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(国立国会図書館) 〇 言志録・言志後録・言志晩録・言志耋録. 言志録 佐藤一斎 著 (文魁堂, 1898)
(原文) 〇言志録〇言志後録〇言志晩録〇言志耋録
(検索) ◎言志四録 、◎言志四録 全文 、〇佐藤一斎「言志四禄」総目次(引用文献)

「言志四録」佐藤一斎 著
『言志晩録』第60条「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず、老いて学べば、則ち死して朽ちず」

1.言志碌.htm 42歳~53歳起稿 (げんしろく)
2.言志後録.htm 57歳~67歳 (げんしこうろく)
3,言志晩録.htm 67歳~78歳 (げんしばんろく)
4.言志耋禄.htm 80~82歳 (げんしてつろく)

『言志四録』(げんししろく)は、佐藤一斎が後半生の四十余年にわたって書いた語録。
指導者のためのバイブルと呼ばれ、現代まで長く読み継がれている。
一斎先生に学びし人々は数千人を数える、西郷南洲は愛唱し会心の百一条を抄録座右の筬としていた。
2001年5月に総理大臣の小泉純一郎が衆議院での教育関連法案の審議中に触れ、知名度が上がった。




【ビジネスパーソンのための言志四録】
その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8
【この一冊が 歴史を動かした】 NHK DJ日本史貞観政要/言志四録/論語/(1/4) (2/4)
貞観政要(YouTube) 言志四録(YouTube) 論語(YouTube) 論語と算盤(朗読)

(1) 言志録で学べることを抽出すると
○過去の自分が現在の自分を作り、現在の自分が将来の自分を作る。
○屈辱を受けて発憤したことで後世に名を残す人になった例あり。
○忙しいという人も実際に必要なことは1~2/10
○心は顔色と言葉にあらわれる。
○一芸は万芸に通ず。
○人には、その人の長所を話してもらうと自分にもためになる。
○賢者は死を当然来るものととらえているから恐れない。
○平生の言動こそ遺訓
○良き子供を育てるのは、私事ととらえず公事ととらえるべし
◎『言志晩録』第60条「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり 壮にして学べば、則ち老いて衰えず 老いて学べば、則ち死して朽ちず」 などなど。

目次    言志四録 目次 (川上正光全訳) 

   

目次   言志四録 目次 (久須本文雄全訳) 





  佐藤一斎「(げん)志後録(しこうろく)」岫雲斎(先生57歳~約10年間)

その10その11その12その13その14その15その16その17


                    
1. 

学は一生の負担

此の学は吾人(ごじん)一生の負担なり。当に(たお)れて後()むべし。道は()と窮り無く、堯舜の上、善尽くること無し。孔子は志学より七十に至るまで、十年毎に自ら其の進む所有るを覚え、孜々(しし)として自ら(つと)め、老の(まさ)に至らんとするを知らざりき。()し其れをして(ぼう)()え期に至らしめば則ち其の神明不測なること、想うに当に何如(いか)なるべきぞ。凡そ孔子を学ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と為すべし。 

岫雲斎
儒学は一生のテーマである、斃れるまで努力してゆくべき道である。道は無窮であり、堯や舜の行った事以上になすべき善がある。孔子は学に志してより70才になるまで、10年毎に学の進境を自覚し、懸命に学び年を取るのを忘れていた。孔子が死すことなく(ぼう)90歳(90歳)を超えて長生していたら神の如き明智は光り輝いていたであろう。孔子を学ぶ者はこの志を以て自分のものとすべきである。 

2.       
自彊不息(じきょうしてやまず)二則 その一

自ら(つと)めて()まざるは天の道なり。君子の()す所なり。虞舜(ぐしゅん)孳孳(じじ)として善を為し大禹(たいう)の日に孜々(しし)せんことを思い、(せい)(とう)(まこと)に日に(あらた)にする文王の(いと)()あらざる周公の坐して以て旦を待てる孔子の憤を発して(じき)を忘るるが如き、皆是れなり。彼の(いたず)らに静養瞑坐(めいざ)を事とするのみなるは、則ち此の学脈と背馳(はいち)す。 

岫雲斎
天行は健かなり、君子、以て自ら(つと)めて()まず、と易の冒頭にある卦。同様に、努めてやまざるは人間にとっても天の道である。()大禹(たいう)の「懸命に日々道を尽くそうとされた事」、殷の湯王が「日々に徳を新たに」と云われた事、周の文王が「朝から晩まで食を取る暇もない程勉学されたこと、周公が善政を行うべく苦心し夜の明けるや善政を施されたこと、孔子は、道の為に発憤して食事を忘れた事、これらは皆、自ら彊めて息まない実例である。儒教はこのように実社会と密接な関係に在る。ただ徒らに瞑坐するのみで足れりとする流派の者とは全く違うのである。

3.        
自彊不息(じきょうしてやまず)二則その二

自彊(じきょう)不息(ふそく)の時候、心地光光(しんちこううこ)明明(めいめい)なり。何の妄念遊思(ゆうし)有らん。何の嬰累かい想(えいるいかいそう)有らん。 

岫雲斎

自ら懸命になり励んでいる時、心は光に満ちて明るく、何らの妄念も沸かない。また心に思い煩いも起きない。

4

儒教の本領
孔子の学は、己を修めて以て敬することにより、百姓(ひゃくせい)を安んずることに至るまで、只だ是れ実事(じつじ)実学(じつがく)なり。「四を以て教う、(ぶん)(こう)忠信(ちゅうしん)」、「(つね)に言う所は、詩書執(ししょしつ)(れい)」にて、必ずしも?(もつぱら)誦読(しょうどく)を事とするのみならざるなり。故に当時の学者は、敏鈍の異なる有りと雖も、各々其の器を成せり。人は皆学ぶ可し。能と不能と無きなり。後世は則ち此の学()ちて芸の一途(いっと)に在り。博物にして多識、一過にして(しょう)を成す。芸なり。()(そう)縦横に、千言立どころに下る。尤も芸なり。其の芸に墜つるを以てや、故に能と不能と有り。而して学問始めて行儀と離る。人の言に曰く「某の人は学問余り有りて行儀足らず。某の人は行儀余り有りて学問足らず」と。(いず)れか学問余り有りて行儀足らざる者有らんや。(びゅう)(げん)と謂いつ可し。 

岫雲斎
孔子の学問は、己の修養に先ず努め人や事に接しては、敬や慎みを忘れないことから天下万民を安んずる事に至るまで、専ら実際のことを処する実学である。「書物を学ぶこと、学んで実行すること、真心を尽くすこと、偽り無き事」の四つを人々に教えた。そして、常に言うことは「詩経、書経の精神であり礼記の通りに礼を守る」ことであり、決して詩を誦し書の講読専一ではない。だから当時の学問をした者は敏い者、鈍な者はいたが各自がその器を大成させ得たのである。このように人は皆、道を学び得るものであり人により能、不能があるのではない。後世になるとこの孔子の学問も堕落し芸一途になった。何事も良く知っていたり一度目を通すと即座に暗記するなどは芸である。詩文の才能があり自在に千言のものを立ち所に書き下すなどは優れた芸である。学問は人格を作るという根本を逸脱してこのように芸に堕落したので、出来る、出来ないの差異が生じた。こうなると学問は躬行(きゅうこう)実践より離れてしまった。世間は「誰それは学問はあるが行いが欠けているとか誰は行いは十分だが学問が足りない」とか言うようになった。一体、孔子の学を修めた者で、学問が有り余り、行いが欠けている者があろうか、ある筈はなく世間の言は誤りと云うべきである。

5.  
内外の工夫

凡そ教は外よりして入り工夫は内よりして出づ。内よりして出づるは必ず()れを外に(ため)し外よりして入るは、当に()れを(うち)(たづ)ぬべし。 

岫雲斎
教えは全て外から入ったものだが工夫は自分が考えだすものだ。自ら考えたものは、これを外で験し証明しなくてはならぬ。
外からの知識は自分で正否を検討しなくてはならぬ。

6.

自重(じちょう)を知るべし

吾人は須らく自ら重んずることを知るべし。我が性は天爵(てんしゃく)なり。最も当に貴重すべし。我が身は父母の遺体なり。重んぜざる可からず。威儀は人の観望する所、言語は人の信を取る所なり。亦自重せざるを得んや。 

岫雲斎
我々は自分の身を尊重しなくてはならぬ。なぜなら各人の本性は天から与えられたものだからである。身体は父母が遺したものだからこれ又、大切にしなくてはならぬ。自分の動作は人の観るものであり、言葉は人の信用を得るものであり、どちらも自重しなくてはならぬ。

7.

聖人の態度
聖人は、清明()に在りて()()神の如し。故に人の其の前に到るや(しょう)(ぜん)として敬を起し、敢て褻慢(せつまん)せず、敢て諂諛(てんゆ)せず。信じて之に親み(ことごと)く其の情を(いた)すこと鬼神の前に到りて祈請(きせい)するが如きと一般なり。人をして情を(いた)さしめること是の如くならば、天下は治むるに足らじ。 

岫雲斎
聖人の心は清らかで明るく、気も志も神様のようである。だから聖人の前に出ると、人々は恐懼し尊敬の念を起す。狎れたり侮ることもしないし媚びたり諂うこともしない。心から信頼し親愛の情を抱き真心を捧げる。丁度、鬼神の前でお祈りするようである。
このように人をして真情を捧げるようになれば、天下を治めることは誠に容易になるのである。

8.

過去を想起せよ
人は当に往時に経歴せし事迹(じせき)(つい)()すべし。「某の年為しし所、(いず)れか是れ当否(とうひ)なる、敦れか是れ生熟(せいじゅく)なる。某の年謀りし所、敦れか是れ穏妥(おんだ)なる、敦れか是れ()()なる」と。此れを以て将来の(かん)(かい)と為さば可なり。然らずして徒爾(とじ)汲々(きゅうきゅう)営々(えいえい)として、前途を算え、来日(らいじつ)を計るとも、亦何の益か之れ有らむ。又尤も当に幼稚の時の事を憶い起すべし。父母鞠育乳哺(きくいくにゅうほ)の恩、()(ふく)懐抱(かいほう)の労、撫摩憫恤(ぶまびんじゅつ)の厚き、訓戒督(くんかいとく)(せき)の切なる、凡そ其の艱苦して我を長養する所以の者、(ことごと)く以て之を追思せざる無くんば、則ち今の自ら吾が身を愛し、()えて自ら軽んぜる所以の者も、亦宜しく至らざる所無かるべし。

岫雲斎

人間は過去に経験した事柄を想起すべきである。
「ある年に自分がした事はどちらが正しかったか。
どちらが出来栄えが良かったのか。
計画はどうであったか」こうして未来の教訓を得るが良い。
そうでなく徒らに、こせこせあくせく先々の思案をしても益はない。誰でも人間は、幼少時を思いだして見るべきだ。
父母が養育して乳を飲ませてくれた恩、いたわって懐に入れて抱いたり、撫でたりさすったり、憐れんでくれた温情、訓戒したり責め詰ったりしてくれた親切心等など、凡そ父母が艱難辛苦して育ててくれた事など全てを追憶したならば、自分が我が身を愛し、軽々しくしてはならぬと、行き届いたものとなるであろう。

9      

心の霊光

人の世に処するには、多少の応酬、塵労(じんろう)閙攘(とうじょう)有り。膠々(こうこう)擾々(じょうじょう)として起滅(きめつ)すること(たん)()し。(よつ)()た此の計較(けいこう)揣摩(しま)きん羨(きんせん)慳吝(けんりん)など、無量の客感妄想を生じぬ。(すべ)て是れ習気之れを為すなり。之を魑魅(ちみ)(ひゃく)(かい)(こん)()に横行するもの、太陽の一たび出ずるに及べば、則ち遁走して(あと)を潜むるに(たと)う。心の霊光は、太陽と(あかり)を並ぶ。能く其の霊光に達すれば、即ち習気消滅して、之れが(えい)(るい)を為すこと能わず。聖人之を一掃して曰く、「何をか思い何をか(おもんばか)らん」と。而して其の思は(よこしま)無きに帰す。邪無きは即ち霊光の本体なり。 

岫雲斎
生きている以上、多かれ少なかれ、交際あり、迷い事あり、煩瑣あり、それらが発生したり消滅したりの連続である。だから、色々と比較したり、推測したり羨望したり、ケチってみたり、外界の変動に応じて感情や邪念が生まれる。みな全て、世間の習慣のもたらすものだ。この様々な妖怪変化は、暗闇で跋扈しているだけで、一たび太陽が出れば、直ちに霧散して跡形もなくなる如く、心の霊光は、太陽と明を並べられる存在である。心がそのような霊光に到れば、後天的な悪習慣は霧散消滅し、様々な煩いは消え去ってしまう。聖人は、これらを払いのけて言う「何を思い煩うのか何を考えているのか」と。結局、我々の邪な思いが無くなれば良いと言うことに結論づけられるのである。

10

言葉を慎め

天地(かん)の霊妙なるもの、人の言語に()く者()し。禽獣の如きは(ただ)に声音有りて、僅に()(こう)を通ずるのみ。唯だ人は則ち言語有りて、分明に情意を宣達(せんたつ)し、又()べて以て文辞と為さば、則ち以て之を遠方に伝え、後世に()ぐ可し。一に何ぞ霊なるや。惟だ是くの如く之れ霊なり。故に其の()(かい)を構え、釁端(きんたん)()すも亦言語に在り。譬えば猶お利剣の善く身を護る者は、(すなわ)ち復た自ら傷つくるがごとし。慎まざる可けんや。

岫雲斎
大自然で不思議なものは人の言語であろう。禽獣はただ音声を発するのみで相互間の意思疎通をするのみである。人間にのみ言葉があり、自己の意思を明快に述べたり伝えたりする。文章にすれば遠方に伝えられるし後世の人々に告げることも可能である。不思議なことである。このような不思議なものであるから、禍の始めとなったり争いの発端を造ったりするのも言葉である。例えば、よく切れる刀剣は護身のものであるが容易に我が身を傷つけるようなものである。だから言葉は慎まなくてはならぬ。

11.

人に背く勿れ
「寧ろ人の我に(そむ)くとも、我は人に負く(なか)らん」とは、(まこと)に確言となす。余も亦謂う「人の我に負く時、我れは当に吾れの負くを致す所以を思いて以て自ら(かえ)りみ、且つ以て切磋(せっさ)砥礪(しれい)の地と為すべし」と。我に於て多少益有り。()んぞ之を(きゅう)()すべけんや。 

岫雲斎

「人が自分を背いても、自分は人に背かない」と云うことは至言である。自分も言う、「人が背いた時は、自分が背かれるに至った原因を反省して徳を磨く土台にすべきである」と。こうすれば自分にとり大きく得るものがある。だから仇敵視しないことだ。

12.

教えにも術あり
誘掖(ゆうえき)して之を導くは、教の常なり。警戒して之を(さと)すは、教の時なり。躬行(きゅうこう)して以て之を率いるは、教の(もと)なり。言わずして之を化するは、教の(しん)なり。抑えて之を揚げ、激して之を進むるは、教の権にして変なるなり。教も亦術多し。 

岫雲斎
子弟の側にいて援け導くのは教育の常道、邪道に入るのを戒め諭すのはタイミング良し。自ら率先して道を示すのが教育の根本。黙って教化するのは教育の最高の方法である。抑え付けて、褒めて、激励して進ませるのは方便であり臨機応変の手法である。教育の方法は幾多もある。

13.

上役の心得
小吏有り。(いやしく)も能く心を職掌に尽くさば、長官たる者、宜しく勧奨して之を誘掖(ゆうえき)すべし。時に不当の見ありと雖も、而れども亦宜しく(しばら)く之を容れて、徐々に諭説(ゆせつ)すべし。決して之を抑遏(よくあつ)す可からず。抑遏せば則ち意(はば)み気(たゆ)みて、後来(こうらい)遂に其の心を尽さじ。 

岫雲斎
部下が懸命に自己の職務に尽くしておれば、上役は、励ましたり褒めたりするがよい。時に不当な見解があっても先ず暫くはこれを受け容れて機会を見て少しづつ諭すのがよい。頭ごなしに抑圧的にやらないことだ。抑圧的にやれば、意欲が喪失して弛むし、真剣にやらなくなるだけだ。

14.       

 
公務にある者の心得
官に居るに好字面(こうじめん)四有り。公の字、正の字、清の字、敬の字なり。能く此れを守らば、以て過無かるべし。不好(ふこう)の字面も亦四有り。私の字、邪の字、濁の字、傲の字なり。(いやし)くも之を犯さば、皆禍を取るの道なり。 

岫雲斎
官僚に好ましいことは四つある。
公・正・清・敬である。
これを守れば過失は起きない。
反対に良くないことは、私・邪・濁・傲である。

これは官僚にとり禍への道である。

15.  

急事を急がぬ錯慮(さくりょ)

凡そ人の宜しく急に()すべき所の者は、急に做すことを(がえん)ぜず、必ずしも急に做さざる可き者は、(かえ)って急に做さんことを(もと)む。皆錯慮なり。()の学の如きは、即ち当下(とうか)の事、即ち急務実用の事なり。「謂うこと勿れ、今日学ばずとも来日有り」と。(えん)を張り客を会し、山に登り湖に(うか)び、凡そ適意游(てきいゆう)(かん)する事の如きは、則ち宜しく今日為さずとも猶お来日(らいじつ)有りと謂う可くして可なり。

岫雲斎
人間というものは、急いでしなくてはならぬものを急いでやらないで、急がないことに早く手をつけている。間違いである。斯の学問即ち聖人の学問は、即刻為すべき事や実際の役に立つ事を教えている。今日学ばなくても明日がある、などと怠けてはならぬ。宴会で客を集めたり、登山したり、舟遊びをするような、心のままに遊び楽しむ事などは今日でなくても明日があるではないか。

16     

人は自ら累す
人或は謂う、「外物累を為す」と。愚は則ち謂う、「万物は皆我と同体にして必ずしも累を為さず。蓋し我れ自ら累するなり」と。 

岫雲斎
人は外物の為に煩わされるというかもしれない。だが、自分は「万物はすべて皆自分と一体であるから煩わされない。思うに煩わされると言うのは自分自身のことであろう。

17.

過は不敬に生ず

()は不敬に生ず。能く敬すれば則ち過(おのずか)(すくな)し、()し或は(あやま)たば則ち宜しく(すみやか)に之を改むべし。速に之を改むるも亦敬なり。顔子(がんし)()(ふたた)びせざる、()()の過を聞くを喜ぶが如きは、敬に非ざる()きなり。 

岫雲斎
過ちは、敬、即ち慎みの欠けた結果である。よく敬を以て慎み言動すれば過ちは少ないものである。もし、過ちが起きたら直ちに改めるのがよい、過ちを改めるのは敬であり慎むことなのだ。孔子の弟子顔回が同じ過ちを二度しなかったこと、子路が自分の過ちを注意してもらうのを喜んだのも全て敬、則ち慎むことなのだ。

18.

一志を立てよ
閑想客感(かんそうきゃくかん)は、志の立たざるに()る。一志既に立ちなば、百邪退聴せん。之を清泉(せいせん)湧出(ゆうしゅつ)すれば、(ぼう)(すい)渾入(こんにゅう)するを得ざるに(たと)う。 

岫雲斎
つまらぬ事を考え出したり、外のものに動かされるのは、自分の志が確立していないからだ。一つの志が強固なものであれば、邪念は退散してしまう。それは、恰も清泉が滾々(こんこん)と湧きでると傍らの汚れた水が混入しないようなものだ。

19.

公欲と私欲

心を霊と為す。其の条理の情識に動く。之を欲という。欲に公私有り。情識の条理に通ずるを公と為し、条理の情識に滞るを私と為す。自ら其の通滞(つうたい)を弁ずる者は、即便(すなわ)ち心の霊なり。 

岫雲斎
心というものは霊妙なものである。その心の中にある理性が感情により支配されるのが欲である。この欲には公欲と私欲がある。理性により支配された意識が公欲である。感情により理性が停滞した場合が私欲となる。この二つをどう弁ずるかは心の霊妙な働きによるのだ。

20.

宇宙はわが心
()は是れ対待(たいたい)の易にして、(ちゅう)は是れ流行の易なり。宇宙は我が心に外ならず。 

岫雲斎
宇宙は我が心の悟りの根源だ。なぜなら、宇は無限の空間、易では、宇宙万物は相對により変化して空間的に、時間的に、各々その宜しきを得て調和している、これは我が心のようなものである。

佐藤一斎「(げん)志後録(しこうろく)」その十一 岫雲斎補注  

21.

心と身を養うには

礼義を以て心を養うは、則ち体躯を養うの良剤なり。
心、養を得れば則ち身自ら健なり。
旨甘(しかん)を以て口腹を養うは、則ち心を養うの毒薬なり。
心、養を失えば則ち身も亦病む。
 

岫雲斎
立ち居振る舞いという礼儀を良くすれば、それ自体が精神修養であり結果は身体に執っても良薬となる。反対に、美味しい食べ物は精神修養の毒薬で身体が衰弱して病気となる。正に健全なる精神が健全なる肉体を生み長生に結びつくのである。

22.          

敬の真義

心に中和を存すれば、則ち(たい)(おのずか)安舒(あんじょ)にして則ち敬なり。故に心広く体胖(たいゆたか)かなるは敬なり。

徽柔懿(きじゅうい)(きょう)なるは敬なり。申申夭夭(しんしんようよう)たるは敬なり。()の敬を見ること桎梏(しっこく)()(てん)(ごと)く然る者は、是れ贋敬(がんけい)にして真敬にあらず。 

岫雲斎

人間は、心が偏らないで穏やかであれば身体は安らかであり、これが敬である。大学に、心が広く平らかであれば身体はゆったりとしているとあるのが敬である。書経に周の文王の人となりを善にして柔和、麗しく忝謙とあるのも敬である。だが敬を手枷(てかせ)足枷(あしかせ)や縄で縛られたように窮屈に思うのであれば偽の敬であり本物の敬になっていない。

23.          

義理と利害

君子も亦利害を説く。利害は義理に(もと)づけばなり。小人も亦義理を説く。義理は利害に由ればなり。 

岫雲斎
利害は広く万民に関するものだから君子もそれを説く。ただ、君子のそれは人道に基づくが、小人のそれは自分の立場である。

24.     

真の巧妙

真の巧妙は、道徳便(すなわ)()れなり。真の利害は、義理便ち是れなり。 

岫雲斎
真の功績とは道徳の上に成り立ったものでなければならぬ。本当の利害は義理に由らねばならぬ。

25.          

達人の見解

人の一生遭う所には、険阻(けんそ)有り、(たん)()有り、安流(あんりゅう)有り、驚瀾(きょうらん)有り。是れ気数の自然にして、(つい)に免るる能わず。即ち易理なり。人は宜しく居って安んじ、(もてあそ)んで楽しむべし。若し之を趨避(すうひ)せんとするは、達者(たっしゃ)(けん)に非ず。 

岫雲斎
人間の一生を道路に例えれば、険しい所、平坦な所、水路で言えば穏やかな流れや急峻な場所などがあるようなものである。これは大自然の必然であり易に説かれた通りである。だから、人間は自分の居る所に安んじて楽しむのが良いのだ。人間の達人は、これを避けて走りぬけようとしない。

26

地上の美観

山水の遊ぶ()()る可き者は、必ず是れ畳嶂(じょうしょう)(さん)(ぽう)、必ず是れ激流、急湍(きゅうたん)、必ず是れ(しん)(りん)長谷(ちょうこく)、必ず是れ懸崖(けんがい)絶港(ぜつこう)なり。凡そ其の()(すい)(もう)(みつ)雲烟(うんえん)の変態、遠近相取り、険易相錯(けんいあいまじわ)りて、然る後に幽致(ゆうち)の賞するに耐えたる有り。最も(こん)輿()(ぶん)たるを見る。若し()唯だ一山有り、一水有るのみならば、則ち何の奇趣か之れ有らむ。人世(じんせい)も亦猶お(かく)のごとし。 

岫雲斎
重畳たる山脈や峰々、長谷や激流、深い森林、切れ落ちた絶壁、切り削いだ港など山水の鑑賞は価値がある。紫翠の深い山々、雲の様々な変化の模様、遠近の景色が険しい山や平らかな大地が相交わり幽邃の趣きをかもしているのは見事で、将に易経にある坤は大地の輿たりである。もし、ただ一山、一つの川のみであれば何らの趣きもないであろう。人生もまたこのようなものではあるまいか。

27.

死生観

物には栄枯(えいこ)有り。人には死生有り。則ち生々の易なり。
(すべか)らく知るべし、()(かく)は是れ地にして、性命は是れ天なることを。
天地未だ(かっ)て死生有らずば、則ち人物何ぞ曾て死生有らんや。死生、栄枯は只だ是れ一気の消息盈虚(えいきょ)なり。
此れを知れば則ち昼夜の道に通じて知る。
 

岫雲斎
物には栄枯盛衰があり人間には生死がある。則ち万物は変化してやまない。我々の肉体は地に属しているが性命は天に属していることを知らねばならぬ。この天地には死生が無いのだから人や物にも死生がある筈はない。死生と言い、栄枯と言い、ただ一つの「気」が消えたのが死であり枯である。一つの気が満ちたのが生であり栄であるこの道理が分れば、昼夜交代の道理を得たということになる。

28.
「思」と言う字

心の官は則ち思うなり。思うの字は只だ是れ工夫の字のみ。
思えば則ち(いよいよ)精明に(いよいよ)篤実なり。其の篤実なるよりして之を(こう)と謂い、其の精明なるよりして之を知と謂う。
知行(ちこう)は一の思うの字に帰す。
 

岫雲斎
心の役目は思うことである。思うという事は、道の実行に就いて工夫を重ねることである。思えば、益々精しく明らかになる。いよいよ篤実に取り組む。それを「行」と云う。精通するから「知」と云う。従って知も行も「思」の一字に帰着するのである。

29.
(ちゅう)」二則 
その一

(ちゅう)の字は最も認めがた)し、(せんじゃく)の人の認めて以て中と為す者は、皆及ばざるなり。気魄(きはく)の人の認めて以て中と為す者は、皆過ぎたるなり。故に君子の道(すくな)し。 

岫雲斎
中の字に相当するものは中々無い。心の弱い人が「中」だと認めるものは「中」に及ばない。反対に気魄(きはく)ある人は勝気であり中だと言うものは皆「中」を過ぎている。だから君子の道たる「中」は少ない。

30
(ちゅう)」二則 
その二
気魄(きはく)の人の認めて以て中と為す者は、()と過ぎたり。而も其の認めて以て小過と為す者は、則ち(あたか)も是れ狂人の態なり。せん(せんじゃく)の人の認めて以て中と為す者は、固と及ばずして、而も其の認めて以て及ばずと為す者は、則ち殆ど是れ酔倒(すいとう)の状なり。 

岫雲斎
気の強い人間が中としたものは元々過ぎた状態である。その人が少し過ぎていると称するものは恰も狂人の如しである。気の弱い人の中は、至らない状態である。その人が及ばないとしたものは大抵、酔い倒れの状態である。

31.

精神を収斂する時
精神を収斂する時、自ら聡明を閉ずるが如きを覚ゆ。然れども熟後に及べば、則ち(あん)(ぜん)として日に(あき)らかなり。機心酬(きしんしゅう)()の時、自ら聡明通達するを覚ゆ。然れども(じん)して以て習と成れば則ち的然として日に亡ぶ。 

岫雲斎
精神を緊張し引き締めると自己の賢が閉塞したように感じる。然し、充分な時間をかけると暗闇の中から次第に日に日に光明が現れてくる。人と応対する時、機智機転をきかせると恰も自分が利口そうに思われるが、そのようなことばかりしていると、土台が確立していないから一挙に自己が崩れてしまうであろう。

32.
寸言四則 

その一

申申夭夭(しんしんようよう)の気象は、収斂の熟する時、自ら能く是くの如きか。 

岫雲斎
精神修養が充分になされてくると、ゆったりして穏やかな気分となってくるものだ。

33.
寸言四則 

その二
春風(しゅんぷう)を以て人と接し、秋霜(しゅうそう)を以て自ら(つつし)む。 

岫雲斎
人に接するには春風の和やかさで、然し自分には秋霜の厳しさで慎むがよい。

34.
寸言四則 

その三
克己の工夫は一呼吸の間に在り。 

岫雲斎
克己の工夫は一呼吸の間の自省にある。

35.
寸言四則 

その四
()れば則ち存するは人なり。()つれば則ち亡ぶは禽獣なり。操舎(そうしゃ)一刻(いっこく)にして、人禽(じんきん)判る。戒めざる可けんや。 

岫雲斎
倫理道徳を操守できるのは人間である。それを棄てて自滅するのは禽獣である。(まも)るといい捨てるといい、それは一呼吸一刻の瞬間のことでそれだけで人間と禽獣の区別がつけられる。戒めなくてはならぬ。

36.

経験少なき人との応対
人は往々にして不緊要の事を(もっ)て来り語る者有り。我れ(すなわ)傲惰(ごうだ)を生じ易し。(はなは)だ不可なり。()れは(かっ)て未だ事を()ず。所以(ゆえ)閑事(かんじ)を認めて緊要事と()す。我れ頬を(ゆる)め之を(さと)すは可なり。傲惰を以て之れを待つは失徳なり。  岫雲斎
世間の中には格別重要でもないことを持ち来たりて話す者がいる。こんな時に威張って侮り易いものだ。これは良くないことである。彼はまだ経験が浅く大したことでもない事を重要事と思っているのだ。こんな時には比喩を用いて話すがよい。侮って威張って応対することは徳を失うことになる。
37     
地の徳

人は地に生れて地に死すれば、畢竟地を離るる能わず。故に人は宜しく地の徳を執るべし。地の徳は敬なり。人宜しく敬すべし。地の徳は順なり。人宜しく順なるべし。地の徳は簡なり。人宜しく簡なるべし。地の徳は厚なり。人宜しく厚なるべし。 

岫雲斎
人間は地上に生まれ、そして死んで地に帰る。人間は地から離れられない。だから地の徳について能く考えなければならぬ。地の徳とは次の四つである、敬、順、簡、そして厚である。それらを良く守らねばならない。

38.

「一」の字と「積」の字
一の字、積の字、甚だ畏る可し。善悪の幾も初一念に在りて、善悪の熟するも(せき)(るい)の後に在り。 

岫雲斎
一の字と積の字は慎まなくてはならぬ。善悪の兆し()は最初の一念に依る、その上に善でも悪でも、その一念の累積の結果だからである。

39.

政治上の心得
其れ()んじ其れ慎まば、国家に不慮の患無く、()れ和し惟れ一ならば、朝廷に多事の(じょう)無からむ。 

岫雲斎
日頃から大事を取って慎んでやっておれば国家に不慮の難事は起きないまた皆の者が和合し一致しておるならば朝廷に多くの憂いも起こらないであろう。これは組織のことである。

40.

明史読後感
()(みん)()を読むに、其の()(せい)に至りて君相(くんしょう)其の人に(あら)ず。宦官宮(かんがんきゅう)(しょう)事を用い、賂遺(ろい)公行(こうこう)し兵馬衰弱し国帑(こくど)は則ち空虚となり政事は只だ是れ貨幣を料理するのみ。東林も党せざるを得ず。闖賊(ちんぞく)(しゅん)せざるを得ず。(つい)()(まん)(きん)に乗じ()(うば)うことを(じゅん)()す。嗟嗟(ああ)後世戒むる所を知らざる可けんや。 

岫雲斎
中国は明の歴史をよんだ。明の末期(季世)になると、君主も宰相も人を得ていない。宮中に仕えている宦官、奥女中が口を挟み、賄賂が横行し、兵馬は衰弱、国庫(国帑(こくど))は空っぽ、政治といえば金銭のやりくりだけである。だから、識者の東林書院の儒者達も党派を作るし、無頼の徒は活躍するばかりである。終に、北方の胡人が隙((きん))に乗じて中原(ちゅうげん)の国を簒奪することとなった。後世の人々はよくよく戒めなければならない。 

41.   

明朝の衰亡

(しょう)(せん)出でて明衰え、鈔銭盛にして明亡ぶ。 

岫雲斎
紙幣((しょう)(せん))を発行しだしてから明朝は衰弱しその量が増えて滅亡した。

42. 

直を以て怨に報いる

(ちょく)を以て怨に報ゆ」とは、善く看ることを要す。
只だ是れ直を以て之に待つ。相讎(そうきゅう)せざるのみ。
 

岫雲斎
公平無私を以て怨みに報いる、これは論語にあるが、よくよく吟味しなくてはならぬ。これは、公平無私に当たるのであり、怨みに対して怨みを以て報復し互いに仇するものではないだけのことである。

43.

養生の道

養生の道、只だ自然に従うを得たりと為す。養生に意有れば則ち養生を得ず。之を(らん)()の香に(たと)う。嗅けば則ち来らずして、嗅がざれば則ち来る。 

岫雲斎
養生の道は自然体がよい。意思があると養生にならない。蘭の花の香りのように、嗅けば却って匂ってこない、嗅がないと自然に匂ってくるようなものである。

44.        

下情通達の真意

下情に通ずるの三字は、当に彼我(ひが)(りょう)(かん)()すべし。(じん)(しゅ)能く下情に通達す。是れ通ずること我に在り。下情をして各々通達するを得しむ。是れ通ずること彼れに在り。是くの如く透看(とうかん)すれば、真に謂わゆる通ずるなり。 

岫雲斎
下情に通ずるには彼と我の双方を見なくては分らぬ。主人が下情に通じているとは我のことである。又、下の事情を我に通ぜしめるのは彼にある。この両者が相俟ってこそ、彼と我の事が分り本当に下情に通じたと言える。

45

難事に処する道

凡そ大硬事(だいこうじ)に遭わねば、急心もて剖結(ぼうけつ)するを(もち)いざれ。須らく(しばら)く之を()くべし。一夜を宿(しゅく)枕上(ちんじょう)に於て(ほぼ)商量(しょうりょう)すること一半にして思を齎らして()ね、翌旦(よくたん)の精明なる時に及んで続きて之を思惟(しい)すれば則ち必ず(こう)(ぜん)として一条(いちじょう)()を見、(すな)()ち義理自然に湊泊(そうはく)せん。然る後に(おもむろ)に之を区処せば、大概錯誤を致さず。 

岫雲斎
大きな困難な問題に遭遇した時には、決して解決を急いではならぬ。
必ず、そのままにしておくがよい。
一晩、持ち越し、枕上でざっと考え、思いつつ寝て朝、心が精明になった時思案すれば一条の光りが射してくるものだ。そうなると、難問題解決の筋道(義理)が自ら浮んで来る。
こうなった後に、ゆっくりとこれらを一つ一つ分離して処理して行けば大概間違うことはない。

46         

実学と読書

実学の人、志は則ち美なり。然れども、往々にして読書を禁ず。
是れ亦(えつ)()りて食を廃するなり。
 

岫雲斎
活学を学問の目的とする人間の志は立派である。だが往々にして読書をしないがそれでは真の学問人とは言えない。これは、むせたから食事を取らないようなものだ。岫雲斎の所見とは異なる。活学を求めるのは読書のみの知見ではダメだということ、生きた学問は活学でなくてはならぬのである。当時の世相の違いであろうか。

47.

易経と書経
易は天を以て人を説き、書は人を以て天を説く。 

岫雲斎
易経は天理により人間を説く、書経は人間を見て天の道を説いている。

48.
史書を読め

人の一生の履歴は幼時と老後とを除けば(おおむ)ね四・五十年間に過ぎず。其の聞見(もんけん)する所は、殆ど一史だにも足らず。故に宜しく歴代の史書を読むべし。上下数千年の事迹(じせき)(つら)ねて胸臆(きょうおく)に在らば、(また)(かい)たらざらんや。眼を()くる処は、最も人情事変の上に在れ。 

岫雲斎
人間の一生で幼年期と老齢期を除けば4-50年くらいがいい所だ。その間に見聞するのは歴史のごく一部である。だから史書に馴染むがよい、数千年の過去の事跡が胸中にあるのは痛快なことだ。ポイントは、人心の機微と事件の推移を着眼点にするがよい。

49.          

(しょう)(ゆう)益あり

余常に(そう)明人(みんじん)の語録を読むに、(うけが)う可き有り。
肯う可からざるあり。

信ず可きに似て信ず可からざる有り。
疑う可きに似て疑う可からざる有り。
反復して之を読むに、殆ど諸賢と堂を同じゆうして親しく相討論するが如し。真に是れ尚友にして益有り。
 

岫雲斎
自分は常に宋・明時代の読書をしている、納得の行く点もありそうでない点もある。信じられると思われ点、そうでないものもある。疑問を抱くが疑ってはならぬものもある。これらの語録を再三読むと、これら賢人と一堂に会して親しく議論しているようにさえ思える。当に読書は古人を友とするものであり尚友であり益友なのである。

50.  

老荘を評す

老荘は()と儒と同じからず。()れは只だ是れ一箇の()()を了するのみ。
老子は深沈(じんちん)にして、荘周は別に機軸を(いだ)せり。
 

岫雲斎
老子、荘子は元々儒者ではない。彼らは唯、一個の「智」の字を学んだだけで実行が伴っていない。老子は深く沈思する傾向があり、荘子は老子から出発して別の一機軸を出したのである。

51.   
世界中が憐みの心

満腔子(まんこうし)是れ惻隠の心なるを知れば、則ち満世界(すべ)て惻隠の心たるを知る。
宇宙間只だ是れ一実にして、更に虧欠(きけつ)無し。
 

岫雲斎
人間の心が思いやりの心で充満すれば、世界全て思いやりの心で一杯になっていることが分る。全宇宙に於いて、これだけが真実である。少しも欠け目は無い。

佐藤一斎「(げん)志後録(しこうろく)」その十二 岫雲斎補注  

52. 
心は胸の内外に在る

人は須らく心の腔子(こうし)(うち)に在るを認むべく、又須らく心の腔子の外に在るを認むべし。 

岫雲斎
人間の心は、胸の内にも外にも在ることを認めなくてはなるまい。

53.   
魚貝は水の存在を知らず
(りん)(かい)の族は水を以て虚と為して、水の実たるを知らず。 

岫雲斎
魚貝の類は、水の存在に気づいていない。

54.          

存在するものは皆滅す
火は滅し、水は()れ、人は死す。
(せき)なり。
 

岫雲斎
火も何れは消える、水は何れ乾いて無くなる。人間も必ず死ぬる。これは大自然の創造進化化育の過程である。

55. 

日々の心得

志気(しき)は鋭からんことを欲し、(そう)()(ただ)しからんことを欲し、(ひん)(ぼう)は高からんことを欲し、識量は(ひろ)からんことを欲し、造詣は深からんことを欲し、見解は実ならんことを欲す。 

岫雲斎
心の勢いは鋭く、行いは端生であるべく、品性や人望は高いのがよい。見識や度量は広くありたい。学問や技芸の造詣は深いものでありたい。物の見方や理解は(じつ)あるものでありたい。

56
余は無芸無能

余は()と無芸無能なり。然れども人の芸能有るを(いと)わず。之を諦観(たいかん)する(ごと)に、但だ其の理の(えき)()に非ざる無きを見る。 

岫雲斎
自分は無芸無能だが人の芸能あるを厭うものではない。芸能を鑑賞する時、芸能の理が易の理、即ち天地自然の理に適っているかいないのか見るのである。

57.         

身体と易理 その一

人の一身は上下を以て陰陽を(わか)てば、(じょう)体を陽と為し、下体(かたい)を陰と為す。上陽を下体に降し、下陰を上体に(のぼ)せば、則ち上は虚にして下は実、(かん)して地天(ちてん)(たい)を成す。又前後を以て陰陽を分てば、前面を陽と為し、後背(こうはい)を陰と為す。前陽を後背に収め、後陰を前面に移せば、則ち前は虚にして後は実、又函して地天泰を成す。 

岫雲斎
地天泰は易の卦である。泰は良き卦で、陰の気が降り、陽の気が昇る形、天地和合して万物を生み育て、上下和合して心の通じ合う卦である。更に申せば、内面に活発な健康力あるも外は控え目、才能に富み、満々たる迫力があるも外に表さない、穏やかに保つ。地天泰は、上下和合、泰平の卦である。

58.         

身体と易理 その二

(めん)(はい)は又各々三段に分つ。(けん)の三陽位、前に在り。初を(しん)と為し、中を(かん)と為し、上を(ごん)と為す。(こん)の三陰位、後に在り。初を(そん)と為し、中を()と為し、上を()と為す。其の陽の顔面に在る者は、之を背上(はいじょう)身柱(しんちゅう)に収め、陰と相代れば、則ち前兌(ぜんだ)後艮(こうごん)を成して、(めん)(ひやや)かに(はい)(だん)なり。胸陽(きょうよう)之を背中(はいちゅう)・脊髄に収めて、陰と相代れば、即ち前離・後坎(こうかん)を成して、胸は虚にして背は実なり。腹陽(ふくよう)之を背下(はいか)腰上(ようじょう)に収めて、陰と相代れば、則ち前巽(ぜんそん)後震(こうしん)を成して、腹は柔かにして気を蓄え、腰は(こわ)くして精を(あつ)む。前の三陽皆後(みなうしろ)の三陰と相代れば、則ち(かん)にして前坤(ぜんこん)(こう)(けん)を成し、心神(しんしん)は泰然として呼吸は天地と通ず。余は(こん)(はい)の工夫より之を得たり。

岫雲斎


身体を乾坤の卦から説き起こし、身体と天地と相通ずる有様を易の各種卦の解釈から説明している。

59.          

順境にいて逆境を忘るな

進歩中に退歩を忘れず。故に(つまづ)かず、臨の?(ちゅう)に曰く、「(おおい)(とお)(ただしき)(よろ)し。八月に至りて凶有り」とは是れなり。 

岫雲斎
人は進む時に退くことを忘れなければ蹉跌しないものだ。臨の卦に八月は陽気が盛大で太陽の月であるが、その中に自ずから陰の卦を生ずる。だから進むに急では退くことを忘れ失敗することとなり凶を迎えるのである。

60.  

誠と敬三則

その一

天に(さきだ)ちて天(たが)わざるは、(かく)(ぜん)として(たい)(こう)なり。未発の(ちゅう)なり、(せい)なり。天に後れて天の時を奉ずるは、物来たりて順応するなり、己発(いはつ)の和なり、敬なり。凡そ事無きの時は、当に先天の本体を存すべく、事有るの時は、当に後天の工夫を()くべし。先天、後天、其の理を(もと)むれば則ち二に非ず。学者の宜しく思を致すべき所なり。 

岫雲斎
天運が巡り来り、天理に違わざるは浩然の気であり、天の本質そのものであり、(ちゅう)であり誠である。天運のままにものを為し天と順応して行くのは当に和であり敬である。無事の時は、天の本質である誠を以て事に当り、有事には、誠と敬もて対処すべし、その理は同じだからである。学者はこれに思いを致さなくてはならない。

61         

事を処する法二則
その一

人情、事変、或は(しん)(かん)()して之を処すれば、(かえ)って失当(しっとう)の者有り。大抵軽看(けいかん)して区処すれば、肯綮(こうけい)(あた)る者少からず。 

岫雲斎
人間の間に発生するもめ事や、社会の事変は深く考え過ぎて対処しようとすると却って失敗することがある。大抵の場合、軽く受け止めてあっさり処分すれば急所を突いていることが少なくない。

62

.
事を処する法二則
その二
将に事を処せんとせば、当に先ず(ほぼ)其の大体如何を視て、而る後漸々(ぜんぜん)に以て精密の処に至るべくんば可なり。 

岫雲斎
当に然り。経験的に岫雲斎もそうしてきた。あるゆる事象・事件は一部門にいても全体像・大局観を持つ訓練をして全体の方向性を視て一部門の処理をしなくてはならぬ。

63

人ありて人なし
物其の所を得るを(せい)と為し、物其の所を失うを(すい)と為す。

天下人有りて人無く、財有りて財無し。

是れを(すい)()と謂う。
 
岫雲斎
物が適所を得れば盛となる。その適所を失えば衰滅する。多くの有能な人材が天下にいても、その所を得なくては人材は無いのと同じである。金は有っても適正な使用無ければ金が無いのと同じである。このような時代を衰えた世と云う。
64.
晦に居る者は顕を見る

(かい)()る者は能く顕を見、顕に()る者は晦を見ず。 

岫雲斎
暗い場所からは明るい場所は良く見える。明るい所からは暗い所は能く見えない。(暗い場所を部下、明るい所を上司としたら分かり易い。)

65

過ぎれば害がある
古人謂う、「天下の事過ぐれば則ち害有り」と。雨沢(うたく)()からざるに非ざるなり。多きに過ぐれば則ち?(ろう)す。其の害たるや(かん)と同じ。今善を為すに()(あっ)て、心に任せて自ら是とする者は、皆雨沢の?なり。余も亦往々(かくのごと)き人を見る。然れども他人に非ざるなり。自ら(いまし)めざる可からず。 

岫雲斎
古人は言った、「天下のことは度が過ぎると害がある」と。雨も多すぎると害があり旱魃と同じことだ。善を成したいとする意思があって自分の心のままに気ままにして得意になったら、雨の多すぎて大水になるようなものとなろう。このような人をしばしば見ているが、これは他人事ではなく、深く自分も戒めなければならない。

66. 

時には自然に親しめ

終年(しゅうねん)()城内(じょうない)に奔走すれば、自ら天地の大たるを知らず。時に川海に(うか)ぶ可く、時に邱壑(きゅうがく)に登る可く、時に蒼奔(そうぼう)の野に行く可し。此れも亦心学なり。 

岫雲斎
年がら年中、都会の中で東奔西走していては、大自然の大なることが分らない。時には川や海で遊覧したり、時には登山して英気を養う、或は青々としたて果てしない原野に出るがよい。これは、心を修める学問にもなるのでもある。

67.          

田園造化急なり

城市紛閙(じょうしふんとう)(ちまた)(きょく)(せき)すれば、春秋の偉観を知らず。田園閒曠(かんこう)の地に逍遥すれば、実に化工の窮り無きを見る。()(かっ)て句有りて曰く「城市春秋浅く、田園造化忙し」と。自ら謂う「人を(まん)する語に非ず」と。 

岫雲斎
都会のごみごみした所で、あくせく暮らしているのでは四季の偉大な景観は分らない。田園の静かで広大な場所を逍遥してこそ大自然の造化の妙の窮まりないことが分か。「市井にあっては春秋の眺めも人に感動を与えないが田園では造化の神が霊妙なる技を存分に振るっておられる」と作詞したことがある。 

68
大言者は小量

好みて大言(たいげん)を為す者有り。
其の人必ず小量なり。好みて壮語を為す者有り。
其の人必ず怯だ(きょうだ)なり。
唯だ言語の大ならず壮ならず、中に含蓄有る者、多くは是れ識量弘恢(こうかい)
の人物なり。
 

岫雲斎
世間には大きな事を言う者がいる。そんな人は必ず器量が小さい。極端に元気のいい事を言う者もいる。その人は必ず臆病である。言葉が大きくもなく、元気があるわけでもなく中に深い含蓄のある人は、見識も高く度量も広い人物であろう。

69.

「楽は心の本体」
人生には、貴賎有り。貧富有り。亦各々其の苦楽有り。必ずしも富貴は楽しくて、貧富は苦しと謂わず。

蓋し其の苦処(くしょ)より之を言わば、何れか苦しからざる()からむ。其の楽処(らくしょ)より之を言わば、何れか楽しからざる莫からむ。然れども此の苦楽も亦猶お外に在る者なり。(せき)(けん)曰く、「楽は心の本体なり」と、此の楽は苦楽の楽を離れす、亦苦楽の楽に墜ちず。蓋し其の苦楽を()りて、而も苦楽に超え、其の遭う所に安んじて、而も外に慕うこと無し。是れ真の楽のみ。中庸に謂わゆる「君子は其の位に素して行い、其の外を願わず、入るとして自得せざる無し」とは、是れなり。 

岫雲斎
人間社会には貴賎、貧富があるし苦楽もある。だが、富貴であれば楽しく貧賤であれば苦しいというわけでもない。苦楽という点から言えば、どんな事でも苦しくない、楽しくないということはない。これは外物の刺激により感得するものだから心の外にあるもので本当の苦楽ではない。昔の賢人・王陽明は「楽は心の本体である」と言った。これは他人の苦楽から離れるものではない。この心の本体の楽は、世間の苦楽と共にあるが超然としたものでもあり、遭遇する運命に安んじ何らその外を慕うことはしない、これが真の楽である。中庸に「君子はその位置境遇を自己本来の持ち前と心得て適当な行為をなしその外を願う心はない。だから如何なる境遇にあろうとも不満の念を起すことなく、悠々自適する」とあるのはこのことである。


70.          
人生行路

人の世を渉るは(こう)(りょ)の如く然り。()(けん)()有り。日に晴雨有りて、畢竟避くるを得ず。只だ宜しく処に随い時に随い相緩急すべし。速ならんことを欲して以て災を取ること勿れ。猶予(ゆうよ)して以て期に後るること勿れ。是れ旅に処するの道にして、即ち世を渉るの道なり。 

岫雲斎
人生は旅のようなものである。道中には危険な所もあり、平坦な所もあり、また晴れの日もあれば雨もある。これらは避けて通れない、その時は旅程を緩めたり急いだりするがよい。急いで災いを受けてはいけない。またゆっくりし過ぎて期日に遅れてはいけない。これらが旅行者の心得であり、人生の心得でもある。


71

性は天、体は地

人は当に母胎中に在るの我の心意果して如何を思察すべし。又当に自ら出胎後の我の心意果して如何を思察すべし。人皆並に全く忘れて記せざるなり。然れども我が体既に具われば、必ず心意有り。則ち今試に思察するに、胎胞中の心意、必ず是れ渾然として純気専一に、善も無く悪も無く、只だ一点の霊光有るのみ。(まさ)に生ずるの後、霊光の発竅(はつきょう)、先ず好悪(こうお)を知る。好悪は即ち是非なり。即ち愛を知り敬を知るの()りて出づる所なり。思察して(ここ)に到らば、以て我が性の天たり、我が体の地たるを悟る可し。 

岫雲斎
人間は自分が母胎にいた時の心を考えて見るがよい。また出生後の自分の心も考えて見るがよい。みなすっかり忘れているであろう。自分の体は具わっていたのだから心はあったわけである。そこで考えて見るに、母胎内の時の心は、きっと純粋なもので、善も悪もなく、ただ一点の霊妙な光があるばかりである。出生後は心の霊妙な光は次第に発達して、先ず物の善悪を知る、是非である、それにより愛を知り、敬を知るに至ったのである。ここまで思いを致すと、洵に我が本意は天よれり受けており、我が本体は地からであると悟ることが出来る。

72
.          
誕辰(たんしん)に思う

未だ生れざる時の我を思えば、則ち(てん)(こん)を知り、(まさ)に生るる時の我を思えば則ち天機を知る。 

岫雲斎
出生以前の吾を考えて見ると、混沌たるもので天の本体を知る思いがする。出生後の吾を考えると、僅かに知覚があるのみで、天の妙機に触れる思いがする。

欠番
73.    

聖人の遊観は皆学問的

孔子川上(せんじょう)に在りて逝く者を嘆じ、滄浪(そうろう)を過ぎて儒子に感じ、舞うに遊びて樊遅(はんち)()しとし、浴沂(よくき)に曾点に()みし、東山に登りて魯国を小とし、泰山に登りて天下を(びょう)とす。聖人の遊観は学に非ざる無きなり。 

岫雲斎
孔子は、昔、川の流れを見て「逝く者はかくの如し」と嘆息された。滄浪(そうろう)川を過ぎて子供が「水が澄めば冠を洗い、濁れば足を洗う」と歌うのを聞いて感じ入った。雨乞いの場所では(舞?(ぶう))、弟子の樊遅(はんち)の質問が適切なことを褒めた。曾点の浴沂(よくき)川畔で浴して身を清めるの意見に賛成した。魯国の東山に登り魯国を小さいと言い、泰山では天下は小((びょう))なりとした。このように聖人の遊覧は学問的で無いものはない。

74.         
聖人は学を固苦に修む

孔子(せい)に在りて、(しょう)を聞いて之を学び、()()きて()()を得、宋に之きて(こん)(けん)を得、周を観ては往古を感慨し、宋に微服し、(ちん)(さい)に厄し、(えい)()き、鄭に適き、楚に適き、皆意を得ざりき。聖人の学、蓋し力を遠游(えんゆう)、艱難に得るや多し。 

岫雲斎
孔子は斉で古代の音楽である(しょう)を学んだ。()の国の後に杞の国で(こよみ)の書、宋の国では易の乾坤の書物を得られた。周の国を観回って盛時からの衰微を回顧して感慨を持たれた。宋に微行した時、(ちん)(さい)の野て囲まれて大いに苦しめられた。衛から鄭、更に楚にも行かれたが皆、意見を用いられることなく終わった。聖人の学は遠く遊歴し様々な艱難辛苦に遭い実力を得られたものが多いのである。

75.          
陰徳の真の意味
郷愿一(きょうげんいっ)(ぱい)の人には、陰徳(せき)(ふく)の説有り。余謂う、徳に陰陽無し。(おおやけ)に之を為すのみ。其の陰徳を好む者は、陽報に待つ有り、若し陽報無きも陰徳必ず為さずして可ならんや。禍福も亦天来(てんらい)なり。(つい)に求む可からず。又惜しむ可からず。仮令(たとい)惜しむ可くとも、亦朝三暮四(ちょうさんぼし)の算のみ。之を(きゅう)するに皆天数を()()す。断断として不可なり。 

岫雲斎
凡庸な儒者(郷愿一(きょうげんいっ)(ぱい))の中には、隠れて徳を施して幸福を受けるのを惜しむという説がある。徳には陰も陽もない、オープンに徳は施すがよい。陰徳を好むのは、その陽報が現れるのを待っているのである。それが現れないからと言って陰徳をなしても悪くはない。人間の禍福はみな天から与えられたもので、求めたとて得られるものではない。惜しんだからと云って手元に置けるものでもない。惜しんでも、先に受けるか後かの違いのみである。これらの事を考究して天の運命をあれこれ憶測(()())するなどは断じてしてはならない。

76.          

貧賤分あり

人は須らく貴賎各々分有るを知るべし。貴人にして賎者の態を模倣し、賎者にして貴人の事を僭窃(せんせつ)せば、吾れ(はずかしめ)を之れ招くに非ずんば、則ち?(わざわい)に之れ及ばんことを知る。 

岫雲斎
一斎先生と違うのだが、人間に人格としての貴賎は本来的に無いが生来の人間的貴賎は確かに違うものがある。更に、後天的修練、精神の練磨により品性の貴賎は出来る。天分の「分」も確かに存在する。地位の高い人が低い人を真似たり、また下の者が上の者に分不相応に真似たりするのは恥であり社会的災害を受けるのは本当だ。

77.          

口頭の聖賢

聖賢を講説して、之を()にする能わざるは、之を口頭の聖賢と謂う。吾は之を聞きて一たび(てき)(ぜん)たり。道学を論弁して、之を体する能わざるは、之を紙上の道学と謂う。吾れ之を聞きて再び惕然たり。 

岫雲斎
聖人や賢人の道の講義をするだけで自ら実践躬行しない人を口先聖賢という。私は之を聞いてギョッと((てき)(ぜん))した。宋の儒を学び論じるが己の身についていない人を紙上の道学と聞いて私は二度ギョッとした。

78.          

天の働きと地の働き

天は気を始めて地は物を()す。天は変じて地は化するなり。(ここ)に知る造化の二字は地の功を語るを。独り人の地たるのみならずして、而も万物皆地なり。然れども天の気入りて之を主宰するに非ざれば、則ち物も(いか)す能わず。主宰の霊は則ち(しょう)なり。 

岫雲斎
天は気を生じ、地は物を産みだす。天は変化であり、地は化成である。だから造化の二字は地の功用を物語るものだと知る。独り人間が地に属するばかりでなく、万物はみな、地に属している。然し、天の気が入ってこれらを司さどらなかったら物を活かすことも出来ず、人間もまた霊妙なる働きは出きない。このような霊妙な働きをしているのが人間の性である。

79.          

政治の必要条件

(まつりごと)を為すに須らく知るべき者五件有り。曰く、軽重、曰く時勢、曰く、寛厚、曰く、鎮定、曰く、寧耐(ねいたい)、是れなり。賢を挙げ、(ねい)を遠ざけ、農を勧め、税を薄うし、(しゃ)を禁じ、倹を(とおと)び、老を養い、幼を(いつくし)む等の数件の如きは、人皆之れを知る。 

岫雲斎
政治の要諦である。①軽重、財政の軽重、言動の軽重、②時勢、内外の時勢を洞察、③寛厚、人を受け入れること④鎮定、内外の安全保障を確保し人心安定⑤寧耐、宰相自らの深沈重厚を。更に、賢人を登用し、邪悪な反国家的思想を受け入れない。国の基本である農業を督励、公務員など無駄を削除して税金を減らす、贅沢の風潮を避け、倹約を尊ぶ。老人を大切にし、幼児に慈愛を。菅直人君に、終えてやりたいような内容である。

80.   
三徳の妙理

 

智、仁は性なり。勇は気なり。
配して以て三徳と為す。妙理有り。
 

岫雲斎
智恵と仁徳は人間の本性。勇気は本性から生ずる気であり後天的に鍛錬養生可能。これらを織り成して三徳と云い妙理あるものである。

佐藤一斎「(げん)志後録(しこうろく)」その十三 岫雲斎補注  

81.    

道心は性、

人心は情

昔人(せきじん)謂う、「道の大端(だいたん)は、道心、人心に在りて、其の節目(せつもく)は、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友、五者の倫に在り」と。
余は謂えらく、道心は性なり。
人心は情なり。精一にして中を執るは、情を性に約するなり。
本体に工夫存せり。

其の功を()くる処は、則ち五倫の(こう)()りて、親、義、別、序、信の(おしえ)有り。則ち感応自然の条理にして、性を情に見るなり。
工夫に本体存せり。後の道学を講ずる者、往々にして(きょ)(げん)に馳せ、高妙に過ぎ、悠渺空曠(ゆうびょうくうこう)にして、性を言語道断(みちた)え、(しん)行路(こうろ)絶ゆるの際に
もとむ。
(あに)果して人倫ならんや。或は功利と為り、或は()(しょう)と為るは、則ち人倫に於て亦(ますます)遠し。

岫雲斎
道徳の元は道心と人心にあると古人は言う。私はそれを、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五つの人倫に分類する。道心は人間の本性、人心は人情、心を一つにして中庸を守れば本性に従って情を制約できるが、ここは最も工夫しなければならない。工夫次第で最もよくなるのが五倫の道である。父子には親、君臣には義、夫婦には別、長幼には序、朋友には信がその教えの核心である。このことは、人情と本性の自然に感応するものが分かり、本性が人情に現れて見える所である。正にここが工夫所であり本体の存在が確認できる。後世の学者たちは、ややもすると空虚な幽玄に走り、高尚微妙に過ぎて道理や実際から離れ、本性たる言語では何も言えず、思慮分別もなく、心にも考えられない、身に行うこともできない遠い所のものを求めている。これが果して人倫であろうか。道徳を講ずるものが、自己の名誉や利益の為とか、文字文章で表現することを旨とするようでは、人の常道から遠く離れてしまうのである。

82.          

習気(雑念)を除け
性の動くを情と為す。畢竟断滅すべからず。唯だ発して節に(あた)れば、則ち性の作用を為すのみ。然るに自性を錮閉(こへい)する者を習気と為す。而して情の発するや、毎に習気を(はさ)みて、黏着(ねんちゃく)する所有り。是れ錮閉なり。故に習気は除かざる可からず。工夫()(かつ)は一念発動の上に在り。(すな)()ち自性を反観し、未発の時の景象を?(もと)め、以て之を挽回すれば、則ち情の感ずる所、(もつぱ)ら性を以て動き、節に中らざる無きなり。然れども工夫甚だ難く、習気に圧倒せられざる者少なし。故に常々之を未だ感ぜざるの時に戒慎(かいしん)し、猶失う所有れば、則ち又必ず之を(わずか)に感ずるの際に挽回す。工夫は此の外に無きのみ。 

岫雲斎
本性により動くのが情、これを断ち切ることは不可能。ただ情が発動して適性であれば本性が作用する。だが、この本性の作用を抑えてしまうのが習気即ち雑念、クセである。情が発する度にこのクセに邪魔されて粘着してしまう。即ち本性が封鎖されるのだから、この習気を除去しなくてはならぬ。この工夫の大切な機会は、一念の発動時である。自分の本性をよく反省し観察して、まだ情の発動しない時に、本性の原点に返ることが出来たら、則ち情が本性に従って動くようになればクセの(ふし)に当たらないのである。だが、この工夫は中々困難、常に習気により圧倒されない人は少ない。だから、平生の工夫で、まだこれを感じない時に自戒し、それでも本性を失うようであれば、僅かに動き出した時に、元に戻れるように心かげることだ。これ以外に工夫の方法はないのである。

83

読書と静座
学者にて書を読むを(たしな)まざる者有れば、之を督して精を励まし書を読ましめ、大に書を読むに耽る者有れば、之に教えて静坐して自省せしむ。是れ則ち病に対して之れを補瀉(ほしゃ)するのみ。 

岫雲斎
学問をする者で読書をしない者がおれば、これを督励し読書させる。また読書に耽りすぎている者がおれば、静座と自省を指導する。これは病気に対して補血したり下剤を与えたりするようなものである。

84.

学と問

学は()れを古訓に(かんが)え、問は諸れを師友に質すことは、人皆之を知る。
学は必ず諸れを()に学び、問は必ず諸れを心に問うものは、其れ幾人有るか。
 

岫雲斎
学問の学は、古人の(おしえ)を参考にすること、問は、師とか友に質すことであるとは人々は知っている。だが学は必ず自分が実践し、問は我が心に自問自答し反省するものであるが果して何人がそれを実践しているであろうか。

85.

(ごん)
は君子の(しょう)

(ごん)篤実(とくじつ)輝光(きこう)と為す。君子の象なり。物の(じつ)有る者は、遠くして益々輝き、近ければ則ち之に()れて、美なるを覚えざるなり。月に面して月を()るは、月に(そむ)いて月を観るに()かず。花に近づいて花を看るは、花に遠ざかりて花を()るに如かず。 

岫雲斎
(ごん)は易の卦である。篤実輝光の意味でいうなれば君子の相である。内容が充実しておれば、全て、遠く離れていても益々輝く。近くでは、これに狎れて美を感じない。それは丁度、月に向って月を見るのは、月を背にして月を観るのにかなわないし、花に接近して花を観るのは、遠ざかって花を見るのにかなわないようなものである。

86.順境と逆境

順境は春の如し。出遊(しゅつゆう)して花を観る。逆境は冬の如し。堅く臥して雪を看る。春は()と楽しむ可し。冬も亦悪しからず。 

岫雲斎
順境は恰も麗かな春の日に外出して花を観るようなものだ。逆境は意のままにならぬのだから、寒い冬のようなもので、閉じこもって雪を眺めているようなものである。春は楽しむが宜しい、然し冬も悪くない。

87.仮己と真己

()()を去って真己(しんこ)を成し、(きゃく)()()うて主我を存す。(これ)を其の身に(とら)われずという。 

岫雲斎
仮りの自己を捨て去り、本物の自己を成立させ、また外から来たお客の自己を追い出す。そして真の主人公たる真我を確立するようにする。これが我見、我執に囚われないということである。

88.
敬と勇気

敬は勇気を生ず

岫雲斎
孟子の「勇は義により生ず」の如く、敬に徹すれば勇気が湧いてくるものだ。

89.
謙と敬
謙は徳の(へい)なり。敬は徳の輿()なり。以て師を()(ゆう)(こく)を征すべし。 

岫雲斎
謙譲は徳の()である。恭敬は道徳の乗物である。この謙虚という柄、即ちハンドルを取り、敬という車に乗って軍隊を率いて行くならば、相手の国を征伐できる。謙と敬を以てすれば修身できる。

90.
静と動

静を釈して不動と為すは、訓詁(くんこ)なり。静何ぞ曾て動かざらむ。動を釈して不静(ふせい)と為すは、訓詁なり。動何ぞ曾て静ならざらむ。 

岫雲斎
静の解釈を不動とするのは、文字に拘泥したもので、静は決して動かぬという事ではない。同様に、動を静かならずと解釈するのも文字に拘泥した解釈で、静は決して動かぬという意味ではない。静中の動、また動中に静ありか。

91

.(しん)
(しん)の効用

(しん)(しん)なり。心の(はり)なり。非幾纔(ひきわずか)に動けば、即便(すなわ)ち之を(しん)すれば可なり。増長するに至りては、則ち効を得ること或は少し。()()(しん)を好む。気体(きたい)(やや)(せい)(かい)ならざるに()えば、(すなわ)ち早く心下(しんか)を刺すこと十数(しん)なれば、則ち(やまい)未だ成らずして(かい)す。(よつ)て此の理を悟る。 

岫雲斎
聖賢の箴言は心に刺す針である。悪念が僅かでも動いたら直ちにその箴言を心に刺すがよい。悪念が増長してしまつてからはその効果は薄い。自分は鍼を刺すのが好きで気分が勝れないと直ぐ胸下に十数本の鍼を打つ。さすれば病が起きない間に治癒する。この体験から先述の理を悟ったのである。 

92.

気付かない恩沢(おんたく)

人は嬰孩(えいかい)より老耋(ろうてつ)に至るまで、恒に徳を(いん)(あん)(うち)に受けて、而も自ら知らず。是れ何物ぞや。()(じょく)枕席(ちんせき)是れなり。一先輩有り。甚だ被褥を敬し、必ず手に之を展収して、之を(そう)(かく)()せざりき。其の心を用うる亦(ここ)に厚し。 

岫雲斎
人間は誰でも幼児から老年に至るまで、暗々裡に恩陰を受けているが気がつかないでいる。それは夜具、蒲団、枕である。ある先輩は夜具蒲団を大変大切にして必ず自分で手ずから敷いたり片付けて決して下男や下女に任せない。心の用い方は誠に厚いものがある。

93         
寝食を慎むは孝
能く寝食を慎しむは孝なり。

岫雲斎
毎日必要な寝食を慎むことは、健康に結びつくものであり孝行なのである。

94.
天と地と人を以て得るもの

天を以て()る者は固く、人を以て得る者は(もろ)し。

岫雲斎大自然の法則により得てものは確かであるが、人為的に得たものは崩れやすい。 

95

.赤子(せきし)
は好悪を知る

赤子は先ず好悪(こうお)を知る。(こう)(あい)(へん)に属す。仁なり。悪は(しゅう)(へん)に属す。義なり。心の霊光は自然に是くの如し。 

岫雲斎
赤ちゃんでも物の好き嫌いを知っている。好きということは愛に属する。これは仁、即ちなさけである。嫌いということは恥に属し、義であり正しい道である。このように人間の心の霊妙なものは自然に発生するのである。

96.
君子と小人

君子は自ら(けん)し、小人は則ち自ら欺く。君子は自ら(つと)め、小人は則ち自ら棄つ。上達と下達(かたつ)とは一つの自字(じじ)に落在す。 

岫雲斎
君子と言われる人間は、自己に満足することはない。小人は自分を欺いて自己の言動に満足している。君子は常に足らぬとして努めてやまないが小人は自分を簡単に捨て去って自棄に陥る。上達して聖賢へ近づくか堕落してしまうかは、(けん)と欺、彊と棄の一字違いなのである。

97.
怒りや欲を押えるは養生の道

忿熾(いかりさかん)なれば則ち気(あら)く、欲多ければ則ち気(もう)す。忿(いかり)(こら)し欲を(ふさ)ぐは、養生に於ても亦() 

岫雲斎
怒りが盛んであれば、気が荒々しくなる。欲望が盛んであれば気は消耗する。だから、怒りや欲望を抑えることは心身の修養であり身体の養生ともなる。 

98.
心の安否を問え

人は皆身の安否を問うことを知れども、而も心の安否を問うことを知らず。宜しく自ら問うべし。「能く闇室(あんしつ)を欺かざるか否か。能く(きん)(えい)()じざるか否か。能く安穏快楽を得るか否か」と。時々是くの如くすれば心便(すなわ)ち放れず。 

岫雲斎
人は身体の安らかなことを問うばかりだが、心が安らかかどうか問うことを知らぬ。こうして自分の心に問うて見るがよい。「暗室の中でも良心を欺くようなことをしていないか。独りの時、自分の影に恥じることはないか。独り寝る時、夜具に恥じることなく自分の心が安らかで穏やかかどうか」と。時折このように反省すれば決して心は放縦にはならない。

99
増さず減らさず

古往(こおう)今来(こんらい)生々(せいせい)()まず。精気は物を為すも、天地未だ()って一物(いちぶつ)をも増さず。(ゆう)(こん)は変を為すも、天地未だ嘗って一気をも減ぜず。 

岫雲斎
古来から今日まで天地は生々として休むことはなく、精気は物を産む、だが天地の間に未だ何ら一物(いちぶつ)をも増えるという事はない。

100.     
誠と敬三則 

その二
(その一は60)

為す無くして為す有り。之を誠と謂い、為す有りて為す無き、之を敬と謂う。 

岫雲斎
殊更になそうと思わないで、自然に為しているのが誠である。為した仕事が恰も為したことにならないようなのが敬である。

101.      
誠と敬三則
その三
聖人は事を幾先(きせん)に見る。事の未だ発せざるよりして言えば、之を先天(せんてん)と謂い、幾の已に動くよりして言えば、之を後天(こうてん)と謂う。中和も一なり。(せい)(けい)も一なり。 

岫雲斎
聖人は、事の起こらない間に先を見て事を処理し機先を制する。事の発しない間に処理するのは先天の本質である誠である。機が動きだしてから処理するのは後天の工夫であり敬である。「中」は先天であり「和」は後天である。これらは聖人の徳の現出であるから中も和も一つのものであり、誠も敬も一つのものである。

102.    
活道と活学

道は()とより活き、学も亦活く。儒者の(けい)(かい)に於けるは、(てい)(ろう)縄縛(じょうばく)して、道と学とを併せて(ほと)んとど死せしむ。(すべか)らく其の釘を抜き、其の(ばく)を解き、()(かい)するを得しむべくして可なり。 

岫雲斎
道は生きている、だから学問も生きたものである。だが儒者が経書を説くと、その生きものを釘付けにしたり、縄で縛るようにして身動きのできないようにしてしまう。道も学問も殺してしまうようなことにしている。早くその釘を抜いて蘇生させなくてはならぬ。

103.     
中和ならば人我一体

心に中和を得れば、則ち人情皆(したが)い、心に中和失えば、則ち人情皆(そむ)く。感応(かんおう)の機は我に在り。故に人我(にんが)一体(いったい)情理(じょうり)通透(つうとお)して、以て(まつりごと)に従う()し。 

岫雲斎
平静な心で、偏することなければ人々の気持ちはみな順応して行くけれども、心が中和を失えば人情は背いてしまうものだ。人々の心が感応するキッカケは自分に在る。他人も自分も一体と考えて、人情にも理屈にも通じる人間であって始めて政事に関与してよいのである。

104.         
道心とは

人は(まさ)に自ら我が()に主宰有るを認むべし。主宰は何物たるか。物は何れの処にか在る。(ちゅう)を主として、一を守り、能く流行し、能く変化し、宇宙を以て体と為し、鬼神を以て(あと)と為し、(れい)(れい)明明(めいめい)至微(しび)にして顕わるるもの、呼びて道心と()す。 

岫雲斎
人は自分の身体に自己を主宰するものがあることを認める必要がある。その主宰者とは何者であるか。どこにあるのか。そのものは、中正の道を主として第一に守り、あまねくゆきわたり、変化し、宇宙を本体となし鬼神のような働きをし、霊妙かつ明々たるものであり、至って微細であり而も顕著なものである。人はこれを道心と呼ぶのである。

105.         
人心とは
人は当に自ら我に()有ることを認むべし。躯は何物たるか。耳は天性の聡有り。目は天性の明有り。鼻口は天性の臭味(しゅうみ)有り。手足(しゅそく)は天性の運動有り。此の物や、各々一に(もつぱら)にして、而も(みずか)ら主たる能わざれば、則ち其の物と感応して、物の外より至るや、或は耳目を塗し、鼻口を(こう)し、其の牽引する所と為りて、以て其の天性を(よう)する有り。故に人の善を為すは、(もと)より是れ自然の天性にして、悪を為すも亦是れ(よう)()の天性なり。其の体躯(たいく)に渉り、是くの如く危きを以て、呼びて人心と()す。 

岫雲斎
人間は自分には身体があると認識せざるを得ない。身体とは何物であろうか。耳は音を聴く聡明さ、目には物を見る明、鼻や口は臭い、味を知る、手足には運動の作用がある。これらの器官は一部門の専任であり全体を司るものではない。だから、外物に感応し外物により耳目が潰されたり鼻孔が膠で貼り付けられたりしてしまい自然自由の働きが歪められてしまう。だから、人が善をなすのは自然の本性によるが、悪をなすのも外物に曲げられるという天性の作用によるものである。このように人間本性の他の一面としての作用は、身体各部門に渉っており外物の影響を受ける危険があるので、これを我欲、即ち人心というのである。

106.         

心は二つあるに非ず
心は二つ有るに非ず。其の本体を語れば、則ち之れを道心と謂う。性の本体なり。其の体躯に渉るよりすれば、則ち之れを人心と謂う。情の発するなり。故に道心能く体躯を主宰すれば、則ち(けい)(しょく)其の天性の本然(ほんぜん)を失わず。唯だ聖人能く精一の功を用いて、以て其の形を()むのみ。然れども此の功を知覚するも、亦即ち道心の霊光にして、二つに非ざるなり。 

岫雲斎
心は二つあるわけではない。心の本体は道心、本性の姿の謂いである。身体に関係する観点から言えば、人心であり、これは人間の情の発露である。だから道心がよく身体を支配し得ているならば、形体や顔色は天性本然の活を失っていない。だがこれは至難なことで、聖人のみがよく道心による身体支配が出来るのである。聖人は身体の器官の夫々の性能を損わずに正しく発揮させ得るのである。だが、この純粋な心の作用を知覚するのも道心の不可思議な働きによるものであり、道心と人心が二つあると云うものではない。

107.  
常に目前の事を為せ
人の事を()すは、目前に粗脱多く、徒らに来日(らいじつ)の事を思量す。譬えば行旅の人の齷齪(あくせく)として前程(ぜんてい)を思量するが如し。(はなは)だ不可なり。人は須らく先ず当下(とうか)を料理すべし。居処(きょしょ)(うやうや)しく、事を執るに敬、言は忠信、行は(とく)(けい)なるより、()ぬるに()せず、居るに(かたち)づくらず、一寝一食、造次顛沛(ぞうじてんぱい)に至るが如きも、亦皆当下の事なり。其の当下を料理し、恰好を得る処、即ち過去将来を併せて、亦自ら格好を得んのみ。 

岫雲斎
人間と云うものは、目前の事に手抜かりが多い癖に、徒に将来の事に思いを巡らすものだ。旅行者があくせくと行き先を考えるようにである。これは決して宜しいことではない。人間は先ず目の前の為すべき事をなさねばならぬ。仕事しておらない時に荘重な顔をしており、仕事をする時は慎んで過ちの無いように心掛けたり、言動も誠実、寝る時は死人のような寝方をしない、何も無い時には容貌を飾らないで、寝る時、食事の折、少しの間も「仁」を忘れないなどは皆、目前になすべき事柄である。時々の問題を処理して先ず先ずよく行くと、過去から未来までを通観して自然に巧く物事が見通せて処理が可能なのである。

108.         

老人の心得

老人は、衆の観望して矜式(きょうしよく)する所なり。其の言動は当に益端(ますますたん)なるべく、志気は当に(ますます)(そう)なるべし。尤も宜しく衆を容れ才を(いく)するを以て志と為すべし。今の老者、或は(みだり)に年老を唱え、頽棄(たいき)に甘んずる者有り。或は猶お少年の技倆(ぎりょう)を為す者有り。皆非なり。 

岫雲斎
老人に関しては佐藤一斎先生の時代とは隔世の感あるが・・。「老人は大勢の人々が仰ぎ見て尊敬するものである。だからその言動は益々、端正でなくてはならぬ。その志気は益々壮んでなくてはならぬ。そして多くの人々を包容し、才能ある者を育てるということを本志とする事を望みたい。だが、今の老人は、むやみに、年を取ったと云って、自分を廃棄物として甘んずる者あり、或は少年のような腕前しか示さないものもいる。どちらも宜しくない。

109.
百年、再生の我なし
百年、再生の我無し。其れ(こう)()すべけんや。 

岫雲斎
百年たったらまた自分が生まれて来るというのではない。だから、一日、一日、空しく過してよいわけはない。

110.修養の工夫 「羊を()きて(くい)亡ぶ。」操存(そうそん)の工夫当に此くの如くすべし。 

岫雲斎
羊を進ませるのに前から()けば、後ろに戻って中々前へ進まない。後ろから追いかけるとよく前へ進み悔いがない。志を持ち、心を入れて修養するのもこの羊を曳く要領が必要である。即ち衆の後に従うとも前に進み得るならば後悔はない。

111.

()
(かい)
(かん)(かい)にして俗情にさからわざるは和なり。立脚して、俗情に()ちざるは(かい)なり。 

岫雲斎
懐を深くして俗社会に逆らわないのが和である。自己の立場を正しく守り俗情に墜ちないのが介である。どちらも時には必要なのである。

佐藤一斎「(げん)志後録(しこうろく)」その十四 岫雲斎補注  

112

不苟(ふこう)不愧(ふき)

不苟(ふこう)の字、以て()(すくな)くす可し。

不愧(ふき)の字、以て(きゅう)に遠かるべし。
 

岫雲斎
事を為すに、かりそめにしないと云う不苟(ふこう)の字を以て当たれば失敗は少ない。()(ぎょう)天地に恥じずの不愧(ふき)の字を以て身を持すれば、他人からの咎めを受けることは少ない。

113.

天地の基本は情

古往(こおう)今来(こんらい)(いっ)(かい)(かん)輿()は、皆情の世界なり。感応の()(ここ)に在れども、而も公私有り。政を為す者宜しく先ず其の公情を持して以て物を待ち、人をして各々其の公情を得しむべきのみ。然れども私情も亦(じょ)として達せしめ(さわり)無かるべき者有り。事に臨み其の軽重を酌みて可なり。 

岫雲斎
(堪は天の道、輿は地の道のこと、総称して天地・世界を言う。)

天地の本質は人間の情の世界である。人と人の相感応する微妙なる機微もこの情に基づくものだ。情には公と私がある。だから、政治を為すものは、公私の別を明快にし物や人に対しては先ず公の情を得しめさせるの要がある。私の情も許容しなくてはならぬものもある。だから政事をやるに当りこれらの事の軽重をよくよく勘案して処理しなくてはならぬ。 

114.

「大学」は総て情の解説
大学は、誠意に好悪(こうお)を説くことにより、平天下に絜矩(けっく)を説くに至る。中間も亦忿?(ふんち)四件、親愛五件、孝弟慈(こうていじ)三件、()べて情の上に於て()(かい)す。 

岫雲斎
大学という書物は、個人の誠意と情、心の動きを説くことから始め、一家を治め、天下を治めること、また己の心を以て他人の心を量るようにすべき事まで述べている。その中間では、人間の感情に関して四件、即ち憤り、懼れ、好楽、憂い、親愛について五件、即ち親愛、賎悪、畏敬、哀矜(あいきょう)傲惰(ごうだ)、及び孝弟慈三件を説いているが総て情を葉本として理会し得るとしている。

115 

聖人の情

聖人は万物に(したが)いて情無し。情無きに非ざるなり。万物の情を以て情と為すのみ。 

岫雲斎
聖人は万物に対して、愛するとか憎むとかの情は持たない。本当に情が無いのではなく、万物の情を以て情としているのである。

116.

人は好む所を話す

人は多く己れの好む所を話して、己れの(にく)む所を話さず。君子は善を好む。故に(つね)に人の善を称し、悪を(にく)む。故に()えて人の悪を称せず。小人は之に反す。 

岫雲斎
多くの人間は、事の善悪を離れて自分の好きな話題を採りあげて自分の嫌いな話は避けるものだ。君子は、善を好むから常に人々の善を賞賛し悪を嫌う。君子は人の悪を指摘する。小人はこれに反して人の悪を話し善を褒めないものだ。

117.

人情と天理
()う可からざる者は人情にして、欺く可からざる者は天理なり。人皆之を知る。蓋し知れども而も未だ知らず。 

岫雲斎
人の知っていることだが、いつわる事の出来ないのは人情、欺くことの出来ぬのは天理である。だが実際にはこれに反することが多い、うわべだけ知っているだけで本当の事を知らないのである。

118. 
外見を(てら)勿れ

門面(もんめん)を装うこと勿れ、家とうを(つら)ぬること勿れ。(しょう)(ぱい)を掲ぐること勿れ。他物を仮りて以て誇衒(こげん)ること勿れ。書して以て自ら(いまし)む。 

岫雲斎
門とか構を飾るな。家具家宝を自慢そうに並べるな。看板を掲げるな、他人の物を借りて誇りを衒うな。これらを書いて戒めとせよ。

119.         

学問は自分の為にせよ

弊を()むるの説は、必ず()た弊を生ず。只だ当に学は己れの為にするを知るべし。学は己れの為にするを知る者は、必ず之を己に求む。
是れ心学なり。力を得る処に至れば、則ち宜しく其の自得する所に任ずべし。小異有りと雖も、大同を害せず。
 

岫雲斎
物事には色々と弊害があるが、それを矯正しようとすると別の弊害が出てくるものだ。学問は自分の為にするものである事を明快に知らねばならぬ。それが分かっている者は必ず弊害の矯正を自分に求める、それが心を修める学問なのである。この矯正力を会得できる境地に達したならば、己の心の悟る所に任せてよかろう。さすれば、小さな違いはあっても大きな差支えはないものだ。

120.   

修養の工夫

(ごん)(はい)の工夫は、(しん)其の室を守る。即ち敬なり。即ち仁なり。起居食(ききょし)(そく)、放過すべからず。(くう)に懸け影を(とら)うるの心学に非ず。 

岫雲斎
精神統一して忘我の境地に入る、即ち(ごん)(はい)の工夫は、霊性を以て自己の本質を守ることに在る。形式的に言えば、つつしみ()であり、なさけ()である。起居、飲食、休息など全てに於て、心を見つめて放さないようにする事がポイントである。これが精神修養の工夫の核心である。架空の議論や影を捕えようとするような心学ではない。

121. 

学の工夫

虚羸(きょえい)の人は、常に補剤を服せり。俄に其の効を覚えざれども、而も久しく服すれば自ら効有り。此の学の工夫も亦猶お是くのごとし。 

岫雲斎
身体の弱い人は常に補強剤を使用している。この薬は飲んで直ぐには効果は有るものではないが、長く飲んでおれば自然に効能がある。聖賢の学の工夫も、これと同じである。急に効果はなくても絶えざる努力を続けておれば進歩してくるものである。

122.         

名利は悪いか

名利(めいり)は、()と悪しき物に非ず。但だ()()(わずら)わす所と為る可からず。之を愛好すと雖も、亦自ら格好の(ちゅう)を得る処有り。即ち天理の当然なり。凡そ人情は愛好す可き者何ぞ限らむ。而れども其の間にも亦小大(しょうだい)有り。軽重有り。能く之れを(けん)(こう)して、(ここ)に其の中を得るは、即ち天理の在る所なり。人只だ己私の累を為すを(おそ)るるのみ。名利(あに)に果して人を累せんや。 

岫雲斎

名や利はもとより悪いものではない。自分の為にしてはいけないのである。誰も名誉や利益を愛するものではあるが、自分に適したほどほどの処が良い、それが天の道理に叶うのである。人情として名利を愛するには限りがないものだ。だが、それにも大小があり、軽重がある。これらの釣合いをよく考え中庸を得たものであれば天の理に適うと思われる。人によれば、ただ名利が自分に災いするのを恐れているが、名利がどうして災いを人に及ぼすものであろうか。

123.         

山と水の用

山は実を以て体と為して、而も其の用は虚なり。水は虚を以て体と為して、而も其の用は実なり。 

岫雲斎
山は岩石や樹木などの実体があるが山の働きというものは別に無い。水はこれが実体というものはないが、その作用は色々と広く正に実がある。

124.       

  
山岳も昼夜をおかず

山岳も亦昼夜を()かず。川流(せんりゅう)も亦寂然(じゃくぜん)として動かず。 

岫雲斎
どっしりとしている山岳も昼夜を問わず作用している。川の流れは昼夜を問わず動いているようだが、川自体は寂然として動かない。静中の動、動中の静の教えであろう。

125.

感と(せき)

感を寂に(おさ)むるは、是れ性の情なり。寂を感に存するは、是れ情の性なり。 

岫雲斎
これも静と動二面の修養の謂いであろう。動いてやまぬ心の感情、これを静寂不動に収斂するのが性からくる情の作用、反対に静寂を感情の中に持つは情の作用の中の性の現出と見る。

126.         

胸中物無きは

胸中に物無きは、虚にして実なるなり。万物皆備わるは、実にして虚なるなり。 

岫雲斎
胸中に物が少しも無いのは、そこに真理が満ちていることであり虚にして実と言える。万物皆我に備わるとは孟子の言葉だが、これは実にして虚の謂いである。「無一物中無尽蔵」のことか。

127.         

知と行

知は是れ行の主宰にして、(けん)(どう)なり。(こう)は是れ地の流行にして、(こん)(どう)なり。合して以て体躯を成せば則ち知行(ちこう)なり。是れ二にして一、一にして二なり。 

岫雲斎
人間は知と行の二つ作用を持つ。知は行を司るから天道である。行は知から出たものであるから地道と言える。この二つが合して我々の体を形成している。知って行われなければ理に適った行ではない。行っても知を検証しなくては本当に知ったことにならぬ。知と行は二つにして一つなのである。

128.         

静坐の工夫

孔子の九思(きゅうし)曾子(そうし)三省(さんせい)、事有る時は是れを以て省察し、事無き時は是れを以て存養し、以て静坐の工夫と為す可し。 

岫雲斎
精神修養に孔子は九思、曾子は三省を挙げた。我々もこれらにより事ある時は省察し、事無き時は静心を失うことの無きよう、自己の本性を養生し静坐の工夫をすべきである。

閑話休題

孔子の九思について

論語季氏篇、君子は自己反省の九つの思があるとしている。
①視るには明らかなることを。外物に覆われていても明察すべし。
②聴くには聡明さを。耳を塞ぐことなく聞き逃すことなく。
③色は穏やかがよい。顔色は激しいのはよくない。④容貌、風貌は常に恭しいのが宜しい、怒りはよくない。

⑤言葉は、心を尽くした真実により行き届いておるべし。
⑥全ての事の根本は「敬」であり慎み深く過ちのないようにすべし。
⑦疑いあれば先ず師にそして友に問い解決すべし。⑧憤怒は身を忘れることとなり困難を招来する。怒るのはよくない。
⑨得ることがあれば、それは義に適うか、不義かを斟酌して義を執るべし。
曾子の三省に就いて

論語の学而篇、我れ日に三たび、我が身を省みるとしている。
「人の為に謀って忠ならざるか」、
「朋友と交際して信ならざるか」、
「伝えて習わざるか」である。

人の為にして心底を尽くしているか。
朋友には背くことはないか。
師の教えを真に自得することを得たか、
の反省のことである。
129.         

仏教徒は仏書を尊奉(そんぽう)
(じく)()は仏書を尊奉(そんぽう)す。(はなは)だ好し。我が学を為す者、(かえ)って或は経書を褻漫(せつまん)す。()ず可く戒む可し。 

岫雲斎
仏教徒は仏書を尊び大切にしている。甚だ結構なことだ。だが我が聖賢の学徒は却って経書を侮りけなしている。これは恥しいことであり戒めるべきだ。

130.         

読書は心を引き締めよ

精神を収斂(しゅうれん)して、以て聖賢の書を読み、聖賢の書を読みて、以て精神を収斂す。 

岫雲斎
心を引き締めて読書し、聖賢の書を読んで心を引き締める。これが修養の最高の方法である。

131

()ならず、(そう)ならず

静を好み動を厭う、之を()と謂い、動を好み静を厭う、之を(そう)と謂う。躁は物を(しず)むる能わず。懦は事を了する能わず。唯だ敬以て動静を貫き、躁ならず懦ならず。然る後能く物を鎮める事を了す。 

岫雲斎
静を好み動を厭う者を臆病者と云う。動を好み静を嫌う者は慌て者のことである。慌て者の軽躁な人間は事態の鎮定は出来ない。臆病者には事を成し遂げられない。唯だ、慎み深くして動にも静にも偏らず、躁でも()でも無い人物が事態の鎮定を成し遂げられる。

132.

気と精と形
(しん)(そん)の感を気と為し、坎離(かんり)の交を精と為し、艮兌(ごんだ)(ごう)を形と為す。是れ男女精を構うるの理なり。 

岫雲斎
(しん)(そん)、震は易では雷で動、男性の気を示す。(そん)は風であり女性の従順さを示す。この二つが感応し男女の気となる。(かん)は水、離は火、これらが相交わり男女の精を為す。(ごん)は山、()は沢、これらが相合いて形を為す。これが男女が精を構える天理である。易理による自然の法則で性の本能を説明したもの。

133.

水火凝って体躯を為す

人物は水火を凝聚(ぎょうしゅう)して此の体躯を成す。故に水火に非ざれば生活せず。好む所も亦水火に在り。但だ宜しく適中して偏勝せざらしむべし。水勝てば則ち火滅し、火勝てば則ち水()れ、体躯も亦保つ能わず。 

岫雲斎
人間の身体は、水と火の凝集したものである。だから水と火がなくては生活不能である。人間の好むのも又、水と火である。ただそのバランスを良くとり偏らないようにしなくてはならぬ。水が勝てば火が消える、火が勝てば水が涸れてなくなる。
身体はこの二つの調和がなければ保身できない。

134

嗜好品について
酒は是れ水火の合わせるものにて、其の形を水にして、其の気を火にせるなり。故に体躯之れを喜ぶ。(えん)、茶は近代に起れり。然るに人も多く之れを好む。茶は能く水の味を発し、烟は能く火の味を和するを以てなり。然れども多く服す可からず。多く服すれば則ち人を害す。(いわん)や酒に於てをや。害尤も甚し。余は烟、茶(たしな)めり。故に書して以て自ら戒む。 

岫雲斎
酒は水と火との合作物、形は水、気は火のようなものである。だから人間の身体は酒を喜ぶ。煙草や茶は近代に用いられるようになったが、人はこれを好む。茶は水の味を現し、煙草は火の味と和す。然し、多く飲んではよくない、多く飲めば必ず人間を害す、酒が一番は甚だしい。自分は煙草や茶をのけ、だから沢山飲まないように上述を記して戒めとしている。 

135

読書と作文

書を読むには、宜しく(ちょう)(しん)端坐(たんざ)して(ゆる)く意思を()くべし。(すなわ)ち得ることの有りと為す。五行並び下るとは、何ぞ其の心の忙なるや。文を作るには、宜しく意を命じ言を立て、一字も(かりそめ)にせざるべし。乃ち(きず)無しと為す。千言立ちどころに成るとは、何ぞ其の言の()なるや。学者其れ徒らに(ひん)に才人に(なら)いて以て忙と()とに陥ること勿れ。 陥ってはいけない

岫雲斎
読書には心を澄ませ正座して、ゆったたりとした思考態度を持つがよい。さすれば得るものがあろう。世間では一度に五行も読み下すとか言う人がいるがナンセンスで心せわしい人間だ。作文には、よく想を練ってから文字にし、一字でもおろそかにしないことだ。そうすれば欠点の無い文章が書ける。千字の作文を瞬時に出来るとはいい加減な発言だ。学問する者は、徒らに才人の真似をして忙しい読書をしたり、千字の文章なんて容易なものだなどと云う弊害に

136

儒教の静坐
静坐の功は、気を定め(しん)を凝らし、以て「小学」の一段の工夫を補うに在り。要は須らく気の(かたち)は粛、口の容は()、頭の容は直、手の容は恭にして、(しん)を背に()ましめ、厳然として敬を持し、(かなわ)ち自ら胸中多少の雑念、客慮(かくりょ)()(しょく)、名利等の病根の(ふく)(ぞう)せるをそうして、以て之を掃蕩(そうとう)すべし。然らずして徒爾(とじ)兀坐瞑(こつざめい)(もく)して、(がん)(くう)を養い成さば、気を定め(しん)を凝らすに似たりと雖も、(そもそも)(つい)に何の益あらむ。 

岫雲斎
静坐の効能は、気持ちを落ち着かせて精神を凝集して小学(日常の起居動作の学問)の一段の工夫を凝らすにある。要するに呼吸を整え、口元は締め、頭の姿勢を正しく、手の形は恭しくし、精神を背中に置き、厳かに敬虔の念で以て、胸中の様々な雑念など外からの妄想、金銭、名誉、利益等の内心の病根を摘出、除去しなければならぬ。そうしないで徒らに坐って、目を瞑り、頑固な石のような空虚な心でやるのであれば、それは気を定め、心を凝らすに似ているが遂に何の益にもならぬことになる。

 

137

有益な学問
仁義礼智、種々の名色(めいしょく)は、皆是れ本心(てい)()の標目にて、子称(ししょう)有り。処に随いて指点し、(つい)に一()の心体を(かたち)するに過ぎず。即ち是れ我が見在(けんざい)の活物なり。今此の言を()すも、亦此れ()の物なり。故に書を読む時は、当に認めて我が物を構ずと做すべし。事に臨む時に至りては、(かえ)って当に認めて活書を読むと做すべし。是くの如く互に看れば学に於て益有り。  

岫雲斎
仁、義とか礼、智とかの様々な名は、みな人間の心を表現した名目である。部分的な名を示したものや全体を示したものもある。これは所により指摘したり、自分の心の本体を形容したもので、心の活動状態の姿である。このように言ってるのも我が心そのものである。だから書物を読む時には、常に自分の心に在るものが講話していると考えたらよい。何か事を成す場合には、活きた書物を読んでいると思うのが宜しい。このように互いに見てこそ学問が有益なのである。

138

無字の書を読め

学は自得するを貴ぶ。人徒に目を以て字有るの書を読む。故に字に局して、(つう)(とお)するを得ず。当に心を以て字無きの書を読むべし。乃ち(ただ)して自得する有らん。 

岫雲斎
学問は自ら得ることが大事である。だが世間の人は、目で徒に文字ある書物を読むのみであるから、文字にのみ拘束されて眼光紙背に徹して背後にある道理を洞察することが出来ない。心眼を開き、字の無い書、即ち自然・社会・人間現象の本質を見抜かねばならぬ。さすれば、自得することができよう。 

139

自己主張をし過ぎるな

学人は各々力を得る処有り。挙げて人に与えて()しむるは(もと)より可なり。但だ主張(はなは)だ過ぎ、(ひょう)して以て宗旨と為せば、則ち後必ず弊有り。(おそ)る可きなり。 

岫雲斎
学者は夫々勉強して得た力量があるのだからそれを全部、人に与えるのは良いことである。だが、余りにその主張の度が過ぎ一種の宗派となるようになると将来には必ず弊害が生ずるから恐れなくてはならぬ。

140.

月、花を()るは
月を看るは、精気を観るなり。円欠(えんけつ)(せい)(えい)の間に在らず。花を看るは、生意を観るなり。(こう)()(こう)(しゆう)の外に存す。 

岫雲斎
月の鑑賞の目的は清らかな気である。月が円くなったり、欠けたり、晴れたり、(かげ)ったりするのを観るのではない。花は花の心の観賞である。紅とか紫などの色彩、或は香りの如く外に現れたものの外に観るべきものがあるのだ。

141.         

精神修養が第一の薬

(しょうやく)は是れ草根木皮、大薬(だいやく)は是れ飲食、衣服、(やく)(げん)は是れ心を治め、身を修むるなり。 

岫雲斎
小さな薬は、草の根や木皮、大きな薬は日常の飲食や衣服である。薬の根源は、心を治め、身を修めることであろう。

佐藤一斎「(げん)志後録(しこうろく)」その十五 岫雲斎補注  

142. 
 
折に精神を振起(しんき)せよ

時時(じじ)堤撕(ていぜい)し、時時に警覚(けいかく)し、時時に反省し、時時に(べん)(さく)す。 

岫雲斎
人間というものは、時々精神を奮い起こし、戒め、反省し、また自らに鞭打ちて励まさねばならぬものだ。

143.    
聖人は無為、無欲

聖人は無為なり。()と徳を以て感ず。然れども其の為す可き所は則ち之を為す。聖人は無欲なり。固と私心無し。然れども其の欲す可き所は則ち之を欲す。孟子曰く、其の為さざる所を為す無く、其の欲せざる所を欲せざる無し。此くの如きのみと。 

岫雲斎
聖人は何もしないでいて、その徳を以て人を感動させる。然し、為すべきことはしている。聖人は無欲で私心が無い。だが欲求しなくてはならぬ事は求めている。孟子が言った、「してはならぬ事はしない、欲してはならぬ事は欲しない、君子は、ただこれだけである」。正に上述の通りである。 

144          

読書もまた心学
読書も亦心学なり。必ず(ねい)(せい)を以てして、(そう)(しん)を以てする勿れ。必ず(ちん)(じつ)を以てして、()(しん)を以ている勿れ。必ず(せい)(しん)を以てして、()(しん)を以てする勿れ。必ず(そう)(けい)を以てして、慢心を以てする勿れ。孟子は読書を以て(しよう)(ゆう)と為せり。故に(けい)(せき)を読むは、即ち是れ厳師父兄の(おしえ)を聴くなり。史子(しし)を読むも亦即ち明君、賢相(けんしょう)英雄、豪傑と(あい)周旋(しゅうせん)するなり。其れ其の心を清明にして以て対越せざる()けんや。 

岫雲斎
読書は心を治める学問である。だから、心を安らかにする事、さわがしい心ではいけない。必ず落ち着いた心で、浮ついた心で臨んではならぬ。必ず深く精しく研究する心で読書し、高慢な気持ちではいけない。
孟子は読書することを、尚友と言った、これは古人を友とすることである。経書を読むには厳しい先生、父兄の訓戒を聴く事と同じである。
史書や百家の書を読むのは、直接に名君、名宰相、英雄豪傑と交際するのと同じ事である。
だから読書に際しては、心を清明にして、書中の人物より卓越した気概を以て相対峙しなくてはならない。

145.
理は一か
()延平(えんぺい)曰く、「理は其の一ならざるを(うれ)えすず(かた)き所は分の(こと)なるのみ」と。李谷子(りこくし)之れに反して曰く「分は其の殊ならざるを患えず。難き所の者は理の一なるのみ」と。余は則ち謂う。「二先生の言、各々得る所有るに似たれども、然れども恐らくは究竟(きゅうきょう)の語にあらじ」と。其の実、真に能く理の一なるを知る者は、則ち能く分の殊なるを知る者なり。未だ理の一なるを知らず、(いずく)んぞ能く分の殊なるを知らむ。真に分の殊なるを知る者は、則ち能く理の一なるを知る者なり。未だ分の殊なるを知らず。焉んぞ能く理の一なるを知らむ。今難易(なんい)を以て之を言うは、是れ猶未だ(とお)らざるなり。

岫雲斎
()延平(えんぺい)は「理は必ずしも一つではない事を憂うことはない、難しいのは分類することだ」と言った。李谷子(りこくし)は、反対して言う「分類するのは良いが、困難なことは真理は一つであることだ」と。自分はこう思う「二人の先生の言は、窮極まで掘り下げたものではない」。何故なら、真理が一つである事を能く知ったら、物事は差別的に分岐して進むことが分る。理の一つである事を知らないで、どうして差別的に進むのが分る筈はない。真に分岐した真相を知れば、それは理の一つてであることが分る。物事は差別的に進化することを知らないで、どして真理が一つであると分る筈はない。どちらが難か易かを言うのは透徹した所見とは言えない。

146.

子弟の業と草木の移植二則
その一

草木の萌芽は、必ず移植して之を培養すれば、乃ち能く(ちょう)()(じょう)(たっ)す。子弟の業に於けるも亦然り。必ず之をして師に他邦に就きて其の?(たく)(やく)に資せしめ、然る後に成る有り。膝下(しっか)碌碌(ろくろく)し、郷曲に区区たらば、()に暢茂条達の望有らんや。

岫雲斎
草木というものは、移植して培養すると成長が順調で枝葉もよく伸びる。人間の子供の学業も同様である。他国に出して、師につかせて学ばせ鍛錬させて初めて学業が成る。何時までも父母の側に置いて郷里でこそこそしておって、どうして草木のように生長し学業の成功が期待できるものか。

147
子弟の業と草木の移植二則
その二

草木の移植には必ず其の時有り。培養には又其の度有り。(はなは)だ早きこと勿れ。太だ遅きこと勿れ。多きに過ぐること勿れ。少きに過ぐること勿れ。子弟の教育も亦然り。

岫雲斎

草木の移植にはタイミングがある。また培養の肥料の度合もある。時期が早すぎても遅すぎてもよくない。肥料が多すぎても少なすぎても宜しくない。子弟の教育も同様なのである。

148.         
修身の意義

修身の二字は、上下一串(いっかん)す。心意(しんい)知物(ちぶつ)、次第有りと雖も、而も工夫は則ち皆修身内の子目(しもく)にして、先後無きなり。()(こく)天下(てんか)、小大有りと雖も、而も随在に皆修身感応の地にして、彼此(ひし)無きなり。

岫雲斎
修身の二字は、国家から一個人まで及ぶものである。心を正しく、意は誠にし、知を実行し、物に(いた)るという順序は大学の教えである。だが、その工夫は、みな修身する為の細目に過ぎないのだ。後、先の区別はない。国家と家庭という大小の差はあるが、みな身を修め、徳に感応する場所であり、あれこれと区別はない。


149
晩年自警の詩

人は五十以後に至りて、(しゅん)(しん)再び動く時候有り。是れ(すい)()なり。将に滅せんとするの燈、必ず(たちま)(ほのお)を発す。此れと一般なり。余往年自ら警むる詩有り。曰く、「晩年学ぶ(なか)れ少年の人を、節(すなわ)荒頽(こうたい)して多くは身を誤る。悟り得たり秋冬黄爛(しゅんとうこうらん)の際、一時の光景陽春に似たるを。(はん)(ばく)誰か憐む()()の人、自ら知る三戒の終身に在るを。看るを要す枯樹(こじゅ)(かん)()(ひら)くも、()た是れ枝頭(しとう)一刻(いっこく)の春なるを」

岫雲斎
人間は50歳過ぎた頃、青春の気が発動することがある。
これは身体の衰微前兆である。燈火が消えようとする直前に焔が瞬間的に明るくなるようなものだ。
自分はかって詩を作り戒めたものがある。それはこうだ。
「年取ったら若い人の真似をするな。そんなことすると、身体の調子が崩れて身を誤る。
丁度、秋から冬にかけて木の葉が紅葉した頃で、小春日和見たいなものだ。白髪混じりの老人なんか誰も憐れまない。
三戒というのは、生涯の戒めだと悟ったよ。
枯れかかった樹木に狂い咲きの花が咲いたとて、これは瞬間で、枝の先に春が覗いたようなものだ」。

注 三戒

論語、季氏編「孔子曰く、君子に三戒あり。(わかき)の時はこれを戒めるに色あり。その壮なるに及びてや、血気まさに剛なり。

これを戒むるに、(けんか)にあり。その老ゆるに及びてや、血気すでに衰う。これを戒むるに(とく)(欲張り)にあり」とある。
150          
文学は必ずしも文籍に非ず
武事は専ら武芸に在らず。文学は必ずしも文籍に在らず。

岫雲斎
武事と言えば武芸のみと考える人があるが、決して武事は武芸のみではなくその精神にある。文学も同様で、文章や経籍に限定したものでなくその精神に在るのだ。

151.
盲人はよく耳で見る

瞽目(こもく)(盲人)は能く耳を以て物を()聾唖(ろうあ)は能く目を以て物を聴く。人心の霊の頼むに足る者此くの如し。 

岫雲斎
目の見えない者は耳でよく物を見る。聾唖者は、よく目で物を聴く。人心というものはこのように頼むに足るものである。

152.          
気質は土気()と習気からなる

人の気質は、土気習気を混合す。須らく識別すべし。土気は其の地気に由りて結聚(けつじゅ)する者、(つい)に是れ主気なり。習気は其の習俗に()りて(しん)(せん)する者、()と是れ客気(かっき)なり。客は()う可くして、主は遂う可からず。故に変化し易き者は習気にして、変化し易からざる者は土気なり。土気は()だ之を順導して、其の過不及(かふきゅう)を去るのみ。

岫雲斎
人間の気質というものは、その土地から受けている気と、その社会的影響から受けている気質との混淆で成立している。だから、人間の指導には先ずこの事を確り知った上でなすことが肝要である。土気というものは、その地の精神が結集しているもので、これが人間の主たる気である。習気は、習慣や風俗により身についたもので、これは外から受けた気で客気である。この客気は追い払うことは可能だが、主気は追っ払うことは不能である。習気は変化しやすいものだが、主気は容易に変化しない。人間を教化する為には、習気は捨て去り、主気を素直に導き、過ぎたる所は削ぎ落とし、足りない点は補うということが必要である。

153.          
風俗も人気

風俗も亦人気なり。故に土俗有り。習俗有り。習は変ずべくして、而も土は変ず可からず。是れ亦()だ之を順導し、其の及ばざるを(たす)くるのみ。政を為す者の宜しく知るべき所なり。

岫雲斎
風俗というものも一つの人気である。その土地に発生した土俗と、時代の風習による習俗もある。だから、これを柔軟に導いて過ぎたるを抑制し、足りなければ援ける。これが政治家の心得でなくてはならぬ。 

154.          
草木の気質

草木の気質には、清濁、軽重、寒温、堅脆(けんぜい)酸甘(さんかん)、辛苦、諸毒の同じからざる有り。医書に之を性と謂う。則ち皆土気なり。人の気質も亦然り。然れども其の同じく生々の理を具うるは則ち一なり。

岫雲斎
草木の気質には、清と濁、軽と重、寒と温、堅と脆、酸と甘、辛と苦、諸毒の同じからざるものがある。医書では、これを草木の性という。これはみな土気である。人間の気質もこのように色々ある。然し、みな、生々発展の道理を具えていることは草木と同一である。

155.          
山水の景観

仰ぎて山を観れば、(こう)(じゅう)にして(うつ)らず。()して水を見れば、(おう)(よう)として(きわま)り無し。仰ぎて山を観れば、春秋に変化し、俯して水を見れば昼夜に流注す。仰ぎて山を観れば、雲を吐き煙を呑み、俯して水を見れば、()を揚げ(らん)を起す。仰ぎて山を観れば、()として其の(いただき)(たか)くし、俯して水を見れば、遠く其の源を()く。山水は心無し。人を以て心と為す。一俯一仰(いっぷいちぎょう)、教に非ざる()きなり。

岫雲斎
山を仰ぎ見ると、どっしりと厚重で動かない。俯して川を見れば広々と果てしない。山は、春と秋と季節変化により眺めは変わる。川は昼夜の別なく流れる。山は雲を吐き煙を呑む。川は大波、小波を起す。山は毅然として空高く聳え、川は遠く源流まで疎通している。山も川も無心であるが、それを見る人間の心により様々に変化(へんげ)する。一俯して水を見、一仰して山を観る。みな人間の教訓でないものはない。

156.          
冠婚葬祭に関して

邦俗の葬祭は()べて浮屠(ふと)を用い、冠婚は(せい)(りゅう)の両家に依遵(いじゅん)す。吾が輩に在りては則ち自ら当に儒禮(じゅれい)を用うべし。而れども漢土(かんど)の古礼は、今行うべからず。(すべか)らく時宜を斟酌して、別に一家の儀注を(はじ)むべし。葬祭は余()って哀敬編を著わし、冠礼にも亦小著有り。努めて簡切明白にして、人をして行い易からしむるを要するのみ。独り婚礼は則ち事両家に渉り、勢、意の如きを得ず。当に(ぜん)と別とを以て要と為すべし。

岫雲斎
わが国の風俗では、葬式や先祖の祭りは全て仏式(浮屠(ふと))であり、元服や婚礼は(せい)(りゅう)(伊勢流か小笠原流)である。自分は中国流で儒者の礼式であるが古礼は行うべきでないと思う。時代を勘案して別に、一家としての儀式を創始するがいいと思う。その中、喪に就いては、自分は過去に「哀敬編」を著した、また、元服の礼式に関しても小著がある。いずれにしても、簡単明瞭に努めて人々が実行し易くする必要があるだろう。ただ、婚礼は、両家に渉るものであるから、当方が一方的には出来ない。これは急がずに、別のものとして考慮するのが宜しい。

157
養子制に関して

邦俗にて、養子もて後を承くるは已む得ざるに出づと雖も、道に於ても亦(はなは)だ妨けず。堯は舜を以て婿と為し、後に天下を以て之に与う。祭法に曰く「(ゆう)()()??(せんぎょく)を祖として堯を宗とす」と、則ち全然養子もて以て後を承くると相類す。蓋し亦天なり。

岫雲斎
日本の養子制度は已むを得ざるものから発生しているが、道徳上から見ても大して妨げとなるものではない。堯帝は舜を婿として天下を与えた。礼記の祭法に、舜帝は五帝を祀る時は??(せんぎょく)を始祖とし堯帝を本家とするとあるが、全く養子が継ぐのと似ている。天命なのである。

158
生々の道

生々にして病無きは、物の性なり。其の病を受くるときは、必ず療すべき薬有り。即ち生々の道なり。然れども生物には又変有りて、偶々(たまたま)薬すべからざる病有り。医の罪には非ず。(たと)えば猶お百穀の生々せざる無けれども、而も時に(ひえ)有りて食う()からざるがごとし。農の罪には非ず。

岫雲斎
物の本性は、元気で生き生きとしているものである。病気にかかると必ず治療する薬がある、これが生々の道である。生物には変わったこともあり、中には薬で治療できぬものもある、これは医者の罪ではない。例えば、色々の穀物は生々として発育しないものは無いか、時に、しいな(中身の無いもの)があり食べられないようなものだ。だからと云って農家の責任ではない。これと同様なことである。

159
子を救う三則 
その一

子を教うるには、愛に溺れて以て(しゅう)を致すこと勿れ。善を責めて以て恩を(そこな)うこと勿れ。

岫雲斎
子供の教育は、愛に溺れて我がままにさせてはいけない。また善行を強制し、責めたて、親子の和気を損じ、親の恩を仇にさせてはいけない。

160
子を救う三則 その二

忘るること勿れ。助けて長ぜしむること勿れ。子を教うるも亦此の意を存すべし。厳にして慈、是れ亦子を待つに用いて可なり。

岫雲斎
忘れてはならない事は、無理に成長させてはならぬ。厳格ではあるが慈悲深いこと、これが子供に対処する上に肝要なことである。過保護を戒めたものだが、現代人への警告でもある。

161.
子を救う三則 
その三

子を()えて教うるは、(もと)より然り。余(おも)えらく、「三つの(えら)()きもの有り。師(えら)ぶ可し。友(えら)ぶ可し。地択ぶ可し」と。

岫雲斎
古人は子を取り替えて教育したというが、これは誠に結構なことである。私は思う、これにも三つの必要な選択がある。第一は先生、第二は友達、第三は教える土地である。

162.
人生と乗除算 
その一

乗除は一理のみ。福幸は乗数なり。患難は除数なり。之を平数に帰すれば、則ち福幸無く。患難無し。故に乗数は、只だ是れ屈伸省長の(あと)のみ。 

岫雲斎 
掛け算と割り算は一つの道理。人生の幸福は、掛ける数である。患難は割る数である。割った数で掛けたり、掛けた数で割れば元の数に戻る。そこには幸福も患難もない。だから、掛け算、割り算というものは、人間が或は屈し、或は伸びて行く盛衰の痕跡のようなものである。

163. .
人生と乗除算 その二

人は患難憂懼(ゆうく)に遭う時、当に自ら反りみて従前受くる所の福幸を()りて、以て之を乗除し、其の平数を商出すべし。可なり。

岫雲斎
人間は心配ごとに遭った時は、反省して以前受けた幸福を取ってきて、これを現在に掛ける、すると、きっと平数、即ち幸福でも患難でも無い元の状態に戻る。これで良いのである。

164.         
学は実際ならんことを要す

吾人(ごじん)の学を為すには、只だ喫緊に実際ならんことを要す。終日学問・思弁し、終日戒慎(かいしん)恐懼(きょうく)するは、便(すなわ)ち是れ(けん)在篤行(ざいとっこう)の工夫なり。学は此の外無きのみ。若し見在を去郤(きょきゃく)し、別に之を悠渺冥(ゆうびょうめい)(ばく)?(もと)めなば、則ち吾が儒の学に非ず。

岫雲斎
我々が学問するには、目前の緊急事態に対するように、活学でなくてはならぬ。終日学び、思索し、戒心するのは、自分の行いを篤くする為である。学問はこれ以外には無い。もし、目前の肝要なことをするのを忘れ、現在と隔離した、取りとめない事に終始するような学問であれば、それは我々の信奉する儒学ではない。

165.         
史を読みて感あり

余、史を読むに、歴代開国の人主は、開気の英傑に非ざるは無し。其の(そん)(ぼう)(のこ)すも亦多し。守成(しゅせい)の君に至りては、初政に得て晩節に失う者有り。尤も惜しむ可し。蓋し其の初政に得れば、()(よう)()に非ず。但だ輔弼(ほひつ)の大臣其の人を得ざれば、則ち往々に其の()する所と為り、好みに投じ欲に(あたっ)て、以て一時の寵を固うす。是に於て人主も亦自ら其の過を知らず。意満ち志(おこた)り、以て復た(おそ)る可き無しと為し、(つい)に以て国是(こくぜ)(あやま)れり。是の故に()()、商、周は、必ず()()()(ひつ)前疑(ぜんぎ)後丞(こうじょう)を置き、以て君徳を全うせり。その(おもんばかり)を為すや深し。

岫雲斎
歴史書を読むと、開国の英傑は、時代の気運に乗じて現れたものばかりである。彼らの中には子孫の為に(はかりごと)を残しているものも多い。二代目の守成の君主となると、治世の当初は立派な政治をやり民心を得ておりながら、晩年になり失敗している者があるが、惜しいことである。初期に立派に政治をやるとは凡庸な器量ではない、これを輔弼(ほひつ)する大臣、側近がよくないから禍を蒙ることになる。愚昧な大臣は君主の好みに応じ、また君主の欲する所に(あた)たるように努めて寵愛を独占してしまう。こうなると、君主も自分の過失を自覚できないで満足してしまい終に国政を誤ってしまうのである。だから、舜帝や、夏、殷、周などの名君は、必ず君主の前後左右に、これを補佐する賢臣を置いて君徳を全うしようとしたのである。誠にその思慮は深いものがある。

166          
不才な君子と多才な小人
君子にして不才無能なる者之れ有り。猶お以て社稷を(しず)む可し。小人にして多才多芸なる者之れ有り。?(まさ)に以て人の国を乱るるに足る。

岫雲斎

 君子ではあるが才能の無い人物がある。それでも国家を守ることは可能である。小人、即ち人格の出来ていない人物で才能の優れた人がいる。このような人物は国家を乱すだけである。正に、菅直人、鳩山由紀夫を連想する。

167 
唐滅亡の原因

唐代の三患は、外冦(がいこう)と為し、(はん)(ちん)と為し、宦官(かんがん)と為す。人主も知らざるに非ざれども、然も終に此れを以て(たお)れぬ。(さい)()の其の人に非ざりしを以てなり。(かんが)()きの至なり。

岫雲斎
唐朝の三つの患は、外国の侵入、地方官僚の跋扈、そして宦官の専横であった。君主はこれらの事を知らぬのではなかったが、この為に滅亡した。これも大臣に人材を得ていなかったからである。よくよく後世の人々は自戒しなければならない。 

168.
言を容れざる人と話すな

能く人の言を受くる者にして、而る後に(とも)に一言す可し。人の言を受けざる者と言わば、(ただ)に言を失うのみならず、?(まさ)に以て(とが)めを招かん。益無きなり。

岫雲斎
人の言葉を能く受け入れる人であってこそ初めてその人と一言を交えても宜しいであろう。人の言葉を受け入れない者と言葉を交わせば、言葉を損するだけでなく、会話しても意味がない。却ってその為に言葉の咎を招くことさえある。益のないことだ。 

169.
人情は水の如し

人情は水の如し。之れをして平波穏流(へいはおんりゅう)の如くならしむるを得たりと為す。若し然ずして、之を激し之を(ふさ)がば、忽ち狂乱怒涛を起さん。懼れざる可けんや。

岫雲斎
人情を譬えれば水のようなものである。この人情の水を平穏な波や流れにさせるのが良いのだ。これを怒らすと、忽ち狂乱怒涛を引き起こす、だから(おそ)れなくてはならない。

170.
事は穏やかに処理せよ

凡そ事を処理するには、須らく平平穏穏(へいへいおんおん)なるを要すべし。人の視聴を(おどろ)かすに至れば、則ち事は善しと雖も、或は小過(しょうか)に傷つく。

岫雲斎
事の処理は可能な限り穏便がよい。人の耳目を驚かすようなやり方は、その事は良いとしても小過失となり傷つくものだ。

171.
王道政治の眼目は

王政は只だ是れ平穏のみ。平天下の平の字味う可し。

岫雲斎
王道政治とは、ただ平穏無事を旨とするものだ。天下を平かにすると言う、この平の字を、よくよく味わうべきである。

佐藤一斎「(げん)志後録(しこうろく)」その十六 岫雲斎補注  

172.

意趣あれば風雅

此の学、意趣を見ざれば、風月を咏題(えいだい)するも亦俗事なり。(いやし)くも意趣を見れば、(せん)(こく)を料理するも亦典雅なり。

岫雲斎
学問は、確りした意思が無ければ、いくら風月を詩歌に歌っても俗人の仕事に過ぎない。いやしくも、学問とは、心構えが確りしておれば、お金や穀物を取り扱っても、そこに典雅なものが視て取れるのである。

173.
五倫に師弟は含まれる

()って曰く「五倫に君臣有りて師弟無し。師弟無きに非ず・君臣は即ち師弟なり」と。今更に思うに「師は特に君の尊有るのみならず、而も父の(しん)有れば、則ち()(どう)も亦師道と通ず。長兄(ちょうけい)は父に(なぞら)えば、即ち兄にも亦師道有り。三人行けば、必ず我が師有れば、則ち朋友も亦相師(あいし)とす。(おっと)教え(つま)従えば則ち夫も亦師なる()。是れ則ち五倫の配合、()くとして師弟に非ざる無し」と。

岫雲斎
私はかって、こう言ったことがある。「五倫は、君臣、長幼、夫婦、朋友とあり師弟というのは無い。見かけは師弟がないが、実質的には存在している。即ち、君は師、臣は弟である」と。今、さらにこう思う。「師たる者は君主の有する尊さがあるばかりでなく、父のような親しみがあるから、父の道も師の道とは通じる。長兄は父に従うから、兄にもまた師の道がある。論語に「三人行けぱ必ず我が師有り」とあるが、朋友もまた互いに師とすべきである。夫婦の間にも夫が教え、妻が従ってゆく。そうすれば夫にもまた師たる道があると言える。このように見ると、五倫の配合には、どこにも師弟の関係があるから別に師弟の項目を立てなかったのであろう。

174.
師厳にして道尊し

師厳にして道尊し。師たる者宜しく自ら体察すべし。「如何なるか是れ師の厳、如何なるか是れ道の尊さ」と。

岫雲斎
礼記にある「人の師たる者、尊厳が備わって初めてその道の尊いことが知らされる」。だから、師たる者は自ら「師の厳とは如何なることか、道の尊いこととは如何なることか」を体験し思察せねばならない。

175.
贈り物に関して

物には心無し。人の心を以て心と為す。故に人の贈る所の物、必ず其の人と同気なり。失意の人、物を贈れば、物も失意を以て心と為し、豪奢(ごうしゃ)の人、物を贈れば、物も豪奢を以て心と為し、喪人、物を贈れば、物も喪を以て心と為し、佞人、物を贈れば、物も佞を以て心と為す。但だ名有るの贈遺(ぞうい)は、受けざるを得ず。而も其の物の其の心と感通すること是くの如くなれば、則ち我は受くるを(いさぎよ)しとせざる所有り。唯だ君父(くんぷ)の賜う所、正人(せいじん)君子の贈る所、微物と雖も、甚だ敬重するに足るのみ。

岫雲斎
物には心はない、物は人の心を以て心とする。だから人に贈る物は其の人と同じ心となる。失意の人の贈る物は失意であり、豪奢の人の贈り物の心は豪奢である。
日陰者の贈り物は物も喪であり、ひねくれた人の贈り物には佞心が入っている。然し、名義の立つ贈り物は受けねばならぬ。
物と心とはこのように通じ合っているから、贈られても心よく受けられぬものがある。
ただ君主や父からの贈り物とか、正しい人物や立派な人物からの贈り物は僅かなものであってもこれを敬い重んじなくてはならぬ。

176.

老人の戒め

其の()ゆるに及んでや、之を戒むるは、「得」に在り。「得」の字、指すの所の何事なるかを知らざりき。余、齢(すで)に老ゆ。因って自心を以て之を証するに、往年血気盛んなりし時は、欲念も亦盛んなりき。今に及んでは血気衰粍し、欲念(かえ)って較澹(ややたん)(ぱく)なるを覚ゆ。但だ是れ(ねん)()を貧り、子孫を営む念頭、之を往時に比するに(やや)(こま)やかなれば、「得」の字或は此の類を指し、必ずしも財を得、物を得るを指さじ。人は、人は、死生命有り。今強いて養生を?(もと)め、(いん)(ねん)?(もと)むるも亦命を知らざるなり。子孫の福幸も、自ら天分有り。今之れが為故意に営度(えいたく)するも、亦天を知らざるなり。畢竟是れ老悖衰颯(ろうはいすいさつ)にて、此れ()べて是れ「得」を戒むる条件なり。知らず、他の老人は何の(そう)()()すかを。

岫雲斎
論語では、老人の戒めは「得」である。得の字は何を言うのか知らなかった。
私は既に老人だから、内省してこれを確認してみると、昔の血気盛んな時代には欲望も盛んであったが今は血気も衰え、欲心も淡白になっている。
ただ長生きしようと思ったり、子孫の無事安楽を願い巧く暮らせるようにして置いてやろうとの考えが、昔に比べてやや強くなっているから、「得」の字は或はこの類いの事を指摘し、必ずしも財産とか物を得ることを指摘しているのではないと思う。

人間は生きるも死ぬも天命である。

この老年となり、強いて養生をし、長生を求めるのは、天命を知らぬことである。子孫の幸福も、人間には天の与える分限というものがある。子孫のために殊更に営為を計るのも天命を知らぬと言うことである。
つまり、これ等の事は、老いぼれて、心の乱れた者がすることで、全て「得」を戒める謂いである。これらは自分の考えであり他の老人はどう思っておるのか知らない。

177.
実言と虚言

実言は、芻蕘(すうじょう)(ろう)と雖も、以て物を動かすに足る。虚言は、能弁の士と雖も、人を感ずるに足らず。 

岫雲斎
真実の言葉は、農民や(きこり)など身分低き人であっても人を感動させるものだ。いつわりの言葉は、能弁であっても誰も感動させられない。

178         己を知れ

人は当に自ら己れが才性に短長有るを知るべし。

岫雲斎
当然のこととして、人は才能や性質には短所と長所が有ることを知っておらねばならぬ。
179.  
白は五色(ごしょく)(げん)なり。

白は能く(しゅう)(さい)を受く。五色の(もと)なり。()の極、色無きを白賁(はくひ)と為す。素以て(あや)と為すは、白なり。其の位に素して行うは、白なり。()()の吉なるは、白なり。余()って之を(かんが)うるに、五色の(もと)は白より起る。白の凝聚(ぎょうしゅ)せるを青と為し、青の(じょ)(ちょう)せるを黄と為し、黄の爛熟せるを赤と為し、赤の(せき)(るい)せるを黒と為し、黒の(きょく)()は又白に帰す。生出(せいしゅつ)流行すること、蓋し亦()くの如し。

岫雲斎
白は五色の元である。()は飾でありその極端は無色の飾なきものに帰す。無飾である。
論語にある「素以て絢を為す」は画家が五色以上用いた上に、白い胡粉で仕上げるということである。中庸に「君子はその位に素して行う」とあるが、これは君子がその地位を本来の自己の本分を尽くす」の意であり純潔純白の意味である。
易の()()初九(しょく)「素履は往く時は咎なし」とあるが、文飾を加えずに事を行う意で純白である。これを思案するに、五色の元は白より起き、白の凝り固まったのが青、青が伸び伸びと広がって黄になり、黄が十分に熱すると赤となる。
赤が積み重なって黒となり、黒の極致はまた白になる。かくの如く、色の生じ流転するのは上述の順序の通りである。

180
運命を逃るる能わわず

気運に小盛衰有り。大盛衰有り。其の間亦(たが)いに倚伏(きふく)を相成すこと、猶お海水に小潮有り大潮有るがこどく、天地間大抵、(すう)を逃るる能わず。則ち活易なり。

岫雲斎
世の中のめぐり合わせには、小さい盛や衰、そして大きな盛や衰があり、その間に亦、福とか禍とかが互いに混然としている。海に大潮や小潮のあるのに似ている。天地の事は、大抵はこの運命を免れることは出来ない。それを知るのが活きた易学であると考える。

181.        豊作と不作 五穀の豊歉(ほうけん)にも、亦大抵数有り。三十年前後に、必ず小饉(しょうきん)(こう)有り。六十年前後に、必ず大凶歉(だいきょうけん)有り。(やや)遅速(ちそく)有りと雖も、(つい)に免るる能わず。之が予備を為さざる可けんや。

岫雲斎
五穀の豊作、不作にも数がある。30年程度で一度小飢饉、60年程度で大凶作がある。
多少の遅速はあるが、免れることはない。備えておくねばならぬ。

182.
中国歴代の興亡

30年を一世と為し、150年を五世と為す。君子の(たく)は五世にして()ゆ。是れ盛衰の期限なり。500年にして王者興る有りとは、亦気運を以て言えるなり。凡そ世道(せどう)に意有るもの、察を致さざる可からず。

岫雲斎
中国では、30年を一世とし、150年を五世とする。孟子の「君子の沢は五世にして斬え、小人の沢も五世にして斬ゆ」とある。君子の徳沢(とくたく)も小人の余沢(よたく)も大抵五世で尽きる。「気」の運行であり、この大自然に存在する、盛衰の期限を言い得て妙あり
183.
処罪の注意
一罪科を処するにも、亦智仁勇有り。公以て愛憎を忘れ、識以て(じょう)()を尽くし、断以て軽重を決す。識は智なり。公は仁なり。断は勇なり。

岫雲斎
一つの罪を処断する際にも、智仁勇の三つの心が必要。公平過ぎて愛憎を忘れたり、依怙贔屓(えこひいき)なく自分の見識を働かせ真偽を充分に見分けて判断し、罪の軽重を決定しなくてはならぬ。識は智であり公は仁を、断は勇が必要、このように夫々対応するものだ。

184.
理想的生活

(とり)鳴いて起き、人定(にんてい)にして(えん)(そく)す。門内粛然として、書声(しょせい)室に満つ。道は妻子に行われ、恩は(ぞう)(かく)に及ぶ。家に酒気無く、(くら)()(ぞく)有り。豊なれども(しゃ)に至らず。倹なれども(しょく)に至らず。俯仰愧(ふぎょうは)づる無く唯だ(せい)(はく)を守る。各々其の分有り。是くの如きも亦足る。

岫雲斎
鶏鳴で起床し、人定(にんてい)即ち夜十時頃には就寝。屋敷内はきちんと整頓されており、読書の声が部屋に満ちている。主人の持つ道徳は家族にも守られ、恵みは下男下女((ぞう)(かく))にまで行き渡っている。家庭内に酒気はない、米蔵には余剰もある。物は豊かで不自由はないが贅沢ではない。倹約をしているが吝嗇(りんしょく)でもない。天を仰いで()じるものなく、()して大地に愧じるものもない。清廉潔白な生活を守って暮らしている。人間には夫々に持つ分限(ぶんげん)というものがある。このような生活であれば、「足る」と言うべきであろう。

185.
心は隠せない
戯言(ぎげん)()と実事に非ず。然れども、意の体する所、必ず戯謔中(ぎぎゃくちゅう)に露見して、おおう可からざる者有り。

岫雲斎
戯れ事はもとより真実のことではない。然し心中に潜伏している事は、必ず冗談や洒落ごとの間に露見してしまうものだある。心は覆い隠すことは出来ないものだ。

186.
身は一つ、自重せよ

物は一有りて二無き者を至宝と為す。()(めい)(せき)(とう)、大訓、天球、河図(かと)の如き、皆一有りて二無し。故に之を宝と謂う。(こころみ)に思え、己れ一身も亦是れ物なり。果して二有りや否や。人自重して之を宝愛(ほうあい)することを知らざるは、亦思わざるの甚だしきなり。

岫雲斎
二つとない物を至宝とする。例えば、書経の顧命編にある赤鞘の刀、三皇五帝の書、鳴る球、河中の龍馬図の如きものは唯一つあるもので二つとは無い。
試しに考えて見るがよい、自分の一身も、またこれは物である。果して二つあるのか。
この身体を自重し自愛する事を知らぬとは、誠に思うことを知らない最たる事である。

187.
事を処するの心得
事を処するに(へい)(しん)()()なれば、人自ら服し(わずか)に気に動けば便(すなわ)ち服せず。 岫雲斎
物事の処理には、平らかな心で気安くすれば人々は自然と心服してついて来る。少しでも私心で動けば決してついてこない。
188.
政治の四要訣(ようけつ)
寛なれども(じゅう)ならず。明なれども察ならず。簡なれどもならず。果なれども暴ならず。此の四者を能くせば、以て政に従う可し。 

岫雲斎
寛大だが放縦でない。明確だが苛察でない。簡素だが粗略ではない。果断だが乱暴ではない。この四つをよくこなせる者が立派な政治を行える。 

189.
性急な人を使う時

人、或は性(はく)(せつ)にして事を担当するを好む者有り。之を駆使するは(かえ)って(かた)し。迫切なる者多くは執拗なり。全きを挙げて以て之に委ぬ可からず。宜しく半ばを割きて以て之に任ずべし。

岫雲斎
物事に早合点する性質を持ち何事も自ら一身に引き受けて担当することを好む人がある。かかる人物を使うのは却って難しい。何故なせば、早や飲み込みの人は多くは片意地であるからだ。だから仕事を全部任せてはいけない、先ず半分を担当させるのがよい。
190.
事の大小と器の大小

事に大小有り。常に大事を斡旋する者は、小事に於ては則ち蔑如(べつじょ)たり。今人(いまひと)(つね)に小事を区処(くしょ)し、()し得る後自ら喜び、人に向って誇説(こせつ)す。是れ其の(うつわ)の小なるを見る。又是の人従前未だ(かっ)て手を大事に下さざりしを見る。 

岫雲斎
物事には大事と小事がある。常に大事を取り扱っておる者は小事を軽く見る。或る人、常に小事ばかりを仕分けし処理し、それを成し終えると自ら喜び、人に対して自慢話をする、これはその人の器量が小さいことを示す。この人は、此れまで一度も大事を手がけたことのないことを現わしている。
191.
似て非なるもの

養望の人は(こう)に似、苛察(かさつ)の人は明に似、円熟の人は(たつ)に似、軽佻(けいちょう)の人は(びん)に似、?弱(ぜんじゃく)の人は寛に似、拘泥(こうでい)の人は(こう)に似たり。皆似て非なり。

岫雲斎
名望を得ようとする人が志の高い人に似ており、人を厳しく攻め立てる人が明察に似ている。物事に馴れておる人が練達の士に似ており、軽薄な人が敏捷に似ている。気の弱い人が寛大な人物に似ており、融通の利かぬ人が篤実な人に似ている。これらは皆、似て非なるものだ。よく本質を見抜かねばならぬ。
192.
人の話す場合の注意

人と語るには、(はなは)発露(はつろ)して傾倒(けいとう)に過ぐ可からず。只だ語簡(ごかん)にして意達するを要す。 

岫雲斎
人と話す場合は、盛んに喋って心を傾けすぎてはいけない。言葉を簡潔にして、意味がよく通ずるようにする事が肝要である。

193. 
急ぐほどゆっくりと

火急(かきゅう)に文書を作るには、(すべか)らく必ず先ず案を立て、稿を起して、而る後、(おもむろ)(あらた)め写すべし。(かえ)って()れ成ること速やかにして誤無し。

岫雲斎
大急ぎで文書を作る為には、必ず立案して草稿を纏める。
その後、改めてゆっくり写すのがよい。この方が却って完成が早く且つ誤りもない。

194.          手紙の文は慎重に

遠きに()り後に伝うるは、簡牘(かんどく)()くは()し。一時応酬の文字と雖も、必ず須らく慎重にして(こう)(しょ゜)なる可からず、写し(おわ)りて審読(しんどく)一過して、而る後封完すべし。余(かつ)て人の為に(けん)(がい)の銘を作る。曰く、「言語或は誤つとも、猶(けい)(せき)無し。簡牘は慎まずんば、追悔(ついかい)すとも(あらた)?(がた)し」と。此の意を謂うなり。

岫雲斎
自己の気持ちを遠くに伝えたり、後世に伝えるには、手紙、または書き物に及ぶものはない。だから一時的なその場限りのやりとりの文字でも慎重にしてゆるがせにしてはならない。
写し終わったら注意して読み返し、それから封をしなくてはならぬ。自分はかって人の為に硯の蓋の銘を作ったことがある。
銘の意味は「言葉は時に誤ることがあっても跡が残らない。
手紙は何時までも残るから慎重に書かなくてはならない」である。
これは、書き物を大事にせよという事を言ったのである。
195         
最上の攻め方

攻むる者は余り有りて、守る者は足らず。兵法或は其れ然らむ。余は則ち謂う「守る者は余り有りて、攻むる者は足らず」と。攻めざるを以て之を攻むるは、攻めむるの(じょう)なり。 

岫雲斎
攻撃する方には余力があり、守る方には力が足りない。これは兵法ではそうかもしれない。然し、自分は、「守る者は余裕有り、攻める方は却って力が足りない」と言いたい。攻めないで、攻めると同じ効果を挙げれば、これこそ最上の攻め方と考えるからである。

196.  
為政者の一戒

事已むことを得ざるに動かば、動くとも亦悔い()からん。(かく)(かい)()くに在り。曰く、「()みぬる日に(すなわ)ち之を(あらた)む」とは是れなり。若し其れ容易に紛更(ふんこう)して、(かい)を一時に取らば、外面美なるが如しと雖も、後必ず(ほぞ)を噛まむ。政を為す者の宜しく戒しむべき所なり。 

岫雲斎
真に已むを得ざる時に動くのは後悔しない。易経の革の卦が変じて(かい)の卦になる時の言葉に「()みぬる日に(すなわ)ち之を(あらた)む。往けば吉にして咎なし」とはこのことを言う。
真に已むを得ない時でもないのに、軽はずみに変革して、一時的快感を取れば、外観的には立派に見えても後で必ず後悔する。
為政者はこの事をよく戒めなくてはならぬ。

197
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公務員の心得

敬忠、寛厚、信義、公平、廉清、謙抑(けんよく)六事(ろくじ)十二字は、官に居る者の宜しく守るべき所なり。

岫雲斎
官吏のよく守るべき六事項十二字とは、敬忠君主を敬い忠義を尽くす。寛厚-寛大にして沈着、信義-誠実で正しい行い、公平-私心無く公明正大、廉清-貪欲でなく心の清きこと、謙抑-へり下り、自己抑制である。

198.
人君の学

(じん)(しゅ)の学は、智仁勇の三字に在り。能く之を自得せば、(ひと)り終身需用して尽きざるのみならず、而も掀天掲地(きんてんけっち)の事業、(のり)(こう)(こん)に垂る可き者も、亦断じて此れを出でじ。

岫雲斎
長たる者の学ぶべき事は、智仁勇の三文字にある。即ち、智者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は恐れずである。これをよく心得たらば生涯、この三つの徳の尽きざる恩恵を受けることができ、驚天動地の大事業を成し遂げ後世にその徳を残すことが出来る。断じてこの三徳を実行する以外にない。

199.
日本と漢土の南北朝
我が(くに)の南北朝は、漢土の南北朝と、事体?(はるか)に別なり。漢土は則ち南北に異姓角立し、又各々相簒奪せしかば、真に是れ(わか)れて南北たり。我が邦は則ち皇統一姓にして、(しん)(きょ)は南北に分つと雖も、而も(こう)(いん)は実に南北無し。但だ神璽(しんじ)の帰する所を以て順と為すのみ。(いずく)んぞ漢土と一例に之を視るを得んや。 岫雲斎
我が国の南北朝と漢土の南北朝とは全く事情の違うものだ。漢土の南北朝は、姓の異なる皇帝の対立であり、また各々がその位を奪い合っているばかりか本当の南と北とに分かれていた。
我が国では、皇統はどちらも同じ、皇居だけが南の吉野と北の京都に分かれていただけで、血統に南北の別は無い。
ただ、三種神器の帰着せられた方を正統としただけである。どうして漢土と同一視できようか出来るわけがない。
200.         

当今の儒者多く日本史を知らず

本邦の事跡は、儒者多く(くら)し。()れ衣服()に在りて、其の名を知らざるなり。而も可ならんや。

岫雲斎
我が国の歴史上の事柄を現代(江戸時代)の儒者の多くは知らない。これは丁度、自分の身体に衣服をまといながらもその名を知らないようなものだ。それで良いのであろうか。

201.
唐書に関して

余、近ごろ()の為に唐書を課す。昔嘗て一過せしが、今は則ち大半忘れて、未見の書を読むが如し。(たまたたま)、一二を記して胸間に在る者は、(あたか)も故人に逢うが如く、(はなは)だ喜ぶ可し。劉書詳(りゅうしょつまびらか)なりと雖も而も瑣猥(さわい)なり。欧、宋の(かん)(じょう)なるに()かず。(はん)(かん)は宜しく温史(おんし)(とう)()と併せ読むべし。可なり。我が(くに)古昔(こせき)(てん)(しょう)、蓋し()れを随、唐に資する者少なからず。故に軌範(きはん)(ここ)に在り、(かん)(かい)も亦(ここ)に在りて、熟読するを厭わず。

岫雲斎
最近、私は子供の為に唐書を学んでいる。一度、昔に読んだものであるが、今は大方忘れており初めての本のようだ。偶々一つ二つ覚えていたものがあると、古い友人に逢ったような気がして実に嬉しい。唐書にも色々あり、劉くの書いた「旧唐書」は詳しいが少し煩わしく調子が低い。
欧陽修、宋祁(そうけ)作の「新唐書」の簡潔さには及ばない。范祖禹(はんそう)の「唐鑑」は、司馬(しば)(おん)(こう)の「()治通(し゜つ)(がん)」中の唐紀と併せ読むのが宜しい。わが国の昔の法律や規則は、随や唐から()ったものが少なくない。だから、手本はここにある。また(かん)(かい)もここにある。
だから自分はこれらを熟読する事を厭わない。

202.

宋・明の二史

宋・明の二史は、事跡人情、今に於て近しと為す。但だ卷帙(かんちつ)浩瀚(こうかん)なれば、能く其の要処を()きて之を読まば可ならむ。 

岫雲斎
宋史や明史は、そその事実や人情が今に近い。
只、卷数が多いからその要点を抜きだして読むがよい。

佐藤一斎「(げん)志後録(しこうろく)」その十七 岫雲斎補注  

203.  

朱子の文書
朱子は経学を以て文章を(おお)う。徳有る者は必ず言有り。朱、呂の()()の如きは、真に是れ能文なり。

岫雲斎
朱熹はその優れた経学によりその文章が貫かれている。論語「徳有る者は必ず言あり」とある。朱熹と呂祖謙の二氏は正に能文家である。

203.          撃壌(げきじょう)の詩

撃壌の詩は、道学(どうがく)香山(こうざん)なり。()く人を(けい)(せい)す。宜しく意を()けて読むべし。 

岫雲斎
撃壌(げきじょう)の詩は道学家の白楽天の詩に匹敵する。共に人を戒め、目覚ましめるものだから心し読むがいい。
註、香山は唐の大詩人・白居易。撃壌(げきじょう)の詩、一農夫「日出でては作り 日入りては(いこ)い 井をうがって飲み 田を耕して食う 帝力我に何かあらんや」、岫雲斎(いた)く同感。

205           朱子の詩 朱文公の詩は、実に性情の正を見る。之を(じゅ)するに()(りゅう)に似て、而も意味(おのずか)ら別なり。 

岫雲斎
朱子の詩は、実にその性情が正しいことを示す。その詩を吟ずれば韋応物や柳宗元の詩に似ている。意味は違う。

206.

言語と文章
言語文章は一なり。文は宜しく経を師とすべし。「辞、(たい)(よう)(とうと)ぶ」は周公なり。「辞達(じたっ)するのみ」は孔子なり。 

岫雲斎
言語と文章は一つのものなり。文章は経を手本とするがよい。書経「辞は体要を尚ぶ」、言葉は切実簡要を貴ぶと周公が言った通りである。論語「孔子曰く、辞は達するのみ」、言葉は意味が通ずればよいとある。みな文章の師とすべきこと。

207.

文章練達の法
先ず草創(そうそう)し、次に討論し、次に修飾し、最後に潤色(じゅんしょく)す。鄭国辞(ていこくじ)(めい)の精密なること、但だ(すう)(けん)(ちょう)を取るのみならず、文章鍛錬の法に於ても亦宜しく然るべし。 

岫雲斎
先ず原案稿を作る、次に是非、当不当を検討、次に文を練り、最後に磨きをかける。鄭国の外交文書作成の順序であるがその緻密なることは、四人の賢者の長所を取っただけでなく文章を鍛錬する上でも精密を尽くしきったものであった。

208.

詩は志を言うに在る
詩は志を言うに在り。離騒(りそう)、唐詩の如きは、(もっと)も能く其の志を言えり。今の詩人は、詩と志と背馳(はいち)す。之を如何せん。 

岫雲斎
詩の眼目は志を言うことである。屈原の「離騒」、陶淵明の詩などには、よくその志を述べている。然るに、今の詩人は、詩と志が別物である。どうしたのか。

209

文をよくして文人とならず

応酬の文詩、畢竟(ひっきょう)、人の玩弄(がんろう)に供するは、()づ可きの甚だしきなり。顧亭(こてい)(りん)曰く、「文を能くして文人と為らず、詩を能くして詩人と為らず」と。此の語(はなは)だ好し。 

岫雲斎
手紙などの遣り取りを立派に書いて人の弄びに供するのは恥ずかしい極みである。顧亭(こてい)(りん)は「文章が巧みに書けても文人とは言えぬ。詩を立派に書いても詩人ではない」と、これは実に好い言葉だ。

210.

識量と知識は別
識量は知識と自から別なり。知識は外に在りて、識量は内に在り。 

岫雲斎
識見、度量とは知識とは全く別のものである。知識は自分の外に在るもの、識見とか度量は自己の内から出てくるものだ。(知識は有っても智恵のない人間が多い現代人。)

211

人才に虚実あり
人才に虚実有り。宜しく弁識すべし。 

岫雲斎
人の才能には「虚」と「実」とがある。そのことをよく識別することが肝要である。(註・表面は才子でも内容空白、表面は良くないが内容が充実し実のある人間もいる。)

212.

老人の話はよく聞け
老人の話は(かりそめ)に聞く可からず。必ず之を(しる)して可なり。薬方(やくほう)を聞くも亦必ず剳記(さっき)すべし。人を益すること少なからず 

岫雲斎
老人の話はいい加減に聞いてはならぬ。聞いたら必ず書きとめておきなさい。薬の調法を聞いた場合も箇条書きにしておくがよい。人の役に立つものが少なくない。

213

.
武人俗吏を軽視する勿れ
文儒(ぶんじゅ)は一概に武人俗吏を蔑視す。(はなは)(あやま)りなり。老練の人の話頭は、往々予を起す。 

岫雲斎
学者、評論家は一般的に武人や、官吏を軽蔑する傾向がある。これは大きな誤りである。どのような立場の人であれ、練達した老練な人物の話は自分を感奮興起させるものがある。

214.        

婦人や子供の話も聞くものだ
平心に之を聴けば、婦人や儒子(じゅし)の語も亦天籟(てんらい)なり。

岫雲斎
心を平らにして聞くならば、婦人や子供の話にも納得できるものがあり、天然自然の音楽のように響くこともあるものだ。

215.         

人は倫理大節の上で見よ

人の(けん)不肖(ふしょう)を論ずるには、必ずしも(さい)(こう)を問わず。必ず(すべか)らく倫理大節の上に就きて、其の得失如何を観るべし。然らざれば則ち世に全人(ぜんにん)無けん。 

岫雲斎
人が賢いか、賢くないかの論評には、其の人の細かな行いは問うべきではない。人間として踏むべき大筋に就いてその人を観るべきである。さもなくば、この世に尊敬できる人物は存在しないことになる。

216         
人は各々能力あり
人は各々能有り。()使()すべからざる無し。(いち)()一芸(いちげい)は、皆()()(ぐう)す。()(しょう)(ひっ)(さつ)の如きも、亦是れ芸なり。蓋し器使中(きしちゅう)の一なるのみ。 

岫雲斎
人には夫々の能力がある。その長所に基づいて使途があるものだ。一つの技、一つの芸、夫々に奥義が存在している。詩、文章、手紙を書くのも一つの芸である。夫々、各々、人を前向きにするものだ。どんな人間でも役に立たない人間はいないと云うことである。(註 論語・子路篇 「その人を使うに及んでや、これを器にす」とある。)

217.         

老境の心得
人は老境に至れば、(たい)漸く懶散(らいさん)にして、気(はなは)急促(きゅうそく)なり。往々人の厭う所と()る。余此れを視て(かん)と為し、齢六十を()えし後、(もっと)も功を()け、気の(しょう)(よう)を失わざるを要せしが、然れども未だ能わざるなり。 

岫雲斎
人間は老いて来ると、体がおっくうになり、気持ちばかりが焦り、人から時折嫌がられることになる。自分はこれを観て、鏡として60才過ぎてからは一段と修養に心がけているが中々思うようにゆかぬものだ。

218

仕・学両立し難し

「学んで優なれば則ち(つか)うる」は()し易し。「仕えて優なれば則ち学ぶ」は、做し難し。 

岫雲斎
勉強して力がつき、余力があるようになってから官に仕えることは易しい。然し、役人になって余力が出来てから勉強するのは中々難しいことである。

219

王陽明の言葉
「心(そう)なれば則ち動くこと(もう)、心(とう)なれば則ち視ること()、心(けん)なれば則ち気()え、心(こつ)なれば則ち(かたち)(おこた)り、心(ごう)なれば則ち色(おこ)る」。昔人嘗(せきじんかっ)って此の言有りき。之を(しょう)して覚えず(てき)(ぜん)たり。 

岫雲斎
王陽明は言った。「心が騒がしく落ち着きが無いと、動作が(うつろ)ろになる。心がだらしないと、視るものみな浮ついてくる。心にあき足らぬものあれば、気力も衰え萎縮してしまう。心、心あらざれば、顔も礼儀もだらしなくなる。心に驕りがあれば、顔色にも驕りが現れてくる」。これを読んで思わず恐れ慄く(おのの)思いがした。

220.

名は求めても棄ててもいけない
名は求む可からずと雖も、亦棄つ可からず。名を棄つれば(ここ)に実を棄つるなり。故に非類に交りて以て名を(やぶ)る可からず。非分を犯して以て名を損ずる可からず。(けん)(ごう)は近づきて以て名を(おと)す可からず。貨財に(けが)されて以て名を汚す可からず。 

岫雲斎
名誉は無理に求めるものではないが、さりとても現在の名誉を棄てて良いものではない。名は実の(ひん)であるから名誉を棄てることは実を棄てることとなる。だから、人倫の道を心得ない人々と交流し自分の名誉を汚してはならぬ。権力に近づいて名を落とすようなことをしてはならぬ。金銭の為に節操を汚し不名誉を招いてはいけない。

221.

人には与えよ

人の物を我に乞うをば、(いと)うこと勿れ。我の物を人に乞うをば,厭うべし。 

岫雲斎
人が自分に物を乞い求めたら、与えなさい。然し自分が人に物を乞うことはしてはならない。(人の世話をしなさいということか。)

222.         

財貨の運用に道あり

財を(めぐ)らすに道有り。人を欺かざるに在り。人を欺かざるは、自ら欺かざるに在り。 

岫雲斎
財貨の運用には道がある。それは人を騙さないことだ。それは自分を騙さないことと同じである。(戦後の日本はこれが崩壊した。)

223.         

君の為に利を興さん者

今の君の為に利を興さんと欲する者は焦心(しょうしん)苦思(くし)せざるに非ず。然れども自利の一念挿みて其の間に在る有れば、則ち君の利(つい)に興すこと能わず。

岫雲斎
今の世で殿様の為に福利を興そうとする者は苦心している。この場合、利己心が介在していると殿様への利は畢竟、興すことはできまい。

224.     
信用第一
信を人に取れば、則ち財足らざること無し。 

岫雲斎
信用さえ得ておれば、財貨の不足で困ることはなかろう。

225.  
()王は立派
禹は吾れ間然(かんぜん)とする無し。飲食、衣服、宮室(きゅうしつ)、其の軽重する所を知る。必ず是くの如くにして、財も亦乏しからず。 

岫雲斎
()王のした事は一点も非難する所はない。則ち、自分の飲食は粗、衣服も粗、宗廟の祭事は丁寧、住居は簡素、持てる力は民の農耕に尽くすなど軽重をよく心得ていた。人々がこのようにすれば財の不足はない。

226.  

 
癇癪(かんしゃく)持ちのこと

肝気有る者は多く(べん)(きゅう)なり。又物を容るること能わず。(つね)人和(じんわ)を失う。故に好意思有りと雖も、完成する(あた)わず。「(やや)、肝気有れば、(かえ)って能く事を(りょう)す」と。余は則ち謂う、「肝気(いずく)んぞ能く事を()さん、?(わずか)に一室を灑掃(さいそう)するに足るのみ」と。

岫雲斎
癇癪持ちの多くは性急で人を入れる度量がない。常に人と調和しない。だから良い考えを持っていても何事も完成できない。「少し癇癪がある方が却ってよく仕事をする」と言う人がいるが、自分は「癇癪持ちがよく仕事が出来る訳がないと思う。
ただ僅かに座敷の掃除が出来るのが関の山だ」と言いたい。

227.         
財の使い方

財を(おさ)むるには、当に何の想を()くべきか。余謂う「財は才なり。当に才人を駆使するが如く然るべし」と。事を弁ずるは才に在り。禍を取るも亦才に在り。慎まざる可けんや。 

岫雲斎
財貨の運用は如何にあるべきか。自分の意見は、「財は才である。だから才能ある人を使うのと同じようにしたらよい」と。事を処理するのも才である。禍を招くのも才である。よく慎む必要がある。

228.         

財は公共の物なり

財は天下公共の物なり。其れ自ら私するを()()けんや。尤も当に之を敬重すべし。濫費すること勿れ。嗇用(しょくよう)すること勿れ。之を愛重(あいちょう)するは可なり。之を愛惜(あいせき)すれば不可なり。 

岫雲斎
財貨は天下の公共物である。私してはならない。当に敬い重んじるべき存在である。だから無駄遣いはご法度である。ケチもいけない。愛用するのは宜しいが惜しみ過ぎてもいけない。

229.

常に二案用意せよ
器物には必ず正副有りて、而る後に欠くる事無し。凡そ将に一事を区処せんとせば、亦当に案を立てて両路を開き正副の如く然るべし。 

岫雲斎
器物は正副二つ必ずあれば、一つが損じても事欠かない。同様に、一つの事件の処理でも二通りの方法を用意しておけば巧く行くものだ。

230

易経に就いて

周易は両呂の復古よりして、朱子其の(もと)を用う。亦見る有り。程伝(ていでん)は、則ち名は伝注(でんちゅう)なれども、而も実に経と()ぐ。書本の古今を論ぜず。最も高し。 

岫雲斎
古来周易は古書でありしばしば出たが、長期間の散乱後、呂大防と呂東莱が整理復刊し「周易古経」という書物にまとめた。朱子はこれを使って「周易本義」を著した。これは中々立派な書物だ。(てい)伊川(いせん)の「易伝」は、名は伝注となっているが、経書に次いで優れたものだ。だから、書物は、その古いとか新しいとかは論外で、上述のものは名著であり名高い。

231.

書経に関して

尚書(しょうしょ)にも亦古今(ぶん)有り。而して今伝うる所は、即ち古文の経なること、疑う可き無し。宋以後、信疑曹(しんぎそう)を分つ。近世閻若?(えんじゃくきょ)疏証(そしょう)(あらわ)して、而して毛奇齢(もうきれい)之を(えん)とす。()なり。凡そ五経の(うち)にて、確言の(おびただ)しきこと、此の経に()くは()し。(すなわ)(みだり)に之を沙汰するは、(ただ)に経を尊ぶの道に非ざるのみならず。而も更に経を(そし)るの罪有り 

岫雲斎
書経にも古文と今様文の二つがある。現在に伝わるのは古文である事は疑いない。宋以降、この本の信疑が学者の間で起こり、色々の派ができた。近世となり、清国の閻若?(えんじゃくきょ)が「古文(こぶん)尚書(しょうしょ)疏証(そしょう)」を著作して、古文尚書が偽りであると非難したが、同様に清国の毛奇齢(もうきれい)が、これは不当なことだと反駁した。凡そ五経の中で、真実の言葉の最も多いものはこの書経に及ぶものはない。無暗に、これをあれこれと言うのは、ただ経書を尊ばないだけでなく、経書を誹る罪に落ちる。

232.

宋の儒学

(いやし)くも(れん)(らく)に原本せば、訓詁(くんこ)は則ち仮令漢(たといかん)(とう)を用うるも亦(さまたげ)無し。(こころみ)に之を思え、古今(こう)()を訓して親に(さから)うと為し、忠字を訓して君に叛くと為す者無きを。 

岫雲斎
学問は、周茂叔や程兄弟の著書に基づいておれば文字解釈などは漢や唐の時代のものに依拠しても害はない。昔から現代まで、考の字を親に逆らうと読んだり、忠の字を君に背くと解釈したりすることは無いうことを考えてみるがいい。

佐藤一斎「(げん)志後録(しこうろく)」その十八 岫雲斎補注  

平成2410

 

233兵書に関して

 兵書も亦宜しく一渉すべし。孫、呉(もと)とより()なり。孫子の筆鋒(ひっぽう)は兵法と()ぐ。但だ書を(あら)わすに意有り。呉子(ごし)較著(ややちゃく)(じつ)なり。昔人(せきじん)も亦言えり。

 

岫雲斎

 兵法の書もまた一渡り読むがいい。孫子、呉子は良いものだ。孫子の筆法は兵法の如く森厳鋭利である。書を著わすということに格別の意思を持ったものである。呉子は、やや着実で実際的だ。昔の人もこのように言っている。

 

234.          陰陽の変化について

 陰陽変化して、人をして其の端倪(たんげい)()らざら使()む。荘周之(そうしゅうこれ)詭弔(きてい)と謂う。孫子の()(どう)即ち是れなり。

 

岫雲斎

 陰陽の変化に、人間の終始本末の測るべからざるものを知らされる。荘子はこれを弔詭(きてい)、即ち極めて怪しいと言った。孫子が「兵は詭道なり」と言ったが、戦争は端倪すべからざるものがあると云うことである。

 

235.          武経七書に関して

 宋代に武経(ぶけい)七書の名を(はじ)む。孫、呉を除く外、()べて偽贋(ぎがん)に属す。但だ其の言の取る可きは、必ずしも真贋を問わずして可なり。近世、()戚諸著(せきしょちょ)の如くも、亦(じつ)(とく)有り。

 

岫雲斎

武経七書とは宋代に出来た言葉。中でも孫子と呉子の外は全て偽書である。「取って以て有益となる」の言葉はその著書が真であろうが偽であろうが問わないで宜しいと。

 

236.          孫子の言葉

 先ず勝つ可からざるを為して、以て敵の勝つ可きを待つ。是れ其の手を下すの処なり。必ず全きを以て天下に争う。是れ其の(ちゃく)(がん)の処なり。之を校するに計を以てして、其の情を(もと)む。是れ其の秘密の処なり。

 

岫雲斎

 「先ず、敵が勝利できないように準備しておいて、敵に勝つべき機会を待つこと」だと孫子はいう。これが最初に着手すべき事である。また、孫子はいう、「全勝の計画を樹立して天下を争い覇権を掌握する」と。これが兵法の着眼点である。また言う「計画を樹立し、よく形勢を調査し敵情を探索する」と、これは兵法上の秘事である。現代の日本に完全欠落している事だ<嗚呼!!

 

237.          故旧忘れず

聖賢は故旧(こきゅう)(わす)れず。是れ美徳なり。即ち人情なり。余が家の小園、他の(ざつ)()無し。唯だ石榴(せきりゅう)()()木犀(もくせい)の三樹有るのみ。然るに此の樹植えて40年の外に在り。朝昏(ちょうこん)相対して、主人と(とも)に老ゆ。()(しゅう)の間、花(すこぶ)()る可く、以て心目(しんもく)(たのし)ましむるに足る。是れ老友なり。余が性は草木に於て嗜好較澹(しこうややあわ)し。然るに此の三(じゅ)(けん)(あい)すること特に厚し。凡そ交の(ふる)き者は、畢竟(ひっきょう)忘るる(あた)わず。是れ人情なり。故旧(わす)れざるは、情()れと一般なり。

 

岫雲斎

 孔子は、旧友は忘れないと言った。これは美徳であり人情である。わが家の小さい庭には雑多の草木((ざつ)())は無い。ただ石榴(ざくろ)百日紅(さるすべり)木犀(もくせい)の三本の樹がある。これ等の木は40年前に植えたもので、朝晩、主人である私と相向かい合って共に加齢してきた。夏とか秋の間は花がきれいで眼も心も楽しませてくれる、言うなれば我が老友である。私は草木に対しては淡白だが、この3本の樹だけは格別に可愛い。全て古くから交わりの深い者は中々忘れられないものである。これが人情というものである。孔子が「故旧は忘れ難い」と言った心情はこれと同様なことなのである。

 

238.          愛用の器物は捨て難し

 余が左右併用する()(げん)諸具、(おおむ)ね皆50年前得る所たり。物(ふる)ければ、則ち屏棄(へいき)するに忍びず。()って(おも)う、晏子(あんし)一狐裘(いちこきゅう)三十年なるも、亦恐らくは必ずしも倹嗇(けんしょく)に在らざりしを。

 

岫雲斎

 自分が左右に置いて使用している硯や机の器具は、大抵五十年前に手に入れたものだ。器物は古くなると捨て去るには惜しくなる。それで思う、昔、晏子(あんし)が一枚の狐の皮衣を30年間着用したと言うのも、必ずしもケチの為ではないのだと。

 

 

239書は選び熟読せよ

 余は弱冠(じゃっかん)前後、鋭意書を読み,目、(せん)()(むな)しゆうせんと欲せり。中年を過ぐるに及びて、一旦悔悟(かいご)し、痛く外馳(がいち)を戒め、務めて内省に従えり。然る後に自ら覚ゆ、(やや)得る所有りて、此の学に(そむ)かずと。今は則ち老いたり。少壮に読みし所の書、過半は遺忘(いぼう)し、(ぼう)として夢中の事の如し。(やや)(とどま)りて胸臆(きょうおく)に在るも、亦(らく)(らく)として片段(へんだん)を成さず。益々半生力を無用に費ししことを悔ゆ。今にして之を思う。「書は(みだり)に読む可からず、必ず択び且つ熟する所有りて可なり。只だ要は終身受用せば足る」と。後世我が悔を踏むこと勿れ。

 

岫雲斎

 自分は青年前から懸命に読書して千古の書籍を読み尽くしたいと念じた。30歳過ぎて従来の読書法を後悔し、外ばかりの思いを戒めて専ら内省をするようになった。かくの如くして心に得るものがあり、この方法が聖賢の学に背かないと確信した。今や年老いて、少壮時代の読書の半分以上は忘れてぼう~として夢のようである。心に残っている少しばかりのものも纏まった記憶はない。このように考えると、半生を無用な事に注力したものだと後悔している。今になって考えると、書物は無暗に読むものではない。よくよく選択して熟読するのが良いと思う。肝要なことは、読書により得た知識を生涯に十分応用することである。後輩の諸君、この私の失敗の経験を繰り返さないで欲しい。

 

240.六十六歳の感想 二則 その一

 余自ら()、観、察を翻転(ほんてん)して、(しばら)く一生に配せんに、三十己下(いか)は、視の時候に似たり。三十より五十に至るまでは、観の時候に似たり。五十より七十に至るまでは、察の時候に似たり。察の時候には当に知命、楽天に達すべし。而して余の齢今六十六にして、猶お未だ深く理路(りろ)に入る能わず。而るを(いわん)や知命、楽天に於てをや。余(よわい)幾ばくも無し。自ら励まざる()からず。天保丁酉瓜月記す。

 

岫雲斎

論語の為政編の引用、「その為す所を視、その拠る所を観、その安ずる所を察す」である。自分はこの視、観、察を一生涯に振り替えて視ると、30歳以下は、ざっと世間をみるから視の時代であろう。30から50までは、少しは意を働かしてみるから観の時期である。50歳から70歳は、内省し思考するから察の時期である。この察の時代は当に、天命を知り楽しむ年代になるべきであろう。然しながら、自分はまだ66歳で、今猶、深く道理の路に入れない。まして、天命を知り、それに安んずるということは出来ない。自分は、これから先、余命は幾ばくもない、励まなくてはならない。

 

241.六十六歳の感想 二則 その二

 齢五十の(ころ)おい、閲歴(えつれき)日久しく、練磨既に多し。聖人に在りては知命と為し、常人に於ても、亦政治の事に従う時候と為す。然るに世態習熟し、驕慢を生じ易きを以て、則ち其の晩節を失うも亦此の時候に在り。慎まざる可けんや。余は文政辛巳(しんし)を以て、美濃の(なた)()に往きて、七世八世の祖の故墟(こきょ)を訪い、京師(けいし)(いた)りて、五世六世の祖の墳墓を(てん)し、帰途東濃(とうのう)巌邑(いわむら)()ぎりて、(じょ)(けい)に謁す。時に齢(まさ)に五十なりき。(よっ)て益々自警を加え、今年(こんねん)に至りて犬馬(けんば)(よわい)六十(ゆう)六なり。疾病(しっぺい)無く、事故無く、首領(しゅりょう)を保全せり。蓋し誘衷(ゆうちゅう)の然らしむるならむ。一に(なん)(さいわい)なるや。

 

岫雲斎

 人間五十年にもなると、年月も経て久しく物事に磨きがかけられ諸般に熟達してくる。聖人は天命を知ると言われ、普通人も政治に従う時であろう。然し、この年頃は、世馴れて驕りが生じやすく、ついつい晩年を汚すに至る時でもある。これは慎まねばならぬ。自分は文政4年に美濃は鉈尾に行き、七代、八代前の先祖の古い跡を訪ね、京都では五代、六代前の先祖の墓に詣でた。帰途、東美濃の巌邑を通る時、姉に会った。時に齢は五十であった。それから益々自ら警めて、今年は馬齢六十六となる。少しも病気が無く、事故もなく、無事に過している。これは天が自分の真心を誘導して下さっていることに拠るものだ。誠に以て幸せなことである。

 

242.齢四十の婦人

 婦人の弱い四十も、亦一生変化の時候となす。三十前後()(しゅう)を含み、且つ多く(きゅう)()の上に在る有り。四十に至る(ころ)(えん)()漸く()せ、(すこぶ)()く人事を料理す。()って或は賢婦の称を得るも、多く此の時候に在り。然れども又其の漸く含羞(がんしゅう)を忘れ修飾する所無きを以て、則ち或は機智を(さしはさ)み、淫妬(いんと)(ほしいまま)にし、大に婦徳を失うも、亦多く此の時候に在り。其の一成(いっせい)一敗(いっぱい)の関すること、猶お男子五十の時候のごとし。(あらかじ)め之れが(ぼう)を為すことを知らざる()けんや。

 

岫雲斎

 婦人の40才も一生の内で変化の生ずる時期である。30才前後はまだ羞恥がある、まだ上には舅や姑がいる。40才になると、化粧で飾る気持ちも褪せて、人の事の世話をするのも上手になる。それで賢婦人と言われるのも多くこの時期である。然し、一方では羞いの気持ちを忘れ飾り気もなくなり機智を下手に使うなど身持ちを崩したりして婦人としての徳を失うのも多くはこの時期である。このように婦徳の成否は、丁度男子50才の時期と同様である。これを予防することを知らねばならぬ。

 

243志気(しき)に老少なし

 血気(けっき)には老少有りて、志気には老少無し。老人の学を講ずるには、当に益々志気を励して、少壮(しょうそう)の人に(ゆず)る可からざるべし。少壮の人は春秋(しゅんじゅう)に富む。仮令(たとい)今日学ばずとも、猶お来日(らいじつ)の償う可き有る()し。老人には則ち真に来日(らいじつ)無し。尤も当に今日学ばずして来日有りと謂うこと(なか)るべし。易に()える「日(かたむ)くの()は、()()して歌わざるときは則ち大耋(だいてつ)(なげき)あり」とは、此れを謂うなり。偶々感ずる所有り。書して以て自ら(いまし)む。天保八年嘉天月朔録す。

 

岫雲斎圀典

 人間の身体から発する血気は青年と老人とは大差がある。然し、精神より(ほとばし)り出る志気には青年と老年との間には違いは無い。だから老人が勉学するには益々志気を督励して青少年や壮年に負けてはならぬ。少壮の人達は前途の春秋に富み仮令(たとえ)、今日学ばずとも、未来に償える歳月がある。然し老人には取り返す歳月は無いのだ。易経の()()(でん)にある「九三は日に(かたむ)く、これ離なり。(ほとぎ)を鼓して歌わざれば、則ち大耋(だいてつ)(うらみ)あり。凶。」。この意味は人間は苦労ばかりして一生を終るのは遺憾なことだから、缶を打ち歌を楽しむ事をしなかったら、徒に年を取ってしまったという嘆きを見るであろう。人生は楽しむべきであるのにこれでは何の益もなく愚の骨頂というべきである。誠に示唆に富む言葉である。自分はたまたま感ずるものがあり、ここに書いて自警する。天保八年十二月記す。あと一月で六十六歳が終る。(現代は毎日、缶を鼓しているので参考にならぬ、逆である。)

 

244.孟子の三楽に関して

 孟子の三楽、第一の楽には親に(つか)うるを説く。少年の時の事に似たり。第二の楽には己を成すを説く。中年の時の事に似たり。第三の楽には物を成す事を説く。老年の時の事に似たり。余自ら(おも)うに、齢(すで)(そう)()なり。父母兄弟皆亡せり。何の楽か之れ有らんと。唯だ自ら思察するに、我が身は即ち父母の遺体にして、兄弟も亦同一気なれば、則ち我れ今自ら養い自に慎み、()かず(はずかし)めずば、即ち以て親に(つか)うるに()つ可き()。英才を教育するに至りては、()と我が能くし易きに非ず。然れども亦以て己を尽くさざる可けんや。独り?()じず()じざるは、則ち()だに中年の時の事なるのみにあらず、而も少より老に至るまで、一生の受用なれば、当に慎みて之を守り、夙夜?(しゅくやわす)れざるべし。()くの如くならば則ち三楽皆以て終身の事と為すべし。

 

岫雲斎

 孟子の尽心論「君子三楽あり、而して天下に王たるは(あずか)り存せず。父母ともに存し、兄弟、故なきは、一の楽なり。仰いで天に?()じず、()して地に()じざるは二の楽なり。天下の英才を得て、之れを教育するは三の楽なり」とある。孟子の三楽は、第一の楽は親に仕える道を説くから少年時代のことである。第二は、自己完成の道を説くから中年時代のことであろう。第三の楽は人物養成だから、老年の時である。自己反省し「もう老齢であり死期が迫っている。父母兄弟もない。何の楽しみがあろうか」と思った。だが、身体は父母の遺体であり、兄弟も同一である。自分は自ら慎んで、行動に欠ける所なく、人からの恥辱を受けなければ、親がいなくても親に仕える事に相当するのだと思う。英才教育は、自分容易に出来ることではない。然し、精一杯尽くさなくてはと思う。俯仰(ふぎょう)天地に()じぬとは、ただ中年の時のみでなく、少年から老年まで一生涯にわたり受け入れなくてはならぬことだから慎んでこれらを守り、朝から晩まで忘れてはならない。こう観てくると、三楽はみな生涯の事業である。

245           一斎翁の日課

 毎旦(まいたん)(とり)鳴いて起き、心を澄まして黙坐すること?(いっしょう)、自ら夜気の存否如何を察し、然る後(しとね)を出でて盥嗽(かんそう)し、経書を読み、日()でて事を視る。毎夜昏刻(こんこく)人定(じんてい)に至りて、内外の事を了し、(かん)有れば則ち古人の語録を読み、人定後(じんていご)に亦心を(すま)して黙坐すること?(いっしょう)、自ら日間(にっかん)行いし所の当否如何を省みて、然る後(しん)()く。余近年此れを守って以て常度(じょうど)と為さんと欲す。然るに此の事(やす)きに似て難く、常々是くの如くなること能わず。

 

岫雲斎

 毎朝、鶏が鳴いて起床、心を澄まして黙坐をひと時(?(いっしょう))、自己の清明の気の有無を点検しつつ寝床を出て洗面(盥嗽(かんそう))する。それから聖賢の書を読み、太陽が昇ってから日常の仕事に就く。夕方から十時頃(人定)までに公私の仕事を終え、暇があれば古人の語録を読む。十時以後、心を澄ませて再び黙坐して昼間行った事が間違っていなかったかを反省して就寝する。近年、これを守って自分の常規としようと欲している。然し、これは易しいようで中々難しく、毎日、毎日この通りに(常度)することは出来ない。

246.一刻も修心を忘れるな 

 酬酢紛紜中(しゅうさくふんうんちゅう)にも、提醒(ていせい)の工夫を忘れる可からず

 

岫雲斎

 日常、人との応対で、ごたごたしておる時であっても、自己の本心を呼び覚ます工夫を忘れないことだ。

 

247.          道理は弁明黙認すべし

 道理は、弁明せざる可からず。而れども、或は声色(せいしき)を動かせば、則ち(うつわ)(しょう)なるを見る。道理は黙識せざる可からず。而れども徒に光景(こうけい)(ろう)すれば、則ち(きょう)(ぜん)に入る。

 

岫雲斎

 道理は、どこまでも、弁別し、明瞭にしなくてはならない。然し、その為に大声を出したり、顔色を変えたりするのは人物の器量の小ささを表わすこととなる。道理は、暗黙の内に識り分けなくてはならぬ。こうすれば、こうなる、ああすれば、ああなる、などと想像を弄ぶと、それは間違った禅に参入するようなものである。

 

248天和(てんわ)を養うは敬

 放鬆(ほうしょう)任意(にんい)は、()とより不可なり。按排矯揉(あんばいきょうじゅう)も亦不可なり。唯だ(じゅう)ならず、(そく)ならず。従容(しょうよう)として以て天和を養うは、則便(すなわ)ち敬なり

岫雲斎

 乱雑、飾り気無し、気ままは勿論よくない。加減して無理に矯正し直すのも良くない。ただ、放縦に流れず、束縛もなく、ゆったりと、天より受けた中和の心を養って行く、これが敬である。

 

249人物評価のこと

 凡そ古今の人を評論するには、是非せざるを得ず。然れども、宜しく其の長処(ちょうしょ)を挙げて、以て其の短処(たんしょ)(あら)わすべし。又十中(じっちゅう)の七は()()げ、十中の三は非を(しりぞ)くるは、亦(ちゅう)(こう)なり。

 

岫雲斎

 古今の人物評論には、善いとか悪いとか、云わざるを得ない。その場合、まず長所を挙げること、そして短所を示すのがよい。また、十の中、七までは善所を指摘し、残り三に欠点を指摘し非とするのが、忠信で篤厚な姿勢であろう。

 

250.道を通る時の心得

 (ほう)(ぞく)には、(みち)にて(きゅう)()う時、貴人は則ち輿夫(よふ)輿(こし)(もた)げて走行し、徒行者は則ち左右に顧みて(つば)はく。(はなは)()われ無きなり。宜しく(かたわら)()けて(ちょ)(りつ)して少しく()すべし。()()(かなし)んで(かたち)を変ずるなり。又(みちち)にて縲絏者(るいせつしゃ)()えば、則ち宜しく亦、(かたわら)()けて、正視(せいし)すること(なか)るべし。是れ罪を(にく)めども而も人を(あわれ)むなり。瞽者(こしゃ)は則ち宜しく我れ路を()けて(けん)(ぼく)をして(かつ)せしむる(なか)るべし。是れ仁者(じんしゃ)の用心なり。然れども貴人に在りては、儀衛趨(ぎえいすう)(じゅう)を具すれば、則ち行路(こうろ)自ら常法(じょうほう)有り。必ずしも是くの如きを得ず。但だ宜しく従者をして此の意を(たい)()せしむべし。(ひつぎ)()しくは罪人に()いて、輿(こし)(もた)げて疾走(しっそう)するが如きに至りては、則ち之を?(きょう)()めて可なり。

 

岫雲斎

 わが国の風俗では、途中で柩に出遭うと、貴人はその乗物を担ぐ人夫が乗物をもたげて走り去り、歩行者は左右を顧みて眉をひそめて唾を吐くのが普通である。これは甚だ理不尽な仕業である。宜しく、傍らに避けてその行列の行過ぎる迄立って少し(うつむ)くのがよい。それは人間の死を悲しみ姿勢を整えて哀悼の意を表するものである。また途中で囚人に出遭ったら路の傍らに避けて正面から見ないのが良い。これは、罪を(にく)むがその人を憐れむものである。盲者の場合、こちらが路を避けて従者に怒鳴らせてはいけない。これは情けある者の心配りである。然し、貴人の場合は、おつきの家来や騎士などを連れているから、路行きにもお決りの規則があるので、必ずしもこのように出来ない。ただ、従者にこの意味を心得させておかなくてはならぬ。柩や罪人に遇い、乗物を(もた)げて急ぎ走り去るようなことは差し控えさせるべきである。

 

251.          夢二則 その一

 (いち)(ぜん)(ねん)(きざ)す時は、其の夜必ず安眠して夢無し。夢有れば、則ち或は正人(せいじん)を見、或は君父(くんぷ)を見、或は吉慶(きっけい)の事に()う。周官の正夢の類の如し。又(いち)妄念(もうねん)起る時は、其の夜必ず安眠せず。眠るとも亦雑夢の類の如し、眠るとも亦雑夢多く、恍惚変幻、或は小人を見、或は婦女を見、或は危難の事に値う。周官の畸夢懼夢(きむくむ)の類の如し。醒後(せいご)に及びて、自ら思察すれば、夢中見る所の正人(せいじん)君父(くんぷ)は、即ち我が心なり。吉慶の事は則ち我が心なり。皆善念結ぶ所の(しょう)なり。又其の見る所の小人婦女も亦則ち我が心なり。危難時も亦即ち我が心なり。皆妄念(もうねん)結ぶ所の象なり。蓋し一念善妄(ぜんもう)()夢寐(むび)(あら)わるる、自ら(かえり)みざる()けんや。死生(しせい)は昼夜の道なり。(ぶつ)()の地獄、天堂(てんどう)(ごん)(きょう)(もう)くるも、亦恐らくは心の真妄(しんもう)を説くこと、此の()(かく)(あい)彷彿(ほうふつ)たる無きを得んや。

 

岫雲斎

 善い思いが兆したらその夜は安眠して夢を見ない。見たとしても正しい人を見るか殿様や父とか慶事の夢である。これは周官に正夢とか真夢と云われる類いである。妄念がある時は、その夜は安眠できない。眠っても雑夢が多いか、うつらうつらとして、つまらぬ夢であったり、婦女子であったり、危険に遭遇する夢である。これらは周官の畸夢懼夢(きむくむ)の類いである。醒めた後に考えてみると、夢の中の正しい人とか殿様や父というのは実は自分の心のことである。慶事も自分の心である。善念が結合した現象である。夢に見た小人や婦女子も自分の心である。夢で見た危険も自分の心である。みな自分の妄念が招いた姿である。思うに、一念の善悪が夢になって現れるのだから、反省しなくてはならぬのは自分である。死と生は昼と夜の変化のようなものだが、仏教で地獄や極楽という教えを設けたのも、恐らく心の真と妄とを説く為であり、この夢の感覚と似ているのではないか。

 

252.          夢二則 その二

 夜間(かたち)閉じて、気内(きうち)(もっぱら)なれば、則ち夢を成す。凡そ昼間為す所、皆以て(しょう)を現すべし。()だ周官の六夢(ろくむ)のみならざるなり。前に説きし所の如きも、亦善妄に就きて、以て其の一端を挙げしのみ。必ずしも事象に拘わらざるなり。然れども、天地は我と同一気にして、而も数理は則ち(ぜん)(てい)せり。故に偶々幾(たまたまき)の前に洩れて、以て(ちょう)(ちん)に入る者有り。之を感夢(かんむ)と謂う。唯だ心清く胸虚なる者には、感夢多く、常人は或は(すく)なきのみ。 

岫雲斎

 夜になり身体が休まって気が内に集注されるから夢が形成される。昼間にしたことは全て形となって現れる。それは周官の言う六夢だけではない。前に説いたものは善念、悪念の一端を指摘しただけで事象に拘泥するものではない。然し、天地と自分は同一気である。天命は前以て決まっている。だから偶々天機が洩れてその兆しが見える場合があるが、これを感夢という、お告げである。ただ、これは心清く、胸中にわだかまりの無い人にこの夢は多く通常人にはすくない。 

253.          尚友こそ我が望み

 三不朽は必ず徳に(もと)づく。徳有る者は必ず言有り。是れ徳立てば則ち言立つを知る。徳は()れ政を善くす。是れ徳立てば則ち攻立つを知る。吾れ之れを古人に求むるに、此の三者を兼ねる者、幾人をも見ず。(いやし)くも之れ有らば、(われ)(まさ)尚友(しょうゆう)して(いとま)あらざらんとす。尚お何ぞ其の小疵(しょうし)を問わん。是れ我が志なり。

 

岫雲斎

 立徳、立功、立言という三つは何れも徳に基づくものだ。孔子は「有徳者の言葉は立派である」と言った。徳が立てば言も立つことが理解される。有徳者のみが善政を行える、これにより徳が立てば功績も立つことがわかる。自分はこのような人物を古人の中に求めて、この三者を兼ねる人物を幾人も見出せない。そういう人がいるとすれば、自分はその古人を友として少しも他の事をする暇がなくなるであろう。僅かの欠点など問題にならならない、これが私の願望である。

少なくともそうした主体的な活動によって中国や朝鮮の文物を取り入れていった国家創世記のエネルギーに満ちた国である」と言えます。

254.          先賢は大功ありて誇らず

 先賢には輔天浴(ほてんよく)(じつ)の大事業有り。其の自ら視ること漠然(ばくぜん)として、軽靄(けいあい)浮雲(ふうん)の如く然り。吾れ古に其の人有るを聞けり。今は則ち夢寐(むび)のみ

 

岫雲斎

 昔の賢人には国家的大事業を為した人もいた。それを自ら大した仕事と思わず、たたぼんやりと軽い(もや)とか浮雲(うきぐも)のように思い誇りもしなかったと聞いた。今はこんな人物は夢でなければ見られない。

 

255.          我、古人を友とす

 (れん)(らく)復古(ふっこ)の学は、実に孔孟の宗と為す。之れを()くる者、()(よう)金谿(きんけい)及び(ちょう)、呂なり。異同(いどう)有りと雖も、而も其の実は皆純全(じゅんぜん)たる道学にして、決して俗儒の流に非ず。(げん)に於ては則ち(せい)(しゅう)?(ろさい)(みん)には則ち(そう)(じん)河東(かとう)余姚(よちょう)(ぞう)(じょう)、是れ其の選なり。亦各々異なる有りと雖も、皆一代の賢儒にして、其の濂、(らく)遡洄(そかい)するは、則ち一なり。上下千戴(しょうかせんさい)(らく)(らく)として唯だ此の(すう)君子(くんし)有るのみ。吾れ取りて之れを(しょうゆう)友し、心に於て()れを楽めり。

 

岫雲斎

 (れん)谿(けい)の周茂叔や、洛陽の程明道と、程伊川兄弟等の儒学復古の偉業は、実に孔子、孟子を宗とする。これを受け継ぐのは、紫陽(朱子)金谿(きんけい)(陸象山)(ちょう)?(しょく)、呂祖謙等があり、異同はあるけれども内容は純然たる道学である。決して俗儒の流派ではない。元では、(りゅう)(せい)(しゅう)?(ろさい)、明になると()(こう)(さい)()(けい)(けん)、王陽明、(たん)若水(じゃくすい)等がその代表者ということができる。何れも異なるがみなその時代の賢儒であり、(れん)渓や洛陽に遡れば源は一つである。上下千年に亘りこのような真の学者は実にまばらで数君子がいるばかりである。自分はこれらの古人を友として心を楽しませている。 

(げん)志後録(しこうろく)」これにて完了す。次ぎは明日から言志晩録であります。
                平成24年10月24日
                       岫雲斎圀典

(引用文献)   



言志四録

フリー百科事典

言志四録』(げんししろく)は、佐藤一斎が後半生の四十余年にわたって書いた語録。指導者のためのバイブルと呼ばれ、現代まで長く読み継がれている。

2001年5月に総理大臣の小泉純一郎衆議院での教育関連法案の審議中に触れ、知名度が上がった。

『言志四録』(げんししろく) 『言志録』(げんしろく) 『言志後録』(げんしこうろく) 『言志晩録』(げんしばんろく) 『言志耋録』(げんしてつろく)

概要

『言志録』、『言志後録』、『言志晩録』、『言志耋(てつ)録』の4書の総称。総1133条。

  • 言志録:全246条。佐藤一斎42歳(1813年)から53歳(1824年)までに執筆されたもの
  • 言志後録:全255条。佐藤一斎57歳(1828年)から67歳(1838年)までに執筆されたもの
  • 言志晩録:全292条。佐藤一斎67歳(1838年)から78歳(1849年)までに執筆されたもの
  • 言志耋(てつ)録:全340条。佐藤一斎80歳(1851年)から82歳(1853年)までに執筆されたもの
  • 三学戒

    『言志晩録』第60条
    「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり
    壮にして学べば、則ち老いて衰えず
    老いて学べば、則ち死して朽ちず」

    参考文献

  • 佐藤一斎 『言志四録(一)言志録』 川上正光全訳注、講談社〈講談社学術文庫274〉、1979年1月。ISBN 4-06-158274-7
  • 佐藤一斎 『言志四録(二)言志後録』 川上正光全訳注、講談社〈講談社学術文庫275〉、1979年3月。ISBN 4-06-158275-5
  • 佐藤一斎 『言志四録(三)言志晩録』 川上正光全訳注、講談社〈講談社学術文庫276〉、1980年1月。ISBN 4-06-158276-3
  • 佐藤一斎 『言志四録(四)言志耋録』 川上正光全訳注、講談社〈講談社学術文庫277〉、1981年12月。ISBN 4-06-158277-1
  • 西郷隆盛 『西郷南洲遺訓 附 手抄言志録及遺文』 山田済斎編、岩波書店〈岩波文庫〉、1939年2月。ISBN 4-00-331011-X

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