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書經集註(一)

書經集註(二)

虞書 堯典, 舜典, 大禹謨, 皐陶謨, 益稷 夏書 禹貢, 甘誓, 五子之歌, 胤征 商書 湯誓, 仲虺之誥, 湯誥, 伊訓, 太甲上, 太甲中, 太甲下, 咸有一德, 盤庚上, 盤庚中, 盤庚下, 說命上, 說命中, 說命下, 高宗肜日, 西伯戡黎, 微子
周書 泰誓上, 泰誓中, 泰誓下, 牧誓, 武成, [今考定武成], 洪範, 旅獒, 金縢, 大誥, 微子之命, 康誥, 酒誥, 梓材 召誥 洛誥, 多士, 無逸, 君奭, 蔡仲之命, 多方, 立政, 周官, 君陳, 顧命. 康王之誥. 畢命. 君牙. 冏命. 呂刑. 文侯之命. 費誓. 秦誓 あとがき

書經卷之四  蔡沉集傳

周書 周、文王國號。後武王因以爲有天下之號。書凡三十二篇。
【読み】
周書[しゅうしょ] 周は、文王の國號。後に武王因りて以て天下を有つの號とす。書は凡て三十二篇。


泰誓上 泰、大同。國語作大。武王伐殷。史錄其誓師之言。以其大會孟津、編書者因以泰誓名之。上篇未渡河作。後二篇旣渡河作。今文無、古文有。○按伏生二十八篇、本無泰誓。武帝時僞泰誓出。與伏生今文書、合爲二十九篇。孔壁書雖出、而未傳於世。故漢儒所引、皆用僞泰誓。如曰白魚入于王舟、有火復于王屋、流爲烏。太史公記周本紀、亦載其語。然僞泰誓、雖知剽竊經傳所引、而古書亦不能盡見。故後漢馬融得疑其僞、謂泰誓按其文、若淺露。吾又見書傳多矣。所引泰誓、而不在泰誓者甚多。至晉孔壁古文書行、而僞泰誓始廢。○吳氏曰、湯武皆以兵受命。然湯之辭裕、武王之辭迫。湯之數桀也恭。武之數紂也傲。學者不能無憾。疑其書之晩出、或非盡當時之本文也。
【読み】
泰誓上[たいせいじょう] 泰は、大と同じ。國語に大に作る。武王殷を伐つ。史其の師に誓うの言を錄す。其の大いに孟津に會すというを以て、書を編む者因りて泰誓を以て之を名づく。上の篇は未だ河を渡らざるときに作る。後の二篇は旣に河を渡りて作る。今文無し、古文有り。○伏生二十八篇を按ずるに、本泰誓無し。武帝の時に僞泰誓出づ。伏生の今文の書と、合わせて二十九篇とす。孔壁の書出づると雖も、而れども未だ世に傳わらず。故に漢儒の引く所、皆僞泰誓を用ゆ。白魚王の舟に入り、火有りて王屋を復[おお]いて、流れて烏と爲ると曰うが如し。太史公周の本紀を記すに、亦其の語を載す。然れども僞泰誓、經傳の引く所を剽竊するを知ると雖も、而れども古書も亦盡く見ること能わず。故に後漢の馬融其の僞りを疑うことを得て、謂く、泰誓其の文を按ずるに、淺露なるが若し。吾も又書傳を見ること多し。引く所の泰誓、而も泰誓に在らざる者甚だ多し、と。晉に至りて孔壁の古文の書行[もち]いられて、僞泰誓始めて廢る。○吳氏が曰く、湯武は皆兵を以て命を受く。然れども湯の辭は裕かにして、武王の辭は迫れり。湯の桀を數[せ]むるは恭し。武の紂を數むるは傲れり。學者憾み無きこと能わず。疑うらくは其の書の晩[おそ]く出づる、或は盡くは當時の本文に非ざらん、と。


惟十有三年春、大會于孟津。十三年者、武王卽位之十三年也。春者、孟春建寅之月也。孟津、見禹貢。○按漢孔氏言、虞芮質成、爲文王受命改元之年。凡九年而文王崩、武王立。二年而觀兵。三年而伐紂。合爲十有三年。此皆惑於僞書泰誓之文、而誤解九年大統未集、與夫觀政于商之語也。古者人君卽位、則稱元年、以計其在位之久近、常事也。自秦惠文始改十四年、爲後元年、漢文帝亦改十七年、爲後元年、自後說春秋、因以元年爲重。歐陽氏曰、果重事歟。西伯卽位、已改元年。中閒不宜改元而又改元。至武王卽位、宜改元而反不改元。乃上冒先君之元年、幷其居喪稱十一年。及其滅商、而得天下。其事大於聽訟遠矣。而又不改元。由是言之、謂文王受命改元、武王冒文王之元年者皆妄也。歐陽氏之辨、極爲明著。但其曰十一年者、亦惑於書序十一年之誤也。詳見序篇。又按漢孔氏以春爲建子之月。蓋謂三代改正朔、必改月數。改月數、必以其正爲四時之首。序言一月戊午。旣以一月爲建子之月、而經又係之以春。故遂以建子之月爲春。夫改正朔不改月數、於太甲辨之詳矣。而四時改易、尤爲無藝。冬不可以爲春、寒不可以爲暖、固不待辨而明也。或曰、鄭氏箋詩、維暮之春、亦言周之季春、於夏爲孟春。曰、此漢儒承襲之誤耳。且臣工詩言、維暮之春、亦又何求。如何新畬。於皇來牟、將受厥明。蓋言暮春、則當治其新畬矣。今如何哉。然牟麥。將熟可以受上帝之明賜。夫牟麥將熟則建辰之月、夏正季春審矣。鄭氏於詩、且不得其義。則其攷之固不審也。不然、則商以季冬爲春、周以仲冬爲春、四時反逆、皆不得其正。豈三代聖人奉天之政乎。
【読み】
惟十有三年の春、大いに孟津に會す。十三年は、武王位に卽くの十三年なり。春は、孟春建寅の月なり。孟津は、禹貢に見えたり。○按ずるに漢の孔氏が言く、虞芮質[たい]らぎ成るを、文王受命改元の年とせり。凡そ九年にして文王崩じ、武王立つ。二年にして兵を觀す。三年にして紂を伐つ。合わせて十有三年爲り、と。此れ皆僞書泰誓の文に惑いて、誤りて九年大統未だ集[な]らずと、夫の政を商に觀るとの語を解すればなり。古は人君位に卽くときは、則ち元年と稱して、以て其の在位の久近を計るは、常の事なり。秦の惠文始めて十四年を改めて、後の元年とするより、漢の文帝も亦十七年を改めて、後の元年とし、自後春秋を說くに、因りて元年を以て重しとす、と。歐陽氏が曰く、果たして重き事ならんか。西伯位に卽いて、已に元年を改む。中閒宜しく元を改むべからずして又元を改む。武王位に卽くに至りて、宜しく元を改むべくして反って元を改めず。乃ち上先君の元年を冒し、其の喪に居ることを幷せて十一年と稱す。其の商を滅ぼすに及んで、天下を得。其の事訟を聽くより大なること遠し。而して又元を改めず。是に由りて之を言わば、謂ゆる文王命を受けて元を改め、武王文王の元年を冒す者は皆妄なり、と。歐陽氏の辨、極めて明著とす。但其れ十一年と曰うは、亦書の序の十一年の誤りに惑えり。詳らかに序の篇に見えたり。又按ずるに漢の孔氏春を以て建子の月とす。蓋し謂ゆる三代正朔を改むるに、必ず月數を改む、と。月數を改むれば、必ず其の正を以て四時の首めとす。序に言う、一月戊午[つちのえ・うま]、と。旣に一月を以て建子の月と爲して、經も又之を係くるに春を以てす。故に遂に建子の月を以て春とす。夫れ正朔を改めて月數を改めざること、太甲に於て之を辨ずること詳らかなり。而れども四時改め易うること、尤も藝無しとす。冬は以て春とす可からず、寒きは以て暖かきとす可からざること、固に辨を待たずして明らかなり。或ひと曰く、鄭氏の箋詩に、維れ暮の春、亦言く、周の季春は、夏に於て孟春爲り、と。曰く、此れ漢儒承襲の誤りなるのみ、と。且つ臣工詩に言く、維れ暮の春、亦又何をか求めん。新畬[しんよ]を如何せん。於[ああ]皇[よ]いかな來牟、將に厥の明[たもまの]を受けんとせんや、と。蓋し言うこころは、暮春なるときは、則ち當に其の新畬を治むべし。今如何せんや。然も牟麥將に熟さんとす。以て上帝の明賜を受く可し。夫れ牟麥將に熟さんとするときは則ち建辰の月、夏正の季春なること審らかなり。鄭氏詩に於て、且つ其の義を得ず。則ち其の之を攷[かんが]うること固に審らかならず。然らずんば、則ち商は季冬を以て春とし、周は仲冬を以て春とし、四時反逆して、皆其の正を得ず。豈三代の聖人天を奉るの政ならんや。

△王曰、嗟我友邦冢君、越我御事・庶士、明聽誓。王曰者、史臣追稱之也。友邦、親之也。冢君、尊之也。越、及也。御事、治事者。庶士、衆士也。告以伐商之意、且欲其聽之審也。
【読み】
△王曰く、嗟[ああ]我が友邦の冢君、越[およ]び我が御事・庶士、明らかに誓いを聽け。王曰くとは、史臣追って之を稱するなり。友邦は、之を親しむなり。冢君は、之を尊ぶなり。越は、及びなり。御事は、事を治むる者なり。庶士は、衆士なり。告ぐるに商を伐つの意を以てして、且つ其の之を聽くことの審らかならんことを欲するなり。

△惟天地萬物父母。惟人萬物之靈。亶聰明作元后。元后作民父母。亶、誠實無妄之謂。言聰明出於天性然也。大哉乾元、萬物資始。至哉坤元、萬物資生。天地者、萬物之父母也。萬物之生、惟人得其秀而靈。具四端備萬善、知覺獨異於物。而聖人又得其最秀、而最靈者。天性聰明、無待勉强、其知先知、其覺先覺。首出庶物。故能爲大君於天下、而天下之疲癃殘疾得其生、鰥寡孤獨得其養、舉萬民之衆、無一而不得其所焉、則元后者、又所以爲民之父母也。夫天地生物而厚於人。天地生人而厚於聖人。其所以厚於聖人者、亦惟欲其君長乎民、而推天地父母斯民之心而已。天之爲民如此、則任元后之責者、可不知所以作民父母之義乎。商紂失君民之道。故武王發此。是雖一時誓師之言、而實萬世人君之所當體念也。
【読み】
△惟れ天地は萬物の父母なり。惟れ人は萬物の靈なり。亶[まこと]ありて聰明なるは元后作り。元后は民の父母作り。亶は、誠實無妄の謂なり。言うこころは、聰明の天性に出づること然り。大いなるかな乾元、萬物資りて始む。至れるかな坤元、萬物資りて生ず。天地は、萬物の父母なり。萬物の生ずる、惟人のみ其の秀を得て靈なり。四端を具え萬善を備えて、知覺獨り物に異なり。而も聖人は又其の最も秀を得て、最も靈なる者なり。天性聰明にして、勉强を待つこと無くして、其の知先ず知り、其の覺先ず覺る。首めとして庶物を出づ。故に能く天下に大君と爲りて、天下の疲癃[ひりゅう]殘疾其の生を得、鰥寡[かんか]孤獨其の養を得、萬民の衆を舉げて、一つとして其の所を得ざること無きときは、則ち元后は、又民の父母爲る所以なり。夫れ天地物を生じて人に厚し。天地人を生じて聖人に厚し。其れ聖人に厚き所以の者は、亦惟其れ民に君長として、天地斯の民に父母たるの心を推さしめんと欲するのみ。天の民の爲にすること此の如きときは、則ち元后の責に任ずる者、民の父母作る所以の義を知らざる可けんや。商紂民に君たるの道を失う。故に武王此に發る。是れ一時師に誓うの言と雖も、而れども實に萬世人君の當に體念すべき所なり。

△今商王受、弗敬上天、降災下民。受、紂名也。言紂慢天虐民、不知所以作民父母也。慢天虐民之實、卽下文所云也。
【読み】
△今商王受、上天を敬わず、災いを下民に降せり。受は、紂の名なり。言うこころは、紂天を慢り民を虐して、民の父母作る所以を知らざるなり。天を慢り民を虐するの實は、卽ち下の文に云う所なり。

△沈湎冒色、敢行暴虐。罪人以族、官人以世。惟宮室臺榭、陂池侈服、以殘害于爾萬姓。焚炙忠良、刳剔孕婦。皇天震怒、命我文考、肅將天威。大勳未集。湎、彌袞反。陂、班縻反。刳、空胡反。○沈湎、溺於酒也。冒色、冒亂女色也。族、親族也。一人有罪、刑及親族也。世、子弟也。官使不擇賢才、惟因父兄、而寵任子弟也。土高曰臺、有木曰榭、澤障曰陂、停水曰池。侈、奢也。焚炙、炮烙刑之類。刳剔、割剝也。皇甫謐云、紂剖比干妻、以視其胎。未知何據。紂虐害無道如此。故皇天震怒、命我文王、敬將天威以除邪虐。大功未集而文王崩。愚謂、大勳在文王時、未嘗有意。至紂惡貫盈、武王伐之。敍文王之辭、不得不爾。學者當言外得之。
【読み】
△沈湎して色に冒[みだ]れて、敢えて暴虐を行う。人を罪するに族を以てし、人を官するに世を以てす。惟れ宮室臺榭[しゃ]、陂池侈服あり、以て爾萬姓を殘[そこな]い害[やぶ]る。忠良を焚き炙り、孕める婦を刳[さ]き剔[き]る。皇天震い怒りて、我が文考に命じて、肅[つつし]みて天威を將[おこな]う。大勳未だ集[な]らず。湎は、彌袞反。陂は、班縻反。刳[こ]は、空胡反。○沈湎は、酒に溺るるなり。冒色は、女色を冒亂するなり。族は、親族なり。一人罪有れば、刑親族に及ぶなり。世は、子弟なり。官使は賢才を擇ばず、惟れ父兄に因りて、子弟に寵任するなり。土高きを臺と曰い、木有るを榭と曰い、澤障を陂と曰い、停水を池と曰う。侈は、奢るなり。焚炙は、炮烙の刑の類。刳剔[こてき]は、割き剝[さ]くなり。皇甫謐[こうほひつ]が云う、紂比干の妻を剖[さ]いて、以て其の胎を視る、と。未だ何の據ることかを知らず。紂の虐害無道此の如し。故に皇天震い怒りて、我が文王に命じて、敬んで天威を將いて以て邪虐を除かんとす。大功未だ集らずして文王崩ず。愚謂えらく、大勳は文王の時に在りて、未だ嘗て意有らず。紂の惡貫き盈てるに至りて、武王之を伐つ。文王の辭を敍ずるに、爾らざることを得ず。學者當に言外に之を得るべし。

△肆予小子發、以爾友邦冢君、觀政于商。惟受罔有悛心。乃夷居弗事上帝・神祇、遺厥先宗廟弗祀、犧牲粢盛、旣于凶盜。乃曰、吾有民有命。罔懲其侮。悛、緣反。○肆、故也。觀政、猶伊尹所謂萬夫之長、可以觀政。八百諸侯、背商歸周、則商政可知。先儒以觀政爲觀兵、誤矣。悛、改也。夷、蹲踞也。武王言、故我小子、以爾諸侯之向背、觀政之失得於商。今諸侯背叛、旣已如此。而紂無有悔悟改過之心。夷踞而居、廢上帝百神宗廟之祀、犧牲粢盛、以爲祭祀之備者、皆盡于凶惡盜賊之人。卽箕子所謂攘竊神祇之犧牷牲者也。受之慢神如此。乃謂、我有民社、我有天命。而無有懲戒其侮慢之意。
【読み】
△肆[ゆえ]に予れ小子發、爾友邦の冢君を以[い]て、政を商に觀る。惟れ受悛[あらた]むる心有ること罔し。乃ち夷居して上帝・神祇に事えず、厥の先の宗廟を遺[す]てて祀らず、犧牲[ぎせい]粢盛[しせい]は、凶盜に旣[つ]きぬ。乃ち曰く、吾れ民有り命有り、と。其の侮りを懲らすこと罔し。悛は、緣反。○肆は、故なり。政を觀るは、猶伊尹が所謂萬夫の長、以て政を觀る可しというがごとし。八百の諸侯、商に背き周に歸せば、則ち商の政知る可し。先儒政を觀るを以て兵を觀るとするは、誤れり。悛は、改むるなり。夷は、蹲踞[そんきょ]なり。武王言く、故に我れ小子、爾諸侯の向背を以て、政の失得を商に觀る、と。今諸侯背叛すること、旣已に此の如し。而して紂悔悟し過ちを改むるの心有ること無し。夷踞して居り、上帝百神宗廟の祀を廢て、犧牲粢盛、以て祭祀の備えを爲す者、皆凶惡盜賊の人に盡くせり。卽ち箕子が所謂神祇の犧牷牲[ぎせんせい]を攘竊する者なり。受の神を慢ること此の如し。乃ち謂う、我に民社有り、我に天命有り、と。而して其の侮慢の意を懲らし戒むること有る無し。

△天佑下民、作之君、作之師。惟其克相上帝、寵綏四方。有罪無罪、予曷敢有越厥志。佑、助。寵、愛也。天助下民、爲之君以長之、爲之師以敎之。君師者、惟其能左右上帝、以寵安天下。則夫有罪之當討、無罪之當赦、我何敢有過用其心乎。言一聽於天而已。
【読み】
△天下民を佑けて、之が君と作し、之が師と作す。惟れ其れ克く上帝を相[たす]けて、四方を寵[めぐ]み綏んず。罪有るも罪無きも、予れ曷ぞ敢えて厥の志を越ゆること有らん。佑は、助く。寵は、愛むなり。天下民を助けて、之が君と爲して以て之に長たらしめ、之が師と爲して以て之に敎ゆ。君師は、惟れ其れ能く上帝を左右[たす]けて、以て天下を寵み安んず。則ち夫れ罪有るの當に討つべく、罪無きの當に赦すべき、我れ何ぞ敢えて過ぎて其の心を用ゆること有らんや、と。言うこころは、一に天に聽[まか]すのみ。

△同力度德、同德度義。受有臣億萬、惟億萬心。予有臣三千、惟一心。度、量度也。德、得也。行道有得於身也。義、宜也。制事達時之宜也。同力度德、同德度義、意古者兵志之詞。武王舉以明伐商之必克也。林氏曰、左氏襄三十一年、魯穆叔曰、年鈞擇賢、義鈞以卜。昭二十六年、王子朝曰、年鈞以德、德鈞以卜。蓋亦舉古人之語、文勢正與此同。百萬曰億。紂雖有億萬臣、而有億萬心。衆叛親離、寡助之至。力且不同。況德與義乎。
【読み】
△力を同じくするときは德を度り、德を同じくするときは義を度る。受臣億萬有り、惟れ億萬の心なり。予れ臣三千有り、惟れ一つの心なり。度は、量度なり。德は、得なり。道を行いては身に得ること有り。義は、宜なり。事を制して時の宜しきに達するなり。力を同じくするときは德を度り、德を同じくするときは義を度るとは、意うに古の兵志の詞ならん。武王舉げて以て商を伐つの必ず克たんことを明す。林氏が曰く、左氏の襄の三十一年に、魯の穆叔が曰く、年鈞しきときは賢を擇び、義鈞しきときは以て卜う、と。昭の二十六年に、王子朝して曰く、年鈞しきときは德を以てし、德鈞しきときは以て卜う、と。蓋し亦古人の語を舉ぐる、文勢正に此と同じ、と。百萬を億と曰う。紂億萬の臣有りと雖も、而れども億萬の心有り。衆叛き親離るるは、助け寡なきの至りなり。力且つ同じからず。況んや德と義とをや。

△商罪貫盈。天命誅之。予弗順天、厥罪惟鈞。貫、通。盈、滿也。言紂積惡如此。天命誅之。今不誅紂、是長惡也。其罪豈不與紂鈞乎。如律故縱者與同罪也。
【読み】
△商の罪貫き盈てり。天命じて之を誅せしむ。予れ天に順わずんば、厥の罪惟れ鈞しきか。貫は、通。盈は、滿つるなり。言うこころは、紂の積惡此の如し。天命じて之を誅せしむ。今紂を誅せずんば、是れ惡を長[ま]すなり。其の罪豈紂と鈞しからざらんや。律の如きは故[ことさら]に縱にする者は與に罪を同じくするなり。

△予小子夙夜祗懼、受命文考、類于上帝、宜于冢土。以爾有衆、厎天之罰。厎、致也。冢土、大社也。祭社曰宜。上文言縱紂不誅、則罪與紂鈞。故此言、予小子畏天之威、早夜敬懼、不敢自寧、受命于文王之廟、告于天神地祇、以爾有衆、致天之罰於商也。王制曰、天子將出、類乎上帝、宜乎社、造乎禰。受命文考、卽造乎禰也。王制以神尊卑爲序。此先言受命文考者、以伐紂之舉、天本命之文王。武王特稟文王之命、以卒其伐功而已。
【読み】
△予れ小子夙夜に祗[つつし]み懼れて、命を文考に受けて、上帝を類[まつ]り、冢土を宜[まつ]る。爾有衆を以[い]て、天の罰を厎す。厎は、致すなり。冢土は、大社なり。社を祭るを宜と曰う。上の文に言う、紂を縱にして誅せざれば、則ち罪は紂と鈞し、と。故に此に言う、予れ小子天の威を畏れて、早夜に敬み懼れて、敢えて自ら寧んぜず、命を文王の廟に受けて、天神地祇に告げて、爾有衆を以て、天の罰を商に致す、と。王制に曰く、天子將に出でんとするに、上帝に類し、社に宜し、禰に造[つ]ぐ、と。命を文考に受くとは、卽ち禰に造ぐるなり。王制には神の尊卑を以て序とす。此に先ず命を文考に受くと言うは、紂を伐つの舉を以て、天本之を文王に命ず。武王特に文王の命を稟けて、以て其の伐功を卒えるのみ。

△天矜于民。民之所欲、天必從之。爾尙弼予一人、永淸四海。時哉弗可失。天矜憐於民。民有所欲、天必從之。今民欲亡紂如此。則天意可知。爾庶幾輔我一人、除其邪穢、永淸四海。是乃天人合應之時。不可失也。
【読み】
△天民を矜[あわ]れむ。民の欲する所は、天必ず之に從う。爾尙わくは予れ一人を弼けて、永く四海を淸くせよ。時なるかな失う可からず、と。天民を矜れみ憐れむ。民欲する所有れば、天必ず之に從う。今民紂を亡ぼさんと欲すること此の如し。則ち天意知る可し。爾庶幾わくは我れ一人を輔けて、其の邪穢を除き、永く四海を淸くせよ。是れ乃ち天人合應の時なり。失う可からず、と。


泰誓中
【読み】
泰誓中[たいせいちゅう]


惟戊午、王次于河朔。羣后以師畢會。王乃徇師而誓。戊、音茂。○次、止。徇、循也。河朔、河北也。戊午、以武成考之、是二月二十八日。
【読み】
惟れ戊午[つちのえ・うま]、王河の朔[きた]に次[やど]る。羣后師を以[い]て畢[ことごと]く會す。王乃ち師を徇[めぐ]りて誓う。戊は、音茂。○次は、止まる。徇は、循るなり。河朔は、河北なり。戊午は、武成を以て之を考うるに、是れ二月二十八日なり。

△曰、嗚呼西土有衆、咸聽朕言。周都豐・鎬。其地在西。從武王渡河者、皆西方諸侯。故曰西土有衆。
【読み】
△曰く、嗚呼西土の有衆、咸朕が言を聽け。周は豐・鎬に都す。其の地西に在り。武王に從いて河を渡る者は、皆西方の諸侯なり。故に西土の有衆と曰う。

△我聞吉人爲善、惟日不足。凶人爲不善、亦惟日不足。今商王受、力行無度。播棄犂老、昵比罪人。淫酗肆虐、臣下化之、朋家作仇、脅權相滅。無辜籲天、穢德彰聞。惟日不足者、言終日爲之、而猶爲不足也。將言紂力行無度。故以古人語發之。無度者、無法度之事。播、放也。犂、黧通。黑而黃也。微子所謂耄遜于荒、是也。老成之臣、所當親近者。紂乃放棄之。罪惡之人、所當斥逐者。紂乃親比之。酗、醉怒也。肆、縱也。臣下亦化紂惡、各立朋黨、相爲仇讎、脅上權命、以相誅滅、流毒天下。無辜之人、呼天告冤、腥穢之德、顯聞于上。呂氏曰、爲善至極、則至治馨香。爲惡至極、則穢德彰聞。
【読み】
△我れ聞く、吉人善をするに、惟れ日を足らずとす。凶人不善をするに、亦惟れ日を足らずとす、と。今商王受、力め行いて度無し。犂老[りろう]を播[はな]ち棄てて、罪人を昵[むつ]み比[なつ]く。淫酗[いんく]肆虐、臣下之に化して、家に朋[むら]がりて仇を作し、脅かし權りて相滅ぼす。無辜天に籲[よ]ばいて、穢き德彰れ聞えたり。惟れ日を足らずとは、言うこころは、終日之をして、猶足らずとするなり。將に紂の力め行いて度無きを言わんとす。故に古人の語を以て之を發す。度無しとは、法度の事無し。播は、放つなり。犂は、黧[り]と通ず。黑くして黃なり。微子が所謂耄も荒に遜[のが]るとは、是れなり。老成の臣は、當に親近すべき所の者。紂乃ち之を放ち棄つ。罪惡の人は、當に斥け逐うべき所の者。紂乃ち之を親比す。酗は、醉い怒るなり。肆は、縱なり。臣下も亦紂が惡に化して、各々朋黨を立て、仇讎を相爲し、上の權命を脅して、以て相誅滅し、毒を天下に流す。無辜の人、天に呼ばいて冤を告ぎ、腥穢の德、上に顯れ聞ゆ。呂氏が曰く、善を爲すの至極は、則ち至治馨香なり。惡を爲すの至極は、則ち穢德彰れ聞ゆ、と。

△惟天惠民。惟辟奉天。有夏桀弗克若天、流毒下國。天乃佑命成湯、降黜夏命。言天惠愛斯民。君當奉承天意。昔桀不能順天、流毒下國。故天命成湯、降黜夏命。
【読み】
△惟れ天民を惠む。惟れ辟[きみ]天を奉[う]く。有夏の桀天に若[したが]うこと克わず、毒を下國に流す。天乃ち成湯を佑け命じて、夏の命を降し黜く。言うこころは、天斯の民を惠愛す。君當に天意を奉け承くべし。昔桀天に順うこと能わず、毒を下國に流す。故に天成湯に命じて、夏の命を降し黜く。

△惟受罪浮于桀。剝喪元良、賊虐諫輔。謂己有天命、謂敬不足行、謂祭無益、謂暴無傷。厥鑒惟不遠、在彼夏王。天其以予乂民。朕夢協朕卜、襲于休祥。戎商必克。浮、過。剝、落。喪、去也。古者去國爲喪。元良、微子也。諫輔、比干也。謂己有天命、如答祖尹、我生不有命在天之類。下三句、亦紂所嘗言者。鑒、視也。其所鑒視、初不在遠。有夏多罪。天旣命湯黜其命矣。今紂多罪。天其以我乂民乎。襲、重也。言我之夢、協我之卜、重有休祥之應。知伐商而必勝之也。此言天意有必克之理。
【読み】
△惟れ受が罪は桀に浮[す]ぎたり。元良を剝[おと]し喪[す]てて、諫輔を賊い虐[やぶ]る。己を天命有りと謂い、敬みを行うに足らずと謂い、祭を益無しと謂い、暴を傷ること無けんと謂う。厥の鑒惟れ遠からず、彼の夏王に在り。天其れ予を以て民を乂[おさ]めしむ。朕が夢朕が卜に協い、休祥を襲[かさ]ねたり。商に戎せば必ず克たん。浮は、過ぐ。剝は、落つ。喪は、去るなり。古は國を去るを喪とす。元良は、微子なり。諫輔は、比干なり。己天命有りと謂うは、祖尹に答うる、我が生けること命天に在ること有らざらんやの類の如し。下の三句も、亦紂が嘗て言う所の者なり。鑒は、視るなり。其の鑒視する所、初めより遠きに在らず。有夏罪多し。天旣に湯に命じて其の命を黜く。今紂罪多し。天其れ我を以て民を乂めしめんとするか、と。襲は、重ぬるなり。言うこころは、我が夢、我が卜に協い、重ねて休祥の應有り。商を伐ちて必ず之に勝たんことを知る。此れ言うこころは、天意必ず克つの理有り。

△受有憶兆夷人、離心離德。予有亂臣十人、同心同德。雖有周親、不如仁人。夷、平也。夷人、言其智識不相上下也。治亂曰亂。十人、周公旦・召公奭・太公望・畢公・榮公・太顚・閎夭・散宜生・南宮括、其一文母。孔子曰、有婦人焉。九人而已。劉侍讀以爲、子無臣母之義。蓋邑姜也。九臣治外、邑姜治内。言紂雖有夷人之多、不如周治臣之少而盡忠也。周、至也。紂雖有至親之臣、不如周仁人之賢而可恃也。此言人事有必克之理。
【読み】
△受憶兆の夷人有り、心を離ち德を離つ。予れ亂臣十人有り、心を同じくし德を同じくす。周親有りと雖も、仁人に如かず。夷は、平らなり。夷人は、言うこころは、其の智識相上下せざるなり。亂を治むるを亂と曰う。十人は、周公旦・召公奭・太公望・畢公・榮公・太顚・閎夭・散宜生・南宮括、其の一りは文母なり。孔子曰く、婦人有り、と。九人なるのみ。劉侍讀以爲えらく、子母を臣とするの義無し。蓋し邑姜ならん。九臣は外を治め、邑姜は内を治む、と。言うこころは、紂夷人の多き有りと雖も、周の治臣の少なくして忠を盡くすに如かず。周は、至るなり。紂至親の臣有りと雖も、周の仁人の賢にして恃む可きに如かず。此れ言うこころは、人事必ず克つの理有り。

△天視自我民視。天聽自我民聽。百姓有過、在予一人。今朕必往。過、廣韻責也。武王言、天之視聽、皆自乎民。今民皆有責於我謂、我不正商罪。以民心而察天意、則我之伐商、斷必往矣。蓋百姓畏紂之虐、望周之深、而責武王不卽拯己於水火也。如湯東面而征西夷怨、南面而征北狄怨之意。
【読み】
△天の視ること我が民より視る。天の聽くこと我が民より聽く。百姓過[せ]むること有り、予れ一人に在り。今朕れ必ず往かん。過は、廣韻に責む、と。武王言く、天の視聽は、皆民による。今民皆我を責むること有りて謂く、我れ商の罪を正さず、と。民の心を以て天の意を察すれば、則ち我が商を伐つこと、斷じて必ず往かん。蓋し百姓紂の虐を畏れて、周を望むこと深くして、武王卽ち己を水火より拯わざることを責むるなり。湯東面して征すれば西夷怨み、南面して征すれば北狄怨むの意の如し。

△我武惟揚、侵于之疆。取彼凶殘、我伐用張。于湯有光。揚、舉。侵、入也。凶殘、紂也。猶孟子謂之殘賊。武王弔民伐罪、於湯之心、爲益明白於天下也。自世俗觀之、武王伐湯之子孫、覆湯之宗社。謂之湯讎可也。然湯放桀武王伐紂、皆公天下爲心、非有私於己者。武之事、質之湯而無愧。湯之心、驗之武而益顯。是則伐商之舉、豈不於湯爲有光也哉。
【読み】
△我が武惟れ揚[あが]り、之が疆に侵[い]る。彼の凶殘を取りて、我が伐つこと用て張らん。湯に于[おい]て光有らん。揚は、舉ぐ。侵は、入るなり。凶殘は、紂なり。猶孟子之を殘賊と謂うがごとし。武王民を弔いて罪を伐つは、湯の心に於て、益々天下に明白なりとせん。世俗より之を觀れば、武王湯の子孫を伐ち、湯の宗社を覆す。之を湯の讎と謂わば可なり。然れども湯の桀を放ち武王の紂を伐つは、皆天下に公なるを心とし、己に私有る者に非ず。武の事は、之を湯に質して愧ずること無し。湯の心、之を武に驗して益々顯らかなり。是れ則ち商を伐つの舉、豈湯に於て光有りとせざらんや。

△勖哉夫子、罔或無畏。寧執非敵。百姓懍懍、若崩厥角。嗚呼乃一德一心、立定厥功。惟克永世。勖、勉也。夫子、將士也。勉哉將士、無或以紂爲不足畏。寧執心以爲非我所敵也。商民畏紂之虐、懍懍若崩摧其頭角然。言人心危懼如此。汝當一德一心、立定厥功、以克永世也。
【読み】
△勖[つと]めよや夫子、畏るること無きこと或る罔かれ。寧ろ執りて敵するところに非ずとせよ。百姓懍懍[りんりん]として、厥の角を崩すが若し。嗚呼乃德を一にし心を一にして、厥の功を立て定めよ。惟れ克く世を永くせん、と。勖[きょく]は、勉むるなり。夫子は、將士なり。勉めよや將士、以て紂を畏るるに足らずとすること或る無かれ。寧ろ心を執りて以て我が敵する所に非ずとせよ。商の民紂の虐を畏るること、懍懍として其の頭角を崩し摧[くじ]くが若く然り。言うこころは、人心危懼すること此の如し。汝當に德を一にし心を一にして、厥の功を立て定めて、以て克く世を永くすべし。


泰誓下
【読み】
泰誓下[たいせいげ]


時厥明、王乃大巡六師、明誓衆士。厥明、戊午之明日也。古者天子六軍、大國三軍、是時武王未備六軍。牧誓敍三卿可見。此曰六師者、史臣之詞也。
【読み】
時[こ]れ厥の明、王乃ち大いに六師を巡りて、明らかに衆士に誓う。厥の明は、戊午の明日なり。古には天子は六軍、大國は三軍、是の時に武王未だ六軍を備えず。牧誓の三卿を敍ずるを見る可し。此れ六師と曰うは、史臣の詞なり。

△王曰、嗚呼我西土君子、天有顯道、厥類惟彰。今商王受、狎侮五常、荒怠弗敬、自絕于天、結怨于民。天有至顯之理、其義類甚明。至顯之理、卽典常之理也。紂於君臣父子兄弟夫婦典常之道、褻狎侮慢、荒棄怠惰、無所敬畏。上自絕于天、下結怨于民。結怨者、非一之謂。下文自絕結怨之實也。
【読み】
△王曰く、嗚呼我が西土の君子、天に顯らかなる道有り、厥の類惟れ彰らかなり。今商王受、五常を狎れ侮り、荒[すさ]み怠りて敬まず、自ら天を絕ちて、怨みを民に結ぶ。天に至顯の理有り、其の義類甚だ明らかなり。至顯の理は、卽ち典常の理なり。紂君臣父子兄弟夫婦典常の道に於て、褻狎[せっこう]侮慢、荒棄怠惰して、敬み畏るる所無し。上は自ら天を絕ち、下は民に怨みを結ぶ、と。怨みを結ぶ者、一に非ざるの謂なり。下の文は自ら絕ちて怨みを結ぶの實なり。

△斮朝涉之脛、剖賢人之心。作威殺戮、毒痡四海。崇信姦回、放黜師保。屛棄典刑、囚奴正士。郊社不修、宗廟不享。作奇技淫巧、以悅婦人。上帝弗順、祝降時喪。爾其孜孜、奉予一人、恭行天罰。斮、側略反。痡、音鋪。○斮、斫也。孔氏曰、冬月見朝涉水者謂、其脛耐寒。斫而視之。史記云、比干强諫。紂怒曰、吾聞聖人心有七竅。遂剖比干觀其心。痡、病也。作刑威、以殺戮爲事、毒病四海之人。言其禍之所及者遠也。回、邪也。正士、箕子也。郊、所以祭天。社、所以祭地。奇技、謂奇異技能。淫巧、爲過度之巧。列女傳紂膏銅柱、下加炭令有罪者行。輒墮炭中妲己乃笑。夫欲妲己之笑、至爲炮烙之刑、則其奇技淫巧、以悅之者、宜無所不至矣。祝、斷也。言紂於姦邪、則尊信之、師保則放逐之。屛棄先王之法、囚奴中正之士、輕廢奉祀之禮、專意汚褻之行、悖亂天常。故天弗順、而斷然降是喪亡也。爾衆士其勉力不怠、奉我一人、而敬行天罰乎。
【読み】
△朝に涉るの脛を斮[き]り、賢人の心を剖[さ]く。威を作して殺戮し、四海を毒[くる]しめ痡[や]ましむ。姦回を崇び信とし、師保を放ち黜く。典刑を屛[しりぞ]け棄て、正士を囚え奴にす。郊社修めず、宗廟享けず。奇技淫巧を作して、以て婦人を悅ばしむ。上帝順わず、時[こ]の喪びを祝[た]ちて降せり。爾其れ孜孜として、予れ一人に奉[つか]えて、恭んで天の罰を行え。斮[さく]は、側略反。痡[ほ]は、音鋪。○斮は、斫[き]るなり。孔氏が曰く、冬月朝に水を涉る者を見て謂く、其の脛寒に耐えたり。斫りて之を視ん、と。史記に云う、比干强いて諫む。紂怒りて曰く、吾れ聞く、聖人の心に七竅[きょう]有り、と。遂に比干を剖きて其の心を觀る、と。痡は、病むなり。刑威を作して、殺戮を以て事とし、四海の人を毒病す。言うこころは、其の禍いの及ぶ所の者遠し。回は、邪なり。正士は、箕子なり。郊は、天を祭る所以。社は、地を祭る所以なり。奇技は、奇異技能を謂う。淫巧は、過度の巧を爲すなり。列女傳に紂銅柱に膏ぬり、下に炭を加えて罪有る者を行かしむ。輒ち炭中に墮つるときは妲己乃ち笑う。夫れ妲己の笑いを欲して、炮烙の刑を爲すに至れば、則ち其の奇技淫巧にして、以て之を悅ばしむる者、宜しく至らざる所無かるべし。祝は、斷つなり。言うこころは、紂姦邪に於ては、則ち之を尊信し、師保は則ち之を放逐す。先王の法を屛け棄て、中正の士を囚え奴にし、輕々しく奉祀の禮を廢て、意を汚褻の行に專らにし、天常を悖り亂る。故に天順わずして、斷然として是の喪亡を降せり。爾衆士其れ勉め力めて怠らず、我れ一人を奉じて、敬んで天の罰を行え、と。

△古人有言曰、撫我則后、虐我則讎。獨夫受、洪惟作威。乃汝世讎。樹德務滋、除惡務本。肆予小子、誕以爾衆士、殄殲乃讎。爾衆士、其尙迪果毅、以登乃辟。功多有厚賞。不迪有顯戮。洪、大也。獨夫、言天命已絕、人心已去。但一獨夫耳。孟子曰、殘賊之人、謂之一夫。武王引古人之言謂、撫我則我之君也。虐我則我之讎也。今獨夫受、大作威虐、以殘害于爾百姓。是乃爾之世讎也。務、專力也。植德則務其滋長。去惡則務絕根本。兩句意亦古語。喩紂爲衆惡之本、在所當去。故我小子、大以爾衆士、而殄絕殲滅汝之世讎也。迪、蹈。登、成也。殺敵爲果。致果爲毅。爾衆士其庶幾蹈行果毅、以成汝君。若功多則有厚賞。非特一爵一級而已。不迪果毅、則有顯戮。謂之顯戮、則必肆諸市朝、以示衆庶。
【読み】
△古人言えること有りて曰く、我を撫すれば則ち后なり、我を虐すれば則ち讎なり、と。獨夫受、洪[おお]いに惟れ威を作す。乃ち汝の世々の讎なり。德を樹つるは滋[ま]すことを務め、惡を除くは本を務む。肆[ゆえ]に予れ小子、誕[おお]いに爾衆士を以[い]て、乃の讎を殄[た]ち殲[つ]くす。爾衆士、其れ尙わくは果毅を迪[おこな]いて、以て乃の辟を登[な]せ。功多くば厚き賞有らん。迪わずんば顯らかなる戮[つみ]有らん。洪は、大いなり。獨夫は、言うこころは、天命已に絕え、人心已に去る。但一獨夫なるのみ。孟子曰く、殘賊の人、之を一夫と謂う、と。武王古人の言を引いて謂く、我を撫すれば則ち我が君なり。我を虐すれば則ち我が讎なり。今獨夫受、大いに威虐を作して、以て爾百姓を殘害す。是れ乃ち爾の世々の讎なり、と。務は、專力なり。德を植つるは則ち其の滋長を務む。惡を去るは則ち務めて根本を絕つ。兩句意うに亦古語ならん。紂を衆惡の本と爲して、當に去るべき所に在るに喩う。故に我れ小子、大いに爾衆士を以て、汝の世々の讎を殄絕[てんぜつ]殲滅[せんめつ]す。迪[てき]は、蹈む。登は、成すなり。敵を殺すを果とす。果を致すを毅とす。爾衆士其れ庶幾わくは果毅を蹈み行いて、以て汝の君を成せ。若し功多くば則ち厚賞有らん。特に一爵一級のみに非ず。果毅を迪わざれば、則ち顯らかなる戮有らん。之を顯戮と謂うときは、則ち必ず諸を市朝に肆[つら]ねて、以て衆庶に示さん。

△嗚呼惟我文考、若日月之照臨。光于四方、顯于西土。惟我有周、誕受多方。若日月照臨、言其德之輝光也。光于四方、言其德之遠被也。顯于西土、言其德尤著於所發之地也。文王之地、止於百里、文王之德、達于天下。多方之受、非周其誰受之。文王之德、實天命人心之所歸。故武王於誓師之末、歎息而言之。
【読み】
△嗚呼惟れ我が文考、日月の照臨するが若し。四方に光り、西土に顯らかなり。惟れ我が有周、誕[おお]いに多方を受けたり。日月の照臨するが若しとは、其の德の輝り光るを言うなり。四方に光るとは、言うこころは、其の德の遠くに被るなり。西土に顯らかとは、言うこころは、其の德尤も發する所の地に著らかなり。文王の地は、百里に止まり、文王の德は、天下に達す。多方の受くるは、周に非ずんば其れ誰か受けん。文王の德は、實に天命人心の歸する所。故に武王誓師の末に於て、歎息して之を言う。

△予克受、非予武。惟朕文考無罪。受克予、非朕文考有罪。惟予小子無良。無罪、猶言無過也。無良、猶言無善也。商周之不敵久矣。武王猶有勝負之慮。恐爲文王羞者、聖人臨事而懼也如此。
【読み】
△予れ受に克たば、予が武きに非ず。惟れ朕が文考罪無きなり。受予に克たば、朕が文考罪有るに非ず。惟れ予れ小子良きこと無きなり、と。罪無しとは、猶過[とが]無しと言うがごとし。良きこと無しとは、猶善きこと無しと言うがごとし。商周の敵せざること久し。武王猶勝負の慮り有り。文王の羞を爲すことを恐るる者、聖人事に臨みて懼るること此の如し。


牧誓 牧、地名。在朝歌南。卽今衛州治之南也。武王軍於牧野。臨戰誓衆。前旣有泰誓三篇。因以地名別之。今文古文皆有。
【読み】
牧誓[ぼくせい] 牧は、地の名。朝歌の南に在り。卽ち今の衛州治の南なり。武王牧野に軍す。戰に臨みて衆に誓う。前に旣に泰誓三篇有り。因りて地名を以て之を別つ。今文古文皆有り。


時甲子昧爽、王朝至于商郊牧野乃誓。王左杖黃鉞、右秉白旄以麾曰、逖矣西土之人。甲子、二月四日也。昧、冥。爽、明也。昧爽、將明未明之時也。鉞、斧也。以黃金爲飾。王無自用鉞之理。左杖以爲儀耳。旄、軍中指麾。白則見遠。麾非右手不能。故右秉白旄也。按武成言、癸亥陳于商郊。則癸亥之日、周師已陳牧野矣。甲子昧爽、武王始至而誓師焉。曰者、武王之言也。逖、遠也。以其行役之遠、而慰勞之也。
【読み】
時[こ]れ甲子[きのえ・ね]の昧爽に、王朝に商郊の牧野に至りて乃ち誓う。王左に黃鉞[こうえつ]を杖[つ]き、右に白旄[はくぼう]を秉りて以て麾[さしまね]いて曰く、逖[とお]いかな西土の人、と。甲子は、二月四日なり。昧は、冥[くら]い。爽は、明なり。昧爽は、將に明けんとして未だ明けざるの時なり。鉞は、斧なり。黃金を以て飾りとす。王に自ら鉞を用ゆるの理無し。左に杖いて以て儀とするのみ。旄は、軍中の指麾[しき]。白ければ則ち遠くに見ゆ。麾は右の手に非ずんば能くせず。故に右に白旄を秉るなり。按ずるに武成に言く、癸亥[みずのと・い]に商郊に陳ぬ、と。則ち癸亥の日、周の師已に牧野に陳ぬ。甲子の昧爽に、武王始めて至りて師に誓うならん。曰くは、武王の言なり。逖[てき]は、遠きなり。其の行役の遠きを以て、之を慰勞するなり。

△王曰、嗟我友邦冢君、御事司徒・司馬・司空、亞旅・師氏、千夫長・百夫長、司徒・司馬・司空、三卿也。武王是時尙爲諸侯。故未備六卿。唐孔氏曰、司徒主民、治徒庶之政令。司馬主兵、治軍旅之誓戒。司空主土、治壘壁以營軍。亞、次。旅、衆也。大國、三卿。下大夫、五人。士、二十七人。亞者、卿之貳。大夫、是也。旅者、卿之屬。士、是也。師氏、以兵守門者。猶周禮師氏。王舉則從者也。千夫長、統千人之帥。百夫長、統百人之帥也。
【読み】
△王曰く、嗟[ああ]我が友邦の冢君、御事の司徒・司馬・司空、亞旅・師氏、千夫の長・百夫の長、司徒・司馬・司空は、三卿なり。武王是の時尙諸侯爲り。故に未だ六卿を備えず。唐の孔氏が曰く、司徒は民を主りて、徒庶の政令を治む。司馬は兵を主りて、軍旅の誓戒を治む。司空は土を主りて、壘壁を治めて以て軍を營む。亞は、次。旅は、衆なり。大國は、三卿。下大夫は、五人。士は、二十七人。亞は、卿の貳[つぎ]。大夫、是れなり。旅は、卿の屬。士、是れなり。師氏は、兵を以て門を守る者。猶周禮の師氏のごとし。王舉するときは則ち從う者なり。千夫の長は、千人の帥を統ぶ。百夫の長は、百人の帥を統ぶ。

△及庸・蜀・羌・髳・微・盧・彭・濮人、羌、驅羊反。髳、莫侯反。○左傳庸與百濮伐楚。庸・濮、在漢之南。羌、在西蜀。髳・微、在巴蜀。盧・彭、在西北。武王伐紂、不期會者八百國。今誓師獨稱八國者、蓋八國近周西都。素所服役、乃受約束以戰者。若上文所言友邦冢君、則泛指諸侯而誓者也。
【読み】
△及び庸・蜀・羌[きょう]・髳[ぼう]・微・盧・彭[ほう]・濮[ぼく]の人、羌は、驅羊反。髳は、莫侯反。○左傳に庸と百濮と楚を伐つ、と。庸・濮は、漢の南に在り。羌は、西蜀に在り。髳・微は、巴蜀に在り。盧・彭は、西北に在り。武王紂を伐つに、期せずして會する者八百國。今師に誓うに獨り八國を稱するは、蓋し八國は周の西都に近し。素より服役する所にて、乃ち約束を受けて以て戰う者なり。上の文に言う所の若き友邦の冢君は、則ち泛く諸侯を指して誓う者なり。

△稱爾戈、比爾干、立爾矛。予其誓。稱、舉。戈、戟。干、楯。矛、亦戟之屬。長二丈。唐孔氏曰、戈、短。人執以舉之。故言稱。楯、則竝以扞敵。故言比。矛、長。立之於地。故言立。器械嚴整、則士氣精明、然後能聽誓命。
【読み】
△爾の戈[か]を稱[あ]げ、爾の干を比[なら]べ、爾の矛[ぼう]を立てよ。予れ其れ誓わん、と。稱は、舉ぐ。戈は、戟[げき]。干は、楯。矛も、亦戟の屬。長さ二丈。唐の孔氏が曰く、戈は、短し。人執りて以て之を舉ぐ。故に稱と言う。楯は、則ち竝べて以て敵を扞[ふせ]ぐ。故に比と言う。矛は、長し。之を地に立つ。故に立と言う。器械嚴整なるときは、則ち士氣精明にして、然して後に能く誓命を聽く。

△王曰、古人有言曰、牝雞無晨。牝雞之晨、惟家之索。索、蕭索也。牝雞而晨、則陰陽反常。是爲妖孼。而家道索矣。將言紂惟婦言是用。故先發此。
【読み】
△王曰く、古人言えること有りて曰く、牝雞晨すること無し。牝雞の晨するは、惟れ家の索[つ]くるなり、と。索は、蕭索なり。牝雞にして晨するときは、則ち陰陽常に反す。是を妖孼とす。而して家道索くるなり。將に紂惟れ婦の言是を用ゆと言わんとす。故に先ず此を發す。

△今商王受、惟婦言是用。昏棄厥肆祀弗答、昏棄厥遺王父母弟不迪。乃惟四方之多罪逋逃是崇是長、是信是使、是以爲大夫卿士、俾暴虐于百姓、以姦宄于商邑。婦、房缶反。○肆、陳。答、報也。婦、妲己也。列女傳云、紂好酒淫樂。不離妲己。妲己所舉者貴之、所憎者誅之。惟妲己之言是用。故顚倒昏亂。祭所以報本也。紂以昏亂棄其所當陳之祭祀而不報。昆弟、先王之胤也。紂以昏亂棄其王父母弟、而不以道遇之。廢宗廟之禮、無宗族之義。乃惟四方多罪逃亡之人、尊崇而信使之、以爲大夫卿士、使暴虐于百姓、姦宄于商邑。蓋紂惑於妲己之嬖、背常亂理、遂至流毒如此也。
【読み】
△今商王受、惟れ婦の言是を用ゆ。昏くして厥の肆祀を棄てて答[むく]いず、昏くして厥の遺せる王の父母弟を棄てて迪[みち]とせず。乃ち惟れ四方の罪多き逋逃[ほとう]是を崇び是を長とし、是を信とし是を使い、是を以て大夫卿士と爲して、百姓を暴虐し、以て商邑に姦宄[かんき]せしむ。婦は、房缶反。○肆は、陳ぬる。答は、報ゆるなり。婦は、妲己なり。列女傳に云う、紂酒を好みて淫樂す。妲己を離れず。妲己舉ぐる所の者は之を貴び、憎む所の者は之を誅す、と。惟れ妲己が言是を用ゆ。故に顚倒昏亂す。祭は本を報ゆる所以なり。紂昏亂を以て其の當に陳ぬべき所の祭祀を棄てて報いず。昆弟は、先王の胤なり。紂昏亂を以て其の王の父母弟を棄てて、道を以て之を遇せず。宗廟の禮を廢て、宗族の義無し。乃ち惟れ四方の罪多き逃亡の人を、尊崇して之を信使して、以て大夫卿士と爲して、百姓を暴虐し、商邑に姦宄せしむ。蓋し紂妲己の嬖に惑うこと、常に背き理を亂り、遂に流毒此の如きに至る。

△今予發、惟恭行天之罰。今日之事、不愆于六步七步、乃止齊焉。夫子勖哉。愆、過。勖、勉也。步、進趨也。齊、齊整也。今日之戰、不過六步七步、乃止而齊。此告之以坐作進退之法。所以戒其輕進也。
【読み】
△今予れ發、惟れ恭みて天の罰を行う。今日の事、六步七步に愆[す]ぎずして、乃ち止まりて齊[ととの]えよ。夫子勖[つと]めよや。愆は、過ぐ。勖は、勉むるなり。步は、進趨なり。齊は、齊整なり。今日の戰は、六步七步に過ぎずして、乃ち止まりて齊えよ、と。此れ之に告ぐるに坐作進退の法を以てす。其の輕々しく進むを戒むる所以なり。

△不愆于四伐五伐六伐七伐、乃止齊焉。勖哉夫子。伐、擊刺也。少不下四五、多不過六七而齊。此告之以攻殺擊刺之法。所以戒其貪殺也。上言夫子勖哉、此言勖哉夫子者、反覆成文、以致其丁寧勸勉之意。下倣此。
【読み】
△四伐五伐六伐七伐に愆ぎずして、乃ち止まりて齊えよ。勖めよや夫子。伐は、擊刺なり。少なくして四五に下らず、多くして六七を過ぎずして齊えよ、と。此れ之に告ぐるに攻殺擊刺の法を以てす。其の貪殺を戒むる所以なり。上には夫子勖めよやと言い、此には勖めよや夫子と言うは、反覆して文を成して、以て其の丁寧勸勉の意を致すなり。下も此に倣え。

△尙桓桓、如虎如貔、如熊如羆、于商郊。弗迓克奔、以役西土。勖哉夫子。桓、胡官反。貔、頻脂反。○桓桓、威武貌。貔、執夷也。虎屬。欲將士如四獸之猛、而奮擊于商郊也。迓、迎也。能奔來降者、勿迎擊之、以勞役我西土之人。此勉其武勇、而戒其殺降也。
【読み】
△尙わくは桓桓として、虎の如く貔[ひ]の如く、熊の如く羆[ひ]の如く、商郊に于てせんことを。克く奔るを迓[むか]えて、以て西土を役せざれ。勖めよや夫子。桓は、胡官反。貔は、頻脂反。○桓桓は、威武の貌。貔は、執夷なり。虎の屬。將士四獸の猛きが如くして、商郊に奮擊せんことを欲するなり。迓[が]は、迎うなり。能く奔り來り降る者は、迎えて之を擊ち、以て我が西土の人を勞役せしむること勿かれ、と。此れ其の武勇を勉てて、其の降れるを殺すを戒むなり。

△爾所弗勖、其于爾躬有戮。弗勖、謂不勉於前三者。愚謂、此篇嚴肅而溫厚、與湯誓誥相表裏。眞聖人之言也。泰誓・武成、一篇之中、似非盡出於一人之口。豈獨此爲全書乎。讀者其味之。
【読み】
△爾勖めざる所あらば、其れ爾の躬に于て戮[つみ]有らん、と。勖めずとは、前の三つの者を勉めざるを謂う。愚謂えらく、此の篇の嚴肅にして溫厚なる、湯の誓誥と相表裏す。眞に聖人の言なり。泰誓・武成は、一篇の中、盡くは一人の口より出づるに非ざるに似たり。豈獨り此れ全書と爲るか。讀者其れ之を味わえ。


武成 史氏記武王往伐歸獸、祀羣神、告羣后、與其政事、共爲一書。篇中有武成二字、遂以名篇。今文無、古文有。
【読み】
武成[ぶせい] 史氏武王往いて伐ちて獸を歸し、羣神を祀り、羣后に告ぐると、其の政事とを記して、共に一書とす。篇の中に武成の二字有り、遂に以て篇に名づく。今文無し、古文有り。


惟一月壬辰、旁死魄。越翼日癸巳、王朝步自周、于征伐商。一月、建寅之月。不曰正、而曰一者、商建丑。以十二月爲正朔。故曰一月也。詳見太甲・泰誓篇。壬辰、以泰誓戊午推之、當是一月二日。死魄、朔也。二日故曰旁死魄。翼、明也。先記壬辰旁死魄、然後言癸巳伐商者、猶後世言某日、必先言某朔也。周、鎬京也。在京兆鄠縣上林。卽今長安縣昆明池北鎬陂、是也。
【読み】
惟れ一月の壬辰[みずのえ・たつ]、死魄に旁[ちか]し。越[ここ]において翼日の癸巳[みずのと・み]に、王朝に周より步[ゆ]いて、于[ここ]に商を征伐す。一月は、寅に建[さ]すの月。正と曰わずして、一と曰うは、商は丑に建す。十二月を以て正朔とす。故に一月と曰うなり。詳らかに太甲・泰誓の篇に見えたり。壬辰は、泰誓の戊午[つちのえ・うま]を以て之を推すに、當に是れ一月二日なるべし。死魄は、朔なり。二日なる故に旁死魄と曰う。翼は、明なり。先ず壬辰旁死魄と記して、然して後に癸巳に商を伐つと言うは、猶後世某の日を言うときは、必ず先ず某の朔と言うがごとし。周は、鎬京なり。京兆鄠[こ]縣上林に在り。卽ち今の長安縣昆明池の北鎬陂、是れなり。

△厥四月哉生明、王來自商、至于豐。乃偃武修文、歸馬于華山之陽、放牛于桃林之野。示天下弗服。哉、始也。始生明、月三日也。豐、文王舊都也。在京兆鄠縣。卽今長安縣西北靈臺。豐水之上、周先王廟在焉。山南曰陽。桃林、今華陰縣潼關也。樂記曰、武王勝商、渡河而西。馬散之華山之陽、而弗復乘、牛放之桃林之野、而弗復服。車甲衅而藏之府庫、倒載干戈、包以虎皮。天下知武王之不復用兵也。○此當在萬姓悅服之下。
【読み】
△厥の四月の哉[さい]生明、王商より來りて、豐に至る。乃ち武を偃[ふ]し文を修めて、馬を華山の陽[みなみ]に歸[はな]ち、牛を桃林の野に放つ。天下に服[もち]いざるを示す。哉は、始なり。始生明は、月の三日なり。豐は、文王の舊都なり。京兆鄠縣に在り。卽ち今の長安縣の西北の靈臺なり。豐水の上[ほとり]に、周の先王の廟在り。山の南を陽と曰う。桃林は、今の華陰縣潼關なり。樂記に曰く、武王商に勝ちて、河を渡りて西す。馬之を華山の陽に散じて、復乘らず、牛之を桃林の野に放ちて、復服いず。車甲衅[ちぬ]りて之を府庫に藏し、干戈を倒[さかさま]に載せ、包むに虎皮を以てす。天下武王の復兵を用いざるを知る、と。○此れ當に萬姓悅服の下に在るべし。

△丁未、祀于周廟。邦・甸・侯・衛、駿奔走執豆籩。越三日庚戌、柴望大告武成。駿、爾雅曰、速也。周廟、周祖廟也。武王以克商之事、祭告祖廟。近而邦甸、遠而侯衛、皆駿奔走執事、以助祭祀。豆、木豆。籩、竹豆。祭器也。旣告祖廟、燔柴祭天、望祀山川、以告武功之成。由近而遠、由親而疎也。○此當在百工受命于周之下。
【読み】
△丁未[ひのと・ひつじ]、周の廟を祀る。邦・甸[でん]・侯・衛、駿[と]く奔り走りて豆籩を執る。越[ここ]において三日庚戌[かのえ・いぬ]、柴望して大いに武きことの成れるを告ぐ。駿は、爾雅に曰く、速き、と。周廟は、周の祖廟なり。武王商に克つ事を以て、祭りて祖廟に告ぐ。近くしては邦甸、遠くしては侯衛、皆駿く奔り走りて事を執りて、以て祭祀を助く。豆は、木豆。籩は、竹豆。祭器なり。旣に祖廟に告げて、燔柴して天を祭り、山川を望祀して、以て武功の成れるを告ぐ。近く由りして遠く、親しき由りして疎きまでなり。○此れ當に百工受命于周の下に在るべし。

△旣生魄、庶邦冢君、曁百工、受命于周。生魄、望後也。四方諸侯及百官、皆於周受命。蓋武王新卽位、諸侯百官、皆朝見新君。所以正始也。○此當在示天下弗服之下。
【読み】
△旣に生魄、庶邦の冢君、曁[およ]び百工、命を周に受く。生魄は、望後なり。四方の諸侯及び百官、皆周に於て命を受く。蓋し武王新たに位に卽き、諸侯百官、皆新君に朝見するならん。始めを正す所以なり。○此れ當に示天下弗服の下に在るべし。

△王若曰、嗚呼羣后、惟先王建邦啓土。公劉克篤前烈。至于太王、肇基王跡。王季其勤王家。我文考文王、克成厥勳。誕膺天命、以撫方夏。大邦畏其力、小邦懷其德。惟九年大統未集。予小子、其承厥志。羣后、諸侯也。先王、后稷。武王追尊之也。后稷始封於邰。故曰建邦啓土。公劉、后稷之曾孫。史記云、能修后稷之業。太王、古公亶父也。避狄去邠居岐。邠人仁之、從之者如歸市。詩曰、居岐之陽、實始翦商。太王雖未始有翦商之志、然太王始得民心、王業之成、實基於此。王季能勤以繼其業、至於文王、克成厥功。大受天命、以撫安方夏、大邦畏其威、而不敢肆、小邦懷其德、而得自立。自爲西伯專征、而威德益著於天下。凡九年崩大統未集者、非文王之德不足以受天下。是時紂之惡未至於亡天下也。文王以安天下爲心。故予小子亦以安天下爲心。○此當在大告武成之下。
【読み】
△王若[か]く曰く、嗚呼羣后、惟れ先王邦を建て土を啓く。公劉克く前烈を篤くす。太王に至りて、肇めて王跡を基す。王季其れ王家を勤めたり。我が文考の文王、克く厥の勳を成せり。誕[おお]いに天の命に膺[あた]りて、以て方夏を撫でたり。大邦は其の力を畏れ、小邦は其の德に懷く。惟れ九年まで大統未だ集[な]らず。予れ小子、其れ厥の志を承[つ]げり。羣后は、諸侯なり。先王は、后稷。武王追って之を尊ぶなり。后稷始めて邰[たい]に封ぜらる。故に邦を建て土を啓くと曰う。公劉は、后稷の曾孫なり。史記に云う、能く后稷の業を修む、と。太王は、古公亶父なり。狄を避け邠[ひん]を去りて岐に居れり。邠人之を仁なりとして、之に從う者市に歸[おもむ]くが如し、と。詩に曰く、岐の陽[みなみ]に居り、實に始めて商を翦[た]つ、と。太王未だ始めより商を翦つの志有らずと雖も、然れども太王始めて民の心を得て、王業の成ること、實に此に基す。王季能く勤めて以て其の業を繼ぎ、文王に至りて、克く厥の功を成す。大いに天の命を受けて、以て方夏を撫安せば、大邦は其の威に畏れて、敢えて肆にせず、小邦は其の德に懷いて、自ら立つことを得。西伯爲りしより專ら征して、威德益々天下に著る。凡て九年にして崩じて大統未だ集らざる者は、文王の德以て天下を受くるに足らざるに非ず。是の時紂の惡未だ天下を亡うに至らざるなり。文王は天下を安んずるを以て心とす。故に予れ小子も亦天下を安んずるを以て心とす、と。○此れ當に大告武成の下に在るべし。

△厎商之罪、告于皇天后土、所過名山大川曰、惟有道曾孫周王發、將有大正于商。今商王受無道、暴殄天物、害虐烝民。爲天下逋逃主、萃淵藪。予小子、旣獲仁人。敢祗承上帝、以遏亂略。華夏蠻貊、罔不率俾。厎、至也。后土、社也。句龍爲后土。周禮大祝云、王過大山川、則用事焉。孔氏曰、名山、謂華。大川、謂河。蓋自豐鎬往朝歌、必道華涉河也。曰者、舉武王告神之語。有道、指其父祖而言。周王二字、史臣追增之也。正、卽湯誓不敢不正之正。萃、聚也。紂殄物害民、爲天下逋逃罪人之主、如魚之聚淵、如獸之聚藪也。仁人、孔氏曰、太公・周・召之徒。略、謀略也。俾、廣韻曰、從也。仁人旣得、則可以敬承上帝、而遏絕亂謀。内而華夏、外而蠻貊、無不率從矣。或曰、太公歸周、在文王之世。周・召、周之懿親。不可謂之獲。此蓋仁人自商而來者。愚謂、獲者得之云爾。卽泰誓之所謂仁人、非必自外來也。不然、經傳豈無傳乎。○此當在于征伐商之下。
【読み】
△商の罪を厎して、皇天后土、過ぐる所の名山大川に告して曰く、惟れ有道の曾孫周王發、將に大いに商を正すこと有らんとす。今商王受無道、天物を暴[そこな]い殄[た]ち、烝民を害い虐[やぶ]る。天下の逋逃の主と爲りて、淵藪に萃[あつ]まる。予れ小子、旣に仁人を獲たり。敢えて祗みて上帝に承けて、以て亂略を遏[とど]む。華夏蠻貊まで、率い俾[したが]わざる罔し。厎は、至るなり。后土は、社なり。句龍を后土とす。周禮の大祝に云う、王大山川を過ぐるときは、則ち事を用ゆ、と。孔氏が曰く、名山は、華を謂う。大川は、河を謂う、と。蓋し豐鎬より朝歌に往くときは、必ず華を道にし河を涉るなり。曰くとは、武王神に告ぐる語を舉ぐるなり。有道は、其の父祖を指して言う。周王の二字は、史臣追って之を增すなり。正は、卽ち湯誓に敢えて正さずんばあらずの正なり。萃は、聚まるなり。紂物を殄ち民を害いて、天下の逋逃罪人の主と爲り、魚の淵に聚まるが如く、獸の藪に聚まるが如し。仁人は、孔氏が曰く、太公・周・召が徒、と。略は、謀略なり。俾は、廣韻に曰く、從う、と。仁人旣に得ば、則ち以て敬みて上帝に承けて、亂謀を遏ち絕つ可し。内にして華夏、外にして蠻貊、率い從わざる無し。或ひと曰く、太公の周に歸するは、文王の世に在り。周・召は、周の懿親なり。之を獲と謂う可からず。此れ蓋し仁人商よりして來る者なり、と。愚謂えらく、獲は之を得と云うのみ。卽ち泰誓の所謂仁人にて、必ずしも外より來るに非ず。然らずんば、經傳に豈傳うること無けんや。○此れ當に于征伐商の下に在るべし。

△恭天成命。肆予東征、綏厥士女。惟其士女、篚厥玄黃、昭我周王。天休震動、用附我大邑周。成命、黜商之定命也。篚、竹器。玄黃、色幣也。敬奉天之定命。故我東征、安其士女。士女喜周之來、筐篚盛其玄黃之幣、明我周王之德者、是蓋天休之所震動。故民用歸附我大邑周也。或曰、玄黃、天地之色。篚厥玄黃者、明我周王有天地之德也。○此當在其承厥志之下。
【読み】
△天の成命を恭む。肆[ゆえ]に予れ東征して、厥の士女を綏んず。惟れ其の士女、厥の玄黃を篚にして、我が周王を昭らかにす。天休震動して、用て我が大邑周に附く。成命は、商を黜くの定命なり。篚は、竹器。玄黃は、色幣なり。敬みて天の定命を奉く。故に我れ東征して、其の士女を安んず。士女周の來るを喜びて、筐篚に其の玄黃の幣を盛り、我が周王の德を明らかにする者は、是れ蓋し天休の震動する所。故に民用て我が大邑周に歸附するなり。或ひと曰く、玄黃は、天地の色。厥の玄黃を篚にする者は、我が周王天地を有つの德を明らかにするなり、と。○此れ當に其承厥志の下在るべし。

△惟爾有神、尙克相予、以濟兆民、無作神羞。旣戊午、師渡孟津。癸亥、陳于商郊、俟天休命。甲子昧爽、受率其旅若林、會于牧野。罔有敵于我師。前徒倒戈、攻于後以北。血流漂杵。一戎衣、天下大定。乃反商政、政由舊。釋箕子囚、封比干墓、式商容閭。散鹿臺之財、發鉅橋之粟。大賚于四海、而萬姓悅服。散、先諫反。○休命、勝商之命也。武王頓兵商郊。雍容不迫、以待紂師之至而克之。史臣謂之俟天休命、可謂善形容者矣。若林、卽詩所謂其會如林者。紂衆雖有如林之盛、然皆無有肯敵我師之志。紂之前徒倒戈、反攻其在後之衆以走、自相屠戮、遂至血流漂杵。史臣指其實而言之。蓋紂衆離心離德、特刧於勢、而未敢動耳。一旦因武王弔伐之師、始乘機投隙、奮其怨怒、反戈相戮。其酷烈遂至如此。亦足以見紂積怨于民、若是其甚。而武王之兵、則蓋不待血刃也、此所以一被兵甲、而天下遂大定乎。乃者、繼事之辭。反紂之虐政、由商先王之舊政也。式、車前橫木。有所敬則俯而憑之。商容、商之賢人。閭、族居里門也。賚、予也。武王除殘去暴、顯忠遂良、賑窮賙乏、澤及天下、天下之人、皆心悅而誠服之。帝王世紀云、殷民言、王之於仁人也、死者猶封其墓。況生者乎。王之於賢人也、亡者猶表其閭。況存者乎。王之於財也、聚者猶散之。況其復籍之乎。唐孔氏曰、是爲悅服之事。○此當在罔不率俾之下。
【読み】
△惟れ爾神有らば、尙わくは克く予を相けて、以て兆民を濟[すく]いて、神の羞を作すこと無けん、と。旣に戊午、師孟津を渡る。癸亥、商郊に陳ねて、天の休命を俟つ。甲子の昧爽、受其の旅を率いて林の若く、牧野に會す。我が師に敵[あた]ること有る罔し。前徒戈を倒[さかしま]にし、後を攻めて以て北[に]ぐ。血流れて杵を漂わす。一たび戎衣して、天下大いに定まる。乃ち商の政を反して、政舊きに由る。箕子が囚を釋[ゆる]し、比干が墓を封じ、商容が閭に式す。鹿臺の財を散じ、鉅橋の粟を發[ひら]く。大いに四海に賚して、萬姓悅服す。散は、先諫反。○休命は、商に勝つの命なり。武王兵を商郊に頓す。雍容として迫らず、以て紂が師の至るを待ちて之に克つ。史臣之を天の休命を俟つと謂うは、善く形容する者と謂う可し。林の若しとは、卽ち詩に所謂其の會すること林の如しという者なり。紂が衆林の如きの盛んなること有りと雖も、然れども皆肯えて我が師に敵するの志有ること無し。紂が前徒は戈を倒にし、反って其の後に在るの衆を攻めて以て走り、自ら相屠戮して、遂に血流れて杵を漂わすに至る。史臣其の實を指して之を言う。蓋し紂が衆の離心離德、特に勢いに刧かされて、未だ敢えて動かざるのみ。一旦武王弔伐の師に因りて、始めて機に乘じ隙に投じて、其の怨怒を奮い、戈を反して相戮す。其の酷烈遂に此の如きに至る。亦以て紂が怨みを民に積むこと、是の若く其れ甚だしきを見るに足れり。而して武王の兵は、則ち蓋し刃に血ぬることを待たざれば、此れ一たび兵甲を被りて、天下遂に大いに定まる所以か。乃ちとは、事を繼ぐの辭なり。紂の虐政を反して、商の先王の舊政に由るなり。式は、車前の橫木。敬する所有るときは則ち俯して之に憑[よ]る。商容は、商の賢人なり。閭は、族居の里門なり。賚は、予うるなり。武王殘を除き暴を去り、忠を顯らかにして良を遂げ、窮を賑し乏を賙し、澤天下に及び、天下の人、皆心悅して誠に服す。帝王世紀に云う、殷の民言く、王の仁人に於るや、死する者も猶其の墓を封ず。況んや生ける者をや。王の賢人に於るや、亡ぶる者も猶其の閭を表す。況んや存する者をや。王の財に於るや、聚まる者も猶之を散ず。況んや其れ復之を籍せんや、と。唐の孔氏が曰く、是れ悅服の事爲り、と。○此れ當に罔不率俾の下に在るべし。

△列爵惟五、分土惟三。建官惟賢、位事惟能。重民五敎、惟食・喪・祭。惇信明義、崇德報功。垂拱而天下治。列爵惟五、公・侯・伯・子・男也。分土惟三、公侯百里、伯七十里、子男五十里之三等也。建官惟賢、不肖者不得進。位事惟能、不才者不得任。五敎、君臣・父子・夫婦・兄弟・長幼、五典之敎也。食以養生、喪以送死、祭以追遠。五敎三事、所以立人紀而厚風俗、聖人之所甚重焉者。惇、厚也。厚其信、明其義、信義立而天下無不勵之俗。有德者尊之以官、有功者報之以賞。官賞行而天下無不勸之善。夫分封有法、官使有要。五敎修而三事舉。信義立而官賞行。武王於此復何爲哉。垂衣拱手、而天下自治矣。史臣述武王政治之本末、言約而事博也如此哉。○此當在大邑周之下。而上猶有缺文。按此篇編簡錯亂、先後失序。今考正其文于後。
【読み】
△爵を列ぬること惟れ五つ、土を分かつこと惟れ三つ。官を建つること惟れ賢をし、位の事は惟れ能をす。民の五敎を重んず、惟れ食・喪・祭をさえ。信を惇くし義を明らかにし、德を崇び功を報ゆ。垂れ拱[こまね]いて天下治まる。爵を列ぬること惟れ五つとは、公・侯・伯・子・男なり。土を分かつこと惟れ三つとは、公侯は百里、伯は七十里、子男は五十里の三等なり。官を建つること惟れ賢をすとは、不肖者は進むことを得ざるなり。位の事は惟れ能をすとは、不才者は任ずることを得ざるなり。五敎は、君臣・父子・夫婦・兄弟・長幼、五典の敎えなり。食は以て生を養い、喪は以て死を送り、祭は以て遠きを追う。五敎三事は、人紀を立てて風俗を厚くする所以、聖人の甚だ重んずる所の者なり。惇は、厚きなり。其の信を厚くし、其の義を明らかにするときは、信義立ちて天下勵まざるの俗無し。德有る者は之を尊ぶに官を以てし、功有る者は之を報ゆるに賞を以てす。官賞行われて天下勸まざるの善無し。夫れ分封に法有り、官使に要有り。五敎修めて三事舉ぐ。信義立ちて官賞行わる。武王此に於て復何をかせんや。衣を垂れ手を拱いて、天下自ずから治まる。史臣の武王の政治の本末を述ぶる、言は約にして事博きこと此の如きかな。○此れ當に大邑周の下に在るべし。而して上に猶缺文有らん。按ずるに此の篇の編簡錯亂して、先後序を失う。今其の文を後に考え正す。

今考定武成
【読み】
今考え定むる武成

惟一月壬辰、旁死魄。越翼日癸巳、王朝步自周、于征伐商。
【読み】
惟れ一月の壬辰[みずのえ・たつ]、死魄に旁[ちか]し。越[ここ]において翼日の癸巳[みずのと・み]に、王朝に周より步[ゆ]いて、于[ここ]に商を征伐す。

厎商之罪、告于皇天后土、所過名山大川曰、惟有道曾孫周王發、將有大正于商。今商王受無道、暴殄天物、害虐烝民。爲天下逋逃主、萃淵藪。予小子、旣獲仁人。敢祗承上帝、以遏亂略。華夏蠻貊、罔不率俾。
【読み】
商の罪を厎して、皇天后土、過ぐる所の名山大川に告して曰く、惟れ有道の曾孫周王發、將に大いに商を正すこと有らんとす。今商王受無道、天物を暴[そこな]い殄[た]ち、烝民を害い虐[やぶ]る。天下の逋逃の主と爲りて、淵藪に萃[あつ]まる。予れ小子、旣に仁人を獲たり。敢えて祗みて上帝に承けて、以て亂略を遏[とど]む。華夏蠻貊まで、率い俾[したが]わざる罔し。

惟爾有神、尙克相予、以濟兆民、無作神羞。旣戊午、師渡孟津。癸亥、陳于商郊、俟天休命。甲子昧爽、受率其旅若林、會于牧野。罔有敵于我師。前徒倒戈、攻于後以北。血流漂杵。一戎衣、天下大定。乃反商政、政由舊。釋箕子囚、封比干墓、式商容閭。散鹿臺之財、發鉅橋之粟。大賚于四海、而萬姓悅服。
【読み】
惟れ爾神有らば、尙わくは克く予を相けて、以て兆民を濟[すく]いて、神の羞を作すこと無けん、と。旣に戊午、師孟津を渡る。癸亥、商郊に陳ねて、天の休命を俟つ。甲子の昧爽、受其の旅を率いて林の若く、牧野に會す。我が師に敵[あた]ること有る罔し。前徒戈を倒[さかしま]にし、後を攻めて以て北[に]ぐ。血流れて杵を漂わす。一たび戎衣して、天下大いに定まる。乃ち商の政を反して、政舊きに由る。箕子が囚を釋[ゆる]し、比干が墓を封じ、商容が閭に式す。鹿臺の財を散じ、鉅橋の粟を發[ひら]く。大いに四海に賚して、萬姓悅服す。

厥四月哉生明、王來自商、至于豐。乃偃武修文、歸馬于華山之陽、放牛于桃林之野。示天下弗服。
【読み】
厥の四月の哉[さい]生明、王商より來りて、豐に至る。乃ち武を偃[ふ]し文を修めて、馬を華山の陽[みなみ]に歸[はな]ち、牛を桃林の野に放つ。天下に服[もち]いざるを示す。

旣生魄、庶邦冢君、曁百工、受命于周。
【読み】
旣に生魄、庶邦の冢君、曁[およ]び百工、命を周に受く。

丁未、祀于周廟。邦・甸・侯・衛、駿奔走執豆籩。越三日庚戌、柴望大告武成。
【読み】
丁未[ひのと・ひつじ]、周の廟を祀る。邦・甸[でん]・侯・衛、駿[と]く奔り走りて豆籩を執る。越[ここ]において三日庚戌[かのえ・いぬ]、柴望して大いに武きことの成れるを告ぐ。

王若曰、嗚呼羣后、惟先王建邦啓土。公劉克篤前烈。至于太王、肇基王跡。王季其勤王家。我文考文王、克成厥勳。誕膺天命、以撫方夏。大邦畏其力、小邦懷其德。惟九年大統未集。予小子、其承厥志。
【読み】
王若[か]く曰く、嗚呼羣后、惟れ先王邦を建て土を啓く。公劉克く前烈を篤くす。太王に至りて、肇めて王跡を基す。王季其れ王家を勤めたり。我が文考の文王、克く厥の勳を成せり。誕[おお]いに天の命に膺[あた]りて、以て方夏を撫でたり。大邦は其の力を畏れ、小邦は其の德に懷く。惟れ九年まで大統未だ集[な]らず。予れ小子、其れ厥の志を承[つ]げり。

恭天成命。肆予東征、綏厥士女。惟其士女、篚厥玄黃、昭我周王。天休震動、用附我大邑周。
【読み】
天の成命を恭む。肆[ゆえ]に予れ東征して、厥の士女を綏んず。惟れ其の士女、厥の玄黃を篚にして、我が周王を昭らかにす。天休震動して、用て我が大邑周に附く、と。

列爵惟五、分土惟三。建官惟賢、位事惟能。重民五敎、惟食・喪・祭。惇信明義、崇德報功。垂拱而天下治。
【読み】
爵を列ぬること惟れ五つ、土を分かつこと惟れ三つ。官を建つること惟れ賢をし、位の事惟れ能をす。民の五敎を重んず、惟れ食・喪・祭をさえ。信を惇くし義を明らかにし、德を崇び功を報ゆ。垂れ拱[こまね]いて天下治まる。

按劉氏・王氏・程子、皆有改正次序、今參考定讀如此。大略集諸家所長。獨四月・生魄・丁未・庚戌一節、今以上文及漢志日辰推之、其序當如此耳。疑先儒以王若曰、宜繫受命于周之下。故以生魄在丁未・庚戌之後。蓋不知生魄之日、諸侯百工雖來請命、而武王以未祭祖宗、未告天地、未敢發命。故且命以助祭。乃以丁未・庚戌、祀于郊廟、大告武功之成、而後始告諸侯。上下之交、神人之序、固如此也。劉氏謂、予小子其承厥志之下、當有缺文。以今考之、固所宜有。而程子從恭天成命以下三十四字、屬于其下、則已得其一節、而用附我大邑周之下。劉氏所謂缺文、猶當有十數語也。蓋武王革命之初、撫有區夏、宜有退託之辭、以示不敢遽當天命、而求助於諸侯、且以致其交相警勑之意、略如湯誥之文。不應但止自序其功而已也。列爵惟五以下、又史官之詞、非武王之語。讀者詳之。
【読み】
按ずるに劉氏・王氏・程子、皆次序を改め正すこと有り、今參考とし定め讀むこと此の如し。大略諸家の長とする所を集む。獨り四月・生魄・丁未・庚戌の一節は、今上の文及び漢志の日辰を以て之を推すに、其の序は當に此の如くなるべきのみ。疑うらくは先儒王若曰を以て、宜しく受命于周の下に繫ぐべし、と。故に生魄を以て丁未・庚戌の後に在り。蓋し知らず、生魄の日、諸侯百工來りて命を請くと雖も、而れども武王未だ祖宗を祭らず、未だ天地に告げざるを以て、未だ敢えて命を發せず。故に且つ命じて以て祭を助けしむ。乃ち丁未・庚戌を以て、郊廟を祀り、大いに武功の成れるを告して、而して後に始めて諸侯に告ぐ。上下の交わり、神人の序、固に此の如けん。劉氏が謂く、予小子其承厥志の下に、當に缺文有るべし、と。今を以て之を考うるに、固に宜しく有るべき所なり。而れども程子が恭天成命以下の三十四字に從いて、其の下に屬くるときは、則ち已に其の一節を得て、用て我大邑周の下に附す。劉氏が所謂缺文は、猶當に十數語有るべし。蓋し武王命を革むるの初め、區夏を撫有するに、宜しく退託の辭有るべくして、以て敢えて遽に天命に當たらずして、助けを諸侯に求むることを示し、且つ以て其の交々相警め勑[いまし]むるの意を致すこと、略湯誥の文の如し。但に自ら其の功を序ずるに止まる應からざるのみ。列爵惟五以下は、又史官の詞にて、武王の語に非ず。讀者之を詳らかにせよ。


洪範 漢志曰、禹治洪水、錫洛書。法而陳之。洪範是也。史記武王克殷、訪問箕子以天道。箕子以洪範陳之。按篇内、曰而曰汝者、箕子告武王之辭。意洪範發之於禹。箕子推衍增益以成篇歟。今文古文皆有。
【読み】
洪範[こうはん] 漢志に曰く、禹洪水を治めて、洛書を錫う。法りて之を陳ぬ。洪範是れなり。史記に武王殷に克ちて、箕子に訪い問うに天道を以てす。箕子洪範を以て之を陳ぬ。篇の内を按ずるに、而と曰い汝と曰う者は、箕子武王に告ぐるの辭なり。意うに洪範は之を禹に發す。箕子推衍增益して以て篇を成すか。今文古文皆有り。


惟十有三祀、王訪于箕子。商曰祀、周曰年。此曰祀者、因箕子之辭也。箕子嘗言、商其淪喪、我罔爲臣僕。史記亦載、箕子陳洪範之後、武王封于朝鮮、而不臣也。蓋箕子不可臣、武王亦遂其志、而不臣之也。訪、就而問之也。箕、國名。子、爵也。○蘇氏曰、箕子之不臣周也、而曷爲爲武王陳洪範也。天以是道畀之禹、傳至於我。不可使自我而絕。以武王而不傳、則天下無可傳者矣。故爲箕子之道者、傳道則可。仕則不可。
【読み】
惟れ十有三祀に、王箕子に訪う。商には祀と曰い、周には年と曰う。此れ祀と曰うは、箕子の辭に因るなり。箕子嘗て言う、商其れ淪喪せば、我れ臣僕爲ること罔けん、と。史記に亦載す、箕子洪範を陳ぬるの後、武王朝鮮に封じて、臣とせず、と。蓋し箕子は臣たる可からず、武王も亦其の志を遂げて、之を臣とせざるなり。訪は、就いて之を問うなり。箕は、國の名。子は、爵なり。○蘇氏が曰く、箕子が周に臣たらず、而も曷爲れぞ武王の爲に洪範を陳ぬるや。天是の道を以て之を禹に畀[あた]え、傳えて我に至る。我よりして絕やしむ可からず。武王を以て傳えずんば、則ち天下に傳う可き者無し、と。故に箕子が道を爲むる者は、道を傳うるは則ち可なり。仕うるは則ち不可なり。

△王乃言曰、嗚呼箕子、惟天陰騭下民、相協厥居。我不知其彝倫攸敍。騭、職日反。相、去聲。○乃言者、難辭。重其問也。箕子稱舊邑爵者、方歸自商、未新封爵也。騭、定。協、合。彝、常。倫、理也。所謂秉彝人倫也。武王之問蓋曰、天於冥冥之中、默有以安定其民、輔相保合其居止、而我不知其彝倫之所以敍者如何也。
【読み】
△王乃ち言いて曰く、嗚呼箕子、惟れ天陰[くら]きより下民を騭[さだ]めて、厥の居を相[たす]け協えり。我れ其彝倫の敍たる攸を知らず、と。騭[しつ]は、職日反。相は、去聲。○乃ち言うとは、難ずる辭。其の問いを重んずるなり。箕子舊邑の爵を稱するは、方に商より歸して、未だ新たに封爵せざればなり。騭は、定む。協は、合う。彝は、常。倫は、理なり。所謂秉彝は人倫なり。武王の問いは蓋し曰く、天冥冥の中に於て、默して以て其の民を安んじ定め、輔け相けて其の居止を保ち合わすこと有りて、我れ其の彝倫の敍たる所以の者如何というを知らず、と。

△箕子乃言曰、我聞在昔鯀陻洪水、汨陳其五行。帝乃震怒、不畀洪範九疇。彝倫攸斁。鯀則殛死、禹乃嗣興。天乃錫禹洪範九疇。彝倫攸敍。陻、音因。汨、音骨。斁、音妬。○乃言者、重其答也。陻、塞。汨、亂。陳、列。畀、與。洪、大。範、法。疇、類。斁、敗。錫、賜也。帝以主宰言、天以理言也。洪範九疇、治天下之大法、其類有九。卽下文初一至次九者。箕子之答蓋曰、洪範九疇原出於天。鯀逆水性、汨陳五行。故帝震怒、不以與之。此彝倫之所以敗也。禹順水之性、地平天成。故天出書于洛。禹別之以爲洪範九疇。此彝倫之所以敍也。彝倫之敍、卽九疇之所敘者也。○按孔氏曰、天與禹神龜。負文而出。列於背有數至九。禹遂因而第之、以成九類。易言、河出圖、洛出書。聖人則之。蓋治水功成、洛龜呈瑞。如簫韻奏而鳳儀。春秋作而麟至、亦其理也。世傳戴九履一、左三右七、二四爲肩、六八爲足。則洛書之數也。
【読み】
△箕子乃ち言いて曰く、我れ聞く在昔[むかし]鯀洪水を陻[ふさ]いで、其の五行を陳ぬるを汨[みだ]る。帝乃ち震怒して、洪範九疇を畀[あた]えず。彝倫の斁[やぶ]れたる攸なり。鯀をば則ち殛[つみ]し死[ころ]し、禹をば乃ち嗣ぎ興[た]たしむ。天乃ち禹に洪範九疇を錫う。彝倫の敍たる攸なり。陻[いん]は、音因。汨は、音骨。斁[と]は、音妬。○乃ち言うとは、其の答えを重んずるなり。陻は、塞ぐ。汨は、亂る。陳は、列ぬる。畀は、與う。洪は、大い。範は、法。疇は、類。斁は、敗る。錫は、賜うなり。帝は主宰を以て言い、天は理を以て言うなり。洪範九疇は、天下を治むるの大法、其の類は九つ有り。卽ち下の文初めの一より次の九に至る者なり。箕子の答えは蓋し曰う、洪範九疇は原天より出づ。鯀水性に逆いて、五行を陳ぬるを汨る。故に帝震怒して、以て之に與えず。此れ彝倫の敗れたる所以なり。禹水の性に順いて、地平らぎ天成る。故に天書を洛に出だす。禹之を別ちて以て洪範九疇とす。此れ彝倫の敍たる所以なり、と。彝倫の敍は、卽ち九疇の敘ずる所の者なり。○按ずるに孔氏が曰く、天禹に神龜を與う。文を負いて出づ。背に列ぬるに數有りて九に至る。禹遂に因りて之を第[つい]で、以て九類を成す、と。易に言う、河圖を出だず、洛書を出だす。聖人之に則る、と。蓋し水を治むるの功成りて、洛龜瑞を呈す。簫韻奏じて鳳儀するが如し。春秋作りて麟至るも、亦其の理なり。世に傳う、九を戴き一を履み、左は三右は七、二四は肩と爲り、六八は足と爲る、と。則ち洛書の數なり。

△初一曰、五行。次二曰、敬用五事。次三曰、農用八政。次四曰、協用五紀。次五曰、建用皇極。次六曰、乂用三德。次七曰、明用稽疑。次八曰、念用庶徵。次九曰、嚮用五福、威用六極。此九疇之綱也。在天惟五行、在人惟五事。以五事參五行。天人合矣。八政者、人之所以因乎天。五紀者、天之所以示乎人。皇極者、君之所以建極也。三德者、治之所以應變也。稽疑者、以人而聽於天也。庶徵者、推天而徵之人也。福極者、人感而天應也。五事曰敬、所以誠身也。八政曰農、所以厚生也。五紀曰協、所以合天也。皇極曰建、所以立極也。三德曰乂、所以治民也。稽疑曰明、所以辨惑也。庶徵曰念、所以省驗也。五福曰嚮、所以勸也。六極曰威、所以懲也。五行不言用、無適而非用也。皇極不言數、非可以數明也。本之以五行、敬之以五事、厚之以八政、協之以五紀、皇極之所以建也。乂之以三德、明之以稽疑、驗之以庶徵、勸懲之以福極、皇極之所以行也。人君治天下之法、是孰有加於此哉。
【読み】
△初めの一に曰く、五行。次の二に曰く、敬むに五事を用ゆ。次の三に曰く、農に八政を用ゆ。次の四に曰く、協うるに五紀を用ゆ。次の五に曰く、建つるに皇極を用ゆ。次の六に曰く、乂[おさ]むるに三德を用ゆ。次の七に曰く、明らかにするに稽疑を用ゆ。次の八に曰く、念うに庶徵を用ゆ。次の九に曰く、嚮[たっと]ぶるに五福を用い、威すに六極を用ゆ。此れ九疇の綱なり。天に在りては惟れ五行、人に在りては惟れ五事。五事を以て五行に參ゆ。天人合うなり。八政は、人の天に因る所以。五紀は、天の人に示す所以。皇極は、君の極を建つる所以なり。三德は、治の變に應ずる所以なり。稽疑は、人を以てして天に聽くなり。庶徵は、天を推して之を人に徵[しる]すなり。福極は、人感じて天應ずるなり。五事に敬を曰うは、身を誠にする所以なり。八政に農を曰うは、生を厚くする所以なり。五紀に協を曰うは、天に合する所以なり。皇極に建を曰うは、極を立つる所以なり。三德に乂を曰うは、民を治むる所以なり。稽疑に明を曰うは、惑いを辨ずる所以なり。庶徵に念を曰うは、省み驗[かえり]みる所以なり。五福に嚮を曰うは、勸むる所以なり。六極に威を曰うは、懲らす所以なり。五行に用を言わざるは、適くとして用に非ざること無し。皇極に數を言わざるは、數を以て明かす可きに非ざるなり。之を本づくるに五行を以てし、之を敬むに五事を以てし、之を厚くするに八政を以てし、之を協うるに五紀を以てするは、皇極の建つる所以なり。之を乂むるに三德を以てし、之を明らかにするに稽疑を以てし、之を驗みるに庶徵を以てし、之を勸懲するに福極を以てするは、皇極の行わるる所以なり。人君天下を治むるの法、是れ孰か此に加うこと有らんや。

△一五行。一曰水、二曰火、三曰木、四曰金、五曰土。水曰潤下、火曰炎上、木曰曲直、金曰從革、土爰稼穡。潤下作鹹、炎上作苦、曲直作酸、從革作辛、稼穡作甘。此下九疇之目也。水・火・木・金・土者、五行之生序也。天一生水、地二生火、天三生木、地四生金、天五生土。唐孔氏曰、萬物成形、以微著爲漸。五行先後、亦以微著爲次。五行之體、水最微爲一、火漸著爲二、木形實爲三、金體固爲四、土質大爲五。潤下・炎上・曲直・從革、以性言也。稼穡、以德言也。潤下者、潤而又下也。炎上者、炎而又上也。曲直者、曲而又直也。從革者、從而又革也。稼穡者、稼而又穡也。稼穡獨以德言者、土兼五行、無正位。無成性、而其生之德、莫盛於稼穡。故以稼穡言也。稼穡不可以爲性也。故不曰曰而曰爰。爰、於也。於是稼穡而已。非所以名也。作、爲也。鹹・苦・酸・辛・甘者、五行之味也。五行有聲色氣味、而獨言味者、以其切於民用也。
【読み】
△一には五行。一に曰く水、二に曰く火、三に曰く木、四に曰く金、五に曰く土。水を潤下と曰い、火を炎上と曰い、木を曲直と曰い、金を從革と曰い、土は爰に稼穡あり。潤下は鹹[しおから]きを作し、炎上は苦きを作し、曲直は酸きを作し、從革は辛きを作し、稼穡は甘きを作す。此より下は九疇の目なり。水・火・木・金・土は、五行の生れる序なり。天一水を生し、地二火を生し、天三木を生し、地四金を生し、天五土を生す。唐の孔氏が曰く、萬物形を成すに、微著を以て漸を爲す。五行の先後も、亦微著を以て次を爲す。五行の體は、水最も微にして一と爲り、火漸く著れて二と爲り、木の形は實して三と爲り、金の體は固くして四と爲り、土の質は大いにして五と爲る、と。潤下・炎上・曲直・從革は、性を以て言う。稼穡は、德を以て言う。潤下は、潤いて又下るなり。炎上は、炎じて又上るなり。曲直は、曲りて又直きなり。從革は、從いて又革むるなり。稼穡は、稼して又穡するなり。稼穡獨り德を以て言う者は、土は五行を兼ねて、正位無し。成性無くして、其の生の德は、稼穡より盛んなるは莫し。故に稼穡を以て言えり。稼穡は以て性とす可からず。故に曰くと曰わずして爰と曰う。爰は、於てなり。是に於て稼穡するのみ。名づくる所以に非ず。作は、爲すなり。鹹・苦・酸・辛・甘は、五行の味なり。五行に聲色氣味有りて、獨り味を言うは、其の民用に切なるを以てなり。

△二五事。一曰貌、二曰言、三曰視、四曰聽、五曰思。貌曰恭、言曰從、視曰明、聽曰聰、思曰睿。恭作肅、從作乂、明作哲、聰作謀、睿作聖。睿、兪芮反。○貌・言・視・聽・思者、五事之敍也。貌、澤水也。言、揚火也。視、散木也。聽、收金也。思、通土也。亦人事發見先後之敍。人始生、則形色具矣。旣生、則聲音發矣。旣又而後能視、而後能聽、而後能思也。恭・從・明・聰・睿者、五事之德也。恭者、敬也。從者、順也。明者、無不見也。聰者、無不聞也。睿者、通乎微也。肅・乂・哲・謀・聖者、五德之用也。肅者、嚴整也。乂者、條理也。哲者、智也。謀者、度也。聖者、無不通也。
【読み】
△二には五事。一に曰く貌、二に曰く言、三に曰く視、四に曰く聽、五に曰く思。貌には恭と曰い、言には從と曰い、視には明と曰い、聽には聰と曰い、思には睿と曰う。恭は肅を作し、從は乂を作し、明は哲を作し、聰は謀を作し、睿は聖を作す。睿は、兪芮反。○貌・言・視・聽・思は、五事の敍なり。貌は、澤[うるお]える水なり。言は、揚がれる火なり。視は、散ずる木なり。聽は、收むる金なり。思は、通ずる土なり。亦人事發見先後の敍なり。人始めて生るときは、則ち形色具わる。旣に生れるときは、則ち聲音發す。旣に又而して後に能く視て、而して後に能く聽いて、而して後に能く思うなり。恭・從・明・聰・睿は、五事の德なり。恭は、敬なり。從は、順なり。明は、見ざること無きなり。聰は、聞かざること無きなり。睿は、微に通ずるなり。肅・乂・哲・謀・聖は、五德の用なり。肅は、嚴整なり。乂は、條理なり。哲は、智なり。謀は、度なり。聖は、通ぜざること無きなり。

△三八政。一曰食、二曰貨、三曰祀、四曰司空、五曰司徒、六曰司寇、七曰賓、八曰師。食者、民之所急。貨者、民之所資。故食爲首、而貨次之。食貨、所以養生也。祭祀、所以報本也。司空掌土。所以安其居也。司徒掌敎。所以成其性也。司寇掌禁。所以治其姦也。賓者、禮諸侯遠人。所以往來交際也。師者、除殘禁暴也。兵非聖人之得已。故居末也。
【読み】
△三には八政。一に曰く食、二に曰く貨、三に曰く祀、四に曰く司空、五に曰く司徒、六に曰く司寇、七に曰く賓、八に曰く師。食は、民の急にする所。貨は、民の資する所。故に食を首めとして、貨は之に次ぐ。食貨は、生を養う所以なり。祭祀は、本を報ゆる所以なり。司空は土を掌る。其の居を安んずる所以なり。司徒は敎えを掌る。其の性を成す所以なり。司寇は禁を掌る。其の姦を治むる所以なり。賓は、諸侯遠人を禮す。往來交際する所以なり。師は、殘を除き暴を禁ずるなり。兵は聖人の已むことを得るに非ず。故に末に居くなり。

△四五紀。一曰歲、二曰月、三曰日、四曰星辰、五曰曆數。歲者、序四時也。月者、定晦朔也。日者、正躔度也。星、經星緯星也。辰、日月所會十二次也。曆數者、占步之法。所以紀歲・月・日・星辰也。
【読み】
△四には五紀。一に曰く歲、二に曰く月、三に曰く日、四に曰く星辰、五に曰く曆數。歲は、四時を序ずるなり。月は、晦朔を定むるなり。日は、躔度[てんど]を正すなり。星は、經星緯星なり。辰は、日月會する所の十二次なり。曆數は、占步の法。歲・月・日・星辰を紀する所以なり。

△五皇極。皇建其有極、斂時五福、用敷錫厥庶民。惟時厥庶民、于汝極、錫汝保極。皇、君。建、立也。極、猶北極之極。至極之義、標準之名。中立而四方之所取正焉者也。言人君當盡人倫之至。語父子則極其親、而天下之爲父子者、於此取則焉。語夫婦則極其別、而天下之爲夫婦者、於此取則焉。語兄弟則極其愛、而天下爲兄弟者、於此取則焉。以至一事一物之接、一言一動之發、無不極其義理之當然、而無一毫過不及之差、則極建矣。極者、福之本。福者、極之效。極之所建、福之所集也。人君集福於上、非厚其身而已。用敷其福、以與庶民、使人人觀感而化、所謂敷錫也。當時之民、亦皆於君之極、與之保守、不敢失墜、所謂錫保也。言皇極君民、所以相與者如此也。
【読み】
△五には皇極。皇其の有極を建て、時[こ]の五福を斂め、用て厥の庶民に敷き錫う。惟れ時の厥の庶民、汝の極に于て、汝に錫えて極を保んぜん。皇は、君。建は、立つるなり。極は、猶北極の極のごとし。至極の義、標準の名。中立にして四方の正を取る所の者なり。言うこころは、人君は當に人倫の至りを盡くすべし。父子を語るときは則ち其の親を極めて、天下の父子爲る者、此に於て則を取る。夫婦を語るときは則ち其の別を極めて、天下の夫婦爲る者、此に於て則を取る。兄弟を語るときは則ち其の愛を極めて、天下の兄弟爲る者、此に於て則を取る。以て一事一物の接、一言一動の發に至るまで、其の義理の當然を極めざること無くして、一毫の過不及の差い無きときは、則ち極建つ。極は、福の本。福は、極の效。極の建つ所は、福の集まる所なり。人君の福を上に集むるは、其の身を厚くするに非ざるのみ。用て其の福を敷いて、以て庶民に與え、人人をして觀感して化せしむるは、所謂敷き錫うなり。當時の民、亦皆君の極に於て、之に與えて保んじ守りて、敢えて失墜せざるは、所謂錫え保んずるなり。言うこころは、皇極の君民、相與うる所以の者此の如し。

△凡厥庶民、無有淫朋、人無有比德、惟皇作極。淫朋、邪黨也。人、有位之人。比德、私相比附也。言庶民與有位之人、而無淫朋比德者、惟君爲之極、而使之有所取正耳。重言君不可以不建極也。
【読み】
△凡そ厥の庶民、淫朋有ること無く、人比德有ること無きは、惟れ皇極を作せばなり。淫朋は、邪黨なり。人は、位に有るの人。比德は、私に相比附するなり。言うこころは、庶民と有位の人と、而して淫朋比德無き者は、惟君之が極を爲して、之をして正を取る所有らしむるのみ。重ねて君以て極を建てずんばある可からざることを言えり。

△凡厥庶民、有猷有爲有守、汝則念之。不協于極、不罹于咎、皇則受之。而康而色、曰予攸好德、汝則錫之福。時人斯其惟皇之極。此、言庶民也。有猷、有謀慮者。有爲、有施設者。有守、有操守者。是三者、君之所當念也。念之者、不忘之也。帝念哉之念。不協于極、未合於善也。不罹于咎、不陷於惡也。未合於善、不陷於惡、所謂中人也。進之則可與爲善。棄之則流於惡。君之所當受也。受之者、不拒之也。歸斯受之之受。念之受之、隨其才、而輕重以成就之也。見於外而有安和之色、發於中而有好德之言。汝於是則錫之以福。而是人斯其惟皇之極矣。福者、爵祿之謂。或曰、錫福、卽上文斂福錫民之福、非自外來也。曰祿亦福也。上文指福之全體而言。此則爲福之一端而發。苟謂非祿之福、則於下文于其無好德、汝雖錫之福、其作汝用咎、爲不通矣。
【読み】
△凡そ厥の庶民、猷[はか]ること有りすること有り守ること有らば、汝則ち之を念え。極に協わざれども、咎に罹[かか]らざるをば、皇則ち之を受けよ。而[なんじ]康んじ而[しか]く色ありて、予が好む攸は德なりと曰わば、汝則ち之に福を錫え。時の人は斯れ其れ惟れ皇の極なり。此は、庶民を言うなり。猷ること有りとは、謀慮有る者。すること有りとは、施設有る者。守ること有りとは、操守有る者。是の三つの者は、君の當に念うべき所なり。之を念えとは、之を忘れざれとなり。帝念えやの念なり。極に協わずとは、未だ善に合わざるなり。咎に罹らずとは、惡に陷らざるなり。未だ善に合わず、惡に陷らざるは、所謂中人なり。之を進むるときは則ち與に善を爲す可し。之を棄つるときは則ち惡に流る。君の當に受くべき所なり。之を受くとは、之を拒まざるなり。歸せば斯れ之を受くの受なり。之を念い之を受け、其の才に隨いて、輕重して以て之を成就す。外に見て安和の色有り、中に發して德を好むの言有り。汝是に於て則ち之に錫うに福を以てせよ。而して是の人は斯れ其れ惟れ皇の極なり。福は、爵祿の謂。或ひと曰く、福を錫うとは、卽ち上の文の福を斂め民に錫うの福にて、外より來るに非ず。祿と曰うも亦福なり。上の文は福の全體を指して言う。此は則ち福の一端と爲して發す。苟も祿の福に非ずと謂うは、則ち下の文の其の德を好みすること無きに于て、汝之に福を錫うと雖も、其れ汝咎を用ゆると作さんというに於て、通ぜずとす、と。

△無虐煢獨、而畏高明。煢獨、庶民之至微者也。高明、有位之尊顯者也。各指其甚者而言。庶民之至微者、有善則當勸勉之。有位之尊顯者、有不善則當懲戒之。此結上章而起下章之義。
【読み】
△煢獨[けいどく]を虐[し]いること無くして、高明を畏れしめよ。煢獨は、庶民の至微なる者なり。高明は、有位の尊顯なる者なり。各々其の甚だしき者を指して言う。庶民の至微なる者、善有るときは則ち當に之を勸め勉むべし。有位の尊顯なる者、不善有るときは則ち當に之を懲戒すべし。此れ上の章を結びて下の章の義を起こすなり。

△人之有能有爲、使羞其行。而邦其昌。凡厥正人、旣富方穀。汝弗能使有好于而家、時人斯其辜。于其無好德、汝雖錫之福、其作汝用咎。此言有位者也。有能、有才智者。羞、進也。使進其行、則官使者皆賢才、而邦國昌盛矣。正人者、在官之人。如康誥所謂惟厥正人者。富、祿之也。穀、善也。在官之人、有祿可仰、然後可責其爲善。廩祿不繼、衣食不給、不能使其和好于而家、則是人將陷於罪戾矣。於其不好德之人、而與之以祿、則爲汝用咎惡之人也。此言祿以與賢、不可及惡德也。必富之而後責其善者、聖人設敎、欲中人以上皆可能也。
【読み】
△人の能くすること有りすること有るをば、其の行いを羞[すす]めしめよ。而して邦其れ昌んなり。凡そ厥の正人は、旣に富みて方に穀[よ]くせよ。汝而[なんじ]の家に好有らしむること能わずんば、時[こ]の人斯れ其れ辜[つみ]あらん。其の德を好みすること無きに于て、汝之に福を錫うと雖も、其れ汝咎を用ゆると作さん。此は有位の者を言うなり。能くすること有りとは、才智有る者なり。羞は、進むなり。其の行いを進めしむるときは、則ち官使の者皆賢才にして、邦國昌盛なり。正人は、官に在るの人。康誥に所謂惟れ厥の正人という者の如し。富は、之を祿するなり。穀は、善なり。官に在るの人、祿有りて仰ぐ可く、然して後に其の善をすることを責む可し。廩祿繼がず、衣食給せず、其をして而の家に和好せしむること能わざれば、則ち是の人將に罪戾に陷らんとす。其の德を好みせざるの人に於て、之に與うるに祿を以てするときは、則ち汝咎惡を用ゆるの人と爲るなり。此れ言うこころは、祿は以て賢に與えて、惡德に及ぼす可からず。必ず之を富まして而して後に其の善を責むる者は、聖人の敎えを設くる、中人以上は皆能くす可きことを欲してなり。

△無偏無陂、遵王之義。無有作好、遵王之道。無有作惡、遵王之路。無偏無黨、王道蕩蕩。無黨無偏、王道平平。無反無側、王道正直。會其有極、歸其有極。偏、不中也。陂、不平也。作好作惡、好惡加之意也。黨、不公也。反、倍常也。側、不正也。偏・陂・好・惡、己私之生於心也。偏・黨・反・側、己私之見於事也。王之義、王之道、王之路、皇極之所由行也。蕩蕩、廣遠也。平平、平易也。正直、不偏邪也。皇極正大之體也。遵義、遵道、遵路、會其極也。蕩蕩・平平・正直、歸其極也。會者、合而來也。歸者、來而至也。此章蓋詩之體、所以使人吟詠、而得其情性者也。夫歌詠以協其音、反復以致其意。戒之以私、而懲創其邪思、訓之以極、而感發其善性。諷詠之閒、恍然而悟、悠然而得。忘其傾斜狹小之念、達乎公平廣大之理、人欲消熄、天理流行、會極歸極、有不知其所以然而然者。其功用深切、與周禮太師敎以六詩者、同一機而尤要者也。後世此意不傳、皇極之道、其不明於天下也宜哉。
【読み】
△偏と無く陂と無く、王の義に遵え。好を作すこと有る無く、王の道に遵え。惡を作すこと有る無く、王の路に遵え。偏無く黨無きときは、王道蕩蕩たり。黨無く偏無きときは、王道平平たり。反無く側無きときは、王道正しく直し。其の有極に會いて、其の有極に歸[おもむ]く。偏は、不中なり。陂は、不平なり。好を作し惡を作すは、好惡之に加うるの意なり。黨は、不公なり。反は、常に倍[そむ]くなり。側は、正しからざるなり。偏・陂・好・惡は、己私の心に生ずるなり。偏・黨・反・側は、己私の事に見るなり。王の義、王の道、王の路は、皇極の由りて行わる所なり。蕩蕩は、廣遠なり。平平は、平易なり。正直は、偏邪ならざるなり。皇極正大の體なり。義に遵い、道に遵い、路に遵うは、其の極に會するなり。蕩蕩・平平・正直は、其の極に歸するなり。會は、合わせ來るなり。歸は、來りて至るなり。此の章は蓋し詩の體にて、人をして吟詠して、其の情性を得せしむる所以の者なり。夫れ歌詠して以て其の音に協え、反復して以て其の意を致す。之を戒むるに私を以てして、其の邪思を懲創し、之を訓ゆるに極を以てして、其の善性を感發す。諷詠の閒、恍然として悟り、悠然として得。其の傾斜狹小の念いを忘れ、公平廣大の理に達し、人欲消熄し、天理流行して、極に會し極に歸し、其の然る所以を知らずして然る者有り。其の功用深切にして、周禮の太師敎ゆるに六詩を以てする者と、同一機にして尤も要なる者なり。後世此の意傳わらず、皇極の道、其れ天下に明らかならざること宜なるかな。

△曰、皇極之敷言、是彝是訓、于帝其訓。曰、起語辭。敷言、上文敷衍之言也。言人君以極之理、而反復推衍爲言者、是天下之常理、是天下之大訓。非君之訓也。天之訓也。蓋理出乎天。言純乎天、則天之言矣。此贊敷言之妙如此。
【読み】
△曰く、皇極の敷言は、是れ彝[つね]是れ訓えにして、帝に于て其れ訓えなり。曰くは、語を起こすの辭なり。敷言は、上の文の敷衍の言なり。言うこころは、人君極の理を以て、反復推衍して言を爲す者は、是れ天下の常理なり、是れ天下の大訓なり。君の訓えに非ず。天の訓えなり。蓋し理は天より出づ。言天に純らなるときは、則ち天の言なり。此れ敷言の妙を贊すること此の如し。

△凡厥庶民、極之敷言、是訓是行、以近天子之光。曰、天子作民父母、以爲天下王。光者、道德之光華也。天子之於庶民、性一而已。庶民於極之敷言、是訓是行、則可以近天子道德之光華也。曰者、民之辭。謂之父母者、指其恩育而言。親之之意。謂之王者、指其君長而言。尊之之意。言天子恩育君長乎我者、如此其至也。言民而不言人者、舉小以見大也。
【読み】
△凡そ厥の庶民、極の敷言、是れ訓え是れ行うときは、以て天子の光に近づく。曰く、天子は民の父母作り、以て天下の王爲り、と。光は、道德の光華なり。天子の庶民に於る、性は一なるのみ。庶民の極の敷言に於る、是れ訓え是れ行うときは、則ち以て天子道德の光華に近づく可し。曰くとは、民の辭なり。之を父母と謂うは、其の恩育を指して言う。之を親とするの意なり。之を王と謂うは、其の君長を指して言う。之を尊ぶの意なり。言うこころは、天子の恩育ありて我に君長たる者、此の如く其れ至れり。民と言いて人と言わざるは、小を舉げて以て大を見すなり。

△六三德。一曰正直、二曰剛克、三曰柔克。平康正直、彊弗友剛克、燮友柔克。沈潛剛克、高明柔克。克、治。友、順。燮、和也。正直・剛・柔、三德也。正者無邪。直者無曲。剛克・柔克者、威福予奪、抑揚進退之用也。彊弗友者、彊梗弗順者也。燮友者、和柔委順者也。沈潛者、沈深潛退、不及中者也。高明者、高亢明爽、過乎中者也。蓋習俗之偏、氣稟之過者也。故平康正直、無所事乎矯拂。無爲而治是也。彊弗友剛克、以剛克剛也。燮友柔克、以柔克柔也。沈潛剛克、以剛克柔也。高明柔克、以柔克剛也。正直之用一、而剛柔之用四也。聖人撫世酬物、因時制宜。三德乂用、陽以舒之、陰以斂之。執其兩端、用其中于民。所以納天下民俗於皇極者蓋如此。
【読み】
△六には三德。一に曰く正直、二に曰く剛克、三に曰く柔克。平らかに康ければ正しく直きをし、彊くして友[したが]わざれば剛く克[おさ]め、燮[やわ]らぎ友わば柔らかに克む。沈み潛めるは剛く克め、高ぶり明らかなれば柔らかに克む。克は、治む。友は、順う。燮[しょう]は、和らぐなり。正直・剛・柔は、三德なり。正は邪無し。直は曲無し。剛克・柔克は、威福予奪、抑揚進退の用なり。彊くして友わずとは、彊梗にして順わざる者なり。燮らぎ友うとは、和柔委順なる者なり。沈み潛むとは、沈深潛退して、中に及ばざる者なり。高ぶり明らかとは、高亢明爽にして、中に過ぎたる者なり。蓋し習俗の偏、氣稟の過ぎたる者なり。故に平康は正直にして、矯拂を事とする所無し。無爲にして治むるとは是れなり。彊くして友わざれば剛く克むとは、剛を以て剛を克むるなり。燮らぎ友わば柔らかに克むとは、柔を以て柔を克むるなり。沈み潛めるは剛く克むとは、剛を以て柔を克むるなり。高ぶり明らかなれば柔らかに克むとは、柔を以て剛を克むるなり。正直の用は一つにして、剛柔の用は四つなり。聖人世を撫し物に酬ゆるは、時に因りて宜しきを制す。三德乂め用ゆること、陽以て之を舒べ、陰以て之を斂む。其の兩端を執りて、其の中を民に用ゆ。天下の民俗を皇極に納むる所以の者蓋し此の如し。

△惟辟作福、惟辟作威、惟辟玉食。臣無有作福作威玉食。福・威者、上之所以御下。玉食者、下之所以奉上也。曰惟辟者、戒其權不可下移。曰無有者、戒其臣不可上僭也。
【読み】
△惟れ辟福を作し、惟れ辟威を作し、惟れ辟玉食す。臣は福を作し威を作し玉食すること有る無し。福・威は、上の下を御する所以。玉食は、下の上に奉ずる所以なり。惟れ辟と曰うは、其の權下に移す可からざるを戒む。有る無しと曰うは、其の臣上僭す可からざるを戒むるなり。

△臣之有作福作威玉食、其害于而家、凶于而國。人用側頗僻、民用僭忒。忒、惕德反。○頗、不平也。僻、不公也。僭、踰。忒、過也。臣而僭上之權、則大夫必害于而家、諸侯必凶于而國。有位者、固側頗僻而不安其分、小民者、亦僭忒而踰越其常。甚言人臣僭上之患如此。
【読み】
△臣の福を作し威を作し玉食すること有るときは、其れ而[なんじ]の家に害あり、而の國に凶あり。人用て側頗僻にして、民用て僭忒[せんとく]す。忒は、惕德反。○頗は、不平なり。僻は、不公なり。僭は、踰ゆ。忒は、過[たが]うなり。臣として上の權を僭するときは、則ち大夫は必ず而の家に害あり、諸侯は必ず而の國に凶あり。有位の者は、固に側頗僻にして其の分に安んぜず、小民は、亦僭忒して其の常を踰越す。甚だ人臣僭上の患えを言うこと此の如し。

△七稽疑。擇建立卜筮人、乃命卜筮。稽、考也。有所疑、則卜筮以考之。龜曰卜、蓍曰筮。蓍龜者、至公無私。故能紹天之明。卜筮者、亦必至公無私、而後能傳蓍龜之意。必擇是人而建立之、然後使之卜筮也。
【読み】
△七には疑わしきを稽[かんが]う。擇びて卜筮の人を建て立てて、乃ち卜筮を命ず。稽は、考うなり。疑う所有るを、則ち卜筮して以て之を考う。龜を卜と曰い、蓍を筮と曰う。蓍龜は、至公にして私無し。故に能く天の明を紹[つ]ぐ。卜筮は、亦必ず至公にして私無くして、而して後に能く蓍龜の意を傳う。必ず是の人を擇びて之を建立して、然して後に之をして卜筮せしむるなり。

△曰雨、曰霽、曰蒙、曰驛、曰克。此卜兆也。雨者、如雨。其兆爲水。霽者、開霽。其兆爲火。蒙者、蒙昧。其兆爲木。驛者、絡驛不屬。其兆爲金。克者、交錯有相勝之意。其兆爲士。
【読み】
△曰く雨、曰く霽[せい]、曰く蒙、曰く驛、曰く克。此れ卜の兆なり。雨は、雨の如し。其の兆は水爲り。霽は、開霽。其の兆は火爲り。蒙は、蒙昧。其の兆は木爲り。驛は、絡驛して屬かず。其の兆は金爲り。克は、交錯して相勝るの意有り。其の兆は士爲り。

△曰貞、曰悔。此占卦也。内卦爲貞、外卦爲悔。左傳蠱之貞風、其悔山、是也。又有以遇卦爲貞、之卦爲悔。國語貞屯、悔豫、皆八、是也。
【読み】
△曰く貞、曰く悔。此は占卦なり。内卦を貞とし、外卦を悔とす。左傳に蠱の貞は風、其の悔は山というは、是れなり。又遇卦を以て貞とし、之卦を悔とすること有り。國語に貞は屯、悔は豫、皆八というは、是れなり。

△凡七。卜五。占用二。衍忒。凡七、雨・霽・蒙・驛・克・貞・悔也。卜五、雨・霽・蒙・驛・克也。占二、貞・悔也。衍、推。忒、過也。所以推人事之過差也。
【読み】
△凡そ七つ。卜は五つ。占は二つを用ゆ。忒[たが]えるを衍[お]す。凡そ七つとは、雨・霽・蒙・驛・克・貞・悔なり。卜は五つとは、雨・霽・蒙・驛・克なり。占は二つとは、貞・悔なり。衍は、推す。忒[とく]は、過うなり。人事の過差を推す所以なり。

△立時人作卜筮。三人占、則從二人之言。凡卜筮必立三人、以相參考。舊說卜有玉兆・瓦兆・原兆、筮有連山・歸藏・周易者非是。謂之三人、非三卜筮也。
【読み】
△時[こ]の人を立てて卜筮を作さしむ。三人占えば、則ち二人の言に從う。凡そ卜筮は必ず三人を立てて、以て相參え考う。舊說に卜に玉兆・瓦兆・原兆有り、筮に連山・歸藏・周易の者有りとは是に非ず。之を三人と謂うは、三つの卜筮に非ず。

△汝則有大疑、謀及乃心、謀及卿士、謀及庶人、謀及卜筮。汝則從、龜從、筮從、卿士從、庶民從。是之謂大同。身其康彊、子孫其逢吉。汝則從、龜從、筮從、卿士逆、庶民逆、吉。卿士從、龜從、筮從、汝則逆、庶民逆、吉。庶民從、龜從、筮從、汝則逆、卿士逆、吉。汝則從、龜從、筮逆、卿士逆、庶民逆、作内吉、作外凶。龜筮共違于人、用靜吉、用作凶。稽疑以龜筮爲重。人與龜筮皆從、是之謂大同。固吉也。人一從而龜筮不違者、亦吉。龜從筮逆、則可作内、不可作外。内謂祭祀等事。外謂征伐等事。龜筮共違、則可靜、不可作。靜謂守常。作謂動作也。然有龜從筮逆、而無筮從龜逆者、龜尤聖人所重也。故禮記大事卜、小事筮。傳謂筮短龜長是也。自夫子贊易、極著蓍卦之德。蓍重而龜書不傳云。
【読み】
△汝則ち大いなる疑い有らば、謀乃の心に及ぼし、謀卿士に及ぼし、謀庶人に及ぼし、謀卜筮に及ぼせ。汝則ち從い、龜從い、筮從い、卿士從い、庶民從う。是れ之を大同と謂う。身其れ康く彊くして、子孫其れ吉に逢わん。汝則ち從い、龜從い、筮從わば、卿士逆い、庶民逆うとも、吉。卿士從い、龜從い、筮從わば、汝則ち逆い、庶民逆うとも、吉。庶民從い、龜從い、筮從わば、汝則ち逆い、卿士逆うとも、吉。汝則ち從い、龜從い、筮逆い、卿士逆い、庶民逆わば、内に作すに吉、外に作すに凶。龜筮共に人に違わば、靜なるに用ゆるに吉、作[うご]くに用ゆるに凶。疑わしきを稽うるは龜筮を以て重しとす。人と龜筮と皆從う、是を之れ大同と謂う。固に吉なり。人一り從いて龜筮も違わざる者も、亦吉なり。龜從い筮逆うときは、則ち内に作す可く、外に作す可からず。内とは祭祀等の事を謂う。外とは征伐等の事を謂う。龜筮共に違うときは、則ち靜なる可く、作く可からず。靜とは常を守るを謂う。作とは動作を謂うなり。然れども龜從いて筮逆うこと有りて、筮從いて龜逆うこと無きは、龜は尤も聖人の重んずる所なればなり。故に禮記に大事は卜し、小事は筮す、と。傳に謂ゆる筮は短く龜は長しとは是れなり。夫子易を贊してより、極めて蓍卦の德を著す。蓍重くして龜書傳わらずと云う。

△八庶徵。曰雨、曰暘、曰燠、曰寒、曰風。曰時。五者來備、各以其敍、庶草蕃廡。徵、驗也。廡、豐茂。所驗者非一。故謂之庶徵。雨・暘・燠・寒・風、各以時至。故曰時也。備者、無鈌少也。敍者、應節候也。五者備而不失其敍、庶草且蕃廡矣、則其他可知也。雨屬水、暘屬火、燠屬木、寒屬金、風屬土。吳仁傑曰、易以坎爲水。北方之卦也。又曰、雨以潤之、則雨爲水矣。離爲火。南方之卦也。又曰、日以烜之、則暘爲火矣。小明之詩首章云、我征徂西。二月初吉。三章云、昔我往矣、日月方燠。夫以二月爲燠、則燠之爲春爲木明矣。漢志引狐突金寒之言。顏師古謂、金行在西。故謂之寒。則寒之爲秋爲金明矣。又按稽疑以雨屬水、以霽屬火。霽、暘也。則庶徵雨之爲水、暘之爲火、類例抑又甚明。蓋五行乃生數自然之敍。五事則本於五行。庶徵則本於五事。其條理次第、相爲貫通、有秩然而不可紊亂者也。
【読み】
△八には庶徵。曰く雨、曰く暘、曰く燠[いく]、曰く寒、曰く風。曰く時あり。五つの者來り備わりて、各々其の敍を以てすれば、庶草蕃廡[ばんぶ]す。徵は、驗なり。廡は、豐かに茂る。驗す所の者は一に非ず。故に之を庶徵と謂う。雨・暘・燠・寒・風、各々時を以て至る。故に時と曰うなり。備は、鈌少[けつしょう]無きなり。敍は、節候に應ずるなり。五つの者備わりて其の敍を失わず、庶草且つ蕃廡するときは、則ち其の他も知る可し。雨は水に屬し、暘は火に屬し、燠は木に屬し、寒は金に屬し、風は土に屬す。吳仁傑が曰く、易に坎を以て水とす。北方の卦なり、と。又曰く、雨以て之を潤すときは、則ち雨を水とす。離を火とす。南方の卦なり、と。又曰く、日以て之を烜[かわ]かすときは、則ち暘を火とす、と。小明の詩の首めの章に云う、我れ征いて西に徂く。二月初吉なり、と。三章に云う、昔我が往くとき、日月方に燠なり、と。夫れ二月を以て燠とするときは、則ち燠の春と爲り木と爲ること明らかなり。漢志に狐突が金は寒の言を引く。顏師古が謂く、金行西に在り。故に之を寒と謂う、と。則ち寒の秋と爲り金と爲ること明らかなり。又按ずるに稽疑に雨を以て水に屬し、霽を以て火に屬す。霽は、暘なり。則ち庶徵に雨の水爲る、暘の火爲ること、類例抑々又甚だ明らかなり。蓋し五行は乃ち生數自然の敍。五事は則ち五行に本づく。庶徵は則ち五事に本づく。其の條理次第、貫通を相爲し、秩然として紊亂す可からざる者有り。

△一極備凶。一極無凶。極備、過多也。極無、過少也。唐孔氏曰、雨多則澇。雨少則旱。是極備亦凶。極無亦凶。餘准是。
【読み】
△一つも極まり備わるときは凶。一つも極まり無きときは凶。極まり備わるは、過多なり。極まり無しは、過少なり。唐の孔氏が曰く、雨多きときは則ち澇す。雨少なきときは則ち旱す。是れ極まり備わるも亦凶。極まり無きも亦凶。餘は是に准[なぞら]う。

△曰休徵。曰肅、時雨若。曰乂、時暘若。曰哲、時燠若。曰謀、時寒若。曰聖、時風若。曰咎徵。曰狂、恆雨若。曰僭、恆暘若。曰豫、恆燠若。曰急、恆寒若。曰蒙、恆風若。狂、妄。僭、差。豫、怠。急、迫。蒙、昧也。在天爲五行、在人爲五事。五事修、則休徵各以類應之。五事失、則咎徵各以類應之。自然之理也。然必曰某事得則某休徵應、某事失則某咎徵應、則亦膠固不通、而不足與語造化之妙矣。天人之際、未易言也。失得之機、應感之微、非知道者、孰能識之哉。
【読み】
△曰く休徵。曰く肅めるときは、時に雨若[したが]う。曰く乂まるときは、時に暘若う。曰く哲なるときは、時に燠若う。曰く謀るときは、時に寒若う。曰く聖なるときは、時に風若う。曰く咎徵。曰く狂[みだ]れるときは、恆に雨若う。曰く僭[たが]うときは、恆に暘若う。曰く豫[おこた]るときは、恆に燠若う。曰く急[せま]るときは、恆に寒若う。曰く蒙[くら]きときは、恆に風若う。狂は、妄る。僭は、差う。豫は、怠る。急は、迫る。蒙は、昧きなり。天に在りては五行と爲り、人に在りては五事と爲る。五事修むるときは、則ち休徵各々類を以て之に應ず。五事失うときは、則ち咎徵各々類を以て之に應ず。自然の理なり。然れども必ず某の事得るときは則ち某の休徵應じ、某の事失うときは則ち某の咎徵應ずと曰わば、則ち亦膠固[こうこ]して通ぜず、而も與に造化の妙を語るに足らず。天人の際は、未だ言い易からざるなり。失得の機、應感の微、道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らんや。

△曰王省惟歲。卿士惟月。師尹惟日。歲・月・日、以尊卑爲徵也。王者之失得、其徵以歲。卿士之失得、其徵以月。師尹之失得、其徵以日。蓋雨・暘・燠・寒・風、五者之休咎、有係一歲之利害、有係一月之利害、有係一日之利害。各以其大小言也。
【読み】
△曰く王省みること惟れ歲をす。卿士は惟れ月をす。師尹は惟れ日をす。歲・月・日は、尊卑を以て徵を爲すなり。王者の失得は、其の徵歲を以てす。卿士の失得は、其の徵月を以てす。師尹の失得は、其の徵日を以てす。蓋し雨・暘・燠・寒・風、五つの者の休咎は、一歲の利害に係ること有り、一月の利害に係ること有り、一日の利害に係ること有り。各々其の大小を以て言うなり。

△歲・月・日時無易、百穀用成。乂用明、俊民用章、家用平康。歲・月・日三者、雨・暘・燠・寒・風不失其時、則其效如此。休徵所感也。
【読み】
△歲・月・日時に易わること無きときは、百穀用て成る。乂めて用て明らかなるときは、俊民用て章らかに、家用て平らかに康し。歲・月・日の三つ者、雨・暘・燠・寒・風其の時を失わざるときは、則ち其の效此の如し。休徵の感ずる所なり。

△日・月・歲時旣易、百穀用不成。乂用昏不明、俊民用微、家用不寧。日・月・歲三者、雨・暘・燠・寒・風旣失其時、則其害如此。咎徵所致也。休徵言歲・月・日者、總於大也。咎徵言日・月・歲者、著其小也。
【読み】
△日・月・歲時に旣に易わるときは、百穀用て成らず。乂めて用て昏くして明らかならざるときは、俊民用て微[すこ]しくして、家用て寧らかず。日・月・歲の三つ者、雨・暘・燠・寒・風旣に其の時を失うときは、則ち其の害此の如し。咎徵の致す所なり。休徵に歲・月・日を言うは、大を總ぶ。咎徵に日・月・歲を言うは、其の小を著すなり。

△庶民惟星。星有好風、星有好雨。日月之行、則有冬有夏。月之從星、則以風雨。民之麗乎土、猶星之麗乎天也。好風者箕星、好雨者畢星。漢志言、軫星亦好雨。意者星宿皆有所好也。日有中道、月有九行。中道者、黃道也。北至東井、去極近。南至牽牛、去極遠。東至角、西至婁、去極中、是也。九行者、黑道二。出黃道北。赤道二。出黃道南。白道二。出黃道西。靑道二。出黃道東。幷黃道爲九行也。日極南至于牽牛、則爲冬至。極北至于東井、則爲夏至。南北中、東至角、西至婁、則爲春秋分。月立春春分從靑道、立秋秋分從白道、立冬冬至從黑道、立夏夏至從赤道。所謂日月之行、則有冬有夏也。月行東北入于箕、則多風。月行西南入于畢、則多雨。所謂月之從星、則以風雨也。民不言省者、庶民之休咎、係乎上人之得失。故但以月之從星、以見所以從民之欲者如何爾。夫民生之衆、寒者欲衣、飢者欲食。鰥寡孤獨者之欲得其所、此王政之所先、而卿士師尹近民者之責也。然星雖有好風好雨之異、而日月之行、則有冬有夏之常。以月之常行、而從星之異好。以卿士師尹之常職、而從民之異欲、則其從民者、非所以徇民矣。言日月而不言歲者、有冬有夏、所以成歲功也。言月而不言日者、從星惟月爲可見耳。
【読み】
△庶民は惟れ星のごとし。星風を好む有り、星雨を好む有り。日月の行くときは、則ち冬有り夏有り。月の星に從うときは、則ち以て風ふき雨ふる。民の土に麗[つ]くは、猶星の天に麗くがごとし。風を好む者は箕星、雨を好む者は畢星。漢志に言く、軫星[しんせい]も亦雨を好む、と。意うに星宿には皆好む所有り。日に中道有り、月に九行有り。中道は、黃道なり。北は東井に至り、極を去ること近し。南は牽牛に至り、極を去ること遠し。東は角に至り、西は婁に至り、極を去ること中ばなりというは、是れなり。九行は、黑道二つ。黃道の北に出づ。赤道二つ。黃道の南に出づ。白道二つ。黃道の西に出づ。靑道二つ。黃道の東に出づ。黃道を幷せて九行とす。日極南牽牛に至るときは、則ち冬至爲り。極北東井に至るときは、則ち夏至爲り。南北の中ば、東は角に至り、西は婁に至るときは、則ち春秋分爲り。月立春春分には靑道に從い、立秋秋分には白道に從い、立冬冬至には黑道に從い、立夏夏至には赤道に從う。所謂日月の行くときは、則ち冬有り夏有るなり。月行東北して箕に入るときは、則ち風多し。月行西南して畢に入るときは、則ち雨多し。所謂月の星に從うときは、則ち以て風ふき雨ふるなり。民に省ることを言わざるは、庶民の休咎は、上人の得失に係る。故に但月の星に從うを以て、以て民の欲に從う所以の者如何と見るのみ。夫れ民生の衆、寒き者は衣を欲し、飢えたる者は食を欲す。鰥寡孤獨の者の其の所に得んと欲するは、此れ王政の先んずる所にして、卿士師尹民に近き者の責なり。然れども星風を好み雨を好むの異なり有りと雖も、而して日月の行は、則ち冬有り夏有るの常あり。月の常行を以て、而して星の異好に從う。卿士師尹の常職を以て、而して民の異欲に從うときは、則ち其の民に從う者、民に徇う所以に非ず。日月を言いて歲を言わざるは、冬有り夏有り、歲功を成す所以なり。月を言いて日を言わざるは、星に從うときは惟れ月見る可しとするのみ。

△九五福。一曰壽、二曰富、三曰康寧、四曰攸好德、五曰考終命。人有壽而後能享諸福。故壽先之。富者有廩祿也。康寧者、無患難也。攸好德者、樂其道也。考終命者、順受其正也。以福之急緩爲先後。
【読み】
△九には五福。一に曰く壽、二に曰く富、三に曰く康らかに寧んず、四に曰く好む攸德、五に曰く考[お]いて命を終う。人壽有りて而して後に能く諸の福を享く。故に壽之を先にす。富は廩祿有るなり。康寧は、患難無きなり。攸好德は、其の道を樂しむなり。考終命は、順にして其の正を受くるなり。福の急緩を以て先後を爲す。

△六極。一曰凶短折、二曰疾、三曰憂、四曰貧、五曰惡、六曰弱。凶者、不得其死也。短折者、橫天也。禍莫大於凶短折。故先言之。疾者、身不安也。憂者、心不寧也。貧者、用不足也。惡者、剛之過也。弱者、柔之過也。以極之重輕爲先後。五福・六極、在君則係於極之建不建、在民人則由於訓之行不行。感應之理微矣。
【読み】
△六極。一に曰く凶短折、二に曰く疾、三に曰く憂、四に曰く貧、五に曰く惡、六に曰く弱、と。凶は、其の死を得ざるなり。短折は、橫天なり。禍いは凶短折より大なるは莫し。故に先ず之を言う。疾は、身の安からざるなり。憂は、心の寧からざるなり。貧は、用の足らざるなり。惡は、剛の過ぐるなり。弱は、柔の過ぐるなり。極の重輕を以て先後を爲す。五福・六極は、君に在りては則ち極の建不建に係り、民人に在りては則ち訓えの行不行に由る。感應の理微なり。


旅獒 西旅貢獒。召公以爲非所當受。作書以戒武王。亦訓體也。因以旅獒名篇。今文無、古文有。
【読み】
旅獒[りょごう] 西旅獒を貢[たてまつ]る。召公以爲えらく、當に受くべき所に非ず、と。書を作りて以て武王を戒む。亦訓の體なり。因りて旅獒を以て篇に名づく。今文無し、古文有り。


惟克商、遂通道于九夷八蠻。西旅厎貢厥獒。太保乃作旅獒、用訓于王。獒、牛刀反。○九夷八蠻、多之稱也。職方言、四夷八蠻。爾雅言、九夷八蠻。但言其非一而已。武王克商之後、威德廣被、九州之外、蠻夷戎狄、莫不梯山航海而至。曰通道云者、蓋蠻夷來王、則道路自通。非武王有意於開四夷而斥大境土也。西旅、西方蠻夷國名。犬高四尺曰獒。按說文曰、犬知人心可使者。公羊傳曰、晉靈公欲殺趙盾。盾躇階而走。靈公呼獒而屬之。獒亦躇階而從之、則獒能曉解人意、猛而善搏人者、異於常犬、非特以其高大也。太保、召公奭也。史記云、與周同姓、姬氏。此旅獒之本序。
【読み】
惟れ商に克ちて、遂に道を九夷八蠻に通す。西旅厥の獒[ごう]を厎し貢[たてまつ]る。太保乃ち旅獒を作りて、用て王を訓ゆ。獒は、牛刀反。○九夷八蠻は、多きの稱なり。職方に言く、四夷八蠻、と。爾雅に言く、九夷八蠻、と。但其の一に非ざるを言うのみ。武王商に克つの後、威德廣く被[おお]い、九州の外、蠻夷戎狄まで、山に梯し海に航して至らざる莫し。曰く道を通すと云うは、蓋し蠻夷來王するときは、則ち道路自ずから通ず。武王四夷を開いて斥[さ]して境土を大いにする意有るに非ず。西旅は、西方蠻夷の國の名。犬の高さ四尺を獒と曰う。說文を按ずるに曰く、犬の人の心を知りて使う可き者なり、と。公羊傳に曰く、晉の靈公趙盾を殺さんと欲す。盾階を躇[こ]えて走る。靈公獒を呼びて之に屬かしむ。獒も亦階を躇えて之に從うときは、則ち獒は能く人の意を曉り解[と]いて、猛くして善く人を搏[う]つ者にて、常の犬に異なり、特に其の高大なるを以てするに非ず。太保は、召公奭なり。史記に云う、周と同姓、姬氏、と。此れ旅獒の本序なり。

△曰、嗚呼明王愼德。四夷咸賓。無有遠邇、畢獻方物。惟服食器用。謹德、蓋一篇之綱領也。方物、方土所生之物。明王謹德、四夷咸賓。其所貢獻、惟服食器用而已。言無異物也。
【読み】
△曰く、嗚呼明王德を愼む。四夷咸賓す。遠邇有る無く、畢く方物を獻る。惟れ服食器用あり。德を謹むは、蓋し一篇の綱領なり。方物は、方土生ずる所の物なり。明王德を謹んで、四夷咸賓す。其の貢獻する所は、惟れ服食器用のみ。言うこころは、異物無きなり。

△王乃昭德之致于異姓之邦、無替厥服、分寶玉于伯叔之國、時庸展親。人不易物、惟德其物。昭、示也。德之致、謂上文所貢方物也。昭示方物于異姓之諸侯、使之無廢其職、分寶玉于同姓之諸侯、使之益厚其親。如分陳以肅愼氏之矢、分魯以夏后氏之璜之類。王者以其德所致方物、分賜諸侯。故諸侯亦不敢軽易其物、而以德視其物也。
【読み】
△王乃ち德の致すことを異姓の邦に昭らかにして、厥の服[こと]を替[す]つること無からしめ、寶玉を伯叔の國に分かちて、時[こ]れ庸[もっ]て親しきを展[あつ]くす。人物を易[あなど]らず、惟れ其の物を德とす。昭は、示すなり。德の致すこととは、上の文の貢る所の方物を謂うなり。方物を異姓の諸侯に昭示して、之をして其の職を廢つること無からしめ、寶玉を同姓の諸侯に分かちて、之をして益々其の親しきを厚くせしむ。陳に分かつに肅愼氏の矢を以てし、魯に分わつに夏后氏の璜を以てするの類の如し。王者其の德の致す所の方物を以て、諸侯に分かち賜う。故に諸侯も亦敢えて其の物を軽易せずして、德を以て其の物を視るなり。

△德盛不狎侮。狎侮君子、罔以盡人心。狎侮小人、罔以盡其力。盡、子忍反。○德盛、則動容周旋皆中禮。然後能無狎侮之心。言謹德不可不極其至也。德而未至、則未免有狎侮之心。狎侮君子、則色斯舉矣。彼必高蹈遠引、望望然而去。安能盡其心。狎侮小人、雖其微賤畏威易役、然至愚而神。亦安能盡其力哉。
【読み】
△德盛んなるときは狎れ侮らず。君子を狎れ侮るときは、以て人の心を盡くすこと罔し。小人を狎れ侮るときは、以て其の力を盡くすこと罔し。盡は、子忍反。○德盛んなるときは、則ち動容周旋皆禮に中る。然して後に能く狎れ侮るの心無し。言うこころは、德を謹んで其の至りを極めずんばある可からざるなり。德にして未だ至らざるときは、則ち未だ狎れ侮るの心有るを免れず。君子を狎れ侮るときは、則ち色のままに斯れ舉す。彼必ず高く蹈み遠く引いて、望望然として去る。安んぞ能く其の心を盡くさん。小人を狎れ侮るときは、其れ微賤にして威を畏れ役し易しと雖も、然れども至愚にして神なり。亦安んぞ能く其の力を盡くさんや。

△不役耳目、百度惟貞。貞、正也。不役於耳目之所好、百爲之度、惟其正而已。
【読み】
△耳目に役[つか]われざるときは、百度惟れ貞し。貞は、正なり。於耳目の好む所に役われずんば、百之が度と爲りて、惟れ其れ正しきのみ。

△玩人喪德。玩物喪志。玩人、卽上文狎侮君子之事。玩物、卽上文不役耳目之事。德者、己之所得。志者、心之所之。
【読み】
△人を玩ぶときは德を喪う。物を玩ぶときは志を喪う。人を玩ぶとは、卽ち上の文の君子を狎れ侮るの事。物を玩ぶとは、卽ち上の文の耳目に役われざるの事なり。德は、己の得る所。志は、心の之く所なり。

△志以道寧。言以道接。道者、所當由之理也。己之志以道而寧、則不至於妄發。人之言以道而接、則不至於妄受。存乎中者、所以應乎外。制乎外者、所以養其中。古昔聖賢相授心法也。
【読み】
△志は道を以て寧し。言は道を以て接わる。道は、當に由るべき所の理なり。己の志道を以て寧きときは、則ち妄りに發するに至らず。人の言道を以て接わるときは、則ち妄りに受くるに至らず。中に存する者は、外に應ずる所以。外に制する者は、其の中を養う所以なり。古昔聖賢相授の心法なり。

△不作無益害有益、功乃成。不貴異物賤用物、民乃足。犬馬非其土性不畜、珍禽奇獸、不育于國、不寶遠物、則遠人格。所寶惟賢、則邇人安。孔氏曰、遊觀爲無益、奇巧爲異物。蘇氏曰、周穆王得白狐白鹿、而荒服因以不至。此章凡三節、至所寶惟賢、則益切至矣。
【読み】
△無益を作して有益を害せざれば、功乃ち成る。異物を貴びて用物を賤しまざれば、民乃ち足る。犬馬其の土性に非ざれば畜[か]わず、珍禽奇獸、國に育[か]わず、遠物を寶とせざれば、則ち遠人格る。寶とする所惟れ賢なれば、則ち邇人安し。孔氏が曰く、遊觀を無益とし、奇巧を異物とす、と。蘇氏が曰く、周の穆王白狐白鹿を得て、荒服因りて以て至らず、と。此の章凡て三節、寶とする所惟れ賢に至りて、則ち益々切に至れり。

△嗚呼夙夜罔或不勤。不矜細行、終累大德。爲山九仞、功虧一簣。或、猶言萬一也。呂氏曰、此卽謹德工夫。或之一字、最有意味。一暫止息、則非謹德矣。矜、矜持之矜。八尺曰仞。細行・一簣、指受獒而言也。
【読み】
△嗚呼夙夜勤めざること或る罔かれ。細行を矜[たも]たざれば、終に大德を累[わずら]わす。山を爲ること九仞、功一簣に虧く。或は、猶萬一と言うがごとし。呂氏が曰く、此れ卽ち德を謹むの工夫。或の一字は、最も意味有り。一暫も止息するときは、則ち德を謹むに非ず、と。矜は、矜持の矜。八尺を仞と曰う。細行・一簣は、獒を受くるを指して言うなり。

△允迪茲、生民保厥居、惟乃世王。信能行此、則生民保其居、而王業可永也。蓋人主一身、實萬化之原。苟於理有毫髪之不盡、卽遺生民無窮之害、而非創業垂統可繼之道矣。以武王之聖、召公所以警戒之者如此。後之人君、可不深思而加念之哉。
【読み】
△允に茲を迪[ふ]むときは、生民厥の居に保んじて、惟れ乃ち世々王たり、と。信に能く此を行うときは、則ち生民其の居に保んじて、王業永かる可し。蓋し人主の一身は、實に萬化の原。苟も理に於て毫髪の盡くさざること有るときは、卽ち生民に無窮の害を遺して、業を創め統を垂れ繼ぐ可きの道に非ず。武王の聖を以てすら、召公警め戒むる所以の者此の如し。後の人君、深く思いて之を念うことを加えざる可けんや。


金縢 縢、徒登反。○武王有疾、周公以王室未安、殷民未服、根本易搖、故請命三王、欲以身代武王之死。史錄其册祝之文、幷敍其事之始末、合爲一篇。以其藏於金縢之匱、編書者因以金縢名篇。今文古文皆有。○唐孔氏曰、發首至王季文王、史敍將告神之事也。史乃册祝至屛壁與珪、託告神之辭也。自乃卜至乃瘳、記卜吉及王病瘳之事也。自武王旣喪已下、記周公流言居東、及成王迎歸之事也。
【読み】
金縢[きんとう] 縢は、徒登反。○武王疾有り、周公王室未だ安からず、殷民未だ服せず、根本搖ぎ易きを以て、故に命を三王に請いて、身を以て武王の死に代わらんと欲す。史其の册祝の文を錄し、幷せて其の事の始末を敍べ、合わせて一篇とす。其の金縢の匱に藏するを以て、書を編む者因りて金縢を以て篇に名づく。今文古文皆有り。○唐の孔氏が曰く、發首より王季文王に至るまでは、史將に神に告げんとするの事を敍ぶ。史乃册祝屛壁與珪に至るまでは、神に告ぐるの辭を託す。乃卜より乃瘳に至るまでは、卜吉及び王の病瘳[い]ゆるの事を記す。武王旣喪より已下は、周公流言せられて東に居り、及び成王迎えて歸するの事を記す、と。


旣克商二年、王有疾弗豫。記年、見其克商之未久也。弗豫、不悅豫也。
【読み】
旣に商に克ちて二年、王疾有りて豫[こころよ]からず。年を記すは、其の商に克つの未だ久しからざるを見すなり。豫からずとは、悅豫せざるなり。

△二公曰、我其爲王穆卜。二公、太公・召公也。李氏曰、穆者、敬而有和意。穆卜、猶言共卜也。愚謂、古者國有大事卜、則公卿百執事皆在、誠一而和同以聽卜筮。故名其卜曰穆卜。下文成王因風雷之變、王與大夫盡弁、啓金縢之書、以卜者是也。先儒專以穆爲敬。而於所謂其勿穆卜、則義不通矣。
【読み】
△二公曰く、我れ其れ王の爲に穆卜せん、と。二公は、太公・召公なり。李氏が曰く、穆は、敬んで和意有るなり。穆卜は、猶共卜と言うがごとし、と。愚謂えらく、古には國に大事有りて卜うときは、則ち公卿百執事皆在り、誠一にして和同して以て卜筮を聽く。故に其の卜を名づけて穆卜と曰う。下の文の成王風雷の變に因りて、王と大夫と盡く弁して、金縢の書を啓いて、以て卜する者是れなり。先儒專ら穆を以て敬とす。而れども所謂其れ穆卜すること勿かれというに於て、則ち義通ぜず。

△周公曰、未可以戚我先王。戚、憂惱之意。未可以武王之疾、而憂惱我先王也。蓋卻二公之卜。
【読み】
△周公曰く、未だ以て我が先王を戚[いた]ましむ可からず、と。戚は、憂惱の意。未だ武王の疾を以てして、我が先王を憂惱せしむ可からず、と。蓋し二公の卜を卻くなり。

△公乃自以爲功、爲三壇同墠。爲壇於南方、北面周公立焉。植璧秉珪、乃告太王・王季・文王。墠、上演時戰二反。○功、事也。築土曰壇。除地曰墠。三壇、三王之位。皆南向。三壇之南、別爲一壇北向。周公所立之地也。植、置也。圭璧、所以禮神。詩言圭璧旣卒。周禮裸圭以祀先王。周公卻二公之卜、而乃自以爲功者、蓋二公不過卜武王之安否耳。而周公愛兄之切、危國之至、忠誠懇懇於祖父之前、如下文所云者、有不得盡焉。此其所以自以爲功也。又二公穆卜、則必禱於宗廟、用朝廷卜筮之禮。如此則上下喧騰、而人心搖動。故周公不於宗廟、而特爲壇墠以自禱也。
【読み】
△公乃ち自ら以て功[こと]を爲して、三壇を爲りて墠[せん]を同じくす。壇を南方に爲りて、北面して周公立てり。璧を植[お]き珪を秉りて、乃ち太王・王季・文王に告す。墠は、上演時戰の二反。○功は、事なり。土を築くを壇と曰う。地を除[はら]うを墠と曰う。三壇は、三王の位。皆南に向かう。三壇の南、別に一壇を爲りて北に向かう。周公立つ所の地なり。植は、置くなり。圭璧は、神を禮する所以なり。詩に言う、圭璧旣に卒[つ]きぬ、と。周禮に裸圭以て先王を祀る、と。周公二公の卜を卻けて、乃ち自ら以て功を爲す者は、蓋し二公は武王の安否を卜するに過ぎざるのみ。而して周公兄を愛するの切、國を危ぶむの至り、祖父の前に忠誠懇懇なること、下の文に云う所の如き者、得て盡くさざること有り。此れ其の自ら以て功を爲す所以なり。又二公穆卜するときは、則ち必ず宗廟に禱り、朝廷卜筮の禮を用ゆ。此の如きは則ち上下喧騰して、人心搖動す。故に周公宗廟に於てせずして、特に壇墠を爲りて以て自ら禱るなり。

△史乃册祝曰、惟爾元孫某、遘厲虐疾。若爾三王、是有丕子之責于天、以旦代某之身。遘、居候反。○史、太史也。册祝、如今祝版之類。元孫某、武王也。遘、遇。厲、惡。虐、暴也。丕子、元子也。旦、周公名也。言武王遇惡暴之疾。若爾三王、是有元子之責于天、蓋武王爲天元子。三王當任其保護之責于天、不可令其死也。如欲其死、則請以旦代武王之身。于天之下、疑有鈌文。舊說謂、天責、取武王者非是。詳下文予仁若考、能事鬼神等語、皆祖父人鬼爲言。至於乃命帝庭、無墜天之降寶命、則言天命武王如此之大。而三王不可墜天之寶命。文意可見。又按死生有命、周公乃欲以身代武王之死。或者疑之。蓋方是時、天下未安、王業未固、使武王死、則宗社傾危、生民塗炭、變故有不可勝言者。周公忠誠切至、欲代其死以紓危急、其精神感動。故卒得命於三王。今世之匹夫匹婦、一念誠孝、猶足以感格鬼神、顯有應驗。而況於周公之元聖乎。是固不可謂無此理也。
【読み】
△史乃ち册祝して曰く、惟れ爾の元孫某、厲虐の疾に遘[あ]えり。若し爾三王、是れ丕子[ひし]の責め天に有らば、旦を以て某の身に代えよ。遘[こう]は、居候反。○史は、太史なり。册祝は、今の祝版の類の如し。元孫某は、武王なり。遘は、遇う。厲は、惡。虐は、暴なり。丕子は、元子なり。旦は、周公の名なり。言うこころは、武王惡暴の疾に遇えり。若し爾三王、是れ元子の責め天に有らば、蓋し武王は天の元子爲り。三王當に其の保護の責めを天に任じて、其をして死なしむ可からず。如し其の死を欲すれば、則ち請う、旦を以て武王の身に代えよ、と。于天の下、疑うらくは鈌文有らん。舊說に謂う、天の責め、武王に取るとは是に非ず。下の文の予れ仁にして考に若[したが]い、能く鬼神に事る等の語を詳らかにするに、皆祖父人鬼をとして言を爲す。乃ち帝庭に命ぜられて、天の降せる寶命を墜すこと無しというに至りては、則ち天の武王に命ずること此の如く大いなるを言う。而して三王天の寶命を墜す可からず、と。文意見る可し。又按ずるに死生命有り、周公乃ち身を以て武王の死に代わらんと欲す。或者之を疑う。蓋し是の時に方りて、天下未だ安んぜず、王業未だ固まらず、武王をして死なしめば、則ち宗社傾危し、生民塗炭し、變故勝[あ]げて言う可からざる者有り。周公の忠誠切に至り、其の死に代わりて以て危急を紓[と]かんと欲す、其の精神感動す。故に卒に命を三王に得たり。今の世の匹夫匹婦も、一念の誠孝、猶以て鬼神を感格するに足りて、顯に應驗有るがごとし。而るを況んや周公の元聖に於てをや。是れ固に此の理無しと謂う可からず。

△予仁若考。能多材多藝。能事鬼神。乃元孫不若旦多材多藝。不能事鬼神。周公言、我仁順祖考、多材幹、多藝能。可任役使、能事鬼神。武王不如旦多材多藝、不任役使、不能事鬼神。材藝、但指服事役使而言。
【読み】
△予れ仁にして考に若[したが]う。能く材多く藝多し。能く鬼神に事る。乃ち元孫は旦の材多く藝多きに若かず。鬼神に事ること能わず。周公言うこころは、我れ仁にして祖考に順い、材幹多く、藝能多し。役使に任[た]え、能く鬼神に事る可し。武王は旦の多材多藝に如かず、役使に任えず、鬼神に事ること能わず。材藝は、但服事役使を指して言うのみ。

△乃命于帝庭、敷佑四方。用能定爾子孫于下地。四方之民、罔不祗畏。嗚呼無墜天之降寶命。我先王亦永有依歸。言武王乃受命於上帝之庭、布文德以佑助四方、用能定爾子孫於下地、使四方之民無不敬畏。其任大、其責重。未可以死。故又歎息申言、三王不可墜天降之寶命。庶先王之祀、亦永有所賴以存也。寶命、卽帝庭之命也。謂之寶者、重其事也。
【読み】
△乃ち帝庭に命ぜられて、敷きて四方を佑く。用て能く爾の子孫を下地に定む。四方の民まで、祗み畏れざること罔し。嗚呼天の降せる寶命を墜すこと無かれ。我が先王も亦永く依り歸[よ]るところ有らん。言うこころは、武王乃ち命を上帝の庭受け、文德を布きて以て四方を佑け助け、用て能く爾の子孫を下地に定め、四方の民をして敬畏せざること無からしむ。其の任大いに、其の責重し。未だ以て死す可からず。故に又歎息して申ねて言う、三王天降せるの寶命を墜しす可からず。庶わくは先王の祀も、亦永く賴りて以て存する所有らん、と。寶命は、卽ち帝庭の命なり。之を寶と謂うは、其の事を重んじてなり。

△今我卽命于元龜。爾之許我、我其以璧與珪、歸俟爾命。爾不許我、我乃屛璧與珪。卽、就也。歸俟爾命、俟武王之安也。屛、藏也。屛璧與珪、言不得事神也。蓋武王喪、則周之基業必墜。雖欲事神、不可得也。其稱爾稱我、無異人子之在膝下、以語其親者。此亦終身慕父母與不死其親之意。以見公之達孝也。
【読み】
△今我れ命に元龜に卽く。爾の我を許さば、我れ其れ璧と珪とを以て、歸りて爾の命を俟たん。爾我を許さずんば、我れ乃ち璧と珪とを屛[しりぞ]けん、と。卽は、就くなり。歸りて爾の命を俟つとは、武王の安んずるを俟つなり。屛は、藏むるなり。璧と珪とを屛くとは、言うこころは、神に事るを得ざるなり。蓋し武王喪するときは、則ち周の基業必ず墜ちん。神に事るを欲すと雖も、得可からざるなり。其の爾と稱し我と稱するは、人子の膝下に在りて、以て其の親に語る者に異ること無し。此れ亦身を終うるまで父母を慕うと其の親を死ねりとせざるの意なり。以て公の達孝を見すなり。

△乃卜三龜。一習吉。啓籥見書。乃幷是吉。籥與鑰通。○卜筮必立三人以相參考。三龜者、三人所卜之龜也。習、重也。謂三龜之兆一同、開籥見卜兆之書、乃幷是吉。
【読み】
△乃ち三龜を卜う。一つに習[かさ]ねて吉。籥[やく]を啓き書を見る。乃ち幷せて是れ吉。籥と鑰[やく]とは通ず。○卜筮には必ず三人を立てて以て相參考す。三龜は、三人卜う所の龜なり。習は、重ぬるなり。謂ゆる三龜の兆一に同じく、籥を開いて卜兆の書を見るに、乃ち幷せて是れ吉なり。

△公曰、體王其罔害。予小子、新命于三王、惟永終是圖。茲攸俟、能念予一人。體、兆之體也。言視其卜兆之吉、王疾其無所害。我新受三王之命、而永終是圖矣。茲攸俟者、卽上文所謂歸俟也。一人、武王也。言三王能念我武王、使之安也。詳此言新命于三王、不言新命于天。以見果非謂天之責取武王也。
【読み】
△公曰く、體において王其れ害わるること罔し。予れ小子、新たに三王に命ぜられて、惟れ永く是の圖を終う。茲れ俟つ攸、能く予れ一人を念え、と。體は、兆の體なり。言うこころは、其の卜兆の吉を視るに、王の疾其れ害する所無し。我れ新たに三王の命を受けて、永く是の圖を終う。茲れ俟つ攸とは、卽ち上の文の所謂歸りて俟つなり。一人は、武王なり。言うこころは、三王能く我が武王を念いて、之をして安んぜしめよとなり。此を詳らかにするに、新たに三王に命ぜらると言いて、新たに天に命ぜらると言わず。以て果たして謂ゆる天の責めは武王に取るに非ざることを見すなり。

△公歸、乃納册于金縢之匱中。王翼日乃瘳。册、祝册也。匱、藏卜書之匱。金縢、以金緘之也。翼日、公歸之明日也。瘳、愈也。按金縢之匱、乃周家藏卜筮書之物。每卜、則以告神之辭書於册、旣卜、則納册於匱而藏之。前後卜皆如此。故前周公乃卜三龜、一習吉、啓籥見書者、啓此匱也。後成王遇風雷之變、欲卜啓金縢者、亦啓此匱也。蓋卜筮之物、先王不敢褻。故金縢其匱而藏之。非周公始爲此匱藏此册祝、爲後來自解計也。
【読み】
△公歸りて、乃ち册を金縢の匱の中に納る。王翼日乃ち瘳[い]えぬ。册は、祝册なり。匱は、卜書を藏むるの匱なり。金縢は、金を以て之を緘す。翼日は、公歸るの明日なり。瘳[ちゅう]は、愈ゆるなり。按ずるに金縢の匱は、乃ち周家卜筮の書を藏むるの物ならん。卜する每に、則ち神に告ぐるの辭を以て册に書し、旣に卜すれば、則ち册を匱に納れて之を藏む。前後の卜は皆此の如し。故に前に周公乃ち三龜を卜い、一つに習ねて吉なり、籥[やく]を啓いて書を見る者は、此の匱を啓くなり。後に成王風雷の變に遇いて、卜わんと欲して金縢を啓く者も、亦此の匱を啓くなり。蓋し卜筮の物は、先王敢えて褻[けが]さず。故に其の匱を金縢にして之を藏む。周公の始めて此の匱を爲り此の册祝を藏むるは、後來自ら解き計るが爲に非ず。

△武王旣喪、管叔及其羣弟、乃流言於國曰、公將不利於孺子。管叔、名鮮。武王弟、周公兄也。羣弟、蔡叔度、霍叔處也。流言、無根之言。如水之流。自彼而至此也。孺子、成王也。商人兄死弟立者多。武王崩成王幼。周公攝政。商人固已疑之。又管叔於周公爲兄。尤所覬覦。故武庚・管・蔡、流言於国、以危懼成王、而動搖周公也。史氏言管叔及其羣弟而不及武庚者、所以深著三叔之罪也。
【読み】
△武王旣に喪して、管叔と其の羣弟と、乃ち國に流言して曰く、公將に孺子に利あらざらんとす、と。管叔、名は鮮。武王の弟、周公の兄なり。羣弟は、蔡叔度、霍叔處なり。流言は、根無きの言。水の流るるが如し。彼よりして此に至るなり。孺子は、成王なり。商人兄死して弟立つ者多し。武王崩じて成王幼し。周公政を攝す。商人固に已に之を疑う。又管叔は周公に於て兄爲り。尤も覬覦[きゆ]する所なり。故に武庚・管・蔡、国に流言して、以て成王を危ぶみ懼れしめて、周公を動搖す。史氏管叔及び其の羣弟を言いて武庚に及ばざるは、深く三叔の罪を著す所以なり。

△周公乃告二公曰、我之弗辟、我無以告我先王。辟、讀爲避。鄭氏詩傳言、周公以管蔡流言、辟居東都是也。漢孔氏以爲、致辟於管叔之辟。謂誅殺之也。夫三叔流言、以公將不利於成王。周公豈容遽興兵以誅之耶。且是時王方疑公。公將請王而誅之耶。將自誅之也。請之固未必從、不請自誅之、亦非所以爲周公矣。我之弗辟、我無以告我先王、言我不避則於義有所不盡、無以告先王於地下也。公豈自爲身計哉。亦盡其忠誠而已矣。
【読み】
△周公乃ち二公に告げて曰く、我れ辟[さ]けずんば、我れ以て我が先王に告ぐること無けん、と。辟は、讀んで避とす。鄭氏が詩の傳に言く、周公管蔡の流言を以て、東都に辟け居るとは是れなり。漢の孔氏以爲えらく、辟[つみ]を管叔に致すの辟。之を誅殺するを謂う、と。夫れ三叔の流言は、公を以て將に成王に利あらざらんとす。周公豈に遽に兵を興して以て之を誅す容けんや。且つ是の時王方に公を疑う。公將に王に請いて之を誅せんとせんや。將に自ら之を誅せんとせんや。之を請うこと固に未だ必ず從わず、請わずして自ら之を誅するは、亦周公爲る所以に非ず。我れ辟けずんば、我れ以て我が先王に告ぐること無けんとは、言うこころは、我れ避けずんば則ち義に於て盡くさざる所有り、以て先王に地下に告ぐること無けん。公豈に自ら身計をせんや。亦其の忠誠を盡くすのみ。

△周公居東二年、則罪人斯得。居東、居國之東也。鄭氏謂、避居東都。未知何據。孔氏以居東爲東征非也。方流言之起、成王未知罪人爲誰、二年之後、王始知流言之爲管蔡。斯得者、遲之之辭也。
【読み】
△周公東に居ること二年、則ち罪人斯に得。東に居るとは、國の東に居るなり。鄭氏が謂く、東都に避けり居る、と。未だ何の據かを知らず。孔氏東に居るを以て東征とするは非なり。流言の起こるに方りて、成王未だ罪人の誰爲るかを知らず、二年の後、王始めて流言の管蔡爲るを知る。斯に得とは、之を遲しとするの辭なり。

△于後公乃爲詩以貽王。名之曰鴟鴞。王亦未敢誚公。鴟鴞、惡鳥也。以其破巢取卵、比武庚之敗管蔡及王室也。誚、讓也。上文言罪人斯得。則是時成王之疑十已去其四五矣。
【読み】
△後に公乃ち詩を爲りて以て王に貽[おく]る。之を名づけて鴟鴞[しきょう]と曰う。王亦未だ敢えて公を誚[せ]めず。鴟鴞は、惡鳥なり。其の巢を破りて卵を取るを以て、武庚の管蔡及び王室を敗るに比す。誚[しょう]は、讓[せ]むるなり。上の文に罪人斯に得と言う。則ち是の時成王の疑い十にして已に其の四五を去るなり。

△秋大熟未穫、天大雷電以風、禾盡偃、大木斯拔、邦人大恐。王與大夫盡弁、以啓金縢之書、乃得周公所自以爲功、代武王之說。穫、胡郭反。弁、皮變反。○王與大夫盡弁、以發金縢之書、將卜天變、而偶得周公册祝請命之說也。孔氏謂、二公倡王啓之者非是。按秋大熟係于二年之後。則成王迎周公之歸、蓋二年秋也。東山之詩言、自我不見于今三年。則居東之非東征明矣。蓋周公居東二年、成王因風雷之變、旣親迎以歸。三叔懷流言之罪、遂脅武庚以叛。成王命周公征之。其東征往反首尾又自三年也。
【読み】
△秋大いに熟りて未だ穫らず、天大いに雷電以て風ふいて、禾盡く偃[ふ]し、大木斯に拔け、邦人大いに恐る。王と大夫と盡く弁して、以て金縢の書を啓いて、乃ち周公の自ら以て功[こと]を爲して、武王に代わらんとする所の說を得たり。穫は、胡郭反。弁は、皮變反。○王と大夫と盡く弁して、以て金縢の書を發いて、將に天變を卜わんとして、偶々周公の册祝命を請うの說を得たり。孔氏が謂く、二公王を倡[いざな]いて之を啓くというは是に非ず。按ずるに秋大いに熟するは二年の後に係れり。則ち成王周公の歸るを迎うるは、蓋し二年の秋なり。東山の詩に言う、我れ見ざりしより今に三年、と。則ち東に居ること東征に非ざること明らかなり。蓋し周公東に居ること二年、成王風雷の變に因りて、旣に親迎して以て歸る。三叔流言の罪を懷いて、遂に武庚を脅して以て叛く。成王周公に命じて之を征す。其の東征往反首尾も又自ずから三年ならん。

△二公及王、乃問諸史與百執事。對曰、信、噫公命。句。我勿敢言。周公卜武王之疾、二公未必不知之。周公册祝之文、二公蓋不知也。諸史百執事、蓋卜筮執事之人。成王使卜天變者、卽前日周公使卜武王疾之人也。二公及成王、得周公自以爲功之說、因以問之。故皆謂信有此事。已而歎息言、此實周公之命、而我勿敢言爾。孔氏謂、周公使之勿道者非是。
【読み】
△二公と王と、乃ち諸史と百執事とに問う。對えて曰く、信なり、噫[ああ]公の命なり、と。句。我れ敢えて言うこと勿し。周公武王の疾を卜するは、二公未だ必ずしも之を知らずんばあらず。周公の册祝の文は、二公蓋し知らず。諸史百執事は、蓋し卜筮執事の人ならん。成王天變を卜わしむる者は、卽ち前日周公が武王の疾を卜わしむるの人なり。二公及び成王、周公自ら以て功を爲すの說を得て、因りて以て之を問う。故に皆信に此の事有りと謂う。已にして歎息して言う、此れ實に周公の命にして、我れ敢えて言うこと勿けんや、と。孔氏が謂く、周公之をして道うこと勿からしむるとは是に非ず。

△王執書以泣曰、其勿穆卜。昔公勤勞王家。惟予沖人弗及知。今天動威、以彰周公之德。惟朕小子其新逆。我國家禮亦宜之。新、當作親。成王啓金縢之書、欲卜天變。旣得公册祝之文、遂感悟。執書以泣言、不必更卜。昔周公勤勞王室、我幼不及知。今天動威以明周公之德。我小子其親迎公以歸、於國家禮亦宜也。按鄭氏詩傳、成王旣得金縢之書、親迎周公。鄭氏學出於伏生、而此篇則伏生所傳、當以親爲正。親誤作新。正猶大學新誤作親也。
【読み】
△王書を執りて以て泣いて曰く、其れ穆卜すること勿かれ。昔公王家に勤勞す。惟れ予れ沖人知るに及ばず。今天威を動かして、以て周公の德を彰[あらわ]す。惟れ朕れ小子其れ新[みずか]ら逆[むか]えん。我が國家の禮や亦之に宜し、と。新は、當に親に作るべし。成王金縢の書を啓いて、天變を卜わんと欲す。旣に公の册祝の文を得て、遂に感じ悟る。書を執りて以て泣いて言く、必ずしも更に卜わざらん。昔周公王室に勤勞して、我が幼き知るに及ばず。今天威を動かして以て周公の德を明らかにす。我れ小子其れ親ら公を迎えて以て歸さば、國家の禮に於て亦宜し。鄭氏の詩の傳を按ずるに、成王旣に金縢の書を得て、親ら周公を迎う、と。鄭氏の學は伏生に出で、而して此の篇も則ち伏生の傳うる所にて、當に親を以て正とすべし。親誤りて新に作る。正に猶大學の新誤りて親に作るがごとし。

△王出郊、天乃雨反風。禾則盡起。二公命邦人、凡大木所偃、盡起而築之。歲則大熟。國外曰郊。王出郊者、成王自往迎公。卽上文所謂親逆者也。天乃反風。感應如此之速、洪範庶徵、孰謂其不可信哉。又按武王疾瘳、四年而崩、羣叔流言。周公居東二年、罪人旣得。成王迎周公以歸。凡六年事也。編書者、附于金縢之末、以見請命事之首末、金縢書之顯晦也。
【読み】
△王郊に出づるときに、天乃ち雨ふりて風を反す。禾則ち盡く起つ。二公邦人に命じて、凡そ大木の偃す所、盡く起こして之を築かしむ。歲則ち大いに熟す。國の外を郊と曰う。王郊に出づる者は、成王自ら往いて公を迎う。卽ち上の文に所謂親ら逆う者なり。天乃ち風を反す、と。感應此の如く速やかなる、洪範の庶徵、孰か其れ信ず可からずと謂わんや。又按ずるに武王の疾瘳えて、四年にして崩じ、羣叔流言す。周公東に居ること二年、罪人旣に得。成王周公を迎えて以て歸る。凡て六年の事なり。書を編む者、金縢の末に附して、以て命を請う事の首末、金縢の書の顯晦を見すなり。


大誥 武王克殷、以殷餘民、封受子武庚、命三叔監殷。武王崩成王立。周公相之。三叔流言、公將不利於孺子。周公避位居東。後成王悟、迎周公歸。三叔懼、遂與武庚叛。成王命周公東征以討之。大誥天下。書言武庚而不言管叔者、爲親者諱也。篇首有大誥二字、編書者因以名篇。今文古文皆有。○按此篇誥語多主卜言。如曰、寧王遺我大寶龜。曰、朕卜幷吉。曰、予得吉卜。曰、王害不違卜。曰、寧王惟卜用、曰、矧亦惟卜用。曰、予曷其極卜。曰、矧今卜幷吉。至於篇終又曰、卜陳惟若茲、意邦君・御事有曰、艱大、不可征。欲王違卜。故周公以討叛卜吉之義、與天命人事之不可違者、反復誥諭之也。
【読み】
大誥[たいこう] 武王殷に克ちて、殷の餘民を以て、受の子武庚を封じ、三叔に命じて殷を監せしむ。武王崩じ成王立つ。周公之に相たり。三叔流言して、公將に孺子に利あらざらんとす、と。周公位を避けて東に居る。後に成王悟りて、周公を迎えて歸す。三叔懼れて、遂に武庚と叛く。成王周公に命じて東征して以て之を討つ。大いに天下に誥ぐ。書に武庚を言いて管叔を言わざるは、親しき者の爲に諱むなり。篇の首めに大誥の二字有り、書を編む者因りて以て篇に名づく。今文古文皆有り。○按ずるに此の篇の誥の語多く卜を主として言う。曰く、寧王我に大いなる寶龜を遺れり、と。曰く、朕が卜幷せて吉なり、と。曰く、予吉卜を得たり、と。曰く、王害[なん]ぞ卜に違わざらん、と。曰く、寧王惟れ卜を用ゆるに、曰く、矧んや亦惟れ卜を用ゆるをや、と。曰く、予曷ぞ其れ極めて卜わん、と。曰く、矧んや今卜幷せて吉をや、と。篇の終わりに至りて又曰く、卜陳なりて惟れ茲の若しというが如き、意うに邦君・御事曰えること有り、艱[なや]み大いなり、征[う]つ可からず、と。王の卜に違わんことを欲す。故に周公叛けるを討つの卜吉なるの義と、天命人事の違う可からざる者とを以て、反復して之に誥げ諭すなり。


王若曰、猷大誥爾多邦、越爾御事。弗弔天降割于我家、不少延。洪惟我幼沖人、嗣無疆大歷服、弗造哲迪民康。矧曰其有能格知天命。猷、發語辭也。猶虞書咨嗟之例。按爾雅猷訓最多。曰謀、曰言、曰已、曰圖。未知此何訓也。弔、恤也。猶詩言、不弔昊天之弔。言我不爲天所恤、降害於我周家。武王遂喪、而不少待也。沖人、成王也。歷、歷數也。服、五服也。哲、明哲也。格、格物之格。言大思我幼沖之君、嗣守無疆之大業、弗能造明哲、以導民於安康。是人事且有所未至、而況言其能格知天命乎。
【読み】
王若[か]く曰く、猷[ああ]大いに爾多邦に誥ぐ、越[およ]び爾御事にまで。天に弔[あわ]れまれずして割[やぶ]れを我が家に降し、少[しばら]くも延べず。洪[おお]いに惟[おも]う我れ幼沖人、疆り無き大歷服を嗣いで、哲を造して民を康きに迪[みちび]かず。矧んや其れ能く天命を知ることを格すこと有りと曰わんや。猷[ゆう]は、發語の辭なり。猶虞書の咨嗟の例のごとし。按ずるに爾雅に猷の訓最も多し。謀と曰い、言と曰い、已と曰い、圖と曰う。未だ知らず、此れ何の訓なるかを。弔は、恤れむなり。猶詩に言う、昊天に弔れまれずの弔のごとし。言うこころは、我れ天の爲に恤れまれず、害を我が周家に降す。武王遂に喪して、少くも待たず。沖人は、成王なり。歷は、歷數なり。服は、五服なり。哲は、明哲なり。格は、格物の格。言うこころは、大いに我が幼沖の君を思いて、無疆の大業を嗣ぎ守らしめども、明哲を造して、以て民を安康に導くこと能わず。是れ人事すら且つ未だ至らざる所有り、而るを況んや其の能く天命を格り知ると言わんや。

△已予惟小子、若涉淵水。予惟往求朕攸濟。敷賁、敷前人受命、茲不忘大功。予不敢閉于天降威用。已、承上語詞。已而有不能已之意。若涉淵水者、喩其心之憂懼。求朕攸濟者、冀其事之必成。敷、布。賁、飾也。敷賁者、修明其典章法度。敷前人受命者、增益開大前王之基業。若此者、所以不忘武王安天下之大功也。今武庚不靖、天固誅之。予豈敢閉抑天之威用、而不行討乎。
【読み】
△已んなんや予れ惟れ小子、淵水を涉るが若し。予れ惟れ往いて朕が濟る攸を求む。敷き賁[かざ]りて、前人の受けたる命を敷いて、茲れ大功を忘れず。予れ敢えて天の降せる威用を閉じず。已は、上の語を承くるの詞なり。已んで已むこと能わざること有るの意なり。淵水を涉るが若しとは、其の心の憂懼に喩う。朕が濟る攸を求むとは、其の事の必ず成らんことを冀うなり。敷は、布く。賁は、飾るなり。敷賁は、其の典章法度を修め明らかにす。前人の受けたる命を敷くとは、前王の基業を增益開大するなり。此の若き者は、武王天下を安んずるの大功を忘れざる所以なり。今武庚不靖にして、天固に之を誅す。予れ豈敢えて天の威用を閉じ抑えて、討を行わざらんや、と。

△寧王遺我大寶龜。紹天明卽命。曰、有大艱于西土。西土人亦不靜。越茲蠢。寧王、武王也。下文又曰寧考。蘇氏曰、當時謂武王爲寧王。以其克殷而安天下也。蠢、動而無知之貌。寧王遺我大寶龜者、以其可以紹介天命、以定吉凶。曩嘗卽龜所命、而其兆謂、將有大艱難之事于西土。西土之人亦不安靜。是武庚未叛之時、而大龜之兆、蓋已預告矣。反此果蠢蠢然而動。其卜可驗如此。將言下文伐殷卜吉之事。故先發此、以見十之不可違也。
【読み】
△寧王我に大いなる寶龜を遺せり。天の明を紹[つ]いで命を卽かしむ。曰く、大いに西土に艱めること有り、と。西土の人亦靜ならず。越[ここ]に茲れ蠢けり。寧王は、武王なり。下の文にも又寧考と曰う。蘇氏が曰く、當時武王を謂いて寧王とす。其の殷に克ちて天下を安んずるを以てなり。蠢は、動いて知ること無きの貌。寧王我に大いなる寶龜を遺すとは、其の以て天命を紹介して、以て吉凶を定む可きを以てなり。曩[さき]に嘗て龜の命ずる所に卽くに、而も其の兆に謂く、將に大いなる艱難の事西土に有らんとす、と。西土の人も亦安靜ならず。是れ武庚未だ叛かざるの時にして、大龜の兆、蓋し已に預め告ぐるならん。此に反って果たして蠢蠢然として動く。其の卜の驗す可きこと此の如し。將に下の文の殷を伐つこと卜吉の事を言わんとす。故に先ず此を發して、以て十の違う可からざることを見すなり。

△殷小腆、誕敢紀其敍。天降威、知我國有疵、民不康。曰予復、反鄙我周邦。腆、他典反。疵、才支反。○腆、厚。誕、大。敍、緒。疵、病也。言武庚以小厚之國、乃敢大紀其旣亡之緒。是雖天降威于殷、然亦武庚知我國有三叔疵隙、民心不安。故敢言、我將復殷業、而欲反鄙邑我周邦也。
【読み】
△殷の小にして腆[あつ]き、誕[おお]いに敢えて其の敍を紀[おさ]む。天威を降せども、我が國に疵有りて、民康からざるを知れり。予れ復せんと曰いて、反って我が周邦を鄙[いや]しむ。腆は、他典反。疵は、才支反。○腆は、厚し。誕は、大い。敍は、緒。疵は、病なり。言うこころは、武庚小厚の國を以て、乃ち敢えて大いに其の旣亡の緒を紀む。是れ天威を殷に降すと雖も、然れども亦武庚我が國に三叔の疵隙有りて、民の心安んぜざることを知る。故に敢えて言う、我れ將に殷の業を復して、反って我が周邦を鄙邑にせんと欲す、と。

△今蠢。今翼日、民獻有十夫予翼、以于敉寧武圖功。我有大事休、朕卜幷吉。敉、音弭。○于、往。敉、撫。武、繼也。謂今武庚蠢動。今之明日、民之賢者十夫、輔我以往撫定商邦、而繼嗣武王所圖之功也。大事、戎事。左傳云、國之大事、在祀與戎。休、美也。言知我有戎事休美者、以朕卜三龜而幷吉也。按上文、卽命、曰有大艱于西土、蓋卜於武王方崩之時。此云朕卜幷吉、乃卜於將伐武庚之日。先儒合以爲一誤矣。
【読み】
△今蠢けり。今の翼日、民の獻[さか]しき十夫有りて予を翼けて、以て于[ゆ]いて敉[な]で寧んじて圖れる功を武[つ]がん。我れ大いなる事の休[よ]きこと有らんこと、朕が卜幷せて吉なればなり。敉[び]は、音弭[び]。○于は、往く。敉は、撫でる。武は、繼ぐなり。謂ゆる今武庚蠢動す。今の明日、民の賢者十夫、我を輔けて以て往いて商邦を撫で定めて、武王圖る所の功を繼ぎ嗣ぐなり。大事は、戎事。左傳に云う、國の大事は、祀と戎とに在り、と。休は、美きなり。言うこころは、我れ戎事の休美有ることを知る者は、朕れ三龜に卜して幷わせて吉なるを以てなり。上の文を按ずるに、命を卽かしむ、曰く大いに西土に艱み有りとは、蓋し武王方に崩ずるの時に卜す。此に朕が卜幷せて吉と云うは、乃ち將に武庚を伐たんとするの日に卜す。先儒合わせて以て一とするは誤れり。

△肆予告我友邦君、越尹氏・庶士・御事曰、予得吉卜。予惟以爾庶邦、于伐殷逋播臣。此舉嘗以卜吉之故、告邦君・御事。往伐武庚之詞也。肆、故也。尹氏、庶官之正也。殷逋播臣者、謂武庚及其羣臣。本逋亡播遷之臣也。
【読み】
△肆[ゆえ]に予れ我が友とする邦の君、越[およ]び尹氏・庶士・御事に告げて曰く、予れ吉卜を得たり。予れ惟れ爾庶邦を以て、于いて殷の逋[のが]れ播[うつ]されたる臣を伐たん。此れ嘗て以て卜吉なるの故を舉げて、邦君・御事に告ぐ。往いて武庚を伐つの詞なり。肆は、故なり。尹氏は、庶官の正なり。殷の逋播[ほは]の臣とは、武庚及び其の羣臣を謂う。本逋亡播遷の臣なり。

△爾庶邦君、越庶士・御事、罔不反曰。艱大。民不靜。亦惟在王宮邦君室。越予小子、考翼不可征。王害不違卜。此舉邦君・御事不欲征、欲王違卜之言也。邦君・御事無不反曰。艱難重大。不可輕舉。且民不靜、雖由武庚、然亦在於王之官、邦君之室。謂三叔不睦之故。實兆釁端不可不自反。害、曷也。越我小子與父老敬事者、皆謂不可征。王曷不違卜而勿征乎。
【読み】
△爾庶邦の君、越[およ]び庶士・御事、反して曰わざる罔し。艱み大いなり。民靜ならず。亦惟れ王宮邦君の室に在り、と。越[ここ]に予れ小子、考[お]いて翼[つつし]めるものも征つ可からず、と。王害[なん]ぞ卜に違わざらん、と。此れ邦君・御事征つことを欲せず、王の卜に違わんことを欲するの言を舉ぐ。邦君・御事反して曰わざる無し。艱難重大なり。輕く舉ぐ可からず。且つ民の靜ならざるは、武庚に由ると雖も、然れども亦王の官、邦君の室に在り、と。三叔睦まじからざるの故を謂う。實は釁端[きんたん]を兆すは自ら反せずんばある可からず。害は、曷ぞなり。越に我れ小子と父老の事を敬む者と、皆謂う、征つ可からざれ。王曷ぞ卜に違いて征つこと勿からざらんや、と。

△肆予沖人、永思艱曰、嗚呼允蠢。鰥寡哀哉。予造天役。遺大投艱于朕身。越予沖人、不卬自恤。義爾邦君、越爾多士・尹氏・御事、綏予曰、無毖于恤。不可不成乃寧考圖功。卬、五剛反。毖、音秘。○造、爲。卬、我也。故我沖人、亦永思其事之艱大。歎息言、信四國蠢動。害及鰥寡、深可哀也。然我之所爲、皆天之所役使。今日之事、天實以其甚大者、遺於我之身、以其甚艱者、投於我之身。於我沖人、固不暇自恤矣。然以義言之、於爾邦君、於爾多士、及官正治事之臣、當安我曰、無勞於憂。誠不可不成武王所圖之功。相與戮力致討可也。此章深責邦君・御事之避事。
【読み】
△肆に予れ沖人、永く艱みを思いて曰く、嗚呼允に蠢けり。鰥寡哀しいかな。予れ天の役を造す。大いなるを遺して艱みを朕が身に投げたり。予れ沖人に越[おい]て、卬[わ]れ自ら恤えず。義において爾邦君、越[およ]び爾の多士・尹氏・御事まで、予を綏んじて曰え、恤えを毖[いた]わること無かれ。乃の寧考の圖れる功を成さずんばある可からず、と。卬[ごう]は、五剛反。毖[ひ]は、音秘。○造は、爲す。卬は、我なり。故に我れ沖人、亦永く其の事の艱大なるを思う。歎息して言う、信に四國蠢動す。害の鰥寡に及ばんこと、深く哀しむ可し。然れども我が爲す所は、皆天の役使する所なり。今日の事は、天實に其の甚だ大いなる者を以て、我が身に遺し、其の甚だ艱める者を以て、我が身に投ず。我が沖人に於て、固に自ら恤うるに暇あきあらず。然れども義を以て之を言わば、爾の邦君に於る、爾の多士に於る、及び官正事を治むるの臣まで、當に我を安んじて曰うべし、憂えに勞すること無かれ。誠に武王圖る所の功を成さずんばある可からず。相與に力を戮[あ]わせて討を致すこと可なり、と。此の章深く邦君・御事の事を避くるを責む。

△己予惟小子、不敢替上帝命。天休于寧王、興我小邦周。寧王惟卜用、克綏受茲命。今天其相民。矧亦惟卜用。嗚呼天明畏、弼我丕丕基。卜伐武庚而吉、是上帝命伐之也。上帝之命、其敢廢乎。昔天眷武王、由百里而有天下、亦惟卜用。所謂朕夢協朕卜、襲于休祥、是也。今天相佑斯民、避凶趨吉。況亦惟卜是用。是上而先王、下而小民、莫不用卜。而我獨可廢卜乎。故又歎息言、天之明命可畏如此。是蓋輔成我丕丕基業。其可違也。天明、卽上文所謂紹天明者。
【読み】
△己んなんや予れ惟れ小子、敢えて上帝の命を替[す]てず。天寧王を休[よ]みして、我が小邦の周を興せり。寧王惟れ卜を用いて、克く茲の命を綏んじ受く。今天其れ民を相[たす]く。矧んや亦惟れ卜を用ゆるをや。嗚呼天明の畏るべき、我が丕丕[ひひ]たる基を弼[たす]けん、と。武庚を伐たんと卜して吉なるは、是れ上帝之を伐つことを命ずるなり。上帝の命は、其れ敢えて廢てんや。昔天武王を眷み、百里に由りて天下を有つも、亦惟れ卜を用ゆ。所謂朕が夢朕が卜に協い、休祥を襲[かさ]ぬというは、是れなり。今天斯の民を相け佑けて、凶を避け吉に趨かしむ。況んや亦惟れ卜を是れ用ゆるをや。是れ上にして先王、下にして小民、卜を用いざる莫し。而も我れ獨り卜を廢つ可けんや。故に又歎息して言う、天の明命畏る可きこと此の如し。是れ蓋し我が丕丕たる基業を輔け成す。其れ違う可けんや、と。天明は、卽ち上の文に所謂天の明を紹ぐという者なり。

△王曰、爾惟舊人、爾丕克遠省。爾知寧王若勤哉。天閟毖我成功所、予不敢不極卒寧王圖事。肆予大化誘我友邦君。天棐忱辭。其考我民、予曷其不于前寧人圖功攸終。天亦惟用勤毖我民、若有疾。予曷敢不于前寧人攸受休畢。閟、音秘。○當時邦君御事、有武王之舊臣者、亦憚征役。上文考翼不可征是也。故周公專呼舊臣而告之曰、爾惟武王之舊人、爾大能遠省前日之事、爾豈不知武王若此之勤勞哉。閟者、否閉而不通。毖者、艱難而不易。言天之所以否閉艱難、國家多難者、乃我成功之所在、我不敢不極卒武王所圖之事也。化者、化其固滯。誘者、誘其順從。棐、輔也。寧人、武王之大臣。當時謂武王爲寧王。因謂武王之大臣爲寧人也。民獻十夫以爲可伐、是天輔以誠信之辭。考之民而可見矣。我曷其不於前寧人、而圖功所終乎。勤毖我民、若有疾者、四國勤毖我民、如人有疾。必速攻治之。我曷其不於前寧人所受休美而畢之乎。按此三節、謂不可不卒終畢寧王寧人事功休美之意。言寧人、則舊人之不欲征者、亦可愧矣。
【読み】
△王曰く、爾惟れ舊き人、爾丕いに克く遠く省みたり。爾知れるかな寧王の若[か]く勤めたるを。天の閟[と]じ毖[なや]むは我が成功の所にして、予れ敢えて寧王の圖れる事を極め卒えずんばあらず。肆[ゆえ]に予れ大いに我が友とする邦君を化誘す。天忱[まこと]の辭を棐[たす]く。其れ我が民に考えて、予れ曷ぞ其れ前の寧人の圖れる功の攸に于て終えざらんや。天亦惟れ用て我が民を勤[いたわ]り毖ましむこと、疾有るが若し。予れ曷ぞ敢えて前の寧人の受くる攸の休きに于て畢えざらんや、と。閟[ひ]は、音秘。○當時の邦君・御事に、武王の舊臣なる者有り、亦征役を憚る。上の文の考[お]いて翼[つつし]めるものも征つ可からずとは是れなり。故に周公專ら舊臣を呼びて之に告げて曰く、爾惟れ武王の舊人、爾大いに能く遠く前日の事を省みて、爾豈武王此の若きの勤勞を知らざらんや、と。閟とは、否閉して通ぜざるなり。毖とは、艱難して易からざるなり。言うこころは、天の否閉艱難して、國家難多き所以の者は、乃ち我が成功の在る所にして、我れ敢えて武王圖る所の事を極め卒えずんばあらざるなり。化とは、其の固滯を化するなり。誘とは、其の順從を誘うなり。棐[ひ]は、輔くなり。寧人は、武王の大臣。當時武王を謂いて寧王とす。因りて武王の大臣を謂いて寧人とするなり。民の獻[さか]しき十夫以て伐つ可しとするは、是れ天輔くるに誠信を以てするの辭。之を民に考えて見る可し。我れ曷ぞ其れ前の寧人、而も圖れる功に於て終える所あらざらんや。我が民を勤り毖ましむこと、疾有るが若しとは、四國我が民を勤り毖ましめて、人の疾有るが如し。必ず速やかに之を攻め治むべし。我れ曷ぞ其れ前の寧人受くる所の休美に於て之を畢えざらんや、と。按ずるに此の三節は、畢く寧王寧人の事功休美を卒え終えずんばある可からざるの意を謂う。寧人と言うときは、則ち舊人の征つことを欲せざる者、亦愧ず可し。

△王曰、若昔朕其逝。朕言艱日思。若考作室。旣厎法。厥子乃弗肯堂。矧肯構。厥父菑。厥子乃弗肯播。矧肯穫。厥考翼。其肯曰予有後弗棄基。肆予曷敢不越卬敉寧王大命。昔、前日也。猶孟子昔者之昔。若昔我之欲往、我亦謂其事之難、而日思之矣。非輕舉也。以作室喩之。父旣厎定廣狹高下。其子不肯爲之堂基。況肯爲之造屋乎。以耕田喩之。父旣反土而菑矣、其子乃不肯爲之播種。況肯俟其成而刈穫之乎。考翼、父敬事者也。爲其子者如此、則考翼其肯曰我有後嗣弗棄我之基業乎。蓋武王定天下立經陳紀、如作室之厎法、如治田之旣菑。今三監叛亂。不能討平以終武王之業、則是不肯堂、不肯播。況望其肯構肯穫、而延綿國祚於無窮乎。武王在天之靈、亦必不肯自謂其有後嗣、而不棄墜其基業矣。故我何敢不及我身之存、以撫存武王之大命乎。按此三節、申喩不可不終武功之意。
【読み】
△王曰く、若しくは昔朕れ其れ逝かんとす。朕れ艱きを言[おも]いて日々に思う。考の室を作るが若し。旣に法を厎せり。厥の子乃ち堂するを肯ぜず。矧んや肯えて構えんや。厥の父菑[し]せり。厥の子乃ち播くことを肯ぜず。矧んや肯えて穫らんや。厥の考翼[つつし]めり。其れ肯えて予れ後有り基を棄てずと曰わんや。肆に予れ曷ぞ敢えて卬[われ]に越[およ]んで寧王の大いなる命を敉[な]でざらんや。昔は、前日なり。猶孟子の昔者の昔のごとし。昔我が往かんと欲するが若き、我も亦其の事の難きを謂いて、日々に之を思う。輕く舉ぐるに非ず。室を作るを以て之に喩う。父旣に廣狹高下を厎し定む。其の子之が堂基を爲るを肯ぜず。況んや肯えて之が屋を造ることをせんや。田を耕すを以て之に喩う。父旣に土を反して菑すれども、其の子乃ち之が播種をするを肯ぜず。況んや肯えて其の成れるを俟ちて之を刈り穫らんや。考翼は、父事を敬む者なり。其の子爲る者此の如きときは、則ち考翼めども其れ肯えて我れ後嗣有り我が基業を棄てずと曰わんや。蓋し武王天下を定め經を立て紀を陳ぶるは、室を作るの法を厎すが如く、田を治むるの旣に菑するが如し。今三監叛き亂る。討ち平らげて以て武王の業を終うること能わずんば、則ち是れ堂するを肯ぜず、播くことを肯ぜざるなり。況んや其の構えるを肯じ穫るを肯じて、國祚を無窮に延綿するを望まんや。武王天に在るの靈、亦必ず肯えて自ら其の後嗣有りて、其の基業を棄墜せずと謂わざらん。故に我れ何ぞ敢えて我が身の存するに及んで、以て武王の大命を撫存せざらんや、と。按ずるに此の三節、申ねて武功を終えずんばある可からずの意に喩う。

△若兄考、乃有友伐厥子、民養其勸弗救。民養、未詳。蘇氏曰、養、厮養也。謂人之臣僕。大意言、若父兄、有友攻伐其子、爲之臣僕者、其可勸其攻伐而不救乎。父兄以喩武王。友以喩四國。子以喩百姓。民養以喩邦君・御事。今王之四國毒害百姓。而邦君・臣僕乃憚於征役。是長其患而不救、其可哉。此言民被四國之害、不可不救援之意。
【読み】
△若し兄考、乃ち友有るが厥の子を伐たば、民養其れ勸めて救わざらんや、と。民養は、未だ詳らかならず。蘇氏が曰く、養は、厮養[しよう]、と。人の臣僕を謂う。大意言うこころは、父兄の若き、友有りて其の子を攻め伐たば、之が臣僕爲る者、其れ其の攻伐を勸めて救わざる可けんや。父兄は以て武王に喩う。友は以て四國に喩う。子は以て百姓に喩う。民養は以て邦君・御事に喩う。今王の四國百姓を毒害す。而るを邦君・臣僕乃ち征役を憚る。是れ其の患えを長じて救わざる、其れ可ならんや、と。此れ言うこころは、民四國の害を被るは、救い援けずんばある可からざるの意なり。

△王曰、嗚呼肆哉、爾庶邦君、越爾御事。爽邦由哲。亦惟十人、迪知上帝命、越天棐忱、爾時罔敢易法。矧今天降戾于周邦、惟大艱人。誕鄰胥伐于厥室。爾亦不知天命不易。肆、放也。欲其舒放而不畏縮也。爽、明也。爽厥師之爽。桀昏德、湯伐之。故言爽師。受昏德、武王伐之。故言爽邦。言昔武王之明大命於邦、皆由明智之士、亦惟亂臣十人、蹈知天命及天輔武王之誠。以克商受。爾於是時、不敢違越武王法制、憚於征役。矧今武王死、天降禍於周。首大難之四國大近相攻於其室。事危勢迫如此。爾乃以爲不可征。爾亦不知天命之不可違越矣。此以今昔互言、責邦君・御事之不知天命。按先儒皆以十人爲十夫。然十夫民之賢者爾。恐未可以爲迪知帝命、未可以爲越天棐忱。所謂迪知者、蹈行眞知之詞也。越天棐忱、天命已歸之詞也。非亂臣昭武王以受天命者、不足以當之。況君奭之書、周公歷舉虢叔・閎夭之徒亦曰、迪知天威。於受殷命亦曰、若天棐忱。詳周公前後所言、則十人之爲亂臣、又何疑哉。
【読み】
△王曰く、嗚呼肆なるかな、爾庶邦の君、越[およ]び爾御事まで。邦を爽[あき]らかにするは哲に由る。亦惟れ十人、上帝の命を迪[ふ]み知り、天忱[まこと]を棐[たす]くるに越[およ]んで、爾時に敢えて法を易えること罔し。矧んや今天戾[わざわい]を周の邦に降し、惟れ大いに人を艱ましむ。誕いに鄰[ちか]く厥の室を胥伐つ。爾も亦知らず天命の易わらざるを。肆は、放なり。其の舒放にして畏縮せざることを欲するなり。爽は、明らかなり。厥の師を爽らかにするの爽なり。桀昏德、湯之を伐つ。故に師を爽らかにすと言う。受昏德、武王之を伐つ。故に邦を爽らかにすと言う。言うこころは、昔武王の大命を邦に明らかにするに、皆明智の士を由[もち]い、亦惟れ亂臣十人、天の命及び天武王を輔くるの誠を蹈み知れり。以て商の受に克つ。爾是の時に於て、敢えて武王の法制に違越し、征役を憚らず。矧んや今武王死し、天禍いを周に降す。首め大難の四國大いに近く其の室を相攻む。事危く勢い迫れること此の如し。爾乃ち以て征す可からずとす。爾も亦天命の違越す可からざるを知らざるなり、と。此れ今昔を以て互いに言いて、邦君・御事の天命を知らざるを責む。按ずるに先儒皆十人を以て十夫とす。然れども十夫は民の賢なる者なるのみ。恐らくは未だ以て帝命を迪み知れりとす可からず、未だ以て天の忱を棐くるに越ぶとす可からず。所謂迪み知るとは、眞知を蹈み行うの詞なり。天の忱を棐くるに越ぶとは、天命已に歸するの詞なり。亂臣は武王の以て天命を受くることを昭らかにする者に非ずんば、以て之に當たるに足らず。況んや君奭の書、周公歷く虢叔・閎夭の徒を舉げて亦曰う、天威を迪み知る、と。殷命を受くるに於て亦曰う、天の忱を棐くるが若し、と。周公前後言う所を詳らかにするに、則ち十人の亂臣爲ること、又何ぞ疑わんや。

△予永念曰、天惟喪殷若穡夫。予曷敢不終朕畝。天亦惟休于前寧人。天之喪殷若農夫之去草。必絕其根本。我何敢不終我之田畝乎。我之所以終畝者、是天亦惟欲休美於前寧人也。
【読み】
△予れ永く念いて曰く、天惟れ殷を喪ぼすは穡夫の若し。予れ曷ぞ敢えて朕が畝を終えざらん。天も亦惟れ前の寧人を休[よ]みす。天の殷を喪ぼすこと農夫の草を去[のぞ]くが若し。必ず其の根本を絕つ。我れ何ぞ敢えて我が田畝を終えざらんや。我が畝を終える所以の者は、是れ天も亦惟れ前の寧人を休美せんと欲するなり。

△予曷其極卜。敢弗于從。率寧人。有指疆土。矧今卜幷吉。肆朕誕以爾東征。天命不僭、卜陳惟若茲。我何敢盡欲用卜。敢不從爾勿征。蓋率循寧人之功。當有指定先王疆土之理。卜而不吉、固將伐之。況今卜而幷吉乎。故我大以爾東征。天命斷不僭差。卜之所陳蓋如此。按此篇專主卜言。然其上原天命、下述得人。往推寧王・寧人不可不成之功、近指成王・邦君・御事不可不終之責。諄諄乎民生之休戚、家國之興喪、懇惻切至、不能自已。而反復終始乎卜之一說、以通天下之志、以斷天下之疑、以定天下之業。非聰明睿知、神武而不殺者、孰能與於此哉。
【読み】
△予れ曷ぞ其れ極めて卜わん。敢えて于[ここ]に從わざらんや。寧人に率う。疆土を指すこと有り。矧んや今卜幷せて吉をや。肆に朕れ誕いに爾を以[い]て東征す。天命僭[たが]わず、卜陳なりて惟れ茲の若し、と。我れ何ぞ敢えて盡く卜を用いんと欲せん。敢えて爾が征つこと勿かれというに從わざらん。蓋し寧人の功に率い循わん。當に先王の疆土を指し定むるの理有るべし。卜して吉ならずとも、固に將に之を伐たんとす。況んや今に卜して幷せて吉なるをや。故に我れ大いに爾を以て東征す。天命斷じて僭い差わず。卜の陳ぬる所蓋し此の如し、と。按ずるに此の篇專ら卜を主として言う。然れども其の上は天命に原づき、下は人を得ることを述ぶ。往は寧王・寧人の成さずんばある可からざるの功を推し、近くは成王・邦君・御事の終えずんばある可からざるの責めを指す。諄諄乎として民生の休戚、家國の興喪、懇惻切至、自ら已むこと能わず。而して卜の一說を反復終始して、以て天下の志を通じて、以て天下の疑いを斷り、以て天下の業を定む。聰明睿知、神武にして殺さざる者に非ざれば、孰か能く此に與らんや。


微子之命 微、國名。子、爵也。成王旣殺武庚、封微子於宋、以奉湯祀。史錄其誥命、以爲此篇。今文無、古文有。
【読み】
微子之命[びしのめい] 微は、國の名。子は、爵なり。成王旣に武庚を殺して、微子を宋に封じて、以て湯の祀を奉ず。史其の誥命を錄して、以て此の篇とす。今文無し、古文有り。


王若曰、猷殷王元子、惟稽古崇德象賢。統承先王、修其禮物、作賓于王家。與國咸休、永世無窮。元子、長子也。微子、帝乙之長子。紂之庶兄也。崇德、謂先聖王之有德者、則尊崇而奉祀之也。象賢、謂其後嗣子孫、有象先聖王之賢者、則命之以主祀也。言考古制、尊崇成湯之德、以微子象賢、而奉其祀也。禮、典禮。物、文物也。修其典禮文物、不使廢壞、以備一王之法也。孔子曰、夏禮吾能言之、杞不足徵也。殷禮吾能言之、宋不足徵也。文獻不足故也。殷之典禮、微子修之。至孔子時、已不足徵矣。故夫子惜之。賓、以客禮遇之也。振鷺言、我客戾止。左氏謂、宋先代之後、天子有事膰焉、有喪拜焉者也。呂氏曰、先王之心、公平廣大、非若後世滅人之國、惟恐苗裔之存、爲子孫害。成王命微子、方且撫助愛養、欲其與國咸休、永世無窮。公平廣大氣象、於此可見。
【読み】
王若[か]く曰く、猷[ああ]殷王の元子、惟れ古を稽え德を崇び賢に象る。統べて先王に承[つ]いで、其の禮物を修め、王家に賓作り。國と咸く休[よ]みして、永き世までに窮まり無けん。元子は、長子なり。微子は、帝乙の長子。紂の庶兄なり。德を崇ぶとは、謂ゆる先聖王の德有る者を、則ち尊崇して之を奉祀す。賢に象るとは、謂ゆる其の後嗣子孫、先聖王の賢に象る者有るときは、則ち之に命じて以て祀を主らしむるなり。言うこころは、古制を考え、成湯の德を尊崇し、微子賢に象るを以て、而して其の祀を奉ず。禮は、典禮。物は、文物なり。其の典禮文物を修めて、廢壞せしめずして、以て一に王の法を備うなり。孔子曰く、夏の禮は吾れ能く之を言えども、杞徵[しるし]とするに足らず。殷の禮は吾れ能く之を言えども、宋徵とするに足らず、と。文獻足らざるが故なり。殷の典禮は、微子之を修む。孔子の時に至りて、已に徵とするに足らず。故に夫子之を惜む。賓は、客禮を以て之を遇するなり。振鷺に言く、我が客戾[いた]れり、と。左氏が謂ゆる、宋は先代の後、天子事有るときは膰す、喪有るときは拜すという者なり。呂氏が曰く、先王の心は、公平廣大、後世人の國を滅ぼして、惟れ苗裔の存して、子孫の害を爲すを恐るるが若きに非ず。成王微子に命じ、方に且つ撫助愛養して、其の國と咸く休みして、永き世までに窮まり無からんことを欲す。公平廣大の氣象、此に於て見る可し。

△嗚呼乃祖成湯、克齊聖廣淵。皇天眷佑、誕受厥命。撫民以寬、除其邪虐。功加于時、德垂後裔。齊、肅也。齊則無不敬。聖則無不通。廣、言其大。淵、言其深也。誕、大也。皇天眷佑、誕受厥命、卽伊尹所謂天監厥德、用集大命者。撫民以寬、除厥邪虐、卽伊尹所謂代虐以寬、兆民允懷者。功加于時、言其所及者衆。德垂後裔、言其所傳者遠也。後裔、卽微子也。此崇德之意。
【読み】
△嗚呼乃の祖成湯、克く齊聖廣淵なり。皇天眷[かえり]み佑けて、誕[おお]いに厥の命を受く。民を撫づるに寬を以てし、其の邪虐を除く。功時に加わり、德後裔に垂れたり。齊は、肅むなり。齊なれば則ち敬せざる無し。聖なれば則ち通ぜざる無し。廣は、其の大いなるを言う。淵は、其の深きを言うなり。誕は、大いなり。皇天眷み佑け、誕いに厥の命を受くとは、卽ち伊尹が所謂天厥の德を監て、用て大命を集むという者なり。民を撫づるに寬を以てし、厥の邪虐を除くとは、卽ち伊尹が所謂虐に代うるに寬を以てして、兆民允として懷くという者なり。功時に加うとは、言うこころは、其の及ぶ所の者衆し。德後裔に垂るとは、言うこころは、其の傳わる所の者遠し。後裔は、卽ち微子なり。此れ德を崇ぶの意なり。

△爾惟踐修厥猷、舊有令聞。恪愼克孝、肅恭神人。予嘉乃德。曰篤不忘。上帝時歆、下民祗協。庸建爾于上公、尹茲東夏。猷、道。令、善。聞、譽也。微子踐履修舉成湯之道、舊有善譽、非一日也。恪、敬也。恪謹克孝、肅恭神人、指微子實德而言。抱祭器歸周、亦其一也。篤、厚也。我善汝德、曰厚而不忘也。歆、饗。庸、用也。王者之後稱公。故曰上公。尹、治也。宋・亳在東。故曰東夏。此象賢之意。
【読み】
△爾惟れ厥の猷[みち]を踐み修めて、舊[もと]より令聞有り。恪[つつし]み愼みて克く孝あり、神人を肅み恭む。予れ乃の德を嘉みんず。曰く篤くして忘れず、と。上帝時[こ]れ歆[う]け、下民祗[つつし]み協えり。庸[もっ]て爾を上公に建てて、茲の東夏を尹[おさ]めしむ。猷は、道。令は、善き。聞は、譽れなり。微子成湯の道を踐履修舉して、舊より善譽有るは、一日に非ざるなり。恪は、敬むなり。恪み謹みて克く孝あり、神人を肅み恭むとは、微子の實德を指して言う。祭器を抱いて周に歸するも、亦其の一なり。篤は、厚きなり。我れ汝の德を善みんじて、曰く、厚くして忘れず、と。歆[きん]は、饗[う]く。庸は、用てなり。王者の後を公と稱す。故に上公と曰う。尹は、治むるなり。宋・亳は東に在り。故に東夏と曰う。此れ賢に象るの意なり。

△欽哉。往敷乃訓、愼乃服命、率由典常、以蕃王室。弘乃烈祖、律乃有民、永綏厥位、毗予一人、世世享德、萬邦作式、俾我有周無斁。斁、音亦。○此因戒勉之也。服命、上公服命也。宋、王者之後。成湯之廟、當有天子禮樂。慮有僭擬之失。故曰、謹其服命、率由典常。以戒之也。弘、大。律、範。毗、輔。式、法。斁、厭也。卽詩言、在此無斁之意。○林氏曰、偪生於僭、僭生於疑。非疑無僭、非僭無偪。謹其服命、遵守典常、安有偪僭之過哉。魯實侯爵。乃以天子禮樂祀周公、亦旣不謹矣。其後遂用於羣公之廟。甚至季氏僭八佾、三家僭雍徹。其原一開末流、無所不至。成王於宋謹愼如此。必無賜周公以天子禮樂之事、豈周室旣衰、魯竊僭用、託爲成王之賜、伯禽之受乎。
【読み】
△欽めや。往いて乃の訓えを敷き、乃の服命を愼み、典常に率い由りて、以て王室を蕃[まも]れ。乃の烈祖を弘[おお]いにし、乃の有民に律[のり]として、永く厥の位を綏んじ、予れ一人を毗[たす]けて、世世德を享けて、萬邦式[のり]と作して、我が有周をして斁[いと]うこと無からしめよ。斁[えき]は、音亦。○此は因りて之を戒め勉めしむるなり。服命は、上公の服命なり。宋は、王者の後。成湯の廟、當に天子の禮樂有るべし。僭擬の失有らんことを慮る。故に曰く、其の服命を謹み、典常に率い由れ、と。以て之を戒むるなり。弘は、大い。律は、範。毗は、輔く。式は、法。斁は、厭うなり。卽ち詩に言う、此に在りて斁われ無しの意なり。○林氏が曰く、偪[せ]むるは僭[おご]れるより生り、僭るは疑うより生る。疑うに非ざれば僭ること無し、僭るに非ざれば偪むること無し。其の服命を謹みて、典常を遵守すれば、安んぞ偪僭の過ち有らんや。魯は實に侯爵なり。乃ち天子の禮樂を以て周公を祀るは、亦旣に謹まざるなり。其の後遂に羣公の廟に用ゆ。甚だしきは季氏八佾を僭し、三家雍徹を僭するに至る。其の原一たび開いて末流れ、至らざる所無し。成王宋に於て謹愼すること此の如し。必ず周公に賜うに天子の禮樂を以てするの事無きに、豈周室旣に衰え、魯竊僭して用ゆるは、託して成王の賜、伯禽が受くるとするか、と。

△嗚呼往哉。惟休無替朕命。歎息言、汝往之國、當休美其政、而無廢棄我所命汝之言也。
【読み】
△嗚呼往けや。惟れ休[よ]みんじて朕が命を替[す]つること無かれ、と。歎息して言う、汝が往く國、當に其の政を休美して、我が汝に命ずる所の言を廢て棄つること無かるべし、と。


康誥 康叔、文王之子、武王之弟。武王誥命爲衛侯。今文古文皆有。○按書序以康誥爲成王之書。今詳本篇、康叔於成王爲叔父。成王不應以弟稱之。說者謂、周公以成王命誥。故曰弟。然旣謂之王若曰、則爲成王之言。周公何遽自以弟稱之也。且康誥・酒誥・梓材三篇、言文王者非一、而略無一語以及武王何耶。說者又謂、寡兄勖爲稱武王。尤爲非義。寡兄云者、自謙之辭、寡德之稱。苟語他人、猶之可也。武王康叔之兄。家人相語、周公安得以武王爲寡兄而告其弟乎。或又謂、康叔在武王時尙幼。故不得封。然康叔武王同母弟。武王分封之時、年已九十。安有九十之兄、同母弟尙幼、不可封乎。且康叔文王之子。叔虞成王之弟。周公東征、叔虞已封於唐。豈有康叔得封、反在叔虞之後。必無是理也。又按汲冢周書克殷篇言、王卽位於社南、羣臣畢從。毛叔鄭奉明水、衛叔封傅禮。召公奭贊釆、師尙父牽牲。史記亦言、衛康叔封布茲。與汲書大同小異。康叔在武王時、非幼亦明矣。特序書者、不知康誥篇首四十八字、爲洛誥脫簡、遂因誤爲成王之書。是知書序果非孔子所作也。康誥・酒誥・梓材篇次、當在金縢之前。
【読み】
康誥[こうこう] 康叔は、文王の子、武王の弟なり。武王誥命して衛侯とす。今文古文皆有り。○書の序を按ずるに康誥を以て成王の書とす。今本篇を詳らかにするに、康叔は成王に於て叔父爲り。成王弟を以て之を稱す應からず。說者謂く、周公成王の命を以て誥ぐ。故に弟と曰う、と。然れども旣に之れ王若く曰くと謂うときは、則ち成王の言爲り。周公何ぞ遽に自ら弟を以て之を稱せんや。且つ康誥・酒誥・梓材の三篇、文王を言う者一に非ず、而して略一語以て武王に及ぶこと無きは何ぞや。說者又謂く、寡兄勖[つと]めたりを武王を稱すとす、と。尤も義に非ずとす。寡兄と云うは、自ら謙るの辭、寡德の稱なり。苟も他人に語るときは、猶之れ可なり。武王は康叔の兄。家人相語るに、周公安んぞ武王を以て寡兄として其の弟に告ぐることを得んや。或ひと又謂く、康叔武王の時に在りて尙幼し。故に封ずること得ず、と。然れども康叔は武王の同母弟なり。武王分かち封ずるの時、年已に九十。安んぞ九十の兄有りて、同母弟尙幼くして、封ず可からざらんや。且つ康叔は文王の子。叔虞は成王の弟。周公東征して、叔虞已に唐に封ぜらる。豈康叔封を得ること、反って叔虞の後に在ること有らんや。必ず是の理無けん。又汲冢周書克殷の篇を按ずるに言く、王位に社の南に卽き、羣臣畢く從えり。毛叔鄭明水を奉じ、衛叔封禮を傅[つか]う。召公奭釆を贊け、師尙父牲を牽く、と。史記に亦言う、衛の康叔封茲を布く、と。汲書と大いに同じくして小異なり。康叔武王の時に在りて、幼きに非ざること亦明らかなり。特に書を序ずる者、康誥の篇首の四十八字は、洛誥の脫簡爲ることを知らず、遂に因りて誤りて成王の書とす。是に知る、書の序は果たして孔子の作る所に非ざることを。康誥・酒誥・梓材の篇次は、當に金縢の前に在るべし。


惟三月哉生魄、周公初基、作新大邑于東國洛。四方民大和會。侯・甸・男邦・采・衛、百工播民和、見士于周。周公咸勤、乃洪大誥治。三月、周公攝政七年之三月也。始生魄、十六日也。百工、百官也。士、說文曰、事也。詩曰、勿士行枚。呂氏曰、斧斤版築之事、亦甚勞矣。而民大和會、悉來赴役。卽文王作靈臺、庶民子來之意。蘇氏曰、此洛誥之文、當在周公拜手稽首之上。
【読み】
惟れ三月哉[はじ]めて魄を生すときに、周公初めて基して、新大邑を東國の洛に作る。四方の民大いに和らぎ會[つど]えり。侯・甸・男邦・采・衛までに、百工民に和らぐことを播いて、士[こと]を周に見る。周公咸勤めて、乃ち洪いに大いに誥げて治む。三月は、周公政を攝する七年の三月なり。始めて魄を生すとは、十六日なり。百工は、百官なり。士は、說文に曰く、事、と。詩に曰く、行枚を士とすること勿かれ、と。呂氏が曰く、斧斤版築の事、亦甚だ勞す。而れども民大いに和會して、悉く來りて役に赴く。卽ち文王靈臺を作り、庶民子のごとく來るの意なり、と。蘇氏が曰く、此れ洛誥の文、當に周公拜手稽首の上に在るべし、と。

△王若曰、孟侯、朕其弟小子封、王、武王也。孟、長也。言爲諸侯之長也。封、康叔名。舊說周公以成王命誥康叔者非是。
【読み】
△王若[か]く曰く、孟侯、朕が其の弟小子封、王は、武王なり。孟は、長なり。言うこころは、諸侯の長爲り。封は、康叔の名。舊說に周公成王の命を以て康叔に誥ぐるという者は是に非ず。

△惟乃丕顯考文王、克明德愼罰。左氏曰、明德謹罰、文王所以造周也。明德、務崇之之謂。謹罰、務去之之謂。明德謹罰、一篇之綱領。不敢侮鰥寡以下、文王明德謹罰也。汝念哉以下、欲康叔明德也。敬明乃罰以下、欲康叔謹罰也。爽惟民以下、欲其以德行罰也。封敬哉以下、欲其不用罰而用德也。終則以天命殷民結之。
【読み】
△惟れ乃の丕いに顯らかなる考文王、克く德を明らかにし罰を愼む。左氏が曰く、德を明らかにし罰を謹むは、文王の周を造す所以なり。德を明らかにするは、務めて之を崇ぶの謂なり。罰を謹むは、務めて之を去るの謂なり。德を明らかにし罰を謹むは、一篇の綱領なり。不敢侮鰥寡以下は、文王德を明らかにし罰を謹むなり。汝念哉以下は、康叔の德を明らかにせんことを欲するなり。敬明乃罰以下は、康叔の罰を謹まんことを欲するなり。爽惟民以下は、其の德を以て罰を行うことを欲するなり。封敬哉以下は、其の罰を用いずして德を用ゆることを欲するなり。終わりには則ち天殷の民を命ずるを以て之を結ぶ。

△不敢侮鰥寡、庸庸祗祗威威。顯民用肇造我區夏。越我一二邦以修。我西土惟時怙冒、聞于上帝、帝休。天乃大命文王、殪戎殷、誕受厥命。越厥邦厥民、惟時敍。乃寡兄勖。肆汝小子封、在茲東土。殪、壹計反。○鰥寡、人所易忽也。於人易忽者、而不忽焉。以見聖人無所不敬畏也。卽堯不虐無告之意也。論文王之德而首發此。非聖人不能也。庸、用也。用其所當用、敬其所當敬、威其所當威。言文王用能敬賢討罪、一聽於理、而己無與焉。故德著於民。用始造我區夏。及我一二友邦、漸以修治。至罄西土之人、怙之如父、冒之如天。明德昭升、聞于上帝。帝用休美、乃大命文王、殪滅大殷、大受其命。萬邦萬民、各得其理、莫不時敍。汝寡德之兄、亦勉力不怠。故爾小子封、得以在此東土也。吳氏曰、殪戎殷、武王之事也。此稱文王者、武王不敢以爲己之功也。○又按東土云者、武王克商、分紂城朝歌、以北爲邶、南爲鄘、東爲衛。意邶鄘爲武庚之封、而衛卽康叔也。漢書言、周公善康叔不從管蔡之亂。似地相比近之辭。然不可攷矣。
【読み】
△敢えて鰥寡を侮らず、庸[もち]ゆべきを庸い祗[つつし]むべきを祗み威[おど]すべきを威す。民に顯らかにして用て肇めて我が區夏を造せり。我が一二の邦に越ぶまで以て修まれり。我が西土惟れ時[こ]れ怙[たの]しみ冒[おお]われ、上帝に聞えて、帝休[よ]みす。天乃ち大いに文王に命じて、戎[おお]いなる殷を殪[たお]し、誕[おお]いに厥の命を受けたり。厥の邦厥の民に越ぶまで、惟れ時れ敍ず。乃の寡兄勖[つと]めたり。肆[ゆえ]に汝小子封、茲の東土に在り、と。殪[えい]は、壹計反。○鰥寡は、人の忽にし易き所なり。人の忽にし易き者に於て、忽にせず。以て聖人敬畏せずという所無きを見すなり。卽ち堯の無告を虐げずの意なり。文王の德を論じて首めて此に發す。聖人に非ずんば能わざるなり。庸は、用なり。其の當に用ゆべき所を用い、其の當に敬むべき所を敬み、其の當に威すべき所を威す。言うこころは、文王の能を用い賢を敬し罪を討ずる、一に理に聽いて、己與ること無し。故に德民に著る。用て始めて我が區夏を造す。我が一二の友邦に及ぶまで、漸く以て修まり治む。西土の人を罄[つ]くすに至りて、之を怙しむこと父の如く、之を冒うこと天の如し。明德昭らかに升り、上帝に聞ゆ。帝用て休美し、乃ち大いに文王に命じて、大いなる殷を殪滅し、大いに其の命を受く。萬邦の萬民、各々其の理を得て、時れ敍あらざること莫し。汝が寡德の兄も、亦勉め力めて怠らず。故に爾小子封、以て此の東土に在ることを得たり、と。吳氏が曰く、戎いなる殷を殪すとは、武王の事なり。此に文王と稱するは、武王敢えて以て己が功とせざるなり、と。○又按ずるに東土と云うは、武王商に克ちて、紂の城朝歌を分かちて、北を以て邶[はい]とし、南を鄘とし、東を衛とす。意うに邶鄘は武庚が封と爲りて、衛は卽ち康叔ならん。漢書に言く、周公康叔が管蔡の亂に從わざるを善みす、と。地相比近するの辭に似たり。然れども攷[かんが]う可からず。

△王曰、嗚呼封、汝念哉。今民將在祗遹乃文考、紹聞衣德言。往敷求于殷先哲王、用保乂民。汝丕遠惟商耇成人、宅心知訓。別求聞由古先哲王、用康保民。弘于天、若德裕乃身、不廢在王命。遹、音聿音述。○此下明德也。遹、述。衣、服也。今治民將在敬述文考之事、繼其所聞、而服行文王之德言也。往、之國也。宅心、處心也。安汝止之意。知訓、知所以訓民也。由、行也。曰保乂、曰知訓、曰康保、經緯以成文爾。武王旣欲康叔祗遹文考、又欲敷求商先哲王、又丕遠惟商耇成人、又別聞由古先哲王。近述諸今、遠稽諸古。不一而足、以見義理之無盡。易曰、君子多識前言往行、以蓄其德。弘者、廓而大之也。天者、理之所從出也。康叔博學以聚之、集義以生之、眞積力久、衆理該通。此心之天、理之所從出者、始恢廓而有餘用矣。若是則心廣體胖、動無違禮。斯能不廃在王之命也。○呂氏曰、康叔歷求聖賢問學、至於弘于天、德裕身。可謂盛矣。止能不廢王命、才可免過而已。此見人臣職分之難盡。若欲爲子、必須如舜與曾閔、方能不廢父命。若欲爲臣、必須如舜與周公、方能不廢君命。
【読み】
△王曰く、嗚呼封、汝念えや。今民將に乃の文考を祗み遹[の]べて、聞けるに紹[つ]いで德言を衣[おこな]うに在らんとす。往いて殷の先哲王を敷き求めて、用て民を保んじ乂[おさ]めよ。汝丕いに遠く商の耇[こう]成人を惟い、心を宅[お]き訓えを知れ。別[こと]に古の先哲王に聞き由[おこな]うことを求めて、用て民を康んじ保んぜよ。天に弘[おお]いにし、若[か]く德乃の身に裕かならば、王に在る命を廢てず、と。遹[いつ]は、音聿音述。○此より下は德を明らかにするなり。遹は、述ぶる。衣は、服[したが]うなり。今民を治むるは將に敬んで文考の事を述べ、其の聞く所を繼いで、文王の德言を服い行うに在らんとす。往くは、國に之くなり。心を宅くとは、心を處くなり。汝の止まりを安んずるの意なり。訓えを知るとは、民を訓ゆる所以を知るなり。由は、行うなり。保乂と曰い、知訓と曰い、康保と曰うは、經緯して以て文を成すのみ。武王旣に康叔が祗みて文考を遹べんことを欲し、又敷く商の先哲王を求め、又丕いに遠く商の耇成人を惟い、又別に聞いて由わんことを古の先哲王に欲す。近くは今を述べ、遠くは古を稽う。一つとして足らず、以て義理の盡きること無きを見す。易に曰く、君子は多く前言往行を識して、以て其の德を蓄う、と。弘は、廓[ひろ]くして之を大いにするなり。天は、理の從りて出づる所なり。康叔博く學んで以て之を聚め、集義して以て之を生し、眞に力を積むこと久しく、衆理該通す。此れ心の天、理の從りて出づる所の者、始めて恢廓[かいかく]して餘用有り。是の若きときは則ち心廣く體胖かにして、動きて禮に違うこと無し。斯れ能く王に在るの命を廃てざるなり。○呂氏が曰く、康叔歷く聖賢の問學を求め、天を弘いにし、德身を裕かにするに至る。盛んなりと謂う可し。止能く王命を廢てずして、才過を免る可きのみ。此れ人臣職分の盡くし難きことを見す。若し子爲らんと欲せば、必ず須く舜と曾閔との、方に能く父の命を廢てざるが如くすべし。若し臣爲らんと欲せば、必ず須く舜と周公との、方に能く君の命を廢てざるが如くすべし、と。

△王曰、嗚呼小子封、恫瘝乃身敬哉。天畏棐忱。民情大可見、小人難保。往盡乃心、無康好逸豫。乃其乂民。我聞曰、怨不在大、亦不在小。惠不惠、懋不懋。恫、音通。瘝、姑還反。○恫、痛。瘝、病也。視民之不安、如疾痛之在乃身。不可不敬之也。天命不常、雖甚可畏、然誠則輔之。民情好惡、雖大可見、而小民至爲難保。汝往之國、所以治之者非他、惟盡汝心、無自安而好逸豫。乃其所以治民也。古人言、怨不在大、亦在小、惟在順不順、勉不勉耳。順者、順於理。勉者、勉於行。卽上文所謂往盡乃心、無康好逸豫者也。
【読み】
△王曰く、嗚呼小子封、乃の身に恫[いた]き瘝[やまい]あるがごとく敬めや。天畏るべけれども忱[まこと]を棐[たす]く。民の情大いに見る可きなれども、小人は保んじ難し。往いて乃の心を盡くして、康んじて逸豫を好むこと無かれ。乃ち其れ民を乂[おさ]むるなり。我れ聞く曰く、怨みは大いなるに在らず、亦小しきなるにも在ず。惠[したが]うと惠わざると、懋[つと]むると懋めざるとなり。恫[とう]は、音通。瘝[かん]は、姑還反。○恫は、痛し。瘝は、病なり。民の安んぜざるを視ること、疾痛の乃の身に在るが如し。之を敬まずんばある可からず。天命常ならず、甚だ畏る可しと雖も、然れども誠あるときは則ち之を輔く。民情の好惡、大いに見る可しと雖も、而れども小民は至って保んじ難しとす。汝國に往き之いて、之を治むる所以の者は他に非ず、惟れ汝の心を盡くして、自ら安んじて逸豫を好むこと無し。乃ち其れ民を治むる所以なり。古人言く、怨みは大いなるに在ず、亦小しきなるにも在ず、惟順うと順わざると、勉むると勉めざるとに在るのみ、と。順うとは、理に順うなり。勉むるとは、行を勉むるなり。卽ち上の文に所謂往いて乃の心を盡くして、康んじて逸豫を好むこと無かれという者なり。

△己汝惟小子、乃服惟弘王。應保殷民、亦惟助王宅天命、作新民。服、事。應、和也。汝之事、惟在廣上德意。和保殷民、使之不失其所、以助王安定天命、而作新斯民也。此言明德之終也。大學言明德、亦舉新民終之。
【読み】
△己んなんや汝惟れ小子、乃の服[こと]惟れ王を弘めよ。殷の民を應[やわ]らげ保んじて、亦惟れ王を助け天命を宅[さだ]め、民を新たにすることを作せ、と。服は、事。應は、和らぐなり。汝の事は、惟れ上の德を廣むるに在るの意なり。殷の民を和らげ保んじ、之をして其の所を失わざらしめ、以て王を助け天命を安んじ定めて、新たなる斯の民を作さんとなり。此れ言うこころは、德を明らかにするの終わりなり。大學に明德を言うも、亦新民を舉げて之を終う。

△王曰、嗚呼封、敬明乃罰。人有小罪非眚、乃惟終自作不典。式爾有厥罪小、乃不可不殺。乃有大罪非終、乃惟眚災。適爾旣道極厥辜、時乃不可殺。此下謹罰也。式、用。適、偶也。人有小罪、非過誤、乃其固爲亂常之事。用意如此、其罪雖小、乃不可不殺。卽舜典所謂刑故無小也。人有大罪、非是故犯、乃其過誤、出於不幸、偶爾如此、旣自稱道、盡輸其情、不敢隱匿、罪雖大、時乃不可殺。卽舜典所謂宥過無大也。諸葛孔明治蜀、服罪輸情者、雖重必釋。其旣道極厥辜、時乃不可殺之意歟。
【読み】
△王曰く、嗚呼封、敬みて乃の罰を明らかにせよ。人小しきなる罪有りとも眚[あやまち]に非ず、乃ち惟れ終えて自ら典あらざることを作さん。式[もっ]て爾らば厥の罪小しきなること有りとも、乃ち殺さずんばある可からず。乃ち大いなる罪有りとも終うるに非ず、乃ち惟れ眚ち災いせん。適々爾らば旣に道[い]いて厥の辜[つみ]を極めば、時[こ]れ乃ち殺す可からず、と。此の下は罰を謹むなり。式は、用て。適は、偶々なり。人小しきなる罪有りとも、過誤に非ず、乃ち其れ固に常を亂るの事を爲す。意を用ゆること此の如くなれば、其の罪小しきなりと雖も、乃ち殺さずんばある可からず。卽ち舜典に所謂故を刑するに小しきなること無きなり。人大いなる罪有り、是れ故に犯すに非ずして、乃ち其れ過誤にして、不幸に出でて、偶々爾として此の如くなれば、旣に自ら稱道して、盡く其の情を輸[つ]くして、敢えて隱匿せざれば、罪大いなりと雖も、時れ乃ち殺す可からず。卽ち舜典に所謂過てるを宥めて大いなりとすること無きなり。諸葛孔明蜀を治むるときに、罪に服し情を輸くす者は、重しと雖も必ず釋[ゆる]す。其れ旣に道いて厥の辜を極めば、時れ乃ち殺す可からずの意か。

△王曰、嗚呼封有敍。時乃大明服。惟民其勑懋和。若有疾、惟民其畢棄咎。若保赤子、惟民其康乂。有敍者、刑罰有次序也。明者、明其罰。服者、服其民也。左氏曰、乃大明服。己則不明、而殺人以逞。不亦難乎。勑、戒勑也。民其戒勑、而勉於和順也。若有疾、以去疾之心去惡也。故民皆棄咎。若保赤子者、以保子之心保善也。故民其安治。
【読み】
△王曰く、嗚呼封敍有り。時[こ]れ乃ち大いに明らかにし服[つ]けよ。惟れ民其れ勑[つつし]みて和らぎを懋[つと]めん。疾有るが若くするときは、惟れ民其れ畢く咎を棄つ。赤子を保んずるが若くするときは、惟れ民其れ康んじ乂[おさ]まる。敍有りとは、刑罰に次序有るなり。明は、其の罰を明らかにするなり。服は、其の民を服するなり。左氏が曰く、乃ち大いに明らかなれば服す。己則ち明らかならずして、人を殺して以て逞しくす。亦難からずや、と。勑は、戒勑なり。民其れ戒め勑みて、和順を勉む。疾有るが若しとは、疾を去るの心を以て惡を去るなり。故に民皆咎を棄つ。赤子を保つが若しとは、子を保んずるの心を以て善を保んずるなり。故に民其れ安んじ治まる。

△非汝封刑人殺人。無或刑人殺人。非汝封又曰劓刵人。無或劓刵人。刑殺者、天之所以討有罪、非汝封得以刑之殺之也。汝無或以己而刑殺之。刵、截耳也。刑殺、刑之大者。劓刵、刑之小者。兼舉小大、以申戒之也。又曰、當在無或刑人殺人之下。又按刵、周官五刑所無。呂刑以爲苗民所制。
【読み】
△汝封が人を刑し人を殺すに非ず。人を刑し人を殺すこと或る無かれ。汝封が又曰く人を劓[はなぎ]り刵[みみき]るに非ず。人を劓り刵ること或る無かれ、と。刑殺は、天の罪有るを討ずる所以、汝封が得て以て之を刑し之を殺すに非ざるなり。汝己を以て之を刑殺すること或る無かれ。刵[じ]は、耳を截つなり。刑殺は、刑の大なる者。劓刵[ぎじ]は、刑の小なる者。小大を兼ね舉げて、以て申ねて之を戒むなり。又曰は、當に無或刑人殺人の下に在るべし。又按ずるに刵は、周官の五刑に無き所。呂刑に以爲えらく、苗民制する所、と。

△王曰、外事、汝陳時臬、司師茲殷罰有倫。外事、未詳。陳氏曰、外事、有司之事也。臬、法也。爲準限之義。言汝於外事、但陳列是法、使有司師此殷罰之有倫者用之爾。○呂氏曰、外事、衛國事也。史記言、康叔爲周司寇。司寇、王朝之官。職任内事。故以衛國對言爲外事。今按篇中言、往敷求、往盡乃心。篇終曰、往哉封。皆令其之國之辭、而未見其留王朝之意。但詳此篇、康叔蓋深於法者、異時成王或舉以任司寇之職。而此則未必然也。
【読み】
△王曰く、外の事は、汝時[こ]の臬[のり]を陳べて、司をして茲の殷の罰の倫[ついで]有るを師とせよ、と。外事は、未だ詳らかならず。陳氏が曰く、外事は、有司の事なり、と。臬[げつ]は、法なり。準限の義とす。言うこころは、汝外事に於ては、但是の法を陳列して、有司をして此の殷の罰の倫有る者を師として之を用ゆるのみ。○呂氏が曰く、外事は、衛の國の事なり。史記に言く、康叔は周の司寇爲り、と。司寇は、王朝の官。職内事に任ず。故に衛の國を以て對して言いて外事とす、と。今按ずるに篇の中に言う、往いて敷き求め、往いて乃の心を盡くす、と。篇の終わりに曰く、往けや封、と。皆其をして國に之かしむるの辭にして、未だ其の王朝に留むるの意を見ず。但此の篇を詳らかにするに、康叔は蓋し法に深き者にて、異時成王或は舉げて以て司寇の職に任ずるならん。而れども此れ則ち未だ必ずしも然らざらん。

△又曰、要囚、服念五六日、至于旬時、丕蔽要囚。要囚、獄詞之要者也。服念、服膺而念之。旬、十日。時、三月。爲囚求生道也。蔽、斷也。
【読み】
△又曰く、囚を要めんことは、服念すること五六日より、旬時に至るまでに、丕いに蔽[さだ]めて囚を要めよ、と。要囚は、獄詞の要なる者なり。服念は、服膺して之を念うなり。旬は、十日。時は、三月。囚の爲に生道を求むるなり。蔽は、斷むるなり。

△王曰、汝陳時臬事、罰蔽殷彝。用其義刑義殺、勿庸以次汝封。乃汝盡遜、曰時敍、惟曰未有遜事。義、宜也。次、次舍之次。遜、順也。申言敷陳是法與事、罰斷以殷之常法矣。又慮其泥古而不通、又謂其刑其殺、必察其宜於時者、而後用之。旣又慮其趨時而徇己、又謂刑殺不可以就汝封之意。旣又慮其刑殺雖已當罪、而矜喜之心乘之、又謂使汝刑殺盡順於義、雖曰是有次敍、汝當惟謂未有順義之事。蓋矜喜之心生、乃怠惰之心起。刑殺之所由不中也。可不戒哉。
【読み】
△王曰く、汝時[こ]の臬[のり]と事とを陳べて、罰は殷の彝[つね]に蔽[さだ]めよ。其の義刑義殺を用いて、庸[もち]いて以て汝封を次[お]くこと勿かれ。乃ち汝盡くに遜わば、時れ敍ずと曰うとも、惟れ未だ遜う事有らずと曰え。義は、宜なり。次は、次舍の次。遜は、順うなり。申ねて言う、是の法と事とを敷き陳べて、罰の斷めは殷の常の法を以てす、と。又其の古に泥んで通ぜざるを慮りて、又其の刑其の殺は、必ず其の時に宜しき者を察して、而して後に之を用ゆることを謂う。旣に又其の時に趨りて己に徇うを慮りて、又刑殺は以て汝封の意に就[な]す可からざることを謂う。旣に又其の刑殺已に罪に當たると雖も、而れども矜喜の心之に乘ずるを慮りて、又謂う、汝をして刑殺盡く義に順いて、是れ次敍有りと曰うと雖も、汝當に惟れ未だ義に順うの事有らずと謂うべし、と。蓋し矜喜の心生るときは、乃ち怠惰の心起こる。刑殺の由りて中らざる所なり。戒めざる可けんや。

△已汝惟小子、未其有若汝封之心。朕心朕德惟乃知。已者、語辭之不能已也。小子、幼小之稱。言年雖少、而心獨善也。爾心之善、固朕知之。朕心朕德、亦惟爾知之。將言用罰之事。故先發其良心焉。
【読み】
△已んなんや汝惟れ小子、未だ其れ汝封が心に若くは有らず。朕が心朕が德惟れ乃知れり。已とは、語辭の已むこと能わざるなり。小子は、幼小の稱。言うこころは、年少[わか]しと雖も、心は獨り善きなり。爾が心の善き、固に朕れ之を知れり。朕が心朕が德も、亦惟れ爾之を知れり、と。將に罰を用ゆるの事を言わんとす。故に先ず其の良心を發すなり。

△凡民自得罪、寇攘姦宄、殺越人于貨、暋不畏死、罔弗憝。暋、音敏。憝、徒對反。○越、顚越也。盤庚云、顚越不恭。暋、强。憝、惡也。自得罪、非爲人誘陷以得罪也。凡民自犯罪、爲盜賊姦宄、殺人顚越人、以取財貨、强亡命者、人無不憎惡之也。用罰而加是人、則人無不服。以其出乎人之同惡、而非卽乎吾之私心也。特舉此以明用罰之當罪。
【読み】
△凡そ民自ら罪を得て、寇攘姦宄し、人を貨に殺し越[くつがえ]し、暋[つよ]くして死を畏れざるをば、憝[にく]まざる罔し、と。暋[びん]は、音敏。憝[たい]は、徒對反。○越は、顚越なり。盤庚に云う、顚越して恭しからず、と。暋は、强し。憝は、惡むなり。自ら罪を得とは、人の爲に誘き陷いられて以て罪を得るに非ず。凡そ民自ら罪を犯して、盜賊姦宄を爲し、人を殺し人を顚越して、以て財貨を取り、强狠[きょうこん]にして命を亡う者、人之を憎惡せざる無し。罰を用いて是の人に加うるときは、則ち人服せざる無し。其の人の惡に同じく出でて、吾が私心に卽くに非ざるを以てなり。特に此を舉げて以て罰を用ゆるの罪に當たるを明らかにするなり。

△王曰、封、元惡大憝。矧惟不孝不友。子弗祗服厥父事、大傷厥考心。于父不能字厥子、乃疾厥子。于弟弗念天顯、乃弗克恭厥兄、兄亦不念鞠子哀、大不友于弟。惟弔茲、不于我政人得罪、天惟與我民彝大泯亂。曰、乃其速由文王作罰、刑茲無赦。弔、音的。○大憝、卽上文之罔弗憝。言寇攘姦宄、固爲大惡而大可惡矣。況不孝不友之人、而尤爲可惡者。當商之季、禮義不明、人紀廢壞。子不敬事其父、大傷父心。父不能愛子、乃疾惡其子。是父子相夷也。天顯、猶孝經所謂天明。尊卑顯然之序也。弟不念尊卑之序、而不能敬其兄、兄亦不念父母鞠養之勞、而大不友其弟。是兄弟相賊也。父子兄弟至於如此、苟不於我爲政之人而得罪焉、則天之與我民彝、必大泯滅而紊亂矣。曰者、言如此則汝其速由文王作罰、刑此無赦、而懲戒之不可緩也。
【読み】
△王曰く、封、元いなる惡すら大いに憝[にく]む。矧んや惟れ不孝不友をや。子厥の父の事に祗んで服[つ]かず、大いに厥の考の心を傷る。父に于て厥の子を字[いつく]しむこと能わず、乃ち厥の子を疾[にく]む。弟に于て天の顯らかなるを念わず、乃ち厥の兄を恭しくすることを克くせず、兄も亦子を鞠[やしな]うことの哀[いた]みを念わず、大いに弟に友[むつ]まじからず。惟れ茲に弔[いた]るときは、我が政人に于て罪を得ずんば、天惟れ我に與うる民の彝大いに泯[ほろ]び亂る。曰く、乃其れ速やかに文王の罰を作すに由[したが]いて、茲を刑して赦す無かれ。弔は、音的。○大いに憝むは、卽ち上の文の憝まざる罔しなり。言うこころは、寇攘姦宄は、固に大惡を爲して大いに惡む可し。況んや不孝不友の人にして、尤も惡む可しとする者をや。商の季に當たりて、禮義明らかならず、人紀廢り壞る。子は其の父に敬み事えず、大いに父の心を傷る。父は子を愛しむこと能わず、乃ち其の子を疾み惡む。是れ父子相夷[やぶ]るなり。天顯は、猶孝經に所謂天明のごとし。尊卑顯然の序なり。弟は尊卑の序を念わずして、其の兄を敬うこと能わず、兄も亦父母鞠養の勞を念わずして、大いに其の弟に友まじからず。是れ兄弟相賊するなり。父子兄弟此の如きに至り、苟も我れ政を爲むるの人に於て焉を罪するを得ざるときは、則ち天の我に與うる民の彝、必ず大いに泯滅して紊亂す。曰くとは、言うこころは、此の如きときは則ち汝其れ速やかに文王の罰を作すに由いて、此を刑して赦すこと無くして、懲らし戒むるの緩くす可からざるなり。

△不率大戛。矧惟外庶子訓人。惟厥正人、越小臣諸節、乃別播敷、造民大譽。弗念弗庸、瘝厥君。時乃引惡。惟朕憝。己、汝乃其速由茲義率殺。戛、訖詰反。〇戛、法也。言民之不率敎者、固可大寘之法矣。況外庶子以訓人爲職。與庶官之長、及小臣之有符節者、乃別布條敎、違道干譽、弗念其君、弗用其法、以病君上。是乃長惡於下、我之所深惡也。臣之不忠如此、刑其可已乎。汝其速由此義、而率以誅戮之可也。〇按上言民不孝不友、則速由文王作罰、刑玆無赦、此言外庶子正人、小臣背上立私、則速由茲義率殺。其曰刑曰殺、若用法峻急者、蓋殷之臣民化紂之惡、父子兄弟之無其親、君臣上下之無其義、非繩之以法、示之以威、殷民孰知不孝不義之不可干哉。周禮所謂刑亂國用重典者是也。然曰速由文王、曰速由茲義、則其刑其罰亦仁厚而已矣。
【読み】
△大いなる戛[のり]に率わず。矧んや惟れ外庶子の人を訓ゆるをや。惟れ厥の正人、越[およ]び小臣の諸節、乃ち別[こと]に播し敷き、民に大譽を造す。念わず庸いず、厥の君を瘝[や]ましむ。時れ乃ち惡しきを引く。惟れ朕れ憝[にく]む。己んなんや、汝乃ち其れ速やかに茲の義に由[したが]いて率いて殺せ。戛[かつ]は、訖詰反。〇戛は、法なり。言うこころは、民の敎えに率わざる者は、固に大いに之が法を寘[お]く可し。況んや外庶子の以て人を訓えて職とするをや。庶官の長、及び小臣の符節有る者と、乃ち別に條敎を布いて、道に違いて譽れを干して、其の君を念わず、其の法を用いず、以て君上を病ましむ。是れ乃ち惡を下に長ずるは、我が深く惡む所なり。臣の不忠此の如きときは、刑其れ已む可けんや。汝其れ速やかに此の義に由いて、率いて以て誅戮すること可なり、と。〇按ずるに上には民不孝不友なるときは、則ち速やかに文王の罰を作すに由いて、玆を刑して赦す無かれと言い、此には外庶子の正人、小臣の上に背き私を立つるときは、則ち速やかに茲の義に由いて率いて殺せと言う。其の刑と曰い殺と曰う、法を用ゆるの峻急なるが若き者は、蓋し殷の臣民紂の惡に化して、父子兄弟の其の親無く、君臣上下の其の義無く、之を繩するに法を以てし、之に示すに威を以てするに非ずんば、殷の民孰か不孝不義の干す可からざるを知らんや。周禮に所謂亂國を刑するには重典を用ゆという者是れなり。然れども速やかに文王に由うと曰い、速やかに茲の義に由うと曰うときは、則ち其の刑其の罰も亦仁厚なるのみ。

△亦惟君惟長、不能厥家人、越厥小臣外正。惟威惟虐、大放王命、乃非德用乂。君長、指康叔而言也。康叔而不能齊其家、不能訓其臣、惟威惟虐、大廢棄天子之命。乃欲以非德用治。是康叔且不能用上命矣。亦何以責其臣之瘝厥君也哉。
【読み】
△亦惟れ君惟れ長として、厥の家人を能くせず、越[およ]び厥の小臣外正まで。惟れ威し惟れ虐[そこな]いて、大いに王命を放たば、乃德用て乂[おさ]むるに非ず。君長は、康叔を指して言うなり。康叔而も其の家を齊うこと能わず、其の臣を訓ゆること能わず、惟れ威し惟れ虐いて、大いに天子の命を廢棄す。乃非德を以て用て治めんと欲す。是れ康叔すら且つ上の命を用ゆること能わず。亦何を以てか其の臣の厥の君を瘝ましむるを責めんや、と。

△汝亦罔不克敬典。乃由裕民、惟文王之敬忌。乃裕民曰、我惟有及。則予一人以懌。汝罔不能敬守國之常法。由是而求裕民之道。惟文王之敬忌。敬則有所不忽、忌則有所不敢。期裕其民曰、我惟有及於文王、則予一人以悅懌矣。此言謹罰之終也。穆王訓刑亦曰、敬忌云。
【読み】
△汝亦克く典を敬まざる罔かれ。乃由りて民を裕かにせば、惟れ文王の敬忌なり。乃民を裕かにして曰く、我れ惟れ及ぶこと有り、と。則ち予れ一人以て懌[よろこ]ばん、と。汝能く國を守るの常の法を敬まざる罔かれ。是に由りて民を裕かにするの道を求めよ。惟れ文王の敬忌なり。敬むときは則ち忽にせざる所有り、忌むときは則ち敢えてせざる所有り。其の民を裕かにするを期して曰く、我れ惟れ文王に及ぶこと有りというときは、則ち予れ一人以て悅び懌ばん、と。此は罰を謹むの終わりを言うなり。穆王の訓刑にも亦曰く、敬忌すと云う。

△王曰、封、爽惟民迪吉康。我時其惟殷先哲王德、用康乂民作求。矧今民罔迪不適。不迪則罔政在厥邦。此下欲其以德用罰也。求、等也。詩曰、世德作求。言明思夫民、當開導之以吉康。我亦時其惟殷先哲王之德、用以安治其民、爲等匹於商先王也。迪、卽迪吉康之迪。況今民無導之而不從者。苟不有以導之、則爲無政於國矣。迪言德而政言刑也。前旣嚴之民、又嚴之臣、又嚴之康叔。此則武王之自嚴畏也。
【読み】
△王曰く、封、爽らかに民を惟いて吉く康きに迪[みちび]くべし。我れ時れ其れ殷の先哲王の德を惟いて、用て民を康んじ乂[おさ]めて求[ひと]しからんことを作す。矧んや今民迪いて適かざる罔きをや。迪かずんば則ち政厥の邦に在ること罔し、と。此の下は其の德を以て罰を用いんことを欲するなり。求は、等しきなり。詩に曰く、德を世々にして求しからんことを作す、と。言うこころは、明らかに夫の民を思うに、當に之を開き導くに吉康を以てすべし。我も亦時れ其れ殷の先哲王の德を惟いて、用いて以て其の民を安んじ治め、商の先王に等しく匹せんとす。迪は、卽ち吉康に迪くの迪なり。況んや今の民之を導いて從わざる者無し。苟も以て之を導くこと有らずんば、則ち國に政無しとす。迪くに德を言いて政に刑を言う。前に旣に之を民に嚴にし、又之を臣に嚴にし、又之を康叔に嚴にす。此れ則ち武王の自ら嚴畏するなり。

△王曰、封、予惟不可不監。告汝德之說。于罰之行、今惟民不靜、未戾厥心、迪屢未同。爽惟天其罰殛我、我其不怨。惟厥罪無在大、亦無在多。矧曰其尙顯聞于天。戾、止也。又言民不安靜、未能止其心之疾、迪之者雖屢、而未能使之上同乎治。明思天其殛罰我、我何敢怨乎。惟民之罪、不在大、亦不在多。苟爲有罪、卽在朕躬。況曰今庶羣腥穢之德、其尙顯聞于天乎。
【読み】
△王曰く、封、予れ惟れ監みずんばある可からず。汝に德の說くことを告ぐ。罰の行うに于て、今惟れ民靜かならず、未だ厥の心を戾[とど]めず、迪[みちび]くこと屢々すれども未だ同じからず。爽らかに惟うに天其れ我を罰殛すとも、我れ其れ怨みず。惟れ厥の罪大なるに在る無く、亦多きに在る無し。矧んや曰く其れ尙顯らかに天に聞ゆるをや、と。戾は、止むなり。又言う、民安靜ならざるときは、未だ其の心の[こんしつ]を止むること能わず、之を迪く者屢々すと雖も、而れども未だ之をして上治を同じくせしむること能わず。明らかに思うに天其れ我を殛罰すとも、我れ何ぞ敢えて怨まんや。惟れ民の罪、大なるに在らず、亦多きに在らず。苟も罪有りとするは、卽ち朕が躬に在らん。況んや曰く今庶羣腥穢の德、其れ尙天に顯らかに聞ゆるをや、と。

△王曰、嗚呼封敬哉。無作怨。勿用非謀非彝。蔽時忱。丕則敏德、用康乃心、顧乃德、遠乃猷、裕乃以民寧、不汝瑕殄。此欲其不用罰而用德也。歎息言、汝敬哉。毋作可怨之事。勿用非善之謀、非常之法。惟斷以是誠、大法古人之敏德、用以安汝之心、省汝之德、遠汝之謀、寬裕不迫、以待民之自安。若是則不汝瑕疵而棄絕矣。
【読み】
△王曰く、嗚呼封敬めや。怨みを作す無かれ。謀に非ず彝に非ざるを用ゆる勿かれ。蔽[さだ]むるに時[こ]れ忱[まこと]をせよ。丕いに敏德に則りて、用て乃の心を康んじ、乃の德を顧み、乃の猷[はかりごと]を遠くして、裕かにして乃ち以て民寧らがば、汝を瑕[や]ましめ殄[た]たず、と。此れ其の罰を用いずして德を用いんことを欲するなり。歎息して言く、汝敬めや。怨む可きの事を作す毋かれ。善に非ざるの謀、常に非ざるの法を用ゆる勿かれ。惟れ斷[さだ]むるに是の誠を以てし、大いに古人の敏德に法りて、用いて以て汝の心を安んじ、汝の德を省み、汝の謀を遠くし、寬裕にして迫らずして、以て民の自ら安んずるを待つ。是の若くんば則ち汝瑕疵ありとして棄て絕たず、と。

△王曰、嗚呼肆汝小子封、惟命不于常。汝念哉。無我殄享。明乃服命、高乃聽、用康乂民。肆、未詳。惟命不于常、善則得之、不善則失之。汝其念哉。毋我殄絕所享之國也。明汝侯國服命、高其聽、不可卑忽我言、用安治爾民也。
【読み】
△王曰く、嗚呼肆[いま]汝小子封、惟れ命常に于てせず。汝念えや。我が享くるを殄[た]つ無かれ。乃の服命を明らかにし、乃の聽を高くして、用て民を康んじ乂めよ、と。肆は、未だ詳らかならず。惟れ命常に于てせず、善なるときは則ち之を得、不善なるときは則ち之を失う。汝其れ念えや。我が享くる所の國を殄絕[てんぜつ]する毋かれ。汝が侯國の服命を明らかにし、其の聽を高くし、我が言を卑しみ忽にす可からず、用て爾の民を安んじ治めよ、と。

△王若曰、往哉封。勿替敬典。聽朕告汝。乃以殷民世享。勿廢其所敬之常法。聽我所命、而服行之。乃能以殷民、而世享其國也。世享、對上文殄享而言。
【読み】
△王若[か]く曰く、往けや封。敬める典を替[す]つる勿かれ。朕が汝に告ぐるを聽け。乃ち殷の民を以て世々享けん、と。其の敬む所の常の法を廢つる勿かれ。我が命ずる所を聽いて、之を服し行わん。乃ち能く殷の民を以て、世々其の國を享けん、と。世々享くとは、上の文の享くるを殄つに對して言う。


酒誥 商受酗酒、天下化之。妹土、商之都邑。其染惡尤甚。武王以其地封康叔。故作書誥敎之云。今文古文皆有。○按吳氏曰、酒誥一書、本是兩書。以其皆爲酒而誥、故誤合而爲一。自王若曰、明大命于妹邦以下、武王告受故都之書也。自王曰封、我西土棐徂邦君以下、武王告康叔之書也。書之體爲一人而作、則首稱其人。爲衆人而作、則首稱其衆。爲一方而作、則首稱一方。爲天下而作、則首稱天下。君奭書首稱君奭、君陳書首稱君陳、爲一人而作也。甘誓首稱六事之人、湯誓首稱格汝衆、此爲衆人而作也。湯誥首稱萬方有衆、大誥首稱大誥多邦、此爲天下而作也。多方書爲四國而作。則首稱四國。多士書爲多士而作。則首稱多士。今酒誥爲妹邦而作。故首言明大命于妹邦。其自爲一書無疑。按吳氏分篇引證、固爲明甚。但旣謂專誥毖妹邦、不應有乃穆考文王之語。意酒誥專爲妹邦而作。而妹邦在康叔封坼之内、則明大命之責、康叔實任之。故篇首專以妹邦爲稱。至中篇始名康叔以致誥。其曰尙克用文王敎者、亦申言首章文王誥毖之意。其事則主於妹邦、其書則付之康叔。雖若二篇、而實爲一書。雖若二事、而實相首尾。反復參究、蓋自爲書之一體也。
【読み】
酒誥[しゅこう] 商受酒に酗[く]し、天下之に化す。妹土は、商の都邑。其の惡に染まること尤も甚だし。武王其の地を以て康叔を封ず。故に書を作りて之に誥げ敎ゆと云う。今文古文皆有り。○按ずるに吳氏が曰く、酒誥の一書は、本是れ兩書なり。其れ皆酒の爲にして誥ぐるを以て、故に誤りて合わせて一つとす、と。王若曰、明大命于妹邦より以下は、武王受の故都に告ぐるの書なり。王曰封、我西土棐徂邦君より以下は、武王康叔に告ぐるの書なり。書の體一人の爲にして作るときは、則ち首めに其の人を稱す。衆人の爲にして作るときは、則ち首めに其の衆を稱す。一方の爲にして作るときは、則ち首めに一方を稱す。天下の爲にして作るときは、則ち首めに天下を稱す。君奭の書の首めに君奭を稱し、君陳の書の首めに君陳を稱するは、一人の爲にして作るなり。甘誓の首めに六事の人と稱し、湯誓の首めに格れ汝衆と稱するは、此れ衆人の爲にして作るなり。湯誥の首めに萬方の有衆と稱し、大誥の首めに大いに多邦に誥ぐと稱するは、此れ天下の爲にして作るなり。多方の書は四國の爲にして作る。則ち首めに四國と稱す。多士の書は多士の爲にして作る。則ち首めに多士と稱す。今酒誥は妹邦の爲にして作る。故に首めに大命を妹の邦に明らかにすと言う。其れ自ずから一書爲ること疑い無し。按ずるに吳氏篇を分かちて證を引くは、固に明なること甚だしとす。但旣に專ら妹の邦を誥げ毖[つつし]ましむと謂いて、乃の穆考文王の語有る應からず。意うに酒誥は專ら妹邦の爲にして作る。而も妹邦は康叔封坼[ほうき]の内に在れば、則ち大命を明らかにするの責め、康叔實に之に任ず。故に篇の首めに專ら妹邦を以て稱することをす。中篇に至りて始めて康叔を名のって以て誥を致す。其れ尙克く文王の敎えを用ゆと曰う者は、亦申ねて首めの章の文王誥げ毖ましむの意を言う。其の事は則ち妹邦を主として、其の書は則ち之を康叔に付す。二篇の若しと雖も、而れども實は一書爲り。二事の若しと雖も、而れども實は相首尾す。反復參究すれば、蓋し自ずから書の一體爲り。


王若曰、明大命于妹邦。妹邦、卽詩所謂沬郷。篇首稱妹邦者、誥命專爲妹邦發也。
【読み】
王若[か]く曰く、大命を妹の邦に明らかにせよ。妹の邦は、卽ち詩に所謂沬[ばい]の郷なり。篇の首めに妹の邦と稱するは、誥命專ら妹の邦の爲に發するなり。

△乃穆考文王、肇國在西土。厥誥毖庶邦・庶士、越少正・御事、朝夕曰、祀茲酒。惟天降命肇我民、惟元祀。穆、敬也。詩曰、穆穆文王是也。上篇言文王明德、則曰顯考、此篇言文王誥毖、則曰穆考。言各有當也。或曰、文王世次爲穆。亦通。毖、戒謹也。少正、官之副貳也。文王朝夕勑戒之曰、惟祭祀則用此酒。天始令民作酒者、爲大祭祀而已。西土庶邦遠去商邑。文王誥毖、亦諄諄以酒爲戒、則商邑可知。文王爲西伯。故得誥毖庶邦云。
【読み】
△乃の穆考文王、國を肇[はじ]めて西土に在り。厥れ庶邦・庶士、越[およ]び少正・御事までに誥げ毖[つつし]ましめて、朝夕曰く、祀のみ茲の酒をせよ、と。惟れ天命を降して我が民に肇むるは、惟れ元祀にす。穆は、敬なり。詩に曰く、穆穆たる文王とは是れなり。上の篇に文王の明德を言うときは、則ち顯考と曰い、此の篇に文王誥げ毖ましむることを言うときは、則ち穆考と曰う。言各々當たること有り。或ひと曰く、文王の世次を穆とす、と。亦通ず。毖[ひ]は、戒謹なり。少正は、官の副貳なり。文王朝夕之を勑戒して曰く、惟れ祭祀には則ち此の酒を用ゆ、と。天始めて民をして酒を作らしむる者は、大いなる祭祀の爲なるのみ。西土庶邦は遠く商邑を去る。文王誥げ毖ましむるに、亦諄諄として酒を以て戒めとするときは、則ち商邑知る可し。文王は西伯爲り。故に庶邦に誥げ毖ましむることを得と云う。

△天降威、我民用大亂喪德、亦罔非酒惟行。越小大邦用喪、亦罔非酒惟辜。酒之禍人也、而以爲天降威者、禍亂之成、是亦天爾。箕子言、受酗酒、亦曰天毒降災、正此意也。民之喪德、君之喪邦、皆由於酒。喪德故言行、喪邦故言辜。
【読み】
△天威を降して、我が民用て大いに亂れて德を喪うは、亦酒惟れ行うに非ざる罔し。小大の邦に越[およ]ぶまで用て喪ぶるは、亦酒惟れ辜[つみ]するに非ざるは罔し。酒の人に禍いするや、而も以て天威を降すとするは、禍亂の成るは、是れ亦天なるのみ。箕子が言く、受酒に酗するにも、亦天毒して災いを降すと曰うは、正に此の意なり。民の德を喪い、君の邦を喪ぼすは、皆酒に由る。德を喪う故に行と言い、邦を喪ぼす故に辜と言う。

△文王誥敎小子、有正・有事、無彝酒。越庶國飮惟祀。德將無醉。小子、少子之稱。以其血氣未定、尤易縱酒喪德。故文王專誥敎之。有正、有官守者。有事、有職業者。無、毋同。彝、常也。毋常於酒、其飮惟於祭祀之時。然亦必以德將之、無至於醉也。
【読み】
△文王小子に誥げ敎えらく、有正・有事、酒を彝[つね]にすること無かれ。越[およ]び庶國飮むこと惟れ祀のみせよ。德を將[おこな]いて醉うこと無かれ、と。小子は、少子の稱。其の血氣未だ定まらざるを以て、尤も酒を縱にして德を喪い易し。故に文王專ら之に誥げ敎ゆ。有正は、官守有る者なり。有事は、職業有る者なり。無は、毋と同じ。彝は、常なり。酒を常にすること毋かれとは、其の飮むこと惟れ祭祀の時に於てす。然して亦必ず德を以て之を將い、醉いに至ること無かれ、と。

△惟曰、我民迪小子。惟土物愛、厥心臧。聰聽祖考之彝訓。越小大德、小子惟一。文王言我民、亦常訓導其子孫。惟土物之愛、勤稼穡、服田畝、無外慕、則心之所守者正、而善日生。爲子孫者、亦當聰聽其祖父之常訓。不可以謹酒爲小德。小德大德、小子惟一視之可也。
【読み】
△惟れ曰く、我が民小子を迪[みちび]く。惟れ土物を愛すれば、厥の心臧[よ]し。祖考の彝訓を聰き聽くべし。小大の德に越[およ]ぶまで、小子惟れ一にせよ、と。文王我が民と言いて、亦常に其の子孫を訓え導く。惟れ土物を愛し、稼穡を勤め、田畝に服して、外の慕い無きときは、則ち心の守る所の者正しくして、善日に生る。子孫爲る者、亦當に聰にして其の祖父の常訓を聽くべし。酒を謹むを以て小德とす可からず。小德大德は、小子惟れ一に之を視て可なり。

△妹土嗣爾股肱、純其藝黍稷、奔走事厥考厥長、肇牽車牛遠服賈、用孝養厥父母、厥父母慶、自洗腆致用酒。此武王敎妹土之民也。嗣、續。純、大。肇、敏。服、事也。言妹土民、當嗣續汝四肢之力。無有怠惰。大修農功、服勞田畝、奔走以事其父母、或敏於貿易、牽車牛遠事賈、以孝養其父母。父母喜慶、然後可自洗腆致用酒。洗、以致其潔、腆、以致其厚也。薛氏曰、或大修農功、或遠服商賈、以養父母。父母慶、則汝可以用酒也。
【読み】
△妹の土爾の股肱を嗣いで、純[おお]いに其れ黍稷を藝[う]えて、奔走して厥の考厥の長に事え、肇[と]く車牛を牽いて遠く賈に服[つ]き、孝を用て厥の父母を養いて、厥の父母慶ぶときは、自ら洗ぎ腆[あつ]くして酒を用ゆることを致せ。此れ武王妹土の民に敎ゆるなり。嗣は、續ぐ。純は、大い。肇は、敏き。服は、事なり。言うこころは、妹土の民、當に汝の四肢の力を嗣ぎ續ぐべし。怠惰有ること無かれ。大いに農功を修め、田畝に服勞し、奔走して以て其の父母に事り、或は貿易に敏くし、車牛を牽いて遠く賈を事とし、以て其の父母を孝養せよ。父母喜び慶んで、然して後に自ら洗ぎ腆くして酒を用ゆることを致す可し。洗は、以て其の潔きを致し、腆は、以て其の厚きを致す。薛氏が曰く、或は大いに農功を修め、或は遠く商賈を服[つと]めて、以て父母を養え。父母慶ぶときは、則ち汝以て酒を用ゆ可し、と。

△庶士・有正、越庶伯・君子、其爾典聽朕敎。爾大克羞耇、惟君爾乃飮食醉飽、丕惟曰、爾克永觀省、作稽中德、爾尙克羞饋祀、爾乃自介用逸。茲乃允惟王正事之臣。茲亦惟天若元德、永不忘在王家。此武王敎妹土之臣也。伯、長也。曰君子者、賢之也。典、常也。羞、養也。言其大能養老也。惟君、未詳。丕惟曰者、大言也。介、助也。用逸者、用以宴樂也。言爾能常常反觀内省、使念慮之發、營爲之際、悉稽乎中正之德、而無過不及之差、則德全於身、而可以交於神明矣。如是則庶幾能進饋祀、爾亦可自副而用宴樂也。如此則信爲王治事之臣。如此亦惟天順元德、而永不忘在王家矣。按上文父母慶、則可飮酒。克羞耇、則可飮酒。羞饋祀、則可飮酒。本欲禁絕其飮。今乃反開其端者、不禁之禁也。聖人之敎、不迫而民從者此也。孝養・羞耇・饋祀、皆因其良心之發、而利導之。人果能盡此三者、且爲成德之士矣。而何憂其湎酒也哉。
【読み】
△庶士・有正、越び庶伯・君子、其れ爾典[つね]に朕が敎えを聽け。爾大いに克く耇いたるを羞[やしな]いて、惟れ君爾乃ち飮み食い醉い飽かし、丕いに惟れ曰う、爾克く永く觀省みて、作すこと中德を稽えば、爾尙わくは克く饋[おく]り祀るを羞[すす]めて、爾乃ち自ら介け用て逸[やす]んぜん。茲れ乃ち允に惟れ王の正事の臣たらん。茲れ亦惟れ天元德に若[したが]いて、永く王家に在るを忘れず、と。此れ武王妹土の臣に敎ゆるなり。伯は、長なり。君子と曰うは、之を賢とするなり。典は、常なり。羞は、養うなり。言うこころは、其れ大いに能く老を養うなり。惟君は、未だ詳らかならず。丕いに惟れ曰うとは、大いに言うなり。介は、助くなり。用て逸んずとは、用いて以て宴樂するなり。言うこころは、爾能く常常に反觀内省して、念慮の發、營爲の際をして、悉く中正の德を稽えて、過不及の差い無からしめば、則ち德身に全くして、以て神明に交わる可し。是の如きときは則ち庶幾わくは能く饋祀を進めて、爾も亦自ら副[たす]けて宴樂を用ゆ可し。此の如きときは則ち信に王の治事の臣爲り。此の如くば亦惟れ天元德に順いて、永く王家に在るを忘れず。上の文を按ずるに父母慶ぶときは、則ち酒を飮む可し。克く耇を羞うときは、則ち酒を飮む可し。饋祀を羞むるときは、則ち酒を飮む可し、と。本其の飮むことを禁絕せんと欲す。今乃ち反って其の端を開く者は、禁ぜざるの禁なり。聖人の敎え、迫らずして民從うという者此れなり。孝養・羞耇・饋祀は、皆其の良心の發に因りて、之を利し導く。人果たして能く此の三つの者を盡くすときは、且つ成德の士爲り。而るを何ぞ其の酒に湎[しず]むことを憂えんや。

△王曰、封、我西土棐徂邦君・御事・小子、尙克用文王敎、不腆于酒。故我至于今、克受殷之命。徂、往也。輔佐文王往日之邦君・御事・小子也。言文王毖酒之敎、其大如此。
【読み】
△王曰く、封、我が西土棐[たす]けし徂[むかし]の邦君・御事・小子まで、尙わくは克く文王の敎えを用て、酒に腆[あつ]からず。故に我れ今に至るまで、克く殷の命を受く、と。徂は、往なり。文王往日の邦君・御事・小子を輔け佐くなり。言うこころは、文王酒を毖[つつし]むの敎え、其れ大いなること此の如し。

△王曰、封、我聞。惟曰、在昔殷先哲王、迪畏天顯小民、經德秉哲。自成湯咸至于帝乙、成王畏相。惟御事厥棐有恭、不敢自暇自逸。矧曰其敢崇飮。以商君臣之不暇逸者、告康叔也。殷先哲王、湯也。迪畏者、畏之而見於行也。畏天之明命、畏小民之難保。經其德而不變、所以處己也。秉其哲而不惑、所以用人也。湯之垂統如此。故自湯至于帝乙、賢聖之君六七作。雖世代不同、而皆能成就君德、敬畏輔相。故當時御事之臣、亦皆盡忠、輔翼而有責難之恭、自暇自逸、猶且不敢。況曰其敢尙飮乎。
【読み】
△王曰く、封、我れ聞く。惟れ曰く、在昔[むかし]殷の先哲王、天の顯らかなると小民とを迪[ふ]み畏れて、德を經[つね]にし哲を秉れり。成湯より咸帝乙に至るまで、王を成し相を畏る。惟れ御事厥れ棐[たす]けて恭しきこと有り、敢えて自ら暇あき自ら逸んぜず。矧んや曰く其れ敢えて飮むことを崇ばんや。商の君臣の暇逸せざる者を以て、康叔に告ぐるなり。殷の先哲王は、湯なり。迪み畏るとは、之を畏れて行わるるなり。天の明命を畏れ、小民の保んじ難きを畏る。其の德を經にして變ぜざるは、己を處く所以なり。其の哲を秉りて惑わざるは、人を用ゆる所以なり。湯の垂統此の如し。故に湯より帝乙に至るまで、賢聖の君六七作る。世代同じからずと雖も、皆能く君の德を成就し、輔相を敬み畏る。故に當時の御事の臣も、亦皆忠を盡くし、輔翼して難きを責むるの恭しき有り、自ら暇あき自ら逸しとすること、猶且つ敢えてせず。況んや曰く其れ敢えて飮むことを尙ばんや、と。

△越在外服、侯・甸・男・衛邦伯、越在内服、百僚・庶尹、惟亞、惟服、宗工、越百姓・里居、罔敢湎于酒。不惟不敢、亦不暇。惟助成王德顯、越尹人祗辟。自御事而下、在外服、則有侯・甸・男・衛諸侯、與其長伯。在内服、則有百僚・庶尹、惟亞、惟服、宗工、國中百姓、與夫里居者。亦皆不敢沈湎于酒。不惟不敢、亦不暇。不敢者、有所畏。不暇者、有所勉。惟欲上以助成君德、而使之昭著、下以助尹人祗辟、而使之益不怠耳。成王、顧上文成王而言。祗辟、顧上文有恭而言。呂氏曰、尹人者、百官諸侯之長也。指上文御事而言。
【読み】
△越[およ]び外服に在る、侯・甸[でん]・男・衛の邦伯、越び内服に在る、百僚・庶尹、惟れ亞、惟れ服、宗工、越び百姓・里居まで、敢えて酒に湎[しず]むこと罔し。惟れ敢えてせざるのみにあらず、亦暇あきあらず。惟れ王の德を助け成して顯らかにし、尹人に越ぶまで辟を祗ましむ。御事よりして下、外服に在りては、則ち侯・甸・男・衛の諸侯と、其の長伯と有り。内服に在りては、則ち百僚・庶尹、惟れ亞、惟れ服、宗工、國中の百姓と、夫の里居の者と有り。亦皆敢えて酒に沈湎せず。惟れ敢えてせざるのみにあらず、亦暇あきあらず。敢えてせざる者は、畏るる所有り。暇あきあらざる者は、勉むる所有り。惟れ上は以て君の德を助け成して、之をして昭著ならしめんと欲し、下は以て尹人辟を祗むを助けて、之をして益々怠らざらしむのみ。王を成すとは、上の文の王を成すを顧みて言う。辟を祗むとは、上の文の恭しきこと有りを顧みて言う。呂氏が曰く、尹人は、百官諸侯の長、と。上の文の御事を指して言う。

△我聞、亦惟曰、在今後嗣王酣身、厥命罔顯于民。祗保越怨不易、誕惟厥縱淫泆于非彝。用燕喪威儀。民罔不衋傷心。惟荒腆于酒、不惟自息乃逸。厥心疾很、不克畏死。辜在商邑。越殷國滅無罹。弗惟德馨香、祀登聞于天、誕惟民怨。庶羣自酒腥聞在上。故天降喪于殷、罔愛于殷、惟逸。天非虐、惟民自速辜。衋、迄力反。狠、下墾反。罹、鄰知反。○以商受荒腆于酒者、告康叔也。後嗣王、受也。受沈酣其身、昏迷於政、命令不著於民。其所祗保者、惟在於作怨之事、不肯悛改、大惟縱淫泆于非彝。泰誓所謂奇技淫巧也。燕、安也。用安逸而喪其威儀。史記受爲酒池肉林、使男女裸而相逐。其威儀之喪如此。此民所以無不痛傷其心、悼國之將亡也。而受方且荒怠、益厚于酒、不思自息其逸、力行無度。其心疾狠、雖殺身而不畏也。辜在商邑。雖滅國而不憂也。弗事上帝、無馨香之德以格天、大惟民怨。惟羣酗腥穢之德以聞于上。故上天降喪于殷、無有眷愛之意者、亦惟受縱逸故也。天豈虐殷。惟殷人酗酒、自速其辜爾。曰民者、猶曰先民。君臣之通稱也。
【読み】
△我れ聞く、亦惟れ曰く、今に在りて後の嗣王身を酣[たけなわ]にして、厥の命民に顯らかなること罔し。祗み保んずること怨みに越[おい]て易わらず、誕[おお]いに惟れ厥れ縱に彝[つね]に非ざるに淫泆[いんいつ]す。燕[やす]きを用て威儀を喪う。民心を衋[いた]み傷ましめざること罔し。惟れ荒みて酒に腆くして、自ら乃の逸んずるを息むることを惟わず。厥の心疾[にく]み很[もと]りて、死を畏るること克わず。辜[つみ]商邑に在り。殷の國滅ぶるに越て罹[うれ]うること無し。惟れ德の馨香、祀登りて天に聞えず、誕いに惟れ民怨む。庶羣酒に自りて腥[なまぐさ]きこと聞えて上に在り。故に天喪びを殷に降して、殷を愛すること罔きは、惟れ逸んずればなり。天虐[わざわい]するに非ず、惟れ民自ら辜を速[まね]けり、と。衋[きょく]は、迄力反。狠[こん]は、下墾反。罹は、鄰知反。○商受の酒に荒腆する者を以て、康叔に告ぐるなり。後の嗣王は、受なり。受其の身を沈酣[ちんかん]して、政に昏迷し、命令民に著れず。其の祗み保んずる所の者、惟れ怨みを作すの事に在りて、肯えて悛[あらた]め改めず、大いに惟れ縱に彝に非ざるに淫泆す。泰誓に所謂奇技淫巧なり。燕は、安んずるなり。安逸を用て其の威儀を喪えり。史記に受酒池肉林を爲りて、男女をして裸にして相逐わしむ、と。其の威儀の喪えること此の如し。此れ民の其の心を痛み傷ましめざること無き所以にして、國の將に亡びんとするを悼むなり。而して受方に且つ荒み怠りて、益々酒に厚くして、自ら其の逸んずるを息むることを思わず、力め行うこと度無し。其の心疾み狠りて、身を殺すと雖も畏れず。辜商邑に在り。國を滅ぼすと雖も憂えず。上帝に事えず、馨香の德以て天に格ること無く、大いに惟れ民怨む。惟れ羣酗腥穢の德以て上に聞ゆ。故に上天喪びを殷に降して、眷愛の意有ること無き者は、亦惟れ受が縱逸なる故なり。天豈殷を虐せん。惟れ殷人酒に酗して、自ら其の辜を速くのみ、と。民と曰うは、猶先民と曰うがごとし。君臣の通稱なり。

△王曰、封、予不惟若茲多誥。古人有言曰、人無於水監。當於民監。今惟殷墜厥命。我其可不大監撫于時。我不惟如此多言、所以言湯言受如此其詳者、古人謂、人無於水監。水能見人之妍醜而已。當於民監、則其得失可知。今殷民自速辜、旣墜厥命矣。我其可不以殷民之失爲大監戒、以撫安斯時乎。
【読み】
△王曰く、封、予れ惟れ茲の若く多く誥ぐるにあらず。古人言えること有り曰く、人水に於て監みること無かれ。當に民に於て監みるべし、と。今惟れ殷厥の命を墜せり。我れ其れ大いに監みて時を撫でざる可けんや、と。我れ惟れ此の如く多く言わず、湯を言い受を言う所以此の如く其れ詳らかなる者は、古人謂う、人水に於て監みること無かれ、と。水は能く人の妍醜[けんしゅう]を見るのみ。當に民に於て監みるときは、則ち其の得失知る可し。今殷の民自ら辜を速いて、旣に厥の命を墜す。我れ其れ殷の民の失を以て大いに監戒と爲して、以て斯の時を撫安せざる可けんや、と。

△予惟曰、汝劼毖殷獻臣、侯・甸・男・衛。矧太史友、内史友、越獻臣・百宗工。矧惟爾事服休・服采。矧惟若疇圻父薄違、農父若保、宏父定辟。矧汝剛制于酒。劼、丘八反。圻、與畿同。○劼、用力也。汝當用力戒謹殷之賢臣、與鄰國之侯・甸・男・衛、使之不湎于酒也。毖殷獻臣、侯・甸・男・衛、與文王毖庶邦・庶士同義。殷之賢臣・諸侯、固欲知所謹矣。況太史掌六典八法八則、内史掌八柄之法、汝之所友者、及其賢臣・百・大臣、可不謹於酒乎。太史・内史・獻臣・百宗工、固欲知所謹矣。況爾之所事、服休、坐而論道之臣。服采、起而作事之臣。可不謹於酒乎。曰友曰事者、國君有所友、有所事也。然盛德有不可友者。故孟子曰、古之人曰、事之云乎。豈曰友之云乎。服休・服采、固欲知所謹矣。況爾之疇匹而位三卿者、若圻父迫逐違命者乎。若農父之順保萬民者乎。若宏父之制其經界、以定法者乎。皆不可不謹于酒也。圻父、政官司馬也。主封圻。農父、敎官司徒也。主農。宏父、事官司空也。主廓地居民。謂之父者、尊之也。先言圻父者、制殷人湎酒、以政爲急也。圻父・農父・宏父、固欲知所謹矣。況汝之身、所以爲一國之視倣者、可不謹於酒乎。故曰矧汝剛制于酒。剛制、亦劼毖之意。剛果用力以制之也。此章自遠而近、自卑而尊。等而上之、則欲其自康叔之身始。以是爲治、孰能禦之。而況毖於酒德也哉。
【読み】
△予れ惟れ曰く、汝劼[かた]く殷の獻臣、侯・甸・男・衛を毖[つつし]ましめよ。矧んや太史の友、内史の友、越[およ]び獻臣・百宗工をや。矧んや惟れ爾の事うる服休・服采をや。矧んや惟れ若[なんじ]の疇[たぐい]の圻父[きほ]の違えるを薄[せ]め、農父の若[したが]い保んずる、宏父の辟[のり]を定むるものをや。矧んや汝剛く酒を制するをや、と。劼[かつ]は、丘八反。圻は、畿と同じ。○劼は、力を用ゆるなり。汝當に力を用いて殷の賢臣と、鄰國の侯・甸・男・衛とを戒め謹めて、之をして酒に湎ましめざるべし。殷の獻臣、侯・甸・男・衛を毖ましむるは、文王の庶邦・庶士を毖ましむると義を同じくす。殷の賢臣・諸侯、固に謹む所を知らんと欲す。況んや太史の六典八法八則を掌り、内史の八柄の法を掌る、汝の友とする所の者、及び其の賢臣・百・大臣、酒に謹まざる可けんや。太史・内史・獻臣・百宗工、固に謹む所を知らんと欲す。況んや爾の事える所、服休は、坐して道を論ずるの臣。服采は、起ちて事を作すの臣。酒に謹まざる可けんや。友と曰い事と曰うは、國君は友とする所有り、事うる所有り。然れども盛德は友とす可からざる者有り。故に孟子曰く、古の人曰く、之に事うると云わんや。豈之を友とすと曰うと云わんや、と。服休・服采、固に謹む所を知らんと欲す。況んや爾の疇匹にして而も三卿に位する者、圻父の命に違えるを迫り逐うが若き者をや。農父の萬民を順保するが若き者をや。宏父の其の經界を制し、以て法を定むるが若き者をや。皆酒を謹まずんばある可からず。圻父は、政官司馬なり。封圻を主る。農父は、敎官司徒なり。農を主る。宏父は、事官司空なり。地を廓し民を居くことを主る。之を父と謂うは、之を尊ぶなり。先ず圻父を言うは、殷人酒に湎むを制すは、政を以て急とするなり。圻父・農父・宏父、固に謹む所を知らんと欲す。況んや汝が身、一國の視倣うことを爲す所以の者、酒を謹まざる可けんや。故に曰く、矧んや汝剛く酒を制するをや、と。剛く制すとは、亦劼く毖むの意。剛果力を用いて以て之を制するなり。此の章遠くよりして近く、卑きよりして尊し。等しくして之を上とするときは、則ち其の康叔の身より始めんことを欲す。是を以て治を爲せば、孰か能く之を禦がん。而るを況んや酒德を毖むをや。

△厥或誥曰、羣飮。汝勿佚。盡執拘以歸于周。予其殺。羣飮者、商民羣聚而飮、爲姦惡者也。佚、失也。其者、未定辭也。蘇氏曰、予其殺者、未必殺也。猶今法曰當斬者、皆具獄以待命。不必死也。然必立法者、欲人畏而不敢犯也。羣飮、蓋亦當時之法、有羣聚飮酒、謀爲大姦者、其詳不可得而聞矣。如今之法、有曰夜聚曉散者皆死罪。蓋聚而爲妖逆者也。使後世不知其詳、而徒聞其名、凡民夜相過者、輒殺之可乎。
【読み】
△厥れ或は誥げて曰く、羣れ飮む、と。汝佚[うしな]うこと勿かれ。盡く執[とら]え拘[とら]えて以て周に歸[おく]れ。予れ其れ殺さん。羣飮とは、商の民羣れ聚りて飮んで、姦惡を爲す者なり。佚は、失うなり。其れとは、未だ定まらざるの辭なり。蘇氏が曰く、予れ其れ殺さんとは、未だ必ずしも殺さざるなり。猶今の法に斬に當[あ]つと曰うがごとき者、皆獄を具えて以て命を待つ。必ずしも死さざるなり。然れども必ず法を立つる者は、人畏れて敢えて犯さざることを欲するなり。羣飮は、蓋し亦當時の法、羣れ聚まり酒を飮んで、謀りて大姦を爲す者有り、其の詳は得て聞く可からず。今の法の如き、曰えること有り、夜聚まりて曉に散ずる者は皆死罪、と。蓋し聚まりて妖逆を爲す者ならん。後世をして其の詳を知らずして、徒に其の名を聞かしめば、凡そ民の夜相過ぐる者、輒ち之を殺すこと可ならんや。

△又惟殷之迪諸臣・惟工、乃湎于酒、勿庸殺之。姑惟敎之。殷受導迪爲惡之諸臣・百工、雖湎于酒、未能遽革。而非羣聚爲姦惡者、無庸殺之、且惟敎之。
【読み】
△又惟れ殷の迪[みちび]ける諸臣・惟れ工まで、乃ち酒に湎[しず]むとも、庸[もっ]て之を殺すこと勿かれ。姑く惟れ之を敎えよ。殷の受導き迪いて惡を爲すの諸臣・百工、酒に湎むと雖も、未だ遽に革むること能わず。而れども羣れ聚まりて姦惡を爲す者に非ざれば、庸て之を殺すこと無くして、且つ惟れ之を敎えよ、と。

△有斯明享。乃不用我敎辭、惟我一人弗恤、弗蠲乃事、時同于殺。有者、不忘之也。斯、此也。指敎辭而言。享、上享下之享。言殷諸臣・百工、不忘敎辭、不湎于酒、我則明享之。其不用我敎辭、惟我一人不恤於汝、弗潔汝事、時則同汝于羣飮誅殺之罪矣。
【読み】
△斯を有たば明らかに享けん。乃我が敎えの辭を用いずんば、惟れ我れ一人恤えず、乃の事を蠲[いさぎよ]くせずんば、時[こ]れ殺すに同じくせん、と。有つとは、之を忘れざるなり。斯は、此なり。敎辭を指して言う。享は、上下を享くるの享なり。言うこころは、殷の諸臣・百工、敎辭を忘れずして、酒に湎まざれば、我れ則ち明らかに之を享けん。其れ我が敎辭を用いずんば、惟れ我れ一人不汝を恤えず、汝の事を潔くせずんば、時れ則ち汝を羣飮誅殺の罪に同じくせん、と。

△王曰、封、汝典聽朕毖。勿辯乃司、民湎于酒。辯、治也。乃司、有司也。卽上文諸臣・百工之類。言康叔不治其諸臣・百工之湎酒、則民之湎酒者、不可禁矣。
【読み】
△王曰く、封、汝典[つね]に朕が毖[つつし]みを聽け。乃の司を辯[おさ]むること勿くんば、民酒に湎[しず]まん、と。辯は、治むるなり。乃司は、有司なり。卽ち上の文の諸臣・百工の類なり。言うこころは、康叔其の諸臣・百工の酒に湎めるを治めずんば、則ち民の酒に湎む者、禁ずる可からざらん。


梓材 亦武王誥康叔之書。諭以治國之理、欲其通上下之情、寬刑辟之用。而篇中有梓材二字。比稽田作室爲雅。故以爲簡篇之別。非有他義也。今文古文皆有。○按此篇文多不類。自今王惟曰以下、若人臣進戒之辭。以書例推之、曰今王惟曰者、猶洛誥之今王卽命曰也。肆王惟德用者、猶召誥之肆惟王其疾敬德、王其德之用也。已若茲監者、猶無逸嗣王其監于茲也。惟王子子孫孫永保民者、猶召誥惟王受命無疆惟休也。反覆參考、與周公召公進戒之言、若出一口。意者此篇得於簡編斷爛之中、文旣不全。而進戒爛簡有用明德之語。編書者、以與罔厲殺人等意合。又武王之誥、有曰王曰監云者。而進戒之書、亦有曰王曰監云者、遂以爲文意相屬。編次其後、而不知前之所謂王者、指先王而言。非若今王之爲自稱也。後之所謂監者、乃監視之監、而非啓監之監也。其非命康叔之書亦明矣。讀書者、優游涵泳、沈潛反覆、繹其文義、審其語脈、一篇之中、前則尊諭卑之辭、後則臣告君之語、蓋有不可得而强合者矣。
【読み】
梓材[しざい] 亦武王康叔に誥ぐるの書なり。諭すに國を治むるの理を以てし、其の上下の情を通じ、刑辟の用を寬[ゆる]めんことを欲す。而して篇の中に梓材の二字有り。田を稽[おさ]め室を作るに比すれば雅とす。故に以て簡篇の別とす。他義有るに非ざるなり。今文古文皆有り。○按ずるに此の篇の文多く類せず。今王惟曰より以下は、人臣戒めを進むるの辭の若し。書の例を以て之を推して、曰く今王惟れ曰えとは、猶洛誥の今王卽ち命じて曰くというがごとし。肆[いま]王惟れ德を用いてとは、猶召誥の肆惟れ王其れ疾く德を敬み、王其れ德之を用いてというがごとし。已[ああ]茲の若く監みよとは、猶無逸の嗣王其れ茲に監みよというがごとし。惟れ王子子孫孫までに永く民を保んぜんとは、猶召誥の惟れ王命を受くること無疆にして惟れ休[よ]きなりというがごとし。反覆參考すれば、周公召公戒めを進むるの言と、一口より出づるが若し。意うに此の篇簡編斷爛の中より得て、文旣に全からず。而して戒めを進むるの爛簡に明德を用ゆるの語有り。書を編む者、以て人を厲して殺すこと罔し等の意と合す、と。又武王の誥に、曰く王曰く監みと云う者有り。而して戒めを進むるの書にも、亦王と曰い監と曰うと云う者有るを、遂に以爲えらく、文意相屬す、と。其の後に編次して、而して知らず、前の所謂王は、先王を指して言う。今の王の自ら稱すとするが若きに非ず。後の所謂監は、乃ち監視の監にして、監を啓くの監に非ざるを。其れ康叔に命ずるの書に非ざること亦明らかなり。書を讀む者、優游涵泳、沈潛反覆して、其の文義を繹[たず]ね、其の語脈を審らかにすれば、一篇の中、前は則ち尊きが卑きを諭すの辭、後は則ち臣が君に告ぐるの語にて、蓋し得て强合す可からざる者有り。


王曰、封、以厥庶民、曁厥臣、達大家。以厥臣達王、惟邦君。大家、巨室也。孟子曰、爲政不難、不得罪於巨室。孔氏曰、卿大夫及都家也。以厥庶民曁厥臣達大家、則下之情無不通矣。以厥臣達王、則上之情無不通矣。王言臣而不言民者、率土之濱、莫非王臣也。邦君上有天子、下有大家。能通上下之情、而使之無閒者、惟邦君也。
【読み】
王曰く、封、厥の庶民、曁[およ]び厥臣を以[い]て、大家に達す。厥臣を以て王に達するは、惟れ邦君なり。大家は、巨室なり。孟子曰く、政をすること難からず、罪を巨室に得ざれ、と。孔氏が曰く、卿大夫及び都家、と。厥の庶民曁び厥の臣を以て大家に達するときは、則ち下の情通ぜざる無し。厥の臣を以て王に達するときは、則ち上の情通ぜざる無し。王に臣を言いて民を言わざるは、率土の濱、王臣に非ざる莫し。邦君は上に天子有り、下に大家有り。能く上下の情を通じて、之をして閒て無き者は、惟れ邦君なり。

△汝若恆越曰。我有師師司徒・司馬・司空・尹旅。曰、予罔厲殺人。亦厥君先敬勞。肆徂厥敬勞。肆往姦宄殺人歷人宥。肆亦見厥君事、戕敗人宥。恆、常也。師師、以官師爲師也。尹、正官之長。旅、衆大夫也。敬勞、恭敬勞來也。徂、往也。歷人者、罪人所過、律所謂知情・藏匿・資給也。戕敗者、毀傷四肢面目。漢律所謂疻也。此章文多未詳。
【読み】
△汝若[か]く恆に越[おこ]して曰え。我れ師師とする司徒・司馬・司空・尹旅有り。曰く、予れ人を厲して殺すこと罔し。亦厥の君先ず敬み勞る。肆[ゆえ]に徂いて厥れ敬み勞る。肆に往[さき]に姦宄し人を殺し歷たらん人をも宥[ゆる]す。肆に亦厥の君の事を見て、人を戕[そこな]い敗るをも宥す、と。恆は、常なり。師師は、官師を以て師とするなり。尹は、正官の長。旅は、衆々の大夫なり。敬勞は、恭敬して勞い來すなり。徂は、往くなり。歷人は、罪人の過つ所、律に所謂知情・藏匿・資給なり。戕い敗るとは、四肢面目を毀[そこな]い傷るなり。漢の律に所謂疻[し]なり。此の章の文多く未だ詳らかならず。

△王啓監、厥亂爲民。曰、無胥戕、無胥虐。至于敬寡、至于屬婦、合由以容。王其效邦君越御事、厥命曷以。引養引恬。自古王若茲。監罔攸辟。監、三監之監。康叔所封。亦受畿内之民、當時亦謂之監。故武王以先王啓監意、而告之也。言王者所以開置監國者、其治本爲民而已。其命監之辭、蓋曰、無相與戕殺其民、無相與虐害其民。人之寡弱者、則哀敬之、使不失其所、婦之窮獨者、則聮屬之、使有所歸、保合其民、率由是而容蓄之也。且王所以責效邦君・御事者、其命何以哉。亦惟欲其引掖斯民於生養安全之地而已。自古王者之命監若此。汝今爲監、其無所用乎刑辟以戕虐人可也。
【読み】
△王監を啓き、厥の亂[おさ]むることは民の爲なり。曰く、胥戕[ころ]すこと無かれ、胥虐[やぶ]ること無かれ。寡を敬うに至り、婦を屬[つ]くに至り、合わせて由りて以て容れよ、と。王其れ邦君越[およ]び御事を效[いた]すこと、厥の命曷[なに]を以てかせん。養うに引き恬[やす]んずるに引く。古より王茲の若し。監みるとして辟[つみ]する攸罔かれ、と。監は、三監の監。康叔封ずる所。亦受が畿内の民、當時亦之を監と謂う。故に武王先王の監を啓くの意を以て、之に告ぐ。言うこころは、王者監國を開き置く所以は、其の治本民の爲なるのみ。其の監に命ずるの辭、蓋し曰く、相與に其の民を戕殺[しょうさつ]すること無かれ、相與に其の民を虐害すること無かれ。人の寡弱なる者は、則ち之を哀敬して、其の所を失わざらしめ、婦の窮獨なる者は、則ち之を聮屬[れんぞく]して、歸する所有らしめ、其の民を保合し、率いて是に由りて之を容蓄せよ、と。且つ王の邦君・御事を責め效す所以の者は、其の命何を以てせんや。亦惟れ其れ斯の民を生養安全の地に引掖せんと欲するのみ。古より王者の監に命ずること此の若し。汝今監と爲るに、其れ刑辟を用いて以て人を戕虐する所無くんば可なり。

△惟曰、若稽田。旣勤敷菑、惟其陳修、爲厥疆畎。若作室家。旣勤垣墉、惟其塗塈茨。若作梓材。旣勤樸斲、惟其塗丹雘。塈、奇寄反。雘、屋郭反。○稽、治也。敷菑、廣去草棘也。疆、畔也。畎、通水渠也。塗塈、泥飾也。茨、蓋也。梓、良材、可爲器者。雘、采色之名。敷菑、以喩除惡。垣墉、以喩立國。樸斲、以喩制度。武王之所已爲也。疆畎・塈茨・丹雘、則望康叔以成終云爾。
【読み】
△惟れ曰く、田を稽[おさ]むるが若し。旣に勤めて菑[し]を敷き、惟れ其れ陳ね修めて、厥の疆畎を爲るがごとし。室家を作るが若し。旣に勤めて垣墉して、惟れ其れ塗り塈[ぬ]りて茨[ふ]くがごとし。梓材を作るが若し。旣に勤め樸斲[ぼくたく]して、惟れ其れ丹雘[たんかく]を塗るがごとし、と。塈[き]は、奇寄反。雘は、屋郭反。○稽は、治むるなり。菑を敷くとは、廣く草棘を去くなり。疆は、畔なり。畎は、水を通ずる渠なり。塗塈は、泥飾なり。茨は、蓋[ふ]くなり。梓は、良材、器に爲る可き者なり。雘は、采色の名。菑を敷くは、以て惡を除くに喩う。垣墉は、以て國を立つるに喩う。樸斲は、以て制度に喩う。武王の已に爲せる所なり。疆畎・塈茨・丹雘は、則ち康叔以て終わりを成すことを望むと爾か云う。

△今王惟曰。先生旣勤用明德、懷爲夾。庶邦享、作兄弟方來。亦旣用明德。后式典集、庶邦丕享。夾、音協。○先王、文王・武王也。夾、近也。懷遠爲近也。兄弟、言友愛也。泰誓曰、友邦冢君。方來者、方方而來也。旣、盡也。先王盡勤用明德、而懷來于上。諸侯亦盡用明德、而視效於下也。后、後王也。式、用也。典、舊典也。集、和輯也。此章以後、若臣下進戒之辭。疑簡脫誤於此。
【読み】
△今王惟れ曰え。先生旣[ことごと]く勤めて明德を用いて、懷けて夾[ちか]しとす。庶邦享けて、兄弟と作りて方々より來る。亦旣く明德を用ゆ。后典を式[もち]いて集[やわ]らがば、庶邦丕いに享けん。夾は、音協。○先王は、文王・武王なり。夾は、近きなり。遠きを懷けて近きとす。兄弟は、友愛を言うなり。泰誓に曰く、友邦の冢君、と。方來とは、方方よりして來るなり。旣は、盡くなり。先王盡く勤めて明德を用いて、上に懷け來る。諸侯も亦盡く明德を用いて、下に視效[なら]うなり。后は、後王なり。式は、用ゆるなり。典は、舊典なり。集は、和輯なり。此の章以後、臣下戒めを進むるの辭の若し。疑うらくは簡の脫誤此に於てせん。

△皇天旣付中國民、越厥疆土于先王。越、及也。皇天旣付中國民、及其疆土于先王也。
【読み】
△皇天旣に中國の民、越[およ]び厥の疆土を先王に付[さず]く。越は、及びなり。皇天旣に中國の民、及び其の疆土を先王に付すなり。

△肆王惟德用、和懌先後迷民。用懌先王受命。肆、今也。德用、用明德也。和懌、和悅之也。先後、勞來之也。迷民、迷惑染惡之民也。命、天命也。用慰悅先王之克受天命者也。
【読み】
△肆[いま]王惟れ德を用いて、迷える民を和らげ懌[よろこ]ばしめ先にし後にす。用て先王命を受けたるを懌ばしむ。肆は、今なり。德用は、明德を用ゆるなり。和懌は、之を和悅するなり。先後は、之を勞い來すなり。迷える民は、迷惑染惡するの民なり。命は、天命なり。用て先王の克く天命を受くる者を慰悅するなり。

△已若茲監。惟曰、欲至于萬年惟王。子子孫孫永保民。已、語辭。監、視也。此人臣祈君永命之辭也。按梓材有自古王若茲、監罔攸辟之言、而編書者、誤以監爲句讀、而爛簡適有己若茲監之語、以爲語意相類、合爲一篇、而不知其句讀之本不同、文義之本不類也。孔氏依阿其說、於篇意無所發明。王氏謂、成王自言必稱王者、以覲禮考之、天子以正遏諸侯、則稱王。亦强釋難通。獨吳氏以爲誤簡者爲得之。但謂、王啓監以下、卽非武王之誥、則未必然也。
【読み】
△已[ああ]茲の若く監みよ。惟れ曰く、萬年に至りて惟れ王たらんことを欲す。子子孫孫までに永く民を保んぜん、と。已は、語の辭。監は、視るなり。此れ人臣君の永命を祈るの辭なり。按ずるに梓材に自古王若茲、監罔攸辟の言有りて、書を編む者、誤りて監を以て句讀と爲して、爛簡に適々己若茲監の語有り、以て語意相類すとし、合わせて一篇と爲して、其の句讀の本同じからず、文義の本類せざるを知らず。孔氏依りて其の說に阿て、篇の意に於て發明する所無し。王氏が謂く、成王自ら言うに必ず王と稱する者は、覲禮を以て之を考うるに、天子正を以て諸侯を遏[とど]むるときは、則ち王と稱す、と。亦强い釋いて通じ難し。獨り吳氏以て誤簡とするは之を得とす。但謂う、王啓監以下は、卽ち武王の誥に非ずとは、則ち未だ必ずしも然らず。
 

書經卷之五  蔡沉集傳


召誥 左傳曰、武王克商、遷九鼎于洛邑。史記載武王之言、我南望三途、北望獄鄙、顧詹有河、粤詹洛伊、毋遠天室。營周居于洛邑、而後去。則宅洛者武王之志、周公・成王成之。召公實先經理之、洛邑旣成、成王始政、召公因周公之歸、作書致告達之於王。其書拳拳於歷年之久近、反復乎夏商之廢興。究其歸、則以諴小民、爲祈天命之本、以疾敬德、爲諴小民之本。一篇之中、屢致意焉、古之大臣、其爲國家長遠慮蓋如此。以召公之書、因以召誥名篇。今文古文皆有。
【読み】
召誥[しょうこう] 左傳に曰く、武王商に克ちて、九鼎を洛邑に遷す。史記に武王の言を載すに、我れ南は三途を望み、北は獄鄙を望み、顧みて有河を詹[み]、粤[ここ]に洛伊を詹るに、天室に遠きこと毋し。周の居を洛邑に營じて、而して後に去る、と。則ち洛に宅るは武王の志にして、周公・成王之を成す。召公實に先ず之を經理し、洛邑旣に成りて、成王政を始め、召公周公の歸るに因りて、書を作りて告を致して之を王に達す。其の書歷年の久近に拳拳として、夏商の廢興を反復す。其の歸を究むるときは、則ち小民を諴[やわ]らぐるを以て、天命を祈るの本とし、疾く德を敬むを以て、小民を諴らぐるの本とす。一篇の中、屢々意を致す、古の大臣、其れ國家の爲にする長遠の慮り蓋し此の如し。召公の書なるを以て、因りて召誥を以て篇に名づく。今文古文皆有り。


惟二月旣望、越六日乙未、王朝步自周、則至于豐。日月相望、謂之望。旣望、十六日也。乙未、二十一日也。周、鎬京也。去豐二十五里。文武廟在焉。成王至豐、以宅洛之事告廟也。
【読み】
惟れ二月の旣望、越[ここ]に六日の乙未[きのと・ひつじ]、王朝に周より步[ゆ]いて、則ち豐に至る。日月相望む、之を望と謂う。旣望は、十六日なり。乙未は、二十一日なり。周は、鎬京なり。豐を去ること二十五里。文武の廟焉に在り。成王豐に至りて、洛に宅るの事を以て廟に告ぐ。

△惟太保先周公相宅。越若來三月、惟丙午朏、越三日戊申、太保朝至于洛卜宅。厥旣得卜則經營。朏、敷尾反。戊、音茂。○成王在豐、使召公先周公行、相視洛邑。越若來、古語辭。言召公於豐、迤邐而來也。朏、孟康曰、月出也。三日明生之名。戊申、三月五日也。卜宅者、用龜卜宅都之地。旣得吉卜、則經營規度其城郭・宗廟・郊社・朝市之位。
【読み】
△惟れ太保周公に先だちて宅を相[み]る。越若[ここ]に來る三月、惟れ丙午[ひのえ・うま]の朏[みかづき]、越[ここ]に三日の戊申[つちのえ・さる]、太保朝に洛に至りて宅を卜う。厥れ旣に卜を得て則ち經營す。朏[ひ]は、敷尾反。戊は、音茂。○成王豐に在り、召公をして周公に先だちて行いて、洛邑を相視せしむ。越若來は、古語の辭。言うこころは、召公豐より、迤邐[いり]して來るなり。朏は、孟康が曰く、月出づるなり、と。三日明生ずるの名なり。戊申は、三月五日なり。宅を卜うとは、龜を用いて都を宅くの地を卜うなり。旣に吉卜を得るときは、則ち其の城郭・宗廟・郊社・朝市の位を經營規度す。

△越三日庚戌、太保乃以庶殷、攻位于洛汭。越五日甲寅、位成。庶殷、殷之衆庶也。用庶殷者、意是時殷民已遷于洛。故就役之也。位成者、左祖右社、前朝後市之位成也。
【読み】
△越[ここ]に三日の庚戌[かのえ・いぬ]、太保乃ち庶殷を以[い]て、位を洛の汭[ほとり]に攻[おさ]む。越に五日甲寅[きのえ・とら]、位成りぬ。庶殷は、殷の衆庶なり。庶殷を用ゆるは、意うに是の時殷の民已に洛に遷る。故に就いて之を役す。位成るとは、祖を左に社を右に、朝を前に市を後にするの位成るなり。

△若翼日乙卯、周公朝至于洛、則達觀于新邑營。周公至、則徧觀新邑所經營之位。
【読み】
△若[ここ]に翼日の乙卯[きのと・う]、周公朝に洛に至りて、則ち達[あまね]く新邑の營みを觀る。周公至りて、則ち徧く新邑經營する所の位を觀る。

△越三日丁巳、用牲于郊。牛二。越翼日戊午、乃社于新邑。牛一、羊一、豕一。郊、祭天地也。故用二牛。社祭、用太牢。禮也。皆告以營洛之事。
【読み】
△越[ここ]に三日の丁巳[ひのと・み]、牲を郊に用ゆ。牛二つ。越に翼日の戊午[つちのえ・うま]、乃ち新邑に社す。牛一つ、羊一つ、豕一つ。郊は、天地を祭るなり。故に二牛を用ゆ。社祭は、太牢を用ゆ。禮なり。皆告ぐるに洛を營むの事を以てす。

△越七日甲子、周公乃朝用書、命庶殷侯・甸・男邦伯。書、役書也。春秋傳曰、士彌牟營成周、計丈數、揣高卑、度厚薄、仞溝洫、物土方、議遠邇、量事期、計徒庸、慮材用、書糇糧、以令役於諸侯、亦此意。王氏曰、邦伯者、侯・甸・男・服之邦伯也。庶邦冢君咸在、而獨命邦伯者、公以書命邦伯、而邦伯以公命命諸侯也。
【読み】
△越[ここ]に七日の甲子、周公乃ち朝に書を用いて、庶殷の侯・甸・男の邦伯に命ず。書は、役書なり。春秋傳に曰く、士彌牟成周を營むに、丈數を計り、高卑を揣[はか]り、厚薄を度り、溝洫[こうきょく]を仞[はか]り、土方を物[はか]り、遠邇を議り、事期を量り、徒庸を計り、材用を慮り、糇糧を書して、以て諸侯を役せしむとは、亦此の意なり。王氏が曰く、邦伯は、侯・甸・男・服の邦伯なり。庶邦の冢君咸く在りて、獨り邦伯に命ずるは、公書を以て邦伯に命じて、邦伯公命を以て諸侯に命ずるなり、と。

△厥旣命殷庶。庶殷丕作。丕作者、言皆趨事赴功也。殷之頑民若未易役使者。然召公率以攻位而位成。周公用以書命而丕作。殷民之難化者、猶且如此、則其悅以使民可知也。
【読み】
△厥れ旣に殷の庶[もろもろ]に命ず。庶殷丕いに作る。丕いに作るとは、言うこころは、皆事に趨り功に赴くなり。殷の頑民未だ役使し易からざる者の若し。然れども召公率いて以て位を攻[おさ]めて位成る。周公用て書を以て命じて丕いに作る。殷民の化し難き者、猶且つ此の如きときは、則ち其の悅びて以て民を使わしむること知る可し。

△太保乃以庶邦冢君、出取幣、乃復入錫周公曰、拜手稽首、旅王若公。誥告庶殷、越自乃御事。呂氏曰、洛邑事畢、周公將歸宗周。召公因陳戒成王、乃取諸侯贄見幣物以與周公、且言其拜手稽首、所以陳王及公之意。蓋召公雖與周公言、乃欲周公聮諸侯之幣、與召公之誥、倂達之王。謂洛邑已定。欲誥告殷民、其根本乃自爾御事、不敢指言成王。謂之御事、猶今稱人爲執事也。
【読み】
△太保乃ち庶邦の冢君を以[い]て、出でて幣を取りて、乃ち復入りて周公に錫えて曰く、拜手稽首して、王若しくは公に旅[の]ぶ。庶殷に誥げ告ぐることは、越[ここ]に乃の御事よりす。呂氏が曰く、洛邑の事畢わりて、周公將に宗周に歸らんとす。召公因りて戒めを成王に陳べて、乃ち諸侯の贄見[しけん]幣物を取りて以て周公に與え、且つ其れ拜手稽首して、王及び公の意を陳ぶる所以を言う。蓋し召公周公に與えて言うと雖も、乃ち周公が諸侯の幣と、召公の誥とを聮[つら]ねて、倂せて之を王に達せんことを欲す。謂ゆる洛邑已に定まれり。殷の民に誥げ告がんと欲して、其の根本は乃ち爾の御事よりし、敢えて成王を指して言わず。之を御事と謂うは、猶今の人を稱して執事とするがごとし。

△嗚呼皇天上帝、改厥元子。茲大國殷之命。惟王受命、無疆惟休。亦無疆惟恤。嗚呼曷其奈何弗敬。此下皆告成王之辭。託周公達之王也。曷、何也。其、語辭。商受嗣天位、爲元子矣。元子不可改而天改之。大國未易亡而天亡之。皇天上帝、其命之不可恃如此。今王受命、固有無窮之美。然亦有無窮之憂。於是歎息言、王曷其奈何弗敬乎。蓋深言不可以弗敬也。又按此篇專主敬言。敬則誠實無妄、視聽言動、一循乎理、好惡用捨、不違乎天、與天同德。固能受天明命也。人君保有天命、其有要於此哉。伊尹亦言、皇天無親。克敬惟親。敬則天與我一矣。尙何疎之有。
【読み】
△嗚呼皇天の上帝、厥の元子を改む。茲の大國の殷の命をさえ。惟れ王命を受くること、疆り無く惟れ休けん。亦疆り無く惟れ恤えん。嗚呼曷ぞ其れ奈何ぞ敬まざらん。此より下は皆成王に告ぐるの辭。周公に託して之を王に達するなり。曷は、何ぞなり。其は、語の辭。商受天位を嗣いで、元子と爲れり。元子改む可からずして天之を改む。大國未だ亡び易からずして天之を亡ぼす。皇天の上帝、其の命の恃む可からざること此の如し。今王命を受くること、固に窮まり無きの美有り。然れども亦窮まり無きの憂え有り。是に於て歎息して言う、王曷ぞ其れ奈何ぞ敬まざらんや、と。蓋し深く以て敬まずんばある可からざることを言うなり。又按ずるに此の篇は專ら敬を主として言う。敬は則ち誠實無妄にして、視聽言動、一に理に循い、好惡用捨、天に違わず、天と德を同じくす。固に能く天の明命を受くるなり。人君の天命を保んじ有つこと、其れ此に要有るかな。伊尹亦言う、皇天親しむこと無し。克く敬めるに惟れ親しむ、と。敬むときは則ち天と我と一なり。尙何の疎きことか之れ有らん。

△天旣遐終大邦殷之命。茲殷多先哲王在天。越厥後王後民、茲服厥命。厥終智藏瘝在。夫知保抱攜持厥婦子、以哀籲天。徂厥亡出執。嗚呼天亦哀于四方民、其眷命用懋。王其疾敬德。後王後民、指受也。此章語多難解。大意謂天旣欲遠絕大邦殷之命矣。而此殷先哲王、其精爽在天、宜若可恃者。而商紂受命、卒致賢智者退藏、病民者在位。民困虐政、保抱攜持其妻子、哀號呼天。往而逃亡、出見拘執。無地自容。故天亦哀民、而眷命用歸於勉德者。天命不常如此。今王其可不疾敬德乎。
【読み】
△天旣に大邦殷の命を遐[さ]け終[お]う。茲殷に先哲王多く天に在り。越[ここ]に厥の後の王後の民、茲に厥の命に服[つ]く。厥れ終に智るものは藏れて瘝[や]めるものは在り。夫れ厥の婦子を保んじ抱き攜[たずさ]え持ちて、以て哀しみ天に籲[よ]ばうこと知る。徂いて厥れ亡[に]げ出づれば執わる。嗚呼天亦四方の民を哀しんで、其れ眷み命じて用て懋[つと]めしむ。王其れ疾く德を敬め。後王後民は、受を指す。此の章の語多く解き難し。大意は謂ゆる天旣に大邦殷の命を遠ざけ絕たんと欲す。而れども此の殷の先哲王、其の精爽天に在り、宜しく恃む可き者の若し。而れども商紂命を受けて、卒に賢智の者退き藏れ、民を病ましむ者位に在ることを致す。民虐政に困しみ、其の妻子を保抱攜持して、哀しみて天に號呼す。往いて逃げ亡せ、出でて拘え執わる。地として自ら容るること無し。故に天亦民を哀しみて、眷命用て德を勉むる者に歸す。天命常ならざること此の如し。今王其れ疾く德を敬まざる可けんや、と。

△相古先民有夏、天迪從子保。面稽天若。今時旣墜厥命。今相有殷、天迪格保。面稽天若。今時旣墜厥命。從子保者、從其子而保之。謂禹傳之子也。面、郷也。視古先民有夏、天固啓迪之、又從其子、而保佑之。禹亦面考天心、敬順無違、宜若可爲後世憑藉者。今時已墜厥命矣。今視有殷、天固啓迪之、又使其格正夏命、而保佑之。湯亦面考天心、敬順無違、宜亦可爲後世憑藉者。今時已墜厥命矣。以此知天命誠不可恃以爲安也。
【読み】
△古の先民有夏を相[み]るに、天迪[みちび]いて子に從りて保んず。面[まのあたり]天に稽[かんが]えて若[したが]う。今の時旣に厥の命を墜せり。今有殷を相るに、天迪いて格[いた]し保んず。面天に稽えて若う。今の時旣に厥の命を墜せり。子に從りて保んずとは、其の子に從りて之を保んずるなり。謂ゆる禹之を子に傳うるなり。面は、郷[む]かうなり。古の先民有夏を視るに、天固に之を啓き迪いて、又其の子に從りて、之を保んじ佑く。禹亦天心を面考えて、敬み順い違うこと無く、宜しく後世憑藉[ひょうしゃ]とす可き者の若し。今の時已に厥の命を墜せり。今有殷を視るに、天固に之を啓き迪いて、又其をして夏の命を格[いた]し正して、之を保んじ佑けしむ。湯も亦天心を面考えて、敬み順いて違うこと無く、宜しく亦後世憑藉とす可き者なり。今の時已に厥の命を墜せり。此を以て天命誠に恃んで以て安きとす可からざるを知る。

△今沖子嗣。則無遺壽耇。曰、其稽我古人之德。矧曰其有能稽謀自天。稽、考。矧、況也。幼沖之王、於老成之臣、尤易疎遠。故召公言、今王以童子嗣位。不可遺棄老成。言其能稽古人之德、是固不可遺也。況言其能稽謀自天、是尤不可遺也。稽古人之德、則於事有所證、稽謀自天、則於理無所遺。無遺壽耇、蓋君天下者之要務。故召公特首言之。
【読み】
△今沖子嗣ぐ。則ち壽耇を遺つること無かれ。曰く、其れ我が古の人の德を稽う、と。矧んや曰く其れ能く稽え謀りて天に自[したが]うこと有るをや。稽は、考う。矧は、況んやなり。幼沖の王の、老成の臣に於るは、尤も疎遠となり易し。故に召公言く、今王童子を以て位を嗣ぐ。老成を遺し棄つ可からず、と。言うこころは、其れ能く古人の德を稽えて、是れ固に遺つる可からず。況んや言く其れ能く稽え謀りて天に自うや、是れ尤も遺つる可からざるなり。古人の德を稽うるときは、則ち事に於て證とする所有り、稽え謀りて天に自うときは、則ち理に於て遺つる所無し。壽耇を遺つること無きは、蓋し天下に君たる者の要務なり。故に召公特に首めに之を言えり。

△嗚呼有王雖小、元子哉。其丕能諴于小民今休。王不敢後。用顧畏於民碞。召公歎息言、王雖幼沖、乃天之元子哉。謂其年雖小、其任則大也。其者、期之辭也。諴、和。碞、險也。王其大能諴和小民、爲今之休美乎。小民雖至微、而至爲可畏。王當不敢緩於敬德、用顧畏于民之碞險可也。
【読み】
△嗚呼有王小[わか]しと雖も、元子なるかな。其れ丕いに能く小民を諴[やわ]らげて今休[よ]けん。王敢えて後とせざれ。用て民の碞[さか]しきを顧み畏れよ。召公歎息して言う、王幼沖と雖も、乃ち天の元子なるかな、と。謂ゆる其の年小しと雖も、其の任は則ち大いなり。其れとは、之を期するの辭なり。諴[かん]は、和らぐ。碞[がん]は、險しきなり。王其れ大いに能く小民を諴和して、今の休美を爲さんや。小民は至微なりと雖も、至って畏る可しとす。王當に敢えて德を敬むことを緩めざるべく、用て民の碞險を顧み畏れて可なり、と。

△王來紹上帝、自服于土中。旦曰、其作大邑、其自時配皇天、毖祀于上下、其自時中乂。王厥有成命、治民今休。洛邑、天地之中。故謂之土中。王來洛邑繼天出治。當自服行於土中。是時洛邑告成。成王始政。故召公以自服土中爲言。又舉周公嘗言、作此大邑、自是可以對越上天、可以饗答神祇、自是可以宅中圖治。成命者、天之成命也。成王而能紹上帝服土中、則庶幾天有成命、治民今卽休美矣。○王氏曰、成王欲宅洛邑者、以天事言、則日東景夕多陽。日西景朝多陰。日南景短多暑。日北景長多寒。洛天地之中、風雨之所會、陰陽之所和也。以人事言、則四方朝聘・貢賦・道理均焉。故謂之土中。
【読み】
△王來りて上帝に紹[つ]いで、自ら土中に服[おこな]え。旦が曰く、其れ大邑を作して、其れ時[こ]れより皇天を配して、毖[つつし]んで上下を祀り、其れ時れより中に乂[おさ]めん。王厥れ成命有りて、民を治めて今休からん、と。洛邑は、天地の中。故に之を土中と謂う。王洛邑に來りて天に繼いで治を出だす。當に自ら土中に服し行うべし。是の時洛邑成れるを告ぐ。成王政を始むる。故に召公自ら土中に服えを以て言とす。又周公嘗て言えることを舉げて、此の大邑を作して、是れより以て上天に對越す可く、以て神祇に饗答す可く、是れより以て中に宅りて治を圖る可し、と。成命は、天の成命なり。成王にして能く上帝に紹ぎ土中に服うときは、則ち庶幾わくは天に成命有りて、民を治むること今卽ち休美ならんことを、と。○王氏が曰く、成王洛邑に宅らんと欲するは、天事を以て言うときは、則ち日の東景夕には陽多し。日の西景朝には陰多し。日の南景短く暑多し。日の北景長く寒多し。洛は天地の中、風雨の會する所、陰陽の和する所なり。人事を以て言うときは、則ち四方の朝聘・貢賦・道理均し。故に之を土中と謂う、と。

△王先服殷御事、比介于我有周御事、節性惟日其邁。言治人當先服乎民也。王先服殷之御事、以親近副貳我周之御事、使其漸染陶成相觀爲善、以節其驕淫之性、則日進於善而不已矣。
【読み】
△王先ず殷の御事を服して、我が有周の御事に比[した]しみ介けて、性を節して惟れ日々に其れ邁[すす]まん。言うこころは、人を治むるは當に先ず民を服すべし。王先ず殷の御事を服せば、以て我周の御事に親近副貳して、其をして漸染陶成相觀て善を爲さしめ、以て其の驕淫の性を節して、則ち日々に善に進んで已まず。

△王敬作所。不可不敬德。言化臣必謹乎身也。所、處所也。猶所其無逸之所。王能以敬爲所、則動靜語默、出入起居、無往而不居敬矣。不可不敬德者、甚言德之不可不敬也。
【読み】
△王敬みを所とせよ。德を敬まずんばある可からず。言うこころは、臣を化するには必ず身を謹むなり。所は、處り所なり。猶其の逸んずること無きを所とすの所のごとし。王能く敬みを以て所とすれば、則ち動靜語默、出入起居、往くとして敬に居らざること無し。德を敬まずんばある可からずとは、甚だ德の敬せずんばある可からざることを言うなり。

△我不可不監于有夏。亦不可不監于有殷。我不敢知、曰、有夏服天命、惟有歷年。我不敢知、曰、不其延。惟不敬厥德、乃早墜厥命。我不敢知、曰、有殷受天命、惟有歷年。我不敢知、曰、不其延。惟不敬厥德、乃早墜厥命。夏商歷年長短、所不敢知、我所知者、惟不敬厥德、卽墜其命也。與上章相古先民之意、相爲出入。但上章主言天眷之不足恃、此則直言不敬德、則墜厥命爾。
【読み】
△我れ有夏を監みずんばある可からず。亦有殷を監みずんばある可からず。我れ敢えて知るのみにあらず、曰く、有夏の天命に服く、惟れ年を歷たること有り。我れ敢えて知るのみにあらず、曰く、其れ延びず。惟れ厥の德を敬まず、乃ち早く厥の命を墜せり。我れ敢えて知るのみにあらず、曰く、有殷の天命を受く、惟れ年を歷たること有り。我れ敢えて知るのみにあらず、曰く、其れ延びず。惟れ厥の德を敬まず、乃ち早く厥の命を墜せり。夏商歷年の長短は、敢えて知らざる所にて、我が知る所の者は、惟れ厥の德を敬まざれば、卽ち其の命を墜すなり。上の章の古の先民を相るの意と、出入を相爲す。但上の章は主として天眷の恃むに足らざるを言い、此は則ち直に德を敬まずんば、則ち厥の命を墜すことを言うのみ。

△今王嗣受厥命。我亦惟、茲二國命嗣若功。王乃初服。今王繼受天命。我謂亦惟、此夏商之命、當嗣其有功者。謂繼其能敬德而歷年者也。況王乃新邑初政、服行敎化之始乎。
【読み】
△今王嗣いで厥の命を受く。我れ亦惟う、茲の二國の命若[なんじ]の功を嗣がんことを。王乃ち初めて服[つ]けるをや。今王繼いで天命を受く。我れ謂ゆる亦惟う、此の夏商の命は、當に其の功有る者を嗣ぐべし、と。謂ゆる其の能く德を敬みて年を歷たる者を繼ぐなり。況んや王乃ち新邑の初政、敎化を服し行うの始めなるをや。

△嗚呼若生子。罔不在厥初生。自貽哲命。今天其命哲、命吉凶、命歷年。知今我初服。歎息言、王之初服、若生子。無不在於初生、習爲善、則善矣、自貽其哲命。爲政之道、亦猶是也。今天其命王以哲乎、命以吉凶乎、命以歷年乎、皆不可知。所可知者、今我初服如何爾。初服而敬德、則亦自貽哲命。而吉與歷年矣。
【読み】
△嗚呼生まれたる子の若し。厥の初めて生まれたるに在[おい]てせざること罔し。自ら哲命を貽[のこ]せり。今天其れ哲を命じ、吉凶を命じ、歷年を命ずるか。知る今我が初めて服けるを。歎息して言う、王の初めて服するは、生まれたる子の若し。初めて生まれたるに在て、習いて善を爲すときは、則ち善にして、自ら其の哲命を貽さざること無し。政を爲むるの道も、亦猶是のごとし。今天其れ王に命ずるに哲を以てするか、命ずるに吉凶を以てするか、命ずるに歷年を以てするか、皆知る可からず。知る可き所の者は、今我が初服如何とのみ。初服にして德を敬むときは、則ち亦自ら哲命を貽す。而して吉と歷年とをさえ。

△宅新邑、肆惟王其疾敬德。王其德之用、祈天永命。宅新邑、所謂初服矣。王其疾敬德、容可緩乎。王其德之用而祈天、以歷年也。
【読み】
△新邑に宅り、肆[ここ]に惟れ王其れ疾く德を敬め。王其れ德之を用いて、天の永命を祈[もと]めよ。新邑に宅るとは、所謂初服なり。王其れ疾やかに德を敬みて、緩くす可きをせんや。王其れ德之を用いて天に祈るに、歷年を以てせよ、と。

△其惟王勿以小民淫用非彝、亦敢殄戮用乂民。若有功。刑者、德之反。疾於敬德、則當緩於用刑、勿以小民過用非法之故、亦敢於殄戮用治之也。惟順導民、則可有功。民猶水也。水泛濫橫流、失其性矣。然壅而遏之、則害愈甚。惟順而導之、則可以成功。
【読み】
△其れ惟れ王小民の淫[す]ぎて彝に非ざるを用ゆるを以て、亦敢えて殄[た]ち戮[ころ]して用て民を乂[おさ]むること勿かれ。若[したが]わば功有らん。刑は、德の反なり。德を敬むに疾やかなるときは、則ち當に刑を用ゆるを緩くすべく、小民過ぎて非法を用ゆるの故を以て、亦敢えて殄戮[てんりく]するに於て用て之を治むること勿かれ。惟れ順にして民を導くときは、則ち功有る可し。民は猶水のごとし。水泛濫橫流すれば、其の性を失う。然れども壅[ふさ]いで之を遏[とど]むるときは、則ち害愈々甚だし。惟れ順にして之を導くときは、則ち以て功を成す可し。

△其惟王位在德元。小民乃惟刑用于天下、越王顯。元、首也。居天下之上、必有首天下之德。王位在德元、則小民皆儀刑用德于下、於王之德益以顯矣。
【読み】
△其れ惟れ王の位は德の元[はじめ]に在り。小民乃ち惟れ刑[のっと]りて天下に用い、王に越[おい]て顯[あらわ]る。元は、首めなり。天下の上に居りては、必ず天下に首めたるの德有り。王の位德の元に在れば、則ち小民皆儀り刑りて德を下に用い、王の德に於て益々以て顯るならん。

△上下勤恤其曰、我受天命、丕若有夏歷年。式勿替有殷歷年。欲王以小民受天永命。其、亦期之辭也。君臣勤勞期曰、我受天命、大如有夏歷年、用勿替有殷歷年。欲兼夏殷歷年之永也。召公又繼以欲王以小民受天永命。蓋以小民者、勤恤之實。受天永命者、歷年之實也。蘇氏曰、君臣一心以勤恤民、庶幾王受命歷年如夏商。且以民心爲天命也。
【読み】
△上下勤め恤えて其れ曰く、我れ天命を受けて、丕いに有夏の年を歷たるが若くなれ。式[もっ]て有殷の年を歷たるを替[す]つること勿かれ、と。王の小民を以[い]て天の永命を受けんことを欲す。其れは、亦期するの辭なり。君臣勤め勞りて期して曰く、我れ天命を受くること、大いに有夏の歷年の如く、用て有殷の歷年を替つること勿かれ、と。夏殷歷年の永きを兼ねんと欲するなり。召公又繼ぐに以て王の小民を以て天の永命を受けんことを欲す、と。蓋し小民を以る者は、勤め恤うるの實。天の永命を受くる者は、歷年の實なり。蘇氏が曰く、君臣心を一にして以て民を勤め恤うるは、庶幾わくは王命を受け年を歷たること夏商の如くならん、と。且つ民の心を以て天命とするなり、と。

△拜手稽首曰、予小臣、敢以王之讎民・百君子、越友民、保受王威命明德。王末有成命、王亦顯。我非敢勤。惟恭奉幣用供王、能祈天永命。讎民、殷之頑民、與三監叛者。百君子、殷之御事・庶士也。友民、周之友順民也。保者、保而不失。受者、受而無拒。威命明德者、德威德明也。末、終也。召公於篇終致敬言、予小臣敢以殷周臣民、保受王威命明德。王當終有天之成命、以顯于後世。我非敢以此爲勤。惟恭奉幣帛用供王、能祈天永命而已。蓋奉幣之禮、臣職之所當恭、而祈天之實、則在王之所自盡也。又按恭奉幣意、卽上文取幣以錫周公而旅王者。蓋當時成王將舉新邑之祀。故召公奉以助祭云。
【読み】
△拜手稽首して曰く、予れ小臣、敢えて王の讎民・百の君子、越[およ]び友民を以て、王の威命明德を保んじ受けん。王末[つい]に成命を有ちて、王も亦顯らかならん。我れ敢えて勤めとするに非ず。惟れ恭しく幣を奉げて用て王に供して、能く天の永命を祈[もと]めん、と。讎民は、殷の頑民、三監と叛く者なり。百の君子は、殷の御事・庶士なり。友民は、周の友順なる民なり。保とは、保んじて失わず。受は、受けて拒むこと無し。威命明德は、德威德明なり。末は、終になり。召公篇の終わりに於て敬を致して言く、予れ小臣敢えて殷周の臣民を以て、王の威命明德を保んじ受けしむ。王當に終に天の成命を有ちて、以て後世に顯らかなるべし。我れ敢えて此を以て勤めとするに非ず。惟れ恭しく幣帛を奉げて用て王に供して、能く天の永命を祈むるのみ。蓋し奉幣の禮は、臣職の當に恭しくすべき所にして、天に祈むるの實は、則ち王の自ら盡くす所に在り。又按ずるに恭しく幣を奉ぐ意は、卽ち上の文の幣を取りて以て周公に錫えて王に旅[の]ぶる者なり。蓋し當時成王將に新邑の祀を舉げんとす。故に召公奉じて以て祭を助くと云う。


洛誥 洛邑旣定、周公遣使告卜。史氏錄之以爲洛誥。又幷記其君臣答問、及成王命周公留治洛之事。今文古文皆有。○按周公拜手稽首以下、周公授使者告卜之辭也。王拜手稽首以下、成王授使者復公之辭也。王肇稱殷禮以下、周公敎成王宅洛之事也。公明保予沖子以下、成王命公留後治洛之事也。王命予來以下、周公許成王留洛、君臣各盡其責難之辭也。伻來以下、成王錫命毖殷命寧之事也。戊辰以下、史又記其祭祀册誥等事、及周公居洛歲月久近以附之、以見周公作洛之始終。而成王舉祀發政之後、卽歸于周、而未嘗都洛也。
【読み】
洛誥[らくこう] 洛邑旣に定まり、周公使を遣わして卜を告ぐ。史氏之を錄して以て洛誥とす。又其の君臣の答問、及び成王が周公に命じて留まりて洛を治むるの事を幷せ記す。今文古文皆有り。○按ずるに周公拜手稽首より以下は、周公が使者に卜を告ぐるの辭を授くるなり。王拜手稽首より以下は、成王が使者に公に復するの辭を授くるなり。王肇稱殷禮より以下は、周公が成王の洛に宅るの事を敎ゆるなり。公明保予沖子より以下は、成王が公に留まりて後に洛を治むる事を命ずるなり。王命予來より以下は、周公が成王に許し洛に留まり、君臣各々其の難きを責むることを盡くすの辭なり。伻來より以下は、成王命を錫えて殷命を毖[つつし]みて之を寧んずるの事なり。戊辰より以下は、史又其の祭祀册誥等の事、及び周公洛に居る歲月の久近を記して以て之に附し、以て周公の洛を作るの始終を見す。而して成王祀を舉げ政を發するの後、卽ち周に歸りて、未だ嘗て洛に都せざるなり。


周公拜手稽首曰、朕復子明辟。此下周公授使者告卜之辭也。拜手稽首者、史記周公遣使之禮也。復、如逆復之復。成王命周公、往營成周。周公得卜、復命于王也。謂成王爲子者、親之也。謂成王爲明辟者、尊之也。周公相成王、尊則君、親則兄之子也。明辟者、明君之謂。先儒謂、成王幼。周公代王爲辟。至是反政成王。故曰復子明辟。夫有失然後有復。武王崩、成王立。未嘗一日不居君位。何復之有哉。蔡仲之命言、周公位冢宰、正百工。則周公以冢宰總百工而已。豈不彰彰明甚矣乎。王莽居攝、幾傾漢鼎。皆儒者有以啓之。是不可以不辨。○蘇氏曰、此上有脫簡、在康誥。自惟三月哉生魄、至洪大誥治、四十八字。
【読み】
周公拜手稽首して曰く、朕れ子明辟に復[もう]す。此より下は周公が使者に卜を告ぐるの辭を授くるなり。拜手稽首すとは、史が周公の使を遣わすの禮を記すなり。復は、逆復の復の如し。成王周公に命じて、往いて成周を營ぜしむ。周公卜を得て、王に復命するなり。成王を謂いて子と爲す者は、之を親しむなり。成王を謂いて明辟と爲す者は、之を尊ぶなり。周公の成王を相[み]るに、尊ぶときは則ち君、親しむときは則ち兄の子なり。明辟とは、明君の謂なり。先儒謂く、成王幼し。周公王に代わりて辟と爲る。是に至りて政を成王に反す。故に曰く、子に明辟を復[かえ]す、と。夫れ失うこと有りて然して後に復すこと有り。武王崩じて、成王立つ。未だ嘗て一日も君位に居らずんばあらず。何の復すことか之れ有らんや。蔡仲の命に言く、周公冢宰に位して、百工を正す、と。則ち周公は冢宰を以て百工を總ぶるのみ。豈彰彰として明らかなること甚だしからざらんや。王莽攝に居りて、幾ど漢鼎を傾く。皆儒者以て之を啓くこと有り。是れ以て辨ぜずんばある可からず。○蘇氏が曰く、此の上に脫簡有り、康誥に在り。惟三月哉生魄より、洪大誥治に至るまでの、四十八字なり、と。

△王如弗敢及天基命定命。予乃胤保大相東土、其基作民明辟。凡有造、基之而後成。成之而後定。基命、所以成始也。定命、所以成終也。言成王幼沖、退託如不敢及知天之基命定命。予乃繼太保而往、大相洛邑。其庶幾爲王始作民明辟之地也。洛邑在鎬京東。故曰東土。
【読み】
△王敢えて天の基命定命に及ばざるが如し。予れ乃ち保に胤[つ]いで大いに東土を相[み]て、其れ基[はじ]めて民の明辟と作す。凡そ造ること有るは、之を基めて而して後に成る。之を成して而して後に定まる。基命は、始めを成す所以なり。定命は、終わりを成す所以なり。言うこころは、成王幼沖にして、退託して敢えて天の基命定命を知るに及ばざるが如し。予れ乃ち太保に繼いで往いて、大いに洛邑を相る。其れ庶幾わくは王の爲に始めて民の明辟の地を作らんことを。洛邑は鎬京の東に在り。故に東土と曰う。

△予惟乙卯、朝至于洛師、我卜河朔黎水。我乃卜澗水東、瀍水西、惟洛食。我又卜瀍水東、亦惟洛食。伻來以圖、及獻卜。瀍、音廛。伻、補耕反。○乙卯、卽召誥之乙卯也。洛師、猶言京師也。河朔黎水、河北黎水交流之内也。澗水東、瀍水西、王城也。朝會之地。瀍水東、下都也。處商民之地。王城在澗瀍之閒、下都在瀍水之外、其地皆近洛水。故兩云惟洛食也。食者、史先定墨、而灼龜之兆。正食其墨也。伻、使也。圖、洛之地圖也。獻卜、獻其卜之兆辭也。
【読み】
△予れ惟れ乙卯[きのと・う]、朝に洛師に至り、我れ河の朔[きた]の黎水を卜う。我れ乃ち澗水の東、瀍水[てんすい]の西を卜うに、惟れ洛食[は]めり。我れ又瀍水の東を卜うに、亦惟れ洛食めり。來りて圖を以てし、及び卜を獻らしむ、と。瀍は、音廛。伻[ほう]は、補耕反。○乙卯は、卽ち召誥の乙卯なり。洛師は、猶京師と言うがごとし。河の朔の黎水は、河の北の黎水交流するの内なり。澗水の東、瀍水の西は、王城なり。朝會の地なり。瀍水の東は、下都なり。商民を處くの地なり。王城は澗瀍の閒に在り、下都は瀍水の外に在り、其の地皆洛水に近し。故に兩つながら惟れ洛食めりと云うなり。食むとは、史先ず墨を定めて、龜を灼くの兆。正に其の墨を食めり。伻は、使なり。圖は、洛の地圖なり。卜を獻るとは、其の卜の兆辭を獻るなり。

△王拜手稽首曰、公不敢不敬天之休、來相宅、其作周匹休。公旣定宅、伻來、來視予卜休恆吉。我二人共貞。公其以予萬億年、敬天之休。拜手稽首誨言。此王授使者復公之辭也。王拜手稽首者、成王尊異周公、而重其禮。匹、配也。公不敢不敬天之休命、來相宅、爲周匹休之地。言卜洛以配周命於無窮也。視、示也。示我以卜休美而常吉者也。二人、成王・周公也。貞、猶當也。十萬曰億。言周公宅洛、規模宏遠、以我萬億年敬天休命。故又拜手稽首、以謝周公告卜之誨言。
【読み】
△王拜手稽首して曰く、公敢えて天の休[よ]きを敬まずんばあらず、來りて宅を相て、其れ周の匹休を作す。公旣に宅を定めて、來らしめて、來りて予に卜休くして恆に吉きことを視す。我れ二人共に貞[あ]たれり。公其れ予が萬億年を以て、天の休きことを敬ましむ。誨言を拜手稽首す、と。此れ王が使者に公に復するの辭を授くるなり。王拜手稽首すとは、成王が周公を尊異して、其の禮を重んずるなり。匹は、配なり。公敢えて天の休命を敬まずんばあらず、來りて宅を相て、周の匹休の地爲らしむ。言うこころは、洛を卜いて以て周の命を無窮に配するなり。視は、示すなり。我に示すに卜の休美にして常に吉なる者を以てす。二人は、成王・周公なり。貞は、猶當たるのごとし。十萬を億と曰う。言うこころは、周公の洛に宅る、規模宏遠にして、我を以て萬億年まで天の休命を敬ましむ。故に又拜手稽首して、以て周公卜を告ぐるの誨言を謝す。

△周公曰、王肇稱殷禮、祀于新邑、咸秩無文。此下周公告成王宅洛之事也。殷、盛也。與五年再殷祭之殷同。秩、序也。無文、祀典不載也。言王始舉盛禮、祀于洛邑、皆序其所當祭者。雖祀典不載、而義當祀者、亦序而祭之也。呂氏曰、定都之初、肇舉盛禮、大饗羣祀。雖祀典不載者、咸秩序而祭之。有告焉、有報焉、有祈焉。始建新都、昭假上下、告成事也。雨暘時若、大役以成。報神賜也。自今以始、永奠中土、祈鴻休也。後世不知祭祀之義、鬼神之德、觀周公首以祀于新邑爲言、若闊於事情者。抑不知人主臨鎭新邑之始、齊袚一心、對越天地、達此精明之德、放諸四海、無所不準、而助祭諸侯、下逮胞翟之賤、亦皆有孚顒若。收其放而合其離、蓋格君心、萃天下之道、莫要於此。宜周公以爲首務也。
【読み】
△周公曰く、王肇めて殷[さか]んなる禮を稱[あ]げて、新邑に祀り、咸く文無きまでを秩[つい]ず。此より下は周公が成王の洛に宅るの事を告ぐるなり。殷は、盛んなり。五年に再び殷いに祭りするの殷と同じ。秩は、序なり。文無しとは、祀典に載せざるなり。言うこころは、王始めて盛禮を舉げて、洛邑に祀り、皆其の當に祭るべき所の者を序ず。祀典に載せざると雖も、而れども義として當に祀るべき者は、亦序で之を祭るなり。呂氏が曰く、都を定むるの初め、肇めて盛禮を舉げて、大いに羣祀を饗す。祀典に載せざる者と雖も、咸秩序して之を祭る。告ぐること有り、報ゆること有り、祈ること有り。始め新都を建てて、昭らかに上下に假るは、成事を告ぐるなり。雨暘時に若[したが]い、大役以て成る。神の賜に報ゆるなり。今より以て始めて、永く中土に奠[お]くは、鴻休を祈るなり。後世祭祀の義、鬼神の德を知らず、周公首め新邑に祀るを以て言を爲すを觀るに、事情に闊[さか]る者の若し、と。抑々知らず、人主新邑を臨鎭するの始め、一心を齊袚し、天地に對越し、此の精明の德に達し、諸を四海に放ちて、準ならざる所無くして、祭を助くる諸侯、下は胞翟の賤に逮ぶまで、亦皆孚有りて顒若[ぎょうじゃく]たり。其の放てるを收めて其の離れたるを合わす、蓋し君の心を格し、天下に萃[いた]るの道、此より要なるは莫し。宜なるかな周公以て首務とすること、と。

△予齊百工、伻從王于周。予惟曰、庶有事。周公言、予整齊百官、使從成王于周。謂將適洛時也。予惟謂之曰、庶幾其有所事乎。公但微示其意、以待成王自敎詔之也。
【読み】
△予れ百工を齊えて、王に周に從わしむ。予れ惟れ曰く、庶わくは事有らんか、と。周公言く、予れ百官を整え齊えて、成王に周に從わしむ、と。謂ゆる將に洛に適かんとする時なり。予れ惟れ之に謂いて曰く、庶幾わくは其れ事とする所有らんか、と。公但微しく其の意を示して、以て成王自ら之に敎詔するを待つなり。

△今王卽命曰、記功宗、以功作元祀。惟命曰、汝受命篤弼。功宗、功之尊顯者。祭法曰、聖王之制祭祀也、法施於民則祀之。以死勤事則祀之。以勞定國則祀之。能禦大災則祀之。能捍大患則祀之。蓋功臣皆祭於大烝、而勲勞之最尊顯者、則爲之冠。故謂之元祀。周公敎成王、卽命曰、記功之尊顯者、以功作元祀矣。又惟命之曰、汝功臣受此褒賞之命、當益厚輔王室。蓋作元祀、旣以慰答功臣、而又勉其左右王室、益圖久大之業也。
【読み】
△今王卽ち命じて曰く、功宗を記して、功を以て元祀を作せ、と。惟れ命じて曰く、汝命を受けて篤く弼けよ、と。功宗は、功の尊顯なる者なり。祭法に曰く、聖王の祭祀を制するや、法民に施すときは則ち之を祀る。死を以て事を勤むるときは則ち之を祀る。勞を以て國を定むるときは則ち之を祀る。能く大災を禦ぐときは則ち之を祀る。能く大患を捍[ふせ]ぐときは則ち之を祀る。蓋し功臣皆大烝に祭りて、勲勞の最も尊顯なる者は、則ち之が冠爲り。故に之を元祀と謂う。周公成王に敎え、卽ち命じて曰く、功の尊顯なる者を記して、功を以て元祀を作せ、と。又惟れ之に命じて曰く、汝功臣此の褒賞の命を受けて、當に益々厚く王室を輔くべし、と。蓋し元祀を作すは、旣に以て功臣に慰答して、又其の王室を左右[たす]くることを勉めしめ、益々久大の業を圖るなり。

△丕視功載、乃汝其悉自敎工。丕、大。視、示也。功載者、記功之載籍也。大視功載、而無不公、則百工效之、亦皆公也。大視功載、而或出於私、則百工效之、亦皆私也。其公其私、悉自汝敎之。所謂乃汝其悉自敎工也。上章告以褒賞功臣。故戒其大視功載者如此。
【読み】
△丕いに功載を視すは、乃ち汝其れ悉く自ら工を敎ゆ。丕は、大い。視は、示すなり。功載とは、功を記す載籍なり。大いに功載を視して、公ならざること無きときは、則ち百工之に效[なら]いて、亦皆公なり。大いに功載を視して、或は私に出づるときは、則ち百工之に效いて、亦皆私なり。其の公其の私、悉く汝よりして之を敎ゆ。所謂乃ち汝其れ悉く自ら工を敎ゆるなり。上の章には告ぐるに功臣を褒賞するを以てす。故に戒むるに其の大いに功載を視す者此の如し。

△孺子其朋、孺子其朋。其往無若火始燄燄、厥攸灼敍弗其絕。孺子、稚子也。朋、比也。上文百工之視倣如此、則論功行賞、孺子其可少可徇比黨之私乎。孺子其少徇比黨之私、則自是而往、有若火然、始雖燄燄尙微、而其灼爍將次第延爇、不可得而撲滅矣。言論功行賞徇私之害、其初甚微、其終至於不可遏絕。所以嚴其辭而禁之於未然也。
【読み】
△孺子其れ朋[むら]がれんか、孺子其れ朋がれんか。其れ往くさき火の始め燄燄[えんえん]として、厥の灼く攸敍で其れ絕えざるが若くなること無からんや。孺子は、稚子なり。朋は、比なり。上の文の百工の視倣うこと此の如きときは、則ち功を論じ賞を行うこと、孺子其れ少なくも比黨の私に徇う可けんや。孺子其れ少なくも比黨の私に徇うときは、則ち是れよりして往くさき、火の然ゆるに、始め燄燄として尙微なりと雖も、而して其の灼爍たること將に次第に延爇[えんぜつ]して、得て撲滅す可からざるが若きこと有らん、と。言うこころは、功を論じ賞を行うに私に徇うの害は、其の初め甚だ微にして、其の終わりは遏絕[あつぜつ]す可からざるに至る。其の辭を嚴にして之を未然に禁ずる所以なり。

△厥若彝及撫事如予。惟以在周工、往新邑、伻嚮卽有僚、明作有功、惇大成裕、汝永有辭。其順常道、及撫國事、常如我爲政之時。惟用見在周官、勿參以私人。往新邑、使百工知工意嚮、各就有僚、明白奮揚而赴功、惇厚博大以裕俗、則王之休聞、亦永有辭于後世矣。
【読み】
△厥れ彝に若[したが]い及び事を撫すること予の如くせよ。惟れ周に在る工を以て、新邑に往いて、嚮[む]かわしめて僚有るに卽いて、明らかに作して功有りて、惇く大いに裕かなることを成さば、汝永く辭有らん、と。其れ常の道に順い、及び國事を撫すること、常に我が政を爲むるの時の如くせよ。惟れ見るに周に在る官を用てし、參わるに私人を以てすること勿かれ。新邑に往いて、百工をして工の意の嚮かうこと知らしめて、各々有僚に就けて、明白に奮揚して功に赴き、惇厚博大にして以て俗を裕かにせば、則ち王の休聞も、亦永く後世に辭有らん、と。

△公曰、己汝惟沖子惟終。周之王業、文武始之。成王當終之也。此上詳於記功敎工内治之事。此下則統御諸侯、敎養萬民之道也。
【読み】
△公曰く、己[ああ]汝惟れ沖子惟れ終わりをせよ。周の王業は、文武之を始む。成王當に之を終うべし。此より上は功を記し工に敎ゆる内治の事を詳らかにす。此より下は則ち諸侯を統べ御し、萬民を敎え養うの道なり。

△汝其敬識百辟享。亦識其有不享。享多儀。儀不及物、惟曰不享。惟不役志于享、凡民惟曰不享。惟事其爽侮。此御諸侯之道也。百辟、諸侯也。享、朝享也。儀、禮。物、幣也。諸侯享上、有誠有僞。惟人君克敬者能識之。識其誠於享者、亦識其不誠於享者。享不在幣而在於禮。幣有餘而禮不足、亦所謂不享也。諸侯惟不用志於享、則國人化之亦皆謂、上不必享矣。舉國無享上之誠、則政事安得不至於差爽僭侮、隳王度而爲叛亂哉。人君可不以敬存心、辨之於早、察之於微乎。
【読み】
△汝其れ敬みて百辟の享するを識れ。亦其の享せざること有るを識れ。享すること儀多し。儀物に及ばざるときは、惟れ不享と曰う。惟れ志を享するに役[つか]われざれば、凡民惟れ不享と曰う。惟れ事其れ爽[たが]い侮らん。此れ諸侯を御するの道なり。百辟は、諸侯なり。享は、朝享なり。儀は、禮。物は、幣なり。諸侯上に享するに、誠有り僞り有り。惟れ人君克く敬する者は能く之を識る。其の享するに誠ある者を識り、亦其の享するに誠あらざる者を識る。享は幣に在らずして禮に在り。幣餘り有りて禮足らざるも、亦所謂不享なり。諸侯惟れ志を享するに用いざるときは、則ち國人之に化して亦皆謂わん、上必ずしも享せず、と。國を舉げて上を享するの誠無きときは、則ち政事安んぞ得て差爽僭侮して、王度を隳[やぶ]りて叛亂を爲すに至らざらんや。人君敬を以て心を存して、之を早に辨じ、之を微に察せざる可けんや。

△乃惟孺子、頒朕不暇、聽朕敎汝于棐民彝。汝乃是不蘉、乃時惟不永哉。篤敍乃正父、罔不若予、不敢廢乃命。汝往敬哉。茲予其明農哉。彼裕我民、無遠用戾。蘉、謨郎反。○此敎養萬民之道也。頒朕不暇、未詳。或曰、成王當頒布我汲汲不暇者、聽我敎汝所以輔民常性之道。汝於是而不勉焉、則民彝泯亂、而非所以長久之道矣。正父、武王也。猶今稱先正云者。篤者、篤厚而不忘。敍者、先後之不紊。言篤敍武王之道、無不如我、則人不敢廢汝之命矣。呂氏曰、武王沒、周公如武王。故天下不廢周公之命。周公去、成王如周公、則天下不廢成王之命。戾、至也。王往洛邑、其敬之哉。我其退休田野、惟明農事。蓋公有歸老之志矣。彼、謂洛邑也。王於洛邑、和裕其民、則民將無遠而至焉。
【読み】
△乃ち惟れ孺子、朕が暇あらざるを頒ち、朕が汝に民の彝を棐[たす]くるを敎ゆることを聽け。汝乃ち是れ蘉[つと]めずんば、乃ち時[こ]れ惟れ永からざらんか。乃の正父を篤くし敍で、予が若くならざること罔くんば、敢えて乃の命を廢てず。汝往いて敬めや。茲れ予れ其れ農を明らかにするかな。彼我が民を裕かにせば、遠しすること無くして用て戾[いた]らん、と。蘉[もう]は、謨郎反。○此れ萬民を敎え養うの道なり。頒朕不暇は、未だ詳らかならず。或ひと曰く、成王當に我が汲汲として暇あらざる者を頒ち布き、我が汝に敎ゆる民の常性を輔くる所以の道を聽くべし。汝是に於て勉めざるときは、則ち民彝泯亂して、長久なる所以の道に非ず、と。正父は、武王なり。猶今先正と稱すと云う者のごとし。篤とは、篤厚にして忘れざるなり。敍とは、先後の紊れざるなり。言うこころは、篤く武王の道を敍で、我が如くならざること無きときは、則ち人敢えて汝の命を廢てざるなり。呂氏が曰く、武王沒して、周公武王の如し。故に天下周公の命を廢てず。周公去りて、成王周公の如きときは、則ち天下成王の命を廢てず、と。戾は、至るなり。王洛邑に往いて、其れ之を敬めや。我れ其れ退いて田野に休し、惟れ農事を明らかにせん、と。蓋し公に歸老の志有り。彼は、洛邑を謂うなり。王洛邑に於て、其の民を和らげ裕かにするときは、則ち民將に遠しとすること無くして至らんとす。

△王若曰、公明保予沖子、公稱丕顯德、以予小子、揚文武烈、奉答天命、和恆四方民、居師。此下成王答周公、及留公也。大抵與上章參錯相應。明、顯明之也。保、保佑之也。稱、舉也。和者、使不乖。恆者、使可久也。居師者、宅其衆也。言周公明保成王、舉大明德。使其上之不忝於文武、仰不愧天、俯不怍人也。
【読み】
△王若[か]く曰く、公予れ沖子を明らかにし保んじ、公丕いに顯らかなる德を稱[あ]げて、予れ小子を以て、文武の烈を揚げて、天命に奉[う]け答えて、四方の民を和らげ恆にして、師を居く。此より下は成王が周公に答え、及び公を留むるなり。大抵上の章と參え錯えて相應ず。明は、之を顯明にするなり。保は、之を保んじ佑くるなり。稱は、舉ぐるなり。和は、乖かざらしむるなり。恆は、久しかる可からしむるなり。師を居くとは、其の衆々を宅くなり。言うこころは、周公成王を明らかにし保んじて、大いに明らかなる德を舉ぐ。其の上をして之れ文武に忝[は]じず、仰いで天に愧じず、俯して人に怍じざらしむるなり。

△惇宗將禮、稱秩元祀、咸秩無文。宗、功宗之宗也。下文宗禮同。將、大也。
【読み】
△宗を惇くし禮を將[おお]いにし、元祀を稱[あ]げ秩で、咸く文無きまでも秩ず。宗は、功宗の宗なり。下の文の宗禮と同じ。將は、大いなり。

△惟公德明、光于上下。勤施于四方、旁作穆穆迓衡、不迷文武勤敎。予沖子夙夜毖祀。旁、無方所也。因上下四方爲言。穆穆、和敬也。迓、迎也。言周公之德、昭著于上下、勤施于四方、旁作穆穆以迎治平、不迷失文武所勤之敎於天下。公之德敎、加於時者如此。予沖子夫何為哉。惟早夜以謹祭祀而已。蓋成王知周公有退休之志。故示其所以留之之意也。
【読み】
△惟れ公德明らかに、上下に光れり。勤めて四方に施し、旁々穆穆を作して衡[たい]らかなることを迓[むか]えて、文武の勤めたる敎えに迷[たが]わず。予れ沖子夙夜に毖[つつし]みて祀らん、と。旁は、方所無きなり。上下四方に因りて言を爲す。穆穆は、和敬なり。迓[が]は、迎うなり。言うこころは、周公の德、上下に昭著し、四方に勤め施し、旁々穆穆を作して以て治平を迎えて、文武勤めし所の敎えを天下に迷い失わず。公の德敎、時に加うる者此の如し。予れ沖子夫れ何をかせんや。惟れ早夜に以て祭祀を謹むのみ。蓋し成王周公に退休の志有るを知る。故に其の之を留むる所以の意を示すなり。

△王曰、公功棐迪篤。罔不若時。言周公之功、所以輔我啓我者厚矣。當常如是。未可以言去也。
【読み】
△王曰く、公の功棐[たす]け迪[みちび]くこと篤し。時[かく]の若くならざること罔かれ、と。言うこころは、周公の功、我を輔け我を啓く所以の者厚し。當に常に是の如くなるべし。未だ以て去ることを言う可からず、と。

△王曰、公予小子、其退卽辟于周、命公後。此下成王留周公治洛也。成王言我退卽居于周、命公留後治洛。蓋洛邑之作、周公本欲成王遷都、以宅天下之中。而成王之意、則未欲捨鎬京而廃祖宗之舊。故於洛邑舉祀發政之後、卽欲歸居于周、而留周公治洛。謂之後者、先成王之辭。猶後世留守留後之義。先儒謂封伯禽、以爲魯後者非是。攷之費誓、東郊不開。乃在周公東征之時、則伯禽就國、蓋已久矣。下文惟告周公其後。其字之義益可見、其爲周公、不爲伯禽也。
【読み】
△王曰く、公予れ小子、其れ退いて卽ち周に辟[さ]りて、公に後を命ぜん。此より下は成王が周公を留めて洛を治めしむるなり。成王言うこころは、我れ退き卽ち周に居りて、公に留後を命じて洛を治めしめん。蓋し洛邑を作るは、周公本成王都を遷して、以て天下の中に宅ることを欲してなり。而れども成王の意は、則ち鎬京を捨てて祖宗の舊を廃つることを欲せず。故に洛邑に於て祀を舉げ政を發しての後は、卽ち周に歸り居りて、周公を留めて洛を治めしめんと欲す。之を後と謂うは、成王を先んずるの辭なり。猶後世の留守留後の義のごとし。先儒謂ゆる伯禽を封じて、以て魯の後とする者是に非ず。之を費誓に攷[かんが]うるに、東郊開かず、と。乃ち周公東征の時に在るときは、則ち伯禽國に就くこと、蓋し已に久し。下の文に惟れ周公其れ後なりと告す、と。其の字の義益々見る可し、其の周公の爲にして、伯禽の爲ならざるを。

△四方迪亂、未定于宗禮、亦未克敉公功。宗禮、卽功宗之禮也。亂、治也。四方開治、公之功也。未定功宗之禮。故未能敉公功也。敉功者、安定其功之謂。卽下文命寧者也。
【読み】
△四方迪[ひら]き亂[おさ]めれども、未だ宗禮を定めず、亦未だ公の功を敉[やす]んずること克わず。宗禮は、卽ち功宗の禮なり。亂は、治むるなり。四方開き治まるは、公の功なり。未だ功宗の禮を定めず。故に未だ公の功を敉んずること能わず。敉功は、其の功を安んじ定むるの謂なり。卽ち下の文の命じて寧んずる者なり。

△迪將其後、監我士・師・工、誕保文武受民、亂爲四輔。將、大也。周公居洛啓大其後、使我士・師・工有所監視、太保文武所受於天之民、而治爲宗周之四輔也。漢三輔蓋本諸此。今按先言啓大其後、而繼以亂爲四輔、則命周公留後於洛明矣。
【読み】
△其の後を迪[ひら]き將[おお]いにし、我が士・師・工を監み、誕[おお]いに文武の受けたる民を保んじ、亂[おさ]めて四輔とせよ、と。將は、大いなり。周公洛に居り其の後を啓き大いにし、我が士・師・工をして監み視る所有らしめ、太だ文武天に受くる所の民を保んじて、治めて宗周の四輔とせよ、と。漢の三輔は蓋し此に本づく。今按ずるに先ず其の後を啓き大いすと言いて、繼ぐに亂めて四輔とせよを以てするときは、則ち周公に留後を洛に命ずること明らかなり。

△王曰、公定。予往己。公功肅將祗歡。公無困哉。我惟無斁其康事。公勿替刑、四方其世享。斁、音亦。○定、爾雅曰、止也。成王欲周公止洛、而自歸往宗周。言周公之功、人皆肅而將之、欽而悅之。宜鎭撫洛邑、以慰懌人心。毋求去以困我也。我惟無厭其安民之事。公勿替所以監我土・師・工者、四方得以世世享公之德也。吳氏曰、前漢書兩引公無困哉、皆以哉作我。當以我爲正。
【読み】
△王曰く、公定[とど]まれ。予れ往かんのみ。公の功肅みて將[おこな]い祗みて歡ぶ。公哉[われ]を困しむる無かれ。我れ惟れ其の康んずる事を斁[いと]うこと無けん。公刑を替[す]つること勿くんば、四方其れ世々享けん、と。斁[えき]は、音亦。○定は、爾雅に曰う、止まる、と。成王周公の洛に止まりて、自ら宗周に歸り往かんことを欲す。言うこころは、周公の功、人皆肅んで之を將い、欽んで之を悅ぶ。宜しく洛邑を鎭撫して、以て人心を慰懌[いえき]すべし。去ることを求めて以て我を困しむること毋かれ。我れ惟れ其の民を安んずるの事を厭うこと無し。公我が土・師・工を監みる所以の者を替つること勿くんば、四方得て以て世世公の德を享けん、と。吳氏が曰く、前漢書に兩び公無困哉と引くに、皆哉を以て我に作る。當に我を以て正とすべし、と。

△周公拜手稽首曰、王命予來。承保乃文祖受命民、越乃光烈考武王、弘朕恭。此下周公許成王留等事也。來者、來洛邑也。承保乃文祖受命民、及光烈考武王者、答誕保文武受民之言也。責難於君、謂之恭。弘朕恭者、大其責難之義也。
【読み】
△周公拜手稽首して曰く、王予に命じて來らしむ。乃の文祖の命を受けたる民、越[およ]び乃の光烈なる考武王を承け保んじて、朕が恭しきを弘む。此より下は周公が成王の留むる等の事を許すなり。來とは、洛邑に來るなり。乃の文祖の命を受けたる民、及び光烈なる考武王を承け保んずとは、誕いに文武の受けたる民を保んずるの言に答うるなり。難きを君に責むる、之を恭と謂う。朕が恭しきを弘むとは、其の難きを責むるの義を大いにするなり。

△孺子來相宅、其大惇典殷獻民、亂爲四方新辟、作周恭先。曰、其自時中乂、萬邦咸休。惟王有成績。典、典章也。殷獻民、殷之賢者也。言當大厚其典章、及殷之獻民。蓋文獻者、爲治之大要也。亂、治也。言成王於新邑致治、爲四方新王也。作周恭先者、人君恭以接下、以恭而倡後王也。公又言、其自是宅中圖治、萬邦咸厎休美、則王其有成績矣。此周公以治洛之效、望之成王也。
【読み】
△孺子來りて宅を相[み]て、其れ大いに典と殷の獻民を惇くして、亂[おさ]めて四方の新たなる辟と爲り、周の恭しき先と作れ。曰く、其れ時[こ]れより中に乂[おさ]めて、萬邦咸休[よ]けん。惟れ王成れる績有らん、と。典は、典章なり。殷の獻民は、殷の賢者なり。言うこころは、當に大いに其の典章、及び殷の獻民を厚くすべし。蓋し文獻は、治を爲すの大要なり。亂は、治むるなり。言うこころは、成王新邑に於て治を致し、四方の新王と爲るなり。周の恭先と作るとは、人君は恭以て下を接[う]け、恭を以てして後王を倡[いざな]う。公又言う、其れ是れより中に宅りて治を圖らば、萬邦咸休美を厎し、則ち王其れ成績有らん、と。此れ周公洛を治むるの效を以て、成王に望むなり。

△予旦以多子越御事、篤前人成烈、答其師、作周孚先。考朕昭子刑、乃單文祖德。多子者、衆卿大夫也。唐孔氏曰、予者、有德之稱。大夫皆稱予。師、衆也。周公言、我以衆卿大夫及治事之臣、篤厚文武成功、以答天下之衆也。孚、信也。作周孚先者、人臣信以事上、以信而倡後人也。考、成也。昭子、猶所謂明辟也。親之故曰子。刑、儀刑也。單、殫也。言成我明子儀刑、而殫盡文王之德。蓋周公與羣臣篤前人成烈者、所以成成王之刑、乃殫文祖德也。此周公以治洛之事、自效也。
【読み】
△予れ旦多子越[およ]び御事を以て、前人の成烈を篤くして、其の師に答えて、周の孚の先と作[な]らん。朕が昭子の刑[のり]を考[な]して、乃ち文祖の德を單[つ]くさん。多子は、衆々の卿大夫なり。唐の孔氏が曰く、予とは、有德の稱。大夫は皆予と稱す、と。師は、衆々なり。周公言く、我れ衆々の卿大夫及び事を治むるの臣を以て、文武の成功を篤厚にして、以て天下の衆に答う、と。孚は、信なり。周の孚の先と作るとは、人臣は信以て上に事え、信を以て後人を倡[いざな]うなり。考は、成るなり。昭子は、猶所謂明辟のごとし。之を親しむ故に子と曰う。刑は、儀刑なり。單は、殫[たん]なり。言うこころは、我が明子の儀刑を成して、文王の德を殫[つ]くし盡くさん。蓋し周公と羣臣と前人の成烈を篤くするは、成王の刑を成して、乃ち文祖の德を殫くす所以なり。此れ周公洛を治むるの事を以て、自ずから效[つと]めあり。

△伻來毖殷、乃命寧予。絕句。以秬鬯二卣曰、明禋、拜手稽首休享。秬、日許反。鬯、亮反。卣、音由。禋、音因。○此謹毖殷民、而命寧周公也。秬、黑黍也。一稃二米和氣所生。鬯、鬱金、香草也。卣、中尊也。明、潔。禋、敬也。以事神之禮事公也。蘇氏曰、以黑黍爲酒、合以鬱鬯、所以祼也。宗廟之禮、莫盛於祼。王使人來戒勑庶殷、且以秬鬯二卣緩寧周公、曰明禋曰休享者何也。事周公如事神明也。古者有大賓客、以享禮禮之。酒淸人渴而不飮、内乾人飢而不食也。故享有體薦。豈非敬之至者、則其禮如祭也歟。
【読み】
△來りて殷を毖[つつし]ましめて、乃ち命じて予を寧んず。絕句。秬[きょ]鬯[ちょう]二卣[ゆう]を以て曰く、明[きよ]まり禋[いん]せよ、拜手稽首して休[よ]みんじ享けよ、と。秬は、日許反。鬯は、亮反。卣は、音由。禋は、音因。○此れ殷の民を謹み毖んで、命じて周公を寧んぜしむるなり。秬は、黑黍なり。一稃[ふ]二米和氣生ずる所。鬯は、鬱金、香草なり。卣は、中尊[たる]なり。明は、潔し。禋は、敬なり。神に事るの禮を以て公に事うるなり。蘇氏が曰く、黑黍を以て酒を爲り、合するに鬱鬯を以てするは、祼[かん]する所以なり。宗廟の禮は、祼より盛んなるは莫し。王人をして來らしめて庶殷を戒勑し、且つ秬鬯二卣を以て周公を緩寧して、明まり禋せよと曰い休みんじ享けよと曰うは何ぞや。周公に事うること神明に事るが如し。古には大賓客有るときは、享禮を以て之を禮す。酒淸めれども人渴して飮まず、内乾けども人飢えて食まず。故に享くるに體薦有り。豈敬の至れる者に非ずんば、則ち其の禮祭の如くならんや、と。

△予不敢宿、則禋于文王・武王。宿、與顧命三宿之宿同。禋、祭名。周公不敢受此禮、而祭於文武也。
【読み】
△予れ敢えて宿[すす]めず、則ち文王・武王を禋[まつ]る。宿は、顧命の三たび宿むの宿と同じ。禋は、祭の名。周公敢えて此の禮を受けずして、文武を祭るなり。

△惠篤敍、無有遘自疾、萬年厭乃德、殷乃引考。遘、居候反。厭、於艶反。○此祭之祝辭。周公爲成王禱也。惠、順也。篤敍、與篤敍乃正父同。順篤敍文武之道、身其康强、無有遘遇自罹疾害者、子孫萬年厭飽乃德、殷人亦永壽考也。
【読み】
△惠[したが]いて篤く敍で、自ら疾に遘うこと有る無く、萬年まで乃の德に厭[あ]きて、殷も乃ち引[なが]く考あらん。遘は、居候反。厭は、於艶反。○此れ祭の祝辭なり。周公が成王の爲に禱るなり。惠は、順うなり。篤敍は、乃の正父を篤く敍ずと同じ。順いて篤く文武の道を敍で、身ら其れ康强にして、自ら疾害に罹る者に遘遇すること有る無く、子孫は萬年まで乃の德に厭飽して、殷人も亦壽考を永くせん、と。

△王伻殷乃承敍萬年、其永觀朕子懷德。承、聽受也。敍、敎條次第也。王使殷人承敍萬年、其永觀法我孺子而懷其德也。蓋周公雖許成王留洛、然且謂王伻殷者、若曰遷洛之民、我固任之。至於使其承敍萬年、則實繫于王也。亦責難之意。與召公末用供王能祈天永命、語脈相類。
【読み】
△王殷をして乃ち承け敍で萬年まで、其れ永く朕が子を觀て德に懷かしむ、と。承は、聽受なり。敍は、敎條次第なり。王殷人をして承け敍で萬年ならしめ、其れ永く法を我が孺子に觀て其の德に懷けんとなり。蓋し周公成王の洛に留むることを許すと雖も、然れども且つ王殷をしてと謂えるは、洛に遷るの民は、我れ固に之に任ず。其をして承け敍で萬年ならしむるに至りては、則ち實に王に繫ると曰うが若し。亦難きを責むるの意なり。召公の末の、用て王に供して能く天の永命を祈[もと]めんと、語脈相類す。

△戊辰、王在新邑、烝祭歲、文王騂牛一、武王騂牛一、王命作册。逸祝册。惟告周公其後。王賓、殺禋咸格。王入太室祼。戊、音茂。祼、古玩反。○此下史官記祭祀册誥等事、以附篇末也。戊辰、十二月之戊辰日也。是日成王在洛、舉烝祭之禮。曰歲云者、歲舉之祭也。周尙赤。故用騂。宗廟禮、太牢。此用特牛者、命周公留後於洛。故舉盛禮也。逸、史佚也。作册者、册、書也。逸祝册者、史逸爲祝册以告神也。惟告周公其後者、祝册所載、更不他及、惟告周公留守其後之意。重其事也。王賓、猶虞賓杞宋之屬。助祭諸侯也。諸侯以王殺牲、禋祭祖廟、故咸至也。太室、淸廟中央室也。祼、灌也。以圭酌秬鬯、灌地以降神也。
【読み】
△戊辰[つちのえ・たつ]、王新邑に在りて、烝祭の歲、文王に騂牛[せいぎゅう]一、武王に騂牛一、王命じて册を作らしむ。逸祝册す。惟れ周公は其れ後なりと告す。王の賓、殺禋[いん]するとき咸格る。王太室に入りて祼[かん]す。戊は、音茂。祼は、古玩反。○此より下は史官が祭祀册誥等の事を記して、以て篇の末に附すなり。戊辰は、十二月の戊辰の日なり。是の日成王洛に在りて、烝祭の禮を舉ぐるなり。歲と曰うと云うは、歲ごとに舉ぐるの祭なり。周は赤を尙ぶ。故に騂を用ゆ。宗廟の禮は、太牢なり。此に特牛を用ゆるは、周公に留後を洛に命ず。故に盛禮を舉ぐるなり。逸は、史佚なり。册を作らしむとは、册は、書なり。逸祝册すとは、史逸祝册を爲りて以て神に告すなり。惟れ周公其れ後なりと告すとは、祝册の載する所、更に他に及ばず、惟れ周公其の後を留守するの意を告す。其の事を重んずればなり。王の賓とは、猶虞賓杞宋の屬のごとし。祭を助くる諸侯なり。諸侯王の牲を殺し、祖廟を禋祭するを以て、故に咸至るなり。太室は、淸廟の中央の室なり。祼は、灌なり。圭を以て秬鬯を酌んで、地に灌いで以て神を降すなり。

△王命周公後。作册逸誥。在十有二月。逸誥者、史逸誥周公治洛留後也。在十有二月者、明戊辰爲十二月日也。
【読み】
△王周公に後を命ず。册を作りて逸誥ぐ。十有二月に在り。逸誥ぐとは、史逸が周公の洛を治め後に留むることを誥ぐるなり。十有二月に在りとは、戊辰は十二月の日爲ること明らかなり。

△惟周公誕保文武受命、惟七年。吳氏曰、周公自留洛之後、凡七年而薨也。成王之留公也、言誕保文武受民、公之復成王也、亦言承保乃文祖受命民、越乃光烈考武王。故史臣於其終計其年曰、惟周公誕保文武受命、惟七年。蓋終始公之辭云。
【読み】
△惟れ周公誕[おお]いに文武の受けたる命を保んずること、惟れ七年。吳氏が曰く、周公洛に留むるの後より、凡て七年にして薨ず。成王の公を留むるや、誕いに文武の受けたる民を保んずと言い、公の成王に復すときは、亦乃の文祖の命を受けたる民、越[およ]び乃の光烈なる考武王を承け保んずと言う。故に史臣其の終わりに於て其の年を計りて曰く、惟れ周公誕いに文武の受けたる命を保んずること、惟れ七年、と。蓋し公の辭を終始すと云う、と。


多士 商民遷洛者、亦有有位之士。故周公洛邑初政、以王命總呼多士而告之。編書者因以名篇。亦誥體也。今文古文皆有。○吳氏曰、方遷商民于洛之時、成周未作。其後王與周公患四方之遠、鑒三監之叛、於是始作洛邑、欲徙周而居之。其曰昔朕來自奄、大降爾四國民命、我乃明致天罰、移爾遐逖、比事臣我宗多遜者、述遷民之初也。曰今朕作大邑于茲洛、予惟四方罔攸賓、亦惟爾多士攸服奔走臣我多遜者、言遷民而後作洛也。故洛誥一篇終始、皆無欲遷商民之意。惟周公旣誥成王留治於洛之後。乃曰伻來毖殷。又曰王伻殷乃承敍。當時商民已遷于洛。故其言如此。愚謂武王已有都洛之志。故周公黜殷之後、以殷民反覆難制、卽遷于洛。至是建成周、造廬舍定疆場、乃告命與之更始焉爾。此多士之所以作也。由是而推、則召誥攻位之庶殷、其已遷洛之民歟。不然、則受都今衛州也。洛邑今西京也。相去四百餘里。召公安得舍近之友民、而役遠之讎民哉。書序以爲成周旣成、遷殷頑民者謬矣。吾固以爲非孔子所作也。
【読み】
多士[たし] 商の民の洛に遷る者、亦有位の士有り。故に周公洛邑の初政に、王命を以て多士を總べ呼びて之に告ぐ。書を編む者因りて以て篇に名づく。亦誥の體なり。今文古文皆有り。○吳氏が曰く、商の民を洛に遷すの時に方りて、成周未だ作らず。其の後王と周公と四方の遠きを患え、三監の叛くを鑒み、是に於て始めて洛邑を作り、周を徙[うつ]して之に居らんことを欲す。其の昔朕が奄より來るときに、大いに爾四國の民の命を降し、我れ乃ち明らかに天の罰を致して、爾を移して遐[さ]け逖[さ]けて、比[した]しみ事えしめて我が宗に臣たらしめて多く遜わしむと曰う者は、民を遷すの初めを述ぶるなり。今朕れ大邑を茲の洛に作るは、予れ惟れ四方の賓とする攸罔く、亦惟れ爾多士服[つ]いて奔り走りて我に臣とし多く遜う攸なりと曰う者は、民を遷して而して後に洛を作るを言うなり。故に洛誥の一篇の終始は、皆商の民を遷さんと欲するの意無し。惟れ周公旣に成王留めて洛を治めしむるの後に誥ぐ。乃ち曰く、來りて殷を毖ましむ、と。又曰く、王殷をして乃ち承け敍ぜしむ、と。當時商の民已に洛に遷る。故に其の言此の如し、と。愚謂えらく、武王已に洛に都するの志有り。故に周公殷を黜くの後、殷民反覆して制し難きを以て、卽ち洛に遷る。是に至りて成周を建てて、廬舍を造り疆場を定め、乃ち告命して之に與えて更め始むるのみ。此れ多士の作れる所以なり。是に由りて推すときは、則ち召誥の位を攻[おさ]むるの庶殷は、其れ已に洛に遷るの民か。然らずんば、則ち受が都は今の衛州なり。洛邑は今の西京なり。相去ること四百餘里なり。召公安んぞ近くの友民を舍てて、遠くの讎民を役することを得んや。書の序に以爲えらく、成周旣に成りて、殷の頑民を遷すという者は謬れり。吾れ固に以爲えらく、孔子の作る所に非ず、と。


惟三月、周公初于新邑洛、用告商王士。此多士之本序也。三月、成王祀洛次年之三月也。周公至洛久矣。此言初者、成王旣不果遷、留公治洛。至是公始行治洛之事。故謂之初也。曰商王士者、貴之也。
【読み】
惟れ三月、周公初めて新邑の洛に于て、用て商王の士に告ぐ。此れ多士の本序なり。三月は、成王洛を祀る次の年の三月なり。周公洛に至ること久し。此に初めてと言うは、成王旣に果たして遷らず、公を留めて洛を治めしむ。是に至りて公始めて洛を治むるの事を行う。故に之を初めてと謂う。商王の士と曰う者は、之を貴ぶなり。

△王若曰、爾殷遺多士弗弔。旻天大降喪于殷。我有周佑命、將天明威致王罰、勑殷命終于帝。弗弔、未詳。意其爲歎憫之辭。當時方言爾也。旻天、秋天也。主肅殺而言。歎憫言、旻天大降災害而喪殷。我周受眷佑之命、奉將天之明威、致王罰之公、勑正殷命而革之、以終上帝之事。蓋推革命之公、以開諭之也。
【読み】
△王若[か]く曰く、爾殷の遺れる多士弔[めぐ]まれず。旻天大いに喪びを殷に降せり。我が有周佑け命ぜられて、天の明威を將[おこな]いて王の罰を致し、殷の命を勑[ただ]して帝を終う。弗弔は、未だ詳らかならず。意うに其れ歎憫の辭爲らん。當時の方言ならんのみ。旻天は、秋天なり。肅殺を主として言う。歎憫して言う、旻天大いに災害を降して殷を喪ぼせり。我が周眷佑の命を受けて、天の明威を奉け將いて、王罰の公を致し、殷の命を勑し正して之を革め、以て上帝の事を終う、と。蓋し命を革むるの公を推して、以て之を開き諭すなり。

△肆爾多士、非我小國敢弋殷命。惟天不畀、允罔固亂。弼我。我其敢求位。肆、與康誥肆汝小子封同。弋、取也。弋鳥之弋。言有心於取之也。呼多士誥之謂、以勢而言、我小國亦豈敢弋取殷命。蓋栽者培之、傾者覆之。固其治、而不固其亂者、天之道也。惟天不與殷、信其不固殷之亂矣。惟天不固殷之亂。故輔我周之治、而天位自有所不容辭者。我其敢有求位之心哉。
【読み】
△肆[いま]爾多士、我が小國敢えて殷の命を弋[と]れるに非ず。惟れ天畀[あた]えず、允に亂れたるを固くすること罔し。我を弼く。我れ其れ敢えて位を求めんや。肆は、康誥の肆汝小子封と同じ。弋[よく]は、取るなり。弋鳥の弋。言うこころは、之を取るに心有るなり。多士を呼びて之に誥げて謂く、勢いを以て言わば、我が小國亦豈敢えて殷の命を弋り取らんや、と。蓋し栽える者は之を培い、傾く者は之を覆す。其の治まれるを固くして、其の亂れたるを固くせざるは、天の道なり。惟れ天殷に與えざるは、信に其れ殷の亂れたるを固くせざるなり。惟れ天殷の亂れたるを固くせず。故に我が周の治まれるを輔けて、天位自ずから辭す容からざる所の者有り。我れ其れ敢えて位を求むるの心有らんや、と。

△惟帝不畀、惟我下民秉爲、惟天明畏。秉、持也。言天命之所不與、卽民心之所秉爲。民心之所秉爲、卽天威之所明畏者也。反覆天民相因之理、以見天之果不外乎民、民之果不外乎天也。詩言秉彝、此言秉爲者、彝以理言、爲以用言也。
【読み】
△惟れ帝畀[あた]えず、惟れ我が下民のすることを秉れるは、惟れ天の明畏なり。秉は、持つなり。言うこころは、天命の與えざる所は、卽ち民心の秉爲する所なり。民心の秉爲する所は、卽ち天威の明らかに畏るべき所の者なり。天民相因るの理を反覆して、以て天の果たして民に外ならず、民の果たして天に外ならざるを見すなり。詩に秉彝と言い、此に秉爲と言うは、彝は理を以て言い、爲は用を以て言うなり。

△我聞曰、上帝引逸。有夏不適逸、則惟帝降格、嚮于時夏。弗克庸帝、大淫泆有辭。惟時天罔念聞。厥惟廢元命、降致罰。引、導。逸、安也。降格、與呂刑降格同。呂氏曰、上帝引逸者、非有形聲之接也。人心得其安、則亹亹而不能已。斯則上帝引之也。是理坦然、亦何閒於桀。第桀喪其良心、自不適於安耳。帝實引之、桀實避之。帝猶未遽絕也。乃降格災異以示意、嚮於桀。桀猶不知警懼、不能敬用帝命、乃大肆淫逸。雖有矯誣之辭、而天罔念聞之。仲虺所謂帝用不臧是也。廢其大命、降致其罰、而夏祚終矣。
【読み】
△我れ聞く曰く、上帝逸[やす]きを引[みちび]く。有夏逸きに適かず、則ち惟れ帝降し格して、時[こ]の夏に嚮[む]かう。帝を庸[もち]ゆること克わず、大いに淫泆にして辭有り。惟れ時れ天念い聞くこと罔し。厥れ惟れ元命を廢てて、罰を降し致す。引は、導く。逸は、安きなり。降格は、呂刑の降格と同じ。呂氏が曰く、上帝逸きに引くとは、形聲の接わり有るに非ず。人心其の安きを得るときは、則ち亹亹[びび]として已むこと能わず。斯れ則ち上帝之を引くなり、と。是の理坦然として、亦何ぞ桀を閒[へだ]てんや。第[ただ]桀は其の良心を喪い、自ら安きに適かざるのみ。帝實に之を引き、桀實に之を避く。帝猶未だ遽に絕たず。乃ち災異を降し格して以て意を示して、桀に嚮かう。桀猶警め懼るることを知らず、敬みて帝命を用ゆること能わず、乃ち大いに肆に淫逸す。矯[いつわ]り誣いるの辭有りと雖も、而れども天之を念い聞くこと罔し。仲虺が所謂帝用て臧みせずとは是れなり。其の大命を廢て、其の罰を降し致して、夏祚終えぬ。

△乃命爾先祖成湯革夏、俊民甸四方。甸、治也。伊尹稱湯、旁求俊彥。孟子稱湯、立賢無方。蓋明揚俊民、分布遠邇、甸治區畫、成湯立政之大經也。周公反復以夏商爲言者、蓋夏之亡、卽殷之亡。湯之興、卽武王之興也。商民觀是、亦可以自反矣。
【読み】
△乃ち爾の先祖成湯に命じて夏を革めて、俊民四方を甸[おさ]めしむ、と。甸[でん]は、治むるなり。伊尹湯を稱す、旁く俊彥を求む、と。孟子湯を稱す、賢を立つること方無し、と。蓋し明らかに俊民を揚げて、遠邇を分かち布き、區畫を甸治するは、成湯政を立つるの大經なり。周公反復して夏商を以て言を爲す者は、蓋し夏の亡ぶるは、卽ち殷の亡ぶるなり。湯の興るは、卽ち武王の興るなり。商の民是を觀て、亦以て自ら反す可し。

△自成湯至于帝乙、罔不明德恤祀。明德者、所以脩其身。恤祀者、所以敬乎神也。
【読み】
△成湯より帝乙に至るまで、德を明らかにし祀を恤えざる罔し。德を明らかにするは、其の身を脩むる所以なり。祀を恤うるは、神を敬する所以なり。

△亦惟天丕建、保乂有殷。殷王亦罔敢失帝、罔不配天其澤。亦惟天大建立、保治有殷。殷之先王、亦皆操存此心、無敢失帝之則、無不配天以澤民也。
【読み】
△亦惟れ天丕いに建て、有殷を保んじ乂[おさ]む。殷王亦敢えて帝を失うこと罔く、天に配[あ]わせて其れ澤[うるお]さざること罔し。亦惟れ天大いに建立して、有殷を保んじ治む。殷の先王も、亦皆此の心を操存して、敢えて帝の則を失うこと無く、天に配して以て民を澤さざること無し、と。

△在今後嗣王、誕罔顯于天。矧曰其有聽念于先王勤家。誕淫厥泆、罔顧于天顯民祗。後嗣王、紂也。紂大不明於天道。況曰能聽念商先王之勤勞於邦家者乎。大肆淫泆、無復顧念天之顯道、民之敬畏者也。
【読み】
△今に在りて後の嗣王、誕[おお]いに天に顯らかなること罔し。矧んや曰く其れ先王の家を勤めたるを聽き念うこと有らんや。誕いに淫し厥れ泆して、天の顯らかなる民の祗みを顧みること罔し。後の嗣王は、紂なり。紂大いに天道に明らかならず。況んや曰く能く商の先王の邦家に勤勞するを聽き念う者ならんや。大いに肆に淫泆して、復天の顯道、民の敬畏を顧み念うこと無き者なり、と。

△惟時上帝不保、降若茲大喪。大喪者、國亡而身戮也。
【読み】
△惟れ時れ上帝保んぜず、茲の若き大いなる喪びを降せり。大喪は、國亡びて身戮せらるるなり。

△惟天不畀、不明厥德。商先王以明德而丕建、則商後王不明德、而天不畀矣。
【読み】
△惟れ天畀[あた]えざるは、厥の德を明らかにせざればなり。商の先王明德を以て丕いに建つれば、則ち商の後王德を明らかにせずして、天畀えず。

△凡四方小大邦喪、罔非有辭于罰。凡四方小大邦國喪亡、其致罰皆有可言者。況商罪貫盈、而周奉辭以伐之者乎。
【読み】
△凡そ四方小大の邦の喪ぶること、罰に辭有るに非ざること罔し、と。凡そ四方小大の邦國喪亡して、其の罰を致すは皆言う可き者有り。況んや商の罪貫き盈ちて、周辭を奉じて以て之を伐つ者をや。

△王若曰、爾殷多士、今惟我周王、丕靈承帝事。靈、善也。大善承天之所爲也。武成言、祗承上帝、以遏亂略、是也。
【読み】
△王若[か]く曰く、爾殷の多士、今惟れ我が周王、丕いに靈[よ]く帝の事を承けり。靈は、善きなり。大いに善く天のする所を承くるなり。武成に言く、祗みて上帝に承けて、以て亂略を遏むとは、是れなり。

△有命曰、割殷、告勑于帝。帝有命曰割殷、則不得不戡定翦除。告其勑正之事于帝也、武成言、告于皇天后土、將有大正于商者、是也。
【読み】
△命有りて曰く、殷を割[た]ち、勑[ただ]すことを帝に告せ、と。帝命有りて殷を割てと曰うときは、則ち戡定して翦り除かざることを得ず。其の勑正の事を帝に告すとは、武成に言く、皇天后土に告して、將に大いに商を正すこと有らんとすという者、是れなり。

△惟我事不貳適、惟爾王家我適。上帝臨汝、毋貳爾心、惟我事不貳適之謂。上帝旣命侯于周服、惟爾王家我適之謂。言割殷之事、非有私心。一於從帝、而無貳適、則爾殷王家、自不容不我適矣。周不貳于帝、殷其能貳於周乎。蓋示以確然不可動搖之意、而潛消頑民反側之情爾。然聖賢事不貳適、日用飮食、莫不皆然。蓋所以事天也。豈特割殷之事而已哉。
【読み】
△惟れ我が事貳つに適かず、惟れ爾の王家我に適く。上帝汝に臨めり、爾の心を貳[うたが]うこと毋かれとは、惟れ我が事貳つに適かずの謂なり。上帝旣に命じて侯[こ]れ周に服せりとは、惟れ爾の王家我に適くの謂なり。言うこころは、殷を割つの事は、私心有るに非ず。帝に從うに一にして、貳つに適くこと無きときは、則ち爾が殷の王家も、自ずから我に適かずんばある容からず。周帝に貳あらざれば、殷も其れ能く周に貳あらんや。蓋し以て確然として動搖す可からざるの意を示して、頑民反側の情を潛消するのみ。然るに聖賢の事貳つに適かざること、日用飮食も、皆然らざること莫し。蓋し天に事る所以なり。豈特り殷を割つの事のみならんや。

△予其曰、惟爾洪無度。我不爾動。自乃邑。三監倡亂。予其曰、乃汝大爲非法。非我爾動。變自爾邑。猶伊訓所謂造攻自鳴條也。
【読み】
△予れ其れ曰く、惟れ爾洪[おお]いに度無し。我れ爾を動かさず。乃の邑よりす、と。三監倡亂す。予れ其れ曰く、乃ち汝大いに非法を爲す。我れ爾を動かすに非ず。變爾が邑よりせり。猶伊訓に所謂造[はじ]めて攻むること鳴條よりすというがごとし。

△予亦念天卽于殷大戾。肆不正。予亦念天就殷邦屢降大戾、紂旣死、武庚又死。故邪慝不正。言當遷徙也。
【読み】
△予れ亦天の殷に大いなる戾[つみ]を卽くことを念う。肆[ゆえ]に正しからず、と。予れ亦天の殷の邦に就いて屢々大戾を降すを念うに、紂旣に死し、武庚も又死す。故に邪慝不正なり。言うこころは、當に遷徙すべし。

△王曰、猷告爾多士。予惟時其遷居西爾。非我一人奉德不康寧。時惟天命無違。朕不敢有後。無我怨。時、是也。指上文殷大戾而言。謂惟是之故、所以遷居西爾。非我一人樂如是之遷徙震動也。是惟天命如此。汝毋違越。我不敢有後命。謂有他罰、爾無我怨也。
【読み】
△王曰く、猷[ああ]爾多士に告ぐ。予れ惟れ時れ其れ遷りて西に居らんのみ。我れ一人德を奉[う]けて康んじ寧んぜざるには非ず。時れ惟れ天命違うこと無し。朕れ敢えて後有らず。我を怨むこと無かれ。時は、是れなり。上の文の殷の大戾を指して言う。謂ゆる惟れ是の故に、遷して西に居く所以なるのみ。我れ一人樂しみて是の如く遷徙震動するに非ず。是れ惟れ天命此の如し。汝違越すること毋かれ。我れ敢えて後命有らず。謂ゆる他の罰有るとも、爾我を怨むこと無かれ、と。

△惟爾知惟殷先人、有册有典。殷革夏命。卽其舊聞、以開諭之也。殷之先世、有册書典籍。載殷改夏命之事、正如是耳。爾何獨疑於今乎。
【読み】
△惟れ爾惟れ殷の先人、册有り典有り。殷の夏の命を革むるを知らん。其の舊聞に卽いて、以て之を開き諭すなり。殷の先世、册書典籍有り。殷の夏の命を改めし事を載すること、正に是の如きのみ。爾何ぞ獨り今を疑わんや、と。

△今爾其曰、夏迪簡在王庭、有服在百僚。予一人惟聽用德。肆予敢求爾于天邑商。予惟率肆矜爾。非予罪。時惟天命。周公旣舉商革夏事、以諭頑民。頑民復以商革夏事責周。謂商革夏命之初、凡夏之士、皆啓迪簡拔、在商王之庭、有服列于百僚之閒。今周於商士、未聞有所簡拔也。周公舉其言、以大義折之。言爾頑民雖有是言、然予一人所聽用者、惟以德而已。故予敢求爾於天邑商、而遷之於洛者、以冀率德改行焉。予惟循商故事、矜恤於爾而已。其不爾用者、非我之罪也。是惟天命如此。蓋章德者、天之命。今頑民滅德、而欲求用得乎。
【読み】
△今爾其れ曰えり、夏迪[みちび]き簡[えら]びて王庭に在り、服くこと有りて百僚に在り、と。予れ一人惟れ德を聽き用ゆ。肆[ゆえ]に予れ敢えて爾を天邑の商に求む。予れ惟れ率いて肆[ここ]に爾を矜[あわ]れむ。予が罪に非ず。時[こ]れ惟れ天命なり、と。周公旣に商の夏を革めし事を舉げて、以て頑民を諭す。頑民復商が夏を革めし事を以て周を責む。謂ゆる商が夏の命を革むるの初め、凡そ夏の士、皆啓き迪き簡び拔[と]りて、商王の庭に在り、百僚の閒に服列すること有り。今周の商の士に於る、未だ簡び拔る所有るを聞かざるなり、と。周公其の言を舉げて、大義を以て之を折く。言うこころは、爾頑民是の言有りと雖も、然れども予れ一人聽き用ゆる所の者、惟れ德を以てするのみ。故に予れ敢えて爾を天邑の商に求めて、之を洛に遷す者は、以て德に率い行いを改むるを冀うなり。予れ惟れ商の故事に循いて、爾を矜れみ恤れむのみ。其れ爾を用いざる者は、我が罪に非ず。是れ惟れ天命此の如し。蓋し德を章らかにする者は、天の命なり。今頑民德を滅ぼして、求め用いられんと欲せども得んや。

△王曰、多士、昔朕來自奄、予大降爾四國民命。我乃明致天罰。移爾遐逖、比事臣我宗、多遜。降、猶今法降等云者。言昔我來自商奄之時、汝四國之民、罪皆應死。我大降爾命不忍誅戮。乃止明致天罰、移爾遠居于洛、以親比臣我宗廟、有多遜之美。其罰蓋亦甚輕、其恩固已甚厚。今乃猶有所怨望乎。詳此章、則商民之遷、固已久矣。
【読み】
△王曰く、多士、昔朕が奄より來るときに、予れ大いに爾四國の民の命を降せり。我れ乃ち明らかに天の罰を致さん。爾を移して遐[さ]け逖[さ]けて、比[した]しみ事えしめて我が宗に臣たらしめて、多く遜[したが]わしむ、と。降すとは、猶今の法に等を降すと云う者のごとし。言うこころは、昔我れ商の奄より來るの時、汝四國の民、罪皆應に死すべし。我れ大いに爾が命を降して誅戮するに忍びず。乃ち止明らかに天の罰を致して、爾を移して遠く洛に居らしめ、以て親比して我が宗廟に臣とし、多く遜うの美有らしむ。其の罰蓋し亦甚だ輕く、其恩固に已に甚だ厚し。今乃ち猶怨み望む所有るがごときか、と。此の章を詳らかにするときは、則ち商の民の遷ること、固に已に久し。

△王曰、告爾殷多士。今予惟不爾殺。予惟時命有申。今朕作大邑于茲洛、予惟四方罔攸賓、亦惟爾多士、攸服奔走臣我、多遜。以自奄之命爲初命、則此命爲申命也。言我惟不忍爾殺。故申明此命、且我所以營洛者、以四方諸侯、無所賓禮之地、亦惟爾等服事奔走臣我多遜、而無所處故也。詳此章、則遷民在營洛之先矣。吳氏曰、來自奄稱昔者、遠日之辭也。作大邑稱今者、近日之辭也。移爾遐逖、比事臣我宗、多遜者、期之之辭也。攸服奔走臣我多遜者、果能之辭也。以此又知、遷民在前、而作洛在後也。
【読み】
△王曰く、爾殷の多士に告ぐ。今予れ惟れ爾を殺さず。予れ惟れ時[こ]れ命申ぬること有り。今朕れ大邑を茲の洛に作るは、予れ惟れ四方の賓とする攸罔く、亦惟れ爾多士、服[つ]いて奔り走りて我に臣とし多く遜う攸なり。奄よりの命を以て初命とするときは、則ち此の命を申ぬる命とす。言うこころは、我れ惟れ爾を殺すに忍びず。故に申ねて此の命を明らかにし、且つ我が洛を營む所以の者は、四方の諸侯、賓禮する所の地無く、亦惟れ爾等服事奔走して我に臣とし多く遜いて、處る所無きを以ての故なり。此の章を詳らかにすれば、則ち民を遷すは洛を營むの先に在り。吳氏が曰く、奄より來るに昔と稱する者は、遠日の辭なり。大邑を作るに今と稱する者は、近日の辭なり。爾を遐逖[かてき]に移し、比事して我が宗に臣とし、多く遜わしむとは、之を期するの辭なり。服いて奔走して我に臣とし多く遜う攸とは、果たして能くするの辭なり。此を以て又知る、民を遷すは前に在りて、洛を作るは後に在ることを、と。

△爾乃尙有爾土、爾乃尙寧幹止。幹、事。止、居也。爾乃庶幾有爾田業、庶幾安爾所事、安爾所居也。詳此章所言、皆仍舊有土田居止之辭。信商民之遷舊矣。孔氏不得其說、而以得反所生釋之。於文義似矣。而事則非也。
【読み】
△爾乃ち尙わくは爾の土を有ちて、爾乃ち尙わくは幹[こと]の止[おりどころ]を寧んぜよ。幹は、事。止は、居なり。爾乃ち庶幾わくは爾の田業を有ち、庶幾わくは爾が事とする所を安んじ、爾が居る所を安んぜよ、と。此の章の言う所を詳らかにするに、皆舊に仍りて土田居止を有つの辭なり。信に商の民の遷ること舊し。孔氏其の說を得ずして、生ずる所に反ることを得るを以て之を釋く。文義に於て似れり。而れども事は則ち非なり。

△爾克敬、天惟畀矜爾。爾不克敬、爾不啻不有爾土。予亦致天之罰于爾躬。敬、則言動無不循理。天之所福、吉祥所集也。不敬、則言動莫不違悖。天之所禍、刑戮所加也。豈特竄徙不有爾土而已哉。身亦有所不能保矣。
【読み】
△爾克く敬めば、天惟れ畀[あた]えて爾を矜[めぐ]まん。爾敬むこと克わずんば、爾啻[ただ]爾の土を有たざるのみにあらず。予れ亦天の罰を爾の躬に致さん。敬すれば、則ち言動理に循わざること無し。天の福する所、吉祥の集まる所なり。敬せざれば、則ち言動違い悖らざること莫し。天の禍いする所、刑戮の加うる所なり。豈特り竄徙して爾の土を有たざるのみならんや。身も亦保つこと能わざる所有らん。

△今爾惟時宅爾邑、繼爾居。爾厥有幹有年于茲洛。爾小子乃興、從爾遷。邑、四井爲邑之邑。繼者、承續安居之謂。有營爲、有壽考、皆于茲洛焉。爾之子孫乃興、自爾遷始也。夫自亡國之末裔、爲起家之始祖、頑民雖愚、亦知所擇矣。
【読み】
△今爾惟れ時れ爾の邑に宅り、爾の居を繼げ。爾厥れ幹有り年有らんこと茲の洛に于てせん。爾の小子乃ち興らんことは、爾の遷るに從りせん、と。邑は、四井を邑とすの邑なり。繼ぐとは、承け續ぎ安んじ居るの謂なり。營爲有り、壽考有り、皆茲の洛に于てす。爾の子孫乃ち興るは、爾の遷るにより始まらん、と。夫れ亡國の末裔より、家を起こすの始祖と爲る、頑民愚なりと雖も、亦擇ぶ所を知るなり。

△王曰、又曰時予乃或言、爾攸居。王曰之下、當有闕文。以多方篇末王曰又曰、推之可見。時我或有所言、皆以爾之所居止爲念也。申結上文爾居之意。
【読み】
△王曰く、又曰く時[こ]れ予れ乃ち言或るは、爾の居る攸なり、と。王曰の下、當に闕文有るべし。多方の篇の末の王曰又曰を以て、之を推して見る可し。時れ我れ或は言う所有るは、皆爾の居り止まる所を以て念うことをせん、と。申ねて上の文の爾の居の意を結ぶ。


無逸 逸者、人君之大戒、自古有國家者、未有不以勤而興、以逸而廢也。益戒舜曰、罔遊于逸、罔淫于樂。舜、大聖也。益猶以是戒之、則時君世王、其可忽哉。成王初政、周公懼其知逸、而不知無逸也。故作是書以訓之。言則古昔必稱商王者、時之近也。必稱先王者、王之親也。舉三宗者、繼世之君也。詳文祖者、耳目之所逮也。上自天命精微、下至畎畝艱難、閭里怨詛、無不具載。豈獨成王之所當知哉。實天下萬世人主之龜鑑也。是篇凡七更端。周公皆以嗚呼發之。深嗟永歎其意深遠矣。亦訓體也。今文古文皆有。
【読み】
無逸[むいつ] 逸は、人君の大戒、古より國家を有つ者、未だ勤を以て興り、逸を以て廢らざるは有らざるなり。益舜を戒めて曰く、逸に遊ぶ罔かれ、樂に淫する罔かれ、と。舜は、大聖なり。益猶是を以て之を戒むれば、則ち時君世王、其れ忽にす可けんや。成王の初政、周公其の逸を知りて無逸を知らざるを懼る。故に是の書を作りて以て之を訓ゆ。言うこころは、古昔を則として必ず商王を稱する者は、時の近ければなり。必ず先王を稱する者は、王の親なればなり。三宗を舉ぐる者は、世を繼ぐの君なればなり。文祖を詳らかにする者は、耳目の逮ぶ所なればなり。上は天命の精微より、下は畎畝の艱難、閭里の怨詛に至るまで、具に載せざる無し。豈獨り成王の當に知るべき所ならんや。實に天下萬世人主の龜鑑なり。是の篇凡て七たび端を更む。周公皆嗚呼を以て之を發す。深嗟永歎其の意深遠なり。亦訓の體なり。今文古文皆有り。


周公曰、嗚呼君子所其無逸。所、猶處所也。君子以無逸爲所。動靜食息、無不在是焉。作輟、則非所謂所矣。
【読み】
周公曰く、嗚呼君子は其の逸んずること無きを所とす。所は、猶處り所のごとし。君子は無逸を以て所とす。動靜食息、是に在らざること無し。輟[や]むることを作すときは、則ち所謂所に非ず。

△先知稼穡之艱難乃逸、則知小人之依。先知稼穡之艱難乃逸者、以勤居逸也。依者、指稼穡而言。小民所恃以爲生者也。農之依田、猶魚之依水、木之依土。魚無水則死、木無土則枯。民非稼穡、則無以生也。故舜自耕稼以至爲帝、禹稷躬稼以有天下。文武之基、起於后稷。四民之事、莫勞於稼穡、生民之功、莫盛於稼穡。周公發無逸之訓、而首及乎此、有以哉。
【読み】
△先ず稼穡の艱難を知りて乃ち逸んずるときは、則ち小人の依ることを知る。先ず稼穡の艱難を知りて乃ち逸んずる者は、勤を以て逸に居るなり。依るとは、稼穡を指して言う。小民恃んで以て生を爲す所の者なり。農の田に依るは、猶魚の水に依り、木の土に依るがごとし。魚水無きときは則ち死し、木土無きときは則ち枯れる。民稼穡に非ざれば、則ち以て生きること無し。故に舜は耕稼より以て帝と爲るに至り、禹稷は躬ら稼して以て天下を有てり。文武の基は、后稷より起こる。四民の事は、稼穡より勞なるは莫く、生民の功は、稼穡より盛んなるは莫し。周公無逸の訓を發して、首めに此に及ぶこと、以[ゆえ]有るかな。

△相小人、厥父母勤勞稼穡、厥子乃不知稼穡之艱難、乃逸乃諺、旣誕。否則侮厥父母曰、昔之人無聞知。諺、疑戰反。○不知稼穡之艱難乃逸者、以逸爲逸也。俚語曰諺。言視小民、其父母勤勞稼穡、其子乃生於豢養、不知稼穡之艱難、乃縱逸自恣、乃習俚巷鄙語、旣又誕妄、無所不至。不然、則又訕侮其父母曰、古老之人、無聞無知。徒自勞苦、而不知所以自逸也。昔劉裕奮農畝而取江左。一再傳後、子孫見其服用、反笑曰、田舍翁得此亦過矣。此正所謂昔之人無聞知也。使成王非周公之訓、安知其不以公劉后稷爲田舍翁乎。
【読み】
△小人を相[み]るに、厥の父母稼穡を勤め勞れども、厥の子乃ち稼穡の艱難を知らず、乃ち逸んじて乃ち諺[なら]わし、旣に誕[いつわ]る。否[しか]らざるときは則ち厥の父母を侮りて曰く、昔の人は聞き知ること無し、と。諺は、疑戰反。○稼穡の艱難を知らずして乃ち逸んずとは、逸を以て逸を爲すなり。俚語を諺と曰う。言うこころは、小民を視るに、其の父母稼穡を勤勞し、其の子乃ち豢養[かんよう]に生まれて、稼穡の艱難を知らず、乃ち縱逸にして自ら恣[ほしいまま]にし、乃ち俚巷の鄙語に習いて、旣に又誕妄にして、至らざる所無し。然らざれば、則ち又其の父母を訕[そし]り侮りて曰く、古老の人は、聞くことも無く知ることも無し。徒に自ら勞苦して、自ら逸んずる所以を知らず、と。昔劉裕農畝より奮[た]ちて江左を取る。一再傳の後、子孫其の服用を見て、反って笑いて曰く、田舍翁此を得ること亦過ぎたり、と。此れ正に所謂昔の人聞き知ること無きなり。成王をして周公の訓えを非とせしめば、安んぞ其の公劉后稷を以て田舍翁とせざることを知らんや。

△周公曰、嗚呼我聞曰、昔在殷王中宗、嚴恭寅畏、天命自度。治民祗懼、不敢荒寧。肆中宗之享國、七十有五年。中宗、太戊也。嚴則莊重。恭則謙抑。寅則斂肅。畏則戒懼。天命、卽天理也。中宗嚴恭寅畏、以天理而自檢律其身。至於治民之際、亦祗敬恐懼、而不敢怠荒安寧。中宗無逸之實如此。故能有享國永年之效也。按書序、太戊有原命咸乂等篇。意述其當時敬天治民之事。今無所攷矣。
【読み】
△周公曰く、嗚呼我れ聞く曰く、昔在[むかし]殷王中宗、嚴かに恭しく寅[つつし]み畏れて、天命をもって自ら度る。民を治むること祗み懼れて、敢えて荒[すさ]み寧んぜず。肆[ゆえ]に中宗の國を享けたること、七十有五年。中宗は、太戊なり。嚴かなるときは則ち莊重なり。恭しきときは則ち謙抑なり。寅むときは則ち斂肅なり。畏るるときは則ち戒懼なり。天命は、卽ち天理なり。中宗嚴恭寅畏にして、天理を以て自ら其の身を檢律す。民を治むるの際に至りて、亦祗敬恐懼して、敢えて怠荒安寧せず。中宗の無逸の實此の如し。故に能く國を享けて年を永くするの效有り。書の序を按ずるに、太戊に原命咸乂[かんがい]等の篇有り。意うに其の當時天を敬み民を治むるの事を述ぶるならん。今攷[かんが]うる所無し。

△其在高宗時、舊勞于外、爰曁小人。作其卽位、乃或亮陰三年不言。其惟不言、言乃雍。不敢荒寧、嘉靖殷邦、至于小大、無時或怨。肆高宗之享國、五十有九年。亮、音梁。陰、音菴。○高宗、武丁也。未卽位之時、其父小乙、使久居民閒、與小民出入同事。故於小民稼穡艱難、備嘗知之也。雍、和也。發言和順、當於理也。嘉、美。靖、安也。嘉靖者、禮樂敎化蔚然於安居樂業之中也。漢文帝與民休息。謂之靖則可。謂之嘉則不可。小大無時或怨者、萬民咸和也。乃雍者、和之發於身。嘉靖者、和之達於政。無怨者、和之著於民也。餘見說命。高宗無逸之實如此。故亦有享國永年之效也。
【読み】
△其れ高宗の時に在[おい]て、舊[ひさ]しく外に勞り、爰に小人と曁[とも]にす。作[た]ちて其の位に卽くときに、乃ち或は亮陰三年言わず。其れ惟れ言わず、言うときは乃ち雍[やわ]らぐ。敢えて荒み寧んぜず、殷の邦を嘉みんじ靖んじて、小大に至るまで、時[こ]れ怨み或ること無し。肆[ゆえ]に高宗の國を享けたること、五十有九年。亮は、音梁。陰は、音菴。○高宗は、武丁なり。未だ位に卽かざるの時、其の父小乙、久しく民閒に居りて、小民と出入し事を同じくせしむ。故に小民の稼穡艱難に於て、備に嘗て之を知れり。雍は、和らぐなり。言を發すること和順にして、理に當たるなり。嘉は、美き。靖は、安んずるなり。嘉靖とは、禮樂敎化居を安んじ業に樂しむの中に蔚然[うつぜん]たるなり。漢の文帝民と休息す。之を靖と謂わば則ち可なり。之を嘉と謂わば則ち不可なり。小大時れ怨み或ること無しとは、萬民咸く和らぐなり。乃ち雍らぐとは、和の身に發するなり。嘉みんじ靖んずとは、和の政に達するなり。怨み無しとは、和の民に著るなり。餘は說命に見えたり。高宗無逸の實此の如し。故に亦享國永年の效有り。

△其在祖甲、不義惟王、舊爲小人。作其卽位、爰知小人之依、能保惠于庶民。不敢侮鰥寡。肆祖甲之享國、三十有三年。史記高宗崩、子祖庚立。祖庚崩、弟祖甲立。則祖甲、高宗之子、祖庚之弟也。鄭玄曰、高宗欲廢祖庚立祖甲。祖甲以爲不義。逃於民閒。故云不義惟王。○按漢孔氏以祖甲爲太甲。蓋以國語稱帝甲亂之、七世而殞、孔氏見此等記載、意爲帝甲。必非周公所稱者。又以不義惟王、與太甲茲乃不義文似、遂以此稱祖甲者爲太甲。然詳此章、舊爲小人、作其卽位、與上章爰曁小人、作其卽位、文勢正類。所謂小人者、皆指微賤而言。非謂憸小之人也。作其卽位、亦不見太甲復政思庸之意。又按邵子經世書、高宗五十九年、祖庚七年、祖甲三十三年。世次歷年、皆與書合。亦不以太甲爲祖甲。況殷世二十有九、以甲名者五帝、以大以小以沃以陽以祖。別之、不應二人倶稱祖甲。國語傳訛承謬、旁記曲說、不足盡信。要以周公之言爲正。又下文周公言自殷王中宗、及高宗、及祖甲、及我周文王。及云者、因其先後次第、而枚舉之辭也。則祖甲之爲祖甲、而非太甲明矣。
【読み】
△其れ祖甲に在[おい]て、惟れ王たることを義とせず、舊[ひさ]しく小人たり。作[た]ちて其の位に卽くときに、爰に小人の依ることを知りて、能く庶民を保んじ惠む。敢えて鰥寡を侮らず。肆[ゆえ]に祖甲の國を享けたること、三十有三年。史記に高宗崩じて、子の祖庚立つ。祖庚崩じて、弟の祖甲立つ、と。則ち祖甲は、高宗の子、祖庚の弟なり。鄭玄が曰く、高宗祖庚を廢して祖甲を立てんと欲す。祖甲以爲えらく、不義、と。民閒に逃る。故に惟れ王たることを義とせずと云う、と。○按ずるに漢の孔氏祖甲を以て太甲とす。蓋し國語に帝甲之を亂りて、七世にして殞つと稱するを以て、孔氏此等の記載を見て、意うに帝甲とす。必ず周公の稱する所の者に非ず。又惟れ王たることを義とせずと、太甲茲れ乃の不義なると文似たるを以て、遂に此を以て祖甲と稱する者を太甲とす。然れども此の章を詳らかにすれば、舊しく小人たり、作ちて其の位に卽くと、上の章の爰に小人と曁にす、作ちて其の位に卽くと、文勢正に類す。所謂小人は、皆微賤を指して言う。憸小[せんしょう]の人を謂うに非ず。作ちて其の位に卽くも、亦太甲の政を復し庸[つね]を思うの意を見ず。又按ずるに邵子の經世書に、高宗五十九年、祖庚七年、祖甲三十三年、と。世次歷年、皆書と合えり。亦太甲を以て祖甲とせず。況んや殷の世二十有九、甲を以て名づくる者五帝、大を以てし小を以てし沃を以てし陽を以てし祖を以てす。之を別して、二人倶に祖甲と稱す應からず。國語に訛を傳えて謬を承け、旁記曲說して、盡くは信ずるに足らず。周公の言を以て正とすることを要す。又下の文に周公が殷王中宗より、及び高宗、及び祖甲、及び我が周の文王と言う。及びと云うは、其の先後の次第に因りて、枚舉するの辭なり。則ち祖甲の祖甲爲る、而して太甲に非ざること明らかなり。

△自時厥後立王、生則逸。生則逸、不知稼穡之艱難、不聞小人之勞、惟耽樂之從。自時厥後、亦罔或克壽。或十年、或七八年、或五六年、或四三年。過樂、謂之耽。泛言。自三宗之後卽君位者。生則逸豫、不知稼穡之艱難、不聞小人之勞、惟耽樂之從、伐性喪生。故自三宗之後、亦無能壽考。遠者不過十年七八年、近者五六年三四年爾。耽樂愈甚、則享年愈促也。凡人莫不欲壽而惡夭。此篇專以享年永不永爲言。所以開其所欲、而禁其所當戒也。
【読み】
△時[これ]より厥の後立てる王、生まれながら則ち逸んず。生まれながら則ち逸んじて、稼穡の艱難を知らず、小人の勞を聞かず、惟れ耽樂に之れ從う。時より厥の後、亦克く壽ながきこと或る罔し。或は十年、或は七八年、或は五六年、或は四三年、と。過ぎて樂しむ、之を耽と謂う。泛く言う。三宗の後より君位に卽く者なり。生まれながら則ち逸豫して、稼穡の艱難を知らず、小人の勞を聞かず、惟れ耽樂に之れ從い、性を伐り生を喪う。故に三宗の後より、亦能く壽考なること無し。遠き者は十年七八年に過ぎず、近き者は五六年三四年なるのみ、と。耽樂愈々甚だしきときは、則ち年を享くること愈々促[ちぢ]まる。凡そ人壽を欲して夭を惡まざる莫し。此の篇專ら年を享くること永きと永からざるとを以て言を爲す。其の欲する所を開いて、其の當に戒むべき所を禁ずる所以なり。

△周公曰、嗚呼厥亦惟我周太王・王季、克自抑畏。商、猶異世也。故又卽我周先王告之。言太王・王季能自謙抑謹畏者、蓋將論文王之無逸。故先述其源流之深長也。大抵抑畏者、無逸之本、縱肆怠荒、皆矜誇無忌憚者之爲。故下文言文王、曰柔曰恭曰不敢、皆原太王・王季抑畏之心發之耳。
【読み】
△周公曰く、嗚呼厥れ亦惟れ我が周の太王・王季、克く自ら抑[へりくだ]り畏る。商は、猶異世なり。故に又我が周の先王に卽いて之を告ぐ。太王・王季能く自ら謙抑謹畏すと言う者は、蓋し將に文王の無逸を論ぜんとす。故に先ず其の源流の深長を述ぶるなり。大抵抑り畏るる者は、無逸の本、縱肆怠荒は、皆矜誇して忌憚無き者の爲[しわざ]なり。故に下の文に文王を言いて、柔と曰い恭と曰い敢えてせずと曰うは、皆太王・王季抑り畏るるの心に原づいて之を發するのみ。

△文王卑服、卽康功田功。卑服、猶禹所謂惡衣服也。康功、安民之功。田功、養民之功。言文王於衣服之奉、所性不存、而專意於安養斯民也。卑服、蓋舉一端而言。宮室飮食、自奉之薄、皆可類推。
【読み】
△文王服を卑しくし、康功田功に卽けり。服を卑しくすとは、猶禹の所謂衣服を惡しくするがごとし。康功は、民を安んずるの功。田功は、民を養うの功。言うこころは、文王の衣服の奉に於るは、性の存せざる所にして、意を斯の民を安養するに專らにするなり。服を卑しくするは、蓋し一端を舉げて言う。宮室飮食、自ら奉ずるの薄き、皆類推す可し。

△徽柔懿恭、懷保小民、惠鮮鰥寡。自朝至于日中昃、不遑暇食、用咸和萬民。徽・懿、皆美也。昃、日昳也。柔謂之徽、則非柔懦之柔。恭謂之懿、則非足恭之恭。文王有柔恭之德、而極其徽懿之盛、和易近民、於小民、則懷保之、於鰥寡、則惠鮮之。惠鮮云者、鰥寡之人、垂首喪氣。賚予賙給之、使之有生意也。自朝至于日之中、自中至于日之昃、一食之頃、有不遑暇。欲咸和萬民、使無一不得其所也。文王心在乎民、自不知其勤勞如此。豈秦始皇衡石程書、隋文帝衛士傅餐、代有司之任者之爲哉。立政言罔攸兼于庶言・庶獄・庶愼、則文王又若無所事事者。不讀無逸、則無以知文王之勤、不讀立政、則無以知文王之逸。合二書觀之、則文王之所從事可知矣。
【読み】
△徽[よ]く柔らかに懿[よ]く恭しく、小民を懷け保んじ、鰥寡を惠み鮮[い]かしむ。朝より日中昃[く]れるに至るまで、遑暇食らわず、用て咸く萬民を和らぐ。徽・懿は、皆美きなり。昃[しょく]は、日昳[かたむ]くなり。柔之を徽と謂うときは、則ち柔懦の柔に非ず。恭之を懿と謂うときは、則ち足恭の恭に非ず。文王柔恭の德有りて、其の徽懿の盛んなるを極め、近民を和らげ易し、小民に於ては、則ち之を懷け保んず。鰥寡に於ては、則ち之を惠み鮮かしむ。惠鮮と云うは、鰥寡の人は、首を垂れ氣を喪う。之を賚予賙給[しゅうきゅう]して、之をして生意有らしむるなり。朝より日の中に至り、中より日の昃れるに至るまで、一食の頃、遑暇あらざること有り。咸く萬民を和らげて、一りも其の所を得ざること無からしめんと欲す。文王の心は民に在りて、自ら其の勤勞此の如きことを知らず。豈秦の始皇の衡石程書、隋の文帝の衛士傅餐、有司の任に代わる者の爲[しわざ]ならんや。立政に庶言・庶獄・庶愼を兼ねたる攸罔しと言うときは、則ち文王も又事を事とする所無き者の若し。無逸を讀まざれば、則ち以て文王の勤むるを知ること無く、立政を讀まざれば、則ち以て文王の逸んずるを知ること無し。二書を合わせて之を觀れば、則ち文王の從りて事とする所を知る可し。

△文王不敢盤于遊田、以庶邦惟正之供。文王受命惟中身。厥享國五十年。遊田、國有常制、文王不敢盤遊無度。上不濫費。故下無過取、而能以庶邦惟正之供、於常貢正數之外、無橫斂也。言庶邦、則民可知。文王爲西伯、所統庶邦、皆有常供。春秋貢於霸王者、班班可見。至唐猶有送使之制、則諸侯之供方伯舊矣。受命、言爲諸侯也。中身者、漢孔氏曰、文王九十七而終。卽位時年四十七。言中身、舉全數也。上文崇素儉、恤孤獨、勤政事、戒遊佚、皆文王無逸之實。故其享國有歷年之永。
【読み】
△文王敢えて遊田を盤[たの]しまず、庶邦の惟れ正しきを之れ供[たてまつ]るを以てす。文王命を受けたること惟れ中身なり。厥の國を享けたること五十年、と。遊田は、國に常の制有り、文王敢えて盤遊度無くんばあらず。上濫りに費えず。故に下過ぎて取ること無くして、能く庶邦の惟れ正しきを之れ供るを以てし、常貢正數の外に於て、橫斂すること無し。庶邦と言うときは、則ち民も知る可し。文王西伯と爲りて、統ぶる所の庶邦、皆常の供有り。春秋霸王に貢する者、班班として見る可し。唐に至りて猶送使の制有れば、則ち諸侯の方伯に供すること舊[ひさ]し。命を受くとは、諸侯と爲るを言う。中身とは、漢の孔氏が曰く、文王九十七にして終う。位に卽く時年四十七。中身と言うは、全數を舉ぐ、と。上の文の素儉を崇び、孤獨を恤[あわ]れみ、政事を勤め、遊佚を戒むは、皆文王無逸の實なり。故に其の國を享けたること歷年の永き有り。

△周公曰、嗚呼繼自今嗣王、則其無淫于觀、于逸、于遊、于田、以萬民惟正之供。則、法也。其、指文王而言。淫、過也。言自今日以往、嗣王其法文王、無過于觀逸遊田、以萬民惟正賦之供。上文言遊田、而不言觀逸、以大而包小也。言庶邦而不言萬民、以遠而見近也。
【読み】
△周公曰く、嗚呼今より繼げる嗣王、其の觀るに、逸きに、遊びに、田に淫[す]ぐること無くして、萬民の惟れ正しきを之れ供るを以てするに則れ。則は、法なり。其れは、文王を指して言う。淫は、過ぐるなり。言うこころは、今日より以往、嗣王其れ文王に法りて、觀逸遊田に過ぐること無くして、萬民の惟れ正しき賦を供るを以てせよ。上の文に遊田を言いて、觀逸を言わざるは、大を以て小を包ぬるなり。庶邦を言いて萬民を言わざるは、遠きを以て近きを見すなり。

△無皇曰今日耽樂。乃非民攸訓、非天攸若。時人丕則有愆。無若殷王受之迷亂酗于酒德哉。無、與毋通。皇、與遑通。訓、法。若、順。則、法也。毋自寛假曰今日姑爲是耽樂也。一日耽樂、固若未害。然下非民所法、上非天之所順。時人大法其過逸之行、猶商人化受而崇飮之類。故繼之曰、毋若商王受之沈迷酗于酒德哉。酗酒、謂之德者、德有凶有吉。韓子所謂道與德爲虛位、是也。
【読み】
△皇[いとまあき]今日のみ耽樂すと曰うこと無かれ。乃ち民の訓[のっと]る攸に非ず、天の若[したが]う攸に非ず。時[こ]の人丕いに愆[とが]有るに則らん。殷王受が迷い亂れて酒に酗[く]せし德の若くなること無からんや、と。無は、毋と通ず。皇は、遑と通ず。訓は、法る。若は、順う。則は、法るなり。自ら寛假なりとして今日姑く是の耽樂をせんと曰うこと毋かれ。一日の耽樂は、固に未だ害あらざるが若し。然れども下は民の法る所に非ず、上は天の順う所に非ず。時の人大いに其の過逸の行に法るは、猶商人の受に化して飮むことを崇ぶの類のごとし。故に之を繼いで曰く、商王受が沈迷して酒に酗せし德の若くなること毋からんや、と。酒に酗す、之を德と謂う者は、德に凶有り吉有り。韓子が所謂道と德と虛位を爲すとは、是れなり。

△周公曰、嗚呼我聞曰、古之人猶胥訓告、胥保惠、胥敎誨。民無或胥譸張爲幻。譸、張流反。幻、音患。○胥、相。訓、誡。惠、順。譸、誑。張、誕也。變名易實以眩觀者、曰幻。歎息言、古人德業已盛、其臣猶且相與誡告之、相與保惠之、相與敎誨之。保惠者、保養而將順之。非特誡告而已也。敎誨、則有規正成就之意。又非特保惠而已也。惟其若是。是以視聽思慮、無所蔽塞、好惡取予、明而不悖。故當時之民、無或敢誑誕爲幻也。
【読み】
△周公曰く、嗚呼我れ聞く曰く、古の人猶胥[あい]訓え告げ、胥保んじ惠[したが]い、胥敎え誨ゆ。民胥譸[あざむ]き張[いつわ]り幻[まど]わすことをすること或ること無し。譸[ちゅう]は、張流反。幻は、音患。○胥は、相。訓は、誡む。惠は、順う。譸は、誑く。張は、誕[いつわ]るなり。名を變え實を易えて以て眩觀する者を、幻と曰う。歎息して言う、古人の德業已に盛んにして、其の臣猶且つ相與に誡め告げ、相與に保んじ惠い、相與に敎え誨ゆ、と。保んじ惠うとは、保んじ養いて將に之に順わんとす。特に誡め告ぐるのみに非ず。敎え誨ゆとは、則ち規正成就の意有り。又特に保んじ惠うのみに非ず。惟れ其れ是の若し。是を以て視聽思慮、蔽塞する所無くして、好惡取予、明らかにして悖らず。故に當時の民、或は敢えて誑誕にして幻を爲すこと無し。

△此厥不聽、人乃訓之、乃變亂先王之正刑、至于小大。民否則厥心違怨。否則厥口詛祝。否、俯久反。詛、莊助反。祝、音呪。○正刑、正法也。言成王於上文古人胥訓告保惠敎誨之事、而不聽信、則人乃法則之、君臣上下、師師非度、必變亂先王之正法、無小無大、莫不盡取而紛更之。蓋先王之法、甚便於民、甚不便於縱侈之君。如省刑罰以重民命、民之所便也。而君之殘酷者、則必變亂之。如薄賦斂以厚民生、民之所便也。而君之貪侈者、則必變亂之。厥心違怨者、怨之蓄于中也。其口詛祝者、怨之形於外也。爲人上而使民心口交怨、其國不危者、未之有也。此蓋治亂存亡之機。故周公懇懇言之。
【読み】
△此れ厥れ聽かずんば、人乃ち之に訓[のっと]りて、乃ち先王の正刑を變亂して、小大に至らん。民否[しか]らざるときは則ち厥の心違い怨みん。否らざるときは則ち厥の口詛祝せん、と。否は、俯久反。詛は、莊助反。祝は、音呪。○正刑は、正法なり。言うこころは、成王上の文の古の人胥訓え告げ保んじ惠い敎え誨ゆの事に於て、聽信せざるときは、則ち人乃ち之に法り則りて、君臣上下、非度を師とし師とし、必ず先王の正法を變亂して、小と無く大と無く、盡く取りて之を紛更せずということ莫し。蓋し先王の法は、甚だ民に便なり、甚だ縱侈の君に便ならず。刑罰を省みて以て民命を重くするが如き、民の便なる所なり。而して君の殘酷なる者は、則ち必ず之を變亂す。賦斂を薄くして以て民生を厚くするが如き、民の便なる所なり。而して君の貪り侈[おご]る者は、則ち必ず之を變亂す。厥の心違い怨む者は、怨みの中に蓄うなり。其の口詛祝する者は、怨みの外に形るなり。人の上と爲りて民の心口をして交々怨ましめて、其の國危うからざる者は、未だ之れ有らず。此れ蓋し治亂存亡の機。故に周公懇懇として之を言う。

△周公曰、嗚呼自殷王中宗、及高宗、及祖甲、及我周文王、茲四人迪哲。迪、蹈。哲、智也。孟子以知而弗去、爲智之實。迪云者、所謂弗去、是也。人主知小人依、而或忿戾之者、是不能蹈其知者也。惟中宗・高宗・祖甲・文王、允蹈其知。故周公以迪哲稱之。
【読み】
△周公曰く、嗚呼殷王中宗より、及び高宗、及び祖甲、及び我が周の文王まで、茲の四人哲を迪[ふ]めり。迪は、蹈む。哲は、智なり。孟子知って去らざるを以て、智の實とす。迪と云うは、所謂去らざる、是れなり。人主小人の依ることを知りて、或は之を忿戾する者は、是れ其の知を蹈むこと能わざる者なり。惟れ中宗・高宗・祖甲・文王は、允に其の知を蹈めり。故に周公哲を迪むを以て之を稱す。

△厥或告之曰、小人怨汝詈汝。則皇自敬德。厥愆曰、朕之愆。允若時。不啻不敢含怒。詈、力智反。○詈、罵言也。其或有告之曰、小人怨汝罵汝。汝則皇自敬德、反諸其身、不尤其人。其所誣毀之愆、安而受之曰、是我之愆。允若時者、誠實若是、非止隱忍不敢藏怒也。蓋三宗・文王、於小民之依、心誠知之。故不暇責小人之過言。且因以察吾身之未至、怨罵之語、乃所樂聞。是豈特止於隱忍含怒、不發而已哉。
【読み】
△厥れ之に告ぐること或りて曰く、小人汝を怨み汝を詈る、と。則ち皇[おお]いに自ら德を敬む。厥の愆[あやまち]をば曰く、朕が愆なり、と。允に時[かく]の若し。啻[ただ]に敢えて怒りを含まざるのみにあらず。詈は、力智反。○詈は、罵言なり。其れ或は之に告ぐること有りて曰く、小人汝を怨み汝を罵る、と。汝則ち皇いに自ら德を敬みて、諸を其の身に反して、其の人を尤めず。其の誣毀する所の愆は、安んじて之を受けて曰く、是れ我が愆なり、と。允に時の若くならば、誠實是の若く、止隱忍して敢えて怒りを藏さざるのみに非ず。蓋し三宗・文王、小民の依ることに於て、心誠に之を知る。故に小人の過言を責むるに暇あらず。且つ因りて以て吾が身の未だ至らざるを察して、怨罵の語は、乃ち樂しみ聞く所なり。是れ豈特り止隱忍含怒するに於て、發せざるのみならんや。

△此厥不聽、人乃或譸張爲幻曰、小人怨汝詈汝、則信之。則若時、不永念厥辟、不寬綽厥心、亂罰無罪、殺無辜、怨有同、是叢于厥身。綽、尺約反。○綽、大。叢、聚也。言成王於上文三宗・文王迪哲之事、不肯聽信、則小人乃或誑誕變置虛實曰、小民怨汝罵汝、則聽信之。則如是、不能永念其爲君之道、不能寛大其心、以誑誕無實之言、羅織疑似、亂罰無罪、殺戮無辜、天下之人、受禍不同而同於怨、皆叢於人君之一身、亦何便於此哉。大抵無逸之書、以知小人之依、爲一篇綱領。而此章則申言、旣知小人之依、則當蹈其知也。三宗・文王能蹈其知。故其胷次寛平、人之怨罵、不足以芥蔕其心。如天地之於萬物、一於長育而已。其悍疾憤戾、天豈私怒於其閒哉。天地以萬物爲心、人君以萬民爲心。故君人者、要當以民之怨罵爲己責。不當以民之怨罵爲己怒。以爲己責、則民安而君亦安。以爲己怒、則民危而君亦危矣。吁可不戒哉。
【読み】
△此れ厥れ聽かずんば、人乃ち譸[あざむ]き張[いつわ]り幻[まど]わすことをすること或りて曰く、小人汝を怨み汝を詈るといえば、則ち之を信とせん。則ち時[かく]の若くなるときは、永く厥の辟たることを念わず、厥の心を寬かに綽[おお]いにせず、亂りに罪無きを罰し、辜無きを殺し、怨み同[ひと]しきこと有り、是れ厥の身に叢まる、と。綽は、尺約反。○綽は、大い。叢は、聚まるなり。言うこころは、成王上の文の三宗・文王哲を迪むの事に於て、肯えて聽信せざるときは、則ち小人乃ち或は誑誕にして虛實を變置して曰く、小民汝を怨み汝を罵るといえば、則ち之を聽信す。則ち是の如くんば、永く其の君爲るの道を念うこと能わず、其の心を寛大にすること能わずして、誑誕無實の言を以て、羅織疑似して、罪無きを亂罰し、辜無きを殺戮して、天下の人、禍いを受くること同しからずして怨みを同じくし、皆人君の一身に叢まること、亦何ぞ此に便ならんや。大抵無逸の書は、小人の依ることを知るを以て、一篇の綱領とす。而して此の章は則ち申ねて言う、旣に小人の依ることを知るときは、則ち當に其の知を蹈むべし、と。三宗・文王は能く其の知を蹈む。故に其の胷次寛平にして、人の怨罵、以て其の心に芥蔕[かいたい]するに足らず。天地の萬物に於るが如く、長育に一なるのみ。其の悍疾憤戾、天豈私に其の閒に怒らんや。天地は萬物を以て心とし、人君は萬民を以て心とす。故に人に君たる者は、要は當に民の怨罵を以て己が責とすべし。當に民の怨罵を以て己が怒りとすべからず。以て己が責とするときは、則ち民安んじて君も亦安んず。以て己が怒りとするときは、則ち民危うくして君も亦危うし。吁[ああ]戒めざる可けんや。

△周公曰、嗚呼嗣王其監于茲。茲者、指上文而言也。無逸一篇七章、章首皆先致其咨嗟詠歎之意、然後及其所言之事。至此章、則於嗟歎之外、更無他語。惟以嗣王其監于茲結之。所謂言有盡而意則無窮。成王得無深警於此哉。
【読み】
△周公曰く、嗚呼嗣王其れ茲を監みよ、と。茲とは、上の文を指して言うなり。無逸の一篇七章、章の首めに皆先ず其の咨嗟詠歎の意を致し、然して後に其の言う所の事に及ぶ。此の章に至りては、則ち嗟歎の外に於て、更に他の語無し。惟れ嗣王其れ茲を監みよを以て之を結ぶ。所謂言は盡くすこと有りて意は則ち窮まり無し。成王深く此に警むること無きことを得んや。


君奭 召公告老而去。周公留之。史氏錄其告語爲篇。亦誥體也。以周公首呼君奭、因以君奭名篇。篇中語多未詳。今文古文皆有。○按此篇之作、史記謂、召公疑周公當國踐祚。唐孔氏謂、召公以周公嘗攝王政、今復在臣位。葛氏謂、召公未免常人之情、以爵位先後介意。故周公作是篇以諭之。陋哉斯言。要皆爲序文所誤。獨蘇氏謂、召公之意、欲周公告老而歸。爲近之。然詳本篇旨意、迺召公自以盛滿難居、欲避權位、退老厥邑。周公反復告諭以留之爾。熟復而詳味之、其義固可見也。
【読み】
君奭[くんせき] 召公告老して去る。周公之を留む。史氏其の告語を錄して篇とす。亦誥の體なり。周公首めに君奭を呼ぶを以て、因りて君奭を以て篇に名づく。篇の中の語多く未だ詳らかならず。今文古文皆有り。○按ずるに此の篇の作れるは、史記に謂く、召公周公の國に當たり祚を踐むを疑う、と。唐の孔氏が謂く、召公周公の嘗て王政を攝するを以て、今復臣位に在り、と。葛氏が謂く、召公未だ常人の情を免れずして、爵位の先後を以て意を介[はさ]む。故に周公是の篇を作りて以て之を諭す、と。陋[いや]しいかな斯の言。要は皆序文の爲に誤らる。獨り蘇氏が謂く、召公の意、周公に老を告げて歸らんと欲す、と。之に近しとす。然れども本篇の旨意を詳らかにするに、迺[すなわ]ち召公自ら盛滿を以て居り難く、權位を避り、退いて厥の邑に老えんと欲す。周公反復告諭して以て之を留むるのみ。熟々復して詳らかに之を味わわば、其の義固に見る可し。


周公若曰、君奭。君者、尊之之稱。奭、召公名也。古人尙質。相與語、多名之。
【読み】
周公若[か]く曰く、君奭。君は、之を尊ぶの稱。奭は、召公の名なり。古人質を尙ぶ。相與に語るときは、多く之に名いう。

△弗弔、天降喪于殷。殷旣墜厥命、我有周旣受。我不敢知曰、厥基永孚于休。若天棐忱。我亦不敢知曰、其終出于不祥。不祥者、休之反也。天旣下喪亡于殷、殷旣失天命、我有周旣受之矣。我不敢知曰、其基業長信於休美乎。如天果輔我之誠耶。我亦不敢知曰、其終果出於不祥乎。○按此篇周公留召公而作。此其言天命吉凶。雖曰我不敢知、然其懇惻危懼之意、天命吉凶之決、實主於召公留不留如何也。
【読み】
△弔[めぐ]まれずして、天喪びを殷に降せり。殷旣に厥の命を墜し、我が有周旣に受けたり。我れ敢えて知らず曰く、厥の基永く休[よ]きに孚あらんか。若し天忱[まこと]を棐[たす]けんか、と。我れ亦敢えて知らず曰く、其れ終に不祥に出でんか、と。不祥は、休きの反なり。天旣に喪亡を殷に下し、殷旣に天命を失い、我が有周旣に之を受けたり。我れ敢えて曰うことを知らず、其の基業長く休美に信あらんや。天果たして我が誠を輔くるが如けんや。我れ亦敢えて曰うことを知らず、其の終わり果たして不祥に出でんか、と。○按ずるに此の篇周公召公を留めて作る。此れ其の天命吉凶を言う。我れ敢えて知らずと曰うと雖も、然れども其の懇惻危懼の意、天命吉凶の決、實は召公の留まると留まらざると如何ということを主とす。

△嗚呼君己曰、時我。我亦不敢寧于上帝命、弗永遠念天威、越我民罔尤違、惟人。在我後嗣子孫、大弗克恭上下、遏佚前人光、在家不知。尤、怨。違、背也。周公歎息言、召公已嘗曰、是在我而已。周公謂、我亦不敢苟安天命、而不永遠念天之威、於我民無尤怨背違之時也。天命民心、去就無常、實惟在人而已。今召公乃忘前日之言、翻然求去。使在我後嗣子孫、大不能敬天敬民、驕慢肆侈、遏絕佚墜文武光顯、可得謂在家而不知乎。
【読み】
△嗚呼君己に曰く、時[こ]れ我にあり、と。我も亦敢えて上帝の命を寧んじて、永く遠く天威を念うこと、我が民の尤[うら]み違うこと罔きに越[おい]てせずんばあらず、惟れ人にあり。我が後嗣子孫に在[おい]て、大いに上下を恭[つつし]むこと克わずして、前人の光を遏[た]ち佚[おと]せば、家に在りて知らざらんや。尤は、怨む。違は、背くなり。周公歎息して言う、召公已に嘗て曰く、是れ我に在るのみ、と。周公謂く、我も亦敢えて苟も天命を安んじて、永く遠く天の威を念うこと、我が民の尤め怨み背き違うこと無きの時に於てせずんばあらず。天命民心、去就常無く、實に惟れ人に在るのみ。今召公乃ち前日の言を忘れて、翻然として去ることを求む。我が後嗣子孫に在て、大いに天を敬し民を敬すこと能わずして、驕慢肆侈にして、文武の光顯を遏絕佚墜せば、家に在りて知らずと謂うを得可けんや、と。

△天命不易、天難諶。乃其墜命、弗克經歷、嗣前人恭明德。諶、時壬反。○天命不易、猶詩曰命不易哉。命不易保。天難諶信。乃其墜失天命者、以不能經歷繼嗣前人之恭明德也。吳氏曰、弗克恭。故不能嗣前人之恭德。遏佚前人光。故不能嗣前人之明德。
【読み】
△天命易からず、天諶[まこと]とし難し。乃ち其の命を墜すは、經歷して、前人の恭しき明德を嗣ぐこと克わざればなり。諶[しん]は、時壬反。○天命易からずとは、猶詩に命易からざるかなと曰うがごとし。命は保ち易からず。天は諶とし信とし難し。乃ち其れ天命を墜失する者は、經歷して前人の恭しき明德を繼ぎ嗣ぐこと能わざるを以てなり。吳氏が曰く、恭なること克わず。故に前人の恭德を嗣ぐこと能わず。前人の光を遏佚す。故に前人の明德を嗣ぐこと能わず、と。

△在今予小子旦、非克有正。迪惟前人光、施于我沖子。吳氏曰、小子、自謙之辭也。非克有正、亦自謙之辭也。言在今我小子旦、非能有所正也。凡所開導、惟以前人光大之德、使益焜燿、而付于沖子而已。以前言後嗣子孫、遏佚前人光而言也。
【読み】
△今予れ小子旦に在[おい]て、克く正すこと有るに非ず。迪[みちび]くこと惟れ前人の光をもって、我が沖子に施す、と。吳氏が曰く、小子は、自ら謙るの辭なり。克く正すこと有るに非ずとは、亦自ら謙るの辭なり、と。言うこころは、今我れ小子旦に在て、能く正しき所有るに非ず。凡て開き導く所は、惟れ前人光大の德を以て、益々焜燿にして、沖子に付かしむのみ。前に後嗣子孫、前人の光を遏佚すと言うを以て言えり。

△又曰、天不可信。我道惟寧王德延、天不庸釋于文王受命。又曰者、以上文言天命不易、天難諶、此又申言天不可信。故曰又曰。天固不可信。然在我之道、惟以延長武王之德、使天不容捨文王所受之命也。
【読み】
△又曰く、天信とす可からず。我が道は惟れ寧王の德を延べて、天庸[もち]いて文王の受けたる命を釋[す]てず、と。又曰くとは、上の文に天命易からず、天諶とし難しと言うを以て、此れ又申ねて天信とす可からずと言う。故に又曰くと曰う。天固に信とす可からず。然れども我に在るの道は、惟れ武王の德を延べ長ずるを以て、天をして文王の受くる所の命を捨つ容からず、と。

△公曰、君奭、我聞在昔成湯旣受命。時則有若伊尹、格于皇天。在太甲、時則有若保衡。在太戊、時則有若伊陟・臣扈、格于上帝。巫咸乂王家。在祖乙、時則有若巫賢。在武丁、時則有若甘盤。時則有若者、言當其時有如此人也。保衡、卽伊尹也。見說命。太戊、太甲之孫。伊陟、伊尹之子。臣扈與湯時臣扈、二人而同名者也。巫、氏。咸、名。祖乙、太戊之孫。巫賢、巫咸之子也。武丁、高宗也。甘盤、見說命。呂氏曰、此章序商六臣之烈、蓋勉召公匹休於前人也。伊尹佐湯、以聖輔聖。其治化與天無閒。伊陟・臣扈之佐太戊、以賢輔賢。其治化克厭天心。自其徧覆言之、謂之天。自其主宰言之、謂之帝。書或稱天或稱帝、各隨所指、非有重輕。至此章對言之、則聖賢之分、而深淺見矣。巫咸止言其乂王家者、咸之爲治、功在王室、精微之蘊、猶有愧於二臣也。亡書有咸乂四篇、其乂王家之實歟。巫賢・甘盤而無指言者、意必又次於巫咸也。○蘇氏曰、殷有聖賢之君七。此獨言五。下文云、殷禮陟配天。豈配祀于天者止此五王、而其臣偕配食于廟乎。在武丁時不言傅說、豈傅說不配食於配天之王乎。其詳不得而聞矣。
【読み】
△公曰く、君奭、我れ聞く在昔[むかし]成湯旣に命を受く。時に則ち若のごとき伊尹有りて、皇天に格れり。太甲に在[おい]て、時に則ち若のごとき保衡有り。太戊に在て、時に則ち若のごとき伊陟・臣扈有りて、上帝に格れり。巫咸王家を乂[おさ]めたり。祖乙に在て、時に則ち若のごとき巫賢有り。武丁に在て、時に則ち若のごとき甘盤有り。時に則ち若のごとき者有りとは、言うこころは、其の時に當たりて此の如き人有り。保衡は、卽ち伊尹なり。說命に見えたり。太戊は、太甲の孫。伊陟は、伊尹の子なり。臣扈と湯の時の臣扈とは、二人にして名を同じくする者なり。巫は、氏。咸は、名。祖乙は、太戊の孫。巫賢は、巫咸の子なり。武丁は、高宗なり。甘盤は、說命に見えたり。呂氏が曰く、此の章商の六臣の烈を序ずるは、蓋し召公の前人に匹休せんことを勉めしむるなり、と。伊尹が湯を佐けたるは、聖を以て聖を輔く。其の治化は天と閒て無し。伊陟・臣扈が太戊を佐けたるは、賢を以て賢を輔く。其の治化は克く天の心に厭[あ]う。其の徧く覆うよりして之を言わば、之を天と謂う。其の主宰よりして之を言わば、之を帝と謂う。書或は天と稱し或は帝と稱するは、各々指す所に隨いて、重輕有るに非ず。此の章に至りて對して之を言うは、則ち聖賢の分、而も深淺なるを見るなり。巫咸は止其れ王家を乂むと言う者は、咸の治を爲す、功は王室に在り、精微の蘊、猶二臣に愧すること有り。亡書に咸乂四篇有り、其の王家を乂むるの實ならんか。巫賢・甘盤は而も指し言うこと無き者は、意うに必ず又巫咸に次ならん。○蘇氏が曰く、殷に聖賢の君七有り。此に獨り五を言う。下の文に云う、殷の禮陟りて天に配す、と。豈祀を天に配する者止此の五王のみにして、其の臣偕[とも]に廟に配食するや。武丁の時に在て傅說を言わざるは、豈傅說は配天の王に配食せざらんや。其の詳らかなること得て聞かず、と。

△率惟茲有陳、保乂有殷。故殷禮陟配天、多歷年所。陟、升遐也。言六臣循惟此道、有陳列之功、以保乂有殷。故殷先王終以德配天、而享國長久也。
【読み】
△惟れ茲に率いて陳ぶること有りて、有殷を保んじ乂[おさ]む。故に殷の禮陟[のぼ]りて天に配して、多く年の所[ついで]を歷[ふ]。陟は、升遐なり。言うこころは、六臣惟れ此の道に循いて、陳べ列ぬるの功有り、以て有殷を保んじ乂む。故に殷の先王終に德を以て天に配して、國を享くること長久なり。

△天惟純佑命、則商實。百姓・王人罔不秉德明恤。小臣・屛侯・甸、矧咸奔走、惟茲惟德稱、用乂厥辟。故一人有事于四方、若卜筮罔不是孚。佑、助也。實、虛實之實。國有人則實。孟子言、不信仁賢、則國空虛、是也。稱、舉也。亦秉持之義。事、征伐會同之類。承上章六臣輔君、格天致治、遂言、天佑命有商、純一而不雜。故商國有人而實。内之百官著姓、與夫王臣之微者、無不秉持其德、明致其憂。外之小臣、與夫藩屛侯・甸、矧皆奔走服役。惟此之故、惟德是舉、用乂其君。故君有事于四方、如龜之卜、如蓍之筮。天下無不敬信之也。
【読み】
△天惟れ純[もっぱ]ら佑け命ずるときは、則ち商實てり。百姓・王人德を秉り恤えを明らかにせざること罔し。小臣・屛の侯・甸[でん]まで、矧んや咸奔り走て、惟れ茲れ惟れ德を稱[あ]げて、用て厥の辟を乂む。故に一人四方に事有るときは、卜筮の若く是れ孚とせざること罔し、と。佑は、助くなり。實は、虛實の實なり。國人有るときは則ち實なり。孟子言く、仁賢を信ぜざるときは、則ち國空虛なりとは、是れなり。稱は、舉ぐるなり。亦秉持の義なり。事は、征伐會同の類。上の章の六臣君を輔けて、天に格らしめ治を致すを承けて、遂に言う、天有商に佑け命じて、純一にして雜らず。故に商の國人有りて實てり。内の百官の著姓と、夫の王臣の微なる者、其の德を秉持して、明らかに其の憂えを致さざること無し。外の小臣と、夫の藩屛の侯・甸と、矧んや皆奔走服役するをや。惟れ此の故に、惟れ德是れ舉げて、用て其の君を乂む。故に君四方に事有るときは、龜の卜の如く、蓍の筮の如し。天下敬みて之を信ぜざること無し、と。

△公曰、君奭、天壽平格、保乂有殷。有殷嗣天滅威。今汝永念、則有固命。厥亂明我新造邦。呂氏曰、坦然無私、之謂平。格者、通徹三極、而無閒者也。天無私壽。惟至平通格于天者、則壽之。伊尹而下六臣、能盡平格之實。故能保乂有殷、多歷年所、至于殷紂亦嗣天位、乃驟罹滅亡之威。天曾不私壽之也。固命者、不墜之天命也。今召公勉爲周家久永之念、則有天之固命、其治效亦赫然明著於我新造之邦、而身與國倶顯矣。
【読み】
△公曰く、君奭、天平らかに格れるを壽[いのちなが]くして、有殷を保んじ乂[おさ]む。有殷天に嗣いで滅べる威あり。今汝永く念わば、則ち固き命有らん。厥の亂[おさ]まれること明らかにして我が新たに造せる邦にあらん、と。呂氏が曰く、坦然として私無き、之を平らかと謂う。格るとは、三極に通徹して、閒て無き者なり。天に私の壽きこと無し。惟れ至平にして天に通格する者、則ち之を壽くす。伊尹よりして下の六臣、能く平格の實を盡くす。故に能く有殷を保んじ乂めて、多く年の所[ついで]を歷、殷の紂に至りて亦天位を嗣いで、乃ち驟[にわか]に滅亡の威に罹る。天曾て私に之を壽くせざるなり。固き命とは、之が天命を墜さざるなり。今召公勉めて周家久永の念いを爲すときは、則ち天の固き命有りて、其の治效も亦赫然として我が新たに造せるの邦に明著にして、身と國と倶に顯らかなり。

△公曰、君奭、在昔上帝割、申勸寧王之德、其集大命于厥躬。申、重。勸、勉也。在昔上帝降割于殷、申勸武王之德、而集大命於其身、使有天下也。
【読み】
△公曰く、君奭、在昔[むかし]上帝割きて、申ねて寧王の德を勸めて、其れ大命を厥の躬に集めたり。申は、重ぬる。勸は、勉むるなり。在昔上帝殷に降し割きて、申ねて武王の德を勸めて、大命を其の身に集めて、天下を有たしむ、と。

△惟文王尙克修和我有夏。亦惟有若虢叔、有若閎夭、有若散宜生、有若泰顚、有若南宮括。虢叔、文王弟。閎・散・泰・南宮、皆氏。夭・宜生・顚・括、皆名。言文王庶幾能修治爕和我所有諸夏者、亦惟有虢叔等五臣、爲之輔也。康誥言、一二邦以修。無逸言、用咸和萬民。卽文王修和之實也。
【読み】
△惟れ文王尙[こいねが]いて克く我が有夏を修め和らぐ。亦惟れ若のごとき虢叔[かくしゅく]有り、若のごとき閎夭[こうよう]有り、若のごとき散宜生有り、若のごとき泰顚有り、若のごとき南宮括有り。虢叔は、文王の弟。閎・散・泰・南宮は、皆氏なり。夭・宜生・顚・括は、皆名なり。言うこころは、文王庶幾いて能く我が有つ所の諸夏を修治爕和[しょうわ]する者は、亦惟れ虢叔等の五臣有りて、之が輔を爲せばなり。康誥に言く、一二の邦以て修まる、と。無逸に言く、用て咸く萬民を和らぐ、と。卽ち文王修和の實なり。

△又曰、無能往來、茲迪彝敎、文王蔑德降于國人。蔑、莫結反。○蔑、無也。夏氏曰、周公前旣言、文王之興、本此五臣。故又反前意而言曰、若此五臣者、不能爲文王往來奔走、於此導迪其常敎、則文王亦無德降及於國人矣。周公反覆以明其意。故以又曰更端發之。
【読み】
△又曰く、能く往き來りて、茲に彝の敎えを迪[みちび]くこと無くんば、文王も德の國人に降ること蔑[な]けん、と。蔑は、莫結反。○蔑は、無きなり。夏氏が曰く、周公前に旣に言う、文王の興るは、此れ五臣に本づく、と。故に又前意を反して言いて曰く、此の五臣の若き者、文王の爲に往來奔走して、此に於て其の常の敎えを導き迪くこと能わずんば、則ち文王も亦德の國人に降り及ぶこと無けん、と。周公反覆して以て其の意を明らかにす。故に又曰くを以て端を更めて之を發す。

△亦惟純佑、秉德迪知天威。乃惟時昭文王、迪見冒聞于上帝。惟時受有殷命哉。言文王有此五臣者。故亦如殷爲天純佑命、百姓王人、罔不秉德也。上旣反言、文王若無此五臣爲迪彝敎、則亦無德下及國人。故此又正言、亦惟天乃純佑文王。蓋以如是秉德之臣、蹈履至到、實知天威、以是昭明文王、啓迪其德、使著見於上、覆冒於下、而升聞于上帝。惟是之故、遂能受有殷之天命也。
【読み】
△亦惟れ純ら佑けられ、德を秉りて天威を迪[ふ]み知れり。乃ち惟れ時[こ]れ文王を昭らかにして、迪[みちび]き見し冒いて上帝に聞こゆ。惟れ時れ有殷の命を受けたり。言うこころは、文王に此の五臣の者有り。故に亦殷の天の爲に純ら佑け命ぜられて、百姓王人、德を秉らざること罔きが如し。上には旣に反して言う、文王若し此の五臣の爲に彝の敎えを迪くこと無くんば、則ち亦德の國人に下り及ぶこと無けん、と。故に此に又正しく言う、亦惟れ天乃ち純ら文王を佑く、と。蓋し是の如く德を秉るの臣、蹈み履み至り到りて、實に天威を知るを以て、是を以て文王を昭明にし、其の德を啓き迪いて、上に著見し、下に覆冒せしめて、上帝に升り聞こゆ。惟れ是の故に、遂に能く有殷の天命を受けたり。

△武王惟茲四人、尙迪有祿。後曁武王、誕將天威、咸劉厥敵。惟茲四人、昭武王、惟冒。丕單稱德。單、與殫通。稱、平聲。○虢叔先死。故曰四人。劉、殺也。單、盡也。武王惟此四人、庶幾迪有天祿。其後曁武王盡殺其敵。惟此四人能昭武王、遂覆冒天下。天下大盡稱武王之德。謂其達聲敎于四海也。文王冒西土而已。丕單稱德、惟武王爲然。於文王言命、於武王言祿者、文王但受天命、至武王方富有天下也。呂氏曰、師尙父之事文武、烈莫盛焉、不與五臣之列。蓋一時議論或詳或略、隨意而言。主於留召公、而非欲爲人物評也。
【読み】
△武王惟れ茲の四人、尙いて祿を迪[ふ]み有てり。後に武王と、誕いに天威を將[おこな]いて、咸く厥の敵を劉[ころ]す。惟れ茲の四人、武王を昭らかにして、惟れ冒う。丕いに單[ことごと]く德を稱す。單は、殫[たん]と通ず。稱は、平聲。○虢叔先に死す。故に四人と曰う。劉は、殺すなり。單は、盡なり。武王惟れ此の四人、庶幾いて天祿を迪み有てり。其の後武王と盡く其の敵を殺す。惟れ此の四人能く武王を昭らかにして、遂に天下を覆い冒う。天下大いに盡く武王の德を稱す。謂ゆる其の聲敎を四海に達するなり。文王は西土を冒うのみ。丕いに單く德を稱するは、惟れ武王然りとす。文王に於て命を言い、武王に於て祿を言う者は、文王は但天命を受け、武王に至りて方に富天下を有つ。呂氏が曰く、師尙父の文武に事うる、烈焉より盛んなるは莫けれども、五臣の列に與らず。蓋し一時の議論或は詳らかに或は略[あら]く、意に隨いて言う。召公を留むることを主として、人物の評をせんと欲するに非ず、と。

△今在予小子旦、若游大川。予往曁汝奭其濟。小子同未在位。誕無我責。收罔勖不及。耇造德不降、我則鳴鳥不聞。矧曰其有能格。小子旦、自謙之稱也。浮水曰游。周公言、承文武之業、懼不克濟。若浮大川、罔知津涯。豈能獨濟哉。予往與汝召公其共濟可也。小子、成王也。成王幼沖、雖已卽位、與未卽位同。誕、大也。大無私責上、疑有缺文。收罔勖不及、未詳。耇造德不降、言召公去、則耇老成人之德、不下於民、在郊之鳳、將不復得聞其鳴矣。況敢言進此而有感格乎。是時周方隆盛、鳴鳳在郊。卷阿鳴于高岡者、乃詠其實。故周公云爾也。
【読み】
△今予れ小子旦に在[おい]て、大川に游ぐが若し。予れ往いて汝奭と其れ濟[わた]らん。小子未だ位に在らざるに同じ。誕いに我が責め無し。收めば及ばざるを勖[つと]むること罔し。耇いて造[な]れる德降らずんば、我れ則ち鳴鳥を聞かず。矧んや其れ能く格ること有りと曰わんや、と。小子旦は、自ら謙るの稱なり。水に浮かぶを游と曰う。周公言く、文武の業を承けて、濟ること克わざるを懼る。大川に浮かんで、津涯を知ること罔きが若し。豈能く獨り濟らんや。予れ往いて汝召公と其れ共に濟ること可なり、と。小子は、成王なり。成王幼沖にして、已位に卽くと雖も、未だ位に卽かざると同じ。誕は、大いなり。大無私責の上に、疑うらくは缺文有らん。收めば及ばざるを勖むること罔しは、未だ詳らかならず。耇造の德降らずとは、言うこころは、召公去るときは、則ち耇老成人の德、民に下らず、郊に在るの鳳、將に復其の鳴くを聞くことを得ず。況んや敢えて此を進めて感格有りと言わんや。是の時周方に隆盛にして、鳴鳳郊に在り。卷阿の高岡に鳴くという者、乃ち其の實を詠ず。故に周公爾く云えり。

△公曰、嗚呼君肆其監于茲。我受命無疆惟休。亦大惟艱。告君乃猷裕。我不以後人迷。肆、大。猷、謀也。茲、指上文所言。周公歎息欲召公大監視上文所陳也。我文武受命、固有無疆之美矣。然迹其積累締造、蓋亦艱難之大者、不可不相與竭力保守之也。告君謀所以寛裕之道、勿狹隘求去。我不欲後人迷惑、而失道也。○呂氏曰、大臣之位、百責所萃。震撼擊撞、欲其鎭定。辛甘燥濕、欲其調齊。槃錯棼結、欲其解紓。黯闇汚濁、欲其茹納。自非曠度洪量、與夫患失乾沒者、未嘗無翩然捨去之意。況召公親遭大變、破斧缺斨之時、屈折調護、心勞力瘁。又非平時大臣之比。顧以成王未親政、不敢乞身爾。一旦政柄有歸、浩然去志、固人情之所必至。然思文武王業之艱難、念成王守成之無助、則召公義未可去也。今乃汲汲然求去之不暇、其切迫已甚矣。盍謀所以寛裕之道。圖功攸終、展布四體、爲久大規模、使君德開明、未可捨去、而聽後人之迷惑也。
【読み】
△公曰く、嗚呼君肆[おお]いに其れ茲を監みよ。我が命を受けたること疆り無く惟れ休[よ]し。亦大いに惟れ艱[なや]めり。君に告げて乃ち裕かなることを猷[はか]る。我れ後の人を以て迷わしめず、と。肆は、大い。猷は、謀るなり。茲は、上の文に言う所を指す。周公歎息して召公が大いに上の文に陳ぶる所を監み視ることを欲す。我が文武の命を受けたること、固に無疆の美き有り。然れども其の積累締造を迹[あとづく]るに、蓋し亦艱難の大いなる者、相與に力を竭くして之を保んじ守らずんばある可からず。君に告げて之を寛裕する所以の道を謀り、狹隘にして去ることを求むること勿かれ。我れ後人の迷い惑いて、道を失うことを欲せず、と。○呂氏が曰く、大臣の位は、百責の萃まる所。震撼擊撞、其の鎭定を欲す。辛甘燥濕、其の調齊を欲す。槃錯棼結、其の解紓を欲す。黯闇汚濁、其の茹納を欲す。曠度洪量と、夫の患失乾沒との者に非ざるよりは、未だ嘗て翩然として捨て去るの意無きにはあらず。況んや召公親ら大變に遭いて、破斧缺斨[けっしょう]の時、屈折調護して、心勞り力瘁[や]みぬ。又平時の大臣の比に非ず。顧みるに成王未だ政を親らせざるを以て、敢えて身を乞わざるのみ。一旦政柄歸すること有りて、浩然として去らんとするの志は、固に人情の必ず至る所なり。然れども文武王業の艱難を思い、成王守成の助け無きを念わば、則ち召公義として未だ去る可からず。今乃ち汲汲然として去ることを求むるの暇あらず、其の切迫なること已に甚だし。盍ぞ之を寛裕する所以の道を謀らざらんや。功を圖りて終うる攸、四體に展布して、久大の規模を爲し、君德をして開明ならしめ、未だ捨て去りて、後人の迷い惑えるを聽く可からず、と。

△公曰、前人敷乃心、乃悉命汝、作汝民極。曰、汝明勖偶王。在亶乘茲大命。惟文王德、丕承無疆之恤。偶、配也。蘇氏曰、周公與召公、同受武王顧命輔成王。故周公言、前人敷乃心服、以命汝召公位三公、以爲民極。且曰、汝當明勉輔孺子、如耕之有偶也。在於相信、如車之有馭也。幷力一心以載天命、念文考之舊德、以丕承無疆之恤。武王之言如此。而可以去乎。
【読み】
△公曰く、前人乃の心を敷いて、乃ち悉く汝に命じて、汝が民の極と作す。曰く、汝明らかに勖[つと]めて王に偶せよ。亶[まこと]に在りて茲の大命を乘せん。文王の德を惟いて、丕いに疆り無きの恤えを承けよ、と。偶は、配なり。蘇氏が曰く、周公と召公と、同じく武王の顧命を受けて成王を輔く。故に周公言く、前人乃が心服を敷いて、以て汝召公に命じて三公に位して、以て民の極と爲す、と。且つ曰く、汝當に明らかに勉め孺子を輔けて、耕の偶有るが如くすべし。相信あるに在りては、車の馭有るが如くせよ。力を幷せ心を一にして以て天命を載せ、文考の舊德を念いて、以て丕いに疆り無きの恤えを承けよ、と。武王の言此の如し。而るを以て去る可けんや、と。

△公曰、君、告汝朕允。保奭其汝克敬、以予監于殷喪大否、肆念我天威。大否、大亂也。告汝以我之誠。呼其官而名之。言汝能敬以我所言、監視殷之喪亡大亂、可不大念我天威之可畏乎。
【読み】
△公曰く、君、汝に朕が允を告ぐ。保奭其れ汝克く敬みて、予を以て殷の喪び大いに否[みだ]るるを監みて、肆[おお]いに我が天威を念え。大否は、大亂なり。汝に告ぐるに我が誠を以てす。其の官を呼びて之に名いう。言うこころは、汝能く敬みて我が言う所を以て、殷の喪亡大亂を監み視て、大いに我が天威の畏る可きを念わざる可けんや。

△予不允、惟若茲誥。予惟曰、襄我二人。汝有合哉。言曰、在時二人、天休滋至。惟時二人弗戡。其汝克敬德、明我俊民、在讓後人于丕時。戡、勝也。戡・堪、古通用。周公言、我不信於人、而若此告語乎。予惟曰、王業之成、在我與汝而已。汝聞我言而有合哉。亦曰、在是二人、但天休滋至。惟是我二人將不堪勝。汝若以盈滿爲懼、則當能自敬德、益加寅畏、明揚俊民、布列庶位、以盡大臣之職業、以答滋至之天休、毋徒惴惴而欲去爲也。他日在汝推遜後人于大盛之時、超然肥遯、誰復汝禁。今豈汝辭位之時乎。
【読み】
△予れ允とせられずして、惟れ茲の若く誥げんや。予れ惟れ曰く、襄[な]れることは我れ二人なり。汝合[かな]うこと有らんや、と。言いて曰く、時[こ]の二人に在りて、天休滋々[ますます]至らん、と。惟れ時の二人戡[た]えず。其れ汝克く德を敬みて、我が俊民を明らかにして、後の人に丕いなる時に讓るに在らん。戡[かん]は、勝るなり。戡・堪は、古通用す。周公言く、我れ人に信あらずして、此の若く告げ語らんや、と。予れ惟れ曰く、王業の成れるは、我と汝とに在るのみ。汝我が言を聞いて合うこと有らんや、と。亦曰く、是の二人に在りて、但天休滋々至らん、と。惟れ是れ我れ二人將に勝るに堪えず。汝若し盈滿を以て懼れを爲せば、則ち當に能く自ら德を敬み、益々寅畏を加え、明らかに俊民を揚げ、庶位を布き列ね、以て大臣の職業を盡くして、以て滋々至れる天休に答え、徒に惴惴[ずいずい]として去らんと欲することを爲すこと毋かるべし。他日汝に在[おい]て後人に大盛の時に推し遜りて、超然として肥遯せば、誰か復汝を禁ぜん。今豈汝位を辭するの時ならんや、と

△嗚呼篤棐時二人。我式克至于今日休。我咸成文王功于不怠、丕冒海隅出日、罔不率俾。周公復歎息言、篤於輔君者、是我二人。我用能至于今日休盛。然我欲與召公共成文王功業于不怠。大覆冒斯民、使海隅日出之地、無不臣服、然後可也。周都西土、去東爲遠。故以日出言。吳氏曰、周公未嘗有其功。以其留召公、故言之。蓋敍其所已然、而勉其所未至。亦人所說而從者也。
【読み】
△嗚呼棐[たす]くるに篤きことは時[こ]の二人なり。我れ式[もっ]て克く今日の休きに至れり。我れ咸文王の功を怠らざるに成して、丕いに冒[おお]いて海隅の出づる日まで、率い俾[したが]わざること罔けん、と。周公復歎息して言く、君を輔くるに篤き者は、是れ我れ二人なり。我れ用て能く今日の休盛に至れり。然れども我れ召公と共に文王の功業を怠らざるに成さんと欲す。大いに斯の民を覆い冒いて、海隅の日の出づるの地まで、臣服せざること無からしめ、然して後に可なり、と。周は西土に都し、東を去ること遠しとす。故に日の出づるを以て言う。吳氏が曰く、周公未だ嘗て其の功を有せず。其の召公を留むるを以て、故に之を言う、と。蓋し其の已に然る所を敍で、其の未だ至らざる所を勉めしむ。亦人の說びて從う所の者なり。

△公曰、君、予不惠若茲多誥。予惟用閔于天越民。周公言、我不順於理、而若茲諄復之多誥耶。予惟用憂天命之不終、及斯民之無賴也。韓子言、畏天命而悲人窮、亦此意。前言若茲誥。故此言若茲多誥。周公之告召公、其言語之際、亦可悲矣。
【読み】
△公曰く、君、予れ惠[したが]わずして茲の若く多く誥げんや。予れ惟れ用て天越[およ]び民を閔う、と。周公言く、我れ理に順わずして、茲の若く諄復して之れ多く誥げんや。予れ惟れ用て天命の終えざると、及び斯の民の賴ること無きを憂う、と。韓子が言う、天命を畏れて人窮まれるを悲しむとは、亦此の意なり。前に茲の若く誥げんやと言う。故に此には茲の若く多く誥げんやと言う。周公の召公に告ぐる、其の言語の際、亦悲しむ可し。

△公曰、嗚呼君、惟乃知民德。亦罔不能厥初。惟其終。祗若茲、往敬用治。上章言天命民心、而民心又天命之本也。故卒章專言民德以終之。周公歎息謂、召公踐歷諳練之久、惟汝知民之德。民德、謂民心之嚮順、亦罔不能其初。今日固罔尤違矣。當思其終、則民之難保者、尤可畏也。其祗順此誥、往敬用治。不可忽也。此召公已留、周公飭遣就職之辭。厥後召公旣相成王、又相康王。再世猶未釋其政、有味於周公之言也夫。
【読み】
△公曰く、嗚呼君、惟れ乃民の德を知れり。亦厥の初めを能くせざること罔し。其の終わりを惟え。祗みて茲に若[したが]いて、往いて敬みて用て治めよ、と。上の章には天命民心を言いて、民心は又天命の本なり、と。故に卒わりの章で專ら民の德を言いて以て之を終う。周公歎息して謂く、召公踐歷諳練[あんれん]の久しき、惟れ汝民の德を知れり、と。民の德とは、謂ゆる民心の嚮順、亦其の初めを能くせざること罔し。今日固に尤[うら]み違うこと罔し。當に其の終わりを思うときは、則ち民の保んじ難き者は、尤も畏る可し。其れ祗み此の誥に順いて、往いて敬みて用て治めよ。忽にす可からず、と。此れ召公已に留まりて、周公飭[いまし]めて職に就かしむるの辭なり。厥の後召公旣に成王を相[たす]け、又康王を相く。再世猶未だ其の政を釋[す]てず、周公の言を味わうこと有るがごときかな。


蔡仲之命 蔡、國名。仲、字。蔡叔之子也。叔沒、周公以仲賢、命諸成王復封之蔡。此其誥命之詞也。今文無、古文有。○按此篇次敍、當在洛誥之前。
【読み】
蔡仲之命[さいちゅうのめい] 蔡は、國の名。仲は、字。蔡叔の子なり。叔沒して、周公仲が賢を以て、諸を成王に命じて復之を蔡に封ず。此れ其の誥命の詞なり。今文無し、古文有り。○按ずるに此の篇の次敍、當に洛誥の前に在るべし。


惟周公位冢宰、正百工。羣叔流言。乃致辟管叔于商、囚蔡叔于郭鄰、以車七乘。降霍叔于庶人、三年不齒。蔡仲克庸祗德。周公以爲卿士。叔卒、乃命諸王邦之蔡。周公位冢宰、正百工、武王崩時也。郭鄰、孔氏曰、中國之外地名。蘇氏曰、郭、虢也。周禮六遂五家爲鄰。管・霍、國名。武王崩、成王幼。周公居冢宰、百官總己以聽者、古今之通道也。當是時、三叔以王少國疑、乘商人之不靖、謂可惑以非義、遂相與流言倡亂、以搖之。是豈周公一身之利害。乃欲傾覆社稷、塗炭生靈、天討所加、非周公所得已也。故致辟管叔于商。致辟云者、誅戮之也。囚蔡叔于郭鄰、以車七乘。囚云者、制其出入、而猶從以七乘之車也。降霍叔于庶人、三年不齒。三年之後、方齒錄以復其國也。三叔刑罰之輕重、因其罪之大小而已。仲、叔之子。克常敬德。周公以爲卿士。叔卒、乃命之成王、而封之蔡也。周公留佐成王、食邑於圻内。圻内諸侯、孟仲二卿。故周公用仲爲卿。非魯之卿也。蔡、左傳在淮汝之閒。仲不別封而命邦之蔡者、所以不絕叔於蔡也。封仲以他國、則絕叔於蔡矣。呂氏曰、象欲殺舜。舜在側微、其害止於一身。故舜得遂其友愛之心。周公之位、則繫于天下國家。雖欲遂友愛於三叔、不可得也。舜與周公、易地皆然。史臣先書、惟周公位冢宰、正百工。而繼以羣叔流言。所以結正三叔之罪也。後言、蔡仲克庸祗德。周公以爲卿士。叔卒、卽命之王以爲諸侯。以見周公蹙然於三叔之刑、幸仲克庸祗德、則亟擢用分封之也。吳氏曰、此所謂冢宰正百工、與詩所謂攝政、皆在成王諒闇之時、非以幼沖而攝。而其攝也、不過位冢宰之位而已。亦非如荀卿所謂攝天子位之事也。三年之喪、二十五月而畢。方其畢時、周公固未嘗攝、亦非有七年而後還政之事也。百官總己以聽冢宰。未知其所從始。如殷之高宗已然。不特周公行之。此皆論周公者、所當先知也。
【読み】
惟れ周公冢宰に位し、百工を正しくす。羣叔流言す。乃ち辟[つみ]を管叔に商に致し、蔡叔を郭鄰に囚うるに、車七乘を以てす。霍叔を庶人に降し、三年まで齒せず。蔡仲克く庸[つね]に德を祗む。周公以て卿士とす。叔卒し、乃ち諸を王に命じて之を蔡に邦す。周公冢宰に位して、百工を正すは、武王崩ずる時なり。郭鄰は、孔氏が曰く、中國の外地の名、と。蘇氏が曰く、郭は、虢、と。周禮の六遂に五家を鄰とす。管・霍は、國の名。武王崩じて、成王幼し。周公冢宰に居りて、百官己を總べて以て聽くは、古今の通道なり。是の時に當たりて、三叔王少[わか]くして國疑わしきを以て、商人の靖んぜざるに乘じ、惑わすに非義を以てす可しと謂いて、遂に相與に流言倡亂して、以て之を搖るがす。是れ豈周公一身の利害ならんや。乃ち社稷を傾覆し、生靈を塗炭せんと欲するは、天討の加うる所にて、周公已むことを得る所に非ず。故に辟を管叔に商に致す。辟を致すと云うは、之を誅戮するなり。蔡叔を郭鄰に囚うるに、車七乘を以てす。囚うと云うは、其の出入を制して、猶從うに七乘の車を以てするなり。霍叔を庶人に降して、三年まで齒せず。三年の後、方に齒錄して以て其の國に復すなり。三叔刑罰の輕重は、其の罪の大小に因るのみ。仲は、叔の子。克く常に德を敬む。周公以て卿士とす。叔卒して、乃ち之を成王に命じて、之を蔡に封ず。周公留まりて成王を佐け、邑を圻内に食む。圻内の諸侯は、孟仲の二卿のみ。故に周公仲を用いて卿とす。魯の卿に非ず。蔡は、左傳に淮汝の閒に在り、と。仲別に封ぜずして命じて之を蔡に邦ぜしむる者は、叔を蔡に絕たざる所以なり。仲を封ずるに他國を以てするは、則ち叔を蔡に絕つなり。呂氏が曰く、象舜を殺さんと欲す。舜側微に在りて、其の害一身に止まる。故に舜其の友愛の心を遂ぐることを得。周公の位は、則ち天下國家に繫れり。友愛を三叔に遂げんと欲すと雖も、得可からず。舜と周公と、地を易うれば皆然り、と。史臣先ず書す、惟れ周公冢宰に位し、百工を正す、と。而して繼ぐに羣叔の流言を以てす。三叔の罪を正すに結ぶ所以なり。後に言う、蔡仲克く庸に德を祗む。周公以て卿士とす。叔卒し、卽ち之を王に命じて以て諸侯とす、と。以て周公三叔の刑に蹙然として、幸いに仲克く庸に德を祗むときは、則ち亟やかに擢[ぬ]いて用いて分かちて之を封ずるを見すなり。吳氏が曰く、此れ所謂冢宰百工を正すと、詩の所謂政を攝するとは、皆成王諒闇の時に在り、幼沖を以て攝するに非ず。而して其の攝するや、冢宰に位するの位に過ぎざるのみ。亦荀卿が所謂天子の位を攝するの事の如きに非ず。三年の喪は、二十五月にして畢う。其の畢わる時に方りて、周公固に未だ嘗て攝せず、亦七年にして後に政を還すの事有るに非ず。百官己を總べて以て冢宰に聽く。未だ其の從りて始まる所を知らず。殷の高宗の如き已に然り。特に周公のみ之を行うにあらず。此れ皆周公を論ずる者、當に先ず知るべき所なり、と。

△王若曰、小子胡、惟爾率德改行、克愼厥猷。肆予命爾侯于東土。往卽乃封。敬哉。胡、仲名。言仲循祖文王之德、改父蔡叔之行、能謹其道。故我命汝爲侯於東土。往就汝所封之國、其敬之哉。呂氏曰、敬哉者、欲其無失此心也。命書之辭、雖稱成王、實周公之意。
【読み】
△王若[か]く曰く、小子胡、惟れ爾德に率いて行いを改め、克く厥の猷[みち]を愼む。肆[ゆえ]に予れ爾に命じて東土に侯とす。往いて乃の封に卽け。敬めや。胡は、仲の名。言うこころは、仲祖文王の德に循いて、父蔡叔の行いを改め、能く其の道を謹む。故に我れ汝に命じて東土に侯とす。往いて汝が封ぜらる所の國に就いて、其れ之を敬めや、と。呂氏が曰く、敬めやとは、其の此の心を失うこと無きことを欲す、と。命書の辭、成王を稱すと雖も、實は周公の意なり。

△爾尙蓋前人之愆、惟忠惟孝。爾乃邁跡自身、克勤無怠、以垂憲乃後。率乃祖文王之彝訓、無若爾考之違王命。蔡叔之罪、在於不忠不孝。故仲能掩前人之愆者、惟在於忠孝而已。叔違王命、仲無所因。故曰、邁跡自身。克勤無怠、所謂自身也。垂憲乃後、所謂邁跡也。率乃祖文王之彝訓、無若爾考之違王命、上文所謂率德改行也。
【読み】
△爾尙わくは前人の愆[あやま]ちを蓋わば、惟れ忠惟れ孝なり。爾乃ち跡を邁[すす]むること身よりし、克く勤めて怠ること無くして、以て憲を乃の後に垂れよ。乃の祖文王の彝の訓えに率いて、爾の考が王命を違えるが若くなること無かれ。蔡叔の罪は、不忠不孝に在り。故に仲能く前人の愆ちを掩うは、惟れ忠孝に在るのみ。叔王命に違いて、仲因る所無し。故に曰く、跡を邁むること身よりす、と。克く勤めて怠ること無きは、所謂身よりするなり。憲を乃の後に垂るとは、所謂跡を邁むるなり。乃の祖文王の彝の訓えに率い、爾の考が王命を違えるが若くなること無かれとは、上の文に所謂德に率い行いを改むるなり。

△皇天無親。惟德是輔。民心無常。惟惠之懷。爲善不同、同歸于治。爲惡不同、同歸于亂。爾其戒哉。此章與伊尹申誥太甲之言相類。而有深淺不同者。太甲・蔡仲之有閒也。善固不一端、而無不可行之善、惡亦不一端、而無可爲之惡。爾其可不戒之哉。
【読み】
△皇天親しむこと無し。惟れ德是れ輔く。民の心常無し。惟れ惠み之れ懷く。善をすること同じからざれども、同じく治まれるに歸す。惡をすること同じからざれども、同じく亂れに歸す。爾其れ戒めや。此の章と伊尹申ねて太甲に誥ぐるの言と相類す。而れども深淺同じからざる者有り。太甲・蔡仲の閒て有るなり。善は固に一端ならずして、行う可からざるの善無く、惡も亦一端ならずして、す可きの惡無し。爾其れ之を戒めざる可けんや、と。

△愼厥初、惟厥終、終以不困。不惟厥終、終以困窮。惟、思也。窮、困之極也。思其終者、所以謹其初也。
【読み】
△厥の初めを愼み、厥の終わりを惟わば、終に以て困[たしな]められず。厥の終わりを惟わざれば、終に以て困窮す。惟は、思うなり。窮は、困の極みなり。其の終わりを思うとは、其の初めを謹む所以なり。

△懋乃攸績。睦乃四鄰、以蕃王室、以和兄弟、康濟小民。勉汝所立之功、親汝四鄰之國、蕃屛王家、和協同姓、康濟小民、五者、諸侯職之所當盡也。
【読み】
△乃の績とする攸を懋[つつし]めよ。乃の四鄰を睦まじくして、以て王室に蕃[かき]とし、以て兄弟を和らげ、小民を康んじ濟[すく]え。汝が立てる所の功を勉め、汝が四鄰の國を親しみ、王家に蕃屛とし、同姓を和協し、小民を康濟する、五つの者は、諸侯の職の當に盡くすべき所なり。

△率自中、無作聰明亂舊章。詳乃視聽、罔以側言改厥度、則予一人汝嘉。率、循也。無、毋同。詳、審也。中者、心之理、而無過不及之差者也。舊章者、先王之成法。厥度者、吾身之法度。皆中之所出者。作聰明、則喜怒好惡、皆出於私而非中矣。其能不亂先王之舊章乎。戒其本於己者然也。側言、一偏之言也。視聽不審、惑於一偏之說、則非中矣。其能不改吾身之法度乎。戒其徇於人者然也。仲能戒是、則我一人汝嘉矣。呂氏曰、作聰明者、非天之聰明。特沾沾小智耳。作與不作而天人判焉。
【読み】
△中に率い自[したが]いて、聰明を作して舊き章を亂ること無かれ。乃の視聽を詳らかにして、側言を以て厥の度を改むること罔くんば、則ち予れ一人汝を嘉みせん、と。率は、循うなり。無は、毋と同じ。詳は、審らかなり。中は、心の理にして、過不及の差い無き者なり。舊章は、先王の成法。厥の度は、吾が身の法度。皆中の出づる所の者なり。聰明を作すときは、則ち喜怒好惡、皆私に出でて中に非ず。其れ能く先王の舊章を亂れざらんや。其の己に本づく者を戒むること然り。側言は、一偏の言なり。視聽審らかならず、一偏の說に惑うときは、則ち中に非ず。其れ能く吾が身の法度を改めざらんや。其の人に徇う者を戒むること然り。仲能く是を戒むるときは、則ち我れ一人汝を嘉みせん、と。呂氏が曰く、聰明を作す者は、天の聰明に非ず。特に小智に沾沾たるのみ。作すと作さざるとによりて天人判る、と。

△王曰、嗚呼小子胡、汝往哉。無荒棄朕命。飭往就國、戒其毋廢棄我命汝所言也。
【読み】
△王曰く、嗚呼小子胡、汝往けや。朕が命を荒み棄つること無かれ、と。飭むるに、往いて國に就き、其の我れ汝に命じて言う所を廢棄すること毋かれと戒む。


多方 成王卽政。奄與淮夷又叛。成王滅奄、歸作此篇。按費誓言、徂茲淮夷・徐戎竝興。卽其事也。疑當時扇亂、不特殷人。如徐戎・淮夷、四方容或有之。故及多方。亦誥體也。今文古文皆有。○蘇氏曰、大誥・康誥・酒誥・梓材・召誥・洛誥・多士・多方八篇、雖所誥不一、然大略以殷人心不服周而作也。予讀泰誓・武成、常怪周取殷之易。及讀此八篇、又怪周安殷之難也。多方所誥、不止殷人、乃及四方之士、是紛紛焉不心服者、非獨殷人也。予乃今知湯已下七王之德深矣。方殷之虐、人如在膏火中、歸周如流。不暇念先王之德。及天下粗定、人自膏火中出、卽念殷先七王如父母。雖以武王・周公之聖、相繼撫之而莫能禦也、夫以西漢道德比之殷、猶碔砆之與美玉。然王莽・公孫述・隗囂之流、終不能使人忘漢。光武成功、若建瓴然。使周無周公、則亦殆矣。此周公之所以畏而不敢去也。
【読み】
多方[たほう] 成王政に卽く。奄と淮夷と又叛く。成王奄を滅ぼして、歸りて此の篇を作る。按ずるに費誓に言く、徂[さき]に茲の淮夷・徐戎竝び興る、と。卽ち其の事なり。疑うらくは當時の扇亂は、特に殷人のみならず。徐戎・淮夷の如き、四方或は之を有す容し。故に多方に及ぼす。亦誥の體なり。今文古文皆有り。○蘇氏が曰く、大誥・康誥・酒誥・梓材・召誥・洛誥・多士・多方の八篇、誥ぐ所一ならずと雖も、然れども大略は殷人の心周に服せざるを以て作れり。予れ泰誓・武成を讀むに、常に怪しむ、周の殷を取るの易きことを。此の八篇を讀むに及んで、又怪しむ、周の殷を安んずるの難きを。多方の誥ぐる所は、殷人に止まらず、乃ち四方の士に及んで、是れ紛紛焉として心服せざる者、獨り殷人のみに非ず。予れ乃ち今知る、湯より已下七王の德の深きことを。殷の虐に方りて、人膏火の中に在るが如く、周に歸すこと流るるが如し。先王の德を念うこと暇あらず。天下粗定まるに及んで、人膏火の中より出でて、卽ち殷の先七王を念うこと父母の如し。武王・周公の聖を以て、相繼いて之を撫でて能く禦ぐこと莫しと雖も、夫れ西漢の道德を以て之を殷に比ぶれば、猶碔砆の美玉に與[よ]るがごとし。然れども王莽・公孫述・隗囂の流、終に人をして漢を忘れしむること能わず。光武の成功、瓴[かめ]を建[くつがえ]すが若く然り。周をして周公無からしめば、則ち亦殆いかな。此れ周公の畏れて敢えて去らざる所以なり、と。


惟五月丁亥、王來自奄、至于宗周。成王卽政之明年、商奄又叛。成王征滅之。杜預云、奄不知所在。宗周、鎬京也。呂氏曰、王者定都、天下之所宗也。東遷之後、定都于洛、則洛亦謂之宗周。衛孔悝之鼎銘曰、隨難于漢陽、卽宮于宗周。是時鎬已封秦。宗周蓋指洛也。然則宗周初無定名。隨王之所都而名耳。
【読み】
惟れ五月の丁亥[ひのと・い]、王奄より來りて、宗周に至れり。成王政に卽くの明年、商奄又叛く。成王征して之を滅ぼす。杜預が云う、奄は在る所を知らず。宗周は、鎬京なり、と。呂氏が曰く、王者都を定むるは、天下の宗とする所なり。東遷の後、都を洛に定むるときは、則ち洛も亦之を宗周と謂う。衛の孔悝[こうかい]が鼎の銘に曰く、難に漢陽に隨いて、卽ち宗周に宮す、と。是の時鎬は已に秦に封ず。宗周は蓋し洛を指すならん。然らば則ち宗周は初めより定まる名無し。王の都する所に隨いて名づくるのみ、と。

△周公曰、王若曰、猷告爾四國多方。惟爾殷侯尹民、我惟大降爾命。爾罔不知。呂氏曰、先曰周公曰、而復曰王若曰何也。明周公傳王命、而非周公之命也。周公之命誥、終於此篇。故發例於此、以見大誥諸篇凡稱王曰者、無非周公傳成王之命也。成王滅奄之後、告諭四國殷民、而因以曉天下也。所主殷民。故又專提殷侯之正民者告之。言殷民罪應誅戮。我大降宥爾命。爾宜無不知也。
【読み】
△周公曰く、王若[か]く曰く、猷[ああ]爾四國の多くの方までに告ぐ。惟れ爾殷侯の民に尹たる、我れ惟れ大いに爾の命を降せり。爾知らざること罔けん。呂氏が曰く、先ず周公曰くと曰いて、復王若く曰くと曰うは何ぞや。周公王命を傳えて、周公の命に非ざることを明らかにするなり、と。周公の命誥は、此に篇に終う。故に例を此に發して、以て大誥の諸篇凡そ王曰くと稱する者は、周公の成王の命を傳うるに非ざること無きことを見すなり。成王奄を滅ぼすの後、四國の殷民に告げ諭して、因りて以て天下を曉すなり。主とする所は殷民なり。故に又專ら殷侯の民に正たる者を提げて之に告ぐ。言うこころは、殷民の罪應に誅戮すべし。我れ大いに爾の命を降し宥む。爾宜しく知らざること無かるべし。

△洪惟圖天之命、弗永寅念于祀。圖、謀也。言商奄大惟私意圖謀天命、自厎滅亡。不深長敬念以保其祭祀。呂氏曰、天命可受、而不可圖。圖則人謀之私、而非天命之公矣。此蓋深示以天命不可妄干。乃多方一篇之綱領也。下文引夏商所以失天命、受天命者、以明示之。
【読み】
△洪[おお]いに惟れ天の命を圖りて、永く祀を寅[つつし]み念わず。圖は、謀るなり。言うこころは、商奄大いに惟れ私意にて天命を圖り謀り、自ら滅亡を厎す。深く長く敬み念いて以て其の祭祀を保たず。呂氏が曰く、天命受く可くして、圖る可からず。圖るときは則ち人謀の私にして、天命の公に非ず、と。此れ蓋し深く示すに天命は妄りに干す可からざることを以てす。乃ち多方一篇の綱領なり。下の文に夏商天命を失い、天命を受くる所以の者を引いて、以て明らかに之を示す。

△惟帝降格于夏。有夏誕厥逸、不肯慼言于民。乃大淫昏、不克終日勸于帝之迪。乃爾攸聞。言帝降災異、以譴告桀。桀不知戒懼、乃大肆逸豫、憂民之言、尙不肯出諸口。況望其有憂民之實乎。勸、勉也。迪、啓迪也。視聽動息日用之閒、洋洋乎皆上帝所以啓迪開導斯人者。桀乃大肆淫昏、終日之閒、不能少勉於是。天理或幾乎息矣。況望有惠迪而不違乎。此乃爾之所聞、欲其因桀而知紂也。厥逸與多士引逸不同者、猶亂之爲亂爲治耳。逸豫、以民言。淫昏、以帝言。各以其義也。此章上、疑有缺文。
【読み】
△惟れ帝夏に降し格せり。有夏誕[おお]いに厥れ逸んじて、肯えて民を慼[うれ]え言わず。乃ち大いに淫昏にして、終日帝の迪[みちび]くことを勸むること克わず。乃ち爾聞ける攸なり。言うこころは、帝災異を降して、以て桀に譴[せ]め告ぐ。桀戒め懼るることを知らず、乃ち大いに肆に逸豫して、民を憂うるの言、尙肯えて口より出でず。況んや其の民を憂うるの實有らんことを望まんや。勸は、勉むるなり。迪は、啓迪[けいてき]なり。視聽動息日用の閒、洋洋乎として皆上帝斯の人を啓迪開導する所以の者なり。桀乃ち大いに肆に淫昏にして、終日の閒、少しも是を勉むること能わず。天理或は息むに幾し。況んや惠み迪いて違わざること有らんことを望まんや。此れ乃ち爾の聞ける所にて、其の桀に因りて紂を知ることを欲するなり。厥れ逸んずと多士の引逸と同じからざる者は、猶亂の亂と爲り治と爲るのみ。逸豫は、民を以て言う。淫昏は、帝を以て言う。各々其の義を以てするなり。此の章の上に、疑うらくは缺文有らん。

△厥圖帝之命、不克開于民之麗、乃大降罰、崇亂有夏。因甲于内亂、不克靈承于旅、罔丕惟進之恭、洪舒于民。亦惟有夏之民、叨懫日欽、劓割夏邑。叨、他刀反。懫、陟利反。○此章文多未詳。麗、猶日月麗乎天之麗。謂民之所依以生者也。依於土、依於衣食之類。甲、始也。言桀矯誣上天、圖度帝命、不能開民衣食之原、於民依恃以生者、一皆抑塞遏絕之。猶乃大降威虐于民、以增亂其國。其所因、則始于内嬖、蠱其心、敗其家、不能善承其衆、不能大進於恭、而大寛裕其民。亦惟夏邑之民貪叨忿懫者、則日欽崇而尊用之、以戕害於其國也。
【読み】
△厥れ帝の命を圖りて、民の麗[つ]くことを開くこと克わず、乃ち大いに罰を降して、亂るるを有夏に崇[かさ]ぬ。因ることは内亂に甲[はじ]まりて、靈[よ]く旅々[もろもろ]を承くること克わず、丕いに惟れ恭しきに進んで、洪[おお]いに民を舒[ゆた]かにすること罔し。亦惟れ有夏の民、叨[むさぼ]り懫[いか]れるを日々に欽みて、夏の邑を劓[そこな]い割[た]つ。叨[とう]は、他刀反。懫[し]は、陟利反。○此の章の文多く未だ詳らかならず。麗は、猶日月は天に麗くの麗のごとし。民の依りて以て生ずる所の者を謂う。土に依り、衣食に依るの類なり。甲は、始むるなり。言うこころは、桀上天を矯[いつわ]り誣い、帝命を圖り度りて、民の衣食の原を開くこと能わず、民の依り恃んで以て生ずる者に於て、一に皆之を抑塞遏絕す。猶乃ち大いに威虐を民に降して、以て增々其の國を亂る。其の因る所は、則ち内嬖に始まりて、其の心を蠱[まど]わし、其の家を敗りて、善く其の衆を承くること能わず、大いに恭しきに進んで、大いに其の民を寛裕にすること能わず。亦惟れ夏邑の民の貪り叨り忿り懫れる者を、則ち日々に欽崇して之を尊び用いて、以て其の國を戕害[しょうがい]す。

△天惟時求民主、乃大降顯休命于成湯、刑殄有夏。言天惟是爲民求主耳。桀旣不能爲民之主。天乃大降顯休命於成湯、使爲民主、而伐夏殄滅之也。○呂氏曰、曰求曰降、豈眞有求之降之者哉。天下無統、渙散漫流、勢不得不歸其所聚。而湯之一德乃所謂顯休命之實、一衆離而聚之者也。民不得不聚於湯、湯不得不受斯民之聚。是豈人爲之私哉。故曰天求之、天降之也。
【読み】
△天惟れ時[こ]れ民の主を求めて、乃ち大いに顯らかに休[よ]き命を成湯に降して、有夏を刑し殄[た]つ。言うこころは、天惟れ是れ民の爲に主を求むるのみ。桀は旣に民の主爲ること能わず。天乃ち大いに顯らかに休き命を成湯に降して、民主と爲らしめて、夏を伐ちて之を殄滅[てんめつ]せしむ。○呂氏が曰く、求むと曰い降すと曰うは、豈眞に之を求め之を降す者有らんや。天下統無く、渙散漫流して、勢い其の聚まる所に歸せざることを得ず。而して湯の一德は乃ち所謂顯らかに休き命の實にて、一に衆離れて之に聚まる者なり。民、湯に聚まらざることを得ず、湯、斯の民の聚まるを受けざるを得ず。是れ豈人爲の私ならんや。故に曰う、天之を求め、天之を降す、と。

△惟天不畀純。乃惟以爾多方之義民、不克永于多享。惟夏之恭多士、大不克明保享于民、乃胥惟虐于民、至于百爲、大不克開。純、大也。義民、賢者也。言天不與桀者大。乃以爾多方賢者、不克永于多享、以至于亡也。言桀於義民、不能用。其所敬之多士、率皆不義之民。上文所謂叨懫日欽者。同惡相濟、大不能明保享于民、乃相與播虐于民、民無所措其手足。凡百所爲、無一能達。上文所謂不克開于民之麗者。政暴民窮、所以速其亡也。此雖指桀多士、爾殷侯尹民、嘗逮事紂者、寧不惕然内愧乎。
【読み】
△惟れ天畀[あた]えざること純[おお]いなり。乃ち惟れ爾多方の義民、多く享くるに永きこと克わざるを以てなり。惟れ夏の恭める多士、大いに明らかに民を保んじ享くること克わず、乃ち胥惟れ民を虐げて、百の爲[しわざ]に至るまで、大いに開くこと克わず。純は、大いなり。義民は、賢者なり。言うこころは、天の桀に與えざる者大いなり。乃ち爾多方の賢者を以て、多く享くるに永きこと克わず、以て亡びに至れり。言うこころは、桀の義民に於る、用ゆること能わず。其の敬する所の多士は、率ね皆不義の民なり。上の文に所謂叨[むさぼ]り懫[いか]れるを日々に欽む者なり。同惡相濟し、大いに明らかに民を保んじ享くること能わず、乃ち相與に虐を民に播[ほどこ]して、民其の手足を措く所無し。凡そ百のする所は、一つも能く達すること無し。上の文に所謂民の麗くことを開くこと克わずという者なり。政暴[そこな]い民窮まるは、其の亡びを速[まね]く所以なり。此れ桀の多士を指すと雖も、爾殷侯民に尹たる、嘗て紂に事うる者に逮ぶまで、寧ろ惕然として内に愧じざらんや。

△乃惟成湯、克以爾多方簡、代夏作民主。簡、擇也。民擇湯而歸之。
【読み】
△乃ち惟れ成湯、克く爾多方の簡[えら]ぶことを以て、夏に代わりて民の主と作れり。簡は、擇ぶなり。民湯を擇びて之に歸す。

△愼厥麗乃勸厥民、刑用勸。湯深謹其所依、以勸勉其民。故民皆儀刑而用勸勉也。人君之於天下、仁而已矣。仁者君之所依也。君仁、則莫不仁矣。
【読み】
△厥の麗[つ]くことを愼みて乃ち厥の民を勸めて、刑[のっと]りて用て勸む。湯深く其の依る所を謹みて、以て其の民を勸め勉めしむ。故に民皆儀り刑りて用て勸み勉むなり。人君の天下に於る、仁なるのみ。仁は君の依る所なり。君仁なれば、則ち仁ならざること莫し。

△以至于帝乙、罔不明德愼罰。亦克用勸。明德、則民愛慕之。謹罰、則民畏服之。自成湯至于帝乙、雖歷世不同、而皆知明其德謹其罰。故亦能用以勸勉其民也。明德謹罰、所以謹厥麗也。明德、仁之本也。謹罰、仁之政也。
【読み】
△以て帝乙に至るまで、德を明らかにし罰を愼まざること罔し。亦克く用て勸めたり。德を明らかにするときは、則ち民之を愛慕す。罰を謹むときは、則ち民之を畏服す。成湯より帝乙に至るまで、歷世同じからずと雖も、而して皆其の德を明らかにし其の罰を謹むことを知る。故に亦能く用いて以て其の民を勸め勉めしむ。德を明らかにし罰を謹むは、厥の麗くことを謹む所以なり。明德は、仁の本なり。謹罰は、仁の政なり。

△要囚殄戮多罪、亦克用勸。開釋無辜、亦克用勸。德、明之而已。罰、有辟焉、有宥焉。故再言、辟而當罪、亦能用以勸勉、宥而赦過、亦能用以勸勉。言辟與宥、皆足以使人勉於善也。
【読み】
△囚を要めて罪多きを殄[た]ち戮[ころ]し、亦克く用て勸む。辜無きを開き釋[ゆる]して、亦克く用て勸む。德は、之を明らかにするのみ。罰は、焉を辟[つみ]すること有り、焉を宥すこと有り。故に再び言う、辟して當に罪にすべく、亦能く用いて以て勸め勉めしめ、宥して過を赦し、亦能く用いて以て勸め勉めしむ、と。言うこころは、辟すると宥すとは、皆以て人をして善を勉めしむるに足れり。

△今至于爾辟、弗克以爾多方、享天之命。呂氏曰、爾辟、謂紂也。商先哲王、世傳家法、積累維持如此。今一旦至于汝君、乃以爾全盛之多方、不克坐享天命而亡之。是誠可閔也。天命至公。操則存、舍則亡。以商先王之多、基圖之大、紂曾不得席其餘蔭、其亡忽焉。危微操舍之幾、周公所以示天下深矣。豈徒曰慰解之而已哉。
【読み】
△今爾の辟[きみ]に至りて、爾多方を以て、天の命を享くること克わず、と。呂氏が曰く、爾辟は、紂を謂うなり。商の先哲王、世々家法を傳え、積累維持すること此の如し。今一旦汝の君に至りて、乃ち爾が全盛の多方を以て、坐して天命を享くること克わずして亡びたり。是れ誠に閔れむ可し。天命至って公なり。操るときは則ち存し、舍つるときは則ち亡ぶ。商の先王の多く、基圖の大いなるを以て、紂曾て其の餘蔭を席[し]くことを得ず、其の亡ぶこと忽焉たり。危微操舍の幾、周公の天下に示す所以深し。豈徒に之を慰解すと曰うのみならんや。

△嗚呼王若曰、誥告爾多方。非天庸釋有夏。非天庸釋有殷。先言嗚呼而後言王若曰者、唐孔氏曰、周公先自歎息、而後稱王命以誥之也。庸、用也。有心之謂。釋、去之也。上文言夏殷之亡、因言、非天有心於去夏、亦非天有心於去殷。下文遂言、乃惟桀紂自取亡滅也。○呂氏曰、周公先自歎息、而始宣布成王之誥告、以見周公未嘗稱王也。又此篇之始、周公曰、王若曰、複語相承。書無此體也。至於此章、先嗚呼而後王若曰。書亦無此體也。周公居聖人之變、史官豫憂來世傳疑襲誤、蓋有竊之爲口實矣。故於周公誥命終篇、發新例二、著周公實未嘗稱王。所以別嫌明微、而謹萬世之防也。
【読み】
△嗚呼王若[か]く曰く、爾多方に誥げ告ぐ。天の庸[もっ]て有夏を釋[す]つるに非ず。天の庸て有殷を釋つるに非ず。先ず嗚呼と言いて而して後に王若く曰くと言うは、唐の孔氏が曰く、周公先ず自ら歎息して、而して後に王命を稱して以て之に誥ぐるなり。庸は、用てなり。心有るの謂なり。釋は、之を去[す]つるなり。上の文に夏殷の亡ぶるを言いて、因りて言う、天夏を去つるに心有るに非ず、亦天殷を去つるに心有るに非ず、と。下の文に遂に言う、乃ち惟れ桀紂自ら亡滅を取る、と。○呂氏が曰く、周公先ず自ら歎息して、始めて成王の誥告を宣べ布いて、以て周公の未だ嘗て王を稱せざるを見す。又此の篇の始めに、周公曰く、王若く曰くと、複語相承く。書に此の體無し。此の章に至りて、嗚呼を先にして王若く曰くを後にす。書に亦此の體無し。周公の聖人の變に居る、史官豫め來世の疑を傳え誤りを襲[かさ]ねて、蓋し之を竊んで口實とすること有るを憂う。故に周公誥命の終わりの篇に於て、新例二つを發して、周公實に未だ嘗て王を稱せざるを著す。嫌を別ち微を明らかにして、萬世の防ぎを謹む所以なり、と。

△乃惟爾辟、以爾多方、大淫圖天之命。屑有辭。紂以多方之富、大肆淫泆、圖度天命。瑣屑有辭。與多士言桀大淫泆有辭義同。殷之亡非自取乎。以下二章推之、此章之上、當有闕文。
【読み】
△乃ち惟れ爾の辟、爾多方を以て、大いに淫[す]ぎて天の命を圖る。屑[くだくだ]しくして辭有り。紂多方の富を以て、大いに肆に淫泆して、天命を圖り度る。瑣屑して辭有り。多士に桀大いに淫泆にして辭有りと言うと義同じ。殷の亡ぶること自ら取れるに非ずや。下の二章を以て之を推すに、此の章の上に、當に闕文有るべし。

△乃惟有夏圖厥政、不集于享。天降時喪、有邦閒之。集、萃也。享、享邦之享。桀圖其政、不集于享、而集于亡。故天降是喪亂、而俾有殷代之。夏之亡非自取乎。
【読み】
△乃ち惟れ有夏厥の政を圖りて、享くるに集[いた]らず。天時[こ]の喪びを降して、有邦之を閒つ。集は、萃[いた]るなり。享は、享邦の享。桀其の政を圖りて、享くるに集らずして、亡ぶるに集る。故に天是の喪亂を降して、有殷をして之に代わらしむ。夏の亡ぶるは自ら取るに非ずや。

△乃惟爾商後王、逸厥逸、圖厥政。不蠲烝。天惟降時喪。蠲、潔。烝、進也。紂以逸居逸。淫湎無度。故其爲政、不蠲潔而穢惡。不烝進而怠惰。天以是降喪亡于殷。殷之亡非自取乎。此上三節、皆應上文非天庸釋之語。
【読み】
△乃ち惟れ爾商の後の王、逸んじ厥れ逸んじて、厥の政を圖る。蠲烝[けんじょう]せず。天惟れ時[こ]の喪びを降せり。蠲は、潔。烝は、進むなり。紂逸を以て逸に居る。淫湎して度無し。故に其の政を爲むるは、蠲潔ならずして穢惡なり。烝進せずして怠惰なり。天是を以て喪亡を殷に降す。殷の亡ぶるは自ら取るに非ずや。此の上の三節は、皆上の文の天庸て釋つるに非ずの語に應ず。

△惟聖罔念作狂。惟狂克念作聖。天惟五年須暇之子孫、誕作民主。罔可念聽。聖、通明之稱。言聖而罔念、則爲狂矣。愚而能念、則爲聖矣。紂雖昏愚、亦有可改過遷善之理。故天又未忍遽絕之、猶五年之久、須待暇寛於紂、覬其克念、大爲民主。而紂無可念可聽者。五年、必有指實而言。孔氏牽合歲月者非是。或曰、狂而克念、果可爲聖乎。曰、聖固未易爲也。狂而克念、則作聖之功、知所向方。太甲其庶幾矣。聖而罔念、果至於狂乎。曰、聖固無所謂罔念也。禹戒舜曰、無若丹朱傲、惟慢遊是好。一念之差雖未至於狂、而狂之理亦在是矣。此人心惟危。聖人拳拳告戒。豈無意哉。
【読み】
△惟れ聖も念うこと罔きときは狂と作る。惟れ狂も克く念えば聖と作る。天惟れ五年まで之が子孫を須ち暇ありて、誕[おお]いに民の主と作す。念い聽く可きこと罔し。聖は、通明の稱。言うこころは、聖にして念うこと罔きときは、則ち狂と爲る。愚にして能く念うときは、則ち聖と爲るなり。紂昏愚と雖も、亦過ちを改め善に遷る可きの理有り。故に天も又未だ遽に之を絕つに忍びず、猶五年の久しき、須ち待ちて紂に暇寛ありて、其の克く念いて、大いに民の主爲ることを覬[ねが]う。而れども紂念う可く聽く可き者無し。五年とは、必ず實を指して言うこと有らん。孔氏歲月を牽合する者は是に非ず。或ひと曰く、狂にして克く念わば、果たして聖と爲る可けんや。曰く、聖は固に爲り易からず。狂にして克く念わば、則ち聖と作るの功、向かう所の方を知る。太甲其れ庶幾し。聖にして念うこと罔くば、果たして狂に至らんや。曰く、聖は固に所謂念うこと罔きこと無けん。禹が舜を戒めて曰く、丹朱が傲り、惟れ慢遊是れ好むが若きこと無かれ、と。一念の差未だ狂に至らざると雖も、而れども狂の理も亦是に在り。此れ人心惟れ危うし。聖人拳拳として告げ戒む。豈意無からんや。

△天惟求爾多方、大動以威、開厥顧天。惟爾多方、罔堪顧之。紂旣罔可念聽。天於是求民主於爾多方、大警動以祲祥譴告之威、以開發其能受眷顧之命者。而爾多方之衆、皆不足以堪眷顧之命也。
【読み】
△天惟れ爾多方に求めて、大いに動かすに威を以てし、厥の天を顧みるを開く。惟れ爾多方、之を顧みるに堪うること罔し。紂旣に念い聽く可きこと罔し。天是に於て民の主を爾多方に求めて、大いに警め動かすに祲祥[しんしょう]譴告の威を以てして、以て其の能く眷顧の命を受くる者を開發す。而して爾多方の衆、皆以て眷顧の命に堪うるに足らず、と。

△惟我周王、靈承于旅、克堪用德。惟典神天。天惟式敎我用休、簡畀殷命、尹爾多方。典、主。式、用也。克堪者、能勝之謂也。德輶如毛。民鮮克舉之。言德舉者、莫能勝也。文武善承其衆、克堪用德、是誠可以爲神天之主矣。故天式敎文武、用以休美。簡擇畀付殷命、以正爾多方也。呂氏曰、式敎用休者、如之何而敎之也。文武旣得乎天、天德日新、左右逢原。其思也若或起之、其行也若或翼之。乃天之所以敎、而用以昌大休明者也。非諄諄然而敎之也。此章深論天下。向者天命未定、眷求民主之時、能者則得之。孰有遏汝者。乃無一能當天之眷。今天旣命我周、而定于一矣。爾猶洶洶不靖、欲何爲耶。明指天命、而讋服四海姦雄之心者、莫切於是。
【読み】
△惟れ我が周王、靈[よ]く旅々[もろもろ]を承けて、克く德を用ゆるに堪えたり。惟れ神天を典る。天惟れ式[もっ]て我に敎ゆるに休[よ]きを用てし、殷の命を簡[えら]び畀[あた]えて、爾多方を尹たらしむ。典は、主る。式は、用てなり。克く堪うとは、能く勝うの謂なり。德の輶きこと毛の如し。民克く之を舉ぐること鮮し、と。言うこころは、德舉ぐる者、能く勝うること莫し。文武善く其の衆々を承けて、克く德を用うるに堪うる、是れ誠に以て神天の主と爲す可し。故に天式て文武を敎ゆるに、用て休美を以てす。簡び擇びて殷の命を畀え付して、以て爾多方を正すなり。呂氏が曰く、式て敎ゆるに休きを用てすとは、如何にして之を敎ゆるや。文武旣に天に得て、天の德日々に新たに、左右[たす]けて原に逢う。其の思うこと之を起こすこと或るが若く、其の行うこと之を翼[たす]くこと或るが若し。乃ち天の敎ゆる所以にして、用て以て昌大休明なる者なり。諄諄然として之を敎ゆるに非ず、と。此の章深く天下を論ず。向[さき]の者は天命未だ定まらず、民の主を眷み求むるの時にて、能者は則ち之を得ん。孰か汝を遏むる者有らん。乃ち一つも能く天の眷みるに當たること無し。今天旣に我が周に命じて、一つに定む。爾猶洶洶[きょうきょう]として靖からざるがごとき、何をせんと欲するや。明らかに天命を指して、四海姦雄の心を讋服[しょうふく]する者、是より切なるは莫し。

△今我曷敢多誥。我惟大降爾四國民命。言今我何敢如此多誥。我惟大降宥爾四國民命。舉其宥過之恩、而責其遷善之實也。
【読み】
△今我れ曷ぞ敢えて多く誥げんや。我れ惟れ大いに爾四國の民命を降せり。言うこころは、今我れ何ぞ敢えて此の如く多く誥げんや。我れ惟れ大いに爾四國の民命を降し宥む。其の過を宥むるの恩を舉げて、其の善に遷るの實を責むるなり。

△爾曷不忱裕之于爾多方。爾曷不夾介乂我周王享天之命。今爾尙宅爾宅、畋爾田。爾曷不惠王煕天之命。夾、訖洽反。○夾、夾輔之夾。介、賓介之介。爾何不誠信寛裕於爾之多方乎。爾何不夾輔介助我周王享天之命乎。爾之叛亂、據法定罪、則瀦其宅、收其田可也。今爾猶得居爾宅、耕爾田。爾何不順我王室、各守爾典、以廣天命乎。此三節、責其何不如此也。
【読み】
△爾曷ぞ之を爾の多方に忱[まこと]とし裕かにせざらんや。爾曷ぞ夾み介けて我が周王の天の命を享けたるを乂[おさ]めざるや。今爾尙爾の宅に宅り、爾の田を畋[たづく]る。爾曷ぞ王に惠[したが]いて天の命を煕[ひろ]めざるや。夾は、訖洽反。○夾は、夾輔の夾。介は、賓介の介。爾何ぞ爾の多方に誠信寛裕ならざるや。爾何ぞ我が周王の天の命を享けたるを夾輔介助せざるや。爾の叛き亂るは、法に據り罪を定めて、則ち其の宅を瀦[みずた]め、其の田を收むるは可なり。今爾猶爾の宅に居り、爾の田を耕すことを得。爾何ぞ我が王室に順い、各々爾の典を守り、以て天命を廣めざるや、と。此の三節は、其の何ぞ此の如くならざるかを責むるなり。

△爾乃迪屢不靜、爾心未愛、爾乃不大宅天命、爾乃屑播天命。爾乃自作不典、圖忱于正。爾乃屢蹈不靜、自取亡滅。爾心其未知所以自愛耶。爾乃大不安天命耶。爾乃輕棄天命耶。爾乃自爲不法、欲圖見信于正者、以爲當然耶。此四節、責其不可如此也。
【読み】
△爾乃ち迪[ふ]むこと屢々靜かならず、爾の心未だ愛せず、爾乃ち大いに天命に宅らず、爾乃ち天命を屑[あなど]り播[す]つ。爾乃ち自ら典あらざるを作して、正しきに忱とせられんことを圖らんや。爾乃ち屢々蹈んで靜かならず、自ら亡滅を取る。爾の心其れ未だ自ら愛する所以を知らざるか。爾乃ち大いに天命に安んぜざるか。爾乃ち輕々しく天の命を棄つるか。爾乃ち自ら不法を爲して、圖りて正しき者に信ぜられ、以て當然とせんと欲するか、と。此の四節は、其の此の如くす可からざることを責むるなり。

△我惟時其敎告之。我惟時其戰要囚之。至于再、至于三。乃有不用我降爾命、我乃其大罰殛之。非我有周秉德不康寧。乃惟爾自速辜。我惟是敎告而誨諭之。我惟是戒懼而要囚之。今至于再、至于三矣。爾不用我降宥爾命、而猶狃於叛亂反覆。我乃其大罰殛殺之。非我有周持德不安靜。乃惟爾自爲凶逆以速其罪爾。
【読み】
△我れ惟れ時[こ]れ其れ敎えて之を告ぐ。我れ惟れ時れ其れ戰[おのの]かし要めて之を囚う。再びに至り、三たびに至る。乃ち我が爾の命を降すことを用いざること有らば、我れ乃ち其れ大いに之を罰し殛[ころ]さん。我が有周の德を秉れること康く寧からざるには非ず。乃ち惟れ爾自ら辜を速[まね]けるなり、と。我れ惟れ是れ敎え告げて之を誨え諭す。我れ惟れ是れ戒め懼れて之を要囚す。今再びに至り、三たびに至る。爾我が爾の命を降し宥むるを用いずして、猶叛亂反覆を狃[なら]う。我れ乃ち其れ大いに罰殛[ばっきょく]して之を殺さん。我が有周德を持ちて安靜ならざるに非ず。乃ち惟れ爾自ら凶逆を爲して以て其の罪を速くのみ、と。

△王曰、嗚呼猷告爾有方多士、曁殷多士。今爾奔走、臣我監五祀。監、監洛邑之遷民者也。猶諸侯之分民有君道焉。所以謂之臣我監也。言商士遷洛、奔走臣服我監、於今五年矣。不曰年而曰祀者、因商俗而言也。又按成周旣成、而成王卽政。成王卽政、而商奄繼叛。事皆相因、纔一二年耳。今言五祀、則商民之遷、固在作洛之前矣、尤爲明驗。
【読み】
△王曰く、嗚呼猷[ああ]爾有方の多士、曁び殷の多士に告ぐ。今爾奔り走りて、我が監に臣たること五祀なり。監は、洛邑の遷る民を監する者なり。猶諸侯の民を分かちて君の道有るがごとし。之を我が監に臣たると謂う所以なり。言うこころは、商の士の洛に遷る、奔走して我が監に臣服すること、今に於て五年なり。年と曰わずして祀と曰うは、商の俗に因りて言えり。又按ずるに成周旣に成りて、成王政に卽く。成王政に卽いて、商奄繼いで叛く。事皆相因ること、纔に一二年なるのみ。今五祀と言わば、則ち商の民の遷ること、固に洛を作るの前に在ること、尤も明驗爲り。

△越惟有胥・伯、小大多正。爾罔不克臬。臬、事也。周官多以胥以伯以正爲名。胥・伯、小大衆多之、蓋殷多士授職於洛、共長治遷民者也。其奔走臣我監亦久矣。宜相體悉。竭力其職、無或反側偸惰而不能事也。
【読み】
△越[ここ]に惟れ胥・伯、小大多くの正有り。爾臬[こと]を克くせざること罔かれ。臬[げつ]は、事なり。周官多く胥を以て伯を以て正を以て名とす。胥・伯、小大衆多のは、蓋し殷の多士の職を洛に授かる、共に遷れる民を治むるに長ぜる者なり。其の奔走して我が監に臣たること亦久し。宜しく相體し悉[つ]くすべし。力を其の職に竭くして、反側偸惰して事を能くせざること或ること無かれ、と。

△自作不和、爾惟和哉。爾室不睦、爾惟和哉。爾邑克明、爾惟克勤乃事。心不安靜、則身不和順矣。身不安靜、則家不和順矣。言爾惟和哉者、所以勸勉之也。和其身、睦其家、而後能協于其邑、驩然有恩以相愛、粲然有文以相接。爾邑克明、始爲不負其職。而可謂克勤乃事矣。前旣戒以罔不克臬。故以克勤乃事期之也。
【読み】
△自ら作すこと和らがず、爾惟れ和らげよや。爾の室睦まじからず、爾惟れ和らげよや。爾の邑克く明らかにして、爾惟れ克く乃の事を勤めよ。心安靜ならざるときは、則ち身和順ならず。身安靜ならざるときは、則ち家和順ならず。言うこころは、爾惟れ和らげよとは、之を勸め勉むる所以なり。其の身を和らげ、其の家を睦まじくして、而して後に能く其の邑を協え、驩然として恩有りて以て相愛し、粲然として文有りて以て相接す。爾の邑克く明らかにして、始めて其の職に負けずとす。而して謂う可し、克く乃の事を勤む、と。前に旣に戒むるに臬[こと]を克くせざること罔かれを以てす。故に克く乃の事を勤むるを以て之を期すなり。

△爾尙不忌于凶德。亦則以穆穆在乃位、克閱于乃邑謀介。忌、畏也。穆穆、和敬貌。頑民誠可畏矣。然如上文所言。爾多士庶幾不至畏忌頑民凶德。亦則以穆穆和敬、端處爾位、以潛消其悍逆悖戾之氣、又能簡閱爾邑之賢者、以謀其助、則民之頑者、且革而化矣。尙何可畏之有哉。成王誘掖商士之善、以化服商民之惡。其轉移感動之機、微矣哉。
【読み】
△爾尙わくは凶德を忌まざらんことを。亦則ち穆穆を以て乃の位に在りて、克く乃の邑を閱[み]て介けを謀れ。忌は、畏るるなり。穆穆は、和敬の貌。頑民は誠に畏る可し。然れども上の文に言う所の如し。爾多士庶幾わくは頑民の凶德を畏れ忌むに至らざれ。亦則ち穆穆和敬を以て、端[ただ]しく爾の位に處りて、以て其の悍逆悖戾の氣を潛消して、又能く爾の邑の賢者を簡[えら]び閱て、以て其の助けを謀るときは、則ち民の頑なる者、且つ革めて化す。尙何の畏る可きことか之れ有らんや。成王商士の善を誘掖して、以て商民の惡を化服す。其の轉移感動の機、微なるかな。

△爾乃自時洛邑、尙永力畋爾田。天惟畀矜爾。我有周惟其大介賚爾。迪簡在王庭。尙爾事有服在大僚。爾乃自時洛邑、庶幾可以保有其業、力畋爾田。天亦將畀予矜憐於爾。我有周亦將大介助賚錫於爾。啓迪簡拔、置之王朝矣。其庶幾勉爾之事、有服在大僚、不難至也。多士篇、商民嘗以夏迪簡在王庭、有服在百僚爲言。故此因以勸勵之也。
【読み】
△爾乃ち時[こ]の洛邑より、尙わくは永く力めて爾の田を畋[たづく]らんことを。天惟れ畀[あた]えて爾を矜[あわ]れまん。我が有周惟れ其れ大いに介けて爾に賚[たまもの]せん。迪[みちび]き簡[えら]びて王庭に在らん。尙わくは爾の事服[つ]くこと有りて大僚に在らんことを、と。爾乃ち時の洛邑より、庶幾わくは以て其の業を保ち有ちて、力めて爾の田を畋る可し。天も亦將に畀え予えて爾を矜れみ憐れまんとす。我が有周も亦將に大いに介け助けて爾に賚い錫わんとす。啓き迪き簡び拔いて、之を王朝に置かん。其れ庶幾わくは爾の事を勉め、服くこと有りて大僚に在ること、至り難からず、と。多士の篇に、商民嘗て夏迪き簡びて王庭に在り、服くこと有りて百僚に在りを以て言を爲す。故に此に因りて以て之を勸め勵ますなり。

△王曰、嗚呼多士、爾不克勸忱我命、爾亦則惟不克享、凡民惟曰不享。爾乃惟逸惟頗、大遠王命、則惟爾多方、探天之威。我則致天之罰、離逖爾土。誥告將終、乃歎息言、爾多士、如不能相勸信我之誥命、爾亦則惟不能享上、凡爾之民亦惟曰、上不必享矣。爾乃放逸頗僻、大違我命、則惟爾多士自取天威。我亦致天之罰播流蕩析、俾爾離遠爾土矣。爾雖欲宅爾宅畋爾田、尙可得哉。多方疑當作多士。上章旣勸之以休、此章則董之以威。商民不惟有所慕而不敢違越、且有所畏而不敢違越矣。
【読み】
△王曰く、嗚呼多士、爾我が命を勸め忱[まこと]とすること克わずんば、爾亦則ち惟れ享くること克わず、凡その民惟れ享けずと曰わん。爾乃ち惟れ逸んじ惟れ頗[ひが]みて、大いに王命に遠[さか]らば、則ち惟れ爾多方、天の威を探[と]らん。我れ則ち天の罰を致して、爾の土を離ち逖[さ]けん、と。誥告將に終わらんとし、乃ち歎息して言く、爾多士、如し相勸めて我が誥命を信ずること能わずんば、爾も亦則ち惟れ上に享くること能わず、凡そ爾の民も亦惟れ曰く、上必ず享けず、と。爾乃ち放逸頗僻にして、大いに我が命に違うときは、則ち惟れ爾多士自ら天威を取る。我も亦天の罰を致して播流蕩析して、爾をして爾の土を離ち遠ざけん。爾爾の宅に宅り爾の田を畋らんと欲すと雖も、尙得可けんや、と。多方疑うらくは當に多士に作るべし。上の章は旣に之を勸むるに休きを以てし、此の章は則ち之を董[ただ]すに威を以てす。商の民惟れ慕う所有りて敢えて違越せざるにあらず、且つ畏るる所有りて敢えて違越せざるなり。

△王曰、我不惟多誥。我惟祗告爾命。我豈若是多言哉。我惟敬告爾、以上文勸勉之命而已。
【読み】
△王曰く、我れ惟れ多く誥ぐるにあらず。我れ惟れ祗みて爾の命を告ぐ、と。我豈是の若く多言せんや。我れ惟れ敬みて爾に告ぐるに、上の文の勸め勉むるの命を以てするのみ、と。

△又曰、時惟爾初、不克敬于和、則無我怨。與之更始。故曰、時惟爾初也。爾民至此、苟又不能敬于和、猶復乖亂、則自厎誅戮、毋我怨尤矣。開其爲善、禁其爲惡。周家忠厚之意、於是篇尤爲可見。○呂氏曰、又曰二字、所以形容周公之惓惓斯民。命已畢而猶有餘情、誥已終而猶有餘語。顧盻之光、猶曄然溢於簡册也。
【読み】
△又曰く、時[こ]れ惟れ爾の初め、和を敬むこと克わずんば、則ち我を怨むこと無かれ、と。之を與えて始めを更めしむ。故に曰く、時れ惟れ爾の初め、と。爾民此に至りて、苟も又和を敬むこと能わず、猶復乖き亂るときは、則ち自ら誅戮を厎して、我を怨み尤[うら]むこと毋かれ、と。其の善を爲すことを開き、其の惡を爲すことを禁ず。周家忠厚の意、是の篇に於て尤も見る可しとす。○呂氏が曰く、又曰の二字は、周公の斯の民を惓惓するを形容する所以なり、と。命已に畢わりて猶餘情有り、誥已に終わりて猶餘語有り。顧盻[こけい]の光、猶曄然[ようぜん]として簡册に溢る。


立政 吳氏曰、此書戒成王、以任用賢才之道。而其旨意、則又上戒成王專擇百官・有司之長。如所謂常伯・常任・準人等云者、蓋古者外之諸侯、一卿已命於君。内之卿大夫、則亦自擇其屬。如周公以蔡仲爲卿士、伯冏謹簡乃僚之類。其長旣賢、則其所舉用、無不賢者矣。葛氏曰、誥體也。今文古文皆有。
【読み】
立政[りっせい] 吳氏が曰く、此の書は成王を戒むるに、賢才を任用するの道を以てす。而して其の旨意は、則ち又上は成王專ら百官・有司の長を擇ばんことを戒む。所謂常伯・常任・準人等と云える者の如きは、蓋し古は外の諸侯にて、一卿も已に君に命ぜらる。内の卿大夫は、則ち亦自ら其の屬を擇ぶ。周公が蔡仲を以て卿士とし、伯冏[はくけい]謹みて乃の僚を簡ぶの類の如し。其の長旣に賢なるときは、則ち其の舉げ用ゆる所、賢ならざる者無し、と。葛氏が曰く、誥の體なり、と。今文古文皆有り。


周公若曰、拜手稽首、告嗣天子王矣。用咸戒于王曰、王左右常伯・常任・準人・綴衣・虎賁、周公曰、嗚呼休茲、知恤鮮哉。綴、朱衛下劣二反。賁、音奔。○此篇周公所作、而記之者、周史也。故稱若曰。言周公帥羣臣進戒于王、贊之曰、拜手稽首、告嗣天子王矣。羣臣用皆進戒曰、王左右之臣、有牧民之長、曰常伯、有任事之公卿、曰常任、有守法之有司、曰準人。三事之外、掌服器者、曰綴衣、執射御者、曰虎賁。皆任用之所當謹者。周公於是歎息言曰、美矣此官。然知憂恤者鮮矣。言五等官職之美、而知憂其得人者少也。吳氏曰、綴衣・虎賁、近臣之長也。葛氏曰、綴衣、周禮司服之類。虎賁、周禮之虎賁氏也。
【読み】
周公若[か]く曰く、拜手稽首して、嗣天子王に告す。用て咸王を戒めて曰く、王の左右の常伯・常任・準人・綴衣[ていい]・虎賁[こほん]、周公曰く、嗚呼休[よ]いかな茲れ、恤えを知れること鮮いかな。綴は、朱衛下劣二反。賁は、音奔。○此の篇は周公の作る所にして、之を記す者は、周の史なり。故に若く曰くと稱す。言うこころは、周公羣臣を帥いて進んで王を戒め、之を贊して曰く、拜手稽首して、嗣天子王に告す、と。羣臣用て皆進んで戒めて曰く、王の左右の臣、牧民の長有りて、常伯と曰い、事を任ずるの公卿有りて、常任と曰い、法を守るの有司有りて、準人と曰う。三事の外、服器を掌る者を、綴衣と曰い、射御を執る者を、虎賁と曰う。皆任用の當に謹むべき所の者なり。周公是に於て歎息して言いて曰く、美いかな此の官。然れども憂恤を知る者鮮し、と。言うこころは、五等官職の美にして、其の人を得んことを憂うることを知る者少なし。吳氏が曰く、綴衣・虎賁は、近臣の長、と。葛氏が曰く、綴衣は、周禮の司服の類。虎賁は、周禮の虎賁氏、と。

△古之人迪惟有夏、乃有室大競、籲俊尊上帝。迪知忱恂于九德之行、乃敢告敎厥后曰、拜手稽首后矣。曰、宅乃事、宅乃牧、宅乃準、茲惟后矣。謀面用丕訓德、則乃宅人、茲乃三宅無義民。恂、音荀。○古之人有行此道者、惟有夏之君。當王室大强之時、而求賢以爲事天之實也。迪知者、蹈知而非苟知也。忱恂者、誠信而非輕信也。言夏之臣、蹈知誠信于九德之行、乃敢告敎其君曰、拜手稽首后矣云者、致敬以尊其爲君之名也。曰、宅乃事、宅乃牧、宅乃準、茲惟后矣云者、致告以敍其爲君之實也。茲者、此也。言如此而後可以爲君也。卽皐陶與禹言九德之事。謀面者、謀人之面貌也。言非迪知忱恂于九德之行、而徒謀之面貌、用以爲大順於德、乃宅而任之。如此、則三宅之人、豈復有賢者乎。蘇氏曰、事則向所謂常任也。牧則向所謂常伯也。準則向所謂準人也。一篇之中、所論宅俊者、參差不齊。然大要不出是三者、其餘則皆小臣百執事也。吳氏曰、古者凡以善言語人、皆謂之敎。不必自上敎下、而後謂之敎也。
【読み】
△古の人迪[みち]ある惟れ有夏、乃ち室大いに競[こわ]きこと有り、俊[さか]しきを籲[よ]びて上帝を尊ぶ。九德の行を迪[ふ]み知り忱[まこと]に恂[まこと]として、乃ち敢えて厥の后に告げ敎えて曰く、拜手稽首して后たりとす、と。曰く、乃の事を宅[お]き、乃の牧を宅き、乃の準[のり]を宅いて、茲れ惟れ后たり。面[まのあたり]を謀りて用て丕いに德に訓[したが]うとして、則ち乃ち人を宅くときは、茲れ乃の三宅義民無きなり、と。恂[じゅん]は、音荀。○古の人此の道を行う者有り、惟れ有夏の君なり。王室大强の時に當たりて、賢を求めて以て天に事るの實をす。迪み知るとは、蹈み知りて苟[かりそめ]に知るに非ず。忱恂[しんじゅん]とは、誠に信にして輕々しく信ずるに非ず。言うこころは、夏の臣、蹈み知りて九德の行を誠に信にして、乃ち敢えて其の君に告げ敎えて曰く、拜手稽首して后たりとすと云うは、敬を致して以て其の君爲るの名を尊ぶなり。曰く、乃の事を宅き、乃の牧を宅き、乃の準を宅くは、茲れ惟れ后たりと云うは、告ぐるを致して以て其の君爲るの實を敍ずるなり。茲は、此なり。言うこころは、此の如くにして而して後に以て君爲る可し。卽ち皐陶と禹との九德の事を言うなり。面を謀るとは、人の面貌を謀るなり。言うこころは、迪み知りて九德の行を忱に恂にするに非ずして、徒に之れ面貌を謀りて、用いて以て大いに德に順うことをし、乃ち宅いて之に任ず。此の如きときは、則ち三宅の人、豈復賢者有らんや。蘇氏が曰く、事は則ち向[さき]に所謂常任なり。牧は則ち向に所謂常伯なり。準は則ち向に所謂準人なり。一篇の中、論ずる所の俊を宅く者、參差して齊しからず。然れども大要は是の三者に出でず、其の餘は則ち皆小臣百執事なり、と。吳氏が曰く、古は凡そ善言を以て人に語る、皆之を敎えと謂う。必ずしも上より下を敎えて、而して後に之に敎ゆと謂わず、と。

△桀德惟乃弗作往任。是惟暴德罔後。夏桀惡德、弗作往昔先王任用三宅、而所任者、乃惟暴德之人。故桀以喪亡無後。
【読み】
△桀が德は惟れ乃ち往[むかし]の任を作さず。是れ惟れ暴德にして後罔し。夏の桀惡德にして、往昔の先王の任じ用ゆる三宅を作さずして、任ずる所の者は、乃ち惟れ暴德の人なり。故に桀以て喪び亡びて後無し、と。

△亦越成湯、陟丕釐上帝之耿命、乃用三有宅、克卽宅。曰、三有俊克卽俊。嚴惟丕式。克用三宅・三俊。其在商邑、用協于厥邑。其在四方、用丕式見德。亦越者、繼前之辭也。耿、光也。湯自七十里升爲天子、典禮命討、昭著於天下。所謂陟丕釐上帝之光命也。三宅、謂居常伯・常任・準人之位者。三俊、謂有常伯・常任・準人之才者。克卽者、言湯所用三宅、實能就是位、而不曠其職、所稱三俊、實能就是德、而不浮其名也。三俊、說者謂、他日次補三宅者。詳宅以位言、俊以德言、意其儲養待用、或如說者所云也。惟、思。式、法也。湯於三宅・三俊、嚴思而丕法之。故能盡其宅俊之用、而宅者得以效其職、俊者得以著其才。賢智奮庸、登于至治。其在商邑、用協于厥邑、近者察之詳、其情未易齊。畿甸之協、則純之至也。其在四方、用丕式見德。遠者及之難。其德未易徧。觀法之同、則大之至也。至純至大、治道無餘蘊矣。曰邑曰四方者、各極其遠近而言耳。
【読み】
△亦成湯に越[おい]て、陟[のぼ]りて丕いに上帝の耿命[こうめい]を釐[おさ]めて、乃ち三有宅を用て、克く卽いて宅く。曰く、三有俊克く卽いて俊[さか]し。嚴かに惟[おも]いて丕いに式[のり]とる。克く三宅・三俊を用ゆ。其れ商邑に在[おい]て、用て厥の邑を協[やわ]らぐ。其れ四方に在て、用て丕いに式として德を見す、と。亦越とは、前に繼ぐの辭なり。耿は、光なり。湯は七十里より升りて天子と爲り、典禮命討、天下に昭著なり。所謂陟りて丕いに上帝の光命を釐むるなり。三宅とは、常伯・常任・準人の位に居る者を謂う。三俊とは、常伯・常任・準人の才有る者を謂う。克く卽くとは、言うこころは、湯の用ゆる所の三宅は、實に能く是の位に就きて、其の職を曠[むな]しくせず、稱する所の三俊は、實に能く是の德に就いて、其の名を浮かせざるなり。三俊は、說者謂く、他日三宅を次いで補う者なり、と。宅は位を以て言い、俊は德を以て言うを詳らかにし、其の儲養待用を意うに、或は說者云う所の如くならん。惟は、思う。式は、法なり。湯の三宅・三俊に於る、嚴かに思いて丕いに之に法とる。故に能く其の宅俊の用を盡くして、宅る者以て其の職を效[いた]すことを得、俊なる者は以て其の才を著すことを得。賢智奮い庸いられて、至治に登らん。其れ商邑に在りて、用て厥の邑を協[ととの]え、近き者之を察すること詳らかにして、其の情未だ齊し易からず。畿甸[きでん]の協えるは、則ち純の至りなり。其れ四方に在りて、用て丕いに式として德を見す。遠き者之に及ぼすこと難し。其の德未だ徧し易からず。觀法の同じきときは、則ち大の至りなり。至純至大、治道餘蘊無し。邑と曰い四方と曰うは、各々其の遠近を極めて言うのみ。

△嗚呼其在受德暋。惟羞刑暴德之人、同于厥邦、乃惟庶習逸德之人、同于厥政。帝欽罰之、乃伻我有夏、式商受命、奄甸萬姓。暋、音敏。奄、衣檢反。○羞刑、進任刑戮者也。庶習、備諸衆醜者也。言紂德强暴、又所與共國者、惟羞刑暴德之諸侯、所與共政者、惟庶習逸德之臣下。上帝敬致其罰、乃使我周有此諸夏、用商所受之命、而奄甸萬姓焉。甸者、井牧其地、什伍其民也。
【読み】
△嗚呼其れ受に在[おい]て德暋[つよ]し。惟れ羞刑暴德の人、厥の邦を同じくし、乃ち惟れ庶習逸德の人、厥の政を同じくす。帝欽みて之を罰し、乃ち我をして夏を有たしめ、商の受けたる命を式[もっ]て、奄[ことごと]く萬姓を甸[おさ]めしむ。暋[びん]は、音敏。奄は、衣檢反。○羞刑は、刑戮を進め任ずる者なり。庶習は、諸々の衆醜を備うる者なり。言うこころは、紂の德强暴にして、又國を與に共にする所の者は、惟れ羞刑暴德の諸侯、政を與に共にする所の者は、惟れ庶習逸德の臣下なり。上帝敬みて其の罰を致して、乃ち我が周をして此の諸夏を有たしめ、商の受けたる所の命を用て、奄く萬姓を甸めしむ。甸[でん]とは、其の地を井牧し、其の民を什伍にするなり。

△亦越文王・武王、克知三有宅心、灼見三有俊心、以敬事上帝、立民長伯。三宅・三俊、文武克知灼見。皆曰心者、卽所謂迪知忱恂而非謀面也。三宅已授之位。故曰克知。三俊、未任以事。故曰灼見。以是敬事上帝、則天職修而上有所承。以是立民長伯、則體統立而下有所寄。人君位天人之兩閒、而俯仰無怍者、以是也。夏之尊帝、商之丕釐、周之敬事、其義一也。長、如王制所謂五國以爲屬、屬有長。伯、如王制所謂二百一十國以爲州、州有伯、是也。
【読み】
△亦文王・武王に越[おい]て、克く三有宅の心を知り、灼[あき]らかに三有俊の心を見て、以て敬みて上帝に事りて、民の長伯を立つ。三宅・三俊、文武克く知り灼らかに見る。皆心と曰うは、卽ち所謂迪[ふ]み知り忱恂[しんじゅん]して面[まのあたり]を謀るに非ず。三宅已に之に位を授く。故に克く知ると曰う。三俊、未だ任ずるに事を以てせず。故に灼らかに見ると曰う。是を以て敬みて上帝に事るときは、則ち天職修まりて上承くる所有り。是を以て民の長伯を立つるときは、則ち體統立ちて下寄る所有り。人君天人の兩閒に位して、俯仰して怍ずること無き者は、是を以てなり。夏の帝を尊び、商の丕いに釐[おさ]め、周の事を敬むこと、其の義一なり。長は、王制に所謂五國以て屬と爲して、屬に長有るが如し。伯は、王制に所謂二百一十國を以て州と爲して、州に伯有るが如き、是れなり。

△立政任人・準夫・牧、作三事。言文武立政、三宅之官也。任人、常任也。準夫、準人也。牧、常伯也。以職言。故曰事。
【読み】
△政を立つる任人・準夫・牧、三事を作す。言うこころは、文武の政を立つるは、三宅の官なり。任人は、常任なり。準夫は、準人なり。牧は、常伯なり。職を以て言う。故に事と曰う。

△虎賁・綴衣・趣馬・小尹・左右攜僕・百司・庶府、此侍御之官也。趣馬、掌馬之官。小尹、小官之長。攜僕、攜持僕御之人。百司、若司裘・司服。庶府、若内府・大府之屬也。
【読み】
△虎賁[こほん]・綴衣[ていい]・趣馬・小尹・左右の攜僕・百司・庶府、此れ侍御の官なり。趣馬は、馬を掌るの官。小尹は、小官の長。攜僕は、攜持僕御の人。百司は、司裘・司服の若し。庶府は、内府・大府の屬の若し。

△大都・小伯・藝人・表臣百司・太史・尹伯・庶常吉士、此都邑之官也。呂氏曰、大都・小伯者、謂大都之伯、小都之伯也。大都言都不言伯、小伯言伯不言都、互見之也。藝人者、卜祝筮匠、執技以事上者。表臣百司、表、外也。表、對裏之詞。上文百司、蓋内百官。若内府内司服之屬、所謂裏臣也。此百司、蓋外百司。若外府外司服之屬、所謂表臣也。太史者、史官也。尹伯者、有司之長。如庖人・内饔・膳夫、則是數尹之伯也。鐘師尹鐘、磬師尹磬。太師司樂、則是數尹之伯也。凡所謂官吏、莫不在内外百司之中。至於特見其名者、則皆有意焉。虎賁・綴衣・趣馬・小尹・左右攜僕、以扈衛親近而見。庶府、以冗賤人所易忽而見。藝人、恐其或興淫巧機詐、以蕩上心而見。太史、以奉諱惡、公天下後世之是非而見。尹伯、以大小相維、體統所係而見。若大都・小伯、則分治郊畿、不預百司之數者。旣條陳歷數文武之衆職、而總結之曰、庶常吉士。庶、衆也。言在文武之廷、無非常德吉士也。
【読み】
△大都・小伯・藝人・表臣の百司・太史・尹伯・庶々の常ある吉士、此れ都邑の官なり。呂氏が曰く、大都・小伯とは、大都の伯、小都の伯を謂う。大都に都を言いて伯を言わず、小伯に伯を言いて都を言わざるは、互いに之を見すなり。藝人とは、卜祝筮匠、技を執りて以て上に事る者なり。表臣の百司とは、表は、外なり。表は、裏に對するの詞なり。上の文の百司は、蓋し内の百官なり。内府の内司服の屬の若きは、所謂裏臣なり。此の百司は、蓋し外の百司なり。外府の外司服の屬の若きは、所謂表臣なり。太史とは、史官なり。尹伯は、有司の長。庖人・内饔・膳夫の如きは、則ち是れ數尹の伯なり。鐘師は鐘に尹たり、磬師は磬に尹たり。太師樂を司るときは、則ち是れ數尹の伯なり。凡そ所謂官吏は、内外百司の中に在らざること莫し。特に其の名を見す者に至りては、則ち皆意有り。虎賁・綴衣・趣馬・小尹・左右の攜僕は、扈衛親近なるを以て見す。庶府は、冗賤の人は忽にし易き所を以て見す。藝人は、其の或は淫巧機詐を興して、以て上の心を蕩[うご]かさんことを恐れて見す。太史は、諱惡を奉じ、天下後世の是非を公にするを以て見す。尹伯は、大小相維ぎ、體統の係る所を以て見す。大都・小伯の若きは、則ち郊畿を分かち治めて、百司の數に預らざる者なり、と。旣に文武の衆職を條陳歷數して、總べて之を結びて曰く、庶々の常ある吉士、と。庶は、衆なり。言うこころは、文武の廷に在るは、常德の吉士に非ざること無し。

△司徒・司馬・司空・亞旅、此諸侯之官也。司徒、主邦敎。司馬、主邦政。司空、主邦土。餘見牧誓。言諸侯之官、莫不得人也。諸侯之官獨舉此者、以其名位通於天子歟。
【読み】
△司徒・司馬・司空・亞旅、此れ諸侯の官なり。司徒は、邦敎を主る。司馬は、邦政を主る。司空は、邦土を主る。餘は牧誓に見えたり。言うこころは、諸侯の官は、人を得ざること莫し。諸侯の官獨り此を舉ぐるは、其の名位天子に通ずるを以てか。

△夷微・盧烝・三亳、阪尹。此王官之監於諸侯四夷者也。微・盧、見經。亳、見史。三亳、蒙爲北亳、穀熟爲南亳、偃師爲西亳。烝、或以爲衆、或以爲夷名。阪、未詳。古者險危之地封疆之守、或不以封、而使王官治之、參錯於五服之閒。是之謂尹。地志載王官所治非一。此特舉其重者耳。自諸侯三卿以降、惟列官名、而無他語。承上庶常吉士之文、以内見外也。夫上自王朝、内而都邑、外而諸侯、遠而夷狄、莫不皆得人以爲官使。何其盛歟。
【読み】
△夷微・盧烝・三亳[はく]、阪の尹あり。此れ王官の諸侯四夷を監る者なり。微・盧は、經に見えたり。亳は、史に見えたり。三亳は、蒙は北亳爲り、穀熟は南亳爲り、偃師は西亳爲り。烝は、或は以て衆とし、或は以て夷の名とす。阪は、未だ詳らかならず。古は險危の地の封疆の守、或は以て封ぜずして、王官をして之を治めしめて、五服の閒に參え錯[お]く。是を之れ尹と謂う。地志に載す王官の治むる所は一に非ず。此れ特に其の重き者を舉ぐるのみ。諸侯の三卿より以降、惟れ官の名を列ねて、他語無し。上の庶々の常ある吉士の文を承けて、内を以て外を見すなり。夫れ上王朝より、内にして都邑、外にして諸侯、遠くして夷狄、皆人を得て以て官使とせざること莫し。何ぞ其れ盛んなるや。

△文王惟克厥宅心、乃克立茲常事・司牧人、以克俊有德。文王惟能其三宅之心。能者、能之也。知之至、信之篤之謂。故能立此常任・常伯、用能俊有德也。不言準人者、因上章言文王用人、而申克知三有宅心之說、故略之也。
【読み】
△文王惟れ厥の宅く心を克くし、乃ち克く茲の常事・司牧の人を立てて、以て俊有德を克くす。文王惟れ其の三宅の心を能くす。能くすとは、之を能くするなり。知ることの至り、信ずることの篤きの謂なり。故に能く此の常任・常伯を立てて、用て俊有德を能くするなり。準人を言わざるは、上の章に文王人を用て、申ねて克く三有宅の心を知るの說を言うに因りて、故に之を略すなり。

△文王罔攸兼于庶言・庶獄・庶愼。惟有司之牧夫、是訓用違。庶言、號令也。庶獄、獄訟也。庶愼、國之禁戒儲備也。有司、有職主者。牧夫、牧人也。文王不敢下侵庶職、惟於有司牧夫、訓勑用命及違命者而已。漢孔氏曰、勞於求才、逸於任賢。
【読み】
△文王庶言・庶獄・庶愼を兼ねたる攸罔し。惟れ有司の牧夫、是れ用ゆると違うとに訓ゆ。庶言は、號令なり。庶獄は、獄訟なり。庶愼は、國の禁戒儲備なり。有司は、職主有る者。牧夫は、牧人なり。文王敢えて庶職を下し侵さず、惟れ有司の牧夫に於て、命を用い及び命に違える者に訓勑するのみ。漢の孔氏が曰く、才を求むるに勞し、賢を任ずるに逸んず、と。

△庶獄・庶愼、文王罔敢知于茲。上言罔攸兼、則猶知之。特不兼其事耳。至此罔敢知。則若未嘗知有其事。蓋信任之益專也。上言庶言、此不及者、號令出於君。有不容不知者故也。呂氏曰、不曰罔知于茲、而曰罔敢知于茲者、徒言罔知、則是莊老之無爲也。惟言罔敢知、然後見文王敬畏、思不出位之意。毫釐之辨、學者宜精察之。
【読み】
△庶獄・庶愼、文王敢えて茲を知ること罔し。上に兼ねたる攸罔しと言うは、則ち猶之を知るがごとし。特に其の事を兼ねざるのみ。此に至りては敢えて知ること罔きなり。則ち未だ嘗て其の事有るを知らざるが若し。蓋し信任の益々專らなるなり。上に庶言と言いて、此に及ばざるは、號令は君より出づ。知らずんばある容からざる者有るが故なり。呂氏が曰く、茲を知ること罔しと曰わずして、敢えて茲を知ること罔しと曰う者は、徒に知ること罔しと言うときは、則ち是れ莊老の無爲なり。惟れ敢えて知ること罔しと言いて、然して後に文王の敬み畏れて、思うこと位を出でずの意を見る。毫釐の辨、學者宜しく之を精察すべし、と。

△亦越武王、率惟敉功、不敢替厥義德、率惟謀從容德、以竝受此丕丕基。率、循也。敉功、安天下之功。義德、義德之人。容德、容德之人。蓋義德者、有撥亂反正之才。容德者、有休休樂善之量。皆成德之人也。周公上文言、武王率循文王之功、而不敢替其所用義德之人、率循文王之謀、而不敢違其容德之士。意如虢叔・閎夭・散宜生・泰顚・南宮括之徒、所以輔成王業者。文用之於前、武任之於後。故周公於君奭言、五臣克昭文王受有殷命、武王惟茲四人、尙迪有祿。正猶此敍文武用人、而言竝受此丕丕基也。
【読み】
△亦武王に越[おい]て、惟の敉[やす]んずる功に率いて、敢えて厥の義德を替[す]てず、率いて惟れ謀りて容德に從いて、以て竝びに此の丕丕たる基を受けたり。率は、循うなり。敉功[びこう]は、天下を安んずるの功なり。義德は、義德の人。容德は、容德の人なり。蓋し義德は、撥亂反正の才有り。容德は、休休として善を樂しむの量有り。皆成德の人なり。周公上の文に言く、武王文王の功に率い循いて、敢えて其の用ゆる所の義德の人を替てず、文王の謀に率い循いて、敢えて其の容德の士に違わず、と。意うに、虢叔[かくしゅく]・閎夭[こうよう]・散宜生・泰顚・南宮括の徒の如き、成王の業を輔くる所以の者なり。文は之を前に用い、武は之を後に任ず。故に周公君奭に於て言く、五臣克く文王を昭らかにし、有殷の命を受け、武王惟れ茲の四人、尙[こいねが]いて祿を迪み有つ、と。正に猶此に文武の人を用ゆることを敍で、而して竝びに此の丕丕たる基を受くることを言うがごとし。

△嗚呼孺子王矣。繼自今、我其立政立事。準人・牧夫、我其克灼知厥若。丕乃俾亂、相我受民、和我庶・獄庶愼、時則勿有閒之。我者、指王而言。若、順也。周公旣述文武基業之大、歎息而言曰、孺子今旣爲王矣。繼此以往、王其於立政・立事、準人・牧夫之任、當能明知其所順。順者、其心之安也。孔子曰、察其所安、人焉廋哉。察其所順者、知人之要也。夫旣明知其所順、果正而不他。然後推心而大委任之、使展布四體以爲治、相助左右所受民、和調均齊獄愼之事、而又戒其勿以小人閒之、使得終始其治。此任人之要也。民而謂之受者、言民者乃受之於天、受之於祖宗。非成王之所自有也。
【読み】
△嗚呼孺子王たり。今より繼いで、我れ其れ政を立て事を立つ。準人・牧夫、我れ其れ克く灼[あき]らかに厥の若[したが]うことを知れり。丕いに乃ち亂[おさ]めしめて、我が受けたる民を相けて、我が庶獄・庶愼を和らげ、時[こ]れ則ち之を閒つること有る勿かれ。我は、王を指して言う。若は、順うなり。周公旣に文武の基業の大いなるを述べて、歎息して言いて曰く、孺子今旣に王爲り。此を繼いで以往、王其れ立政・立事、準人・牧夫の任に於て、當に能く明らかに其の順う所を知るべし、と。順うとは、其の心の安んずるなり。孔子曰く、其の安んずる所を察するときは、人焉んぞ廋[かく]さんや、と。其の順う所の者を察するは、人を知るの要なり。夫れ旣に明らかに其の順う所を知れば、果たして正にして他ならず。然して後に心を推して大いに之に委任して、四體に展布して以て治を爲さしめ、受くる所の民を相助け左右[たす]けて、獄愼の事を和調均齊にして、又戒むるに其の小人を以て之を閒つること勿くして、其の治を終始することを得せしむ。此れ人に任ずるの要なり。民にして之を受くと謂う者は、言うこころは、民は乃ち之を天に受け、之を祖宗に受く。成王の自ら有する所に非ざるなり。

△自一話一言、我則末惟成德之彥、以乂我受民。末、終。惟、思也。自一話一言之閒、我則終思成德之美士、以治我所受之民、而不敢斯須忘也。
【読み】
△一話一言より、我れ則ち末[つい]に成德の彥を惟[おも]いて、以て我が受けたる民を乂[おさ]む。末は、終に。惟は、思うなり。一話一言の閒より、我れ則ち終に成德の美士を思いて、以て我が受くる所の民を治めて、敢えて斯須も忘れざるなり、と。

△嗚呼予旦已受人之徽言、咸告孺子王矣。繼自今文子・文孫、其勿誤于庶獄・庶愼。惟正是乂之。前所言禹・湯・文・武任人之事、無非至美之言。我聞之於人者、已皆告孺子王矣。文子・文孫者、成王武王之文子、文王之文孫也。成王之時、法度彰、禮樂著。守成尙文。故曰文。誤、失也。有所兼、有所知、不付之有司、而以己誤之也。正、猶康誥所謂正人、與宮正・酒正之正。指當職者爲言。不以己誤庶獄・庶愼、惟當職之人是治之。下文言、其勿誤庶獄、惟有司之牧夫、卽此意。
【読み】
△嗚呼予れ旦已に人の徽[よ]き言を受けて、咸く孺子王に告す。今より繼いで文子・文孫、其れ庶獄・庶愼を誤つこと勿かれ。惟れ正にして是れ之を乂[おさ]めよ。前に言う所の禹・湯・文・武人に任ずるの事、至美の言に非ざること無し。我れ之を人に聞く者、已に皆孺子王に告ぐ。文子・文孫は、成王は武王の文子、文王の文孫なり。成王の時、法度彰らかに、禮樂著し。守成は文を尙ぶ。故に文と曰う。誤は、失うなり。兼ぬる所有り、知る所有りて、之を有司に付けずして、己を以て之を誤るなり。正は、猶康誥に所謂正人と、宮正・酒正の正のごとし。職に當たる者を指して言をす。己を以て庶獄・庶愼を誤たず、惟れ職に當たるの人是れ之を治む。下の文に言う、其れ庶獄を誤つこと勿かれ、惟れ有司の牧夫をせよとは、卽ち此の意なり。

△自古商人、亦越我周文王、立政立事。牧夫・準人、則克宅之、克由繹之、茲乃俾乂。自古及商人、及我周文王、於立政所以用三宅之道、則克宅之者、能得賢者以居其職也。克由繹之者、能紬繹用之而盡其才也。旣能宅其才以安其職、又能繹其才以盡其用、茲其所以能俾乂也歟。
【読み】
△古より商人、亦我が周の文王に越[およ]ぶまで、政を立て事を立つ。牧夫・準人、則ち克く之を宅き、克く由[もち]いて之を繹[たず]ねて、茲れ乃ち乂[おさ]めしむ。古より商人に及び、我が周の文王に及び、立政に於て三宅を用ゆる所以の道、則ち克く之を宅く者は、能く賢者を得て以て其の職に居けり。克く由いて之を繹ぬとは、能く紬繹して之を用いて其の才を盡くすなり。旣に能く其の才を宅いて以て其の職を安んじ、又能く其の才を繹ねて以て其の用を盡くす、茲れ其の能く乂めしむる所以か。

△國則罔有立政用憸人。不訓于德、是罔顯在厥世。繼自今立政、其勿以憸人。其惟吉士。用勱相我國家。勱、音邁。○自古爲國、無有立政用憸利小人者。小人而謂之憸者、形容其沾沾便捷之狀也。憸利小人、不順于德、是無能光顯以在厥世。王當繼今以往、立政勿用憸利小人。其惟用有常吉士、使勉力以輔相我國家也。呂氏曰、君子陽類。用則升其國於明昌。小人陰類。用則降其國於晻昧。陰陽升降、亦各從其類也。
【読み】
△國は則ち政を立つるに憸人[せんじん]を用ゆること有ること罔し。德に訓[したが]わず、是れ顯らかにして厥の世に在ること罔し。今より繼いで政を立つるに、其れ憸人を以ゆること勿かれ。其れ惟れ吉士をせよ。用て勱[つと]めて我が國家を相[たす]けよ。勱[ばい]は、音邁。○古より國を爲むること、政を立つるに憸利の小人を用ゆる者有ること無し。小人にして之を憸と謂うは、其の沾沾[せんせん]便捷の狀を形容するなり。憸利の小人は、德に順わず、是れ無能く光顯にして以て厥の世に在ること無し。王當に今に繼いで以往、政を立つるに憸利の小人を用ゆること勿かれ。其れ惟れ常有るの吉士を用いて、勉め力めて以て我が國家を輔け相けしめよ、と。呂氏が曰く、君子は陽の類。用ゆるときは則ち其の國を明昌に升ぐ。小人は陰の類。用ゆるときは則ち其の國を晻昧に降す。陰陽升降、亦各々其の類に從う、と。

△今文子・文孫孺子王矣。其勿誤于庶獄。惟有司之牧夫。始言和我庶獄・庶愼、時則勿有閒之、繼言其勿誤于庶獄・庶愼、惟正是乂之、至是獨曰其勿誤于庶獄、惟有司之牧夫。蓋刑者、天下之重事。挈其重而獨舉之。使成王尤知刑獄之可畏、必專有司牧夫之任、而不可以己誤之也。
【読み】
△今文子・文孫の孺子王たり。其れ庶獄を誤つこと勿かれ。惟れ有司の牧夫をせよ。始めに我が庶獄・庶愼を和らげ、時れ則ち之を閒つること有る勿かれと言い、繼いで其れ庶獄・庶愼を誤つこと勿かれ、惟れ正にして是れ之を乂めよと言い、是に至りて獨り其れ庶獄を誤つこと勿かれ、惟れ有司の牧夫をせよと曰う。蓋し刑は、天下の重事。其の重きを挈[ひさ]いで獨り之を舉ぐ。成王をして尤も刑獄の畏る可きを知らしむるに、必ず有司の牧夫の任を專らにして、己を以て之を誤つ可からず、と。

△其克詰爾戎兵、以陟禹之跡、方行天下、至于海表、罔有不服。以覲文王之耿光、以揚武王之大烈。詰、治也。治爾戎服兵器也。陟、升也。禹迹、禹服舊迹也。方、四方也。海表、四裔也。言德威所及、無不服也。覲、見也。耿光、德也。大烈、業也。於文王稱德、於武王稱業。各於其盛者稱之。呂氏曰、兵、刑之大也。故旣言庶獄、而繼以治兵之戒。或曰、周公之訓、稽其所弊、得無啓後世好大喜功之患乎。曰、周公詰兵之訓、繼勿誤庶獄之後。犴獄之閒、尙恐一刑之誤。況六師萬衆之命、其敢不審而誤舉乎。推勿誤庶獄之心、而奉克詰戎兵之戒。必非得已不己、而輕用民命者也。
【読み】
△其れ克く爾の戎兵を詰[おさ]めて、以て禹の跡に陟[のぼ]りて、方[よも]に天下を行いて、海表に至るまで、服せざること有る罔し。以て文王の耿[あき]らかなる光を覲[しめ]し、以て武王の大いなる烈を揚げよ。詰は、治むるなり。爾の戎服兵器を治むるなり。陟は、升るなり。禹の迹は、禹の舊迹に服するなり。方は、四方なり。海表は、四裔なり。言うこころは、德威の及ぶ所、服せざる無し。覲は、見すなり。耿光[こうこう]は、德なり。大烈は、業なり。文王に於て德を稱し、武王に於て業を稱す。各々其の盛んなる者に於て之を稱す。呂氏が曰く、兵は、刑の大なり。故に旣に庶獄を言いて、繼ぐに治兵の戒めを以てす。或ひと曰く、周公の訓、其の弊[とど]むる所を稽うるに、後世大を好み功を喜ぶの患えを啓くこと無きを得んや、と。曰く、周公兵を詰むるの訓、庶獄を誤つこと勿かれの後に繼ぐ。犴獄の閒、尙一刑の誤ちを恐る。況んや六師萬衆の命、其れ敢えて審らかにせずして誤ち舉げんや。庶獄を誤つこと勿かれの心を推して、克く戎兵を詰むるの戒めを奉ず。必ず已むことを得て己まずして、輕々しく民命を用ゆる者に非ず、と。

△嗚呼繼自今後王立政、其惟克用常人。幷周家後王、而戒之也。常人、常德之人也。皐陶曰、彰厥有常吉哉。常人與吉士、同實而異名者也。
【読み】
△嗚呼今より繼いで後の王政を立つるに、其れ惟れ克く常の人を用いよ、と。周家の後王を幷せて、之を戒むるなり。常人は、常德の人なり。皐陶曰く、彰[あらわ]れて厥れ常有れば、吉いかな、と。常人と吉士とは、實を同じくして名を異にする者なり。

△周公若曰、太史、司寇蘇公、式敬爾由獄、以長我王國、茲式有愼、以列用中罰。此周公因言愼罰、而以蘇公敬獄之事、告之太史、使其幷書、以爲後世司獄之式也。蘇、國名也。左傳蘇忿生以溫爲司寇。周公告太史以蘇忿生爲司寇。用能敬其所由之獄。培植基本、以長我王國、令於此取法而有謹焉。則能以輕重條列、用其中罰、而無過差之患矣。
【読み】
△周公若[か]く曰く、太史、司寇の蘇公、式[もっ]て爾の由れる獄を敬みて、以て我が王國に長とし、茲れ式[のっと]りて愼むこと有りて、以て列ねて中罰を用いよ、と。此れ周公因りて罰を愼むことを言いて、蘇公獄を敬むの事を以て、之を太史に告げ、其を幷せ書して、以て後世司獄の式[のり]とせしむ。蘇は、國の名なり。左傳に蘇忿生溫を以て司寇とす、と。周公太史に告げて蘇忿生を以て司寇とす。用て能く其の由る所の獄を敬む。基本を培植して、以て我が王國を長くして、此に於て法を取りて焉を謹むこと有らしむ。則ち能く輕重を以て條列して、其の中罰を用いて、過差の患え無からしむるなり。
 

書經卷之六  蔡沉集傳


周官 成王訓迪百官。史錄其言以周官名之。亦訓體也。今文無、古文有。○按此篇與今周禮不同。如三公・三孤、周禮皆不載。或謂、公孤兼官無正職。故不載。然三公論道經邦。三孤貳公弘化。非職乎。職任之大、無踰此矣。或又謂、師氏卽太師、保氏卽太保。然以師保之尊、而反屬司徒之職、亦無是理也。又此言、六年五服一朝。而周禮六服諸侯、有一歲一見者、二歲一見者、三歲一見者、亦與此不合。是固可疑。然周禮非聖人不能作也。意周公方條治事之官、而未及師保之職。所謂未及者、鄭重而未及言之也。書未成而公亡。其閒法制有未施用。故與此異、而冬官亦缺。要之周禮首末未備、周公未成之書也。惜哉。讀書者參互而考之、則周公經制、可得而論矣。
【読み】
周官[しゅうかん] 成王百官を訓え迪[みちび]く。史其の言を錄して周官を以て之に名づく。亦訓の體なり。今文無し、古文有り。○按ずるに此の篇と今の周禮とは同じからず。三公・三孤の如きは、周禮には皆載せず。或ひと謂く、公孤は兼官にして正職無し。故に載せず、と。然れども三公は道を論じ邦を經[おさ]む。三孤は公に貳[つ]いで化を弘む。職に非ずや。職任の大なる、此に踰ゆること無し。或ひと又謂く、師氏は卽ち太師、保氏は卽ち太保、と。然れども師保の尊きを以て、而して反って司徒の職に屬すも、亦是の理無けん。又此に言う、六年に五服一たび朝す、と。而して周禮に六服の諸侯、一歲に一見する者、二歲に一見する者、三歲に一見する者有り、亦此と合わず。是れ固に疑う可し。然れども周禮は聖人に非ざれば作ること能わず。意うに周公方に事を治むるの官を條にして、未だ師保の職に及ばず。所謂未だ及ばざる者は、鄭重にして未だ之を言うに及ばざるなり。書未だ成らずして公亡す。其の閒法制未だ施し用いざる有り。故に此と異にして、冬官も亦缺けたり。之を要するに周禮の首末未だ備わらず、周公の未だ成さざるの書なり。惜しいかな。書を讀む者參互して之を考うるときは、則ち周公の經制、得て論ず可し。


惟周王撫萬邦、巡侯・甸、四征弗庭、綏厥兆民、六服羣辟、罔不承德。歸于宗周、董正治官。此、書之本序也。庭、直也。葛氏曰、弗庭、弗來庭者。六服、侯・甸・男・采・衛、幷畿内爲六服也。禹貢五服、通畿内。周制五服、在王畿外也。周禮又有九服。侯・甸・男・采・衛・蠻・夷・鎭・蕃、與此不同。宗周、鎬京也。董、督也。治官、凡治事之官也。言成王撫臨萬國、巡狩侯・甸、四方征討不庭之國、以安天下之民。六服諸侯之君、無不奉承周德。成王歸于鎬京、督正治事之官。外攘之功舉、而益嚴内治之修也。唐孔氏曰、周制無萬國。惟伐淮夷。非四征也、大言之爾。
【読み】
惟れ周王萬邦を撫で、侯・甸[でん]を巡り、四[よも]に庭[なお]からざるを征し、厥の兆民を綏んじて、六服の羣辟、德を承けざる罔し。宗周に歸りて、治官を董[ただ]し正しくす。此れ、書の本序なり。庭は、直きなり。葛氏が曰く、弗庭は、來庭せざる者、と。六服は、侯・甸・男・采・衛と、畿内を幷せて六服とす。禹貢の五服は、畿内に通ず。周制の五服は、王畿の外に在り。周禮に又九服有り。侯・甸・男・采・衛・蠻・夷・鎭・蕃、此と同じからず。宗周は、鎬京なり。董は、督[ただ]すなり。治官は、凡そ事を治むるの官なり。言うこころは、成王萬國を撫臨し、侯・甸を巡狩し、四方に不庭の國を征討して、以て天下の民を安んず。六服の諸侯の君、周の德を奉承せざること無し。成王鎬京に歸りて、治事の官を督し正しくす。外攘の功舉げて、益々内治の修めを嚴にす。唐の孔氏が曰く、周の制に萬國無し。惟れ淮夷を伐つ。四征に非ずとは、大いに之を言うのみ。

△王曰、若昔大猷、制治于未亂、保邦于未危。治、去聲。○若昔大道之世、制治保邦于未亂未危之前。卽下文明王立政是也。
【読み】
△王曰く、昔の大いなる猷[みち]あるが若きは、治むるを未だ亂れざるに制し、邦を未だ危うからざるに保んず。治は、去聲。○昔の大道の世の若きは、邦を治め保んずること未だ亂れず未だ危うからざるの前に制す。卽ち下の文の明王政を立つるとは是れなり。

△曰、唐虞稽古、建官惟百。内有百揆・四岳、外有州牧・侯伯。庶政惟和、萬國咸寧。夏商官倍。亦克用乂。明王立政、不惟其官、惟其人。倍、薄亥反。○百揆、無所不總者。四岳、總其方岳者。州牧、各總其州者。侯伯、次州牧而總諸侯者也。百揆・四岳、總治于内、州牧・侯伯、總治于外。内外相承、體統不紊。故庶政惟和、而萬國咸安。夏商之時、世變事繁。觀其會通、制其繁簡、官數加倍、亦能用治。明王立政、不惟其官之多、惟其得人而已。
【読み】
△曰く、唐虞古に稽えて、官を建つること惟れ百。内に百揆・四岳有り、外に州牧・侯伯有り。庶政惟れ和らぎ、萬國咸寧し。夏商の官は倍[ま]す。亦克く用て乂[おさ]めたり。明王の政を立つる、惟れ其の官をせず、惟れ其れ人をす。倍は、薄亥反。○百揆は、總べざる所無き者なり。四岳は、其の方岳を總ぶる者なり。州牧は、各々其の州を總ぶる者なり。侯伯は、州牧に次いで諸侯を總ぶる者なり。百揆・四岳は、治を内に總べ、州牧・侯伯は、治を外に總ぶ。内外相承けて、體統紊れず。故に庶政惟れ和らいで、萬國咸く安し。夏商の時、世變じ事繁し。其の會通を觀、其の繁簡を制し、官數加倍すれども、亦能く用て治まる。明王の政を立つるは、惟れ其の官の多きにあらず、惟れ其れ人を得るのみ。

△今予小子、祗勤于德、夙夜不逮。仰惟前代時若、訓迪厥官。逮、徒耐反、又湯亥大計二反。○逮、及。時、是。若、順也。成王祗勤于德、早夜若有所不及然。蓋修德者、任官之本也。
【読み】
△今予れ小子、祗みて德を勤めて、夙夜逮ばざるがごとし。惟れ前の代を仰いで時[こ]れ若[したが]い、厥の官を訓え迪[みちび]く。逮は、徒耐反、又湯亥大計二反。○逮は、及ぶ。時は、是れ。若は、順うなり。成王祗みて德を勤めて、早夜に及ばざる所有るが若く然す。蓋し德を修むるは、官を任ずるの本なり。

△立太師・太傅・太保。茲惟三公、論道經邦、爕理陰陽。官不必備、惟其人。立、始辭也。三公、非始於此、立爲周家定制、則始於此也。賈誼曰、保者、保其身體。傅者、傅之德義。師、道之敎訓。此所謂三公也。陰陽、以氣言。道者、陰陽之理、恆而不變者也。易曰、一陰一陽之謂道、是也。論者、講明之謂。經者、經綸之謂。爕理者、和調之也。非經綸天下之大經、參天地之化育者、豈足以任此責。故官不必備、惟其人也。
【読み】
△太師・太傅・太保を立てたり。茲れ惟れ三公、道を論じ邦を經[おさ]め、陰陽を爕[やわ]らげ理[おさ]む。官必ずしも備えず、惟れ其の人をす。立は、始むる辭なり。三公は、此より始まるに非ず、周家の定制を立爲することは、則ち此より始まる。賈誼が曰く、保は、其の身體を保つ。傅は、之が德義を傅[たす]く。師は、之が敎訓を道く。此れ所謂三公なり、と。陰陽は、氣を以て言う。道は、陰陽の理、恆にして變ぜざる者なり。易に曰く、一陰一陽之を道と謂うとは、是れなり。論は、講明の謂なり。經は、經綸の謂なり。爕理[しょうり]は、之を和調するなり。天下の大經を經綸し、天地の化育に參なる者に非ずんば、豈以て此の責に任ずるに足らんや。故に官必ずしも備えず、惟れ其の人をす。

△少師・少傅・少保、曰三孤。貳公弘化、寅亮天地、弼予一人。少、失照反。○孤、特也。三少雖三公之貳、而非其屬官。故曰孤。天地以形言、化者、天地之用、運而無迹者也。易曰、範圍天地之化、是也。弘者、張而大之。寅亮者、敬而明之也。公論道、孤弘化。公爕理陰陽、孤寅亮天地。公論於前、孤弼於後。公孤之分如此。
【読み】
△少師・少傅・少保を、三孤と曰う。公に貳[つ]いで化を弘め、天地を寅[つつし]み亮[あき]らかにし、予れ一人を弼く。少は、失照反。○孤は、特なり。三少は三公の貳と雖も、而れども其の屬官に非ず。故に孤と曰う。天地は形を以て言い、化は、天地の用、運[うつ]りて迹無き者なり。易に曰く、天地の化を範圍すとは、是れなり。弘は、張りて之を大いにす。寅亮は、敬みて之を明らかにするなり。公は道を論じ、孤は化を弘む。公は陰陽を爕理[しょうり]し、孤は天地を寅亮[いんりょう]にす。公は前に論じ、孤は後に弼く。公孤の分此の如し。

△冢宰掌邦治、統百官、均四海。冢、大。宰、治也。天官卿、治官之長、是爲冢宰。内統百官、外均四海。蓋天子之相也。百官異職。管攝使歸于一、是之謂統。四海異宜。調劑使得其平、是之謂均。
【読み】
△冢宰は邦治を掌り、百官を統べ、四海を均しくす。冢は、大い。宰は、治むるなり。天官の卿、治官の長、是を冢宰とす。内は百官を統べ、外は四海を均しくす。蓋し天子の相なり。百官は職を異にす。管攝して一に歸せしむ、是を之れ統と謂う。四海宜しきを異にす。調劑して其の平らかなるを得せしむ、是を之れ均と謂う。

△司徒掌邦敎、敷五典、擾兆民。擾、訓也。地官卿、主國敎化、敷君臣・父子・夫婦・長幼・朋友、五者之敎、以訓擾兆民之不順者、而使之順也。唐虞司徒之官、固已職掌如此。
【読み】
△司徒は邦敎を掌り、五典を敷き、兆民を擾[なつ]く。擾は、訓くなり。地官の卿は、國の敎化を主り、君臣・父子・夫婦・長幼・朋友、五者の敎えを敷いて、以て兆民の順わざる者を訓擾して、之を順わしむるなり。唐虞の司徒の官、固に已に職掌すること此の如し。

△宗伯掌邦禮、治神人、和上下。春官卿、主邦禮、治天神・地衹・人鬼之事、和上下尊卑等列。春官於四時之序爲長。故其官、謂之宗伯。成周合樂於禮官。謂之和者、蓋以樂而言也。
【読み】
△宗伯は邦禮を掌り、神人を治め、上下を和らぐ。春官の卿は、邦禮を主り、天神・地衹・人鬼の事を治め、上下尊卑の等列を和らぐ。春官は四時の序に於て長とす。故に其の官、之を宗伯と謂う。成周は樂を禮官に合す。之を和と謂うは、蓋し樂を以て言うなり。

△司馬掌邦政、統六師、平邦國。夏官卿、主戎馬之事、掌國征伐、統御六軍、平治邦國。平、謂强不得陵弱、衆不得暴寡、而人皆得其平也。軍政莫急於馬。故以司馬名官。何莫非政。獨戎政謂之政者、用以征伐而正彼之不正。王政之大者也。
【読み】
△司馬は邦政を掌り、六師を統べ、邦國を平らかにす。夏官の卿は、戎馬の事を主り、國の征伐を掌りて、六軍を統御し、邦國を平治す。平とは、强は弱を陵ぐことを得ず、衆は寡を暴[おか]すことを得ずして、人皆其の平らかなるを得るを謂うなり。軍政は馬より急なるは莫し。故に司馬を以て官に名づく。何か政に非ざること莫けん。獨り戎政之を政と謂うは、用いて以て征伐して彼の不正を正す。王政の大なる者なればなり。

△司寇掌邦禁、詰姦慝、刑暴亂。秋官卿、主寇賊法禁。羣奸攻刧曰寇。詰姦慝、刑彊暴作亂者。掌刑不曰刑而曰禁者、禁於未然也。呂氏曰、姦慝隱而難知。故謂之詰。推鞠窮詰而求其情也。暴亂顯而易見。直刑之而已。
【読み】
△司寇は邦禁を掌り、姦慝を詰[なじ]り、暴亂を刑す。秋官の卿は、寇賊の法禁を主る。羣奸攻め刧かすを寇と曰う。姦慝を詰り、彊暴にして亂を作す者を刑す。刑を掌るに刑と曰わずして禁と曰うは、未だ然らざるを禁ずるなり。呂氏が曰く、姦慝は隱[かく]れて知り難し。故に之を詰ると謂う。推鞠窮詰して其の情を求むるなり。暴亂は顯らかにして見易し。直に之を刑するのみ。

△司空掌邦土、居四民、時地利。冬官卿、主國空土、以居土農工商四民、順天時以興地利。按周禮冬官則記考土之事。與此不同。蓋本闕冬官。漢儒以考工記當之也。
【読み】
△司空は邦土を掌り、四民を居き、地の利を時なう。冬官の卿は、國の空土を主り、以て土農工商の四民を居いて、天の時に順いて以て地の利を興す。按ずるに周禮の冬官に則ち考土の事を記す。此と同じからず。蓋し本冬官を闕けり。漢儒考工記を以て之に當つ。

△六卿分職、各率其屬、以倡九牧、阜成兆民。六卿分職、各率其屬官、以倡九州牧、自内達之於外。政治明、敎化洽。兆民之衆、莫不阜厚而化成也。按周禮每卿六十屬、六卿三百六十屬也。呂氏曰、冢宰相天子統百官。則司徒以下、無非冢宰所統。乃均列一職、而倂數之爲六者、綱、在網中也。乾坤之與六子竝列於八方、冢宰之與五卿竝列於六職也。
【読み】
△六卿職を分かちて、各々其の屬を率いて、以て九牧を倡[いざな]い、阜[おお]いに兆民を成せり。六卿職を分かちて、各々其の屬官を率いて、以て九州の牧を倡い、内より之を外に達す。政治明らかにして、敎化洽[あまね]し。兆民の衆[おお]き、阜厚にして化成せざる莫し。周禮を按ずるに每卿は六十屬、六卿は三百六十屬なり。呂氏が曰く、冢宰は天子を相け百官を統ぶ。則ち司徒より以下、冢宰の統ぶる所に非ざる無し。乃ち均しく一職に列なりて、倂せて之を數えて六とする者は、綱、網の中に在ればなり。乾坤の六子と竝に八方に列なり、冢宰の五卿と竝に六職に列なるなり。

△六年五服一朝。又六年王乃時巡。考制度于四岳。諸侯各朝于方岳、大明黜陟。五服、侯・甸・男・采・衛也。六年一朝會京師、十二年王一巡狩。時巡者、猶舜之四仲巡狩也。考制度者、猶舜之協時月正日、同律度量衡等事也。諸侯各朝方岳者、猶舜之肆覲東后也。大明黜陟者、猶舜之黜陟幽明也。疎數異時繁簡異制。帝王之治、因時損益者可見矣。
【読み】
△六年に五服一たび朝す。又六年に王乃ち時に巡る。制度を四岳に考う。諸侯各々方岳に朝して、大に黜陟を明らかにす、と。五服は、侯・甸・男・采・衛なり。六年に一たび京師に朝會し、十二年に王一たび巡狩す。時に巡るとは、猶舜の四仲の巡狩のごとし。制度を考うとは、猶舜の時月を協え日を正し、律度量衡等の事を同じくするがごとし。諸侯各々方岳に朝すとは、猶舜の肆[ここ]に東后を覲るがごとし。大いに黜陟を明らかにすとは、猶舜の幽明を黜陟するがごとし。疎數時を異にし繁簡制を異にす。帝王の治、時に因りて損益する者見る可し。

△王曰、嗚呼凡我有官君子、欽乃攸司、愼乃出令、令出惟行。弗惟反。以公滅私、民其允懷。建官之體統、前章旣訓迪之矣。此則居守官職者咸在。曰凡有官君子者、合尊卑小大、而同訓之也。反者、令出不可行、而壅逆之謂。言敬汝所主之職、謹汝所出之令、令出欲其行、不欲其壅逆而不行也。以天下之公理、滅一己之私情、則令行而民莫不敬信懷服矣。
【読み】
△王曰く、嗚呼凡そ我が有官の君子、乃の司る攸を欽み、乃の令を出だすことを愼み、令出でて惟れ行え。惟れ反せざれ。公を以て私を滅ぼすときは、民其れ允に懷く。官を建つるの體統、前の章に旣に之を訓え迪く。此に則ち官職に居り守る者咸く在り。凡そ有官の君子と曰うは、尊卑小大を合わせて、同じく之を訓ずるなり。反とは、令出でて行わるる可からずして、壅逆するの謂なり。言うこころは、汝が主る所の職を敬み、汝が出だす所の令を謹み、令出づれば其の行われんことを欲し、其の壅逆して行われざることを欲せざるなり。天下の公理を以て、一己の私情を滅ぼすときは、則ち令行われて民敬信懷服せざること莫し。

△學古入官、議事以制、政乃不迷。其爾典常作之師。無以利口亂厥官。蓄疑敗謀、怠忽荒政。不學牆面、蒞事惟煩。蓄、勑六反。○學古、學前代之法也。制、裁度也。迷、錯繆也。典常、當代之法也。周家典常、皆文・武・周公之所講畫、至精至備。凡蒞官者、謹師之而已。不可喋喋利口、更改而紛亂之也。積疑不決、必敗其謀。怠惰忽略、必荒其政。人而不學、其猶正牆面而立、必無所見、而舉錯煩擾也。○蘇氏曰、鄭子產鑄刑書。晉叔向譏之曰、昔先王議事、以制不爲刑辟。其言蓋取諸此。先王人法竝任、而任人爲多。故律設大法而已。其輕重之詳、則付之人。臨事而議以制其出入。故刑簡而政淸。自唐以前、治罪科條、止於今律令而已。人之所犯、日變無窮。而律令有限。以有限治無窮、不聞有所闕。豈非人法兼行、吏猶得臨事而議乎。今律令之外、科條數萬、而不足於用、有司請立新法者、日益不已。嗚呼任法之弊、一至於此哉。
【読み】
△古を學び官に入り、事を議りて以て制[はか]れば、政乃ち迷[たが]わず。其れ爾の典常之を師と作せ。利口を以て厥の官を亂ること無かれ。疑わしきを蓄うれば謀を敗り、怠り忽にすれば政を荒[みだ]る。學びざれば牆に面[む]かうがごとく、事に蒞[のぞ]みて惟れ煩わし。蓄は、勑六反。○古を學ぶとは、前代の法を學ぶなり。制は、裁度なり。迷は、錯繆なり。典常は、當代の法なり。周家の典常は、皆文・武・周公の講畫する所にて、至精至備なり。凡そ官に蒞む者、謹みて之を師とせんのみ。喋喋たる利口、更に改めて之を紛亂す可からず。疑わしきを積んで決せざれば、必ず其の謀を敗る。怠惰忽略なれば、必ず其の政を荒る。人として學びざれば、其れ猶正に牆に面かいて立てるがごとく、必ず見る所無くして、舉錯煩擾す。○蘇氏が曰く、鄭の子產刑書を鑄る。晉の叔向之を譏りて曰く、昔先王事を議るに、制を以てして刑辟を爲らず、と。其の言蓋し此に取れり。先王は人法竝び任じて、人に任ずること多しとす。故に律は大法を設くるのみ。其の輕重の詳らかなるは、則ち之を人に付す。事に臨みて議りて以て其の出入を制す。故に刑簡[つづま]やかにして政淸し。唐より以前、罪を治むるの科條、今の律令に止まるのみ。人の犯す所、日々に變じて窮まり無し。而れども律令は限り有り。限り有るを以て窮まり無きを治め、闕く所有るを聞かず。豈に人法兼ね行うに非ずんば、吏猶事に臨みて議ることを得んや。今律令の外、科條數萬にして、用ゆるに足らず、有司新法を立てんと請う者、日々に益々已まず。嗚呼任法の弊、一に此に至れるかな、と。

△戒爾卿士。功崇惟志。業廣惟勤。惟克果斷、乃罔後艱。斷、都玩反。○此下申戒卿士也。王氏曰、功以志崇、業以仁廣。斷以勇克。此三者天下之達道也。呂氏曰、功者業之成也。業者功之積也。崇其功者存乎志。廣其業者存乎勤。勤由志而生。志待勤而遂。雖有二者、當幾而不能果斷、則志與勤虛用、而終蹈後艱矣。
【読み】
△爾卿士を戒む。功の崇きは惟れ志なり。業の廣きは惟れ勤めなり。惟れ克く果斷なるときは、乃ち後の艱[なや]み罔し。斷は、都玩反。○此より下は申ねて卿士を戒む。王氏が曰く、功は志を以て崇く、業は仁を以て廣まる。斷は勇を以て克くす。此の三つの者は天下の達道なり、と。呂氏が曰く、功は業の成れるなり。業は功の積めるなり。其の功を崇くする者は志を存す。其の業を廣くする者は勤めを存す。勤めは志に由りて生る。志は勤めを待ちて遂ぐ。二つの者有りと雖も、幾に當たりて果斷すること能わざるときは、則ち志と勤めと虛用にして、終に後艱を蹈む、と。

△位不期驕、祿不期侈、恭儉惟德、無載爾僞。作德、心逸日休。作僞、心勞日拙。載、作代反。○貴、不與驕期而驕自至。祿、不與侈期而侈自至。故居是位當知所以恭、饗是祿、當知所以儉。然恭儉豈可以聲音笑貌爲哉。當有實得於己、不可從事於僞。作德、則中外惟一。故心逸而日休休焉。作僞、則揜護不暇。故心勞而日著其拙矣。或曰、期、待也。位所以崇德、非期於爲驕。祿所以報功、非期於爲侈。亦通。
【読み】
△位は驕ることを期せず、祿は侈ることを期せず、恭儉惟れ德あり、爾が僞りを載[こと]とすること無かれ。德を作すときは、心逸くして日々に休[よ]し。僞りを作すときは、心勞[くる]しみて日々に拙し。載は、作代反。○貴きは、驕りと期せずして驕り自ら至る。祿は、侈りと期せずして侈り自ら至る。故に是の位に居りて當に恭しき所以を知るべく、是の祿を饗[う]けて、當に儉[つづま]やかなる所以を知るべし。然れども恭儉は豈聲音笑貌を以てす可けんや。當に實に己に得ること有るべく、事に僞りに從う可からず。德を作すときは、則ち中外惟れ一なり。故に心逸くして日々に休休焉たり。僞りを作すときは、則ち揜護暇あらず。故に心勞しみて日々に其の拙きを著す。或ひと曰く、期は、待つなり。位は德を崇くする所以にて、驕りをすることを期するに非ず。祿は功を報ゆる所以にて、侈りをすることを期するに非ず、と。亦通ず。

△居寵思危。罔不惟畏。弗畏入畏。居寵盛、則思危辱、當無所不致其祗畏。苟不知祗畏、則入于可畏之中矣。後之患失者、與思危相似。然思危者、以寵利爲憂、患失者、以寵利爲樂。所存大不同也。
【読み】
△寵に居るときは危うからんことを思う。惟れ畏れざること罔かれ。畏れざれば畏るるに入る。寵盛に居るときは、則ち危辱を思い、當に其の祗み畏るることを致さざる所無かるべし。苟も祗み畏るることを知らずんば、則ち畏る可きの中に入らん。後の失うことを患うる者は、危うからんことを思うと相似れり。然れども危うからんことを思う者は、寵利を以て憂えとし、失うことを患うる者は、寵利を以て樂しみとす。存する所大いに同じからず。

△推賢讓能、庶官乃和。不和政厖。舉能其官、惟爾之能。稱匪其人、惟爾不任。推、通回反。厖、莫江反。○賢、有德者也。能、有才者也。王氏曰、道二、義利而已。推賢讓能、所以爲義。大臣出於義、則莫不出於義。此庶官所以不爭而和。蔽賢害能、所以爲利。大臣出於利、則莫不出於利。此庶官所以爭而不和。庶官不和、則政必雜亂而不理矣。稱、亦舉也。所舉之人、能修其官、是亦爾之所能。舉非其人、是亦爾不勝任。古者大臣以人事君。其責如此。
【読み】
△賢を推し能に讓るときは、庶官乃ち和らぐ。和らがざるときは政厖[みだ]る。舉げて其の官を能くするは、惟れ爾が能くするなり。稱[あ]げて其の人に匪ざるは、惟れ爾が任[た]えざるなり、と。推は、通回反。厖[ぼう]は、莫江反。○賢は、德有る者なり。能は、才有る者なり。王氏が曰く、道二つ、義と利とのみ、と。賢を推して能に讓るは、義を爲す所以なり。大臣義に出づるときは、則ち義に出でざること莫し。此れ庶官爭わずして和らぐ所以なり。賢を蔽い能を害するは、利を爲す所以なり。大臣利に出づるときは、則ち利に出でざること莫し。此れ庶官爭いて和らがざる所以なり。庶官和らがざれば、則ち政必ず雜亂して理[おさ]まらず。稱も、亦舉ぐるなり。舉ぐる所の人、能く其の官を修むるは、是れ亦爾が能くする所なり。舉ぐること其の人に非ざれば、是れ亦爾が任に勝えざるなり。古は大臣人を以て君に事うる。其の責め此の如し。

△王曰、嗚呼三事曁大夫、敬爾有官、亂爾有政、以佑乃辟、永康兆民、萬邦惟無斁。辟、必益反。斁、音亦。○三事、卽立政三事也。亂、治也。篇終歎息。上自三事下至大夫、而申戒勑之也。其不及公孤者、公孤德尊位隆。非有待於戒勑也。
【読み】
△王曰く、嗚呼三事曁[およ]び大夫、爾の有官を敬み、爾の有政を亂[おさ]め、以て乃の辟を佑け、永く兆民を康んぜば、萬邦惟れ斁[いと]うこと無けん、と。辟は、必益反。斁[えき]は、音亦。○三事は、卽ち立政の三事なり。亂は、治むるなり。篇の終わりに歎息す。上は三事より下は大夫に至るまで、申ねて之を戒勑す。其の公孤に及ばざる者は、公孤は德尊く位隆し。戒勑を待つこと有るに非ず。


君陳 君陳、臣名。唐孔氏曰、周公遷殷頑民於下都、周公親自監之。周公旣歿、成王命君陳代周公。此其策命之詞。史錄其書、以君陳名篇。今文無、古文有。
【読み】
君陳[くんちん] 君陳は、臣の名。唐の孔氏が曰く、周公殷の頑民を下都に遷し、周公親自ら之を監す。周公旣に歿して、成王君陳に命じて周公に代わらしむ。此れ其の策命の詞なり。史其の書を錄して、君陳を以て篇に名づく、と。今文無し、古文有り。


王若曰、君陳、惟爾令德孝恭、惟孝、友于兄弟。克施有政。命汝尹茲東郊。敬哉。言君陳有令德、事親孝、事上恭。惟其孝友於家。是以能施政於邦。孔子曰、居家理。故治可移於官。陳氏曰、天子之國、五十里爲近郊。自王城言之、則下都乃東郊之地。故君陳・畢命、皆指下都爲東郊。
【読み】
王若[か]く曰く、君陳、惟れ爾令德ありて孝恭あり、惟れ孝あり、兄弟に友[むつ]まじ。克く政有るに施す。汝に命じて茲の東郊に尹たらしむ。敬めや。言うこころは、君陳令德有りて、親に事うるに孝あり、上に事うるに恭し。惟れ其れ家に孝友あり。是を以て能く政を邦に施す。孔子曰く、家に居りて理[おさ]まる。故に治官に移す可し、と。陳氏が曰く、天子の國、五十里を近郊とす。王城より之を言うときは、則ち下都は乃ち東郊の地なり。故に君陳・畢命に、皆下都を指して東郊とす、と。

△昔周公師保萬民、民懷其德。往愼乃司、茲率厥常。懋昭周公之訓、惟民其乂。周公之在東郊、有師之尊、有保之親。師敎之、保安之。民懷其德。君陳之往、但當謹其所司。率循其常、勉明周公之舊訓、則民其治矣。蓋周公旣歿、民方思慕周公之訓。君陳能發明而光大之。固宜其翕然聽順也。
【読み】
△昔周公萬民に師保となり、民其の德に懷けり。往いて乃の司を愼みて、茲に厥の常に率え。懋[つと]めて周公の訓えを昭らかにせば、惟れ民其れ乂[おさ]まらん。周公の東郊に在るに、師の尊き有り、保の親しみ有り。師は之を敎え、保は之を安んず。民其の德に懷く。君陳之き往いて、但當に其の司る所を謹むべし。其の常に率い循いて、周公の舊訓を勉め明らかにするときは、則ち民其れ治まる。蓋し周公旣に歿して、民方に周公の訓えを思慕す。君陳能く發明して之を光大にす。固に宜しく其れ翕然[きゅうぜん]として聽き順うべし。

△我聞曰、至治馨香、感于神明。黍稷非馨、明德惟馨。爾尙式時周公之猷訓、惟日孜孜、無敢逸豫。呂氏曰、成王旣勉君陳昭周公之訓、復舉周公精微之訓以告之。至治馨香以下四語、所謂周公之訓也。旣言此而掲之以爾尙式時周公之猷訓、則是四言、爲周公之訓明矣。物之精華、固無二體。然形質止而氣臭升。止者有方、升者無閒。則馨香者、精華之上達者也。至治之極、馨香發聞、感格神明。不疾而速。凡昭薦黍稷之苾芬、是豈黍稷之馨哉。所以苾芬者、實明德之馨也。至治舉其成、明德循其本。非有二馨香也。周公之訓、固爲精微、而舉以告君陳、尤當其可。自殷頑民言之、欲其感格、非可刑驅而勢迫。所謂洞達無閒者。蓋當深省也。自周公法度言之、典章雖具、苟無前人之德、則索然萎薾徒爲陳迹也。故勉之以用是猷訓、惟日孜孜無敢逸豫焉。是訓也、至精至微、非日新不已、深致敬篤之功、孰能與於斯。
【読み】
△我れ聞く曰く、至治の馨香は、神明を感ず、と。黍稷の馨しきに非ず、明德惟れ馨し。爾尙[ねが]わくは時[こ]の周公の猷[みち]の訓えに式[のっと]りて、惟れ日々に孜孜として、敢えて逸んじ豫[たの]しむこと無かれ。呂氏が曰く、成王旣に君陳が周公の訓えを昭らかにせんことを勉めしめ、復周公の精微の訓えを舉げて以て之に告ぐ。至治馨香以下の四語は、所謂周公の訓えなり。旣に此を言いて之を掲ぐるに爾尙わくは時の周公の猷の訓えに式るを以てするときは、則ち是の四言は、周公の訓え爲ること明らかなり、と。物の精華は、固に二體無し。然れども形質止まりて氣臭升る。止まる者は方有り、升る者は閒て無し。則ち馨香は、精華の上達する者なり。至治の極み、馨香發聞して、神明を感格す。疾からずして速やかなり。凡そ昭薦の黍稷の苾芬[ひっぷん]、是れ豈黍稷の馨ならんや。苾芬たる所以は、實に明德の馨なり。至治は其の成れるを舉げ、明德は其の本に循う。二つの馨香有るに非ず。周公の訓え、固に精微と爲りて、舉げて以て君陳に告ぐるは、尤も其の可に當たる。殷の頑民より之を言わば、其の感格を欲するは、刑驅して勢い迫る可きに非ず。所謂洞達して閒て無き者なり。蓋し當に深省すべし。周公の法度より之を言わば、典章具わると雖も、苟も前人の德無きときは、則ち索然として萎薾[いじ]して徒に陳迹を爲すなり。故に之を勉むるに是の猷の訓えを用て、惟れ日々に孜孜として敢えて逸豫すること無かれを以てす。是の訓えや、至精至微、日に新たにして已まず、深く敬篤の功を致すに非ずんば、孰か能く斯に與らん。

△凡人未見聖、若不克見。旣見聖、亦不克由聖。爾其戒哉。爾惟風。下民惟草。未見聖、如不能得見。旣見聖、亦不能由聖。人情皆然。君陳親見周公。故特申戒以此。君子之德風也。小人之德草也。草上之風必偃。君陳克由周公之訓、則商民亦由君陳之訓矣。
【読み】
△凡そ人未だ聖を見ざるときは、見ること克わざるが若し。旣に聖を見るときは、亦聖に由ること克わず。爾其れ戒めよ。爾は惟れ風なり。下民は惟れ草なり。未だ聖を見ざれば、見ることを得ること能わざるが如くす。旣に聖を見れば、亦聖に由ること能わず。人情皆然り。君陳親ら周公を見る。故に特り申ねて戒むるに此を以てす。君子の德は風なり。小人の德は草なり。草に風を上[くわ]うれば必ず偃す。君陳克く周公の訓えに由るときは、則ち商の民も亦君陳の訓えに由るなり。

△圖厥政、莫或不艱。有廢有興、出入自爾師虞。庶言同則繹。師、衆。虞、度也。言圖謀其政、無小無大、莫或不致其難。有所當廢、有所當興、必出入反覆、與衆共虞度之。衆論旣同、則又紬繹而深思之、而後行也。蓋出入自爾師虞者、所以合乎人之同、庶言同則繹者、所以斷於己之獨。孟子曰、國人皆曰賢、然後察之、國人皆曰可殺、然後察之。庶言同則繹之謂也。
【読み】
△厥の政を圖りて、艱しとせざること或る莫し。廢つること有り興すこと有り、出入爾の師々に自[したが]いて虞[はか]れ。庶言同じくば則ち繹[たず]ねよ。師は、衆。虞は、度るなり。言うこころは、其の政を圖り謀るに、小と無く大と無く、其の難きを致さざること或る莫し。當に廢つるべき所有り、當に興すべき所有り、必ず出入反覆して、衆と共に之を虞り度れ。衆論旣に同くば、則ち又紬繹して深く之を思いて、而して後に行え。蓋し出入爾の師に自いて虞れとは、人の同じきを合する所以、庶言同じくば則ち繹ねよとは、己の獨を斷つ所以なり。孟子曰く、國人皆賢と曰いて、然して後に之を察し、國人皆殺す可しと曰いて、然して後に之を察す、と。庶言同じくば則ち之を繹ねよの謂なり。

△爾有嘉謀嘉猷、則入告爾后于内、爾乃順之于外。曰、斯謀斯猷、惟我后之德。嗚呼臣人咸若時、惟良顯哉。言切於事、謂之謀、言合於道、謂之猷。道與事非二也。各舉其甚者言之。良、以德言。顯、以名言。或曰、成王舉君陳前日已陳之善、而歎息以美之也。○葛氏曰、成王殆失斯言矣。欲其臣善則稱君、人臣之細行也。然君旣有是心、至於有過、則將使誰執哉。禹聞善言則拜、湯改過不吝。端不爲此言矣。嗚呼此其所以爲成王歟。
【読み】
△爾嘉き謀嘉き猷[みち]有るときは、則ち入りて爾の后に内に告し、爾乃ち之を外に順う。曰く、斯の謀斯の猷は、惟れ我が后の德なり、と。嗚呼人に臣として咸時[かく]の若きは、惟れ良顯なるかな、と。言の事に切なる、之を謀と謂い、言の道に合う、之を猷と謂う。道と事とは二つに非ず。各々其の甚だしき者を舉げて之を言う。良は、德を以て言う。顯は、名を以て言う。或ひと曰く、成王君陳が前日已に陳ぶるの善きを舉げて、歎息して以て之を美むる、と。○葛氏が曰く、成王殆ど斯の言を失せり。其の臣の善きを欲して則ち君を稱するは、人臣の細行なり。然れども君旣に是の心有りて、過ち有るに至るときは、則ち將[はた]誰をして執らしめんや。禹は善言を聞きて則ち拜し、湯は過ちを改むること吝かならず。端に此の言を爲さず。嗚呼此れ其れ成王爲る所以か、と。

△王曰、君陳、爾惟弘周公丕訓。無依勢作威。無倚法以削。寬而有制、從容以和。從、七恭反。○此篇言周公訓者三。曰懋昭、曰式時、至此則弘周公之丕訓、欲其益張而大之也。君陳何至倚勢以爲威、倚法以侵削者。然勢我所有也。法我所用也。喜怒予奪、毫髪不於人而於己、是私意也。非公理也。安能不作威以削乎。君陳之世、當寬和之時也。然寬不可一於寬、必寬而有其制。和不可一於和、必從容以和之、而後可以和厥中也。
【読み】
△王曰く、君陳、爾惟れ周公の丕いなる訓えを弘めよ。勢いに依りて威を作すこと無かれ。法に倚りて以て削ること無かれ。寬かにして制[はか]ること有り、從容にして以て和らげ。從は、七恭反。○此の篇周公の訓えを言う者三つ。懋[つと]めて昭らかにせよと曰い、時[これ]に式[のっと]れと曰い、此に至りて則ち周公の丕いなる訓えを弘め、其の益々張りて之を大いにせんことを欲す。君陳何ぞ勢いに倚りて以て威を爲し、法に倚りて以て侵削する者に至らん。然れども勢いは我が有する所なり。法は我が用ゆる所なり。喜怒予奪、毫髪も人に於てせずして己に於てするは、是れ私意なり。公理に非ず。安んぞ能く威を作して以て削らざらんや。君陳の世は、寬和の時に當たる。然れども寬も寬に一なる可からず、必ず寬にして其の制ること有り。和も和に一なる可からず、必ず從容にして以て之を和らいで、而して後に以て厥の中を和らぐ可し。

△殷民在辟、予曰辟、爾惟勿辟。予曰宥、爾惟勿宥。惟厥中。辟、毘亦反。○上章成王慮君陳徇己。此則慮君陳之徇君也。言殷民之在刑辟者、不可徇君以爲生殺、惟當審其輕重之中也。
【読み】
△殷の民の辟[つみ]に在るを、予れ辟せよと曰うとも、爾惟れ辟すること勿かれ。予れ宥めよと曰うとも、爾惟れ宥むること勿かれ。惟れ厥の中をせよ。辟は、毘亦反。○上の章は成王が君陳の己に徇わんことを慮る。此には則ち君陳の君に徇わんことを慮る。言うこころは、殷民の刑辟に在る者は、君に徇いて以て生殺を爲す可からず、惟れ當に其の輕重の中を審らかにすべし。

△有弗若于汝政、弗化于汝訓、辟以止辟、乃辟。其有不順于汝之政、不化于汝之訓、刑之可也。然刑期無刑。刑而可以止刑者、乃刑之。此終上章之辟。
【読み】
△汝の政に若わず、汝の訓えに化せざること有らば、辟して以て辟を止めば、乃ち辟せよ。其れ汝の政に順わず、汝の訓えに化せざること有らば、之を刑して可なり。然れども刑は刑無きを期す。刑して以て刑を止む可き者は、乃ち之を刑す。此れ上の章の辟するを終う。

△狃于姦宄、敗常亂俗、三細不宥。狃、女九反。○狃、習也。常、典常也。俗、風俗也。狃于姦宄、與夫毀敗典常、壞亂風俗、人犯此三者、雖小罪、亦不可宥。以其所關者大也。此終上章之宥。
【読み】
△姦宄[かんき]に狃[な]れ、常を敗り俗を亂るは、三つは細[すこ]しきなりとも宥さず。狃[じゅう]は、女九反。○狃は、習るるなり。常は、典常なり。俗は、風俗なり。姦宄に狃るると、夫の典常を毀り敗り、風俗を壞り亂ると、人此の三つの者を犯さば、小罪と雖も、亦宥むる可からず。其の關る所の者大いなるを以てなり。此れ上の章の宥むるを終う。

△爾無忿疾于頑。無求備于一夫。無忿疾人之所未化。無求備人之所不能。
【読み】
△爾頑ななるを忿り疾[にく]むこと無かれ。一夫に備わらんことを求むること無かれ。人の未だ化せざる所を忿り疾むこと無かれ。人の能わざる所に備わらんことを求むること無かれ、と。

△必有忍、其乃有濟。有容、德乃大。孔子曰、小不忍、則亂大謀。必有所忍、而後能有所濟。然此猶有堅制力蓄之意、若洪裕寬綽、恢恢乎有餘地者。斯乃德之大也。忍言事、容言德。各以深淺言也。
【読み】
△必ず忍ぶこと有るときは、其れ乃ち濟[な]すこと有り。容るること有るときは、德乃ち大なり。孔子曰く、小を忍びざるときは、則ち大謀を亂る、と。必ず忍ぶ所有りて、而して後に能く濟す所有り。然れども此れ猶堅制力蓄の意有り、洪裕寬綽、恢恢乎として餘地有る者の若し。斯れ乃ち德の大なり。忍ぶに事を言い、容るるに德を言う。各々深淺を以て言えり。

△簡厥修、亦簡其或不修。進厥良、以率其或不良。王氏曰、修、謂其職業。良、謂其行義。職業、有修與不修。當簡而別之、則人勸功。進行義之良者、以率其不良、則人勵行。
【読み】
△厥の修むるを簡[えら]び、亦其の修まらざること或るを簡べ。厥の良きを進めて、以て其の良からざること或るを率いよ。王氏が曰く、修は、其の職業を謂う。良は、其の行義を謂う。職業に、修むると修まらざると有り。當に簡びて而之を別つときは、則ち人功に勸む。行義の良き者を進めて、以て其の良からざるを率ゆるときは、則ち人行いを勵[はげ]む、と。

△惟民生厚。因物有遷。違上所命、從厥攸好。爾克敬典在德、時乃罔不變。允升于大猷。惟予一人膺受多福、其爾之休、終有辭於永世。言斯民之生、其性本厚。而所以澆薄者、以誘於習俗、而爲物所遷耳。然厚者旣可遷而薄、則薄者豈不可反而厚乎。反薄帰厚、特非聲音笑貌之所能爲爾。民之於上、固不從其令而從其好。大學言、其所令、反其所好、則民不從、亦此意也。敬典者、敬其君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友之常道也。在德者、得其典常之道、而著之於身也。蓋知敬典而不知在德、則典與我猶二也。惟敬典而在德焉、則所敬之典、無非實有諸己。實之感人、捷於桴鼓。所以時乃罔不變、而信升于大猷也。如是、則君受其福、臣成其美、而有令名於永世矣。
【読み】
△惟れ民の生[ひととなり]厚し。物に因りて遷ること有り。上の命ずる所に違いて、厥の好みんずる攸に從う。爾克く典を敬み德に在[おい]てせば、時[こ]れ乃ち變わらざること罔けん。允に大いなる猷[みち]に升らん。惟れ予れ一人多福を膺[あた]り受け、其れ爾の休きこと、終に永き世まで辭有らん、と。言うこころは、斯れ民の生、其の性本厚し。而して澆薄[ぎょうはく]なる所以は、習俗に誘わるるを以て、物の爲に遷さるるのみ。然れども厚き者旣に遷りて薄くなる可きときは、則ち薄き者豈反して厚くす可からざらんや。薄きを反して厚きに帰すは、特に聲音笑貌の能くする所に非ざるのみ。民の上に於る、固に其の令に從わずして其の好みんずるに從う。大學に言く、其の令する所、其の好みんずる所に反するときは、則ち民從わずとは、亦此の意なり。典を敬むとは、其の君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友の常の道を敬むなり。德に在てすとは、其の典常の道を得て、之を身に著すなり。蓋し典を敬むことを知りて德に在てすることを知らざるときは、則ち典と我と猶二つのごとし。惟れ典を敬みて德に在てするときは、則ち敬む所の典、實に己に有るに非ざる無し。實の人に感ずるは、桴鼓より捷し。時れ乃ち變わらざること罔くして、信に大猷に升る所以なり。是の如くんば、則ち君其の福を受け、臣其の美を成して、永世まで令名有るなり。     


顧命 顧、還視也。成王將崩、命羣臣立康王。史序其事爲篇。謂之顧命者、鄭玄云、回首曰顧。臨死回顧而發命也。今文古文皆有。○呂氏曰、成王經三監之變、王室幾揺。故此正其終始特詳焉。顧命、成王所以正其終、康王之誥、康王所以正其始。
【読み】
顧命[こめい] 顧は、還り視るなり。成王將に崩ぜんとして、羣臣に命じて康王を立つ。史其の事を序で篇を爲す。之を顧命と謂うは、鄭玄が云う、首を回すを顧と曰う。死に臨みて回顧して命を發するなり、と。今文古文皆有り。○呂氏が曰く、成王三監の變を經て、王室幾ど揺らぐ。故に此れ其の終始を正しくしくすること特に詳らかなり。顧命は、成王の其の終わりを正しくする所以、康王の誥は、康王の其の始めを正しくする所以なり、と。


惟四月哉生魄、王不懌。始生魄、十六日。王有疾。故不悅懌。
【読み】
惟れ四月哉[はじ]めて魄を生すときに、王懌びず。始めて魄を生すとは、十六日なり。王疾有り。故に悅懌[せつえき]せず。

△甲子、王乃洮頮水、相被冕服、憑玉几。洮、音桃。頮、音悔。○王發大命臨羣臣、必齊戒沐浴。今疾病危殆。故但洮盥頮面、扶相者被以袞冕、憑玉几以發命。
【読み】
△甲子[きのえ・ね]、王乃ち水に洮頮[とうかい]し、相けられて冕服を被[き]て、玉几に憑る。洮は、音桃。頮は、音悔。○王大命を發して羣臣に臨むに、必ず齊戒沐浴す。今疾病危殆なり。故に但洮盥頮面して、扶け相くる者被するに袞冕を以てし、玉几に憑きて以て命を發す。

△乃同召太保奭・芮伯・彤伯・畢公・衛侯・毛公・師氏・虎臣・百尹・御事。召、直笑反。芮、如稅反。彤、音全。○同召六卿、下至御治事者。太保・芮伯・彤伯・畢公・衛侯・毛公、六卿也。冢宰第一、召公領之。司徒第二、芮伯爲之。宗伯第三、彤伯爲之。司馬第四、畢公領之。司寇第五、衛侯爲之。司空第六、毛公領之。太保・畢・毛、三公兼也。芮・彤・畢・衛・毛、皆國名。入爲天子公卿。師氏、大夫官。虎臣、虎賁氏。百尹、百官之長、及諸御治事者。平時則召六卿使帥其屬。此則將發顧命、自六卿至御事、同以王命召也。
【読み】
△乃ち同じく太保奭[せき]・芮伯[ぜいはく]・彤伯[とうはく]・畢公・衛侯・毛公・師氏・虎臣・百尹・御事を召す。召は、直笑反。芮は、如稅反。彤は、音全。○同じく六卿を召し、下は御治事の者までに至る。太保・芮伯・彤伯・畢公・衛侯・毛公は、六卿なり。冢宰は第一、召公之を領[す]ぶ。司徒は第二、芮伯之をす。宗伯は第三、彤伯之をす。司馬は第四、畢公之を領ぶ。司寇は第五、衛侯之をす。司空は第六、毛公之を領ぶ。太保・畢・毛は、三公を兼ぬるなり。芮・彤・畢・衛・毛は、皆國の名。入りて天子の公卿と爲る。師氏は、大夫の官。虎臣は、虎賁[こほん]なり。百尹は、百官の長、及び諸々の御治事の者なり。平時には則ち六卿を召して其の屬を帥いしむ。此には則ち將に顧命を發せんとして、六卿より御事に至るまで、同じく王命を以て召すなり。

△王曰、嗚呼疾大漸惟幾。病日臻、旣彌留。恐不獲誓言嗣。茲予審訓命汝。此下成王之顧命也。自嘆其疾大進惟危殆、病日至、旣彌甚而留連。恐遂死、不得誓言以嗣續我志。此我所以詳審發訓命汝。統言曰疾、甚言曰病。
【読み】
△王曰く、嗚呼疾大いに漸[すす]みて惟れ幾[あや]うし。病日々に臻[いた]りて、旣に彌々留まれり。恐れらくは誓言の嗣ぐことを獲ざらんことを。茲に予れ訓えを審らかに汝に命ず。此より下は成王の顧命なり。自ら嘆ずるに、其の疾大いに進みて惟れ危殆にして、病日々に至りて、旣に彌々甚だしくして留連す。恐れらくは遂に死んで、誓言して以て我が志を嗣ぎ續ぐことを得ざらんことを。此れ我が詳審に訓えを發して汝に命ずる所以なり。統べて言えば疾と曰い、甚だしくして言えば病と曰う。

△昔君文王・武王、宣重光、奠麗陳敎則肄。肄不違、用克達殷集大命。武、猶文。謂之重光、猶舜如堯謂之重華也。奠、定。麗、依也。言文武宣布重明之德、定民所依。陳列敎條則民皆服。習而不違、天下化之、用能達於殷邦、而集大命於周也。
【読み】
△昔の君文王・武王、重光を宣[し]きて、麗[つ]くことを奠[さだ]め敎えを陳ぶるときは則ち肄[なら]う。肄いて違わず、用て克く殷に達[いた]りて大命を集[な]せり。武は、猶文のごとし。之を重光と謂うは、猶舜堯の如くにして之を重華と謂うがごとし。奠は、定むる。麗は、依るなり。言うこころは、文武重明の德を宣べ布きて、民の依る所を定む。敎條を陳べ列ねて則ち民皆服す。習いて違わず、天下之に化して、用て能く殷の邦に達して、大命を周に集せり。

△在後之侗、敬迓天威、嗣守文武大訓、無敢昏逾。侗、音同。○侗、愚也。成王自稱言、其敬迎上天威命、而不敢少忽、嗣守文武大訓、而無敢昏逾。天威、天命也。大訓、述天命者也。於天言天威、於文武言大訓、非有二也。
【読み】
△後に在るの侗[おろ]かなる、敬みて天威を迓[むか]えて、嗣いで文武の大いなる訓えを守りて、敢えて昏く逾ゆること無し。侗[とう]は、音同。○侗は、愚かなり。成王自ら稱して言く、其れ敬みて上天の威命を迎えて、敢えて少しも忽にせず、文武の大訓を嗣ぎ守りて、敢えて昏く逾ゆること無し、と。天威は、天命なり。大訓は、天命を述ぶる者なり。天に於ては天威と言い、文武に於ては大訓と言えども、二つ有るに非ず。

△今天降疾殆弗興弗悟。爾尙明時朕言、用敬保元子釗、弘濟于艱難。釗、音昭。○釗、康王名。成王言、今天降疾、我身殆將必死。弗興弗悟。爾庶幾明是我言、用敬保元子釗、大濟于艱難。曰元子者、正其統也。
【読み】
△今天疾を降して殆ど興[た]たず悟[さ]めず。爾尙わくは時[こ]の朕が言を明らかにして、用て敬みて元子の釗[しょう]を保んじて、弘[おお]いに艱難を濟[わた]せ。釗は、音昭。○釗は、康王の名なり。成王言く、今天疾を降し、我が身殆ど將に必ず死せんとす。興たず悟めず。爾庶幾わくは是の我が言を明らかにして、用て敬みて元子の釗を保んじ、大いに艱難を濟せ、と。元子と曰うは、其の統を正すなり。

△柔遠能邇、安勸小大庶邦。懷來馴擾、安寧勸導、皆君道所當盡者。合遠邇小大而言、又以見君德所施、公平周溥、而不可有所偏滯也。
【読み】
△遠きを柔らげ邇きを能くし、小大の庶邦を安んじ勸めよ。懷來馴擾、安寧勸導は、皆君道當に盡くすべき所の者なり。遠邇小大を合わせて言い、又以て君德の施す所、公平周溥[しゅうふ]にして、偏滯する所有る可からざることを見すなり。

△思夫人自亂于威儀。爾無以釗冒貢于非幾。亂、治也。威者、有威可畏。儀者、有儀可象。舉一身之則而言也。蓋人受天地之中以生。是以有動作威儀之則。成王思夫人之所以爲人者、自治于威儀耳。自治云者、正其身而不假於外求也。貢、進也。成王又言、羣臣其無以元子而冒進於不善之幾也。蓋幾者、動之微而善惡之所由分也。非幾、則發於不善而陷於惡矣。威儀、舉其著於外者而勉之也。非幾、舉其發於中者而戒之也。威儀之治、皆本於一念一慮之微。可不謹乎。孔子所謂知幾、子思所謂謹獨、周子所謂幾善惡者、皆致意於是也。成王垂絕之言、而拳拳及此。其有得於周公者亦深矣。○蘇氏曰、死生之際、聖賢之所甚重也。成王將崩之一日、被冕服以見百官、出經遠保世之言。其不死於燕安婦人之手也明矣。其致刑措宜哉。
【読み】
△夫人[ひとびと]を思うに自ら威儀を亂[おさ]む。爾釗を以て非幾に冒し貢[すす]むこと無かれ、と。亂は、治むるなり。威は、威有りて畏る可し。儀は、儀有りて象る可し。一身の則を舉げて言うなり。蓋し人は天地の中を受けて以て生ず。是を以て動作威儀の則有り。成王夫人の人爲る所以の者を思うに、自ら威儀を治むるのみ。自ら治むと云うは、其の身を正しくして外に求むることを假らざるなり。貢は、進むなり。成王又言う、羣臣其れ元子を以て不善の幾に冒し進むこと無かれ、と。蓋し幾は、動の微にして善惡の由りて分かる所なり。非幾は、則ち不善に發して惡に陷るなり。威儀は、其の外に著るる者を舉げて之を勉めしむ。非幾は、其の中より發する者を舉げて之を戒むるなり。威儀の治は、皆一念一慮の微に本づく。謹まざる可けんや。孔子の所謂幾を知る、子思の所謂獨を謹む、周子の所謂幾に善惡ありという者は、皆意を是に致すなり。成王垂絕の言にして、拳拳として此に及ぶ。其れ周公に得ること有る者亦深し。○蘇氏が曰く、死生の際は、聖賢の甚だ重んずる所なり。成王將に崩ぜんとするの一日、冕服を被て以て百官に見えて、遠きを經[おさ]め世を保んずるの言を出だす。其の燕安に婦人の手に死せざること明らかなり。其の刑措を致すこと宜なるかな。

△茲旣受命還。出綴衣于庭。越翼日乙丑、王崩。還、音旋。○綴衣、幄帳也。羣臣旣退、徹出幄帳於庭。喪大記云、疾病、君徹縣東首於北牖下、是也。於其明日王崩。
【読み】
△茲に旣に命を受けて還る。綴衣[ていい]を庭に出だす。越[ここ]に翼日の乙丑[きのと・うし]、王崩ず。還は、音旋。○綴衣は、幄帳なり。羣臣旣に退いて、幄帳を庭に徹出す。喪大記に云う、疾病なるときは、君縣を徹し北牖の下に東首すとは、是れなり。其の明日に於て王崩ず。

△太保命仲桓・南宮毛、俾爰齊侯呂伋、以二干戈、虎賁百人、逆子釗於南門之外、延入翼室、恤宅宗。桓・毛、二臣名。伋、太公望子、爲天子虎賁氏。延、引也。翼室、路寢旁、左右翼室也。太保、以冢宰攝政。命桓・毛二臣、使齊侯呂伋、以二干戈、虎賁百人、逆太子釗于路寢門外、引入路寢翼室、爲憂居宗主也。呂氏曰、發命者冢宰。傳命者兩朝臣。承命者勳戚顯諸侯。體統尊嚴、樞機周密、防危慮患之意深矣。入自端門、萬姓咸覩與天下共之也。延入翼室、爲憂居之宗、示天下不可一日無統也。唐穆・敬・文・武以降、閹寺執國命易王於宮掖、而外廷猶不聞。然後知、周家之制、曲盡備豫。雖一條一節、亦不可廢也。
【読み】
△太保仲桓・南宮毛に命じて、爰に齊侯呂伋をして、二つの干戈、虎賁[こほん]百人を以て、子釗を南門の外に逆[むか]えて、延[ひ]いて翼室に入れて、恤宅の宗たらしむ。桓・毛は、二臣の名。伋は、太公望の子、天子の虎賁氏爲り。延は、引くなり。翼室は、路寢の旁、左右の翼室なり。太保は、冢宰を以て政を攝す。桓・毛二臣に命じて、齊侯呂伋をして、二つの干戈、虎賁百人を以て、太子釗を路寢の門外に逆えて、引いて路寢の翼室に入れて、憂居の宗主たらしむ。呂氏が曰く、命を發する者は冢宰。命を傳うる者は兩朝の臣。命を承くる者は勳戚顯らかなる諸侯。體統尊嚴、樞機周密、危きを防ぎ患えを慮るの意深し、と。端門より入るは、萬姓咸覩て天下と之を共にするなり。延いて翼室に入りて、憂居の宗爲らしむるは、天下一日も統無かる可からざることを示すなり。唐の穆・敬・文・武より以降、閹寺國命を執りて王を宮掖に易えて、外廷猶聞かず。然して後に知る、周家の制、曲[つぶさ]に盡くして備[つぶさ]に豫めす。一條一節と雖も、亦廢つ可からざることを。

△丁卯、命作册度。命史爲册書法度、傳顧命於康王。
【読み】
△丁卯[ひのと・う]、命じて册度を作る。史に命じて册書法度を爲らしめ、顧命を康王に傳う。

△越七日癸酉、伯相命士須材。伯相、召公也。召公以西伯爲相。須、取也。命士取材木以供喪用。
【読み】
△越[ここ]に七日癸酉[みずのと・とり]、伯相士に命じて材を須[と]る。伯相は、召公なり。召公西伯を以て相と爲る。須は、取るなり。士に命じて材木を取りて以て喪の用に供す。

△狄設黼扆綴衣。扆、隱豈反。○狄、下土。祭統云、狄者、樂吏之賤者也。喪大記、狄人設階。蓋供喪役、而典設張之事者也。黼扆、屛風。畫爲斧文者。設黼扆幄帳、如成王生存之日也。
【読み】
△狄黼扆[ふい]綴衣[ていい]を設く。扆は、隱豈反。○狄は、下土なり。祭統に云う、狄は、樂吏の賤しき者、と。喪大記に、狄人階を設く、と。蓋し喪の役を供して、設張の事を典る者なり。黼扆は、屛風。斧文を畫き爲す者なり。黼扆幄帳を設くること、成王生存の日の如し。

△牖閒南嚮、敷重篾席黼純。華玉仍几。篾、莫結反。○此平時見羣臣覲諸侯之坐也。敷設重席、所謂天子之席三重者也。篾席、桃竹枝席也。黼、白黑雜繒。純、緣也。華、彩色也。華玉、以飾几。仍、因也。因生時所設也。周禮、吉事變几、凶事仍几是也。
【読み】
△牖の閒に南に嚮かいて、篾席[べっせき]の黼[えが]ける純[へり]せるを敷き重ねたり。華玉の仍[よ]れる几あり。篾は、莫結反。○此れ平時羣臣に見え諸侯に覲ゆるの坐なり。重席を敷き設くるは、所謂天子の席三重なる者なり。篾席は、桃竹の枝の席なり。黼は、白黑の雜れる繒。純は、緣なり。華は、彩色なり。華玉は、以て几を飾る。仍は、因るなり。生時設くる所に因るなり。周禮に、吉事には變几、凶事には仍几とは是れなり。

△西序東嚮、敷重厎席綴純。文貝仍几。此旦夕聽事之坐也。東西廂謂之序。厎席、蒲席也。綴、雜彩。文貝、有文之貝。以飾几也。
【読み】
△西の序[ひさし]に東に嚮かいて、厎席の綴れる純せるを敷き重ねたり。文貝の仍れる几あり。此れ旦夕事を聽くの坐なり。東西の廂之を序と謂う。厎席は、蒲席なり。綴は、雜れる彩。文貝は、文有るの貝。以て几を飾るなり。

△東序西嚮、敷重豐席畫純。雕玉仍几。此養國老、饗羣臣之坐也。豐席、筍席也。畫、彩色。雕、刻鏤也。
【読み】
△東の序に西に嚮かいて、豐席の畫ける純せるを敷き重ねたり。雕玉の仍れる几あり。此れ國老を養い、羣臣を饗するの坐なり。豐席は、筍席なり。畫は、彩色。雕は、刻鏤なり。

△西夾南嚮、敷重筍席玄紛純。漆仍几。此親属私燕之坐也。西廂來來之前。筍席、竹席也。紛、雜也。以玄黑之色、雜爲之緣。漆、漆几也。牖閒兩序西夾、其席有四。牖戶之閒、謂之扆。天子負扆朝諸侯、則牖閒南嚮之席、坐之正也。其三席各隨事以時設也。將傳先王顧命、知神之在此在彼乎。故兼設平生之坐也。
【読み】
△西夾に南に嚮かいて、筍席の玄く紛[まじ]われる純せるを敷き重ねたり。漆ぬり仍れる几あり。此れ親属私燕の坐なり。西廂來來の前なり。筍席は、竹席なり。紛は、雜わるなり。玄黑の色を以て、雜えて緣を爲る。漆は、漆几なり。牖閒兩序の西夾に、其の席四つ有り。牖戶の閒、之を扆[い]と謂う。天子扆を負いて諸侯に朝しむるときは、則ち牖閒南に嚮かうの席は、坐の正なり。其の三席各々事に隨いて時を以て設く。將に先王の顧命を傳えんとして、神の此に在すか彼に在すかと知る。故に平生の坐を兼ね設く。

△越玉五重、陳寶。赤刀・大訓・弘璧・琬琰、在西序。大玉・夷玉・天球・河圖、在東序。胤之舞衣、大貝・鼖鼓、在西房。兌之戈、和之弓、垂之竹矢、在東房。於東西序座北、列玉五重、及陳先王所寶器物。赤刀、赤削也。大訓、三皇五帝之書。訓誥亦在焉。文武之訓、亦曰大訓。弘璧、大璧也。琬琰、圭名。夷、常也。球、鳴球也。河圖、伏羲時龍馬負圖出於河。一六位北、二七位南、三八位東、四九位西、五十居中者。易大傳所謂河出圖是也。胤、國名。胤國所制舞衣。大貝、如車渠。鼖鼓、長八尺。兌・和、皆古之巧工。垂、舜時共工。舞衣・鼖鼓・戈・弓・竹矢、皆制作精巧中法度。故歷代傳寶之。孔氏曰、弘璧・琬琰・大玉・夷玉・天球、玉之五重也。呂氏曰、西序所陳、不惟赤刀・弘璧、而大訓參之。東序所陳、不惟大玉・夷玉、而河圖參之。則其所寶者、斷可識矣。愚謂、寶玉器物之陳、非徒以爲國容觀美。意者成王平日之所觀閱、手澤在焉。陳之以象其生存也。楊氏中庸傳曰、宗器於祭陳之、示能守也。於顧命陳之、示能傳也。
【読み】
△越[ここ]に玉五重あり、寶を陳ぬ。赤刀・大訓・弘璧・琬琰[えんえん]、西の序に在り。大玉・夷玉・天球・河圖、東の序に在り。胤の舞衣、大貝・鼖鼓[ふんこ]、西の房に在り。兌の戈、和の弓、垂の竹矢、東の房に在り。東西の序の座の北に於て、玉五重を列ね、及び先王の寶とする所の器物を陳ぬ。赤刀は、赤削なり。大訓は、三皇五帝の書。訓誥も亦焉に在り。文武の訓も、亦大訓と曰う。弘璧は、大璧なり。琬琰は、圭の名。夷は、常なり。球は、鳴球なり。河圖は、伏羲の時龍馬圖を負いて河より出づ。一六は北に位し、二七は南に位し、三八は東に位し、四九は西に位し、五十は中に居る者なり。易の大傳に所謂河圖を出だすとは是れなり。胤は、國の名。胤國の制する所の舞衣なり。大貝は、車渠の如し。鼖鼓は、長さ八尺。兌・和は、皆古の巧工。垂は、舜の時の共工。舞衣・鼖鼓・戈・弓・竹矢は、皆制作精巧にして法度に中る。故に歷代傳えて之を寶とす。孔氏が曰く、弘璧・琬琰・大玉・夷玉・天球は、玉の五重なり、と。呂氏が曰く、西の序に陳ぬる所は、惟赤刀・弘璧のみならずして、大訓之を參えり。東序に陳ぬる所は、惟大玉・夷玉のみならずして、河圖之を參えり。則ち其の寶とする所の者、斷じて識る可し、と。愚謂えらく、寶玉器物の陳ぬる、徒に以て國容觀美の爲には非ず。意うに成王平日の觀閱する所、手澤焉に在り。之を陳ねて以て其の生存に象るなり。楊氏中庸の傳に曰く、宗器祭に於て之を陳ぬるは、能く守ることを示す。顧命に於て之を陳ぬるは、能く傳うることを示す、と。

△大輅在賓階面。綴輅在阼階面。先輅在左塾之前。次輅在右塾之前。大輅、玉輅也。綴輅、金輅也。先輅、木輅也。次輅、象輅・革輅也。王之五輅、玉輅以祀不以封、爲最貴。金輅以封同姓、爲次之。象輅以封異姓、爲又次之。革輅以封四衛、爲又次之。木輅以封蕃國、爲最賤。其行也、貴者宜自近、賤者宜遠也。王乘玉輅、綴之者金輅也。故金輅謂之綴輅。最遠者木輅也。故木輅謂之先輅。以木輅爲先輅、則革輅・象輅爲次輅矣。賓階、西階也。阼階、東階也。面、南嚮也。塾、門側堂也。五輅陳列、亦象成王之生存也。周禮典輅云、若有大祭祀、則出輅。大喪・大賓客亦如之。是大喪出輅、爲常禮也。又按所陳寶玉器物、皆以西爲上者、成王殯在西序故也。
【読み】
△大輅[たいろ]賓階の面に在り。綴輅[ていろ]阼階[そかい]の面に在り。先輅左塾の前に在り。次輅右塾の前に在り。大輅は、玉輅なり。綴輅は、金輅なり。先輅は、木輅なり。次輅は、象輅・革輅なり。王の五輅、玉輅は祀に以てし封ずるに以てせず、最も貴しとす。金輅は以て同姓を封じ、之に次とす。象輅は以て異姓を封じ、又之に次とす。革輅は以て四衛を封じ、又之に次とす。木輅は以て蕃國を封じ、最も賤しきとす。其の行や、貴き者は宜しく近くよりすべく、賤しき者は宜しく遠ざくべし。王玉輅に乘り、之に綴[つら]ぬる者は金輅なり。故に金輅之を綴輅と謂う。最も遠き者は木輅なり。故に木輅之を先輅と謂う。木輅を以て先輅とするときは、則ち革輅・象輅を次輅とす。賓階は、西階なり。阼階は、東階なり。面は、南に嚮かうなり。塾は、門の側の堂なり。五輅陳ね列ぬるも、亦成王の生存に象るなり。周禮の典輅に云う、若し大祭祀有るときは、則ち輅を出だす。大喪・大賓客にも亦之の如し、と。是れ大喪に輅を出だすは、常の禮爲り。又按ずるに陳ぬる所の寶玉器物、皆西を以て上とするは、成王の殯の西の序に在る故なり。

△二人雀弁執惠、立于畢門之内。四人綦弁、執戈上刃、夾兩階戺。一人冕執劉、立于東堂。一人冕執鉞、立于西堂。一人冕執戣、立于東垂。一人冕執瞿、立于西垂。一人冕執銳、立于側階。戺、里反。戣、音逵。○弁、士服。雀弁、赤色弁也。綦弁、以文鹿子皮爲之。惠、三隅矛。路寢門、一名畢門。上刃、刃外嚮也。堂廉曰戺。冕、大夫服。劉、鉞屬。戣・瞿、皆戟屬。銳、當作鈗。說文曰、鈗、侍臣所執兵、從金允聲。周書曰、一人冕執鈗。讀若允。東西堂、路寢東西廂之前堂也。東西垂、路寢東西序之階上也。側階、北陛之階上也。○呂氏曰、古者執戈戟以宿衛宮、皆士大夫之職。無事而奉燕私、則從容養德、而有膏澤之潤。有事而司禦侮、則堅明守義、而無腹心之虞。下及秦漢陛楯執戟、尙餘一二。此制旣廢。人主接士大夫者、僅有視朝數刻、而周廬陛楯、或環以椎埋嚚悍之徒。有志於復古者、當深繹也。
【読み】
△二人雀弁して惠を執りて、畢門の内に立てり。四人綦弁[きべん]して、戈[か]を執りて刃を上にして、兩階の戺[し]を夾めり。一人冕して劉を執りて、東堂に立てり。一人冕して鉞[えつ]を執りて、西堂に立てり。一人冕して戣[き]を執りて、東垂に立てり。一人冕して瞿[く]を執りて、西垂に立てり。一人冕して銳を執りて、側階に立てり。戺は、里反。戣は、音逵[き]。○弁は、士の服。雀弁は、赤色の弁なり。綦弁は、文鹿子の皮を以て之を爲る。惠は、三隅の矛。路寢の門、一には畢門と名づく。刃を上にするは、刃外に嚮かうなり。堂の廉[かど]を戺と曰う。冕は、大夫の服。劉は、鉞の屬。戣・瞿は、皆戟の屬。銳は、當に鈗[いん]に作るべし。說文に曰く、鈗は、侍臣執る所の兵、金允の聲に從う、と。周書に曰く、一人冕して鈗を執る。讀んで允の若し、と。東西の堂は、路寢の東西の廂の前の堂なり。東西の垂は、路寢の東西の序の階上なり。側階は、北陛の階上なり。○呂氏が曰く、古は戈戟を執りて以て宮を宿衛するは、皆士大夫の職なり。事無くして燕私に奉ずるときは、則ち從容にして德を養いて、膏澤の潤い有り。事有りて禦侮を司るときは、則ち堅明に義を守りて、腹心の虞り無し。下りて秦漢に及んで陛楯執戟、尙一二を餘すのみ。此の制旣に廢せり。人主の士大夫を接する者、僅かに視朝數刻有りて、周廬の陛楯、或は環りて以て嚚悍[ぎんかん]の徒を椎埋[ついまい]す。復古に志有る者、當に深く繹[たず]ぬべし、と。

△王麻冕黼裳、由賓階隮。卿士・邦君麻冕蟻裳、入卽位。隮、牋西反。○麻冕、三十升麻爲冕也。隮、升也。康王吉服、自西階升堂、以受先王之命。故由賓階也。蟻、玄色。公卿・大夫及諸侯皆同服。亦廟中之禮。不言升階者、從王賓階也。入卽位者、各就其位也。○呂氏曰、麻冕黼裳、王祭服也。卿士・邦君祭服之裳皆纁。今蟻裳者、蓋無事於奠祝、不欲純用吉服。有位於班列、不可純用凶服。酌吉凶之閒、示禮之變也。
【読み】
△王麻冕黼裳[ふしょう]して、賓階より隮[のぼ]る。卿士・邦君麻冕蟻裳して、入りて位に卽けり。隮[せい]は、牋[せん]西反。○麻冕は、三十升の麻を冕とす。隮は、升るなり。康王吉服して、西階より堂に升り、以て先王の命を受く。故に賓階よりす。蟻は、玄色なり。公卿・大夫及び諸侯皆同じく服す。亦廟中の禮なり。階に升ると言わざるは、王賓階に從ればなり。入りて位に卽くとは、各々其の位に就くなり。○呂氏が曰く、麻冕黼裳は、王の祭服なり。卿士・邦君の祭服の裳は皆纁[あか]し。今蟻裳する者は、蓋し奠祝に事とすること無く、純ら吉服を用ゆることを欲せず。班列に位すること有り、純ら凶服を用ゆ可からず。吉凶の閒を酌んで、禮の變を示す、と。

△太保・太史・太宗、皆麻冕彤裳。太保承介圭、上宗奉同・瑁、由阼階隮。太史秉書、由賓階隮、御王册命。太宗、宗伯也。彤、纁也。太保受遺、太史奉册。太宗相禮。故皆祭服也。介、大也。大圭、天子之守、長尺有二十。同、爵名。祭以酌酒者。瑁、方四寸。邪刻之以冒諸侯之圭璧、以齊瑞信也。太保・宗伯、以先王之命、奉符寶以傳嗣君。有主道焉。故升自阼階。太史以册命御王。故持書由賓階以升。蘇氏曰、凡王所臨所服用、皆曰御。
【読み】
△太保・太史・太宗、皆麻冕彤裳[とうしょう]せり。太保介いなる圭を承[ささ]げ、上宗同・瑁[ぼう]を奉げて、阼階より隮[のぼ]る。太史書を秉りて、賓階より隮りて、王に册命を御[すす]む。太宗は、宗伯なり。彤は、纁[あか]きなり。太保遺を受け、太史册を奉ず。太宗禮を相[たす]く。故に皆祭服す。介は、大いなり。大圭は、天子の守り、長さ尺有二十。同は、爵の名。祭に以て酒を酌む者なり。瑁は、方四寸。邪[なな]めに之を刻みて以て諸侯の圭璧を冒いて、以て瑞信を齊うなり。太保・宗伯、先王の命を以て、符寶を奉じて以て嗣君に傳う。主の道有り。故に阼階より升る。太史册命を以て王に御む。故に書を持ちて賓階より以て升る。蘇氏が曰く、凡そ王の臨む所服用する所は、皆御と曰う、と。

△曰、皇后憑玉几、道揚末命、命汝嗣訓。臨君周邦、率循大卞、爕和天下、用答揚文武之光訓。成王顧命之言、書之册矣。此太史口陳者也。皇、大。后、君也。言大君成王力疾、親憑玉几、道揚臨終之命。命汝嗣守文武大訓。曰汝者、父前子名之義。卞、法也。臨君周邦、位之大也。率循大卞、法之大也。爕和天下、和之大也。居大位、由大法、致大和、然後可以對揚文武之光訓也。
【読み】
△曰く、皇后玉几に憑[よ]りて、末命を道[い]い揚げて、汝に命じて訓えを嗣がしむ。周の邦に臨み君とし、大いなる卞[のり]に率い循い、天下を爕[やわ]らげ和らげて、用て文武の光れる訓えを答え揚げよ、と。成王顧命の言、之を册に書す。此れ太史口から陳ぶる者なり。皇は、大い。后は、君なり。言うこころは、大君成王疾を力めて、親ら玉几に憑りて、臨終の命を道揚す。汝に命じて嗣いで文武の大訓を守らしむ。汝と曰うは、父の前に子の名いうの義なり。卞[へん]は、法なり。周の邦に臨み君たるは、位の大なり。大いなる卞に率い循うは、法の大なり。天下に爕和するは、和の大なり。大位に居り、大法に由り、大和を致して、然して後に以て文武の光訓に對揚す可し、と。

△王再拜興答曰、眇眇予末小子、其能而亂四方、以敬忌天威。眇、小。而、如。亂、治也。王拜受顧命、起答太史曰、眇眇然予微末小子、其能如父祖治四方、以敬忌天威乎。謙辭退託於不能也。顧命有敬迓天威、嗣守文武大訓之語。故太史所告、康王所答、皆於是致意焉。
【読み】
△王再拜して興[た]ちて答えて曰く、眇眇[びょうびょう]たる予れ末の小子、其れ能く四方を亂[おさ]めて、以て天威を敬み忌[おそ]るるが而[ごと]くならんや、と。眇は、小しき。而は、如し。亂は、治むるなり。王拜して顧命を受け、起ちて太史に答えて曰く、眇眇然たる予れ微末の小子、其れ能く父祖四方を治め、以て天威を敬忌するが如くならんや、と。能くせざるに謙辭退託するなり。顧命に敬みて天威を迓[むか]えて、嗣いで文武の大いなる訓えを守るの語有り。故に太史告ぐる所、康王答うる所、皆是に於て意を致すなり。

△乃受同・瑁。王三宿、三祭、三咤。上宗曰、饗。咤、陟嫁反。○王受瑁爲主、受同以祭。宿、進爵也。祭、祭酒也。咤、奠爵也。禮成於三。故三宿、三祭、三咤。葛氏曰、受上宗同・瑁、則受太保介圭可知。宗伯曰、饗者、傳神命以饗告也。
【読み】
△乃ち同・瑁を受く。王三たび宿[すす]め、三たび祭り、三たび咤[お]く。上宗曰く、饗[う]けよ、と。咤は、陟嫁反。○王瑁を受けて主と爲り、同を受けて以て祭る。宿は、爵を進むるなり。祭は、酒を祭るなり。咤は、爵を奠[お]くなり。禮は三に成る。故に三たび宿め、三たび祭り、三たび咤く。葛氏が曰く、上宗の同・瑁を受くるときは、則ち太保の介圭を受くること知る可し、と。宗伯曰く、饗くとは、神の命を傳えて饗けよを以て告ぐるなり。

△太保受同降盥、以異同秉璋以酢、授宗人同拜。王答拜。酢、疾各反。○太保受王所咤之同、而下堂盥洗、更用他同、秉璋以酢。酢、報祭也。祭禮、君執圭瓚祼尸。太宗執璋瓚亞祼。報祭、亦亞祼之類也。故亦秉璋也。以同授宗人而拜尸。王答拜者、代尸拜也。宗人、小宗伯之屬。相太保酢者也。太宗供王。故宗人供太保。
【読み】
△太保同を受けて降りて盥[あら]い、異なる同を以て璋を秉りて以て酢[むく]い、宗人に同を授けて拜す。王答拜す。酢は、疾各反。○太保王の咤[お]く所の同を受けて、堂を下りて盥洗して、更に他の同を用いて、璋を秉りて以て酢ゆ。酢は、報祭なり。祭禮に、君圭瓚を執りて尸に祼[かん]す。太宗璋瓚を執りて亞祼す、と。報祭も、亦亞祼の類なり。故に亦璋を秉るなり。同を以て宗人に授けて尸を拜す。王答拜するは、尸に代わりて拜するなり。宗人は、小宗伯の屬。太保の酢を相くる者なり。太宗王に供す。故に宗人太保に供す。

△太保受同祭嚌。宅授宗人同拜。王答拜。嚌、才詣反。○以酒至齒曰嚌。太保復受同以祭、飮福至齒。宅、居也。太保退居其所、以同授宗人又拜。王復答拜。太保飮福至齒者、方在喪疚、歆神之賜、而不甘其味也。若王則喪之主、非徒不甘味。雖飮福亦廢也。
【読み】
△太保同を受けて祭りて嚌[の]む。宅[い]て宗人に同を授けて拜す。王答拜す。嚌[せい]は、才詣反。○酒を以て齒に至るを嚌と曰う。太保復同を受けて以て祭り、福を飮みて齒に至る。宅は、居るなり。太保退いて其の所に居て、同を以て宗人に授けて又拜す。王復答拜す。太保福を飮みて齒に至る者、方に喪疚に在りて、神の賜を歆[う]けて、其の味を甘しとせざるなり。王の若きは則ち喪の主にて、徒に味を甘しとせざるのみに非ず。福を飮むと雖も亦廢つるなり。

△太保降收。諸侯出廟門俟。太保下堂、有司收徹器用。廟門、路寢之門也。成王之殯在焉。故曰廟。言諸侯、則卿士以下可知。俟者、俟見新君也。
【読み】
△太保降り收む。諸侯廟門を出でて俟つ。太保堂を下り、有司器用を收め徹す。廟門は、路寢の門なり。成王の殯焉に在り。故に廟と曰う。諸侯と言うときは、則ち卿士より以下は知る可し。俟は、俟ちて新君に見ゆるなり。


康王之誥 今文古文皆有。但今文合於顧命。
【読み】
康王之誥[こうおうのこう] 今文古文皆有り。但今文は顧命に合す。


王出在應門之内。太保率西方諸侯、入應門左。畢公率東方諸侯、入應門右。皆布乘黃朱。賓稱奉圭兼幣曰、一二臣衛、敢執壤奠。皆再拜稽首、王義嗣德。答拜。漢孔氏曰、王出畢門立應門内。鄭氏曰、周禮、五門、一曰皐門、二曰雉門、三曰庫門、四曰應門、五曰路門。路門、一曰畢門。外朝、在路門外、則應門之内、蓋内朝所在也。周中分天下諸侯、主以二伯。自陝以東、周公主之。自陝以西、召公主之。召公率西方諸侯。蓋西伯舊。畢公率東方諸侯、則繼周公爲東伯矣。諸侯入應門、列于左右。布、陳也。乘、四馬也。諸侯皆陳四黃馬、而朱其鬣、以爲廷實。或曰、黃朱若篚厥玄黃之類。賓、諸侯也。稱、舉也。諸侯舉所奉圭兼幣曰、一二臣衛。一二、見非一也。爲王蕃衛。故曰臣衛。敢執壤地所出奠贄、皆再拜首至地、以致敬。義、宜也。義嗣德云者、史氏之辭也。康王宜嗣前人之德。故答拜也。吳氏曰、穆公使人弔公子重耳。重耳稽顙而不拜。穆公曰、仁夫公子、稽顙而不拜、則未爲後也。蓋爲後者拜。不拜、故未爲後也。弔者・含者・襚者、升堂致命。主孤拜稽顙成爲後者也。康王之見諸侯、若以爲不當拜而不拜、則疑未爲後也。且純乎吉也。答拜旣正其爲後、且知其以喪見也。
【読み】
王出でて應門の内に在り。太保西方の諸侯を率いて、應門に入りて左す。畢公東方の諸侯を率いて、應門に入りて右す。皆乘黃朱を布く。賓圭と幣とを稱[あ]げ奉げて曰く、一二の臣衛、敢えて壤奠を執る、と。皆再拜稽首して、王義[よろ]しく德を嗣ぐべし、と。答拜す。漢の孔氏が曰く、王畢門を出でて應門の内に立つ、と。鄭氏が曰く、周禮に、五門、一に曰く皐門、二に曰く雉門、三に曰く庫門、四に曰く應門、五に曰く路門、と。路門、一には畢門と曰う。外朝は、路門の外に在れば、則ち應門の内は、蓋し内朝の在る所なり、と。周天下の諸侯を中分して、主るに二伯を以てす。陝[せん]より以東は、周公之を主る。陝より以西は、召公之を主る。召公西方の諸侯を率ゆ。蓋し西伯の舊なり。畢公東方の諸侯を率ゆるより、則ち周公を繼いで東伯と爲るなり。諸侯應門に入りて、左右に列す。布は、陳ぬるなり。乘は、四馬なり。諸侯皆四つの黃馬を陳ねて、其の鬣[たてがみ]を朱にして、以て廷實とす。或ひと曰く、黃朱は厥の玄黃を篚[ひ]するの類の若し、と。賓は、諸侯なり。稱は、舉ぐるなり。諸侯奉ずる所の圭と幣とを舉げて曰く、一二の臣衛、と。一二は、一に非ざるを見すなり。王の蕃衛爲り。故に臣衛と曰う。敢えて壤地出づる所の奠贄を執りて、皆再拜して首地に至りて、以て敬を致す。義は、宜なり。義しく德を嗣ぐべしと云うは、史氏の辭なり。康王宜しく前人の德を嗣ぐべし。故に答拜するなり。吳氏が曰く、穆公人をして公子重耳を弔う。重耳稽顙[けいそう]して拜せず。穆公曰く、仁なるかな公子、稽顙して拜せず、則ち未だ後と爲らず、と。蓋し後と爲る者は拜す。拜せざる、故に未だ後と爲らざるなり。弔者・含者・襚[すい]者、堂に升りて命を致す。主孤り拜稽顙して後爲る者と成す。康王の諸侯に見ゆるに、若し以て當に拜すべからずとして拜せざるときは、則ち未だ後と爲らざるの疑いあり。且つ吉に純らなり。答拜するときは旣に其の後爲ることを正し、且つ其の喪を以て見ゆることを知るなり。

△太保曁芮伯、咸進相揖、皆再拜稽首曰、敢敬告天子。皇天改大邦殷之命、惟周文武誕受羑若。克恤西土。冢宰及司徒、與羣臣皆進相揖定位。又皆再拜稽首、陳戒於王曰、敢敬告天子。示不敢輕告、且尊稱之。所以重其聽也。曰大邦殷者、明有天下不足恃也。羑若、未詳。蘇氏曰、羑、羑里也。文王出羑里之囚、天命自是始順。或曰、羑若卽下文之厥若也。羑・厥或字有訛謬。西土、文武所興之地。言文武所以大受命者、以其能恤西土之衆也。進告不言諸侯、以内見外。
【読み】
△太保曁[およ]び芮[ぜい]伯、咸進みて相揖[ゆう]して、皆再拜稽首して曰く、敢えて敬みて天子に告す。皇天大邦殷の命を改めて、惟れ周の文武誕[おお]いに受けて羑よりして若[したが]えり。克く西土を恤う。冢宰及び司徒、羣臣と皆進み相揖して位を定む。又皆再拜稽首して、戒めを王に陳べて曰く、敢えて敬みて天子に告す、と。敢えて輕々しく告げざることを示し、且つ之を尊稱す。其の聽を重んずる所以なり。大邦殷と曰うは、天下を有ちても恃むに足らざることを明らかにするなり。羑若は、未だ詳らかならず。蘇氏が曰く、羑は、羑里なり。文王羑里の囚を出でて、天命是れより始めて順う、と。或ひと曰く、羑若は卽ち下の文の厥若なり。羑・厥或は字に訛謬有らん、と。西土は、文武興る所の地なり。言うこころは、文武大いに命を受くる所以は、其の能く西土の衆を恤うるを以てなり。進み告ぐるに諸侯を言わざるは、内を以て外を見すなり。

△惟新陟王、畢協賞罰、戡定厥功、用敷遺後人休。今王敬之哉。張皇六師、無壞我高祖寡命。陟、升遐也。成王初崩、未葬未諡。故曰新陟王。畢、盡。協、合也。好惡在理不在我。故能盡合其賞之所當賞、罰之所當罰、而克定其功、用施及後人之休美。今王嗣位。其敬勉之哉。皇、大也。張皇六師、大戒戎備、無廢壞我文武艱難寡得之基命也。按召公此言、若導王以尙威武者。然守成之世、多溺宴安、而無立志。苟不詰爾戎兵、奮揚武烈、則廢弛怠惰、而陵遲之漸見矣。成康之時病正在是。故周公於立政、亦懇懇言之。後世墜先王之業、忘祖父之讎、上下苟安、甚至於口不言兵、亦異於召公之見矣。可勝嘆哉。
【読み】
△惟れ新たに陟[かく]れます王、畢[ことごと]く賞罰を協え、戡[よ]く厥の功を定め、用て後人の休きを敷き遺す。今王之を敬めや。六師を張り皇[おお]いにして、我が高祖の寡命を壞ること無かれ、と。陟は、升遐なり。成王初めて崩じ、未だ葬らず未だ諡あらず。故に新たに陟れます王と曰う。畢は、盡く。協は、合[かな]うなり。好惡理に在りて我に在らず。故に能く盡く其の賞の當に賞すべき所、罰の當に罰すべき所を合えて、克く其の功を定めて、用て後人の休美に施し及ぼす。今王位を嗣ぐ。其れ敬みて之を勉めよや。皇は、大いなり。六師を張り皇いにして、大いに戒め戎備して、我が文武艱難寡得の基命を廢て壞ること無かれ。按ずるに召公の此の言は、王を導くに以て威武を尙ぶ者の若し。然れども守成の世は、多く宴安に溺れて、志を立つること無し。苟も爾の戎兵を詰[おさ]め、武烈を奮い揚げざるときは、則ち廢弛怠惰して、陵遲の漸見るなり。成康の時の病は正に是に在り。故に周公立政に於て、亦懇懇と之を言う。後世先王の業を墜し、祖父の讎を忘れ、上下苟も安んじ、甚だ口兵を言わざるに至るも、亦召公の見に異なり。勝げて嘆ず可きかな。

△王若曰、庶邦侯・甸・男・衛、惟予一人釗報誥。報誥而不及羣臣者、以外見内。康王在喪。故稱名。春秋、嗣王在喪、亦書名也。
【読み】
△王若[か]く曰く、庶邦の侯・甸・男・衛、惟れ予れ一人釗誥ぐるに報ゆ。報誥して羣臣に及ばざる者は、外を以て内を見すなり。康王喪に在り。故に名を稱す。春秋に、嗣王喪に在れば、亦名を書[しる]すなり。

△昔君文武丕平富、不務咎。厎至齊信、用昭明于天下。則亦有熊羆之士、不二心之臣、保乂王家、用端命于上帝。皇天用訓厥道、付畀四方。丕平富者、溥博均平、薄斂富民。言文武德之廣也。不務咎者、不務咎惡、輕省刑罰。言文武罰之謹也。厎至者、推行而厎其至也。齊信者、兼盡而極其誠也。文武務德不務罰之心、推行而厎其至、兼盡而極其誠。内外充實。故光輝發越、用昭明于天下。蓋誠之至者、不可揜也。而又有熊羆武勇之士、不二心忠實之臣、戮力同心、保乂王室。文武用受正命於天、上天用順文武之道、而付之以天下之大也。康王言此者、求助羣臣諸侯之意。
【読み】
△昔の君文武丕いに平[ひと]しく富まして、咎を務めず。至りを厎して齊え信とし、用て天下に昭明なり。則ち亦熊羆[ゆうひ]のごとき士、二心あらざるの臣有り、王家を保んじ乂めて、端[ただ]しき命を上帝に用ゆ。皇天用て厥の道に訓[したが]い、四方を付[さず]け畀[あた]う。丕いに平しく富むとは、溥博均平にして、斂を薄くし民を富ます。言うこころは、文武の德を廣むるなり。咎を務めずとは、咎惡を務めず、刑罰を輕省す。言うこころは、文武の罰を謹むなり。至りを厎すとは、推し行いて其の至りを厎すなり。齊え信とすとは、兼ね盡くして其の誠を極むるなり。文武德を務めて罰を務めざるの心、推し行いて其の至りを厎し、兼ね盡くして其の誠を極む。内外充實す。故に光輝發越して、用て天下に昭明なり。蓋し誠の至りは、揜う可からず。而も又熊羆武勇の士、二心あらざる忠實の臣有りて、力を戮[あ]わせ心を同じくして、王室を保んじ乂む。文武用て正命を天に受け、上天用て文武の道に順いて、之に付くるに天下の大を以てす。康王此を言うは、助けを羣臣諸侯に求むるの意なり。

△乃命建侯樹屛、在我後之人。今予一二伯父、尙胥曁顧綏爾先公之臣服于先王。雖爾身在外、乃心罔不在王室。用奉恤厥若、無遺鞠子羞。天子稱同姓諸侯曰伯父。康王言、文武所以命建侯邦、植立蕃屛者、意蓋在我後之人也。今我一二伯父、庶幾相與顧綏爾祖考所以臣服于我先王之道。雖身守國在外、乃心當常在王室、用奉上之憂勤、其順承之、毋遺我稚子之恥也。
【読み】
△乃ち命じて侯を建て屛を樹つるは、我が後の人に在り。今予が一二の伯父、尙わくは胥曁[とも]に爾の先公の先王に臣服するを顧み綏んぜよ。爾の身は外に在りと雖も、乃の心は王室に在ざる罔かれ。用て恤えを奉[う]けて厥れ若[したが]い、鞠子の羞を遺すこと無かれ、と。天子同姓諸侯を稱して伯父と曰う。康王言く、文武命じて侯邦を建て、植立蕃屛とする所以は、意蓋し我が後の人に在るなり。今我が一二の伯父、庶幾わくは相與に爾の祖考の我が先王に臣服する所以の道を顧み綏んぜよ。身國を守りて外に在りと雖も、乃の心は當に常に王室に在るべく、用て上の憂勤を奉けて、其れ順い承けて、我が稚子の恥を遺すこと毋かれ、と。

△羣公旣皆聽命、相揖趨出。王釋冕、反喪服。始相揖者、揖而進也。此相揖者、揖而退也。蘇氏曰、成王崩未葬、君臣皆冕服禮歟。曰、非禮也。謂之變禮可乎。曰、不可。禮變於不得已。嫂非溺、終不援也。三年之喪旣成服。釋之而卽吉。無時而可者。曰、成王顧命不可以不傳。旣傳不可以喪服受也。曰、何爲其不可也。孔子曰、將冠。子未及期日、而有齊衰大功之喪、則因喪服而冠。冠、吉禮也。猶可以喪服行之。受顧命見諸侯、獨不可以喪服乎。太保使太史奉册授王于次、諸侯入哭於路寢、而見王於次。王喪服受敎戒諫、哭踊答拜、聖人復起、不易斯言矣。春秋傳曰、鄭子皮如晉。葬晉平公、將以幣行。子產曰、喪安用幣。子皮固請以行。旣葬諸侯之大夫、欲因見新君。叔向辭之曰、大夫之事畢矣。而又命孤。孤斬焉在衰絰之中、其以嘉服見、則喪禮未畢。其以喪服見、是重受弔也。大夫將若之何。皆無辭以退。今康王旣以嘉服見諸侯、而又受乘黃玉帛之幣。使周公在、必不爲此。然則孔子何取此書也。曰、至矣其父子君臣之閒、敎戒深切著明、足以爲後世法。孔子何爲不取哉。然其失禮、則不可不辯。
【読み】
△羣公旣に皆命を聽いて、相揖して趨り出づ。王冕を釋[ぬ]ぎて、喪服に反る。始めて相揖する者は、揖して進むなり。此に相揖する者は、揖して退くなり。蘇氏が曰く、成王崩じて未だ葬らず、君臣皆冕服するは禮か。曰く、禮に非ず。之を變禮と謂うは可なるか。曰く、不可なり。禮已むことを得ざるに變ず。嫂溺るるに非ざれば、終に援わず。三年の喪旣に服を成す。之を釋ぎて吉に卽く。時として可なる者無し。曰く、成王の顧命は以て傳えずんばある可からず。旣に傳うるに喪服を以て受く可からず。曰く、何爲れぞ其れ不可なる。孔子曰く、將に冠せんとす。子未だ期日に及ばずして、齊衰大功の喪有るときは、則ち喪服に因りて冠す、と。冠は、吉禮なり。猶喪服を以て之を行う可し。顧命を受けて諸侯に見ゆるに、獨り喪服を以てす可からざんや。太保太史をして册を奉じ王に次に授け、諸侯入りて路寢に哭して、王に次に見ゆ。王喪服して敎戒の諫めを受けて、哭踊答拜すること、聖人復起こるとも、斯の言を易えず。春秋傳に曰く、鄭の子皮晉に如く。晉の平公を葬るとき、將に幣を以て行かんとす。子產が曰く、喪に安んぞ幣を用いん、と。子皮固く請いて以て行く。旣に葬りて諸侯の大夫、因りて新君に見えんと欲す。叔向之を辭して曰く、大夫の事畢われり、と。而して又孤に命ず。孤斬焉として衰絰[さいてつ]の中に在り、其れ嘉服を以て見ゆるときは、則ち喪禮未だ畢わらず。其れ喪服を以て見ゆるときは、是れ重ねて弔を受くるなり。大夫將[はた]之を若何せん。皆辭無くして以て退く、と。今康王旣に嘉服を以て諸侯に見えて、又乘黃玉帛の幣を受く。周公をして在らしむれば、必ず此をせず。然らば則ち孔子何ぞ此の書を取れるや。曰く、至れるかな其の父子君臣の閒、敎戒深切著明にして、以て後世の法爲るに足ればなり。孔子何爲れぞ取らざらんや。然れども其の失禮は、則ち辯ぜずんばある可からざればなり、と。


畢命 康王以成周之衆、命畢公保釐。此其册命也。今文無、古文有。○唐孔氏曰、漢律歷志云、康王畢命豐刑。曰、惟十有二年六月庚午朏、王命作册書豐刑。此僞作者、傳聞舊語、得其年月、不得以下之辭。妄言作豐刑耳。亦不知豐刑之言何所道也。
【読み】
畢命[ひつめい] 康王成周の衆を以[い]て、畢公に命じて保んじ釐[おさ]めしむ。此れ其の册命なり。今文無し、古文有り。○唐の孔氏が曰く、漢の律歷志に云う、康王畢に豐刑を命ず。曰く、惟れ十有二年の六月庚午[かのえ・うま]の朏[みかづき]、王命じて册書豐刑を作らしむ、と。此れ僞り作る者、舊語を傳え聞きて、其の年月を得て、以て下すことを得ざるの辭なり。妄りに豐刑を作ると言うのみ。亦豐刑の言は何の道う所かを知らず、と。


惟十有二年六月庚午朏、越三日壬申、王朝步自宗周至于豐。以成周之衆、命畢公保釐東郊。康王之十二年也。畢公嘗相文王。故康王就豐文王廟命之。成周、下都也。保、安。釐、理也。保釐、卽下文旌別淑慝之謂。蓋一代之治體、一篇之宗要也。
【読み】
惟れ十有二年六月庚午[かのえ・うま]の朏[みかづき]、越[ここ]に三日壬申[みずのえ・さる]、王朝に宗周より步りて豐に至る。成周の衆を以[い]て、畢公に命じて東郊を保んじ釐[おさ]めしむ。康王の十二年なり。畢公は嘗て文王に相たり。故に康王豐の文王の廟に就いて之を命ず。成周は、下都なり。保は、安んず。釐は、理[おさ]むるなり。保釐は、卽ち下の文の淑慝を旌別するの謂なり。蓋し一代の治體、一篇の宗要なり。

△王若曰、嗚呼父師、惟文王・武王、敷大德于天下、用克受殷命。畢公代周公爲太師也。文王・武王布大德于天下、用能受殷之命。言得之之難也。
【読み】
△王若[か]く曰く、嗚呼父師、惟れ文王・武王、大德を天下に敷いて、用て克く殷の命を受けたり。畢公周公に代わりて太師と爲る。文王・武王大德を天下に布いて、用て能く殷の命を受く。言うこころは、之を得ることの難きなり。

△惟周公左右先王、綏定厥家。毖殷頑民、遷于洛邑、密邇王室、式化厥訓。旣歷三紀、世變風移、四方無虞。予一人以寧。十二年曰紀。父子曰世。周公左右文・武・成王、安定國家、謹毖頑民、遷于洛邑、密近王室、用化其敎。旣歷三紀、世已變而風始移。今四方無可虞度之事、而予一人以寧。言化之之難也。
【読み】
△惟れ周公先王を左右[たす]けて、厥の家を綏んじ定む。殷の頑民を毖[つつし]みて、洛邑に遷し、王室に密[きび]しく邇づけて、式[もっ]て厥の訓えに化す。旣に三紀を歷て、世變わり風移りて、四方虞ること無し。予れ一人以て寧し。十二年を紀と曰う。父子を世と曰う。周公文・武・成王を左右けて、國家を安んじ定め、頑民を謹み毖みて、洛邑に遷し、王室に密近して、用て其の敎えに化す。旣に三紀を歷て、世已に變わりて風始めて移る。今四方虞り度る可きの事無くして、予れ一人以て寧し。言うこころは、之を化すことの難きなり。

△道有升降。政由俗革。不臧厥臧、民罔攸勸。有升有降、猶言有隆有汚也。周公當世道方降之時。至君陳・畢公之世、則將升於大猷矣。爲政者因俗變革。故周公毖殷而謹厥始。君陳有容而和厥中。皆由俗爲政者。當今之政、旌別淑慝之時也。苟不善其善、則民無所勸慕矣。
【読み】
△道に升り降ること有り。政は俗に由りて革まる。厥の臧きを臧しとせずんば、民勸む攸罔けん。升ること有り降ること有るは、猶隆きこと有り汚[ひく]きこと有りと言うがごとし。周公は世道方に降るの時に當たる。君陳・畢公の世に至りては、則ち將に大猷に升らんとするなり。政を爲むる者は俗に因りて變革す。故に周公は殷を毖みて厥の始めを謹む。君陳は容るること有りて厥の中を和らぐ。皆俗に由りて政を爲むる者なり。當今の政は、淑慝を旌別するの時なり。苟も其の善きを善しとせずんば、則ち民勸慕する所無けん、と。

△惟公懋德、克勤小物。弼亮四世、正色率下。罔不祗師言。嘉績多于先王。予小子垂拱仰成。懋、盛大之義。予懋乃德之懋。小物、猶言細行也。言畢公旣有盛德、又能勤於細行。輔導四世、風采凝峻、表儀朝著。若大若小、罔不祗服師訓。休嘉之績、蓋多於先王之時矣。今我小子復何爲哉。垂衣拱手、以仰其成而已。康王將付畢公以保釐之寄。故敍其德業之盛、而歸美之也。
【読み】
△惟れ公德を懋[さか]んにして、克く小物を勤めたり。弼け亮[みちび]くこと四世、色を正しくし下を率ゆ。師言を祗まざること罔し。嘉き績先王に多[まさ]れり。予れ小子垂れ拱いて成れるを仰ぐ、と。懋[ぼう]は、盛大の義。予れ乃が德の懋んなるを懋んとす。小物は、猶細行と言うがごとし。言うこころは、畢公旣に盛德有りて、又能く細行を勤む。四世を輔け導いて、風采凝峻、表儀朝著す。若しくは大、若しくは小、師訓に祗み服かざること罔し。休嘉の績、蓋し先王の時より多し。今我れ小子復何をかせんや。衣を垂れ手を拱いて、以て其の成れるを仰ぐのみ、と。康王將に畢公に付するに保釐の寄を以てせんとす。故に其の德業の盛んなるを敍で、之を歸美す。

△王曰、嗚呼父師、今予祗命公、以周公之事。往哉。今我敬命公、以周公化訓頑民之事。公其往哉、言非周公所爲、不敢屈公以行也。
【読み】
△王曰く、嗚呼父師、今予れ祗みて公に命ずるに、周公の事を以てす。往けや。今我れ敬みて公に命ずるに、周公の頑民を化訓するの事を以てす。公其れ往けやとは、言うこころは、周公のする所に非ずんば、敢えて公を屈して以て行わざるなり。

△旌別淑慝、表厥宅里。彰善癉惡、樹之風聲。弗率訓典、殊厥井疆。俾克畏慕、申畫郊圻。愼固封守、以康四海。癉、多旱反。守、舒究反。○淑、善。慝、惡。癉、病也。旌善別惡、成周今日由俗革之政也。表異善人之居里、如後世旌表門閭之類。顯其爲善者、而病其爲不善者、以樹立爲善者風聲、使顯於當時、而傳於後世。所謂旌淑也。其不率訓典者、則殊異其井里疆界、使不得與善者雜處。禮記曰、不變移之郊。不變移之遂。卽其法也。使能畏爲惡之禍、而慕爲善之福。所謂別慝也。圻、與畿同。郊圻之制、昔固規畫矣。曰申云者、申明之也。封域之險、昔固有守矣。曰謹云者、戒嚴之也。疆域障塞、歲久則易湮。世平則易玩。時緝而屢省之。乃所以尊嚴王畿。王畿安、則四海安矣。
【読み】
△淑[よ]き慝[あ]しきを旌[あらわ]し別[こと]にし、厥の宅里に表す。善きを彰[あらわ]し惡しきを癉[や]ましめて、之が風聲を樹つ。訓典に率わざるを、厥の井疆を殊にす。克く畏れ慕わしめて、申ねて郊圻[こうき]を畫く。愼みて封の守りを固くして、以て四海を康んぜよ。癉[たん]は、多旱反。守は、舒究反。○淑は、善。慝は、惡。癉は、病むなり。善を旌し惡を別つは、成周の今日俗に由りて革むるの政なり。善人の居里を表異するは、後世門閭を旌表するの類の如し。其の善を爲す者を顯して、其の不善を爲す者を病ましめ、以て善を爲す者の風聲を樹立して、當時に顯さしめて、後世に傳う。所謂淑きを旌すなり。其の訓典に率わざる者は、則ち其の井里疆界を殊異にし、善者と雜り處ることを得ざらしむ。禮記に曰く、變わらざるは之を郊に移す。變わらずして之を遂に移す、と。卽ち其の法なり。能く惡を爲すの禍いを畏れて、善を爲すの福を慕わしむ。所謂慝しきを別にするなり。圻は、畿と同じ。郊圻の制、昔固に規畫す。曰く申ぬと云う者は、申ねて之を明らかにするなり。封域の險、昔固に守り有り。曰く謹むと云う者は、戒めて之を嚴にするなり。疆域の障塞、歲久しきときは則ち湮[ふさ]ぎ易し。世平らかなるときは則ち玩[あなど]り易し。時に緝[つつし]みて屢々之を省る。乃ち王畿を尊嚴する所以なり。王畿安きときは、則ち四海安し。

△政貴有恆、辭尙體要。不惟好異。商俗靡靡、利口惟賢。餘風未殄。公其念哉。恆、胡登反。○對暫、之謂恆。對常、之謂異。趣完具而已、之謂體。衆體所會、之謂要。政事純一、辭令簡實、深戒作聰明、趨浮末、好異之事。凡論治體者皆然。而在商俗則尤爲對病之藥也。蘇氏曰、張釋之諫漢文帝、秦任刀筆之吏、爭以亟疾苛察相高。其弊徒文具、無惻隱之實。以故不聞其過、陵夷至於二世、天下土崩。今以嗇夫口辯、而超遷之。臣恐天下隨風靡、爭口辯無其實。凡釋之所論、則康王以告畢公者也。
【読み】
△政は恆有るを貴び、辭は體要を尙ぶ。惟れ異なることを好まざれ。商の俗靡靡として、利口を惟れ賢しとす。餘風未だ殄[た]えず。公其れ念えや。恆は、胡登反。○暫に對する、之を恆と謂う。常に對する、之を異と謂う。趣き完く具われるのみ、之を體と謂う。衆體の會する所、之を要と謂う。政事純一、辭令簡實にして、深く聰明を作し、浮末に趨り、異を好むの事を戒む。凡そ治體を論ずる者皆然り。而も商の俗に在[おい]ては則ち尤も病に對するの藥爲り。蘇氏が曰く、張釋の漢の文帝を諫むるに、秦刀筆の吏に任じて、爭いて亟疾苛察を以て相高しとす。其の弊徒に文具わりて、惻隱の實無し。故を以て其の過ちを聞かず、陵夷二世に至りて、天下土のごとく崩る。今嗇夫の口辯を以て、之を超遷す。臣恐れらくは天下風に隨いて靡き、口辯を爭いて其の實無し、と。凡そ釋が論ずる所は、則ち康王以て畢公に告ぐる者ならん、と。

△我聞曰、世祿之家、鮮克由禮。以蕩陵德、實悖天道。敝化奢麗、萬世同流。鮮、上聲。悖、蒲沒反。○古人論世祿之家、逸樂豢養、其能由禮者鮮矣。旣不由禮、則心無所制。肆其驕蕩、陵蔑有德、悖亂天道、敝壞風化、奢侈美麗、萬世同一流也。康王將言殷士怙侈滅義之惡。故先取古人論世族者發之。
【読み】
△我れ聞く曰く、世祿の家、克く禮に由ること鮮し。蕩を以て德を陵ぎ、實に天道に悖る。化を敝[やぶ]り奢り麗しくし、萬世流れを同じくす、と。鮮は、上聲。悖は、蒲沒反。○古人世祿の家を論ずるに、逸樂豢養[かんよう]し、其れ能く禮に由る者鮮し。旣に禮に由らざるときは、則ち心制する所無し。其の驕蕩を肆にし、有德を陵蔑し、天道を悖亂し、風化を敝壞して、奢侈美麗なること、萬世同一流なり。康王將に殷士侈りを怙[たの]みて義を滅ぼすの惡を言わんとす。故に先ず古人の世族を論ずる者を取りて之を發す。

△茲殷庶士、席寵惟舊。怙侈滅義。服美于人、驕淫矜侉。將由惡終。雖收放心、閑之惟艱。侉、枯瓜反。○呂氏曰、殷士憑藉光寵、助發其私欲者、有自來矣。私欲公義、相爲消長。故怙侈必至滅義。義滅則無復羞惡之端。徒以服飾之美、侉之於人、而身之不美、則莫之恥也。流而不反、驕淫矜侉、百邪竝見。將以惡終矣。洛邑之遷、式化厥訓。雖已收其放心、而其所以防閑其邪者、猶甚難也。
【読み】
△茲れ殷の庶士、寵に席[よ]ること惟れ舊[ひさ]し。侈[おご]りを怙[たの]みて義を滅ぼす。服人よりも美しくして、驕り淫[たわ]れ矜[ほこ]り侉[おご]る。將に惡を由[もち]いて終えんとす。放心を收むと雖も、之を閑ぐこと惟れ艱し。侉[か]は、枯瓜反。○呂氏が曰く、殷士光寵に憑り藉[よ]りて、其の私欲を助け發する者、自りて來ること有り。私欲公義は、消長を相爲す。故に侈りを怙みて必ず義を滅ぼすに至る。義滅ぶときは則ち復羞惡の端無し。徒に服飾の美を以て、之を人に侉りて、身の美ならざることは、則ち之を恥ずること莫し。流れて反らず、驕淫矜侉にして、百邪竝び見る。將に惡を以て終えんとす。洛邑の遷、式て厥の訓えに化す。已に其の放心を收むと雖も、而して其の其の邪を防ぎ閑ぐ所以の者、猶甚だ難し、と。

△資富能訓、惟以永年。惟德惟義、時乃大訓。不由古訓、于何其訓。言殷士不可不訓之也。資、資財也。資富而能訓、則心不遷於外物、而可全其性命之正也。然訓非外立敎條也。惟德惟義而已。德者、心之理。義者、理之宜也。德義人所同有也。惟德義以爲訓。是乃天下之大訓。然訓非可以己私言也。當稽古以爲之說。蓋善無徵、則民不從。不由古以爲訓、于何以爲訓乎。
【読み】
△資富みて能く訓ゆるときは、惟れ以て永年なり。惟れ德惟れ義、時[こ]れ乃ち大訓なり。古の訓えに由らずんば、何に于てか其れ訓えとせん、と。言うこころは、殷の士之を訓えずんばある可からず。資は、資財なり。資富みて能く訓ゆるときは、則ち心外物に遷らずして、其の性命の正を全くす可し。然れども訓えは外に敎條を立つるに非ず。惟れ德惟れ義なるのみ。德は、心の理。義は、理の宜しきなり。德義は人の同じく有る所なり。惟れ德義以て訓えとす。是れ乃ち天下の大訓なり。然れども訓は己私を以て言う可きに非ず。當に古に稽えて以て之が說を爲るべし。蓋し善も徵[しるし]無きときは、則ち民從わず。古に由りて以て訓を爲らずんば、何に于て以て訓えとせんや。

△王曰、嗚呼父師、邦之安危、惟茲殷士。不剛不柔、厥德允修。是時四方無虞矣。蕞爾殷民、化訓三紀之餘、亦何足慮。而康王拳拳以邦之安危、惟繫於此。其不苟於小成者如此。文・武・周公之澤、其深長也宜哉。不剛、所以保之。不柔、所以釐之。不剛不柔、其德信乎其修矣。
【読み】
△王曰く、嗚呼父師、邦の安危は、惟れ茲れ殷の士なり。剛からず柔らかならず、厥の德允に修まれり。是の時四方虞ること無し。蕞爾[さいじ]たる殷の民、三紀に化訓せらるるの餘、亦何ぞ慮るに足らん。而れども康王拳拳として邦の安危を以て、惟れ此に繫ぐ。其の小成を苟もせざる者此の如し。文・武・周公の澤、其れ深長なること宜なるかな。剛からざるは、之を保んずる所以。柔らかならざるは、之を釐むる所以。剛からず柔らかならざれば、其の德信なるかな其れ修まらん。

△惟周公克愼厥始。惟君陳克和厥中。惟公克成厥終。三后協心、同厎于道。道洽政治、澤潤生民。四夷左衽、罔不咸賴。予小子永膺多福。殊厥井疆、非治之成也。使商民皆善、然後可謂之成。此曰成者、預期之也。三后所治者洛邑、而施及四夷。王畿、四方之本也。吳氏曰、道者、致治之道也。始之中之終之。雖時有先後、皆能卽其行事、觀其用心、而有以濟之。若出於一時、若成於一人、謂之協心如此。
【読み】
△惟れ周公克く厥の始めを愼む。惟れ君陳克く厥の中を和らぐ。惟れ公克く厥の終わりを成さん。三后心を協えて、同[ひと]しく道に厎らん。道洽[あまね]く政治まりて、澤生民を潤さん。四夷左衽するものまで、咸賴らざる罔けん。予れ小子永く多福に膺[あた]らん。厥の井疆を殊にするは、治の成れるに非ず。商の民をして皆善ならしめ、然して後に之を成すと謂う可し。此に成すと曰うは、預め之を期するなり。三后は治むる所の者洛邑にして、四夷に施し及ぼす。王畿は、四方の本なり。吳氏が曰く、道は、治を致すの道なり。之を始め之を中にし之を終う。時に先後有りと雖も、皆能く其の行事に卽いて、其の心を用ゆるを觀て、以て之を濟すこと有り。一時に出づるが若く、一人に成るが若き、之を協心と謂わんこと此の如し、と。

△公其惟時成周、建無窮之基、亦有無窮之聞。子孫訓其成式惟乂。聞、音問。○建、立。訓、順。式、法也。○成周、指下都而言。呂氏曰、畢公四世元老。豈區區立後世名者。而勳德之隆、亦豈少此。康王所以望之者、蓋相期以無窮事業。乃尊敬之至也。
【読み】
△公其れ惟れ時[こ]れ成周、窮まり無きの基を建てば、亦窮まり無きの聞こえ有らん。子孫其の成れる式[のり]に訓[したが]いて惟れ乂[おさ]まらん。聞は、音問。○建は、立つ。訓は、順う。式は、法なり。○成周は、下都を指して言う。呂氏が曰く、畢公は四世の元老なり。豈に後世に名を立つるに區區たる者ならんや。而して勳德の隆んなる、亦豈此に少なからんや。康王之を望む所以の者、蓋し相期するに無窮の事業を以てす。乃ち尊敬の至りなり、と。

△嗚呼罔曰弗克。惟旣厥心。罔曰民寡。惟愼厥事。欽若先王成烈、以休于前政。蘇氏曰、曰弗克者、畏其難、而不敢爲者也。曰民寡者、易其事、以爲不足爲者也。前政、周公・君陳也。
【読み】
△嗚呼克くせずと曰う罔かれ。惟れ厥の心を旣[つ]くせ。民寡しと曰う罔かれ。惟れ厥の事を愼め。欽みて先王の成れる烈[ひかり]に若[したが]いて、以て前[さき]の政を休[よ]くせよ、と。蘇氏が曰く、克くせずと曰うは、其の難きを畏れて、敢えてせざる者なり。民寡しと曰うは、其の事を易しとして、以てするに足らずと爲す者なり、と。前政は、周公・君陳なり。


君牙 君牙、臣名。穆王命君牙爲大司徒。此其誥命也。今文無、古文有。
【読み】
君牙[くんが] 君牙は、臣の名。穆王君牙に命じて大司徒とす。此れ其の誥命なり。今文無し、古文有り。


王若曰、嗚呼君牙、惟乃祖乃父、世篤忠貞、服勞王家。厥有成績、紀于太常。王、穆王也。康王孫、昭王子。周禮司勳云、凡有功者、銘書于王之太常。司常云、日月爲常。畫日月於旌旗也。
【読み】
王若[か]く曰く、嗚呼君牙、惟れ乃の祖乃の父、世々忠貞に篤く、王家に服勞す。厥れ成れる績有りて、太常に紀[しる]せり。王は、穆王なり。康王の孫、昭王の子なり。周禮の司勳に云う、凡そ功有る者は、王の太常に銘書す、と。司常に云う、日月を常とす、と。日月を旌旗に畫くなり。

△惟予小子、嗣守文・武・成・康遺緒。亦惟先王之臣、克左右亂四方。心之憂危、若蹈虎尾、涉于春冰。緒、統緒也。若蹈虎尾、畏其噬。若涉春冰、畏其陷。言憂危之至、以見求助之切也。
【読み】
△惟れ予れ小子、嗣いで文・武・成・康の遺緒を守る。亦惟れ先王の臣、克く左右[たす]けて四方を亂[おさ]む。心の憂え危うきこと、虎の尾を蹈み、春の冰を涉るが若し。緒は、統緒なり。虎の尾を蹈むが若しとは、其の噬むことを畏る。春の冰を涉るが若しとは、其の陷らんことを畏る。言うこころは、憂危の至り、以て助けを求むるの切なるを見すなり。

△今命爾予翼、作股肱心膂。纘乃舊服、無忝祖考。膂、脊也。舊服、忠貞服勞之事。忝、辱也。欲君牙以其祖考事先王者而事我也。
【読み】
△今爾に命じて予を翼けて、股肱心膂[しんりょ]と作さしむ。乃の舊服を纘[つ]いで、祖考を忝[はずかし]むること無かれ。膂は、脊なり。舊服は、忠貞服勞の事なり。忝は、辱むるなり。君牙が其の祖考の先王に事うる者を以て我に事えんことを欲す。

△弘敷五典、式和民則。爾身克正、罔敢弗正。民心罔中。惟爾之中。弘敷者、大而布之也。式和者、敬而和之也。則、有物有則之則。君臣之義、父子之仁、夫婦之別、長幼之序、朋友之信、是也。典、以設敎言。故曰弘敷。則、以民彝言。故曰式和。此司徒之敎也。然敎之本、則在君牙之身。正也中也、民則之體、而人之所同然也。正以身言。欲其所處無邪行也。中以心言。欲其所存無邪思也。孔子曰、子率以正、孰敢不正。周公曰、率自中。此告君牙以司徒之職也。
【読み】
△弘[おお]いに五典を敷き、式[つつし]みて民の則を和らげよ。爾の身克く正しくば、敢えて正しからざること罔けん。民の心中罔し。惟れ爾の中なり。弘敷とは、大いにして之を布くなり。式和は、敬みて之を和らぐなり。則は、物有れば則有りの則なり。君臣の義、父子の仁、夫婦の別、長幼の序、朋友の信、是れなり。典は、敎えを設くるを以て言う。故に弘いに敷くと曰う。則は、民彝を以て言う。故に式み和らぐと曰う。此れ司徒の敎えなり。然れども敎えの本は、則ち君牙の身に在り。正や中や、民則の體にして、人の同[ひと]しく然る所なり。正は身を以て言う。其の處る所邪行無からんことを欲す。中は心を以て言う。其の存する所邪思無からんことを欲す。孔子曰く、子率ゆるに正しきを以てせば、孰か敢えて正しからざらん、と。周公曰く、中に率い自[したが]え、と。此れ君牙に告ぐるに司徒の職を以てするなり。

△夏暑雨、小民惟曰怨咨。冬祁寒、小民亦惟曰怨咨。厥惟艱哉。思其艱、以圖其易、民乃寧。祁、大也。暑雨祁寒、小民怨咨、自傷其生之艱難也。厥惟艱哉者、嘆小民之誠爲艱難也。思念其難、以圖其易、民乃安也。艱者、飢寒之艱。易者、衣食之易。司徒敷五典、擾兆民、兼養敎之職。此又告君牙、以養民之難也。
【読み】
△夏の暑く雨ふるに、小民惟れ怨み咨[なげ]くと曰う。冬の祁[おお]いに寒きに、小民亦惟れ怨み咨くと曰う。厥れ惟れ艱いかな。其の艱きを思いて、以て其の易きを圖れば、民乃ち寧し。祁[き]は、大いなり。暑雨祁寒、小民怨み咨くは、自ら其の生の艱難を傷むなり。厥れ惟れ艱いかなとは、小民の誠に艱難を爲すことを嘆くなり。其の難きを思い念いて、以て其の易きを圖れば、民乃ち安し。艱とは、飢寒の艱なり。易とは、衣食の易なり。司徒は五典を敷き、兆民を擾[やす]んじ、養敎の職を兼ぬ。此れ又君牙に告ぐるに、民を養うの難きを以てするなり。

△嗚呼丕顯哉文王謨。丕承哉武王烈。啓佑我後人、咸以正罔缺。爾惟敬明乃訓、用奉若于先王、對揚文武之光命、追配于前人。丕、大。謨、謀。烈、功也。文顯於前、武承於後。曰謨曰烈、各指其實言之。咸以正者、無一事不出於正。咸罔缺者、無一事不致其周密。若、順。對、答。配、匹也。前人、君牙祖父。
【読み】
△嗚呼丕いに顯らかなるかな文王の謨。丕いに承[つ]げるかな武王の烈。我が後人を啓き佑けて、咸正しきを以て缺くること罔し。爾惟れ敬みて乃の訓えを明らかにして、用て先王に奉け若[したが]いて、文武の光命を對え揚げて、追って前人に配[なら]べ、と。丕[ひ]は、大い。謨は、謀る。烈は、功なり。文は前に顯らかに、武は後に承ぐ。謨と曰い烈と曰うは、各々其の實を指して之を言う。咸正しきを以てすとは、一事として正しきに出でざること無し。咸缺くること罔しとは、一事として其の周密を致さざること無し。若は、順う。對は、答うる。配は、匹なり。前人は、君牙の祖父なり。

△王若曰、君牙、乃惟由先正舊典時式。民之治亂在茲。率乃祖考之攸行、昭乃辟之有乂。先正、君牙祖父也。君牙由祖父舊職、而是法之。民之治亂、在此而已。法則治。否則亂也。循汝祖父之所行、而顯其君之有乂。復申戒其守家法以終之。按此篇專以君牙祖父爲言。曰纘舊服、曰由舊典、曰無忝、曰追配、曰由先正舊典、曰率祖考攸行。然則君牙之祖父、嘗任司徒之職、而其賢可知矣。惜載籍之無傳也。陳氏曰、康王時芮伯爲司徒。君牙豈其後耶。
【読み】
△王若[か]く曰く、君牙、乃惟れ先正の舊典に由りて時[こ]れ式[のっと]れ。民の治亂は茲に在り。乃の祖考の行う攸に率いて、乃の辟の乂[おさ]むること有るを昭らかにせよ、と。先正は、君牙の祖父なり。君牙祖父の舊職に由りて、是れ之に法れ。民の治亂は、此に在るのみ。法るときは則ち治まる。否[し]からざるときは則ち亂る。汝の祖父の行う所に循いて、其の君の乂むること有るを顯らかにせよ。復申ねて其の家法を守りて以て之を終えんことを戒む。按ずるに此の篇は專ら君牙の祖父を以て言を爲す。舊服を纘ぐと曰い、舊典に由ると曰い、忝むること無かれと曰い、追て配べと曰い、先正の舊典に由ると曰い、祖考の行う攸に率うと曰う。然らば則ち君牙の祖父は、嘗て司徒の職に任じて、其の賢なること知る可し。惜しいかな載籍の傳わること無きこと。陳氏が曰く、康王の時に芮伯は司徒爲り。君牙は豈其の後なるか、と。


冏命 冏、倶永反。○穆王命伯冏爲太僕正。此其誥命也。今文無、古文有。○呂氏曰、陪僕贄御之臣、後世視爲賤品、而不之擇者。曾不知人主朝夕與居、氣體移養、常必由之、潛消默奪於冥冥之中、而明爭顯諫於昭昭之際、抑末矣。自周公作立政、而嘆綴衣・虎賁、知恤者鮮、則君德之所繫、前此知之者亦罕矣。周公表而出之。其選始重。穆王之用太僕正、特作命書、至與大司徒略等。其知本哉。
【読み】
冏命[けいめい] 冏は、倶永反。○穆王伯冏に命じて太僕正と爲す。此れ其の誥命なり。今文無し、古文有り。○呂氏が曰く、陪僕贄御の臣、後世賤品と爲りて、之を擇びざる者を視す。曾て知らず、人主朝夕與に居り、氣體移養、常に必ず之に由りて、冥冥の中に潛消默奪して、昭昭の際に明爭顯諫すること、抑々末なり、と。周公立政を作りて、綴衣[ていい]・虎賁[こほん]、恤えを知れる者鮮しと嘆くより、則ち君德の繫る所、此より前に之を知る者亦罕[まれ]なり。周公表して之を出だす。其の選始めて重し。穆王の太僕正を用いて、特り命書を作り、大司徒と略等しきに至る。其れ本を知れるかな、と。


王若曰、伯冏、惟予弗克于德。嗣先人宅丕后、怵惕惟厲。中夜以興、思免厥愆。怵、勑律反。○伯冏、臣名。穆王言、我不能于德。繼前人居大君之位。恐懼危厲、中夜以興、思所以免其咎過。
【読み】
王若[か]く曰く、伯冏、惟れ予れ德を克くせず。先人に嗣いで丕いなる后に宅り、怵惕して惟れ厲[あや]うし。中夜以て興[おき]て、厥の愆[あやまち]を免れんことを思う。怵は、勑律反。○伯冏は、臣の名。穆王言く、我れ德に能からず。前人に繼いで大いなる君の位に居る。恐懼危厲して、中夜に以て興て、其の咎過を免る所以を思う、と。

△昔在文武、聰明齊聖、小大之臣、咸懷忠良。其侍御・僕從、罔匪正人。以旦夕承弼厥辟、出入起居、罔有不欽。發號施令、罔有不臧。下民祗若、萬邦咸休。從、才用反。○侍、給侍左右者。御、車御之官。僕從、太僕羣僕、凡從王者。承、承順之謂。弼、正救之謂。雖文武之君、聰明齊聖、小大之臣、咸懷忠良、固無待於侍御・僕從之承弼者、然其左右奔走、皆得正人、則承順正救、亦豈小補哉。
【読み】
△昔在[むかし]文武、聰明齊聖、小大の臣まで、咸く忠良を懷けり。其の侍御・僕從まで、正人に匪ざる罔し。以て旦夕に厥の辟を承け弼けて、出入起居、欽まざること有る罔し。號を發し令を施すも、臧からざること有る罔し。下民祗み若[したが]い、萬邦咸休[よ]し。從は、才用反。○侍は、左右を給侍する者なり。御は、車御の官。僕從は、太僕羣僕、凡そ王に從う者なり。承は、承順の謂なり。弼は、正救の謂なり。文武の君、聰明齊聖にして、小大の臣、咸く忠良を懷き、固に侍御・僕從の承弼を待つこと無き者と雖も、然れども其の左右奔走する、皆正人を得るときは、則ち承順正救、亦豈小補ならんや。

△惟予一人無良。實賴左右前後有位之士。匡其不及、繩愆糾謬、格其非心、俾克紹先烈。無良、言其質之不善也。匡、輔助也。繩、直。糾、正也。非心、非僻之心也。先烈、文武也。
【読み】
△惟れ予れ一人良きこと無し。實に左右前後の位有るの士に賴る。其の及ばざるを匡し、愆[あやまち]を繩[ただ]し謬[あやま]てるを糾し、其の非心を格して、克く先の烈を紹がしめよ。良きこと無しとは、其の質の不善を言うなり。匡は、輔助なり。繩は、直す。糾は、正すなり。非心は、非僻の心なり。先烈は、文武なり。

△今予命汝作大正。正于羣僕・侍御之臣、懋乃后德、交修不逮。大正、太僕正也。周禮太僕、下大夫也。羣僕、謂祭僕・隷僕・戎僕・齊僕之類。穆王欲伯冏正其羣僕・侍御之臣、以勉進君德、而交修其所不及。或曰、周禮下大夫、不得爲正。漢孔氏以爲太御中大夫。蓋周禮太御最長、下又有羣僕、與此所謂正于羣僕者合。且與君同車。最爲親近也。
【読み】
△今予れ汝に命じて大正と作す。羣僕・侍御の臣を正し、乃の后の德を懋[つと]めて、交々逮ばざるを修めよ。大正は、太僕正なり。周禮の太僕は、下大夫なり。羣僕は、祭僕・隷僕・戎僕・齊僕の類を謂う。穆王伯冏が其の羣僕・侍御の臣を正し、以て君の德を勉め進めて、交々其の及ばざる所を修めんと欲す。或ひと曰く、周禮に下大夫は、正爲ることを得ず、と。漢の孔氏以爲えらく、太御中大夫ならん。蓋し周禮に太御は最長にして、下に又羣僕有り、此の所謂羣僕を正す者と合えり。且つ君と車を同じくす。最も親近爲り、と。

△愼簡乃僚、無以巧言令色、便辟側媚。其惟吉士。便、毗連反。辟、匹亦反。○巧、好。令、善也。好其言、善其色。外飾而無質實者也。便者、順人之所欲。辟者、避人之所惡。側者、姦邪。媚者、諛說。小人也。吉士、君子也。言當謹擇汝之僚佐、無任小人、而惟用君子也。又按此言謹簡乃僚、則成周之時、凡爲官長者、皆得自舉其屬。不特辟除府・史・胥・徒而已。
【読み】
△愼みて乃の僚を簡[えら]びて、巧言令色、便辟側媚を以てすること無かれ。其れ惟れ吉士をせよ。便は、毗連反。辟は、匹亦反。○巧は、好む。令は、善きなり。其の言を好みんじ、其の色を善みんず。外を飾りて質實無き者なり。便は、人の欲する所に順う。辟は、人の惡む所を避けるなり。側は、姦邪なり。媚は、諛說なり。小人なり。吉士は、君子なり。言うこころは、當に汝の僚佐を謹み擇びて、小人に任ずること無くして、惟れ君子を用ゆべし。又按ずるに此に謹みて乃の僚を簡ぶと言うは、則ち成周の時、凡そ官長爲る者、皆自ら其の屬を舉ぐることを得。特り府・史・胥・徒を辟除せざるのみ。

△僕臣正、厥后克正。僕臣諛、厥后自聖。后德惟臣。不德惟臣。自聖、自以爲聖也。僕臣之賢否、係君德之輕重如此。呂氏曰、自古小人之敗君德、爲昏爲虐、爲侈爲縱、曷其有極。至於自聖、猶若淺之爲害。穆王獨以是蔽之者、蓋小人之蠱其君、必使之虛美熏心。傲然自聖、則謂人莫己若、而欲予言莫之違。然後法家拂士日遠、而快意肆情之事、亦莫或齟齬其閒。自聖之證旣見、而百疾從之。昏虐侈縱、皆其枝葉而不足論也。
【読み】
△僕臣正しきときは、厥の后克く正し。僕臣諛うときは、厥の后自ら聖とす。后の德あるも惟れ臣なり。德あらざるも惟れ臣なり。自ら聖とすとは、自ら以て聖とするなり。僕臣の賢否の、君德の輕重に係ること此の如し。呂氏が曰く、古より小人の君德を敗るは、昏を爲し虐を爲し、侈を爲し縱を爲し、曷ぞ其れ極まり有らん。自ら聖とするに至りては、猶淺きが若きの害爲り。穆王獨り是を以て之を蔽[はら]う者は、蓋し小人の其の君を蠱[まどわ]すは、必ず之をして虛美熏心せしむ。傲然として自ら聖とするときは、則ち人己に若くこと莫しと謂いて、予が言之に違うこと莫きことを欲す。然して後に法家拂士日々に遠ざけて、快意肆情の事も、亦或は其の閒に齟齬すること莫し。自ら聖とするの證旣に見れて、百疾之に從う。昏虐侈縱は、皆其の枝葉にして論ずるに足らず、と。

△爾無昵于憸人、充耳目之官、迪上以非先王之典。汝無比近小人、充我耳目之官、導君上以非先王之典。蓋穆王自量、其執德未固、恐左右以異端進、而蕩其心也。
【読み】
△爾憸人に昵[むつ]み、耳目の官に充[あ]てて、上を迪[みちび]くに先王の典に非ざるを以てすること無かれ。汝小人に比近し、我が耳目の官に充てて、君上を導くに先王の典に非ざるを以てすること無かれ、と。蓋し穆王自ら量[おも]えらく、其の德を執ること未だ固からず、恐れらくは左右異端を以て進めて、其の心を蕩かさんことを、と。

△非人其吉、惟貨其吉。若時瘝厥官。惟爾大弗克祗厥辟。惟予汝辜。戒其以貨賄任羣僕也。言不于其人之善、而惟以貨賄爲善、則是曠厥官。汝大不能敬其君。而我亦汝罪矣。
【読み】
△人其れ吉きに非ず、惟れ貨其れ吉しとす。時[かく]の若きときは厥の官を瘝[や]ましむ。惟れ爾大いに厥の辟を祗むこと克わず。惟れ予れ汝を辜[つみ]せん、と。其の貨賄を以て羣僕を任ずることを戒む。言うこころは、其の人の善きに于てせずして、惟れ貨賄を以て善きとするときは、則ち是れ厥の官を曠[むな]しくす。汝大いに其の君を敬すること能わず。而して我も亦汝を罪せん。

△王曰、嗚呼欽哉。永弼乃后于彝憲。彝憲、常法也。呂氏曰、穆王卒章之命、望於伯冏者、深且長矣。此心不繼、造父爲御、周遊天下、將必有車轍馬跡、導其侈者、果出於僕御之閒。抑不知、伯冏猶在職乎否也。穆王豫知所戒、憂思深長、猶不免躬自蹈之。人心操捨之無常、可懼哉。
【読み】
△王曰く、嗚呼欽めや。永く乃の后を彝の憲に弼けよ、と。彝憲は、常の法なり。呂氏が曰く、穆王卒わりの章の命、伯冏に望む者、深く且つ長し。此の心繼がず、造父を御と爲して、天下を周遊して、將に必ず車轍馬跡有りて、其の侈りを導かんとする者、果たして僕御の閒より出でたり。抑々知らず、伯冏猶職に在るや否やを。穆王豫め戒むる所を知りて、憂思深長なるも、猶躬自ら之を蹈むことを免れず。人心操捨の常無き、懼る可きかな、と。


呂刑 呂侯爲天子司寇。穆王命訓刑、以詰四方。史錄爲篇。今文古文皆有。○按此篇專訓贖刑。蓋本舜典金作贖刑之語。今詳此書、實則不然。蓋舜典所謂贖者、官府學校之刑爾。若五刑、則固未嘗贖也。五刑之寬、惟處以流。鞭扑之寬、方許其贖。今穆王贖法、雖大辟亦與其贖免矣。漢張敝以討羌兵食不繼、建爲入穀贖罪之法。初亦未嘗及夫殺人及盜之罪。而蕭望之等猶以爲、如此則富者得生、貧者獨死。恐開利路以傷治化。曾謂、唐虞之世、而有是贖法哉。穆王巡遊無度、財匱民勞。至其末年、無以爲計。乃爲此一切權宜之術、以斂民財。夫子錄之、蓋以示戒。然其一篇之書、哀矜惻怛、猶可以想見三代忠厚之遺意云爾。又按書傳引此、多稱甫刑。史記作甫侯言於王、作修刑辟。呂後爲甫歟。
【読み】
呂刑[りょけい] 呂侯は天子の司寇爲り。穆王訓刑を命じて、以て四方を詰[おさ]めしむ。史錄して篇とす。今文古文皆有り。○按ずるに此の篇專ら贖刑を訓ゆ。蓋し舜典の金もて贖刑を作すの語に本づく。今此の書を詳らかにするに、實は則ち然らず。蓋し舜典に所謂贖とは、官府學校の刑なるのみ。五刑の若きは、則ち固に未だ嘗て贖わず。五刑の寬[ゆる]きは、惟れ處するに流を以てす。鞭扑[べんぼく]の寬きは、方に其の贖うことを許す。今穆王の贖法は、大辟と雖も亦與に其れ贖いて免るるなり。漢の張敝羌を討ちて兵食繼かざるを以て、穀を入れて罪を贖うの法を建て爲す。初めより亦未だ嘗て夫の人を殺し及び盜むの罪に及ばず。而して蕭望之等猶以爲えらく、此の如きときは則ち富める者は生を得、貧しき者は獨り死す。恐れらくは利路を開いて以て治化を傷らん、と。曾て謂う、唐虞の世、而も是の贖法有らんや、と。穆王の巡遊度無く、財匱[つ]き民勞す。其の末年に至りて、以て計を爲すこと無し。乃ち此れ一切權宜の術を爲して、以て民の財を斂む。夫子之を錄して、蓋し以て戒めを示す。然も其の一篇の書、哀矜惻怛、猶以て三代忠厚の遺意を想い見る可しと爾か云う。又按ずるに書傳に此を引いて、多く甫刑を稱す。史記に甫侯王に言いて、刑辟を作修すと作す。呂は後に甫と爲るか。


惟呂命。王享國百年、耄荒。度作刑、以詰四方。惟呂命、與惟說命語意同。先此以見訓刑爲呂侯之言也。耄、老而昏亂之稱。荒、忽也。孟子曰、從獸無厭、謂之荒。穆王享國百年、車轍馬跡遍于天下。故史氏以耄荒二字發之。亦以見贖刑爲穆王耄荒所訓耳。蘇氏曰、荒、大也。大度作刑。猶禹曰予荒度土功。荒當屬下句。亦通。然耄亦貶之辭也。
【読み】
惟れ呂命ぜらる。王國を享けたること百年にして、耄いて荒[すさ]めり。度りて刑を作りて、以て四方を詰[おさ]む。惟れ呂命ぜらるは、惟れ說命ざれらると語意同じ。此を先にして以て訓刑は呂侯の言爲ることを見すなり。耄は、老いて昏亂するの稱。荒は、忽なり。孟子曰く、獸に從いて厭くこと無き、之を荒と謂う、と。穆王國を享けたること百年、車轍馬跡天下に遍し。故に史氏耄荒の二字を以て之を發す。亦以て贖刑は穆王耄荒の訓ゆる所爲ることを見すのみ。蘇氏が曰く、荒は、大いなり。大いに度りて刑を作る。猶禹の予れ荒いに土功を度ると曰うがごとし。荒は當に下の句に屬す、と。亦通ず。然も耄は亦之を貶[おと]しむるるの辭なり。

△王曰、若古有訓。蚩尤惟始作亂、延及于平民。罔不寇賊・鴟義・姦宄・奪攘・矯虔。蚩、充之反。鴟、處脂反。○言鴻荒之世、渾厚敦厖、蚩尤始開暴亂之端、驅扇熏炙、延及平民。無不爲寇爲賊。鴟義者、以鴟張跋扈爲義。矯虔者、矯詐虔劉也。
【読み】
△王曰く、若古[いにしえ]に訓え有り。蚩尤[しゆう]惟れ始めて亂を作し、延[ひ]いて平民に及ぼす。寇賊・鴟義・姦宄・奪攘・矯虔ならざること罔し。蚩は、充之反。鴟は、處脂反。○言うこころは、鴻荒の世、渾厚敦厖[とんぼう]にて、蚩尤始めて暴亂の端を開きて、驅扇熏炙して、延いて平民に及ぼす。寇を爲し賊を爲さざること無し。鴟義は、鴟張跋扈を以て義とす。矯虔は、矯詐虔劉なり。

△苗民弗用靈、制以刑、惟作五虐之刑曰法。殺戮無辜、爰始淫爲劓刵椓黥。越茲麗刑、幷制罔差有辭。劓、井例反。刵、而志反。椓、竹角反。黥、渠京反。○苗氏承蚩尤之暴、不用善而制以刑。惟作五虐之刑、名之曰法、以殺戮無罪。於是始過爲劓鼻・刵耳・椓竅・黥面之法。於麗法者必刑之。幷制無罪、不復以曲直之辭爲差別、皆刑之也。
【読み】
△苗民靈[よ]きを用いず、制[つく]るに刑を以てし、惟れ五虐の刑を作りて法と曰う。辜無きを殺戮し、爰に始めて淫[す]ぎて劓[ぎ]刵[じ]椓黥を爲す。茲の麗[つ]くに越[おい]て刑して、幷せ制[はか]りて辭有るものを差[えら]ぶこと罔し。劓は、井例反。刵は、而志反。椓は、竹角反。黥は、渠京反。○苗氏蚩尤の暴を承けて、善を用いずして制するに刑を以てす。惟れ五虐の刑を作りて、之を名づけて法と曰い、以て罪無きを殺戮す。是に於て始めて過ぎて劓鼻・刵耳・椓竅・黥面の法を爲す。法に麗く者に於て必ず之を刑す。罪無きを幷せ制して、復曲直の辭を以て差別をせずして、皆之を刑す。

△民興胥漸、泯泯棼棼、罔中于信、以覆詛盟。虐威庶戮、方告無辜于上。上帝監民、罔有馨香德、刑發聞惟腥。棼、敷文反、又音紛。○泯泯、昏也。棼棼、亂也。民相漸染、爲昏爲亂。無復誠信相與、反覆詛盟而已。虐政作威、衆被戮者、方各告無罪於天。天視苗民、無有馨香德、而刑戮發聞、莫非腥穢。呂氏曰、形於聲嗟、窮之反也。動於氣臭、惡之熟也。馨香、陽也。腥穢、陰也。故德爲馨香。而刑發腥穢也。
【読み】
△民興[た]ちて胥漸[すす]みて、泯泯棼棼として、中に信罔く、以て詛盟を覆す。虐威して庶々の戮[ころ]されたるもの、方に辜無きを上に告ぐ。上帝民を監て、馨香の德有ること罔くして、刑發[あらわ]れ聞こえて惟れ腥[なまぐさ]し。棼は、敷文反、又音紛。○泯泯は、昏きなり。棼棼は、亂るなり。民相漸染して、昏を爲し亂を爲す。復誠信相與すること無く、詛盟を反覆するのみ。虐政威を作し、衆々の戮せらる者、方々各々罪無きを天に告ぐ。天苗民を視るに、馨香の德有ること無くして、刑戮發れ聞えて、腥穢[せいわい]に非ざる莫し。呂氏が曰く、聲嗟に形るるは、窮するの反なり。氣臭に動くは、惡の熟するなり。馨香は、陽なり。腥穢は、陰なり。故に德を馨香とす。而して刑は腥穢を發す、と。

△皇帝哀矜庶戮之不辜、報虐以威、遏絕苗民、無世在下。皇帝、舜也。以書攷之、治苗民、命伯夷・禹・稷・皐陶。皆舜之事。報苗之虐、以我之威。絕、滅也。謂竄與分北之類。遏絕之、使無繼世在下國。
【読み】
△皇帝庶々の戮[ころ]されたるものの辜あらざるを哀しみ矜れみて、虐に報ゆるに威を以てし、苗民を遏[た]ち絕ちて、世[つ]いで下に在ること無し。皇帝は、舜なり。書を以て之を攷[かんが]うるに、苗民を治むるは、伯夷・禹・稷・皐陶に命ず。皆舜の事なり。苗の虐に報ゆるに、我が威を以てす。絕は、滅ぼすなり。竄と分北[ぶんぱい]の類を謂う。之を遏絕して、世を繼いで下國に在ること無からしむ。

△乃命重・黎、絕地天通、罔有降格。羣后之逮在下、明明棐常、鰥寡無蓋。重、小旻之後。黎、高陽之後。重、卽羲。黎、卽和也。呂氏曰、治世公道昭明、爲善得福、爲惡得禍。民曉然知其所由、則不求之渺茫冥昧之閒。當三苗昏虐、民之得罪者、莫知其端、無所控訴。相與聽於神、祭非其鬼、天地人神之典、雜揉瀆亂。此妖誕之所以興、人心之所以不正也。在舜當務之急、莫先於正人心。首命重・黎、修明祀典。天子然後祭天地、諸侯然後祭山川。高卑上下、各有分限。絕地天之通、嚴幽明之分、焄蒿妖誕之說、舉皆屛息。羣后及在下之羣臣、皆精白一心、輔助常道、民卒善而得福、惡而得禍。雖鰥寡之微、亦無有蓋蔽而不得自伸者也。○按國語曰、少暤氏之衰、九黎亂德、民神雜揉、家爲巫史、民瀆齊盟、禍災荐臻。顓頊受之、乃命南正重司天以屬神、北正黎司地以屬民、使無相侵瀆。其後三苗復九黎之德、堯復育重・黎之後。不忘舊者、使復典之。
【読み】
△乃ち重・黎に命じて、地天の通[みち]を絕ち、降し格ること有る罔し。羣后逮び下に在るもの、明明にして常を棐[たす]けて、鰥寡まで蓋[かく]すこと無し。重は、小旻の後なり。黎は、高陽の後なり。重は、卽ち羲。黎は、卽ち和なり。呂氏が曰く、治世は公道昭明にして、善を爲せば福を得、惡を爲せば禍いを得。民曉然として其の由る所を知るときは、則ち之を渺茫[びょうぼう]冥昧の閒に求めず。三苗の昏虐に當たりて、民の罪を得る者、其の端を知ること莫く、控訴する所無し。相與に神に聽[まか]せて、其の鬼に非ざるを祭り、天地人神の典、雜揉瀆亂す。此れ妖誕の興る所以、人心の正しからざる所以なり。舜當に務むべきの急なるに在りて、人心を正すより先なるは莫し。首めに重・黎に命じて、祀典を修明にす。天子にして然して後に天地を祭り、諸侯にして然して後に山川を祭る。高卑上下、各々分限有り。地天の通を絕ち、幽明の分を嚴にして、焄蒿妖誕の說、舉[ことごと]く皆屛息す。羣后及び下に在るの羣臣、皆一心を精白にし、常道を輔け助けて、民卒に善にして福を得、惡にして禍いを得。鰥寡の微と雖も、亦蓋蔽して自ら伸ぶることを得ざる者有ること無し、と。○按ずるに國語に曰く、少暤氏の衰うるとき、九黎德を亂り、民神雜揉して、家々巫史を爲し、民齊盟を瀆し、禍災荐[しき]りに臻[いた]る。顓頊[せんぎょく]之を受けて、乃ち南正重に命じて天を司りて以て神に屬し、北正黎地を司りて以て民に屬し、相侵し瀆すこと無らかしむ。其の後三苗九黎の德に復し、堯復重・黎の後を育す。舊を忘れざる者、復之を典[つかさど]らしむ、と。

△皇帝淸問下民。鰥寡有辭于苗。德威惟畏。德明惟明。淸問、虛心而問也。有辭、聲苗之過也。苗以虐爲威、以察爲明。帝反其道、以德威、而天下無不畏、以德明、而天下無不明也。
【読み】
△皇帝下民に淸問す。鰥寡苗に辭有り。德の威は惟れ畏る。德の明は惟れ明らかなり、と。淸問は、心を虛しくして問うなり。辭有りとは、苗の過ちを聲[ののし]るなり。苗は虐を以て威とし、察を以て明とす。帝其の道を反して、德の威を以てして、天下畏れざること無く、德の明を以てして、天下明らかならざること無し、と。

△乃命三后、恤功于民。伯夷降典、折民惟刑。禹平水土、主名山川。稷降播種、農殖嘉穀。三后成功、惟殷于民。恤功、致憂民之功也。典、禮也。伯夷降天地人之三禮、以折民之邪妄。蘇氏曰、失禮則入刑。禮・刑、一物也。伯夷降典、以正民心。禹平水土、以定民居。稷降播種、以厚民生。三后成功、而致民之殷盛富庶也。吳氏曰、二典不載有兩刑官。蓋傳聞之謬也。愚意皐陶未爲刑官之時、豈伯夷實兼之歟。下文又言伯夷播刑之迪。不應如此謬誤。
【読み】
△乃ち三后に命じて、功を民に恤う。伯夷典を降して、民を折[くじ]いて惟れ刑あり。禹水土を平らげて、山川を主とし名づく。稷播[し]き種[う]ゆることを降し、農嘉き穀を殖ゆ。三后功を成して、惟れ民を殷[さか]んにす。功を恤うとは、民を憂うるの功を致すなり。典は、禮なり。伯夷天地人の三禮を降して、以て民の邪妄を折く。蘇氏が曰く、禮を失するときは則ち刑に入る。禮・刑は、一物なり。伯夷典を降して、以て民の心を正す。禹水土を平らげて、以て民の居を定む。稷播種を降して、以て民生を厚くす。三后功を成して、民の殷盛富庶を致す、と。吳氏が曰く、二典に兩つの刑官有ることを載せず。蓋し傳聞の謬りならん、と。愚意うに、皐陶未だ刑官爲らざるの時、豈伯夷實に之を兼ぬるか。下の文に又伯夷刑を播[ほどこ]すの迪と言う。應に此の如きは謬り誤るべからず。

△士制百姓于刑之中、以敎祗德。命皐陶爲士、制百姓于刑辟之中。所以檢其心、而敎以祗德也。○吳氏曰、皐陶不與三后之列、遂使後世以刑官爲輕。後漢揚賜拜廷尉。自以代非法家言曰、三后成功、惟殷于民。皐陶不與、蓋吝之也。是後世非獨人臣以刑官爲輕、人君亦以爲輕矣。觀舜之稱皐陶曰、刑期于無刑、民協于中。時乃功。又曰、俾予從欲以治、四方風動惟乃之休。其所繫乃如此。是可輕哉。呂氏曰、呂刑一篇、以刑爲主。故歷敍本末、而歸之於皐陶之刑。勢不得與伯夷・禹・稷雜稱。言固有賓主也。
【読み】
△士百姓を刑の中に制[はか]りて、以て德を祗むことを敎ゆ。皐陶に命じて士とし、百姓を刑辟の中に制す。其の心を檢[はか]りて、敎ゆるに德を祗むことを以てする所以なり。○吳氏が曰く、皐陶は三后の列に與らず、遂に後世をして刑官を以て輕しとせしむ。後漢の揚賜廷尉に拜せらる。自ら代々法家に非ざるを以て言いて曰く、三后功を成して、惟れ民を殷んにす。皐陶與らざるは、蓋し之を吝[は]じてなり、と。是れ後世獨り人臣の刑官を以て輕しとするに非ず、人君も亦以て輕しとす。舜の皐陶を稱するを觀るに曰く、刑は刑無きに期[あ]て、民中に協わしむ。時[こ]れ乃の功なり、と。又曰く、予をして欲するに從いて以て治めしめ、四方風の動くがごとくなること、惟れ乃の休きなり、と。其の繫る所乃ち此の如し。是れ輕くす可けんや、と。呂氏が曰く、呂刑の一篇は、刑を以て主とす。故に歷く本末を敍で、之を皐陶の刑に歸す。勢い伯夷・禹・稷と雜え稱することを得ず、と。言うこころは、固に賓主たること有り。

△穆穆在上、明明在下、灼于四方。罔不惟德之勤。故乃明于刑之中、率乂于民棐彝。穆穆者、和敬之容也。明明者、精白之容也。灼于四方者、穆穆明明、輝光發越而四達也。君臣之德、昭明如是。故民皆觀感動盪爲善、而不能自已也。如是而猶有未化者。故士師明于刑之中、使無過不及之差、率乂于民、輔其常性。所謂刑罰之精華也。
【読み】
△穆穆上に在り、明明下に在り、四方に灼らかなり。惟れ德を勤めざること罔し。故に乃ち刑の中を明らかにし、民を率い乂[おさ]めて彝を棐[たす]く。穆穆は、和敬の容なり。明明は、精白の容なり。四方に灼らかとは、穆穆明明、輝光發越して四に達するなり。君臣の德、昭明なること是の如し。故に民皆觀感動盪して善を爲して、自ら已むこと能わざるなり。是の如くにして猶未だ化せざる者有り。故に士師刑の中を明らかにして、過不及の差い無からしめ、民を率い乂めて、其の常の性を輔く。所謂刑罰の精華なり。

△典獄非訖于威、惟訖于富。敬忌罔有擇言在身。惟克天德、自作元命、配享在下。訖、盡也。威、權勢也。富、賄賂也。當時典獄之官、非惟得盡法於權勢之家、亦惟得盡法於賄賂之人。言不爲威屈、不爲利誘也。敬忌之至、無有擇言在身、大公至正、純乎天德、無毫髪不可舉以示人者。天德在我、則大命自我作、而配享在下矣。在下者、對天之辭。蓋推典獄用刑之極功、而至於與天爲一者如此。
【読み】
△獄を典[つかさど]ること威を訖[つ]くすのみに非ず、惟れ富めるを訖くす。敬み忌みて擇ばん言の身に在ること有る罔し。惟れ天德を克くするときは、自ら元命を作して、配[あわ]せ享けて下に在り、と。訖[きつ]は、盡くすなり。威は、權勢なり。富は、賄賂なり。當時典獄の官は、惟れ法を權勢の家に盡くすことを得るのみに非ず、亦惟れ法を賄賂の人に盡くすことを得。言うこころは、威の爲に屈せず、利の爲に誘かれざるなり。敬み忌むことの至り、擇ばん言の身に在ること有る無くして、大公至正、天德に純らにして、毫髪も舉げて以て人に示す可からざること無き者なり。天德我に在るときは、則ち大命我より作して、配せ享けて下に在り。下に在りとは、天に對するの辭なり。蓋し獄を典り刑を用ゆるの極功を推して、天と一と爲るに至る者此の如し。

△王曰、嗟四方司政典獄、非爾惟作天牧。今爾何監。非時伯夷播刑之迪。其今爾何懲。惟時苗民。匪察于獄之麗、罔擇吉人、觀于五刑之中。惟時庶威奪貨。斷制五刑、以亂無辜。上帝不蠲、降咎于苗。苗民無辭于罰。乃絕厥世。司政典獄、漢孔氏曰、諸侯也。爲諸侯主刑獄而言。非爾諸侯爲天牧養斯民乎。爲天牧民、則今爾何所監懲。所當監者、非伯夷乎。所當懲者、非有苗乎。伯夷布刑以啓迪斯民。捨皐陶而言伯夷者、探本之論也。麗、附也。苗民不察於獄辭之所麗、又不擇吉人、俾觀于五刑之中。惟是貴者以威亂政、富者以貨奪法、斷制五刑、亂虐無罪。上帝不蠲貸、而降罰于苗。苗民無所辭其罰、而遂殄滅之也。
【読み】
△王曰く、嗟[ああ]四方の政を司り獄を典るもの、爾惟れ天の牧と作るに非ずや。今爾何をか監みん。時[こ]の伯夷が刑を播[ほどこ]すの迪[みち]に非ずや。其れ今爾何をか懲りん。惟れ時[こ]の苗民ならん。獄の麗[つ]くを察[み]るに匪ず、吉人を擇びて、五刑の中を觀せしむること罔し。惟れ時れ威に庶々し貨に奪わる。五刑を斷り制[はか]りて、以て辜無きを亂る。上帝蠲[ゆる]さず、咎を苗に降せり。苗民罰に辭無し。乃ち厥の世つぎを絕てり、と。司政典獄は、漢の孔氏が曰く、諸侯なり、と。諸侯刑獄を主るが爲にして言う。爾諸侯天の爲に斯の民を牧養するに非ずや。天の爲に民を牧うときは、則ち今爾何をか監み懲る所ならん。當に監みる所の者は、伯夷に非ずや。當に懲るべき所の者は、有苗に非ずや。伯夷刑を布いて以て斯の民を啓き迪[みちび]く。皐陶を捨[お]いて伯夷を言う者は、本を探るの論なり。麗は、附くなり。苗民獄辭の麗く所を察せず、又吉人を擇びて、五刑の中を觀せしめず。惟れ是れ貴き者は威を以て政を亂り、富める者は貨を以て法を奪い、五刑を斷制して、罪無きを亂り虐[そこな]う。上帝蠲貸[けんたい]せずして、罰を苗に降す。苗民其の罰を辭する所無くして、遂に殄[た]ち滅ぼされたり。

△王曰、嗚呼念之哉。伯父・伯兄・仲叔・季弟・幼子・童孫、皆聽朕言。庶有格命。今爾罔不由慰日勤。爾罔或戒不勤。天齊于民、俾我一日。非終惟終在人。爾尙敬逆天命、以奉我一人。雖畏勿畏。雖休勿休。惟敬五刑、以成三德。一人有慶、兆民賴之、其寧惟永。此告同姓諸侯也。格、至也。參錯訊鞠、極天下之勞者、莫若獄。苟有毫髪怠心、則民有不得其死者矣。罔不由慰日勤者、爾所用以自慰者、無不以日勤。故職舉而刑當也。爾罔或戒不勤者、刑罰之用、一成而不可變者也。苟頃刻之不勤、則刑罰失中。雖深戒之、而已施者亦無及矣。戒固善心也。而用刑、豈可以或戒也哉。且刑獄、非所恃以爲治也。天以是整齊亂民、使我爲一日之用而已。非終、卽康誥大罪非終之謂。言過之當宥者。惟終、卽康誥小罪惟終之謂。言故之當辟者。非終惟終、皆非我得輕重。惟在夫人所犯耳。爾當敬逆天命、以承我一人。畏・威、古通用。威、辟之也。休、宥之也。我雖以爲辟、爾惟勿辟。我雖以爲宥、爾惟勿宥。惟敬乎五刑之用、以成剛柔正直之德、則君慶於上、民賴於下、而安寧之福、其永久而不替矣。
【読み】
△王曰く、嗚呼之を念えや。伯父・伯兄・仲叔・季弟・幼子・童孫まで、皆朕が言を聽け。庶々格命有り。今爾由[もっ]て慰[やす]んじて日々に勤めざること罔かれ。爾勤めざることを戒むること或る罔かれ。天民を齊[ひと]しくして、我をして一日たらしむ。終うるに非ざるも惟れ終うるも人に在り。爾尙わくは敬みて天命を逆[むか]えて、以て我れ一人を奉ぜよ。畏れしめよと雖も畏れしむること勿かれ。休[ゆる]せと雖も休すこと勿かれ。惟れ五刑を敬みて、以て三德を成せ。一人慶び有るときは、兆民之に賴りて、其れ寧んじて惟れ永し、と。此れ同姓の諸侯に告ぐるなり。格は、至るなり。參錯訊鞠して、天下の勞を極むる者は、獄に若くは莫し。苟も毫髪の怠る心有るときは、則ち民其の死を得ざる者有り。由て慰んじて日々に勤めざること罔かれとは、爾が用いて以て自ら慰んずる所の者、以て日々に勤めざること無かれ、と。故に職舉げて刑當たるなり。爾勤めざるを戒むること或る罔かれとは、刑罰の用は、一たび成りて變う可からざる者なり。苟も頃刻も勤めざるときは、則ち刑罰中を失す。深く之を戒むると雖も、而れども已に施す者亦及ぶこと無し。戒むるは善心を固くするなり。而れども刑を用ゆるは、豈以て戒むること或る可けんや。且つ刑獄は、恃みて以て治を爲す所に非ず。天是を以て亂民を整え齊えて、我をして一日の用を爲さしむるのみ。終うるに非ずとは、卽ち康誥の大罪は終うるに非ずの謂なり。言うこころは、過ちの當に宥むべき者なり。惟れ終うるとは、卽ち康誥の小罪は惟れ終うるの謂なり。言うこころは、故[ことさら]にするの當に辟[つみ]すべき者なり。終うるに非ず惟れ終うるとは、皆我れ得て輕重するに非ず。惟れ夫の人の犯す所に在るのみ。爾當に敬みて天命を逆えて、以て我れ一人を承くべし。畏・威は、古通じ用ゆ。威は、之を辟するなり。休は、之を宥むるなり。我れ以て辟を爲すと雖も、爾惟れ辟すること勿かれ。我以て宥むることを爲すと雖も、爾惟れ宥むること勿かれ。惟れ五刑の用を敬みて、以て剛柔正直の德を成すときは、則ち君上に慶びあり、民下に賴りて、安寧の福、其れ永久にして替[すた]れず。

△王曰、吁來有邦・有土、告爾祥刑。在今爾安百姓。何擇、非人。何敬、非刑。何度、非及。有民社者、皆在所告也。夫刑、凶器也。而謂之祥者、刑期無刑、民協于中。其祥莫大焉。及、逮也。漢世詔獄所逮有至數萬人者、審度其所當逮者、而後可逮之也。曰何曰非、問答以發其意、以明三者之決不可不盡心也。
【読み】
△王曰く、吁[ああ]來れ有邦・有土、爾に祥刑を告げん。今に在[おい]て爾百姓を安んず。何を擇ぶ、人に非ずや。何を敬む、刑に非ずや。何を度る、及べるに非ずや。民社有る者は、皆告ぐる所に在り。夫れ刑は、凶器なり。而るを之を祥と謂う者は、刑は刑無きに期[あ]てれば、民中に協う。其の祥焉より大なるは莫し。及は、逮ぶなり。漢の世詔獄の逮ぶ所數萬人に至る者有りとは、其の當に逮ぶべき所の者を審らかにし度りて、而して後に之に逮ぼす可きなり。何と曰い非と曰いて、問答して以て其の意を發して、以て三つの者の決して心を盡くさずんばある可からざることを明らかにするなり。

△兩造具備、師聽五辭。五辭簡孚、正于五刑。五刑不簡、正于五罰。五罰不服、正于五過。兩造者、兩爭者皆至也。周官以兩造聽民訟。具備者、詞證皆在也。師、衆也。五辭、麗於五刑之辭也。簡、核其實也。孚、無可疑也。正、質也。五辭簡核而可信、乃質于五刑也。不簡者、辭與刑參差不應。刑之疑者也。罰、贖也。疑於刑、則質于罰也。不服者、辭與罰又不應也。罰之疑者也。過、誤也。疑於罰、則質于過、而宥免之也。
【読み】
△兩造具に備わらば、師々五辭を聽け。五辭簡[えら]び孚あらば、五刑に正せ。五刑簡ばずんば、五罰に正せ。五罰服[つ]かずんば、五過に正せ。兩造は、兩爭の者皆至るなり。周官に兩造を以て民の訟を聽く、と。具に備わるとは、詞證皆在るなり。師は、衆なり。五辭は、五刑に麗[つ]くの辭なり。簡は、其の實を核[かんが]うるなり。孚は、疑う可きこと無きなり。正は、質すなり。五辭簡核して信ず可くんば、乃ち五刑に質すなり。簡ばずとは、辭と刑と參差して應ぜず。刑の疑わしき者なり。罰は、贖なり。刑に疑わしきときは、則ち罰に質すなり。服かずとは、辭と罰と又應ぜざるなり。罰の疑わしき者なり。過は、誤ちなり。罰に疑わしきときは、則ち過に質して、之を宥め免すなり。

△五過之疵、惟官、惟反、惟内、惟貨、惟來。其罪惟均。其審克之。疵、病也。官、威勢也。反、報德怨也。内、女謁也。貨、賄賂也。來、干請也。惟此五者之病以出入人罪、則以人之所犯坐之也。審克者、察之詳而盡其能也。下文屢言、以見其丁寧忠厚之至。疵於刑罰亦然。但言於五過者、舉輕以見重也。
【読み】
△五過の疵[やまい]は、惟れ官、惟れ反、惟れ内、惟れ貨、惟れ來。其の罪は惟れ均し。其れ審らかに之を克くせよ。疵は、病なり。官は、威勢なり。反は、德と怨みとに報ゆるなり。内は、女謁なり。貨は、賄賂なり。來は、干[もと]め請うなり。惟れ此の五つの者の病以て人の罪を出入するときは、則ち人の犯す所を以て之に坐すなり。審らかに克くせよとは、之を察すること詳らかにして其の能を盡くすなり。下の文に屢々言いて、以て其の丁寧忠厚の至りを見す。疵しきは刑罰に於ても亦然り。但五過を言う者は、輕きを舉げて以て重きを見すなり。

△五刑之疑有赦、五罰之疑有赦。其審克之。簡孚有衆、惟貌有稽。無簡不聽。具嚴天威。刑疑有赦、正于五罰也。罰疑有赦、正于五過也。簡核情實可信者衆、亦惟考察其容貌。周禮所謂色聽是也。然聽獄以簡核爲本。苟無情實、在所不聽。上帝臨汝。不敢有毫髪之不盡也。
【読み】
△五刑の疑わしきをば赦すこと有り、五罰の疑わしきをば赦すこと有り。其れ審らかに之を克くせよ。簡[えら]び孚あること衆[おお]きこと有らば、惟れ貌稽うること有り。簡ぶこと無きは聽[ゆる]さず。具に天威を嚴かにせよ。刑疑わしきをば赦すこと有りとは、五罰に正すなり。罰疑わしきをば赦すこと有りとは、五過に正すなり。簡核情實信ず可き者衆きときは、亦惟れ其の容貌を考え察す。周禮に所謂色聽とは是れなり。然して獄を聽くは簡核を以て本とす。苟も情實無くば、聽さざる所在り。上帝汝に臨む。敢えて毫髪の盡くさざること有らず。

△墨辟疑赦。其罰百鍰。閱實其罪。劓辟疑赦。其罰惟倍。閱實其罪。剕辟疑赦。其罰倍差。閱實其罪。宮辟疑赦。其罰六百鍰。閱實其罪。大辟疑赦。其罰千鍰。閱實其罪。墨罰之屬千、劓罰之屬千、剕罰之屬五百、宮罰之屬三百、大辟之罰、其屬二百、五刑之屬三千。上下比罪。無僭亂辭。勿用不行。惟察惟法、其審克之。鍰、胡關反。○墨、刻顙而涅之也。劓、割鼻也。剕、刖足也。宮、淫刑也。男子割勢、婦人幽閉。大辟、死刑也。六兩曰鍰。閱、視也。倍、二百鍰也。倍差、倍而又差。五百鍰也。屬、類也。三千、總計之也。周禮司刑所掌五刑之屬、二千五百刑。雖增舊、然輕罪比舊爲多、而重罪比舊爲減也。比、附也。罪無正律、則以上下刑而比附其罪也。無僭亂辭、勿用不行、未詳。或曰、亂辭、辭之不可聽者。不行、舊有是法、而今不行者。戒其無差誤於僭亂之辭、勿用今所不行之法。惟詳明法意、而審克之也。○今按皐陶所謂罪疑惟輕者、降一等而罪之耳。今五刑疑赦而直罰之以金。是大辟・宮・剕・劓・墨、皆不復降等用矣。蘇氏謂、五刑疑各人罰不下、當因古制非也。舜之贖刑、官府學校鞭扑之刑耳。夫刑莫輕於鞭扑。入於鞭扑之刑、而又情法猶有可議者。則是無法以治之。故使之贖特不欲遽釋之也。而穆王之所謂贖、雖大辟亦贖也。舜豈有是制哉。詳見篇題。
【読み】
△墨辟の疑わしきをば赦す。其の罰百鍰[かん]。其の罪を閱[けみ]し實とす。劓辟[ぎへき]の疑わしきをば赦す。其の罰惟れ倍[ま]す。其の罪を閱し實とす。剕辟[ひへき]の疑わしきをば赦す。其の罰倍し差[しな]す。其の罪を閱し實とす。宮辟の疑わしきをば赦す。其の罰六百鍰。其の罪を閱し實とす。大辟の疑わしきをば赦す。其の罰千鍰。其の罪を閱し實とす。墨罰の屬千、劓罰の屬千、剕罰の屬五百、宮罰の屬三百、大辟の罰、其の屬二百、五刑の屬三千。上下罪を比[なら]う。亂れたる辭に僭[あやま]ること無かれ。行われざるを用ゆること勿かれ。惟れ惟の法を察らかにして、其れ審らかに之を克くせよ。鍰は、胡關反。○墨は、顙[ひたい]に刻んで之を涅[くろ]くするなり。劓は、鼻を割るなり。剕は、足を刖[き]るなり。宮は、淫刑なり。男子は勢を割り、婦人は幽閉す。大辟は、死刑なり。六兩を鍰と曰う。閱は、視るなり。倍は、二百鍰なり。倍差は、倍して又差す。五百鍰なり。屬は、類なり。三千は、總べて之を計るなり。周禮に司刑掌る所の五刑の屬は、二千五百刑、と。舊に增すと雖も、然れども輕罪は舊に比ぶれば多しとし、重罪は舊に比ぶれば減れりとす。比は、附すなり。罪正律無きときは、則ち上下の刑を以て其の罪を比い附すなり。亂れたる辭に僭ること無かれ、行われざるを用ゆること勿かれは、未だ詳らかならず。或ひと曰く、亂辭は、辭の聽く可からざる者なり。不行は、舊に是の法有りて、今行われざる者なり、と。戒むるに其の僭亂の辭を差え誤ること無かれ、今行われざる所の法を用ゆること勿かれ。惟れ詳らかに法意を明らかにして、審らかに之を克くせよ、と。○今按ずるに皐陶が所謂罪の疑わしきは惟れ輕くする者は、一等を降して之を罪するのみ。今五刑の疑わしきを赦して直に之を罰するに金を以てす。是れ大辟・宮・剕・劓・墨は、皆復等を降すを用いず。蘇氏が謂く、五刑疑わしき各々の人を罰するに下さざること、當に古の制に因るに非なるべし。舜の贖刑するは、官府學校鞭扑の刑なるのみ。夫れ刑は鞭扑より輕きは莫し。鞭扑の刑に入りて、又情法猶議す可き者有り。則ち是れ法以て之を治むること無し。故に之をして贖わしめて特に遽に之を釋すことを欲せず。而れども穆王の所謂贖は、大辟と雖も亦贖うなり。舜に豈是の制有らんや、と。詳らかに篇題に見えたり。

△上刑適輕下服。下刑適重上服。輕重諸罰有權。刑罰世輕世重。惟齊非齊、有倫有要。事在上刑而情適輕、則服下刑。舜之宥過無大。康誥所謂大罪非終者、是也。事在下刑而情適重、則服上刑。舜之刑故無小。康誥所謂小罪非眚者、是也。若諸罰之輕重、亦皆有權焉。權者、進退推移、以求其輕重之宜也。刑罰世輕世重者、周官刑新國用輕典、刑亂國用重典、刑平國用中典。隨世而爲輕重者也。輕重諸罰有權者、權一人之輕重也。刑罰世輕世重者、權一世之輕重也。惟齊非齊者、法之權也。有倫有要者、法之經也。言刑罰雖惟權變是適、而齊之以不齊焉。至其倫要所在、蓋有截然而不可紊者矣。此兩句總結上意。
【読み】
△上の刑輕きに適くは下に服[つ]く。下の刑重きに適くは上に服く。諸罰を輕重するに權ること有り。刑罰は世にして輕くし世にして重くす。惟れ齊しくすること齊しくするに非ざること、倫有り要有り。事上刑に在りて情適々輕きときは、則ち下刑に服す。舜の過てるを宥めて大いなりとすること無きなり。康誥に所謂大いなる罪あるとも終うるに非ずとは、是れなり。事下刑に在りて情適々重きときは、則ち上刑に服す。舜の故を刑するに小しきなること無きなり。康誥に所謂小しきなる罪も眚[あやまち]に非ずとは、是れなり。諸罰の輕重の若き、亦皆權ること有り。權は、進退推移して、以て其の輕重の宜しきを求むるなり。刑罰は世にして輕くし世にして重くすとは、周官の新國を刑するには輕典を用い、亂國を刑するには重典を用い、平國を刑するには中典を用ゆるなり。世に隨いて輕重を爲す者なり。諸罰を輕重するに權ること有りとは、一人の輕重を權るなり。刑罰は世にして輕くし世にして重くすとは、一世の輕重を權るなり。惟れ齊しくすること齊しくするに非ざることは、法の權なり。倫有り要有りとは、法の經なり。言うこころは、刑罰惟れ權變是れ適うと雖も、而れども之を齊しくするに齊しからざるを以てす。其の倫要の在る所に至りて、蓋し截然として紊る可からざる者有り。此の兩句は總べて上の意を結べり。

△罰懲、非死。人極于病。非佞折獄、惟良折獄。罔非在中。察辭于差、非從惟從、哀敬折獄、明啓刑書胥占、咸庶中正。其刑其罰、其審克之。獄成而孚、輸而孚。其刑上備、有幷兩刑。罰、以懲過。雖非致人於死、然民重出贖亦甚病矣。佞、口才也。非口才辯給之人、可以折獄、惟溫良長者、視民如傷者、能折獄而無不在中也。此言聽獄者、當擇其人也。察辭于差者、辭非情實終必有差。聽獄之要、必於其差而察之。非從惟從者、察辭不可偏主、猶曰不然而然。所以審輕重而取中也。哀敬折獄者、惻怛敬畏以求其情也。明啓刑書胥占者、言詳明法律、而與衆占度也。咸庶中正者、皆庶幾其無過忒也。於是刑之罰之、又當審克之也。此言聽獄者、當盡其心也。若是則獄成於下而民信之、獄輸於上而君信之。其刑上備、有幷兩刑者、言上其斷獄之書、當備情節。一人而犯兩事、罪雖從重、又幷兩刑而上之也。此言讞獄者、當備其辭也。
【読み】
△罰は懲らす、死[ころ]すに非ず。人病めるに極まる。佞の獄を折[さだ]むるに非ず、惟れ良獄を折むるべし。中に在るに非ざること罔かれ。辭を差えるに察らかにし、從うに非ざるに惟れ從い、哀敬して獄を折め、明らかに刑書を啓いて胥占[はか]る、咸庶わくは中正ならんことを。其の刑其の罰、其れ審らかに之を克くせよ。獄成りて孚とし、輸[いた]して孚とす。其の刑上げ備うるときは、幷せて兩つながら刑すること有り、と。罰は、以て過ちを懲らす。人を死に致すに非ずと雖も、然れども民重く贖を出だすときは亦甚だ病めり。佞は、口才なり。口才辯給の人に非ず、以て獄を折むる可きは、惟れ溫良の長者、民を視ること傷めるが如き者、能く獄を折めて中に在らざること無きなり。此れ言うこころは、獄を聽く者は、當に其の人を擇ぶべし。辭を差えるに察らかにすとは、辭は情實に非ざれば終に必ず差い有り。獄を聽くの要は、必ず其の差えるに於て之を察らかにす。從うに非ざるに惟れ從うとは、偏主す可からざるの辭を察らかにすること、猶然らずして然りと曰うがごとし。輕重を審らかにして中を取る所以なり。哀敬して獄を折むるとは、惻怛敬畏して以て其の情を求むるなり。明らかに刑書を啓いて胥占るとは、言うこころは、法律を詳明にして、衆と占り度るなり。咸庶わくは中正ならんことをとは、皆庶幾わくは其れ過忒[かとく]無きことをとなり。是に於て之を刑し之を罰して、又當に審らかに之を克くせよ、と。此れ言うこころは、獄を聽く者は、當に其の心を盡くすべし。是の若きときは則ち獄下に成りて民之を信じ、獄上に輸して君之を信ず。其の刑上げ備うるときは、幷せて兩つながら刑すること有りとは、言うこころは、其の斷獄の書を上ぐるには、當に情節を備うるべし。一人にして兩事を犯すに、罪重きに從うと雖も、又兩刑を幷せて之を上ぐるなり。此れ言うこころは、獄を讞[さば]く者、當に其の辭を備にすべし。

△王曰、嗚呼敬之哉。官伯族姓、朕言多懼。朕敬于刑。有德惟刑。今天相民、作配在下。明淸于單辭。民之亂罔不中。聽獄之兩辭、無或私家于獄之兩辭。獄貨非寶、惟府辜功。報以庶尤。永畏惟罰。非天不中、惟人在命。天罰不極、庶民罔有令政在于天下。此總告之也。官、典獄之官也。伯、諸侯也。族、同族。姓、異姓也。朕之於刑、言且多懼。況用之乎。朕敬于刑者、畏之至也。有德惟刑、厚之至也。今天以刑相治斯民。汝實任責、作配在下可也。明淸以下、敬刑之事也。獄辭有單有兩。單辭者、無證之辭也。聽之爲尤難。明者、無一毫之蔽。淸者、無一點之汚。曰明曰淸、誠敬篤至、表裏洞徹、無少私曲、然後能察其情也。亂、治也。獄貨、鬻獄而得貨也。府、聚也。辜功、猶云罪狀也。報以庶尤者、降之百殃也。非天不中、惟人在命者、非天不以中道待人、惟人自取其殃禍之命爾。此章文有未詳者。姑缺之。
【読み】
△王曰く、嗚呼之を敬めや。官伯族姓、朕が言懼れ多し。朕れ刑を敬む。德有りて惟れ刑す。今天民を相けて、配[あわ]せて下に在ることを作す。單辭を明らかに淸くす。民の亂[おさ]まれること中ならざる罔し。獄の兩辭を聽きて、獄の兩辭を私家にすること或る無かれ。獄の貨は寶に非ず、惟れ辜の功を府[あつ]む。報ゆるに庶々の尤を以てす。永く畏れて惟れ罰せよ。天の中ならざるには非ず、惟れ人命に在り。天罰極まらず、庶民令政の天下に在ること有る罔けん、と。此れ總べて之を告ぐるなり。官は、典獄の官なり。伯は、諸侯なり。族は、同族。姓は、異姓なり。朕が刑に於る、言且つ懼れ多し。況んや之を用ゆるをや。朕れ刑を敬むとは、畏るるの至りなり。德有りて惟れ刑すとは、厚きの至りなり。今天刑を以て斯の民を相け治む。汝實に責に任じ、配せて下に在ることを作すは可なり。明淸以下は、刑を敬むの事なり。獄の辭に單有り兩有り。單辭は、證無きの辭なり。之を聽くこと尤も難しとす。明は、一毫の蔽われ無きなり。淸は、一點の汚れ無きなり。明と曰い淸と曰い、誠敬篤く至りて、表裏洞徹して、少しも私曲無く、然して後に能く其の情を察す。亂は、治むるなり。獄の貨は、獄を鬻[う]りて貨を得るなり。府は、聚むるなり。辜の功は、猶罪狀と云うがごとし。報ゆるに庶々の尤を以てすとは、之が百殃を降すなり。天の中ならざるには非ず、惟れ人命に在りとは、天は中道を以て人を待たざるに非ず、惟れ人自ら其の殃禍の命を取るのみ。此の章の文は未だ詳らかならざる者有り。姑く之を缺く。

△王曰、嗚呼嗣孫、今往何監。非德于民之中。尙明聽之哉。哲人惟刑、無疆之辭。屬于五極、咸中有慶。受王嘉師、監于茲祥刑。此詔來世也。嗣孫、嗣世子孫也。言今往何所監視。非用刑成德、而能全民所受之中者乎。下文哲人、卽所當監者。五極、五刑也。明哲之人、用刑而有無窮之譽。蓋由五刑咸得其中、所以有慶也。嘉、善。師、衆也。諸侯受天子良民善衆、當監視於此祥刑。申言以結之也。
【読み】
△王曰く、嗚呼嗣孫、今より往くさき何をか監みん。民の中に德あるに非ずや。尙わくは明らかに之を聽けや。哲人惟れ刑して、疆り無きの辭あり。五極に屬して、咸中するときは慶び有り。王の嘉き師々を受けて、茲の祥刑を監みよ、と。此れ來世に詔ぐるなり。嗣孫は、世を嗣ぐ子孫なり。言うこころは、今より往くさき何の監み視る所なる。刑を用ゆるに德を成して、能く民の受くる所の中を全くする者に非ざらんや。下の文の哲人は、卽ち當に監みるべき所の者なり。五極は、五刑なり。明哲の人は、刑を用いて無窮の譽れ有り。蓋し五刑を由[もち]ゆるに咸其の中を得るは、慶び有る所以なり。嘉は、善き。師は、衆なり。諸侯天子の良民善衆を受けて、當に此の祥刑を監み視るべし。申ねて言いて以て之を結べり。


文侯之命 幽王爲犬戎所殺。晉文侯與鄭武公、迎太子宜臼立之。是爲平王。遷於東都、平王以文侯爲方伯、賜以秬鬯弓矢、作策書命之。史錄爲篇。今文古文皆有。
【読み】
文侯之命[ぶんこうのめい] 幽王犬戎の爲に殺さる。晉の文侯と鄭の武公、太子宜臼を迎えて之を立つ。是を平王とす。東都に遷り、平王文侯を以て方伯とし、賜うに秬[きょ]鬯[ちょう]弓矢を以てし、策書を作りて之に命ず。史錄して篇とす。今文古文皆有り。


王若曰、父義和、丕顯文武、克愼明德。昭升于上、敷聞在下。惟時上帝、集厥命于文王。亦惟先正、克左右昭事厥辟。越小大謀猷、罔不率從。肆先祖懷在位。同姓故稱父。文侯、名仇。義和、其字。不名者、尊之也。丕顯者、言其德之所成。克愼者、言其德之所修。昭升敷聞、言其德之所至也。文武之德如此。故上帝集厥命於文王。亦惟爾祖父、能左右昭事其君。於小大謀猷、無敢背違。故先王得安在位。
【読み】
王若[か]く曰く、父義和、丕いに文武を顯らかにして、克く明德を愼む。昭らかに上に升りて、敷き聞こえて下に在り。惟れ時[こ]れ上帝、厥の命を文王に集めたり。亦惟れ先正、克く左右[たす]けて昭らかに厥の辟に事うる。小大の謀猷に越[おい]て、率い從わざること罔し。肆[ゆえ]に先祖懷[やす]んじて位に在り。同姓故に父と稱す。文侯、名は仇。義和は、其の字なり。名いわざるは、之を尊ぶなり。丕いに顯らかとは、其の德の成れる所を言う。克く愼むとは、其の德の修むる所を言う。昭らかに升り敷き聞こゆとは、其の德の至る所を言うなり。文武の德此の如し。故に上帝厥の命を文王に集む。亦惟れ爾の祖父、能く左右けて昭らか其の君に事うる。小大の謀猷に於て、敢えて背き違うこと無し。故に先王安んじて位に在ることを得たり。

△嗚呼閔予小子、嗣造天丕愆、殄資澤于下民。侵戎我國家純。卽我御事、罔或耆壽俊在厥服。予則罔克。曰、惟祖惟父、其伊恤朕躬。嗚呼有績、予一人永綏在位。歎而自痛傷也。閔、憐也。嗣造天丕愆者、嗣位之初、爲天所大譴。父死國敗也。殄、絕。純、大也。絕厥資用惠澤於下民。本旣先撥。故戎狄侵陵、爲我國家之害甚大。今我御事之臣、無有老成俊傑在厥官者。而我小子又材劣無能、其何以濟難。又言、諸侯在我祖父之列者、其誰能恤我乎。又歎息言、有能致功予一人、則可永安其位矣。蓋悲國之無人。無有如上文先正之昭事、而先王得安在位也。
【読み】
△嗚呼閔しいかな予れ小子、嗣ぐ造[はじ]め天丕いに愆[とが]めて、資澤を下民に殄[た]てり。戎に我が國家を侵されて純[おお]いなり。卽ち我が御事、耆壽俊の厥の服[こと]に在ること或る罔し。予れ則ち克くすること罔し。曰く、惟れ祖惟れ父、其れ伊[こ]れ朕が躬を恤えんや。嗚呼績有らば、予れ一人永く綏んじて位に在らん。歎じて自ら痛み傷むなり。閔は、憐れむなり。嗣ぐ造め天丕いに愆むとは、位を嗣ぐの初め、天の爲に大いに譴めらる。父死に國敗るるなり。殄[てん]は、絕つ。純は、大いなり。厥の資用惠澤を下民に絕つ。本旣に先ず撥[た]つ。故に戎狄侵陵して、我が國家の害を爲すこと甚だ大いなり。今我が御事の臣、老成俊傑の厥の官に在る者有ること無し。而も我れ小子も又材劣り無能にして、其れ何を以てか難を濟わん。又言う、諸侯の我が祖父の列に在る者、其れ誰か能く我を恤えんや、と。又歎息して言う、能く功を予れ一人に致すこと有らば、則ち永く其の位を安んず可し、と。蓋し國の人無きを悲しむ。上の文の先正の昭らかに事えて、先王安んじて位に在るを得るが如きこと有る無し。

△父義和、汝克昭乃顯祖、汝肇刑文武、用會紹乃辟、追孝于前文人。汝多修扞我于艱。若汝予嘉。扞、侯旰反。○顯祖・文人、皆謂康叔。卽上文先正昭事其君者也。後罔或耆壽俊在厥服、則刑文武之道絕矣。今刑文武自文侯始。故曰肇刑文武。會者、合之而使不離。紹者、繼之而使不絕。前文人、猶云前寧人。汝多所修完、扞衛我于艱難。若汝之功、我所嘉美也。
【読み】
△父義和、汝克く乃の顯祖を昭かにし、汝肇めて文武に刑[のっと]り、用て乃の辟を會わせ紹[つ]いで、追って前の文人に孝あり。汝多く修めて我を艱きに扞[まも]る。汝が若き予れ嘉みす。扞は、侯旰反。○顯祖・文人は、皆康叔を謂う。卽ち上の文の先正昭らかに其の君に事うる者なり。後耆壽俊の厥の服に在ること或る罔きときは、則ち文武に刑るの道絕ちぬ。今文武に刑ること文侯より始まる。故に肇めて文武に刑ると曰う。會とは、之を合わせて離れざらしむるなり。紹とは、之を繼いで絕えざらしむるなり。前の文人とは、猶前の寧人と云うがごとし。汝多く修め完くする所、我を艱難に扞ぎ衛る。汝の功の若き、我が嘉美する所なり、と。

△王曰、父義和、其歸視爾師、寧爾邦。用賚爾秬鬯一卣、彤弓一、彤矢百、盧弓一、盧矢百、馬四匹。父往哉。柔遠能邇、惠康小民、無荒寧。簡恤爾都、用成爾顯德。師、衆也。黑黍曰秬。醸以鬯草。卣、中尊也。諸侯受錫命、當告厥始祖。故賜鬯也。彤、赤。盧、黑也。諸侯有大功、賜弓矢、然後得專征伐。馬、供武用。四匹曰乘。侯伯之賜無常。以功大小爲度也。簡者、簡閱其土。恤者、惠恤其民。都者、國之都鄙也。○蘇氏曰、予讀文侯篇、知東周之不復興也。宗周傾覆禍敗極矣。平王宜若衛文公・越勾踐然。今其書乃旋旋焉、與平康之世無異。春秋傳曰、厲王之禍、諸侯釋位以閒王政。宣王有志而後効官。讀文侯之命、知平王之無志也。愚按史記、幽王娶於申、而生太子宜臼、後幽王嬖褒姒、廢申后去太子。申侯怒、與繒西夷犬戎、攻王而殺之。諸侯卽申侯、而立故太子宜臼、是爲平王。平王以申侯立己爲有德、而忘其弑父爲當誅。方將以復讎討賊之衆、而爲戍申戍許之舉。其忘親背義、得罪於天已甚矣。何怪其委靡頹墮、而不自振也哉。然則是命也、孔子以其猶能言文武之舊、而存之歟。抑亦以示戒於天下後世、而存之歟。
【読み】
△王曰く、父義和、其れ歸りて爾の師々を視て、爾の邦を寧んぜよ。用て爾に秬[きょ]鬯[ちょう]一卣[ゆう]、彤[とう]弓一つ、彤矢百、盧弓一つ、盧矢百、馬四匹を賚う。父往けや。遠きを柔[なつ]け邇きを能くし、小民を惠み康んじて、荒み寧んずること無かれ。爾の都を簡[えら]び恤みて、用て爾の顯德を成せ、と。師は、衆なり。黑黍を秬と曰う。醸すに鬯草を以てす。卣は、中尊[たる]なり。諸侯錫命を受くるときは、當に厥の始祖に告ぐべし。故に鬯を賜うなり。彤は、赤。盧は、黑なり。諸侯大功有るときは、弓矢を賜いて、然して後に征伐を專らにすることを得。馬は、武用に供す。四匹を乘と曰う。侯伯の賜は常無し。功の大小を以て度とす。簡は、其の土を簡び閱す。恤は、其の民を惠み恤む。都は、國の都鄙なり。○蘇氏が曰く、予れ文侯の篇を讀みて、東周の復興らざるを知る。宗周の傾覆禍敗極まれり。平王宜しく衛の文公・越の勾踐の若く然すべし。今其の書乃ち旋旋焉として、平康の世と異なること無し。春秋傳に曰く、厲王の禍い、諸侯位を釋[す]てて以て王政に閒[あずか]る。宣王志有りて而して後に官を効[いた]す、と。文侯の命を讀みて、平王の志無きを知る、と。愚按ずるに史記に、幽王申を娶りて、太子宜臼を生み、後に幽王褒姒を嬖して、申后を廢し太子を去[す]つ。申侯怒りて、繒西の夷犬戎と、王を攻めて之を殺す。諸侯申侯に卽いて、故の太子宜臼を立て、是を平王とす。平王申侯の己を立つるを以て德有りとして、其の父を弑し當に誅すべきとするを忘る。方に將讎を復い賊を討つの衆を以て、申を戍[まも]り許を戍るの舉を爲す。其の親を忘れ義に背き、罪を天に得ること已に甚だし。何ぞ其の委靡頹墮して、自ら振わざるを怪しまんや。然らば則ち是の命や、孔子其れ猶能く文武の舊を言うを以て、之を存するか。抑々亦戒めを天下後世に示すを以て、之を存するか。


費誓 費、地名。淮夷・徐戎、竝起爲寇。魯侯征之。於費誓衆。故以費誓名篇。今文古文皆有。○呂氏曰、伯禽撫封於魯。夷戎妄意其未更事、且乘其新造之隙。而伯禽應之者甚整暇有序。先治戎備、次之以除道路、又次之以嚴部伍、又次之以立期會。先後之序、皆不可紊。又按費誓・泰誓、皆侯國之事、而繫於帝王書末者、猶詩之錄商頌・魯頌也。
【読み】
費誓[ひせい] 費は、地の名。淮夷・徐戎、竝び起ちて寇を爲す。魯侯之を征す。費に於て衆に誓う。故に費誓を以て篇に名づく。今文古文皆有り。○呂氏が曰く、伯禽封を魯に撫す。夷戎妄意にして其れ未だ事を更えず、且つ其の新たに造れるの隙に乘る。而れども伯禽の之に應ずる者甚だ整暇にして序有り。先ず戎備を治め、之に次ぐに道路を除[はら]うことを以てし、又之に次ぐに部伍を嚴にするを以てし、又之に次ぐに期會を立つることを以てす。先後の序、皆紊る可からず。又按ずるに費誓・泰誓は、皆侯國の事にして、帝王の書の末に繫る者は、猶詩の商頌・魯頌を錄すがごとし、と。


公曰、嗟人無譁聽命。徂茲淮夷、徐戎竝興。漢孔氏曰、徐戎・淮夷竝起寇魯。伯禽爲方伯、帥諸侯之師以征。歎而敕之、使無喧譁、欲其靜聽誓命。蘇氏曰、淮戎叛已久也。及伯禽就國、又脅徐戎竝起。故曰徂茲淮戎、徐戎竝興。徂茲者、猶曰往者云。
【読み】
公曰く、嗟[ああ]人譁[かまびす]しきこと無くして命を聽け。徂[さき]に茲れ淮夷、徐戎竝び興る。漢の孔氏が曰く、徐戎・淮夷竝び起こりて魯に寇す。伯禽方伯と爲り、諸侯の師を帥いて以て征す。歎じて之に敕す、喧譁なること無からしめて、其の靜かに誓命を聽かんことを欲す、と。蘇氏が曰く、淮戎叛くこと已に久し。伯禽國に就くに及んで、又徐戎を脅して竝び起こる。故に曰く徂に茲れ淮戎、徐戎竝び興る、と。徂茲とは、猶往者と曰うがごとしと云う。

△善敹乃甲冑、敿乃干、無敢不弔。備乃弓矢、鍛乃戈矛、礪乃鋒刃、無敢不善。敹、連條反。敿、舉夭反。弔、音的。鍛、都玩反。○敹、縫完也。縫完其甲冑、勿使斷毀。敿、鄭氏云、猶繫也。王肅云、敿、楯當有紛繫持之。弔、精至也。鍛、淬。礪、磨也。甲冑、所以衛身。弓矢・戈矛、所以克敵。先自衛而後攻人。亦其序也。
【読み】
△善く乃の甲冑を敹[ぬ]い、乃の干[たて]に敿[おつ]け、敢えて弔[いた]らざること無かれ。乃の弓矢を備え、乃の戈矛鍛え、乃の鋒刃を礪[と]いて、敢えて善からざること無かれ。敹[りょう]は、連條反。敿[きょう]は、舉夭反。弔は、音的。鍛は、都玩反。○敹は、縫完なり。其の甲冑を縫完して、斷毀せしむること勿かれ。敿は、鄭氏が云う、猶繫ぐがごとし、と。王肅が云う、敿は、楯に當に紛を繫げて之を持つこと有るべし、と。弔は、精至なり。鍛は、淬[にら]ぐ。礪は、磨くなり。甲冑は、身を衛る所以。弓矢・戈矛は、敵に克つ所以。自ら衛るを先にして人を攻むるを後にす。亦其の序なり。

△今惟淫舍牿牛馬、杜乃擭、敜乃穽、無敢傷牿。牿之傷、汝則有常刑。牿、音谷。擭、胡化反。敜、及結反。穽、疾郢反。○淫、大也。牿、閑牧也。擭、機檻也。敜、塞也。師旣出、牛馬所舍之閑牧、大布於野、當窒塞其擭穽。一或不謹、而傷閑牧之牛馬、則有常刑。此令軍在所之居民也。舉此例之。凡川梁藪澤、險阻屛翳、有害於師屯者皆在矣。此除道路之事。
【読み】
△今惟れ淫[おお]いに牛馬を舍[お]き牿[か]いて、乃の擭[おり]を杜ぎ、乃の穽[おとしあな]を敜[ふさ]いで、敢えて牿[こく]を傷ること無かれ。牿之れ傷らば、汝則ち常の刑有らん。牿は、音谷。擭[かく]は、胡化反。敜[てつ]は、及結反。穽は、疾郢反。○淫は、大いなり。牿は、閑牧なり。擭は、機檻なり。敜は、塞ぐなり。師旣に出で、牛馬舍く所の閑牧、大いに野に布かば、當に其の擭穽を窒ぎ塞ぐべし。一つも或は謹まざれば、閑牧の牛馬を傷るときは、則ち常の刑有らん。此れ軍の在る所の居民に令す。此を舉げて之を例とす。凡そ川梁藪澤、險阻屛翳、師屯に害有る者皆在り。此れ道路を除うの事なり。

△馬牛其風、臣妾逋逃、勿敢越逐。祗復之。我商賚汝。乃越逐不復、汝則有常刑。無敢寇攘、踰垣牆、竊馬牛、誘臣妾。汝則有常刑。役人賤者、男曰臣、女曰妾。馬牛風逸、臣妾逋亡、不得越軍壘而遂之。夫主雖不得遂、而人得風馬牛、逃臣妾者、又當敬還之。我商度多寡以賞汝。如或越遂而失伍、不復而攘取、皆有常刑。有故竊奪、踰垣牆、竊人牛馬、誘人臣妾者、亦有常刑。此嚴部伍之事。
【読み】
△馬牛の其れ風[はな]たる、臣妾の逋れ逃ぐとも、敢えて越え逐うこと勿かれ。祗みて之を復[かえ]せ。我れ商りて汝に賚わん。乃越え逐いて復さずんば、汝則ち常の刑有らん。敢えて寇し攘[ぬす]み、垣牆を踰え、馬牛を竊[ぬす]み、臣妾を誘[あざむ]くこと無かれ。汝則ち常の刑有らん。役人の賤しき者、男を臣と曰い、女を妾と曰う。馬牛風逸し、臣妾逋亡すとも、軍壘を越えて之を遂うことを得ず。夫の主遂うことを得ずと雖も、而れども人風馬牛、逃げたる臣妾を得し者は、又當に敬みて之を還すべし。我れ多寡を商り度りて以て汝を賞せん。如し或は越え遂いて伍を失い、復さずして攘み取らば、皆常の刑有らん。故有りて竊み奪い、垣牆を踰えて、人の牛馬を竊み、人の臣妾を誘く者も、亦常の刑有らん。此れ部伍を嚴にするの事なり。

△甲戌、我惟征徐戎。峙乃糗糧、無敢不逮。汝則有大刑。魯人三郊三遂、峙乃楨榦。甲戌、我惟築。無敢不供。汝則有無餘刑。非殺。魯人三郊三遂、峙乃芻茭、無敢不多。汝則有大刑。峙、丈理反。糗、去九反。楨、音貞。芻、牎兪反。茭、音交。○甲戌、用兵之期也。峙、儲備也。糗、糧食也。不逮、若今之乏軍興。淮夷・徐戎竝起。今所攻獨徐戎者、蓋量敵之堅瑕緩急、而攻之也。國外曰郊、郊外曰遂。天子、六軍。則六郷六遂。大國、三軍。故魯三郊三遂也。楨榦、板築之木。題曰楨。牆端之木也。旁曰榦。牆兩邊障土者也。以是日征、是日築者、彼方禦我之攻、勢不得擾我之築也。無餘刑、非殺者、刑之非一、但不至於殺爾。芻茭、供軍牛馬之用。軍以期會芻糧爲急。故皆服大刑。楨榦芻茭獨言魯人者、地近而致便也。
【読み】
△甲戌[きのえ・いぬ]、我れ惟れ徐戎を征たん。乃の糗糧[きゅうりょう]を峙[そな]えて、敢えて逮ばざること無かれ。汝則ち大なる刑有らん。魯人三郊三遂、乃の楨榦[ていかん]を峙えよ。甲戌、我れ惟れ築かん。敢えて供えざること無かれ。汝則ち餘刑無きこと有らん。殺すに非ず。魯人三郊三遂、乃の芻茭[すうこう]を峙えて、敢えて多からざること無かれ。汝則ち大なる刑有らん、と。峙は、丈理反。糗は、去九反。楨は、音貞。芻は、牎兪反。茭は、音交。○甲戌は、兵を用ゆるの期なり。峙は、儲け備うるなり。糗は、糧食なり。逮ばずとは、今の軍興を乏しくすというが若し。淮夷・徐戎竝び起こる。今攻むる所獨り徐戎なる者は、蓋し敵の堅瑕緩急を量りて、之を攻むるなり。國の外を郊と曰い、郊の外を遂と曰う。天子は、六軍。則ち六郷六遂なり。大國は、三軍。故に魯は三郊三遂なり。楨榦は、板築の木なり。題を楨と曰う。牆端の木なり。旁を榦と曰う。牆の兩邊の土を障[さえぎ]る者なり。是の日を以て征し、是の日に築かば、彼我が攻めを禦ぐに方りて、勢い我が築くことを擾すことを得ざるなり。餘刑無けん、殺すに非ずとは、之刑すること一に非ず、但殺すに至らざるのみ。芻茭は、軍の牛馬の用に供す。軍は期會芻糧を以て急とす。故に皆大刑に服す。楨榦芻茭獨り魯人を言う者は、地近くして便りを致せばなり。


秦誓 左傳、杞子自鄭使告于秦曰、鄭人使我掌其北門之管。若潛師以來、國可得也。穆公訪諸蹇叔。蹇叔曰、不可。公辭焉。使孟明・西乞・白乙伐鄭。晉襄公帥師敗秦師于崤、囚其三帥。穆公悔過、誓告羣臣。史錄爲篇。今文古文皆有。
【読み】
秦誓[しんせい] 左傳に、杞子鄭より秦に告げしめて曰く、鄭人我をして其の北門の管を掌らしむ。若し師を潛[ひそ]かにして以て來らば、國得可し。穆公諸を蹇叔に訪う。蹇叔が曰く、不可なり、と。公辭す。孟明・西乞・白乙をして鄭を伐たしむ。晉の襄公師を帥いて秦の師を崤[こう]に敗りて、其の三帥を囚うる。穆公過ちを悔い、誓いて羣臣に告ぐ。史錄して篇とす。今文古文皆有り。


公曰、嗟我士聽、無譁。予誓告汝羣言之首。首之爲言、第一義也。將舉古人之言。故先發此。
【読み】
公曰く、嗟[ああ]我が士聽け、譁[かまびす]しきこと無かれ。予れ誓いて汝に羣言の首めを告げん。首めの言爲るは、第一義なり。將に古人の言を舉げんとす。故に先ず此を發す。

△古人有言曰、民訖自若是多盤。責人斯無難。惟受責俾如流、是惟艱哉。訖、盡。盤、安也。凡人盡自若是多安於徇己。其責人無難。惟受責於人、俾如流水、略無扞格、是惟難哉。穆公悔前日安於自徇、而不聽蹇叔之言。深有味乎、古人之語。故舉爲誓言之首也。
【読み】
△古の人言えること有り曰く、民訖[ことごと]く自ら是の若く多く盤[やす]んず。人を責むることは斯れ難きこと無し。惟れ責めを受けて流れの如くならしむるは、是れ惟れ艱いかな、と。訖は、盡。盤は、安んずるなり。凡そ人盡く自ら是の若く多く己に徇[したが]うことを安んず。其の人を責むるは難きこと無し。惟れ責めを人に受くること、流水の如くならしめて、略扞格無きは、是れ惟れ難いかな。穆公前日自ら徇うに安んじて、蹇叔の言を聽かざることを悔ゆ。深く味有るかな、古人の語。故に舉げて誓言の首めとす。

△我心之憂。日月逾邁、若弗云來。已然之過、不可追。未遷之善、猶可及。憂歲月之逝、若無復有來日也。
【読み】
△我が心の憂えあり。日月の逾[ゆ]き邁[い]ぬ、來ると云わざるが若し。已に然るの過ちは、追う可からず。未だ遷らざるの善きは、猶及ぶ可し。歲月の逝くことを憂うること、復來日有ること無きが若し。

△惟古之謀人則曰、未就予忌。惟今之謀人、姑將以爲親。雖則云然、尙猷詢茲黃髮、則罔所愆。忌、疾。姑、且也。古之謀人、老成之士也。今之謀人、新進之士也。非不知其爲老成。以其不就己、而忌疾之。非不知其新進。姑樂其順便、而親信之。前日之過、雖已云然、然尙謀詢茲黃髮之人、則庶罔有所愆。蓋悔其旣往之失、而冀其將來之善也。
【読み】
△惟れ古の謀れる人は則ち曰く、未だ予に就かずといいて忌む。惟れ今の謀れる人は、姑く將に以て親しむことをせんとす。則ち然[しか]云うと雖も、尙茲の黃髮に猷[はか]り詢[と]うときは、則ち愆[あやま]つ所罔し。忌は、疾[にく]む。姑は、且くなり。古の謀れる人は、老成の士なり。今の謀れる人は、新進の士なり。其の老成爲ることを知らざるに非ず。其の己に就かざるを以て、之を忌み疾む。其の新進を知らざるに非ず。姑く其の順便を樂しみて、之を親信す。前日の過ちは、已に然云うと雖も、然れども尙茲の黃髮の人に謀り詢うときは、則ち庶わくは愆つ所有ること罔けん。蓋し其の旣往の失を悔いて、其の將來の善きを冀うなり。

△番番良士、旅力旣愆、我尙有之。仡仡勇夫、射御不違、我尙不欲。惟截截善諞言、俾君子易辭。我皇多有之。番、音波。諞、蒲眠俾緬二反。○番番、老貌。仡仡、勇貌。截截、辯給貌。諞、巧也。皇、遑通。旅力旣愆之良士、前日所詆墓木旣拱者。我猶庶幾得而有之。射御不違之勇夫、前日所誇過門超乘者。我庶幾不欲用之。勇夫我尙不欲、則辯給善巧言、能使君子變易其辭說者、我遑暇多有之哉。良士、謂蹇叔。勇夫、謂三帥。諞言、謂杞子。先儒皆謂、穆公悔用孟明、詳其誓意。蓋深悔用杞子之言也。
【読み】
△番番[はは]たる良士、旅[せぼね]の力旣に愆[す]ぎたれども、我れ尙わくは之を有たん。仡仡[きつきつ]たる勇夫、射御違わざれども、我れ尙わくは欲せず。惟れ截截[せつせつ]として善く諞言[へんげん]し、君子をして辭を易えしむ。我れ皇[いとまあき]多く之を有たんや。番は、音波。諞は、蒲眠俾緬二反。○番番は、老いたる貌。仡仡は、勇める貌。截截は、辯給の貌。諞は、巧みなり。皇は、遑と通ず。旅力旣に愆ぎたるの良士は、前日詆る所の墓木旣に拱なる者なり。我れ猶庶幾わくは得て之を有たん。射御違わざるの勇夫は、前日誇る所の門を過ぎて乘を超ゆる者なり。我れ庶幾わくは之を用いざることを欲す。勇夫我れ尙欲せざれば、則ち辯給の巧言を善くし、能く君子をして其の辭說を變易せしむる者、我れ遑暇ありて多く之を有たんや。良士は、蹇叔を謂う。勇夫は、三帥を謂う。諞言は、杞子を謂う。先儒皆謂く、穆公孟明を用ゆるを悔いて、其の誓意を詳らかにす、と。蓋し深く杞子の言を用ゆることを悔ゆなり。

△昧昧我思之。如有一介臣。斷斷猗無他技、其心休休焉、其如有容。人之有技、若已有之、人之彥聖、其心好之、不啻如自其口出。是能容之、以保我子孫・黎民。亦職有利哉。斷、都玩反。○昧昧而思者、深潛而靜思也。介、獨也。大學作个。斷斷、誠一之貌。猗、語辭。大學作兮。休休、易直。好善之意。容、有所受也。彥、美士也。聖、通明也。技、才。聖、德也。心之所好、甚於口之所言也。職、主也。
【読み】
△昧昧として我れ之を思う。如し一介の臣有らん。斷斷猗[い]として他の技無けども、其の心休休として、其れ容るること有るが如し。人の技有るを、已が之れ有るが若くし、人の彥聖なるを、其の心に之を好みんじて、啻に其の口より出だすが如くなるのみにあらず。是れ能く之を容れて、以て我が子孫・黎民を保んぜん。亦職[もと]として利有るかな。斷は、都玩反。○昧昧として思うとは、深く潛かにして靜かに思うなり。介は、獨りなり。大學に个[か]に作る。斷斷は、誠一の貌。猗は、語の辭。大學に兮[けい]に作る。休休は、易直。善を好むの意なり。容は、受くる所有るなり。彥は、美士なり。聖は、通明なり。技は、才。聖は、德なり。心の好みんずる所、口の言う所より甚だし。職は、主なり。

△人之有技、冒疾以惡之、人之彥聖、而違之俾不達。是不能容、以不能保我子孫・黎民。亦曰殆哉。冒、大學作媢。忌也。違、背違之也。達、窮達之達。殆、危也。蘇氏曰、至哉穆公之論此二人也。前一人似房玄齡。後一人似李林甫。後之人主、監此足矣。
【読み】
△人の技有るを、冒[い]み疾[にく]み以て之を惡み、人の彥聖なるを、而も之に違いて達せざらしむ。是れ容るること能わず、以て我が子孫・黎民を保んずること能わず。亦曰[ここ]に殆[あやう]いかな。冒は、大學に媢に作る。忌むなり。違は、之に背き違うなり。達は、窮達の達。殆は、危きなり。蘇氏が曰く、至れるかな穆公の此の二人を論ずること。前の一人は房玄齡に似たり。後の一人は李林甫に似たり。後の人主、此を監みれば足れり、と。

△邦之杌隉、曰由一人。邦之榮懷、亦尙一人之慶。杌、五忽反。隉、倪結反。○杌隉、不安也。懷、安也。言國之危殆繫於所任一人之非、國之榮安、繫於所任一人之是。申繳上二章意。
【読み】
△邦の杌隉[ごつげつ]は、曰[ここ]に一人に由る。邦の榮懷は、亦尙一人の慶[よ]きなり。杌は、五忽反。隉は、倪結反。○杌隉は、安んぜざるなり。懷は、安んずるなり。言うこころは、國の危殆は任ずる所の一人の非に繫り、國の榮安は、任ずる所の一人の是に繫る。申ねて上の二章の意を繳[きょう]す。


右蔡氏集傳之考證評註者、專用陳師凱旁通、鄒季友音釋爲要矣。其餘引据、博採可爲確證者而已矣。 寸雲子昌易記焉
【読み】
右蔡氏集傳の考證評註は、專ら陳師凱が旁通、鄒季友が音釋を用て要とす。其の餘の引き据えるは、博く確證と爲る可き者を採るのみ。 寸雲子昌易焉を記す

寛文四辰曆九月吉日

享和元年辛酉曆九月 再板 今村八兵衛藏板

書経(終)

(引用文献)



出典: 百科事典

書経(しょきょう)または尚書(しょうしょ)は、政治史・政教を記した中国最古の歴史書。からの帝王の言行録を整理した演説集である。また一部、春秋時代諸侯のものもあり、穆公のものまで扱われている。甲骨文金文と関連性が見られ、その原型は初の史官の記録にあると考えられている。儒教では孔子が編纂したとし、重要な経典である五経のひとつに挙げられている。

古くは『書』とのみ、漢代以降は『尚書』と呼ばれた。『書経』の名が一般化するのは宋代以降である。

現行本『書経』58篇のテキストは「偽古文尚書」であり、その大半は偽作されたものである。

体裁

『書経』にはその体裁によって以下のようなものがある。

  • (こう) - 君主の臣下に対する言葉
  • (ぼ) - 臣下の君主に対する言葉
  • - 君主が民衆に対する宣誓の言葉
  • - 冊命(さくめい)あるいは君主の命令の言葉
  • - 重要な歴史的事件のあらましが書かれたもの

また人名や内容によって篇名が付けられたものもある。

テキスト

『書』は先秦時代、他の儒教経伝や墨子をはじめとする諸子百家の書物、歴史書などに引用されており、現在見られるものとは違ったテキストがあったことが推測される。漢代以降のテキストには大きく分けて「今文尚書」「古文尚書」「偽古文尚書」の三つがある。

今文尚書

焚書坑儒楚漢の戦いの後、秦の博士だった伏生(伏勝)が壁の中に隠しておいた28篇を伝えた。当時の通行の書体である今文隷書体)で書き写されたので「今文尚書」(きんぶんしょうしょ)」と言われる。やがてにおいて伏生から欧陽生(欧陽和伯)・張生に伝えられた「今文尚書」は、欧陽高夏侯勝(大夏侯)・夏侯建(小夏侯)の三家に分かれた。武帝の時には欧陽氏本に対して学官に立てられ、宣帝の時、三家とも学官に立てられた。それぞれ29篇であり、伏氏本に「太誓」1篇が加えられている。また文帝の時、詔して晁錯を伏生(当時90余歳)のもとに派遣し、『尚書』を受けさせている。これが他の3本とどう関わるかは定かではない。

後漢でも十四博士として三家が続けられたが、その後は古文学が隆盛して振るわなかった。

なお残片が少し残っている後漢の熹平石経のテキストは欧陽氏本と考えられている。

古文尚書

漢代孔子旧宅の壁中や宮廷図書館、民間などから発見された『尚書』は、秦以前の書体で書かれていたので「古文尚書」(こぶんしょうしょ)と呼ばれる。「古文尚書」について以下のようなものがある。

  • 孔安国伝本 - 司馬遷の『史記』儒林伝の記載によると、孔子の家に伝えられた『尚書』があり、孔子11世孫の孔安国今文に読み替えたところ、「今文尚書」にない10余篇があったという。
  • 壁中古文本(孔壁本・魯恭王本) - 劉?の「移太常博士書」(『漢書』楚元王伝所収)の記載によると、国の恭王劉余が孔子の旧宅を壊して宮殿としようとしたこところ、壁の中から古文による先秦書籍を得たという。このうち逸書は16篇であった。天漢中、孔安国がこれを伝えたが、巫蠱の獄で行なわれることはなかったという。『史記』儒林伝を補完するような内容になっており、壁中古文本=孔安国伝本と考えられる。
  • 中古文 - 宮中の図書館が所蔵していた「古文尚書」。班固の『漢書芸文志の記載によると、劉向が「中古文」で欧陽氏、大小夏侯氏の「今文尚書」を校訂したところ、竹簡の脱落が「酒誥」篇に一簡、「召誥」篇に二簡あったという。これが孔安国伝本であるかは定かではない。
  • 河間献王本 - 河間国の献王劉徳が伝えた「古文尚書」。『漢書』景十三王伝の記載によると、河間献王は古典収集を好み、その集めた書物は『周官』『』『礼記』『孟子』『老子』などであったという。その仔細は不明。
  • 張覇百両篇 - 『漢書』儒林伝の記載によると、世間に伝わっていた102篇の「古文尚書」というものがあり、張覇が伝えたものであった。成帝の時、それを求めて宮中の尚書と比べたところ偽書であったという。これは孔子が『尚書』を100篇にまとめたという伝承から作られたものと考えられる。偽書ではあるが、現在に伝わる『尚書』につけられた100篇の序、いわゆる「百篇書序」との関係が指摘される。
  • 杜林漆書古文本 - 後漢杜林が伝えた「古文尚書」。『後漢書』杜林伝の記載によると、新末後漢初、杜林は西州(現甘粛省隗囂の軍閥政権があった)に居たときに漆で書かれた「古文尚書」を得たという。ただし、壁中古文本のように逸書はなく、「今文尚書」と同じ29篇であった。このため杜林本は「今文尚書」を古い字体に故意に書き換えただけのものだとの指摘がある。杜林本には衛宏が『訓旨』を、徐巡が『音』を、賈逵が『訓』を、馬融が『伝』を、盧植が『章句』を、鄭玄が『注解』を作った。

古文経伝に依拠した古文学において「古文尚書」は、前漢末から後漢前期の劉?班固らには壁中古文本として扱われていたが、後漢後期の鄭玄らになると杜林漆書古文本を指すようになっていったと考えられる。壁中古文本などは早いうちに隷書体に書き換えられたのであるから、そこで問題にされているのは「今文尚書」にない逸書があること、つまりテキストの違いであるが、漆書古文本は「今文尚書」とテキストとしては同じであるから、問題にされているのは文字の字体や用字の違いである。許慎が『説文解字』で今文(隷書)を斥けて篆書古文による漢字分析を行ったことや古文篆書隷書三体の石経を作ったことに後漢後期からの「古文」観が見てとれる。結局、壁中古文本にあった逸書16篇に注がつけられることはなく、「今文尚書」と同じ29篇のみが行われた。

残片が発見されている三体石経のテキストは、杜林漆書古文本と考えられる。

偽古文尚書

西晋時代、永嘉の乱がおこり、「古文尚書」逸書16篇は散佚した。東晋になると預章の内史、梅?(ばいさく)が「古文尚書」58篇なるものを奏上した。現在、これを「偽古文尚書」(ぎこぶんしょうしょ)と呼んでいる。この本は「今文尚書」のうち「太誓」を除く28篇を含み、篇を分けて33篇としていた。それに加えて新出の25篇があり、合わせると劉?桓譚のいう「古文尚書58篇」の篇数と合致していた。しかも、孔安国という注釈(偽孔伝)が付され、さらに孔安国の大序なるものと百篇書序が各篇頭につけられていた。この梅?本は東晋で早速、学官に立てられ、南朝を通じて伝えられた。やがて「偽古文尚書」「偽孔伝」に注釈をつけた?(ひかん)の『尚書義疏』が北朝出身の劉?劉炫によって取りあげられ、の『尚書正義』のテキストとなった。現行本『書経』もこれに従っている。

しかし、やがて「偽古文尚書」は疑われるようになった。南宋呉?(ごよく)、朱熹によって懐疑が起こされ、元代呉澄明代梅?(ばいさく)が初歩的な論証を行った。そして、閻若?(えんじゃっきょ)が20年の考証の結果を『古文尚書疏証』にまとめ、25篇は偽古文であると証明した。

構成

『書経』は時代順に並べられ、虞書夏書商書周書に分けられる。現行の「偽古文尚書」と伏生伝「今文尚書」28篇を比べると以下のようになる。

「今文尚書」には後に「太誓(泰誓)」が加えられ29篇となった。この「太誓」は漢代に作られた偽書とされる。「偽古文尚書」にある「泰誓」3篇はまたこれとは別の偽書である。

「古文尚書」の逸書16篇の篇名は1.「舜典」、2.「汨作」、3.「九共」、4.「大禹謨」、5.「益稷」、6.「五子之歌」、7.「胤征」、8.「湯誥」、9.「咸有一徳」、10.「典宝」、11.「伊訓」、12.「肆命」、13.「原命」、14.「武成」、15.「旅?」、16.「冏命」であった。

「偽古文尚書」の構成は複雑であるが、その最たるものが「舜典」であり、もともと梅?本には「舜典」がなく、王粛注本の「尭典」の後半部「慎徽五典…」以下が当てられ、注も王粛注が付けられたという。その後、南斉の姚方興が孔安国伝古文「舜典」なるものを献上したが、「慎徽五典」以前に「曰若稽古…」の十二字が多くあったという。現在のものはその後にさらに「濬哲文明…」の十六字が加えられている。他には「皐陶謨」(こうようぼ)の後半部から「益稷」が作られ、「盤庚」は三篇に分けられ、「顧命」後半部から「康王之誥」が作られた。

注釈

現在通行している『書経』の注釈には以下のものがある。

  • 『尚書正義』 - 偽孔伝・唐の孔穎達疏。唐の『五経正義』の一つ。13巻58篇。後に『十三経注疏』に入れられた(20巻58篇)。
  • 『書集伝』 - 南宋蔡沈撰。6巻58篇。蔡沈は朱熹の弟子であり、序には「尭典」「舜典」「皐陶謨」「大禹謨」に朱熹の校閲を受けたとある。科挙試験の教科書として取りあげられ、広く読まれた。「蔡伝」とも呼ばれる。
  • 『尚書今古文注疏』 - 孫星衍撰。もっぱら今文29篇について注釈し、偽孔伝を退け、漢代今文学古文学の注釈を集め清朝考証学の成果を集めて疏をつけたもの。22年もの時間を費やし完成させた。

日本の元号

昭和平成を始め35個の日本元号は、この書が由来になっている。ただし、平成については出典箇所が偽古文尚書であるため、一部の専門家からは典拠としてはふさわしくないと指摘された。

森鴎外は最晩年、候補・典拠の一覧になった『元号考』(『鴎外全集 第20巻』岩波書店、所収)を作成したが、「平成」も既に江戸末期に「明治」等と並んで候補に上っている。鴎外は没した際『元号考』は未完だったので、親友吉田増蔵が、本人から依託され完成させた。なお吉田が改元に際し候補として「昭和」を勘申している。

全訳書

日本の国宝

  • 古文尚書巻第六 - 1巻/紙本墨書/縦26.0cm 全長328.0cm/紙背『元秘抄』/7世紀(唐時代)/東京国立博物館
  • 古文尚書巻第三、第五、第十二 - 1巻/紙本墨書/縦26.7cm 全長1138cm/紙背『元秘抄』/7世紀(唐時代)/東洋文庫

これらは同系の写本であり、広橋家が所蔵していた広橋本の一つである。太宗李世民(在位626年 - 649年)の諱を避けていないため、それ以前の伝本をもとに写本したと考えられる。

所々隷書体が使われており、いわゆる「隷古定尚書」と考えられている。「隷古定」とは「偽古文尚書」が生んだ字体で古文を隷書で写し取ったとされるものである。独特で奇怪な字体なので一般に「隷古奇字」ともいわれる。唐の玄宗天宝初年に『尚書』の字体をすべて楷書に改めさせたのでそれ以後は使われていない。

他の唐鈔本や敦煌本に比べて隷書が使われている文字が多く、現存する最古の鈔本とされている。なお紙背には高辻長成の『元秘抄』が室町時代に書写されている。

南宋刊本のいわゆる越州八行本。淳熙1174年 - 1188年)前後の両浙東路茶塩司刻本。

外部リンク

江守孝三(Emori Kozo)