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『学問のすすめ 』(An Encouragement of Learning)
福沢諭吉(Fukuzawa Yukichi)
九編 (学問の旨を二様に記して
中津の旧友に贈る文)

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
"The heaven does not create one man above or under another man"
人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり
"A man cannot have wisdom without learning. A man without wisdom is foolish."
初編(端書はしがき)、 二編(端書・人は同等なること)、 三編(国は同等なること・一身独立して一国独立すること)、 四編(学者の職分を論ず・付録)、 五編(明治七年一月一日の詞)、 六編(国法の貴きを論ず)、 七編(国民の職分を論ず)、 八編(わが心をもって他人の身を制すべからず)、 九編(学問の旨を二様に記して中津の旧友に贈る文)、 十編(前編のつづき、中津の旧友に贈る)、 十一編(名分をもって偽君子を生ずるの論)、 十二編(演説の法を勧むるの説・人の品行は高尚ならざるべからざるの論)、 十三編(怨望の人間に害あるを論ず)、 十四編(心事の棚卸し)、 十五編(事物を疑いて取捨を断ずること)、 十六編(手近く独立を守ること・心事と働きと相当すべきの論)、 十七編(人望論)
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学問の旨を二様に記して<中津の旧友に贈る文     學問ノスヽメ. 九編 [ピューア] 、 ・《青空文庫全 AI朗読全》
 人の心身の働きを細かに見れば、これを分かちて二様に区別すべし。第一は一人たる身につきての働きなり。第二は人間交際の仲間にり、その交際の身につきての働きなり。
 第一 心身の働きをもって衣食住の安楽を致すもの、これを一人の身につきての働きと言う。然りといえども天地間の万物、一として人の便利たらざるものなし。一粒の種をけば二、三百倍の実を生じ、深山の樹木は培養せざるもよく成長し、風はもって車を動かすべし、海はもって運送の便をなすべし、山の石炭を掘り、河海の水を汲み、火を点じて蒸気を造れば重大なる舟車を自由に進退すべし。このほか造化の妙工を計れば枚挙にいとまあらず。人はただこの造化の妙工をり、わずかにその趣を変じてもってみずから利するなり。ゆえに人間の衣食住をるは、すでに造化の手をもって九十九の調理を成したるものへ、人力にて一分を加うるのみのことなれば、人はこの衣食住を造ると言うべからず、その実は路傍にてたるものを拾い取るがごときのみ。
 ゆえに人としてみずから衣食住を給するはかたきことにあらず。この事を成せばとて、あえて誇るべきにあらず。もとより独立の活計は人間の一大事、「汝の額の汗をもって汝のめしらえ」とは古人の教えなれども、余が考えには、この教えの趣旨を達したればとていまだ人たるものの務めを終われりとするに足らず。この教えはわずかに人をして禽獣に劣ることなからしむるのみ。試みに見よ。禽獣きんじゅう魚虫、みずから食を得ざるものなし。ただにこれを得て一時の満足を取るのみならず、ありのごときははるかに未来を図り、穴を掘りて居処を作り、冬日の用意に食料をたくわうるにあらずや。
 しかるに世の中にはこの蟻の所業をもってみずから満足する人あり。今その一例を挙げん。男子年長じて、あるいは工につき、あるいは商に帰し、あるいは官員となりて、ようやく親類朋友の厄介たるを免れ、相応に衣食して他人へ不義理の沙汰もなく、借屋にあらざれば自分にて手軽に家を作り、家什かじゅうはいまだ整わずとも細君だけはまずとりあえずとて、望みのとおりに若き婦人をめとり、身の治まりもつきて倹約を守り、子供は沢山に生まれたれども教育もひととおりのことなればさしたる銭もいらず、不時病気等の入用に三十円か五十円の金にはいつも差しつかえなくして、細く永く長久の策に心配し、とにもかくにも一軒の家を守る者あれば、みずから独立の活計を得たりとて得意の色をなし、世の人もこれを目して不覊ふき独立の人物と言い、過分の働きをなしたる手柄もののように称すれども、その実は大なる間違いならずや。この人はただ蟻の門人と言うべきのみ。生涯の事業は蟻の右にずるを得ず。その衣食を求め家を作るの際に当たりては、額に汗を流せしこともあらん、胸に心配せしこともあらん、古人の教えに対して恥ずることなしといえども、その成功を見れば万物の霊たる人の目的を達したる者と言うべからず。
 右のごとく一身の衣食住を得てこれに満足すべきものとせば、人間の渡世はただ生まれて死するのみ、その死するときの有様は生まれしときの有様に異ならず。かくのごとくして子孫相伝えなば、幾百代をるも一村の有様はもとの一村にして、世上に公の工業を起こす者なく、船をも造らず、橋をも架せず、一身一家の外は悉皆しっかい天然に任せて、その土地に人間生々の痕跡をのこすことなかるべし。西人言えることあり、「世の人みなみずから満足するを知りて小安に安んぜなば、今日の世界は開闢かいびゃくのときの世界にも異なることなかるべし」と。このことまことに然り。もとより満足に二様の区別ありてそのさかいを誤るべからず。一を得てまた二を欲し、したがって足ればしたがって不足を覚え、ついに飽くことを知らざるものはこれを欲と名づけ、あるいは野心と称すべしといえども、わが心身の働きをおしひろめて達すべきの目的を達せざるものはこれを蠢愚しゅんぐと言うべきなり。
 第二 人の性は群居を好み、けっして独歩孤立するを得ず。夫婦親子にてはいまだこの性情を満足せしむるに足らず、必ずしも広く他人に交わり、その交わりいよいよ広ければ一身の幸福いよいよ大なるを覚ゆるものにて、すなわちこれ人間交際の起こる所以なり。すでに世間にてその交際中の一人となれば、またしたがってその義務なかるべからず。およそ世に学問と言い、工業と言い、政治と言い、法律と言うも、みな人間交際のためにするものにて、人間の交際あらざればいずれも不用のものたるべし。
 政府なんの所以をもって法律を設くるや、悪人を防ぎ善人を保護し、もって人間の交際を全からしめんがためなり。学者なんの所以をもって書を著述し、人を教育するや。後進の智見を導きて、もって人間の交際を保たんがためなり。往古或る支那人の言に、「天下を治むること肉を分かつがごとく公平ならん」と言い、「また庭前の草を除くよりも天下を掃除せん」と言いしも、みな人間交際のために益をなさんとするの志を述べたるものにて、およそ何人なんぴとにてもいささか身に所得あればこれによりて世の益をなさんと欲するは人情の常なり。あるいは自分には世のためにするの意なきも、知らずらずして後世、子孫みずからその功徳をこうむることあり。人にこの性情あればこそ人間交際の義務を達し得るなり。
 いにしえより世にかかる人物なかりせば、わが輩今日に生まれて今の世界中にある文明の徳沢を蒙るを得ざるべし。親の身代を譲り受くればこれを遺物と名づくといえども、この遺物はわずかに地面、家財等のみにて、これを失えば失うてあとなかるべし。世の文明はすなわち然らず。世界中の古人を一体にみなし、この一体の古人より今の世界中の人なるわが輩へ譲り渡したる遺物なれば、その洪大なること地面、家財の類にあらず。されども今、誰に向かいて現にこの恩を謝すべき相手を見ず。これをたとえば人生に必要なる日光、空気を得るに銭をもちいざるがごとし。その物は貴しといえども、所持の主人あらず。ただこれを古人の陰徳恩賜と言うべきのみ。
 開闢のはじめには人智いまだ開けず。その有様を形容すれば、あたかも初生の小児にいまだ智識の発生を見ざるもののごとし。譬えば麦を作りてこれを粉にするには、天然の石と石とをもってこれをき砕きしことならん。その後或る人の工夫にて二つの石をまるく平たき形に作り、その中心に小さきあなを掘りて、一つの石の孔に木か金の心棒をさし、この石を下に据えてその上に一つの石を重ね、下の石の心棒を上の石の孔にはめ、この石と石との間に麦を入れて上の石を回し、その石の重さにて麦を粉にする趣向を設けたることならん。すなわちこれ挽碓ひきうすなり。古はこの挽碓を人の手にて回すことなりしが、後世に至りては碓の形をもしだいに改め、あるいはこれを水車、風車に仕掛け、あるいは蒸気の力を用うることとなりて、しだいに便利を増したるなり。
 何事もこのとおりにて、世の中の有様はしだいに進み、昨日便利とせしものも今日は迂遠うえんとなり、去年の新工夫も今年は陳腐に属す。西洋諸国日新の勢いを見るに、電信・蒸気・百般の器械、したがって出ずればしたがって面目を改め、日に月に新奇ならざるはなし。ただに有形の器械のみ新奇なるにあらず、人智いよいよ開くれば交際いよいよ広く、交際いよいよ広ければ人情いよいよ和らぎ、万国公法の説に権を得て、戦争を起こすこと軽率ならず、経済の議論盛んにして政治・商売の風を一変し、学校の制度、著書の体裁、政府の商議、議院の政談、いよいよ改むればいよいよ高く、その至るところの極を期すべからず。試みに西洋文明の歴史を読み、開闢の時より紀元一六〇〇年代に至りて巻を閉ざし、二百年の間を超えて、とみに一八〇〇年代の巻を開きてこれを見ば、誰かその長足の進歩に驚駭きょうがいせざるものあらんや。ほとんど同国の史記とは信じ難かるべし。然りしこうしてその進歩をなせし所以ゆえんもとを尋ぬれば、みなこれ古人の遺物、先進のたまものなり。
 わが日本の文明も、そのはじめは朝鮮・支那より来たり、爾来じらいわが国人の力にて切磋琢磨せっさたくま、もって近世の有様に至り、洋学のごときはそのみなもと遠く宝暦年間にあり〔『蘭学事始』という版本を見るべし〕。輓近ばんきん外国の交際始まりしより、西洋の説ようやく世上に行なわれ、洋学を教うる者あり、洋書を訳する者あり、天下の人心さらに方向を変じて、これがため政府をも改め、諸藩をも廃して、今日の勢いになり、重ねて文明の端を開きしも、これまた古人の遺物、先進の賜と言うべし。
 右所論のごとく、古の時代より有力の人物、心身を労して世のために事をなす者少なからず。今この人物の心事を想うに、あに衣食住のゆたかなるをもってみずから足れりとする者ならんや。人間交際の義務を重んじて、その志すところけだし高遠にあるなり。今の学者はこの人物より文明の遺物を受けて、まさしく進歩の先鋒に立ちたるものなれば、その進むところに極度あるべからず。今より数十の星霜を経て後の文明の世に至れば、また後人をしてわが輩の徳沢とくたくを仰ぐこと、今わが輩が古人をとうとむがごとくならしめざるべからず。概してこれを言えば、わが輩の職務は今日この世にり、わが輩の生々したる痕跡をのこして遠くこれを後世子孫に伝うるの一事にあり。その任また重しと言うべし。
 あにただ数巻の学校本を読み、商となり工となり、小吏となり、年に数百の金を得てわずかに妻子を養いもってみずから満足すべけんや。こはただ他人を害せざるのみ、他人を益する者にあらず。かつ事をなすには時に便不便あり、いやしくも時を得ざれば有力の人物もその力をたくましゅうすることあたわず。古今その例少なからず。近くはわが旧里にも俊英の士君子ありしは明らかにわが輩の知るところなり。もとより今の文明の眼をもってこの士君子なる者を評すれば、その言行あるいは方向を誤るもの多しといえども、こは時論の然らしむるところにて、その人の罪にあらず、その実は事をなすの気力に乏しからず。ただ不幸にして時にわず、空しく宝をふところにして生涯を渡り、あるいは死しあるいは老し、ついに世上の人をして大いにその徳を蒙らしむるを得ざりしは遺憾と言うべきのみ。
 今やすなわち然らず。前にも言えるごとく、西洋の説ようやく行なわれてついに旧政府を倒し諸藩を廃したるは、ただこれを戦争の変動とみなすべからず。文明の功能はわずかに一場の戦争をもってやむべきものにあらず。ゆえにこの変動は戦争の変動にあらず、文明にうながされたる人心の変動なれば、かの戦争の変動はすでに七年前にやみてその跡なしといえども、人心の変動は今なお依然たり。およそ物動かざればこれを導くべからず。学問の道を首唱して天下の人心を導き、推してこれを高尚の域に進ましむるには、とくに今の時をもって好機会とし、この機会に逢う者はすなわち今の学者なれば、学者世のために勉強せざるべからず。  以下十編につづく。

引用文献


江守孝三(Emori Kozo)