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『学問のすすめ 』(An Encouragement of Learning)
福沢諭吉(Fukuzawa Yukichi)
五編 (明治七年一月一日の詞)

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
"The heaven does not create one man above or under another man"
人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり
"A man cannot have wisdom without learning. A man without wisdom is foolish."
初編(端書はしがき)、 二編(端書・人は同等なること)、 三編(国は同等なること・一身独立して一国独立すること)、 四編(学者の職分を論ず・付録)、 五編(明治七年一月一日の詞)、 六編(国法の貴きを論ず)、 七編(国民の職分を論ず)、 八編(わが心をもって他人の身を制すべからず)、 九編(学問の旨を二様に記して中津の旧友に贈る文)、 十編(前編のつづき、中津の旧友に贈る)、 十一編(名分をもって偽君子を生ずるの論)、 十二編(演説の法を勧むるの説・人の品行は高尚ならざるべからざるの論)、 十三編(怨望の人間に害あるを論ず)、 十四編(心事の棚卸し)、 十五編(事物を疑いて取捨を断ずること)、 十六編(手近く独立を守ること・心事と働きと相当すべきの論)、 十七編(人望論)
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五編  (五編/朗読)  [朗読]  學問ノスヽメ. 五編 [ピューア] 、 ・《青空文庫全 AI朗読全》
『学問のすすめ』はもと民間の読本または小学の教授本に供えたるものなれば、初編より二編三編までもつとめて俗語を用い文章を読みやすくするを趣意となしたりしが、四編に至り少しく文の体を改めてあるいはむずかしき文字を用いたるところもあり。またこの五編も明治七年一月一日、社中会同の時に述べたることばを文章に記したるものなれば、その文の体裁も四編に異ならずしてあるいはし難きの恐れなきにあらず。畢竟ひっきょう四、五の二編は学者を相手にして論を立てしものなるゆえ、この次第に及びたるなり。
 世の学者はおおむねみな腰ぬけにてその気力は不慥ふたしかなれども、文字を見る眼はなかなか慥かにして、いかなる難文にても困る者なきゆえ、この二冊にも遠慮なく文章をむずかしく書きその意味もおのずから高上になりて、これがためもと民間の読本たるべき学問のすすめの趣意を失いしは、初学のはいに対してはなはだ気の毒なれども、六編より後はまたもとの体裁にかえり、もっぱら解しやすきを主として初学の便利に供しさらに難文を用いることなかるべきがゆえに、看官この二冊をもって全部の難易を評するなかれ。

明治七年一月一日のことば
 わが輩今日慶応義塾にありて明治七年一月一日にえり。この年号はわが国独立の年号なり、この塾はわが社中独立の塾なり。独立の塾にて独立の新年に逢うをるはまたよろこばしからずや。けだしこれを得て悦ぶべきものは、これを失えば悲しみとなるべし。ゆえに今日悦ぶの時において他日悲しむの時あるを忘るべからず。
 古来わが国治乱の沿革により政府はしばしば改まりたれども、今日に至るまで国の独立を失わざりし所以は、国民鎖国の風習に安んじ、治乱興廃、外国に関することなかりしをもってなり。外国に関係あらざれば、治も一国内の治なり、乱も一国内の乱なり、またこの治乱を経て失わざりし独立もただ一国内の独立にて、いまだ他に対してほこさきを争いしものにあらず。これをたとえば、小児の家内に育せられていまだ外人に接せざる者のごとし。その薄弱なることもとより知るべきなり。
 今や外国の交際にわかに開け、国内の事務一としてこれに関せざるものなし。事々物々みな外国に比較して処置せざるべからざるの勢いに至り、古来わが国人の力にてわずかに達し得たる文明の有様をもって、西洋諸国の有様に比すれば、ただに三舎を譲るのみならず、これにならわんとしてあるいは望洋の歎を免れず、ますますわが独立の薄弱なるを覚ゆるなり。
 国の文明は形をもって評すべからず。学校と言い、工業と言い、陸軍と言い、海軍と言うも、みなこれ文明の形のみ。この形を作るはかたきにあらず、ただ銭をもって買うべしといえども、ここにまた無形の一物あり、この物たるや、目見るべからず、耳聞くべからず、売買すべからず、貸借すべからず、あまねく国人の間に位してその作用はなはだ強く、この物あらざればかの学校以下の諸件も実の用をなさず、真にこれを文明の精神と言うべき至大至重のものなり。けだしその物とはなんぞや。いわく、人民独立の気力、すなわちこれなり。
 近来わが政府、しきりに学校を建て工業を勧め、海陸軍の制も大いに面目を改め、文明の形、ほぼ備わりたれども、人民いまだ外国へ対してわが独立を固くしともに先を争わんとする者なし。ただにこれと争わざるのみならず、たまたまかの事情を知るべき機会を得たる人にても、いまだこれをつまびらかにせずしてまずこれを恐るるのみ。他に対してすでに恐怖の心をいだくときは、たとい、我にいささかるところあるもこれを外に施すに由なし。畢竟、人民に独立の気力あらざれば、かの文明の形もついに無用の長物に属するなり。
 そもそもわが国の人民に気力なきその原因を尋ぬるに、数千百年のいにしえより全国の権柄を政府の一手に握り、武備・文学より工業・商売に至るまで、人間些末の事務といえども政府の関わらざるものなく、人民はただ政府のそうするところに向かいて奔走するのみ。あたかも国は政府の私有にして、人民は国の食客たるがごとし。すでに無宿の食客となりてわずかにこの国中に寄食するを得るものなれば、国を視ること逆旅げきりょのごとく、かつて深切の意を尽くすことなく、またその気力をあらわすべき機会をも得ずして、ついに全国の気風を養いなしたるなり。
 しかのみならず今日に至りては、なおこれよりはなはだしきことあり。おおよそ世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして潴滞ちょたいする者はあるべからざるの理なり。今、日本の有様を見るに、文明の形は進むに似たれども、文明の精神たる人民の気力は日に退歩におもむけり。請う、試みにこれを論ぜん。在昔、足利・徳川の政府においては民を御するにただ力を用い、人民の政府に服するは力足らざればなり。力足らざる者は心服するにあらず、ただこれを恐れて服従のかたちをなすのみ。今の政府はただ力あるのみならず、その智恵すこぶる敏捷びんしょうにして、かつて事の機におくるることなし。一新の後、いまだ十年ならずして、学校・兵備の改革あり、鉄道・電信の設あり、その他石室を作り、鉄橋を架する等、その決断の神速なるとその成功の美なるとに至りては、実に人の耳目を驚かすに足れり。しかるにこの学校・兵備は、政府の学校・兵備なり、鉄道・電信も、政府の鉄道・電信なり、石室・鉄橋も、政府の石室・鉄橋なり。人民はたしてなんの観をなすべきや。人みな言わん、「政府はただに力あるのみならず兼ねてまた智あり、わが輩の遠く及ぶところにあらず、政府は雲上にありて国を司り、わが輩は下にいてこれに依頼するのみ、国をうれうるは上の任なり、下賤の関わるところにあらず」と。概してこれを言えば、いにしえの政府は力を用い、今の政府は力と智とを用ゆ。古の政府は民を御するの術に乏しく、今の政府はこれに富めり。古の政府は民の力をくじき、今の政府はその心を奪う。古の政府は民の外を犯し、今の政府はその内を制す。古の民は政府をること鬼のごとくし、今の民はこれを視ること神のごとくす。古の民は政府を恐れ、今の民は政府を拝む。この勢いに乗じて事のてつを改むることなくば、政府にて一事を起こせば文明の形はしだいに具わるに似たれども、人民にはまさしく一段の気力を失い文明の精神はしだいに衰うるのみ。
 いま政府に常備の兵隊あり、人民これを認めて護国の兵となし、その盛んなるを祝して意気揚々たるべきはずなるに、かえってこれを威民の具とみなして恐怖するのみ。いま政府に学校、鉄道あり、人民これを一国文明の徴として誇るべきはずなるに、かえってこれを政府の私恩に帰し、ますますその賜に依頼するの心を増すのみ。人民すでに自国の政府に対して萎縮いしゅく震慄の心をいだけり、あに外国に競うて文明を争うにいとまあらんや。ゆえにいわく、人民に独立の気力あらざれば文明の形を作るもただに無用の長物のみならず、かえって民心を退縮せしむるの具となるべきなり。
 右に論ずるところをもって考うれば、国の文明はかみ政府より起こるべからず、しも小民より生ずべからず、必ずその中間より興りて衆庶しゅうしょの向かうところを示し、政府と並び立ちてはじめて成功を期すべきなり。西洋諸国の史類を案ずるに、商売・工業の道、一として政府の創造せしものなし、そのもとはみな中等の地位にある学者の心匠に成りしもののみ。蒸気機関はワットの発明なり、鉄道はステフェンソンの工夫くふうなり、はじめて経済の定則を論じ商売の法を一変したるはアダム・スミスの功なり。この諸大家はいわゆるミッヅル・カラッスなる者にて、国の執政にあらず、また力役りきえきの小民にあらず、まさに国人の中等に位し、智力をもって一世を指揮したる者なり。その工夫発明、まず一人の心に成れば、これを公にして実地に施すには私立の社友を結び、ますますその事を盛大にして人民無量の幸福を万世にのこすなり。この間に当たり政府の義務は、ただその事を妨げずして適宜に行なわれしめ、人心の向かうところを察してこれを保護するのみ。
 ゆえに文明の事を行なう者は私立の人民にして、その文明を護する者は政府なり。これをもって一国の人民あたかもその文明を私有し、これを競いこれを争い、これを羨みこれを誇り、国に一の美事あれば全国の人民手をちて快と称し、ただ他国に先鞭を着けられんことを恐るるのみ。ゆえに文明の事物悉皆しっかい人民の気力を増すの具となり、一事一物も国の独立を助けざるものなし。その事情まさしくわが国の有様に相反すと言うも可なり。
 今わが国においてかのミッヅル・カラッスの地位にり、文明を首唱して国の独立を維持すべき者はただ一種の学者のみなれども、この学者なるもの時勢につき眼を着すること高からざるか、あるいは国をうれうること身を患うるがごとく切ならざるか、あるいは世の気風に酔いひたすら政府に依頼して事をなすべきものと思うか、おおむね皆その地位に安んぜずして去りて官途に赴き、些末の事務に奔走していたずらに身心を労し、その挙動笑うべきもの多しといえども、みずからこれを甘んじ、人もまたこれを怪しまず、はなはだしきは「に遺賢なし」と言いてこれを悦ぶ者あり。もとより時勢の然らしむるところにて、その罪一個の人にあらずといえども、国の文明のためには一大災難と言うべし。文明を養いなすべき任に当たりたる学者にして、その精神の日に衰うるを傍観してこれを患うる者なきは、実に長大息すべきなり、また痛哭つうこくすべきなり。
 ひとりわが慶応義塾の社中はわずかにこの災難を免れて、数年独立の名を失わず、独立の塾にいて独立の気を養い、その期するところは全国の独立を維持するの一事にあり。然りといえども、時勢の世を制するやその力急流のごとくまた大風のごとし。この勢いに激して屹立きつりつするはもとよりやすきにあらず、非常の勇力あるにあらざれば、知らずして流れらずしてなびき、ややもすればその脚を失するの恐れあるべし。そもそも人の勇力はただ読書のみによりて得べきものにあらず。読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり。実地に接して事に慣るるにあらざればけっして勇力を生ずべからず。わが社中すでにその術を得たる者は、貧苦を忍び艱難かんなんを冒して、その所得の知見を文明の事実に施さざるべからず。そのとがは枚挙にいとまあらず。商売勤めざるべからず、法律議せざるべからず、工業起こさざるべからず、農業勧めざるべからず、著書・訳術・新聞の出版、およそ文明の事件はことごとく取りてわが私有となし、国民の先をなして政府と相助け、官の力と私の力と互いに平均して一国全体の力を増し、かの薄弱なる独立を移して動かすべからざるの基礎に置き、外国とほこさきを争いてごうも譲ることなく、今より数十の新年を経て、顧みて今月今日の有様を回想し、今日の独立を悦ばずしてかえってこれを愍笑びんしょうするの勢いに至るは、あに一大快事ならずや。学者よろしくその方向を定めて期するところあるべきなり。

引用文献


江守孝三(Emori Kozo)