| 新元号【令和】『REIWA』
典拠は巻第五「万葉集」32の序文(0815~0862) 
 
 萬葉集  巻第十九
 (とをまりここのまきにあたるまき)
 
 (家持、越中時代末と帰京後の歌など)
   鹿持雅澄『萬葉集古義』
 
 
 
 天平勝宝二年三月の一日の暮に、春の苑の桃李の花を眺矚て作める歌二首 4139 春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ美人 4140 吾が園の李の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも 
 翻び翔る鴫を見てよめる歌一首 4141 春設けて物悲しきにさ夜更けて羽振き鳴く鴫誰が田にか食む* 
 二日、柳黛を攀ぢて京師を思ふ歌一首 4142 春の日に張れる柳を取り持ちて見れば都の大路し思ほゆ 
 堅香子草の花を攀折る歌一首 4143 もののふの八十乙女らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子の花 
 帰る雁を見る歌二首 4144 燕来る時になりぬと雁がねは本郷偲ひつつ雲隠り鳴く 4145 春設けてかく帰るとも秋風に黄葉む山を越え来ざらめや 
一ニ云ク、春されば帰るこの雁 
 夜裏千鳥の鳴くを聞く歌二首 4146 夜降ちに寝覚めて居れば川瀬尋め心もしぬに鳴く千鳥かも 4147 夜降ちて鳴く川千鳥うべしこそ昔の人も偲ひ来にけれ 
 暁に鳴く雉を聞く歌二首 4148 杉の野にさ躍る雉いちしろく音にしも泣かむ隠り妻かも 4149 あしひきの八峯の雉鳴きとよむ朝明の霞見れば悲しも 
 江を泝る船人の唄を遥聞く歌一首 4150 朝床に聞けば遥けし射水川朝榜ぎしつつ唄ふ船人 
 三日、守大伴宿禰家持が館にて宴する歌三首 4151 今日のためと思ひて標しあしひきの峯上の桜かく咲きにけり 4152 奥山の八峰の椿つばらかに今日は暮らさね大夫の輩 4153 漢人も船を浮かべて*遊ぶちふ今日そ我が背子花縵せな 
 八日、白大鷹を詠める歌一首、また短歌 4154 あしひきの 山坂越えて 往きかはる 年の緒長くしなざかる 越にし住めば 大王の 敷きます国は
 都をも ここも同じと 心には 思ふものから
 語り放け 見放くる人眼 乏しみと 思ひし繁し
 そこゆゑに 心なぐやと 秋づけば 萩咲きにほふ
 石瀬野に 馬だき行きて をちこちに 鳥踏み立て
 白塗りの 小鈴もゆらに あはせ遣り 振り放け見つつ
 いきどほる 心のうちを 思ひ延べ 嬉しびながら
 枕付く 妻屋のうちに 鳥座結ひ 据えてそ吾が飼ふ
 真白斑の鷹
 反し歌 4155 矢形尾の真白の鷹を屋戸に据ゑ掻き撫で見つつ飼はくしよしも 
 鵜潜ふ歌一首、また短歌 4156 あら玉の 年ゆきかはり 春されば 花咲きにほふ*あしひきの 山下響み 落ち激ち 流る辟田の
 川の瀬に 鮎子さ走り 島つ鳥 鵜養伴なへ
 篝さし なづさひ行けば 吾妹子が 形見がてらと
 紅の 八入に染めて おこせたる 衣の裾も 徹りて濡れぬ
 反し歌 4157 紅の衣にほはし辟田川絶ゆることなく吾等かへり見む 4158 毎年に鮎し走らば辟田川鵜八つ潜けて川瀬尋ねむ 
 季春三月の九日、出挙の政に擬りて舊江の村に行き、道の上に目を物花に属くる詠、また興の中によめる歌 
 澁谿の埼を過ぎて、巌の上の樹を見る歌一首 
 樹名つまま 4159 磯の上のつままを見れば根を延へて年深からし神さびにけり 
 世間の常無きを悲しむ歌一首、また短歌 4160 天地の 遠き初めよ 世の中は 常無きものと語り継ぎ 流らへ来たれ 天の原 振り放け見れば
 照る月も 満ち欠けしけり あしひきの 山の木末も
 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜負ひて
 風交り もみち散りけり うつせみも かくのみならし
 紅の 色もうつろひ ぬば玉の 黒髪変り
 朝の笑み 夕へ変らひ 吹く風の 見えぬがごとく
 行く水の 止まらぬごとく 常も無く うつろふ見れば
 にはたづみ 流るる涙 とどめかねつも
 反し歌 4161 言問はぬ木すら春咲き秋づけばもみち散らくは常を無みこそ 一ニ云ク、常なけむとそ 4162 うつせみの常無き見れば世の中に心つけずて思ふ日そ多き 一ニ云ク、嘆く日そ多き 
 予めよめる七夕の歌一首 4163 妹が袖われ枕かむ川の瀬に霧立ちわたれさ夜更けぬとに 
 勇士の名を振ふを慕ふ歌一首、また短歌 4164 ちちの実の 父のみこと ははそ葉の 母のみことおほろかに 心尽して 思ふらむ その子なれやも
 大夫や 空しくあるべき 梓弓 末振り起し
 投ぐ矢持ち 千尋射わたし 剣大刀 腰に取り佩き
 あしひきの 八峯踏み越え 差し任る 心障らず
 後の世の 語り継ぐべく 名を立つべしも
 反し歌 4165 大夫は名をし立つべし後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐがね 右の二首は、山上憶良臣が作める歌に追ひて和ふ。 
 霍公鳥また時の花を詠める歌一首、また短歌 4166 時ごとに いやめづらしく 八千種に 草木花咲き鳴く鳥の 声も変らふ 耳に聞き 目に見るごとに
 打ち嘆き 萎えうらぶれ 偲ひつつ 有り来るはしに*
 木晩の 四月し立てば 夜隠りに 鳴く霍公鳥
 古よ 語り継ぎつる 鴬の 現し真子かも
 あやめ草 花橘を をとめらが 玉貫くまでに
 あかねさす 昼はしめらに あしひきの 八峯飛び越え
 ぬば玉の 夜はすがらに 暁の 月に向ひて
 往き還り 鳴き響むれど 如何で飽き足らむ
 反し二首 4167 時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも 4168 毎年に来鳴くものゆゑ霍公鳥聞けば偲はく逢はぬ日を多み 毎年、としのはト謂フ 右、二十日、未だ時及ばずと雖も、興に依けて預めよめる。 
 家婦が京に在す尊母に贈らむ為に、誂へらえてよめる歌一首、また短歌 4169 霍公鳥 来鳴く五月に 咲きにほふ 花橘のかぐはしき 親の御言 朝宵に 聞かぬ日まねく
 天ざかる 夷にし居れば あしひきの 山のたをりに
 立つ雲を よそのみ見つつ 嘆くそら 安けなくに
 思ふそら 苦しきものを 奈呉の海人の 潜き取るちふ
 真珠の 見がほし御面 ただ向ひ 見む時までは
 松柏の 栄えいまさね 貴き吾が君 
御面、みおもわト謂フ
 反し歌一首 4170 白玉の見がほし君を見ず久に夷にし居れば生けるともなし 
 二十四日、立夏四月節に応れり。此に因りて二十三日の暮、忽ち霍公鳥の暁に喧かむ声を思ひてよめる歌二首 4171 常人も起きつつ聞くそ霍公鳥この暁に来鳴く初声 4172 ほととぎす来鳴き響まば草取らむ花橘を屋戸には植ゑずて 
 京の丹比が家に贈れる歌一首 4173 妹を見ず越の国辺に年経れば吾が心神の慰ぐる日も無し 
 筑紫の太宰の時の春の苑の梅を追ひてよめる歌一首 4174 春のうちの楽しき竟へば梅の花手折り持ちつつ*遊ぶにあるべし 右の一首は、二十七日、興に依けてよめる。 
 霍公鳥を詠める二首 4175 ほととぎす今来鳴きそむ菖蒲草かづらくまでに離るる日あらめや 
ものは三箇ノ辞闕ク 4176 我が門よ鳴き過ぎ渡る霍公鳥いやなつかしく聞けど飽き足らず ものはてにを六箇ノ辞闕ク 
 四月の三日、越前の判官大伴宿禰池主に贈れる霍公鳥の歌、感旧の意に勝へずて懐を述ぶる一首、また短歌 4177 我が背子と 手携はりて 明けくれば 出で立ち向ひ夕されば 振り放け見つつ 思ひ延べ 見なぎし山に
 八峯には 霞たなびき 谷辺には 椿花咲き
 うら悲し 春の過ぐれば 霍公鳥 いやしき鳴きぬ
 独りのみ 聞けば寂しも 君と吾 隔てて恋ふる
 礪波山 飛び越えゆきて 明け立たば 松のさ枝に
 夕さらば 月に向ひて あやめ草 玉貫くまでに
 鳴き響め 安眠し寝さず 君を悩ませ
 4178 吾のみし聞けば寂しも霍公鳥丹生の山辺にい行き鳴けやも* 4179 ほととぎす夜鳴きをしつつ我が背子を安宿な寝せそゆめ心あれ 
 霍公鳥を感づる心に飽かず、懐を述べてよめる歌一首、また短歌 4180 春過ぎて 夏来向へば あしひきの 山呼び響めさ夜中に 鳴く霍公鳥 初声を 聞けばなつかし
 あやめ草 花橘を ぬきまじへ 縵くまでに
 里響め 鳴き渡れども なほし偲はゆ
 反し三首 4181 さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし 4182 霍公鳥聞けども飽かず網捕りに捕りてなつけな離れず鳴くがね 4183 霍公鳥飼ひ通せらば今年経て来向かふ夏はまづ鳴きなむを 
 京師より贈来せる歌一首 4184 山吹の花取り持ちてつれもなく離れにし妹を偲ひつるかも 右、四月の五日、郷に留れる女郎*より送せたるなり。 
 山振の花を詠める歌一首、また短歌 4185 現身は 恋を繁みと 春設けて 思ひ繁けば引き攀ぢて 折りも折らずも 見るごとに 心なぎむと
 繁山の 谷辺に生ふる 山吹を 屋戸に引き植ゑて
 朝露に にほへる花を 見るごとに 思ひはやまず
 恋し繁しも
 4186 山吹を屋戸に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ 
 六日、布勢の水海に遊覧びてよめる歌一首、また短歌 4187 思ふどち 大夫の 木の晩の* 繁き思ひを見明らめ 心遣らむと 布勢の海に 小船連なめ
 真櫂かけ い榜ぎ巡れば 乎布の浦に 霞たなびき
 垂姫に 藤波咲きて 浜清く 白波騒き
 しくしくに 恋はまされど 今日のみに 飽き足らめやも
 かくしこそ いや年のはに 春花の 繁き盛りに
 秋の葉の にほへる時に あり通ひ 見つつ偲はめ
 この布勢の海を
 反し歌 4188 藤波の花の盛りにかくしこそ浦榜ぎ廻みつつ年に偲はめ 
 水烏を越前判官大伴宿禰池主に贈れる歌一首、また短歌 4189 天ざかる 夷としあれは そこここも 同じ心そ家離り 年の経ぬれば うつせみは 物思ひ繁し
 そこゆゑに 心なぐさに 霍公鳥 鳴く初声を
 橘の 玉にあへ貫き かづらきて 遊ばくよしも*
 ますらをを 伴なへ立ちて 叔羅川 なづさひ上り
 平瀬には 小網さし渡し 早瀬には 鵜を潜けつつ
 月に日に しかし遊ばね 愛しき我が背子
 反し歌二首* 4190 叔羅川瀬を尋ねつつ我が背子は鵜川立たさね心なぐさに 4191 鵜川立て取らさむ鮎のしが鰭は吾等にかき向け思ひし思はば 右、九日、使に附けて贈れる。 
 霍公鳥また藤の花を詠める歌一首、また短歌 4192 桃の花 紅色に にほひたる 面輪のうちに青柳の 細し眉根を 笑み曲がり 朝影見つつ
 をとめらが 手に取り持たる 真澄鏡 二上山に
 木の晩の 茂き谷辺を 呼び響め 朝飛び渡り
 夕月夜 かそけき野辺に 遙々に 鳴く霍公鳥
 立ち潜くと 羽触に散らす 藤波の 花なつかしみ
 引き攀ぢて 袖に扱入れつ 染まば染むとも
 反し歌 4193 霍公鳥鳴く羽触にも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花 一ニ云ク、散りぬべみ袖に扱入れつ藤波の花 同じ九日よめる。 
 また霍公鳥の喧くこと晩きを怨む歌三首 4194 霍公鳥鳴き渡りぬと告げれども吾聞き継がず花は過ぎつつ 4195 吾がここだ偲はく知らに霍公鳥いづへの山を鳴きか越ゆらむ 4196 月立ちし日より招きつつ打ち慕ひ待てど来鳴かぬ霍公鳥かも 
 京人に贈れる歌二首 4197 妹に似る草と見しより吾が標し野辺の山吹誰か手折りし 4198 つれもなく離れにしものと人は言へど逢はぬ日まねみ思ひそ吾がする 右、郷に留れる女郎の為に、家婦に誂へらえてよめる。女郎は、即ち大伴家持が妹なり。 
 十二日、布勢の水海に遊覧び、多古の湾に船泊め、藤の花を望見て、各懐を述べてよめる歌四首 4199 藤波の影なる海の底清み沈く石をも玉とそ吾が見る 守大伴宿禰家持。 4200 多古の浦の底さへにほふ藤波を挿頭して行かむ見ぬ人のため 次官内藏忌寸繩麻呂。 4201 いささかに思ひて来しを多古の浦に咲ける藤見て一夜経ぬべし 判官久米朝臣廣繩。 4202 藤波を借廬に作り浦廻する人とは知らに海人とか見らむ 久米朝臣繼麻呂。 
 霍公鳥の喧かぬを恨む歌一首 4203 家に行きて何を語らむあしひきの山霍公鳥一声も鳴け 判官久米朝臣廣繩。 
 攀折れる保宝葉を見る歌二首 4204 我が背子が捧げて持たる厚朴あたかも似るか青き蓋 講師僧恵行。 4205 皇祖神の遠御代御代はい敷き折り酒飲むといふそこの厚朴 守大伴宿禰家持。 
 還る時に、浜の上にて月光を仰見る歌一首 4206 澁谿をさして吾が行くこの浜に月夜飽きてむ馬しまし止め 守大伴宿禰家持。 
 二十二日、判官久米朝臣廣繩に贈れる、霍公鳥の怨恨の歌一首、また短歌 4207 ここにして 背向に見ゆる 我が背子が 垣内の谷に明けされば 榛のさ枝に 夕されば 藤の繁みに
 遙々に 鳴く霍公鳥 我が屋戸の 植木橘
 花に散る 時をまたしみ 来鳴かなく そこは恨みず
 然れども 谷片付きて 家居れる 君が聞きつつ
 告げなくも憂し
 反し歌 4208 吾がここだ待てど来鳴かぬ霍公鳥独り聞きつつ告げぬ君かも 
 霍公鳥を詠める歌一首、また短歌 4209 谷近く 家は居れども 木高くて 里はあれども霍公鳥 いまだ来鳴かず 鳴く声を 聞かまく欲りと
 朝には 門に出で立ち 夕へには 谷を見渡し
 恋ふれども 一声だにも いまだ聞こえず
 反し歌* 4210 藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山霍公鳥などか来鳴かぬ 右、二十三日、掾久米朝臣廣繩が和ふ。 
 処女墓の歌に追ひて和ふる一首、また短歌* 4211 いにしへに ありけるわざの くすはしき 事と言ひ継ぐ血沼壮子 菟原壮子の うつせみの 名を争ふと
 玉きはる 命も捨てて 相共に* 妻問ひしける
 処女らが 聞けば悲しさ 春花の にほえ栄えて
 秋の葉の にほひに照れる 惜身の 盛りをすらに
 大夫の 語労しみ 父母に 申し別れて
 家離り 海辺に出で立ち 朝宵に 満ち来る潮の
 八重波に 靡く玉藻の 節の間も 惜しき命を
 露霜の 過ぎましにけれ 奥つ城を ここと定めて
 後の世の 聞き継ぐ人も いや遠に 偲ひにせよと
 黄楊小櫛 しか刺しけらし 生ひて靡けり
 反し歌 4212 処女らが後の表と黄楊小櫛生ひ代り生ひて靡きけらしも 右、五月の六日、興に依けて大伴宿禰家持がよめる。
 4213 東風をいたみ奈呉の浦廻に寄する波いや千重しきに恋ひ渡るかも 右の一首は、京の丹比が家に贈る。 
 挽歌一首、また短歌 4214 天地の 初めの時よ うつそみの 八十伴男は大王に まつろふものと 定めたる 官にしあれば
 天皇の 命畏み 夷ざかる 国を治むと
 あしひきの 山川隔り 風雲に 言は通へど
 直に逢はぬ 日の重なれば 思ひ恋ひ 息づき居るに
 玉ほこの 道来る人の 伝言に 吾に語らく
 愛しきよし 君はこの頃 うらさびて 嘆かひいます
 世間の 憂けく辛けく 咲く花も 時にうつろふ
 うつせみも 常無くありけり たらちねの 母の命
 何しかも 時しはあらむを 真澄鏡 見れども飽かず
 玉の緒の 惜しき盛りに 立つ霧の 失せぬるごとく
 置く露の 消ぬるがごとく 玉藻なす 靡き臥い伏し
 行く水の 留めかねきと 狂言や 人し言ひつる
 逆言か 人の告げつる 梓弓 爪引く夜音の
 遠音にも 聞けば悲しみ にはたづみ 流るる涙
 留めかねつも
 反し二首 4215 遠音にも君が嘆くと聞きつれば哭のみし泣かゆ相思ふ吾は 4216 世間の常無きことは知るらむを心尽くすな大夫にして 右、大伴宿禰家持が、聟南の右大臣の家藤原の二郎の喪慈母患弔へる。五月二十七日。 
 霖雨晴るる日、よめる歌一首 4217 卯の花を腐す長雨の始水に寄る木糞なす寄らむ子もがも 
 漁夫の火光を見る歌一首 4218 鮪突くと海人の灯せる漁火の秀にか出ださむ吾が下思ひを 右の二首は、五月。
 4219 我が屋戸の萩咲きにけり秋風の吹かむを待たばいと遠みかも 右の一首は、六月十五日、芽子早花を見てよめる。 
 京師より来贈せる歌一首、また短歌 4220 海の 神の命の み櫛笥に 貯ひ置きて斎くとふ 玉にまさりて 思へりし 吾が子にはあれど
 うつせみの 世の理と 大夫の 引きのまにまに
 しなざかる 越道をさして 延ふ蔦の 別れにしより
 沖つ波 撓む眉引 大船の ゆくらゆくらに
 面影に もとな見えつつ かく恋ひば 老いづく吾が身
 けだし堪へむかも
 反し歌一首 4221 かくばかり恋しくしあらば真澄鏡見ぬ日時なくあらましものを 右の二首は、大伴氏坂上郎女が、女子の大嬢に賜ふ。 
 九月の三日、宴の歌二首 4222 この時雨いたくな降りそ我妹子に見せむがために黄葉採りてむ 右の一首は、掾久米朝臣廣繩がよめる。 4223 青丹よし奈良人見むと我が背子が標めけむ黄葉土に落ちめやも 右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。 4224 朝霧の棚引く田に鳴く雁を留め得めやも我が屋戸の萩 右の一首歌は、吉野の宮に幸ましし時、藤原の皇后の御作るなり。但し年月審詳ならず。十月の五日、河邊朝臣東人が伝へ誦めり。
 4225 あしひきの山の黄葉にしづくあひて散らむ山道を君が越えまく 右の一首は、同じ月の十六日、朝集使少目秦忌寸石竹を餞する時、守大伴宿禰家持がよめる。 
 雪ふる日、よめる歌一首 4226 この雪の消残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む 右の一首は、十二月、大伴宿禰家持がよめる。 
 雪の歌一首、また短歌* 4227 大殿の この廻りの 雪な踏みそね しばしばも降らざる雪そ 山のみに 降りし雪そ ゆめ寄るな
 人や な踏みそね雪は
 反し歌一首 4228 ありつつも見したまはむそ大殿のこの廻りの雪な踏みそね 右の二首歌は、三形沙彌が、贈左大臣藤原の北の卿の語を承けて、作誦めり。聞き伝ふるは、笠朝臣子君なり。また後に伝へ読む者は、越中国の掾久米朝臣廣繩なり。 
 天平勝宝三年
 4229 新しき年の初めはいや年に雪踏み平し常かくにもが 右の一首歌は、正月の二日、守の館にて集宴せり。その時零雪殊多、積尺有四寸*なりき。即ち主人大伴宿禰家持此の歌を作める。
 4230 降る雪を腰になづみて参ゐり来し験もあるか年の初めに 右の一首は、三日、介内藏忌寸繩麻呂が館に会集ひて宴楽せる時、大伴宿禰家持が作める。 
 その時、積もれる雪重なる巌の趣を彫り成し、奇巧に草樹の花を綵り発く。此に属きて掾久米朝臣廣繩がよめる歌一首 4231 撫子は秋咲くものを君が家の雪の巌に咲けりけるかも 
 遊行女婦蒲生娘子が歌一首 4232 雪の島巌に殖てる撫子は千世に咲かぬか君が挿頭に 
 ここに、諸人酒酣にして、更深鶏鳴く。此に因りて主人内藏伊美吉繩麻呂がよめる歌一首 4233 打ち羽振き鶏は鳴くともかくばかり降り敷く雪に君いまさめやも 
 守大伴宿禰家持が和ふる歌一首 4234 鳴く鶏はいやしき鳴けど降る雪の千重に積めこそ吾が立ちかてね 
 太政大臣藤原の家の縣犬養の命婦が、天皇に奉れる歌一首 4235 天雲を散に踏みあたし鳴神も今日にまさりて畏けめやも 右の一首、伝へ誦めるは掾久米朝臣廣繩。 
 死れる妻を悲傷む歌一首、また短歌 
作主未詳 4236 天地の 神は無かれや 愛しき 吾が妻離る光る神 鳴り波多娘子 手携ひ 共にあらむと
 思ひしに 心違ひぬ 言はむすべ 為むすべ知らに
 木綿襷 肩に取り掛け 倭文幣を 手に取り持ちて
 な離けそと 我は祈めれど 枕きて寝し 妹が手本は 雲に棚引く
 反し歌一首 4237 うつつにと思ひてしかも夢のみに手本巻き寝と見ればすべなし 右の二首、伝へ誦めるは遊行女婦蒲生なり。 
 二月の三日*、守の館に会集ひて宴して、よめる歌一首 4238 君が旅行もし久ならば梅柳誰と共にか吾が蘰かむ 右、判官久米朝臣廣繩、正税帳を以ちて、京師に入らむとす。仍守大伴宿禰家持、此の歌を作めり。但越中の風土、梅花柳絮、三月咲き初む。 
 霍公鳥を詠める歌一首 4239 二上の峯の上の繁に籠りにし*霍公鳥待てど未だ来鳴かず 右、四月の十六日、大伴宿禰家持がよめる。 
 春日にて祭神之日、藤原の太后のよみませる御歌一首。即ち入唐大使藤原朝臣清河に賜ふ* 4240 大船に真楫しじ貫きこの吾子を唐国へ遣る斎へ神たち 
 大使藤原朝臣清河が歌一首 4241 春日野に斎く三諸の梅の花栄えてあり待て還り来むまで 
 大納言藤原の卿の家にて、入唐使等を餞宴する日の歌一首 
 即チ主人卿ヨメリ 4242 天雲の往き還りなむものゆゑに思ひそ吾がする別れ悲しみ 
 民部少輔丹治比真人土作がよめる歌一首 4243 住吉に斎く祝が神言と行くとも来とも船は早けむ 
 大使藤原朝臣清河が歌一首 4244 あら玉の年の緒長く吾が思へる子らに恋ふべき月近づきぬ 
 天平五年、入唐使に贈れる歌一首、また短歌 
作主未詳 4245 そらみつ 大和の国 青丹よし 奈良の都ゆ押し照る 難波に下り 住吉の 御津に船乗り
 直渡り 日の入る国に 遣はさる 我が兄の君を
 懸けまくの 忌々し畏き 住吉の 吾が大御神
 船の舳に 領きいまし 船艫に み立たしまして
 さし寄らむ 磯の崎々 榜ぎ泊てむ 泊々に
 荒き風 波に遇はせず 平けく 率て還りませ もとの国家に
 反し歌一首 4246 沖つ波辺波な立ちそ*君が船榜ぎ還り来て津に泊つるまで 
 阿倍朝臣老人が、唐に遣はさるる時、母に奉れる悲別の歌一首 4247 天雲のそきへの極み吾が思へる君に別れむ日近くなりぬ 右の件の八首歌*は、伝へ誦める人、越中の大目高安倉人種麻呂なり。但し年月の次は、聞ける時の随、載げたり。 
 七月の十七日、少納言に遷任されて、悲別の歌を作みて、朝集使掾久米朝臣廣繩が館に贈貽れる二首既に六載の期に満ち、忽ち遷替の運に値ふ。是に旧に別るる悽しみ、心中に欝結れ、涕の袖を拭ふ。いかにか能く旱かむ。因悲しみの歌二首を作みて、莫忘の志を遺せり。其の詞に曰く
 4248 あら玉の年の緒長く相見てしその心引き忘らえめやも 4249 石瀬野に秋萩凌ぎ馬並めて初鷹猟だにせずや別れむ 右、八月の四日贈れりき。 
 便ち大帳使を附け、八月の五日に、京師に入らむとす。此に因りて四日、国の厨の饌を介内藏伊美吉繩麻呂が館に設けて、餞す。その時大伴宿禰家持がよめる歌一首 4250 しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも 
 五日、平旦上道す。仍国司次官より、諸の僚まで、皆共視送りす。その時射水の郡の大領安努君廣島が門の前の林の中に、預め饌餞の宴を設す。時に大帳使大伴宿禰家持が、内藏伊美吉繩麻呂が盞を捧ぐる歌に和ふる一首 4251 玉ほこの道に出で立ち行く吾は君が事跡を負ひてし行かむ 
 正税帳使掾久米朝臣廣繩、事畢りて退任れり。越前国の掾大伴宿禰池主が館に適き遇ひて、共に飲楽す。その時久米朝臣廣繩が、芽子の花を矚てよめる歌一首 4252 君が家に植ゑたる萩の初花を折りて挿頭さな旅別るどち 大伴宿禰家持が和ふる歌一首 4253 立ちて居て待てど待ちかね出でて来て*君にここに逢ひ挿頭しつる萩 
 京に向る路にて、興に依け預め作める、宴に侍りて詔を応はる歌一首、また短歌 4254 蜻蛉島 大和の国を 天雲に 磐船浮べ艫に舳に 真櫂しじ貫き い榜ぎつつ 国見しせして
 天降りまし 掃ひ平らげ 千代重ね いや嗣ぎ継ぎに
 領らし来る 天の日継と 神ながら 我が大皇の
 天の下 治め賜へば もののふの 八十伴男を
 撫で賜ひ 整へ賜ひ 食す国の 四方の人をも
 あぶさはず 恵み賜へば 古よ 無かりし瑞
 度まねく 奏し賜ひぬ 手拱きて 事無き御代と
 天地 日月と共に 万代に 記し継がむそ
 やすみしし 我が大皇 秋の花 しが色々に
 見し賜ひ 明らめ賜ひ 酒漬き 栄ゆる今日の 奇に貴さ
 反し歌一首 4255 秋の花種々なれど色ことに見し明らむる今日の貴さ 
 左大臣橘の卿を寿かむと、預めよめる歌一首 4256 古に君が三代経て仕へけり我が王は*七代奏さね 
 十月の二十二日、左大弁紀飯麻呂の朝臣が家にて宴する歌三首 4257 手束弓手に取り持ちて朝狩に君は立たしぬ棚倉の野に 右の一首は、治部卿船王の伝へ誦める、久邇の京都の時の歌なり。作主しらず。 4258 明日香川川門を清み後れ居て恋ふれば都いや遠そきぬ 右の一首は、左中弁中臣朝臣清麻呂が伝へ誦める、古き京の時の歌なり。 4259 十月時雨の降れば*我が背子が屋戸のもみち葉散りぬべく見ゆ 右の一首は、少納言大伴宿禰家持が、当時梨の黄葉を矚て、此の歌を作めり。 
 〔天平勝宝〕四年* 
 壬申の年の乱、平定らぎし以後の歌二首 4260 皇は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ 右の一首は、大将軍贈右大臣大伴の卿の作みたまふ。 4261 大王は神にしませば水鳥の多集く水沼を都と成しつ 
作者未詳 右の件の二首は、〔天平勝宝四年〕二月の二日に聞きて、茲に載ぐ。 
 閏三月、衛門督大伴古慈悲の宿禰が家にて、入唐副使同じ胡麿の宿禰等を餞する歌二首 4262 唐国に行き足らはして還り来むますら健男に御酒奉る 右の一首は、多治比真人鷹主が、副使大伴胡麻呂の宿禰を寿く。 4263 櫛も見じ屋中も掃かじ草枕旅ゆく君を斎ふと思ひて 
作主未詳 右の件の二首歌伝へ誦めるは、大伴宿禰村上、同じ清繼等なり。 
 従四位上高麗朝臣福信に勅して、難波に遣はし、酒肴を入唐使藤原朝臣清河等に賜へる御歌一首、また短歌 4264 そらみつ 大和の国は 水の上は 地ゆくごとく船の上は 床に居るごと 大神の 鎮へる国そ
 四つの船 船の舳並べ 平らけく 早渡り来て
 返り言 奏さむ日に 相飲まむ酒そ この豊御酒は
 反し歌一首 4265 四つの船早帰り来と白紙付け朕が裳の裾に鎮ひて待たむ 右、勅使ヲ発遣シ、マタ酒ヲ賜フ楽宴ノ日月、未ダ詳審ラカニスルコトヲ得ズ。 
 詔を応らむが為に、儲めよめる歌一首、また短歌 4266 あしひきの 八峯の上の 樛の木の いや継ぎ継ぎに松が根の 絶ゆることなく 青丹よし 奈良の都に
 万代に 国知らさむと やすみしし 我が大王の
 神ながら 思ほしめして 豊宴 見す今日の日は
 もののふの 八十伴の雄の 島山に 赤る橘
 髻華に挿し 紐解き放けて 千年寿き ほさき響もし*
 ゑらゑらに 仕へまつるを 見るが貴さ
 反し歌一首 4267 すめろきの御代万代にかくしこそ見し明らめめ立つ年の端に 右の二首は、大伴宿禰家持がよめる。 
 天皇と太后と、共に大納言藤原の家に幸しし日、黄葉せる沢蘭一株を抜き取りて、内侍佐佐貴山君に持たしめ、大納言藤原の卿また陪従の大夫等に遣賜へる御歌一首命婦が誦へて曰へらく
 4268 この里は継ぎて霜や置く夏の野に吾が見し草は黄葉ちたりけり 
 十一月の八日、太上天皇*、左大臣橘朝臣の宅に在して、肆宴きこしめす歌四首 4269 よそのみに見つつありしを*今日見れば年に忘れず思ほえむかも 右の一首は、太上天皇の御製*。 4270 葎はふ賎しき屋戸も大王の座さむと知らば玉敷かましを 右の一首は、左大臣橘卿。 4271 松陰の清き浜辺に玉敷かば君来まさむか清き浜辺に 右の一首は、右大弁藤原八束朝臣。 4272 天地に足らはし照りて我が大王敷きませばかも楽しき小里 右の一首は、少納言大伴宿禰家持。 未奏。 
 二十五日、新嘗会の肆宴に、詔を応はる歌六首 4273 天地と相栄えむと大宮を仕へまつれば貴く嬉しき 右の一首は、大納言巨勢朝臣。 4274 天にはも五百つ綱延ふ万代に国知らさむと五百つ綱延ふ* 右の一首は、式部卿石川年足朝臣。 4275 天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒白酒を 右の一首は、従三位文屋智努麻呂*真人 4276 島山に照れる橘髻華に挿し仕へ奉らな*卿大夫たち 右の一首は、右大弁藤原八束朝臣。 4277 袖垂れていざ我が苑に鴬の木伝ひ散らす梅の花見に 右の一首は、大和国守藤原永手朝臣。 4278 あしひきの山下日蔭かづらける上にやさらに梅を賞はむ 右の一首は、少納言大伴宿禰家持。 
 二十七日、林王の宅にて、但馬按察使橘奈良麻呂の朝臣を餞せる宴歌三首 4279 能登川の後は逢はめど*暫しくも別るといへば悲しくもあるか 右の一首は、治部卿船王。 4280 立ち別れ君がいまさば磯城島の人は我じく斎ひて待たむ 右の一首は、右京少進大伴宿禰黒麻呂。 4281 白雪の降り敷く山を越え行かむ君をそもとな息の緒に思ふ 
左大臣尾ヲ換ヘテ云ク、いきのをにする。然レドモ猶喩シテ曰ク、前ノ如ク誦メト。 右の一首は、少納言大伴宿禰家持。 
 五年正月の四日、治部少輔石上朝臣宅嗣が家にて、宴する歌三首 4282 言繁み相問はなくに梅の花雪にしをれて移ろはむかも 右の一首は、主人石上朝臣宅嗣。 4283 梅の花咲けるが中に含めるは恋や隠れる雪を待つとか 右の一首は、中務大輔茨田王。 4284 新しき年の初めに思ふ共い群れて居れば嬉しくもあるか 右の一首は、大膳大夫道祖王*。 
 十一日、大雪落積もれること、尺有二寸。因拙懐を述ぶる歌三首 4285 大宮の内にも外にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し 4286 御苑生の竹の林に鴬はしば鳴きにしを雪は降りつつ 4287 鴬の鳴きし垣内ににほへりし梅この雪にうつろふらむか 
 十二日、内裏に侍ひて、千鳥を聞きてよめる歌一首 4288 河渚にも雪は降れれや*宮の内に千鳥鳴くらし居むところ無み 
 二月の十九日、左大臣橘の家の宴に、攀ぢ折れる柳の條を見る歌一首 4289 青柳の上枝攀ぢ取りかづらくは君が屋戸にし千年寿くとそ 
 二十三日、興に依けてよめる歌二首 4290 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも 4291 我が屋戸の五十笹群竹吹く風の音のかそけきこの夕へかも 
 二十五日、よめる歌一首 4292 うらうらに照れる春日に雲雀あがり心悲しも独りし思へば 春ノ日遅々トシテ、ヒバリ*正ニ啼ク。悽惆ノ意、歌ニアラザレバ撥ヒ難シ。仍此ノ歌ヲ作ミ、式テ締緒ヲ展ク。但此ノ巻中、作者ノ名字ヲ称ハズ、徒年月所処縁起ヲノミ録セルハ、皆大伴宿禰家持ガ裁作セル歌詞ナリ。 
 巻第十九 了
 
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引用文献 
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