大学(だいがく)ー道徳・日本の文化ー  【大学】は政治に重点を置き、【中庸】は倫理に主眼を置いている。  朱子学の書を読む順序は 『小学』→『近思録』→『大学』→『論語』→『孟子』→『中庸』→『六経』。   学生、政治家、財界、学校教師 必読の書 (温故知新)。
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四書五経は日本の文化中庸(ちゅうよう)大学(姉妹篇)

国立国会図書 大学(朱熹章句序)
国立国会図書  大学(朱熹章句) 

大 学 (だいがく)

大学(朱熹(しゅき)章句序)



01
・大學之書、古之大學、所以教人之法也。

「大学の書は古(いにしえ)の大学、人(ひと)を教うるゆえんの法なり。」

02
・蓋自天降生民、則既莫不與之以仁義禮智之性矣。然其氣質之稟、或不能齊。是以不能皆有以知其性之所有、而全之也。一有聰明睿智、能盡其性者、出於其閒、則天必命之、以爲億兆之君師、使之治而教之、以復其性。

「けだし天の生民(せいみん)を降(くだ)せしより、すなわち既(すで)にこれに与うるに仁義礼智の性をもってせざるはなし。 しかれどもその気質の稟(ひん)、あるいは斉(ひと)しきあたわず。ここをもって皆もってその性の有するところを知りて、これを全(まった)くすることあるあたわざるなり。 一たび聡明(そうめい)睿智(えいち)にして、よくその性を尽くす者の、その間(かん)に出(い)ずるあれば、すなわち天は必ずこれに命じて、もって億兆(おくちょう)の君師となし、これをして治めてこれを教え、もってその性に復(かえ)らしむ。」

03
・此伏羲、神農、黄帝、堯、舜所以繼天立極、而司徒之職、典樂之官所由設也。

「これ伏羲(ふくぎ)・神農(しんのう)・黄帝(こうてい)・堯(ぎょう)・舜(しゅん)の天を継ぎて極を立つるゆえんにして、司徒(しと)の職、典楽(てんがく)の官のよりて設(もう)くるところなり。」

04
・三代之隆、其法寖備。然後王宮、國都、以及閭巷、莫不有學。人生八歳、則自王公以下、至於庶人之子弟、皆入小學。而教之以灑掃應對進退之節、禮、樂、射、御、書、數之文。

「三代の隆んなるその法 寖(ようや)く備わる。しかるのち王宮・国都よりもって閭巷(りょこう)に及ぶまで、学あらざるはなし。人生れて八歳なれば、すなわち王公より以下、庶人の子弟に至るまで、みな小学に入る。しかしてこれに教うるに灑掃(さいそう)・応対・進退の節、礼(れい)・楽(がく)・射(しゃ)・御(ぎょ)・書(しょ)・数(すう)の文をもってす。」

05
・及其十有五年、則自天子之元子、衆子、以至公卿、大夫、元士之適子、與凡民之俊秀、皆入大學、而教之以窮理、正心、脩己、治人之道。 此又學校之教、大小之節所以分也。

「その十有五年に及べば、すなわち天子の元子(げんし)・衆子(しゅうし)より、もって公(こう)・卿(けい)・大夫(たいふ)・元士(げんし)の適子(てきし)と凡民の俊秀とに至るまでみな大学に入り、しかしてこれに教うるに理を窮(きわ)めて心を正し、己(おのれ)を修め人を治むるの道をもってす。これまた学校の教え、大小の節の分(わか)るるゆえんなり。」

06
・夫以學校之設、其廣如此、教之之術、其次第節目之詳又如此、而其所以爲教、則又皆本之人君躬行心得之餘、不待求之民生日用彝倫之外。 是以當世之人、無不學、其學焉者、無不有以知其性分之所固有、職分之所當為、而各俛焉以盡其力。此古昔盛時、所以治隆於上、俗美於下、而非後世之所能及也。

「それ学校の設け、その広きことかくのごとく、これを教うるの術(じゅつ)、その次第・節目(せつもく)の詳(つまびら)かなることまたかくのごときをもってして、しかしてその教えをなすゆえんは、すなわちまたみなこれを人君(じんくん)の躬行(きゅうこう)して心得(しんとく)せるの余に本(もと)づけて、これを民生(みんせい)日用(にちよう)の彝倫(いりん)の外(そと)に求むるを待たず。ここをもって当世の人、学ばざるはなく、その学ぶ者はもってその性分(せいぶん)の固有するところ、職分のまさになすべきところを知って、おのおの俛焉(べんえん)としてもってその力を尽(つ)くすことあらざるはなし。これ古昔(こせき)の盛時(せいじ)の、治(ち)は上(かみ)に隆(さか)んに、俗は下(しも)に美にして、後世のよく及ぶところにあらざるゆえんなり。」

07
・及周之衰、賢聖之君不作、學校之政不脩、教化陵夷、風俗頽敗。時則有若孔子之聖、而不得君師之位、以行其政教。於是獨取先王之法、誦而傳之、以詔後世。若曲禮、少儀、内則、弟子職諸篇、固小學之支流餘裔。而此篇者、則因小學之成功、以著大學之明法、外有以極其規模之大、而内有以盡其節目之詳者也。

「周の衰うるに及んで、賢聖の君(きみ)作(おこ)らず、学校の政(まつりごと)修まらず、教化陵夷(りょうい)し風俗頽敗(たいはい)す。時にすなわち孔子の聖のごときあるも、君師の位を得て、もってその政教を行わず。ここにおいてひとり先王の法を取り、誦(しょう)してこれを伝え、もって後世に詔(つ)ぐ。曲礼(きょくらい)・少儀(しょうぎ)・内則(だいそく)・弟子職(ていししょく)の諸篇のごときは、もとより小学の支流余裔(よえい)なり。しかしてこの篇はすなわち小学の成功により、もって大学の明法を著し、外はもってその規模の大を極むるあり、内はもってその節目の詳(しょう)を尽くすあるものなり。」

08
・三千之徒、蓋莫不聞其説。而曾氏之傳、獨得其宗。於是作爲傳義、以發其意。及孟子沒、而其傳泯焉。 則其書雖存、而知者鮮矣。

「三千の徒(と)、けだしその説を聞かざるはなし。しかして曽氏の伝、ひとりその宗(そう)を得たり。ここにおいて伝義を作為し、もってその意を発(はっ)す。 孟子没するに及んで、その伝も泯(ほろ)ぶ。すなわちその書は存(そん)すといえども、知る者は鮮(すく)なし。」

09
・自是以來、俗儒記誦詞章之習、其功倍於小學而無用、異端虚無寂滅之教、其高過於大學而無實。其他權謀術數、一切以就功名之説、與夫百家衆技之流、 所以惑世誣民、充塞仁義者、又紛然雜出乎其閒、使其君子不幸而不得聞大道之要、其小人不幸而不得蒙至治之澤。晦盲否塞、反覆沈痼、以及五季之衰、而壞亂極矣。

「これより以来、俗儒の記誦(きしょう) 詞章(ししょう)の習いは、その功小学に倍すれども用なく、異端の虚無(きょむ)寂滅(じゃくめつ)の教えは、その高きこと大学に過(す)ぐるも実(じつ)なし。その他権謀術数(けんぼうじゅっすう)一切もって功名を就(な)すの説と、かの百家衆技の流れ、世を惑わし民を誣(し)いて、仁義を充塞するゆえんのものと、また紛然としてその間(かん)に雑出し、その君子をして不幸にして大道の要を聞くことを得ず、その小人をして不幸にして至治(しち)の沢(たく)を蒙(こうむ)ることを得ざらしむ。晦盲(かいもう)否塞(ひそく)、反覆(はんぷく)沈痼(ちんこ)、もって五季(ごき)の衰(すい)に及んで壊乱(かいらん)極まる。」

10
・天運循環、無往不復。宋徳隆盛、治教休明。於是河南程氏兩夫子出、而有以接乎孟氏之傳、實始尊信此篇、而表章之。既又爲之次其簡編、發其歸趣。雖以熹之不敏、 亦幸私淑、而與有聞焉。 然後古者大學教人之法、聖經賢傳之指、粲然復明於世。

「天運(てんうん)の循環(じゅんかん)、往(ゆ)いて復(かえ)らざるなし。宋の徳は隆盛にして、治教(ちきょう)は休明(きゅうめい)なり。 ここにおいて河南の程氏(ていし)両夫子(ふうし)出で、もって孟氏の伝に接するあり、実に始めてこの篇を尊信して、これを表章(ひょうしょう)す。 すでにしてまたこれがためにその簡編(かんぺん)を次(じ)し、その帰趣(きしゅ)を発す。 しかるのちに古(いにしえ)の大学の人を教うるの法、聖経(せいけい) 賢伝(けんでん)の指(し)、粲然(さんぜん)としてまた世に明らかなり。 熹(き)の不敏(ふびん)をもってすといえども、また幸いに私淑(ししゅく)して聞くあるに与(あずか)る。」

11.
・顧其爲書、猶頗放失。 是以忘其固陋、采而輯之、閒亦竊附己意、補其闕略、以俟後之君子。極知僭踰無所逃罪。淳煕己酉二月甲子、 新安朱熹序。大学 朱熹(しゅき)章句子程子曰、大學孔氏之遺書、而初學入徳之門也。然於國家化民成俗之意、學者脩己治人之方、 則未必無小補云。淳煕己酉二月甲子、新安朱熹序。

「顧(おも)うにその書たる、なお頗(すこぶ)る放失すと。ここをもってその固陋(ころう)を忘れ、采(と)ってこれを輯(あつ)め、間々(まま)また窃(ひそ)かに己(おのれ)が意を附してその闕略(けつりゃく)を補い、もってのちの君子を俟(ま)つ。 極めて僭踰(せんゆ)にして罪を逃るるところなきを知る。 しかれども国家の民を化して俗を成すの意、学者の己を修めて人を治むるの方(ほう)においては、すなわちいまだ必ずしも小補(しょうほ)なくんばあらずという。 淳煕(じゅんき)己酉(きゆう)の二月の甲子(こうし)、新安(しんあん)の朱熹序(じょ)す。」

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国立国会図書 大学(朱熹章句序)
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大学(朱熹(しゅき)章句)


・子程子曰、大學孔氏之遺書、而初學入徳之門也。 於今可見古人爲學次第者、獨賴此篇之存。而論孟次之。 學者必由是而學焉、則庶乎其不差矣。

「子程子(していし)曰く、大学は孔氏の遺書にして、初学(しょがく)の徳に入(い)るの門なり。 今において古人の学をなすの次第を見るべき者は、 ひとりこの篇の存するに頼(よ)る。 しかして論孟(ろんもう)これに次ぐ。 学者必ずこれによりて学べば、すなわちその差(たが)わざるに庶(ちか)からん。」

経(けい)一章

01
・大學之道、在明明徳、在親民、在止於至善。

「大学の道は、明徳(めいとく)を明らかにするにあり、民を親たにするにあり、至善(しぜん)に止(とど)まるにあり。」

02.
・知止而后有定、定而后能靜、靜而后能安、安而后能慮、慮而后能得。

「止(とど)まるを知ってのち定(さだ)まるあり、定まってのちよく静かに、静かにしてのちよく安(やす)く、安くしてのちよく慮(おもんぱか)り、慮りてのちよく得(う)。」

03
・物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣。

「物に本末あり、事(こと)に終始あり。先後(せんこう)するところを知ればすなわち道に近し。」

04
・古之欲明明徳於天下者、先治其國。 欲治其國者、先齊其家。 欲齊其家者、先脩其身。 欲脩其身者、先正其心。 欲正其心者、先誠其意。 欲誠其意者、先致其知。 致知在格物。

「古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその国を治む。 その国を治めんと欲する者は、まずその家を斉(ととの)う。 その家を斉(ととの)えんと欲する者は、まずその身を修む。 その身を修めんと欲する者は、まずその心を正しくす。 その心を正しくせんと欲する者は、まずその意を誠(まこと)にす。 その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。 知を致すは物に格(いた)るに在り。 」

05
・物格而后知至。 知至而后意誠。 意誠而后心正。 心正而后身脩。 身脩而后家齊。 家齊而后國治。 國治而后天下平。

「物格(いた)ってのち知至る。 知至ってのち意誠なり。 意誠にしてのち心正し。 心正しくしてのち身修まる。身修ってのち家斉(ととの)う。 家斉(ととの)いてのち国治まる。 国治まってのち天下平らかなり。 」

06
・自天子以至於庶人、壹是皆以脩身爲本。

「天子よりもって庶人に至るまで、壱是(いっし)にみな身を修むるをもって本となす。」

07
・其本亂而末治者否矣。其所厚者薄、而其所薄者厚、未之有也。右經一章。蓋孔子之言、而曾子述之。 其傳十章、則曾子之意、而門人記之也。舊本頗有錯簡。今因程子所定、而更考經文、別爲序次如左。

「その本乱れて末(すえ)治まる者はあらず。その厚くするところの者薄くして、その薄くするところの者厚きは、いまだこれあらざるなり。 右(みぎ)経一章。けだし孔子の言にして、曾子これを述ぶ。その伝十章はすなわち曾子の意にして、門人これを記するなり。旧本すこぶる錯簡(さっかん)あり。 今は程子の定むるところにより、さらに経文(けいぶん)を考えて、別に序次をなすこと左(さ)のごとし」

伝一章

01
・康誥曰、克明徳。

「康誥(こうこう)に曰く、「克(よ)く徳を明らかにすと。」

02
・大甲曰、顧諟天之明命。

「大甲(たいこう)に曰く、「諟(こ)の天の明命(めいめい)を顧みると。」

03
・帝典曰、克明峻徳。

「帝典(ていてん)に曰く、「克(よ)く峻徳(しゅんとく)を明らかにすと。」

04
・皆自明也。右傳之首章。釋明明徳。

「皆自(みずから)ら明らかにするなり。右(みぎ)は伝の首章。明徳を明らかにすることを釈(しゃく)す。」

伝二章

01
・湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。

「 湯(とう)の盤(ばん)の銘に曰く、「苟(まこと)に日に新たに、日々に新たに、また日に新たなりと。」

02
・康誥曰、作新民。

「康誥(こうこう)に曰く、新たにするの民を作(おこ)すと。」

03
・詩曰、周雖舊邦、其命維新。

「詩に曰く、周は旧邦なりといえども、その命これ新たなりと。」

04
・是故君子無所不用其極。右傳之二章。釋新民。右傳之二章。釋新民。

「このゆえに君子はその極を用いざるところなし。右は伝の二章。民を新たにすることを釈(しゃく)す。」

伝三章

01
・詩云、邦畿千里、惟民所止。

「 詩に云く、邦畿(ほうき)千里、これ民の止(とど)まる所と。」

02
・詩云、緡蠻黄鳥、止于丘隅。子曰、於止、知其所止。可以人而不如鳥乎。

「詩に云く、緡蠻(めんばん)たる黄鳥(こうちょう)、丘隅(きゅうぐう)に止まると。子(し)曰(いわ)く、止まるにおいて、その止まる所を知る。人をもってして鳥にしかざるべけんやと。」

03
・詩云、穆穆文王、於緝煕敬止。爲人君、止於仁、爲人臣、止於敬、爲人子、止於孝、爲人父、止於慈、與國人交、止於信。

「詩に云く、穆穆(ぼくぼく)たる文王(ぶんのう)、於(ああ)、緝煕(しゅうき)にして敬して止まる」と。人の君(きみ)となっては仁に止まり、人の臣となっては敬に止まり、人の子となっては孝に止まり、人の父となっては慈(じ)に止まり、国人(こくじん)と交っては信に止まる。」

04
・詩云、瞻彼淇澳、僴竹猗猗。有斐君子、如切如磋、如琢如磨。瑟兮僴兮、赫兮喧兮。有斐君子、終不可諠兮。 如琢如磨者、自脩也。瑟兮僴兮者、恂慄也。如切如磋者、道學也。赫兮喧兮者、威儀也。有斐君子、終不可諠兮者、道盛徳至善、民之不能忘也。

「詩に云く、かの淇澳(きいく)を瞻(み)れば、僴竹(りょくちく)猗猗(いい)たり。斐(ひ)たる君子あり、切(せっ)するがごとく磋(さ)するがごとく、 琢(たく)するがごとく磨(ま)するがごとし。瑟(ひつ)たり僴(かん)たり、赫(かく)たり喧(けん)たり。斐たる君子あり、 ついに諠(わす)るべからずと。 切(せっ)するがごとく磋(さ)するがごとし」とは、学を道(い)うなり。琢(たく)するがごとく磨(ま)するがごとし」とは、 みずから修むるなり。 瑟(ひつ)たり僴(かん)たりとは、恂慄(しゅんりつ)なり。赫(かく)たり喧(けん)たり」とは威儀(いぎ) なり。「斐(ひ)たる君子あり、 ついに諠(わす)るべからず」とは、盛徳(せいとく)至善(しぜん)にして、民の忘るるあたわざるを道(い)うなり。」

05
・詩云、於戲前王不忘。君子賢其賢、而親其親、小人樂其樂、而利其利。此以沒世不忘也。 右傳之三章。釋止於至善。

「詩に云く、於戯(ああ)、前王(ぜんのう)忘れられずと。君子はその賢を賢としてその親(しん)を親(しん)とし、小人(しょうじん)はその楽しみを楽しみとしてその利を利とす。 ここをもって世を没するも忘れられざるなり。右は伝の三章。至善に止まるを釈(しゃく)す。」

伝四章

01
・子曰、聽訟吾猶人也。必也使無訟乎。無情者、不得盡其辭、大畏民志。此謂知本。右傳之四章、釋本末。

「子曰く、訟(うった)えを聴くは、われなお人のごときなり。必ずや訟(うった)えなからしめんかと。情(まこと)なき者はその辞を尽くすことを得ず。 おおいに民志(みんし)を畏(おそ)れしむ。これを本(もと)を知るという。右は伝の四章、本末を釈(しゃく)す。」

伝五章

01
・此謂知本。此謂知之至也。右傳之五章、蓋釋格物致知之義。而今亡矣。閒嘗竊取程子之意、以補之曰、所謂致知在格物者、言欲致吾之知、在既物而窮其理也。蓋人心之靈、莫不有知、而天下之物、莫不有理。蓋人心之靈、莫不有知、而天下之物、莫不有理。惟於理有未窮、故其知有不盡也。是以大學始教、必使學者既凡天下之物、莫不因其已知之理、而益窮之、以求至乎其極。至於用力之久、而一旦豁然貫通焉、則衆物之表裏精粗、無不到、而吾心之全體大用、無不明矣。此謂物格、此謂知之至也。

「これを本を知るという。これを知の至りという。右は伝の五章、けだし格物(かくぶつ)致知(ちち)の義(ぎ)を釈(しゃく)す。しかして今亡(ほろ)ぶ。 間(このごろ)嘗(こころ)みに窃(ひそか)かに程子の意を取って、もってこれを補って曰く、いわゆる知を致すは物に格(いた)るにありとは、われの知を致さんと欲せば、物に即(つ)いてその理(り)を窮(きわ)むるにあるをいうなり。けだし人心(じんしん)の霊は知あらざるなくして、天下の物は理あらざるなし、ただ理においていまだ窮めざるあり、ゆえにその知尽(つ)くさざるあるなり。ここをもって大学の始教(しきょう)は、必ず学者をしておよそ天下の物に即(つ)きて、そのすでに知るの理(り)によってますますこれを窮め、もってその極(きょく)に至らんことを求(もと)めざるなからしむ。力を用(もち)うること久しくして、一旦豁然(かつぜん)として貫通するに至れば、すなわち衆物(しゅうぶつ)の表裏精粗(せいそ)到らざるなく、 わが心の全体大用(たいよう)も明らかならざるなし。 これを物格(いた)るといい、これを知の至りというなり。」

伝六章

01
・所謂誠其意者、毋自欺也。 如惡惡臭、如好好色。此之謂自謙。

「いわゆるその意を誠(まこと)にすとは、みずから欺(あざむ)くなきなり。 悪臭を悪(にく)むがごとく、好色を好むがごとし。 これをこれみずから謙(こころよ)くすという。 故君子必慎其獨也。 ゆえに君子は必ずその独(ひとり)りを慎(つつ)しむなり。」

02
・小人閒居爲不善、無所不至。 見君子而后厭然、揜其不善、而著其善。人之視己、如見其肺肝然。則何益矣。 此謂誠於中形於外。

「小人(しょうじん) 間居(かんきょ)して不善(ふぜん)をなす、至らざる所なし。 君子を見てのち厭然(えんぜん)として、その不善を揜(おお)いてその善を著(あらわ)す。 人のおのれを視(み)ること、その肺肝(はいかん)を見るがごとくしかれば、すなわちなんの益(えき)かあらん。 これを中(うち)に誠(まこと)なれば外に形(あらわ)るという。 故君子必慎其獨也。 ゆえに君子は必ずその独(ひと)りを慎(つつし)むなり。

03
・曾子曰、十目所視、十手所指、其嚴乎。 曾子曰く、

「十目(じゅうもく)の視るところ、十手(じっしゅ)の指(ゆびさ)すところ、それ厳なるかな」と。」

04
・富潤屋、徳潤身。心廣體胖。故君子必誠其意。右傳之六章。釋誠意。

「富は屋(おく)を潤(うるお)し、徳は身を潤す。心広く、体胖(ゆた)かなり。ゆえに君子は必ずその意を誠(まこと)にす。 右は伝の六章、誠意(せいい)を釈(しゃく)す。」

伝七章

01
・所謂脩身在正其心者、身有所忿懥、則不得其正。有所恐懼、則不得其正。有所好樂、則不得其正。 有所憂患、則不得其正。

「いわゆる身を修むるはその心を正すにありとは、心に忿懥(ふんち)するところあれば、すなわちその正を得ず。恐懼(きょうく)するところあれば、すなわちその正を得ず。 好楽(こうごう)するところあれば、すなわちその正を得ず。憂患(ゆうかん)するところあれば、すなわちその正を得ず。 」

02
・心不在焉、視而不見、聽而不聞、食而不知其味。

「心ここにあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食(くら)えどもその味を知らず。」

03
・此謂脩身在正其心。右傳之七章。釋正心脩身。

「これを、身を修むるはその心を正すにあり、という。右は伝の七章。心を正しくし身を修むるを釈(しゃく)す。」

伝八章

01
・所謂齊其家在脩其身者、人之其所親愛而辟焉。 之其所賤惡而辟焉。之其所畏敬而辟焉。之其所哀矜而辟焉。之其所敖惰而辟焉。故好而知其惡、惡而知其美者、天下鮮矣。

「いわゆるその家を斉(ととの)うるはその身を修むるにありとは、人はその親愛するところに之(おい)て辟(へき)す。 その賤悪(せんお)するところに之(おい)て辟(へき)す。 その畏敬(いけい)するところに之(おい)て辟(へき)す。 その哀矜(あいきょう)するところに之(おい)て辟(へき)す。その敖惰(ごうだ)するところに之(おい)て辟(へき)す。 ゆえに好んでしかもその悪を知り、悪(にく)んでその美を知る者は天下に鮮(すくな)し。 」

02
・故諺有之曰、人莫知其子之惡、莫知其苗之碩。

「ゆえに諺(ことわざ)にこれあり、曰く、「人はその子の悪を知るなく、その苗(なえ)の碩(おお)いなるを知るなし」と。」

03
・此謂身不脩、不可以齊其家。

「これを身修まらざれば、もってその家を斉(ととの)うべからずという。 右傳之八章、釋脩身齊家。 右は伝の八章。身を修め家を斉(ととの)うることを釈(しゃく)す。」

伝九章

01
・所謂治國必先齊其家者、其家不可教、而能教人者無之。故君子不出家、而成教於國。孝者所以事君也。弟者所以事長也。慈者所以使衆也。

「いわゆる国を治むるには必ずまずその家を斉(ととの)うとは、その家教うべからずして、よく人を教うる者はこれなし。 ゆえに君子は家を出(い)でずして、教えを国に成す。 孝は君(きみ)に事(つか)うるゆえんなり。弟(てい)は長に事うるゆえんなり。慈は衆を使うゆえんなり。」

02
・康誥曰、如保赤子。心誠求之、雖不中不遠矣。未有學養子而后嫁者也。

「康誥(こうこう)に曰く、「赤子(せきし)を保(やす)んずるが如し」と。心誠(まこと)にこれを求むれば、中(あた)らずといえども遠(とお)からず。 いまだ子を養うことを学びてしかるのちに嫁(とつ)ぐ者あらざるなり。」

03
・一家仁、一國興仁、一家讓、一國興讓、一人貪戻、一國作亂。其機如此。此謂一言僨事、一人定國。

「一家仁なれば一国仁に興(おこ)り、一家譲(じょう)なれば一国譲に興(おこ)り、 一人貪戻(たんれい)なれば一国乱を作(な)す。その機かくのごとし。これを「一言(いちげん)事(こと)を僨(やぶ)り、一人国を定む」という。」

04
・堯舜帥天下以仁、而民從之。桀紂帥天下以暴、而民從之。其所令反其所好、而民不從。是故君子有諸己、而后求諸人。 無諸己、而后非諸人。所藏乎身不恕、而能喩諸人者、未之有也。

「 堯・舜(ぎょうしゅん)は天下を帥(ひき)いるに仁をもってして、民これに従う。桀・紂(けっちゅう)は天下を帥(ひき)いるに暴をもってして、 民・これに従う。その令(れい)するところその好むところに反しては、民従わず。 このゆえに君子は諸(これ)をおのれに有(ゆう)して、 しかるのちに諸(これ)を人に求む。諸(これ)をおのれになくして、しかるのちに諸(これ)を人に非(ひ)とす。身に蔵(ぞう)するところ恕(じょ)ならずして 、よく諸(これ)を人に喩(さと)す者は、いまだこれあらざるなり。」

05
・故治國、在齊其家。

「故に国を治むるは、その家を斉(ととの)うるにあり。 」

06
・詩云、桃之夭夭、其葉蓁蓁。之子于歸、宜其家人。宜其家人、而后可以教國人。

「詩に云く、「桃の夭夭(ようよう)たる、その葉蓁蓁(しんしん)たり。この子于(ここ)に帰(とつ)ぐ、その家人(かじん)に宜(よろ)しか。 その家人に宜(よろ)しくして、しかるのちにもって国人に教うべし。」

07
・詩云、宜兄宜弟。

「詩に云く、「兄(けい)に宜(よろ)しく弟(てい)に宜(よろ)し」と。 宜兄宜弟、而后可以教國人。 兄に宜(よろ)しく弟に宜(よろ)しくして、しかるのちにもって国人に教うべし。」

08
・詩云、其儀不忒、正是四國。其爲父子兄弟足法、而后民法之也。

「詩に云く、「その儀(ぎ)忒(たが)わず、この四国を正す」と。その父子(ふし) 兄弟(けいてい)たること法(のっと)るに足りて、しかるのちに民これに法るなり。」

09
・此謂治國在齊其家。

「これを国を治むるはその家を斉(ととの)うるにありという。 右傳之九章、釋齊家治國。 右は伝(でん)の九章、家を斉(ととの)え国を治むることを釈(しゃく)す。」

伝十章

01
・所謂平天下在治其國者、上老老而民興孝、上長長而民興弟、上恤孤而民不倍。是以君子有絜矩之道也。

「いわゆる天下を平らかにするはその国を治むるにありとは、上(かみ)老(ろう)を老として民(たみ)孝(こう)に興(おこ)り、 上長(ちょう)を長として民弟(てい)に興り、上孤(こ)を恤(あわれ)みて民倍(そむ)かず。 ここをもって君子は絜矩(けっく)の道あるなり。」

02
・所惡於上、毋以使下。所惡於下、毋以事上。 所惡於前、毋以先後。所惡於後、毋以從前。所惡於右、毋以交於左。所惡於左、毋以交於右。此之謂絜矩之道。

「上(かみ)に悪(にく)むところ、もって下(しも)を使うなかれ。下に悪むところ、もって上に事(つか)うるなれ。 前(まえ)に悪(にく)むところ、もって後ろに先だつなかれ。後ろに悪(にく)むところ、もって前に従(したが)うなかれ。 右に悪(にく)むところ、もって左に交(まじ)わるなかれ。左に悪(にく)むところ、もって、右に交(まじ)わるなかれ。 これをこれ絜矩(けっく)の道という。」

03
・詩云、樂只君子、民之父母。民之所好好之、民之所惡惡之。此之謂民之父母。

「詩に云く、「楽しき君子は民の父母」と。民の好むところはこれを好み、民の悪むところはこれを悪む。これをこれ民の父母という。 」

04
・詩云、節彼南山、維石巖巖。赫赫師尹、民具爾瞻。有國者不可以不慎。辟則爲天下僇矣。

「詩に云く、「節(せつ)たる彼(か)の南山、これ石(いし)巌々(がんがん)たり。赫々(かくかく)たる師尹(しいん)、 民(たみ)ともに爾を瞻(み)る」と。国を有(たも)つ者はもって慎(つつし)まざるべからず。辟(へき)すればすなわち天下の僇(りく)となる。 」

05
・詩云、殷之未喪師、克配上帝。儀監於殷、峻命不易。道得衆則得國、失衆則失國。

「 詩に云く、「殷(いん)のいまだ師(もろもろ)を喪(うしな)わざるとき、克(よ)く上帝に配す。儀(よろ)しく殷に監(かんが)みるべし、峻命(しゅんめい)易(やす)からず」と。衆を得ればすなわち国を得、衆を失えばすなわち国を失うを道(い)う。 」

06
・是故君子先慎乎徳。有徳此有人、有人此有土、有土此有財、有財此有用。

「 このゆえに君子はまず徳を慎(つつし)む。徳あればここに人あり、人あればここに土(ど)あり、土あればここに財あり、財あればここに用(よう)あり。 」

07
・徳者本也。財者末也。

「徳は本(もと)なり。財は末(すえ)なり。 」

08
・外本内末、爭民施奪。

「 本を外(そと)にし末を内(うち)にすれば、民を争わしめて奪うことを施す。 」

09
・是故財聚則民散。財散則民聚。

「 このゆえに財聚(あつま)ればすなわち民散(さん)ず。財散ずればすなわち民聚る。 」

10
・是故言悖而出者、亦悖而入、貨悖而入者、亦悖而出。

「このゆえに言(げん)悖(もと)って出ずる者は、また悖(もと)って入る。貨(か)悖(もと)って入る者は、また悖(もと)って出ず。 」

11
・康誥曰、惟命不于常。道善則得之、不善則失之矣。

「康誥(こうこう)に曰く、「これ命(めい)常に于(おい)てせず」と。善なればすなわちこれを得、不善なればすなわちこれを失うをいう。 」

12
・楚書曰、楚國無以爲寶、惟善以爲寶。

「楚書(そしょ)に曰く、「楚国はもって宝となすものなきも、ただ善もって宝となす」と。 」

13
・舅犯曰、亡人無以爲寶、仁親以爲寶。

「舅犯(きゅうはん)曰く、「亡人(ぼうじん)もって宝となすなきも、親(しん)を仁するをもって宝となす」と。 」

14
・秦誓曰、若有一个臣、斷斷兮無他技、其心休休焉、其如有容焉。人之有技、若己有之、人之彦聖、其心好之。 不啻若自其口出、寔能容之。以能保我子孫黎民。尚亦有利哉。人之有技、?疾以悪之、人之彦聖、而違之俾不通。寔不能容。以不能保我子孫黎民。亦曰殆哉。

「秦誓(しんせい)に曰く、「もし一个(いっか)の臣あり、断断(だんだん)として他技(たぎ)なく、その心(こころ)休休焉(きゅうきゅうえん)として、 それ容(い)るることあるがごとし。人の技(ぎ)ある、己(おのれ)これあるがごとく、人の彦聖(げんせい)なる、その心(こころ)これを好(よ)みす。 啻(ただ)にその口より出ずるがごとくなるのみならず、寔(まこと)によくこれを容(い)る。もってよくわが子孫・黎民(れいみん)を保つ。 尚(こいねが)わくはまた利あらんかな。人の技(ぎ)ある、?疾(ぼうしつ)してもってこれを悪(にく)み、人の彦聖(げんせい)なる、 これに違(たが)いて通(つう)ぜざら俾(し)む。寔(まこと)に容(い)るるあたわず。もってわが子孫・黎民を保つあたわず。また曰く殆(あやう)いかな」と。」

15
・唯仁人放流之、迸諸四夷、不與同中國。此謂唯仁人為能愛人能悪人。

「ただ仁人(じんじん)のみこれを放流し、諸(これ)を四夷(い)に迸(しりぞ)け、ともに中国を同じくせず。 これを「ただ仁人のみよく人を愛しよく人を悪むことをなす」という。 」

16
・見賢而不能舉、舉而不能先、命也。見不善而不能退、退而不能遠、過也。

「賢(けん)を見て挙(あ)ぐることあたわず、挙げて先んずることあたわざるは、命(おこた)るなり。 不善(ふぜん)を見て退(しりぞ)くることあたわず、退けて遠ざくることあたわざるは、過(あやま)ちなり。 」

17.
・好人之所惡、惡人之所好、是謂拂人之性。葘必逮夫身。

「人の悪(にく)むところを好み、人の好むところを悪む、これを人の性に払(もと)るという。葘(わざわ)い必ずその身に逮(およ)ぶ。」

18
・是故君子有大道。必忠信以得之、驕泰以失之。

「このゆえに君子に大道あり。必ず忠信もってこれを得(え)、驕泰(きょうたい)もってこれを失う。 」

19
・生財有大道。生之者衆、食之者寡、為之者疾、用之者舒。則財恒足矣。

「財を生ずるに大道あり。これを生ずる者衆(おお)くして、これを食(くら)う者寡(すく)なく、これを為(つく)る者疾(はや)くして、 これを用うる者舒(ゆる)やかなれば、すなわち財恒(つね)に足る。」

20
・仁者以財發身、不仁者以身發財。

「仁者は財をもって身を発(おこ)し、不仁者(ふじんしゃ)は身をもって財を発(おこ)す。」

21
・未有上好仁、而下不好義者也。

「いまだ上(かみ)仁を好みて、下(しも)義を好まざる者あらざるなり。」

22
・未有好義、其事不終者也。未有府庫財非其財者也。

「いまだ義を好みて、その事(こと)終らざる者あらざるなり。いまだ府庫(ふこ)の財その財にあらざる者あらざるなり。」

22
・孟獻子曰、畜馬乘、不察於雞豚。伐冰之家、不畜牛羊。百乘之家、不畜聚斂之臣。與其有聚斂之臣、寧有盜臣。此謂國不以利爲利、以義爲利也。

「孟献子(もうけんし)曰く、「馬乗(ばじょう)を畜(か)うものは、雞豚(けいとん)を察(さっ)せず。伐氷(ばっぴょう)の家は、牛羊を畜(か)わず。百乗(ひゃくじょう)の家は、聚斂(しゅうれん)の臣を畜(か)わず。その聚斂(しゅうれん)の臣あらんよりは、むしろ盗臣(とうしん)あれ」と。 これを国、利をもって利となさずして、義をもって利となすという。 」

23
・長國家而務財用者、必自小人矣。彼為善之。小人之使爲國家、菑害並至。雖有善者、亦無如之何矣。此謂國不以利爲利、以義爲利也。右傳之十章。 釋治國平天下。凡傳十章。前四章統論綱領指趣。後六章細論條目工夫。 其第五章乃明善之要、第六章乃誠身之本。在初學尤爲當務之急。讀者不可以其近而忽之也。

「国家に長(ちょう)として財用を務むる者は、必ず小人に自(よ)る。(彼これを善しとなす。) 。小人をして国家を為(おさ)めしむれば、 菑害(さいがい)ならび至る。善者ありといえども、またこれをいかんともするなし。これを国、利をもって利となさずして、義をもって利となすという。 右(みぎ)は伝の十章、国を治め天下を平らかにすることを釈(しゃく)す。 およそ伝は十章にして、前の四章は綱領(こうりょう)の指趣(ししゅ)を統論(とうろん)す。 後の六章は条目(じょうもく)の工夫(くふう)を細論(さいろん)す。 その第五章はすなわち善を明らかにするの要(よう)、第六章はすなわち身を誠(まこと)にするの本(もと)。 初学(しょがく)にありてはもっともまさに務むべきの急(きゅう)となす。読者その近きをもってこれを忽(ゆるが)せにすべからざるなり。」


大学 (終)

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(引用文献) (引用文献)




上に立つ者(リーダー)は、それなりの器量と人格がなくてはいけません

    ( 人は心で動く ) ( 利をみて義を思う )

  ・仁 (思いやりの心)
  ・義 (人間としての正しいすじ道)
  ・礼 (他の人に敬意を示す作法)
  ・勇 (決断力)
  ・智 (洞察力、物ごとを判断する働き)
  ・謙 (謙虚、つつましくひかえめ)
  ・信 (うそをつかない約束を守る)
  ・忠 (まごころ)
  ・寛 (寛容、心が広く人のあやまちを受け入れる)

の自分を律する倫理性(徳)をもたなければならないと孔子は説いています。






(参考資料):
四書五経は日本の文化論語はあらゆる教育の聖書[バイブルBible]論語(原文,素読)論語論語(日本語訳)Rongo(Analects of Confucius)A BWEB漢文体系大学(だいがく)黙斎講義中庸(ちゅうよう)老子荘子空海四書五経-事典Wiki論語-事典Wiki大学-事典Wiki中庸-事典Wiki

出典: 百科事典

大学(だいがく)とは儒教の経書の一つ。南宋以降、『中庸』『論語』『孟子』と合わせて四書とされた。もともとは『礼記』の一篇であり、曾子に作られたとも秦漢の儒家によって作られたとも言われる。
内容
朱子学において自己修養から始めて多くの人を救済する政治へと段階的に発展していく儒者にとっての基本綱領が示されているとして重要視された。その内容には「明明徳」「親民」「止於至善」の三綱領と「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」の八条目が提示されている。
注釈書
宇野哲人訳注 『大学』講談社学術文庫 1983年
金谷治訳注 『大学 中庸』岩波文庫 1998年、ワイド版2003年
赤塚忠訳注 『新釈漢文大系2 大学 中庸』 明治書院  1967年
諸橋轍次『中国古典名言事典』講談社、新装版2001年。講談社学術文庫刊

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