TOP(戻る)温故知新(戻る)、 世界三大古典詩集 ( 「詩經」「万(萬)葉集」「ソネット集 SONNET(Shakespeare)」

万葉集(萬葉集 Man'yōshū)は日本人の心の古典、「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」
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新元号【令和】『REIWA』 典拠は巻第五「万葉集」32の序文(0815~0862)

萬葉集  巻第六  雑 歌
 むまきにあたるまき くさぐさのうた  

(聖武朝の始まりからの宮廷歌などの雑歌を年代順に配列)    鹿持雅澄『萬葉集古義』



養老(やうらう)七年(ななとせといふとし)癸亥(みづのとゐ)夏五月(さつき)、芳野の離宮(とつみや)(いでま)せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首(ひとつ)、また短歌(みじかうた)

0907 (たぎ)()の 三船の山に 水枝(みづえ)さし (しじ)に生ひたる
   (つが)の木の いや継ぎ継ぎに 万代に かくし知らさむ
   み吉野の 秋津(あきづ)の宮は 神柄(かみから)か 貴かるらむ
   国柄か 見が欲しからむ 山川を (あつ)(さや)けみ*
   大宮と* (うべ)し神代ゆ 定めけらしも

(かへ)し歌二首

0908 毎年(としのは)にかくも見てしかみ吉野の清き河内(かふち)(たぎ)つ白波

0909 山高み白木綿花(しらゆふはな)に落ち激つ(たぎ)の河内は見れど飽かぬかも

或ル本ノ反シ歌ニ曰ク、

 0910 神柄か見が欲しからむみ吉野の滝の河内は見れど飽かぬかも

 0911 み吉野の秋津の川の万代に絶ゆることなくまた還り見む

 0912 泊瀬女(はつせめ)の造る木綿花み吉野の滝の水沫(みなわ)に咲きにけらずや


車持朝臣千年(くらもちのあそみちとせ)がよめる歌一首、また短歌

0913 味凝(うまこり) あやに(とも)しき 鳴神の 音のみ聞きし
   み吉野の 真木立つ山ゆ 見(くだ)せば 川の瀬ごとに
   明け来れば 朝霧立ち 夕されば かはづ鳴くなり*
   紐解かぬ 旅にしあれば ()のみして 清き川原を 見らくし惜しも

反し歌一首

0914 (たぎ)()の三船の山は見つれども*思ひ忘るる時も日も無し

或ル本ノ反シ歌ニ曰ク、

 0915 千鳥泣くみ吉野川の川音(かはと)なす止む時なしに思ほゆる君

 0916 茜さす日並べなくに()が恋は吉野の川の霧に立ちつつ

右、年月(ツマビラ)カナラズ。但歌類ヲ以テ此ノ次ニ載ス。或ル本ニ云ク、養老七年五月、芳野離宮ニ幸セル時ニ作ム。


神亀(じむき)元年(はじめのとし)甲子(きのえね)冬十月(かみなつき)五日(いつかのひ)、紀伊国に幸せる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌

0917 やすみしし 我ご大王(おほきみ)の 外津宮(とつみや)と 仕へ(まつ)れる
   雑賀野(さひかぬ)ゆ 背向(そがひ)に見ゆる 沖つ島 清き渚に
   風吹けば 白波騒き 潮()れば 玉藻刈りつつ
   神代より しかぞ貴き 玉津(たまづ)島山

反し歌二首

0918 沖つ島荒磯(ありそ)の玉藻潮干満ちてい(かく)ろひなば思ほえむかも

0919 若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺(あしへ)をさして(たづ)鳴き渡る

右、年月記サズ。但称ハク玉津島ニ従駕セリキト。因リテ今行幸ノ年月ヲ検注シ、以テ載ス。


二年(ふたとせといふとし)乙丑(きのとのうし)夏五月(さつき)、芳野の離宮に幸せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌

0920 あしひきの み山も(さや)に 落ち(たぎ)つ 吉野の川の
   川の瀬の 浄きを見れば 上辺(かみへ)には 千鳥しば鳴き
   下辺(しもへ)には かはづ妻呼ぶ 百敷の 大宮人も
   をちこちに (しじ)にしあれば 見るごとに あやにともしみ
   玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく 万代(よろづよ)に かくしもがもと
   天地(あめつち)の 神をぞ祈る 畏かれども

反し歌二首

0921 万代に見とも飽かめやみ吉野の(たぎ)つ河内の大宮所

0922 人皆の*命も(あれ)もみ吉野の滝の常磐の常ならぬかも


山部宿禰赤人がよめる歌二首、また短歌

0923 やすみしし 我ご大王(おほきみ)の 高知らす 吉野の宮は
   たたなづく 青垣(ごも)り 川並の 清き河内(かふち)
   春へは 花咲き(をを)り 秋されば 霧立ち渡る
   その山の いや益々に この川の 絶ゆること無く
   百敷の 大宮人は 常に通はむ

反し歌二首

0924 み吉野の象山(きさやま)()木末(こぬれ)にはここだも騒く鳥の声かも

0925 ぬば玉の夜の更けぬれば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く

0926 やすみしし 我ご大王は み吉野の 秋津の小野の
   野の()には 跡見(とみ)据ゑ置きて み山には 射目(いめ)立て渡し
   朝狩に (しし)踏み起し 夕狩に 鳥踏み立て
   馬()めて 御狩そ立たす 春の茂野に

反し歌一首

0927 あしひきの山にも野にも御狩人さつ矢()挟み騒ぎたり見ゆ

右、先後ヲ審ラカニセズ。但便ヲ以テノ故ニ此次ニ載ス。


冬十月(かみなづき)、難波の宮に幸せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌

0928 押し照る 難波の国は 葦垣の 古りにし里と
   人皆の 思ひ安みて 連れもなく ありし間に
   続麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 真木柱 太高敷きて
   ()す国を 治めたまへば 沖つ鳥 味經(あぢふ)の原に
   物部(もののふ)の 八十伴雄(やそとものを)は 廬りして 都と成れり 旅にはあれども

反し歌二首

0929 荒野らに里はあれども大王の敷き()す時は都と成りぬ

0930 海未通女(あまをとめ)棚無小舟榜ぎ()らし旅の宿りに楫の()聞こゆ


車持朝臣千年がよめる歌一首、また短歌

0931 鯨魚(いさな)取り 浜辺を清み 打ち靡き 生ふる玉藻に
   朝凪に 千重(ちへ)波寄り 夕凪に 五百重(いほへ)波寄る
   沖つ波 いや益々に* ()つ波の いやしくしくに
   月に()に 日々に見がほし* 今のみに 飽き足らめやも
   白波の い咲き(もと)へる 住吉(すみのえ)の浜

反し歌一首

0932 白波の千重に来寄する住吉の岸の黄土生(はにふ)ににほひて行かな


山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌

0933 天地の 遠きが如く 日月(ひつき)の 長きが如く
   押し照る 難波の宮に 我ご大王 国知らすらし
   御食(みけ)つ国 日々の御調(みつき)* 淡路の 野島の海人の
   (わた)の底 沖つ海石(いくり)に 鮑玉(あはびたま) (さは)(かづ)き出
   船()めて 仕へ(まつ)るか 貴し見れば

反し歌一首

0934 朝凪に楫の()聞こゆ御食つ国野島の海人の船にしあるらし


三年(みとせといふとし)丙寅(ひのえとら)秋九月(ながつき)十五日(とをかまりいつかのひ)、播磨国印南野(いなみぬ)(いでま)せる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌

0935 名寸隅(なきすみ)の 船瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に
   朝凪に 玉藻刈りつつ 夕凪に 藻塩焼きつつ
   海未通女(あまをとめ) ありとは聞けど 見に行かむ 由のなければ
   大夫(ますらを)の 心は無しに 手弱女(たわやめ)の 思ひたわみて
   徘徊(たもとほ)り (あれ)はそ恋ふる 船楫(ふねかぢ)を無み

反し歌二首

0936 玉藻刈る海未通女ども見に行かむ船楫もがも波高くとも

0937 往き還り見とも飽かめや名寸隅の船瀬の浜に頻る白波


山部宿禰赤人がよめる歌一首 、また短歌

0938 やすみしし 我が大王の 神ながら 高知らせる
   印南野の 大海(おほうみ)の原の 荒栲(あらたへ)の 藤江の浦に*
   (しび)釣ると 海人船騒ぎ 塩焼くと 人そ(さは)なる
   浦を()み (うべ)も釣はす 浜を吉み 諾も塩焼く
   あり通ひ ()さくも(しる)し 清き白浜

反し歌三首

0939 沖つ波辺波静けみ(いざ)りすと藤江の浦に船そ騒げる

0940 印南野の浅茅押しなべさ()る夜の()長くしあれば家し偲はゆ

0941 明石潟潮干の道を明日よりは下笑ましけむ家近づけば


辛荷(からに)の島を過ぐる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌

0942 あぢさはふ 妹が目()れて 敷細(しきたへ)の 枕も巻かず
   桜皮(かには)巻き 作れる舟に 真(かぢ)()き ()が榜ぎ来れば
   淡路の 野島も過ぎ 印南嬬(いなみつま) 辛荷の島の
   島の()ゆ 我家(わぎへ)を見れば 青山の そことも見えず
   白雲も 千重になり来ぬ 榜ぎ(たむ)る 浦のことごと
   行き隠る 島の崎々 (くま)も置かず 思ひそ()が来る 旅の()長み

反し歌三首

0943 玉藻刈る辛荷の島に島()する鵜にしもあれや家()はざらむ

0944 島隠り()が榜ぎ来れば(とも)しかも大和へ上る真熊野の船

0945 風吹けば波か立たむと伺候(さもらひ)都太(つた)の細江に浦隠り居り


敏馬(みぬめ)の浦を過ぐる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌

0946 御食(みけ)向ふ 淡路の島に (ただ)向ふ 敏馬の浦の
   沖辺には 深海松(ふかみる)摘み 浦廻には 名告藻(なのりそ)苅り
   深海松の 見まく欲しけど 名告藻の 己が名惜しみ
   間使も 遣らずて(あれ)は 生けるともなし

反し歌一首

0947 須磨の海人の塩焼き衣の慣れなばか一日も君を忘れて思はむ

右ノ作歌、年月詳ラカナラズ。但類ヲ以テノ故ニ此ノ次ニ載ス。


四年(よとせといふとし)丁卯(ひのとのう)春正月(むつき)諸王(おほきみたち)諸臣子等(おみたち)(みことのり)して、授刀寮に散禁(はなちいまし)めたまへる時によめる歌一首、また短歌

0948 真葛(まくず)()ふ 春日の山は 打ち靡く 春さりゆくと
   山の()に 霞たな引き 高圓(たかまと)に 鴬鳴きぬ
   物部(もののふ)の 八十伴男(やそとものを)は 雁が音の 来継ぎこの頃
   かく継ぎて 常にありせば 友()めて 遊ばむものを
   馬並めて 行かまし里を 待ちがてに ()がせし春を
   かけまくも あやに畏し 言はまくも 忌々(ゆゆ)しからむと
   あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川に
   (いそ)に生ふる 菅の根採りて (しぬ)ふ草 祓ひてましを
   行く水に (みそ)ぎてましを 大王の 命畏み
   百敷の 大宮人の 玉ほこの 道にも出でず 恋ふるこの頃

反し歌一首

0949 梅柳過ぐらく惜しみ佐保の内に遊びし事を宮もとどろに

右、神亀四年正月、数王子マタ諸臣子等、春日野ニ集ヒ、打毬ノ楽ヲ作ス。其ノ日、忽チニ天陰リ、雨フリ(カミ)ナリ(イナビカリ)ス。此ノ時宮中ニ侍従マタ侍衛無シ。勅シテ刑罰ニ行ヒ、皆授刀寮ニ散禁シテ、妄リニ道路ニ出ヅルコトヲ得ザラシメタマフ。時ニ悒憤シテ、即チ斯ノ歌ヲ作ム。作者ハ詳ラカナラズ。


五年(いつとせといふとし)戊辰(つちのえたつ)、難波の宮に幸せる時よめる歌四首

0950 大王の境ひたまふと山守(やまもり)据ゑ()るちふ山に入らずはやまじ

0951 見渡せば近きものから(いそ)隠り(かがよ)ふ玉を取らずはやまじ

0952 韓衣(からころも)着奈良の里の*松に玉をし付けむ()き人もがも

0953 さ牡鹿の鳴くなる山を越え行かむ日だにや君にはた逢はざらむ

右、笠朝臣金村ガ歌ノ中ニ出ヅ。或ハ云ク、車持朝臣千年作ムト。


膳王(かしはでのおほきみ)の歌一首

0954 (あした)には海辺に(あさ)りし夕されば大和へ越ゆる雁し羨しも

右ノ作歌ノ年ハ審ラカナラズ。但歌類ヲ以テ便チ此ノ次ニ載ス。


太宰少弐(おほみこともちのすなきすけ)石川朝臣足人(たりひと)が歌一首

0955 刺竹(さすだけ)の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君


(かみ)大伴卿(おほとものまへつきみ)(こた)ふる歌一首

0956 やすみしし我が大王の食す国は大和もここも(おや)じとそ()


冬十一月(しもつき)、太宰の官人(つかさひと)等、香椎の廟を(をろが)み奉り、()へて退帰(まか)れる時、馬を香椎の浦に(とど)めて、(おのもおのも)(おもひ)を述べてよめる歌


(かみ)大伴の(まへつきみ)の歌一首

0957 いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ


大弐(おほきすけ)小野老朝臣が歌一首

0958 時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈りてな


豊前守(とよくにのみちのくちのかみ)宇努首男人(うぬのおびとをひと)が歌一首

0959 往き還り常に()が見し香椎潟明日ゆ後には見む(よし)もなし


帥大伴の卿の芳野の離宮(とつみや)遥思(しぬ)ひてよみたまへる歌一首

0960 隼人(はやひと)の瀬戸の(いはほ)も鮎走る吉野の滝になほしかずけり


帥大伴の卿の、次田(すきた)温泉()に宿りて、(たづ)()を聞きてよみたまへる歌一首

0961 湯の原に鳴く葦鶴は()が如く妹に恋ふれや時わかず鳴く


天平(てむひやう)二年庚午(かのえうま)(みことのり)して駿馬(ときうま)(えら)ぶ使大伴道足(みちたり)宿禰を遣はせる時の歌一首

0962 奥山の岩に苔むし畏くも問ひ賜ふかも思ひあへなくに

右、勅使(みかどつかひ)大伴道足宿禰を帥の家に(あへ)す。此の日衆諸を会集へ、駅使(はゆまづかひ)葛井連廣成を相誘ひ、歌詞を作むべしと言ふ。登時(すなはち)廣成声に応へて、此の歌を(うた)へりき。


冬十一月(しもつき)大伴坂上郎女が帥の家より上道(みちだち)して、筑前国宗形郡名兒山を超ゆる時よめる歌一首

0963 大汝(おほなむぢ) 少彦名(すくなびこな)の 神こそは 名付けそめけめ
   名のみを 名兒山と負ひて ()が恋の 千重の一重も 慰めなくに


(おや)じ坂上郎女が(みやこ)(のぼ)海路(うみつぢ)にて浜の貝を見てよめる歌一首

0964 我が背子に恋ふれば苦し(いとま)あらば拾ひて行かむ恋忘れ貝


冬十二月(しはす)太宰帥(おほみこともちのかみ)大伴の卿の京に上りたまふ時、娘子(をとめ)がよめる歌二首

0965 (おほ)ならばかもかもせむを畏みと振りたき袖を(しぬ)ひてあるかも

0966 大和道は雲隠れたりしかれども()が振る袖を無礼(なめ)しと()ふな

右、太宰帥大伴の卿の大納言に兼任()され、京に(のぼ)らむとして上道(みちだち)したまふ。此の日水城に馬駐め、府家を顧み望む。時に卿を送る府吏(つかさひと)の中に遊行女婦(うかれめ)あり。其の()兒島(こしま)と曰ふ。是に娘子、此の別れ易きを傷み、彼の会ひ難きを嘆き、涕を拭ひて自ら袖を振る歌を(うた)ふ。

大納言(おほきものまをすつかさ)大伴の卿の和へたまへる歌二首

0967 大和道の吉備の兒島を過ぎて行かば筑紫の子島思ほえむかも

0968 大夫(ますらを)と思へる(あれ)水茎(みづくき)水城(みづき)の上に涙(のご)はむ


三年辛未(かのとひつじ)、大納言大伴の卿の、寧樂の家に在りて故郷(ふるさと)(しぬ)ひてよみたまへる歌二首

0969 (しま)しくも行きて見てしか神名備(かむなび)の淵は(あせ)にて瀬にか成るらむ

0970 群玉の*栗栖(くるす)の小野の萩が花散らむ時にし行きて手向けむ


四年壬申(みづのえさる)藤原宇合の卿の西海道(にしのうみつぢ)の節度使に遣はさるる時、高橋連蟲麻呂がよめる歌一首、また短歌

0971 白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に
   打ち越えて 旅行く君は 五百重山 い行きさくみ
   (あた)守る 筑紫に至り 山の(そき) 野の極()せと
   伴の()を (あが)ち遣はし 山彦の 答へむ極み
   蟾蜍(たにぐく)の さ渡る極み 国形を ()したまひて
   冬籠り 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早還り来ね*
   龍田道の 岡辺の道に 紅躑躅(につつじ)の にほはむ時の
   桜花 咲きなむ時に 山(たづ)の 迎へ参ゐ出む 君が来まさば

反し歌一首

0972 千万(ちよろづ)(いくさ)なりとも言挙げせず()りて()ぬべき(をとこ)とぞ()


天皇(すめらみこと)の節度使の卿等(まへつきみたち)(おほみき)賜へる御歌(おほみうた)一首、また短歌

0973 ()す国の 遠の朝廷(みかど)に (いまし)らし かく罷りなば
   平けく (あれ)は遊ばむ 手抱(てうだ)きて (あれ)はいまさむ
   天皇(すめら)()が (うづ)の御手もち 掻き撫でそ ()ぎたまふ
   打ち撫でそ 労ぎたまふ 還り来む日 相飲まむ()そ この豊御酒(とよみき)

反し歌一首

0974 大夫(ますらを)の行くちふ道そおほろかに思ひて行くな大夫の伴

右ノ御歌ハ、或ハ云ク、太上天皇ノ御製ナリト。


中納言(なかのものまをすつかさ)安倍廣庭の卿の歌一首

0975 かくしつつ在らくを()みぞ玉きはる短き命を長く欲りする


五年癸酉(みづのととり)、草香山を超ゆる時、神社忌寸老麿(かみこそのいみきおゆまろ)がよめる歌二首

0976 難波潟潮干の名残よく見てむ家なる妹が待ち問はむため

0977 直越(ただこえ)のこの道にして押し照るや難波の海と名付けけらしも


山上臣憶良沈痾(やみこやれ)る時の歌一首

0978 (をとこ)やも空しかるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして

右ノ一首ハ、山上憶良臣ガ沈痾ル時、藤原朝臣八束、河邊朝臣東人ヲシテ、疾メル状ヲ問ハシム。是ニ憶良臣、報フル語已ニ畢リ、須ク有リテ涕ヲ拭ヒ、悲シミ嘆キテ此ノ歌ヲ口吟(ウタ)ヒキ。


大伴坂上郎女が、(をひ)家持が佐保より西の(いへ)還帰(かへ)るときに(おく)れる歌一首

0979 我が背子が()る衣薄し佐保風はいたくな吹きそ家に至るまで


安倍朝臣蟲麻呂が月の歌一首

0980 雨隠り三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は(くだ)ちつつ


大伴坂上郎女が月の歌三首

0981 獵高(かりたか)の高圓山を高みかも出で来む月の遅く照るらむ

0982 ぬば玉の夜霧の立ちておほほしく照れる月夜の見れば悲しさ

0983 山の端の細愛壮士(ささらえをとこ)天の原()渡る光見らくしよしも


豊前国(とよくにのみちのくち)の娘子が月の歌一首 娘子字ヲ大宅ト曰フ。姓氏詳ラカナラズ。

0984 雲隠り行方を無みと()が恋ふる月をや君が見まく欲りする


湯原王の月の歌二首

0985 (あめ)にます月読壮士(つくよみをとこ)(まひ)はせむ今宵の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ

0986 ()しきやし間近き里の君来むと言ふ(しるし)にかも*月の照りたる


藤原八束朝臣が月の歌一首

0987 待ちがてに()がする月は妹が()る三笠の山に(こも)りたりけり


市原王の宴に父安貴王()きませる歌一首

0988 春草は後は散り易し巌なす常盤にいませ貴き吾君(あきみ)


湯原王の打酒(さかほかひ)*の歌一首

0989 焼太刀のかど打ち放ち大夫の寿()豊御酒(とよみき)(あれ)酔ひにけり


紀朝臣鹿人(かひと)跡見(とみ)茂岡(しげをか)の松の樹の歌一首

0990 茂岡に神さび立ちて栄えたる千代松の樹の歳の知らなく

同じ鹿人が泊瀬河の(ほとり)に至りてよめる歌一首

0991 石走(いはばし)(たぎ)ち流るる泊瀬川絶ゆること無くまたも来て見む


大伴坂上郎女が元興寺の里を詠める歌一首

0992 古郷の飛鳥はあれど青丹よし奈良の明日香を見らくしよしも


同じ坂上郎女が初月(みかつき)の歌一首

0993 月立ちてただ三日月の眉根(まよね)掻き()長く恋ひし君に逢へるかも


大伴宿禰家持が初月の歌一首

0994 振り()けて三日月見れば一目見し人の眉引(まよびき)思ほゆるかも


大伴坂上郎女が親族(うがら)と宴せる歌一首

0995 かくしつつ遊び飲みこそ草木すら春は咲きつつ秋は散りぬる


六年(むとせといふとし)甲戌(きのえいぬ)海犬養宿禰(あまのいぬかひのすくね)岡麿が(みことのり)(うけたまは)りてよめる歌一首

0996 御民(あれ)生ける(しるし)あり天地の栄ゆる時に遭へらく思へば


春三月(やよひ)、難波の宮に幸せる時の歌六首

0997 住吉(すみのえ)粉浜(こばま)の蜆開けも見ず(こも)りのみやも恋ひ渡りなむ

右の一首(ひとうた)は、作者(よみひと)未詳(しらず)

0998 (まよ)のごと雲居に見ゆる阿波の山懸けて榜ぐ舟(とまり)知らずも

右の一首は、船王(ふねのおほきみ)のよみたまへる。

0999 茅渟廻(ちぬみ)より雨そ降り来る四極(しはつ)の海人綱手干したり濡れあへむかも

右の一首は、住吉の浜に遊覧(あそ)びて、宮に還りたまへる時の道にて、守部王(もりべのおほきみ)の詔を(うけたまは)りてよみたまへる歌。

1000 児らがあらば二人聞かむを沖つ洲に鳴くなる(たづ)の暁の声

右の一首は、守部王のよみたまへる。

1001 大夫(ますらを)は御狩に立たし娘子(をとめ)らは赤裳裾引く清き浜びを

右の一首は、山部宿禰赤人がよめる。

1002 馬の歩み抑へ留めよ住吉の岸の黄土(はにふ)ににほひて行かむ

右の一首は、安倍朝臣豊継がよめる。


筑後守(つくしのみちのしりのかみ)外従五位(とのひろきいつつのくらゐ)(しもつしな)葛井連大成が海人の釣船を遥見(みさ)けてよめる歌一首

1003 海女をとめ玉求むらし沖つ波(かしこ)き海に船出せり見ゆ


按作村主益人(くらつくりのすくりますひと)が歌一首

1004 思ほえず来ませる君を佐保川のかはづ聞かせず帰しつるかも

右、内匠大属按作村主益人、聊カ飲饌ヲ設ケ、以テ長官佐為王ヲ饗ス。未ダ日(クタ)ツニ及バズシテ王既ク還帰(カヘ)ル。時ニ益人、()カズシテ帰ルコトヲ怜惜(ヲシ)ミテ、仍チ此ノ歌ヲ作ム。


八年(やとせといふとし)丙子(ひのえね)夏六月(みなつき)、芳野の離宮(とつみや)(いでま)せる時、山部宿禰赤人が詔を(うけたまは)りてよめる歌一首、また短歌

1005 やすみしし 我が大王の ()したまふ 吉野の宮は
   山(だか)み 雲そ棚引く 川速み 瀬の()そ清き
   神さびて 見れば貴く よろしなへ 見れば(さや)けし
   この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ
   百敷の 大宮所 止む時もあらめ

反し歌一首

1006 神代より吉野の宮にあり通ひ高知らせるは山川を()


市原王の独り子を悲しみたまへる歌一首

1007 言問はぬ木すら(いも)()ありちふをただ独り子にあるが苦しさ


忌部首黒麿(いみべのおびとくろまろ)が友の来ること遅きを恨むる歌一首

1008 山の端にいさよふ月の出でむかと()が待つ君が夜は降ちつつ


冬十一月(しもつき)左大弁(ひだりのおほきおほともひ)葛城王(かづらきのおほきみ)(たち)に、橘の(うぢ)賜姓(たま)へる時、みよみませる御製歌(おほみうた)一首

1009 橘は実さへ花さへその葉さへ()に霜降れどいや常葉(とこは)の木

右、冬十一月九日、従三位葛城王、従四位上佐為王等、皇族ノ高名ヲ辞シ、外家ノ橘姓ヲ賜フコト已ニ訖リヌ。時ニ太上天皇、皇后、共ニ皇后宮ニ在シテ、肆宴ヲ為シ、即チ橘ヲ()ク歌ヲ御製シ、マタ御酒ヲ宿禰等ニ賜フ。或ハ云ク、此ノ歌一首、太上天皇ノ御歌ナリ。但シ天皇皇后ノ御歌ハ各一首有リ。其ノ歌遺落シテ探リ求ムルコトヲ得ズ。今案内ヲ検フルニ、八年十一月九日、葛城王等橘宿禰ノ姓ヲ願ヒ表ヲ上ル。十七日ヲ以テ表ニ依リ乞ヒ橘宿禰ヲ賜フト。


橘宿禰奈良麿が詔を応りてよめる歌一首

1010 奥山の真木の葉しのぎ降る雪の降りは増すとも(つち)に落ちめやも


冬十二月(しはす)十二日(とをまりふつかのひ)歌舞所(うたまひどころ)*諸王臣子等(おほきみまへつきみたち)、葛井連廣成が家に集ひて宴せる歌二首

比来古*盛ニ興リテ、古歳(ヤヤ)()レヌ。理、共ニ古情ヲ尽シテ、同ニ此ノ歌ヲ唄フベシ。故ニ此ノ趣ニ擬ヘテ、(スナハ)チ古曲二節ヲ献ル。風流意気ノ士、()シ此ノ集ノ中ニ在ラバ、発念ヲ争ヒ、心々ニ古体ニ和ヘヨ。

1011 我が屋戸の梅咲きたりと告げ遣らば()ちふに似たり散りぬともよし

1012 春されば(をを)りに撓り鴬の鳴く()山斎(しま)そ止まず通はせ


九年(ここのとせといふとし)丁丑(ひのとうし)春正月(むつき)橘少卿(たちばなのおとまへつきみ)、また諸大夫等(まへつきみたち)の、弾正尹(ただすつかさのかみ)門部王の家に集ひて宴せる歌二首

1013 あらかじめ君来まさむと知らませば門に屋戸にも玉敷かましを

右の一首は、主人(あろじ)門部王 後、大原真人氏ヲ賜姓フ。

1014 一昨日(をとつひ)も昨日も今日も見つれども明日さへ見まく欲しき君かも

右の一首は、橘宿禰文成(あやなり) 少卿ノ子ナリ。

榎井王の後に追ひて和へたまへる歌一首

1015 玉敷きて待たえしよりは*たけそかに来たる今宵し楽しく思ほゆ


春二月(きさらき)、諸大夫等、左少弁(ひだりのすなきおほともひ)巨勢宿奈麻呂朝臣の家に集ひて宴せる歌一首

1016 海原の遠き渡りを遊士(みやびを)の遊ぶを見むとなづさひそ来し

右ノ一首ハ、白紙ニ書キテ屋ノ壁ニ懸ケ著ケタリ。題シテ云ク、蓬莱ノ仙媛ノ作メル。謾ニ風流秀才ノ士ノ為ナリ*。斯凡客ノ望ミ見ル所ニアラズカト。


夏四月(うつき)、大伴坂上郎女が賀茂の神社(かみのやしろ)(をろが)み奉る時、相坂山を超え、近江の海を望見(みさ)けて、晩頭(ゆふへ)に還り来たるときよめる歌一首

1017 木綿畳(ゆふたたみ)手向(たむけ)の山を今日越えていづれの野辺に廬りせむ吾等(あれ)


十年(ととせといふとし)戊寅(つちのえとら)元興寺(ぐわむこうじ)(ほうし)が自ら嘆く歌一首

1018 白珠は人に知らえず知らずともよし知らずとも(あれ)し知れらば知らずともよし

右ノ一首ハ、或ハ云ク、元興寺ノ僧、独リ覚リテ智多ケレドモ、顕聞スルトコロ有ラズ、衆諸狎侮(アナヅ)リキ。此ニ因リテ僧此ノ歌ヲ()ミ、自ラ身ノ才ヲ嘆ク。


石上乙麿(いそのかみのおとまろ)(まへつきみ)の、土佐の国に(はなた)えし時の歌三首、また短歌

1019 石上(いそのかみ) 布留(ふる)(みこと)は 手弱女(たわやめ)の (さど)ひによりて
   馬じもの 縄取り付け (しし)じもの 弓矢(かく)みて
   大王(おほきみ)の (みこと)(かしこ)み 天ざかる 夷辺(ひなへ)(まか)
   古衣(ふるころも) 真土の山ゆ 帰り来ぬかも

1020 大王の 命畏み さし並の 国に出でます
   はしきやし 我が背の君を

(1021)かけまくも 忌々(ゆゆ)し畏し 住吉(すみのえ)の 現人神(あらひとかみ)
   船の()に うしはきたまひ 着きたまはむ 島の崎々
   依りたまはむ 磯の崎々 荒き波 風に遇はせず
   (つつ)みなく み病あらず (すむや)けく 帰したまはね もとの国辺に

右の二首は、石上の卿の()がよめる。*

1022 父君に (あれ)愛子(まなご)ぞ 母刀自(おもとじ)に (あれ)は愛子ぞ
   参上(まゐのぼ)り 八十氏人(やそうぢひと)の 手向する (かしこ)の坂に
   (ぬさ)(まつ)り (あれ)はぞ退(まか)* 遠き土佐道を

反し歌一首

1023 大崎の神の小浜(をはま)は狭けども百船人(ももふなひと)も過ぐと言はなくに

右の二首は、石上の卿のよめる。*


秋八月(はつき)二十日(はつかのひ)右大臣(みぎのおほまへつきみ)橘の家に宴せる歌四首

1024 長門なる沖つ借島奥まへて()()ふ君は千年にもがも

右の一歌は、長門守巨曽倍對馬(こそべのつしま)朝臣。

1025 奥まへて(あれ)を思へる我が背子は千年五百年(いほとせ)ありこせぬかも

右の一歌は、右大臣の和へたまへる歌。

1026 百敷の大宮人は今日もかも暇を無みと里に出でざらむ

右の一首は、右大臣の伝へ()りたまはく、(もと)豊島采女(てしまのうねべ)が歌。

1027 橘の本に道踏み八衢(やちまた)に物をそ思ふ人に知らえず

右の一歌は、右大弁(みぎのおほきおほともひ)高橋安麿の卿語りけらく、故の豊島采女がよめるなり。但シ或ル本ニ云ク、三方沙彌、妻ノ苑臣ヲ恋ヒテ作メル歌ナリト。然ラバ則チ、豊島采女、当時当所ニ此ノ歌ヲ口吟(ウタ)ヘルカ。


十一年(ととせまりひととせといふとし)己卯(つちのとう)天皇(すめらみこと)高圓の野に遊猟(みかり)したまへる時、小さき(けだもの)堵里(さと)(うち)()で走る。是に勇士(ますらを)適値()ひて生きながら()らえぬ。即ち此の獣を御在所(みもと)に献上るとき副ふる歌一首 獣ノ名ハ俗ニ牟射佐妣(ムササビ)ト曰フ

1028 大夫(ますらを)の高圓山に迫めたれば里に()()るむささびそこれ

右の一歌は、大伴坂上郎女がよめる。但シ奏ヲ逕ズシテ小獣死シ斃レヌ。此ニ因リテ献歌停ム。


十二年(ととせまりふたとせといふとし)庚辰(かのえたつ)冬十月(かみなつき)太宰少弐(おほみこともちのすなきすけ)藤原朝臣廣嗣反謀(みかどかたぶ)けむとして(いくさ)(おこ)せるに、伊勢国に(いでま)せる時、河口の行宮(かりみや)にて内舎人(うちとねり)大伴宿禰家持がよめる歌一首

1029 河口(かはくち)の野辺に廬りて夜の()れば妹が手本し思ほゆるかも


天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)一首

1030 妹に恋ひ()が松原よ*見渡せば潮干の潟に(たづ)鳴き渡る*


丹比屋主真人(たぢひのいへぬしのまひと)が歌一首

1031 後れにし人を(しぬ)はく四泥(しで)の崎木綿取り()でて往かむとそ()*


独り行宮に(おくれゐ)*大伴宿禰家持がよめる歌二首

1032 天皇(おほきみ)行幸(いでまし)のまに我妹子(わぎもこ)が手枕巻かず月そ経にける

1033 御食(みけ)つ国志摩の海人(あま)ならし真熊野の小船(をぶね)に乗りて沖へ榜ぐ見ゆ


美濃国多藝(たぎ)の行宮にて、大伴宿禰東人がよめる歌一首

1034 (いにしへ)よ人の言ひ()る老人の変若()つちふ水そ名に負ふ滝の瀬


大伴宿禰家持がよめる歌一首

1035 田跡川(たどかは)(たぎ)を清みか古ゆ宮仕へけむ多藝の野の()


不破の行宮にて、大伴宿禰家持がよめる歌一首

1036 関なくば帰りにだにも打ち行きて妹が手枕巻きて寝ましを


十五年(ととせまりいつとせといふとし)癸未(みづのとひつじ)秋八月(はつき)十六日(とをかまりむかのひ)、内舎人大伴宿禰家持が久邇(くに)の京を讃へてよめる歌一首

1037 今造る久邇の都は山河の(さや)けき見ればうべ知らすらし


高丘河内連(たかをかのかふちのむらじ)が歌二首

1038 故郷は遠くもあらず一重山越ゆるがからに思ひぞ()がせし

1039 我が背子と二人し居れば山高み里には月は照らずともよし


安積親王左少弁(ひだりのすなきおほともひ)藤原八束朝臣が家に宴したまふ日、内舎人大伴宿禰家持がよめる歌一首

1040 久かたの雨は降りしけ思ふ子が屋戸に今夜は明かしてゆかむ


十六年(ととせまりむとせといふとし)甲申(きのえさる)春正月(むつき)五日(いつかのひ)諸卿大夫(まへつきみたち)安倍蟲麻呂朝臣が家に集ひて宴せる歌一首

1041 我が屋戸の君松の木に降る雪の行きには行かじ待ちにし待たむ


同じ月十一日(とをかまりひとひ)活道(いくぢ)の岡に登り、一株松(ひとつまつ)(もと)に集ひて(うたげ)せる歌二首

1042 一つ松幾代か経ぬる吹く風の声の()めるは年深みかも

右の一首は、市原王のよみたまへる。

1043 玉きはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとそ()

右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。


寧樂(なら)(みやこ)荒墟(あれたる)傷惜(をし)みてよめる歌三首 作者不審

1044 紅に深く染みにし心かも奈良の都に年の経ぬべき

1045 世の中を常無きものと今ぞ知る奈良の都のうつろふ見れば

1046 石綱(いはつな)のまた変若()ちかへり青丹よし奈良の都をまた見なむかも


寧樂の京の故郷(あれたる)を悲しみよめる歌一首、また短歌

1047 やすみしし 我が大王(おほきみ)の 高敷かす 大和の国は
   皇祖(すめろき)の 神の御代より 敷きませる 国にしあれば
   ()れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天の下 知ろしめさむと
   八百万(やほよろづ) 千年を兼ねて 定めけむ 奈良の都は
   陽炎(かぎろひ)の 春にしなれば 春日山 御笠の野辺に
   桜花 木の(くれ)隠り 貌鳥は 間なくしば鳴く
   露霜の 秋さり来れば 射鉤(いかひ)山 飛火(とぶひ)(たけ)
   萩の()を しがらみ散らし さ牡鹿は 妻呼び(とよ)
   山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住みよし
   物部(もののふ)の 八十伴の男の うちはへて 里並みしけば*
   天地の 寄り合ひの極み 万代に 栄えゆかむと
   思ひにし 大宮すらを 頼めりし 奈良の都を
   新代(あらたよ)の 事にしあれば 大王の 引きのまにまに
   春花の うつろひ変り 群鳥の 朝立ち行けば
   刺竹(さすだけ)の 大宮人の 踏み平し 通ひし道は
   馬も行かず 人も行かねば 荒れにけるかも

反し歌二首

1048 建ち替り古き都となりぬれば道の芝草長く生ひにけり

1049 ()つきにし奈良の都の荒れゆけば出で立つごとに嘆きし増さる


久邇(くに)新京(にひみやこ)を讃ふる歌二首、また短歌

1050 (あき)つ神 我が大王の 天の下 八島の内に
   国はしも 多くあれども 里はしも さはにあれども
   山並の よろしき国と 川並の 立ち合ふ里と
   山背の 鹿背(かせ)山の()に 宮柱 太敷きまつり
   高知らす 布當(ふたぎ)の宮は 川近み 瀬の()ぞ清き
   山近み 鳥が()(とよ)む 秋されば 山もとどろに
   さ牡鹿は 妻呼び響め 春されば 岡辺も(しじ)
   巌には 花咲き(をを)り あなおもしろ 布當の原
   いと(たふと) 大宮所 (うべ)しこそ 我が大王は
   君のまに 聞かしたまひて 刺竹の 大宮ここと 定めけらしも

反し歌二首

1051 三香(みか)の原布當の野辺を清みこそ大宮所定めけらしも

1052 山高く川の瀬清し百代まで(かむ)しみゆかむ大宮所

1053 吾が大王 神の命の 高知らす 布當の宮は
   百木盛る* 山は木高(こだか)し 落ちたぎつ 瀬の()も清し
   鴬の 来鳴く春へは 巌には 山下光り
   錦なす 花咲き(をを)り さ牡鹿の 妻呼ぶ秋は
   天霧(あまぎら)ふ 時雨をいたみ さ丹頬(にづら)ふ 黄葉(もみち)散りつつ
   八千年(やちとせ)に ()れ付かしつつ 天の下 知ろしめさむと
   百代にも 変るべからぬ 大宮所

反し歌五首

1054 泉川行く瀬の水の絶えばこそ大宮所移ろひ行かめ

1055 布當山山並見れば百代にも変るべからぬ大宮所

1056 娘子らが続麻(うみを)懸くちふ鹿背の山時しゆければ都となりぬ

1057 鹿背の山木立を繁み朝さらず来鳴き響もす鴬の声

1058 狛山に鳴く霍公鳥(ほととぎす)泉川渡りを遠みここに通はず


春日(はるのころ)三香原(みかのはら)の都の荒墟(あれたる)悲傷(かな)しみよめる歌一首、また短歌

1059 三香の原 久邇の都は 山高み 川の瀬清み
   在りよしと 人は言へども 住みよしと (あれ)は思へど
   古りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず
   里見れば 家も荒れたり ()しけやし かくありけるか
   三諸(みもろ)つく 鹿背山の際に 咲く花の 色めづらしく
   百鳥の 声なつかしき ありが欲し 住みよき里の 荒るらく惜しも

反し歌二首

1060 三香の原久邇の都は荒れにけり大宮人のうつろひぬれば

1061 咲く花の色は変らず百敷の大宮人ぞたち変りける


難波の宮にてよめる歌一首、また短歌

1062 やすみしし 我が大王の あり通ふ 難波の宮は
   鯨魚(いさな)取り 海片付きて 玉(ひり)ふ 浜辺を近み
   朝羽振る 波の()騒き 夕凪に 楫の音聞こゆ
   暁の 寝覚に聞けば 海近み* 潮干の(むた)
   浦洲には 千鳥妻呼び 葦辺には (たづ)が音響む
   見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲りする
   御食(みけ)向ふ 味経(あぢふ)の宮は 見れど飽かぬかも

反し歌二首

1063 あり通ふ難波の宮は海近み海人娘子らが乗れる船見ゆ

1064 潮干れば葦辺に騒く白鶴(あしたづ)の妻呼ぶ声は宮もとどろに


敏馬(みぬめ)の浦を過ぐる時よめる歌一首、また短歌

1065 八千桙(やちほこ)の 神の御代より 百船(ももふね)の 泊つる泊と
   八島国 百船人(ももふなひと)の 定めてし 敏馬の浦は
   朝風に 浦波騒き 夕波に 玉藻は来寄る
   白沙(しらまなご) 清き浜辺は 往き還り 見れども飽かず
   諾しこそ 見る人毎に 語り継ぎ (しぬ)ひけらしき
   百代経て 偲はえゆかむ 清き白浜

反し歌二首

1066 真澄鏡敏馬の浦は百船の過ぎて行くべき浜ならなくに

1067 浜清み浦うるはしみ神代より千船の泊つる大和太(おほわだ)の浜

右ノ二十一首ハ、田邊福麻呂ガ歌集ノ中ニ出ヅ。


       巻第六了

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引用文献


○ManyoshuBest100
○万葉集[YouTube]
○萬葉集朗詠ライブ
○万葉集(動画 YouTube) NipponArchives
○歴史ヒストリア

○100分de名著 万葉集 其の1
○100分de名著 万葉集 其の2
万葉集読み上げ 巻1 ( 1 -27)
万葉集読み上げ 巻1 (28-49)
万葉集読み上げ 巻1 (50-84)

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