中庸(ちゅうよう)ー四書五経は日本の文化ー
儒教の経典(けいてん)の一巻。宋代に四書の一つとされて重視された。身を修めることから天下を治めることに至る治世の根本原則。『大学』『論語』『孟子』と合わせて四書とされた。もともとは『礼記』の一篇であり「中庸」は「子思」の作であるとされている。  【中庸】は倫理に主眼を置き、【大学】は政治に重点を置いている。 朱子学の書を読む順序は『小学』→『近思録』→『大学』→『論語』→『孟子』→『中庸』→『六経』。  温故知新  政治家、財界、学校教師必読の書。
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四書五経は日本の文化大学(だいがく)中庸(姉妹篇)

国立国会図書館【中庸(宋朱熹章句)】【中庸章句序】

中 庸 (ちゅうよう)


中者、不偏不倚、無過不及之名。庸、平常也。 (中は、偏ならず倚ならず、過不及無きの名なり。庸は平常なり)。

中庸 (宋朱熹章句)

子程子曰、不偏之謂中。不易之謂庸。中者、天下之正道、庸者、天下之定理。此篇乃孔門傳授心法。子思恐其久而差也。故筆之於書、以授孟子。其書始言一理、中散爲萬事、末復合爲一理。放之則彌六合、卷之則退藏於密。其味無窮。皆實學也。善讀者玩索而有得焉、則終身用之、有不能盡者矣。
子程子曰く、不偏を中と謂う。不易を庸と謂う。中は、天下の正道、庸は、天下の定理。此の篇は乃ち孔門傳授の心法。子思其の久しくして差わんことを恐る。故に之を書に筆して、以て孟子に授く。其の書始めに一理を言い、中ごろ散じて萬事と爲り、末に復合って一理と爲る。之を放つときは則ち六合に彌[み]ち、之を卷くときは則ち退いて密に藏る。其の味わい窮まり無し。皆實學なり。善く讀まん者玩索して得ること有らば、則ち身を終うるまで之を用うとも、盡くすこと能わざること有らん。

第一章
天命之謂性,率性之謂道,修道之謂教。
天の命ずるをこれ性と謂う。 性に率うをこれ道と謂う。 道を脩むるをこれ教と謂う。
道也者,不可須臾離也,可離非道也。是故君子戒慎乎其所不睹,恐懼乎其所不聞。莫見乎隱,莫顯乎微。故君子慎其獨也。
道なる者は、須臾も離るべからざるなり。 離るべきは道に非ざるなり。 是の故に君子はその睹ざる所に戒慎し、その聞かざる所に恐懼す。 隠れたるより見わるるは莫く、微かなるより顕わるるは莫し。 故に君子はその独を慎むなり。
喜怒哀樂之未發,謂之中;發而皆中節,謂之和;中也者,天下之大本也;和也者,天下之達道也。致中和,天地位焉,萬物育焉。
喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。 発して皆な節に中る、これを和と謂う。 中なる者は天下の大本なり。 和なる者は天下の達道なり。 中和を致して、天地位し、万物育す。

第二章
仲尼曰:“君子中庸,小人反中庸。君子之中庸也,君子而時中;小人之中庸也,小人而無忌憚也。” 仲尼曰く「君子は中庸し、小人は中庸に反す。
君子の中庸は、君子にして時に中すればなり。 小人の中庸に反するは、小人にして忌憚するなければなり」と。

第三章
子曰:“中庸其至矣乎!民鮮能久矣!”
子曰く「中庸は其れ至れるかな。 民能くする鮮きこと久し」と。

第四章
子曰:“道之不行也,我知之矣:知者過之,愚者不及也。道之不明也,我知之矣:賢者過之,不肖者不及也。人莫不飲食也,鮮能知味也。”
子曰く「道の行なわれざるや、我これを知れり。 知者はこれに過ぎ、愚者は及ばざるなり。 道の明らかならざるや、我これを知れり。 賢者はこれに過ぎ、不肖者は及ばざるなり。 人は飲食せざるもの莫きも、能く味を知るもの鮮きなり」と。

第五章
子曰:“道其不行矣夫。”
子曰く「道は其れ行なわれざるかな」と。

第六章
子曰:“舜其大知也與!舜好問而好察邇言,隱惡而揚善,執其兩端,用其中於民,其斯以為舜乎!”
子曰く「舜は其れ大知なるか。 舜は問うことを好み、而して邇言を察することを好み、 悪を隠して善を揚げ、その両端を執りて、その中を民に用う。 それ斯を以て舜と為すか」と。

第七章
子曰:“人皆曰‘予知’,驅而納諸罟擭陷阱之中,而莫之知辟也。人皆曰‘予知’,擇乎中庸,而不能期月守也。”
子曰く「人は皆な予は知ありと曰うも、 駆りて諸れを罟擭陥阱の中に納れて、これを避くるを知ること莫きなり。 人は皆な予は知ありと曰うも、 中庸を択びて、期月も守ること能わざるなり」と。

第八章
子曰:“回之為人也,擇乎中庸,得一善,則拳拳服膺而弗失之矣。”
子曰く「回の人と為りや、中庸を択び、 一善を得れば、則ち拳拳服膺して、これを失わず」と。

第九章
子曰:“天下國家可均也,爵祿可辭也,白刃可蹈也,中庸不可能也。”
子曰く「天下国家も均しくすべきなり。 爵禄も辞すべきなり。 白刃も踏むべきなり。 中庸は能くすべからざるなり」と。

第十章
子路問強。子曰:“南方之強與、北方之強與、抑而強與?寬柔以教,不報無道,南方之強也,君子居之。衽金革,死而不厭,北方之強也,而強者居之。故君子和而不流,強哉矯!中立而不倚,強哉矯!國有道,不變塞焉,強哉矯!國無道,至死不變,強哉矯!”
子路、強を問う。 子曰く「南方の強か、北方の強か、抑いは而の強か。 寛柔以て教え、無道にも報いざるは、南方の強なり。 君子これに居る。 金革を衽とし、死して厭わざるは、北方の強なり。 而の強者これに居る。 故に君子は和して流れず、強なるかな矯たり。 中立して倚らず、強なるかな矯たり。 国に道あるときは塞を変ぜず、強なるかな矯たり。 国に道なきときも死に至るまで変ぜず、強なるかな矯たり」と。

第十一章
子曰:“素隱行怪,後世有述焉,吾弗為之矣。君子遵道而行,半塗而廢,吾弗能已矣。君子依乎中庸,遁世不見知而不悔,唯聖者能之。
子曰く「隠れたるを索め怪しきを行なうは、 後世に述ぶること有らんも、吾れはこれを為さず。 君子は道に遵いて行なう。 半塗にして廃するも、吾れは已むこと能わず。 君子は中庸に依る。 世を遯れて知られざるも悔いざるは、唯だ聖者のみこれを能くす」と。

第十二章
君子之道費而隱。夫婦之愚,可以與知焉,及其至也,雖聖人亦有所不知焉;夫婦之不肖,可以能行焉,及其至也,雖聖人亦有所不能焉。天地之大也,人猶有所憾,故君子語大,天下莫能載焉;語小,天下莫能破焉。《詩》云:‘鳶飛戻天,魚躍于淵。’言其上下察也。君子之道,造端乎夫婦,及其至也,察乎天地。”
君子の道は、費にして隠なり。 夫婦の愚も、以て与り知るべきも、その至れるに及んでは、 聖人と雖も、亦た知らざる所あり。 夫婦の不肖も、以て能く行なうべきも、その至れるに及んでは、 聖人と雖も、亦た能くせざる所あり。 天地の大なるも、人猶お憾む所あり。 故に君子大を語れば、天下能く載すること莫し。 小を語れば、天下能く破ること莫し。 詩に云う「鳶飛んで天に戻り、魚淵に踊る」と。 その上下に察るを言うなり。 君子の道は、端を夫婦に造め、その至れるに及んでは、天地にも察るなり。

第十三章
子曰:“道不遠人。人之為道而遠人,不可以為道。《詩》云:‘伐柯伐柯,其則不遠。’執柯以伐柯,睨而視之, 猶以為遠。故君子以人治人,改而止。 忠恕違道不遠,施諸己而不愿,亦勿施於人。
子曰く「道は人に遠からず。 人の道を為して人に遠きは、以て道と為すべからず。 詩に云う「柯を伐り柯を伐る、その則遠からず」と。 柯を執りて以て柯を伐る、睨してこれを視るも、猶お以て遠しと為す。 故に君子は人を以て人を治め、改むるのみ。 忠恕は道を違ること遠からず。 諸れを己れに施して願わざれば、亦た人に施すこと勿かれ。
君子之道四,丘未能一焉:所求乎子以事父,未能也;所求乎臣以事君,未能也;所求乎弟以事兄, 未能也;所求乎朋友先施之,未能也。庸德之行,庸言之謹,有所不足,不敢不勉,有餘不敢盡;言顧行, 行顧言,君子胡不慥慥爾!
君子の道は四あり。 丘、未だ一をも能くせず。 子に求むる所、以て父に事うること、未だ能くせざるなり。 臣に求むる所、以て君に事うること、未だ能くせざるなり。 弟に求むる所、以て兄に事うること、未だ能くせざるなり。 朋友に求むる所、先ずこれを施すこと、未だ能くせざるなり。 庸徳をこれ行ない、庸言をこれ謹しみ、 足らざる所あれば、敢えて勉めずんばあらず、余りあれば敢えて尽くさず。 言は行を顧み、行は言を顧みる。 君子胡んぞ慥慥爾たらざらん」と。

第十四章
君子素其位而行,不愿乎其外。素富貴,行乎富貴;素貧賤,行乎貧賤;素夷狄,行乎夷狄;素患難, 行乎患難:君子無入而不自得焉。
君子はその位に素して行ない、その外を願わず。 富貴に素しては富貴に行ない、貧賤に素しては貧賤に行ない、 夷狄に素しては夷狄に行ない、患難に素しては患難に行なう。 君子は入るとして自得せざることなし。
在上位不陵下、在下位不援上、正己而不求於人、則無怨。上不怨天、下不尤人 故君子居易以俟命。小人行險以徼幸 子曰、射有似乎君子。失諸正鵠、反求諸其身
上位に在りては下を陵がず、下位に在りては上を援かず、 己れを正しくして人に求めざれば、則ち怨みなし。 上は天を怨みず、下は人を尤めず。 故に君子は易に居りて以て命を俟ち、小人は険を行ないて以て幸を徼む。 子曰く「射は君子に似たること有り。 諸れを正鵠に失すれば、反って諸れをその身に求む」と。

第十五章
君子之道,辟如行遠必自邇,辟如登高必自卑。《詩》曰:‘妻子好合,如鼓瑟琴;兄弟既翕,和樂且耽。宜爾室家,樂爾妻帑。子曰:“父母其順矣乎!
君子の道は、辟えば遠きに行くに、必ず邇きよりするが如く、 辟えば高きに登るに、必ず卑きよりするが如し。 詩に曰く「妻子好合すること、瑟琴を鼓するが如し。 兄弟既に翕い、和楽して且つ耽しむ。 爾が室家に宜しく、爾が妻帑を楽しましむ」と。 子曰く「父母は其れ順ならんか」と。

第十六章
子曰:“鬼神之為德,其盛矣乎!視之而弗見,聽之而弗聞,體物而不可遺。使天下之人齊明盛服,以承祭祀,洋洋乎如在其上,如在其左右。《詩》曰:‘神之格思,不可度思!矧可射思!’夫微之顯,誠之不可掩如此夫。
子曰く、鬼神の徳たる、それ盛んなるかな。これを視れども見えず。これを聴けども聞こえず。物を体して遺す可からず。天下の人をして斎明盛服してもって祭祀を承けしめ、洋々乎としてその上に在るが如く、その左右に在るが如し。詩に曰く、神の格る、度る可からず、矧(いわ)んや射う可けんやと。夫れ微の顕にして誠の揜(おお)う可からざる、かくの如きかな。

第十七章
子曰:“舜其大孝也與!德為聖人,尊為天子,富有四海之内。宗廟饗之,子孫保之。
子曰く「舜は其れ大孝なるかな。 徳は聖人たり、尊は天子たり、富は四海の内を有ち、 宗廟これを饗け、子孫これを保つ」と。
故大德必得其位,必得其祿,必得其名,必得其壽。故天之生物,必因其材而篤焉。故栽者培之,傾者覆之。《詩》曰:‘嘉樂君子,憲憲令德!宜民宜人,受祿于天。保佑命之,自天申之!’故大德者必受命。”
故に大徳は必ずその位を得、必ずその禄を得、 必ずその名を得、必ずその寿を得。 故に天の物を生ずるは、必ずその材に因りて篤くす。 故に栽つ者はこれを培い、傾く者はこれを覆えす。 詩に曰く「嘉楽の君子、憲憲たる令徳あり、 民に宜しく人に宜しく、禄を天に受く。 保佑してこれに命じ、天よりこれを申ぬ」と。 故に大徳の者は、必ず命を受く。

第十八章
子曰:“無憂者其惟文王乎!以王季為父,以武王為子,父作之,子述之。武王?大王、王季、文王之緒,壹戎衣而有天下,身不失天下之顯名;尊為天子,富有四海之内。宗廟饗之,子孫保之。
子曰く「憂いなき者は、其れ唯だ文王なるかな。 王季を以て父と為し、武王を以て子と為し、 父これを作り、子これを述ぶ」と。 武王は、大王・王季・文王の緒を纘ぎ、 壱たび戎衣して天下を有ち、身は天下の顕名を失わず。 尊は天子たり、富は四海の内を有ち、 宗廟これを饗け、子孫これを保つ。
武王末受命,周公成文、武之德,追王大王、王季,上祀先公以天子之禮。斯禮也,達乎諸侯、大夫及士、庶人。父為大夫,子為士,葬以大夫,祭以士。父為士,子為大夫,葬以士,祭以大夫。期之喪,達乎大夫;三年之喪,達乎天子;父母之喪,無貴賤,一也。”
武王は末に命を受く。 周公は文・武の徳を成し、大王・王季を追王し、 上、先公を祀るに天子の礼を以てす。 斯の礼や、諸侯・大夫及び士・庶人に達す。 父は大夫たり、子は士たらば、葬るに大夫を以てし、祭るに士を以てす。 父は士たり、子は大夫たらば、葬るに士を以てし、祭るに大夫を以てす。 期の喪は大夫に達し、三年の喪は天子に達す。 父母の喪は、貴賤となく一なり。

第十九章
子曰:“武王、周公,其達孝矣乎!夫孝者:善繼人之志,善述人之事者也。
子曰く「武王・周公は、其れ達孝なるかな。 夫れ孝とは、善く人の志を継ぎ、善く人の事を述ぶる者なり」と。
春秋修其祖廟,陳其宗器,設其裳衣,薦其時食。宗廟之禮,所以序昭穆也;序爵,所以辨貴賤也;序事,所以辨賢也;旅酬下為上,所以逮賤也;燕毛,所以序齒也。
春秋にはその祖廟を脩め、その宗器を陳ね、 その裳衣を設け、その時食を薦む。 宗廟の礼は、昭穆を序する所以なり。 爵を序するは、貴賤を弁ずる所以なり。 事を序するは、賢を弁する所以なり。 旅酬に下の上の為めにするは、賤に逮ぼす所以なり。 燕毛は、歯を序する所以なり
踐其位,行其禮,奏其樂,敬其所尊,愛其所親,事死如事生,事亡如事存,孝之至也。郊社之禮,所以事上帝也;宗廟之禮,所以祀乎其先也。明乎郊社之禮、?嘗之義,治國其如示諸掌乎!”
その位を践み、その礼を行ない、その楽を奏し、 その尊ぶ所を敬し、その親しむ所を愛し、 死に事うること生に事うるが如くし、 亡に事うること存に事うるが如くするは、孝の至りなり。 郊社の礼は、上帝に事うる所以なり。 宗廟の礼は、その先を祀る所以なり。 郊社の礼・禘嘗の義に明らかなれば、 国を治むること其れ諸れを掌に示るが如きか。

第二十章
哀公問政。子曰:“文、武之政,布在方策,其人存,則其政舉;其人亡,則其政息。人道敏政,地道敏樹。夫政也者,蒲盧也。故為政在人,取人以身,修身以道,修道以仁。
哀公、政を問う。 子曰く「文・武の政は、布きて方策に在り。 その人存すれば、則ちその政挙がり、その人亡ければ、則ちその政息む。 人道は政を敏め、地道は樹を敏む。 夫れ政なる者は蒲盧なり」と。 故に政を為すは人に在り。 人を取るには身を以てし、身を脩むるには道を以てし、 道を脩むるには仁を以てす。
仁者人也,親親為大;義者宜也,尊賢為大。親親之殺,尊賢之等,禮所生也。在下位不獲乎上,民不可得而治矣!故君子不可以不修身;思修身,不可以不事親;思事親,不可以不知人;思知人,不可以不知天。
仁とは人なり、親を親しむを大と為す。 義とは宜なり、賢を尊ぶを大と為す。 親を親しむの殺、賢を尊ぶの等は、礼の生ずる所なり。 故に君子は以て身を脩めざるべからず。 身を脩めんと思わば、以て親に事えざるべからず。 親に事えんと思わば、以て人知らざるべからず。 人を知らんと思わば、以て天を知らざるべからず。
天下之達道五,所以行之者三,曰:君臣也,父子也,夫婦也,昆弟也,朋友之交也,五者天下之達道也。知仁勇三者,天下之達德也,所以行之者一也。或生而知之,或學而知之,或困而知之,及其知之,一也;或安而行之,或利而行之,或勉強而行之,及其成功,一也。”
天下の達道は五、これを行なう所以の者は三。 曰く、君臣なり、父子なり、夫婦なり、昆弟なり、朋友の交なり。 五者は天下の達道なり。 知・仁・勇の三者は、天下の達徳なり。 これを行なう所以の者なり。 或いは生まれながらにしてこれを知り、或いは学んでこれを知り、 或いは困しんでこれを知る。 そのこれを知るに及んでは、一なり。 或いは安んじてこれを行ない、或いは利としてこれを行ない、 或いは勉強してこれを行なう。 その功を成すに及んでは、一なり。
子曰:“好學近乎知,力行近乎仁,知恥近乎勇。知斯三者,則知所以修身;知所以修身,則知所以治人;知所以治人,則知所以治天下國家矣。
子曰く「学を好むは知に近し。 力めて行なうは仁に近し。 恥を知るは勇に近し」と。 斯の三者を知れば、則ち身を脩むる所以を知る。 身を脩むる所以を知れば、則ち人を治むる所以を知る。 人を治むる所以を知れば、則ち天下国家を治むる所以を知る。
凡為天下國家有九經,曰:修身也,尊賢也,親親也,敬大臣也,體群臣也,子庶民也,來百工也,柔遠人也,懷諸侯也。
凡そ天下国家を為むるに、九経あり。 曰く、身を脩むるなり、賢を尊ぶなり、親を親しむなり、 大臣を敬するなり、群臣を体するなり、庶民を子しむなり、 百工を来うなり、遠人を柔ぐるなり、諸侯を懐くるなり。
修身則道立,尊賢則不惑,親親則諸父昆弟不怨,敬大臣則不眩,體群臣則士之報禮重,子庶民則百姓勸,來百工則財用足,柔遠人則四方歸之,懷諸侯則天下畏之。
身を脩むれば、則ち道立つ。 賢を尊べば、則ち惑わず。 親を親しめば、則ち諸父・昆弟怨みず。 大臣を敬すれば、則ち眩わず。 群臣を体すれば、則ち報礼重し。 庶民を子しめば、則ち百姓勧む。 百工を来えば、則ち財用足る。 遠人を柔ぐれば、則ち四方これに帰す。 諸侯を懐くれば、則ち天下これを畏る。
齊明盛服,非禮不動,所以修身也;去讒遠色,賤貨而貴德,所以勸賢也;尊其位,重其祿,同其好惡,所以勸親親也;官盛任使,所以勸大臣也;忠信重祿,所以勸士也;時使薄斂,所以勸百姓也;日省月試,既廩稱事,所以勸百工也;送往迎來,嘉善而矜不能,所以柔遠人也;繼絶世,舉廢國,治亂持危,朝聘以時,厚往而薄來,所以懷諸侯也。
斉明盛服して、礼に非ざれば動かざるは、身を脩むる所以なり。 讒を去り色を遠ざけ、貨を賤しみて徳を尊ぶは、賢を勧むる所以なり。 その位を尊くしその禄を重くし、その好悪を同じくするは、 親を勧むる所以なり。 官盛んにして任使せしむるは、大臣を勧むる所以なり。 忠信にして禄を重くするは、士を勧むる所以なり。 時に使いて薄く斂むるは、百姓を勧むる所以なり。 日に省み月に試みて、既稟事に称うは、百工を勧むる所以なり。 往くを送り来たるを迎え、善を嘉して不能を矜むは、遠人を柔ぐる所以なり。 絶世を継ぎ廃国を挙げ、乱れたるを治め危うきを持し、 朝聘は時を以てせしめ、往くを厚くして来たるを薄くするは、 諸侯を懐くる所以なり。
凡為天下國家有九經,所以行之者、一也。“凡事豫則立,不豫則廢。言前定則不跲,事前定則不困,行前定則不疚,道前定則不窮。
凡そ天下国家を為むるに、九経あり。 これを行なう所以の者は一なり。 凡そ事は予めすれば則ち立ち、予めせざれば則ち廃す。 言前に定まれば則ち跲かず、事前に定まれば則ち困まず、 行ない前に定まれば則ち疚まず、道前に定まれば則ち窮せず。
在下位不獲乎上,民不可得而治矣;獲乎上有道:不信乎朋友,不獲乎上矣;信乎朋友有道:不順乎親,不信乎朋友矣;順乎親有道:反諸身不誠,不順乎親矣;誠身有道:不明乎善,不誠乎身矣。
下位に在りて上に獲られざれば、民は得て治むべからず。 上に獲らるるに道あり、朋友に信ぜられざれば、上に獲られず。 朋友に信ぜらるるに道あり、親に順ならざれば、朋友に信ぜられず。 親に順なるに道あり、諸れを身に反みて誠ならざれば、親に順ならず。 身を誠にするに道あり、善に明らかならざれば、身に誠ならず。
誠者,天之道也;誠之者,人之道也。誠者不勉而中,不思而得,從容中道,聖人也。誠之者,擇善而固執之者也
誠なる者は、天の道なり。 これを誠にする者は、人の道なり。 誠なる者は、勉めずして中たり、思わずして得、 従容として道に中たる、聖人なり。 これを誠にする者は、善を択びて固くこれを執る者なり。
博學之,審問之,慎思之,明辨之,篤行之。有弗學,學之弗能,弗措也;有弗問,問之弗知,弗措也;有弗思,思之弗得,弗措也;有弗辨,辨之弗明,弗措也,有弗行,行之弗篤,弗措也。人一能之己百之,人十能之己千之。果能此道矣,雖愚必明,雖柔必強。
博くこれを学び、審らかにこれを問い、慎みてこれを思い、 明らかにこれを弁じ、篤くこれを行なう。 学ばざることあれば、これを学びて能くせざれば措かざるなり。 問わざることあれば、これを問いて知らざれば措かざるなり。 思わざることあれば、これを思いて得ざれば措かざるなり。 弁ぜらることあれば、これを弁じて明らかならざれば措かざるなり。 行なわざることあれば、これを行ないて篤からざれば措かざるなり。 人一たびしてこれを能くすれば、己れはこれを百たびす。 人十たびしてこれを能くすれば、己れはこれを千たびす。 果たして此の道を能くすれば、 愚なりと雖も必ず明らかに、柔なりと雖も必ず強からん。

第二十一章
自誠明,謂之性;自明誠,謂之教。誠則明矣,明則誠矣。
誠なる自り明らかなる、これを性と謂う。 明らかなる自り誠なる、これを教えと謂う。 誠なれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち誠なり。

第二十二章
唯天下至誠,為能盡其性;能盡其性,則能盡人之性;能盡人之性,則能盡物之性;能盡物之性,則可以贊天地之化育;可以贊天地之化育,則可以與天地參矣。
唯だ天下の至誠のみ、能くその性を尽くすと為す。 能くその性を尽くせば、則ち能く人の性を尽くす。 能く人の性を尽くせば、則ち能く物の性を尽くす。 能く物の性を尽くせば、則ち以て天地の化育を賛くべし。 以て天地の化育を賛くべくんば、則ち以て天地と参すべし。

<第二十三章
其次致曲。曲能有誠,誠則形,形則著,著則明,明則動,動則變,變則化。唯天下至誠為能化。
その次は曲を致す。 曲に能く誠あり。 誠なれば則ち形われ、形われば則ち著るしく、 著るしければ則ち明らかに、明らかなれば則ち動かし、 動かせば則ち変じ、変ずれば則ち化す。 唯だ天下の至誠のみ、能く化すると為す。

第二十四章
至誠之道,可以前知。國家將興,必有禎祥;國家將亡,必有妖?。見乎蓍龜,動乎四體。禍福將至:善,必先知之;不善,必先知之。故至誠如神。
至誠の道は、以て前知すべし。 国家将に興らんとすれば、必ず禎祥あり。 国家将に亡びんとすれば、必ず妖孽あり。 蓍亀に見われ、四体に動く。 禍福将に至らんとすれば、 善も必ず先にこれを知り、不善も必ず先にこれを知る。 故に至誠は神の如し。

第二十五章
誠者自成也,而道自道也。誠者物之終始,不誠無物。是故君子誠之為貴。誠者非自成己而已也, 所以成物也。成己,仁也;成物,知也。性之德也,合外内之道也,故時措之宜也。
誠なる者は自ら成るなり。 而して道は自ら道びくなり。 誠なる者は物の終始なり。 誠ならざれば物なし。 是の故に君子はこれを誠にするを貴しと為す。 誠なる者は自ら己れを成すのみに非ざるなり、物を成す所以なり。 己れを成すは仁なり。 物を成すは知なり。 性の徳なり。 外内を合するの道なり。 故に時にこれを措きて宜しきなり。

第二十六章
故至誠無息。不息則久,久則徴,徴則悠遠,悠遠則博厚,博厚則高明。博厚,所以載物也;高明,所以覆物也;悠久,所以成物也。博厚配地,高明配天,悠久無疆。如此者,不見而章,不動而變,無為而成。
故に至誠は息むことなし。 息まざれば則ち久しく、久しければ則ち徴あり。 徴あれば則ち悠遠なり、悠遠なれば則ち博厚なり、 博厚なれば則ち高明なり。 博厚は物を載する所以なり、高明は物を覆う所以なり、 悠久は物を成す所以なり。 博厚は地に配し、高明は天に配し、悠久は疆りなし。 此くの如き者は、見さずして章われ、 動かさずして変じ、為す無くして成る。
天地之道,可壹言而盡也。其為物不貳,則其生物不測。天地之道,博也厚也,高也明也,悠也久也。
天地の道は、壱言にして尽くすべきなり。 その物たる弐ならざれば、則ちその物を生ずること測られず。 天地の道は、博きなり、厚きなり、高きなり、明らかなり、久しきなり。
今夫天,斯昭昭之多,及其無窮也,日月星辰系焉,萬物覆焉。今夫地,一撮土之多, 及其廣厚,載華岳而不重,振河海而不泄,萬物載焉。今夫山,一拳石之多,及其廣大, 草木生之,禽獸居之,寶藏興焉。今夫水,一勺之多,及其不測,黿鼈、蛟龍、魚?生焉,貨財殖焉。
天は、斯の昭昭の多きなり。 その窮まりなきに及びては、日月星辰繋り、万物も覆わる。 今夫れ地は、一撮土の多きなり。 その広厚なるに及びては、華嶽を載せて重しとせず、 河海を振めて洩らさず、万物も載る。 今夫れ山は、一巻石の多きなり。 その広大なるに及びては、草木これに生じ、 禽獣これに居り、宝蔵興る。 今夫れ水は、一勺の多きなり。 その測られざるに及びては、黿鼉鮫竜魚鼈生じ、貨財殖す。
《詩》云:“維天之命,於穆不已!”蓋曰天之所以為天也。“於乎不顯!文王之德之純!”蓋曰文王之所以為文也,純亦不已
詩に曰く「惟れ天の命、於穆として已まず」と。 蓋し天の天たる所以を曰うなり。 「於乎、不いに顕かなり、文王の徳の純なる」と。 蓋し文王の文たる所以を曰うなり。 純も亦た已まず。

第二十七章
大哉,聖人之道!洋洋乎發育萬物,峻極于天。優優大哉!《禮儀》三百,威儀三千,待其人然後行。故曰:苟不至德,至道不凝焉。
大なるかな、聖人の道。 洋洋乎として万物を発育し、峻くして天に極る。 優優として大なるかな。 礼儀三百、威儀三千、その人を待ちて而して後に行なわる。 故に曰く「苟くも至徳ならざれば、至道は凝らず」と。
故君子尊德性而道問學,致廣大而盡精微,極高明而中庸。温故而知新,敦厚以崇禮。 故に君子は、徳性を尊びて問学に道り、
広大を致して精微を尽くし、高明を極めて中庸に道り、 故きを温めて新しきを知り、敦厚にして以て礼を崇ぶ。
是故居上不驕,為下不倍;國有道,其言足以興,國無道,其默足以容。《詩》曰:“既明且哲,以保其身。”其此之謂與!
是の故に上に居りて驕らず、下と為りて倍かず、 国に道あれば、その言以て興すに足り、 国に道なければ、その黙以て容れらるるに足る。 詩に曰く「既に明にして且つ哲、以てその身を保つ」と。 其れ此れをこれ謂うか。

第二十八章
子曰:“愚而好自用,賤而好自專,生乎今之世,反古之道。如此者,災及其身者也。”
子曰く「愚にして自ら用うることを好み、 賤にして自ら専らにすることを好み、 今の世に生まれて古えの道に反る。 此くの如き者は、烖いその身に及ぶ者なり」と。
非天子,不議禮,不制度,不考文。今天下車同軌,書同文,行同倫。雖有其位,?無其德,不敢作禮樂焉;雖有其德,苟無其位,亦不敢作禮樂焉。
天子に非ざれば礼を議せず、度を制せず、文を考えず。 今は天下、車は軌を同じくし、書は文を同じくし、行ないは倫を同じくす。 その位ありと雖も、苟くもその徳なければ、敢えて礼楽を作らず。 その徳ありと雖も、苟くもその位なければ、亦た敢えて礼楽を作らず。
子曰:“吾説夏禮,杞不足徴也。吾學殷禮,有宋存焉;吾學周禮,今用之,吾從周。”
子曰く、「吾れ夏の礼を説く、杞は徴とするに足らざるなり。 吾れ殷の礼を学ぶ、宋の存するあり。 吾れ周の礼を学ぶ、今これを用う。 吾れは周に従わん」と。

第二十九章
王天下有三重焉,其寡過矣乎!上焉者雖善無徴,無徴不信,不信民弗從;下焉者雖善不尊,不尊不信,不信民弗從。
天下に王として三重あれば、其れ過ち寡なからんか。 上なる者は、善しと雖も徴なく、徴なければ信ならず、 信ならざれば民従わず。 下なる者は、善しと雖も尊からず、尊からざれば信ならず、 信ならざれば民従わず。
故君子之道本諸身,微諸庶民,考諸三王而不繆,建諸天地而不悖,質諸鬼神而無疑,百世以俟聖人而不惑。質諸鬼神而無疑,知天也;百世以俟聖人而不惑,知人也。
故に君子の道は、諸れを身に本づけ、諸れを庶民に徴し、 諸れを三王に考えて繆らず、諸れを天地に建てて悖らず、 諸れを鬼神に質して疑いなく、百世以て聖人を俟ちて惑わず。 諸れを鬼神に質して疑いなきは、天を知るなり。 百世以て聖人を俟ちて惑わざるは、人を知るなり。
是故君子動而世為天下道,行而世為天下法,言而世為天下則。遠之則有望,近之則不厭。《詩》曰:“在彼無惡,在此無射;庶幾夙夜,以永終譽!”君子未有不如此而蚤有譽於天下者也。
是の故に君子は、動きて世々天下の道となり、 行ないて世々天下の法と為り、 言いて世々天下の則と為る。 これに遠ざかれば則ち望むあり、これに近づけば則ち厭わず。 詩に曰く「彼に在りて悪まるることなく、此に在りても射わるることなし。 庶幾くは夙夜、以て永く誉れを終えん」と。 君子未だ此くの如くならずして、而も蚤く天下に誉れある者はあらざるなり。

第三十章
仲尼祖述堯、舜,憲章文、武;上律天時,下襲水土。辟如天地之無不持載,無不覆幬,辟如四時之錯行,如日月之代明。萬物并育而不相害,道并行而不相悖,小德川流,大德敦化,此天地之所以為大也。
仲尼は尭・舜を祖述し、文・武を憲章す。 上は天時に律り、下は水土に襲る。 辟えば天地の持載せざることなく、覆幬せざることなきが如し。 辟えば四時の錯いに行るが如く、日月の代々る明らかなるが如し。 万物並び育して相い害わず、道並び行われて相い悖らず。 小徳は川流れ、大徳は敦化す。 此れ天地の大たる所以なり。

第三十一章
唯天下至聖,為能聰明睿知,足以有臨也;寬裕温柔,足以有容也;發強剛毅,足以有執也;齊莊中正,足以有敬也;文理密察,足以有別也。
唯だ天下の至聖のみ、能く聡明叡知にして、以て臨むことあるに足り、 寛裕温柔にして以て容るることあるに足り、 発強剛毅にして以て執ることあるに足り、 斉荘中正にして以て敬することあるに足り、 文理密察にして以て別つことあるに足ると為す。
溥博淵泉,而時出之。溥博如天,淵泉如淵。見而民莫不敬,言而民莫不信,行而民莫不説。
溥博淵泉にして、而してこれを出だす。 溥博は天の如く、淵泉は淵の如し。 見れて民敬せざること莫く、言いて民信ぜざること莫く、 行ないて民説ばざること莫し。
是以聲名洋溢乎中國,施及蠻貊;舟車所至,人力所通,天之所覆,地之所載,日月所照,霜露所隊;凡有血氣者,莫不尊親,故曰配天。
是を以て声名は中国に洋溢し、施きて蛮貊に及ぶ。 舟車の至る所、人力の通ずる所、天の覆う所、地の載する所、 日月の照らす所、霜露の隊つる所、凡そ血気ある者は、尊親せざること莫し。 故に天に配すと曰う。

第三十二章
唯天下至誠,為能經綸天下之大經,立天下之大本,知天地之化育。夫焉有所倚肫肫其仁!淵淵其淵!浩浩其天!苟不固聰明聖知達天德者,其孰能知之
唯だ天下の至誠のみ、能く天下の大経を経綸し、 天下の大本を立て、天地の化育を知ると為す。 夫れ焉くんぞ倚る所あらん。 肫肫として其れ仁なり、淵淵として其れ淵なり、浩浩として其れ天なり。 苟くも固に聡明聖知にして天徳に達する者ならざれば、 其れ孰か能くこれを知らん。

第三十三章
《詩》曰:“衣錦尚絅”,惡其文之著也。故君子之道,闇然而日章;小人之道,的然而日亡。君子之道:淡而不厭,簡而文,?而理,知遠之近,知風之自,知微之顯,可與入德矣。
詩に曰く「錦を衣て絅を尚う」と。 その文の著わるるを悪むなり。 故に君子の道は、闇然として而も日々に章かに、 小人の道は、的然として而も日々に亡ぶ。 君子の道は、淡くして厭われず、簡にして文あり、温にして理あり。 遠きの近きことを知り、風の自ることを知り、 微の顕なることを知れば、与て徳に入るべし。
《詩》云:“潛雖伏矣,亦孔之昭!”故君子内省不疚,無惡於志。君子所不可及者,其唯人之所不見乎!
詩に云う「潜みて伏するも、亦た孔だこれ昭かなり」と。 故に君子は内に省みて疚しからず、志に悪むことなし。 君子の及ぶべからざる所の者は、其れ唯だ人の見ざる所か。
《詩》云:“相在爾室,尚不愧于屋漏。”故君子不動而敬,不言而信。
詩に云う「爾の室に在るを相るに、尚わくは屋漏に愧じざれ」と。 故に君子は動かずして而も敬せられ、言わずして而も信ぜらる。
《詩》曰:“奏假無言,時靡有爭。”是故君子不賞而民勸,不怒而民威於鈇鉞。
詩に曰く「奏仮するに言なく、時れ争いあること靡し」と。 是の故に君子は賞せずして民勧み、怒らずして民は鈇鉞よりも威る。
《詩》曰:“不顯惟德!百辟其刑之。”是故君子篤恭而天下平。
詩に曰く「不いに顕らかなり惟れ徳、百辟其れこれに刑る」と。 是の故に君子は篤恭にして天下平らかなり。
《詩》曰:“予懷明德,不大聲以色。”子曰:“聲色之於以化民,末也。”《詩》曰:“德輶如毛”,毛猶有倫;“上天之載,無聲無臭”,至矣!
詩に曰く「予れ明徳を懐う、声と色とを大にせず」と。 子曰く「声色の以て民を化するに於けるは、末なり」と。 詩に曰く「徳の輶きこと毛の如し」と。 毛は猶お倫あり。 「上天の載は、声も無く臭も無し」 至れり。


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中庸章句序

中庸何爲而作也。子思子憂道學之失其傳而作也。蓋自上古聖神繼天立極、而道統之傳有自來矣。其見於經、則允執厥中者、堯之所以授舜也。人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中者、舜之所以授禹也。堯之一言、至矣盡矣。而舜復益之以三言者、則所以明夫堯之一言、必如是而後可庶幾也。
中庸は何の爲にして作れる。子思子道學の其の傳を失わんことを憂えて作れり。蓋し上古の聖神、天に繼いで極を立てしより、道統の傳は自[よ]って來ること有り。其の經に見[あらわ]るるには、則ち允に厥の中を執れというは、堯の以て舜に授くる所なり。人の心惟れ危く、道の心惟れ微かなり。惟れ精惟れ一にして、允に厥の中を執れというは、舜の以て禹に授くる所なり。堯の一言、至れり盡くせり。而して舜復之を益[ま]すに三言を以てすることは、則ち夫の堯の一言、必ず是の如くにして而して後に庶幾す可きことを明かす所以なり。

蓋嘗論之。心之虛靈知覺、一而已矣。而以爲有人心・道心之異者、則以其或生於形氣之私、或原於性命之正、而所以爲知覺者不同。是以或危殆而不安、或微妙而難見耳。然人莫不有是形。故雖上智、不能無人心。亦莫不有是性。故雖下愚、不能無道心。二者雜於方寸之閒、而不知所以治之、則危者愈危、微者愈微、而天理之公、卒無以勝夫人欲之私矣。精則察夫二者之閒而不雜也。一則守其本心之正而不離也。從事於斯、無少閒斷、必使道心常爲一身之主、而人心每聽命焉、則危者安、微者著、而動靜云爲、自無過不及之差矣。
蓋し嘗[こころ]みに之を論ぜん。心の虛靈知覺は、一ならんのみ。而るを以て人心・道心の異なること有りとすることは、則ち其の或は形氣の私に生り、或は性命の正しきに原[もと]づくを以て、知覺爲る所以の者同じからず。是を以て或は危殆にして安からず、或は微妙にして見難きのみ。然れども人是の形有らずということ莫し。故に上智と雖も、人心無きこと能わず。亦是の性有らずということ莫し。故に下愚と雖も、道心無きこと能わず。二つの者、方寸の閒に雜わりて、以て之を治むる所を知らざるときは、則ち危き者は愈々危く、微かなる者は愈々微かにして、天理の公なる、卒に以て夫の人欲の私に勝つこと無し。精は則ち夫の二つの者の閒を察[つまび]らかにして雜えざるなり。一は則ち其の本心の正しきを守りて離れざるなり。事に斯に從って、少[しばら]くの閒斷無く、必ず道心をして常に一身の主と爲って、人心をして每に命を聽かしむるときは、則ち危き者は安く、微かなる者は著[あき]らかにして、動靜云爲、自ら過不及の差無し。

夫堯・舜・禹、天下之大聖也。以天下相傳、天下之大事也。以天下之大聖行天下之大事。而其授受之際、丁寧告戒、不過如此、則天下之理、豈有以加於此哉。自是以來、聖聖相承、若成湯・文・武之爲君、皐陶・伊・傅・周・召之爲臣、旣皆以此而接夫道統之傳。
夫れ堯・舜・禹は、天下の大聖なり。天下を以て相傳うるは、天下の大事なり。天下の大聖を以て天下の大事を行う。而れども其の授受の際[あいだ]、丁寧告戒、此の如きに過ぎざるときは、則ち天下の理、豈以て此に加うること有らんや。是より以來、聖聖相承[う]けて、成湯・文・武の君爲り、皐陶・伊・傅・周・召の臣爲るが若き、旣に皆此を以て夫の道統の傳を接ぐ。

若吾夫子、則雖不得其位、而所以繼往聖、開來學、其功反有賢於堯・舜者。然當是時、見而知之者、惟顏氏・曾氏之傳得其宗。及曾氏之再傳、而復得夫子之孫子思。則去聖遠、而異端起矣。
吾が夫子の若きは、則ち其の位を得ずと雖も、而も以て往聖を繼ぎ、來學を開く所、其の功反って堯・舜よりも賢れること有り。然れども是の時に當たって、見て之を知る者、惟顏氏・曾氏の傳のみ其の宗を得たり。曾氏の再傳に及んで、復夫子の孫子思を得るときは、則ち聖を去ること遠くして、異端起これり。

子思懼夫愈久而愈失其眞也。於是推本堯・舜以來相傳之意、質以平日所聞父師之言、更互演繹作爲此書、以詔後之學者。蓋其憂之也深。故其言之也切。其慮之也遠。故其說之也詳。其曰天命率性、則道心之謂也。其曰擇善固執、則精一之謂也。其曰君子時中、則執中之謂也。世之相後千有餘年、而其言之不異、如合符節。歴選前聖之書、所以提挈綱維、開示蘊奧、未有若是之明且盡者也。
子思、夫の愈々久しうして愈々其の眞を失わんことを懼る。是に於て堯・舜以來相傳の意に推し本づき、質するに平日聞く所の父師の言を以てし、更互演繹して此の書を作爲して、以て後の學者に詔[つ]ぐ。蓋し其の之を憂うること深し。故に其の之を言うこと切なり。其の之を慮ること遠し。故に其の之を說くこと詳らかなり。其の天命性に率うと曰うは、則ち道心を謂うなり。其の善を擇んで固く執ると曰うは、則ち精一を謂うなり。其の君子は時に中すと曰うは、則ち中を執るを謂うなり。世の相後れたること千有餘年にして、其の言の異らざること、符節を合わするが如し。前聖の書を歴選するに、以て綱維を提挈[ていけい]し、蘊奧を開示する所、未だ是の若きの明にして且[また]盡くせる者有らず。

自是而又再傳、以得孟氏。爲能推明是書、以承先聖之統。
是より又再傳して、以て孟氏を得。能く是の書を推し明かしめて、以て先聖の統を承くることを爲す。

及其沒而遂失其傳焉、則吾道之所寄、不越乎言語・文字之閒。而異端之說、日新月盛、以至於老・佛之徒出、則彌近理而大亂眞矣。
其の沒するに及んで遂に其の傳を失いつれば、則ち吾が道の寄る所、言語・文字の閒に越えず。而して異端の說、日々に新たに月々に盛んにして、以て老・佛の徒出づるに至るときは、則ち彌々理に近くして大いに眞を亂る。

然而尙幸此書之不泯。故程夫子兄弟者出、得有所考、以續夫千載不傳之緒、得有所據、以斥夫二家似是之非。蓋子思之功、於是爲大。而微程夫子、則亦莫能因其語而得其心也。
然れども尙幸に此の書の泯[ほろ]びざる。故に程夫子兄弟者出でて、考うる所有りて、以て夫の千載不傳の緒を續ぐことを得、據る所有りて、以て夫の二家の是に似たるの非を斥くことを得たり。蓋し子思の功、是に於て大いなりとす。而れども程夫子微かりせば、則ち亦能く其の語に因って其の心を得ること莫けん。

惜乎、其所以爲說者不傳。而凡石氏之所輯録、僅出於其門人之所記。是以大義雖明、而微言未析。至其門人所自爲說、則雖頗詳盡、而多所發明、然倍其師說、而淫於老・佛者、亦有之矣。
惜しいかな、其の說を爲る所以の者傳わらず。而して凡そ石氏の輯録する所、僅かに其の門人の記する所に出づ。是を以て大義明らかなりと雖も、而も微言未だ析[わ]かず。其の門人自ら說を爲る所に至りては、則ち頗る詳盡にして、發明する所多しと雖も、然れども其の師說に倍[そむ]いて、老・佛に淫[おぼ]るる者、亦之れ有り。

熹自蚤歳卽嘗受讀、而竊疑之。沈潛反復、蓋亦有年。一旦恍然、似有以得其要領者。然後乃敢會衆說、而折其中。旣爲定著章句一篇、以竢後之君子。而一二同志復取石氏書、刪其繁亂、名以輯略。且記所嘗論辯取舍之意、別爲或問、以附其後。然後此書之旨、支分節解、脈絡貫通、詳略相因、巨細畢舉。而凡諸說之同異得失、亦得以曲暢旁通、而各極其趣。雖於道統之傳不敢妄議、然初學之士或有取焉、則亦庶乎行遠升高之一助云爾。 淳熙己酉春三月戊申、新安朱熹序
熹、蚤歳より卽ち嘗て受け讀んで、竊かに之を疑う。沈潛反復、蓋し亦年有り。一旦恍然として、以て其の要領を得ること有るに似れり。然して後に乃ち敢えて衆說を會して、其の中を折[さだ]む。旣に爲に章句一篇を定め著して、以て後の君子を竢つ。而して一二の同志、復石氏の書を取りて、其の繁亂を刪[けず]りて、名づくるに輯略を以てす。且嘗て論辯取舍する所の意を記して、別に或問を爲りて、以て其の後に附く。然して後に此の書の旨、支分節解、脈絡貫通し、詳略相因り、巨細畢[ことごと]く舉ぐ。而して凡そ諸說の同異得失も、亦以て曲暢旁通して、各々其の趣きを極むること得。道統の傳に於て敢えて妄りに議せざると雖も、然も初學の士或は取ること有らば、則ち亦遠きに行き高きに升るの一助に庶からんと爾か云う。
淳熙己酉春三月戊申、新安の朱熹序す


中庸 (終)


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参考文献
  参考文献
  (引用文献)



孔子は、よきリーダーとなるために
人間としての「徳」を身につけなさい、そのための努力をしなさいと説いています。
論語四書五経は日本の文化大学(だいがく)論語は小学生から学ぶ必須の書
( 人は心で動く ) ( 利をみて義を思う )

上に立つ者(リーダー)は、それなりの器量と人格がなくてはいけません

  ・仁 (思いやりの心)
  ・義 (人間としての正しいすじ道)
  ・礼 (他の人に敬意を示す作法)
  ・勇 (決断力)
  ・智 (洞察力、物ごとを判断する働き)
  ・謙 (謙虚、つつましくひかえめ)
  ・信 (うそをつかない約束を守る)
  ・忠 (まごころ)
  ・寛 (寛容、心が広く人のあやまちを受け入れる)

の自分を律する倫理性(徳)をもたなければならないと孔子は説いています。



(参考資料):
四書五経は日本の文化論語はあらゆる教育の聖書[バイブルBible]論語(原文,素読)論語論語(日本語)Rongo(Analects of Confucius)A BWEB漢文体系大学(だいがく)黙斎講義中庸(ちゅうよう)老子荘子空海四書五経-事典Wiki論語-事典Wiki大学-事典Wiki中庸-事典Wiki


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  概要

出典: フリー百科事典

中庸(ちゅうよう)とは、儒教において、「四書」の一つであり、またその中心的概念の一つである。
「中庸」という言葉は、『論語』のなかで、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と孔子に賛嘆されたのが文献初出と言われている。それから儒学の伝統的な中心概念として尊重されてきた。だがその論語の後段には、「民に少なくなって久しい」と言われ、この「過不足なく偏りのない」徳は修得者が少ない高度な概念でもある。
古代ギリシャでは、アリストテレスの「メソテース」ということばでそれを倫理学上の一つの徳目として尊重している。また、仏教の中道と通じる面があるとも言われるが、仏教学者によれば違う概念であるという。

『中庸』
現在「四書」の一つとして広く知られている『中庸』は、もともと『礼記』中の一篇、すなわち礼記中庸篇として伝えられてきたものである。司馬遷の『史記』では、中庸は子思の作であるとされており、これが通説となっている。しかし、戦国時代の無名の儒家の著作であるという説や、『大学』同様『子思子』の一篇だったのではないかという説もあり、成立及び作者は諸説が存在している。[1]古くから有名な作品として人々に読まれてきた。『大学』が四書の入門であるのに対し、『中庸』は四書の中で最後に読むべきものとされ、初めて『中庸』を表彰したのは南朝宋の戴?(378~441)であるとされている。彼が『礼記中庸伝』を書いた。宋代になると、有名な学者、政治家などが次々と『中庸』の注釈を著した。司馬光、范祖禹、蘇軾、程顥、著名な人びとの専著は十指にのぼる。この中で、もっとも知られているのは朱子の『中庸章句』である。
『中庸』の内容
『中庸』では、「中庸」の徳をくわしく解説している。しかし、『中庸』は、「中庸」以外に、「誠」、「性」、「道」、「慎独」など多くの概念についても述べている。この中で、「誠」は「中庸」よりも一層重要な概念であることも言われている。

『中庸』の「中庸」
「中庸」の「中」とは、偏らない、しかし、決して過不及の中間をとりさえすればよいという意味ではない。よく、中途半端や50対50の真ん中と勘違いされている。中間、平均値、足して2で割るというものではない。常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ平凡な感覚でも理解できるものである。
「庸」については、朱子は、「庸、平常也」と「庸」を「平常」と解釈しており、鄭玄は「・・・庸猶常也言徳常行也言常謹也」と「庸」を「常」と解釈している。「庸」が「常」という意味を含んでいることは二人とも指摘している。現在、多くの学者たちは「庸」が「平凡」と「恒常」との両方の意味を含んでいると見ているほか、「庸」は「用」であるという説もある。[2]つまり、中の道を「用いる」という意味だというのである。
中庸の徳を常に発揮することは聖人でも難しい半面、学問をした人間にしか発揮できないものではなく、誰にでも発揮することの出来るものでもある。恒常的にいつも発揮することが、難しいことから、中庸は儒教の倫理学的な側面における行為の基準をなす最高概念であるとされる。
訳注文献
•金谷治 『大学・中庸』 岩波文庫 初版1998年4月 ワイド版、2003年。
•宇野哲人 『中庸』  講談社学術文庫 初版1983年、 •島田虔次 『大学・中庸』 <中国古典選6・7>朝日新聞社:朝日文庫、1978年、上.下.
•赤塚忠 『大学・中庸』 <新釈漢文大系2巻>明治書院 初版1967年
•俣野太郎 『大学・中庸』 <中国古典新書>明徳出版社 初版1968年2月
•荒川健作 『全訳 論語大成』 三恵社 2007年6月
•諸橋轍次 『中国古典名言事典』 講談社学術文庫 初版1979年

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江守孝三(KozoEmori)

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