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NHKテレビ 「100分de名著」 【維摩経】を 放送 、好評 テキスト (とらわれない、こだわらない) (古い「自分」を解体し、新たな「自分」を構築する。)

  目次 ・維摩詰所説経巻(巻上)第一第二第三 ・(巻中)第一第二第三 ・(巻下)第一第二
      下欄に記載 ( 面白い 超訳【維摩経】)(維摩書籍)(辞典)

維摩経(巻下之第二)  とらわれない、こだわらない
    自分の枠をばらし、新たな「私」を組み立てる。

『維摩経』は、西暦百年頃にインドで成立したと考えられています。「生老病死」と言った仏教の基本テーマだけでなく、政治や経済、平等や差別といった人間社会が抱えるさまざまな問題が、維摩詰によって提起されていきます。
『維摩経』 (ゆいまきょう、梵: Vimalakīrti-nirdeśa Sūtra ヴィマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ)は、大乗仏教経典の一つ。別名『不可思議解脱経』(ふかしぎげだつきょう)。 サンスクリット原典と、チベット語訳、3種の漢訳が残存する。漢訳は7種あったと伝わるが、支謙訳『維摩詰経』・鳩摩羅什訳『維摩詰所説経』・玄奘訳『説無垢称経』のみ残存する。一般に用いられるのは鳩摩羅什訳である。
日本でも、仏教伝来間もない頃から広く親しまれ、聖徳太子の三経義疏の一つ『維摩経義疏』を始め、今日まで多数の注釈書が著されている。

維摩経動画(100分で名著1.2.3.4)他

 
①「維摩経 仏教思想の一大転換」 ②「維摩経 得意分野こそ疑え」、  維摩経義疏: 不可思議解脱経:聖徳太子 著 (島田蕃根) 「維摩経に〝今〟を学ぶ 」維摩経(動画)維摩経(YouTube)国立図書「維摩経」

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目次 ・維摩詰所説経巻上 第一  第二  第三 ・維摩詰所説経巻中 第一  第二  第三 ・維摩詰所説経巻下 第一  第二
維摩詰所説経巻下(第二) 維摩経(巻下之第二)

見阿閦仏品第十二

見阿閦佛品第十二 ・見阿閦仏品(けんあしゅくぶつぼん)第十二

維摩詰、如来を語る

爾時世尊問維摩詰。汝欲見如來。為以何等觀如來乎 ・その時、世尊、維摩詰に問いたまわく、『汝、如来を見んと欲す。何等を以って如来を観ると為すや。』 維摩詰言。如自觀身實相。觀佛亦然。我觀如來。前際不來後際不去今則不住 。維摩詰言わく、『自ら身の実相を観ずるが如し。仏を観ずるもまた然り。我、如来を観ずるに、前際(ぜんさい、過去)より来たらず、後際(ごさい、未来)に去らず。今は、すなわち住(存在)せず。 不觀色不觀色如。不觀色性 ・色を観ぜず、色の如(真如、真実)を観ぜす、色の性(本性)を観ぜす。 不觀受想行識。不觀識如。不觀識性 ・受想行識を観ぜず、識(受想行識)の如を観ぜず、識の性を観ぜず。 非四大起。同於虛空。六入無積。眼耳鼻舌身心已過 ・四大(地水火風)の起こすに非ず。虚空に同じく、六入(眼耳鼻舌身意)積もること無く、眼耳鼻舌身心(意)すでに過ぐ。 不在三界。三垢已離順三脫門。具足三明與無明等 ・三界(世界)に在らず。三垢(貪瞋癡)すでに離れ、三脱門(空、無相、無作)に順ず、三明(さんみょう、仏は宿命、天眼、漏尽に通達す)と無明(むみょう、根本煩悩)と等しく具足す。 不一相不異相。不自相不他相。非無相非取相。不此岸不彼岸不中流。而化眾生 ・一相ならず(世界は唯一の相をもつでなく)、異相ならず(世界は多くの相をもつものの集まりでもなし)。自相せず(自相を取らず)、他相せず(他相を取らず)。相無きに非ず、相を取るに非ず。此岸(しがん、世界)ならず、彼岸(ひがん、涅槃)ならず、中流ならず、しかも衆生を化す。 觀於寂滅亦不永滅 ・寂滅を観ずれども、また永く滅せず(涅槃に入らず)。 不此不彼。不以此不以彼。不可以智知。不可以識識 ・此ならず、彼ならず。此を以ってせず、彼を以ってせず。智を以って知るべからず。識を以って識るべからず。 無晦無明無名無相。無強無弱非淨非穢 ・晦(かい、闇)無く、明無く、名無く、相無く、強無く、弱無く、浄に非ず、穢に非ず。 不在方不離方。非有為非無為。無示無說。不施不慳。不戒不犯。不忍不恚。不進不怠。不定不亂。不智不愚。不誠不欺。不來不去。不出不入。一切言語道斷 ・方(ほう、領域)に在らず、方を離れず。有為(世界)に非ず、無為(涅槃)に非ず。示すこと無く、説くこと無し。施(布施)せず慳(慳貪)せず、戒(持戒)せず犯(犯戒)せず、忍(忍辱)せず恚(瞋恚)せず、進(精進)せず怠(懈怠)せず、定(禅定)せず乱(散乱)せず、智(智慧)せず愚(愚癡)せず、誠ならず欺かず、来たらず去らず、出でず入らず、一切の言語の道断つ。 非福田非不福田。非應供養非不應供養。非取非捨。非有相非無相。同真際等法性。不可稱不可量。過諸稱量 ・福田に非ず福田ならざるに非ず、まさに供養すべきに非ず、まさに供養すべからざるに非ず、取るに非ず捨つるに非ず、相有るに非ず相無きに非ず、真際(真如の実際)に同じく、法性(真如)に等しく、称(はか)るべからず、量るべからず、諸の称量を過ぐ。 非大非小。非見非聞非覺非知。離眾結縛 ・大に非ず小に非ず、見に非ず聞に非ず、覚に非ず知に非ず、衆の結縛を離る。 等諸智同眾生。於諸法無分別。一切無失。無濁無惱。無作無起無生無滅。無畏無憂無喜無厭無著。無已有無當有無今有。不可以一切言說分別顯示 ・諸智(一切智、道種智、一切種智)に等しく、衆生に同じく、諸法に於いて分別無く、一切の失(とが)無く、濁無く悩無く、作(作用)無く起(起動)無く、生無く滅無く、畏無く憂無く、喜無く厭無く著無く、已に有りたること無く、当に有らんこと無く、今有ること無し。一切の言説を以って分別顕示するべからず。 世尊。如來身為若此。作如是觀。以斯觀者名為正觀。若他觀者名為邪觀 ・世尊、如来の身はかくの若しと為し、かくの如き観を作す。この観を以ってすれば名づけて正観と為し、もし他の観をもってすれば名づけて邪観と為す。』と。

舍利弗、菩薩を問う

爾時舍利弗問維摩詰。汝於何沒而來生此 ・その時、舍利弗、維摩詰に問わく、『汝、何(何処)に於いて没し、来たりて、ここに生ずるや。』 維摩詰言。汝所得法有沒生乎 ・維摩詰言わく、『汝が所得の(無為無相の)法に沒と生と有りや。』   舍利弗言。無沒生也 ・舍利弗言わく、『沒と生無し。』 若諸法無沒生相。云何問言汝於何沒而來生此。於意云何。譬如幻師幻作男女。寧沒生耶 ・『もし諸法に沒と生の相無くんば、云何が問うて言わく、『汝、何に於いて没し、来たりて、ここに生ずるや。』と。意に於いて云何、譬えば幻師の男女を幻作するが如きは、むしろ沒と生とありや。』 舍利弗言。無沒生也 ・舍利弗言わく、『沒と生と無きなり。』 汝豈不聞佛說諸法如幻相乎 ・『汝、あに仏の、『諸法は幻の相の如し』と説きたまえるを(何も)聞かずや。』 答曰如是 ・答えて曰く、『かくの如し。』 若一切法如幻相者。云何問言汝於何沒而來生此 ・(維摩詰言わく)『もし一切の法、幻の相の如くんば、云何が問うて言わく、『汝、何に於いて没し、来たりて、ここに生ずるや。』と。 舍利弗。沒者為虛誑法敗壞之相。生者為虛誑法相續之相 ・舍利弗、沒とは虚誑法(こおうほう、真実ならざるモノ)の敗壊の相たり。生とは虚誑法の相続の相たり。 菩薩雖沒不盡善本 ・菩薩は没するといえども、善本を尽くさず、 雖生不長諸惡 ・生ずといえども、諸悪を長ぜず。』 雖生不長諸惡 ・生ずといえども、諸悪を長ぜず。』 是時佛告舍利弗。有國名妙喜。佛號無動。是維摩詰於彼國沒而來生此 ・この時、仏、舍利弗に告げたまわく、『国有り、妙喜と名け、仏は無動(阿閦如来(あしゅくにょらい))と号す。この維摩詰、彼の国に於いて没し、来たりて、ここに生ず。』 舍利弗言。未曾有也。世尊。是人乃能捨清淨土。而來樂此多怒害處 ・舍利弗言わく、『未曽有なり。世尊。この人、すなわちよく清浄の土を捨て、来たりて、この怒害(ぬがい)多き処を楽(ねが)うこと。』 維摩詰語舍利弗。於意云何。日光出時與冥合乎 ・維摩詰、舍利弗に語らく、『意に於いて云何。日光出づる時、冥(冥闇)と合するや。』 答曰。不也。日光出時即無眾冥 ・答えて曰く、『不(いな)なり。日光出づる時は、すなわち衆(もろもろ)の冥無し。』 維摩詰言。夫日何故行閻浮提 ・維摩詰言わく、『それ、日は何が故に閻浮堤(えんぶだい、須弥山の南側の地)を行く。』 答曰欲以明照為之除冥 ・答えて曰く、『明を以って照らし、これが為に冥を除かんと欲すればなり。』 維摩詰言。菩薩如是。雖生不淨佛土為化眾生故不與愚闇而共合也。但滅眾生煩惱闇耳 ・維摩詰言わく、『菩薩もかくの如く、不浄の仏土に生ずといえども、衆生を化せんが為の故にて、愚闇と共に合せず。ただ衆生の煩悩の闇を滅するのみ。』と。

維摩詰、阿閦仏の浄土を現す

L 是時大眾渴仰。欲見妙喜世界無動如來及其菩薩聲聞之眾 ・この時、大衆渇仰(かつごう、渇望)して、妙喜世界の無動如来、およびその菩薩声聞の衆を見んと欲す。 佛知一切眾會所念。告維摩詰言。善男子。為此眾會。現妙喜國無動如來及諸菩薩聲聞之眾。眾皆欲見 ・仏、一切の衆会の所念を知り、維摩詰に告げて言たまわく、『善男子、この衆会の為に、妙喜国の無動如来、および諸の菩薩声聞の衆を現ぜよ。衆は皆見んと欲す。』 於是維摩詰心念。吾當不起于座接妙喜國。鐵圍山川溪谷江河。大海泉源須彌諸山。及日月星宿。天龍鬼神梵天等宮。并諸菩薩聲聞之眾。城邑聚落男女大小。乃至無動如來及菩提樹諸妙蓮華。能於十方作佛事者 ・ここに於いて維摩詰、心に念ずらく、『吾、まさに座を起たずして、妙喜国の鉄囲(鉄囲山(てっちせん)、須弥山を中心とする四大洲の外側を更に取り囲む山)、山川、渓谷、江河、大海、泉源、須弥、諸山、および日月星宿、天龍、鬼神、梵天等の宮、ならびに諸の菩薩声聞の衆、城邑(じょうゆう)、聚落(じゅらく)、男女の大小、乃至(ないし)無動如来、および菩提樹、諸の妙蓮華の、よく十方に於いて仏事を作す者に接すべし。 三道寶階從閻浮提至忉利天以此寶階諸天來下。悉為禮敬無動如來聽受經法。閻浮提人。亦登其階。上昇忉利見彼諸天。妙喜世界成就如是無量功德 ・三道の宝階(階段)ありて、閻浮堤より忉利天(とうりてん)に至る。この宝階を以って、諸天来たりて下り、悉く無動如来に礼敬し、経法を聴受することを為す。閻浮堤の人も、またその階を登り、忉利(天)に上昇して、彼(かしこ)の諸天に見(まみ)ゆ。妙喜世界は、かくの如き無量の功徳を成就せり。 上至阿迦膩吒天。下至水際。以右手斷取如陶家輪。入此世界猶持華鬘示一切眾。作是念已入於三昧現神通力。以其右手斷取妙喜世界置於此土 ・上は阿迦膩咤天(あかにだてん)に至り、下は水際に至るまで、右手を以って断ち取ること、陶家の輪(りん、ロクロ)の如く、この世界に入ること、なお華鬘(けまん、襟元の飾り)のごとくにして、一切の衆に示すべし。』と。この念を作しおわりて、三昧に入りて神通力を現し、その右手を以って、妙喜世界を断ち取り、この土に置く。 彼得神通菩薩及聲聞眾并餘天人。俱發聲言。唯然世尊。誰取我去。願見救護 ・彼(かしこ)の神通を得たる菩薩、および声聞衆、ならびに余の天人倶に声を発して言わく、『唯(ゆい、ハイ)、然り(しかり、確かに)、世尊、誰か我を取り去る。願わくは救護(くご)せられよ。』と。 無動佛言。非我所為。是維摩詰神力所作。其餘未得神通者。不覺不知己之所往。妙喜世界雖入此土而不增減。於是世界亦不迫隘如本無異 ・無動仏言わく、『我が所為に非ず。これ維摩詰が神力の作す所なり。』と。その余の、未だ神通を得ざる者は、己の往く所(コト)を覚えず知らず。妙喜世界は、この土(娑婆世界)に入るといえども、増減せず。この(妙喜)世界に於いても、また迫隘(はくあい、セバマル)せざること、本の如くにて異なり無し。 爾時釋迦牟尼佛告諸大眾。汝等且觀妙喜世界無動如來其國嚴飾。菩薩行淨弟子清白 ・その時、釈迦牟尼仏、諸の大衆に告げたまわく、『汝等、且く妙喜世界の無動如来と、その国の厳飾(ごんじき、荘厳)と、菩薩の行浄く、弟子の清白(しょうびゃく、清浄潔白)なることを観よ。』 皆曰。唯然已見 ・皆曰く、『唯、然り、すでに見る。』 佛言。若菩薩欲得如是清淨佛土。當學無動如來所行之道 ・仏言たまわく、『もし菩薩、かくの如き清浄の仏土を得んと欲せば、まさに無動如来の行ずる所の道を学ぶべし。』と。 現此妙喜國時。娑婆世界十四那由他人發阿耨多羅三藐三菩提心。皆願生於妙喜佛土 ・この妙喜国現る時、娑婆世界の十四那由他(凡そ十億)の人、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、皆妙喜仏土に生ぜんと願う。 釋迦牟尼佛即記之曰。當生彼國 ・釈迦牟尼仏、すなわちこれを記(き、記別、予言)して曰(の)たまわく、『まさに彼の国に生ずべし』と。 時妙喜世界於此國土。所應饒益其事訖已。還復本處舉眾皆見 ・時に妙喜世界、この(娑婆)国土に於いて、まさに饒益(にょうやく、利益)すべき所の、その事すでに訖(おわ)りて、還りて本処に復すれば、衆を挙(こぞ)りて皆見たてまつる。 佛告舍利弗。汝見此妙喜世界及無動佛不 ・仏、舍利弗に告げたまわく、『汝、この妙喜世界、および無動仏を見しや不や。』 唯然已見。世尊。願使一切眾生得清淨土如無動佛。獲神通力如維摩詰 ・『唯、然り、已に見たてまつる。世尊、願わくは、一切の衆生をして、清浄の土を得ること無動仏の如く、神通力を獲(う)ること維摩詰の如くならしめたまわんことを。 世尊。我等快得善利。得見是人親近供養 ・世尊、我等は、快く(とく、スバヤク)、善利(善妙の利益)を得、この人(維摩詰)を見て親近(しんごん)し供養することを得。  其諸眾生若今現在若佛滅後。聞此經者亦得善利。況復聞已信解受持讀誦解說如法修行 ・それ、諸の衆生、もしは今現在、もしは仏の滅後に、この経を聞く者も、また善利を得ん。況(いわん)や、また聞きおわりて、信解し、受持し、読誦し、解説し、法の如くに修行せんをや。 若有手得是經典者。便為已得法寶之藏。若有讀誦解釋其義如說修行。即為諸佛之所護念 ・もし手にこの経典を得る者有らば、すなわちすでに法宝の蔵を得と為す。もし読誦し、その義を解釈し、説の如く修行するもの有らば、すなわち諸仏の護念したもう所と為す。 其有供養如是人者。當知即為供養於佛 ・それ、かく(維摩詰)の如き人を供養する者有らば、まさに知るべし、すなわち仏を供養すと為すことを。 其有書持此經卷者。當知其室即有如來 ・それ、この経巻を書き持する者有らば、まさに知るべし、その室に、すなわち如来有(ま)しますことを。 若聞是經能隨喜者。斯人即為取一切智 ・もし、この経を聞きて、よく随喜せん者は、この人は、すなわち一切智を取ると為すことを。 若能信解此經乃至一四句偈為他說者。當知此人即是受阿耨多羅三藐三菩提記 ・もし、この経の、乃至一つの四句の偈だにも、よく信解して他の為に説かん者は、まさに知るべし、この人は、すなわちこれ阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを。

法供養品第十三

法供養品第十三 ・法供養品(ほうくようぼん)第十三

天帝、持法者の守護を誓う

爾時釋提桓因於大眾中白佛言。世尊。我雖從佛及文殊師利聞百千經。未曾聞此不可思議自在神通決定實相經典 ・その時、釈提桓因、大衆の中に於いて、仏に白して言さく、『世尊、我は、仏および文殊師利従り、百千の経を聞くといえども、未だかつて、この『不可思議なる自在神通にて実相を決定すること』の経典を聞かざりき。 如我解佛所說義趣。若有眾生聞是經法。信解受持讀誦之者。必得是法不疑。何況如說修行 ・我が解する仏の説きたもう所の義趣の如きは、もし有る衆生、この経法を聞きて、信解し受持し読誦せば、必ずこの法を得んこと疑わじ。何をか況や、説の如くに修行せんをや。 斯人即為閉眾惡趣開諸善門。常為諸佛之所護念。降伏外學摧滅魔怨。修治菩提安處道場。履踐如來所行之跡 ・この人は、すなわち衆の悪趣(地獄餓鬼畜生)を閉ざし、諸の善門を開くと為し、常に諸仏に護念せられ、外學(外道)を降伏(ごうぶく)し、魔怨(まおん、煩悩魔、五陰魔、死魔、天魔)を摧滅(さいめつ)し、菩提を修治し、道場に安処し、如来の所行の跡を履践(りせん、踏む)すると為す。 世尊。若有受持讀誦如說修行者。我當與諸眷屬供養給事。所在聚落城邑山林曠野有是經處。我亦與諸眷屬。聽受法故共到其所。其未信者當令生信。其已信者當為作護 ・世尊、もし受持し読誦し説の如くに修行する者有らば、我、まさに諸の眷属とともに供養し給事すべし。在らゆる聚落、城邑、山林、曠野の、この経を有る処には、我も、また諸の眷属と、法を聴受せん(為の)が故に、共にその所に到り、その未だ信ぜざる者には、まさに信を生ぜしむべく、そのすでに信ずる者には、まさに為に護(擁護)を作すべし。』と。 佛言。善哉善哉。天帝。如汝所說。吾助爾喜 ・仏言たまわく、『善哉善哉、天帝、汝が所説の如くんば、吾、爾(なんじ)を助けて喜ばしめん。 此經廣說過去未來現在諸佛不可思議阿耨多羅三藐三菩提 ・この経は、広く過去未来現在の諸仏の不可思議の阿耨多羅三藐三菩提を説く。 是故天帝。若善男子善女人。受持讀誦供養是經者即為供養去來今佛 ・この故に、天帝、もし善男子、善女人、この経を受持し読誦し供養せん者は、すなわち去来今の仏を供養すると為す。 天帝。正使三千大千世界如來滿中。譬如甘蔗竹[竺-二+韋]稻麻叢林。若有善男子善女人。或一劫或減一劫。恭敬尊重讚歎供養奉諸所安。至諸佛滅後。以一一全身舍利起七寶塔。縱廣一四天下高至梵天表剎莊嚴。以一切華香瓔珞幢幡伎樂微妙第一。若一劫若減一劫而供養之。於天帝意云何。其人植福寧為多不 ・天帝、まさに三千大千世界をして、如来を中に満しむること、譬えば甘蔗、竹葦、稲麻、叢林の如くならしめ、もし善男子善女人有りて、或いは一劫、或いは減一劫(げんいっこう、短めの一劫)、恭敬し尊重し讃嘆し供養し、諸の安(あん、安置)ずる所(具うべきもの、飲食衣服臥具の類)を奉り、諸仏の滅後に至りては、一々の全身の舎利を以って、七宝の塔を起て、縦広(じゅうこう、縦横)は一四天下(してんげ、四大洲)、高さは梵天に至り、表(ひょう、標柱)刹(せつ、塔柱)荘厳し、一切の華香、瓔珞、幢幡、伎楽の微妙なること第一を以って、もしは一劫、もしは減一劫、これを供養するは、天帝が意に於いて云何。その人は福を植うること、むしろ多しと為すや不や。』 釋提桓因言。多矣世尊。彼之福德若以百千億劫說不能盡 ・釈提桓因(しゃくだいかんいん)言わく、『多しや、世尊。彼の福徳は、もし百千億劫を以って説くとも、尽くすこと能わじ。』 佛告天帝。當知是善男子善女人。聞是不可思議解脫經典信解受持讀誦修行福多於彼 ・仏、天帝に告げたまわく、『まさに知るべし、この善男子善女人、この不可思議解脱の経典を聞いて、信解し受持し読誦し、修行する福は、彼に於いて多きことを。 所以者何。諸佛菩提皆從是生。菩提之相不可限量。以是因緣福不可量 ・所以(ゆえ)は何(いかん)となれば、諸仏の菩提は、皆ここ従り生ず。菩提の相は限量すべからず。この因縁を以って、福も量るべからず。』

法の供養

佛告天帝。過去無量阿僧祇劫時。世有佛號曰藥王如來應供正遍知明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊。世界名大莊嚴。劫曰莊嚴。佛壽二十小劫。其聲聞僧三十六億那由他。菩薩僧有十二億 ・仏、天帝に告げたまわく、『過去、無量阿僧祇劫(むりょうあそうぎこう、無数劫)に、時の世に、仏有り。号して薬王如来、応供(おうぐ)、正遍知(しょうへんち)、善逝(ぜんせい)、世間解(せけんげ)、無上士(むじょうし)、調御丈夫(ちょうごじょうぶ)、天人師(てんにんし)、仏(ぶつ)、世尊(せそん)と曰い、世界を大荘厳と名づけ、劫(世界所住の時)を荘厳と曰う。仏の寿(じゅ、寿命)は二十小劫(しょうこう、凡そ百六十分の一劫)なり。その声聞僧(の数)は三十六億那由他(なゆた、凡そ十億)、菩薩僧は十二億有り。 天帝。是時有轉輪聖王名曰寶蓋。七寶具足主四天下。王有千子。端正勇健能伏怨敵 ・天帝、この時、転輪聖王(てんりんじょうおう)有り、名づけて宝蓋(ほうがい)と曰う。七宝具足し四天下に主たり。王に千子有り。端正(たんじょう)勇健(ゆごん)にて、よく怨敵を伏す。 爾時寶蓋與其眷屬供養藥王如來。施諸所安至滿五劫。過五劫已告其千子。汝等亦當如我以深心供養於佛。於是千子受父王命。供養藥王如來。復滿五劫一切施安 ・その時、宝蓋その眷属とともに薬王如来を供養し、諸の安ずる所を施して満五劫に至る。五劫を過ぎおわりて、その千子に告ぐらく、『汝等も、またまさに我が如く、深心以って仏を供養すべし。』と。ここに於いて、千子、父王の命を受け、薬王如来を供養し、また満五劫、一切を施して(仏を)安んず。 其王一子名曰月蓋。獨坐思惟。寧有供養殊過此者 ・その王の一子、名づけて月蓋(がつがい)と曰う。独り坐して思惟すらく、『寧(いづく)んぞ供養して、殊にこれに過る者有らんや。』と。 以佛神力空中有天曰。善男子。法之供養勝諸供養 ・仏の神力を以って、空中に天有りて曰く、『善男子、法の供養は、諸の供養に勝る。』と。 即問。何謂法之供養 ・すなわち問わく、『何をか法の供養と謂う。』 天曰。汝可往問藥王如來。當廣為汝說法之供養 ・天曰く、『汝、往きて薬王如来に問うべし。まさに広く(詳らかに)汝が為に、法の供養を説きたもうべし。』 即時月蓋王子行詣藥王如來稽首佛足。卻住一面白佛言。世尊。諸供養中法供養勝。云何為法供養 ・即時に、月蓋王子、行きて薬王如来に詣(いた)り、仏の足に稽首(けいしゅ)して、却(しりぞ)きて(壁の)一面に住し、仏に白して言さく、『世尊、諸の供養の中に法の供養勝るとは、云何なるをか法の供養と為す。』 佛言。善男子。法供養者。諸佛所說深經。一切世間難信難受。微妙難見清淨無染。非但分別思惟之所能得 ・仏言たまわく、『善男子、法の供養とは、諸仏所説の深き経は、一切の世間には信じ難く受け難く、微妙にして見難く、清浄にして染無く、ただ分別思惟のみしてよく得る所に非ず。 菩薩法藏所攝。陀羅尼印印之 ・菩薩の法蔵の所摂(しょしょう、所蔵)にして、陀羅尼(だらに、総持、無忘失)の印もてこれを印(封印)し(陀羅尼の印とは、菩薩のみ能く法蔵に入るの証印。)、 至不退轉成就六度。善分別義順菩提法 ・不退転(の位)に至りて六度(六波羅蜜)を成就し、善く(正しく)義を分別して菩提の法(菩薩の法)に順(したが)う(者のみ能くこの印を解く)。 眾經之上。入大慈悲。離眾魔事及諸邪見 ・(この経は)衆経の上にして大慈悲に入り、衆の魔事、および諸の邪見を離る。 順因緣法。無我無人無眾生無壽命 ・因縁(十二因縁)の法に順いて、我無く人無く衆生無く寿命無し。 空無相無作無起。能令眾生坐於道場而轉法輪。諸天龍神乾闥婆等所共歎譽 ・空、無相、無作、無起にして、よく衆生をして道場に坐して、法輪を転ぜしめ、諸天、龍神、乾闥婆(けんだつば、楽神)等の共に歎誉する所なり。 能令眾生入佛法藏攝諸賢聖一切智慧。說眾菩薩所行之道 ・よく衆生をして仏の法蔵に入らしめ、諸の賢聖の一切の智慧を摂(おさ)め、衆の菩薩の所行の道を説く。 依於諸法實相之義。明宣無常苦空無我寂滅之法。能救一切毀禁眾生。諸魔外道及貪著者能使怖畏。諸佛賢聖所共稱歎 ・諸法の実相の義に依りて、明らかに無常、苦、空、無我寂滅の法を宣べ、よく一切の毀禁(ききん、犯戒)の衆生を救い、諸魔、外道および貪著する者をして、よく怖畏せしむ。諸仏、賢聖の共に称嘆する所なり。 背生死苦示涅槃樂。十方三世諸佛所說 ・生死の苦に背きて涅槃の楽を示す、十方三世の諸仏の所説なり。 若聞如是等經。信解受持讀誦。以方便力為諸眾生分別解說顯示分明。守護法故。是名法之供養 ・もし、かくの如き等の経を聞いて、信解し受持し読誦し、方便力を以って諸の衆生の為に、分別し解説し分明にせば、法を守護するが故に、これを法の供養と名づく。 又於諸法如說修行。隨順十二因緣。離諸邪見得無生忍。決定無我無有眾生。而於因緣果報。無違無諍離諸我所 ・また、諸法に於いて、説の如くに修行し、十二因縁に隨順して諸の邪見を離れ、無生忍を得て、我無く衆生も有ること無しと決定し、しかも因縁果報(の理)に於いて、違うこと無く諍うこと無く、諸の我所(がしょ、我が物、我が身心)を離る。 依於義不依語 ・義に依りて語に依らず、 依於智不依識 ・智に依りて識に依らず、 依了義經不依不了義經 ・義を了(明了)にする経に依りて、義を了にせざる経に依らず、 依於法不依人 ・法に依りて人に依らず、 隨順法相無所入無所歸 ・法相(諸法の実相)に隨順して入る所(サトリ)無く帰(帰順)する所無し。 無明畢竟滅故。諸行亦畢竟滅。乃至生畢竟滅故。老死亦畢竟滅。作如是觀。十二因緣無有盡相。不復起見。是名最上法之供養 ・無明(十二因縁の第一支)は畢竟(ひっきょう、ツマルトコロ)滅(寂滅)なるが故に、諸行(十二因縁の第二支)もまた畢竟滅なり。乃至生(十二因縁の第十一支)は畢竟滅なるが故に、老死(十二因縁の第十二支)もまた畢竟滅なり。かくの如き観を作して、十二因縁は尽相有ること無く(十二因縁は本不生なるが故に今更に滅すること無し)、また見(邪見)を起こさず。これを最上の法の供養と名づく。』と。 佛告天帝。王子月蓋從藥王佛。聞如是法得柔順忍。即解寶衣嚴身之具。以供養佛白佛言。世尊。如來滅後我當行法供養守護正法。願以威神加哀建立。令我得降魔怨修菩薩行 ・仏、天帝に告げたまわく、『王子月蓋、薬王仏より、かくの如き法を聞いて柔順忍(実相の法に深入せずといえども、心柔順に教えに違背せざる位)を得、すなわち宝衣と身を厳(かざ)る具を解き、以って仏に供養し、仏に白して言さく『世尊、如来の滅後に、我、まさに法の供養を行じ、正法を守護すべし。願わくは、威神(神通力)を以って哀れみを加えて建立(こんりゅう、擁立)し、我をして魔怨を降し得て、菩薩行を修せしめたまわんことを。』と。 佛知其深心所念。而記之曰。汝於末後守護法城 ・仏、その深き心の念ずる所を知り、これに記して曰わく、『汝、末後(まつご、後世)に於いて、法城を守護すべし』と。 天帝。時王子月蓋見法清淨。聞佛授記以信出家。修集善法精進不久。得五神通逮菩薩道。得陀羅尼無斷辯才。於佛滅後以其所得神通總持辯才之力。滿十小劫。藥王如來所轉法輪隨而分布 ・天帝、時に王子月蓋、法の清浄なるを見、仏の授記を聞き、信を以って出家し、善法(ぜんぽう、ヨイコト)を修め集めて、精進すること久しからずして、五神通(天耳、天眼、宿命、他心、神足)を得、菩薩の道を逮(おいもと)め、陀羅尼(無忘失)と無断の辯才を得たり。仏の滅後に於いては、その得たる所の神通と総持と辯才の力を以って、満十小劫のあいだ、薬王如来の転じたもう所の法輪に随い、分布す。 月蓋比丘以守護法勤行精進。即於此身化百萬億人。於阿耨多羅三藐三菩提立不退轉 ・月蓋比丘、法を守護し勤行し精進するを以って、すなわちこの身に於いて、百万億人を化(化導)し、阿耨多羅三藐三菩提に於いて不退転(の位)に立つ。 十四那由他人深發聲聞辟支佛心。無量眾生得生天上 ・十四那由他(なゆた、十億)の人は深く声聞辟支仏の心を発し、無量の衆生は天上に生ずることを得たり。 天帝。時王寶蓋豈異人乎。今現得佛號寶炎如來。其王千子即賢劫中千佛是也 ・天帝、時の王、宝蓋とは、あに異人ならんや。今現に仏を得て、宝炎如来と号し、その王の千子とは、すなわち賢劫(けんごう、この三千大千世界、すなわち娑婆世界の現在の劫の名)の中の千仏、これなり。 從迦羅鳩孫[馬*太]為始得佛。最後如來號曰樓至。月蓋比丘即我身是 ・迦羅鳩孫駄(からくそんだ、拘留孫仏(くるそんぶつ)、賢劫の最初に出現する仏)を始めて仏を得と為して従り、最後の如来を号して楼至(るし)と曰う。月蓋比丘とは、すなわち我が身(釈迦牟尼仏)これなり。 如是天帝。當知此要。以法供養於諸供養為上。為最第一無比。是故天帝。當以法之供養供養於佛 ・かくの如し、天帝、まさにこの要を知るべし。法の供養を以って、諸の供養に於いて上と為し、最も第一無比と為す。この故に天帝、まさに法の供養を以って、仏を供養すべし。』と。

嘱累品第十四

囑累品第十四 ・嘱累品(そくるいぼん)第十四

弥勒菩薩と阿難に付嘱す

於是佛告彌勒菩薩言。彌勒。我今以是無量億阿僧祇劫所集阿耨多羅三藐三菩提法。付囑於汝 ・ここに於いて仏、弥勒菩薩に言たまわく、『弥勒、我、今この無量億阿僧祇(あそうぎ、無数)劫に集めし所の阿耨多羅三藐三菩提の法を以って、汝に附嘱(ふそく、任す)す。 如是輩經於佛滅後末世之中。汝等當以神力廣宣流布於閻浮提無令斷絕 ・かくの如き輩(たぐい)の経を、仏の滅後の末の世の中に於いて、汝等、まさに神力を以って、広宣流布(こうせんるふ、ヒロメル)し、閻浮堤(えんぶだい、世界)に於いて断絶せしむること無かれ。 所以者何。未來世中當有善男子善女人。及天龍鬼神乾闥婆羅剎等。發阿耨多羅三藐三菩提心樂于大法。若使不聞如是等經則失善利。如此輩人聞是等經。必多信樂發希有心當以頂受隨諸眾生所應得利而為廣說 ・所以は何となれば、未来世の中の、善男子善女人、および天龍、鬼神、乾闥婆(けんだつば、楽神)、羅刹(らせつ、悪鬼)等の、阿耨多羅三藐三菩提心を発し、大法(大乗)を楽(ねが)うもの有るべし。もしかくの如き等の経を聞かざらしむれば、すなわち善利を失せん。かくの如き輩の人、これ等の経を聞かば、必ず多く信楽(しんぎょう、信じ楽う)して、希有の心を発して、まさに頂受(頂戴と受持)することを以って、諸の衆生のまさに利を得べき所に随うて、為に広く説くべし。 彌勒當知。菩薩有二相。何謂為二。一者好於雜句文飾之事。二者不畏深義如實能入 ・弥勒、まさに知るべし。菩薩には二の相有り。何をか謂って二と為す。一は、雑句文飾(ぞうくもんじき、美辞麗句)を好み、二は、深義を畏れず、如実によく入る(覚る)。 若好雜句文飾事者。當知是為新學菩薩 ・もし雑句文飾を好む者は、まさに知るべし。これ新学の菩薩と為すと。 若於如是無染無著甚深經典。無有恐畏能入其中。聞已心淨受持讀誦如說修行。當知是為久修道行 ・もしかくの如き無染、無著の甚深の経典に於いて、恐畏(くい)有ること無く、よくその中に入りて、聞きおわりて心浄く、受持し読誦し、説の如く修行するもの、まさに知るべし、これ久しく道行を修すと。 彌勒。復有二法。名新學者。不能決定於甚深法 ・弥勒、また二法有り。新学の者と名づく。甚深の法に於いて決定すること能わず。 何等為二。一者所未聞深經。聞之驚怖生疑不能隨順。毀謗不信而作是言。我初不聞從何所來 ・何等をか二と為す。一は、未だ聞かざる所の深き経、これを聞いて驚き怖れ、疑いを生じて、隨順すること能わず。毀謗(きぼう、誹謗)し信じずして、この言を作さく、『我は初めより聞かず。何所(いづこ)従り来たる(この経は聞いたことが無い、誰が言ったことだ)。』と。 二者若有護持解說如是深經者。不肯親近供養恭敬。或時於中說其過惡 ・二は、もしかくの如き深き経を護持し解説する者有らば、親近し供養し恭敬することを肯(がえん、承知)ぜず。或は時に、中に於いてその過悪を説く。 有此二法。當知是為新學菩薩。為自毀傷。不能於深法中調伏其心 ・この二法有らば、まさに知るべし。これ新学の菩薩と為すと。為に自ら毀傷(きしょう、傷つける)し、深法の中に於いて、その心を調伏すること能わず。 彌勒。復有二法。菩薩雖信解深法。猶自毀傷而不能得無生法忍。何等為二。一者輕慢新學菩薩而不教誨。二者雖解深法而取相分別。是為二法 ・弥勒、また二法有り。菩薩、深法を信解すといえども、なお自ら毀傷して無生法忍を得る能ず。何等をか二と為す。一は、新学の菩薩を軽慢(きょうまん、重視せず)して教誨(きょうけ、教導)せず。二は、深法を解すといえども相(表相)を取りて分別す。これを二法と為す。』と。 彌勒菩薩聞說是已白佛言。世尊。未曾有也。如佛所說。我當遠離如斯之惡奉持如來無數阿僧祇劫所集阿耨多羅三藐三菩提法 ・弥勒菩薩、これを説きたもうを聞きおわり、仏に白して言さく、『世尊、未曽有なり。仏の説きたもうが如きは、我、まさにかくの如き悪を遠離し、如来、無数阿僧祇劫に集めたまいし所の阿耨多羅三藐三菩提の法を奉持(ぶじ)すべし。 若未來世善男子善女人求大乘者當令手得如是等經。與其念力。使受持讀誦為他廣說 ・もし未来世の善男子善女人、大乗を求むる者には、まさに手に、かくの如き等の経を得しめ、それに念力(護念の神力)を与えて、受持し読誦せしめ、他の為に広く説かしむべし。 世尊。若後末世有能受持讀誦為他說者。當知皆是彌勒神力之所建立 ・世尊、もし後の末世に、よく受持し読誦し他の為に説く者有らば、まさに知るべし、皆これは弥勒が神力の建立する所なることを。』と。 佛言。善哉善哉彌勒。如汝所說。佛助爾喜 ・仏言たまわく、『善哉善哉、弥勒、汝が所説の如きは、仏、爾(なんじ)を助けて喜ばしめん。』 於是一切菩薩合掌白佛。我等亦於如來滅後。十方國土廣宣流布阿耨多羅三藐三菩提法。復當開導諸說法者令得是經 ・ここに於いて一切の菩薩合掌して仏に白さく、『我等もまた如来の滅後に於いて、十方の国土に阿耨多羅三藐三菩提の法を広宣流布せん。またまさに諸の法を説く者を開導(かいどう、開発教導)して、この経を得しむべし。 爾時四天王白佛言。世尊。在在處處城邑聚落山林曠野。有是經卷讀誦解說者。我當率諸官屬為聽法故往詣其所擁護其人。面百由旬令無伺求得其便者 ・その時、四天王、仏に白して言さく、『世尊、在々処々の城邑、聚落、山林、曠野に、この経巻を読誦し解説する者有らば、我、まさに諸の官属を率いて、法を聴かんが為の故に、その所に往詣し、その人を擁護せん。面(まのあた)り百由旬(ゆじゅん、凡そ十キロメートル)、(悪魔の)伺い求めて、その便(たより、誘惑悩乱の便宜)を得る者無からしむべし。』と。 是時佛告阿難。受持是經廣宣流布。 ・この時、仏、阿難に告げたまわく、『この経を受持して、広宣流布せよ。』 阿難言唯然。我已受持要者。世尊。當何名斯經。 ・阿難言わく、『唯(ゆい、ハイ)、然り(確かに)。我、已に要を受持す。世尊、まさに何(いか)んがこの経を名づくべき。』 佛言。阿難。是經名為維摩詰所說。亦名不可思議解脫法門。如是受持 ・仏言たまわく、『阿難、この経を名けて『維摩詰が所説』と為し、また『不可思議なる解脱の法門』と名づけ、かくの如く受持せよ。』と、 佛說是經已。 ・仏、この経を説きおえたもう。 長者維摩詰.文殊師利.舍利弗.阿難等。及諸天人阿修羅一切大眾。聞佛所說皆大歡喜 ・長者維摩詰、文殊師利、舎利弗、阿難等、および諸の天人、阿修羅、一切の大衆、仏の説きたもう所を聞いて、大いに歓喜す。 維摩詰経巻下

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 面白い 超訳【維摩経】

初期大乗仏教典の傑作であり、かの聖徳太子も注釈本を書き下ろしたという「維摩経」の超訳チャレンジ。
仏教典=「お経」というと、法事の時などに坊さんがなにやらムニャムニャ唱えている呪文みたいなものだというイメージが強いですが、羅列された漢字の文字列を「中国語」の文章として読もうとしてみると、その内容の面白さに、ひとかたならず驚かされます。
中でも「維摩経(ゆいまぎょう)」は、戯曲的な色彩が強くて面白いという噂だったので読んでみたわけなのですが、イキイキとした人物描写が実に素敵で、凡百の小説やドラマなどよりもよっぽどか楽しく読むことができました。

「宗教書」などと考えず、純粋に「読み物」として楽しんでいただければ、これ幸い。

【維摩経】目次
「維摩詰所説経」より

◆維摩居士、仮病を使う (方便品)

◆難色を示す仏弟子たち (弟子品)

◆ しり込みする菩薩ども (菩薩品)

◆ 文殊がゆく! (文殊師利問疾品)

◆ ミラクルパワー! (不思議品)

◆一般ピープルってどうよ? (観衆生品)

◆ ザ・ウェイ・オブ・ブッダ (仏道品)

◆相対化を超えてゆけ! (不二法門品)

◆極上のランチ (香積仏品)

◆菩薩でGO! (菩薩行品)

◆極楽を見たか? (見阿閦如来品)

◆「法」を守れ!(法供養品)

◆大団円(嘱累品)

(附録)
◆ザ・ワールド・オブ・パラダイス(仏国品)


引用文献  .



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梵漢和対照・現代語訳 維摩経 単行本 – 2011/8/27 植木 雅俊 (翻訳) 単行本: 680ページ 出版社: 岩波書店 (2011/8/27)
維摩経は、人間生活におけるとらわれを捨て、世俗の生活(在家)のなかに仏教の理想を実現することの意味を説いた初期大乗仏典の代表的傑作である。本書は、「空」という大乗仏教思想の核心をドラマ仕立てで説く根本経典の、正確かつ平易な現代語訳。前世紀末に見つかった20世紀仏教学史上最大の発見と称されるサンスクリット原典に依拠し、梵文と漢訳(書下し)を併記。詳細な注解を付す決定版。
本書は、サンスクリット・テキスト影印版(大正大学綜合佛教研究所刊)を底本とする現代日本語訳と、綿密な校訂によるローマナイズしたサンスクリット原典テキスト、鳩摩羅什訳『維摩詰所説経』(漢文書き下しテキスト)を併記対照させつつ、さらに詳細な注解を施したものである。原典テキストに準拠した曖昧さを残さない正確で読みやすい訳業は、全体の半分近くを占める訳出の根拠となる綿密な注解とともに、仏典翻訳史に新たな頁を刻む画期的な達成である。

至れり尽くせりの本(事例)
『維摩経』のサンスクリット原典は既に失われているとされてきた。ところが、その写本が何と1999年に完本として発見された。本書は、その写本の影印版(2003年)を綿密に校訂し、詳細な注釈(全680頁の約半分を占める)を付して現代語訳した上で、「サンスクリット原文」、「鳩摩羅什訳」、「著者の現代語訳」を見開きで対照させるという、読者にとって極めて便利な構成で作られている。
 著者は、お茶の水女子大学に「仏教におけるジェンダー平等思想」というテーマの論文を提出し、2002年に同大で男性として初の人文科学博士の学位を取得した。そして、『梵漢和対照・現代語訳 法華経』上・下(岩波書店)で毎日出版文化賞に選ばれた(2008年)。まさに、サンスクリット語と仏教学の泰斗である。大学や研究機関に身を置くことはないが、大学の研究者たちの業績を遥かに凌駕する研究成果を次々に発表している。まさに、在俗でありながら十大弟子をも圧倒し、性差をも超えていた維摩居士を地で行く人というべきである。
 権威主義的な小乗仏教の女性軽視にとらわれた智慧第一の舎利弗も、天女にからかわれ、手玉にとられる。維摩詰の十大弟子に対する弾呵も手厳しいが、本書の注釈においては、過去の研究成果の矛盾点に対する著者の指弾も手厳しい。例えば、43〜46頁の長きにわたる注釈で、著者は、長尾雅人博士の一音(いっとん)説法についての無理なこじつけを槍玉にあげる。長尾氏が、「釈尊は方言で語られたが、受け取る側はそれぞれの方言で受け止めた」と解釈し、その例として「『おしん』というテレビ・ドラマが佐賀弁で話されていても全国で理解されたのと同じだ」と述べていることについて、著者は「それは全国放送なので手加減しているから理解されたのであり、鹿児島弁であったらどうなのだ」と批判する。そして、長尾氏がどうして方言にこだわられるのか、そのネタ本まで暴露している。本書の、注釈ではこのような批判が網羅されている。これまでの研究は何だったのかという思いが募る。
 古来、初めてお経を読む人に、『維摩経』はうってつけとされてきた。それには相応の理由がある。プラトンの著作が哲学である以前にドラマ(ソクラテスを主人公とする対話)として面白いのと同様、仏教経典はドラマ(主人公は世尊)としてまず面白い。別けても『維摩経』の仕掛けは無類である。経典文学の最高峰である『法華経』とならぶものである。
 インド人の想像力にはほとほと頭がさがる。一文学書として『維摩経』を捉えた時、あくまで個人的な感想であるが、その読後感はルキアノス『本当の話』に一番近い感じがした。『アラビアンナイト』や『黄金のろば』も奇想天外だが、スピードが伴わない。『維摩経』は、これらの世界文学の最高峰とならべても遜色がないのである。それが、曖昧さを残さない正確な訳文で現代に蘇った。  文学的魅力は読めば終わるが、思想を汲み取る作業は別である。ありがたいことに著者は、インド仏教史の概略、戯曲『維摩経』のあらすじ、在家の地位の歴史的変遷、積極的な利他行の原動力としての「空」――など、『維摩経』理解に欠かせない思想背景を巻末の「解説」で詳細に論じてくれている。先に「はしがき」「解説」「あとがき」に目を通してから、現代語訳の本文を読むことをお勧めしたい。
 仏教用語辞典としても使える索引の充実ぶり、梵漢和を対照させたレイアウトは、印刷業者泣かせの作業であり、サンスクリット原文の校正を考えても、5500円の定価は信じられない安さである。その“安さ”が不思議でならなかったが、「あとがき」を読んで納得した。著者自身が、コンピュータのDTP技術を駆使して完全原稿(版下)を作成していたのだ。出版社まかせでは価格が跳ね上がるだけではなく、誤植が跡を絶たない(出版社にいた経験からこのことは請け合える)。その意味でもテキストの信頼性は他を圧している。至れり尽くせりとは、この本のためにあるような言葉だ。


梵文和訳 維摩経 単行本 – 2011/1/1 高橋 尚夫 (翻訳) 西野 翠 (翻訳)単行本: 333ページ 出版社: 春秋社 (2011/1/1)
真の菩薩の生き方を鋭く初期大乗経典の『維摩経』。その梵文テキストをチベット訳や漢訳なども参照しながら、正確かつ平易な言葉で翻訳。巻末には、用語解説や梵・蔵・漢の相違点などを示した詳細な訳注を付す。


『維摩経』 2017年6月 (100分 de 名著) ムック 釈 徹宗 (その他) – 2017/5/25 釈 徹宗 (その他)
あらゆる枠組みを超えよ!
かの聖徳太子が日本に紹介した仏典『維摩経』。病気になった在家仏教信者・維摩と、彼を見舞った文殊菩薩との対話を通して、「縁起」や「空」など大乗仏教の鍵となる概念をめぐる考察が、まるで現代劇のように展開される。この『維摩経』を現代的に読み解く面白さを、宗教学者で僧侶の釈徹宗氏が解説する。


維摩経講話 (講談社学術文庫) 文庫 – 1990/3/5 鎌田 茂雄 (著)
『維摩経』は、大乗仏教の根本原理、すなわち煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)を最もあざやかにとらえているといわれる。迷いと悟り、理想と現実、善と悪など、全く対立するものを不二(ふに)と見なし、その不二の法門に入れば、一切の対立を超えた無対立の世界、何ものにも束縛されない自由な境地に入る。在家の信者の維摩居士が主役となって、菩薩や声聞(しょうもん)を相手に活殺自在に説法するところが維摩経の不思議な魅力といえよう。


大乗仏典〈7〉維摩経・首楞厳三昧経 (中公文庫) 文庫 – 2002/8/25 長尾 雅人 (翻訳), 丹治 昭義 (翻訳)
大金持ちの俗人維摩居士の機知とアイロニーに満ちた教えによって、空の思想を展開する一大ドラマ維摩経。人間の求道の過程において「英雄的な行進の三昧」こそ、あらゆる活動の源泉力であると力説する首楞厳三昧経。



・超訳【維摩経】・超訳【無門関】・超訳【金剛経】・超訳【夢中問答(上)】

超訳【維摩経】 超訳文庫設立の契機ともなった記念碑的作品。 初期大乗経典の傑作にして、ドタバタコントの元祖みたいな一大哲学サイキック活劇です。 気楽に読むだけで、キミも「ミラクルパワー」がゲットできる!?

超訳【無門関】 「仏」に逢ったら即、ぶっ殺せ! 「師匠」に逢ったら、やっぱりぶっ殺せ! 「親」に逢ったら? もちろんぶっ殺せ! そしてオマエは天下無敵となるのだ!! ・・・というもの凄い剣幕で語られる、48のシュールなナゾナゾたち。 快僧無門慧開の真意は何処!?

超訳【金剛経】 我らの心に平安をもたらすもの、それは「完全円満なる智慧」。 ・・・という壮大なテーマで繰り広げられる、ブッダとその弟子スブーティ(須菩提)のボケとツッコミによる究極哲学ふたり漫才! 超メジャータイトル「般若心経」と、ショートエピソード「ミラクルフラッシュ・ボーイの物語(不思議光菩薩所説経)」も同時収録! 全編とも、漢訳原典つきです!

超訳【夢中問答】(上) 「夢」とは何か? そしてその中で交わされる問答とはいったい? 足利直義の切実な問いを受け、夢窓国師が開く「真実の法門」とは!? 室町時代のディアロゴスの軌跡が、七百年後の今に甦る!
超訳【維摩経】


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維摩経

百科事典

維摩経』 (ゆいまきょう、: Vimalakīrti-nirdeśa Sūtra ヴィマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ[1])は、大乗仏教経典の一つ。別名『不可思議解脱経』(ふかしぎげだつきょう)。

サンスクリット原典[2]と、チベット語訳、3種の漢訳が残存する。漢訳は7種あったと伝わるが、支謙訳『維摩詰経』・鳩摩羅什訳『維摩詰所説経』・玄奘訳『説無垢称経』のみ残存する。一般に用いられるのは鳩摩羅什訳である。

日本でも、仏教伝来間もない頃から広く親しまれ、聖徳太子三経義疏の一つ『維摩経義疏』を始め、今日まで多数の注釈書が著されている。

概要

維摩経は初期大乗仏典で、全編戯曲的な構成の展開で旧来の仏教の固定性を批判し在家者の立場から大乗仏教の軸たる「空思想」を高揚する。

内容は中インド・ヴァイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)にまつわる物語である。

維摩が病気[3]になったので、釈迦舎利弗目連迦葉などの弟子達や、弥勒菩薩などの菩薩にも見舞いを命じた。しかし、みな以前に維摩にやりこめられているため、誰も理由を述べて行こうとしない。そこで、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示した。

維摩経は明らかに般若経典群の流れを引いているが、大きく違う点もある。

  • 一般に般若経典は呪術的な面が強く、経自体を受持し読誦することの功徳を説くが、維摩経ではそういう面が希薄である。
  • 般若経典では一般に「」思想が繰り返し説かれるが、維摩経では「空」のような観念的なものではなく現実的な人生の機微から入って道を窮めることを軸としている。

不二法門

維摩経の内容として特徴的なのは、不二法門(ふにほうもん)といわれるものである。不二法門とは互いに相反する二つのものが、実は別々に存在するものではない、ということを説いている。例を挙げると、不善、罪と福、有漏(うろ)と無漏(むろ)、世間出世間無我生死(しょうじ)と涅槃煩悩菩提などは、みな相反する概念であるが、それらはもともと二つに分かれたものではなく、一つのものであるという。

たとえば、生死と涅槃を分けたとしても、もし生死の本性を見れば、そこに迷いも束縛も悟りもなく、生じることもなければ滅することもない。したがってこれを不二の法門に入るという。

これは、維摩が同席していた菩薩たちにどうすれば不二法門に入る事が出来るのか説明を促し、これらを菩薩たちが一つずつ不二の法門に入る事を説明すると、文殊菩薩が「すべてのことについて、言葉もなく、説明もなく、指示もなく、意識することもなく、すべての相互の問答を離れ超えている。これを不二法門に入るとなす」といい、我々は自分の見解を説明したので、今度は維摩の見解を説くように促したが、維摩は黙然として語らなかった。文殊はこれを見て「なるほど文字も言葉もない、これぞ真に不二法門に入る」と讃嘆した。

この場面は「維摩の一黙、雷の如し」として有名で、『碧巌録』の第84則「維摩不二」の禅の公案にまでなっている。

原典・主な訳注

主な解説講話

注・出典

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  1. ^ 「ニルデーシャ」(nirdeśa)とは、「演説説教」のこと。
  2. ^ それ以前は逸失したものと思われていたが、1999年に大正大学学術調査隊によって、チベット・ラサポタラ宮ダライ・ラマの書斎で発見された。
  3. ^ この病気は、風邪や腹痛、伝染病などではない。維摩の言葉、「衆生が病むがゆえに、我もまた病む」は大乗仏教の慣用句となっている。
  4. ^ 大正大学教授
  5. ^ 大正大学総合仏教研究所研究員

関連項目



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