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(地之巻)(水之巻)(火之巻)(風之巻)(空之巻)
武蔵百科五輪書百科(五輪書解説) (English) (各資料)

五輪書(水之巻)兵法書(写本)

01 (水之巻序)、 02 「兵法心持の事」、 03 「兵法の身なりの事」、 04 「兵法の眼付と云事」、 05 「太刀の持樣の事」、 06 「足つかひの事」、 07 「五方の搆の事」、 08 「太刀の道と云事」、 09 「五つの表、第一の次第の事」、 10 「表第二の次第の事」、 11 「表第三の次第の事」、 12 「表第四の次第の事」、 13 「表第五の次第の事」、 14 「有搆無搆の教の事」、 15 「一拍子の打の事」、 16 「二のこしの拍子の事」、 17 「無念無相の打と云事」、 18 「流水の打と云事」、 19 「縁のあたりと云事」、 20 「石火のあたりと云事」、 21 「紅葉の打と云事」、 22 「太刀にかはる身と云事」、 23 「打つとあたると云事」、 24 「しうこうの身と云事」、 25 「しつかうの身と云事」、 26 「たけくらべと云事」、 27 「ねばりをかくると云事」、 28 「身のあたりと云事」、 29 「三つのうけの事」、 30 「面をさすと云事」、 31 「心をさすと云事」、 32 「喝咄と云事」、 33 「はりうけと云事」、 34 「多敵の位の事」、 35 「打あひの利の事」、 36 「一つの打ちと云事」、 37 「直通の位と云事」、 38 (水之巻後書)

1 水之巻 序

【原 文】
兵法二天一流の心、
水を本として、利方の法をおこなふに依て、 水之巻として、一流の太刀筋、 此書に書顕すもの也。(1) 此道、何れもこまやかに 心のまゝにハ書分がたし。 たとへ言葉ハつゞかざると云とも、 利ハおのづから聞ゆべし。 此書に書付たる所、 一こと/\、一字/\にて思案すべし。 大かたに思ひてハ、 道の違ふ事多かるべし。(2) 兵法の利におゐてハ、 一人と一人との勝負の様に書付たる所なりとも、 万人と万人との合戦の利に心得、 大に見立る所、肝要也。(3) 此道にかぎつて、すこしなりとも道を違、 道の迷ひ有てハ、悪道におつるもの也。 此書付斗を見て、兵法の道に及事にハあらず。 此書に書付たるを、我身にとつて、 書付を見るとおもはず、習とおもはず、 にせものにせずして、 則、我心より見出したる利にして、 常に其身に成て、能々工夫すべし。(4)

【現代語訳】
 兵法二天一流の心は、水を手本として、利方の法〔勝利法〕を実践するにある。よって、水之巻として、我が流派の太刀筋を、この書に書きあらわすのである。  この道〔兵法の道〕は、何れも思う通りを詳細に書いて表現することはむずかしい。(しかし)たとえ言葉は通じないとしても、(その)利点はおのづから理解されるであろう。  この書に書いていることは、ひと言ひと言、一字一字、じっくりと考えることだ。いい加減な理解では、道を間違えることが多いであろう。  兵法の利〔戦い方〕においては、一人と一人との勝負のように書いているところでも、万人と万人との合戦のことだと心得て、大きく見立てるところが肝要である。  この(兵法の)道に関するかぎり、少しでも道を間違え、道の迷いがあっては、悪道〔誤った道〕へ堕するものである。  この文書を読んだだけでは、兵法の道に達することはできない。この書物に書いてあることを、自分のことだと受け取って、読むと思わず、習うと思わず、模倣物にしないこと、すなわち、(それを)自分の考えで発明した(自分の)利〔戦い方〕にしてしまうことだ。つねにその身〔立場〕になって、よくよく工夫すべし。
2 心の持ち方

【原 文】
一 兵法、心持の事。
兵法の道におゐて、心の持様ハ、 常の心に替る事なかれ。 常にも兵法のときにも、少も替らずして、 心を廣く直にして、 きつくひつぱらず、すこしもたるまず、 心のかたよらぬやうに、心をまん中に置て、 心を静にゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、 ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。(1) 静なるときも、こゝろハしづかならず、 何と早き時も、心ハ少もはやからず。 心ハ躰につれず、躰ハ心につれず、 心に用心して、身には用心をせず。 心のたらぬ事なくして、心を少もあまらせず、 上の心はよハくとも、底の心を強く、 心を人に見分けられざる様にして、 少身なるものハ、心に大なる事を残らず知り、 大身なるものハ、心にちいさき事を能知りて、 大身も小身も、心を直にして、我身の ひいきをせざる様に、心をもつ事肝要也。(2) 心の内にごらず、廣くして、 廣き所に智恵をおくべき也。 智恵も心も、ひたとみがく事専也。 智恵をとぎ、天下の利非をわきまへ、 物毎の善悪をしり、 万の藝能、其道々をわたり、 世間の人にすこしもだまされざるやうにして、 後、兵法の智恵となる心也。 兵法の智恵におゐて、 とりわきちがふ事、有もの也。 戦の場、万事せわしき時なりとも、 兵法、道理を極め、うごきなき心、 能々吟味すべし。(3) 

【現代語訳】
一 兵法、心持ちの事
 兵法の道において、心の持ち方は、常の心と変ることがあってはならない。  日常(の時)にも戦闘の時にも、少しも変らないようにして、心を広くまっ直ぐにし、きつく引っ張らず少しもたるまず、心の偏らぬように心をまん中に置いて、心を静かにゆるがせて、そのゆらぎの一瞬も、ゆらぎやまないようにすること。これを、よくよく吟味すべきである。  静かな時でも、心は静かではない。いかに早い時でも、心は少しも早くない。心は体〔たい・身体〕に連動せず、体は心に連動しない。心に用心して、身には用心をしない。  心の足らぬことなくして、心を少しも余らせず、上〔表面〕の心は弱くとも、底の心を強く、心を人に見透かされないようにする。  体の小さい者は、心に大いなることを残らず知り、体の大きい者は、心に小さいことをよく知って、体の大きい者も小さい者も、心をまっ直ぐにして、自分の身体を基準にしないように。そういう心を維持することが肝要である。  心の内が濁らず、心を広くして、広いところへ智恵を置くべきである。智恵も心も、しっかりと磨くこと、それが専〔せん・第一〕である。  智恵を研ぎ、天下の理非をわきまえ、あらゆる物事の善悪を知り、すべての武芸のそのさまざまな道を(広く)経験して、世間の人〔師匠〕に少しもまどわされないようにして、その後、はじめて兵法の智恵となるのである。兵法の智恵においては、とくに違う〔外れる〕ことがあるものだ。  戦場では、万事慌しい時であっても、兵法において、道理を極め、動揺しない心、これをよくよく吟味すべし。
3 目つき・顔つき・姿勢

【原 文】
一 兵法、身なりの事。
身のかゝり、顔ハうつむかず、あをのかず、 かたむかず、ひずまず、 目をミださず、額にしわをよせず、 眉あひにしわをよせて、 目の玉のうごかざる様にして、 またゝきをせぬやうに思ひて、 目を少しすくめる様にして、うらやかにみゆる顔。 鼻筋直にして、少おとがひに*出す心也。 首ハ、うしろのすぢを直に、うなじに力をいれて、 肩より惣身はひとしく覚え、 両の肩をさげ、背筋をろくに、尻を出さず、 膝より足先まで力を入て、 腰のかゞまざるやうに、腹をはり、 くさびをしむると云て、脇ざしのさやに 腹をもたせて、帯のくつろがざる様に、 くさびをしむる、と云おしへ有。(1) 惣而、兵法の身におゐて、常の身を兵法の身とし、 兵法の身を常の身とする事、肝要也。 能々吟味すべし。(2)

【現代語訳】
一 兵法、身なりの事
 身のかかり〔搆え〕は、顔は、俯〔うつむ〕かず、仰向かず、傾かず、歪ませない。  目を剥くような目つきはせず、額に皺を寄せず、眉の間に皺を寄せて、目の玉が動かないようにして、瞬きをせず、目を少し細めるようにして、のどかな感じのする顔。鼻すじはまっ直ぐにして、頤〔おとがい〕については、少し(前に)出す感じである。  首は、後ろの筋をまっ直ぐにして、頸〔うなじ〕に力を入れて、肩から全身にかけては均斉を心がけ、両肩を下げ、背すじを真っ直ぐにし、尻を出さず、膝より足の先まで力を入れて、腰の屈まないようにして、腹を張る。楔を締めるといって、脇差の鞘に腹を持たせ、帯の弛まないように、楔を締めるという教えがある。  総じて、兵法の身(なり)において、常の身〔日常身体〕を兵法の身〔戦闘身体〕とし、兵法の身を常の身とすること、これが肝要である。よくよく吟味すべし。
4 「観」と「見」、二つの眼付け

【原 文】
一 兵法の眼付と云事。
目の付様ハ、大に廣く付る目なり。 觀見二ツの事、 觀の目強く、見の目弱く、 遠き所をちかく見、近き所を遠く見る事、 兵法の専也。(1) 敵の太刀を知り、聊敵の太刀を見ずと云事、 兵法の大事也。工夫有べし。 此目付、ちいさき兵法にも、 大なる兵法にも、おなじ事也。 目の玉うごかずして、 両脇を見る事、肝要也。 かやうの事、いそがしき時、 俄にハわきまへがたし。 此書付を覚、常住此目付になりて、 何事にも目付のかはらざる所、 能々吟味有べきもの也。(2)

【現代語訳】
一 兵法の眼付けという事
 眼の付け方は、大きく広く付ける目である。  「観」〔かん〕と「見」〔けん〕の二つの事(については)、「観」の目は強く、「見」の目は弱く、遠い所を近く見、近い所を遠く見ること、これが兵法の専〔せん・第一とすべきこと〕である。  敵の太刀を知り、少しも敵の太刀を見ないということ、それが兵法の大事〔だいじ・真髄〕である。これを工夫してみなさい。  この目付けのことは、少さい兵法〔少数の戦い〕でも、大きな兵法〔合戦〕でも、同じことである。  目の玉は動かずに両脇を見ること、それが肝要である。  このようなことは、急場になって、にわかに会得できるものではない。この文書に書いてあることを覚えて、つね日頃、この眼付けになって、何ごとにも眼付けの変らないところ、それを、よくよく吟味しておくべきである。
5 太刀の持ち方

【原 文】
一 太刀の持様の事。 刀のとりやうハ、 大指、ひとさし(指*)をうくるこゝろにもち、 たけ高指しめずゆるまず、 くすしゆび、小指をしむる心にして持也。 手のうちにはくつろぎの有事悪し。(1) 太刀をもつと云て、持たるばかりにてハ悪し。 敵をきるものなりとおもひて、太刀を取べし。 敵を切ときも、手の内にかハりなく、 手のすくまざる様に持べし。 若、敵の太刀を、はる事、うくる事、 あたる事、おさゆる事ありとも、 大指、人さしゆびばかりを、すこしかゆる心にして、 兎にも角にも切とおもひて、太刀を取べし。(2) ためし物など切ときの手のうちも、 兵法にしてきる時の手のうちも、 人をきるといふ手のうちにかハる事なし。(3) 惣而、太刀にても手にても、いつくと云事を嫌ふ。 いつくハ、しぬる手也。いつかざるハ、いくる手也。 能々心得べきもの也。(4)

【現代語訳】
一 太刀の持ち方の事
 太刀の握り方は、親指と人指し指は浮かせた感じで持ち、中指は締めず緩めず、薬指と小指を締める気持で持つのである。持った手の内に遊びがあるのはよくない。  太刀を持つといっても、ただ持っているだけということではいけない。敵を切るのだと思って、太刀を取るべきである。  敵を切る時も、(太刀を持った)手の内に変化はなく、手の竦〔すく〕まないように持つべきである。もし敵の太刀を、張る、受ける、当る、おさえるということがあっても、親指と人指し指だけを少し変える感じで、何が何でも切るのだと思って、太刀を取るべきである。  試し斬りで切る時の手の内も、実戦で切る時の手の内も、人を切るという手の内に変ることはない。  (我が流派では)総じて、太刀でも手でも、居つく〔固着する〕ということを嫌う。居つくのは死んだ手である。居つかないのは生きた手である。よくよく心得ておくべきである。
6 足のつかい方

【原 文】
一 足つかひの事。
足のはこび様の事、つまさきをすこしうけて、 くびすをつよく踏べし。 足つかひハ、ことによりて、 大小遅速は有とも、常にあゆむがごとし。 足に、飛足、浮足、ふみすゆる足とて、 是三つ、嫌ふ足也。(1) 此道の大事にいはく、 陰陽の足と云、是肝心也。 陰陽の足ハ、片足ばかりうごかさぬもの也。 切とき、引とき、うくる時迄も、 陰陽とて、右左/\と踏足也。 かへす/\、片足踏事有べからず。 能々吟味すべきもの也。(2)

【現代語訳】
一 足づかいの事
 足の運び方のことだが、爪先を少し浮かせて、踵〔かかと〕を強く踏むべし。  足の使い方は、状況によって、大きい小さい、遅い速い(の違い)はあっても、ふだん歩くのと同じようにする。足に、飛足〔とびあし〕、浮足〔うきあし〕、踏み据える足というのがあるが、この三つは、(我が流派では)嫌う足である。  この道の大事〔枢要〕に曰く、「陰陽の足」ということがある。これが肝心である。  陰陽の足とは、片足だけ動かすようなことはしないものである。切る時、引く時、受ける時でさえも、陰陽といって、右、左、右、左と踏む足である。決して片足を踏むことはあってはならない。よくよく吟味すべきである。
7 五方の搆

【原 文】
一 五方の搆の事。
五方の搆ハ、上段、中段、下段、 右の脇に搆る事、左の脇に搆る事、 是五方也。 搆五ツにわかつといへども、 皆人を切らむため也。 搆、五ツより外ハなし。 何れの搆なりとも、搆ると思はず、 切事なりと思ふべし。(1) 搆の大小は、ことにより、利にしたがふべし。 上中下ハ、躰の搆也。両脇ハ、ゆふの搆也。 右左のかまへ、上のつまりて、 脇一方つまりたる所などにての搆也。 右左ハ、所によりて分別有。 此道の大事にいはく、 搆の極は中段と心得べし。 中段、かまへの本意也。 兵法大にして見よ、中段は大将の座也。 大将につぎ、跡四段の搆也。 能々吟味すべし。(2)

【現代語訳】
一 五方〔ごほう〕の搆えの事
 五方の搆えは、上段・中段・下段、右の脇に搆えること、左の脇に搆えること、以上の五方である。  搆えを五つに分けるとはいえ、どれも人を切るためのものである。搆えは、この五つより外はない。どの搆えであっても、搆えると思わず、切るのだと思うべきである。  搆えの大きい小さいは、状況によって、有利なほうに従えばいい。  上段・中段・下段は「体」〔たい、本体・基本〕の搆えである。左右両脇の方は「用」〔ゆう、働き・応用〕の搆えである。  右左(の搆え)は、上の方がつかえていたり、脇の一方がつかえている所などでの搆えである。右左は場所によって違いがある。  この道の大事に曰く、搆えの究極は中段と心得るべし、と。中段は搆えの本意〔本来あるべきもの〕である。  兵法を大きくして(合戦に当てはめて)見よ。中段は大将の座である。その大将についで、残りの四つの搆えがある。よくよく吟味すべし。
8 太刀の軌道

【原 文】
一 太刀の道と云事。
太刀の道を知ると云ハ、 常に我さす刀を、指二つにて振る時も、 道筋よくしりてハ、自由に振もの也。 太刀をはやくふらんとするによつて、 太刀の道さかひて振がたし。 太刀ハ、振よきほどに、静に振心也。 或は扇、或は小刀などつかふ様に、 はやくふらんとおもふに依て、 太刀の道違ひて振がたし。 夫ハ、小刀きざみといひて、 太刀にてハ人のきれざるもの也。(1) 太刀を打さげてハ、あげよき道へ上、 横にふりてハ、横にもどりよき道へもどし、 いかにも大にひぢをのべて、 強く振る事、是太刀の道也。(2) 我が兵法の五つの表をつかひ覚ゆれバ、 太刀の道定て振よき所也。 能々鍛錬すべし。(3)

【現代語訳】
一 太刀の道〔軌道〕という事
 太刀の道を知るというのは(以下のようなことである。――)  常に自分が差す刀を、(薬指と小指の)指二つで振るときも、(太刀の)道筋をよく知れば、自由自在に振れるものである。  太刀を早く振ろうとすると、太刀の軌道に逆らって、振るのが難しくなるのである。(だから)太刀は振りよい程に、静かに振るという感じにする。  扇あるいは小刀などを遣うように、太刀を早く振ろうと思うから、太刀の軌道がはずれて、振れない。それは「小刀きざみ」といって、太刀では(そんな振り方をすると)人を切れないものである。  太刀を打ち下げては、上げやすい軌道へ(振り)上げ、横へ振っては、横に戻りやすい軌道へ戻し、できるだけ大きく肱〔ひじ〕を延ばして、強く振ること、これが太刀の道筋である。  我が兵法の五つの表〔おもて〕のやり方を習得できれば、太刀の軌道が定まって振りやすくなるのである。よくよく鍛練すべし。
9 表第一 中段の搆え

【原 文】
一 五つの表の次第の事。第一の構、中段。
敵に行相時、太刀先を敵のかほへ付て、 敵太刀うちかくる時、右へ太刀をはづしてのり、 又敵うち懸る時、切先かへしにて打、 うち落したる太刀、其まゝ置、 又敵の打かくる時、下より敵の手をはる、 是第一也。(1)
惣別、此五つの表、 書付る斗にてハ合点なりがたし。 五ツの表の分ハ、 手にとつて、太刀の道稽古する所也。 此五つの太刀筋にて、 我太刀の道をもしり、 いかやうにも敵のうつ太刀しるゝ所也。 是、二刀の太刀の搆、五つより外にあらず、と しらする所也。鍛錬すべき也。(2)

【現代語訳】
一 五つの表の次第の事。第一の搆え、中段。
 敵に相遇した時、太刀先を敵の顔に向けて付け、敵が太刀を打ちかかってくると、右へ敵の太刀を外してのる*。さらにまた、敵が打ちかかってくる時、切先返しで打ち、打ち下した(自分の)太刀はそのままにしておいて、また敵が打ちかかる時、下から敵の手を張る、これが第一である。
 総じて、この五つの表は、書いたものを読んだだけでは、合点がいかないはずだ。(だから)五つの表のそれぞれは、実際に刀を手に取って、太刀の道筋を稽古するのである。  この五つの太刀筋によって、我が流派の太刀の軌道をも知り、敵の打つどんな太刀でも知ることができるのである。  これは、二刀の太刀の搆えは、この五つ以外にはない、と知らしめるところである。鍛練すべきである。
10 表第二 上段の搆え

【原 文】
一 表、第二の次第の事。
第二の太刀、上段に構、 敵打懸る所、一度に敵を打也。 敵を打はづしたる太刀、其まゝ置て、 又敵のうつところを、下よりすくひ上てうつ。 今一つうつも、同じ事也。(1)
此表の内におゐてハ、 様々の心持、色々の拍子、 此表の内を以て、一流の鍛錬をすれバ、 五つの太刀の道、こまやかにしつて、 いかやうにも勝所有。稽古すべき也。(2)

【現代語訳】
一 表、第二の次第の事
 第二の太刀は、上段に搆え、敵が打かかるところを、(左右)同時に敵を打つのである。  敵を打ち外したときは、太刀はそのままにしておいて、さらに敵の打ってくるところを、下からすくい上げて打つ。もう一度打つのも、同じようにする。
 この(五つの)表の内には、さまざまの心持、いろいろの拍子があるが、この表の内をもって我が流派の鍛練をすれば、五つの太刀の道筋を詳しく知って、いかようにも勝てるようになる。稽古すべきである。
11 表第三 下段の搆え

【原 文】
一 表、第三の次第の事。
第三の搆、下段にもち、ひつさげたる心にして、 敵のうちかくる所を、下より手をはるなり。 手をはる所を、又敵はる太刀を 打落さんとする所を、こす拍子にて、 敵うちたる跡、二のうでを横に切こゝろ也。 下段にて、敵のうつ所を、 一度に打とむる事也。(1) 下段の搆、道をはこぶに、 はやき時もおそき時も、出合もの也。 太刀をとつて、鍛錬すべきもの也。(2)

【現代語訳】
一 表、第三の次第の事
 第三の搆は、(両刀を)下段に持ち、引っさげた感じで、敵が打ちかかるところを、下から敵の手を張るのである。  (こちらが)手を張るところを、また敵がその張る太刀を打落そうとするのを、(こちらは)越す*拍子で、敵が打った後、二の腕〔上腕〕を横に切るのである。敵の打ってくるところを、下段で一度に打ち留めることである。  下段の搆えは、(太刀の)道筋を運用するに、早い時も遅い時も、どちらにも使えるものである。太刀を手に取って、鍛練すべきである。
12 表第四 左脇の搆え

【原 文】
一 表、第四の次第の事。
第四の搆、左の脇に横にかまへて、 敵のうち懸る手を、下よりはるべし。 下よりはるを、敵うち落さんとするを、 手をはる心にて、其まゝ太刀の道をうけ、 わが肩の上へ、すぢかひにきるべし。 是太刀の道也。 又敵の打かくるときも、太刀の道をうけて勝道也。 能々吟味有べし。(1)

【現代語訳】
一 表、第四の次第の事
 第四の搆え。左の脇に(太刀を)横に搆えて、敵の打ちかかる手を、下から張ること。  (こちらが)下から張るのを、敵が打ち落そうとするときは、(敵の)手を張る感じで、すぐさま太刀の軌道をうけとって、自分の肩の上へ、斜めに切り上げる。これが太刀の道(筋)である。  さらにまた、敵が打ちかかる時も、太刀の道をうけて勝つという道〔やり方〕である。よくよく吟味あるべし。
13 表第五 右脇の搆え

【原 文】
一 表、第五の次第の事。
第五の(次第、太刀の*)搆、 わが右のわきに横に搆て、 敵うち懸る所の位をうけ、 我太刀の*下の横より筋違て、上段に振あげ、 上より直にきるべし。 これも太刀の道よくしらんため也。 此表にてふりつけぬれバ、 おもき太刀自由にふらるゝ所也。(1)
此五つの表におゐて、こまかに書付る事に非ず。 我家の一通、太刀の道をしり、 又、大かた拍子をもおぼへ、敵の太刀を見分事、 先、此五つにて、不断手をからす所也。 敵と戦のうちにも、此太刀筋をからして、 敵の心をうけ、いろ/\の拍子にて、 如何やうにも勝所也。能々分別すべし。(2)
 
【現代語訳】
一 表、第五の次第の事  第五の搆えは、自分の右脇に横に搆えて、敵が打ちかかるところの位〔態勢〕に対応して、我が太刀〔左小太刀〕の下の横から、斜交いに上段に振り上げて、上から真っ直ぐに切るべし。  これ(を練習するの)も、太刀の道をよく知るためである。この表によって太刀を振り慣れると、重い太刀でも自由に振れるようになるのである。
 (以上)この五つの表では、事こまかに書きつけるのではない。我が流派の一通り、太刀の道を知って、また、だいたいの拍子も覚え、敵の太刀を見分けるようになること、(そのためには)まず、この五つ(の表)によって、たえず自分の手で練習しつくすのである。  敵と戦う最中にも、この太刀筋を総動員して、敵の心に応じて、いろいろの拍子で、いかようにも勝てるのである。よくよく分別すべきである。
14 搆えあって搆えなし

【原 文】
一 有搆無搆の教の事。
有搆無搆と云ハ、 太刀を搆と云事、有べき事にあらず。 されども、五方に置事あれバ、 搆ともなるべし。 太刀は、敵の縁により、 所により、けいきにしたがひ、 いづれのかたに置たりとも、 其敵きりよき様に持心也。 上段も、時に随ひ、 少さぐる心なれバ、中段となり、 中段も*、利により少上れば、上段となる。 下段も、折にふれ少上れバ、中段となる。 両脇の搆も、位により、少し中へ出せバ、 中段、下段ともなる心也。 然によつて、搆ハ有て搆ハなきと云利也。 先、太刀をとりてハ、 何れにしてなりとも敵をきる、と云心也。 若、敵のきる太刀を、うくる、はる、 あたる、ねばる、さはる、 など云事あれども、 みな敵をきる縁也、と心得べし。 うくるとおもひ、はるとおもひ、 あたるとおもひ、ねばるとおもひ、 さはると思ふによつて、切事不足なるべし。 何事もきる縁とおもふ事、肝要也。 能々吟味すべし。 兵法大にして、人数だてと云も搆也。 ミな合戦に勝縁也。 いつくと云事悪し。能々工夫すべし。(1)

【現代語訳】
一 有搆無搆〔うこうむこう〕の教えの事
 有搆無搆〔搆えあって搆えなし〕というのは、(こういうことである――)  太刀を搆えるということは、あるべきことではない。けれども、太刀を「五方」に置くのであれば、搆えともなるであろう。(ただし)太刀は、敵の出方により、場所により、形勢にしたがって、(五方の)何れの方に太刀を置いたとしても、その敵を切りやすいように太刀を持つのである。  上段も、時にしたがい、少し(太刀が)下る感じであれば、中段となり、中段も、場合により少し上れば、上段となる。下段も、折にふれ少し上れば、中段となる。両脇の搆えも、状態により、少し中へ出せば、中段、下段ともなる、ということである。――そういうことなので、搆えはあって搆えはない、というわけである。  まず(何よりも)、太刀を手に取っては、どのようにしてでも敵を切るのだ、という心持である。もし(仮に)、敵の切ってくる太刀を、受ける、張る、当る、粘る、触る、などと云うことがあっても、それはすべて、敵を切るためのものだ、と心得るべきである。  受けると思い、張ると思い、当ると思い、粘ると思い、触ると思うと、そのことによって、切ることが不十分になるであろう。何ごとも敵を切るためだと思うことが肝要である。よくよく吟味すべし。  兵法が大きい(大分の兵法の)ばあい、「人数立て」〔兵員配置〕というのも、搆えである。すべては合戦に勝つためのものである。  (どんなばあいでも)居付くということはよくない。よくよく工夫すべし。
15 一つ拍子の打ち

【原 文】
一 敵をうつに、一拍子の打の事。 敵を打拍子に、一拍子と云て、 敵我あたるほどの位を得て、 敵のわきまへぬうちを心に得て、 我身もうごかさず、心もつけず、 いかにも早く、直にうつ拍子也。 敵の、太刀ひかん、はづさん、うたん、 とおもふ心のなきうちを打拍子、是一拍子也。 此拍子、よくならひ得て、 間の拍子をはやく打事、鍛錬すべし。(1)

【現代語訳】
一 敵を打つに、一つ拍子の打ちの事
 敵を打つ拍子に、一つ拍子というものがあって、敵と自分が(太刀を打って)当るほどの位置を得て、敵の心の準備ができないのを心得て、こちらは身体も動かさず、心もつけず〔起こさせず〕、できるだけ早く真っ直ぐに打つ拍子である。  敵が、太刀を引こう、外そう、打とうと思う心を、まだ起さない内に打つ拍子、これが一つ拍子である。  この拍子をよく習得して、間〔あい〕の拍子を早く打つこと、鍛練すべし。
16 二つのこしの拍子

【原 文】
一 二のこしの拍子の事。 二のこしの拍子、我うちださんとするとき、 敵はやく引、はやくはりのくる様なる時ハ、 我うつとみせて、敵のはりてたるむ所を打、 引てたるむところをうつ、 これ二のこしの拍子*也。 此書付ばかりにてハ、中々打得がたかるべし。 おしへをうけてハ、忽合点のゆく所也。(1)

【現代語訳】
一 二つのこしの拍子の事  二つのこし(二重)の拍子とは、こちらが打ち出そうとすると、敵が早く引き、早く張り退〔の〕けるような時、こちらが打つと見せかけて、敵が張って(一瞬)弛むところを打ち、引いて弛むところを打つ。これが二つのこしの拍子である。  この文書を読んだだけでは、この打ちは、なかなかできないはずである。だがこれも、教えを受ければ、たちまち合点のゆくところである。
17 無念無相の打ち

【原 文】
一 無念無相の打と云事。
敵もうち出さんとし、我も打ださんとおもふとき、 身もうつ身になり、心も打心になつて、 手ハ、いつとなく、空より後ばやに強く打事、 是無念無相とて、一大事の打也。 此打、たび/\出合打也。 能々ならひ得て、鍛錬有べき儀也。(1)

【現代語訳】
一 無念無相の打ちという事
 敵も打ち出そうとし、自分も打ち出そうと思う時、身も打つ身になり、心も打つ心になって、手は何時となく、空〔くう〕から遅ればせに、強く打つこと。これが無念無相といって、(我が流派では)重要な打ちである。  この打ちは(さまざまな状況で)度々使える打ちである。よくよく習得して、鍛練あるべきことである。
 18 流水の打ち

【原 文】
一 流水の打と云事。
流水の打と云て、敵あひに成て、せりあふ時、 敵、はやくひかん、はやくはづさん、 早く太刀をはりのけんとする時、 我身も心も大になつて、 太刀を、我身の跡より、 いかほどもゆる/\と、 よどミの有様に、大に強くうつ事也。 此打、ならひ得てハ、たしかにうちよきもの也。 敵の位を見分事、肝要也。(1)

【現代語訳】
一 流水の打ちという事
 流水〔りゅうすい〕の打ちというのは、敵合(敵相)になって競り合う時に、敵が早く引こう、早く外そう、早く太刀を張りのけようとする時、こちらは身も心も大きくなって、太刀を我が身の後から、いかほどもゆるゆると、淀みのあるように、大きく強く打つことである。  この打ちを習得すれば、たしかに打ちやすいものである。  (以上四つの「間の拍子」については)敵の位〔態勢〕を見分けることが肝要である。
19 縁の当り

【原 文】
一 縁のあたりと云事。
我うち出す時、 敵、打とめん、はりのけんとする時、 我打一つにして、あたまをも打、 手をも打、足をも打。太刀の道ひとつをもつて、 いづれなりとも打所、是縁の打也。(1) 此打、能々打ならひ(得てハ*)、何時も出合打也。 さい/\打合て、分別有べき事也。(2)

【現代語訳】
一 縁〔えん〕の当りという事
 こちらが打ち出すと、敵は打ち留めよう、張りのけようとする、その時、こちらは打ち一つで、頭をも打ち、手をも打ち、足をも打つ。太刀の軌道一つで、どこなりとも打つところ、これが縁の打ちである。  この打ちは、よくよく打ち習い(得れば)、どんな場合でも使える打ちである。何度も打ち合って(練習し)、分別しておくべきことである。
20 石火の当り

【原 文】
一 石火のあたりと云事。
石火のあたりハ、 敵の太刀とわが太刀と付合程にて、 我太刀少もあげずして、いかにも強く打也。 是ハ、足もつよく、身も強く、手も強く、 三所をもつて、はやく打べき也。 此打、たび/\打ならはずしてハ、打がたし。 能鍛錬をすれバ、つよくあたるもの也。(1)

【現代語訳】
一 石火の当りという事
 石火〔せっか〕の当りは、敵の太刀と我が太刀が触れ合うほど(接近した状態)で、我が太刀は少しも上げずに、できるだけ強く打つのである。  これは、足も強く、身も強く、手も強く、三所*(さんしょ、足・身・手)をもって早く打つべきである。  この打ちは、度々(繰り返し)練習しなくては、打つことはできない。よく鍛練をすれば、強く当たる(ようになる)ものである。
21 紅葉の打ち

【原 文】
一 紅葉の打と云事。
紅葉のうち、敵の太刀を打落し、 太刀とりはなす(はなつ)心也。(1) 敵、前に太刀を搆、 うたん、はらん、うけんと思ふ時、 我打心ハ、無念無相の打、 又、石火の打にても、敵の太刀を強く打、 其まゝ跡をはねる*心にて、切先さがりにうてバ、 敵の太刀、かならず落もの也。 この打、鍛練すれバ、打落す事安し。 能々稽古有べし。(2)

【現代語訳】
一 紅葉の打ちという事
 紅葉〔こうよう〕の打ち(というのは)、敵の太刀を打ち落し、(敵の手から)太刀をとり放つという意味である。  敵が前に太刀を搆え、打とう、張ろう、受けようと思う時、こちらの打つ心は、無念無相の打ちでも、また石火の打ちでも、敵の太刀を強く打ち、直ちに後を撥ねる心持で、切先下りに打てば、敵の太刀は必ず落ちるものである。  この打ちを鍛練すれば、敵の太刀を打ち落とすことは容易である。よくよく稽古あるべし。
22 太刀に替わる身

【原 文】
一 太刀にかはる身と云事。
身にかはる太刀とも云べし。 惣而、敵をうつ身に、 太刀も身も一度にハうたざるもの也。 敵の打縁により、 身をバさきに打身になり、 太刀ハ、身にかまはず打所也。 若ハ、身はゆかず、太刀にてうつ事はあれども、 大かたハ、身を先へ打、太刀を跡より打もの也。 能々吟味して、打習べき也。(1)

【現代語訳】
一 太刀に替る身という事
 身に替る太刀とも云える。  総じて、敵を打つ身に(ついて云えば)、太刀も身体も、同時には打ち込まないものである。敵が打ってくる縁〔出方〕によって、身体の方を先に打ち出すかっこうで、太刀は(先立つ)身体にかまわず打つのである。  場合によっては、身体は先に行かず、太刀で打つことはあるけれども、たいていは、身体を先へ打ち込み、太刀を後から打つものである。よくよく吟味して、打ち習うべきである。
23 打つと当るの違い

【原 文】
一 打とあたると云事。
うつと云事、あたると云事、二つ也。 うつと云こゝろハ、何れのうちにても、 おもひうけて、たしかに打也。 あたるハ、行あたるほどの心にて、 何と強くあたり、忽敵の死ぬるほどにても、 これハ、あたる也。 打と云ハ、心得て打所也。吟味すべし。 敵の手にても、足にても、 あたると云ハ、先、あたる也。 あたりて後を、強くうたんため也。 あたるハ、さはるほどの心、 能ならひ得てハ、各別の事也。 工夫すべし。(1)

【現代語訳】
一 打つと当るという事
 打つということ、当るということ、(これは)二つ(別々のこと)である。  打つという意味は、どんな打ちでも、しっかりと心得て、確実に打つということである。当るというのは、(たまたま)行き当るという程のことであり、どれほど強く当って、敵が即死してしまう程であっても、これは当るということである。打つというのは、心得て打つ場合である。(ここを)吟味すべし。  敵の手でも足でも、当るというのは、まず、当るのである。(それは)当った後を強く打つためのものである。(だから)当るというのは、触る〔様子をみる〕という程のことであり、よく習得すれば、まったく別のことだ(とわかる)。工夫すべし。
24 手を出さぬ猿
【原 文】
一 しうこうの身と云事。
秋猴の身とハ、手を出さぬ心也。 敵へ入身に、少も手を出だす心なく、 敵打つ前、身をはやく入心也。 手を出さんとおもヘバ、 かならず身の遠のく物なるによつて、 惣身をはやくうつり入心也。 手にてうけ合する程の間にハ、 身も入安きもの也。 能々吟味すべし。(1)

【現代語訳】
一 しゅうこうの身という事
 秋猴*〔しゅうこう〕の身とは、手を出さぬという意味である。  敵へ入身〔いりみ〕に(なって)、少しも手を出すつもりがなく、敵が打つ前に、(こちらの)身体を(先に)早く入れてしまうのである。  手を出そうと思うと、必ず身は遠退いてしまうものなので、全身を素早く移し入れる心持である。手でうけ合わす〔立ち向かう〕程の間があれば、(それより先に)身体も入れやすいものである。よくよく吟味すべし。
25 漆膠の身

【原 文】
一 しつかうの身と云事。
漆膠とハ、入身に、よく付て離ぬ心也。 敵の身に入とき、かしらをも付、身をも付、 足をも付、強く付所也。 人毎、顔足ハ早くいれども、 身ハのくもの也。 敵の身へ我身をよく付、 少も身のあひのなき様に、つくもの也。 能々吟味有べし。(1)

【現代語訳】
一 しっこうの身という事
 漆膠〔しっこう〕とは、入身〔いりみ〕のとき、(敵に)ぴったり密着して離れないということである。敵の懐に入った時、頭も、身体も、足も、強く密着させるのである。  人はだれでも、顔や足は早く入るけれども、身体が退いてしまうものである。敵の身体にこちらの身体をぴったり押し着け、少しも身体の隙間のないように密着するのである。よくよく吟味あるべし。
26 たけくらべ

【原 文】
一 たけくらべと云事。 たけくらべと云ハ、いづれにても敵へ入こむ時、 我身のちゞまざる様にして、 足をも延べ、腰をものべ、首をも延て、強く入り、 敵のかほと顔とならべ、身のたけをくらぶるに、 くらべ勝と思ほど、たけ高くなつて、 強く入所、肝心也。能々工夫有べし。(1)

【現代語訳】
一 たけくらべという事
 丈くらべというのは、どのようにしても敵の方へ入り込む時、自分の身体が萎縮しないようにして、足も伸ばし、腰も伸ばし、頭も伸ばして、強く入る。  敵の顔と(自分の)顔を並べ、背丈を比べて比べ勝つと思うほど、丈高くなって強く入る。そこが肝心である。よくよく工夫あるべし。
27 粘りをかける

【原 文】
一 ねばりをかくると云事
敵も打かけ、我も太刀うちかくるに、 敵うくる時、我太刀、敵の太刀に付て、 ねばる心にして入也。 ねばるハ、太刀はなれがたき心、 あまり強くなき心に入べし。 敵の太刀に付て、ねばりをかけ、入ときハ、 いかほど静に入ても、くるしからず。(1) ねばると云事と、もつるゝと云事、 ねばるハ強し、もつるゝハ弱し。 此事分別有べし。(2)

【現代語訳】
一 ねばりをかけるという事
 敵も打ち懸り、こちらも太刀を打ち懸けると、敵が(その)太刀を受ける、その時、自分の太刀を敵の太刀に接着させて、粘るという感じで入るのである。  (ただし)粘るというのは、太刀が離れがたい心持(はあっても、それは)あまり強くはない、そういう気持で入るべきである。敵の太刀に(自分の太刀を)接着させて粘りをかけ、入る時は、どれほど静かに入ってもかまわない。  粘るということと、もつれるということ。粘るのは強いが、もつれるのは弱い。この違い、分別あるべし。
28 体当たり

【原 文】
一 身のあたりと云事。
身のあたりハ、敵のきはへ入込て、 身にて敵にあたる心也。 すこし我顔をそばめ、わが左の肩を出し、 敵の胸にあたる也。 我身を、いかほども強くなり、あたる事、 いきあひ拍子にて、はづむ心に入べし。 此入事、入ならひ得てハ、 敵二間も三間もはけのく程、強きもの也。 敵死入ほども、あたる也。 能々鍛錬有べし。(1)

【現代語訳】
一 身の当りという事
 身の当り〔体当たり〕は、敵のそばへ入り込んで、体で敵にぶつかるということである。  (この体当たりは)少し顔をそむけ、左の肩を出して、敵の胸にぶつかるのである。我が身をできるだけ強固な感じにして、(そして)ぶつかるには、行きあい拍子〔いきなりという調子〕で、弾じけるような感じで入ること。  この入り方を習得できれば、敵が二間も三間もぶっ飛ぶほど強いものである。敵が死んでしまうほどの衝撃でぶつかるのである。  よくよく鍛練あるべし。
29 三つの受け

【原 文】
一 三つのうけの事。
三のうけと云ハ、敵へ入込時、 敵うち出す太刀をうくるに、 我太刀にて、敵の目をつく様にして、 敵の太刀を、わが右のかたへ 引ながしてうくる事。 又、つきうけと云て、敵の打太刀を、 敵の右の目をつく様にして、 くびをはさむ心に、つきかけてうくる所。 又、敵の打時、みじかき太刀にて入に、 うくる太刀ハ、さのみかまハず、 我左の手にて、敵のつらをつく様にして入込。 是三つのうけ也。左の手をにぎりて、 こぶしにてつらをつく様に思ふべし。 能々鍛錬有べきもの也。(1)

【現代語訳】
一 三つの受けの事
 三つの受けというのは、敵の方に入り込む時、敵が打ち出す太刀を受けるに、(次のような受け方がある)。  我が太刀で敵の目を突くようにして、敵の太刀を自分の右の方向へ引き流して、受ける。  また、「突き受け」といって、敵の打ちかかる太刀を、敵の右の目を突くようにして、相手の首をはさむ感じで、突きかけて、受ける。  また、敵が打ってくる時、(こちらが)短い太刀で入るばあい、(敵の打ちを)受ける太刀の方はさしてかまわず、左の手で敵の顔面を突くようにして、入り込む。  以上が、三つの受けである。(どの場合も)左の手を握って拳で(敵の)顔面を突く、そのように思えばいい。よくよく鍛練あるべきである。
30 敵の顔を刺す
【原 文】
一 面をさすと云事。 面をさすと云ハ、敵太刀相になりて、 敵の太刀の間、我太刀の間に、 敵のかほを、我太刀先にてつく心に 常におもふ所、肝心也。 敵の顔をつく心あれバ、 敵のかほ、身ものるもの也。 敵をのらするやうにしてハ、 色々勝所の利有。能々工夫すべし。 戦のうちに、敵の身のる心有てハ、はや勝所也。 それによつて、面をさすと云事、 忘るべからず。兵法稽古のうちに、 此利、鍛練有べきもの也。(1)

【現代語訳】
一 顔を刺すという事
面〔おもて、顔〕をさすというのは、敵と太刀あい(接近戦)になって、敵の太刀の合間、我太刀の合間に、敵の顔を我が太刀先で突くのだ、と常に思うこと、そこが肝心である。  敵の顔を突く心持があれば、敵の顔も身体ものけぞるものである。敵をのけぞらせるようにすれば、いろいろと勝機がある。(これを)よくよく工夫すべし。  戦いの最中、敵に身をのけぞる気持が生じれば、もはや勝てるのである。そうだからこそ、顔を刺すということを忘れてはならない。兵法を稽古するなかで、この利〔戦法〕を鍛練することである
31 敵の胸を刺す

【原 文】
一 心をさすと云事 心をさすと云ハ、戦のうちに、 上つまり、わきつまりたる所などにて、 切事いづれもなりがたきとき、敵をつく事、 敵の打太刀をはづす心ハ、 我太刀のむねを直に敵に見せて、 太刀先ゆがまざる様に引とりて、 敵の胸をつく事也。 若、我草臥たる時か、 又ハ刀のきれざる時などに、 此儀専用る心也。能々分別すべし。(1)

【現代語訳】
一 胸を刺すという事
 心〔むね、胸〕をさすというのは、戦いの最中、上が詰まり脇も詰まっている(余裕のない)場所などで、切ることがどうしてもできない時、敵を突くこと(である)。  敵が打ちかかる太刀を外す要点は、我が太刀の棟(峰)を真っ直ぐ敵に見せて、太刀先が曲がらないように手前に引いて、敵の胸を突くことである。  (ただし)もし自分が疲れきってしまった時、あるいはまた、刀が切れなくなった時などに、これをもっぱら使うというのが趣旨である。よくよく分別すべし。
32 喝咄〔かつとつ〕
【原 文】
一 かつとつと云事。
喝咄と云ハ、何れも 我うちかけ、敵をおつこむ時、 敵又打かへす様なる所、 下より敵をつく様にあげて、かへしにて打事、 いづれもはやき拍子をもつて、喝咄と打。 喝とつきあげ、咄と打心也。 此拍子、何時も打あいの内にハ、専出合事也。 喝咄のしやう、切先あぐる心にして、 敵をつくと思ひ、あぐると一度に打拍子、 能稽古して、吟味有べき事也。(1)

【現代語訳】
一 喝咄という事
 喝咄〔かっとつ〕というのは、いづれにしても、こちらが打ちかけて敵を追込んだ時、敵が再び打ち返すような場合、下から敵を突くように突き上げて、「返し」で打つことである。いづれも早い拍子で喝咄と打つ。「喝」〔かつ〕と突き上げ、「咄」〔とつ〕と打つ心持である。  この拍子は、いつでも敵と打ち合いの最中には、もっぱら使えることである。喝咄のやり方は、太刀の切先を突き上げる感じで、敵を突くぞと思い、突き上げると同時に打つ、その拍子をよく稽古して、吟味しておくことである。
33 張り受け

【原 文】
一 はりうけと云事。
はりうけと云ハ、敵と打合とき、 とたん/\と云拍子になるに、 敵の打所を、我太刀にてはり合せ、うつ也。 はり合する心ハ、さのみきつくはるにあらず、 又、うくるにあらず。 敵の打太刀に應じて、打太刀をはりて、 はるよりはやく、敵を打事也。 はるにて先をとり、うつにて先をとる所、肝要也。 はる拍子能あへバ、敵何と強くうちても、 少はる心あれバ、太刀先の落る事にあらず。 能習得て、吟味有べし。(1)

【現代語訳】
一 張り受けという事
 張り受けというのは、敵と打ち合う時、「トッ、たん、トッ、たん」という拍子になるばあい、敵の打ってくるところを、我が太刀で張り合わせて打つのである。  張り合わせる感じは、さほどきつく張るのでもなく、また受けるのでもない。敵の打ちかかる太刀に応じて、(敵の)打つ太刀を張って、張るより早く敵を打つことである。張ることで先〔せん〕を取り、打つことで先を取る、そこが肝要である。  張る拍子がよく合えば、敵がどれほど強く打っても、(こちらに)少し張る気持があれば、太刀先が落ちることはない。よく(これを)習得して、吟味あるべし。
34 一人で多数と戦う

【原 文】
一 多敵の位の事。
多敵のくらゐと云ハ、 一身にして大勢と戦ときの事也。 我刀脇指をぬきて、 左右へ廣く太刀を横に捨て、搆る也。 敵は四方よりかゝるとも、 一方へおひまはす心也。 敵かゝる位、前後を見分て、 先へすゝむものにはやく行あひ、 大に目を付て、敵うち出す位を得て、 右の太刀も左の太刀も、一度に振ちがへて、 行太刀にて、其敵をきり、もどる太刀にて、 わきにすゝむ敵をきる心也。 太刀を振ちがへて待事悪し。 はやく両脇の位に搆、敵の出たる所を、 強くきりこミ、おつくづして、其まゝ、 又敵の出たるかたへかゝり、振くづす心也。 いかにもして、敵をひとへに、 うをつなぎにおひなす心にしかけて、 敵のかさなるとミヘバ、 其まゝ間をすかさず、強くはらひこむべし。 敵あひこむ所、ひたとおひまはしぬれバ、 はか行がたし。 又敵の出るかた/\と思ヘバ、 待心有て、はか行がたし。 敵の拍子をうけて、くづるゝ所をしり、勝事也。 おり/\相手をあまたよせ、 おひこミ付て、其心を得れバ、 一人の敵も、十、二十の敵も、心安き事也。 能稽古して吟味有べき也。(1)

【現代語訳】
一 多敵の位の事
 多敵〔たてき〕の位というのは、一人で多勢と戦う時のことである。  わが刀と脇差を抜いて、左右に広く太刀を横に拡げておくようにして搆えるのである。  敵が四方からかかってくるとしても、敵を一方へ追廻すようにする心持である。敵がかってくる出方、その前後を見分けて、先へ進む者に素早く行き合い、大どころに目をつけて、敵が打ち出してくるところを捉えて、右の太刀も左の太刀も同時に振りちがえて、行く太刀で前の敵を切り、戻る太刀で脇に進む敵を切るのである。  太刀を振りちがえて待つのはよくない。素早く両脇の位に太刀を搆え、敵の出てくるところを、強く切り込み、追い崩して、すぐさま、また敵の出てくる方へ切りかかり、振り崩すのである。  できるだけ、敵を一列に魚つなぎ*にしてしまうように追いやるように仕懸けて、敵が(一列に)重なったと見れば、すぐさま、間をあけず強く(横に)払い(切り)込むべし。  敵と接近したところで、しつこく敵を追い廻すのでは、捗〔はか〕が行かない。また(逆に)、敵の出てくる方、出てくる方と思っていると、待つ心があって、(これも)捗が行かない。  敵の拍子をうけて、その崩れる部分を見分けて撃破するのである。  ときおり相手を多数集め(練習して)、追込むのに慣れて、その感じをつかめば、一人の敵でも、十人二十人の敵でも、平気だということになる。よく稽古して、吟味しておくべきである。
 35 打ち合いの利

【原 文】
一 打あひの利の事[見出し改行*]
此打あひの利と云事にて、 兵法、太刀にての勝利をわきまゆる所也。 こまやかに書記すにあらず。 (能*)稽古有て、勝所を知べきもの也。 大かた、兵法の実の道を顕す太刀也。(口傳) (1)

【現代語訳】
一 打ち合いの利の事
 この打ち合いの利ということで、兵法における、太刀を用いての勝つ利*をわきまえるのである。  ここで詳細に書き記すのではない。(よく)稽古して勝ちどころをを知るべきものである。  (これは)大かた、兵法の真実の道を体現する太刀である。(口伝*)
36 一つの打ち
【原 文】
一 一つの打と云事[見出し改行*]
此一つの打と云心をもつて、 たしかに勝所を得事也。 兵法よく学ざれバ、心得がたし。 此儀、よく鍛錬すれバ、兵法心のまゝになつて、 おもうまゝに勝道也。能々稽古すべし。(1)

【現代語訳】
一 一つの打ちという事
 この一つの打ちという心をもって、確実に勝つところを把握することである。兵法をよく学ばないと、これは理解できない。  この儀(一つの打ち)をよく鍛練すれば、兵法は心のまま(自在)になって、思うままに勝てるようになる道である。よくよく稽古すべし。
37 直通〔じきづう〕の位

【原 文】
一 直通の位と云事[見出し改行*]
直通の心、二刀一流の實の道をうけて 傳ゆる所也。能々鍛練して、 此兵法に身をなす事、肝要也。(口傳) (1)

【現代語訳】
一 直通の位という事
 直通の心〔意味〕は、二刀一流の真実の道を承けて伝えるところである。よくよく鍛練して、この兵法を体現することが肝要である。(口伝*)
38 水之巻 後書

【原 文】
右書付所、一流の劔術、大かた、 此巻に記し置事也。
兵法、太刀をとつて人に勝處を覚るハ、 先、五つの表を以て、五方の搆をしり、 太刀の道を覚へて、惣躰やはらかになり、 心もきゝ出、道の拍子をしり、 おのれと太刀手さへて、 身も足も、心のまゝ、ほどけたる時に随ひ、 一人に勝、二人にかち、 兵法の善悪をしるほどになり、[以下不連続]
此一書の内を、一ヶ条/\と稽古して、 敵と戦ひ、次第/\に道の利を得て、 たへず心にかけ、急ぐ心なくして、 折々手にふれ、徳を覚へ、 何れの人とも打あひ、其心をしつて、 千里の道も、ひと足宛はこぶ也。 ゆる/\と思ひ、此法をおこなふ事、 武士の役なりと心得て、[以下不連続] 今日ハ昨日の我に勝、あすハ下手に勝、 後ハ上手に勝と思ひ、此書物のごとくにして、 少もわきの道へ心のゆかざる様に思ふべし。 たとへ何ほどの敵に打勝ても、 習にそむく事におゐてハ、 實の道に有べからず。 此利、心にうかミてハ、一身をもつて、 数十人にも勝心のわきまへ有べし。 然上ハ、劔術の智力にて、 大分一分の兵法をも得道すべし。 千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす。 能々吟味有べきもの也。(1)

【現代語訳】
 右に書き付けたところは、我が流派の剣の使い方の大略を、この巻に記しておいたのである。  兵法において、太刀を手に取って人に勝つところを覚えるには、まず五つの表〔おもて〕によって五方〔ごほう〕の搆えを知り、太刀の道を覚えること。そうして、全身が柔らかになり、心も利きが出て、道の拍子を知り、自然に太刀の使い方が冴えて、身も足も心のまま、ほどけたようになるにしたがって、一人に勝ち、二人に勝ち、兵法の善し悪しが分別できるほどになり、[以下不連続]
この書物の中(にある教え)を一ヶ条ずつ稽古して、敵と戦い、次第しだいに道の利〔理〕を得て、絶えずそれを心にかけて、性急な心にならず、機会があるごとに、太刀を手に触れてその徳〔効能〕を覚え、 どんな人とも打ち合って、その心を知り、千里の道も一歩ずつ足を運ぶのである。焦らず気長に考えて、この戦闘法を修行することは、武士の役目だと心得て、[以下不連続] 今日は昨日の自分に勝ち、明日は下手の者に勝ち、後には上手の者に勝つと思い、この書物の通りにして、少しも脇道に気が行かないように心がけることである。たとえ、いかほどの敵に打ち勝っても、習ったことに背くようであれば、それは決して真実の道ではありえない。  この利〔理〕が心に浮べば、一人で数十人にも勝てる心のわきまえができるのである。そうなれば、(次は)剣術の智力によって、大分一分の兵法*をも得道すべし。  千日の稽古を鍛〔たん〕とし、万日の稽古を練〔れん〕とする。よくよく吟味あるべきである。

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