。終日而不獲一禽。嬖奚反命曰、天下之賤工也。或以告王良。良曰、請復之。彊而後可。一朝而獲十禽。嬖奚反命曰、天下之良工也。簡子曰、我使掌與女乘。謂王良。良不可。曰、吾爲之範我馳驅、終日不獲一。爲之詭遇、一朝而獲十。詩云、不失其馳、舍矢如破。我不貫與小人乘。請辭。乘、去聲。彊、上聲。女、音汝。爲、去聲。舍、上聲。○趙簡子、晉大夫趙鞅也。王良、善御者也。嬖奚、簡子幸臣。與之乘、爲之御也。復之、再乘也。彊而後可、嬖奚不肯、彊之而後肯也。一朝、自晨至食時也。掌、專主也。範、法度也。詭遇、不正而與禽遇也。言奚不善射、以法馳驅則不獲、廢法詭遇而後中也。詩、小雅車攻之篇。言御者不失其馳驅之法、而射者發矢皆中而力。今嬖奚不能也。貫、習也。
【読み】
昔者[むかし]趙簡子王良をして嬖奚[へいけい]と乘らしむ。終日にして一禽を獲ず。嬖奚命を反して曰く、天下の賤工なり、と。或ひと以て王良に告ぐ。良曰く、請う、之を復せん、と。彊いて後に可[き]く。一朝にして十禽を獲たり。嬖奚命を反して曰く、天下の良工なり、と。簡子曰く、我女と乘ることを掌らしめん、と。王良に謂う。良可かず。曰く、吾之が爲に範して我馳驅すれば、終日一つをも獲ず。之が爲に詭遇すれば、一朝にして十を獲たり。詩に云く、其の馳することを失わず、矢を舍[はな]つこと破[わ]るが如し、と。我小人と乘るに貫[なら]わず。請う、辭せん、と。乘は去聲。彊は上聲。女は音汝。爲は去聲。舍は上聲。○趙簡子は晉の大夫の趙鞅なり。王良は御を善くする者なり。嬖奚は簡子の幸臣。之と乘るは、之が御と爲るなり。之を復せんは、再び乘るなり。彊いて後に可くは、嬖奚肯ぜず、之を彊いて後に肯ずるなり。一朝は、晨より食時に至るまでなり。掌は專主するなり。範は法度なり。詭遇は、正しからずして禽と遇うなり。言うこころは、奚は射を善くせず、法を以て馳驅すれば則ち獲ず、法を廢てて詭遇して後に中る、と。詩は小雅車攻の篇。言うこころは、御する者其の馳驅の法を失わずして、射る者矢を發ちて皆中りて力あり、と。今嬖奚能わざるなり。貫は習うなり。

御者且羞與射者比。比而得禽獸、雖若丘陵弗爲也。如枉道而從彼、何也。且子過矣。枉己者未有能直人者也。比、必二反。○比、阿黨也。若丘陵、言多也。○或曰、居今之世、出處去就不必一一中節。欲其一一中節、則道不得行矣。楊氏曰、何其不自重也。枉己其能直人乎。古之人寧道之不行、而不輕其去就。是以孔孟雖在春秋戰國之時、而進必以正、以至終不得行而死也。使不恤其去就而可以行道、孔孟當先爲之矣。孔孟豈不欲道之行哉。
【読み】
御者すら且つ射者と比することを羞ず。比して禽獸を得ること、丘陵の若しと雖もせじ。如し道を枉げて彼に從わば、何ぞ。且つ子過てり。己を枉ぐる者は未だ能く人を直ぶること有らざる者なり、と。比は必二の反。○比は阿り黨すなり。丘陵の若しは、多きを言うなり。○或ひと曰く、今の世に居ては、出處去就必ずしも一一節に中らず。其の一一節に中らまく欲せば、則ち道行わるることを得ず、と。楊氏曰く、何ぞ其れ自ら重んぜざらん。己を枉げば其れ能く人を直べんや。古の人道の行われざるに寧んじて、其の去就を輕んぜず。是を以て孔孟春秋戰國の時に在りと雖も、進むに必ず正しきを以てして、以て終に行わるることを得ずして死するに至れり。其の去就を恤えずして以て道を行う可くば、孔孟當に先ず之をすべし。孔孟豈道の行わるることを欲せざらんや、と。


滕文公章句下2
○景春曰、公孫衍・張儀豈不誠大丈夫哉。一怒而諸侯懼。安居而天下熄。景春、人姓名。公孫衍・張儀、皆魏人。怒則說諸侯使相攻伐。故諸侯懼也。
【読み】
○景春曰く、公孫衍・張儀は豈誠の大丈夫ならずや。一たび怒って諸侯懼る。安居して天下熄[や]む、と。景春は人の姓名。公孫衍・張儀は皆魏人。怒れば則ち諸侯に說いて相攻伐せしむ。故に諸侯懼るるなり。

孟子曰、是焉得爲大丈夫乎。子未學禮乎。丈夫之冠也、父命之。女子之嫁也、母命之。往送之門、戒之曰、往之女家、必敬必戒、無違夫子。以順爲正者、妾婦之道也。焉、於虔反。冠、去聲。女家之女、音汝。○加冠於首曰冠。女家、夫家也。婦人内夫家、以嫁爲歸也。夫子、夫也。女子從人、以順爲正道也。蓋言二子阿諛苟容、竊取權勢。乃妾婦順從之道耳。非丈夫之事也。
【読み】
孟子曰く、是れ焉んぞ大丈夫爲ることを得んや。子未だ禮を學びずや。丈夫の冠するときに、父之に命ず。女子の嫁するときに、母之に命ず。往くときに之を門に送って、之を戒めて曰く、往いて女が家に之き、必ず敬み必ず戒めて、夫子に違うこと無かれ、と。順うを以て正しとするは、妾婦の道なり。焉は於虔の反。冠は去聲。女家の女は音汝。○冠を首に加うるを冠と曰う。女が家は、夫の家なり。婦人は夫の家を内にして、嫁するを以て歸とするなり。夫子は夫なり。女子は人に從うなれば、順うを以て正道とするなり。蓋し言うこころは、二子阿諛苟容して、權勢を竊め取る。乃ち妾婦順從の道のみ。丈夫の事に非ざるなり、と。

居天下之廣居、立天下之正位、行天下之大道、得志與民由之、不得志獨行其道。富貴不能淫、貧賤不能移、威武不能屈。此之謂大丈夫。廣居、仁也。正位、禮也。大道、義也。與民由之、推其所得於人也。獨行其道、守其所得於己也。淫、蕩其心也。移、變其節也。屈、挫其志也。○何叔京曰、戰國之時、聖賢道否、天下不復見其德業之盛。但見姦巧之徒、得志橫行、氣焔可畏、遂以爲大丈夫。不知由君子觀之、是乃妾婦之道耳。何足道哉。
【読み】
天下の廣居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行き、志を得れば民と之に由り、志を得ざれば獨り其の道を行う。富貴も淫[おぼ]らすこと能わず、貧賤も移すこと能わず、威武も屈むること能わず。此を大丈夫と謂う、と。廣居は仁なり。正位は禮なり。大道は義なり。民と之に由るは、其の得る所を人に推すなり。獨り其の道を行うは、其の己に得る所を守るなり。淫は、其の心を蕩[うご]かすなり。移は、其の節を變ずるなり。屈は、其の志を挫くなり。○何叔京曰く、戰國の時、聖賢道否[ふさ]がり、天下復其の德業の盛んなるを見ず。但姦巧の徒、志を得て橫行し、氣焔の畏る可きを見て、遂に以て大丈夫と爲せり。知らず、君子より之を觀れば、是れ乃ち妾婦の道なるのみ。何ぞ道うに足らんや、と。


滕文公章句下3
○周霄問曰、古之君子仕乎。孟子曰、仕。傳曰、孔子三月無君、則皇皇如也。出疆必載質。公明儀曰、古之人三月無君則弔。傳、直戀反。質、與贄同。下同。○周霄、魏人。無君、謂不得仕而事君也。皇皇、如有求而弗得之意。出疆、謂失位而去國也。質、所執以見人者。如士則執雉也。出疆載之者、將以見所適國之君而事之也。
【読み】
○周霄[しゅうしょう]問うて曰く、古の君子仕うるや、と。孟子曰く、仕う。傳に曰く、孔子三月君無きときは、則ち皇皇如たり。疆[さかい]を出るときは必ず質を載す、と。公明儀曰く、古の人三月君無きときは則ち弔す、と。傳は直戀の反。質は贄と同じ。下も同じ。○周霄は魏人。君無しは、仕えて君に事うるを得ざるを謂うなり。皇皇は、求むること有りて得ざるが如きの意。疆を出るは、位を失って國を去ることを謂うなり。質は、執り以て人に見ゆる所の者。士の如きは則ち雉を執るなり。疆を出るときに之を載すは、將に以て適く所の國の君に見えて之に事えんとすればなり。

三月無君則弔。不以急乎。周霄問也。以、已通。太也。後章放此。
【読み】
三月君無きときは則ち弔する。以[はなは]だ急[すみ]やかならずや。周霄問うなり。以ては已に通ず。太だなり。後の章も此に放え。

曰、士之失位也、猶諸侯之失國家也。禮曰、諸侯耕助、以供粢盛、夫人蠶繅、以爲衣服。犧牲不成、粢盛不潔、衣服不備、不敢以祭。惟士無田、則亦不祭。牲殺器皿衣服不備、不敢以祭、則不敢以宴。亦不足弔乎。盛、音成。繅、素刀反。皿、武永反。○禮曰、諸侯爲藉百畝。冕而靑紘、躬秉耒以耕、而庶人助以終畝。收而藏之御廩、以供宗廟之粢盛。使世婦蠶于公桑蠶室、奉繭以示于君、遂獻于夫人。夫人副禕受之、繅三盆手、遂布于三宮世婦、使繅以爲黼黻文章、而服以祀先王先公。又曰、士有田則祭、無田則薦。黍稷曰粢、在器曰盛。牲殺、牲必特殺也。皿、所以覆器者。
【読み】
曰く、士の位を失うは、猶諸侯の國家を失うがごとし。禮に曰く、諸侯耕助して、以て粢盛[しせい]に供え、夫人蠶繅[さんそう]して、以て衣服を爲る、と。犧牲成らず、粢盛潔からず、衣服備わらざれば、敢て以て祭らず。惟士田無きときは、則ち亦祭らず。牲殺器皿衣服備わらずして、敢て以て祭らざるときは、則ち敢て以て宴せず。亦弔するに足らずや、と。盛は音成。繅は素刀の反。皿は武永の反。○禮に曰く、諸侯は百畝に藉するを爲す。冕して靑紘し、躬ら耒[らい]を秉[と]って以て耕し、庶人助けて以て畝を終う。收めて之を御廩に藏めて、以て宗廟の粢盛に供う。世婦をして公桑を蠶室に蠶[こか]わしめて、繭を奉げて以て君に示し、遂に夫人に獻ず。夫人副禕して之を受け、繅[いとく]るときに三たび手を盆にし、遂に三宮の世婦に布[ほどこ]し、繅らしめて以て黼黻[ほふつ]文章を爲り、服して以て先王先公を祀る、と。又曰く、士田有るときは則ち祭り、田無きときは則ち薦む、と。黍稷を粢と曰い、器に在るを盛と曰う。牲殺は、牲は必ず特に殺すなり。皿は、以て器を覆う所の者。

出疆必載質、何也。周霄問也。
【読み】
疆を出るときに必ず質を載すること、何ぞ。周霄問うなり。

曰、士之仕也、猶農夫之耕也。農夫豈爲出疆舍其耒耜哉。爲、去聲。舍、上聲。
【読み】
曰く、士の仕うること、猶農夫の耕すがごとし。農夫豈疆を出るが爲にして其の耒耜[らいし]を舍[す]てんや、と。爲は去聲。舍は上聲。

曰、晉國亦仕國也。未嘗聞仕如此其急。仕如此其急也。君子之難仕、何也。曰、丈夫生而願爲之有室。女子生而願爲之有家。父母之心、人皆有之。不待父母之命、媒妁之言、鑽穴隙相窺、踰牆相從、則父母國人皆賤之。古之人未嘗不欲仕也。又惡不由其道。不由其道而往者、與鑽穴隙之類也。爲、去聲。妁、音酌。隙、去逆反。惡、去聲。○晉國、解見首篇。仕國、謂君子游宦之國。霄意以孟子不見諸侯爲難仕。故先問古之君子仕否、然後言此、以風切之也。男以女爲室、女以男爲家。妁、亦媒也。言爲父母者、非不願其男女之有室家、而亦惡其不由道。蓋君子雖不潔身以亂倫、而亦不徇利而忘義也。
【読み】
曰く、晉國も亦仕國なり。未だ嘗て仕うること此の如く其れ急やかなることを聞かず。仕うること此の如く其れ急やかなり。君子の仕え難きこと、何ぞ、と。曰く、丈夫生まれて之が爲に室有らんことを願う。女子生まれて之が爲に家有らんことを願う。父母の心、人皆之れ有り。父母の命、媒妁の言を待たず、穴隙を鑽[き]って相窺い、牆を踰えて相從うときは、則ち父母國人皆之を賤しんず。古の人未だ嘗て仕えまく欲せずんばあらず。又其の道に由らざることを惡む。其の道に由らずして往く者は、穴隙を鑽るの類と與[とも]なり、と。爲は去聲。妁は音酌。隙は去逆の反。惡は去聲。○晉國は、解は首篇に見ゆ。仕國は、君子の游宦する國を謂う。霄の意は孟子の諸侯に見えざるを以て仕え難しとす。故に先ず古の君子仕えしや否やと問い、然して後に此を言って、以て之を風切するなり。男は女を以て室とし、女は男を以て家とす。妁も亦媒なり。言うこころは、父母爲る者は、其の男女の室家有るを願わずんば非ずして、亦其の道に由らざることを惡む。蓋し君子は身を潔くして以て倫を亂さずと雖も、亦利に徇いて義を忘れざるなり。


滕文公章句下4
○彭更問曰、後車數十乘、從者數百人、以傳食於諸侯。不以泰乎。孟子曰、非其道、則一簞食不可受於人。如其道、則舜受堯之天下、不以爲泰。子以爲泰乎。更、平聲。乘・從、皆去聲。傳、直戀反。簞、音丹。食、音嗣。○彭更、孟子弟子也。泰、侈也。
【読み】
○彭更[ほうこう]問うて曰く、後車數十乘、從者數百人、以て諸侯に傳食す。以[はなは]だ泰[おご]らずや、と。孟子曰く、其の道に非ずば、則ち一簞の食も人に受く可からず。其の道の如きには、則ち舜堯の天下を受くるも、以て泰れりとせず。子以て泰れりとするか、と。更は平聲。乘・從は皆去聲。傳は直戀の反。簞は音丹。食は音嗣。○彭更は孟子の弟子なり。泰は侈るなり。

曰、否。士無事而食、不可也。言不以舜爲泰、但謂今之士無功而食人之食、則不可也。
【読み】
曰く、否。士事無くして食むは、不可なり、と。言うこころは、舜を以て泰れりとせず、但今の士の功無くして人の食を食むを、則ち不可なりと謂う、と。

曰、子不通功易事、以羡補不足、則農有餘粟、女有餘布。子如通之、則梓匠輪輿皆得食於子。於此有人焉。入則孝、出則悌、守先王之道、以待後之學者。而不得食於子。子何尊梓匠輪輿、而輕爲仁義者哉。羡、延面反。○通功易事、謂通人之功而交易其事。羡、餘也。有餘、言無所貿易、而積於無用也。梓人・匠人、木工也。輪人・輿人、車工也。
【読み】
曰く、子功を通じ事を易え、羡[あま]れるを以て足らざるを補わざれば、則ち農に餘粟有り、女に餘布有らん。子如し之を通ぜば、則ち梓匠輪輿も皆子に食むことを得ん。此に人有らん。入っては則ち孝、出でては則ち悌、先王の道を守って、以て後の學者を待つ。而して子に食むことを得ず。子何ぞ梓匠輪輿を尊んで仁義を爲[おこな]う者を輕んずるや、と。羡は延面の反。○功を通じ事を易うは、人の功を通じて其の事を交易するを謂う。羡は餘りなり。餘り有るは、言うこころは、貿易する所無くして、無用に積む、と。梓人・匠人は木工なり。輪人・輿人は車工なり。

曰、梓匠輪輿、其志將以求食也。君子之爲道也、其志亦將以求食與。曰、子何以其志爲哉。其有功於子、可食而食之矣。且子食志乎。食功乎。曰、食志。與、平聲。可食而食・食志・食功之食、皆音嗣。下同。○孟子言、自我而言、固不求食、自彼而言、凡有功者、則當食之。
【読み】
曰く、梓匠輪輿は、其の志將に以て食を求めんとす。君子の道を爲うも、其の志亦將に以て食を求めんとするか、と。曰く、子何ぞ其の志を以てするや。其れ子に功有り、食[やしな]う可くして之を食う。且つ子志を食うか。功を食うか、と。曰く、志を食う、と。與は平聲。可食而食・食志・食功の食は皆音嗣。下も同じ。○孟子言うこころは、我よりして言えば、固より食を求めず、彼よりして言えば、凡そ功有る者は、則ち當に之を食うべし、と。

曰、有人於此。毀瓦畫墁、其志將以求食也、則子食之乎。曰、否。曰、然則子非食志也。食功也。墁、武安反。子食之食、亦音嗣。○墁、牆壁之飾也。毀瓦畫墁、言無功而有害也。旣曰食功、則以士爲無事而食者。眞尊梓匠輪輿、而輕爲仁義者矣。
【読み】
曰く、此に人有らん。瓦を毀[わ]り墁[まん]に畫して、其の志將に以て食を求めんとせば、則ち子之を食わんか、と。曰く、否、と。曰く、然れば則ち子志を食うに非ざるなり。功を食うなり、と。墁は武安の反。子食の食も亦音嗣。○墁は、牆壁の飾りなり。瓦を毀り墁に畫すは、功無くして害有るを言うなり。旣に功を食うと曰えば、則ち士を以て事無くして食む者と爲す。眞に梓匠輪輿を尊びて、仁義をする者を輕んずるなり。


滕文公章句下5
○萬章問曰、宋小國也。今將行王政。齊楚惡而伐之、則如之何。惡、去聲。○萬章、孟子弟子。宋王偃嘗滅滕伐薛、敗齊・楚・魏之兵、欲霸天下。疑卽此時也。
【読み】
○萬章問うて曰く、宋は小國なり。今將に王政を行わんとす。齊楚惡んで之を伐つときは、則ち如之何、と。惡は去聲。○萬章は孟子の弟子。宋王偃嘗て滕を滅ぼし薛を伐ち、齊・楚・魏の兵を敗り、天下に霸たらまく欲す。疑うらくは卽ち此の時ならん。

孟子曰、湯居亳、與葛爲鄰。葛伯放而不祀。湯使人問之曰、何爲不祀。曰、無以供犧牲也。湯使遺之牛羊。葛伯食之、又不以祀。湯又使人問之曰、何爲不祀。曰、無以供粢盛也。湯使亳衆往爲之耕。老弱饋食。葛伯率其民、要其有酒食黍稻者奪之。不授者殺之。有童子、以黍肉餉。殺而奪之。書曰、葛伯仇餉、此之謂也。遺、唯季反。盛、音成。往爲之爲、去聲。饋食・酒食之食、音嗣。要、平聲。餉、式亮反。○葛、國名。伯、爵也。放而不祀、放縱無道、不祀先祖也。亳衆、湯之民。其民、葛民也。授、與也。餉、亦饋也。書、商書仲虺之誥也。仇餉、言與餉者爲仇也。
【読み】
孟子曰く、湯亳[はく]に居り、葛と鄰爲り。葛伯放[ほしいまま]にして祀らず。湯人をして之を問わしめて曰く、何爲[なんす]れぞ祀らざる、と。曰く、以て犧牲に供うる無し、と。湯之に牛羊を遺[おく]らしむ。葛伯之を食らって、又以て祀らず。湯又人をして之を問わしめて曰く、何爲れぞ祀らず、と。曰く、以て粢盛に供する無し、と。湯亳の衆[もろもろ]をして往いて之が爲に耕さしむ。老弱食を饋[おく]る。葛伯其の民を率い、其の酒食黍稻有る者を要[た]えて之を奪う。授[あた]えざる者をば之を殺す。童子有り、黍肉を以て餉[おく]る。殺して之を奪う。書に曰く、葛伯餉るに仇すとは、此を謂えり。遺は唯季の反。盛は音成。往爲の爲は去聲。饋食・酒食の食は音嗣。要は平聲。餉は式亮の反。○葛は國の名。伯は爵なり。放にして祀らずは、放縱無道にして、先祖を祀らざるなり。亳の衆は湯の民。其の民は葛の民なり。授は與うなり。餉も亦饋るなり。書は商書仲虺の誥なり。餉るに仇すは、言うこころは、餉る者と仇を爲すなり。

爲其殺是童子而征之。四海之内皆曰、非富天下也、爲匹夫匹婦復讎也。爲、去聲。○非富天下、言湯之心、非以天下爲富、而欲得之也。
【読み】
其の是の童子を殺すが爲にして之を征す。四海の内皆曰く、天下を富とするに非ず、匹夫匹婦の爲に讎を復[むく]えり、と。爲は去聲。○天下を富とするに非ずは、言うこころは、湯の心、天下を以て富として、之を得まく欲するに非ず、と。

湯始征、自葛載。十一征而無敵於天下。東面而征、西夷怨、南面而征、北狄怨。曰、奚爲後我。民之望之、若大旱之望雨也。歸市者弗止、芸者不變、誅其君、弔其民、如時雨降。民大悦。書曰、徯我后、后來其無罰。載、亦始也。十一征、所征十一國也。餘己見前篇。
【読み】
湯始め征すること、葛より載[はじ]む。十一征して天下に敵無し。東面して征すれば、西夷怨み、南面して征すれば、北狄怨む。曰く、奚爲[なんす]れぞ我を後にす、と。民の之を望むこと、大旱の雨を望むが若し。市に歸[おもむ]く者止まず、芸[くさぎ]る者變[うご]かず、其の君を誅して、其の民を弔すること、時雨の降[くだ]るが如し。民大いに悦ぶ。書に曰く、我が后を徯[ま]つ、后來らば其れ罰無けん、と。載も亦始むなり。十一征すは、征する所十一國なり。餘は己に前篇に見ゆ。

有攸不爲臣、東征綏厥士女。匪厥玄黄、紹我周王見休、惟臣附于大邑周。其君子實玄黄于匪、以迎其君子、其小人簞食壺漿、以迎其小人。救民於水火之中、取其殘而已矣。食、音嗣。○按周書、武成篇、載武王之言。孟子約其文如此。然其辭特與今書文不類。今姑依此文解之。有所不爲臣、謂助紂爲惡、而不爲周臣者。匪、與篚同。玄黄、幣也。紹、繼也。猶言事也。言其士女以篚盛玄黄之幣、迎武王而事之也。商人而曰我周王、猶商書所謂我后也。休、美也。言武王能順天休命、而事之者皆見休也。臣附、歸服也。孟子又釋其意。言商人聞周師之來、各以其類相迎者、以武王能救民於水火之中、取其殘民者、誅之、而不爲暴虐耳。君子、謂在位之人。小人、謂細民也。
【読み】
臣爲らざる攸[ところ]有り、東征して厥の士女を綏[やす]んず。厥の玄黄を匪[はこ]にし、我が周王に紹[つか]えて休[よ]きことを見んといって、惟大邑周に臣附せり。其の君子玄黄を匪に實[い]れて、以て其の君子を迎え、其の小人は簞食壺漿して、以て其の小人を迎う。民を水火の中に救いて、其の殘を取るのみなればなり。食は音嗣。○按ずるに、周書武成の篇に、武王の言を載す。孟子其の文を約むること此の如し。然れども其の辭は特に今の書の文と類せず。今姑く此の文に依りて之を解く。臣爲らざる所有りは、紂を助けて惡を爲して、周の臣と爲らざる者を謂う。匪は篚[ひ]と同じ。玄黄は幣なり。紹は繼ぐなり。猶事うると言うがごとし。言うこころは、其の士女篚を以て玄黄の幣を盛り、武王を迎えて之に事うる、と。商人にして我が周王と曰うは、猶商書謂う所の我が后がごとし。休は美なり。言うこころは、武王能く天の休き命に順いて、之に事うる者は皆休きことを見る、と。臣附は、歸服するなり。孟子又其の意を釋す。言うこころは、商人周の師の來るを聞き、各々其の類を以て相迎うるは、武王能く民を水火の中より救い、其の民を殘[そこな]う者を取り、之を誅し、而して暴虐をせざるを以てのみ、と。君子は、位に在る人を謂う。小人は、細民を謂うなり。

太誓曰、我武惟揚。侵于之疆、則取于殘。殺伐用張、于湯有光。太誓、周書也。今書文亦小異。言武王威武奮揚、侵彼紂之疆界、取其殘賊。而殺伐之功、因以張大、比於湯之伐桀又有光焉。引此以證上文取其殘之義。
【読み】
太誓に曰く、我が武惟れ揚れり。之が疆[さかい]を侵して、則ち殘を取る。殺伐用[もっ]て張り、湯に于[おい]て光[て]れること有り、と。太誓は周書なり。今の書の文と亦小しく異なり。言うこころは、武王の威武奮い揚り、彼の紂の疆界を侵し、其の殘賊を取る。而して殺伐の功、因りて以て張り大いにして、湯の桀を伐つに比して又光ること有り、と。此を引いて以て上文其の殘を取るの義を證せり。

不行王政云爾。苟行王政、四海之内皆舉首而望之、欲以爲君。齊・楚雖大、何畏焉。宋實不能行王政。後果爲齊所滅、王偃走死。○尹氏曰、爲國者能自治而得民心、則天下皆將歸往之、恨其征伐之不早也。尙何彊國之足畏哉。苟不自治、而以彊弱之勢言之、是可畏而已矣。
【読み】
王政を行わずと爾か云う。苟し王政を行わば、四海の内皆首を舉げて之を望んで、以て君とせまく欲せん。齊・楚大なりと雖も、何ぞ畏れん、と。宋實に王政を行うことを能わず。後果たして齊の爲に滅ぼされ、王偃走[のが]れて死せり。○尹氏曰く、國を爲むる者能く自ら治めて民心を得るときは、則ち天下皆將に之に歸往せんとして、其の征伐することの早からざるを恨むなり。尙何ぞ彊國を畏るるに足らん。苟し自ら治めずして、彊弱の勢を以て之を言えば、是れ畏る可きのみ、と。


滕文公章句下6
○孟子謂戴不勝曰、子欲子之王之善與。我明告子。有楚大夫於此。欲其子之齊語也、則使齊人傅諸、使楚人傅諸。曰、使齊人傅之。曰、一齊人傅之、衆楚人咻之、雖日撻而求其齊也、不可得矣。引而置之莊嶽之閒數年、雖日撻而求其楚、亦不可得矣。與、平聲。咻、音休。○戴不勝、宋臣也。齊語、齊人語也。傅、敎也。咻、讙也。齊、齊語也。莊嶽、齊街里名也。楚、楚語也。此先設譬以曉之也。
【読み】
○孟子戴不勝に謂って曰く、子子が王の善を欲するか。我明らかに子に告げん。楚の大夫此に有らん。其の子の齊語を欲せば、則ち齊人をして諸に傅[おし]えしめんか、楚人をして諸に傅えしめんか、と。曰く、齊人をして之に傅えしめん、と。曰く、一りの齊人之に傅えて、衆々の楚人之に咻[かまびす]しうせば、日々に撻[つえう]って其の齊[た]らんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の閒に置くこと數年ならば、日々に撻って其の楚たらんことを求むと雖も、亦得可からず。與は平聲。咻は音休。○戴不勝は宋の臣なり。齊語は齊人の語なり。傅は敎うなり。咻は讙[かまびす]しいなり。齊は齊語なり。莊嶽は齊の街里の名なり。楚は楚語なり。此れ先ず譬を設けて以て之を曉すなり。

子謂薛居州善士也、使之居於王所。在於王所者、長幼卑尊、皆薛居州也、王誰與爲不善。在王所者、長幼卑尊、皆非薛居州也、王誰與爲善。一薛居州、獨如宋王何。長、上聲。○居州、亦宋臣。言小人衆而君子獨、無以成正君之功。
【読み】
子薛居州を善士なりと謂うて、之をして王所に居らしむ。王所に在る者の、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王誰と與にか不善をせん。王所に在る者の、長幼卑尊、皆薛居州に非ずば、王誰と與にか善をせん。一りの薛居州、獨り宋王を如何、と。長は上聲。○居州も亦宋の臣。言うこころは、小人衆くして君子獨りならば、以て君を正すの功を成すこと無し、と。


滕文公章句下7
○公孫丑問曰、不見諸侯何義。孟子曰、古者不爲臣不見。不爲臣、謂未仕於其國者也。此不見諸侯之義也。
【読み】
○公孫丑問うて曰く、諸侯に見わざるは何の義ぞ、と。孟子曰く、古は臣爲らざれば見わず。臣爲らずは、未だ其の國に仕えざる者を謂うなり。此れ諸侯に見わざるの義なり。

段干木踰垣而辟之。泄柳閉門而不内。是皆已甚。迫斯可以見矣。辟、去聲。内、與納同。○段干木、魏文侯時人。泄柳、魯繆公時人。文侯・繆公欲見此二人、而二人不肯見之。蓋未爲臣也。已甚、過甚也。迫、謂求見之切也。
【読み】
段干木は垣を踰えて之を辟く。泄柳は門を閉じて内[い]れず。是れ皆已甚[はなは]だし。迫らば斯ち以て見う可し。辟は去聲。内は納るると同じ。○段干木は魏の文侯の時の人。泄柳は、魯の繆公の時の人。文侯・繆公此の二人に見わまく欲して、二人肯えて之に見わず。蓋し未だ臣爲らざればなり。已甚は、過甚なり。迫は、見わんことを求むるの切を謂うなり。

陽貨欲見孔子。而惡無禮。大夫有賜於士、不得受於其家、則往拜其門。陽貨矙孔子之亡也、而饋孔子蒸豚。孔子亦矙其亡也、而往拜之。當是時、陽貨先、豈得不見。欲見之見、音現。惡、去聲。矙、音勘。○此又引孔子之事、以明可見之節也。欲見孔子、欲召孔子來見己也。惡無禮、畏人以己爲無禮也。受於其家、對使人拜受於家也。其門、大夫之門也。矙、窺也。陽貨於魯爲大夫。孔子爲士。故以此物及其不在而饋之、欲其來拜而見之也。先、謂先來加禮也。
【読み】
陽貨孔子に見えしめまく欲す。而も禮無きことを惡む。大夫士に賜うこと有りて、其の家に受くることを得ざるときは、則ち往いて其の門に拜す。陽貨孔子の亡きを矙[うかが]いて、孔子に蒸せる豚を饋[おく]る。孔子も亦其の亡きを矙いて、往いて之を拜す。是の時に當たって、陽貨先んず。豈見わざることを得んや。欲見の見は音現。惡は去聲。矙は音勘。○此も又孔子の事を引いて、以て見う可きの節を明らかにするなり。孔子に見えしめまく欲すは、孔子を召して來さしめて己に見えしまく欲するなり。禮無きことを惡むは、人の己を以て禮無しとせんことを畏るるなり。其の家に受くは、使人に對して拜して家に受くるなり。其の門は、大夫の門なり。矙は窺うなり。陽貨は魯に於て大夫爲り。孔子は士爲り。故に此の物を以て其の在まさざるに及んで之を饋り、其の來拜して之に見えしめまく欲するなり。先んずは、先ず來て禮を加うることを謂うなり。

曾子曰、脅肩諂笑、病于夏畦。子路曰、未同而言。觀其色赧赧然、非由之所知也。由是觀之、則君子之所養、可知已矣。脅、虛業反。赧、奴簡反。○脅肩、竦體。諂笑、強笑。皆小人側媚之態也。病、勞也。夏畦、夏月治畦之人也。言爲此者、其勞過於夏畦之人也。未同而言、與人未合而強與之言也。赧赧、慙而面赤之貌。由、子路名。言非己所知、甚惡之之辭也。孟子言、由此二言觀之、則二子之所養可知。必不肯不俟其禮之至、而輒往見之也。○此章言、聖人禮義之中正、過之者傷於迫切而不洪、不及者淪於汙賤而可恥。
【読み】
曾子曰く、肩を脅[そび]やかして諂い笑うは、夏畦よりも病[くる]しめり、と。子路曰く、未だ同じからずして言う。其の色を觀るに赧赧然たるは、由が知る所に非ず、と。是に由って之を觀るときは、則ち君子の養う所、知んぬ可からくのみ、と。脅は虛業の反。赧は奴簡の反。○肩を脅やかすは、體を竦[すく]むなり。諂い笑うは、強いて笑うなり。皆小人の側媚の態なり。病は勞[つか]れるなり。夏畦は、夏月に畦を治むる人なり。言うこころは、此をする者は、其の勞夏畦の人に過ぐ、と。未だ同じからずして言うは、人と未だ合わずして強いて之と言うなり。赧赧は、慙じて面赤するの貌。由は子路の名。己の知る所に非ずと言うは、甚だ之を惡む辭なり。孟子言う、此の二言に由って之を觀れば、則ち二子の養う所を知る可し。必ず肯えて其の禮の至るを俟たずして、輒ち往いて之に見えざるなり、と。○此の章言うこころは、聖人の禮義の中正、之に過ぎたる者は迫切に傷[やぶ]れて洪[おお]いならず、及ばざる者は汙賤に淪[しず]んで恥ず可し、と。


滕文公章句下8
○戴盈之曰、什一、去關市之征、今茲未能。請輕之、以待來年、然後已。何如。去、上聲。○盈之、亦宋大夫也。什一、井田之法也。關市之征、商賈之稅也。已、止也。
【読み】
○戴盈之[たいえいし]曰く、什一にして、關市の征を去[す]つること、今茲[ことし]は未だ能わず。請う、之を輕くして、以て來年を待って、然して後に已めん。何如、と。去は上聲。○盈之も亦宋の大夫なり。什一は井田の法なり。關市の征は商賈の稅なり。已は止むなり。

孟子曰、今有人日攘其鄰之雞者。或告之曰、是非君子之道。曰、請損之、月攘一雞、以待來年、然後已。攘、如羊反。○攘、物自來而取之也。損、減也。
【読み】
孟子曰く、今人日々に其の鄰の雞を攘[ぬす]む者有らん。或ひと之に告げて曰く、是れ君子の道に非ず、と。曰く、請う、之を損[へら]して、月々に一雞を攘んで、以て來年を待って、然して後に已まん、と。攘は如羊の反。○攘は、物の自ら來て之を取るなり。損は減るなり。

如知其非義、斯速已矣。何待來年。知義理之不可、而不能速改、與月攘一雞何以異哉。
【読み】
如し其の義に非ざることを知らば、斯ち速やかに已んなん。何ぞ來年を待たん、と。義理の不可なることを知って、速やかに改むること能わざる、月々に一雞を攘むことと何を以て異ならんや。


滕文公章句下9
○公都子曰、外人皆稱夫子好辯。敢問何也。孟子曰、予豈好辯哉。予不得已也。天下之生久矣。一治一亂。好、去聲。下同。治、去聲。○生、謂生民也。一治一亂、氣化盛衰、人事得失、反覆相尋。理之常也。
【読み】
○公都子曰く、外人皆夫子辯を好むと稱す。敢えて問う、何ぞ、と。孟子曰く、予豈辯を好まんや。予已むことを得ざればなり。天下の生久し。一たびは治まり一たびは亂る。好は去聲。下も同じ。治は去聲。○生は生民を謂うなり。一たびは治まり一たびは亂るは、氣化の盛衰、人事の得失、反覆して相尋[つ]ぐ。理の常なり。

當堯之時、水逆行、氾濫於中國。蛇龍居之、民無所定。下者爲巣、上者爲營窟。書曰、洚水警余。洚水者、洪水也。洚、音降。又胡貢・胡工二反。○水逆行、下流壅塞。故水倒流而旁溢也。下、下地。上、高地也。營窟、穴處也。書、虞書大禹謨也。洚水、洚洞無涯之水也。警、戒也。此一亂也。
【読み】
堯の時に當たって、水逆行して、中國に氾濫す。蛇龍之に居り、民定まる所無し。下なる者は巣を爲り、上なる者は營窟を爲る。書に曰く、洚水余を警[さと]す、と。洚水とは、洪水なり。洚は音降。又胡貢・胡工の二反。○水逆行すは、下流壅塞す。故に水倒流して旁溢するなり。下は下[ひく]き地。上は高き地なり。營窟は穴處なり。書は虞書大禹謨なり。洚水は、洚洞として涯無き水なり。警は戒むなり。此れ一亂なり。

使禹治之。禹掘地而注之海。驅蛇龍而放之菹。水由地中行。江・淮・河・漢是也。險阻旣遠、鳥獸之害人者消。然後人得平土而居之。菹、側魚反。○掘地、掘去壅塞也。菹、澤生草者也。地中、兩涯之閒也。險阻、謂水之氾濫也。遠、去也。消、除也。此一治也。
【読み】
禹をして之を治めしむ。禹地を掘りて之を海に注ぐ。蛇龍を驅[か]って之を菹[さわ]に放つ。水地中より行く。江・淮・河・漢、是れなり。險阻旣に遠ざかって、鳥獸の人を害する者消[のぞ]かる。然して後に人平土を得て之に居れり。菹は側魚の反。○地を掘るは、壅塞を掘り去るなり。菹は、澤の草を生ずる者なり。地中は、兩涯の閒なり。險阻は、水の氾濫するを謂うなり。遠は去るなり。消は除くなり。此れ一治なり。

堯舜旣沒、聖人之道衰。暴君代作。壞宮室以爲汙池。民無所安息。棄田以爲園囿。使民不得衣食。邪說暴行又作。園囿汙池沛澤多、而禽獸至。及紂之身、天下又大亂。壞、音怪。行、去聲。下同。沛、蒲内反。○暴君、謂夏太康・孔甲・履癸・商武乙之類也。宮室、民居也。沛、草木之所生也。澤、水所鍾也。自堯舜沒至此、治亂非一。及紂而又一大亂也。
【読み】
堯舜旣に沒して、聖人の道衰う。暴君代々[かわるがわる]作[おこ]る。宮室を壞[こぼ]って以て汙池とす。民安息する所無し。田を棄てて以て園囿とす。民をして衣食を得ざらしむ。邪說暴行又作る。園囿汙池沛澤多くして、禽獸至る。紂が身に及んで、天下又大いに亂る。壞は音怪。行は去聲。下も同じ。沛は蒲内の反。○暴君は夏の太康・孔甲・履癸・商の武乙の類を謂うなり。宮室は民の居るなり。沛は草木の生ずる所なり。澤は水の鍾[あつま]る所なり。堯舜沒してより此に至るまで、治亂一たびなるに非ず。紂に及んで又一たび大亂するなり。

周公相武王誅紂。伐奄三年討其君。驅飛廉於海隅而戮之。滅國者五十、驅虎豹犀象而遠之。天下大悦。書曰、丕顯哉文王謨。丕承哉武王烈。佑啓我後人、咸以正無缺。相、去聲。奄、平聲。○奄、東方之國。助紂爲虐者也。飛廉、紂幸臣也。五十國、皆紂黨虐民者也。書、周書君牙之篇。丕、大也。顯、明也。謨、謀也。承、繼也。烈、光也。佑、助也。啓、開也。缺、壞也。此一治也。
【読み】
周公武王に相として紂を誅す。奄を伐つこと三年にして其の君を討ず。飛廉を海隅に驅って之を戮[ころ]す。國を滅ぼすこと五十、虎豹犀象を驅って之を遠ざからしむ。天下大いに悦ぶ。書に曰く、丕[おお]いに顯らけきかな文王の謨[はかりごと]。丕いに承[つ]げるかな武王の烈[ひかり]。我が後人を佑け啓き、咸[みな]正しきを以てして缺[か]くこと無し、と。相は去聲。奄は平聲。○奄は東方の國。紂を助けて虐を爲す者なり。飛廉は紂の幸臣なり。五十國は、皆紂が黨にして民を虐する者なり。書は周書君牙の篇。丕は大なり。顯は明らかなり。謨は謀なり。承は繼ぐなり。烈は光なり。佑は助くなり。啓は開くなり。缺は壞[やぶ]るなり。此れ一治なり。

世衰道微、邪說暴行有作。臣弑其君者有之、子弑其父者有之。有作之有、讀爲又。古字通用。○此周室東遷之後、又一亂也。
【読み】
世衰え道微かにして、邪說暴行有[また]作る。臣其の君を弑す者之れ有り、子其の父を弑す者之れ有り。有作の有は讀んで又とす。古字通用す。○此れ周室東遷の後にて、又一亂なり。

孔子懼作春秋。春秋天子之事也。是故孔子曰、知我者其惟春秋乎。罪我者其惟春秋乎。胡氏曰、仲尼作春秋以寓王法。惇典、庸禮、命德、討罪、其大要皆天子之事也。知孔子者謂、此書之作、遏人欲於橫流、存天理於旣滅、爲後世慮至深遠也。罪孔子者以謂、無其位而託二百四十二年南面之權、使亂臣賊子禁其欲而不得肆、則戚矣。愚謂孔子作春秋以討亂賊、則致治之法垂於萬世。是亦一治也。
【読み】
孔子懼れて春秋を作る。春秋は天子の事なり。是の故に孔子曰く、我を知る者は其れ惟春秋か。我を罪する者は其れ惟春秋か、と。胡氏曰く、仲尼春秋を作りて以て王法を寓せり。典を惇くし、禮を庸[もち]い、德を命じ、罪を討つ、其の大要は皆天子の事なり。孔子を知る者は謂う、此の書の作、人欲の橫流するを遏[とど]め、天理の旣に滅びしを存し、後世の爲に慮ること至って深遠なり、と。孔子を罪する者は以謂[おも]えらく、其の位無くして二百四十二年の南面の權に託して、亂臣賊子をして其の欲を禁じて肆にすることを得ずして、則ち戚[うれ]えしむ、と。愚謂えらく、孔子春秋を作りて以て亂賊を討つは、則ち治を致すの法を萬世に垂れるなり。是も亦一治なり。

聖王不作、諸侯放恣、處士橫議。楊朱・墨翟之言盈天下。天下之言、不歸楊則歸墨。楊氏爲我。是無君也。墨氏兼愛。是無父也。無父無君、是禽獸也。公明儀曰、庖有肥肉、厩有肥馬、民有飢色、野有餓莩。此率獸而食人也。楊・墨之道不息、孔子之道不著。是邪說誣民、充塞仁義也。仁義充塞、則率獸食人、人將相食。橫・爲、皆去聲。莩、皮表反。○楊朱但知愛身、而不復知有致身之義。故無君。墨子愛無差等、而視其至親無異衆人。故無父。無父無君、則人道滅絶。是亦禽獸而已。公明儀之言、義見首篇。充塞仁義、謂邪說徧滿、妨於仁義也。孟子引儀之言、以明楊・墨道行、則人皆無父無君、以陷於禽獸、而大亂將起。是亦率獸食人、而人又相食也。此又一亂也。
【読み】
聖王作らず、諸侯放恣し、處士橫議す。楊朱・墨翟が言天下に盈つ。天下の言、楊に歸せざるときは則ち墨に歸す。楊氏は我が爲にす。是れ君無きなり。墨氏は兼ね愛す。是れ父無きなり。父無く君無きは、是れ禽獸なり。公明儀曰く、庖[くりや]に肥肉有り、厩に肥馬有り、民に飢色有り、野に餓莩[がひょう]有り。此れ獸を率いて人を食ましむるなり、と。楊・墨が道息まざれば、孔子の道著れず。是れ邪說民を誣[し]いて、仁義を充塞すればなり。仁義充塞するときは、則ち獸を率いて人を食ましめ、人將に相食まんとす。橫・爲は皆去聲。莩は皮表の反。○楊朱は但身を愛することのみを知りて、復身を致すの義有るを知らず。故に君無し。墨子は愛するに差等無くして、其の至親を視ること衆人と異なること無し。故に父無し。父無く君無きときは、則ち人道滅絶す。是れ亦禽獸なるのみ。公明儀の言、義は首篇に見ゆ。仁義を充塞するは、邪說徧く滿ちて、仁義を妨ぐるを謂うなり。孟子儀の言を引いて、以て楊・墨の道行われるときは、則ち人皆父無く君無くして、以て禽獸に陷って、大亂將に起らんとす。是れ亦獸を率いて人を食ましめて、人も又相食まんことを明らかにするなり。此も又一亂なり。

吾爲此懼、閑先聖之道、距楊・墨、放淫辭。邪說者不得作。作於其心、害於其事、作於其事、害於其政。聖人復起、不易吾言矣。爲、去聲。復、扶又反。○閑、衛也。放、驅而遠之也。作、起也。事、所行。政、大體也。孟子雖不得志於時、然楊・墨之害、自是滅息、而君臣父子之道、賴以不墜。是亦一治也。程子曰、楊・墨之害、甚於申・韓。佛氏之害、甚於楊・墨。蓋楊氏爲我疑於義、墨氏兼愛疑於仁、申・韓則淺陋易見。故孟子止闢楊・墨。爲其惑世之甚也。佛氏之言近理。又非楊・墨之比。所以爲害尤甚。
【読み】
吾此が爲に懼れて、先聖の道を閑[まも]り、楊・墨を距ぎ、淫辭を放つ。邪說の者作ることを得ず。其の心に作って、其の事に害あり、其の事に作って、其の政に害あり。聖人復起こるも、吾が言を易えじ。爲は去聲。復は扶又の反。○閑は衛るなり。放は、驅って之を遠ざくなり。作は起こるなり。事は行う所。政は大體なり。孟子志を時に得ずと雖も、然れども楊・墨が害、是より滅息して、君臣父子の道、賴りて以て墜ちず。是も亦一治なり。程子曰く、楊・墨が害、申・韓よりも甚だし。佛氏が害、楊・墨よりも甚だし。蓋し楊氏が我が爲にするは義に疑わし。墨氏が兼ね愛すは仁に疑わし。申・韓は則ち淺陋にして見易し。故に孟子止[ただ]楊・墨を闢く。其の世を惑わすことの甚だしきが爲なり。佛氏が言理に近し。又楊・墨が比[たぐ]いに非ず。害爲ることの尤も甚だしき所以なり、と。

昔者禹抑洪水、而天下平。周公兼夷狄、驅猛獸、而百姓寧。孔子成春秋、而亂臣賊子懼。抑、止也。兼、幷之也。總結上文也。
【読み】
昔者禹洪水を抑[とど]めて、天下平かなり。周公夷狄を兼ね、猛獸を驅って、百姓寧し。孔子春秋を成して、亂臣賊子懼る。抑は止むなり。兼は之を幷すなり。總べて上文を結ぶなり。

詩云、戎狄是膺、荊舒是懲。則莫我敢承。無父無君、是周公所膺也。說見上篇。承、當也。
【読み】
詩に云く、戎狄是れ膺[う]ち、荊舒是れ懲らす。則ち我に敢えて承[あ]たること莫し、と。父無く君無きは、是れ周公の膺つ所なり。說は上篇に見る。承は當たるなり。

我亦欲正人心、息邪說、距詖行、放淫辭、以承三聖者。豈好辯哉。予不得已也。行・好、皆去聲。○詖・淫、解見前篇。辭者、說之詳也。承、繼也。三聖、禹・周公・孔子也。蓋邪說橫流、壞人心術、甚於洪水猛獸之災、慘於夷狄簒弑之禍。故孟子深懼而力救之。再言豈好辯哉、予不得已也、所以深致意焉。然非知道之君子、孰能眞知其所以不得已之故哉。
【読み】
我も亦人心を正しうし、邪說を息め、詖行[ひこう]を距ぎ、淫辭を放って、以て三聖者に承[つ]がまく欲す。豈辯を好まんや。予已むことを得ざればなり。行・好は皆去聲。○詖・淫は、解は前篇に見ゆ。辭は、說くことの詳らかなり。承は繼ぐなり。三聖は、禹・周公・孔子なり。蓋し邪說橫流して、人の心術を壞ること、洪水猛獸の災より甚だしく、夷狄簒弑の禍より慘[いた]まし。故に孟子深く懼れて力めて之を救えり。再び豈辯を好まんや、予已むことを得ざればなりと言うは、深く意を致す所以なり。然れども道を知る君子に非ざれば、孰か能く眞に其の已むことを得ざる所以の故を知らんや。

能言距楊・墨者、聖人之徒也。言苟有能爲此距楊・墨之說者、則其所趨正矣、雖未必知道、是亦聖人之徒也。孟子旣答公都子之問、而意有未盡。故復言此。蓋邪說害正、人人得而攻之、不必聖賢、如春秋之法、亂臣賊子、人人得而討之。不必士師也。聖人救世立法之意、其切如此。若以此意推之、則不能攻討、而又唱爲不必攻討之說者、其爲邪詖之徒、亂賊之黨可知矣。○尹氏曰、學者於是非之原、毫釐有差、則害流於生民、禍及於後世。故孟子辨邪說如是之嚴、而自以爲承三聖之功也。當是時、方且以好辯目之。是以常人之心而度聖賢之心也。
【読み】
能く言うて楊・墨を距ぐ者は、聖人の徒なり。言うこころは、苟し能く此の楊・墨を距ぐの說を爲す者有れば、則ち其の趨く所正しく、未だ必ずしも道を知らざると雖も、是も亦聖人の徒なり。孟子旣に公都子の問いに答えて、意未だ盡くさざること有り。故に復此を言えり。蓋し邪說の正しきを害するときは、人人得て之を攻む。必ずしも聖賢にあらざるなり。春秋の法の、亂臣賊子、人人得て之を討つは、必ずしも士師にあらざるが如きなり。聖人世を救い法を立つるの意、其の切なること此の如し。若し此の意を以て之を推せば、則ち攻め討つこと能わずして、又唱えて必ずしも攻め討たざるの說を爲す者は、其れ邪詖の徒、亂賊の黨爲ることを知る可し。○尹氏曰く、學者是非の原[もと]に於て、毫釐も差うこと有れば、則ち害は生民に流れ、禍は後世に及ぶ。故に孟子邪說を辨ずること是の如く嚴にして、自ら以爲[おも]えらく、三聖の功を承ぐ、と。是の時に當たりて、方に且つ辯を好むを以て之に目[なづ]く。是れ常人の心を以て聖賢の心を度ればなり、と。


滕文公章句下10
○匡章曰、陳仲子豈不誠廉士哉。居於陵、三日不食、耳無聞、目無見也。井上有李、螬食實者過半矣。匍匐往將食之。三咽、然後耳有聞、目有見。於、音烏。下於陵同。螬、音曹。咽、音宴。○匡章・陳仲子、皆齊人也。廉、有分辨、不苟取也。於陵、地名。螬、蠐螬蟲也。匍匐、言無力不能行也。咽、吞也。
【読み】
○匡章曰く、陳仲子は豈誠に廉士ならずや。於陵に居り、三日食わず、耳聞くこと無く、目見ること無し。井上に李有り、螬[すくもむし]實を食らうこと半ばに過ぎたり。匍匐して往いて將[と]って之を食らう。三たび咽んで、然して後に耳聞くこと有り、目見ること有り、と。於は音烏。下の於陵も同じ。螬は音曹。咽は音宴。○匡章・陳仲子は皆齊人なり。廉は、分辨有りて、苟も取らざるなり。於陵は地名。螬は蠐螬蟲なり。匍匐は、力無くして行くこと能わざることを言うなり。咽は吞むなり。

孟子曰、於齊國之士、吾必以仲子爲巨擘焉。雖然、仲子惡能廉。充仲子之操、則蚓而後可者也。擘、薄厄反。惡、平聲。蚓、音引。○巨擘、大指也。言齊人中有仲子、如衆小指中有大指也。充、推而滿之也。操、所守也。蚓、丘蚓也。言仲子未得爲廉也。必若滿其所守之志、則惟丘蚓之無求於世、然後可以爲廉耳。
【読み】
孟子曰く、齊國の士に於ては、吾必ず仲子を以て巨擘[きょはく]とせん。然りと雖も、仲子惡んぞ能く廉ならん。仲子が操を充つるときは、則ち蚓[いん]にして後に可なる者なり。擘は薄厄の反。惡は平聲。蚓は音引。○巨擘は大指なり。言うこころは、齊人の中に仲子有るは、衆[おお]くの小指の中に大指有るが如し、と。充は、推して之を滿たすなり。操は守る所なり。蚓は丘蚓なり。言うこころは、仲子未だ廉とするを得ざるなり。必ず若し其の守る所の志を滿せば、則ち惟丘蚓の世に求むること無く、然して後に以て廉とす可きのみ、と。

夫蚓、上食槁壤、下飮黄泉。仲子所居之室、伯夷之所築與。抑亦盜跖之所築與。所食之粟、伯夷之所樹與。抑亦盜跖之所樹與。是未可知也。夫、音扶。與、平聲。○槁壤、乾土也。黄泉、濁水也。抑、發語辭也。言蚓無求於人而自足、而仲子未免居室食粟。若所從來或有非義、則是未能如蚓之廉也。
【読み】
夫れ蚓は、上槁壤を食らい、下黄泉を飮む。仲子が居る所の室は、伯夷が築く所か。抑々亦盜跖が築く所か。食らう所の粟は、伯夷が樹うる所か。抑々亦盜跖が樹うる所か。是れ未だ知んぬ可からず、と。夫は音扶。與は平聲。○槁壤は乾いた土なり。黄泉は濁れる水なり。抑は發語の辭なり。言うこころは、蚓は人に求むること無くして自ら足り、仲子は未だ室に居り粟を食らうことを免れず。若し從り來る所或は義に非ざること有るときは、則ち是れ未だ蚓の廉の如くなること能わざるなり、と。

曰、是何傷哉。彼身織屨、妻辟纑、以易之也。辟、音壁。纑、音盧。○辟、績也。纑、練麻也。
【読み】
曰く、是れ何ぞ傷[そこな]わんや。彼身[みずか]ら屨を織り、妻は纑を辟[う]んで、以て之に易う、と。辟は音壁。纑は音盧。○辟は績むなり。纑は練った麻なり。

曰、仲子齊之世家也。兄戴、蓋祿萬鍾。以兄之祿爲不義之祿而不食也、以兄之室爲不義之室而不居也。辟兄離母、處於於陵。他日歸、則有饋其兄生鵝者。己頻顣曰、惡用是鶃鶃者爲哉。他日其母殺是鵝也、與之食之。其兄自外至曰、是鶃鶃之肉也。出而哇之。蓋、音閤。辟、音避。頻、與顰同。顣、與蹙同。子六反。惡、平聲。鶃、魚一反。哇、音蛙。○世家、世卿之家。兄名戴。食采於蓋、其入萬鍾也。歸、自於陵歸也。己、仲子也。鶃鶃、鵝聲也。頻顣而言、以其兄受饋爲不義也。哇、吐之也。
【読み】
曰く、仲子は齊の世家なり。兄戴、蓋[こう]の祿萬鍾。兄の祿を以て不義の祿として食まず、兄の室を以て不義の室として居らず。兄を辟け母を離れて、於陵に處る。他日歸るときに、則ち其の兄に生鵝を饋る者有り。己頻顣[ひんせき]して曰く、惡んぞ是の鶃鶃[ぎつぎつ]たる者を用[もっ]てせんや、と。他日其の母是の鵝を殺して、之に與えて之を食らわしむ。其の兄外より至って曰く、是れ鶃鶃の肉なり、と。出でて之を哇[は]く。蓋は音閤。辟は音避。頻は顰と同じ。顣は蹙と同じ。子六の反。惡は平聲。鶃は魚一の反。哇は音蛙。○世家は世卿の家。兄の名は戴。采を蓋に食み、其の入萬鍾なり。歸は、於陵より歸るなり。己は仲子なり。鶃鶃は鵝の聲なり。頻顣して言うは、其の兄饋を受くるを以て不義とするなり。哇は之を吐くなり。

以母則不食、以妻則食之。以兄之室則弗居、以於陵則居之。是尙爲能充其類也乎。若仲子者、蚓而後充其操者也。言仲子以母之食、兄之室、爲不義、而不食不居。其操守如此。至於妻所易之粟、於陵所居之室、旣未必伯夷之所爲、則亦不義之類耳。今仲子於此則不食不居、於彼則食之居之。豈爲能充滿其操守之類者乎。必其無求自足如丘蚓、然乃爲能滿其志而得爲廉耳。然豈人之所可爲哉。○范氏曰、天之所生、地之所養、惟人爲大。人之所以爲大者、以其有人倫也。仲子避兄離母、無親戚君臣上下。是無人倫也。豈有無人倫而可以爲廉哉。
【読み】
母を以てするときは則ち食らわず、妻を以てするときは則ち之を食らう。兄の室を以てするときは則ち居らず、於陵を以てするときは則ち之に居る。是れ尙能く其の類を充つることをせんや。仲子が若き者は、蚓にして後に其の操を充てん者なり、と。言うこころは、仲子母の食、兄の室を以て、不義として、食わず居らず。其の操守すること此の如し。妻の易う所の粟、於陵の居る所の室に至っては、旣に未だ必ずしも伯夷のする所ならざれば、則ち亦不義の類のみ。今仲子此に於るときは則ち食わず居らず、彼に於るときは則ち之を食らい之に居る。豈能く其の操守の類を充滿する者とせんや。必ず其の求むること無くして自ら足ること丘蚓が如くして、然して乃ち能く其の志を滿して廉爲ることを得んとするのみ。然れども豈人のす可き所ならんや、と。○范氏曰く、天の生ずる所、地の養う所、惟人のみを大いなりとす。人の大いなりとする所以の者は、其の人倫有るを以てなり。仲子兄を避け母を離れて、親戚君臣上下無し。是れ人倫無きなり。豈人倫無くして以て廉爲る可きこと有らんや、と。

 

孟子卷之四

離婁章句上 凡二十八章。

離婁章句上1
孟子曰、離婁之明、公輸子之巧、不以規矩、不能成方員。師曠之聰、不以六律、不能正五音。堯舜之道、不以仁政、不能平治天下。離婁、古之明目者。公輸子、名班。魯之巧人也。規、所以爲員之器也。矩、所以爲方之器也。師曠、晉之樂師。知音者也。六律、截竹爲筩、陰陽各六、以節五音之上下。黄鍾・太蔟・姑洗・蕤賓・夷則・無射、爲陽。大呂・夾鍾・仲呂・林鍾・南呂・應鍾、爲陰也。五音、宮・商・角・徴・羽也。范氏曰、此言治天下不可無法度。仁政者、治天下之法度也。
【読み】
孟子曰く、離婁が明、公輸子が巧も、規矩を以てせざれば、方員[ほうえん]を成すこと能わず。師曠が聰も、六律を以てせざれば、五音を正すこと能わず。堯舜の道も、仁政を以てせざれば、天下を平治すること能わず。離婁は古の明目なる者。公輸子は名は班。魯の巧人なり。規は、以て員を爲す所の器なり。矩は、以て方を爲す所の器なり。師曠は晉の樂師。音を知る者なり。六律は、竹を截[き]りて筩[とう]とし、陰陽各々六つ、以て五音の上下を節す。黄鍾・太蔟[たいそう]・姑洗・蕤賓[ずいひん]・夷則・無射[ぶせき]を陽と爲す。大呂・夾鍾・仲呂・林鍾・南呂・應鍾を陰と爲す。五音は、宮・商・角・徴・羽なり。范氏曰く、此れ天下を治むるに法度無くんばある可からざることを言う。仁政は、天下を治むるの法度なり、と。

今有仁心仁聞、而民不被其澤、不可法於後世者、不行先王之道也。聞、去聲。○仁心、愛人之心也。仁聞者、有愛人之聲、聞於人也。先王之道、仁政是也。范氏曰、齊宣王不忍一牛之死、以羊易之。可謂有仁心。梁武帝終日一食蔬素、宗廟以麪爲犧牲。斷死刑必爲之涕泣、天下知其慈仁。可謂有仁聞。然而宣王之時、齊國不治、武帝之末、江南大亂。其故何哉。有仁心仁聞而不行先王之道故也。
【読み】
今仁心仁聞有れども、而も民其の澤を被らず、後世に法る可からざるは、先王の道を行わざればなり。聞は去聲。○仁心は、人を愛するの心なり。仁聞は、人を愛するの聲有りて、人に聞ゆるなり。先王の道、仁政是れなり。范氏曰く、齊の宣王一牛の死を忍びず、羊を以て之に易う。仁心有りと謂う可し。梁の武帝終日一食蔬素し、宗廟麪[めん]を以て犧牲を爲る。死刑を斷ずるに必ず之が爲に涕泣し、天下其の慈仁を知る。仁聞有りと謂う可し。然れども宣王の時、齊國治まらず、武帝の末、江南大いに亂る。其の故は何ぞ。仁心仁聞有りて先王の道を行わざる故なり。

故曰、徒善不足以爲政、徒法不能以自行。徒、猶空也。有其心、無其政、是謂徒善、有其政、無其心、是謂徒法。程子嘗言、爲政須要有綱紀文章。謹權、審量、讀法、平價、皆不可闕。而又曰、必有關雎・麟趾之意、然後可以行周官之法度。正謂此也。
【読み】
故に曰く、徒善は以て政をするに足らず、徒法は以て自ら行うこと能わず、と。徒は猶空のごとし。其の心有りて、其の政無きを、是れ徒善と謂い、其の政有りて、其の心無きを、是れ徒法と謂う。程子嘗て言う、政をするには須く綱紀文章有らんことを要すべし。權を謹み、量を審らかにし、法を讀み、價を平らかにすること、皆闕く可からず、と。而して又曰く、必ず關雎[かんしょ]・麟趾[りんし]の意有り、然して後に以て周官の法度を行う可し、と。正に此を謂うなり。

詩云、不愆不忘、率由舊章。遵先王之法而過者、未之有也。詩、大雅假樂之篇。愆、過也。率、循也。章、典法也。所行不過差不遺忘者、以其循用舊典故也。
【読み】
詩に云く、愆[あやま]らず忘れざるは、舊章を率[したが]い由[もち]うなればなり、と。先王の法に遵[したご]うて過てる者、未だ之れ有らじ。詩は、大雅假樂の篇。愆は過なり。率は循うなり。章は典法なり。行う所過差あらず遺忘あらざるは、其の舊典を循い用うるを以て故なり。

聖人旣竭目力焉、繼之以規矩準繩、以爲方員平直、不可勝用也。旣竭耳力焉、繼之以六律、正五音、不可勝用也。旣竭心思焉、繼之以不忍人之政。而仁覆天下矣。勝、平聲。○準、所以爲平。繩、所以爲直。覆、被也。此言古之聖人、旣竭耳目心思之力。然猶以爲未足以徧天下、及後世。故制爲法度、以繼續之、則其用不竆、而仁之所被者廣矣。
【読み】
聖人旣に目力を竭くし、之に繼ぐに規矩準繩を以てして、以て方員平直を爲す、勝げて用う可からず。旣に耳力を竭くし、之に繼ぐに六律を以てして、五音を正す、勝げて用う可からず。旣に心思を竭くし、之に繼ぐに人に忍びざるの政を以てす。而して仁天下を覆う。勝は平聲。○準は、以て平を爲す所。繩は、以て直を爲す所。覆は被るなり。此れ言うこころは、古の聖人、旣に耳目心思の力を竭くせり。然れども猶以爲えらく、未だ以て天下に徧く、後世に及ぼすに足らず、と。故に法度を制爲して、以て之を繼續すれば、則ち其の用竆まらずして、仁の被る所の者廣し。

故曰、爲高必因丘陵。爲下必因川澤。爲政不因先王之道、可謂智乎。丘陵本高、川澤本下。爲高下者因之、則用力少而成功多矣。鄒氏曰、自章首至此、論以仁心仁聞行先王之道。
【読み】
故に曰く、高きを爲るには必ず丘陵に因る。下きを爲るには必ず川澤に因る。政をして先王の道に因らざれば、智と謂いつ可けんや、と。丘陵は本高く、川澤は本下し。高下を爲る者之に因るときは、則ち力を用うること少しきにして功を成すこと多し。鄒氏曰く、章首より此に至るまで、仁心仁聞を以て先王の道を行うことを論ず、と。

是以惟仁者宜在高位。不仁而在高位、是播其惡於衆也。仁者、有仁心仁聞而能擴而充之、以行先王之道者也。播惡於衆、謂貽患於下也。
【読み】
是を以て惟仁者のみ宜しく高位に在るべし。不仁にして高位に在るは、是れ其の惡を衆に播[ほどこ]すなり。仁者は、仁心仁聞有りて能く擴めて之を充たして、以て先王の道を行う者なり。惡を衆に播すは、患えを下に貽[のこ]すことを謂うなり。

上無道揆也。下無法守也、朝不信道、工不信度、君子犯義、小人犯刑。國之所存者幸也。朝、音潮。○此言不仁而在高位之禍也。道、義理也。揆、度也。法、制度也。道揆、謂以義理度量事物而制其宜。法守、謂以法度自守。工、官也。度、卽法也。君子小人、以位而言也。由上無道揆、故下無法守。無道揆、則朝不信道、而君子犯義、無法守、則工不信度、而小人犯刑。有此六者、其國必亡。其不亡者僥倖而已。
【読み】
上道揆無ければ、下法守無し。朝道を信ぜず、工度を信ぜず、君子義を犯し、小人刑を犯す。國の存する所の者は幸なり。朝は音潮。○此れ不仁にして高位に在るの禍を言う。道は義理なり。揆は度なり。法は制度なり。道揆は、義理を以て事物を度量して其の宜しきを制することを謂う。法守は、法度を以て自ら守ることを謂う。工は官なり。度は卽ち法なり。君子小人は、位を以て言うなり。上道揆無きに由る、故に下法守無し。道揆無きときは、則ち朝道を信ぜずして、君子義を犯し、法守無きときは、則ち工度を信ぜずして、小人刑を犯す。此の六つの者有れば、其の國必ず亡ぶ。其の亡びざる者は僥倖なるのみ。

故曰、城郭不完、兵甲不多、非國之災也。田野不辟、貨財不聚、非國之害也。上無禮、下無學、賊民興、喪無日矣。辟、與闢同。喪、去聲。○上不知禮、則無以敎民。下不知學、則易與爲亂。鄒氏曰、自是以惟仁者至此、所以責其君。
【読み】
故に曰く、城郭完[まった]からず、兵甲多からざるは、國の災に非ず。田野辟[ひら]けず、貨財聚まらざるは、國の害に非ず。上禮無く、下學無く、賊民興って、喪ぶること日無し。辟は闢と同じ。喪は去聲。○上禮を知らざるときは、則ち以て民を敎うること無し。下學を知らざるときは、則ち與に亂を爲し易し。鄒氏曰く、是以惟仁者より此に至るまでは、以て其の君を責むる所なり、と。

詩曰、天之方蹶、無然泄泄。蹶、居衛反。泄、弋制反。○詩、大雅板之篇。蹶、顛覆之意。泄泄、怠緩悦從之貌。言天欲顚覆周室。群臣無得泄泄然、不急救正之。
【読み】
詩に曰く、天の方に蹶[くつがえ]すときに、然[しか]く泄泄たること無かれ、と。蹶は居衛の反。泄は弋制の反。○詩は大雅板の篇。蹶は顚覆の意。泄泄は、怠緩悦從の貌。言うこころは、天周室を顚覆せまく欲す。群臣泄泄然として、急に之を救正せざるを得ること無かれ、と。

泄泄、猶沓沓也。沓、徒合反。○沓沓、卽泄泄之意。蓋孟子時人語如此。
【読み】
泄泄は、猶沓沓のごとし。沓は徒合の反。○沓沓は卽ち泄泄の意。蓋し孟子の時の人の語此の如し。

事君無義、進退無禮、言則非先王之道者、猶沓沓也。非、詆毀也。
【読み】
君に事えて義無く、進退禮無く、言うては則ち先王の道を非[そし]る者は、猶沓沓のごとし。非は詆毀なり。

故曰、責難於君、謂之恭。陳善閉邪、謂之敬。吾君不能、謂之賊。范氏曰、人臣以難事責於君、使其君爲堯舜之君者、尊君之大也。開陳善道、以禁閉君之邪心、惟恐其君或陷於有過之地者、敬君之至也、謂其君不能行善道、而不以告者、賊害其君之甚也。鄒氏曰、自詩云天之方蹶至此、所以責其臣。○鄒氏曰、此章言、爲治者、當有仁心仁聞以行先王之政、而君臣又當各任其責也。
【読み】
故に曰く、難を君に責む、之を恭と謂う。善を陳べ邪を閉ず、之を敬と謂う。吾君能わじとす、之を賊と謂う、と。范氏曰く、人臣難き事を以て君を責め、其の君をして堯舜の君たらしめんとする者は、君を尊ぶことの大いなり。善道を開陳して、以て君の邪心を禁閉し、惟其の君或は過有るの地に陷らんことを恐るる者は、君を敬することの至れるなり。其の君善道を行うこと能わずと謂って、以て告げざる者は、其の君を賊害することの甚だしきなり。鄒氏曰く、詩云天之方蹶より此に至るまでは、其の臣を責むる所以なり。○鄒氏曰く、此の章言うこころは、治を爲す者は、當に仁心仁聞有るを以て先王の政を行うべし。而して君臣も又當に各々其の責を任ずべし、と。


離婁章句上2
○孟子曰、規矩、方員之至也。聖人、人倫之至也。至、極也。人倫說見前篇。規矩盡所以爲方員之理、猶聖人盡所以爲人之道。
【読み】
○孟子曰く、規矩は、方員の至りなり。聖人は、人倫の至りなり。至は極まるなり。人倫の說は前篇に見ゆ。規矩の方員と爲る所以の理を盡くすは、猶聖人の人爲る所以の道を盡くすがごとし。

欲爲君盡君道、欲爲臣盡臣道。二者皆法堯舜而已矣。不以舜之所以事堯事君、不敬其君者也。不以堯之所以治民治民、賊其民者也。法堯舜以盡君臣之道、猶用規矩以盡方員之極、此孟子所以道性善、而稱堯舜也。
【読み】
君爲らまく欲して君の道を盡くし、臣爲らまく欲して臣の道を盡くす。二つの者皆堯舜に法[のっと]らまくのみ。舜の堯に事うる所以を以て君に事えざるは、其の君を敬せざる者なり。堯の民を治むる所以を以て民を治めざるは、其の民を賊[そこな]う者なり。堯舜に法りて以て君臣の道を盡くすは、猶規矩を用いて以て方員の極を盡くすがごとし。此れ孟子性善を道いて、堯舜を稱する所以なり。

孔子曰、道二、仁與不仁而已矣。法堯舜、則盡君臣之道而仁矣。不法堯舜、則慢君賊民而不仁矣。二端之外、更無他道。出乎此、則入乎彼矣。可不謹哉。
【読み】
孔子曰く、道二つ、仁と不仁とのみ、と。堯舜に法るときは、則ち君臣の道を盡くして仁なり。堯舜に法らざるときは、則ち君を慢り民を賊[そこな]いて不仁なり。二端の外、更に他の道無し。此を出れば、則ち彼に入る。謹まざる可けんや。

暴其民甚、則身弑國亡。不甚、則身危國削。名之曰幽厲。雖孝子慈孫、百世不能改也。幽、暗。厲、虐。皆惡謚也。苟得其實、則雖有孝子慈孫、愛其祖考之甚者、亦不得廢公義而改之。言不仁之禍必至於此。可懼之甚也。
【読み】
其の民を暴[そこな]うこと甚だしきときは、則ち身弑され國亡ぶ。甚だしからざるときは、則ち身危く國削らる。之を名づけて幽厲と曰う。孝子慈孫と雖も、百世改むること能わず。幽は暗。厲は虐。皆惡き謚なり。苟し其の實を得るときは、則ち孝子慈孫、其の祖考を愛することの甚だしき者有りと雖も、亦公義を廢して之を改むることを得ず。言うこころは、不仁の禍は必ず此に至る。懼る可きの甚だしきなり、と。

詩云、殷鑒不遠、在夏后之世、此之謂也。詩、大雅蕩之篇。言商紂之所當鑒者、近在夏桀之世、而孟子引之、又欲後人以幽厲爲鑒也。
【読み】
詩に云く、殷の鑒[かがみ]遠からず、夏后の世に在りとは、此を謂うなり。詩は大雅蕩の篇。言うこころは、商紂の當に鑒とすべき所は、近く夏桀の世に在り、と。而して孟子之を引いて、又後人幽厲を以て鑒と爲さまく欲するなり。


離婁章句上3
○孟子曰、三代之得天下也、以仁。其失天下也、以不仁。三代、謂夏・商・周也。禹・湯・文・武、以仁得之、桀・紂・幽・厲、以不仁失之。
【読み】
○孟子曰く、三代の天下を得るは、仁を以てす。其の天下を失うは、不仁を以てす。三代は夏・商・周を謂うなり。禹・湯・文・武は、仁を以て之を得、桀・紂・幽・厲は、不仁を以て之を失う。

國之所以廢興存亡者亦然。國、謂諸侯之國。
【読み】
國の廢興存亡する所以の者も亦然り。國は、諸侯の國を謂う。

天子不仁、不保四海、諸侯不仁、不保社稷、卿大夫不仁、不保宗廟、士庶人不仁、不保四體。言必死亡。
【読み】
天子不仁なれば、四海を保たず、諸侯不仁なれば、社稷を保たず、卿大夫不仁なれば、宗廟を保たず、士庶人不仁なれば、四體を保たず。必ず死亡することを言う。

今惡死亡而樂不仁、是猶惡醉而強酒。惡、去聲。樂、音洛。強、上聲。○此承上章之意、而推言之也。
【読み】
今死亡を惡んで不仁を樂しむは、是れ猶醉を惡んで酒を強いるがごとし、と。惡は去聲。樂は音洛。強は上聲。○此れ上章の意を承けて、之を推して言うなり。


離婁章句上4
○孟子曰、愛人不親、反其仁。治人不治、反其智。禮人不答、反其敬。治人之治、平聲。不治之治、去聲。○我愛人而人不親我、則反求諸己。恐我之仁未至也。智・敬放此。
【読み】
○孟子曰く、人を愛して親しんぜざれば、其の仁に反る。人を治めて治まらざれば、其の智に反る。人を禮して答えざれば、其の敬に反る。治人の治は平聲。不治の治は去聲。○我人を愛して人我を親しまざれば、則ち諸を己に反り求む。我が仁未だ至らざらんことを恐るるなり。智・敬も此に放え。

行有不得者、皆反求諸己、其身正而天下歸之。不得、謂不得其所欲。如不親、不治、不答、是也。反求諸己、謂反其仁、反其智、反其敬也。如此、則其自治益詳、而身無不正矣。天下歸之、極言其效也。
【読み】
行うて得ざること有れば、皆反って諸を己に求む。其の身正しうして天下之に歸す。得ざるは、其の欲する所を得ざることを謂う。親しまず、治まらず、答えざるが如き、是れなり。諸を己に反り求むは、其の仁に反り、其の智に反り、其の敬に反るを謂うなり。此の如きときは、則ち其の自ら治まること益々詳らかにして、身正しからざること無し。天下之に歸すは、其の效を極言するなり。

詩云、永言配命。自求多福。解見前篇。○亦承上章而言。
【読み】
詩に云く、永く言[おも]うて命に配す。自ら多福を求む、と。解は前篇に見ゆ。○亦上章を承けて言う。


離婁章句上5
○孟子曰、人有恆言、皆曰、天下國家。天下之本在國、國之本在家、家之本在身。恆、胡登反。○恆、常也。雖常言之、而未必知其言之有序也。故推言之、而又以家本乎身也。此亦承上章而言之。大學所謂自天子至於庶人、壹是皆以脩身爲本、爲是故也。
【読み】
○孟子曰く、人恆の言有り、皆曰う、天下國家、と。天下の本は國に在り、國の本は家に在り、家の本は身に在り、と。恆は胡登の反。○恆は常なり。常に之を言うと雖も、而して未だ必ずしも其の言の序有ることを知らざるなり。故に之を推して言い、又家を以て身に本づけり。此も亦上章を承けて之を言う。大學謂う所の天子より庶人に至るまで、壹是に皆身を脩むるを以て本とすは、是が爲故なり。


離婁章句上6
○孟子曰、爲政不難。不得罪於巨室。巨室之所慕、一國慕之。一國之所慕、天下慕之。故沛然德敎溢乎四海。巨室、世臣大家也。得罪、謂身不正而取怨怒也。麥丘邑人祝齊桓公曰、願主君無得罪於羣臣百姓。意蓋如此。慕、向也。心悦誠服之謂也。沛然、盛大流行之貌。溢、充滿也。蓋巨室之心、難以力服、而國人素所取信。今旣悦服、則國人皆服、而吾德敎之所施、可以無遠而不至矣。此亦承上章而言。蓋君子不患人心之不服、而患吾身之不脩。吾身旣脩、則人心之難服者先服、而無一人之不服矣。○林氏曰、戰國之世、諸侯失德、巨室擅權、爲患甚矣。然或者不脩其本、而遽欲勝之、則未必能勝、而適以取禍。故孟子推本而言、惟務脩德以服其心。彼旣悦服、則吾之德敎無所留礙、可以及乎天下矣。裴度所謂韓弘輿疾討賊、承宗斂手削地、非朝廷之力能制其死命。特以處置得宜、能服其心故爾、正此類也。
【読み】
○孟子曰く、政をすること難からず。罪を巨室に得ざれ。巨室の慕う所、一國之を慕う。一國の慕う所、天下之を慕う。故に沛然として德敎四海に溢る、と。巨室は、世臣大家なり。罪を得るは、身正しからずして怨怒を取ることを謂う。麥丘の邑の人齊の桓公を祝して曰く、願わくは主君罪を羣臣百姓に得ること無かれ、と。意は蓋し此の如し。慕は向かうなり。心に悦び誠に服すの謂なり。沛然は、盛大にして流行するの貌。溢は、充滿なり。蓋し巨室の心、力を以て服し難くして、國人の素より信を取る所なり。今旣に悦服するときは、則ち國人皆服して、吾が德敎の施す所、以て遠くして至らざること無かる可し。此も亦上章を承けて言う。蓋し君子は人心の服さざることを患えずして、吾が身の脩まらざることを患う。吾が身旣に脩まるときは、則ち人心の服し難き者先ず服して、一人も服さざること無し。○林氏曰く、戰國の世は、諸侯德を失い、巨室權を擅[ほしいまま]にし、患えを爲すこと甚だし。然れども或は其の本を脩めずして、遽に之に勝たまく欲せば、則ち未だ必ずしも能く勝たずして、適に以て禍を取る。故に孟子本を推して言う、惟德を脩めて以て其の心を服さんことを務めよ。彼旣に悦服するときは、則ち吾が德敎留礙する所無く、以て天下に及ぶ可し、と。裴度謂う所の韓弘疾を輿して賊を討ち、承宗手を斂めて地を削るは、朝廷の力能く其の死命を制するに非ず。特[ただ]處置の宜しきを得、能く其の心を服するを以て故のみ。正に此の類なり、と。


離婁章句上7
○孟子曰、天下有道、小德役大德、小賢役大賢。天下無道、小役大、弱役強。斯二者天也。順天者存、逆天者亡。有道之世、人皆脩德、而位必稱其德之大小、天下無道、人不脩德、則但以力相役而已。天者、理勢之當然也。
【読み】
○孟子曰く、天下道有れば、小德大德に役し、小賢大賢に役す。天下道無ければ、小大に役し、弱強に役す。斯の二つの者は天なり。天に順う者は存す。天に逆う者は亡す、と。道有る世は、人皆德を脩めて、位は必ず其の德の大小に稱い、天下道無く、人德を脩めざるときは、則ち但力を以て相役すのみ。天は、理勢の當然なり。

齊景公曰、旣不能令、又不受命、是絶物也。涕出而女於吳。女、去聲。○引此以言小役大、弱役強之事也。令、出令以使人也。受命、聽命於人也。物、猶人也。女、以女與人也。吳、蠻夷之國也。景公羞與爲昏、而畏其強。故涕泣而以女與之。
【読み】
齊の景公曰く、旣に令すること能わず、又命を受けざるは、是れ物を絶つなり、と。涕出でて吳に女[めあ]わす。女は去聲。○此を引いて以て小は大に役し、弱は強に役す事を言うなり。令は、令を出して以て人を使うなり。命を受くは、命を人に聽くなり。物は猶人のごとし。女は、女を以て人に與うなり。吳は蠻夷の國なり。景公與に昏を爲すことを羞ずるも、其の強きを畏る。故に涕泣して女を以て之に與う。

今也小國師大國、而恥受命焉、是猶弟子而恥受命於先師也。言小國不脩德以自強、其般樂怠敖、皆若效大國之所爲者、而獨恥受其敎命、不可得也。
【読み】
今小國大國を師として、命を受くることを恥ずるは、是れ猶弟子にして命を先師に受くることを恥ずるがごとし。言うこころは、小國德を脩めて以て自ら強[つと]めず、其の般樂怠敖すること、皆大國のする所に效う者の若くして、獨り其の敎命を受くることを恥ずるは、得可からざるなり、と。

如恥之、莫若師文王。師文王、大國五年、小國七年、必爲政於天下矣。此因其愧恥之心、而勉以脩德也。文王之政、布在方策、舉而行之、所謂師文王也。五年七年、以其所乘之勢不同爲差。蓋天下雖無道、然脩德之至、則道自我行、而大國反爲吾役矣。程子曰、五年七年、聖人度其時則可矣。然凡此類、學者皆當思其作爲如何。乃有益耳。
【読み】
如し之を恥じば、文王を師とするに若くは莫し。文王を師とせば、大國は五年、小國は七年、必ず政を天下にせん。此れ其の愧じ恥ずるの心に因りて、勉むるに德を脩むることを以てす。文王の政は、布いて方策に在り、舉げて之を行えば、謂う所の文王を師とするなり。五年七年は、其の乘ずる所の勢同じからざるを以て差と爲す。蓋し天下道無しと雖も、然れども德を脩むるの至りは、則ち道自ら我より行われて、大國も反って吾が役と爲す。程子曰く、五年七年は、聖人其の時を度るときは則ち可なり。然れども凡て此の類、學者皆當に其の作爲の如何を思うべし。乃ち益有るのみ、と。

詩云、商之孫子、其麗不億。上帝旣命、侯于周服。侯服于周、天命靡常。殷士膚敏、祼將于京。孔子曰、仁不可爲衆也。夫國君好仁、天下無敵。祼、音灌。夫、音扶。好、去聲。○詩、大雅文王之篇。孟子引此詩及孔子之言、以言文王之事。麗、數也。十萬曰億。侯、維也。商士、商孫子之臣也。膚、大也。敏、達也。祼、宗廟之祭、以鬱鬯之酒灌地而降神也。將、助也。言商之孫子衆多、其數不但十萬而已。上帝旣命周以天下、則凡此商之孫子、皆臣服于周矣。所以然者、以天命不常、歸于有德故也。是以商士之膚大而敏達者、皆執祼獻之禮、助王祭事于周之京師也。孔子因讀此詩而言、有仁者則雖有十萬之衆、不能當之。故國君好仁、則必無敵於天下也。不可爲衆、猶所謂難爲兄難爲弟云爾。
【読み】
詩に云く、商の孫子、其の麗[かず]億のみならず。上帝旣に命じて、侯[こ]れ周に服す。侯れ周に服すること、天命常靡[な]ければなり。殷士膚敏なるも、祼[かん]して京を將[たす]く、と。孔子曰く、仁には衆を爲す可からず。夫れ國君仁を好めば、天下敵無し、と。祼は音灌。夫は音扶。好は去聲。○詩は大雅文王の篇。孟子此の詩及び孔子の言を引いて、以て文王の事を言う。麗は數なり。十萬を億と曰う。侯は維れなり。商士は、商の孫子の臣なり。膚は大いなり。敏は達するなり。祼は、宗廟の祭に、鬱鬯[うっちょう]の酒を以て地に灌ぎて神を降すなり。將は助くなり。言うこころは、商の孫子衆多、其の數但十萬のみならず。上帝旣に周に命ずるに天下を以てすれば、則ち凡て此の商の孫子は、皆周に臣服す。然る所以は、天命常ならず、有德に歸す故を以てなり。是を以て商士の膚大にして敏達なる者は、皆祼獻の禮を執り、王の祭事を周の京師に助くなり、と。孔子此の詩を讀むに因りて言う、仁有る者は則ち十萬の衆有りと雖も、之に當たること能わず、と。故に國君仁を好むときは、則ち必ず天下に敵無し。衆を爲す可からずは、猶所謂兄爲り難く弟爲り難しと爾か云うがごとし。

今也欲無敵於天下、而不以仁。是猶執熱而不以濯也。詩云、誰能執熱、逝不以濯。恥受命於大國、是欲無敵於天下也。乃師大國、而不師文王、是不以仁也。詩、大雅桑柔之篇。逝、語辭也。言誰能執持熱物、而不以水自濯其手乎。○此章言不能自強、則聽天所命、脩德行仁、則天命在我。
【読み】
今天下に敵無からまく欲して、仁を以てせず。是れ猶熱きを執って濯うことを以てせざるがごとし。詩に云く、誰か能く熱きを執って、逝[ここ]に濯うことを以てせざらん、と。命を大國に受くるを恥ずるは、是れ天下に敵無からまく欲するなり。乃ち大國を師として、文王を師とせざるは、是れ仁を以てせざるなり。詩は大雅桑柔の篇。逝は語辭なり。言うこころは、誰か能く熱き物を執り持つに、水を以て自ら其の手を濯わざらんや、と。○此の章言うこころは、自ら強むること能わざるときは、則ち天の命ずる所を聽き、德を脩め仁を行うときは、則ち天命我に在り、と。


離婁章句上8
○孟子曰、不仁者、可與言哉。安其危而利其菑、樂其所以亡者。不仁而可與言、則何亡國敗家之有。菑、與災同。樂、音洛。○安其危利其菑者、不知其爲危菑、而反以爲安利也。所以亡者、謂荒淫暴虐、所以致亡之道也。不仁之人、私欲固蔽、失其本心。故其顚倒錯亂至於如此。所以不可告以忠言、而卒至於敗亡也。
【読み】
○孟子曰く、不仁者は、與に言う可けんや。其の危きを安んじて其の菑[わざわい]を利とし、其の亡ぶる所以の者を樂しむ。不仁にして與に言う可くば、則ち何ぞ國を亡ぼし家を敗[やぶ]ること有らん。菑は災いと同じ。樂は音洛。○其の危きを安んじ其の菑を利とすは、其の危菑と爲ることを知らずして、反って以て安利と爲す。亡ぶる所以の者は、荒淫暴虐の、亡を致す所以の道なるを謂うなり。不仁の人は、私欲固く蔽い、其の本心を失う。故に其の顚倒錯亂此の如きに至る。告ぐるに忠言を以てす可からずして、卒に敗亡に至る所以なり。

有孺子、歌曰、滄浪之水淸兮、可以濯我纓、滄浪之水濁兮、可以濯我足。浪、音郎。○滄浪、水名。纓、冠系也。
【読み】
孺子有り、歌って曰く、滄浪の水淸[す]めらば、以て我が纓を濯う可し、滄浪の水濁らば、以て我が足を濯う可し、と。浪は音郎。○滄浪は水の名。纓は冠の系なり。

孔子曰、小子聽之。淸斯濯纓、濁斯濯足矣。自取之也。言水之淸濁、有以自取之也。聖人聲入心通、無非至理。此類可見。
【読み】
孔子曰く、小子之を聽け。淸めれば斯[すなわ]ち纓を濯い、濁れば斯ち足を濯う。自ら之を取れり、と。言うこころは、水の淸濁、以て自ら之を取ること有り、と。聖人聲入りて心通じ、至理に非ざること無し。此の類見る可し。

夫人必自侮、然後人侮之。家必自毀、而後人毀之。國必自伐、而後人伐之。夫、音扶。○所謂自取之者。
【読み】
夫れ人必ず自ら侮って、然して後に人之を侮る。家必ず自ら毀[やぶ]って、而して後に人之を毀る。國必ず自ら伐って、而して後に人之を伐つ。夫は音扶。○謂う所の自ら之を取る者なり。

太甲曰、天作孼、猶可違。自作孼、不可活、此之謂也。解見前篇。○此章言、心存、則有以審夫得失之幾、不存、則無以辨於存亡之著。禍福之來、皆其自取。
【読み】
太甲に曰く、天の作[な]せる孼[わざわい]は、猶違[さ]く可し。自ら作せる孼は、活[い]く可からずとは、此を謂うなり、と。解は前篇に見ゆ。○此の章言うこころは、心存するときは則ち以て夫の得失の幾を審らかにすること有り、存せざるときは、則ち以て存亡の著なるを辨くこと無し。禍福の來ること、皆其れ自ら取るなり、と。


離婁章句上9
○孟子曰、桀紂之失天下也、失其民也。失其民者、失其心也。得天下有道。得其民、斯得天下矣。得其民有道。得其心、斯得民矣。得其心有道。所欲與之聚之、所惡勿施爾也。惡、去聲。○民之所欲、皆爲致之、如聚斂然。民之所惡、則勿施於民。鼂錯所謂人情莫不欲壽。三王生之而不傷。人情莫不欲富。三王厚之而不困。人情莫不欲安。三王扶之而不危。人情莫不欲逸。三王節其力而不盡、此類之謂也。
【読み】
○孟子曰く、桀紂が天下を失うは、其の民を失えばなり。其の民を失うは、其の心を失えばなり。天下を得るに道有り。其の民を得れば、斯[すなわ]ち天下を得。其の民を得るに道有り。其の心を得れば、斯ち民を得。其の心を得るに道有り。欲する所をば之が與[ため]に之を聚め、惡みんずる所をば施すこと勿からまくのみ。惡は去聲。○民の欲する所、皆爲に之を致すは、聚斂の如く然り。民の惡む所は、則ち民に施すこと勿かれ。鼂錯[ちょうそ]謂う所の、人の情として壽を欲せざること莫し。三王之を生かして傷わず。人の情として富を欲せざること莫し。三王之を厚うして困しめず。人の情として安きを欲せざること莫し。三王之を扶けて危くせず。人の情として逸を欲せざること莫し。三王其の力を節して盡くさせずとは、此の類を謂うなり。

民之歸仁也、猶水之就下、獸之走壙也。走、音奏。○壙、廣野也。言民之所以歸乎此、以其所欲之在乎此也。
【読み】
民の仁に歸すること、猶水の下に就き、獸の壙[のら]に走[おもむ]くがごとし。走は音奏。○壙は廣き野なり。言うこころは、民の此に歸す所以は、其の欲する所の此に在るを以てなり、と。

故爲淵敺魚者、獺也。爲叢敺爵者、鸇也。爲湯武敺民者、桀與紂也。爲、去聲。敺、與驅同。獺、音闥。爵、與雀同。鸇、諸延反。○淵、深水也。獺、食魚者也。叢、茂林也。鸇、食雀者也。言民之所以去此、以其所欲在彼而所畏在此也。
【読み】
故に淵の爲に魚を敺[か]る者は、獺[かわうそ]なり。叢の爲に爵[すずめ]を敺る者は、鸇[はやぶさ]なり。湯武の爲に民を敺る者は、桀と紂となり。爲は去聲。敺は驅ると同じ。獺は音闥。爵は雀と同じ。鸇は諸延の反。○淵は深き水なり。獺は魚を食う者なり。叢は茂れる林なり。鸇は雀を食う者なり。言うこころは、民の此を去る所以は、其の欲する所彼に在りて、畏るる所此に在るを以てなり、と。

今天下之君、有好仁者、則諸侯皆爲之敺矣。雖欲無王、不可得已。好・爲・王、並去聲。
【読み】
今天下の君、仁を好む者有るときは、則ち諸侯皆之が爲に敺らん。王たること無からまく欲すと雖も、得可からざらくのみ。好・爲・王は並去聲。

今之欲王者、猶七年之病求三年之艾也。苟爲不畜、終身不得。苟不志於仁、終身憂辱、以陷於死亡。王、去聲。○艾、草名。所以灸者。乾久益善。夫病已深、而欲求乾久之艾、固難卒辦。然自今畜之、則猶或可及。不然、則病日益深、死日益迫、而艾終不可得矣。
【読み】
今の王たらまく欲する者は、猶七年の病に三年の艾[よもぎ]を求むるがごとし。苟し畜えざることをせば、身を終うるまで得じ。苟し仁に志さざれば、身を終うるまで憂え辱められて、以て死亡に陷らん。王は去聲。○艾は草の名。以て灸をする所の者。乾くこと久しくして益々善し。夫れ病已に深くして、乾くこと久しき艾を求めまく欲するは、固より卒[にわか]に辦じ難し。然れども今より之を畜えば、則ち猶或は及ぶ可し。然らずば、則ち病日々に益々深く、死日々に益々迫り、艾終に得可からず。

詩云、其何能淑、載胥及溺、此之謂也。詩、大雅桑柔之篇。淑、善也。載、則也。胥、相也。言今之所爲、其何能善。則相引以陷於亂亡而已。
【読み】
詩に云く、其れ何ぞ能く淑[よ]けん、載[すなわ]ち胥[あい]及[とも]に溺れんとは、此を謂えり、と。詩は大雅桑柔の篇。淑は善いなり。載は則ちなり。胥は相なり。言うこころは、今のする所、其れ何ぞ能く善からん。則ち相引きいて以て亂亡に陷るのみ、と。


離婁章句上10
○孟子曰、自暴者、不可與有言也。自棄者、不可與有爲也。言非禮義、謂之自暴也。吾身不能居仁由義、謂之自棄也。暴、猶害也。非、猶毀也。自害其身者、不知禮義之爲美而非毀之。雖與之言、必不見信也。自棄其身者、猶知仁義之爲美、但溺於怠惰、自謂必不能行。與之有爲、必不能勉也。程子曰、人苟以善自治、則無不可移者。雖昏愚之至、皆可漸磨而進也。惟自暴者拒之以不信、自棄者絶之以不爲。雖聖人與居、不能化而入也。此所謂下愚之不移也。
【読み】
○孟子曰く、自ら暴[そこな]う者は、與に言うこと有る可からず。自ら棄つる者は、與にすること有る可からず。言禮義を非る、之を自ら暴うと謂う。吾が身仁に居り義に由ること能わじとす、之を自ら棄つと謂う。暴は、猶害うのごとし。非は、猶毀るのごとし。自ら其の身を害う者は、禮義の美爲るを知らずして之を非毀す。之と與に言うと雖も、必ず信じられず。自ら其の身を棄つる者は、猶仁義の美爲るを知りて、但怠惰に溺れ、自ら必ず行うこと能わずと謂う。之と與にすること有れば、必ず勉むること能わず。程子曰く、人苟し善を以て自ら治めるときは、則ち移す可からざる者無し。昏愚の至りと雖も、皆漸磨して進む可し。惟自ら暴う者は之を拒みて以て信ぜず、自ら棄つる者は之を絶ちて以てせず。聖人與に居ると雖も、化して入ること能わず。此れ所謂下愚の移らざるなり、と。

仁、人之安宅也。義、人之正路也。仁宅已見前篇。義者、宜也。乃天理之當行、無人欲之邪曲。故曰正路。
【読み】
仁は、人の安宅なり。義は、人の正路なり。仁宅は已に前篇に見ゆ。義は宜なり。乃ち天理の當に行われるべくして、人欲の邪曲無し。故に正路と曰う。

曠安宅而弗居、舍正路而不由、哀哉。舍、上聲。○曠、空也。由、行也。○此章言道本固有、而人自絶之。是可哀也。此聖賢之深戒、學者所當猛省也。
【読み】
安宅を曠[むな]しうして居らず、正路を舍てて由らず、哀しいかな、と。舍は上聲。○曠は空しいなり。由は行くなり。○此の章言うこころは、道は本固有にして、人自ら之を絶つ。是れ哀しむ可し。此れ聖賢の深く戒め、學者當に猛省すべき所なり。


離婁章句上11
○孟子曰、道在爾、而求諸遠。事在易、而求諸難。人人親其親、長其長、而天下平。爾・邇、古字通用。易、去聲。長、上聲。○親長在人爲甚邇。親之長之、在人爲甚易。而道初不外是也。舍此而他求、則遠且難、而反失之。但人人各親其親、各長其長、則天下自平矣。
【読み】
○孟子曰く、道爾[ちか]きに在れども、而も諸を遠きに求む。事易きに在れども、而も諸を難きに求む。人人其の親を親とし、其の長を長として、天下平かなり、と。爾・邇は古字通用す。易は去聲。長は上聲。○親長は人に在りて甚だ邇きとす。之を親とし之を長とするは、人に在りて甚だ易しとす。而も道初めより是に外れず。此を舍てて他に求むれば、則ち遠く且つ難くして、反って之を失う。但人人各々其の親を親とし、各々其の長を長とすれば、則ち天下自ら平かなり。


離婁章句上12
○孟子曰、居下位而不獲於上、民不可得而治也。獲於上有道。不信於友、弗獲於上矣。信於友有道。事親弗悦、弗信於友矣。悦親有道。反身不誠、不悦於親矣。誠身有道。不明乎善、不誠其身矣。獲於上、得其上之信任也。誠、實也。反身不誠、反求諸身、而其所以爲善之心、有不實也。不明乎善、不能卽事以竆理、無以眞知善之所在也。游氏曰、欲誠其意、先致其知。不明乎善、不誠乎身矣。學至於誠身、則安往而不致其極哉。以内則順乎親、以外則信乎友、以上則可以得君、以下則可以得民矣。
【読み】
○孟子曰く、下位に居て上に獲ざれば、民得て治む可からず。上に獲るに道有り。友に信ぜられざれば、上に獲ず。友に信ぜらるるに道有り。親に事えて悦ばれざれば、友に信ぜられず。親に悦ばるるに道有り。身に反って誠あらざれば、親に悦ばれず。身を誠にするに道有り。善に明らかならざれば、其の身に誠あらず。上に獲るは、其の上の信任を得るなり。誠は實なり。身に反って誠ならずは、諸を身に反り求めて、其の以て善を爲す所の心に、實あらざること有るなり。善に明らかならずは、事に卽いて以て理を竆むること能わず、以て眞に善の在る所を知ること無きなり。游氏曰く、其の意を誠にせまく欲すれば、先ず其の知を致す。善に明らかならざれば、身に誠あらず。學びて身を誠にするに至るときは、則ち安くに往くとして其の極を致さざらん。内には以て則ち親に順、外には以て則ち友に信、上には以て則ち以て君を得可く、下には以て則ち以て民を得可し、と。

是故誠者、天之道也。思誠者、人之道也。誠者、理之在我者、皆實而無僞、天道之本然也。思誠者、欲此理之在我者皆實而無僞。人道之當然也。
【読み】
是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。誠は、理の我に在る者にて、皆實にして僞り無し。天道の本然なり。誠を思うは、此の理の我に在る者、皆實にして僞り無からまく欲するなり。人道の當然なり。

至誠而不動者、未之有也。不誠、未有能動者也。至、極也。楊氏曰、動便是驗處。若獲乎上、信乎友、悦於親之類是也。○此章述中庸孔子之言、見思誠爲脩身之本、而明善又爲思誠之本。乃子思所聞於曾子、而孟子所受乎子思者。亦與大學相表裏。學者宜潛心焉。
【読み】
至誠にして動かざる者、未だ之れ有らず。誠あらざれば、未だ能く動かす者有らず。至は極なり。楊氏曰く、動かすは便ち是れ驗ある處。上に獲る、友に信ぜらる、親に悦ばるるの類の若き、是れなり、と。○此の章中庸孔子の言を述べて、誠を思うは身を脩むるの本と爲し、善を明らかにするも又誠を思うの本と爲すことを見る。乃ち子思の曾子に聞ける所にして、孟子の子思より受く所なり。亦大學と相表裏す。學者宜しく心を潛むべし。


離婁章句上13
○孟子曰、伯夷辟紂、居北海之濱、聞文王作、興曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老者。太公辟紂、居東海之濱、聞文王作、興曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老者。辟、去聲。○作・興、皆起也。盍、何不也。西伯、卽文王也。紂命爲西方諸侯之長、得專征伐。故稱西伯。太公、姜姓、呂氏、名尙。文王發政、必先鰥寡孤獨、庶人之老、皆無凍餒。故伯夷・太公來就其養。非求仕也。
【読み】
○孟子曰く、伯夷紂を辟けて、北海の濱[ほとり]に居り、文王の作[おこ]るを聞いて、興って曰く、盍ぞ歸せざらんや。吾聞く、西伯は善く老を養う者なり、と。太公紂を辟けて、東海の濱に居り、文王の作るを聞いて、興って曰く、盍ぞ歸せざらんや。吾聞く、西伯は善く老を養う者なり、と。辟は去聲。○作・興は皆起こるなり。盍は、何不なり。西伯は卽ち文王なり。紂命じて西方諸侯の長とし、征伐を專らにすることを得。故に西伯と稱す。太公は姜姓、呂氏、名は尙。文王政を發すときは、必ず鰥寡[かんか]孤獨を先にし、庶人の老も、皆凍餒すること無し。故に伯夷・太公來りて其の養いに就く。仕えを求むるに非ざるなり。

二老者、天下之大老也、而歸之、是天下之父歸之也。天下之父歸之、其子焉往。焉、於虔反。○二老、伯夷・太公也。大老、言非常人之老者。天下之父、言齒德皆尊、如衆父然。旣得其心、則天下之心不能外矣。蕭何所謂養民致賢、以圖天下者、暗與此合。但其意則有公私之辨。學者又不可以不察也。
【読み】
二老は、天下の大老なり。而も之に歸す。是れ天下の父之に歸す。天下の父之に歸す、其の子焉[いずく]にか往かん。焉は於虔の反。○二老は伯夷・太公なり。大老は、常人の老者に非ざることを言う。天下の父は、齒德皆尊くして、衆父の如く然ることを言う。旣に其の心を得るときは、則ち天下の心外にすること能わず。蕭何謂う所の民を養い賢を致し、以て天下を圖るとは、暗に此と合す。但其の意は則ち公私の辨かち有り。學者又以て察せずんばある可からず。

諸侯有行文王之政者、七年之内、必爲政於天下矣。七年、以小國而言也。大國五年、在其中矣。
【読み】
諸侯文王の政を行う者有らば、七年が内、必ず政を天下にせん、と。七年は、小國を以て言えり。大國の五年も、其の中に在り。


離婁章句上14
○孟子曰、求也爲季氏宰、無能改於其德、而賦粟倍他日。孔子曰、求非我徒也、小子鳴鼓而攻之可也。求、孔子弟子冉求。季氏、魯卿。宰、家臣。賦、猶取也。取民之粟倍於他日也。小子、弟子也。鳴鼓而攻之、聲其罪而責之也。
【読み】
○孟子曰く、求季氏が宰と爲り、能く其の德を改むること無くして、粟を賦[と]ること他日よりも倍せり。孔子曰く、求は我が徒に非ず、小子鼓を鳴らして之を攻めんこと可なり、と。求は孔子の弟子冉求。季氏は魯の卿。宰は家臣。賦は猶取るのごとし。民の粟を取ること他日よりも倍せり。小子は弟子なり。鼓を鳴して之を攻むは、其の罪を聲[な]らして之を責むるなり。

由此觀之、君不行仁政、而富之、皆棄於孔子者也。況於爲之強戰。爭地以戰、殺人盈野、爭城以戰、殺人盈城。此所謂率土地而食人肉。罪不容於死。爲、去聲。○林氏曰、富其君者、奪民之財耳。而夫子猶惡之。況爲土地之故而殺人、使其肝腦塗地、則是率土地而食人之肉。其罪之大、雖至於死、猶不足以容之也。
【読み】
此に由って之を觀れば、君仁政を行わず、而るを之を富ますは、皆孔子に棄てらるる者なり。況や之が爲に強戰するに於てや。地を爭いて以て戰い、人を殺して野に盈て、城を爭いて以て戰い、人を殺して城に盈つ。此れ所謂土地を率いて人肉を食ましむ。罪死にも容れられず。爲は去聲。○林氏曰く、其の君を富ますは、民の財を奪うのみ。而して夫子猶之を惡む。況や土地の爲の故に人を殺して、其の肝腦を地に塗らしむは、則ち是れ土地を率いて人の肉を食ましむなり。其の罪の大いなること、死に至ると雖も、猶以て之を容るるに足らざるなり、と。

故善戰者服上刑。連諸侯者次之。辟草萊、任土地者次之。辟、與闢同。○善戰、如孫臏・吳起之徒。連結諸侯、如蘇秦・張儀之類。辟、開墾也。任土地、謂分土授民、使任耕稼之責、如李悝盡地力、商鞅開阡陌之類也。
【読み】
故に善く戰う者は上刑を服す。諸侯を連ぬる者は之に次ぐ。草萊を辟[ひら]き、土地を任する者は之に次ぐ、と。辟は闢と同じ。○善く戰うは、孫臏・吳起が徒の如し。諸侯を連ね結ぶは、蘇秦・張儀が類の如し。辟は開墾なり。土地を任するは、土を分けて民に授け、耕稼の責を任せしむることを謂う。李悝が地力を盡くし、商鞅が阡陌を開くの類の如し。


離婁章句上15
○孟子曰、存乎人者、莫良於眸子。眸子不能掩其惡。胸中正、則眸子瞭焉。胸中不正、則眸子眊焉。眸、音牟。瞭、音了。眊、音耄。○良、善也。眸子、目瞳子也。瞭、明也。眊者、蒙蒙、目不明之貌。蓋人與物接之時、其神在目。故胸中正則神精而明、不正則神散而昏。
【読み】
○孟子曰く、人に存するは、眸子[ぼうし]より良きは莫し。眸子は其の惡を掩うこと能わず。胸中正しきときは、則ち眸子瞭焉たり。胸中正しからざるときは、則ち眸子眊焉[ぼうえん]たり。眸は音牟。瞭は音了。眊は音耄。○良は善しなり。眸子は目の瞳子なり。瞭は明らかなり。眊は、蒙蒙として、目の明らかならざるの貌。蓋し人物と接わる時、其の神は目に在り。故に胸中正しきときは則ち神精にして明らかに、正しからざるときは則ち神散[あら]けて昏し。

聽其言也、觀其眸子、人焉廋哉。焉、於虔反。廋、音搜。○廋、匿也。言亦心之所發。故幷此以觀、則人之邪正不可匿矣。然言猶可以僞爲。眸子則有不容僞者。
【読み】
其の言を聽き、其の眸子を觀ば、人焉んぞ廋[かく]さんや、と。焉は於虔の反。廋は音搜。○廋は匿すなり。言も亦心の發する所。故に此を幷せて以て觀るときは、則ち人の邪正匿す可からず。然れども言は猶僞りを以てす可し。眸子は則ち僞りを容れざる者有り。


離婁章句上16
○孟子曰、恭者不侮人、儉者不奪人。侮奪人之君、惟恐不順焉、惡得爲恭儉。恭儉豈可以聲音笑貌爲哉。惡、平聲。○惟恐不順、言恐人之不順己。聲音笑貌、僞爲於外也。
【読み】
○孟子曰く、恭者は人を侮らず、儉者は人を奪わず。人を侮り奪う君は、惟順わざらんことを恐る。惡んぞ恭儉爲ることを得ん。恭儉豈聲音笑貌を以てす可けんや、と。惡は平聲。○惟順わざらんことを恐るは、人の己に順わざらんことを恐るることを言う。聲音笑貌は、僞りて外を爲るなり。


離婁章句上17
○淳于髠曰、男女授受不親、禮與。孟子曰、禮也。曰、嫂溺則援之以手乎。曰、嫂溺不援、是豺狼也。男女授受不親、禮也。嫂溺援之以手者、權也。與、平聲。援、音爰。○淳于、姓、髠、名。齊之辯士。授、與也。受、取也。古禮、男女不親授受、以遠別也。援、救之也。權、稱錘也。稱物輕重、而往來以取中者也。權而得中、是乃禮也。
【読み】
○淳于髠[じゅんうこん]曰く、男女授受親[みずか]らせざるは、禮か、と。孟子曰く、禮なり、と。曰く、嫂溺るるときは則ち之を援[すく]うに手を以てせんか、と。曰く、嫂溺るるときに援わざるは、是れ豺狼なり。男女授受親[みずか]らせざるは、禮なり。嫂溺るるとき之を援うに手を以てするは、權なり、と。與は平聲。援は音爰。○淳于は姓、髠は名。齊の辯士なり。授は與うなり。受は取るなり。古の禮、男女親ら授受せざるは、以て遠く別つなり。援は之を救うなり。權は稱の錘なり。物の輕重を稱るに、往來して以て中を取る者なり。權って中を得、是れ乃ち禮なり。

曰、今天下溺矣。夫子之不援、何也。言今天下大亂、民遭陷溺。亦當從權以援之、不可守先王之正道也。
【読み】
曰く、今天下溺れり。夫子の援わざること、何ぞ、と。言うこころは、今天下大いに亂れて、民陷溺に遭う。亦當に權に從いて以て之を援うべく、先王の正道を守る可からず、と。

曰、天下溺、援之以道、嫂溺、援之以手。子欲手援天下乎。言天下溺、惟道可以救之。非若嫂溺可手援也。今子欲援天下、乃欲使我枉道求合、則先失其所以援之之具矣。是欲使我以手援天下乎。○此章言直己守道、所以濟時、枉道狥人、徒爲失己。
【読み】
曰く、天下溺るるときは、之を援うに道を以てす。嫂溺るるときは、之を援うに手を以てす。子手をもって天下を援わまく欲するか、と。言うこころは、天下溺るるときは、惟道のみ以て之を救う可し。嫂溺るるときに手をもって援う可きが若きに非ざるなり。今子天下を援わまく欲して、乃ち我をして道を枉げて合わんことを求めしめまく欲するは、則ち先ず其の之を援う所以の具を失わしむ。是れ我をして手を以て天下を援わしめまく欲すか、と。○此の章言うこころは、己を直くして道を守るは、時を濟[すく]う所以にて、道を枉げ人に狥[したが]うは、徒[ただ]に己を失うと爲す、と。


離婁章句上18
○公孫丑曰、君子之不敎子、何也。不親敎也。
【読み】
○公孫丑曰く、君子の子を敎えざること、何ぞ、と。親[みずか]ら敎えざるなり。

孟子曰、勢不行也。敎者必以正。以正不行、繼之以怒。繼之以怒、則反夷矣。夫子敎我以正。夫子未出於正也。則是父子相夷也。父子相夷、則惡矣。夷、傷也。敎子者、本爲愛其子也。繼之以怒、則反傷其子矣。父旣傷其子、子之心又責其父曰、夫子敎我以正道、而夫子之身未必自行正道。則是子又傷其父也。
【読み】
孟子曰く、勢行われざればなり。敎うる者は必ず正しきを以てす。正しきを以てして行われざれば、之に繼ぐに怒を以てす。之に繼ぐに怒を以てするときは、則ち反って夷[そこな]う。夫子我に敎うるに正しきを以てす。夫子未だ正しきに出でず、と。則ち是れ父子相夷うなり。父子相夷うときは、則ち惡し。夷は傷うなり。子を敎うるは、本より其の子を愛するが爲なり。之に繼ぐに怒を以てするときは、則ち反って其の子を傷うなり。父旣に其の子を傷えば、子の心も又其の父を責めて曰う、夫子我に敎うるに正道を以てすれども、夫子の身未だ必ずしも自ら正道を行わず、と。則ち是れ子も又其の父を傷うなり。

古者易子而敎之。易子而敎、所以全父子之恩、而亦不失其爲敎。
【読み】
古は子を易えて之を敎う。子を易えて敎うは、父子の恩を全うする所以にして、亦其の敎を爲すことも失わず。

父子之閒不責善。責善則離。離則不祥莫大焉。責善、朋友之道也。○王氏曰、父有爭子、何也。所謂爭者、非責善也。當不義則爭之而已矣。父之於子也如何。曰、當不義、則亦戒之而已矣。
【読み】
父子の閒は善を責めず。善を責むるときは則ち離る。離るるときは則ち不祥焉より大いなるは莫し、と。善を責むるは、朋友の道なり。○王氏曰く、父爭子有るは、何ぞ。所謂爭[いさ]むは、善を責むるに非ず。不義に當りては則ち之を爭むるのみ。父の子に於ること如何。曰く、不義に當たりては、則ち亦之を戒むるのみ、と。


離婁章句上19
○孟子曰、事孰爲大。事親爲大。守孰爲大。守身爲大。不失其身、而能事其親者、吾聞之矣。失其身、而能事其親者、吾未之聞也。守身、持守其身、使不陷於不義也。一失其身、則虧體辱親。雖日用三牲之養、亦不足以爲孝矣。
【読み】
○孟子曰く、事うること孰れをか大いなりとす。親に事るを大いなりとす。守ること孰れをか大いなりとす。身を守るを大いなりとす。其の身を失わずして、能く其の親に事る者をば、吾之を聞けり。其の身を失って、能く其の親に事る者をば、吾未だ之を聞かず、と。身を守るは、其の身を持守して、不義に陷らざらしむなり。一たび其の身を失うときは、則ち體を虧[か]き親を辱む。日々に三牲の養いを用うと雖も、亦以て孝とするに足らず。

孰不爲事。事親、事之本也。孰不爲守。守身、守之本也。事親孝、則忠可移於君、順可移於長。身正、則家齊、國治、而天下平。
【読み】
孰れを事るとせざらん。親に事るは、事うるが本なり。孰れを守るとせざらん。身を守るは、守るが本なり。親に事えて孝なるときは、則ち忠君に移す可く、順長に移す可し。身正しきときは、則ち家齊い、國治まりて、天下平かなり。

曾子養曾皙、必有酒肉。將徹、必請所與。問有餘、必曰有。曾皙死。曾元養曾子、必有酒肉。將徹、不請所與。問有餘、曰亡矣。將以復進也。此所謂養口體者也。若曾子、則可謂養志也。養、去聲。復、扶又反。○此承上文事親言之。曾皙、名點。曾子父也。曾元、曾子子也。曾子養其父、每食必有酒肉。食畢將徹去、必請於父曰、此餘者與誰。或父問此物尙有餘否、必曰有。恐親意更欲與人也。曾元不請所與、雖有言無。其意將以復進於親、不欲其與人也。此但能養父母之口體而已。曾子則能承順父母之志、而不忍傷之也。
【読み】
曾子曾皙を養うに、必ず酒肉有り。將に徹せんとするときに、必ず與えん所を請う。餘り有りやと問うときは、必ず有りと曰う。曾皙死ぬ。曾元曾子を養うに、必ず酒肉有り。將に徹せんとするときに、與えん所を請わず。餘り有りやと問うときは、亡しと曰う。將に以て復進めんとすればなり。此れ所謂口體を養う者なり。曾子の若きんば、則ち志を養うと謂いつ可し。養は去聲。復は扶又の反。○此れ上文の親に事ることを承けて之を言う。曾皙は名は點。曾子の父なり。曾元は曾子の子なり。曾子其の父を養うに、食する每に必ず酒肉有り。食畢わり將に徹去せんとするときに、必ず父に請うて曰く、此の餘りは誰に與えん、と。或は父此の物尙餘り有りや否やと問うときは、必ず有りと曰う。恐らくは親の意更に人に與えまく欲すればなり。曾元與うる所を請わず、有りと雖も無しと言う。其の意將に以て復親に進めんとして、其れを人に與えまく欲せざればなり。此は但能く父母の口體を養うのみ。曾子は則ち能く父母の志に承け順いて、之を傷うに忍びざるなり。

事親若曾子者、可也。言當如曾子之養志、不可如曾元但養口體。程子曰、子之身所能爲者、皆所當爲、無過分之事也。故事親若曾子、可謂至矣。而孟子止曰可也。豈以曾子之孝爲有餘哉。
【読み】
親に事ること曾子の若き者、可なり、と。言うこころは、當に曾子の志を養うが如くすべく、曾元の但口體を養うが如くす可からず、と。程子曰く、子の身の能くする所の者は、皆當にすべき所にして、分に過ぐ事無し。故に親に事ること曾子の若きは、至れりと謂いつ可し。而るに孟子止[ただ]可也と曰う。豈曾子の孝を以て餘り有りとせんや、と。


離婁章句上20
○孟子曰、人不足與適也、政不足閒也。惟大人爲能格君心之非。君仁莫不仁。君義莫不義。君正莫不正。一正君而國定矣。適、音謫。閒、去聲。○趙氏曰、適、過也。閒、非也。格、正也。徐氏曰、格者、物之所取正也。書曰、格其非心。愚謂閒字上亦當有與字。言人君用人之非、不足過讁、行政之失、不足非閒。惟有大人之德、則能格其君心之不正、以歸於正、而國無不治矣。大人者、大德之人、正己而物正者也。○程子曰、天下之治亂、繫乎人君之仁與不仁耳。心之非、卽害於政。不待乎發之於外也。昔者孟子三見齊王而不言事。門人疑之。孟子曰、我先攻其邪心、心旣正、而後天下之事可從而理也。夫政事之失、用人之非、知者能更之、直者能諫之。然非心存焉、則事事而更之、後復有其事、將不勝其更矣、人人而去之、後復用其人、將不勝其去矣。是以輔相之職、必在乎格君心之非、然後無所不正。而欲格君心之非者、非有大人之德、則亦莫之能也。
【読み】
○孟子曰く、人も與に適[とが]むるに足らず、政も閒[そし]るに足らず。惟大人のみ能く君心の非を格[ただ]すことをす。君仁あれば仁ならずということ莫し。君義あれば義あらずということ莫し。君正しければ正しからずということ莫し。一たび君を正しうして國定まる、と。適は音謫。閒は去聲。○趙氏曰く、適は過[とが]むるなり。閒は非[そし]るなり。格は正すなり、と。徐氏曰く、格は、物の正しきを取る所なり。書に曰く、其の非心を格す、と。愚謂えらく、閒の字の上に亦當に與の字有るべし。言うこころは、人君の人を用うるの非は、過讁するに足らず、政を行うの失は、非閒するに足らず。惟大人の德有るときのみ、則ち能く其の君心の正しからざるを格し、以て正しきに歸せしめて、國治まらざること無し、と。大人は、大德の人にて、己を正しうして物も正しくなる者なり。○程子曰く、天下の治亂は、人君の仁と不仁とに繫れるのみ。心の非は、卽政に害あり。之を外に發するを待たず。昔者[むかし]孟子三たび齊王に見えて事を言わず。門人之を疑えり。孟子曰く、我先ず其の邪心を攻む。心旣に正しうして、後に天下の事從いて理む可し、と。夫れ政事の失と、人を用うるの非は、知者能く之を更め、直者能く之を諫む。然れども非心存すれば、則ち事事にして之を更むとも、後に復其の事有れば、將に其れを更むるに勝えざらんとす。人人にして之を去[す]つとも、後に復其の人を用うれば、將に其れを去つるに勝えざらんとす。是を以て輔相の職は、必ず君心の非を格すに在り、然して後に正しからざる所無し。而れども君心の非を格さまく欲するは、大人の德有るに非ざれば、則ち亦之を能くすること莫し。


離婁章句上21
○孟子曰、有不虞之譽、有求全之毀。虞、度也。呂氏曰、行不足以致譽、而偶得譽、是謂不虞之譽。求免於毀、而反致毀、是謂求全之毀。言毀譽之言、未必皆實。脩己者、不可以是遽爲憂喜。觀人者、不可以是輕爲進退。
【読み】
○孟子曰く、虞[はか]らざるの譽[ほまれ]有り、全きを求むるの毀[そし]り有り、と。虞は度るなり。呂氏曰く、行い以て譽を致すに足らずして、偶々譽を得る、是を虞らざるの譽と謂う。毀りを免れんことを求めて、反って毀りを致す、是を全きを求むるの毀りと謂う。言うこころは、毀譽の言は、未だ必ずしも皆實ならず。己を脩むる者、是を以て遽に憂喜を爲す可からず。人を觀る者、是を以て輕々しく進退を爲す可からず、と。


離婁章句上22
○孟子曰、人之易其言也、無責耳矣。易、去聲。○人之所以輕易其言者、以其未遭失言之責故耳。蓋常人之情、無所懲於前、則無所警於後。非以爲君子之學、必俟有責、而後不敢易其言也。然此豈亦有爲而言之與。
【読み】
○孟子曰く、人の其の言を易くするは、責めらるること無きのみ、と。易は去聲。○人の其の言を輕易する所以は、其の未だ失言の責めに遭わざるを以て故のみ。蓋し常人の情、前に懲る所無ければ、則ち後に警むる所無し。以て君子の學は、必ず責めらるること有るを俟ちて、後に敢えて其の言を易くせずとするに非ざるなり。然れども此れ豈亦爲にすること有りて之を言えるにや。


離婁章句上23
○孟子曰、人之患、在好爲人師。好、去聲。○王勉曰、學問有餘、人資於己、不得已而應之可也。若好爲人師、則自足而不復有進矣。此人之大患也。
【読み】
○孟子曰く、人の患えは、好んで人の師爲るに在り、と。好は去聲。○王勉曰く、學問餘り有り、人己に資[と]ることあらば、已むことを得ずして之に應ずること可なり。若し好んで人の師と爲るときは、則ち自ら足りて復進むこと有らず。此れ人の大いなる患えなり、と。


離婁章句上24
○樂正子從於子敖之齊。子敖、王驩字。
【読み】
○樂正子子敖に從って齊に之く。子敖は王驩の字。

樂正子見孟子。孟子曰、子亦來見我乎。曰、先生何爲出此言也。曰、子來幾日矣。曰、昔者。曰、昔昔、則我出此言也、不亦宜乎。曰、舍館未定。曰、子聞之也。舍館定、然後求見長者乎。長、上聲。○昔者、前日也。館、客舍也。王驩、孟子所不與言者、則其人可知矣。樂正子乃從之行。其失身之罪大矣。又不早見長者、則其罪又有甚者焉。故孟子姑以此責之。
【読み】
樂正子孟子に見う。孟子曰く、子亦來て我に見うか、と。曰く、先生何爲れぞ此の言を出だせる、と。曰く、子が來れること幾日かぞ、と。曰く、昔者[きのう]、と。曰く、昔者ならば、則ち我が此の言を出すること、亦宜ならずや、と。曰く、舍館未だ定まらず、と。曰く、子之を聞けらし。舍館定まって、然して後に長者に見わんことを求むるか、と。長は上聲。○昔者は前日なり。館は客舍なり。王驩は、孟子與に言わざる所の者なれば、則ち其の人は知る可し。樂正子乃ち之に從いて行く。其の身を失うの罪大いなり。又早く長者に見わざるは、則ち其の罪又甚だしき者有り。故に孟子姑く此を以て之を責む。

曰、克有罪。陳氏曰、樂正子固不能無罪矣。然其勇於受責如此。非好善而篤信之、其能若是乎。世有強辯飾非、聞諫愈甚者。又樂正子之罪人也。
【読み】
曰く、克罪有り、と。陳氏曰く、樂正子固より罪無きこと能わず。然れども其の責めを受くるに勇めること此の如し。善を好みて篤く之を信ずるに非ざれば、其れ能く是の若くならんや。世に強辯にして非を飾り、諫めを聞きて愈々甚だしき者有り。又樂正子が罪人なり、と。


離婁章句上25
○孟子謂樂正子曰、子之從於子敖來、徒餔啜也。我不意子學古之道、而以餔啜也。餔、博孤反。啜、昌悦反。○徒、但也。餔、食也。啜、飮也。言其不擇所從、但求食耳。此乃正其罪而切責之。
【読み】
○孟子樂正子に謂って曰く、子が子敖に從って來るは、徒[ただ]に餔啜[ほせつ]するのみなり。我意[おも]わざりき、子古の道を學んで、以て餔啜せんとは、と。餔は博孤の反。啜は昌悦の反。○徒は但なり。餔は食らうなり。啜は飮むなり。言うこころは、其の從う所を擇ばず、但食を求むるのみ。此れ乃ち其の罪を正して切に之を責めり。


離婁章句上26
○孟子曰、不孝有三、無後爲大。趙氏曰、於禮有不孝者三事。謂阿意曲從、陷親不義、一也。家貧親老、不爲祿仕、二也。不娶無子、絶先祖祀、三也。三者之中、無後爲大。
【読み】
○孟子曰く、不孝三つ有り。後無きを大いなりとす。趙氏曰く、禮に於て不孝なる者三事有り。謂えらく、意を阿ねりて曲げて從い、親を不義に陷れる、一なり。家貧しく親老いたるに、祿仕せず、二なり。娶らず子無く、先祖の祀を絶つ、三なり。三つの者の中、後無きを大いなりとす、と。

舜不告而娶、爲無後也。君子以爲猶告也。爲無之爲、去聲。○舜告焉、則不得娶、而終於無後矣。告者禮也。不告者權也。猶告、言與告同也。蓋權而得中、則不離於正矣。○范氏曰、天下之道、有正有權。正者萬世之常、權者一時之用。常道人皆可守。權非體道者、不能用也。蓋權出於不得已者也。若父非瞽瞍、子非大舜、而欲不告而娶、則天下之罪人也。
【読み】
舜告げずして娶れるは、後無きが爲なり。君子以爲らく、猶告げたるがごとし、と。爲無の爲は去聲。○舜告げるときは、則ち娶ることを得ずして、終に後無し。告ぐるは禮なり。告げざるは權なり。猶告げたるがごとしは、告ぐると同じと言うなり。蓋し權りて中を得るときは、則ち正しきを離れざればなり。○范氏曰く、天下の道、正有り權有り。正は萬世の常、權は一時の用。常道は人皆守る可し。權は道に體する者に非ざれば、用うること能わず。蓋し權は已むことを得ざるに出る者なり。若し父瞽瞍に非ず、子大舜に非ず、而して告げずして娶らまく欲せば、則ち天下の罪人なり、と。


離婁章句上27
孟子曰、仁之實、事親是也。義之實、從兄是也。仁主於愛、而愛莫切於事親。義主於敬、而敬莫先於從兄。故仁義之道、其用至廣。而其實不越於事親從兄之閒。蓋良心之發、最爲切近而精實者。有子以孝弟爲爲仁之本。其意亦猶此也。
【読み】
孟子曰く、仁の實は、親に事る、是れなり。義の實は、兄に從う、是れなり。仁は愛を主として、愛は親に事るより切なるは莫し。義は敬を主として、敬は兄に從うより先なるは莫し。故に仁義の道、其の用至って廣し。而して其の實は親に事り兄に從うの閒を越えず。蓋し良心の發にて、最も切近にして精實なる者と爲す。有子孝弟を以て仁を爲[おこな]うの本とす。其の意亦猶此のごとし。

智之實、知斯二者弗去是也。禮之實、節文斯二者是也。樂之實、樂斯二者。樂則生矣。生則惡可已也。惡可已、則不知足之蹈之、手之舞之。樂斯・樂則之樂、音洛。惡、平聲。○斯二者、指事親從兄而言。知而弗去、則見之明、而守之固矣。節文、謂品節文章。樂則生矣、謂和順從容、無所勉強、事親從兄之意、油然自生、如草木之有生意也。旣有生意、則其暢茂條達、自有不可遏者。所謂惡可已也。其又盛、則至於手舞足蹈而不自知矣。○此章言事親從兄、良心眞切、天下之道、皆原於此。然必知之明、而守之固、然後節之密、而樂之深也。
【読み】
智の實は、斯の二つの者を知って去らざる、是れなり。禮の實は、斯の二つの者を節文する、是れなり。樂の實は、斯の二つの者を樂しむ。樂しむときは則ち生ず。生ずるときは則ち惡んぞ已む可けん。惡んぞ已む可きときは、則ち足の之を蹈み、手の之を舞うことを知らず、と。樂斯・樂則の樂は音洛。惡は平聲。○斯の二つの者は、親に事り兄に從うことをを指して言う。知って去らずは、則ち之を見ること明らかにして、之を守ること固し。節文は、品節文章を謂う。樂しむときは則ち生ずは、和順從容に、勉めて強いる所無く、親に事り兄に從うの意の、油然として自ら生ずること、草木の生意有るが如きを謂うなり。旣に生意有るときは、則ち其の暢茂條達して、自ら遏[とど]む可からざる者有り。所謂惡んぞ已む可けんなり。其の又盛んなるときは、則ち手舞い足蹈んで自ら知らざるに至る。○此の章言うこころは、親に事り兄に從うは、良心の眞切、天下の道は、皆此に原[もと]づく。然れども必ず之を知ること明らかにして、之を守ること固く、然して後に之を節すること密[きび]しくして、之を樂しむこと深し、と。


離婁章句上28
○孟子曰、天下大悦而將歸己。視天下悦而歸己、猶草芥也、惟舜爲然。不得乎親、不可以爲人、不順乎親、不可以爲子。言舜視天下之歸己如草芥、而惟欲得其親而順之也。得者、曲爲承順、以得其心之悦而已。順則有以諭之於道、心與之一、而未始有違。尤人所難也。爲人、蓋泛言之、爲子則愈密矣。
【読み】
○孟子曰く、天下大いに悦んで將に己に歸せんとす。天下悦んで己に歸するを視て、猶草芥のごとくするは、惟舜のみ然りとす。親に得ざれば、以て人爲る可からず、親に順わざれば、以て子爲る可からざればなり。言うこころは、舜天下の己に歸するを視ること草芥の如くして、惟其の親を得て之に順わまく欲するなり、と。得るは、曲げて承順を爲して、以て其の心の悦びを得るのみ。順うときは則ち以て之に道を諭すこと有り、心と之と一つにして、未だ始めより違うこと有らず。尤も人の難き所なり。人爲るは、蓋し泛く之を言い、子爲るは則ち愈々密[きび]し。

舜盡事親之道、而瞽瞍厎豫。瞽瞍厎豫、而天下化。瞽瞍厎豫、而天下之爲父子者定。此之謂大孝。底、之爾反。○瞽瞍、舜父名。厎、致也。豫、悦樂也。瞽瞍至頑、嘗欲殺舜。至是而厎豫焉。書所謂不格姦、亦允若是也。蓋舜至此而有以順乎親矣。是以天下之爲子者、知天下無不可事之親、顧吾所以事之者未若舜耳。於是莫不勉而爲孝。至於其親亦厎豫焉、則天下之爲父者、亦莫不慈。所謂化也。子孝父慈、各止其所、而無不安其位之意。所謂定也。爲法於天下、可傳於後世。非止一身一家之孝而已。此所以爲大孝也。○李氏曰、舜之所以能使瞽瞍厎豫者、盡事親之道、共爲子職、不見父母之非而已。昔羅仲素語此云、只爲天下無不是底父母。了翁聞而善之曰、惟如此而後、天下之爲父子者定。彼臣弑其君、子弑其父者、常始於見其有不是處耳。
【読み】
舜親に事るの道を盡くして、瞽瞍豫[よろこ]びを厎[いた]せり。瞽瞍豫を厎して、天下化す。瞽瞍豫を厎して、天下の父子爲る者定まる。此を大孝と謂う、と。厎は之爾の反。○瞽瞍は舜の父の名。厎は致すなり。豫は悦び樂しむなり。瞽瞍は至って頑、嘗て舜を殺さまく欲す。是に至って豫びを厎せり。書謂う所の姦に格らず、亦允に若[したが]う、是れなり。蓋し舜此に至って以て親に順うこと有り。是を以て天下の子爲る者は、天下に事る可からざるの親無きを知り、顧うに、吾の之に事る所以の者は未だ舜に若かざるのみ、と。是に於て勉めて孝を爲さざるということ莫し。其の親も亦豫びを厎すに至れば、則ち天下の父爲る者も、亦慈ならずということ莫し。所謂化すなり。子は孝に父は慈に、各々其の所に止まりて、其の位に安んぜざるの意無し。所謂定まるなり。法を天下に爲し、後世に傳う可し。一身一家の孝のみに止まるに非ず。此れ大孝爲る所以なり。○李氏曰く、舜の能く瞽瞍をして豫びを厎さしむる所以の者は、親に事る道を盡くし、子爲るの職を共[つと]め、父母の非を見さざるのみ。昔羅仲素此を語りて云く、只天下に不是底の父母無きが爲なり、と。了翁聞いて之を善しとして曰く、惟此の如くして後、天下の父子爲る者定まるべし。彼の臣其の君を弑し、子其の父を弑すは、常に其の不是の處有るを見るに始まるのみ、と。


離婁章句下 凡三十三章。

離婁章句下1
孟子曰、舜生於諸馮、遷於負夏、卒於鳴條。東夷之人也。諸馮・負夏・鳴條、皆地名。在東方夷服之地。
【読み】
孟子曰く、舜は諸馮に生まれ、負夏に遷り、鳴條に卒[お]う。東夷の人なり。諸馮・負夏・鳴條は皆地名。東方夷服の地に在り。

文王生於岐周、卒於畢郢。西夷之人也。岐周、岐山下周舊邑、近畎夷。畢郢、近豐鎬、今有文王墓。
【読み】
文王は岐周に生まれ、畢郢[ひつえい]に卒う。西夷の人なり。岐周は、岐山の下の周の舊邑、畎夷[けんい]に近し。畢郢は、豐鎬[ほうこう]に近く、今文王の墓有り。

地之相去也、千有餘里、世之相後也、千有餘歳。得志行乎中國、若合符節。得志行乎中國、謂舜爲天子、文王爲方伯、得行其道於天下也。符節、以玉爲之、篆刻文字而中分之、彼此各藏其半、有故、則左右相合以爲信也。若合符節、言其同也。
【読み】
地の相去ること、千有餘里、世の相後れたること、千有餘歳。志を得て中國に行うことは、符節を合わせるが若し。志を得て中國に行うは、舜天子と爲り、文王方伯と爲り、其の道を天下に行うことを得るを謂うなり。符節は、玉を以て之を爲[つく]り、文字を篆刻して之を中分し、彼れ此れ各々其の半を藏し、故有るときは、則ち左右相合わせて以て信とするなり。符節を合わせるが若しは、其の同じきを言うなり。

先聖後聖、其揆一也。揆、度也。其揆一者、言度之而其道無不同也。○范氏曰、言聖人之生、雖有先後遠近之不同、然其道則一也。
【読み】
先聖後聖、其れ揆[はか]ること一なり、と。揆は度るなり。其れ揆ること一なりは、言うこころは、之を度って其の道同じからざること無し、と。○范氏曰く、言うこころは、聖人の生ずる、先後遠近の同じからざること有りと雖も、然れども其の道は則ち一なり、と。


離婁章句下2
○子產聽鄭國之政、以其乘輿濟人於溱・洧。乘、去聲。溱、音臻。洧、榮美反。○子產、鄭大夫公孫僑也。溱・洧、二水名也。子產見人有徒渉此水者、以其所乘之車載而渡之。
【読み】
○子產鄭國の政を聽きしとき、其の乘輿を以て、人を溱・洧[しん・い]に濟[わた]す。乘は去聲。溱は音臻。洧は榮美の反。○子產は鄭の大夫の公孫僑なり。溱・洧は二つの水の名なり。子產人の此の水を徒渉る者有るを見て、其の乘る所の車を以て載せて之を渡せり。

孟子曰、惠而不知爲政。惠、謂私恩小利。政、則有公平正大之體、綱紀法度之施焉。
【読み】
孟子曰く、惠ありて政をすることを知らず。惠は、私恩小利を謂う。政は、則ち公平正大の體、綱紀法度の施有り。

歳十一月徒杠成。十二月輿梁成。民未病渉也。杠、音江。○杠、方橋也。徒杠、可通徒行者。梁、亦橋也。輿梁、可通車輿者。周十一月、夏九月也。周十二月、夏十月也。夏令曰、十月成梁。蓋農功已畢、可用民力。又時將寒沍、水有橋梁、則民不患於徒渉。亦王政之一事也。
【読み】
歳十一月に徒杠[とこう]成る。十二月輿梁成る。民未だ渉ることを病[うれ]えず。杠は音江。○杠は方橋なり。徒杠は、徒行を通ず可き者。梁も亦橋なり。輿梁は、車輿を通ず可き者。周の十一月は、夏の九月なり。周の十二月は、夏の十月なり。夏の令に曰く、十月梁を成す、と。蓋し農功已に畢わり、民の力を用う可し。又時は將に寒沍ならんとして、水に橋梁有るときは、則ち民徒渉ることを患えず。亦王政の一事なり。

君子平其政、行辟人可也。焉得人人而濟之。辟、與闢同。焉、於虔反。○辟、辟除也。如周禮閽人爲之辟之辟。言能平其政、則出行之際、辟除行人、使之避己、亦不爲過。況國中水、當渉者衆。豈能悉以乘輿濟之哉。
【読み】
君子其の政を平かにせば、行くときに人を辟[ひら]くとも可なり。焉んぞを人人をして之を濟すことを得ん。辟は闢と同じ。焉は於虔の反。○辟は辟き除くなり。周禮閽人の、之が爲に之を辟くの辟が如し。言うこころは、能く其の政を平かにせば、則ち出行の際、行人を辟き除き、之に己を避かしむとも、亦過とせず。況や國中の水、當に渉るべき者衆し。豈能く悉く乘輿を以て之を濟さん、と。

故爲政者、每人而悦之、日亦不足矣。言每人皆欲致私恩以悦其意、則人多日少、亦不足於用矣。諸葛武侯嘗言、治世以大德、不以小惠。得孟子之意矣。
【読み】
故に政をする者、人每にして之を悦ばしめば、日も亦足らじ、と。言うこころは、人每に皆私恩を致して以て其の意を悦ばしめまく欲せば、則ち人多くして日少なく、亦用うるに足らず、と。諸葛武侯嘗て言う、世を治むるに大德を以てして、小惠を以てせず、と。孟子の意を得たり。


離婁章句下3
○孟子告齊宣王曰、君之視臣如手足、則臣視君如腹心。君之視臣如犬馬、則臣視君如國人。君之視臣如土芥、則臣視君如寇讎。孔氏曰、宣王之遇臣下、恩禮衰薄、至於昔者所進、今日不知其亡、則其於羣臣、可謂邈然無敬矣。故孟子告之以此。手足腹心、相待一體、恩義之至也。如犬馬、則輕賤之。然猶有豢養之恩焉。國人、猶言路人、言無怨無德也。土芥、則踐踏之而已矣、斬艾之而已矣。其賤惡之又甚矣。寇讎之報、不亦宜乎。
【読み】
○孟子齊の宣王に告げて曰く、君の臣を視ること手足の如くなるときは、則ち臣君を視ること腹心の如し。君の臣を視ること犬馬の如くなるときは、則ち臣君を視ること國人の如し。君の臣を視ること土芥の如くなるときは、則ち臣君を視ること寇讎[こうしゅう]の如し、と。孔氏曰く、宣王の臣下を遇する、恩禮衰薄に、昔者[きのう]進む所に至り、今日其の亡きを知らざるときは、則ち其の羣臣に於て、邈然として敬無しと謂う可し。故に孟子之に告ぐるに此を以てす。手足腹心は、相待って一體にして、恩義の至りなり。犬馬の如しは、則ち之を輕賤するなり。然れども猶豢養の恩有り。國人は、猶路人と言うがごとし、怨み無く德無きを言うなり。土芥は、則ち之を踐踏するのみにて、之を斬り艾[か]るのみ。其の之を賤しみ惡むことの又甚だしきなり。寇讎の報い、亦宜ならずや。

王曰、禮爲舊君有服、何如斯可爲服矣。爲、去聲、下爲之同。○儀禮曰、以道去君而未絶者、服齊衰三月。王疑孟子之言太甚。故以此禮爲問。
【読み】
王曰く、禮に、舊君の爲に服有り、何如なるか斯れ爲に服す可き、と。爲は去聲、下の爲之も同じ。○儀禮に曰く、道を以て君を去って未だ絶えざる者は、齊衰を服すこと三月、と。王孟子の言の太甚しきことを疑う。故に此の禮を以て問いとす。

曰、諫行言聽、膏澤下於民、有故而去、則君使人導之出疆。又先於其所往。去三年不反。然後收其田里。此之謂三有禮焉。如此、則爲之服矣。導之出疆、防剽掠也。先於其所往、稱道其賢、欲其收用之也。三年而後收其田祿里居、前此猶望其歸也。
【読み】
曰く、諫め行われ言聽かれ、膏澤民に下る。故有って去るときは、則ち君人をして之を導いて疆[さかい]を出ださしむ。又其の往く所に先んず。去って三年までに反らず。然して後に其の田里を收む。此を三有禮と謂う。此の如くなるときは、則ち之が爲に服す。之を導いて疆を出だすは、剽掠[ひょうりゃく]を防ぐなり。其の往く所に先んずるは、其の賢を稱道して、其の之を收め用いまく欲すればなり。三年にして後に其の田祿里居を收むるは、此より前は猶其の歸することを望めばなり。

今也爲臣、諫則不行、言則不聽、膏澤不下於民、有故而去、則君搏執之。又極之於其所往。去之日、遂收其田里。此之謂寇讎。寇讎何服之有。極、竆也。竆之於其所往之國、如晉錮欒盈也。○潘興嗣曰、孟子告齊王之言、猶孔子對定公之意也、而其言有迹、不若孔子之渾然也。蓋聖賢之別如此。楊氏曰、君臣以義合者也。故孟子爲齊王深言報施之道、使知爲君者不可不以禮遇其臣耳。若君子之自處、則豈處其薄乎。孟子曰、王庶幾改之、予日望之。君子之言蓋如此。
【読み】
今臣と爲って、諫むるときは則ち行われず、言うときは則ち聽かれず、膏澤民に下らず、故有って去るときは、則ち君之を搏執[はくしつ]す。又之を其の往く所に極む。之を去るの日、遂に其の田里を收む。此を寇讎と謂う。寇讎何の服することか有らん、と。極は竆むなり。之を其の往く所の國に竆むは、晉の欒盈[らんえい]を錮すが如し。○潘興嗣曰く、孟子齊王に告ぐるの言は、猶孔子定公に對うるの意のごとくして、其の言迹有り、孔子の渾然たるに若かざるなり。蓋し聖賢の別此の如し、と。楊氏曰く、君臣は義を以て合う者なり。故に孟子齊王の爲に深く報施の道を言い、君爲る者は禮を以て其の臣を遇せざることある可からざるを知らしむのみ。君子の自ら處するが若きは、則ち豈其の薄きに處[お]らん。孟子曰く、王庶幾わくは之を改めんことを、予日に之を望む、と。君子の言蓋し此の如し。


離婁章句下4
○孟子曰、無罪而殺士、則大夫可以去。無罪而戮民、則士可以徙。言君子當見幾而作、禍已迫、則不能去矣。
【読み】
○孟子曰く、罪無くして士を殺すときは、則ち大夫以て去る可し。罪無くして民を戮[りく]するときは、則ち士以て徙[うつ]る可し、と。言うこころは、君子當に幾を見て作[た]つべし。禍已に迫れるときは、則ち去ること能わず、と。


離婁章句下5
○孟子曰、君仁莫不仁。君義莫不義。張氏曰、此章重出。然上篇主言人臣當以正君爲急、此章直戒人君、義亦小異耳。
【読み】
○孟子曰く、君仁あれば仁あらずということ莫し。君義あれば義あらずということ莫し、と。張氏曰く、此の章重出なり。然れども上篇は主に人臣當に君を正すを以て急とすべきを言い、此の章は直ちに人君を戒め、義も亦小しく異なるのみ、と。


離婁章句下6
○孟子曰、非禮之禮、非義之義、大人弗爲。察理不精。故有二者之蔽。大人則隨事而順理、因時而處宜。豈爲是哉。
【読み】
○孟子曰く、非禮の禮、非義の義、大人はせず、と。理を察すること精しからず。故に二つの者の蔽有り。大人は則ち事に隨って理に順い、時に因って宜しきに處る。豈是をせんや。


離婁章句下7
○孟子曰、中也養不中、才也養不才。故人樂有賢父兄也。如中也棄不中、才也棄不才、則賢不肖之相去、其閒不能以寸。樂、音洛。○無過不及之謂中、足以有爲之謂才。養、謂涵育薰陶、俟其自化也。賢、謂中而才者也。樂有賢父兄者、樂其終能成己也。爲父兄者、若以子弟之不賢、遂遽絶之而不能敎、則吾亦過中而不才矣。其相去之閒、能幾何哉。
【読み】
○孟子曰く、中は不中を養い、才は不才を養う。故に人賢父兄有ることを樂しむ。如し中不中を棄て、才不才を棄てば、則ち賢不肖の相去ること、其の閒寸を以てすること能わず、と。樂は音洛。○過不及無きを中と謂い、以てすること有るに足るを才と謂う。養は、涵育薰陶して、其の自ら化すを俟つを謂うなり。賢は、中にして才ある者を謂うなり。賢父兄有ることを樂しむは、其の終に能く己を成すことを樂しむなり。父兄爲る者、若し子弟の不賢なるを以て、遂に遽に之を絶ちて敎うること能わざれば、則ち吾も亦中を過ぎて才ならず。其の相去るの閒、能く幾何[いくばく]ぞ。


離婁章句下8
○孟子曰、人有不爲也、而後可以有爲。程子曰、有不爲、知所擇也。惟能有不爲。是以可以有爲。無所不爲者、安能有所爲邪。
【読み】
○孟子曰く、人せざること有って、而して後に以てすること有る可し、と。程子曰く、せざること有るは、擇ぶ所を知ればなり。惟能くせざること有り。是を以て以てすること有る可し。せずという所無き者は、安んぞ能くする所有らん、と。


離婁章句下9
○孟子曰、言人之不善、當如後患何。此亦有爲而言。
【読み】
○孟子曰く、人の不善を言えば、當に後の患えを如何かす、と。此も亦すること有って言う。


離婁章句下10
○孟子曰、仲尼不爲已甚者。已、猶太也。楊氏曰、言聖人所爲、本分之外、不加毫末。非孟子眞知孔子、不能以是稱之。
【読み】
○孟子曰く、仲尼は已甚[はなは]だしきことをせざる者なり、と。已は猶太だのごとし。楊氏曰く、言うこころは、聖人のする所は、本分の外、毫末も加えず、と。孟子眞に孔子を知るに非ざれば、是を以て之を稱すること能わず、と。


離婁章句下11
○孟子曰、大人者、言不必信、行不必果、惟義所在。行、去聲。○必、猶期也。大人言行、不先期於信果。但義之所在、則必從之、卒亦未嘗不信果也。○尹氏云、主於義、則信果在其中矣、主於信果、則未必合義。王勉曰、若不合於義而不信不果、則妄人爾。
【読み】
○孟子曰く、大人は、言信[まこと]あらんことを必とせず、行果たさんことを必とせず、惟義の在る所のままにす、と。行は去聲。○必は猶期のごとし。大人の言行は、先ず信果を期せず。但義の在る所は、則ち必ず之に從えば、卒に亦未だ嘗て信果せずんばあらざるなり。○尹氏云う、義を主とするときは、則ち信果其の中に在り、信果を主とするときは、則ち未だ必ずしも義に合わず、と。王勉曰く、若し義に合わずして信あらず果たさざれば、則ち妄人ならくのみ、と。


離婁章句下12
○孟子曰、大人者、不失其赤子之心者也。大人之心、通達萬變。赤子之心、則純一無僞而已。然大人之所以爲大人、正以其不爲物誘、而有以全其純一無僞之本然。是以擴而充之、則無所不知、無所不能、而極其大也。
【読み】
○孟子曰く、大人は、其の赤子の心を失わざる者なり、と。大人の心は、萬變に通達す。赤子の心は、則ち純一にして僞り無きのみ。然れども大人の大人爲る所以は、正に其の物の爲に誘われずして、以て其の純一にして僞り無きの本然を全うすること有るを以てす。是を以て擴めて之を充たさば、則ち知らざる所無く、能わざる所無くして、其の大いなることを極む。


離婁章句下13
○孟子曰、養生者不足以當大事。惟送死可以當大事。養、去聲。○事生固當愛敬。然亦人道之常耳。至於送死、則人道之大變。孝子之事親、舍是無以用其力矣。故尤以爲大事、而必誠必信、不使少有後日之悔也。
【読み】
○孟子曰く、生を養うは以て大事に當たるに足らず。惟死を送るのみ以て大事に當たる可し、と。養は去聲。○生に事るは固より當に愛敬すべし。然れども亦人道の常なるのみ。死を送るに至りては、則ち人道の大變なり。孝子の親に事ること、是を舍[お]いて以て其の力を用うること無し。故に尤も以て大事として、必ず誠に必ず信にして、少しも後日の悔有らしめざるべきなり。


離婁章句下14
○孟子曰、君子深造之以道、欲其自得之也。自得之、則居之安。居之安、則資之深。資之深、則取之左右逢其原。故君子欲其自得之也。造、七到反。○造、詣也。深造之者、進而不已之意。道、則其進爲之方也。資、猶藉也。左右、身之兩旁、言至近而非一處也。逢、猶値也。原、本也。水之來處也。言君子務於深造。而必以其道者、欲其有所持循、以俟夫默識心通、自然而得之於己也。自得於己、則所以處之者、安固而不搖。處之安固、則所藉者深遠而無盡。所藉者深、則日用之閒、取之至近、無所往而不値其所資之本也。○程子曰、學不言而自得者、乃自得也。有安排布置者、皆非自得也。然必潛心積慮、優游饜飫於其閒、然後可以有得。若急迫求之、則是私己而已。終不足以得之也。
【読み】
○孟子曰く、君子深く之に造[いた]るに道を以てするは、其の自ら之を得まく欲してなり。自ら之を得るときは、則ち之に居ること安し。之に居ること安きときは、則ち之に資[よ]ること深し。之に資ること深きときは、則ち之を左右に取って其の原[もと]に逢う。故に君子其の自ら之を得まく欲す、と。造は七到の反。○造は詣[いた]るなり。深く之に造るは、進んで已まざるの意。道は、則ち其の進んでするの方なり。資は猶藉[よ]るのごとし。左右は、身の兩旁にて、至って近くして一處に非ざることを言うなり。逢は、猶値[あ]うのごとし。原は本なり。水の來る處なり。言うこころは、君子は深く造ることを務む。而して必ず其の道を以てするは、其の持循する所有り、以て夫の默して識り心に通じて、自然に之を己に得ることを俟たまく欲すればなり。己に自得するときは、則ち之に處る所以の者、安固にして搖がず。之に處ること安固なるときは、則ち藉る所の者深遠にして盡くること無し。藉る所の者深きときは、則ち日用の閒、之を至近に取り、往く所として其の資る所の本に値わざること無し、と。○程子曰く、學は言わずして自ら得るは、乃ち自得なり。安排布置すること有るは、皆自得に非ざるなり。然れども必ず心を潛め慮いを積み、其の閒に優游饜飫して、然して後に以て得ること有る可し。若し急迫して之を求むるときは、則ち是れ私己なるのみ。終に以て之を得るに足らざるなり、と。


離婁章句下15
○孟子曰、博學而詳說之、將以反說約也。言所以博學於文、而詳說其理者、非欲以誇多而鬭靡也。欲其融會貫通、有以反而說到至約之地耳。蓋承上章之意而言。學非欲其徒博。而亦不可以徑約也。
【読み】
○孟子曰く、博く學んで詳らかに之を說くは、將に以て反って約を說かんとすればなり、と。言うこころは、博く文を學んで、詳らかに其の理を說く所以は、以て多きに誇りて靡を鬭わせまく欲するに非ざるなり。其れ融會貫通し、以て反って說いて至約の地に到ること有らんことを欲するのみ、と。蓋し上章の意を承けて言う。學は其の徒[ただ]に博からまく欲するに非ず。而して亦以て徑[ただ]ちに約[つづま]やかなる可からず。


離婁章句下16
○孟子曰、以善服人者、未有能服人者也。以善養人、然後能服天下。天下不心服而王者、未之有也。王、去聲。○服人者、欲以取勝於人、養人者、欲其同歸於善。蓋心之公私小異、而人之嚮背頓殊。學者於此不可以不審也。
【読み】
○孟子曰く、善を以て人を服する者は、未だ能く人を服する者有らず。善を以て人を養うて、然して後に能く天下を服す。天下心服せずして王たる者、未だ之れ有らず、と。王は去聲。○人を服する者は、以て勝を人に取らまく欲し、人を養う者は、其の同じく善に歸せまく欲す。蓋し心の公私小しく異なりて、人の嚮背すること頓[とみ]に殊なり。學者此に於て以て審らかにせずんばある可からず。


離婁章句下17
○孟子曰、言無實不祥。不祥之實、蔽賢者當之。或曰、天下之言、無有實不祥者。惟蔽賢爲不祥之實。或曰、言而無實者不祥。故蔽賢爲不祥之實。二說不同。未知孰是。疑或有闕文焉。
【読み】
○孟子曰く、言實に不祥なる無し。不祥の實は、賢を蔽[かく]す者之に當たる、と。或ひと曰く、天下の言、實に不祥なる者有ること無し。惟賢を蔽すことのみ不祥の實とす、と。或ひと曰く、言いて實無き者は不祥なり。故に賢を蔽すことを不祥の實とす、と。二說同じからず。未だ孰れか是なるかを知らず。疑うらくは或は闕文有らん。


離婁章句下18
○徐子曰、仲尼亟稱於水曰、水哉、水哉。何取於水也。亟、去吏反。○亟、數也。水哉水哉、歎美之辭。
【読み】
○徐子曰く、仲尼亟々[しばしば]水を稱して曰く、水なるかな、水なるかな、と。何ぞ水に取れる、と。亟は去吏の反。○亟は數々なり。水なるかな水なるかなは、歎美するの辭。

孟子曰、原泉混混、不舍晝夜。盈科而後進、放乎四海。有本者如是。是之取爾。舍・放、皆上聲。○原泉、有原之水也。混混、湧出之貌。不舍晝夜、言常出不竭也。盈、滿也。科、坎也。言其進以漸也。放、至也。言水有原本、不已而漸進、以至於海、如人有實行、則亦不已而漸進、以至於極也。
【読み】
孟子曰く、原泉混混として、晝夜を舍かず。科[あな]に盈ちて後進んで、四海に放[いた]る。本有る者は是の如し。是を取れるのみ。舍・放は皆上聲。○原泉は、原有る水なり。混混は、湧き出るの貌。晝夜を舍かずは、言うこころは、常に出でて竭きず、と。盈は滿つるなり。科は坎なり。言うこころは、其の進むに漸くを以てす、と。放は至るなり。言うこころは、水に原本有り、已まずして漸く進み、以て海に至るは、人に實行有るときは、則ち亦已まずして漸く進み、以て極に至るが如し、と。

苟爲無本、七八月之閒雨集、溝澮皆盈。其涸也、可立而待也。故聲聞過情、君子恥之。澮、古外反。涸、下各反。聞、去聲。○集、聚也。澮、田閒水道也。涸、乾也。如人無實行、而暴得虛譽、不能長久也。聲聞、名譽也。情、實也。恥者、恥其無實而將不繼也。林氏曰、徐子之爲人、必有躐等干譽之病。故孟子以是答之。鄒氏曰、孔子之稱水、其旨微矣。孟子獨取此者、自徐子之所急者言之也。孔子嘗以聞達告子張矣、達者、有本之謂也。聞、則無本之謂也。然則學者其可以不務本乎。
【読み】
苟し本無しとせば、七八月の閒雨集りて、溝澮皆盈つ。其の涸るること、立ちどころにして待つ可し。故に聲聞情[まこと]に過ぐること、君子之を恥ず、と。澮は古外の反。涸は下各の反。聞は去聲。○集は聚るなり。澮は、田閒の水道なり。涸は乾くなり。如し人に實行無くして、暴[にわか]に虛譽を得るとも、長久なること能わざるなり。聲聞は名譽なり。情は實なり。恥ずは、其の實無くして將に繼がざらんとせんことを恥ずるなり。林氏曰く、徐子が爲人[ひととなり]、必ず等を躐え譽を干[もと]むるの病有り。故に孟子是を以て之に答う、と。鄒氏曰く、孔子の水を稱すること、其の旨微なり。孟子獨[ただ]此を取るは、徐子の急なる所の者によって之を言えるなり。孔子嘗て聞達を以て子張に告ぐ。達は本有るの謂なり。聞は則ち本無きの謂なり。然れば則ち學者は其れ以て本を務めざる可けんや、と。


離婁章句下19
○孟子曰、人之所以異於禽獸者幾希。庶民去之、君子存之。幾希、少也。庶、衆也。人物之生、同得天地之理以爲性、同得天地之氣以爲形。其不同者、獨人於其閒得形氣之正、而能有以全其性。爲少異耳。雖曰少異、然人物之所以分、實在於此。衆人不知此而去之、則名雖爲人、而實無以異於禽獸。君子知此而存之。是以戰兢惕厲、而卒能有以全其所受之正也。
【読み】
○孟子曰く、人の禽獸に異なる所以の者幾希[すこ]しきなり。庶民之を去り、君子之を存す。幾希しきは、少しきなり。庶は衆なり。人物の生まるる、同じく天地の理を得て以て性と爲り、同じく天地の氣を得て以て形と爲る。其の同じからざるは、獨[ただ]人のみ其の閒に於て形氣の正しきを得て、能く以て其の性を全くすること有り。少しき異なりとするのみ。少しき異なりと曰うと雖も、然れども人物の分かるる所以は、實に此に在り。衆人此を知らずして之を去るときは、則ち名は人爲りと雖も、而して實は以て禽獸に異なること無し。君子此を知って之を存す。是を以て戰兢として惕[おそ]れ厲[はげ]み、卒に能く以て其の受く所の正を全くすること有り。

舜明於庶物、察於人倫。由仁義行。非行仁義也。物、事物也。明、則有以識其理也。人倫、說見前篇。察、則有以盡其理之詳也。物理固非度外、而人倫尤切於身。故其知之有詳略之異。在舜則皆生而知之也。由仁義行、非行仁義、則仁義已根於心、而所行皆從此出。非以仁義爲美、而後勉強行之。所謂安而行之也。此則聖人之事、不待存之、而無不存矣。○尹氏曰、存之者、君子也、存者、聖人也。君子所存、存天理也。由仁義行、存者能之。
【読み】
舜庶物に明らかに、人倫に察[つまび]らかなり。仁義に由って行う。仁義を行うに非ず、と。物は事物なり。明らかなれば、則ち以て其の理を識ること有り。人倫は、說は前篇に見ゆ。察らかなれば、則ち以て其の理の詳らかなることを盡くすこと有り。物の理は固より度外に非ざれども、而して人倫は尤も身に切なり。故に其の之を知るに詳略の異なり有り。舜に在りては則ち皆生まれながらにして之を知れるなり。仁義に由って行う、仁義を行うに非ずは、則ち仁義已に心に根ざして、行う所は皆此より出づ。仁義を以て美として、後に勉め強いて之を行うに非ず。所謂安んじて之を行うなり。此れ則ち聖人の事にて、之を存することを待たずして、存せざること無し。○尹氏曰く、之を存する者は君子なり。存する者は聖人なり。君子の存する所は、天理を存するなり。仁義に由って行うは、存する者のみ之を能くす、と。


離婁章句下20
○孟子曰、禹惡旨酒、而好善言。惡・好、皆去聲。○戰國策曰、儀狄作酒。禹飮而甘之。曰、後世必有以酒亡其國者、遂疏儀狄而絶旨酒。書曰、禹拜昌言。
【読み】
○孟子曰く、禹旨酒を惡んで、善言を好む。惡・好は皆去聲。○戰國策に曰く、儀狄酒を作る。禹飮んで之を甘しとす。曰く、後世必ず酒を以て其の國を亡ぼす者有らん、と。遂に儀狄を疏んじて旨酒を絶てり、と。書に曰く、禹昌言を拜す、と。

湯執中。立賢無方。執、謂守而不失。中者、無過不及之名。方、猶類也。立賢無方、惟賢則立之於位、不問其類也。
【読み】
湯中を執る。賢を立つること方無し。執は、守りて失わざるを謂う。中は、過不及無きの名。方は猶類のごとし。賢を立つること方無しは、惟賢なれば則ち之を位に立て、其の類を問わざるなり。

文王視民如傷、望道而未之見。而、讀爲如。古字通用。○民已安矣。而視之猶若有傷。道已至矣。而望之猶若未見。聖人之愛民深、而求道切如此。不自滿足、終日乾乾之心也。
【読み】
文王民を視ること傷[いた]めるが如し。道を望んで未だ之を見ざるが而[ごと]し。而は讀んで如しとす。古字通用す。○民已に安んず。而して之を視ること猶傷めること有るが若し。道已に至れり。而して之を望むこと猶未だ見ざるが若し。聖人の民を愛すること深くして、道を求むることの切此の如し。自ら滿足せず、終日乾乾たるの心なり。

武王不泄邇、不忘遠。泄、狎也。邇者、人所易狎而不泄。遠者、人所易忘而不忘。德之盛、仁之至也。
【読み】
武王邇[ちか]きに泄[な]れず、遠きを忘れず。泄は狎れるなり。邇きは人の狎れ易き所にして泄れず。遠きは人の忘れ易き所にして忘れず。德の盛ん、仁の至りなり。

周公思兼三王、以施四事。其有不合者、仰而思之、夜以繼日。幸而得之、坐以待旦。三王、禹也、湯也、文武也。四事、上四條之事也。時異勢殊。故其事或有所不合。思而得之、則其理初不異矣。坐以待旦、急於行也。○此承上章言舜、因歴敘群聖、以繼之。而各舉其一事、以見其憂勤惕厲之意。蓋天理之所以常存、而人心之所以不死也。○程子曰、孟子所稱、各因其一事而言。非謂武王不能執中立賢、湯卻泄邇忘遠也。人謂各舉其盛、亦非也、聖人亦無不盛。
【読み】
周公三王を兼ねて、以て四事を施さんことを思う。其れ合わざること有れば、仰いで之を思い、夜以て日に繼ぐ。幸にして之を得れば、坐[い]て以て旦[あした]を待つ、と。三王は、禹なり、湯なり、文武なり。四事は、上の四條の事なり。時異なり勢い殊なり。故に其の事或は合わざる所有らん。思いて之を得るときは、則ち其の理初めより異ならざるなり。坐て以て旦を待つは、行うことに急なり。○此れ上章に舜を言うに承けて、因りて群聖を歴敘して、以て之に繼ぐ。而して各々其の一事を舉げて、以て其の憂え勤め惕[おそ]れ厲[はげ]むの意を見[しめ]せり。蓋し天理の常に存する所以にして、人心の死せざる所以なり。○程子曰く、孟子稱する所は、各々其の一事に因って言えり。武王は中を執り賢を立つること能わず、湯は卻って邇きに泄れ遠きを忘るると謂うに非ず。人の各々其の盛んなることを舉ぐと謂うも、亦非なり。聖人は亦盛んならざること無し、と。


離婁章句下21
○孟子曰、王者之跡熄而詩亡。詩亡然後春秋作。王者之跡熄、謂平王東遷、而政敎號令、不及於天下也。詩亡、謂黍離降爲國風而雅亡也。春秋、魯史記之名。孔子因而筆削之。始於魯隱公之元年。實平王之四十九年也。
【読み】
○孟子曰く、王者の跡熄[き]えて詩亡ぶ。詩亡びて然して後に春秋作[おこ]る。王者の跡熄ゆは、平王東遷して、政敎號令、天下に及ばざるを謂うなり。詩亡ぶは、黍離降って國風と爲りて雅亡ぶことを謂うなり。春秋は、魯の史記の名。孔子因りて之を筆削す。魯の隱公の元年に始まる。實に平王の四十九年なり。

晉之乘、楚之檮杌、魯之春秋、一也。乘、去聲。檮、音逃。杌、音兀。○乘義未詳。趙氏以爲興於田賦乘馬之事。或曰、取記載當時行事而名之也。檮杌、惡獸名。古者因以爲凶人之號、取記惡垂戒之義也。春秋者、記事者必表年以首事。年有四時。故錯舉以爲所記之名也。古者列國皆有史官、掌記時事。此三者皆其所記册書之名也。
【読み】
晉の乘、楚の檮杌[とうこつ]、魯の春秋、一なり。乘は去聲。檮は音逃。杌は音兀。○乘の義未だ詳らかならず。趙氏以て田賦乘馬の事より興るとす。或ひと曰く、當時の行事を記載するに取って之を名づく、と。檮杌は惡獸の名。古は因りて以て凶人の號とす。惡を記して戒めを垂るる義に取る。春秋は、事を記すには必ず年を表して以て事を首[はじ]む。年に四時有り。故に錯[まじ]え舉げて以て記す所の名とす。古は列國皆史官有り、時事を記すことを掌る。此の三つ者は皆其の記す所の册書の名なり。

其事則齊桓・晉文、其文則史。孔子曰、其義則丘竊取之矣。春秋之時、五霸迭興、而桓・文爲盛。史、史官也。竊取者、謙辭也。公羊傳作其辭則丘有罪焉爾。意亦如此。蓋言斷之在己。所謂筆則筆、削則削。游・夏不能贊一辭者也。尹氏曰、言孔子作春秋、亦以史之文載當時之事也。而其義則定天下之邪正、爲百王之大法。○此又承上章歴敘羣聖、因以孔子之事繼之。而孔子之事、莫大於春秋。故特言之。
【読み】
其の事は則ち齊桓・晉文、其の文は則ち史。孔子曰く、其の義は則ち丘竊かに之を取れり、と。春秋の時、五霸迭[たが]いに興りて、桓・文盛んとす。史は史官なり。竊かに取るは謙辭なり。公羊傳に其の辭は則ち丘に罪有るのみと作る。意は亦此の如し。蓋し言うこころは、之を斷ずること己に在り、と。所謂筆すべきは則ち筆し、削るべきは則ち削る。游・夏も一辭も贊すること能わざる者なり。尹氏曰く、言うこころは、孔子春秋を作るは、亦史の文を以て當時の事を載するなり。而して其の義は則ち天下の邪正を定め、百王の大法とす、と。○此れ又上章に羣聖を歴敘するを承けて、因りて孔子の事を以て之を繼げり。而して孔子の事、春秋より大いなるは莫し。故に特に之を言えり。


離婁章句下22
○孟子曰、君子之澤五世而斬。小人之澤五世而斬。澤、猶言流風餘韻也。父子相繼爲一世。三十年亦爲一世。斬、絶也。大約君子小人之澤、五世而絶也。楊氏曰、四世而緦。服之竆也。五世袒免。殺同姓也。六世親屬竭矣。服竆則遺澤寖微。故五世而斬。
【読み】
○孟子曰く、君子の澤も五世にして斬[た]ゆ。小人の澤も五世にして斬ゆ。澤は、猶流風餘韻と言うがごとし。父子相繼ぐを一世とす。三十年も亦一世とす。斬は絶ゆなり。大約[おおよそ]君子小人の澤は、五世にして絶ゆ。楊氏曰く、四世にして緦[し]す。服の竆まりなり。五世は袒免す。同姓を殺ぐなり。六世にて親屬竭[つ]く。服竆まるときは則ち遺澤寖[ようや]く微たり。故に五世にして斬ゆ、と。

予未得爲孔子徒也。予私淑諸人也。私、猶竊也。淑、善也。李氏以爲方言是也。人、謂子思之徒也。自孔子卒至孟子游梁時、方百四十餘年、而孟子已老。然則孟子之生、去孔子未百年也。故孟子言、予雖未得親受業於孔子之門、然聖人之澤尙存、猶有能傳其學者。故我得聞孔子之道於人、而私竊以善其身。蓋推尊孔子而自謙之辭也。○此又承上三章、歴敘舜禹、至於周孔、而以是終之。其辭雖謙、然其所以自任之重、亦有不得而辭者矣。
【読み】
予未だ孔子の徒爲ることを得ず。予私[ひそ]めて諸を人に淑[よ]くせり、と。私は猶竊かのごとし。淑は善しなり。李氏以て方言とするは是なり。人は、子思の徒を謂うなり。孔子卒してより孟子の梁に游ぶ時に至るまで、方に百四十餘年にして、孟子已に老いたり。然れば則ち孟子の生まるるは、孔子を去ること未だ百年ならざるなり。故に孟子言う、予未だ親しく業を孔子の門に受くることを得ざると雖も、然れども聖人の澤尙存して、猶能く其の學を傳うる者有るがごとし。故に我孔子の道を人に聞いて、私竊[ひそ]めて以て其の身を善くすることを得、と。蓋し孔子を推し尊びて自ら謙るの辭なり。○此れ又上三章に、舜禹を歴敘して、周孔に至るに承けて、是を以て之を終えり。其の辭謙ると雖も、然れども其の以て自ら任ずる所の重きも、亦得て辭せざる者有り。


離婁章句下23
○孟子曰、可以取、可以無取、取傷廉。可以與、可以無與、與傷惠。可以死、可以無死、死傷勇。先言可以者、略見而自許之辭也。後言可以無者、深察而自疑之辭也。過取固害於廉。然過與亦反害其惠、過死亦反害其勇。蓋過猶不及之意也。林氏曰、公西華受五秉之粟、是傷廉也。冉子與之、是傷惠也。子路之死於衛、是傷勇也。
【読み】
○孟子曰く、以て取る可し、以て取ること無かる可しとして、取るときは廉を傷[そこな]う。以て與う可し、以て與うること無かる可しとして、與うるときは惠を傷なう。以て死す可し、以て死すること無かる可しとして、死するときは勇を傷なう、と。先に以てす可しと言うは、略見て自ら許すの辭なり。後に以て無かる可しと言うは、深く察して自ら疑うの辭なり。過ぎて取るは固より廉を害う。然れども過ぎて與うるも亦反って其の惠を害い、過ぎて死するも亦反って其の勇を害う。蓋し過ぎたるは猶及ばざるがごとしの意なり。林氏曰く、公西華五秉の粟を受くは、是れ廉を傷うなり。冉子の之を與うるは、是れ惠を傷うなり。子路の衛に死するは、是れ勇を傷うなり、と。


離婁章句下24
○逢蒙學射於羿、盡羿之道。思天下惟羿爲愈己。於是殺羿。孟子曰、是亦羿有罪焉。公明儀曰、宜若無罪焉。曰、薄乎云爾、惡得無罪。逢、薄江反。惡、平聲。○羿、有竆后羿也。逢蒙、羿之家衆也。羿善射、簒夏自立、後爲家衆所殺。愈、猶勝也。薄、言其罪差薄耳。
【読み】
○逢蒙射を羿に學んで、羿が道を盡くす。思えらく、天下に惟羿のみ己に愈[まさ]れりとす、と。是に於て羿を殺す。孟子曰く、是れ亦羿も罪有り、と。公明儀曰く、宜しく罪無きが若くなるべし、と。曰く、薄しと爾か云う。惡んぞ罪無きことを得ん。逢は薄江の反。惡は平聲。○羿は、有竆の后の羿なり。逢蒙は、羿の家衆なり。羿は射を善くし、夏を簒って自ら立ち、後に家衆の爲に殺さる。愈は猶勝つのごとし。薄は、其の罪差[やや]薄しと言うのみ。

鄭人使子濯孺子侵衛。衛使庾公之斯追之。子濯孺子曰、今日我疾作、不可以執弓。吾死矣夫。問其僕曰、追我者誰也。其僕曰、庾公之斯也。曰、吾生矣。其僕曰、庾公之斯衛之善射者也。夫子曰、吾生。何謂也。曰、庾公之斯學射於尹公之他。尹公之他學射於我。夫尹公之他端人也、其取友必端矣。庾公之斯至。曰、夫子何爲不執弓。曰、今日我疾作。不可以執弓。曰、小人學射於尹公之他。尹公之他學射於夫子。我不忍以夫子之道反害夫子。雖然、今日之事君事也。我不敢廢。抽矢扣輪、去其金、發乘矢而後反。他、徒何反。矣夫・夫尹之夫、並音扶。去、上聲。乘、去聲。○之、語助也。僕、御也。尹公他亦衛人也。端、正也。孺子以尹公正人、知其取友必正。故度庾公必不害己。小人、庾公自稱也。金、鏃也。扣輪出鏃、令不害人、乃以射也。乘矢、四矢也。孟子言、使羿如子濯孺子得尹公他而敎之、則必無逢蒙之禍。然夷羿簒弑之賊、蒙乃逆儔。庾斯雖全私恩、亦廢公義。其事皆無足論者。孟子蓋特以取友而言耳。
【読み】
鄭人子濯孺子をして衛を侵さしむ。衛庾公之斯[ゆこうしし]をして之を追わしむ。子濯孺子曰く、今日我疾作[おこ]り、以て弓を執る可からず。吾死なんか、と。其の僕に問うて曰く、我を追う者は誰ぞ、と。其の僕曰く、庾公之斯なり、と。曰く、吾生きなん、と。其の僕曰く、庾公之斯は衛の善く射る者なり。夫子曰く、吾生きなん、と。何と謂うことぞ、と。曰く、庾公之斯射を尹公之他に學ぶ。尹公之他射を我に學ぶ。夫れ尹公之他は端人なり。其の友を取ること必ず端[ただ]しからん。庾公之斯至る。曰く、夫子何爲れぞ弓を執らざる、と。曰く、今日我疾作れり。以て弓を執る可からず、と。曰く、小人射を尹公之他に學ぶ。尹公之他射を夫子に學ぶ。我夫子の道を以て反って夫子を害するに忍びず。然りと雖も、今日の事は君事なり。我敢えて廢[す]てじ、と。矢を抽[ぬ]き輪を扣いて、其の金[やじり]を去[す]て、乘矢を發[はな]って而して後に反る、と。他は徒何の反。矣夫・夫尹の夫は並音扶。去は上聲。乘は去聲。○之は語助なり。僕は御なり。尹公他も亦衛人なり。端は正しきなり。孺子、尹公正しき人なるを以て、其の友を取ること必ず正しきを知る。故に庾公は必ず己を害さざらんと度る。小人は、庾公自ら稱せり。金は鏃なり。輪を扣き鏃を出すは、人を害さざらしめて、乃ち以て射るなり。乘矢は四矢なり。孟子言う、羿、子濯孺子の尹公他を得て之に敎うるが如くすれば、則ち必ず逢蒙の禍無からん、と。然れども夷羿は簒弑の賊、蒙は乃ち逆儔[ぎゃくちゅう]なり。庾斯私恩を全うすと雖も、亦公義を廢つ。其の事皆論ずるに足る者無し。孟子蓋し特[ただ]友を取るを以て言うのみ。


離婁章句下25
○孟子曰、西子蒙不潔、則人皆掩鼻而過之。西子、美婦人。蒙、猶冒也。不潔、汙穢之物也。掩鼻、惡其臭也。
【読み】
○孟子曰く、西子も不潔を蒙るときは、則ち人皆鼻を掩うて之を過ぐ。西子は美婦人。蒙は猶冒[おお]うのごとし。不潔は、汙穢の物なり。鼻を掩うは、其の臭を惡めばなり。

雖有惡人、齊戒沐浴、則可以祀上帝。齊、側皆反。○惡人、醜貌者也。○尹氏曰、此章戒人之喪善、而勉人以自新也。
【読み】
惡人有りと雖も、齊戒沐浴するときは、則ち以て上帝を祀る可し、と。齊は側皆の反。○惡人は醜き貌の者なり。○尹氏曰く、此の章人の善を喪うことを戒めて、人に勉めしむるに自ら新たにすることを以てす、と。


離婁章句下26
○孟子曰、天下之言性也、則故而已矣。故者以利爲本。性者、人物所得以生之理也。故者、其已然之跡。若所謂天下之故者也。利、猶順也。語其自然之勢也。言事物之理、雖若無形而難知、然其發見之已然、則必有跡而易見。故天下之言性者、但言其故而理自明。猶所謂善言天者、必有驗於人也。然其所謂故者、又必本其自然之勢。如人之善、水之下、非有所矯揉造作而然者也。若人之爲惡、水之在山、則非自然之故矣。
【読み】
○孟子曰く、天下の性を言うは、則ち故ならくのみ。故は利を以て本とす。性は、人物の得て以て生まるる所の理なり。故は、其の已に然るの跡なり。所謂天下の故なる者の若し。利は猶順のごとし。其の自然の勢いを語るなり。言うこころは、事物の理は、形無くして知り難きが若しと雖も、然れども其の發見の已に然るときは、則ち必ず跡有りて見易し、と。故に天下の性を言うは、但其の故を言うのみにして理自ら明らかなり。猶所謂善く天を言う者は、必ず人に驗有りというがごとし。然れども其の所謂故は、又必ず其の自然の勢いに本づく。人の善たるべく、水の下るが如きは、矯揉造作する所有りて然る者に非ざるなり。人の惡を爲し、水の山に在るが若きは、則ち自然の故に非ず。

所惡於智者、爲其鑿也。如智者若禹之行水也、則無惡於智矣。禹之行水也、行其所無事也。如智者亦行其所無事、則智亦大矣。惡・爲、皆去聲。○天下之理、本皆順利。小智之人、務爲穿鑿。所以失之。禹之行水、則因其自然之勢而導之、未嘗以私智穿鑿而有所事。是以水得其潤下之性、而不爲害也。
【読み】
智に惡む所の者は、其の鑿てるが爲なり。如し智者禹の水を行[や]るが若くなるときは、則ち智に惡むこと無し。禹の水を行るは、其の事無き所に行る。如し智者も亦其の事無き所に行うときは、則ち智も亦大いなり。惡・爲は皆去聲。○天下の理は、本皆順利なり。小智の人は、務めて穿鑿をす。之を失う所以なり。禹の水を行るときは、則ち其の自然の勢いに因りて之を導き、未だ嘗て私智を以て穿鑿して事とする所有らず。是を以て水其の潤下の性を得て、害を爲さざるなり。

天之高也、星辰之遠也、苟求其故、千歳之日至、可坐而致也。天雖高、星辰雖遠、然求其已然之跡、則其運有常。雖千歳之久、其日至之度、可坐而得。況於事物之近。若因其故而求之、豈有不得其理者。而何以穿鑿爲哉。必言日至者、造暦者、以上古十一月甲子朔夜半冬至、爲暦元也。○程子曰、此章專爲智而發。愚謂、事物之理、莫非自然。順而循之、則爲大智。若用小智而鑿以自私、則害於性而反爲不智。程子之言、可謂深得此章之旨矣。
【読み】
天の高き、星辰の遠き、苟し其の故を求むるときは、千歳の日至も、坐[い]ながらにして致す可し、と。天高しと雖も、星辰遠しと雖も、然れども其の已に然るの跡を求むれば、則ち其の運に常有り。千歳の久しきと雖も、其の日至の度は、坐ながらにして得可し。況や事物の近きに於てをや。若し其の故に因りて之を求むれば、豈其の理を得ざる者有らんや。而して何ぞ穿鑿を以てせん。必ず日至と言うは、暦を造る者は、上古十一月甲子の朔夜半冬至を以て、暦元とすればなり。○程子曰く、此の章專ら智の爲に發せり、と。愚謂えらく、事物の理は、自然に非ざること莫し。順にして之に循うときは、則ち大智と爲る。若し小智を用いて鑿ち以て自ら私するときは、則ち性を害いて反って不智と爲る。程子の言、深く此の章の旨を得と謂う可し。


離婁章句下27
○公行子有子之喪。右師往弔。入門、有進而與右師言者。有就右師之位而與右師言者。公行子、齊大夫。右師、王驩也。
【読み】
○公行子子の喪有り。右師往いて弔す。門に入って、進んで右師と言う者有り。右師の位に就いて右師と言う者有り。公行子は齊の大夫。右師は王驩なり。

孟子不與右師言。右師不悦曰、諸君子皆與驩言。孟子獨不與驩言。是簡驩也。簡、略也。
【読み】
孟子右師と言わず。右師悦びずして曰く、諸君子皆驩と言う。孟子獨り驩と言わず。是れ驩を簡[おろそ]かにするなり、と。簡は略なり。

孟子聞之曰、禮、朝廷不歴位而相與言、不踰階而相揖也。我欲行禮。子敖以我爲簡、不亦異乎。朝、音潮。○是時齊卿大夫以君命弔、各有位次。若周禮、凡有爵者之喪禮、則職喪涖其禁令、序其事。故云朝廷也。歴、更渉也。位、他人之位也。右師未就位、而進與之言、則右師歴己之位矣、右師已就位、而就與之言、則己歴右師之位矣。孟子右師之位又不同階。孟子不敢失此禮。故不與右師言也。
【読み】
孟子之を聞いて曰く、禮に、朝廷は位を歴て相與に言わず、階を踰えて相揖せず、と。我禮を行わまく欲す。子敖我を以て簡かなりと爲す、亦異[あや]しからずや、と。朝は音潮。○是の時齊の卿大夫君命を以て弔い、各々に位次有り。周禮に、凡て爵有る者の喪禮は、則ち職喪其の禁令に涖[のぞ]んで、其の事を序するというが若し。故に朝廷と云うなり。歴は、更わり渉るなり。位は、他人の位なり。右師未だ位に就かずして、進めて之と言うは、則ち右師己の位を歴るなり。右師已に位に就いて、就いて之と言うは、則ち己右師の位を歴るなり。孟子と右師の位は又階を同じくせず。孟子敢えて此の禮を失せず。故に右師と言わざるなり。


離婁章句下28
○孟子曰、君子所以異於人者、以其存心也。君子以仁存心、以禮存心。以仁禮存心、言以是存於心而不忘也。
【読み】
○孟子曰く、君子の人と異なる所以の者は、其の心に存するを以てなり。君子は仁を以て心に存し、禮を以て心に存す。仁禮を以て心に存すは、言うこころは、是を以て心に存して忘れざるなり、と。

仁者愛人。有禮者敬人。此仁禮之施。
【読み】
仁者は人を愛す。禮有る者は人を敬す。此れ仁禮の施しなり。

愛人者人恆愛之。敬人者人恆敬之。恆、胡登反。○此仁禮之驗。
【読み】
人を愛する者は人恆に之を愛す。人を敬する者は人恆に之を敬す。恆は胡登の反。○此れ仁禮の驗なり。

有人於此。其待我以橫逆、則君子必自反也。我必不仁也。必無禮也。此物奚宜至哉。橫、去聲。下同。○橫逆、謂強暴不順理也。物、事也。
【読み】
此に人有り。其の我を待するに橫逆を以てするときは、則ち君子必ず自ら反る。我必ず不仁ならん。必ず無禮ならん。此の物[こと]奚んぞ宜しく至るべけんや、と。橫は去聲。下も同じ。○橫逆は、強暴にして理に順わざることを謂うなり。物は事なり。

其自反而仁矣。自反而有禮矣。其橫逆由是也、君子必自反也。我必不忠。由、與猶同。下放此。○忠者、盡己之謂。我必不忠、恐所以愛敬人者、有所不盡其心也。
【読み】
其れ自ら反って仁あり。自ら反って禮有り。其の橫逆由[なお]是のごとくんば、君子必ず自ら反る。我必ず不忠ならん、と。由は猶と同じ。下も此に放え。○忠は、己を盡くすを謂う。我必ず不忠ならんは、以て人を愛敬する所の者、其の心を盡くさざる所有らんことを恐るるなり。

自反而忠矣。其橫逆由是也、君子曰、此亦妄人也已矣。如此則與禽獸奚擇哉。於禽獸又何難焉。難、去聲。○奚擇、何異也。又何難焉、言不足與之校也。
【読み】
自ら反って忠あり。其の橫逆由是のごとくなれば、君子曰く、此れ亦妄人ならくのみ。此の如くば則ち禽獸と奚んぞ擇ばんや。禽獸に於て又何ぞ難[なや]まん、と。難は去聲。○奚んぞ擇ばんは、何ぞ異ならんとなり。又何ぞ難まんは、言うこころは、之と校ぶるに足らず、と。

是故君子有終身之憂、無一朝之患也。乃若所憂則有之。舜人也。我亦人也。舜爲法於天下、可傳於後世。我由未免爲郷人也。是則可憂也。憂之如何。如舜而已矣。若夫君子所患則亡矣。非仁無爲也。非禮無行也。如有一朝之患、則君子不患矣。夫、音扶。○郷人、郷里之常人也。君子存心不苟。故無後憂。
【読み】
是の故に君子は終身の憂え有って、一朝の患え無し。乃ち憂うる所の若きんば則ち之れ有り。舜も人なり。我も亦人なり。舜法を天下に爲し、後世に傳う可し。我由未だ郷人爲ることを免れず。是れ則ち憂う可し。之を憂えば如何。舜の如くせんのみ。夫の君子の患うる所の若きんば則ち亡し。仁に非ざればすること無し。禮に非ざれば行うこと無し。如し一朝の患え有るときは、則ち君子患えず、と。夫は音扶。○郷人は、郷里の常人なり。君子は心を存して苟もせず。故に後の憂え無し。


離婁章句下29
○禹・稷當平世、三過其門而不入。孔子賢之。事見前篇。
【読み】
○禹・稷平世に當たって、三たび其の門を過ぐれども入らず。孔子之を賢なりとす。事は前篇に見ゆ。

顏子當亂世、居於陋巷、一簞食、一瓢飮。人不堪其憂。顏子不改其樂。孔子賢之。食、音嗣。樂、音洛。
【読み】
顏子亂世に當たって、陋巷に居り、一簞の食、一瓢の飮。人は其の憂えに堪えず。顏子は其の樂しみを改めず。孔子之を賢なりとす。食は音嗣。樂は音洛。

孟子曰、禹・稷・顏回同道。聖賢之道、進則救民、退則脩己。其心一而已矣。
【読み】
孟子曰く、禹・稷・顏回は道を同じうす。聖賢の道、進むときは則ち民を救い、退くときは則ち己を脩む。其の心は一ならくのみ。

禹思天下有溺者、由己溺之也。稷思天下有飢者、由己飢之也。是以如是其急也。由、與猶同。禹・稷身任其職。故以爲己責而救之急也。
【読み】
禹は天下に溺るる者有るを、由[なお]己之を溺らすがごとしと思えり。稷は天下に飢うる者有るを、由己之を飢やすがごとしと思えり。是を以て是の如く其れ急[すみ]やかなり。由は猶と同じ。禹・稷身ら其の職を任ず。故に以て己が責めと爲して之を救うに急やかなり。

禹・稷・顏子易地則皆然。聖賢之心、無所偏倚。隨感而應、各盡其道。故使禹・稷居顏子之地、則亦能樂顏子之樂。使顏子居禹・稷之任、亦能憂禹・稷之憂也。
【読み】
禹・稷・顏子地を易えば則ち皆然らん。聖賢の心は、偏倚する所無し。感に隨いて應じ、各々其の道を盡くす。故に禹・稷をして顏子の地に居らしめば、則ち亦能く顏子の樂しみを樂しまん。顏子をして禹・稷に任に居らしめば、亦能く禹・稷の憂えを憂えん。

今有同室之人鬭者。救之、雖被髮纓冠而救之、可也。不暇束髮、而結纓往救、言急也。以喩禹・稷。
【読み】
今同室の人鬭う者有らん。之を救うに、髮を被り冠を纓して之を救うと雖も、可なり。髮を束ねる暇あらずして、纓を結びて往いて救うは、急やかなるを言うなり。以て禹・稷に喩う。

郷鄰有鬭者。被髮纓冠而往救之、則惑也。雖閉戶可也。喩顏子也。○此章言、聖賢心無不同。事則所遭或異、然處之各當其理。是乃所以爲同也。尹氏曰、當其可之謂時。前聖後聖、其心一也。故所遇皆盡善。
【読み】
郷鄰に鬭う者有らん。髮を被り冠を纓して往いて之を救うは、則ち惑えるなり。戶を閉ずと雖も可なり、と。顏子を喩うなり。○此の章言うこころは、聖賢の心同じからざること無し、と。事は則ち遭う所或は異なれども、然れども之を處するは各々其の理に當たれり。是れ乃ち同じとする所以なり。尹氏曰く、其の可に當たるを時と謂う。前聖後聖、其の心は一なり。故に遇う所皆善を盡くせり、と。


離婁章句下30
○公都子曰、匡章、通國皆稱不孝焉。夫子與之遊、又從而禮貌之。敢問何也。匡章、齊人。通國、盡一國之人也。禮貌、敬之也。
【読み】
○公都子曰く、匡章は、通國皆不孝と稱す。夫子之と遊び、又從って之を禮貌す。敢えて問う、何ぞ、と。匡章は齊人。通國は、一國の人を盡くすなり。禮貌は、之を敬うなり。

孟子曰、世俗所謂不孝者五。惰其四支、不顧父母之養、一不孝也。博弈好飮酒、不顧父母之養、二不孝也。好貨財、私妻子、不顧父母之養、三不孝也。從耳目之欲、以爲父母戮、四不孝也。好勇鬭狠、以危父母、五不孝也。章子有一於是乎。好・養・從、皆去聲。狠、胡懇反。○戮、羞辱也。狠、忿戾也。
【読み】
孟子曰く、世俗の所謂不孝という者五つ。其の四支を惰って、父母の養いを顧みざる、一つの不孝なり。博弈し酒を飮むことを好んで、父母の養いを顧みざる、二つの不孝なり。貨財を好み、妻子に私して、父母の養いを顧みざる、三つの不孝なり。耳目の欲を從[ほしいまま]にして、以て父母の戮[はずかし]めを爲す、四つの不孝なり。勇を好み鬭狠[とうこん]して、以て父母を危くす、五つの不孝なり。章子是に一つも有りや。好・養・從は皆去聲。狠は胡懇の反。○戮は羞辱なり。狠は忿戾なり。

夫章子、子父責善、而不相遇也。夫、音扶。○遇、合也。相責以善而不相合。故爲父所逐也。
【読み】
夫の章子は、子父善を責めて、相遇わざればなり。夫は音扶。○遇は合うなり。相責むるに善を以てして相合わず。故に父が爲に逐わるるなり。

責善、朋友之道也。父子責善、賊恩之大者。賊、害也。朋友當相責以善。父子行之、則害天性之恩也。
【読み】
善を責むるは、朋友の道なり。父子善を責むるは、恩を賊[そこな]うの大いなる者なり。賊は害うなり。朋友は當に相責むるに善を以てすべし。父子之を行えば、則ち天性の恩を害うなり。

夫章子、豈不欲有夫妻子母之屬哉。爲得罪於父、不得近、出妻屛子、終身不養焉。其設心以爲不若是、是則罪之大者、是則章子已矣。夫章之夫、音扶。爲、去聲。屛、必井反。養、去聲。○言章子非不欲身有夫妻之配、子有子母之屬。但爲身不得近於父、故不敢受妻子之養、以自責罰。其心以爲不如此、則其罪益大也。○此章之旨、於衆所惡而必察焉。可以見聖賢至公至仁之心矣。楊氏曰、章子之行、孟子非取之也。特哀其志而不與之絶耳。
【読み】
夫の章子、豈夫妻子母の屬有らまく欲せざらんや。罪を父に得て、近づくことを得ざるが爲に、妻を出だし子を屛[しりぞ]け、身を終うるまで養われず。其の心を設くるに以爲えらく、是の若くせざれば、是れ則ち罪の大いなる者なり、と、是れ則ち章子なるのみ、と。夫章の夫は音扶。爲は去聲。屛は必井の反。養は去聲。○言うこころは、章子身に夫妻の配有り、子に子母の屬有らまく欲せざるには非ず。但身父に近づくことを得ざるが爲に、故に敢えて妻子の養いを受けず、以て自ら責め罰[とが]む。其の心以爲えらく、此の如くせざれば、則ち其の罪益々大いなり、と。○此の章の旨、衆の惡む所に於ても必ず察す。以て聖賢の至公至仁の心を見る可し。楊氏曰く、章子の行、孟子之を取るに非ず。特[ただ]其の志を哀れんで之と絶たざるのみ。


離婁章句下31
○曾子居武城、有越寇。或曰、寇至。盍去諸。曰、無寓人於我室、毀傷其薪木。寇退則曰、脩我牆屋、我將反。寇退、曾子反。左右曰、待先生、如此其忠且敬也。寇至則先去、以爲民望、寇退則反。殆於不可。沈猶行曰、是非汝所知也。昔沈猶有負芻之禍。從先生者七十人、未有與焉。與、去聲。○武城、魯邑名。盍、何不也。左右、曾子之門人也。忠敬、言武城之大夫事曾子、忠誠恭敬也。爲民望、言使民望而效之。沈猶行、弟子姓名也。言曾子嘗舍於沈猶氏。時有負芻者作亂、來攻沈猶氏。曾子率其弟子去之、不與其難。言師賓不與臣同。
【読み】
○曾子武城に居り、越の寇有り。或ひと曰く、寇至れり。盍ぞ去らざる、と。曰く、人を我が室に寓[よ]せて、其の薪木を毀[そこな]い傷[やぶ]ること無けん。寇退くときは則ち曰く、我が牆屋を脩[おさ]めよ、我將に反らんとす、と。寇退いて、曾子反る。左右曰く、先生を待すること、此の如く其れ忠ありて且敬あり。寇至るときは則ち先ず去って、以て民望と爲り、寇退くときは則ち反る。不可なるに殆[ちか]し。沈猶行曰く、是れ汝の知る所に非ず。昔[さき]に沈猶負芻の禍有り。先生に從う者七十人、未だ與ること有らず、と。與は去聲。○武城は魯の邑の名。盍は何不なり。左右は曾子の門人なり。忠敬は、武城の大夫の曾子に事うること、忠誠恭敬なるを言うなり。民望と爲るは、民に望みて之を效わしむることを言う。沈猶行は、弟子の姓名なり。言うこころは、曾子嘗て沈猶氏に舍[やど]る。時に負芻なる者有りて亂を作し、來りて沈猶氏を攻む。曾子其の弟子を率いて之を去り、其の難に與らず、と。師賓は臣と同じからざることを言う。

子思居於衛、有齊寇。或曰、寇至。盍去諸。子思曰、如伋去、君誰與守。言所以不去之意如此。
【読み】
子思衛に居り、齊の寇有り。或ひと曰く、寇至れり。盍ぞ諸を去さらざる、と。子思曰く、如し伋去らば、君誰と與にか守らん、と。言うこころは、去らざる所以の意此の如し。

孟子曰、曾子・子思同道。曾子、師也、父兄也。子思、臣也、微也。曾子・子思易地則皆然。微、猶賤也。尹氏曰、或遠害、或死難。其事不同者、所處之地不同也。君子之心、不繫於利害、惟其是而已。故易地則皆能爲之。○孔氏曰、古之聖賢、言行不同、事業亦異、而其道未始不同也。學者知此、則因所遇而應之、若權衡之稱物、低昂屢變、而不害其爲同也。
【読み】
孟子曰く、曾子・子思道を同じうす。曾子は師なり、父兄なり。子思は臣なり、微[いや]し。曾子・子思地を易えば則ち皆然らん、と。微は猶賤しのごとし。尹氏曰く、或は害に遠ざかり、或は難に死せんとす。其の事同じからざるは、處る所の地同じからざればなり。君子の心は、利害に繫らず、惟其れ是なるのみ。故に地を易うときは則ち皆能く之をす、と。○孔氏曰く、古の聖賢、言行同じからず、事業も亦異なり、而して其の道未だ始めより同じからずんばあらず。學者此を知るときは、則ち遇う所に因って之に應ずること、權衡の物を稱るに、低昂屢[しばしば]變ずれども、而して其の同[ひと]しくするを害さざるが若し。


離婁章句下32
○儲子曰、王使人瞯夫子、果有以異於人乎。孟子曰、何以異於人哉。堯舜與人同耳。瞯、古莧反。○儲子、齊人也。瞯、竊視也。聖人亦人耳。豈有異於人哉。
【読み】
○儲子[ちょし]曰く、王人をして夫子を瞯[うかが]わしむ。果たして以て人に異なること有りや、と。孟子曰く、何を以てか人と異ならんや。堯舜も人と同じきのみ、と。瞯は古莧の反。○儲子は齊人なり。瞯は竊かに視るなり。聖人も亦人ならくのみ。豈人と異なること有らんや。


離婁章句下33
○齊人有一妻一妾而處室者。其良人出、則必饜酒肉而後反。其妻問所與飮食者、則盡富貴也。其妻告其妾曰、良人出、則必饜酒肉而後反。問其與飮食者、盡富貴也。而未嘗有顯者來。吾將瞯良人之所之也。蚤起、施從良人之所之。徧國中無與立談者。卒之東郭墦閒之祭者、乞其餘。不足、又顧而之他。此其爲饜足之道也。其妻歸、告其妾曰、良人者、所仰望而終身也。今若此。與其妾訕其良人、而相泣於中庭。而良人未之知也。施施從外來、驕其妻妾。施、音迤。又音易。墦、音燔。施施、如字。○章首當有孟子曰字。闕文也。良人、夫也。饜、飽也。顯者、富貴人也。施、邪施而行、不使良人知也。墦、冢也。顧、望也。訕、怨詈也。施施、喜悦自得之貌。
【読み】
○齊人一妻一妾にして室に處る者有り。其の良人出るときは、則ち必ず酒肉に饜[あ]いて後に反る。其の妻與に飮食する所の者を問うときは、則ち盡く富貴なり。其の妻其の妾に告げて曰く、良人出るときは、則ち必ず酒肉に饜いて後に反る。其の與に飮食する者を問うときは、盡く富貴なり。而れども未だ嘗て顯者の來ること有らず。吾將に良人の之く所を瞯わんとす。蚤[つと]に起きて、施[なな]めに良人の之く所に從う。國中を徧うすれども與に立って談[かた]る者無し。卒に東郭墦閒の祭る者に之いて、其の餘りを乞う。足らざれば、又顧[のぞ]んで他に之く。此れ其の饜足をするの道なり。其の妻歸って、其の妾に告げて曰く、良人は、仰ぎ望んで身を終うる所、今此の若し、と。其の妾と其の良人を訕[そし]って、中庭に相泣く。而るを良人未だ之を知らず。施施として外より來って、其の妻妾に驕る。施は音迤。又音易。墦は音燔。施施は字の如し。○章の首に當に孟子曰の字有るべし。闕文ならん。良人は夫なり。饜は飽くなり。顯者は富貴の人なり。施は、邪施して行き、良人に知らしめざるなり。墦は冢なり。顧は望むなり。訕は怨み詈るなり。施施は、喜悦自得するの貌。

由君子觀之、則人之所以求富貴利達者、其妻妾不羞也、而不相泣者、幾希矣。孟子言、自君子而觀今之求富貴者、皆若此人耳。使其妻妾見之、不羞而泣者少矣。言可羞之甚也。○趙氏曰、言今之求富貴者、皆以枉曲之道、昏夜乞哀以求之、而以驕人於白日。與斯人何以異哉。
【読み】
君子より之を觀るときは、則ち人の富貴利達を求むる所以の者、其の妻妾羞じずして、相泣かざる者、幾希[すく]なけん。孟子言う、君子よりして今の富貴を求むる者を觀れば、皆此の人の若きのみ。其の妻妾に之を見せしめば、羞じて泣かざる者少なし、と。羞ず可きの甚だしきを言うなり。○趙氏曰く、言うこころは、今の富貴を求むる者は、皆枉曲の道を以て、昏夜には哀れみを乞い以て之を求め、而して以て人に白日に驕る。斯の人と何を以て異ならんや、と。

 

孟子卷之五

萬章章句上 凡九章。

萬章章句上1
萬章問曰、舜往于田、號泣于旻天。何爲其號泣也。孟子曰、怨慕也。號、平聲。○舜往于田、耕歴山時也。仁覆閔下、謂之旻天。號泣于旻天、呼天而泣也。事見虞書大禹謨篇。怨慕、怨己之不得其親而思慕也。
【読み】
萬章問うて曰く、舜田に往いて、旻天に號泣す。何爲れぞ其れ號泣する、と。孟子曰く、怨慕してなり、と。號は平聲。○舜田に往くは、歴山に耕す時なり。仁の下を覆い閔れむを、旻天と謂う。旻天に號泣するは、天を呼んで泣くなり。事は虞書大禹謨の篇に見ゆ。怨慕は、己の其の親に得ざるを怨み、而して思慕するなり。

萬章曰、父母愛之、喜而不忘、父母惡之、勞而不怨。然則舜怨乎。曰、長息問於公明高曰、舜往于田、則吾旣得聞命矣。號泣于旻天于父母、則吾不知也。公明高曰、是非爾所知也。夫公明高以孝子之心、爲不若是恝。我竭力耕田、共爲子職而已矣。父母之不我愛、於我何哉。惡、去聲。夫、音扶。恝、苦八反。共、平聲。○長息、公明高弟子。公明高、曾子弟子。于父母、亦書辭。言呼父母而泣也。恝、無愁之貌。於我何哉、自責不知己有何罪耳。非怨父母也。楊氏曰、非孟子深知舜之心、不能爲此言。蓋舜惟恐不順於父母。未嘗自以爲孝也。若自以爲孝、則非孝矣。
【読み】
萬章曰く、父母之を愛すれば、喜んで忘れず、父母之を惡みんずれば、勞[くる]しんで怨みず。然らば則ち舜怨みたりや、と。曰く、長息公明高に問うて曰く、舜田に往くことは、則ち吾旣に命を聞くことを得。旻天に父母に號泣することは、則ち吾知らず、と。公明高曰く、是れ爾が知る所に非ず、と。夫の公明高孝子の心を以て、是の若く恝[かつ]ならずとす。我力を竭くし田を耕して、子爲るの職を共[つつし]めるのみ。父母の我を愛せざる、我に於て何ぞや、と。惡は去聲。夫は音扶。恝は苦八の反。共は平聲。○長息は公明高の弟子。公明高は曾子の弟子。于父母は、亦書の辭。父母を呼んで泣くことを言う。恝は、愁い無きの貌。我に於て何ぞやは、自ら己に何の罪有るかを知らざるを責むるのみ。父母を怨むに非ざるなり。楊氏曰く、孟子深く舜の心を知るに非ざれば、此の言を爲すこと能わず。蓋し舜は惟父母に順わざるを恐る。未だ嘗て自ら以て孝とせざるなり。若し自ら以て孝とせば、則ち孝に非ざるなり、と。

帝使其子九男二女、百官牛羊倉廩備、以事舜於畎畝之中。天下之士、多就之者。帝將胥天下而遷之焉。爲不順於父母、如竆人無所歸。爲、去聲。○帝、堯也。史記云、二女妻之、以觀其内、九男事之、以觀其外。又言、一年所居成聚、二年成邑、三年成都。是天下之士就之也。胥、相視也。遷之、移以與之也。如竆人之無所歸、言其怨慕迫切之甚也。
【読み】
帝其の子九男二女、百官牛羊倉廩を備えて、以て舜に畎畝の中に事えしむ。天下の士、之に就く者多し。帝將に天下を胥[あいみ]て之を遷さんとす。父母に順わざるが爲に、竆人の歸[おもむ]く所無きが如し。爲は去聲。○帝は堯なり。史記に云う、二女之を妻わせて、以て其の内を觀る。九男之に事えて、以て其の外を觀る、と。又言う、一年居る所聚を成し、二年に邑を成し、三年に都を成す、と。是れ天下の士の之に就けばなり。胥は相視るなり。之を遷すは、移して以て之に與うるなり。竆人の歸く所無きが如しは、其の怨慕迫切の甚だしきを言うなり。

天下之士悦之、人之所欲也。而不足以解憂。好色、人之所欲。妻帝之二女。而不足以解憂。富、人之所欲。富有天下。而不足以解憂。貴、人之所欲。貴爲天子。而不足以解憂。人悦之、好色富貴、無足以解憂者。惟順於父母、可以解憂。孟子推舜之心如此、以解上文之意。極天下之欲、不足以解憂、而惟順於父母、可以解憂。孟子眞知舜之心哉。
【読み】
天下の士之を悦ぶは、人の欲する所なり。而れども以て憂えを解くに足らず。好色は、人の欲する所なり。帝の二女を妻とす。而れども以て憂えを解くに足らず。富は、人の欲する所なり。富天下を有[たも]つ。而れども以て憂えを解くに足らず。貴きは、人の欲する所なり。貴きこと天子爲り。而れども以て憂えを解くに足らず。人之を悦び、好色富貴も、以て憂えを解くに足る者無し。惟父母に順うのみ、以て憂えを解く可し。孟子舜の心を推すこと此の如くして、以て上文の意を解けり。天下の欲を極むるも、以て憂えを解くに足らずして、惟父母に順いて、以て憂えを解く可し。孟子は眞に舜の心を知れるか。

人少、則慕父母、知好色、則慕少艾、有妻子、則慕妻子、仕則慕君、不得於君則熱中。大孝終身慕父母。五十而慕者、予於大舜見之矣。少・好、皆去聲。○言常人之情、因物有遷。惟聖人爲能不失其本心也。艾、美好也。楚辭・戰國策所謂幼艾、義與此同。不得、失意也。熱中、躁急心熱也。言五十者、舜攝政時年五十也。五十而慕、則其終身慕可知矣。○此章言、舜不以得衆人之所欲爲己樂、而以不順乎親之心爲己憂。非聖人之盡性、其孰能之。
【読み】
人少きときは、則ち父母を慕い、色を好むことを知るときは、則ち少艾[しょうがい]を慕い、妻子有るときは、則ち妻子を慕い、仕うるときは則ち君を慕い、君に得ざるときは則ち熱中す。大孝は身を終うるまで父母を慕う。五十にして慕う者をば、予大舜に於て之を見つ、と。少・好は皆去聲。○言うこころは、常人の情は、物に因りて遷ること有り。惟聖人のみ能く其の本心を失わずとす、と。艾は、美好なり。楚辭・戰國策に謂う所の幼艾は、義は此と同じ。得ずは、意を失うなり。熱中は、躁急に心熱するなり。五十と言うは、舜政を攝る時年五十なり。五十にして慕えば、則ち其の身を終うるまで慕うこと知る可し。○此の章言うこころは、舜は衆人の欲する所を得ることを以て己が樂しみとせずして、親の心に順わざるを以て己が憂えとす、と。聖人にして性を盡くせるに非ざれば、其れ孰か之を能くせんや。


萬章章句上2
○萬章問曰、詩云、娶妻如之何。必告父母。信斯言也、宜莫如舜。舜之不告而娶、何也。孟子曰、告則不得娶。男女居室、人之大倫也。如告、則廢人之大倫、以懟父母。是以不告也。懟、直類反。○詩、齊國風南山之篇也。信、誠也。誠如此詩之言也。懟、讎怨也。舜父頑、母嚚。常欲害舜。告則不聽其娶。是廢人之大倫、以讎怨於父母也。
【読み】
○萬章問うて曰く、詩に云く、妻を娶ること如之何。必ず父母に告[もう]す、と。信[まこと]に斯の言ならば、宜しく舜に如くこと莫し。舜の告げずして娶ること、何ぞ、と。孟子曰く、告げば則ち娶ることを得じ。男女室に居るは、人の大倫なり。如し告げば、則ち人の大倫を廢てて、以て父母に懟[うら]みられん。是を以て告げざるなり、と。懟は直類の反。○詩は齊の國風南山の篇なり。信は誠なり。誠に此の詩の言の如くならばなり。懟は讎怨なり。舜の父は頑、母は嚚[ぎん]。常に舜を害せんと欲す。告げば則ち其の娶ることを聽[ゆる]さず。是れ人の大倫を廢し、以て父母を讎怨するなり。

萬章曰、舜之不告而娶、則吾旣得聞命矣、帝之妻舜而不告、何也。曰、帝亦知告焉則不得妻也。妻、去聲。○以女爲人妻曰妻。程子曰、堯妻舜而不告者、以君治之而已。如今之官、府治民之私者亦多。
【読み】
萬章曰く、舜の告げずして娶ることは、則ち吾旣に命を聞くことを得つ。帝の舜に妻わせて告げざること、何ぞ、と。曰く、帝も亦告げるときは則ち妻わすことを得ざらんを知ればなり、と。妻は去聲。○女を以て人の妻とするを妻と曰う。程子曰く、堯舜に妻わせて告げざるは、君を以て之を治むるのみ。今の官府の、民の私を治むる者亦多きが如し、と。

萬章曰、父母使舜完廩。捐階、瞽瞍焚廩。使浚井。出。從而揜之。象曰、謨蓋都君咸我績。牛羊父母、倉廩父母、干戈朕、琴朕、弤朕、二嫂使治朕棲。象往入舜宮。舜在床琴。象曰、鬱陶思君爾。忸怩。舜曰、惟茲臣庶、汝其于予治。不識舜不知象之將殺己與。曰、奚而不知也。象憂亦憂、象喜亦喜。弤、都禮反。忸、女六反。怩、音尼。與、平聲。○完、治也。捐、去也。階、梯也。揜、蓋也。按史記曰、使舜上塗廩。瞽瞍從下縱火焚廩。舜乃以兩笠自捍而下去、得不死。後又使舜穿井。舜穿井爲匿空旁出。舜旣入深、瞽瞍與象共下土實井。舜從匿空中出去。卽其事也。象、舜異母弟也。謨、謀也。蓋、蓋井也。舜所居三年成都。故謂之都君。咸、皆也。績、功也。舜旣入井、象不知舜已出、欲以殺舜爲己功也。干、盾也。戈、戟也。琴、舜所彈五弦琴也。弤、琱弓也。象欲以舜之牛羊倉廩與父母、而自取此物也。二嫂、堯二女也。棲、床也。象欲使爲己妻也。象往舜宮、欲分取所有、見舜生在床彈琴。蓋旣出、卽潛歸其宮也。鬱陶、思之甚而氣不得伸也。象言、己思君之甚。故來見爾。忸怩、慙色也。臣庶、謂其百官也。象素憎舜、不至其宮。故舜見其來而喜、使之治其臣庶也。孟子言、舜非不知其將殺己。但見其憂則憂、見其喜則喜。兄弟之情、自有所不能已耳。萬章所言、其有無不可知。然舜之心、則孟子有以知之矣。他亦不足辨也。程子曰、象憂亦憂、象喜亦喜。人情天理、於是爲至。
【読み】
萬章曰く、父母舜をして廩[くら]を完[おさ]めしむ。階を捐[す]てて、瞽瞍廩を焚く。井を浚[ふこ]うせしむ。出でぬ。從うて之を揜う。象曰く、都君を蓋うことを謨[はか]れるは、咸我が績[いさおし]なり。牛羊は父母、倉廩は父母、干戈[かんか]は朕、琴は朕、弤[ゆみ]は朕、二嫂は朕が棲[ゆか]を治めしめん、と。象往いて舜の宮に入る。舜床に在して琴ひく。象曰く、鬱陶して君を思うのみ、と。忸怩たり。舜曰く、惟れ茲の臣庶、汝其れ予に于[おい]て治めよ、と。識らず、舜象が將に己を殺さんとするを知らざるか、と。曰く、奚[いか]んとしてか知らざる。象憂うれば亦憂え、象喜べば亦喜ぶ、と。弤は都禮の反。忸は女六の反。怩は音尼。與は平聲。○完は治むるなり。捐は去るなり。階は梯なり。揜は蓋うなり。史記を按ずるに曰く、舜をして上らせて廩を塗らしむ。瞽瞍下より火を縱[はな]ちて廩を焚く。舜乃ち兩つの笠を以て自ら捍[ふせ]いで下り去りて、死せざるを得。後に又舜をして井を穿てしむ。舜井を穿ちて匿空を爲り旁らより出づ。舜旣に入ること深くして、瞽瞍と象と共に土を下して井を實たす。舜匿空中より出で去る、と。卽ち其の事なり。象は舜の異母弟なり。謨は謀るなり。蓋は井を蓋うなり。舜の居る所三年にして都を成す。故に之を都君と謂う。咸は皆なり。績は功なり。舜旣に井に入り、象舜の已に出づるを知らず、舜を殺すを以て己が功と爲さんと欲するなり。干は盾なり。戈は戟なり。琴は、舜彈く所の五弦の琴なり。弤は琱弓[ちょうきゅう]なり。象舜の牛羊倉廩を以て父母に與えて、自ら此の物を取らまく欲するなり。二嫂は堯の二女なり。棲は床なり。象己が妻と爲さしめまく欲するなり。象舜の宮に往いて、有る所を分け取らまく欲して、舜の生きて床に在して琴を彈くを見る。蓋し旣に出でて、卽ち潛かに其の宮に歸るならん。鬱陶は、思うこと甚だしくして氣伸びることを得ざるなり。象言う、己君を思うこと甚だし。故に來り見ゆのみ、と。忸怩は慙じる色なり。臣庶は、其の百官を謂うなり。象素より舜を憎み、其の宮に至らず。故に舜其の來るを見て喜び、之をして其の臣庶を治めしむるなり。孟子言う、舜は其將に己を殺さんとするを知らざるに非ず。但其の憂えるを見るときは則ち憂え、其の喜ぶを見るときは則ち喜ぶ。兄弟の情、自ら已むこと能わざる所有るのみ、と。萬章言う所、其の有無知る可からず。然れども舜の心は、則ち孟子以て之を知る有り。他は亦辨ずるに足らず。程子曰く、象憂えば亦憂え、象喜べば亦喜ぶ。人情天理、是に於て至れりとす、と。

曰、然則舜僞喜者與。曰、否。昔者有饋生魚於鄭子產。子產使校人畜之池。校人烹之。反命曰、始舍之圉圉焉。少則洋洋焉。攸然而逝。子產曰、得其所哉。得其所哉。校人出曰、孰謂子產智。予旣烹而食之。曰、得其所哉。得其所哉。故君子可欺以其方。難罔以非其道。彼以愛兄之道來。故誠信而喜之。奚僞焉。與、平聲。校、音效。又音敎。畜、許六反。○校人、主池沼小吏也。圉圉、困而未紓之貌。洋洋、則稍縱矣。攸然而逝者、自得而遠去也。方、亦道也。罔、蒙蔽也。欺以其方、謂誑之以理之所有。罔以非其道、謂昧之以理之所無。象以愛兄之道來、所謂欺之以其方也。舜本不知其僞。故實喜之。何僞之有。○此章又言、舜遭人倫之變、而不失天理之常也。
【読み】
曰く、然るときは則ち舜僞って喜べる者か、と。曰く、否。昔者[むかし]生魚を鄭の子產に饋[おく]ること有り。子產校人をして之を池に畜わしむ。校人之を烹る。命を反して曰く、始め之を舍[はな]つとき圉圉焉[ぎょぎょえん]たり。少[しばら]くあって則ち洋洋焉たり。攸然として逝[さ]んぬ、と。子產曰く、其の所を得たるかな。其の所を得たるかな、と。校人出でて曰く、孰か子產を智ありと謂う。予旣に烹て之を食らう。曰く、其の所を得たるかな。其の所を得たるかな、と。故に君子は欺くに其の方[みち]を以てす可し。罔[し]いるに其の道に非ざるを以てし難し。彼兄を愛するの道を以て來る。故に誠に信じて之を喜ぶ。奚んぞ僞らん。與は平聲。校は音效。又音敎。畜は許六の反。○校人は、池沼を主[つかさど]る小吏なり。圉圉は、困しんで未だ紓[の]びざるの貌。洋洋は、則ち稍縱にするなり。攸然として逝んぬは、自得して遠く去るなり。方は亦道なり。罔は蒙蔽なり。欺くに其の方を以てすは、之を誑かすに理の有る所を以てすることを謂う。罔いるに其の道に非ざるを以てすは、之を昧[くら]ますに理の無き所を以てすることを謂う。象兄を愛するの道を以て來るは、所謂之を欺くに其の方を以てするなり。舜本より其の僞りを知らず。故に實に之を喜ぶ。何ぞ僞ること有らん。○此の章又言う、舜は人倫の變に遭えども、而して天理の常を失わず、と。


萬章章句上3
○萬章問曰、象日以殺舜爲事。立爲天子、則放之、何也。孟子曰、封之也。或曰放焉。放、猶置也。置之於此、使不得去也。萬章疑舜何不誅之。孟子言、舜實封之。而或者誤以爲放也。
【読み】
○萬章問うて曰く、象日々に舜を殺すを以て事とす。立って天子と爲るときに、則ち之を放[お]けるは、何ぞ、と。孟子曰く、之を封ぜしなり。或ひと曰く、放けり、と。放は猶置くのごとし。之を此に置き、去ることを得ざらしむなり。萬章舜は何ぞ之を誅せざらんと疑う。孟子言う、舜實は之を封ず。而るに或者誤りて以て放けりとす、と。

萬章曰、舜流共工于幽州、放驩兜于崇山、殺三苗于三危、殛鯀于羽山。四罪而天下咸服。誅不仁也。象至不仁。封之有庳。有庳之人奚罪焉。仁人固如是乎。在他人則誅之、在弟則封之。曰、仁人之於弟也、不藏怒焉、不宿怨焉、親愛之而已矣。親之欲其貴也、愛之欲其富也。封之有庳、富貴之也。身爲天子、弟爲匹夫、可謂親愛之乎。庳、音鼻。○流、徙也。共工、官名。驩兜、人名。二人比周、相與爲黨。三苗、國名。負固不服。殺、殺其君也。殛、誅也。鯀、禹父名。方命圮族、治水無功。皆不仁之人也。幽州・崇山・三危・羽山・有庳、皆地名也。或曰、今道州鼻亭、卽有庳之地也。未知是否。萬章疑、舜不當封象。使彼有庳之民、無罪而遭象之虐、非仁人之心也。藏怒、謂藏匿其怒。宿怨、謂留蓄其怨。
【読み】
萬章曰く、舜共工を幽州に流し、驩兜[かんとう]を崇山に放き、三苗を三危に殺し、鯀を羽山に殛[きょく]す。四罪して天下咸服す。不仁を誅すればなり。象至って不仁なり。之を有庳[ゆうひ]に封ず。有庳の人奚[なん]の罪かある。仁人固[まこと]に是の如きか。他人に在っては則ち之を誅し、弟に在っては則ち之を封ず、と。曰く、仁人の弟に於る、怒りを藏[かく]さず、怨みを宿めず、之を親愛すらくのみ。之を親しんじては其の貴からんことを欲し、之を愛しては其の富まんことを欲す。之を有庳に封ずるは、之を富貴にするなり。身天子爲り、弟匹夫爲たらば、之を親愛すと謂いつ可けんや、と。庳は音鼻。○流は徙[うつ]すなり。共工は官の名。驩兜は人の名。二人比周して、相與に黨を爲す。三苗は國の名。固きを負[たの]んで服さず。殺は其の君を殺すなり。殛は誅するなり。鯀は禹の父の名。命に方[そむ]き族を圮[やぶ]り、水を治めて功無し。皆不仁の人なり。幽州・崇山・三危・羽山・有庳は、皆地名なり。或ひと曰く、今の道州の鼻亭は、卽ち有庳の地なり、と。未だ是なるか否かを知らず。萬章疑う、舜當に象を封ずるべからず。彼の有庳の民の、罪無くして象の虐に遭わせしむるは、仁人の心に非ざるなり、と。怒りを藏すは、其の怒りを藏匿することを謂う。怨みを宿むは、其の怨みを留蓄することを謂う。

敢問、或曰放者、何謂也。曰、象不得有爲於其國、天子使吏治其國、而納其貢稅焉。故謂之放。豈得暴彼民哉。雖然、欲常常而見之。故源源而來。不及貢、以政接于有庳、此之謂也。孟子言、象雖封爲有庳之君、然不得治其國、天子使吏代之治、而納其所收之貢稅於象。有似於放。故或者以爲放也。蓋象至不仁、處之如此、則旣不失吾親愛之心、而彼亦不得虐有庳之民也。源源、若水之相繼也。來、謂來朝覲也。不及貢、以政接于有庳、謂不待及諸侯朝貢之期、而以政事接見有庳之君。蓋古書之辭、而孟子引以證源源而來之意、見其親愛之無已如此也。○吳氏曰、言聖人不以公義廢私恩、亦不以私恩害公義。舜之於象、仁之至、義之盡也。
【読み】
敢えて問う、或ひと曰く放けりとは、何と謂うことぞ、と。曰く、象其の國にすること有ることを得ず、天子吏をして其の國を治めて、其の貢稅を納れしむ。故に之を放けりと謂う。豈彼の民を暴[そこな]うことを得んや。然りと雖も、常常にして之に見わまく欲す。故に源源として來れり。貢に及ばずして、政を以て有庳に接すとは、此を謂うなり、と。孟子言うこころは、象封ずるに有庳の君に爲すと雖も、然れども其の國を治むることを得ず、天子吏をして之に代わって治めしめ、其の收むる所の貢稅を象に納れしむ。放くに似ること有り。故に或者以て放けりとす。蓋し象は至って不仁なれども、之を處すること此の如くば、則ち旣に吾が親愛の心を失わずして、彼も亦有庳の民を虐することを得ざるなり、と。源源は、水の相繼ぐが若し。來るは、來て朝覲[ちょうきん]することを謂うなり。貢に及ばずして、政を以て有庳に接すは、諸侯の朝貢の期に及ぶを待たずして、政事を以て有庳の君に接見することを謂う。蓋し古書の辭にして、孟子引いて以て源源として來るの意を證し、其の親愛の已むとき無きこと此の如くなるを見[しめ]せり。○吳氏曰く、言うこころは、聖人公義を以て私恩を廢さず、亦私恩を以て公義を害さず。舜の象に於るは、仁の至り、義の盡くせるなり、と。


萬章章句上4
○咸丘蒙問曰、語云、盛德之士、君不得而臣、父不得而子。舜南面而立。堯帥諸侯、北面而朝之。瞽瞍亦北面而朝之。舜見瞽瞍、其容有蹙。孔子曰、於斯時也、天下殆哉、岌岌乎。不識此語誠然乎哉。孟子曰、否。此非君子之言。齊東野人之語也。堯老而舜攝也。堯典曰、二十有八載、放勳乃徂落。百姓如喪考妣三年、四海遏密八音。孔子曰、天無二日、民無二王。舜旣爲天子矣。又帥天下諸侯、以爲堯三年喪、是二天子矣。朝、音潮。岌、魚及反。○咸丘蒙、孟子弟子。語者、古語也。蹙、顰蹙不自安也。岌岌、不安貌也。言人倫乖亂、天下將危也。齊東、齊國之東鄙也。孟子言、堯但老不治事、而舜攝天子之事耳。堯在時、舜未嘗卽天子位、堯何由北面而朝乎。又引書及孔子之言以明之。堯典、虞書篇名。今此文乃見於舜典。蓋古書二篇、或合爲一耳。言舜攝位二十八年而堯死也。徂、升也。落、降也。人死則魂升而魄降。故古者謂死爲徂落。遏、止也。密、靜也。八音、金・石・絲・竹・匏・土・革・木。樂器之音也。
【読み】
○咸丘蒙問うて曰く、語に云く、盛德の士は、君も得て臣とせず、父も得て子とせず、と。舜南面して立てり。堯諸侯を帥いて、北面して之に朝す。瞽瞍も亦北面して之に朝す。舜瞽瞍を見て、其の容[かたち]蹙[いた]めること有り。孔子曰く、斯の時に於て、天下殆[あやう]いかな、岌岌乎[きゅうきゅうこ]たり、と。識らず、此の語誠に然りや、と。孟子曰く、否。此れ君子の言に非ず。齊東の野人の語ならん。堯老いて舜攝す。堯典に曰く、二十有八載、放勳乃ち徂落したまいぬ。百姓考妣に喪するが如くすること三年、四海八音を遏密[あつみつ]す。孔子曰く、天に二日無し、民に二王無し、と。舜旣に天子爲り。又天下の諸侯を帥いて、以て堯の三年の喪をせば、是れ二りの天子なり、と。朝は音潮。岌は魚及の反。○咸丘蒙は孟子の弟子。語は古語なり。蹙は、顰蹙して自ら安んじざるなり。岌岌は、安んじざるの貌なり。言うこころは、人倫乖亂して、天下將に危からんとす、と。齊東は、齊國の東鄙なり。孟子言うこころは、堯但老いて事を治めずして、舜天子の事を攝るのみ。堯在せる時、舜未だ嘗て天子の位に卽かず。堯何に由ってか北面して朝せん、と。又書及び孔子の言を引いて以て之を明らかにす。堯典は、虞書の篇の名。今此の文は乃ち舜典に見ゆ。蓋し古書の二篇、或は合わせて一つと爲すのみ。言うこころは、舜位を攝すること二十八年にして堯死す。徂は升るなり。落は降るなり。人死するときは則ち魂升って魄降る。故に古は死を謂うて徂落とす。遏は止むなり。密は靜かなり。八音は、金・石・絲・竹・匏・土・革・木。樂器の音なり。

咸丘蒙曰、舜之不臣堯、則吾旣得聞命矣。詩云、普天之下、莫非王土、率土之濱、莫非王臣。而舜旣爲天子矣。敢問瞽瞍之非臣、如何。曰、是詩也、非是之謂也。勞於王事、而不得養父母也。曰、此莫非王事。我獨賢勞也。故說詩者、不以文害辭、不以辭害志。以意逆志、是爲得之。如以辭而已矣、雲漢之詩曰、周餘黎民、靡有孑遺。信斯言也、是周無遺民也。不臣堯、不以堯爲臣、使北面而朝也。詩、小雅北山之篇也。普、徧也。率、循也。此詩今毛氏序云、役使不均。己勞於王事、而不得養其父母焉。其詩下文亦云、大夫不均。我從事獨賢。乃作詩者自言、天下皆王臣、何爲獨使我以賢才而勞苦乎。非謂天子可臣其父也。文、字也。辭、語也。逆、迎也。雲漢、大雅篇名也。孑、獨立之貌。遺、脱也。言說詩之法、不可以一字而害一句之義、不可以一句而害設辭之志。當以己意迎取作者之志。乃可得之。若但以其辭而已、則如雲漢所言、是周之民眞無遺種矣。惟以意逆之、則知作詩者之志、在於憂旱、而非眞無遺民也。
【読み】
咸丘蒙曰く、舜の堯を臣とせざることは、則ち吾旣に命を聞くことを得たり。詩に云く、普天の下、王土に非ずということ莫し、率土の濱、王臣に非ずということ莫し、と。而して舜旣に天子爲り。敢えて問う、瞽瞍の臣に非ざること、如何、と。曰く、是の詩は、是を謂うに非ず。王事に勞して、父母を養うことを得ざればなり。曰く、此れ王事に非ずということ莫し。我獨り賢として勞す、と。故に詩を說く者、文を以て辭を害せず、辭を以て志を害せず。意を以て志に逆[むか]う、是れ之を得たりとす。如し辭のみを以てせば、雲漢の詩に曰く、周の餘の黎民、孑遺[げつい]有ること靡[な]し、と。信[まこと]に斯の言ならば、是れ周遺民無きなり。堯を臣とせずは、堯を以て臣として、北面して朝せしめざるなり。詩は小雅北山の篇なり。普は徧しなり。率は循るなり。此の詩今毛氏の序に云う、役使均しからず。己王事に勞して、其の父母を養うことを得ず、と。其の詩の下文も亦云う、大夫均しからず。我事に從いて獨り賢あり、と。乃ち詩を作る者自ら言う、天下皆王臣なるに、何爲れぞ獨り我のみ賢才あるを以てして勞苦せしめん、と。天子其の父を臣とす可しと謂うに非ざるなり。文は字なり。辭は語なり。逆は迎うなり。雲漢は、大雅の篇の名。孑は、獨り立つの貌。遺は、脱なり。言うこころは、詩を說くの法、一字を以てして一句の義を害す可からず、一句を以てして辭を設くるの志を害す可からず。當に己が意を以て作者の志を迎え取るべし。乃ち之を得る可し。若し但其の辭のみを以てせば、則ち雲漢言う所の如きは、是れ周の民眞に遺種無し。惟意を以て之に逆えば、則ち詩を作る者の志、旱を憂うるに在りて、眞に遺民無しというに非ざることを知るなり、と。

孝子之至、莫大乎尊親。尊親之至、莫大乎以天下養。爲天子父、尊之至也。以天下養、養之至也。詩曰、永言孝思、孝思維則、此之謂也。養、去聲。○言瞽瞍旣爲天子之父、則當享天下之養、此舜之所以爲尊親養親之至也。豈有使之北面而朝之理乎。詩、大雅下武之篇。言人能長言孝思而不忘、則可以爲天下法則也。
【読み】
孝子の至りは、親を尊ぶより大いなるは莫し。親を尊ぶの至りは、天下を以て養うより大いなるは莫し。天子の父爲るは、尊ぶの至りなり。天下を以て養うは、養うの至りなり。詩に曰く、永く孝思を言[おも]えば、孝思維れ則[のり]すとは、此を謂うなり。養は去聲。○言うこころは、瞽瞍旣に天子の父爲れば、則ち當に天下の養を享くべし。此れ舜の親を尊び親を養うの至りと爲す所以なり。豈之をして北面して朝せしむるの理有らんや、と。詩は大雅下武の篇。言うこころは、人能く長く孝思を言うて忘れざれば、則ち以て天下の法則と爲る可し、と。

書曰、祗載見瞽瞍、夔夔齊栗、瞽瞍亦允若。是爲父不得而子也。見、音現。齊、側皆反。○書、大禹謨篇也。祗、敬也。載、事也。夔夔齊栗、敬謹恐懼之貌。允、信也。若、順也。言舜敬事瞽瞍、往而見之、敬謹如此。瞽瞍亦信而順之也。孟子引此而言、瞽瞍不能以不善及其子、而反見化於其子。則是所謂父不得而子者。而非如咸丘蒙之說也。
【読み】
書に曰く、載[こと]を祗[つつし]んで瞽瞍に見え、夔夔[きき]齊栗たりしかば、瞽瞍も亦允とし若[したが]えり。是を父も得て子とせずとす、と。見は音現。齊は側皆の反。○書は大禹謨の篇なり。祗は敬むなり。載は事なり。夔夔齊栗は、敬謹恐懼の貌。允は信なり。若は順うなり。言うこころは、舜敬して瞽瞍に事え、往いて之に見ゆること、敬謹此の如し。瞽瞍も亦信じて之に順うなり。孟子此を引いて言う、瞽瞍不善を以て其の子に及ぼすこと能わずして、反って其の子に化せらる。則ち是れ所謂父得て子とせざる者なり。而して咸丘蒙の說の如きに非ざるなり、と。


萬章章句上5
○萬章曰、堯以天下與舜、有諸。孟子曰、否。天子不能以天下與人。天下者、天下之天下。非一人之私有故也。
【読み】
○萬章曰く、堯天下を以て舜に與うること、有りや諸れ、と。孟子曰く、否。天子天下を以て人に與うること能わず、と。天下は、天下の天下。一人の私有に非ざる故なり。

然則舜有天下也、孰與之。曰、天與之。萬章問而孟子答也。
【読み】
然るときは則ち舜天下を有[たも]てること、孰か之を與える。曰く、天之を與う、と。萬章問うて孟子答うるなり。

天與之者、諄諄然命之乎。諄、之淳反。○萬章問也。諄諄、詳語之貌。
【読み】
天之を與うること、諄諄然として之を命ずるか。諄は之淳の反。○萬章問うなり。諄諄は、詳らかに語ぐる貌。

曰、否。天不言、以行與事示之而已矣。行、去聲、下同。○行之於身謂之行、措諸天下謂之事。言但因舜之行事、而示以與之之意耳。
【読み】
曰く、否。天言わず、行と事とを以て之を示せるのみ、と。行は去聲。下も同じ。○之を身に行うを行と謂い、諸を天下に措くを事と謂う。言うこころは、但舜の行事に因りて、示すに之に與うるの意を以てするのみ、と。

曰、以行與事示之者如之何。曰、天子能薦人於天。不能使天與之天下。諸侯能薦人於天子。不能使天子與之諸侯。大夫能薦人於諸侯。不能使諸侯與之大夫。昔者堯薦舜於天、而天受之。暴之於民、而民受之。故曰、天不言、以行與事示之而已矣。暴、歩卜反。下同。○暴、顯也。言下能薦人於上、不能令上必用之。舜爲天人所受。是因舜之行與事、而示之以與之之意也。
【読み】
曰く、行と事とを以て之を示すこと如之何、と。曰く、天子能く人を天に薦む。天をして之に天下を與えしむること能わず。諸侯能く人を天子に薦む。天子をして之に諸侯を與えしむること能わず。大夫能く人を諸侯に薦む。諸侯をして之に大夫を與えしむること能わず。昔者[むかし]堯舜を天に薦めて、天之を受く。之を民に暴[あらわ]して、民之を受く。故に曰く、天言わず、行と事とを以て之を示せるのみ、と。暴は歩卜の反。下も同じ。○暴は顯すなり。言うこころは、下能く人を上に薦めども、上をして必ず之を用いしむること能わず。舜天人の受く所と爲る。是れ舜の行と事とに因りて、示すに之に與うるの意を以てするなり、と。

曰、敢問薦之於天而天受之、暴之於民而民受之、如何。曰、使之主祭而百神享之。是天受之。使之主事而事治、百姓安之。是民受之也。天與之、人與之、故曰、天子不能以天下與人。治、去聲。
【読み】
曰く、敢えて問う、之を天に薦めて天之を受け、之を民に暴して民之を受くること、如何、と。曰く、之をして祭を主[つかさど]らしめて百神之を享く。是れ天之を受く。之をして事を主らしめて事治まり、百姓之を安んず。是れ民之を受く。天之に與え、人之に與う。故に曰く、天子天下を以て人に與うること能わず、と。治は去聲。

舜相堯二十有八載、非人之所能爲也。天也。堯崩、三年之喪畢、舜避堯之子於南河之南。天下諸侯朝覲者、不之堯之子而之舜。訟獄者、不之堯之子而之舜。謳歌者、不謳歌堯之子而謳歌舜。故曰、天也。夫然後之中國、踐天子位焉。而居堯之宮、逼堯之子、是簒也。非天與也。相、去聲。朝、音潮。夫、音扶。○南河在冀州之南、其南卽豫州也。訟獄、謂獄不決而訟之也。
【読み】
舜堯に相たること二十有八載、人の能くする所に非ざるなり。天なり。堯崩じて、三年の喪畢わって、舜堯の子に南河の南に避[さ]かる。天下の諸侯朝覲する者、堯の子に之かずして舜に之く。訟獄する者、堯の子に之かずして舜に之く。謳歌する者、堯の子を謳歌せずして舜を謳歌す。故に曰く、天なり、と。夫れ然して後中國に之いて、天子の位を踐めり。而[も]し堯の宮に居て、堯の子に逼[せ]まらば、是れ簒[うば]えるなり。天與うるに非ざるなり。相は去聲。朝は音潮。夫は音扶。○南河は冀州の南に在り、其の南は卽ち豫州なり。訟獄は、獄決せずして之を訟うるを謂うなり。

太誓曰、天視自我民視、天聽自我民聽。此之謂也。自、從也。天無形、其視聽皆從於民之視聽。民之歸舜如此、則天與之可知矣。
【読み】
太誓に曰く、天の視ること我が民の視るに自[したが]い、天の聽くこと我が民の聽くに自う、と。此を謂うなり、と。自は從うなり。天に形無く、其の視聽くこと皆民の視聽くに從う。民の舜に歸すこと此の如くば、則ち天之を與うること知る可し。


萬章章句上6
○萬章問曰、人有言。至於禹而德衰。不傳於賢而傳於子。有諸。孟子曰、否。不然也。天與賢、則與賢。天與子、則與子。昔者舜薦禹於天、十有七年。舜崩、三年之喪畢、禹避舜之子於陽城。天下之民從之、若堯崩之後、不從堯之子而從舜也。禹薦益於天、七年。禹崩、三年之喪畢、益避禹之子於箕山之陰。朝覲訟獄者、不之益而之啓。曰、吾君之子也。謳歌者、不謳歌益而謳歌啓。曰、吾君之子也。朝、音潮。○陽城・箕山之陰、皆嵩山下、深谷中可藏處。啓、禹之子也。楊氏曰、此語孟子必有所受。然不可考矣。但云天與賢則與賢、天與子則與子、可以見堯・舜・禹之心、皆無一毫私意也。
【読み】
○萬章問うて曰く、人言えること有り。禹に至って德衰う。賢に傳えずして子に傳う、と。有りや諸れ、と。孟子曰く、否。然はあらず。天賢に與うるときは、則ち賢に與う。天子に與うるときは、則ち子に與う。昔者[むかし]舜禹を天に薦むること、十有七年。舜崩じて、三年の喪畢わって、禹舜の子に陽城に避[さ]かる。天下の民之に從うこと、堯崩ずるの後、堯の子に從わずして舜に從うが若し。禹益を天に薦むること、七年。禹崩じて、三年の喪畢わって、益禹の子に箕山の陰[きた]に避かる。朝覲訟獄する者、益に之かずして啓に之く。曰く、吾が君の子なり、と。謳歌する者、益に謳歌せずして啓を謳歌す。曰く、吾が君の子なり、と。朝は音潮。○陽城・箕山の陰は、皆嵩山の下、深き谷の中の藏る可き處。啓は禹の子なり。楊氏曰く、此の語孟子必ず受くる所有り。然れども考う可からず。但天賢に與うるときは則ち賢に與え、天子に與うるときは則ち子に與うと云えば、以て堯・舜・禹の心、皆一毫の私意無きことを見る可し、と。

丹朱之不肖、舜之子亦不肖。舜之相堯、禹之相舜也、歴年多、施澤於民久。啓賢能敬、承繼禹之道。益之相禹也、歴年少、施澤於民未久。舜・禹・益相去久遠、其子之賢不肖、皆天也。非人之所能爲也。莫之爲而爲者、天也。莫之致而至者、命也。之相之相、去聲。相去之相、如字。○堯舜之子皆不肖、而舜禹之爲相久。此堯舜之子所以不有天下、而舜禹有天下也。禹之子賢、而益相不久。此啓所以有天下、而益不有天下也。然此皆非人力所爲而自爲、非人力所致而自至者。蓋以理言之謂之天、自人言之謂之命。其實則一而已。
【読み】
丹朱が不肖、舜の子も亦不肖。舜の堯に相たる、禹の舜に相たる、年を歴[ふ]ること多くして、澤を民に施すこと久し。啓賢にして能く敬んで、禹の道を承繼す。益の禹に相たる、年を歴ること少なくして、澤を民に施すこと未だ久しからず。舜・禹・益相去さるの久遠、其の子の賢不肖、皆天なり。人の能くする所に非ず。之をすること莫くしてする者は、天なり。之を致すこと莫くして至る者は、命なり。之相の相は去聲。相去の相は字の如し。○堯舜の子は皆不肖にして、舜・禹の相爲ること久し。此れ堯舜の子の天下を有たずして、舜・禹の天下を有つ所以なり。禹の子賢にして、益の相たること久しからず。此れ啓の天下を有ちて、益の天下を有たざる所以なり。然れども此れ皆人力のする所に非ずして自ら爲り、人力の致す所に非ずして自ら至る者なり。蓋し理を以て之を言えば之を天と謂い、人より之を言えば之を命と謂う。其の實は則ち一なるのみ。

匹夫而有天下者、德必若舜・禹、而又有天子薦之者。故仲尼不有天下。孟子因禹・益之事、歴舉此下兩條以推明之。言仲尼之德、雖無愧於舜・禹、而無天子薦之者。故不有天下。
【読み】
匹夫にして天下を有つ者は、德必ず舜・禹の若くにして、又天子の之を薦むる者有り。故に仲尼は天下を有たず。孟子禹・益の事に因りて、此の下の兩條を歴舉して以て之を推して明らかにす。言うこころは、仲尼の德、舜・禹に愧ずること無しと雖も、而して天子之を薦す者無し。故に天下を有たず、と。

繼世而有天下、天之所廢、必若桀・紂者也。故益・伊尹・周公不有天下。繼世而有天下者、其先世皆有大功德於民。故必有大惡如桀紂、則天乃廢之。如啓及太甲・成王、雖不及益・伊尹・周公之賢聖、但能嗣守先業、則天亦不廢之。故益・伊尹・周公、雖有舜・禹之德、而亦不有天下。
【読み】
世を繼いで天下を有てるが、天の廢つる所は、必ず桀・紂が若き者なり。故に益・伊尹・周公は天下を有たず。世を繼いで天下を有つ者は、其の先世皆大いに民に功德有り。故に必ず大惡桀紂が如き有るときは、則ち天乃ち之を廢つ。啓及び太甲・成王の如きは、益・伊尹・周公の賢聖に及ばずと雖も、但能く先業を嗣ぎ守れば、則ち天も亦之を廢てず。故に益・伊尹・周公、舜・禹の德有ると雖も、而して亦天下を有たず。

伊尹相湯、以王於天下。湯崩、太丁未立、外丙二年、仲壬四年。太甲顚覆湯之典刑。伊尹放之於桐。三年、太甲悔過、自怨自艾、於桐處仁遷義。三年、以聽伊尹之訓己也、復歸于亳。相・王、皆去聲。艾、音乂。○此承上文、言伊尹不有天下之事。趙氏曰、太丁、湯之太子。未立而死。外丙立二年、仲壬立四年。皆太丁弟也。太甲、太丁子也。程子曰、古人謂歳爲年。湯崩時、外丙方二歳、仲壬方四歳。惟太甲差長。故立之也。二說未知孰是。顚覆、壞亂也。典刑、常法也。桐、湯墓所在。艾、治也。說文云、芟草也。蓋斬絶自新之意。亳、商所都也。
【読み】
伊尹湯に相として、以て天下に王たり。湯崩じて、太丁未だ立たず、外丙二年、仲壬四年。太甲湯の典刑を顚覆す。伊尹之を桐に放[お]く。三年にして、太甲過を悔いて、自ら怨み自ら艾[おさ]め、桐に於て仁に處り義に遷る。三年、伊尹の己に訓[おし]うるを聽くを以て、亳[はく]に復歸す。相・王は皆去聲。艾は音乂。○此れ上文を承けて、伊尹の天下を有たざる事を言う。趙氏曰く、太丁は湯の太子。未だ立たずして死す。外丙立つこと二年、仲壬立つこと四年。皆太丁の弟なり。太甲は太丁の子なり、と。程子曰く、古人歳を謂いて年と爲す。湯崩ぜし時、外丙方に二歳、仲壬方に四歳。惟太甲のみ差[やや]長ず。故に之を立つ、と。二說未だ孰れか是なるかを知らす。顚覆は壞亂するなり。典刑は常法なり。桐は湯の墓の在る所。艾は治むなり。說文に云う、草を芟[か]る、と。蓋し斬り絶って自ら新たにするの意なり。亳は商の都せる所なり。

周公之不有天下、猶益之於夏、伊尹之於殷也。此復言周公所以不有天下之意。
【読み】
周公の天下を有たざるは、猶益の夏に於き、伊尹の殷に於るがごとし。此れ復周公の天下を有たざる所以の意を言えり。

孔子曰、唐・虞禪、夏后・殷・周繼。其義一也。禪、音擅。○禪、授也。或禪或繼、皆天命也。聖人豈有私意於其閒哉。尹氏曰、孔子曰、唐・虞禪、夏后・殷・周繼。其義一也。孟子曰、天與賢則與賢、天與子則與子。知前聖之心者、無如孔子、繼孔子者、孟子而已矣。
【読み】
孔子曰く、唐・虞は禪り、夏后・殷・周は繼ぐ。其の義一なり、と。禪は音擅。○禪は授くなり。或は禪り或は繼ぐは、皆天命なり。聖人豈其の閒に私意有らんや。尹氏曰く、孔子曰く、唐・虞は禪り、夏后・殷・周は繼ぐ。其の義一なり、と。孟子曰く、天賢に與うるときは則ち賢に與え、天子に與うるときは則ち子に與う、と。前聖の心を知る者は、孔子に如くは無く、孔子を繼ぐ者は、孟子のみ、と。


萬章章句上7
○萬章問曰、人有言。伊尹以割烹要湯。有諸。要、平聲。下同。○要、求也。按史記、伊尹欲行道以致君而無由。乃爲有莘氏之媵臣、負鼎俎以滋味說湯、致於王道。蓋戰國時、有爲此說者。
【読み】
○萬章問うて曰く、人言えること有り。伊尹割烹を以て湯に要[もと]む、と。有りや諸れ、と。要は平聲。下も同じ。○要は求むなり。史記を按ずるに、伊尹道を行いて以て君を致さまく欲して由無し。乃ち有莘氏の媵臣と爲り、鼎俎を負い滋味を以て湯を說き、王道を致せり、と。蓋し戰國の時、此の說を爲る者有らん。

孟子曰、否。不然。伊尹耕於有莘之野、而樂堯舜之道焉。非其義也、非其道也、祿之以天下、弗顧也、繫馬千駟、弗視也。非其義也、非其道也、一介不以與人、一介不以取諸人。樂、音洛。○莘、國名。樂堯舜之道者、誦其詩、讀其書、而欣慕愛樂之也。駟、四匹也。介、與草芥之芥同。言其辭受取與、無大無細、一以道義而不苟也。
【読み】
孟子曰く、否。然はあらず。伊尹有莘の野に耕して、堯舜の道を樂しむ。其の義に非ず、其の道に非ざれば、之を祿するに天下を以てすれども、顧みず、繫馬千駟も、視ず。其の義に非ず、其の道に非ざれば、一介も以て人に與えず、一介も以て諸を人に取らず。樂は音洛。○莘は國の名。堯舜の道を樂しむは、其の詩を誦し、其の書を讀みて、之を欣慕愛樂するなり。駟は四匹なり。介は草芥の芥と同じ。言うこころは、其の辭するも受くるも取るも與うるも、大と無く細と無く、一に道義を以てして苟もせず、と。

湯使人以幣聘之。囂囂然曰、我何以湯之聘幣爲哉。我豈若處畎畝之中、由是以樂堯舜之道哉。囂、五高反、又戶驕反。○囂囂、無欲自得之貌。
【読み】
湯人をして幣を以て之を聘[め]さしむ。囂囂然として曰く、我何ぞ湯の聘幣を以てせんや。我豈畎畝の中に處り、是に由って以て堯舜の道を樂しむに若かんや、と。囂は五高の反、又戶驕の反。○囂囂は、無欲自得の貌。

湯三使往聘之。旣而幡然改曰、與我處畎畝之中、由是以樂堯舜之道、吾豈若使是君爲堯舜之君哉。吾豈若使是民爲堯舜之民哉。吾豈若於吾身親見之哉。幡然、變動之貌。於吾身親見之、言於我之身親見其道之行、不徒誦說嚮慕之而已也。
【読み】
湯三たび往いて之を聘さしむ。旣にして幡然として改めて曰く、我畎畝の中に處り、是に由って以て堯舜の道を樂しむ與[よ]りは、吾豈是の君をして堯舜の君爲らしむるに若かんや。吾豈是の民をして堯舜の民爲らしむるに若かんや。吾豈吾が身に於て親しく之を見るに若かんや。幡然は變わり動ごくの貌。吾が身に於て親しく之を見るは、言うこころは、我の身に於て親しく其の道の行わるるを見て、之を徒[ただ]誦說嚮慕するのみならず、と。

天之生此民也、使先知覺後知、使先覺覺後覺也。予天民之先覺者也。予將以斯道覺斯民也。非予覺之而誰也。此亦伊尹之言也。知、謂識其事之所當然。覺、謂悟其理之所以然。覺後知後覺、如呼寐者而使之寤也。言天使者、天理當然、若使之也。程子曰、予天民之先覺、謂我乃天生此民中、盡得民道而先覺者也。旣爲先覺之民、豈可不覺其未覺者。及彼之覺、亦非分我所有以予之也。皆彼自有此理、我但能覺之而已。
【読み】
天の此の民を生ずる、先知をして後知を覺さしめ、先覺をして後覺を覺さしむ。予は天民の先覺なる者なり。予將に斯の道を以て斯の民を覺さんとす。予之を覺すに非ずして誰ぞ、と。此も亦伊尹の言なり。知は、其の事の當に然るべき所を識ることを謂う。覺は、其の理の然る所以を悟ることを謂う。後知後覺を覺すは、寐る者を呼んで之を寤まさしむるが如し。天使むと言うは、天理の當然にして、之をせしむるが若し。程子曰く、予は天民の先覺なりは、我乃ち天此の民を生ずる中、民道を盡くし得て先ず覺る者と謂うなり。旣に先覺の民爲れば、豈其の未だ覺らざる者を覺さざる可けん。彼の覺るに及ぶは、亦我に有る所を分かちて以て之に予うるには非ず。皆彼自ら此の理有りて、我但能く之を覺すのみ、と。

思天下之民、匹夫匹婦有不被堯舜之澤者、若己推而内之溝中。其自任以天下之重如此。故就湯而說之、以伐夏救民。推、吐回反。内、音納。說、音稅。○書曰、昔先正保衡、作我先王曰、予弗克俾厥后爲堯舜、其心愧恥、若撻于市。一夫不獲、則曰時予之辜。孟子之言、蓋取諸此。是時夏桀無道、暴虐其民。故欲使湯伐夏以救之。徐氏曰、伊尹樂堯舜之道。堯舜揖遜、而伊尹說湯以伐夏者、時之不同。義則一也。
【読み】
思えらく、天下の民、匹夫匹婦も堯舜の澤を被らざる者有れば、己推して之を溝中に内[い]れたるが若し。其の自ら任ずるに天下の重きを以てすること此の如し。故に湯に就いて之に說いて、夏を伐ち民を救わんことを以てす。推は吐回の反。内は音納。說は音稅。○書に曰く、昔先正保衡、我が先王を作[おこ]して曰く、予克く厥の后を堯舜爲らしめざれば、其の心に愧恥すること、市に撻るるが若し。一夫も獲ざれば、則ち曰く、時[これ]予の辜[つみ]なり、と。孟子の言、蓋し此を取らん。是の時夏の桀無道、其の民を暴虐す。故に湯をして夏を伐ち以て之を救わしめまく欲す。徐氏曰く、伊尹堯舜の道を樂しむ。堯舜揖遜して、伊尹湯に說いて夏を伐つは、時の同じからざればなり。義は則ち一なり、と。

吾未聞枉己而正人者也、況辱己以正天下者乎。聖人之行不同也。或遠或近、或去或不去。歸潔其身而已矣。行、去聲。○辱己甚於枉己。正天下難於正人。若伊尹以割烹要湯、辱己甚矣。何以正天下乎。遠、謂隱遁也。近、謂仕近君也。言聖人之行、雖不必同、然其要歸、在潔其身而已。伊尹豈肯以割烹要湯哉。
【読み】
吾未だ聞かず、己を枉げて人を正しうする者を、況や己を辱めて以て天下を正しうする者をや。聖人の行同じからず。或は遠く或は近く、或は去り或は去らず。歸[おもむき]其の身を潔くするのみ。行は去聲。○己を辱むるは己を枉ぐるよりも甚だし。天下を正しうするは人を正しうするよりも難し。若し伊尹割烹を以て湯に要[もと]むれば、己を辱むるの甚だしきなり。何を以て天下を正しうせん。遠は、隱遁するを謂うなり。近は、仕えて君に近きを謂うなり。言うこころは、聖人の行、必ずしも同じからずと雖も、然れども其の要歸は、其の身を潔くするに在るのみ。伊尹豈肯えて割烹を以て湯に要めんや、と。

吾聞其以堯舜之道要湯。未聞以割烹也。林氏曰、以堯舜之道要湯者、非實以是要之也。道在此、而湯之聘自來耳。猶子貢言夫子之求之、異乎人之求之也。愚謂、此語亦猶前章所論父不得而子之意。
【読み】
吾其の堯舜の道を以て湯に要むることを聞く。未だ割烹を以てすることを聞かず。林氏曰く、堯舜の道を以て湯に要むるは、實は是を以て之を要むるに非ざるなり。道此に在り、而して湯の聘自ら來るのみ。猶子貢夫子の之を求むるは、人の之を求むるに異なるかと言うがごとし、と。愚謂えらく、此の語も亦猶前章に論ずる所の父も得て子とせずの意のごとし。

伊訓曰、天誅造攻自牧宮、朕載自亳。伊訓、商書篇名。孟子引以證伐夏救民之事也。今書牧宮作鳴條。造・載、皆始也。伊尹言、始攻桀無道、由我始其事於亳也。
【読み】
伊訓に曰く、天誅して造[はじ]めて牧宮より攻めしこと、朕亳[はく]より載[はじ]めたり、と。伊訓は商書の篇の名。孟子引いて以て夏を伐ち民を救える事を證す。今の書は牧宮を鳴條に作る。造・載は皆始むるなり。伊尹言う、始めて桀の無道を攻むるに、我其の事を亳に始むるに由る、と。


萬章章句上8
○萬章問曰、或謂孔子於衛主癰疽、於齊主侍人瘠環。有諸乎。孟子曰、否。不然也。好事者爲之也。癰、於容反。疽、七余反。好、去聲。○主、謂舍於其家、以之爲主人也。癰疽、瘍醫也。侍人、奄人也。瘠、姓。環、名。皆時君所近狎之人也。好事、謂喜造言生事之人也。
【読み】
○萬章問うて曰く、或ひと謂う、孔子衛に於て癰疽[ようそ]を主とし、齊に於て侍人瘠環を主とす、と。有りや諸れ、と。孟子曰く、否。然はあらず。事を好む者之を爲[つく]れり。癰は於容の反。疽は七余の反。好は去聲。○主は、其の家に舍[やど]り、之を以て主人とすることを謂う。癰疽は瘍の醫なり。侍人は奄人なり。瘠は姓。環は名。皆時君の近づき狎るる所の人なり。事を好むは、言を造り事を生ずることを喜ぶ人を謂うなり。

於衛主顏讎由。彌子之妻、與子路之妻、兄弟也。彌子謂子路曰、孔子主我、衛卿可得也。子路以告。孔子曰、有命。孔子進以禮、退以義。得之不得、曰有命。而主癰疽與侍人瘠環、是無義無命也。讎、如字。又音犨。○顏讎由、衛之賢大夫也。史記作顏濁鄒。彌子、衛靈公幸臣彌子瑕也。徐氏曰、禮主於辭遜。故進以禮。義主於制斷。故退以義。難進而易退者也。在我者有禮義而已。得之不得則有命存焉。
【読み】
衛に於ては顏讎由を主とす。彌子が妻は、子路の妻と兄弟なり。彌子子路に謂って曰く、孔子我を主とせば、衛の卿得つ可し、と。子路以て告ぐ。孔子曰く、命有り、と。孔子進むに禮を以てし、退くに義を以てす。之を得ると得ざるを、命有りと曰う。而るを癰疽と侍人瘠環とを主とせば、是れ義も無く命も無きなり。讎は字の如し。又音犨。○顏讎由は、衛の賢大夫なり。史記は顏濁鄒に作る。彌子は、衛の靈公の幸臣彌子瑕なり。徐氏曰く、禮は辭遜を主とす。故に進むに禮を以てす。義は制斷を主とす。故に退くに義を以てす。進むは難くして退くは易き者なり。我に在る者は禮義有るのみ。之を得ると得ざるとは則ち命存るに有り。

孔子不悦於魯衛。遭宋桓司馬將要而殺之、微服而過宋。是時孔子當阨。主司城貞子、爲陳侯周臣。要、平聲。○不悦、不樂居其國也。桓司馬、宋大夫向魋也。司城貞子、亦宋大夫之賢者也。陳侯、名周。按史記、孔子爲魯司寇。齊人饋女樂以閒之。孔子遂行。適衛月餘、去衛適宋。司馬魋欲殺孔子。孔子去至陳。主於司城貞子。孟子言、孔子雖當阨難、然猶擇所主。況在齊衛無事之時、豈有主癰疽侍人之事乎。
【読み】
孔子魯衛に悦びず。遭宋の桓司馬將に要[た]えて之を殺さんとするに、微服して宋を過ぐ。是の時孔子阨に當れり。司城貞子が、陳侯周が臣爲るを主とす。要は平聲。○悦びずは、其の國に居ることを樂しまざるなり。桓司馬は、宋の大夫向魋[しょうたい]なり。司城貞子も亦宋の大夫の賢者なり。陳侯は名は周。史記を按ずるに、孔子魯の司寇と爲る。齊人女樂を饋り以て之を閒[へだ]つ。孔子遂に行[さ]る。衛に適き月餘にして、衛を去り宋に適く。司馬魋孔子を殺さまく欲す。孔子去って陳に至り、司城貞子を主とす、と。孟子言うこころは、孔子阨難に當たると雖も、然れども猶主とする所を擇ぶ。況や齊・衛無事の時に在り、豈癰疽侍人を主とする事有らんや、と。

吾聞觀近臣、以其所爲主。觀遠臣、以其所主。若孔子主癰疽與侍人瘠環、何以爲孔子。近臣、在朝之臣。遠臣、遠方來仕者。君子小人、各從其類。故觀其所爲主、與其所主者、而其人可知。
【読み】
吾聞く、近臣を觀るには、其の主と爲る所を以てす。遠臣を觀るには、其の主とする所を以てす、と。若し孔子癰疽と侍人瘠環とを主とせば、何を以てか孔子爲らん、と。近臣は、朝に在る臣。遠臣は、遠方より來て仕うる者。君子も小人も、各々其の類に從う。故に其の主と爲る所と、其の主とする所の者を觀れば、其の人を知る可し。


萬章章句上9
○萬章問曰、或曰、百里奚自鬻於秦養牲者、五羊之皮、食牛、以要秦穆公。信乎。孟子曰、否。不然。好事者爲之也。食、音嗣。好、去聲。下同。○百里奚、虞之賢臣。人言其自賣於秦養牲者之家、得五羊之皮、而爲之食牛、因以干秦穆公也。
【読み】
○萬章問うて曰く、或ひと曰く、百里奚自ら秦の牲を養[か]う者に、五羊の皮を鬻[う]って、牛を食[か]って、以て秦の穆公に要む、と。信[まこと]なりや、と。孟子曰く、否。然はあらず。事を好む者之を爲[つく]れり。食は音嗣。好は去聲。下も同じ。○百里奚は虞の賢臣。人言う、其れ自ら秦の牲を養う者の家に賣り、五羊の皮を得、之が爲に牛を食い、因りて以て秦の穆公に干む、と。

百里奚、虞人也。晉人以垂棘之璧、與屈產之乘、假道於虞以伐虢。宮之奇諫。百里奚不諫。屈、求勿反。乘、去聲。○虞・虢、皆國名。垂棘之璧、垂棘之地所出之璧也。屈產之乘、屈地所生之良馬也。乘、四匹也。晉欲伐虢。道經於虞。故以此物借道。其實欲幷取虞。宮之奇、亦虞之賢臣。諫虞公令勿許。虞公不用、遂爲晉所滅。百里奚知其不可諫。故不諫而去之秦。
【読み】
百里奚は、虞人なり。晉人垂棘[すいきょく]の璧と、屈產の乘とを以て、道を虞に假りて以て虢[かく]を伐つ。宮之奇諫む。百里奚諫めず。屈は求勿の反。乘は去聲。○虞・虢は、皆國の名。垂棘の璧は、垂棘の地より出づる所の璧なり。屈產の乘は、屈の地より生ずる所の良馬なり。乘は四匹なり。晉虢を伐たまく欲す。道虞を經る。故に此の物を以て道を借る。其の實は幷せて虞を取らまく欲す。宮之奇も亦虞の賢臣。虞公を諫めて許すこと勿からしむ。虞公用いず、遂に晉の爲に滅ぼさるる。百里奚其の諫む可からざることを知る。故に諫めずして去って秦に之く。

知虞公之不可諫、而去之秦。年已七十矣、曾不知以食牛干秦穆公之爲汙也、可謂智乎。不可諫而不諫、可謂不智乎。知虞公之將亡、而先去之、不可謂不智也。時舉於秦、知穆公之可與有行也而相之、可謂不智乎。相秦而顯其君於天下、可傳於後世。不賢而能之乎。自鬻以成其君、郷黨自好者不爲、而謂賢者爲之乎。相、去聲。○自好、自愛其身之人也。孟子言百里奚之智如此。必知食牛以干主之爲汙。其賢又如此。必不肯自鬻以成其君也。然此事當孟子時、已無所據。孟子直以事理反覆推之、而知其必不然耳。范氏曰、古之聖賢未遇之時、鄙賤之事、不恥爲之。如百里奚爲人養牛、無足怪也。惟是人君不致敬盡禮、則不可得而見。豈有先自汙辱以要其君哉。莊周曰、百里奚爵祿不入於心。故飯牛而牛肥。使穆公忘其賤而與之政。亦可謂知百里奚矣。伊尹・百里奚之事、皆聖賢出處之大節。故孟子不得不辯。尹氏曰、當時好事者之論、大率類此。蓋以其不正之心度聖賢也。
【読み】
虞公の諫む可からざることを知って、去って秦に之く。年已に七十、曾て牛を食うを以て秦の穆公に干むるが汙れ爲ることを知らず、智と謂う可けんや。諫む可からずして諫めず、不智と謂う可けんや。虞公の將に亡びんとすることを知って、先ず之を去る、不智と謂う可からず。時に秦に舉げられ、穆公の與に行うこと有る可きを知って之に相たり、不智と謂う可けんや。秦に相として其の君を天下に顯し、後世に傳う可し。不賢にして之を能くせんや。自ら鬻って以て其の君を成すこと、郷黨の自ら好みんずる者すらせず。而るを賢者之を爲せりと謂わんや、と。相は去聲。○自ら好みんずるは、自ら其の身を愛する人なり。孟子言う、百里奚の智此の如し。必ず牛を食い以て主に干むるが汙れ爲ることを知る。其の賢も又此の如し。必ず肯えて自ら鬻って以て其の君を成さず、と。然れども此の事孟子の時に當たり、已に據る所無し。孟子直[ひたすら]事理を以て反覆して之を推して、其の必ず然はあらざることを知るのみ。范氏曰く、古の聖賢未だ遇わざる時は、鄙賤の事、之をすることを恥じず。百里奚の人の爲に牛を養うが如きは、怪しむに足ること無し。惟是れ人君敬を致し禮を盡くさざるときは、則ち得て見う可からず。豈先ず自ら汙辱して以て其の君に要むること有らんや。莊周に曰く、百里奚は爵祿も心に入らず。故に牛を飯えば牛肥ゆ。穆公其の賤しきを忘れて之に政を與えしむ、と。亦百里奚を知ると謂う可し。伊尹・百里奚が事、皆聖賢出處の大節なり。故に孟子辯ぜざることを得ず、と。尹氏曰く、當時の事を好む者の論は、大率此に類せり。蓋し其の不正の心を以て聖賢を度るなり、と。


萬章章句下 凡九章。

萬章章句下1
孟子曰、伯夷目不視惡色、耳不聽惡聲。非其君不事、非其民不使。治則進、亂則退。橫政之所出、橫民之所止、不忍居也。思與郷人處、如以朝衣朝冠坐於塗炭也。當紂之時、居北海之濱、以待天下之淸也。故聞伯夷之風者、頑夫廉、懦夫有立志。治、去聲。下同。橫、去聲。朝、音潮。○橫、謂不循法度。頑者、無知覺。廉者、有分辨。懦、柔弱也。餘並見前篇。
【読み】
孟子曰く、伯夷は目に惡色を視ず、耳に惡聲を聽かず。其の君に非ざれば事えず、其の民に非ざれば使えず。治まるときは則ち進み、亂るるときは則ち退く。橫政の出づる所、橫民の止まる所、居るに忍びず。思えらく、郷人と處ること、朝衣朝冠を以て塗炭に坐するが如し、と。紂が時に當たって、北海の濱に居て、以て天下の淸むを待つ。故に伯夷の風を聞く者は、頑夫も廉に、懦夫も志を立つること有り。治は去聲。下も同じ。橫は去聲。朝は音潮。○橫は、法度に循わざるを謂う。頑は、知覺無し。廉は、分辨有り。懦は、柔弱なり。餘は並前篇に見ゆ。

伊尹曰、何事非君。何使非民。治亦進、亂亦進。曰、天之生斯民也、使先知覺後知、使先覺覺後覺。予天民之先覺者也。予將以此道覺此民也。思天下之民、匹夫匹婦、有不與被堯舜之澤者、若己推而内之溝中。其自任以天下之重也。與、音預。○何事非君、言所事卽君。何使非民、言所使卽民。無不可事之君、無不可使之民也。餘見前篇。
【読み】
伊尹曰く、何れに事うとしてか君に非ざる。何れを使うとしてか民に非ざる。治まるにも亦進み、亂るるにも亦進む。曰く、天の斯の民を生ずる、先知をして後知を覺さしめ、先覺をして後覺を覺さしむ。予は天民の先覺なる者なり。予將に此の道を以て此の民を覺さんとす、と。思えらく、天下の民、匹夫匹婦も、堯舜の澤を被るに與らざる者有れば、己推して之を溝中に内るるが若し、と。其の自ら任ずるに天下の重きを以てするなり。與は音預。○何れに事うとしてか君に非ずは、言うこころは、事うる所は卽ち君なり、と。何れを使うとしてか民に非ずは、言うこころは、使う所は卽ち民なり、と。事う可からざるの君無く、使う可からざるの民無し。餘は前篇に見ゆ。

柳下惠不羞汙君、不辭小官。進不隱賢、必以其道。遺佚而不怨、阨竆而不憫。與郷人處、由由然不忍去也。爾爲爾、我爲我。雖袒裼裸裎於我側、爾焉能浼我哉。故聞柳下惠之風者、鄙夫寬、薄夫敦。鄙、狹陋也。敦、厚也。餘見前篇。
【読み】
柳下惠は汙君を羞じず、小官を辭せず。進んで賢を隱[かく]さず、必ず其の道を以てす。遺佚すれども而も怨みず、阨竆すれども而も憫えず。郷人と處れども、由由然として去るに忍びず。爾は爾爲り、我は我爲り。我が側に袒裼裸裎すと雖も、爾焉んぞ能く我を浼[けが]さんや、と。故に柳下惠の風を聞く者は、鄙夫も寬[ゆたか]に、薄夫も敦し。鄙は狹陋なり。敦は厚しなり。餘は前篇に見ゆ。

孔子之去齊、接淅而行、去魯曰、遲遲吾行也。去父母國之道也。可以速而速、可以久而久、可以處而處、可以仕而仕、孔子也。淅、先歴反。○接、猶承也。淅、漬米水也。漬米將炊、而欲去之速。故以手承水取米而行、不及炊也。舉此一端、以見其久速仕止各當其可也。或曰、孔子去魯、不稅冕而行。豈得爲遲。楊氏曰、孔子欲去之意久矣、不欲苟去。故遲遲其行也。膰肉不至、則得以微罪行矣、故不稅冕而行、非速也。
【読み】
孔子の齊を去るときに、淅[かしみず]を接[う]けて行[さ]る。魯を去るときに曰く、遲遲として吾行らん、と。父母の國を去るの道なり。以て速やかなる可くして速やかに、以て久しかる可くして久しく、以て處る可くして處り、以て仕う可くして仕うるは、孔子なり、と。淅は先歴の反。○接は猶承くのごとし。淅は、米を漬す水なり。米を漬して將に炊たかんとして、去らまく欲することの速やかなり。故に手を以て水を承け米を取って行り、炊ぐに及ばざるなり。此の一端を舉げて、以て其の久速仕止各々其の可に當ることを見[しめ]せり。或ひと曰く、孔子魯を去るとき、冕を稅[ぬ]がずして行る。豈遲しとすることを得んや、と。楊氏曰く、孔子去らまく欲するの意久しくして、苟も去ることを欲せず。故に遲遲として其れ行るなり。膰肉至らざるときは、則ち微罪を以て行ることを得。故に冕を稅がずして行る。速やかには非ざるなり、と。

孟子曰、伯夷、聖之淸者也。伊尹、聖之任者也。柳下惠、聖之和者也。孔子、聖之時者也。張子曰、無所雜者淸之極、無所異者和之極。勉而淸、非聖人之淸、勉而和、非聖人之和。所謂聖者、不勉不思而至焉者也。孔氏曰、任者、以天下爲己責也。愚謂、孔子仕止久速、各當其可、蓋兼三子之所以聖者而時出之。非如三子之可以一德名也。或疑、伊尹出處、合乎孔子。而不得爲聖之時、何也。程子曰、終是任底意思在。
【読み】
孟子曰く、伯夷は、聖の淸なる者なり。伊尹は、聖の任なる者なり。柳下惠は、聖の和なる者なり。孔子は、聖の時なる者なり。張子曰く、雜る所無きは淸の極、異なる所無きは和の極なり。勉めて淸なるは、聖人の淸に非ず、勉めて和なるは、聖人の和に非ず。所謂聖は、勉めず思わずして至る者なり、と。孔氏曰く、任は、天下を以て己が責とするなり、と。愚謂えらく、孔子の仕止久速、各々其の可に當たるは、蓋し三子の聖なる所以の者を兼ねて時に之を出だせばなり。三子の一德を以て名づく可きが如きに非ざるなり。或ひと疑う、伊尹の出處は、孔子に合う。而して聖の時とするを得ざるは、何ぞ、と。程子曰く、終に是れ任底の意思在ればなり、と。

孔子之謂集大成。集大成也者、金聲而玉振之也。金聲也者、始條理也。玉振之也者、終條理也。始條理者、智之事也。終條理者、聖之事也。此言孔子集三聖之事、而爲一大聖之事、猶作樂者、集衆音之小成、而爲一大成也。成者、樂之一終。書所謂簫韶九成、是也。金、鐘屬。聲、宣也。如聲罪致討之聲。玉、磬也。振、收也。如振河海而不洩之振。始、始之也。終、終之也。條理、猶言脈絡。指衆音而言也。智者、知之所及。聖者、德之所就也。蓋樂有八音、金・石・絲・竹・匏・土・革・木。若獨奏一音、則其一音自爲始終、而爲一小成。猶三子之所知偏於一、而其所就亦偏於一也。八音之中、金石爲重。故特爲衆音之綱紀。又金始震而玉終詘然也、故並奏八音、則於其未作、而先擊鎛鐘以宣其聲、俟其旣闋、而後擊特磬以收其韻。宣以始之、收以終之。二者之閒、脈絡通貫、無所不備。則合衆小成而爲一大成。猶孔子之知無不盡、而德無不全也。金聲玉振、始終條理、疑古樂經之言。故兒寬云、惟天子建中和之極、兼總條貫。金聲而玉振之。亦此意也。
【読み】
孔子を大成を集むと謂う。大成を集むとは、金聲[な]らして玉之を振[おさ]むなり。金聲らすは、條理を始むるなり。玉之を振むとは、條理を終うるなり。條理を始むるは、智の事なり。條理を終うるは、聖の事なり。此れ言うこころは、孔子三聖の事を集めて、一大聖の事を爲すは、猶樂を作[な]す者の、衆音の小成を集めて、一大成と爲すがごとし、と。成は、樂の一終。書に謂う所の簫韶[しょうしょう]九成、是れなり。金は鐘の屬。聲は宣ぶるなり。罪を聲べて討を致すの聲の如し。玉は磬[けい]なり。振は收むるなり。河海を振めて洩らさずの振の如し。始は、之を始むるなり。終は、之を終うるなり。條理は、猶脈絡と言うがごとし。衆音を指して言うなり。智は、知の及ぶ所。聖は、德の就[な]る所なり。蓋し樂に八音有り、金・石・絲・竹・匏・土・革・木なり。若し獨[ただ]一音のみを奏するときは、則ち其の一音自ら始終を爲して、一小成を爲す。猶三子の知る所は一に偏りて、其の就る所も亦一に偏るなり。八音の中、金石を重しと爲す。故に特に衆音の綱紀とす。又金始めに震って玉終わりに詘然[くつぜん]たり。故に八音を並べ奏するときは、則ち其の未だ作らざるに於て、先ず鎛鐘[はくしょう]を擊って以て其の聲を宣べ、其の旣に闋[お]わるを俟って、後に特磬を擊って以て其の韻を收む。宣べて以て之を始め、收めて以て之を終うる。二つの者の閒、脈絡通貫して、備わらざる所無し。則ち衆小成を合わせて一大成と爲す。猶孔子の知盡くさずということ無くして、德全からずということ無きがごとし。金聲玉振、始終條理は、疑うらくは古の樂經の言ならん。故に兒寬云う、惟天子のみ中和の極を建て、條貫を兼ね總ぶ。金聲らして玉之を振む、と。亦此の意なり。

智譬則巧也。聖譬則力也。由射於百歩之外也。其至爾力也。其中非爾力也。中、去聲。○此復以射之巧力、發明智聖二字之義。見孔子巧力倶全、而聖智兼備、三子則力有餘而巧不足。是以一節雖至於聖、而智不足以及乎時中也。○此章言、三子之行、各極其一偏。孔子之道、兼全於衆理。所以偏者、由其蔽於始。是以缺於終。所以全者、由其知之至。是以行之盡。三子猶春夏秋冬之各一其時。孔子則大和元氣之流行於四時也。
【読み】
智は譬えば則ち巧みなり。聖は譬えば則ち力なり。由[なお]百歩の外に射るがごとし。其の至るは爾の力なり。其の中るは爾の力ち非ざるなり、と。中は去聲。○此れ復射の巧力を以て、智聖の二字の義を發明す。孔子巧力倶に全くして、聖智兼ね備わり、三子は則ち力餘り有って巧足らざることを見す。是を以て一節は聖に至ると雖も、而して智は以て時中に及ぶに足らざるなり。○此の章言うこころは、三子の行、各々其の一偏を極む。孔子の道は、衆理を兼ね全うす。偏する所以は、其の始めに蔽わるるに由る。是を以て終わりを缺[か]く。全き所以は、其の知ることの至るに由る。是を以て之を行い盡くせり。三子は猶春夏秋冬の各々其の時を一にするがごとし。孔子は則ち大和元氣の四時に流行す、と。


萬章章句下2
○北宮錡問曰、周室班爵祿也、如之何。錡、魚綺反。○北宮、姓。錡、名。衛人。班、列也。
【読み】
○北宮錡問うて曰く、周室爵祿を班[つら]ぬること、如之何、と。錡は魚綺の反。○北宮は姓。錡は名。衛人。班は列ぬるなり。

孟子曰、其詳不可得聞也。諸侯惡其害己也、而皆去其籍。然而軻也、嘗聞其略也。惡、去聲。去、上聲。○當時諸侯兼幷僭竊。故惡周制妨害己之所爲也。
【読み】
孟子曰く、其の詳らかなること得て聞いつ可からず。諸侯其の己を害することを惡んで、皆其の籍を去[す]つ。然れども軻、嘗て其の略を聞けり。惡は去聲。去は上聲。○當時の諸侯兼幷して僭竊す。故に周制の己のする所を妨げ害することを惡めり。

天子一位、公一位、侯一位、伯一位、子男同一位、凡五等也。君一位、卿一位、大夫一位、上士一位、中士一位、下士一位、凡六等。此班爵之制也。五等通於天下、六等施於國中。
【読み】
天子一位、公一位、侯一位、伯一位、子男同じく一位、凡て五等。君一位、卿一位、大夫一位、上士一位、中士一位、下士一位、凡て六等。此れ爵を班ぬるの制なり。五等は天下に通じ、六等は國中に施さる。

天子之制、地方千里、公侯皆方百里、伯七十里、子男五十里、凡四等。不能五十里、不達於天子、附於諸侯、曰附庸。此以下、班祿之制也。不能、猶不足也。小國之地、不足五十里者、不能自達於天子。因大國以姓名通、謂之附庸。若春秋邾儀父之類、是也。
【読み】
天子の制、地方千里、公侯は皆方百里、伯は七十里、子男は五十里、凡て四等。五十里に能[た]らざれば、天子に達せずして、諸侯に附くを、附庸と曰う。此より以下は、祿を班ぬるの制なり。能らずは、猶足らずのごとし。小國の地、五十里に足らざる者は、自ら天子に達すること能わず。大國に因りて以て姓名を通ずる、之を附庸と謂う。春秋邾[ちゅ]の儀父の類の若き、是れなり。

天子之卿、受地視侯。大夫受地視伯。元士受地視子男。視、比也。徐氏曰、王畿之内、亦制都鄙受地也。元士、上士也。
【読み】
天子の卿、地を受くること侯に視[なずら]う。大夫地を受くること伯に視う。元士地を受くること子男に視う。視は比[なずら]うなり。徐氏曰く、王畿の内も、亦都鄙を制して地を受く。元士は上士なり、と。

大國地方百里。君十卿祿。卿祿四大夫。大夫倍上士。上士倍中士。中士倍下士。下士與庶人在官者同祿。祿足以代其耕也。十、十倍之也。四、四倍之也。倍、加一倍也。徐氏曰、大國君田三萬二千畝。其入可食二千八百八十人。卿田三千二百畝。可食二百八十八人。大夫田八百畝。可食七十二人。上士田四百畝。可食三十六人。中士田二百畝。可食十八人。下士與庶人在官者田百畝。可食九人至五人。庶人在官、府史胥徒也。愚按、君以下所食之祿、皆助法之公田。藉農夫之力以耕、而收其租。士之無田、與庶人在官者、則但受祿於官、如田之入而已。
【読み】
大國は地方百里。君は卿の祿を十にす。卿の祿は大夫を四にす。大夫は上士に倍す。上士は中士に倍す。中士は下士に倍す。下士は庶人の官に在る者と祿を同じうす。祿以て其の耕すに代うるに足れり。十にすは、之を十倍するなり。四にすは、之を四倍するなり。倍は、一倍を加うるなり。徐氏曰く、大國は君の田は三萬二千畝。其の入は二千八百八十人を食[やしな]う可し。卿の田は三千二百畝。二百八十八人を食う可し。大夫の田は八百畝。七十二人を食う可し。上士の田は四百畝。三十六人を食う可し。中士の田は二百畝。十八人を食う可し。下士と庶人の官に在る者は田百畝。九人より五人に至るまでを食う可し。庶人の官に在るは、府史胥徒なり、と。愚按ずるに、君より以下食う所の祿は、皆助法の公田なり。農夫の力を藉[か]りて以て耕して、其租を收む。士の田無きと、庶人の官に在る者とは、則ち但祿を官に受くること、田の入の如きのみ。

次國地方七十里。君十卿祿。卿祿三大夫。大夫倍上士。上士倍中士。中士倍下士。下士與庶人在官者同祿。祿足以代其耕也。三、謂三倍之也。徐氏曰、次國君田二萬四千畝。可食二千一百六十人。卿田二千四百畝。可食二百十六人。
【読み】
次國は地方七十里。君は卿の祿を十にす。卿の祿は大夫を三にす。大夫は上士に倍す。上士は中士に倍す。中士は下士に倍す。下士は庶人の官に在る者と祿を同じうす。祿以て其の耕すに代うるに足れり。三にすは、之を三倍するを謂うなり。徐氏曰く、次國は君の田二萬四千畝。二千一百六十人を食う可し。卿の田二千四百畝。二百十六人を食う可し、と。

小國地方五十里。君十卿祿。卿祿二大夫。大夫倍上士。上士倍中士。中士倍下士。下士與庶人在官者同祿。祿足以代其耕也。二、卽倍也。徐氏曰、小國君田一萬六千畝。可食千四百四十人。卿田一千六百畝。可食百四十四人。
【読み】
小國は地方五十里。君は卿の祿を十にす。卿の祿は大夫を二にす。大夫は上士に倍す。上士は中士に倍す。中士は下士に倍す。下士は庶人の官に在る者と祿を同じうす。祿以て其の耕すに代うるに足れり。二にすは、卽ち倍なり。徐氏曰く、小國は君の田一萬六千畝。千四百四十人を食う可し。卿田は一千六百畝。百四十四人を食う可し、と。

耕者之所獲、一夫百畝。百畝之糞、上農夫食九人。上次食八人。中食七人。中次食六人。下食五人。庶人在官者、其祿以是爲差。食、音嗣。○獲、得也。一夫一婦、佃田百畝。加之以糞。糞多而力勤者爲上農。其所收可供九人。其次用力不齊。故有此五等。庶人在官者、其受祿不同、亦有此五等也。○愚按、此章之說、與周禮・王制不同。蓋不可考。闕之可也。程子曰、孟子之時、去先王未遠、載籍未經秦火。然而班爵祿之制已不聞其詳。今之禮書、皆掇拾於煨燼之餘、而多出於漢儒一時之傅會。奈何欲盡信而句爲之解乎。然則其事固不可一一追復矣。
【読み】
耕す者の獲る所、一夫百畝。百畝の糞[つちか]える、上農夫は九人を食う。上の次は八人を食う。中は七人を食う。中の次は六人を食う。下は五人を食う。庶人の官に在る者、其の祿是を以て差とす、と。食は音嗣。○獲は得るなり。一夫一婦は、田百畝を佃る。之に加うるに糞を以てす。糞えること多くして力めて勤むる者を上農とす。其の收むる所は九人を供する可し。其の次は力を用うること齊しからず。故に此の五等有り。庶人の官に在る者も、其の祿を受くること同じからず、亦此の五等有るなり。○愚按ずるに、此の章の說、周禮・王制と同じからず。蓋し考う可からず。之を闕くこと可なり。程子曰く、孟子の時は、先王を去ること未だ遠からず、載籍未だ秦火を經ず。然れども爵祿を班ぬるの制已に其の詳らかなるを聞かず。今の禮書は、皆煨燼の餘を掇拾して、多くは漢儒一時の傅會より出づ。奈何ぞ盡く信じて句ごとに解を爲さまく欲せんや。然れば則ち其の事固より一一追復す可からざるなり、と。


萬章章句下3
○萬章問曰、敢問友。孟子曰、不挾長、不挾貴、不挾兄弟而友。友也者、友其德也。不可以有挾也。挾者、兼有而恃之之稱。
【読み】
○萬章問うて曰く、敢えて友を問う、と。孟子曰く、長を挾[さしはさ]まず、貴を挾まず、兄弟を挾まずして友とす。友は、其の德を友とす。以て挾むこと有る可からず。挾は、兼ね有して之を恃むことの稱。

孟獻子、百乘之家也。有友五人焉。樂正裘・牧仲、其三人、則予忘之矣。獻子之與此五人者友也、無獻子之家者也。此五人者、亦有獻子之家、則不與之友矣。乘、去聲。下同。○孟獻子、魯之賢大夫仲孫蔑也。張子曰、獻子忘其勢、五人者忘人之勢。不資其勢而利其有。然後能忘人之勢。若五人者有獻子之家、則反爲獻子之所賤矣。
【読み】
孟獻子は、百乘の家なり。友五人有り。樂正裘・牧仲、其の三人は、則ち予之を忘れたり。獻子が此の五人者と友たるは、獻子が家を無しとする者なればなり。此の五人者も、亦獻子が家を有りとせば、則ち之と友たらじ。乘は去聲。下も同じ。○孟獻子は、魯の賢大夫の仲孫蔑なり。張子曰く、獻子其の勢を忘れて、五人者は人の勢を忘る。其の勢に資[よ]って其の有るを利とせず。然して後に能く人の勢を忘る。若し五人者獻子が家を有りとせば、則ち反って獻子の賤しむ所と爲さん、と。

非惟百乘之家爲然也。雖小國之君亦有之。費惠公曰、吾於子思則師之矣。吾於顏般則友之矣。王順・長息、則事我者也。費、音祕。般、音班。○惠公、費邑之君也。師、所尊也。友、所敬也。事我者、所使也。
【読み】
非惟百乘の家のみ然りとするに非ず。小國の君と雖も亦之れ有り。費の惠公曰く、吾子思に於ては則ち之を師とす。吾顏般に於ては則ち之を友とす。王順・長息は、則ち我に事うる者なり、と。費は音祕。般は音班。○惠公は、費邑の君なり。師は尊ぶ所なり。友は敬する所なり。我に事うる者は、使う所なり。

非惟小國之君爲然也。雖大國之君亦有之。晉平公之於亥唐也、入云則入、坐云則坐、食云則食。雖疏食菜羹、未嘗不飽。蓋不敢不飽也。然終於此而已矣。弗與共天位也、弗與治天職也、弗與食天祿也。士之尊賢者也。非王公之尊賢也。疏食之食、音嗣。平公・王公下、諸本多無之字。疑闕文也。○亥唐、晉賢人也。平公造之、唐言入、公乃入、言坐乃坐、言食乃食也。疏食、糲飯也。不敢不飽、敬賢者之命也。范氏曰、位曰天位、職曰天職、祿曰天祿。言天所以待賢人、使治天民、非人君所得專者也。
【読み】
惟小國の君のみ然りとするに非ず。大國の君と雖も亦之れ有り。晉の平公の亥唐に於る、入れと云うときは則ち入り、坐[お]れと云うときは則ち坐り、食らえと云うときは則ち食らう。疏食菜羹と雖も、未だ嘗て飽かずんばあらず。蓋し敢えて飽かずんばあらざるなり。然れども此に終うるのみ。與に天位を共にせず、與に天職を治めず、與に天祿を食まず。士の賢を尊ぶ者なり。王公の賢を尊ぶに非ざるなり。疏食の食は音嗣。平公・王公の下、諸本多く之の字無し。疑うらくは闕文ならん。○亥唐は、晉の賢人なり。平公之に造[いた]り、唐入れと言えば、公乃ち入り、坐れと言えば乃ち坐り、食らえと言えば乃ち食らう。疏食は糲飯なり。敢えて飽かずんばあらずは、賢者の命を敬すればなり。范氏曰く、位は天位を曰い、職は天職を曰い、祿は天祿を曰う。言うこころは、天の賢人を待ち、天民を治めしむる所以にして、人君の專らにすることを得る所の者に非ざるなり、と。

舜尙見帝。帝館甥于貳室、亦饗舜、迭爲賓主。是天子而友匹夫也。尙、上也。舜上而見於帝堯也。館、舍也。禮、妻父曰外舅。謂我舅者、吾謂之甥。堯以女妻舜。故謂之甥。貳室、副宮也。堯舍舜於副宮、而就饗其食。
【読み】
舜尙[あ]げられて帝に見う。帝甥を貳室に館し、亦舜に饗して、迭[たが]いに賓主と爲る。是れ天子にして匹夫を友とするなり。尙は上げるなり。舜上げられて帝堯に見う。館は、舍[やど]すなり。禮に、妻の父を外舅と曰う。我を舅と謂う者は、吾之を甥と謂う、と。堯女を以て舜に妻わす。故に之を甥と謂う。貳室は、副宮なり。堯舜を副宮に舍らせて、就いて其の食を饗す。

用下敬上、謂之貴貴。用上敬下、謂之尊賢。貴貴尊賢、其義一也。貴貴尊賢、皆事之宜者。然當時但知貴貴、而不知尊賢。故孟子曰、其義一也。○此言、朋友人倫之一、所以輔仁。故以天子友匹夫、而不爲詘、以匹夫友天子、而不爲僭。此堯舜所以爲人倫之至、而孟子言必稱之也。
【読み】
下を用[も]って上を敬するは、之を貴きを貴ぶと謂う。上を用って下を敬するは、之を賢を尊ぶと謂う。貴きを貴び賢を尊ぶ、其の義一なり、と。貴きを貴び賢を尊ぶは、皆事の宜しき者。然れども當時は但貴きを貴ぶことを知って、賢を尊ぶことを知らず。故に孟子曰く、其の義一なり、と。○此れ言うこころは、朋友は人倫の一つにして、仁を輔くる所以なり。故に天子を以て匹夫を友として、詘[かが]まれりとせず、匹夫を以て天子を友として、僭[ひところ]えりとせず。此れ堯舜は人倫の至りとして、孟子言えば必ず之を稱する所以なり、と。


萬章章句下4
○萬章問曰、敢問交際何心也。孟子曰、恭也。際、接也。交際、謂人以禮儀幣帛相交接也。
【読み】
○萬章問うて曰く、敢えて問う、交際は何の心ぞ、と。孟子曰く、恭なり、と。際は接[まじ]わるなり。交際は、人の禮儀幣帛を以て相交接するを謂うなり。

曰、卻之卻之爲不恭、何哉。曰、尊者賜之、曰其所取之者、義乎不義乎、而後受之。以是爲不恭。故弗卻也。卻、不受而還之也。再言之、未詳。萬章疑、交際之閒、有所卻者、人便以爲不恭、何哉。孟子言、尊者之賜、而心竊計其所以得此物者、未知合義與否、必其合義、然後可受。不然則卻之矣。所以卻之爲不恭也。
【読み】
曰く、之を卻[しりぞ]け之を卻けるを不恭とするは、何ぞや、と。曰く、尊者之に賜うときに、曰く、其の之を取る所の者、義か不義かというて、而して後に之を受けん、と。是を以て不恭とす。故に卻けず、と。卻は、受けずして之を還すなり。再び之を言うは、未だ詳らかならず。萬章疑う、交際の閒、卻く所有る者、人便ち以て不恭とするは、何ぞや、と。孟子言う、尊者賜いて、心竊かに其の此の物を得る所以の者、未だ義に合うか否かを知らざることを計り、必ず其れ義に合い、然して後に受く可し。然らざれば則ち之を卻く。之を卻くを不恭とする所以なり、と。

曰、請無以辭卻之、以心卻之、曰其取諸民之不義也、而以他辭無受、不可乎。曰、其交也以道、其接也以禮、斯孔子受之矣。萬章以爲、彼旣得之不義、則其餽不可受。但無以言語閒而卻之、直以心度其不義、而託於他辭以卻之。如此可否耶。交以道、如餽贐、聞戒、周其飢餓之類。接以禮、謂辭命恭敬之節。孔子受之、如受陽貨烝豚之類也。
【読み】
曰く、請う、辭を以て之を卻くること無く、心を以て之を卻けて、其の諸民に取ることの不義を曰うて、他辭を以て受くること無けん、不可なりや、と。曰く、其の交わるに道を以てし、其の接わるに禮を以てすれば、斯ち孔子も之を受く。萬章以爲えらく、彼旣に之を得ること不義なれば、則ち其の餽は受く可からず。但言語を以て閒[こば]んで之を卻くこと無く、直[ただ]心を以て其の不義を度り、他の辭に託して以て之を卻く。此の如きは可なるや否や、と。交わるに道を以てすは、贐[じん]を餽[おく]り戒めを聞き、其の飢餓を周[すく]うの類の如し。接わるに禮を以てすは、辭命恭敬の節を謂う。孔子も之を受くは、陽貨が烝豚を受くるの類の如し。

萬章曰、今有禦人於國門之外者。其交也以道、其餽也以禮、斯可受禦與。曰、不可。康誥曰、殺越人于貨、閔不畏死、凡民罔不譈。是不待敎而誅者也。殷受夏、周受殷、所不辭也。於今爲烈。如之何其受之。與、平聲。譈、書作憝。徒對反。○禦、止也。止人而殺之、且奪其貨也。國門之外、無人之處也。萬章以爲、苟不問其物之所從來、而但觀其交接之禮、則設有禦人者、用其禦得之貨、以禮餽我、則可受之乎。康誥、周書篇名。越、顚越也。今書閔作愍、無凡民二字。譈、怨也。言殺人而顚越之、因取其貨、閔然不知畏死、凡民無不怨之。孟子言、此乃不待敎戒而當卽誅者也。如何而可受之乎。殷受至爲烈十四字、語意不倫。李氏以爲、此必有斷簡或闕文者、近之。而愚意、其直爲衍字耳。然不可考。姑闕之可也。
【読み】
萬章曰く、今人を國門の外に禦むる者有らん。其の交わるに道を以てし、其の餽[おく]るに禮を以てせば、斯ち禦めたるを受く可けんや、と。曰く、不可。康誥に曰く、人を貨[たから]に殺越し、閔として死を畏れざるを、凡そ民譈[うら]みずということ罔し、と。是れ敎を待たずして誅せん者なり。殷は夏に受け、周は殷に受けて、辭せざる所なり。今に於て烈[て]れりとす。如之何して其れ之を受けん、と。與は平聲。譈は書に憝に作る。徒對の反。○禦は止むるなり。人を止めて之を殺し、且つ其の貨を奪うなり。國門の外は、人無き處なり。萬章以爲えらく、苟し其の物の從りて來る所を問わずして、但其の交接の禮のみを觀れば、則ち設[も]し人を禦むる者有り、其の禦め得る貨を用いて、禮を以て我に餽れば、則ち之を受く可きか、と。康誥は、周書の篇の名。越は顚越なり。今の書は閔を愍に作り、凡民の二字無し。譈は怨むなり。言うこころは、人を殺して之を顚越し、因って其の貨を取り、閔然として死を畏るることを知らざるは、凡そ民之を怨みずということ無し、と。孟子言う、此れ乃ち敎戒を待たずして當に卽誅すべき者なり。如何にして之を受く可けん、と。殷受より爲烈に至る十四字、語意倫[たぐい]せず。李氏以爲らく、此れ必ず斷簡或は闕文有りとは、之に近し。而れども愚意えらく、其れ直[ただ]衍字とするのみ。然れども考う可からず。姑く之を闕くこと可なり。

曰、今之諸侯、取之於民也、猶禦也。苟善其禮際矣、斯君子受之。敢問何說也。曰、子以爲、有王者作、將比今之諸侯而誅之乎、其敎之不改、而後誅之乎。夫謂非其有而取之者盜也、充類至義之盡也。孔子之仕於魯也、魯人獵較、孔子亦獵較。獵較猶可。而況受其賜乎。比、去聲。夫、音扶。較、音角。○比、連也。言今諸侯之取於民、固多不義。然有王者起、必不連合而盡誅之、必敎之不改而後誅之。則其與禦人之盜、不待敎而誅者不同矣。夫禦人於國門之外、與非其有而取之、二者固皆不義之類。然必禦人、乃爲眞盜。其謂非有而取爲盜者、乃推其類、至於義之至精至密之處而極言之耳。非便以爲眞盜也。然則今之諸侯、雖曰取非其有、而豈可遽以同於禦人之盜也哉。又引孔子之事、以明世俗所尙、猶或可從、況受其賜、何爲不可乎。獵較、未詳。趙氏以爲、田獵相較、奪禽獸之祭。孔子不違、所以小同於俗也。張氏以爲獵而較所獲之多少也。二說未知孰是。
【読み】
曰く、今の諸侯、之を民に取ること、猶禦むるがごとし。苟し其の禮際を善くせば、斯ち君子之を受けん。敢えて問う、何の說ぞ、と。曰く、子以爲えらく、王者作ること有らば、將に今の諸侯を比[つら]ねて之を誅せんとするか、其れ之を敎えれども改めずして、而して後に之を誅せんとするか。夫れ其の有に非ずして之を取る者は盜なりと謂うは、類を充てて義の盡くせるに至れるなり。孔子の魯に仕えしときに、魯人獵較したれば、孔子も亦獵較す。獵較だに猶可なり。而るを況や其の賜を受くるをや、と。比は去聲。夫は音扶。較は音角。○比は連ぬるなり。言うこころは、今諸侯の民に取ること、固[まこと]に不義多し。然れども王者起こること有らば、必ずしも連ね合わせて盡く之を誅さず、必ず之に敎えて改めずして後に之を誅さん。則ち其の人を禦むる盜と、敎を待たずして誅する者とは同じからず。夫れ人を國門の外に禦むると、其の有に非ずして之を取るとは、二つの者固に皆不義の類なり。然れども必ずや人を禦むるは、乃ち眞の盜爲り。其の有に非ずして取るを謂うて盜とするは、乃ち其の類を推して、義の至精至密の處に至って之を極言するのみ。便ち以て眞に盜とするに非ざるなり。然れば則ち今の諸侯、其の有に非ざるを取ると曰うと雖も、豈遽に以て人を禦むる盜と同じくす可けんや。又孔子の事を引いて、以て世俗尙ぶ所は、猶或は從う可し、況や其の賜を受くるは、何ぞ不可とせんやということを明らかにす。獵較は未詳らかならず。趙氏以爲えらく、田獵して相較べ、禽獸を奪い祭るなり。孔子違わざるは、小しく俗に同じくする所以なり、と。張氏以て獵して獲る所の多少を較ぶるとす。二說未だ孰れか是なるかを知らず。

曰、然則孔子之仕也、非事道與。曰、事道也。事道奚獵較也。曰、孔子先簿正祭器、不以四方之食供簿正。曰、奚不去也。曰、爲之兆也。兆足以行矣。而不行。而後去。是以未嘗有所終三年淹也。與、平聲。○此因孔子事、而反覆辯論也。事道者、以行道爲事也。事道奚獵較也、萬章問也。先簿正祭器、未詳。徐氏曰、先以簿書正其祭器、使有定數、不以四方難繼之物實之。夫器有常數、實有常品、則其本正矣。彼獵較者、將久而自廢矣。未知是否也。兆、猶卜之兆。蓋事之端也。孔子所以不去者、亦欲小試行道之端、以示於人、使知吾道之果可行也。若其端旣可行、而人不能遂行之。然後不得已而必去之。蓋其去雖不輕、而亦未嘗不決。是以未嘗終三年留於一國也。
【読み】
曰く、然るときは則ち孔子の仕うること、道を事とするに非ざるか、と。曰く、道を事とす。道を事とせば奚んぞ獵較する。曰く、孔子先ず祭器を簿正して、四方の食を以て簿正に供えず、と。曰く、奚んぞ去らざる、と。曰く、之が兆を爲せり。兆以て行うに足れり。而れども行われず。而して後の去る。是を以て未だ嘗て三年を終うるまで淹[とど]まる所有らず。與は平聲。○此れ孔子の事に因って、反覆して辯論するなり。道を事とするは、道を行うを以て事とするなり。道を事とせば奚んぞ獵較するは、萬章の問いなり。先ず祭器を簿正するは、未だ詳らかならず。徐氏曰く、先ず簿書を以て其の祭器を正し、定數有らしめ、四方の繼ぎ難き物を以て之を實たさず。夫れ器に常數有り、實に常品有れば、則ち其の本正しきなり。彼の獵較は、將に久しくして自ら廢てられんとす、と。未だ是なるか否かを知らず。兆は、猶卜の兆のごとし。蓋し事の端なり。孔子去らざる所以の者は、亦小しく道を行うの端を試み、以て人に示して、吾が道の果たして行う可きを知らしめまく欲するなり。其の端旣に行う可きが若きも、而して人遂に之を行うこと能わず。然して後に已むことを得ずして必ず之を去る。蓋し其の去ること輕々しからずと雖も、亦未だ嘗て決せずんばあらず。是を以て未だ嘗て三年を終うるまで一國に留まらざるなり。

孔子有見行可之仕、有際可之仕、有公養之仕也。於季桓子、見行可之仕也。於衛靈公、際可之仕也。於衛孝公、公養之仕也。見行可、見其道之可行也。際可、接遇以禮也。公養、國君養賢之禮也。季恒子、魯卿季孫斯也。衛靈公、衛侯元也。孝公、春秋史記皆無之。疑出公輒也。因孔子仕魯、而言其仕有此三者。故於魯則兆足以行矣。而不行。然後去。而於衛之事、則又受其交際問餽、而不卻之一驗也。尹氏曰、不聞孟子之義、則自好者爲於陵仲子而已。聖賢辭受進退、惟義所在。愚按、此章文義多不可曉。不必強爲之說。
【読み】
孔子見行可の仕え有り、際可の仕え有り、公養の仕え有り。季桓子に於ては、見行可の仕えなり。衛の靈公に於ては、際可の仕えなり。衛の孝公に於ては、公養の仕えなり、と。見行可は、其の道の行わる可きを見るなり。際可は、接遇するに禮を以てするなり。公養は、國君の賢を養うの禮なり。季恒子は、魯の卿の季孫斯なり。衛の靈公は、衛侯元なり。孝公は、春秋史記に皆之れ無し。疑うらくは出公輒ならん。孔子魯に仕うるに因りて、其の仕うるに此の三つの者有るを言う。故に魯に於ては則ち兆以て行うに足れり。而れども行われず。然して後に去る。而して衛に於る事は、則ち又其の交際問餽を受けて、卻[しりぞ]けざるの一驗なり。尹氏曰く、孟子の義を聞かざれば、則ち自ら好しとする者は於陵の仲子爲るのみ。聖賢の辭受進退は、惟義の在る所なり、と。愚按ずるに、此の章の文義多く曉る可からず。必ずしも強いて之の說を爲さず。


萬章章句下5
○孟子曰、仕非爲貧也。而有時乎爲貧。娶妻非爲養也。而有時乎爲養。爲・養、並去聲。下同。○仕本爲行道。而亦有家貧親老、或道與時違、而但爲祿仕者。如娶妻本爲繼嗣。而亦有爲不能親操井臼、而欲資其餽養者。
【読み】
○孟子曰く、仕えは貧しきが爲にするに非ず。而れども貧しきが爲にするに時有り。妻を娶るは養いの爲にするに非ず。而れども養いの爲にするに時有り。爲・養は並去聲。下も同じ。○仕えは本道を行う爲なり。而れども亦家貧しく親老えば、或は道時と違えども、但祿の爲に仕うる者有り。妻を娶るは本繼嗣の爲なり。而れども亦親井臼を操ること能わざるが爲に、其の餽養を資[たす]けまく欲する者有るが如し。

爲貧者、辭尊居卑、辭富居貧。貧富、謂祿之厚薄。蓋仕不爲道、已非出處之正。故其所處但當如此。
【読み】
貧しきが爲にする者は、尊きを辭して卑しきに居り、富めるを辭して貧しきに居る。貧富は、祿の厚薄を謂う。蓋し仕うること道の爲にあらざれば、已に出處の正しきに非ず。故に其の處る所は但當に此の如くなるべし。

辭尊居卑、辭富居貧、惡乎宜乎。抱關擊柝。惡、平聲。柝、音託。○柝、行夜所擊木也。蓋爲貧者雖不主於行道、而亦不可以苟祿。故惟抱關擊柝之吏、位卑祿薄、其職易稱。爲所宜居也。李氏曰、道不行矣、爲貧而仕者、此其律令也。若不能然、則是貪位慕祿而已矣。
【読み】
尊きを辭し卑しきに居り、富めるを辭して貧しきに居るは、惡くにか宜しき。關を抱[まも]り柝[たく]を擊つ。惡は平聲。柝は音託。○柝は、行夜[よまわり]の擊つ所の木なり。蓋し貧しきが爲にする者は道を行うことを主とせずと雖も、而して亦以て苟も祿す可からず。故に惟抱關擊柝の吏は、位卑しく祿薄くして、其の職稱い易し。宜しく居るべき所とするなり。李氏曰く、道行われず、貧しきが爲にして仕うる者は、此れ其の律令なり。若し然ること能わざるときは、則ち是れ位を貪り祿を慕うのみ、と。

孔子嘗爲委吏矣。曰、會計當而已矣。嘗爲乘田矣。曰、牛羊茁壯長而已矣。委、烏僞反。會、工外反。當、丁浪反。乘、去聲。茁、阻刮反。長、上聲。○此孔子之爲貧而仕者也。委吏、主委積之吏也。乘田、主苑囿芻牧之吏也。茁、肥貌。言以孔子大聖、而嘗爲賤官、不以爲辱者、所謂爲貧而仕、官卑祿薄、而職易稱也。
【読み】
孔子嘗て委吏と爲る。曰く、會計當たれらくのみ、と。嘗て乘田と爲る。曰く、牛羊茁[さつ]として壯長すらくのみ、と。委は烏僞の反。會は工外の反。當は丁浪の反。乘は去聲。茁は阻刮の反。長は上聲。○此れ孔子の貧しきが爲にして仕うる者なり。委吏は、委積を主[つかさど]る吏なり。乘田は、苑囿芻牧を主る吏なり。茁は、肥える貌。言うこころは、孔子大聖を以てして、嘗て賤官と爲り、以て辱とせざるは、所謂貧しきが爲にして仕うるに、官卑しく祿薄くして、職稱い易ければなり、と。

位卑而言高、罪也。立乎人之本朝、而道不行、恥也。朝、音潮。○以出位爲罪、則無行道之責。以廢道爲恥、則非竊祿之官。此爲貧者之所以必辭尊富、而寧處貧賤也。○尹氏曰、言爲貧者、不可以居尊。居尊者、必欲以行道。
【読み】
位卑しうして言高きは、罪なり。人の本朝に立って、道行われざるは、恥なり、と。朝は音潮。○位を出ることを以て罪とすれば、則ち道を行うの責無し。道を廢つるを以て恥とすれば、則ち非祿を竊[ぬす]む官に非ず。此れ貧しきが爲にする者の必ず尊富を辭して、寧ろ貧賤に處る所以なり。○尹氏曰く、言うこころは、貧しきが爲にする者は、以て尊きに居る可からず。尊きに居る者は、必ず以て道を行わまく欲す、と。


萬章章句下6
○萬章曰、士之不託諸侯、何也。孟子曰、不敢也。諸侯失國、而後託於諸侯、禮也。士之託於諸侯、非禮也。託、寄也。謂不仕而食其祿也。古者諸侯出奔他國、食其廩餼、謂之寄公。士無爵士、不得比諸侯。不仕而食祿、則非禮也。
【読み】
○萬章曰く、士の諸侯に託[よ]せざるは、何ぞ、と。孟子曰く、敢えてせず。諸侯國を失うて、而して後に諸侯に託するは、禮なり。士の諸侯に託するは、禮に非ざるなり、と。託は寄すなり。仕えずして其の祿を食むことを謂う。古は諸侯他國に出奔し、其の廩餼を食むことを、寄公と謂う。士は爵士無く、諸侯に比することを得ず。仕えずして祿を食むは、則ち禮に非ざるなり。

萬章曰、君餽之粟、則受之乎。曰、受之。受之何義也。曰、君之於氓也、固周之。周、救也。視其空乏、則周卹之無常數、君待民之禮也。
【読み】
萬章曰く、君之に粟を餽[おく]るときは、則ち之を受けんや、と。曰く、之を受く、と。之を受くるは何の義ぞ。曰く、君の氓[たみ]に於る、固[まこと]に之を周[すく]う。周は救うなり。其の空乏を視れば、則ち之を周卹[しゅうじゅつ]するに常數無きは、君民を待つの禮なり。

曰、周之則受。賜之則不受、何也。曰、不敢也。曰、敢問其不敢何也。曰、抱關擊柝者、皆有常職以食於上。無常職而賜於上者、以爲不恭也。賜、謂予之祿、有常數。君所以待臣之禮也。
【読み】
曰く、之を周うときに則ち受く。之を賜うときは則ち受けざること、何ぞ、と。曰く、敢えてせず、と。曰く、敢えて問う、其の敢えてせざること何ぞ、と。曰く、關を抱[まも]り柝[たく]を擊つ者も、皆常職有るを以て上に食む。常職無くして上に賜せらるる者をば、以て不恭とす。賜は、之に祿を予うるに、常數有ることを謂う。君の以て臣を待つ所の禮なり。

曰、君餽之、則受之。不識可常繼乎。曰、繆公之於子思也、亟問、亟餽鼎肉。子思不悦。於卒也、摽使者出諸大門之外、北面稽首再拜而不受。曰、今而後知君之犬馬畜伋。蓋自是臺無餽也。悦賢不能舉、又不能養也。可謂悦賢乎。亟、去聲。下同。摽、音杓。使、去聲。○亟、數也。鼎肉、熟肉也。卒、末也。摽、麾也。數以君命來餽、當拜受之。非養賢之禮。故不悦。而於其末後復來餽時、麾使者出拜而辭之。犬馬畜伋、言不以人禮待己也。臺、賤官。主使令者。蓋繆公愧悟、自此不復令臺來致餽也。舉、用也。能養者未必能用也。況又不能養乎。
【読み】
曰く、君之に餽るときは、則ち之を受く。識らず、常に繼ぐ可けんや、と。曰く、繆公の子思に於る、亟々[しばしば]問うて、亟々鼎肉を餽る。子思悦びず。卒わりに於て、使者を摽[さしまね]いて大門の外に出で、北面稽首再拜して受けず。曰く、今にして後に君が犬馬をもって伋を畜うことを知んぬ、と。蓋し是より臺餽ること無し。賢を悦んで舉[もち]うること能わず、又養うこと能わず。賢を悦ぶと謂う可けんや。亟は去聲。下も同じ。摽は音杓。使は去聲。○亟は數々なり。鼎肉は熟肉なり。卒は末なり。摽は麾[さしまね]くなり。數々君命を以て來り餽るときは、當に拜して之を受くべし。賢を養うの禮に非ず。故に悦びず。而して其の末後に復來りて餽る時に於て、使者を麾き出で、拜して之を辭す。犬馬をもって伋を畜うは、言うこころは、人の禮を以て己を待たざるなり、と。臺は賤官。使令を主る者。蓋し繆公愧じ悟り、此より復臺をして來り餽を致せしめざるなり。舉は用うるなり。能く養う者すら未だ必ずしも能く用いず。況や又養うこと能わざるをや。

曰、敢問國君欲養君子、如何斯可謂養矣。曰、以君命將之。再拜稽首而受。其後廩人繼粟、庖人繼肉、不以君命將之。子思以爲、鼎肉使己僕僕爾亟拜也。非養君子之道也。初以君命來餽、則當拜受。其後有司各以其職繼續所無、不以君命來餽、不使賢者有亟拜之勞也。僕僕、煩猥貌。
【読み】
曰く、敢えて問う、國君君子を養わまく欲せば、如何なるか斯れ養うと謂いつ可き、と。曰く、君命を以て之を將[おこな]う。再拜稽首して受く。其の後廩人粟を繼ぎ、庖人肉を繼いで、君命を以て之を將わず。子思以爲えらく、鼎肉己をして僕僕爾として亟々拜せしむ。君子を養うの道に非ず、と。初め君命を以て來り餽るときは、則ち當に拜して受くべし。其の後有司各々其の職を以て無き所を繼續し、君命を以て來り餽らず、賢者に亟々拜するの勞を有らしめざるなり。僕僕は煩猥の貌。

堯之於舜也、使其子九男事之、二女女焉、百官牛羊倉廩備、以養舜於畎畝之中。後舉而加諸上位。故曰、王公之尊賢者也。女下字、去聲。○能養能舉、悦賢之至也。惟堯舜爲能盡之。而後世之所當法也。
【読み】
堯の舜に於る、其の子九男をして之に事えしめ、二女を女[めあ]わせ、百官牛羊倉廩を備えて、以て舜を畎畝の中に養う。後に舉いて諸を上位に加う。故に曰く、王公の賢を尊ぶ者なり、と。女は下の字は去聲。○能く養い能く舉うるは、賢を悦ぶの至りなり。惟堯舜のみ能く之を盡くすことを爲す。而して後世の當に法るべき所なり。


萬章章句下7
○萬章曰、敢問不見諸侯、何義也。孟子曰、在國曰市井之臣。在野曰草莽之臣。皆謂庶人。庶人不傳質爲臣。不敢見於諸侯、禮也。質、與贄同。○傳、通也。質者、士執雉、庶人執鶩、相見以自通者也。國内莫非君臣。但未仕者、與執贄在位之臣不同。故不敢見也。
【読み】
○萬章曰く、敢えて問う、諸侯に見わざるは、何の義ぞ、と。孟子曰く、國に在りては市井の臣と曰う。野に在りては草莽の臣と曰う。皆庶人を謂えり。庶人は質[し]を傳じて臣爲らず。敢えて諸侯に見わざるは、禮なり、と。質は贄と同じ。○傳は通ずなり。質は、士雉を執り、庶人鶩を執り、相見て以て自ら通ずる者なり。國内君の臣に非ざるは莫し。但未だ仕えざる者は、贄を執り位に在る臣と同じからず。故に敢えて見えざるなり。

萬章曰、庶人召之役、則往役。君欲見之召之、則不往見之、何也。曰、往役、義也。往見、不義也。往役者、庶人之職。不往見者、士之禮。
【読み】
萬章曰く、庶人之を召して役するときは、則ち往いて役す。君之を見わまく欲して之を召すときは、則ち往いて之に見わざること、何ぞ、と。曰く、往いて役するは、義なり。往いて見うは、不義なり、と。往いて役するは、庶人の職。往いて見わざるは、士の禮なり。

且君之欲見之也、何爲也哉。曰、爲其多聞也。爲其賢也。曰、爲其多聞也、則天子不召師。而況諸侯乎。爲其賢也、則吾未聞欲見賢而召之也。爲、並去聲。
【読み】
且つ君の之に見わまく欲するは、何の爲ぞや、と。曰く、其の多聞なるが爲なり。其の賢なるが爲なり、と。曰く、其の多聞なるが爲ならば、則ち天子も師を召さず。而るを況や諸侯をや。其の賢なるが爲ならば、則ち吾未だ聞かず、賢に見わまく欲して之を召すことを。爲は並去聲。

繆公亟見於子思曰、古千乘之國以友士、何如。子思不悦曰、古之人有言。曰、事之云乎。豈曰友之云乎。子思之不悦也、豈不曰、以位、則子、君也、我、臣也。何敢與君友也。以德、則子事我者也。奚可以與我友。千乘之君求與之友、而不可得也。而況可召與。亟・乘、皆去聲。召與之與、平聲。○孟子引子思之言而釋之、以明不可召之意。
【読み】
繆公亟々子思に見うて曰く、古千乘の國以て士を友とすること、何如、と。子思悦びずして曰く、古の人言えること有り。曰く、之に事うと云うことを、と。豈曰わんや、之を友とすと云うことを、と。子思の悦びざる、豈曰わざらんや、位を以てするときは、則ち子は、君なり、我は、臣なり。何ぞ敢えて君と友たらん。德を以てするときは、則ち子は我に事えん者なり。奚んぞ以て我と友たる可けん、と。千乘の君之と友たらんことを求むれども、而も得可からず。而るを況や召す可けんや。亟・乘は皆去聲。召與の與は平聲。○孟子子思の言を引いて之を釋し、以て召す可からざるの意を明らかにす。

齊景公田。招虞人以旌。不至。將殺之。志士不忘在溝壑、勇士不忘喪其元。孔子奚取焉。取非其招不往也。喪、息浪反。○說見前篇。
【読み】
齊の景公田[かり]す。虞人を招くに旌を以てす。至らず。將に之を殺さんとす。志士は溝壑に在らんことを忘れず、勇士は其の元[こうべ]を喪わんことを忘れず。孔子奚をか取れる。其の招きに非ざれば往かざることを取れり、と。喪は息浪の反。○說は前篇に見ゆ。

曰、敢問招虞人何以。曰、以皮冠。庶人以旃、士以旂、大夫以旌。皮冠、田獵之冠也。事見春秋傳。然則皮冠者、虞人之所有事也。故以是招之。庶人、未仕之臣。通帛曰旃。士、謂已仕者。交龍爲旂、析羽而注於旂干之首曰旌。
【読み】
曰く、敢えて問う、虞人を招くには何を以てする、と。曰く、皮冠を以てす。庶人には旃[せん]を以てし、士には旂[き]を以てし、大夫には旌を以てす。皮冠は、田獵の冠なり。事は春秋傳に見ゆ。然れば則ち皮冠は、虞人の事とすること有る所なり。故に是を以て之を招く。庶人は、未だ仕えざる臣。通帛を旃と曰う。士は、已に仕うる者を謂う。交龍を旂に爲る。羽を析[さ]きて旂干の首に注[つ]けるを旌と曰う。

以大夫之招招虞人、虞人死不敢往。以士之招招庶人、庶人豈敢往哉。況乎以不賢人之招招賢人乎。欲見而召之、是不賢人之招也。以士之招招庶人、則不敢往。以不賢人之招招賢人、則不可往矣。
【読み】
大夫の招きを以て虞人を招けば、虞人死すれども敢えて往かず。士の招きを以て庶人を招かば、庶人豈敢えて往かんや。況や不賢人の招きを以て賢人を招くをや。見わまく欲して之を召すは、是れ不賢人の招きなり。士の招きを以て庶人を招けば、則ち敢えて往かず。不賢人の招きを以て賢人を招けば、則ち往く可からざるなり。

欲見賢人而不以其道、猶欲其入而閉之門也。夫義、路也。禮、門也。惟君子能由是路、出入是門也。詩云、周道如厎。其直如矢。君子所履。小人所視。夫、音扶。底、詩作砥。之履反。○詩、小雅大東之篇。底、與砥同。礪石也。言其平也。矢、言其直也。視、視以爲法也。引此以證上文能由是路之義。
【読み】
賢人に見わまく欲して其の道を以てせざるは、猶其の入らまく欲して之が門を閉ずるがごとし。夫れ義は、路なり。禮は、門なり。惟君子のみ能く是の路に由り、是の門に出入す。詩に云く、周の道厎[と]の如し。其の直いこと矢の如し。君子の履む所、小人の視る所、と。夫は音扶。厎は、詩に砥に作る。之履の反。○詩は小雅大東の篇。厎は砥と同じ。礪石なり。其の平かなるを言う。矢は、其の直きを言う。視は、視て以て法とするなり。此を引いて以て上文の能く是の路に由るの義を證す。

萬章曰、孔子、君命召、不俟駕而行。然則孔子非與。曰、孔子當仕有官職、而以其官召之也。與、平聲。○孔子方仕而任職。君以其官名召之。故不俟駕而行。徐氏曰、孔子・孟子、易地則皆然。○此章言不見諸侯之義、最爲詳悉。更合陳代・公孫丑所問者而觀之、其說乃盡。
【読み】
萬章曰く、孔子、君命じて召すときは、駕を俟たずして行く。然るときは則ち孔子は非か、と。曰く、孔子仕えて官職有るに當たって、其の官を以て之を召めせばなり、と。與は平聲。○孔子仕うるに方[あた]って職を任ず。君其の官名を以て之を召す。故に駕を俟たずして行く。徐氏曰く、孔子・孟子、地を易えれば則ち皆然り、と。○此の章、諸侯に見わざるの義を言うこと、最も詳悉爲り。更に陳代・公孫丑問う所の者と合わせて之を觀れば、其の說は乃ち盡くせり。


萬章章句下8
○孟子謂萬章曰、一郷之善士、斯友一郷之善士。一國之善士、斯友一國之善士。天下之善士、斯友天下之善士。言己之善蓋於一郷、然後能盡友一郷之善士。推而至於一國・天下皆然。隨其高下、以爲廣狹也。
【読み】
○孟子萬章に謂うて曰く、一郷の善士は、斯ち一郷の善士を友とす。一國の善士は、斯ち一國の善士を友とす。天下の善士は、斯ち天下の善士を友とす。言うこころは、己が善一郷を蓋い、然して後に能く盡く一郷の善士を友とす。推して一國・天下に至るも皆然り。其の高下に隨い、以て廣狹を爲す、と。

以友天下之善士爲未足、又尙論古之人。頌其詩、讀其書、不知其人可乎。是以論其世也。是尙友也。尙、上同。言進而上也。頌、誦通。論其世、論其當世行事之跡也。言旣觀其言、而不可以不知其爲人之實、是以又考其行也。夫能友天下之善士、其所友衆矣、猶以爲未足、又進而取於古人。是能進其取友之道。而非止爲一世之士矣。
【読み】
天下の善士を友とするを以て未だ足らずとして、又尙[かみ]古の人を論ず。其の詩を頌し、其の書を讀みては、其の人を知らずして可ならんや。是を以て其の世を論ず。是れ尙友とするなり、と。尙は上と同じ。進んで上ることを言う。頌は誦に通ず。其の世を論ずは、其の當世の行事の跡を論ずるなり。言うこころは、旣に其の言を觀れば、以て其の爲人[ひととなり]の實を知らずんばある可からず、是を以て又其の行を考う、と。夫れ能く天下の善士を友とすれば、其の友とする所衆けれども、猶以て未だ足らずとして、又進んで古人を取る。是れ能く其の友を取るの道を進む。而して止[ただ]一世の士爲るのみに非ざるなり。


萬章章句下9
○齊宣王問卿。孟子曰、王何卿之問也。王曰、卿不同乎。曰、不同。有貴戚之卿、有異姓之卿。王曰、請問貴戚之卿。曰、君有大過則諫。反覆之而不聽、則易位。大過、謂足以亡其國者。易位、易君之位、更立親戚之賢者。蓋與君有親親之恩、無可去之義。以宗廟爲重、不忍坐視其亡。故不得已而至於此也。
【読み】
○齊の宣王卿を問う。孟子曰く、王何の卿か問える、と。王曰く、卿同じからずや、と。曰く、同じからず。貴戚の卿有り、異姓の卿有り、と。王曰く、貴戚の卿を請い問う、と。曰く、君大過有るときは則ち諫む。之を反覆すれども而して聽かざるときは、則ち位を易う、と。大過は、以て其の國を亡ぼすに足る者を謂う。位を易うは、君の位を易え、更に親戚の賢者を立つ。蓋し君と親を親しむの恩有り、去る可きの義無し。宗廟を以て重きと爲し、其の亡ぶるを坐視するに忍びず。故に已むことを得ずして此に至るなり。

王勃然變乎色。勃然、變色貌。
【読み】
王勃然として色を變ず。勃然は、色を變ずるの貌。

曰、王勿異也。王問臣。臣不敢不以正對。孟子言也。
【読み】
曰く、王異[あや]しむこと勿かれ。王臣に問う。臣敢えて正しきを以て對えずんばあらず、と。孟子言うなり。

王色定、然後請問異姓之卿。曰、君有過則諫。反覆之而不聽、則去。君臣義合、不合則去。○此章言、大臣之義、親疏不同。守經行權、各有其分。貴戚之卿、小過非不諫也。但必大過而不聽、乃可易位。異姓之卿、大過非不諫也。雖小過而不聽、已可去矣。然三仁貴戚、不能行之於紂、而霍光異姓、乃能行之於昌邑。此又委任權力之不同。不可以執一論也。
【読み】
王色定まって、然して後に異姓の卿を請い問う。曰く、君過有るときは則ち諫む。之を反覆すれども聽かざるときは、則ち去る、と。君臣義合、合わざるときは則ち去る。○此の章言うこころは、大臣の義、親疏同じからず。經を守り權を行うに、各々其の分有り。貴戚の卿は、小過を諫めざるに非ず。但必ず大過にして聽かざれば、乃ち位を易う可し。異姓の卿は、大過を諫めざるに非ず。小過と雖も聽かざれば、已に去る可し。然れども三仁貴戚にして、之を紂に行うこと能わずして、霍光異姓にして、乃ち能く之を昌邑に行う。此れ又委任權力同じからざればなり。以て一を執りて論ずる可からず。

 

孟子卷之六

告子章句上 凡二十章。

告子章句上1
告子曰、性、猶杞柳也。義、猶桮棬也。以人性爲仁義、猶以杞柳爲桮棬。桮、音杯。棬、丘圓反。○性者、人生所稟之天理也。杞柳、柜柳。桮棬、屈木所爲、若巵匜之屬。告子言、人性本無仁義。必待矯揉而後成。如荀子性惡之說也。
【読み】
告子曰く、性は、猶杞柳のごとし。義は、猶桮棬[はいけん]のごとし。人性を以て仁義をするは、猶杞柳を以て桮棬を爲[つく]るがごとし、と。桮は音杯。棬は丘圓の反。○性は、人の生まれながらにして稟く所の天理なり。杞柳は、柜柳なり。桮棬は、木を屈げて爲る所の、巵匜[しい]の屬の若し。告子言う、人の性は本仁義無し。必ず矯揉を待って後に成る、と。荀子性惡の說の如し。

孟子曰、子能順杞柳之性、而以爲桮棬乎。將戕賊杞柳、而後以爲桮棬也。如將戕賊杞柳、而以爲桮棬、則亦將戕賊人、以爲仁義與。率天下之人、而禍仁義者、必子之言夫。戕、音牆。與、平聲。夫、音扶。○言如此、則天下之人、皆以仁義爲害性、而不肯爲。是因子之言、而爲仁義之禍也。
【読み】
孟子曰く、子能く杞柳の性に順うて、以て桮棬を爲らんや。將に杞柳を戕賊[しょうぞく]して、而して後に以て桮棬を爲らんとするなり、と。如し將に杞柳を戕賊して、以て桮棬を爲らんとせば、則ち亦將に人を戕賊して以て仁義をせんとするか。天下の人を率いて、仁義を禍いせん者は、必ず子が言ならん、と。戕は音牆。與は平聲。夫は音扶。○言うこころは、此の如くば、則ち天下の人、皆仁義を以て性を害なうと爲して、肯えてせず。是れ子の言に因りて、仁義の禍をするなり。


告子章句上2
○告子曰、性猶湍水也。決諸東方則東流。決諸西方則西流。人性之無分於善不善也、猶水之無分於東西也。湍、他端反。○湍、波流瀠回之貌也。告子因前說而小變之。近於揚子善惡混之說。
【読み】
○告子曰く、性は猶湍水のごとし。諸を東方に決[さく]れば則ち東に流る。諸を西方に決れば則ち西に流る。人性の善不善を分くこと無きは、猶水の東西を分くこと無きがごとし、と。湍は他端の反。○湍は、波流の瀠回[えいかい]する貌なり。告子前說に因りて小しく之を變ず。揚子善惡混ずの說に近し。

孟子曰、水信無分於東西。無分於上下乎。人性之善也、猶水之就下也。人無有不善。水無有不下。言水誠不分東西矣。然豈不分上下乎。性卽天理。未有不善者也。
【読み】
孟子曰く、水は信[まこと]に東西を分くこと無し。上下を分くこと無けんや。人性の善なるは、猶水の下きに就くがごとし。人不善有ること無し。水下らずということ有ること無し。言うこころは、水は誠に東西を分かず。然れども豈上下を分かざらん。性は卽ち天理。未だ善ならざる者有らず。

今夫水、搏而躍之、可使過顙。激而行之、可使在山。是豈水之性哉。其勢則然也。人之可使爲不善、其性亦猶是也。夫、音扶。搏、補各反。○搏、擊也。躍、跳也。顙、額也。水之過額在山、皆不就下也。然其本性未嘗不就下。但爲博激所使而逆其性耳。○此章言性本善。故順之而無不善。本無惡。故反之而後爲惡。非本無定體、而可以無所不爲也。
【読み】
今夫れ水、搏[う]って之を躍らさば、顙[ひたい]を過ぐさしむ可し。激して之を行[や]らば、山に在らしむ可し。是れ豈水の性ならんや。其の勢は則ち然り。人の不善をせしむ可き、其の性亦猶是のごとし、と。夫は音扶。搏は補各の反。○搏は擊つなり。躍は跳るなり。顙は額なり。水の額を過ぎ山に在るは、皆下に就かざるなり。然れども其の本性は未だ嘗て下に就かずんばあらず。但博激してせしめらるるが爲に其の性に逆うのみ。○此の章言うこころは、性は本善なり。故に之に順いて不善無し。本惡無し。故に之に反きて後に惡を爲す。本より定體無くして、以てせざる所無かる可きに非ざるなり。


告子章句上3
○告子曰、生之謂性。生、指人物之所以知覺運動者而言。告子論性、前後四章、語雖不同、然其大指不外乎此。與近世佛氏所謂作用是性者略相似。
【読み】
○告子曰く、生を性と謂う、と。生は、人物の知覺運動する所以の者を指して言う。告子性を論ずる、前後四章、語は同じからずと雖も、然れども其の大指は此に外ならず。近世佛氏謂う所の作用是性なる者と略相似す。

孟子曰、生之謂性也、猶白之謂白與。曰、然。白羽之白也、猶白雪之白。白雪之白、猶白玉之白與。曰、然。與、平聲。下同。○白之謂白、猶言凡物之白者、同謂之白、更無差別也。白羽以下、孟子再問。而告子曰然、則是謂凡有生者、同是一性矣。
【読み】
孟子曰く、生を性と謂うは、猶白きを白しと謂うがごときか、と。曰く、然り、と。白羽の白きは、猶白雪の白きがごとく。白雪の白きは、猶白玉の白きがごときか。曰く、然り、と。與は平聲。下も同じ。○白きを白しと謂うは、猶凡そ物の白きは、同じく白しと謂い、更に差別無きを言うがごとし。白羽以下は、孟子再び問う。而して告子然りと曰えば、則ち是れ凡そ生有る者は、同じく是れ一つの性なりと謂うなり。

然則犬之性、猶牛之性、牛之性、猶人之性與。孟子又言、若果如此、則犬牛與人皆有知覺、皆能運動。其性皆無以異矣。於是告子自知其說之非、而不能對也。○愚按、性者、人之所得於天之理也。生者、人之所得於天之氣也。性、形而上者也。氣、形而下者也。人物之生、莫不有是性、亦莫不有是氣。然以氣言之、則知覺運動、人與物若不異也。以理言之、則仁義禮智之稟、豈物之所得而全哉。此人之性、所以無不善、而爲萬物之靈也。告子不知性之爲理、而以所謂氣者當之。是以杞柳湍水之喩、食色無善無不善之說、縱橫繆戾、紛紜舛錯。而此章之誤、乃其本根。所以然者、蓋徒知知覺運動之蠢然者、人與物同。而不知仁義禮智之粹然者、人與物異也。孟子以是折之。其義精矣。
【読み】
然るときは則ち犬の性は、猶牛の性のごとく、牛の性は、猶人の性のごときか、と。孟子又言う、若し果たして此の如きときは、則ち犬牛と人とは皆知覺有り、皆能く運動す。其の性皆以て異なること無し、と。是に於て告子自ら其の說の非を知って、對うること能わざるなり。○愚按ずるに、性は、人の天に得る所の理なり。生は、人の天に得る所の氣なり。性は、形而上なる者なり。氣は、形而下なる者なり。人物の生まるるや、是の性に有らざること莫く、亦是の氣に有らざること莫し。然して氣を以て之を言えば、則ち知覺運動、人と物と異ならざるが若し。理を以て之を言えば、則ち仁義禮智の稟、豈物の得て全くする所ならんや。此れ人の性、不善無くして、萬物の靈爲る所以なり。告子性の理爲るを知らずして、所謂氣なる者を以て之に當てり。是を以て杞柳湍水の喩、食色善無く不善無しの說、縱橫繆戾して、紛紜[ふんうん]舛錯[せんさく]す。而して此の章の誤りは、乃ち其の本根なり。然る所以は、蓋し徒[ただ]知覺運動の蠢然たるは、人と物と同じきことを知って、仁義禮智の粹然たるは、人と物と異なることを知らざればなり。孟子是を以て之を折[くじ]く。其の義精し。


告子章句上4
○告子曰、食色、性也。仁、内也。非外也。義、外也。非内也。告子以人之知覺運動者爲性。故言人之甘食悦色者卽其性。故仁愛之心生於内、而事物之宜由乎外。學者但當用力於仁、而不必求合於義也。
【読み】
○告子曰く、食色は、性なり。仁は、内なり。外に非ざるなり。義は、外なり。内に非ざるなり、と。告子人の知覺運動する者を以て性とす。故に人の食を甘しとし色を悦ぶは卽ち其れ性なりと言う。故に仁愛の心は内に生じて、事物の宜しきは外に由る。學者但當に力を仁に用いて、必ずしも義に合わんことを求めざるべし、と。

孟子曰、何以謂仁内義外也。曰、彼長而我長之。非有長於我也。猶彼白而我白之。從其白於外也。故謂之外也。長、上聲。下同。○我長之、我以彼爲長也。我白之、我以彼爲白也。
【読み】
孟子曰く、何を以てか仁は内義は外と謂う、と。曰く、彼長じて我之を長とす。我に長とすること有るに非ず。猶彼白うして我之を白しとするがごとし。其の白きに外に從う。故に之を外と謂う、と。長は上聲。下も同じ。○我之を長とすは、我彼を以て長とするなり。我之を白しとするは、我彼を以て白しとするなり。

曰、異於白馬之白也、無以異於白人之白也。不識長馬之長也、無以異於長人之長與。且謂長者義乎。長之者義乎。與、平聲。下同。○張氏曰、上異於二字疑衍。李氏曰、或有闕文焉。愚按、白馬白人、所謂彼白而我白之也。長馬長人、所謂彼長而我長之也。白馬白人不異、而長馬長人不同。是乃所謂義也。義不在彼之長、而在我長之之心、則義之非外明矣。
【読み】
曰く、異於[いよ]馬の白きを白しとするは、以て人の白きを白しとするに異なること無し。識らず、馬の長を長とすること、以て人の長を長とするに異なること無きか。且[まさ]に謂えらく、長ぜる者義か。之を長とすること義か、と。與は平聲。下も同じ。○張氏曰く、上の異於の二字疑うらくは衍ならん、と。李氏曰く、或は闕文有らん、と。愚按ずるに、馬を白しとし人を白しとするは、所謂彼白くして我之を白しとするなり。馬を長とし人を長とするは、所謂彼長じて我之を長とするなり。馬を白しとし人を白しとするは異ならずして、馬を長とし人を長とするは同じからず。是れ乃ち所謂義なり。義は彼の長に在らずして、我れ之を長とするの心に在れば、則ち義の外に非ざること明らかなり。

曰、吾弟則愛之、秦人之弟則不愛也。是以我爲悦者也。故謂之内。長楚人之長、亦長吾之長。是以長爲悦者也。故謂之外也。言愛主於我。故仁在内。敬主於長。故義在外。
【読み】
曰く、吾が弟をば則ち之を愛し、秦人の弟をば則ち愛せず。是れ我を以て悦ぶことをする者なり。故に之を内と謂う。楚人の長を長とし、亦吾が長を長とす。是れ長を以て悦ぶことをする者なり。故に之を外と謂う、と。言うこころは、愛は我を主とす。故に仁は内に在り。敬は長を主とす。故に義は外に在り、と。

曰、耆秦人之炙、無以異於耆吾炙。夫物則亦有然者也。然則耆炙亦有外與。耆、與嗜同。夫、音扶。○言長之耆之、皆出於心也。林氏曰、告子以食色爲性。故因其所明者而通之。○自篇首至此四章、告子之辯、屢屈、而屢變其說以求勝、卒不聞其能自反而有所疑也。此正其所謂不得於言勿求於心者、所以卒於鹵莽而不得其正也。
【読み】
曰く、秦人の炙を耆むは、以て吾が炙を耆むに異なること無し。夫れ物も則ち亦然る者有り。然るときは則ち炙を耆むも亦外有るか、と。耆は嗜と同じ。夫は音扶。○言うこころは、之を長とし之を耆むは、皆心より出る、と。林氏曰く、告子食色を以て性とす。故に其の明らかなる所の者に因りて之を通ず、と。○篇首より此に至るまでの四章、告子の辯、屢々屈すれども、屢々其の說を變じて以て勝たんことを求め、卒に其の能く自ら反りて疑う所有ることを聞かず。此れ正に其の所謂言を得ずば心に求むること勿かれという者にして、鹵莽に卒わりて其の正しきを得ざる所以なり。


告子章句上5
○孟季子問公都子曰、何以謂義内也。孟季子、疑孟仲子之弟也。蓋聞孟子之言而未達、故私論之。
【読み】
○孟季子公都子に問うて曰く、何を以てか義を内なりと謂う、と。孟季子は、疑うらくは孟仲子の弟ならん。蓋し孟子の言を聞いて未だ達せず。故に私に之を論ず。

曰、行吾敬。故謂之内也。所敬之人雖在外、然知其當敬、而行吾心之敬以敬之、則不在外也。
【読み】
曰く、吾が敬を行う。故に之を内と謂う、と。敬する所の人外に在りと雖も、然れども其の當に敬すべきことを知って、吾が心の敬を行い以て之を敬せば、則ち外に在ざるなり。

郷人長於伯兄一歳、則誰敬。曰、敬兄。酌則誰先。曰、先酌郷人。所敬在此、所長在彼。果在外、非由内也。長、上聲。○伯、長也。酌、酌酒也。此皆季子問、公都子答、而季子又言、如此則敬長之心、果不由中出也。
【読み】
郷人伯兄に長ぜること一歳なるときは、則ち誰をか敬せん。曰く、兄を敬せん、と。酌むときは則ち誰をか先んぜん。曰く、先ず郷人に酌まん、と。敬する所此に在り、長ずる所彼に在り。果たして外に在り、内よりするに非ず、と。長は上聲。○伯は長なり。酌は酒を酌むなり。此れ皆季子問うて、公都子答えて、季子又言う、此の如くば則ち長を敬するの心、果たして中より出でず、と。

公都子不能答、以告孟子。孟子曰、敬叔父乎、敬弟乎。彼將曰敬叔父。曰、弟爲尸、則誰敬。彼將曰敬弟。子曰、惡在其敬叔父也。彼將曰在位故也。子亦曰、在位故也。庸敬在兄、斯須之敬在郷人。惡、平聲。○尸、祭祀所主以象神。雖子弟爲之、然敬之當如祖考也。在位、弟在尸位、郷人在賓客之位也。庸、常也。斯須、暫時也。言因時制宜、皆由中出也。
【読み】
公都子答うること能わず、以て孟子に告ぐ。孟子曰く、叔父を敬せんか、弟を敬せんか。彼將に曰わん、叔父を敬せん、と。曰く、弟尸たるときは、則ち誰をか敬せん。彼將に曰わん、弟を敬せんと。子曰え、惡くにか在る、其の叔父を敬すること、と。彼將に曰わん、位在るが故なり、と。子も亦曰え、位在るが故なり、と。庸[つね]の敬は兄に在り、斯須[しばら]くの敬は郷人に在り、と。惡は平聲。○尸は、祭祀の主を以て神に象る所なり。子弟之をすると雖も、然れども之を敬すること當に祖考の如くすべし。位に在るは、弟は尸の位に在り、郷人は賓客の位に在るなり。庸は常なり。斯須は暫時なり。言うこころは、時に因りて宜しきを制するは、皆中より出づ、と。

季子聞之曰、敬叔父則敬、敬弟則敬。果在外、非由内也。公都子曰、冬日則飮湯、夏日則飮水。然則飮食亦在外也。此亦上章耆炙之意。○范氏曰、二章問答、大指略同。皆反覆譬喩、以曉當世、使明仁義之在内。則知人之性善、而皆可以爲堯舜矣。
【読み】
季子之を聞いて曰く、叔父を敬せんときは則ち敬し、弟を敬せんときは則ち敬す。果たして外に在り、内よりするに非ざるなり、と。公都子曰く、冬日には則ち湯を飮み、夏日には則ち水を飮む。然れば則ち飮食も亦外に在り、と。此も亦上章の炙を耆むの意なり。○范氏曰く、二章の問答、大指略同じ。皆反覆譬喩して、以て當世を曉し、仁義の内に在ることを明らかにせしむ。則ち人の性は善にして、皆以て堯舜と爲る可きことを知る、と。


告子章句上6
○公都子曰、告子曰、性無善無不善也。此亦生之謂性、食色性也之意。近世蘇氏・胡氏之說、蓋如此。
【読み】
○公都子曰く、告子曰く、性は善無く不善無し、と。此も亦生を性と謂う、食色は性なりの意なり。近世蘇氏・胡氏の說、蓋し此の如し。

或曰、性可以爲善、可以爲不善。是故文・武興、則民好善。幽・厲興、則民好暴。好、去聲。○此卽湍水之說也。
【読み】
或ひと曰く、性は以て善爲る可く、以て不善爲る可し。是の故に文・武興るときは、則ち民善を好む。幽・厲興るときは、則ち民暴を好む、と。好は去聲。○此れ卽ち湍水の說なり。

或曰、有性善、有性不善。是故以堯爲君而有象、以瞽瞍爲父而有舜。以紂爲兄之子、且以爲君、而有微子啓・王子比干。韓子性有三品之說、蓋如此。按此文、則微子・比干皆紂之叔父。而書稱微子爲商王元子。疑此或有誤字。
【読み】
或ひと曰く、性善なる有り、性不善なる有り。是の故に堯を以て君と爲して象有り、瞽瞍を以て父と爲して舜有り。紂を以て兄の子とし、且以て君と爲って、微子啓・王子比干有り。韓子性に三品有りの說、蓋し此の如し。此の文を按ずれば、則ち微子・比干は皆紂の叔父なり。而れども書は微子を稱して商王の元子とす。疑うらくは此れ或は誤字有らん。

今曰性善。然則彼皆非與。與、平聲。
【読み】
今曰う、性善なり、と。然るときは則ち彼は皆非か、と。與は平聲。

孟子曰、乃若其情、則可以爲善矣。乃所謂善也。乃若、發語辭。情者、性之動也。人之情、本但可以爲善而不可以爲惡、則性之本善可知矣。
【読み】
孟子曰く、乃ち其の情の若きんば、則ち以て善とす可し。乃ち所謂善なり。乃若は、發語の辭。情は、性の動なり。人の情、本より但以て善とす可くして、以て惡とす可からざれば、則ち性の本より善なることを知る可し。

若夫爲不善、非才之罪也。夫、音扶。○才、猶材質。人之能也。人有是性、則有是才。性旣善則才亦善。人之爲不善、乃物欲陷溺而然。非其才之罪也。
【読み】
夫の不善をするが若きんば、才の罪に非ざるなり。夫は音扶。○才は猶材質のごとし。人の能なり。人是の性有るときは、則ち是の才有り。性旣に善なれば則ち才も亦善なり。人の不善をするは、乃ち物欲陷溺して然り。其の才の罪に非ざるなり。

惻隱之心、人皆有之。羞惡之心、人皆有之。恭敬之心、人皆有之。是非之心、人皆有之。惻隱之心、仁也。羞惡之心、義也。恭敬之心、禮也。是非之心、智也。仁義禮智、非由外鑠我也。我固有之也。弗思耳矣。故曰、求則得之、舍則失之。或相倍蓰而無算者、不能盡其才者也。鑠、式灼反。惡、去聲。舍、上聲。蓰、音師。○恭者、敬之發於外者也。敬者、恭之主於中者也。鑠、以火銷金之名。自外以至内也。算、數也。言四者之心、人所固有。但人自不思而求之耳。所以善惡相去之遠、由不思不求、而不能擴充以盡其才也。前篇言是四者、爲仁義禮智之端。而此不言端者、彼欲其擴而充之、此直因用以著其本體。故言有不同耳。
【読み】
惻隱の心、人皆之れ有り。羞惡の心、人皆之れ有り。恭敬の心、人皆之れ有り。是非の心、人皆之れ有り。惻隱の心は、仁なり。羞惡の心は、義なり。恭敬の心は、禮なり。是非の心は、智なり。仁義禮智は、非外より我を鑠[とろ]かすに非ず。我固より之れ有り。思わざらくのみ。故に曰く、求むるときは則ち之を得、舍つるときは則ち之を失う。或は相倍蓰[ばいし]して算[かず]無きこと、其の才を盡くすこと能わざる者なり、と。鑠は式灼の反。惡は去聲。舍は上聲。蓰は音師。○恭は、敬の外に發する者なり。敬は、恭の中に主たる者なり。鑠は、火を以て金を銷[と]かすの名。外より以て内に至るなり。算は數なり。言うこころは、四つの者の心は、人の固より有する所なり。但人自ら思って之を求めざるのみ。善惡相去ることの遠き所以は、思わず求めずして、擴充して以て其の才を盡くすこと能わざるに由る。前篇は是の四つ者を言って、仁義禮智の端と爲す。而して此れ端と言わざるは、彼其の擴めて之を充たさまく欲し、此れ直ちに用に因りて以て其の本體を著せばなり。故に言に同じからざること有るのみ。

詩曰、天生蒸民、有物有則。民之秉夷、好是懿德。孔子曰、爲此詩者、其知道乎。故有物必有則。民之秉夷也。故好是懿德。好、去聲。○詩、大雅烝民之篇。蒸、詩作烝。衆也。物、事也。則、法也。夷、詩作彝。常也。懿、美也。有物必有法、如有耳目、則有聰明之德、有父子、則有慈孝之心。是民所秉執之常性也。故人之情、無不好此懿德者。以此觀之、則人性之善可見。而公都子所問之三說、皆不辯而自明矣。○程子曰、性卽理也。理則堯舜至於塗人一也。才稟於氣、氣有淸濁。稟其淸者爲賢、稟其濁者爲愚。學而知之、則氣無淸濁、皆可至於善而復性之本。湯武身之、是也。孔子所言下愚不移者、則自暴自棄之人也。又曰、論性不論氣、不備。論氣不論性、不明。二之則不是。張子曰、形而後有氣質之性。善反之、則天地之性存焉。故氣質之性、君子有弗性者焉。愚按、程子此說才字、與孟子本文小異。蓋孟子專指其發於性者言之。故以爲才無不善。程子兼指其稟於氣者言之。則人之才、固有昏明強弱之不同矣。張子所謂氣質之性、是也。二說雖殊、各有所當。然以事理考之、程子爲密。蓋氣質所稟、雖有不善、而不害性之本善。性雖本善、而不可以無省察矯揉之功。學者所當深玩也。
【読み】
詩に曰く、天の蒸民を生す、物有れば則有り。民の秉夷にして、是の懿德を好みんず、と。孔子曰く、此の詩を爲れる者、其れ道を知れるか。故に物有れば必ず則有り。民の秉夷なり。故に是の懿德を好みんず、と。好は去聲。○詩は大雅烝民の篇。蒸は、詩に烝に作る。衆[もろもろ]なり。物は事なり。則は法なり。夷は、詩に彝に作る。常なり。懿は美なり。物有れば必ず法有りは、耳目有れば、則ち聰明の德有り、父子有れば、則ち慈孝の心有るが如し。是れ民の秉り執る所の常性なり。故に人の情、此の懿德を好みんぜざる者無し。此を以て之を觀れば、則ち人の性の善なること見る可し。而して公都子問う所の三說、皆辯ぜずして自ら明らかなり。○程子曰く、性は卽ち理なり。理は則ち堯舜より塗人に至るまで一なり。才氣を稟け、氣に淸濁有り。其の淸を稟くる者は賢と爲り、其の濁を稟くる者は愚と爲る。學んで之を知るときは、則ち氣に淸濁無く、皆善に至って性の本に復る可し。湯武は之を身よりす、是れなり。孔子言う所の下愚は移らずは、則ち自暴自棄の人なり、と。又曰く、性を論じて氣を論ぜざれば、備わらず。氣を論じて性を論ぜざれば、明らかならず。之を二つにするときは則ち是ならず、と。張子曰く、形ありて後に氣質の性有り。善く之に反るときは、則ち天地の性存す。故に氣質の性は、君子性とせざる者有り、と。愚按ずるに、程子の此の才の字を說くは、孟子の本文と小しく異なり。蓋し孟子專ら其の性より發る者を指して之を言う。故に以て才に不善無しとす。程子兼ねて其の氣より稟くる者を指して之を言う。則ち人の才は、固より昏明強弱の同じからざる有ればなり。張子謂う所の氣質の性は、是れなり。二說殊なると雖も、各々當たる所有り。然れども事理を以て之を考えば、程子密爲り。蓋し氣質稟く所、不善有りと雖も、而して性の本より善なるを害さず。性は本より善なりと雖も、而して以て省察矯揉の功無くんばある可からず。學者當に深く玩ぶ所なり。


告子章句上7
○孟子曰、富歳、子弟多賴。凶歳、子弟多暴、非天之降才爾殊也。其所以陷溺其心者然也。富歳、豐年也。賴、藉也。豐年衣食饒足。故有所賴藉而爲善。凶年衣食不足。故有以陷溺其心而爲暴。
【読み】
○孟子曰く、富歳には、子弟賴み多し。凶歳には、子弟暴[そこな]うこと多し。天の才を降すこと爾[しか]く殊なるに非ず。其の其の心を陷溺する所以の者然り。富歳は豐年なり。賴は藉るなり。豐年は衣食饒[ゆた]かに足る。故に賴り藉る所有りて善を爲す。凶年は衣食足らず。故に以て其の心を陷溺すること有りて暴を爲す。

今夫麰麥、播種而耰之。其地同、樹之時又同。浡然而生、至於日至之時、皆熟矣。雖有不同、則地有肥磽、雨露之養、人事之不齊也。夫、音扶。麰、音牟。耰、音憂。磽、苦交反。○麰、大麥也。耰、覆種也。日至之時、謂當成熟之期也。磽、瘠薄也。
【読み】
今夫れ麰麥[ぼうばく]、種を播[し]いて之を耰[たねか]す。其の地同じく、樹うるの時又同じ。浡然[ぼつぜん]として生[お]い、日至れるの時に至って、皆熟[う]めり。同じからざること有りと雖も、則ち地に肥磽[ひこう]有り、雨露の養、人事の齊しからざればなり。夫は音扶。麰は音牟。耰は音憂。磽は苦交の反。○麰は大麥なり。耰は種を覆うなり。日至れるの時は、當に成熟すべきの期を謂うなり。磽は瘠薄なり。

故凡同類者、舉相似也。何獨至於人而疑之。聖人與我同類者。聖人亦人耳。其性之善、無不同也。
【読み】
故に凡そ類を同じうする者は、舉[みな]相似れり。何ぞ獨で人に至りて之を疑わん。聖人と我と類を同じうする者なり。聖人も亦人ならくのみ。其の性の善なること、同じからざること無し。

故龍子曰、不知足而爲屨。我知其不爲蕢也。屨之相似、天下之足同也。蕢、音匱。○蕢、草器也。不知人足之大小而爲之屨、雖未必適中、然必似足形、不至成蕢也。
【読み】
故に龍子曰く、足を知らずして屨を爲る。我其の蕢[あじか]爲らざることを知る、と。屨の相似れること、天下の足同じければなり。蕢は音匱。○蕢は、草の器なり。人足の大小を知らずして屨を爲るに、未だ必ずしも適中せずと雖も、然れども必ず足の形に似て、蕢と成るには至らざるなり。

口之於味、有同耆也。易牙先得我口之所耆者也。如使口之於味也、其性與人殊、若犬馬之與我不同類也、則天下何耆皆從易牙之於味也。至於味、天下期於易牙。是天下之口相似也。耆、與嗜同。下同。○易牙、古之知味者。言易牙所調之味、則天下皆以爲美也。
【読み】
口の味[あじわい]に於るも、同じく耆むこと有り。易牙は先ず我が口の耆む所を得たる者なり。如使[も]し口の味に於るも、其の性人と殊なること、犬馬の我と類を同じうせざるが若くなるときは、則ち天下何ぞ耆むこと皆易牙が味に於るに從わん。味に至っては、天下易牙を期す。是れ天下の口相似ればなり。耆は嗜と同じ。下も同じ。○易牙は、古の味を知る者。言うこころは、易牙調する所の味は、則ち天下皆以て美とす、と。

惟耳亦然。至於聲、天下期於師曠。是天下之耳相似也。師曠、能審音者也。言師曠所和之音、則天下皆以爲美也。
【読み】
惟れ耳も亦然り。聲に至っては、天下師曠を期す。是れ天下の耳相似ればなり。師曠は、能く音を審らかにする者なり。言うこころは、師曠和す所の音は、則ち天下皆以て美とす、と。

惟目亦然。至於子都、天下莫不知其姣也。不知子都之姣者、無目者也。姣、古卯反。○子都、古之美人也。姣、好也。
【読み】
惟れ目も亦然り。子都に至っては、天下其の姣[かおよき]を知らずということ莫し。子都が姣を知らざる者は、目無き者なり。姣は古卯の反。○子都は、古の美人なり。姣は好なり。

故曰、口之於味也、有同耆焉。耳之於聲也、有同聽焉。目之於色也、有同美焉。至於心、獨無所同然乎。心之所同然者何也。謂理也、義也。聖人先得我心之所同然耳。故理義之悦我心、猶芻豢之悦我口。然、猶可也。草食曰芻。牛羊是也。穀食曰豢。犬豕是也。程子曰、在物爲理、處物爲義。體用之謂也。孟子言、人心無不悦理義者。但聖人則先知先覺乎此耳。非有以異於人也。程子又曰、理義之悦我心、猶芻豢之悦我口、此語親切有味。須實體察得理義之悦心、眞猶芻豢之悦口、始得。
【読み】
故に曰く、口の味に於るも、同じく耆むこと有り。耳の聲に於るも、同じく聽くこと有り。目の色に於るも、同じく美みんずるところ有り。心に至って、獨[こと]に同じく然する所無けんや。心の同じく然する所の者何ぞ。謂く、理なり、義なり。聖人は先ず我が心の同じく然する所を得るのみ。故に理義の我が心に悦ばしきこと、猶芻豢[すうかん]の我が口に悦ばしきがごとし、と。然は、猶可のごとし。草を食むを芻と曰う。牛羊是れなり。穀を食むを豢と曰う。犬豕是れなり。程子曰く、物に在るを理とし、物を處するを義とす。體用の謂なり。孟子言う、人心理義を悦びざる者無し。但聖人のみ則ち此を先に知り先に覺れるのみ。以て人に異なること有るに非ず、と。程子又曰く、理義の我が心に悦ばしきこと、猶芻豢の我が口に悦ばしきがごとしは、此の語親切にして味有り。須く實に理義の心に悦ばしきこと、眞に猶芻豢の口に悦ばしきがごときを體察し得て、始めて得、と。


告子章句上8
○孟子曰、牛山之木嘗美矣。以其郊於大國也、斧斤伐之。可以爲美乎。是其日夜之所息、雨露之所潤、非無萌蘖之生焉。牛羊又從而牧之。是以若彼濯濯也。人見其濯濯也、以爲未嘗有材焉。此豈山之性也哉。蘖、五割反。○牛山、齊之東南山也。邑外謂之郊。言牛山之木、前此固嘗美矣。今爲大國之郊、伐之者衆。故失其美耳。息、生長也。日夜之所息、謂氣化流行未嘗閒斷、故日夜之閒、凡物皆有所生長也。萌、芽也。蘖、芽之旁出者也。濯濯、光潔之貌。材、材木也。言山木雖伐、猶有萌蘖、而牛羊又從而害之。是以至於光潔而無草木也。
【読み】
○孟子曰く、牛山の木嘗て美[うるわ]し。其の大國に郊たるを以て、斧斤之を伐る。以て美しとす可けんや。是れ其の日夜の息[ま]す所、雨露の潤す所、萌蘖[ほうげつ]の生する無きに非ず。牛羊又從って之に牧[か]う。是を以て彼が若く濯濯たり。人其の濯濯たるを見て、以爲えらく、未だ嘗て材有らず、と。此れ豈山の性ならんや。蘖は五割の反。○牛山は、齊の東南の山なり。邑の外を郊と謂う。言うこころは、牛山の木は、此より前は固[まこと]に嘗て美し。今大國の郊と爲りて、之を伐る者衆し。故に其の美を失うのみ、と。息は生長するなり。日夜の息す所は、氣化流行して未だ嘗て閒斷せず、故に日夜の閒、凡ての物は皆生長する所有ることを謂うなり。萌は芽なり。蘖は、芽の旁出する者なり。濯濯は光潔の貌。材は材木なり。言うこころは、山木伐ると雖も、猶萌蘖有りて、牛羊又從って之を害す。是を以て光潔にして草木無きに至れり、と。

雖存乎人者、豈無仁義之心哉。其所以放其良心者、亦猶斧斤之於木也。旦旦而伐之、可以爲美乎。其日夜之所息、平旦之氣、其好惡與人相近也者幾希、則其旦晝之所爲、有梏亡之矣。梏之反覆、則其夜氣不足以存。夜氣不足以存、則其違禽獸不遠矣。人見其禽獸也、而以爲未嘗有才焉者。是豈人之情也哉。好・惡、並去聲。○良心者、本然之善心、卽所謂仁義之心也。平旦之氣、謂未與物接之時、淸明之氣也。好惡與人相近、言得人心之所同然也。幾希、不多也。梏、械也。反覆、展轉也。言人之良心雖已放失、然其日夜之閒、亦必有所生長。故平旦未與物接、其氣淸明之際、良心猶必有發見者。但其發見至微、而旦晝所爲之不善、又已隨而梏亡之。如山木旣伐、猶有萌蘖。而牛羊又牧之也。晝之所爲、旣有以害其夜之所息、夜之所息、又不能勝其晝之所爲。是以展轉相害。至於夜氣之生、日以寖薄、而不足以存其仁義之良心、則平旦之氣亦不能淸、而所好惡遂與人遠矣。
【読み】
人に存する者と雖も、豈仁義の心無けんや。其の其の良心を放つ所以の者、亦猶斧斤の木に於るがごとし。旦旦にして之を伐る、以て美しと爲す可けんや。其の日夜の息す所、平旦の氣、其の好惡人と相近き者幾希[すこ]しきあれば、則ち其の旦晝のする所、有[また]之を梏亡[こくぼう]す。之を梏して反覆するときは、則ち其の夜氣以て存するに足らず。夜氣以て存するに足らざるときは、則ち其の禽獸を違[さ]ること遠からず。人其の禽獸なるを見て、以爲えらく、未だ嘗て才有らざる者、と。是れ豈人の情ならんや。好・惡は並去聲。○良心は、本然の善心、卽ち所謂仁義の心なり。平旦の氣は、未だ物と接わらざる時の、淸明の氣を謂うなり。好惡人と相近しは、言うこころは、人心の同じく然りとする所を得るなり、と。幾希は、多からざるなり。梏は、械[かせ]なり。反覆は展轉するなり。言うこころは、人の良心已に放ち失うと雖も、然れども其の日夜の閒、亦必ず生長する所有り。故に平旦未だ物と接わらず、其の氣淸明の際は、良心猶必ず發見する者有り。但其の發見至って微にして、旦晝する所の不善、又已に隨いて之を梏亡す。山木旣に伐られるも、猶萌蘖有り。而れども牛羊又之に牧うが如し。晝のする所、旣に以て其の夜の息す所を害すること有り、夜の息す所も、又其の晝のする所に勝つこと能わず。是を以て展轉して相害う。夜氣の生ずること、日以て寖[ようや]く薄く、以て其の仁義の良心を存するに足らざるに至るときは、則ち平旦の氣も亦淸むこと能わずして、好惡する所遂に人と遠ざかるなり、と。

故苟得其養、無物不長。苟失其養、無物不消。長、上聲。○山木人心、其理一也。
【読み】
故に苟し其の養を得れば、物として長ぜずということ無し。苟し其の養を失えば、物として消ぜずということ無し。長は上聲。○山木人心、其の理一なり。

孔子曰、操則存、舍則亡。出入無時、莫知其郷、惟心之謂與。舍、音捨。與、平聲。○孔子言、心操之則在此、舍之則失去。其出入無定時、亦無定處如此。孟子引之、以明心之神明不測、得失之易、而保守之難、不可頃刻失其養。學者當無時而不用其力、使神淸氣定、常如平旦之時、則心常存、無適而非仁義矣。程子曰、心豈有出入。亦以操舍而言耳。操之之道、敬以直内而已。○愚聞之師。曰、人理義之心未嘗無。惟持守之、卽在爾。若於旦畫之閒、不至梏亡、則夜氣愈淸。夜氣淸、則平旦未與物接之時、湛然虛明氣象、自可見矣。孟子發惟夜氣之說、於學者極有力。宜熟玩而深省之也。
【読み】
孔子曰く、操るときは則ち存し、舍つるときは則ち亡す。出入時無く、其の郷[ところ]を知ること莫きは、惟れ心を謂うか、と。舍は音捨。與は平聲。○孔子言う、心之を操るときは則ち此に在り、之を舍つるときは則ち失い去る。其の出入定時無く、亦定處無きこと此の如し、と。孟子之を引いて、以て心の神明不測なる、得失すること易くして、保守すること難く、頃刻も其の養を失う可からざることを明らかにす。學者當に時として其の力を用いざること無く、神淸く氣定まり、常に平旦の時の如くならしむれば、則ち心常に存して、適くとして仁義に非ざるは無し。程子曰く、心は豈出入有らん。亦操舍を以て言うのみ。之を操る道、敬以て内を直くするのみ、と。○愚之を師に聞く。曰く、人理義の心未だ嘗て無くんばあらず。惟之を持守するときは、卽ち在るのみ。若し旦畫の閒に於て、梏亡するに至らざれば、則ち夜氣愈々淸し。夜氣淸ければ、則ち平旦の未だ物と接わらざる時、湛然として虛明なる氣象、自ら見る可し。孟子惟の夜氣の說を發する、學者に於て極めて力有り。宜しく熟玩して深く之を省みるべし、と。


告子章句上9
○孟子曰、無或乎王之不智也。或、與惑同。疑怪也。王、疑指齊王。
【読み】
○孟子曰く、王の智あらざるに或[うたが]い無し。或は、惑いと同じ。疑い怪しむなり。王は、疑うらくは齊王を指さん。

雖有天下易生之物也、一日暴之、十日寒之、未有能生者也。吾見亦罕矣。吾退而寒之者至矣。吾如有萌焉何哉。易、去聲。暴、歩卜反。見、音現。○暴、温之也。我見王之時少、猶一日暴之也。我退則諂諛雜進之日多。是十日寒之也。雖有萌蘖之生、我亦安能如之何哉。
【読み】
天下生じ易きの物有りと雖も、一日之を暴[あたた]めて、十日之を寒[ひや]さば、未だ能く生ずる者有らじ。吾見[まみ]ゆること亦罕[まれ]なり。吾退いて之を寒す者至る。吾萌すこと有るを如何がせんや。易は去聲。暴は歩卜の反。見は音現。○暴は、之を温むるなり。我王に見ゆる時の少なきこと、猶一日之を暴むるがごとし。我退けば則ち諂諛[てんゆ]雜進の日多し。是れ十日之を寒すなり。萌蘖の生ずること有ると雖も、我亦安んぞ能く如之何せん。

今夫弈之爲數、小數也。不專心致志、則不得也。弈秋、通國之善弈者也。使弈秋誨二人弈、其一人專心致志、惟弈秋之爲聽。一人雖聽之、一心以爲有鴻鵠將至。思援弓繳而射之。雖與之倶學、弗若之矣。爲是其智弗若與。曰、非然也。夫、音扶。繳、音灼。射、食亦反。爲是之爲、去聲。若與之與、平聲。○弈、圍棋也。數、技也。致、極也。弈秋、善弈者。名秋也。繳、以繩繫矢而射也。○程子爲講官、言於上曰、人主一日之閒、接賢士大夫之時多、親宦官宮妾之時少、則可以涵養氣質、而薰陶德性。時不能用、識者恨之。范氏曰、人君之心、惟在所養。君子養之以善則智、小人養之以惡則愚。然賢人易疏、小人易親。是以寡不能勝衆、正不能勝邪。自古國家治日常少、而亂日常多、蓋以此也。
【読み】
今夫れ弈の數爲る、小數なり。心を專らにして志を致[きわ]めざるときは、則ち得ず。弈秋は、通國の弈を善くする者なり。使[も]し弈秋二人に弈を誨えんに、其の一人は心を專らにし志を致めて、惟弈秋のみ之れ聽くことをす。一人は之を聽くと雖も、一心に以爲えらく、鴻鵠有り將に至らんとす、と。弓を援[ひ]き繳[いぐるみ]して之を射んことを思う。之と倶に學ぶと雖も、之に若かず。是れ其の智若かざるが爲なるか、と。曰く、然るに非ざるなり、と。夫は音扶。繳は音灼。射は食亦の反。爲是の爲は去聲。若與の與は平聲。○弈は圍棋なり。數は技なり。致は極むなり。弈秋は、弈を善くする者。名は秋なり。繳は、繩を以て矢に繫いで射るなり。○程子講官爲るとき、上に言って曰く、人主一日の閒、賢士大夫に接わる時多く、宦官宮妾に親しむ時少なければ、則ち以て氣質を涵養して、德性を薰陶す可し、と。時用うること能わず、識者之を恨む。范氏曰く、人君の心、惟養う所に在り。君子之を養うに善を以てするときは則ち智、小人之を養うに惡を以てするときは則ち愚なり。然れども賢人は疏んじ易く、小人は親しみ易し。是を以て寡なきは衆きに勝つこと能わず、正しきは邪なるに勝つこと能わず。古より國家治まれる日常に少なくして、亂るる日常に多きこと、蓋し此を以てなり、と。


告子章句上10
○孟子曰、魚、我所欲也。熊掌、亦我所欲也。二者不可得兼、舍魚而取熊掌者也。生、亦我所欲也。義、亦我所欲也。二者不可得兼、舍生而取義者也。舍、上聲。○魚與熊掌皆美味、而熊掌尤美也。
【読み】
○孟子曰く、魚は、我が欲する所なり。熊の掌も、亦我が欲する所なり。二つの者得て兼ぬ可からざれば、魚を舍てて熊の掌を取らん者なり。生も、亦我が欲する所なり。義も、亦我が欲する所なり。二つの者得て兼ぬ可からざれば、生を舍てて義を取らん者なり。舍は上聲。○魚と熊の掌とは皆美味にして、熊掌は尤も美なり。

生亦我所欲、所欲有甚於生者。故不爲苟得也。死亦我所惡、所惡有甚於死者。故患有所不辟也。惡・辟、皆去聲。下同。○釋所以舍生取義之意。得、得生也。欲生惡死者、雖衆人利害之常情、而欲惡有甚於生死者。乃秉彝義理之良心。是以欲生而不爲苟得、惡死而有所不避也。
【読み】
生も亦我が欲する所にして、欲する所生よりも甚だしき者有り。故に苟も得んことをせず。死も亦我が惡む所にして、惡む所死よりも甚だしき者有り。故に患え辟けざる所有り。惡・辟は皆去聲。下も同じ。○生を舍てて義を取る所以の意を釋す。得は、生を得るなり。生を欲して死を惡むは、衆人利害の常情と雖も、而して欲惡の生死よりも甚だしき者有り。乃ち秉彝義理の良心なり。是を以て生を欲して苟も得んことをせず、死を惡んで避けざる所有り。

如使人之所欲莫甚於生、則凡可以得生者、何不用也。使人之所惡莫甚於死者、則凡可以辟患者、何不爲也。設使人無秉彝之良心、而但有利害之私情、則凡可以偸生免死者、皆將不顧禮義而爲之矣。
【読み】
如使[も]し人の欲する所生よりも甚だしきこと莫くば、則ち凡そ以て生を得可き者、何か用いざらん。使[も]し人の惡む所死よりも甚だしき者莫くば、則ち凡そ以て患えを辟く可き者、何かせざらん。設[も]し人秉彝の良心無くして、但利害の私情のみ有らしむるときは、則ち凡そ以て生を偸[ぬす]み死を免るる可き者、皆將に禮義を顧みずして之をせんとす。

由是、則生、而有不用也。由是、則可以辟患、而有不爲也。由其必有秉彝之良心、是以其能舍生取義如此。
【読み】
是に由って、則ち生くれども、而も用いざること有り。是に由って、則ち以て患えを辟く可けれども、而もせざること有り。其の必ず秉彝の良心有るに由って、是を以て其の能く生を舍て義を取ること此の如し。

是故所欲有甚於生者、所惡有甚於死者。非獨賢者有是心也。人皆有之。賢者能勿喪耳。喪、去聲。○羞惡之心、人皆有之。但衆人汨於利欲而忘之。惟賢者能存之而不喪耳。
【読み】
是の故に欲する所生よりも甚だしき者有り、惡む所死よりも甚だしき者有り。獨[ただ]賢者のみ是の心有るに非ず。人皆之れ有り。賢者能く喪うこと勿からまくのみ。喪は去聲。○羞惡の心、人皆之れ有り。但衆人は利欲に汨んで之を忘る。惟賢者のみ能く之を存して喪わざるのみ。

一簞食、一豆羹、得之則生。弗得則死。嘑爾而與之、行道之人弗受。蹴爾而與之、乞人不屑也。食、音嗣。嘑、呼故反。蹴、子六反。○豆、木器也。嘑、咄啐之貌。行道之人、路中凡人也。蹴、踐踏也。乞人、丐乞之人也。不屑、不以爲潔也。言雖欲食之急、而猶惡無禮、有寧死而不食者。是其羞惡之本心。欲惡有甚於生死者、人皆有之也。
【読み】
一簞の食、一豆の羹、之を得るときは則ち生く。得ざるときは則ち死す。嘑爾[こじ]として之に與うれば、行道の人も受けず。蹴爾として之に與うれば、乞人も屑しとせず。食は音嗣。嘑は呼故の反。蹴は子六の反。○豆は木の器なり。嘑は、咄啐[とっさい]の貌。行道の人は、路中の凡人なり。蹴は踐踏なり。乞人は、丐乞[かいこつ]の人なり。屑しとせずは、以て潔しとせざるなり。言うこころは、食を欲すること急なりと雖も、猶禮無きことを惡み、寧ろ死しても食わざる者有り。是は其れ羞惡の本心なり。欲惡の生死より甚だしき者有るは、人皆之れ有ればなり、と。

萬鍾則不辨禮義而受之。萬鍾於我何加焉。爲宮室之美、妻妾之奉、所識竆乏者得我與。爲、去聲。與、平聲。○萬鍾於我何加、言於我身無所增益也。所識竆乏者得我、謂所知識之竆乏者感我之惠也。上言人皆有羞惡之心、此言衆人所以喪之、由此三者。蓋理義之心雖曰固有、而物欲之蔽、亦人所易昏也。
【読み】
萬鍾をば則ち禮義を辨かずして之を受く。萬鍾我に於て何ぞ加えん。宮室の美、妻妾の奉、識る所の竆乏の者我に得ん爲か。爲は去聲。與は平聲。○萬鍾我に於て何ぞ加えんは、言うこころは、我が身に於て增益する所無し、と。識る所の竆乏の者我に得は、知識する所の竆乏する者の我の惠みに感ずることを謂うなり。上は人皆羞惡の心有るを言い、此は衆人之を喪う所以は、此の三つの者に由ることを言う。蓋し理義の心固より有ると曰うと雖も、物欲の蔽も、亦人の昏み易き所なり。

郷爲身死而不受、今爲宮室之美爲之。郷爲身死而不受、今爲妻妾之奉爲之。郷爲身死而不受、今爲所識竆乏者得我而爲之。是亦不可以已乎。此之謂失其本心。郷・爲、並去聲。爲之之爲、並如字。○言三者身外之物、其得失比生死爲甚輕。郷爲身死猶不肯受嘑蹴之食、今乃爲此三者而受無禮義之萬鍾。是豈不可以止乎。本心、謂羞惡之心。○此章言、羞惡之心、人所固有、或能決死生於危迫之際、而不免計豐約於宴安之時。是以君子不可頃刻而不省察於斯焉。
【読み】
郷[さき]には身死するが爲にしても受けず、今は宮室の美の爲に之を爲す。郷には身死するが爲にしても受けず、今は妻妾の奉の爲に之を爲す。郷には身死するが爲にしても受けず、今は識る所の竆乏の者我に得んが爲にして之を爲す。是れ亦以て已む可からざらんや。此を其の本心を失うと謂う、と。郷・爲は並去聲。爲之の爲は並字の如し。○言うこころは、三つの者は身の外の物にて、其の得失は生死に比して甚だ輕しと爲す。郷には身死するが爲にしても猶肯えて嘑蹴の食を受けず、今は乃ち此の三つの者の爲にして禮義無きの萬鍾を受く。是れ豈以て止む可からざらんや。本心は、羞惡の心を謂う。○此の章言うこころは、羞惡の心、人固より有る所なれども、或は能く死生を危迫の際に決して、豐約を宴安の時に計ることを免れず。是を以て君子は頃刻も斯れを省察せざることある可からず、と。


告子章句上11
○孟子曰、仁、人心也。義、人路也。仁者心之德。程子所謂心如穀種。仁則其生之性、是也。然但謂之仁、則人不知其切於己。故反而名之曰人心、則可以見其爲此身酬酢萬變之主、而不可須臾失矣。義者行事之宜。謂之人路、則可以見其爲出入往來必由之道、而不可須臾舍矣。
【読み】
○孟子曰く、仁は、人の心なり。義は、人の路なり。仁は心の德なり。程子の所謂心は穀種の如し。仁は則ち其の生の性なりとは、是れなり。然れども但之を仁と謂えば、則ち人其の己に切なることを知らず。故に反って之を名づくるに人の心と曰うときは、則ち以て其れ此の身は萬變を酬酢する主と爲りて、須臾も失う可からざることを見る可し。義は事を行うの宜しきなり。之を人の路と謂うときは、則ち以て其れ出入往來の必ず由る道と爲りて、須臾も舍つ可からざることを見る可し矣。

舍其路而弗由、放其心而不知求。哀哉。舍、上聲。○哀哉二字、最宜詳味。令人惕然有深省處。
【読み】
其の路を舍てて由らず、其の心を放って求むることを知らず。哀しいかな。舍は上聲。○哀哉の二字、最も宜しく詳らかに味わうべし。人をして惕然として深く省みる處有らしむるなり。

人有雞犬放、則知求之。有放心、而不知求。程子曰、心至重。雞犬至輕。雞犬放則知求之。心放則不知求。豈愛其至輕而忘其至重哉。弗思而已矣。愚謂、上兼言仁義、而此下專論求放心者、能求放心、則不違於仁而義在其中矣。
【読み】
人雞犬放てること有るときは、則ち之を求むることを知る。放心有れども、而も求むることを知らず。程子曰く、心は至りて重し。雞犬は至りて輕し。雞犬の放てるときは則ち之を求むることを知る。心の放てるときは則ち求むることを知らず。豈其の至輕を愛して其の至重を忘れんや。思わざるのみ、と。愚謂えらく、上は仁義を兼ねて言い、此より下は專ら放心を求むることを論ずるは、能く放心を求むるときは、則ち仁に違わずして義も其の中に在ればなり。

學問之道無他。求其放心而已矣。學問之事、固非一端。然其道則在於求其放心而已。蓋能如是、則志氣淸明、義理昭著、而可以上達。不然、則昏昧放逸、雖曰從事於學、而終不能有所發明矣。故程子曰、聖賢千言萬語、只是欲人將已放之心、約之使反復入身來、自能尋向上去、下學而上達也。此乃孟子開示切要之言、程子又發明之、曲盡其指。學者宜服膺而勿失也。
【読み】
學問の道他無し。其の放心を求むるのみ、と。學問の事、固より一端に非ず。然れども其の道は則ち其の放心を求むるに在るのみ。蓋し能く是の如きときは、則ち志氣淸明、義理昭著にして、以て上達す可し。然らざるときは、則ち昏昧放逸にして、學に從事すと曰うと雖も、終に發明する所有ること能わず。故に程子曰く、聖賢の千言萬語は、只是れ人の已に放てる心を將[も]って、之を約して反復して身に入り來らしめ、自ら能く尋ねて向上を去り、下學して上達せまく欲するなり、と。此れ乃ち孟子の開示するところの切要の言にて、程子又之を發明して、曲さに其の指を盡くす。學者宜しく服膺して失うこと勿かるべし。


告子章句上12
○孟子曰、今有無名之指、屈而不信。非疾痛害事也。如有能信之者、則不遠秦・楚之路。爲指之不若人也。信、與伸同。爲、去聲。○無名指、手之第四指也。
【読み】
○孟子曰く、今無名の指、屈まって信[の]びざる有り。疾痛し事に害あるに非ず。如し能く之を信ぶる者有らば、則ち秦・楚の路を遠しとせじ。指の人に若かざるが爲なり。信は伸と同じ。爲は去聲。○無名の指は、手の第四指なり。

指不若人、則知惡之。心不若人、則不知惡。此之謂不知類也。惡、去聲。○不知類、言其不知輕重之等也。
【読み】
指人に若かざるときは、則ち之を惡むことを知る。心人に若かざるときは、則ち惡むことを知らず。此を類を知らずと謂うなり、と。惡は去聲。○類を知らずは、言うこころは、其の輕重の等を知らず、と。


告子章句上13
○孟子曰、拱把之桐・梓、人苟欲生之、皆知所以養之者。至於身、而不知所以養之者。豈愛身不若桐・梓哉。弗思甚也。拱、兩手所圍也。把、一手所握也。桐・梓、二木名。
【読み】
○孟子曰く、拱把の桐・梓、人苟し之を生[お]うせまく欲すれば、皆之を養う所以の者を知る。身に至りては、之を養う所以の者を知らず。豈に身を愛すること桐・梓に若かざらんや。思わざるの甚だしきなり、と。拱は、兩手に圍む所なり。把は、一手に握る所なり。桐・梓は、二木の名。

告子章句上14
○孟子曰、人之於身也、兼所愛。兼所愛、則兼所養也。無尺寸之膚不愛焉、則無尺寸之膚不養也。所以考其善不善者、豈有他哉。於己取之而已矣。人於一身、固當兼養。然欲考其所養之善否者、惟在反之於身、以審其輕重而已矣。
【読み】
○孟子曰く、人の身に於る、兼ねて愛する所なり。兼ねて愛する所なるときは、則ち兼ねて養う所なり。尺寸の膚も愛せずということ無きときは、則ち尺寸の膚も養わずということ無し。其の善不善を考うる所以の者、豈他有らんや。己に於て之を取らまくのみ。人の一身に於る、固より當に兼ね養うべし。然れども其の養う所の善否を考えまく欲せば、惟之を身に反りみて、以て其の輕重を審らかにするに在るのみ。

體有貴賤、有小大。無以小害大。無以賤害貴。養其小者爲小人。養其大者爲大人。賤而小者、口腹也。貴而大者、心志也。
【読み】
體に貴賤有り、小大有り。小しきなるを以て大いなるを害うこと無かれ。賤しきを以て貴きを害うこと無かれ。其の小しきなる者を養うを小人とす。其の大いなる者を養うを大人とす。賤しくして小しきなる者は、口腹なり。貴くして大いなる者は、心志なり。

今有場師、舍其梧檟、養其樲棘、則爲賤場師焉。舍、上聲。檟、音賈。樲、音貳。○場師、治場圃者。梧、桐也。檟、梓也。皆美材也。樲棘、小棗。非美材也。
【読み】
今場師有り、其の梧檟[ごか]を舍てて、其の樲棘[じきょく]を養うときは、則ち賤場師爲り。舍は上聲。檟は音賈。樲は音貳。○場師は、場圃を治むる者。梧は桐なり。檟は梓なり。皆美材なり。樲棘は小棗。美材に非ざるなり。

養其一指而失其肩背、而不知也、則爲狼疾人也。狼善顧、疾則不能。故以爲失肩背之喩。
【読み】
其の一指を養うて其の肩背を失えども、而も知らざるときは、則ち狼疾の人爲り。狼は善く顧みれども、疾めるときは則ち能わず。故に以て肩背を失うの喩とす。

飮食之人、則人賤之矣。爲其養小以失大也。爲、去聲。○飮食之人、專養口腹者也。
【読み】
飮食の人は、則ち人之を賤しんず。其の小しきなるを養うを以て大いなるを失なうが爲なり。爲は去聲。○飮食の人は、專ら口腹を養う者なり。

飮食之人、無有失也、則口腹豈適爲尺寸之膚哉。此言、若使專養口腹、而能不失其大體、則口腹之養、軀命所關、不但爲尺寸之膚而已。但養小之人、無不失其大者。故口腹雖所當養、而終不可以小害大、賤害貴也。
【読み】
飮食の人、失うこと有ること無きときは、則ち口腹豈適[ただ]尺寸の膚の爲のみならんや、と。此れ言うこころは、若し專ら口腹を養えども、能く其の大體を失わざらしめば、則ち口腹の養は、軀命の關れる所なれば、但尺寸の膚の爲のみならず。但小を養う人、其の大を失わざる者無し。故に口腹は當に養うべき所と雖も、終に小を以て大を害い、賤しきは貴きを害う可からず、と。


告子章句上15
○公都子問曰、鈞是人也。或爲大人、或爲小人、何也。孟子曰、從其大體爲大人。從其小體爲小人。鈞、同也。從、隨也。大體、心也。小體、耳目之類也。
【読み】
○公都子問うて曰く、鈞[ひと]しく是れ人なり。或は大人爲り、或は小人爲ること、何ぞ、と。孟子曰く、其の大體に從うを大人とす。其の小體に從うを小人とす、と。鈞は同じなり。從は隨うなり。大體は心なり。小體は耳目の類なり。

曰、鈞是人也。或從其大體、或從其小體、何也。曰、耳目之官不思、而蔽於物。物交物、則引之而已矣。心之官則思。思則得之、不思則不得也。此天之所與我者。先立乎其大者、則其小者弗能奪也。此爲大人而已矣。官之爲言、司也。耳司聽、目司視。各有所職、而不能思。是以蔽於外物。旣不能思、而蔽於外物、則亦一物而已。又以外物交於此物、其引之而去不難矣。心則能思、而以思爲職。凡事物之來、心得其職、則得其理、而物不能蔽。失其職、則不得其理、而物來蔽之。此三者、皆天之所以與我者、而心爲大。若能有以立之、則事無不思、而耳目之欲不能奪之矣。此所以爲大人也。然此天之此、舊本多作比、而趙注亦以比方釋之。今本旣多作此、而注亦作此。乃未詳孰是。但作比字、於義爲短。故且從今本云。○范浚心箴曰、茫茫堪輿、俯仰無垠。人於其閒、眇然有身。是身之微、大倉稊米。參爲三才、曰惟心耳。往古來今、孰無此心。心爲形役、乃獸乃禽。惟口耳目、手足動靜、投閒抵隙、爲厥心病。一心之微、衆欲攻之。其與存者、嗚呼幾希。君子存誠、克念克敬。天君泰然、百體從令。
【読み】
曰く、鈞しく是れ人なり。或は其の大體に從い、或は其の小體に從うは、何ぞ、と。曰く、耳目の官は思わずして、物に蔽わる。物物に交わるときは、則ち之を引くのみ。心の官は則ち思う。思うときは則ち之を得、思わざるときは則ち得ず。此れ天の我に與うる所の者なり。先ず其の大いなる者を立つるときは、則ち其の小しきなる者奪うこと能わず。此れを大人とするのみ、と。官の言爲るは、司るなり。耳は聽くことを司り、目は視ることを司る。各々職とする所有れども、思うこと能わず。是を以て外物に蔽わる。旣に思うこと能わずして、外物に蔽わるれば、則ち亦一物なるのみ。又外物を以て此の物と交わるときは、其の之を引いて去ること難からず。心は則ち能く思い、思うことを以て職とす。凡そ事物の來るに、心其の職を得るときは、則ち其の理を得て、物蔽うこと能わず。其の職を失うときは、則ち其の理を得ずして、物來りて之を蔽う。此の三つの者は、皆天の以て我に與うる所の者にして、心を大なりとす。若し能く以て之を立つること有るときは、則ち事思わざること無くして、耳目の欲も之を奪うこと能わず。此れ大人とする所以なり。然るに此天の此は、舊本に多く比に作り、趙注も亦比方を以て之を釋せり。今の本旣に多く此に作り、注も亦此に作る。乃ち未だ孰れが是なるか詳らかならず。但比の字に作るときは、義に於て短しとす。故に且く今の本に從うと云う。○范浚が心箴に曰く、茫茫たる堪輿[かんよ]、俯仰すれば垠[かぎ]り無し。人其の閒に於て、眇然として身有り。是の身の微なる、大倉の稊米のごとし。參して三才爲るは、曰く惟心のみ。往古來今、孰か此の心無からん。心形の役と爲れば、乃ち獸なり乃ち禽なり。惟口耳目、手足動靜、閒に投じ隙に抵[あた]り、厥の心の病と爲る。一心の微、衆欲之を攻む。其の與に存する者、嗚呼幾ど希なり。君子は誠を存し、克く念い克く敬す。天君泰然として、百體令に從う、と。


告子章句上16
○孟子曰、有天爵者、有人爵者。仁義忠信、樂善不倦、此天爵也。公卿大夫、此人爵也。樂、音洛。○天爵者、德義可尊、自然之貴也。
【読み】
○孟子曰く、天爵という者有り、人爵という者有り。仁義忠信、善を樂しんで倦まざるは、此れ天爵なり。公卿大夫は、此れ人爵なり。樂は音洛。○天爵は、德義尊ぶ可くして、自然に貴きなり。

古之人、脩其天爵、而人爵從之。脩其天爵、以爲吾分之所當然者耳。人爵從之、蓋不待求之而自至也。
【読み】
古の人、其の天爵を脩めて、人爵之に從う。其の天爵を脩むは、以て吾が分の當に然るべき所の者とするのみ。人爵之に從うは、蓋し之を求むることを待たずして自ら至るなり。

今之人、脩其天爵、以要人爵。旣得人爵、而棄其天爵、則惑之甚者也。終亦必亡而已矣。要、音邀。○要、求也。脩天爵以要人爵、其心固已惑矣。得人爵而棄天爵、則其惑又甚焉。終必幷其所得之人爵而亡之也。
【読み】
今の人、其の天爵を脩めて、以て人爵を要[もと]む。旣に人爵を得て、其の天爵を棄つるは、則ち惑えるの甚だしき者なり。終に亦必ず亡[うしな]わまくのみ、と。要は音邀。○要は求むなり。天爵を脩めて以て人爵を要むるは、其の心固より已に惑えり。人爵を得て天爵を棄つるは、則ち其の惑えること又甚だし。終に必ず其の得る所の人爵と幷せて之を亡わん。


告子章句上17
○孟子曰、欲貴者、人之同心也。人人有貴於己者。弗思耳。貴於己者、謂天爵也。
【読み】
○孟子曰く、貴きを欲するは、人の同じき心なり。人人己に貴き者有り。思わざるのみ。己に貴き者は、天爵を謂うなり。

人之所貴者、非良貴也。趙孟之所貴、趙孟能賤之。人之所貴、謂人以爵位加己而後貴也。良者、本然之善也。趙孟、晉卿也。能以爵祿與人而使之貴、則亦能奪之而使之賤矣。若良貴、則人安得而賤之哉。
【読み】
人の貴くする所の者は、良貴に非ず。趙孟が貴くする所は、趙孟能く之を賤しうす。人の貴くする所は、人爵位を以て己に加えて後に貴しと謂う。良は、本然の善なり。趙孟は晉の卿なり。能く爵祿を以て人に與えて之を貴しむれば、則ち亦能く之を奪って之を賤しめしむ。良貴の若きは、則ち人安んぞ得て之を賤しめんや。

詩云、旣醉以酒、旣飽以德。言飽乎仁義也。所以不願人之膏粱之味也。令聞廣譽施於身。所以不願人之文繡也。聞、去聲。○詩、大雅旣醉之篇。飽、充足也。願、欲也。膏、肥肉。粱、美穀。令、善也。聞、亦譽也。文繡、衣之美者也。仁義充足而聞譽彰著、皆所謂良貴也。○尹氏曰、言在我者重、則外物輕。
【読み】
詩に云く、旣に醉うに酒を以てし、旣に飽くに德を以てす、と。言うこころは、仁義に飽くるなり。人の膏粱の味を願わざる所以なり。令聞廣譽身に施す。人の文繡を願わざる所以なり、と。聞は去聲。○詩は大雅旣醉の篇。飽は、充ち足るなり。願は欲するなり。膏は肥肉。粱は美穀。令は善いなり。聞も亦譽なり。文繡は、衣の美なる者なり。仁義充足して聞譽彰著するは、皆所謂良貴なり。○尹氏曰く、言うこころは、我に在る者重きときは、則ち外物輕し、と。


告子章句上18
○孟子曰、仁之勝不仁也、猶水勝火。今之爲仁者、猶以一杯水、救一車薪之火也。不熄、則謂之水不勝火。此又與於不仁之甚者也。與、猶助也。仁之能勝不仁、必然之理也。但爲之不力、則無以勝不仁、而人遂以爲眞不能勝。是我之所爲、有以深助於不仁者也。
【読み】
○孟子曰く、仁の不仁に勝つは、猶水の火に勝つがごとし。今の仁をする者は、猶一杯の水を以て、一車の薪の火を救うがごとし。熄[き]えざるときは、則ち之を水火に勝たずと謂う。此れ又不仁を與[たす]くるの甚だしき者なり。與は猶助くのごとし。仁の能く不仁に勝つは、必然の理なり。但之をすること力めざるときは、則ち以て不仁に勝つこと無くして、人遂に以て眞に勝つこと能わずとす。是れ我のする所、以て深く不仁を助くる者有り。

亦終必亡而已矣。言此人之心、亦且自怠於爲仁、終必幷與其所爲而亡之。○趙氏曰、言爲仁不至、而不反諸己也。
【読み】
亦終に必ず亡わまくのみ、と。言うこころは、此れ人の心も、亦且自ら仁をすることを怠りて、終に必ず其のする所を幷せて與に之を亡わん、と。○趙氏曰く、言うこころは、仁をすること至らず、而も諸を己に反みざるなり、と。


告子章句上19
○孟子曰、五穀者、種之美者也。苟爲不熟、不如荑稗。夫仁亦在乎熟之而已矣。荑、音蹄。稗、蒲賣反。夫、音扶。○荑稗、草之似穀者、其實亦可食。然不能如五穀之美也。但五穀不熟、則反不如荑稗之熟。猶爲仁而不熟、則反不如爲他道之有成。是以爲仁必貴乎熟、而不可徒恃其種之美。又不可以仁之難熟、而甘爲他道之有成也。○尹氏曰、日新而不已則熟。
【読み】
○孟子曰く、五穀は、種の美なる者なり。苟し熟せずとすれば、荑稗[ていはい]にも如かず。夫れ仁も亦之を熟するに在るのみ、と。荑は音蹄。稗は蒲賣の反。夫は音扶。○荑稗は、草の穀に似る者にて、其の實も亦食す可し。然れども五穀の美なるが如きこと能わず。但五穀熟せざるときは、則ち反って荑稗の熟するに如かず。猶仁をして熟せざるときは、則ち反って他道をして成ること有るに如かざるがごとし。是を以て仁をするには必ず熟することを貴びて、徒[いたず]らに其の種の美を恃む可からず。又仁の熟し難きを以て、他道をすることの成ること有るに甘んず可からず。○尹氏曰く、日々に新たにして已まざるときは則ち熟す、と。


告子章句上20
○孟子曰、羿之敎人射、必志於彀。學者亦必志於彀。彀、古候反。○羿、善射者也。志、猶期也。彀、弓滿也。滿而後發、射之法也。學、謂學射。
【読み】
○孟子曰く、羿が人に射を敎うること、必ず彀[こう]に志す。學ぶ者も亦必ず彀に志す。彀は古候の反。○羿は、射を善くする者なり。志は、猶期すのごとし。彀は、弓滿つるなり。滿ちて後に發つは、射の法なり。學は、射を學ぶことを謂う。

大匠誨人、必以規矩。學者亦必以規矩。大匠、工師也。規矩、匠之法也。○此章言、事必有法、然後可成。師舍是則無以敎、弟子舍是則無以學。曲藝且然。況聖人之道乎。
【読み】
大匠の人を誨うること、必ず規矩を以てす。學ぶ者も亦必ず規矩を以てす、と。大匠は工師なり。規矩は匠の法なり。○此の章言うこころは、事必ず法有りて、然して後に成る可し。師是を舍つれば則ち以て敎うること無く、弟子是を舍つれば則ち以て學ぶこと無し。曲藝すら且つ然り。況や聖人の道をや。


告子章句下 凡十六章。

告子章句下1
任人有問屋廬子曰、禮與食孰重。曰、禮重。任、平聲。○任、國名。屋廬子、名連。孟子弟子也。
【読み】
任人屋廬子に問うこと有りて曰く、禮と食と孰れか重き、と。曰く、禮重し、と。任は平聲。○任は國の名。屋廬子は、名は連。孟子の弟子なり。

色與禮孰重。任人復問也。
【読み】
色と禮と孰れか重き。任人復問うなり。

曰、禮重。曰、以禮食、則飢而死。不以禮食、則得食。必以禮乎。親迎、則不得妻。不親迎、則得妻。必親迎乎。迎、去聲。
【読み】
曰く、禮重し、と。曰く、禮を以て食らうときは、則ち飢えて死す。禮を以てせずして食らうときは、則ち食を得。必ず禮を以てせんか。親迎するときは、則ち妻を得ず。親迎せざるときは、則ち妻を得。必ず親迎せんか、と。迎は去聲。

屋廬子不能對、明日之鄒以告孟子。孟子曰、於答是也何有。於、如字。○何有、不難也。
【読み】
屋廬子對うること能わず、明日鄒に之いて以て孟子に告ぐ。孟子曰く、是に答うるに於て何か有らん。於は字の如し。○何か有らんは、難からざるなり。

不揣其本而齊其末、方寸之木、可使高於岑樓。揣、初委反。○本、謂下、末、謂上。方寸之木至卑。喩食色。岑樓、樓之高銳似山者、至高。喩禮。若不取其下之平、而升寸木於岑樓之上、則寸木反高、岑樓反卑矣。
【読み】
其の本を揣[はか]らずして其の末を齊[ひと]しうせば、方寸の木も、岑樓[しんろう]より高からしめつ可し。揣は初委の反。○本は下を謂い、末は上を謂う。方寸の木は至って卑し。食色を喩う。岑樓は、樓の高く銳く山に似る者にて、至りて高し。禮に喩う。若し其の下の平かなるを取らずして、寸木を岑樓の上に升らせば、則ち寸木反って高く、岑樓反って卑し。

金重於羽者、豈謂一鉤金與一輿羽之謂哉。鉤、帶鉤也。金木重而帶鉤小。故輕。喩禮有輕於食色者。羽本輕而一輿多。故重。喩食色有重於禮者。
【読み】
金の羽よりも重きこと、豈一鉤[こう]の金と一輿の羽とを謂うと謂[おも]わんや。鉤は帶鉤なり。金木重くして帶鉤小しき。故に輕し。禮の食色よりも輕き者有ることを喩う。羽は本より輕くして一輿は多し。故に重し。食色の禮より重き者有ることを喩う。

取食之重者、與禮之輕者而比之、奚翅食重。取色之重者、與禮之輕者而比之、奚翅色重。翅、與啻同。古字通用。施智反。○禮食親迎、禮之輕者也。飢而死以滅其性、不得妻而廢人倫、食色之重者也。奚翅、猶言何但。言其相去懸絶、不但有輕重之差而已。
【読み】
食の重き者と、禮の輕き者とを取って之を比べば、奚ぞ翅[ただ]食重きのみならん。色の重き者と、禮の輕き者とを取って之を比べば、奚ぞ翅色重きのみならん、と。翅は啻[ただ]と同じ。古字通用す。施智の反。○禮食親迎は、禮の輕き者なり。飢えて死して以て其の性を滅し、妻を得ずして人倫を廢つるは、食色の重き者なり。奚翅は、猶何ぞ但と言うがごとし。言うこころは、其の相い去ること懸絶して、但輕重の差有るのみにあらず、と。

往應之曰、紾兄之臂而奪之食、則得食。不紾、則不得食、則將紾之乎。踰東家牆而摟其處子、則得妻。不摟、則不得妻、則將摟之乎。紾、音軫。摟、音婁。○紾、戾也。摟、牽也。處子、處女也。此二者、禮與食色皆其重者。而以之相較、則禮爲尤重也。此章言、義理事物、其輕重固有大分。然於其中、又各自有輕重之別。聖賢於此、錯綜斟酌、毫髮不差。固不肯枉尺而直尋、亦未嘗膠柱而調瑟。所以斷之、一視於理之當然而已矣。
【読み】
往いて之に應えて曰え、兄の臂を紾[もと]らして之が食を奪うときは、則ち食を得。紾らさざるときは、則ち食を得ざれば、則ち將に之を紾らさんとするか。東家の牆を踰えて其の處子を摟[ひ]くときは、則ち妻を得。摟かざるときは、則ち妻を得ざれば、則ち將に之を摟かんとするか、と。紾は音軫。摟は音婁。○紾は、戾[もと]らすなり。摟は牽くなり。處子は處女なり。此の二つの者は、禮と食色と皆其の重き者なり。而して之を以て相較ぶるときは、則ち禮尤も重しとす。此の章言うこころは、義理事物、其の輕重固より大いなる分かれ有り。然れども其の中に於ても、又各々自ら輕重の別有り。聖賢此に於て、錯綜斟酌して、毫髮も差わず、と。固より肯えて尺を枉げて尋を直[の]べず、亦未だ嘗て柱に膠して瑟を調べず。之を斷ずる所以は、一に理の當然を視るのみ。


告子章句下2
○曹交問曰、人皆可以爲堯舜。有諸。孟子曰、然。趙氏曰、曹交、曹君之弟也。人皆可以爲堯舜、疑古語、或孟子所嘗言也。
【読み】
○曹交問うて曰く、人皆以て堯舜爲る可し、と。有りや諸れ、と。孟子曰く、然り、と。趙氏曰く、曹交は、曹君の弟なり。人皆以て堯舜爲る可しは、疑うらくは古語ならん。或は孟子嘗て言う所ならん、と。

交聞、文王十尺、湯九尺、今交九尺四寸以長。食粟而已。如何則可。曹交問也。食粟而已、言無他材能也。
【読み】
交聞けり、文王は十尺、湯は九尺、今交九尺四寸以長。粟を食むのみ。如何してか則ち可ならん、と。曹交問うなり。粟を食むのみは、言うこころは、他の材能無し、と。

曰、奚有於是。亦爲之而已矣。有人於此。力不能勝一匹雛、則爲無力人矣。今曰舉百鈞、則爲有力人矣。然則舉烏獲之任、是亦爲烏獲而已矣。夫人豈以不勝爲患哉。弗爲耳。勝、平聲。○匹字、本作鴄。鴨也。從省作匹。禮記說、匹爲鶩、是也。烏獲、古之有力人也。能舉移千鈞。
【読み】
曰く、奚ぞ是に有らんや。亦之をせまくのみ。此に人有らん。力は一匹雛に勝うること能わざるときは、則ち力無き人とせん。今百鈞を舉ぐと曰うときは、則ち力有る人とす。然るときは則ち烏獲が任を舉ぐるは、是も亦烏獲爲るのみ。夫れ人豈勝えざるを以て患えとせんや。せざるのみ。勝は平聲。○匹の字、本鴄に作る。鴨なり。省するによりて匹に作る。禮記說いて、匹を鶩とする、是れなり。烏獲は、古の力有る人なり。能く千鈞を舉げ移せり。

徐行後長者、謂之弟。疾行先長者、謂之不弟。夫徐行者、豈人所不能哉。所不爲也。堯舜之道、孝弟而已矣。後、去聲。長、上聲。先、去聲。夫、音扶。○陳氏曰、孝弟者、人之良知良能、自然之性也。堯舜人倫之至、亦率是性而已。豈能加毫末於是哉。楊氏曰、堯舜之道大矣。而所以爲之、乃在夫行止疾徐之閒、非有甚高難行之事也。百姓蓋日用而不知耳。
【読み】
徐[ゆる]く行いて長者に後る、之を弟と謂う。疾く行いて長者に先だつ、之を不弟と謂う。夫れ徐く行くことは、豈人の能わざる所ならんや。せざる所なり。堯舜の道は、孝弟ならくのみ。後は去聲。長は上聲。先は去聲。夫は音扶。○陳氏曰く、孝弟は、人の良知良能、自然の性なり。堯舜は人倫の至りなるも、亦是の性に率えるのみ。豈能く毫末も是に加えんや、と。楊氏曰く、堯舜の道大いなり。而して以て之をする所は、乃ち夫の行止疾徐の閒に在り、甚だ高くして行い難き事有るに非ざるなり。百姓蓋し日に用いて知らざるのみ、と。

子服堯之服、誦堯之言、行堯之行、是堯而已矣。子服桀之服、誦桀之言、行桀之行、是桀而已矣。之行二行、並去聲。○言爲善爲惡、皆在我而已。詳曹交之問、淺陋麤率、必其進見之時、禮貌衣冠言動之閒、多不循理。故孟子告之、如此兩節云。
【読み】
子堯の服を服し、堯の言を誦し、堯の行を行わば、是れ堯ならくのみ。子桀が服を服し、桀が言を誦し、桀が行を行えば、是れ桀ならくのみ、と。之行の二行は並去聲。○言うこころは、善と爲るも惡と爲るも、皆我に在るのみ、と。曹交の問いを詳らかにすれば、淺陋麤率にして、必ず其の進見の時、禮貌衣冠言動の閒、多く理に循わず。故に孟子之に告ぐるに、此の兩節の如く云えり。

曰、交得見於鄒君、可以假館。願留而受業於門。見、音現。○假館而後受業。又可見其求道之不篤。
【読み】
曰く、交鄒の君に見ゆることを得ば、以て館を假る可し。願わくは留まって業を門に受けん、と。見は音現。○館を假りて後に業を受く。又其の道を求むることの篤からざるを見る可し。

曰、夫道、若大路然。豈難知哉。人病不求耳。子歸而求之、有餘師。夫、音扶。○言道不難知。若歸而求之事親敬長之閒、則性分之内、萬理皆備、隨處發見、無不可師。不必留此而受業也。○曹交事長之禮旣不至、求道之心又不篤。故孟子敎之以孝弟、而不容其受業。蓋孔子餘力學文之意、亦不屑之敎誨也。
【読み】
曰く、夫れ道は、大路の若く然り。豈知り難からんや。人求めざることを病[うれ]うるのみ。子歸って之を求めば、餘師有らん、と。夫は音扶。○言うこころは、道知り難くはあらず。若し歸って之を親に事り長を敬するの閒に求むるときは、則ち性分の内、萬理皆備り、處に隨いて發見して、師とす可からざるは無し。必ずしも此に留まりて業を受けざれ、と。○曹交長に事うるの禮旣に至らず、道を求むるの心も又篤からず。故に孟子之に敎うるに孝弟を以てして、其の業を受くることを容[ゆる]さず。蓋し孔子の餘力あるときは文を學ぶの意にて、亦之を屑しとして敎誨せざるなり。


告子章句下3
○公孫丑問曰、高子曰、小弁、小人之詩也。孟子曰、何以言之。曰、怨。弁、音盤。○高子、齊人也。小弁、小雅篇名。周幽王娶申后、生太子宜臼。又得褒姒、生伯服。而黜申后、廢宜臼。於是宜臼之傅、爲作此詩、以敘其哀痛迫切之情也。
【読み】
○公孫丑問うて曰く、高子曰く、小弁[しょうばん]は、小人の詩なり、と。孟子曰く、何を以てか之を言う、と。曰く、怨みたり、と。弁は音盤。○高子は齊人なり。小弁は小雅の篇の名。周の幽王申后を娶りて、太子宜臼を生ず。又褒姒を得て、伯服を生ず。而して申后を黜[しりぞ]け、宜臼を廢つ。是に於て宜臼の傅、爲に此の詩を作り、以て其の哀痛迫切の情を敘[の]ぶ。

曰、固哉、高叟之爲詩也。有人於此。越人關弓而射之、則己談笑而道之。無他。疏之也。其兄關弓而射之、則己垂涕、泣而道之。無他。戚之也。小弁之怨、親親也。親親、仁也。固矣夫、高叟之爲詩也。關、與彎同。射、食亦反。夫、音扶。○固、謂執滯不通也。爲、猶治也。越、蠻夷國名。道、語也。親親之心、仁之發也。
【読み】
曰く、固[いや]しいかな、高叟が詩を爲[おさ]むること。此に人有らん。越人弓を關[ひ]いて之を射ば、則ち己談笑して之に道わん。他無し。之を疏んずればなり。其の兄弓を關いて之を射ば、則ち己涕を垂れて、泣きて之に道わん。他無し。之を戚[した]しんずればなり。小弁の怨みは、親を親しんでなり。親を親しむは、仁なり。固しいかな、高叟が詩を爲むること、と。關は彎と同じ。射は食亦の反。夫は音扶。○固は、執滯して通ぜざることを謂う。爲は猶治むるのごとし。越は、蠻夷の國の名。道は、語るなり。親を親しむ心は、仁の發なり。

曰、凱風何以不怨。凱風、邶風篇名。衛有七子之母、不能安其室。七子作此以自責也。
【読み】
曰く、凱風は何を以てか怨みざる、と。凱風は、邶[はい]風の篇の名。衛に七子の母有り、其の室に安んずること能わず。七子此を作り以て自ら責めたり。

曰、凱風、親之過小者也。小弁、親之過大者也。親之過大而不怨、是愈疏也。親之過小而怨、是不可磯也。愈疏、不孝也。不可磯、亦不孝也。磯、音機。○磯、水激石也。不可磯、言微激之而遽怒也。
【読み】
曰く、凱風は、親の過小しきなる者なり。小弁は、親の過大いなる者なり。親の過大いにして怨みざるは、是れ愈々疏んずるなり。親の過小しきにして怨むは、是れ磯[き]す可からざるなり。愈々疏んずるは、不孝なり。磯す可からざるも、亦不孝なり。磯は音機。○磯は、水の石に激するなり。磯す可からずは、言うこころは、微かに之を激して遽に怒る、と。

孔子曰、舜其至孝矣、五十而慕。言舜猶怨慕、小弁之怨、不爲不孝也。○趙氏曰、生之膝下、一體而分。喘息呼吸、氣通於親。當親而疏、怨慕號天。是以小弁之怨、未足爲愆也。
【読み】
孔子曰く、舜は其れ至孝、五十にして慕えり、と。言うこころは、舜すら猶怨慕すれば、小弁の怨みは、不孝と爲らず、と。○趙氏曰く、之を膝下に生み、一體にして分かれり。喘息呼吸も、氣は親に通ず。當に親しまれるべくして疏まれ、怨慕して天に號[さけ]ぶ。是を以て小弁の怨みは、未だ愆[あやまち]とするに足らざるなり、と。


告子章句下4
○宋牼將之楚。孟子遇於石丘。牼、口莖反。○宋、姓。牼、名。石丘、地名。
【読み】
○宋牼[そうこう]將に楚に之かんとす。孟子石丘に遇えり。牼は口莖の反。○宋は姓。牼は名。石丘は地名。

曰、先生將何之。趙氏曰、學士年長者。故謂之先生。
【読み】
曰く、先生將に何くにか之かんとする、と。趙氏曰く、學士の年長じたる者なり。故に之を先生と謂う、と。

曰、吾聞秦・楚構兵。我將見楚王、說而罷之。楚王不悦、我將見秦王、說而罷之。二王我將有所遇焉。說、音稅。○時宋牼方欲見楚王。恐其不悦、則將見秦王也。遇、合也。按莊子書、有宋鈃者。禁攻寢兵、救世之戰、上說下敎、強聒不舍。疏云、齊宣王時人。以事考之、疑卽此人也。
【読み】
曰く、吾聞く、秦・楚兵を構う、と。我將に楚王に見うて、說いて之を罷めんとす。楚王悦びざれば、我將に秦王に見うて、說いて之を罷めんとす。二王我將に遇う所有らんとす、と。說は音稅。○時に宋牼方に楚王に見わまく欲す。其の悦びざることを恐れ、則ち將に秦王に見わんとす。遇は合うなり。莊子の書を按ずるに、宋鈃なる者有り。攻むるを禁じ兵を寢[や]め、世の戰いを救わんとして、上に說き下に敎え、強いて聒[やかま]しくして舍[や]めず、と。疏に云う、齊の宣王の時の人、と。事を以て之を考うれば、疑うらくは卽ち此の人ならん。

曰、軻也請、無問其詳。願聞其指。說之將何如。曰、我將言其不利也。曰、先生之志則大矣。先生之號則不可。徐氏曰、能於戰國擾攘之中、而以罷兵息民爲說、其志可謂大矣。然以利爲名、則不可也。
【読み】
曰く、軻請う、其の詳らかなることを問うこと無けん。願わくは其の指を聞かん。之に說くこと將に何如とかする、と。曰く、我將に其の利あらざることを言わんとす、と。曰く、先生の志は則大いなり。先生の號[となえ]は則ち不可なり。徐氏曰く、能く戰國擾攘の中に於て、兵を罷め民を息まするを以て說を爲すは、其の志大いなりと謂う可し。然れども利を以て名とするは、則ち不可なり、と。

先生以利說秦・楚之王、秦・楚之王悦於利、以罷三軍之師。是三軍之士樂罷而悦於利也。爲人臣者、懷利以事其君、爲人子者、懷利以事其父、爲人弟者、懷利以事其兄、是君臣父子兄弟、終去仁義、懷利以相接。然而不亡者、未之有也。樂、音洛。下同。
【読み】
先生利を以て秦・楚の王に說かば、秦・楚の王利を悦んで、以て三軍の師[もろもろ]を罷めん。是れ三軍の士も罷むることを樂しんで利を悦ばん。人の臣爲る者、利を懷いて以て其の君に事え、人の子爲る者、利を懷いて以て其の父に事え、人の弟爲る者、利を懷いて以て其の兄に事えば、是れ君臣父子兄弟、終に仁義を去り、利を懷いて以て相接わる。然して亡びざる者、未だ之れ有らじ。樂は音洛。下も同じ。

先生以仁義說秦・楚之王、秦・楚之王悦於仁義、而罷三軍之師。是三軍之士樂罷而悦於仁義也。爲人臣者、懷仁義以事其君、爲人子者、懷仁義以事其父、爲人弟者、懷仁義以事其兄、是君臣父子兄弟、去利懷仁義以相接也。然而不王者、未之有也。何必曰利。王、去聲。○此章言休兵息民、爲事則一、然其心有義利之殊、而其效有興亡之異。學者所當深察而明辨之也。
【読み】
先生仁義を以て秦・楚の王に說かば、秦・楚の王仁義を悦んで、三軍の師を罷めん。是れ三軍の士も罷めることを樂しんで仁義を悦ばん。人の臣爲る者、仁義を懷いて以て其の君に事え、人の子爲る者、仁義を懷いて以て其の父に事え、人の弟爲る者、仁義を懷いて以て其の兄に事えば、是れ君臣父子兄弟、利を去り仁義を懷いて以て相接わる。然して王たらざる者、未だ之れ有らじ。何ぞ必ずしも利を曰わん、と。王は去聲。○此の章言うこころは、兵を休め民を息ます、事とすることは則ち一なれども、然れども其の心に義利の殊なり有りて、其の效に興亡の異なり有り。學者當に深く察して明らかに之を辨ずべき所なり。


告子章句下5
○孟子居鄒、季任爲任處守。以幣交。受之而不報。處於平陸、儲子爲相。以幣交。受之而不報。任、平聲。相、去聲。下同。○趙氏曰、季任、任君之弟。任君朝會於鄰國、季任爲之居守其國也。儲子、齊相也。不報者、來見則當報之。但以幣交、則不必報也。
【読み】
○孟子鄒に居り、季任任の處守爲り。幣を以て交わる。之を受けて報いず。平陸に處り、儲子[ちょし]相爲り。幣を以て交わる。之を受けて報いず。任は平聲。相は去聲。下も同じ。○趙氏曰く、季任は、任の君の弟。任の君鄰國に朝會し、季任之が爲に其の國を居守す、と。儲子は、齊の相なり。報いずは、來り見ゆるときは則ち當に之に報うべし。但幣を以て交わるときは、則ち必ずしも報いざるなり。

他日由鄒之任、見季子。由平陸之齊、不見儲子。屋廬子喜曰、連得閒矣。屋廬子知孟子之處此、必有義理、故喜得其閒隙而問之。
【読み】
他日鄒より任に之いて、季子に見う。平陸より齊に之いて、儲子に見わず。屋廬子喜んで曰く、連閒を得たり、と。屋廬子孟子の此を處するに、必ず義理有らんことを知れり。故に其の閒隙を得て之を問わんことを喜べり。

問曰、夫子之任見季子。之齊不見儲子。爲其爲相與。爲其之爲、去聲。下同。與、平聲。○言儲子但爲齊相。不若季子攝守君位。故輕之邪。
【読み】
問うて曰く、夫子任に之いて季子に見う。齊に之いて儲子に見わず。爲其の相與るが爲か、と。爲其の爲は去聲。下も同じ。與は平聲。○言うこころは、儲子は但齊の相爲り。季子の君位を攝守するに若かず。故に之を輕んずるか、と。

曰、非也。書曰、享多儀。儀不及物曰不享、惟不役志于享。書、周書洛誥之篇。享、奉上也。儀、禮也。物、幣也。役、用也。言雖享、而禮意不及其幣、則是不享矣。以其不用志於享故也。
【読み】
曰く、非なり。書に曰く、享は儀多し。儀物に及ばざるを不享と曰う、惟れ志を享に役[もち]いざればなり、と。書は周書洛誥の篇。享は、上に奉るなり。儀は、禮なり。物は、幣なり。役は、用うるなり。言うこころは、享すと雖も、禮意其の幣に及ばざるときは、則ち是れ不享なり。其の志を享に用いざるを以て故なり、と。

爲其不成享也。孟子釋書意如此。
【読み】
其の享を成さざるが爲なり。孟子書の意を釋すこと此の如し。

屋廬子悦。或問之。屋廬子曰、季子不得之鄒、儲子得之平陸。徐氏曰、季子爲君居守。不得往他國以見孟子、則以幣交、而禮意已備。儲子爲齊相。可以至齊之境内而不來見、則雖以幣交、而禮意不及其物也。
【読み】
屋廬子悦ぶ。或ひと之を問う。屋廬子曰く、季子鄒に之くことを得ず、儲子は平陸に之くことを得、と。徐氏曰く、季子君の爲に居守す。他國に往いて以て孟子に見うことを得ざれば、則ち幣を以て交わりて、禮意已に備わる。儲子齊の相爲り。以て齊の境内に至る可くして來り見わざれば、則ち幣を以て交わると雖も、而して禮意其の物に及ばず、と。


告子章句下6
○淳于髠曰、先名實者、爲人也。後名實者、自爲也。夫子在三卿之中、名實未加於上下而去之、仁者固如此乎。先・後・爲、皆去聲。○名、聲譽也。實、事功也。言以名實爲先而爲之者、是有志於救民者也。以名實爲後而不爲者、是欲獨善其身者也。名實未加於上下、言上未能正其君、下未能濟其民也。
【読み】
○淳于髠曰く、名實を先んずる者は、人の爲にす。名實を後にする者は、自らの爲にす。夫子三卿の中に在り、名實未だ上下に加わらずして之を去る。仁者固[まこと]に此の如きか、と。先・後・爲は皆去聲。○名は、聲譽なり。實は、事功なり。言うこころは、名實を以て先として之をする者は、是れ民を救うに志有る者なり。名實を以て後にしてせざる者は、是れ獨り其の身を善くせまく欲する者なり、と。名實未だ上下に加わらずは、言うこころは、上は未だ其の君を正しくすること能わず、下は未だ其の民を濟うこと能わず、と。

孟子曰、居下位、不以賢事不肖者、伯夷也。五就湯、五就桀者、伊尹也。不惡汙君、不辭小官者、柳下惠也。三子者不同道、其趨一也。一者何也。曰、仁也。君子亦仁而已矣、何必同。惡・趨、並去聲。○仁者、無私心而合天理之謂。楊氏曰、伊尹之就湯、以三聘之勤也。其就桀也、湯進之也。湯豈有伐桀之意哉。其進伊尹以事之也、欲其悔過遷善而已。伊尹旣就湯、則以湯之心爲心矣。及其終也、人歸之、天命之、不得已而伐之耳。若湯初求伊尹、卽有伐桀之心。而伊尹遂相之以伐桀、是以取天下爲心也。以取天下爲心、豈聖人之心哉。
【読み】
孟子曰く、下位に居り、賢を以て不肖に事えざる者は、伯夷なり。五たび湯に就き、五たび桀に就く者は、伊尹なり。汙君を惡まず、小官を辭せざる者は、柳下惠なり。三子は道を同じうせず、其の趨は一なり。一とは何ぞ。曰く、仁なり。君子は亦仁ならくのみ。何ぞ必ずしも同じからん、と。惡・趨は並去聲。○仁は、私心無くして天理に合うの謂なり。楊氏曰く、伊尹の湯に就くこと、三聘の勤を以てすればなり。其の桀に就くこと、湯之を進むればなり。湯豈桀を伐つの意有らんや。其の伊尹を進めて以て之に事えしむるは、其の過を悔い善に遷さまく欲するのみ。伊尹旣に湯に就けば、則ち湯の心を以て心とす。其の終わりに及んで、人之に歸し、天之に命じ、已むことを得ずして之を伐つのみ。若し湯初めより伊尹を求むれば、卽ち桀を伐つの心有り。而して伊尹遂に之に相として以て桀を伐てば、是れ天下を取ることを以て心とするなり。天下を取ることを以て心とするは、豈聖人の心ならんや、と。

曰、魯繆公之時、公儀子爲政。子柳・子思爲臣。魯之削也滋甚。若是乎、賢者之無益於國也。公儀子、名休。爲魯相。子柳、泄柳也。削、地見侵奪也。髠譏孟子雖不去、亦未必能有爲也。
【読み】
曰く、魯の繆公[ぼくこう]の時、公儀子政を爲す。子柳・子思臣爲り。魯の削らるること滋々[ますます]甚だし。是の若きか、賢者の國に益無きこと、と。公儀子は、名は休。魯の相爲り。子柳は、泄柳なり。削は、地の侵し奪わるるなり。髠孟子去らずと雖も、亦未だ必ずしも能くすること有らざることを譏るなり。

曰、虞不用百里奚而亡。秦穆公用之而霸。不用賢則亡。削何可得與。與、平聲。○百里奚、事見前篇。
【読み】
曰く、虞百里奚を用いずして亡ぼす。秦の穆公之を用いて霸たり。賢を用いざるときは則ち亡ぶ。削らるること何ぞ得可けんや、と。與は平聲。○百里奚は、事は前篇に見ゆ。

曰、昔者王豹處於淇、而河西善謳。綿駒處於高唐、而齊右善歌。華周・杞梁之妻善哭其夫、而變國俗。有諸内、必形諸外。爲其事而無其功者、髠未嘗睹之也。是故無賢者也。有則髠必識之。華、去聲。○王豹、衛人。善謳。淇、水名。綿駒、齊人。善歌。高唐、齊西邑。華周・杞梁、二人皆齊臣。戰死於莒。其妻哭之哀。國俗化之皆善哭。髠以此譏孟子仕齊無功、未足爲賢也。
【読み】
曰く、昔者王豹淇[き]に處て、河西善く謳う。綿駒高唐に處て、齊右善く歌う。華周・杞梁が妻善く其の夫を哭して、國俗を變ず。諸れ内に有れば、必ず諸れ外に形[あらわ]る。其の事をして其の功無き者を、髠未だ嘗て之を睹ず。是の故に賢者無し。有るときは則ち髠必ず之を識らん、と。華は去聲。○王豹は衛人。善く謳う。淇は水の名。綿駒は齊人。善く歌う。高唐は齊の西の邑。華周・杞梁は、二人は皆齊の臣。莒に戰死す。其の妻之に哭すること哀し。國俗之に化して皆善く哭す。髠此を以て孟子齊に仕えて功無く、未だ賢爲るに足らずと譏れり。

曰、孔子爲魯司寇。不用。從而祭。燔肉不至。不稅冕而行。不知者以爲爲肉也。其知者以爲爲無禮也。乃孔子則欲以微罪行。不欲爲苟去。君子之所爲、衆人固不識也。稅、音脱。爲肉・爲無之爲、並去聲。○按史記、孔子爲魯司寇、攝行相事。齊人聞而懼。於是以女樂遺魯君。季桓子與魯君往觀之、怠於政事。子路曰、夫子可以行矣。孔子曰、魯今且郊。如致膰于大夫、則吾猶可以止。桓子卒受齊女樂、郊又不致膰俎于大夫。孔子遂行。孟子言、以爲爲肉者、固不足道。以爲爲無禮、則亦未爲深知孔子者。蓋聖人於父母之國、不欲顯其君相之失、又不欲爲無故而苟去。故不以女樂去、而以膰肉行。其見幾明決、而用意忠厚、固非衆人所能識也。然則孟子之所爲、豈髠之所能識哉。○尹氏曰、淳于髠未嘗知仁、亦未嘗識賢也。宜乎其言若是。
【読み】
曰く、孔子魯の司寇爲り。用いられず。從うて祭る。燔肉至らず。冕を稅[ぬ]がずして行[さ]る。知らざる者は以爲えらく、肉の爲なり、と。其の知る者は以爲えらく、禮無きが爲なり、と。乃ち孔子則ち微罪を以て行らまく欲す。苟くも去ることをせまく欲せざるなり。君子のする所は、衆人固[まこと]に識らざるなり、と。稅は音脱。爲肉・爲無の爲は並去聲。○史記を按ずるに、孔子魯の司寇と爲り、相の事を攝[か]ね行う。齊人聞いて懼る。是に於て女樂を以て魯君に遺る。季桓子と魯君と往いて之を觀て、政事を怠る。子路曰く、夫子以て行る可し、と。孔子曰く、魯は今且に郊をせんとす。如し膰を大夫に致さば、則ち吾猶以て止まる可し、と。桓子卒に齊の女樂を受け、郊も又膰俎を大夫に致さず。孔子遂に行る、と。孟子言うこころは、以て肉の爲とする者は、固より道うに足らず。以て禮無きが爲とするも、則ち亦未だ深く孔子を知る者とせず。蓋し聖人父母の國に於て、其の君相の失を顯さまく欲せず、又故無くして苟も去らんとすることを欲せず。故に女樂を以て去らずして、膰肉を以て行れり。其の幾を見ること明決にして、意を用うることの忠厚なる、固より衆人の能く識る所に非ざるなり、と。然れば則ち孟子のする所、豈髠の能く識る所ならんや。○尹氏曰く、淳于髠未だ嘗て仁を知らず、亦未だ嘗て賢を識らず。宜なるかな、其の言是の若きこと、と。


告子章句下7
○孟子曰、五霸者、三王之罪人也。今之諸侯、五霸之罪人也。今之大夫、今之諸侯之罪人也。趙氏曰、五霸、齊桓・晉文・秦穆・宋襄・楚莊也。三王、夏禹・商湯・周文・武也。丁氏曰、夏昆吾・商大彭・豕韋・周齊桓・晉文、謂之五霸。
【読み】
○孟子曰く、五霸は、三王の罪人なり。今の諸侯は、五霸の罪人なり。今の大夫は、今の諸侯の罪人なり。趙氏曰く、五霸は、齊桓・晉文・秦穆・宋襄・楚莊なり。三王は、夏の禹・商の湯・周の文・武なり、と。丁氏曰く、夏の昆吾・商の大彭・豕韋・周の齊桓・晉文、之を五霸と謂う、と。

天子適諸侯曰巡狩。諸侯朝於天子曰述職。春省耕而補不足、秋省斂而助不給。入其疆、土地辟、田野治、養老尊賢、俊傑在位、則有慶。慶以地。入其疆、土地荒蕪、遺老失賢、掊克在位、則有讓。一不朝、則貶其爵。再不朝、則削其地。三不朝、則六師移之。是故天子討而不伐、諸侯伐而不討。五霸者、摟諸侯以伐諸侯者也。故曰、五霸者、三王之罪人也。朝、音潮。辟、與闢同。治、去聲。○慶、賞也。益其地以賞之也。掊克、聚斂也。讓、責也。移之者、誅其人而變置之也。討者、出命以討其罪、而使方伯連帥、帥諸侯以伐之也。伐者、奉天子之命、聲其罪而伐之也。摟、牽也。五霸牽諸侯以伐諸侯、不用天子之命也。自入其疆至則有讓、言巡狩之事。自一不朝至六師移之、言述職之事。
【読み】
天子諸侯に適くを巡狩と曰う。諸侯天子に朝するを述職と曰う。春耕すを省て足らざるを補い、秋斂むるを省て給[た]らざるを助く。其の疆[さかい]に入って、土地辟[ひら]け、田野治まり、老を養い賢を尊び、俊傑位に在るときは、則ち慶有り。慶するに地を以てす。其の疆に入って、土地荒蕪し、老を遺[す]て賢を失い、掊克[ほうこく]位に在るときは、則ち讓[せめ]有り。一たび朝せざるときは、則ち其の爵を貶[おと]す。再び朝せざるときは、則ち其の地を削る。三たび朝せざるときは、則ち六師之を移す。是の故に天子は討じて伐せず、諸侯は伐して討せず。五霸は、諸侯を摟[ひ]いて以て諸侯を伐つ者なり。故に曰く、五霸は、三王の罪人なり、と。朝は音潮。辟は闢くと同じ。治は去聲。○慶は賞するなり。其の地を益して以て之を賞するなり。掊克は聚斂なり。讓は責なり。之を移すは、其の人を誅して之を變え置くなり。討は、命を出だして以て其の罪を討じて、方伯連帥をして、諸侯を帥いて以て之を伐たしむなり。伐は、天子の命を奉じ、其の罪を聲[な]らして之を伐つなり。摟は牽くなり。五霸は諸侯を牽いて以て諸侯を伐ち、天子の命を用いず。入其疆より則有讓に至るまでは、巡狩の事を言う。一不朝より六師移之に至るまでは、述職の事を言う。

五霸、桓公爲盛。葵丘之會、諸侯束牲、載書而不歃血。初命曰、誅不孝、無易樹子。無以妾爲妻。再命曰、尊賢育才、以彰有德。三命曰、敬老慈幼、無忘賓旅。四命曰、士無世官。官事無攝。取士必得。無專殺大夫。五命曰、無曲防。無遏糴。無有封而不告。曰、凡我同盟之人、旣盟之後、言歸于好。今之諸侯、皆犯此五禁。故曰、今之諸侯、五霸之罪人也。歃、所洽反。糴、音狄。好、去聲。○按春秋傳、僖公九年、葵丘之會、陳牲而不殺。讀書加於牲上、壹明天子之禁。樹、立也。已立世子、不得擅易。初命三事、所以脩身正家之要也。賓、賓客也。旅、行旅也。皆當有以待之、不可忽忘也。士世祿而不世官。恐其未必賢也。官事無攝、當廣求賢才以充之、不可以闕人廢事也。取士必得、必得其人也。無專殺大夫、有罪則請命於天子、而後殺之也。無曲防、不得曲爲隄防、壅泉激水、以專小利、病鄰國也。無遏糴、鄰國凶荒、不得閉糴也。無有封而不告者、不得專封國邑而不告天子也。
【読み】
五霸は、桓公を盛んなりとす。葵丘の會に、諸侯牲を束ね、書を載せて血を歃[すす]らず。初命に曰く、不孝を誅し、樹子を易うることを無かれ。妾を以て妻とすること無かれ、と。再命に曰く、賢を尊び才を育[やしな]って、以て有德を彰[あらわ]せ、と。三命に曰く、老を敬い幼を慈しみ、賓旅を忘るること無かれ、と。四命に曰く、士官を世々すること無かれ。官の事攝[か]ぬること無かれ。士を取ること必ず得よ。專[ほしいまま]に大夫を殺すこと無かれ、と。五命に曰く、防[つつみ]を曲ぐること無かれ。糴[かいよね]を遏[とど]むること無かれ。封ずること有って告げざること無かれ、と。曰く、凡ぞ我が同盟の人、旣に盟[ちか]うの後は、言[ここ]に好しみを歸せよ、と。今の諸侯は、皆此の五禁を犯す。故に曰く、今の諸侯は、五霸の罪人なり、と。歃は所洽の反。糴は音狄。好は去聲。○春秋傳を按ずるに、僖公九年、葵丘の會、牲を陳ねて殺さず。書を讀んで牲の上に加え、壹[もっぱ]ら天子の禁を明らかにす、と。樹は立つなり。已に世子を立つれば、擅[ほしいまま]に易うることを得ず。初命の三つの事は、以て身を脩め家を正す所の要なり。賓は賓客なり。旅は行旅なり。皆當に以て之を待すること有るべく、忽せにして忘る可からず。士は祿を世々にして官を世々にせず。其の未だ必ずしも賢ならざるを恐るればなり。官の事攝ぬること無かれは、當に廣く賢才を求めて以て之を充つべく、以て人を闕いて事を廢つ可からざれ、と。士を取ること必ず得よは、必ず其の人を得るなり。專に大夫を殺すこと無かれは、罪有るときは則ち命を天子に請けて、後に之を殺すなり。防を曲ぐること無かれは、曲げて隄防を爲り、泉を壅[ふさ]ぎ水を激して、以て小利を專らにし、鄰國を病ましむことを得ざれ、と。糴を遏むること無かれは、鄰國凶荒すれば、糴を閉ずることを得ざれ、と。封ずること有って告げざること無かれは、專らに國邑に封じて天子に告げざることを得ざれ、と。

長君之惡其罪小。逢君之惡其罪大。今之大夫、皆逢君之惡。故曰、今之大夫、今之諸侯之罪人也。長、上聲。○君有過不能諫、又順之者、長君之惡也。君之過未萌、而先意導之者、逢君之惡也。○林氏曰、邵子有言、治春秋者、不先治五霸之功罪、則事無統理、而不得聖人之心。春秋之閒、有功者未有大於五霸、有過者亦未有大於五霸。故五霸者、功之首、罪之魁也。孟子此章之義、其若此也與。然五霸得罪於三王、今之諸侯得罪於五霸、皆出於異世。故得以逃其罪。至於今之大夫、宜得罪於今之諸侯。則同時矣。而諸侯非惟莫之罪也、乃反以爲良臣而厚禮之、不以爲罪而反以爲功。何其謬哉。
【読み】
君の惡を長[ま]すは其の罪小しきなり。君の惡を逢[むか]うるは其の罪大いなり。今の大夫は、皆君の惡を逢う。故に曰く、今の大夫は、今の諸侯の罪人なり、と。長は上聲。○君過有りて諫むること能わず、又之に順うは、君の惡を長ずるなり。君の過未だ萌さずして、意に先だって之を導くは、君の惡を逢うるなり。○林氏曰く、邵子言える有り、春秋を治むる者、先ず五霸の功罪を治めざれば、則ち事に統理無くして、聖人の心を得ず。春秋の閒、功有る者未だ五霸よりも大いなるは有らず、過有る者も亦未だ五霸よりも大いなるは有らず。故に五霸は、功の首、罪の魁なり、と。孟子の此の章の義も、其れ此の若きか。然れども五霸は罪を三王に得、今の諸侯は罪を五霸に得るは、皆異なる世に出づ。故に以て其の罪を逃るることを得。今の大夫に至りては、宜しく罪を今の諸侯に得るべし。則ち同じ時なり。而れども諸侯は惟之を罪すること莫きのみに非ず、乃ち反って以て良臣として厚く之を禮し、以て罪とせずして反って以て功とす。何ぞ其れ謬れるや、と。


告子章句下8
○魯欲使愼子爲將軍。愼子、魯臣。
【読み】
○魯愼子をして將軍爲らしめまく欲す。愼子は魯の臣。

孟子曰、不敎民而用之。謂之殃民。殃民者、不容於堯舜之世。敎民者、敎之禮義、使知入事父兄、出事長上也。用之、使之戰也。
【読み】
孟子曰く、民を敎えずして之を用う。之を民に殃[わざわい]すと謂う。民に殃する者は、堯舜の世に容れられず。民を敎うるは、之に禮義を敎えて、入りては父兄に事え、出でては長上に事うることを知らしむ。之を用うは、之を戰わしむるなり。

一戰勝齊、遂有南陽、然且不可。是時魯蓋欲使愼子伐齊、取南陽也。故孟子言、就使愼子善戰有功如此、且猶不可。
【読み】
一たび戰って齊に勝ち、遂に南陽を有[も]つとも、然も且つ不可、と。是の時魯蓋し愼子をして齊を伐ち、南陽を取らせまく欲するなり。故に孟子言う、就使[たと]い愼子善く戰って功有ること此の如くとも、且つ猶不可なり、と。

愼子勃然不悦曰、此則滑釐所不識也。滑、音骨。○滑釐、愼子名。
【読み】
愼子勃然として悦ばずして曰く、此は則ち滑釐[こつり]が識らざる所なり、と。滑は音骨。○滑釐は愼子の名。

曰、吾明告子。天子之地方千里。不千里、不足以待諸侯。諸侯之地方百里。不百里、不足以守宗廟之典籍。待諸侯、謂待其朝覲聘問之禮。宗廟典籍、祭祀會同之常制也。
【読み】
曰く、吾明らかに子に告げん。天子の地方千里。千里ならざれば、以て諸侯に待するに足らず。諸侯の地方百里。百里ならざれば、以て宗廟の典籍を守るに足らず。諸侯に待するは、其の朝覲聘問の禮に待することを謂う。宗廟の典籍は、祭祀會同の常制なり。

周公之封於魯、爲方百里也。地非不足。而儉於百里。太公之封於齊也、亦爲方百里也。地非不足也。而儉於百里。二公有大勳勞於天下、而其封國不過百里。儉、止而不過之意也。
【読み】
周公の魯に封ぜらるる、方百里爲り。地足らざるには非ず。而も百里に儉す。太公の齊に封ぜらるるも、亦方百里爲り。地足らざるには非ず。而も百里に儉す。二公は天下に大勳勞有り、而して其の封國は百里に過ぎず。儉は、止まりて過ぎざるの意なり。

今魯方百里者五。子以爲有王者作、則魯在所損乎。在所益乎。魯地之大、皆幷呑小國而得之。有王者作、則必在所損矣。
【読み】
今魯方百里なる者五つ。子以爲えらく、王者作ること有らば、則ち魯は損[お]とす所に在らんか。益す所に在らんか。魯の地の大いなるは、皆小國を幷呑して之を得。王者作ること有らば、則ち必ず損する所在らん。

徒取諸彼以與此、然且仁者不爲。況於殺人以求之乎。徒、空也、言不殺人而取之也。
【読み】
徒[ただ]諸を彼に取りて以て此を與うるとも、然も且つ仁者はせじ。況や人を殺して以て之を求むるに於てをや。徒は空しくなり、言うこころは、人を殺さずして之を取るなり。

君子之事君也、務引其君、以當道、志於仁而已。當道、謂事合於理。志仁、謂心在於仁。
【読み】
君子の君に事ること、務めて其の君を引いて、以て道に當たり、仁に志さしむるのみ、と。道に當たるは、事の理に合うことを謂う。仁に志すは、心仁に在ることを謂う。


告子章句下9
○孟子曰、今之事君者曰、我能爲君辟土地、充府庫。今之所謂良臣、古之所謂民賊也。君不郷道、不志於仁。而求富之、是富桀也。爲、去聲。辟、與闢同。郷、與向同。下皆同。○辟、開墾也。
【読み】
○孟子曰く、今の君に事る者曰く、我能く君の爲に土地を辟[ひら]き、府庫を充てん、と。今の所謂良臣は、古の所謂民賊なり。君道に郷[む]かわず、仁に志さず。而るを之を富ましめんことを求むるは、是れ桀を富ましむるなり。爲は去聲。辟は闢くと同じ。郷は向かうと同じ。下も皆同じ。○辟は開墾なり。

我能爲君約與國、戰必克。今所謂良臣、古所謂民賊也。君不郷道、不志於仁。而求爲之強戰、是輔桀也。約、要結也。與國、和好相與之國也。
【読み】
我能く君の爲に與國を約して、戰わば必ず克たん、と。今の所謂良臣は、古の所謂民賊なり。君道に郷わず、仁に志さず。而るを之が爲に強戰せんことを求むるは、是れ桀を輔くるなり。約は、要結なり。與國は、和好して相與[くみ]する國なり。

由今之道、無變今之俗、雖與之天下、不能一朝居也。言必爭奪而至於危亡也。
【読み】
今の道に由って、今の俗を變ずること無くば、之に天下を與うと雖も、一朝も居ること能わじ、と。言うこころは、必ず爭奪して危亡に至る、と。


告子章句下10
○白圭曰、吾欲二十而取一。何如。白圭、名丹。周人也。欲更稅法、二十分而取其一分。林氏曰、按史記、白圭能薄飮食、忍嗜欲、與童僕同苦樂、樂觀時變。人棄我取、人取我與。以此居積致富。其爲此論、蓋欲以其術施之國家也。
【読み】
○白圭曰く、吾二十にして一を取らまく欲す。何如、と。白圭、名は丹。周人なり。稅法を更めて、二十分にして其の一分を取らまく欲す。林氏曰く、史記を按ずるに、白圭能く飮食を薄くし、嗜欲を忍び、童僕と苦樂を同[とも]にし、時變を觀ることを樂しむ。人棄つれば我取り、人取れば我與う。此を以て居積して富を致す、と。其れ此の論を爲すは、蓋し其の術を以て之を國家に施さまく欲すればなり、と。

孟子曰、子之道、貉道也。貉、音陌。○貉、北方夷狄之國名也。
【読み】
孟子曰く、子が道は、貉[はく]の道なり。貉は音陌。○貉は、北方夷狄の國の名なり。

萬室之國、一人陶、則可乎。曰、不可。器不足用也。孟子設喩以詰圭、而圭亦知其不可也。
【読み】
萬室の國、一人陶せば、則ち可ならんや、と。曰く、不可。器用うるに足らじ、と。孟子喩を設けて以て圭を詰り、圭も亦其の不可なることを知るなり。

曰、夫貉、五穀不生、惟黍生之。無城郭宮室・宗廟祭祀之禮、無諸侯幣帛饔飧、無百官有司、故二十取一而足也。夫、音扶。○北方地寒、不生五穀、黍早熟。故生之。饔飧、以飮食饋客之禮也。
【読み】
曰く、夫れ貉は、五穀生ぜず、惟黍のみ之を生ず。城郭宮室・宗廟祭祀の禮無く、諸侯の幣帛饔飧[ようそん]無く、百官有司無く、故に二十にして一を取れども足れり。夫は音扶。○北方の地寒く、五穀を生ぜず。黍のみ早く熟す。故に之を生ず。饔飧は、飮食を以て客に饋[おく]る禮なり。

今居中國、去人倫、無君子、如之何其可也。無君臣祭祀交際之禮、是去人倫。無百官有司、是無君子。
【読み】
今中國に居り、人倫を去[す]て、君子無くば、如之何してか其れ可ならん。君臣祭祀交際の禮無きは、是れ人倫を去つるなり。百官有司無きは、是れ君子無し。

陶以寡、且不可以爲國。況無君子乎。因其辭以折之。
【読み】
陶寡なきを以て、且つ以て國を爲む可からず。況や君子無きをや。其の辭に因りて以て之を折けり。

欲輕之於堯舜之道者、大貉・小貉也。欲重之於堯舜之道者、大桀・小桀也。什一而稅、堯舜之道也。多則桀、寡則貉。今欲輕重之、則是小貉・小桀而已。
【読み】
之を堯舜の道よりも輕くせまく欲する者は、大貉・小貉なり。之を堯舜の道よりも重くせまく欲する者は、大桀・小桀なり、と。什一にして稅するは、堯舜の道なり。多きときは則ち桀、寡なきときは則ち貉。今之を輕重せまく欲するときは、則ち是れ小貉・小桀なるのみ。


告子章句下11
○白圭曰、丹之治水也愈於禹。趙氏曰、當時諸侯有小水。白圭爲之築隄、壅而注之他國。
【読み】
○白圭曰く、丹が水を治むること禹よりも愈[まさ]れり、と。趙氏曰く、當時、諸侯に小しき水有り。白圭之が爲に隄を築き、壅ぎて之を他國に注ぐ、と。

孟子曰、子過矣。禹之治水、水之道也。順水之性也。
【読み】
孟子曰く、子過てり。禹の水を治むるは、水の道なり。水の性に順うなり。

是故禹以四海爲壑。今吾子以鄰國爲壑。壑、受水處也。
【読み】
是の故に禹は四海を以て壑[たに]とす。今吾子は鄰國を以て壑とす。壑は、水を受くる處なり。

水逆行、謂之洚水。洚水者、洪水也。仁人之所惡也。吾子過矣。惡、去聲。○水逆行者、下流壅塞、故水逆流。今乃壅水以害人、則與洪水之災無異矣。
【読み】
水逆行す、之を洚水と謂う。洚水は、洪水なり。仁人の惡む所なり。吾子過てり、と。惡は去聲。○水逆行すは、下流壅塞する、故に水逆流す。今乃ち水を壅ぎ以て人を害うは、則ち洪水の災と異なること無し。


告子章句下12
○孟子曰、君子不亮、惡乎執。惡、平聲。○亮、信也。與諒同。惡乎執、言凡事苟且、無所執持也。
【読み】
○孟子曰く、君子亮[まこと]あらざれば、惡くにか執らん。惡は平聲。○亮は信なり。諒と同じ。惡くにか執らんは、言うこころは、凡そ事苟且なれば、執持する所無し、と。


告子章句下13
○魯欲使樂正子爲政。孟子曰、吾聞之、喜而不寐。喜其道之得行。
【読み】
○魯樂正子をして政をせしめまく欲す。孟子曰く、吾之を聞いて、喜んで寐られず、と。其の道の行わるることを得んことを喜ぶ。

公孫丑曰、樂正子強乎。曰、否。有知慮乎。曰、否。多聞識乎。曰、否。知、去聲。○此三者、皆當世之所尙、而樂正子之所短。故丑疑而歴問之。
【読み】
公孫丑曰く、樂正子強なりや、と。曰く、否、と。知慮有りや。曰く、否、と。聞識多きや。曰く、否、と。知は去聲。○此の三つの者は、皆當世の尙ぶ所にして、樂正子の短き所。故に丑疑いて歴[あまね]く之を問えり。

然則奚爲喜而不寐。丑問也。
【読み】
然るときは則ち奚爲[なんす]れぞ喜んで寐られざる。丑問うなり。

曰、其爲人也好善。好、去聲。下同。
【読み】
曰く、其の爲人[ひととなり]や善を好む、と。好は去聲。下も同じ。

好善足乎。丑問也。
【読み】
善を好まば足んなんや。丑問うなり。

曰、好善優於天下。而況魯國乎。優、有餘裕也。言雖治天下、尙有餘力也。
【読み】
曰く、善を好めば天下に優[ゆたか]なり。而るを況や魯國をや。優は、餘裕有るなり。言うこころは、天下を治むと雖も、尙餘力有るなり。

夫苟好善、則四海之内、皆將輕千里而來、告之以善。夫、音扶。下同。○輕、易也。言不以千里爲難也。
【読み】
夫れ苟し善を好むときは、則ち四海の内、皆將に千里を輕んじて來って、之に告ぐるに善を以てせんとす。夫は音扶。下も同じ。○輕は易しなり。言うこころは、千里を以て難しとせず、と。

夫苟不好善、則人將曰、訑訑、予旣已知之矣。訑訑之聲音顏色、距人於千里之外。士止於千里之外、則讒諂面諛之人至矣。與讒諂面諛之人居、國欲治、可得乎。訑、音移。治、去聲。○訑訑、自足其智、不嗜善言之貌。君子小人、迭爲消長。直諒多聞之士遠、則讒諂面諛之人至。理勢然也。○此章言、爲政、不在於用一己之長、而貴於有以來天下之善。
【読み】
夫れ苟し善を好まざるときは、則ち人將に曰わんとす、訑訑[いい]として、予旣に已に之を知れり、と。訑訑の聲音顏色、人を千里の外に距ぐ。士千里の外に止まるときは、則ち讒諂[ざんてん]面諛の人至る。讒諂面諛の人と居らば、國治まらんことを欲すとも、得可けんや、と。訑は音移。治は去聲。○訑訑は、自ら其の智を足るとして、善言を嗜[この]まざるの貌。君子小人は、迭[たが]いに消長を爲す。直諒多聞の士遠ざかるときは、則ち讒諂面諛の人至る。理勢然れり。○此の章言うこころは、政をするは、一己の長を用うるに在らずして、以て天下の善を來すこと有るを貴ぶ、と。


告子章句下14
○陳子曰、古之君子、何如則仕。孟子曰、所就三、所去三。其目在下。
【読み】
○陳子曰く、古の君子、何如がすれば則ち仕う、と。孟子曰く、就く所三つ、去る所三つ。其の目は下に在り。

迎之致敬以有禮、言將行其言也、則就之。禮貌未衰、言弗行也、則去之。所謂見行可之仕。若孔子於季桓子是也。受女樂而不朝、則去之矣。
【読み】
之を迎うるに敬を致して以て禮有り、言うこと將に其の言を行わんとするときは、則ち之に就く。禮貌未だ衰えざれども、言行われざるときは、則ち之を去る。所謂見行可の仕えなり。孔子の季桓子に於るが若き、是れなり。女樂を受けて朝さざるときは、則ち之を去る。

其次、雖未行其言也、迎之致敬以有禮、則就之。禮貌衰、則去之。所謂際可之仕。若孔子於衛靈公是也。故與公遊於囿、公仰視蜚鴈、而後去之。
【読み】
其の次は、未だ其の言を行わずと雖も、之を迎うるに敬を致して以て禮有るときは、則ち之に就く。禮貌衰うるときは、則ち之を去る。所謂際可の仕えなり。孔子の衛の靈公に於るが若き、是れなり。故に公と囿に遊び、公仰いで蜚鴈[ひがん]を視て、而して後に之を去る。

其下、朝不食、夕不食、飢餓不能出門戶。君聞之曰、吾大者不能行其道、又不能從其言也。使飢餓於我土地、吾恥之。周之、亦可受也。免死而已矣。所謂公養之仕也。君之於民、固有周之之義。況此又有悔過之言、所以可受。然未至於飢餓不能出門戶、則猶不受也。其曰免死而已、則其所受亦有節矣。
【読み】
其の下は、朝に食らわず、夕に食らわず、飢餓して門戶を出づること能わず、と。君之を聞いて曰く、吾大いなるは其の道を行うこと能わず、又其の言に從うこと能わず。我が土地に飢餓せしめんこと、吾之を恥ず、と。之を周[すく]うときは、亦受く可し。死を免るるのみ、と。所謂公養の仕えなり。君の民に於る、固より之を周うの義有り。況や此れ又過を悔ゆるの言有れば、以て受く可き所なり。然れども未だ飢餓して門戶を出づること能わざるに至らざるときは、則ち猶受けざるなり。其の死を免るるのみと曰うときは、則ち其の受くる所も亦節有り。


告子章句下15
○孟子曰、舜發於畎畝之中、傅說舉於版築之閒、膠鬲舉於魚鹽之中、管夷吾舉於士、孫叔敖舉於海、百里奚舉於市。說、音悦。○舜耕歴山、三十登庸。說築傅嚴、武丁舉之。膠鬲遭亂、鬻販魚鹽、文王舉之。管仲囚於士官、桓公舉以相國。孫叔敖隱處海濱、楚莊王舉之爲令尹。百里奚事、見前篇。
【読み】
○孟子曰く、舜は畎畝の中より發[おこ]り、傅說は版築の閒より舉げられ、膠鬲[こうかく]は魚鹽[ぎょえん]の中より舉げられ、管夷吾は士より舉げられ、孫叔敖は海より舉げられ、百里奚は市より舉げらる。說は音悦。○舜は歴山に耕し、三十にして登庸さる。說は傅嚴に築き、武丁之を舉ぐ。膠鬲は亂に遭い、魚鹽を鬻販[いくはん]し、文王之を舉ぐ。管仲は士官に囚われ、桓公舉げて以て國の相とす。孫叔敖は海濱に隱れ處り、楚の莊王之を舉げて令尹とす。百里奚の事、前篇に見ゆ。

故天將降大任於是人也、必先苦其心志、勞其筋骨、餓其體膚、空乏其身、行拂亂其所爲。所以動心忍性、曾益其所不能。曾、與增同。○降大任、使之任大事也。若舜以下是也。空、竆也。乏、絶也。拂、戾也。言使之所爲不遂、多背戾也。動心忍性、謂竦動其心、堅忍其性也。然所謂性、亦指氣稟食色而言耳。程子曰、若要熟、也須從這裏過。
【読み】
故に天將に大任を是の人に降さんとすれば、必ず先ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を勞し、其の體膚を餓えしめ、其の身を空乏にし、行わるること其のする所を拂亂す。心を動かし性を忍[た]えて、其の能わざる所を曾益する所以なり。曾は、增と同じ。○大任を降すは、之を大事に任ぜしむるなり。舜以下の若き、是れなり。空は、竆まるなり。乏は、絶ゆるなり。拂は、戾[もと]るなり。言うこころは、之にする所遂げず、多く背戾せしむ、と。心を動かし性を忍えは、其の心を竦動して、其の性を堅忍することを謂うなり。然れども謂う所の性は、亦氣稟食色を指して言うのみ。程子曰く、若し熟を要[もと]むれば、也須く這の裏より過ぐべし、と。

人恒過、然後能改。困於心、衡於慮、而後作。徴於色、發於聲、而後喩。衡、與橫同。○恒、常也。猶言大率也。橫、不順也。作、奮起也。徴、驗也。喩、曉也。此又言、中人之性、常必有過、然後能改。蓋不能謹於平日、故必事勢竆蹙、以至困於心、橫於慮、然後能奮發而興起。不能燭於幾微、故必事理暴著、以至驗於人之色、發於人之聲、然後能警悟而通曉也。
【読み】
人恒に過ち、然して後に能く改む。心に困しみ、慮りに衡[よこたわ]りて、而して後に作[おこ]る。色に徴[あらわ]れ、聲に發[あらわ]して、而して後に喩る。衡は橫と同じ。○恒は常なり。猶大率と言うがごとし。橫は、順ならざるなり。作は、奮起するなり。徴は、驗なり。喩は、曉るなり。此も又言う、中人の性は、常に必ず過有り、然して後に能く改む、と。蓋し平日に謹しむこと能わざる、故に必ず事勢竆蹙して、以て心に困しみ、慮りに橫るに至り、然して後に能く奮發して興起す。幾微を燭[て]らすこと能わざる、故に必ず事理暴著して、以て人の色に驗[あらわ]れ、人の聲に發すに至り、然して後に能く警悟して通曉す。

入則無法家拂士、出則無敵國外患者、國恒亡。拂、與弼同。○此言國亦然也。法家、法度之世臣也。拂士、輔弼之賢士也。
【読み】
入っては則ち法家拂士[ひつし]無く、出でては則ち敵國外患無き者は、國恒に亡ぶ。拂は弼と同じ。○此れ國も亦然りと言うなり。法家は、法度の世臣なり。拂士は、輔弼の賢士なり。

然後知、生於憂患而死於安樂也。樂、音洛。○以上文觀之、則知人之生全、出於憂患、而死亡、由於安樂矣。○尹氏曰、言困竆拂鬱、能堅人之志、而熟人之仁、以安樂失之者多矣。
【読み】
然して後に知る、憂患に生じて安樂に死することを、と。樂は音洛。○上文を以て之を觀れば、則ち人の生けり全きことは、憂患より出でて、死し亡ぶことは、安樂に由ることを知るなり。○尹氏曰く、言うこころは、困竆拂鬱、能く人の志を堅くして、人の仁を熟せども、安樂を以て之を失う者多し、と。


告子章句下16
○孟子曰、敎亦多術矣。予不屑之敎誨也者、是亦敎誨之而已矣。多術、言非一端。屑、潔也。不以其人爲潔而拒絶之、所謂不屑之敎誨也。其人若能感此、退自脩省、則是亦我敎誨之也。○尹氏曰、言或抑或揚、或與或不與、各因其材而篤之。無非敎也。
【読み】
○孟子曰く、敎も亦術多し。予之を屑[いさぎよ]しとして敎誨せざること、是も亦之を敎誨すらくのみ、と。術多しは、言うこころは、一端に非ず、と。屑は潔いなり。其の人を以て潔しとせずして之を拒ぎ絶つは、所謂屑しとせざる敎誨なり。其の人若し能く此に感じて、退いて自ら脩め省みるときは、則ち是も亦我之を敎誨するなり。○尹氏曰く、言うこころは、或は抑え或は揚げ、或は與え或は與えず、各々其の材に因りて之を篤くす。敎に非ざること無し、と。

 

孟子  盡心章句上 ・ 下 (続く)

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(引用文献)

江守孝三(Emori Kozo)