[温故知新 戻る]
 孝経(原文・読み・訳)孝経(English)孝経(読み)孝経(訳)童蒙須知朱子家礼(冠婚葬祭)
現代子供教育の危機を救う。
(古の人は男女七歳から孝経、論語を誦した-小学より-)

孝経(訳)

開宗明義天子諸侯卿大夫庶人三才孝治聖治父母生績紀孝行五刑
廣要道廣至徳應感廣揚名閨門諌諍事君喪親あとがき

開宗明義(かいそうめいぎ)
独座する孔子の側に曾子が来て侍座(じざ)した。 孔子が言った。 先王に至徳要道有り、無為自然にして天下を安んじ、民は相親しみて和睦す、上下共に怨みを生ずる無し。 お前はこれを知るか、と。 曾子は席を退き、慎んで答えて言った。 私は明敏ではありません。 どうしてその真意を知るに足りましょうか、と。 孔子が言った。 孝とは徳の本であり、教えに由りて生育されるものである。 戻って座るがよい、お前にその真意を教えよう。 そもそも我が身体、髪、皮膚、ありとあらゆるものは、父母より受けたるものである。 これを一時の惑いに失うこと無く、その生を尽くして全うするは、孝の始めである。 身を修めて道を行ない、名を後世に揚げて敬せらるに至る、このようにして父母を顕し先祖を讃えるに至らしめるは、孝の成就である。 孝というものは親に事(つか)えるに始まり、君に事(つか)えて全うし、身を立てて終える。 故に詩経の大雅にはこう詠われている。 汝の祖先の道を尊ぶべし、その徳を継ぎて修め帰す、と。

天子(てんし)
礼儀に適いたる衣服に非ざれば敢えて服せず、礼儀に適いたる言葉に非ざれば敢えて言わず、徳行に根ざしたる行いに非ざれば敢えて行なわず。 この故に曖昧な言葉を発さず、妄りに為さずしてその為すべき所を定む。 言葉を発すれば天下に満ちて人々はこれを是とし、実行すれば天下に満ちて人々はこれを嘉す。 言行一致し表裏相応じ、民これを受けて喜ばざる無く、故によくその禄位を保ち、その宗廟を継ぎて絶やすこと無し。 これを卿大夫の孝という。 故に詩経の蒸民篇にはこのように詠われている。 常に己を修めて倦むこと無し、以て一人に事(つか)ふ、と。

諸侯(しょこう)
上の位に在りて驕ることが無ければ、如何なる高位に在ろうとも危いことは無く、礼節を持して仁政を施せば、如何に満ちようとも溢れることは無い。 高位にして危き無きは、長く貴きを守る所以であり、満ちて溢れざるは、長く富を守る所以である。 人君が謙徳によりて貴きを守り、仁政によりて富を守らば、国家安泰にして人民安んず。 これを諸侯の孝という。 故に詩経の小旻篇にはこのように詠われている。 戦戦兢兢として深き淵に臨むが如く、薄氷を踏むが如し、と。

卿大夫(けいたいふ)
礼儀に適いたる衣服に非ざれば敢えて服せず、礼儀に適いたる言葉に非ざれば敢えて言わず、徳行に根ざしたる行いに非ざれば敢えて行なわず。 この故に曖昧な言葉を発さず、妄りに為さずしてその為すべき所を定む。 言葉を発すれば天下に満ちて人々はこれを是とし、実行すれば天下に満ちて人々はこれを嘉す。 言行一致し表裏相応じ、民これを受けて喜ばざる無く、故によくその禄位を保ち、その宗廟を継ぎて絶やすこと無し。 これを卿大夫の孝という。 故に詩経の蒸民篇にはこのように詠われている。 常に己を修めて倦むこと無し、以て一人に事(つか)ふ、と。

士(し)
父に事(つか)えるの心を以て母に事(つか)える、そこに生ずる愛は同じ。 父に事(つか)えるの心を以て君に事(つか)える、そこに生ずる敬もまた同じ。 故に母にはその愛を取り、君にはその敬を取る。 そして愛敬を兼ねるは父である。 故に親に事(つか)えるの孝を以て君に事(つか)えれば忠であり、敬を以て年長に事(つか)えれば順となる。 忠順を失わずして上に事(つか)えるの道を全うす。 故によく禄位を保ち、その先祖の道を継いで失うこと無し。 これを士の孝という。 故に詩経の小宛篇にはこのように詠われている。 朝早く起きて夜更けに寝る、汝の先祖を恥かしむること無かれ、と。

庶人(しょじん)

天道は四時違えず、故に人はこれに則りこれを用いる。 地勢の豊饒に各々利あり、故に人はこれに則りこれに因る。 四時に違えず、地勢に適いて農事に勤め、身体万全にして節倹に努む。 このようにして父母を養うを得るは、庶民の孝である。 これら上は天子から下は庶民に至るまで、孝の道を全うせずして患いの及ばざる者を、私は未だかつて聞いたことがない。

三才(さんさい)
曾子が言った。 なんと甚だしきものでしょうか、孝の偉大なることは、と。 孔子が言った。 孝というものは、天道に適い、地義に宜しく、民をして善に帰せしむるものである。 天地の常道にして、民はこれに則りこれを行なう。 天道四時明らかに、地勢豊穣これ則り、故に天下は自然にしてこれ治まる。 故にその教化は粛ならずして成り、その政事は厳ならずして治まるのである。 先王が自然にして民を化するを得たる所以はここにある。 必ず博愛の心を以て先と為すが故に、自然と人々にその親を敬愛して忘れざる心が生じ、必ず徳義を以てこれを為すが故に、自然と人々に行善の心が生じ、必ず敬譲の心を以て先と為すが故に、自然と人々は譲って争い生ぜず、これを導くに礼楽を以て為すが故に、自然と人々は和睦して相親しみ、これを示すに善悪邪正を明らかにするが故に、自然と人々は禁不禁の境を知りて堅くこれを守るようになる。 故に詩経の節南山にはこのように詠われている。 赫赫(かくかく)たる大師の尹氏よ、民は汝の姿を臨み見ている、と。

孝治(こうち)
孔子が言った。 古代の明王の孝を以て天下を治むるや、爵位ある者に対してはもとより、小国の臣下に対しても礼を遺(わす)れず、故に万国の嘉する心を得て、以てその先王に事(つか)えるを得た。 国を治むる者は、国用を勤める者はもとより、決して孤独で身寄り無き者を侮らず、故に天下万民の嘉する心を得て、以てその先君に事(つか)えるを得た。 家を治むる者は、妻子に対してはもとより、決して使用人に対しても親しみを失わず、故に家人の嘉する心を得て、以てその親に事(つか)えるを得た。 これは当然の帰結である。 故に生ずれば祖宗これに安んじ、祭らば鬼神これを享(う)けて守らざるなく、これを以て天下は和平を得て、災害生ぜず、禍乱も起らず、明王の天下を治むること、孝を以てなすが故に、万事がこの通りであったのである。 故に詩経の抑(よく)篇にはこのように詠われている。 覚(おほい)なる徳行有れば、四方の国々自ずから順(したが)ふ、と。

聖治(せいち)
曾子が言った。 敢えて問いますが、聖人の徳というものは、少しも孝に加えるところがないのでしょうか、と。 孔子が言った。 天地の生ずるところ、人を貴しと為し、人の行なうところ、孝より大なるはなし。 孝は父を尊び敬するより大なるはなく、父を尊ぶは天に配するより大なるはなし。 周公旦はその大なるを為した人である。 昔、周公旦は祖宗である后稷(こうしょく)を郊祀(こうし)して天に配し、父たる文王を明堂に宗祀(そうし)して、以て上帝に配した。 これを以て諸侯は、各々職分を務めて善く治め、祭祀の助けとしたのである。 これ孝治の至りにして天に通じ、故に聖人の徳といえども加えるところなし。 故に生まるれば親しみを以て父母を養い、日々に尊びて敬すれば、これを孝という。 聖人は厳によりて敬を教え、親(しん)によりて愛を教える。 聖人の政教たるや、厳粛ならずして自ずから通ずるは、その因るところの者、本なるが故なのである。

[父母生績]
父子の道は自然にして来たるところであり、その関わりは君臣の義に同じ。 父母ありて我れ生ず、その志を継いで子孫連綿に至らしめるや、これより大なるはなし。 敬親(けいしん)の道を以てこれに臨む、その厚恩たるや、これより重きはなし。 故にその親を愛せずして他人を愛する、これを悖徳といい、その親を敬せずして他人を敬する、これを悖礼という。 その行うところ順を以てすれば民は自然にしてこれに従い、逆を以てすれば民の従うこと自然ならず。 自然ならざれば善に在らず、たとえ治めるを得るも皆な凶徳にして、故に君子は貴ぶことなし。 君子は自ずから然るところを貴びて形迹生ぜず、言は道(い)うべくして道(い)い、行は行うべくして行い楽しむのみ。 その徳義を尊び、事を興すに違(たが)うことなく、その身を以て手本となし、その進退挙措の通ぜざるなし。 これを以て民に臨めば、人々畏敬して親愛し、その為すところに則りて習わざるはなし。 故に普くその徳教に感化され、その政令に従いて通ぜざるなし。 故に詩経の?鳩(しきゅう)篇にはこのように詠われている。 淑人(しゅくじん)君子、其の儀?(たが)はず、と。

紀孝行(きこうこう)
孝子の親に事(つか)えるや、父母居らばこれを敬し、父母を養えばその心に叶い、父母病めばこれを憂い、父母死さばこれを哀しみ、父母を祭祀せば厳にして安んず。 故にこの五者を備えてはじめて、その親に事えるという。 親に事える者は、上に在りて驕ることなく、下に在りて乱すことなく、衆と在りて争い生ぜず、必ず和して皆な親しむ。 もし上に在りて驕らば亡び、下に在りて乱(らん)せば刑せられ、衆と在りて争えば終には禍その身に及ぶ。 故にこの三者を除かざれば、日々に三牲の養いを以てその親に尽くすと雖も、不孝という。

五刑(ごけい)
古代に入れ墨の刑より死罪に至るまで五刑あり、その罰の種類は三千あれども、罪の大なること不孝に過ぎたるは無し。 私欲を専らにして主君に求める者は節操あらずして順逆違い、心に反(かえ)らずして聖人を誹る者は道心あらずして天理に悖り、愛敬存せずして孝子を誹る者は孝道あらずして人情に悖る。 これを大乱の道という。

廣要道(こうようどう)
民に親愛を教えるには孝の道より善きはなく、民に礼順を教えるには弟(てい)の道より善きはなく、風俗を正へと帰するには楽(がく)の道より善きはなく、君を安んじ民を治めるには礼(れい)の道より善きはなし。 礼の本は敬あるのみ。 故にその父を敬うは子の喜びとなり、その兄を敬うは弟の喜びとなり、その君を敬うは臣の喜びとなる。 一人を敬して人々これを嘉す、その敬うところ少なくして悦ぶところの者多き、これを要道という。

廣至徳(こうしとく)
君子の人々を教化するに孝を以てするや、家々を訪れてこれに教えるには非ずして自らの身を以てこれに示すのである。 教えるに孝の道を以てするは、天下の人がその父を敬うに至る所以であり、教えるに弟(てい)の道を以てするは、天下の人がその兄を敬うに至る所以であり、教えるに臣の道を以てするは、天下の人がその君を敬うに至る所以である。 故に詩経の大雅?酌(けいしゃく)篇にはこのように詠われている。 愷悌(がいてい)の君子は、民の父母なり、と。 至徳に非ずんば、どうして民を和順せしむることの、かくのごとくに大なる者があるだろうか。

應感(おうかん)
古の明王は、その父に事(つか)えて孝、故に天に事えて明、その母に事えて孝、故に地に事えて察、長幼その順を尊びて上下乱れず、天地に明察なるが故に神明に達す。 故に天子と雖も尊ぶ所あり、これその父あるをいう。 必ず先んずる所あり、これその兄あるをいう。 宗廟を敬するに至るは、その親しみを忘れぬが故であり、身を修め行を謹むは、先祖を尊びてその名を貶めるを恐れるが故である。 宗廟を敬して誠なれば、先祖御霊(みたま)に自ずから通ず。 孝弟(こうてい)の至りは神明に通じ、天下四方に普く広がり、通ぜざる所無し。 故に詩経の大雅・文王有声篇にはこのように詠われている。 四方皆な来たりてその徳に感ず、心より服せざるは無し、と。

廣揚名(こうようめい)
君子のその親に事(つか)えるや必ず孝、故に君に事えるや必ず忠、その兄に事えるや必ず弟(てい)、故に長者に事えるや必ず順(じゅん)、家に居らば家人自ずから和し、故に官職を得れば天下和順し定まらざるところなし。 その行(ぎょう)を自ら修めて世に示す、故に後世、その名を尊びて敬わざるは無し。

孝経[閨門]
原文
閨門之内。具禮已乎。嚴親嚴兄。妻子臣妾。猶百姓徒役也。
書き下し文
閨門(けいもん)の内、禮を具(そな)へたるかな、親(しん)を厳(たっと)び兄(けい)を厳ぶ、妻子臣妾(しんしょう)は、百姓(ひゃくせい)徒役(とえき)の猶(ごと)きなり。
現代語訳・抄訳
家に在りても礼を失せず、親を貴ぶは君に事(つか)えるの基となり、兄を尊ぶは長に事(つか)えるの基となる。 妻子は国にあっては役人のごとく、臣妾(しんしょう)は国あっては人夫のごとし。

諌諍(かんそう)
曾子が言った。 慈愛を存し恭敬を持し、親の心を安んぜしめ、身を立てて祖宗の名を称揚(しょうよう)す、かくのごとき者を孝という、と私は聞いております。 敢えて問いますが、父の命に従うことを孝というべきでありましょうか、と。 孔子が言った。 何の言ぞや、何の言ぞや、道理に通ぜざる言葉よ。 昔から、天子に争臣が七人居れば、無道であってもその天下を失うことはなく、諸侯に争臣が五人居れば、無道であってもその国を失うことはなく、大夫に争臣が三人居れば、無道であってもその家を失うことはなく、士に争友(そうゆう)が居れば、身はその名声に背くことはなく、父に争子が居れば、身は不義に陥ることはない、という。 故に不義に当たれば、子は父に争うべきであるし、臣下は主君に争うべきである。 不義に当りてこれを争う、父の命に従うのみならば、どうして孝となせようか、と。

事君(じくん)
君子の主君に事(つか)えるや、進んでは忠を尽くさんことを思い、退きては過ちを補わんことを思う。 その嘉(よみ)すべきところがあれば受けてこれに従い、その改むべきところがあれば未然に補いて増益す、故に上下和して親しまざるはなし。 故に詩経の隰桑(しっそう)篇にはこのように詠われている。 愛を心にすれば、遠近親疎の隔て無く、中心に蔵(ぞう)して忘ること無し、と。

喪親(そうしん)
孝なる者のその親の喪に服するや、哀しむこと声を失い、喪に勝(た)えずして進退及ばず、言葉を発すれば清音あらず、美服を着るも安らかならず、音楽を聞くも楽しからず、甘きを食すも味を感ぜざるは、これ哀戚(あいせき)の情である。 喪に服して三日にして食するの決まりを設け、親しき者の死によってその生を損なわせず、身はやせ細るともその性命を滅せざるように教えるは、聖人の政(まつりごと)である。 喪に服すること、三年を以て最長の期間とするは、民に喪に服することの終わりあるを示すためである。 死者の為に柩(ひつぎ)を設け、死装束を作り、心を尽してこれを挙げ、供え物を捧げて勧めるも、応答あらざるを以ての故に、その死をまた感じて哀戚(あいせき)し、胸を叩き地を踏んで声をあげて泣き、哀しんで柩と共に逝くを送り、その柩の置くべきところを卜(ぼく)して安置し、宗廟(そうびょう)をおこして鬼(き)を以てこれを祭り、春秋に祭祀して、時を以てこれを思う。 生あらばこれに事(つか)えて愛敬を尽くし、死せばこれに事(つか)えて哀戚(あいせき)已(や)まず。 生きる者の本分を尽くし、死生の義を備えて已(や)むこと無し、こうであって初めて孝たるの道は、その親に事(つか)えるの全きを得るのである。

孝経(終)



あとがき

古の人は男女五歳から孝経、論語を誦した
孝経(こうきょう)は、中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。孝の大体を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道の用を説く。
古文と今文
秦の始皇帝の焚書にあったが、漢の初めに顔貫、顔貞父子によって世に出たものを、漢代通用の隷書体であったことから「今文孝経」といい、全18章。 武帝の末魯共王が孔子の書院の壁から得たと称される、漆書蝌蚪の古文字によるものを「古文孝経」といい、これは「今文」の18章のほかに閏門章があり、「今文」の庶人章を2章に分け、聖治章を3章に分け、全22章。古文孝経は梁代に散佚し、隋代に再発見されたが、隋代のものは偽書の疑いが高いとされる。 唐の玄宗が、今文派と古文派の両派から討論させたが決着がつかず、玄宗みずから注釈し(御注孝経・開元始注本)両派の争いを収めようとした。宋の邢昺の疏がある。

[TOP]

引用文献  

江守孝三 (emori kozo)