[温故知新 戻る]
  [詩経][春秋][書經][周易]
書經集註(二)

書經集註(一)

虞書 堯典,舜典, 大禹謨, 皐陶謨, 益稷 夏書 禹貢, 甘誓, 五子之歌, 胤征 商書 湯誓, 仲虺之誥, 湯誥, 伊訓, 太甲上, 太甲中, 太甲下, 咸有一德, 盤庚上, 盤庚中, 盤庚下, 說命上, 說命中, 說命下, 高宗肜日, 西伯戡黎, 微子
周書 泰誓上, 泰誓中, 泰誓下, 牧誓, 武成, [今考定武成], 洪範, 旅獒, 金縢, 大誥, 微子之命, 康誥, 酒誥, 梓材 召誥 洛誥, 多士, 無逸, 君奭, 蔡仲之命, 多方, 立政, 周官, 君陳, 顧命. 康王之誥. 畢命. 君牙. 冏命. 呂刑. 文侯之命. 費誓. 秦誓 あとがき

書經集傳序

慶元 宋寧宗年號。己未冬、先生文公、令沈作書集傳。明年先生沒。又十年、始克成編。總若干萬言。
【読み】
慶元 宋の寧宗の年號。己未[つちのと・ひつじ]の冬、先生文公、沈をして書の集傳を作らしむ。明年先生沒せり。又十年にして、始めて克く編を成す。總べて若干[そこばく]萬言なり。

嗚呼書豈易言哉。二帝 堯・舜。三王 禹・湯・文・武。 鄒氏季友曰、治字本平聲。借用乃爲去聲。故陸氏於諸經中、平聲者、竝無音。去聲者、乃音直吏反。而讀者不察。乃或皆作去聲讀之。今二聲竝音、以矯其弊。平聲者、脩理其事、方用其力也。去聲者、事有條理、已見其效也。諸篇中、有不及盡音者、以此推之、皆可見矣。天下之大經大法、皆載此書。而淺見薄識、豈足以盡發蘊奧。
【読み】
嗚呼書は豈言い易けんや。二帝 堯・舜。三王 禹・湯・文・武。天下を治むる 鄒氏季友が曰く、治の字は本平聲。借り用いて乃ち去聲とす。故に陸氏諸經の中に於て、平聲なる者は、竝[とも]に音[こえ]無し。去聲は、乃ち音は直吏反なり、と。而して讀む者察せず。乃ち或は皆去聲と作して之を讀む。今二聲竝に音して、以て其の弊を矯む。平聲は、其の事を脩理して、方に其の力を用うるなり。去聲は、事條理有りて、已に其の效を見すなり。諸篇の中に、盡く音するに及ばざること有る者は、此を以て之を推して、皆見る可し、と。の大經大法、皆此の書に載せたり。而れども淺見薄識、豈以て盡く蘊奧を發するに足らんや。

且生於數千載之下、而欲講明於數千載之前、亦已難矣。然二帝三王之治、本於道。二帝三王之道、本於心。得其心、則道與治、固可得而言矣。
【読み】
且つ數千載の下に生まれて、數千載の前を講明せんと欲せんことも、亦已に難し。然れども二帝三王の治は、道に本づく。二帝三王の道は、心に本づく。其の心を得るときは、則ち道と治と、固に得て言う可し。

何者、精一執中、堯・舜・禹相授之心法也。建中建極、商湯・周武相傳之心法也。曰德曰仁、曰敬曰誠、言雖殊、而理則一。無非所以明此心之妙也。至於言天、則嚴其心之所自出。言民、謹其心之所由施。禮樂敎化、心之發也。典章文物、心之著也。家齊國治、而天下平、心之推也。心之德其盛矣。
【読み】
何となれば、精一にして中を執るは、堯・舜・禹相授くるの心法なり。中を建て極を建つるは、商の湯・周武相傳の心法なり。德と曰い仁と曰い、敬と曰い誠と曰う、言殊なりと雖も、而して理は則ち一なり。以て此の心の妙を明らかにする所に非ざる無し。天を言うに至りては、則ち其の心の自って出づる所を嚴かにす。民を言うときは、其の心の由って施す所を謹む。禮樂敎化は、心の發なり。典章文物は、心の著るなり。家齊え國治めて、天下平らかなるは、心の推すなり。心の德其れ盛んなるかな。

二帝三王、存此心者也。夏桀・商受、亡此心者也。太甲・成王、困而存此心者也。存則治、亡則亂。治亂之分、顧其心之存不存如何耳。
【読み】
二帝三王は、此の心を存する者なり。夏の桀・商の受は、此の心を亡する者なり。太甲・成王は、困しみて此の心を存する者なり。存するときは則ち治まり、亡するときは則ち亂る。治亂の分は、其の心の存すると存せざると如何と顧みるのみ。

後世人主、有志於二帝三王之治、不可不求其道。有志於二帝三王之道、不可不求其心。求心之要、舍是書何以哉。
【読み】
後世の人主、二帝三王の治に志すこと有らば、其の道に求めずんばある可からず。二帝三王の道に志すこと有らば、其の心を求めずんばある可からず。心を求むるの要は、是の書を舍[お]いて何を以てかせんや。

沈自受讀以來、沈潛其義參考衆說、融會貫通、迺敢折衷。微辭奧旨、多述舊聞。
【読み】
沈受け讀みてより以來、其の義を沈潛し衆說を參考し、融會貫通して、迺[すなわ]ち敢えて折衷す。微辭奧旨、多く舊聞を述べり。

二典禹謨、先生蓋嘗是正。手澤尙新。嗚呼惜哉。先生改本、已附文集中、其閒亦有經承先生口授指畫、而未及盡改者、今悉更定、見本篇。
【読み】
二典禹謨は、先生蓋し嘗て是正せり。手澤尙新たなり。嗚呼惜しいかな。先生の改本、已に文集の中に附して、其の閒亦先生口授指畫を經承して、未だ盡く改むるに及ばざる者有り、今悉く更に定めて、本篇に見ゆ。

集傳本先生所命。故凡引用師說、不復識別。四代 虞・夏・商・周。之書、分爲六卷。虞一巻、夏一巻、商一巻、周三巻。○書凡百篇。遭秦火後、今所存者、僅五十八篇。
【読み】
集傳は本先生の命ずる所。故に凡そ師說を引き用うるは、復識別せず。四代 虞・夏・商・周。の書は、分けて六卷とす。虞一巻、夏一巻、商一巻、周三巻。○書は凡て百篇。秦火に遭って後、今存する所の者は、僅かに五十八篇なり。

文以時異、治以道同。聖人之心見於書、猶化工之妙著於物。非精深不能識也。是傳也、於堯・舜・禹・湯・文・武・周公之心、雖未必能造其微、於堯・舜・禹・湯・文・武・周公之書、因是訓詁 通古今之言也。亦可得其指意之大略矣。
【読み】
文は時を以て異なり、治は道を以て同じ。聖人の心の書に見るる、猶化工の妙の物に著るるがごとし。精深に非ずんば識ること能わざるなり。是の傳は、堯・舜・禹・湯・文・武・周公の心に於て、未だ必ずしも能く其の微に造[いた]らずと雖も、堯・舜・禹・湯・文・武・周公の書に於て、是の訓詁 古今の言に通ずるなり。に因りて、亦其の指意の大略を得る可し。

嘉定 亦寧宗年號。己巳三月、旣望。武夷蔡沈序。沈俗作沉非。沈音澄。沈、字仲默、建寧府建陽縣人。西山先生之仲子。從學_朱文公、隱居不仕。自號九峯先生。
【読み】
嘉定 亦寧宗の年號。己巳[つちのと・み]三月、旣望。武夷の蔡沈序す。沈を俗に沉に作るは非なり。沈は音澄。沈、字は仲默、建寧府建陽縣の人なり。西山先生の仲子。_朱文公に從いて學び、隱居して仕えず。自ら九峯先生と號す。

書經卷之一  蔡沉集傳


虞書 虞、舜氏。因以爲有天下之號也。書凡五篇。堯典、雖紀唐堯之事、然本虞史所作。故曰虞書。其舜典以下、夏史所作。當曰夏書。春秋傳亦多引爲夏書。此云虞書、或以爲孔子所定也。
【読み】
虞書[ぐしょ] 虞は、舜の氏。因りて以て天下を有つの號とす。書は凡て五篇。堯典は、唐堯の事を紀すと雖も、然れども本虞史の作る所。故に虞書と曰う。其の舜典より以下は、夏史の作る所。當に夏書と曰うべし。春秋傳も亦多く引いて夏書とす。此に虞書と云うは、或は以爲えらく、孔子定むる所、と。


堯典 堯、唐帝名。說文曰、典、從册在丌上。尊閣之也。此篇以簡册載堯之事、故名曰堯典。後世以其所載之事、可爲常法、故又訓爲常也。今文古文皆有。
【読み】
○堯典[ぎょうてん] 堯は、唐帝の名。說文に曰く、典は、册の丌[き]の上に在るに從う。之を尊び閣[お]く、と。此の篇簡册に堯の事を載するを以て、故に名づけて堯典と曰う。後世其の載する所の事、常の法とす可きを以て、故に又訓じて常とす。今文古文皆有り。


曰若稽古帝堯曰、放勳欽明、文思安安、允恭克讓。光被四表、格于上下。曰、粤・越通。古文作粤。曰若者、發語辭。周書越若來三月、亦此例也。稽、考也。史臣將敍堯事。故先言、考古之帝堯者、其德如下文所云也。曰者、猶言其說如此也。放、至也。猶孟子言放乎四海、是也。勳、功也。言堯之功大而無所不至也。欽、恭敬也。明、通明也。敬體而明用也。文、文章也。思、意思也。文著見、而思深遠也。安安、無所勉强也。言其德性之美、皆出於自然、而非勉强。所謂性之者也。允、信。克、能也。常人德非性有、物欲害之。故有强爲恭而不實、欲爲讓而不能者。惟堯性之。是以信恭而能讓也。光、顯。被、及。表、外。格、至。上、天。下、地也。言其德之盛如此。故其所及之遠如此也。蓋放勳者、總言堯之德業也。欽明文思安安、本其德性而言也。允恭克讓、以其行實而言也。至於被四表格上下、則放勳之所極也。孔子曰、惟天爲大。惟堯則之。故書敍帝王之德、莫盛於堯。而其贊堯之德、莫備於此。且又首以欽之一字爲言、此書中開卷第一義也。讀者深味而有得焉、則一經之全體、不外是矣。其可忽哉。
【読み】
曰若[ここ]に古の帝堯を稽[かんが]うるに曰く、放勳欽明、文思安安、允に恭しく克[よ]く讓る。四表に光被し、上下に格れり。曰は、粤[えつ]・越と通ず。古文に粤に作る。曰若は、發語の辭。周書に越若に來る三月とは、亦此の例なり。稽は、考うるなり。史臣將に堯の事を敍べんとす。故に先ず言う、古の帝堯なる者を考うるに、其の德下の文に云う所の如し、と。曰は、猶其の說此の如しと言うがごとし。放は、至るなり。猶孟子四海に放ると言うがごとき、是れなり。勳は、功なり。言うこころは、堯の功大いにして至らざる所無し。欽は、恭敬なり。明は、通明なり。敬は體にして明は用なり。文は、文章なり。思は、意思なり。文は著見して、思は深遠なり。安安は、勉强する所無し。言うこころは、其の德性の美、皆自然に出でて、勉强するに非ず。所謂性のままなる者なり。允は、信。克は、能きなり。常の人は德性の有るがままに非ず、物欲之を害す。故に强いて恭を爲して實あらず、讓を爲さんと欲して能わざる者有り。惟堯のみ性のままにす。是を以て信に恭しくして能く讓れり。光は、顯らか。被は、及ぶ。表は、外。格は、至る。上は、天。下は、地なり。言うこころは、其の德の盛んなること此の如し。故に其の及ぼす所の遠きこと此の如し。蓋し放勳は、總べて堯の德業を言うなり。欽明文思安安は、其の德性に本づいて言うなり。允に恭しく克く讓るは、其の行實を以て言うなり。四表に被い上下に格るに至っては、則ち放勳の極まる所なり。孔子曰く、惟天のみ大なりとす。惟堯のみ之に則れり、と。故に書に帝王の德を敍ぶること、堯より盛んなるは莫し。而して其の堯の德を贊すること、此より備われるは莫し。且つ又首めに欽の一字を以て言を爲すは、此れ書中開卷第一の義なり。讀む者深く味わいて得ること有らば、則ち一經の全體、是に外ならず。其れ忽にす可けんや。

△克明俊德、以親九族。九族旣睦、平章百姓、百姓昭明、協和萬邦。黎民於變、時雍。於、音烏。○明、明之也。俊、大也。堯之大德、上文所稱、是也。九族、高祖至玄孫之親。舉近以該遠。五服異姓之親、亦在其中也。睦、親而和也。平、均。章、明也。百姓、畿内民庶也。昭明、皆能自明其德也。萬邦、天下諸侯之國也。黎、黑也。民首皆黑。故曰黎民。於、歎美辭。變、變惡爲善也。時、是。雍、和也。此言堯推其德。自身而家、而國、而天下。所謂放勳者也。
【読み】
△克く俊德を明らかにし、以て九族を親しむ。九族旣に睦まじくして、百姓を平章にすれば、百姓昭明にして、萬邦を協和す。黎民於[ああ]變わり、時[こ]れ雍[やわ]らげり。於は、音烏。○明は、之を明らかにするなり。俊は、大いなり。堯の大德、上の文に稱する所、是れなり。九族は、高祖より玄孫に至るまでの親なり。近きを舉げて以て遠きを該[か]ぬ。五服異姓の親も、亦其の中に在るなり。睦は、親しくして和らぐなり。平は、均し。章は、明らかなり。百姓は、畿内の民庶なり。昭明は、皆能く自ら其の德を明らかにするなり。萬邦は、天下諸侯の國なり。黎は、黑きなり。民の首皆黑し。故に黎民と曰う。於は、歎美の辭。變は、惡を變じて善と爲すなり。時は、是れ。雍は、和らぐなり。此れ堯の其の德を推すことを言う。身よりして家、而して國、而して天下。所謂放勳なる者なり。

△乃命羲・和、欽若昊天、曆象日月星辰、敬授人時。昊、下老反。○乃者、繼事之辭。羲氏・和氏、主曆象授時之官。若、順也。昊、廣大之意。曆、所以紀數之書。象、所以觀天之器。如下篇璣衡之屬、是也。日、陽精。一日而繞地一周。月、陰精。一月而與日一會。星、二十八宿。衆星爲經、金・木・水・火・土五星爲緯、皆是也。辰、以日月所會、分周天之度、爲十二次也。人時、謂耕穫之候。凡民事早晩之所關也。其說詳見下文。
【読み】
△乃ち羲・和に命じて、欽んで昊天に若[したが]い、日月星辰を曆象して、敬んで人[たみ]の時を授く。昊は、下老反。○乃は、事を繼ぐの辭。羲氏・和氏は、曆象を主り時を授くるの官。若は、順うなり。昊は、廣大の意。曆は、數を紀す所以の書。象は、天を觀る所以の器。下の篇の璣衡[きこう]の屬の如き、是れなり。日は、陽の精。一日にして地を繞[めぐ]ること一周す。月は、陰の精。一月にして日と一たび會す。星は、二十八宿。衆星を經とし、金・木・水・火・土の五星を緯とするは、皆是れなり。辰は、日月會する所を以て、周天の度を分かちて、十二次とす。人の時は、耕穫の候を謂う。凡そ民事早晩の關る所なり。其の說詳らかに下の文に見えたり。

△分命羲仲、宅嵎夷。曰暘谷。寅賓出日、平秩東作。日中星鳥、以殷仲春。厥民析、鳥獸孳尾。嵎、音隅。孳、音字。○此下四節、言曆旣成、而分職以頒布。且考驗之、恐其推步之或差也。或曰、上文所命、蓋羲伯和伯。此乃分命其仲叔。未詳是否也。宅、居也。嵎夷、卽禹貢嵎夷旣略者也。曰暘谷者、取日出之義。羲仲所居官次之名。蓋官在國都、而測之所、則在於嵎夷東表之地也。寅、敬也。賓、禮接之如賓客也。亦帝嚳曆日月而迎送之意。出日、方出之日。蓋以春分之旦、朝方出之日、而識其初出之景也。平、均。秩、序。作、起也。東作、春月歲功方興、所當作起之事也。蓋以曆之節氣早晩、均次其先後之宜、以授有司也。日中者、春分之刻、於夏永冬短、爲適中也。晝夜皆五十刻、舉晝以見夜。故曰日。星鳥、南方朱鳥七宿。唐一行推以鶉火、爲春分昬之中星也。殷、中也。春分、陽之中也。析、分散也。先時冬寒、民聚於隩。至是則以民之散處、而驗其氣之溫也。乳化曰孳、交接曰尾。以物之生育、而驗其氣之和也。
【読み】
△分かちて羲仲に命じて、嵎夷[ぐうい]に宅[お]らしむ。暘谷[ようこく]と曰う。寅[つつし]んで出づる日を賓して、東作を平秩す。日は中、星は鳥、以て仲春を殷[ひと]しくす。厥の民析[わか]れ、鳥獸は孳尾[じび]す。嵎は、音隅。孳は、音字。○此の下の四節は、言うこころは、曆旣に成りて、職を分かちて以て頒ち布く。且つ之を考え驗して、其の推步の差い或るを恐るるなり。或ひと曰く、上の文の命ずる所は、蓋し羲伯和伯なり。此れ乃ち分かちて其の仲叔に命ず、と。未だ是否を詳らかにせず。宅は、居るなり。嵎夷は、卽ち禹貢に嵎夷旣に略[かぎ]れる者なり。暘谷と曰うは、日出づるの義に取る。羲仲居る所の官次の名なり。蓋し官は國都に在りて、測の所は、則ち嵎夷東表の地に在るなり。寅は、敬むなり。賓は、禮接すること賓客の如きなり。亦帝嚳[こく]日月を曆[かぞ]えて迎送するの意なり。出づる日は、方に出でんとするの日なり。蓋し春分の旦、朝方に出でんとするの日を以て、其の初めて出づるの景[かげ]を識すなり。平は、均し。秩は、序。作は、起こるなり。東作は、春月歲功方に興りて、當に作起すべき所の事なり。蓋し曆の節氣早晩を以て、均しく其の先後の宜しきを次いで、以て有司に授くなり。日中は、春分の刻、夏永く冬短きに於て、適中とす。晝夜皆五十刻、晝を舉げて以て夜を見す。故に日と曰う。星鳥は、南方朱鳥の七宿なり。唐の一行推して鶉火を以て、春分昬の中星とす。殷は、中するなり。春分は、陽の中なり。析は、分かれ散るなり。先の時は冬寒くして、民隩[おう]に聚まる。是に至りて則ち民の散じ處るを以て、其の氣の溫かきを驗すなり。乳化を孳と曰い、交接を尾と曰う。物の生育を以て、其の氣の和を驗すなり。

△申命羲叔、宅南交、平秩南訛。敬致。日永星火、以正仲夏。厥民因、鳥獸希革。申、重也。南交、南方交趾之地。陳氏曰、南交下當有曰明都三字。訛、化也。謂夏月時物長盛、所當變化之事也。史記索隱作南爲。謂所當爲之事也。敬致、周禮所謂冬夏致日。蓋以夏至之日中、祠日而識其景。如所謂日至之景尺有五寸、謂之地中者也。永、長也。日永、晝六十刻也。星火、東方蒼龍七宿。火、謂大火。夏至昬之中星也。正者、夏至陽之極、午、爲正陽位也。因、析而又析。以氣愈熱、而民愈散處也。希革、鳥獸毛希而革易也。
【読み】
△申[かさ]ねて羲叔に命じて、南交に宅らしめ、南訛を平秩す。敬んで致す。日は永く星は火、以て仲夏を正す。厥の民は因れり、鳥獸は希革す。申は、重ぬるなり。南交は、南方交趾の地なり。陳氏が曰く、南交の下に當に曰明都の三字有るべし、と。訛は、化すなり。夏月時物長盛して、當に變化すべき所の事を謂うなり。史記の索隱に南爲に作る。當にすべき所の事を謂うなり。敬致は、周禮に所謂冬夏日を致す、と。蓋し夏至の日中を以て、日を祠りて其の景を識す。所謂日至の景尺有五寸、之を地中と謂うが如き者なり。永は、長きなり。日永きは、晝六十刻なり。星火は、東方蒼龍の七宿なり。火は、大火を謂う。夏至の昬の中星なり。正は、夏至は陽の極、午は、正陽の位爲り。因は、析ちて又析つ。氣愈々熱きを以て、民愈々散じ處るなり。希革は、鳥獸の毛希にして革まり易きなり。

△分命和仲、宅西。曰昧谷。寅餞納日、平秩西成。宵中星虛、以殷仲秋。厥民夷、鳥獸毛毨。毨、蘇典反。○西、謂西極之地也。曰昧谷者、以日所入而名也。餞、禮送行者之名。納日、方納之日也。蓋以秋分之莫、夕方納之日、而識其景也。西成、秋月物成之時。所當成就之事也。宵、夜也。宵中者、秋分夜之刻、於夏冬爲適中也。晝夜亦各五十刻、舉夜以見日。故曰宵。星虛、北方玄武七宿之虛星、秋分昬之中星也。亦曰殷者、秋分、陰之中也。夷、平也。暑退而人氣平也。毛毨、鳥獸毛落更生、潤澤鮮好也。
【読み】
△分かちて和仲に命じて、西に宅らしむ。昧谷と曰う。寅んで納る日を餞して、西成を平秩す。宵は中、星は虛、以て仲秋を殷しくす。厥の民は夷[たいら]げり、鳥獸は毛毨[もうせん]す。毨は、蘇典反。○西は、西極の地を謂うなり。昧谷と曰うは、日入る所を以て名づくるなり。餞は、禮して行く者を送るの名。納日は、方に納るの日なり。蓋し秋分の莫を以て、方に納るの日を夕して、其の景を識すなり。西成は、秋月物成るの時。當に成就すべき所の事なり。宵は、夜なり。宵中は、秋分夜の刻、夏冬に於て適中とす。晝夜亦各々五十刻、夜を舉げて以て日を見す。故に宵と曰う。星虛は、北方玄武七宿の虛星、秋分昬の中星なり。亦殷と曰うは、秋分は、陰の中なればなり。夷は、平らかなり。暑退いて人氣平らかなり。毛毨は、鳥獸毛落ちて更に生じて、潤澤鮮好なるなり。

△申命和叔、宅朔方。曰幽都。平在朔易。日短星昴、以正仲冬。厥民隩、鳥獸氄毛。隩、於到反。氄、而隴反。○朔方、北荒之地。謂之朔者、朔之爲言蘇也。萬物至此、死而復蘇。猶月之晦而有朔也。日行至是、則淪於地中、萬象幽暗。故曰幽都。在、察也。朔易、冬月歲事已畢、除舊更新。所當改易之事也。日短、晝四十刻也。星昴、西方白虎七宿之昴宿。冬至昬之中星也。亦曰正者、冬至陰之極、子爲正陰之位也。隩、室之内也。氣寒而民聚於内也。氄毛、鳥獸生耎毳細毛、以自溫也。蓋旣命羲和、造曆制器、而又分方與時、使各驗其實、以審夫推步之差。聖人之敬天勤民、其謹如是。是以術不違天、而政不失時也。又按此冬至曰在虛、昬中昴。今冬至日在斗、昬中壁。中星不同者、蓋天有三百六十五度四分度之一、歲有三百六十五日四分日之一。天度四分之一而有餘、歲日四分之一而不足。故天度常平運而舒、日道常内轉而縮。天漸差而西、歲漸差而東。此歲差之由。唐一行所謂歲差者是也。古曆簡易、未立差法、但隨時占候修改、以與天合。至東晉虞喜、始以天爲天、以歲爲歲、乃立差以追其變。約以五十年退一度。何承天以爲太過。乃倍其年而又反不及。至隋劉焯、取二家中數七十五年、爲近之。然亦未爲精密也。因附著于此。
【読み】
△申ねて和叔に命じて、朔方に宅らしむ。幽都と曰う。朔易を平在す。日は短く星は昴、以て仲冬を正す。厥の民は隩[あたた]まり、鳥獸は氄毛[じょうもう]す。隩は、於到反。氄は、而隴反。○朔方は、北の荒れたる地。之を朔と謂うは、朔の言爲るは蘇なり。萬物此に至り、死して復蘇る。猶月の晦にして朔有るがごとし。日行いて是に至れば、則ち地中に淪[しず]みて、萬象幽暗なり。故に幽都と曰う。在は、察なり。朔易は、冬月歲事已に畢わり、舊を除いて新に更う。當に改易すべき所の事なり。日短しは、晝四十刻なり。星昴は、西方白虎七宿の昴宿なり。冬至の昬の中星なり。亦正と曰うは、冬至は陰の極、子は正陰の位爲ればなり。隩は、室の内なり。氣寒くして民内に聚まるなり。氄毛は、鳥獸耎毳[ぜんせい]細毛を生して、以て自ら溫むるなり。蓋し旣に羲和に命じて、曆を造り器を制して、又方と時とを分かちて、各々其の實を驗して、以て夫の推步の差いを審らかにせしむ。聖人の天を敬み民を勤むる、其の謹み是の如し。是を以て術天に違わずして、政時を失わざるなり。又按ずるに此の冬至の曰は虛に在り、昬の中は昴なり。今の冬至の日は斗に在り、昬の中は壁なり。中星同じからざるは、蓋し天は三百六十五度四分度の一有り、歲は三百六十五日四分日の一有り。天度は四分の一にして餘有り、歲日は四分の一にして足らず。故に天の度は常に平運して舒び、日の道は常に内轉して縮まる。天漸く差いて西し、歲漸く差いて東す。此れ歲差の由なり。唐の一行が所謂歲差とは是れなり。古の曆は簡易にして、未だ差法を立てず、但時に隨いて占候して修め改めて、以て天と合わすのみ。東晉の虞喜に至りて、始めて天を以て天とし、歲を以て歲とし、乃ち差を立てて以て其の變を追う。約するに五十年を以て一度を退く。何承天以爲えらく、太だ過てり、と。乃ち其の年を倍して又反って及ばず。隋の劉焯に至りて、二家の中數七十五年を取りて、之に近しとす。然れども亦未だ精密と爲らず。因りて此に附著す。

△帝曰、咨汝羲曁和、朞三百有六旬有六日、以閏月定四時成歲。允釐百工、庶績咸煕。咨、嗟也。嗟歎而告之也。曁、及也。朞、猶周也。允、信。釐、治。工、官。庶、衆。績、功。咸、皆。煕、廣也。天體至圓。周圍三百六十五度四分度之一、繞地左旋、常一日一周而過一度。日麗天而少遲。故日行一日亦繞地一周、而在天爲不及一度。積三百六十五日、九百四十分日之二百三十五、而與天會。是一歲日行之數也。月麗天而遲。一日常不及天十三度十九分度之七。積二十九日、九百四十分日之四百九十九、而與日會。十二會、得全日三百四十八、餘分之積、又五千九百八十八。如日法九百四十、而一得六不盡三百四十八、通計得日三百五十四、九百四十分日之三百四十八。是一歲月行之數也。歲有十二月、月有三十日、三百六十者、一歲之常數也。故日與天會、而多五日九百四十分日之二百三十五者、爲氣盈。月與日會而少五日九百四十分日之五百九十二者、爲朔虛。合氣盈朔虛而閏生焉。故一歲閏、率則十日九百四十分日之八百二十七。三歲一閏、則三十二日九百四十分日之六百單一。五歲再閏、則五十四日九百四十分日之三百七十五。十有九歲七閏、則氣朔分齊。是爲一章也。故三年而不置閏、則春之一月入于夏、而時漸不定矣。子之一月入于丑、而歲漸不成矣。積之之久、至於三失閏、則春皆入夏、而時全不定矣。十二失閏、子皆入丑。歲全不成矣。其名實乖戾、寒暑反易、農桑庶務、皆失其時。故必以此餘日、置閏月於其閒、然後四時不差、而歲功得成。以此信治百官、而衆功皆廣也。
【読み】
△帝曰く、咨[ああ]汝羲曁[およ]び和、朞三百有六旬有六日、閏月を以て四時を定めて歲を成す。允に百工を釐[おさ]めて、庶績咸[みな]煕[ひろ]まる、と。咨は、嗟なり。嗟歎して之に告ぐるなり。曁[き]は、及ぶなり。朞は、猶周のごとし。允は、信。釐[り]は、治むる。工は、官。庶は、衆。績は、功。咸は、皆。煕は、廣まるなり。天の體は至って圓なり。周圍三百六十五度四分度の一、地を繞り左に旋りて、常に一日一周して一度を過ぐ。日は天に麗[かか]りて少し遲し。故に日行一日も亦地を繞りて一周して、天に在りて一度に及ばずとす。三百六十五日、九百四十分日の二百三十五を積んで、天と會す。是れ一歲日行の數なり。月は天に麗りて尤も遲し。一日常に天に及ばざること十三度十九分度の七。積むこと二十九日、九百四十分日の四百九十九にして、日と會す。十二會に、全日三百四十八を得て、餘分の積りは、又五千九百八十八。日法の九百四十の如くにして、一に六を得て三百四十八を盡くさず、通計日三百五十四、九百四十分日の三百四十八を得。是れ一歲月行の數なり。歲に十二月有り、月に三十日有り、三百六十は、一歲の常數なり。故に日と天と會して、五日九百四十分日の二百三十五多き者を、氣盈とす。月と日と會して五日九百四十分日の五百九十二少なき者を、朔虛とす。氣盈朔虛を合わせて閏生る。故に一歲の閏は、率ね則ち十日九百四十分日の八百二十七。三歲一閏なるときは、則ち三十二日九百四十分日の六百單一。五歲再閏なるときは、則ち五十四日九百四十分日の三百七十五。十有九歲七閏なるときは、則ち氣朔の分齊し。是を一章とす。故に三年にして閏を置かざるときは、則ち春の一月夏に入りて、時漸く定まらず。子の一月丑に入りて、歲漸く成らず。之を積むこと久しくして、三閏を失うに至るときは、則ち春皆夏に入りて、時全く定まらず。十二閏を失わば、子は皆丑に入る。歲全く成らず。其の名實乖戾し、寒暑反易し、農桑庶務、皆其の時を失う。故に必ず此の餘日を以て、閏月を其の閒に置き、然して後に四時差わずして、歲功成ることを得。此を以て信に百官を治めて、衆功皆廣まるなり。

△帝曰、疇咨若時登庸。放齊曰、胤子朱啓明。帝曰、吁嚚訟、可乎。放、甫兩反。胤、羊進反。嚚、魚巾反。○此下至鯀績用弗成、皆爲禪舜張本也。疇、誰。咨、訪問也。若、順。庸、用也。堯言、誰爲我訪問能順時爲治之人、而登用之乎。放齊、臣名。胤、嗣也。胤子朱、堯之嗣子丹朱也。啓、開也。言其性開明。可登用也。吁者、歎其不然之辭。嚚、謂口不道忠信之言。訟、爭辯也。朱蓋以其開明之才、用之於不善。故嚚訟。禹所謂傲虐是也。此見堯之至公至明、深知其子之惡、而不以一人病天下也。或曰、胤、國。子、爵。堯時諸侯也。夏書有胤侯。周書有胤之舞衣。今亦未見其必不然。姑存於此云。
【読み】
△帝曰く、疇[だれ]か時に若[したが]わんものを咨[と]いて登[あ]げ庸[もち]いん、と。放齊曰く、胤子の朱は啓明なり、と。帝曰く、吁[ああ]嚚訟[ぎんしょう]なり、可ならんや、と。放は、甫兩反。胤は、羊進反。嚚は、魚巾反。○此の下鯀の績用[もっ]て成らざるに至るまで、皆舜に禪るが爲の張本なり。疇は、誰。咨は、訪ね問うなり。若は、順う。庸は、用うるなり。堯言う、誰か我が爲に能く時に順いて治を爲すの人を訪ね問いて、之を登げ用いんや、と。放齊は、臣の名。胤は、嗣なり。胤子の朱は、堯の嗣子丹朱なり。啓は、開くなり。言うこころは、其の性開け明らかなり。登げ用ゆ可し、と。吁は、其の然らざるを歎ずるの辭。嚚は、口忠信の言を道わざるを謂う。訟は、爭辯なり。朱蓋し其の開明の才を以て、之を不善に用ゆ。故に嚚にして訟をす。禹の所謂傲虐とは是れなり。此れ堯の至公至明にして、深く其の子の惡を知りて、一人を以て天下を病ましめざることを見す。或ひと曰く、胤は、國。子は、爵。堯の時の諸侯なり。夏書に胤侯有り。周書に胤の舞衣なる有り、と。今亦未だ其の必ずしも然らざることを見ず。姑く此に存すと云う。

△帝曰、疇咨若予采。驩兜曰、都共工方鳩僝功。帝曰、吁靜言庸違。象恭滔天。驩、呼官反。兜、當侯反。共、音恭。僝、仕限反。○采、事也。都、歎美之辭也。驩兜、臣名。共工、官名。蓋古之世官族也。方、且。鳩、聚。僝、見也。言共工方且鳩聚、而見其功也。靜言庸違者、靜則能言、用則違背也。象恭、貌恭而心不然也。滔天二字未詳。與下文相似。疑有舛誤。上章言順時、此言順事。職任大小可見。
【読み】
△帝曰く、疇か予が采[こと]に若わんものを咨わん、と。驩兜[かんとう]曰く、都[ああ]共工方に鳩[あつ]めて功を僝[あらわ]す、と。帝曰く、吁[ああ]靜かなれば言い庸[もち]うれば違う。象[かたち]は恭しく天を滔[あなど]る、と。驩は、呼官反。兜は、當侯反。共は、音恭。僝[せん]は、仕限反。○采は、事なり。都は、歎美の辭なり。驩兜は、臣の名。共工は、官の名。蓋し古の世官の族ならん。方は、且。鳩は、聚むる。僝は、見すなり。言うこころは、共工方且に鳩め聚めて、其の功を見すなり。靜言庸違とは、靜かなれば則ち能く言い、用うれば則ち違い背くなり。象恭は、貌は恭しくして心然らざるなり。滔天の二字は未だ詳らかならず。下の文と相似れり。疑うらくは舛誤[せんご]有らん。上の章には時に順うことを言い、此には事に順うことを言う。職任の大小を見る可し。

△帝曰、咨四岳、湯湯洪水方割。蕩蕩懷山襄陵、浩浩滔天、下民其咨。有能俾乂。僉曰、於鯀哉。帝曰、吁咈哉。方命圮族。岳曰、异哉。試可、乃已。帝曰、往、欽哉。九載績用弗成。湯、音傷。於、音烏。鯀、古本反。咈、符勿反。圮、部鄙反。异、音異。○四岳、官名。一人而總四岳諸侯之事也。湯湯、水盛貌。洪、大也。孟子曰、水逆行、謂之洚水。洚水者、洪水也。蓋水涌出而未洩。故汎濫而逆流也。割、害也。蕩蕩、廣貌。懷、包其四面也。襄、駕出其上也。大阜曰陵。浩浩、大貌。滔、漫也。極言其大。勢若漫天也。俾、使。乂、治也。言有能任此責者、使之治水也。僉、衆共之辭。四岳與其所領諸侯之在朝者、同辭而對也。於、歎美辭。鯀、崇伯名。歎其美而薦之也。咈者、甚不然之之辭。方命者、逆命而不行也。王氏曰、圓則行、方則止。方命、猶今言廢閣詔令也。蓋鯀之爲人、悻戾自用、不從上令也。圮、敗。族、類也。言與衆不和、傷人害物。鯀之不可用者以此也。楚辭言鯀婞直、是其方命圮族之證也。岳曰、四岳之獨言也。异義未詳。疑是已廢、而復强舉之之意。試可乃已者、蓋廷臣未有能於鯀者。不若姑試用之、取其可以治水而已。言無預他事。不必求其備也。堯於是遣之往治水、而戒以欽哉。蓋任大事、不可以不敬。聖人之戒、辭約而意盡也。載、年也。九載、三考、功用不成。故黜之。
【読み】
△帝曰く、咨[ああ]四岳、湯湯[しょうしょう]たる洪水方[あまね]く割[そこな]う。蕩蕩として山を懷[か]ね陵に襄[のぼ]り、浩浩として天に滔[はびこ]り、下民其れ咨[なげ]く。能くするもの有らば乂[おさ]めしめん、と。僉[みな]曰く、於[ああ]鯀なるかな、と。帝曰く、吁[ああ]咈[いな]なるかな。命に方[たが]い族を圮[やぶ]る、と。岳曰く、异[や]めんかな。試みて乃ち已む可し、と。帝曰く、往け、欽めや、と。九載なるも績用[もっ]て成らず。湯は、音傷。於は、音烏。鯀は、古本反。咈は、符勿反。圮は、部鄙反。异は、音異。○四岳は、官の名。一人にして四岳諸侯の事を總ぶ。湯湯は、水の盛んなる貌。洪は、大いなり。孟子曰く、水逆行す、之を洚水と謂う。洚水は、洪水なり、と。蓋し水涌き出でて未だ洩れず。故に汎濫して逆流す。割は、害うなり。蕩蕩は、廣き貌。懷は、其の四面を包ぬるなり。襄は、其の上に駕[のぼ]り出づるなり。大阜を陵と曰う。浩浩は、大いなる貌。滔は、漫[はびこ]るなり。極めて其の大いなるを言う。勢い天に漫るが若し。俾は、使。乂は、治むるなり。言うこころは、能く此の責に任ずる者有らば、之をして水を治めしめんとなり。僉[せん]は、衆共の辭。四岳と其の領する所の諸侯の朝に在る者と、辭を同じくして對うるなり。於は、歎美の辭。鯀は、崇伯の名。其の美きを歎じて之を薦むるなり。咈は、甚だ之を然とせざるの辭。方命は、命に逆いて行わざるなり。王氏が曰く、圓なれば則ち行き、方なれば則ち止まる、と。命に方うとは、猶今詔令を廢閣すと言うがごとし。蓋し鯀の爲人[ひととなり]、悻戾にして自ら用いて、上の令に從わざるなり。圮[ひ]は、敗る。族は、類なり。言うこころは、衆と和せず、人を傷り物を害う。鯀の用ゆ可からざる者は此を以てなり。楚辭に言う鯀は婞直とは、是れ其の命に方い族を圮るの證なり。岳曰くは、四岳の獨り言うなり。异[い]の義未だ詳らかならず。疑うらくは是れ已に廢して、復强いて之を舉ぐるの意ならん。試みて乃ち已む可しとは、蓋し廷臣未だ鯀より能き者有らず。若かざれば姑く之を試み用いて、其の以て水を治む可きを取らんのみ。言うこころは、他事に預くる無し。必ずしも其の備わらんことを求めざるなり。堯是に於て之をして往いて水を治めしめて、戒むるに欽めやを以てす。蓋し大事に任じて、以て敬まずんばある可からず。聖人の戒め、辭約にして意盡くせり。載は、年なり。九載、三たび考えて、功用て成らず。故に之を黜[しりぞ]く。

△帝曰、咨四岳、朕在位七十載、汝能庸命。巽朕位。岳曰、否德。忝帝位。曰、明明揚側陋。師錫帝曰、有鰥在下。曰虞舜。帝曰、兪、予聞、如何。岳曰、瞽子。父頑、母嚚、象傲。克諧以孝、烝烝乂不格姦。帝曰、我其試哉。女于時、觀厥刑于二女。釐降二女于嬀汭、嬪于虞。帝曰、欽哉。嬀、倶爲反。汭、如稅反。嬪、音幷。○朕、古人自稱之通號。吳氏曰、巽遜、古通用。言汝四岳、能用我之命。而可遜以此位乎。蓋丹朱旣不肖、羣臣又多不稱。故欲舉以授人、而先之四岳也。否、不通。忝、辱也。明明、上明謂明顯之、下明謂已在顯位者。揚、舉也。側陋、微賤之人也。言惟德是舉、不拘貴賤也。師、衆。錫、與也。四岳羣臣諸侯、同辭以對也。鰥、無妻之名。虞、氏。舜、名也。兪、應許之辭。予聞者、我亦嘗聞是人也。如何者、復問其德之詳也。岳曰、四岳獨對也。瞽、無目之名。言舜乃瞽者之子也。舜父號瞽叟。心不則德義之經、爲頑。母、舜後母也。象、舜異母弟名。傲、驕慢也。諧、和。烝、進也。言舜不幸遭此、而能和以孝、使之進進以善自治、而不至大爲姦惡也。女、以女與人也。時、是。刑、法也。二女、堯二女、娥皇・女英也。此堯言其將試舜之意也。莊子所謂二女事之以觀其内、是也。蓋夫婦之閒、隱微之際、正始之道、所繫尤重。故觀人者、於此爲尤切也。釐、理。降、下也。嬀、水名。在今河中府河東縣、出歷山入河。爾雅曰、水北曰汭。亦小水入大水之名。蓋兩水合流之内也。故從水從内。蓋舜所居之地。嬪、婦也。虞、舜氏也。史言、堯治裝、下嫁二女于嬀水之北、使爲舜婦于虞氏之家也。欽哉、堯戒二女之辭。卽禮所謂往之女家、必敬必戒者。況以天子之女、嫁於匹夫。尤不可不深戒之也。
【読み】
△帝曰く、咨[ああ]四岳、朕[わ]れ位に在ること七十載、汝能く命を庸[もち]ゆ。朕が位を巽[ゆず]らん、と。岳曰く、否德なり。帝位を忝[はずかし]めん、と。曰く、明らかなるを明らかにし側陋を揚げよ、と。師[もろもろ]帝に錫[あた]えて曰く、鰥[こん]有り下に在り。虞舜と曰う、と。帝曰く、兪[しか]り、予も聞けり、如何、と。岳曰く、瞽の子なり。父頑に、母嚚[ぎん]、象傲れり。克く諧[やわ]らぐるに孝を以てし、烝烝として乂[おさ]めて姦に格らざらしむ、と。帝曰く、我れ其れ試みんかな。時[これ]に女[めあ]わせて、厥の二女に刑[のっと]るを觀ん、と。二女を嬀汭[ぎぜい]に釐[おさ]め降して、虞に嬪せしむ。帝曰く、欽めや、と。嬀は、倶爲反。汭は、如稅反。嬪は、音幷。○朕は、古人自稱するの通號。吳氏が曰く、巽と遜は、古通じ用ゆ、と。言うこころは、汝四岳、能く我が命を用ゆ。而して遜るに此の位を以てす可けんや、と。蓋し丹朱旣に不肖、羣臣も又多く稱わず。故に舉げて以て人に授けんと欲して、之を四岳に先にす。否は、通ぜざるなり。忝は、辱しむるなり。明明は、上の明は之を明顯するを謂い、下の明は已に顯位に在る者を謂う。揚は、舉ぐるなり。側陋は、微賤の人なり。言うこころは、惟德のみ是を舉げて、貴賤に拘らざるなり。師は、衆。錫は、與うなり。四岳羣臣諸侯、辭を同じくして以て對うるなり。鰥は、妻無きの名。虞は、氏。舜は、名なり。兪は、應許の辭。予も聞くとは、我も亦嘗て是の人を聞くなり。如何とは、復其の德の詳らかなるを問うなり。岳曰くは、四岳獨り對うるなり。瞽は、目無きの名。言うこころは、舜は乃ち瞽者の子なり。舜の父は瞽叟と號す。心德義の經に則らず、頑と爲る。母は、舜の後母なり。象は、舜の異母弟の名。傲は、驕慢なり。諧は、和らぐ。烝は、進むるなり。言うこころは、舜不幸にして此に遭いて、能く和らぐるに孝を以てし、之をして進め進めて善を以て自ら治めて、大いに姦惡を爲すに至らざらしむ。女は、女を以て人に與うるなり。時は、是れ。刑は、法るなり。二女は、堯の二女、娥皇・女英なり。此れ堯其の將に舜を試みんとするの意を言うなり。莊子に所謂二女之に事えて以て其の内を觀るとは、是れなり。蓋し夫婦の閒、隱微の際、正始の道、繫る所尤も重し。故に人を觀る者、此に於て尤も切なりとす。釐は、理むる。降は、下るなり。嬀は、水の名。今の河中府河東縣に在り、歷山より出でて河に入る。爾雅に曰く、水の北を汭と曰う。亦小水の大水に入るの名、と。蓋し兩水合流するの内なり。故に水に從い内に從う。蓋し舜居る所の地なり。嬪は、婦なり。虞は、舜の氏なり。史に言う、堯裝を治めて、二女を嬀水の北に下し嫁し、舜の爲に虞氏の家に婦たらしむ、と。欽めやは、堯の二女を戒むるの辭。卽ち禮に所謂往いて女の家に之いて、必ず敬み必ず戒むという者なり。況んや天子の女を以て、匹夫に嫁す。尤も深く之を戒めずんばある可からず。


舜典 今文古文皆有。今文合于堯典、無篇首二十八字。○唐孔氏曰、東晉梅賾上孔傳、闕舜典自乃命以位以上二十八字。世所不傳。多用王范之註補之。而皆以愼徽五典以下爲舜典之初。至齊蕭鸞建武四年、姚方興於大航頭得孔氏傳古文舜典、乃上之。事未施行、而方興以罪致戮。至隋開皇初、購求遺典、始得之。今按古文孔傳尙書、有曰若稽古以下二十八字。伏生以舜典合於堯典、只以愼徽五典以下、接帝曰欽哉之下。而無此二十八字。梅賾旣失孔傳舜典。故亦不知有此二十八字。而愼徽五典以下、則固具於伏生之書。故傳者用王范之註以補之。至姚方興、乃得古文孔傳舜典。於是始知有此二十八字。或者由此乃謂、古文舜典一篇、皆盡亡失。至是方全得之。遂疑其僞、蓋過論也。
【読み】
○舜典[しゅんてん] 今文古文皆有り。今文は堯典に合わせて、篇の首めの二十八字無し。○唐の孔氏が曰く、東晉の梅賾[ばいさく]孔傳を上ぐるに、舜典の乃命以位より以上の二十八字を闕く。世に傳えざる所なり。多く王范の註を用いて之を補う。而も皆愼徽五典以下を以て舜典の初めとす。齊の蕭鸞[しょうらん]建武四年に至りて、姚方興[ようほうこう]大航頭に於て孔氏傳の古文舜典を得て、乃ち之を上ぐる。事未だ施し行われずして、方興罪を以て戮[りく]を致す。隋の開皇の初めに至りて、遺典を購い求めて、始めて之を得。今按ずるに古文孔傳の尙書に、曰若稽古以下の二十八字有り。伏生舜典を以て堯典に合わせ、只愼徽五典以下を以て、帝曰欽哉の下に接ぐ。而して此の二十八字無し。梅賾旣に孔傳の舜典を失う。故に亦此の二十八字有ることを知らず。而して愼徽五典以下は、則ち固に伏生の書に具わる。故に傳者王范の註を用いて以て之を補う。姚方興に至りて、乃ち古文の孔傳の舜典を得。是に於て始めて此の二十八字有ることを知る。或者此に由りて乃ち謂う、古文の舜典一篇は、皆盡く亡失す、と。是に至りて方に全く之を得たり。遂に其の僞を疑うは、蓋し過論なり。


曰若稽古帝舜曰、重華協于帝、濬哲文明、溫恭允塞、玄德升聞。乃命以位。濬、音浚。○華、光華也。協、合也。帝謂堯也。濬、深。哲、智也。溫、和粹也。塞、實也。玄、幽潛也。升、上也。言堯旣有光華、而舜又有光華、可合於堯。因言其目、則深沉而有智、文理而光明、和粹而恭敬、誠信而篤實。有此四者、幽潛之德上聞于堯、堯乃命之以職位也。
【読み】
曰若[ここ]に古の帝舜を稽[かんが]うるに曰く、重華帝に協[かな]い、濬哲[しゅんてつ]文明、溫恭允塞、玄德升り聞こゆ。乃ち命ずるに位を以てす。濬は、音浚。○華は、光華なり。協は、合うなり。帝は堯を謂うなり。濬は、深き。哲は、智なり。溫は、和粹なり。塞は、實なり。玄は、幽潛なり。升は、上るなり。言うこころは、堯旣に光華有りて、舜も又光華有り、堯に合う可し。因りて其の目[な]を言うときは、則ち深沉にして智有り、文理にして光明なり、和粹にして恭敬し、誠信にして篤實なり。此の四つの者有りて、幽潛の德堯に上り聞え、堯乃ち之に命ずるに職位を以てす。

△愼徽五典、五典克從。納于百揆、百揆時敍。賓于四門、四門穆穆。納于大麓、烈風雷雨弗迷。徽、美也。五典、五常也。父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信、是也。從、順也。左氏所謂無違敎也。此蓋使爲司徒之官也。揆、度也。百揆者、揆度庶政之官。惟唐虞有之。猶周之冢宰也。時敍、以時而敍。左氏所謂無廢事也。四門、四方之門。古者以賓禮親邦國。諸侯各以方至、而使主焉。故曰賓。穆穆、和之至也。左氏所謂無凶人也。此蓋又兼四岳之官也。麓、山足也。烈、迅。迷、錯也。史記曰、堯使舜入山林川澤。暴風雷雨舜行不迷。蘇氏曰、洪水爲害。堯使舜入山林、相視原隰。雷雨大至、衆懼失常。而舜不迷。其度量有絕人者。而天地鬼神、亦或有以相之歟。愚謂、遇烈風雷雨非常之變、而不震懼失常。非固聰明誠智確乎不亂者不能也。易震驚百里、不喪匕鬯意、爲近之。
【読み】
△愼んで五典を徽[よ]くせば、五典克く從えり。百揆に納るれば、百揆時に敍[つい]ず。四門に賓せしむれば、四門穆穆たり。大麓に納るれば、烈風雷雨にも迷わず。徽[き]は、美きなり。五典は、五常なり。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有りとは、是れなり。從は、順うなり。左氏が所謂敎に違うこと無し、と。此れ蓋し司徒の官爲らしむるなり。揆は、度るなり。百揆とは、庶政を揆り度るの官。惟唐虞のみ之れ有り。猶周の冢宰のごとし。時に敍ずとは、時を以て敍ずるなり。左氏が所謂事を廢つること無し、と。四門は、四方の門なり。古は賓禮を以て邦國を親しくす。諸侯各々方を以て至りて、而して主たらしむ。故に賓と曰う。穆穆は、和の至りなり。左氏が所謂凶人無し、と。此れ蓋し又四岳の官を兼ぬるなり。麓は、山の足[ふもと]なり。烈は、迅き。迷は、錯[みだ]るるなり。史記に曰く、堯舜をして山林川澤に入らしむ。暴風雷雨にも舜行いて迷わず、と。蘇氏が曰く、洪水害を爲す。堯舜をして山林に入れ、原隰[しゅう]を相視せしむ。雷雨大いに至り、衆懼れて常を失う。而して舜は迷わず。其の度量人に絕[すぐ]れたる者有り。而して天地鬼神も、亦或は以て之を相くること有るか、と。愚謂えらく、烈風雷雨非常の變に遇いて、震懼して常を失わず。固に聰明誠智確乎として亂れざる者に非ずんば能くせず。易に震は百里を驚かせども、匕鬯[ひちょう]を喪わずという意、之に近しとす。

△帝曰、格汝舜。詢事考言、乃言厎可績三載。汝陟帝位。舜讓于德弗嗣。格、來。詢、謀。乃、汝。厎、致。陟、升也。堯言、詢舜所行之事、而考其言、則見汝言、致可有功、於今三年矣。汝宜升帝位也。讓于德、讓于有德之人也。或曰、謙遜自以其德不足爲嗣也。
【読み】
△帝曰く、格[きた]れ汝舜。事を詢[はか]り言を考うるに、乃の言績とす可きことを厎[いた]すこと三載。汝帝位に陟[のぼ]れ、と。舜德あるに讓りて嗣がず。格は、來る。詢は、謀る。乃は、汝。厎は、致す。陟は、升るなり。堯言う、舜行う所の事を詢りて、其の言を考え、則ち汝の言を見るに、功有る可きことを致すこと、今に於て三年なり。汝宜しく帝位に升るべし、と。德あるに讓るとは、有德の人に讓るなり。或ひと曰く、謙遜して自ら其の德を以て嗣と爲るに足らずとす、と。

△正月上日、受終于文祖。上日、朔日也。葉氏曰、上旬之日。曾氏曰、如上戌・上辛・上丁之類。未詳孰是。受終者、堯於是終帝位之事、而舜受之也。文祖者、堯始祖之廟。未詳所指爲何人也。
【読み】
△正月上日、終わりを文祖に受く。上日は、朔日なり。葉氏が曰く、上旬の日、と。曾氏が曰く、上戌[いぬ]・上辛[かのと]・上丁[ひのと]の類の如し、と。未だ孰れか是なるか詳らかならず。終わりを受くとは、堯是に於て帝位の事を終えて、舜之を受くるなり。文祖は、堯の始祖の廟。未だ指す所は何人爲るか詳らかならず。

△在璿璣玉衡、以齊七政。璿、音旋。○在、察也。美珠謂之璿。璣、機也。以璿飾璣。所以象天體之轉運也。衡、橫也。謂衡簫也。以玉爲管、橫而設之。所以窺璣而齊七政之運行。猶今之渾天儀也。七政、日月五星也。七者運行於天、有遲有速、有順有逆。猶人君之有政事也。此言舜初攝位、整理庶務、首察璿衡、以齊七政。蓋曆象授時、所當先也。○按渾天儀者、天文志云、言天體者三家、一曰周髀、二曰宣夜、三曰渾天。宣夜絕無師說。不知其狀如何。周髀之術、以爲天似覆盆。蓋以斗極爲中。中高而四邉下。日月傍行遶之。日近而見之爲晝、日遠而不見爲夜。蔡邕以爲考驗天象、多所違失。渾天說曰、天之形狀似鳥卵。地居其中、天包地外。猶卵之裹黃。圓如彈丸。故曰渾天。言其形體渾渾然也。其術以爲天半覆地上、半在地下。其天居地上見者、一百八十二度半强。地下亦然。北極出地上三十六度。南極入地下亦三十六度。而嵩高正當天之中、極南五十五度、當嵩高之上。又其南十二度、爲夏至之日道。又其南二十四度、爲春秋分之日道。又其南二十四度、爲冬至之日道。南下去地三十一度而已。是夏至日、北去極六十七度。春秋分去極九十一度。冬至去極一百一十五度。此其大率也。其南北極持其兩端。其天與日月星宿斜而廻轉。此必古有其法、遭秦而滅。至漢武帝時、落下閎始經營之。鮮于妄人、又量度之。至宣帝時、耿壽昌始鑄銅而爲之象。宋錢樂又鑄銅作渾天儀。衡長八尺、孔徑一寸、璣徑八尺、圓周二丈五尺强。轉而望之、以知日月星辰之所在。卽璿璣玉衡之遺法也。歷代以來、其法漸密。本朝因之爲儀三重。其在外者曰六合儀。平置黑單環、上刻十二辰八干四偶在地之位、以準地面而定四方。側立黑雙環、背刻去極度數、以中分天脊、直跨地平。使其半入地下、而結於其子午、以爲天經。斜倚赤單環、背刻赤道度數、以平分天腹、橫繞天經。亦使半出地上半入地下、而結於其卯酉、以爲天緯。三環表裏相結不動。其天經之環、則南北二極、皆爲圓軸、虛中而内向、以挈三辰四遊之環。以其上下四方、於是可考。故曰六合。次其内曰三辰儀。側立黑雙環、亦刻去極度數、外貫天經之軸、内挈黃赤二道。其赤道則爲赤單環、外依天緯、亦刻宿度、而結於黑雙環之卯酉。其黃道則爲黃單環、亦刻宿度、而又斜倚於赤道之腹、以交結於卯酉。而半入其内、以爲春分後之日軌、半出其外、以爲秋分後日軌。又爲白單環、以承其交、使不傾墊、下設機輪、以水激之、使其日夜隨天東西運轉、以象天行。以其日月星辰、於是可考。故曰三辰。其最在内者、曰四遊儀。亦爲黑雙環、如三辰儀之制。以貫天經之軸。其環之内、則兩面當中、各施直距。外指兩軸、而當其要中之内面。又爲小窾、以受玉衡要中之小軸、使衡旣得隨環東西運轉、又可隨處南北低昴、以待占候者之仰窺焉。以其東西南北、無不周徧、故曰四遊。此其法之大略也。沈括曰、舊法規環、一面刻周天度、一面加銀丁。蓋以夜候天晦、不可目察、則以手切之也。古人以璿飾璣、疑亦爲此。今太史局秘書省銅儀制極精緻。亦以銅丁爲之。曆家之說、又以北斗魁四星爲璣、杓三星爲衡。今詳經文簡質、不應北斗二字乃用寓名。恐未必然。姑存其說、以廣異聞。
【読み】
△璿璣[せんき]玉衡を在[あき]らかにして、以て七政を齊[ととの]う。璿は、音旋。○在は、察らかにするなり。美珠之を璿と謂う。璣は、機なり。璿を以て璣を飾る。天體の轉運を象る所以なり。衡は、橫なり。衡簫[こうしょう]を謂うなり。玉を以て管と爲して、橫にして之を設く。璣を窺いて七政の運行を齊うる所以なり。猶今の渾天儀のごとし。七政は、日月五星なり。七つの者天を運行し、遲き有り速き有り、順有り逆有り。猶人君の政事有るがごとし。此れ言うこころは、舜初めて位を攝りて、庶務を整理するに、首めに璿衡を察らかにして、以て七政を齊う。蓋し曆象の時を授くるは、當に先にすべき所なり。○按ずるに渾天儀とは、天文志に云う、天體を言う者三家、一に曰く周髀[へい]、二に曰く宣夜、三に曰く渾天なり。宣夜は絕えて師說無し。其の狀如何なるかを知らず。周髀の術は、以爲えらく、天は覆盆に似れり。蓋し斗極を以て中とす。中高くして四邉下る。日月傍行して之を遶[めぐ]る。日近くして之を見るを晝とし、日遠くして見えざるを夜とす。蔡邕[さいよう]が以爲えらく、天象を考驗するに、違失する所多し、と。渾天の說に曰く、天の形狀は鳥卵に似れり。地は其の中に居りて、天は地の外を包む。猶卵の裹[か]黃なるがごとし。圓きこと彈丸の如し。故に渾天と曰う、と。言うこころは、其の形體は渾渾然たり。其の術以爲えらく、天の半は地上を覆い、半は地下に在り。其れ天地上に居りて見る者、一百八十二度半强。地下も亦然り。北極の地上に出でること三十六度。南極の地下に入るも亦三十六度。而して嵩高正に天の中に當たれりとすべく、極南五十五度、嵩高の上に當たる。又其の南十二度を、夏至の日道とす。又其の南二十四度を、春秋分の日道とす。又其の南二十四度を、冬至の日道とす。南下して地を去ること三十一度なるのみ。是れ夏至の日、北極を去ること六十七度。春秋分極を去ること九十一度。冬至極を去ること一百一十五度。此れ其の大率なり。其れ南北の極其の兩端を持つ。其れ天と日月星宿と斜めにして廻轉す。此れ必ず古に其の法有り、秦に遭いて滅ぶ。漢の武帝の時に至りて、落下閎始めて之を經營す。鮮于妄人も、又之を量度す。宣帝の時に至りて、耿壽昌[こうじゅしょう]始めて銅を鑄て之が象を爲る。宋の錢樂も又銅を鑄て渾天儀を作る。衡の長さ八尺、孔の徑一寸、璣の徑は八尺、圓なる周り二丈五尺强。轉して之を望んで、以て日月星辰の在る所を知る。卽ち璿璣玉衡の遺法なり。歷代より以來、其の法漸く密なり。本朝之に因りて儀を爲ること三重なり。其の外に在る者を六合儀と曰う。平らに黑單環を置いて、上に十二辰八干四偶の地に在るの位を刻み、以て地面に準[なぞら]えて四方を定む。側に黑雙環を立てて、背に極を去る度數を刻み、中を以て天脊を分かち、直に地平を跨がる。其の半をして地下に入らしめて、其の子午に結んで、以て天經とす。斜めに赤單環を倚せて、背に赤道の度數を刻み、平かなるを以て天腹を分かち、橫に天經を繞[めぐ]る。亦半を地上に出し半を地下に入らしめて、其の卯酉に結んで、以て天緯とす。三環表裏相結んで動かず。其の天經の環は、則ち南北二極、皆圓軸を爲し、中を虛しくして内に向いて、以て三辰四遊の環を挈[ひさ]ぐ。其の上下四方を以て、是に於て考う可し。故に六合と曰う。次に其の内を三辰儀と曰う。側に黑雙環を立てて、亦極を去る度數を刻み、外は天經の軸を貫き、内は黃赤二道を挈ぐ。其の赤道は則ち赤單環を爲りて、外は天緯に依りて、亦宿度を刻んで、黑雙環の卯酉に結ぶ。其の黃道は則ち黃單環を爲りて、亦宿度を刻んで、又斜めに赤道の腹に倚せて、以て卯酉に交結す。而して半は其の内に入りて、以て春分後の日軌と爲り、半は其の外に出でて、以て秋分後の日軌と爲る。又白單環を爲りて、以て其の交わりを承けて、傾き墊[ひし]げざらしめ、下に機輪を設けて、水を以て之に激[そそ]ぎ、其の日夜天に隨いて東西運轉して、以て天行に象らしむ。其の日月星辰を以て、是に於て考う可し。故に三辰と曰う。其の最も内に在る者を、四遊儀と曰う。亦黑雙環を爲ること、三辰儀の制の如し。以て天經の軸を貫く。其の環の内は、則ち兩面の當中に、各々直距を施す。外は兩軸を指して、其の要[こし]の中の内面に當たる。又小さき窾[あな]を爲りて、以て玉衡の要の中の小軸を受けて、衡をして旣に環に隨いて東西運轉するを得せしめ、又處に隨いて南北低昴して、以て占候する者の仰ぎ窺うを待つ可し。其の東西南北、周徧せざる無きを以て、故に四遊と曰う。此れ其の法の大略なり。沈括が曰く、舊法の規環は、一面に周天の度を刻み、一面に銀丁を加う。蓋し天晦を夜候するを以て、目にて察らかにす可からざれば、則ち手を以て之を切にするなり。古人の璿を以て璣を飾る、疑うらくは亦此が爲ならん。今太史局秘書省の銅儀制は極めて精緻なり。亦銅丁を以て之を爲る。曆家の說、又北斗の魁四星を以て璣とし、杓の三星を衡とす。今經文を詳らかにするに簡質にして、應に北斗の二字は乃ち寓名を用ゆべからず、と。恐らくは未だ必ずしも然らず。姑く其の說を存して、以て異聞を廣めん。

△肆類于上帝、禋于六宗、望于山川、徧于羣神。禋、音因。○肆、遂也。類・禋・望、皆祭名。周禮肆師類造于上帝。註云、郊祀者、祭昊天之常祭。非常祀而祭告于天。其禮依郊祀爲之。故曰類。如秦誓武王伐商、王制言、天子將出、皆云類于上帝、是也。禋、精意以享之謂。宗、尊也。所尊祭者、其祀有六。祭法曰、埋少牢於泰昭、祭時也。相近於坎壇、祭寒暑也。王宮、祭日也。夜明、祭月也。幽宗、祭星也。雩宗、祭水旱也。山川、名山大川、五獄四瀆之屬。望而祭之。故曰望。徧、周徧也。羣神、謂丘陵墳衍、古昔聖賢之類。言受終觀象之後、卽祭祀上下神祇、以攝位告也。
【読み】
△肆[つい]に上帝に類[まつ]り、六宗に禋[まつ]り、山川に望[まつ]り、羣神に徧くす。禋[いん]は、音因。○肆は、遂になり。類・禋・望は、皆祭の名。周禮に肆[もろもろ]の師上帝に類造す、と。註に云う、郊祀は、昊天を祭るの常祭。常の祀に非ずして祭りて天に告ぐ。其の禮は郊祀に依りて之をす。故に類と曰う、と。秦誓に武王商を伐たんとし、王制に言う、天子將に出でんとするに、皆上帝に類すと云うが如き、是れなり。禋は、精意にして以て享るの謂なり。宗は、尊なり。尊祭する所の者、其の祀六つ有り。祭法に曰く、少牢を泰昭に埋むるは、時を祭るなり。坎壇に相近くするは、寒暑を祭るなり。王宮は、日を祭るなり。夜明は、月を祭るなり。幽宗は、星を祭るなり。雩[う]宗は、水旱を祭るなり。山川は、名山大川、五獄四瀆の屬。望んで之を祭る。故に望と曰う。徧は、周徧なり。羣神は、丘陵墳衍を謂い、古昔の聖賢の類なり。言うこころは、終わりを受けて象を觀るの後、卽ち上下の神祇を祭祀して、以て位を攝ることを告ぐるなり。

△輯五瑞旣月。乃日覲四岳羣牧、班瑞于羣后。輯、。瑞、信也。公執桓圭、侯執信圭、伯執躬圭、子執穀璧、男執蒲璧。五等諸侯執之、以合符於天子、而驗其信否也。周禮天子執冒以朝諸侯。鄭氏註云、名玉以冒、以德覆冒天下也。諸侯始受命、天子錫以圭。圭頭斜銳、其冒下斜刻。小大長短廣狹如之。諸侯來朝、天子以刻處冒其圭頭。有不同者、則辨其僞也。旣、盡。覲、見。四岳、四方之諸侯。羣牧、九州之牧伯也。程子曰、輯五瑞、徵五等之諸侯也。此以上皆正月事。至盡此月、則四方之諸侯有至者矣、遠近不同、來有先後。故日日見之、不如他朝會之同期於一日。蓋欲以少接之、則得盡其詢察禮意也。班、頒同。羣后、卽侯牧也。旣見之後、審知非僞、則又頒還其瑞。以與天下正始也。
【読み】
△五瑞を輯[おさ]めて月を旣[つ]くす。乃ち日々に四岳羣牧を覲[まみ]え、瑞を羣后に班[わか]つ。輯は、斂む。瑞は、信なり。公は桓圭を執り、侯は信圭を執り、伯は躬圭を執り、子は穀璧を執り、男は蒲璧を執る。五等の諸侯之を執りて、以て符を天子に合わせて、其の信否を驗すなり。周禮に天子冒を執りて以て諸侯を朝す、と。鄭氏が註に云う、玉を名づくるに冒を以てするは、德を以て天下を覆い冒うなり。諸侯始めて命を受くるときは、天子錫うに圭を以てす。圭の頭を斜めに銳くして、其の冒下を斜めに刻む。小大長短廣狹之の如し。諸侯來朝するに、天子刻む處を以て其の圭の頭を冒う。同じからざる者有らば、則ち其の僞りなることを辨[あき]らかにす。旣は、盡くす。覲は、見ゆ。四岳は、四方の諸侯。羣牧は、九州の牧伯なり。程子が曰く、五瑞を輯むとは、五等の諸侯を徵[め]すなり、と。此より以上は皆正月の事。此の月を盡くすに至るときは、則ち四方の諸侯至る者有り、遠近同じからず、來ること先後有り。故に日日に之に見えて、他の朝會の同じく一日に期するが如くならず。蓋し少を以て之に接せんことを欲するときは、則ち其の詢察の禮意を盡くすことを得。班は、頒と同じ。羣后は、卽ち侯牧なり。旣に見えての後、審らかに僞りに非ざることを知らば、則ち又其の瑞を頒ち還す。以て天下を與えて始めを正すなり。

△歲二月、東巡守、至于岱宗、柴、望秩于山川。肆覲東后、協時月、正日、同律度量衡、修五禮・五玉・三帛・二生・一死贄。如五器、卒乃復。五月、南巡守、至于南岳。如岱禮。八月、西巡守、至于西岳。如初。十有一月、朔巡守、至于北岳。如西禮。歸格于藝祖、用特。孟子曰、天子適諸侯曰巡守。巡守者、巡所守也。歲二月、當巡守之年二月也。岱宗、泰山也。柴、燔柴以祀天也。望、望秩以祀山川也。秩者、其牲幣祝號之次第。如五岳視三公、四瀆視諸侯、其餘視伯子男者也。東后、東方之諸侯也。時、謂四時。月、謂月之大小。日、謂日之甲乙。其法略見上篇。諸侯之國、其有不齊者、則協而正之也。律、謂十二律。黃鐘・太簇・姑洗・蕤賓・夷則・無射・大呂・夾鐘・仲呂・林鐘・南呂・應鐘也。六爲律、六爲呂。凡十二管、皆徑三分有奇、空圍九分、而黃鐘之長九寸。大呂以下、律呂相閒、以次而短。至應鐘而極焉。以之制樂而節聲音、則長者声下、短者声高。下者則重濁而舒遲、上者則輕淸而剽疾。以之審度而度長短、則九十分黃鐘之長、一爲一分、而十分爲寸、十寸爲尺、十尺爲丈、十丈爲引。以之審量而量多少、則黃鐘之管、其容子穀秬黍中者、一千二百以爲龠。而十龠爲合、十合爲升、十升爲斗、十斗爲斛。以之平衡而權輕重、則黃鐘之龠、所容千二百黍、其重十二銖、兩龠則二十四銖爲兩、十六兩爲斤、三十斤爲鈞、四鈞爲石。此黃鐘所以爲萬事根本。諸侯之國、其有不一者、則審而同之也。時月之差、由積日而成。其法則先粗而後精。度量衡受法於律。其法則先本而後末。故言正日、在協時月之後、同律、在度量衡之先。立言之敍、蓋如此也。五禮、吉・凶・軍・賓・嘉也。修之、所以同天下之風俗。五玉、五等諸侯所執者、卽五瑞也。三帛、諸侯世子執纁、公之孤執玄、附庸之君執黃。二生、卿執羔、大夫執鴈。一死、士執雉。五玉・三帛・二生・一死、所以爲贄而見者。此九字、當在肆覲東后之下、協時月正日之上、誤脫在此。言東后之覲、皆執此贄也。如五器、劉侍講曰、如、同也。五器、卽五禮之器也。周禮、六器六贄卽舜之遺法也。卒乃復者、舉祀禮、覲諸侯、一正朔、同制度、修五禮、如五器、數事皆畢、則不復東行而遂西向、且轉而南行也。故曰卒乃復。南岳、衡山。西岳、華山。北岳、恆山。二月東、五月南、八月西、十一月北、各以其時也。格、至也。言至于其廟而祭告也。藝祖、疑卽文祖。或曰、文祖、藝祖之所自出。未有所考也。特、特牲也。謂一牛也。古者君將出、必告于祖禰。歸又至其廟而告之。孝子不忍死其親、出告反面之義也。王制曰、歸格于祖禰。鄭註曰、祖下及禰皆一牛。程子以爲但言藝祖、舉尊爾。實皆告也。但止就祖廟、共用一牛。不如時祭各設主於其廟也。二說未知孰是。今兩存之。
【読み】
△歲の二月、東に巡守し、岱宗に至りて、柴し、山川を望秩す。肆に東后を覲え、時月を協え、日を正しくし、律度量衡を同じくし、五禮・五玉・三帛・二生・一死の贄を修む。五器を如[ひと]しくし、卒[お]われば乃ち復る。五月、南に巡守し、南岳に至る。岱の禮の如し。八月、西に巡守し、西岳に至る。初めの如し。十有一月、朔[きた]に巡守し、北岳に至る。西の禮の如し。歸りて藝祖に格りて、特を用ゆ。孟子曰く、天子諸侯に適くを巡守と曰う。巡守とは、守る所を巡るなり、と。歲の二月は、巡守に當たる年の二月なり。岱宗は、泰山なり。柴は、柴を燔[や]いて以て天を祀るなり。望は、望秩して以て山川を祀るなり。秩は、其の牲幣祝號の次第。五岳は三公に視え、四瀆は諸侯に視え、其の餘は伯子男に視ゆる者の如し。東后は、東方の諸侯なり。時は、四時を謂う。月は、月の大小を謂う。日は、日の甲乙を謂う。其法略上の篇に見えたり。諸侯の國、其の齊しからざること有る者は、則ち協えて之を正すなり。律は、十二律を謂う。黃鐘・太簇[たいそう]・姑洗・蕤賓[すいひん]・夷則・無射[ぶえき]・大呂・夾鐘・仲呂・林鐘・南呂・應鐘なり。六つを律とし、六つを呂とす。凡て十二管、皆徑は三分有奇、空圍は九分、而して黃鐘の長さ九寸。大呂以下は、律呂相閒[たが]いに、次を以て短し。應鐘に至りて極まる。之を以て樂を制して聲音を節するときは、則ち長き者は声下り、短き者は声高し。下る者は則ち重く濁りて舒やかに遲く、上る者は則ち輕く淸くして剽疾なり。之を以て度を審らかにして長短を度るときは、則ち黃鐘の長さを九十分にし、一を一分とし、而して十分を寸とし、十寸を尺とし、十尺を丈とし、十丈を引とす。之を以て量を審らかにして多少を量るときは、則ち黃鐘の管、其れ子穀秬黍の中なる者、一千二百を容れて以て龠[やく]とす。而して十龠を合とし、十合を升とし、十升を斗とし、十斗を斛[こく]とす。之を以て衡を平らにして輕重を權るときは、則ち黃鐘の龠、容るる所千二百黍、其の重さ十二銖[しゅ]、兩龠は則ち二十四銖を兩とし、十六兩を斤とし、三十斤を鈞とし、四鈞を石とす。此れ黃鐘の萬事の根本爲る所以なり。諸侯の國、其れ一ならざること有る者は、則ち審らかにして之を同じくす。時月の差は、日を積むに由りて成る。其の法は則ち粗を先にして精を後にす。度量衡は法を律に受く。其の法は則ち本を先にして末を後にす。故に日を正しくすと言うは、時月を協えるの後に在り、律を同じくするは、度量衡の先に在り。言を立つるの敍、蓋し此の如し。五禮は、吉・凶・軍・賓・嘉なり。之を修むるは、天下の風俗を同じくする所以なり。五玉は、五等の諸侯執る所の者、卽ち五瑞なり。三帛は、諸侯の世子は纁[くん]を執り、公の孤は玄を執り、附庸の君は黃を執る。二生は、卿は羔を執り、大夫は鴈を執る。一死は、士は雉を執る。五玉・三帛・二生・一死は、贄と爲して見ゆる所以の者なり。此の九字は、當に肆覲東后の下、協時月正日の上に在るべく、誤脫して此に在り。言うこころは、東后の覲、皆此の贄を執るなり。如五器は、劉侍講が曰く、如は、同じなり。五器は、卽ち五禮の器なり、と。周禮に、六器六贄は卽ち舜の遺法なり、と。卒わりて乃ち復るとは、祀禮を舉げて、諸侯を覲え、正朔を一にし、制度を同じくし、五禮を修めて、五器を如しくし、數事皆畢わるときは、則ち復東に行かずして遂に西に向かい、且つ轉じて南に行く。故に卒われば乃ち復ると曰う。南岳は、衡山。西岳は、華山。北岳は、恆山。二月は東し、五月は南し、八月は西し、十一月は北し、各々其の時を以てす。格は、至るなり。言うこころは、其の廟に至りて祭りて告ぐるなり。藝祖は、疑うらくは卽ち文祖ならん。或ひと曰く、文祖は、藝祖の自りて出づる所、と。未だ考うる所有らず。特は、特牲なり。一牛を謂うなり。古は君將に出でんするときは、必ず祖禰[そでい]に告す。歸りて又其の廟に至りて之に告す。孝子其の親を死せりとするに忍びず、出づるときは告げ、反るときは面するの義なり。王制に曰く、歸りて祖禰に格る、と。鄭が註に曰く、祖の下及び禰は皆一牛なり、と。程子以爲えらく、但藝祖と言えば、尊を舉ぐるのみ。實は皆告ぐるなり。但止[ただ]祖廟に就いて、共に一牛を用ゆのみ。時の祭に各々主を其の廟に設くるが如くならず、と。二說未だ孰れか是なるか知らず。今兩つながら之を存す。

△五載一巡守、羣后四朝。敷奏以言、明試以功、車服以庸。五載之内、天子巡守者一、諸侯來朝者四。蓋巡守之明年、則東方諸侯來朝于天子之國、又明年則南方之諸侯來朝、又明年則西方之諸侯來朝、又明年則北方之諸侯來朝、又明年則天子復巡守。是則天子諸侯雖有尊卑、而一往一來禮無不答。是以上下交通、而遠近洽和也。敷、陳。奏、進也。周禮曰、民功曰庸。程子曰、敷奏以言者、使各陳其爲治之說。言之善者、則從而明考其功。有功、則賜車服以旌異之。其言不善、則亦有以告飭之也。林氏曰、天子巡守、則有協時月日以下等事。諸侯來朝、則有敷奏以言以下等事。
【読み】
△五載一たび巡守し、羣后四朝す。敷[の]べ奏[すす]むるに言を以てし、明らかに試みるに功を以てし、車服は庸を以てす。五載の内、天子巡守する者一つ、諸侯來朝する者四つ。蓋し巡守の明年は、則ち東方の諸侯天子の國に來朝し、又明年に則ち南方の諸侯來朝し、又明年に則ち西方の諸侯來朝し、又明年に則ち北方の諸侯來朝し、又明年に則ち天子復巡守す。是れ則ち天子諸侯尊卑有りと雖も、而して一往一來の禮答えざる無し。是を以て上下交々通じて、遠近洽和す。敷は、陳ぶる。奏は、進むなり。周禮に曰く、民の功を庸と曰う、と。程子が曰く、敷べ奏むるに言を以てすとは、各々其の治を爲すの說を陳べさしむ。言の善き者は、則ち從りて明らかに其の功を考う。功有れば、則ち車服を賜いて以て之を旌異す。其の言善からざれば、則ち亦以て之を告げ飭[いまし]むること有り、と。林氏が曰く、天子巡守するときは、則ち時月日を協うる以下の等の事有り。諸侯來朝するときは、則ち敷べ奏むるに言を以てす以下の等の事有り、と。

△肇十有二州、封十有二山、濬川。肇、始也。十二州、冀・兗・靑・徐・荆・揚・豫・梁・雍・幽・幷・營也。中古之地、但爲九州、曰冀・兗・靑・徐・荆・揚・豫・梁・雍。禹治水作貢、亦因其舊。及舜卽位、以冀靑地廣、始分冀東恆山之地爲幷州、其東北醫無閭之地爲幽州、又分靑之東北遼東等處爲營州、而冀州止有河内之地。今河東一路是也。封、表也。封十二山者、每州封表一山、以爲一州之鎭。如職方氏言揚州其山鎭曰會稽之類。濬川、濬導十二州之川也。然舜旣分十有二州、而至商時、又但言九圍九有。周禮職方氏、亦止列爲九州。有揚・荆・豫・靑・兗・雍・幽・冀・幷、而無徐・梁・營也。則是爲十二州、蓋不甚久。不知其自何時復合爲九也。吳氏曰、此一節在禹治水之後、其次序不當在四罪之先。蓋史官泛記舜所行之大事、初不計先後之序也。
【読み】
△十有二州を肇め、十有二山を封じ、川を濬[ふか]くす。肇は、始めなり。十二州は、冀・兗・靑・徐・荆・揚・豫・梁・雍・幽・幷・營なり。中古の地は、但九州とし、冀・兗・靑・徐・荆・揚・豫・梁・雍と曰う。禹水を治めて貢を作るも、亦其の舊に因る。舜の位に卽くに及んで、冀靑の地廣きを以て、始めて冀東の恆山の地を分かちて幷州とし、其の東北醫無閭の地を幽州とし、又靑の東北遼東等の處を分かちて營州として、冀州は止河内の地有り。今の河東の一路是れなり。封は、表なり。十二山を封ずとは、州每に一山を封表して、以て一州の鎭とす。職方氏に揚州其の山鎭を會稽と曰うと言うの類の如し。川を濬くすとは、十二州の川を濬[さら]え導くなり。然れども舜旣に十有二州を分かちて、商の時に至りて、又但九圍九有と言う。周禮の職方氏にも、亦止列[わ]けて九州とす。揚・荆・豫・靑・兗・雍・幽・冀・幷有りて、徐・梁・營無し。則ち是れ十二州とすること、蓋し甚だ久しからず。知らず、其の何れの時より復合わせて九とするかを。吳氏が曰く、此の一節は禹水を治むるの後に在り、其の次序は當に四罪の先に在るべからず。蓋し史官泛[ひろ]く舜の行う所の大事を記し、初めより先後の序を計らざるなり。

△象以典刑。流宥五刑、鞭作官刑、扑作敎刑、金作贖刑。眚災肆赦、怙終賊刑。欽哉欽哉。惟刑之恤哉。宥、音又。眚、音省。○象、如天之埀象以示人。而典者、常也。示人以常刑。所謂墨・劓・剕・宮・大辟、五刑之正也。所以待夫元惡大憝殺人傷人、穿窬淫放、凡罪之不可宥者也。流宥五刑者、流、遣之使遠去。如下文流放竄殛之類也。宥、寬也。所以待夫罪之稍輕。雖入於五刑、而情可矜、法可疑、與夫親貴勲勞而不可加以刑者、則以此而寬之也。鞭作官刑者、木末埀革、官府之刑也。扑作敎刑者、夏楚二物、學校之刑也。皆以待夫罪之輕者。金作贖刑者、金、黃金。贖、贖其罪也。蓋罪之極輕、雖入於鞭扑之刑、而情法猶有可議者也。此五句者、從重入輕、各有條理、法之正也。肆、縱也。眚災肆赦者、眚、謂過誤。災、謂不幸。若人有如此而入於刑、則又不待流宥金贖、而直赦之也。賊、殺也。怙終賊刑者、怙、謂有恃。終、謂再犯。若人有如此而入於刑、則雖當宥當贖、亦不許其宥、不聽其贖而必刑之也。此二句者、或由重而卽輕、或由輕而卽重。蓋用法之權衡、所謂法外意也。聖人立法制刑之本末、此七言者、大略盡之矣。雖其輕重取舍陽舒陰慘之不同、然欽哉欽哉、惟刑之恤之意、則未始不行乎其閒也。蓋其輕重毫釐之閒、各有攸當者、乃天誅不易之定理、而欽恤之意行乎其閒、則可以見聖人好生之本心也。據此經文、則五刑有流宥而無金贖。周禮秋官、亦無其文。至呂刑乃有五等之罰。疑穆王始制之。非法之正也。蓋當刑而贖、則失之輕。疑赦而贖、則失之重。且使富者幸免、貧者受刑、又非所以爲平也。
【読み】
△象るに典刑を以てす。流もて、五刑を宥[ゆる]め、鞭もて、官刑を作し、扑[ぼく]もて、敎刑を作し、金もて、贖[とく]刑を作す。眚災[せいさい]は肆赦し、怙終は賊刑す。欽めや欽めや。惟れ刑を恤えよや、と。宥は、音又。眚は、音省。○象は、天の象を埀れて以て人に示すが如し。而して典とは、常なり。人に示すに常の刑を以てす。所謂墨・劓[ぎ]・剕[ひ]・宮・大辟は、五刑の正なり。夫の元惡大憝[たい]人を殺し人を傷り、穿窬[せんゆ]淫放す、凡そ罪の宥む可からざるを待つ所以の者なり。流もて五刑を宥むとは、流は、之を遣りて遠く去らしむ。下の文の流放竄殛[ざんきょく]の類の如し。宥は、寬[ゆる]すなり。夫の罪の稍輕きを待つ所以なり。五刑に入ると雖も、而れども情として矜れむ可く、法として疑う可きと、夫の親貴く勲勞にして加うるに刑を以てす可からざる者とは、則ち此を以てして之を寬すなり。鞭もて官刑を作すとは、木の末に埀るる革あり、官府の刑なり。扑もて敎刑を作すとは、夏楚の二物、學校の刑なり。皆以て夫の罪の輕き者を待つなり。金もて贖刑を作すとは、金は、黃金。贖は、其の罪を贖うなり。蓋し罪の極めて輕き、鞭扑の刑に入ると雖も、而して情法猶議す可きこと有る者なり。此の五句は、重きより輕きに入り、各々條理有りて、法の正なり。肆は、縱なり。眚災は肆赦すとは、眚は、過誤を謂う。災は、不幸を謂う。若し人此の如きこと有りて刑に入るときは、則ち又流宥金贖を待たずして、直に之を赦すなり。賊は、殺すなり。怙終は賊刑すとは、怙は、恃むこと有るを謂う。終は、再び犯すを謂う。若し人此の如きこと有りて刑に入るときは、則ち當に宥むべく當に贖うべきと雖も、亦其の宥むことを許さず、其の贖うことを聽[ゆる]さずして必ず之を刑す。此の二句は、或は重きよりして輕きに卽き、或は輕きよりして重きに卽く。蓋し法を用うるの權衡、所謂法外の意なり。聖人法を立て刑を制するの本末は、此の七言の者、大略之を盡くせり。其の輕重取舍陽舒陰慘の同じからずと雖も、然れども欽めや欽めや、惟れ刑を恤えよやの意は、則ち未だ始めより其の閒に行われずんばあらず。蓋し其の輕重毫釐の閒、各々當たる攸有るは、乃ち天誅不易の定理にして、欽恤の意其の閒に行わるるときは、則ち以て聖人好生の本心を見る可し。此の經文に據るときは、則ち五刑に流宥有りて金贖無し。周禮の秋官にも、亦其の文無し。呂刑に至りて乃ち五等の罰有り。疑うらくは穆王始めて之を制するならん。法の正に非ざるなり。蓋し當に刑すべくして贖うときは、則ち之を輕きに失す。赦すを疑いて贖うときは、則ち之を重きに失す。且つ富者は幸いに免れ、貧者は刑を受けしむるは、又平らかと爲す所以に非ざるなり。

△流共工于幽洲、放驩兜于崇山、竄三苗于三危、殛鯀于羽山。四罪而天下咸服。流、遣之遠去。如水之流也。放、置之於此、不得他適也。竄、則驅逐禁錮之。殛、則拘囚困苦之。隨其罪之輕重、而異法也。共工・驩兜・鯀、事見上篇。三苗、國名。在江南荆揚之閒、恃險爲亂者也。幽洲、北裔之地也。水中可居曰洲。崇山、南裔之山。在今灃州。三危、西裔之地。卽雍之所謂三危旣宅者。羽山、東裔之山。卽徐之蒙・羽其藝者。服者、天下皆服其用刑之當罪也。程子曰、舜之誅四凶、怒在四凶。舜何與焉。蓋因是人有可怒之事而怒之。聖人之心本無怒也。聖人以天下之怒爲怒。故天下咸服之。春秋傳所記四凶之名、與此不同。說者以窮奇爲共工、渾敦爲驩兜、饕餮爲三苗、檮杌爲鯀。不知其果然否也。
【読み】
△共工を幽洲に流し、驩兜[かんとう]を崇山に放ち、三苗を三危に竄[ざん]し、鯀を羽山に殛[きょく]す。四罪して天下咸服す。流は、之を遣りて遠く去る。水の流るるが如きなり。放は、之を此に置いて、他に適くことを得ざるなり。竄は、則ち之を驅逐し禁錮す。殛は、則ち之を拘囚し困苦す。其の罪の輕重に隨いて、法を異にす。共工・驩兜・鯀は、事は上の篇に見えたり。三苗は、國の名。江南荆揚の閒に在り、險を恃んで亂を爲す者なり。幽洲は、北裔の地なり。水中に居る可きを洲と曰う。崇山は、南裔の山。今の灃[れい]州に在り。三危は、西裔の地。卽ち雍の所謂三危旣に宅[お]るべしという者なり。羽山は、東裔の山。卽ち徐の蒙・羽其れ藝[う]ゆべしという者なり。服は、天下皆其の刑を用うるの罪に當たるに服すなり。程子が曰く、舜の四凶を誅する、怒り四凶に在り。舜何ぞ與らん。蓋し是の人怒る可きの事有るに因りて之を怒る。聖人の心は本怒り無し。聖人天下の怒りを以て怒りとす。故に天下咸之に服す、と。春秋傳に記す所の四凶の名は、此と同じからず。說く者窮奇を以て共工とし、渾敦を驩兜とし、饕餮[とうてつ]を三苗とし、檮杌[とうこつ]を鯀とす。知らず、其れ果たして然るや否やを。

△二十有八載、帝乃殂落。百姓如喪考妣。三載、四海遏密八音。殂落、死也。死者、魂氣歸于天。故曰殂。體魄歸于地。故曰落。喪、爲之服也。遏、絕。密、靜也。八音、金・石・絲・竹・匏・土・革・木也。言堯聖德廣大、恩澤隆厚。故四海之民、思慕之深至於如此也。儀禮、圻内之民、爲天子齊衰三月。圻外之民無服。今應服三月者、如喪考妣。應無服者、遏密八音。堯十六卽位、在位七十載。又試舜三載。老不聽政二十八載乃崩。在位通計百單年。
【読み】
△二十有八載、帝乃ち殂落[そらく]す。百姓考妣に喪するが如し。三載、四海八音を遏密[あつみつ]す。殂落は、死なり。死者は、魂氣は天に歸す。故に殂と曰う。體魄は地に歸す。故に落と曰う。喪は、之が爲に服すなり。遏は、絕つ。密は、靜かなり。八音は、金・石・絲・竹・匏[ほう]・土・革・木なり。言うこころは、堯の聖德廣大、恩澤隆厚なり。故に四海の民、思慕の深きこと此の如きに至るなり。儀禮に、圻[き]内の民、天子の爲に齊衰すること三月。圻外の民は服無し、と。今應に服すこと三月すべき者は、考妣を喪するが如し。應に服無かるべき者は、八音を遏密す。堯十六にして位に卽き、在位七十載。又舜を試すこと三載。老いて政を聽かざること二十八載にして乃ち崩ず。在位通計百單年なり。

△月正元日、舜格于文祖。月正、正月也。元日、朔日也。漢孔氏曰、舜服堯喪三年、畢將卽政。故復至文祖廟告。蘇氏曰、受終告攝。此告卽位也。然春秋國君、皆以遭喪之明年正月、卽位於廟而改元。孔氏云、喪畢之明年、不知何所據也。
【読み】
△月正元日、舜文祖に格る。月正は、正月なり。元日は、朔日なり。漢の孔氏が曰く、舜堯の喪を服すこと三年、畢わりて將に政に卽かんとす。故に復文祖の廟に至りて告げり、と。蘇氏が曰く、終わりを受くるは攝るを告ぐるなり。此れ位に卽くことを告げり、と。然れども春秋の國君、皆喪に遭うの明年の正月を以て、位に廟に卽いて元を改む。孔氏が云う、喪畢わるの明年とは、知らず、何れの據る所かを。

△詢于四岳、闢四門、明四目、達四聰。詢、謀。闢、開也。舜旣告廟卽位、乃謀治于四岳之官、開四方之門、以來天下之賢俊、廣四方之視聽、以決天下之壅蔽。
【読み】
△四岳に詢[はか]り、四門を闢き、四目を明らかにし、四聰を達す。詢は、謀る。闢は、開くなり。舜旣に廟に告げて位に卽いて、乃ち治を四岳の官に謀り、四方の門を開いて、以て天下の賢俊を來し、四方の視聽を廣めて、以て天下の壅蔽を決す。

△咨十有二牧曰、食哉惟時。柔遠能邇、惇德允元、而難任人、蠻夷率服。牧、養民之官。十二牧、十二州之牧也。王政以食爲首、農事以時爲先。舜言足食之道、惟在於不違農時也。柔者、寬而撫之也。能者、擾而習之也。遠近之勢如此。先其略、而後其詳也。惇、厚。允、信也。德、有德之人也。元、仁厚之人也。難、拒絕也。任、古文作壬。包藏凶惡之人也。言當厚有德、信仁人、而拒姦惡也。凡此五者、處之各得其宜、則不特中國順治、雖蠻夷之國、亦相率而服從矣。
【読み】
△十有二牧に咨[はか]りて曰く、食なるかな惟れ時あれ。遠きを柔[やす]んじ邇[ちか]きを能くし、德を惇くし元を允として、任人を難[はば]めば、蠻夷も率い服せん、と。牧は、民を養うの官。十二牧は、十二州の牧なり。王政は食を以て首めとし、農事は時を以て先とす。舜の言うこころは、食足るの道は、惟農の時に違わざるに在るのみ。柔は、寬[いつく]しんで之を撫でるなり。能は、擾[な]れて之を習わしむるなり。遠近の勢い此の如し。其の略を先にして、其の詳を後にするなり。惇は、厚し。允は、信なり。德は、有德の人なり。元は、仁厚の人なり。難は、拒絕するなり。任は、古文に壬に作る。凶惡を包み藏す人なり。言うこころは、當に有德を厚くし、仁人を信として、姦惡を拒むなり。凡そ此の五つの者、之に處りて各々其の宜しきを得るときは、則ち特に中國のみ順い治まるにあらず、蠻夷の國と雖も、亦相率いて服從す。

△舜曰、咨四岳、有能奮庸、煕帝之載、使宅百揆、亮采惠疇。僉曰、伯禹作司空。帝曰、兪。咨禹、汝平水土、惟時懋哉。禹拜稽首、讓于稷・契曁皐陶。帝曰、兪。汝往哉。契、音泄。陶、音遙。○奮、起。煕、廣。載、事。亮、明。惠、順。疇、類也。一說、亮、相也。舜言有能奮起事功、以廣帝堯之事者、使居百揆之位、以明亮庶事、而順成庶類也。僉、衆也。四岳、所領四方諸侯之在朝者也。禹、姒姓。崇伯鯀之子也。平水土者、司空之職。時、是。懋、勉也。指百揆之事以勉之也。蓋四岳及諸侯言、伯禹見作司空、可宅百揆。帝然其舉而咨禹、使仍作司空、而兼行百揆之事、錄其舊績、而勉其新功也。以司空兼百揆、如周以六卿兼三公、後世以他官・平章事・知政事、亦此類也。稽首、首至地。稷、田正官。稷、名棄。姓姬氏。封於邰。契、臣名。姓子氏。封於商。稷・契、皆帝嚳之子。曁、及也。皐陶、亦臣名。兪者、然其舉也。汝往哉者、不聽其讓也。此章稱舜曰、此下方稱帝曰者、以見堯老舜攝。堯在時舜未嘗稱帝。此後舜方眞卽帝位而稱帝也。
【読み】
舜曰く、咨[ああ]四岳、能く庸を奮い、帝の載[こと]を煕[ひろ]むる有らば、百揆に宅[お]らしめて、采[こと]を亮らかに疇[たぐい]を惠[したが]えしめん、と。僉[みな]曰く、伯禹司空と作せ、と。帝曰く、兪[しか]り。咨禹、汝水土を平らげ、惟れ時[こ]れ懋[つと]めよや、と。禹拜稽首して、稷・契曁[およ]び皐陶に讓る。帝曰く、兪り。汝往けや、と。契は、音泄。陶は、音遙。○奮は、起こる。煕は、廣むる。載は、事。亮は、明らか。惠は、順う。疇は、類なり。一說に、亮は、相くなり。舜言う、能く事功を奮起して、以て帝堯の事を廣むる者有らば、百揆の位に居らしめて、以て庶事を明亮にして、庶類を順い成さしめん、と。僉[せん]は、衆なり。四岳は、四方の諸侯を領[す]べる所にして朝に在る者なり。禹は、姒姓。崇伯鯀の子なり。水土を平らぐは、司空の職なり。時は、是れ。懋[ぼう]は、勉むるなり。百揆の事を指して以て之を勉めしむ。蓋し四岳及び諸侯言う、伯禹司空と作して、百揆に宅る可きを見る、と。帝其の舉を然りとして禹に咨[と]い、司空と作るに仍りて、兼ねて百揆の事を行い、其の舊績を錄して、其の新たなる功を勉めしむ。司空を以て百揆を兼ぬるは、周の六卿を以て三公を兼ね、後世他官・平章事・知政事を以てするが如き、亦此の類なり。稽首は、首地に至るなり。稷は、田正の官。稷、名は棄。姓は姬氏。邰[たい]に封ぜらる。契は、臣の名。姓は子氏。商に封ぜらる。稷・契は、皆帝嚳[こく]の子。曁は、及ぶなり。皐陶も、亦臣の名。兪は、其の舉を然りとするなり。汝往けやとは、其の讓るを聽[ゆる]さざるなり。此の章舜曰くと稱し、此の下方に帝曰くと稱するは、以て堯老いて舜攝するを見る。堯在す時舜未だ嘗て帝と稱さず。此の後舜方に眞に帝位に卽いて帝と稱すなり。

△帝曰、棄、黎民阻飢。汝后稷、播時百穀。阻、厄。后、君也。有爵土之稱。播、布也。穀、非一種。故曰百穀。此因禹之讓、而申命之、使仍舊職以終其事也。
【読み】
△帝曰く、棄、黎民飢えに阻[なや]めり。汝稷に后として、時[こ]の百穀を播[し]け、と。阻は、厄[わずら]う。后は、君なり。爵土有るの稱なり。播は、布くなり。穀は、一種に非ず。故に百穀と曰う。此れ禹の讓るに因りて、申ねて之に命じ、舊職に仍りて以て其の事を終えしむるなり。

△帝曰、契、百姓不親、五品不遜。汝作司徒、敬敷五敎在寬。親、相親睦也。五品、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友、五者之名位等級也。遜、順也。司徒、掌敎之官。敷、布也。五敎、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信、以五者當然之理、而爲敎令也。敬、敬其事也。聖賢之於事、雖無所不敬、而此又事之大者。故特以敬言之。寬、裕以待之也。蓋五者之理、出於人心本然、非有强而後能者、自其拘於氣質之偏、溺於物欲之蔽、始有昧於其理、不相親愛、不相遜順者。於是因禹之讓、又申命契、仍爲司徒、使之敬以敷敎、而又寬裕以待之。使之優柔浸漬、以漸而入、則其天性之眞、自然呈露、不能自已、而無無恥之患矣。孟子所引堯言、勞來匡直輔翼、使自得之、又從而振德之、亦此意也。
【読み】
△帝曰く、契、百姓親しまず、五品遜[したが]わず。汝司徒と作りて、敬んで五敎を敷くこと寬[ゆた]かなるに在れ、と。親は、相親睦するなり。五品は、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友、五つの者の名位等級なり。遜は、順うなり。司徒は、敎を掌る官。敷は、布くなり。五敎は、父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り、五つの者の當然の理を以て、敎令を爲すなり。敬は、其の事を敬むなり。聖賢の事に於る、敬まざる所無しと雖も、而して此れ又事の大なる者なり。故に特に敬を以て之を言う。寬は、裕かにして以て之を待つなり。蓋し五つの者の理は、人心の本然に出でて、强いて後に能くすること有る者に非ず、自ら其れ氣質の偏に拘り、物欲の蔽に溺れて、始めより其の理に昧くして、相親愛せず、相遜順せざる者有り。是に於て禹の讓るに因りて、又申ねて契に命じ、司徒と爲るに仍りて、之をして敬んで以て敎を敷いて、又寬裕にして以て之を待たしむ。之をして優柔浸漬して、漸を以て入らしむるときは、則ち其の天性の眞、自然に呈露して、自ら已むこと能わずして、恥ずること無きの患え無し。孟子引く所の堯の言、勞い來り匡し直くし輔け翼[たす]けて、自ら之を得せしめ、又從いて之を振い德[めぐ]めとは、亦此の意なり。

△帝曰、皐陶、蠻夷猾夏、寇賊姦宄。汝作士、五刑有服、五服三就。五流有宅、五宅三居。惟明克允。宄、音軌。○猾、亂。夏、明而大也。曾氏曰、中國文明之地。故曰華夏。四時之夏、疑亦取此義也。劫人曰寇、殺人曰賊。在外曰姦、在内曰宄。士、理官也。服、服其罪也。呂刑所謂上服下服是也。三就、孔氏以爲、大罪於原野、大夫於朝、士於市。不知何據。竊恐惟大辟棄之於市、宮辟則下蠶室、餘刑亦就屛處。蓋非死刑、不欲使風中其瘡、誤而至死。聖人之仁也。五流、五等象刑之當宥者也。五宅・三居者、流雖有五、而宅之但爲三等之居。如列爵惟五、分土惟三也。孔氏以爲、大罪居於四裔、次則九州之外、次則千里之外。雖亦未見其所據、然大槩當略近之。此亦因禹之讓而申命之、又戒以必當致其明察、乃能使刑當其罪、而人無不信服也。
【読み】
△帝曰く、皐陶、蠻夷夏を猾[みだ]り、寇賊姦宄[かんき]なり。汝士と作り、五刑服有り、五服三就す。五流宅有り、五宅三居す。惟れ明らかに克く允なれ、と。宄は、音軌。○猾は、亂る。夏は、明らかにして大いなり。曾氏が曰く、中國は文明の地。故に華夏と曰う、と。四時の夏、疑うらくは亦此の義を取るならん。人を劫かすを寇と曰う。人を殺すを賊と曰う。外に在るを姦と曰い、内に在るを宄と曰う。士は、理官なり。服は、其の罪に服するなり。呂刑に所謂上服下服とは是れなり。三就とは、孔氏以爲えらく、大罪は原野に於てし、大夫は朝に於てし、士は市に於てす、と。知らず、何れに據るかを。竊恐らくは惟大辟のみ之を市に棄て、宮辟は則ち蠶室に下し、餘刑は亦屛處に就く。蓋し死刑に非ざれば、風をして其の瘡に中てて、誤りて死に至らしめんと欲せず。聖人の仁なり。五流は、五等象刑の當に宥むべき者なり。五宅・三居とは、流五つ有りと雖も、而して之を宅くこと但三等の居をす。爵を列[わか]つこと惟れ五、土を分かつこと惟れ三というが如し。孔氏以爲えらく、大罪は四裔に居き、次は則ち九州の外、次は則ち千里の外、と。亦未だ其の據る所を見ずと雖も、然れども大槩は當に略之に近かるべし。此れ亦禹の讓るに因りて申ねて之を命じて、又戒むるに必ず當に其の明察を致して、乃ち能く刑をして其の罪に當たりて、人信服せざること無からしむるを以てす。

△帝曰、疇若予工。僉曰、埀哉。帝曰、兪。咨埀、汝共工。埀拜稽首、讓于殳斨曁伯與。帝曰、兪。往哉、汝諧。殳、音殊。斨、千羊反。與、音餘。○若、順其理而治之也。曲禮、六工有土工・金工・石工・木工・獸工・草工、周禮、有攻木之工、攻金之工、攻皮之工、設色之工、摶埴之工、皆是也。帝問、誰能順治予百工之事者。埀、臣名。有巧思。莊子曰、攦工倕之指、卽此也。殳斨・伯與、三臣名也。殳、以積竹爲兵。建兵車者。斨、方銎斧也。古者多以其所能爲名。殳斨豈能爲二器者歟。往哉汝諧者、往哉汝和其職也。
【読み】
△帝曰く、疇[だれ]か予が工を若[したが]わん、と。僉[みな]曰く、埀なるかな、と。帝曰く、兪り。咨[ああ]埀、汝共工たれ、と。埀拜稽首して、殳斨[しゅしょう]曁び伯與に讓る。帝曰く、兪り。往けや、汝諧[やわ]らげよ、と。殳は、音殊。斨は、千羊反。與は、音餘。○若は、其の理に順いて之を治むるなり。曲禮に、六工、土工・金工・石工・木工・獸工・草工有り、周禮に、木を攻[おさ]むるの工、金を攻むるの工、皮を攻むるの工、色を設くるの工、埴を摶[まる]めるの工有りとは、皆是れなり。帝問う、誰か能く予が百工の事を順い治むる者あらん、と。埀は、臣の名。巧思有り。莊子曰く、工倕[こうすい]の指を攦[お]るとは、卽ち此れなり。殳斨・伯與は、三臣の名なり。殳は、積竹を以て兵に爲る。兵車に建てる者なり。斨は、方銎斧[ほうきょうふ]なり。古には多く其の能くする所を以て名とす。殳斨豈能く二器を爲る者か。往けや汝諧らげよとは、往けや汝其の職を和せよとなり。

△帝曰、疇若予上下草木鳥獸。僉曰、益哉。帝曰、兪。咨益、汝作朕虞。益拜稽首、讓于朱・虎・熊・羆。帝曰、兪。往哉、汝諧。熊、回弓反。羆、班縻反。○上下、山林澤藪也。虞、掌山澤之官。周禮分爲虞・衡、屬於夏官。朱・虎・熊・羆、四臣名也。高辛氏之子、有曰仲虎仲熊。意以獸爲名者、亦以其能服是獸而得名歟。史記曰、朱・虎・熊・羆、爲伯益之佐。前殳斨・伯與、亦爲埀之佐也。
【読み】
△帝曰く、疇か予が上下の草木鳥獸を若わん、と。僉曰く、益なるかな、と。帝曰く、兪り。咨[ああ]益、汝朕が虞と作れ、と。益拜稽首して、朱・虎・熊・羆[ひ]に讓る。帝曰く、兪り。往けや、汝諧らげよ、と。熊は、回弓反。羆は、班縻反。○上下は、山林澤藪なり。虞は、山澤を掌るの官。周禮に分かちて虞・衡とし、夏官に屬す。朱・虎・熊・羆は、四臣の名なり。高辛氏の子に、仲虎仲熊と曰う有り。意うに獸を以て名とするは、亦其の能く是の獸を服するを以て名を得るか。史記に曰く、朱・虎・熊・羆は、伯益の佐爲り。前の殳斨・伯與も、亦埀の佐爲り、と。

△帝曰、咨四岳、有能典朕三禮。僉曰、伯夷。帝曰、兪。咨伯、汝作秩宗。夙夜惟寅、直哉惟淸。伯拜稽首、讓于夔・龍。帝曰、兪。往欽哉。夔、音逵。○典、主也。三禮、祀天神、享人鬼、祭地祇之禮也。伯夷、臣名。姜姓。秩、敍也。宗、祖廟也。秩宗、主敍次百神之官。而專以秩宗名之者、蓋以宗廟爲主也。周禮亦謂之宗伯、而都家皆有宗人之官以掌祭祀之事、亦此意也。夙、早。寅、敬畏也。直者、心無私曲之謂。人能敬以直内不使少有私曲、則其心潔淸而無物欲之汚。可以交於神明矣。夔・龍、二臣名。
【読み】
△帝曰く、咨[ああ]四岳、能く朕が三禮を典[つかさど]るもの有らんや、と。僉曰く、伯夷なり、と。帝曰く、兪り。咨伯、汝秩宗と作れ。夙夜惟れ寅[つつし]んで、直かれや惟れ淸なれ、と。伯拜稽首して、夔[き]・龍[りょう]に讓る。帝曰く、兪り。往いて欽めや、と。夔は、音逵。○典は、主るなり。三禮は、天神を祀り、人鬼を享り、地祇を祭るの禮なり。伯夷は、臣の名。姜姓。秩は、敍ずるなり。宗は、祖廟なり。秩宗は、百神を敍次するを主るの官なり。而れども專ら秩宗を以て之を名づくるは、蓋し宗廟を以て主と爲せばなり。周禮に亦之を宗伯と謂いて、都家皆宗人の官以て祭祀の事を掌ること有りとは、亦此の意なり。夙は、早き。寅は、敬み畏るるなり。直は、心に私曲無きの謂なり。人能く敬以て内を直くして少しも私曲有らしめざれば、則ち其の心潔淸にして物欲の汚れ無し。以て神明に交わる可し。夔・龍は、二臣の名なり。

△帝曰、夔、命汝典樂。敎冑子。直而溫、寬而栗、剛而無虐、簡而無傲。詩言志、歌永言。聲依永、律和聲。八音克諧、無相奪倫、神人以和。夔曰、於予擊石拊石、百獸率舞。冑、直又反。○冑、長子也。自天子至卿大夫之適子也。栗、莊敬也。上二無字、與毋同。凡人直者必不足於溫。故欲其溫。寬者必不足於栗。故欲其栗。所以慮其偏而輔翼之也。剛者必至於虐。故欲其無虐。簡者必至於傲。故欲其無傲。所以防其過而戒禁之也。敎冑子者、欲其如此、而其所以敎之之具、則又專在於樂。如周禮大司樂掌成均之法、以敎國子弟。而孔子亦曰、興於詩、成於樂。蓋所以蕩滌邪穢、斟酌飽滿、動盪血脈、流通精神、養其中和之德、而救其氣質之偏者也。心之所之謂之志。心有所之、必形於言。故曰、詩言志。旣形於言、則必有長短之節。故曰、歌永言。旣有長短、則必有高下淸濁之殊。故曰聲依永。聲者、宮・商・角・徵・羽也。大抵歌聲長而濁者爲宮。以漸而淸且短、則爲商爲角爲徵爲羽。所謂聲依永也。旣有長短淸濁、則又必以十二律和之。乃能成文而不亂。假令黃鐘爲官、則太簇爲商、姑洗爲角、林鐘爲徵、南呂爲羽。蓋以三分損益、隔八相生而得之。餘律皆然。卽禮運所謂五聲六律十二管、還相爲宮、所謂律和聲也。人聲旣和、乃以其聲、被之八音而爲樂、則無不諧協、而不相侵亂、失其倫次、可以奏之朝廷、薦之郊廟、而神人以和矣。聖人作樂以養情性、育人材、事神祇、和上下。其體用功效、廣大深切乃如此。今皆不復見矣。可勝嘆哉。夔曰以下、蘇氏曰、舜方命九官、濟濟相讓。無緣夔於此獨言其功。此益稷之文。簡編脫誤、復見於此。
【読み】
△帝曰く、夔、汝に命じて樂を典らしむ。冑子を敎えよ。直くして溫[やわ]らかに、寬[ゆた]かにして栗[つつし]み、剛[こわ]くして虐[そこな]うこと無く、簡[おろそ]かにして傲ること無かれ。詩は志を言い、歌は言を永くす。聲は永きに依り、律は聲を和らぐ。八音克く諧らいで、倫を相奪うこと無くば、神人以て和らぐ、と。夔曰く、於[ああ]予れ石を擊ち石を拊[う]てば、百獸率いて舞う、と。冑は、直又反。○冑は、長子なり。天子より卿大夫に至るまでの適子なり。栗は、莊敬なり。上の二つの無の字は、毋と同じ。凡そ人直き者は必ず溫らかきに足らず。故に其の溫らかきを欲す。寬かなる者は必ず栗みに足らず。故に其の栗みを欲す。其の偏を慮りて之を輔翼する所以なり。剛き者は必ず虐うに至る。故に其の虐うこと無きを欲す。簡かなる者は必ず傲るに至る。故に其の傲ること無きを欲す。其の過を防ぎて之を戒め禁ずる所以なり。冑子を敎うる者、其の此の如きを欲して、其の之を敎うる所以の具は、則ち又專ら樂に在り。周禮に大司樂成均の法を掌りて、以て國の子弟に敎ゆるが如し。而して孔子も亦曰く、詩に興り、樂に成る、と。蓋し邪穢を蕩滌し、飽滿を斟酌し、血脈を動盪[どうとう]し、精神を流通し、其の中和の德を養いて、其の氣質の偏を救う所以の者なり。心の之く所之を志と謂う。心之く所有れば、必ず言に形る。故に曰く、詩に志を言う、と。旣に言に形るれば、則ち必ず長短の節有り。故に曰く、歌は言を永くす、と。旣に長短有れば、則ち必ず高下淸濁の殊なり有り。故に聲は永きに依ると曰う。聲は、宮・商・角・徵・羽なり。大抵歌の聲は長くして濁れる者を宮とす。漸にして淸く且つ短きを以て、則ち商とし角とし徵とし羽とす。所謂聲は永きに依るなり。旣に長短淸濁有れば、則ち又必ず十二律を以て之を和らぐ。乃ち能く文を成して亂れず。假令ば黃鐘を官とするときは、則ち太簇を商とし、姑洗を角とし、林鐘を徵とし、南呂を羽とす。蓋し三分を以て損益して、八つを隔てて相生して之を得。餘の律皆然り。卽ち禮運に所謂五聲六律十二管、還りて宮を相爲すとは、所謂律は聲を和らぐなり。人聲旣に和らぎ、乃ち其の聲を以て、之を八音に被せて樂とすれば、則ち諧らぎ協わざること無くして、相侵し亂れて、其の倫次を失わず、以て之を朝廷に奏し、之を郊廟に薦めて、神人以て和らぐ可し。聖人樂を作りて以て情性を養い、人材を育み、神祇に事り、上下を和らぐ。其の體用功效の、廣大深切なること乃ち此の如し。今皆復見さず。勝[あ]げて嘆く可けんや。夔曰以下は、蘇氏が曰く、舜方に九官に命じて、濟濟として相讓る。夔此に於て獨り其の功を言うに緣無し。此れ益稷の文なり。簡編脫誤して、復此に見る、と。

△帝曰、龍、朕堲讒說殄行、震驚朕師。命汝作納言。夙夜出納朕命、惟允。堲、疾力反。讒、音慙。○堲、疾。殄、絕也。殄行者、謂傷絶善人之事也。師、衆也。謂其言之不正、而能變亂黑白、以駭衆聽也。納言、官名。命令政敎、必使審之旣允而後出、則讒說不得行、而矯僞無所託矣。敷奏復逆、必使審之旣允而後入、則邪僻無自進、而功緒有所稽矣。周之内史、漢之尙書、魏晉以來所謂中書門下者、皆此職也。
【読み】
△帝曰く、龍、朕れ讒說行を殄[た]ち、朕が師[もろもろ]を震驚するを堲[にく]む。汝に命じて納言と作す。夙夜朕が命を出し納れて、惟れ允なれ、と。堲[しつ]は、疾力反。讒は、音慙。○堲は、疾[にく]む。殄[てん]は、絕つなり。行を殄つとは、善人の事を傷り絶つを謂うなり。師は、衆なり。其の言の正しからずして、能く黑白を變じ亂して、以て衆聽を駭[おどろ]かすを謂うなり。納言は、官の名。命令政敎、必ず之を審らかにして旣に允ありて後に出ださしむるときは、則ち讒說行わるることを得ずして、矯僞託[よ]る所無し。敷奏復逆、必ず之を審らかにして旣に允ありて後に入るるときは、則ち邪僻自ら進むこと無くして、功緒稽うる所有り。周の内史、漢の尙書、魏晉以來の所謂中書門下は、皆此の職なり。

△帝曰、咨汝二十有二人、欽哉。惟時亮天功。二十二人、四岳・九官・十二牧也。周官言、内有百揆四岳、外有州牧侯伯。蓋百揆者、所以統庶官、而四岳者、所以統十二牧也。旣分命之、又總告之。使之各敬其職以相天事也。曾氏曰、舜命九官。新命者六人。命伯禹命伯夷、咨四岳而命者也。命埀命益、泛咨而命者也。命夔命龍、因人之讓、不咨而命者也。夫知道而後可宅百揆、知禮而後可典三禮。知道知禮、非人人所能也。故必咨於四岳。若予工、若上下草木鳥獸、則非此之比。故泛咨而已。禮樂命令、其體雖不若百揆之大、然事理精微、亦非百工庶物之可比。伯夷旣以四岳之舉、而當秩宗之任、則其所讓之人、必其中於典樂納言之選可知。故不咨而命之也。若稷契皐陶之不咨者、申命其舊職而已。又按此以平水土若百工、各爲一官。而周制同領於司空。此以土一官、兼兵刑之事。而周禮分爲夏秋兩官。蓋帝王之法、隨時制宜。所謂損益可知者如此。
【読み】
△帝曰く、咨[ああ]汝二十有二人、欽めや。惟れ時[こ]れ天功を亮[たす]けよ、と。二十二人は、四岳・九官・十二牧なり。周官に言う、内に百揆四岳有り、外に州牧侯伯有り、と。蓋し百揆は、庶官を統ぶる所以にして、四岳は、十二牧を統ぶる所以なり。旣に分かちて之に命じ、又總べて之に告ぐ。之をして各々其の職を敬んで以て天事を相けしむるなり。曾氏が曰く、舜九官に命ず。新たに命ずる者六人。伯禹に命じ伯夷に命ずるは、四岳に咨いて命ずる者なり。埀に命じ益に命ずるは、泛く咨いて命ずる者なり。夔に命じ龍に命ずるは、人の讓るに因りて、咨わずして命ずる者なり。夫れ道を知りて而して後に百揆に宅る可く、禮を知りて而して後に三禮を典る可し。道を知り禮を知るは、人人の能くする所に非ず。故に必ず四岳に咨う。予が工を若え、上下の草木鳥獸を若うは、則ち此の比に非ず。故に泛く咨うのみ。禮樂命令は、其の體百揆の大いに若かずと雖も、然れども事理精微にして、亦百工庶物の比す可きに非ず。伯夷旣に四岳の舉を以て、秩宗の任に當たり、則ち其の讓る所の人、必ず其れ典樂納言の選に中ること知る可し。故に咨わずして之を命ずるなり。稷契皐陶の咨わざるが若きは、申ねて其の舊職に命ずるのみ。又按ずるに此れ水土を平らかにし百工を若うを以て、各々一官とす。而して周の制は同じく司空に領す。此れ土の一官を以て、兵刑の事を兼ぬ。而して周禮に分かちて夏秋の兩官とす。蓋し帝王の法は、時に隨いて宜しきを制す。所謂損益知る可き者此の如し。

△三載考績、三考黜陟幽明、庶績咸煕。分北三苗。北、如字。又音佩。○考、核實也。三考、九載也。九載、則人之賢否、事之得失可見。於是陟其明而黜其幽。賞罰明信、人人力於事功。此所以庶績咸煕也。北、猶背也。其善者留、其不善者竄徙之、使分背而去也。此言舜命二十二人之後、立此考績黜陟之法、以時舉行。而卒言其效如此也。按三苗見於經者、如典謨・益稷・禹貢・呂刑詳矣。蓋其負固不服。乍臣乍叛。舜攝位而竄遂之。禹治水之時、三危已宅、而舊都猶頑不卽工。禹攝位之後、帝命徂征而猶逆命。及禹班師而後來格。於是乃得考其善惡、而分北之也。呂刑之言遏絕、則通其本末而言。不可以先後論也。
【読み】
△三載績を考え、三考して幽明を黜陟[ちゅっちょく]して、庶績咸煕[ひろ]まる。三苗を分北[ぶんぱい]す。北は、字の如し。又音佩。○考は、實を核[しら]べるなり。三考は、九載なり。九載なれば、則ち人の賢否、事の得失見る可し。是に於て其の明を陟[あ]げて其の幽を黜[しりぞ]く。賞罰明信なれば、人人事功を力む。此れ庶績咸煕まる所以なり。北は、猶背のごとし。其の善き者は留め、其の善からざる者は之を竄[しりぞ]け徙[うつ]して、分背して去らしむるなり。此れ言うこころは、舜二十二人に命ずるの後、此の考績黜陟の法を立て、時を以て舉げ行う。而して卒に其の效を言うこと此の如し。按ずるに三苗の經に見る者、典謨・益稷・禹貢・呂刑の如き詳らかなり。蓋し其の固きを負[たの]んで服さず。乍[あるい]は臣とし乍は叛く。舜位を攝りて之を竄け遂う。禹水を治むるの時、三危已に宅りて、舊都猶頑にして工に卽かず。禹位を攝るの後、帝命じて徂いて征せしめて猶命に逆う。禹師を班[し]くに及んで而して後に來り格る。是に於て乃ち其の善惡を考えて、之を分北することを得。呂刑の遏絕[あつぜつ]と言うは、則ち其の本末を通じて言う。先後を以て論ずる可からず。

△舜生三十徵庸、三十在位、五十載陟方乃死。徵、知陵反。○徵、召也。陟方、猶言升遐也。韓子曰、竹書紀年、帝王之沒、皆曰陟。陟、昇也。謂昇天也。書曰、殷禮陟配天。言以道終其德、協天也。故書紀舜之沒云陟。其下言方乃死者、所以釋陟爲死也。地之勢東南下。如言舜巡守而死。宜言下方。不得言陟方也。按此得之。但不當以陟爲句絕耳。方、猶雲徂乎方之方。陟方乃死、猶言殂落而死也。舜生三十年、堯方召用。歷試三年、居攝二十八年、通三十年乃卽帝位、又五十年而崩。蓋於篇末總敍其始終也。史記言、舜巡守崩于蒼梧之野。孟子言、舜卒於鳴條。未知孰是。今零陵九疑有舜塚云。
【読み】
△舜生まれて三十のとき徵庸せられ、三十位に在り、五十載にて陟方[ちょくほう]して乃ち死す。徵は、知陵反。○徵は、召すなり。陟方は、猶升遐と言うがごとし。韓子が曰く、竹書紀年に、帝王の沒するを、皆陟と曰う、と。陟は、昇るなり。天に昇るを謂う、と。書に曰く、殷の禮は陟りて天に配す。言うこころは、道を以て其の德を終え、天に協えり。故に書に舜の沒するを紀して陟と云う。其の下に方乃死と言うは、陟を釋いて死と爲す所以なり。地の勢は東南下れり。舜巡守して死すと言うが如し。宜しく方に下ると言うべし。陟方と言うことを得ず、と。按ずるに此れ之を得。但當に陟を以て句絕とすべからざるのみ。方は、猶雲方に徂くの方のごとし。陟方して乃ち死すとは、猶殂落して死すと言うがごとし。舜生まれて三十年、堯方に召し用ゆ。歷試すること三年、攝に居ること二十八年、通じて三十年乃ち帝位に卽いて、又五十年にして崩ず。蓋し篇末に於て總べて其の始終を敍ず。史記に言う、舜巡守して蒼梧の野に崩ず、と。孟子言う、舜鳴條に卒う、と。未だ知らず、孰れか是ぜなるかを。今零陵九疑に舜の塚有ると云う。


大禹謨 謨、謀也。林氏曰、虞史旣述二典、其所載有未備者。於是又敍其君臣之閒、嘉言善政、以爲大禹・皐陶謨・益稷三篇。所以備二典之未備者。今文無、古文有。
【読み】
○大禹謨[たいうぼ] 謨は、謀るなり。林氏が曰く、虞史旣に二典を述べ、其の載す所に未だ備わらざる者有り。是に於て又其の君臣の閒を敍べて、嘉言善政、以て大禹・皐陶謨・益稷の三篇とす。二典の未だ備わらざる者を備うる所以なり。今文に無く、古文に有り。


曰若稽古大禹曰、文命敷於四海、祗承于帝。命、敎。祗、敬也。帝、謂舜也。文命敷於四海者、卽禹貢所謂東漸西被、朔南曁、聲敎訖于四海者、是也。史臣言、禹旣已布其文敎於四海矣。於是陳其謨以敬承于舜、如下文所云也。文命、史記以爲禹名。蘇氏曰、以文命爲禹名、則敷于四海者、爲何事耶。
【読み】
曰若[ここ]に古の大禹を稽[かんが]うるに曰く、文命四海に敷いて、祗[つつし]んで帝に承く。命は、敎。祗は、敬むなり。帝とは、舜を謂うなり。文命四海に敷くとは、卽ち禹貢の所謂東に漸[いた]り西に被り、朔[きた]南に曁[およ]べり、聲敎四海に訖[いた]るとは、是れなり。史臣が言う、禹旣已に其の文敎を四海に布く。是に於て其の謨を陳ねて以て敬んで舜に承くること、下の文に云う所の如し。文命は、史記に以て禹の名とす。蘇氏が曰く、文命を以て禹の名とするときは、則ち四海に敷くとは、何れの事とせんや、と。

△曰、后克艱厥后、臣克艱厥臣、政乃乂、黎民敏德。曰以下、卽禹祗承于帝之言也。艱、難也。孔子曰、爲君難、爲臣不易、卽此意也。乃者、難辭也。敏、速也。禹言君而不敢易其爲君之道、臣而不敢易其爲臣之職、夙夜祗懼、各務盡其所當爲者、則其政事乃能修治而無邪慝。下民自然觀感速化於善、而有不容已者矣。
【読み】
△曰く、后[きみ]克く厥の后たるを艱[かた]しとし、臣克く厥の臣たるを艱しとすれば、政乃ち乂[おさ]まりて、黎民德を敏[と]くす、と。曰く以下は、卽ち禹祗んで帝に承くるの言なり。艱は、難きなり。孔子曰く、君爲ること難く、臣爲ること易からずとは、卽ち此の意なり。乃は、難しとする辭なり。敏は、速やかなり。禹の言うこころは、君として敢えて其の君爲るの道を易しとせず、臣として敢えて其の臣爲るの職を易しとせず、夙夜に祗み懼れて、各々務めて其の當にすべき所の者を盡くすときは、則ち其の政事は乃ち能く修まり治まりて邪慝無し。下民自然に觀感して速やかに善に化すること、而も已む容からざる者有り。

△帝曰、兪。允若茲、嘉言罔攸伏、野無遺賢、萬邦咸寧。稽于衆、舍己從人。不虐無告、不廢困窮、惟帝時克。嘉、善。攸、所也。舜然禹之言、以爲信能如此、則必有以廣延衆論、悉致羣賢、而天下之民、咸被其澤、無不得其所矣。然非忘私順理、愛民好士之至、無以及此。而惟堯能之。非常人所及也。蓋爲謙辭以對。而不敢自謂其必能、舜之克艱、於此亦可見矣。程子曰、舍己從人、最爲難事。己者、我之所有。雖痛舍之猶懼。守己者固、而從人者輕也。
【読み】
△帝曰く、兪[しか]り。允に茲[かく]の若くなれば、嘉言の伏する攸罔く、野に遺賢無く、萬邦咸寧し。衆に稽えて、己を舍てて人に從い、無告を虐げず、困窮を廢てざるは、惟帝のみ時[こ]れ克くす、と。嘉は、善き。攸は、所なり。舜禹の言を然りとして、以爲えらく、信に能く此の如くなれば、則ち必ず以て廣く衆論を延き、悉く羣賢を致して、天下の民、咸其の澤を被りて、其の所を得ざること無きこと有り。然れども私を忘れて理に順い、民を愛して士を好むの至りに非ざれば、以て此に及ぶこと無し。而して惟り堯のみ之を能くす。常人の及ぶ所に非ざるなり、と。蓋し謙辭を爲して以て對う。而も敢えて自ら其れ必ず能くすと謂わず、舜の克く艱くすること、此に於て亦見る可し。程子が曰く、己を舍てて人に從うは、最も難事爲り。己とは、我が有する所。痛く之を舍つと雖も猶懼る。己を守る者は固くして、人に從う者は輕し、と。

△益曰、都、帝德廣運。乃聖乃神、乃武乃文。皇天眷命、奄有四海、爲天下君。廣者、大而無外。運者、行之不息。大而能運、則變化不測。故自其大而化之而言、則謂之聖、自其聖而不可知而言、則謂之神、自其威之可畏而言、則謂之武、自其英華發外而言、則謂之文。眷、顧。奄、盡也。堯之初起、不見於經。傳稱其自唐侯特起爲帝。觀益之言理或然也。或曰、舜之所謂帝者堯也。羣臣之言帝者舜也。如帝德罔愆、帝其念哉之類、皆謂舜也。蓋益因舜尊堯、而遂美舜之德以勸之。言不特堯能如此、帝亦當然也。今按此說、所引此類、固爲甚明。但益之語、接連上句惟帝時克之下、未應遽舍堯而譽舜。又徒極口以稱其美、而不見其有勸勉規戒之意。恐唐虞之際、未遽有此諛佞之風也。依舊說贊堯爲是。
【読み】
△益曰く、都[ああ]、帝の德廣く運[めぐ]れり。乃ち聖乃ち神、乃ち武乃ち文。皇天眷命[けんめい]して、奄[ことごと]く四海を有ちて、天下の君爲り、と。廣は、大いにして外無し。運は、行きて息まず。大いして能く運るときは、則ち變化測られず。故に其の大いにして之を化するよりして言うときは、則ち之を聖と謂い、其の聖にして知る可からざるよりして言うときは、則ち之を神と謂い、其の威の畏る可きよりして言うときは、則ち之を武と謂い、其の英華外より發するよりして言うときは、則ち之を文と謂う。眷は、顧みる。奄は、盡くすなり。堯の初めて起つこと、經に見えず。傳に稱すらく、其れ唐侯より特り起ちて帝と爲る、と。益の言を觀るに理或は然らん。或ひと曰く、舜の所謂帝なる者は堯なり。羣臣の帝と言うは舜なり。帝の德愆[あやま]ち罔し、帝其れ念えやの類の如き、皆舜を謂う。蓋し益舜の堯を尊ぶに因りて、遂に舜の德を美めて以て之を勸む。言うこころは、特り堯のみ能く此の如きにあらず、帝も亦當に然り、と。今此の說を按ずるに、引く所の此の類、固に甚だ明なりとす。但益の語は、上の句の惟帝のみ時れ克くすの下に接し連なり、未だ應に遽に堯を舍いて舜を譽むるべからず。又徒に口を極めて以て其の美を稱するのみにして、其の勸勉規戒の意有るを見ず。恐らくは唐虞の際は、未だ遽に此の諛佞の風有らず。舊說に依りて堯を贊するを是とせん。

△禹曰、惠迪吉。從逆凶。惟影響。惠、順。迪、道也。逆、反道者也。惠迪從逆、猶言順善從悪也。禹言天道可畏。吉凶之應於善惡、猶影響之出於形聲也。以見不可不艱者、以此而終上文之意。
【読み】
△禹曰く、迪[みち]に惠[したが]えば吉。逆に從えば凶。惟れ影響のごとし、と。惠は、順う。迪[てき]は、道なり。逆は、道に反く者なり。迪に惠い逆に從うとは、猶善に順い悪に從うと言うがごとし。禹言う、天道畏る可し。吉凶の善惡に應ずるは、猶影響の形聲より出づるがごとし、と。以て艱からずんばある可からざる者を見して、此を以て上の文の意を終う。

△益曰、吁、戒哉。儆戒無虞、罔失法度、罔遊于逸、罔淫于樂。任賢勿貳、去邪勿疑、疑謀勿成。百志惟煕。罔違道、以干百姓之譽。罔咈百姓、以從己之欲。無怠無荒、四夷來王。樂、音洛。咈、符勿反。○先吁後戒、欲使聽者精審也。儆、與警同。虞、度。罔、勿也。法度、法則制度也。淫、過也。當四方無可虞度之時、法度易至廢弛。故戒其失墜。逸樂易至縱恣。故戒其遊淫。言此三者所當謹畏也。任賢以小人閒之、謂之貳。去邪不能果斷、謂之疑。謀、圖爲也。有所圖爲、揆之於理、而未安者、則不復成就之也。百志、猶易所謂百慮也。咈、逆也。九州之外、世一見曰王。帝於是八者、朝夕戒懼、無怠於心、無荒於事、則治道益隆、四夷之遠、莫不歸往、中土之民、服從可知。今按益言八者、亦有次第。蓋人君能守法度、不縱逸樂、則心正身脩、義理昭著、而於人之賢否、孰爲可任、孰爲可去、事之是非、孰爲可疑、孰爲不可疑、皆有以審其幾微、絕其蔽惑。故方寸之閒、光輝明白、而於天下之事、孰爲道義之正而不可違、孰爲民心之公而不可咈、皆有以處之不失其理、而毫髪私意不入於其閒。此其懲戒之深旨、所以推廣大禹克艱、惠迪之謨也。苟無其本、而是非取舍、決於一己之私、乃欲斷而行之、無所疑惑、則其爲害、反有不可勝言者矣。可不戒哉。
【読み】
△益曰く、吁[ああ]、戒めよや。虞[はか]り無きを儆[いまし]め戒めて、法度を失う罔かれ、逸に遊ぶ罔かれ、樂に淫する罔かれ。賢に任ずるに貳する勿かれ、邪を去りて疑う勿かれ、疑謀成す勿かれ。百志惟れ煕[ひろ]まらん。道に違いて、以て百姓の譽れを干[もと]むる罔かれ。百姓に咈[もと]りて、以て己が欲に從う罔かれ。怠ること無く荒[すさ]むこと無くば、四夷來王せん、と。樂は、音洛。咈[ふつ]は、符勿反。○吁を先にし戒を後にするは、聽く者をして精審ならしめんと欲するなり。儆[けい]は、警むと同じ。虞は、度る。罔は、勿かれなり。法度は、法則制度なり。淫は、過ぐるなり。四方虞り度る可きこと無きの時に當たりて、法度は廢弛に至り易し。故に其の失墜を戒む。逸樂は縱恣に至り易し。故に其の遊淫を戒む。言うこころは、此の三つの者は當に謹み畏るべき所なり。賢に任ずるに小人を以て之を閒つ、之を貳と謂う。邪を去りて果斷なること能わず、之を疑と謂う。謀は、圖り爲すなり。圖り爲す所有りて、之を理に揆[はか]りて、未だ安からざる者は、則ち復之を成就せざるなり。百志は、猶易に所謂百慮のごとし。咈は、逆[もと]るなり。九州の外、世々一たび見ゆるを王と曰う。帝是の八つの者に於て、朝夕戒め懼れて、心に怠ること無く、事に荒むこと無きときは、則ち治道益々隆んにして、四夷の遠きも、歸往せざること莫く、中土の民、服從すること知る可し。今按ずるに益が言う八つの者も、亦次第有り。蓋し人君能く法度を守り、逸樂を縱にせざるときは、則ち心正しく身脩まり、義理昭著にして、人の賢否に於て、孰か任ず可しとし、孰か去る可しとし、事の是非も、孰か疑う可きとし、孰か疑う可からずとして、皆以て其の幾微を審らかにし、其の蔽惑を絕つこと有り。故に方寸の閒も、光輝明白にして、天下の事に於て、孰か道義の正しくして違う可からずとし、孰か民心の公にして咈る可からずとして、皆以て之を處するに其の理を失わずして、毫髪の私意も其の閒に入れざること有り。此れ其の懲戒の深旨、大禹克く艱しとし、迪に惠うの謨を推し廣むる所以なり。苟に其の本無くして、是非取舍、一己の私に決して、乃ち斷ちて之を行いて、疑惑する所無けんと欲すれば、則ち其の害を爲すこと、反って勝[あ]げて言う可からざる者有り。戒めざる可けんや。

△禹曰、於、帝念哉。德惟善政。政在養民。水・火・金・木・土・穀惟修、正德・利用・厚生惟和、九功惟敍、九敍惟歌。戒之用休、董之用威、勸之以九歌、俾勿壞。於、音烏。○益言儆戒之道、禹歎而美之。謂、帝當深念益之所言也。且德非徒善而已。惟當有以善其政。政非徒法而已。在乎有以養其民。下文六府三事、卽養民之政也。水・火・金・木・土・穀惟修者、水克火、火克金、金克木、木克土、而生五穀。或相制以洩其過、或相助以補其不足。而六者無不修矣。正德者、父慈子孝、兄友弟恭、夫義婦聽。所以正民之德也。利用者、工作什器、商通貨財之類。所以利民之用也。厚生者、衣帛食肉、不飢不寒之類。所以厚民之生也。六者旣修、民生始遂。不可以逸居而無敎。故爲之惇典敷敎、以正其德、通功易事、以利其用、制節謹度、以厚其生、使皆當其理而無所乖、則無不和矣。九功、合六與三也。敍者、言九者各順其理、而不汨陳以亂其常也。歌者、以九功之敍、而詠之歌也。言九者旣已修和、各由其理、民享其利、莫不歌詠而樂其生也。然始勤終怠者、人情之常。恐安養旣久、怠心必生、則已成之功、不能保其久而不廢。故當有以激勵之。如下文所云也。董、督也。威、古文作畏。其勤於是者、則戒喩而休美之、其怠於是者、則督責而懲戒之。然又以事之出於勉强者不能久、故復卽其前日歌詠之言、協之律呂、播之聲音、用之郷人、用之邦國、以勸相之。使其歡欣鼓舞、趨事赴功、不能自已、而前日之成功、得以久存而不壞。此周禮所謂九德之歌、九韶之舞、而太史公所謂、佚能思初、安能惟始、沐浴膏澤、而歌詠勤苦者也。葛氏曰、洪範五行、水・火・木・金・土而已。穀本在行之數。禹以其爲民食之急、故別而附之也。
【読み】
△禹曰く、於[ああ]、帝念えや。德は惟れ政を善くす。政は民を養うに在り。水・火・金・木・土・穀惟れ修まり、德を正しくし、用を利し、生けるを厚くし、惟れ和らげ、九功惟れ敍で、九敍惟れ歌う。之を戒むるに休[よ]きを用い、之を董[ただ]すに威を用てし、之を勸むるに九歌を以てして、壞[やぶ]る勿からしむ、と。於は、音烏。○益儆戒の道を言いて、禹歎じて之を美む。謂く、帝當に益の言う所を深く念うべし。且つ德は徒善に非ざるのみ。惟當に以て其の政を善くすること有るべし。政は徒法に非ざるのみ。以て其の民を養うこと有るに在り、と。下の文の六府三事は、卽ち民を養うの政なり。水・火・金・木・土・穀惟れ修むとは、水は火に克ち、火は金に克ち、金は木に克ち、木は土に克ちて、五穀を生す。或は相制して以て其の過を洩[のぞ]き、或は相助けて以て其の足らざるを補う。而して六つの者修まらざる無し。德を正しくすとは、父慈に子孝に、兄友に弟恭に、夫義に婦聽。民の德を正す所以なり。用を利すとは、工の什器を作り、商の貨財を通ずるの類。民の用を利する所以なり。生けるを厚くすとは、帛を衣肉を食い、飢えず寒からざるの類。民の生を厚くする所以なり。六つの者旣に修めて、民生始めて遂ぐ。以て逸居して敎うること無くんばある可からず。故に之れ典を惇くし敎を敷くことを爲して、以て其の德を正しくし、功を通じ事を易くして、以て其の用を利し、節を制し度を謹んで、以て其の生くるを厚くし、皆其の理に當たりて乖く所無からしむるときは、則ち和せざること無し。九功は、六つと三つとを合わすなり。敍ずとは、言うこころは、九つの者各々其の理に順いて、陳することを汨[みだ]るを以て其の常を亂らざるなり。歌は、九功の敍を以て、詠ずるの歌なり。言うこころは、九つの者旣已に修まり和らぎ、各々其の理に由りて、民其の利を享け、歌詠せざること莫くして其の生を樂しむなり。然れども始めは勤め終わりは怠るは、人情の常なり。恐れらくは安養旣に久しくして、怠心必ず生ずるときは、則ち已成の功、其の久しきを保ちて廢せざること能わず。故に當に以て之を激勵すること有るべし。下の文に云う所の如し。董は、督[ただ]すなり。威は、古文に畏に作る。其れ是を勤むる者は、則ち戒喩して之を休美し、其れ是を怠る者は、則ち督責して之を懲戒す。然れども又事の勉强より出づる者の久しきこと能わざるを以て、故に復其の前日歌詠の言に卽いて、之を律呂に協え、之を聲音に播[ほどこ]し、之を郷人に用い、之を邦國に用い、以て之を勸め相く。其をして歡欣鼓舞し、事に趨き功に赴いて、自ら已むこと能わずして、前日の成功、以て久しく存して壞れざるを得せしむ。此れ周禮に所謂九德の歌、九韶の舞、而も太史公が所謂、佚するときは能く初めを思い、安んずるときは能く始めを惟[おも]う、膏澤に沐浴して、勤苦を歌詠すという者なり。葛氏が曰く、洪範の五行は、水・火・木・金・土なるのみ。穀は本行の數に在り。禹其の民食の急爲るを以て、故に別ちて之を附く、と。

△帝曰、兪。地平天成、六府・三事允治、萬世永賴、時乃功。治、去聲。○水土治曰平。言水土旣平而萬物得以成遂也。六府、卽水・火・金・木・土・穀也。六者、財用之所自出。故曰府。三事、正德・利用・厚生也。三者、人事之所當爲。故曰事。舜因禹言養民之政、而推其功以美之也。
【読み】
△帝曰く、兪り。地平らぎ天成り、六府・三事允に治まり、萬世永く賴るは、時[こ]れ乃の功なり、と。治は、去聲。○水土治むるを平と曰う。言うこころは、水土旣に平らぎて萬物以て成り遂ぐることを得たり。六府は、卽ち水・火・金・木・土・穀なり。六つの者は、財用の自りて出づる所なり。故に府と曰う。三事は、德を正しくし、用を利し、生けるを厚くするなり。三つの者は、人事の當に爲すべき所なり。故に事と曰う。舜禹の民を養うの政を言うに因りて、其の功を推して以て之を美む。

△帝曰、格汝禹。朕宅帝位、三十有三載、耄期倦于勤。汝惟不怠、總朕師。耄、莫報反。○九十曰耄、百年曰期。舜至是年已九十三矣。總、率也。舜自言、旣老、血氣已衰。故倦於勤勞之事。汝當勉力不怠、而總率我衆也。蓋命之攝位之事。堯命舜曰陟帝位、舜命禹曰總朕師者、蓋堯欲使舜眞宅帝位。舜讓弗嗣。後惟居攝、亦若是而已。
【読み】
△帝曰く、格[きた]れ汝禹。朕れ帝位に宅ること、三十有三載、耄期[ぼうき]にして勤めに倦めり。汝惟れ怠らず。朕が師[もろもろ]を總べよ、と。耄は、莫報反。○九十を耄と曰い、百年を期と曰う。舜是に至りて年已に九十三なり。總は、率いるなり。舜自ら言う、旣に老いて、血氣已に衰う。故に勤勞の事に倦む。汝當に勉め力めて怠らずして、我が衆を總べ率ゆべし、と。蓋し之に攝位の事を命ず。堯舜に命じて帝位に陟れと曰い、舜禹に命じて朕が師を總べよと曰うは、蓋し堯舜をして眞に帝位に宅らしめんと欲す。舜讓りて嗣がず。後惟れ攝に居ること、亦是の若きのみ。

△禹曰、朕德罔克、民不依。皐陶邁種德、德乃降、黎民懷之。帝念哉。念茲在茲、釋茲在茲、名言茲在茲、允出茲在茲。惟帝念功。邁、勇往力行之意。種、布。降、下也。禹自言、其德不能勝任、民不依歸。惟皐陶勇往力行、以布其德。德下及於民、而民懷服之。帝當思念之而不忘也。茲、指皐陶也。禹遂言、念之而不忘、固在於皐陶。舍之而他求、亦惟在於皐陶。名言於口、固在於皐陶。誠發於心、亦惟在於皐陶也。蓋反覆思之、而卒無有易於皐陶者。惟帝深念其功、而使之攝位也。
【読み】
△禹曰く、朕が德克くすること罔く、民依らず。皐陶邁[いさ]んで德を種[し]き、德乃ち降りて、黎民之に懷く。帝念えや。茲を念えば茲に在り、茲を釋[す]てても茲に在り、茲を名づけ言うも茲に在り、允に茲を出だすも茲に在り。惟れ帝功を念え、と。邁は、勇み往き力め行くの意。種は、布く。降は、下るなり。禹自ら言う、其の德任に勝うること能わず、民依歸せず。惟皐陶勇み往き力め行いて、以て其の德を布く。德下り民に及んで、民之に懷き服す。帝當に之を思い念いて忘れざるべし、と。茲は、皐陶を指すなり。禹遂に言う、之を念いて忘れざるは、固に皐陶に在り。之を舍てて他に求むれば、亦惟皐陶に在り。名づけて口に言うも、固に皐陶に在り。誠に心に發すれば、亦惟皐陶に在り、と。蓋し反覆して之を思いて、卒に皐陶に易わる者有ること無し。惟れ帝深く其の功を念いて、之をして位を攝らしむるなり。

△帝曰、皐陶、惟茲臣庶、罔或干予正。汝作士、明于五刑、以弼五敎、期于予治、刑期于無刑、民協于中。時乃功。懋哉。干、犯。正、政。弼、輔也。聖人之治、以德爲化民之本、而刑特以輔其所不及而已。期者、先事取必之謂。舜言、惟此臣庶、無或有干犯我之政者。以爾爲士師之官、能明五刑、以輔五品之敎、而期我以至於治。其始雖不免於用刑、而實所以期至於無刑之地。故民亦皆能協於中道、初無有過不及之差、則刑果無所施矣。凡此皆汝之功也。懋、勉也。蓋不聽禹之讓、而稱皐陶之美、以勸勉之也。
【読み】
△帝曰く、皐陶、惟れ茲の臣庶、予が正しきを干すこと或る罔し。汝士と作りて、五刑を明らかにし、以て五敎を弼け、予が治まれるに期[あ]て、刑は刑無きに期て、民中に協わしむ。時れ乃の功なり。懋[つと]めよや、と。干は、犯す。正は、政。弼は、輔くなり。聖人の治は、德を以て民を化するの本として、刑は特に以て其の及ばざる所を輔くるのみ。期とは、事に先んじて必を取るの謂なり。舜言う、惟れ此の臣庶、或は我が政を干し犯す者有ること無し。爾を以て士師の官として、能く五刑を明らかにして、以て五品の敎を輔けて、我が以て治まれるに至るを期す。其の始めは刑を用うることを免れずと雖も、而れども實は無刑の地に至るを期する所以なり。故に民も亦皆能く中道に協いて、初めより過不及の差い有ること無くば、則ち刑果たして施す所無し。凡そ此れ皆汝の功なり、と。懋[ぼう]は、勉むるなり。蓋し禹の讓るを聽[ゆる]さずして、皐陶の美を稱して、以て之を勸め勉めしむるなり。

△皐陶曰、帝德罔愆。臨下以簡、御衆以寬。罰弗及嗣、賞延于世。宥過無大、刑故無小。罪疑惟輕、功疑惟重。與其殺不辜、寧失不經。好生之德、洽于民心。茲用不犯于有司。愆、過也。簡者、不煩之謂。上煩密、則下無所容。御者急促、則衆擾亂。嗣・世、皆謂子孫。然嗣親而世疎也。延、遠及也。父子罪不相及、而賞則遠延于世。其善善長、而惡惡短如此。過者、不識而誤犯也。故者、知之而故犯也。過誤所犯、雖大必宥。不忌故犯、雖小必刑。卽上篇所謂眚災肆赦、怙終賊刑者也。罪已定矣、而於法之中、有疑其可重可輕者、則從輕以罰之。功已定矣、而於法之中、有疑其可輕可重者、則從重以賞之。辜、罪。經、常也。謂法可以殺可以無殺、殺之、則恐陷於非辜、不殺之、恐失於輕縱。二者皆非聖人至公至平之意。而殺不辜者、尤聖人之所不忍也。故與其殺之而害彼之生、寧姑全之、而自受失刑之責。此其仁愛忠厚之至、皆所謂好生之德也。蓋聖人之法有盡、而心則無窮。故其用刑行賞、或有所疑、則常屈法以申恩、而不使執法之意、有以勝其好生之德。此其本心所以無所壅遏、而得行於常法之外。及其流衍洋溢、漸涵浸漬、有以入于民心、則天下之人、無不愛慕感悅、興起於善、而自不犯于有司也。皐陶以舜美其功、故言此以歸功於其上。蓋不敢當其褒美之意、而自謂己功也。
【読み】
△皐陶曰く、帝の德愆[あやま]つこと罔し。下に臨むに簡を以てし、衆を御すに寬を以てす。罰は嗣に及ぼさず、賞は世に延[およ]ぼす。過てるを宥めて大いなりとすること無く、故を刑するに小しきなること無し。罪の疑わしきは惟れ輕くし、功の疑わしきは惟れ重くす。其の辜[つみ]あらざるを殺さんよりは、寧ろ經[つね]あらざるに失す。生けるを好みするの德、民の心に洽[あまね]し。茲を用て有司を犯さず、と。愆は、過なり。簡は、不煩の謂なり。上煩密なれば、則ち下容るる所無し。御者急促なれば、則ち衆擾亂す。嗣・世は、皆子孫を謂う。然れども嗣は親しくして世は疎きなり。延は、遠く及ぶなり。父子の罪は相及ばずして、賞は則ち遠く世に延ぼす。其の善を善みすることの長くして、惡を惡むことの短きこと此の如し。過は、識らずして誤り犯すなり。故は、之を知って故に犯すなり。過誤の犯す所、大いなりと雖も必ず宥す。忌まずして故に犯すは、小なりと雖も必ず刑す。卽ち上の篇の所謂眚災[せいさい]は肆赦し、怙終は賊刑すという者なり。罪已に定まりて、而して法の中に於て、其の重くす可く輕くす可きに疑い有る者は、則ち輕きに從いて以て之を罰す。功已に定まりて、而して法の中に於て、其の輕くす可く重くす可きに疑い有る者は、則ち重きに從いて以て之を賞す。辜は、罪。經は、常なり。謂ゆる法の以て殺す可く以て殺すこと無かる可き、之を殺せば、則ち恐れらくは辜に非ざるに陷らんことを、之を殺さずんば、恐れらくは輕く縱[ゆる]すに失せんことを。二つの者は皆聖人至公至平の意に非ず。而れども辜あらざる者を殺すは、尤も聖人の忍びざる所なり。故に其の之を殺して彼が生けるを害せんよりは、寧ろ姑く之を全くして、自ら刑を失するの責を受けん。此れ其の仁愛忠厚の至り、皆所謂生けるを好みするの德なり。蓋し聖人の法は盡くすこと有りて、心は則ち窮まり無し。故に其の刑を用い賞を行うに、或は疑う所有るときは、則ち常に法を屈して以て恩を申ねて、法を執るの意をして、以て其の生けるを好みするの德に勝つこと有らしめず。此れ其の本心の壅遏[ようあつ]する所無くして、常の法の外を行うことを得る所以なり。其の流衍洋溢、漸涵浸漬、以て民の心に入ること有るに及んでは、則ち天下の人、愛慕感悅して、善に興起せざること無くして、自ら有司を犯さざるなり。皐陶舜の其の功を美むるを以て、故に此を言いて以て功を其の上に歸す。蓋し敢えて其の褒美の意に當たりて、自ら己が功を謂わざるなり。

△帝曰、俾予從欲以治、四方風動、惟乃之休。民不犯法、而上不用刑者、舜之所欲也。汝能使我如所願欲以治、敎化四達、如風鼓動、莫不靡然。是乃汝之美也。舜又申言以重歎美之。
【読み】
△帝曰く、予をして欲するに從いて以て治めしめ、四方風の動くがごとくなること、惟れ乃の休きなり、と。民法を犯さずして、上刑を用いざる者は、舜の欲する所なり。汝能く我をして願い欲する所の如くにして以て治めしめ、敎化四に達し、風の鼓動するが如く、靡然たらざる莫し。是れ乃ち汝の美なり。舜又申ねて言いて以て重く之を歎美す。

△帝曰、來禹、洚水儆予。成允成功、惟汝賢。克勤于邦、克儉于家、不自滿假、惟汝賢。汝惟不矜、天下莫與汝爭能。汝惟不伐、天下莫與汝爭功。予懋乃德、嘉乃丕績。天之曆數在汝躬。汝終陟元后。洚水、洪水也。古文作降。孟子曰、水逆行、謂之洚水。蓋山崩水渾、下流淤塞。故其逝者輒復反流、而泛濫決溢、洚洞無涯也。其災所起、雖在堯時、然舜旣攝位、害猶未息。故舜以爲天警懼於己。不敢以爲非己之責而自寬也。允、信也。禹奏言而能踐其言。試功而能有其功。所謂成允成功也。禹能如此、則旣賢於人也。而又能勤於王事、儉於私養。此又禹之賢也。有此二美而又能不矜其能、不伐其功。然其功能之實、則自有不可掩者。故舜於此復申命之、必使攝位也。懋、盛大之意。丕、大。績、功也。懋乃德者、禹有是德、而我以爲盛大。嘉乃丕績者、禹有是功、而我以爲嘉美也。曆數者、帝王相繼之次第。猶歲時氣節之先後。汝有盛德大功。故知曆數當歸於汝。汝終當升此大君之位、不可辭也。是時舜方命禹以居攝、未卽天位。故以終陟言也。
【読み】
△帝曰く、來れ禹、洚水予を儆[いまし]む。允を成し功を成すは、惟れ汝の賢なり。克く邦に勤め、克く家に儉[つづま]やかにして、自ら滿假とせざるは、惟れ汝の賢なり。汝惟れ矜[ほこ]らざるも、天下汝と能を爭うもの莫し。汝惟れ伐[ほこ]らざるも、天下汝と功を爭うもの莫し。予れ乃の德を懋[さか]んなりとし、乃の丕績[ひせき]を嘉みす。天の曆數汝の躬に在り。汝終に元后に陟れ。洚水は、洪水なり。古文に降に作る。孟子曰く、水の逆行する、之を洚水と謂う、と。蓋し山崩れ水渾[にご]り、下流淤塞[おそく]す。故に其の逝く者輒[たちま]ち復反流して、泛濫決溢して、洚洞して涯[かぎ]り無し。其の災いの起こる所は、堯の時に在ると雖も、然れども舜旣に位を攝りて、害猶未だ息まず。故に舜以爲えらく、天己を警め懼れしむ、と。敢えて以て己が責に非ずと爲して自ら寬[ゆる]くせず。允は、信なり。禹言を奏して能く其の言を踐む。功を試みて能く其の功有り。所謂允を成し功を成すなり。禹能く此の如くなるときは、則ち旣に人に賢れり。而も又能く王事を勤め、私養に儉やかなり。此れ又禹の賢なり。此の二つの美有りて又能く其の能に矜らず、其の功に伐らず。然も其の功能の實は、則ち自ら掩う可からざる者有り。故に舜此に於て復申ねて之に命じて、必ず位を攝らしむるなり。懋[ぼう]は、盛大の意。丕は、大い。績は、功なり。乃の德を懋んとすとは、禹是の德有りて、我れ以て盛大とす。乃の丕績を嘉みすとは、禹是の功有りて、我れ以て嘉美とす。曆數は、帝王相繼ぐの次第。猶歲時氣節の先後のごとし。汝盛德大功有り。故に知る、曆數當に汝に歸すべきことを。汝終に當に此の大君の位に升るべく、辭す可からず。是の時舜方に禹に命じて以て攝に居らしめ、未だ天位に卽かず。故に終に陟れを以て言えり。

△人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中。心者、人之知覺。主於中而應於外者也。指其發於形氣者而言、則謂之人心、指其發於義理者而言、則謂之道心。人心易私而難公故危。道心難明而易昧故微。惟能精以察之、而不雜形氣之私、一以守之、而純乎義理之正、道心常爲之主、而人心聽命焉、則危者安、微者著。動靜云爲、自無過不及之差、而信能執其中矣。堯之告舜、但曰、允執其中。今舜命禹又推其所以而詳言之。蓋古之聖人、將以天下與人、未嘗不以其治之之法、幷而傳之。其見於經者如此。後之人君、其可不深思而敬守之哉。
【読み】
△人心惟れ危く、道心惟れ微なり。惟れ精しく惟れ一[もっぱ]らにして、允に厥の中を執れ。心は、人の知覺。中に主として外に應ずる者なり。其の形氣に發する者を指して言うときは、則ち之を人心と謂い、其の義理に發する者を指して言うときは、則ち之を道心と謂う。人の心は私なり易くして公なり難き故に危し。道心は明らかにし難くして昧くし易き故に微なり。惟れ能く精しくして以て之を察して、形氣の私を雜えず、一以て之を守りて、義理の正を純らにし、道心常に之が主と爲りて、人の心命を聽くときは、則ち危き者安く、微なる者著る。動靜云爲、自ずから過不及の差い無くして、信に能く其の中を執る。堯の舜に告ぐるに、但曰く、允に其の中を執れ、と。今舜禹に命ずるに又其の所以を推して詳らかに之を言う。蓋し古の聖人、將に天下を以て人に與えんとするに、未だ嘗て其の之を治むるの法を以て、幷せて之を傳えずんばあらず。其の經を見る者此の如し。後の人君、其れ深く思いて之を敬み守らざる可けんや。

△無稽之言勿聽。弗詢之謀勿庸。無稽者、不考於古。弗詢者、不咨於衆。言之無據、謀之自專、是皆一人之私心、必非天下之公論。皆妨政害治之大者也。言、謂泛言。勿聽可矣。謀、謂計事。故又戒其勿用也。上文旣言存心出治之本。此又告之以聽言處事之要。内外相資、而治道備矣。
【読み】
△稽うる無きの言は聽く勿かれ。詢[と]わざるの謀は庸[もち]うる勿かれ。稽うる無しとは、古を考えざるなり。詢わずとは、衆に咨[と]わざるなり。言の據るところ無く、謀の自ら專らなる、是れ皆一人の私心にして、必ず天下の公論に非ず。皆政を妨げ治を害するの大いなる者なり。言は、泛言を謂う。聽くこと勿くして可なり。謀は、事を計るを謂う。故に又戒めらく、其れ用うること勿かれ、と。上の文に旣に心に存して治に出づるの本を言う。此も又之に告ぐるに言を聽き事を處するの要を以てす。内外相資[たす]けて、治道備われり。

△可愛非君、可畏非民。衆非元后何戴。后非衆罔與守邦。欽哉。愼乃有位、敬修其可願。四海困窮、天祿永終。惟口出好興戎。朕言不再。可愛非君乎、可畏非民乎、衆非君、則何所奉戴。君非民、則誰與守邦。欽哉、言不可不敬也。可願、猶孟子所謂可欲。凡可願欲者皆善也。人君當謹其所居之位、敬修其所可願欲者。苟有一毫之不善、生於心、害於政、則民不得其所者多矣。四海之民、至於困窮、則君之天祿、一絕而不復續。豈不深可畏哉。此又極言安危存亡之戒、以深警之。雖知其功德之盛、必不至此、然猶欲其戰戰兢兢、無敢逸豫、而謹之於毫釐之閒。此其所以爲聖人之心也。好、善也。戎、兵也。言發於口、則二者之分、利害之幾、可畏如此。吾之命汝、蓋已審矣。豈復更有他說。蓋欲禹受命而不復辭避也。
【読み】
△愛[めぐ]む可きは君に非ずや、畏る可きは民に非ずや。衆は元后に非ずんば何をか戴かん。后は衆に非ずんば與に邦を守ること罔けん。欽めや。乃の有位を愼み、敬んで其の願う可きを修めよ。四海困窮せば、天祿永く終えん。惟れ口好しみを出だし戎を興す。朕が言再びせず、と。愛む可きは君に非ずや、畏る可きは民に非ずやとは、衆は君に非ずんば、則ち何の奉戴する所あらん。君民に非ずんば、則ち誰と與にか邦を守らん。欽めやとは、言うこころは、敬まずんばある可からざるなり。願う可きとは、猶孟子の所謂欲す可きなり。凡そ願い欲す可き者は皆善なり。人君當に其の居る所の位を謹んで、其の願い欲す可き所の者を敬み修むべし。苟も一毫の不善有りて、心に生り、政を害するときは、則ち民其の所を得ざる者多し。四海の民、困窮に至るときは、則ち君の天祿、一たび絕えて復續かず。豈深く畏る可からざるや。此れ又極めて安危存亡の戒めを言いて、以て深く之を警む。其の功德の盛んなる、必ず此に至らざるを知ると雖も、然れども猶其の戰戰兢兢として、敢えて逸豫すること無くして、之を毫釐の閒に謹まんと欲す。此れ其の聖人の心と爲る所以なり。好は、善きなり。戎は、兵なり。言口に發するときは、則ち二者の分、利害の幾、畏る可きこと此の如し。吾が汝に命ずること、蓋し已に審らかなり。豈復更に他說有らんや。蓋し禹命を受けて復辭避せざることを欲するなり。

△禹曰、枚卜功臣、惟吉之從。帝曰、禹、官占、惟先蔽志、昆命于元龜。朕志先定、詢謀僉同。鬼神其依、龜筮協從。卜不習吉。禹拜稽首固辭。帝曰、毋、惟汝諧。枚卜、歷卜之也。帝之所言、人事已盡、禹不容復辭。但請歷卜有功之臣、而從其吉。冀自有以當之者、而己得遂其辭也。官占、掌占卜之官也。蔽、斷。昆、後。龜、卜。筮、蓍。習、重也。帝言官占之法、先斷其志之所向、然後令之於龜。今我志旣先定、而衆謀皆同。鬼神依順、而龜筮已協從矣。又何用更枚卜乎。況占卜之法、不待重吉也。固辭、再辭也。毋者、禁止之辭。言惟汝可以諧此吉后之位也。
【読み】
△禹曰く、功臣を枚[あまね]く卜いて、惟れ吉きに之れ從わん、と。帝曰く、禹、官占は、惟れ先ず志を蔽[さだ]めて、昆[のち]に元龜に命ず。朕が志先ず定まり、詢謀[じゅんぼう]も僉[みな]同じ。鬼神其れ依り、龜筮協い從えり。卜は吉を習[かさ]ねず、と。禹拜稽首して固辭す。帝曰く、毋かれ、惟れ汝諧[ととの]えよ、と。枚卜は、歷く之を卜うなり。帝の言う所は、人事已に盡きたり、禹復辭す容からず、と。但請う、歷く功有るの臣を卜いて、其の吉きに從わん。冀わくは自ら以て之に當たる者有りて、己其の辭を遂ぐるを得えんことを、と。官占は、占卜を掌るの官なり。蔽は、斷む。昆は、後。龜は、卜。筮は、蓍。習は、重ぬるなり。帝言う、官占の法は、先ず其の志の向かう所を斷めて、然して後に之を龜に令す。今我が志旣に先ず定まりて、衆謀も皆同じ。鬼神も依り順いて、龜筮已に協い從えり。又何を用てか更に枚卜せん。況んや占卜の法は、重ねて吉なるを待たず、と。固辭は、再び辭するなり。毋は、禁止の辭。言うこころは、惟れ汝以て此の吉后の位を諧う可し。

△正月朔旦、受命于神宗。率百官、若帝之初。神宗、堯廟也。蘇氏曰、堯之所從受天下者曰文祖、舜之所從受天下者曰神宗。受天下於人、必告於其人所從受者。禮曰、有虞氏禘黃帝而郊嚳。祖顓頊而宗堯。則神宗爲堯明矣。正月朔旦、禹受攝帝之命于神宗之廟、總率百官、其禮一如帝舜受終之初等事也。
【読み】
△正月朔旦、命を神宗に受く。百官を率い、帝の初めの若し。神宗は、堯の廟なり。蘇氏が曰く、堯の從りて天下を受くる所の者を文祖と曰い、舜の從りて天下を受くる所の者を神宗と曰う。天下を人に受くるときは、必ず其の人の從りて受くる所の者に告す、と。禮に曰く、有虞氏は黃帝を禘して嚳[こく]を郊にす。顓頊[せんぎょく]を祖として堯を宗とす、と。則ち神宗は堯爲ること明らかなり。正月朔旦に、禹帝を攝るの命を神宗の廟に受けて、百官を總べ率いて、其の禮一に帝舜終わりを受くるの初等の事の如し。

△帝曰、咨禹、惟時有苗弗率、汝徂征。禹乃會羣后、誓于師曰、濟濟有衆、咸聽朕命。蠢茲有苗、昏迷不恭、侮慢自賢、反道敗德。君子在野、小人在位。民棄不保。天降之咎。肆予以爾衆士、奉辭伐罪。爾尙一乃心力、其克有勳。蠢、尺尹反。○徂、往也。舜咨嗟言、今天下、惟是有苗之君、不循敎命。汝往征之。征、正也。往正其罪也。會、徵會也。誓、戒也。軍旅曰誓。有會有誓、自唐虞時已然。禮言商作誓、周作會、非也。禹會諸侯之師、而戒誓以征討之意。濟濟、和整衆盛之貌。蠢、動也。蠢蠢然無知之貌。昏、闇。迷、惑也。不恭、不敬也。言苗民昏迷不敬、侮慢於人、妄自尊大、反戾正道、敗壞常德、用舍顚倒、民怨天怒。故我以爾衆士、奉帝之辭、罰苗之罪。爾衆士庶幾同心同力、乃能有功。此上禹誓衆之辭也。林氏曰、堯老而舜攝者二十有八年、舜老而禹攝者十有七年。其居攝也、代總萬機之政。而堯舜之爲天子、蓋自若也。故國有大事、猶稟命焉。禹征有苗、蓋在夫居攝之後、而稟命於舜、禹不敢專也。以征有苗推之、則知舜之誅四凶、亦必稟堯之命無疑。
【読み】
△帝曰く、咨[ああ]禹、惟れ時[こ]の有苗率わず、汝徂いて征せ、と。禹乃ち羣后を會して、師に誓いて曰く、濟濟たる有衆、咸朕が命を聽け。蠢する茲の有苗、昏く迷いて恭しからず、侮り慢りて自ら賢とし、道に反き德を敗る。君子野に在り、小人位に在り。民棄てて保んぜず。天之に咎を降す。肆[ゆえ]に予れ爾衆士を以[い]て、辭を奉[う]け罪を伐つ。爾尙わくは乃の心と力を一にして、其れ克く勳有れ、と。蠢は、尺尹反。○徂は、往くなり。舜咨嗟して言う、今の天下、惟れ是の有苗の君、敎命に循わず。汝往いて之を征せよ、と。征は、正すなり。往いて其の罪を正すなり。會は、徵[め]し會すなり。誓は、戒むなり。軍旅に誓と曰う。會有り誓有ること、唐虞の時より已に然り。禮に言う、商誓を作し、周會を作すとは、非なり。禹諸侯の師を會して、戒め誓うに征討の意を以てす。濟濟は、和整衆盛の貌。蠢は、動くなり。蠢蠢然として知無きの貌。昏は、闇し。迷は、惑うなり。不恭は、不敬なり。言うこころは、苗民昏迷不敬にて、人を侮慢して、妄りに自ら尊大にして、正道を反き戾り、常德を敗り壞り、用舍顚倒して、民怨み天怒る。故に我れ爾衆士を以て、帝の辭を奉けて、苗の罪を罰す。爾衆士庶幾わくは心を同じくし力を同じくして、乃能く功有れ。此より上は禹の衆に誓うの辭なり。林氏が曰く、堯老いて舜攝る者二十有八年、舜老いて禹攝る者十有七年。其の攝に居るや、萬機の政を代わり總ぶ。而して堯舜の天子爲ること、蓋し自若なり。故に國に大事有るときは、猶命を稟く。禹の有苗を征する、蓋し夫の居攝の後に在りて、命を舜に稟くるは、禹敢えて專らにせざればなり。有苗を征するを以て之を推すときは、則ち知る、舜の四凶を誅するも、亦必ず堯の命を稟くること疑い無きを。

△三旬、苗民逆命。益贊于禹曰、惟德動天、無遠弗屆。滿招損、謙受益、時乃天道。帝初于歷山往于田、日號泣于旻天于父母。負罪引慝、祗載見瞽瞍、夔夔齋慄、瞽亦允若。至諴感神、矧茲有苗。禹拜昌言曰、兪。班師振旅。帝乃誕敷文德、舞干羽于兩階。七旬有苗格。屆、音介。旻、音民。諴、音咸。慝、惕德反。矧、音哂。羽、王遇反。○三旬、三十日也。以師臨之閱月、苗頑猶不聽服也。贊、佐。屆、至也。是時益蓋從禹出征。以苗負固恃强未可威服、故贊佐於禹、以爲惟德可以動天。其感通之妙、無遠不至。蓋欲禹還兵、而增修其德也。滿損謙益、卽易所謂天道虧盈而益謙者。帝、舜也。歷山、在河中府河東縣。仁覆閔下、謂之旻。日、非一日也。言舜耕歷山往于田之時、以不獲順於父母之故、而日號呼于旻天于其父母。蓋怨慕之深也。負罪、自負其罪、不敢以爲父母之罪。引慝、自引其慝、不敢以爲父母之慝也。祗、敬。載、事也。瞍、長老之稱。言舜敬其子職之事、以見瞽瞍也。齊、莊敬也。慄、戰慄也。夔夔、莊敬戰慄之容也。舜之敬畏小心、而盡於事親者如此。允、信。若、順也。言舜以誠孝感格、雖瞽瞍頑愚、亦且信順之。卽孟子所謂厎豫也。誠感物曰諴。益又推極至誠之道、以爲神明亦且感格、而況於苗民乎。昌言、盛德之言。拜、所以敬其言也。班、還。振、整也。謂整旅以歸也。或謂出曰班師、入曰振旅。謂班師於有苗之國、而振旅於京師也。誕、大也。文德、文命德敎也。干、楯。羽、翳也。皆舞者所執也。兩階、賓主之階也。七旬、七十日也。格、至也。言班師七旬而有苗來格也。舜之文德、非自禹班師而始敷。苗之來格、非以舞干羽而後至。史臣以禹班師而歸、弛其威武專尙德敎、干羽之舞雍容不迫、有苗之至、適當其時、故作史者、因卽其實、以形容有虞之德。數千載之下、猶可以是而想其一時氣象也。
【読み】
△三旬、苗の民命に逆う。益禹を贊けて曰く、惟れ德の天を動かす、遠しとして屆[いた]らざる無し。滿てるときは損[そ]ぐことを招き、謙るときは益すことを受くは、時れ乃ち天の道なり。帝初め歷山に于て田に往いて、日に旻天に父母に號泣す。罪を負い慝[あ]しきを引き、載を祗[つつし]んで瞽瞍に見え、夔夔[きき]として齋慄せば、瞽も亦允に若[したが]えり。至諴[かん]は神を感ぜしむ、矧んや茲の有苗をや、と。禹昌言を拜して曰く、兪り、と。師を班[かえ]し旅を振[ととの]う。帝乃ち誕[おお]いに文德を敷いて、干羽を兩階に舞わす。七旬にして有苗格る。屆は、音介。旻は、音民。諴は、音咸。慝は、惕德反。矧は、音哂。羽は、王遇反。○三旬は、三十日なり。師を以て之に臨みて月を閱[へ]て、苗頑にして猶聽[したが]い服せず。贊は、佐く。屆は、至るなり。是の時益蓋し禹に從いて出でて征す。苗の固に負い强を恃んで未だ威服す可からざるを以て、故に禹を贊け佐けて、以爲えらく、惟れ德は以て天を動かす可し。其の感通の妙は、遠きとして至らざる無し、と。蓋し禹兵を還して、增々其の德を修めんことを欲す。滿損謙益は、卽ち易に所謂天道は盈を虧きて謙に益すという者なり。帝は、舜なり。歷山は、河中府河東縣に在り。仁覆いて下を閔れむ、之を旻と謂う。日は、一日に非ざるなり。言うこころは、舜歷山に耕し田に往くの時、父母に順なるを獲ざるを以て故に、而も日に旻天に其の父母に號呼す。蓋し怨慕の深きなり。罪を負うとは、自ら其の罪を負いて、敢えて以て父母の罪とせざるなり。慝しきを引くとは、自ら其の慝しきを引いて、敢えて以て父母の慝しきとせざるなり。祗は、敬む。載は、事なり。瞍は、長老の稱。言うこころは、舜其の子職の事を敬んで、以て瞽瞍に見ゆるなり。齊は、莊敬なり。慄は、戰慄なり。夔夔は、莊敬戰慄の容なり。舜の敬畏心を小[せ]めて、親に事るを盡くす者此の如し。允は、信。若は、順うなり。言うこころは、舜の誠孝感格を以て、瞽瞍の頑愚と雖も、亦且つ之を信順せり。卽ち孟子の所謂豫びを厎[いた]すなり。誠の物を感ぜしむるを諴と曰う。益又極めて至誠の道を推して、以爲えらく、神明も亦且つ感格す、而るを況んや苗民に於てをや、と。昌言は、盛德の言。拜は、其の言を敬する所以なり。班は、還る。振は、整うなり。旅を整えて以て歸るを謂うなり。或は出でるを謂いて班師と曰い、入るを振旅と曰う。謂ゆる師を有苗の國より班して、旅を京師に振うなり。誕は、大いなり。文德は、文命德敎なり。干は、楯。羽は、翳[えい]なり。皆舞う者の執る所なり。兩階は、賓主の階なり。七旬は、七十日なり。格は、至るなり。言うこころは、師を班し七旬にして有苗來り格るなり。舜の文德は、禹の師を班して始めて敷くに非ず。苗の來り格るは、干羽を舞うを以て後に至るに非ず。史臣禹の師を班し歸りて、其の威武を弛めて專ら德敎を尙び、干羽の舞雍容にして迫らず、有苗の至ること、適に其の時に當たるを以て、故に史を作る者、因りて其の實に卽いて、以て有虞の德を形容す。數千載の下、猶是を以て其の一時の氣象を想う可し。


皐陶謨 今文古文皆有。
【読み】
○皐陶謨[こうようぼ] 今文古文皆有り。


曰若稽古皐陶曰、允迪厥德、謨明弼諧。禹曰、兪、如何。皐陶曰、都愼厥身修思永。惇敍九族、庶明勵翼。邇可遠在茲。禹拜昌言曰、兪。稽古之下、卽記皐陶之言者、謂考古皐陶之言如此也。皐陶言、爲君而信蹈其德、則臣之所謀者無不明、所弼者無不諧也。兪、如何者、禹然其言而復問其詳也。都者、皐陶美其問也。愼者、言不可不致其謹也。身修、則無言行之失。思永、則非淺近之謀。厚敍九族、則親親恩篤而家齊矣。庶明勵翼、則羣哲勉輔而國治矣。邇、近。茲、此也。言近而可推之遠者在此道也。蓋身修家齊國治而天下平矣。皐陶此言、所以推廣允迪謨明之義。故禹復兪而然之也。○又按典謨皆稱稽古、而下文所記則異。典主記事。故堯舜皆載其實。謨主記言。故禹皐陶則載其謨。后克艱厥后、臣克艱厥臣、禹之謨也。允迪厥德、謨明弼諧、皐陶之謨也。然禹謨之上增文命敷于四海、祗承于帝者、禹受舜天下、非盡皐陶比例。立言輕重、於此可見。
【読み】
曰若[ここ]に古の皐陶を稽うるに曰く、允に厥の德を迪[ふ]むときは、謨[はか]ること明らかに弼け諧[やわ]らぐ、と。禹曰く、兪り、如何、と。皐陶曰く、都[ああ]愼めば厥の身修まり永きを思う。惇く九族を敍ずれば、庶[もろもろ]明らかに勵み翼[たす]く。邇くして遠かる可きは茲に在り、と。禹昌言を拜して曰く、兪り、と。稽古の下に、卽ち皐陶の言を記す者は、謂ゆる古の皐陶の言を考うるに此の如しとなり。皐陶が言うこころは、君と爲りて信に其の德を蹈むときは、則ち臣の謀る所の者明らかならざる無く、弼くる所の者諧らがざる無し。兪り、如何とは、禹其の言を然りとして復其の詳を問うなり。都は、皐陶其の問いを美むるなり。愼は、言うこころは、其の謹みを致さずんばある可からざるなり。身修まるときは、則ち言行の失無し。永きを思うは、則ち淺近の謀に非ず。厚く九族を敍ずるときは、則ち親を親とし恩篤くして家齊まるなり。庶明らかに勵み翼くときは、則ち羣哲勉輔して國治まるなり。邇は、近し。茲は、此なり。言うこころは、近くして之を遠きに推す可き者は此の道に在り。蓋し身修まり家齊まり國治まりて天下平らかなり。皐陶の此の言は、謨ること明らかなるの義を允に迪み推し廣むる所以。故に禹も復兪りとして之を然りとす。○又按ずるに典謨皆稽古と稱して、下の文に記す所は則ち異なり。典は事を記すを主とす。故に堯舜は皆其の實を載す。謨は言を記すを主とす。故に禹皐陶は則ち其の謨を載す。后克く厥の后たるを艱[かた]しとし、臣克く厥の臣たるを艱しとすは、禹の謨なり。允に厥の德を迪むときは、謨ること明らかに弼け諧らぐは、皐陶の謨なり。然れども禹謨の上に文命四海に敷いて、祗[つつし]んで帝に承くという者を增すは、禹は舜の天下を受け、盡くは皐陶の比例に非ず。立言の輕重、此に於て見る可し。

△皐陶曰、都在知人、在安民。禹曰、吁咸若時、惟帝其難之。知人則哲、能官人。安民則惠、黎民懷之。能哲而惠、何憂乎驩兜。何遷乎有苗。何畏乎巧言令色孔壬。皐陶因禹之兪、而復推廣其未盡之旨。歎美其言謂、在於知人、在於安民、二者而已。知人、智之事。安民、仁之事也。禹曰吁者、歎而未深然之辭也。時、是也。帝、謂堯也。言旣在知人、又在安民、二者兼舉、雖帝堯亦難能之。哲、智之明也。惠、仁之愛也。能哲而惠、猶言能知人而安民也。遷、竄。巧、好。令、善。孔、大也。好其言善其色、而大包藏凶惡之人也。言能哲而惠、則智仁兩盡。雖黨惡如驩兜者、不足憂、昏迷如有苗者、不足遷、與夫好言善色、大包藏姦惡者、不足畏。是三者舉不足害吾之治。極言仁智功用如此其大也。或曰、巧言令色孔壬、共工也。禹言三凶、而不及鯀者、爲親者諱也。○楊氏曰、知人安民、此皐陶一篇之體要也。九德而下、知人之事也。天敍有典而下、安民之道也。非知人而能安民者未之有也。
【読み】
△皐陶曰く、都[ああ]人を知るに在り、民を安んずるに在り、と。禹曰く、吁[ああ]咸時[かく]の若きは、惟れ帝も其れ之を難しとす。人を知るは則ち哲にして、能く人を官[つかさ]す。民を安んずるは則ち惠にして、黎民之に懷[なつ]く。能く哲にして惠ならば、何ぞ驩兜[かんとう]を憂えん。何ぞ有苗を遷さんや。何ぞ言を巧[よ]みし色を令[よ]くして孔[おお]いなる壬[ねじ]けするを畏れん、と。皐陶禹の兪[こた]うるに因りて、復其の未だ盡きざるの旨を推し廣む。其の言を歎美して謂く、人を知るに在り、民を安んずるに在り、二つの者なるのみ、と。人を知るは、智の事。民を安んずるは、仁の事なり。禹曰く吁とは、歎じて未だ深く然りとせざるの辭なり。時は、是れなり。帝は、堯を謂うなり。言うこころは、旣に人を知るに在り、又民を安んずるに在り、二つの者兼ね舉ぐるは、帝堯と雖も亦之を能くし難し。哲は、智の明らかなり。惠は、仁の愛なり。能く哲にして惠とは、猶能く人を知りて民を安んずと言うがごとし。遷は、竄[はな]つ。巧は、好。令は、善。孔は、大いなり。其の言を好みし其の色を善くして、大いに凶惡を包み藏すの人なり。言うこころは、能く哲にして惠ならば、則ち智仁兩つながら盡きたり。黨惡なること驩兜の如き者と雖も、憂うるに足らず、昏迷なること有苗の如き者も、遷すに足らず、夫の言を好みし色を善くして、大いに姦惡を包み藏す者も、畏るるに足らず。是の三つの者は舉[みな]吾が治を害するに足らず。極めて仁智の功用此の如く其れ大いなることを言うなり。或ひと曰く、巧言令色孔壬は、共工なり。禹三凶を言いて、鯀に及ばざる者は、親しき者の爲に諱む、と。○楊氏が曰く、人を知り民を安んずるは、此れ皐陶一篇の體要なり。九德よりして下は、人を知るの事なり。天有典を敍ずよりして下は、民を安んずるの道なり。人を知るに非ずして能く民を安んずる者は未だ之れ有らず、と。

△皐陶曰、都亦行有九德。亦言其人有德、乃言曰、載采采。禹曰、何。皐陶曰、寬而栗、柔而立、愿而恭、亂而敬、擾而毅、直而溫、簡而廉、剛而塞、彊而義、彰厥有常、吉哉。亦、總也。亦行有九德者、總言德之見於行者、其凡有九也。亦言其人有德者、總言其人之有德也。載、行。采、事也。總言其人有德、必言其行某事、某事爲可信驗也。禹曰何者、問其九德之目也。寬而栗者、寬弘而莊栗也。柔而立者、柔順而植立也。愿而恭者、謹愿而恭恪也。亂、治也。亂而敬者、有治才而敬畏也。擾、馴也。擾而毅者、馴擾而果毅也。直而溫者、徑直而溫和也。簡而廉者、簡易而廉隅也。剛而塞者、剛健而篤實也。彊而義者、彊勇而好義也。而、轉語辭也。正言而反應者、所以明其德之不偏。皆指其成德之自然。非以彼濟此之謂也。彰、著也。成德著之於身、而又始終有常、其吉矣哉。
【読み】
△皐陶曰く、都[ああ]亦[すべ]て行うこと九德有り。亦て其の人の德有るを言えば、乃ち言いて曰く、載[おこな]うこと采采たり、と。禹曰く、何ぞや、と。皐陶曰く、寬[ゆた]かにして栗[いつく]しみ、柔らかにして立てり、愿[つつし]みて恭しく、亂[おさ]まりて敬めり、擾[な]れて毅[は]たす、直くして溫[やわ]らげり、簡[たやす]くして廉[かど]あり、剛[こわ]くして塞[み]てり、彊くして義[よ]ろし、彰[あらわ]れて厥れ常有れば、吉いかな。亦は、總てなり。亦て行うこと九德有りとは、總て德の行に見るるは、其れ凡て九つ有るを言うなり。亦て其の人の德有るを言うとは、總て其の人の德有るを言うなり。載は、行う。采は、事なり。總て其の人の德有るを言うは、必ず其れ某の事を行うに、某の事を信驗す可きを爲すを言うなり。禹曰く何ぞやとは、其の九德の目を問うなり。寬にして栗とは、寬弘にして莊栗なり。柔にして立とは、柔順にして植立なり。愿にして恭とは、謹愿にして恭恪なり。亂は、治むるなり。亂にして敬とは、治才有りて敬畏なり。擾は、馴るるなり。擾にして毅とは、馴擾して果毅なり。直にして溫とは、徑直にして溫和なり。簡にして廉とは、簡易にして廉隅なり。剛にして塞とは、剛健にして篤實なり。彊にして義とは、彊勇にして義を好むなり。而は、轉語の辭なり。正言にして反って應ずる者は、其の德の偏らざるを明かす所以。皆其の成德の自然を指す。彼を以て此を濟[わた]すの謂に非ざるなり。彰は、著るなり。成德之を身に著して、又始終常有り、其れ吉なるかな。

△日宣三德、夙夜浚明有家。日嚴祗敬六德、亮采有邦。翕受敷施、九德咸事、俊乂在官、百僚師師、百工惟時、撫于五辰、庶績其凝。浚、音峻。○宣、明也。三德・六德者、九德之中有其三、其六也。浚、治也。亮、亦明也。有家、大夫也。有邦、諸侯也。浚明・亮采、皆言家邦政事明治之義。氣象則有小大之不同。三德而爲大夫、六德而爲諸侯、以德之多寡、職之大小、槩言之也。夫九德有其三、必日宣而充廣之、而使之益以著、九德有其六、尤必日嚴而祗敬之、而使之益以謹也。翕、合也。德之多寡雖不同、人君惟能合而受之、布而用之。如此、則九德之人、咸事其事、大而千人之俊、小而百人之乂、皆在官使、以天下之才、任天下之治。唐虞之朝、下無遺才、而上無廢事者、良以此也。師師、相師法也。言百僚皆相師法、而百工皆及時以趨事也。百僚百工、皆謂百官。言其人之相師、則曰百僚、言其人之趨事、則曰百工、其實一也。撫、順也。五辰、四時也。木火金水旺於四時、而土則寄旺於四季也。禮運曰、播五行於四時者、是也。凝、成也。言百工趨時、而衆功皆成也。
【読み】
△日に三德を宣[あき]らかにして、夙夜浚[おさ]め明らかにすれば家を有つ。日に嚴かに六德を祗み敬んで、采[こと]を亮らかにすれば邦を有つ。翕[あ]わせ受け敷き施して、九德咸事とすれば、俊乂[がい]官に在り、百僚師師し、百工惟れ時とし、五辰に撫[したが]いて、庶績其れ凝[な]らん。浚は、音峻。○宣は、明らかなり。三德・六德は、九德の中に其の三、其の六有るなり。浚は、治むるなり。亮も、亦明らかなり。家を有つは、大夫なり。邦を有つは、諸侯なり。浚明・亮采は、皆家邦政事明治の義を言う。氣象には則ち小大の同じからざる有り。三德にして大夫とし、六德にして諸侯とするは、德の多寡、職の大小を以て、槩ね之を言えり。夫れ九德に其の三有れば、必ず日に宣らかにして之を充ち廣めて、之をして益々以て著さしめ、九德に其の六有れば、尤も必ず日に嚴かにして之を祗み敬んで、之をして益々以て謹ましむ。翕は、合うなり。德の多寡同じからずと雖も、人君惟れ能く合いて之を受けて、布いて之を用ゆ。此の如くなれば、則ち九德の人、咸其の事を事とし、大にして千人の俊、小にして百人の乂、皆官使に在り、天下の才を以て、天下の治を任ず。唐虞の朝、下に遺才無くして、上に廢する事無き者は、良[まこと]に此を以てなり。師師は、相師法とするなり。言うこころは、百僚皆相師法として、百工皆時に及んで以て事に趨[したが]うなり。百僚百工は、皆百官を謂う。其の人の相師とするを言うときは、則ち百僚と曰い、其の人の事に趨うを言うときは、則ち百工と曰い、其の實は一なり。撫は、順うなり。五辰は、四時なり。木火金水は四時に旺んにして、土は則ち四季に寄旺す。禮運に曰く、五行を四時に播[し]くとは、是れなり。凝は、成るなり。言うこころは、百工時に趨いて、衆功皆成るなり。

△無敎逸欲有邦。兢兢業業、一日二日萬幾。無曠庶官。天工人其代之。無與母通。禁止之辭。敎、非必敎令、謂上行而下效也。言天子當以勤儉率諸侯。不可以逸欲導之也。兢兢、戒謹也。業業、危懼也。幾、微也。易曰、惟幾也。故能成天下之務。蓋禍患之幾藏於細微、而非常人之所豫見。及其著也、則雖智者不能善其後。故聖人於幾、則兢業以圖之。所謂圖難於其易、爲大於其細者此也。一日二日者、言其日之至淺。萬幾者、言其幾事之至多也。蓋一日二日之閒、事幾之來且至萬焉、是可一日而縱欲乎。曠、廢也。言不可用非才而使庶官、曠廢厥職也。天工、天之工也。人君代天理物。庶官所治無非天事。苟一職之或曠、則天工廢矣。可不深戒哉。
【読み】
△逸欲を敎うること無きは邦を有つ。兢兢業業として、一日二日に萬幾あり。庶官を曠[むな]しくすること無かれ。天工は人其れ之に代わる。無と母とは通ず。禁止の辭なり。敎は、必ずしも敎令に非ず、謂ゆる上行いて下效うなり。言うこころは、天子は當に勤儉を以て諸侯を率ゆべし。逸欲を以て之を導く可からず。兢兢は、戒謹なり。業業は、危懼なり。幾は、微なり。易に曰く、惟幾をす。故に能く天下の務めを成す、と。蓋し禍患の幾は細微に藏れて、常の人の豫め見る所に非ず。其の著るるに及んでは、則ち智者と雖も其の後を善くすること能わず。故に聖人の幾に於る、則ち兢業として以て之を圖る。所謂難きを其の易きに圖り、大なるを其の細なるに爲すとは此れなり。一日二日は、其の日の至って淺きを言う。萬幾は、其の幾事の至って多きを言うなり。蓋し一日二日の閒、事幾の來り且つ萬に至る、是れ一日として欲を縱にす可けんや。曠は、廢るなり。言うこころは、非才を用いて庶官をして、厥の職を曠廢す可からず。天工は、天の工なり。人君は天に代わり物を理む。庶官の治むる所は天事に非ざる無し。苟も一職の曠しくすること或れば、則ち天工廢る。深く戒めざる可けんや。

△天敍有典。勑我五典、五惇哉。天秩有禮。自我五禮、有庸哉。同寅協恭、和衷哉。天命有德。五服五章哉。天討有罪。五刑五用哉。政事懋哉懋哉。衷、音中。○敍者、君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友之倫敍也。秩者、尊卑貴賤、等級隆殺之品秩也。勑、正。惇、厚。庸、常也。有庸、馬本作五庸。衷、降衷之衷、卽所謂典禮也。典禮雖天所敍秩、然正之使敍倫而益厚、用之使品秩而有常、則在我而已。故君臣當同其寅畏、協其恭敬、誠一無閒、融會流通、而民彛物則、各得其正。所謂和衷也。章、顯也。五服、五等之服。自九章以至一章是也。言天命有德之人、則五等之服以彰顯之。天討有罪之人、則五等之刑以懲戒之。蓋爵賞刑罰、乃人君之政事。君主之、臣用之。當勉勉而不可怠者也。○楊氏曰、典禮自天子出。故言勑我自我。若夫爵人於朝、與衆共之。刑人於市、與衆棄之。天子不得而私焉。此其立言之異也。
【読み】
△天有典を敍ず。我が五典を勑[ただ]しくして、五つながら惇[あつ]くせよ。天有禮を秩ず。我が五禮によりて、庸[つね]有らんや。寅[つつし]みを同じくし恭しきを協えて、和衷ならんや。天有德に命ず。五服もて五つながら章らかにせよ。天有罪を討つ。五刑もて五つながら用いよ。政事懋[つと]めよや懋めよや。衷は、音中。○敍は、君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友の倫敍なり。秩は、尊卑貴賤、等級隆殺の品秩なり。勑は、正す。惇は、厚き。庸は、常なり。有庸は、馬が本に五庸に作る。衷は、降衷の衷、卽ち所謂典禮なり。典禮は天の敍秩する所と雖も、然れども之を正しくして敍倫をして益々厚からしめ、之を用いて品秩をして常有らしむるは、則ち我に在るのみ。故に君臣當に其の寅み畏るるを同じくし、其の恭敬を協えば、誠一にして閒て無く、融會流通して、民彛物則、各々其の正しきを得。所謂和衷なり。章は、顯らかなり。五服は、五等の服。九章より以て一章に至るは是れなり。言うこころは、天有德の人に命じて、則ち五等の服以て之を彰顯す。天有罪の人を討して、則ち五等の刑以て之を懲戒す。蓋し爵賞刑罰は、乃ち人君の政事。君之を主り、臣之を用ゆ。當に勉勉として怠る可からざるべき者なり。○楊氏が曰く、典禮は天子より出づ。故に我を勑しくし我よりと言う。若し夫れ人を朝に爵すれば、衆と之を共にす。人を市に刑すれば、衆と之を棄つ。天子は得て私せず。此れ其の立言の異なり、と。

△天聰明、自我民聰明。天明畏、自我民明威。達于上下。敬哉有土。威、古文作畏。二字通用。明者、顯其善。畏者、威其惡。天之聰明、非有視聽也。因民之視聽、以爲聰明。天之明畏、非有好惡也。因民之好惡、以爲明畏。上下、上天下民也。敬、心無所慢也。有土、有民社也。言天人一理、通達無閒、民心所存卽天理之所在。而吾心之敬、是又合天民而一之者也。有天下者、可不知所以敬之哉。
【読み】
△天の聰明は、我が民によりて聰明なり。天の明畏は、我が民によりて明威なり。上下に達[いた]る。敬めや有土、と。威は、古文に畏に作る。二字通用す。明は、其の善を顯らかにす。畏は、其の惡を威す。天の聰明は、視聽有るに非ず。民の視聽に因りて、以て聰明を爲す。天の明畏は、好惡有るに非ず。民の好惡に因りて、以て明畏を爲す。上下は、上天下民なり。敬は、心の慢る所無きなり。有土は、民の社有るなり。言うこころは、天人一理、通達閒て無く、民心の存する所は卽ち天理の在る所。而して吾が心の敬も、是れ又天民を合わせて之を一にする者なり。天下を有つ者、之を敬む所以を知らざる可けんや。

△皐陶曰、朕言惠、可厎行。禹曰、兪、乃言厎可績。皐陶曰、予未有知。思曰贊贊襄哉。思曰之曰當作日。襄、成也。皐陶謂我所言順於理、可致之於行。禹然其言、以爲致之於行、信可有功。皐陶謙辭。我未有所知。言不敢計功也。惟思日贊助於帝、以成其治而已。
【読み】
△皐陶曰く、朕が言惠[したが]えり、行うことを厎[いた]す可し、と。禹曰く、兪り、乃の言厎して績とす可し、と。皐陶曰く、予れ未だ知ること有らず。日に贊贊として襄[な]さんことを思う、と。思曰の曰は當に日に作るべし。襄は、成すなり。皐陶が謂ゆる我が言う所理に順わば、之を行に致す可し、と。禹其の言を然りとして、以爲えらく、之を行に致さば、信に功有る可し、と。皐陶謙辭す。我れ未だ知る所有らず、と。言敢えて功を計らざるなり。惟思う、日に帝を贊け助けて、以て其の治を成さんのみ、と。


益稷 今文古文皆有。但今文合於皐陶謨。帝曰、來禹汝亦昌言、正與上篇末文勢接續。古者簡册、以竹爲之。而所編之簡、不可以多。故釐而二之。非有意於其閒也。以下文禹稱益稷二人佐其成功、因以名篇。
【読み】
○益稷[えきしょく] 今文古文皆有り。但今文は皐陶謨に合す。帝曰く、來れ禹汝も亦昌言せよとは、正に上の篇の末の文勢と接續す。古は簡册、竹を以て之を爲る。而して編む所の簡は、以て多くす可からず。故に釐[あらた]めて之を二つにす。其の閒に意有るに非ず。下の文に禹益稷二人の其の成功を佐くるを稱するを以て、因りて以て篇に名づく。


帝曰、來禹、汝亦昌言。禹拜曰、都帝、予何言。予思日孜孜。皐陶曰、吁如何。禹曰、洪水滔天、浩浩懷山襄陵、下民昏墊。予乘四載、隨山刋木、曁益奏庶鮮食。予決九川、距四海、濬畎澮、距川、曁稷播奏庶艱食鮮食。懋遷有無化居、烝民乃粒、萬邦作乂。皐陶曰、兪、師汝昌言。孜、音茲。墊、都念反。畎、古泫反。○孜孜者、勉力不怠之謂。帝以皐陶旣陳知人安民之謨、因呼禹使陳其言。禹拜而歎美。謂皐陶之謨至矣。我更何所言。惟思日勉勉以務事功而已。觀此則上篇禹皐陶答問者、蓋相與言於帝舜之前也。如何者、皐陶問其孜孜者如何也。禹言往者洪水泛溢、上漫于天、浩浩盛大、包山上陵、下民昬瞀墊溺、困於水災、如此之甚也。四載、水乘舟、陸乘車、泥乘輴、山乘樏也。輴、史記作橇、漢書作毳。以板爲之。其狀如箕。擿行泥上。樏、史記作橋、漢書作梮。以鐵爲之。其形似錐。長半寸、施之履下、以上山、不蹉跌也。蓋禹治水之時、乘此四載、以跋履山川、踐行險阻者。隨、循。刋、除也。左傳云、井堙木刋。刋、除木之義也。蓋水涌不洩、泛濫瀰漫、地之平者無非水也。其可見者山耳。故必循山伐木、通蔽障、開道路、而後水工可興也。奏、進也。血食曰鮮。水土未平、民未粒食、與益進衆鳥獸魚鱉之肉於民、使食以充飽也。九川、九州之川也。距、至。濬、深也。周禮一畝之閒、廣尺深尺曰畎、一同之閒、廣二尋深二仭曰澮。畎澮之閒、有遂有溝有洫、皆通田閒水道、以小注大。言畎澮而不及遂・溝・洫者、舉小大以包其餘也。先決九川之水、使各通於海。次濬畎澮之水、使各通于川也。播、布也。謂布種五穀也。艱、難也。水平播種之初、民尙艱食也。懋、勉也。懋勉其民、徙有於無、交易變化其所居積之貨也。烝、衆也。米食曰粒。蓋水患悉平、民得播種之利、而山林川澤之貨、又有無相通以濟匱乏、然後庶民粒食、萬邦興起治功也。禹因孜孜之義、述其治水本末先後之詳、而警戒之意、實存於其閒。蓋欲君臣上下、相與勉力不怠、以保其治於無窮而已。師、法也。皐陶以其言爲可師法也。
【読み】
帝曰く、來れ禹、汝も亦昌言せよ、と。禹拜して曰く、都[ああ]帝、予れ何をか言わん。予れ思いて日に孜孜せん、と。皐陶曰く、吁[ああ]如何、と。禹曰く、洪水天に滔[はびこ]り、浩浩として山を懷[か]ね陵に襄[のぼ]り、下民昏墊[こんてん]す。予れ四載に乘りて、山に隨い木を刋[き]り、益と庶[もろもろ]に奏めて鮮食せしむ。予れ九川を決[さく]り、四海に距[いた]り、畎澮[けんかい]を濬[さら]えて川に距り、稷と播[ほどこ]して庶の食い艱[がた]きに奏めて鮮食せしむ。懋[つと]めて有無を遷して居[おきもの]を化え、烝民乃ち粒し、萬邦乂[おさ]まれるを作す、と。皐陶曰く、兪り、汝の昌言を師[のり]とす、と。孜は、音茲。墊は、都念反。畎は、古泫反。○孜孜は、勉め力めて怠らざるの謂なり。帝皐陶の旣に人を知り民を安んずるの謨を陳ぶるを以て、因りて禹を呼びて其の言を陳べしむ。禹拜して歎美す。謂ゆる皐陶の謨至れり。我れ更に何の言う所あらん。惟思う、日に勉勉として以て事功を務めんのみ、と。此を觀れば則ち上の篇の禹皐陶答問する者、蓋し相與に帝舜の前に言うならん。如何とは、皐陶其の孜孜たる者如何と問うなり。禹言う、往[さき]には洪水泛溢して、上天に漫[はびこ]り、浩浩盛大にして、山を包ね陵に上り、下民昏瞀[こんぼう]墊溺して、水災に困しむこと、此の如く甚だし、と。四載は、水には舟に乘り、陸には車に乘り、泥には輴[そり]に乘り、山には樏[かんじき]に乘るなり。輴は、史記には橇[せい]に作り、漢書には毳[ぜい]に作る。板を以て之を爲る。其の狀は箕の如し。泥の上を擿行[てきこう]す。樏は、史記には橋に作り、漢書には梮[きょく]に作る。鐵を以て之を爲る。其の形は錐に似たり。長さ半寸、之を履の下に施して、以て山に上るに、蹉跌せざるなり。蓋し禹水を治むるの時、此の四載に乘りて、以て山川を跋履し、險阻を踐行する者なり。隨は、循う。刋は、除くなり。左傳に云う、井を堙[ふさ]ぎ木を刋る、と。刋は、木を除く義なり。蓋し水涌いて洩れず、泛濫瀰漫して、地の平らかなる者は水に非ざる無し。其れ見る可き者は山のみ。故に必ず山に循いて木を伐り、蔽障を通じ、道路を開いて、而して後に水工興す可し。奏は、進むなり。血食を鮮と曰う。水土未だ平らかならず、民未だ粒食せず、益と衆の鳥獸魚鱉の肉を民に進めて、食して以て充て飽かしむ。九川は、九州の川なり。距は、至る。濬は、深きなり。周禮に一畝の閒、廣さ尺深さ尺を畎と曰い、一同の閒、廣さ二尋深さ二仭を澮と曰う、と。畎澮の閒に、遂有り溝有り洫有り、皆田閒の水道を通じ、小を以て大に注ぐ。畎澮を言いて遂・溝・洫に及ばざるは、小大を舉げて以て其の餘を包ぬるなり。先ず九川の水を決りて、各々海に通ぜしむ。次に畎澮の水を濬えて、各々川に通ぜしむ。播は、布くなり。五穀を布種するを謂うなり。艱は、難きなり。水平らいで播種の初めは、民尙食し艱し。懋[ぼう]は、勉むるなり。其の民を懋め勉めて、有を無に徙[うつ]し、其の居積する所の貨を交易變化するなり。烝は、衆なり。米食を粒と曰う。蓋し水患悉く平らいで、民播種の利を得て、山林川澤の貨、又有無相通じて以て匱乏を濟[すく]い、然して後に庶民粒食し、萬邦治功を興起す。禹孜孜の義に因りて、其の水を治むる本末先後の詳を述べて、警戒の意、實に其の閒に存す。蓋し君臣上下、相與に勉め力めて怠らずして、以て其の治を無窮に保たんことを欲するのみ。師は、法なり。皐陶其の言を以て師法とす可しとなり。

△禹曰、都帝、愼乃在位。帝曰、兪。禹曰、安汝止、惟幾惟康。其弼直、惟動丕應、徯志以昭受上帝。天其申命用休。禹旣歎美、又特稱帝以告之、所以起其聽也。愼乃有位者、謹其在天子之位也。天位惟艱。一念不謹、或以貽四海之憂。一日不謹、或以致千百年患。帝深然之、而禹又推其所以謹在位之意、如下文所云也。止者、心之所止也。人心之靈、事事物物、莫不有至善之所。而不可遷者。人惟私欲之念、動搖其中、始有昧於理、而不得其所止者。安之云者、順適乎道心之正、而不陷於人欲之危、動靜云爲、各得其當、而無有止而不得其止者。惟幾、所以審其事之發。惟康、所以省其事之安。卽下文庶事康哉之義。至於左右輔弼之臣、又皆盡其繩愆糾繆之職、内外交修、無有不至。若是則是惟無作、作則天下無不丕應。固有先意而徯我者。以是昭受于天。天豈不重命而用休美乎。
【読み】
△禹曰く、都[ああ]帝、乃の位に在るを愼め、と。帝曰く、兪り、と。禹曰く、汝の止まりに安んじ、惟れ幾[きざ]して惟れ康んぜよ。其れ弼けて直きときは、惟れ動いて丕[おお]いに應え、志を徯[ま]ちて以て昭らかに上帝に受く。天其れ申ねて命ずるに休[よ]きを用てせん、と。禹旣に歎美して、又特に帝を稱して以て之に告ぐるは、其の聽を起こす所以なり。乃の位に有るを愼めとは、其の天子の位に在るを謹むなり。天位惟れ艱し。一念謹まざれば、或は以て四海の憂えを貽[のこ]す。一日謹まざれば、或は以て千百年の患えを致す。帝深く之を然りとして、禹も又其の在位を謹む所以の意を推すこと、下の文に云う所の如し。止とは、心の止まる所なり。人心の靈は、事事物物、至善の所有らざる莫し。而して遷る可からざる者なり。人惟れ私欲の念、其の中に動搖すれば、始めて理に昧くして、其の止まる所を得ざる者有り。之を安んずと云うは、道心の正しきに順適して、人欲の危うきに陷らず、動靜云爲、各々其の當たることを得て、止まること有りて其の止まりを得ざる者無し。惟れ幾すとは、其の事の發を審らかにする所以なり。惟れ康んずとは、其の事の安んずるを省みる所以なり。卽ち下の文の庶事康いかなの義なり。左右輔弼の臣に至りて、又皆其の愆[あやま]りを繩[ただ]し繆を糾すの職を盡くし、内外交々修めて、至らざること有る無し。是の若くなれば則ち是れ惟れ作すこと無く、作すときは則ち天下丕いに應ぜざること無し。固に意に先んじて我を徯つ者有り。是を以て昭らかに天に受く。天豈重ねて命ずるに休美を用てせざらんや。

△帝曰、吁臣哉鄰哉、鄰哉臣哉。禹曰、兪。鄰、左右輔弼也。臣以人言、鄰以職言。帝深感上文弼直之語。故曰吁。臣哉鄰哉、鄰哉臣哉、反復歎詠、以見弼直之義。如此其重、而不可忽。禹卽兪而然之也。
【読み】
△帝曰く、吁[ああ]臣なるかな鄰なるかな、鄰なるかな臣なるかな、と。禹曰く、兪り、と。鄰は、左右の輔弼なり。臣は人を以て言い、鄰は職を以て言う。帝深く上の文の弼直の語を感ず。故に吁と曰う。臣なるかな鄰なるかな、鄰なるかな臣なるかなとは、反復歎詠して、以て弼直の義を見す。此の如く其れ重くして、忽にす可からず。禹卽ち兪りとして之を然りとす。

△帝曰、臣作朕股肱耳目。予欲左右有民。汝翼。予欲宣力四方。汝爲。予欲觀古人之象。日・月・星辰・山・龍・華蟲作會、宗彝・藻・火・粉米・黼・黻、絺繡以五采、彰施于五色、作服。汝明。予欲聞六律・五聲・八音、在治忽、以出納五言。汝聽。黼、音甫。黻、音弗。出、尺類反。○此言臣所以爲鄰之義也。君、元首也。君資臣以爲助。猶元首須股肱耳目以爲用也。下文翼・爲・明・聽、卽作股肱耳目之義。左右者、輔翼也。猶孟子所謂輔之翼之使自得之也。宣力者、宣布其力也。言我欲左右有民、則資汝以爲助、欲宣力四方、則資汝以有爲也。象、像也。日月以下物象是也。易曰、黃帝堯舜埀衣裳而天下治、蓋取諸乾坤、則上衣下裳之制、創自黃帝而成於堯舜也。日月星辰、取其照臨也。山、取其鎭也。龍、取其變也。華蟲、雉也。取其文也。會、繪也。宗彝、虎蜼。取其孝也。藻、水草。取其潔也。火、取其明也。粉米、白米。取其養也。黼、若斧形。取其斷也。黻、爲兩己相背。取其辨也。絺、鄭氏讀爲黹。紩也。紩以爲繡也。日也、月也、星辰也、山也、龍也、華蟲也、六者繪之於衣。宗彝也、藻也、火也、粉米也、黼也、黻也、六者繡之於裳。所謂十二章也。衣之六章、其序自上而下、裳之六章、其序自下而上。采者、靑黃赤白黑也。色者言施之於帛也。繪於衣、繡於裳、皆雜施五采、以爲五色也。汝明者、汝當明其小大尊卑之差等也。又按周禮、以日月星辰畫於旂、冕服九章、登龍於山、登火於宗彝、以龍山華蟲火宗彝五者繪於衣、以藻粉黼黻四者繡於裳、袞冕九章、以龍爲首、鷩冕七章、以華蟲爲首、毳冕五章、以虎蜼爲首。蓋亦增損有虞之制而爲之耳。六律、陽律也。不言六呂者、陽統陰也。有律而後有聲。有聲而後八音得以依據。故六律五聲八音、言之敍如此也。在、察也。忽、治之反也。聲音之道與政通。故審音以知樂、審樂以知政。而治之得失可知也。五言者、詩歌之協於五聲者也。自上達下謂之出、自下達上謂之納。汝聽者、言汝當審樂而察政治之得失者也。
【読み】
△帝曰く、臣は朕が股肱耳目作[た]り。予れ有民を左右せんと欲す。汝翼けよ。予れ力を四方に宣べんと欲す。汝爲せよ。予れ古人の象を觀んと欲す。日・月・星辰・山・龍・華蟲會[えが]くことを作し、宗彝・藻・火・粉米・黼・黻、繡を絺[ぬ]うに五采を以てし、彰らかに五色を施して、服と作[せ]ん。汝明らかにせよ。予れ六律・五聲・八音を聞いて、治まり忽[みだ]るを在[あき]らかにして、以て五つの言を出だし納れんと欲す。汝聽け。黼は、音甫。黻は、音弗。出は、尺類反。○此れ臣は鄰爲る所以の義を言うなり。君は、元首なり。君は臣に資[よ]りて以て助けを爲す。猶元首の股肱耳目を須[もち]いて以て用を爲すがごとし。下の文の翼・爲・明・聽は、卽ち股肱耳目の義作り。左右は、輔翼なり。猶孟子の所謂之を輔け之を翼けて自ら之を得せしむというがごとし。力を宣ぶるとは、其の力を宣べ布くなり。言うこころは、我れ有民を左右せんと欲するときは、則ち汝に資りて以て助けを爲し、力を四方に宣べんと欲するときは、則ち汝に資りて以て爲すこと有るなり。象は、像なり。日月以下の物象是れなり。易に曰く、黃帝堯舜衣裳を埀れて天下治まるは、蓋し諸を乾坤に取るならんとは、則ち上衣下裳の制、黃帝より創まりて堯舜に成るなり。日月星辰は、其の照臨を取れり。山は、其の鎭まれるを取れり。龍は、其の變を取れり。華蟲は、雉なり。其の文を取れり。會は、繪くなり。宗彝は、虎と蜼[さる]。其の孝を取れり。藻は、水草。其の潔きを取れり。火は、其の明を取れり。粉米は、白米。其の養を取れり。黼は、斧の形の若し。其の斷てるを取れり。黻は、兩己相背くを爲す。其の辨れるを取れり。絺は、鄭氏讀んで黹[ち]とす。紩[ちつ]なり。紩以て繡を爲すなり。日や、月や、星辰や、山や、龍や、華蟲や、六つの者は之を衣に繪く。宗彝や、藻や、火や、粉米や、黼や、黻や、六つの者は之を裳に繡す。所謂十二章なり。衣の六章は、其の序は上よりして下、裳の六章は、其の序は下よりして上なり。采は、靑黃赤白黑なり。色は之を帛[そうはく]に施すを言うなり。衣に繪き、裳に繡すること、皆五采を雜え施して、以て五色を爲すなり。汝明らかにせよとは、汝當に其の小大尊卑の差等を明らかにすべしとなり。又按ずるに周禮に、日月星辰を以て旂[はた]に畫き、冕服九章は、龍を山に登[あ]げ、火を宗彝に登げ、龍山華蟲火宗彝の五つの者を以て衣に繪き、藻粉黼黻の四つの者を以て裳に繡し、袞冕九章は、龍を以て首めと爲し、鷩[へつ]冕七章は、華蟲を以て首めと爲し、毳[ぜい]冕五章は、虎蜼を以て首と爲す、と。蓋し亦有虞の制を增損して之を爲すのみ。六律は、陽律なり。六呂と言わざるは、陽は陰を統ぶればなり。律有りて後に聲有り。聲有りて後に八音以て依り據ることを得。故に六律五聲八音と、言の敍此の如し。在は、察らかにするなり。忽は、治の反なり。聲音の道は政と通ず。故に音を審らかにして以て樂を知り、樂を審らかにして以て政を知る。而して治の得失知る可し。五言とは、詩歌の五聲に協える者なり。上より下に達するを之を出と謂い、下より上に達するを之を納と謂う。汝聽けとは、言うこころは、汝當に樂を審らかにして政治の得失を察らかにすべしという者なり。

△予違、汝弼。汝無面從、退有後言。欽四鄰。違、戾也。言我有違戾於道、爾當弼正其失。爾無面諛以爲是、而背毀以爲非。不可不敬爾鄰之職也。申結上文弼直鄰哉之義、而深責之禹者如此。
【読み】
△予れ違わば、汝弼けよ。汝面從して、退いて後言有ること無かれ。四鄰を欽め。違は、戾るなり。言うこころは、我れ道に違い戾ること有らば、爾當に弼けて其の失を正すべし。爾面諛して以て是と爲して、背き毀てて以て非と爲すこと無かれ。爾鄰たるの職を敬まずんばある可からず。申ねて上の文の弼け直くし鄰なるかなの義を結んで、深く之を禹に責むる者此の如し。

△庶頑讒說、若不在時、侯以明之、撻以記之、書用識哉。欲竝生哉。工以納言、時而颺之、格則承之庸之、否則威之。識、音志。颺、音揚。否、俯久反。○此因上文而慮庶頑讒說之不忠不直也。讒說、卽舜所堲者。時、是也。在是、指忠直爲言。侯、射侯也。明者、欲明其果頑愚讒說與否也。蓋射所以觀德。頑愚讒說之人、其心不正、則形乎四體、布乎動靜、其容體必不能比於禮、其節奏必不能比於樂、其中必不能多。審如是、則其爲頑愚讒說也必矣。周禮王大射、則供虎侯・熊侯・豹侯、諸侯供熊侯・豹侯、卿大夫供麋侯、皆設其鵠。又梓人爲侯、廣與崇方三分其廣、而鵠居一焉。應古制亦不相遠也。撻、扑也。卽扑作敎刑者、蓋懲之使記而不忘也。識、誌也。錄其過惡以識于册。如周制郷黨之官、以時書民之孝悌睦婣有學者也。聖人不忍以頑愚讒說而遽棄之、用此三者之敎。啓其憤、發其悱、使之遷善改過、欲其竝生於天地之閒也。工、掌樂之官也。格、有恥且格之格。謂改過也。承、薦也。聖人於庶頑讒說之人、旣有以啓發其憤悱遷善之心、而又命掌樂之官、以其所納之言、時而颺之、以觀其改過與否。如其改也、則進之用之。如其不改、然後刑以威之。以見聖人之敎、無所不極其至。必不得已焉、而後威之。其不忍輕於棄人也如此。此卽龍之所典、而此命伯禹總之也。
【読み】
△庶頑讒說、若し時[ここ]に在[あき]らかならずんば、侯以て之を明らかにし、撻以て之を記し、書用て識さん。竝び生かさんことを欲す。工以て言を納れ、時にして之を颺[あ]げ、格れば則ち之を承[すす]め之を庸[もち]い、否[しか]らざれば則ち之を威せ、と。識は、音志。颺[よう]は、音揚。否は、俯久反。○此れ上の文に因りて庶頑讒說の不忠不直を慮るなり。讒說は、卽ち舜の堲[にく]む所の者。時は、是れなり。是に在らかとは、忠直を指して言とす。侯は、射侯なり。明とは、其の果たして頑愚讒說なるか否らざるかを明らかにせんと欲するなり。蓋し射は德を觀す所以。頑愚讒說の人、其の心正しからざれば、則ち四體に形れ、動靜に布き、其の容體は必ず禮に比すこと能わず、其の節奏は必ず樂に比すこと能わず、其の中ること必ず多きこと能わず。是の如く審らかなるときは、則ち其の頑愚讒說爲ること必せり。周禮に王大射するときは、則ち虎侯・熊侯・豹侯を供し、諸侯は熊侯・豹侯を供し、卿大夫は麋[び]侯を供して、皆其の鵠を設く、と。又梓人侯を爲るに、廣さと崇さとは方に其の廣さを三分にして、鵠一に居る。應に古制も亦相遠からざるべし。撻は、扑[むちう]つなり。卽ち扑の敎刑を作すは、蓋し之を懲らして記して忘れざらしむるなり。識は、誌なり。其の過惡を錄して以て册に識す。周の制の郷黨の官の、時を以て民の孝悌睦婣[ぼくいん]學有る者を書くが如し。聖人頑愚讒說を以て遽に之を棄つるに忍びず、此の三つの者の敎を用ゆ。其の憤を啓き、其の悱[ひ]を發し、之をして善に遷り過ちを改めしめて、其の天地の閒に竝び生かんさことを欲するなり。工は、樂を掌るの官なり。格は、恥有りて且つ格るの格。過ちを改むるを謂うなり。承は、薦むなり。聖人庶頑讒說の人に於て、旣に以て其の憤悱善に遷るの心を啓發すること有りて、又樂を掌るの官に命じて、其の納るる所の言を以て、時として之を颺げて、以て其の過ちを改むると否とを觀る。如し其れ改むるときは、則ち之を進めて之を用ゆ。如し其れ改めずして、然して後に刑以て之を威す。以て聖人の敎、其の至りを極めざる所無きを見す。必ず已むことを得ずして、後に之を威す。其の輕く人を棄つるに忍びざること此の如し。此れ卽ち龍が典たる所にして、此れ伯禹に命じて之を總ぶるなり。

△禹曰、兪哉。帝光天之下、至于海隅蒼生。萬邦黎獻、共惟帝臣。惟帝時舉。敷納以言、明庶以功、車服以庸、誰敢不讓、敢不敬應。帝不時、敷同日奏罔功。兪哉者、蘇氏曰、與春秋傳公曰諾哉意同。口然而心不然之辭也。隅、角也。蒼生者、蒼蒼然而生。視遠之義也。獻、賢也。黎獻者、黎民之賢者也。共、同。時、是也。敷納者、下陳而上納也。明庶者、明其衆庶也。禹雖兪帝之言、而有未盡然之意。謂庶頑讒說加之以威、不若明之以德。使帝德光輝達於天下、海隅蒼生之地、莫不昭灼。德之遠著如此、則萬邦黎民之賢、孰不感慕興起。而皆有帝臣之願、惟帝時舉而用之爾。敷納以言而觀其蘊、明庶以功而考其成、旌能命德以厚其報。如此、則誰敢不讓於善、敢不精白一心、敬應其上。而庶頑讒說、豈足慮乎。帝不如是、則今任用之臣、遠近敷同、率爲誕慢、日進於無功矣。豈特庶頑讒說爲可慮哉。
【読み】
△禹曰く、兪らんや。帝天の下に光[て]らば、海隅蒼生に至らん。萬邦の黎獻、共に惟れ帝の臣なり。惟れ帝時[こ]れ舉げよ。敷き納るるに言を以てし、庶を明らかにするに功を以てし、車服庸を以てせば、誰か敢えて讓らざらん、敢えて敬んで應えざらん。帝時[かく]のごとくならざれば、敷き同じくして日に功罔きに奏[すす]まん。兪哉は、蘇氏が曰く、春秋傳の公曰く諾と意同じ、と。口に然りとして心に然らざるの辭なり。隅は、角なり。蒼生とは、蒼蒼然として生ず。遠きを視るの義なり。獻は、賢なり。黎獻は、黎民の賢者なり。共は、同じ。時は、是れなり。敷き納るるとは、下陳べて上納るるなり。庶を明らかにすとは、其の衆庶を明らかにするなり。禹帝の言を兪りとすと雖も、而れども未だ盡くは然りとせざるの意有り。謂ゆる庶頑讒說之に加うるに威を以てせんよりは、若かず、之を明らかにするに德を以てするには。帝の德をして光輝天下に達して、海隅蒼生の地まで、昭灼せざること莫し。德の遠く著るること此の如きときは、則ち萬邦の黎民の賢、孰か感慕興起せざらん。而して皆帝臣の願い有り、惟れ帝時を舉げて之を用いんのみ。敷き納るるに言を以てして其の蘊を觀、庶を明らかにするに功を以てして其の成れるを考え、能を旌し德に命じて以て其の報いを厚くす。此の如くなるときは、則ち誰か敢えて善を讓らざらん、敢えて一心を精白にして、敬んで其の上に應ぜざらん。而して庶頑讒說、豈慮るに足らんや。帝是の如くならざるときは、則ち今任用するの臣、遠近敷き同じくして、率[こぞ]って誕慢を爲し、日に功無きに進まん。豈特り庶頑讒說を慮る可しとせんや。

△無若丹朱傲、惟慢遊是好、傲虐是作、罔晝夜頟頟、罔水行舟、朋淫于家、用殄厥世。予創若時、娶于塗山、辛・壬・癸・甲。啓呱呱而泣、予弗子、惟荒度土功、弼成五服、至于五千、州十有二師。外薄四海、咸建五長、各迪有功。苗頑弗卽工。帝其念哉。帝曰、迪朕德、時乃功惟敍。皐陶方祗厥敍、方施象刑惟明。頟、鄂格反。呱、音狐。○漢志、堯處子朱於丹淵爲諸侯。丹、朱之國名也。頟頟、不休息之狀。罔水行舟、如奡盪舟之類。朋淫者、朋比小人、而淫亂于家也。殄、絕也。世者、世堯之天下也。丹朱不肖、堯以天下與舜而不與朱。故曰殄世。程子曰、夫聖莫聖於舜。而禹之戒舜、至曰無若丹朱好慢遊、作傲虐。且舜之不爲慢遊傲虐、雖愚者亦當知之。豈以禹而不知乎。蓋處崇高之位、所以儆戒者當如是也。創、懲也。禹自言懲丹朱之惡、而不敢以慢遊也。塗山、國名。在今壽春縣東北。禹娶塗山氏之女也。辛壬癸甲、四日也。禹娶塗山、甫及四日、卽往治水也。啓、禹之子。呱呱、泣聲。荒、大也。言娶妻生子。皆有所不暇顧念。惟以大相度平治水土之功爲急也。孟子言、禹八年於外、三過其門而不入是也。五服、甸・侯・綏・要・荒也。言非特平治水土、又因地域之遠近、以輔成五服之制也。疆理宇内、乃人君之事、非人臣之所當專者。故曰弼成也。五千者、每服五百里、五服之地、東西南北相距五千里也。十二師者、每州立十二諸侯、以爲之師、使之相牧以糾羣后也。薄、迫也。九州之外、迫於四海、每方各建五人、以爲之長而統率之也。聖人經理之制、其詳内略外者如此。卽、就也。謂十二師五長、内而侯牧、外而蕃夷、皆蹈行有功。惟三苗頑慢不率、不肯就工。帝當憂念之也。帝言四海之内蹈行我之德敎者、是汝功惟敍之故。其頑而弗率者、則皐陶方敬承汝之功敍、方施象刑惟明矣。曰明者、言其刑罰當罪、可以畏服乎人也。上文禹之意、欲舜弛其鞭扑之威、益廣其文敎之及。而帝以禹之功敍、旣已如此、而猶有頑不卽工如苗民者。是豈刑法之所可廢哉。或者乃謂、苗之凶頑、六師征之。猶且逆命。豈皐陶象刑之所能致。是未知聖人兵刑之敍、與帝舜治苗之本末也。帝之此言、乃在禹未攝位之前。非徂征後事。蓋威以象刑、而苗猶不服。然後命禹征之。征之不服、以益之諫、而又增修德敎。及其來格、然後分背之。舜之此言、雖在三謨之末、而實則禹未攝位之前也。
【読み】
△丹朱が傲り、惟れ慢遊是れ好み、傲虐是れ作して、晝夜と罔く頟頟[がくがく]として、水罔きに舟を行[や]り、家に朋淫し、用て厥の世を殄[た]つが若くなること無かれ。予れ時[かく]の若くなるに創[こ]りて、塗山に娶るに、辛・壬・癸・甲なり。啓呱呱[ここ]として泣けども、予れ子[いつく]しまず、惟れ荒[おお]いに土功を度り、弼けて五服を成し、五千に至り、州に十有二師あり。外は四海に薄[いた]るまで、咸五長を建て、各々功有るを迪[ふ]めり。苗頑にして工に卽かず。帝其れ念えや、と。帝曰く、朕が德を迪むは、時[こ]れ乃の功惟れ敍であればなり。皐陶方に厥の敍を祗[つつし]んで、方に象刑を施すこと惟れ明らかなり、と。頟は、鄂格反。呱は、音狐。○漢志に、堯子朱を丹淵に處して諸侯とす、と。丹は、朱の國の名なり。頟頟は、休息せざるの狀。水罔きに舟を行るとは、奡[ごう]舟を盪[お]すの類の如し。朋淫は、小人に朋比して、家に淫亂するなり。殄[てん]は、絕つなり。世とは、堯の天下を世ぐなり。丹朱不肖にして、堯天下を以て舜に與えて朱に與えず。故に世を殄つと曰う。程子が曰く、夫れ聖は舜より聖なるは莫し。而して禹の舜を戒むるに、丹朱の若く慢遊を好み、傲虐を作すこと無かれと曰うに至る。且つ舜の慢遊傲虐をせざることは、愚者と雖も亦當に之を知るべし。豈禹を以てして知らざらんや。蓋し崇高の位に處りて、儆[いまし]め戒むる所以の者當に是の如くなるべし。創は、懲りるなり。禹自ら言う、丹朱の惡に懲りて、敢えて以て慢遊せず、と。塗山は、國の名。今の壽春縣の東北に在り。禹塗山氏の女を娶るなり。辛壬癸甲は、四日なり。禹塗山に娶りて、甫めて四日に及び、卽ち往いて水を治む。啓は、禹の子。呱呱は、泣く聲。荒は、大いなり。言うこころは、妻を娶りて子を生む。皆顧念に暇あらざる所有り。惟大いに水土を平治するの功を相度ることを以て急とす。孟子言う、禹外に八年、三たび其の門を過ぎて入らずとは是れなり。五服は、甸[でん]・侯・綏[すい]・要・荒なり。言うこころは、特り水土を平治するのみに非ず、又地域の遠近に因りて、以て五服の制を輔け成すなり。宇内を疆理するは、乃ち人君の事、人臣の當に專らにすべき所の者に非ず。故に弼成と曰うなり。五千は、服每に五百里、五服の地は、東西南北相距たること五千里なり。十二師は、州每に十二の諸侯を立てて、以て之が師とし、之をして相牧して以て羣后を糾さしむるなり。薄は、迫るなり。九州の外、四海に迫るまで、方每に各々五人を建てて、以て之を長として之を統べ率ゆるなり。聖人經理の制、其の内を詳にし外を略にする者此の如し。卽は、就くなり。謂ゆる十二師五長は、内にして侯牧、外にして蕃夷、皆蹈み行いて功有り。惟三苗のみ頑慢にして率わず、肯えて工に就かず。帝當に之を憂え念うべし。帝言う、四海の内我が德敎を蹈み行う者は、是れ汝が功惟れ敍であるの故なり。其れ頑にして率わざる者は、則ち皐陶方に敬んで汝が功敍を承け、方に象刑を施すこと惟れ明らかなり。明と曰うは、言うこころは、其れ刑罰罪に當たりて、以て人を畏服す可し。上の文の禹の意は、舜其の鞭扑の威を弛くして、其の文敎の及ぶことを益し廣めんと欲す。而して帝禹の功敍、旣已に此の如くなるを以てして、猶頑にして工に卽かざる苗民の如き者有り。是れ豈刑法の廢す可き所ならんや。或る者乃ち謂う、苗の凶頑、六師之を征す。猶且つ命に逆う。豈皐陶象刑の能く致す所ならんや、と。是れ未だ聖人兵刑の敍と、帝舜苗を治むるの本末とを知らざるなり。帝の此の言は、乃ち禹の未だ位を攝らざるの前に在り。徂いて征するの後の事に非ず。蓋し威すに象刑を以てして、苗猶服せず。然して後に禹に命じて之を征す。之を征して服せず、益の諫めを以てして、又增々德敎を修む。其の來り格るに及んで、然して後に之を分背す。舜の此の言、三謨の末に在ると雖も、實は則ち禹未だ位を攝らざるの前ならん。

△夔曰、戛擊鳴球、搏拊琴瑟、以詠、祖考來格。虞賓在位、羣后德讓。下管・鼗鼓、合止柷・敔、笙・鏞以閒、鳥獸蹌蹌。簫韶九成、鳳皇來儀。戛、訖點反。鼗、音桃。柷、昌六反。敔、偶許反。○戛擊、考擊也。鳴球、玉磬名也。搏、至。拊、循也。樂之始作、升歌於堂上、則堂上之樂、惟取其聲之輕淸者、與人聲相比。故曰以詠。蓋戛擊鳴球、搏拊琴瑟、以合詠歌之聲也。格、神之格思之格。虞賓、丹朱也。堯之後爲賓於虞、猶微子作賓於周也。丹朱在位、與助祭羣后、以德相讓、則人無不和可知矣。下、堂下之樂也。管、猶周禮所謂陰竹之管、孤竹之管、孫竹之管也。鼗鼓、如鼓而小、有柄。持而搖之、則旁耳自擊。柷敔、郭璞云、柷如漆桶。方二尺四寸、深一尺八寸。中有椎柄、連底撞之、令左右擊。敔、狀如伏虎。背上有二十七鉏鋙刻、以籈櫟之。籈長一尺、以木爲之。始作也、擊柷以合之。及其將終也、則櫟敔以止之。蓋節樂之器也。笙、以匏爲之。列管於匏中、又施簧於管端。鏞、大鐘也。葉氏曰、鐘與笙相應者曰笙鐘、與歌相應者曰頌鐘。頌或謂之鏞。詩賁鼓維鏞是也。大射禮、樂人宿縣于阼階東、笙磬西面。其南笙鐘。西階之西、頌磬東面。其南頌鐘。頌鐘卽鏞鐘也。上言以詠、此言以閒、相對而言。蓋與詠歌迭奏也。郷飮酒禮云、歌鹿鳴、笙南陔、閒歌魚麗、笙由庚。或其遺制也。蹌蹌、行動之貌。言樂音不獨感神人、至於鳥獸無知、亦且相率而舞蹌蹌然也。簫、古文作箾。舞者所執之物。說文云、樂名箾韶。季札觀周樂、見舞韶箾者、則箾韶蓋舜樂之總名也。今文作簫。故先儒誤以簫管釋之。九成者、樂之九成也。功以九敍。故樂以九成。九成、猶周禮所謂九變也。孔子曰、樂者象成者也。故曰成。鳳凰、羽族之靈者。其雄爲鳳、其雌爲凰。來儀者、來舞而有容儀也。戛擊鳴球、搏拊琴瑟、以詠、堂上之樂也。下管鼗鼓、合止柷敔、笙鏞以閒、堂下之樂也。唐孔氏曰、樂之作也、依上下而遞奏、閒合而後曲成。祖考尊神。故言於堂上之樂。鳥獸微物。故言於堂下之樂。九成致鳳、尊異靈瑞。故別言之。非堂上之樂、獨致神格、堂下之樂、偏能舞獸也。或曰、笙之形如鳥翼。鏞之虡爲獸形。故於笙鏞以閒、言鳥獸蹌蹌。風俗通曰、舜作簫笙以象鳳。蓋因其形聲之似、以狀其聲樂之和。豈眞有鳥獸鳳凰而蹌蹌來儀者乎。曰、是未知聲樂感通之妙也。瓠巴鼓瑟、而游魚出聽、伯牙鼓琴、而六馬仰秣。聲之致祥召物、見於傳者多矣。況舜之德、致和於上、夔之樂、召和於下。其格神人舞獸鳳、豈足疑哉。今按季札觀周樂、見舞韶箾者、曰、德至矣盡矣。如天之無不覆、如地之無不載。雖甚盛德、蔑以加矣。夫韶樂之奏、幽而感神、則祖考來格、明而感人、則羣后德讓。微而感物、則鳳儀獸舞。原其所以能感召如此者、皆由舜之德、如天地之無不覆燾也。其樂之傳、歷千餘載、孔子聞之於齊、尙且三月不知肉味。曰、不圖、爲樂之至於斯。則當時感召、從可知矣。又按此章、夔言作樂之效。其文自爲一段、不與上下文勢相屬。蓋舜之在位五十餘年、其與禹・皐陶・夔・益、相與答問者多矣。史官取其尤彰明者、以詔後世。則是其所言者自有先後。史官集而記之。非其一日之言也。諸儒之說、自皐陶謨至此篇末、皆謂文勢相屬。故其說牽合不通。今皆不取。
【読み】
△夔[き]曰く、鳴球を戛擊[かつげき]し、琴瑟を搏拊[はくふ]して、以て詠ずれば、祖考來り格る。虞賓位に在り、羣后德もて讓れり。下に管・鼗[とう]鼓、合わせ止むる柷[しゅく]・敔[ぎょ]あり、笙[せい]・鏞[よう]以て閒[まじ]われば、鳥獸蹌蹌[そうそう]たり。簫韶[しょうしょう]九成すれば、鳳皇來り儀[のり]あり、と。戛は、訖點反。鼗は、音桃。柷は、昌六反。敔は、偶許反。○戛擊は、考擊なり。鳴球は、玉磬の名なり。搏は、至る。拊は、循るなり。樂の始めて作る、堂上に升歌すれば、則ち堂上の樂、惟れ其の聲の輕く淸める者を取りて、人の聲と相比す。故に以て詠ずと曰う。蓋し鳴球を戛擊し、琴瑟を搏拊して、以て詠歌の聲に合わすなり。格は、神の格るの格なり。虞賓は、丹朱なり。堯の後虞に賓爲ること、猶微子が周に賓と作るがごとし。丹朱位に在りて、祭を助くる羣后と、德を以て相讓るときは、則ち人和せざること無きこと知る可し。下は、堂下の樂なり。管は、猶周禮に所謂陰竹の管、孤竹の管、孫竹の管のごとし。鼗鼓は、鼓の如くしにて小さく、柄有り。持ちて之を搖らせば、則ち旁らの耳自ら擊つ。柷敔は、郭璞が云う、柷は漆桶の如し。方二尺四寸、深さ一尺八寸。中に椎柄有り、底に連ねて之を撞[う]てば、左右をして擊たしむ。敔は、狀は伏せる虎の如し。背の上に二十七の鉏鋙の刻み有り、籈[しん]を以て之を櫟[う]つ。籈は長さ一尺、木を以て之を爲る。始めて作すとき、柷を擊ちて以て之を合わす。其の將に終えんとするに及んで、則ち敔を櫟ちて以て之を止む。蓋し樂を節するの器なり。笙は、匏を以て之を爲る。管を匏の中に列ね、又簧[した]を管の端に施す。鏞は、大鐘なり。葉氏が曰く、鐘と笙と相應ずる者を笙鐘と曰い、歌と相應ずる者を頌鐘と曰う。頌或は之を鏞と謂う。詩に賁鼓維れ鏞とは是れなり。大射禮に、樂人宿して阼階の東に縣げ、笙磬は西に面す。其の南は笙鐘なり。西階の西に、頌磬東に面す。其の南は頌鐘なり。頌鐘は卽ち鏞鐘なり、と。上には以て詠ずと言い、此には以て閒うと言うは、相對して言う。蓋し詠歌と迭[たが]いに奏するなり。郷飮酒禮に云う、鹿鳴を歌いて、南陔を笙し、魚麗を閒歌して、由庚を笙す、と。或は其の遺制ならん。蹌蹌は、行動の貌。言うこころは、樂の音獨り神人を感ずるにあらず、鳥獸の知ること無きに至るまで、亦且つ相率いて舞うこと蹌蹌然たり。簫は、古文に箾[しょう]に作る。舞う者執る所の物なり。說文に云う、樂を箾韶と名づく、と。季札周の樂を觀るに、韶箾を舞う者を見るとは、則ち箾韶は蓋し舜の樂の總名なり。今文は簫に作る。故に先儒誤りて簫管を以て之を釋す。九成は、樂の九成なり。功九を以て敍ず。故に樂九を以て成す。九成は、猶周禮の所謂九變のごとし。孔子曰く、樂は成に象る者なり、と。故に成と曰う。鳳凰は、羽族の靈なる者。其の雄を鳳とし、其の雌を凰とす。來儀は、來り舞いて容儀有るなり。鳴球を戛擊し、琴瑟を搏拊して、以て詠ずるは、堂上の樂なり。下に管鼗鼓、合わせ止むる柷敔あり、笙鏞以て閒うるは、堂下の樂なり。唐の孔氏が曰く、樂の作ること、上下に依りて遞[たが]いに奏し、閒え合って而して後に曲成る。祖考は尊神。故に堂上の樂を言う。鳥獸は微物。故に堂下の樂を言う。九成の鳳を致すは、尊異の靈瑞なり。故に別に之を言う。堂上の樂は、獨り神の格ることを致し、堂下の樂は、偏に能く獸を舞すに非ず、と。或ひと曰く、笙の形は鳥の翼の如し。鏞の虡[きょ]は獸の形を爲す。故に笙鏞以て閒うるに於て、鳥獸蹌蹌たりと言う、と。風俗通に曰く、舜簫笙を作りて以て鳳に象る。蓋し其の形聲の似たるに因りて、以て其の聲樂の和するに狀る。豈眞に鳥獸鳳凰而も蹌蹌として來儀する者有らんや、と。曰く、是れ未だ聲樂感通の妙を知らず、と。瓠巴瑟を鼓ちて、游魚出でて聽き、伯牙琴を鼓ちて、六馬仰いで秣[まぐさ]くらう。聲の祥を致し物を召くこと、傳に見る者多し。況んや舜の德、和を上に致し、夔の樂、和を下に召く。其の神人を格し獸鳳を舞すこと、豈疑うに足らんや。今按ずるに季札周の樂を觀るに、韶箾を舞う者を見て、曰く、德至れり盡くせり。天の覆わざること無きが如く、地の載せざること無きが如し。甚だ盛んなる德と雖も、以て加うること蔑[な]からん、と。夫れ韶樂の奏は、幽にして神を感ずるときは、則ち祖考來り格り、明にして人を感ずるときは、則ち羣后德もて讓る。微にして物を感ずるときは、則ち鳳儀とし獸舞う。其の能く感召する所以此の如き者を原[たず]ぬるに、皆舜の德の、天地の覆い燾[て]らさざること無きが如くなるに由る。其の樂の傳、千餘載を歷て、孔子之を齊に聞きて、尙且つ三月肉の味を知らず。曰く、圖らざりき、樂を爲ることの斯に至らんとは、と。則ち當時の感召、從りて知る可し。又按ずるに此の章、夔が樂を作るの效を言う。其の文自ずから一段と爲り、上下の文勢と相屬せず。蓋し舜の位に在ること五十餘年、其の禹・皐陶・夔・益と、相與に答問する者多し。史官其の尤も彰明なる者を取りて、以て後世に詔[つ]ぐ。則ち是れ其の言う所の者自ずから先後有らん。史官集めて之を記す。其の一日の言に非ず。諸儒の說、皐陶謨より此の篇の末に至りて、皆謂う、文勢相屬す、と。故に其の說牽合して通ぜず。今皆取らず。

△夔曰、於予擊石拊石、百獸率舞、庶尹允諧。重擊曰擊、輕擊曰拊。石、磬也。有大磬、有編磬、有歌磬、磬有小大。故擊有輕重。八音獨言石者、蓋石音屬角、最難諧和。記曰、磬以立辨。夫樂以合爲主。而石聲獨立辨者、以其難和也。石聲旣和、則金・絲・竹・匏・土・革・木之聲、無不和者矣。詩曰、旣和且平、依我磬聲、則知言石者、總樂之和而言之也。或曰、王振之也者、終條理之事。故舉磬以終焉。上言鳥獸、此言百獸者、考工記曰、天下大獸五、脂者、膏者、臝者、羽者、鱗者。羽鱗總可謂之獸也。百獸舞、則物無不和可知矣。尹、正也。庶尹者、衆百官府之長也。允諧者、信皆和諧也。庶尹諧、則人無不和可知矣。
【読み】
△夔曰く、於[ああ]予れ石を擊ち石を拊[う]てば、百獸率い舞い、庶尹允に諧[やわ]らぐ、と。重く擊つを擊と曰い、輕く擊つを拊と曰う。石は、磬なり。大磬有り、編磬有り、歌磬有り、磬に小大有り。故に擊つに輕重有り。八音獨り石を言うは、蓋し石の音は角に屬し、最も諧[ととの]い和らぎ難し。記に曰く、磬は以て辨を立つ、と。夫れ樂は合うを以て主とす。而も石聲獨り辨を立つるは、其の和し難きを以てなり。石聲旣に和せば、則ち金・絲・竹・匏・土・革・木の聲、和せざる者無し。詩に曰く、旣に和らぎ且つ平らかにして、我が磬の聲に依れりとは、則ち知る、石を言うは、樂の和を總べて之を言うことを。或ひと曰く、王のごとくに振[ととの]うとは、條理を終えるの事。故に磬を舉げて以て焉を終う、と。上には鳥獸と言い、此には百獸と言うは、考工記に曰く、天下の大獸五つ、脂ある者、膏ある者、臝[ら]なる者、羽ある者、鱗ある者、と。羽鱗總べて之を獸と謂う可し。百獸舞うときは、則ち物として和せざる無きこと知る可し。尹は、正なり。庶尹は、衆[もろもろ]の百官府の長なり。允に諧らぐとは、信に皆和らぎ諧うなり。庶尹諧らぐときは、則ち人和せざる無きこと知る可し。

△帝庸作歌曰、勑天之命、惟時惟幾。乃歌曰、股肱喜哉、元首起哉、百工煕哉。皐陶拜手稽首、颺言曰、念哉。率作興事、愼乃憲。欽哉。屢省乃成、欽哉。乃賡載歌曰、元首明哉、股肱良哉、庶事康哉。又歌曰、元首叢脞哉、股肱惰哉、萬事墮哉。帝拜曰、兪、往欽哉。明、音芒。脞、取果反。○庸、用也。歌、詩歌也。勑、戒勑也。幾、事之微也。惟時者、無時而不戒勑也。惟幾者、無事而不戒勑也。蓋天命無常。理亂安危相爲倚伏。今雖治定功成、禮備樂和、然頃刻謹畏之不存、則怠荒之所自起、毫髪幾微之不察、則禍患之所自生。不可不戒也。此舜將欲作歌、而先述其所以歌之意也。股肱、臣也。元首、君也。人臣樂於趨事赴功、則人君之治、爲之興起、而百官之功皆廣也。拜手稽首者、首至手又至地也。大言而疾曰颺。率、總率也。皐陶言、人君當總率羣臣以起事功、又必謹其所守之法度。蓋樂於興事者易至於紛更。故深戒之也。屢、數也。興事而數考其成、則有課功覈實之效、而無誕謾欺蔽之失。兩言欽哉者、興事考成、二者皆所當深敬、而不可忽者也。此皐陶將欲賡歌、而先述其所以歌之意也。賡、續。載、成也。續帝歌以成其義也。皐陶言君明、則臣良、而衆事皆安。所以勤之也。叢脞、煩碎也。惰、懈怠也。墮、傾圮也。言君行臣職、煩瑣細碎、則臣下懈怠、不肯任事、而萬事廢壞。所以戒之也。舜作歌而責難於臣。皐陶賡歌而責難於君。君臣之相責難者如此。有虞之治茲所以爲不可及也歟。帝拜者、重其禮也。重其禮、然其言、而曰、汝等往治其職。不可以不敬也。林氏曰、舜與皐陶之賡歌、三百篇之權輿也。學詩者、當自此始。
【読み】
△帝庸[もっ]て歌を作りて曰く、天の命を勑[つつし]んで、惟れ時をし惟れ幾しをす、と。乃ち歌いて曰く、股肱喜いかな、元首起これるかな、百工煕[ひろ]まるかな、と。皐陶拜手稽首し、颺[よう]言して曰く、念えや。率い作こして事を興し、乃の憲を愼め。欽めや。屢々乃の成れるを省みて、欽めや、と。乃ち賡[つ]いで歌を載[な]して曰く、元首明らかなるかな、股肱良いかな、庶事康いかな、と。又歌いて曰く、元首叢脞[そうざ]なるかな、股肱惰れるかな、萬事墮[やぶ]れるかな、と。帝拜して曰く、兪り、往き欽めや、と。明は、音芒。脞は、取果反。○庸は、用てなり。歌は、詩歌なり。勑は、戒勑なり。幾は、事の微なり。惟れ時をすとは、時として戒勑せざること無きなり。惟れ幾しをすとは、事として戒勑せざること無きなり。蓋し天命は常無し。理亂安危倚伏を相爲す。今治定まり功成り、禮備わり樂和すと雖も、然れども頃刻も謹み畏るることの存さざるときは、則ち怠荒の自りて起こる所にて、毫髪幾微の察せざるときは、則ち禍患の自りて生る所なり。戒めずんばある可からず。此れ舜將に歌を作らんと欲して、先ず其の之を歌う所以の意を述ぶ。股肱は、臣なり。元首は、君なり。人臣事に趨き功に赴くことを樂しむときは、則ち人君の治、之が爲に興起して、百官の功皆廣まる。拜手稽首とは、首手に至りて又地に至るなり。大言して疾きを颺と曰う。率は、總べ率いるなり。皐陶が言う、人君當に羣臣を總べ率いて以て事功を起こし、又必ず其の守る所の法度を謹むべし、と。蓋し事を興すを樂しむ者は紛更に至り易し。故に深く之を戒むなり。屢は、數々なり。事を興して數々其の成れるを考うるときは、則ち功を課し實を覈[かく]にするの效有りて、誕謾欺蔽の失無し。兩び欽哉と言う者は、事を興し成れるを考うる、二つの者は皆當に深く敬むべき所にして、忽にす可からざる者なればなり。此れ皐陶將に歌を賡がんと欲して、先ず其の之を歌う所以の意を述ぶるなり。賡は、續ぐ。載は、成すなり。帝の歌を續いで以て其の義を成すなり。皐陶が言うこころは、君明なるときは、則ち臣良くして、衆事皆安し。之を勤むる所以なり。叢脞は、煩碎なり。惰は、懈怠なり。墮は、傾き圮[やぶ]るるなり。言うこころは、君臣の職を行い、煩瑣細碎なるときは、則ち臣下懈怠して、肯えて事に任ぜずして、萬事廢壞す。之を戒むる所以なり。舜歌を作りて難きを臣に責む。皐陶歌を賡いで難きを君に責む。君臣の難きを相責むる者此の如し。有虞の治茲れ及ぶ可からずとする所以か。帝拜すとは、其の禮を重んずるなり。其の禮を重んじ、其の言を然りとして、曰く、汝等往いて其の職を治めよ。以て敬まずんばある可からず、と。林氏が曰く、舜と皐陶の賡歌[こうか]とは、三百篇の權輿なり、と。詩を學ぶ者、當に此より始むべし。
 

書經卷之二  蔡沉集傳


夏書 夏、禹有天下之號也。書凡四篇。禹貢作於虞時。而繫之夏書者、禹之王以是功也。
【読み】
夏書[かしょ] 夏は、禹の天下を有つの號なり。書は凡て四篇。禹貢は虞の時に作る。而るを之を夏書に繫ぐるは、禹の王たるは是の功を以てなればなり。


禹貢 上之所取、謂之賦、下之所供、謂之貢。是篇有貢有賦。而獨以貢名篇者、孟子曰、夏后氏五十而貢。貢者、較數歲之中、以爲常。則夏后氏田賦之總名。今文古文皆有。
【読み】
禹貢[うこう] 上の取る所、之を賦と謂い、下の供する所、之を貢と謂う。是の篇貢有り賦有り。而るを獨り貢を以て篇に名づくるは、孟子曰く、夏后氏は五十にして貢す、と。貢は、數歲の中を較べて、以て常とす。則ち夏后氏田賦の總名なり。今文古文皆有り。


禹敷土、隨山刋木、奠高山大川。敷、分也。分別土地、以爲九州也。奠、定也。定高山大川、以別州境也。若兗之濟河、靑之海岱、揚之淮海、雍之黑水西河、荆之荆衡、徐之海岱淮、豫之荆河、梁之華陽黑水、是也。方洪水橫流不辨區域。禹分九州之地、隨山之勢相其便宜、斬木通道以治之。又定其山之高者、與其川之大者、以爲之紀綱。此三者、禹治水之要。故作書者首述之。○曾氏曰、禹別九州、非用其私智。天文地理、區域各定。故星土之法、則有九野。而在地者、必有高山大川爲之限隔。風氣爲之不通、民生其閒亦各異族。故禹因高山大川之所限者、別爲九州、又定其山之高峻、水之深大者、爲其州之鎭。秩其祭而使其國主之也。
【読み】
禹土を敷[わか]ち、山に隨い木を刋[き]り、高山大川を奠[さだ]む。敷は、分かつなり。土地を分別して、以て九州とす。奠は、定むるなり。高山大川を定めて、以て州境を別つなり。兗の濟河、靑の海岱、揚の淮海、雍の黑水西河、荆の荆衡、徐の海岱淮、豫の荆河、梁の華陽黑水の若き、是れなり。洪水橫流するに方りて區域を辨えず。禹九州の地を分かち、山の勢に隨い其の便宜を相[み]、木を斬り道を通じて以て之を治む。又其の山の高き者と、其の川の大いなる者とを定めて、以て之が紀綱とす。此の三つの者は、禹水を治むるの要なり。故に書を作る者首めに之を述ぶ。○曾氏が曰く、禹九州を別つは、其の私智を用うるに非ず。天文地理、區域各々定まる。故に星土の法は、則ち九野有り。而して地に在る者は、必ず高山大川有りて之が限隔を爲す。風氣之が爲に通ぜず、民其の閒に生まれて亦各々族を異にす。故に禹高山大川の限る所の者に因りて、別ちて九州とし、又其の山の高峻、水の深大なる者を定めて、其の州の鎭とす。其の祭を秩で其の國をして之を主らしむ。

△冀州、冀州、帝都之地。三面距河。兗河之西、雍河之東、豫河之北。周禮職方、河内曰冀州是也。八州皆言疆界、而冀不言者、以餘州所至可見。晁氏曰、亦所以尊京師、示王者無外之意。
【読み】
△冀州より、冀州は、帝都の地。三面河に距[いた]る。兗河の西、雍河の東、豫河の北なり。周禮の職方に、河内を冀州と曰うとは是れなり。八州皆疆界を言いて、冀に言わざるは、餘州の至る所を以て見る可し。晁氏が曰く、亦京師を尊ぶ所以にして、王者に外無きの意を示す、と。

旣載壺口。經始治之、謂之載。壺口、山名。漢地志、在河東郡北屈縣東南。今隰州吉郷縣也。○今按旣載云者、冀州帝都之地。禹受命治水所始、在所當先。經始壺口等處、以殺河勢。故曰旣載。然禹治水施功之序、則皆自下流始。故次兗次靑、次徐次揚、次荆次豫、次梁次雍。兗最下。故所先。雍最高。故獨後。禹言、予決九川距四海、濬畎澮距川。卽其用工之本末、先決九川之水以距海、則水之大者有所歸。又濬畎澮以距川、則水之小者有所泄。皆自下流以疎殺其勢。讀禹貢之書、求禹功之序、當於此詳之。
【読み】
旣に壺口を載[はじ]む。經始して之を治むる、之を載と謂う。壺口は、山の名。漢の地志に、河東郡の北屈縣の東南に在り、と。今の隰州吉郷縣なり。○今按ずるに旣に載むと云うは、冀州は帝都の地。禹命を受けて水を治むることの始むる所は、當に先んずべき所在り。壺口等の處に經始して、以て河勢を殺[そ]ぐ。故に旣に載むと曰う。然も禹水を治め功を施すの序は、則ち皆下流より始む。故に次は兗次は靑、次は徐次は揚、次は荆次は豫、次は梁次は雍なり。兗は最も下れり。故に先んずる所なり。雍は最も高し。故に獨り後にす。禹言う、予れ九川を決[さく]りて四海に距り、畎澮[けんかい]を濬[さら]えて川に距る、と。卽ち其の工を用うるの本末、先ず九川の水を決りて以て海に距るときは、則ち水の大いなる者歸す所有り。又畎澮を濬えて以て川に距るときは、則ち水の小しき者泄[まじ]うる所有り。皆下流よりして以て其の勢いを疎[さく]り殺ぐ。禹貢の書を讀んで、禹功の序を求めば、當に此に於て之を詳らかにすべし。

△治梁及岐。梁・岐、皆冀州山。梁山、呂梁山也。在今石州離石縣東北。爾雅云、梁山晉望。則冀州呂梁也。呂不韋曰、龍門未闢、呂梁未鑿、河出孟門之上。又春秋、梁山崩。左氏穀梁、皆以爲晉山。則亦指呂梁矣。酈道元謂、呂梁之石崇竦河流激盪、震動天地。此禹旣事壺口、乃卽治梁也。岐山、在今汾州介休縣。狐岐之山、勝水所出。東北流注于汾。酈道元云、後魏於胡岐置六壁、防離石諸胡。因爲大鎭。今六壁城在勝水之側、實古河逕之險阨。二山河水所經、治之所以開河道也。先儒以爲雍州梁岐者非是。
【読み】
△梁及び岐を治む。梁・岐は、皆冀州の山。梁山は、呂梁の山なり。今石州離石縣の東北に在り。爾雅に云う、梁山は晉の望、と。則ち冀州の呂梁なり。呂不韋が曰く、龍門未だ闢けず、呂梁未だ鑿せず、河孟門の上に出づ、と。又春秋に、梁山崩る、と。左氏穀梁に、皆以て晉山とす。則ち亦呂梁を指すなり。酈道元が謂う、呂梁の石崇く竦[そび]えて河流激盪[げきとう]し、天地を震動す。此れ禹旣に壺口を事とし、乃ち卽ち梁を治むるなり。岐山は、今の汾州介休縣に在り。狐岐の山は、勝水の出づる所なり。東北に流れて汾に注ぐ。酈道元が云う、後魏胡岐に於て六壁を置いて、離石の諸胡を防ぐ。因りて大鎭とす、と。今の六壁城は勝水の側[ほとり]に在り、實に古の河逕の險阨[けんあい]なり。二山河水の經る所、之を治めて河道を開く所以なり。先儒以て雍州の梁岐とする者は是に非ず。

△旣修太原、至于岳陽。修、因鯀之功而修之也。廣平曰原。今河東路太原府也。岳、太岳也。周職方、冀州其山鎭曰霍山。地志謂、霍太山卽太岳。在河東郡彘縣東、今晉州霍邑也。山南曰陽。卽今岳陽縣地也。堯之所都。揚子雲冀州箴曰、岳陽是都、是也。蓋汾水出於太原、經於太岳、東入于河。此則導汾水也。
【読み】
△旣に太原を修めて、岳の陽[みなみ]に至る。修むとは、鯀の功に因りて之を修むるなり。廣く平らかなるを原と曰う。今の河東路太原府なり。岳は、太岳なり。周の職方に、冀州其の山鎭を霍山と曰う、と。地志に謂う、霍太山は卽ち太岳、と。河東郡彘[てい]縣の東に在り、今の晉州の霍邑なり。山の南を陽と曰う。卽ち今の岳陽縣の地なり。堯の都する所なり。揚子雲が冀州の箴に曰う、岳陽是れ都というは、是れなり。蓋し汾水は太原より出でて、太岳を經て、東して河に入る。此れ則ち汾水を導くなり。

△覃懷厎績、至於衡漳。覃懷、地名。地志河内郡有懷縣。今懷州也。曾氏曰、覃懷、平地也。當在孟津之東、太行之西。淶水出乎其西、淇水出乎其東。方洪水懷山襄陵之時、而平地致功爲難。故曰厎績。衡漳、水名。衡、古橫字。地志漳水二。一出上黨沾縣大黽谷。今平定軍樂平縣少山也。名爲淸漳。一出上黨長子縣鹿谷山。今潞州長子縣發鳩山也。名爲濁漳。酈道元謂之衡水。又謂之橫水。東至鄴合淸漳、東北至阜城入北河。鄴、今潞州涉縣也。阜城、今定遠軍東光縣也。○又按桑欽云、二漳異源而下流相合、同歸于海。唐人亦言、漳水能獨達于海、請以爲瀆。而不云入河者、蓋禹之導河、自洚水・大陸、至碣石入于海。本隨西山下東北去。周定王五年、河徙砱礫、則漸遷、而東漢初漳猶入河。其後河徙日東、而取漳水益遠。至欽時河自大伾而下。已非故道。而漳自入海矣。故欽與唐人所言者如此。
【読み】
△覃懷[たんかい]より績を厎[いた]して、衡漳[こうしょう]に至る。覃懷は、地の名。地志に河内郡に懷縣有り、と。今の懷州なり。曾氏が曰く、覃懷は、平地なり、と。當に孟津の東、太行の西に在るべし。淶[らい]水其の西より出でて、淇[き]水其の東より出づ。洪水山を懷[か]ね陵に襄[のぼ]るの時に方りて、平地功を致すこと難きとす。故に績を厎すと曰う。衡漳は、水の名。衡は、古の橫の字なり。地志に漳水は二つ。一つは上黨沾[てん]縣の大黽[べん]谷より出づ。今の平定軍樂平縣の少山なり。名づけて淸漳とす。一つは上黨長子縣の鹿谷山より出づ。今の潞[ろ]州長子縣の發鳩山なり。名づけて濁漳とす、と。酈道元が之を衡水と謂う。又之を橫水と謂う。東は鄴[ぎょう]に至りて淸漳に合い、東北して阜城に至りて北河に入る。鄴は、今の潞州涉縣なり。阜城は、今の定遠軍東光縣なり。○又按ずるに桑欽が云う、二漳は源を異にして下流相合いて、同じく海に歸す、と。唐人も亦言う、漳水能く獨り海に達し、請けて以て瀆を爲す、と。而るに河に入ると云わざるは、蓋し禹の河を導くは、洚水・大陸より、碣石[けっせき]に至りて海に入る。本西山の下[ふもと]に隨いて東北に去る。周の定王の五年、河砱礫[れいれき]に徙[うつ]るときは、則ち漸く遷りて、東漢の初めも漳は猶河に入る。其の後河の徙ること日に東して、漳水を取ること益々遠し。欽が時に至りて河大伾[ひ]よりして下る。已に故道に非ず。而して漳自ずから海に入る。故に欽と唐人との言う所の者此の如し。

△厥土惟白壤。漢孔氏曰、無塊曰壤。顏氏曰、柔土曰壤。夏氏曰、周官大司徒、辨十有二壤之物、而知其種、以敎稼穡樹藝、以土均之法、辨五物九等、制天下之地征。則夫敎民樹藝、與因地制貢、固不可不先於辨土也。然辨土之宜有二。白以辨其色、壤以辨其性也。蓋草人糞壤之法、騂剛用牛、赤緹用羊、墳壤用麋、渴澤用鹿。糞治田疇、各因色性而辨其所當用也。曾氏曰、冀州之土、豈皆白壤。云然者、土會之法、從其多者論也。
【読み】
△厥の土は惟れ白壤なり。漢の孔氏が曰く、塊無きを壤と曰う、と。顏氏が曰く、柔土を壤と曰う、と。夏氏が曰く、周官の大司徒に、十有二壤の物を辨えて、其の種を知りて、以て稼穡樹藝を敎え、土均の法を以て、五物九等を辨え、天下の地征を制す、と。則ち夫れ民に樹藝を敎うると、地に因りて貢を制すると、固に辨土を先んぜずんばある可からず。然も辨土の宜は二つ有り。白は以て其の色を辨え、壤は以て其の性を辨う。蓋し草人糞壤の法、騂剛[せいごう]に牛を用い、赤緹[せきてい]に羊を用い、墳壤に麋[おおじか]を用い、渴澤に鹿を用う。田疇を糞[つちか]い治むるに、各々色性に因りて其の當に用うべき所を辨う、と。曾氏が曰く、冀州の土は、豈皆白壤ならんや。然[しか]云う者は、土會の法、其の多き者に從りて論ずればなり、と。

△厥賦惟上上錯。厥田惟中中。賦、田所出穀米兵車之類。錯、雜也。賦第一等、而錯出第二等也。田第五等也、賦高於田四等者、地廣而人稠也。林氏曰、冀州先賦後田者、冀王畿之地、天子所自治、倂與場圃・園田・漆林之類而征之。如周官載師所載。賦非盡出於田也。故以賦屬于厥土之下。餘州皆田之賦也。故先田而後賦。又按九州九等之賦、皆每州歲入總數、以九州多寡相較而爲九等。非以是等田而責其出是等賦也。冀獨不言貢篚者、冀天子封内之地、無所事於貢篚也。
【読み】
△厥の賦は惟れ上の上にして錯[まじ]われり。厥の田は惟れ中の中なり。賦は、田の出だす所の穀米兵車の類なり。錯は、雜わるなり。賦第一等にして、第二等を錯え出だす。田は第五等にして、賦の田四等より高き者は、地廣くして人稠[おお]ければなり。林氏が曰く、冀州賦を先にして田を後にする者は、冀は王畿の地にて、天子自ら治むる所、場圃・園田・漆林の類とを倂せて之を征す。周官の載師に載る所の如し。賦は盡く田より出づるに非ず。故に賦を以て厥の土の下に屬す。餘の州は皆田の賦なり。故に田を先にして賦を後にす、と。又按ずるに九州九等の賦は、皆每州の歲入の總數は、九州の多寡を以て相較べて九等とす。是れ等の田を以て其の是れ等の賦を出だすことを責むるに非ず。冀獨り貢篚[こうひ]と言わざるは、冀は天子の封内の地、貢篚を事とする所無ければなり。

△恆・衛旣從。大陸旣作。恆・衛、二水名。恆水、地志出常山郡上、曲陽縣。恆山・北谷、在今定州曲陽縣西北恆山也。東入滱水。薛氏曰、東流合滱水、至瀛州高陽縣入易水。晁氏曰、今之恆水、西南流至眞定府行唐縣、東流入于滋水、又南流入于衡水。非古逕矣。衛水、地志出常山郡靈壽縣東北。卽今眞定府靈壽縣也。東入滹沱河。蘇氏曰、東北合滹沱河、過信安軍入易水。從、從其道也。大陸、孫炎曰、鉅鹿北廣阿澤。河所經也。程氏曰、鉅鹿去古河絕遠。河未嘗逕邢以行。鉅鹿之廣河非是。按爾雅、高平曰陸。大陸云者、四無山阜。曠然平地。蓋禹河自澶相以北、皆行西山之麓。故班・馬・王橫皆謂、載之高地。卽古河之在具冀、以及枯洚之南、率皆穿西山、踵趾以行。及其已過信洚之北、則西山勢斷、曠然四平。蓋以此地謂之大陸。乃與下文北至大陸者合。故隋改趙之昭慶、以爲大陸縣、唐又割鹿城置陸渾縣。皆疑鉅鹿之大陸不與河應、而亦求之向北之地。杜佑・李吉甫以爲、邢・趙・深三州爲大陸者得之。作者、言可耕治。水患旣息、而平地之廣衍者亦可耕治也。恆・衛水小而地遠。大陸地平而近河。故其成功於田賦之後。
【読み】
△恆・衛旣に從えり。大陸旣に作れり。恆・衛は、二水の名。恆水は、地志に常山郡の上[ほとり]、曲陽縣より出づ、と。恆山・北谷は、今の定州曲陽縣の西北の恆山に在り。東して滱水[こうすい]に入る。薛氏が曰く、東流して滱水に合い、瀛[えい]州高陽縣に至りて易水に入る、と。晁氏が曰く、今の恆水は、西南に流れて眞定府行唐縣に至りて、東流して滋水に入り、又南流して衡水に入る。古の逕に非ず、と。衛水は、地志に常山郡靈壽縣の東北より出づ、と。卽ち今の眞定府靈壽縣なり。東は滹沱[こた]河に入る。蘇氏が曰く、東北して滹沱河に合い、信安軍を過ぎて易水に入る、と。從は、其の道に從うなり。大陸は、孫炎が曰く、鉅鹿の北廣阿澤なり。河の經る所なり、と。程氏が曰く、鉅鹿の古の河を去ること絕[はなは]だ遠し。河未だ嘗て邢を逕[へ]て以て行かず。鉅鹿の廣河は是れに非ず、と。爾雅を按ずるに、高平を陸と曰う。大陸と云う者は、四に山阜無し。曠然たる平地なり。蓋し禹の河は澶相[せんそう]より以て北、皆西山の麓を行く。故に班・馬・王橫皆謂う、之を高地に載[はじ]む、と。卽ち古の河の具冀に在りて、以て枯洚の南に及び、率ね皆西山を穿ちて、踵趾以て行く。其の已に信洚の北を過ぐるに及んで、則ち西山勢い斷ちて、曠然として四平らかなり。蓋し此の地を以て之を大陸と謂う。乃ち下の文の北して大陸に至る者と合う。故に隋趙の昭慶を改めて、以て大陸縣とし、唐も又鹿城を割きて陸渾縣を置く。皆疑うらくは鉅鹿の大陸は河と應ぜずして、亦之を向北の地に求む。杜佑・李吉甫以爲えらく、邢・趙・深の三州を大陸とする者は之を得たり、と。作とは、言うこころは、耕治す可きなり。水患旣に息んで、平地の廣衍なる者亦耕治す可きなり。恆・衛は水小にして地遠し。大陸は地平らかにして河に近し。故に其の成功は田賦の後に於てす。

△島夷皮服。海曲曰島。海島之夷、以皮服來貢也。
【読み】
△島夷皮服す。海曲を島と曰う。海島の夷、皮服を以て來貢す。

△夾右碣石、入于河。碣石、地志在北平郡驪城縣、西南河口之地。今平州之南也。冀州北方貢賦之來、自北海入河、南向西轉、而碣石在其右轉屈之閒。故曰夾右也。程氏曰、冀爲帝都。東西南三面距河。他州貢賦、皆以達河爲至。故此三方亦不必書、而其北境則漢遼東、西右北平・漁陽・上谷之地。其水如遼・濡・滹・易、皆中高不與河通。故必自北海然後能達河也。又按酈道元言、驪城枕海。有石如甬道。數十里、當山頂有大石如柱形。韋昭以爲、碣石其山昔在河口海濱。故以誌其入貢河道、歷世旣久。爲水所漸、淪入于海。已去岸五百餘里矣。戰國策以碣石在常山郡九門縣者、恐名偶同。而鄭氏以爲、九門無此山也。
【読み】
△碣石[けっせき]を夾んで右にして、河に入る。碣石は、地志に北平郡驪城縣、西南の河口の地に在り、と。今の平州の南なり。冀州北方の貢賦の來るは、北海より河に入り、南に向かい西に轉じて、碣石は其の右轉屈するの閒に在り。故に夾んで右にすと曰うなり。程氏が曰く、冀は帝都爲り。東西南の三面は河に距[いた]る。他の州の貢賦は、皆河に達するを以て至るとす。故に此の三方も亦必ずしも書せずして、其の北境は則ち漢の遼東、西は右北平・漁陽・上谷の地なり。其の水の遼・濡・滹・易の如きは、皆中高にして河と通ぜず。故に必ず北海よりして然して後に能く河に達す。又按ずるに酈道元が言う、驪城は海に枕[のぞ]む。石有りて甬道の如し。數十里にして、山頂に當たりて大石有りて柱形の如し、と。韋昭以爲えらく、碣石と其の山は昔河口海濱に在り。故に以て其の入貢河道を誌すこと、歷世旣に久し。水の爲に漸[ひた]されて、淪[しず]んて海に入る。已に岸を去ること五百餘里なり、と。戰國策に碣石を以て常山郡九門縣に在りというは、恐らくは名偶々同じからん。而も鄭氏以爲えらく、九門に此の山無し、と。

△濟・河惟兗州。兗州之域、東南據濟、西北距河。濟河見導水。蘇氏曰、河濟之閒、相去不遠。兗州之境、東南跨濟、非止於濟也。愚謂、河昔北流。兗州之境、北盡碣石河右之地、後碣石之地、淪入於海。河益徙而南。濟河之閒、始相去不遠。蘇氏之說、未必然也。○林氏曰、濟古文作泲。說文註云、此兗州之濟也。其從水從齊者、說文註云、出常山房子縣贊皇山。則此二字音同義異。當以古文爲正。
【読み】
△濟・河は惟れ兗[えん]州なり。兗州の域は、東南は濟に據り、西北は河に距る。濟河は導水に見えたり。蘇氏が曰く、河濟の閒、相去ること遠からず。兗州の境は、東南は濟を跨ぎ、濟に止まるに非ず、と。愚謂えらく、河は昔北に流る。兗州の境は、北は碣石河の右の地を盡くし、後に碣石の地は、淪んで海に入る。河益々徙りて南す。濟河の閒は、始め相去ること遠からず。蘇氏の說は、未だ必ずしも然らざるなり。○林氏が曰く、濟は古文に泲[せい]に作る。說文の註に云う、此れ兗州の濟なり、と。其れ水に從い齊に從う者は、說文の註に云う、常山房子縣の贊皇山より出づ、と。則ち此の二字は音同じくして義異なり。當に古文を以て正しきとすべし、と。

△九河旣道。九河、爾雅一曰徒駭、二曰太史、三曰馬頰、四曰覆鬴、五曰胡蘇、六曰簡潔、七曰鈎盤、八曰鬲津。其一則河之經流也。先儒不知河之經流、遂分簡潔爲二。旣道者、旣順其道也。按徒駭河、地志云、滹沱河。寰宇記云、在滄州淸池南。許商云、在平城。馬頰河、元和志、在德州安德平原南東。寰宇記云、在棣州滴河北。輿地記云、卽篤馬河也。覆鬴河、通典云、在德州安德。胡蘇河、寰宇記云、在滄之饒安・無棣・臨津三縣。許商云、在東光。簡潔河、輿地記云、在臨津。鈎盤河、寰宇記云、在樂陵東南、從德州平昌來。輿地記云、在樂陵。鬲津河、寰宇記云、在樂陵東。西北流入饒安。許商云、在鬲縣。輿地記云、在無棣。太史河、不知所在。自漢以來、講求九河者甚詳。漢世近古。止得其三。唐人集累世積傳之語、遂得其六。歐陽忞輿地記、又得其一。或新河而載以舊名、或一地而互爲兩說。要之皆似是而非。無所依據。至其顯然謬誤者、則班固以滹沱爲徒駭、而不知滹沱不與古河相涉。樂史、馬頰乃以漢篤馬河當之。鄭氏求之不得、又以爲九河齊桓塞其八流以自廣。夫曲防齊之所禁。塞河宜非桓公之所爲也。河水可塞、而河道果能盡平乎。皆無稽考之言也。惟程氏以爲九河之地、已淪於海。引碣石爲九河之證。以謂、今滄州之地、北與平州接境、相去五百餘里。禹之九河、當在其地。後爲海水淪沒。故其迹不存。方九河未沒於海之時、從今海岸東北、更五百里平地、河播爲九、在此五百里中。又上文言夾右碣石、則九河入海之處、有碣石在其西北岸、九河水道變遷、難於推考。而碣石通趾頂皆石、不應仆沒。今兗冀之地、旣無此石。而平州正南、有山而名碣石者、尙在海中、去岸五百餘里。卓立可見、則是古河。自今以爲海處、向北斜行、始分爲九。其河道已淪入於海明矣。漢王橫言、昔天常連雨、東北風、海水溢西南出浸數百里。九河之地、已爲海水所漸。酈道元亦謂、九河碣石苞淪於海。後世儒者知求九河於平地、而不知求碣石有無、以爲之證。故前後異說、竟無歸宿。蓋非九河之地、而强鑿求之。宜其支離而不能得也。
【読み】
△九河旣に道なる。九河は、爾雅に一に曰く徒駭、二に曰く太史、三に曰く馬頰、四に曰く覆鬴[ふくふ]、五に曰く胡蘇、六に曰く簡潔、七に曰く鈎盤、八に曰く鬲津[かくしん]、と。其の一は則ち河の經流なり。先儒河の經流を知らず、遂に簡潔を分かちて二つとす。旣に道なるとは、旣に其の道に順うなり。按ずるに徒駭河は、地志に云う、滹沱[こた]河なり、と。寰宇記[かんうき]に云う、滄州淸池の南に在り、と。許商が云う、平城に在り、と。馬頰河は、元和志に、德州安德平原の南東に在り、と。寰宇記に云う、棣州滴河の北に在り、と。輿地記に云う、卽ち篤馬河なり、と。覆鬴河は、通典に云う、德州安德に在り、と。胡蘇河は、寰宇記に云う、滄の饒安・無棣・臨津の三縣に在り、と。許商が云う、東光に在り、と。簡潔河は、輿地記に云う、臨津に在り、と。鈎盤河は、寰宇記に云う、樂陵の東南に在り、德州の平昌より來る、と。輿地記に云う、樂陵に在り、と。鬲津河は、寰宇記に云う、樂陵の東に在り。西北に流れて饒安に入る、と。許商が云う、鬲縣に在り、と。輿地記に云う、無棣に在り、と。太史河は、在る所を知らず。漢より以來、九河を講求する者甚だ詳らかなり。漢の世は古に近し。止其の三つを得るのみ。唐人累世積傳の語を集めて、遂に其の六つを得たり。歐陽忞[びん]輿地記に、又其の一つを得。或は新河にして載するに舊名を以てし、或は一地にして互いに兩說を爲す。之を要するに皆是に似て非なり。依り據る所無し。其の顯然として謬誤する者に至りては、則ち班固滹沱を以て徒駭として、滹沱は古の河と相涉[かかわらざることを知らず。樂史は、馬頰を乃ち漢の篤馬河を以て之に當てる。鄭氏之を求めて得ず、又以爲えらく、九河は齊の桓が其の八流を塞いで以て自ら廣む、と。夫れ防を曲ぐるは齊の禁ずる所。河を塞ぐは宜しく桓公の爲す所に非ざるべし。河水塞ぐ可くして、河道果たして能く盡く平らかならんや。皆稽え考うること無きの言なり。惟程氏のみ以爲えらく、九河の地、已に海に淪む、と。碣石を引いて九河の證とす。以謂えらく、今や滄州の地、北は平州と境を接し、相去ること五百餘里なり。禹の九河は、當に其の地に在るべし。後に海水の爲に淪沒す。故に其の迹存せず。九河の未だ海に沒せざるの時に方りて、今の海岸の東北より、更に五百里の平地、河播いて九つと爲り、此の五百里の中に在り。又上の文に碣石を夾んで右にすと言うときは、則ち九河海に入るの處、碣石有りて其の西北の岸に在り、九河の水道變遷して、推考し難し。而して碣石趾頂に通じて皆石にて、應に仆沒すべからず。今兗冀の地、旣に此の石無し。而して平州の正南に、山有りて碣石と名づくるは、尙海中に在り、岸を去ること五百餘里なり。卓立して見る可きときは、則ち是れ古の河なり。今以て海の處と爲りてより、北に向かいて斜めに行き、始めて分かれて九つと爲る。其の河道已に淪んで海に入ること明らかなり。漢の王橫が言う、昔天常に連雨し、東北の風あり、海水西南に溢れて出で浸すこと數百里。九河の地、已に海水の爲に漸[ひた]さるる、と。酈道元も亦謂う、九河碣石海に苞淪す、と。後世の儒者九河を平地に求むることを知りて、碣石の有無を求めて、以て之が證とすることを知らず。故に前後の異說、竟に歸宿無し。蓋し九河の地に非ずして、强いて鑿ちて之を求む。宜なり其れ支離して得ること能わざること。

△雷夏旣澤。澤者、水之鐘也。雷夏、地志在濟陰郡城陽縣西北。今濮州雷澤縣西北也。山海經云、澤中有雷神。龍身而人頰。鼓其腹則雷。然則本夏澤也。因其神名之曰雷夏也。洪水橫流而入于澤、澤不能受、則亦泛濫奔潰。故水治而後雷夏爲澤。
【読み】
△雷夏旣に澤となる。澤は、水の鐘[あつ]まれるなり。雷夏は、地志に濟陰郡城陽縣の西北に在り、と。今の濮州雷澤縣の西北なり。山海經に云う、澤中に雷神有り。龍身にして人頰なり。其の腹を鼓すれば則ち雷なる、と。然らば則ち本夏澤なり。其の神に因りて之を名づけて雷夏と曰う。洪水橫流して澤に入り、澤受くること能わざるときは、則ち亦泛濫奔潰す。故に水治めて而して後に雷夏澤と爲る。

△灉・沮會同。灉・沮、二水名。灉水、曾氏曰、爾雅水自河出爲灉。許愼云、河灉水在宋。又曰、汳水受陳留浚儀陰溝、至蒙爲灉水。東入于泗水。經汳水出陰溝、東至蒙爲徂獾、則灉水卽汳水也。灉之下流、入于睢水。沮水、地志睢水出沛國芒縣。睢水其沮水歟。晁氏曰、爾雅云、自河出爲灉、濟出爲濋。求之於韻、沮有楚音。二水河濟之別也。二說未詳孰是。會者、水之合也。同者、合而一也。
【読み】
△灉[よう]・沮[そ]會同す。灉・沮は、二水の名。灉水は、曾氏が曰く、爾雅に水河より出づるを灉とす、と。許愼が云う、河灉水は宋に在り、と。又曰く、汳[べん]水陳留浚儀の陰溝を受けて、蒙に至りて灉水と爲る。東して泗水に入る。汳水を經て陰溝を出で、東して蒙に至りて徂獾[そかん]と爲るときは、則ち灉水は卽ち汳水なり、と。灉の下流は、睢[き]水に入る。沮水は、地志に睢水は沛國芒縣より出づ、と。睢水は其れ沮水か。晁氏が曰く、爾雅に云う、河より出づるを灉とし、濟より出づるを濋とす、と。之を韻に求むるに、沮は楚の音有り。二水は河濟の別なり、と。二說未だ孰か是なるか詳らかならず。會とは、水の合うなり。同とは、合いて一つになるなり。

△桑土旣蠶。是降丘宅土。桑土、宜桑之土。旣蠶者、可以蠶桑也。蠶性惡濕。故水退而後可蠶。然九州皆賴其利。而獨於兗言之者、兗地宜桑。後世之濮上桑閒、猶可驗也。地高曰丘。兗地多在卑下、水害尤甚。民皆依丘陵以居。至是始得下居平地也。
【読み】
△桑土旣に蠶[こかい]す。是に丘を降りて土に宅る。桑土は、桑に宜きの土なり。旣に蠶すとは、以て蠶桑す可きなり。蠶の性は濕を惡む。故に水退いて而して後に蠶す可し。然も九州は皆其の利に賴る。而るに獨り兗に於て之を言うは、兗の地は桑に宜し。後世の濮上桑閒、猶驗す可し。地高きを丘と曰う。兗の地は多く卑下に在り、水害尤も甚だし。民皆丘陵に依りて以て居る。是に至りて始めて下りて平地に居ることを得。

△厥土黑墳、厥草惟繇、厥木惟條。墳、土脈墳起也。如左氏所謂祭之地地墳、是也。繇、茂。條、長也。○林氏曰、九州之勢、西北多山、東南多水。多山則草木爲宜。不待書也。兗・徐・揚三州、最居東南下流。其地卑濕沮洳、洪水爲患、草木不得其生。至是或繇或條、或夭或喬、而或漸苞。故於三州特言之、以見水土平、草木亦得遂其性也。
【読み】
△厥の土は黑く墳[うごも]てり、厥の草は惟れ繇[しげ]り、厥の木は惟れ條[なが]し。墳は、土脈墳起するなり。左氏に所謂之を地に祭るに地墳てりというが如き、是れなり。繇[よう]は、茂る。條は、長きなり。○林氏が曰く、九州の勢、西北は山多く、東南は水多し。山多きときは則ち草木宜しきを爲す。書するを待たず。兗・徐・揚の三州は、最も東南の下流に居る。其の地は卑濕沮洳にて、洪水患えを爲し、草木其の生を得ず。是に至りて或は繇り或は條く、或は夭[わか]く或は喬[たか]くして、或は漸苞す。故に三州に於て特に之を言いて、以て水土平らいで、草木も亦其の性を遂ぐるを得るを見すなり。

△厥田惟中下。厥賦貞。作十有三載、乃同。田第六等、賦第九等。貞、正也。兗賦最薄。言君天下者、以薄賦爲正也。作十有三載乃同者、兗當河下流之衝、水激而湍悍、地平而土疎、被害尤劇。今水患雖平、而卑濕沮洳、未必盡去、土曠人稀、生理鮮少。必作治十有三載、然後賦法同於他州。此爲田賦而言。故其文屬於厥賦之下。先儒以爲禹治水所歷之年。且謂、此州治水最在後畢。州爲第九成功。因以上文厥賦貞者、謂賦亦第九。與州正爲相當、殊無意義。其說非是。
【読み】
△厥の田は惟れ中の下なり。厥の賦は貞し。作ること十有三載にして、乃ち同じ。田は第六等にて、賦は第九等なり。貞は、正しきなり。兗は賦最も薄し。言うこころは、天下に君たる者は、薄賦を以て正とす。作ること十有三載にして乃ち同じとは、兗は河の下流の衝に當たりて、水激して湍悍[たんかん]し、地平らかにして土疎[あら]く、害を被ること尤も劇[はなは]だし。今水患平らぐと雖も、而して卑濕沮洳、未だ必ずしも盡く去らず、土曠く人稀にして、生理鮮少なり。必ず作治十有三載にして、然して後に賦法他州に同じくす。此れ田賦の爲にして言う。故に其の文は厥の賦の下に屬[つら]ぬ。先儒以て禹水を治めて歷る所の年とす。且つ謂う、此の州の水を治むること最も後に在りて畢わる。州は第九の成功を爲す、と。因りて上の文の厥の賦は貞しという者を以て、賦も亦第九なりと謂う。州と正に相當たることを爲すは、殊に意義無し。其の說是に非ず。

△厥貢漆絲。厥篚織文。貢者、下獻厥土所有於上也。兗地宜漆宜桑。故貢漆絲也。篚、竹器。筺屬也。古者幣帛之屬、則盛之以筺篚而貢焉。經曰、篚厥玄黃是也。織文者、織而有文。錦綺之屬也。以非一色、故以織文總之。林氏曰、有貢又有篚者、所貢之物入於篚也。
【読み】
△厥の貢は漆絲。厥の篚[はこもの]は織文あり。貢は、下厥の土の有する所を上に獻ずるなり。兗の地は漆に宜く桑に宜し。故に漆絲を貢す。篚は、竹器。筺の屬なり。古の幣帛の屬は、則ち之を盛るに筺篚[きょうひ]を以てして貢す。經に曰く、厥の玄黃を篚にすとは是れなり。織文は、織りて文有り。錦綺の屬なり。一色に非ざるを以て、故に織文を以て之を總ぶ。林氏が曰く、貢有りて又篚有る者は、貢する所の物を篚に入るるなり、と。

△浮于濟・漯、達于河。舟行水曰浮。漯者、河之枝流也。兗之貢賦浮濟浮漯、以達於河也。帝都冀州三面距河、達河、則達帝都矣。又按地志曰、漯水出東郡東武陽、至千乘入海。程氏以爲、此乃漢河、與漯殊異。然亦不能明言漯河所在。未詳其地也。
【読み】
△濟・漯[とう]に浮かんで、河に達す。舟水を行くを浮と曰う。漯は、河の枝流なり。兗の貢賦濟に浮かび漯に浮かんで、以て河に達するなり。帝都冀州三面は河に距り、河に達するときは、則ち帝都に達するなり。又地志を按ずるに曰く、漯水は東郡東武陽より出でて、千乘に至りて海に入る、と。程氏以爲えらく、此れ乃ち漢河にて、漯と殊に異なり、と。然れども亦明らかに漯河の在る所を言うこと能わず。未だ其の地を詳らかにせざるなり。

△海・岱惟靑州。靑州之域、東北至海、西南距岱。岱、泰山也。在今襲慶府奉府縣西北三十里。
【読み】
△海・岱は惟れ靑州なり。靑州の域は、東北は海に至り、西南は岱に距る。岱は、泰山なり。今の襲慶府奉府縣の西北三十里に在り。

△嵎夷旣略。嵎夷、薛氏曰、今登州之地。略、經略爲之封畛也。卽堯典之嵎夷。
【読み】
△嵎夷[ぐうい]旣に略[かぎ]れり。嵎夷は、薛氏が曰く、今の登州の地、と。略は、經略して之が封畛[ほうしん]を爲すなり。卽ち堯典の嵎夷なり。

△濰・淄其道。濰・淄、二水名。濰水、地志云、出琅琊郡箕縣。今密州莒縣東北濰山也。北至都昌入海。今濰州昌邑也。淄水地志云、出泰山郡萊蕪縣原山。今淄州淄川縣東南七十里原山也。東至慱昌縣入濟。今靑州壽光縣也。其道者、水循其道也。上文言旣道者、禹爲之道也。此言其道者、泛濫旣去、水得其故道也。林氏曰、河濟下流、兗受之。淮下流、徐受之。江漢下流、揚受之。靑雖近海、然不當衆流之衝。但濰淄二水、順其故道、則其功畢矣。比之他州、用力最省者也。
【読み】
△濰[い]・淄[し]其れ道なる。濰・淄は、二水の名。濰水は、地志に云う、琅琊郡箕縣より出づ、と。今の密州莒[きょ]縣の東北の濰山なり。北は都昌に至りて海に入る。今の濰州の昌邑なり。淄水は地志に云う、泰山郡萊蕪縣の原山より出づ、と。今の淄州淄川縣の東南七十里の原山なり。東は慱昌[たんしょう]縣に至りて濟に入る、と。今の靑州壽光縣なり。其れ道なるとは、水其の道に循うなり。上の文に旣に道なると言うは、禹之が道を爲るなり。此に其れ道なると言うは、泛濫旣に去りて、水其の故道を得るなり。林氏が曰く、河濟の下流、兗之を受く。淮の下流、徐之を受く。江漢の下流、揚之を受く。靑は海に近しと雖も、然れども衆流の衝に當たらず。但濰淄の二水、其の故道に順うときは、則ち其の功畢わる。之を他州に比するに、力を用ゆること最も省せる者なり、と。

△厥土白墳。海濱廣斥。濱、涯也。海涯之地、廣漠而斥鹵。許愼曰、東方謂之斥、西方謂之鹵。斥鹵、鹹地、可煮爲鹽者也。
【読み】
△厥の土は白くして墳[うごも]てり。海濱廣き斥あり。濱は、涯なり。海涯の地は、廣漠にして斥鹵[ろ]なり。許愼が曰く、東方を之を斥と謂い、西方を之を鹵と謂う、と。斥鹵は、鹹地[かんち]、煮て鹽[しお]を爲る可き者なり。

△厥田惟上下。厥賦中上。田第三、賦第四也。
【読み】
△厥の田は惟れ上の下なり。厥の賦は中の上なり。田は第三、賦は第四なり。

△厥貢鹽・絺。海物惟錯。岱畎絲・枲・鈆・松・怪石。萊夷作牧、厥篚檿絲。鹽、斥地所出。絺、細葛也。錯、雜也。海物、非一種。故曰錯。林氏曰、旣總謂之海物、則固非一物矣。此與揚州齒革・羽毛・惟木文勢正同。錯、蓋別爲一物。如錫貢磬錯之錯、理或然也。畎、谷也。岱山之谷也。枲、麻也。怪石、怪異之石也。林氏曰、怪石之貢、誠爲可疑。意其必須以爲器用之飾、而有不可闕者。非特貢其怪異之石、以爲玩好也。萊夷、顏師古曰、萊山之夷。齊有萊侯萊人。卽今萊州之地。作牧者、言可牧放。夷人以畜牧爲生也。檿、山桑也。山桑之絲其韌中琴瑟之絃。蘇氏曰、惟東萊爲有此絲、以之爲繒。其堅韌異常。萊人謂之山蠒。
【読み】
△厥の貢は鹽・絺[ち]、海物惟れ錯われり。岱の畎[たに]は絲・枲[し]・鈆[なまり]・松・怪石なり。萊夷牧を作し、厥の篚は檿絲[えんし]なり。鹽は、斥地の出だす所。絺は、細き葛なり。錯は、雜わるなり。海物は、一種に非ず。故に錯と曰う。林氏が曰く、旣に總べて之を海物と謂うときは、則ち固に一物に非ず。此れ揚州の齒革・羽毛・惟れ木と文勢正に同じ、と。錯は、蓋し別に一物を爲す。磬錯を錫わりて貢するの錯の如き、理或は然らん。畎は、谷なり。岱山の谷なり。枲は、麻なり。怪石は、怪異の石なり。林氏が曰く、怪石の貢は、誠に疑う可きことを爲す。意うに其れ必ず須ち以て器用の飾りを爲して、闕く可からざること有る者ならん。特に其の怪異の石を貢して、以て玩好を爲すに非ず、と。萊夷は、顏師古が曰く、萊山の夷。齊に萊侯萊人有り、と。卽ち今の萊州の地なり。牧を作すとは、言うこころは、牧放す可し。夷人は畜牧を以て生を爲す。檿は、山桑なり。山桑の絲は其の韌[つよ]きこと琴瑟の絃に中る。蘇氏が曰く、惟れ東萊に此の絲有るが爲に、之を以て繒[きぬ]に爲る。其の堅韌[けんじん]なること常に異なり。萊人之を山蠒[やままゆ]と謂う、と。

△浮于汶、達于濟。汶水、出泰山郡萊蕪縣原山。今襲慶府萊蕪縣也。西南入濟。在今鄆州中都縣也。蓋淄水、出萊蕪原山之陰、東北而入海。汶水、出萊蕪原山之陽、西南而入濟。不言達河者、因於兗也。
【読み】
△汶[ぶん]に浮かんで、濟に達す。汶水は、泰山郡萊蕪縣の原山より出づ。今の襲慶府萊蕪縣なり。西南して濟に入る。今の鄆[うん]州中都縣に在り。蓋し淄水は、萊蕪原山の陰[きた]より出でて、東北して海に入る。汶水は、萊蕪原山の陽[みなみ]より出でて、西南して濟に入る。河に達すと言わざるは、兗に因ればなり。

△海・岱及淮、惟徐州。徐州之域、東至海、南至淮、北至岱、而西不言濟者、岱之陽、齊東爲徐、岱之北、濟東爲靑、言濟不足以辨。故略之也。爾雅濟東曰徐州者、商無靑。幷靑於徐也。周禮正東曰靑州者、周無徐。幷徐於靑也。林氏曰、一州之境、必有四至。七州皆止二至、蓋以鄰州互見。至此州獨載其三邉者、止言海岱、則嫌於靑、止言淮海則嫌於揚。故必曰海岱及淮、而後徐州之疆境始別也。
【読み】
△海・岱及び淮は、惟れ徐州なり。徐州の域、東は海に至り、南は淮に至り、北は岱に至りて、西に濟を言わざるは、岱の陽[みなみ]、齊の東を徐と爲し、岱の北、濟の東を靑と爲し、濟を言いて以て辨ずるに足らず。故に之を略せり。爾雅に濟の東を徐州と曰うは、商に靑無し。靑を徐に幷すればなり。周禮に正東を靑州と曰うは、周に徐無し。徐を靑に幷すればなり。林氏が曰く、一州の境は、必ず四至有り。七州皆二至に止まるは、蓋し鄰州を以て互いに見る。此の州に至りて獨り其の三邉を載する者は、止海岱と言うときは、則ち靑に嫌あり、止淮海と言うときは則ち揚に嫌あり。故に必ず海岱及び淮と曰いて、而して後に徐州の疆境始めて別る、と。

△淮・沂其乂。淮・沂、二水名。淮、見導水。曾氏曰、淮之源出于豫之境。至揚・徐之閒始大。其泛濫爲患尤在於徐。故淮之治、於徐言之也。沂水、地志云、出泰山郡蓋縣艾山。今沂州沂水縣也。南至于下邳、西南而入于泗。曾氏曰、徐州水以沂名者非一。酈道元謂、水出尼丘山西北、徑魯之雩門、亦謂之沂水。水出太公武陽之冠石山、亦謂之沂水。而沂水之大、則出於泰山也。又按徐之水、有泗有汶、有汴有漷、而獨以淮沂言者、周職方氏靑州其川淮・泗、其浸沂・沭。周無徐州。兼之於靑。周之靑卽禹之徐。卽徐之川莫大於淮。淮乂、則自泗而下、凡爲川者可知矣。徐之浸莫大於沂。沂乂、則自沭而下、凡爲浸者可知矣。
【読み】
△淮・沂其れ乂[おさ]まる。淮・沂は、二水の名。淮は、導水に見えたり。曾氏が曰く、淮の源は豫の境より出づ。揚・徐の閒に至りて始めて大いなり。其の泛濫の患えを爲すこと尤も徐に在り。故に淮の治は、徐に於て之を言う、と。沂水は、地志に云う、泰山郡蓋縣の艾山[がいざん]より出づ、と。今の沂州沂水縣なり。南して下邳[ひ]に至り、西南して泗に入る。曾氏が曰く、徐州の水の沂を以て名づくる者は一に非ず、と。酈道元が謂う、水の尼丘山の西北より出でて、魯の雩門[うもん]を徑る、亦之を沂水と謂う。水の太公武陽の冠石山より出づる、亦之を沂水と謂う。而して沂水の大いなるは、則ち泰山より出づ、と。又按ずるに徐の水に、泗有り汶有り、汴[べん]有り漷[かく]有りて、獨り淮沂を以て言う者は、周の職方氏に靑州の其の川は淮・泗、其の浸は沂・沭[じゅつ]、と。周に徐州無し。之を靑に兼ぬ。周の靑は卽ち禹の徐なり。卽ち徐の川は淮より大いなるは莫し。淮乂まるときは、則ち泗よりして下、凡て川爲る者知る可し。徐の浸は沂より大いなるは莫し。沂乂まるときは、則ち沭より下、凡て浸爲る者知る可し。

△蒙・羽其藝。蒙・羽、二山名。蒙山、地志在泰山郡蒙陰縣西南。今沂州費縣也。羽山、地志在東海郡祝其縣南。今海州朐山縣也。藝者、言可種藝也。
【読み】
△蒙・羽其れ藝す。蒙・羽は、二山の名。蒙山は、地志に泰山郡蒙陰縣の西南に在り、と。今の沂州費縣なり。羽山は、地志に東海郡祝其縣の南に在り、と。今の海州朐[く]山縣なり。藝とは、言うこころは、種藝す可しとなり。

△大野旣豬。大野、澤名。地志在山陽郡鉅野縣北。今濟州鉅野縣也。鉅卽大也。水蓄而復流者、謂之豬。按水經、濟水至乘氏縣分爲二。南爲菏、北爲濟。酈道元謂、一水東南流。一水東北流、入鉅野澤、則大野爲濟之所絕。其所聚也大矣。何承天曰、鉅野廣大南導洙泗、北連淸濟。徐之有濟、於是乎見。又鄆州中都西南、亦有大野陂。或皆大野之地也。
【読み】
△大野旣に豬[ちょ]す。大野は、澤の名。地志に山陽郡鉅野縣の北に在り、と。今の濟州鉅野縣なり。鉅は卽ち大なり。水蓄えて復流るる者、之を豬と謂う。水經を按ずるに、濟水は乘氏縣に至りて分かれて二つと爲す。南は菏[か]と爲り、北は濟と爲る、と。酈道元が謂う、一水は東南に流る。一水は東北に流れ、鉅野の澤に入りて、則ち大野は濟の絕ゆる所と爲る。其の聚まる所は大いなり、と。何承天が曰く、鉅野は廣大にして南は洙泗を導き、北は淸濟に連なる。徐の濟有ること、是に於て見る。又鄆州の中都の西南にも、亦大野陂有り。或は皆大野の地ならん。

△東原厎平。東原、漢之東平國。今之鄆州也。晁氏曰、東平自古多水患、數徙其城。咸平中又徙城於東南、則其下濕可知。厎平者、水患已去、而厎於平也。後人以其地之平、故謂之東平。又按東原在徐之西北、而謂之東者、以在濟東故也。東平國、在景帝亦謂濟東國云、益知大野東原所以志濟也。
【読み】
△東原平らかなるに厎[いた]る。東原は、漢の東平國。今の鄆州なり。晁氏が曰く、東平は古より水患多く、數々其の城を徙[うつ]す。咸平の中ごろ又城を東南に徙せば、則ち其の下濕なること知る可し。平らかなるに厎るとは、水患已に去りて、平らかなることを厎すなり。後人其の地の平らかなるを以て、故に之を東平と謂う。又按ずるに東原は徐の西北に在りて、之を東と謂うは、濟の東に在るを以ての故なり。東平國は、景帝に在りて亦濟東の國と謂うと云えば、益々大野の東原を濟と志[しる]す所以を知るなり。

△厥土赤埴墳。草木漸包。土黏曰埴。埴、膩也。黏泥如脂之膩也。周有摶埴之工。老氏言、埏埴以爲器。惟土性黏膩細密。故可摶可埏也。漸、進長也。如易所謂木漸。言其日進於茂而不已也。包、叢生也。如詩所謂如竹苞矣。言其叢生而積也。
【読み】
△厥の土は赤くして埴墳[うごも]てり。草木漸包す。土黏[ねば]るを埴と曰う。埴は、膩[なめ]らかなり。黏泥は脂の膩らかなるが如し。周に摶埴[たんしょく]の工有り。老氏言く、埴を埏[こ]ねて以て器に爲る、と。惟れ土の性は黏膩[ねんじ]細密。故に摶[う]つ可く埏ねる可し。漸は、進長なり。易に所謂木漸というが如し。言うこころは、其れ日に茂[さかに進んで已まざるなり。包は、叢生なり。詩に所謂竹の苞[しげ]るが如しというが如し。言うこころは、其れ叢生して積れるなり。

△厥田惟上中。厥賦中中。田第二等、賦第五等也。
【読み】
△厥の田は惟れ上の中なり。厥の賦は中の中なり。田は第二等、賦は第五等なり。

△厥貢惟土五色。羽畎夏翟、嶧陽孤桐。泗濱浮磬、淮夷蠙珠曁魚。厥篚玄纖縞。徐州之土雖赤、而五色之土、亦閒有之。故制以爲貢。周書作雒曰、諸侯受命于周、乃建大社于國中。其壝東靑土、南赤土、西白土、北驪土、中央疂以黃土。將建諸侯、鑿取其方面之土、苞以黃土、苴以白茅、以爲土封。故曰、受削土于周室。此貢土五色、意亦爲是用也。羽畎、羽山之谷也。夏翟、雉具五色。其羽中旌旄者也。染人之職、秋染夏。鄭氏曰、染夏者、染五色也。林氏曰、古之車服器用、以雉爲飾者多。不但旌旄也。曾氏曰、山雉具五色、出于羽山之畎。則其名山以羽者以此歟。嶧、山名。地志云、東海郡下邳縣西、有葛嶧山。古文以爲嶧山。下邳、今淮陽軍下邳縣也。陽者、山南也。孤桐、特生之桐。其材中琴瑟。詩曰、梧桐生矣、于彼朝陽。蓋草木之生、以向日爲貴也。泗、水名。出魯國卞縣。桃墟西北、陪尾山源有泉四、四泉倶導。因以爲名。西南過彭城、又東南過下邳入淮卞縣。今襲慶府泗水縣也。濱、水旁也。浮磬、石露水濱。若浮於水然。或曰、非也。泗濱非必水中。泗水之旁近浮者、石浮生土中、不根著者也。今下邳有石磬山。或以爲古取磬之地。曾氏曰、不謂之石者、成而後貢也。淮夷、淮之夷也。蠙、蚌之別名也。曁、及也。珠、爲服飾、魚、用祭祀。今濠・泗・楚皆貢淮白魚。亦古之遺制歟。夏翟之出于羽畎、孤桐之生於嶧陽、浮磬之出於泗濱、珠魚之出於淮夷、各有所產之地、非他處所有。故詳其地而使貢也。玄、赤黑色幣也。武成曰、篚厥玄黃。纖縞、皆繒也。禮曰、及期而大祥。素縞麻衣。中月而禫。禫而纖。記曰、有虞氏縞衣而養老。則知纖縞皆繒之名也。曾氏曰、玄赤而有黑色、以之爲袞、所以祭也。以之爲端、所以齊也。以之爲冠、以爲首服也。黑經白緯曰纖。纖也縞也、皆去凶卽吉之所服也。
【読み】
△厥の貢は惟れ土の五色なり。羽の畎[たに]は夏翟[かてき]、嶧[えき]の陽[みなみ]は孤桐なり。泗の濱は浮磬、淮夷は蠙珠[ひんしゅ]曁[およ]び魚なり。厥の篚は玄[くろ]き纖縞なり。徐州の土は赤しと雖も、而れども五色の土も、亦閒々に之れ有り。故に制して以て貢とす。周書の作雒[さくらく]に曰く、諸侯命を周に受け、乃ち大社を國中に建つ。其の壝[い]は東は靑土、南は赤土、西は白土、北は驪土、中央は疂ぬるに黃土を以てす。將に諸侯を建てんとすれば、鑿ちて其の方面の土を取りて、苞むに黃土を以てし、苴[に白茅を以てし、以て土封を爲る。故に曰く、削土を周室に受く、と。此れ土の五色を貢する、意うに亦是の用を爲さんとなり。羽の畎は、羽山の谷なり。夏翟は、雉は五色を具う。其の羽は旌旄[せいぼう]に中る者なり。染人の職、秋に夏を染む。鄭氏が曰く、夏を染むとは、五色に染むるなり、と。林氏が曰く、古の車服器用、雉を以て飾りとする者多し。但に旌旄のみならず、と。曾氏が曰く、山雉は五色を具えて、羽山の畎に出づ。則ち其の山を名づくるに羽を以てする者は此を以てか、と。嶧は、山の名。地志に云う、東海郡下邳縣の西に、葛嶧山有り、と。古文に以爲えらく、嶧山、と。下邳は、今の淮陽軍下邳縣なり。陽は、山の南なり。孤桐は、特生の桐。其の材は琴瑟に中る。詩に曰く、梧桐生いたり、彼の朝陽に、と。蓋し草木の生ずるは、日に向かうを以て貴しとす。泗は、水の名。魯國卞[べん]縣より出づ。桃墟の西北、陪尾山の源に泉四つ有り、四泉倶に導く。因りて以て名とす。西南して彭城を過ぎ、又東南して下邳を過ぎて淮卞縣に入る。今の襲慶府泗水縣なり。濱は、水の旁[ほとり]なり。浮磬は、石の水濱に露わる。水に浮くが若く然り。或ひと曰く、非なり。泗濱は必ずしも水中に非ず。泗水の旁近に浮くは、石浮きて土中に生じて、根著せざる者なり、と。今の下邳に石磬山有り。或ひと以爲えらく、古磬を取るの地、と。曾氏が曰く、之を石と謂わざるは、を成して而して後に貢するなり、と。淮夷は、淮の夷なり。蠙は、蚌[ほう]の別名なり。曁は、及ぶなり。珠は、服の飾りと爲し、魚は、祭祀に用ゆ。今の濠・泗・楚は皆淮の白魚を貢す。亦古の遺制か。夏翟の羽の畎より出で、孤桐の嶧の陽に生じ、浮磬の泗濱より出で、珠魚の淮夷より出づる、各々產する所の地有り、他處の有する所に非ず。故に其の地を詳らかにして貢せしむ。玄は、赤黑の色の幣なり。武成に曰く、厥の玄黃を篚にす、と。纖縞は、皆繒[きぬ]なり。禮に曰く、期に及んで大祥す。素縞麻衣す。中月にして禫[たん]す。禫して纖す、と。記に曰く、有虞氏は縞衣して老を養う、と。則ち知る、纖縞は皆繒の名なることを。曾氏が曰く、玄赤にして黑色有り、之を以て袞に爲るは、祭る所以なり。之を以て端に爲るは、齊する所以なり。之を以て冠に爲るは、以て首服とするなり、と。黑き經白き緯を纖と曰う。纖や縞や、皆凶を去りて吉に卽くの服する所なり。

△浮于淮・泗、達于河。許愼曰、汳水、受陳留浚儀陰溝、至豪爲灉水、東入于泗、則淮泗之可以達于河者、以灉至于泗也。許愼又曰、泗受泲水東入淮。蓋泗水至大野而合泲。然則泗之上源自泲亦可以通河也。
【読み】
△淮・泗に浮かんで、河に達す。許愼が曰く、汳水[べんすい]、陳留浚儀の陰溝を受けて、豪に至りて灉水[ようすい]と爲り、東して泗に入るときは、則ち淮泗の以て河に達す可き者、灉を以て泗に至る、と。許愼又曰く、泗は泲水[せいすい]を受けて東して淮に入る。蓋し泗水は大野に至りて泲に合う。然らば則ち泗の上源は泲より亦以て河に通ず可し、と。

△淮・海惟揚州。揚州之域、北至淮、東南至于海。
【読み】
△淮・海は惟れ揚州なり。揚州の域は、北は淮に至り、東南は海に至る。

彭蠡旣豬。彭蠡、地志在豫章郡彭澤縣東、合江西江東諸水。跨豫章・饒州・南康軍三州之地。所謂鄱陽湖者是也。詳見導水。
【読み】
彭蠡[ほうれい]旣に豬す。彭蠡は、地志に豫章郡彭澤縣の東に在り、江西江東の諸水に合う、と。豫章・饒州・南康軍の三州の地に跨る。所謂鄱陽[はよう]湖なる者是れなり。詳らかに導水に見えたり。

△陽鳥攸居。陽鳥、隨陽之鳥。謂鴈也。今惟彭蠡洲渚之閒、千百爲羣。記陽鳥所居、猶夏小正記鴈北郷也。言澤水旣豬、洲渚旣平、而禽鳥亦得居止、而遂其性也。
【読み】
△陽鳥の居る攸なり。陽鳥は、陽に隨うの鳥。鴈を謂うなり。今惟れ彭蠡の洲渚の閒、千百羣を爲す。陽鳥の居る所と記すは、猶夏小正に鴈北に郷[む]かうと記すがごとし。言うこころは、澤水旣に豬し、洲渚旣に平らいで、禽鳥も亦居止を得て、其の性を遂ぐるなり。

△三江旣入。唐仲初吳都賦註、松江下七十里、分流東北入海者爲婁江、東南流者爲東江、倂松江爲三江。其地今亦名三江口。吳越春秋所謂范蠡乘舟出三江之口者是也。○又按蘇氏謂岷山之江爲中江、嶓冢之江爲北江、豫章之江爲南江。卽導水所謂東爲北江、東爲中江者。旣有中北二江、則豫章之江、爲南江可知。今按此爲三江、若可依據。然江漢會於漢陽、合流數百里、至湖口而後與豫章江會、又合流千餘里而後入海。不復可指爲三矣。蘇氏知其說不通、遂有味別之說。禹之治水、本爲民去害。豈如陸羽輩辨味烹茶、爲口腹計耶。亦可見其說之窮矣。以其說易以惑人、故幷及之。或曰、江漢之水、揚州巨浸、何以不書。曰、禹貢書法費疎鑿者、雖小必記。無施勞者、雖大亦略。江漢荆州而下、安於故道。無俟濬治。故在不書。況朝宗于海。荆州固備言之。是亦可以互見矣。此正禹貢之書法也。
【読み】
△三江旣に入りぬ。唐仲初が吳都の賦の註に、松江の下七十里、東北に分かれ流れて海に入る者を婁江[ろうこう]とし、東南に流るる者を東江とし、松江を倂せて三江とす、と。其の地は今亦三江口と名づく。吳越春秋に所謂范蠡舟に乘りて三江の口を出づる者是れなり。○又按ずるに蘇氏が謂ゆる岷山[びんざん]の江を中江とし、嶓冢[はちょう]の江を北江とし、豫章の江を南江とす、と。卽ち導水に所謂東を北江とし、東を中江とする者なり。旣に中北の二江有るときは、則ち豫章の江は、南江爲ること知る可し。今按ずるに此を三江とすること、依り據る可きが若し。然れども江漢漢陽に會し、合流すること數百里、湖口に至りて而して後に豫章江と會し、又合流すること千餘里にして而して後に海に入る。復指して三つとす可からず。蘇氏其の說の通ぜざるを知りて、遂に味別の說有り。禹の水を治むるは、本民の爲に害を去る。豈陸羽が輩の味を辨じ茶を烹る、口腹の爲の計の如くならんや。亦其の說の窮まることを見る可し。其の說以て人を惑わし易きを以て、故に幷せて之に及ぶ。或ひと曰く、江漢の水、揚州の巨浸、何を以てか書さざる、と。曰く、禹貢の書法疎鑿を費す者は、小なりと雖も必ず記す。勞を施すこと無き者は、大なりと雖も亦略す。江漢荆州よりして下は、故道を安んず。濬治[しゅんち]を俟つこと無し。故に書さざるに在り。況んや海に朝宗するをや。荆州は固に備に之を言う。是れ亦以て互いに見る可し。此れ正に禹貢の書法なり。

△震澤厎定。震澤、太湖也。周職方揚州藪曰具區。地志在吳縣西南五十里。今蘇州吳縣也。曾氏曰、震、如三川震之震。若今湖翻是也。具區之水、多震而難定。故謂之震澤。厎定者、言厎於定而不震蕩也。
【読み】
△震澤定まれるに厎る。震澤は、太湖なり。周の職方に揚州の藪を具區と曰う、と。地志に吳縣の西南五十里に在り、と。今の蘇州吳縣なり。曾氏が曰く、震は、三川震うの震の如し。今の湖翻の若き是れなり、と。具區の水、多く震いて定まり難し。故に之を震澤と謂う。定まれるに厎るとは、言うこころは、定まれるに厎りて震蕩せざるなり。

△篠簜旣敷。厥草惟夭。厥木惟喬。厥土惟塗泥。篠、箭竹。簜、大竹。郭璞曰、竹闊節曰簜。敷、布也。水去竹已布生也。少長曰夭。喬、高也。塗泥、水泉濕也。下地多水、其土淖。
【読み】
△篠簜[しょうとう]旣に敷く。厥の草は惟れ夭[わか]し。厥の木は惟れ喬[たか]し。厥の土は惟れ塗泥なり。篠は、箭竹なり。簜は、大竹なり。郭璞が曰く、竹の闊節なるを簜と曰う、と。敷は、布くなり。水去りて竹已に布生す。少しく長きを夭と曰う。喬は、高きなり。塗泥は、水泉の濕[うるお]えるなり。下地水多くして、其の土は淖[どう]なり。

△厥田惟下下。厥賦下上上錯。田第九等、賦第七等、雜出第六等也。言下上上錯者、以本設賦九等、分爲三品。下上與中下異品。故變文言下上上錯也。
【読み】
△厥の田は惟れ下の下なり。厥の賦は下の上にして上も錯[まじ]われり。田は第九等、賦は第七等にして、第六等を雜え出だすなり。言うこころは、下の上にして上も錯わるとは、本賦を設くること九等なるを以て、分かちて三品とす。下の上と中の下とは品を異なり。故に文を變じて下の上にして上も錯わると言うなり。

△厥貢惟金三品・瑤琨・篠簜・齒革・羽毛・惟木。島夷卉服。厥篚織貝、厥包橘柚、錫貢。三品、金・銀・銅也。瑤琨、玉石名。詩曰、何以舟之、維玉及瑤。琨、說文云、石之美似玉者。取之可以爲禮器。篠之材、中於矢之笴、簜之材、中於樂之管。簜亦可爲符節。周官、掌節有英簜、象有齒、犀兕有革、鳥有羽、獸有毛。木、楩梓豫章之屬。齒革可以成車甲。羽毛可以爲旌旄。木可以備棟宇器械之用也。島夷、東南海島之夷。卉、草也。葛越木綿之屬。織貝、錦名。織爲貝文。詩曰、貝錦是也。今南夷木綿之精好者、亦謂之吉貝。海島之夷、以卉服來貢。而織貝之精者、則入篚焉。包、裹也。小曰橘、大曰柚。錫者、必待錫命而後貢。非歲貢之常也。張氏曰、必錫命乃貢者、供祭祀燕賓客、則詔之。口腹之欲、則難於出令也。
【読み】
△厥の貢は惟れ金三品・瑤琨[ようこん]・篠簜[しょうとう]・齒革・羽毛・惟れ木なり。島夷卉服す。厥の篚は織貝、厥の包は橘柚、錫わりて貢す。三品は、金・銀・銅なり。瑤琨は、玉石の名。詩に曰く、何を以て之を舟[お]びん、維れ玉及び瑤、と。琨は、說文に云う、石の美にして玉に似る者。之を取りて以て禮器に爲る可し、と。篠の材は、矢の笴[やがら]に中り、簜の材は、樂の管に中る。簜も亦符節に爲る可し。周官に、掌節に英簜有り、象に齒有り、犀兕[じ]に革有り、鳥に羽有り、獸に毛有り、と。木は、楩梓豫章の屬。齒革は以て車甲に成す可し。羽毛は以て旌旄に爲る可し。木は以て棟宇器械の用に備う可し。島夷は、東南海島の夷なり。卉は、草なり。葛越木綿の屬なり。織貝は、錦の名。織りて貝の文を爲る。詩に曰く、貝錦とは是れなり。今南夷木綿の精好なる者も、亦之を吉貝と謂う。海島の夷、卉服を以て來貢す。而して織貝の精しき者は、則ち篚に入るる。包は、裹[つつ]むなり。小なるを橘と曰い、大なるを柚と曰う。錫とは、必ず錫命を待ちて而して後に貢す。歲貢の常に非ざるなり。張氏が曰く、必ず命を錫いて乃ち貢する者は、祭祀に供し賓客を燕するときは、則ち之を詔[まね]く。口腹の欲には、則ち令を出だし難し、と。

△沿于江・海、達于淮・泗。順流而下曰沿。沿江入海。自海而入淮・泗、不言達于河者、因於徐也。禹時江・淮未通。故沿於海、至吳始開邦溝。隋人廣之、而江・淮舟船始通也。孟子言、排淮・泗而注之江、記者之誤也。
【読み】
△江・海に沿[したが]いて、淮・泗に達す。流れに順いて下るを沿と曰う。江に沿いて海に入る。海よりして淮・泗に入るを、河に達すと言わざるは、徐に因りてなり。禹の時は江・淮未だ通ぜず。故に海に沿いて、吳に至りて始めて邦溝を開く。隋人之を廣めて、江・淮の舟船始めて通ず。孟子言く、淮・泗を排[ひら]いて之を江に注ぐとは、記者の誤りならん。

△荆及衡陽、惟荆州。荆州之域、北距南條荆山、南盡衡山之陽。荆衡各見導山。唐孔氏曰、荆州以衡山之陽爲至者、蓋南方惟衡山爲大、以衡陽言之。見其地不止此山、而猶包其南也。
【読み】
△荆及び衡の陽[みなみ]は、惟れ荆州なり。荆州の域は、北は南條荆山に距[いた]り、南は衡山の陽を盡くす。荆衡は各々導山に見えたり。唐の孔氏が曰く、荆州を衡山の陽を以て至るとする者は、蓋し南方は惟れ衡山を大なりとし、衡の陽を以て之を言う。其の地は此の山に止まらざることを見して、猶其の南を包ぬ。

△江・漢朝宗于海。江・漢見導水。春見曰朝、夏見曰宗。朝宗、諸侯見天子之名也。江漢合流于荆、去海尙遠。然水道已安、而無有壅塞橫決之患。雖未至海、而其勢已奔趨於海。猶諸侯之朝宗于王也。
【読み】
△江・漢は海に朝宗す。江・漢は導水に見えたり。春に見ゆるを朝と曰い、夏見ゆるを宗と曰う。朝宗は、諸侯天子に見ゆるの名なり。江漢は荆に合流して、海を去ること尙遠し。然れども水道已に安んじて、壅塞橫決の患え有ること無し。未だ海に至らざると雖も、而して其の勢い已に奔りて海に趨る。猶諸侯の王に朝宗するがごとし。

△九江孔殷。九江、卽今之洞庭也。水經言、九江在長沙下雋西北。楚地記曰、巴陵瀟湘之淵、在九江之閒。今岳州巴陵縣、卽楚之巴陵、漢之下雋也。洞庭正在其西北、則洞庭之爲九江審矣。今沅水・漸水・元水・辰水・敍水・酉水・澧水・資水・湘水、皆合於洞庭。意以是名九江也。孔、甚。殷、正也。九江水道、甚得其正也。○按漢志、九江在廬江郡之尋陽縣。尋陽記九江之名、一曰烏江、二曰蜯江、三曰烏白江、四曰嘉靡江、五曰畎江、六曰源江、七曰廩江、八曰提江、九曰箘江。今詳漢九江郡之尋陽、乃禹貢・揚州之境。而唐孔氏又以爲、九江之名、起於近代。未足爲據。且九江派別取之耶。亦必首尾短長、大略均布、然後可目之爲九。然其一水之閒、當有一洲、九江之閒、沙水相閒、乃爲十有七道。而今尋陽之地、將無所容。況沙洲出沒、其勢不常。果可以爲地理之定名乎。設使派別爲九、則當曰九江旣道、不應曰孔殷。於導江當曰播九江、不應曰過九江。反復參攷、則九江非尋陽明甚。本朝胡氏以洞庭爲九江者得之。曾氏亦謂、導江曰過九江至于東陵。東陵、今之巴陵。今巴陵之上、卽洞庭也。因九水所合、遂名九江。故下文導水曰過九江。經之例、大水合小水謂之過、則洞庭之爲九江、益以明矣。
【読み】
△九江孔だ殷[ただ]し。九江は、卽ち今の洞庭なり。水經に言う、九江は長沙下雋[かすい]の西北に在り、と。楚地記に曰く、巴陵瀟湘[しょうしょう]の淵は、九江の閒に在り、と。今の岳州巴陵縣は、卽ち楚の巴陵、漢の下雋なり。洞庭は正に其の西北に在れば、則ち洞庭の九江爲ること審[あき]らかなり。今の沅水・漸水・元水・辰水・敍水・酉水[ゆうすい]・澧水[れいすい]・資水・湘水は、皆洞庭に合う。意うに是を以て九江と名づくるならん。孔は、甚だ。殷は、正しきなり。九江の水道、甚だ其の正しきを得るなり。○漢志を按ずるに、九江は廬江郡の尋陽縣に在り、と。尋陽記に九江の名は、一に曰く烏江、二に曰く蜯江[ぼうこう]、三に曰く烏白江、四に曰く嘉靡江、五に曰く畎江、六に曰く源江、七に曰く廩江、八に曰く提江、九に曰く箘江[きんこう]、と。今漢の九江郡の尋陽を詳らかにするに、乃ち禹貢・揚州の境なり。而るに唐の孔氏又以爲えらく、九江の名は、近代に起こる、と。未だ據ると爲すに足らず。且つ九江の派別に之を取るか。亦必ず首尾短長、大略均布にして、然して後に之を目づけて九とす可し。然も其の一水の閒、當に一洲有るべく、九江の閒、沙水相閒[まじ]わりて、乃ち十有七道とす。而るに今尋陽の地は、將に容るる所無かるべし。況んや沙洲の出沒、其の勢い常ならず。果たして以て地理の定名とす可けんや。設使[たと]い派別れて九と爲らば、則ち當に九江旣に道なると曰うべく、應に孔だ殷しと曰うべからず。江を導くに於て當に九江を播くと曰うべく、應に九江を過ぐと曰うべからず。反復參攷すれば、則ち九江は尋陽に非ざること明らかなること甚だし。本朝胡氏洞庭を以て九江とする者之を得たり。曾氏も亦謂う、江を導くに九江を過ぎて東陵に至ると曰う。東陵は、今の巴陵。今の巴陵の上は、卽ち洞庭なり。九水の合う所に因りて、遂に九江と名づく。故に下の文に水を導くに九江を過ぐと曰う、と。經の例、大水の小水に合うを之を過と謂わば、則ち洞庭の九江爲ること、益々以て明らかなり。

△沱・潛旣道。爾雅曰、自江出爲沱、自漢出爲潛。凡水之出於江・漢者、皆有此名。此則荆州江・漢之出者也。今按南郡枝江縣有沱水。然其流入江而非出於江也。華容縣有夏水。首出于江、尾入于沔。亦謂之沱。若潛水、則未有見也。
【読み】
△沱[た]・潛旣に道なる。爾雅に曰く、江より出づるを沱とし、漢より出づるを潛とす、と。凡そ水の江・漢より出づる者は、皆此の名有り。此れ則ち荆州江・漢の出づる者なり。今按ずるに南郡枝江縣に沱水有り。然れども其の流れは江に入りて江より出づるに非ず。華容縣に夏水有り。首は江より出でて、尾は沔[べん]に入る。亦之を沱と謂う。潛水の若きは、則ち未だ見ること有らず。

△雲土夢作乂。雲・夢、澤名。周官職方、荆州其澤藪曰雲夢。方八九百里、跨江南北。華容・枝江・枝江・江夏・安陸、皆其地也。左傳楚子濟江、入于雲中。又楚子以鄭伯田于江南之夢。合而言之則爲一。別而言之則二澤也。雲土者、雲之地土見而已。夢作乂者、夢之地已可耕治也。蓋雲夢之澤、地勢有高卑。故水落有先後、人工有早晩也。
【読み】
△雲土みえ夢乂[おさ]むることを作すべし。雲・夢は、澤の名。周官の職方に、荆州の其の澤藪を雲夢と曰う、と。方八九百里、江の南北に跨る。華容・枝江・枝江・江夏・安陸は、皆其の地なり。左傳に楚子江を濟[わた]りて、雲中に入る、と。又楚子鄭伯を以て江南の夢に田す、と。合わせて之を言わば則ち一爲り。別けて之を言わば則ち二澤なり。雲土とは、雲の地は土見るのみ。夢乂むることを作すとは、夢の地は已に耕治す可しとなり。蓋し雲夢の澤は、地勢高卑有り。故に水落ちて先後有り、人工に早晩有り。

△厥土惟塗泥。厥田惟下中。厥賦上下。荆州之土、與揚州同。故田比揚只加一等、而賦爲第三等者、地闊而人工修也。
【読み】
△厥の土は惟れ塗泥なり。厥の田は惟れ下の中なり。厥の賦は上の下なり。荆州の土は、揚州と同じ。故に田揚に比すれば只一等を加えて、賦第三等とする者は、地闊[ひろ]くして人工修むればなり。

△厥貢羽毛・齒革、惟金三品、杶榦・栝柏・礪砥・砮丹、惟箘簵・楛。三邦厎貢厥名。包匭菁茅、厥篚玄纁璣組。九江納錫大龜。荆之貢、與揚州大抵多同。然荆先言羽毛者、漢孔氏所謂善者爲先也。按職方氏、揚州其利金錫、荆州其利丹銀・齒革。則荆・揚所產、不無優劣矣。杶・栝・柏、三木名也。杶木似樗、而可爲弓榦。栝木、柏葉松身。礪砥、皆磨石。砥以細密爲名。礪以麤糲爲稱。砮者、中矢鏃之用。肅愼氏貢石砮者是也。丹、丹砂也。箘簵、竹名。楛、木名。皆可以爲矢。董安干之治晉陽也、公宮之垣、皆以荻蒿・苫楚廩之。其高丈餘。趙襄子發而試之。其堅則箘簵不能過也。則箘簵蓋竹之堅者、其材中矢之笴。楛、肅愼氏貢楛矢者是也。三邦、未詳其地。厎、致也。致貢箘簵楛之有名者也。匭、匣也。菁茅、有刺而三脊、所以供祭祀縮酒之用。旣包而又匣之。所以示敬也。齊桓公責楚貢包茅不入、王祭不供、無以縮酒。又管子云、江・淮之閒、一茅而三脊、名曰菁茅。菁茅、一物也。孔氏謂菁以爲葅者非是。今辰州麻陽縣苞茅山出。苞茅、有刺而三脊。纁、周禮染人夏纁玄纁。絳色幣也。璣、珠不圓者。組、綬類。大龜、尺有二寸、所謂國之守龜。非可常得。故不爲常貢。若偶得之、則使之納錫於上。謂之納錫者、下與上之辭。重其事也。
【読み】
△厥の貢は羽毛・齒革、惟れ金の三品、杶[ちゅん]榦・栝[かつ]柏・礪砥・砮[ど]丹、惟れ箘簵[きんろ]・楛[こ]なり。三邦厎[いた]し貢す厥の名あり。包は匭[はこ]にせる菁茅、厥の篚は玄纁[げんくん]の璣組[きそ]なり。九江は大龜を納れ錫わしむ。荆の貢は、揚州と大抵多く同じ。然れども荆先ず羽毛を言うは、漢の孔氏が所謂善き者を先とするなり。按ずるに職方氏に、揚州の其の利は金錫、荆州の其の利は丹銀・齒革、と。則ち荆・揚の產する所、優劣無からず。杶・栝・柏は、三木の名なり。杶木は樗[ちょ]に似て、弓榦にす可し。栝木は、柏の葉松の身なり。礪砥は、皆磨石。砥は細密を以て名とす。礪は麤糲を以て稱とす。砮は、矢鏃の用に中る。肅愼氏が石砮を貢すという者是れなり。丹は、丹砂なり。箘簵は、竹の名。楛は、木の名。皆以て矢に爲る可し。董安干が晉陽を治むるとき、公宮の垣は、皆荻蒿・苫楚を以て之を廩にす。其の高さ丈餘なり。趙襄子發して之を試む。其の堅きこと則ち箘簵も過ぐること能わず。則ち箘簵は蓋し竹の堅き者にて、其の材は矢の笴[やがら]に中る。楛は、肅愼氏楛矢を貢すという者是れなり。三邦は、未だ其の地を詳らかにせず。厎[し]は、致すなり。箘簵楛の名有る者を致し貢すなり。匭[き]は、匣[こう]なり。菁茅は、刺有りて三脊、祭祀に供し酒を縮[こ]す所以の用なり。旣に包んで又之を匣にす。敬を示す所以なり。齊の桓公楚の貢に包茅入れずして、王の祭に供さず、以て酒を縮すこと無きを責む。又管子云う、江・淮の閒、一茅にして三脊なる、名づけて菁茅と曰う、と。菁茅は、一物なり。孔氏が謂ゆる菁は以て葅[しょ]に爲るとは是に非ず。今の辰州麻陽縣の苞茅山に出づ。苞茅は、刺有りて三脊なり。纁は、周禮の染人に夏纁玄纁あり。絳[あか]色の幣なり。璣は、珠の圓からざる者なり。組は、綬の類。大龜は、尺有二寸、所謂國の守龜なり。常に得可きに非ず。故に常の貢とせず。若し偶々之を得るときは、則ち之をして上に納れ錫わしむ。之を納錫すと謂うは、下の上に與うるの辭。其の事を重んじてなり。

△浮于江・沱・潛・漢、逾于洛、至于南河。江・沱・潛・漢、其水道之出入不可詳、而大勢則自江・沱而入潛・漢也。逾、越也。漢與洛不通。故舍舟而陸以達于洛、自洛而至于南河也。程氏曰、不徑浮江・漢、兼用沱・潛者、隨其貢物所出之便、或由經流、或循枝派、期於便事而已。
【読み】
△江・沱・潛・漢に浮かんで、洛を逾えて、南の河に至る。江・沱・潛・漢は、其の水道の出入は詳らかにす可からずして、大勢は則ち江・沱よりして潛・漢に入るなり。逾は、越ゆるなり。漢と洛とは通ぜず。故に舟を舍[お]りて陸にして以て洛に達し、洛よりして南の河に至るなり。程氏が曰く、徑に江・漢に浮かばずして、沱・潛を兼ね用ゆる者は、其の貢物の出づる所の便に隨い、或は經流に由り、或は枝派に循いて、事に便なるを期するのみ、と。

△荆・河惟豫州。豫州之域、西南至南條荆山、北距大河。
【読み】
△荆・河は惟れ豫州なり。豫州の域、西南は南條の荆山に至り、北は大河に距[いた]る。

△伊・洛・瀍・澗、旣入于河。伊水、山海經曰、熊耳之山、伊水出焉、東北至洛陽縣南、北入于洛。郭璞云、熊耳在上洛縣南。今商州上洛縣也。地志言、伊水出弘農盧氏之熊耳者非是。洛水、地志云、出弘農郡上洛縣冢領山。水經謂之讙舉山。今商州洛南縣冢領山也。至鞏縣入河。今河南府鞏縣也。瀍水、地志云、出河南郡穀城縣朁亭北。今河南府河南縣西北、有古穀城縣、其北山實瀍水所出也。至偃師縣入洛。今河南府偃師縣也。澗水、地志云、出弘農郡新安縣、東南入于洛。新安在今河南府新安・澠池之閒、今澠池縣東二十三里新安城是也。城東北有白石山。卽澗水所出。酈道元云、世謂之廣陽山。然則澗水出今之澠池、至新安入洛也。伊・瀍・澗水入于洛、而洛水入于河。此言伊・洛・瀍・澗、入于河、若四水不相合而各入河者。猶漢入江、江入海。而荆州言江・漢朝宗于海意同。蓋四水竝流、小大相敵故也。詳見下文。
【読み】
△伊・洛・瀍[てん]・澗、旣に河に入る。伊水は、山海經に曰く、熊耳の山、伊水出でて、東北して洛陽縣の南に至り、北して洛に入る、と。郭璞が云う、熊耳は上洛縣の南に在り、と。今の商州上洛縣なり。地志に言う、伊水は弘農盧氏の熊耳より出づる者とは是に非ず。洛水は、地志に云う、弘農郡上洛縣の冢領山より出づ、と。水經に之を讙[かん]舉山と謂う。今の商州洛南縣の冢領山なり。鞏[きょう]縣に至りて河に入る。今の河南府鞏縣なり。瀍水は、地志に云う、河南郡穀城縣朁亭の北より出づ、と。今の河南府河南縣の西北に、古穀城縣有り、其の北山は實に瀍水の出づる所なり。偃師縣に至りて洛に入る。今の河南府偃師縣なり。澗水は、地志に云う、弘農郡新安縣より出でて、東南して洛に入る、と。新安は今の河南府新安・澠池[べんち]の閒に在り、今の澠池縣の東二十三里の新安城是れなり。城の東北に白石山有り。卽ち澗水の出づる所なり。酈道元が云う、世に之を廣陽山と謂う、と。然らば則ち澗水は今の澠池より出でて、新安に至りて洛に入るなり。伊・瀍・澗水は洛に入りて、洛水は河に入る。此に伊・洛・瀍・澗、河に入ると言うは、四水相合わずして各々河に入る者の若し。猶漢は江に入り、江は海に入る。而るに荆州に江・漢海に朝宗すと言うと意同じ。蓋し四水の竝び流るる、小大相敵する故なり。詳らかに下の文に見えたり。

△滎・波旣豬。滎・波、二水名。濟水自今孟州溫縣入河。潛行絕河、南溢爲滎。在今鄭州滎澤縣西五里、敖倉東南。敖倉者、古之敖山也。按今濟水但入河、不復過河之南滎。瀆水受河。水有石門、謂之滎口石門也。鄭康成謂、滎今塞爲平地。滎陽民猶謂、其處爲滎澤。酈道元曰、禹塞淫水。於滎陽下引河東南、以通淮・泗・濟水、分河東南流。漢明帝使王景卽滎水故瀆、東注浚儀。謂之浚儀渠。漢志謂、滎陽縣有狼蕩渠。首受濟者是也。南曰狼蕩、北曰浚儀、其實一也。波水、周職方、豫州其川滎・雒、其浸波・溠。爾雅云、水自洛出爲波。山海經曰、婁・涿之山、波水出其陰北、流注于穀。二說不同。未詳孰是。孔氏以滎・波爲一水者非也。
【読み】
△滎[けい]・波旣に豬す。滎・波は、二水の名。濟水は今の孟州溫縣より河に入る。潛行して河を絕ちて、南に溢れて滎と爲る。今の鄭州滎澤縣の西五里に在り、敖倉の東南なり。敖倉は、古の敖山なり。按ずるに今の濟水は但河に入りて、復河の南の滎を過ぎず。瀆水は河を受く。水に石門有り、之を滎口の石門と謂うなり。鄭康成が謂う、滎は今塞がりて平地と爲る。滎陽の民猶謂う、其の處は滎澤と爲る、と。酈道元が曰く、禹淫水を塞ぐ。滎陽の下[ほとり]に於て河の東南を引いて、以て淮・泗・濟水を通じ、河の東南の流れを分かつ、と。漢の明帝王景をして滎水の故瀆に卽いて、東し浚儀に注がしむ。之を浚儀渠と謂う。漢志に謂う、滎陽縣に狼蕩渠有り、と。首め濟を受くる者是れなり。南を狼蕩と曰い、北を浚儀と曰い、其の實は一なり。波水は、周の職方に、豫州其の川は滎・雒、其の浸は波・溠、と。爾雅に云う、水洛より出づるを波とす、と。山海經に曰く、婁・涿[たく]の山、波水其の陰北より出でて、穀に流れ注ぐ、と。二說同じからず。未だ孰れか是なるか詳らかならず。孔氏の滎・波を以て一水とする者は非なり。

△導菏澤、被孟豬。菏澤、地志在濟陰郡定陶縣東。今興仁府濟陰縣南三里、其地有菏山。故名其澤爲菏澤也。蓋濟水所經。水經謂南濟東過寃句縣南、又東過定陶縣南、又東北菏水東出焉是也。被、及也。孟豬、爾雅作孟諸。地志在梁國睢陽縣東北。今南京虞城縣西北孟諸澤是也。曾氏曰、被、覆也。菏水衍溢、導其餘波、入于孟豬。不常入也。故曰被。
【読み】
△菏[か]澤を導きて、孟豬に被[およ]べり。菏澤は、地志に濟陰郡定陶縣の東に在り、と。今の興仁府濟陰縣の南三里、其の地に菏山有り。故に其の澤を名づけて菏澤とするなり。蓋し濟水の經る所なり。水經に謂ゆる南濟東し寃句縣の南を過ぎ、又東し定陶縣の南を過ぎ、又東北して菏水の東に出づるとは是れなり。被は、及ぶなり。孟豬は、爾雅に孟諸に作る。地志に梁國睢陽[すいよう]縣の東北に在り、と。今の南京虞城縣の西北の孟諸澤是れなり。曾氏が曰く、被は、覆うなり。菏水衍溢し、其の餘波を導いて、孟豬に入る。常に入るにあらず。故に被と曰う、と。

△厥土惟壤。下土墳壚。土不言色者、其色雜也。壚、疎也。顏氏曰、玄而疎者、謂之壚。其土有高下之不同。故別言之。
【読み】
△厥の土は惟れ壤なり。下土は墳[うごも]ち壚[あら]し。土に色を言わざるは、其の色雜ればなり。壚[ろ]は、疎きなり。顏氏が曰く、玄くして疎き者、之を壚と謂う、と。其の土に高下の同じからざる有り。故に別に之を言う。

△厥田惟中上。厥賦錯上中。田第四等、賦第二等、雜出第一等也。
【読み】
△厥の田は惟れ中の上なり。厥の賦は錯[まじ]わりて上の中なり。田第四等、賦第二等なるは、第一等を雜え出だせばなり。

△厥貢漆枲・絺紵。厥篚纖纊。錫貢磬錯。林氏曰、周官載師、漆林之征、二十有五、周以爲征。而此乃貢者、蓋豫州在周爲畿内。故載師掌其征而不制貢。禹時豫在畿外。故有貢也。推此義、則冀不言貢者可知。顏師古曰、織紵以爲布及練。然經但言貢枲與紵。成布與未成布、不可詳也。纊、細綿也。磬錯、治磬之錯也。非所常用之物。故非常貢。必待錫命而後納也。與揚州橘柚同。然揚州先言橘柚、而此先言錫貢者、橘柚言包、則於厥篚之文無嫌。故言錫貢在後。磬錯、則與厥篚之文嫌於相屬。故言錫貢在先。蓋立言之法也。
【読み】
△厥の貢は漆枲[し]・絺紵[ちちょ]なり。厥の篚は纖纊なり。錫わりて貢する磬錯あり。林氏が曰く、周官の載師に、漆林の征、二十有五、周以て征とす、と。而るに此には乃ち貢するは、蓋し豫州は周に在りて畿内爲り。故に載師其の征を掌りて貢を制せず。禹の時に豫は畿外に在り。故に貢有るなり、と。此の義を推せば、則ち冀貢を言わざること知る可し。顏師古が曰く、紵を織りて以て布及び練を爲る、と。然れども經に但枲と紵とを貢すと言う。布を成すと未だ布を成さざるとは、詳らかにす可からず。纊は、細綿なり。磬錯は、磬を治むるの錯なり。常に用ゆる所の物に非ず。故に常の貢に非ず。必ず錫命を待ちて而して後に納むるなり。揚州の橘柚と同じ。然るに揚州は先に橘柚を言いて、此に先に錫貢を言うは、橘柚包を言うときは、則ち厥の篚の文に於て嫌無し。故に錫貢を言うこと後に在り。磬錯は、則ち厥の篚の文と相屬[つら]ぬるに嫌あり。故に錫貢を言うこと先に在り。蓋し立言の法ならん。

△浮于洛、達于河。豫州去帝都最近。豫之東境、徑自入河。豫之西境、則浮于洛、而後至河也。
【読み】
△洛に浮かんで、河に達す。豫州は帝都を去ること最も近し。豫の東境は、徑自ずから河に入る。豫の西境は、則ち洛に浮かんで、而して後に河に至るなり。

△華陽・黑水惟梁州。梁州之境、東距華山之南、西據黑水。華山、卽大華。見導山。黑水見導水。
【読み】
△華の陽[みなみ]・黑水は惟れ梁州なり。梁州の境は、東は華山の南に距[いた]り、西は黑水に據る。華山は、卽ち大華なり。導山に見えたり。黑水は導水に見えたり。

△岷・嶓旣藝。岷・嶓、二山名。岷山、地志在蜀郡湔氐道西徼外。在今茂州汶山縣、江水所出也。晁氏曰、蜀以山近江源者、通爲岷山、連峯接岫、重疊險阻、不詳遠近。靑城・天彭諸山之所環遶、皆古之岷山。靑城乃其第一峯也。嶓冢山、地志云、在隴西郡氐道縣。漾水所出。又云、在西縣。今興元府西縣三泉縣也。蓋嶓冢一山、跨于兩縣云。川原旣滌、水去不滯而無泛溢之患。其山已可種藝也。
【読み】
△岷[びん]・嶓[は]旣に藝す。岷・嶓は、二山の名。岷山は、地志に蜀郡湔氐道[せんていどう]の西徼[せいきょう]の外に在り、と。今の茂州汶山縣に在り、江水の出づる所なり。晁氏が曰く、蜀は山の江源に近き者を以て、通じて岷山とし、連峯接岫[しゅう]、重疊險阻にして、遠近を詳らかにせず。靑城・天彭諸山の環り遶[めぐ]る所は、皆古の岷山なり。靑城は乃ち其の第一峯なり。嶓冢山は、地志に云う、隴西郡氐道縣に在り、と。漾水[ようすい]の出づる所なり。又云う、西縣に在り、と。今の興元府西縣の三泉縣なり。蓋し嶓冢の一山は、兩縣に跨ると云う。川原旣に滌[すす]ぎ、水去りて滯らずして泛溢の患え無し。其の山は已に種藝す可きなり。

△沱・潛旣道。此江・漢別流之在梁州者。沱水、地志蜀郡郫縣、江・沱在東、西入大江郫縣。今成都府郫縣也。又地志云、蜀郡汶江縣、江・沱在西南東入江。汶江縣、今永康軍導江縣也。潛水、地志云、巴郡宕渠縣、潛水西南入江。宕渠、今渠州流江縣也。酈道元謂、宕渠縣有大穴、潛水入焉。通罡山下、西南潛出南入于江。又地志漢中郡安陽縣、灊谷水出西南入漢。灊、音潛。安陽縣、今洋州眞符縣也。○又按梁州乃江・漢之原、此不志者、岷之藝導江也。嶓之藝導漾也。道沱、則江悉矣。道潛、則漢悉矣。上志岷・嶓、下志沱・潛。江・漢源流於是而見。
【読み】
△沱[た]・潛旣に道なる。此れ江・漢別流の梁州に在る者なり。沱水は、地志に蜀郡郫[ひ]縣、江・沱東に在り、西して大江郫縣に入る、と。今の成都府郫縣なり。又地志に云う、蜀郡汶江縣、江・沱西南に在りて東して江に入る、と。汶江縣は、今の永康軍導江縣なり。潛水は、地志に云う、巴郡宕渠[とうきょ]縣、潛水西南して江に入る、と。宕渠は、今の渠州流江縣なり。酈道元が謂う、宕渠縣に大穴有り、潛水焉に入る。罡[こう]山の下に通じて、西南に潛出でて南して江に入る、と。又地志に漢中郡安陽縣、灊[せん]谷水西南に出でて漢に入る、と。灊は、音潛。安陽縣は、今の洋州眞符縣なり。○又按ずるに梁州乃ち江・漢の原、此に志[しる]さざるは、岷の藝は江を導くなり。嶓の藝は漾を導くなり。沱を道[みちび]くときは、則ち江悉[つ]くせり。潛を道くときは、則ち漢悉くせり。上に岷・嶓と志し、下に沱・潛と志す。江・漢の源流是に於て見る。

△蔡・蒙旅平。蔡・蒙、二山名。蔡山、輿地記在今雅州嚴道縣。蒙山、地志蜀郡靑衣縣。今雅州名山縣也。酈道元謂、山上合下開。沫水逕其閒。溷崖水脈漂疾、歷代爲患。蜀郡太守李冰、發卒鑿平溷崖。則此二山在禹爲用功多也。祭山曰旅。旅平者、治功畢而旅祭也。
【読み】
△蔡・蒙旅し平らぐ。蔡・蒙は、二山の名。蔡山は、輿地記に今の雅州嚴道縣に在り、と。蒙山は、地志に蜀郡靑衣縣、と。今の雅州名山縣なり。酈道元が謂う、山上合いて下開く。沫水其の閒を逕る。溷[こん]崖水脈漂疾にして、歷代患えを爲す。蜀郡の太守李冰、卒を發して溷崖を鑿り平らぐ。則ち此の二山は禹に在りて用功を爲すこと多し。山を祭るを旅と曰う。旅平とは、治功畢わりて旅祭するなり。

△和夷厎績。和夷、地名。嚴道以西有和川、有夷道。或其地也。又按晁氏曰、和夷、二水名。和水、今雅州滎經縣北。和川水、自蠻界羅嵒州東西來、逕蒙山。所謂靑衣水而入岷・江者也。夷水、出巴郡魚復縣、東南過佷山縣南、又東過夷道縣北、東入于江。今詳二說、皆未可必。但經言厎績者三。覃懷・原隰、旣皆地名、則此恐爲地名。或地名因水、亦不可知也。
【読み】
△和夷績[こと]を厎[いた]す。和夷は、地の名。嚴道より以西に和川有り、夷道有り。或は其の地ならん。又按ずるに晁氏が曰く、和夷は、二水の名なり。和水は、今の雅州滎經縣の北。和川の水は、蠻界羅嵒[らがん]州の東西より來り、蒙山を逕る、と。所謂靑衣水にして岷・江に入る者なり。夷水は、巴郡魚復縣より出でて、東南して佷山[こんざん]縣の南を過ぎ、又東して夷道縣の北を過ぎ、東して江に入る、と。今二說を詳らかにするに、皆未だ必とす可からず。但經に績を厎すと言う者三つ。覃懷[たんかい]・原隰、旣に皆地の名なるときは、則ち此れ恐らくは地の名爲らん。或は地の名の水に因るも、亦知る可からず。

△厥土靑黎。黎、黑也。
【読み】
△厥の土は靑く黎[くろ]し。黎は、黑きなり。

△厥田惟下上。厥賦下中三錯。田第七等、賦第八等、雜出第七第九等也。按賦雜出他等者、或以爲歲有豐凶、或以爲戶有增減、皆非也。意者地力有上下年分不同。如周官田一易再易之類。故賦之等第亦有上下年分。冀之正賦第一等、而閒歲第二等也。揚之正賦第七等、而閒歲第六等也。豫之正賦第二等、而閒歲第一等也。梁之正賦第八等、而閒歲出第七第九等也。當時必有條目詳具。今不存矣。書之所載、特凡例也。若謂歲之豐凶、戶之增減、則九州皆然、何獨於冀・揚・豫・梁四州言哉。
【読み】
△厥の田は惟れ下の上なり。厥の賦は下の中にして三つ錯[まじ]われり。田は第七等、賦は第八等にて、第七第九等を雜え出だすなり。按ずるに賦他の等を雜え出だす者は、或は以爲えらく、歲に豐凶有り、或は以爲えらく、戶に增減有りとは、皆非なり。意は地力に上下年分同じからざる有り。周官の田一易再易の類の如し。故に賦の等第も亦上下年分有り。冀の正賦は第一等にして、閒歲は第二等なり。揚の正賦は第七等にして、閒歲は第六等なり。豫の正賦は第二等にして、閒歲は第一等なり。梁の正賦は第八等にして、閒歲は第七第九等を出だすなり。當時必ず條目の詳らかに具わる有り。今存せず。書の載する所は、特に凡例なり。若し歲の豐凶、戶の增減なりと謂わば、則ち九州皆然るに、何ぞ獨り冀・揚・豫・梁の四州に於てのみ言わんや。

△厥貢璆鐵・銀鏤・砮磬・熊羆・狐貍・織皮。璆、玉磬。鐵、柔鐵也。鏤、剛鐵。可以刻鏤者也。磬、石磬也。言鐵而先於銀者、鐵之利多於銀也。後世蜀之卓氏・程氏、以鐵冶富擬封君、則梁之利尤在於鐵也。織皮者、梁州之地、山林爲多、獸之所走、熊羆狐狸四獸之皮、製之可以爲裘、其毳毛織之可以爲罽也。○林氏曰、徐州貢浮磬。此州旣貢玉磬、又貢石磬。豫州又貢磬錯。以此觀之、則知當時樂器、磬最爲重。豈非以其聲角、而在淸濁小大之閒、最難得其和者哉。
【読み】
△厥の貢は璆鐵[きゅうてつ]・銀鏤[ぎんろう]・砮磬・熊羆[ゆうひ]・狐貍・織れる皮なり。璆は、玉磬。鐵は、柔鐵なり。鏤は、剛鐵。以て刻鏤す可き者なり。磬は、石磬なり。鐵を言いて銀より先にする者は、鐵の利銀より多ければなり。後世蜀の卓氏・程氏、鐵冶を以て富み封君に擬するときは、則ち梁の利尤も鐵に在り。織れる皮は、梁州の地、山林多きを爲し、獸の走る所、熊羆狐狸四獸の皮、之を製して以て裘に爲る可く、其の毳毛[ぜいもう]之を織りて以て罽[けい]に爲る可し。○林氏が曰く、徐州は浮磬を貢す。此の州旣に玉磬を貢し、又石磬を貢す。豫州も又磬錯を貢す。此を以て之を觀れば、則ち知る、當時の樂器は、磬を最も重きとす。豈其の聲は角にして、淸濁小大の閒に在るを以て、最も其の和を得難き者に非ざらんや、と。

△西傾因桓是來。浮于潛、逾于沔、入于渭、亂于河。西傾、山名。地志在隴西郡臨洮縣西。今洮州臨潭縣西南。桓、水名。水經曰、西傾之南、桓水出焉。蘇氏曰、漢始出爲漾、東南流爲沔、至漢中東行爲漢沔。酈道元曰、自西傾而至葭萌、浮于西漢。西漢、卽潛水也。自西漢遡流而屆于晉壽界。阻漾・枝・津、南歷岡北迤邐接漢・沔、歷漢川至于褒水。逾褒而曁于衙嶺之南溪、灌于斜川、屆于武功、而北以入于渭。漢武帝時、人有上書欲通褒斜道、及漕事、下張湯問之。云、褒水通沔斜水通渭、皆可以漕。從南陽上沔入褒。褒絕水至斜、閒百餘里。以車轉從斜下渭。如此則漢中穀可致。經言沔・渭、而不言褒・斜者、因大以見小也。褒・斜之閒、絕水百餘里。故曰逾。然於經文則當曰逾于渭、今曰逾于沔。此又未可曉也。絕河而渡曰亂。
【読み】
△西傾より桓に因りて是に來る。潛に浮かび、沔[べん]を逾え、渭に入り、河を亂[わた]る。西傾は、山の名。地志に隴西郡臨洮縣の西に在り、と。今の洮州臨潭[りんたん]縣の西南なり。桓は、水の名。水經に曰く、西傾の南、桓水出づ、と。蘇氏が曰く、漢始めて出でて漾と爲り、東南に流れて沔と爲り、漢中に至りて東行して漢沔と爲る、と。酈道元が曰く、西傾よりして葭萌[かぼう]に至り、西漢に浮かぶ。西漢は、卽ち潛水なり。西漢より流れに遡りて晉壽の界に屆る。漾・枝・津を阻して、南して岡北を歷て迤邐[いり]して漢・沔に接し、漢川を歷て褒水に至る。褒を逾えて衙嶺[がれい]の南溪に曁[およ]び、斜川に灌ぎ、武功に屆りて、北して以て渭に入る、と。漢の武帝の時、人上書して褒斜の道を通じ、及び漕の事を欲するもの有り、張湯に下して之を問わしむ。云う、褒水は沔に通じ斜水は渭に通じて、皆以て漕す可し。南陽より沔に上り褒に入る。褒水を絕ちて斜に至ること、百餘里を閒[へだ]つ。車を以て轉じて斜より渭に下らん。此の如くならば則ち漢中の穀致す可し、と。經に沔・渭を言いて、褒・斜を言わざるは、大に因りて以て小を見すなり。褒・斜の閒、水を絕つこと百餘里。故に逾と曰う。然れども經文に於て則ち當に渭を逾ゆと曰うべくして、今沔を逾ゆと曰う。此れ又未だ曉[さと]る可からず。河を絕ちて渡るを亂と曰う。

△黑水・西河惟雍州。雍州之域、西據黑水、東距西河。謂之西河者、主冀都而言也。
【読み】
△黑水・西河は惟れ雍州なり。雍州の域、西は黑水に據り、東は西河に距る。之を西河と謂うは、冀都を主として言えり。

△弱水旣西。劉宗元曰、西海之山有水焉。散渙無力。不能負芥。投之則委靡墊沒、及底而後止。故名曰弱。旣西者、導之西流也。地志云、在張掖郡刪丹縣。薛氏曰、弱水出吐谷渾界窮石山、自刪丹西至合黎山、與張掖縣河合。又按通鑑、魏太武擊柔然至栗水、西行至菟園水、分郡搜討。又循弱水、西行至涿邪山、則弱水在菟園水之西、涿邪山之東矣。北史載太武至菟園水、分軍搜討。東至瀚海、西接張掖水、北度燕然山。與通鑑小異。豈瀚海・張掖水、於弱水爲近乎。程氏據西域傳、以弱水爲在條支。援引甚悉。然長安西行一萬二千二百里、又百餘日方至條支。其去雍州如此之遠。禹豈應窮荒而導其流也哉。其說非是。
【読み】
△弱水旣に西す。劉宗元が曰く、西海の山に水有り。散渙として力無し。芥を負うこと能わず。之を投ずれば則ち委靡墊沒[てんぼつ]し、底に及んで後に止む、と。故に名づけて弱と曰う。旣に西すとは、之を導いて西に流るるなり。地志に云う、張掖郡刪丹縣に在り、と。薛氏が曰く、弱水は吐谷渾の界の窮石山に出でて、刪丹の西より合黎山に至りて、張掖縣の河と合う、と。又按ずるに通鑑に、魏の太武柔然を擊たんとして栗水に至り、西行して菟園[とえん]水に至り、郡を分かちて搜討す。又弱水に循いて、西行して涿邪山に至るときは、則ち弱水は菟園水の西、涿邪山の東に在り、と。北史に載す、太武菟園水に至りて、軍を分かちて搜討す。東は瀚海に至り、西は張掖水に接し、北は燕然山に度[わた]る、と。通鑑と小しく異なり。豈瀚海・張掖水を、弱水に於て近きとせんや。程氏西域傳に據りて、弱水を以て條支に在りとす。援引すること甚だ悉くせり。然れども長安より西行すること一萬二千二百里、又百餘日にして方に條支に至る。其の雍州を去ること此の如く遠し。禹豈應に荒を窮めて其の流を導くべけんや。其の說是に非ず。

△涇屬渭・汭。涇・渭・汭、三水名。涇水、地志出安定郡涇陽縣西。今原州百泉縣岍頭山也。東南至馮翊陽陵縣入渭。今永興軍高陵縣也。渭水、地志出隴西郡首陽縣西南。今渭州渭源縣、鳥鼠山西北南谷山也。東至京兆船司空縣入河。今華州華陰縣也。汭水、地志作芮。扶風岍縣弦蒲藪。芮水出其西北、東入涇。今隴州岍源縣弦蒲藪有汭水焉。周職方雍州其川涇・汭。詩曰、汭鞫之卽、皆謂是也。屬、連屬也。涇水連屬渭・汭二水也。
【読み】
△涇は渭・汭[ぜい]に屬[つづ]く。涇・渭・汭は、三水の名。涇水は、地志に安定郡涇陽縣の西より出づ、と。今の原州百泉縣の岍[けん]頭山なり。東南して馮翊[ひょうよく]陽陵縣に至りて渭に入る。今の永興軍高陵縣なり。渭水は、地志に隴西郡首陽縣の西南より出づ、と。今の渭州渭源縣、鳥鼠山の西北の南谷山なり。東して京兆船司空縣に至りて河に入る。今の華州華陰縣なり。汭水は、地志に芮[ぜい]に作る。扶風岍縣の弦蒲藪なり。芮水は其の西北より出でて、東して涇に入る。今の隴州岍源縣の弦蒲藪に汭水有り。周の職方に雍州其の川は涇・汭、と。詩に曰く、汭の鞫[ほか]まで之れ卽くとは、皆是を謂うなり。屬は、連屬なり。涇水は渭・汭二水に連屬するなり。

△漆・沮旣從。漆・沮、二水名。漆水、寰宇記自耀州同官縣東北界來、經華原縣合沮水。沮水、地志出北地郡直路縣東。今坊州宜君縣西北境也。寰宇記、沮水自坊州昇平縣北、子午嶺出。俗號子午水。下合楡谷・慈馬等川、遂爲沮水。至耀州華原縣合漆水。至同州朝邑縣東南入渭。二水相敵。故竝言之。旣從者、從於渭也。又按地志謂漆水出扶風縣。晁氏曰、此豳之漆也。水經漆水出扶風杜陽縣。程氏曰、杜陽、今岐山普潤縣之地。亦漢漆縣之境。其水入渭、在灃水之上。與經序渭水節次不合。非禹貢之漆水也。
【読み】
△漆・沮旣に從う。漆・沮は、二水の名。漆水は、寰宇記[かんうき]に耀州同官縣の東北の界より來りて、華原縣を經て沮水に合う、と。沮水は、地志に北地郡直路縣の東より出づ、と。今の坊州宜君縣の西北の境なり。寰宇記に、沮水は坊州昇平縣の北、子午嶺より出づ。俗に子午水と號す。下りて楡谷・慈馬等の川に合いて、遂に沮水と爲る。耀州華原縣に至りて漆水に合う。同州朝邑縣の東南に至りて渭に入る、と。二水相敵す。故に竝べて之を言う。旣に從うとは、渭に從うなり。又按ずるに地志に謂ゆる漆水は扶風縣より出づ、と。晁氏が曰く、此れ豳[ひん]の漆なり、と。水經に漆水は扶風杜陽縣より出づ、と。程氏が曰く、杜陽は、今の岐山普潤縣の地。亦漢漆縣の境なり。其の水は渭に入り、灃[ほう]水の上に在り、と。經の渭水を序ずる節次と合わず。禹貢の漆水に非ず。

△灃水攸同。灃水、地志作鄷。出扶風鄠縣終南山。今永興軍鄠縣山也。東至咸陽縣入渭。同者、同於渭也。渭水自鳥鼠而東、灃水南注之、涇水北注之、漆・沮東北注之。曰屬曰從曰同、皆主渭而言也。
【読み】
△灃水[ほうすい]同じくする攸なり。灃水は、地志に鄷[ほう]に作る。扶風鄠[こ]縣終南山より出づ。今の永興軍鄠縣山なり。東して咸陽縣に至りて渭に入る。同じくすとは、渭に同じくするなり。渭水鳥鼠よりして東し、灃水南より之に注ぎ、涇水北より之に注ぎ、漆・沮東北より之に注ぐ。屬と曰い從と曰い同と曰うは、皆渭を主として言えり。

△荆・岐旣旅。終南・惇物、至于鳥鼠。荆・岐、二山名。荆山、卽北條之荆。地志在馮翊懷德縣南。今耀州富平縣掘陵原也。岐山、地志在扶風美陽縣西北。今鳳翔府岐山縣東北十里也。終南・惇物・鳥鼠、亦皆山名。終南、地志古文以太一山爲終南山。在扶風武功縣。今永興軍萬年縣南五十里也。惇物、地志古文以埀山爲惇物。在扶風武功縣。今永興軍武功縣也。鳥鼠、地志在隴西郡首陽縣西南。今渭州渭源縣西也。俗呼爲靑雀山。舉三山而不言所治者、蒙上旣旅之文也。
【読み】
△荆・岐旣に旅す。終南・惇物より、鳥鼠に至る。荆・岐は、二山の名。荆山は、卽ち北條の荆なり。地志に馮翊[ひょうよく]懷德縣の南に在り、と。今の耀州富平縣の掘陵原なり。岐山は、地志に扶風美陽縣の西北に在り、と。今の鳳翔府岐山縣の東北十里なり。終南・惇物・鳥鼠も、亦皆山の名なり。終南は、地志古文に太一山を以て終南山とす。扶風武功縣に在り、と。今の永興軍萬年縣の南五十里なり。惇物は、地志古文に埀山を以て惇物とす。扶風武功縣に在り、と。今の永興軍武功縣なり。鳥鼠は、地志に隴西郡首陽縣の西南に在り、と。今の渭州渭源縣の西なり。俗に呼んで靑雀山とす。三山を舉げて所治を言わざるは、上の旣に旅すの文に蒙ればなり。

△原隰厎績、至于豬野。廣平曰原。下濕曰隰。詩曰、度其隰原、卽指此也。鄭氏曰、其地在豳。今邠州也。豬野、地志云、武威縣東北有休屠澤、古今以爲豬野。今涼州姑臧縣也。治水成功、自高而下。故先言山、次原隰、次陂澤也。
【読み】
△原隰績[こと]を厎[いた]して、豬野に至る。廣平を原と曰う。下濕を隰と曰う。詩に曰く、其の隰原を度[わた]るとは、卽ち此を指すなり。鄭氏が曰く、其の地豳に在り。今の邠[ひん]州なり、と。豬野は、地志に云う、武威縣の東北に休屠澤有り、古今以て豬野とす、と。今の涼州姑臧[こそう]縣なり。水を治め功を成すは、高きよりして下。故に先ず山を言いて、次に原隰、次に陂澤なり。

△三危旣宅。三苗丕敍。三危、卽舜竄三苗之地。或以爲燉煌。未詳其地。三苗之竄、在洪水未平之前。及是三危已旣可居、三苗於是大有功敍。今按舜竄三苗、以其惡之尤甚者遷之、而立其次者於舊都。今旣竄者已丕敍、而居於舊都者、尙桀驁不服。蓋三苗舊都、山川險阻、氣習使然。今湖南徭洞、時猶竊發。俘而詢之、多爲猫姓。豈其遺種歟。
【読み】
△三危旣に宅れり。三苗丕[おお]いに敍あり。三危は、卽ち舜の三苗を竄[さん]するの地なり。或ひと以爲えらく燉煌、と。未だ其の地を詳らかにせず。三苗の竄は、洪水未だ平らげざるの前に在り。是の三危已旣に居る可きに及んで、三苗是に於て大いに功敍有り。今按ずるに舜の三苗を竄するは、其の惡の尤も甚だしき者を以て之を遷して、其の次なる者を舊都に立つ。今旣に竄者已に丕いに敍で、舊都に居る者、尙桀驁[けつごう]して服せず。蓋し三苗の舊都、山川險阻にて、氣習然らしむ。今湖南徭洞[ようどう]、時に猶竊かに發す。俘[とりこ]にして之を詢[と]わば、多く猫姓爲り。豈其れ遺種か。

△厥土惟黃壤。黃者、土之正色。林氏曰、物得其常性者最貴。雍州之土黃壤。故其田非他州所及。
【読み】
△厥の土は惟れ黃壤なり。黃は、土の正色なり。林氏が曰く、物の其の常性を得る者最も貴し。雍州の土は黃壤なり。故に其の田は他州の及ぶ所に非ず、と。

△厥田惟上上。厥賦中下。田第一等、而賦第六等者、地狹而人功少也。
【読み】
△厥の田は惟れ上の上なり。厥の賦は中の下なり。田第一等にして、賦第六等なるは、地狹くして人功少なければなり。

△厥貢惟球琳・琅玕。球琳、美玉也。琅玕、石之似珠者。爾雅曰、西北之美者、有崐崘虛之球琳・琅玕。今南海有靑琅玕・珊瑚屬也。
【読み】
△厥の貢は惟れ球琳・琅玕[ろうかん]なり。球琳は、美玉なり。琅玕は、石の珠に似たる者。爾雅に曰く、西北の美しき者、崐崘[こんろん]虛の球琳・琅玕有り、と。今南海に靑琅玕・珊瑚の屬有り。

△浮于積石、至于龍門・西河、會于渭汭。積石、地志在金城郡河關縣西南羌中。今鄯州龍支縣界也。龍門山、地志在馮翊夏陽縣。今河中府龍門縣也。西河、冀之西河也。雍之貢道有二。其東北境、則自積石至于西河。其西南境、則會于渭汭。言渭汭不言河者、蒙梁州之文也。他州貢賦亦當不止一道。發此例以互見耳。○按邢恕奏、乞下煕河路、打造船五百隻、於黃河順流放下、至會州西小河内、藏放煕河路。漕使李復奏、竊知邢恕欲用此船載兵順流而下、去取興州、契勘會州之西。小河鹹水、其闊不及一丈、深止於一二尺。豈能藏船。黃河過會州、入韋精山。石峽險窄、自上埀流直下、高數十丈。船豈可過。至西安州之東、大河分爲六七道、散流渭之南山、逆流數十里、方再合。逆溜水淺灘磧、不勝舟載。此聲若出、必爲夏國侮笑。事遂寢。邢恕之策、如李復之言、可謂謬矣。然此言貢賦之路。亦曰浮于積石、至于龍門・西河。則古來此處河道、固通舟楫矣。而復之言乃如此何也。姑錄之以備參考云。
【読み】
△積石に浮かんで、龍門・西河に至り、渭汭[いぜい]に會す。積石は、地志に金城郡河關縣の西南の羌中に在り、と。今の鄯[ぜん]州龍支縣の界なり。龍門山は、地志に馮翊[ひょうよく]夏陽縣に在り、と。今の河中府龍門縣なり。西河は、冀の西河なり。雍の貢道は二つ有り。其の東北の境は、則ち積石より西河に至る。其の西南の境は、則ち渭汭に會す。渭汭を言いて河を言わざるは、梁州の文に蒙れり。他州の貢賦も亦當に一道に止まらざるべし。此の例を發して以て互いに見るのみ。○按ずるに邢恕奏すらく、乞う、煕河路を下りて、造船五百隻を打[つく]り、黃河の順流に於て放下し、會州の西の小河の内に至りて、藏して煕河路に放たん、と。漕使李復奏すらく、竊かに知る、邢恕は此の船を用いて兵を載せて流れに順いて下り、興州に去取し、會州の西に契勘せんと欲す。小河鹹水[かんすい]、其の闊[ひろ]きこと一丈に及ばず、深きこと一二尺に止まる。豈能く船を藏さんや。黃河は會州を過ぎて、韋精山に入る。石峽險窄にして、上より埀れ流れ直に下ること、高さ數十丈なり。船豈過ぐ可けんや。西安州の東に至りて、大河分かれて六七道と爲り、渭の南山に散流し、逆流すること數十里にして、方に再び合う。逆溜水淺く灘は磧にして、舟を載するに勝えず。此の聲若し出ださば、必ず夏國の爲に侮笑せられん、と。事遂に寢[や]みぬ。邢恕が策、李復が言の如くなれば、謬れりと謂う可し。然れども此れ貢賦の路を言う。亦曰う、積石に浮かんで、龍門・西河に至る、と。則ち古來此の處の河道は、固より舟楫を通ぜん。而るに復が言の乃ち此の如きは何ぞや。姑く之を錄して以て參考に備うと云う。

△織皮崑崙・析支・渠搜、西戎卽敍。崑崙、卽河源所出。在臨羌。析支、在河關西千餘里。渠搜、水經曰、河自朔方東轉、經渠搜縣故城北。蓋近朔方之地也。三國皆貢皮衣。故以織皮冠之。皆西方戎落。故以西戎總之。卽、就也。雍州水土旣平而餘功及於西戎。故附于末。○蘇氏曰、靑・徐・揚三州、皆萊夷・淮夷・島夷所篚。此三國亦篚織皮。但古語有顚倒詳略爾。其文當在厥貢惟球琳・琅玕之下、浮于積石之上。簡篇脫誤、不可不正。愚謂、梁州亦篚織皮。恐蘇氏之說爲然。
【読み】
△織皮の崑崙・析支・渠搜より、西戎卽き敍ず。崑崙は、卽ち河源の出づる所。臨羌に在り。析支は、河關の西千餘里に在り。渠搜は、水經に曰く、河は朔方より東に轉じ、渠搜縣の故城の北を經、と。蓋し朔方に近き地なり。三國皆皮衣を貢す。故に織皮を以て之を冠らしむ。皆西方の戎落。故に西戎を以て之を總ぶ。卽は、就くなり。雍州の水土旣に平らげて餘功西戎に及ぶ。故に末に附す。○蘇氏が曰く、靑・徐・揚の三州は、皆萊夷・淮夷・島夷の篚する所。此の三國も亦織皮を篚す。但古語に顚倒詳略有るのみ。其の文は當に厥貢惟球琳・琅玕の下、浮于積石の上に在るべし。簡篇脫誤、正さずんばある可からず、と。愚謂えらく、梁州も亦織皮を篚す。恐らくは蘇氏が說を然りとす。

△導岍及岐、至于荆山。逾于河、壺口・雷首、至于太岳。厎柱・析城、至于王屋。太行・恆山、至于碣石入于海。此下隨山也。岍・岐・荆三山、皆雍州山。岍山、地志扶風岍縣西吳山。古文以爲汧山。今隴州吳山縣吳嶽山也。周禮雍州山鎭曰嶽山。又按寰宇記、隴州岍源有岍山。岍水所出。禹貢所謂岍山也。晁氏以爲今之隴山・天井・金門・秦嶺山者、皆古之岍也。岐・荆、見雍州。壺口・雷首・太岳・厎柱・析城・王屋・太行・恆山、皆冀州山。壺口・太岳・碣石、見冀州。雷首、地志在河東郡蒲坂縣南。今河中府河東縣也。厎柱石、在大河中流。其形如柱。今陜州陜縣三門山是也。析城、地志在河東郡濩澤縣西。今澤州陽城縣也。晁氏曰、山峯四面如城。王屋、地志在河東郡垣縣東北。今絳州垣曲縣也。晁氏曰、山狀如屋。太行山、地志在河内郡山陽縣西北。今懷州河内也。恆山、地志在常山郡上曲陽縣西北。今定州曲陽也。逾者、禹自荆山而過于河也。孔氏以爲、荆山之脈、逾河而爲壺口・雷首者非是。蓋禹之治水、隨山刋木。其所表識諸山之名、必其高大可以辨疆域、廣博可以奠民居。故謹而書之、以見其施功之次第。初非有意推其脈絡之所自來。若今之葬法所言也。若必實以山脈言之、則尤見其說之謬妄。蓋河北諸山根本、脊脈皆自代北・寰武・嵐憲諸州乘高而來。其脊以西之水、則西流以入龍門・西河之上流。其脊以東之水、則東流而爲桑乾・幽・冀、以入于海。其西一支爲壺口・太岳。次一支包汾・晉之源、而南出以爲析城・王屋、而又西折以爲雷首。又次一支乃爲太行、又次一支乃爲恆山。其閒各隔沁潞、諸川不相連屬。豈自岍・岐跨河而爲是諸山哉。山之經理者、已附于逐州之下。於此又條列而詳記之。而山之經緯皆可見矣。王・鄭有三條四列之名。皆爲未當。今據導字分之、以爲南北二條、而江・河以爲之紀。於二之中又分爲二焉。此北條大河、北境之山也。
【読み】
△岍[けん]及び岐を導いて、荆山に至る。河を逾え、壺口・雷首より、太岳に至る。厎柱[しちゅう]・析城より、王屋に至る。太行・恆山より、碣石[けっせき]に至りて海に入る。此より下は山に隨うなり。岍・岐・荆の三山は、皆雍州の山。岍山は、地志に扶風岍縣の西の吳山なり。古文に以て汧山[けんざん]とす。今の隴州吳山縣の吳嶽山なり。周禮に雍州の山鎭を嶽山と曰う、と。又按ずるに寰宇記[かんうき]に、隴州の岍源に岍山有り。岍水出づる所。禹貢に所謂岍山なり、と。晁氏以爲えらく、今の隴山・天井・金門・秦嶺山は、皆古の岍なり、と。岐・荆は、雍州に見えたり。壺口・雷首・太岳・厎柱・析城・王屋・太行・恆山は、皆冀州の山なり。壺口・太岳・碣石は、冀州に見えたり。雷首は、地志に河東郡蒲坂縣の南に在り、と。今の河中府河東縣なり。厎柱石は、大河の中流に在り。其の形は柱の如し。今の陜州陜縣の三門山是れなり。析城は、地志に河東郡濩澤[たく]縣の西に在り、と。今の澤州陽城縣なり。晁氏が曰く、山峯の四面城の如し。王屋は、地志に河東郡垣縣の東北に在り、と。今の絳[こう]州垣曲縣なり。晁氏が曰く、山の狀屋の如し、と。太行山は、地志に河内郡山陽縣の西北に在り、と。今の懷州の河内なり。恆山は、地志に常山郡上曲陽縣の西北に在り、と。今の定州の曲陽なり。逾とは、禹荆山よりして河を過ぐなり。孔氏以爲えらく、荆山の脈、河を逾えて壺口・雷首と爲る者是に非ず。蓋し禹の水を治むるに、山に隨い木を刋[き]る。其の表識する所の諸山の名は、必ず其れ高大にして以て疆域を辨ず可く、廣博にして以て民居を奠[さだ]む可し。故に謹んで而して之を書して、以て其の功を施すの次第を見す。初めより其の脈絡の自りて來る所を推すに意有るに非ず。今の葬法に言う所の若し。必ず實に山脈を以て之を言うが若くなれば、則ち尤も其の說の謬妄を見る。蓋し河北諸山の根本、脊脈皆代北・寰武・嵐憲の諸州より高きに乘じて來る。其の脊以西の水は、則ち西に流れて以て龍門・西河の上流に入る。其の脊以東の水は、則ち東に流れて桑乾・幽・冀と爲りて、以て海に入る。其の西の一支は壺口・太岳と爲る。次の一支は汾・晉の源を包ねて、南に出でて以て析城・王屋と爲り、而して又西に折れて以て雷首と爲る。又次の一支は乃ち太行と爲り、又次の一支は乃ち恆山と爲る。其の閒各々沁潞を隔てて、諸川相連屬せず。豈岍・岐より河を跨いで是の諸山と爲らんや、と。山の經理の者、已に逐州の下に附す。此に於て又條列して詳らかに之を記す。而して山の經緯皆見る可し。王・鄭に三條四列の名有り。皆未だ當たらずとす。今導の字に據りて之を分かちて、以て南北二條として、江・河以て之が紀とす。二つの中に於て又分かちて二つとす。此れ北條の大河、北境の山なり。

△西傾・朱圉・鳥鼠、至于太華。熊耳・外方・桐柏、至于陪尾。西傾・朱圉・鳥鼠・太華、雍州山也。熊耳・外方・桐柏・陪尾、豫州山也。西傾、見梁州。朱圉、地志在天水郡冀縣南。今秦州大潭縣也。俗呼爲白巖山。鳥鼠、見雍州。太華、地志在京兆華陰縣南。今華州華陰縣二十里也。熊耳、在商州上洛縣。詳見豫州。外方、地志穎川郡崈高縣有崈高山、古文以爲外方。在今西京登封縣也。桐柏、地志在南陽郡平氏縣東南。今唐州桐柏縣也。陪尾、地志江夏郡安陸縣東北有橫尾山、古文以爲陪尾。今安州安陸也。西傾不言導者、蒙導岍之文也。此北條大河、南境之山也。
【読み】
△西傾・朱圉[しゅぎょ]・鳥鼠より、太華に至る。熊耳・外方・桐柏より、陪尾に至る。西傾・朱圉・鳥鼠・太華は、雍州の山なり。熊耳・外方・桐柏・陪尾は、豫州の山なり。西傾は、梁州に見えたり。朱圉は、地志に天水郡冀縣の南に在り、と。今の秦州大潭[たん]縣なり。俗に呼んで白巖山とす。鳥鼠は、雍州に見えたり。太華は、地志に京兆華陰縣の南に在り、と。今の華州華陰縣の二十里なり。熊耳は、商州上洛縣に在り。詳らかに豫州に見えたり。外方は、地志に穎川郡崈高縣に崈高山有り、古文に以て外方とす。今の西京登封縣に在り。桐柏は、地志に南陽郡平氏縣の東南に在り、と。今の唐州桐柏縣なり。陪尾は、地志に江夏郡安陸縣の東北に橫尾山有り、古文に以て陪尾とす。今の安州安陸なり。西傾導を言わざるは、導岍の文に蒙れり。此れ北條の大河、南境の山なり。

△導嶓冢、至于荆山。内方至于大別。嶓冢、卽梁州之嶓也。山形如冢。故謂之嶓冢。詳見梁州。荆山、南條荆山。地志在南郡臨沮縣北。今襄陽府南章縣也。内方・大別、亦山名。内方、地志章山。古文以爲内方山在江夏郡竟陵縣東北。今荆門軍長林縣也。左傳吳與楚戰、楚濟漢而陳、自小別至于大別。蓋近漢之山、今漢陽軍漢陽縣北大別山是也。地志水經云在安豐者非是。此南條江漢、北境之山也。
【読み】
△嶓冢[はちょう]を導いて、荆山に至る。内方より大別に至る。嶓冢は、卽ち梁州の嶓なり。山の形冢の如し。故に之を嶓冢と謂う。詳らかに梁州に見えたり。荆山は、南條の荆山なり。地志に南郡臨沮縣の北に在り、と。今の襄陽府南章縣なり。内方・大別も、亦山の名なり。内方は、地志に章山、と。古文以て内方山は江夏郡竟陵縣の東北に在りとす。今の荆門軍長林縣なり。左傳に吳と楚と戰い、楚漢を濟りて陳し、小別より大別に至る、と。蓋し漢に近き山にて、今の漢陽軍漢陽縣の北の大別山是れなり。地志水經に安豐に在る者と云うは是に非ず。此れ南條の江漢、北境の山なり。

△岷山之陽、至于衡山、過九江、至于敷淺原。岷山、見梁州。衡山、南嶽也。地志在長沙國湘南縣。今潭州衡山縣也。九江、見荆州。敷淺原、地志云、豫章郡歷陵縣南有博易山。古文以爲敷淺原。今江州德安縣博陽山也。晁氏以爲在鄱陽者非是。今按晁氏以鄱陽有博陽山、又有歷陵山、爲應地志歷陵縣之名。然鄱陽、漢舊縣地、不應又爲歷陵縣。山名偶同。不足據也。江州德安、雖爲近之、然所謂敷淺原者、其山其小而卑。亦未見其爲在所表見者。惟廬阜在大江・彭蠡之交、最高且大。宜所當紀志者、而皆無考據。恐山川之名、古今或異。而傳者未必得其眞也。姑俟知者。過、經過也。與導岍逾于河之義同。孔氏以爲衡山之脈連延、而爲敷淺原者亦非是。蓋岷山之脈、其北一支爲衡山、而盡於洞庭之西、其南一支、度桂嶺、北經袁筠之地至德安。所謂敷淺原者。二支之閒、湘水閒斷。衡山在湘水西南、敷淺原在湘水東北。其非衡山之脈連延。過九江、而爲敷淺原者明甚。且其山川崗脊、源流具在眼前。而古今異說如此。況殘山斷港、歷數千百年者、尙何自取信哉。岷山不言導者、蒙導嶓冢之文也。此南條江漢、南境之山也。
【読み】
△岷山[びんざん]の陽[みなみ]より、衡山に至り、九江を過ぎて、敷淺原に至る。岷山は、梁州に見えたり。衡山は、南嶽なり。地志に長沙國湘南縣に在り、と。今の潭[たん]州衡山縣なり。九江は、荆州に見えたり。敷淺原は、地志に云う、豫章郡歷陵縣の南に博易山有り、と。古文に以て敷淺原とす。今の江州德安縣の博陽山なり。晁氏以爲えらく、鄱陽[はよう]に在るという者は是に非ず。今按ずるに晁氏鄱陽に博陽山有り、又歷陵山有るを以て、地志の歷陵縣の名に應ずとす。然れども鄱陽は、漢の舊縣の地にて、應に又歷陵縣とすべからず。山の名偶々同じ。據るに足らず。江州の德安は、之に近しとすと雖も、然れども所謂敷淺原は、其の山其れ小にして卑し。亦未だ其の在る所の表見を爲す者を見ず。惟れ廬阜は大江・彭蠡[ほうれい]の交わりに在り、最も高く且つ大なり。宜しく當に紀志すべき所の者にして、皆考え據ること無し。恐らくは山川の名、古今或は異なり。而して傳者未だ必ずしも其の眞を得ず。姑く知者を俟たん。過は、經過なり。岍を導いて河を逾ゆるの義と同じ。孔氏以爲えらく、衡山の脈連延として、敷淺原と爲るという者も亦是に非ず。蓋し岷山の脈は、其の北の一支は衡山と爲りて、洞庭の西を盡くし、其の南の一支は、桂嶺を度[わた]り、北して袁筠[えんいん]の地を經て德安に至る。所謂敷淺原という者なり。二支の閒、湘水閒斷す。衡山は湘水の西南に在り、敷淺原は湘水の東北に在り。其れ衡山の脈連延するに非ず。九江を過ぎて、敷淺原と爲る者明らかなること甚だし。且つ其れ山川の崗脊、源流具に眼前に在り。而るに古今異說此の如し。況んや殘山斷港、數千百年を歷る者、尙何ぞ自ら信を取らんや。岷山導を言わざるは、嶓冢を導くの文に蒙れり。此れ南條の江漢、南境の山なり。

△導弱水、至于合黎、餘波入于流沙。此下濬川也。弱水見雍州。合黎、山名。隋地志在張掖縣西北。亦名羌谷。流沙、杜佑云、在沙州西八十里。其沙隨風流行。故曰流沙。水之疏導者、已附于逐州之下。於此又派別而詳記之。而水之經徫皆可見矣。濬川之功、自隨山始。故導水次於導山也。又按山水皆原於西北。故禹敍山敍水、皆自西北而東南。導山則先岍・岐。導水則先弱水也。
【読み】
△弱水を導いて、合黎に至り、餘波は流沙に入る。此の下は川を濬[さら]うなり。弱水は雍州に見えたり。合黎は、山の名。隋の地志に張掖縣の西北に在り、と。亦羌谷と名づく。流沙は、杜佑が云う、沙州の西八十里に在り、と。其の沙風に隨いて流行す。故に流沙と曰う。水の疏導する者、已に逐州の下に附す。此に於て又派別にして詳らかに之を記す。而して水の經徫[けいい]皆見る可し。川を濬うの功、山に隨うにより始まる。故に導水は導山に次げり。又按ずるに山水は皆西北に原づく。故に禹山を敍で水を敍ずること、皆西北よりして東南なり。山を導くは則ち岍・岐を先にす。水を導くは則ち弱水を先にす。

△導黑水、至于三危、入于南海。黑水、地志出犍爲郡南廣縣汾關山。水經出張掖雞山、南至燉煌、過三危山、南流入于南海。唐樊綽云、西夷之水、南流入于南海者凡四。曰區江、曰西珥河、曰麗水、曰濔渃江、皆入于南海。其曰麗水者、卽古黑水也。三危山臨峙其上。按梁・雍二州、西邉皆以黑水爲界。是黑水自雍之西北、而直出梁之西南也。中國山勢岡脊、大抵皆自西北而來。積石・西傾・岷山・岡脊以東之水、旣入于河漢・岷江。其岡脊以西之水、卽爲黑水而入于南海。地志水經、樊氏之說、雖未詳的實、要是其地也。程氏曰、樊綽以麗水爲黑水者、恐其狹小不足爲界。其所稱西珥河者、却與漢志葉楡澤相貫。廣處可二十里。旣足以界別二州、其流又正趨南海。又漢滇池卽葉楡之地。武帝初開滇嶲時、其地古有黑水舊祠。夷人不知載籍、必不能附會。而綽及道元皆謂、此澤以楡葉所積得名、則其水之黑、似楡葉積漬所成。且其地乃在蜀之正西、又東北距宕昌不遠。宕昌、卽三苗種裔、與三苗之敍于三危者、又爲相應。其證驗莫此之明也。
【読み】
△黑水を導いて、三危に至り、南海に入る。黑水は、地志に犍爲[けんい]郡南廣縣の汾關山より出づ、と。水經に張掖雞山より出で、南して燉煌に至り、三危山を過ぎて、南に流れて南海に入る、と。唐の樊綽[はんしゃく]が云う、西夷の水、南に流れて南海に入る者凡そ四つ。區江と曰い、西珥[せいじ]河と曰い、麗水と曰い、濔渃[びじゃく]江と曰い、皆南海に入る。其れ麗水と曰う者は、卽ち古の黑水なり。三危山其の上に臨み峙[そばだ]つ、と。按ずるに梁・雍の二州、西邉は皆黑水を以て界とす。是れ黑水雍の西北よりして、直に梁の西南に出づるなり。中國の山勢岡脊、大抵皆西北よりして來る。積石・西傾・岷山・岡脊以東の水は、旣に河漢・岷江に入る。其の岡脊以西の水は、卽ち黑水と爲りて南海に入る。地志水經、樊氏が說、未だ的實を詳らかにせずと雖も、要すれば是れ其の地なり。程氏が曰く、樊綽麗水を以て黑水とする者、恐らくは其れ狹小にして界とするに足らず。其の西珥河と稱する所の者は、却って漢志の葉楡澤と相貫く。廣き處は二十里なる可し。旣に以て二州を界別するに足り、其の流れも又正に南海に趨く。又漢の滇池[てんち]は卽ち葉楡の地なり。武帝初めて滇嶲[てんけい]を開く時、其の地に古黑水の舊祠有り。夷人載籍を知らず、必ず附會すること能わず。而して綽及び道元も皆謂う、此の澤楡葉の積む所を以て名を得れば、則ち其の水の黑きこと、楡葉の積漬して成す所に似れり。且つ其の地は乃ち蜀の正西に在り、又東北は宕昌[とうしょう]に距ること遠からず。宕昌は、卽ち三苗の種裔と、三苗の三危に敍ずる者と、又相應を爲す、と。其の證驗此より明らかなること莫し。

△導河積石、至于龍門。南至于華陰、東至于厎柱、又東至于孟津。東過洛汭、至于大伾。北過洚水、至于大陸。又北播爲九河、同爲逆河入于海。積石・龍門、見雍州。華陰、華山之北也。厎柱、見導山。孟、地名。津、渡處也。杜預云、在河内郡河陽縣南。今孟州河陽縣也。武王師渡孟津者卽此。今亦名富平津。洛汭、洛水交流之内、在今河南府鞏縣之東。洛之入河、實在東南。河則自西而東過之。故曰東過洛汭。大伾、孔氏曰、山再成曰伾。張揖以爲在成皐。鄭玄以爲在脩武。武德臣瓚以爲脩武。武德無此山。成皐山又不再成。今通利軍黎陽縣臨河有山。蓋大伾也。按黎陽山、在大河埀欲趨北之地。故禹記之。若成皐之山、旣非從東折北之地。又無險礙如龍門・厎柱之須疏鑿。西去洛汭旣已大近、東距洚水・大陸、又爲絕遠。當以黎陽者爲是。洚水、地志在信都縣。今冀州信都縣枯洚渠也。程氏曰、周時河徙砱礫。至漢又改向頓丘東南流。與禹河迹大相背戾。地志魏郡鄴縣有故大河、在東北直達于海。疑卽禹之故河。孟康以爲王莽河非也。古洚瀆、自唐貝州經城北入南宮、貫穿信都。大抵北向而入。故河於信都之北爲合。北過洚水之文、當以信都者爲是。大陸、見冀州。九河、見兗州。逆河、意以海水逆潮而得名。九河旣淪于海、則逆河在其下流、固不復有矣。河上播而爲九、下同而爲一。其分播合同、皆水勢之自然。禹特順而導之耳。今按漢西域傳、張鶱所窮河源云、河有兩源。一出葱嶺、一出于闐。于闐、在南山下。其河北流與葱嶺河合。東注蒲昌海。蒲昌海、一名鹽澤。去玉門・陽關三百餘里、其水停居、冬夏不增減、潛行地中、南出積石。又唐長慶中薛元鼎使吐蕃。自隴西成紀縣西南、出塞二千餘里、得河源於莫賀延磧尾。曰悶磨黎山。其山中高四下。所謂崑崙也。東北流與積石河相連。河源澄瑩、冬春可涉。下稍合流。色赤益遠。他水幷注遂濁。吐蕃亦自言、崑崙在其國西南。二說恐薛氏爲是。河自積石三千里、而後至于龍門。經但一書積石、不言方向、荒遠在所略也。龍門而下、因其所經。記其自北而南、則曰南至華陰。記其自南而東、則曰東至厎柱。又詳記其東向所經之地、則曰孟津、曰洛汭、曰大伾。又記其自東而北、則曰北過洚水。又詳記其北向所經之地、則曰大陸、曰九河。又記其入海之處、則曰逆河。自洛汭而上、河行於山。其地皆可攷。自大伾而下、垠岸高於平地。故決齧流移、水陸變遷、而洚水・大陸・九河・逆河、皆難指實。然上求大伾、下得碣石、因其方向、辨其故迹、則猶可考也。其詳悉見上文。○又按李復云、同州韓城北、有安國嶺、東西四十餘里、東臨大河。瀕河有禹廟在山斷河出處。禹鑿龍門、起於唐張仁愿所築東受降城之東。自北而南、至此山盡。兩岸石壁峭立、大河盤束於山峽閒。千數百里、至此山開岸闊、豁然奔放、怒氣噴風、聲如萬雷。今按舊說、禹鑿龍門。而不詳其所以鑿、誦說相傳。但謂、因舊修闢去其齟齬、以決水勢而已。今詳此說、則謂、受降以東、至於龍門、皆是禹新開鑿。若果如此、則禹未鑿時、河之故道不知却在何處。而李氏之學極博。不知此說又何所考也。
【読み】
△河を積石より導いて、龍門に至る。南して華陰に至り、東して厎柱[しちゅう]に至り、又東して孟津に至る。東して洛汭[らくぜい]を過ぎ、大伾[たいひ]に至る。北して洚水を過ぎ、大陸に至る。又北に播[し]いて九河と爲り、同じく逆河と爲りて海に入る。積石・龍門は、雍州に見えたり。華陰は、華山の北なり。厎柱は、導山に見えたり。孟は、地の名。津は、渡る處なり。杜預が云う、河内郡河陽縣の南に在り、と。今の孟州河陽縣なり。武王の師孟津を渡るとは卽ち此れなり。今亦富平津と名づく。洛汭は、洛水交流するの内、今の河南府鞏[きょう]縣の東に在り。洛の河に入るは、實に東南に在り。河は則ち西よりして東して之を過ぐ。故に曰く、東して洛汭を過ぐ、と。大伾は、孔氏が曰く、山再び成るを伾と曰う、と。張揖以爲えらく、成皐に在り、と。鄭玄以爲えらく、脩武に在り、と。武德は臣瓚[しんさん]以爲えらく、脩武、と。武德に此の山無し。成皐山も又再び成らず。今の通利軍黎陽縣は河に臨みて山有り。蓋し大伾なり。按ずるに黎陽山は、大河の埀れて北に趨かんと欲するの地に在り。故に禹之を記す。成皐の山の若きは、旣に東より北に折[]くの地に非ず。又險礙なること龍門・厎柱の須く疏鑿すべきが如き無し。西洛汭を去りて旣已に大いに近く、東洚水・大陸を距てること、又絕遠なりとす。當に黎陽なる者を以て是とすべし。洚水は、地志に信都縣に在り、と。今の冀州信都縣の枯洚渠なり。程氏が曰く、周の時河は砱礫[れいれき]に徙[うつ]る。漢に至りて又改めて頓丘の東南に向かいて流る、と。禹の河迹と大いに相背戾す。地志に魏郡鄴[ぎょう]縣に故の大河有り、東北に在りて直に海に達す、と。疑うらくは卽ち禹の故河ならん。孟康以爲えらく、王莽河とは非なり。古の洚瀆、唐の貝州より城北を經て南宮に入り、信都を貫穿す。大抵北向して入る。故に河は信都の北に於て合うことを爲す。北して洚水を過ぐるの文は、當に信都という者を以て是とすべし。大陸は、冀州に見えたり。九河は、兗州に見えたり。逆河は、意うに海水逆潮を以て名を得。九河旣に海に淪[しず]むときは、則ち逆河は其の下流に在り、固に復有らず。河上播いて九と爲り、下同じくして一と爲る。其の分播合同、皆水勢の自然なり。禹特に順にして之を導くのみ。今按ずるに漢の西域傳に、張鶱が窮まる所の河源と云う、河に兩源有り。一つは葱嶺より出で、一つは于闐[うてん]より出づ。于闐は、南山の下[ふもと]に在り。其の河は北に流れて葱嶺の河と合う。東して蒲昌海に注ぐ。蒲昌海、一名は鹽澤なり。玉門・陽關を去ること三百餘里、其の水は停居し、冬夏增減せず、地中に潛行して、南して積石に出づ。又唐の長慶中に薛元鼎吐蕃に使いす。隴西成紀縣の西南より、塞を出づること二千餘里、河源を莫賀延磧尾に得。悶磨黎山と曰う。其の山中高く四下る。所謂崑崙なり。東北の流れは積石河と相連なる。河源は澄瑩にして、冬春涉る可し。下稍合流す。色赤きこと益々遠し。他水幷せ注ぎ遂に濁る。吐蕃も亦自ら言う、崑崙は其の國の西南に在り、と。二說恐らくは薛氏を是とす。河は積石より三千里にして、而して後に龍門に至る。經は但一に積石と書して、方向を言わず、荒遠にして略する所在り。龍門より而して下るときは、其の經る所に因る。其の北よりして南すと記すときは、則ち南して華陰に至ると曰う。其の南よりして東すと記すときは、則ち東して厎柱に至ると曰う。又詳らかに其の東向して經る所の地を記すときは、則ち孟津と曰い、洛汭と曰い、大伾と曰う。又其の東よりして北すと記すときは、則ち北して洚水を過ぐと曰う。又詳らかに其の北向して經る所の地を記すときは、則ち大陸と曰い、九河と曰う。又其の海に入る處を記すときは、則逆河と曰う。洛汭よりして上、河は山を行く。其の地皆攷[かんが]う可し。大伾よりして下、垠[ぎん]岸平地より高し。故に決齧流移し、水陸變遷して、洚水・大陸・九河・逆河、皆實を指し難し。然れども上は大伾を求め、下は碣石を得て、其の方向に因りて、其の故迹を辨ずるときは、則ち猶考う可し。其の詳悉は上の文に見えたり。○又按ずるに李復が云う、同州韓城の北に、安國嶺有り、東西四十餘里、東は大河に臨む。河に瀕して禹の廟有りて山斷[た]え河出づる處に在り。禹の龍門を鑿る、唐の張仁愿が築く所の東受降城の東より起こる。北よりして南し、此の山に至りて盡く。兩岸の石壁峭立し、大河山峽の閒に盤束す。千數百里、此に至りて山開け岸闊[ひろ]がり、豁然として奔放し、怒氣噴風、聲萬雷の如し。今按ずるに舊說に、禹龍門を鑿る。而るに其の鑿る所以を詳らかにせず、誦說相傳う。但謂う、舊に因りて修闢して其の齟齬を去りて、以て水勢を決るのみ、と。今此の說を詳らかにするに、則ち謂う、受降より以東、龍門に至るまで、皆是れ禹新たに開鑿す、と。若し果たして此の如くなれば、則ち禹未だ鑿らざる時、河の故道知らず、却って何れの處に在るかを。而れども李氏の學は極めて博し。知らず、此の說も又何れの考うる所なるかを。

△嶓冢導漾、東流爲漢。又東爲滄浪之水。過三澨、至于大別、南入于江、東匯澤爲彭蠡。東爲北江入于海。漾、水名。水經曰、漾水出隴西郡氐道縣嶓冢山、東至武都。常璩曰、漢水有兩源。此東源也。卽禹貢所謂嶓冢導漾者。其西源出隴西嶓冢山。會泉始源曰沔。逕葭萌入漢。東源在今西縣之西。西源在今三泉縣之東也。酈道元謂、東西兩川、倶出嶓冢、而同爲漢水者是也。水源發于嶓冢爲漾、至武都爲漢。又東流爲滄浪之水。酈道元云、武當縣北四十里、漢水中有洲曰滄浪洲、水曰滄浪水是也。蓋水之經歷、隨地得名。謂之爲者、明非他水也。三澨、水名。今郢州長壽縣磨石山、發源東南流者名澨水。至復州景陵縣界來、又名汊水。疑卽三澨之一。然據左傳漳澨・薳澨、則爲水際未可曉也。大別、見導山。入江、在今漢陽軍漢陽縣。匯、廻也。彭蠡、見揚州。北江未詳。入海、在今通州靜海縣。○今按彭蠡、古今記載、皆謂今之番陽。然其澤在江之南、去漢水入江之處、已七百餘里、所蓄之水、則合饒・信徽・撫吉・贑・南安・建昌・臨江・袁筠・隆興・南康・數州之流、非自漢入而爲匯者。又其入江之處、西則廬阜、東則湖口、皆石山峙立、水道狹甚。不應漢水入江之後、七百餘里。乃橫截而南入于番陽、又橫截而北流爲北江、且番陽合數州之流、豬而爲澤、泛溢壅遏、初無仰於江・漢之匯而後成也。不惟無所仰於江・漢、而衆流之積、日遏月高勢亦不復容江・漢之來入矣。今湖口橫渡之處、其北則江・漢之濁流、其南則番陽之淸漲。不見所謂漢水匯澤而爲彭蠡者。番陽之水、旣出湖口、則依南岸與大江、相持以東。又不見所謂橫截而爲北江者。又以經文考之、則今之彭蠡、旣在大江之南。於經則宜曰南匯彭蠡、不應曰東匯。於導江則宜曰南會于匯、不應曰北會于匯。匯旣在南。於經則宜曰北爲北江、不應曰東爲北江。以今地望參校、絕爲反戾。今廬江之北、有所謂巢湖者、湖大而源淺。每歲四五月閒、蜀嶺雪消、大江泛溢之時、水淤入湖。至七八月、大江水落、湖水方洩、隨江以東。爲合東匯北匯之文。然番陽之湖、方五六百里、不應舍此而錄彼、記其小而遺其大也。蓋嘗以事理情勢考之、洪水之患、惟河爲甚。意當時龍門・九河等處、事急民困。勢重役煩。禹親莅而身督之。若江・淮則地徧水急。不待疏鑿、固已通行。或分遣官屬往視亦可。況洞庭・彭蠡之閒、乃三苗所居。水澤山林、深昧不測。彼方負其險阻、頑不卽工、則官屬之往者、亦未必遽敢深入。是以但知彭蠡之爲澤、而不知其非漢水所匯。但意如巢湖・江水之淤、而不知彭蠡之源爲甚衆也。以此致誤。謂之爲匯、謂之爲北江、無足恠者。然則番陽之爲彭蠡信矣。
【読み】
△嶓冢[はちょう]より漾[よう]を導いて、東に流れて漢と爲る。又東して滄浪の水と爲る。三澨[さんぜい]を過ぎて、大別に至り、南して江に入り、東して澤を匯[めぐ]りて彭蠡[ほうれい]と爲る。東して北江と爲りて海に入る。漾は、水の名。水經に曰く、漾水は隴西郡氐道[ていどう]縣の嶓冢山より出でて、東して武都に至る、と。常璩[じょうきょ]が曰く、漢水に兩源有り。此れ東源なり。卽ち禹貢に所謂嶓冢より漾を導く者なり。其の西源は隴西の嶓冢山より出づ。會泉の始源を沔[べん]と曰う。葭萌[かぼう]を逕て漢に入る、と。東源は今の西縣の西に在り。西源は今の三泉縣の東に在り。酈道元が謂う、東西の兩川は、倶に嶓冢より出でて、同じく漢水と爲るという者是れなり。水源の嶓冢より發して漾と爲り、武都に至りて漢と爲る。又東流して滄浪の水と爲る。酈道元が云う、武當縣の北四十里、漢水の中に洲有るを滄浪洲と曰い、水を滄浪水と曰うは是れなり。蓋し水の經歷は、地に隨いて名を得。之を爲ると謂う者は、明らかに他の水に非ざればなり。三澨は、水の名。今の郢[えい]州長壽縣の磨石山、源を東南の流に發する者を澨水と名づく。復州景陵縣の界に至りて來るを、又汊水[さすい]と名づく。疑うらくは卽ち三澨の一つならん。然れども左傳の漳澨・薳澨[いぜい]に據るときは、則ち水際爲ること未だ曉る可からず。大別は、導山に見えたり。入江は、今の漢陽軍漢陽縣に在り。匯[かい]は、廻るなり。彭蠡は、揚州に見えたり。北江は未だ詳らかならず。入海は、今の通州靜海縣に在り。○今按ずるに彭蠡は、古今の記載に、皆今の番陽と謂う。然れども其の澤は江の南に在り、漢水を去りて江に入るの處、已に七百餘里、蓄うる所の水は、則ち合饒・信徽・撫吉・贑[かん]・南安・建昌・臨江・袁筠[えんいん]・隆興・南康・數州の流にて、漢より入りて匯と爲る者に非ず。又其の江に入るの處は、西には則ち廬阜、東には則ち湖口あり、皆石山峙[そばだ]ち立ちて、水道狹きこと甚だし。應に漢水江に入るの後、七百餘里なるべからず。乃ち橫截して南して番陽に入り、又橫截して北流して北江と爲り、且つ番陽數州の流を合わせて、豬して澤と爲り、泛溢壅遏[ようあつ]して、初めて江・漢の匯りて而して後に成さんことを仰ぐこと無し。惟江・漢を仰ぐ所無きのみにあらずして、衆流の積も、日に遏[や]み月に高くして勢いも亦復江・漢の來り入ることを容れず。今湖口橫渡の處、其の北は則ち江・漢の濁流、其の南は則ち番陽の淸漲なり。所謂漢水の匯れる澤ありて彭蠡と爲る者を見ず。番陽の水、旣に湖口を出づるときは、則ち南岸と大江とに依りて、相持して以て東す。又所謂橫截して北江と爲る者を見ず。又經文を以て之を考うれば、則ち今の彭蠡は、旣に大江の南に在り。經に於ては則ち宜しく南して匯れる彭蠡と曰うべく、應に東して匯ると曰うべからず。導江に於ては則ち宜しく南して匯に會すと曰うべく、應に北して匯に會すと曰うべからず。匯は旣に南に在り。經に於ては則ち宜しく北して北江と爲ると曰うべく、應に東して北江と爲ると曰うべからず。今の地望を以て參校すれば、絕[はなは]だ反戾を爲す。今廬江の北に、所謂巢湖なる者有り、湖大いにして源淺し。每歲四五月の閒は、蜀嶺雪消えて、大江泛溢するの時にて、水淤[すいよ]湖に入る。七八月に至りて、大江水落ちて、湖水方に洩[まじわ]り、江に隨いて以て東す。東匯北匯の文に合うとす。然れども番陽の湖は、方五六百里、應に此を舍てて彼を錄し、其小なるを記して其の大なるを遺つべからず。蓋し嘗て事理情勢を以て之を考うるに、洪水の患えは、惟れ河を甚だしとす。意うに當時の龍門・九河等の處は、事急にして民困しむ。勢重く役煩[はげ]し。禹親ら莅んで身ら之を督[ただ]す。江・淮の若きは則ち地徧に水急なり。疏鑿するを待たずして、固に已に通行す。或は官屬を分遣して往いて視るも亦可なり。況んや洞庭・彭蠡の閒は、乃ち三苗の居る所。水澤山林、深昧不測なり。彼れ方に其の險阻を負いて、頑にして工に卽かざるときは、則ち官屬の往く者も、亦未だ必ずしも遽に敢えて深く入らず。是を以て但彭蠡の澤と爲ることを知りて、其の漢水の匯れる所に非ざることを知らず。但意うに巢湖・江水の淤の如くにして、而も彭蠡の源甚だ衆しとすることを知らず。此を以て誤りを致す。之を謂いて匯とし、之を謂いて北江とすれば、恠[あや]しむに足る者無し。然らば則ち番陽の彭蠡爲ること信なり。

△岷山導江、東別爲沱。又東至于澧、過九江、至于東陵。東迆北會于匯、東爲中江入于海。沱、江之別流於梁者也。澧、水名。水經出武陵充縣。西至長沙下雋縣西北入江。鄭氏曰、經言道言會者、水也。言至者、或山或澤也。澧、宜山澤之名。按下文九江、澧水旣與其一、則非水明矣。九江、見荆州。東陵、巴陵也。今岳州巴陵縣也。地志在廬江西北者非是。會匯・中江、見上章。
【読み】
△岷山[びんざん]より江を導いて、東に別れて沱[た]と爲る。又東して澧[れい]に至り、九江を過ぎて、東陵に至る。東に迆[なな]めに北して匯[かい]に會し、東して中江と爲りて海に入る。沱は、江の梁に別れ流るる者なり。澧は、水の名。水經に武陵充縣に出づ。西して長沙下雋[かすい]縣の西北に至り江に入る、と。鄭氏が曰く、經に道くと言い會すと言う者は、水なり。至ると言う者は、或は山或は澤なり。澧は、宜しく山澤の名なるべし。下の文の九江を按ずるに、澧水旣に其の一つに與るときは、則ち水に非ざること明らかなり、と。九江は、荆州に見えたり。東陵は、巴陵なり。今の岳州巴陵縣なり。地志に廬江の西北に在りという者は是に非ず。會匯・中江は、上の章に見えたり。

△導沇水、東流爲濟入于河。溢爲滎、東出于陶丘北。又東至于菏、又東北會于汶。又北東入于海。沇水、濟水也。發源爲沇。旣東爲濟。地志云、濟水出河東郡垣曲縣王屋山東南。今絳州垣曲縣山也。始發源王屋山頂崖下曰沇水、旣見而伏、東出於今孟州濟源縣。二源。東源周廻七百步、其深不測。西源周廻六百八十五步、其深一丈。合流至溫縣。是爲濟水。歷虢公臺西南入于河。溢、滿也。復出河之南、溢而爲滎。滎卽滎波之滎。見豫州。又東出於陶丘北。陶丘、地名。再成曰陶。在今廣濟軍西。又東至于菏。菏、卽菏澤。亦見豫州。謂之至者、濟陰縣自有菏派、濟流至其地爾。汶、北汶也。見靑州。又東北至于東平府壽張縣安民亭、合汶水、至今靑州博興縣入海。唐李賢謂、濟自鄭以東、貫滑・曹・鄆・濟・齊・靑、以入于海。本朝樂史謂、今東平・濟南・緇川・北海界中有水流入海、謂之淸河。酈道元謂、濟水當王莽之世、川瀆枯竭。其後水流逕通、津渠勢改。尋梁脈水、不與昔同。然則滎澤濟河雖枯、而濟水未嘗絕流也。程氏曰、滎水之爲濟、本無他義。濟之入河、適會河滿、溢出南岸。溢出者非濟水。因濟而溢。故禹還以元名命之。按程氏言溢之一字、固爲有理。然出於河南者旣非濟水、則禹不應以河枝流、而冒稱爲濟。蓋溢者指滎而言、非指河也。且河濁而滎淸、則滎之水、非河之溢明矣。況經所書、單立導沇條例、若斷若續。而實有源流、或見或伏而脈絡可考。先儒皆以濟水性下勁疾、故能入河穴地、流注顯伏。南豐曾氏齊州二堂記云、泰山之北、與齊之東南諸谷之水、西北匯于黑水之灣、又西北匯于柏崖之灣、而至于渴馬之崖。蓋水之來也衆。其北折而西也、悍疾尤甚。及至于崖下、則泊然而止。而自崖以北、至于歷城之西、蓋五十里而有泉湧出。高或致數尺。其旁之人、名之曰趵突之泉。齊人皆謂、嘗有棄糠於黑水之灣者、而見之於此。蓋泉自渴馬之崖、潛流地中、而至此復出也。其注而北、則謂之濼水、達于淸河以入于海。舟之通於濟者、皆於是乎達也。齊多甘泉。其顯名者十數、而色味皆同。以余驗之、蓋皆濼水之旁出者也。然則水之伏流地中、固多有之。奚獨於滎澤疑哉。吳興沈氏亦言、古說濟水伏流地中。今歷下凡發地、皆是流水。世謂濟水經過其下。東阿亦濟所經。取其井水煮膠、謂之阿膠。用攪濁水則淸。人服之下膈疏痰。蓋其水性趨下、淸而重故也。濟水伏流絕河、乃其物性之常、事理之著者。程氏非之。顧弗深考耳。
【読み】
△沇水[いんすい]を導いて、東に流れて濟と爲りて河に入る。溢れて滎[けい]と爲り、東して陶丘の北に出づ。又東して菏[か]に至り、又東北して汶に會す。又北東して海に入る。沇水は、濟水なり。源を發するを沇とす。旣に東するを濟とす。地志に云う、濟水は河東郡垣曲縣の王屋山の東南より出づ、と。今の絳[こう]州垣曲縣の山なり。始めて源を王屋の山頂崖下に發するを沇水と曰い、旣に見れて伏して、東して今の孟州濟源縣より出づ。二源あり。東源は周廻七百步、其の深さ測られず。西源は周廻六百八十五步、其の深さ一丈。合流して溫縣に至る。是を濟水とす。虢[かく]公臺を歷て西南して河に入る。溢は、滿つるなり。復河の南に出でて、溢れて滎となる。滎は卽ち滎波の滎なり。豫州に見えたり。又東して陶丘の北に出づ。陶丘は、地の名。再成を陶と曰う。今の廣濟軍の西に在り。又東して菏に至る。菏は、卽ち菏澤なり。亦豫州に見えたり。之を至ると謂うは、濟陰縣に自ずから菏派有り、濟流は其の地に至るのみ。汶は、北汶なり。靑州に見えたり。又東北して東平府壽張縣の安民亭に至りて、汶水に合い、今の靑州博興縣に至りて海に入る。唐の李賢が謂う、濟は鄭より以東、滑・曹・鄆[うん]・濟・齊・靑を貫いて、以て海に入る、と。本朝の樂史が謂う、今の東平・濟南・緇川・北海の界中に水流有りて海に入る、之を淸河と謂う、と。酈道元が謂う、濟水は王莽が世に當たりて、川瀆枯竭す。其の後水流逕通し、津渠勢い改まれり。梁の脈水を尋ぬるに、昔と同じからず。然らば則ち滎澤濟河枯るると雖も、而れども濟水は未だ嘗て流れを絕えず、と。程氏が曰く、滎水の濟と爲るは、本他義無し。濟の河に入るは、適々河滿つるに會いて、南岸に溢れ出づ。溢れ出づる者は濟水に非ず。濟に因りて溢る。故に禹還って元の名を以て之に命づく、と。按ずるに程氏溢の一字を言うは、固に理有りとす。然れども河南より出づる者旣に濟水に非ざるときは、則ち禹應に河の枝流を以てして、冒し稱して濟とすべからず。蓋し溢るとは滎を指して言い、河を指すに非ず。且つ河濁りて滎淸めば、則ち滎の水は、河の溢るるに非ざること明らかなり。況んや經に書す所は、單に導沇條例を立つこと、斷つが若く續ぐが若し。而して實に源流有り、或は見れ或は伏して脈絡考う可し。先儒皆濟水性下り勁疾[けいしつ]なるを以て、故に能く河穴の地に入りて、流注顯伏す、と。南豐の曾氏が齊州二堂の記に云う、泰山の北と、齊の東南諸谷の水と、西北して黑水の灣を匯[めぐ]り、又西北して柏崖の灣を匯りて、渴馬の崖に至る。蓋し水の來ること衆し。其の北に折れて西するや、悍疾なること尤も甚だし。崖下に至るに及んで、則ち泊然として止まる。而して崖より以北、歷城の西に至ること、蓋し五十里にして泉有りて湧き出づ。高きこと或は數尺を致す。其の旁らの人、之を名づけて趵突[はくとつ]の泉と曰う。齊人皆謂う、嘗て糠を黑水の灣に棄つる者有りて、之を此に見る、と。蓋し泉渴馬の崖より、地中を潛流して、此に至りて復出づるなり、と。其の注いで北するときは、則ち之を濼水と謂い、淸河に達して以て海に入る。舟の濟に通ずる者、皆是に於て達するなり。齊に甘泉多し。其の名を顯す者十數にして、色味皆同じ。余を以て之を驗すに、蓋し皆濼水の旁らに出づる者なり。然らば則ち水の地中を伏流する、固に多く之れ有り。奚ぞ獨り滎澤に於て疑わんや。吳興の沈氏も亦言う、古說に濟水は地中を伏流す、と。今の歷下凡そ地を發するは、皆是の流水なり。世に謂う、濟水其の下を經過す、と。東阿も亦濟の經る所なり。其の井水を取りて膠を煮る、之を阿膠と謂う。用て濁水を攪[か]くときは則ち淸し。人之を服すれば膈[かく]を下し痰を疏[とお]す。蓋し其水の性下に趨りて、淸くして重きが故なり。濟水伏流して河を絕つは、乃ち其の物性の常、事理の著る者なり、と。程氏之を非とす。顧[おも]うに深く考えざるのみ。

△導淮自桐柏。東會于泗・沂、東入于海。水經云、淮水出南陽平氏縣胎簪山。禹只自桐柏導之耳。桐柏、見導山。泗・沂、見徐州。沂入于泗、泗入于淮。此言會者、以二水相敵故也。入海、在今淮浦。
【読み】
△淮を導くこと桐柏よりす。東して泗・沂[き]に會して、東して海に入る。水經に云う、淮水は南陽平氏縣の胎簪山[たいしんざん]より出づ、と。禹は只桐柏より之を導くのみ。桐柏は、導山に見えたり。泗・沂は、徐州に見えたり。沂は泗に入り、泗は淮に入る。此に會と言うは、二水相敵するを以て故なり。海に入るは、今の淮浦に在り。

△導渭自鳥鼠・同穴。東會于灃、又東會于涇、又東過漆・沮入于河。同穴、山名。地志云、鳥鼠山者、同穴之枝山也。餘竝見雍州。孔氏曰、鳥鼠共爲雌雄、同穴而處。其說怪誕不經、不足信也。酈道元云、渭水出南谷山、在鳥鼠山西北。禹只自鳥鼠・同穴導之耳。
【読み】
△渭を導くこと鳥鼠・同穴よりす。東して灃[ほう]に會し、又東して涇に會し、又東して漆・沮を過ぎて河に入る。同穴は、山の名。地志に云う、鳥鼠山は、同穴の枝山なり、と。餘は竝[みな]雍州に見えたり。孔氏が曰く、鳥鼠共に雌雄を爲して、穴を同じくして處る、と。其の說怪誕不經にて、信ずるに足らず。酈道元が云う、渭水は南谷山を出でて、鳥鼠山の西北に在り。禹は只鳥鼠・同穴より之を導くのみ、と。

△導洛自熊耳。東北會于澗・瀍、又東會于伊、又東北入于河。熊耳、廬氏之熊耳也。餘竝見豫州。洛水、出冢嶺山。禹只自熊耳導之耳。○按經言、嶓冢導漾、岷山導江者、漾之源出於嶓、江之源出於岷。故先言山而後言水也。言導河積石、導淮自桐柏、導渭自鳥鼠・同穴、導洛自熊耳、皆非出於其山。特自其山以導之耳。故先言水而後言山也。河不言自者、河源多伏流。積石其見處。故言積石而不言自也。沇水不言山者、流水伏流、其出非一。故不誌其源也。弱水・黑水不言山者、九州之外、蓋略之也。小水合大水、謂之入。大水合小水、謂之過。二水勢均相入、謂之會。天下之水、莫大於河。故於河不言會。此禹貢立言之法也。
【読み】
△洛を導くこと熊耳よりす。東北して澗・瀍[てん]に會し、又東して伊に會し、又東北して河に入る。熊耳は、廬氏の熊耳なり。餘は竝[みな]豫州に見えたり。洛水は、冢嶺山より出づ。禹は只熊耳より之を導くのみ。○按ずるに經に言う、嶓冢[はちょう]より漾を導き、岷山より江を導くは、漾の源は嶓より出で、江の源は岷より出づ。故に先ず山を言いて而して後に水を言うなり。河を積石より導き、淮を導くこと桐柏よりし、渭を導くこと鳥鼠・同穴よりし、洛を導くこと熊耳よりすと言うは、皆其の山より出づるに非ず。特に其の山より以て之を導くのみ。故に先ず水を言いて而して後に山を言うなり。河の自と言わざるは、河源は伏流多し。積石は其の見る處なり。故に積石を言いて自と言わざるなり。沇水の山を言わざるは、流水の伏流、其の出づること一つに非ず。故に其の源を誌さざるなり。弱水・黑水の山を言わざるは、九州の外、蓋し之を略せり。小水の大水に合う、之を入と謂う。大水の小水に合う、之を過と謂う。二水勢均しく相入る、之を會と謂う。天下の水、河より大なるは莫し。故に河に於ては會を言わず。此れ禹貢立言の法なり。

△九州攸同、四隩旣宅、九山刋旅、九川滌源、九澤旣陂。四海會同。隩、隈也。李氏曰、涯内近水爲隩。陂、障也。會同、與灉・沮會同同義。四海之隩、水涯之地已可奠居。九州之山、槎木通道已可祭告。九州之川、濬滌泉源而無壅遏。九州之澤、已有陂障而無決潰。四海之水、無不會同而各有所歸。此蓋總結上文。言九州・四海、水土無不平治也。
【読み】
△九州の同[ひと]しき攸、四隩[おう]旣に宅り、九山刋[き]りて旅し、九川源を滌[ふか]くし、九澤旣に陂す。四海會同す。隩は、隈なり。李氏が曰く、涯の内水に近きを隩とす、と。陂は、障[つつみ]なり。會同は、灉[よう]・沮會同すと義を同じくす。四海の隩、水涯の地已に奠[さだ]め居る可し。九州の山、木を槎[き]り道を通じて已に祭告す可し。九州の川、泉源を濬滌[しゅんでき]して壅遏[ようあつ]無し。九州の澤、已に陂障有りて決潰無し。四海の水、會同して各々歸する所有らざる無し。此れ蓋し總べて上の文を結べり。言うこころは、九州・四海、水土平治せざること無し。

△六府孔修、庶土交正、厎愼財賦、咸則三壤、成賦中邦。孔、大也。水・火・金・木・土・穀皆大修治也。土者、財之自生。謂之庶土、則非特穀土也。庶土有等、當以肥瘠高下名物交相正焉、以任土事。厎、致也。因庶土所出之財、而致謹其財賦之入。如周大司徒、以土宜之法、辨十有二土之名物、以任土事之類。咸、皆也。則、品節之也。九州穀土、又皆品節之、以上中下三等。如周大司徒、辨十有二壤之名物、以致稼穡之類。中邦、中國也。蓋土賦或及於四夷、而田賦則止於中國而已。故曰成賦中邦。
【読み】
△六府孔だ修まり、庶土交々正しく、財賦を厎[いた]し愼み、咸三壤に則り、賦を中邦に成せり。孔は、大いなり。水・火・金・木・土・穀皆大いに修まり治まるなり。土は財の自ずから生るなり。之を庶土と謂うときは、則ち特に穀土のみに非ず。庶土は等有り、當に肥瘠高下名物を以て交々相正して、以て土の事に任ずべし。厎[し]は、致すなり。庶土出だす所の財に因りて、其の財賦の入るを致し謹む。周の大司徒、土宜の法を以て、十有二土の名物を辨ちて、以て土の事を任ずるの類の如し。咸は、皆なり。則は、之を品節するなり。九州の穀土も、又皆之を品節するに、上中下三等を以てす。周の大司徒、十有二壤の名物を辨ちて、以て稼穡を致すの類の如し。中邦は、中國なり。蓋し土賦或は四夷に及んで、田賦は則ち中國に止むるのみ。故に賦を中邦に成すと曰う。

△錫土姓。錫土姓者、言錫之土以立國、錫之姓以立宗。左傳所謂天子建德。因生以賜姓。胙之土而命之氏者也。
【読み】
△土姓を錫う。土姓を錫うとは、言うこころは、之に土を錫いて以て國を立て、之に姓を錫いて以て宗を立つなり。左傳に所謂天子德を建つ。生に因りて以て姓を賜う。之に土を胙[たま]いて之に氏を命ずという者なり。

△祗台德先、不距朕行。台、我。距、違也。禹平水土、定土賦建諸侯、治已定功已成矣。當此之時、惟敬德以先天下、則天下自不能違越我之所行也。
【読み】
△台[わ]が德を祗[つつし]んで先だつときは、朕が行うことに距[たが]わず。台は、我。距は、違うなり。禹水土を平らげ、土賦を定めて諸侯建てば、治已に定まり功已に成れり。此の時に當たりて、惟德を敬んで以て天下に先だつときは、則ち天下自ずから我が行う所に違越すること能わざるなり。

△五百里甸服。百里賦納總、二百里納銍、三百里納秸服。四百里粟、五百里米。甸服、畿内之地也。甸、田。服、事也。以皆田賦之事。故謂之甸服。五百里者、王城之外、四面皆五百里也。禾本全曰總。刈禾曰銍。半藁也。半藁去皮曰秸。謂之服者、三百里内去王城爲近。非惟納總・銍・秸、而又使之服輸將之事也。獨於秸言之者、總前二者而言也。粟、穀也。内百里爲最近。故幷禾本總賦之。外百里次之、只刈禾半藁納也。外百里又次之、去藁麤皮納也。外百里爲遠。去其穂而納穀。外百里爲尤遠。去其穀而納米。蓋量其地之遠近、而爲納賦之輕重精麤也。此分甸服五百里、而爲五等者也。
【読み】
△五百里は甸服[でんふく]。百里は賦總を納れ、二百里は銍[ちつ]を納れ、三百里は秸[かつ]を納れ服す。四百里は粟、五百里は米。甸服は、畿内の地なり。甸は、田。服は、事なり。皆田賦の事を以てす。故に之を甸服と謂う。五百里は、王城の外、四面皆五百里なり。禾[いね]本全きを總と曰う。禾を刈るを銍と曰う。半藁なり。半藁の皮を去るを秸と曰う。之を服すと謂うは、三百里の内は王城を去ること近しとす。惟總・銍・秸を納むるのみに非ずして、又之をして輸將の事に服せしむ。獨り秸に於て之を言うは、前の二つの者を總べて言うなり。粟は、穀なり。内百里は最も近しとす。故に禾本を幷せて總べて之を賦す。外百里は之に次ぎ、只刈れる禾半藁を納るるなり。外百里も又之に次ぎ、藁麤皮を去りて納るるなり。外百里を遠しとす。其の穂を去りて穀を納る。外百里を尤も遠しとす。其の穀を去りて米を納る。蓋し其の地の遠近を量りて、納賦の輕重精麤を爲すなり。此れ甸服五百里を分かちて、五等とする者なり。

△五百里侯服。百里采、二百里男邦、三百里諸侯。侯服者、侯國之服。甸服外四面又各五百里也。采者、卿大夫邑地。男邦、男爵小國也。諸侯、諸侯之爵、大國次國也。先小國而後大國者、大可以禦外侮、小得以安内附也。此分侯服五百里、而爲三等也。
【読み】
△五百里は侯服。百里は采、二百里は男邦、三百里は諸侯。侯服は、侯國の服なり。甸服の外の四面も又各々五百里なり。采は、卿大夫の邑地。男邦は、男爵の小國なり。諸侯は、諸侯の爵、大國次國なり。小國を先にして大國を後にするは、大は以て外侮を禦ぐ可く、小は以て内附を安んずるを得るなり。此れ侯服五百里を分かちて、三等とするなり。

△五百里綏服。三百里揆文敎、二百里奮武衛。綏、安也。謂之綏者、漸遠王畿、而取撫安之義。侯服外四面又各五百里也。揆、度也。綏服内取王城千里、外取荒服千里、介於内外之閒。故以内三百里揆文敎、外二百里奮武衛。文以治内、武以治外、聖人所以嚴華夏之辨者如此。此分綏服五百里、而爲二等也。
【読み】
△五百里は綏服[すいふく]。三百里は文敎を揆[はか]り、二百里は武衛を奮う。綏は、安んずるなり。之を綏と謂うは、漸く王畿に遠くして、撫安の義を取るなり。侯服の外の四面も又各々五百里なり。揆は、度るなり。綏服の内は王城千里を取り、外は荒服千里を取り、内外の閒を介[わけ]る。故に内三百里を以て文敎を揆り、外二百里は武衛を奮う。文以て内を治め、武以て外を治むる、聖人華夏の辨を嚴にする所以の者此の如し。此れ綏服五百里を分かちて、二等とするなり。

△五百里要服。三百里夷、二百里蔡。要服、去王畿已遠。皆夷狄之地。其文法略於中國。謂之要者、取要約之義、特羈縻之而已。綏服外四面又各五百里也。蔡、放也。左傳云、蔡蔡叔是也。流放罪人於此也。此分要服五百里、而爲二等也。
【読み】
△五百里は要服。三百里は夷、二百里は蔡。要服は、王畿を去ること已に遠し。皆夷狄の地なり。其の文法は中國を略す。之を要と謂うは、要約の義を取り、特に之を羈縻[きび]するのみ。綏服の外の四面も又各々五百里なり。蔡は、放つなり。左傳に云う、蔡叔を蔡[はな]つとは是れなり。罪人を此に流放するなり。此れ要服五百里を分かちて、二等とするなり。

△五百里荒服。三百里蠻、二百里流。荒服、去王畿益遠、而經略之者、視要服爲尤略也。以其荒野、故謂之荒服。要服外四面又各五百里也。流、流放罪人之地。蔡與流皆所以處罪人、而罪有輕重。故地有遠近之別也。此分荒服五百里、而爲二等也。○今按每服五百里、五服則二千五百里、南北東西相距五千里。故益稷篇言、弼成五服、至于五千。然堯都冀州。冀之北境、幷雲中・涿・易、亦恐無二千五百里。藉使有之、亦皆沙漠不毛之地、而東南財賦所出、則反棄於要荒。以地勢考之、殊未可曉。但意古今土地盛衰不同。當舜之時、冀北之地未必荒落如後世耳。亦猶閩・浙之閒、舊爲蠻夷淵藪、而今富庶繁衍、遂爲上國。土地興廢、不可以一時槩也。周制九畿、曰侯・甸・男・采・衛・蠻・夷・鎭・藩。每畿亦五百里、而王畿又不在其中、倂之則一方五千里、四方相距爲萬里。蓋倍禹服之數也。漢地志亦言、東西九千里、南北一萬二千里。先儒皆疑、禹服之狹、而周漢地廣。或以周服里數、皆以方言。或以古今尺有長短。或以禹直方計。而後世以人迹屈曲取之。要之皆非的論。蓋禹聲敎所及、則地盡四海、而其疆理、則止以五服爲制、至荒服之外、又別爲區畫。如所謂咸建五長是已。若周漢則盡其地之所至、而疆畫之也。
【読み】
△五百里は荒服。三百里は蠻、二百里は流。荒服は、王畿を去ること益々遠くして、之を經略する者は、要服に視[くら]ぶれば尤も略なりとす。其の荒野なるを以て、故に之を荒服と謂う。要服の外の四面も又各々五百里なり。流は、罪人を流放するの地なり。蔡と流とは皆罪人を處く所以にして、罪に輕重有り。故に地に遠近の別有り。此れ荒服五百里を分かちて、二等とするなり。○今按ずるに每服五百里、五服は則ち二千五百里、南北東西相距てること五千里。故に益稷の篇に言う、五服を弼成して、五千に至る、と。然れども堯は冀州に都す。冀の北境、幷[雲中・涿・易なるも、亦恐らくは二千五百里無からん。藉使[たとい]之れ有るも、亦皆沙漠不毛の地にして、東南財賦の出づる所は、則ち反って要荒を棄つ。地勢を以て之を考うるに、殊に未だ曉る可からず。但意うに古今土地の盛衰同じからず。舜の時に當たりて、冀北の地は未だ必ずしも荒落すること後世の如くならざるのみ。亦猶閩[びん]・浙の閒、舊蠻夷の淵藪と爲りて、今富庶繁衍して、遂に上國と爲る。土地の興廢は、一時を以て槩[はか]る可からず。周の制に九畿あり、曰く侯・甸・男・采・衛・蠻・夷・鎭・藩、と。每畿亦五百里にして、王畿は又其の中に在らず、之を倂するときは則ち一方五千里、四方相距てること萬里と爲る。蓋し禹服の數に倍せり。漢の地志にも亦言う、東西九千里、南北一萬二千里、と。先儒皆疑う、禹服の狹くして、周漢の地廣し、と。或は周は服里の數を以てするに、皆方を以て言う、と。或は古今尺に長短有るを以てす、と。或は禹は直方を以て計る、と。而して後世人迹の屈曲を以て之を取る。之を要するに皆的論に非ず。蓋し禹の聲敎の及ぶ所は、則ち地四海を盡くして、其の疆理は、則ち止に五服を以て制とし、荒服の外に至りては、又別に區畫を爲す。所謂咸五長を建つるが如き是れのみ。周漢の若きは則ち其の地の至る所を盡くして、之を疆畫す。

△東漸于海、西被于流沙、朔南曁聲敎、訖于四海。禹錫玄圭、告厥成功。漸、漬。被、覆。曁、及也。地有遠近。故言有淺深也。聲、謂風聲。敎、謂敎化。林氏曰、振舉於此、而遠者聞焉。故謂之聲。軌範於此、而遠者效焉。故謂之敎。上言五服之制、此言聲敎所及。蓋法制有限、而敎化無窮也。錫、與師錫之錫同。水土旣平、禹以玄圭爲贄、而告成功于舜也。水色黑。故圭以玄云。
【読み】
△東は海を漸[ひた]し、西は流沙を被い、朔[きた]南に聲敎を曁[およ]ぼし、四海に訖[いた]る。禹玄圭を錫[あた]えて、厥の成功を告[もう]す。漸は、漬す。被は、覆う。曁は、及ぶなり。地に遠近有り。故に言に淺深有り。聲は、謂ゆる風聲なり。敎は、謂ゆる敎化なり。林氏が曰く、此に振舉して、遠き者焉を聞く。故に之を聲と謂う。此に軌範して、遠き者焉に效う。故に之を敎と謂う、と。上には五服の制を言い、此には聲敎の及ぶ所を言う。蓋し法制は限り有りて、敎化は窮まり無し。錫は、師錫の錫と同じ。水土旣に平らいで、禹玄圭を以て贄として、成功を舜に告す。水の色は黑し。故に圭も玄[くろ]きを以て云う。


甘誓 甘、地名。有扈氏國之南郊也。在扶風鄠縣。誓、與禹征苗之誓同義。言其討叛伐罪之意。嚴其坐作進退之節。所以一衆志而起其怠也。誓師于甘。故以甘誓名篇。書有六體、誓其一也。今文古文皆有。○按有扈、夏同姓之國。史記曰、啓立、有扈不服。遂滅之。唐孔氏因謂、堯舜受禪、啓獨繼父。以是不服。亦臆度之見耳。左傳昭公元年、趙孟曰、虞有三苗、夏有觀・扈、商有姺・邳、周有徐・奄。則有扈亦三苗徐奄之類也。
【読み】
甘誓[かんせい] 甘は、地の名。有扈[ゆうこ]氏の國の南郊なり。扶風鄠[こ]縣に在り。誓は、禹苗を征するの誓いと義を同じくす。其の叛くを討ち罪あるを伐つの意を言う。其の坐作進退の節を嚴にす。衆の志を一にして其の怠[たゆ]むを起こす所以なり。師に甘に誓う。故に甘誓を以て篇に名づく。書に六體有り、誓は其の一つなり。今文古文皆有り。○按ずるに有扈は、夏の同姓の國なり。史記に曰く、啓立ちて、有扈服せず。遂に之を滅ぼす、と。唐の孔氏因りて謂う、堯舜は禪を受け、啓獨り父に繼ぐ。是を以て服せず、と。亦臆度の見なるのみ。左傳昭公元年に、趙孟が曰く、虞に三苗有り、夏に觀・扈有り、商に姺[せん]・邳[ひ]有り、周に徐・奄[えん]有り、と。則ち有扈も亦三苗徐奄の類なり。


大戰于甘。乃召六卿。六卿、六卿之卿也。按周禮卿大夫、每郷卿一人。六郷、六卿。平居無事、則各掌其郷之政敎禁令、而屬於大司徒。有事出征、則各率其郷之一萬二千五百人、而屬於大司馬。所謂軍將皆卿者是也。意夏制亦如此。古者四方有變、專責之方伯。方伯不能討、然後天子親征之。天子之兵、有征無戰。今啓旣親率六軍以出、而又書大戰于甘、則有扈之怙强稔惡、敢與天子抗衡。豈特孟子所謂六師移之者。書曰大戰。蓋所以深著有扈不臣之罪、而爲天下後世諸侯之戒也。
【読み】
大いに甘に戰う。乃ち六卿を召す。六卿は、六卿の卿なり。按ずるに周禮の卿大夫、郷每に卿一人。六郷は、六卿なり。平居無事なるときは、則ち各々其の郷の政敎禁令を掌りて、大司徒に屬す。事有りて出征するときは、則ち各々其の郷の一萬二千五百人を率いて、大司馬に屬す。所謂軍將は皆卿というは是れなり。意うに夏の制も亦此の如し。古には四方變有るときは、專ら之を方伯に責む。方伯討ずること能わず、然して後に天子親ら之を征す。天子の兵は、征有りて戰無し。今啓旣に親ら六軍を率いて以て出でて、又大いに甘に戰うと書せば、則ち有扈の强を怙[たの]み惡を稔[つ]んで、敢えて天子と抗衡す。豈特に孟子の所謂六師之を移す者ならんや。書して曰く大いに戰う、と。蓋し深く有扈不臣の罪を著す所以にして、天下後世諸侯の戒めとするなり。

△王曰、嗟六事之人、予誓告汝。重其事。故嗟歎而告之。六事者、非但六卿。有事於六軍者皆是也。
【読み】
△王曰く、嗟[ああ]六事の人、予れ誓いて汝に告ぐ。其の事を重んず。故に嗟歎して之に告ぐ。六事は、但六卿のみに非ず。六軍に事とすること有る者は皆是れなり。

△有扈氏、威侮五行、怠棄三正。天用勦絕其命。今予惟恭行天之罰。威、暴殄之也。侮、輕忽之也。鯀汨五行而殛死。況於威侮之者乎。三正、子・丑・寅之正也。夏正建寅。怠棄者、不用正朔也。有扈氏暴殄天物、輕忽不敬、廢棄正朔、虐下背上、獲罪于天。天用勦絕其命。今我伐之。惟敬行天之罰而已。今按此章、則三正迭建、其來久矣。舜協時月正日、亦所以一正朔也。子丑之建、唐虞之前、當已有之。
【読み】
△有扈氏、五行を威侮して、三正を怠棄す。天用て其の命を勦絕[そうぜつ]す。今予れ惟れ恭んで天の罰を行う。威は、之を暴殄[ぼうてん]するなり。侮は、之を輕忽するなり。鯀五行を汨[みだ]して殛死[きょくし]す。況んや之を威侮する者をや。三正は、子・丑・寅の正なり。夏の正は寅を建[さ]す。怠棄は、正朔を用いざるなり。有扈氏天物を暴殄し、輕忽不敬にして、正朔を廢棄し、下を虐げ上に背いて、罪を天に獲。天用て其の命を勦絕す。今我れ之を伐つ。惟れ敬んで天の罰を行うのみ、と。今此の章を按ずるに、則ち三正迭[たが]いに建す、其の來ること久し。舜の時月を協え日を正すも、亦正朔を一にする所以なり。子丑の建も、唐虞の前に、當に已に之れ有るべし。

△左不攻于左、汝不恭命。右不攻于右、汝不恭命。御非其馬之正、汝不恭命。左、車左、右、車右也。攻、治也。古者車戰之法、甲士三人、一居左以主射、一居右以主擊刺、御者居中以主馬之馳驅也。左傳宣公十二年、楚許伯御樂伯。攝叔爲右、以致晉師。樂伯曰、吾聞致師者、左射以菆。是車左主射也。攝叔曰、吾聞致師者、右入壘折馘執俘而還。是車右主擊刺也。御非其馬之正、猶王良所謂詭遇也。蓋左右不治其事、與御非其馬之正、皆足以致敗。故各指其人以責其事、而欲各盡其職而不敢忽也。
【読み】
△左左を攻[おさ]めざるは、汝の命を恭[つつし]まざるなり。右右を攻めざるは、汝の命を恭まざるなり。御其の馬の正しきに非ざるは、汝の命を恭まざるなり。左は、車の左、右は、車の右なり。攻は、治むるなり。古は車戰の法、甲士三人、一りは左に居りて以て射を主り、一りは右に居りて以て擊刺を主り、御者は中に居りて以て馬の馳驅を主るなり。左傳の宣公十二年に、楚の許伯樂伯に御たり。攝叔右と爲り、以て晉の師に致[いど]む。樂伯が曰く、吾れ聞く、師を致む者は、左は射るに菆[しゅう]を以てす、と。是れ車左は射を主ればなり。攝叔が曰く、吾れ聞く、師を致む者は、右は壘に入りて馘[きりみみ]を折[き]り俘を執りて還る、と。是れ車右は擊刺を主ればなり。御其の馬の正しきに非ずとは、猶王良が所謂詭遇のごとし。蓋し左右其の事を治めざると、御其の馬の正しきに非ざるとは、皆以て敗れを致すに足れり。故に各々其の人を指して以て其の事を責めて、各々其の職を盡くして敢えて忽にせざることを欲するなり。

△用命賞于祖。弗用命戮于社。予則孥戮汝。戮、殺也。禮曰、天子巡狩、以遷廟主行。左傳、軍行祓社釁鼓。然則天子親征、必載其遷廟之主、與其社主以行。以示賞戮之不敢專也。祖左、陽也。故賞于祖。社右、陰也。故戮于社。孥、子也。孥戮與上戮字同義。言若不用命、不但戮及汝身、將倂汝妻子而戮之。戰、危事也。不重其法、則無以整肅其衆而使赴功也。或曰、戮、辱也。孥戮、猶秋官司厲、孥男子以爲罪隷之孥。古人以辱爲戮。謂戮辱之以爲孥耳。古者罰弗及嗣。孥戮之刑、非三代之所宜有也。按此說固爲有理。然以上句考之、不應一戮而二義。蓋罰弗及嗣者、常刑也。予則孥戮者、非常刑也。常刑、則愛克厥威。非常刑、則威克厥愛。盤庚遷都尙有劓殄滅之無遺育之語。則啓之誓師、豈爲過哉。
【読み】
△命を用いば祖に賞せん。命を用いざれば社に戮[ころ]さん。予れ則ち孥[やっこ]まで汝を戮さん、と。戮[りく]は、殺すなり。禮に曰く、天子巡狩するときは、遷廟の主を以て行く、と。左傳に、軍行くときは社に祓い鼓に釁[ちぬ]る、と。然れば則ち天子親征するに、必ず其の遷廟の主と、其の社主とを載せて以て行く。以て賞戮の敢えて專らにせざることを示すなり。祖は左にて、陽なり。故に祖に賞す。社は右にて、陰なり。故に社に戮す。孥[ど]は、子なり。孥戮と上の戮の字とは義を同じくす。言うこころは、若し命を用いざれば、但戮すこと汝が身に及ぶのみにあらず、將に汝が妻子を倂せて之を戮す、と。戰は、危事なり。其の法を重んぜざるときは、則ち以て其の衆を整肅して功に赴かしむること無し。或ひと曰く、戮は、辱なり。孥戮とは、猶秋官の司厲に、男子を孥にして以て罪隷の孥とするがごとし。古人辱を以て戮とす。之を戮辱して以て孥とすると謂うのみ。古は罰は嗣に及ばず。孥戮の刑は、三代の宜しく有るべき所に非ず、と。按ずるに此の說固に理有りとす。然れども上の句を以て之を考うれば、應に一戮にして二義あるべからず。蓋し罰は嗣に及ばずとは、常の刑なり。予れ則ち孥戮すとは、常の刑に非ず。常の刑は、則ち愛厥の威に克つ。常の刑に非ざるときは、則ち威厥の愛に克つ。盤庚都を遷すに尙之を劓[はなぎ]り殄[た]ち滅ぼして遺し育[ひととな]すこと無けんの語有り。則ち啓の師に誓う、豈過ぎたりとせんや。


五子之歌 五子、太康之弟也。歌、與帝舜作歌之歌同義。今文無。古文有。
【読み】
五子之歌[ごしのうた] 五子は、太康の弟なり。歌は、帝舜歌を作るの歌と義を同じくす。今文無し。古文有あり。


太康尸位、以逸豫滅厥德。黎民咸貳。乃盤遊無度。畋于有洛之表、十旬弗反。太康、啓之子。尸、如祭祀之尸。謂居其位而不爲其事。如古人所謂尸祿尸官者也。豫、樂也。夏諺曰、吾王不遊、吾何以休。吾王不豫、吾何以助。一遊一豫、爲諸侯度。夏之先王、非不遊豫、蓋有其節。皆所以爲民。非若太康以逸豫而滅其德也。民咸貳心。而太康猶不知悔、乃安於遊畋之無度。言其遠、則至于洛水之南、言其久、則十旬而弗反。是則太康自棄其國矣。
【読み】
太康位を尸[つかさど]り、逸豫を以て厥の德を滅ぼす。黎民咸貳[ふたごころ]あり。乃ち盤遊して度[のり]無し。有洛の表に畋[かり]して、十旬まで反らず。太康は、啓の子。尸は、祭祀の尸の如し。其の位に居りて其の事をせざるを謂う。古人の所謂尸祿尸官という者の如し。豫は、樂しむなり。夏の諺に曰く、吾が王遊ばずんば、吾れ何を以てか休[いこ]わん。吾が王豫ばずんば、吾れ何を以てか助からん。一遊一豫は、諸侯の度と爲る、と。夏の先王、遊豫せざるに非ず、蓋し其の節有り。皆民を爲むる所以なり。太康の逸豫を以てして其の德を滅ぼすが若きには非ず。民咸貳心あり。而るを太康猶悔ゆることを知らず、乃ち遊畋[ゆうでん]の度無きに安んず。其の遠きを言えば、則ち洛水の南に至り、其の久しきを言えば、則ち十旬までにして反らず。是れ則ち太康自ら其の國を棄つるなり。

△有窮后羿、因民弗忍、距于河。窮、國名。羿、窮國君之名也。或曰、羿善射者之名。賈逵說文、羿、帝嚳射官。故其後善射者皆謂之羿。有窮之君亦善射。故以羿目之也。羿因民不堪命、距太康于河北、使不得返、遂廢之。
【読み】
△有窮の后羿[げい]、民の忍びざるに因りて、河に距[ふせ]ぐ。窮は、國の名。羿は、窮國の君の名なり。或ひと曰く、羿は善く射る者の名なり。賈逵[かき]が說文に、羿は、帝嚳の射官。故に其の後善く射る者を皆之を羿と謂う、と。有窮の君も亦善く射る。故に羿を以て之に目づくなり、と。羿民の命に堪えざるに因りて、太康を河の北に距いで、返ることを得ざらしめて、遂に之を廢す。

△厥弟五人、御其母以從、徯于洛之汭。五子咸怨、述大禹之戒、以作歌。御、侍也。怨、如孟子所謂小弁之怨、親親也。小弁之詩、父子之怨、五子之歌、兄弟之怨也。親之過大而不怨、是愈疏也。五子知宗廟社稷危亡之不可救、母子兄弟離散之不可保、憂愁鬱悒、慷慨感厲、情不自已、發爲詩歌。推其亡國敗家之由、皆原於荒棄皇祖之訓。雖其五章之閒、非盡迷皇祖之戒、然其先後終始、互相發明。史臣以其作歌之意、序於五章之首。後世序詩者、每篇皆有小序、以言其作詩之義。其原蓋出諸此。
【読み】
△厥の弟五人、其の母に御[はべ]りて以て從い、洛の汭[ほとり]に徯[ま]つ。五子咸怨んで、大禹の戒めを述べて、以て歌を作る。御は、侍るなり。怨は、孟子の所謂小弁[しょうはん]の怨みは、親を親しんずるというが如し。小弁の詩は、父子の怨み、五子の歌は、兄弟の怨みなり。親の過ち大いにして怨みざるは、是れ愈々疏なり。五子宗廟社稷危亡の救う可からず、母子兄弟離散して保つ可からざるを知りて、憂愁鬱悒[うつゆう]、慷慨感厲して、情自ずから已まず、發して詩歌を爲る。其の亡國敗家の由を推すに、皆皇祖の訓を荒棄するに原づく。其の五章の閒、盡くは皇祖の戒めを迷[たが]えるに非ずと雖も、然れども其の先後終始、互いに相發明す。史臣其の歌を作るの意を以て、五章の首めに序す。後世詩を序する者、每篇皆小序有り、以て其の詩を作るの義を言う。其の原は蓋し此より出づ。

△其一曰、皇祖有訓。民可近、不可下。民惟邦本。本固邦寧。此禹之訓也。皇、大也。君之與民、以勢而言、則尊卑之分、如霄壤之不侔。以情而言、則相須以安。猶身體之相資以生也。故勢疎則離、情親則合。以其親、故謂之近、以其疎、故謂之下。言其可親而不可疎之也。且民者國之本。本固而後國安。本旣不固、則雖强如秦、富如隋。終亦滅亡而已矣。其一其二、或長幼之序、或作歌之序、不可知也。
【読み】
△其一に曰く、皇祖に訓有り。民は近づく可く、下す可からず。民は惟れ邦の本なり。本固ければ邦寧し。此れ禹の訓なり。皇は、大いなり。君と民とは、勢を以て言うときは、則ち尊卑の分、霄壤[しょうじょう]の侔[ひと]しからざるが如し。情を以て言うときは、則ち相須[たす]けて以て安し。猶身體の相資[たす]けて以て生るがごとし。故に勢疎なるときは則ち離れ、情親なるときは則ち合う。其の親を以て、故に之を近づくと謂い、其の疎を以て、故に之を下すと謂う。言うこころは、其れ親しくす可くして之を疎んず可からざるなり。且つ民は國の本なり。本固くして而して後に國安し。本旣に固からざれば、則ち强きこと秦の如しと雖も、富隋の如し。終に亦滅亡せんのみ。其の一其の二とは、或は長幼の序か、或は歌を作るの序か、知る可からず。

△予視天下、愚夫愚婦、一能勝予。一人三失、怨豈在明。不見是圖。予臨兆民、懍乎若朽索之馭六馬。爲人上者、柰何不敬。索、昔各反。馭、音御。○予、五子自稱也。君失人心、則爲獨夫。獨夫、則愚夫愚婦、一能勝我矣。三失者、言所失衆也。民心怨背、豈待其彰著而後知之。當於事幾未形之時而圖之也。朽、腐也。朽索易絕。六馬易驚。朽索固非可以馭馬也。以喩其危懼可畏之甚。爲人上者、奈何而不敬乎。前旣引禹之訓言、此則以己之不足恃、民之可畏者、申結其義也。
【読み】
△予れ天下を視るに、愚夫愚婦も、一に能く予に勝つ。一人三失ある、怨み豈明らかなるに在らんや。見えざるを是れ圖れ。予れ兆民に臨むこと、懍乎として朽索の六馬を馭[おさ]むるが若し。人の上爲る者、柰何ぞ敬まざる、と。索は、昔各反。馭は、音御。○予は、五子自ら稱するなり。君人の心を失するときは、則ち獨夫と爲る。獨夫なるときは、則ち愚夫愚婦も、一に能く我に勝たん。三失とは、失う所衆きを言うなり。民の心の怨み背く、豈其の彰著を待ちて而して後に之を知らんや。事幾の未だ形れざるの時に當たりて之を圖るなり。朽は、腐るなり。朽ちたる索は絕え易し。六馬は驚き易し。朽索は固に以て馬を馭むる可きに非ず。以て其の危懼畏る可きの甚だしきに喩う。人の上爲る者は、奈何ぞしてか敬まざらんや。前に旣に禹の訓言を引いて、此には則己が恃むに足らずして、民の畏る可き者を以て、申ねて其の義を結ぶなり。

△其二曰、訓有之。内作色荒、外作禽荒、甘酒嗜音、峻宇彫牆。有一于此、未或不亡。此亦禹之訓也。色荒、惑嬖寵也。禽荒、耽遊畋也。荒者、迷亂之謂。甘・嗜、皆無厭也。峻、高大也。宇、棟宇也。彫、繪飾也。言六者有其一、皆足以致滅亡也。禹之訓昭明如此、而太康獨不念之乎。此章首尾意義已明。故不復申結之也。
【読み】
△其の二に曰く、訓に之れ有り。内に色荒を作し、外に禽荒を作し、酒を甘しとし音を嗜み、宇を峻[たか]くし牆に彫る。此に一つも有れば、未だ亡びざること或らず、と。此れ亦禹の訓なり。色荒は、嬖寵に惑うなり。禽荒は、遊畋[ゆうでん]に耽けるなり。荒は、迷亂の謂。甘・嗜は、皆厭うこと無きなり。峻は、高大なり。宇は、棟宇なり。彫は、繪飾なり。言うこころは、六つの者其の一つ有れば、皆以て滅亡を致すに足るなり。禹の訓昭明なること此の如くにして、太康獨り之を念わざらんや。此の章の首尾意義已に明らかなり。故に復申ねて之を結ばざるなり。

△其三曰、惟彼陶唐、有此冀方。今失厥道、亂其紀綱。乃厎滅亡。堯初爲唐侯、後爲天子都陶。故曰陶唐。堯授舜、舜授禹、皆都冀州。言冀方者、舉中以包外也。大者爲綱、小者爲紀。厎、致也。堯・舜・禹相授一道、以有天下。今太康失其道、而紊亂其綱紀、以致滅亡也。○又按左氏所引、惟彼陶唐之下、有帥彼天常一語、厥道、作其行、乃厎滅亡、作乃滅而亡。
【読み】
△其の三に曰く、惟れ彼の陶唐、此の冀方を有てり。今厥の道を失い、其の紀綱を亂る。乃ち滅亡を厎[いた]す、と。堯初め唐侯と爲り、後に天子と爲りて陶に都す。故に陶唐と曰う。堯は舜に授け、舜は禹に授け、皆冀州に都す。冀方と言うは、中を舉げて以て外を包ぬ。大なる者を綱とし、小なる者を紀とす。厎は、致すなり。堯・舜・禹相授くること一道にして、以て天下を有てり。今太康其の道を失いて、其の綱紀を紊り亂りて、以て滅亡を致す。○又按ずるに左氏に引く所は、惟彼陶唐の下に、彼の天常に帥[したが]いの一語有り、厥の道は、其の行と作し、乃ち滅亡を厎すは、乃ち滅して亡ぶと作す。

△其四曰、明明我祖、萬邦之君。有典有則、貽厥子孫。關石和鈞、王府則有。荒墜厥緒、覆宗絕祀。明明、明而又明也。我祖、禹也。典、猶周之六典。則、猶周之八則。所以治天下之典章決度也。貽、遺。關、通。和、平也。百二十斤爲石。三十斤爲鈞。鈞與石、五權之最重者也。關通以見彼此通同、無折閱之意。和平以見人情兩平、無乖忤之意。言禹以明明之德、君臨天下。典則・法度、所以貽後世者如此。至於鈞石之設、所以一天下輕重、而立民信者、王府亦有之。其爲子孫後世慮、可謂詳且遠矣。奈何太康荒墜其緒、覆其宗而絕其祀乎。○又按法度之制始於權、權與物鈞而生衡。衡運生規。規圓生矩。矩方生繩。繩直生準。是權衡者、又法度之所自出也。故以鈞石言之。
【読み】
△其の四に曰く、明明たる我が祖、萬邦の君なり。典有り則有り、厥の子孫に貽[のこ]す。石を關[とお]し鈞を和して、王府に則有り。厥の緒を荒墜して、宗を覆し祀を絕つ、と。明明は、明らかにして又明らかなり。我が祖は、禹なり。典は、猶周の六典のごとし。則は、猶周の八則のごとし。天下を治むる所以の典章決度なり。貽は、遺す。關は、通す。和は、平らかなり。百二十斤を石とす。三十斤を鈞とす。鈞と石とは、五權の最も重き者なり。關通以て彼れ此れ通同して、折閱無きの意を見す。和平以て人情兩つながら平らかにして、乖忤[かいご]無きの意を見す。言うこころは、禹明明の德を以て、天下に君とし臨む。典則・法度、後世に貽す所以の者此の如し。鈞石の設くるに至りて、天下の輕重を一にして、民信を立つる所以の者、王府にも亦之れ有り。其の子孫後世の爲に慮ること、詳らかにして且つ遠しと謂う可し。奈何ぞ太康其の緒を荒墜し、其の宗を覆して其の祀を絕たんや。○又按ずるに法度の制權より始まり、權と物と鈞しくして衡を生す。衡運規を生す。規圓矩を生す。矩方繩を生す。繩直準を生す。是れ權衡は、又法度の自りて出づる所なり。故に鈞石を以て之を言う。

△其五曰、嗚呼曷歸。予懷之悲。萬姓仇予、予將疇依。鬱陶乎予心、顏厚有忸怩。弗愼厥德、雖悔可追。忸、女六反。怩、女夷反。○曷、何也。嗚呼曷歸、歎息無地之可歸也。予將疇依、彷徨無人之可依也。爲君至此、亦可哀矣。仇予之予、指太康也。指太康而謂之予者、不忍斥言、忠厚之至也。鬱陶、哀思也。顏厚、愧之見於色也。忸怩、愧之發於心也。可追、言不可追也。
【読み】
△其の五に曰く、嗚呼曷[なん]ぞ歸らん。予れ之を懷[おも]いて悲しむ。萬姓予を仇とす、予れ將疇[だれ]にか依らん。鬱陶乎たる予が心、顏厚く忸怩たる有り。厥の德を愼まずんば、悔ゆと雖も追う可けんや、と。忸は、女六反。怩は、女夷反。○曷は、何なり。嗚呼曷ぞ歸らんとは、地の歸す可きこと無きを歎息するなり。予れ將疇にか依らんとは、彷徨して人の依る可き無きなり。君と爲りて此に至るは、亦哀しむ可きなり。仇予の予は、太康を指すなり。太康を指して之を予と謂うは、斥し言うに忍びず、忠厚の至りなり。鬱陶は、哀しみ思うなり。顏厚は、愧の色に見るなり。忸怩は、愧の心に發るなり。追う可しとは、言うこころは、追う可からざるなり。


胤征 胤、國名。孟子曰、征者、上伐下也。此以征名。實卽誓也。仲康丁有夏中衰之運、羿執國政、社稷危、在其掌握。而仲康能命胤侯以掌六師。胤侯能承仲康以討有罪。是雖未能行羿不道之誅、明羲和黨惡之罪。然當國命中絕之際、而能舉師伐罪、猶爲禮樂征伐之自天子出也。夫子所以錄其書者以是歟。今文無。古文有。○或曰、蘇氏以爲羲和貳於羿忠於夏者。故羿假仲康之命、命胤侯征之。今按篇首言、仲康肇位四海、胤侯命掌六師。又曰、胤侯承王命徂征。詳其文意、蓋史臣善仲康能命將遣師、胤侯能承命致討、未見貶仲康不能制命、而罪胤侯之爲專征也。若果爲簒羿之書、則亂臣賊子所爲。孔子亦取之爲後世法乎。
【読み】
胤征[いんせい] 胤は、國の名。孟子曰く、征は、上、下を伐つ、と。此れ征を以て名づく。實に卽誓なり。仲康有夏中衰の運に丁[あ]たり、羿國政を執りて、社稷の危は、其の掌握に在り。而して仲康能く胤侯に命じて以て六師を掌らしむ。胤侯能く仲康に承けて以て有罪を討つ。是れ未だ羿が不道の誅を行うこと能わずと雖も、羲和黨惡の罪を明らかにす。然れども國命中絕の際に當たりて、能く師を舉げて罪を伐つは、猶禮樂征伐の天子より出づることを爲す。夫子其の書を錄す所以の者は是を以てか。今文無し。古文有り。○或ひと曰く、蘇氏以爲えらく、羲和は羿に貳[ふたごころ]ありて夏に忠ある者。故に羿仲康の命を假りて、胤侯に命じて之を征す、と。今按ずるに篇の首めに言う、仲康肇めて四海に位し、胤侯命ぜられて六師を掌る、と。又曰く、胤侯王命を承けて徂いて征す、と。其の文意を詳らかにするに、蓋し史臣仲康の能く將に命じ師を遣り、胤侯の能く命を承けて討を致すを善しとして、未だ仲康の命を制すること能わずして、胤侯の專ら征するを爲すに罪ありと貶[そし]ることを見ず。若し果たして簒羿が書とするときは、則ち亂臣賊子のする所なり。孔子も亦之を取りて後世の法とせんや。


惟仲康肇位四海。胤侯命掌六師。羲和廢厥職、酒荒于厥邑。胤后承王命徂征。仲康、太康之弟。胤侯、胤國之侯。命掌六師、命爲大司馬也。仲康始卽位、卽命胤侯以掌六師。次年方有征羲和之命。必本始而言者、蓋史臣善仲康肇位之時、已能收其兵權、故羲和之征、猶能自天子出也。林氏曰、羿廢太康而立仲康。然其簒也、乃在相之世、仲康不爲羿所簒。至其子相、然後見簒。是則仲康猶有以制之也。羿之立仲康也、方將執其禮樂征伐之權、以號令天下。而仲康卽位之始、卽能命胤侯掌六師、以收其兵權。如漢文帝入自代邸卽皇帝位、夜拜宋昌爲衛將軍、鎭撫南北軍之類。羲和之罪、雖曰沉亂于酒、然黨惡於羿、同惡相濟。故胤侯承王命往征之、以翦羿羽翼。故終仲康之世、羿不得以逞。使仲康盡失其權、則羿之簒夏、豈待相而後敢耶。羲氏和氏夏合為一官。曰胤后者、諸侯入爲王朝公卿。如禹・稷・伯夷謂之后也。
【読み】
惟れ仲康肇めて四海に位す。胤侯命ぜられて六師を掌る。羲和厥の職を廢てて、酒もて厥の邑に荒[すさ]む。胤后王の命を承けて徂いて征す。仲康は、太康の弟。胤侯は、胤國の侯。命ぜられて六師を掌るとは、命ぜられて大司馬と爲るなり。仲康始めて位に卽いて、卽ち胤侯に命じて以て六師を掌らしむ。次の年方に羲和を征するの命有り。必ず始めに本づいて言う者は、蓋し史臣仲康肇めて位するの時、已に能く其の兵權を收むる、故に羲和が征、猶能く天子より出づるを善しとしてなり。林氏が曰く、羿太康を廢して仲康を立つ。然れども其の簒えるは、乃ち相の世に在りて、仲康は羿の爲に簒われず。其の子相に至りて、然して後に簒わる。是れ則ち仲康猶以て之を制すること有るなり。羿が仲康を立つるや、方に將に其の禮樂征伐の權を執りて、以て天下に號令せんとすればなり。而るを仲康卽位の始め、卽ち能く胤侯に命じて六師を掌らしめて、以て其の兵權を收む。漢の文帝代の邸より入りて皇帝の位に卽き、夜宋昌を拜して衛將軍と爲り、南北軍を鎭撫するの類の如し。羲和の罪、酒に沉亂すと曰うと雖も、然れども惡を羿に黨し、惡を同じくして相濟[な]す。故に胤侯王命を承けて往いて之を征して、以て羿が羽翼を翦る。故に仲康の世を終うるまで、羿以て逞[ほしいまま]にすることを得ず。仲康をして盡く其の權を失わしむれば、則ち羿が夏を簒うこと、豈相を待ちて而して後に敢えてせんや、と。羲氏和氏夏合わせて一官とす。胤后と曰うは、諸侯入りて王朝の公卿と爲る。禹・稷・伯夷之を后と謂うが如し。

△告于衆曰、嗟予有衆、聖有謨訓、明徵定保。先王克謹天戒、臣人克有常憲、百官修輔、厥后惟明明。徵、音澄。○徵、驗。保、安也。聖人謨訓、明有徵驗、可以定安邦國也。下文卽謨訓之語。天戒、日蝕之類。謹者、恐懼修省以消變異也。常憲者、奉法修職以供乃事也。君能謹天戒於上、臣能有常憲於下、百官之衆、各修其職以輔其君。故君内無失德、外無失政。此其所以爲明明后也。又按日蝕者、君弱臣强之象。后羿專政之戒也。羲和掌日月之官。黨羿而不言、是可赦乎。
【読み】
△衆に告げて曰く、嗟[ああ]予が有衆、聖に謨訓有り、明らかに徵[しる]し定め保んず。先王克く天の戒めを謹み、臣人克く常の憲有り、百官修め輔くれば、厥の后惟れ明明なり。徵は、音澄。○徵は、驗。保は、安んずるなり。聖人の謨訓、明らかに徵驗有り、以て邦國を定め安んず可し。下の文は卽ち謨訓の語なり。天の戒めとは、日蝕の類。謹むとは、恐懼修省して以て變異を消するなり。常の憲とは、法を奉げ職を修めて以て乃の事を供するなり。君能く天戒を上に謹み、臣能く下に常の憲有り、百官の衆、各々其の職を修めて以て其の君を輔く。故に君内に失德無く、外に失政無し。此れ其の明明の后爲る所以なり。又按ずるに日蝕は、君弱く臣强きの象。后羿政を專らにするの戒めなり。羲和は日月を掌るの官。羿に黨して言わず、是れ赦す可けんや。

△每歲孟春、遒人以木鐸徇於路。官師相規、工執藝事以諫。其或不恭、邦有常刑。遒、慈秋反。鐸、達各反。○遒人、宣令之官。木鐸、金口木舌、施政敎時、振以警衆也。周禮小宰之職、正歲帥治官之屬、徇以木鐸曰、不用法者、國有常刑、亦此意也。官以職言、師以道言。規、正也。相規云者、胥敎誨也。工、百工也。百工技藝之事、至理存焉。理無往而不在。故言無微而可略也。孟子曰、責難於君、謂之恭。官師百工不能規諫、是謂不恭。不恭之罪、猶有常刑。而況於畔官離次、俶擾天紀者乎。
【読み】
△每歲孟春、遒[しゅう]人木鐸を以て路に徇[とな]う。官師相規[ただ]し、工藝事を執りて以て諫む。其れ或は不恭なれば、邦に常の刑有り。遒は、慈秋反。鐸は、達各反。○遒人は、令を宣ぶるの官なり。木鐸は、金口木舌、政敎を施す時、振いて以て衆を警むるなり。周禮に、小宰の職、正歲に官を治むるの屬を帥いて、徇うるに木鐸を以てして曰く、法を用いざる者は、國に常の刑有りとは、亦此の意なり。官は職を以て言い、師は道を以て言う。規は、正すなり。相規すと云うは、胥[あい]敎誨するなり。工は、百工なり。百工技藝の事、至理存せり。理は往くとして在らざる無し。故に言う、微として略す可き無し、と。孟子曰く、難きを君に責む、之を恭と謂う、と。官師百工規諫すること能わず、是を不恭と謂う。不恭の罪には、猶常の刑有り。而るを況んや官を畔き次を離れて、俶[はじ]めて天紀を擾[みだ]る者をや。

△惟時羲和、顚覆厥德、沈亂于酒、畔官離次、俶擾天紀、遐棄厥司。乃季秋月朔、辰弗集于房。瞽奏鼓、嗇夫馳、庶人走。羲和尸厥官、罔聞知。昏迷于天象、以干先王之誅。政典曰、先時者殺無赦、不及時者殺無赦。次、位也。官以職言、次以位言。畔官、則亂其所治之職。離次、則舍其所居之位。俶、始。擾、亂也。天紀、則洪範所謂歲・月・日・星辰・曆數是也。蓋自堯舜命羲和曆象日月星辰之後、爲羲和者、世守其職、未嘗紊亂。至是始亂其天紀焉。遐、遠也。遠棄其所司之事也。辰、日月會次之名。房、所次之宿也。集、漢書作輯。集輯通用。言日月會次、不相和輯、而掩蝕於房宿也。按唐志、日蝕在仲康卽位之五年。瞽、樂官。以其無目而審於音也。奏、進也。古者日蝕、則伐鼓用幣以救之。春秋傳曰、惟正陽之月則然。餘則否。今季秋而行此禮。夏禮與周異也。嗇夫、小臣也。漢有上林嗇夫。庶人、庶人之在官者。周禮庭氏救日之弓矢。嗇夫庶人、蓋供救日之百役者。曰馳曰走者、以見日蝕之變、天子恐懼于上、嗇夫庶人奔走于下、以助救日如此其急。羲和爲曆象之官、尸居其位。若無聞知、則其昏迷天象、以干先王之誅、豈特不恭之刑而已哉。政典、先王政治之典籍也。先時後時、皆違制失時。當誅而不赦者也。今日蝕之變如此、而羲和罔聞知。是固下先王後時之誅也。
【読み】
△惟れ時[こ]の羲和、厥の德を顚覆し、酒に沈亂し、官を畔き次を離れて、俶[はじ]めて天紀を擾[みだ]し、厥の司を遐[とお]ざけ棄つ。乃ち季秋月朔、辰房に集わず。瞽は鼓を奏[すす]め、嗇夫[しょくふ]は馳せ、庶人は走る。羲和厥の官を尸[つかさど]り、聞き知ること罔し。天象に昏迷して、以て先王の誅[せめ]を干[おか]す。政典に曰く、時に先だつ者は殺して赦すこと無し、時に及ばざる者は殺して赦すこと無し、と。次は、位なり。官は職を以て言い、次は位を以て言う。官を畔くとは、則ち其の治むる所の職を亂るなり。次を離るとは、則ち其の居る所の位を舍[す]つるなり。俶は、始め。擾は、亂るるなり。天紀は、則ち洪範に所謂歲・月・日・星辰・曆數是れなり。蓋し堯舜が羲和に曆象日月星辰を命じてより後、羲和爲る者、世々其の職を守り、未だ嘗て紊り亂れず。是に至りて始めて其の天紀を亂る。遐[か]は、遠ざくるなり。其の司る所の事を遠ざけ棄つるなり。辰は、日月會次の名。房は、次ぐ所の宿なり。集は、漢書に輯に作る。集輯は通じ用ゆ。言うこころは、日月の會次、相和輯せずして、房宿に掩蝕するなり。唐志を按ずるに、日蝕は仲康卽位の五年に在り。瞽は、樂官。其の目無くして音に審らかなるを以てなり。奏は、進むなり。古は日蝕あるときは、則ち鼓を伐ち幣を用いて以て之を救う。春秋傳に曰く、惟れ正陽の月は則ち然り。餘は則ち否[しか]らず、と。今季秋にして此の禮を行う。夏の禮と周とは異なれり。嗇夫は、小臣なり。漢に上林の嗇夫有り。庶人は、庶人の官に在る者なり。周禮に庭氏日を救うの弓矢あり。嗇夫庶人は、蓋し日を救うの百役を供する者なり。馳すと曰い走ると曰うは、日蝕の變を見るを以て、天子は上に恐懼し、嗇夫庶人は下に奔走して、以て日を助け救うこと此の如くにして其れ急なり。羲和は曆象の官と爲りて、其の位に尸居す。聞き知ること無きが若きは、則ち其の天象を昏迷して、以て先王の誅を干すこと、豈特に不恭の刑のみならんや。政典は、先王の政治の典籍なり。時に先だち時に後るるは、皆制に違い時を失う。當に誅して赦さざる者なり。今日蝕の變此の如くにして、羲和聞き知ること罔し。是れ固に先王時に後るるの誅を下せり。

△今予以爾有衆、奉將天罰。爾衆士、同力王室、尙弼予、欽承天子威命。將、行也。我以爾衆士、奉行天罰。爾其同力王室、庶幾輔我、以敬承天子之威命也。蓋天子討而不伐、諸侯伐而不討。仲康之命胤侯、得天子討罪之權。胤侯之征羲和、得諸侯敵愾之義。其辭直其義明。非若五霸摟諸侯以伐諸侯、其辭曲其義迂也。
【読み】
△今予れ爾有衆を以[い]て、天の罰を奉け將[おこな]う。爾衆士、力を王室に同じくして、尙わくは予を弼け、欽んで天子の威命を承けよ。將は、行うなり。我れ爾衆士を以て、天の罰を奉け行う。爾其れ力を王室に同じくし、庶幾わくは我を輔けて、以て敬んで天子の威命を承けよ、と。蓋し天子は討して伐せず、諸侯は伐して討さず。仲康の胤侯に命ずるは、天子討罪の權を得たり。胤侯の羲和を征するは、諸侯愾[がい]に敵するの義を得たり。其の辭直にして其の義明らかなり。五霸諸侯を摟[い]て以て諸侯を伐つ、其の辭曲り其の義迂[まが]れるが若きには非ず。

△火炎崑岡、玉石倶焚。天吏逸德、烈于猛火。殲厥渠魁、脅從罔治。舊染汙俗、咸與惟新。殲、將廉反。○崑、出玉山名。岡、山脊也。逸、過。渠、大也。言火炎崑岡、不辨玉石之美惡而焚之。苟爲天吏而有過逸之德、不擇人之善惡而戮之。其害有甚於猛火不辨玉石也。今我但誅首惡之魁而已。脅從之黨、則罔治之。舊染汙習之人、亦皆赦而新之。其誅惡宥善、是猶王者之師也。今按胤征始稱羲和之罪、止以其畔官離次、俶擾天紀。至是有脅從舊染之語、則知羲和之罪、當不止於廢時亂日、是必聚不逞之人、崇飮私邑、以爲亂黨、助羿爲惡者也。胤皇徂征、隱其叛逆而不言者、蓋正名其罪、則必鋤根除源。而仲康之勢、有未足以制后羿者。故止責其曠職之罪、而實誅其不臣之心也。
【読み】
△火崑岡に炎ゆるときは、玉石倶に焚く。天吏德を逸[あやま]れば、猛火よりも烈[はげ]し。厥の渠魁を殲[つ]くし、脅從は治むること罔し。舊染の汙俗は、咸與に惟れ新たにせよ。殲は、將廉反。○崑は、玉を出だす山の名。岡は、山の脊なり。逸は、過つなり。渠は、大いなり。言うこころは、火崑岡に炎ゆるときは、玉石の美惡を辨たずして之を焚く。苟も天吏と爲りて過逸の德有るときは、人の善惡を擇ばずして之を戮くす。其の害は猛火の玉石を辨たざるよりも甚だしきこと有り。今我れ但首惡の魁を誅するのみ。脅從の黨は、則ち之を治むること罔し。舊染汙習の人も、亦皆赦して之を新たにせん。其の惡を誅し善を宥むる、是れ猶王者の師なり。今按ずるに胤征に始めて羲和の罪を稱すに、止に其の官を畔き次を離れ、俶めて天紀を擾すを以てす。是に至りて脅從舊染の語有れば、則ち知る、羲和の罪は、當に時を廢し日を亂すに止まらず、是れ必ず不逞の人を聚め、私邑に崇飮して、以て亂黨を爲し、羿を助けて惡をする者なり、と。胤皇の徂いて征する、其の叛逆を隱して言わざるは、蓋し其の罪を正し名づくるときは、則ち必ず根を鋤き源を除く。而れども仲康の勢、未だ以て后羿を制するに足らざる者有り。故に止に其の曠職の罪を責めて、實に其の不臣の心を誅するなり。

△嗚呼、威克厥愛、允濟。愛克厥威、允罔功。其爾衆士、懋戒哉。威者、嚴明之謂。愛者、姑息之謂。記曰、軍旅主威。蓋軍法不可以不嚴。嚴明勝、則信其事之必濟。姑息勝、則信其功之無成。誓師之末、而復嗟歎、以是深警之。欲其勉力戒懼而用命也。
【読み】
△嗚呼、威厥の愛に克つときは、允に濟[な]る。愛厥の威に克つときは、允に功罔し。其れ爾衆士、懋[つと]め戒めよや、と。威は、嚴明の謂。愛は、姑息の謂。記に曰く、軍旅には威を主とす、と。蓋し軍法は以て嚴にせずんばある可からず。嚴明勝つときは、則ち其の事の必ず濟ることを信ず。姑息勝つときは、則ち其の功の成ること無きことを信ず。師に誓うの末にして、復嗟歎して、是を以て深く之を警む。其の勉力戒懼して命を用ゆることを欲するなり。
 

書經卷之三  蔡沉集傳


商書 契始封商。湯因以爲有天下之號。書凡十七篇。
【読み】
商書[しょうしょ] 契始め商に封ぜらる。湯因りて以て天下を有つの號とす。書は凡て十七篇なり。


湯誓 湯、號也。或曰、謚。湯、名履、姓子氏。夏桀暴虐。湯往征之。亳衆憚於征役。故湯諭以弔伐之意。蓋師興之時、而誓于亳都者也。今文古文皆有。
【読み】
湯誓[とうせい] 湯は、號なり。或ひと曰く、謚なり、と。湯は、名は履、姓は子氏。夏の桀暴虐なり。湯往いて之を征す。亳[はく]の衆征役を憚る。故に湯諭すに弔伐の意を以てす。蓋し師興の時にして、亳の都に誓う者なり。今文古文皆有り。


王曰、格爾衆庶。悉聽朕言。非台小子敢行稱亂。有夏多罪。天命殛之。台、音怡。後同。○王曰者、史臣追述之稱也。格、至。台、我。稱、舉也。以人事言之、則臣伐君、可謂亂矣。以天命言之、則所謂天吏、非稱亂也。
【読み】
王曰く、格[きた]れ爾衆庶。悉く朕が言を聽け。台[わ]れ小子敢えて亂を稱[あ]ぐることを行うに非ず。有夏罪多し。天命じて之を殛[つみ]せしむ。台は、音怡。後も同じ。○王曰くとは、史臣追って述ぶるの稱なり。格は、至る。台は、我。稱は、舉ぐるなり。人事を以て之を言わば、則ち臣の君を伐つは、亂と謂う可し。天命を以て之を言わば、則ち所謂天吏にして、亂を稱ぐるに非ず。

△今爾有衆、汝曰、我后不恤我衆、舍我穡事、而割正夏。予惟聞汝衆言、夏氏有罪、予畏上帝。不敢不正。穡、刈穫也。割、斷也。亳邑之民、安於湯之德政。桀之虐所不及。故不知夏氏之罪、而憚伐桀之勞、反謂、湯不恤亳邑之衆、舍我刈穫之事、而斷正有夏。湯言、我亦聞汝衆論如此。然夏桀暴虐、天命殛之。我畏上帝、不敢不往正其罪也。
【読み】
△今爾有衆、汝曰く、我が后我が衆を恤[あわ]れまず、我が穡事を舍てて、夏を割き正す、と。予れ惟れ汝の衆[もろもろ]の言を聞けども、夏氏罪有り、予れ上帝を畏る。敢えて正さずんばあらず。穡は、刈穫なり。割は、斷[き]るなり。亳邑の民は、湯の德政に安んず。桀の虐の及ばざる所なり。故に夏氏の罪を知らずして、桀を伐つの勞を憚り、反って謂う、湯は亳邑の衆を恤れまずして、我が刈穫の事を舍てて、有夏を斷り正す、と。湯が言う、我も亦汝が衆論を聞くこと此の如し。然れども夏桀暴虐にして、天命じて之を殛せしむ。我れ上帝を畏れて、敢えて往いて其の罪を正さずんばあらず、と。

△今汝其曰、夏罪其如台。夏王率遏衆力、率割夏邑。有衆率怠、弗協曰、時日曷喪、予及汝皆亡。夏德若茲。今朕必往。遏、絕也。割、劓割夏邑之割。時、是也。湯又舉商衆言。桀雖暴虐其如我何。湯又應之曰、夏王率爲重役以窮民力、嚴刑以殘民生。民厭夏德、亦率皆怠於奉上。不和於國、疾視其君指日而曰、是日何時而亡乎、若亡則吾寧與之倶亡。蓋苦桀之虐、而欲其亡之甚也。桀之惡德如此。今我之所以必往也。桀嘗自言、吾有天下、如天之有日。日亡、吾乃亡耳。故民因以日目之。
【読み】
△今汝其れ曰く、夏の罪其れ台[われ]を如[いか]ん、と。夏王率いて衆力を遏[た]ち、率いて夏の邑を割[た]つ。有衆率いて怠り、協[かな]わずして曰く、時[こ]の日曷[いずく]んか喪びん、予れ汝と皆[とも]に亡びん、と。夏の德茲の若し。今朕れ必ず往かん。遏は、絕つなり。割は、夏邑を劓割[ぎかつ]するの割。時は、是れなり。湯又商の衆の言を舉ぐ。桀暴虐なりと雖も其れ我を如何、と。湯又之に應えて曰く、夏王率いて重役を爲して以て民力を窮め、刑を嚴にして以て民生を殘[そこな]う。民夏の德を厭いて、亦率いて皆上に奉るに怠る。國に和らがずして、其の君を疾[にく]み視て日を指して曰く、是の日何の時にして亡びんや、若し亡ぶときは則ち吾れ寧ろ之と倶に亡びん、と。蓋し桀の虐を苦んで、其の亡びんことを欲するの甚だしきなり。桀の惡德此の如し。今我が必ず往く所以なり、と。桀嘗て自ら言う、吾れ天下を有つこと、天の日を有つが如し。日亡びなば、吾れ乃ち亡びんのみ、と。故に民因りて日を以て之を目づく。

△爾尙輔予一人、致天之罰。予其大賚汝。爾無不信。朕不食言。爾不從誓言、予則孥戮汝。罔有攸赦。賚、與也。食言、言已出而反呑之也。禹之征苗、止曰、爾尙一乃心力、其克有勳。至啓則曰、用命賞于祖、不用命戮于社、予則孥戮汝。此又益以朕不食言、罔有攸赦。亦可以觀世變矣。
【読み】
△爾尙わくは予れ一人を輔けて、天の罰を致せ。予れ其れ大いに汝に賚[あた]えん。爾信ぜざる無かれ。朕れ言を食まず。爾誓言に從わざれば、予れ則ち孥[やっこ]まで汝を戮[ころ]さん。赦す攸有る罔けん、と。賚[らい]は、與うるなり。言を食むとは、言うこころは、已に出だして反って之を呑むなり。禹の苗を征するに、止曰く、爾尙わくは乃の心と力を一にして、其れ克く勳有れ、と。啓に至りては則ち曰く、命を用いば祖に賞せん、命を用いざれば社に戮さん、予れ則ち孥まで汝を戮さん、と。此れ又益すに朕れ言を食まず、赦す攸有る罔けんを以てす。亦以て世變を觀る可し。


仲虺之誥 虺、許偉反。○仲虺、臣名。奚仲之後。爲湯左相。誥、告也。周禮士師以五戒先後刑罰。一曰誓。用之於軍旅。二曰誥。用之於會同。以喩衆也。此但告湯而亦謂之誥者、唐孔氏謂仲虺亦必對衆而言。蓋非特釋湯之慙、而且以曉其臣民衆庶也。古文有、今文無。
【読み】
仲虺之誥[ちゅうきのこう] 虺は、許偉反。○仲虺は、臣の名。奚仲の後なり。湯の左相爲り。誥は、告ぐるなり。周禮に士師五戒を以て刑罰を先後す。一に曰く誓。之を軍旅に用う。二に曰く誥。之を會同に用う、と。以て衆を喩すなり。此れ但湯に告げて亦之を誥と謂うは、唐の孔氏が謂ゆる仲虺も亦必ず衆に對して言えり、と。蓋し特に湯の慙ずるを釋くのみに非ず、而も且つ以て其の臣民衆庶を曉すなり。古文有り、今文無し。


成湯放桀于南巢。惟有慙德曰、予恐來世、以台爲口實。武功成。故曰成湯。南巢、地名。廬江六縣有居巢城、桀奔于此。因以放之也。湯之伐桀、雖順天應人、然承堯舜禹授受之後、於心終有所不安。故愧其德之不若、而又恐天下後世、藉以爲口實也。○陳氏曰、堯舜以天下讓。後世好名之士、猶有不知而慕之者。湯武征伐而得天下。後世嗜利之人、安得不以爲口實哉。此湯之所以恐也歟。
【読み】
成湯桀を南巢に放つ。惟れ德に慙ずること有りて曰く、予れ來世、台[われ]を以て口實とせんことを恐る、と。武功成る。故に成湯と曰う。南巢は、地の名。廬江六縣に居巢城有り、桀此に奔れり。因りて以て之を放つなり。湯の桀を伐つ、天に順い人に應ずと雖も、然れども堯舜禹授受の後を承けて、心に於て終に安んぜざる所有り。故に其の德の若かざるを愧じて、又天下後世、藉[か]りて以て口實とすることを恐るるなり。○陳氏が曰く、堯舜は天下を以て讓る。後世名を好むの士、猶知らずして之を慕う者有り。湯武は征伐して天下を得る。後世利を嗜[この]むの人、安んぞ以て口實とせざることを得んや。此れ湯の恐るる所以なるか、と。

△仲虺乃作誥曰、嗚呼惟天生民有欲。無主乃亂。惟天生聰明時乂。有夏昏德、民墜塗炭。天乃錫王勇智、表正萬邦、纘禹舊服。茲率厥典、奉若天命。仲虺恐湯憂愧不已、乃作誥以解釋其意。歎息言、民生有耳目口鼻愛惡之欲、無主則爭且亂矣。天生聰明所以爲之主、而治其爭亂者也。遂、陷也。塗、泥。炭、火也。桀爲民主、而反行昏亂、陷民於塗炭、旣失其所以爲主矣。然民不可以無主也。故天錫湯以勇智之德。勇足以有爲、智足以有謀。非勇智、則不能成天下之大業也。表正者、表正於此、而影直於彼也。天錫湯以勇智者、所以使其表正萬邦、而繼禹舊所服行也。此但率循其典常、以奉順乎天而已。天者、典常之理所自出、而典常者、禹之所服行者也。湯革夏而纘舊服。武革商而政由舊。孔子所謂百世可知者、正以是也。林氏曰、齊宣王問孟子曰、湯放桀武王伐紂有諸。孟子曰、賊仁者、謂之賊。賊義者、謂之殘。殘賊之人、謂之一夫。聞誅一夫紂矣。未聞弑君也。夫立之君者、懼民之殘賊而無以主之。爲之主而自殘賊焉、則君之實喪矣。非一夫而何。孟子之言、則仲虺之意也。
【読み】
△仲虺乃ち誥を作りて曰く、嗚呼惟れ天民を生して欲有らしむ。主無きときは乃ち亂る。惟れ天聰明を生して時[こ]れ乂[おさ]めしむ。有夏昏德、民塗炭に墜[お]つ。天乃ち王に勇智を錫い、萬邦に表正し、禹の舊服を纘[つ]がしむ。茲に厥の典に率いて、天命を奉[う]け若[したが]う。仲虺湯の憂え愧ずることの已まざるを恐れて、乃ち誥を作りて以て其の意を解釋す。歎息して言う、民生耳目口鼻愛惡の欲有りて、主無きときは則ち爭いて且つ亂る。天聰明を生して之が主と爲りて、其の爭亂を治めしむる所以の者なり。遂は、陷るなり。塗は、泥。炭は、火なり。桀民の主と爲りて、反って昏亂を行い、民を塗炭に陷らしめば、旣に其の主爲る所以を失えり。然れども民は以て主無くんばある可からず。故に天湯に錫うに勇智の德を以てす。勇は以てすること有るに足り、智は以て謀ること有るに足る。勇智に非ざれば、則ち天下の大業を成すこと能わず。表正は、表此に正して、影彼に直きなり。天湯に錫うに勇智を以てする者は、其れをして萬邦に表正して、禹の舊より服し行う所を繼ぐ所以なり。此れ但其の典常に率い循いて、以て天に奉け順うのみ。天は、典常の理の自りて出づる所にして、典常は、禹の服し行う所の者なり。湯は夏を革めて舊服を纘ぐ。武は商を革めて政舊に由る。孔子の所謂百世知る可しとは、正に是を以てなり。林氏が曰く、齊の宣王孟子に問いて曰く、湯桀を放ち武王紂を伐つということ有りや諸れ、と。孟子曰く、仁を賊[そこな]う者、之を賊と謂う。義を賊う者、之を殘と謂う。殘賊の人、之を一夫と謂う。一夫紂を誅するを聞く。未だ君を弑するを聞かず、と。夫れ之が君を立つる者、民の殘賊にして以て之を主るもの無きことを懼る。之が主と爲りて自ら殘賊するときは、則ち君の實喪う。一夫に非ずして何ぞや。孟子の言は、則ち仲虺の意なり、と。

△夏王有罪、矯誣上天、以布命于下。帝用不臧、式商受命、用爽厥師。矯、與矯制之矯同。誣、罔。臧、善。式、用。爽、明。師、衆也。天以形體言、帝以主宰言。桀知民心不從、矯詐誣罔、託天以惑其衆。王用不善其所爲、用使有商受命、用使昭明其衆庶也。○王氏曰、夏有昏德、則衆從而昏。商有明德、則衆從而明。○吳氏曰、用爽厥師、續下文簡賢附勢、意不相貫。疑有脫誤。
【読み】
△夏王罪有り、上天を矯[いつわ]り誣[し]いて、以て命を下に布く。帝用[もっ]て臧[よ]みせず、商を式[もっ]て命を受けしめ、用て厥の師を爽[あき]らかにす。矯は、矯制の矯と同じ。誣は、罔いる。臧は、善し。式は、用。爽は、明らか。師は、衆なり。天は形體を以て言い、帝は主宰を以て言う。桀民の心の從わざるを知りて、矯詐誣罔して、天に託して以て其の衆を惑わす。王用て其のする所を善しとせず、用て有商をして命を受けしめ、用て其の衆庶を昭明ならしむ。○王氏が曰く、夏昏德有れば、則ち衆從いて昏し。商明德有れば、則ち衆從いて明らかなり、と。○吳氏が曰く、用て厥の師を爽らかにすは、下の文の賢を簡[おろそ]かにし勢いに附くに續いて、意相貫かず。疑うらくは脫誤有らん、と。

△簡賢附勢、寔繁有徒。肇我邦于有夏、若苗之有莠、若粟之有秕。小大戰戰、罔不懼于非辜。矧予之德、言足聽聞。秕、卑履反。○簡、略。繁、多。肇、始也。戰戰、恐懼貌。言簡賢附勢之人、同惡相濟、寔多徒衆。肇我邦於有夏、爲桀所惡、欲見翦除、如苗之有莠、若粟之有秕。鋤治簛揚、有必不相容之勢。商衆小大震恐、無不懼陷于非罪。況湯之德、言則足人之聽聞、尤桀所忌疾者乎。以苗粟喩桀、以莠秕喩湯。特言其不容於桀、而迹之危如此。史記言、桀囚湯於夏臺。湯之危屢矣。無道而惡有道、勢之必至也。
【読み】
△賢を簡[おろそ]かにし勢いに附く、寔[まこと]に繁[おお]く徒有り。肇め我が有夏に邦せしに、苗の莠[ゆう]有るが若く、粟の秕[ひ]有るが若し。小大戰戰として、辜[つみ]に非ざるを懼れざる罔し。矧んや予が德、言えば聽き聞くに足れるをや。秕は、卑履反。○簡は、略か。繁は、多し。肇は、始めなり。戰戰は、恐懼の貌。言うこころは、賢を簡かにし勢いに附く人、同惡相濟[な]し、寔に徒衆多し。肇め我が有夏に邦せしに、桀が爲に惡まれ、翦り除かれんと欲すること、苗の莠有るが如く、粟の秕有るが若し。鋤治[じょち]簛揚[しよう]して、必ず相容れざるの勢い有り。商の衆小大震え恐れ、罪に非ざるに陷ることを懼れざる無し。況んや湯の德、言えば則ち人の聽き聞くに足り、尤も桀が忌み疾[にく]む所の者をや。苗粟を以て桀に喩え、莠秕を以て湯に喩う。特に其の桀に容れられずして、迹の危うきこと此の如くなるを言う。史記に言う、桀湯を夏臺に囚う、と。湯の危うきこと屢々なり。無道にして有道を惡むは、勢いの必ず至れるなり。

△惟王不邇聲色、不殖貨利。德懋懋官、功懋懋賞。用人惟己、改過不吝。克寬克仁、彰信兆民。懋、與茂同。○邇、近。殖、聚也。不近聲色、不聚貨利、若未足以盡湯之德。然此本原之地、非純乎天德、而無一毫人欲之私者不能也。本原澄澈、然後用人處己、而莫不各得其當。懋、茂也。繁多之意。與時乃功、懋哉之義同。言人之懋於德者、則懋之以官、人之懋於功者、則懋之以賞。用人惟己、而人之有善者無不容。改過不吝、而己之不善者無不改。不忌能於人、不吝過於己、合倂爲公、私意不立、非聖人其孰能之。湯之用人處己者如此。而於臨民之際、是以能寬能仁。謂之能者。寬而不失於縱、仁而不失於柔。易曰、寬以居之、仁以行之、君德也。君德昭著、而孚信於天下矣。湯之德、足人聽聞者如此。
【読み】
△惟れ王聲色を邇づけず、貨利を殖さず。德に懋[つと]むるは官に懋めしめ、功に懋むるは賞に懋めしむ。人を用うること惟れ己のごとくにし、過ちを改むること吝かならず。克く寬[ゆた]かに克く仁ありて、彰らかに兆民に信あり。懋[ぼう]は、茂んと同じ。○邇は、近し。殖は、聚むるなり。聲色を近づけず、貨利を聚めざるは、未だ以て湯の德を盡くすに足らざるが若し。然れども此れ本原の地にて、天德に純[もっぱ]らにして、一毫の人欲の私無き者に非ざれば能わざるなり。本原澄澈[ちょうてつ]して、然して後に人を用うること己を處するがごとくにして、各々其の當を得ざること莫し。懋は、茂んなり。繁多の意なり。時[こ]れ乃の功なり、懋めよやの義と同じ。言うこころは、人の德を懋むる者は、則ち之を懋めしむるに官を以てし、人の功を懋むる者は、則ち之を懋めしむるに賞を以てす。人を用うること惟れ己のごとくにして、人の善有る者容れざる無し。過ちを改むること吝かならずして、己が不善なる者改めざる無し。能を人に忌まず、過ちを己に吝かにせず、合わせ倂せて公を爲して、私意立たざるは、聖人に非ざれば其れ孰か之を能くせん。湯の人を用ゆるに己を處するがごとくする者此の如し。而も民に臨むの際に於て、是を以て能く寬かに能く仁あり。之を能者と謂う。寬かにして縱なるに失せず、仁にして柔なるに失せず。易に曰く、寬以て之に居り、仁以て之を行う、君の德なり、と。君の德昭著にして、信を天下に孚とす。湯の德、人聽聞するに足る者此の如し。

△乃葛伯仇餉。初征自葛。東征西夷怨、南征北狄怨。曰、奚獨後予。攸徂之民、室家相慶曰、徯予后。后來其蘇。民之戴商、厥惟舊哉。葛、國名。伯、爵也。餉、饋也。仇餉、與餉者爲仇也。葛伯不祀。湯使問之。曰、無以供粢盛。湯使亳衆往耕。老弱饋餉。葛伯殺其童子。湯遂征之。湯征自葛始也。奚、何。徯、待也。蘇、復生也。西夷・北狄、言遠者如此、則近者可知也。湯師之未加者、則怨望其來曰、何獨後予。其所往伐者、則妻孥相慶曰、待我后久矣。后來我其復生乎。他國之民、皆以湯爲我君、而望其來者如此。天下之愛戴歸往於商者、非一日矣。商業之興、蓋不在於鳴條之役也。○呂氏曰、夏商之際、君臣易位。天下之大變。然觀其征伐之時、唐虞都兪揖遜氣象、依然若存。蓋堯舜禹湯、以道相傳。世雖降而道不降也。
【読み】
△乃ち葛伯餉[おく]るに仇す。初めて征[う]つこと葛よりす。東に征てば西夷怨み、南に征てば北狄怨む。曰く、奚ぞ獨り予を後にする、と。徂く攸の民、室家まで相慶びて曰く、予が后を徯[ま]つ。后來らば其れ蘇[い]きん、と。民の商を戴くこと、厥れ惟れ舊[ひさ]しきかな。葛は、國の名。伯は、爵なり。餉[しょう]は、饋[おく]るなり。餉るに仇すとは、餉る者と仇を爲すなり。葛伯祀らず。湯之を問わしむ。曰く、以て粢盛[しせい]に供する無し、と。湯亳の衆をして往いて耕さしむ。老弱餉を饋る。葛伯其の童子を殺す。湯遂に之を征す。湯の征は葛より始まる。奚は、何。徯は、待つなり。蘇は、復生なり。西夷・北狄は、言うこころは、遠き者此の如きときは、則ち近き者知る可し。湯の師の未だ加[う]たざる者は、則ち其の來るを怨み望んで曰く、何ぞ獨り予を後にする、と。其の往いて伐つ所の者は、則ち妻孥まで相慶びて曰く、我が后を待つこと久し。后來らば我れ其れ復生きん、と。他國の民、皆湯を以て我が君として、其の來るを望む者此の如し。天下の商を愛戴歸往する者、一日に非ず。商業の興ること、蓋し鳴條の役に在らず。○呂氏が曰く、夏商の際、君臣位を易う。天下の大變なり。然れども其の征伐の時を觀るに、唐虞の都兪[とゆ]揖遜[ゆうそん]の氣象、依然として存するが若し。蓋し堯舜禹湯は、道を以て相傳う。世降ると雖も而して道は降らず、と。

△佑賢輔德、顯忠遂良、兼弱攻昧、取亂侮亡、推亡固存、邦乃其昌。前旣釋湯之慙、此下因以勸勉之也。諸侯之賢德者、佑之輔之、忠良者、顯之遂之、所以善善也。侮、說文曰、傷也。諸侯之弱者兼之、昧者攻之、亂者取之、亡者傷之、所以惡惡也。言善則由大以及小。言惡則由小以及大。推亡者、兼・攻・取・侮也。固存者、佑・輔・顯・遂也。推彼之所以亡、固我之所以存、邦國乃其昌矣。
【読み】
△賢きを佑け德を輔け、忠を顯[あらわ]し良きを遂げ、弱きを兼ね昧[くら]きを攻め、亂れたるを取り亡びたるを侮[やぶ]り、亡びたるを推して存するを固くすれば、邦乃ち其れ昌んなり。前には旣に湯の慙ずるを釋き、此より下は因りて以て之を勸勉するなり。諸侯の賢德ある者、之を佑け之を輔け、忠良ある者、之を顯し之を遂ぐるは、善を善みする所以なり。侮は、說文に曰く、傷[やぶ]る、と。諸侯の弱き者は之を兼ね、昧き者は之を攻め、亂れたる者は之を取り、亡びたる者は之を傷るは、惡を惡む所以なり。善を言うときは則ち大由り以て小に及ぼす。惡を言うときは則ち小由り以て大に及ぼす。亡びたるを推すとは、兼・攻・取・侮なり。存するを固くすとは、佑・輔・顯・遂なり。彼が亡ぶる所以を推して、我が存する所以を固くすれば、邦國乃ち其れ昌んなり。

△德日新、萬邦惟懷、志自滿、九族乃離。王懋昭大德、建中于民。以義制事、以禮制心、垂裕後昆。予聞、曰、能自得師者王。謂人莫己若者亡。好問則裕。自用則小。德日新者、日新其德、而不自已也。志自滿者、反是。湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。其廣日新之義歟。德日新、則萬邦雖廣、而無不懷。志自滿、則九族雖親、而亦離。萬邦、舉遠以見近也。九族、舉親以見疎也。王其勉明大德、立中道於天下。中者、天下之所同有也。然非君建之、則民不能以自中。而禮義者、所以建中者也。義者、心之裁制、禮者、理之節文。以義制事、則事得其宜。以禮制心、則心得其正。内外合德而中道立矣。如此則非特有以建中於民、而垂諸後世者、亦綽乎有餘裕矣。然是道也、必學焉而後至。故又舉古人之言、以爲隆師好問、則德尊而業廣。自賢自用者、反是。謂之自得師者、眞知己之不足、人之有餘、委心聽順、而無拂逆之謂也。孟子曰、湯之於伊尹、學焉而後臣之。故不勞而王。其湯之所以自得者歟。仲虺言懷諸侯之道、推而至於脩德檢身。又推而至於能自得師。夫自天子至於庶人、未有舍師而能成者、雖生知之聖、亦必有師焉。後世之不如古、非特世道之降、抑亦師道之不明也。仲虺之論、遡流而源、要其極而歸諸能自得師之一語。其可爲帝王之大法也歟。
【読み】
△德日々に新たなれば、萬邦惟れ懷[なつ]き、志自ら滿つれば、九族乃ち離る。王懋[つと]めて大德を昭らかにし、中を民に建てよ。義を以て事を制し、禮を以て心を制し、裕かなるを後昆に垂れよ。予れ聞く、曰く、能く自ら師を得る者は王たり。人己に若く莫しと謂う者は亡ぶ。問うことを好めば則ち裕かなり。自ら用うれば則ち小なり、と。德日々に新たとは、日々に其の德を新たにして、自ら已まざるなり。志自ら滿つるは、是に反す。湯の盤の銘に曰く、苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり、と。其れ日新を廣むるの義か。德日に新たなれば、則ち萬邦廣しと雖も、而して懷かざる無し。志自ら滿つれば、則ち九族親しきと雖も、而して亦離る。萬邦は、遠きを舉げて以て近きを見すなり。九族は、親しきを舉げて以て疎きを見すなり。王其れ勉めて大德を明らかにし、中道を天下に立てよ、と。中は、天下の同じく有する所なり。然れども君之を建つるに非ざれば、則ち民以て自ら中すること能わず。而して禮義は、中を建つる所以の者なり。義は、心の裁制、禮は、理の節文なり。義を以て事を制すれば、則ち事其の宜しきを得。禮を以て心を制すれば、則ち心其の正しきを得。内外德を合わせて中道立つ。此の如くなれば則ち特に以て中を民に建つること有るのみに非ずして、諸を後世に垂るる者も、亦綽乎として餘裕有らん。然れども是の道は、必ず學んで而して後に至る。故に又古人の言を舉げて、以爲えらく、師を隆び問うことを好めば、則ち德尊くして業廣まる。自ら賢として自ら用うる者は、是に反す、と。之を自ら師を得ると謂う者は、眞に己が足らずして、人の餘り有るを知りて、心を委ねて聽順して、拂逆すること無きの謂なり。孟子曰く、湯の伊尹に於る、學んで而して後に之を臣とす。故に勞せずして王たり、と。其れ湯の自ら得る所以の者か。仲虺言うこころは、諸侯を懷くるの道、推して德を脩め身を檢するに至る。又推して能く自ら師を得るに至る。夫れ天子より庶人に至るまで、未だ師を舍てて能く成る者有らず、生知の聖と雖も、亦必ず師有り。後世の古に如かざるは、特に世道の降るのみに非ず、抑々亦師道の明らかならざればなり。仲虺の論、流れに遡りて源をし、其の極を要して諸を能く自ら師を得るの一語に歸す。其れ帝王の大法爲る可きものか。

△嗚呼、愼厥終、惟其始。殖有禮、覆昏暴、欽崇天道、永保天命。上文旣勸勉之。於是歎息言、謹其終之道、惟於其始圖之。始之不謹、而能謹終者、未之有也。伊尹亦言、謹終于始。事雖不同、而理則一也。欽崇者、敬畏尊奉之意。有禮者、封殖之、昏暴者、覆亡之。天之道也。欽崇乎天道、則永保其天命矣。按仲虺之誥、其大意有三。先言天立君之意。桀逆天命、而天之命湯者不可辭。次言湯德足以得民、而民之歸湯者非一日。末言爲君艱難之道。人心離合之機、天道福善禍淫之可畏、以明今之受夏、非以利己、乃有無窮之恤、以深慰湯而釋其慙。仲虺之忠愛、可謂至矣。然湯之所慙、恐來世以爲口實者、仲虺終不敢謂無也。君臣之分、其可畏如此哉。
【読み】
△嗚呼、厥の終わりを愼むこと、惟れ其の始めよりせよ。有禮を殖[な]し、昏暴を覆し、欽んで天道を崇べば、永く天の命を保んず、と。上の文旣に之を勸勉す。是に於て歎息して言う、其の終わりを謹むの道は、惟其の始めに於て之を圖れ、と。始めを謹まずして、能く終わりを謹む者は、未だ之れ有らず。伊尹も亦言う、終わりを謹むこと始めに于てす、と。事同じからずと雖も、而して理は則ち一なり。欽んで崇ぶとは、敬畏尊奉の意なり。有禮は、之を封殖し、昏暴は、之を覆亡す。天の道なり。欽んで天道を崇べば、則ち永く其の天命を保つ。按ずるに仲虺の誥、其の大意は三つ有り。先ず天君を立つるの意を言う。桀天命に逆いて、天の湯に命ずる者辭す可からず。次に湯の德以て民を得るに足りて、民の湯に歸する者一日に非ざるを言う。末に君爲るの艱難の道を言う。人心離合の機、天道善に福[さいわ]いし淫に禍いするの畏る可き、以て今の夏に受くるは、以て己を利するに非ず、乃ち無窮の恤[つつし]み有ることを明らかにして、以て深く湯を慰めて其の慙ずるを釋く。仲虺が忠愛、至れりと謂う可し。然れども湯の慙ずる所、恐れらくは來世以て口實とする者を、仲虺終に敢えて無しと謂わず。君臣の分、其の畏る可きこと此の如きか。


湯誥 湯伐夏歸亳。諸侯率職來朝。湯作誥以與天下更始。今文無、古文有。
【読み】
湯誥[とうこう] 湯夏を伐ちて亳[はく]に歸る。諸侯職を率いて來朝す。湯誥を作りて以て天下と更始す。今文無し、古文有り。


王歸自克夏、至于亳、誕告萬方。誕、大也。亳、湯所都。在宋州穀孰縣。
【読み】
王夏に克ちてより歸り、亳[はく]に至り、誕[おお]いに萬方に告ぐ。誕は、大いなり。亳は、湯の都する所。宋州穀孰縣に在り。

△王曰、嗟爾萬方有衆、明聽予一人誥。惟皇上帝、降衷于下民。若有恆性、克綏厥猷惟后。皇、大。衷、中。若、順也。天之降命、而具仁義禮智信之理、無所偏倚、所謂衷也。人之稟命、而得仁義禮智信之理、與心倶生、所謂性也。猷、道也。由其理之自然、而有仁義禮智信之行、所謂道也。以降衷而言、則無有偏倚、順其自然、固有常性矣。以稟受而言、則不無淸濁純雜之異。故必待君師之職、而後能使之安於其道也。故曰、克綏厥猷惟后。夫天生民有欲、以情言也。上帝降衷于下民、以性言也。仲虺卽情以言人之欲、成湯原性以明人之善。聖賢之論、互相發明。然其意則皆言、君道之係於天下者、如此之重也。
【読み】
△王曰く、嗟[ああ]爾萬方の有衆、明らかに予れ一人の誥[つ]ぐるを聽け。惟れ皇[おお]いなる上帝、衷を下民に降す。恆有るの性に若[したが]いて、克く厥の猷[みち]を綏んずるは惟れ后なり。皇は、大い。衷は、中。若は、順うなり。天の命を降して、仁義禮智信の理を具え、偏倚する所無きは、所謂衷なり。人の命を稟[う]けて、仁義禮智信の理を得て、心と倶に生すは、所謂性なり。猷は、道なり。其の理の自然に由りて、仁義禮智信の行有るは、所謂道なり。降衷を以て言わば、則ち偏倚有る無く、其の自然に順いて、固に常の性有り。稟受を以て言わば、則ち淸濁純雜の異なり無きにあらず。故に必ず君師の職を待ちて、而して後に能く之をして其の道を安んぜしむ。故に曰く、克く厥の猷を綏んずるは惟れ后なり、と。夫れ天民を生して欲有らしむは、情を以て言えり。上帝衷を下民に降すは、性を以て言えり。仲虺は情に卽いて以て人の欲を言い、成湯は性に原づいて以て人の善を明らかにす。聖賢の論、互いに相發明す。然れども其の意は則ち皆言う、君道の天下に係る者、此の如く重し、と。

△夏王滅德作威、以敷虐于爾萬方百姓。爾萬方百姓、罹其凶害、弗忍荼毒、竝告無辜于上下神祇。天道福善禍淫。降災于夏、以彰厥罪。罹、鄰知反。荼、音徒。○言桀無有仁愛、但爲殺戮。天下被其凶害、如荼之苦、如毒之螫、不可堪忍。稱冤於天地鬼神、以冀其拯己。屈原曰、人窮則反本。故勞苦倦極、未嘗不呼天也。天之道、善者福之、淫者禍之。桀旣淫虐。故天降災以明其罪。意當時必有災異之事。如周語所謂伊洛竭而夏亡之類。
【読み】
△夏王德を滅ぼし威を作し、以て虐を爾萬方の百姓に敷く。爾萬方の百姓、其の凶害に罹りて、荼毒[とどく]に忍びず、竝[とも]に辜[つみ]無きを上下の神祇に告ぐ。天道は善に福[さいわ]いし淫に禍いす。災いを夏に降して、以て厥の罪を彰らかにせり。罹は、鄰知反。荼は、音徒。○言うこころは、桀は仁愛有る無く、但殺戮をす。天下其の凶害を被ること、荼の苦きが如く、毒の螫[さ]すが如く、堪え忍ぶ可からず。冤[うら]みを天地鬼神に稱[とな]えて、以て其の己を拯[すく]わんことを冀う。屈原が曰く、人窮するときは則ち本に反る。故に勞苦倦極して、未だ嘗て天を呼ばずんばあらず、と。天の道は、善き者は之に福いし、淫なる者は之に禍いす。桀旣に淫虐なり。故に天災いを降して以て其の罪を明らかにす。意うに當時必ず災異の事有らん。周語に所謂伊洛竭[つ]きて夏亡ぶの類の如し。

△肆台小子、將天命明威不敢赦。敢用玄牡、敢昭告于上天神后、請罪有夏。聿求元聖、與之戮力、以與爾有衆請命。戮、當作勠。○肆、故也。故我小子、奉將天命明威、不敢赦桀之罪也。玄牡、夏尙黑。未變其禮也。神后、后土也。聿、遂也。元聖、伊尹也。
【読み】
△肆[ゆえ]に台[わ]れ小子、天命の明威を將[おこな]いて敢えて赦さず。敢えて玄牡を用いて、敢えて昭らかに上天神后に告[もう]し、罪を有夏に請う。聿[つい]に元聖を求めて、之と力を戮[あ]わせて、以て爾有衆と命を請う。戮は、當に勠[りく]に作るべし。○肆は、故なり。故に我れ小子、天命の明威を奉將して、敢えて桀が罪を赦さざるなり。玄牡は、夏は黑を尙ぶ。未だ其の禮を變えざるなり。神后は、后土なり。聿は、遂なり。元聖は、伊尹なり。

△上天孚佑下民、罪人黜伏。天命弗僭、賁若草木。兆民允殖。孚・允、信也。僭、差也。賁、文之著也。殖、生也。上天信佑下民。故夏桀竄亡而屈服。天命無所僭差。燦然若草木之敷榮、兆民信乎其生殖矣。
【読み】
△上天孚に下民を佑け、罪人黜[しりぞ]き伏す。天命僭[たが]わず、賁[ひ]たること草木の若し。兆民允に殖[な]れり。孚・允は、信なり。僭は、差うなり。賁は、文の著るなり。殖は、生るなり。上天信に下民を佑く。故に夏の桀竄亡[ざんぼう]して屈服す。天命僭差する所無し。燦然として草木の榮を敷くが若く、兆民信なるかな其れ生殖す。

△俾予一人輯寧爾邦家。茲朕未知獲戾于上下。慄慄危懼、若將隕于深淵。輯、和。戾、罪。隕、墜也。天使我輯寧爾邦家。其付予之重、恐不足以當之。未知己得罪於天地與否、驚恐憂畏、若將墜於深淵。蓋責愈重、則憂愈大也。
【読み】
△予れ一人をして爾の邦家を輯[やわ]らげ寧んぜしむ。茲に朕れ未だ戾[つみ]を上下に獲るを知らず。慄慄として危懼し、將に深淵に隕ちんとするが若し。輯は、和らぐ。戾は、罪。隕は、墜つるなり。天我をして爾の邦家を輯らげ寧んぜしむ。其の付予の重き、恐れらくは以て之に當たるに足らざるを。未だ己が罪を天地に得るか否かというを知らず、驚恐憂畏して、將に深淵に墜ちんとするが若し。蓋し責め愈々重きときは、則ち憂え愈々大いなり。

△凡我造邦、無從匪彝、無卽慆淫。各守爾典、以承天休。夏命已黜、湯命維新。侯邦雖舊、悉與更始。故曰造邦。彝、法。卽、就。慆、慢也。匪彝、指法度言。慆淫、指逸樂言。典、常也。各守其典常之道、以承天之休命也。
【読み】
△凡そ我が造[な]せる邦、彝[のり]匪ざるに從うこと無かれ、慆淫に卽くこと無かれ。各々爾の典[つね]を守りて、以て天の休[よ]きを承けよ。夏の命已に黜[しりぞ]きて、湯の命維れ新たなり。侯邦舊きと雖も、悉く與に更まり始まる。故に造せる邦と曰う。彝は、法。卽は、就く。慆は、慢るなり。匪彝は、法度を指して言う。慆淫は、逸樂を指して言う。典は、常なり。各々其の典常の道を守りて、以て天の休命を承けよ、と。

△爾有善、朕弗敢蔽。罪當朕躬、弗敢自赦。惟簡在上帝之心。其爾萬方有罪、在予一人。予一人有罪、無以爾萬方。簡、閱也。人有善、不敢以不達。己有罪、不敢以自恕。簡閱、一聽於天。然天以天下付之我、則民之有罪、實君所爲、君之有罪、非民所致。非特聖人厚於責己、而薄於責人、是乃理之所在、君道當然也。
【読み】
△爾善有らば、朕れ敢えて蔽わず。罪朕が躬に當たらば、敢えて自ら赦さず。惟れ簡[えら]ぶこと上帝の心に在り。其れ爾萬方罪有らば、予れ一人に在り。予れ一人罪有らば、爾萬方を以てすること無けん。簡は、閱ぶなり。人善有るときは、敢えて以て達せずんばあらず。己罪有るときは、敢えて以て自ら恕[ゆる]さず。簡閱すること、一に天に聽く。然して天天下を以て之を我に付するときは、則ち民の罪有るは、實に君のする所、君の罪有るは、民の致す所に非ず。特り聖人己を責むるに厚くして、人を責むるに薄きのみに非ず、是れ乃ち理の在る所にして、君道の當然なり。

△嗚呼、尙克時忱。乃亦有終。忱、時壬反。○忱、信也。歎息言、庶幾能於是而忱信焉。乃亦有終也。吳氏曰、此兼人己而言。
【読み】
△嗚呼、尙わくは克く時[ここ]に忱[まこと]あらんことを。乃ち亦終わり有らん、と。忱[しん]は、時壬反。○忱は、信なり。歎息して言う、庶幾わくは能く是に於て忱信あらんことを。乃ち亦終わり有らん、と。吳氏が曰く、此れ人己を兼ねて言う、と。


伊訓 訓、導也。太甲嗣位。伊尹作書訓導之。史錄爲篇。今文無、古文有。
【読み】
伊訓[いくん] 訓は、導くなり。太甲位を嗣ぐ。伊尹書を作りて之を訓え導く。史錄を篇とす。今文無し、古文有り。


惟元祀十有二月乙丑、伊尹祠于先王。奉嗣王祗見厥祖。侯甸羣后咸在。百官總己以聽冢宰。伊尹乃明言烈祖之成德、以訓于王。見、形甸反。○夏曰歲、商曰祀、周曰年、一也。元祀者、太甲卽位之元年。十二月者、商以建丑爲正。故以十二月爲正也。乙丑、日也。不繫以朔者、非朔日也。三代雖正朔不同、然皆以寅月起數。蓋朝覲會同、頒曆授時、則以正朔行事。至於紀月之數、則皆以寅爲首也。伊、姓、尹、字也。伊尹名摯。祠者、告祭於廟也。先王、湯也。冢、長也。禮有冢子冢婦之名。周人亦謂之冢宰。古者王宅憂、祠祭則冢宰攝而告廟、又攝而臨羣臣。太甲服仲壬之喪。伊尹祠于先王、奉太甲以卽位改元之事。祗見厥祖、則攝而告廟也。侯服甸服之羣后咸在、百官總己之職、以聽冢宰、則攝而臨羣臣也。烈、功也。商頌曰、衎我烈祖。太甲卽位改元。伊尹於祠告先王之際、明言湯之成德、以訓太甲。此史官敍事之始辭也。或曰、孔氏言、湯崩踰月、太甲卽位、則十二月者湯崩之年、建子之月也。豈改正朔而不改月數乎。曰、此孔氏惑於序書之文也。太甲繼仲壬之後、服仲壬之喪。而孔氏曰、湯崩奠殯而告。固已誤矣。至於改正朔、而不改月數、則於經史尤可攷。周建子矣。而詩言、四月維夏、六月徂暑。則寅月起數。周未嘗改也。秦建矣。而史記始皇三十一年十二月、更名臘曰嘉平。夫臘必建丑月也。秦以亥正、則臘爲三月。云十二月者、則寅月起數。秦未嘗改也。至三十七年、書十月癸丑、始皇出遊。十一月行至雲夢、繼書七月丙寅、始皇崩。九月葬酈山。先書十月十一月、而繼書七月九月者、知其以十月爲正朔、而寅月起數。未嘗改也。且秦史制書、謂改年始朝賀、皆自十月朔。夫秦繼周者也。若改月數、則周之十月爲建酉月矣。安在其爲建亥乎。漢初史氏所書舊例也。漢仍秦正、亦書曰、元年冬十月、則正朔改而月數不改、亦已明矣。且經曰、元祀十有二月乙丑。則以十二月爲正朔、而改元何疑乎。惟其以正朔行事也。故後乎此者、復政厥辟、亦以十二月朔、奉嗣王歸于亳。蓋祠告復政、皆重事也。故皆以正朔行之。孔氏不得其說、而意湯崩踰月、太甲卽位奠殯而告。是以崩年改元矣。蘇氏曰、崩年改元、亂世事也。不容在伊尹而有之。不可以不辨。又按孔氏以爲湯崩。吳氏曰、殯有朝夕之奠、何爲而致祠。主喪者不離於殯側。何待於祗見。蓋太甲之爲嗣王、嗣仲壬而王也。太甲、太丁之子。仲壬、其叔父也。嗣叔父而王。而爲之服三年之喪。爲之後者、爲之子也。太甲旣卽位於仲壬之柩前。方居憂於仲壬之殯側、伊尹乃至商之祖廟、徧祀商之先王、而以立太甲告之。不言太甲祠、而言伊尹、喪三年不祭也。奉太甲徧見商先王、而獨言祗見厥祖者、雖徧見先王、而尤致意於湯也。亦猶周公金縢之册、雖徧告三王、而獨眷眷於文王也。湯旣已祔于廟、則是此書初不廢外丙・仲壬之事。但此書本爲伊尹稱湯以訓太甲、故不及外丙・仲壬之事爾。餘見書序。
【読み】
惟れ元祀十有二月乙丑[きのと・うし]、伊尹先王を祠[まつ]る。嗣王を奉[あが]めて祗[つつし]んで厥の祖に見ゆ。侯甸[てん]の羣后咸在り。百官己を總べて以て冢宰に聽く。伊尹乃ち明らかに烈祖の成德を言いて、以て王に訓ゆ。見は、形甸反。○夏には歲と曰い、商には祀と曰い、周には年と曰えども、一なり。元祀は、太甲卽位の元年なり。十二月は、商丑に建[さ]すを以て正とす。故に十二月を以て正とするなり。乙丑は、日なり。繫くるに朔を以てせざるは、朔日に非ざるなり。三代は正朔同じからずと雖も、然れども皆寅月を以て數を起こす。蓋し朝覲會同、曆を頒ち時を授くるときは、則ち正朔を以て事を行う。紀月の數に至りては、則ち皆寅を以て首めとす。伊は、姓、尹は、字なり。伊尹名は摯[し]。祠は、廟に告祭するなり。先王は、湯なり。冢は、長なり。禮に冢子冢婦の名有り。周人も亦之を冢宰と謂う。古は王憂に宅りて、祠祭するときは則ち冢宰攝して廟に告げ、又攝して羣臣に臨む。太甲仲壬の喪を服す。伊尹先王を祠りて、太甲に奉ずるに卽位改元の事を以てす。祗んで厥の祖に見ゆるときは、則ち攝して廟に告ぐ。侯服甸服の羣后咸在り、百官己が職を總べて、以て冢宰に聽くときは、則ち攝して羣臣に臨むなり。烈は、功なり。商頌に曰く、我が烈祖を衎[たの]しましむ、と。太甲位に卽き元を改む。伊尹先王を祠り告ぐるの際に於て、明らかに湯の成德を言いて、以て太甲に訓ゆ。此れ史官事を敍ずるの始めの辭なり。或ひと曰く、孔氏が言う、湯崩じて月を踰[こ]え、太甲位に卽くときは、則ち十二月は湯崩ずるの年、子を建すの月なり。豈正朔を改めて月數を改めざらんや、と。曰く、此れ孔氏書に序するの文に惑えり。太甲仲壬の後に繼ぎ、仲壬の喪を服す。而して孔氏が曰く、湯崩じて殯に奠して告ぐ、と。固に已に誤れり。正朔を改むるに至りて、月數を改めざるは、則ち經史に於て尤も攷[かんが]う可し。周は子に建す。而るを詩に言う、四月維れ夏、六月暑きこと徂んぬ、と。則ち寅月數を起こす。周は未だ嘗て改めざるなり。秦は[い]に建す。而るを史記に始皇の三十一年十二月、更めて臘[ろう]を名づけて嘉平と曰う。夫れ臘は必ず丑に建すの月なり。秦亥を以て正とすれば、則ち臘は三月爲り。十二月と云う者は、則ち寅月數を起こす。秦未だ嘗て改めざるなり。三十七年に至りて、十月癸丑[みずのと・うし]、始皇出でて遊ぶ。十一月行いて雲夢に至ると書し、繼いで七月丙寅[ひのえ・とら]、始皇崩ず。九月酈山に葬むると書す。先ず十月十一月と書して、繼いで七月九月と書す者は、其の十月を以て正朔として、寅月數を起こすことを知る。未だ嘗て改めざるなり。且つ秦史書を制する、謂ゆる年始を改めて朝賀するは、皆十月朔よりす。夫れ秦は周に繼ぐ者なり。若し月數を改むれば、則ち周の十月は酉を建す月とす。安んぞ其れ亥を建すとするに在らんや。漢の初め史氏の書す所は舊例なり。漢、秦の正に仍り、亦書して曰く、元年冬十月、則ち正朔改めて月數改めざること、亦已に明らかなり。且つ經に曰く、元祀十有二月乙丑、と。則ち十二月を以て正朔として、改元何ぞ疑わんや。惟れ其れ正朔を以て事を行うなり。故に此より後なる者、政を厥の辟[きみ]に復すに、亦十二月朔を以て、嗣王を奉[むか]えて亳に歸る。蓋し祠告復政は、皆重事なり。故に皆正朔を以て之を行う。孔氏其の說を得ずして、意えらく、湯崩じて月を踰えて、太甲位に卽き殯に奠して告ぐ、と。是れ崩ずる年を以て改元す、と。蘇氏が曰く、崩ずる年改元するは、亂世の事なり。伊尹に在りて之れ有る容からず。以て辨ぜずんばある可からず、と。又按ずるに孔氏以て湯崩ずとす。吳氏が曰く、殯は朝夕の奠有り、何の爲にして祠を致さん。喪を主る者は殯の側を離れず。何ぞ祗んで見ゆるを待たん、と。蓋し太甲の嗣王爲る、仲壬に嗣いで王たり。太甲は、太丁の子。仲壬は、其の叔父なり。叔父に嗣いで王たり。而して之が爲に三年の喪を服す。之が後爲る者は、之が子爲ればなり。太甲旣に仲壬の柩の前に卽位す。憂えに仲壬の殯の側に居るに方りて、伊尹乃ち商の祖廟に至りて、徧く商の先王を祀りて、太甲を立つることを以て之に告ぐ。太甲祠ると言わずして、伊尹と言うは、喪には三年祭らざればなり。太甲を奉じて徧く商の先王に見えて、獨り祗んで厥の祖に見ゆと言うは、徧く先王に見ゆと雖も、而れども尤も意を湯に致すなり。亦猶周公金縢の册、徧く三王に告ぐと雖も、而れども獨り文王に眷眷するがごとし。湯旣已に廟に祔[ふ]せば、則ち是れ此の書初めより外丙・仲壬の事を廢てず。但此の書は本伊尹湯を稱して以て太甲に訓ゆるが爲、故に外丙・仲壬の事に及ばざるのみ。餘は書の序に見えたり。

△曰、嗚呼、古有夏先后、方懋厥德、罔有天災。山川鬼神、亦莫不寧、曁鳥獸魚鼈咸若。于其子孫弗率。皇天降災、假手于我有命。造攻自鳴條。朕哉自亳。詩曰、殷監不遠、在夏后之世。商之所宜監者、莫近於夏。故首以夏事告之也。率、循也。假、借也。有命、有天命者、謂湯也。桀不率循先王之道。故天降災、借手于我成湯以誅之。夏之先后、方其懋德、則天之眷命如此。及其子孫弗率、而覆亡之禍又如此。太甲不知率循成湯之德、則夏桀覆亡之禍、亦可監矣。哉、始也。鳴條、夏所宅也。亳、湯所宅也。言造可攻之釁者、由桀積惡於鳴條。而湯德之修、則始於亳都也。
【読み】
△曰く、嗚呼、古有夏の先后、方に厥の德を懋[つと]めて、天の災い有る罔し。山川鬼神も、亦寧んぜざる莫く、鳥獸魚鼈に曁[およ]ぶまで咸[みな]若[したが]えり。其の子孫に于て率[したが]わず。皇天災いを降し、手を我が有命に假る。造[はじ]めて攻むること鳴條よりす。朕れ亳[はく]より哉[はじ]む。詩に曰く、殷監遠からず、夏后の世に在り、と。商の宜しく監るべき所の者は、夏より近きは莫し。故に首めに夏の事を以て之に告ぐ。率は、循うなり。假は、借るなり。有命は、天命を有する者、湯を謂うなり。桀先王の道に率い循わず。故に天災いを降し、手を我が成湯に借りて以て之を誅す。夏の先后、方に其れ德を懋むるときは、則ち天の眷命此の如し。其の子孫に及んで率わずして、覆亡の禍いも又此の如し。太甲成湯の德に率い循うことを知らざれば、則ち夏の桀覆亡の禍いも、亦監る可し。哉は、始めなり。鳴條は、夏の宅る所なり。亳は、湯の宅る所なり。言うこころは、造めて攻む可きの釁[きん]は、桀惡を鳴條に積むに由る。而して湯の德を修むるは、則ち亳の都に始むるなり。

△惟我商王、布昭聖武、代虐以寬、兆民允懷。布昭、敷著也。聖武、猶易所謂神武而不殺者。湯之德威、敷著于天下、代桀之虐、以吾之寬。故天下之民、信而懷之也。
【読み】
△惟れ我が商王、聖武を布き昭らかにし、虐に代うるに寬を以てして、兆民允として懷く。布昭は、敷き著らかにするなり。聖武は、猶易に所謂神武にして殺さざる者なり。湯の德威、天下に敷き著らかなること、桀が虐に代うるに、吾が寬を以てす。故に天下の民、信として之に懷けり。

△今王嗣厥德。罔不在初。立愛惟親、立敬惟長。始于家邦、終于四海。初、卽位之初。言始不可以不謹也。謹始之道孝悌而已。孝悌者、人心之所同。非必人人敎詔之。立、植也。立愛敬於此、而形愛敬於彼、親吾親以及人之親、長吾長以及人之長、始于家達于國、終而措之天下矣。孔子曰、立愛自親始。敎民睦也。立敬自長始。敎民順也。
【読み】
△今王厥の德を嗣ぐ。初めに在らざる罔し。愛を立つるは惟れ親よりし、敬を立つるは惟れ長よりす。家邦より始めて、四海に終う。初は、位に卽くの初め。言うこころは、始めより以て謹まずんばある可からざるなり。始めを謹むの道は孝悌なるのみ。孝悌は、人心の同じき所。必ずしも人人之を敎え詔[おし]ゆるに非ず。立は、植[た]つなり。愛敬を此に立てて、愛敬を彼に形し、吾が親を親として以て人の親に及ぼし、吾が長を長として以て人の長に及ぼし、家に始めて國に達し、終わりにして之を天下に措くなり。孔子曰く、愛を立つるは親より始む。民に睦を敎ゆるなり。敬を立つるは長より始む。民に順を敎ゆるなり、と。

△嗚呼、先王肇修人紀、從諫弗咈、先民時若。居上克明、爲下克忠。與人不求備、檢身若不及。以至于有萬邦。茲惟艱哉。人紀、三綱五常孝敬之實也。上文欲太甲立其愛敬。故此言成湯之所修人紀者、如下文所云也。綱常之理、未嘗泯沒。桀廢棄之、而湯始修復之也。咈、逆也。先民、猶前輩舊德也。從諫不逆、先民是順。非誠於樂善者不能也。居上克明、言能盡臨下之道。爲下克忠、言能盡事上之心。○呂氏曰、湯之克忠、最爲難看。湯放桀、以臣易君。豈可爲忠。不知湯之心最忠者也。天命未去、人心未離、事桀之心、曷嘗斯須替哉。與人之善、不求其備、檢身之誠、有若不及。其處上下人己之閒、又如此。是以德日以盛、業日以廣、天命歸之、人心戴之。由七十里、而至于有萬邦也。積累之勤、茲亦難矣。伊尹前旣言夏失天下之易、此又言湯得天下之難。太甲可不思所以繼之哉。
【読み】
△嗚呼、先王肇めて人紀を修めて、諫めに從いて咈[もと]らず、先民時[こ]れ若[したが]えり。上に居りては克く明らかに、下と爲りては克く忠あり。人と與[とも]にするに備わらんことを求めず、身を檢するは及ばざるが若くす。以て萬邦を有つに至れり。茲れ惟れ艱[かた]いかな。人紀は、三綱五常孝敬の實なり。上の文は太甲の其の愛敬を立つることを欲す。故に此に成湯の人紀を修むる所の者を言うこと、下の文に云う所の如し。綱常の理、未だ嘗て泯沒せず。桀之を廢棄して、湯始めて之を修復す。咈は、逆うなり。先民は、猶前輩舊德のごとし。諫めに從いて逆わず、先民是れ順う。善を樂しむに誠ある者に非ずんば能わざるなり。上に居りて克く明らかとは、言うこころは、能く下に臨むの道を盡くす。下と爲りては克く忠ありとは、言うこころは、能く上に事うるの心を盡くすなり。○呂氏が曰く、湯の克く忠ある、最も看難しとす。湯桀を放ち、臣を以て君を易う。豈忠とす可けんや、と。湯の心最も忠なるを知らざる者なり。天命未だ去らず、人心未だ離れず、桀に事うるの心、曷ぞ嘗て斯須も替えんや。人と與にするの善きは、其の備わらんことを求めず、身を檢するの誠は、及ばざるが若きこと有り。其の上下人己の閒に處ること、又此の如し。是を以て德日々に以て盛んにして、業日々に以て廣まり、天命之に歸し、人心之を戴く。七十里由りして、萬邦を有つに至れり。積累の勤め、茲れ亦難いかな。伊尹前には旣に夏の天下を失うの易きを言い、此には又湯の天下を得るの難きを言う。太甲之を繼ぐ所以を思わざる可けんや。

△敷求哲人、俾輔于爾後嗣。敷、廣也。廣求賢哲、使輔爾後嗣也。
【読み】
△敷[ひろ]く哲人を求めて、爾の後嗣を輔けしむ。敷は、廣きなり。廣く賢哲を求めて、爾の後嗣を輔けしむ。

△制官刑、儆于有位曰、敢有恆舞于宮、酣歌于室、時謂巫風。敢有殉于貨色、恆于遊畋、時謂淫風。敢有侮聖言、逆忠直、遠耆德、比頑童、時謂亂風。惟茲三風十愆、卿士有一于身、家必喪。邦君有一于身、國必亡。臣下不匡、其刑墨。具訓于蒙士。殉、松潤反。遠、于願反。○官刑、官府之刑也。巫風者、常歌常舞。若巫覡然也。淫、過也。過而無度也。比、昵也。倒置悖理曰亂。好人之所惡、惡人之所好也。風、風化也。三風、愆之綱也。十愆、風之目也。卿士諸侯十有其一、已喪其家、亡其國矣。墨、墨刑也。臣下而不能匡正其君、則以墨刑加之。具、詳悉也。童蒙始學之士、則詳悉以是訓之。欲其入官而知所以正諫也。異時太甲欲敗度、縱敗禮。伊尹先見其微。故拳拳及此。劉侍講曰、墨、卽叔向所謂夏書昏墨賊殺、皐陶之刑。貪以敗官爲墨。
【読み】
△官刑を制して、有位を儆[いまし]めて曰く、敢えて恆に宮に舞い、室に酣[たの]しみ歌うこと有る、時[これ]を巫風と謂う。敢えて貨色に殉[したが]い、遊畋[ゆうでん]を恆にすること有る、時を淫風と謂う。敢えて聖言を侮り、忠直に逆い、耆德を遠ざけ、頑童に比[むつ]ぶこと有る、時を亂風と謂う。惟れ茲の三風十愆[けん]、卿士身に一つも有るときは、家必ず喪ぶ。邦君身に一つも有るときは、國必ず亡ぶ。臣下匡さざるときは、其の刑は墨す。具[つぶさ]に蒙士に訓ゆ。殉は、松潤反。遠は、于願反。○官刑は、官府の刑なり。巫風は、常に歌い常に舞う。巫覡[ふげき]の若く然り。淫は、過ぐなり。過ぎて度無きなり。比は、昵[むつ]ぶなり。倒置悖理を亂と曰う。人の惡む所を好み、人の好む所を惡むなり。風は、風化なり。三風は、愆の綱なり。十愆は、風の目なり。卿士諸侯十に其の一有るときは、已に其の家を喪い、其の國を亡ぼす。墨は、墨刑なり。臣下として其の君を匡正すること能わざるときは、則ち墨刑を以て之に加う。具は、詳悉なり。童蒙始學の士には、則ち詳悉にして是を以て之を訓う。其の官に入りて正し諫むる所以を知ることを欲するなり。異時太甲欲するときは度を敗り、縱にするときは禮を敗る。伊尹先ず其の微を見る。故に拳拳として此に及ぶ。劉侍講が曰く、墨は、卽ち叔向が所謂夏書の昏墨賊殺は、皐陶が刑なり、と。貪りて以て官を敗るを墨とす。

△嗚呼嗣王、祗厥身念哉。聖謨洋洋、嘉言孔彰。惟上帝不常、作善降之百祥、作不善降之百殃。爾惟德罔小。萬邦惟慶。爾惟不德罔大。墜厥宗。歎息言、太甲當以三風十愆之訓、敬之於身、念而勿忘也。謨、謂其謀。言、謂其訓。洋、大。孔、甚也。言其謀訓大明。不可忽也。不常者、去就無定也。爲善則降之百祥、爲惡則降之百殃。各以類應也。勿以小善而不爲。萬邦之慶積於小。勿以小惡而爲之。厥宗之墜不在大。蓋善必積而後成。惡雖小而可懼。此總結上文、而又以天命人事禍福、申戒之也。
【読み】
△嗚呼嗣王、厥の身を祗[つつし]んで念えや。聖謨洋洋たり、嘉言孔だ彰らかなり。惟れ上帝常ならず、善を作せば之に百祥を降し、不善を作せば之に百殃を降す。爾惟れ德小なりとする罔かれ。萬邦惟れ慶ばん。爾惟れ不德大いなりとする罔かれ。厥の宗を墜さん、と。歎息して言う、太甲當に三風十愆の訓を以て、之を身に敬んで、念いて忘るる勿かるべし、と。謨は、其の謀を謂う。言は、其の訓を謂う。洋は、大い。孔は、甚だなり。言うこころは、其の謀訓大だ明らかなり。忽にす可からざるなり。常ならずとは、去就定め無きなり。善をすれば則ち之に百祥を降し、惡をすれば則ち之に百殃を降す。各々類を以て應ずるなり。小善を以てせざること勿かれ。萬邦の慶びは小より積る。小惡を以て之をすること勿かれ。厥の宗の墜つること大に在らず。蓋し善必ず積んで而して後に成る。惡は小なりと雖も懼る可し。此れ總べて上の文を結んで、又天命人事禍福を以て、申ねて之を戒むなり。


太甲上 商史錄伊尹告戒節次、及太甲往復之辭。故三篇相屬成文。其閒或附史臣之語、以貫篇意。若史家記傳之所載也。唐孔氏曰、伊訓・肆命徂后・太甲・咸有一德、皆是告戒太甲、不可皆名伊訓。故隨事立稱也。林氏曰、此篇亦訓體。今文無、古文有。
【読み】
太甲上[たいこうじょう] 商の史伊尹が告戒の節次、及び太甲往復の辭を錄す。故に三篇相屬して文を成す。其の閒或は史臣の語を附して、以て篇の意を貫く。史家記傳の載する所の若し。唐の孔氏が曰く、伊訓・肆命徂后・太甲・咸有一德は、皆是れ太甲を告戒すれども、皆伊訓と名づく可からず。故に事に隨いて稱を立つ、と。林氏が曰く、此の篇も亦訓の體なり、と。今文無し、古文有り。


惟嗣王、不惠于阿衡。惠、順也。阿、倚。衡、平也。阿衡、商之官名。言天下之所倚平也。亦曰、保衡。或曰、伊尹之號。史氏錄伊尹之書、先此以發之。
【読み】
惟れ嗣王、阿衡に惠[したが]わず。惠は、順うなり。阿は、倚る。衡は、平らぐなり。阿衡は、商の官の名。言うこころは、天下の倚平する所なり。亦曰く、保衡、と。或ひと曰く、伊尹の號、と。史氏伊尹が書を錄すに、此を先にして以て之を發す。

△伊尹作書曰、先王顧諟天之明命、以承上下神祇、社稷宗廟、罔不祗肅。天監厥德、用集大命、撫綏萬方。惟尹躬克左右厥辟宅師。肆嗣王丕承基緒。監、音鑑。左、音佐。○顧、常目在之也。諟、古是字。明命者、上天顯然之理、而命之我者。在天爲明命、在人爲明德。伊尹言成湯常目在是天之明命、以奉天地神祇、神稷宗廟、無不敬肅。故天視其德、用集大命、以有天下、撫安萬邦。我又身能左右成湯、以居民衆。故嗣王得以大承其基業也。
【読み】
△伊尹書を作りて曰く、先王諟[こ]の天の明命を顧みて、以て上下の神祇、社稷宗廟までに承[つかまつ]りて、祗[つつし]み肅まざる罔し。天厥の德を監て、用て大命を集めて、萬方を撫で綏んず。惟れ尹が躬克く厥の辟[きみ]を左[たす]け右[たす]けて師[もろもろ]を宅けり。肆[ゆえ]に嗣王丕[おお]いに基緒を承[つ]げり。監は、音鑑。左は、音佐。○顧は、常に目之に在るなり。諟は、古の是の字なり。明命は、上天顯然の理にして、之を我に命ずる者なり。天に在りては明命とし、人に在りては明德とす。伊尹言うこころは、成湯常に目是の天の明命に在りて、以て天地神祇、神稷宗廟に奉じて、敬み肅まざる無し。故に天其の德を視て、用て大命を集めて、以て天下を有ちて、萬邦を撫で安んず。我も又身ら能く成湯を左け右けて、以て民衆を居く。故に嗣王以て大いに其の基業を承ぐことを得たり。

△惟尹躬先見于西邑夏、自周有終。相亦惟終。其後嗣王、罔克有終。相亦罔終。嗣王戒哉。祗爾厥辟。辟不辟、忝厥祖。先・見、如字。相、去聲。下同。○夏都安邑。在亳之西。故曰西邑夏。周、忠信也。國語曰、忠信爲周。○施氏曰、作僞心勞日拙、則缺露而不周。忠信則無僞。故能周而無缺。夏之先王、以忠信有終。故其輔相者亦能有終。其後夏桀不能有終。故其輔相者亦不能有終。嗣王其以夏桀爲戒哉。當敬爾所以爲君之道。君而不君、則忝辱成湯矣。太甲之意、必謂伊尹足以任天下之重。我雖縱欲、未必遽至危亡。故伊尹以相亦罔終之言、深折其私、而破其所恃也。
【読み】
△惟れ尹が躬先ず西邑の夏を見るに、周[まこと]を自[もっ]て終わり有り。相も亦惟れ終う。其の後の嗣王、克く終わること有る罔し。相も亦終わること罔し。嗣王戒めよや。爾の厥の辟[きみ]たるを祗[つつし]め。辟辟たらざれば、厥の祖を忝[はずかし]む、と。先・見は、字の如し。相は、去聲。下も同じ。○夏は安邑に都す。亳の西に在り。故に西邑の夏と曰う。周は、忠信なり。國語に曰く、忠信を周とす、と。○施氏が曰く、僞りを作し心勞して日に拙なるときは、則ち缺露[けつろ]して周ならず。忠信なるときは則ち僞り無し。故に能く周にして缺無し、と。夏の先王、忠信を以て終わり有り。故に其の輔相の者も亦能く終わり有り。其の後夏の桀終わり有ること能わず。故に其の輔相の者も亦終わり有ること能わず。嗣王其れ夏桀を以て戒めとせよ。當に爾が君爲る所以の道を敬むべし。君として君たらざれば、則ち成湯を忝め辱む、と。太甲の意、必ず謂う、伊尹以て天下の重きを任ずるに足れり。我れ欲を縱にすと雖も、未だ必ずしも遽に危亡に至らず、と。故に伊尹相も亦終わり罔しの言を以て、深く其の私を折[くじ]いて、其の恃む所を破るなり。

△王惟庸罔念聞。庸、常也。太甲惟若尋常、於伊尹之言、無所念聽。此史氏之言。
【読み】
△王惟れ庸[つね]として念い聞くこと罔し。庸は、常なり。太甲惟れ尋常の若く、伊尹の言に於て、念い聽く所無し。此れ史氏の言なり。

△伊尹乃言曰、先王昧爽丕顯、坐以待旦、旁求俊彥、啓迪後人。無越厥命以自覆。昧、晦。爽、明也。昧爽云者、欲明未明之時也。丕、大也。顯、亦明也。先王於昧爽之時、洗濯澡雪、大明其德、坐以待旦而行之也。旁求者、求之非一方也。彥、美士也。言湯孜孜爲善、不遑寧處。如此、而又旁求俊彥之士、以開導子孫。太甲毋顚越其命、以自取履亡也。
【読み】
△伊尹乃ち言いて曰く、先王昧爽丕[おお]いに顯らかにして、坐して以て旦を待つ。旁[あまね]く俊彥を求めて、後人を啓[ひら]き迪[みちび]く。厥の命を越えて以て自ら覆すこと無かれ。昧は、晦。爽は、明なり。昧爽と云う者は、明けんと欲して未だ明けざるの時なり。丕は、大いなり。顯も、亦明なり。先王昧爽の時に於て、洗濯澡雪して、大いに其の德を明らかにして、坐して以て旦を待ちて之を行う。旁く求むとは、之を求むること一方に非ざるなり。彥は、美士なり。言うこころは、湯孜孜[しし]として善を爲し、寧處に遑あらず。此の如くにして、又旁く俊彥の士を求めて、以て子孫を開き導く。太甲其の命を顚越して、以て自ら履亡を取ること毋かれ。

△愼乃儉德、惟懷永圖。太甲欲敗度縱敗禮。蓋奢侈失之、而無長遠之慮者。伊尹言、當謹其儉約之德、惟懷永久之謀。以約失之者鮮矣。此太甲受病之處。故伊尹特言之。
【読み】
△乃儉德を愼んで、惟れ永圖を懷え。太甲欲するときは度を敗り縱にするときは禮を敗る。蓋し奢侈之を失して、長遠の慮り無き者なり。伊尹が言う、當に其の儉約の德を謹んで、惟れ永久の謀を懷うべし、と。約を以て之を失う者は鮮し。此れ太甲病を受くるの處。故に伊尹特に之を言う。

△若虞機張、往省括于度則釋、欽厥止、率乃祖攸行。惟朕以懌、萬世有辭。虞、虞人也。機、弩牙也。括、矢括也。度、法度。射者之所準望者也。釋、發也。言若虞人之射、弩機旣張、必往察其括之合於法度、然後發之、則發無不中矣。欽者、肅恭收斂。止、見虞書。率、循也。欽厥止者、所以立本。率乃祖者、所以致用。所謂省括于度則釋也。王能如是、則動無過舉。近可以慰悅尹心。遠可以有譽於後世矣。安汝止者、聖君之事。生而知者也。欽厥止者、賢君之事。學而知者也。
【読み】
△虞の機の張りて、往いて括[やはず]を度に省みて則ち釋[はな]つが若く、厥の止まりを欽んで、乃の祖の行う攸に率え。惟れ朕れ以て懌[よろこ]び、萬世辭有らん、と。虞は、虞人なり。機は、弩牙なり。括は、矢括なり。度は、法度。射る者の準望する所の者なり。釋は、發つなり。言うこころは、虞人の射るが若き、弩機旣に張りて、必ず往いて其の括の法度に合わんことを察して、然して後に之を發つときは、則ち發して中らざる無し。欽は、肅恭收斂するなり。止は、虞書に見えたり。率は、循うなり。厥の止まりを欽むは、本を立つる所以なり。乃の祖に率うは、用を致す所以なり。所謂括を度に省みて則ち釋つなり。王能く是の如くなれば、則ち動いて過舉無し。近くは以て尹が心を慰悅す可し。遠くは以て後世に譽れ有る可し、と。汝が止まりを安んずるは、聖君の事。生まれながらにして知る者なり。厥の止まりを欽むは、賢君の事。學んで知る者なり。

△王未克變。不能變其舊習也。此亦史氏之言。
【読み】
△王未だ變うること克[あた]わず。其の舊習を變うること能わざるなり。此れ亦史氏の言なり。

△伊尹曰、茲乃不義、習與性成。予弗狎于弗順。營于桐宮、密邇先王、其訓無俾世迷。狎、習也。弗順者、不順義理之人也。桐、成湯墓陵之地。伊尹指太甲所爲、乃不義之事、習惡而性成者也。我不可使其狎習不順義理之人、於是營宮于桐、使親近成湯之墓、朝夕哀思、興起其善、以是訓之、無使終身迷惑而不悟也。
【読み】
△伊尹曰く、茲れ乃の不義なる、習い性と成れり。予れ順わざるに狎れしめず。桐宮を營[つく]りて、先王に密邇せば、其れ訓えて世をして迷わしむること無けん、と。狎は、習うなり。順わずとは、義理に順わざるの人なり。桐は、成湯墓陵の地なり。伊尹太甲のする所を指すは、乃ち不義の事、惡に習いて性と成る者なり。我れ其をして義理に順わざるの人に狎れ習わしむ可からずとして、是に於て宮を桐に營じ、成湯の墓に親近せしめて、朝夕哀思して、其の善を興起し、是を以て之を訓えて、身を終うるまで迷い惑いて悟らざらしむること無けん、と。

△王徂桐宮居憂、克終允德。徂、往也。允、信也。有諸己、之謂信。實有其德於身也。凡人之不善、必有從臾以導其爲非者。太甲桐宮之居、伊尹旣使其密邇先王陵墓、以興發其善心、又絕其比昵之黨、而革其汚染。此其所以克終允德也。次篇伊尹言嗣王克終其德、又曰、允德協于下。故史氏言、克終允德。結此篇以發次篇之義。
【読み】
△王桐宮に徂いて憂えに居り、克く允の德を終う。徂は、往くなり。允は、信なり。己に有る、之を信と謂う。實に其の德を身に有つなり。凡そ人の不善は、必ず從臾して以て其の非を爲す者を導くこと有り。太甲桐宮の居、伊尹旣に其をして先王の陵墓に密邇し、以て其の善心を興發し、又其の比昵[ひじつ]の黨を絕ちて、其の汚染を革めしむ。此れ其の克く允の德を終うる所以なり。次の篇には伊尹嗣王克く其の德を終うることを言い、又曰く、允に德ありて下に協う、と。故に史氏言う、克く允の德を終う、と。此の篇を結んで以て次の篇の義を發すなり。


太甲中
【読み】
太甲中[たいこうちゅう]


惟三祀十有二月朔、伊尹以冕服、奉嗣王歸于亳。太甲終喪明年之正朔也。冕、冠也。唐孔氏曰、周禮天子六冕。備物盡文。惟袞冕耳。此蓋袞冕之服、義或然也。奉、迎也。喪旣除、以袞冕吉服、奉迎以歸也。
【読み】
惟れ三祀十有二月朔に、伊尹冕服を以て、嗣王を奉[むか]えて亳[はく]に歸る。太甲喪を終う明年の正朔なり。冕は、冠なり。唐の孔氏が曰く、周禮に天子は六冕、と。物を備え文を盡くす。惟れ袞冕なるのみ、と。此れ蓋し袞冕の服、義或は然らん。奉は、迎うなり。喪旣に除[お]わりて、袞冕吉服を以て、奉迎して以て歸るなり。

△作書曰、民非后、罔克胥匡以生。后非民、罔以辟四方。皇天眷佑有商。俾嗣王克終厥德、實萬世無疆之休。民非君、則不能相正以生、君非民、則誰與爲君者、言民固不可無君、而君尤不可失民也。太甲改過之初、伊尹首發此義。其喜懼之意深矣。夫太甲不義、有若性成。一旦翻然改悟、是豈人力所至。蓋天命眷商、陰誘其。故嗣王能終其德也。向也湯緒幾墜。今其自是有永。豈不爲萬世無疆之休乎。
【読み】
△書を作りて曰く、民は后に非ずんば、克く胥[あい]匡して以て生けること罔し。后は民に非ずんば、以て四方に辟[きみ]たること罔し。皇天有商を眷[かえり]み佑けん。嗣王をして克く厥の德を終え、實に萬世まで疆り無きの休きなり、と。民は君に非ずんば、則ち相正して以て生けること能わず、君は民に非ずんば、則ち誰と與にか君爲らんとは、言うこころは、民は固に君無くんばある可からずして、君は尤も民を失う可からざるなり。太甲過ちを改むるの初め、伊尹首めに此の義を發す。其の喜懼の意深し。夫れ太甲不義にして、性の成るが若きこと有り。一旦翻然として改め悟る、是れ豈人力の至る所ならんや。蓋し天命商を眷み、陰[ひそ]かに其のを誘[みちび]く。故に嗣王能く其の德を終う。向[さき]に湯の緒幾ど墜ちなんとす。今其れ是より永きこと有り。豈萬世無疆の休きとせざらんや。

△王拜手稽首曰、予小子不明于德、自厎不類。欲敗度、縱敗禮、以速戾于厥躬。天作孼猶可違、自作孼不可逭。旣往背師保之訓、弗克于厥初。尙賴匡救之德、圖惟厥終。逭、胡玩反。○拜手、首至手也。稽首、首至地也。太甲致敬於師保、其禮如此。不類、猶不肖也。多欲、則興作而亂法度。縱肆、則放蕩而隳禮儀。度、就事言之也。禮、就身言之也。速、召之急也。戾、罪。孼、災。逭、逃也。旣往、已往也。已往旣不信伊尹之言、不能謹之於始。庶幾正救之力、以圖惟其終也。當太甲不惠阿衡之時、伊尹之言、惟恐太甲不聽。及太甲改過之後、太甲之心惟恐伊尹不言。夫太甲固困而知之者。然昔迷、今之復、昔之晦、今之明、如日月昏蝕。一復其舊而光采炫耀、萬景倶新。湯武不可及已。豈居成王之下乎。
【読み】
△王拜手稽首して曰く、予れ小子德を明らかにせず、自ら不類を厎す。欲するときは度を敗り、縱にするときは禮を敗り、以て戾[つみ]を厥の躬に速[まね]けり。天の作せる孼[わざわ]いは猶違[さ]る可し、自ら作せる孼いは逭[のが]る可からず。旣往は師保の訓えに背いて、厥の初めを克くせず。尙わくは匡し救うの德に賴りて、惟れ厥の終わりを圖らんことを、と。逭[かん]は、胡玩反。○拜手は、首の手に至るなり。稽首は、首の地に至るなり。太甲の敬を師保に致す、其の禮此の如し。不類は、猶不肖のごとし。多欲なるときは、則ち興作して法度を亂る。縱肆なるときは、則ち放蕩して禮儀を隳[やぶ]る。度は、事に就いて之を言う。禮は、身に就いて之を言う。速は、召くことの急なり。戾は、罪。孼[げつ]は、災。逭は、逃るるなり。旣往は、已往なり。已往には旣に伊尹が言を信ぜず、之を始めに謹むこと能わず。庶幾わくは正し救うの力、以て惟れ其の終わりを圖らん、と。太甲阿衡に惠わざるの時に當たりて、伊尹が言、惟れ太甲の聽かざるを恐る。太甲過ちを改むるの後に及んで、太甲の心惟れ伊尹言わざるを恐る。夫れ太甲は固に困しんで之を知る者なり。然れども昔の迷い、今の復する、昔の晦、今の明は、日月昏蝕の如し。一たび其の舊に復して光采炫耀し、萬景倶に新たなり。湯武には及ぶ可からざるのみ。豈成王の下に居らんや。

△伊尹拜手稽首曰、修厥身、允德協于下、惟明后。伊尹致敬以復太甲也。修身、則無敗度敗禮之事。允德、則有誠身誠意之實。德誠於上、協和於下、惟明后然也。
【読み】
△伊尹拜手稽首して曰く、厥の身を修め、允に德ありて下に協えれば、惟れ明后なり。伊尹敬を致して以て太甲に復[こた]うるなり。身を修むれば、則ち敗度敗禮の事無し。允に德あれば、則ち誠身誠意の實有り。德上に誠ありて、下に協い和らげば、惟れ明后なること然り。

△先王子惠困窮、民服厥命、罔有不悅。竝其有邦厥鄰乃曰、徯我后、后來無罰。此言湯德所以協下者、困窮之民、若己子而惠愛之。惠之若子、則心之愛者誠矣。未有誠而不動者也。故民服其命、無有不得其懽心。當時諸侯竝湯而有國者、其鄰國之民、乃以湯爲我君曰、待我君、我君來其無罰乎。言除其邪虐、湯之得民心也如此。卽仲虺后來其蘇之事。
【読み】
△先王困窮を子とし惠み、民厥の命に服し、悅びざること有る罔し。竝[とも]に其の邦を有てる厥の鄰乃ち曰く、我が后を徯つ、后來らば罰無けん、と。此れ言うこころは、湯の德の下に協う所以の者は、困窮の民を、己が子の若くにして之を惠愛すればなり。之を惠むこと子の若きときは、則ち心の愛する者誠あり。未だ有らず、誠ありて動かざる者は。故に民其の命に服して、其の懽心を得ざること有る無し。當時の諸侯湯に竝んで國を有つ者、其の鄰國の民、乃ち湯を以て我が君と爲して曰く、我が君を待つ、我が君來らば其れ罰無けんか、と。言うこころは、其の邪虐を除いて、湯の民心を得ること此の如し。卽ち仲虺に后來らば其れ蘇[い]きんの事なり。

△王懋乃德、視乃烈祖、無時豫怠。湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。湯之所以懋其德者如此。太甲亦當勉於其德。視烈祖之所爲、不可頃刻而逸豫怠惰也。
【読み】
△王乃の德を懋[つと]むること、乃の烈祖を視て、時として豫[やす]んじ怠る無かれ。湯の盤の銘に曰く、苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり、と。湯の其の德を懋むる所以の者此の如し。太甲も亦當に其の德を勉むべし。烈祖の爲せる所を視て、頃刻も逸豫怠惰す可からず、と。

△奉先思孝。接下思恭。視遠惟明。聽德惟聰。朕承王之休無斁。思孝、則不敢違其祖。思恭、則不敢忽其臣。惟、亦思也。思明、則所視者遠、而不蔽於淺近。思聰、則所聽者德、而不惑於憸邪。此德之所從事者。太甲能是、則我承王之美、而無所厭斁也。
【読み】
△先に奉[つかまつ]るには孝を思え。下に接わるには恭を思え。遠きを視るには明を惟[おも]え。德を聽くには聰を惟え。朕れ王の休[よ]きを承けて斁[いと]うこと無けん、と。孝を思えば、則ち敢えて其の祖に違わず。恭を思えば、則ち敢えて其の臣を忽にせず。惟も、亦思うなり。明を思えば、則ち視る所の者遠くして、淺近に蔽われず。聰を思えば、則ち聽く所の者德にして、憸邪[せんじゃ]に惑わず。此れ德を懋むるの從りて事とする所の者なり。太甲是を能くするときは、則ち我れ王の美きを承けて、厭い斁う所無けん、と。


太甲下
【読み】
太甲下[たいこうげ]


伊尹申誥于王曰、嗚呼惟天無親。克敬惟親。民罔常懷。懷于有仁。鬼神無常享。享于克誠。天位艱哉。申誥、重誥也。天之所親、民之所懷、鬼神之所享、皆不常也。惟克敬有仁克誠、而後天親之、民懷之、鬼神享之也。曰敬曰仁曰誠者、各因所主而言。天謂之敬者、天者理之所在。動靜語默、不可有一毫之慢。民謂之仁者、民非元后何戴。鰥寡孤獨、皆人君所當恤。鬼神謂之誠者、不誠無物。誠立於此、而後神格於彼。三者所當盡如此。人君居天之位。其可易而爲之哉。分而言之則三、合而言之一德而已。太甲遷善未幾、而伊尹以是告之。其才固有大過人者歟。
【読み】
伊尹申ねて王に誥[つ]げて曰く、嗚呼惟れ天親しむこと無し。克く敬めるに惟れ親しむ。民常に懷[なつ]くこと罔し。仁[いつく]しみ有るに懷く。鬼神常に享くること無し。克く誠あるに享く。天位艱いかな。申誥は、重ねて誥ぐなり。天の親しむ所、民の懷く所、鬼神の享くる所は、皆常ならず。惟れ克く敬し仁有り克く誠にして、而して後に天之を親しみ、民之に懷き、鬼神之を享く。敬と曰い仁と曰い誠と曰う者は、各々主とする所に因りて言う。天に之を敬と謂うは、天は理の在る所。動靜語默、一毫の慢り有る可からず。民に之を仁と謂うは、民は元后に非ずば何をか戴かん。鰥寡孤獨は、皆人君の當に恤れむべき所。鬼神に之を誠と謂うは、誠あらざれば物無し。誠此に立てて、而して後に神彼に格る。三つの者當に盡くすべき所此の如し。人君は天の位に居る。其れ易しとして之をす可けんや。分けて之を言わば則ち三つ、合わせて之を言わば一德なるのみ。太甲善に遷りて未だ幾ならずして、伊尹是を以て之に告ぐ。其の才固に大いに人に過ぎたる者有るか。

△德惟治、否德亂。與治同道罔不興。與亂同事罔不亡。終始愼厥與、惟明明后。治、去聲。否、俯久反。○德者、合敬・仁・誠之稱也。有是德則治、無是德則亂。治固古人有行之者矣。亂亦古人有行之者也。與古之治者同道、則無不興。與古之亂者同事、則無不亡。治而謂之道者、蓋治因時制宜。或損或益、事未必同、而道則同也。亂而謂之事者、亡國喪家、不過貨色遊畋作威殺戮等事、事同道無不同也。治亂之分、顧所與如何耳。始而與治固可以興。終而與亂、則亡亦至矣。謹其所與、終始如一、惟明明之君爲然也。上篇言惟明后、此篇言惟明明后。蓋明其所已明、而進乎前者矣。
【読み】
△德あれば惟れ治まり、否德なれば亂る。治と道を同じうすれば興らざる罔し。亂と事を同じうすれば亡びざる罔し。終始厥の與にするを愼むは、惟れ明明の后なり。治は、去聲。否は、俯久反。○德は、敬・仁・誠に合うの稱なり。是の德有るときは則ち治まり、是の德無きときは則ち亂る。治は固に古人之を行う者有り。亂も亦古人之を行う者有り。古の治むる者と道を同じうすれば、則ち興らざる無し。古の亂るる者と事を同じうすれば、則ち亡びざる無し。治にして之を道と謂う者は、蓋し治は時に因りて宜しきを制す。或は損らし或は益し、事未だ必ずしも同じからずして、道は則ち同じ。亂にして之を事と謂う者は、國を亡ぼし家を喪い、貨色遊畋[ゆうでん]威を作し殺戮する等の事に過ぎず、事同じくして道同じからざる無し。治亂の分は、與にする所如何と顧みるのみ。始めにして治を與にすれば固に以て興る可し。終わりにして亂を與にすれば、則ち亡亦至る。其の與にする所を謹んで、終始一の如くなるときは、惟れ明明の君たること然りとす。上の篇には惟れ明后なりと言い、此の篇には惟れ明明の后なりと言う。蓋し其の已に明らかなる所を明らかにして、前に進む者なり。

△先王惟時懋敬厥德、克配上帝。今王嗣有令緒。尙監茲哉。敬、卽克敬惟親之敬。舉其一以包其二也。成湯勉敬其德、德與天合。故克配上帝。今王嗣有令緒。庶幾其監視此也。
【読み】
△先王惟れ時[こ]れ懋[つと]めて厥の德を敬んで、克く上帝に配せり。今王令緒有るを嗣げり。尙わくは茲を監みよや。敬は、卽ち克く敬めるに惟れ親しむの敬なり。其の一を舉げて以て其の二を包ぬ。成湯勉めて其の德を敬み、德と天と合う。故に克く上帝に配す。今王令緒有るを嗣げり。庶幾わくは其れ此を監視せよ、と。

△若升高必自下、若陟遐必自邇。此告以進德之序也。中庸論君子之道亦謂、譬如行遠必自邇、譬如登高必自卑。進德修業之喩、未有如此之切者。呂氏曰、自此乃伊尹畫一以告太甲也。
【読み】
△高きに升るが必ず下きよりするが若く、遐[とお]きに陟[のぼ]るが必ず邇[ちか]きよりするが若し。此れ告ぐるに德に進むの序を以てす。中庸に君子の道を論ずるにも亦謂う、譬えば遠きに行くが必ず邇きよりするが如く、譬えば高きに登るが必ず卑きよりするが如し、と。德に進み業を修むるの喩え、未だ此の如く切なる者有らず。呂氏が曰く、此より乃ち伊尹一を畫して以て太甲に告[もう]せり、と。

△無輕民事惟難、無安厥位惟危。無、毋通。毋輕民事、而思其難。毋安君位、而思其危。
【読み】
△民の事を輕んずること無くして惟れ難しとし、厥の位を安んずること無くして惟れ危うしとせよ。無は、毋と通ず。民の事を輕んずること毋くして、其の難きを思え。君の位を安んずることを毋くして、其の危うきを思え、と。

△愼終于始。人情孰不欲善終者。特安於縱欲以爲、今日姑若是、而他日固改之也。然始而不善、而能善其終者寡矣。桐宮之事往已、今其卽政臨民。亦事之一初也。
【読み】
△終わりを始めに愼め。人情孰か終わりを善くするを欲せざる者あらん。特に欲を縱にするに安んじて以爲えらく、今日姑く是の若くにして、他日固に之を改めん、と。然れども始めにして善からずして、能く其の終わりを善くする者寡し。桐宮の事は往已にして、今其れ政に卽き民に臨む。亦事の一の初めなり。

△有言逆于汝心、必求諸道。有言遜于汝志、必求諸非道。鯁直之言、人所難受。巽順之言、人所易從。於其所難受者、必求諸道、不可遽以逆于心而拒之。於其所易從者、必求諸非道、不可遽以遜于志而聽之。以上五事、蓋欲太甲矯乎情之偏也。
【読み】
△言汝の心に逆うこと有らば、必ず諸を道に求めよ。言汝の志に遜[したが]うこと有らば、必ず諸を非道に求めよ。鯁直[こうちょく]の言は、人の受け難き所。巽順の言は、人の從い易き所。其の受け難き所の者に於ては、必ず諸を道に求めて、遽に心に逆うを以て之を拒ぐ可からず。其の從い易き所の者に於ては、必ず諸を非道に求めて、遽に志に遜うを以て之を聽く可からず。以上の五事は、蓋し太甲の情の偏を矯さんことを欲するなり。

△鳴呼弗慮胡獲、弗爲胡成。一人元良、萬邦以貞。胡、何也。弗慮何得、欲其謹思之也。弗爲何成、欲其篤行之也。元、大。良、善。貞、正也。一人者、萬邦之儀表。一人元良、則萬邦以正矣。
【読み】
△鳴呼慮[はか]らずんば胡[なん]ぞ獲ん、せずんば胡ぞ成らん。一人元[おお]いに良きときは、萬邦以て貞し。胡は、何なり。慮らずんば何ぞ得んとは、其の謹んで之を思わんことを欲するなり。せずんば何ぞ成らんとは、其の篤く之を行わんことを欲するなり。元は、大い。良は、善き。貞は、正しきなり。一人は、萬邦の儀表。一人元いに良きときは、則ち萬邦以て正し。

△君罔以辯言亂舊政、臣罔以寵利居成功、邦其永孚于休。弗思弗爲、安於縱弛、先王之法廢矣。能思能爲、作其聰明、先王之法亂矣。亂之爲害、甚於廢也。成功、非寵利之所可居者。至是太甲德已進。伊尹有退休之志矣。此咸有一德之所以繼作也。君臣各盡其道、邦國永信其休美也。○吳氏曰、上篇稱嗣王不惠于阿衡。必其言有與伊尹背違者。辯言亂政、或太甲所失在此。罔以寵利居成功、己之所自處者、已素定矣。下語旣非泛論。則上語必有爲而發也。
【読み】
△君辯言を以て舊政を亂ること罔く、臣寵利を以て成功に居ること罔くば、邦其れ永く休きを孚とせん、と。思わず爲さずして、縱弛に安んずれば、先王の法廢る。能く思い能く爲して、其の聰明を作せば、先王の法亂る。亂の害を爲すは、廢るより甚だし。成功は、寵利の居る可き所の者に非ず。是に至りて太甲の德已に進む。伊尹退休の志有り。此れ咸有一德の繼いて作る所以なり。君臣各々其の道を盡くすときは、邦國永く其の休美を信にす。○吳氏が曰く、上の篇には嗣王阿衡に惠わずと稱す。必ず其の言伊尹と背き違う者有り。辯言の政を亂る、或は太甲の失する所此に在り。寵利を以て成功に居ること罔くば、己が自ら處る所の者、已に素より定まる。下の語は旣に泛論に非ず。則ち上の語必ず爲にすること有りて發せるならん、と。


咸有一德 伊尹致仕而去。恐太甲德不純一、及任用非人。故作此篇。亦訓體也。史氏取其篇中咸有一德四字、以爲篇目。今文無、古文有。
【読み】
咸有一德[かんゆういっとく] 伊尹致仕して去る。太甲の德純一ならずして、任用の人に非ざるに及ぶを恐る。故に此の篇を作る。亦訓の體なり。史氏其の篇の中の咸有一德の四字を取りて、以て篇の目とす。今文無し、古文有り。


伊尹旣復政厥辟。將告歸、乃陳戒于德。伊尹已還政太甲。將告老而歸私邑、以一德陳戒其君。此史氏本序。
【読み】
伊尹旣に政を厥の辟[きみ]に復す。將に告げ歸らんとし、乃ち德を陳べ戒む。伊尹已に政を太甲に還す。將に老を告げて私邑に歸らんとし、一德を以て其の君に陳べ戒む。此れ史氏の本序なり。

△曰、嗚呼天難諶、命靡常。常厥德、保厥位、厥德匪常、九有以亡。諶、信也。天之難信、以其命之不常也。然天命雖不常、而常於有德者。君德有常、則天命亦常而保厥位矣。君德不常、則天命亦不常、而九有以亡矣。九有、九州也。
【読み】
△曰く、嗚呼天諶[まこと]とし難きは、命常靡ければなり。厥の德を常にするときは、厥の位を保んじ、厥の德常ならざるときは、九有以て亡ぶ。諶は、信なり。天の信とし難きは、其の命の常ならざるを以てなり。然れども天命常ならずと雖も、而して德有る者に常なり。君の德常有るときは、則ち天命も亦常にして厥の位を保んず。君の德常ならざるときは、則ち天命も亦常ならずして、九有以て亡ぶ。九有は、九州なり。

△夏王弗克庸德、慢神虐民。皇天弗保、監于萬方、啓迪有命、眷求一德、俾作神主。惟尹躬曁湯、咸有一德、克享天心、受天明命、以有九有之師、爰革夏正。上文言天命無常、惟有德則可常。於是引桀之所以失天命、湯之所以得天命者證之。一德、純一之德、不雜不息之義。卽上文所謂常德也。神主、百神之主。享、當也。湯之君臣、皆有一德。故能上當天心、受天明命、而有天下。於是改夏建寅之正、而爲建丑正也。
【読み】
△夏王德を庸[つね]にすること克[あた]わず、神を慢り民を虐ぐ。皇天保んぜず、萬方を監みて、有命を啓[ひら]き迪[みちび]き、一德を眷[かえり]み求めて、神主作らしむ。惟れ尹が躬曁[およ]び湯、咸一德有り、克く天の心に享[あ]たり、天の明命を受けて、以て九有の師を有ち、爰に夏正を革む。上の文に言う、天命常無し、惟德有るときは則ち常にす可し、と。是に於て桀が天命を失う所以、湯が天命を得る所以の者を引いて之を證す。一德は、純一の德、雜えず息まざるの義なり。卽ち上の文に所謂常の德なり。神主は、百神の主。享は、當たるなり。湯の君臣、皆一德有り。故に能く上は天心に當たり、天の明命を受けて、天下を有てり。是に於て夏の建寅の正を改めて、建丑の正とす。

△非天私我有商、惟天佑于一德。非商求于下民、惟民歸于一德。上言一德。故得天得民。此言天佑民歸。皆以一德之故。蓋反復言之。
【読み】
△天我が有商に私するに非ず、惟れ天一德を佑く。商下民に求むるに非ず、惟れ民一德に歸す。上には一德を言う。故に天を得民を得。此には天佑け民歸すを言う。皆一德を以ての故なり。蓋し反復して之を言うなり。

△德惟一、動罔不吉、德二三、動罔不凶。惟吉凶不僭在人、惟天降災祥在德。二三則雜矣。德之純、則無往而不吉。德而雜、則無往而不凶。僭、差也。惟吉凶不差在人者、惟天之降災祥在德故也。
【読み】
△德惟れ一なれば、動きて吉ならざる罔く、德二三なれば、動きて凶ならざる罔し。惟れ吉凶僭[たが]わざること人に在り、惟れ天災祥を降すこと德に在り。二三は則ち雜じるなり。德の純なるときは、則ち往くとして吉ならざる無し。德として雜じるときは、則ち往くとして凶ならざる無し。僭は、差うなり。惟れ吉凶差わざること人に在りとは、惟れ天の災祥を降すこと德に在るが故なり。

△今嗣王新服厥命。惟新厥德。終始惟一、時乃日新。太甲新服天子之命。德亦當新。然新德之要、在於有常而已。終始有常、而無閒斷、是乃所以日新也。
【読み】
△今嗣王新たに厥の命に服す。惟れ厥の德を新たにせよ。終始惟れ一なれば、時[こ]れ乃ち日々に新たならん。太甲新たに天子の命に服す。德も亦當に新たなるべし。然れども德を新たにするの要は、常有るに在るのみ。終始常有りて、閒斷無きは、是れ乃ち日々に新たなる所以なり。

△任官惟賢、左右惟其人。臣爲上爲德、爲下爲民。其難其愼、惟和惟一。賢者、有德之稱。才者、能也。左右者、輔弼大臣、非賢才之稱可盡。故曰惟其人。夫人臣之職、爲上爲德、左右厥辟也。爲下爲民、所以宅師也。不曰君而曰德者、兼君道而言也。臣職所係、其重如此。是必其難其愼、難者、難於任用。愼者、愼於聽察。所以防小人也。惟和惟一、和者、可否相濟。一者、終始如一。所以任君子也。
【読み】
△官に任ずるは惟れ賢をし、左右は惟れ其の人をす。臣は上の爲にするは德の爲にし、下の爲にするは民の爲にす。其れ難んじ其れ愼み、惟れ和らぎ惟れ一にす。賢は、有德の稱。才は、能なり。左右は、輔弼の大臣、賢才の稱の盡くす可きに非ず。故に曰う、惟れ其の人をす、と。夫れ人臣の職、上の爲に德の爲にするは、厥の辟[きみ]を左右[たす]くるなり。下の爲に民の爲にするは、師を宅く所以なり。君と曰わずして德と曰うは、君道を兼ねて言うなり。臣職の係る所、其の重きこと此の如し。是れ必ず其れ難んじ其れ愼むとは、難は、任用を難んず。愼は、聽察を愼む。小人を防ぐ所以なり。惟れ和らぎ惟れ一にすとは、和は、可否相濟う。一は、終始一の如し。君子に任ずる所以なり。

△德無常師。主善爲師。善無常主。協于克一。上文言用人。因推取人爲善之要。無常者、不可執一之謂。師、法。協、合也。德者、善之總稱。善者、德之實行。一者、其本原統會者也。德兼衆善、不主於善、則無以得一本萬殊之理。善原於一。不協于一、則無以達萬殊一本之妙。謂之克一者、能一之謂也。博而求之於不一之善、約而會之於至一之理、此聖學始終條理之序、與夫子所謂一貫者幾矣。太甲至是而得與聞焉。亦異乎常人之改過者歟。張氏曰、虞書精一數語之外、惟此爲精密。
【読み】
△德に常の師[のり]無し。善を主とするを師とす。善に常の主無し。克く一なるに協えり。上の文は人を用うるを言う。因りて人を取りて善を爲すの要を推す。常無しとは、一を執る可からざるの謂なり。師は、法。協は、合うなり。德は、善の總稱。善は、德の實行なり。一は、其の本原統會する者なり。德衆善を兼ねて、善を主とせざるときは、則ち以て一本萬殊の理を得ること無し。善は一に原づく。一に協わざるときは、則ち以て萬殊一本の妙に達すること無し。之を克く一と謂うは、能く之を一にするの謂なり。博めて之を不一の善に求め、約して之を至一の理に會う、此れ聖學始終條理の序、夫子の所謂一貫という者と幾し。太甲是に至りて與り聞くことを得。亦常の人の過ちを改むる者に異なるか。張氏が曰く、虞書の精一の數語の外、惟れ此に精密なりとす、と。

△俾萬姓咸曰大哉王言。又曰一哉王心。克綏先王之祿、永厎烝民之生。人君惟其心之一。故其發諸言也大。萬姓見其言之大。故能知其心之一。感應之理、自然而然。以見人心之不可欺、而誠之不可掩也。祿者、先王所守之天祿也。烝、衆也。天祿安、民生厚、一德之效驗也。
【読み】
△萬姓をして咸大いなるかな王の言と曰い、又一なるかな王の心と曰わしむ。克く先王の祿を綏んじて、永く烝民の生を厎す。人君惟れ其の心の一なる。故に其の言に發することや大いなり。萬姓其の言の大いなるを見る。故に能く其の心の一なるを知る。感應の理、自然にして然り。以て人心の欺く可からずして、誠の掩う可からざるを見すなり。祿は、先王守る所の天祿なり。烝は、衆々なり。天祿安く、民生厚きは、一德の效驗なり。

△嗚呼七世之廟、可以觀德。萬夫之長、可以觀政。長、上聲。○天子、七廟。三昭三穆與太祖之廟七。七廟親盡則遷。必有德之主、則不祧毀。故曰、七世之廟、可以觀德。天子居萬民之上、必政敎有以深服乎人、而後萬民悅服。故曰、萬夫之長、可以觀政。伊尹歎息言、德政修否、見於後世、服乎當時。有不可掩者如此。
【読み】
△嗚呼七世の廟、以て德を觀る可し。萬夫の長、以て政を觀る可し。長は、上聲。○天子は、七廟。三昭三穆太祖の廟と七つ。七廟親盡きるときは則ち遷す。必ず有德の主は、則ち祧毀[ちょうき]せず。故に曰く、七世の廟、以て德を觀る可し、と。天子萬民の上に居りて、必ず政敎以て深く人に服すこと有りて、而して後に萬民悅服す。故に曰く、萬夫の長、以て政を觀る可し、と。伊尹歎息して言う、德政の修否、後世に見れ、當時に服す、と。掩う可からざる者此の如きこと有り。

△后非民罔使。民非后罔事。無自廣以狹人。匹夫匹婦、不獲自盡、民主罔與成厥功。盡、子忍在忍二反。○罔使罔事、卽上篇民非后、罔克胥匡以生。后非民、罔以辟四方之意。申言君民之相須者如此、欲太甲不敢忽也。無、毋同。伊尹又言、君民之使事、雖有貴賤不同、至於取人爲善、則初無貴賤之閒。蓋天以一理、賦之於人、散爲萬善。人君合天下之萬善、而後理之一者可全也。苟自大而狹人、匹夫匹婦有一不得自盡於上、則一善不備、而民主亦無與成厥功矣。伊尹於篇終、致厥警戒之意。而言外之旨、則又推廣其所謂一者如此。蓋道體之純全、聖功之極致也。嘗因是言之、以爲精粹無雜者、一也。終始無閒者、一也。該括萬善者、一也。一者、通古今達上下、萬化之原、萬事之榦。語其理、則無二。語其運、則無息。語其體、則幷包而無所遺也。咸有一德之書、而三者之義悉備。前乎伏羲堯舜禹湯、後乎文武周公孔子、同一揆也。
【読み】
△后民に非ずんば使うこと罔し。民后に非ずんば事ること罔し。自ら廣しとして以て人を狹しとする無かれ。匹夫匹婦も、自ら盡くすことを獲ざれば、民主與に厥の功を成すこと罔けん、と。盡は、子忍在忍の二反。○使うこと罔し事ること罔しとは、卽ち上の篇の民は后に非ずんば、克く胥[あい]匡して以て生けること罔し。后は民に非ずんば、以て四方に辟[きみ]たること罔しの意なり。申ねて君民の相須ゆる者此の如くなるを言いて、太甲敢えて忽にせざることを欲するなり。無は、毋と同じ。伊尹又言う、君民の使うと事るとは、貴賤同じからざること有りと雖も、人に取りて善を爲すに至りては、則ち初めより貴賤の閒て無し。蓋し天は一理を以て、之を人に賦し、散じて萬善とす。人君天下の萬善を合わせて、而して後に理の一なる者全くす可し。苟も自ら大いなりとして人を狹しとし、匹夫匹婦一も自ら上に盡くすことを得ざること有らば、則ち一善備わらずして、民主も亦與に厥の功を成すこと無し。伊尹篇の終わりに於て、厥の警戒の意を致す。而して言外の旨、則ち又其の所謂一という者を推し廣むること此の如し。蓋し道體の純全、聖功の極致なり。嘗て是に因りて之を言いて、以爲えらく、精粹にして雜じること無き者は、一なり。終始閒て無き者は、一なり。萬善を該括する者は、一なり、と。一は、古今に通じ上下に達し、萬化の原、萬事の榦なり。其の理を語るときは、則ち二無し。其の運を語るときは、則ち息むこと無し。其の體を語るときは、則ち幷せ包ねて遺る所無し。咸有一德の書にして、三つの者の義悉く備われり。伏羲堯舜禹湯を前にし、文武周公孔子を後にして、同一揆なり。


盤庚上 盤庚、陽甲之弟。自祖乙都耿、圮於河水。盤庚欲遷于殷。而大家世族、安土重遷、胥動浮言。小民雖蕩析離居、亦惑於利害、不適有居。盤庚喩以遷都之利、不遷之害。上中二篇未遷時言。下篇旣遷後言。王氏曰、上篇告羣臣、中篇告庶民、下篇告百官族姓。左傳謂盤庚之誥。實誥體也。三篇今文古文皆有。但今文三篇合爲一。
【読み】
盤庚上[ばんこうじょう] 盤庚は、陽甲の弟。祖乙より耿[こう]を都とし、河水に圮[やぶ]らる。盤庚殷に遷らんと欲す。而して大家世族、土を安んじ遷るを重しとし、胥動いて浮言す。小民蕩析離居すと雖も、亦利害に惑いて、適いて居を有たず。盤庚喩すに遷都の利、不遷の害を以てす。上中の二篇は未だ遷らざる時の言。下の篇は旣に遷りて後の言なり。王氏が曰く、上の篇は羣臣に告げ、中の篇は庶民に告げ、下の篇は百官族姓に告ぐ、と。左傳に謂ゆる盤庚の誥、と。實に誥の體なり。三篇今文古文皆有り。但今文は三篇合わせて一とす。


盤庚遷于殷。民不適有居。率籲衆慼、出矢言。籲、音喩。○殷在河南偃師。適、往。籲、呼。矢、誓也。史臣言、盤庚欲遷于殷、民不肯往適有居、盤庚率呼衆憂之人、出誓言以喩之、如下文所云也。○周氏曰、商人稱殷、自盤庚始。自此以前惟稱商。自盤庚遷都之後、於是殷商兼稱。或只稱殷也。
【読み】
盤庚殷に遷らんとす。民適いて居を有たず。衆々の慼[うれ]うるを率い籲[よ]びて、矢言を出だす。籲[ゆ]は、音喩。○殷は河南の偃師に在り。適は、往く。籲は、呼ぶ。矢は、誓うなり。史臣言う、盤庚殷に遷らんと欲して、民往き適いて居を有つを肯ぜず、盤庚衆々の憂うる人を率い呼びて、誓いの言を出だして以て之を喩すこと、下の文に云う所の如し、と。○周氏が曰く、商人殷を稱するは、盤庚より始まる。此より以前は惟商と稱す。盤庚都を遷してよりの後、是に於て殷商兼ね稱す。或は只殷と稱す、と。

△曰、我王來旣爰宅于茲、重我民無盡劉。不能胥匡以生、卜稽曰、其如台。盡、子忍反。○曰、盤庚之言也。劉、殺也。盤庚言、我先王祖乙來都于耿。固重我民之生、非欲盡致之死也。民適不幸蕩析離居、不能相救以生。稽之於卜亦曰、此地無若我何。言耿不可居。決當遷也。
【読み】
△曰く、我が王來りて旣に爰に茲に宅るは、我が民を重んじて盡く劉[ころ]すこと無からんとなり。胥[あい]匡して以て生けること能わず、卜い稽うるに曰く、其れ台[われ]を如ん、と。盡は、子忍反。○曰は、盤庚の言なり。劉は、殺すなり。盤庚言う、我が先王祖乙來りて耿に都す。固に我が民の生けるを重んじ、盡く之を死に致さんと欲するに非ず。民適いて不幸にして蕩析離居し、相救いて以て生けること能わず。之を卜に稽うるにも亦曰く、此の地我を若何とすること無し、と。言うこころは、耿は居る可からず。決して當に遷るべし。

△先王有服、恪謹天命。茲猶不常寧、不常厥邑、于今五邦。今不承于古、罔知天之斷命。矧曰其克從先王之烈。服、事也。先王有事、恪謹天命、不敢違越。先王猶不敢常安、不常其邑、于今五遷厥邦矣。今不承先王而遷、且不知上天之斷絕我命。況謂其能從先王之大烈乎。詳此言、則先王遷徙、亦必有稽卜之事。仲丁・河亶甲、篇逸不可考矣。五邦、漢孔氏謂湯遷亳、仲丁遷囂、河亶甲居相、祖乙居耿。幷盤庚遷殷爲五邦。然以下文今不承于古文勢考之、則盤庚之前當自有五遷。史記言、祖乙遷邢。或祖乙兩遷也。
【読み】
△先王服[こと]有れば、天命を恪[つつし]み謹む。茲に猶常に寧んぜず、厥の邑を常にせず、今に于て五たび邦せり。今古に承[つ]がずんば、天の命を斷つるを知る罔けん。矧んや其れ克く先王の烈に從うと曰わんや。服は、事なり。先王事有れば、天命を恪み謹んで、敢えて違越せず。先王猶敢えて常に安んぜず、其の邑を常にせず、今に于て五たび厥の邦を遷せり。今先王に承いで遷らずんば、且つ上天の我が命を斷ち絕つことを知らず。況んや其れ能く先王の大烈に從うと謂わんや、と。此の言を詳らかにすれば、則ち先王の遷徙も、亦必ず稽え卜うの事有らん。仲丁・河亶甲、篇逸して考う可からず。五邦とは、漢の孔氏が謂ゆる湯亳[はく]に遷り、仲丁囂[ごう]に遷り、河亶甲相に居り、祖乙耿に居る。盤庚殷に遷るを幷せて五邦とす、と。然れども下の文の今古に承がずの文勢を以て之を考うれば、則ち盤庚の前に當に自ずから五たび遷ること有るべし。史記に言う、祖乙邢に遷る、と。或は祖乙兩び遷すならん。

△若顚木之有由蘖。天其永我命于茲新邑、紹復先王之大業、厎綏四方。蘖、牙葛反、又魚列反。○顚、仆也。由、古文作甹。木生條也。顚木、譬耿。由蘖、譬殷也。言今自耿遷殷、若已仆之木而復生也。天其將永我國家之命於殷、以繼復先王之大業、而致安四方乎。
【読み】
△顚木の由蘖[ゆうげつ]有るが若し。天其れ我が命を茲の新邑に永くして、先王の大業を紹ぎ復さしめて、四方を厎し綏んぜん、と。蘖は、牙葛反、又魚列反。○顚は、仆るるなり。由は、古文に甹に作る。木條を生ずるなり。顚木は、耿に譬う。由蘖は、殷に譬う。言うこころは、今耿より殷に遷る、已に仆るる木にして復生ずるが若し。天其れ將に我が國家の命を殷に永くせんとして、以て先王の大業を繼ぎ復して、四方を安んずることを致さんや。

△盤庚斅于民、由乃在位。以常舊服、正法度曰、無或敢伏小人之攸箴。王命衆悉至于庭。斅、胡敎反。○斅、敎。服、事。箴、規也。耿地潟鹵墊隘、而有沃饒之利。故小民苦於蕩析離居、而巨室則總于貨寶。惟不利於小民、而利於巨室。故巨室不悅而胥動浮言。小民昡於利害、亦相與咨怨。閒有能審利害之實而欲遷者、則又往往爲在位者之所排擊阻難、不能自達於上。盤庚知其然。故其敎民必自在位始。而其所以敎在位者、亦非作爲一切之法以整齊之。惟舉先王舊常遷都之事、以正其法度而已。然所以正法度者、亦非有他焉。惟曰、使在位之臣、無或敢伏小人之所箴規焉耳。蓋小民患潟鹵墊隘、有欲遷而以言箴規其上者。汝毋得遏絕而使不得自達也。衆者、臣民。咸、在也。史氏將述下文盤庚之訓語。故先發此。
【読み】
△盤庚民に斅[おし]ゆるに、乃の在位由りす。常の舊き服[こと]を以て、法度を正しくして曰く、敢えて小人の箴[いまし]むる攸を伏すこと或る無かれ、と。王衆に命じて悉く庭に至らしむ。斅[こう]は、胡敎反。○斅は、敎。服は、事。箴は、規なり。耿の地は潟鹵[せきろ]墊隘[てんえき]にして、沃饒の利有り。故に小民は蕩析離居を苦しみて、巨室は則ち貨寶を總ぶ。惟れ小民に利あらずして、巨室に利あり。故に巨室悅びずして胥動いて浮言す。小民は利害に眩んで、亦相與に咨怨す。閒々能く利害の實を審らかにして遷らんと欲する者有らば、則ち又往往に在位の者の爲に排擊阻難せれて、自ら上に達すること能わず。盤庚其の然ることを知る。故に其の民を敎ゆるは必ず在位より始む。而して其の在位に敎ゆる所以の者も、亦一切の法を作爲して以て之を整齊するに非ず。惟先王の舊常遷都の事を舉げて、以て其の法度を正すのみ。然れども法度を正す所以の者も、亦他有るに非ず。惟曰く、在位の臣をして、敢えて小人の箴規する所を伏すること或ること無からしむのみ。蓋し小民潟鹵墊隘を患えて、遷らんと欲して言を以て其の上を箴規する者有り。汝遏絕[あつぜつ]して自ら達することを得ざらしむることを得る毋かれ、と。衆は、臣民。咸は、在るなり。史氏將に下の文の盤庚の訓語を述べんとす。故に先ず此を發す。

△王若曰、格汝衆。予告汝訓。汝猷黜乃心、無傲從康。若曰者、非盡當時之言、大意若此也。汝猷黜乃心者、謀去汝之私心也。無與毋同。毋得傲上之命、從己之安、蓋傲上則不肯遷、從康則不能遷。二者所當黜之私心也。此雖盤庚對衆之辭、實爲羣臣而發。以斅民由在位故也。
【読み】
△王若[か]く曰く、格[いた]れ汝衆。予れ汝に訓えを告げん。汝乃の心を猷[はか]り黜[しりぞ]けて、傲りて康きに從うこと無かれ。若曰は、當時の言を盡くすに非ず、大意此の若きなり。汝乃の心を猷り黜けよとは、汝の私心を謀り去れとなり。無と毋とは同じ。上の命に傲りて、己が安きに從うことを得る毋かれとは、蓋し上に傲れば則ち遷ることを肯ぜず、康きに從えば則ち遷ること能わず。二つの者は當に黜くべき所の私心なり。此れ盤庚衆に對するの辭と雖も、實は羣臣の爲にして發す。民を斅ゆるに在位由りするを以ての故なり。

△古我先王、亦惟圖任舊人共政。王播告之修、不匿厥指。王用丕欽、罔有逸言、民用丕變。今汝聒聒、起信險膚。予弗知乃所訟。逸、過也。盤庚言、先王亦惟謀任舊人共政。王播告之修、則奉承于内、而能不隱匿其指意。故王用大敬之。宣化于外、又無過言以惑衆聽。故民用大變。今爾在内則伏小人之攸箴、在外則不和吉言于百姓、譊譊多言。凡起信於民者、咸險陂膚淺之說。我不曉汝所言果何謂也。詳此所謂舊人者、世臣舊家之人、非謂老成人也。蓋沮遷都者、咸世臣舊家之人。下文人惟求舊一章可見。
【読み】
△古我が先王、亦惟れ圖りて舊人に任じて政を共にす。王修むることを播告し、厥の指を匿さず。王用て丕[おお]いに欽みて、逸言有る罔く、民用て丕いに變われり。今汝聒聒[かつかつ]として、信を起こすに險膚なり。予れ乃の訟[うった]うる所を知らず。逸は、過ちなり。盤庚言う、先王も亦惟れ謀りて舊人に任じて政を共にす。王修むることを播告するときは、則ち内に奉承して、能く其の指意を隱匿せず。故に王用て大いに之を敬む。化を外に宣べて、又過言以て衆聽を惑わすこと無し。故に民用て大いに變われり。今爾内に在りては則ち小人の箴むる攸を伏し、外に在りては則ち吉言を百姓に和せず、譊譊[どうどう]として多言す。凡そ信を民に起こす者は、咸險陂膚淺の說なり。我れ汝が言う所果たして何の謂うことかを曉らず、と。此の所謂舊人という者を詳らかにするに、世臣舊家の人にて、老成人を謂うに非ず。蓋し遷都を沮む者は、咸世臣舊家の人なり。下の文の人は惟れ舊きを求むの一章見る可し。

△非予自荒茲德。惟汝舍德、不惕予一人。予若觀火。予亦拙謀作乃逸。荒、廢也。逸、過失也。盤庚言、非我輕易遷徙、自荒廢此德。惟汝不宣布德意、不畏懼於我。我視汝情、明若觀火。我亦拙謀、不能制命、而成汝過失也。
【読み】
△予れ自ら茲の德を荒[すさ]むに非ず。惟れ汝德を舍[お]いて、予れ一人を惕れず。予れ火を觀るが若し。予も亦拙き謀にして乃の逸を作せり。荒は、廢つるなり。逸は、過失なり。盤庚言う、我れ輕易に遷徙して、自ら此の德を荒み廢つるに非ず。惟れ汝德意を宣べ布かず、我を畏懼せず。我れ汝が情を視るに、明らかなること火を觀るが若し。我も亦拙き謀にして、命を制すこと能わずして、汝が過失を成せり。

△若網在綱、有條而不紊。若農服田力穡、乃亦有秋。紊、亂也。綱舉則目張。喩下從上、小從大。申前無傲之戒。勤於田畝、則有秋成之望。喩今雖遷徙勞苦、而有永建乃家之利。申前從康之戒。
【読み】
△網の綱に在るが、條有りて紊[みだ]れざるが若し。農の田に服し穡を力めて、乃ち亦秋有るが若し。紊は、亂るなり。綱舉ぐれば則ち目張る。下の上に從い、小の大に從うに喩う。前の傲ること無かれの戒めを申ぶ。田畝を勤むるときは、則ち秋成の望み有り。今遷徙勞苦すと雖も、而して永く乃の家を建つるの利有るに喩う。前の康きに從うの戒めを申ぶ。

△汝克黜乃心、施實德于民、至于婚友、丕乃敢大言、汝有積德。蘇氏曰、商之世家大族、造言以害遷者、欲以苟悅小民爲德也。故告之曰、是何德之有。汝曷不去汝私心、施實德于民、與汝婚姻僚友乎。勞而有功、此實德也。汝能勞而有功、則汝乃敢大言曰、我有積德。曰積德云者、亦指世家大族而言。申前汝猷黜乃心之戒。
【読み】
△汝克く乃の心を黜け、實の德を民に施し、婚友にまで至らば、丕いに乃ち敢えて大いに言わん、汝積德有り、と。蘇氏が曰く、商の世家大族、造言して以て遷ることを害する者、苟も小民を悅ばしむるを以て德と爲さんと欲す。故に之に告げて曰く、是れ何の德か之れ有らん。汝曷ぞ汝が私心を去りて、實德を民と、汝が婚姻僚友に施さざるや、と。勞して功有るは、此れ實德なり。汝能く勞して功有れば、則ち汝乃ち敢えて大言して曰わん、我れ積德有り、と。曰く積德と云うは、亦世家大族を指して言う。前の汝乃の心を猷[はか]り黜けよの戒めを申ぶ。

△乃不畏戎毒于遠邇。惰農自安、不昬作勞、不服田畝、越其罔有黍稷。戎、大。昬、强也。汝不畏沈溺大害於遠近、而憚勞不遷、如怠惰之農、不强力爲勞苦之事、不事田畝。安有黍稷之可望乎。此章再以農喩。申言從康之害。
【読み】
△乃戎[おお]いなる毒を遠邇に畏れず。惰農自ら安んじ、作勞を昬[つと]めず、田畝に服せざれば、越[ここ]に其れ黍稷有ること罔からん。戎は、大い。昬は、强むるなり。汝沈溺大害を遠近に畏れずして、勞を憚りて遷らざるは、怠惰の農の、强力して勞苦の事を爲さず、田畝を事とせざるが如し。安んぞ黍稷の望む可き有らんや。此の章再び農を以て喩う。申ねて康きに從うの害を言う。

△汝不和吉言于百姓。惟汝自生毒。乃敗禍姦宄、以自災于厥身。乃旣先惡于民、乃奉其恫。汝悔身何及。相時憸民、猶胥顧于箴言、其發有逸口。矧予制乃短長之命。汝曷弗告朕、而胥動以浮言、恐沈于衆。若火之燎于原、不可嚮邇、其猶可撲滅。則惟汝衆自作弗靖。非予有咎。恫、音通。燎、盧皎反。撲、晉十反。○吉、好也。先惡、爲惡之先也。奉、承。恫、痛。相、視也。憸民、小民也。逸口、過言也。逸口尙可畏。況我制爾生殺之命、可不畏乎。恐、謂恐動之以禍患。沈、謂沈陷之於罪惡。不可嚮邇、其猶可撲滅者、言其勢焰雖盛、而殄滅之不難也。靖、安。咎、過也。則惟爾衆自爲不安。非我有過也。此章反復辯論、申言傲上之害。
【読み】
△汝吉言を百姓に和せず。惟れ汝自ら毒を生せり。乃敗禍姦宄[かんき]して、以て自ら厥の身に災いす。乃旣に惡を民に先んじて、乃其の恫[いた]みを奉[う]く。汝悔ゆるとも身何ぞ及ばん。時[こ]の憸民[せんみん]を相[み]るに、猶箴言を胥顧みるに、其れ發りて逸口有り。矧んや予れ乃短長の命を制するをや。汝曷ぞ朕に告げずして、胥動かすに浮言を以て、衆を恐沈せんや。火の原に燎[も]ゆるが、嚮[む]かい邇づく可からずとも、其れ猶撲[う]ち滅[け]す可きが若し。則ち惟れ汝衆自ら靖からざるを作す。予が咎有るに非ず。恫[とう]は、音通。燎は、盧皎反。撲は、晉十反。○吉は、好きなり。惡を先にすとは、惡の先を爲すなり。奉は、承く。恫は、痛む。相は、視るなり。憸民は、小民なり。逸口は、過言なり。逸口は尙畏る可し。況んや我れ爾生殺の命を制する、畏れざる可けんや。恐とは、之を恐動するに禍患を以てするを謂う。沈は、之を罪惡に沈陷するを謂う。嚮かい邇づく可からずとも、其れ猶撲ち滅す可しとは、言うこころは、其の勢焰盛んなりと雖も、而れども之を殄滅すること難からざるなり。靖は、安し。咎は、過ちなり。則ち惟れ爾衆自ら安からざるをす。我が過ち有るに非ず、と。此の章反復辯論して、申ねて上に傲るの害を言う。

△遲任有言曰、人惟求舊、器非求舊、惟新。任、如林反。○遲任、古之賢人。蘇氏曰、人舊則習、器舊則敝。當常使舊人、用新器也。今按盤庚所引、其意在人惟求舊一句。而所謂求舊者、非謂老人。但謂求人於世臣舊家云爾。詳下文意可見。若以舊人爲老人、又何侮老成人之有。
【読み】
△遲任言えること有りて曰く、人は惟れ舊きを求む、器は舊きを求むるに非ず、惟れ新しきなり。任は、如林反。○遲任は、古の賢人なり。蘇氏が曰く、人舊きときは則ち習い、器舊きときは則ち敝[やぶ]る。當に常に舊人を使い、新器を用ゆべし。今按ずるに盤庚引く所、其の意は人惟れ舊きを求むの一句に在り。而れども所謂舊きを求むとは、老人を謂うに非ず。但人を世臣舊家に求むるを謂うと云うのみ。下の文意を詳らかにして見る可し。若し舊人を以て老人とすれば、又何ぞ老成人を侮るということ有らん、と。

△古我先王、曁乃祖乃父、胥及逸勤。予敢動用非罰。世選爾勞、予不掩爾善、茲予大享于先王、爾祖其從與享之、作福作災。予亦不敢動用非德。選、須絹反。與、去聲。○胥、相也。敢、不敢也。非罰、非所當罰也。世、非一世也。勞、勞于王家也。掩、蔽也。言先王及乃祖乃父、相與同其勞逸。我豈敢動用非罰、以加汝乎。世簡爾勞、不蔽爾善。茲我大享于先王、爾祖亦以功而配食於廟。先王與爾祖父、臨之在上、質之在旁、作福作災。皆簡在先王與爾祖父之心。我亦豈敢動用非德以加汝乎。
【読み】
△古我が先王、曁び乃の祖乃の父、胥及[とも]に逸[やす]んじ勤む。予れ敢えて非罰を動かし用いんや。世々爾の勞を選び、予れ爾の善を掩わず、茲れ予れ大いに先王を享するに、爾の祖も其れ從いて之に與り享して、福を作し災いを作せり。予も亦敢えて非德を動かし用いず。選は、須絹反。與は、去聲。○胥は、相なり。敢は、敢えてせざるなり。非罰は、當に罰すべき所に非ざるなり。世は、一世に非ざるなり。勞は、王家に勞するなり。掩は、蔽うなり。言うこころは、先王及び乃の祖乃の父、相與に其の勞逸を同じくす。我れ豈敢えて非罰を動かし用いて、以て汝に加えんや。世々爾の勞を簡[えら]び、爾の善を蔽わず。茲れ我れ大いに先王を享すに、爾の祖も亦功を以てして廟に配食す。先王と爾の祖父と、之を臨めば上に在り、之を質せば旁らに在りて、福を作し災いを作せり。皆簡ぶこと先王と爾の祖父との心に在り。我も亦豈に敢えて非德を動かし用いて以て汝に加えんや、と。

△予告汝于難、若射之有志。汝無侮老成人。無弱孤有幼。各長于厥居、勉出乃力、聽予一人之作猷。難、言謀遷徙之難也。蓋遷都固非易事、而又當時臣民傲上從康、不肯遷徙。然我志決遷、若射者之必於中、有不容但已者。弱、少之也。意當時老成孤幼、皆有言當遷者。故戒其老成者不可侮、孤幼者不可少之也。爾臣各謀長遠其居、勉出汝力、以聽我一人遷徙之謀也。
【読み】
△予れ汝に難きを告ぐに、射の志有るが若し。汝老成人を侮る無かれ。孤有幼を弱[わか]しとする無かれ。各々厥の居を長くして、勉めて乃の力を出だして、予れ一人が作せる猷[はかりごと]を聽け。難は、遷徙を謀るの難きを言うなり。蓋し遷都は固に易き事に非ずして、又當時の臣民上に傲り康きに從いて、遷徙を肯ぜず。然れども我が志遷を決すること、射る者の中るを必して、但已む容からざる者有るが若し。弱は、之を少しとするなり。意うに當時の老成孤幼、皆當に遷るべしと言う者有り。故に戒むるに、其の老成の者侮る可からず、孤幼の者之を少しとす可からず。爾臣各々謀りて其の居を長遠にし、勉めて汝の力を出だして、以て我れ一人遷徙の謀を聽け、と。

△無有遠邇、用罪伐厥死、用德彰厥善。邦之臧、惟汝衆。邦之不臧、惟予一人有佚罰。用罪、猶言爲惡。用德、猶言爲善也。伐、猶誅也。言無有遠近親疎、凡伐死彰善、惟視汝爲惡爲善如何爾。邦之善、惟汝衆用德之故。邦之不善、惟我一人失罰其所當罰也。
【読み】
△遠邇有る無く、罪を用て厥の死を伐ち、德を用て厥の善を彰らかにす。邦の臧[よ]きは、惟れ汝衆なり。邦の臧からざるは、惟れ予れ一人佚罰有らん。用罪は、猶惡を爲すと言うがごとし。用德は、猶善を爲すと言うがごとし。伐は、猶誅のごとし。言うこころは、遠近親疎有る無く、凡そ死を伐ち善を彰らかにするは、惟れ汝が惡を爲し善を爲すこと如何と視るのみ。邦の善きは、惟れ汝衆德を用ての故なり。邦の善からざるは、惟れ我れ一人其の當に罰すべき所を罰するを失すればなり。

△凡爾衆、其惟致告。自今至于後日、各恭爾事、齊乃位、度乃口。罰及爾身、弗可悔。致告者、使各相告戒也。自今以往、各敬汝事、整齊汝位、法度汝言。不然罰及汝身、不可悔也。
【読み】
△凡そ爾衆、其れ惟れ告ぐることを致せ。今より後の日に至るまで、各々爾の事を恭[つつし]み、乃の位を齊[ととの]え、乃の口を度れ。罰爾の身に及ぶとも、悔ゆ可からず、と。告ぐることを致すとは、各々相告げ戒めしむるなり。今より以往、各々汝の事を敬み、汝の位を整齊し、汝の言を法度せよ。然らずんば罰汝が身に及ぶとも、悔ゆ可からず、と。


盤庚中
【読み】
盤庚中[ばんこうちゅう]


盤庚作、惟涉河以民遷。乃話民之弗率、誕告用亶。其有衆咸造、勿褻在王庭。盤庚乃登進厥民、亶、當旱反。造、七到反。○作、起而將遷之詞。殷在河南。故涉河。誕、大。亶、誠也。皆造、咸至也。勿褻、戒其毋得褻慢也。此史氏之言。蘇氏曰、民之弗率、不以政令齊之、而以話言曉之。盤庚之仁也。
【読み】
盤庚作[た]ちて、惟れ河を涉[わた]りて民を以[い]て遷らんとす。乃ち民の率わざるに話りて、誕[おお]いに告ぐるに亶[まこと]を用てす。其の有衆咸造り、褻[な]るること勿く王庭に在り。盤庚乃ち厥の民を登[あ]げ進めて、亶[たん]は、當旱反。造は、七到反。○作は、起ちて將に遷らんとするの詞なり。殷は河南に在り。故に河を涉る、と。誕は、大い。亶は、誠なり。咸造るは、皆至るなり。褻るること勿しは、其の得て褻れ慢ること毋きを戒むるなり。此れ史氏の言なり。蘇氏が曰く、民の率わざるは、政令を以て之を齊えずして、話言を以て之を曉す。盤庚の仁なり、と。

△曰、明聽朕言。無荒失朕命。荒、廢也。
【読み】
△曰く、明らかに朕が言を聽け。朕が命を荒[す]て失う無かれ。荒は、廢つるなり。

△嗚呼古我前后、罔不惟民之承。保后胥戚。鮮以不浮於天時。承、敬也。蘇氏曰、古謂過爲浮。浮之言勝也。后旣無不惟民之敬。故民亦保后、相與憂其憂。雖有天時之災、鮮不以人力勝之也。林氏曰、憂民之憂者、民亦憂其憂。罔不惟民之承、憂民之憂也。保后胥戚、民亦憂其憂也。
【読み】
△嗚呼古の我が前后、惟れ民を承[つつし]まざること罔し。后を保んじて胥戚[うれ]う。以て天の時に浮[か]たざること鮮[な]し。承は、敬むなり。蘇氏が曰く、古は過を謂いて浮とす。浮の言は勝つなり。后旣に惟れ民を敬まざること無し。故に民も亦后を保んじて、相與に其の憂えを憂う。天の時の災い有りと雖も、人力を以て之に勝たざること鮮し、と。林氏が曰く、民の憂えを憂うる者は、民も亦其の憂えを憂う。惟れ民を承まざること罔しとは、民の憂えを憂うるなり。后を保んじて胥戚うとは、民も亦其の憂えを憂うるなり、と。

△殷降大虐、先王不懷。厥攸作、視民利用遷。汝曷弗念我古后之聞。承汝俾汝、惟喜康共。非汝有咎比於罰。比、毘至反。○先王以天降大虐、不敢安居。其所興作、視民利當遷而已。爾民何不念我以所聞先王之事。凡我所以敬汝使汝者、惟喜與汝同安爾。非爲汝有罪、比于罰而謫遷汝也。
【読み】
△殷大虐を降すに、先王懷[やす]んぜず。厥の作す攸、民の利を視て用て遷る。汝曷ぞ我が古の后の聞くことを念わざる。汝を承[つつし]み汝をせしむるは、惟れ喜び康んずるを共にするなり。汝咎有りて罰に比[なら]ぶに非ず。比は、毘至反。○先王天の大虐を降すを以て、敢えて安居せず。其の興作する所は、民の利を視て當に遷るべきのみ。爾民何ぞ我れ以て先王に聞く所の事を念わざる。凡そ我が汝を敬み汝をせしむる所以は、惟れ喜び汝と同じく安んぜんのみ。汝に罪有るが爲に、罰に比して汝を謫遷[たくせん]するに非ず、と。

△予若籲懷茲新邑、亦惟汝故。以丕從厥志。我所以招呼懷來于此新邑者、亦惟以爾民蕩析離居之故、欲承汝俾汝康共、以大從爾志也。或曰、盤庚遷都。民咨胥怨。而此以爲丕從厥志何也。蘇氏曰、古之所謂從衆者、非從其口之所不樂、而從其心之所不言而同然者。夫趨利而避害捨危而就安、民心同然也。殷亳之遷實斯民所利。特其一時爲浮言搖動、怨咨不樂、使其卽安危利害之實、而反求其心、則固其所大欲者矣。
【読み】
△予れ若く茲の新邑に籲[よ]び懷[きた]すは、亦惟れ汝の故なり。丕[おお]いに厥の志に從うを以てなり。我れ此の新邑に招き呼び懷し來す所以の者は、亦惟れ爾民蕩析離居の故を以て、汝を承[つつし]み汝をせしめて康く共にして、以て大いに爾の志に從わんと欲すればなり、と。或ひと曰く、盤庚都を遷す。民咨[なげ]き胥怨む。而るに此れ以て丕いに厥の志に從うとするは何ぞや、と。蘇氏が曰く、古の所謂衆に從う者は、其の口の樂しまざる所に從うに非ずして、其の心の言わずして同じく然る所の者に從う。夫れ利に趨りて害を避け危うきを捨てて安きに就くは、民心も同じく然り。殷亳の遷は實に斯れ民の利する所。特り其の一時浮言搖動を爲して、怨み咨いて樂しめざるを、其をして安危利害の實に卽いて、反って其の心に求めしむるは、則ち固に其の大いに欲する所の者なり、と。

△今予將試以汝遷、安定厥邦。汝不憂朕心之攸困、乃咸大不宣乃心、欽念以忱動予一人。爾惟自鞠自苦。若乘舟。汝弗濟、臭厥載。爾忱不屬、惟胥以沈。不其或稽、自怒曷瘳。忱、時壬反。乘、平聲。瘳、丑鳩反。○上文言先王惟民之承、而民亦保后胥戚。今我亦惟汝故安定厥邦、而汝乃不憂我心之所困、乃皆不宣布腹心、欽念以誠感動於我。爾徒爲此紛紛自取窮苦。譬乘舟、不以時濟、必敗壞其所資。今汝從上之誠、閒斷不屬、安能有濟。惟相與以及沈溺而已。詩曰、其何能淑、載胥及溺、正此意也。利害若此。爾民而罔或稽察焉、是雖怨疾忿怒、何損於困苦乎。
【読み】
△今予れ將に試みに汝を以て遷りて、厥の邦を安んじ定めんとす。汝朕が心の困しむ攸を憂えず、乃咸大いに乃の心を宣べて、欽み念いて忱[まこと]を以て予れ一人を動かさず。爾惟れ自ら鞠[きわ]まり自ら苦しむ。舟に乘るが若し。汝濟[わた]らずんば、厥の載を臭[やぶ]らん。爾忱屬[つづ]かずんば、惟れ胥以て沈まん。其れ稽うること或らずんば、自ら怒るも曷ぞ瘳[い]えん。忱は、時壬反。乘は、平聲。瘳[ちゅう]は、丑鳩反。○上の文に言う、先王惟れ民を承[つつし]んで、民も亦后を保んじ胥戚う、と。今我も亦惟れ汝が故に厥の邦を安んじ定めて、汝乃ち我が心の困しむ所を憂えず、乃皆腹心を宣べ布いて、欽み念いて誠を以て我を感動せしめず。爾徒に此の紛紛を爲して自ら窮苦を取る。譬えば舟に乘るに、時を以て濟らざれば、必ず其の資くる所を敗壞せん。今汝上に從うの誠、閒斷して屬かずんば、安んぞ能く濟ること有らん。惟れ相與に以て沈溺に及ばんのみ。詩に曰く、其れ何ぞ能く淑[よ]けん、載ち胥及[とも]に溺れなんとは、正に此の意なり。利害此の若し。爾民にして稽え察すること或ること罔くば、是れ怨疾忿怒すと雖も、何ぞ困苦を損[へ]らさんや。

△汝不謀長以思乃災。汝誕勸憂。今其有今罔後。汝何生在上。汝不爲長久之謀、以思其不遷之災、是汝大以憂而自勸也。孟子曰、安其危而利其災、樂其所以亡、勸憂之謂也。有今、猶言有今日也。罔後、猶言無後日也。上、天也。今其有今罔後、是天斷棄汝命。汝有何生理於天乎。下文言迓續乃命于天。蓋相首尾之辭。
【読み】
△汝長きを謀り以て乃の災いを思わず。汝誕[おお]いに憂えを勸む。今其れ今有るとも後罔けん。汝何ぞ生けること上に在らん。汝長久の謀を爲し、以て其の不遷の災いを思わざれば、是れ汝大いに憂えを以て自ら勸まん。孟子曰く、其の危きを安んじて其の災いを利とし、其の亡ぶる所以を樂しむとは、憂えを勸むの謂なり。今有るとは、猶今日有ると言うがごとし。後罔しとは、猶後日無しと言うがごとし。上は、天なり。今其れ今有り後罔しとは、是れ天汝の命を斷ち棄つ。汝何ぞ生ける理か天に有らんや。下の文に言う、乃の命を天に迓[むか]え續ぐ、と。蓋し相首尾するの辭なり。

△今予命汝一。無起穢以自臭。恐人倚乃身、迂乃心。迂、雲倶反。○爾民當一心以聽上。無起穢惡以自臭敗。恐浮言之人、倚汝之身、迂汝之心、使汝邪僻而無中正之見也。
【読み】
△今予れ命ず汝一なれ。穢らわしきを起こして以て自ら臭[やぶ]る無かれ。恐れらくは人乃の身を倚らしめ、乃の心を迂[ま]げんことを。迂は、雲倶反。○爾民當に一心にて以て上に聽くべし。穢惡を起こして以て自ら臭り敗る無かれ。恐れらくは浮言の人、汝の身を倚らしめ、汝の心を迂げ、汝をして邪僻にして中正の見無からしむるを、と。

△予迓續乃命於天。予豈汝威。用奉畜汝衆。畜、許六反。○我之所以遷都者、正以迎續汝命于天。予豈以威脅汝哉。用以奉養汝衆而已。
【読み】
△予れ乃の命を天に迓[むか]え續ぐ。予れ豈汝を威[おど]さんや。用いて汝衆を奉[う]け畜[やしな]わんとなり。畜は、許六反。○我が都を遷す所以の者は、正に以て迎えて汝の命を天に續がんとす。予れ豈以て汝を威し脅さんや。用いて以て汝衆を奉け養わんのみ、と。

△予念我先神后之勞爾先、予丕克羞爾、用懷爾然。神后、先正也。羞、養也。卽上文畜養之意。言我思念我先神后之勞爾先人、我大克羞養爾者、用懷念爾故也。
【読み】
△予れ我が先神后の爾の先を勞るを念いて、予れ丕いに克く爾を羞[やしな]うは、用て爾を懷うこと然ればなり。神后は、先正なり。羞は、養うなり。卽ち上の文の畜養の意なり。言うこころは、我れ我が先神后の爾の先人を勞るを思い念いて、我れ大いに克く爾を羞い養う者は、用て爾を懷い念う故なり。

△失于政、陳于茲、高后丕乃崇降罪疾曰、曷虐朕民。陳、久。崇、大也。耿圮而不遷、以病我民。是失政而久于此也。高后、湯也。湯必大降罪疾於我曰、何爲而虐害我民。蓋人君不能爲民圖安、是亦虐之也。
【読み】
△政を失い、茲に陳[ひさ]しくせば、高后丕いに乃ち崇[おお]いに罪疾を降して曰わん、曷ぞ朕が民を虐[やぶ]る、と。陳は、久し。崇は、大いなり。耿[こう]圮[やぶ]れて遷らずして、以て我が民を病ましむ。是れ政を失いて此に久し。高后は、湯なり。湯必ず大いに罪疾を我に降して曰わん、何爲れぞ我が民を虐り害す、と。蓋し人君民の爲に安きを圖ること能わざるは、是れ亦之を虐るなり。

△汝萬民乃不生生、曁予一人猷同心、先后丕降與汝罪疾曰、曷不曁朕幼孫有比。故有爽德、自上其罰汝。汝罔能迪。比、毘至反。○樂生興事、則其生也厚。是謂生生。先后、泛言商之先王也。幼孫、盤庚自稱之辭。比、同事也。爽、失也。言汝民不能樂生興事、與我同心以遷、我先后大降罪疾於汝曰、汝何不與朕幼小之孫同遷乎。故汝有失德、自上其罰汝。汝無道以自免也。
【読み】
△汝萬民乃ち生生として、予れ一人と猷[はか]りて心を同じくせずんば、先后丕いに汝に罪疾を降し與えて曰わん、曷ぞ朕が幼孫と比[ひと]しくすること有らざる、と。故に德に爽[たが]うこと有りて、上より其れ汝を罰せん。汝能く迪[みち]すること罔けん。比は、毘至反。○生を樂しみ事を興すときは、則ち其の生や厚し。是を生生と謂う。先后は、泛[ひろ]く商の先王を言うなり。幼孫は、盤庚自ら稱するの辭。比は、事を同じくするなり。爽は、失うなり。言うこころは、汝民生を樂しみ事を興して、我と心を同じくして以て遷ること能わざれば、我が先后大いに罪疾を汝に降して曰わん、汝何ぞ朕が幼小の孫と同じく遷らざるや、と。故に汝失德有りて、上より其れ汝を罰せん。汝以て自ら免るるに道無けん。

△古我先后旣勞乃祖乃父。汝共作我畜民。汝有戕則在乃心。我先后綏乃祖乃父。乃祖乃父乃斷棄汝、不救乃死。戕、慈良反。斷、都管反。○旣勞乃祖乃父者、申言勞爾先也。汝共作我畜民者、汝皆爲我所畜之民也。戕、害也。綏、懷來之意。謂汝有戕害、在汝之心。我先后固已知之。懷來汝祖汝父。汝祖汝父亦斷棄汝、不救汝死也。
【読み】
△古我が先后旣に乃の祖乃の父を勞る。汝共に我が畜える民作り。汝戕[そこな]うこと有らば則ち乃の心に在らん。我が先后乃の祖乃の父を綏んぜり。乃の祖乃の父乃ち汝を斷ち棄てて、乃の死を救わざらん。戕[しょう]は、慈良反。斷は、都管反。○旣に乃の祖乃の父を勞るとは、申ねて爾の先を勞るを言うなり。汝共に我が畜える民作りとは、汝皆我が畜う所の民爲り。戕は、害うなり。綏は、懷け來るの意なり。謂ゆる汝戕い害うこと有らば、汝の心に在らん。我が先后固に已に之を知れり。汝の祖汝の父を懷け來せり。汝の祖汝の父も亦汝を斷ち棄てて、汝の死を救わざらん、と。

△茲予有亂政同位、具乃貝玉、乃祖乃父丕乃告我高后曰、作丕刑於朕孫。迪高后、丕乃崇降弗祥。亂、治也。具、多取而兼有之謂。言若我治政之臣、所與共天位者、不以民生爲念、而務富貝玉者、其祖父亦告我成湯、作丕刑于其子孫。啓成湯、丕乃崇降弗祥而不赦也。此章先儒皆以爲責臣之辭。然詳其文勢、曰茲予有亂政同位、則亦對民庶責臣之辭。非直爲羣臣言也。按上四章、言君有罪、民有罪、臣有罪、我高后與爾民臣祖父、一以義斷之、無所赦也。王氏曰、先王設敎、因俗之善而導之、反俗之惡而禁之。方盤庚時商俗衰、士大夫棄義卽利。故盤庚以具貝玉爲戒。此反其俗之惡、而禁之者也。自成周以上、莫不事死如事生、事亡如事存。故其俗皆嚴鬼神。以經考之、商俗爲甚。故盤庚特稱先后與臣民之祖父、崇降罪疾爲告。此因其俗之善、而導之者也。
【読み】
△茲れ予が政を亂[おさ]め位を同じくすること有るもの、乃の貝玉を具えば、乃の祖乃の父丕[おお]いに乃ち我が高后に告して曰わん、丕いなる刑を朕が孫に作せ、と。高后を迪[みちび]いて、丕いに乃ち崇[おお]いに弗祥を降さん。亂は、治むるなり。具は、多く取りて兼ね有つの謂なり。言うこころは、我が治政の臣、天位を與に共にする所の者の若き、民生を以て念うことをせずして、貝玉に富まんことを務むる者は、其の祖父も亦我が成湯に告して、丕いなる刑を其の子孫に作す。成湯を啓[みちび]いて、丕いに乃ち崇いに弗祥を降して赦さざるなり。此の章先儒皆以爲えらく、臣を責むるの辭、と。然れども其の文勢を詳らかにするに、茲れ予が政を亂め位を同じくすること有りと曰わば、則ち亦民庶に對して臣を責むるの辭なり。直に羣臣の爲に言うに非ず。上の四章を按ずるに、言う、君に罪有り、民に罪有り、臣に罪有り、我が高后と爾民臣の祖父と、一に義を以て之を斷つときは、赦す所無し、と。王氏が曰く、先王の敎えを設くる、俗の善に因りて之を導き、俗の惡に反して之を禁ず。盤庚の時に方りて商の俗衰え、士大夫義を棄て利に卽く。故に盤庚貝玉を具うるを以て戒めとす。此れ其の俗の惡に反して、之を禁ずる者なり。成周より以上、死に事ること生に事るが如く、亡に事ること存に事るが如くならざるは莫し。故に其の俗皆鬼神を嚴にす。經を以て之を考うるに、商の俗甚だしとす。故に盤庚特に先后と臣民の祖父と、崇いに罪疾を降すと稱して告ぐることをす。此れ其の俗の善に因りて、之を導く者なり。

△嗚呼今予告汝不易。永敬大恤、無胥絕遠。汝分猷念以相從、各設中於乃心。告汝不易、卽上篇告汝于難之意。大恤、大憂也。今我告汝以遷都之難。汝當永敬我之所大憂念者。君民一心、然後可以有濟。苟相絕遠而誠不屬、則殆矣。分猷者、分君之所圖而共圖之。分念者、分君之所念而共念之。相從、相與也。中者、極至之理。各以極至之理存于心、則知遷徙之議爲不可易、而不爲浮言橫議之所動搖也。
【読み】
△嗚呼今予れ汝に易からざるを告ぐ。永く大いなる恤えを敬んで、胥絕ち遠[さか]る無かれ。汝猷念[ゆうねん]を分かちて以て相從いて、各々中を乃の心に設けよ。汝に易からざるを告ぐとは、卽ち上の篇の汝に難きを告ぐの意なり。大いなる恤えは、大いなる憂えなり。今我れ汝に告ぐるに遷都の難きを以てす。汝當に永く我が大いに憂念する所の者を敬むべし。君民心を一にして、然して後に以て濟[な]ること有る可し。苟も相絕ち遠いて誠屬[つ]がざれば、則ち殆うし。猷[はかりごと]を分かつとは、君の圖る所を分かちて共に之を圖るなり。念いを分かつとは、君の念う所を分かちて共に之を念うなり。相從うとは、相與するなり。中は、極至の理。各々極至の理を以て心に存するときは、則ち遷徙の議の易う可からずとするを知りて、浮言橫議の爲に動搖されず。

△乃有不吉不迪、顚越不恭、暫遇姦宄、我乃劓殄滅之、無遺育。無俾易種於茲新邑。易、夷益反。種、之勇反。○乃有不善不道之人、顚隕踰越、不恭上命者、及暫時所遇、爲姦爲宄、刼掠行道者、我小則加以劓、大則殄滅之、無有遺育、毋使移其種于此新邑也。遷徙道路難關、恐姦人乘隙生變。故嚴明號令、以告勑之。
【読み】
△乃ち吉からず迪[みち]あらず、顚越して恭[つつし]まず、暫[あからさま]に遇いて姦宄[かんき]するもの有らば、我れ乃ち之を劓[はなき]り殄[た]ち滅ぼして、遺し育[ひととな]すこと無けん。種を茲の新邑に易えしむること無けん。易は、夷益反。種は、之勇反。○乃ち不善不道の人、顚隕踰越して、上の命を恭まざる者、及び暫時遇う所、姦を爲し宄を爲し、行道を刼掠する者有らば、我れ小なるときは則ち加うるに劓を以てし、大なるときは則ち之を殄滅して、遺し育すこと有る無く、其の種を此の新邑に移さしむること毋けん、と。遷徙の道路難關にて、恐れらくは姦人隙に乘じて變を生すことを。故に號令を嚴明にして、以て之に告げ勑[のり]す。

△往哉生生。今予將試以汝遷、永建乃家。往哉、往新邑也。方遷徙之時、人懷舊土之念、而未見新居之樂。故再以生生勉之、振起其怠惰、而作其趨事也。試、用也。今我將用汝遷、永立乃家、爲子孫無窮之業也。
【読み】
△往けや生けり生けれ。今予れ將に試[もっ]て汝を以[い]て遷りて、永く乃の家を建てんとす、と。往けやは、新邑に往くなり。遷徙の時に方りて、人舊土の念を懷いて、未だ新居の樂しみを見ず。故に再び生生を以て之を勉めしめ、其の怠惰を振起して、其の事に趨くことを作さしむ。試は、用なり。今我れ將に汝を用て遷り、永く乃の家を立てて、子孫無窮の業を爲さんとす、と。


盤庚下
【読み】
盤庚下[ばんこうげ]


盤庚旣遷、奠厥攸居、乃正厥位、綏爰有衆、盤庚旣遷新邑、定其所居、正君臣上下之位、慰勞臣民遷徙之勞、以安有衆之情也。此史氏之言。
【読み】
盤庚旣に遷りて、厥の居る攸を奠[さだ]め、乃ち厥の位を正しくし、爰の有衆を綏んじて、盤庚旣に新邑に遷り、其の居る所を定め、君臣上下の位を正し、臣民遷徙の勞を慰勞し、以て有衆の情を安んず。此れ史氏の言なり。

△曰、無戲怠、懋建大命。曰、盤庚之言也。大命、非常之命也。遷國之初、臣民上下、正當勤勞盡瘁。趨事赴功、以爲國家無窮之計。故盤庚以無戲怠戒之、以建大命勉之。
【読み】
△曰く、戲れ怠ること無く、懋[つと]めて大命を建てよ。曰くは、盤庚の言なり。大命は、非常の命なり。國を遷るの初め、臣民上下、正に勤勞に當たりて盡く瘁[や]む。事に趨り功に赴いて、以て國家無窮の計を爲す。故に盤庚戲れ怠ること無きを以て之を戒め、大命を建つるを以て之を勉めしむ。

△今予其敷心腹腎腸、歷告爾百姓于朕志。罔罪爾衆。爾無共怒協比、讒言予一人。腎、是忍反。比、毗至反。○歷、盡也。百姓、畿内民庶。百官族姓亦在其中。
【読み】
△今予れ其れ心腹腎腸を敷いて、歷[あまね]く爾百姓に朕が志を告ぐ。爾衆を罪すること罔し。爾共に怒りて協え比[むら]がりて、予れ一人を讒言すること無かれ。腎は、是忍反。比は、毗[ひ]至反。○歷は、盡くなり。百姓は、畿内の民庶。百官族姓も亦其の中に在り。

△古我先王、將多于前功、適于山、用降我凶德、嘉績于朕邦。古我先王、湯也。適于山、往于亳也。契始居亳。其後屢遷。成湯欲多于前人之功。故復往居亳。按立政三亳鄭氏曰、東成皐、南轘轅、西降谷。以亳依山故曰適于山也。降、下也。依山地高、水下而無河圮之患。故曰、用下我凶德。嘉績、美功也。
【読み】
△古我が先王、將に前功を多しとせんとして、山に適いて、用て我が凶德を降して、朕が邦に嘉き績[いさおし]あり。古我が先王とは、湯なり。山に適くとは、亳[はく]に往くなり。契始め亳に居る。其の後屢々遷る。成湯前人の功を多しとせんと欲す。故に復往いて亳に居れり。按ずるに立政に三亳は鄭氏が曰く、東は成皐、南は轘轅[かんえん]、西は降谷、と。亳は山に依るを以て故に山に適くと曰うなり。降は、下すなり。山に依りて地高く、水下りて河圮[やぶ]るるの患え無し。故に曰く、用て我が凶德を下す、と。嘉績は、美き功なり。

△今我民用蕩析離居、罔有定極。爾謂、朕曷震動萬民以遷。今耿爲河水圮壞、沈溺墊隘。民用蕩析離居、無有定止。將陷於凶德、而莫之救。爾謂、我何故震動萬民以遷也。
【読み】
△今我が民用て蕩析離居して、定まり極まること有る罔し。爾謂う、朕れ曷ぞ萬民を震動して以て遷る、と。今耿[こう]河水の爲に圮[やぶ]れ壞れ、沈溺墊隘[てんえき]す。民用て蕩析離居して、定まり止まること有る無し。將に凶德に陷らんとして、之を救うこと莫し。爾謂う、我れ何が故に萬民を震動して以て遷る、と。

△肆上帝將復我高祖之德、亂越我家。朕及篤敬、恭承民命、用永地于新邑。乃上天將復我成湯之德、而治及我國家。我與一二篤敬之臣、敬承民命、用長居于此新邑也。
【読み】
△肆[ゆえ]に上帝將に我が高祖の德を復して、亂[おさ]めて我が家に越[およ]ぼさんとす。朕れ篤敬と、恭[つつし]んで民の命を承けて、用て地を新邑に永くす。乃ち上天將に我が成湯の德を復して、治めて我が國家に及ぼさんとす。我れ一二の篤敬の臣と、敬んで民の命を承けて、用て長く此の新邑に居らん、と。

△肆予沖人、非廢厥謀、弔由靈。各非敢違卜、用宏茲賁。沖、童。弔、至。由、用。靈、善也。宏・賁、皆大也。言我非廢爾衆謀。乃至用爾衆謀之善者。指當時臣民、有審利害之實、以爲當遷者言也。爾衆亦非敢固違我卜、亦惟欲宏大此大業爾。言爾衆亦非有他意也。蓋盤庚於旣遷之後、申彼此之情、釋疑懼之意、明吾前日之用謀、略彼旣往之傲惰。委曲忠厚之意、藹然於言辭之表。大事已定、大業以興、成湯之澤、於是而益永。盤庚其賢矣哉。
【読み】
△肆に予れ沖人、厥の謀を廢つるに非ず、靈[よ]きを由[もち]ゆるに弔[いた]る。各々敢えて卜に違うに非ず、用て茲の賁[おお]いなるを宏[おお]いにす。沖は、童。弔は、至る。由は、用ゆ。靈は、善なり。宏・賁は、皆大いなり。言うこころは、我れ爾の衆謀を廢つるに非ず。乃ち爾の衆謀の善き者を用ゆるに至る。當時の臣民、利害の實を審らかにすること有りて、以て當に遷るべしとする者を指して言うなり。爾衆も亦敢えて固に我が卜に違うに非ず、亦惟れ此の大業を宏大にせんと欲するのみ。言うこころは、爾衆も亦他意有るに非ざるなり。蓋し盤庚旣遷の後に於て、彼れ此れの情を申ねて、疑懼の意を釋いて、吾が前日の謀を用ゆるは、彼の旣往の傲惰を略せることを明かす。委曲忠厚の意、言辭の表に藹然[あいぜん]たり。大事已に定まり、大業以て興り、成湯の澤、是に於て益々永し。盤庚其れ賢なるかな。

△嗚呼邦伯・師長・百執事之人、尙皆隱哉。隱、痛也。盤庚復歎息言、爾諸侯・公卿・百執事之人、庶幾皆有所隱痛於心哉。
【読み】
△嗚呼邦伯・師長・百執事の人、尙わくは皆隱[いた]めよや。隱は、痛むなり。盤庚復歎息して言う、爾諸侯・公卿・百執事の人、庶幾わくは皆心に隱み痛む所有れや、と。

△予其懋簡相爾、念敬我衆。相、爾雅曰、導也。我懋勉簡擇導汝、以念敬我之民衆也。
【読み】
△予れ其れ懋[つと]め簡[えら]びて爾を相[みちび]きて、我が衆を念い敬ましむ。相は、爾雅に曰く、導く、と。我れ懋め勉め簡び擇びて汝を導き、以て我が民衆を敬まんことを念う、と。

△朕不肩好貨、敢恭生生。鞠人謀人之保居、敍欽。肩、任。敢、勇也。鞠人謀人、未詳。或曰、鞠、養也。我不任好賄之人、惟勇於敬民、以其生生爲念。使鞠人謀人之保居者、吾則敍而用之、欽而禮之也。
【読み】
△朕れ貨を好みするに肩[まか]せず、敢[いさ]んで生生を恭[つつし]む。鞠[きく]人謀人の居に保んずるを、敍[つつし]んで欽む。肩は、任す。敢は、勇むなり。鞠人謀人は、未だ詳らかならず。或ひと曰く、鞠は、養う、と。我れ賄を好みするに任せず、惟れ民を敬むに勇んで、其の生生を以て念いとす。鞠人謀人の居に保んずる者をして、吾れ則ち敍んで之を用い、欽んで之を禮せん、と。

△今我旣羞告爾于朕志若否。罔有弗欽。否、俯久反。○羞、進也。若者、如我之意。卽敢恭生生之謂。否者、非我之意。卽不肩好貨之謂。二者爾當深念、無有不敬我所言也。
【読み】
△今我れ旣に羞[すす]みて爾に朕が志若のごときか否[し]かざるかを告ぐ。欽まざること有る罔かれ。否は、俯久反。○羞は、進むなり。若は、我が意の如し。卽ち敢んで生生を恭むの謂なり。否は、我が意に非ず。卽ち貨を好みするに肩せずの謂なり。二つの者爾當に深く念いて、我が言う所を敬まざること有ること無かるべし、と。

△無總于貨寶。生生自庸。無、毋同。總、聚也。庸、民功也。此則直戒其所不可爲、勉其所當爲也。
【読み】
△貨寶を總[あつ]むる無かれ。生生として自ら庸[いさおし]をせよ。無は、毋と同じ。總は、聚むなり。庸は、民の功なり。此れ則ち直に其のす可からざる所を戒めて、其の當にすべき所を勉むるなり。

△式敷民德、永肩一心。式、敬也。敬布爲民之德、永任一心、欲其久而不替也。盤庚篇終、戒勉之意、一節嚴於一節、而終以無窮期之。盤庚其賢矣哉。蘇氏曰、民不悅而猶爲之。先王未之有也。祖乙圮於耿。盤庚不得不遷。然使先王處之、則動民而民不懼、勞民而民不怨。盤庚德之衰也。其所以信於民者未至。故紛紛如此。然民怨誹逆命、而盤庚終不怒、引咎自責、益開衆言、反復告諭、以口舌代斧鉞。忠厚之至。此殷之所以不亡而復興也。後之君子、厲民以自養者、皆以盤庚藉口。予不可以不論。
【読み】
△式[つつし]んで民の德を敷いて、永く一心に肩[まか]せよ、と。式は、敬むなり。敬んで民の爲にするの德を布いて、永く一心に任せ、其の久しくして替わらざらんことを欲するなり。盤庚の篇の終わり、戒め勉むるの意、一節は一節より嚴にして、終わるに無窮を以て之を期す。盤庚其れ賢なるかな。蘇氏が曰く、民悅びずして猶之を爲すがごとし。先王未だ之れ有らず。祖乙耿[こう]に圮[やぶ]らる。盤庚遷らざるを得ず。然れども先王をして之を處しむれば、則ち民を動かして民懼れず、民を勞して民怨みず。盤庚の德の衰えたるなり。其の民に信ある所以の者未だ至らず。故に紛紛たること此の如し。然れども民怨み誹り命に逆いて、盤庚終に怒らず、咎を引くに自ら責めて、益々衆言を開いて、反復告諭して、口舌を以て斧鉞に代う。忠厚の至りなり。此れ殷の亡びずして復興る所以なり。後の君子、民を厲[や]まして以て自ら養う者、皆盤庚を以て口を藉[か]る。予れ以て論ぜずんばある可からず、と。


說命上 說命、記高宗命傅說之言。命之曰以下、是也。猶蔡仲之命、微子之命。後世命官制詞、其原蓋出於此。上篇記得說命相之辭。中篇記說爲相進戒之辭。下篇記說論學之辭。總謂之命者、高宗命說實三篇之綱領。故總稱之。今文無、古文有。
【読み】
說命上[えつめいじょう] 說命は、高宗傅說に命ずるの言を記す。之に命じて曰く以下、是れなり。猶蔡仲の命、微子の命のごとし。後世官に命じて詞を制する、其の原は蓋し此より出づ。上の篇は說を得て相に命ずるの辭を記す。中の篇は說相と爲りて戒めを進むるの辭を記す。下の篇は說學を論ずるの辭を記す。總べて之を命と謂うは、高宗の說に命ずる實に三篇の綱領なり。故に總べて之を稱す。今文無し、古文有り。


王宅憂亮陰三祀。旣免喪、其惟弗言。羣臣咸諫于王曰、嗚呼知之曰明哲。明哲實作則。天子惟君萬邦、百官承式。王言惟作命。不言、臣下罔攸稟令。亮、龍張反。陰、鳥含反。○亮亦作諒。陰古作闇。按喪服四制、高宗諒陰三年。鄭氏註云、諒古作梁。楣謂之梁。闇讀如鶉■(左が酓で右が鳥)■(左が酓で右が鳥)。闇、謂廬也。卽倚廬之廬。儀禮剪屛柱楣。鄭氏謂柱楣所謂梁闇、是也。宅憂亮陰、言宅憂於梁闇也。先儒以亮陰爲信默不言、則於諒陰三年不言、爲語復而不可雜矣。君薨、百官總已聽於冢宰。居憂亮陰不言、禮之常也。高宗喪父小乙。惟旣免喪而猶弗言、羣臣以其過於禮也、故咸諫之。歎息言、有先知之德者、謂之明哲。明哲、實爲法於天下。今天子君臨萬邦、百官皆奉承法令。王言則爲命。不言則臣下無所稟令矣。
【読み】
王憂えに亮陰[りょうあん]に宅ること三祀なり。旣に喪を免れて、其れ惟れ言わず。羣臣咸王を諫めて曰く、嗚呼之を知るを明哲と曰う。明哲は實に則と作る。天子は惟れ萬邦の君として、百官式[のり]を承く。王言惟れ命と作る。言わざれば、臣下令を稟くる攸罔し、と。亮は、龍張反。陰は、鳥含反。○亮も亦諒に作る。陰は古闇に作る。喪服四制を按ずるに、高宗諒陰三年、と。鄭氏が註に云う、諒は古梁に作る。楣[び]之を梁と謂う、と。闇は讀んで鶉■(左が酓で右が鳥)■(左が酓で右が鳥)の如し。闇は、廬を謂うなり。卽ち倚廬の廬なり。儀禮に柱楣を剪屛す、と。鄭氏が謂ゆる柱楣は所謂梁闇とは、是れなり。憂えに亮陰に宅るとは、言うこころは、憂えに梁闇に宅るなり。先儒亮陰を以て信に默して言わずとするときは、則ち諒陰三年言わずというに於て、語復して雜じる可からずとするなり。君薨ずるときは、百官已を總べて冢宰に聽く。憂えに亮陰に居りて言わざるは、禮の常なり。高宗父小乙を喪す。惟れ旣に喪を免れて猶言わざるがごとき、羣臣其の禮に過ぎたるを以て、故に咸之を諫む。歎息して言う、先知の德有る者、之を明哲と謂う。明哲は、實に法を天下に爲す。今天子萬邦に君とし臨み、百官皆法令を奉承す。王言うときは則ち命と爲る。言わざるときは則ち臣下令を稟くる所無し、と。

△王庸作書以誥曰、以台正于四方、台恐德弗類。茲故弗言。恭默思道。夢帝賚予良弼。其代予言。庸、用也。高宗用作書告喩羣臣、以不言之意。言以我表正四方、任大責重。恐德不類于前人。故不敢輕易發言。而恭敬淵默以思治道、夢帝與我賢輔。其將代我言矣。蓋高宗恭默思道之心、純一不二、與天無閒。故夢寐之閒、帝賚良弼。其念慮所孚、精神所格、非偶然而得者也。
【読み】
△王庸て書を作りて以て誥げて曰く、台[わ]れ四方に正しきを以て、台れ恐れらくは德の類[に]ざらんことを。茲の故に言わず。恭み默して道を思う。夢に帝予に良弼を賚[たま]う。其れ予に代わりて言わん、と。庸は、用てなり。高宗用て書を作りて羣臣を告げ喩すに、不言の意を以てす。言うこころは、我れ四方を表正するを以て、任大にして責重し。恐れらくは德前人に類ざらんことを。故に敢えて輕易に言を發せず。而して恭敬淵默にして以て治道を思わば、夢に帝我に賢輔を與う。其れ將に我に代わりて言わん。蓋し高宗恭み默して道を思うの心、純一にして二あらず、天と閒て無し。故に夢寐の閒、帝良弼を賚う。其れ念慮の孚ある所、精神の格る所、偶然として得る者に非ず。

△乃審厥象、俾以形旁求于天下。說築傅巖之野、惟肖。審、詳也。詳所夢之人、繪其形象、旁求于天下。旁求者、求之非一方也。築、居也。今言所居、猶謂之卜築。傅巖、在虞虢之閒。肖、似也。與所夢之形相似。
【読み】
△乃ち厥の象を審らかにして、以て形を旁[あまね]く天下に求めしむ。說傅巖の野に築[お]り、惟れ肖[に]たり。審は、詳らかなり。夢みる所の人を詳らかにして、其の形象を繪きて、旁く天下に求む。旁く求むとは、之を求むること一方に非ざるなり。築は、居るなり。今所居を言いて、猶之を卜築と謂うがごとし。傅巖は、虞虢[かく]の閒に在り。肖は、似るなり。夢みる所の形と相似す。

△爰立作相、王置諸其左右。於是立以爲相。按史記、高宗得說、與之語。果聖人。乃舉以爲相。書不言、省文也。未接語而遽命相、亦無此理。置諸左右、蓋以冢宰兼師保也。荀卿曰、學莫便乎近其人。置諸左右者、近其人以學也。史臣將記高宗命說之辭、先敍事始如此。
【読み】
△爰に立てて相と作して、王諸を其の左右に置く。是に於て立てて以て相とす。史記を按ずるに、高宗說を得て、之と語る。果たして聖人なり。乃ち舉げて以て相とす、と。書に言わざるは、文を省けるなり。未だ語を接せずして遽に相に命ずるも、亦此の理無し。諸を左右に置くとは、蓋し冢宰を以て師保を兼ぬ。荀卿が曰く、學は其の人に近づくより便なるは莫し、と。諸を左右に置くは、其の人に近づいて以て學ぶなり。史臣將に高宗說に命ずるの辭を記せんとして、先ず事の始めを敍ずること此の如し。

△命之曰、朝夕納誨、以輔台德。此下命說之辭。朝夕納誨者、無時不進善言也。孟子曰、人不足與適也。政不足與閒也。惟大人爲能格君心之非。高宗旣相說、處之以師傅之職、而又命之、朝夕納誨、以輔台德。可謂知所本矣。呂氏曰、高宗見道明。故知頃刻不可無賢人之言。
【読み】
△之に命じて曰く、朝夕誨[おし]えを納れて、以て台[わ]が德を輔けよ。此より下は說に命ずるの辭なり。朝夕誨えを納るとは、時として善言を進めざること無きなり。孟子曰く、人も與に適[とが]むるに足らず。政も與に閒[そし]るに足らず。惟大人のみ能く君心の非を格[ただ]すことをす、と。高宗旣に說を相として、之を處くに師傅の職を以てして、又之に命ずるに、朝夕誨えを納れて、以て台が德を輔けよ、と。本とする所を知ると謂う可し。呂氏が曰く、高宗道を見ること明らかなり。故に頃刻も賢人の言無くんばある可からざるを知る、と。

△若金、用汝作礪。若濟巨川、用汝作舟楫。若歲大旱、用汝作霖雨。三日雨爲霖。高宗託物、以喩望說納誨之切。三語雖若一意、然一節深一節也。
【読み】
△若し金ならば、汝を用て礪と作さん。若し巨川を濟[わた]らば、汝を用て舟楫と作さん。若し歲大いに旱せば、汝を用て霖雨と作さん。三日の雨を霖とす。高宗物に託して、以て說が誨えを納るるを望むの切なるに喩う。三つの語は一意の若しと雖も、然れども一節は一節より深し。

△啓乃心、沃朕心。啓、開也。沃、灌漑也。啓乃心者、開其心而無隱。沃朕心者、漑我心而厭飫也。
【読み】
△乃の心を啓[ひら]いて、朕が心に沃[そそ]げ。啓は、開くなり。沃は、灌漑なり。乃の心を啓けとは、其の心を開いて隱すこと無きなり。朕が心に沃げとは、我が心に漑いで厭飫[えんよ]するなり。

△若藥弗瞑眩、厥疾弗瘳。若跣弗視地、厥足用傷。瞑、眠見反。眩、熒絹反。跣、蘇典反。○方言曰、飮藥而毒、海岱之閒、謂之瞑眩。瘳、愈也。弗瞑眩、喩臣之言不苦口也。弗視地、喩我之行無所見也。
【読み】
△若し藥瞑眩せずんば、厥の疾瘳[い]えず。若し跣[せん]にして地を視ずんば、厥の足用て傷れん。瞑は、眠見反。眩は、熒[けい]絹反。跣は、蘇典反。○方言に曰く、藥を飮みて毒ある、海岱の閒、之を瞑眩と謂う、と。瘳[ちゅう]は、愈ゆるなり。瞑眩せずとは、臣の言口に苦からざるに喩うなり。地を視ずは、我が行見る所無きに喩うなり。

△惟曁乃僚、罔不同心、以匡乃辟。俾率先王、迪我高后、以康兆民。辟、必益反。○匡、正。率、循也。先王、商先哲王也。說旣作相總百官、則卿士而下、皆其僚屬。高宗欲傅說曁其僚屬、同心正救、使循先王之道、蹈成湯之迹、以安天下之民也。
【読み】
△惟れ乃の僚と、心を同じくして、以て乃の辟[きみ]を匡さざる罔かれ。先王に率い、我が高后を迪[みちび]いて、以て兆民を康んぜしめよ。辟は、必益反。○匡は、正す。率は、循うなり。先王は、商の先哲王なり。說旣に相と作りて百官を總ぶれば、則ち卿士より下は、皆其の僚屬なり。高宗傅說と其の僚屬と、心を同じくし正し救い、先王の道に循いて、成湯の迹を蹈んで、以て天下の民を安んぜしめんことを欲す。

△嗚呼欽予時命、其惟有終。敬我是命、其思有終也。是命、上文所命者。
【読み】
△嗚呼予が時[こ]の命を欽んで、其れ惟れ終わり有れ、と。我が是の命を敬んで、其れ終わり有らんことを思う、と。是の命は、上の文の命ずる所の者なり。

△說復于王曰、惟木從繩則正。后從諫則聖。后克聖、臣不命其承。疇敢不祗若王之休命。答欽予時命之語。木從繩、喩后從諫。明諫之決不可不受也。然高宗當求受言於己、不必責進言於臣。君果從諫。臣雖不命、猶且承之。況命之如此。誰敢不敬順其美命乎。
【読み】
△說王に復して曰く、惟れ木繩に從うときは則ち正し。后諫めに從うときは則ち聖なり。后克く聖なるときは、臣命ぜずとも其れ承けん。疇[だれ]か敢えて王の休命に祗み若[したが]わざらん、と。予が時の命を欽めの語に答う。木繩に從うは、后諫に從うに喩う。諫めの決して受けずんばある可からざるを明らかにす。然れども高宗當に言を己に受くるを求むべく、必ずしも言を臣に進むるを責めず。君果たして諫めに從う。臣命ぜられずと雖も、猶且つ之を承く。況んや之に命ずること此の如し。誰か敢えて其の美命を敬み順わざらんや。


說命中
【読み】
說命中[えつめいちゅう]


惟說命總百官。說受命總百官、冢宰之職也。
【読み】
惟れ說命ぜられて百官を總ぶ。說命を受けて百官を總ぶるは、冢宰の職なればなり。

△乃進于王曰、嗚呼明王、奉若天道、建邦設都、樹后王君公、承以大夫師長。不惟逸豫、惟以亂民。后王、天子也。君公、諸侯也。治亂曰亂。明王奉順天道、建邦設都、立天子諸侯、承以大夫師長。制爲君臣上下之禮、以尊臨卑、以下奉上。非爲一人逸豫之計而已也。惟欲以治民焉耳。
【読み】
△乃ち王に進めて曰く、嗚呼明王、天道を奉[う]け若[したが]いて、邦を建て都を設け、后王君公を樹てて、承[つかまつ]るに大夫師長を以てす。惟れ逸豫せしむるにあらず、惟れ以て民を亂[おさ]めしめんとなり。后王は、天子なり。君公は、諸侯なり。亂を治むるを亂と曰う。明王天道を奉け順いて、邦を建て都を設けて、天子諸侯を立て、承るに大夫師長を以てす。制して君臣上下の禮を爲りて、尊を以て卑に臨み、下を以て上に奉ず。一人逸豫の計を爲すに非ざるのみ。惟れ以て民を治むるを欲するのみ。

△惟天聰明、惟聖時憲、惟臣欽若、惟民從乂。天之聰明、無所不聞、無所不見、無他、公而已矣。人君法天之聰明、一出於公、則臣敬順而民亦從治矣。
【読み】
△惟れ天は聰明にして、惟れ聖時[こ]れ憲るときは、惟れ臣欽み若[したが]い、惟れ民從い乂[おさ]まる。天の聰明、聞かざる所無く、見ざる所無きは、他無し、公なるのみ。人君天の聰明に法りて、一に公に出づるときは、則ち臣敬み順いて民も亦從いて治まるなり。

△惟口起羞、惟甲冑起戎。惟衣裳在笥、惟干戈省厥躬。王惟戒茲、允茲克明、乃罔不休。冑、直又反。○言語所以文身也。輕出、則有起羞之患。甲冑、所以衛身也。輕動、則有起戎之憂。二者所以爲己、當慮其患於人也。衣裳、所以命有德。必謹於在笥者、戒其有所輕予。干戈、所以討有罪。必嚴於省躬者、戒其有所輕動。二者所以加人、當審其用於己也。王惟戒此四者、信此而能明焉、則政治無不休美矣。
【読み】
△惟れ口は羞を起こし、惟れ甲冑は戎を起こす。惟れ衣裳は笥[し]に在り、惟れ干戈は厥の躬を省みる。王惟れ茲を戒めて、允に茲れ克く明らかなるときは、乃ち休[よ]からざる罔し。冑は、直又反。○言語は身を文[かざ]る所以なり。輕く出だせば、則ち羞を起こすの患え有り。甲冑は、身を衛る所以なり。輕く動けば、則ち戎を起こすの憂え有り。二つの者は己が爲にする所以にて、當に其の人に患えあらんことを慮るべし。衣裳は、有德を命ずる所以。必ず笥に在るを謹む者は、其の輕く予うる所有るを戒む。干戈は、有罪を討ずる所以。必ず躬を省みるに嚴なる者は、其の輕く動かす所有るを戒む。二つの者は人に加うる所以にて、當に其の己に用ゆるを審らかにすべし。王惟れ此の四つの者を戒め、此を信にして能く明らかなるときは、則ち政治休美ならざる無し、と。

△惟治亂在庶官。官不及私昵。惟其能。爵罔及惡德。惟其賢。昵、尼爾反。○庶官、治亂之原也。庶官得其人則治。不得其人則亂。王制曰、論定而後官之。任官而後爵之。六卿百執事、所謂官也。公卿大夫士、所謂爵也。官以任事。故曰能。爵以命德。故曰賢。惟賢惟能、所以治也。私昵惡德、所以亂也。○按古者公侯伯子男、爵之於侯國、公卿大夫士、爵之於朝廷。此言庶官、則爵爲公卿大夫士也。○吳氏曰、惡德、猶凶德也。人君當用吉士。凶德之人、雖有過人之才、爵亦不可及矣。
【読み】
△惟れ治亂は庶官に在り。官は私昵[しじつ]に及ぼさず。惟れ其れ能をす。爵は惡德に及ぼすこと罔し。惟れ其れ賢をす。昵は、尼爾反。○庶官は、治亂の原なり。庶官其の人を得ば則ち治まる。其の人を得ざれば則ち亂る。王制に曰く、論定まりて而して後に之を官にす。官に任じて而して後に之を爵にす、と。六卿百執事は、所謂官なり。公卿大夫士は、所謂爵なり。官は以て事を任ず。故に能と曰う。爵は以て德に命ず。故に賢と曰う。惟れ賢にし惟れ能にするは、治むる所以なり。私昵惡德は、亂る所以なり。○按ずるに古は公侯伯子男は、之を侯國に爵し、公卿大夫士は、之を朝廷に爵す。此に庶官と言うときは、則ち爵は公卿大夫士爲り。○吳氏が曰く、惡德は、猶凶德のごとし。人君は當に吉士を用ゆべし。凶德の人は、人に過ぎたるの才有りと雖も、爵は亦及ぼす可からず、と。

△慮善以動。動惟厥時。善、當乎理也。時、時措之宜也。慮、固欲其當乎理。然動非其時、猶無益也。聖人酬酢斯世、亦其時而已。
【読み】
△善を慮りて以て動く。動くこと惟れ厥の時をす。善は、理に當たるなり。時は、時に措くの宜しきなり。慮は、固に其の理に當たらんことを欲す。然れども動くこと其の時に非ざれば、猶益無きがごとし。聖人斯の世に酬酢する、亦其の時をするのみ。

△有其善、喪厥善。矜其能、喪厥功。自有其善、則己不加勉而德虧矣。自矜其能、則人不效力而功隳矣。
【読み】
△其の善を有りとせば、厥の善を喪う。其の能を矜[ほこ]れば、厥の功を喪う。自ら其の善を有りとせば、則ち己勉を加えずして德虧く。自ら其の能を矜れば、則ち人力を效[いた]さずして功隳[やぶ]る、と。

△惟事事、乃其有備。有備無患。惟事其事、乃其有備。有備、故無患也。張氏曰、修車馬備器械、事乎兵事、則兵有其備。故外侮不能爲之憂。簡稼器修稼政、事乎農事、則農有其備。故水旱不能爲之害。所謂事事有備無患者如此。
【読み】
△惟れ事を事とすれば、乃ち其れ備え有り。備え有れば患え無し。惟れ其の事を事として、乃ち其れ備え有り。備え有る、故に患え無し。張氏が曰く、車馬を修め器械を備え、兵事を事とするときは、則ち兵其の備え有り。故に外侮も之が憂えを爲すこと能わず。稼器を簡[えら]び稼政を修め、農事を事とするときは、則ち農其の備え有り。故に水旱も之が害を爲すこと能わず。所謂事事備え有りて患え無き者此の如し、と。

△無啓寵納侮。無恥過作非。毋開寵幸而納人之侮。毋恥過誤而遂己之非。過誤出於偶然、作非出於有意。
【読み】
△寵を啓[ひら]いて侮りを納るること無かれ。過ちを恥じて非を作すこと無かれ。寵幸を開いて人の侮りを納るること毋かれ。過誤を恥じて己が非を遂ぐること毋かれ、と。過誤は偶然より出で、非を作すは有意に出づ。

△惟厥攸居、政事惟醇。居、止而安之義。安於義理之所止也。義理出於勉强、則猶二也。義理安於自然、則一矣。一故政事醇而不雜也。
【読み】
△惟れ厥の居る攸のままにして、政事惟れ醇[もっぱ]らなり。居は、止まりて之を安んずるの義。義理の止まる所に安んずるなり。義理勉强に出づるときは、則ち猶二つのごとし。義理自然に安んずるときは、則ち一なり。一なる故に政事醇らにして雜えず。

△黷于祭祀、時謂弗欽。禮煩則亂。事神則難。黷、徒谷反。○祭不欲黷。黷則不敬。禮不欲煩。煩則擾亂。皆非所以交鬼神之道也。商俗尙鬼。高宗或未能脫於流俗、事神之禮、必有過焉。祖已戒其祀無豐昵。傅說蓋因其失而正之也。
【読み】
△祭祀に黷[けが]るる、時[これ]を欽まずと謂う。禮煩わしきときは則ち亂る。神に事るは則ち難し、と。黷[とく]は、徒谷反。○祭は黷るるを欲せず。黷るるときは則ち敬まず。禮は煩わしきを欲せず。煩わしきときは則ち擾亂す。皆鬼神に交わる所以の道に非ず。商の俗は鬼を尙ぶ。高宗或は未だ流俗を脫すること能わず、神に事るの禮、必ず過ぐること有り。祖已に其の祀昵を豐かにすること無かれと戒む。傅說蓋し其の失に因りて之を正すなり。

△王曰、旨哉說。乃言惟服。乃不良于言、予罔聞于行。旨、美也。古人於飮食之美者、必以旨言之。蓋有味其言也。服、行也。高宗贊美說之所言、謂可服行。使汝不善於言、則我無所聞而行之也。蘇氏曰、說之言譬如藥石。雖散而不一、然一言一藥、皆足以治天下之公患。所謂古之立言者。
【読み】
△王曰く、旨いかな說。乃が言惟れ服[おこな]わん。乃言に良からずんば、予れ行うに聞くこと罔けん、と。旨は、美なり。古人飮食の美なる者に於て、必ず旨を以て之を言う。蓋し其の言に味わい有ればなり。服は、行うなり。高宗說が言う所を贊美して、服行す可しと謂う。汝をして言に善からずんば、則ち我れ聞いて之を行う所無し、と。蘇氏が曰く、說が言は譬えば藥石の如し。散じて一ならずと雖も、然れども一言一藥、皆以て天下の公患を治むるに足れり。所謂古の言を立つる者なり、と。

△說拜稽首曰、非知之艱、行之惟艱。王忱不艱、允協于先王成德。惟說不言、有厥咎。高宗方味說之所言、而說以爲得於耳者非難、行於身者爲難。王忱信之、亦不爲難、信可合成湯之成德。說於是而猶有所不言、則有其罪矣。上篇言、后克聖、臣不命其承。所以廣其從諫之量、而將告以爲治之要也。此篇言、允協先王成德。惟說不言、有厥咎。所以責其躬行之實、將進其爲學之說也。皆引而不發之義。
【読み】
△說拜稽首して曰く、知ることの艱きに非ず、行うこと惟れ艱し。王忱[まこと]に艱しとせずんば、允に先王の成德に協わん。惟れ說言わずんば、厥の咎有らん、と。高宗說が言う所を味わうに方りて、說以爲えらく、耳に得る者は難きに非ず、身に行う者を難しとす。王忱に之を信じて、亦難しとせずんば、信に成湯の成德に合う可し。說是に於て猶言わざる所有れば、則ち其の罪有り、と。上の篇に言う、后克く聖なるときは、臣命ぜずとも其れ承けん、と。其の諫めに從うの量を廣むる所以にして、將に告すに治を爲すの要を以てせんとす。此の篇に言う、允に先王の成德に協わん。惟れ說言わずんば、厥の咎有らん、と。其の躬行の實を責めて、將に其の學を爲むるの說を進めんとする所以なり。皆引いて發せざるの義なり。


說命下
【読み】
說命下[えつめいげ]


王曰、來汝說。台小子、舊學于甘盤、旣乃遯于荒野。入宅于河、自河徂亳。曁厥終罔顯。甘盤、臣名。君奭言、在武丁時則有若甘盤。遯、退也。高宗言我小子舊學於甘盤、已而退于荒野。後又入居于河。自河徂亳、遷徙不常。歷敍其廢學之因、而歎其學終無所顯明也。無逸言、高宗舊勞于外、爰曁小人。與此相應。國語亦謂、武丁入于河、自河徂亳。唐孔氏曰、高宗爲王子時、其父小乙欲其知民之艱苦。故使居民閒也。蘇氏謂、甘盤遯于荒野、以台小子語脈推之非是。
【読み】
王曰く、來れ汝說。台[わ]れ小子、舊甘盤に學びて、旣にして乃ち荒野に遯る。入りて河に宅り、河より亳に徂く。厥の終わりに曁[およ]んで顯るること罔し。甘盤は、臣の名。君奭[くんせき]に言う、武丁の時に在りては則ち甘盤の若き有り、と。遯は、退くなり。高宗言うこころは、我れ小子舊甘盤に學びて、已にして荒野に退く。後に又入りて河に居る。河より亳に徂き、遷徙して常ならず。歷[あまね]く其の廢學の因を敍べて、其の學終に顯明する所無きを歎ず。無逸に言う、高宗舊外に勞し、爰に小人と曁[とも]にす、と。此と相應せり。國語に亦謂う、武丁河に入りて、河より亳に徂く、と。唐の孔氏が曰く、高宗王子爲りし時、其の父小乙其の民の艱苦を知らんことを欲す。故に民閒に居らしむ、と。蘇氏が謂う、甘盤荒野に遯るとは、台れ小子の語脈を以て之を推すに是に非ず、と。

△爾惟訓于朕志。若作酒醴、爾惟麴糵。若作和羹、爾惟鹽梅。爾交修予、罔予棄。予惟克邁乃訓。心之所之、謂之志。邁、行也。范氏曰、酒非麴糵不成。羹非鹽梅不和。人君雖有美質、必得賢人輔導、乃能成德。作酒者、麴多則太苦。糵多則太甘。麴糵得中、然後成酒。作羹者、鹽過則鹹。梅過則酸。鹽梅得中、然後成羹。臣之於君、當以柔濟剛、可濟否、左右規正以成其德。故曰、爾交修予、爾無我棄。我能行爾之言也。孔氏曰、交者、非一之義。
【読み】
△爾惟れ朕が志を訓えよ。若し酒醴を作らば、爾は惟れ麴糵[きくげつ]なり。若し和羹を作らば、爾は惟れ鹽梅なり。爾交々予を修めて、予を棄つること罔かれ。予れ惟れ克く乃の訓えを邁[おこな]わん。心の之く所、之を志と謂う。邁は、行うなり。范氏が曰く、酒は麴糵に非ざれば成らず。羹は鹽梅に非ざれば和せず。人君美質有りと雖も、必ず賢人を得て輔け導いて、乃ち能く德を成す。酒を作る者、麴多きときは則ち太だ苦し。糵多きときは則ち太だ甘し。麴糵中を得て、然して後に酒を成す。羹を作る者、鹽過ぐるときは則ち鹹[から]し。梅過ぐるときは則ち酸し。鹽梅中を得て、然して後に羹を成す。臣の君に於る、當に柔を以て剛を濟[な]し、可にて否を濟し、左右規正して以て其の德を成すべし。故に曰く、爾交々予を修めて、爾我を棄つること無かれ。我れ能く爾の言を行わん、と。孔氏が曰く、交々は、一に非ざるの義なり、と。

△說曰、王、人求多聞、時惟建事。學于古訓、乃有獲。事不師古、以克永世、匪說攸聞。求多聞者資之人。學古訓者反之己。古訓者、古先聖王之訓、載修身治天下之道。二典三謨之類、是也。說稱王而告之曰、人求多聞者、是惟立事。然必學古訓、深識義理、然後有得。不師古訓、而能長治久安者、非說所聞。甚言無此理也。○林氏曰、傅說稱王而告之。與禹稱舜曰帝光天之下、文勢正同。
【読み】
△說が曰く、王、人多聞を求めて、時[こ]れ惟れ事を建つ。古訓を學べば、乃ち獲ること有り。事古を師とせずして、以て克く世を永くするは、說の聞く攸に匪ず。多聞を求むる者は之を人に資[と]る。古訓を學ぶ者は之を己に反す。古訓は、古先聖王の訓え、身を修め天下を治むるの道を載す。二典三謨の類、是れなり。說王を稱して之に告げて曰く、人多聞を求むる者は、是れ惟れ事を立つ。然れども必ず古訓を學び、深く義理を識り、然して後に得ること有り。古訓を師とせずして、能く長く治まり久しく安き者は、說が聞く所に非ず、と。甚だ此の理無きを言うなり。○林氏が曰く、傅說王を稱して之に告ぐ。禹舜を稱して帝天の下に光[て]ると曰うと、文勢正に同じ、と。

△惟學遜志、務時敏、厥修乃來。允懷于茲、道積于厥躬。遜、謙抑也。務、專力也。時敏者、無時而不敏也。遜其志、如有所不能。敏於學、如有所不及。虛以受人、勤以勵己、則其所修、如泉始達、源源乎其來矣。茲、此也。篤信而深念乎此、則道積於身、不可以一二計矣。夫修之來、來之積。其學之得於己者如此。
【読み】
△惟れ學びて志を遜[へりくだ]り、務めて時に敏くすれば、厥の修むること乃ち來る。允に茲を懷えば、道厥の躬に積る。遜は、謙抑なり。務は、專力なり。時に敏とは、時として敏からざること無きなり。其の志を遜ること、能わざる所有るが如し。學に敏きこと、及ばざる所有るが如し。虛にして以て人に受け、勤めて以て己に勵すときは、則ち其の修むる所、泉の始めて達するが如く、源源乎として其れ來る。茲は、此なり。篤く信じて深く此を念うときは、則ち道身に積りて、一二を以て計る可からず。夫れ之を修むるときは來り、之を來すときは積る。其の學の己に得る者此の如し。

△惟斅學半。念終始、典于學、厥德修罔覺。斅、胡敎反。○斅、敎也。言敎人居學之半。蓋道積厥躬者、體之立。斅學于人者、用之行。兼體用合内外、而後聖學可全也。始之自學、學也。終之敎人、亦學也。一念終始、常在於學、無少閒斷、則德之所修、有不知其然而然者矣。或曰、受敎亦曰斅。斅於爲學之道半之。半須自得。此說極爲新巧。但古人論學、語皆平正的實。此章句數非一。不應中閒一語、獨爾險巧。此蓋後世釋敎機權、而誤以論聖賢之學也。
【読み】
△惟れ斅[おし]ゆるは學ぶの半ばなり。終始を念いて、學ぶに典[つね]なれば、厥の德修まりて覺ゆること罔し。斅は、胡敎反。○斅は、敎なり。言うこころは、人に敎ゆるは學に居るの半ばなり。蓋し道厥の躬に積る者は、體の立なり。學を人に斅ゆる者は、用の行なり。體用を兼ね内外を合わせて、而して後に聖學全かる可し。始めの自ら學ぶも、學なり。終わりの人に敎ゆるも、亦學なり。一らに終始を念い、常に學ぶこと在りて、少しの閒斷無きときは、則ち德の修むる所、其の然ることを知らずして然る者有り。或ひと曰く、敎えを受くるも亦斅えと曰う。學を爲むるの道を斅ゆるは之を半とす。半は須く自得すべし、と。此の說極めて新巧とす。但古人の學を論ずる、語は皆平正的實なり。此の章の句數は一に非ず。中閒の一語、獨り爾も險巧なる應からず。此れ蓋し後世釋敎の機權、而も誤りて以て聖賢の學を論ずるなり。

△監于先王成憲、其永無愆。憲、法。愆、過也。言德雖造於罔覺、而法必監于先王。先王成法者、子孫之所當守者也。孟子言、遵先王之法、而過者未之有也。亦此意。
【読み】
△先王の成憲を監みて、其れ永く愆つこと無し。憲は、法。愆は、過つなり。言うこころは、德覺ゆること罔きに造ると雖も、而れども法は必ず先王を監みる。先王の成法は、子孫の當に守るべき所の者なり。孟子言く、先王の法に遵いて、過てる者未だ之れ有らず、と。亦此の意なり。

△惟說式克欽承、旁招俊乂、列于庶位。式、用也。言高宗之德、苟至於無愆、則說用能敬承其意、廣求俊乂、列于衆職。蓋進賢雖大臣之責、然高宗之德未至、則雖欲進賢、有不可得者。
【読み】
△惟れ說式[もっ]て克く欽み承けて、旁く俊乂を招いて、庶位に列ねん、と。式は、用てなり。言うこころは、高宗の德、苟も愆つこと無きに至るときは、則ち說用て能く其の意を敬み承けて、廣く俊乂を求めて、衆職に列せん。蓋し賢を進むるは大臣の責と雖も、然れども高宗の德未だ至らざるときは、則ち賢を進めんと欲すと雖も、得可からざる者有り。

△王曰、嗚呼說、四海之内、咸仰朕德、時乃風。風、敎也。天下皆仰我德。是汝之敎也。
【読み】
△王曰く、嗚呼說、四海の内、咸朕が德を仰ぐは、時[こ]れ乃の風[おしえ]なり。風は、敎えなり。天下皆我が德を仰ぐ。是れ汝の敎えなり、と。

△股肱惟人。良臣惟聖。手足備而成人。良臣輔而君聖。高宗初以舟楫霖雨爲喩、繼以麴糵鹽梅爲喩。至此又以股肱惟人爲喩。其所造益深、所望益切矣。
【読み】
△股肱ありて惟れ人なり。良臣ありて惟れ聖なり。手足備わりて人と成る。良臣輔けて君聖なり。高宗初め舟楫霖雨を以て喩えとし、繼ぐに麴糵鹽梅を以て喩えとす。此に至りて又股肱ありて惟れ人なりを以て喩えとす。其の造る所益々深くして、望む所益々切なり。

△昔先正保衡、作我先王。乃曰、予弗克俾厥后惟堯舜、其心愧恥、若撻于市。一夫不獲、則曰、時予之辜。佑我烈祖、格于皇天。爾尙明保予、罔俾阿衡、專美有商。先正、先世長官之臣。保、安也。保衡、猶阿衡。作、興起也。撻于市、恥之甚也。不獲、不得其所也。高宗舉伊尹之言、謂其自任如此。故能輔我成湯、功格于皇天。爾庶幾明以輔我、無使伊尹專美於我商家也。傅說以成湯望高宗。故曰、協于先王成德、監于先王成憲。高宗以伊尹望傅說。故曰、罔俾阿衡、專美有商。
【読み】
△昔先正保衡、我が先王を作[おこ]す。乃ち曰く、予れ厥の后をして惟れ堯舜ならしむる克[あた]わざるときは、其の心愧じ恥ずること、市に撻[むちう]たるるが若し。一夫も獲ざるときは、則ち曰く、時[こ]れ予が辜なり、と。我が烈祖を佑けて、皇天に格れり。爾尙わくは明らかに予を保んじて、阿衡をして、美を有商に專らならしむること罔かれ。先正は、先世の長官の臣。保は、安んずるなり。保衡は、猶阿衡のごとし。作は、興起なり。市に撻たるるは、恥の甚だしきなり。獲ずとは、其の所を得ざるなり。高宗伊尹の言を舉げて、其の自ら任ずること此の如きを謂う。故に能く我が成湯を輔けて、功皇天に格れり。爾庶幾わくは明らかに以て我を輔けて、伊尹をして美を我が商家に專らならしむること無かれ、と。傅說成湯を以て高宗に望む。故に曰く、先王の成德に協え、先王の成憲を監みよ、と。高宗伊尹を以て傅說に望む。故に曰く、阿衡をして、美を有商に專らならしむること罔かれ、と。

△惟后非賢不乂。惟賢非后不食。其爾克紹乃辟于先王、永綏民。說拜稽首曰、敢對揚天子之休命。君非賢臣、不與共治。賢非其君、不與共食。言君臣相遇之難如此。克者、責望必能之辭。敢者、自信無慊之辭。對者、對以己。揚者、揚於衆。休命、上文高宗所命也。至是高宗以成湯自期。傅說以伊尹自任。君臣相勉勵如此。異時高宗爲商令王、傅說爲商賢佐、果無愧於成湯伊尹也、宜哉。
【読み】
△惟れ后賢に非ざれば乂[おさ]めず。惟れ賢后に非ざれば食まず。其れ爾克く乃の辟を先王に紹[つ]がしめて、永く民を綏んぜよ、と。說拜稽首して曰く、敢えて天子の休命を對揚せん、と。君賢臣に非ざれば、與に共に治めず。賢其の君に非ざれば、與に共に食まず。言うこころは、君臣相遇するの難きこと此の如し。克は、必ず能わんことを責望するの辭なり。敢は、自ら信じて慊無きの辭なり。對は、對うるに己を以てす。揚は、衆を揚ぐるなり。休命は、上の文の高宗命ずる所なり。是に至りて高宗成湯を以て自ら期す。傅說伊尹を以て自ら任ず。君臣相勉勵すること此の如し。異時高宗商の令王と爲り、傅說商の賢佐と爲り、果たして成湯伊尹に愧ずること無きこと、宜なるかな。


高宗肜日 高宗肜祭。有雊雉之異。祖己訓王。史氏以爲篇。亦訓體也。不言訓者、以旣有高宗之訓、故只以篇首四字爲題。今文古文皆有。
【読み】
高宗肜日[こうそうゆうじつ] 高宗肜祭す。雊[な]く雉の異有り。祖己王に訓ゆ。史氏以て篇とす。亦訓の體なり。訓と言わざるは、旣に高宗の訓有るを以て、故に只篇首の四字を以て題とす。今文古文皆有り。


高宗肜日、越有雊雉。肜、音融。雊、居候反。○肜、祭明日。又祭之名。殷曰肜、周曰繹。雊、鳴也。於肜日有雊雉之異。蓋祭禰廟也。序言湯廟者非是。
【読み】
高宗の肜日[ゆうじつ]に、越[ここ]に雊[な]く雉有り。肜は、音融。雊[こう]は、居候反。○肜は、祭の明日。又祭の名なり。殷には肜と曰い、周には繹と曰う。雊は、鳴くなり。肜日に於て雊く雉の異有り。蓋し禰廟[でいびょう]を祭るなり。序に湯廟と言う者は是に非ず。

△祖己曰、惟先格王、正厥事。格、正也。猶格其非心之格。詳下文高宗祀豐于昵。昵者、禰廟也。豐於昵、失禮之正。故有雊雉之異。祖己自言、當先格王之非心、然後正其所失之事。惟天監民以下、格王之言。王司敬民以下、正事之言也。
【読み】
△祖己曰く、惟れ先ず王を格しくして、厥の事を正しくす。格は、正すなり。猶其の非心を格すの格のごとし。下の文の高宗の祀昵[じつ]に豐かにするに詳らかなり。昵は、禰廟なり。昵に豐かにするは、禮の正を失するなり。故に雊く雉の異有り。祖己自ら言う、當に先ず王の非心を格しくして、然して後に其の失する所の事を正しくす、と。惟れ天民を監みるより以下は、王を格しくするの言。王は民を敬むを司るより以下は、事を正しくするの言なり。

△乃訓于王曰、惟天監下民、典厥義。降年有永有不永、非天夭民、民中絕命。監、音鑑。夭、於兆反。○典、主也。義者、理之當然。行而宜之之謂。言天監視下民、其禍福予奪、惟主義如何爾。降年有永有不永者。義則永、不義則不永。非天夭折其民、民自以非義、而中絕其命也。意高宗之祀、必有祈年請命之事。如漢武帝五畤祀之類。祖己言、永年之道、不在禱祠、在於所行義與不義而已。禱祠非永年之道也。言民而不言君者、不敢斥也。
【読み】
△乃ち王に訓えて曰く、惟れ天下民を監みて、厥の義を典[つかさど]る。年を降すに永き有り永からざる有るは、天の民を夭するに非ず、民中ごろ命を絕つなり。監は、音鑑。夭は、於兆反。○典、主るなり。義は、理の當然。行いて之を宜しくするの謂なり。言うこころは、天下民を監み視て、其の禍福予奪、惟れ義如何なるかを主るのみ。年を降すに永き有り永からざる者有り。義あれば則ち永く、不義なれば則ち永からず。天其の民を夭折するに非ず、民自ら非義を以て、中ごろ其の命を絕つなり。意うに高宗の祀、必ず年を祈り命を請うの事有らん。漢の武帝の五畤の祀の類の如し。祖己言う、永年の道は、禱祠に在らず、行う所義と不義とに在るのみ。禱祠は永年の道に非ず、と。民と言いて君と言わざるは、敢えて斥[さ]さざるなり。

△民有不若德、不聽罪、天旣孚命、正厥德。乃曰其如台。不若德、不順於德。不聽罪、不服其罪。謂不改過也。孚命者、以妖孼爲符信、而譴告之也。言民不順德、不服罪、天旣以妖孼爲符信、而譴告之。欲其恐懼修省以正德。民乃曰、孼祥其如我何。則天必誅絕之矣。祖己意謂、高宗當因雊雉以自省。不可謂適然而自恕。夫數祭豐昵、徼福於神、不若德也。瀆於祭祀、傅說嘗以進戒。意或吝改、不聽罪也。雊雉之異、是天旣孚命正厥德矣。其可謂妖孼。其如我何耶。
【読み】
△民德に若[したが]わず、罪を聽かざる有れば、天旣に孚命して、厥の德を正す。乃ち其れ台[われ]を如[いか]んと曰わんや。德に若わずとは、德に順わざるなり。罪を聽かずとは、其の罪に服せざるなり。謂ゆる過ちを改めざるなり。孚命とは、妖孼[ようげつ]を以て符信と爲して、之に譴め告ぐるなり。言うこころは、民德に順わず、罪に服せざれば、天旣に妖孼を以て符信と爲して、之に譴め告ぐ。其の恐懼修省して以て德を正さんと欲するなり。民乃ち曰く、孼祥其れ我を如何、と。則ち天必ず之を誅絕するなり。祖己が意に謂く、高宗當に雊く雉に因りて以て自省すべし。適然として自恕すと謂う可からず、と。夫れ數々祭りて昵に豐かにして、福を神に徼[もと]むるは、德に若わざるなり。祭祀を瀆すこと、傅說嘗て以て戒めを進む。意うに或は改むるに吝かにして、罪を聽かざらん。雊く雉の異あるは、是れ天旣に孚命して厥の德を正す。其れ妖孼と謂う可し。其れ我を如何や。

△嗚呼王司敬民。罔非天胤。典祀無豐于昵。司、主。胤、嗣也。王之職、主於敬民而已。徼福於神、非王之事也。況祖宗莫非天之嗣。主祀其可獨豐於昵廟乎。
【読み】
△嗚呼王は民を敬むを司る。天胤に非ざる罔し。祀を典ること昵[じつ]に豐かにする無かれ、と。司は、主る。胤は、嗣なり。王の職は、民を敬むを主るのみ。福を神に徼むるは、王の事に非ず。況んや祖宗は天の嗣に非ざる莫し。祀を主ること其れ獨り昵廟に豐かにする可けんや、と。


西伯戡黎 戡、音堪。○西伯、文王也。名、昌。姓、姬氏。戡、勝也。黎、國名。在上黨壺關之地。按史記、文王脫羑里之囚、獻洛西之地。紂賜弓矢鈇鉞、使得專征伐爲西伯。文王旣受命、黎爲不道。於是舉兵伐而勝之。祖伊知周德日盛、旣已戡黎、紂惡不悛勢必及殷。故恐懼奔告于王、庶幾王之改之也。史錄其言、以爲此篇。誥體也。今文古文皆有。○或曰、西伯、武王也。史記嘗載、紂使膠鬲觀兵。膠鬲問之曰、西伯曷爲而來。則武王亦繼文王爲西伯矣。
【読み】
西伯戡黎[せいはくかんれい] 戡は、音堪。○西伯は、文王なり。名は、昌。姓は、姬氏。戡は、勝つなり。黎は、國の名。上黨壺關の地に在り。史記を按ずるに、文王羑里の囚を脫[まぬが]れて、洛西の地を獻ず。紂弓矢鈇鉞[ふえつ]を賜いて、征伐を專らにすることを得せしめて西伯爲らしむ。文王旣に命を受けて、黎不道を爲す。是に於て兵を舉げて伐ちて之に勝つ。祖伊周の德日に盛んにして、旣已に黎に戡[か]ち、紂惡悛[あらた]めずして勢い必ず殷に及ばんことを知る。故に恐懼して奔りて王に告ぐ、庶幾わくは王の之を改めんことを。史其の言を錄して、以て此の篇を爲る。誥の體なり。今文古文皆有り。○或ひと曰く、西伯は、武王、と。史記に嘗て載す、紂膠鬲[こうかく]をして兵を觀せしむ。膠鬲之に問いて曰く、西伯曷爲れぞ而も來れる、と。則ち武王も亦文王を繼いで西伯爲り。


西伯旣戡黎。祖伊恐。奔告于王、下文無及戡黎之事。史氏特標此篇首、以見祖伊告王之因也。祖、姓。伊、名。祖己後也。奔告、自其邑奔走、來告紂也。
【読み】
西伯旣に黎に戡[か]ちぬ。祖伊恐る。奔りて王に告げて、下の文に黎に戡つの事に及ぶこと無し。史氏特り此の篇の首に標して、以て祖伊王に告ぐるの因を見すなり。祖は、姓。伊は、名。祖己の後なり。奔り告ぐとは、其の邑より奔走して、來りて紂に告ぐるなり。

△曰、天子、天旣訖我殷命。格人元龜、罔敢知吉。非先王不相我後人。惟王淫戲用自絕。祖伊將言天訖殷命。故特呼天子以感動之。訖、絕也。格人、猶言至人也。格人元龜、皆能先知吉凶者。言天旣已絕我殷命。格人元龜、皆無敢知其吉者、甚言凶禍之必至也。非先王在天之靈、不佑我後人。我後人淫戲、用自絕於天耳。
【読み】
△曰く、天子、天旣に我が殷の命を訖[お]えん。格人元龜も、敢えて吉を知ること罔し。先王我が後人を相[たす]けざるには非ず。惟れ王淫戲にして用[もっ]て自ら絕てり。祖伊將に天殷の命を訖えんことを言わんとす。故に特に天子と呼びて以て之を感動せしむ。訖は、絕つなり。格人は、猶至人と言うがごとし。格人元龜は、皆能く先だちて吉凶を知る者なり。言うこころは、天旣已に我が殷の命を絕つ。格人元龜も、皆敢えて其の吉を知ること無きは、甚だ凶禍の必ず至らんことを言うなり。先王天に在るの靈、我が後人を佑けざるに非ず。我が後人淫戲にして、用て自ら天を絕つのみ、と。

△故天棄我、不有康食。不虞天性、不迪率典。康、安。虞、度也。典、常法也。紂自絕於天。故天棄殷不有康食。饑饉荐臻也。不虞天性、民失常心也。不迪率典、廢壞常法也。
【読み】
△故に天我を棄て、康食有らず。天性を虞[はか]らず、典[つね]に率うに迪[みち]あらず。康は、安し。虞は、度るなり。典は、常の法なり。紂自ら天を絕つ。故に天殷を棄てて康食有らず。饑饉荐[しき]りに臻[いた]るなり。天性を虞らざるときは、民常の心を失うなり。典に率うに迪あらずとは、常の法を廢壞するなり。

△今我民罔弗欲喪。曰、天曷不降威、大命不摯。今王其如台。大命、非常之命。摯、至也。史記云、大命胡不至。民苦紂虐、無不欲殷之亡。曰、天何不降威於殷、而受大命者何不至乎。今王其無如我何、言紂不復能君長我也。上章言天棄殷、此章言民棄殷。祖伊之言、可謂痛切明著矣。
【読み】
△今我が民喪びんことを欲せざる罔し。曰く、天曷ぞ威を降さざる。大命摯[いた]らざる、と。今王其れ台[われ]を如[いか]ん、と。大命は、非常の命なり。摯は、至るなり。史記に云う、大命胡ぞ至らざる、と。民紂の虐に苦しみて、殷の亡びんことを欲せざる無し。曰く、天何ぞ威を殷に降さずして、大命を受くる者何ぞ至らざるや、と。今王其れ我を如何とすること無しは、言うこころは、紂は復能く我に君長たるにあらず。上の章には天殷を棄つるを言い、此の章には民殷を棄つるを言う。祖伊の言、痛切明著なりと謂う可し。

△王曰、嗚呼、我生不有命在天。紂歎息謂、民雖欲亡我、我之生獨不有命在天乎。
【読み】
△王曰く、嗚呼、我が生けること命天に在ること有らざらんや、と。紂歎息して謂う、民我を亡ぼさんと欲すと雖も、我が生獨り命天に在ること有らざらんや、と。

△祖伊反曰、嗚呼、乃罪多參在上。乃能責命于天。參、倉含反。○紂旣無改過之意。祖伊退而言曰、爾罪衆多參列在上。乃能責其命於天耶。呂氏曰、責命於天、惟與天同德者方可。
【読み】
△祖伊反りて曰く、嗚呼、乃が罪多く參わりて上に在り。乃ち能く命を天に責めんや。參は、倉含反。○紂旣に過ちを改むるの意無し。祖伊退いて言いて曰く、爾の罪衆多にして參わり列なりて上に在り。乃ち能く其の命を天に責めんや、と。呂氏が曰く、命を天に責むるは、惟れ天と德を同じくする者方に可なり、と。

△殷之卽喪。指乃功、不無戮于爾邦。功、事也。言殷卽喪亡矣。指汝所爲之事、其能免戮於商邦乎。蘇氏曰、祖伊之諫、盡言不諱、漢唐中主所不能容者。紂雖不改、而終不怒。祖伊得全、則後世人主、有不如紂者多矣。愚讀是篇、而知周德之至也。祖伊以西伯戡黎不利於殷、故奔告於紂。意必及西伯戡黎不利於殷之語、而入以告后、出以語人、未嘗有一毫及周者。是知、周家初無利天下之心、其戡黎也、義之所當伐也。使紂遷善改過、則周將終守臣節矣。祖伊、殷之賢臣也。知周之興必不利於殷、又知殷之亡、初無與於周。故因戡黎告紂。反覆乎天命民情之可畏、而略無及周者。文武公天下之心、於是可見。
【読み】
△殷は之れ卽ち喪びん。乃の功[こと]を指すに、爾が邦に戮[ころ]さるること無くんばあらず、と。功は、事なり。言うこころは、殷は卽ち喪亡せん。汝が爲す所の事を指すに、其れ能く戮を商邦に免れんや。蘇氏が曰く、祖伊が諫めは、言を盡くして諱まず、漢唐の中の主の容るること能わざる所の者なり。紂改めずと雖も、而れども終に怒らず。祖伊全きを得れば、則ち後世の人主、紂に如かざる者の有ること多し。愚是の篇を讀みて、周の德の至れるを知んぬ。祖伊西伯の黎に戡つは殷に利あらざるを以て、故に奔りて紂に告ぐ。意うに必ず西伯の黎に戡つは殷に利あらざるの語に及んで、入りて以て后に告げ、出でて以て人に語るに、未だ嘗て一毫も周に及ぶ者有らず。是れ知んぬ、周家初めより天下を利するの心無く、其の黎に戡つは、義の當に伐つべき所なり。紂をして善に遷り過ちを改めしむるときは、則ち周將[はた]終に臣の節を守らんことを。祖伊は、殷の賢臣なり。周の興るは必ず殷に利あらざるを知り、又殷の亡ぶるは、初めより周に與ること無きを知る。故に黎に戡つに因りて紂に告ぐ。天命民情の畏る可きを反覆して、略周に及ぶ者無し。文武天下を公にするの心、是に於て見る可し。


微子 微、國名。子、爵也。微子、名啓。帝乙長子、紂之庶母兄也。微子痛殷之將亡、謀於箕子・比干。史錄其問答之語。亦誥體也。以篇首有微子二字、因以名篇。今文古文皆有。
【読み】
微子[びし] 微は、國の名。子は、爵なり。微子、名は啓。帝乙の長子、紂の庶母兄なり。微子殷の將に亡びんとするを痛んで、箕子・比干に謀る。史其の問答の語を錄す。亦誥の體なり。篇の首めに微子の二字有るを以て、因りて以て篇に名づく。今文古文皆有り。


微子若曰、父師・少師、殷其弗或亂正四方。我祖厎遂、陳于上。我用沈酗于酒、用亂敗厥德于下。酗、吁句反。○父師、大師、三公箕子也。少師、孤卿比干也。弗或者、不能或如此也。亂、治也。言紂無道、無望其能治正天下也。厎、致。陳、列也。我祖成湯、致功陳列於上。而子孫沈酗于酒、敗亂其德於下。沈酗言我而不言紂者、過則歸己。猶不忍斥言之也。
【読み】
微子若[かくのごと]く曰く、父師・少師、殷其れ四方を亂[おさ]め正すこと或らず。我が祖厎し遂げて、上に陳ぬ。我れ用て酒に沈酗[ちんく]し、用て厥の德を下に亂れ敗る。酗は、吁句反。○父師は、大師、三公箕子なり。少師は、孤卿比干なり。或らずとは、此の如くなること或ること能わざるなり。亂は、治むるなり。言うこころは、紂無道にして、其れ能く天下を治め正すことを望むこと無し。厎は、致す。陳は、列ぬるなり。我が祖成湯、功を致して上に陳列す。而れども子孫酒に沈酗して、其の德を下に敗れ亂る。沈酗を我と言いて紂と言わざるは、過ちは則ち己に歸す。猶斥[さ]し言うに忍びざるなり。

△殷罔不小大好草竊姦宄。卿士師師非度。凡有辜罪、乃罔恆獲。小民方興、相爲敵讎。今殷其淪喪、若涉大水、其無津涯。殷遂喪、越至于今。殷之人民、無小無大、皆好草竊姦宄。上而卿士、亦皆相師非法、上下容隱、凡有冒法之人、無有得其罪者。小民無所畏懼、强陵弱、衆暴寡、方起讎怨、爭鬭侵奪、綱紀蕩然。淪喪之形、茫無畔崖。若涉大水無有津涯。殷之喪亡、乃至於今日乎。微子上陳祖烈、下述喪亂。哀怨痛切、言有盡而意無窮。數千載之下、猶使人傷感非憤。後世人主觀此、亦可深監矣。
【読み】
△殷小大として草竊[そうせつ]姦宄[かんき]を好まざる罔し。卿士も非度を師師とす。凡そ辜罪有るとも、乃ち恆に獲ること罔し。小民方に興りて、相敵讎と爲る。今殷其れ淪喪せんこと、大水を涉るに、其れ津涯無きが若し。殷遂に喪びんこと、越[ここ]に今に至れり、と。殷の人民、小と無く大と無く、皆草竊姦宄を好む。上にしては卿士も、亦皆非法を相師とし、上下容隱して、凡そ法を冒す人有るとも、其の罪を得る者有る無し。小民畏懼する所無くして、强は弱を陵ぎ、衆は寡を暴[おか]し、方に讎怨を起こし、爭鬭侵奪して、綱紀蕩然たり。淪喪の形は、茫として畔崖無し。大水を涉るに津涯有ること無きが若し。殷の喪亡は、乃ち今日に至らんか、と。微子上には祖烈を陳べ、下には喪亂を述ぶ。哀怨痛切、言盡くすこと有りて意窮まり無し。數千載の下、猶人をして傷感非憤せしむ。後世の人主此を觀て、亦深く監みる可し。

△曰、父師・少師、我其發出狂。吾家耄遜于荒。今爾無指告予。顚隮若之何其。出、尺類反。隮、牋西反。○曰者、微子更端之辭也。何其、語辭。言紂發出顚狂、暴虐無道、我家老成之人、皆逃遁于荒野、危亡之勢如此。今爾無所指示、告我以顚隕隮之事。將若之何哉。蓋微子憂危之甚、特更端以問救亂之策。言我而不言紂者、亦上章我用沈酗之義。
【読み】
△曰く、父師・少師、我れ其れ發し出だして狂す。吾が家耄荒に遜[のが]る。今爾予に指し告ぐること無し。顚隮[てんせい]之を若何にせん、と。出は、尺類反。隮は、牋西反。○曰くは、微子端を更むるの辭なり。何其は、語の辭なり。言うこころは、紂顚狂を發し出だして、暴虐無道にして、我が家老成の人、皆荒野に逃遁して、危亡の勢い此の如し。今爾指し示す所無くして、我に告ぐるに顚隕隮の事を以てす。將[はた]之を若何せんや、と。蓋し微子危きを憂うるの甚だしき、特に端を更めて以て亂を救うの策を問う。我と言いて紂と言わざるは、亦上の章の我れ用て沈酗すの義なり。

△父師若曰、王子、天毒降災、荒殷邦。方興沈酗于酒。此下箕子之答也。王子、微子也。自紂言之、則紂無道。故天降災。自天下言之、則紂之無道、亦天之數。箕子歸之天者、以見其忠厚敬君之意、與小旻詩言、旻天疾威、敷于下土意同。方興者、言其方興而未艾也。此答微子沈酗于酒之語。而有甚之之意。下同。
【読み】
△父師若く曰く、王子、天毒して災いを降し、殷の邦を荒[す]つ。方に興りて酒に沈酗す。此の下は箕子の答えなり。王子は、微子なり。紂より之を言わば、則ち紂は無道なり。故に天災を降す。天下より之を言わば、則ち紂の無道も、亦天の數なり。箕子之を天に歸す者は、以て其の忠厚君を敬するの意を見すこと、小旻の詩に言う、旻天疾威、下土に敷けりの意と同じ。方に興るとは、言うこころは、其れ方に興りて未だ艾[おさ]まらざるなり。此れ微子酒に沈酗すの語に答う。而して之を甚だしとするの意有り。下も同じ。

△乃罔畏畏、咈其耇長、舊有位人。乃罔畏畏者、不畏其所當畏也。孔子曰、君子有三畏。畏天命、畏大人、畏聖人之言。咈、逆也。耇長、老成之人也。紂惟不畏其所當畏。故老成舊有位者、紂皆咈逆而棄逐之。卽武王所謂播棄黎老者。此答微子發狂耄遜之語。以上文特發問端、故此先答之。
【読み】
△乃ち畏るべきを畏るること罔くして、其の耇長[こうちょう]、舊有位の人に咈[もと]る。乃ち畏るべきを畏るること罔しとは、其の當に畏るべき所を畏れざるなり。孔子曰く、君子に三畏有り。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る、と。咈[ふつ]は、逆うなり。耇長は、老成の人なり。紂惟れ其の當に畏るべき所を畏れず。故に老成舊有位の者、紂皆咈逆して之を棄逐す。卽武王の所謂黎老を播[はな]ち棄つる者なり。此れ微子の發狂耄遜の語に答う。上の文特り問いを發するの端なるを以て、故に此れ先ず之に答う。

△今殷民、乃攘竊神祇之犧牷牲、用以容將食無災。攘、如羊反。牷、音全。○色純曰犧、體完曰牷、牛羊豕曰牲。犧牷牲、祭祀天地之物。禮之最重者、猶爲商民攘竊而去。有司用相容隱、將而食之。且無災禍。豈特草竊姦宄而已哉。此答微子草竊姦宄之語。
【読み】
△今殷の民、乃ち神祇の犧牷牲[ぎせんせい]を攘竊して、用いて以て容れ將[ひき]いて食えども災い無し。攘は、如羊反。牷は、音全。○色純なるを犧と曰い、體完きを牷と曰い、牛羊豕を牲と曰う。犧牷牲は、天地を祭祀する物。禮の最も重き者なれども、猶商の民攘竊して去ることをす。有司用て相容隱して、將いて之を食う。且つ災禍無し。豈特り草竊姦宄なるのみならんや。此れ微子の草竊姦宄の語に答う。

△降監殷民、用乂讎斂。召敵讎不怠。罪合于一。多瘠罔詔。讎斂、若仇敵掊斂之也。不怠、力行而不息也。詔、告也。下視殷民、凡上所用以治之者、無非讎斂之事。夫上以讎而斂下、則下必爲敵以讎上。下之敵讎、實上之讎斂以召之。而紂方且召敵讎不怠、君臣上下、同惡相濟、合而爲一。故民多飢殍、而無所告也。此答微子小民相爲敵讎之語。
【読み】
△殷の民を降し監みるに、用いて乂[おさ]むること讎斂なり。敵讎を召くこと怠らず。罪一に合えり。多く瘠せても詔ぐること罔し。讎斂は、仇敵掊斂[ほうれん]するが若し。怠らずは、力行して息まざるなり。詔は、告ぐるなり。殷の民を下し視るに、凡そ上の用いて以て之を治むる所の者、讎斂の事に非ざる無し。夫れ上讎を以て下を斂むるときは、則ち下必ず敵と爲りて以て上に讎す。下の敵讎は、實に上の讎斂以て之を召くなり。而れども紂方に且つ敵讎を召いて怠らず、君臣上下、惡を同じくして相濟し、合わせて一とす。故に民多く飢殍[きひょう]して、告ぐる所無し。此れ微子の小民敵讎を相爲すの語に答う。

△商今其有災、我興受其敗。商其淪喪、我罔爲臣僕。詔王子、出迪。我舊云刻子。王子弗出、我乃顚隮。商今其有災、我出當其禍敗。商若淪喪、我斷無臣僕他人之理。詔、告也。告微子以去爲道。蓋商祀不可無人。微子去、則可以存商祀也。刻、害也。箕子舊以微子長且賢、勸帝乙立之。帝乙不從、卒立紂。紂必忌之。是我前日所言、適以害子。子若不去、則禍必不免、我商家宗祀、始隕墜而無所托矣。箕子自言、其義決不可去。而微子之義、決不可不去也。此答微子淪喪顚隮之語。
【読み】
△商今其れ災い有らば、我れ興[た]ちて其の敗れを受けん。商其れ淪喪せば、我れ臣僕爲ること罔けん。王子に詔ぐ、出づるは迪[みち]なり、と。我れ舊云えること子を刻[やぶ]る。王子出でずんば、我れ乃ち顚隮せん。商今其れ災い有り、我れ出でて其の禍敗に當たらん。商若し淪喪せば、我れ斷ちて他人に臣僕たるの理無けん。詔は、告ぐるなり。微子に告ぐるに去るを以て道とす。蓋し商の祀は人無くんばある可からず。微子去るときは、則ち以て商の祀を存す可し。刻は、害うなり。箕子舊微子長にして且つ賢なるを以て、帝乙に之を立つことを勸む。帝乙從わず、卒に紂を立つ。紂必ず之を忌まん。是れ我が前日言う所、適々以て子を害す。子若し去らずんば、則ち禍い必ず免れず、我が商家の宗祀、始めて隕墜して托す所無し。箕子自ら言う、其の義決して去る可からず。而れども微子の義、決して去らずんばある可からず、と。此れ微子の淪喪顚隮の語に答う。

△自靖人自獻于先王。我不顧行遯。上文旣答微子所言。至此則告以彼此去就之義。靖、安也。各安其義之所當盡、以自達其志於先王、使無愧於神明而已。如我則不復顧行遯也。按此篇、微子謀於箕子・比干、箕子答如上文、而比干獨無所言者、得非比干安於義之當死、而無復言歟。孔子曰、殷有三仁焉。三仁之行雖不同、而皆出乎天理之正、各得其心之所安。故孔子皆許之以仁。而所謂自靖者卽此也。○又按左傳、楚克許。許男面縛銜璧、衰絰輿櫬、以見楚子。楚子問諸逢伯。逢伯曰、昔武王克商、微子啓如是。武王親釋其縛、受其璧而祓之。焚其櫬、禮而命之。然則微子適周、乃在克商之後、而此所謂去者、特去其位、而逃遯於外耳。論微子之去者、當詳於是。
【読み】
△自ら靖んじて人自ら先王に獻[たてまつ]らん。我れ行き遯れんことを顧みず、と。上の文は旣に微子が言う所に答う。此に至りて則ち告ぐるに彼れ此れ去就の義を以てす。靖は、安んずるなり。各々其の義の當に盡くすべき所に安んじて、以て自ら其の志を先王に達して、神明に愧ずること無からしむるのみ。我の如きは則ち復顧みるに行き遯れざらん、と。此の篇を按ずるに、微子箕子・比干に謀り、箕子答うること上の文の如きにして、比干獨り言う所無き者は、比干義の當に死すべきに安んじて、復言うこと無きに非ざることを得んや。孔子曰く、殷に三仁に有り、と。三仁の行同じからずと雖も、而れども皆天理の正に出でて、各々其の心の安んずる所を得。故に孔子皆之を許すに仁を以てす。而して所謂自ら靖んずるとは卽ち此なり。○又左傳を按ずるに、楚許に克つ。許男面縛して璧を銜[ふく]み、衰絰[さいてつ]して櫬[ひつぎ]を輿[にな]いて、以て楚子に見ゆ。楚子諸を逢伯に問う。逢伯が曰く、昔武王商に克ちて、微子啓是の如し、と。武王親ら其の縛を釋き、其の璧を受けて之を祓う。其の櫬を焚き、禮して之に命ず。然らば則ち微子の周に適くは、乃ち商に克つの後に在りて、此に所謂去るという者は、特に其の位を去りて、外に逃げ遯るるのみ。微子の去ることを論ずる者、當に是を詳らかにすべし。
 

書經集註(二)周書 (続く)

(引用文献)

TOP

江守孝三(Emori Kozo)