孫子  (孫子兵法 ・  兵法三十六計)
(戦わずして勝つ、それが最上の策である) 原文、読み下し、朗読
計篇作戦篇謀攻篇形篇勢篇虚実篇軍争篇九変篇行軍篇地形篇九地篇火攻篇用間篇、 、 動画1動画2概要兵法三十六計
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孫子兵法(Sun Zi Art of War)



🔴 孫子の兵法 全体編 戦わずして勝つ 世界最高の人間関係戦略書について解説 【 Part 1-20 】
🔴 孫子の兵法から学ぶ戦法と教訓 【 Part 1-7 】
🔴 《孙子大传》映画【 第1集 -第35集 】


【 Part 1-20 】

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計篇 第一
朗読1(兵は国の大事)(朗読1wma)
朗読2(司令官の登用と解任)
朗読3(兵は詭道なり)
朗読4(戦う前に勝敗は予測できる)

01-01
孫子曰、兵者國之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也、故經之以五事、校之以計、而索其情、一曰道、二曰天、三曰地、四曰將、五曰法、
孫子曰く、兵とは国の大事だいじなり、死生しせいの地、存亡そんぼうの道、察せざるべからざるなり。ゆえにこれをはかるに五事ごじをもってし、これをくらぶるにけいをもってして、その情をもとむ。一に曰くみち、二に曰くてん、三に曰く、四に曰くしょう、五に曰くほうなり。

01-02
道者令民與上同意也、故可以與之死、可與之生、而不畏危、天者陰陽寒暑時制也、地者遠近險易廣狹死生也、將者智信仁勇嚴也、法者曲制官道主用也、凡此五者、將莫不聞、知之者勝、不知者不勝、故校之以計、而索其情、曰主孰有道、將孰有能、天地孰得、法令孰行、兵衆孰強、士卒孰練、賞罰孰明、吾以此知勝負矣、
道とは、民をしてかみを同じくし、これと死すべくこれと生くべくして、あやうきをおそれざるなり。天とは、陰陽いんよう寒暑かんしょ時制じせいなり。地とは遠近えんきん険易けんい広狭こうきょう死生しせいなり。しょうとは、智・信・仁・勇・厳なり。法とは、曲制きょくせい官道かんどう主用しゅようなり。およそこの五者は、しょうは聞かざることなきも、これを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。ゆえにこれをくらぶるに計をもってして、その情をもとむ。曰く、主いずれか有道なる、将いずれか有能なる、天地いずれか得たる、法令ほうれいいずれか行なわる、兵衆へいしゅういずれか強き、士卒しそついずれかならいたる、賞罰しょうばついずれか明らかなると。われこれをもって勝負をる。

01-03
將聽吾計、用之必勝、留之、將不聽吾計、用之必敗、去之、計利以聽、乃爲之勢、以佐其外、勢者因利而制權也、
しょうわがけいを聴くときは、これをもちうれば必ず勝つ、これをとどめん。しょうわがけいを聴かざるときは、これを用うれば必ずやぶる、これを去らん。けい、利としてもって聴かるれば、すなわちこれがせいをなして、もってそのそとたすく。せいとは利によりてけんせいするなり。

01-04
兵者詭道也、故能而示之不能、用而示之不用、近而示之遠、遠而示之近、利而誘之、亂而取之、實而備之強而避之、怒而撓之、卑而驕之、佚而勞之、親而離之、攻其無備、出其不意、此兵家之勢、不可先傳也、
兵とは詭道きどうなり。ゆえにのうなるもこれに不能を示し、ようなるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、にしてこれを誘い、らんにしてこれを取り、じつにしてこれに備え、きょうにしてこれを避け、にしてこれをみだし、にしてこれをおごらせ、いつにしてこれを労し、しんにしてこれを離す。その無備むびを攻め、その不意にず。これ兵家のせいさきには伝うべからざるなり。

01-05
夫未戰而廟?勝者、得算多也。未戰而廟算不勝者、得算少也。多算勝、少算不勝、而況於無算乎。吾以此觀之、勝負見矣。
それいまだ戦わずして廟算びょうさんして勝つ者は、さんを得ること多ければなり。いまだ戦わずして廟算びょうさんして勝たざる者は、さんを得ること少なければなり。さん多きは勝ち、さん少なきは勝たず。しかるをいわんやさんなきにおいてをや。われこれをもってこれをるに、勝負あらわる。

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作戦篇 第二

朗読(戦争に拙速はあっても巧久は無い)
朗読(敵の食糧を奪う)
朗読(敵の物資を奪う)
朗読(戦争は長引くとロクなことにならない)

02-01
孫子曰、凡用兵之法、馳車千駟、革車千乘、帶甲十萬、千里饋糧、則内外之費、賓客之用、膠漆之材、車甲之奉、日費千金、然後十萬之師舉矣、其用戰也、勝久則鈍兵挫鋭、攻城則力屈、久暴師則國用不足、夫鈍兵挫鋭、屈力殫貨、則諸侯乘其弊而起、雖有智者、不能善其後矣、故兵聞拙速、未巧之久也、夫兵久而國利者、未之有也、故不盡知用兵之害者、則不能盡知用兵之利也、
孫子曰く、およそ兵をもちうるの法は、馳車ちしゃ 千駟せんし革車かくしゃ千乗せんじょう帯甲たいこう十万、千里にしてりょうおくるときは、すなわち内外の賓客ひんかくの用、膠漆こうしつの材、車甲しゃこうほう、日に千金をついやして、しかるのちに十万の師がる。そのたたかいをおこなうや久しければすなわち兵をつからせえいくじく。城を攻むればすなわち力き、久しく師をさらさばすなわち国用こくようらず。それ兵をつからせ鋭をくじき、力をくし貨をくすときは、すなわち諸侯そのへいに乗じて起こる。智者ありといえども、そのあとをくすることあたわず。ゆえに兵は拙速せっそくなるを聞くも、いまだこうひさしきをざるなり。それ兵久しくして国のする者は、いまだこれあらざるなり。ゆえにことごとく用兵ようへいの害を知らざる者は、すなわちことごとく用兵のをも知ることあたわざるなり。

02-02
善用兵者、役不再籍、糧不三載、取用於國、因糧於敵、故軍食可足也、國之貧於師者遠輸、遠輸則百姓貧、近於師者貴賣、貴賣則百姓財竭、財竭則急於丘役、力屈財殫、中原内虚於家、百姓之費、十去其七、公家之費、破車罷馬、甲冑矢弩、戟楯蔽櫓、丘牛大車、十去其六、故智將務食於敵、食敵一鍾、當吾二十鍾、萁稈一石、當吾二十石、
く兵をもちうる者は、えきは再びはせきせず、りょうたびはさいせず。ようを国に取り、りょうを敵による。ゆえに軍食ぐんしょく足るべきなり。国の師にひんなるは、遠くいたせばなり。遠くいたさば百姓まずし。師に近き者は貴売きばいすればなり。貴売きばいすればすなわち百姓ひゃくせいは財く。財くればすなわち丘役きゅうえきに急にして、力くっし財き、中原ちゅうげんのうち、家にむなしく、百姓の費、十にその七を去る。公家こうかの費、破車はしゃ罷馬ひば甲冑かっちゅう矢弩しど戟楯げきじゅん蔽櫓へいろ丘牛きゅうぎゅう大車だいしゃ、十にその六を去る。ゆえに智将ちしょうは務めて敵にむ。敵の一しょうを食むは、わが二十しょうに当たり、萁稈きかんせきは、わが二十せきたる。

02-03
故殺敵者怒也、取敵之利者貨也、車戰得車十乘上、賞其先得者、而更其旌旗、車雜而乘之、卒善而養之、是謂勝敵而益強、

ゆえに敵を殺す者はいかりなり。敵のを取る者はなり。ゆえに車戦しゃせんに車十乗已上いじょうれば、そのまず得たる者をしょうし、しかしてその旌旗せいきあらため、車はまじえてこれに乗らしめ、そつは善くしてこれを養わしむ。これを敵に勝ちてきょうすと謂う。

02-04
故兵貴勝、不貴久、故知兵之將、生民之司命、國家安危之主也、
ゆえに兵は勝つことを貴ぶ。久しきを貴ばず。ゆえに兵を知るのしょうは、生民せいみん司命しめい、国家安危あんきしゅなり。

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謀攻篇  第三

朗読(百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり)
朗読(城攻めは最後の手段)
朗読(彼我の戦力差によって対処法は違う)
朗読(現場に口出しするな)
朗読(勝利を知る五つの要点)

03-01
凡用兵之法、全國爲上、破國次之、全軍爲上、破軍次之、全旅爲上、破旅次之、全卒爲上、破卒次之、全伍爲上、破伍次之、是故百戰百勝、非善之善者也、不戰而屈人之兵、善之善者也、
孫子曰く、およそ兵をもちうるの法は、国をまっとうするをじょうとなし、国をやぶるはこれにぐ。軍をまっとうするを上となし、軍を破るはこれに次ぐ。りょまっとうするを上となし、りょを破るはこれに次ぐ。そつまっとうするを上となし、そつを破るはこれに次ぐ。まっとうするを上となし、を破るはこれに次ぐ。このゆえに、百戦ひゃくせん百勝ひゃくしょうは善の善なるものにあらざるなり。戦わずして人の兵をくっするは善の善なるものなり。

03-02
故上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵、其下攻城、攻城之法、爲不得已、修櫓轒轀、具器械、三月而後成、距闉又三月而後已、將不勝其忿、而蟻附之、殺士三分之一、而城不拔者、此攻之災也、故善用兵者、屈人之兵、而非戰也、拔人之城、而非攻也、毀人之國、而非久也、必以全爭於天下、故兵不頓、而利可全、此謀攻之法也、
ゆえに上兵じょうへいぼうつ。その次はこうつ。その次は兵をつ。そのは城をむ。城をむるの法はやむをざるがためなり。轒轀ふんおんを修め、器械きかいそなうること、三月みつきしてのちに成る。距闉きょいんまた三月みつきにしてのちにわる。しょうその忿いきどおりにえずしてこれに蟻附ぎふすれば、士を殺すこと三分の一にして、城のけざるは、これ攻のわざわいなり。ゆえに善く兵を用うる者は、人の兵をくっするも、戦うにあらざるなり。人の城をくも、攻むるにあらざるなり。人の国をやぶるも、久しきにあらざるなり。必ずまったきをもって天下に争う。ゆえに兵つかれずして利全くすべし。これ謀攻ぼうこうの法なり。

03-03
用兵之法、十則圍之、五則攻之、倍則分之、敵則能戰之、少則能逃之、不若則能避之、故小敵之堅、大敵之擒也、

ゆえに兵をもちうるの法は、十なればすなわちこれをかこみ、五なればすなわちこれをめ、ばいすればすなわちこれをかち、てきすれば、すなわちよくこれと戦い、すくなければすなわちよくこれをのがれ、かざればすなわちよくこれをく。ゆえに小敵のけんは大敵のきんなり。

03-04
夫將者國之輔也、輔周則國必強、輔隙則國必弱、故君之所以患於軍者三、不知軍之不可以進、而謂之進、不知軍之不可以退、而謂之退、是謂縻軍、不知三軍之事、而同三軍之政、則軍士惑矣、不知三軍之權、而同三軍之任、則軍士疑矣、三軍既惑且疑、則諸侯之難至矣、是謂亂軍引勝、
それしょうは国のなり。輔しゅうなればすなわち国必ず強し。輔げきあればすなわち国必ず弱し。ゆえにきみの軍にうれうるゆえんのものには三あり。軍の進むべからざるを知らずして、これに進めとい、軍の退しりぞくべからざるを知らずして、これに退けと謂う。これを軍をすと謂う。三軍のことを知らずして三軍のせいを同じくすれば、すなわち軍士ぐんしまどう。三軍のけんを知らずして三軍のにんを同じくすれば、すなわち軍士うたがう。三軍すでにまどいかつ疑うときは、すなわち諸侯のなん至る。これを軍を乱してしょうを引くとう。

03-05
故知勝有五、知可以戰、與不可以戰者勝、識衆寡之用者勝、上下同欲者勝、以虞待不虞者勝、將能而君不御者勝、此五者知勝之道也、故曰、知彼知己者、百戰不殆、不知彼而知己、一勝一負、不知彼不知己、毎戰必殆、
ゆえにしょうを知るに五あり。もって戦うべきともって戦うべからざるとを知る者は勝つ。衆寡しゅうかの用をる者は勝つ。上下じょうげの欲を同じくする者は勝つ。をもって不虞ふぐを待つ者は勝つ。しょうのうにしてきみぎょせざる者は勝つ。この五者ごしゃしょうを知るの道なり。ゆえに曰く、彼を知りておのれを知れば、百戦ひゃくせんしてあやうからず。彼を知らずしておのれを知れば、一勝いっしょう一負いっぷす。彼を知らずおのれを知らざれば、戦うごとに必ずあやうし。

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形篇 第四

朗読(まず不敗の態勢を作り、次に敵の隙につけこむ)
朗読(最善の勝利は地味なもの)
朗読(上下に目的を同じくさせる)
朗読(五つの原則で勝敗を予測する)
朗読(積水を千仞の谷に決するが如き者は形なり)

04-01 孫子曰、昔之善戰者、先爲不可勝、以待敵之可勝、不可勝在己、可勝在敵、故善戰者、能爲不可勝、不能使敵之可勝、故曰、勝可知、而不可爲、不可勝者、守也、可勝者、攻也、守則不足、攻則有餘、善守者、藏於九地之下、善攻者、動於九天之上、故能自保而全勝也、
孫子曰く、昔のく戦う者はまず勝つべからざるをなして、もっててきの勝つべきを待つ。勝つべからざるはおのれにあるも、勝つべきはてきにあり。ゆえにく戦う者は、よく勝つべからざるをなすも、てきをして勝つべからしむることあたわず。ゆえに曰く、しょうは知るべくして、なすべからず、と。勝つべからざる者はまもるなり。勝つべき者はむるなり。守るはすなわち足らざればなり、攻むるはすなわちあまりあればなり。く守る者は九地きゅうちの下にかくれ、く攻むる者は九天きゅうてんの上に動く。ゆえによくみずから保ちてしょうまっとうするなり。

04-02
見勝不過衆人之所知、非善之善者也、戰勝而天下曰善、非善之善者也、故舉秋毫不爲多力、見日月不爲明目、聞雷霆不爲聰耳、古之所謂善戰者、勝於易勝者也、故善戰者之勝也、無智名、無勇功、故其戰勝不忒、不忒者、其所措勝、勝已敗者也、故善戰者、立於不敗之地、而不失敵之敗也、是故勝兵先勝而後求戰、敗兵先戰而後求勝、

しょうを見ること衆人しゅうじんの知るところにぎざるは、善の善なる者にあらざるなり。戦い勝ちて天下しと曰うは、善の善なる者にあらざるなり。ゆえに秋亳しゅうごうぐるは多力たりきとなさず。日月じつげつを見るは明目めいもくとなさず。雷霆らいていを聞くは聡耳そうじとなさず。いにしえのいわゆる善く戦う者は、勝ちやすきに勝つ者なり。ゆえに善く戦う者の勝つや、智名ちめいなく、勇功ゆうこうなし。ゆえにその戦い勝ちてたがわず。たがわざる者は、そのくところ必ず勝つ。すでにやぶるる者に勝てばなり。ゆえに善く戦う者は不敗ふはいの地に立ち、しかして敵のはいを失わざるなり。このゆえに勝兵しょうへいはまず勝ちてしかるのちに戦いを求め、敗兵はいへいはまず戦いてしかるのちに勝ちをもとむ。

04-03
善用兵者、修道而保法、故能爲勝敗之政、
く兵をもちうる者は、道をおさめて法をたもつ。ゆえによく勝敗のせいをなす。

04-04
兵法、一曰度、二曰量、三曰數、四曰稱、五曰勝、地生度、度生量、量生數、數生稱、稱生勝、故勝兵若以鎰稱銖、敗兵若以銖稱鎰、
兵法へいほうは、一に曰く、たく。二に曰く、りょう。三に曰く、すう。四に曰く、しょう。五に曰く、しょうしょうじ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず。ゆえに勝兵しょうへいいつをもってしゅはかるがごとく、敗兵はいへいしゅをもっていつはかるがごとし

04-05
勝者之戰民也、若決積水於千仞之谿者、形也、
勝者しょうしゃの民を戦わしむるや、積水せきすい千仞せんじん谿たにに決するがごときは、けいなり。

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勢篇 第五

朗読(編成・意思疎通・正法と奇法・虚実の運用)
朗読(正法と奇法)
朗読(「勢い」と「節目」)
朗読(部隊の編成【数】戦闘の勢い【勢】軍の態勢【形】)
朗読(利益で敵を釣る)
朗読(兵士の個人的気質に頼らず、戦場の勢いによって勝利を得る)

05-01 孫子曰、凡治衆如治寡、分數是也、闘衆如闘寡、形名是也、三軍之衆、可使必受敵而無敗者、奇正是也、兵之所加、如以碬投卵者、虚實是也、
孫子曰く、およそしゅうおさむることを治むるがごとくなるは、分数ぶんすうこれなり。衆をたたかわしむることを闘わしむるがごとくなるは、形名けいめいこれなり。三軍の衆、必ず敵をけてはいなからしむるべきは、奇正きせいこれなり。兵の加うるところ、たんをもってたまごとうずるがごとくなるは、虚実きょじつこれなり。

05-02
凡戰者、以正合、以奇勝、故善出奇者、無窮如天地、不竭如江、終而復始、日月是也、死而生、四時是也、聲不過五、五聲之變、不可勝聽也、色不過五、五色之變、不可勝觀也、味不過五、五味之變、不可勝也、戰勢、不過奇正、奇正之變、不可勝窮也、奇正相生、如循環之無端、孰能窮之

およそ戦いは、せいをもってがっし、奇をもって勝つ。ゆえに善く奇をだす者は、きわまりなきこと天地のごとく、きざること江河こうがのごとし。終わりてまた始まるは、日月じつげつこれなり。死してまた生ずるは、四時しじこれなり。こえは五に過ぎざるも、五声の変はげて聴くべからざるなり。いろは五に過ぎざるも、五色ごしきの変はげてるべからざるなり。あじは五に過ぎざるも、五味ごみの変はげてむべからざるなり。戦勢せんせい奇正きせいに過ぎざるも、奇正の変はげてきわむべからざるなり。奇正のあい生ずることは、循環のはしなきがごとし。たれかよくこれをきわめんや。

05-03
激水之疾、至於漂石者、勢也、鷙鳥之疾、至於毀折者、節也、故善戰者、其勢險、其節短、勢如彍弩、節如發機、
げき水のはやくして石をただよわすに至るは、せいなり。鷙鳥しちょうはやくして毀折きせつに至るは、せつなり。このゆえにく戦う者は、そのせいけんにしてその節は短なり。せいくがごとく、節はを発するがごとし。

05-04
紛紛紜紜、闘亂而不可亂、渾渾沌沌、形圓而不可敗也>、
紛紛紜紜ふんぷんうんうんとしてたたかみだれて、みだすべからず。渾渾沌沌こんこんとんとんとして形まるくして、やぶるべからず。

05-05
亂生於治、怯生於勇、弱生於彊、治亂數也、勇怯勢也、彊弱形也、
乱は治に生じ、きょうは勇に生じ、弱はきょうに生ず。治乱はすうなり。勇怯ゆうきょうせいなり。彊弱きょうじゃくけいなり。

05-06
故善動敵者、形之、敵必從之、予之、敵必取之、以利動之、以卒待之、
ゆえにく敵を動かす者は、これにけいすれば敵必ずこれに従い、これにあたうれば、敵必ずこれを取る。をもってこれを動かし、そつをもってこれをつ。

05-07
故善戰者、求之於勢、不責於人、故能擇人而任勢、任勢者、其戰人也、如轉木石、木石之性、安則靜、危則動、方則止、圓則行、故善戰人之勢、如轉圓
石於千仞之山者、勢也、
ゆえにく戦う者は、これをせいに求めて、人にもとめず。ゆえによく人をててせいにんず。せいに任ずる者は、その人を戦わしむるや、木石ぼくせきを転ずるがごとし。木石ぼくせきせいは、あんなればすなわちせいに、なればすなわち動き、ほうなればすなわちとどまり、えんなればすなわちく。ゆえにく人を戦わしむるのいきおい、円石えんせき千仞せんじんの山に転ずるがごときは、せいなり。

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虚実篇 第六

朗読(主導権を握る)
朗読(敵が守らない所を攻め、攻めない所を守る)
朗読(敵の虚を衝く)
朗読(戦力の集中)
朗読(戦う前に損得を計測する)
朗読(究極の【形】は【無形】)
朗読(軍隊の形は水のようなもの)

06-01
孫子曰、凡先處戰地、而待敵者佚、後處戰地、而趨戰者勞、故善戰者、致人而不致於人、能使敵人自至者、利之也、能使敵人不得至者、害之也、故敵佚能勞之、飽能饑之、安能動之、
孫子曰く、およそさきに戦地にりて敵を待つ者はいっし、おくれて戦地にりて戦いにおもむく者は労す。ゆえに善く戦う者は、人をいたして人にいたされず。よく敵人てきじんをしてみずからいたらしむるは、これを利すればなり。よく敵人てきじんをして至るを得ざらしむるは、これをがいすればなり。ゆえに敵いっすればよくこれを労し、けばよくこれをえしめ、やすければよくこれをうごかす。

06-02
出其所不趨、趨其所不意、行千里而不勞者、行於無人之地也、攻而必取者、攻其所不守也、守而必固者、守其所不攻也、故善攻者、敵不知其所守、善守者、敵不知其所攻、微乎微乎、至於無形、神乎神乎、至於無聲、故能爲敵之司命、
その必ずおもむく所にで、そのおもわざる所におもむき、千里をいてつかれざるは、無人の地をけばなり。攻めて必ず取るは、その守らざる所をむればなり。守りて必ずかたきは、その攻めざる所を守ればなり。ゆえにく攻むる者には、敵、その守る所を知らず。く守る者には、敵、そのむる所を知らず。なるかななるかな、無形むけいに至る。しんなるかなしんなるかな、無声むせいに至る。ゆえによく敵の司命しめいをなす。

06-03
進而不可禦者、衝其虚也、退而不可追者、速而不可及也、故我欲戰、敵雖高壘深溝、不得不與我戰者、攻其所必救也、我不欲戰、地而守之、敵不得與我戰者、乖其所之也、

進みてふせぐべからざるは、その虚をけばなり。退しりぞきて追うべからざるは、すみやかにして及ぶべからざればなり。ゆえにわれ戦わんと欲すれば、敵、るいを高くしこうを深くすといえども、われと戦わざるをざるは、その必ず救う所をむればなり。われ戦いを欲せざれば、地をかくしてこれを守るも、敵、われと戦うをざるは、そのく所にそむけばなり。

06-04
故形人而我無形、則我專而敵分、我專爲一、敵分爲十、是以十攻其一也、則我衆敵寡、能以衆撃寡者、則吾之所與戰者約矣、吾所與戰之地不可知、不可知、則敵所備者多、敵所備者多、則吾所與戰者寡矣、故備前則後寡、備後則前寡、備左則右寡、備右則左寡、無所不備、則無所不寡、寡者備人者也、衆者使人備己者也、故知戰之地、知戰之日、則可千里而會戰、不知戰地、不知戰日、則左不能救右、右不能救左、前不能救後、後不能救前、而況遠者數十里、近者數里乎、以吾度之、越人之兵雖多、亦奚益於勝敗哉、故曰、勝可爲也、敵雖衆、可使無闘、
ゆえに人をかたちせしめてわれにかたちなければ、すなわちわれはあつまりて敵は分かる。われはあつまりて一となり、敵は分かれて十とならば、これ十をもってその一をむるなり。すなわちわれはおおくして敵はすくなし。よくしゅうをもってを撃たば、すなわちわれのともに戦うところの者はやくなり。われのともに戦うところの地は知るべからず。知るべからざれば、すなわち敵のそなうるところの者多し。敵のそなうるところの者多ければ、すなわちわれのともに戦うところの者はすくなし。ゆえにまえに備うればすなわちうしろすくなく、後に備うればすなわち前すくなく、左に備うればすなわち右すくなく、右に備うればすなわち左すくなく、備えざるところなければすなわちすくなからざるところなし。すくなきは人に備うるものなり。おおき者は人をしておのれに備えしむるものなり。ゆえに戦いの地を知り、戦いの日を知れば、すなわち千里せんりにして会戦かいせんすべし。戦いの地を知らず、戦いの日を知らざれば、すなわち左は右をすくうことあたわず、右は左をすくうことあたわず、前は後をすくうことあたわず、後は前をすくうことあたわず。しかるをいわんや遠きは数十里すうじゅうり、近きは数里なるをや。われをもってこれをはかるに、越人えつひとの兵は多しといえども、またなんぞ勝敗しょうはいえきせんや。ゆえに曰く、しょうはなすべきなり。敵はおおしといえども、たたかうことなからしむべし。

06-05
故策之而知得失之計、作之而知動靜之理、形之而知死生之地、角之而知有餘不足之處、
ゆえにこれをはかりて得失とくしつの計を知り、これをおこして動静どうせいを知り、これをあらわして死生しせいの地を知り、これにれて有余ゆうよ不足のところを知る。

06-06
故形兵之極、至於無形、無形、則深間不能窺、智者不能謀、因形而勝於衆、衆不能知、人皆知我所以勝之形、而莫知吾所以制勝之形、故其戰勝不復、而應形於無窮、
ゆえに兵をあらわすのきょくは、無形むけいに至る。無形むけいなれば、すなわち深間しんかんうかがうことあたわず、智者もはかることあたわず。けいりてしょうくも、衆は知ることあたわず。人みなわが勝つゆえんのけいを知るも、わがしょうを制するゆえんのけいを知ることなし。ゆえにその戦い勝つやくりかえさずして、けい無窮むきゅうおうず。

06-07
夫兵形象水、水之形、避高而趨下、兵之形、避實而撃虚、水因地而制流、兵因敵而制勝、故兵無常勢、水無常形、能因敵變化而取勝者、謂之神、故五行無常勝、四時無位、日有短長、月有死生、
それ兵のかたちは水にかたどる。水のかたちは高きをけてひくきにおもむく。兵のかたちじつけてきょつ。水は地にりて流れを制し、兵は敵に因りてちを制す。ゆえに兵に常勢じょうせいなく、水に常形じょうけいなし。よく敵にりて変化してしょうを取る者、これをしんと謂う。ゆえに五行ごぎょう常勝じょうしょうなく、四時しじ常位じょういなく、日に短長たんちょうあり、月に死生しせいあり。

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軍争篇 第七

朗読(迂直の計)
朗読(諸侯がどんな絵図を描いているか)
朗読(風林火山)
朗読(鐘や太鼓、旗や幟)

07-01
孫子曰、凡用兵之法、將受命於君、合軍聚衆、交和而舍、莫難於軍爭、軍爭之難者、以迂爲直、以患爲利、故迂其途、而誘之以利、後人發、先人至、此知迂直之計者也、
孫子曰く、およそ兵をもちうるの法は、しょうめいきみより受け、軍をがっし衆をあつめ、和をまじえてとどまるに、軍争よりかたきはなし。軍争の難きは、をもってちょくとなし、かんをもって利となす。ゆえにそのみちにして、これをさそうに利をもってし、人におくれて発し、人にさきんじて至る。これ迂直うちょくけいを知るものなり。

07-02
故軍爭爲利、軍爭爲危、舉軍而爭利、則不及、委軍而爭利、則輜重捐、是故卷甲而趨、日夜不處、倍道兼行、百里而爭利、則擒三將軍、勁者先、疲者後、其法十一而至、五十里而爭利、則?上將軍、其法半至、三十里而爭利、則三分之二至、是故軍無輜重則亡、無糧食則亡、無委積則亡、
ゆえに軍争は利たり、軍争はたり。軍をげて利を争えばすなわち及ばず、軍をてて利を争えばすなわち輜重しちょうてらる。このゆえにこうきてはしり、曰夜らず、道をばいして兼行けんこうし、百里にして利を争うときは、すなわち三将軍をとりこにせらる。つよき者はさきだち、つかるる者はおくれ、その法、十にして一いたる。五十里にして利を争うときは、すなわち上将軍じょうしょうぐんたおす。その法、なかば至る。三十里にして利を争うときは、すなわち三分の二いたる。このゆえに軍に輜重しちょうなければすなわちほろび、糧食りょうしょくなければすなわち亡び、委積いしなければすなわちほろぶ。

07-03
故不知諸侯之謀者、不能豫交、不知山林險阻沮澤之形者、不能行軍、不用郷導者、不能得地利、
ゆえに諸候しょこうぼうを知らざる者は、あらかじまじわることあたわず。山林さんりん険阻けんそ沮沢そたくの形を知らざる者は、軍をることあたわず。郷導きょうどうもちいざる者は、ることあたわず。

07-04
故兵以詐立、以利動、以分合爲變者也、故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷震、掠郷分衆、廓地分利、懸權而動、先知迂直之計者勝、此軍爭之法也、
ゆえに兵はをもって立ち、利をもって動き、分合ぶんごうをもって変をなすものなり。ゆえにそのはやきこと風のごとく、そのしずかなること林のごとく、侵掠しんりゃくすること火のごとく、動かざること山のごとく、知り難きこといんのごとく、動くこと雷震らいしんのごとし。きょうかすむるには衆を分かち、地をひろむるには利を分かち、権をけて動く。迂直うちょくけい先知せんちする者は勝つ。これ軍争ぐんそうほうなり。

07-05
軍政曰、言不相聞、故爲金鼓、視不相見、故爲旌旗、夫金鼓旌旗者、所以一人之耳目也、人既專一、則勇者不得獨進、怯者不得獨退、此用衆之法也、故夜戰多鼓、晝戰多旌旗、所以變人之耳目也、三軍可奪氣、將軍可奪心、是故朝氣鋭、晝氣惰、暮氣歸、善用兵者、避其鋭氣、撃其惰歸、此治氣者也、以治待亂、以靜待譁、此治心者也、以近待遠、以佚待勞、以飽待、此治力者也、無邀正正之旗、勿撃堂堂之陳、此治變者也、
軍政ぐんせいに曰く、「言うともあい聞えず、ゆえに金鼓きんこつくる。しめすともあい見えず、ゆえに旌旗せいきつくる」と。それ金鼓きんこ旌旗せいきは人の耳目じもくを一にするゆえんなり。人すでに専一せんいつなれば、すなわち勇者ゆうじゃもひとり進むことを得ず、怯者きょうじゃもひとり退くことを得ず。これ衆をもちうるの法なり。ゆえに夜戦に火鼓かこ多く、昼戦ちゅうせん旌旗せいき多きは、人の耳目じもくを変うるゆえんなり。ゆえに三軍さんぐんには気を奪うべく、将軍には心を奪うべし。このゆえに朝の気はえい、昼の気はくれの気は。ゆえにく兵をもちうる者は、その鋭気えいきを避けてその惰帰だきを撃つ。これ気を治むる者なり。をもって乱を待ち、静をもってを待つ。これ心をおさむる者なり。近きをもって遠きを待ち、いつをもって労を待ち、ほうをもってを待つ。これ力を治むる者なり。正々せいせいの旗をむかうることなく、堂々のじんを撃つことなし。これへんおさむるものなり。

07-06
故用兵之法、高陵勿向、背丘勿逆、佯北勿從、鋭卒勿攻、餌兵勿食、歸師勿遏、圍師必闕、窮寇勿迫、此用兵之法也、
ゆえに兵をもちうるの法は、高陵こうりょうにはかうことなかれ、おかにするにはむかうことなかれ、いつわぐるにはしたがうことなかれ、鋭卒えいそつにはむることなかれ、餌兵じへいにはらうことなかれ、帰師きしにはとどむることなかれ、囲師いしには必ずき、窮寇きゅうこうにはせまることなかれ。これ兵をもちうるのほうなり。

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九変篇  第八

朗読(用兵の九つの原則)
朗読(君命に受けざる所あり)
朗読(用兵を知る者)
朗読(利害両面を考える)
朗読(害で脅し利益で釣る)
朗読(敵が来ないのをあてにせず、いつ来てもいいように備えておく)
朗読(司令官の避けるべき五つの危険)

08-01
孫子曰、凡用兵之法、將受命於君、合軍聚衆、圮地無舍、衢地交合、絶地無留、圍地則謀、死地則戰、有所不由、軍有所不撃、城有所不攻、地有所不爭、君命有所不受、

孫子曰く、およそ兵をもちうるの法は、しょうめいきみに受け、軍をがっし衆をあつめ、圮地ひちにはやどることなく、衢地くちにはまじわりがっし、絶地ぜっちには留まることなく、囲地いちにはすなわちはかり、死地しちにはすなわち戦う。みちらざる所あり。軍に撃たざる所あり。城にめざる所あり。地に争わざる所あり。君命くんめいに受けざるところあり。

08-02
故將通於九變之利者、知用兵矣、將不通於九變之利<者、雖知地形、不能得地之利矣、治兵不知九變之術、雖知五利、不能得人之用矣、
ゆえにしょう九変きゅうへんに通ずれば、兵をもちうることを知る。しょう、九変の利に通ぜざれば、地形ちけいを知るといえども、地の利をることあたわず。兵を治めて九変のじゅつを知らざれば、五利ごりを知るといえども、人のようることあたわず。

08-03
是故智者之慮、必雜於利害、雜於利、而務可信也、雜於害、而患可解也、是故屈諸侯者以害、役諸侯者以業、趨諸侯者以利、
このゆえに智者のりょは必ず利害にまじう。利にまじえて務めぶべきなり。害にまじえてうれくべきなり。このゆえに諸侯をくっするものは害をもってし、諸侯をえきするものはぎょうをもってし、諸侯をはしらすものはをもってす。

08-04
故用兵之法、無恃其不來、恃吾有以待也、無恃其不攻、恃吾有所不可攻也、
ゆえに兵をもちうるの法は、その来たらざるをたのむなく、われのもってつあるをたのむなり。その攻めざるをたのむなく、われの攻むべからざるところあるをたのむなり。

08-05
故將有五危、必死可殺、必生可虜也、忿速可侮也、廉潔可辱也、愛民可煩也、凡此五者、將之過也、用兵之災也、覆軍殺將、必以五危、不可不察也、
ゆえにしょう五危ごきあり。必死ひっしは殺さるべきなり、必生ひっしょうとりこにさるべきなり、忿速ふんそくあなどらるべきなり、廉潔れんけつはずかしめらるべきなり、愛民あいみんわずらわさるべきなり。およそこの五者ごしゃしょうあやまちなり、兵をもちうるのわざわいなり。軍をくつがえしょうを殺すは必ず五危ごきをもってす。さっせざるべからざるなり。

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行軍篇 第九

朗読(軍の配置と敵情の観察について)
朗読(軍隊を布陣するのは高所がよい)
朗読(川の水が泡立っているなら)
朗読(避けるべき地形)
朗読(伏兵が潜んでいる地形)
朗読(敵情の観察(一))
朗読(敵情の観察(ニ))
朗読(敵情の観察(三))
朗読(数が多ければいいというものではない)

09-01
孫子曰、凡處軍相敵、絶山依谷、視生處高、戰隆無登、此處山之軍也、絶水必遠水、客絶水而來、勿迎之於水内、令半濟而撃之利、欲戰者、無附於水而迎客、視生處高、無迎水流、此處水上之軍也、絶斥澤、惟<亟去無留、若交軍於斥澤之中、必依水草、而背衆樹、此處斥澤之軍也、平陸處易、而右背高、前死後生、此處平陸之軍也、凡此四軍之利、黄帝之所以勝四帝也、
孫子曰く、およそ軍をき敵をるに、山をゆれば谷にり、生をて高きにり、たかきに戦うに登ることなかれ。これ山にるの軍なり。水をわたれば必ず水に遠ざかり、客、水をわたりて来たらば、これを水の内に迎うるなく、なかわたらしめてこれを撃つはあり。戦わんと欲する者は、水にきて客を迎うることなかれ。生をて高きにり、水流を迎うることなかれ。これ水上にるの軍なり。斥沢せきたくゆれば、ただすみやかに去って留まることなかれ。もし軍を斥沢せきたくの中にまじうれば、必ず水草にりて衆樹しゅうじゅにせよ。これ斥沢せきたくるの軍なり。平陸へいりくにはやすきにりて高きを右背ゆうはいにし、死を前にして生をうしろにせよ。これ平陸へいりくるの軍なり。およそこの四軍の利は、黄帝の四帝していに勝ちしゆえんなり。

09-02
凡軍好高而惡下、貴陽而賤陰、養生而處實、軍無百疾、是謂必勝、丘陵隄防、必處其陽而右背之、此兵之利、地之助也、上雨水沫至、欲渉者、待其定也、
およそ軍は高きを好みてひくきをにくみ、ようたっとびて陰をいやしむ。生を養いて実にり、軍に百疾ひゃくしつなし。これを必勝ひっしょうと謂う。丘陵隄防ていぼうには必ずそのようりてこれを右背ゆうはいにす。これ兵の利、地の助けなり。うえに雨ふりて水沫すいまつ至らば、わたらんと欲する者は、その定まるをて。

09-03
凡地有絶澗、天井、天牢、天羅、天陷、天隙、必亟去之、勿近也、吾遠之敵近之、吾迎之敵背之、軍行有險阻、潢井、葭葦、山林、翳薈者、必謹覆索之、此伏姦之所處也、
およそ地に絶澗ぜっかん天井てんせい天牢てんろう天羅てんら天陥てんかん天隙てんげきあらば、必ずすみやかにこれを去りてちかづくことなかれ。われはこれに遠ざかり、敵はこれにちかづかせ、われはこれをむかえ、敵はこれにうしろにせしめよ。軍行に険阻けんそ溝井こうせい葭葦かい、山林、翳薈えいわいあらば、必ずつつしんでこれを覆索ふくさくせよ。これ伏姦ふくかんところなり。

09-04
敵近而靜者、恃其險也、遠而挑戰者、欲人之進也、其所居易者、利也、衆樹動者、來也、衆草多障者、疑也、鳥起者、伏也、獸駭者、覆也、塵高而鋭者、車來也、卑而廣者、徒來也、散而條達者、樵採也、少而往來者、營軍也、
敵近くして静かなるはそのけんたのめばなり。遠くして戦いをいどむは、人の進むを欲するなり。そのる所のなるは、利なればなり。衆樹しゅうじゅの動くは、来たるなり。衆草しゅうそうしょう多きは、なり。鳥のつは、ふくなり。じゅうおどろくは、ふくなり。ちり高くしてするどきは、車の来たるなり。ひくくして広きは、の来たるなり。さんじて条達じょうたつするは、樵採しょうさいするなり。少なくして往来するは、軍をいとなむなり。

09-05
辭卑而益備者、進也、辭疆而進驅者、退也、輕車先出居其側者、陳也、無約而請和者、謀也、奔走而陳兵車者、期也、半進半退者、誘也、
ことばひくくして備えをすは、進むなり。ことばつよくして進駆しんくするは、退しりぞくなり。軽車まずでてそのかたわらに居るは、じんするなり。やくなくしてうは、はかるなり。奔走して兵車をつらぬるは、するなり。半進半退するは、さそうなり。

09-06
杖而立者、飢也、汲而先飮者、渇也、見利而不進者、勞也、鳥集者、虚也、夜呼者、恐也、軍擾者、將不重也、旌旗動者、亂也、吏怒者、倦也、粟馬肉食、軍無糧也、懸缻不返其舍者、窮寇也、諄諄翕翕、徐與人言者、失衆也、數賞者、窘也、數罰者、困也、先暴而後畏其衆者、不精之至也、來委謝者、欲休息也、兵怒而相迎、久而不合、又不相去、必謹察之、
つえつきて立つは、うるなり。みてまず飲むは、かつするなり。利を見て進まざるは、つかるるなり。鳥の集まるは、むなしきなり。夜呼ぶは、恐るるなり。軍のみだるるは、しょうの重からざるなり。旌旗せいきの動くは、乱るるなり。の怒るは、みたるなり。馬をぞくして肉食するは、軍にりょうなきなり。けてそのしゃに返らざるは、窮寇きゅうこうなり。諄諄翕翕じゅんじゅんきゅうきゅうとして、おもむろに人とうは、衆を失うなり。しばしば賞するは、くるしむなり。しばしば罰するは、くるしむなり。さきに暴にしてのちにその衆をおそるるは、不精ふせいの至りなり。来たりて委謝いしゃするは、休息を欲するなり。兵怒りてあい迎え、久しくしてがっせず、またあい去らざるは、必ずつつしみてこれをさっせよ。

09-07
兵非益多也惟無武進、足以併力料敵、取人而已、夫惟無慮而易敵者、必擒於人、卒未親附而罰之、則不服、不服則難用也、卒已親附而罰不行、則不可用也、故令之以文、齊之以武、是謂必取、令素行以教其民、則民服、令不素行以教其民、則民不服、令素行者、與衆相得也、
兵は多きをえきとするにあらざるなり。ただ武進ぶしんすることなく、もって力をあわせて敵をはかるに足らば、人を取らんのみ。それただおもんぱかりなくして敵をあなどる者は、必ず人にとりこにせらる。そつ、いまだ親附しんぷせざるにしかもこれをばっすれば、すなわち服せず。服せざればすなわち用いがたきなり。そつすでに親附しんぷせるにしかもばつ行なわれざれば、すなわち用うべからざるなり。ゆえにこれにれいするに文をもってし、これをととのうるに武をもってす。これを必取ひっしゅと謂う。令、もとより行なわれて、もってその民を教うれば、すなわち民ふくす。令、もとより行なわれずして、もってその民を教うれば、すなわち民ふくせず。令、もとより行なわるる者は、衆とあいるなり。

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地形篇 第十

朗読(六種類の地形)
朗読(六つの負けパターン)
朗読(敵情や地形から勝敗を予測するのが司令官の役目)
朗読(兵士たちを赤ん坊のように可愛がる)
朗読(彼を知りて己を知れば、勝 乃ち殆うからず。地を知りて天を知れば、勝 乃ち全うすべし)

10-01
孫子曰、地形、有通者、有挂者、有支者、有隘者、有險者、有遠者、我可以往、彼可以來、曰通、通形者、先居高陽、利糧道以戰則利、可以往、難以返、曰挂挂形者、敵無備、出而勝之、敵若有備、出而不勝、難以返不利、我出而不利、彼出而不利、曰支、支形者、敵雖利我、我無出也、引而去之、令敵半出而撃之利、隘形者、我先居之、必盈之以待敵、若敵先居之、盈而勿從、不盈而從之、險形者、我先居之、必居高陽以待敵、若敵先居之、引而去之勿從也、遠形者、勢均難以挑戰、戰而不利、凡此六者、地之道也、將之至任、不可不察也、
孫子曰く、地形には、つうなる者あり、かいなる者あり、なる者あり、あいなる者あり、けんなる者あり、えんなる者あり。われもってくべく、彼もって来たるべきをつうという。通なるけいには、まず高陽こうようり、糧道りょうどうを利してもって戦わば、すなわち利あり。もってくべく、もって返りがたきをかいという。かいなるけいには、敵に備えなければでてこれに勝ち、敵もしそなえあらば出でて勝たず。もって返りがたくして、不利なり。われ出でて不利、彼も出でて不利なるをという。なるけいには、敵、われを利すといえども、われずることなかれ。引きてこれを去り、敵をしてなかば出でしめてこれを撃つはなり。あいなるけいには、われまずこれに居らば、必ずこれをたしてもって敵を待つ。もし敵まずこれに居り、つればすなわち従うことなかれ、たざればすなわちこれに従え。けんなるけいには、われまずこれに居らば、必ず高陽こうように居りてもって敵を待つ。もし敵まずこれに居らば、引きてこれを去りて従うことなかれ。えんなるけいには、勢いひとしければもって戦いをいどみ難く、戦えばすなわち不利ふりなり。およそこの六者ろくしゃは地の道なり。しょう至任しにんさっ せざるべからず。

10-02
故兵有走者、有弛者、有陷者、有崩者、有亂者、有北者、凡此六者、非天之災、將之過也、夫勢均、以一撃十曰走、吏強吏弱曰弛、吏強吏弱曰陷、大吏怒而不服、遇敵懟而自戰、將不知其能、曰崩、將弱不嚴、教道不明、吏卒無常、陳兵縱横、曰亂、將不能料敵、以少合衆、以弱撃強、兵無選鋒、曰北、凡此六者、敗之道也、將之至任、不可不察也、
ゆえに兵には、そうなるものあり、なるものあり、かんなるものあり、ほうなるものあり、らんなるものあり、ほくなるものあり。およそこの六者ろくしゃは、天地のわざわいにあらず、しょうあやまちなり。それ勢いひとしきとき、一をもって十を撃つをそうという。そつ強くして弱きをという。強くしてそつ弱きをかんという。大吏だいり怒りて服さず、敵にえばうらみてみずから戦い、しょうはそののうを知らざるをほうという。しょう弱くしてげんならず、教道きょうどうも明かならずして、吏卒りそつ常なく、兵をつらぬること縦横じゅうおうなるをらんという。しょう、敵をはかることあたわず、小をもって衆にい、弱をもってきょうを撃ち、兵に選鋒せんぽうなきをほくという。およそこの六者ろくしゃはいの道なり。しょう至任しにんにして、さっせざるべからず。

10-03
夫地形者、兵之助也、料敵制勝、計險阨遠近、上將之道也、知此而用戰者必勝、不知此而用戰者必敗、故戰道必勝、主曰無戰、必戰可也、戰道不勝、主曰必戰、無戰可也、故進不求名、退不避罪、唯是保、而利於主、國之寳也、
それ地形は兵の助けなり。敵をはかりて勝ちをせいし、険阨けんあい・遠近をはかるは、上将じょうしょうの道なり。これを知りて戦いをもちうる者は必ず勝ち、これを知らずして戦いをもちうる者は必ずやぶる。ゆえに戦道せんどう必ず勝たば、しゅは戦うなかれというとも、必ず戦いてなり。戦道せんどう勝たずんば、しゅは必ず戦えというとも、戦うなくしてなり。ゆえに進んで名を求めず、退しりぞいて罪をけず、ただ民をこれ保ちて利のしゅに合うは、国のたからなり。

10-04
視卒如嬰兒、故可與之赴深谿、視卒如愛子、故可與之倶死、厚而不能使、愛而不能令、亂而不能治、譬驕子、不可用也、
そつること嬰児えいじのごとし、ゆえにこれと深谿しんけいおもむくべし。そつること愛子あいしのごとし、ゆえにこれとともに死すべし。あつくして使うことあたわず、愛してれいすることあたわず、みだれて治むることあたわざれば、たとえば驕子きょうしのごとく、もちうべからざるなり。

10-05
知吾卒之可以撃、而不知敵之不可撃、勝之半也、知敵之可撃、而不知吾卒之不可以撃、勝之半也、知敵之可撃、知吾卒之可以撃、而不知地形之不可以戰、勝之半也、故知兵者、動而不迷、舉而不窮、故曰、知彼知己、勝乃不殆、知天知地、勝乃不窮

わがそつのもって撃つべきを知るも、敵の撃つべからざるを知らざるは、しょうなかばなり。敵の撃つべきを知るも、わがそつのもって撃つべからざるを知らざるは、しょうなかばなり。敵の撃つべきを知り、わがそつのもって撃つべきを知るも、地形ちけいのもって戦うべからざるを知らざるは、しょうなかばなり。ゆえに兵を知る者は、動いて迷わず、げてきゅうせず。ゆえに曰く、かれを知りおのれを知れば、しょう、すなわちあやうからず。天を知り地を知れば、しょう、すなわちきわまらず。

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九地篇 第十一

朗読(九種類の土地の状態)
朗読(敵を分断する)
朗読(先ずその愛する所を奪えば聴かん)
朗読(死地に追い込め)
朗読(呉越同舟)
朗読(司令官のあるべき姿)
朗読(それぞれの場所で、司令官が兵士たちに対して取るべき態度)
朗読(死地に陥れて然る後に生く)
朗読(始めは処女の如く、後には脱兎の如し)

11-01
孫子曰、用兵之法、有散地、有輕地、有爭地、有交地、有衢地、有重地、有圮地、有圍地、有死地、諸侯自戰其地、爲散地、入人之地而不深者、爲輕地、我得則利、彼得亦利者、爲爭地、我可以往、彼可以來者、爲交地、諸侯之地三屬、先至而得天下之衆者、爲衢地、入人之地深、背城邑多者、爲重地、山林、險阻、沮澤、凡難行之道者、爲圮、地、所由入者隘、所從歸者迂、彼寡可以撃吾之衆者、爲圍地、疾戰則存、不疾戰則亡者、爲死地、是故散地則無戰、輕地則無止、爭地則無攻、交地則無絶、衢地則合交、重地則掠、圮、地則行、圍地則謀、死地則戰、
孫子曰く、兵をもちいるの法は、散地さんちあり、軽地けいちあり、争地そうちあり、交地こうちあり、衢地くちあり、重地ちょうちあり、圮地ひちあり、囲地いちあり、死地しちあり。諸侯みずからその地に戦うを散地さんちとなす。人の地に入りて深からざるものを軽地けいちとなす。われれば利あり、かれるもまた利あるものを争地そうちとなす。われもってくべく、かれもって来たるべきものを交地こうちとなす。諸侯の地三属さんぞくし、さきに至れば天下の衆をべきものを衢地くちとなす。人の地に入ること深くして、城邑じょうゆうにすること多きものを重地じゅうちとなす。山林、険阻けんそ狙沢そたく、およそ行きがたきの道を行くものを?地ひちとなす。りて入るところのものせまく、りて帰るところのものにして、かれにしてもってわれの衆を撃つべきものを囲地いちとなす。く戦えばそんし、く戦わざればほろぶるものを死地しちとなす。このゆえに散地さんちにはすなわち戦うことなかれ。軽地けいちにはすなわちとどまることなかれ。争地そうちにはすなわちむることなかれ。交地こうちにはすなわちつことなかれ。衢地くちにはすなわちまじわりをがっす。重地じゅうちにはすなわちかすむ。圮地ひちにはすなわち行く。囲地いちにはすなわちはかる。死地しちにはすなわちたたかう。

11-02
所謂古之善用兵者、能使敵人前後不相及、衆寡不相恃、貴賤不相救、上下不相収、卒離而不集、兵合而不齋、合於利而動、不合於利而止、
いわゆるいにしえく兵をもちうる者は、よく敵人をして前後あい及ばず、衆寡しゅうかあいたのまず、貴賤きせんあい救わず、上下じょうげあいおさめず、そつ離れて集まらず、兵がっしてととのわざらしむ。利にがっして動き、利に合せずしてむ。

11-03
敢問、敵衆整而將來、待之若何、曰、先奪其所愛、則聽矣、兵之情主速、乗人之不及、由不虞之道、攻其所不戒也、
あえて問う、敵おおく整いてまさに来たらんとす。これをつこといかん。曰く、まずその愛するところをうばえ、すなわち聴かん、と。兵の情は速やかなるをしゅとす。人の及ばざるに乗じ、はからざるの道により、そのいましめざるところをむるなり。

11-04
凡爲客之道、深入則專、主人不克、掠於饒野三軍足食、謹養而勿勞、併氣積力、運兵計謀、爲不可測、投之無所往、死且不北、死焉不得、士人盡力、兵士甚陷則不懼、無所往則固、深入則拘、不得已則鬪、是故其兵不修而戒、不求而得、不約而親、不令而信、禁祥去疑、至死無所之、吾士無餘財、非惡貨也、無餘命、非惡壽也、令發之日、士卒坐者涕霑襟、偃臥者涕交頤、投之無所往者、諸劌之勇也、
およそかくたるの道は、深く入ればすなわち専にして、主人たず。饒野じょうやかすめて三軍しょく足り、つつしみ養いて労するなく、気をあわせ力を積み、兵をめぐらし計謀けいぼうしてはかるべからざるをなす。これをくところなきに投ずれば、死すもかつげず。死いずくんぞざらん。士人しじん力を尽くさん。兵士、はなはだおちいればすなわちおそれず。くところなければすなわち固く、深く入ればすなわちこうし、むを得ざればすなわち闘う。このゆえに、その兵おさめずしていましめ、求めずして、約せずして親しみ、令せずして信ず。しょうを禁じを去り、死に至るまでくところなし。わが士、余財よざいなきは貨をにくむにあらず。余命よめいなきは寿じゅにくむにあらず。れい、発するの曰、士卒しそつする者はなみだえりうるおし、堰臥えんがする者はなみだあごまじわる。これをくところなきに投ずればしょけいゆうなり。

11-05
故善用兵者、譬如率然、率然者、常山之蛇也、撃其首則尾至、撃其尾、則首至、撃其中、則首尾倶至、敢問、兵可使如率然乎、曰、可、夫呉人與越人相惡也、當其同舟而濟遇風、其相救也、如左右手、是故方馬埋輪、未足恃也、齋勇若一、政之道也、剛柔皆得、地之理也、故善用兵者、攜手若使一人、不得已也、
ゆえにく兵をもちうる者は、たとえば率然そつぜんのごとし。率然そつぜんとは常山じょうざんへびなり。そのくびを撃てばすなわち至り、そのを撃てばすなわちくび至り、そのなかを撃てばすなわち首尾しゅびともに至る。あえて問う、兵は率然そつぜんのごとくならしむべきか。曰く、なり。それ呉人ごひと越人えつひとあいにくむも、その舟を同じくしてわたり風にうに当たりては、そのあい救うや左右の手のごとし。このゆえに馬をならべ輪をむるも、いまだたのむに足らず。勇をひとしくしいつのごとくするはせいの道なり。剛柔ごうじゅうみなるは地の理なり。ゆえにく兵をもちうる者は、手をたずさうること一人いちにんを使うがごとし。むをざらしむればなり。

11-06
將軍之事、靜以幽、正以治、能愚士卒之耳目、使之無知、易其事、革其謀、使人無識、易其居、迂其途、使人不得慮、帥與之期、如登高而去其梯、帥與之深入諸侯之地、而發其機、焚舟破釜、若驅羣羊驅而往驅而來、莫知所之、聚三軍之衆、投之於險、此謂將軍之事也、九地之變、屈伸之利、人情之理、不可不察、
軍にしょうたるのことは、静もって幽、せいもって、よく士卒しそつ耳目じもくにし、これをして知ることなからしむ。そのことえ、そのぼうあらため、人をしてることなからしめ、そのきょえ、そのみちにし、人をしておもんぱかることを得ざらしむ。ひきいてこれと期すれば、高きに登りてそのていを去るがごとし。ひきいてこれと深く諸侯しょこうの地に入りて、その機を発すれば、舟をかまを破り、群羊ぐんようるがごとし。駆られてき、駆られて来たるも、くところを知ることなし。三軍の衆をあつめ、これを険に投ず。これ軍にしょうたるのことうなり。九地きゅうちへん屈伸くっしんの利、人情にんじょうさっせざるべからず。

11-07
凡爲客之道、深則專、淺則散、去國越境而師者、絶地也、四達者衢地也、入深者重地也、入淺者輕地也、背固前隘者圍地也、無所徃者死地也、是故散地吾將一其志、輕地吾將使之屬、爭地吾將趨其後、交地吾將謹其守、衢地吾將固其結、重地吾將繼其食、圮地吾將進其塗、圍地吾將塞其闕、死地吾將示之以不活、故兵之情、圍則禦、不得已則鬪、過則從、
およそかくたるの道は、深ければすなわちもっぱらに、浅ければすなわち散ず。国を去りきょうを越えて師するものは絶地ぜっちなり。四達したつするものは衢地くちなり。入ること深きものは重地ちょうちなり。入ること浅きものは軽地けいちなり。にしあいを前にするものは囲地いちなり。くところなきものは死地しちなり。このゆえに散地さんちにはわれまさにそのこころざしいつにせんとす。軽地けいちにはわれまさにこれをして属せしめんとす。争地そうちにはわれまさにそのうしろおもむかんとす。交地こうちにはわれまさにその守りをつつしまんとす。衢地くちにはわれまさにそのむすびを固くせんとす。重地ちょうちにはわれまさにそのしょくがんとす。圮地ひちにはわれまさにそのみちに進まんとす。囲地いちにはわれまさにそのけつふさがんとす。死地しちにはわれまさにこれに示すにきざるをもってせんとす。ゆえに兵のじょうかこまるればすなわちふせぎ、むを得ざればすなわち闘い、ぐればすなわちしたがう。

11-08
是故不知諸侯之謀者、不能預交、不知山林險阻沮澤之形者、不能行軍、不用郷導者、不能得地利、四五者不知一、非霸王之兵也、夫霸王之兵、伐大國則其衆不得聚、威加於敵則其交不得合、是故不爭天下之交、不養天下之權、信己之私、威加於敵、故其城可拔、其國可隳、施無法之賞、懸無政之令、犯三軍之衆、若使一人、犯之以事、勿告以言、犯之以利、勿告以害、投之亡地、然後存、陷之死地、然後生、夫衆陷於害、然後能爲勝敗、
このゆえに諸侯のはかりごとを知らざる者はあらかじめ交わることあたわず。山林、険阻けんそ沮沢そたくけいを知らざる者は軍をることあたわず。郷導きょうどうもちいざる者は地の利をることあたわず。四五しごの者、いつを知らざるも覇王はおうの兵にあらざるなり。それ覇王はおうの兵、大国をてば、すなわちその衆あつまることを得ず。、敵に加うれば、すなわちその交わり合うことを得ず。このゆえに天下の交わりを争わず、天下のけんやしなわず、おのれわたくしべ、、敵に加わる。ゆえにその城はくべく、その国はやぶるべし。無法のしょうを施し、無政のれいけ、三軍のしゅうを犯すこと一人いちにんを使うがごとし。これを犯すにことをもってし、ぐるにげんをもってすることなかれ。これを犯すに利をもってし、ぐるに害をもってすることなかれ。これを亡地ぼうちに投じてしかるのちにそんし、これを死地しちおとしいれてしかるのちにく。それ衆は害におとしいれて、しかるのちによく勝敗しょうはいをなす。

11-09
故爲兵之事、在順詳敵之意、并敵一向、千里殺將、此謂巧能成事者也、是故政舉之日、夷關折符、無通其使、厲於廊廟之上、以誅其事、敵人開闔、必亟入之、先其所愛、微與之期、踐墨隨敵、以決戰事、是故始如處女、敵人開戸、後如脱兎、敵不及拒、
ゆえに兵をなすのことは、敵の意に順詳じゅんしょうし、敵を一向いっこうあわせて、千里にしょうを殺すにり。これをたくみによくことを成す者とうなり。このゆえにせいぐるの日、かんとどりて、その使を通ずることなく、 廊廟ろうびょうの上にはげまし、もってそのことむ。敵人開闔かいこうすれば必ずすみやかにこれに入り、その愛するところをさきにしてひそかにこれとし、践墨せんぼくして敵にしたがい、もって戦事せんじを決す。このゆえに始めは処女しょじょのごとく、敵人、戸を開き、 のちには脱兎だっとのごとくにして、敵、ふせぐにおよばず。

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火攻篇  第十二

朗読(五種類の火攻め)
朗読(火攻めへの対応)
朗読(火攻めと水攻めの比較)
朗読(利するに非ざれば動かず、得るに非ざれば用いず、危うきに非ざれば戦わず)

12-01
孫子曰、凡火攻有五、一曰火人、二曰火積、三曰火輜、四曰火庫、五曰火隊、行火必有因、煙火必素具、發火有時、起火有日、時者天之燥也、日者月在箕壁翼軫也、凡此四宿者、風起之日也、

孫子曰く、およそ火攻かこうに五あり。一に曰く、人をく、二に曰く、く、三に曰く、く、四に曰く、く、五に曰く、たいく。おこなうには必ずいんあり。煙火えんかは必ずもとよりそなう。火を発するに時あり、火を起こすに日あり、ときとは天のかわけるなり。日とは、月のへきよくしんにあるなり。およそこの四宿ししゅくは風こるのなり。

12-02
凡火攻、必因五火之變而應之、火發於内、則早應之於外、火發兵靜者、待而勿攻、極其火力、可從從之、不可從止、火可發於外、無待於内、以時發之、火發上風、無攻下風、晝風久、夜風止、凡軍必知五火之變、以數守之、
およそ火攻かこうは、必ず五火ごかの変にりてこれに応ず。うちに発すれば、早くこれにそとに応ず。発してその兵しずかなるは、ちてむることなかれ。その火力かりょくを極め、従うべくしてこれに従い、従うべからずしてむ。、外に発すべくんば、うちに待つことなく、時をもってこれを発せよ。上風じょうふうに発すれば、下風かふうを攻むることなかれ。ひるの風は久しく、夜の風はむ。およそ軍は必ず五火ごかの変あるを知り、すうをもってこれをまもる。

12-03
故以火佐攻者明、以水佐攻者強、水可以絶、不可以奪、
ゆえに火をもってこうたすくる者はめいなり。水をもってこうたすくる者はきょうなり。水はもってつべく、もってうばうべからず。

12-04
夫戰勝攻取、而不修其功者凶、命曰費留、故曰、明主慮之、良將修之、非利不動、非得不用、非危不戰、主不可以怒而興師、將不可以慍而致戰、合於利而動、不合於利而止、怒可以復喜、慍可以復悦、亡國不可以復存、死者不可以復生、故明君愼之、良將警之、此安國全軍之道也、
それ戦勝せんしょう攻取こうしゅして、そのこうを修めざるはきょうなり。づけて費留ひりゅうう。ゆえに曰く、明主めいしゅはこれをおもんぱかり、良将りょうしょうはこれを修む。利にあらざれば動かず、るにあらざればもちいず、あやうきにあらざれば戦わず。主は怒りをもって師をおこすべからず、しょういきどおりをもって戦いを致すべからず。利にがっして動き、利にがっせずしてむ。怒りはもってまた喜ぶべく、いきどおりはもってまたよろこぶべきも、亡国ぼうこくはもってまたそんすべからず、死者はもってまたくべからず。ゆえに明君めいくんはこれをつつしみ、良将りょうしょうはこれをいましむ。これ国をやすんじ軍をまっとうするのみちなり。

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用間篇  第十三

朗読(間者(スパイ)を使って敵情をさぐる)
朗読(五種類の間者)
朗読(間者の資質)
朗読(間者を使って敵の情報を得る)
朗読(二重スパイ)
朗読(間者を使いこなせるのは聡明な君主や司令官のみ)

13-01
孫子曰、凡興師十萬、出征千里、百姓之費、公家之奉、日費千金、内外騷動、怠於道路、不得操事者、七十萬家、相守數年、以爭一日之勝、而愛爵祿百金、不知敵之情者、不仁之至也、非人之將也、非主之佐也、非勝之主也、故明君賢將、所以動而勝人、成功出於衆者、先知也、先知者不可取於鬼神、不可象於事、不可驗於度、必取於人、知敵之情者也、
孫子曰く、およそ師をおこすこと十万、出征しゅっせいすること千里なれば、百姓ひゃくせいついえ、公家こうかほうに千金をついやし、内外ないがい騒動そうどうし、道路におこたり、ことるを得ざる者七十万家しちじゅうまんかあい守ること数年、もって一日のしょうを争う。しかるに爵禄しゃくろく百金をおしみて敵のじょうを知らざる者は、不仁ふじんいたりなり。人のしょうにあらざるなり。主のたすけにあらず、しょうしゅにあらず。ゆえに明君めいくん賢将けんしょうの動きて人に勝ち、成功すること衆にずるゆえんのものは、さきに知ればなり。さきに知る者は鬼神きしんに取るべからず。ことかたどるべからず、けみすべからず。必ず人に取りて敵のじょうを知るものなり。

13-02
故用間有五、有因間、有内間、有反間、有死間、有生間、五間倶起、莫知其道、是謂神紀、人君之也、因間者、因其郷人而用之、内間者、因其官人而用之、反間者、因其敵間而用之、死間者、爲誑事於外、令吾間知之、而傳於敵間也、生間者、反報也、
ゆえにかんもちうるに五あり。因間いんかんあり、内間ないかんあり、反間はんかんあり、死間しかんあり、生間せいかんあり。五間ごかんともに起こりて、その道を知ることなき、これを神紀しんきと謂う。人君じんくんの宝なり。因間いんかんとはその郷人きょうじんによりてこれをもちうるなり。内間ないかんとはその官人かんじんによりてこれをもちうるなり。反間はんかんとはその敵の間によりてこれをもちうるなり。死間しかんとは誑事きょうじそとになし、わがかんをしてこれを知らしめて、敵のかんに伝うるなり。生間せいかんとはかえほうずるなり。

13-03
故三軍之事、莫親於間、賞莫厚於間、事莫密於間、非聖智不能用間、非仁義不能使間、非微妙不能得間之實、微哉微哉、無所不用間也、間事未發而先聞者、間與所告者皆死、
ゆえに三軍のことかんよりしたしきはなく、しょうかんよりあつきはなく、ことかんよりみつなるはなし。聖智せいちにあらざればかんもちうることあたわず。仁義じんぎにあらざればかんを使うことあたわず。微妙びみょうにあらざればかんじつを得ることあたわず。なるかななるかな、かんを用いざるところなきなり。間事かんじいまだ発せずしてまず聞こゆれば、かんぐるところの者とは、みなす。

13-04
凡軍之所欲撃、城之所欲攻、人之所欲殺、必先知其守將左右謁者門者舍人之姓名、令吾間必索知之、
およそ軍のたんと欲するところ、城のめんと欲するところ、人のころさんと欲するところは、必ずまずその守将しゅしょう左右さゆう謁者えっしゃ門者もんじゃ舎人しゃじん姓名せいめいを知り、わがかんをして必ずこれを索知さくちせしむ。

13-05
必索敵人之間來間我者、因而利之、導而舍之、故反間可得而用也、因是而知之、故郷間内間可得而使也、因是而知之、故死間爲誑事、可使告敵、因是而知之、故生間可使如期、五間之事、主必知之、知之必在於反間、故反間不可不厚也、

必ず敵人のかんの来たりてわれをかんする者をもとめ、よりてこれを利し、みちびきてこれをしゃす。ゆえに反間はんかんは得てもちうべきなり。これによりてこれを知る。ゆえに郷間きょうかん内間ないかん、得て使うべきなり。これによりてこれを知る。ゆえに死間しかん誑事きょうじをなして敵にげしむべし。これによりてこれを知る。ゆえに生間せいかんのごとくならしむべし。五間ごかんことしゅ必ずこれを知る。これを知るは必ず反間はんかんにあり。ゆえに反間はんかんあつくせざるベからざるなり。

13-06
昔殷之興也、伊摯在夏、周之興也、呂牙在殷、故惟明君賢將、能以上智爲間者、必成大功、此兵之要、三軍之所恃而動也、
昔、いんおこるや、伊摯いしにあり。しゅうおこるや、呂牙りょがいんにあり。ゆえにただ明君めいくん賢将けんしょうのみよく上智じょうちをもってかんとなす者にして、必ず大功たいこうす。これ兵のかなめにして、三軍さんぐんたのみてうごくところなり。


 孫 子  終

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計篇・・・計とは、はかり考える意味。開戦の前によくよく熟慮すべきことを述べる。
作戦篇・・・軍を起こすことについて。主として軍費のことをのべる。
謀攻篇・・・謀りごとによって攻めること。すなわち戦わずして勝つの要道をいう。。
形篇・・・。目に見えるありさまを形という。軍の形(態勢)について、自らは不敗の立場にあって敵の敗形に乗ずべきことを述べる。
勢篇・・・勢いとは個人の能力をこえた総体的な軍のいきおい。前には静的な形(態勢)についてのべ、ここではその形から発動する戦いの勢いについて述べる。
虚実篇・・・虚は空虚の意味で、備えなくすきのあること。実は充実で十分の準備を整えること。実によって虚を伐つべきことをのべる。
軍争篇・・・実戦中、敵の機先を制して利益を収めるために競うことをのべる。
九変篇・・・変は変化、変態の意。常法にこだわらず、事変に臨んで臨機応変にとるべき九とおりの変わった処置についてのべる。将、九変の利に通ずるものは、用兵を知る。
行軍篇・・・軍をおし進めることに関して、軍隊を止める場所や敵情の観察など、行軍に必要な注意をのべる。
地形篇・・・計偏第一で「三に曰く地」といったその土地の形状についてのべる。
九地篇・・・九とおりの土地の形態とそれに応じた対処についてのべる。
火攻篇・・・火攻め戦術について述べる。
用間篇・・・「間」とは間諜を指す。すなわち敵情をうかがうスパイについてのべる。敵情偵察の重要性を説く。

孫子《兵法》大伝(総合動画)
1孫子《兵法》大伝 第01話 「二つの謀反」
2孫子《兵法》大伝 第02話 「即位号令」
3孫子《兵法》大伝 第03話 「死地に活路を開く」
4孫子《兵法》大伝 第04話 「不戦屈敵の奥義」
5孫子《兵法》大伝 第05話 「試される兵法」
6孫子《兵法》大伝 第06話 「呉の名将誕生」
7孫子《兵法》大伝 第07話 「用間の計」
8孫子《兵法》大伝 第08話 「慶忌の策略」
9孫子《兵法》大伝 第09話 「二人の勇士」
10孫子《兵法》大伝 第10話 「孫武の裏切り」
11孫子《兵法》大伝 第11話 「漪羅囚わる」
12孫子《兵法》大伝 第12話 「三国同盟」
13孫子《兵法》大伝 第13話 「兵とは詭道なり」
14孫子《兵法》大伝 第14話 「奔走」
15孫子《兵法》大伝 第15話 「漢水での鬩ぎ合い」
16孫子《兵法》大伝 第16話 「柏挙の戦い」
17孫子《兵法》大伝 第17話 「楚軍最強の勇将」
18孫子《兵法》大伝 第18話 「戦火に咲く悲しみの花」
19孫子《兵法》大伝 第19話 「郢落城」
20孫子《兵法》大伝 第20話 「悔い」
22孫子《兵法》大伝 第22話 「秦楚連合」
23孫子《兵法》大伝 第23話 「夫概の野心」
24孫子《兵法》大伝 第24話 「偽りの王」
25孫子《兵法》大伝 第25話 「撤退」
26孫子《兵法》大伝 第26話 「疑いの果てに」
27孫子《兵法》大伝 第27話 「不戦の進言」
28孫子《兵法》大伝 第28話
29孫子《兵法》大伝 第29話
30孫子《兵法》大伝 第30話
31孫子《兵法》大伝 第31話
32孫子《兵法》大伝 第32話
33孫子《兵法》大伝 第33話
34孫子《兵法》大伝 第34話
35孫子《兵法》大伝 第35話 最終話

孫子兵法 1~13篇 (YouTube動画)

孫子兵法1 始计篇
孫子兵法2 作戦篇
孫子兵法3 謀攻篇
孫子兵法4 形篇
孫子兵法5 勢篇
孫子兵法6 虚実篇
孫子兵法7軍争篇
孫子兵法8 九変篇
孫子兵法9 行軍篇
孫子兵法10 地形篇
孫子兵法11 九地篇
孫子兵法12 火攻篇
孫子兵法13 用間篇
完結

孫子兵法 『経営風林火山』 (YouTube動画)

孫子兵法 01 『彼を知り己を知れ!』
孫子兵法 02 『相手の価値判断基準を知れ!』
孫子兵法 03 『時代に合わせて武器を変えよ!』
孫子兵法 04 『人の耳目を一にせよ!』
孫子兵法 05 『戦わずして勝つ!』
孫子兵法 06 『戦う前に勝つストーリーを作れ!』
孫子兵法 07 『軍を鎖でつなぐな!』
孫子兵法 08 『積水の計』
孫子兵法 09 『お役に立てる先に訪問せよ!』
孫子兵法 10 『営業マンは現代の間諜である』
孫子兵法 11 『部下を我が子のように見守れ!』
孫子兵法 12 『時機を逸せずアプローチせよ』



概要

出典: 百科事典

       
孫子の兵法書、竹簡孫子(山東博物館所蔵)、西夏語訳「孫子」

『孫子』(そんし)は、中国春秋時代の思想家孫武の作とされる兵法書。後に武経七書の一つに数えられている。古今東西の兵法書のうち最も著名なものの一つである。

『孫子』の成立以前は、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かった。孫武は戦史研究の結果から、戦争には勝った理由、負けた理由があり得ることを分析した。『孫子』の意義はここにある。

著者と目される孫武は、紀元前500年ごろに生きた人物で、当時新興国であったに仕え、その勢力拡大に大いに貢献した。そのためその著書は、紀元前5世紀中頃から紀元前4世紀中頃あたりに著されたと考えられている。ただ、単純に著者を孫武として良いのか、それに付随して『孫子』という書物の成立時期はいつかという基本問題において、いまだ諸説ある。

孫武の子孫といわれ、に仕えた孫臏も兵法書を著しており、かつては『孫子』の著者は孫臏であるとの説もあった。また『漢書』芸文志・兵権謀家類においては、孫武のものを『呉孫子兵法』82巻・図9巻、孫臏のものを『斉孫子兵法』89巻・図4巻と記し、両書はそれぞれ異なる著作であると見なされている。本記事では、このうち前者について解説する(孫臏の書については孫臏兵法を参照)。

※以下の文中で『孫子』と表記するときは書物を、単に孫子と表記するときは孫武その人を指すものとする。

構成

以下の13篇からなる。

  • 計篇 - 序論。戦争を決断する以前に考慮すべき事柄について述べる。
  • 作戦篇 - 戦争準備計画について述べる。
  • 謀攻篇 - 実際の戦闘に拠らずして、勝利を収める方法について述べる。
  • 形篇 - 攻撃と守備それぞれの態勢について述べる。
  • 勢篇 - 上述の態勢から生じる軍勢の勢いについて述べる。
  • 虚実篇 - 戦争においていかに主導性を発揮するかについて述べる。
  • 軍争篇 - 敵軍の機先を如何に制するかについて述べる。
  • 九変篇 - 戦局の変化に臨機応変に対応するための9つの手立てについて述べる。
  • 行軍篇 - 軍を進める上での注意事項について述べる。
  • 地形篇 - 地形によって戦術を変更することを説く。
  • 九地篇 - 9種類の地勢について説明し、それに応じた戦術を説く。
  • 火攻篇 - 火攻め戦術について述べる。
  • 用間篇 - 「間」とは間諜を指す。すなわちスパイ。敵情偵察の重要性を説く。

現存する『孫子』は以上からなるが、底本によって順番やタイトルが異なっている。上記の篇名とその順序は、近年出土した竹簡に記されたもの(以下『竹簡孫子』という)を基とし、竹簡で欠落しているものは『宋本十一家注孫子』によって補っている。『竹簡孫子』のほうがより原型に近いと考えられるからである。

ただし、『竹簡孫子』とそれ以外とでは、用間篇と火攻篇とが入れ替わっている。虚実(実虚)篇と軍争篇も逆転している。

内容

全般的特徴

  • 非好戦的 - 戦争を簡単に起こすことや、長期戦による国力消耗を戒める。この点について 老子思想との類縁性を指摘する研究もある。「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」(謀攻篇)
  • 現実主義 - 緻密な観察眼に基づき、戦争の様々な様相を区別し、それに対応した記述を行う。「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」(謀攻篇)
  • 主導権の重視 - 「善く攻むる者には、敵、其の守る所を知らず。善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず」(虚実篇)

戦争観

孫子は戦争を極めて深刻なものであると捉えていた。それは「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の地なり。察せざるべからず」(戦争は国家の大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。よく考えねばならない)と説くように、戦争という一事象の中だけで考察するのではなく、あくまで国家運営と戦争との関係を俯瞰する政略・戦略を重視する姿勢から導き出されたものである。それは「国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ」、「百戦百勝は善の善なるものに非ず」といった言葉からもうかがえる。

また「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり」(多少まずいやり方で短期決戦に出ることはあっても、長期戦に持ち込んで成功した例は知らない)ということばも、戦争長期化によって国家に与える経済的負担を憂慮するものである。この費用対効果的な発想も、国家と戦争の関係から発せられたものであると言えるだろう。孫子は、敵国を攻めた時は食料の輸送に莫大な費用がかかるから、食料は現地で調達すべきだとも言っている。

すなわち『孫子』が単なる兵法解説書の地位を脱し、今日まで普遍的な価値を有し続けているのは、目先の戦闘に勝利することに終始せず、こうした国家との関係から戦争を論ずる書の性格によるといえる。

戦略

『孫子』戦略論の特色は、「廟算」の重視にある。廟算とは開戦の前に廟堂(祖先祭祀の霊廟)で行われる軍議のことで、「算」とは敵味方の実情分析と比較を指す。では廟算とは敵味方の何を比較するのか。それは、

  • 道 - 為政者と民とが一致団結するような政治や教化のあり方
  • 天 - 天候などの自然
  • 地 - 地形
  • 将 - 戦争指導者の力量
  • 法 - 軍の制度・軍規

の「五事」である。より具体的には以下の「七計」によって判断する。

  1. 敵味方、どちらの君主が人心を把握しているか。
  2. 将軍はどちらが優秀な人材であるか。
  3. 天の利・地の利はどちらの軍に有利か。
  4. 軍規はどちらがより厳格に守られているか。
  5. 軍隊はどちらが強力か。
  6. 兵卒の訓練は、どちらがよりなされているか。
  7. 信賞必罰はどちらがより明確に守られているか。

以上のような要素を戦前に比較し、十分な勝算が見込めるときに兵を起こすべきとする。


守屋洋は、孫子の兵法は以下の7つに集約されるとしている。

  1. 彼を知り己を知れば百戦して殆うからず。
  2. 主導権を握って変幻自在に戦え。
  3. 事前に的確な見通しを立て、敵の無備を攻め、その不意を衝く。
  4. 敵と対峙するときは正(正攻法)の作戦を採用し、戦いは奇(奇襲)によって勝つ。
  5. 守勢のときはじっと鳴りをひそめ、攻勢のときは一気にたたみかける。
  6. 勝算があれば戦い、なければ戦わない。
  7. 兵力の分散と集中に注意し、たえず敵の状況に対応して変化する。

また、ジョン・ボイド は孫子の思想を以下のように捉えて機略戦を論考している。

1.所望結果(人命と資源の保護の観点)

  • 「武力に訴えず戦わずして勝つこと」を最重視する。
  • 長引く戦争を回避する。

2.所望結果を獲得するためのコンセプトと戦略

コンセプト
  • 調和
  • 欺瞞
  • 行動の迅速性 
  • 分散/集中 
  • 奇襲 
  • (精神的)衝撃
戦略
  • 敵の弱点、行動パターン及び意図を暴くため敵の組織と配置を精査する。
  • 敵の計画と行動を操り・敵の世界の見通しを形作る。
  • 攻撃目標の優先順位は、1は敵の政策、2は敵方の同盟の分断、3は敵の軍隊、他に方策がない場合に限り都市、である。
  • 敵の弱点に対して迅速・不意に全力を指向するように正攻法と奇襲の機動を行う。

テキストとしての『孫子』

成立について

『孫子』13篇の著者とその成立については長い間論争があった。現代人が通常手にするテキストは後漢曹操(武帝)が分類しまとめ上げたもの(『魏武注孫子』)であるが、それが『漢書』芸文志・兵権謀家類に載せられている『呉孫子兵法』82巻・図9巻という記述とは体裁が大きく異なるからである。また『孫子』の字を含む書物として、孫武の子孫とされる孫臏の著作である『斉孫子兵法』89巻・図4巻も『漢書』に載せられており、その2冊の兵法書と2人の兵法家の関係について、不明な点が多々あったためでもある。最も著名な学説は、武内義雄の『孫子』13篇の著者を孫臏とするもので、『孫臏兵法』発見以前は非常に有力であった[1]

しかし1972年山東省銀雀山の前漢時代の墳墓から『竹簡孫子』や『孫臏兵法』が発見され、両書が別の竹簡の写本として存在し、従来伝えられる『孫子』はいわゆる『呉孫子』の原型をほぼとどめたものであり、孫臏の兵法書は後世に伝わらなかったことが確認された。現在では以下のように考えられている。『孫子』は孫武が一旦書き上げた後、後継者たちによって徐々に内容(注釈・解説篇)が付加されていき、そうした『孫子』の肥大化を反映したものが『漢書』芸文志の記載である。しかし、後に曹操の手によって整理され、今日目にする形になったというわけである。

成立時期

『孫子』の成立については、『竹簡孫子』の発見によって多くのことがわかってきたが、成立年代については、春秋末期に成立したとする説と戦国初期とする説がある。それは『孫子』が、孫武の没後も加筆されていったと考えられ、単純に孫武の生きた時代を成立年代とすることができないためである。

『孫子』の内容は春秋・戦国の両時代の特徴を帯びており、成立年代の特定が難しい。たとえば「作戦篇」における戦車戦は春秋時代によく見られるものであるが、「馳車千駟、革車千乗、帯甲十万」といった大編成の戦争形態は戦国時代のものである。また、『孫子』には複数の諸子百家の影響が見られる。そのうちの一人、五行思想で有名な鄒衍は戦国時代に活躍した人物であるため、戦国時代説に有利かと思われるが、一方で五行思想的なものは『春秋左氏伝』にも言及があるので、ただちに鄒衍の影響と見ることはできないという反論もある。他にも論点はあるが、いずれにしても成立時期を決定づけるものは無いといえよう。

『孫子』研究者の考え方の一例を挙げると、その成立を河野収は以下のように5段階に分けられるとする。他の研究者も概ねこれに近い成立を想定している。

  1. 紀元前515年頃、孫武本人によって素朴な原形が著される。[2]
  2. 紀元前350年頃、子孫の孫臏により、現行の『孫子』に近い形に肉付けされる。そして戦国末期までに異本や解説篇が付加されていった。その一つがここで『竹簡孫子』と呼ぶものである。
  3. 秦漢の時代も引き続き本論に改訂が加えられていき、多くの解説篇が作られた。[3]
  4. 紀元200年頃、曹操により整理され、本論13篇だけが受け継がれていくようになる。[4]
  5. 曹操以降、写し違いや解釈の相違により数種類の異本が生まれ、それらは若干の異同を持ったものとなる。しかし基本的には、第4段階のものと大きくは違わず現代に伝わる。現在手にすることができるものは、ほとんどがこの段階の『孫子』である。

版本

『孫子』のテクストは大きく分けて3種類ある。まず近年見つかった『竹簡孫子』、それまで流布していた『魏武注孫子』、そして日本の仙台藩儒者桜田景迪が出版した『古文孫子』である。最後のテクストは、代々桜田家に伝えられてきたもので、『魏武注孫子』よりも古いものであると桜田自身は述べているが、真偽は不明である。[5]

最も広く読まれた『魏武注孫子』は、時代が下るにつれて様々な注釈が付けられ、異本が増えていった。『孫子』の文章が極めて簡潔で、具体的なイメージが読み取れない部分があるためである。代表的なものとしては、以下のものがある。

  1. 「武経七書本」(『続古逸叢書』)と、清代の考証学者孫星衍が覆刻した「平津館本」 - 両者の字句を比較した場合、ほとんど異同は無い。
  2. 代までの代表的な注釈を集めた『十家孫子会注』(「十家注本」)

十家とは魏の武帝、梁の孟氏、唐の李筌・杜牧・陳皞・賈林、宋の梅堯臣・王皙・何延錫・張預の10人をいう。1と比較すると、文字に大きな異同が見られる。これはさらに「道蔵本」・「岱南閣本」などの種類に分かれる。

補足

『中国兵書通覧』(許保林、解放軍出版社、1990年)、『孫子古本研究』(李零、北京大学出版社、19955年)などによると、『竹簡孫子』(『銀雀山漢墓竹簡・孫子』)以外の『孫子』は、『魏武帝註孫子』、『武経七書』所収『孫子』、『十一家註孫子』のいずれかの系統に属すると言われている。また、『孫子兵法新釈』(李興斌・楊玲、斉魯書社、2001年)によると、現行の『魏武帝註孫子』は『武経七書』所収『孫子』の系統に属するとのこと。

なお、『魏武帝註孫子』に関して、清家本『魏武帝註孫子』は、遅くとも室町時代後期のものであり、「平津館本」よりも古い。ただし、誤字も目立つ。清家本に関しては、京都大学図書館の電子データ影像として、閲覧ができる。

評価

名声の確立

『孫子』は、「孫・呉も之を用いて、天下に敵無し」(『荀子』議兵篇)、「孫・呉の書を蔵する者は、家ごとに之れ有り」(『韓非子』五蠧篇)という言葉からわかるように、すでに戦国時代後期には古典としての地位を確立していた。ちなみに「呉」とは同じく兵法書である『呉子』を指す。中国歴代を通じて重んじられ、武科挙(武挙)に合格するための必須テキストとして武人はみな学んでおり、武人に教えるための参考書として色々な研究書(注釈)が書かれた。魏の曹操の「魏武注孫子」や、明の劉寅の「武経七書直解」などは、軍事教育用の為に書かれたものだとされている[6]が、内容も孫子をよく理解した、立派なものとして定評がある。

現代の戦争において積極的に活用した例としては、毛沢東が挙げられる。彼は日中戦争の最中、どうすれば中国国民党に勝ち、日本に負けず、そして国民の支持を得られるかを考え抜き、中国古典の特に『孫子』と歴史書から大いに学んでいる。その代表的著作である『矛盾論』や『持久戦論』などには、5ヶ所ほどその書名を挙げて引用しているほどである。

中国国外への影響

『孫子』はやがて、中国語以外の言語に訳されて影響を及ぼすようになっていく。(日本人が漢文読み下しという形で孫子を受容したケースを翻訳と見なさなければ)現在知られているもっとも古い翻訳は、12世紀ごろに作られた西夏語訳である。[7]18世紀初頭には清朝で、『孫子』の満州語訳がつくられた。当時中国で布教活動を行っていたイエズス会宣教師の一人ジョセフ・マリー・アミオ(銭徳明)は、満洲語版を基にして『孫子』の抄訳に自らの解説を付したものをフランス語で著述し、同書は1772年にパリで「孫子13編」として出版された。1782年には『北京イエズス会士紀要』第7巻に再録された。後にナポレオン・ボナパルトがこのフランス語版の『孫子』を愛読し、自らの戦略に活用したという伝説が流布されるが、1922年にフランス軍のショレ(E. Cholet)大佐が著書“L'art militarie dans l'antiquite chinoise”において初めて言及したことで、事実の裏づけはないとされる[8]

アミオによる『孫子』はあくまでも抜粋・抄訳であり、『孫子』の全貌がヨーロッパに伝えられるのは20世紀に入ってからとなる。1905年、孫子が初めて英語に訳される。これはイギリス陸軍大尉カルスロップ(E. F. Calthrop)によるものである。カルスロップは中国語の知識がなく、日露戦争後に日本研究を目的に、日本に滞在した語学将校であった。カルスロップは日本人の助けを借りて『孫子』の英語訳を完成させたが、イギリス人の中国学者ライオネル・ジャイルズ(Lionel Giles)はその杜撰な翻訳を厳しく非難、自ら中国語原典を元に新たな『孫子』の英語版を1910年に出版した。同じ1910年にはブルーノ・ナヴァラによるドイツ語訳も出版されている。ヨーロッパへの『孫子』の伝播は日本が基点となっていることが興味深い[9]

『戦争論』との比較

こうした世界への伝播によって、『孫子』が広く知られるようになると、カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』と比較する機運が生まれてきた。それは2度の世界大戦への反省に付随して起こってきたものだった。というのも、『戦争論』はナポレオン戦争の教訓に学んで著された書物であり、決定的会戦の重視や敵兵力の殲滅、敵国の完全打倒を基本概念として戦争を論じていることが特徴である。すなわち軍事力の正面衝突を戦争の本質とするため、戦争遂行をそれに則り行った場合、国家間の凄絶な総力戦とならざるを得ない。それが現実となったのが世界大戦であった。戦争の総力戦化に対し、無用の血が流されすぎたという反省が生まれると共に、『戦争論』への懐疑が生まれた。『孫子』はその比較対象として持ち出されたのである。

『戦争論』を非難し、一方で『孫子』を称揚した人として最も著名なのは、イギリスの軍事史家のリデル・ハートである。その代表作『戦略論』の巻頭には『孫子』からの引用が散りばめられ、またフランス語訳『孫子』によせた序文で、『孫子』を古今東西の軍事学書の中で最も優れていると評価している[10]。ハートは『孫子』を持ち上げることで、今後の戦争は直接的な戦闘よりも策略・謀略を用いた間接的戦略を重視すべきであると説いたのである。そのためクラウゼヴィッツの『戦争論』の人気は、一時期イギリス・アメリカにおいて凋落したという。

しかし現在では、ハートのように『孫子』を極端に礼賛し、『戦争論』を評価しないような姿勢を非難する見解もある。ハートのクラウゼヴィッツ非難のいくつかは、彼の誤解に基づくと考える研究者が現れてきたからである[11]。しかし、機甲戦術の提唱者の一人であったジョン・フレデリック・チャールズ・フラーも、『戦争論』は未完成な書物であったが故に論理的な混乱すら作中に存在し、多くの読者を誤解に導いたと非難しており、戦争の真の目的は平和であって勝利ではないということをクラウゼヴィッツは最後まで理解できなかったと指摘している[12]のであり、『戦争論』非難を行った有力な軍事研究者はハート一人ではなかったという点も事実である。なお、現在では『孫子』・『戦争論』とも高級指揮官教育において不可欠な教材とされ、アメリカ国防総合大学校やイギリス王立国防大学校をはじめとする、各国の国防関係の教育機関で研究されている。

近年では、イラク戦争での米軍の"Shock and awe"(衝撃と畏怖)作戦が『孫子』『戦争論』を参考にしたといわれている。

現代戦略理論との関わり

現代の戦略理論であるゲーム理論で、以下のことが証明されている。すなわち、二人零和有限確定完全情報ゲームの解は、ミニマックス理論である。

孫子が主張するように勝利を目的に敵対する双方が、情報の収集をできるだけ行う・戦力の集中などの工夫で戦闘結果の必然性を増す・冷徹な判断を行う・中立する組織への対応の工夫、などの戦争の合理性をとことん追求していくと、ミニマックス理論が成り立つような状況に限りなく近づいていく。そしてミニマックス法は、最善を尽くしながら相手の失着を待つ手法であり、孫子の主張することとの類似性を指摘する意見も多い。

『ウォートンスクールのダイナミック競争戦略』において、ゲーム理論の淵源が『孫子』などにあったとテック・フーとキース・ワイゲルトらは指摘している。孫子の兵法はゲーム理論の本でもしばしば引用されるほど、ゲーム理論との共通性があると言われている。[13]

このように、孫子は現代戦略理論でも注目されている。

『孫子』と日本

日本への伝来

『孫子』が日本に伝えられ、最初に実戦に用いられたことを史料的に確認できるのは、『続日本紀天平宝字4年(760年)の条である。当時、反藤原仲麻呂勢力に属していたため大宰府に左遷されていた吉備真備のもとへ、『孫子』の兵法を学ぶために下級武官が派遣されたことを記録している。吉備真備は23歳のとき、遣唐使として唐に入国し、41歳で帰国するまで『礼記』や『漢書』を学んでいたが、この時恐らく『孫子』・『呉子』をはじめとする兵法も学んだと推測されている。数年後に起きた藤原仲麻呂の乱では実戦に活用してもいる。

律令制の時代、『孫子』は学問・教養の書として貴族たちに受け入れられた。大江匡房は兵学も修めていたが、『孫子』もその一つであり、源義家に教え授けている。積極的に実戦において試された例としては、源義家が前九年・後三年の役の折、孫子の「鳥の飛び立つところに伏兵がいる」という教えを活用して伏兵を察知し、敵を破った話(古今著聞集)が名高い。

武士の受容

平安貴族に代わって歴史の主役に躍り出た武士たちも、当初は前述の源義家のような例外を除き『孫子』を活用することは少なかったと考えられている。中世における戦争とは、個人の技量が幅をきかせる一対一の戦闘の集積であったためである。[14]『孫子』のような組織戦の兵法はまだ生かされることはなかった[15]。しかし足軽が登場し、組織戦が主体となると、『孫子』は取り入れられるようになっていく。幾人かの戦国武将には容易にその痕跡を見出すことができる。[16]中でも、武田信玄が軍争篇の一節より採った「風林火山」を旗指物にしていたことは有名である。[17]

兵学の隆盛―近世―

徳川幕府が天下を治めるようになる時期と、兵学と呼ばれる学問が隆盛を迎える時期は合致する。天下泰平の世には実戦など稀であるが、かえって戦国時代に蓄積された軍事知識を体系化しようとする動きが出てきた。それが兵学(軍学)である。それに比例して、『孫子』を兵法の知識体系として研究する傾向が復活する。そのため江戸時代には、50を超える『孫子』注釈書が世に出るのである。これには中国からの刺激も影響している。たとえば中国で明代から清代に出た注釈書が日本に伝わり、覆刻されている。劉寅の『武経七書直解』や趙本学の『孫子校解引類』(趙注孫子)が有名である。また、日本人の手になるものも多く出た。林羅山『孫子諺解』や山鹿素行『孫子諺義』、新井白石『孫武兵法択』、荻生徂徠『孫子国字解』、佐藤一斎『孫子副註』、吉田松陰『孫子評注』らのものが代表的であるが、このうち素行と徂徠のものは特に有用といわれている。

近代以後

明治以降、日本は近代的兵学としてプロイセン流兵学を導入し、それに基づき軍事力を整えていった。しかし『孫子』の研究は途絶えることなく、個人レベルで読み継がれていった。たとえば日露戦争においてバルティック艦隊を破った東郷平八郎丁字戦法採用の背後には、『孫子』の「逸を以て労を待ち、飽を以て飢を待つ」(軍争篇)の言葉があったと言われる[要出典]

しかし時代が下るにつれ、海軍陸軍ともに『孫子』が学ばれることは少なくなっていく。近代的兵学に圧倒されていったためである。武藤章陸軍中佐が「クラウゼヴィッツと孫子の比較研究」(『偕行社記事』1933年6月)を発表しているものの、研究が盛んであるとはいえない状況であった。しかも武藤はクラウゼヴィッツを「戦争の一般的理論を探求して之を演繹し或は帰納して二三の原則を確立せんとす」と結論づけ、普遍性があると批評するのに対し、『孫子』に対しては、その書かれている内容は遙か以前の、中国国内のみを対象としているため「普遍性に乏しき憾あり」と述べ、前述のリデル・ハートとは逆の感想を抱いていることが読み取れる。

学問的世界では近代的な考証が積み重ねられ、『孫子』の真の著者は誰かといったテーマが日中共に上記のように論じられた。そんな中で1972年に山東省銀雀山から、『竹簡孫子』や『孫臏兵法』が発見されたことは大きなニュースであり、これにより大きく研究が進展した。

戦後は『孫子』が復権し、教養ブームに乗って広く読まれるようになり、現代でも(ビジネスなどの戦略においても)通用するとされ、解説書が数多く出版されている。

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補足

出典:百科事典

兵法三十六計

兵法三十六計(へいほうさんじゅうろっけい) とは中世頃の中国兵法書。兵法における戦術を六段階の三十六通りのに分けてまとめたものである。「三十六計逃げるに如かず」という故事が有名だが、この故事自体は兵法三十六計とは関係ない。

概要

成立時期は不明であるが、大体5世紀までの故事を17世紀明末清初の時代に纏められた物だと言われている。1941年?州(現・陝西省彬県)において再発見され、時流に乗って大量に出版された。様々な時代の故事教訓がちりばめられ、中国では兵法書として世界的に有名な『孫子』よりも民間において流通し、日常生活でも幅広く流用されている。

荒削りな部分が見られ、戦術とは呼べないようなものが含まれていることがある。また、権威付けのために『易経』からの引用を使って解説しているが、どれも名文とは言い難い。六計六組の配列も入れ替えたほうが良い部分があるとも指摘され、このようなことが三十六計が歴史の中に埋もれてしまった理由だと思われる。

なお、魏晋南北朝時代の将軍檀道済は、「三十六策、走るが是れ上計なり」(『南斉書王敬則伝)という故事で知られるが、檀道済の三十六策の具体的な内容は不明であり、『兵法三十六計』と直接の関わりはない。

兵法三十六計

勝戦計 (こちらが戦いの主導権を握っている場合の定石)
  • 瞞天過海(まんてんかかい) - 敵に繰り返し行動を見せつけて見慣れさせておき、油断を誘って攻撃する。
  • 囲魏救趙(いぎきゅうちょう) - 敵を一箇所に集中させず、奔走させて疲れさせてから撃破する。
  • 借刀殺人(しゃくとうさつじん) - 同盟者や第三者が敵を攻撃するよう仕向ける。
  • 以逸待労(いいつたいろう - 直ちに戦闘するのではなく、敵を撹乱して主導権を握り、敵の疲弊を誘う。
  • 趁火打劫(ちんかだこう) - 敵の被害や混乱に乗じて行動し、利益を得る。
  • 声東撃西(せいとうげきせい) - 陽動によって敵の動きを翻弄し、防備を崩してから攻める。


  • 敵戦計 (余裕を持って戦える、優勢の場合の作戦)
  • 無中生有(むちゅうしょうゆう) - 偽装工作をわざと露見させ、相手が油断した所を攻撃する。
  • 暗渡陳倉(あんとちんそう) - 偽装工作によって攻撃を隠蔽し、敵を奇襲する。
  • 隔岸観火(かくがんかんか) - 敵の秩序に乱れが生じているなら、あえて攻めずに放置して敵の自滅を待つ。
  • 笑裏蔵刀(しょうりぞうとう) - 敵を攻撃する前に友好的に接しておき、油断を誘う。
  • 李代桃僵(りだいとうきょう - 不要な部分を切り捨て、全体の被害を抑えつつ勝利する。
  • 順手牽羊(じゅんしゅけんよう - 敵の統制の隙を突き、悟られないように細かく損害を与える。


  • 攻戦計 (相手が一筋縄でいかない場合の作戦)
  • 打草驚蛇(だそうきょうだ) - 状況が分らない場合は偵察を出し、反応を探る。
  • 借屍還魂(しゃくしかんこん) - 死んだものや他人の大義名分を持ち出して、自らの目的を達する。
  • 調虎離山(ちょうこりざん) - 敵を本拠地から誘い出し、味方に有利な地形で戦う。
  • 欲擒姑縦(よくきんこしょう) - 敵をわざと逃がして気を弛ませたところを捕らえる。
  • 抛磚引玉(ほうせんいんぎょく) - 自分にとっては必要のないものを囮にし、敵をおびき寄せる。
  • 擒賊擒王(きんぞくきんおう) - 敵の主力や、中心人物を捕らえることで、敵を弱体化する。


  • 混戦計 (相手がかなり手ごわい場合の作戦)
  • 釜底抽薪(ふていちゅうしん) - 敵軍の兵站や大義名分を壊して、敵の活動を抑制し、あわよくば自壊させる。
  • 混水摸魚(こんすいぼぎょ) - 敵の内部を混乱させ、敵の行動を誤らせたり、自分の望む行動を取らせる。
  • 金蝉脱殻(きんせんだっこく) - あたかも現在地に留まっているように見せかけ、主力を撤退させる。
  • 関門捉賊(かんもんそくぞく) - 敵の退路を閉ざしてから包囲殲滅する。
  • 遠交近攻(えんこうきんこう) - 遠くの相手と同盟を組み、近くの相手を攻める。
  • 仮道伐虢(かどうばつかく) - 攻略対象を買収等により分断して各個撃破する。


  • 併戦計 (同盟国間で優位に立つために用いる策謀)
  • 偸梁換柱(とうりょうかんちゅう) - 敵の布陣の強力な部分の相手を他者に押し付け、自軍の相対的立場を優位にする。
  • 指桑罵槐(しそうばかい) - 本来の相手ではない別の相手を批判し、間接的に人心をコントロールする。
  • 仮痴不癲(かちふてん) - 愚か者のふりをして相手を油断させ、時期の到来を待つ。
  • 上屋抽梯(じょうおくちゅうてい) - 敵を巧みに唆して逃げられない状況に追い込む。
  • 樹上開花(じゅじょうかいか) - 小兵力を大兵力に見せかけて敵を欺く。
  • 反客為主(はんかくいしゅ) - 一旦敵の配下に従属しておき、内から乗っ取りをかける。


  • 敗戦計 (自国がきわめて劣勢の場合に用いる奇策)
  • 美人計(びじんけい) - 土地や金銀財宝ではなく、あえて美女を献上して敵の力を挫く。
  • 空城計(くうじょうけい) - 自分の陣地に敵を招き入れることで敵の警戒心を誘い、攻城戦や包囲戦を避ける。
  • 反間計(はんかんけい) - スパイを利用し、敵内部を混乱させ、自らの望む行動を取らせる。
  • 苦肉計(くにくのけい) - 人間というものは自分を傷つけることはない、と思い込む心理を利用して敵を騙す。
  • 連環計(れんかんのけい) - 敵と正面からぶつかることなく、複数の計略を連続して用いて勝利を得る。
  • 走為上(そういじょう) - 勝ち目がないならば、戦わずに全力で逃走して損害を避ける。


  • 参考文献
  • 守屋洋著 『兵法三十六計』三笠書房知的生き方文庫、2004年
  • 梁増美著 『 中国人のビジネス・ルール兵法三十六計 36の日中間ビジネス事例で学ぶ』 ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 武岡淳彦監修・解説、尤先瑞作画、鈴木博編訳 『まんが兵法三十六計』、集英社
  • ハロー・フォン・センゲル著、石原薫訳 『兵法三十六計かけひきの極意 中国秘伝!「したたか」な交渉術』、ダイヤモンド社
  • カイハン・クリッペンドルフ著、辻谷一美訳 『兵法三十六計の戦略思考 競合を出し抜く不戦必勝の知謀』、ダイヤモンド社


  • 【孫子】兵法与三十六計【孫臏與龐涓】 (YouTube中国語動画)

    第 01 集【孫子】兵法与三十六計
    第 02 集【孫子】兵法与三十六計
    第 03 集【孫子】兵法与三十六計
    第 04 集【孫子】兵法与三十六計
    第 05 集【孫子】兵法与三十六計
    第 06 集【孫子】兵法与三十六計
    第 07 集【孫子】兵法与三十六計
    第 08 集【孫子】兵法与三十六計
    第 09 集【孫子】兵法与三十六計
    第 10 集【孫子】兵法与三十六計
    第 11 集【孫子】兵法与三十六計
    第 12 集【孫子】兵法与三十六計
    第 13 集【孫子】兵法与三十六計
    第 14 集【孫子】兵法与三十六計
    第 15 集【孫子】兵法与三十六計
    第 16 集【孫子】兵法与三十六計
    第 17 集【孫子】兵法与三十六計
    第 18 集【孫子】兵法与三十六計
    第 19 集【孫子】兵法与三十六計
    完結


    計篇・・・計とは、はかり考える意味。開戦の前によくよく熟慮すべきことを述べる。
    作戦篇・・・軍を起こすことについて。主として軍費のことをのべる。
    謀攻篇・・・謀りごとによって攻めること。すなわち戦わずして勝つの要道をいう。。
    形篇・・・。目に見えるありさまを形という。軍の形(態勢)について、自らは不敗の立場にあって敵の敗形に乗ずべきことを述べる。
    勢篇・・・勢いとは個人の能力をこえた総体的な軍のいきおい。前には静的な形(態勢)についてのべ、ここではその形から発動する戦いの勢いについて述べる。
    虚実篇・・・虚は空虚の意味で、備えなくすきのあること。実は充実で十分の準備を整えること。実によって虚を伐つべきことをのべる。
    軍争篇・・・実戦中、敵の機先を制して利益を収めるために競うことをのべる。
    九変篇・・・変は変化、変態の意。常法にこだわらず、事変に臨んで臨機応変にとるべき九とおりの変わった処置についてのべる。将、九変の利に通ずるものは、用兵を知る。
    行軍篇・・・軍をおし進めることに関して、軍隊を止める場所や敵情の観察など、行軍に必要な注意をのべる。
    地形篇・・・計偏第一で「三に曰く地」といったその土地の形状についてのべる。
    九地篇・・・九とおりの土地の形態とそれに応じた対処についてのべる。
    火攻篇・・・火攻め戦術について述べる。
    用間篇・・・「間」とは間諜を指す。すなわち敵情をうかがうスパイについてのべる。敵情偵察の重要性を説く。

    YouTube映画・・・孫子《兵法》大伝 (第一話~第三十五話)日本語字幕
    YouTubeアニメ動画・・・孙子兵法(第一篇~第十三篇)
    YouTube映画・・・【孫子】兵法与三十六計【孫臏與龐涓】(第1集~第19集)

    動画・・・超訳
    動画・・・孫子の兵法前編1孫子の兵法前編2孫子の兵法前編3孫子の兵法前編4
    動画・・・孫子の兵法後編1孫子の兵法後編2孫子の兵法後編3孫子の兵法後編4
    [孫子読み縦書][孫子投資法][朗読] [孫子Wiki][孫子YouTube] [孫子画像]

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    参考資料
    孫子 (書物)-[孫子以前に兵書無く,孫子以降に兵書無し]-Wikipedia百科事典
    孫武-Wikipedia百科事典
    兵法書-Wikipedia百科事典
    武経七書-Wikipedia百科事典
    兵法三十六計-Wikipedia百科事典
    中國哲學書電子化計劃(中国・英語)-諸子百家(Chinese Text Project)
    WEB漢文大系
    「孫子の兵法」 Sun Zi Art of War(中国・英語)-繁伜 Chinese Wiki
    朗読:左大臣
    史記-Wikipedia百科事典
    諸葛孔明 -Wikipedia百科事典



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