TOP(戻る)温故知新(戻る)、 世界三大古典詩集 ( 「詩經」「万(萬)葉集」「ソネット集 SONNET(Shakespeare)」

万葉集(萬葉集 Man'yōshū)は日本人の心の古典、「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」
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新元号【令和】『REIWA』 典拠は巻第五「万葉集」32の序文(0815~0862)


萬葉集  巻第九  雑歌
 (ここのまきにあたるまき くさぐさのうた)  

(「柿本人麻呂歌集」など先行する 個人歌集から彩歌)    鹿持雅澄『萬葉集古義』



泊瀬の朝倉の宮に(あめ)の下しろしめしし天皇(すめらみこと)*のみよみませる御製歌(おほみうた)一首(ひとつ)

1664 夕されば小椋(をくら)の山に臥す鹿の今宵は鳴かずい寝にけらしも*


崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の、紀伊国(きのくに)(いでま)せる時の歌二首(ふたつ)

1665 妹がため()が玉(ひり)ふ沖辺なる玉寄せ持ち()沖つ白波

1666 朝霧に濡れにし衣干さずして独りや君が山道(やまぢ)越ゆらむ

右ノ二首(フタウタ)作者(ヨミヒト)未詳(シラズ)


大宝(だいはう)元年(はじめのとし)辛丑(かのとうし)冬十月(かみなづき)太上天皇(おほきすめらみこと)大行天皇(さきのすめらみこと)、紀伊国に幸ませる時の歌十三首(とをまりみつ)

1667 妹がため()が玉求む沖辺なる白玉寄せ()沖つ白波

右ノ一首(ヒトウタ)既ニ上ニ見ルコト*畢ハリヌ。但歌辞少シク換リ、年代相違ヘリ。因テ以テ累ネ戴ス。

1668 白崎は(さき)くあり待て大船に真梶繁貫(しじぬ)きまたかへり見む

1669 南部(みなべ)の浦潮な満ちそね鹿島(かじま)なる釣する海人(あま)を見て帰り来む

1670 朝(びら)き榜ぎ出て(あれ)は由良の崎釣する海人を見て帰り来む

1671 由良の崎潮干にけらし白神(しらかみ)の磯の浦廻(うらみ)(あべ)て榜ぎ(とよ)*

1672 黒牛潟(くろうしがた)潮干の浦を紅の玉裳(たまも)裾引き行くは誰が妻

1673 風早(かざはや)*浜の白波いたづらにここに寄せ来も*見る人無しに

右ノ一首、山上臣憶良ノ類聚歌林ニ曰ク、長忌寸意吉麻呂、詔ニ応ヘテ此歌ヲ作メリト。

1674 我が背子が使来むかと出立(いでたち)のこの松原を今日か過ぎなむ

1675 藤白の御坂を越ゆと白たへの我が衣手は濡れにけるかも

1676 ()の山に黄葉(もみち)散り敷く*神岳の山の黄葉は今日か散るらむ

1677 大和には聞こえもゆくか大家野(おほやぬ)*小竹葉(ささば)刈り敷き廬せりとは

1678 紀の国の弓雄(さつを)*響矢(かぶら)もち鹿()取り靡けし坂の()にそある

1679 紀の国にやまず通はむ都麻(つま)の杜妻寄し()せね妻と言ひながら

右ノ一首、或ヒト云ク、坂上忌寸人長ガ作。


後れたる人の歌二首

1680 麻裳(あさも)よし紀へ行く君が真土山越ゆらむ今日そ雨な降りそね

1681 後れ居て()が恋ひ居れば白雲の棚引く山を今日か越ゆらむ


忍壁皇子に献れる歌一首 仙人ノ形ヲ詠ム

1682 とこしへに夏冬ゆけや(かはころも)扇放たぬ山に住む人


舎人皇子に献れる歌二首

1683 妹が手を取りて引き攀ぢ打ち()折り君が*挿すべき花咲けるかも

1684 春山は散り過ぎぬれども三輪山はいまだ(ふふ)めり君待ちかてに


泉河の(ほとり)にて間人宿禰(はしひとのすくね)がよめる歌二首

1685 川の瀬の(たぎ)つを見れば玉藻かも散り乱れたるこの川門(かはど)かも

1686 彦星の挿頭(かざし)の玉の妻恋に乱れにけらしこの川の瀬に


鷺坂(さぎさか)にてよめる歌一首

1687 白鳥の鷺坂山の松影に宿りてゆかな夜も更けゆくを


名木河(なきがは)にてよめる歌二首

1688 あぶり干す人もあれやも濡れ(きぬ)を家には遣らな旅のしるしに

1689 荒磯辺(ありそへ)につきて榜がさね都人*浜を過ぐれば(こほ)しくあるなり


高島にてよめる歌二首

1690 高島の阿渡(あど)川波は騒げども我は家()ふ宿り悲しみ

1691 旅なれば夜中をさして照る月の高島山に隠らく惜しも


紀伊国にてよめる歌二首

1692 ()が恋ふる妹は逢はさず玉つ浦に衣片敷き独りかも寝む

1693 玉くしげ明けまく惜しきあたら夜を衣手()れて独りかも寝む


鷺坂にてよめる歌一首

1694 細領巾(ほそひれ)の鷺坂山の白つつじ(あれ)ににほはね妹に示さむ


泉河にてよめる歌一首

1695 妹が門入り泉川の常滑にみ雪残れりいまだ冬かも


名木河にてよめる歌三首

1696 衣手の名木の川辺を春雨に(あれ)立ち濡ると家()ふらむか

1697 家人の使なるらし春雨の()くれど(あれ)を濡らす思へば

1698 あぶり干す人もあれやも家人の春雨すらを間使(まつかひ)にする


宇治河にてよめる歌二首

1699 巨椋(おほくら)の入江(とよ)むなり射目人(いめひと)の伏見が田居に雁渡るらし

1700 秋風の山吹の瀬の響むなべ天雲翔り雁渡るかも


弓削皇子に献れる歌三首

1701 さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空に月渡る見ゆ

1702 妹があたり衣雁が音*夕霧に来鳴きて過ぎぬともしきまでに

1703 雲隠り雁鳴く時に秋山の黄葉(もみち)片待つ時は過ぐれど


舎人皇子に献れる歌二首

1704 打ち手折り多武(たむ)の山霧繁みかも細川の瀬に波の騒ける

1705 冬こもり春へを恋ひて植ゑし木の実になる時を片待つ(あれ)


舎人皇子の御歌一首

1706 ぬば玉の夜霧ぞ立てる衣手の高屋の上に棚引くまてに


鷺坂にてよめる歌一首

1707 山背(やましろ)久世(くせ)の鷺坂神代より春は張りつつ秋は散りけり


泉河の辺にてよめる歌一首

1708 春草を馬咋山(うまくひやま)よ越え()なる雁が使は宿(やどり)過ぐなり


弓削皇子に献れる歌一首

1709 御食(みけ)向ふ南淵山(みなふちやま)(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる

右、柿本朝臣人麻呂ノ歌集ニ出ヅ。


題闕*

1710 我妹子が赤裳湿(ひづ)ちて植ゑし田を刈りて収めむ倉無(くらなし)の浜

1711 百伝(ももづた)八十(やそ)島廻(しまみ)を榜ぎ()けど粟の小島は見れど飽かぬかも

右ノ二首、或ヒト云ク、柿本朝臣人麻呂ガ作。


筑波山(つくはやま)に登りて月を詠める歌一首

1712 天の原雲なき宵にぬば玉の夜渡る月の入らまく惜しも


芳野の離宮(とつみや)(いでま)せる時の歌二首

1713 滝の()の三船の山よ秋津辺に来鳴き渡るは(たれ)呼子鳥

1714 落ちたぎち流るる水の岩に()り淀める淀に月の影見ゆ

右ノ三首、作者未詳。


槐本(ゑにすのもと)が歌一首

1715 楽浪(ささなみ)比良山風(ひらやまかぜ)の海吹けば釣する海人の袖返る見ゆ


山上(やまのへ)が歌一首

1716 白波の浜松の木の手向ぐさ幾代までにか年は経ぬらむ

右ノ一首、或ヒト云ク、河島皇子ノ御作歌。


春日(かすが)が歌一首

1717 三川(みつがは)の淵瀬もおちず小網(さで)さすに衣手濡れぬ干す子はなしに


高市(たけち)が歌一首

1718 (あども)ひて榜ぎにし舟は高島の安曇(あど)水門(みなと)()てにけむかも


春日が歌一首*

1719 照る月を雲な隠しそ島陰に()が船泊てむ泊知らずも

右ノ一首、或ル本ニ云ク、小辯ガ作ナリト。或ハ姓氏ヲ記シ、名字ヲ記スコト無ク、或ハ名号ヲ()ヒテ姓氏ヲ称ハズ。然レドモ古記ニ依リテ、便チ次ヲ以テ載ス。凡ソ此ノ如キ類ハ、下皆(コレ)(ナラ)ヘ。


元仁が歌三首

1720 馬()めてうち群れ越え来今日見つる吉野の川をいつかへり見む

1721 苦しくも暮れぬる日かも吉野川清き川原を見れど飽かなくに

1722 吉野川川波高み(たぎ)の裏を見ずかなりなむ(こほ)しけまくに


絹が歌一首

1723 かはづ鳴く六田(むつた)の川の川柳(かはやぎ)のねもころ見れど飽かぬ君かも


島足(しまたり)が歌一首

1724 見まく欲り()しくもしるく吉野川音のさやけさ見るにともしき


麻呂が歌一首

1725 (いにしへ)(さか)しき人の遊びけむ吉野の川原見れど飽かぬかも

右、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。


丹比真人が歌一首

1726 難波潟潮干に出でて玉藻刈る海未通女(あまをとめ)ども()が名のらさね


(それ)娘子(をとめ)が和ふる歌*

1727 漁りする海人とを見ませ*草枕旅ゆく人に妻とは告らじ*


石川の(まへつきみ)の歌一首

1728 慰めて今夜は寝なむ明日よりは恋ひかもゆかむこよ別れなば


宇合(うまかひ)の卿の歌三首

1729 (あかとき)(いめ)に見えつつ梶島の磯越す波のしきてし思ほゆ

1730 山科の石田(いはた)の小野の柞原(ははそはら)見つつや君が山道越ゆらむ

1731 山科の石田の杜に奉幣(たむけ)せば*けだし我妹に(ただ)に逢はむかも


碁師(ごし)が歌二首

1732 大葉山(おほはやま)霞たなびきさ夜更けて()が舟泊てむ泊知らずも

1733 (しぬ)ひつつ()れど()かねて三尾が崎真長の浦をまたかへり見つ


小辯(すなきおほともひ)が歌一首

1734 高島の安曇の湊を榜ぎ過ぎて塩津菅浦今は榜がなむ


伊保麻呂(いほまろ)が歌一首

1735 ()が畳三重の川原の磯の裏にかくしもがもと鳴くかはづかも


式部(のりのつかさ)大倭(おほやまと)が芳野にてよめる歌一首

1736 山高み白木綿花(しらゆふはな)に落ちたぎつ夏身の川門(かはど)見れど飽かぬかも


兵部(つはもののつかさ)川原が歌一首

1737 大滝(おほたぎ)を過ぎて夏身にそひ居りて*清き川瀬を見るがさやけさ


上総(かみつふさ)周淮(すゑ)珠名娘子(たまなをとめ)を詠める歌一首 、また短歌(みじかうた)

1738 尻長鳥(しながとり) 安房(あは)に継ぎたる 梓弓 周淮の珠名は
   胸別(むなわけ)の 広けき我妹 腰細の すがる娘子の
   その顔の きらきらしきに 花のごと 笑みて立てれば
   玉ほこの 道ゆく人は おのが行く 道は行かずて
   呼ばなくに 門に至りぬ さし並ぶ 隣の君は
   たちまちに 己妻()れて 乞はなくに 鍵さへ(まつ)
   人の皆 かく惑へれば うちしなひ 寄りてぞ妹は たはれてありける

反し歌

1739 金門(かなど)にし人の来立てば夜中にも身はたな知らず出でてぞ逢ひける


水江(みづのえ)の浦島の子を詠める歌一首、また短歌

1740 春の日の 霞める時に 住吉(すみのえ)の 岸に出で居て
   釣舟の たゆたふ見れば* 古の ことそ思ほゆる
   水江の 浦島の子が 堅魚(かつを)釣り (たひ)釣りほこり
   七日まで 家にも来ずて 海界(うなさか)を 過ぎて榜ぎゆくに
   海若(わたつみ)の 神の娘子に たまさかに い榜ぎ向ひ
   相かたらひ (こと)成りしかば かき結び 常世に至り
   海若の 神の宮の 内の()の 妙なる殿に
   たづさはり 二人入り居て 老いもせず 死にもせずして
   永世(とこしへ)に ありけるものを 世の中の (かたくな)人の
   我妹子に ()りて語らく (しま)しくは 家に帰りて
   父母に 事も告らひ 明日のごと (あれ)は来なむと
   言ひければ 妹が言へらく 常世辺に また帰り来て
   今のごと 逢はむとならば この(くしげ) 開くなゆめと
   そこらくに 堅めし言を 住吉に 帰り来たりて
   家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて
   あやしみと そこに思はく 家よ出て 三年(みとせ)(ほど)
   垣もなく 家失せめやも* この(はこ)を 開きて見てば
   もとのごと 家はあらむと  玉篋 少し開くに
   白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば
   立ち(わし)り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ
   たちまちに 心()失せぬ 若かりし 肌も皺みぬ
   黒かりし 髪も白けぬ ゆりゆりは* 息さへ絶えて
   のち遂に 命死にける 水江の 浦島の子が 家ところ見ゆ

反し歌

1741 常世辺に住むべきものを剣大刀(つるぎたち)しが心から(おそ)やこの君


河内(かふち)の大橋を独りゆく娘子を見てよめる歌一首、また短歌

1742 しな()る 片足羽川(かたあすはがは)の さ()塗りの 大橋の()
   紅の 赤裳裾引き 山藍(やまゐ)もち ()れる(きぬ)着て
   ただ独り い渡らす子は 若草の (つま)かあるらむ
   橿(かし)の実の 独りか()らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく

反し歌

1743 大橋の(つめ)に家あらばま悲しく独りゆく子に宿貸さましを


武藏(むざし)小埼(をさき)の沼の鴨を見てよめる歌一首

1744 埼玉(さきたま)の小埼の沼に鴨そ羽霧(はねき)るおのが尾に降り置ける霜を掃ふとならし


那賀の郡の曝井(さらしゐ)の歌一首

1745 三栗(みつくり)那賀に(めぐ)れる*曝井の絶えず通はむそこに妻もが


手綱(たづな)の浜の歌一首

1746 遠妻しそこに*ありせば知らずとも手綱の浜の尋ね来なまし


慶雲(きやううむ)三年(みとせといふとし)丙午(ひのえうま)*春三月(やよひ)(もろもろ)卿大夫等(まへつきみたち)、難波に下れる時の歌二首、また短歌

1747 白雲の 龍田の山の (たぎ)()の 小椋(をくら)の嶺に
   咲きををる 桜の花は 山(だか)み 風しやまねば
   春雨の 継ぎて降れれば 上枝(ほつえ)は 散り過ぎにけり
   下枝(しづえ)に 残れる花は しまらくは 散りな乱りそ
   草枕 旅ゆく君が 帰り来むまで

反し歌

1748 ()が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし

1749 白雲の 龍田の山を 夕暮に うち越えゆけば
   (たぎ)()の 桜の花は 咲きたるは 散り過ぎにけり
   (ふふ)めるは 咲き継ぎぬべし こちごちの 花の盛りに
   見せずとも かにかくに* 君のみ行きは 今にしあるべし

反し歌

1750 (いとま)あらばなづさひ渡り向つ()の桜の花も折らましものを


難波に宿りて、明くる日還来(かへ)る時の歌一首、また短歌

1751 島山を い行き(もとほ)る 川沿ひの 岡辺の道よ
   昨日こそ ()が越え来しか 一夜のみ 寝たりしからに
   ()の上の 桜の花は 滝の瀬よ たぎちて流る
   君が見む その日までには あらしの* 風な吹きそと
   打ち越えて 名に負へる杜に 風祭(かざまつり)せな

反し歌

1752 い行き逢ひの坂の麓に咲きををる桜の花を見せむ子もがも


検税使(けむぜいし)大伴の卿の筑波山に登りたまへる時の歌一首、また短歌

1753 衣手 常陸の国 二並ぶ 筑波の山を
   見まく欲り 君来ませりと 暑けくに 汗かき嘆き*
   ()の根取り (うそむ)き登り ()の上を 君に見すれば
   男神(をのかみ)も 許したまひ 女神(めのかみ)も ちはひたまひて
   時となく 雲居雨降る 筑波嶺(つくはね)を さやに照らして
   いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば
   嬉しみと 紐の緒解きて 家のごと 解けてそ遊ぶ
   打ち靡く 春見ましよは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ

反し歌

1754 今日の日にいかで()かめや筑波嶺に昔の人の来けむその日も


霍公鳥(ほととぎす)を詠める歌一首、また短歌

1755 鴬の (かひこ)の中に 霍公鳥 独り生れて
   ()が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず
   卯の花の 咲きたる野辺よ 飛び翔り 来鳴き(とよ)もし
   橘の 花を居散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし
   (まひ)はせむ 遠くな行きそ 我が屋戸の 花橘に 住みわたり鳴け*

反し歌

1756 かき()らし雨の降る夜を霍公鳥鳴きてゆくなりあはれその鳥


筑波山に登る歌一首、また短歌

1757 草枕 旅の()けくを 慰むる こともあれやと
   筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付(しづく)の田居に
   雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治(にひばり)の 鳥羽(とば)淡海(あふみ)
   秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば
   長き()に 思ひ積み来し 憂けくはやみぬ

反し歌

1758 筑波嶺の裾廻の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉(もみち)手折らな


筑波嶺に登りてかがひする(とき)よめる歌一首、また短歌

1759 鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に
   (あども)ひて 未通女(をとめ)壮士(をとこ)の 行き集ひ かがふかがひに
   人妻に (あれ)()はむ ()が妻に 人も言問へ
   この山を うしはく神の (いにしへ)よ (いさ)めぬわざぞ
   今日のみは めぐしもな見そ 事も咎むな
   カガヒ*ハ、東ノ俗語ニ曰ク、カガヒ。

反し歌

1760 男神に雲立ちのぼり時雨ふり濡れ通るとも(あれ)帰らめや

右ノ件ノ歌ハ、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。


鳴鹿(しか)を詠める歌一首、また短歌

1761 三諸(みもろ)の 神奈備山に たち向ふ 御垣の山に
   秋萩の 妻をまかむと 朝月夜 明けまく惜しみ
   あしひきの 山彦響め 呼び立て鳴くも

反し歌

1762 明日の宵逢はざらめやもあしひきの山彦響め呼び立て鳴くも

右ノ件ノ歌、或ヒト云ク、柿本朝臣人麻呂ガ作。*


沙彌女王(さみのおほきみ)の歌一首

1763 倉橋の山を高みか夜(ごも)りに出で来る月の片待ちがたき

右ノ一首、間人宿禰大浦ガ歌ノ中ニ既ニ見エタリ。但末一句相換リ、亦作歌ノ両主、正指ニ敢ズ。因テ以テ累ネ載ス。


七夕(なぬかのよ)の歌一首、また短歌

1764 久かたの 天の川原(がはら)に 上つ瀬に 玉橋渡し
   下つ瀬に 船浮け据ゑ 雨降りて 風は吹くとも*
   風吹きて 雨は降るとも* 裳濡らさず やまず来ませと 玉橋渡す

反し歌

1765 天の川霧立ち渡る今日今日と()が待つ君が船出すらしも

右ノ件ノ歌、或ヒト云ク、中衛大将藤原北卿宅ニテ作メリト。




相聞(したしみうた)


振田向宿禰(ふるのたむけのすくね)が筑紫国に退(まか)る時の歌一首

1766 我妹子は(くしろ)にあらなむ左手の()が奥の手に巻きて()なましを


拔氣大首(ぬかけのおほおびと)が筑紫に()けらるる時、豊前国(とよくにのみちのくち)の娘子紐児(ひものこ)()ひてよめる歌三首

1767 豊国の香春は吾家(わぎへ)紐児にいつがり居れば香春は吾家

1768 石上(いそのかみ)布留(ふる)早稲田(わさだ)の穂には出でず心のうちに恋ふるこの頃

1769 かくのみし恋ひし渡れば玉きはる命も(あれ)は惜しけくもなし


大神(おほみわ)大夫(まへつきみ)が長門守に任けらるる時、三輪河の(ほとり)に集ひて宴する歌二首

1770 三諸(みもろ)の神の帯ばせる泊瀬川水脈(みを)し絶えずは(あれ)忘れめや

1771 (おく)れ居て(あれ)はや恋ひむ春霞棚引く山を君し越えなば

右ノ二首、古歌集ノ中ニ出ヅ。


大神の大夫が筑紫国に任けらるる時、阿倍の大夫がよめる歌一首

1772 後れ居て(あれ)はや恋ひむ印南野(いなみぬ)の秋萩見つつ()なむ子故に


弓削皇子に献れる歌一首

1773 神奈備の神依せ板にする杉の思ひも過ぎず恋の繁きに


舎人皇子に献れる歌二首

1774 たらちねの母の命の言にあらば年の緒長く頼み過ぎむや

1775 泊瀬川夕渡り来て我妹子が家の金門(かなど)に近づきにけり

右ノ三首、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。


石川の大夫が(つかさ)を遷されて(みやこ)に上る時、播磨娘子が贈れる歌二首

1776 絶等寸(たゆらき)の山の()()の桜花咲かむ春へは君し偲はむ

1777 君なくはなぞ身装はむ櫛笥(くしげ)なる黄楊(つげ)小櫛(をくし)も取らむとも()はず


藤井連(ふぢゐのむらじ)が任を遷されて京に上る時、娘子が贈れる歌一首

1778 明日よりは(あれ)は恋ひむな名次山(なすきやま)*岩踏み平し君が越えなば


藤井連が和ふる歌一首

1779 命をしま(さき)くもがも名次山岩踏み平しまたかへり来む


鹿島郡苅野橋(かるぬのはし)にて、大伴の卿に別るる歌一首、また短歌

1780 ことひ牛の 三宅の浦に さし向ふ 鹿島の崎に
   さ丹塗りの 小船(をぶね)()け 玉纏(たままき)の 小梶繁貫き
   夕潮の 満ちの(とど)みに 御船子(みふなこ)を (あども)ひ立てて
   呼び立てて 御船出でなば 浜も()に 後れ並み居て
   こいまろび 恋ひかも居らむ 足ずりし 音のみや泣かむ
   海上(うなかみ)の その津を指して 君が榜ぎゆかば

反し歌

1781 海つ()の凪ぎなむ時も渡らなむかく立つ波に船出すべしや

右ノ二首、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。


()(おく)れる歌一首

1782 雪こそは春日(はるひ)消ゆらめ心さへ消え失せたれや言も通はぬ


妻が和ふる歌一首

1783 松返りしひてあれやも*三栗(みつぐり)中すぎて来ず*待つといへや子*

右ノ二首、柿本朝臣人麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。


入唐使(もろこしにつかはすつかひ)に贈れる歌一首

1784 海神(わたつみ)のいづれの神を祈らばか行方も来方(くへ)も船の早けむ

右ノ一首、渡海ノ年紀、詳ラカナラズ。


神亀五年(いつとせといふとし)戊辰(つちのえたつ)秋八月(はつき)によめる歌一首、また短歌

1785 人となる ことは(かた)きを わくらばに なれる()が身は
   死にも生きも 君がまにまと 思ひつつ ありし間に
   うつせみの 世の人なれば 大王(おほきみ)の (みこと)(かしこ)
   天ざかる (ひな)治めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ
   むら鳥の 群立ち行けば 留まり居て (あれ)は恋ひむな 見ず久ならば

反し歌

1786 み越道の雪降る山を越えむ日は留まれる(あれ)を懸けて(しぬ)はせ


天平元年(はじめのとし)己巳(つちのとみ)冬十二月(しはす)によめる歌一首、また短歌

1787 うつせみの 世の人なれば 大王の 命畏み
   敷島の 大和の国の 石上 布留の里に
   紐解かず 丸寝(まろね)をすれば ()()せる 衣はなれぬ
   見るごとに 恋はまされど 色に()でば 人知りぬべみ
   冬の夜の 明けもかねつつ* ()も寝ずに (あれ)はぞ恋ふる 妹が直香(ただか)

反し歌

1788 布留の山よ直に見渡す都にぞ()を寝ず恋ふる遠からなくに

1789 我妹子が()ひてし紐を解かめやも絶えば絶ゆとも直に逢ふまでに

右ノ件ノ五首、笠朝臣金村ノ歌集ニ出ヅ。


天平五年癸酉(みづのととり)遣唐使(もろこしにつかはすつかひ)の船、難波よりいづる時、親母(はは)が子に贈れる歌一首、また短歌

1790 秋萩を 妻問ふ鹿()こそ 独り子を 持たりと言へ*
   鹿子(かこ)じもの ()が独り子の 草枕 旅にし行けば
   竹玉(たかたま)を (しじ)に貫き垂り 斎瓮(いはひへ)に 木綿(ゆふ)取り()でて
   (いは)ひつつ ()()吾子(あご) ま幸くありこそ

反し歌

1791 旅人の宿りせむ野に霜降らば()が子羽ぐくめ(あめ)鶴群(たづむら)


娘子を(しぬ)ひてよめる歌一首、また短歌

1792 白玉の 人のその名を なかなかに 言の緒()へず
   逢はぬ日の 数多(まね)く過ぐれば 恋ふる日の 重なりゆけば
   思ひ遣る たどきを知らに (きも)向ふ 心砕けて
   玉たすき 懸けぬ時なく 口やまず ()が恋ふる子を
   玉釧(たまくしろ) 手に巻き持ちて* 真澄鏡(まそかがみ) 直目(ただめ)に見ねば
   したひ山 下ゆく水の 上に出でず ()()ふ心 安からぬかも*

反し歌

1793 垣ほなす人の横言(よここと)繁みかも逢はぬ日まねく月の経ぬらむ

1794 立ち(かは)る月重なりて逢はねども(さね)忘らえず面影にして

右ノ三首、田邊福麻呂ノ歌集ニ出ヅ。




挽歌(かなしみうた)


宇治若郎子(うぢのわきいらつこ)の宮所の歌一首

1795 妹がりと今木の嶺に()み立てる(つま)松の木は吉き人見けむ


紀伊国にてよめる歌四首

1796 もみち葉の過ぎにし子らと携はり遊びし磯を見れば悲しも

1797 潮気立つ荒磯(ありそ)にはあれど行く水の過ぎにし妹が形見とぞ来し

1798 古に妹と()が見しぬば玉の黒牛潟(くろうしがた)を見れば(さぶ)しも

1799 玉津島磯の浦廻の真砂(まなご)にもにほひて行かな妹が()りけむ

右ノ四首、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。


足柄の坂を過ぐるとき、(みまか)れる人を見てよめる歌一首

1800 小垣内(をかきつ)の 麻を引き干し 妹なねが 作り着せけむ
   白妙の 紐をも解かず 一重結ふ 帯を三重結ひ
   苦しきに 仕へ奉りて 今だにも 国に退(まか)りて
   父母も 妻をも見むと 思ひつつ 行きけむ君は
   鶏が鳴く (あづま)の国の 畏きや 神の御坂に
   和細布(にきたへ)の 衣寒らに ぬば玉の 髪は乱れて
   国問へど 国をも()らず 家問へど 家をも言はず
   ますらをの 行きの進みに ここに臥やせる


葦屋処女(あしやをとめ)が墓を過ぐる時よめる歌一首、また短歌

1801 古の ますら丁子(をのこ)の 相(きほ)ひ 妻問しけむ
   葦屋(あしのや)の 菟原娘子(うなひをとめ)の 奥城(おくつき)を ()が立ち見れば
   永き世の 語りにしつつ 後人の 偲ひにせむと
   玉ほこの 道の辺近く 岩構へ 造れる(はか)
   天雲の そくへの限り この道を 行く人ごとに
   行き寄りて い立ち嘆かひ 里人(さどひと)* ()にも泣きつつ
   語り継ぎ 偲ひ継ぎ来し 娘子らが 奥城所
   (あれ)さへに 見れば悲しも 古思へば

反し歌

1802 古の信太丁子(しぬだをとこ)の妻問ひし菟原処女の奥城ぞこれ

1803 語り継ぐからにもここだ(こほ)しきを直目に見けむ古丁子(いにしへをとこ)


(おと)死去(みまか)れるを哀しみてよめる歌一首、また短歌

1804 父母が 成しのまにまに 箸向ふ 弟の(みこと)
   朝露の ()やすき命 神の(むた) 争ひかねて
   葦原の 瑞穂の国に 家無みや また帰り来ぬ
   遠つ国 黄泉(よみ)の境に ()ふ蔦の おのもおのも*
   天雲の 別れし行けば 闇夜なす 思ひ惑はひ
   射ゆ鹿(しし)の 心を痛み 葦垣の 思ひ乱れて
   春鳥の 哭のみ泣きつつ (うま)さはふ 夜昼言はず
   かぎろひの 心燃えつつ 嘆きぞ()がする*

反し歌

1805 別れてもまたも逢ふべく思ほえば心乱れて(あれ)恋ひめやも

1806 あしひきの荒山中に送り置きて帰らふ見れば心苦しも

右ノ七首、田邊福麻呂ノ歌集ニ出ヅ。


勝鹿(かづしか)真間娘子(ままをとめ)を詠める歌一首、また短歌

1807 鶏が鳴く 東の国に 古に ありけることと
   今までに 絶えず言ひ来る 勝鹿の 真間の手兒名(てこな)
   麻衣(あさきぬ)に 青衿(あをえり)着け (ひた)さ麻を 裳には織り着て
   髪だにも 掻きは梳らず (くつ)をだに はかず歩けど
   錦綾(にしきあや)の 中に(くく)める (いは)ひ子も 妹にしかめや
   望月の 足れる(おも)わに 花のごと 笑みて立てれば
   夏虫の 火に入るがごと 水門(みなと)入りに 舟榜ぐごとく
   行きかがひ* 人の言ふ時 幾許(いくばく)も 生けらじものを
   何すとか 身をたな知りて 波の()の 騒く湊の
   奥城に 妹が()やせる 遠き代に ありけることを
   昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも

反し歌

1808 勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手兒名し思ほゆ


菟原処女(うなひをとめ)が墓を見てよめる歌一首、また短歌

1809 葦屋(あしのや)の 菟原処女の 八年子(やとせこ)の 片生ひの時よ
   小放(をはなり)に 髪たくまでに 並び()る 家にも見えず
   虚木綿(うつゆふ)の 籠りて()せば 見てしかと (いふ)せむ時の
   垣ほなす 人の問ふ時 茅渟壮士(ちぬをとこ) 菟原壮士(うなひをとこ)
   臥屋(ふせや)焚き すすし競ひ 相よばひ しける時に
   焼太刀(やきたち)の ()かみ押しねり 白真弓 (ゆき)取り負ひて
   水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ (きほ)へる時に
   我妹子が 母に語らく 倭文手纏(しづたまき) 賤しき()が故
   ますらをの 争ふ見れば 生けりとも 逢ふべくあらめや
   宍薬(ししくしろ) 黄泉に待たむと 隠沼(こもりぬ)の 下延(したば)へ置きて
   打ち嘆き 妹がゆければ 茅渟壮士 その夜夢に見
   取り続き 追ひ行きければ 後れたる 菟原壮士い
   天仰ぎ 叫びおらび (つち)に伏し ()噛み(たけ)びて
   (もころ)男に 負けてはあらじと 懸佩(かきはき)の 小太刀取り佩き
   ところつら 尋ね行ければ 親族(やがら)どち い行き集ひ
   永き代に (しるし)にせむと 遠き代に 語り継がむと
   処女墓 中に造り置き 壮士墓 此方(こなた)彼方(かなた)
   造り置ける ゆゑよし聞きて 知らねども 新喪(にひも)のごとも 哭泣きつるかも

反し歌

1810 葦屋の菟原処女の奥城を行き来と見れば哭のみし泣かゆ

1811 墓の上の木枝(このえ)靡けり聞きしごと茅渟壮士にし寄りにけらしも

右ノ五首、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。


          巻第九了

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引用文献


○ManyoshuBest100
○万葉集[YouTube]
○萬葉集朗詠ライブ
○万葉集(動画 YouTube) NipponArchives
○歴史ヒストリア

○100分de名著 万葉集 其の1
○100分de名著 万葉集 其の2
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